瑞光に泳ぐ屍盗魚
●水中トンネル
ダンジョン『鈴の洞窟』内。ガラスでできた水中トンネルの中は、ひんやりと湿った空気に満ちていた。
壁の向こうでは紅白の珊瑚が淡く光り、しめ縄のように絡んだ泡が揺れるたび、きらきらと輝いている。海の底にありながら、周囲の水は澄んだ青色で、初日の出に照らされているようだ。
耳を澄ませば、ちりん、ちりんと軽くて丸い音が聞こえる。これはきっと、冒険者への祝福だ。
――ただしそれは、音の主がウイルスに冒されていなければ、の話である。
●ご案内
「ダンジョン『鈴の洞窟』で採れる、縁起物の珊瑚。ご存じですか?」
集まった√能力者たちに語りかけながら、リリィ・インベント(編纂者の蕾・h00075)が、瓶を机にコトリと置いた。瓶の中では、紅白の珊瑚の欠片が淡く光を帯びている。
「『鈴の洞窟』は海の中にあるダンジョンです。でも、冒険中に濡れたりする心配はありません。陸地にある洞窟に入れば、そこから海中のガラス製ダンジョンに入れるんです。水族館にある水中トンネル――それを大きくしたものを想像してもらえれば、分かりやすいでしょうか。トンネルの外、海中に生える紅白の珊瑚が淡く光っていて、とても綺麗なんです。その珊瑚は、こうして欠片になっても一年は光を保ち、その光が冒険者に加護を与えると言われています」
しかし、トンネルの外に生えている珊瑚を、どうやって手に入れたのだろうか。
「その秘密が、このダンジョンに生息するガラスの金魚型モンスター『シーフフィッシュ』です。このダンジョンで唯一『シーフフィッシュ』だけが、ガラスの壁を通り抜けて、珊瑚の近くまで行くことができます。『シーフフィッシュ』は気に入った物を体に吸い込む性質がありますから……海で光る珊瑚の欠片を体に抱え込んで、またダンジョンに戻ってくるんです。珊瑚を抱えた『シーフフィッシュ』は宙を泳ぐたびにきらきら光って、鈴のように音を奏でて……こちらも海中の珊瑚に負けず劣らず、とっても綺麗なんですよ」
『シーフフィッシュ』は冒険者に会うと、体内に抱えた光る珊瑚を複製して落としていく。それが一年の縁起物として、縁起を担ぐ冒険者たちの間で人気を集めている。
「例年この季節、『鈴の洞窟』は新しい珊瑚を求める冒険者で賑わいますが……今年は問題がありまして。ダンジョンの奥でゾンビ化した『シーフフィッシュ』が確認されたんです。そのため、現在ダンジョンは一時的に封鎖されています。皆さんには、その退治と最深部の調査をお願いしたいのです」
ガラスのトンネルを泳ぐ、ゾンビ化した『シーフフィッシュ』。ダンジョン内は戦闘可能な広さがあり、壁のガラス自体にも十分な強度があるが、万一にも戦闘で壁を破壊しないよう、注意が必要だ。
「ダンジョン入口にはゾンビモンスターはいないようですので、縁起物の珊瑚を手に入れる余裕はあります。でも、ゾンビにはくれぐれも注意してくださいね。噛まれると、ゾンビになるそうですので……」
そう言ってリリィは頭を下げ、「皆さんに加護がありますように」と、皆の出発を見送った。
第1章 冒険 『アクアリウムダンジョン』
●
年が明けて最初に友達と会う日――その挨拶は、いつもより少し特別だ。
「ラナちゃん、あけましておめでとうございます! 本年もどうぞよろしくお願いいたします!」
「シュシュ! あけましておめでとう! 今年もよろしくね!」
新年の挨拶を交わし、シュシュ・エクレール(あまい、あまい・h05089)とラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)は微笑みあう。
「これ、お年賀です!」
「わ、ありがとう♪ 開けていい?」
シュシュが手渡した箱をラナがそっと開けると、ネコを形取った、ころんとした和菓子が、こちらを見上げていた。
「可愛い~~!」
「ふふ、練切です」
「……? ねり……?」
ラナにとってはまだ馴染みのないお菓子だったが、パティシエのシュシュが作ってくれたものだ。きっと美味しいに違いない。
練切の話に盛り上がりながら、鈴の洞窟までの道のりを歩いていく。友達と一緒なら、あっという間だ。
●
「わ~~!!」
「やっぱり、海の中って綺麗!」
足を踏み入れたダンジョンでは、地面に水の揺らぎが映り、波紋の影が行き交っていた。朝の光を含んだような青に覆われたガラスのトンネルが奥へと続く。わずかに含まれる磯の香りが二人に、ここが海の底であることを思い出させる。
「海のなかをこうして歩くのは、はじめてです!」
「ボクも! こんな素敵な所を探索できて、縁起物の珊瑚まで貰えちゃうなんて。一石三鳥ぐらいあるよね!」
壁の向こう――海中で光を帯びる紅白の珊瑚を眺めながら歩くと、まるで泳いでいるかのようだ。
「シュシュって、海で泳いだことある?」
「近くを散歩したことはありますが、言われてみれば泳いだこともないです……!」
「泳ぐのも、すっごく綺麗で気持ち良いんだよ! 今年の夏は一緒に泳ぎに行こうね♪」
「ご一緒してもよろしいのですか!? ぜひぜひ!」
早速、二人に夏の楽しみが増えた。今日ここで手に入る喜びは、三鳥だけで収まりそうにない。
