満つる盈月に捧ぐ|花《いのり》
天へと焦がれ幸えを宿した眼をそっと伏せれば何処か寂しげに、秋風が思い出を撫ぜていく。
雪解けのように花滲む浴衣を纏い、手元の提灯をことんと揺らしながら八代・千桐 (五色綾なす瑞雲・h02637)はしとやかに息を吐いて、あなたに微笑んだ。
「√妖怪百鬼夜行にある、とある神社で|観月花祭《かんげっかさい》が行われるだって」
――その地には言い伝えがあるという。
かつては荒れ狂う妖だった龍神様を女神様が鎮めたそうだ。
これからは人や妖とで生きてゆけるようにと、女神が縁を紡いだのだ。
それから龍神はこの地の者たちにとっての恵みとなった。
人々は龍神への感謝と加護を忘れぬようにと、龍神様の鱗と云われている『鱗石』を女神様の元へと届けて、ふたりへの感謝を祈る信仰がうまれたんだって。
その龍神様…と云われているのが、神社の麓に流れる小川。
この小川には鱗石といって、龍神様の鱗のような形をした半透明の石が上流から流れてきて、川底を揺蕩っている。
形や色合いは様々で、仄かに光を帯びているのが龍神様の加護の所以だろう。
「神社を向かう道中、この川沿いを歩いていくことになるから…君たちもお気に入りの鱗石を探してみるのもいいかもしれないね」
石を掬い上げずとも、川の中を揺蕩う鱗石はきらきらと光り、美しく幻想的な夜へと誘ってくれるだろう。
川辺を暫く歩くと神社へと続く参道の入り口に辿り着く。
参道は竹林の中へ続いていて、千本鳥居と石灯籠が神社へ向かう道しるべとなっている。
灯篭が光照らす鳥居と竹林は、それは郷愁を感じる幻想的な眺めなのだろう。
「無限に続く鳥居は数多の“境界”そのもの。だからなのだろうね…振り返ったり、瞼を伏せたりすると記憶の境界が混じることがあるみたいだ。懐かしい声や姿が現れることがあるそうだよ」
これもまた、縁結びの女神様の御神徳の顕れなのかもしれない。
その先はいよいよ女神を祀る神社。
中秋の名月である今宵はいつもより大勢の人で賑やかで、この日限りの催しもされている様子。
「お月見にちなんだ和菓子の提供があるみたい。色んな種類があったから、和菓子が好きな人にはぴったりなんじゃないかな?あとは、花御守といって…自分で御守袋を選んでお祓いした御守を受けることができるみたいだよ。自分の思い入れのある花を選べるなんて、ちょっと嬉しいよね。」
人間も妖怪も、まあるいお月様がだいすき。
そうしてふたつの笑顔が咲くならば、花括る女神もきっと喜んでくれるはず。
よかったら浴衣を着て楽しんできてね、と花綻ぶような微笑みを向けてあなたの背中を見送った。
第1章 冒険 『七色龍の眠る川』
夏空を映したような水色に朝顔が咲いた浴衣姿が眩しくて、菩提樹・翼 (停まり木・h02247)は思わず目を細めた。
幼き日々より変わらないあどけない笑顔で、いつだって自分を迎えてくれる。
その笑顔を見る度に、赫く塗りつぶされて失くしそうにそうになる|己《理性》が繋ぎ止められる気がして、安堵していた。
今日も変わらない彼女の姿にほっとしてしまう自分と、一人の女性として夢に羽ばたいて欲しいと願う自分とで、翼は葛藤の最中にいる。
「悪いな、有栖。たまにしか、来てやれなくて…。」
「ええよ、無理は言えへんし。でも、やっぱちょっと…寂しい、で?
それよりも…今日は来てくれてありがとー!ほんまにうれしいよ。」
あまり故郷へ帰ってきてくれない幼馴染に六角・有栖 (垢抜けない牡丹・h01994)は寂しさを零せば、絡めた腕にぎゅっと力が籠る。
おこがましいのは分かってる。
それでも、焦がれるように実った蕾が咲くことを祈らずにはいられなくて。
何処か遠くへ行ってしまいそうな彼を繋ぎ止める為の理由が欲しい。
振り向いて、欲しい…いつだって、うちに。
「あっ、見て見て!鱗石沢山あるで。どれがええかなあ……って、きゃっ…!!?」
「有栖…ッ!!」
ばしゃ、ん!!と大きな水飛沫が上がる。
足元に注意して、と伝えようとした矢先だった。
川に落ちそうなる有栖を抱きとめようと翼は懸命に手を伸ばしたが、ほんの僅かに届かない。
あまりに必死だった為、自分も体勢を崩してしまった。
浴衣の裾が濡れてしまう程度の浅さとはいえ、翼は有栖の身体を支えながら、好いた女性一人護れない自分に憤りを感じて、小さく唇を噤んだ。
「…すまない。有栖、怪我は?」
「大丈夫。ごめんな、おーきに。」
夜の川水は冷たいはずなのに、抱き留めた彼女の身体に触れる手が何故か熱く感じてーーとくん、とくんと早打つ脈を感じた。
抱き合っていたら浴衣が水を吸うからと、本音を隠した理由を告げながら身体を離そうとする翼に、有栖は繋ぎ止めるようにぎゅうっと力を籠めた。
「翼、どこにも行かんといて…。うち、もっと翼と一緒に…。」
「…大丈夫だ。また…ちゃんと帰ってくる、から。」
「うち、まだ不安やねん。うちが頼りなかったら手を伸ばして…助けて、くれる?」
これ以上は、と翼は彼女の華奢な肩をそっと押し戻して身体を離すと先に川辺に上がり、再び手を伸ばして有栖の身体を引き上げた。
この恋は、結ばれてはいけない
縁結びの女神の守護するこの地で、こんなことを思うなどとおかしな話だけれど
有栖は俺には勿体無いくらい、眩しくて…無垢な存在。だから…穢したく、ない。
「傍にいれない時の代わり…になるか、分からないけど…有栖が寂しくないように、御守りを贈るから」
柔く微笑む翼の手のひらには、白く清らかな鱗石が儚げに光っていた。
有栖はその優しさを噛み締めるよう微笑むと、そっと川底から迷わず其の石を掬いあげた。
「この石、綺麗やなあ…。えへへ、意外やった?うちは好きやで?」
有栖の手のひらには、赫く深みを帯びた石が握られていた。
