③Just a Bystander
●Correlated
いのちに満ちたあおい星に、黒く、淀んだ雲が満ちていく。
ぞっとするほどに昏く、膿んだそれはのろいのかたち。
これより開かれしは無形なる神なるものの宴。廻り廻る怨嗟の渦より引き摺り出された死の饗宴だ。
膨れ上がった憎悪と怨恨が一斉に破裂するその瞬間に――場違いな程の静寂を作り出していた男は、臓腑に満ちていろを失った紫煙を吐き出しながら張り巡らされた|新物質の網《ゴールデン・ストリングス》の中心に立っていた。
「愚かなものよ。真正面からぶつかり合うなど野蛮なことだ……そうは思わんかね?」
男は靴音を高く鳴らして振り返る。
その鷹揚な所作はまるで『今は戦う気がない』とでも能力者たちに告げているかのようだった。
今一度姿を現した男の名はリンドー・スミス。
連邦|怪異収《FBPC》容局を名乗る、簒奪者のひとりだった。
●Bad omen
「悪い報せほど当たると言うが……今ならまだ間に合う。皆、仕事の時間だよ」
集まった能力者たちを仰ぎ、ジュード・サリヴァン(彼誰・h06812)は己が視た星のしるべを口にする。遂に始まった|秋葉原荒覇吐戦《あきはばらあらはばきのいくさ》の開幕を避けられなかったことへの憂いはあるが、自分たちは今日までその終焉から逃れ得るために準備をしてきただろう、と言葉を続けながらジュードはタブレット端末へ地図を表示させながら言葉を続けた。
「混乱に乗じて多くの簒奪者が一斉にこの√EDENに乗り込んできている。俺が視た星に映ったのも、その中のひとり」
√汎神解剖機関に関わったことのある能力者であれば耳にしたこともあるかもしれない。米国の秘匿戦力として幾度となく能力者たちの前に姿を見せた男――リンドー・スミスの存在を。
「彼は熱心な怪異と新物質の蒐集家でね。その目論見の全貌までは見通せなかったが……今は日本通運本社ビルにある金綱稲荷を占拠し、稲荷の霊力を利用し情報収集を行なっているようなんだ」
支配した怪異だけではなく、自らもその場に赴き|新物質の網《ゴールデン・ストリングス》を手繰り何らかの情報を傍受し持ち帰ろうとしている。その真意は未だ不明ではあるが、見過ごすことで被る不利益や後の被害は計り知れない。
「皆には今から現地に赴き、リンドー・スミスの妨害をして欲しい」
不確定な要素も多い。相手がどれ程この地に思い入れがあるのかも不明瞭だ。
けれど此処で相手の目論見を挫くことで必ず人々の助けになる筈だから、と。ジュードは端末から視線を上げ、てのひらで道を指し示した。
第1章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』
●Spectator
濃く、重く、煮詰まったかのような奇妙な静けさだった。
天ヶ瀬・勇希(エレメンタルジュエル・アクセプター・h01364)は背筋につう、と冷たい汗が流れるのを感じながら男と相対していた。
「リンドー・スミス、話には聞いてたけどこうして対峙するのは初めてだな……!」
男は余りにも『ひと』であった。
それは勇希がよく知る怪人とも外星体とも違う。ほんとうに人間を相手にしなければならないのだと思えば僅かに迷いは生まれるけれど、男が彼方此方で起こした事件の数々は勇希の耳にも届いている。一体今回は騒ぎに乗じて何を企んでいるかまでは分からないけれど、この地に宿る霊力をいたずらに利用させる訳にはいかない。相手が何故今は戦うことに対して意欲的でないのかも知り得ないが、それならば彼が脅威へと変貌する前に打ち倒すのみ。
「――ジュエルブレイド・フレイムフォーム!」
刃に嵌めた属性石が魂を宿し燃え上がる。アクセプターを通じて姿を変じさせる勇希を前に、未だ煙草から手を離すことの無かった男は眉ひとつ動かすこと無くただその光景をじっと見ていた。
「これはこれは。随分賑やかな来客だ、招いた覚えは無いのだが」
『待たれた』。
その事実が相手の絶対的な余裕であることは明白だった。だからこそ今この瞬間、相手がこちらを侮っている内に一瞬で決めねばならないと、勇希はあかく燃え上がる刀身を構えひといきで男目掛けて斬り掛からんと身を踊らせる。