そのうちに、ちりん、ちりりんと、鈴の音色が近づいてきた。その音を追いかけるようにして、淡い光を抱えたガラスの金魚たちが姿を現す。――このダンジョンの、名前の由来。鈴の音の主だ。
「あ! あれが『シーフフィッシュ』じゃない!?」
「あ、あれが……! すごい、アメ細工のようにきれいですね……」
「うん。キラキラで、鈴みたいな音を鳴らしてる……♪」
その姿を眺めていると、やがて数匹の金魚たちが二人に興味を持ったのか、ぷくぷくとシャボン玉を吐きながら近づいてきた。
「うわわ、こっちに来たよ!? ま、まじまじと見られてる……っ! 喧嘩……?」
「ラ、ラナちゃん? ここは穏便にいきましょう、穏便に、ね……!?」
急な来訪に尻尾をビタンビタンと振って興奮するラナを、シュシュが慌ててなだめる。しかし、金魚たちはそんな二人をお構いなしにゆらゆらと周囲を漂ったかと思うと、腹に抱えた宝物の複製をポトリと落とした。
「! 何か落とした……! これ、もしかして紅白珊瑚……?」
「いただいてよいのですか? ありがとうございます、お魚さん!」
満足したのか、再び思い思いに泳ぎだした金魚たちに礼を述べ、淡い光を帯びた紅白の珊瑚を拾い上げる。
「にゃは! これをくれようしてたんだ!」
「またひとつ、おそろい、ですね」
「シュシュと綺麗なお揃いができて、嬉しい♪」
「ふふ、ベッドの枕元にかざろうかな」
手に入れたばかりのおそろいを、シュシュはそっと握りしめた。この珊瑚は、きっといい夢を運んできてくれるに違いない。
●
「鈴の洞窟。海の中にあり、水中トンネルのよう……。そんなダンジョンがあるのだなぁ」
洞窟へ向かう坂道を歩きながら、トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は星詠みの話を思い出していた。
「それは、実物を見られるのが大変楽しみだ!」
やがて、洞窟が見えてきた。お楽しみのダンジョンは、この先だ。
●
澄んだ青に沈むガラス張りのダンジョン内はほのかに暗く、以前に訪れた水族館を思わせた。その雰囲気に、足取りも軽くなる。
話に聞いていたガラスの金魚『シーフフィッシュ』は気ままに宙を漂っており、尾びれを振って泳ぐたびに、りん、りん、と音を奏で、きらきらと光を撒いていた。たまに腹に何も抱えていない金魚がいるかと思えば、ガラスの壁をまるで意に介さずにするりと通り抜けて、海中で光る珊瑚を抱えて戻ってくる。
「不思議だなぁ。ガラスの壁を通り抜けていったり、気に入った物を体に吸い込む性質のモンスター……」
ガラスの壁に触れると、ひんやりとした冷気が伝わってくる。分厚く硬いその壁は、金魚以外を通す様子はない。
金魚たちがダンジョンと海を行き来し、お気に入りを手に入れる様子をしばらく追っていたトゥルエノはやがて、その姿に持った感覚を、過去にも感じたことを思い出した。
「まるでアレだなぁ。宝物を集めるヒトのようでもあるが……おっと?」
そのとき、立ち止まっていた姿に興味を持ったのか、何匹かの金魚がトゥルエノのもとへふわふわと泳いできた。金魚たちは、気を引くかのようにトゥルエノの周りをちりん、ちりりんと回ったあと、自らに抱え込んだ珊瑚の複製をポトリと落とす。
「――わたしにも、サンゴのお裾分けをくれるのか?」
紅白の珊瑚は淡く輝き、拾い上げて手に包むと日の出のように光りが漏れる。
「これは、とてもめでたい気分にもなってくるな〜」
複製を落として満足したのか、ぷくぷくとシャボンを吐きながら去っていく金魚たちを見送って、トゥルエノは再び、壁の向こうに目を遣った。もう少しここで祝福の鈴音を浴び、めでたく眩い海の光景を眺めていくとしよう。
●
海の底にあるガラス張りの洞窟。外では大自然に晒されているというのに、透明な壁には苔も生物も付着しておらず、ここが特異な空間――ダンジョンであることを示していた。澄み切った青に包まれた空間は、想像していたよりも広々としている。
「俺の巨体でも詰まらないのは、ありがたいぜ」
発した言葉が軽く反響して、潮の香りに溶けていくのを確かめてから、ウィズ・ザー(闇蜥蜴・h01379)は7メートルを超える蜥蜴の体を揺らし、「なァ」と後ろを振り返った。
すぐ後ろを歩いていたアゥロラ・ルテク(絶対零度の虹衣・h08079)も、双眸を細めている。海の洞窟ではあるが、不思議とじめじめした不快感はなかった。冬の朝のようなひんやりとした空気の中で、ちりん、ちりん、と響く音が心地良い。音の先には、明るい海中と比べて薄暗い洞窟の中を思い思いに泳ぐ『シーフフィッシュ』のきらめきがある。時々ぷくぷくと吐く泡もシャボン玉のように宙に浮かび、薄く色づいては弾けていく。
光を捉える眼球を持たないウィズにも、ほどよく暗いこの洞窟の陰影は居心地が良かった。アゥロラの微笑みを確かめて、音の鳴る金魚の陰に鼻先を向ける。抱えた珊瑚や金魚自体のサイズで異なる音を楽しみながら、二人でのんびりと歩みを進めていく。
ちり、ちり、ちりん。ちりん。カラ、カラン。
