4
Dressing room
●dress
人通りの少ない路地裏に、ぽつんと建つ小さなお菓子屋さん。
ガラス張りのディスプレイに並べられた極彩色のチューイングガム、コインの形をしたチョコレート。そんなお菓子屋さんも、当たり前のように、夜には閉まる。
夜。恐らく日付変更前。『close』の看板が下げられた店の前に、黒塗りの高級車が一台止まる。
「本当にこの店で合っているの?」
「間違いないさ。招待状にもこの場所が記されている。」
車のドアを開き、赤いハイヒールを履いた女が、かつんとヒールを鳴らして店の前に歩み寄る。身体のラインを強調するマーメイドドレスに身を包んだ女は、鍔の広い帽子を持ち上げ、カーテンの隙間から店の中を覗こうと背伸びをしていた。伸びる影はまるで魔女のよう。
開きっぱなしの車のドアを、スーツを着たミイラ男が閉じると道を占領していた高級車は夜の静寂に消えて行く。男の包帯が風に靡き、足元の影も更に伸びる。
「ほらここ。この店で間違いない。」
「でも誰もいないわ。」
招待状らしき封筒を掲げると、明滅する灯りに照らされて真っ赤なシーリングスタンプが怪しく光る。シーリングスタンプの柄は蜘蛛のようだ。差出人は不明。しかし、男が取り出した手紙の末尾には、Lady・Monsterと綺麗な文字で書かれていた。
この日の為にいつも以上にお化粧をして、いつも以上に綺麗に着飾って来た女の形のいい眉が吊り上がる。この招待状が偽物だったら笑えない。
「とりあえず中に入ってみないかい?」
「closeって書いてあるわ。大丈夫なの?」
「試してみない事には――。」
男がドアノブに手をかけると、ベルの音と共に扉が開く。なんともあっさりと開いたものだから、拍子抜けしてしまった。閉店を告げる看板はフェイクだ。互いに顔を見合わせ、どこか得意げに見下ろす男を隣の女はツンとしたすまし顔でみつめた。
「今日はLady・Monsterの新作発表会なのよ。エスコートをよろしくね。」
「もちろんだよ。君が新作のドレスを一番に着る権利を得るために、私も一肌脱ごう。」
女が男の腕に片手を添える。この日のために新調したネイルは、新作のモチーフを取り入れた蜘蛛の糸をイメージした物だ。
重い音を立てて店の扉が開く。
ミイラ男と魔女は暗闇の中へと消えた。
●幽霊曰く
「Lady・Monsterって知ってるかい?」
ここに集った者たちにも見えるように幽霊の男、東雲・夜一は招待状らしき封筒を片手に持ったまま揺らす。蜘蛛の描かれたシーリングスタンプ。それがLady・Monsterからの招待状である証だ。
「有名なブランドらしいが、オレにはちっとも分からねぇ。」
「ってのはまあ、さておき。このLady・Monsterっつー所が悪の組織で、んでそこで働くデザイナーが、どうもこの発表会で人を集めて良からぬことを考えてるんじゃねぇかって所でな。」
幽霊の男の話はこうだ。とあるお菓子屋さんの地下にて、Lady・Monsterというブランドの新作ドレスの発表会があるらしい。しかし、新作ドレスの発表会というのは人集めの口実であり、なにやらここに集った者たちを洗脳し、全ての√の完全征服への手駒にしようとしているのではないかと。
「しかもだ。今回に関しては普通の発表会じゃねぇ。どうも、新作ドレスとやらを作った奴の目に留まれば、そのドレスを誰よりも先に着る権利を得られる……っつーらしい。」
人気ブランドの新作ドレスともなれば、このブランドが好きな者にとっては魅力的な誘いでもある。
「まあ……そんな感じで、気合いを入れている奴らがうじゃうじゃいる訳だが。大変な事になる前に、お前さん達が奴らの計画を阻止してくれ。」
場所はお菓子屋さんの地下。お菓子屋さんで売られているガムやチョコ等の甘いお菓子は勿論のこと、クラブも兼ねられた場所だ。酒の類を飲むことも出来るだろう。そろそろハロウィンの季節にもなる。南瓜頭のパイやミイラ男のクッキー、蝙蝠キャンディや目玉スナックなどの品々も置かれているだろう。