「お前の狙いが何かはわかんねーけど……戦う気がないから見逃す、なんてわけにはいかないのもわかってんだろ」
「……だとしたら、どうするね?」
「決まってる! ならかかってこいよ、俺が正面から戦って倒してやる!」
刹那。ざわりと地面が揺れた気がした。
地震ではない。それは男の影そのものが意思を――否、影そのものが男とは全く別の個体であったのだと、勇希は気付く。
――呑まれる。
咄嗟に防御へと身を転身させようとする直前。どん、と思い切り横から突き飛ばされ、湧き出づる怪異の顎門は勇希を喰らうことなく昏く澱んだ影の身体を歪ませた。
「キミ、大丈夫!?」
「……ああ、なんとか! サンキュ、お姉さん!」
反射的に自分の手足が彼を助けようと動けたことに感謝をしつつ、未だどくどくと激しく脈打つ鼓動を抑えながらアンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)は勇希の背を支えながら怪異を手繰るリンドー・スミスをきっと見据えた。
「(ただならない相手だってことは分かっているけど……)」
こんな年端も行かない少年に対してまで一切の躊躇いを見せず殺しに掛かるなんて。
怖い。
でも、自分は立ち向かうためにここまでやって来たのだ。
「あたしに出来ることは限られているかもしれないけど、……それでも」
今、アンジュはひとりではない。
多くの仲間が志を同じくしてこの場に立っているのだから、己は最善を尽くすのみ。少女の決意に応じるように、ゆらりと風が揺らいだ気がして。ほんの僅か振り返ったアンジュの傍をするりとすり抜けるように、『大丈夫』と囁き掛けた六合・真理(ゆるふわ系森ガール仙人・h02163)は少年少女たちよりも一歩前へと先に踏み出した。
「おやおや、仕事に対するやる気が感じられないよ異人の旦那。異国の間者風情が、戦時に他人様の縄張りで物漁りかい?」
真理は嫋やかに笑みながらあまい声を転がした。うたうようなその言葉は、問答を誘うやわらかな罠。男はそれを無視することも叶ったであろうに――そう、しなかった。
「『それはどうも』。何分此方も暇ではないのでね、小蝿が集る前に片付けたかったのさ」
「いやぁ、いただけないねぇ。今のご時世、情報だって立派な資産だって言うだろう?」
言葉ばかりは穏やかな。けれど、互いにひとつの所作で相手の急所を穿つ態勢が整っているのは同じこと。お前さん等にくれてやるものなど何ひとつないよ、と真理が告げるとほぼ同時、男は僅か口元に浮かんだ笑みを噛み殺しながら目を眇めた。
「とっとと国へ帰んな。あぁ、飛行機代は気にせんでも良いよ。どうせ向こうで蘇生するだろう?」
「生憎既にファーストクラスの席を手配済みだ。――ああ、失敬。其方にはご縁が無かったかな」
それが合図だった。
浮かび上がった空想の欠片たちが、ぱきり、ぱちりと音を立てて砕ける。
真理が稼いでくれた時間の間だけアンジュが生み出し続けた空想宝石の炎が、鮮烈な彩を弾けさせながら燃え上がる。相手がたとえ戦う意志を今は見せていないとは云え、決して油断できる訳がない。だからこそ、今自分に出来るありったけを撃ち放つ。
「やらなきゃ、こっちがやられるからね……!」
轟々と嵐のように吹き荒れる炎を呑み込まんとざわついた怪異がその顎門を再び開くけれど――どろりとその影が煮崩れた野菜のように溶けていく。それは真理の掲げた拳に依る、全ての能力を打ち消す零の力だった。
「…………ほう」
打ち消された怪異を炎ごと切り捨てほんの少しだけ瞠目する。刃と化した腕で空想の残滓を振り払うけれど、真理の拳が即座に眼前に迫るのに男は漸く一歩を後退ってそれに応じた。
「まったく、良い歳した男が情けないねぇ。新しい物だけ求めるなんて」
そんなの子供の言い分じゃあないか、なんて。心底呆れたように吐き捨てられた真理の言葉に、男は『盤面が見えていないのは其方ではないかね』と低く笑った。
●Ruthless