やがて二人の近くにも、金魚が何匹か集まってきた。円く軽やかな音に混じる乾いた音が気になって、アゥロラがウィズの鼻先を覗きこむ。そこには、一匹が一際大きな珊瑚を二つも抱えていた。カラカラカラという響きは、腹の中で珊瑚同士がぶつかる音色だ。
「食うのが好きな金魚もいるんだなァ」
ウィズが笑い、カラカラと奏でる金魚を鼻先でツンと突く。すると、突かれた一匹を皮切りに、何匹かが一斉に、抱えた珊瑚の複製をポトリと落として去っていく。
「おや、みんな落としたな。ハーバリウムってヤツかねェ?」
去っていく金魚たちを見送っていたアゥロラの手に、ウィズが紅白の珊瑚を渡す。ガラスの金魚に収まっていなくとも、その珊瑚は淡く輝いている。
しげしげと珊瑚を翳して眺めるアゥロラの肩に、いつの間にか小さくなったウィズがひょいと乗った。
「幾つか拾って加工に使っても、面白いかも知れねェな?」
先ほど金魚たちが落とした珊瑚は、赤が多いものや白が多いものもある。折角なら、拾っていっても良いだろう。加工しても、これらの珊瑚はきっと美しいままだ。
いくつかの珊瑚を拾い集め、二人は鈴の音色に彩られた光景――あるいはその陰を愉しみながら、のんびりと散歩を続けていく。この先にはゾンビが居るらしいが、この景色ほど珍しいものでもないだろう。
●
「あれが『シーフフィッシュ』か」
足を踏み入れた水底のガラス回廊はひんやりとした冷気に満ち、外の海には珊瑚の淡光と泡のきらめきが広がっていた。明るい青に包まれた仄暗い洞窟の宙には、ちりん、ちりりんという音が静かに響き、淡い灯りが揺れている。ガラスの金魚たちが尾びれを振って進むたびに、体に抱えた珊瑚が転がり、光と音がこぼれ出す。
最近になって『釣り』という新しい趣味を手に入れたルスラン・ドラグノフ(лезгинка・h05808)としては、ガラスの金魚をぜひとも今日の釣果として、ゆっくり観察したいところだ。気に入った物を体に吸い込む性質ということは、餌は?——と思考が流れかける。しかし、ルスランはそれを慌てて振り払った。今回のお目当ては、あくまで別だ。
「赤くてよく光る珊瑚が欲しいな。あいつはぴかぴか光る物が好きだから——」
太陽のような顔を思い浮かべつつ、ルスランは【|モロズコ皇帝の軍隊《モローズィクインペラトル》】を招集する。
√能力により集められたペンギン兵士は、ルスランの指示で一斉に散らばっていく。金魚たちも、急に現れたペンギンに興味を惹かれたのか、ぷくぷくと泡を吐いて、その周りを泳ぎ始めた。やがて牧羊犬にまとめ上げられた羊のように、金魚たちも一つの群れとなり、しゃらしゃらと鈴音を束ねてルスランの方へと泳いでくる。
「綺麗な『シーフフィッシュ』。それを追いかけて、とてとて歩くペンギンの絵面。——実に映えるね」
スマホでその様子を撮影し、その出来映えを確かめたルスランは、兵士を再び散開させた。途端に金魚たちは再び散り散りになったが、そのうちの数匹はそのまままっすぐ、ちり、ちりんとルスランに近づき、体に抱えた珊瑚の欠片を落とした。その中には、探していたものも含まれている。——ふんわりと輝く、真っ赤な珊瑚だ。
「よし、綺麗だ。お目当ての珊瑚も入手、と」
少し先の、妹への誕生日プレゼントは、これで決まりだ。
「そうだ、お前たち。奥の方には行くなよ?」
ルスランは、周囲に散ったペンギン兵士に新しい指示を出す。
「ゾンビの『シーフフィッシュ』がいたらすぐ知らせるんだ」
入り口付近にゾンビはいない——そう聞いてはいるが、警戒するに超したことはない。
●
「綺麗な洞窟だわ、心地よいわ」
「あぁ、綺麗なところだ。ここが鈴の洞窟か……」
磨かれたような澄んだ青の海には紅白の珊瑚が淡雪のように光り、その欠片を抱えたガラスの金魚『シーフフィッシュ』が、鈴の音色を奏でながら宙を自由に漂っている。
「綺麗な金魚も泳いでいるわ。ハーバリウムみたい」
紅と白の珊瑚を抱えた金魚がこぼす光が薄い桃色に見えて、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は、桜揺蕩うハーバリウムの尾を持つ美しい|桜龍神《ママ》のことを思い出していた。
詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)も、金魚たちが鳴らす鈴音に耳を傾けている。ちりん。ちりりん。気ままな調べが軽く洞に反響し、溶けていく。心がほどけ、自然と口元が緩む。
「──て、和んでる場合じゃないか」
イサがふと気がつくと、ララが泳ぐ金魚を追って、ふらりと歩き出していた。
(このちょこまか聖女サマを、しっかり見てないとな)
このダンジョンに生息する『シーフフィッシュ』には敵意がないと聞いている。とはいえ、万が一の可能性は考えておかねばならない。
そう気持ちを切り替えたイサの変化に、ララも気づいて振り返った。
「イサも、そんなに警戒しなくてもいいのに……。わるいこではないって、聞いたでしょう?」
そういうところも可愛いのだけれど——その言葉は、胸の内に仕舞っておこう。そう思ったそのとき、目の前に、そっと手が差し伸べられた。
「警戒心がないな、ララは。だから俺がついてるんだけど——ほら」
