シナリオ

真白なホリデーシーズンを

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●雪白の祝祭
 それは√ドラゴンファンタジー、何処か辺境の町でのことだ。
 あまり大きくはないその町では、初雪が降った週末から暫しの間、この一年の息災を祝う祭りをすることが古い習わしであると言う。厳しい冬の訪れを前にして、家族や親しい友人たちで集まって、美味しい食事を共にして互いの無事を祝い合う。加えていかな極寒も乗り越える為の英気を養う為に、暖かなひとときを過ごすのが元の謂われであったとか。
 今年はやけに遅い初雪、人々は存分にご馳走や祝いの品を用意しながら今か今かと待ちかねた。豊富なスパイスを利かせたワインや濃厚なミルクティー、バターと洋酒付けのドライフルーツの香り立つ重厚な焼き菓子だとか、オーナメントめいた造形のクッキーにエトセトラ、生クリームがたっぷりのケーキは祭りの朝早く作ることにはなるのだが。
 兎にも角にも彼らが楽しむ準備をし尽くした、そんなある日の夕方に天より雪が舞い降りた。

●皆に憩いのひとときを
「やぁ。皆、クリスマスは楽しめた? それとも、忙しくてそれどころではなかったりした?」
 マスティマ・トランクィロは√能力者たちへ人懐っこく微笑みかけた。
「もし未だ祝えていないなら丁度良い依頼があるよ。√ドラゴンファンタジーのとある町、初雪の後に祝祭をしていてね。クリスマスみたいな感じで楽しめるんじゃないかと思う。今の時期からだとちょうど、年末年始を楽しく過ごせるかもしれないね」
 曰く、多少栄えた保養地の様な町である。洒落たバーから賑やかな食堂、町のはずれのオーベルジュ、祝いながら思い思いに過ごして骨休めをするのにはもってこいだとマスティマは言う。
「あ、でもね、困ったことにはその町の近くにダンジョンがあるみたい。流石に放置しておく訳にはいかないから、後でサクッと攻略お願い出来るかな?」
 それこそ随分サクッと手軽に言ってくれると言うものである。
「そんなに難しいダンジョンではない——と思うんだ。思う。たぶんね。僕が星を詠んだところによるとね——」
 言いかけて、言葉を選ぶ様にして、一拍、二拍。
 唇に指先触れつ口を噤んでからにっこりと、紅く塗った唇で三日月描いた良い笑顔。見ようによっては、何かを誤魔化した様にも——嗚呼、若干頬が上気しているか。要するにこの星詠みも、酒が入ってご機嫌と言うわけだ。
「……いけないね、忘れちゃった。とにかく、皆が良い年を迎えられるように、宜しくね」

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第1章 日常 『お祭りに行こう』


早乙女・伽羅

●君の代わりに世界を眺む
 初雪が舞うほどの空気の冷たさを、早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は暫し忘れていたやもしれぬ。町全体が何処か浮足立った雰囲気は祭り特有のそれであり、そうした空気の非日常性は肌に心地良いものである。それに加えて大人も子どもも道行くものの顔が明るい。待ちわびていたと言うのはおそらく真なのであろうと、丸眼鏡越しに通りを眺めた猫又は得心した様に頷いた。それから折しも吹き付けた風花にやや尻尾の毛を逆立てながら、思い出した様にインバネスの襟を寄せた。
 人々がいかに待ちわび喜べど、雪が降れば猫は炬燵で丸くなるのが本来だ。猫又たる伽羅は流石に四足たちと事情は違えども、身体を温めることは急務に思われた。ホットカクテルでも振る舞ってくれそうな店はないかと探して見つけた路面の間口の狭いバー、十席足らずの店からちょうど出て来た客と入れ替わりで席にありつくことが出来た。
 話しかけて来た常連と幾らか言葉を交わしつつ、湯気の立つバタードラムを傾ける。
「この町には初めて来たんだ。観光客向けに何処か一番景色の良い場所を教えてくれるとしたらどこだろう?」
「んー、それなら、この先の公園のイルミネーションかな?」
「ほう……?」
「この店の裏の通りから回って行くと良いよ。あの通りも綺麗だからね」
 暫しの後に伽羅は酒を飲み干して礼を言い、言われた道で公園へ向かう。
「おお……」
 まだ道中であると言うのに、思わず声が漏れた。教えられた通りでは、温かな橙色の灯りが木々の枝に踊って居た。百鬼夜行の瓦斯灯ともエデンでの電飾とも質の異なる魔力めいた無数の灯りに、木々が、枝に積もった雪が、ひいては町そのものの輪郭が黄金に彩られるかの様な趣。絵画やキネマでしか見たことのない景色は幻想的の一言に尽きた。
 ふらりふらりと夢見心地で向かった公園は、こちらは色とりどりの灯りが光の花を咲かせている。かと思えば、光は妖精の様に舞い、伽羅の目と鼻の先を過ぎてゆく。その光の先、光に満ちた園のただ中にもう見ることのない背中を夢想して、もしも、と伽羅は思う。もしも妻がここに来られたなら、少女の如くはしゃいだだろう。光を追いかけ、ころころと笑い、早く早くと伽羅の手を引いたかもしれない。絵画にキネマ、あらゆる娯楽や芸術を愛した彼女だ、そんな世界に飛び込めたなら、誰よりも世界の全てを味わい尽くすに違いない。
 叶わぬ夢想だ。だが、その代わり、今は己の目こそが彼女の目なのだ。そんな心持ちで景色を眺める金の瞳は、灯りのおかげか常よりも少し柔らかいように思われた。

