シナリオ

えっ、今年の干支って「たぬき」じゃないんですか??

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 哀れなり。
 暗がりの中で|獣《たぬき》がめそめそと泣いている。

 それは決して悪意から生まれたものではなかった。

 傷つけようとした刃でも、嘲笑おうとした呪いの言葉でもなく。
 ただ、ほんの少しの勘違いと、少しばかりの期待が、互いにかみ合わなかっただけの優しい嘘の末路。

 信じる事は罪ではない。
 願う事も悪ではない。
 然し、浮かべた夢はときに残酷な現実を突きつけて来る。

 それは悲しい勘違いだったのだ。

 



「なぁ、たぬきって干支に入ってへんよな?」

 星詠みである一・唯一(狂酔・h00345)は甘酒を配りながら首を傾げていた。
 なにを言っているんだ、と不思議がる√能力者たちを前に唯一は「あんな、」と問いかけの理由を語るしかない。

「陰気臭いダンジョンが出現したらしいんやけど、……どうやら今年の干支やて誰かに騙されたんか、唆されたんか、意気込んどった|獣《こ》がおるらしいんよ」
 白い湯気越し、甘い香りの向こう側で語られる声音は苦笑混じりだ。
「そもそも十二支入りもしてへんのに、今年から新しくなるんやってーとか、入れ替わりがあるらしいよー、とか誰か適当な事言うて焚きつけたみたい」
 悪気は、きっとなかったのだ。
 愛好家であった誰かさんたちが自分たちの愛でる対象を干支に押し上げたい、という願いから出た言葉だったのだろう。例えば猫は干支に入らないんですか、と純粋に眼を輝かせる誰かがいるように。たぬきだって干支に入れてあげたいじゃないか、と考えたらしい。

 優しい嘘だった。大好きなものを幸せな気持ちにさせてあげたかっただけ。

 されど干支の席に割り込む事の出来なかった|彼等《たぬきたち》は、純粋に信じてしまったのだ。

「せっかくやから“おもてなし”をしよ思てたらしい……な? 放置しとくとあれやろ? ちょっと行って追い返し、……こほん。慰めてあげてくれへん?」

 √EDENに現れた年始のダンジョン――そこには凶悪な罠も、破滅を望む魔物もなく、ただ干支になれなかった獣の静かな絶望がある。
 だからこそ、まさかあんなものが待ち受けているだなんて、このとき、誰が予想できただろうか。

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第1章 冒険 『足つぼダンジョン』



 靴は、入り口を踏み越えた瞬間、音もなく消え失せた。
 お気に入りであろうと、長年足に馴染んだものであろうと関係ない。抗う暇も隠す余地もなく、靴は何処かへいってしまった。

 一見すれば床は古びた石畳。だが一歩目でその認識は無慈悲に裏切られる。

 丸く磨かれた石、適度に尖った水晶、不規則に並ぶ金属の突起。
 それらは全て足裏の地図を正確に読み取り、容赦なく|現実《けんこう》を問いかけて来る。お前は健康な者か、と。
 心臓、肝臓、胃、腎臓――声なき臓腑たちが、一斉に騒ぎ始めるだろう。進むほどに構造は複雑となり、緩やかな下り坂のため踏ん張れば逃げ場を失った体重が足裏により負荷をかけ、痛みは鋭さを超え、重く、深く、容赦がない。

 木霊するのは叫び声。

 己の呼吸と足裏と臓腑の語り合いを受け止めきれぬ、不健康者たちの断末魔。

 軽く飛び越える事も出来ない。謎の重力がそれを許さない。
 靴の代わりに布を巻いてもいつしか何処かへ消えてしまう布。このダンジョンにおいて足裏を守るものは全て排除される謎の仕組み。安寧など何処にも無いのだ。

 足つぼを刺激されつつ、√能力者は先へ進むしか選択肢はない。

 進むも戻るも地獄なのだから。

 なんでこんな非情なダンジョンなのかって。

 だって健康になるって聞いたから、――ダンジョンの最奥まで届く絶叫を、たぬきたちは歓喜と勘違いして少しだけ元気を取り戻しているかもしれない。
エアリィ・ウィンディア

 ダンジョンの奥。湿った空気を震わせて届くのは、先に踏み入った者たちの悲鳴。
 すんごい情けない声量が木霊していた。

「え? なに、この悲鳴?」

 行くの止めようかな、と思うが既に遅し。
 違和感に足元を見下ろせば、エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は気付く。履いていたはずのブーツが消えていることに。なんなら布一枚もご遠慮くださいという風にニーハイさえも無く、素足が視界へ収まっていた。
 どうやらこの場所では無防備な足で進む事を強制されるらしい。

 凸凹とした感触が足裏から伝わってくる。
 これは、あれだ。
 大人たちが悶絶するやつだ。
 酒を好む人、目を酷使する人、忙しさに追われる大人たちにとって地獄の路になりえるものだと気付いてしまう。

 されどエアリィはまだ11歳。健康的に早寝するし、寝坊とは縁が薄い。多少の|冒険《夜更かし》くらいなら大目に見てもらえる程度には、健やかな生活を送っているはずである。
「……ま、いっか、いってみよーっ!」
 だからこそ一瞬「どーしよー」と立ち止まってみたが、進まない理由より、進む理由の方が彼女の中で勝つ。きっと大丈夫、そう自分に言い聞かせエアリィは一歩踏み出した。

「い、いたい、……いたいけど」

 足裏から伝わる刺激は耐えられないほどではない。痛いけど。
 小さく軽い身体は健気に進む。痛いけど。
 容赦なくツボを突いてくる構造だが、転びそうな不安定さはない。痛いけど。

 |ふつう《・・・》に歩けば危険さは感じない。

 ふつうに歩ければ、だが。

 さすがのエアリィでも、走れば痛みに耐えられそうにないので、歩幅は小さめに、そろり、そろりと慎重に進んで行く。

「そういえば、ブーツって戻ってくるのかな」

 消えたままでは困ってしまう。
 そんな現実的な不安と疑問を抱えつつ、エアリィはダンジョンの奥を目指していった。

常磐・兼成

「……なんで足つぼ?」

 ダンジョンの奥を覗き込みつつ、常磐・兼成(酒侵讃歌・h10142)は純粋な疑問を口にした。
「猫とかペガサスとかもだけど、干支に入りたがるの何でだろうね」
 干支に名を連ねたいのは獣たちの矜持か、それとも単なるノリか。アニマル的には勲章なのかもしれない。我らの年だ!的な感じの。ふと足元では野生の狸がひょっこり様子を伺っていた。ただの狸だった。無関係らしい。

 とりあえず、頑張るしかないのだろう。
 兼成は意を決して一歩踏み込んだ。

 やはり律儀に発動する靴や靴下の消失マジック。
「あっ痛」
 足裏を傷付けぬよう磨かれた丸石は、無害そうに見えて的確にツボを突いてくる。無防備な足裏をぐりぐりと刺激してくるが、なんとか凌げそうな痛みである。痛いもんは痛いのだけど。

「いやいや、ほんと痛い」

 我慢は出来る。進む事も出来る。でも痛い。
 酒場に入り浸る日々の影響は如実に表れていた。
 一夜の煌びやかな夢を愛する人間災厄も、足つぼの前には等しく無力だと思い知らされる。
 |人間災厄《じぶん》の内部がニンゲン的構造なのか興味がないわけではなかったが、こんな形で知る羽目になるとは思っていなかった。少なくとも兼成の肝臓はあまりよろしくない。足裏の雄弁さが憎い。

 先駆者たちの|絶叫《ハーモニー》がダンジョンに響き渡る。
 嗚呼、自分だけが苦しんでいるのではないと、その事実がちょっとだけ兼成の心を軽くした、かもしれない。
「何がどうしてこうなってるの」
 げっそりとした問いに答えは帰って来ない。たぬき達はなぜこんな出迎えをするのだろうか。
 皆目見当はつかないが、踏破する以外に選択肢はない。

「拷問趣味な人間なら楽しめるBGMだな」

 現実逃避めいた軽口を溜息と共に吐き出しつつ、兼成はゴールの見えない足つぼダンジョンで立ち尽くすことも出来ず、痛みに耐えながら一歩ずつ前へ進むのだった。

ジェイ・スオウ

 どなたもどうかお入りください――そんな招き声が聞こえてきそうなほど、ダンジョンの入り口は朗らかに大きく口を開けていた。その薄闇を覗きむのはジェイ・スオウ(半天妖・h00301)。
 足つぼマッサージで健康になれるらしい。
 しかも無料。
 現実はほんの少し、否、だいぶ違っていた。

「やってくれるんじゃナクてセルフナンダ?」

 猫だって干支に入れないのに、たぬきが先にその称号を手に入れるわけがない、と思うが同情はする。そう願う事は悪いことではないのだから。だからこそ慰めの意味も込めて、この奇妙な接待を受ける為ジェイはここまで足を運んだのだ。
 もやは自重トレーニングではないだろうか、と突っ込みたくなるが、ジェイに躊躇はない。

「よく食ベよく働イテ、振り回サレテ、ぐっすり寝テル、オレには不覚はナイゼ?」

 軽やかなヒールの音は続かなかった。
 代わりに、ぺたり、と素足が丸石に触れる柔らかい音。ひやりとした感覚を感じながら一歩、二歩。

 前言撤回。

「イッテエ! 思ったよりイテエ!」

 これはもう帰っていいんじゃないか。
 もしかして自分は不健康だったのか、とジェイは愕然とする。健康体だと信じていたのに。
「あ、マッテ、あ、あ、ヤバ」
 思うように進めないもどかしさ。立ち止まるのは悪手だと気付く。しかし何とか体勢を整え、一歩ずつ奥へ進んで行けば、まるでコツを掴んだかのように軽やかな足取りに変わる。
「慣れた? 慣れてきたかも?」
 歩幅は少しずつ広がり、速度もまたほんの僅かに増してゆく。
 ヤッパ健康ダロ、ヨシ、と自信を取り戻しながらジェイは悶え苦しむ他の√能力者たちを尻目に颯爽と先へ進んで行った。

「とりあえずたぬきは一発殴るってキメタ」

 でもやっぱりちょっと痛い。
 ジェイが静かに|決意《いかり》を|固《ひ》めたのを、たぬき達は知る由も無い。

矢神・霊菜
祭囃子・桜

「足つぼかぁ……」
 明らかに不穏さを醸し出す内部を覗き込みながら、矢神・霊菜(氷華・h00124)は溜息をこぼした。おもてなしをしたいという気持ちは理解できる。尊重もしたい。然し|これ《・・》はどうにも何かが違う気がする。無邪気な善意が半周廻って別の何かになっている気がする。
 だってこの先に見えるのは冒険の高揚感というより、公開処刑の罠としか思えない。