だって、あなたの色やから
ほんまはね、全部知っとるよ
翼が、隠してること
でも、知らないふりをする
うちは翼が思ってるような、まっしろな女の子やない
けど、翼が|今のうち《無垢な少女》が好きならーーそれで、ええよ
誰かが似合うようにと自分の為に選んでくれたものというのは、特別に嬉しいものだ。
夕星・ツィリ(星想・h08667)は楽しげに自分の浴衣を選んで着飾ってくれた呉服屋さんの華やぐ笑顔を思い浮かべていた。
濃紺に流れる勿忘草は星彩と共に織り成す天の川。
からん、と下駄を鳴らして歩く度に、ツィリの柔らかな髪は星纏うように燦めいて。
フリルの袖がふわりと揺れて、泡沫の兵児帯はひらりと波打つように舞うのだった。
その姿は深海を揺蕩う海女神か、天空で逢瀬に焦がれた織姫を思わせた。
川辺にそっと腰を下ろして、水面を覗き込むと、そこにはまあるいお月さまと、ちかりちかりと瞬くお星さま。
星月夜が水面に映れば、そこは手の届く天の川となる。それに水底から淡く光る鱗石が合わさり、それはとてもとてもうつくしく|今宵を染めあげた《天と水底を繋いだ》。星の加護を宿すツィリも、思わず息を零す程に。
「きれい、ね。ひとつひとつ形や色が違うのね、どれも素敵だわ。でも…。」
これだというものに出会えず悩むツィリを導くように、視界の隅でぱしゃりと小さな魚が水面を跳ねた。
「まあ、お魚さんも鱗石を探しにきたのかしら?」
揺れ動く水面を眺め、魚の跳ねた場所に目をやれば水底に一際輝きを見せる光を見つけた。
冷りとした水にそっと手を沈めて、包み込むように掬いあげたその石は、花びらのような形をした虹色の輝石。
「わあぁ、これだわ!こんなに近くにあったのに気付かなかったなんて。それとも、さっきのお魚さんが運んできて、くれたのかしら…?」
虹色の鱗石をそっとレースのハンカチに包むと、大切に襟元へとしまった。
「きっと素敵な御守りになるわ。」
ーーどうか、見守っていてね。
月満ちる美しき此の夜を、祝福して下さい。
ツィリの優しき祈りに、小さな小さな綺羅星たちが、ぴかり、ちかりと燦めいて。
今宵、龍神と女神を結ぶ満天の空を流れていった。
「龍神様と女神様の言い伝えのお話、とっても素敵だよね。縁を紡ぐ女神様かあ…」
どんな女神様なんだろう。やっぱり綺麗な方?それとも愛らしい方?
大人の女性やそういった特別な存在に憧れる年頃のエアリィは愛されし女神の存在に心弾ませていた。
青空をモチーフにした澄んだ蒼穹のグラデーションに白雲を薄く纏ったような羽織がふんわりと揺れる。
広い袖口や裾からはフリルが覗き、前で大きく結んだ帯はエアリィの幼い愛らしさをよりいっそう引き立てていた。
その澄んだ青色を纏っていると自分の心も大好きな青空のように澄みきっていられるようで、とても気に入っていた。
神社の参道へ向かって、軽やかな足取りは進んでいく。
お月さまと満天の星を映した川の水底できらきらと鱗石が光を放ちエアリィを祝福しているようだった。
「ん、しょ…せっかくなので、ちょこっと龍神様のご加護をいただこう、かな」
大きく揺れる袖口を片手で抑えながら拾い上げた鱗石は、深く深く涯のない青色で、神秘的な澄んだ光を帯びていた。
「ふふ、綺麗だなぁ~。それに、この石…。」
魔法に心得のあるエアリィにとって、石に宿る淡い魔力を感じ取ることが出来た。
自分の扱う魔法のそれとは異なるものではあるけれど、魔法に触れることの楽しさを常に忘れないエアリィは大きな翠緑の瞳を輝かせた。
「この先の神社では和菓子も食べられるんだよね、楽しみだなぁ。確か、うさぎさんのお月見団子とかお饅頭とか、色々あるみたい。」
楽しみはひとつではない。
巡る季節の中で辿るかけがえのない日々が、少女の心と記憶をうつくしく満たしていくのだから。
無垢な白地の浴衣にコルセットやブーツといった洋物のアイテムを組合わせた特別な着こなしは茶治・レモン(魔女代行・h00071)のお気に入りのコーディネート。
そして、何よりも魔女帽子は自分が魔女代行である証そのものであり、師匠の魔法を継ぐ弟子として僅かなくすぐったさと、|彼女《魔女》への恩義の顕れでもあった。
「なるほど、これが鱗石…!パワーストーンとはまた違った魅力があるし…僅かに魔力が籠められてる。そうだ!今度、師匠に手紙を出す時に聞いてみよう。」
キラキラと夜を彩る光を眺めながら川辺を歩くと、周辺に漂い溶け込むような淡い魔力をその身に感じた。
純度の高い宝石は魔法を紡ぎ出す媒介として有名だが、もしかしたらこの石も魔力を注げば魔法に活用できるのかもしれない。
そういった意味合いでも、鱗石はレモンの探究心を擽るものだった。
「んー、っ…これだっ!えい!……あれ?」
華やかなレースの袖を抑えながらで、石を拾うのにやや苦戦してしまったけれど
一生懸命水底に手を伸ばし、やがて掬い上げたのは…小さな手のひらの中で光るピーコックブルーの鮮やかな輝石。
「ふふ、これも一期一会です、ね。」
大好きな白や可愛らしい黄色に惹かれて探していたレモンだったが、どうやら今宵縁結びの女神が紡いだ|縁《えにし》は別の色だった様子。
或いはこの身体に流れる魔力が引き寄せたものか…どちらにしても、自分としては珍しいその色にレモンは特別な縁を感じていた。
良い色、と…月に鱗石を翳して見ると、ぽわりと小さく光り何度か瞬いてみせたのだった。
このまま持って帰るのもいいけれど、折角の出会いなのだ。御守り袋に入れて貰えれば、大事に持ち歩くことも出来るだろう。
「お花の御守り袋かあ…。何の花が似合うでしょうか。 」
やはり小さく可憐な檸檬の白花?
それとも今日の装いに合わせて白椿?