「発表会が始まるまではのんびり過ごして良いと思うぜ。のんびりできねぇやつは、店員に変装してバックヤードの探索をしてみんのも良いかもしんねぇな。」
「おっと、そうだ。客として向かう奴は仮装するのを忘れねぇように。あちらさんからの指定だ。」
客として向かう者には招待状を、店員として忍び込む者には服をそれぞれ手渡し、夜一はあなたたちを見送る。
「んじゃ、頼んだぜ。」
これまでのお話
第1章 日常 『クラブ・アンダーグラウンド』

●Lady・Monster
ショッキングピンクの目玉をぎょろりと動かし、店内を見つめるギョロ目の怪物が本日のマスコットキャラクターらしい。名前はそのままギョロ目ちゃん。大きな鹿の角をリボンで飾り、店の中央でお客様をお出迎え。
ショッキングピンクの壁紙に、毒蜘蛛の糸を絡ませて、真っ白綿菓子を浮かばせる。
紫色の毒の糸が被さった南瓜頭にナイフを突き刺せば、とろりととろける南瓜のクリームとラズベリーのジャムが溢れ出る。甘さ控えめの南瓜クリームの甘酸っぱいラズベリーが癖になる味。
ショコラのドーナツはショッキングピンクの目玉であなたを見つめ、傍らに添えられた白いお化けのシフォンケーキが悪戯に笑う。使い魔のクッキーたちははしゃぎ回り、艶やかな魔女の爪が机に並ぶ。
それだけではありません。騒ぎ疲れたお客様には、とびっきりのドリンクも用意しております。真っ赤なルビーグレープフルーツは、まん丸目玉のゼリーを浮かべておりますので、皆様も大満足のお味に違いありません。
その他にも黄緑色のキウイは、モンスターの血液を模したもの。アルコールには真っ赤なワインやオレンジのリキュールを。
お客様が望むものを提供致します。の張り紙の横に、小さく未成年の方はアルコール禁止と言う文言も添えてある。
喧嘩はご法度。皆仲良く馬鹿騒ぎ。怪物たちの宴が始まる。
やたらと眩い地下クラブにひょっこり現れたその子。真っ赤な衣装に身を包み、ちくちく小さな針をお供に。チャームポイントの耳は林檎の帽子の中に隠すことはせず、今日はでずっぱり。
この場に相応しい、毒林檎のお針子さんの格好をしたチルチル・プラネットアップル(きらきらひかる おそらのほしよ・h08529)は、最後の一歩を踏み出すや否や、この地下のマスコットキャラクターでもあるぎょろ目ちゃんの元へと一目散に駆けだした。
「わあ!あっちにも、こっちにも、たくさんのおかし!ゆめみたい……!」
なにもかもが初めての中、お菓子だらけの地下に目移りをしてしまうけれど、お菓子に目移りしている場合ではないのだ。自らの首を振ってギョロ目ちゃんの前に立つ。
「こんばんは!きょうはいい日ですね!」
ギョロ目ちゃんは何も言わないけれど、挨拶を済ませたのだから良しとしよう。まずは何をしようか。お菓子も食べたいし、でもお仕事もしなくちゃいけない。
こんな時間にお菓子を食べると、虫歯になってしまうと誰かが言っていたのを、チルチルはしっかりと覚えている。もちろん、虫歯になってしまうのは嫌だ。でも仕事を頑張るのだから、食べてもいい!怒る人間の顔が脳裏に過ったけれど、今日は特別だ。
「せんにゅうそうさ、だもんね……!」
ギョロ目ちゃんの傍らに置かれた紅色のヌガーに手を伸ばし、こっそり一口含む。ヌガーを含んだ瞬間、口に中に広がったのは、林檎の爽やかさと甘くて苦いキャラメルの味だ。林檎にキャラメルはあまり口に含んだことはない。けれども、甘い林檎とキャラメルのほろ苦さが絶妙に溶け合い、口の中で程良い甘さとなる。
「……おいしい!次は……これ!」
ヌガーだけにしておこうと決めていた手は止まらず、次に小さな手が掴んだものは、ふわふわの綿菓子。
「くも?」
空に浮かぶ雲の欠片だろうか?見かけたことはあるが、食べたことはない。この機会に雲を食べることが出来るなんて、まるで夢のようだ。
先程と同じように、丁寧にいただきますの挨拶を交わすと、早速綿菓子かぶりつく。