「このダンジョン|発見《よち》したのって自分が案内すれば行かずに済むって思ったからじゃないよなぁ!?」
 祭囃子・桜(百妖を宿し者・h01166)は今回の案内役であった星詠みの笑顔がやけに引っかかっていた。勿論ダンジョンを放置することは出来ないし、何かが起きる前に対処するのは大事だ。然し。決して凶悪な意図なんてないのに、何故あんなに|√能力者達《みんな》の背中を押したのだろうか――秘められた|理由《こたえ》に桜は気付いてしまった。

「そうかしら?」
 苦笑する霊菜は、まさか、と思いつつ否定も出来ないのは何故だろうか。
 だってあの子だし、と思ってしまったのはそっと呑み込む。
「絶対そうな気がする」
 確証はない。証拠もない。真意もわからない。けれど、なんかきっとそんな気がする。
 そう思えば桜の胸の奥でストンと落ちる何かがあった。

「まぁとりあえず入ってみようかしら」
 入り口で逡巡してもしょうがない、と霊菜は意を決してダンジョンの境界を踏み越えた。
 足裏を守るはずだった冒険用の靴はあっさりと消えてしまう。
「えっ、靴消えるの?」
 冗談ではない。本当に、綺麗さっぱり無くなってしまった。
 絶望の表情を隠せない霊菜の横に、桜がそっと並ぶ。|彼女《かれ》の靴も同じように消え失せ、この先ふたりとも素足を晒して歩くこととなる。

「……あ、行けるわ。霊菜、これそんなに痛くないぞ?」
「大丈夫? 本当に痛くない? ……ええい、女は度胸っ!」

 不規則に並ぶ突起は凶悪そうだが見た目ほどではなかったようだ。
 なんだ、と拍子抜けした桜の視線が、不意に止まる。

「うわぁ、霊菜すっごいぷるっぷる……」

 桜の言葉を信じて踏み出した霊菜は悶絶していた。ぷるっぷると小鹿のように震えながらもなんとか一歩、二歩、……五歩が限界だった。
「ま、祭囃子さん痛い! これすっごく痛いわ!?」
 涙を拭う余裕さえなく、霊菜はこれ以上進めなくなって立ち尽くしてしまう。
 好奇心に身を委ね、他の√世界をピクニックするかのように楽しむ冒険者といえど、霊菜の本質は普通の女性だ。どんなに美しく年を重ねようとも、健康的かと問われたら、きっと答えは曖昧に濁すくらいに普通なのだ。

「がんばれー、多分手を付いたら手のツボを押す事になるよ?」
 対して、桜は比較的軽やかな足取りで丸石の上を滑るように進んでいる。
「凄いな若い体! 若い体って凄い!」
 改造されて良かった、と思える日が来るとは思っていなかった。初めての感覚に桜の瞳は輝き、楽し気なテンションはマシマシだ。本当にすごい、若さって。やはりものを言うのは年齢なのだろうか。見た目は少女、中身は青年というチグハグさゆえに多少の痛みを感じるのは仕方ないのかもしれない。

「ほら、霊菜行くぞ!」
 明るい声をあげて桜はどんどん前に進む。
「あああ待って置いてかないでー!」
 霊菜の悲痛な叫びが響いた。
 一歩進むだけでも辛い。痛い。こんなに大変なのに、ひとり取り残されたら痛みと哀しみで崩れてしまいそうで。少しずつ距離が広がっていく桜の背中を霊菜は一生懸命追いかける。

「先に進まないとダンジョン攻略できないからな!」
「祭囃子さん、祭囃子さん、一緒に行きましょう。いえ、一緒に行ってお願いっ!」

 そりゃそうなんだけど。
 霊菜は手を伸ばして桜の腕を引っ掴んだ。これ以上離れては心が折れる。ひとりは|無理《いや》だ。
 桜とて無痛というわけではない。地味に不快な痛みを足裏が訴えている。霊菜ほどではないにしろ、純粋に足裏の凸凹は痛いという事実を抱えながら先を急ぐ。

 この試練が冒険なのか、健康促進なのか、実は意地悪なのか、――正解を知る者は、まだいない。

 とりあえず桜は誓った。
「帰りに足つぼマッサージ予約して、道具も買って帰るからな!!」
「そうしましょう!!!」
 霊菜も即座に同調した。

 あの星詠みにも同じ体験をさせてやらねば、と。



――EDENの片隅で、ぷくしゅん、と誰かがくしゃみをしていたとか、なんとか。

アーネスト・マルトラバース・シートン

「干支入れ替わり……まぁ、猫年は実はあったりしますが」
 ダンジョンへ続く道すがら、アーネスト・マルトラバース・シートン(若き狼・h00433)は思い出した。EDENではないが別の√世界では猫が誇らしげに干支の座に名を連ねていることを。他にも鼠や蛇、今年の|午《うま》などに混じり、虎や山羊、豚や水牛までもが十二支入りしているとか。似姿の動物を当てたとか、根付いた文化の違いもあるのだろう。

 然し多数万種の動物たちがおいそれと干支の入れ替わりを叶えられるはずもない。

 ともあれ。
 たぬきが可愛いのも事実。落ち込んでいるならば癒してあげたい、と善意の心でアーネストは此処までやってきたのである。

「で、これを攻略しろと?」

 存在感のある足つぼコースが待ち構えていた。
 本当に歓迎されているのだろうか、なんて考えるのは野暮かもしれない。

「まぁ、大丈夫ですね」

 わたくし、まだ若いので。
 実年齢は1歳と驚きの若さを胸に掲げ、アーネストは自信をもって一歩踏み出した。
 冒険仕様の、どんな荒れ路も踏破できそうな実用的なブーツは、やはり例に漏れず瞬く間に消え失せ、アーネストが気付くより素足が冷たい丸石を踏みしめる。

――きゃいっ!!

 反射的な悲鳴があがり、耐えきれなかったアーネストは狼の姿へ戻ってしまった。それぐらい痛かった。若さという盾にも限界があった。
「あいたた……」
 臓腑からの救難信号を的確に訴えた足裏は、今は柔らかな肉球に変わり、四肢で体重を支えればどうにか進んでいけそうだ。

 もっとも、狼の肉球にも内臓に響くツボは存在する。

 ので、刺激は勿論あるのだ。それでも人の身で感じた痛みには程遠い。
 小さな丸石が指の股を刺激して、痛気持ちいいような複雑な感覚を味わいつつ、アーネストはまっすぐたぬきの所を目指して行った。

見下・七三子

 ひょっこり。
 ダンジョンの奥、顔を覗かせたたぬきと見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)の視線が絡む。
「可愛い……!」
 あのつぶらな瞳を目撃してしまっては進むという選択肢を選ばざるを得ない。可愛いは正義だ。
「ちゃんとおもてなしを受けねばいけませんね」
 決意は固く。七三子が握った拳の向こう、たぬきは嬉しそうに奥へ引っ込んだ。

 されど。まあ。それでも。
 なんというか。

 躊躇は、する。

 足つぼ。体験したことはなくとも、痛い事だけはよく知っている。
 だから信じるしかないのだ――自らの健康を。

 七三子は潔く靴を脱ぎ、さらに靴下も脱いだ。

「よし、行きます……!」

 可愛い子からの善意は、にっこりと受け取らなければならない。
 できる限りの笑顔で誠意を添えて。

「……っ、痛!」

 予想通りというか、案の定というか。足裏を容赦なく刺激する丸石の刺激は、だいぶ痛い。
 それでも七三子は一歩ずつ前進してゆく。ほんと痛い。
 笑顔が引き攣るのを頑張って見抜かれぬように。だって痛い。
 行ける、行ける。何とか歩けるレベルだと己に言い聞かせる。
 気合を入れて、苦痛に歪みそうになる表情を必死に引き戻し、七三子は必死で足つぼコースを進んで行く。

「……あれっ?」

 ふと感じた違和感。荷物が軽い。確認すれば靴も靴下も消えていた。
 どうやらこのダンジョン、履いていようが脱いでいようが、靴という概念は許されないらしい。なんという徹底したおもてなしの精神か。
 軽くなったのは良いのだけれど。
「後で返してもらえます……よね?」
 靴といえど鉄板入りの愛用品は七三子にとって大事な武器なのだ。

 そしてもうひとつの感覚。

「体が、軽くなった気が、します?」

 足裏から全身へ巡る不思議な温もり。
 ほんの少し滲んだ涙は見逃してほしい。これは泣いているのではないのです。「ありがとう」の誠意がちょっと漏れ出しちゃっただけなんです。

 声なき言い訳を繰り返しつつ、七三子はおもてなしの効果を実感するのであった。

システィア・エレノイア

 外観は何の変哲もない、素朴なダンジョンであった。
 だからこそ、システィア・エレノイア(幻月・h10223)は大した警戒も抱かぬまま、あっさりとダンジョンの内部へ足を踏み入れてしまった。

 地獄の始まりだとも気付かずに。

「ん?」

 靴が消えた。一瞬のことだった。
 理由はわからない。
 システィアは首を傾げるが、ダンジョンだし、と片付けあまり気に留めなかった。冷たい感触が足裏から背を駆け抜けた。

――否、これは冷たさではない。

 痛みだ。

「……っ!!!」

 あらゆる臓腑の嘆きにシスティアの相貌は一瞬にして苦悶に染まり、零れそうになった悲鳴は呑み込んだ。身動ぐことも出来ず、シャツを握りしめて荒い呼吸を繰り返し、ようやく理解する。

 おもてなしって、コレか──!

