⑮黒白無常の舌
●だれでもよいといったもの、それらからしたをぬけ
宛らそれは誰かの影であった。あるいは光であった。貫き刺さる破片は|縊匣《くびりばこ》、泡の後始末の最中でも容赦はない。彼の所業のように、容赦はない。
水を流してやったことがある。水に流されてやったことがある。汚い泡が残る|溜まり《・・・》をわらったことがある。
報いというのか。これが? おもしろいことをほざいてくれちゃって……。
惨状の見学会はお決まりじゃあないか。お祭り騒ぎを見に来るのは当たり前じゃあないか。人死にはたのしいじゃあないか。沢山、山ほどであれば、ああ。
まあ、|縊匣《くびりばこ》の欠片が刺さろうとてやる事、変わりなし。殺せばいい。
この目、抉られるまで。真っ赤な目玉、血走ろうとも、血管見えねば変わりなし。
「よくやるものだよ。|縊匣《くびりばこ》。キミを御せたら、私は……」
私は? 何だ? 何を。
ああそうか『もっとうまくやれた』だ。
電子の泡はぷかぷか浮かぶ、煙草の煙より軽やかに。キミたちがいれば多少は『長く楽しめる』。
容赦は必要ない。
目を抉れ。
舌を抜け。
不幸よ廻れ。自滅せよ。自滅せよ。自滅せよ。命ず。人々が己と同じように、目を擦り、その眼球を抉り出さんとすることを望み――叶う。
――國崎静寂は、自分を哥哥と呼ぶ男のことを思い出した。舌なめずりをした唇、ああやたらと、乾く。
●おとどけもの。
「厄介事の『お届け』だ。この期に及んで暴れるやつってのは尽きないね……」
星詠み、オーガスト・ヘリオドール(環状蒸気機構技師・h07230)。髪を三つ編みに、しっかりとコートを羽織り、冬の装い。
標的。國崎静寂。人間災厄。Anker情報あり。その他――。
「電子の泡を利用して、|√能力者《EDEN》の邪魔をさせながら、……たぶん、何かを探してる」
曖昧な言葉だった。けれど、その誰かと会えずとも構わない。
暴れられるならそれでいい、殺せるならそれでいい、人死には多い方がいい。静寂とは、そのような。
「こいつは話が通じないタイプだ。対話するだけ無駄。観たとこ本気で……我を忘れてるわけじゃなく、元から正気じゃないから、忘れる我もない」
ま、たぶんだけどさ。付け足した星詠み。理解できない、相容れない、それこそが人間災厄といえば、そこまでかもしれない。
「ほっとくとどうなるか? ……目を抉り出しての自殺パーティーかな。どう? 想像できる?」
あっかんべ。舌を出して、瞼を下げて。へらりと笑った星詠みは、ふうと息を吐いた。
「……寒いから気をつけてね。ああ、香辛料のたーっぷり入ったスープとか、飲みたいな」
ちょっと獣臭いやつがいい。
第1章 ボス戦 『國崎静寂』
吐息はまだ白くはない。
代わり、吐き出す煙は赤黒く、紫煙は立ち昇る。
容赦のないありさまで。ひとびとの思考をじわりじわりと蝕むのだ。目を掻きむしれ。
おまえの目玉の中に何があるのか確かめよ。私の目のように、かけらひとつでも、入っていれば幸いだ。何度だって確認するといい、眼窩をほじくるといい……。
そのうち空にアルゲニブが登る。ペガスス座の輝きが見える頃には、阿鼻叫喚の図となることだろう。
煙管をふかす青年は――。
「お早い到着だね、キミたち」
電子の泡の中、|縊匣《くびりばこ》の輝きを右目に宿し、|EDEN《√能力者》を見る。
悪趣味だ。
不幸も自死も、|俺は《・・》見たくない。否、誰もが見たくはない光景のはずだろう。その常識を、倫理を超える人々がいるとしても。眼の前にいる男が、そのようなものを求めてやまない存在だとしても。
ひとはみんな幸せであるべきだ。どれだけ生活や生きてきた、辿ってきた道に差があろうと、幸せであるべきだ。
「(……なんて理屈、通用する訳もないな)」
クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)はしきりに目を擦る國崎静寂を前にして、思考する。
「お客様だ、歓迎しないといけない」
構えた槍。紫煙のように揺らめいて、手の中に収まったそれ。やたらと攻撃的に迫る電子の泡をファミリアセントリーとレイン砲台の射撃が牽制する。
真っ向から踏み込んでくるクラウスへと、静寂は薄らと笑みを浮かべてみせる。
「誰かが不幸になってしまう前に、急いで来たんだよ」
「もう。不幸になっていたとしても?」
辿り着く前に、既に√能力を発動していたとしても? 暗に示された可能性、それに眉をひそめ……クラウスの魔力兵装が光を帯びる。盈月。足元を掬おうとした槍を蹴りつけ、放たれた鎖をフェイントにて避け、真横から襲い来る――煙で形作られた棺桶の一撃を魔力の盾でなんとか受け切断し、その度に刃を振るう――!