「……あ、あま~い!」
ふわふわのそれは、思わずほっぺたがおちてしまいそうな程に甘い。ふわふわしたくもは口の中ですぐにとけてしまうから、大切に、大切に味わいたいのに、あっという間になくなってしまう。
「ふわふわの子、もうなくなっちゃった。」
美味しい物はどうしてすぐになくなってしまうのだろう。少しだけ肩を落としたチルチルは、次のお菓子を食べようと手を伸ばしかけた。しかし、不意に仕事の話が頭をよぎる。
「……夢中になりすぎちゃ、ダメ!」
自らの両頬を軽く叩き、今この場でお菓子を食べる代わりに、真っ赤な衣装のポケットへと飴玉をいくつか忍ばせることにした。
これならば、仕事の途中で甘いものが食べたくなっても平気だ。どこか得意げに胸を張り、パンパンに膨らんだポケットから飴玉が落ちぬようにとおさえておく。
「バックヤードはどこかな……。」
右も左も仮装をした客だらけ。小さなチルチルであれば客の隙間を縫い、バックヤードに潜入することが出来るだろう。軽やかな足取りで人波をすり抜け、目的の場所へと辿り着く。
「……しゃ、い、がい……ちいり……んー?ここかな?」
関係者以外立ち入り禁止。その文字の全てを読むことは出来なかったが、無事に辿り着くことは出来たようだ。微睡む瞳を瞬かせ、こっそりと扉を開く。中は薄暗くて良く見えないが、何かきらきらとした綺麗な物が置かれている気がする。
ここには大人が沢山いる。こども一人で進むのは危ない。ならばと一旦扉を閉め、チルチルは扉の近くのソファーに腰を落ち着けることにした。
もし、仲間が来れば声をかけてみるのも良いかもしれない。けれども今は、目の前のパンプキンパイに舌鼓を打つべく、置かれたお皿に、切り分けたパンプキンパイを乗せるのであった。
外観は普通のお菓子屋。しかし、扉を開くとそこには予想外の光景が広がっていた。ハロウィン仕様の店内に思わずぽっかりと口を開いたままで店内を見渡してしまった見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は、いつものスーツ姿で乗り込む。店員として潜入をするのだから、今回は罅の入った仮面は外しておく。スーツのネクタイを今一度結び直し、七三子は表からバックヤードへと向かう事にした。
表で仮装をする人々を眺めるのも楽しいだろう。しかし、まずは仕事だ。関係者以外立ち入り禁止の貼り紙を視界に留め、堂々と扉を開く。こうして堂々と入る事が出来るのも店員の特権である。
表の賑わいとは裏腹に、バックヤードは閑散としていた。時折、同じようなスーツを着た者とすれ違いはしたものの、この場で怪しい動きをする者は見当たらない。七三子は片手にメモを持ち、お菓子の補充をするふりをして、バックヤードの把握を試みる。
「ふふ。実は私、潜入工作とか結構得意なんです!」
ひとりでに呟き、自らの痕跡を残さぬようにと予備に持ってきておいた黒い革手袋を両手にはめる。七三子の目的は、計画を知る手掛かりだ。書類やメモがあれば万々歳と言った所だろう。
「お菓子は……普通のお菓子のようですね…。怪しい物は仕込まれていないようです。」
カラフルなパッケージのお菓子や、上の店で売られているのであろう菓子の類に鼻先を寄せ、香りを嗅いでみたが怪しい香りはしない。いたって普通のお菓子のようで、あくまでも発表会が始まるまでは怪しい動きは見せないという意思表示か、それともたまたまだろうか。
「油断をさせておいて……と言う線もありますから、物がダメならインビジブルさんに聞いてみましょう。」
きょろきょろと周囲を見渡し、周囲に人が居ない事を確認した七三子は、その場で浮遊をするインビジブルに狙いを定めることにした。彼らならば、何かを知っているかもしれない。一体のインビジブルへと降霊の祈りを捧げると、そこには七三子と同じように、スーツを着た女性が現れる。
「すみません。少しお話を聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」
