砂糖菓子人間失踪事件
●砂糖菓子人間失踪事件
それが始まったのはつい最近の事、√ドラゴンファンタジーでの出来事だった。
その街では、ちょっとした困り事が起こっていたらしい。なんだか何かを失くしただとか、何かを忘れてしまっただとか、そんな事を訴える人々がそれはそれはたくさん現れたそうだ。ただの集団物忘れかはたまたそれ以外か。最初は本当にただそれだけで、被害という被害は出なかった。街の人々も、そういうものはふとした瞬間に見付かるだろうと大した問題にもしなかったのだ。
しかし、忘れたものや失くしたものがふとした瞬間に出て来るというのなら、事件というものも、ふとした瞬間に牙を向くものである。
一番最初は小さな子どもだった。
ある日、何の前触れもなく、その子は突然倒れてしまった。かと思えば、そのまま数日間眠り続けた後、なんと砂糖菓子になってしまったそうだ。砂糖菓子———そう、クリスマスケーキの上にちょこんと乗せられた、サンタクロースの人形のようなものに。
次はその子の姉だった。次はその姉の友達が、その次は近所の老夫婦……。徐々に徐々にではあるけれども、少しずつ少しずつ、その被害は増えて行った。
人間が突然倒れて砂糖菓子にになって。然しながら、事件はそれだけでは終わらない。砂糖菓子になってしまった人間が、ある日忽然と姿を消してしまったのだ。
一番最初は小さな子どもだった。次はその子の姉だった。次はその姉の友達が、その次は近所の老夫婦……。元に戻るどころか、いつの間にか姿を消して二度と街には戻っていない。
●案内人:クルス・ホワイトラビット
「という訳で、諸君、由々しき事態だよ。
ボクらはこの事態を『砂糖菓子人間失踪事件』と命名した。キミ達も重々理解しているとは思うが、早期解決が求められる、全く由々しき大事件なのさ。
人間が砂糖菓子になるなんて事がまずあり得ないのに、まさか姿まで消してしまうなんて、一体全体何が起こっているのさ。このままこの事件が続けば、町中の人間が砂糖菓子になって姿を消してしまうのは明白。それどころか、原因を掴めなければやがて世界中に蔓延し、人類社会の崩壊に繋がってしまうだろう。世界の崩壊とは、こういった小さな綻びから起こるもの。どんなに小さくて摩訶不思議な事件であろうと、見逃すわけにはいかないのさ。
とはいえ、ボクらにはあるのは「なにかを忘れた」もしくは「なにかを失くした」人間が砂糖菓子になっている、という事以外情報がない。まずは件の街に繰り出して、情報取集をしておくれ。
それじゃあ、準備が出来たらシロウサギよりも早足で赴くんだよ。淹れた紅茶の飲み頃は待っていてくれない、これは常識だからね?」
第1章 日常 『お話を聞いてみよう!』
————地に、降り立つ。
目を開いた先にあったのは、山に囲まれた中世の都市、といったところだろうか。
意見すると神殿のような神々しさを放つ教会からは、美しいステンドグラスがきらきらと輝き。住居兼店舗といった形の煉瓦や木造の背の高い建物が立ち並ぶ商店街には、新鮮な食材をはじめ様々な日用品から冒険者の御用達の装備類等、たくさんの商品達が訪れる人々の目を楽しませている。貧富の差はそれほどないのだろう。住宅街では老若男女関係なく、皆が助け合い笑い合い、そこにある日常と平穏を享受しているようだった。
穏やかな場所だ。あんな事件が起こっているとは思いもしないくらいに、穏やかで平和な場所。
街に一歩、足を踏み入れる。活気溢れるそこでは、突然の冒険者の来訪も慣れているのだろう。「ようこそ!」と、門番らしき男性に歓迎されるがまま、とりあえずはと町の広場へと足を運んだ。大きな大きな噴水を中心街を見回せば、成程、大雑把ではあるが街を一望出来る作りになっているらしい。
「随分と平和な街、だね……事件が嘘のように思えてしまうよ」
「確かに。何かあるかもって意気込んで来たのが馬鹿みたいじゃんね」
「ああ、小生ももっと、街自体が深刻な状況であるかと思ったよ」
街を見回しながら、久世 八雲と玖老勢 冬瑪は静かに呟く。
確かに彼らの周囲では、仕事に精を出す人々の明るい声や、井戸端会議をして談笑する奥様方、その周囲で遊ぶ子供たちに、遠くでは積み荷を運ぶ馬車の姿がある。皆、事件の事等まるで知らん顔というかのように、それぞれの日常を楽しんでいるのだ。
なんか拍子抜け、と、冬瑪は軽く眉を寄せ、首を傾ける。そんな彼にまあまあと苦笑を浮かべながら御茶菓子 如何が口を開いた。
「平和なのは何よりですよ。仮に街が混乱に陥っていたら、それこそ情報収集どころではありませんから」
「……まあ、そうだわな」
「そうそう、いきなり眠り続けて砂糖菓子になるなんて怖すぎるんだよ。そんな事件が起きているのにこんなにも街が落ち着いてるってことは、まだ事件がそれほど大きくなってないんじゃないかな?」
香我美 鈴果の言葉に、3人は納得したように頷いた。
「確かにそうだね。事件そのものの絶対数が少なければ、公にされないどころか、公にも気付かれていない可能性がある」
「ええ。もしくは、何らかの方法で隠蔽されているのかもしれませんね……」
「ってことは、やっぱ油断しない方がいいってことじゃんね」
「うん」
四人がそうして顔を突き合わせる中、彼らよりも難しい顔をしたシアニ・レンツィが、右に左に、まるで龍の起き上がり零しのような動きで揺れている。「ぜったいすぅー?」と、頭から湯気が出そうな程難しい顔の彼女は、けれども次の瞬間、うがーっと両手を思いっきり天に突き上げながら口を開く。
「そういう難しい事はよくわかんないけど、とにかく大変な事が起きてるのは間違いないんでしょ?! だったらここで考えててもわかんないよ!! 行動あるのみ! じゃない?」
もしかしたら、自分だけ話に上手く入れなくてちょっぴり拗ねてしまったのかもしれない。ぷくりと頬を膨らませた彼女に、4人はそれぞれの微笑みを浮かべながら大きく頷く。
「そうですね。時は一刻を争う、と、星詠みの方も仰っていましたし。それぞれの行動方針を決めたら、早速行動に移りましょうか」
「賛成っ。俺も頭使うより体使う方が得意だわ。んで? なにする?」
冬瑪が両手を腰に当て、ん?ん?と、それぞれの顔を覗き込む。どこか空気を和ませるような、どこか茶化したようなその動きは、彼なりの気遣いなのかもしない。
うん、と、それぞれが頭を捻る中、最初に口を開いたのは久世だった。
「極めてベターなモノにはなるが、小生は失踪者のご家族からお話を伺おうかと思う。失踪者本人に何か妙な点があったか、なくても話せる事は話してもらおうかなと。なにかしらの違和感を探すのは我々の仕事だからね」
「そうだね、あたしも最初にいなくなっちゃった子の家族や友達にあたってみるつもりだよ! 痕跡になりそうなものがあればそれも探したいな。それに、きっとさ、突然友達や家族がいなくなっちゃって、寂しい思いもしてると思うから、元気付けてあげたいな……」
言いながらしゅんと俯きそうになるシアニの背中を、如何が優しくぽんと叩く。
「きっと、元気になってくれます。頑張りましょう」
「うん、ありがとう!」
「んじゃ、俺は家っていうよりもその周辺で聞き込みをしてみるかのん。んで、家の人が了承してくれうのが前提にはなるんだけど、現在砂糖菓子になっとる人の家を突き止めて、同じ部屋に隠れ、不寝番をやってみようと思う。情報によると、砂糖菓子になった人間は姿を消すんだろ?『何者かに運び去られた』のか、その場から『独りでに消えた』のか。それが判るだけでも成果になるはずじゃんね」
「うん、それいいかも! それがわかるのかなりデカいと思う」
「そうですね、情報を収集したら、一旦またここで落ち合いましょうか」
「そうしよう。して、香我美さんと御茶菓子さんはどうするんだい?」
「「ああ……」」
そういえば、と、二人は顔を見合わせる。
「あーえっと、御茶菓子さん、どうぞ!」
「え、いえいえ、香我美さん御先で」
「いえいえっ」
「いえいえいえ」
「「どっちでもいいよ(いいじゃんね)!!」」
シアニと冬瑪が同じような表情でやれやれと肩を竦めるのを、久世がおかしそうに声を漏らしている。鈴果と如何は、互いにちらりと視線を交えると、そのまま気恥ずかしそうに笑った。
「コホンっ、えーっと、私は街の中心街で聞き込みをしようと思います。砂糖菓子になっちゃった人の事も気になるけど、物忘れに関しても気になるんだよねー。その辺の情報も集めてみようかなって思うよ」
「私も中心街付近で情報を集めてみたいですね。餅は餅屋と言いますから、子供たちを中心に、少し変わった事が無いか調べてみます」
「承知した」「わかったー」「ん、了解ー」
それではまた後で、と、久世、冬瑪、シアニは住宅街の方へ。鈴果、如何は中心街へと足を向ける。
その途中、鈴果があっと声を上げ、足を止めた。「どうしました?」如何が不思議そうに鈴果をみる。すると、どこか青い顔をした彼女が、錆びたブリキのロボットのような動きで首を向けると、震える声で吐き出す。
「砂糖菓子になった人が消えるって食べられたとか無いよね!大丈夫だよね!!」
「それは…………考えないようにしましょう」
「そうだね……」
●悲しみの家に残された物
目的の家はすぐに見付かった。
皮肉なことに『一番初めに砂糖菓子になった子どもの家』と尋ねたところ、なんの問題も無くその場所を聞き出すことが出来たのだ。確かに公にはされていないものの、人間が砂糖菓子になって忽然と姿を消す、という事自体は、その家の近所では有名な事件になっているらしい。最も、事件の内容が内容なだけに、憲兵がまともに取り合ってくれていないというのだ。その話を聞いたシアニは、同情を覚える他ない。然しながら、肝心の事件に感じては当事者でなければわからないとのことで、シニアは件の家の戸を叩く。
「はーい、どなたですか。あら? 見慣れないお嬢さんね」
「あ、その、はい! シアニって言いますっ。あの、人間が砂糖菓子になっちゃう事件について調べてて、ここが、その、最初の被害者のお宅だって、聞いて……」
「そう、だったの……」
流石にストレートに聞き過ぎただろうか。
しどろもどろになって困惑するシアニに、優しそうな女性は静かに微笑むと、そっと扉を開いてくれた。奥には彼女の夫だろうか、同じく優しそうな男性の姿がある。
「どうぞ、何もない場所ですが」
「えーっと、お、お邪魔しまーすっ!!」
緊張した面持ちでぴんと背を伸ばしたシアニに、家の住人———一番最初と二番目の被害者の両親は、彼女を被害者の部屋へと案内しながらも、優し気な笑みを浮かべる。
「あの、なにか……?」
「ごめんなさいね、見た目で判断するのは失礼なのだけど、うちの子とあなたの背丈が同じくらいだったの。性格も似てたから、つい、思い出しちゃって」
「そうだったんだ……」
「ええ……」
涙ぐむ母親の体を、父親が優しく支え、そのままそっと抱き締める。
仕方のない事だった。一月も経たぬ内に子ども達が消えてしまったのだ。家の中のあちこちには、子ども達の残り香のように時が止まった場所が幾つもある。つきんと、胸が痛んだ。シアニは軽く唇を噛み締めると、そのままぶんぶんと頭を振る。自分はここに、共に悲しみに暮れる為に来たわけじゃない。
「大丈夫、です! きっときっときっとあたし達が事件を解決してみせるからっ!! いなくなった子達だって、きっと絶対に見付けてみせるから! だから、その、あたし達のこと、信じて! きっとあたし達がなんとかしてみせるから……っ! ちっちゃいけど強いだよあたし!」
その強い気持ちが確かに届いたのだろう。両親は優しく目を細め静かに頷くと、「お願いします」と震える声を零した。
「ここが、子ども達の部屋です」
「ありがとうございます、えっと、二人でひとつの部屋を使ってたんですか?」
「ええ。下の子が寂しがり屋でね。部屋を分けると言ったら随分と嫌がったのよ。上の子も、このままだと心配で眠れないからって同じ部屋で寝てたの」
「へぇー……」
薄い埃を被ったベッド。出しっぱなしのぬいぐるみや本。
最後に着ていた上着だろうか、椅子の背に掛けられたそれも薄い埃を被り、今も来てくれる誰かを待ち侘びているように見える。時が止まった寂しさが漂うそこは、けれども特別変わった様子はない。一歩、一歩、薄い埃の絨毯を踏む。部屋の中を注意深く見渡しながら、シアニは両親に問いかけた。
「んと、物忘れをした人が、砂糖菓子になるって聞いて……その、物忘れがある前って、何か変わった事とかなかったかな?」
「変わった事……」
「見慣れない人が居たー! とか、変わったものを食べたー! とか」
「いいえ、特には……そんなことがあったら、とっくに憲兵さんにもお話してるわね」
「そっか……ん?」
ふと、目が留まる。それは小さなゴミ箱だった。
何故それに目が行ったのかはシアニは自身もわからない。けれどもその何の変哲もないゴミ箱の中、何の変哲もないお菓子の包装紙が、なぜだか無性に気になったのだ。徐にそれを掴み上げ、シアニは両親に問いかける。
「あの、これ、なに?」