思わずララが首を傾げると、「つなぐの」という言葉が降ってくる。
「噫……お前、ララと手を繋ぎたいの? 可愛らしいことね」
「は!? 違う! はぐれないように!」
ララは、その言葉にふくふくと笑って、その手を握る。
「反論なんてきかないわ。可愛いもの」
「———。ほら、行くよ」
ガラスの向こうで紅白に輝く珊瑚を眺めながら、二人は鈴の音が降る道を歩いていく。
「イサは、ガラス越しじゃない珊瑚を見た事あるの?」
少し歩いた頃、ふと、ララがイサを見上げて問いかけた。
「まぁね。俺は海戦用の人形だからな」
一度はそう答えたイサだったが、海の中で淡く光る珊瑚を見つめて、再び言葉を紡いでいく。
「……でも、こうやって綺麗な珊瑚をのんびり眺めるのは、はじめてかも」
「ふふ。じゃあ今はのんびり、綺麗な珊瑚を楽しみましょう」
立ち止まって触れるガラスの壁は、ひんやりと冷たい。その向こうで、珊瑚に連なる泡がゆらゆらと揺れ、煌めいている。
「——あら、金魚がきたわ」
立ち止まる二人に興味を持ったのか、やがて何匹かの『シーフフィッシュ』が近づいてきた。すっと手を伸ばせば、その体から紅白がこぼれ落ちる。
「これは安全そうだな。綺麗な珊瑚だ」
イサが拾い上げた珊瑚は、紅と白がマーブル状に混ざり、煌めいていた。
「これが紅白の珊瑚……貸して?」
イサから手渡されたそれを、ララが躊躇なくポキリとへし折る。
「わ! 真っ二つに!?」
「縁起物でしょう? お守りよ。福は、わけっ子しないとね」
「え、半分こでお守りに……?」
半分こになった瞬間は少々慌てたイサだったが、その理由を聞くと、横を向いてポツリと一言呟く。
「まぁ……悪くない、かな」
「嬉しいくせに。素直じゃないわね」
りん、ちりん、と鈴の音が降り注ぐ。その中で二人は笑いあい、再び手をつないで歩き出した。
●
普段は、鳥居の先に広がる小さな箱庭――瑞謐の禰で話に花を咲かせている四人だが、今日に限っては、周囲に透き通った青い海が広がっていた。
眼前のガラス越しには、四季折々の花に代わって紅白の珊瑚が淡く光り、泡が祝祭の飾りのように揺れている。時折、ガラスの金魚『シーフフィッシュ』が珊瑚に近づいては、すぅっとその一部を吸い込み、分厚いガラスの壁を通り抜けて、四人のいるトンネルへと戻ってくる。
海から戻った『シーフフィッシュ』はトンネルの中を気ままに泳ぎ、その体に抱えた珊瑚が転がるたびに、ちりん、ちりんと音を響かせ、ぷくぷくとシャボン玉のような泡を吐いている。ここの冷たく湿気を帯びた空気や微かな磯の香りは、この金魚たちが海から持ち込んでいるのかもしれない。
「硝子の隧道、色とりどりの珊瑚にその美しさを身に宿す|硝子金魚《シーフフィッシュ》……。確かに、まるでお伽噺の様な光景であるな」
狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)の言葉が軽く洞窟に響き、湿り気の中に溶けていく。
「そうだね。まるで自分達が、アクアリウムの一部になったみたい。海の中をこんな風に見られるなんて」
海の底に沈む、ガラス張りのダンジョン。八代・千桐(五色綾なす瑞雲・h02637)は心の中で、紡がれた縁に感謝を述べる。こうして、この景色を皆と共有出来るのは、嬉しい限りだ。
目の前に広がる光景に心を奪われていたラブ・バレンタイン(愛を尊ぶ戯言・h05493)は、二人の会話に、はっと我に返った。
(一人だといつも迷子になってしまう吾輩だが……みなみなが居てくれる今日は、安心なのだよ)
ちらりと横目で一緒に来た仲間を見て、その存在に安堵する。
「それにしても、海の中なのに『鈴の洞窟』という名なのは、面白いねぇ。それに、『しーふふぃっしゅ』か。ガラスの風鈴みたいで、きれいだ。」
しみじみと話始める各務・鏡(自称写真機の付喪神・h09413)に、澄夜が答えた。
「硝子窟でもあるが、この鈴鳴りの音色もまた人の心を掴んで離さぬが故の『鈴の洞窟』なのだろうな」
「鈴の音、とても好きなんだよね」
千桐が、耳を澄ませる。ちりん。ちりりん。『シーフフィッシュ』の奏でる不規則な鈴の調べに、気持ちが静まる。音が溶け込んだ心が次第に澄みわたり、綺麗になっていく。
「鈴の音は魔を退けるとも聞くが、この澄んだ響きを聞けば得心がいくな」
研究者である澄夜としては、この音色がどのように生まれるのか、気にはなった。ガラスの金魚に珊瑚が入ったところで、こんなにも綺麗な音色になるのだろうか。しかし、今はそのことを考える時間ではないと、一緒に耳を澄ませている。
一方、鏡は始終キョロキョロと、周りを見渡していた。宙を泳ぐ金魚。ガラスの洞窟。光る珊瑚に、海の底とは思えない青さ――どれも目を惹くものばかりだ。
その様子に気づいた澄夜が、声をかける。
「鏡殿は神の一員でいらしたな。こういう地は珍しいのかな?」
「うん、付喪神としての人生はそれなりに長いけど、外出するようになったのは割と最近……ええと、完全に人の姿で生活をするようになったのは、戦中戦後ぐらいからなんだよね。それまでは箱とか祠とか、写真機の中ばっかりだったからさ」