彼が何を持ち帰ろうとしているのか。その全貌は不明瞭だったとしても、戦いに於いて情報がどれ程役に立つかは言わずもがな。然し何とも諦めの悪いことだと、賀茂・和奏(火種喰い・h04310)は内心で息を吐く。
「霊脈使って盗っ人とは困ります。張り巡らせた、其れ。引っ剥がさせてもらいましょう」
「盗人とは人聞きの悪い。我々も其方も己のすべきことを為すだけだ、違うかね?」
男が問い掛けたその瞬間、和奏の肩に姿を顕現させていた雷の神霊がばちりと火花を散らして牙を剥く。
無理も無い。
この地に祀られし神の御名は正一位金綱稲荷大明神。極めて近しいその存在が守護する神聖なる場を土足で踏み荒らす無法者あらば、稲とて心中穏やかではあるまい。ご立腹などと可愛らしい表現では済まないほどの怒りを剥き出しにした神霊へ『張り切ってもらえますか?』と問うたなら。コン、と高らかに鳴いた稲はその身を雷光へと変じさせ和奏にその力を明け渡す。
「其の志ごと、此処で断ち切らせて頂きます」
青冴えた刃に紫電が宿る。常よりも荒ぶる稲光に両腕の力全てを乗っ取られてしまいそうになるけれど――己に力を化してくれている手前、無様はするまい。
「出来るものなら。……嗚呼、誤算だったな」
煙草をひとつ吸い終えてしまった、と。
吸い殻をぞんざいに靴底で踏み消す男へ。否、その足元へと張り巡らされた網目掛け、和奏は悪しき力に絡め取られた稲荷の霊力ごと断ち切らんと憑神の放つ雷と共に別雷の太刀を振り下ろした。
妙に憎めぬ御仁だと、そう思っていたのだけれど。
「矢張り牙を剥かれるようだの」
戦の混乱に紛れ多くの簒奪者がこのうつくしいあおい星を狙い乗り込んでくることは分かっていた。けれど、それを易々と許す訳にはいくまいとツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は揺らめく煙角と同じいろを宿した瞳をゆっくりと閉じ、その身に宿した花の面影を呼び起こす。
「何とも知れぬ新物質とやら。人智にはかり知れぬものならば、こちらも不可思議にて迎えよう」
参道に咲かすはまぼろしの待雪草。
芽吹いて、咲いて。この願いを聞き届けるならば、さあ。
「根を張り、咲かせよ。絡み、縛り――全てを鎖す檻と成れ」
淡いひかりを灯した花が咲き綻ぶと同時、絡め取られた新物質の網がひととき。ほんのひとときの間だけ揺らぐ。その瞬間を、身を低くして植木の影に身を潜めていたファウ・アリーヴェ(忌み堕ちた混血・h09084)は見逃さなかった。
「……天よ、降り頻る雨よ」
まるで男は張り巡らされた糸に巣食う蜘蛛のようだ。リンドー・スミスを中心として広がっている新物質の網とやらが彼の思念に依って展開されるものならば、広い範囲で霊波に依る衝撃を当てれば惑わすことも叶うかも知れない。
「今はどうか……咲く花を育む慈雨と成らん」
呼ばうは雨。三種の手印を組み言霊を紡ぎ――ほんの僅か。瞬きほどの間だけ、ファウの瞳がそのいろを変えたのを、願いを聞き届けたそらだけが知っている。常ならば花を蝕む筈の驟雨はツェイの咲かせた幻花を育み、その勢いを増していく。
「……今日は如何にも客人が多いな。読み違えたか」
男の顔が今日初めて負の感情に僅か歪む。それは苛立ちと云うよりも釦をひとつ掛け違えた違和感を覚えたかのような些細なものではあったけれど、ツェイの、ファウの新物質の網への直接の介入が何らかの阻害になっていることは明らかだった。
「残念乍ら、此の地にはお主らに渡して良いものなど無いのだよ」
呪詛を籠めた枝葉が、霊波を乗せた雨が、男を刹那の間縛り止める。
槍へと変じた槐の一枝が蠢く蟲翅を貫いた瞬間、ぶわりと勢いよく広がった影にツェイは咄嗟に宙を翻り混沌に呑み込まれんとするのを回避した。
「……おっと、」
「やれ、無知は罪だとは何処の言葉だったか。……私達の使命は何も知らぬ無辜の民衆を守る事だと云う事をお忘れかね?」
蠢くそれは、獣の影だったのか。
「――危ない!」
ぶくり、ぶくりと泡が弾けるように沸き立った表皮から現れ出づるは無数の目。ぎょろりと剥き出しになった『目の群れ』がツェイを捉えるけれど、反射的に跳躍したファウが既の所で祈雨の刃でそれを断つ。
ギキィ――――……!