師匠だったら、何の花を選ぶかな…。
たくさんの想いを胸に綴りながら神社を目指すレモンを、まあるいお月様が優しく見守るように照らしていた。
深い青紫から淡いピンクへの移ろいは明けを待つ宵。白百合に蝶が戯れる幽玄な雰囲気の浴衣は巷で評判の呉服屋が神代・ちよ(Aster Garden・h05126)の為に見立てたコーディネート。
こなれた帯の結び方や、和装を楽しむ為の知識を丁寧に教えてくれた。
雑貨屋さんの見立てた、夜露を飾る蜘蛛の巣を模したショールを肩から羽織れば、その姿は夜明けの蝶そのものとなる。
ショールがあるからと、普段大切に被っているヴェールは外してきたけれど、髪飾りが欲しくなって選んでみたのは、真白のヴェールとは反対の黒いヘッドドレス。
繊細な網目の花レースは品が良く、左右にひらひらと揺れる大きなリボンは美しいちよの髪色を引き立たせる良いアクセントになっている。
ラメ糸で編まれたレースの蜘蛛の巣に、ちよの周りで遊ぶように舞う蝶が羽を休めた。
その光景は蝶が蜘蛛の巣に囚われる姿であるが…ちよにとっては、それこそが特別なものであった。
無垢な心の奥底に燻り続けている、ちよだけが知っている、ちよだけのもの。
「おねえさんも、マダムさんもたいへん目利きの良いすばらしい方でした。こんなにも、ちよにぴったりの浴衣が見つかるなんて、思ってもいませんでしたから。」
二人への感謝を胸に綴りながら、ちよは鱗石を探す為に川岸を歩き始めた。
もそりと、ちよの髪の中から桜色の小蜘蛛が顔を出し、彼女の肩でぴょこぴょこ跳ねるのだ。
「ふふ…柘榴も、うろこいしを見たいのですか?おさんぽしながら、いっしょに探しましょう。」
鱗石、はたしてどんな石なのだろう。
蝶の羽のように儚く朽ちてしまうものには、刹那の美しさがあるけれど、朽ちることなく、ずっとこの手に遺せるものは素敵だとちよは思った。
傍らで喪うことのない追憶のしるし。いつだって寄り添ってくれる、それはどんなにいとおしいことだろう。
「…ああ、これなんて、とてもきれいですね。きょうの浴衣の色やもようにもぴったりだと、柘榴もそう思いませんか?」
川の淵で誰かを待ち続けるように光っていた鱗石を拾い上げると、その色を月に翳して見る。
桜色と紫が溶け合うように滲んだ石は、あまりにも美しく、ちよが焦がれるような色だった。
仄かに光を帯びた石に惹かれるように、舞い踊る蝶も、光羽ばたいて一緒に喜んでくれているみたい。
「柘榴のひとみには、この石がどんな色にみえているのでしょうね。
ーー…ちよには、…望み|叶えたかった《・・・・・・》色のように、みえます。」
これが女神様の神力なのかは分からない。
けれど、今宵はどうしてか…こころの奥へそっとしまい込んだはずの追憶が、自分が手を伸ばしたかったものが、繋がるような気がして。
ほわりとちよが微笑みかけると、柘榴はちいさな可愛らしい手足をぱたぱたさせながら、首を僅かに傾げていた。
「このさきの神社でおまもりにしていただけるという話でしたね。ーーすきな花の、おまもり…。」
そう囁くちよの淡光の瞳は、鱗石の澄んだ紫の彼方に揺らぐ十五夜に咲く花の彩を思い描いていた。
呉服屋が神花・天藍(白魔・h07001)の
為に見繕った浴衣は動きやすく大変愛らしいものだった。可愛らしすぎやしないかとも思ったが、今の自分の姿を考えれば全くおかしなことはないのだろうなと、納得せざるを得ない。
「雪だるまに雪の結晶、か…。季節外れだというのに、よくもまあ…我にぴったりの柄があったものだ。あの呉服屋、評判の良いとの噂は本当だったのだな。」
夜の川というのは本来、冷たく底の見えない昏い世界だ。だが、今宵は満ちた月と数多の星屑が天より照らし、水底からは流れに乗ってきらきら踊る鱗石が光り、此処こそが星の川であると言わんばかりの姿を見せていた。
ぱしゃ、と…冷たい川に足を浸して、少しだけ歩く。常人であれば、夜の水底の冷たさに身体を強ばらせるのだろう。だが、天藍にはそれがない。できない。
その身は凍えることがない"とこしえのふゆ"
水底で淡く光る其れを掬いあげたのは、今宵の月のような…白く白く、月虹を纏いし七彩のうつくしい燦めき。
その色に、その在り方にふたつの色を宿した眼が僅かに見開いた。
その色彩は、あまりにも戻れぬ過去の中の友を思わせるもので。
記憶に灼きついた、眩しくて優しかったあの日々、過去の燦めき。今の我には過ぎた美しき姿。
あの日のふたりの幼き笑い声が、今も聴こえてくるようで…。
びくり、と反射的に其れを水の中へ手放そうととする。だが、どうして握りこんだ手が開かぬ。
ただ、手を開けば良いだけなのに、たったそれだけなのに、ーーできない。
「…っ…、何故だ…。疾うに、諦めたではないか。」
手を離したのは己なのだ。
それなのに、今は彼奴の面影ですらこうして縋りついて離せない。
あの時、あの手を声を、振り払わずにいたらなんて、幾度となく悔やんだものか。
否、悔やむ資格など…我には、もう…。
分かっているのに、忘れようとしても、何度も|この姿《しあわせだったころ》を象ってしまう。
凍てつかぬ身になっても、心は喪失と後悔に凍え縛られている。
「これも縁を括る女神の力…とでも、いうのか。でなければ、今宵はあまりにも…。」
月虹の輝石を握りしめながら、その地へと一歩踏み出した。
からから、さらさらと秋風が揺らし鳴らす竹の音に、あの日あの場所で出逢った記憶が鮮やかになっていくのだった。
第2章 冒険 『おもひで無限鳥居』
女神は、ひとつ、ふたつと糸を括る。
千本鳥居と石燈籠が照らす竹林は女神の社へと続いていく。
女神が繋ぐのは記憶の中にある縁の糸。
過去があるからこそ、今のあなたが在るのでしょう。
けれど、過去は戻れぬもの、もう一度と手を伸ばしても届かぬもの。
だからこそ、今宵はその欠片を繋ぎましょう。
あなたが逢いたい、そのひとへ。
過ぎ去った儚いおもひでを、盈月の微笑みの下に照らしてみせましょう。
ーー甘く過ぎ去ったその日々に、|花咲かせて。《その名を呼んで》
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
たいせつな記憶との向き合い方はあなたにお任せします。
向き合うもよし、あえて聲に応えない選択肢もありましょう。