夢咲・紫雨
フィーガ・ミハイロヴナ

●あたたかな冬を君と
 通りを満たしたイルミネーションの暖色の灯に煌めきながら雪が舞う。行き交う人々の足取りは軽い。交わす言葉は聞こえずとも、その声が弾んで居ることは明るい表情からも明らかだ。そこには誰も吐く息の白さも忘れる程の暖かなひとときが——あれども、彼らが吐く息は確かに酷く白いのだ。
「寒〜っ、いや寒くないですか?!?!」
 己の肩を抱くようにしてフィーガ・ミハイロヴナ(デッドマンの怪異解剖士・h01945)はその身の震えを抑え込まんとした。如何に眼前に暖かな光景が広がって居ようとも、物理的には相当寒い。
「そもそもいつの間に冬になったんですかおれの許可もなしに……」
 いつの間に、と言うならば、この町のみならず√EDENでもとうに冬である。それを知らぬのはフィーガが研究に明け暮れるあまりに蔵書庫に籠りっぱなしで、季節を忘れているが故だ。そうして四季を忘れ、何なら冬の寒さも忘れて居たが故に、纏う白衣は寒さを凌ぐには些か心もとないものでもある。
 その白衣の袖口を、か細く白い指先が引いた。
「せんぱい、寒い? わたしのマフラー使いますか?」
 こてりと愛らしく首を傾げてフィーガを見上げるのは、夢咲・紫雨(dreaming・h00793)。大人気の配信者であり歌姫の魅惑の声で紡がれたオファー、一般人ならもうこの時点で喜んで飛びつく以外の選択肢はないのだが、フィーガは彼女の真心に打たれるあまりに躊躇した。
「良いんですか?」
「はい。わたしよりせんぱいのほうが少し、服装が寒そうなので……冬になるのが許可制だったら準備も覚悟も出来たと思うんですけど」
「わあ……紫雨さんの優しさにおれも涙ちょちょ切れですよ」
「それはおおげさですけど、喜んでもらえたなら嬉しいです」
 ラベンダー色のマフラーはふわりと柔らかく、フィーガに確かな暖を授けた。それだけでもう寒さも何処吹く風で、辺りのイルミネーションが煌めきを増した心地だ。その光に魅入られる様に、ふたり、喋りながら漫ろ歩く。
「ここ食堂みたい。せんぱい、行きましょう!」
 やがてとある愛らしいログハウスに紫雨が目を輝かせて眺め入ってから、見回して、控えめな看板を見つけて声を弾ませた。そう言われてはフィーガが断る道理はない。
「生き返りますねぇ……」
 幸運にも案内されたのは暖炉も近く、窓に面した席である。揺らぐ炎へ冷えた指先を翳しつつ、フィーガがしみじみ呟く一方で、紫雨はメニューのページを捲るのに夢中だ。彼女にお勧めを問われてやたらと気合を入れて答えてくれた店員によると、店の一番の人気はロティサリーチキンのオレンジソース添えだと言う。それは食い気味に注文をして、日替わり鮮魚の冷前菜、ハニーマスタードドレッシングの彩り野菜サラダ、飴色玉ねぎのスープを頼む。飲み物のミルクティーはやたら紫雨に愛想良い、先の店員が何故だかサービスしてくれるらしかった。
「いやぁ、これは何ともお祝いらしいご馳走ですね。久々に両手で食事をしますよ」
 食卓に並んだ皿にフィーガが感嘆の声を漏らして、紫雨は不安げに眉目を曇らせる。
「久々に……? せんぱい、ちゃんと食べてる?」
「食べてますよ、ほら、一昨日も『Sun Chihuahua』で会ったでしょう?」
 Sun Chihuahua、それはご機嫌なサングラスのチワワのロゴで知られるバーガーショップ。二人の行きつけの店でもある。ちなみに一昨日はフィーガはおやさいバーガーをテイクアウトしに行ったので二人は一瞬すれ違った。研究しながら片手で食べられるものとして、且つ一応は野菜も摂れるものとしてフィーガが選んだものがそれであり、この最近は相当食べている自負もある。何なら、食べているだけまだ相当に健康的だ。
「紫雨さん、良かったらお肉取り分けましょうか」
 紫雨の不安を募らせる前に、フィーガはにこやかに告げてはぐらかす。
「わ、せんぱい優しい。切り分け、お願いします」
「もちろんです」
 手際よく取り分けられるチキン、彩に添えるサラダの具合もばっちりだ。美味しそうな食事に、紫雨がそわそわとスマホを取り出した。
「……せんぱい、写真撮ってもいいですか?」
「わぁ……若い娘は違いますねぇ……ぴーすぴーす」
 鮮やかな美食に窓の向こうの雪景色、そしてイケメン。こうも映えるものが揃っては撮らない方が難しい。フィルタもレタッチの加減も常に完璧に設定しているカメラアプリで紫雨が撮った写真は、実に『映える』一枚と相成った。
「あ。思い出に二人一緒の写真も……」
「もちろんです!」
 二人一緒に収まる写真はノーマルのインカメラで。フィルタや補正をかけずとも画面の中の二人の笑顔は随分眩しいものである。

日宮・芥多
茶治・レモン

●祝祭の続きか予行演習か
「見てください。まるでクリスマスみたいです」
 クリスマスの名残めいた灯飾に煌めく通りを眺め遣り、茶治・レモン(魔女代行・h00071)の白雪に負けず劣らず白い貌には一切の感動はない。機能していない表情筋に引きずられているかの様に、声にもさしたる抑揚はない。それでも彼が内心では年相応にはしゃいでいることを、日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)は知っている。故に、白くあどけない横顔を見守りながら、ただ穏やかに笑みを浮かべた。それは傍から見ればその愛想のよさ故に胡散臭いだなどと敬遠をする者もある類の笑みではあるが。
「イベントは年に何回あっても良いものです。特にクリスマスは月1回でも良いです」
 やがて自ら結論に至るレモンに、芥多はニカッと笑みを濃くした。
「あぁ、それです!この景色、まさにずっとクリスマスが続いているみたいです」
「たしかに!それならご馳走を食べなくてはいけません。美味しいものをお腹いっぱい食べましょう!」
 そうと決まれば後は良い店を探すばかりだ。散歩がてらに雪の降る通りをふたり往く。
「あ、良さそうなバー発見」
 芥多が目に留めたのは間口の狭い一軒のバー、丁度一人の√能力者らしき人妖が出て来たことで視線を惹かれたものである。地味だが重厚な扉や主張しない看板の加減からして、「わかる」常連の通う店だと芥多の勘が告げていた。が。
「……ですが、魔女代行くんにはまだ少し早いですかね」
「その言い方をされると余計に気になりますね。バーって美味しいものが多いんですか?」
 レモンは変わらず無表情ながら、どうやら年相応に無邪気な興味を示す。芥多は機嫌良く頷いた。
「ええ、お酒が飲める身には良いものですよ、美味しい酒とツマミが沢山あって……魔女代行くんが俺レベルにイケてる大人になったら行きましょうね」
「ふーん……じゃあ大人になったら連れてってください。もちろん、あっ君の奢りで!」
「え、魔女代行くんイケてる大人になってるのに……?」
「僕が大人になったとしても年の差は変わらないですからね」
「それは間違いないですね……」
 その年の差がありながら、何とも一本取られた心地の芥多である。
 しかし実際子連れでバーと言うのも憚られ、選んだのは大衆向けのビストロめいた食堂だ。客の年齢層も広く、家族連れの姿もちらほらと見受けられるこの店ならば、レモンが楽しめるメニューも豊富にあると思われた。何かにつけて運の悪い芥多としては、満席で入店出来ないことだけ懸念をしていたが、運よく空いた窓際の席へと案内を受け、この最近の行いが良かったらしいと密かに胸を撫で下ろす。
「とりあえず飲み物お願いしましょうか。俺はミルクティーにしますけど、魔女代行くんは?」
「僕もミルクティが良いです」
「ミルクティーふたつ、お願いします。あ、飲み物だけでは寂しいのでクッキーも頼みましょう」
「クッキーだけで大丈夫ですか?」
「他も食べたいってことですね!とりあえず飲み物待ちながら他も見ましょう……あっ」
 メニューの頁を捲っていた芥多の手が止まる。
「魔女代行くん、クリスマス並みに豪華なケーキがありますよ!」
「ケーキ!あっ君、よく見つけてくれました」
「……頼みますか。来年のクリスマスの予行演習ということで」
「今年のクリスマスの続きでも良いかもしれません。とにかくここでケーキを食べないのは不作法と言うもの」
「了解です。あと俺、腹減ってるので食事もガッツリ取りたいんですよね」
「クリスマスと言えばチキンですね?」
「魔女代行くん、天才では?」
 メニューを畳んで芥多は意味ありげに微笑んだ。
「魔女代行くん、お礼に、イケてる大人の俺がとびきり良いこと教えてあげましょう。こう言う時に一番美味しいものにありつく呪文です」
「と、言いますと?」
「女将さん!なにか適当にチキン料理を見繕ってください!ガッツリめで!」
 あいよ、と少し遠くから元気な返事がひとつ。レモンは目を瞬いた。
「あ、じゃあ僕はビーフシチュー……いや、カレー……いいえ、両方お願いします」
「魔女代行くん、そんなに食べられるんですか?」
「……後でわかります」
 やがて運ばれて来たチキン料理は、ほどける様な鶏肉のコンフィ、ローズマリーの香り立つ香草焼きに、パルミジャーノ・レッジャーノを削って仕上げた完熟トマト煮込み。それぞれの皿をレモンが横からつつく代わりのお詫びの品が件のカレーライスと言う訳なのだが、それをも含めてどの皿も祝祭に相応しく、二人の腹と心を満たすに足りる味わいであったことは確かだ。