「え、ああ、それは——————」
●真実を告げる声
活気溢れる街の、その中心街はより多くの活気と賑わいで溢れている。
先程の大きな噴水の広場にも様々な人々がいたが、そこにある公園広場にも、大勢の人々が行き交い、思い思いの時間を過ごしているらしい。右に左に周囲を見回しながら、鈴果と如何は、噂を聞いて街に訪れた冒険者というていで話を聞くことにしたのだ。鈴果はとりあえず酒場や情報が集まりそうな場所を中心に、如何は宣言通り子供の集まる場所へと足を急がせる。
最初に話を聞けたのは、如何だった。
彼女の持つ、珍しいお菓子に釣られたのだろう。一人の少年が目をキラキラと輝かせながら近付いてきて「それなあに?」と首を傾ける。膝を折り、その子に目線を合わせるようにして如何は微笑んだ。
「これは、和菓子というお菓子ですよ」
「わがし? お菓子なの? 甘いの?」
「ええとっても。それにもちもちしてるんです」
「もちもち?」
おそらく、触感としての感覚がわからないのだろう。自分の頬を両手でもちもちと押しながら、少年はますます小首を傾ける。すると、その様子に興味を惹かれたのか、一人、また一人と子ども達が如何の元へと集まって来る。
「なにやってるの?」
「お菓子のまねっこ! あのね、このお姉ちゃんのお菓子もちもちなんだって!」
「もちもち?」
「もちもちぃー!」
「もちもちぃー! いいなぁおいしそう! もう食べたの?」
「まだだよ、でも甘くてもちもちなお菓子なんだって」
へぇーっと歓声が上がる。次の瞬間、きらきらした瞳が一斉に如何へと向けられた。どの子の顔にも「お菓子食べたいな」と素直な気持ちが書かれているようで、如何はくすくすと肩を揺らすと、「どうしようかな?」なんて思わせぶりに小首を傾げる。
「そうですね……本当は売り物だから、タダであげるのは出来ないのだけれども、そんなに興味を持ってくれるのなら、今日は特別に差し上げようかしら」
「ほんと?!」
「ええ。その代わり、私はまだこの街の事がわからないから、私の知りたことを教えくれないかしら?」
「お姉ちゃんの知りたい事?」
「なになにー?」
「街の事ならいっぱいいっぱい知ってるよ!」
「そう、では……あなた達は、何か忘れ物をしたりなど、そう言う事に身に覚えはありませんか?」
そう言うと、子供たちは一斉に首傾げた。
皆、頑張って心当たりを探しているのだろう。しかし何も思い付かないのか、次の瞬間、子供たちは残念そうに首を振る。「それでは忘れ物をした人を知りませんか?」と聞けば、一番初めの被害者とその姉がいなくなった事を話してはくれたが、それ以上の事は詳しく知らないらしい。しょんぼりと項垂れる彼らに、如何はそれでも和菓子を差し出す。三食団子と桜餅、きなこたっぷりのおはぎにわらび餅。はじめて見る和菓子の数々に、子供たちはまるで宝物でも見つけたかのようにはしゃぐと、それを次々と頬張っては、しあわせそうな笑みを浮かべる。
「すごーいおいしい!」
「本当に甘いね! もちもちだー!!」
「ねぇこっちも食べていい?」
「僕も僕も―!!」
お菓子自体は大好評で嬉しいのだが、肝心の事件の事はからっきしだ。
微笑みを浮かべるその内心で、どうしたものかと溜息を吐き出した時だった。
「あ、そうだお姉ちゃん、お菓子のお店を出すなら街の東はやめておいた方がいいよ」
「ああそうだね! あそこにも新しいお菓子屋さんが出来たもんね!」
「そうそう! あそこのお菓子もとってもとっても美味しいんだ! わがしは売ってないけど、喧嘩になっちゃうかもしれないから、僕のお家の近くに建てなよ!」
「あ、ずるーい!! 私のお家の近くにして!!」
「俺のお家の近くだよ!!」
子どものご機嫌は、山の天気よりも変わりやすいのかもしれない。
今度は討論を喧嘩を始めてしまいそうな子供たちの間に、まあまあと割り込みながら、如何は苦笑する。
「気に入ってくださったのなら、とってもとっても嬉しいです。お店の場所はまた考えますけど、新しいお菓子屋さん、ですか?」
「そう! ケーキとかパフェとかがいっぱい売ってるんだよ」
「時々ね、子供にタダでお菓子を配ってくれるんだー」
「そういえば、ほら、いなくなっちゃったあの子とあの子のお姉ちゃんも貰ってたね」
「!! そのお店のお菓子、お姉ちゃんも食べて見たくなっちゃいました。場所、教えてくれますか?」
「いいよ! あのね——————」
一方その頃。
酒場で話を聞く鈴果は、思うような成果が得られず、肩を落としそうだった。
ただ、わかったこととして、事件については知っている人間と知らない人間とで偏りがある事が判明したのだ。知ってる人間の特徴としては、件のあの家———第一被害者の近辺に住んでいる者、もしくは子供がいる家の者であるという事。知らない者は、それに該当しない者である事だ。
つまるところ、ターゲットは子供がメイン、って事になるのかなー。でも、老夫婦とかも被害に遭ってるわけだから、年齢性別はあんまり関係ない感じ?同じ街の中で起きてるから食べ物か行動なんだろうけど、これ!っていう手掛かりは掴めてないんだよねー……。
最早、何組目かもわからない人たちに声を掛ける。
「……っていう、感じで、何か知ってる事はありませんか? 事件そのものでも、物忘れに関してでもいいんですけどー」
「そうだな、事件に感じちゃ噂程度で詳しくねぇが、物忘れにあった奴ならつい最近話したぜ。なんだか血相変えて誰彼構わずこんな事を聞いて回ってたぜ? 確か、
『大変だ大変だ! とにもかくにも大変なんだ!
あんなに大事なモノをどうして今まで大事にしなかったのだろう!!
アレが無いと私は何を信じていいかがわからない!! 私とは、何を持って私と証明できるのだろうか!! 誰か教えてくれ!!!』
ってな。あまりにもちんぷんかんぷんな事を言い続けていたから、一度病院にも連れて行ってやったけども、おつむ以外は正常だったな」
「なるほど。その前にも変わった事とかありませんでしたか? 後、その人は今どこに」
「変わった事は特にねぇ。いつも通りだったな。今どこにいるかは俺も知りてぇよ……最近姿を見てねぇってもんで気になって様子を見てみりゃ、家がもぬけの殻だったわ」
「そう、ですか……ありがとうございます」
「いやいいってことよ」
それ以上は有力な話を聞けず、鈴果は酒場を後にする。
有力な話は聞けた、けれどもあと一歩、あと一歩がまだ足りない。
物忘れの前に変わった様子がなかったっていうのも不思議だし、それがある一定の範囲?子供がいる家いない家で起こってるっていうのも引っかかるんだよねー……。キーワードが子供?だとすると大人よりも子供の方が情報を持って……、
「っ?!」
ふと、視線を感じた。
そこを見る。けれども、姿は、無い。逃げた?いや、けれどもまだ、まだ視線はそこにある。ということは、つまり……そういうこと、だね。鈴果はそっと目を細め、視線の先まで歩み寄る。そして一番それが強いであろう場所までやって来ると、その場にそっと片膝を付き、目を閉じて祈りをささげた。
————汝、未練は何たるものか。声なき声を今ここに【ゴーストトーク】
ぼんやりと、霧が舞う。薄い薄い煙羅が人の形となっていく。
ふっとそれが霧散した。そこには、半透明の体をした、少年の姿がある。
彼は寂しそうな笑みを湛えて鈴果を見つめているようだった。
「君は……」
『僕が見えるの?』
「うん、見えるよ。私を見ていたのは、君?」
『そうだよ。あのねお姉ちゃん、教えて欲しい事があるんだ』
「なに?」
『どんな人でも持っていて、一個の人もいれば沢山の人もいるけれど本物は一つ、世界で最初に与えられる大切な大切な贈り物。コレはなぁに?』
「えっ、なにそれなぞなぞ?」
『ううん、僕が失くしたもの。僕が忘れちゃったもの』
そう言うとその少年は、ぼんやりと姿を揺らめかせる。
半透明だった体は、また元の透明へと戻ろうとしているみたいだった。「待って」と、声を掛ける鈴果に、もう時間だと言わんばかりに少年が寂しそうに笑う。
『お姉ちゃん達は忘れないでね。お菓子になっちゃうよ―――――』
●蠢く影
第一被害者の家をシアニへ託し、久世と冬瑪は別の被害者宅を探して歩いていた。
例にも漏れず『砂糖菓子になった人間の家を知りたい』と告げれば、それは呆気ないほど簡単に見付かったのである。そこを訪問しつつ、街の簡易マップに赤いバツ印を付けながら、久世が静かに小首を傾げた。それを不思議そうに目を丸めながら冬瑪が覗き込む。
「ふむ……」
「どしたん久世さん」
「うん? ああ、随分と地域が限定されていると思ってね」
「地域?」
「ああ、これを見てくれ」
街の簡易マップを見やすいように広げた。
そこには、先程のバツ印だけでなく、街の中心から斜めに十字を切るように二本の線も引かれている。
「えーっとこれは?」
「わかりやすく、街を東西南北の4区間で分けてみたんだが、どうもね、こちら側」
そう言って久世が差したのは街の南側だった。
商店街にほど近いその区域は、住宅街が程よく密集している。目立って高い建物や立派な屋敷もない事から、庶民的な区域とも呼べるだろう。そこには件の家があり、更にはその付近に3番目の被害者、そして4番目の被害者でもある老夫婦の家もある。その後の順序はわからないが、点々とバツ印が並んでいるのが見て取れるだろう。
「……に、随分と被害が密集してるのがわかるかな?」
「おう」
「勿論、その他の区域にもひとつふたつと印は付けた訳なのだが、ここと比べると圧倒的に少ないね。これはどうしてだと思う?」
「どうしてって、そうだな……」
冬瑪は両手を組んで頭を捻った。
今のところ、被害者宅を回って得た情報はこうだ。
・物忘れをする前に、特に異変は無かった。(普段と変わらなかった)
・物忘れをした人間は一様に何かを忘れたと焦っていたが、肝心の何かがわからない。
・不審者の姿を見た、だとか、妙なものを食べていたという証言はない
・砂糖菓子になった人間は、今のところ残らず姿を消している。
・被害者は子供が多いが、大人や老人もなっている。性別も関係ない。
・事件について知っている人間は、被害者宅の近所に住んでいるか子供がいる家である事。
「んー……そうだな、街の雰囲気とかから見た印象だから俺の偏見も多少は入ってるけど、多分、その区域? に、子供がいる家が少ないんじゃないかのん。物忘れとか諸々の関連付ける事は今んとこ厳しいけど、目撃情報とか事件の事を知ってる人間が圧倒的に子供がいる家の人かそのご近所さんだから、何かしらの原因を運んでるのが子供って考えた方がいいんでね? とは思ってるけど、どう?」
「そうだね、小生もそう思っている。情報不足は否めないが、それでも多発的に怒っている事件である以上、必ず何らかの関連や小さな繋がりはあるはずだからね」
「だな。難しい事はわかんねぇけど……」
そう言って、二人はとある家の前で足を止めた。
ここは、つい最近砂糖菓子になった人間がいる家だという。
なんでも妻に先立たれた一人暮らしの老人で、時々別の街にいる息子や娘が様子を見に来ているらしい。聞いた話に寄れば、穏やかで子供好きの優しい人だったそうだ。
「このご老人も、子供が関連してると言えばしてる人、だね。まだ消えていないといいのだが……」
「んだな……邪魔するよー?」
冬瑪が扉を開ける。
すると、何やら部屋の奥で物音がする。
「なんだ? 娘さんか息子さん?」
「いや、だとしたら、我々を出迎えないのはおかしい」
「じゃんね、慎重にいくか……」
互いに息を殺して、足音を立てないように家の中を進む。
幸いにも、家自体はそう広くはない。耳を澄ませて物音を辿れば、あっという間にその場所へと辿り着いた。薄く開いた扉の隙間から、二人は中を伺う。
薄い埃の絨毯、横たわる人の形をした砂糖菓子、そしてその上で蠢く……。
「ぷもぅ?!」
「「?!」」
二人の視線に気が付いたのだろう。
それはばっと二人の姿を見返すと、丸いボディを思いっきり窓ガラスにぶつけた。
パリーんと派手な音がする。去り行く背中に、なんだか大きな麻袋が背負われている。
「ちっ、逃がさないよ!!」
「待て待てー!!!」
二人は後追うべく、急いで部屋を飛び出した。
*手に入れたキーワード:お菓子、新しく出来たお菓子屋さん、失くしたもの・忘れたもののヒント、「ぷもぅ!」と、謎の鳴き声を上げた生物
第2章 集団戦 『あばれうしぶたどり』
その日、街は震撼した————かもしれない。
なんだか牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物が、背中に大きな麻袋を背負って、トンでもダッシュで逃げていくではないか。
活気に沸く商店街は、悲鳴とどよめきに包まれ、大慌ての村人達がすってんころりんの大騒動。そんな中、その牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物は、地下水道の入り口へと姿を消していったのであった————。