女神様が括ってくれるのは、いとしきおもひでですので、おもひでのその人は過去の姿のままです。
大切な人への想いを胸に、どうぞ鳥居をくぐって下さいませ。
石灯籠の幻想的な灯りを辿り、連なる鳥居の先に夕星・ツィリ(星想・h08667)は彼の日の母を見た。そう、あれは——。
お母様が髪を梳かしてくれると、穏やかに波打つ海みたいで…幼い時から、自慢の髪だったの。
だからあの日…お母様をびっくりさせたくて密かに練習していた、小さな箒星を夜空に降らせる魔法。
でも、その日はどうしてか上手くいかなかった。
慌てた拍子に不安定になった魔力が暴発して、バチっ、と小さな火花が散ったの。
目を開けたら、髪を焦がしてしまっていた。
驚きや怖さもあったけれど、自慢の長い髪を失ってしまったことがショックだった。
短くなったら、お母様に梳かして貰えなくなってしまう。そう思うと、ぽろぽろと溢れ出す涙が止まらなかった。
お母様は泣いてる私に気が付くと、急いで駆けつけてくれて、ぎゅうっと抱きしめてくれたわ。
そして、長さがばらばらになった髪を綺麗に整えてくれたの。
それでも、長い髪でなくなってしまったことが悲しくて涙が止まらない私を見てお母様は、自分の髪を私と同じ長さに切り始めたの。
そして、こう言ってくれたわ。
『ほら、わたくしもツィリとお揃いよ。短くなっても、今迄と変わらないわ。これからも、わたくしが髪を梳かして綺麗にするわね。』
『でも、でもっ…!おかあさまの大切な御髪が…』
『いいのよ。長くて波打つ髪が綺麗と言われるのは嬉しいことだけれど、わたくしはツィリとお揃いの髪型の方が、もっとうれしいもの。』
——あなたがわたくしたちのもとへ降りてきてくれたことが、|天と海《結ばれざる世界》を繋いだかけがえのない奇跡。そう、あなた達がいてくれる、それだけで。
「そう、そうだわ。あの時…お母様との|お揃い《波揺蕩う長い髪》を失った私に、お母様は新しいお揃いをくれたの。」
このことをきっかけに、もっと魔法を上手く扱えるようになりたいと思った。
二度もお母様の御髪を切らせるなんて、できないもの。
「…忘れちゃ、だめだよね。」
どんなに振り返れど、鳥居の先で微笑む母には届かない。
過去が戻ることは無くて、時計の針は未来にしか進まない。
けれど、このおもひでが、辿った軌跡があるからこそ、この先に続く道が示されている。軌跡が標となってくれる。
自らが歩んできた場所を、その時貰った沢山の想いも一緒に未来へ連れていこう。
「ありがとう、お母様。大事なことを思い出させてくれて…貴女の優しさを温かさをもう一度、この胸に灯してくれて。ツィリは、また一つ前へ進むことができます。」
そうして、ツィリはひとつひとつ思い出の境界を超えてゆく。深き母の温もりに包まれながら。
穏やかな月灯りに照らされた鳥居の向こうに思い出が揺らいでいる。
参道に踏み入れた瞬間に感じた温もりに、茶治・レモン(魔女代行・h00071)はその先で待っているその人が誰なのかを、顔を見ずとも確信していた。
「久しぶり…母さん。」
女神の加護が見せた夢幻でも、母に逢えたのが嬉しくて顔が綻んだ。
思い出の中の母さんは、今も柔く微笑んでくれている…お気に入りの、ワンピース姿のまま。
そう、このまま時が止まっていて欲しい。
記憶と悪夢の中で何度もリフレインした母親の振り返る姿。
その先はどうか、どうか…見せないで。
温かな思い出だけを、僕に見せて。
「母さん、あのね…。母さんが亡くなってからずっと…死んで、しまいたかった。今まで生きてきた場所も思い出も全部ぐちゃぐちゃにされて、未来に絶望してしまったんだ。」
でも、いざ死が目前に迫った時、僕は願ってしまったんだ。
——死にたくない、生きたい…って。
もう痛くないはずの両腕が、少し軋んだ気がして、ぎゅうっと両肩を抱く。
「色々あったんだよ。本当に、色々あって…今、|√EDEN《ここ》にいるんだ。助けてもらったんだよ。とても不思議な人なんだけどね、僕の命の恩人で…僕に|生きる術《前を向くこと》を教えてくれた人。」
最初は生きている実感も湧かなかった。
あの日、どうして母さんを瓦礫の下で一人で死なせてしまったんだろうって。後を追えば良かったのではと、後悔したこともあった。
でも、僕に|両腕《義手》と日々を彩る魔法を教えてくれた師匠や大鍋堂に足を運んでくれる人達と過ごす日々を経て、僕はようやく生きたいって思えるようになったんだ。
生きていること、助けてもらった命の重さが…ようやく分かった気がするから。
それに…僕まで死んでしまったら、父さんが——。
「ねえ、母さん。ひとつ、お願いがあるんだ。…父さんにも会いに行ってあげて。父さんは、母さんじゃないと…ダメ、みたいだから。」
幸せの日々と最愛の妻を奪われた父の姿は、何とも痛ましく、息子の自分の声すら今はその心に届かなない。あの日の絶望が今も尚、父の心を切り裂き続けている。
未来へ進めないでいる父が、少しでも前を向けるようにと願わずにはいられない。
「母さん、見ててね。もう、心配しなくて…大丈夫だから。」
あなたの息子は、立派に生きてみせるよ。
父さんと母さんがくれた、僕の名前。
父さんと母さんが愛した、彼の花のように。
どんな場所でも、諦めず、誇らしく——|咲いて《生きて》みせるから。
参道の竹林を進む最中、神花・天藍 (白魔・h07001)は手のひらの中で光る月虹の石が仄かに熱を帯びているかのように感じ、懐かしき温もりを偲んでいた。
嘗て、理想を共にした友がいた。
荒廃していく世を少しずつでも正していこう。
いつかまた花の咲く世を目指そうと契り合ったふたり。
彼奴はまだ小さな体で、疲れては時折、我の頭の上で羽休める程にか弱いくせに、態度だけは一人前で。
どうしてか『天藍なら出来るよ』とあの眼は最後まで信じて疑わなかったな。
貧しい暮らしは、日々を生きるだけで精一杯だった。
家族を守るのは自分だと、幼いながらに自分を奮い立たせて頑張っていたけれど
本当は自分だって寄りかかりたい時もあるし、頭を空っぽにして叫びたい時もある。
そんな中で彼奴といると、有りの侭の自分でいられた。そう、唯一の友だった。
けれど、目の前で大切な存在を喪った悲しみと、奪った者達への激しい憎悪で道を過った。
自分たちがお前達に何かをしたか?