ガルレア・シュトラーデ
ジョーニアス・ブランシェ

●各々の時間を過ごして持ち寄って
 今宵ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く演奏家・h03764)が首に巻くカシミヤのマフラーは、世が世ならアーミンの毛皮であったのやも知れぬ。ある程度の実用性とこの世界への適応を考えての装いでもあるが、寒風に翻すコートの裾は庶民などより些か長く重たい。無論、戦闘までには召しかえることをガルレアは視野に入れている。これはあくまで彼なりに、初雪の祭りにはしゃぐ市井を見て回るのに合わせてのそれである。
 他方で、隣を歩くジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は常の装いに毛皮のロングコート一枚を羽織るだけの軽装だ。厚着を好まぬがゆえの装いながら、当人の体感同様に見目に微塵も寒さを思わせぬのは、寒冷地に住まう獣の毛並みの豊かさと、それを纏う背筋の伸びた体躯の精悍なこと、毅然とした雰囲気の成せる業か。
 いずれにしても、両者防寒を万全に整えたのは、今宵の祭りを楽しむ為に他ならぬ。
「なかなか良い場所ではないか。ごみごみとした都会より、この位鄙びている方が寛ぎやすい」
「あぁ、そうだな。このくらいの人混みなら、ガルレアが迷子になっても見つけやすい」
「抜かせ。此方の台詞である」
「どうだか。ガルデアの場合は最悪子どもの群れにでも紛れて居そうなものだが、そっちは何処を探すつもりだ?」
「そうだな、指名手配でもかけてやろう」
 軽口を叩き合いながら立ち並ぶ露天の合間、都市部よりかは疎らな人の群れを縫ってゆく。実際、√EDENの世の某国の都心部でクリスマスマーケットなどをしようものなら、賑わいもストレスもこの倍どころで効かぬと思われた。
 食べ歩きが出来る類の食べ物の店から季節の贈答品、この土地特有の土産の店まで露天の種類は事欠かぬ。その内のひとつの前でガルレアははたと足を止めた。祭りの為の飾りつけの類か、手作り感のある品々が並ぶ店である。ひとつ手に取り、隣の店の見事な硝子細工の品々に視線を向ける親友の肩を突く。
「見ろ、ジョーニアス、可愛い少女人形が売っているぞ」
「ふーん? あ、待て、その先は言わなくても良いぞ」
 ガルレアが手にしたそれは、民族衣装らしきワンピースに黄色の毛糸の髪をしたぬいぐるみ。円らなボタンの瞳に、きゅっと上がった口角が愛らしい。ジョーニアスにそれを示したガルレアも同じくらいに良い笑みである——此方は愛らしいと言うには少々皮肉げなものではあるが。
「おや、明察。なかなか手触りも悪くない品だ。隣に侍らせて寝てはどうか、独り身は寂しかろう?」
「それする方が数倍寂しいと思うんだがな。それに——」
「それに?」
「独り身なのはお互い様だろう」

 何処か拗ねた様に口にするジョーニアスとは対照にガルレアは全く涼しい笑みである。自分の反応を既に面白がられているその様に一層の悔しさを募らせつ、後でこっそり一つを買って彼の寝床に忍ばせる意趣返しでもしてやろうかと、満足した様に軽やかに踵を返す友の背を見送りながらジョーニアスは考える。
「お兄さん、さっき見てたそれ、良い品でしょ?」
 ふと声を掛けて来たのは硝子細工の店の売り子だ。ガルレアに揶揄われる直前、ジョーニアスがとある切子細工のタンブラーを見て僅かに目を輝かせた様を目敏く見止めていたらしい。
「このタンブラーなら新年の乾杯は最高の一杯になるし、何でもない日のただのお水もとびきり綺麗で特別なお水になるよ。来年毎日それが味わえるの、良いでしょう?」
 流れる様な口上の通り、実に手の込んだ良い品だ。琥珀から淡い緑に移ろう硝子、側面を流れる様な曲線に擁されて無数の雪の結晶が刻まれている。灯りを透かして机上に落とした色の影絵も鮮やかで、ジョーニアスは暫し眺め入る。
「今だけだけど、二つ買うと少しお得にしてあげる。さっきのお兄さんとお揃いで一つずつどう?」
 見透かした様に耳打ちされては財布を開く他にない。
「二つ買おうとは思っていたが、何故解るんだ。それをくれ。ところで、良い酒の肴になりそうな郷土名物の店はあるか?」
「毎度。この並びの突き当たりに、鹿や猪のジャーキーの美味しいお店があるよ——」
 さて、その頃ガルレアは道端で花を買っていた。正確には、もう買い終えてブーケを作って貰うところだ。先刻、露天でもない路肩、冬の花を両手に抱えた姉妹が控えめに声を掛けて来たので、妹の方が持っていたマーガレットを一輪買ってやろうとして思い直したのだ。
「折角だ、二人が一番良いと思う花で小さなブーケを作って貰えるだろうか」
「おいくらくらいの……?」
「祝いの品だ。予算は気にしない」
 そんな経緯で、姉妹は大喜びをしてとびきりのブーケを作ってくれた。主役は姉妹それぞれがお勧めをした可憐なアマリリスと華やかなラナンキュラスの共演で、他、姉が譲らなかった色とりどりのアネモネと、妹がカスミソウ代わりにと主張したシクラメン。あまりに色鮮やかで、とても小さいとは言えない花束であったが、戦闘までには何処かに預けるのだから問題はあるまい。ガルレアは微笑んで受け取った。そうして少し多めにキリの良い金額を手渡して釣銭は辞退した。それこそ花の咲く様な姉妹の笑顔で十分だった。
「随分立派な花束だな?」
「そうだろう? で、買い物が終わったのなら一杯どうだ。丁度あそこに眺めの良さそうな店がある」
 やがて各々の買い物を終えた二人は合流し、町の外れの、広いテラス席を備えた店へと足を運ぶ。広く張り出した天井が雪を凌いで、ファイヤーピットに揺れる炎が寒さを退けてくれる空間は、快適に雪景色を眺めることの出来る特等席だ。温かな湯気の立つホットワインとシナモン入りのホットウィスキーをお供にしたなら、寒さの這い寄る余地はない。
「遅いけどメリークリスマス、かな」
「来年も宜しく」
 そうして始まる気の置けない親友同士の語らいに必要なのは美味なる食事だ。こちらにも寒さを近づけぬように念入りにスパイスを利かせるのが望ましい。まずは温前菜、サフランライスを添えた若鳥とキノコのフリカッセにはオールスパイスが調和して、ピンクペッパーが鮮やかだ。次いで黒胡椒がぴりりと味を引き締めるまろやかな里芋のポタージュ。メインは香味野菜がたっぷりで、香り高いワインのブラッドソースにクローブやシナモン、スターアニスを利かせた鹿のシヴェ。
 語らいながら杯を空けてまた注ぎ、皿を空けて夜が更ける。

