⑮ラストダンスは貴方の手を取り
●おどって
つま先は優雅だ。
女の手を取り、腰を取り、踊る踊る人間災厄。口ずさむ歌は哀歌である。どこか虚ろで悲しい歌声、そのようなものしか歌えないのなら首を刎ねろと言われても仕方がないと納得できてしまう、ような。
此度の戦は大規模だ、とんでもなく。それに混ざって侵入した√EDEN、インビジブルの楽園。好きに喰らって遊んでいたけど、それにも終わりの時が来た。
歌姫は、死んだ。泡となって……風の精霊となったのだろうか。
かわいそうな歌姫に一曲捧げながら、考える。語りかける。
ねえ、エウリュディケ。どうやら喧しいのも、もう少しで終幕らしい。煩くなくなるのは良いけど……。
彼女への哀歌を、もっと、口ずさんでもいいかな。
――突き刺さる縊匣の欠片。片目を押さえ、目を細めるそれ。人間災厄『オルフェウス』、自らの黒髪を食む。
受け入れよう、|縊匣《くびりばこ》。
お伽話の続きを、わたしが語ろう……。
●おとどけもの。
「厄介事の『お届け』だ! 大変なことになったぞぅ!」
こんなの予知できるわけがないよ!! ホログラムで示される資料には、標的の位置と情報が示されている。
「神田郵便局にて。標的、人間災厄『オルフェウス』……だけど、あいつは縊匣を受け入れた。自ら望んで、だ。悲劇的な最期を好む災厄としてはお似合いだけど、そうは言ってられない。放っておけば電子の泡と共に、竪琴の音色を響かせ続ける――人々を発狂させる音を」
静かに目を細めたオーガスト・ヘリオドール(環状蒸気機構技師・h07230)は、「それで」と話を続ける。
「対話はできる。人魚姫に深く……勝手に、共感してるみたい。話を聞かせてやるといい。王子様側か? 人魚姫側か? あれにはどっちの目線でも良いようだね。まず性別わかんないから。……退散させるか、撃退するかは任せるけど……」
正直、趣味がいい相手ではないのだ。今までの所業を考えれば……それでも、『処分』しなくてはならない。
「……行っておいで。俺もやれるだけのことをやってくる。お互い、健闘を祈るよ!」
コートを羽織りその場を後にする星詠み。ああ、そうだ。もう、ひどく凍える冬が来ている。
第1章 ボス戦 『人間災厄『オルフェウス』』
セイレーンが上空を飛び交っている。電子の泡と戯れるようにして、きゃあきゃあと騒いでいる。
――竪琴を奏で続けるオルフェウス、その|左瞳《ひだりめ》の奥に見えるのはきらりと、かけら。
「無粋な真似はしないよ」
爪弾く音色、今はエウリュディケではなく、人魚姫のために。|彼《彼女》は|EDEN《√能力者》へと語りかけてくる。
「たとえば、きみたちの|たいせつなひと《Anker》にひどいことを命じる、だとか。」
それは『冥府下り』の話だ。『自死』へ誘うエウリュディケによって、Ankerへの自殺を命じること。
当然、嫌なことをされたら抵抗はするけどね。憂鬱で甘い声色が電子の泡と共にはじけていく。
「いつもは語る側だ……今日くらい。君たちの話を、聞いてあげる」
上から目線とはいえ――今の|彼女《彼》は、信用してもいい。
「聞かせて。君たち。王子様かな、人魚姫かな。……この|縊匣《くびりばこ》が、満足するまで……」
わたしはここで、君たちの話を聞こう。
さあ、囁いてみるといい。わたしの気に入る演技で。すてきな話を。
この左眼から|縊匣《くびりばこ》の欠片を、落涙させてみせて。
君のことをおしえて。
輝くマンタが|羽ばたいている《・・・・・・・》。空からふわりと降りてきたそれは、グリマリング・イエロー(夜白・青のAnkerのインビジブル・h03419)。ふわり、ふわりと羽ばたいて、電子の泡を夜白・青(語り騙りの社神・h01020)から遠ざけていく……。
くるりくるり、青の周囲を回遊するグリマリング・イエローを見て、オルフェウスはほうと目を細めた。
「綺麗だね。おともだち?」
青は笑うだけだ。正体不明のインビジブルはくるくる、優雅に、泳ぎ続けている。
「さて、人魚姫のおはなしだったねい」
原典、翻訳、柔らかくしたもの、結末や流れが大きく改変されたアニメ映画……だがオルフェウスに似合うのは当然、原典たる話だろう。
