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望の眸
雲が月を隠す、ほんの僅かな時間のことだった。突然、それまで大人しく幌馬車を引いていた馬の嘶きが耳を劈く。小さな森の中に伸びる街道を整然と進んでいたキャラバン隊の列が乱れ、暗闇の中に怒号が舞った。襲撃だ、と誰かが叫ぶ。ダンジョンやモンスターといった存在が日常と隣り合うこの世界において、夜陰に乗じて荷を奪う盗賊など珍しくはない。けれど、この日はどこか違っていた。
「何だ……っ奴等、本当にモンスターなのか……!?」
キャラバン隊の誰もが感じていた違和感を誰かが口にした。ただのモンスターや盗賊にしては、あまりにも統率が取れている。盾と甲冑を以てキャラバン隊の抵抗を防ぐその一団の姿は、訓練された人間のそれと相違ない。
──騎士団。そう称しても何ら不思議ではない集団が、キャラバン隊の人間や騎獣を躊躇いなく斬り捨てていた。
「駄目だ、このままじゃ総崩れだ! 誰か|竜漿兵器《ブラッドウェポン》だけでも……!」
言い掛けた年嵩の団員の胸に、深々と刃が突き立てられる。昏く光る刃は引き抜かれることもなく、事切れた団員が地に倒れ伏すのと同時に煙のように消失してしまった。
「竜の神器と比べればおまけのようなものだが、腐っても|竜漿兵器《ブラッドウェポン》だ。せいぜい役立ってもらうことにしよう」
守る者のいなくなった荷へ向けて、何者かが歩を進める。照明も無い夜の森の中で、金糸のような髪だけがやけに煌めいていた。男は荷馬車に積まれた食糧や金品には一切目もくれず、古びた宝玉をひとつ、手に取った。
荷を捨てたキャラバン隊の生き残りが、その場から逃走しているのが視界の端に映る。男はその方角を──街道の伸びる先に見える街、アイソラの上空へ視線を滑らせ、静かに口角を上げた。
雲が晴れ、月が再び顔を出す。いつの間にか騒乱は治まっていた。そこに在るのは粉々になった幌馬車と、打ち捨てられた商材の山。そして、正体不明の騎士団の凶刃に倒れた人々の姿だけだった。
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「√ドラゴンファンタジーのとあるキャラバン隊が、モンスターの襲撃に遭ったそうで。困ったことに荷に積んでいた竜漿兵器を奪われてしまったそうなのですよ」
星詠みの鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)曰く、√ドラゴンファンタジーの地中海に面した冒険都市『アイソラ』へ、満身創痍のキャラバン隊が逃げ込んだのだという。街で手当てを受けながら、彼らは一様に「前触れなく襲われた」「竜漿兵器を奪われた」と語った。
「敵の正体は予知にて概ね把握できました。首謀者はロード・マグナスと呼ばれる|元《・》勇者のようですね。彼の狙いはキャラバン隊が所持していた竜漿兵器の強奪……だけではないようです」
話題の中心は襲われたキャラバン隊から、今回の事件の舞台ともなるアイソラへ移される。遙か昔から太陽の竜と月の竜の加護を受けているとされているかの街は、その伝承を裏付けるように豊かな環境を擁している。竜という存在が目に見えなくなった現在でも、二頭の竜を守り神として親しんでいる住人は多い。穏やかな環境を享受しているのに加え、とあるシンボルが今でも残り続けているのも理由のひとつだった。
「アイソラとそう変わらない座標に〝神殿〟と呼ばれる浮遊建築物があります。というのも、失楽園戦争前の名残りみたいなもので、元々は城砦だったようですが」
たまたまアイソラのすぐそばに存在した無人の空中城砦が、二頭の竜を祀る神殿として扱われるのにそう時間は要さなかった。セレスティアルの司祭を中心とした住人達から、二頭の竜と同等に親しまれるようになって久しい場所だ。常は雲の上に浮かんでいるが、月に一度の周期で地上からも肉眼で確認できる位置に現れるらしい。つまり、今がその時期である。