 十分に英気を養えたなら、さぁ、そろそろ仕事の時間だ。

第2章 冒険 『凍てついた大地』


●真白き大地を征け
 存分に祭りを楽しみ英気を養えたなら、冒険者としての仕事の時間だ。
 町から少し離れた場所に現われたと言うダンジョンは、見目には氷雪の城の様、そうして一歩踏み込めば——見渡す限りの銀世界。
 雪が降る。降り続ける。何かの策を講じねば生命を奪う類の寒さだ。
 だがしかし、それだけと言えばそれだけだ。
 気付いた者も居るだろう、『寒さの対策さえ講じれば遊びながらでも進める』ことに。ただ黙々と進もうと、童心に返って雪遊びをしながら進もうと、君たちを咎めるものはない。

【プレイングボーナス】
寒さへの対策を行う。
ジョーニアス・ブランシェ
ガルレア・シュトラーデ

●風を防ぎて雪を塞き、ただ白銀の上を往き
 町のほど近くに現れたと言うダンジョン、それは見目には氷雪が成した城の形をしていると、そんな噂は薄々知っていた。
 だが実際にその光景を目にしては、ガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く演奏家・h0376)とジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)はただ無言にて瞳を見交わさざるを得ぬ。比喩だと思っていたそれが、城壁も主塔も門塔も何もかもまこと氷雪を削り出したかの様に白く透く造りを誇っていることをいざ目の当たりにしてみれば、その内部は尚一層に氷点下未満、何なら絶対零度すら謳ってくるであろうことなど、火を見るよりも明らかだ。見ているのは氷ではあるが。
「……おい、どうするガルレア」
「……ふむ。悔しいがかくなる上は防寒が最優先であろうな」
「だよな」
 故に、常の装いに毛皮のロングコートのみにてこの町の雪の夜を凌いでみせて、それをも出立前に預ける筈だったジョーニアスは瞬時に思考を切り替えた。即ち、泊まる予定——もとい、コートを預ける予定であった宿にて、寧ろスキーとゴーグルと、何なら自分と親友の分のカイロまで借り入れるほどの周到さ。
「お前はどうする?」 
「俺は何処ぞのミュージシャンだかのコスプレは流石に」
「いや、誰のだよ? まず絶対に違うからな?」
 薄着に毛皮のコートのギャップと色気故なのか、相手が単なるノリで適当に言っていそうなだけに真面に取り合うのも莫迦らしい。サラッと流したジョーニアスは仕返しの様にガルレアの爪先から頭の天辺までをジト目で眺め遣る。
「で? お前スキーとか出来るのか? まさかとは思うが、出来ないんなら容赦なく置いて行くからな」
「ふむ、出来なくはないだろうが……」
 この親友の器用さからするならば、とっくに履修済であろうと踏んでのジョーニアスの発破であった。対してガルレアは暫し思案した。即ち、まともな工程で学ぶとしたら常人の数分の一の時間で習得出来る自負はある。あるものの、それに慣れる手間と時間をこの場でこれから掛けることは些か、否、酷く面倒に思われた。
 それでも若干の期待を込めて答えを待つ友に何と返すかを思案して、ガルレアは結局言葉で返すことを諦めた。そうしてその背の翼すらも羽搏かせぬままに浮かび上がったその爪先、ふわり広がる黒く艶やかな髪の先まで、無重力。斯様に念動力で己の身体を浮かべてやれば雪との摩擦も滑走もまるで蚊帳の外の話だ。
「この方が余程手軽であるし、後ろからお前に追突する様な事故も起きまい……」
「本当だよなそれ? 本当にぶつかって来ないよな?」
「お前、私を誰だと思っている。私はガルレア・シュトラーデ——」
「つまり一番の危険人物なんだが?」
「良いから早く行け」
 身も蓋も無い。そうして軽口もそこそこに、スキーにて雪原を滑りはじめるジョーニアスである。
「遅れるなよ。あと追突はして来るなよ」
「心配には及ばない」
 その僅か後ろ、彼を風除けの様にして滑空するガルレアだ。
 冒険者たちの心を折る様にダンジョンの奥より吹き荒ぶ向かい風、しかし吹雪にも雪原にも心得のあるジョーニアスにはそれこそ何処吹く風である。その背後にて、空気抵抗も寒さも凌いで身を浮かべているガルレアにもまた然り。
「風を切る感じ、気持ち良いな。しかしこう右も左も真っ白じゃ、どっちに行って良いのやら」
「任せろ。風除けの働きには報いてやろう」
「いつの間に俺そんな使い方されてるんだ……?」
 ジョーニアスの返しは聴かなかったフリをして、ガルレアが発動した√能力はゴーストトーク。そこらを漂うインビジブルらを端から知性を持つ姿へと変えてゆく。
「このダンジョンの主の姿と、何処に居るのかを知らないか?」
 答えやすい問いを選んで残滓どもに訊いてやる。生命体に言葉をかけられたことが嬉しいか、インビジブルどもはよくはしゃぐ。
『竜だよ!竜みたいなモンスターがいるの!』
『あっちに行ったよ!あのお城!』
『少し西から向かって行くと風が弱くて向かいやすいみたい。あのモンスターがそうしていたわ』
「解った、礼を言う。——と、言うことらしいぞ。ジョーニアス」
「お前なぁ……」
 要はそちらに行けと言うことらしい。吹雪の中で雪上を往くジョーニアスの背後にて、中空にて脚組みをしたガルレアが優雅に指示をする。些か奇異な光景なれど、信頼ゆえに許されているその関係を、生前の姿をしているインビジブルらが微笑ましげに見守っていた。