●謎と問い掛けとそれぞれの思い。
大きな大きな噴水の佇む大広場。そこには、のどかな空気が漂っていた。
「遅いですね……」
「「そうだねー……」」
呟くように吐き出したのは御茶菓子 如何に、声を揃えて同意するのは、香我美 鈴果とシアニ・レンツィの二人だ。
小鳥達の声や人々の談笑、大きな大きな噴水からの水音。余りにものどかなBGMと街の陽気に、三人の表情はぼんやりと、午後のまどろみに溶けてしまいそうにも見える。無論、完全にそんな心地であるわけでもないが、それにしたって遅すぎる、と、待ちぼうけを喰らう彼女達の思いは一つだった。
メンバー間で、ある程度情報を収集したらこの場所で落ち合おうと約束していたのだが、何故だか住宅街の方に情報収集に行った久世 八雲と玖老勢 冬瑪二人が、一向に帰って来ないのだ。
「何かあったのでしょうか」
「かなぁ? シアニちゃん、二人と住宅街の方に行ったんだよねー? 何か変わった事はなかった?」
「うーん……二人の事は、その、別行動を取っていたからわかんないけど、ここに来るまでに、特におかしなことは無かったかな」
「そう、ですか……それでは、やはりなにかあったのかもしれませんね」
「だねぇー……」
はあ、と、誰とも付かない溜息が零れる。
余りにものどか過ぎるこの光景に、事件の事さえなければ3人でお茶でも飲んでいたかもしれない。待てども暮らせども、一向に姿を現す気配のない久世と冬瑪に、彼女達は顔を見合わせると、その場で静かに頷いた。
「ここでこうしてても仕方ないし、あたし達だけでも情報共有する?」
「そうですね。その間に彼らが戻ってくれば良し、戻って来なければ……」
「何かがあったって事で探しに行くべし!」
三人は再び静かに頷く。
「じゃあ、とりあえず私から話すねー。酒場でいろんな人に話を聞いたんだけど、」
———……かくかくしかじか。
「で、その後、ちょっと、別の人から話も聞けたんだ。総合して考えると、その失くしたものっていうか忘れたものは、
とっても大事なモノだけど、大事にしようと思って大事にしている人は少ない?
アレが無いと私は何を信じていいかがわからない。私とは、何を持って私と証明できるのだろうか。という文言から、証明書のようなもの。
どんな人でも持っていて、一個の人もいれば沢山の人もいるけれど本物は一つ、世界で最初に与えられる大切な大切な贈り物。
らしいよ」
「何それなぞなぞ?」
「あはー、やっぱりそう思うよねー」
困ったように笑う鈴果に、頷く二人。
「お話を聞く限り、かなり抽象的で物と断定できない感じもしますね。もっとこう、なんと言いますか、形の無いものなのかもしれないなと」
「あ、わかるわかるっ! 世界で最初に与えられるものって言うのも引っかかるしね。あたしが人から最初にもらった贈り物ってなんだったかな。うちにおいでって優しい言葉に、あったかいぬくもりに、名前に……?やだなーどれも忘れたくないよ」
「んねーっ? 私も名前は思ったんだよね。でも自分の名前って忘れちゃうの? なくしちゃうの? うーん、わからないんだよー」
「そうですね、こればっかりは答え合わせが必要なものですね。失くしてしまった方々が砂糖菓子になってしまった事実もありますし、候補は沢山練っておいて、いざという時に備えられるようにしましょう」
「そうだね!」「うん! わかったんだよー!」
「では、次は私がお話しましょう。私は子供達から少々興味深いお話を聞きまして……」
「どんなどんなー?」
———……かくかくしかじか。
「———っという感じですね。ここに来る前に場所も確認してきました。中は覗いていないので詳細は分かりませんが、見た目は至って普通の洋菓子店、という感じでしたよ」
「なるほど、新しく出来たお菓子屋さん、かぁ……あたしもね、そんなお話を最初の被害者さんのご両親から聞いたよ! そのお店で配ってる無料のお菓子を食べたとこも見てたみたい」
「やはりそうでしたか……ご両親は召し上がらなかったんですか?」
「うん、あんまりにも美味しそうに食べてたから、今日は全部貴方達で食べてって。今度買いに行きましょうねって話してたんだって……結局、行けなかったみたいでさ……ご両親、ね、頑張ってたけど、凄く、凄く寂しそうだった……」
帰り際、ごめんなさいと言いながら、自分を抱き締めてくれたあのご両親。自分の、消えてしまった子供に背丈や性格が似ていると言っていたのもあって、堪らなかったのだろう。「どうかあなたは無事で帰るんですよ」と寂しそうな笑顔を浮かべた彼らを思い出し、シアニは自然と口元に力が入るのを感じる。
ぽんぽん、と、優しく頭を撫でられる。如何だ。彼女の側では、鈴果も心配そうな眼差しを贈っている。
「あ、ご、ごめんね! ちょっと思い出しちゃっただけだから、大丈夫、」
「無理しないの! 辛いときは辛いでいいじゃん!」
「そうですよ、その気持ちはとても大事な気持ちです。あの人達の為にも、早く事件を解決してあげましょう」
「うん、ありがとう……! そうだね、早く見付けてお家に返してあげられるといいな!」
笑顔を返しながら、鈴果の内心は複雑だった。
でも、もしも、あの時自分がゴーストトークで話を聞いたのが|その子《一番初めの被害者》だったとしたら……。その子は、もう……。
「鈴果ちゃん?」「大丈夫ですか?」
「え? うんっ、大丈夫! さっきのさ、失くしたもの忘れたものの事考えてたんだけど、やっぱわかんなくてさー。やっぱ答え合わせが出来ないと気持ち悪いんだよー」
「そうだね、事件解決のヒントにもなりそうだし、それも探しに行かなくっちゃね!」
「そうですね」
複雑な感情を曖昧な笑みで濁す。
ゴーストトークの事を、誤魔化そうとした事に気付いているのかいないのか。如何とシアニの表情は穏やかだ。どうか、私の予想が当たっていませんように。鈴果がそんな内情を胸の内で吐露して時だった。
「「待て待て待て待て―――――っっ!!!」」
「ぷぎゅあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「「「?!」」」
遠くの方から、土煙を上げてこちらへと疾走してくる影がある。
戦闘は、なんだあれは。なんだか牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物が、でっかい麻袋を背負って涙目で駆けて来るではないか。その後ろでは、三人を現在進行形で待ちぼうけにさせている張本人二人が、極めて真面目な顔で、その得体の知れない生物を追い掛けているようだ。こちらには全く気付いていないのか、彼らはあっという間に目の前を通り過ぎると、商店街の方へと駆けて行く。あまりにも突然で、あまりにも唐突で、目の前で竜巻が巻き起こってあっという間に通り過ぎてしまったようなその出来事に、彼女達は呆気に取られる他ない。
「ねぇ、今のってさー……」
「久世さん、と、玖老勢さん、でしたね」
「あたしの見間違いじゃなかったんだ……なんか、変なもいたよね」
「いたねー」「いましたね」
直後、商店街の方から聞こえてくる、困惑と驚愕たっぷりの悲鳴。
それは彼女達が我に返るには十分なもので。はっと正気に戻った彼女達は、素早く顔を合わせて大きく頷くと、大慌てで駆け出す。
「全くもう! レディを待たせといて何やってんだよー!!」
「本当にもう……とりあえずはご無事のようで何よりですけど」
「とにもかくにも追い掛けろー!!」
●疾走する牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物!!
突如として現れた謎の生物を、久世と冬瑪は無我夢中で追い掛けていた。
なんだか牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物、その背に背負った麻袋の大きさは、子供一人くらいならば容易に収まってしまであろうそれだ。地面に引きずられ、時に生物の動きに合わせて大きくバウンドするそれから白い粉のようなものが零れ、風に乗って飛んでくるそれを冬瑪が咄嗟に指先でかすめ取った。
駆ける足はそのままに、鼻先で匂いを嗅ぐ。甘い。十中八九この匂いは———。
「間違いねぇ、砂糖だコレ」
「そうかい。ならば、あの麻袋の中身は多分アレか。人知れず砂糖菓子人間を運んでいたのは彼奴って事になるのかもね」
「んだな! アレをぶちのめせば、無事事件解決か?」
「……いや、そう単純なものではあるまい。餌として砂糖菓子人間をその場で喰い尽くしているのならまだしも、わざわざどこかに搬送しているんだ。何かしらの意図を持って、誰かが彼奴らを使って砂糖菓子人間を集めている可能性の方が高い」
「ふーん、それってつまり黒幕さんがいるって事じゃんね! ならますます逃すわけにはいかねぇわ!」
「ああ! だがまだ捕まえてはならんよ! このまま捕まるか捕まらないかの距離感を保ちつつ、本拠地へご案内いただこう!!」
「ん、了解っ!!」
ほらほら待て待てー!!と声を上げ、二人はわざと生物を追い立てる。
追われるものの心理として、自分に非があるものや不利と感じる物事を背負っているという自覚がある場合、捕まったら何をされるかわからないという未知の恐怖か、捕まったらこうなるだろうという予測とある種の被害妄想とも取れる心理状況によって、足を止めることはまずない。また、そういったものの大半が、罪から逃れようとする意識が強く、往生際も悪い為、余程観念する理由がない限り、待てと言われて待つ馬鹿はいないのである。こちらの言葉を理解しているかどうかは不明だが、『道具を使って目的を成す』という知能のある生物である。微弱でも、そういった心理が働いていてもおかしくはないだろう。
まあ、草食動物の特徴を多く持つ生物ではあるので、狩られる、という恐怖心故に本能的に敵から逃れようとしているだけなのかもしれないが。
困惑と驚愕で騒めく商店街を駆け抜ける。
背中に麻袋を背負っているのが災い、いや、こちらからしたら幸いしているのだろう。特別入り組んだ道を進むことなく、その生物は真っ直ぐに街の中を流れる水路の方へと近付くと、トンネルのように大きく暗い口を開けた地下水道への入口へと飛び込んでいった。
「これまた予想外な場所に飛び込んだものだね!!」
「んま、どんな所だろうが逃がさんけどな!」
二人も迷いなくそこへ飛び込んでいく。
街がきちんと整備しているのだろう。足場がきちんと整備された通路は大人二人が横に並んでも走っても十分に余裕がある。丁度入り口の灯が途切れる場所からは松明が灯されており、ある一定の距離感覚で並べられ、薄暗いながらもしっかりと視界が確保されていた。水も、きちんとしたろ過設備が整えられているのが伺える。下水道のような嫌な臭いはない。
この街の子供であるのなら、ちょっとした冒険心と好奇心に駆り立てられて足を踏み入れたくなるような場所だろう。然しながら、足を進め続ける二人にそんな浮足立つような気持ちはない。一歩、また一歩と通路を踏みしめる度に、この奥に何が待つのか。そんな危険予知にも似た思考が頭を掠めていく。
「ぷぎゅう! ぷぎゅう!!」
「「!!」」
おおよそ地下水路の半分を走った頃だろうか、不意にあの生物が声を荒げた。
まるで、警報のようなその鳴き声に、奥から無数の気配がこちらに向かって来るのを感じる。意図せずとも、二人は同時に足を止めた。ぼりぼりと何かを咀嚼しながら近付いてくるそれらに、二人は臨戦態勢を取る。程なくして、松明の灯に照らされたその影は、牛のような鳥のような丸くてブヒブヒした生物達だ。ただし、あの追い掛けていた個体よりも、はるかに大きな体をしているものばかりだ。
へっ、と、冬瑪が口の端を引き攣らせる。
「でっけぇな……」
「大型固体、いや、親個体と言ったところか……こちらに危害を加えてくるようなら仕方ないね」
久世が白衣の下から刀を取り出し、すらりとそれを抜く。
ふっと不敵な笑みを零しながら、彼は呼吸を整えると、
「そういえば玖老勢さん、君、炎系の特技は持ってるかな?」
「え?いや?持っとらんけど、なんで?」
「いやね、あの真ん丸なフォルム、角や嘴や翼などの付属物、ピンクの体に黒い斑模様……焼けばきっと美味いんじゃないかと思ってね。知ってる?夜勤明けのラーメンの美味さは格別だよ」
「はぁ? なんじゃそりゃ」
「いやいやすまない、つい思った事を口走ってしまったよ。小生の小粋な冗談と思って聞き流してくれたまえ」
「小粋ねぇ、ま、チャーシューは好きだぜ。そんなこと言ってたら腹減って来たじゃん」
「おや、それはすまなんだ。それでは、無事事件を解決したら、皆で〆のラーメンと行こう」
「いいね、たらふく食ってやるよ」
目の前を見据えたまま、にやり、と、久世が、冬瑪が、口の端を吊り上げる。
重々しい足音と共に眼前に迫る巨大で丸い影達。一番先頭にいた個体が、開戦の合図を告げるように、低く響く鳴き声を上げた。
「さて、執刀の時間だ」
「おう……ほんじゃ、鬼さま。やろまい」
●突撃!名も無きバブルカー!