家族と友と、ひっそりと健気に毎日を生きていただけではないか。
何故、自分達はいつも奪われる側なのだ。
その瞬間、神がこの世界を見放す気持ちを理解した。
——人間は、こんなにも穢くて残酷だ。
故に我は|世界を呪い《冬を纏い》、生命の終焉を願った。
永久の冬の中で春を見ず、生命よ凍え尽きよ。
彼奴と黎明の世を目指した幼少期の理想は腐り堕ちて、残るは残滓のような成れの果て。
「…きっと、恨んでいるだろうな。同じ白を纏うというのに、どうしてこんなにもお前と違ってしまったのだろう。」
健気に何度も我の名前を呼び続けた、あの声が今も忘れられない。
彼奴とて苦しかったはずだろうに、我はその想いをこの手で遠ざけたのだ。
それが、あの時できた唯一彼奴を守る術だったとしても、共に過ごした故郷を奪い、冷たい孤独の中にひとり彷徨わせたことに変わりはない。
石灯籠に沿って幾つもの鳥居をくぐっていくと、参道から少し外れた鳥居の奥に淡く白い光が揺らいでいるのが見えた。
それが何かなどと考えるよりも前に、天藍の足は其れに引き寄せられるように動き始めていた。
——あの日も、そうだった。
彼奴は腹を空かせて、竹林の奥で彷徨っていた。
またきっと、一人じゃ竹の実を見つけられなくて、ぴぃぴぃと鳴いているに違いない。
「——…は…っ、……」
その名を呼びたかったのに、やっとのことで唇からで漏れ出たのは、嗚咽にもならぬ小さな息だけ。
鳥居の奥から広がる光の先には、白虹の羽がひらりと舞うのみで、その姿はない。
その前で天藍は両膝をつき、月虹の石を両手でぎゅっと握りしめることしか出来なかった。
——夢幻でもよかったのだ。ひとたびお前に、逢えるのならば。
彩やかな朱色の鳥居が連なり、社へと長く長く続いている参道で神代・ちよ(Aster Garden・h05126)は懐かしき声を聴いた。
その声に動きかけていた首を、咄嗟に息を飲んで静止させた。
(——ちよ様。)
嗚呼、この声は…彼の日と変わらぬ、あの人の声だ。
ちよが|虫籠《あのひとの檻》にいた頃の。
世界の彩りも澱みも知らなかった頃の。
あの人とふたりきりだった、あの頃の。
「そう…おっしゃっていましたね。此処は"そういう場所"なのだと。」
振り返ったら、あの日の姿のあの人に逢えるのだろうか。名残惜しさに胸が傷む。
あの時みたい、あなたの語るうつくしい世界をちよに聞かせてくれますか?
逢えたなら、あの人の瞳の奥に燻って震えた感情にちよは寄り添うことができますか?
——否、出来ないのでしょう。
あの人の胸を苛み続けている感情は
あの人がちよに向ける視線の奥深くに絡まりあった感情は……薄々と、気付いては、いたのです。
——ちよへのものでは、ないのだと。
「わかって、いるのです。それでも、紫苑…あなたといた日々がちよにとっての|世界《すべて》でした。」
あの日、虫籠から出たのも、あなたが教えてくれたものを見て確かめたかったから。
同じものを見て、同じ気持ちになれたらと思ったから。
あなたが語った世界のうつくしさを分かち合って、寂しい瞳のあなたを"ちよ"が微笑ませてあげたかった。
「でも、あの日の紫苑はもうきっと、どこにもいないから。あの日の紫苑を見たら、きっとちよは、過去に戻ってしまう。…甘えて、また弱くなってしまうから…。」
もう囚われた儘の、何も知らない幼子ではない。ちよは儚き翅を揺らせど、羽化をした"蝶"なのだから。
数多の|境界《√》を巡り、多くの感情と絆に触れてきたちよは、もうあの日の待っているだけの、受け取るだけのちよではない。
手を取り合うこと、頼り頼られることも知った。誰かの、何かの為に飛べる蝶になったのだから。
「だから、ちよは振り返らずに…進みます。そして、いつか…ちよの心がもっと強く…強くなったら、——紫苑に逢いに行きます。」
その時はどうか、あなたの瞳に…ちよを映して下さい。
護られるだけでない、今度は誰かを護れるくらい強くなった、ちよを。
思い出に別れを告げて、蝶は再び羽ばたき出す。
今はまだ…さようなら、です。
ちよが逢いたいのは、いつかの日のあなたではなくて、今日を生きるあなたなのですから——。
「思い出かあ…。そーいえば、お父さんとお兄ちゃん、元気かなあ。」
遠く離れた場所で過ごす父と双子の兄を想う。
連絡が取り合えないわけではないけれど、やはり長らく顔を合わせてないと思うと、胸の奥が少しだけ、きゅっとなった。
視界の奥で柔く光る鳥居の向こうには、暖かな陽に満ちていた。
そう、このぬくもりをエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は知っている。
夜を灯す橙色の光。
いつもより沢山のご馳走の数々。
大切な家族の笑い声と幸せに満ちた空間。
そうだ、これは…お父さんがお仕事で遠くへ行ってしまう前日に過ごした、あの日の夜。
お父さんとお兄ちゃんの為にと、お手伝いも頑張ってお母さんと一緒に作ったご馳走は本当に美味しくて。
食事を囲む間は皆の笑顔が溢れて、"とくべつな日"なんだなぁって楽しかった。
でも、いざ食事を終える頃になると、急に喉がぎゅぅっと詰まる感じがして苦しくて、気付いたら、ぽろぽろと涙が溢れ出していた。
ああ、笑顔で送り出してあげようって…お母さんと約束したのに——やっぱりだめだった。
あたしが泣いたら、お父さんもお兄ちゃんも困ってしまうから、とお母さんは優しく抱きしてながらあやしてくれた。
『行ってくるな。帰ってきたら、またお母さんとエアリィの作ったご馳走を皆で囲もう。楽しみにしているから。』
そう言いながら、大きな手のひらで頭を撫でてくれた。
その横でお兄ちゃんも、溢れ落ちないように瞳にいっぱいの涙を溜めていた。
その時に、はっとした。
お兄ちゃんだって、お父さんだって…大好きな家族に会えなくなるんだもの。
悲しくて寂しいのは、あたしだけじゃない。
『離れていても、いつも一緒だから。』
お兄ちゃんは手を強く握りながら、そう言ってくれた。
自分と同じ幼い兄が堪えていた涙を知って、あたしはお父さんとお兄ちゃんに向かって精一杯の笑顔を向けたんだ。
「あの時は、ほんとに離れるのが嫌だったな。でも、今なら…離れていても一緒だよっていうのがわかるんだ。」
毎朝顔を合わせて、同じ食卓を囲んで、おはよう、おやすみって言い合える家族の距離。
それが|特別《当たり前じゃない》に変わった今だからこそ、強く強く離れていても感じられる絆があるって気付いたらから。
「…でも、今は…ちょっとだけ、いいよね。……うん、大丈夫。あたしは元気だよ。—お父さん、お兄ちゃん。」
ひとり思い出に浸る時間だけは、と思い出の映る鳥居を後にしたエアリィの翠緑の瞳からは一雫の涙が伝った。
でも、この涙はあの時の涙とは違うから。
遠く離れた父と兄の健やかな姿を祈りながら社を目指すのだった。
第3章 日常 『お月見フェスティバル』
千本鳥居を抜けた先には見上げるほどの大きな鳥居が、ここから先は境内であることを知らせている。
|咲護《さきもり》神社は、観月花祭である今宵、月が明け空に消えるまで祭は続く。
「ご参拝が済みました方は、こちらで"花御守"を授与しております。
お好きな花が刺繍された御守り袋を選んでいただき、お祓いしました鱗石を中にお納めします。」
境内の授与所では巫女が咲護神社で有名な花御守の授与をしている。
好きな色と好きな花を選び、中に納める石はあなたが選んだ縁の証。
授与所ではお清めした鱗石を併せて選ぶことが出来るので、小川で鱗石を拾ってない方も御守りを受けることが出来る。
また境内の外れにある茶房では、今宵限りの和菓子を楽しめる。
「茶房では、お抹茶や焙じ茶、抹茶ラテなどもあります。秋風が身体を冷やさないよう、温かいお飲み物でほっとひと息するのはいかがでしょうか?