茶治・レモン
日宮・芥多

●雪だるま狂騒曲
「うーん、まるで天国から地獄ですね……あのお店の暖炉の温もりがもう恋しい……」
「あっ君、寒いのが苦手なんですか?」
 柄にない厚手のキルト地のコートを纏って手袋は二枚重ねた上からミトンを被せ、マフラーは粋な結び方よりも防寒重視のぐるぐる巻き。加えて急遽そこらで調達をしたイヤーマフを着けることも忘れない。それでも絵になっているあたりが何とも心憎いのだが、兎も角、日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)は寒さが苦手であった。今初めてそれを知った茶治・レモン(魔女代行・h00071)は明るい黄の瞳でまじまじと彼の様子を眺めつつ、己のか細い頸に巻きかけていた、軍隊支給の白絹のマフラーをそっと彼へと差し出した。
「それなら僕のマフラーも貸してあげますね」
「これは嬉しい!でも、良いんですか?」
「僕は寒いの平気ですから。あっ君が凍えて動けなくなったら、引きずって行くのでご安心ください」
「意地でも自分で歩かなきゃいけない気がして来ますね。あ、マフラーは有難く」
 寒さへの万全の備えを整えて、いざ踏み込んだダンジョンは聞いた通りの銀世界。
 城に踏み込んだ筈なのに視界一面に広がる雪原、彼方に先ほど見た様な城がある。
「あれがゴール……ですかね」
「そうみたいですね。さ、行きますよ、魔女代行くん!」
 颯爽と歩きはじめる芥多、歩幅のあまりの違いゆえに小走り気味に追いかけてゆくレモンである。積もった雪を丈のある軍靴で蹴散らし舞わせて行くのがなんとも小気味よく、思わず夢中になりながら、ふと、それでいてやがて芥多の背中に追いついたことの奇異に気が付いた。
「あっ君? 大丈夫ですか」
「大丈夫どころか元気いっぱいです。見てくださいこれ!立派でしょう?」
 妙に歩みの遅い芥多、どうやら雪玉を作らんとして転がしながら歩いていたが故らしい。
「雪玉ですか? 僕も作ります!」
「ええ、一緒に作りましょう。雪玉を転がす事で身体がよりよく動いてポカポカしてくる上に、あのお城に着く頃にはクソデカ雪だるまが出来上がっているという寸法ですよ」
成程、未だ目的地までは相当に距離がある上に、その割に芥多の手元の雪玉はそれなりの嵩を誇っている。このまま転がして行くならば、さぞや立派な雪玉に成長するものと思われた。
「よし、折角なので、あっ君より大きな雪玉を作りたいです、作ります」
「別にそう言う競技じゃないですよ……?」
「良いんです。僕が胴体を作るからあっ君は頭のほうをお願いします」
「いや、うん、まぁ良いんですけどね」
二人仲良く雪玉を転がしながらの雪中行軍。防寒に抜かりないこともあり、しばらく行くと身体が温まって来て、寒さに弱い芥多にも軽口を叩く余裕が出来て来たらしい。
「完成したクソデカ雪だるまは城の前に可愛く飾ってあげましょうね」
「あっ君もなかなか趣味が良い……」
「無駄に荘厳な城の雰囲気を台無しにする為に!」
「あっ、違いましたか!そうですか!!」
「いやむしろ趣味良いと思いませんかね!?」
「嫌がらせの天才ですね!」
「いやいや、何を言いますか。これだけ良い感じに大きくて丸くて素晴らしい雪だr」
 芥多の言葉の先を物理で遮ったのは、レモンが投げた雪玉だった。なかなか己の雪玉が芥多のそれより大きくならないことに業を煮やしたレモンが武力行使で妨害に出たという形である。
「ちょっと、冷tッいや何も顔狙わなk待って本当!」
「だって顔以外狙うとこないですからね!」
「魔女代行くんこそ嫌がらせの天才では!?」
 芥多が反撃しようとするも、いつの間に造り置いていたのか、連撃で雪玉を投げつけるレモン。漸く芥多が顔を擦りつつ反撃に転じる頃には、白く小さな背中は雪玉を転がしながら遥か彼方へ逃げてゆくところであった。
「僕の勝ちです!」
「これは引き分けじゃないですか……?」
 やがて城の前に飾られたクソデカ雪だるま、体高的には立派ながらも頭と胴の比率が限りなく1:1の何とも不格好な仕上がりであったとか。

橘・明留

●真白き奇跡をかの碧眼に
「わー、なんかゲームみたい!氷系のダンジョンって大体絶対一か所くらいあるよねー」
 氷雪の城、踏み入れた瞬間の銀世界、そうしてまた彼方に見える城。橘・明留(青天を乞う・h01198)はその光景に思いがけずに一人はしゃいだ。明留が愛する青空とは反対に、生憎空は雪模様。低く垂れこめた灰色の雲、まるでその端が地上に近いところから順繰りほどけてゆく様に、しんしんと雪が舞っては降り積もり、地上を覆う嵩を増す。
「すげーきれい……」
 舞い落ちる雪を仰いで、思わず無防備に歩み出す明留。先まで、滑って止まれぬ氷の床だとか、雪塊による進行障害だとか、何なら追いかけて来る雪玉だとかのあたりまで、いかにもゲームに「ありそう」なトラップを思って身構えていたところである。だが、いざ目の当たりにする雪は、想像を超えて幻想的なものだった。思い返せば明留の住まいの近くでは雪は年に何度か舞う程度。それも交通を麻痺させて生活を妨げる迷惑な気象としてしか捉えたことはなかった。
 厚く着込んだ一番表、黒いコートの袖口にふわり止まった雪の結晶を明留は顔を近づけてまじまじと見た。己の呼気で、青い瞳が見つめる間にも結晶は端から鋭さを蕩かせ儚く融けてゆく、二度と出会えぬ雪のかたちを、明留はせめて瞳に焼き付けようと思った。せめて、ではない本懐が何であるかと思料をすれば、相棒にも見せてやりたいと己が願っていることに明留は気付く。そうして、寒いのは嫌だと断られることを予感して、次いで、彼ならばまず早く仕事をしろと言って来る様な気もして、気を取り直す。
 厚着に加えて薬での寒さ対策、防寒が万全であるだけに暫しこの白銀の世界に溺れてみたい気もすれど、それで万が一の失敗などは罷りならない。依頼に行くとは告げて出て来たが、即ち、至極当然のこととして、いつも通りに帰宅をした後でいつも通りに夕飯を作って食卓を共にすることを互い織り込んでいればこそ、それ以上に言及をしていないのだ。無事の帰着は必須であろう。
「少し聞かせてくれないかな」
 呼びかける相手は手近なインビジブル、√能力にて傷ひとつない生前の姿に戻してやれば幼い少女であった。明留と縁もゆかりもない相手にはこの能力はよく通る。
「このダンジョンのボスがいるところに出来るだけ早く向かいたいんだけど——」
『それなら——』
 教えられた道、多少の遠回りをしてでも安全に行くのが望ましかろう。いざと言うときの逃げ足への自負をお守り代わりに、ゆっくりと明留は真白い大地を踏みしめた。