 突っ込む余裕さえない。
 嫌な汗がぶわりと溢れて垂れる。

 システィアの鍛え抜かれた筋肉質な長躯が裏目に出ていた。自重が足つぼコースの突起に情け容赦なく加算され抉ってくる。だからその場で耐え凌ぐことも長くは続かない。
「くっ、」
 ならば、と。眼光鋭く前方を睨みつけ、システィアは覚悟を決めて駆け出した。

 痛い。
 痛いとも。
 めっちゃくちゃ痛い。

 然し、足を止めるわけにはいかない。

 頭が白く灼けるようだ。視界の端にキラキラ星が散る。

 ごめん、ごめんな。
 許して欲しい。
 耐えて欲しい。
 帰ったら反省して、少しは労うから。

 足裏に、臓腑に、己の躰へ懺悔を捧げるように言い訳を並べつつも、システィアが足を止めることはない。

「っ、……まさか、」

 ふと、嫌な想像が脳裏を過る。

 行きがあるなら帰りもある。
 このダンジョンの入り口はひとつしかない。
 ならば出口も、ひとつしかない。

「嘘だろ……」

 つまり、そういうことだ。

 もう一度この道を通らなければいけない、その地獄のような時間を想像して、システィアは崩れ落ちそうになるのを堪えることしか出来なかった。

コウガミ・ルカ

 痛い、
 痛いよ、

 痛すぎる。

 うわあぁぁぁああ、――

「……悲鳴、聞こえてくる……これのせい?」

 視界の届かぬダンジョンの奥から響いてくる断末魔。物騒さの欠片もない大合唱に、コウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)は首を傾げた。
 彼の足裏を凸凹と丸石が突っついている。原因はそれなのだが。
 冷たいなぁ、というのがルカの感想だ。
 ただ、|それだけ《・・・・》だった。

「あれ、靴、消えた……なんで?」
 人間が外を歩くとき、靴は必ず必要なものだと教わったのに。このダンジョンの中では要らないのだろうか。いや必要ではあるのだが。たぬきたちが明確な目的のもと、あくまで|善意《・・》で靴を奪っていることを、ルカが知るはずもなく。
 ひんやりとした石の温度にただ頭の上に大きなハテナマークを浮かべる事しか出来なかった。

「ここ、歩けばいい?」
 軽やかにな足取りである。少しだけ身体がぐらつくが、砂利道を歩いているような少しの不安定さからくるものだ。見た目こそ健康的な青年だが、ルカの中身は|災いの坩堝《人間災厄》。薬物漬けのボロボロの臓腑は、いっそ交感神経しか碌に働いていない。
 不健康どころではないのだが、然し。だからこそ。
 
 ルカは痛みを|感じない《・・・・》。

 初めての足つぼ体験は、まるで観光地の石畳を眺めている程度にしかならない。スタスタと普段と変わらぬ速度で歩いて行くルカ。その背中を痛みに喘ぐ他の√能力者たちは、|羨望《なんで》と|困惑《どうして》の眼差しで見送ることしか出来ない。

 誰かが言った。「ものすごい健康なんだな、あいつ」と。
 過剰に強化された聴覚は悲鳴に混じる|感嘆《つぶやき》も拾ってしまう。

 健康。
 健康とは、なにか。
 からだに悪いところがなく、丈夫であること。ならばルカは当てはまる。
 だが、精神的にも正常である事も含むのなら、――ほんの少し、ルカは外れてしまうかもしれない。

 だって、彼は災厄なのだ。

 痛覚が麻痺するほどツギハギになってしまった存在は、正常といえるのだろうか。

 絶え間なく響く悲鳴の中、ルカはひとり平然と奥を目指し続けていた。

「……なんだろう」

 痛覚がない、ということは、きっと、|知らない《わからない》事を増やしてしまうのだろう。

「グルル」

 今日は不思議がいっぱいだ。
 たぬきたちに招かれ軽い気持ちで訪れたダンジョンの中には、ルカにとっての謎が溢れていた。

 その答えは、果たしてこの先にあるのだろうか。

矢神・疾風

「足つぼロードか~~」

 見た目だけを信じるならば、矢神・疾風(風駆ける者・h00095)は何の問題もなさそうなのだが。まだまだ若しく、溌溂とした雰囲気に似合う鍛えられた肉体を服の下に隠しているぐらいだ。
 然し。
 三十路を超え、四捨五入すれば次なる大台に乗る歳男。
 疾風の脳裏を過る嫌な想像。声に出してないからセーフ。口に出すと現実になりそうだし、なんなら自分で自分にダメージを与えてしまいそうだった。

「……オレも漢だ!」

 ついに覚悟を決めた疾風は、足つぼコースと向き合う。

「せっかくここまで来たんだ。逃げやしないし家族のためにも格好悪い姿は見せられないぜ!!」 

 行くぞ、と気合を入れて、覚悟も飲み込み、疾風はダンジョンの境界を踏み越えた。

「……ぐっ、ああ……」

 足裏を容赦なく刺激する丸石たち。
 |弱点《ツボ》を的確に責め立てて来る。

「あれ、意外といけるな……?」

 決して強がりではない。
 痛いもんは痛いのだが。
 それでも、なんとかなりそうな範囲に収まっていたのだ。

「んぐ……この足つぼ、どこに効くんだろう」

 やっぱり肝臓だろうか。
 思い当たる節はある。多分あれだ、日本酒だ。
 呑み過ぎは身体に毒となる。適量が大事。休肝日も必要。
 そんなことは分かっている。分かっては、いる。

「いでっ」

 まるで心の中を覗き見たかのように、丸石の突起がぐりぐりと疾風を叱る。
 長生きしろ、と。この痛みを忘れるな、と。
 大事な妻と娘と、一日でも長く過ごすために。

 疾風は汗をぬぐい、ぐん、と奥を目指し突っ切ってゆく。

 ところで。
 疾風には現実的な疑問がひとつある。

 履いてきたはずのお気に入りの靴は、返してもらえるのだろうか、と。
 そうじゃないと困る。
 足つぼで健康になったお礼も言いたいし、靴のことも聞いてみようと疾風はたぬきたちの元へ急ぐことにした。

第2章 集団戦 『星の魔女ウサギ』



 容赦のない地獄の足つぼロードは、薄暗いダンジョンに差し込む光と共に終わりを告げた。若さと健康を武器に「痛気持ち良い」境地に到達した者もいれば、積み重ねてきた不摂生の代償を払うため試練に耐え続けた者もいる。短かったような、長かったような、曖昧な感覚は痛みのせい。

 目の前に広がるのは、開放的な空間だった。

 閉ざされた|空間《ダンジョン》であることを忘れさせるような明るさ。天井は青空を思わせる淡い蒼に染まり、太陽の代わりに無数の鉱石たちが星屑の如く瞬いていた。
 瑞々しい草原が広がっている。
 さらには花々が道標のように連なり、緑と青を分かつ地平線は色彩豊かに装飾されていた。遠目には沼地らしき場所もあるようだが、そこへは近付けぬよう高い草が境界線のように生えている。

 地獄を抜けたら天国でした、――なんてことはない。
 なんだろう、ここは。
 ダンジョンの中である。

 ふと木製の棚が視界に入り込むだろう。
 たぬきたちに没収された靴がそこにはあった。
 おそらくダンジョンへ入った順に綺麗に並べられている。しかもなんかちょっと綺麗になっていた。泥は落とされ、革は磨かれ、布は洗われ、擦り減った靴底も丁寧に修復され違和感は少ない。新品とはいえないが、喜ぶものは多いはずだ。

 たぬきたちのおもてなし、なんだろうな。多分これも。
 ここまで気を配り几帳面な仕事が出来るのに、どうして足つぼなんて非情な配置をしたのか。やはり解せぬ。

――ひょこり、

 ともあれ無事に返還された靴を履こうとすれば、ふわふわの何かが傍らに寄り添っていた。
 愛くるしいきょるん、とした眼差しがまっすぐに見上げて来る。

 たぬきではない。

 ウサギだ。

 足つぼで悲鳴を上げた√能力者たちの悲鳴を聞き付け、たぬきたちによるイジメかと誤解したウサギたちは、心配してダンジョンへ駆けこんだ、――のだが、真相はただの|善意《おもてなし》。
 誤解が解けたあと、ならばあの過酷な道を乗り越え辿り着くもの達を癒そうと、ウサギたちは待ち構えていたのだった。

 ふわふわもこもこの誘惑が、撫でて、と頭を差し出していた。
システィア・エレノイア

(凄く……気持ち良かったな……ありがとう……)
 綺麗な空もどきを見上げながら、悪気はなかったのであろうたぬきたちにシスティア・エレノイア(幻月・h10223)はふわりと感謝を飛ばしていた。
 平和な大地が足裏を、まるで労わるように受け止めてくれている。

――帰りのことは、今は考えるまい。

「あれ、この靴……?」
 我に返れば、棚の中に見つけた見覚えのある靴。
 磨かれ、ぴかぴかになっていた革靴は確かに自分のものだ。
「これは本当に嬉しい、ありがとう」

 痛いことをされた後に優しさに触れると凄い心に沁みるではないか。
 典型的な飴と鞭。
 もしくは、DV伴侶を信じたい|盲目《きもち》。

 ほっこりした気分を大事にしながら靴を履けば、慣れ親しんだ感触が戻る。|安心感《あんていかん》が凄い。

 そんなシスティアを見守る毛玉が一匹。
 たぬきではない。

 うさぎだ。

「こんにちは、兎さん」
 ぎゅむっと心臓を鷲掴みするような可愛さに引かれ、システィアは横へしゃがんだ。
 きゅるんとした瞳がシスティアを見上げ、そっとまるい頭が差し出される。
「撫でても、良いのか?」
 返事の代わりに耳がぺたりと垂れる。か弱い存在に恐る恐る手を伸ばせば、触れた瞬間、システィアの意識は溶けた。
「あー……」
 柔らかくて温かい。しっとり、ふわっふわ。
「幸せだ」
 手のひらから伝わる極上の癒しを堪能していると、うさぎが頭を振った。
 知らぬ間に力を入れてしまったかと慌ててシスティアが手を退けるが、うさぎはすぐに膝の上に乗ってくる。もっと、のおねだりだったようだ。小さな重みを落とさないように支えるように抱っこすると、生き物の温もりと柔らかさを堪能することが出来る。

 あの地獄の道のりを脳裏から追い出すように、システィアはふわふわを手放せず、無心で撫で続けていた。

エアリィ・ウィンディア

「いたた……」
 足つぼコースをクリアし、外のような空間へ辿り着いたエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は不思議な空もどきを仰いだ。
「無茶苦茶痛くはなかったなぁ」

 感想を述べつつ振り返るダンジョン。道すがら響いていた阿鼻叫喚、断末魔のマリアージュ。エアリィにとっては足裏よりも耳のほうが痛かった気がする。
 何人もの大人の横を通り過ぎる度、あんな風にならないように無理はしないでおこう、と強く胸に刻まれるほどに。あれはダメな未来。子供は学んでしまった。

 次への道をキョロキョロと探してみれば、棚にエアリィの靴が置いてある。ニーハイもちゃんと畳まれていた。
「あ、綺麗になってる。ありがたー」
 この場にいないたぬきたちへ礼を向けると、その先には違う毛玉の姿。
「…うさぎさん? え、うさぎさん?」
 エアリィの足元にふわふわの輪郭がすり寄ってきた。たぬきかと思えばうさぎだった。

「え、もふもふさせてくれるの?」
 ちょうどいい石のうえに腰かけ、差し出された頭を遠慮なく撫でてみる。
「かわいいーっ!」
 雲の縁をなぞる様にやわらかく沈み、掌の下には温かいふわふわが春の綿毛のようにエアリィの手を擽っている。
「ふわっふわー♪」
 まるで永遠に沈むかと思う程の毛並みはいつまでも撫で続けてしまう。