「6人のお姫様、その一番下が人魚姫。船が沈みそうになれば、お姫様たちと一緒に、海の底は怖くない……と歌う姫君たち」
海に住む彼女たちにとって、海底はよいところなのだ。自分たちが生まれたところ。溺れて死んで、水底へ沈んだとしても……それはそれ。
人間と人魚の感性は異なっていた。
「わたしと君たちのように?」
「かもねい」
柔らかい、女性的な声で、撫でるように。オルフェウスは――あらすじを知っていながら、青の話を聞いていた。同じ『ものがたり』を語るものとして、その言葉に興味があった。輝くマンタは相変わらずの様子で、泡を払って泳ぐ。
「初めて見た海の上の世界。ひとめぼれをした王子様と、荒れた海に翻弄される船を見て面白がっていたら、そこから王子が落ちてしまった。それを欲しがった人魚姫、だけど……」
「人間は海の中では生きられないから、助けてあげたんだ。ひどく一方的な恋心。そこからはストーカーだよ」
笑うオルフェウス。青は少し難しい顔をする。事実、人魚姫の片思いは少しばかり行き過ぎていた。大切な人にもう一度会うため、とはいえ……。
「そうして恋に狂って、魔女と契約したんだ」
「正確には、魔法使いだねい」
彼女は、契約を正しく履行しただけなのだから。彼女は最初から、人魚姫にあらゆることを警告していた。お前の声をもらう。足は痛む。王子に愛されなければ死ぬ。なあに、外見だけでもおまえは美しい、自信はあるか――。
「それでも彼女は陸に上がった」
「再会しても気付かれず、さながら綺麗なアクセサリー」
「出会った王子は花嫁に夢中」
もはやどちらの声だか。|縊匣《くびりばこ》が動いている。目を閉じるオルフェウス、浮かぶ汗。けれど|彼女《・・》はすぐに顔を上げる。グリマリング・イエローがふわり、くるりと、艶やかに泳いで……その周囲を回って、青のもとへと戻ってきた。
「人魚姫は、姉たちが魔法使いに髪をやってもらったナイフを、遠くに投げ捨ててしまった……」
ああ、かわいそうな人魚姫。愛した王子様を殺せずに、海に飛び込んで、朝日を浴び、泡になってきえてしまった!
……けれど。
「その泡は風の精になって……三百年もすれば、魂を得られる、とねい」
それは救いだったか、それとも。大切な人とは二度と会えない、なぜなら人間はそんなにも長くは生きないからだ。
「だからこそ、誰かを想う心の尊さも同時に強く表現されてるんじゃないかねい」
――わらうオルフェウス。
「それでも私は、エウリュディケと愛し合っていた」
人魚姫との、大きな違いさ。
「(戦いでも救助でもなく、話を求められるとは……)」
知った顔。一度、相対したことのある顔であった。あの時はどうだったか……どうにもお喋りだった印象があったが。
想定外なのは、|彼《彼女》らしいのかもしれない。クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は静かに竪琴を弾き続ける|彼《彼女》を見て思う。
編んだ魔力を魔符へと変え、霊的防護を周囲へと展開するクラウス。迫ってくる電子の泡がすり抜けてこようとした時には、無理やりレーザー射撃で消し去りながら。
「……いつか、一人で踊っておけって言われたかな?」
適当な手すりに腰を落ち着けて、オルフェウスは竪琴の演奏をやめた。根に持っているのか記憶力が良いのか、それはさておき。話を聞く姿勢だ。語ってやろう。
「俺は……どちらかといえば人魚姫じゃないかな」
「へえ、お姫様。意外かも」
声色がやや変わる。|彼女《彼》と呼ぶよりは|彼《彼女》と呼ぶ方が正しく聞こえるような、少年のような声色へ。
「自分を助けてくれる王子様を待ち続けて、巡り合って、泡になって消える」
「ナイフを刺せなかった人魚姫。原典通り」
有名な童話だ、当然彼も知っているし、先ほどこんこんと聞かされていた。目を伏せる。
「……ちょっと、羨ましいかもしれないな」
「そう? ……お姉様たちの髪の毛は根本からばっさりと。代わりに得たのはナイフ一本。それすら姫君は使わずに、泡となって消えていった。姉の気持ちになってごらんよ」