早乙女・伽羅

●猫も着込んで庭駆け回り
 振り向けば、遠く、イルミネーションが金色で描き出す町の輪郭がある。
 甘美なる感傷の名残は振り払うには些か惜しい。それは遠くとも振り向けば依然そこで煌めきを放つあの町の光景然り、或いは閉じたまな裏に思い起こされる幻燈めいた灯々然り、手を伸ばすならばそこにあり、美しく愛おしいだけに始末に負えぬ。だが感傷とはそう言うものだ、それをも推して今はもう仕事に切り替えるべき時分だと早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は己に言い聞かせて——彼方に聳えた氷の城を目にしてその身を総毛立たせつつ、思わず踵を返していた。
 あれは何の御伽で登場したものであったか、雪の女王の住まう居城は確か氷雪で築かれていたと言う。挿絵など無かった筈のその光景を、伽羅は今、目の前に見たと思った。尻尾をこわく膨らませたままで、怖々、肩越しに振り返る。いつしか頁を捲りつ思い浮かべたものなどよりもいっそ壮麗なものではないか、それが恐ろしい。芸術に親しむ身なればこそ伽羅は知っているのだ。壮麗なる建築それ即ち権力——今回に於いてはおそらく冷気だの魔力だのの強さに比例しているであろうことを。
「——いや」
 いっそ見なかったことにして立ち去りたくなる己を伽羅は抑え込み、軋む様にゆっくりと城を振り向く。ただでさえ遅い初雪に町は沸き立って居たのだ。であれば今年は冬将軍の攻め手が緩いと喜んで、ろくな備えもないやもしれぬ。
「こんな脅威にあの町を襲わせる訳には……!」
 腹を括って発動した異能、手元に喚び出したものは「どんな寒さも打ち消してくれる懐炉」。無論、世の中美味しい話には裏がある。これとて呪いを帯びたいかにもな曰く付きの品ながら、だが、背に腹は代えられぬ。懐にそれを仕舞って意気揚々(と、己に言い聞かせながら)伽羅は己を鼓舞する様に心持ち歩幅を広げて歩を進め、いざ氷雪の城に踏み込んだ。
「……何、だと——!?」
 果たしてその先に広がるものは天井の高いアトリウムでも奢侈なシャンデリアに巻きつく様な螺旋階段でもなくて、ただ、一面の銀世界。
「ふ、ふふっ……成る程、これが噂のダンジョンとやらか。この位は想定の内だとも……」
 それが本音か強がりか、微かな震えが武者震いであるか否かの定かなところは伽羅にしか解らない。ただ、少なくともその場にて装備に重ねて綿入れを着込み、頭の天辺から爪の先まで装備品の全てに防水の処置を施した伽羅の動きは迅速なものだった。特に靴は念入りに水を防がねばなるまい。雪が染みた靴の冷たさは伽羅がこの世で好まぬものの上位の常連だ。
「……よし」
 やがて己に言い聞かせる様に呟いて、伽羅は真っ直ぐに顔を上げ、猫だてらに殊更に背筋を伸ばして歩み出す。
 寒さが大の不得手なればこそ、気持ちで負けてはお終いなのだ。

第3章 ボス戦 『リンドヴルム『ジェヴォーダン』』


●ダンジョンの主
 氷雪の城に踏み入れば銀世界、その先にまた雪の城。入れ子人形めいてまたその先に雪原が続いているのではないかと若干身構えながら、√能力者たちは二つ目の城に踏み込んだ。
 玄関を潜れば真白く広いエントランスホールだ。正面に伸びた氷の階段の先に佇む黒い人影――が俄かに膨らんで、歪に、黒き半人半竜の形を成してゆく。
『来たな、冒険者ども。ひとまずハッピーニューイヤー、生きて帰れると思うなよ』
 金色の翼手を広げながら、このダンジョンの主は告げた。飄々とした口ぶりながら、その余裕はおそらく自信と実力に裏打ちされて居る。見よ、刃めく金の鉤爪の凶悪なまでのあの煌めき、能あれど隠し切れない鋭さよ。

『俺はリンドヴルム『ジェヴォーダン』。死にたいやつから来ると良い』
橘・明留

●ただの人間たる矜持
「うわ……」
 意図せぬままに声が出て、だがその先が出て来ない。かつてのあのまま平凡に生きていたならば、このままならぬ経験自体をせずに居られたのだろうか。目の前のヒトかイヌか竜かもわからぬモンスターに——正解は飛竜騙りのドラゴンプロトコルなのだが——気圧されながら、橘・明留(青天を乞う・h01198)はビジー状態手前の思考をフル稼働させる。このまま恐怖に呑まれぬ為に、何かを言わねばならぬ気がした。
「えっと、あけましておめでとうございます、今年も……」
「宜しく? 初対面でか?」
「そうだよね!いや、そうじゃなくて!」
 無意識と言えど突っ込むだけの余裕が出来たのは僥倖か、そのままの勢いで異能にてカードを錬成するだけの冷静さは少なくとも確保が出来た。
「かかっていってやるけど、絶対に死んでなんてやらないからな!」
「その度胸嫌いじゃないぞ、小僧」
 半竜の強靭な翼が、凶悪な鉤爪が、鎧の様な鱗が影の如くに溶け揺蕩って、収束してゆく闇は精悍な大狼の姿を成す。長い牙持つ口をして高く吼えた。
「膝が笑ってるようだが平気か?」
「そっちが震えてるからそう見えるんだろっ」
「無理あんだろ……」
 そのまま吼えかからんとした大狼へ、魔力で為したカードを手裏剣の如くに投げつける。獣の鼻面を斬り付けて牙を逸らすに足るその一投、だが、|複合猛打《ヤツギヤツザキ》の名を持つ異能がその一撃で終わろうはずもない。明留の首筋を狙って跳ねた狼。辛うじて一重で躱しつすれ違い様に後肢ひとつを掴み、そのまま明留は一本背負いの要領で投げ飛ばす。だがしかし敵もさるもの、受け身を取りつの着地と同時に次は飛竜へと姿を変える離れ業。強靭な翼が空を切り、巨躯が風を切る。まともに受ければひとたまりもない巨体からの体当たりを、明留は何とか受け流す——と言うには些か無様か。床に転がり込みながら、だが、間一髪で、回避した。
「なんだ? ただの人間かと思ったが、戦い方を知ってるな?」
「ただの人間が戦えないと思ってるなら間違ってるよ!」
 頬についた掠り傷を拭いながら、明留はジェヴォーダンを睨み据えた。
「何を生意気——」
 飛竜は鼻で嗤おうとして、それが成らない。その先は燃え盛る炎に阻まれたがゆえ。
「ただの人間だってわりとやるんだって、目に物見せてやる!」
「なにィ……っ!」
 紅蓮に燃え盛る炎を蒼穹の双眸が見つめていた。