「その城砦の最奥に、とある竜漿兵器が眠っておりまして。エルフの口伝によれば太陽の竜の牙から作られた剣と、月の竜の涙を受け止めた鏡とされていますが……如何な探偵とて、真相は分かりませんね。あまりにも大昔の話すぎますので」
問題はロード・マグナス率いるモンスターの群れが、ふたつの竜漿兵器を狙って城砦へ乗り込むことが予知されているということ。アイソラの伝承で〝神器〟とまで呼ばれている竜漿兵器だが、その力は未知数だ。仮に恩恵が小さかったとしても、アイソラの人々にとっては街の歴史の象徴でもある。奪われることが、彼らにとっての益になるとは思い難い。
「そういうわけで、大掛かりな防衛戦に加勢していただきたいのです。皆様方にお願いしたいのは、城砦の入り口を固めてモンスターの大軍を迎撃すること」
その間に別動隊が城砦の奥を目指し、敵よりも先に神器を発見して防衛にあたる。おそらくロード・マグナスは神器を目の前にしない限りは姿を現さない。入り口でモンスターの数をある程度削った時点でこちらも別動隊と合流し、全戦力を以て残りの敵を殲滅する……というのが大まかな流れだ。
「出発は翌朝の未明。先に向かう方々が空中城砦までの移動方法は確立して下さっている筈です。少しだけ余裕がありますので、敵について調べるぐらいはできるかもしれませんね」
キャラバン隊が街のそばで襲われたこともあって、アイソラは警戒状態が続いている。夜間でも主要の施設は出入りできるようなので、調べ物には困らない。それこそ、襲われた当人であるキャラバン隊の生き残りを当たってみるのも良いだろう。意識を保っている者がいれば、の話だが。
えのに見送られながら出発した√能力者は、やがて空気の揺らぎと共に√の境界を越える。海が近づくにつれて、少し痛みを伴う冬の空気に潮の香りが混ざりだした。今夜は大きな月が出ている。先頃までその姿を覆っていた雲が、ゆっくりと流れてゆく様子が遠目に見えた。
──晴れゆく雲の隙間から、物言わぬ影が出でる。奇しくも月を背負うようにして現れたそれは、且つての天上界の栄華を思わせる、古い石造りの空中城砦だった。
第1章 冒険 『モンスターの正体を追え』
穏やかな波音と明るい月に反して、アイソラの街の空気はどこか張り詰めていた。街灯で道の隅まで照らされているが、通りを行き来するのは衛兵や冒険者ばかり。一般人は家に篭り、街にまで及ぶかも分からない襲撃に怯えている。街と外界を繋ぐ東門と西門は警備で固められており、近づく影があればすぐに周囲へ伝達されるよう段取りができていた。
だが、正確には襲撃を受けるのはアイソラではなく、空中で静謐に浮かぶ城砦だ。今は何者をも迎えていない古代の建築が、あと数時間もすれば戦場と化すことが予知で明らかになっている。
√能力者が石畳を辿って夜のアイソラを歩いて回れば、城砦までの移動手段は概ね確立されていた。飛行用のアイテムや、一定の高度までなら飛べる|貨物船《カーゴ》。生まれながらに翼を持つ者であればその準備すら不要だ。であれば、出発時刻までの空白は、これより対峙する敵について探るのに費やせる。
近辺に関する情報が集約する場所といえば、まずは図書館が挙げられる。閉館時刻が迫ってはいるが、神器の防衛に関わると職員へ乞えば特例として入館を認めてくれるだろう。
常に情報交換が行われている場所は衛兵の詰め所だ。それに限らず、街の警備にあたっている衛兵や、出発準備中の冒険者や√能力者も多くいる。人通りの多い場所へ向かえばそういった人物と顔を合わせやすい。
キャラバン隊の生き残りは、手当てを受けた上で現在も療養中だと聞く。アイソラの病院は〝診療所〟の域は出ない規模だが、良い設備と衛生環境が保たれた施設だ。医師を通せばキャラバン隊との面会は叶うだろうが、一度は命を落としかけた人々だ。彼らの精神状態に気を遣った上での聞き取りが必要だと思える。
勿論、ただ休むだけでも益はある。戦闘とは、体を十全な状態に整えてこそだ。それを理解している者しかいないこの空間において、休養や栄養補給に時間を充てても咎める目を向けられることは無い。
冬の海風が、髪や裾を揺らした。冴え冴えとした月光に照らされた石畳に、自身の濃い影が落ちるのを見ながら、√能力者は各々が目星をつけた先へと足を進めた。