「抱きしめたいけどいいかな?」
 そっと両腕を差し出しながら問えば、ぴょい、とうさぎのほうからエアリィの膝の上に寄ってくる。
 温かい命の重み。
 ふわふわの塊。
「もふもふやわらかーいっ!」
 羽毛布団のような軽やかさに、熱の密度。小動物の温もりは癒しのダブルパンチであった。

「頑張って抜けて来たかいがあったよー♪」
 
 エアリィの腕の中でうさぎは大人しく、しかし気紛れに耳をぴんと揺らし、鼻先を擽る。
 ふわふわ、もふもふ。
 御褒美時間を堪能するエアリィであった。

見下・七三子

 疲労が色濃い見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)がダンジョンの暗がりから顔を覗かせた。
「やっと、終わりました……!」
 安心すると一気に痛みがにじみ出る。然し。どこでたぬきたちが見ているかわからない。悲しませないために、七三子はぐっとこらえた。

「あ、靴」
 顔を上げれば景色に不釣り合いな棚の中、大事な|武器《くつ》を発見。
「わあ、すごい、ぴかぴかになってる……」
 細かい傷は消えてはいない。それでも艶やかになった革靴のほつれや削れ、凹みは整えられ、丁寧な補修がされたとわかる。ずしりという重さ。慣れている自分でさえ重いと思うのだ。多分きっとたぬきさんにも重かっただろう。
 小さく「ごめんなさい」と感謝と申し訳なさの混じる言葉が落ちた。

 僅かな気配の揺れ。警戒モードに入る様に七三子が真剣な眼差しで探る。死角の外から現れたのは刃でも影でもなく、白い、もふもふ。

「次は、……うさぎさん!?」

 たぬきじゃなかった。
 愛くるしい白い毛玉は、七三子の靴にそっと手を添えていた。可愛い仕草に七三子の警戒心は完全に消え失せた。
「かわいいよう」
 否、これは新たな刺客だ。かつてない強敵で、凶悪な存在である。
 誰も抗えない。

「その、ブラッシングさせてもらえたり、ぎゅっとさせてもらえたり……?」

 恐る恐る手を伸ばすが、うさぎは逃げない。なんなら七三子の手にすり寄る様に頭を寄せて来る。小さな額が掌に押し当てられ、ふわっふわが指先に絡む。

 痛みを乗り越えた先、ふわふわの癒し。
 はっ、ここは実は天国だった?
 健康に至る試練に垂れきれず、昇天してしまった?

 いやいや、この心臓の痛みはまだ生きている証拠だ。
 どっこどっこ五月蠅い鼓動を抑え込もうとするが無理である。だってこんなに可愛い。

「あっ、あっ、大丈夫です、生きてます、だからそんな可愛い仕草しないで、心配そうににじり寄らないで……!」

 やっぱり七三子はここで死ぬかもしれない。

コウガミ・ルカ

 痛みを感じないコウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)の足つぼロードは平和に終わりを告げた。それでも凸凹のないたいらな地面に違和感を感じてしまうのは仕方がない。

 ふと視界の端で何かが揺れた。
 靴を取りに行きながら、正体を探る。白い、小さな、ふわふわの毛玉。
「うさぎ?」
 あの動物は知っている。星を詠む|彼女《しりあい》が、たまにあの姿になっているから。

「ッ、グルルル」

 ルカに近付いて来た一羽に向けられたのは唸り声。
 警戒の音に気付き、うさぎの耳がぴょこん、と揺れた。

「俺に近付く、……危ないから」

 距離を保てばいい、そうすれば壊さない。傷付けないで済む。それは小さな生き物を守る為の、ルカの|配慮《やさしさ》。グル、と再び喉が鳴った。
 逆に怖がらせてしまうか、と首を掴んで止めようとするルカを、うさぎがじっと見上げている。

――ふと、思い出すのは、あの日のぬくもり。

 指先に感じた温度。

 心配しなくて大丈夫、――

 あの子の声が聞こえた気がした。

 それは小さな|勇気《きっかけ》の合図。
 
「……触っても、いい?」

 教えてもらったことを思い出し、試してみたくなった。

 零れ落ちた問いかけへ応えるように、うさぎがルカの傍に寄ってくる。喉元から外れたルカの手のひらの下へ潜り込むように。
「……ふわふわ」
 春のようにあたたかで、柔らかい。
 小さな命は怯えることなく、ぎこちない手つきで撫でる動きに抗うこともなく、むしろ気持ちよさげに受け入れて身を委ねていた。

 手のひらから伝わる小さな鼓動をもっと聞きたくてルカが耳を近付けようとすれば、まるでルカのよじ登るようにうさぎのほうから距離を詰めて来た。
 とくん、とくん、と。命の音が聞こえる。

 |不器用《やさしい》な麻薬犬と真白いうさぎが織りなす、穏やかな一時。

「壊れてない?」

 答えるようにうさぎは耳を揺らしてルカに頭を摺りつける。こんなにも優しい災厄に何を怯える必要があるのか、という風に。
 ルカの腕の中で安心しきったように、うさぎは目を細めて寄り添っていた。

常磐・兼成

「おっこんな所に靴棚が」
 眩しいほどに明るい外のような景色に目を細めつつ、常磐・兼成(酒侵讃歌・h10142)は自らの靴を見つけて歩み寄る。

「これが本当のおもてなしだったのか……?」

 汚れが綺麗になり、靴底の擦り減りも丁寧に補修されていた。
 肝臓とか一部の臓腑たちの悲鳴を聞かされる羽目になった、あの地獄はまさかの前座。いやいやそんな過酷すぎるフリがあってたまるか。苦の中に光ありとは言うけれど。

 気を取り直し、靴を履いて安心感に心を落ち着かせ、先へ進もうとした兼成の視界の端、ふわりと揺れる何かの影があった。

 白っぽい。
 たぬきっぽくはない。
「……今年の干支ってウサギだっけ……」
 いや違う、午年である。
 惜しい、ウだけあってる。卯年はまだ遠い。

 たぬきとうさぎ。

 兼成の脳裏を過るのは、某昔話。カチカチしてる、アレ。
 |足つぼ《いじめ疑惑》現場を観察したうさぎ。干支に入れなかった悲しみを慰めに来てくれた|彼等《√能力者》への「|御礼《・・》」だと認めたうさぎ。誤解のお詫びに癒し役を買って出たうさぎ。たぬきによる強制足つぼ体験をどう取るかにもよるが、一応正しい連想かもしれない。
 
 ともあれ、ふわふわもこもこの|善意《かわいい》は受け取っておくべきだろう。

「お腹って撫でられたりする……?」

 犬や猫なら想像できるが、うさぎのツボとはどこなのか。
 兼成は首を傾げつつ、そっと手を伸ばす。
 耳、尻尾。無難に頭や胴体。どこを触ってもふわふわで、もっふもふ。魅惑の感触しかなかった。まるで雲を撫でているような淡い感触。じんわり伝わる温かさは至福の癒しを提供してくれる。

「……たぬきたちも、足つぼなんてことしないで、肉球提供のが良かったんじゃ……」

 ごもっともな意見だ。

 ぽふ、と同意しているのか慰めているのか、うさぎの前脚がそっと兼成の膝に乗った。

時任・桃花
ジェイ・スオウ

「ぐゥっっ」

 まるで地鳴りのような呻きが爽やかな青空もどきの下に響いた。

「……! クッッソ、こ、こんなコトしてモ、殴るって強い意識は変わらねーカラ!」

 |地獄《足つぼ》を乗り切った先、耐えきった痛みで刻まれた眉間の皺を残したまま、必ず|元凶《たぬき》をぶん殴ると決意したジェイ・スオウ(半天妖・h00301)の意思は固い。例えふかふか柔らかい草原に崩れ落ち、心を癒すような青い香りで深呼吸しようとも、誓った|復讐《はんげき》は揺らがない。
「う゛〜〜〜……、」
 悔し気に握られた拳も解けぬままだが、ふと棚が目に入り、お気に入りのヒールがまるで新品の時のように並んでいることに気付く。

(アッ、ちょっと、靴、アッタカイ)

 冬の気配など一切ないが、履いた瞬間のひんやり感はだいぶ緩和されており、ジェイの心が揺れ動く。たぬきたちの“おもてなし”は善意なのだと、解っているからこそ、この繊細な気配りに怒りの炎を消火されてゆくのだ。
「クッソ、今回ダケ! 今回は見逃してヤルカラ! 今回ダケダカラナ!!??」
 空へ向けて放つ、負け惜しみのような叫び。
「次ナニカシタラ……絶対殴るカラ……――て、アレ? 桃花ダ??」
 燻る怒りを抱えつつも立ち上がった視線の先、見慣れた後ろ姿にジェイが気付く。

 そこにはなぜかセンシティブなバニー、時任・桃花(祈るもの・h00063)だった。
 衣装の隙間を通る風が悪戯に肌をチラつかせ、露わになりそうで見えないのは劣情を誘うが、堂々と着こなし立つ姿は潔く格好良い。

「んー? ここは??」

 赤く煌めく高機動戦闘用三輪バイク『|紅蓮風神《レッドシルフィ》』で颯爽と仕事帰りの桃花だったが、面白そうな|洞窟《ぬけみち》を見つけて入り込んでしまったのだ。

――つまり足つぼロードを通らなくてもダンジョンに入れる抜け道があった、と……なんて事は多分誰も知らないほうが幸せな情報である。

「あー! ジェイさんだ!!」
 声に気付いて振り返り、ぱっと花咲いた笑顔で駆け寄る桃花。
「その格好めちゃくちゃ似合っててカワイーケド寒そうダ。上着イル?」
 隠れている面積が限定的すぎる|刺激的《キュート》な装いを前にしてもジェイは気にした様子はないが、純粋な体調の心配ゆえに自らの羽織の留め具に手を駆けつつ、桃花との距離を詰める。
「んふふ、魅せるためなら平気だけどありがとう!!」
 桃花はジェイの好意と羽織を素直に受け取るが、かえって衣装の薄さが際立つ不思議が完成した。しかし温もりには代えがたいので仕方がない。

「ところで、ここドコ? ジェイさん何してたの??」
「とりあえずたぬき探すツモリ」
「え? たぬき?」

 ハテナマークを浮かべ首を傾げた桃花に、ジェイはたぬきたちの“|おもてなし《足つぼ》”という名の|拷問《ぜんい》を語れば、桃花の眉根が絶妙な角度になり困り顔になる。「あー」とか「うわぁ」とか答えるが「良かった、そこ通らなくて」と口に出せない本音が滲み出ていた。


「あ、なんか毛皮」


 会話の途中にジェイの視界を過る、もふもふ。
 草むらの緑に隠れきれない、白い毛並み。

「……た、ぬき、じゃネエ!?」

 ぴょこりと顔を出したのはうさぎだった。

「兎ダ! おい狸! オレラ(?)の敵がイルゾ!」
 見つけたうさぎにジェイが歩み寄るが、うさぎは逃げも隠れもせずジェイを見上げている。
「コイツを倒せば4番目の干支の座ゲットできるカモジャン? ヨッシャ、ヤルかっ……てナンデ頭差し出してんだコイツ」

 抵抗もせずその首を差し出すト?

