ゆりかご
●荊の檻
荊の檻のことりたちは、今日も静かに囀る。
いちばんうつくしい歌声で、いちばんうつくしい姿で、いつか立派な鳥になってあの青い空を優雅に飛びたい。
ことりたちの瞼は閉じる。掠れた声は必要ない。醜い姿も必要ない。ここではなにも必要ない。心配もいらない。
けれど、荊の檻から出ることが出来るのは、たったの1羽のみ。全てを兼ね備えた者だけが、夢から目覚めることを許されるの。
ここは、|荊の檻《ベッド》の中。安らかに眠る少女たちは、目覚めることを夢に見る。
「おそとはこわいよ、みんなここにいよう。」
ずるり。
蠢く青の騎士が、薄い天幕を優しく撫でた。
●彼曰く
「怪異だとよ。」
いつの間にそこにいたのか、東雲・夜一は白煙を燻らせ、闇の中から現れる。
「まあ、なんだ。きな臭ぇ話だ。」
そんな前置きをよそに、夜一は言葉を続ける。夜一の話によると、√汎神解剖機関にある施設にて、少女たちが一斉に眠りについてしまったそうだ。
十中八九、怪異の仕業だろうと誰もが予測はできる。問題はここからだ。少女たちを救出しようにも、施設が荊に囲われており、中に入るのも困難なのだ。
「荊の檻ってやつかね。童話だなんだの世界なら、もう少しロマンチックになったんだろうが。」
「んで、この施設っつーのは、まあ……あれだ…。学校みてぇなところだな。女学校。」
美しい女性を育てるため、あるいは世界に抗う者を育てるための機関だったのかもしれない。白い城壁に覆われた場所は、薄暗い世界では一際目立つ存在だったのだろう。
薄暗い世界に目立つ白い壁、もしかするとその壁の内側では、外の世界を夢に見た者たちもいたのかもしれない。何も知らないままに過ごしていた者もいたかもしれない。
けれども今では、汚れの1つもない城壁には荊が絡みつき、白い壁を覆い隠している。外部からの侵入を拒む荊の檻、あるいは少女たちを守るための剣。
閉じ込められた者たちからの応答は無い。恐らく全員、怪異によって眠らされているのだろう。
「白い壁は全部荊に囲われている。白い壁の白すら見えねぇ。まずは、それをどうにかして、中にいるやつらを救出してほしい。」
荊の檻の中、数多の眠り姫たちが、目覚めの時を今か今かと待っているはずだ。
「が、中にいるやつらが怪異によって眠らされているんなら……中に入った暁には、自分たちも眠らされる可能性は十分にある。」
「意識はしっかりと保てよ。じゃないと、見たくねぇ夢まで見せられることになるかもしんねぇからな。」
全ての者が目覚めたいと思っているのなら、それが一番良い。しかし、中には夢を見ていたい者もいるかもしれない。なんとも言えない表情を晒し、幽霊の男は後ろ首を掻く。
「起きている方が良いのか、眠ったままがいいのか。兎も角、気ぃつけてな。」
眼前の城壁は荊に覆われたまま。目覚めさせぬと言わんばかりに、そこに佇んでいた。
第1章 冒険 『荊の檻』
高くそびえる白い城壁。何者も寄せ付けない、荊の檻。この中で眠る少女たちは、一体何に誘われてしまったのだろうか。何を望んでいたのだろうか。
「眠りにつくのは幸福でしょう、外に目を向けず自分の中でだけ完結すればよいのですから。」
真心・観千流(最果てと希望を宿す者・h00289)は、青い瞳を荊に向けて両腕を組む。複雑に絡まったそれは、中にいる少女たちを守るかのように観千流たちの侵入を拒む。
「荊に囚われたお姫様方は、何に誘われてしまったのだろうね。」
その隣で城壁を見上げた斯波・紫遠(くゆる・h03007)は、隣の観千流へと顔だけを向け、来客用玄関を指で示した。
「ここはお行儀よく、来客用玄関からはいるのがいいかな?」
「ええ、そうですね。」
「それに眠ってばかりではなく、外に飛び出さなければ手にはいらないものもあります。」
紫遠の言葉に同意を示し、観千流は高らかに声をあげる。
「そうでしょう皆さん!」
途端、声に呼応した量子天使たちが、観千流と紫遠の周囲に現れる。外部干渉を受けない爪による荊への弱い攻撃は、外壁を傷つける事無く器用に荊のみを斬って行く。斬った端から荊は蠢き、2人の足元で小さくのたうち回る。地で跳ねる様は、再び再生をしようと藻掻いているかのようだ。
「荊を断ち切るのはお任せください。」