生前の姿に変えられた女性は、自らの両手を見下ろし驚いた顔を七三子に向けていたが、一度大きく頷くと声を潜めながらも言葉を告げる。
『私で良ければ。』
「今回のLady・Monsterの新作ドレスの発表会について、何か良からぬ計画が企てられていると見込んでいるのですが、ご存知ですか?」
『……新作ドレス。はい、知っています。この場に訪れた、たった一人にそのドレスを着る権利が与えられるものですよね?』
七三子は頷き、女性からの話の続きを待つ。
『そのドレスは、Lady・Monsterのデザイナーが生み出した戦闘スーツです……。確かに見た目は豪華なドレスなんです。なんでも蜘蛛をモチーフにしていて、ハロウィンにはぴったりなんだとか。』
『ですが、それを着てしまうと洗脳をされてしまいます。私もLady・Monsterの新作と聞いて、別の場所で発表会に参加したのですが……その時のことを思い出すと……。』
女性の表情はみるみるうちに青ざめて行く。両腕を抱え首を振る事で、なんとかその場に立っているが、おおむねその時にLady・Monsterの新作を着た者が、悪の組織として会場をめちゃくちゃにでもしたのだろう。七三子にとっても、想像に容易い話だった。
「でしたら、そのドレスを誰にも着せないようにすれば、対策はできるのですね。」
『はい……恐らく…。ドレスはこのフロアのどこかに保管されていると思います。』
「お話をありがとうございます。ずっとここにいても怪しまれますし、お菓子の補充がてらドレスを探してみます!」
これ以上のことは女性は知らないようだ。七三子の言葉に小さく頷くと、彼女も表の賑やかな空気を楽しむべく一歩を踏み出す。
「さて、このフロアのどこかですね。このお菓子を持って行ったら、探してみましょう。」
手がかりをつかむことは出来た。ならば、あとは阻止をするために動くだけだ。表の賑やかな音楽を聞きながら、七三子は次の動きに備えるべくお菓子の補充を行うのだ。
「Lady・Monsterね……。」
スーツ姿の黒木・摩巳(ひみつのおしごと・h02923)は、店員としてこの場に居た。怪しまれないようにとドリンクの注文を受け、それをカウンターへと告げる。
今日と言う日は新作ドレスの発表会と言う事もあり、かなり賑わっているようだ。ドレスコードがハロウィンの仮装ともなると、気合いの入る者も多いのだろう。注文を受けたドリンクを運びながらも眼鏡の奥の瞳を光らせることは忘れないでおく。
(悪の組織のブランドの発表会とか碌なものじゃないんだろうけど。)
目の前を豪華なドレスを着た婦人が通りがかる。仮面を被っているため、婦人がどこの誰なのかは把握できないが、それなりに名のある者だろう。そのような者まで招待をされているとなると、この世界どころか他のルートへの影響もやはり懸念される。元より、悪の組織は他のルートへの侵略も試みているのだ。なんとしてでもこの場で計画を食い止めなければならない。
(まあでも……新作ドレスって、戦闘スーツかなんかだろうな。たぶん。)
そんなことを胸の中で呟き、空いたグラスを下げるべく、摩巳は一旦バックヤードへと引っ込む。
グラスを厨房へと届ける道中にこの地下の地図らしきものが目に留まる。クラブの構造は、思っていたよりも簡単に出来ているらしい。出入口等の動線の確認、それから怪しい部屋がないか目星をつけておく。そこでふと、地図上の一室に視線が吸い寄せられた。更衣室の斜め前、表からも入る事の出来る一室だ。
「……ここは、確か入ってはいけないと言われていた場所。」
その時には早く持ち場に行けと急かされたのだから、その部屋の確認をすることは出来なかったが、今ならば出来るかもしれない。摩巳は空のグラスを片手に、更衣室前の一室へと足を向ける。