「祠……御神体として奉られていたのだな。だが、写真機の中……は、少し予想が着かぬな。レンズ体になっていた等か?」
「なに。付喪神の神生も、いろいろあってね」
友の新しい一面に触れる――それも、旅の喜びというものかもしれない。
やがて、澄んだ鈴の音を楽しんでいたラブと千桐の近くに、ふわふわと数匹の『シーフィッシュ』が漂ってきた。ラブが、そっと「此方においで」呼びかけてみると、言葉を解するのか偶然なのか、二人の方へと向かってくる。
「八代くん、こっちに来るのだよ……!」
「本当だ……!」
二人の歓声に、澄夜と鏡も『シーフフィッシュ』が近づいてくることに気づき、集まってくる。
ゆらりと近づいてきた『シーフフィッシュ』たちは、四人の目の前まで来ると、体からポトリと淡やかに光る珊瑚を落とした。
「これは頂けるので? ありがとうなのだよ。」
「ありがとう。俺に君達のたからものをくれるの?」
「ふふ、此は」
「いいね。元から光り輝くことは当然として、磨くことでなお輝きを強くする宝石類。うらやましいね」
金魚たちへ思い思いに礼を伝えて、お互いの珊瑚を確かめる。形や色合いは、それを落とした金魚によって異なっている――自分だけの珊瑚だ。
ラブは無邪気に笑う。拾い上げて優しく仕舞ったそれは、今日という日の思い出だ、と。
澄夜は気づいている。この珊瑚が、自分たちだけの瑞兆であることを。
鏡は知っている。祝福とともに、人も磨かれることで美しくなることを。
千桐は願う。今年も皆に幸が降り注ぎますように、と。
「皆は、どんな素敵な珊瑚をもらえたかな?」
千桐が皆に問いかける。話には、まだまだ花が咲きそうだ。
第2章 集団戦 『シーフフィッシュ』
●ダンジョンの奥
やがてたどり着いた広場では、群れをなした『シーフフィッシュ』が、まるで一匹の大きな魚のように、ゆらゆらと宙を泳いでいた。進むたびにきらきらと光を反射し、シャラシャラと鈴の音を重ねるその姿は、目を背けたくなるほどの神々しさだ。
しかし、この光景は本来ありえない。ここまで進んできたあなたは知っている。――このダンジョンに生息する『シーフフィッシュ』は、群れて行動するようなモンスターではない、と。生物を生きながらゾンビに変える、感染性の細菌兵器――『ゾンビウイルス』が、この群れの意志を無理やり一つにしている。
あなたの姿を認めた瞬間、『シーフフィッシュ』は一斉に距離を詰め、牙をむく。
――あなたも、同じ感染者とするために。
●
(先ほど見かけた『シーフフィッシュ』とは、明らかに感じが違うな……)
ルスラン・ドラグノフは、通路の先で群れをなすガラスの金魚を観察していた。重なり合って輝くその姿は、かえって本来の透明感を失わせていた。それぞれが体に抱える珊瑚の影で、中心は濁っているようにすら見える。あるいは、金魚たちが既に『ゾンビウイルス』に感染しているから、そう見えるのだろうか。
そのとき、一匹の宝石眼が煌めいた。
(―――! もしかして視認された!?)
群れが波打つ。無数の鈴音を響かせながら、シャンデリアのような塊が瞬く間に迫ってくる。尻尾による、はたき打ち。金魚一匹だと可愛いものだろうが、群れとなって繰り出すそれは、鯨尾の放つ殴打に見える。
「めちゃくちゃ凶暴になってる!」
慌てて身を躱し、横殴りに落ちてくるそれへ衝撃波をぶつけ、勢いを殺ぐ。
次の瞬間。
「――氷華よ、咲け!」
びちびちと跳ね散っていた金魚たちが、真っ白な霜に覆われ、地面にばらばらと落ちた。ルスランの放つ【|降誕祭の前夜《スヴィヤティイ・ヴェチル》】が、周辺を極寒の空間に変えたのだ。
「……ゾンビの魚なら、氷結よりも燃やしたほうが良かったかな?」
白い息を吐きながら、足元に転がる金魚を眺める。急激な冷却に耐えきれなかったのか、それらはパキパキと悲鳴を上げて、ひび割れていく。
「まぁ、いいか」
ゾンビ化が空気感染したという話は聞かない。噛まれなければ、問題ないのだろう。
海とダンジョンを隔てる分厚いガラスも、すっかり霜に覆われた。真っ白に染まった壁は、珊瑚の光すら柔らかく隠している。
(この先にも、ゾンビになった魚は居るのかな)
様子を伺いながら先へと進むルスランに、突如、背中に触れられたような悪寒が走った。
カッ――。
咄嗟に張ったエネルギーバリアに、硬質な何かが弾かれる。――ゾンビ・シーフフィッシュだ。その身に何も抱えない一匹が、霜に覆われたガラスを通り抜け、音もなく噛みつこうとしていたのだ。
護身用のナイフでその金魚を叩き割り、飛び散る破片が床に舞うのを眺めながら、呼吸を整える。
「これは……うっかり背後を取られたら、あっという間にゾンビな吸血鬼になってしまう! それだけは勘弁だなぁ……!」
ガラス壁の霜を手でさりさりと拭い、海の様子を確かめる。もう、ここにはいない。
(念には念を入れて、エネルギーバリアは常時展開しておいた方がいいかもしれない)
氷華の加護があるとはいえ、噛まれればゾンビ化は避けられないだろう。自らの勘働きに感謝しつつ、ルスランは改めて気を引き締める。
――ここは既に、ゾンビが蔓延する場所なのだ。
●