「頼もしいね。それなら、落ちた荊は燃やしてしまおう。」
よろしく、と告げた紫遠の声に合わせて、怨讐の炎で出来た金魚がぷかりと宙で泳ぐ。のたうち回る荊へと尾を向け、べちん!と叩いた先から蒼く弱い炎が生み出された。そうして荊は蒼く燃え、いつしか灰も残さずに消えてしまうのだろう。
数多の天使たちと紫遠が荊を斬り、そして金魚が落ちた荊を燃やす。幾つ荊を斬り落としたのだろうか、漸く扉の形が見え始めた。これなら内部へと侵入することも出来るだろう。しかし、侵入をさせまいと再生を繰り返す荊が、再び太い蔓を伸ばし始める。
「っと、邪魔はさせないよ。」
周囲に重たい音が響き、ぱらぱらと砂が落ちて行く。轟音、爆風。扉が深い緑色の蔓に覆われる前に、紫遠が素早く足で扉を蹴飛ばしたのだ。その隙に観千流も炎属性の攻撃で金魚の補助をし、再生をし始めた荊に更なる追い打ちをかける。
蒼い炎と橙の炎。双方が混ざり合い、強靭な荊を燃やして行く。弱い炎であったお陰か、城を燃やすこともなく荊のみがその場に崩れ落ちて行く。
「これで出入り口の確保は出来ましたね。」
「ここの学生さん達には見せられないなぁ……。」
「ですが、ナイスアシストでしたよ。」
「ありがとう。」
2人は頷き合い、ぽっかりと開いた穴から内部へと侵入をするのだろう。
やはりと言うべきか、入り口には誰もいない。2人は立ち止まり、周囲に人の気配が無いかを探る。観千流はハッキング弾頭を、紫遠はあらかじめダウンロードをしておいた校内マップを開き、互いに示し合わせた。
暗闇の中で、ぼうっと光る画面の光が、2人の顔を照らす。どちらの情報も正しいようだが、念のためにと紫遠はアシスタントAIのIrisにマッピングの依頼を行う。少々辛辣な言葉が飛んで来たものの、紫遠は観千流に気にしないで欲しいと告げ、情報を共有しながらデータの更新を行うことにした。
「こちらも電子機器にアクセス、並びにハッキングを行ってみましたが……特に不審な点は見当たりません。」
「怪異について何か分かればと思ったけど……。」
「……あっ。」
不意に観千流が小さく声を漏らす。
「待ってください。上階に人の気配があります。」
「人の気配と言う事は、学生さんたちだよね?」
「恐らく……。場所は、音楽室のようです。」
音楽室。音楽室ならば、目の前の階段を上った先。2階に位置していたはずだ。紫遠は蒼く燃える金魚を連れ、階段を見上げる。荊の這う階段。恐らくあの場所も、こちらが上階へと向かう動きを見せたなら最後。向かわせまいと蠢き始めるのだろう。
「眠りを望むには、それ相応の理由があるかもしれません。」
「だけど、それを調べる前に邪魔者を何とかしよう。」
ずるりと地を這う荊を見つめ、2人は階段へと駆け出した。
ふっくらふかふかの身体を揺らし、荊に囲われた城壁へと辿り着いた番田・陽葉(|熊猫《パンダ》おばちゃん・h10140)は、聳え立つ荊の壁を見上げ、思わず息を零す。
「荊でなーんも見えねぇべ……。」
その実、白い壁には荊が張り巡らされており、清潔な色合いを確認することが出来ない。ここまで頑丈な檻ともなれば、一筋縄ではいかないことなど容易く理解出来る。けれども、この中に閉じ込められている者たちがいる。
「わだすも寝るのは大好きだけど、ずっと部屋ん中で眠ったまんまなのは身体にも心にも良くねぇべ。」
少女たちがどのような思いで眠っているのか、陽葉には想像もつかない。しかし、これだけは分かる。
「外の世界はこわいことばかりじゃねぇべ。楽しいことも沢山あるんだべ。」
そう声を漏らした陽葉の円らな黒い瞳の奥には、確かな誓いが見えた。少女たちを助けてあげないと。陽葉は大きな手で拳を握り、城壁を見据える。それにしてもこれだけの荊、一体どうしたものか。こんなにも荊が張り巡らされていたら、太陽の光を浴びる事すら出来ないだろうに。
陰鬱とした世界ではあるものの、光りが射し込まない訳では無い。人間は太陽の光を浴びることによって、体内の時計をリセットさせるのだから。植物だって、動物だってそうだ。
「ヨシ。」
やわらかな表情が引き結ばれる。まずは窓に光を送り込もう。そうすれば、彼女たちの目覚めを助けることが出来るかもしれない。
「しっかし、どこに何があるか分かんねぇべ。」