豚を縊り殺したかのような絶叫が響く。口を持たぬはずの影が濁った液体を撒き散らかしながら暴れ狂うのを、男は詰まらなそうに傍観していた。
「すまぬ、助かった」
ふわりと宙を舞うツェイへ無事でよかったと頷いて。余りにも悲痛な影の怪異の声に、痛ましげに眉を顰めたファウは震える唇から何とか声を絞り出す。
「あなたは……使役する彼らに、」
何も、何とも思わないのか。
その声に男が応える様子はない。己が支配下に置く怪異に何の思い入れもありはしないのだと、言葉よりも雄弁に態度が物語っていた。
「……そういう御人でしたね、あなたは」
網を掻い潜り、もうひとつの刀を抜いた和奏が体制を整えるのに合わせ、ツェイも、ファウも次なる一撃に備えそれぞれの武器を構え直す。
「持ってこうとしたもの、置いていって下さいな」
「あなたに引き渡せるものなどありはしない。……お帰りいただこうか、Mr.スミス」
四つの影が交差する。
異形と化した刃の腕に、一筋、大きな亀裂が迸った。
●To nick
闇に紛れ、影に潜み。その無数の目だけを夜闇のネオンの如くぎらつかせ、四百目・百足(回天曲幵・h02593)はげらげらと、けたけたと、可笑しげに嗤っていた。
「やや! かのリンドー・スミスと相まみえることが出来ると聞いて馳せ参じましたですよ!」
伸び出づる影は果たして何方のものだったのか。そのあわいから突如として現れた百足の姿に一歩後退し掛けた男の身体を捕縛せんとする穢れた注連縄へ、刃に変じた腕が全てを断つべくして振るわれる。
「……これは、これは。随分紳士的じゃあないか」
「クァハ! お褒めに預かり光栄? 災厄に卑怯も人道も何もありませんですよ!」
怪異を宿した人間と、災厄そのものである『なにか』と。一体何方が悍ましい存在なのかと、この場に於いて答えを提示させるものなどひとりも存在しなかった。
「ジャンプスケアはお嫌いですかね。嗚呼、残念! 其方は怪異の得意分野なのです!」
踏み込んだら最後。魂の残滓ひとつまで舐め尽くされる覚悟があなくっちゃ――『だあれも、責任なんか取っちゃくれませんです』。
唇の端を吊り上がらせ瞳を撓めた百足の全ての目が、男を、『視た』。
『――Freeze!!』
それとほぼ同時。高らかに告げられた言葉と共に、男が、湧き出づる怪異の脚がびたりと縛り止められた。
「簒奪の現行犯で逮捕しちゃいまぁす!」
「むむ、逝名井! なんとなんと、ベストなタイミングであります!」
片手でひらりと百足に応じた逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)はその目を確りと見開いたまま銃口を男へ向けるけれど、直ぐに引き金を引くことはしなかった。
「ボクとアンタの知った仲じゃないですかぁ、ナニ調べてたか教えてくださいよぅ!」
幾度逢瀬を重ねたろうか。そろそろ片手では足りなくなるほどに殺し合ったアンタと、今じゃ随分『仲良く』なった気がするんだと。告げる大洋はポーカーフェイスを保ったまま、能力を維持し続けることで消耗し続ける体力を悟られぬよう努めて平静を装いながら言葉を紡ぐ。