クラウス・イーザリー

●互い死線を知るがゆえ
「死ぬつもりは無いけど、全力で挑ませてもらうよ」
 黙って斬りかかることも出来た中、クラウス・イーザリー(人間(√ウォーゾーン)の学徒動員兵・h05015)が強いてそう言葉を返したのは、ある種の敬意によるものだったやもしれぬ。敵ながら騎士道めいて堂々と名乗りを上げる様、それを許すだけの、肌で感じる力量は、一定の敬意に価するものだ。少なくとも、若い身空で戦場の水に浸り切り、表情筋の制御より戦斧で敵の脳天をかち割る方がまだ幾らかは得手だと思える彼にとっては。
「悪くない。その全力ごとねじ伏せる」
 ジェヴォーダンの周囲の空間が歪んだが、何を為そうとしたものか、帰結をクラウスは見なかった。何らかの事象が生じるより早く、クラウスのコンバットブーツは氷雪の床を蹴り、そうして再び踏み締めていた為である。彼愛用の斧の刃が届く程度にジェヴォーダンの至近で、だ。
「なにィ……!?」
 斧は咄嗟に身を庇おうとしたジェヴォーダンの左翼の付け根の一部を砕き、その肩までをも深く抉る。
「遅いな。宣言しながた先手を取った気になってる辺り、自信が裏目に出てるかもね」
 鉤爪による反撃を予期して跳び退りながら、クラウスの姿が白い城内の景色に溶ける様に消えてゆく。光学迷彩による視覚トリック、だが強敵を目の前にそれだけに甘んじるつもりなどは無い。攻勢から反撃を防ぐのでなく回避に転じる速さを殊更見せつけたのも、それを為しながら敢えて煽る様な言葉を向けたのも、全てはこの短時間で情報を集め組み立てたクラウスの計算の上のこと。
「上等だ。それならこっちも全力だ」
 ジェヴォーダンの周囲にて再度空間の歪みが生じ、そこから飛び出したのは無数の獣型のモンスターの群れである。
「お前ら、匂いで判るよなぁ!? やっちまえ!」
 光学迷彩に真正面から挑む如くに、牙を剥きだした獣らが目を血走らせての跳梁跋扈。だがそれこそがクラウスの狙い通りで、その掌の上でのこととは獣らもジェヴォーダンも思うまい。数が多いだけの獣などただ撃ち減らせば良いだけだ。いかにその牙が鋭かろうと、いかにその脚が疾かろうと。戦いに於いて優先すべきは敵の首魁を叩くこと——即ちクラウスが選んだこの手は何よりも|ジェヴォーダンを回復させぬ《・・・・・・・・・・・・・》ことに重きを置いていた。
 故に獣らの牙を砕きいなして、或いは身に受けながらでも、再度飛竜へと肉薄し、
「チッ、やりやがる……ッ!」
「そっちもね」
——今一度振り下ろすクラウスのバトルアックスは、今、定かにジェヴォーダンの左の翼を断ち切った。

早乙女・伽羅

●ネコとイヌと
 √能力者とジェヴォーダンの交戦を眺めていた早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)は、興味深げに爪の先で丸眼鏡を上げ、まじまじと敵の様子を観察する。ダンジョンの主はいかにも話と常識の通じ無さそうな見目の割に、存外諧謔心があるらしい。
「ふむ。簒奪者の割にユーモアを解すクチと見た」
「そいつはどうも。一点訂正しておくと簒奪者って呼び方は頂けないな。俺はリンドヴルムだ、ジェヴォーダンって名前もある」
 律義に言葉を返して来たジェヴォーダンに、伽羅はピクリと耳を揺らした。
「いや、まさにその件についてもだ。少々お茶目に欲張りすぎじゃないか。竜なのか狼なのか、どちらかにしたらどうだ?」
「格好良いだろ? そう言うお前は何だよ。猫か? ヒトか?」
 存外、単に愉快に会話をしている訳でもないらしい。問いを投げつつ、仮面めいたおもての表情の読めぬ瞳も抜かりなく伽羅を探っている。何一つ隠す気もない伽羅はゆるりと尾を揺らす。
「俺は他の何者でもない。猫又さ」
「あぁ、猫か」
「我輩は猫であった。……フフッ」
 それで満足な解を得たのか、ジェヴォーダンの姿が歪む。飛竜から転じたのはヒトをも凌ぐ大狼の姿、その巨躯に似合わぬ敏捷さにて伽羅へと駆けた。
「過去形じゃないだろ。猫は炬燵で丸くなってりゃ喰われず済んだのに!」
 眼前だ。大口を開いて牙を見せつけた大狼、勝ち誇る様なその顎が噛んだのは、だが、『猫』の身ならず硬く冷たい分銅鎖。
「躾の悪い犬だなぁ」
「うガッ!?」
 そのまま口吻に絡んだ鎖が牙を封じる。
「人を噛んではいけないと飼い主から教わらなかったのか?」
 鎖の端を伽羅は引き、勢いで身体が流れた狼の背にサーベルを突き立てる。口を塞がれた狼は咆哮も出来ぬままつんのめる。伽羅の手にした鎖が俄かに軽くなったのは、ジェヴォーダンが鎖をすり抜けた為である。何が起きたか。大狼の姿が揺らいで眩い鎧を纏う過去の英雄の姿へと移ろうところだ。もはや獣の口吻はない。
「こう言うのはどうだよ」
「おっと、それは良くない」
 ニヤリとヒトの顔をして告げたその姿が定まる前に、伽羅の右掌が鬼ごっこめいて相手に触れた。用いるは虚飾を削ぎ落す異能。ジェヴォーダンの変身を無効化させて、その姿を先の大狼へと巻き戻す。
「何をした……!?」
「そいつに成りすましたところで、お前はお前に過ぎないだろう」
 過去とは言え、英雄を貶めさせることは物語として美しくないと伽羅は考える。そうして、サーベルを構え直して敵を見据えた。
「それに、飛竜にせよ大狼にせよ英雄に討たれる側じゃないか。さ、躾を続けよう」

ジョーニアス・ブランシェ
ガルレア・シュトラーデ

●それは罠猟
「どうもご丁寧に。|Bonne année.《ハッピーニューイヤー》」
 ジョーニアス・ブランシェ(影の守護者・h03232)は律義な男だ。ここまで履いて来たスキー板は丁寧に城の入り口に立てかけて来たし、これから倒す敵にすら新年の挨拶を返してやる程度には。その律義さはともすれば、狩人がこれから仕留める獲物に向ける一定の敬意の類に似たものであるかもしれない。
「と、言う訳で宜しく頼む」
 コートを脱ぎ捨て、首を鳴らして、二振りのナイフを抜き放つ。一連の流れの内に、愛銃が所定の位置にあることを追加の所作なく確認済だ。無駄も隙もない挙動に、ジェヴォーダンが舌打ちひとつ。
「全く、新年早々迷惑な来客もあるもんだ」
「そう言われると返す言葉もないかもな」
(ふむ、異形なりに対話も可能、と)
 他方で彼の斜め後ろ、そんなやり取りは茶番だとでも言いたげにやや鼻白んだ顔をして流し目をくれるガルレア・シュトラーデ(静謐に弾く演奏家・h03764)の思考は全く別のところにある。対話が出来るのであれば即ちこの簒奪者には精神がある。それはガルレアの戦いの作法に於いては歓迎すべきことだった。だがそれで思わず唇の端を吊り上げる程にはガルレアは単細胞でなく、浅い会釈ひとつ返して誤魔化す程度の如才なさはある。会釈をして視線を切れば、それは、これ以上の対話を己は望まぬと言外に伝える『上流らしい』所作として十分過ぎるものとなる。
 それはこの|簒奪者《物体》との言葉遊びにさしたる魅力を感じぬが故の拒絶でもあり、そうする間に、目立たぬ白い炎ひとつをひそりと足元に放つ為の時間稼ぎでもある。
「へぇ……」
 それを見咎めて好機滲ませた呟きと同時、飛竜の翼が風を切る。先の能力者に断たれて片翼となりて尚その機動は削がれぬか、ガルレアへ肉薄する翼手と鉤爪の疾きことよ。
「お前ら両方食えないが、存外こっちの後衛気取りが本命か?」
「いや、主役はこの彼だよ」
 危機となるべき状況を逃げも隠れもしないまま、涼しい貌でガルレアは返す。それは敵の爪が届くことはないと確信しているが故の沙汰。即ち、ジョーニアスが駆け付けてくれることへの絶対の信頼そのものだ。
「その通りだ」
 事実、ジェヴォーダンの鉤爪はジョーニアスが携えた二振りに、火花を散らして弾かれた。苛立ち紛れ、刹那と間をおかず重ねる連撃も二つの刃に阻まれ、受け流されて甲斐がない。剰え返す刃で強靭な鱗の隙間を穿たれ、苦悶の滲む咆哮をジェヴォーダンは撒き散らす。
「全く忌々しい……!」
 叫ぶついでに近接戦を優位に運べるであろう形態として大狼に姿を変えながら、だが、その耳が不意にピアノの音を拾った。空気と共に不安定に揺らいだものはその精神、故にジョーニアスの突き出した刃への反応が一瞬遅れることになる。狼の肩口を裂いた刃が血潮で尾を引いた。
 音の正体はガルレアの持つ『奏上・黒影』が音へと変えた攻性インビジブル。その正体まではジェヴォーダンは特定できずとも。
「ガルレア、そのまま頼む」
「無論、言われずとも」
 二人の会話を耳にするならば、事の元凶は明白だ。今は狼の牙の形となった敵意は再度ガルレアへ向く。無論、ジョーニアスが立ちはだかって為させねど。
「だったらこれで……!」
 羽化する様に、狼の背に広がった翼は真竜のそれである。羽搏きと共に零した音はピアノのアルペジオ。先のガルレア同様に攻性インビジブルを操って、敵対者どもの精神を損なう筈でありながら、
「——ッ!?」
 思考が、視野すら掻き乱されるまでに精神を阻害されたのは彼自身。眩暈に歪んだ視界の隅に、開幕同時にガルレアが放った白い炎が厭に大きく陽炎めいて揺れていた。
 それは布石だった。酷く周到な罠だった。ガルレアに『ちょうど良い』攻撃を向け、反射の力を宿したその炎を『ちょうど良く』発動させるべく誘い込まれて居たことにジェヴォーダンが気付いたのと、ジョーニアスの双刃が斜めに十字を描いて彼を斬り裂いたのとが同時のことだ。
「……ッはは!こいつは一本取られたなァ……!」
 最早飛竜とも狼ともつかぬ姿に輪郭を揺るがせながら、血反吐混じりにジェヴォーダンは嗤う。