混乱する商店街を、鈴果、シアニ、如何の三人は駆けていた。
しかしながら、突然の嵐に吹かれて混乱する街のざわめきは彼女たちの予想よりもずっと大きく、その荒波のような人混みに揉まれてしまった三人は、久世と冬瑪とあの奇妙な生物の姿をすっかりと見失ってしまっていた。
道行く人に尋ねるも、混乱が大きいせいでちんぷんかんぷんな返答しか得られない。
「困りましたね」
「んね、こうも大混乱してるんじゃ、何が正しくて何が間違いか、情報の精査をするだけで大変なんだよー」
「そうですね……シアニさん、痕跡は見付かりました?」
「んー、なんとなくな方角の目途は付くけど、詳しい場所まではまだ」
「そうですか」「そっかー……」
はてさてどうしたもんか。
彼女たちが意図せず同時に溜息を吐き出した時だった。
「待ちなさ~い!!」
「ぷぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅううううう!!!」
疾走するあの丸い生物と、それを追い掛ける赤い車。
火に油、いや、ガソリンでも投げ込まれたように、再び商店街には混乱が巻き起こる。然しながら、生物を追い掛けているのが人ではなく車なのが幸いしたのだろう。蜘蛛の子を散らすように、海を割るかのように、さあっと引いていく人の群れ。
「ぷきぃっ!」
「「「え?」」」
そして事もあろうに、その丸い生物は三人の方へと突進してきたのだ。
すぐさま身構える三人。けれども、丸い生物の後ろから迫って来る車に揃って目を丸くする。刹那の間に捕獲と逃走の二択を突きつけられた頭が一瞬、思考を止めた。その隙に、シアニの頭を跳び箱のように飛び越えた丸い生物。必然的に目の前に迫る車。
「どいてどいてどいてどいてぇぇぇぇぇぇぇえぇ!!!!」
直後に、甲高いブレーキ音が、三人の悲鳴が、周囲に響き渡る。
最初に目を開けたのは誰だったか、ぶつかる僅か三センチ手前で、赤い車は停止していた。
「ごめんなさい! 大丈夫?! 怪我は?!」
車から大慌てで降りてきたのは、小柄で鼠のような女性だ。
彼女は三人の無事を確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。
「良かったぁ……本当にごめんなさい、ちょっと急いでたから、怪我がないなら何よりだわ、それじゃあ」
「待って!」
再び車に乗り込もうとした女性を引き留めたのは鈴果だった。
「すみません、無理は100も承知でお願いするんですけど、私たちも乗せて行ってくれませんか?!」
「はぁ?!」
「すみません! 私、香我美 鈴果って言います! ちょっと今分け合ってあの生物を追ってまして!」
「はあ、そうなの……」
「はい!!」
困惑したように、女性が眉を寄せる。
鈴果の必死な様子に、悪い人ではないと判断されたのだろうか。無下にするのを躊躇うようにして、彼女は首を傾ける。
「……ベティよ。ベティ・スチュアート。あの生物退治を依頼されてにここに来たの」
「そうなのですね。ああ、私は御茶菓子 如何と申します。香我美さんと同じく、私と、そしてこちらのシアニさんも先程の生物を追い掛けていまして……」
「そうなのね。なんだか訳ありっぽいけど……」
「ええ、そうです。詳しくお話したいところなのですが、今はそんな時間も惜しいのではないでしょうか?」
「まあ、確かにそうね……そうなんだけど……」
じろりと見上げるようにして如何と、そして鈴果とシアニを見やるベティ。
少しの間、何かを考えるように首を傾けた後、彼女は徐に口を開いた。
「いいわ、乗りなさい! 話は走りながら聞く! 急ぐからシートベルトはしっかりね!!」
●死闘!そして、決着
鋭い咆哮が木霊する。一体は牛の特徴をありありと顕現させ、その頭を、足を、胴を増やし。ある一体は豚の特徴を顕現させ、別の一体は鳥のそれを。そうして最早『化物』と形容する他ないその存在達は、強かに久世と冬瑪を見下ろすと、一斉に牙を向いた。
「数では圧倒的不利、か……ならば、圧倒的武力でねじ伏せるのみ!!」
霊剣起動——— この刀身に宿りし古の|龍《存在》を、この身に下ろす!
【古龍降臨】!!!
久世の刀がまばゆい光を放つ。
その中で、一閃、二閃と煌めく残像は刀の太刀筋か。
光が収まった刹那、二体の化け物がその頭を失くし、黒い霧とも塵とも付かない亡骸へと変貌して消えていく。一瞬、何が起こったのかが理解できない。唖然とする化物達の目の前で、久世がまた刀をひらめかせる。化物達の首が、足が、嘴が、蹄が、次々と切り裂かれていく。文字通りばったばったと敵を切り倒す久世に、冬瑪が小さく口笛を吹く。
「やるじゃん久世さ、」
「さあこい化物共! 思い切り斬り飛ばし跳ね飛ばしてくれるわフハハハハハハハハハハッッ!!!」
「……見なかったことにしよ」
そっと目を逸らし、冬瑪はしゃらりと神楽鈴を鳴らす。
鬼は、すぐそこに在る。あとは舞うだけ、舞って我が身に下ろすだけで、鬼が完成するのだ。それは即ち単純な戦力の増強を意味している。数の利があちらにある以上、逃走も戦闘も困難。こちらは出来得る限りの能力を使って、少しでも戦力を増して戦略の幅を広げたい。
冬瑪がすっと目を細め、しゃん、しゃん、しゃん、と鈴を鳴らす。が、
「っ!!」
間一髪で攻撃を交わした。
複数の鳥の頭の鋭い嘴が、一斉に降りかかる矢のようにして襲い掛かって来たのだ。
掠めた衣類が、頬が、裂ける。赤い筋から飛ぶのは、赤い血の残像だ。然して激しい痛みを耐え得るこの体は、ひるむことなく鋭い蹴りを叩き込み、迎撃する。
「ちぃっ! 数が多過ぎる、舞う暇がねぇ!!」
「確実に一体一体やるしかあるまい! 最終手段として小生が盾になる、遠慮なく使ってくれまえ!!」
「お、おう……気持ちはありがたいんだけどさ」
化物の重い一撃が地面を揺らす。
一匹の牛の足が地面を鳴らせば、豚の蹄が空を切る。鳥の頭がけたたましい鳴き声を上げ、複数の頭で次々と、その鋭い嘴を繰り出す。奴らにコンビネーションはない。が、狙い澄ましたかのように攻撃と攻撃の合間を縫って繰り出されるその一撃の攻撃力は、決して侮れるものではない。奴らは本能で獲物を狩る狩人だ。長い長い幾年月の間、獲物として狩られ続けてきた家畜達の復讐と怨嗟の権現と言っても過言ではないだろう。
「流石にキリがないじゃんね……久世さん、あんた何分持つ?」
「さあ? だが、そう長くはないとお伝えしておこうかな」
「そうかい」
互いに笑みを浮かべつつ、けれども頬を伝うその一筋の汗が、彼らの心境を物語る。
数の暴力の前にして、戦力の減少は痛手中の痛手だ。かといって、二人で凌ぎ切れるかと言えば、極めて厳しい戦いを強いられる。せめて、外部に連絡する手段とその隙さえあれば……。どちらともなく舌を打つ。顔を照らすライトが眩しい。ん?眩しい?ライト?