摩巳のヒールの音が周囲には響くが、万が一誰かに見つかったとしても迷ったと言えば良い。幸いにして誰ともすれ違うことはなかったが、更衣室前に辿り着いた所で、立ち入り禁止である一室の様子が見えた。扉の前にはスーツを着た男が二人立っている。その様子からして、何かを護っているようにも見える。このまま行くのは危険だ。この場の構造を把握をしたのだから、怪しまれないようにこのまま持ち場に戻ろう。
彼らに見つからぬようにと柱の陰に身を滑り込ませた摩巳は、空のグラスを厨房に持って行き、賑やかな表へと戻る。あとは店員として働く傍ら、客の話に耳を傾けておこう。動向の確認も忘れず。もし万が一、怪しい動きをする輩がいるようであれば、すぐさま動けるようにしておいた方がいい。
「それにしても……。」
次の注文を運ぶ合間に貼り紙へと視線を向ける。そこには未成年はアルコール禁止。と書かれていた。
「悪の組織なのに、未成年への注意を促すだなんて。変に律儀なのよね……。」
グラスの中身はオレンジジュース。今、摩巳の目の前にいる吸血鬼も未成年なのだろう。悪の組織の計画に巻き込まれそうになっていると思うと、やはり早めに計画の阻止はしておきたい。
改めて悪の組織らしからぬ注意書きに首を傾け、オレンジジュースを運んだ摩巳は、店員として此度の計画を少しずつ把握して行くのだろう。
|赤い《・・》ドレス。頭上には細いシルエットのティアラを乗せたハートの女王は、カウンター席で頬杖をつく。
リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)。常ならば赤は身に纏わない。黒いドレスと陰を引き連れて、この地下クラブへと足を踏み入れるのだろうが、今日は違った。
(Lady・Monsterの新作ドレス――。)
視線を流したまま、ブラッディー・マリーを注文すると、ウォッカをベースとした真っ赤なアルコールがリリアーニャの前に運ばれる。愛らしいぎょろ目ちゃんの目玉ゼリーや、添えられたトランプ兵のチョコも相俟ってハートの女王にはぴったりのドリンクだ。
そいつの首はもう刎ねた。トマトの赤とレモンをかきまぜる最中に、女王はぎょろ目ちゃんの目玉をピックで一突き。このカクテルの行く末も、添えられたトランプ兵のチョコだって、全部全部女王様のご機嫌次第なのだから。
来た時と同じように、周囲を探る視線はやめない。今宵は誰に話しかけようか。誰が相手をしてくれるのだろうか。ただのお喋りなら興味はない。必要なのは、|女王《リリアーニャ》の欲しい情報をくれる一人だ。ぐるりぐるりとグラスの中で青い目玉が目を回し始めた時、不意に一匹の白い兎と視線が重なり合う。
「……みぃつけた。」
彼にしよう。口元は悪戯に緩められ、重なり合った視線ばかりが彼を誘う。ゆったりと首を傾げて見せれば、ほらご覧。かわいい兎ちゃんはすぐに|女王《リリアーニャ》の手の内側におさまってくれる。誰も居座らない隣に腰を落ち着けた兎は、リリアーニャと同じブラッディー・マリーを注文した。どうやらこの兎、本気なのかもしれない。ならばやりやすい。口先だけの戯れも良いが、本気であればあるほど探りやすいのだ。
「ね、今夜は“特別な体験”がほしい気分なの。」
「あなた、白兎でしょう?」
自らのグラスを寄せ、かつん、とグラス同士を触れ合わせる。
「――叶えてくださらない?」
その一言で、白兎の目の色が変わった。
「ええ、女王様。他でもない貴女様のお願いならば、喜んで叶えて見せましょう。」
触れ合ったグラスを片手に、中身の目玉をリリアーニャのグラスの中へと落とす。青い目。忠誠の証だろうか。それを冷めた瞳で見下ろしたが、白兎は何も気付いていない。
結論を言えば、彼の話は面白くなかった。特別な体験を強請ったにも関わらず、口から出て来る言葉は彼の自慢話ばかりだ。このような輩は沢山見て来た。最初こそはリリアーニャもその話を楽しんでいたが、同じ話を何度も聞かされるのは流石に苦痛だ。グラスの中の眼も瞼を閉じてしまいそうな勢いだ。閉じる瞼なんてないけれど。
