√ウィスパード・ブリーズ『秋のグラデーション』
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「『カゼノトオリミチ』秋の写生大会を開催します!」
その宣言は秋の空に高らかに響いた。
宣言の主であるところの、ルクレツィア・サーゲイト(世界の果てを描く風の継承者・h01132)は感慨深かった。
彼女が語る『カゼノトオリミチ』というのは√能力者たちが集う旅団の名前であり、また同時に彼女が勝手に元喫茶店を画廊として拠点化、占有している場所でもある。
背には簡易テント。
写生大会とは言え、準備は怠ってはならない。
旅団を画廊と名乗っている以上、たまにはソレっぽいこともしなければならないから、ある意味でこれからは大手を振って画廊と名乗ってよいのではないかと彼女は思っていた。
だがしかしである。
画廊を名乗るために必要なことであったとは言え、一度はやってみたいことの一つであった。
そう、皆で一緒に大自然の中で絵を描くことを、だ。
「フフッ、早くも一つ夢が叶っちゃったなぁ♪」
「わーパチパチ」
シーネ・クガハラ(魑魅魍魎自在の夢幻泡影・h01340)は、ルクレツィアの宣言に反応して手を鳴らしている。
「みんな自由に描いてね!」
「はぁーい」
写生に必要な画板や絵の具といった画材の類は、画廊から持ち出すことができている。
大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)は、そうした画材を写生大会に参加するメンバーたちに手渡す。
「必要なものは手元にありますか?」
「大丈夫みたいね。さ、みんな、思う存分楽しみましょう!」
ルクレツィアの言葉にメンバーたちは景色を見やる。
「それにしても良い風だねー」
「ええ、素敵な光景です。紅葉で色づく山、まさに大自然なのです」
シーネの言葉に藍生は頷く。
秋の風は残暑の厳しさを忘れさせてくれるほどに涼しい。けれど、まだまだ日差しは緩まることを知らないようだった。
「日差しには気をつけましょうね」
「うん。すっかり秋って感じだけれど……まだちょっと紅葉には早いのかも……まだ、まだら模様、だねー?」
「これから徐々に紅葉に染まっていくんでしょうねぇ」
「それに紅葉が落ちるだけが秋じゃないからねー」
同じ歳の二人は、笑って画板を手に自然の中を歩いていく。
その様子を ソーダ・イツキ(今はなき未来から・h07768)は穏やかな気分で見ていた。
彼女は空想未来人である。
彼女の居た未来は、ここまで穏やかな空気が流れていない。
街の外というのは危険と同義であった。
それに、絵を描く、ということ事態が彼女にとっては未知の領域であった。
「『今』の山はなんでこんなに落ち着くのかな」
不思議だ、ソーダは己の胸に湧き上がる感情というものに戸惑っているようでもあった。
外と危険とが結びついているはずなのに、笑い合って歩いている藍生とシーネの後ろ姿を見ていると同時に心が落ち着いてくるのだ。
「やはり、山の空気が新鮮だからではないかしら?」
背伸びをしたヤルキーヌ・オレワヤルゼ(万里鵬翼!・h06429)が、その肺いっぱいに吸い込んだ息を吐き出して笑う。
「そうなのかな」
「ええ、こうやって外の空気を感じながら描くのは格別の気分ですえわ! しかもお友達と一緒の写生大会! 心が踊りますわ!」
その言葉にソーダは、そうか、と思う。
これが心が踊る、ということなのか、と。
「もう少し、見て回ってもいいかな?」
「題材探しですわね! ふふ、ワタクシの題材はもう決まっておりましてよ!」
「もう? 早いね」
「季節は秋! であれば、やはり題材は美しく色づく紅葉! それを水彩画で描いてみせましょう!」
ヤルキーヌは自信満々だ。
迷いがない、と言ってもいいだろう。
彼女のように思い切りが良くはできないかもしれないが、不慣れなりにソーダは取り組もうと思った。
「私もちゃんと探さないとな」
「でも、最期は自分の感覚を信じて勝負。正解はないわ。心のままに題材を選んで描けば良いの」