 なんて潔い|毛玉《うさぎ》だ。

 謎の感心に胸を打たれたジェイだが、たぬきの代わりにうさぎを干支の座から引き摺り降ろしてやろう、――なんてことが出来るはずもなく。流石に無理だった。良心の呵責的なのがスンゴイことになっている。うさぎはジェイの動揺をどう思っているのか、きょるん、と魅惑的に輝く瞳で見上げているだけ。
 これが、うさぎ。
 干支の座に君臨する一羽。
 流石というべき貫禄がそこにあった。

「……頭撫でチャオ?」

 葛藤の末、ジェイはそっと手を伸ばす。だって魅惑的な手触りがそこにあるんだから。
 ふわふわ、あたたか。幸せの温もりが手の中におさまる。
「人懐っこいナ??」
「おーけー。もふもふすればいいんだね!?」
 どうしようと成り行きを見守っていた桃花も参戦し、ふたりでうさぎを撫でる。愛でる。もふもふ、ぬくぬくを堪能する至福の時間。

「お持ち帰りしてイイカ?」
「わかるよ!! 僕もお持ち帰りしたいっ」

 閃いた、とばかりにジェイが真顔で口を開いた。即座に同意した桃花。ふたりを前に、うさぎはちょっとびくっとした。
 ダンジョンの中にいるうさぎなのだから野生ではない、普通のうさぎではないと分かる、のだが。

「非常食とか言っとけばデッカイアパートの管理人もオケくれるヨネ?」

 既にジェイの脳内では計算が始まっている。決定事項のように進むお持ち帰りの話題に、巻き込まれるかもしれない誰かのくしゃみが√汎神解剖機関でひとつ。ぷくしゅん。風邪かな、花粉かな。違うよ、ジェイのせいだよ。
 野望が交錯する中、うさぎは困惑しつつも撫でられ続けている。

「こい!! 剣龍ー!!」

 ふと天まで響いた桃花の声。顕現した【|七つ首の剣龍《セブンソード・ドラゴン》】は主人の願いを叶えるべく降臨するが、うさぎたちを前に困惑してしまった。
 桃花に捕獲され、頬ずりの刑を受けているうさぎはじっと剣龍を見つめている。
 傍らの|大鷲《アイちゃん》も一緒に動揺しつつ、龍と鷲と兎の三つ巴の視線が交差していた。
「桃花、アレ平気?」
 ところで、とジェイが指差した先、――うさぎに囲まれ白く装飾されたようになっている|一匹のバイク狼《レッドくん》。どうやらうさぎたちの興味を集めたらしく、もふもふがもっふもふに埋もれていた。
「僕にもきて、ってなんで逃げるのぉ」
 いいなぁ、となる桃花だが、先程まで胸の谷間で溺れていたうさぎは窒息寸前で脱走し、距離を置いている。察した他のうさぎたちも同様に桃花から少しだけ距離を置いていた。御褒美も過ぎれば拷問になるのだ。
 うさぎに逃げられた桃花に寄り添うのは|大鷲《アイちゃん》だが、心なしかその表情は曇っている。|嫉妬《ジェラシー》だろうか。
「大丈夫だって! アイちゃんもなかなかのものだよ!!」
 即席かつ的確な慰めに満足したかどうかは分からないが、|大鷲《アイちゃん》はこくりと頷き桃花にすり寄ってから、どうやらうさぎの説得をするように幾つか鳴いてくれた。
「お喋りシテル。かわいい」
「あっなんかいっぱい来てくれた!」
 次の瞬間、ジェイがさっとスマホを取り出しカメラを起動。
 先程までバイクに群がっていたうさぎたちが今度は桃花を襲うように飛び掛かり、もっふもふの餌食にしたからである。

「は~~。癒されるぅ」

 白い毛玉の海に溺れながら、にこにことご満悦な桃花。その光景をジェイは激写し、ぽちぽちとスマホを操作する。仲間たちにもこの|楽園《ありさま》を見せなければ、と。

「はーー、全部カワイイ」

 傍らのうさぎを|愛《な》でつつ、ジェイもほっこりを楽しむ。
 お持ち帰り案件はひとまず過ぎ去ったようだ。


 然し。


「ちょっとダケ、謎の悔シイがアル」


 なおも消えぬ怒りは小さな種火のように燻り続けていた。
 未だに姿を現さぬたぬきたちへの、決して忘れぬ|復讐《しかえし》の決意は、消えてくれなかったのである。

矢神・霊菜
祭囃子・桜

「っく、今までで一番の強敵だったわ……!」

 漸く足つぼ地獄から解放された矢神・霊菜(氷華・h00124)は全身を投げ出すように、ふかふかの草原に倒れ込んだ。
 誰があれを|ただの健康法《おもてなし》などと言えよう。まるで罪人を炙り出すかの如し、霊菜にとっては命を削るような戦いだった。

「強敵……うん、まあ、そうだな。強敵だったな」

 隣で背伸びをする祭囃子・桜(百妖を宿し者・h01166)は青空もどきを「なんだあれ」と見上げつつ、王権決死線の時よりもボロボロに見える霊菜へ現実を突きつけるように続けて口を開く。

「多分帰りも足つぼ踏んでいかないといけないと思うんだけど大丈夫?」

 先程まで桜に支えられながら何とか乗り越えてきた霊菜は、未だにプルプルと小鹿のように震える全身をびくつかせ、怯えたように桜を見上げた。心なしか涙が滲んでいるようだ。絶望に染まった表情を見下ろし、桜は笑っちゃ悪いな、と思いきゅっと頬の内側を噛み締めて耐える事にした。



「生活には気を付けているつもりだったけど、そんなに不摂生だったかしら」
 溜息混じりに呟きつつ、いまだに足裏を刺激されているような感覚を誤魔化すように、霊菜はふくらはぎや足裏を労わる様に撫でる。生活習慣を見直すべきかと考えながら向ける視線の先には、涼しい顔をしている桜。

「改造されて若返ってるのが功を奏すとは思わなかったよ」
 妖怪の力を身に注がれ改造人間となってしまった桜とて、多少なり痛みや不快感はあったのだが疲労困憊の霊菜ほどではない。然し内臓まで変わってしまったという事実を思い知らされ、精神的には桜の方が擦り減っていそうな気がして、桜の視線はちょっと遠かった。

「あ、靴があそこにあるわね。早く、早く履きましょう――って、なんだか綺麗になってる……?」
「ほんとだ。確かに靴が綺麗になってる」

 漸く足の震えも落ち着き、霊菜は棚に並べられていた靴の中から自分のを手に取った。桜もその隣に立つが、ふと、先程抜けて来たダンジョンの方へ振り返った。

 なんだろ、この違和感。

「もしかしてたぬきたちが綺麗にしてくれたのかしら。……どうしたの、祭囃子さん」

 あ、思い出した。
 靴を脱がされ、装備も奪われ、しまいにはクリームで全身を塗りたくられる、注文の多いなんとかのような末路を想像したんだった。
 さすがにその線はなさそうである。現実だもんね。

「なんでもない。うん、凄い親切なたぬきだな」
「親切、ねぇ……足つぼは凶悪だったのに」

 たぬきたちの“おもてなし”はまだ続くのだろうか、と不穏な予感をよそに、ふたりの視線を吸い寄せたのは白い毛玉。

「あら、可愛いうさぎね。なぁに?」
 思わず霊菜の頬が緩む。
 小さな体で霊菜の指先に額を寄せて来る甘えるような仕草は、まるで慰めようとしてくれているようで。
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫よ」
 ふわりとした毛並みは先程までの地獄を吹っ飛ばすような極上の癒しを提供してくれる。

「もふもふはいいよね」
 桜の傍にも、もう一羽べつのうさぎがやってくる。手の中にすっぽりと納まる様に丸まったその身体はまるで動く雲。

「可愛い動物って癒されるわね」
 休憩がてら草原にふたり並んで腰を降ろせば、もふもふのうさぎたちは膝の上で陣取り合戦をはじめ、やがておしくらまんじゅうのように霊菜と桜の膝の上でぷうぷうと身を寄せ合う。
 じんわり生き物のぬくもりがふたりを襲う。

「夏場以外は本当に最高」

 思わず零れた桜の呟きに、霊菜はこくんと頷いてしまった。
 今が夏だったら地獄の再来だったかもしれない、と。

矢神・疾風

 ふかふかの絨毯のように広がる緑。足裏を包むのは柔らかな草の感触。
 これは、あれだ。


 刺激が、足りない。


「そんなばかな」

 |真実《じゃくてん》を暴く足つぼ地獄という拷問から解き放たれたはずの矢神・疾風(風駆ける者・h00095)は、項垂れていた。あれほど逃れたかったはずの苦痛を名残惜しく感じてしまうなんて。
「あ!!」
 ちょっと涙目で顔を上げたその先、自然の風景に不釣り合いな棚と見覚えのある靴。疾風がたぬきたちに没収されたお気に入りの靴だった。
「なんかちょっと、いや大分、綺麗になってないか?」
 まさかこれも“おもてなし”なのか。痛みを通じて健康の尊さを知り、労わりという名の差し入れ。これは「ありがとう」を伝えなければならない。たぬきたちに。

 |単純《ちょろい》、――少しだけ心配になるほど素直で真っ直ぐな疾風である。彼自身の優しさが仇となっている気がする。

「……おっと?」

 もふり。足元で舞うように動いた毛玉。
 ほわほわが疾風を見上げていた。

「零が好きそうなやつ……!!」

 まんまるの瞳、ふっくらとしたフォルム、柔らかな耳。見る者の心を一瞬で奪う、愛くるしいうさぎ。愛娘の大好きが具現化したような存在がそこにいた。

「うわー零に見せてやりたい……って、なんだなんだ」
 疾風の足元をうさぎは駆け回る。その度にふわふわの毛並みを擦り付け、まるで「撫でて」というように甘える仕草を滲ませるのだ。
 抗えるはずもなく膝をつく疾風の手の中にうさぎは飛び込んでくる。言葉すら出ない程の魅惑の手触り。

「わかった、オレが極上のマッサージをお届けしよう!」

 愛でろと迫るうさぎの圧に負け、指先に込めるのは確かな技術と疾風の優しさ。
 頭から首元、背中にかけて彼の手が撫でる。疾風の手腕にうさぎが溶け、その温もりで疾風もほんわかとする。