「どいたどいたどいたーっ!! 車は急に止まらないのよー!!!」
「「!?」」
鋭いクラクションを打ち響かせ、突如として突っ込んできた赤い四輪自動車に、久世と冬瑪がぎょっと目を見開く。大慌てで水路の方へと飛び退けば、派手な水音と同時に派手な衝突音、そして、あの化物の悲鳴が聞こえた。ずしんと打ち倒される巨体。その側で、一回転、二回転、三回転と転がって、元の正位置に戻った車を、二人は呆然と見つめる他ない。
徐に扉が開いた。フラフラのゾンビのような様相で這い出てきたのは、鈴果、シアニ、如何の三人だ。
「うげぇ……ひっどい目に遭ったんだよー……」
「車、車、車怖かったよぉ……」
「皆さん、大丈、回路が、嗚呼ぐちゃぐちゃ、うっぷ……っ!」
「だからシートベルトはしておきなさいって言ったじゃない」
「「「そういう問題じゃない(ありません)っっ!!!」」」
彼女達に総突っ込みを入れられた女性は、このような事態は慣れっこなのだろう。平然としたまま車に乗り続けている。不思議な事に、車自体にも傷一つ付いていない事から、こういった事態を想定されて作られた物、つまり武器が兵器の類であることが容易に想像できるだろう。
化物が起き上がろうとするのを見逃さず、久世が一刀の下にそれを切り捨てる。
黒い霧とも粉とも付かない亡骸となったそれを横目に、久世は警戒をそのままに声を掛けた。
「おや皆々様、随分と賑やかなご登場だね」
「したくてこんな登場してないんだよー! 一体全体あれは何?! 牛?! 豚?! 鳥?!」
「なんか、全部盛りっぽい?焼肉屋さんが喜びそう……」
「なるほど、うーん、焼肉もいいね。小生と玖老勢さんはラーメンのチャーシューを連想していたが、そちらもなかなか捨て難いな」
「ラーメン、確かにいい出汁取れそう……って言ってる場合じゃない!!」
気が付けば、倒した個体とは別の個体が眼前に迫りくる。
ぎゃーっと間抜けた声を上げる三人の目の前で、それをぶん殴ったのは冬瑪、そして、殴り飛ばされた先で【全力魔法】を叩き込んだベティだ。
「ちょっと何ふざけてんのよ!」
「ふざけた登場の原因になった人が言うな―!!」
「二人とも、来るよ!!」
シアニが構えたハンマーで敵の重々しい前脚の一撃を受け止める。
上から圧倒的な圧力。けれどもシアニも負けてはない。その小さな体で、歯を食いしばりながら懸命にそれを耐え、叫ぶ。
「っ、……あたし、はっ! 強いんだ、ぞーっ!!!」
刹那、彼女の足が質量を増し、見る見る内に翡翠の竜のそれへと姿を変える。
口から放たれるは龍の咆哮。地面がヒビ割れる程に踏みしめて、その蓄えた力のままに跳躍すれば、ハンマーに足を乗せたままの化物の体が持ち上がり、背中から地面にひっくり返る形ですっ転んだ。【|不完全な流派急に止まれない《フォルス・ドラグアサルト》】の名のままに、彼女は上空から急降下する勢いを利き足に纏い、渾身のライダーキックを化物の腹へと叩き込む。
「さあ! こっからは先に止まった方の負けだよー!」
地を蹴る。ハンマーを振り、怪物を蹴り飛ばすシアニに、親指で鼻の下を搔いたのは鈴果だった。
「このままじゃお間抜けキャラになっちゃうね、私」
そんなのは、絶対に御免だ。卒塔婆を構えて、鈴果も駆け出す。
一方で、如何を守るようにして、ベティと久世と冬瑪が、化物達を迎撃していた。迫り来た敵の嘴を一閃で切り裂いていなしながら、久世がふむ、と、声を零す。
「事件解決の〆は焼肉かラーメンか。ふむ、ここはしっかり論議を重ねなければならないね」
「それは確かに由々しき問題ね。決めきれないのなら、第三の意見として寿司を提案するわ!」
「ああ、寿司も悪くないね」
そう言ってベティと久世が左右に飛び退く。
ボディプレスの要領で体当たりをしてきた化物によって、地面が激しく揺れた。
「緊張感ねぇなぁ……えっと、御茶菓子さん? 大丈夫?」
「え、ええ、大分、落ち着きました……」
軽く頭を振りつつ、如何も立ち上がる。
凄まじい運転で体調不良になったという訳ではなく、驚いて一時的に処理が追い付かなくなっていた、というところか。顔色が悪くない事に一安心した久世は、またにやりと口元を緩める。
「さてさて、玖老勢さん、盾が増えたよ」
「盾? なんだかよくわかんないけど、丈夫さなら自信があるの、任せてちょうだい!」
「へへっ、んなら、遠慮なく舞わせてもらうわ」
先程の雰囲気が嘘のように、冬瑪を取り巻く空気が変わった。
すっと目を細め、静かに鬼の面を整える。
しゃん、しゃん、しゃん、と、鈴が鳴る。その足取りはしなやかに、髪の毛から指先までの全ての感覚を研ぎ澄ましたその舞は、慎ましくも神々しい。
霜月の 根雪の下で 待つ花や
目覚めや太陽 目覚めや大地 歌い舞うは 花の祭の祭り歌
山の神 育ちはいずこ 奥山の と山が奥の さわら木のもと——————
【善鬼神招来・山見鬼】
「私も少々本気を出しましょう」
冬瑪とほぼ時を同じくして、如何がどこからともなく取り出したのは、ガジェット。
どこか飴細工の鶴を連想さえるそれの静かに握り締めた瞬間、
———ガジェット起動、アクセプター・イロハ スタンバイ。
鳴り響く雅やかにして荘厳な竜笛の音、どこからともなく吹き荒ぶ桜吹雪。その中にはなぜか、精巧で繊細な色とりどりの練り切りの花弁も、咲き乱れては消えていく。甘い甘い和菓子の香りを仄かにまき散らしながら、如何の身を包むのは鶴を連想させる面と陣羽織、そして、やわらかくも力強く光る鶴の羽にも似た光の粒子。
極めて冷静に、極めて機械的に、その可憐な口は告げた。
「変身」
———音声認識完了、アクセプター・イロハ コンプリート。
鬼の面の下で、冬瑪が人ならざる気配を身に纏う。
如何の全身が光の粒子に包まれ、アクセプター・イロハへと再構築される。
鬼が吠えた。光が舞った。
奇しくも同時に完了したそれらは、あっという間に目の前の一体を打ち倒し、黒い塵とも砂とも付かない亡骸へと変えたのだ。刹那の出来事、夢幻が如き一瞬。然してそれは確かな事実であり現実だ。ひゅうっと口笛を鳴らしたのは誰だったか。喝采の拍手が鳴り響くが如く、冬瑪が、如何が、二人が繰り上げた刹那の舞台が、味方の士気を確実にぶち上げた。
「かっこいいー! やるじゃん二人共!」
欄欄と目を輝かせ、鈴果が卒塔婆をぶん回す。
多頭、多脚、ついでに体も沢山の化物が、目の前にうようよいる。けど、それがなんだ。
街を騒がせるモンスターなんかに、負けるわけにはいかない!
「あんた達なんか、|卒塔婆《コレ》でドーンなんだから!!」
怪物の嘴を交わし、地を蹴る。地面に突き刺さったその頭を狙った卒塔婆の会心の一撃に、巨体が音を立てて倒れ込む。然して大振りの一撃は、大きな隙を作り出す。鈴果の攻撃の終わりを狙い、新たな化物が鋭い蹄を矢のように構えて襲い掛かって来たのだ。
「こんのっ!」
「鈴果ちゃん!!」
大砲の球が炸裂した時のような、鋭く鈍い音。横からシアニ渾身のドロップキックが炸裂し、化物を水路の壁へと叩き付ける。そのまま力を失ったそれは、派手な水飛沫を立てながら亡骸となり、そのまま二度と姿を現さなかった。
「シアニちゃん!」
「へへへっ! あたしも負けてらんないっ! 頑張ろう!」
「うんっ! こんなところで、立ち止まってる場合じゃないもんね!」
二人は背中を合わせ、目の前の敵へと立ち向かう。
「ほらほらほらー!! 轢かれたいお馬鹿さんはどこのどいつかしらー?!」
通路を、壁を、天井を、縦横無尽に駆け回りながら、雷撃魔法を撃ちまくりながら、ベティは化物を蹴散らしていた。破損を恐れぬバブルカーの爆走。其れに並行するように走りつつ、ベティが蹴散らした魔物に確実にとどめを刺していくのは、冬瑪と久世だ。鬼と古龍の力をその身に下ろした二人は、ベティ同様、縦横無尽に地下水路を駆け回る。
通路では鈴果とシアニが、互いに背中を預けながら確実に数を減らしていった。
あと少し、もう少しで、全てが終わる。最後の敵の群れにハンドルを切って、ベティが声を上げた。
「行くわよ御茶菓子さん!!」
「了解。敵を殲滅します」
彼女の車の上に張り付くようにしていた如何が、立ち上がる。
居合の姿勢を取る彼女の手には、煌めく光。変身の時と同様の光の粒子が、今度は剣となって顕現する。ベティが全力でアクセルを踏み込むバブルカーが雄叫びのようなエンジン音を上げ、フルスロットルで突っ込む。
すっと、如何が息を吸った。
「自己愛のその先を魅せませう——————|花菖蒲《ウヌボレテモナヲ》」
速さと重さを乗せた渾身の斬撃が戦いに幕を下ろした。
●痕跡を追い掛けて。
戦闘がひと段落し、手当もそこそこにしながら、全員は情報を共有する。
途中からやって来たベティも、事情を知って快く協力を申し出てくれた。「私はあの丸い生物退治の依頼を受けた身だけど、あなた達と協力する事で結果的に目的も果たせそうだしね」と。「よろしく」と互いに握手を交わし、穏やかな空気が流れつつある中、口を開いたのは如何だ。
「事件に話を戻しましょう。そういえば、なんですが、ここに来るきっかけになったあの魔物、何か背負っていませんでした?」
「あ、私も見たよ! 確か、麻袋かなんかじゃなかったかな?」
「そうそう麻袋であってんよ。中身見た訳じゃないけど、あの中身、多分砂糖菓子人間だわ。追いかけてる途中に中身が飛んできてさ、匂い嗅いだら甘かったんだ」
な?と冬瑪に視線を向けられ、久世も頷く。
「一応、戦闘中も麻袋の存在には注意を払っていたのだが……」
「ほんとに?」
「うん?どうしたんだい玖老勢さん」
「いや、うん、払ってた払ってた。フハハハーってしながらちゃんと払ってた。俺も一応だけど気を付けてたし。ただ、ここに麻袋っぽいものがないって事は、水ん中落としたか、攻撃に巻き込んでやっちゃったかも?」
「んー、それはないんじゃないかなぁ。一応私たちも麻袋?は、認識してたし、ベティさんが攻撃して巻き込みそうな流石に声掛けて止めるよ」
「そうね、特に何か持っていた敵はいなかったかも。という事は、戦闘の混乱に乗じて逃げた可能性の方が高いんじゃないかしら?」
「そうですね。それではとりあえず、何か手掛かりを探しましょうか」
如何の言葉に、5人は5人の返事を返し、周囲を探索し始めた。
程なくして見付けたのは、麻袋の破片でも砂糖菓子の粉でもなく、なんと、お菓子の包装紙だ。クッキーやビスケットのようなものが包まれていたのだろうか。香ばしい残り香と、小麦粉のようなものが付着している。それを見付けた瞬間、あーっと大きな声を上げたのはシアニだった。それもそうだろう、その包装紙は、彼女があの件の家で見つけたものと、全く同じものだったのだ。その事を説明しつつも、シアニは首を傾ける。
「でも、なんでこれがここに?」
「それはわからない。が、我々が奴らと対峙した直後、奴らは何かを喰っていたようだった。当初は砂糖人間を喰っていたかと思ったんだが、ここにこれがあるという事は、食べていたものは十中八九この菓子だろう。そして、共有された情報にあったお菓子屋の存在」
「うん、単なる偶然の一致とは思えないんだよー。ただ、お菓子屋に直接出向いてもしらばっくれそうだから、|ここ《地下水道》がお菓子屋に繋がってるって立証が出来れば、今回の事件がちょっとまとまりそうな気がする!」
「そういうことなら、これの痕跡を辿れば可能だと思うわ。得意な人はいる?」
「はーいはーいっ! あたしが出来るよ! 任せて! そういうのは得意なの!」
ふん、と、胸を叩くシアニ。
彼女と、そして奇妙な菓子の包み紙に導かれながら、6人は足を進める———。
第3章 ボス戦 『パフェ・スイート』
地下水路から痕跡を辿って、辿り着いたのは可愛い可愛いお菓子屋さんだった。
鼻を擽る甘い匂い、ファンシーで可愛らしく飾られた店内。ケーキにクッキー、チョコレートにパフェにアイスにキャンディーケイン……。素敵にディスプレイされたお菓子は皆どれも美味しそうで、これがただ単純に足を運んだだけならば、一体何を買おうかと頭を悩ませていたに違いない。
「あら、いらっしゃいませ。通用口からなんて、珍しい場所からお見えになったのね」
そう言って出迎えてくれた店主も、店内同様にファンシーで可愛らしい井出達をした可憐な少女だ。彼女はまるで何事も無かったかのように訪れた人間を出迎えると、さも当然のように本日のおススメのお菓子について説明し始める。
然し、店内を見回して気が付くだろう。あの奇妙な生物が運んできた麻袋が、確かにそこ、厨房と思わしき場所に置かれているのだ。それに対して尋ねるのであれば、彼女はやはり何事もなかったかのようにこう告げる。
「あああれ?お菓子の材料よ。とってもとっても美味しいお砂糖なの。あれから幸せな部分をいっぱいいっぱい抜き出して、飛び切りスウィートで美味しいお菓子を作るのよ。え?あれは人間じゃないかって?何を言っているの?」
彼女は無邪気に微笑む。