ルクレツィアの言葉にソーダは、そういうものかな、と思う。
まだどうにも決め切らないところがある。
少し、散策してみようと落ち葉舞う山の中を歩く。足取りが軽い。
端から見れば、楽しげな様子であるようにも思えただろう。
一つ伸びをする。
それだけで自然と肺が空気を求めるし、吸い込めば清涼なる空気が体を満たしていく。
興味深げに視線を巡らせれば、様々な色が目に飛び込んでくる。
歩むだけで自分以外の音が響く。
落ち葉を踏みしめる音、動植物が動く音。
視線を落とせば、どんぐりが転がっている。
なんだろう、これ、と思いながらつまみ上げて眺める。
「なんだか可愛らしいな」
ふ、とこぼれた笑みを浮かべるソーダをシーネは遠くから見つめていた。
「花も花なれ、人も人なれ……とは違うけど、海は海だし、空は空だからねー」
彼女が座り込んで画板の上の画用紙に色鉛筆を走らせる。
シーネの瞳に映るのは、空と海。
晴れやかな青空の下にソーダがいる。
楽しげで、何を見ても新鮮に思える彼女は、なんていうか、自由を謳歌しているように思えてならなかったのだ。
「今日が晴れでも曇りでも、並が穏やかであっても、荒れていても……きっといいなって思えたんだろうなー」
絵になる、といえばいいのだろうか。
シーネは微笑みながら画用紙の中の風景にソーダの孤影を描く。
「題材、決まりましたか?」
藍生は、そんなソーダに話しかける。
色々悩んでいたみたいだから、と気にかけていたのだろう。
「ああ、決めた。この花を描こうと思うんだけれど、なんていう名前なのかな。未来にはないから。白くて、そっとここにある感じが、好きだなぁって思って」
彼女が指差す先にあったのは、老木のそばに咲く小さな花だった。
「君は何を描くんだ?」
「俺は空を描きたいんです、うつろいゆく時や季節によって変わりゆく空を」
「へえ、いいね。でも、空って一色だろう?」
「いいえ、二度と同じ空はないんですよ。この青さだって、一秒ごとに変わっていきますから。それを繋ぎ止めるように記録するように塗って描くのが俺の使命……使命って言い方、ちょっと大げさかもですけど!」
「いや、それならわかるよ。使命は大切だものな」
「そうですよね!」
藍生は頷いて、ソーダを邪魔しないようにと離れていく。
そうしているとヤルキーヌは己が描くべき紅葉を求めて小川へと出てしまっていた。
せせらぎが耳に心地よい場所だ。
そう思っていると、そこには先客がいた。
「あら、ヤルキーヌ。あなたもここを見つけたの?」
「偶然ですわ。良い場所ですわね?」
「ええ、小岩に座って見上げたら、紅葉の天蓋、覗くのは青空。見下ろせば川。ほら、そこにも川を流れる紅葉が」
「本当ですわね。ロケーションとして最高じゃありませんんか」
「でしょう? ヤルキーヌは水彩画?」
「そちらも?」
「うん、下書き終わったから、水彩で軽く色付けかな。仕上げは工房のキャンパスでやろうかなって思っていて……」
ルクレツィアは笑って、ほら、と広がる景色を示した。
「目に焼き付けないと損な気がしちゃって」
描くのに夢中になってしまっても、と思う。
藍生が言ったように、青空がそうであるように景色も同じ光景は二度と存在し得ないだろう。
だからこそ、目に焼き付ける。
そして、目に焼けつけられた景色は心に刻まれていく。
心の中の風景は、自ずといくつもの景色と混ざり合って己にしか描けない絵へと昇華していくことだろう。
それはきっと人でなければできないことに思えてならなかったのだ。
「ヤルキーヌもグラデーション、綺麗にできてる」
「水彩絵の具のおかげえですわ! 透明感が出ますわね!」
ぼかし技法を使ってヤルキーヌは紅葉のグラデーションを鮮やかに表現していた。
彼女の目からはきっとこのように見えているのだろう。
それが面白いと思える。
他者の目に映る景色は、確かに自分たちが見ている景色と同じはずだ。
けれど、それでも違って見える。
描けば、さらに色合いも変わり、形も変わる。
角度や光の加減だけでは証明できない変化が、まるで万華鏡のようにキャンパスを通して形作られる。