「いいね、生き急いでる。そこまでして守りたいものがあるのかい?」
急いてしまうのは。自分自身も、|それ《自死》に惹かれてしまいそうだから。
打撲し痺れる腕を無視し、その痛みで理性を、自身の存在を見つめ直す。自我を保ち――これ以降の不幸を防ぐ。そのことだけを考えて。泡の除去をある程度終えたレイン砲台が、レーザーにて――静寂の目を、狙い撃つ!
「……ッづ、!」
僅か上げた悲鳴、ぎらりと反射したのはきっと|縊匣《くびりばこ》の欠片だ。除去しきることは出来なかったようだが、相応にダメージは与えられた。右目を押さえながらも繰り出される槍の一撃、その間合いから離れ、追ってくる煙状の鎖を往なし、クラウスは真っ直ぐと静寂を見る。
……躊躇しなくていい相手なのは幸いだ。この場において、彼は絶対悪である。許さずともいい存在だ。その彼がもし、少しでも、躊躇いを見せていたのなら。
もしかすれば、自分は。なんて。ありもしない想像をしながら、クラウスは魔力兵装を構え直した。
「あらあら静寂様、こんなにおいたをしちゃって……」
よく知った顔が、しきりに目を気にして擦っている。リチャード・マスクスフェル(黒薔薇・h06496)は呆れたような、それでいて親しみを込めた声色で静寂へと話しかけた。
「ヒソカさんに怒られちゃいますよ?」
「今更なことじゃないか。彼はわかってはくれないよ」
己がAnker。簒奪者としての、この力の源。愛おしく、けれど相容れない存在――紫煙をふうと吹き出して、静寂は笑う。その眼の奥に、|縊匣《くびりばこ》の輝きを宿して。
……彼はきっと「とんだ身内の恥だよォ」などと言って、彼と同じように紫煙をくゆらせていることだろう。肘をつき、スパイスの香りを纏って。
「助けて貰っていろいろ教えてもらったご恩は忘れておりませんが」
一から十とまではいかないが、八より少し程度は教えてもらった。それ以上の数字は教わらなかったか、矯正されたか。
ばち、ばちとリチャードの周囲で爆ぜる電子の泡。自らを攻撃してこようとするそれを機械式斧で叩き割る。話をするにも邪魔くさく、放っておけばどうなるか。
「これはこれ、それはそれです」
……リチャードは一人で勝てるとは思っていない。二人でも難しい。簒奪者とはそのようなもの。邪悪なるインビジブルをその身に溜め込んだ彼に……惨劇を引き起こし続けてきた彼に、どこまで食い下がれるか。この泡をどれだけ排除し、皆を先に進ませることができるか。
容赦なく迫る静寂の槍の先、それをリチャードの足払いがさらう。鎖が互いに絡み合いまさしく雁字搦めになる。斧と棺桶がぶつかり合い――斧が勝つ!