荊で覆われている以上、窓らしきを探し当てるのも一苦労だ。陽葉は身を低く構え、一歩踏み込む。複雑に絡まるそこへ、白黒の大きな手を突っ込んだ。自慢の怪力があれば何のその。勢いをつけて荊の中へと素手を差し入れ、勢いそのままに荊を引き千切る。
こつん、と握った拳が何かに当たる感覚がした。せーの、の掛け声と共に腕を引き抜くと、そこには人が一人通れるほどの、小さな窓があった。
「この窓はちっちゃ過ぎるべ……。」
しかしながらこの窓は小さすぎる。ここから一人一人を逃がすのであれば、膨大な時間がかかるだろう。
「……非常口、ここが学校なら非常口があるはずだべ。非常口を探すしかねぇべ。」
回れ右で今度は隣の荊を掴み上げ、そうしてまた引き千切る。こうして地道に荊を千切って行けば、窓と非常口、その両方がいつかは見つかるはずだ。
パンダの皮は非常に厚い。ジャイアントパンダである陽葉の皮も、同じように非常に厚い。この厚い皮と自らのオーラのお陰で、荊の棘が食い込もうとも傷の一つもつかない。
「このまま、地道に、荊を削っていくべさ。」
陽葉は賢明に荊と向き合い、蠢くそれを地道に千切っては落とし、千切っては落とす。再生をしようと足掻く荊には、自慢の足で踏みつけてやる。
「みんな、わだすが助けてやるべさ。」
最後の荊をかき分けるようにして引き抜いた先、そこにあったのは点滅を繰り返す緑色の――。
既に先陣を行く者たちの残した荊の隙間に、腕を差し入れては引き抜くと、そこには更なる空白が生まれる。その空白を見逃すこともなく、システィア・エレノイア(幻月・h10223)は自らの竜漿の魔力を双剣へと変化をさせ、隙間へと剣先を潜り込ませると容易く引き抜いた。
呆気なく真っ二つに斬られた荊が落ちた先、システィアの足元で怪し気に蠢く様を見送り、トドメと言わんばかりに剣先を荊に突き立てる。
最中、不意にちくりと微量の痛みが、掌から走り抜ける。先程荊を掴んだ手だ。厚い皮の手袋すらも貫通する棘。自らを眠らせる程の力は無いようだが、抗うだけの力はあるようだ。
この荊はやみくもに絡みついている訳では無く、明確に守る意思を、あるいは対抗する術を持ってシスティアへと抗ったのだろう。
眉間に寄る皺をそのままに、自らの手を見つめたシスティアは、煩わし気に棘を引き抜いた。一つ一つは短く、致命傷を負わせる物ではない。しかし、こうして掴んだら最後。こちらを傷つけようと最後の力を振り絞るようだ。
「あぁ……これでは煩いだろうな。」
棘により傷んだ黒い手袋を視界に留めていると、贈り主の顔が不意に過る。何を言われるのか、どのような顔をするのか、おおよそは想像できる。だからこそ、表情も一層のこと渋くなってしまう。荊だけが聞き取る事の出来る小さな溜息を吐き出し、システィアは改めて双剣を握り直す。
「悪いが、一気に行く。」
腕をクロスさせ、双剣を構えた瞬間。目にも留まらぬ程に素早い動きで、横一直線に荊を斬り落とした。
先程の丁寧な動きではない。野性的で、それでいて派手な剣捌き。型にはまらないその動きは、システィア本来のものだろうか。
なすすべもなく次から次へと地に落ちて行く蔓に目を向けることもなく、システィアは一思いに斬り続けた。そうして斬り続けていると、緑の壁は薄れ次第に清潔な白い壁が見え始めたと同時、窓らしき形を目に留める。
「ここからなら侵入できそうだな。」
なおも呼吸は乱れない。己のリズムで双剣を振り、システィアは荊の終点を目指す。
(ずっと眠っていたいとか、あと5分なんて自分にも覚えがある怠けなら遠慮無く叩き起こそうとも思うけれど……。)
――ギィン。
剣先が壁に擦れ、甲高い音が周囲に響く。弾かれた剣を元に戻し、拓けた荊の向こう側へと視線を向ける。ステンドグラスの窓。陰鬱な世界では珍しい彩りを視界に映し、その眩さに思わず双眸を細めた。
この窓の向こうには、眠る誰かがいる。少女たちが何を思って眠っているのかは分からない、けれども、と胸に過るものはある。
(何かを抱えて眠る人がもし居たら俺は、それを知ったとしたら、どんな気持ちを抱くのだろう……。)
大きな掌を伸ばし、システィアはステンドグラスの窓を押した。