だから、写真技術が進歩しても、人は人が描く絵に心動かされ、惹かれるのだろう。
描かれた絵を写生大会に集ったメンバーたちは見やる。
拠点にしたテントの前で、描き上がった絵を並べて見る。
ルクレツィアの紅葉に青空とせせらぎの光景。
ヤルキーヌの鮮やかな紅葉のグラデーション。
ソーダの老木の傍らに咲く白い花。
シーネの空と海、そして皆の姿。
そして、藍生の青空。
どれもがこの光景を描くものであり、色づかせるものだった。
「やっぱり人それぞれに違った景色が見えるのが、絵画の魅力ですね」
「心のままに描くのがいいのよね」
「心のままに、ですか」
「そう、心の赴くままに、感じたことを指先から出力するってことかな。自分が思っていたのと指先が描くものが違っても、その差異を楽しめるのもいいことよね」
ルクレツィアの言葉に藍生は頷く。
絵の道は難しいし、奥深い。
だからこそ、描きたいと思うのだ。
その強い思いを衝動と呼ぶのだろうけれど、それもまた人それぞれに違ったものがあるのだろう。
「じゃあ、休憩しましょうか」
「待ってましたわ! ふふん、ワタクシ、柿のタルトタタンと紅茶をご用意いたいましたわ! ミルクとお砂糖は、こちら。お好みでどうぞ」
いの一番に声を上げたのは、ヤルキーヌであった。
むふん、と自信たっぷりに出されたタルトタタンは、見た目も美しい。
つややかな色合いに焼き上がりも美しい。
紅茶の香りは、描くことに集中していた皆の胃袋を一気に活性化させただろう。
「あ、私もヤルキーヌお姉ちゃんと同じタルト、なんだけど……洋梨、なの。秋の味覚、だし、旬だよねぇ」
「もちろんですわ! 甘いものはいくらあってもいいのですわ!」
「よかった。ねえ、もらってもいい?」
「ええ、そのために持ち寄ったのですから。秋の味覚が満載ですわ!」
ヤルキーヌの言葉にルクレツィアも笑む。
「秋の味覚と言えば、シャインマスカットじゃない?」
「結構最近、言うようになりましたよね。シャインマスカット。しかも大粒! すごい……!」
お値段がどれくらいになるんだろうか、と藍生は戦慄する。
「今年は小粒らしいけど、結構多きわよね? ボウルに冷やしてあるから、房からちぎってそのままどうぞ」
「皮ごと食べられるのは嬉しいな……私はリンゴだ」
「リンゴも秋の味覚ですよね。画題としても良く用いられますし、写生大会にはうってつけでしたね」
「そうなのか? 好きなんだ、リンゴ。ちょっと酸っぱいのがいいんだけど……みんなと食べる時は甘いのがいいよね」
ソーダは、そう言って真っ赤なリンゴを軽く磨く。
ナイフで、くるりくるりと皮を剥く。
一人の時は、皮ごとまるかじりしても美味しいが、みんなで分けるのだからと愛用のナイフの見事な手さばきで切り分けていく。
「わ、可愛い!」
シーネがソーダの切り分けたリンゴ……可愛くウサギにした姿に顔をほころばせる。
「今のリンゴって甘いよね。美味しいと思うんだけど……」
「甘くて美味しいですよ!」
「ええ、ありがとう存じます。皆様といっしょに味わえば、格別ですわね」
「ふふ、最期は俺のですね! √EDENで穫れたホクホクのさつまいもですよ!」
ちょっと時間がかかったのは、焚き火で焼いていたから。
だが、そのおかげでじっくりと火の通ったさつまいもは……。
「とろける~!」
「すっごい濃厚ね。これ。なのに優しい味わい!」
「そうでしょうとも。紅茶もいいですが、緑茶もどうぞ」
そう言って、藍生は魔法瓶に詰めた緑茶を振る舞う。
秋の味覚と芸術。
それを一片に楽しむ『カゼノトオリミチ』写生大会は、緩やかだけれど穏やかな時間と共に流れていく。
「みんな、すてきだな。こんな風に見えるなんて思ってもいなかったな」
ソーダは皆の絵を名が得て呟く。
「ええ、皆様のタッチも個性がありますわね。画廊ならではのイベント、とても楽しいですわ!」
「ふふ、堪能してもらえたのならよかったわ!」
「もっと皆のお話聞きたいな。折角の一日だもの。いいでしょう?」
「もちろんです!」
また一つ、皆の心に思い出ができる。
それはきっと心の中のアルバムを彩り豊かにするものだっただろう――。