「そうよ。とってもとっても美味しい人間さん。子どもの方が幸せがいっぱいで、きらきらした甘い甘い夢をいっぱい見てるから、美味しく美味しくなるんだけど、大人の人のビターな感じも捨てがたいわ。大丈夫よ、お砂糖になった人間は、もう自分の事は人間じゃなくてお砂糖だって思ってるもの。痛くもないし痒くもないし苦しくもないわ。自分なんていない空っぽの存在、ただの美味しい美味しいお砂糖なのよ。ウシサンみたいな丸い生物はご存じかしら?あの子達も喜んで食べてるの。お菓子が欲しくて私の言う事を何でも聞いてくれるくらいよ。そんなに美味しくて素敵なお菓子になって、皆に美味しいって食べて貰えてしあわせでしょ?」
笑顔を崩さないまま、彼女は置いてあったステッキを手に取ると、麻袋を殴りつけ、中のものを粉々に打ち砕いた。
「はい、|お砂糖の完成《もう死んじゃった》。また美味しいお菓子を作らなくっちゃ。あら?まだ何か御用なの?お客様じゃないなら邪魔をしないでくださらない?」
可愛らしく頬を膨らませる少女。
けれどもその様相とは裏腹に、そのオーラは巨大な邪悪で染まっていた。
●砕け散った希望
ぱりん、と、命が割れた。
ぱりん、と、それはなんとも呆気なく、ほんの僅か、瞬きの間に消えてしまったのだ。
ぱらぱらと白い粉塵が舞う。最後の一瞬、最早人であったかもわからない砂糖菓子から生まれたそれは、なぜだか叫び声にも見えた。「助けて」というたった一言すら言えないまま、麻袋の中で、今、ひとつの命が失われてしまったのだ。
「——————っ!!!!!」
声にならない叫び声が、シアニ・レンツィの口から上がった。
どうして、どうして、なんで、なんで。砂糖菓子になった人間は助からない。そんなのどこかで理解していたのかもしれない。わかっていたのかもしれない。けれども、『お願いします』と寂しそうに告げたあの両親を笑顔にしたくて、また、元の幸せの形に戻って欲しくて、理解していた筈の現実を眩しく焼いて覆い尽くしてしまう程の希望が、きっと皆を助けられると錯覚してしまった。勘違いしてしまった。故に、夢を見てしまったのだ。
「お客様じゃないのなら邪魔をしないでくださらない?」
「は?」
何を、行ってるんだこいつは。
打ち砕かれた夢の欠片が目の前に転がる。最早目に見える全てが真っ赤だった。喉がカラカラでカラカラで、心まで乾いて仕方がない。目の奥が熱くて熱くて、どんなに涙を流しても、その熱は冷めてくれない。今にも叫び散らして乱暴な衝動で全てをぐちゃぐちゃにしてしまいたい。けれどもシアニがそんな衝動を抑え込めたのは、肩に添えられた香我美 鈴果の手と、頭をぽんと撫でる玖老勢 冬瑪の手のぬくもりのおかげだった。
「頭おかしいよ……なんで?なんでそんなことするの!?」
「全くだわ……理解出来ん……したくもねぇ!!」
歯を、食いしばる。そうでもしなければ、胸に渦巻いたどす黒い感情が衝動となって溢れてしまう。それはシアニだけじゃない。血が滲みそうなぐらいに卒塔婆を握り締めた鈴果も、大きく目を見開いたまま怒りを露にする冬瑪も。そして、静かに、けれども目の前にある吐き気を催す程の邪悪に深い怒りを覚えているベティ・スチュアートと久世 八雲、そして、御茶菓子・如何もだ。皆、この目の前で起こった所業の邪知暴虐さに、冷静ではいられない。いられるはずがない。
「なんて非道なことを……」
「私たち手遅れだったのね」
嘆きの言葉を如何が、感情の無い声をベティが零す。
二人共表情に影を滲ませ、けれども見開かれたその目には、確かな怒りが湛えられている。彼女達の隣では久世も、面の下で同じような表情を浮かべていた。
「苦痛も恐怖もない死……それだけなら使いようでは素晴らしいな!医学の発展には貢献しそうだね!」
「ちょっとあなた、今私、冗談を聞く気分じゃ、」
「然して、小生の良識とて許し難い……目の前にいるのは、まさに街に蔓延る原病体。しあわせのお菓子だと?寝言は寝てからほざくがいい」
「全くもってその通りです……こんなことの為に、お菓子を利用しないで下さい!」
スラリと、三日月のような弧を描いて久世の刀が抜かれる。
地下水道の戦闘から、アクセプター・イロハのままの井出達である如何は、そのスーツの性能を更に解放せんと光を放つ。冬瑪も、更なる鬼をその身に下ろさんと神楽鈴を静かに鳴らす。
然しながら、目の前の可憐な店主にはそんな6人の様相にはまるで気が付かない。意に介していないとも言っていい。一刻も早くお菓子を作りたくて作りたくて仕方ないのに、なかなかその場を立ち去ろうとしないはた迷惑な|材料共《クレーマー様》を前に、ますます頬を膨らませるだけだ。
「もう、どうして帰って下さらないの?! あ、もしかして、あなた達もパティシエさんになりたいのかしら。そうよね、パティシエさんになったら、こんなに美味しい美味しいお菓子が毎日食べ放題なんですもの。とっても魅力的で素敵、」
「ふざけないでよ! こんなお店のパティシエさんなんて絶対御免!お客様にだって頼まれてもならないよ!お菓子っていうのは甘くて幸せにしてくれるもの!」
「そうよ。ここのお菓子を食べた家族も子供も魔物も、みーんな美味しい美味しいってしあわせになってくれたわ。なにも違わないじゃない。おかしな人ね、あなた」
「そんな作り方をしたモノはお菓子なんかじゃないよ!」
鈴果の脳裏に蘇る、街で出会った寂しそうな|少年《ゴースト》。
最後の言葉を告げた直後、いや、出会ってからずっとずっと彼は泣きそうな顔で笑っていた。あの子はもう、こちらには帰って来られないのだろう。最愛の家族と突然引き剝がされて、そのまま永遠のお別れをしなければならなくなったあの子の、幸せだった日々と輝かしい未来を奪われた子ども達の、その気持ちがお前なんかにわかるもんか!!
「絶対に許さないんだから!」
「ええ、許すつもりなんて毛頭にないの。ごめんなさい、あなたを生かしておくわけにはいかないわ」
「ああそうとも。可憐なお嬢さん、貴方のその無垢な邪悪は我々と相容れない害悪そのものだ」
「その通りです。どれだけ見てくれが可愛らしくても、中身は吐き気を催す毒物でしかない」
「おうよ、人としての在り方、終わり方を歪めた者に慈悲はない……鬼さまや、この痴れ者の頭、カチ割らねば」
「悪い奴は……びたーんだよ!」
全員が一斉に武器を構え、臨戦態勢を取る。
皆の心は一つ。目の前のこの最悪の災厄を、打ち払う事。
彼らの強い思いが凄まじいプレッシャーとなり、可憐な店主に襲い掛かる。けれども彼女はやはり意に介していない様子で、可愛らしく小首を傾げると、きょとりと丸めた目を二度三度と瞬かせ、そして、次の瞬間ににやり、と、細く不気味な三日月のように口元を歪めた。
「なんだかよくわからないけれどもわかったわ。あなたたち、私の事が嫌いなのね。だから私の邪魔をするのでしょう?そうでしょう?それなら仕方ないわ。ええ、とっても仕方ない。とびきり美味しそうな材料が6つも駄目になってしまうのは勿体ないけれど、これはい方のない事……不良品は廃棄よっ!」
それは、人ならざる者の瞳の輝き。人ならざる者の気配。
口元を歪めたままの可憐な少女は、その体に不釣り合いな邪悪で圧倒的な圧力を身に纏いながら、魔法少女のように杖を構えた。
●激闘!悪夢のスウィーツショップ!
——————行くぞ!
その最初の号令は誰だったか。
然して声の主を確かめる間もなく、全員が一斉に地を駆ける。
その刃が真っ先に店主の首に届いたのは久世だった。怒りを込めた霊剣の一撃は、目のも止まらぬスピードで獲物へと到達し、首と体を別たんと横一文字に薙ぎ払われる。
が、
「あら、とっても情熱的なお方なのね。けれどもレディをお誘いするのなら、もっと紳士的なアプローチをお願いしたいわ」
それを杖で難なく受け止めながら、可憐な店主は可憐な笑みを浮かべた。
ニヒルな笑みを浮かべたまま、久世が舌を打ち鳴らす。
「腐っても諸悪の根源というわけか……!」
「いやだわ、腐ってるだなんて。そんな美味しくなさそうな言葉は慎んでくださいませんこと?」
ぷくりと店主が頬を膨らませる。
刹那、どこからともなくソフトクリームミサイルが現れ、集中砲火のように久世を襲う。一見するとふざけた衝撃成れど、その威力は侮れない。瞬く間に手指を、体全体を凍えるような寒さが襲い、衝突と同時に爆発する衝撃によって、久世の体が大きくよろめいた。
「ぐっ?!」
「美味しいソフトクリームでしょう?」
容赦なく振り下ろされる杖の一撃。
けれども何とか霊剣を振り上げ、久世はそれを受け止める。がきんと鈍い音がした。その音が鳴り響くと同時に、飛び出したのは如何と鈴果だ。
上から鈴果が卒塔婆を思いっきり振り下ろさんと声を上げ、如何が横から鋭い蹴りを放つ。遅れてはなるまいと、シアニもその足を空色の竜へと変え、渾身の一撃を繰り出した。
「まあまあお元気な|材料共《クレーマー様》ですこと」
その可憐できゃしゃな体の何処にそんな力があるのだろうか。
渾身の力を込めて久世を思いっきり弾き飛ばすと、三人の攻撃を紙一重で交わす。次の瞬間、店主の杖が大地を付いた。途端に軟化する地面、それはまるで、スプーンで突いたゼリーのようになってぐらぐらと揺れる。
「うわっ?!っととととと!!」
「お墓のアイテムなんて斬新ね。あなたはハロウィンのお菓子にしてあげましょう。髪の毛も南瓜色だし丁度いいわっ」
「こんのっ!」
横に薙ぐように繰り出される卒塔婆。
けれどもその悔し紛れの一撃は華麗に交わされる。飛び上がった店主を追撃するのは如何とシアニだ。
「砂糖なんか普通にお店で買えばいいじゃん!あたし達やあなたと違って、普通の人は一度死んじゃったらそれでおしまいなんだよ!」
「?そんなことわかってるわ。だからこそ、幸せな死に方をさせてあげたのよ。言ったじゃない。最後に美味しい美味しいって、皆に喜んで食べてもらえるなんて、とっても幸せでしょう?!」
「そんな幸せ間違ってます!お菓子は餌付けの為でも、あなたの自己満足の為でもありません!嬉しいとき、幸せなときに食べるご褒美なのです!!」
「ええその通りよ?自己満足?違うわ、見てごらんなさいよ、皆私のお菓子が大好きで、美味しい美味しいってしあわせに食べてるのよ。あなたと私の言っている事、一体何が違うというの?まったくおかしな人達ね」
「「っ?!!」」
店主が頬を膨らませる。発射されるソフトクリームミサイルを至近距離で受けた二人は、そのまま地面に着地する他ない。狙い澄ましたかのように降り注ぐのは、至高のシュークリームボムだ。
「難しい事なんて全て忘れて、お菓子をお食べなさい?そのお菓子は飛び切りのお菓子なの。食べたら全てを忘れてしまう、不思議な不思議なお菓子よ。勿論とっても美味しいの」
おまけにもう一度。笑顔の店主はシュークリームの雨を降らす。
降り注ぐシュークリームの雨の中、それを華麗に交わして舞を舞う少年の姿がある。てーほへてほへ、と、聞き馴染みのない掛け声を零しながら、その身に鬼を、神を宿さんと冬瑪が舞う。
「……天照らす 御神のごとく 我が心 くもりなければ 神や守らん……!!」
【|善鬼神招来・榊鬼《サカキオニ》】
「あらあら変わったダンスね。ご一緒してもよろしいかしら?どんなステップを踏めばいいのかしら?」
「痴れ者が。あの世で一人舞うがいい!」
神と共に下ろされたるは光の鉞。その鋭い一撃が、店主の頬を掠める。「あら痛いわね」と呟きながら、店主は小さく唇を尖らせた。言葉とは裏腹に、傷を気にする様子も見られない。恐怖は元より、この店主には正気がない。狂気に満ちた瞳で可憐な笑みを浮かべながら、容赦なく振りかぶられる杖の連撃。鉞を振りかぶるも尚、受け止めきれないそれを、横から卒塔婆が受け止める。
「魔法タイプの癖に、肉弾戦強いとか反則なんだよー!!」
「魔法タイプ?私はお菓子の魔法使いって事?嬉しいわ。そうよ、そうよ、私のお菓子は世界をしあわせにする魔法が込められているんですもの!!」
「黙れ!己が欲望に目が眩んだ痴れ者めが!!!」
「きゃっ?!」
鉞と卒塔婆のコンビネーション攻撃が、一瞬、店主を弾き飛ばす。そこを狙い澄ましたかのように一撃を叩き込みに来たのはシアニだった。
「しあわせしあわせってうるさいよ!いいからお菓子になったみんなを元に戻してよ!」
「あらいいわよ?」
「え?」
思っても見なかった言葉に、シアニが目を丸めた。
本当に?と、呟いた彼女に、店主はあの可憐な笑顔で「ええ!」と肯定する。
「本当に戻して欲しいのなら、喜んで戻してあげるわ」
「ほ、本当、に?」
「ええ!だって私、人の幸せそうなお顔が大好きなんだもの!!」
店主がそう言って指を鳴らす。直後、目の前に広がったのは地獄だった。
滴る血液、飛び散る臓物と人の欠片。可愛らしくディスプレイされたお菓子が、まるで人肉の販売所のようになっている。バラバラにされた手足が棚に並び、キャンディの棒には色とりどりの目玉。焼き菓子には千切れた耳が、唇が、可愛らしくラッピングされて並んでいる。ごろり、と、何かがシアニの足元に転がって来た。それは、少年の頭だった。すっかりと虚空だけになったその目が、シアニを見つめ、悲痛な声でこう叫ぶ。
——————どうして、助けてくれなかったの?