お月見限定の、月うさぎの薯蕷饅頭やうさぎ月見団子など可愛らしいメニューもあります。
丁寧に裏ごしされた茶巾絞りの栗きんとんは、滑らかな舌触りと栗の優しい甘さがとても美味しい上品な秋の名物です。
写真映えや食べ歩きなどでしたら、フルーツ飴串が人気ですよ。
お月見仕様は苺や葡萄だけでなく、満月に見立てた小さなさつま芋味のお団子や月見うさぎのミルク餡最中などがあって、ひと串で色んな和菓子が楽しめる可愛らしい限定メニューです。
よろしければ、立ち寄ってみて下さいね。それでは、女神のご加護溢れる月夜をお過ごし下さい。ようこそ、御参りでございました。」
どのようにして、観月花祭を過ごすかはあなた次第。
夜が明け染めるまで、女神の龍神の加護があなたに寄り添うでしょう。
参拝を終えて夕星・ツィリ(星想・h08667)は授与所へと足を運ぶ。その最中も龍神の小川で掬いあげた花弁のような虹色の鱗石が小さな掌の中で光を灯していた。
授与所には四季折々の御守り袋が季節ごとに丁寧に並べられており、|春夏秋冬《ひととせ》を巡る色彩の美しさにツィリは思わず見蕩れてしまう。
好きなお花はたくさんあるけれど、石を拾った時にその形が桜の花びらのようだからと…刺繍は桜の花がいいと決めていた。
そんな時、巫女がツィリの手のひらで光る鱗石を見て声を掛けた。
「まあ、桜の花びらのような形の鱗石に|虹色《しあわせの色》が宿っていて素敵ですね。」
「ありがとうございます。とても綺麗でお気に入りなの。だけど、色で悩んでいて…桜だから、やっぱり淡いピンク色や白が合うのかしら。」
「桜の種類に併せた濃淡のピンクを選ばれたり、萌葱色なども春らしくて人気です。……貴方様には、淡い水色もお似合いになりそうですね。」
巫女はツィリの纏う浴衣や本人の雰囲気から汲み取ったであろう水の色を勧めた。
「澄んだ水色…。この石は綺麗な水色のお魚さんが見つけて私に教えてくれたの。そうね、お魚さんへのありがとうも込めて水色を選ぶのも素敵だわ。」
これにしましょうと、ツィリが手に取ったのは淡い水色が溶け込んだピンク色の袋。
それを見て、巫女はまるで天空の花筏のようですね、と喜ぶツィリを微笑ましそうに見送るのだった。
御守りを受け取ったツィリは境内の茶房にも立ち寄ることにした。
「お月見メニューは…わあぁ、うさぎさんのメニューがたくさんあるのね、可愛いわ!これは和菓子が色々と楽しめそう。」
悩んだ末にツィリが注文したのは、うさぎのお月見団子とフルーツ飴串。
お団子はうさぎの形に穴が空いた三方に乗せて提供され、フルーツ飴串は飴がつやつやと光り美しい出来栄え。
ぱく、と一口味わえば、口の中でシャリっと薄膜の飴が溶けて、その後にじゅわりと果物の果肉と果汁が染み出てくる。
他ではあまり味わえない珍しい食感の変化にツィリは思わず頬を抑えて瞳を輝かせるのだった。
「これは、とても美味しい!見た目もこんなに綺麗なのに、お味も絶品だわ!」
同じ串に刺さったうさぎ形のミルク餡最中は、しっとりとなめらかな餡子にパリパリの最中が香ばしい。
うさぎの可愛いお月見団子を暫く目で愛でてから頂くと、もっちりのお団子の中にこしあんと栗あんが入っていて優しい甘さがお口いっぱいに広がりしあわせのお味。
「本当に今日は来られてよかった。女神様と龍神様の優しい加護に感謝しなくちゃ。——それに、お母さまにも。」
たった一夜の出来事とは思えないほど、たくさんの想いが溢れる夜だった。
この御守りがあれば、今宵に自分の胸に満ちた温もる絆をずっとずっと憶えていられる。
鱗石宿す御守りを胸に抱きながら、小さな小さな星の雫を盈月へと捧げた。
たおやかな所作の二礼二拍手一礼をして参拝を済ませると、神代・ちよ(Aster Garden・h05126)は授与所へと向かった。
「こちらで御守り袋をお選びいただけます。お探しのお花はございますか?」
「袋はさくら色がよいのです。お花は…——紫苑の花、を。」
「紫苑の花…丁度季節にぴったりのお花で、素敵な組み合わせですね。どうぞ、お納め下さい。」
「はい、そうなのです。とても、とても…思い入れのあるお花ですから。ありがとうございます。せっかく頂いたご縁ですから、大切にしようと思います。」
桜色に紫苑の花が刺繍された御守りを受け取ると、ちよは胸にぎゅっと抱いた。
自分の纏う色にあなたの名前の花を飾って。
独り善がりなのかもしれない、けれど…これは、ちよの想いのかたち。
あなたへのたくさんの気持ちをずっと憶えていられるようにと籠めた祈りかたち。
お月見のお供に和菓子をいただこうと、茶房のまでやってくると、お月見団子や季節を感じられるメニューが揃っているようだった。
流石に夜も深くなってくると、秋風が肌を冷やしていく。風に捲れないように、蜘蛛の巣のショールを抑えながらメニューを覗き込む。
「これは、抹茶ラテ? というのでしょうか。少し肌寒いので、温かい飲み物にしましょう。ふふ、おいしそうなのです、こちらをひとつお願いするのです!」
茶房の中の席へ案内されると、趣のある窓から大きな月を眺めることが出来た。
ぴょこりと髪の中から顔を覗かせた柘榴と一緒に月を見上げる。
「ここから眺めるお月さまも、とても綺麗ですね。空が近いからでしょうか、麓で見るよりも、かがやいて立派にみえます。」
やがて、抹茶ラテが運ばれてきた。お抹茶をホットミルクで割り、その上に泡立てたボリュームたっぷりのクリームが乗っていた。