 うさぎセラピーという互いの癒しが交差する時間は、穏やかに過ぎていった。

アーネスト・マルトラバース・シートン

 陽射しに身を溶かすもの。
 青々とした草をかじり腹を満たすもの。
 ぷいぷい、と会話のように賑やかなものたち。
 足つぼ地獄を超えて来た√能力者たちを迎え、その身を差し出し癒しの手伝いをするものまで。

 爽やかな青空もどきの下、うさぎたちは穏やかな時間を過ごしていた。


――たし、っと。

 草を踏む音がした。
 反応したうさぎが顔を上げる。
 ああ、新しい√能力者が|苦難《足つぼ》を乗り越えて来たぞ、癒してやらねば、と善意と慈しみのまなざしを向けようとした。

 然し。

「……じゅるり、」

 その瞬間、空気が凍り付いた。

 平穏が一瞬にして崩れ、うさぎたちはぴゃーっと逃げ惑い四方八方へ散る様に跳ねてゆく。

「……いけませんね。狼の姿では、うさぎを見ると捕食本能が」

 ごほん、咳ばらいをひとつ。 
 まるで己の衝動に蓋をするように人の身に変化しながらアーネスト・マルトラバース・シートン(若き狼・h00433)は静かになった草原を眺めた。

 うさぎたちはアーネストを遠目で観察している。
 狼の姿だからといって拒絶したりはしない。√能力者とは様々な姿をしていることを知っているからである。

 それでもだ。

 よだれを垂らしていたのは、減点が大きかった。ダメ。ノーよだれ。

「うさぎさん、可愛いですね」

 彼の顔に優し気な笑顔が咲く。
 誤魔化しているわけではない。本心が出ただけだ。決して加点を狙ったのではない。

 己の靴を見つけ靴紐を結ぶアーネストを伺うように、ひょこり、と顔を覗かせるうさぎたち。穏やかな視線が向けられれば、警戒心は緩やかに解け、一羽また一羽とアーネストの近くにうさぎたちが近付いて来た。

「これはモフモフしないと」

 躊躇いなく伸ばされた手をうさぎは避けず、大人しくその身を委ねた。
 ふわっほわ。ほわっふわ。極上のふんわり感。

 もふもふ、なでなで。
 なでなで、もふもふ。

 アーネストは暫くの間、小さな生き物の温もりから与えられる至福の時間に身を浸していた。

第3章 ボス戦 『かわいいたぬき』



 ダンジョンの奥の暗がりが、何やら騒がしかった。
 めそめそ、ざわざわ。
 何やら話し合っている騒めきの中に混じる|泣き声《・・・》。

『来年はたぬきさんたちが干支なんだよね!』
『えっ干支ってたまに変わるでしょ?』

 どこで得た知識なのか、どうしてそう思ったのかは定かではないが、無垢に語る瞳は輝いていて、たぬきたちの心を躍らせたのは間違いない。『まさか』とたぬきたちも思ったけれど。嘘だろとはなから否定するつもりもなかった。
 ただ、やっぱり心のどこかで『もしかしたら』と思ってしまったのが悪いのかもしれない。
 優しい|冗談《ウソ》だったのだ。
 大好きなたぬきたちを幸せな気持ちにさせてあげたかっただけの。
 だから、せめて、干支になった気分で、人間さんたちを“おもてなし”するべく、たぬきたちは涙を拭う。


 近付いてくる気配、どんどん大きなる足音。

 どくんどくんと早鐘を打つ胸が、たぬきのふわふわを揺らす。


 どうしよう、どうしよう。

 何をしてあげられるだろうか。


――とりあえず、さつまいもでも焼いておこうと、たぬきたちは薪を重ね火おこしを始めるのだった。
エアリィ・ウィンディア

 湯気が満ちるダンジョンの最奥。
 漂うのは美味しそうな匂い。

「香ばしい匂いがすごーい」

 鼻を擽る甘い気配を追って、エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)は導かれる様に辿り着いた先、彼女の青い瞳がたぬきたちを見つける。
「あ、たぬきさん」
 びくっと跳ねる茶色の影。
 エアリィはしゃがみこみ、にっこりと微笑んだ。

「こんにちはっ!」

 明るい挨拶は緊張を解す魔法の|言葉《キッカケ》。

「ブーツを磨いてくれてありがとうね」

 素敵な|気遣い《おもてなし》への感謝を。エアリィからの言葉にたぬきたちは表情を綻ばせ、全身で喜びを表現するように毛並みがふわっふわに膨れている。足つぼの事はこの際触れまい。
 ふいに湯気がエアリィに近付いた。
 香ばしい焼き色。蜜を滴らせ、ほくほくと甘い湯気が漂うさつまいも。
「おいしそうな焼き芋だね! せっかくだから一緒に食べよー?」
 その一声が幸せな宴の始まり。甘くて、温かくて、どこか懐かしい味をみんなで分かち合う。

 頬をおいもで膨らませながら、エアリィはふと指折り数える。

「……あれ、もしかして??」

 たぬきたちも首を傾げる。ひー、ふー、み、……指は十二を数えていた。

 干支と年齢の、偶然の一致。其れは多分気付いてはいけなかった事実。
 然し傍らのたぬきも|気付いて《・・・・》しまった。

「!? わわ、ごめんーっ! でも可愛いのはたぬきさんだからー!」

 くぅくぅ、と切なげな声をあげるたぬきの背を優しく擦ってやる。エアリィが腕を広げればその中へたぬきはすとんと飛び込んできた。

「……ごめん、でも可愛い……っ!」

 もふもふ、ぎゅっ。
 罪悪感と幸福感が入り混じる。エアリィはたぬきを抱きしめて慰めながら、心からの想いを零すのだった。

見下・七三子

 ぜえ、はあ……なんであんなに可愛い子を置いていかねばならぬのか。

 ふわふわの|楽園《しあわせ》を振り切り進んだ見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は、精神的に大ダメージを追っていた。擦り減った心の隙間にもふもふが足りない。
 もうだめです、――崩れかけた七三子の鼻孔を擽ったのは、甘く優しい香り。

 たぬきたちが一生懸命に薪をくべ、さつまいもをほくほくにしている。そこそこ心配になる火の勢いは童話の一節が過る。背中に気を付けて欲しい。心配そうに眺めていた七三子に気付き、たぬきたちはてててっと駆け寄ってくる。

「……ああ、私たちのために熾してくださったんですね。ありがとうございます」

 おもてなしが通じた!と喜び、たぬきたちは嬉しそうに頷いた。
 焼き立てのおいもが七三子の元に届けられる。
「えへへ、大好きなんです! ありがとうございます」
 蜜がじゅんわり滲み、まるでスイートポテトのような甘さは七三子の頬を緩めてしまうほどの美味しさである。

 あったかい、おいしい、ふわふわ。おいしい、あったかい――

 幸せのループに沈みかけた七三子は、ふと我に返った。

「お招きいただいたのに手ぶらもなんですから、おやつを持ってきたんです」

 すんすんと鼻を揺らしてたぬきたちが集まる。

「|うちのこ《ハヤタさん》が一番おすすめって絶賛してたドッグフードを持ってきたんですが、……お気に召しますか?」

 袋を開けた瞬間、たぬきたちの瞳がきらきらと輝いた。多種類の国産野菜、鰹節や昆布、しいたけなどの旨味を加え、たんぱく質が豊富なチキンとサーモンと混ぜ合わせた栄養価抜群のドッグフード。豊かな香りは彼らの心を鷲掴みにしたようだ。
 七三子はそっとブラシを構える。
 今ならいけるのでは。

「……じゃあ、その、ふわふわさせていただけたり……?」

 たぬきたちはお行儀よく並び始めた。自然界では出会えない最高級のご飯の御礼に。
 七三子は笑顔でブラッシングを始め、ふわふわを独占し堪能するのであった。

システィア・エレノイア

 ふるふると丸い体が震えている。
 緊張感が入り混じった、哀し気な揺らめきがたぬきの瞳に浮かんでいた。

「初めまして、おもてなしありがとう」

 システィア・エレノイア(幻月・h10223)はたぬきたちの前で膝を折り、視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「なかなか刺激的な足つぼだった」
 冗談めかした言葉の裏には、苦笑が滲むけれど。
 思い出す度、この後の帰り道を考える度に、どうすればあの地獄を避けられるかと頭を抱えたくなってしまうが、自身を労わる事を怠っていた事に気付かせてくれたのだから、感謝はすべきだろう。

 ほかほかと立ち上る湯気か近付いてくる。
 否、たぬきたちが焼き上がったさつまいもを持ってきてくれたのだ。

「ありがとう」
 手に取るとシスティアは冷ましやすい大きさに割り、ふーふーとちょうど良い温度にしてゆく。舌や喉が火傷してしまえば、折角の美味しさを堪能することも出来ない。焼き立ての熱々を頬張るのもいいものだけれど。
 熱すぎないくらいになったさつまいもをたぬきたちに差し出した。
「ほら、一緒に食べよう?」
 システィアと、差し出された焼き芋を交互に見つめるたぬきたち。
 途端に、パァッと瞳が煌めく。
 さつまいもを食べれるのが嬉しいわけじゃない。分け合ってくれるというシスティアの優しい行為に胸がいっぱいになったのだ。

「うん、すごく美味しい」
 自分の分も熱さが和らぎすぎる前にシスティアは齧った。甘い蜜が舌の上で蕩け、ねっとりとした芋の香り、ほくほくな触感が口の中に広がる。ぱりっと焼けた皮の風味も重なり、お腹と一緒に心も満たされるような味だった。

 たぬきたちが食べ終わる前に、またさつまいもを小分けにして冷まし、システィアが差し出す。
 あったかくて幸せなお裾分けはやめられない。

「また、さつまいも食べような」

 すっかりお腹も満たして、眠気さえ漂う中たぬきたちのもふもふを撫でながらつぶやくシスティアに、たぬきたちは何度も頷いた。

「そうだ、――明けましておめでとう」
 今年の主役ではないかもしれない。干支の巡りは詳しくないけれど、この愛らしく、いじらしいたぬきたちと過ごす時間は充分に御利益と言えるだろう。
 もうどのたぬきも哀しんでいないかな、とシスティアは視線を巡らせ祈る様に目を細めた。

ジェイ・スオウ
時任・桃花

「たぬきイタ」
 ジェイ・スオウ(半天妖・h00301)が曲がり角から顔を覗かせれば、視線の先にはふさふさと丸いたぬきたち。目標確認、ダンジョンのゴールに辿り着いた。

「オイ、たぬき。ちょっとそこ座レ」

 仁王立ちの姿はまるで山の主のように堂々と。その夜を際立たせた双眸はジーーっと射抜く様にたぬきたちを捉えている。優しさと心配が入り混じる視線で見守るのは時任・桃花(祈るもの・h00063)。