「いやああああああああああああああああああ!!!!!!」
絶叫するシアニの口に、甘い甘い塊が飛び込んでくる。
とろりととける生クリーム、濃厚なカスタードクリーム。さくしゅわ感覚で溶けていく皮は、甘くて美味しくってしあわせで。思わず飲み込んでしまった。その瞬間、なんだかもう何もかもどうでも良くなりそうだった。事件なんてどうでもいい、自分が自分であることも、どうでも、どう、でも、いい……?
目を見開くシアニに、店主がそっと囁いてくる。甘い甘い声がした。脳味噌が溶けだしてしまいそうな、甘くて可愛くて優しくて、いっそ毒々しいくらいの声が。
「ねぇ、ドラゴンのお嬢さん?あなたは本当にあなたなの?あなたはだあれ?あなたは何を持ってあなたであるの?あなたの《《名前》》はもうどこにもないわ。あなたがあなたである証拠は、あなた自身が食べてしまったもの」
「っ?!! あ、あぁ……あぁ、あ……あた、あたし、あたし……!!」
がっくりとシアニが膝を付く。
頭だけは呆けたように虚空を見上げたまま、彼女はぶつぶつと「あたし、あたし、」と繰り返している。
「シアニちゃん?!どうしたの?!!」
「あ、あぁ、あ……っ!!」
「あなた!シニアさんに何をしたんですか!!」
「なにって、素敵な|幻覚《ユメ》を見せてあげただけよ?この子、言ってたじゃない?元に戻して欲しいって。もう死んじゃってるのよ?そんなの無理に決まってるじゃない、お馬鹿な人。でもね、頭ごなしに否定するのは可哀想でしょう?だからね?ちょっぴり幸せにしてあげたの。良かったわね。もうすぐあの子も|しあわせ《お砂糖》になれるわよ!」
悪びれも無くにっこりと、花の咲く笑顔を浮かべる店主。
それに烈火のごとく怒りを滲ませて飛び掛かったのは、久世、冬瑪、如何だ。彼らのッ猛攻を、まるで小馬鹿にするような綺麗な綺麗な笑顔でいなす店主。
「シアニちゃん、シアニちゃん、しっかりするんだよー?!」
「あ、あた、あたし、あたしはだ、だれ……あたし、あた、あたしは……!!」
「……悪戯に時間を掛けるのはまずいわね」
苦虫を嚙み潰したようベティが呟く。
こちらの攻撃も多少喰らってはいるのだろうが、けれども、店主の様子から見て、まだまだ余裕が有り余っているのだろう。束になってかかったところで、決定打となる攻撃力が足りないのかもしれない。
「……」
「ベティさん?」
「……鈴果さん、だっけ?あなたはシアニさんをお願い。名前を呼び続けてあげて」
「あ、は、はい……」
フーっと深い息を吐き出して、次の瞬間、ベティがバブルカーへと乗り込んだ。
軽快にクラクションを2回鳴らすと、彼女はまだ尾から顔を出して、叫ぶ。
「みんな!私に時間を頂戴!!」
「ベティさん?!なにか考えでも?!」
「ええ、大ありよ。私は、この一発にかける」
最高の一撃を繰り出してあげる。
そう告げる彼女は、どこか蠱惑的でチャーミングな笑顔を浮かべた。
——————名も無きバブルカー、フルパワーエンジン始動。
「良いだろう……!痴れ者の首、必ずや取って見せよ!」
「ええ!全力でサポートします!!」
「小生も、尽力しよう!!」
怒声のような掛け声を上げて、三人が更なる猛攻を開始する。
ひとえに、ベティの考えの為。そしてさらにもうひとえに、シアニと鈴果を守る為だ。
「踏ん張り時、ですねっ!!」
「ああ。鬼さん、俺らももっと全力だそまい!!」
「何をしようとしているかは知らないけれど、無駄よ、無駄無駄。あなた達もお砂糖になぁれっ!!」
次々と、至高のシュークリームボムが降り注ぐ。
「させんよ!」
「ああ!ひとつ残らず撃ち落としてやるさ!」
冬瑪と久世の拳銃が、素早くシュークリームを撃ち落とした。
ぶちまけられる生クリームの弾幕に紛れて、如何が会心の蹴りをお見舞いする。奇しくもそれは店主の杖によって受け止められてしまった。「手が痺れたわ」と頬を膨らませた店主が、如何の足を振り払って杖の一撃を繰り出す。がきん、と、金属同士がぶつかりあう鋭い音がした。
——————魔力供給確認。エネルギーチャージ、20%
「シアニちゃん、シアニちゃん……!!」
「しあに、しあ、に?しあにって、なに……?」
「名前だよ、シアニちゃんの名前!あなたの名前!!忘れちゃダメ、忘れないでシアニちゃん!!」
「あー!ダメダメダメでしょう?お砂糖になる前に自分を取り戻させちゃダメ―!!折角全部忘れられるのに、全部全部無駄になっちゃうじゃないの!!」
ぼんっ!と、勢いよくソフトクリームミサイルが発射される。
真っ直ぐに二人を狙うそれは、それまで以上の威力を持って二人へと襲い掛かる。
「!!」
「させっかよ!!!!」
「玖老勢さん!!!」
ばっと彼女達を守るように両手を広げ、冬瑪が立ち塞がる。
目の前で上がる甘い甘い弾幕。それと不釣り合いな炸裂音に、衝撃に、冬瑪も思わず顔を歪める。痛みはない、いや、ほとんど感じないと言った方が正しいか。ふっと短く息を吐き出した、刹那、
「あらあら、とっても丈夫なのね、あなた」
「なっ!?」
店主が杖を横に薙ぐ。どん、と、横っ腹に重い衝撃が走った。
痛みは、ほとんど、感じない。けれども衝撃自体が重すぎる。それに驚愕したように目を見開けば、刹那、体がふわりと浮き、あっという間に店舗の壁へと叩き付けられてしまった。
「がっ?!」
「玖老勢さん!」
「よそ見してていいのかしら?」
「っ!!」
立て続けに繰り出される、杖の一撃。
しまった、確実に、頭を吹き飛ばされる。鈴果に過る死のイメージ。確実に迫る死の気配。嫌にスローモーションの世界の中、「いやだ」と、そう小さく彼女が零した瞬間だった。
【Waccha! Waccha! Waccha、Waccha!】
———咲かせましょう、真冬の椿。|冬椿《ツバキハオチル》
ぱぁんと杖が蹴り飛ばされた。
新たな姿にモードチェンジした、アクセプター・イロハがそこいる。
「あなたの好きにはさせません、絶対に!」
——————魔力供給確認。エネルギーチャージ、50%
「ベティさん、調子はどうだい?!」
「もう少し、もう少しよ……!!ってあなた、なに後部座席に乗り込んでるの?!」
「いやはや、怪我の具合が悪化してね。少々安全地帯に逃げ込ませてもらったのさ」
「全くもう……っ! どうせならシアニさんを連れてくるぐらいのことしなさいよ!」
言い終えて、ベティがその手に魔力を集中する。
全力魔法で成す、最高の|エネルギーチャージ《バフ魔法》。
限界駆動されたエンジンが燃える。わざと空転させた後輪の推進力は十分だ。
あと少し、もう少し……。目の前で戦い続ける仲間たちの為にも、子の一撃は外せない、絶対に。
——————魔力供給確認。エネルギーチャージ、80%……完了!
「ここよ!!」
刹那、バブルカーのエンジンが吠えた。
音を置き去りにしたその加速は、最早光となって一直線に店主へと向かっていく。
流石にヤバいと感じたのだろうか。慌てて身を翻す彼女の足を掴んだのは、鈴果だった。
「逃がさないんだよー!!!」
「ちょっと!レディの足を掴むなんて失礼よ!!」
「ふんだっ!なにがレディよ!こんなお店は今日で廃業でーす!」
光は文字通り光の速さで迫りくる。
逃げ出そうと、鈴果の頭を杖で何度も殴りつける店主。
けれども、彼女は離さない。血塗れになっても、意識が遠退きかけても、決してその力を緩めたりはしない。
「ちょっと……っ!!きゃあああああああああああああああ!!!!!!」
直後、閃光弾が炸裂したかのような眩い光と、大きな衝撃波がその場にいた全員を襲う。
吹き荒ぶ風で店内の窓ガラスが割れた。壁が崩れ、ドアが吹き飛び、可愛らしくディスプレイされていたお菓子は、見るも無残な姿となって巻き上げられ、次々と床に叩き付けられる。遅れて、どーんと重い爆発音が鳴り響いた。
誰もが目を塞ぎ、その場にしゃがみ込む。
とても、立ってなどいられない。強すぎる衝撃で、流石の鈴果も手を放す。意識が明滅する。吹き飛ばされ、宙に浮く体。このまま、受け身も取れずに床に叩き付けられたらどうなってしまうのだろうか。ぼんやりとそんな事を考えながら、暗闇に意識を投げ出そうとした時だ。
「鈴果ちゃん!」
空色の、小さな竜が体を受け止める。
「シアニ、ちゃん……?」
「おまたせ!ありがとね……!!」
「へへへ、いいんだよー?」
にひっと歯を見せて笑いながら、鈴果は親指を天に突き上げた。
光が止む、風が止む、訪れた静寂は、災厄を受けた後の大地そのものだ。
「どう、なった……?」
「っ、わ、かりません……」
背を低くしていた冬瑪と如何が、ゆっくりと立ち上がる。店は、いや、最早店があった場所は、焼け野原に立ち一軒家のような井出達でもって、そこに存在していた。
少し離れた壁には、ベティとあのバブルカーがめり込んでいる。嫌に、静かだった。もしかしたら、全てが終わったのかもしれない、そんな考えが、誰かの頭を掠めた時だ
「今のはちょっと痛かったわ……」
ガラガラと瓦礫から出てきたのは、ぼろぼろになった衣類、傷だらけの体。
可憐な笑みはそのままに、けれども怒りを確かに湛えたその瞳が、殺意を持ってベティへと向けられる。店主の杖がどんと地面を叩いた。直後、巨大な地震がその場にいた全員を襲う。駆け出そうとした如何が、冬瑪が、シアニが、足を取られつんのめった。揺れる大地、その中で、華麗に地を駆けるのは店主その人だ。彼女の狙いは真っ直ぐにベティだった。強大な力を使った反動と地震によって、彼女は思うように動けない。
「ベティさん!!」
誰かの声がした。直後に杖が直撃する、鈍い鈍い音も。
強力な一撃。けれどもベティの表情は変わらない。
最高の一撃を繰り出してあげると告げた時のように、どこか蠱惑的でチャーミングな笑みのまま、店主の杖の一突きを、愛車で、自身の体で受け止める。ごほりと零れた血液で、唇が真っ赤なルージュを縫ったかのように赤く染まった。それでも余裕の笑みを零すベティに店主が小首を傾げる。
「あなた、何がそんなにおかしいの?」
「あら、気付いてないのね?ますますおかしいわ」
ベティの背後、車の後部ボンネットから飛び立つ影。
「チェックメイトよ|お嬢さん《お馬鹿さん》。切り札って言うのは、最後に切るから切り札って言うの。覚えておきなさい」
「え?なにをおっしゃって、」
ひゅんと、風を切る音がした。
店主が咄嗟に振り向いた先にいたのは、
「キメ台詞を取られてしまったが、まあいいさ———チェックメイトだ!お嬢さん!!」
にやりと浮かぶニヒルな笑み。久世の一閃が閃光のような残像を残して閃く。
刹那、可憐な店主の視界がぐらりと揺れた。「あら?」と甘い声を零した途端に、ごろりごろりと視界が回る。回る、回る、視界が、回る?