お月見限定ということで、泡立てたクリームがうさぎの形をしている3Dアートの抹茶ラテ。
抹茶パウダーで丁寧にお顔も描かれていて、とても愛らしい一品。
「うさぎさんが、かわいいのです!何だか、飲むのがもったいなくなってしまいますが…くったりしてしまう前に、いただきましょう。」
少し冷たくなった両手をマグカップで温めながら、抹茶ラテをこくりと一口飲めば、口の中にお茶の香りがふんわりと広がる。
甘くミルク感もたっぷりあるけれど、お抹茶本来の香りや僅かなほろ苦さあり、その美味しさに心が和ぐのを感じた。
「お抹茶の香りとミルクの甘さにほっこりしますね。ふふ、なんだかとても、秋を満喫した気がするのですよ。今日はここに来れてよかったです。」
花御守は過去に向き合い未来を灯す想いの印となり、かたちあるものとして残り続ける。
仄かに光り続ける其れを、ちよは儚い指先で撫ぜて今宵の縁に感謝を告げたのだった。
参拝を終えた菩提樹・翼(停まり木・h02247)と六角・有栖 (垢抜けない牡丹・h01994)は授与所へと向かっていた。
「これで、いいか?…力、強くないか?」
「うん、大丈夫。うちはこれがええの。」
離れようとすると頬を膨らませてむくれる有栖に観念したのか、翼は遠慮がちに手を差し出した。
そんな翼の手を握りながら、昔は同じくらいだったのになあ…と、有栖は改めて体格の差を感じていた。
細身ながらも骨格が良く、肌だって厚みがある。
そして何よりも、包み込んでくれる大きさと温もりに安堵する。
こうやって手を繋いでる間は、翼は逃げへんでいてくれる。
まるで鎖のよう…けれどそれでもいい。
翼が傍にいてくれるなら。
翼がうちの知らない遠くへ行かないで済むなら。
繋いだ手から、うちの気持ちも翼に伝わってくれたらいいのに。
変わってしまったのは、翼?それともうち?
——あの日の出来事から、ずっと…。
幼馴染で物心ついた時から一緒にいた二人。
毎日のように隣にいた温もりが離れていってしまう寂しさと、失くしたくない想いが有栖の胸を焦がしていた。
有栖の胸中に気付くはずもない翼は、繋いだ手の温もりを喜ぶよりも先に後ろめたさを感じてしまう。
恋しい人と繋ぐ手が嬉しくないはずなんてない。
喜んでくれている笑顔はこんなに眩しくていとおしいのに、その気持ちに正面から向き合うことは憚られる。
それは、自分があまりにも無垢な彼女と釣り合わない。
彼女の未来に影を落とすものは等しく全て、許されない。
それが、自分自身であったとしても。
有栖の為にならないものは、すべて。
「悪いな、有栖。…仕事が忙しくてな。最近はどうだ?何か、不自由してないだろうか?」
「大丈夫やよ。うち、店やっとるし…結構、評判もええんやで。それに何かあったら、兄貴もおるしなあ。」
——不自由があるとすれば…あなただけが、居ない
喉から溢れ出そうになった気持ちをそっと飲み込んで笑う。
もどかしくて、時折…伝えてしまいたくなる本当の気持ち。
けど、本当の自分を伝えたら、あなたはどう思うのかな。
頼りなさそうに、危なっかしそうに見せるのも、そうすれば翼が気にかけてくれるから、心配してくれるから。
けれど、それで今よりももっと翼が遠くに行ってしまうのは耐えられない。だから、伝えられない。
「あ、御守りに出来るみたいやで。選んでくれたの、うちお守りにするわあ。形に残せるのって、やっぱええなあ。」
「そう、だな。…有栖には、これが似合うと思う。」
そう言って翼が選んだのは、純白の御守り袋。
他の色に目もくれず迷うことなく選んだ翼を見て、有栖は瞬き一つの間だけ曖昧に笑った。
「翼のはカッコ良くいきたいなあ。そしたら、やっぱこれやね。黒と白でちょっとシックな感じやけど…お揃い感あって、ええなあ。刺繍のお花はどないしよう?」
「それなら、有栖には赤い牡丹の刺繍にしてもらうのはどうだ?好き、なんだろ…牡丹も赤、も。俺の方のは、それと対になるように…白い牡丹にしようか。」
「うちが牡丹が好きなの、覚えてくれたんや。うれしいわあ…。」
対になる黒と白の袋の中に小川で拾った鱗石を納め、それと同じ色の紅白の牡丹が刺繍されて黒白と対になる花御守ができあがった。
「有栖の好きなものは、ちゃんと覚えてるさ。…お揃いの御守りが出来て、よかったな。」
「ありがとう、翼。…御守り、大事にするで。翼も御守り、お仕事の時もいつも持っとってな。えへへ、翼を守ってくれますよーに!って、ちゃんと願い込めといたから。」
そんな彼女の健気な願いが、本当に嬉しくて綻びそうになる笑顔を翼は寸前で堪えた。
御守りだけでもお揃いで繋がれただけで十分過ぎる程だ。
繋いだ手もこの夜が明ける頃には離さないといけない。
見守れればそれでいい、彼女が羽ばたいていくのを、幸せになる様を…——それなのに、きみは。
「……大好きやよ、翼。」
時が止まったような刹那に、秋の風が吹き抜ける。
いつくもの呼吸を飲み込んで、翼の口からやっとのことで発音出来たのは"ありがとう"という、答えにはならない言葉だけだった。
それが彼の精一杯の言葉というのことも、有栖は十分に知っているから二人はただ手を握り合う力を強めることしか、出来なかった。今はまだ——。
長い参道を抜け、見上げる程に立派な鳥居が御園・藍 (|永遠《とわ》の半身・h08262)を出迎えるようにそびえ立っていた。
「わあ、おっきい鳥居。こんなに大きなのは、うちの近くでは見かけないな。麓からじゃ見えなかったけど、山中にこんなに大きな鳥居と御社があるなんてびっくり。」