爪弾く竪琴。人魚姫が声と引き換えに脚を得たのと同様、姉らも髪を魔女にやって、魔法のナイフをもらったのだ。人魚姫はその家族愛を拒絶して、王子へのかなわぬ恋と愛をとった。けれど。
「……俺にとっての王子様は、もうこの世にいないんだけどね」
代わりに泡となったのは。彼を|殺せる《救える》存在は、彼を庇って死んでしまった。
「だから俺は、人魚姫なのに王子様の真似事をしている」
静かに……クラウスを見るオルフェウス。
「どっちにもなれない、半端者だよ」
自嘲気味に笑うクラウスに、オルフェウスは静かに返答する。
「それこそが『人間』だろう? すばらしいことじゃあないか。ねぇ?」
肩を派手にすくめてみせて、舞台で語るような言葉遣い。
「わたしも結局、|どっちつかず《・・・・・・》」
性差の薄い体と声、さて、|彼女《彼》は、本当は、どちらなのか。
「ふむぅ~お話を聞いてくれるなんて変わった敵さんだなぁ」
なんか泡を音色ではじいてくれてるし、お話はしやすそうだ。――実際のところどうか? ぱちぱち弾けているが、セイレーンがその口で啄むようにして楽しそうにしているので、数がかなり減っているだけである。
銃剣を下した笹森・マキ(人間(√汎神解剖機関)の職業暗殺者・h07640)、オルフェウスへと近づいていく。
「……どんな話を聞かせてくれるんだい?」
竪琴の音色で、泡を避けてやりながら。天然そうなその様子に少し怪訝そうだが。
王子様か人魚姫か、か。
「どちらかというと、人魚姫のほうかな……片思いしてたし」
「へぇ。恋か。素晴らしいじゃないか」
声色はやや少年らしいものだ。どうやら、聞く話によって声色をわざと変化させているらしい。
「あ~……でもね、人魚姫のお話みたいな展開にはならなかったんだ」
「……というと?」
足を組み、頬杖をついたオルフェウス。笑みは深い。もう、少し察しているのだろう。
「片思いの人……し、死んじゃったから……
――助けられなかった。この手で、最も大切なひとを。
元から叶わぬ恋であると、思っていたのだ。自分は人魚姫のように二番手で、あの人には彼女がいて……。
「片思いの人の彼女さんも泣かせちゃった……」
「死んじゃったから、どうしたの? どうして泣かせたことに君が気負う必要があったんだ?」
音が響く。竪琴の音色が、マキの周囲へと集まってくる泡を弾いていく……。
「彼女さん……マキのこと責めたりしなかったし、余計に辛かった」
……下手に責められない方が、辛い。罰を受けるべきだと思っているのに、与えられないこと。自罰的に生きるか、開き直るか、抱えるか……どれを選んでも、苦痛は離れていかない。
オルフェウスは――神話のオルフェは、自罰的に、そして同時に、死ぬまでそれを抱え込んでいった。
「あ、あはは……ごめんね……。実話だと演技とかできないし、ただの暗い話になっちゃったね」
……オルフェウスは。静かに、首を振った。
「その竪琴の音色が良すぎて、ひっぱられちゃったなぁ」
「世辞なんかいいよ。……悲劇の話は、好きなんだ」
その左目が、ぱちりと瞬く。きらり輝いた|縊匣《くびりばこ》、きっと満足げだ。
「良い演奏をありがとね」
「こちらこそ。……もう一曲、なんて贅沢は言わないよ」
「むかしむかしある所に」
唐突。始まったおはなしに、オルフェウスは思わず瞬きをした。左眼の奥できらめく|縊匣《くびりばこ》もきっと驚きだ。
ともあれ語りに合わせて爪弾く竪琴、興味が勝る。弥陀目・ウルル(世界ウルルン血風録・h07561)の語り口に合わせ、オルフェウスの竪琴の音色が電子の泡を弾けさせていく。
「故郷の海を追われた人魚の姫がおりました」
追われたんだ。初めからかなり違うなあ。爪弾く竪琴の音色をほんのり柔らかく変えるオルフェウス。
「波の間を彷徨って、漂って、とうとう陸に打ち上げられた姫を、人の王子が助けたのです」
「足は? 魔女は?」
「まあまあ」
困惑するオルフェウス、すっかりウルルの語りに呑まれている。ともあれ竪琴、奏で続ければ話も続こう。爪弾く響きは陰鬱なものから、すっと、柔らかいものへと変化していく。