「ハーーーーー。ほんっとオマエ……」

 溜息が一つ落ちた。ダンジョンに漂っていた静寂を破り、呆れに満ちる声音。たぬきたちはびくりと身体を揺らし、気圧されたようにお行儀よく整列している。
「イイカラ、怖がんナ。座ってじっとシテロ」
 ジェイの態度は怒っている、ように見えるぐあ、実はそうではない。ただ真剣なのだ。
 暫し見つめ合った後、ジェイの手元には茶器と茶道具。いつも持ち歩いているセットである。どこに隠しているのやら。まるで手品のごとくポットにティーカップ、ソーサー、無駄なく揃った品々がたぬきたちの前に並べられてゆく。どこからそんなに出てくるの。
「わぁ」
 これにはさすがに桃花も驚き声をあげた。たぬきたちと一緒に目がまんまるである。
 ジェイは周りの反応も気にせず、無言でお茶の準備を整えている。迷いがなく滑らか、素早いが丁寧な所作に一片の乱れもない。

「飲める、……ヨナ?」

 はたと気付いてジェイの視線がたぬきたちに向く。自然界のたぬきが飲んでいいかは別として、ダンジョンに住まう彼等なら大丈夫そうだし、何よりたぬきたちが興味津々で早くと急かすようにそわそわしているのだから大丈夫だろう。
 代わりの麦茶も仕込んであるが、そちらは持ち帰る事になりそうだ。
 さらに何処からか取り出されたのは、彩りも味も優しい野菜のクッキーたち。こちらは動物でも食べられるさつまいもをはじめとした色々な野菜が練り込まれており、甘い香りが一気に漂う。
「ドウゾ。お礼。お芋のイイ匂いスル。お茶の香りも。オレにはソレをクレヨ」
「美味しそう……僕にもちょーだーい!」
「もちろん」
 我慢できず桃花がジェイの後ろから顔を出した。
 焼き立てのさつまいもと、ジェイが淹れてくれたお茶と、お土産のクッキー。ティーセットに合わせたお皿と揃いのティーカップが並び、まるで小さな貴族のお茶会気分だ。
 ジェイの手の中にはたぬきたちが運んでくれた焼き芋がほくほくと湯気を立てている。

「ウマい。全部食べれソ」
 焼き立ての美味しさは言うまでもなく美味しくて、ジェイの手の中のさつまいもはあっという間に小さくなってゆく。
「なにこれ美味しい」
 桃花の手も止まらない。ティーカップはすぐ空になり、クッキーもどんどん減って、口の中で蕩ける甘さがみんなを笑顔にしていた。

「干支に憧れアルのはワカル」

 唐突に呟かれた言葉。残念ダッタナ、とジェイの慰みにたぬきたちはクッキーを頬張りつつ、お茶と一緒に涙を飲み込んだ。
「……|その願い《干支入り》は叶えてあげられないけれど」
 悲しい事は「かなしい」と吐き出すべきなのだ。
 桃花の声が続き、剣龍を喚び寄せる。今度こそ、ちゃんとしたお願いを伝えるために。
「たぬきたちを思いっきり泣かせてあげて?」
 それはエゴかもしれない、――然し乗り越えなくてはならない|感情《モノ》。泣きたくても泣けない事もあるから。ため込んでしまった物は、ここに置いていけ。
 堰を切ったように、腹の底で燻っていたものがたぬきたちの瞳から溢れ出す。

 ジェイの淹れてくれた温かいお茶で緩んだ心。
「つらかったね。思いっきり泣いていいよ、――って、おわあ!?」
 添えられた桃花の言葉が引き金となった、
 よしよし、飛び込んできてくれてもいいよ、と腕を広げた桃花はあっという間にたぬきたちの下敷きとなった。柔らかいふわふわもふもふに包まれつつ、ぐちょぐちょの涙まみれになりながらも、心配そうに近寄ってきた|大鷲《アイちゃん》と|バイク狼《レッドくん》に「だいじょうぶー」と桃花は手を振る。

「アリガト、楽しカッタ」
 ジェイもまた、ぽんぽんとたぬきたちを撫でて慰めてやる。
「クッキー美味しカッタラ。オレの店キッチンカーに、いつでも来いヨ」
 一年くらいタダで特別扱いしてやる、と豪気な御馳走の約束に、たぬきたちは嬉しそうにまた涙を増やしてた。泣くのは悪い事じゃない。全て出し切って、すっきりしてしまえと思うがずっと泣かれてしまうのも困るナァとジェイは困惑しつつ言葉を探す。
「……オレはたぬき、好きにナッタゾ」
 大事な事だけは伝えておかねば。
 そう考えて素直に口にしたジェイも、喜んだたぬきたちの下敷きになりつつあった。

「但シ、痛いのはヤメロ。イッカイ相談シロ」

 殴るのは勘弁してやるが、足つぼの痛みは忘れていない。水に流したとも言っていない。

 ジェイの唐突で冷静な突っ込みに、たぬきたちはそっと涙を引っ込ませてゆく。

「あはは、そうだね。素敵なおもてなしにはありがとうだけど」
 桃花が笑えば、ジェイも釣られて苦笑する。釘を刺しておきたかっただけで、説教を再びなんてつもりもないのだから。

「干支は12年に1回しか主役が来ないケド、運良くそんなシガラミがオマエ達には無いんダシ、毎年こういうのヤッテ毎年愛されちゃう枠を狙エバ?」
 そうすれば|あんな嘘《・・・・・》に惑わされることも、傷付くこともないだろう。
「そうだよ、僕は君たちをずっと忘れないから」
 うんうんと桃花も頷いてジェイの言葉に賛成する。
 干支なんて気にしなくていい。君たちだけの愛され方で、毎年人の心を温める存在になればいいと思うのだ。
 足つぼは痛かったが体はポカポカしているし、おもてなしの効果は正しく出ている。干支の順など気にせず、待たず、好きな時に出てくればいい。むしろ干支に縛られることなく自由に長く愛されるのだからお得ではなかろうか。

――干支を鍋で煮込んで食べる文化もあるくらいだし、むしろ干支に入らないほうが幸せじゃなかろうか、とジェイは残酷な事実を教えてやらない理性にひとり拍手を送った。

アーネスト・マルトラバース・シートン

 もふり、ころり。もふもふ、ころころ。
 焚火の傍に丸まる茶色の毛玉たちが、まるで秋の木の実のように地面を転がっていた。

「あー……」

 アーネスト・マルトラバース・シートン(若き狼・h00433)の口から零れた無意識の溜息が広がる。目の前に広がるの極上の癒し。ふくふくとした珠のごとき、たぬきたちの群れ。その姿に目を細めていた。
「かわいいなーまん丸とした形で」
 狼として、獣目線であれば危うい感情が混じり合ったように聞こえたかもしれない。レッドよりのイエローカードだ。されど今は人の姿。理性と知性で抑え込んでいるのでセーフだと思いたい。ただ彼らの愛らしさに頬を緩めているだけなのだと。

 そんな葛藤が為されているとは露知らず、たぬきたちがアーネストの存在に気付き、ぱあぁっと表情を明るくさせて駆け寄ってくる。
 焚火のぬくもりを纏った毛並が、そっと彼の足元に寄り添えば、まるで冬の陽だまりの中に足を踏み入れたようにじんわりと心が解れる感覚になる。
「さつまいも、ですか?」
 焼き立てのさつまいもがアーネストの前に差し出される。ほくほくと湯気をたて、美味しそうな匂いがいっぱいに広がる。蜜の甘い香りがアーネストの鼻孔を擽った。
「お言葉に甘えて頂きます」
 口いっぱいに広がる自然の甘み。土と陽を蓄えた豊かな味わいは舌の上に優しく広がり、心の中に染み入った。その分焼き立てのほくほくとした熱が喉を乾かせる。お茶が恋しくなるが仕方ない。ちょっとの我慢だ。

 ふわふわの毛並みを片手に感じつつ、薪を運んだり芋を運んだりするたぬきたちを眺めていたアーネストはふと思案する。

「神様が十二支を決めた方法も、早くたどり着いた順でしたからたぬきさんには無理なのかもしれませんね」

 決して彼らを鈍いと貶めたいわけではない。
 それぞれに得意不得意があるということ。それだけだ。
 猫が素早く、猿が賢く、牛が力強く大地を耕すように。たぬきにはたぬきの歩幅と時間がある。のんびりとした気質にまぁるい体。木にだって登れるし泳ぐことも出来るが一等賞である必要もない。
 その丸さには生き残る術がちゃんと詰まっているのだ。
 狭い隙間を潜り抜ける巧みさ、周囲を見極める洞察の鋭さ。自然界で生き残る強さをたぬきたちはちゃんと持っている。
 すばしっこさだけでいえば、猫に負けないくらい俊敏な動きも実はできたりするのだし。

「干支は入れ替わり制じゃなくて、決まっているんですよ。猫ちゃんなら、ベトナムではウサギの代わりの干支だったりしますけど」

 たぬきの背を撫でてやりながら、やんわりと真実を告げてやる。
 世界がどれほど広く価値観が幾つもあれど、たぬきたちには与えられないものがある、と。残酷なようでいて現実という名の平らな道。たぬきたちは静かに頷いている。

「でも、貴方たちは愛らしい。それでいいじゃないですか」

 アーネストの言葉に、たぬきたちはパチクリと瞳を瞬かせた。それは喜び。おもてなしを受け入れて貰えて、自分たちの魅力を知ってくれている。きっと、それで充分なのだと。気付けばアーネストはたぬきたちの海の中ぽつんと溺れていた。

「……モフモフ」

 冬毛に埋もれつつ、柔らかさと温かさを堪能しながらアーネストは呟く。
 手に残るさつまいもをかじり、言葉少なに寄り添い、もふり、もふられる。

 それは十分に幸福な|時間《ひととき》であった。

コウガミ・ルカ

 めそめそ、めそめそ。
 湿った効果音がダンジョンの奥に響く。

 しんしんと哀しみが積もる中、焚火が弾ける音が重なった。

「……本当に、いた」

 実はもう隠れて出てこないじゃないか、と疑っていたコウガミ・ルカ(解剖機関の飼い犬・h03932)は、たぬきたちの姿を見つけて安心すると同時に同じくらい動揺していた。
 当のたぬきたちはまだ彼に気付かず、焚火を囲みながらめそめそと泣いている。さつまいもをこんがりさせながら。哀しみに膨らんだ背中が丸く揺れていた。

「なんで、泣いてる?」

 干支に入れなかったから、――理由は知っているけれど、その哀しみの奥行きをルカは理解できずにいた。
 仲間外れにされた?
 ちがう、だってもともとそこに彼らの席はなかった。
 化け物が人の輪に入れぬように、ただの動物が干支に名を連ねることなど、初めから叶わぬ希のはずなのに。