リオル・グラーヴェルター(|葬竜《ドラゴンゾンビ》・h01271)は、体内に珊瑚の欠片を抱え、シャラシャラと鈴の音を重ねて泳ぐガラスの金魚――『ゾンビ・シーフフィッシュ』の群れを見つめていた。噛まれるとゾンビになるという、『ゾンビウイルス』に罹患したモンスター――どの√であっても、進出されれば看過できない脅威となるのは間違いない。そう判断したリオルは、|方尖柱《オベリスク》を勢いよく地面に叩きつけた。
ゴォォォン――。
【魂穿つ鐘の音】。死者を送る鐘の音が、洞窟に響き渡る鈴の音を掻き消していく。
その音で金魚たちがリオルに気づき、一斉にぷくぷくと泡を吐き出した。一匹一匹では可愛い泡も、群れとなれば怒濤のようになる。
――だがそれは、本来の力を振るえた場合の話にすぎない。鐘の音に共鳴したガラスの体が意に反して震え、金魚たちは上手く泡を作れない。
その隙を逃さず、リオルは群れの中に方尖柱を叩き込む。爆ぜるようにガラスの金魚が砕け散り、破片が地に降り注ぐ。
「墓碑銘は無料で刻もう。リクエストは受け付けていないがね」
共鳴でまともに動けない金魚たちに、なす術はない。砕けたガラスと珊瑚の山――ゾンビ・シーフフィッシュの墓が築かれるのは、もはや時間の問題だ。
●
「あら、イサ。おさかなが集っているわ」
緩やかに曲がるガラス洞窟の先で、『シーフフィッシュ』が群れなしていた。シャラシャラと鈴音を重ね、ガラスの金魚同士が珊瑚の光を反射し煌めいている。
それを見たイサが、ララをかばうように一歩前へ出る。
「気をつけろよ……こいつら、様子がおかしい」
これまでに見てきた金魚たちは、それぞれが自由に宙を漂っていた。恐らく『ゾンビウイルス』が、金魚たちの行動を変えているのだろう。噛みついた相手をゾンビに変える、感染者。油断はできない。
「ふぅん……つまり、この子たちがゾンビってわけね。こんなにも綺麗なのに、無理やり意志を塗りつぶされて、可哀想に。――いいわ、救ってあげる」
「気をつけろよ、ララ。ゾンビ聖女なんて笑えないぜ」
忠告するイサの顔を、ララの赤い瞳が覗きこむ。
「あら。お前がいるのに、ララが何かを案じることがある?」
イサにとって、守護すべき対象はララだけだ。どんなことがあっても救ってくれる――ララの笑顔が、そう告げている。
「ま、当然だとも。俺がいる。――そんな目にはあわせない」
「頼もしい事ね」
二人で笑い合った後、巨大なナイフ【窕】とフォーク【銀災】を手に、ララが告げる。
「さぁイサ、哀れな魚に救いを齎しなさい」
「仰せのままに、聖女サマ」
ゾンビ・シーフフィッシュに救済を。それがララの願いなら、救ってやってもいい。イサも漆黒の蛇腹剣【dea.THETIS-ABYSS】を構え、ララと共にゾンビの前へと飛び出した。
ゾンビ・シーフフィッシュたちの反応は、早かった。群れを作ることで、宝石眼での索敵範囲を広げているのだ。一斉に二人を目掛けて泳ぎ出す。数多の珊瑚の輝きがゆらぎ、鈴音と共に歪んで走る。
しかし、ララは動じない。イサが守ってくれるから、何の心配もしていないのだ。
「花一匁、しましょ」
|迦楼羅天《パパ》と|桜龍神《ママ》の恩頼――桜一華をその身に包み、破魔の迦楼羅焔を纏わせたカトラリーで、襲い来るガラスの金魚を次々と灼き切っていく。【|花一匁《アナタガホシイ》】は、遍く一切衆生を灼き祓う桜禍の祝福だ。温めたナイフでバターを切り分けるように、僅かな抵抗もなくガラスの金魚が両断されていく。
しかし、焔に飛び込むように、金魚たちは一直線にララを狙う。
「おっと、近寄らせはしないからな!」
イサが蛇腹剣でなぎ払い牽制するものの、ゾンビとなった金魚たちは全く意に介さない。自らの複製を産みだし、噛みつかんと突っ込んでくる。
だが、そのガラスの牙が届くことはなかった。
「――【|告海ノ花《アビスフルール》】」
蛇腹剣から水撃のレーザーが走り、ララに近づく金魚たちを叩き割っていく。
「噛ませるなんて、ごめんだからね!」
「お前こそ、噛まれないでね」
泡沫のバリアを巡らせて死角を守るイサに、ララが声をかける。全てのゾンビが消えるまで、二人の焔と水が洞窟に踊る。
やがて、鈴の音が消えた。
「……生命そのものを冒涜するかのような行為。……ホント、趣味が悪いったらないね」
剣を納めたイサが吐き捨てる。ゾンビウイルスに感染していなければ、この金魚たちを退治する必要はなかった。
ララは、ガラスの破片のなかに転がるシュネーを見つめていた。あわいの桜の色をした、とこしえの春の半分が眠る、ママが作ってくれたクマちゃん――ララの宝物の複製を、シーフフィッシュが最後に遺したのだ。
「ララはね……ゾンビにされた魚達が安らか救われることを願うわ。今、叶えてあげる」
咲かせるように放たれた迦楼羅焔が、地に落ちた金魚たちを焼き尽くす。
(お前たちは幸せだな、聖女サマの迦楼羅焔で救われるんだから……。ゾンビウイルスごと、弔われてしまえ)
その焔を、イサはじっと見つめていた。
第3章 ボス戦 『屍王『ラフェンドラ・オピオイド』』
●ダンジョン最深部