「王子は……まあちょっと性格悪かったり打算的な所もあったけれど……優しく姫を介抱し、陸で暮らしていけるようにと世話を焼きました」
「そこ原典通りなんだ」
原典の王子様は実に、人魚姫に対して誠実とは言えないような言葉もかなり放っていたのだし。こちらはもう少しまともそうだ。
「そんな王子に姫はすっかりメロメロ。根性で尾を脚に変え、毎日王子のために歌を歌い、ついには己の肉を食して共に永遠を生きようと猛アタック!」
「根性でどうにかしたし歌えるんだ……」
このあたりでもう竪琴の音はコメディシーンのそれである。オルフェウスの多少の呆れ顔とともに音色とウルルの語りは続く……セイレーンたちが降りてきた。何の話だと集まって、首を鳥のように傾げ、傾げ。
「王子は呆れながら笑うばかりで、姫に応えることはありませんでした」
「そりゃね。怖いもん」
勢いが強すぎてさ。ツッコミ役と化した|彼《彼女》、もはや結構に面白がっている。人魚姫がベースでも、こんなにコメディなシーンが想像できるものか。
「やがて王子が隣国の王女を娶り、二人の間に子供が産まれても、姫は変わらず猛アタックを続けました」
「え、怖、寝取るつもり?」
「王子も変わらず、呆れながら笑っていました」
「もう完全に往なすこと覚えてる」
ツッコミもなんのその、ウルルは情緒たっぷりに語るもので。オルフェウスは圧倒されている。これを歌になんかされた日には自分はたぶん笑い転げていただろうな、なんて、吟遊詩人としての心がざわついた。
「けれどその顔は、白髪が増え、皺が増え、だんだん、老いていきました」
……一瞬、竪琴の音色が止まり。
「王子が王となった後も、姫はいつまでも、姫のままでした」
そうして、再開。風向きが変わった。詩人たるもの、その表情と声色で、この後の流れを察したのだ。
よくないことがおこる。セイレーンが、騒ぐ。
「ある時、王子の国をひどい|旱魃《かんばつ》が襲いました」
案の定。危機を告げるように早まる竪琴の音。それはまるで話の先を急かすようなリズムでもあり。
「このままではやがて、王子も、王子の家族も、民達も死んでしまうでしょう」
旱魃とはそのようなもの。水がなければ人間は生きてはいけない。食物も手に入らない、飲料水だって当然だ。人魚たちは、気にも留めないかもしれないが……王子に、恋をしていた人魚なら?
「姫は、雨を降らせる方法を知っていました」
それが「人魚」だというのなら。
「なので、姫は王子のために、その手に短剣を握らせて」
逆だ。人魚姫と。己を殺せと、王子に。最愛の人|に《を》、その手のナイフで。
「姫の心臓を突かせました」
貫くことを、選んだ。
「よいのです」
――本当に?
「これでよいのです」
――……心から?
「君が先に死んでしまうよりは、ずっとずっとよいのです」
――それが、あのひとのためになるのだと?
「君の心に傷として、誰よりも強く残れるのなら、それはそれでよいのです」
オルフェウスの竪琴、その音が止まった。左眼を押さえて唸る。縊匣が騒いでいる、暴れている、苦痛のままに吐き出す吐息は、まるで|■■《・・》のようだった。
「君はこうして、|僕《・》のために泣いてくれたから……この終わり方でよいのです」
この終わり方|が《・》よいのです。
「何より君に」
命短し人類であろう、君に。
「少しでも長く、生きて欲しかったのです」
オルフェウスが顔を上げた。――左眼から溢れるは、涙だ。それは|彼女《彼》が本当に流したそれか、縊匣が流させた涙か……。
「……こんな感じでいいの?」
様子としては、これでよさそうだが。オルフェウスの返答はない。袖で涙を拭うも、その涙が止まることはまだ、遠そうだ。
「どうだい? 満足できたかな?」
「……さてね」
左瞼を必死に拭いながらの返答である。ぼろぼろと涙を溢しながら。表情は暗く――口を開こうとした瞬間。
「――じゃあ、|『血刈術』《殺すね》」
「えぇ!?」
――唐突!! 血液から作られた大鎌がオルフェウスの脚をさらう!! 膝をつくどころか座り込むことになった|彼女《彼》、文句を言いたげにウルルを見上げる!