いい加減、欠伸でも漏れ出そうになった頃。欠伸を誤魔化すようにピックに突き刺した青い目玉を口に含んだ時、白兎が動き出す。
「女王様、特別な体験をお望みでしたよね?」
「ええ、そうよ。」
「でしたら、Lady・Monsterの新作ドレスを、一番近い所でご覧になりませんか?」
リリアーニャの兎耳がひくりと動いた。ここで興味を示せば、彼の思う壺になる。代わりに白兎に試す視線を向け、リリアーニャはこう紡ぐ。
「私を満足させることが出来るのかしら。」
差し伸べた赤いグローブが、握り返す白兎の手の甲に爪を立てた。
金色の皿の上で目玉が転がっては踊る。隣にいる相手の声すらBGMに消されてしまいそうな程に、この場は盛り上がっていた。
ピンクのぎょろ目が同じ色の瞳を見上げる。何やら楽し気に細められているそいつの眼と視線が重なり合うことはない。悲しくも容赦なく、骨のフォークによって突き刺されたぎょろ目は、いちご味の涙を流しながら七・ザネリ(夜探し・h01301)の手元で、ぷるぷると震えていた。
ゼリーとはわかっているが、その様が妙にリアルだ。隣でその様子を眺めていたルイ・ミサ(半魔・h02050)も、自らの手元のゼリーをぷるぷると揺らす。
「よく出来ているな。」
黒のドレスを纏い、目立つ赤はコルセットと猫耳に尻尾の色だ。ゆらゆらと揺れることはないが、自らの目と同じ色の目玉を見つめていると、その尾が緩やかに左右に揺れる気さえする。
「見ろ、ルイミサ。脳みそのプディングだと。」
目玉から流れ落ちるイチゴ味に舌鼓をうちながら、ザネリはぎょろ目の近くに置かれたピンク色の物体を視線だけで示す。もう既に口の中は甘い。甘いが、堂々と脳みそプティングだなんて書いてあれば、好奇心の方が先に立つ。
「ひひ、きめー絶対食う。」
「汎神の食用怪異を出す店を思い出すな。」
こんなにもリアルで、グロテスクなプティングを前にしても、ルイは表情を崩すことなくピンク色の物体を見下ろす。やはりこれも、妙にリアルだ。感心の声をあげ、脳みそプティングに顔を近付けてみた。よくよく見ると、確かにこれは本物などではなく正真正銘、誰かの作ったスイーツなのだと言う事が分かる。
「今度連れて行ってあげようか?本物が出る店。」
このようなお菓子も良いが、やはり本物は一味も二味も違う。ザラメのまぶされた脳みそも捨てがたいが、本物もまた格別なのだろう。
「……興味はあるな。個体差で味に違いはあるのか、食べ比べねえと。」
ぽた、と。堪能していたイチゴ味が床に落ちる。生憎だが今は脳みそを食べている場合ではない。骨男爵はいまだにぐずぐずと泣く目玉を飲み込み、口の中で咀嚼をした。甘酸っぱいイチゴが癖になる。弾力のある目玉ゼリーだ。中々に良い。気に入った。
骨がモチーフの白黒スーツ。片手には誰かの骨の杖を、もう片方の手には先程まで誰かの目玉が存在していたが、今は強かな猫様の腕だけが添えられている。
細身のスーツが一歩分先を歩み、一歩遅れて黒いドレスがその場で踊る。脳を揺さぶる音楽は慣れない物だ。仮装をした人々が頭と腰を揺らし、アップテンポな曲を踊る中で、ルイの足は不規則な動きを見せる人々を避けるだけで精一杯だった。ヒールの踵から床の振動が足に伝わる。これもまた、妙な心地だ。
「こういう場は慣れてんじゃねえのか?お前くらいの歳なら遊び歩いていそうなものを。」
常日頃と変わらぬ声量。いくら隣に居るとはいえ、ザネリの声が聞き取りにくいのか、ルイはこっそりと背伸びを試みる。
「……あー、お前は真面目チャンか。」
漸く聞こえたと思ったらこの一言だ。馬鹿騒ぎをする客たちを見つめる視線も、いつも以上に冷たくなってしまう。傍から見たら、仲睦まじげに見えるのだろう。しかし、近くを通る者たちが二度見をして行くものだから、人は見た目で判断しない方が良いと言ってやりたいものだ。ルイもザネリも素知らぬ顔で会話を続ける。
「真面目チャンと呼ぶな。好きで任務をこなしているわけじゃない。」