『ゾンビ・シーフフィッシュ』の群れは退治したはずなのに、ダンジョンの奥では、いまだシャラリ、シャラリと鈴の音が響いていた。
最深部まで進むと、そこには広い空間が広がっていた。中央では、一人の女性がこちらに背を向けて、楽しげに周囲の『シーフフィッシュ』と戯れている。
「素晴らしいですね。……統制下にないとはいえ、群れとなった『ゾンビ・シーフフィッシュ』をものともしませんか。噛まれていないのは残念です。――いえ、それでこそ……ここは『期待以上です』と言うべきですね?」
こちらを振り返り、『シーフフィッシュ』の煌めきに囲まれて微笑む、黒ずくめの女性。彼女こそ、屍王『ラフェンドラ・オピオイド』――ゾンビの創造主だ。
「あなたたちこそ、おねえさまの献体にふさわしい……!」
ラフェンドラが手に持つ頭骨をそっと撫でた。それに呼応するように『シーフフィッシュ』が一斉にこちらを向く。鈴の音がピタリと止まる。
「待っていてください、おねえさま。わたしは……絶対に諦めません」
直後、鈴の調べが再び空間に木霊した。
●
(この人がゾンビ化の黒幕か。……そもそも、『人』でいいのかな)
ルスラン・ドラグノフは、屍王『ラフェンドラ・オピオイド』の様子を伺っていた。周囲を泳ぐシーフフィッシュの煌めきが、青白い肌をまだらに照らしている。このダンジョンに訪れた者をゾンビに変え、『おねえさま』の検体にすることが目的らしい。
「でも、男の――僕の身体を検体に使ったら、その『おねえさま』は『おにいさま』になりませんかね?」
気にしないのかな、とつい口をついて出た言葉に、ラフェンドラが微笑む。
「おねえさまは、おねえさまです。絶対にどうにもならない事など、この世にはないのですから……!」
「なるほど。男でも関係ないってわけだ……!」
ラフェンドラの動きに呼応し、シーフフィッシュが一斉に向きを変える。ゾンビ化した金魚たちは、ラフェンドラの意のままに操られている。
ガラスの金魚たちに遮られ、ラフェンドラの姿が歪む。それと同時に、ルスランは地を蹴って走り出す。
(黒幕に加えて、さっきも苦労したゾンビ・シーフフィッシュまで。相手するには厄介すぎるよ。……おっと!)
金魚が次々と、ルスランに噛みつかんと迫って来る。呪詛を唱え衝撃波で吹き飛ばすが、切りがない。
(ぼやいていても、無慈悲に迫ってくる……。やるしかないか!)
狙いは、この群れを統率するラフェンドラだ。群れとラフェンドラが直線に並ぶタイミングを見極めて、ルスランは立ち止まり、エネルギーバリアで守りを固める。
「氷華よ、咲け!」
直後、氷の弾丸――【|降誕祭の前夜《スヴィヤティイ・ヴェチル》】が撃ち放たれる。シーフフィッシュの群れにめり込み中心で花開いた華は、ラフェンドラ諸共、金魚たちを氷結させていく。
真っ白に凍り付き、パキパキと音を立てながら落ちた金魚たちが、砕けて地を覆う。
しかし、ラフェンドラは霜に覆われながらも、その瞳はいまだ爛々と輝いていた。
「あぁ、お強い。なんて素晴らしい――あなたは素晴らしい検体になりそうです!」
ルスランは黙って、二発、三発と追撃の弾丸を撃ち込む。屍王が、一撃で凍りつかないことは想定していた。何度も氷結を繰り返し、動きを鈍らせる。
弾丸も尽きた頃、ラフェンドラの興奮した呟きもようやく止まった。その様子を確認したルスランは、銃痕にナイフを突き立てて抉る。
周囲には、新たなゾンビ・シーフフィッシュが集まりはじめた。――ここが引き時だ。
まだ、屍王ラフェンドラは滅びていない。しかし、充分なダメージを与えたことは明らかだ。
●
「情報提供の時点から、もしかしたらと思っていましたが……ここで屍王『ラフェンドラ・オピオイド』と遭遇するとは! これはスクープですよ!?」
ルート前線新聞社の記者、八木橋・藍依(常在戦場カメラマン・h00541)は、地面スレスレに魔改造レギオン『千里眼カメラ』を飛ばし、戦闘の様子を離れて見守っていた。
『鈴の洞窟』を美しいガラスの金魚『シーフフィッシュ』が泳ぐ様子と、そこに蔓延した『ゾンビ・シーフフィッシュ』を駆逐している様子は、既に取材済みだ。後は黒幕が居なくなり、安全になったことを報道したい。そうすれば、このダンジョンに再び多数の冒険者が訪れるようになるだろう。
「しかし、流石は屍王。氷漬けにされても、ゾンビ金魚の統制は失われていませんか……!」
直前の攻防で数多のシーフフィッシュごと氷結されたラフェンドラだが、現在は氷から逃れた金魚たちに自らのコピーを作らせて、周囲を守らせている。回復までの時間を稼いでいるのだ。
それならば――と、藍依は“カメラマンとしての根性魂”をその身にチャージし始める。今こそ、ラフェンドラに近づく絶好の機会だ。この姿を、カメラに収めないわけにはいかない。
特別製のクロノグラフ懐中時計が秒針を刻む毎に、カメラマン魂が高まっていく。チャージ開始から、既に30秒は過ぎた。【|衝撃の瞬間!《シャッターチャンス》】が近い。
「あと10秒!」
地を蹴って、被写体へと駆ける。ラフェンドラと目が合った。周囲を泳ぐシーフフィッシュの宝石眼が一斉にこちらを射貫き、次々と襲いかかってくる。
「……3、2、1、ゼロ!」
バチッ!