切り裂かれた先の左腕、かろうじてオサラバは堪えた。しかし一本では頼りない握力。仕方がないとばかりに、静寂は煙管の火をトン、と落とした。
あの兄弟喧嘩を覚えているか。
覚えているとも、『川』を作ってやったさ。あそこで溺れていれば、自分は八爺か范無救であったか……。黒白無常、我々は表と裏、ひとりでふたり、しかし見ている光景はあまりに違う……。
――言われてきたことを覚えているか。
覚えている。お気に入りの言葉、忘れるわけがあるものか。可愛い、可愛い、あの子の言葉だ。
『哥哥が俺に教えてくれたことのお返しだよォ』
縊匣がわらっている、己が記憶を掘り起こして、『彼』をまねして笑っている……。爪を立てればぎらり、隙間から破片が、覗く。
『プレゼントはまだ早いから、お預けだねェ』
ああ、まともに戦う理由が出来た。
「おはなしは必要ないね」
それは端的な敵対宣言。
「お前は僕の敵だ」
√EDENを、この空を穢すものだ。
那弥陀目・ウルル(世界ウルルン血風録・h07561)、かつんと日傘を床のブロックへと突く。睨み合う両者、はじめに言葉を発したのは静寂だった。
「元からそうさ。|√能力者《EDEN》。誰と敵対しようとも、私は困りはしないんだよ」
たとえば、肉親と敵対しても。その柔らかな笑みすら腹が立つ。やわらかな笑みを湛えているようにみえて、互いに敵意をむき出しにしている――。
向かう先、歩む先。弾ける泡はオーラの壁に阻まれ消える。構えた紫煙の槍を持って、静寂はこちらへ近づいて来るウルルを睨んだ。
間合いに入った――! 槍の切先と日傘の切先が絡み合う。掬い上げるかのように狙いを外された刃、ならばとぎらり左目が輝き――昏き光が放たれるも――!!
「はい、プレゼント」
――即座に。打ち込まれたのは、血癒術であった。小さな血液の針ひとつ。それだけで、静寂の身動きが止まる。唇が動かせなくなる。傷が癒えていく――!
……『命じる』前に、言葉を封じられた。苦々しい顔をしつつも、じわじわと苦痛を伴いつつも癒えていく傷に眉を顰める静寂。
「……嫌なんだよなぁ、精神作用系って」
そういう事されちゃうとさ。ウルルは言いながら、日傘を差す。秋と冬の曖昧、その空から吹くは美しい風……味わいたいそれが眩しくて、眩しくて仕方がない。
|抑えているもの《吸血鬼としての本性・加害性》が、出てきてしまう。
厄介な√能力だ。だがこの洗脳、自分自身の抵抗力すら落としてしまう。放つのが己である以上、逃れられぬ。
「知ってるよ。僕もね、得意な方なんだ」
何が得意か、って?
「こういうの」
――ずらされたサングラス。視線に込められたものは、静寂の精神に強く作用する。催眠、魅力、うつくしき青の瞳。それは、空色の。
僅か息を飲んだ彼、与えられる|命令《・・》に目を見開いた。
「……そんなに欠片が気になるなら、抉り出しちゃいなよ」
ぎらぎらしてうざったいのだろう。痛いのだろう? ならいいじゃないか、簒奪者。片目ひとつ失ったところで構わないだろう?
「キミがヒトにやらせるみたいにさ――」
破滅を見たいのだろう? ひとびとの。己の破滅はいかが?
ああ、血癒術も解いてあげよう――さて。
「――あ、ぐ、ゥ――!!」
体の拘束が解けた。瞬間左眼に突き立てる指。眼窩を抉るそれ、無色透明の水晶体と血液がどろり溢れた。必死になって探す。汗をだらだらと流しながら、何が何でも出ていってやるかと抗う欠片に指を切り裂かれながら……。
「うん」
その様子を見て、静かに頷く。気は晴れない。空はこんなに明るいのに。気は、晴れない。
「怒ってるんだよ僕、とっても」
悪い人は、お父様は「倒しなさい」っていうから。悪い人は、理由のない限りそうしなさいって言うから。
ちゃーんと倒して褒めて貰うんだ……けど、けど。
「ヒソカさんのお兄さんなんだよね?」
――見た目通り、よく似た姿だった。神賀崎・刹兎(デルタ・ケーティ・h00485)はやや困惑した様子で、|彼《静寂》を見ながら考える。
めってしちゃっていいのかなぁ? しちゃってもヒソカさんなら笑ってそうだなぁ。「哥哥がそんなので懲りると思う?」って。凝りなさそうなのもまあ事実……そんなことより……今は、お父様の言うことが大事だと、優先して考えよう!