視界にとらえていた客たちが、何やらショッキングピンクの瓶を片手に踊り始めた。なんともまあ愉快な奴らだ。しかし、なぜあんなにも愉快に踊ることが出来るのだろうか。ルイにはそれが理解出来なかった。そんなルイの視線に気付いてか、口元に怪しい笑みを浮かべたままのザネリが喉の奥を震わせる。ルイにはまだ少し早い光景だったかもしれない。
「奴らはな、酒を浴びて。頭を空っぽにしてる。」
「さっきのピンクの瓶。頭が空っぽになるのか……酒って便利だな。」
「なかなか悪くねえぞ。」
カクテルを運ぶ店員のトレーから、ザネリはショッキングピンクのグラスを手に取る。他の客が注文をしたカクテルだろうが、そんなものはおかまいなしだ。取って下さいと言わんばかりに運んでいる方が悪い。
香りからしてピンクグレープフルーツだろう。柑橘系の爽やかさが鼻腔を擽る。ルイには飲めない物だが、興味はあるようで客からザネリの手元へと視線を向ける。
「ひひ、その面で成人してねえってのが驚きだが、まだ酩酊の味を知らねえとは、可哀想なガキ。」
「あと1年で私も楽しめる。」
「これはお預けだな。」
「残念だな。私にもある。」
オレンジ色の目玉の浮かぶカクテルグラスを揺らすザネリと、隣でオレンジ色の目玉ゼリーを揺らすルイ。どこか得意げに笑ったルイを見下ろし、ザネリの口も愉快そうにつり上がる。
「ガキには目玉がお似合いだ。」
「私もそう思う。」
「言うじゃねえか。」
グラスに添えられたミントを横に避け、ホルマリン漬けの目玉をカクテルピックで一突き。二つ目の目玉がザネリの手元で泣き始めた。これは恐らくマンゴー味の涙だ。
「ふふ、可哀想なガキは、酩酊していく共犯者を眺めて楽しんでおく。」
ルイが突き刺したままの目玉ゼリーを含むと、ぷつ、とゼリーが千切れる感覚の後に、口の中でオレンジの涙があふれ出した。これがまた、なんとも癖になる味だ。
「ひひ、遠慮か?素面でも踊れるだろ。」
「ザネリ君、踊れるのか?意外。」
そのまま自分の足でも踏んでしまいそうなのに。意外だと口にするルイの表情は至極楽し気で、カクテルを一気に飲み干したザネリのグラスへ、猫のフォークを投げ入れる。
「付き合えよ、レディ。」
「じゃあ、もっと音が響くあっちの方へ行こう。」
エスコートの腕は外さずに、響く音楽に合わせて脳みそのプティングができあがるまで。淑やかに、そして乱暴に。酩酊感なんてそんなものは無いけれど、気紛れで真面目なダンスを踊ろう。
パーティーはまだ始まったばかりだ。
第2章 集団戦 『戦闘員』

ビートを刻むフロアの証明が一気に落とされる。人々のざわめきを残し、誰かが声をあげようとした瞬間。
「皆様、大変お待たせいたしました!これより、Lady・Monsterの新作ドレスの発表会を開催いたします!」
蜘蛛男のアナウンスと共に、大きな歓声が周囲には響いた。
「まず、ルールをご説明いたします。新作ドレスを着る権利を得られるのはたったの一人です。」
「この場に居る皆様には、そのドレスを着る権利を得るために競っていただきます。」
蜘蛛男の話はこうだ。このフロアにいる全員で競う事。手段は選ばない事。しかし、Lady・Monster側も簡単にはドレスを手渡すことは出来ないと言う事。
「我々も全力で妨害をしに行きます。その妨害を抜けた先、一番にあちらのステージへと辿り着いた方に、その権利をお渡ししましょう!」
とある情報筋では、あれは戦闘スーツだという。ならば一般客がその権利を得る前に、こちらもまたあのドレスを何とかしなければならない。幸いにして手段は選ばなくてもいいようだ。ドレスを燃やす、奪う、何でも有りなのだろう。
しかしながら仮装をした戦闘員の妨害も入る。一般人を巻き込まずに戦闘員と戦うのか、それともドレスを狙うべく工夫をするのかは君たち次第だろう。
「それでは皆様、位置について!よ~い……ドン!」
その言葉を合図に、フロアには軽快な音楽と、仮装をした愉快な戦闘員たちが一斉に雪崩れ込んだ。