 きゅう、とたぬきが鳴いている。
 あの|声《いみ》がわかったなら、哀しみに寄り添えただろうか。

 ぽてぽて、とたぬきたちがルカの存在に気付いて寄ってくる。
「グル、」
 悲しんでいたはずのたぬきたちは、焼き立てのさつまいもをルカに差し出してくる。健気に、まるで「どうぞ」と言わんばかりに。
 彼らの悲しみがわからず眉根を寄せていたルカが、何か悲しんでいると思って慰めるように。
 ルカの喉が小さくなった。揺らぐ心で言葉を探す。

「干支に、入れなくても、……たぬき、好きな人間、いる」

 甘い香りが漂う。熱さを感じない体だからこそルカは気にせず受け取れたが、たぬきたちだって熱いだろう。火傷していないか、ルカの|心配《ぎもん》は増えるばかりだ。

「元気、出して」

 考えあぐねた末に、ルカは先程うさぎにしてあげたように手を伸ばした。ふかふかと柔らかい毛並みに指が埋まる。ぽんぽんと撫でてやれば、たどたどしい手の下で、たぬきたちはさらに丸くなってゆく。まるで雪が解けるように。その身をルカに預けた。
 慰める事、元気づける事は、とても難しい。相手の心の中が見えないから、痛みの深さに手が届かないから。

 なにより、自分のような化け物に、誰かを癒すことが出来るのか、わからない。

 それでもルカは撫でることをやめない――かつて、自分がそうしてもらったから。寄り添ってもらえることの嬉しさを、教えてもらったから。ルカは彼らの真似をするように、たぬきたちに接していた。
「……難しい、俺、……ごめん」
 もし、俺が普通に話せてたら、――何か変わっただろうか。

 たぬきたちは、言葉などなくても、ルカの温かさに既に癒されているのだけれど。
 言葉は大事だ。必要な時もあるけれど、なくても伝わるものがあるのだとルカはまだ気付かない。

矢神・疾風
矢神・霊菜
祭囃子・桜

 ダンジョンの奥を目指していた矢神・疾風(風駆ける者・h00095)の足に、もふん、とした何かが触れた。視線を落とせば、そこには焦げ茶色の絨毯――否、丸いもふもふとつぶらな瞳。
 たぬきとの御対面である。
「あっ、もしかしておもてなしの主の登場?」
 ようやく出会えた歓喜を隠さない疾風の弾む声音とは対照的に、たぬきの目はどんどん潤んでゆく。
「ってなんか泣いてるー!?」
 疾風の叫びに反応して、たぬきたちがわらわらもふもふと寄ってくる。とりあえず視線を合わせるように膝を付いた疾風の腕の中に、めそめそしているたぬきが収まった。
「よーしよし。なあ、もしかしてオレ蹴っちゃったか? そうだったらごめん、痛かったよな」
 今しがたの出来事を思い出し優しく謝ってみるが、抱きしめられているたぬきから非難の雰囲気はなく、小さな手足をばたつかせ、ふるふると否定の反応を示していた。疾風は安心したように溜息をひとつ。

「そうだ、オレの靴磨いてくれたのも君たちなんだろ?」
 腕の中のたぬきと、集まってくれたたぬきたちを前に疾風が投げた次の問いには、今度は肯定の反応が返ってくる。
「この靴お気に入りだからさ、すっごい嬉しい!! ありがとうな!!」
 まるで陽だまりが言葉を紡いだかと思う程の疾風の明るい笑顔に、たぬきたちは目をしぱしぱさせ、溢れんばかりの光属性を前にほわほわと震えていた。真っすぐな感謝の、なんと心地よいことか。
「お、なんだなんだー?」
 いいなぁ、抱っこしてもらって――そんな風に、疾風のまわりでふわふわのおしくらまんじゅうが始まったのは当然の結果かもしれない。



――同じ頃、ダンジョンの奥、少し手前。

 |名残《・・》を引き摺る足音が響いていた。



「うぅ……あの可愛いもふもふから離れないといけないなんて」
 矢神・霊菜(氷華・h00124)は未練を隠しもせず重い足取りを繰り返している。表情に浮かぶのは深い喪失感。
「やっぱりここは地獄だったというの……?」
「そんなにもふもふから離れるのがショックか」
 純粋な驚きを含んだ声音を零しつつ祭囃子・桜(百妖を宿し者・h01166)は霊菜の背中をぽんぽんと軽く叩いてやる。笑う事も呆れる事もしないが、どうしてやることも出来ない。気持ちは分かるし。
「帰りも足つぼの道を通らなきゃいけないのかと思うと現実逃避したいのよ……!」
 ぐっと握られた拳と悲痛な表情。
「あー……」
 同意せざるを得ない霊菜の言葉に、桜は上辺だけの慰めを飲み込んだ。
 行きがあれば帰りがある。
 つまり、あの足つぼをもう一度体験しなければならないのは、必然。まだ記憶に新しい痛みは霊菜ほどでなくとも、桜だって痛かった。確かに気が重い。

「あ」

 ふと、桜が声を上げた。
 桜は、首を傾げ「どうしたの?」と寄ってきた霊菜の視線を誘導するように、曲がり角の向こう側へ指先を向けた。
「変わりじゃないけどたぬきにモフモフさせてもらお?」
 丸くて茶色いふわふわの毛並みが揺れている。あれはたぬきだ、絶対にそうだ。

「あら? とてもいい匂い。これは……焼き芋?」

 たぬきとの距離が縮まるほど、甘い香りが強くなる。
 なんで焼き芋なのかは分からないけれど。秋の味覚といえばさつまいもが上位に浮かぶけれど、何故この時期に、どうしてたぬきが、とは思うけれど「まぁいいか」と霊菜は考えるのをやめた。

「おや、確かに芋の焼けるいい匂いが」

 桜も鼻をすん、と鳴らす。食欲をそそる焼き立ての匂いだ。

 他の√能力者もダンジョンの奥を目指していたのだから、不思議な事ではない。既にたぬきたちのおもてなしが始まっているんだろうなあ、とふたりは曲がり角から顔を出す。

「あら」
「お」
「うん?」

 視線が絡む。三者三様の反応が重なった。

「疾風じゃない」
「霊菜、それに桜も! 来てたのかー!」
「やっほー」



――かくして合流した三人は、たぬきたちのおもてなしという名の焼き芋パーティに参加することになったのである。



「美味しいよね焼き芋。最近じゃ焼き芋の車とかめったに見なくなったけど」
「確かに。昔はよく通ってたのにな。いーしやーきいもーって」
「そういうのがなくなってしまうのは少し寂しいわね。……あら、ありがとう。上手に焼けてるわ。とても器用なのね」
 懐かしき屋台の風情を思い起こさせる、焼き立てのさつまいも。
 ほくほくとした湯気がダンジョンに漂う。
「このあったかさは、モフモフとは違う良さがあるよな」
 掌に伝わる柔らかな熱。頬張れば舌の上でほろりと解け、甘みが幸せに変わって腹を満たす。

「あら」
 きゅう、と泣き声に釣られて霊菜が振り向く。そこには小さなたぬきが目元を潤ませながら、そっと身を寄せるところだった。
「鳴いてるの? どうしたのかしら」
「さっきも泣いてる子いたんだよな。なんだっけ。確か誰かに冗談で「干支に入れる」って聞いたんだな?」
 一番乗りで泣き出した子は、今は多分焚火の傍で焼き芋係として頑張っているようだ。
「湿ったもふもふになってしまっているな」
 疾風と桜も慰めに来るが、霊菜にしがみつくようにしている小さなたぬきが泣き止む気配はない。

 ついには他のたぬきたちも釣られてきゅうきゅうと泣き出した。
 たぬきたちの言葉は解らない。人には理解できないものだ。それでも頷いて相槌をうって寄り添ってやることは出来ると、霊菜はまるで子供をあやす様に優しく頭を撫でてやる。
「そうね、ちょっと勘違いしちゃって悲しかったのね」
「うん、まあ、そうだな。――ほんの少しそうだったらいいなって思ったことが自分の中で大きくなりすぎてて、違うと分かってても自分でもビックリするくらいショックが大きくなっちゃうことってあるよね」
「動物たちにとっては干支問題って深刻なんだなぁ」

 それも、人には解らない領域だ。
 たぬきたちを順番に撫でてやりながら、疾風はしみじみ思う。

 星詠みである彼には思い当たる節があるのだ。「干支に入るのにゃ!」とプンスカした猫の簒奪者への対処をお願いしたことがあった。もしかしたらたぬきたちも違う方向へ熱意が向いたら、おもてなしではなく悪意に染まっていたかもしれない。

「でもさ、たぬきは『他抜き』で商売繁盛の縁起物だったりするだろ? わざわざ干支に入らなくても、たぬきって縁起がいいじゃん」

「……それは、そうね?」
「確かに」

 思い出したように疾風が零した呟きに、霊菜と桜は頷いた。
 確かにそうだ。
 自分の得意を、長所を売り込むことは大事だろう。干支じゃないからと卑下する必要も、哀しむ暇もないくらいにたぬきたちは知名度も人気もあるのだから。

 干支に入れないのは、多分、たぬきたちにとっては大きなことだった。
 それでも、こうして勘違いした自分たちを慰めに来てくれる人間たちの温かさの前では、なんでもないことのように心が解れてゆく。
「ほら、おいでおいで」
 桜の手招きに近くにいたたぬきたちは素直に寄っていく。
「足つぼのお返しに軽いマッサージをしてやるからさ」
 優しい仕返しの時間だ。
 おもてなしに返すのは、おもてなし。
 桜の冗談交じりのセリフに、霊菜と疾風は苦笑いするしかなかったけれど。

「ああほら、そんなにないてちゃ瞳が溶けちゃうわよ」
 霊菜の手がよしよしとたぬきの頭を撫でる。
 撫で心地にたぬきは満足そうに丸くなり、霊菜も辞め時を見つけられずもふもふし続けてしまった。

「おもてなし、ありがとう」

 疾風の周りも、霊菜の周りも、桜の周りも、たぬきたちでいっぱいになった。
 茶色のもふもふに囲まれる。
 あたたかで、やさしい空間。
 膝の上に、肩に、背中に重なりながらたぬきたちの笑顔が咲く。

 ただ、少しだけ。勝手に期待して、勝手にしょんぼりしてしまった。それだけだったのだ。



――たぬきたちは、焼き芋の甘い香りを残し、満足そうにふわふわを揺らしてダンジョンの奥へ帰って行った。



「さて」

 大団円、のはずなのだけれど。

「……よし!!」
「……っ、行くわ」
「うん、まあ、行くしかないな」

 お家に帰るまでが|仕事《・・》なのだと。

 疾風は気合を入れ、霊菜は無の境地を目指し、桜はどうにかなると諦め、――あの足つぼ地獄を再び通らねばならないという現実に向き合うのだった。

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挿絵イラスト