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えっ、今年の干支って「たぬき」じゃないんですか??
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哀れなり。
暗がりの中で|獣《たぬき》がめそめそと泣いている。
それは決して悪意から生まれたものではなかった。
傷つけようとした刃でも、嘲笑おうとした呪いの言葉でもなく。
ただ、ほんの少しの勘違いと、少しばかりの期待が、互いにかみ合わなかっただけの優しい嘘の末路。
信じる事は罪ではない。
願う事も悪ではない。
然し、浮かべた夢はときに残酷な現実を突きつけて来る。
それは悲しい勘違いだったのだ。
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「なぁ、たぬきって干支に入ってへんよな?」
星詠みである一・唯一(狂酔・h00345)は甘酒を配りながら首を傾げていた。
なにを言っているんだ、と不思議がる√能力者たちを前に唯一は「あんな、」と問いかけの理由を語るしかない。
「陰気臭いダンジョンが出現したらしいんやけど、……どうやら今年の干支やて誰かに騙されたんか、唆されたんか、意気込んどった|獣《こ》がおるらしいんよ」
白い湯気越し、甘い香りの向こう側で語られる声音は苦笑混じりだ。
「そもそも十二支入りもしてへんのに、今年から新しくなるんやってーとか、入れ替わりがあるらしいよー、とか誰か適当な事言うて焚きつけたみたい」
悪気は、きっとなかったのだ。
愛好家であった誰かさんたちが自分たちの愛でる対象を干支に押し上げたい、という願いから出た言葉だったのだろう。例えば猫は干支に入らないんですか、と純粋に眼を輝かせる誰かがいるように。たぬきだって干支に入れてあげたいじゃないか、と考えたらしい。
優しい嘘だった。大好きなものを幸せな気持ちにさせてあげたかっただけ。
されど干支の席に割り込む事の出来なかった|彼等《たぬきたち》は、純粋に信じてしまったのだ。
「せっかくやから“おもてなし”をしよ思てたらしい……な? 放置しとくとあれやろ? ちょっと行って追い返し、……こほん。慰めてあげてくれへん?」
√EDENに現れた年始のダンジョン――そこには凶悪な罠も、破滅を望む魔物もなく、ただ干支になれなかった獣の静かな絶望がある。
だからこそ、まさかあんなものが待ち受けているだなんて、このとき、誰が予想できただろうか。
第1章 冒険 『足つぼダンジョン』
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靴は、入り口を踏み越えた瞬間、音もなく消え失せた。
お気に入りであろうと、長年足に馴染んだものであろうと関係ない。抗う暇も隠す余地もなく、靴は何処かへいってしまった。
一見すれば床は古びた石畳。だが一歩目でその認識は無慈悲に裏切られる。
丸く磨かれた石、適度に尖った水晶、不規則に並ぶ金属の突起。
それらは全て足裏の地図を正確に読み取り、容赦なく|現実《けんこう》を問いかけて来る。お前は健康な者か、と。
心臓、肝臓、胃、腎臓――声なき臓腑たちが、一斉に騒ぎ始めるだろう。進むほどに構造は複雑となり、緩やかな下り坂のため踏ん張れば逃げ場を失った体重が足裏により負荷をかけ、痛みは鋭さを超え、重く、深く、容赦がない。
木霊するのは叫び声。
己の呼吸と足裏と臓腑の語り合いを受け止めきれぬ、不健康者たちの断末魔。
軽く飛び越える事も出来ない。謎の重力がそれを許さない。
靴の代わりに布を巻いてもいつしか何処かへ消えてしまう布。このダンジョンにおいて足裏を守るものは全て排除される謎の仕組み。安寧など何処にも無いのだ。
足つぼを刺激されつつ、√能力者は先へ進むしか選択肢はない。
進むも戻るも地獄なのだから。
なんでこんな非情なダンジョンなのかって。
だって健康になるって聞いたから、――ダンジョンの最奥まで届く絶叫を、たぬきたちは歓喜と勘違いして少しだけ元気を取り戻しているかもしれない。