「放置しちゃダメなタイプでしょ」
つん。オルフェウスを日傘がつつく。つんつん。
「ああわかってるよ自分のことだ! その後くらい教えたらどうなんだ? エンドロールの後のポストクレジットだよ!」
日傘の先を掴んで押しやりながら、オルフェウスは騒ぐ。それはまるで話の続きをねだる子供のようだった。
「その後? 子も国も助かったし、二人はそれきりお別れになったけど」
「なんで!? もっと悲劇的な結末は!!」
そりゃ、そういう風になるし、なったし、仕方がないのに。ワガママだなあ人間災厄。
「どういうわけか姫は今も元気に|楽園《・・》を守護ってるよ」
思う通りにはいかないものだよね〜、人生って。
きゃあきゃあ喚くセイレーンたちがその脚でウルルを強く蹴り、あっちにいけ! とばかりにげしげし。彼女たちにとってもお望みの結末ではなかったようだが……。
「まあ人魚姫に準えただけの、ただのお伽噺さ」
……それは。
「君の話かい」
|縊匣《くびりばこ》が、きらりと。
ハーベスト。刈り取る。収穫期。きっとその年は一転、豊作で。みなが命を繋げたのだろう。
きっと、きっと……そうだ。斬り落とされた脚を見て、オルフェウスは考える。
人魚姫の足の痛みは、きっとこれ以上の痛みだったのだろう、と。
「自ら|縊匣《くびりばこ》を受け入れるか」
黄泉下りを冠する人間厄災。今は両脚をさらわれ、脚も尾も失った人魚姫か。
悪趣味だ、と言いたいところだが、普通の人間にもそうした輩は存在する。趣味が悪いが、それが『ヒト』に近い選択ならば仕方がない……。澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)は、手すりに背を預けたままで竪琴を奏でる|彼《彼女》を見る。
この失血量だ。その上、身動きも取れないようで。放っておいてもそのうち死すだろうが、このままやけくそになられて人々を発狂させられると厄介だ……。
「まあ、聞きたいのなら語ってやろう。面白い話ではないがな」
「……面白さより、内容が大切なんだよ。カタブツくん」
からかう声は、死に瀕しているそれにしては軽いものだった。
浮かび弾ける電子の泡。いちいち相手をしてはいられない。影から生まれた棺が、周囲の泡をおさめていってしまう。――大量の泡をすべて抱え込んだ結果。戦場たるそこ、葬式と呼ぶには禍々しいまでの棺の山へと変わってしまった。
「おそろしいね」
中で眠っているであろう電子の泡たち。浮かび上がってくる新たな泡もまた、おさめられてしまった。微笑うオルフェウスに対しての返答は、いらないだろう。
「当然、姫側からのことは語れない。王子側からの目線になる」
「別に姫側に共感してもいいんだよ?」
語る遼馬に声色を変え、少年のように声をつくり。オルフェウスは竪琴を手に……きゃあ、きゃぁと騒ぐセイレーンたちをその音色でおさめた。攻撃する意図はやはり無いらしい、そのまま憂鬱な楽曲を奏で始めたオルフェウス。それに洗脳や攻撃の効果は一切乗っていない。
「――哀れに思ったのかと問われれば否定しよう」
勝手に哀れむのは失礼だ。そも、望んでいるのは哀れみではなかっただろうから。
「救わねばと思ったのかと問われれば肯定しよう」
|これ《・・》とて勝手なことではあるが、救いはあったほうが良い、安寧はあったほうが良い……。
「この先、強大な敵となることは確実だ。だか、王劍に逆らったその信念は称賛すべきだ」
|異能捜査官《カミガリ》としては倒すべき怪異。EDENとしても倒すべき簒奪者。求めもしなかったものに抗った姫君。
遼馬にとっては、どう見方を変えても敵でしかない。それに対し、こう評するのは不本意極まりない。敵は敵であり、どのような事情があったとしても、立ちはだかるなならば、簒奪者であれば、殺さねばならない。
だが、嘘はつけない。つかない。
彼女が、王劍を拒んだその瞬間だけは。
「彼女の意思、彼女の愛を美しいと思ったのだ」
うつくしさには、なにものもかなわない。
美しいと思ったその瞬間、すべてが止まるのだ。心も体も。美とはそういうもの。心を打たれるとはそういうもの。
時間よ止まれ、汝はいかにも美しい。竪琴の音色は、甘く憂鬱に響いている。
「なら、彼女にとっての|王子様《終わり》になってやるのも悪くはない」
おしまいなんてそんなもの。王子は終ぞ姫君の正体を知らず。人魚姫は泡となった。おとぎばなしなんて、そんなもの……。
死の気配が濃くなる。オルフェウスとて理解している。そも、自らの命が永くはないとわかっていた。最後の最後まで聞いてやることこそ……|縊匣《くびりばこ》の意図がなくとも、|彼《彼女》ならそうしただろう。
「……それだけだ。満足したか?」
ペイルライダー、第四の騎士。最後も当然、あっさりだった。
物語はさっぱり終わる。遼馬の手刀、転がる首はどこにも行かない。レスボスに辿り着くことはない。
了。
おしまい。
めでたし、めでたし。
さて、あの人魚姫に相応しかったのは、何だったか。オルフェウスの左眼から零れ落ちた|縊匣《くびりばこ》の欠片を手に、遼馬は眼を閉じた。