茶治・レモン
日宮・芥多

●お正月の過ごし方
「「ハッピーニューイヤー!」」
 ジェヴォーダンの言葉を受けて応えた日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)と茶治・レモン(魔女代行・h00071)は息ぴったりだった。過去形だ。
「今年も宜しくお願いします。って言うことで、さ、帰りましょう魔女代行くん。帰って寝ましょう。俺、寝正月が理想ですので、初詣も少し遅めくらいが助かります」
「あっ君何言ってるんですか? むしろここからが本番なんですよ」
 戦闘へ向けての心構えには天と地ほどの温度差と、深海の底に横たわる海溝ほどの隔たりがある。
「いやいや考えてもみてくださいよ。美味いもの食って、雪だるま飾って城の雰囲気ぶち壊して、身体も程よく温まって……今寝たら最っっっ高に気持ち良く眠れると思いませんか魔女代行くん!?」
「うっ……それは多分そうなんですけど駄目ですからね!お仕事終わらせるまで僕は認めませんよ!」
「こう考えるのはどうですか? 新年早々お仕事してる方がおかしいんですよ、外はこんなに真っ白なのに働き方があまりにブラックすぎますよ。俺たちはもっと休むべきで」
「あっ君、いい加減にしないと僕怒りま——」
「俺は既に怒ってるよ」
 俄かに羽搏きの音ひとつ。飛竜の姿のジェヴォーダンは完全に業を煮やしていた。低空から強襲した鉤爪は軌道も角度も完璧に、芥多を袈裟懸けに斬り付ける筈だった。先まで軽口を叩いていた芥多がそれを躱した様は、傍目にはまぐれとも思われる。決して鮮やかな躱しかたでなく間一髪、ただ身を揺らがせたかの様な、足取りとてまるで気怠げに引きずるかの様な。
「あっぶな……」
「余裕ありそうに見えたけどな」
「いやいや、皆無ですよ。死にたいやつからかかって来いとか言われたから折角挙手するつもりだったのに、返事も待たずにそっちから来るとか流石にナシじゃないですか?」
 返す鉤爪を斧の柄で受けつつ、軽薄な笑みで芥多は返す。
「ってことで俺、死にたいでーす!殺して下さい、それはもう是非とも遠慮なく、今すぐで良いですよ!」
「あっ君何言ってるんですか!?死にたいだなんて、軽率にものを言わないでください!」
 力で押されて弾かれた飛竜が体勢を立て直そうとする前に、内から光を放つが如き真白に包まれたナイフの『玉手』でレモンは斬りかかる。先を制しての一刀は過たずジェヴォーダンの身に深い傷を刻んだ。だが、反撃に転じようとしながらも、正面からの芥多の斧を捌くのに右翼を抑え込まれていては、レモンへの対処は儘ならぬ。故に、刻んだ傷を更に抉り、切り落とさんばかりの斬撃の連撃はワンサイドゲームめいていた。否、レモンの異能を以てするなら、一対一でもこの展開に持ち込めていたとみるべきか。戦局による儘ならなさ以上の力の差を感じ取ったか、ジェヴォーダンが歯噛みする。
「畜生が……ッ!」
「ずっと僕のターンです、宜しくどうぞ!ところであっ君、先ほどの発言の件ですが」
「はは、ええ冗談ですよ!多分!」
 敵の反応もそれを蚊帳の外にしたレモンの言葉にも、芥多は気にした風もなく斧を揮いつつ、あっけらかんと答えて見せた。斬撃を重ねながらレモンが、第三者からには解らぬ程に、だが、芥多にだけは定かにそうと知れる程度に眉を吊り上げる。
「冗談でも僕、許しませんからね。たとえ言葉に出さなくてもあっ君が内心でそう考えているだけで絶対に嫌ですからね」
「いやはや本当に申し訳ない、心底反省してるのでここはひとつ水に流して——」
 このやり取りの途中にジェヴォーダンが姿をヒトや狼に変じていたことは最早語るにも価せぬ。相手の姿が変われども二人の戦法は変わらぬし、此処から形勢が逆転されよう筈もなければ消化試合だ。
「足掻いても無駄だと思いますよ、あんな噛ませ感満載の台詞口にした時点で既に敗北確定ですからね」
「あー、あれフラグになっちまったか」
 芥多が揮う斧——通称『塵芥』、斧と見せかけた立派な怪異だ。力強い一撃の度、傷が切り傷や裂傷の類ではなく齧り取られたかの様に抉れることにジェヴォーダンとて気付いている。己の消耗も限界も。
「ははッ、何にせよ俺は喰われる側の弱者だったってことか——!」
「貴方が弱いとも思いませんが——一切合切、運のせいです」
 やがて頽れるダンジョンの主を、紫の瞳が若干の同情めいた感傷を湛えて見下ろしていた。運の悪さはお互い様だ。そして事実、今、芥多の袖を引く白くか細い指先がある。
「帰りましょう、あっ君。ちなみに帰ったら説教ですからね!」
「うげ……説教よりも寝たい気分なんですって」
 やがて真白い広間に言い合う声を長く残して、足音ふたつ、遠ざかる。

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