藍依のカメラから、必殺のフラッシュが瞬いた。その瞬間、今にも噛みつかんとしていた金魚たちが砕け散り、ラフェンドラに突き刺さる。
「余計な真似を――!」
フラッシュとガラス片を浴びて殺意を露わにするラフェンドラを後目に、藍依は再び戦場から距離を取る。カメラのデータを確認すれば、撮影した写真には、今にも襲いかかろうとする『ゾンビ・シーフフィッシュ』と、カメラを睨む屍王『ラフェンドラ・オピオイド』が写っていた。――素晴らしい迫力だ。
「さて、あとは……いかに伝えるか、ですね!」
記事の構成を練りながら、藍依は再び戦場を見守る。この事件の真相を、正しく世界に報道するために。
●
「屍王『ラフェンドラ・オピオイド』……此奴が、ゾンビを作ってた奴か」
詠櫻・イサは、『シーフフィッシュ』に囲まれたラフェンドラを値踏みしていた。これまでの戦闘で相応の傷を負ったはずだが、ラフェンドラの表情は涼しげだ。
「屍王とは、大それたお名前だこと」
ララ・キルシュネーテが嘆息する。
「お前がこの子達をゾンビにしたの? この子達は、こんなにもうつくしいのに……。いけない子ね」
ラフェンドラが、その言葉に顔を上げる。
「いけない……? この子たち――この美しい『ゾンビ・シーフフィッシュ』たちは、生命の限界を超克したのです。『おねえさま』も、きっとお喜びになります」
噛み合わない話に、イサが鼻で笑う。
「ふぅん……狂信的な何かを感じるな。こんなのが、何処から湧いてきたのやら……」
「あら。ここで待っていたわたしの前に、どんどん湧いて出るのは、あなたたちでしょう? 誰も彼も素晴らしい……! 助かります、素晴らしい検体揃い! 目移りしてしまいます……!」
ラフェンドラが、目を細める。その姿に、ララが【窕】の切っ先を向けた。
「お生憎様ね。ララ達は、検体になどならないの」
イサも【dea.THETIS-ABYSS】を構える。
「残念だけど、その願いは叶えられない。ララには指一本触れさせないし、ゾンビ諸共、お前はここで散るんだから」
向けられたナイフと剣に、ラフェンドラは首を傾げた。
「いえいえ。絶対にどうにもならない事など、この世にはない。……そうでしょう?」
その言葉が洞窟に響くと同時に、シーフフィッシュがシャラシャラと音を立てて増え始めた。ガラスの壁に映る姿が、歪んでいく。
「イサ、わかっているだろうけれど油断は禁物よ」
「勿論だとも聖女サマ。聖女サマこそ気をつけて――ま、俺が守るけれど」
「ふふ、頼もしい騎士だこと。ララを守る栄誉を与えましょう」
「その栄誉、有難くいただきますよ」
ラフェンドラを見据えつつ、ララとイサは軽口をたたく。ララにとって、それは信頼。イサにとっては、決意の証だ。
すっ、とラフェンドラの指先が二人に向けられた。直後、ガラスの金魚たちが一斉に放たれる。無数の鈴音が壁のようになり、二人を飲み込もうと迫ってくる。
「沈めてやるよ!」
即座に、イサが射撃で牽制する。しかし、小さな金魚たちは、レーザーの隙間を縫うようにして近づいてくる。
だが、それもイサの想定内だ。ともに放った【|鳴海ノ蝕《アビスバレット》】――溟海属性の弾丸が、周囲に海鳴りを起こす。音に侵蝕されたシーフフィッシュが一斉に砕け散り、金魚の壁に穴が開く。
そこに飛び込むようにして、ララが駆ける。攻撃に金魚を割いたラフェンドラは、無防備だ。
「【影踏み】、しましょ」
ラフェンドラの眼前で迦楼羅炎が舞い、光の桜花が咲き誇る。
「―――!」
ラフェンドラの意識が、炎に奪われる。その隙に、ララはラフェンドラの影法師まで踏み込んでいた。そのまま【窕】をラフェンドラの脇腹に突き刺し、【銀災】で腕を斬り飛ばす。
「モンスターとはいえ、生命を弄ぶのは見過ごせないわ」
「限界を超えることの、なにがいけないというのです……! わたしは――絶対に諦めません!」
ラフェンドラが叫ぶ。それを受けた金魚たちが反転し、ララに飛びかかってくる。防御を棄て、ララをゾンビに変える――ただそれだけを目的とした集中攻撃。その目的を見切り、舞い散る桜焔の中に下がるララを庇うように、イサの泡沫が壁を作る。
「ふん。聖女サマには近づけさせないぜ」
続けてなぎ払われた蛇腹剣が、ラフェンドラの首を刎ねた。
「俺はララの護衛なんだ。遅れをとってはいられないからね!」
首が地を転がる。怒濤のようだった鈴の音が、次第に静かになっていく。
やがて、離れた首と胴を庇うように、ゾンビ・シーフフィッシュが集まりだした。金魚たちは未だ、屍王の支配下にあるのだろう。
「……救ってあげるわ。死して尚、操られ利用される苦しみからね」
それを、ララの迦楼羅焔が焼き祓う。破魔の炎は、屍王の纏う邪悪ごと、そのすべてを浄化していく。
「ララの迦楼羅焔で送られるんだ。幸運に思うといい」
イサの呟きを聞きながら、ララは、先に手に入れた珊瑚を思う。
――こんなにもうつくしいこの子たちが、もう二度と利用されませんように。
●
静まりかえった洞窟に、ちりん、ちりりんと、鈴の音色が響く。ゾンビウイルスが蔓延していたダンジョンの奥に、元気な『シーフフィッシュ』が戻ってきている。
光る珊瑚が、金魚たちに抱かれて瞬く。
――どうか、この地を訪れし者に、幾多の幸があらんことを。