先ずは御参りをと、拝殿に向かう。
月が煌々と光る夜に神社へ来るなんて滅多にない機会だ。
特別なお祭の日だから参拝者は沢山いたが夜の静けさを大切にしているのだろう、賑わえど厳かな雰囲気は失われていない。
「縁結びの女神様が祀られてるのですよね。新しいご縁があるのも嬉しいけれど…。」
中学生という、目まぐるしく変わる日常と新たな出会い。
√能力者に目覚めてからは、それを特に強く感じていた。
だからこそ、藍は今まで以上に家族との絆を改めて大切に感じることが出来た。
家族との平穏な日常、そして——逢えないけれど、私とはんぶんこだったあの子のことを祈る。
「もちろん、今年の受験も頑張りますので…見守っていて下さい。……さて、と…御守りも欲しいので見にいきたいな。」
境内の案内図を見ながら授与所までやってくると、やはり人気の御守りなのだろう、たくさんの人が御守りを選んでいた。
お花の刺繍の袋に綺麗な石を組み合わせる御守りは、占いや天然石が好きな藍にとって、琴線に触れるものがあった。
「本当に色んな種類のお花がある…なにがいいかな?」
一通り眺めて藍の目に留まったのは、小さな青い花を鈴なりに付けたお花。
「…んー…ラベンダーっぽいけど、ちょっと違うよね。花の色も青いしハーブ系のお花なのかな?」
「確かにラベンダーにも似ていますね。色数の多いお花なので分かりにくいですが、こちらはサルビア、というお花です。」
「サルビアなんですね。サルビアって赤いお花のイメージだったから、気付きませんでした。青いサルビアもあるんですね。」
「青いサルビアには『尊敬』『知恵』といった意味が篭められているそうですよ。あとは…『家族愛』のお花でもあるそうです。」
悩んでいる藍に巫女がサルビアの説明をする。
なんとなく目に留まった花を選んだけど、その花に篭められた意味を知れば知るほど、藍はサルビアの花に特別な縁を感じるのだった。
「それじゃあ、青いサルビアの刺繍にします。石は鱗石を選べるんですよね?それじゃあ、こちらでお願いします。」
仄かに光を帯びる鱗石の中から、藍はきらきらと澄んだアクアマリンに似た石を選んで袋の中に納めた。
「同じ色や組み合わせの人もいるかもしれないけど、私が想いを込めて選んだ唯一のものなんだもの。今日の思い出と一緒に、大切にしよう。」
女神の結ぶ縁の加護を感じ取りながら、藍は受け取った御守りを眺めて笑顔を綻ばせた。
青き賢人の花と藍玉に、大切な祈りを託して——。
全ての鳥居を抜けて|咲護《さきもり》神社の境内まで辿り着いたエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は階段を駆け上がり、くるりと回ってその景観を堪能する。
静寂の中、思い出に身を沈めた竹林の参道とはうって変わり、厳かな雰囲気はありつつも、あちらこちらでお祭を楽しむ人で賑わっている。
その移り変わる様もエアリィの瞳には、とても特別なものに映って視えるのだった。
「わあ、すごーいっ!神様の世界から人の世界にやって来たみたい!」
人の賑わいが気になって覗き込んでみると、そこは授与所で花御守を選んでいる人の列だった。
「花御守?へえ~、さっき拾ってきた石を好きな袋に入れられるんだね。せっかくだから、あたしも選んでみようっと。」
四季の花が並ぶ様はとても綺麗で、眺めているだけで季節を巡る旅路にいるような気持ちになる。
「こんなにあると迷っちゃうなあ。可愛い色合いといえば、春のお花だけど…うーん、やっぱり春といえば桜だよね!」
ふと、桜の刺繍を眺めていると、幾つか種類があることにエアリィは気付く。
「あれ?この桜、よく知ってる形とちょっと違うような…。」
「はい、こちらは八重の桜ですよ。一般的な品種の桜は5枚の花びらですが、八重桜はそれよりも沢山の花びらを付けて咲きます。咲いている様がフリルのようで、とても可愛らしいのですよ。」
「そーなんだあ。確かに、ボリュームがあって可愛い!それじゃあ、これにしようかな。袋の色は水色…青空の色でお願いします。」
受け取った御守り袋は青空に咲く桜の景色をイメージしたもの。
小川で拾った青の鱗石を中に納めてお清めしてもらうと、自分だけの唯一の御守りがエアリィの手のひらの中で光を宿す。
「これで、御守りは完成っ♪ 綺麗だなあ。女神様と龍神様のご加護がしっかり宿っているよね。」
麓から長い参道を歩いてきた身体を休ませる為に、エアリィは茶房に立ち寄ることにした。
注文した限定のうさぎ月見団子と抹茶ラテが運ばれてくると、うさぎ団子の可愛らしさにきらきらと大きな瞳を輝かせる。
「わああ、うさぎさん、かわいいなー!」
さつまいも餡を乗せて満月を模したお団子に、紅白のうさぎ団子がお月見をしているイメージで作られており、心和む一品となっている。
「たべるのもったいないけど…たべないのはもっともったいないから、いただきます!」
十分に目で愛でた後に、うさぎのお団子をぱくっと一口。
「ん、甘くておいしいし、もちもち♪餡子の甘さって、やっぱり洋菓子の甘さと違う良さがあるよね。これが大人の甘さ?なのかな?」
うさぎとすすきのラテアートが描かれた温かい抹茶ラテは甘さとお抹茶のほろ苦さが絶妙なバランス
「ごちそうさま♪ おいしかったー。お母さんにも食べさせてあげたいな。」
家族の絆の温もりを思い出し、エアリィは母へのお土産に和菓子を買うと、帰路に着くのであった。
あたたかな陽だまりの、——あたしの帰る場所へ。