——————いや、違う、これは。
「え?」
一瞬の間、一寸先の闇。その時初めて、可憐な店主の顔が絶望に染まった。
どさりと後ろで大きな物音がする。けれど店主はそれを見る事は叶わない。首だけの存在と成り果てた彼女には、出来るわけがないのだ。横に倒れてしまった世界の中、視線だけを動かせば、自分を憐れむように蔑むように見下ろす6人の姿がある。
全てを、理解した。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、怖い、寒い、苦しい、なによこれ、全然幸せなんかじゃない!!!
「いやよいやよいやよいやよいやよ!!!私はお菓子を作るの!!美味しいお菓子を作るの!!いっぱい!いっぱい!いーっぱいつくるのぉぉぉぉぉ!!!!!世界中の皆をお菓子で幸せにするんだから!!!!!!私のお菓子は幸せに決まってるんだからぁぁぁぁぁ!!!!幸せがいっぱいじゃなきゃいや、こんなの、違うはこんなの違うは、こんなの、こんなのぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
最後の方は、最早怒声だった。
怨嗟と憎悪に顔を歪め、泣き喚きながら黒い炭とも塵とも付かない亡骸となって消えて行った店主に、貴方達は一体、何を思ったのだろうか——————。
●エピローグ
砂糖菓子となった人間の、その衝撃の末路と共に、可愛らしいお菓子屋の正体、身の毛もよだつその所業は、瞬く間に町中へと駆け巡った。その衝撃たるや、想像を絶する事だろう。お菓子屋を贔屓にしていた客は恐怖に震え、まともに食事を摂れなくなったり、お菓子が大好きだった子供が、お菓子を見ると嫌悪感のままにゴミ箱へと投げ捨てる始末。甘い甘い幸せを呼ぶお菓子は、噂と共に恐怖と絶望の対象となってしまったのだ。あの可憐な店主が残していった物は、決して小さくはない。特に、愛する家族を、隣人を、友人を、恋人を。失ってしまった人々の心の傷は、決して癒える事はないだろう。
そうした混乱から数日が過ぎた。漸くと落ち着きを見せた街の中、シアニは一人、重い足を引きずるようにして歩いていた。目的地は勿論、あの両親の家だ。
家が近付く。その度に、喉を解けた鉛が通過するような酷い心地に襲われる。
何を、話せばいいのだろう。なんと、言葉を掛ければいいのだろう。噂は既に届いているのかもしれない、届いていないのかもしれない。足が思い、けれども足が進む。そうして辿り着いた先の扉を叩けば、一呼吸を置いてそこが開かれた。
「はい、どなた……あら、貴方は」
「こ、こんにち、は……その、事件、の、事、直接話そうかなって、お、思って」
「……そう、そうだったの」
優しく微笑む件の母親は、この数日で随分やつれてしまったのだろう。
我が子を思って泣き叫んだのかもしれない。赤く腫れた目が、痩せた体が、言葉にならない沈痛な様をありありとこちらに伝えて来る。何を、云えばいいのだろう。言葉が詰まる、思考が止まる。「あの、えっと、」と、しどろもどろな言葉を繰り返すシアニに、母親は優しい笑みを浮かべると、そっと、彼女の体を抱き締めた。
「いいのよ、もう、全部知ってるから。ありがとね。貴方は、無事に戻ってきてくれたのね……良かった」
「っ!!」
その瞬間、シアニの抑えていた感情が決壊した。
真綿で首を絞められたみたいに、苦しくて苦しくてたまらない。
人の優しさが、あたたかさが、こんなにも苦しいなんて、初めてだ。
「あ、あのねっ! あのねっ! あたし、あたしっ!! 助け、られなくって、ごめ、ごめんなさいっ!!! あたし、あたし、信じてって、言ったのに! 結局、間に合わなかった! 誰も、誰も助けられなかった!!! 約束、約束、したのに!! お願いねって、託されたのに!!! ごめ、ごめん、ごめんなさぁぁぁいっっ!!」
一度溢れ出した言葉は、涙は、もう止まらなかった。
叫ぶように鳴き声を上げても、どんなに悔やんでも嘆いても、失われたものは何一つ帰って来ない。何も残らなかった、何も出来なかった。後悔と悔恨の念が溢れて溢れて止まない。苦しい、苦しいって、自分が苦しくてもどうしようもないのに。この人たちはもっともっと苦しいのに。それでも泣いて謝罪をすることしか出来ない自分が悔しい、自分自身に、腹が立ってしょうがない。
わんわんと泣き続けるシアニを、両親は黙って抱き締め続けてくれていた。
一方で、町の広場には大きな大きな人だかりが出来ていた。
しゃん、しゃん、しゃん、と、鈴が鳴る。普段は大きな水を元気いっぱいに吐き出す噴水は、今は冬瑪の為の水のステージと化している。吹き出た水が巨大な一本足の丸テーブルのように広がって、その上で冬瑪が舞を舞っているのだ。
戦闘の時に見せた舞とはまた違う。静かで、神聖で、そして酷く物悲しくも優しい。神楽鈴が音色を生み出す度に、小さな水飛沫がきらきらと舞を飾る。冬瑪の表情は伺えなかった。鬼の面の下で、彼が何を思って、何のために舞っているのかは誰もわからない。けれどもその優しい舞は、失われてしまった全ての命の生まれ清まりを祈っているかのようでもあった。
「……」
如何はぼんやりと、その舞を見つめている。
終わった、全てが終わったはずなのに、どうしてだか心が晴れない。
命が失われた瞬間が、瞼の裏に焼き付いて離れないからなのかもしれない。
嗚呼、あまりにも呆気ない。終わりというのは、誰にでも等しく訪れるもので、けれども決して平等には訪れないものである。自分を大切にしてくれた思い出の人々の姿が蘇る。
彼らも、あまりに突然で、あまりにも呆気なく、終わりが齎されてしまった——————。
「……」
小さく、唇を噛む。
あの時の無力さが、無念さが、鮮明な記憶となって感情を呼び起こす。
誰かが言っていた。誰かを失った時の怒りが、悲しみが強ければ強い程、その人達を大切に思う気持ちもまた強いのであると。だからこそ、湧き上がる黒い黒い感情は、愛のカタチでもあるのである、とも。
「皮肉、ですね……」
愛とはもっと、まろくもやわくもあたたかい。
しあわせと対を成すような存在であると思っていたのに。
「お姉ちゃん?」
「?」
「やっぱり、和菓子のお姉ちゃんだ!」
「ほんとだ!和菓子のお姉ちゃんだ!!」
「貴方達は……」
まんまるの瞳で見つめる先には、あの時に出逢った子供たちだ。
彼らは如何を見付けると、一目散に走り寄って来る。
「……お菓子はね、怖いけどね、でもね、お姉ちゃんのお菓子は幸せの味がするから好き」
「幸せの、味……」
「うん!僕ね、お姉ちゃんのお菓子は大好き!!」
「俺も俺も!お姉ちゃんのお菓子を食べると、たちまち元気になるんだぜ!!」
「そうそう!だからお姉ちゃん、お菓子ちょうだい!?」
「「ちょうだーいっ!!」」
無邪気に菓子をねだる彼らに、如何はやわらかな笑みを浮かべる。
胸が、いっぱいだった。そうだ、お菓子は本来、嬉しい時や幸せな時に食べるご褒美なのだ。幸せをくれる和菓子の味。それを教えたくれたのは、自分を大切にしてくれた、自分の大切な大切な|思い出の人《おじいさまとおばあさま》……。
そうか。故人を思い出すのは、なにも黒い黒い感情が渦巻いた時だけじゃない。人の優しさに触れた時、人の笑顔に出逢った時、そういう時にも、思い出せるのだ。
「ありがとうございます……」
「え?なぁに?」
「いえ、お菓子を嫌いにならないでくれて、私、とてもとても嬉しいです」
さあ、お菓子はなにがいいかしら?そうやって悪戯っぽく笑う如何に、子供たちから次々とリクエストが飛んできたのは言うまでもない。
しゃん、しゃん、しゃん、と、鈴が鳴る。
如何とは少し離れた場所で、鈴果もまた、ぼんやりと舞を見つめていた。
普段ならば、ハイテンションで感想を言うぐらいの、見事な事件解決だというのに、この晴れない気持ちは何なのだろうか。もやもやとする感情の正体を噛み砕きながら、鈴果がひとつ、息を吐き出した時だった。
「——————ん?」
視線を感じる。視線、それも、あの時と同じ感じだ。
躊躇うことなく、鈴果は力を使う———汝、未練は何たるものか。声なき声を今ここに【ゴーストトーク】
『お姉ちゃん』
あの時の少年がそこにいた。彼の後ろには、少女に老人、年若い男女や幼い子ども達。様々な人達の姿がある。ああ、と、鈴果は咄嗟に理解した。ここにいるのは、今にも姿を消しそうな彼らは、今回の事件の被害者たちだ。どこか寂しそうな笑みを浮かべて、けれども優しく微笑む彼らに、不意に、鈴果の胸がぐっと締め付けられる。
無理矢理、笑みを張り付けて、鈴果は彼らの元へと歩み寄った。
「どうしたの? 事件は終わったんだよー?」
『うん、知ってる。だからみんなでお礼を言いに来たの』
「お礼?」
『うん。お姉ちゃん、事件を解決してくれてありがとう。結局、僕たち、最後まで大事なモノ、忘れたままだけど、それでももう、僕たちの仲間が増えない事が嬉しいから』
だから、ありがとう。
少年の穏やかな声がそう告げた瞬間に、鈴果の胸には何ともやるせない思いが広がっていく。ありがとうなんて、言われる立場じゃない。結局、救えなかった。誰も、なにも。
敵を倒したとしても、そこに残ったのは決して平穏なんかじゃなかった。
「お礼なんて、いいんだよ……」
『ううん、言いたいんだ。僕たちの為に、僕たちの大事な人の為に、街を守ってくれてありがとう』
「っ、」
どうしてこんな時に、人の優しさとは、温もりとは、牙を向くのだろう。
普段は嬉しい筈のありがとう。その言葉を素直に受け取れないのは、どうしてだろう。
唇を噛み締める。目の奥が熱くて熱くて、どんなに歯を食いしばっても表面張力を超えた涙の雫は、ボロボロと溢れ出す。泣きたくなんてなかった。でも、胸の中いっぱいに広がる悔しさが、やるせなさが、どんどんと涙を押し出すせいで止まらない。
『お姉ちゃん——————』
「な、に……?」
『ありがとう。もう、誰も、悲しまないね』
「う、んっ!うんっ!!」
でもね、私はね、君の名前すら、見つけてあげる事が出来なかったんだよ……。
ごめんね、ごめんね、ごめんね……!! 君の事、事件の事、私絶対忘れないから!
事件を解決できて嬉しい筈なのに、一件落着―って笑顔でいられるはずだったのに。どうして、どうしてこんなにも苦しいんだよー!!!
涙を流す鈴果に、少年は、少年たちは困ったように笑いながら、それでも優しい目をして消えて行った。ありがとう——————。その言葉が、しゃんしゃんと鳴り響く鎮魂の鈴の音に溶けて、消えて行った。
「さて、舞がひと段落したら、〆のラーメンと行こうか」
「……あなたは相変わらずなのね」
「フッ、小生とて心は痛んでいるよ。だがね、小生は腐っても医者だ。患者のケアをする為にも、自分が参っている暇は無い。これはもう、職業病かも知れないな、厄介な事だ」
「ふぅん、そう……いいんじゃない?誰も彼もが泣いてばかりじゃいけないものね。ちょっと見直したわ」
「ハハハッ!そうかいそうかい!それは最高の誉め言葉だよ!だが、小生に惚れるとお熱い火傷をするので注意したまえ?」
「……前言、撤回してよろしいかしら?」
やれやれと苦笑交じりに溜息を吐き出すベティの横で、久世は静かに笑みを零す。
しゃんしゃんと鈴の音がする。しゃんしゃんと声無き存在に語り掛けるように鈴が鳴る。
夕暮れがゆっくりと近付いて、悲しみに暮れる街を静かに包み込む。いつの日か、悲しみを胸に立ち上がれる日が来ますように。失った幸せを埋めるしあわせと出会えますように。そんな祈りと願いを込めて。しゃん、しゃん、と、鈴が鳴る。鈴が鳴る。鈴が鳴る——————。
斯くして、砂糖人間失踪事件は幕を下ろす。
この事件を経て、貴方達の心には、一体何が残ったのだろうか。
どうか、これが貴方の今後の物語に繋がりますように。
これにて、シナリオ終了となります。
お付き合いくださり誠にありがとうございます、お疲れ様でした!!