「言って如何なるね? たかが島国の飼い犬風情が、我々の使命の本懐を解するとは――」
「……なーんてね」
ぱぁん、と。乾いた発砲音が響き、男の体が僅かに揺らぐ。脚を撃ち抜かれた男がくぐもった声を上げるのに、大洋は渇きを堪えるように目を眇め、は、と鼻を鳴らして笑った。
「どうせはぐらかすんだろ? ……言ったじゃん、『アンタのコトはよく知ってる』って!」
ならば追い返すのみだと。大洋がそう告げることを遮るように、影が――百足が邪視のちからを解き放つ。
「然らば、これでは如何です?」
「ぐ、……ッ!」
神も、霊も、怪異も――無闇矢鱈に調べようとするもんじゃあ、ありませんよ。
ぎらりとひかる幾つもの目が、男を視ている。
ぐらりと揺らぐ視界の只中で、影が、嗤っている。
「クァハハハ!! 大脳ごと揺らされる感覚、さぞかし気持ちの良いことでしょう!」
男の体が崩れ掛けるも、意識を手放す事を許さない。
踊って。うたって。この俺が満足する面白いコトバを、どうか。
「どうです? 何か言いたくなりましたですか? コソーリ聞かせてくださいですよ!」
「……ボクも大概だと思うけどぉ、四百目さんも『なかなか』ですよねぇ」
ふたつの視線は未だ男を捉えたまま。
百足の愉快そうな高笑いが、何時までも、何時までも響いていた。
●Smell a rat
こそこそと、戦火に紛れ何やら嗅ぎ回る影ありと。
ことの大小はさて置いて、それは何とも『くだらなくて、つまらない』。
「なんだコソ泥か?」
やるならもっと派手にやってほしいもんだな、なんて肩を竦めて形ばかりの悪役なるものを一瞥する。掲げた手を下ろした先に蕾むあかい花々を背に、ザネリは静かに己の美学に反するものと相対した。
「潰し甲斐がねえ」
咲いて。咲って。そら――『泣き虫なお嬢さん』がお待ちだ。
邪魔立てするならば手数は多い方がいい。目眩く赤い雨傘が一斉に咲き綻ぶのと同時、肉薄したザネリが目を眇めて夜闇へと誘う。
「よう、色男。ちまちまなにやってるか知らねえが、無視とはいかねえだろ」
並び立つこの傘たちをご覧あれ。
この数のレディを相手にして、手を取らない紳士が居るか?
「は、――は。無粋な男だ。そんなにもご婦人方を侍らせてどうするね」
「ひひ、分からねえか? ダンスにと誘ってるんだ、構ってくれ」
滑らせたゆびさきに従って、夥しいほどの赤い傘が矢の雨と成って降り注ぐ。
その穢れた、千切れ掛けた翅を貫こう。罅割れた刃腕など、レディの手を取るに相応しくないものは折ってしまおう。踊るには足さえあれば良い。なら、それ以外はどうなっても構うものか。
「ひひ、ここは俺たちには慣れた街でね」
大陸育ちの男に比べれば地の利はこちらに大いにある。そちらはこの地を占領したつもりかもしれないが、そう広くもない、障害物も多い袋小路に閉ざされたのは男の方だ。
「……手立てはこれひとつとは限らんよ」
これ以上の新物質の網の維持は困難かと。
飛び退ろうとした男を見据えた本当の悪がにぢりと顔を歪めて、笑う。
「あんたが逃げようが、隠れようが、赤いレディがそこで待ってるさ」
どうぞ、踊って。
刺し貫く傘からあかい鮮血が迸るのを、ザネリは淡々と見下ろしていた。