「とりあえず、何処までできるか分かんないけどやってみよー!」
……静寂の左眼の|縊匣《くびりばこ》が暴れている、悶え苦しむ彼とは裏腹、刹兎はげんきに跳ねてみせた。
「リチャードさんから聞いてやってきたよ!」
「……随分と、話が回るのが早いな」
静寂が目を抉り続けていた指を、離す。刹兎が跳ねるようにして、|アルデバラン《レイン砲台》のレーザーにて泡を打ち抜きながら、|人影《・・》ふたりと共に静寂へと迫っていく。
泡を払う狂信者たちと共に、静寂の前に立った刹兎。見上げる青年の目の奥、どろりとした液体の中、確とひかる欠片を見た。
放たれる昏い光に怯むことはない。自死せよ、止まれ? そっか! 静寂さんはそう考えてるんだ!
無邪気、天真爛漫、かわいくありなさい! 心の底から穢れのない――あるいは穢れきっているとも言える――その精神、冒しきることはできなかった。
「正直言うと……静寂さんの考え、分からないでもないというか、なんだけど」
僕も教団のみんなといっしょに、|※※《ころ》しているし。側に控える影たちもまた、恭しく刹兎の隣に立ちながらも……静寂へびりびりとした敵意を向け続けている。――狂信を向けられる側、狂ってはいられないのだ。
「なら、その本能に従ってもよかったのに」
優しい笑顔を作る彼が、本来どれだけ邪悪なのか。それに上限値がないことだとか。どれもこれも刹兎にはそんなに関係がない興味がない、優先すべきはそう、お父様!
「でも、ダメなことはダメだって!」
それが、|√能力者《EDEN》と彼を隔てる壁であった。世界が歪む。狐火が浮かび、周囲が僅かに仄暗くなる中、静寂の目を狙い振り抜かれたのはバス停だ――!
アルデバランの攻撃が静寂へ向く。レイン、一斉砲撃――! 爆ぜる泡、狐火、カペラとネカル、ひとびとの手。槍で払われ次々往なされるも、本命はこれではない。
そして。
「おいでシャウラ!」
刹兎の広げた手を取るように降り立った|それ《・・》が、静寂の頭部を強かに打ち付けた。ぐらり歪んだ視界――。
「ねえ、静寂さん、|縊匣《くびりばこ》ちょうだい!」
無邪気な声色と共に襲い来る。貸して。かーして。ちょーだい。ちょうだい! 伸ばされる手指の数、数えてはならない。
「それは難しいかな」
槍で払おうと鎖で縛ろうと、棺桶が横殴りにしようと、刹兎に届かない。受け止める狂信者たちの手は、ただ前へ、前へ、前へ――。
ちょうだい。
「――お父様に褒めて貰うんだから!」
届いた手指が、静寂の目を貫いた。ぐ、とぬめる指先。とらえたかけらは少し鋭くて、指を傷つける。それでも……抜き去られた|縊匣《くびりばこ》。破片はきらり、空の青を受けて輝いた。
「これで、いっぱい、褒めてもらえるね!!」
刹兎が大切に抱き込んだ|キラキラ《縊匣》。――その背後で崩れるように倒れた静寂。無邪気にはしゃぐ刹兎からは見えないその場所で。
「……とどめとは、有難いね」
くしゃりと。カペラとネカルの影が落ち――何かが潰える音をもって。縊匣の破片は、『主』を失った。
きらきら。たくさん、ほめてもらおう。