事前に情報収集はして来た。この白い城壁の向こうで何をやっていたか、表向きの情報はしっかりと手に入っている。それから地図だって。坂堂・一(一楽椿・h05100)は白い城壁に相応しい清潔な身なりで女学生に姿を変え、正面玄関の方へと足を向ける。
「女学校……花の乙女の、大切な時期、だね。」
「それを閉じ込めて、眠らせるなんて……怪異の目的は、何かな?」
『ぷーい?』
愛らしい瞳で一を見上げ、こてりと小首を傾げたチンチラ型の風の精霊ことぷいぷいは、何でだろうね?と言わんばかりに一の言葉に反応を示している。兎にも角にも、この荊に覆われた壁をどうにかしなければ中へ入る事は出来ない。
先程大きな音が正面玄関の方から聞こえて来たが、先行く仲間が破壊でもしたのだろうか。けれども変わった様子は見られない。ならば先程の音は何だったのだろう。疑問を胸に抱き、一は肩で様子を見守るぷいぷいへとそっと手を伸ばす。
「ぷいぷい、おいで。」
『ぷーい!』
元気な返事だ。好奇心の塊であるこの子は、張り巡らされた荊に興味津々である。ぴん、と背筋を伸ばした一の腕の中で、ぬいぐるみの如くお利口に玄関を眺めているようだ。
一は静かに息を吸い込み、ゆっくりと。しかしながら荊にも聞こえるように、はっきりと言葉を紡いだ。
「今日、転入してきたの。入っていい?」
沈黙。一の声が複雑に絡み合った荊の奥へと溶け込んで行くかのようだ。暫しの沈黙が続く中、一の瞳が不安げに揺れ始める。
「大丈夫……かな…?」
『ぷいっ。』
その時、大人しく一点を見つめるぷいぷいの耳が、微かに物音を拾い上げた。ひくひくと動く耳は、何かの音を聞き取ったのだろう。途端に落ち着きがなくなってしまった。
「ぷいぷい……?」
腕の中で大人しくしていたはずの子が忙しなく動く様に、一の首も僅かに傾く。途端、張り巡らされた荊がゆっくりとその結び目を解き始めたのだ。
「中に入って、いい……?」
一の声に反応を示したからこそ、こうして荊は固い結び目を解いたのだ。一度ぷいぷいを見下ろした一ではあったが、荊の意図が分かるや否や小さな足で一歩を踏み出し、ぽっかりと開いた空洞の中を突き進む。
「ありがとう、ございます……。」
初々しさを残した挨拶を聞き届けた荊は、開いた門をすぐに閉ざす。背後で蠢く荊の檻。そしてその中へと招かれた一。女学生の格好をしているのだ。ならば、いつどこで眠らされるかも分からない。気を強く持つようにとも言われている。
周囲の雰囲気に飲まれぬようにと一度息を吐き出し、そうしてまた吸い込む。この格好をしているなら、皆の所に誘導をされる可能性だってあるはずだ。
「ぷいぷい、その耳、頼りにしてる、よ。」
『ぷいっきゅ!』
気合いを入れた一と、腕の中で同じように気合いを入れるぷいぷい。二人と一匹は地図を片手に迷わぬようにと歩き出す。ただでさえ広い場所だ。こんな場所で迷子になってしまうのも怪異に隙を見せることになるのだ。
こつこつと一の足音が廊下に響く。張り巡らされた荊を避け、二階へと繋がる階段の傍に辿り着いた時、ひくりと動くぷいぷいの耳が僅かな旋律を聞き届けた。
(イバラ、眠り姫。)
黒江・式子(〝眠れぬ|茨棘《いばら》の城砦〟・h01354)は、死んだ魚のような目で城壁に絡み付く荊へと視線を向けていた。
(偶然だとしても、似通う要素が気にかかります。)
思う部分は多々とある。気にかかる事だってある。式子の足元から伸びた影の茨が能力によって召喚した”先輩”の影に絡み付いては自由に動く様は、まるで操り人形のようだ。そうして伸びた影の茨は、ゆっくりと式子の足元から腕へとその手を伸ばす。
一重、二重、ぐるぐると絡みつき、城壁を守る荊から式子の腕を守る。これならば棘を持つ荊も容易く掴みとる事が出来る。影を纏い、絡みつく荊の中心へ、その手を伸ばした式子は、その中心を確かに掴みとり、勢いよく引き抜いた。
ぶち、と荊の千切れる音と共に、先輩の足元から入れ替わるように影が伸びて行く。一人だけの力ではなく、二人の力を持って荊を引き千切る。しかし、なにも千切るだけが全てではない。見た所、この荊は再生する能力を持っている。ならば再生をしないように、その|力《エネルギー》は吸収しなければならない。
一点ばかりを見据えていた瞳が、荊の奥に僅かな隙間を見つける。そこを狙えば、この場所からでも容易く侵入をする事が出来る。畳み掛けるようにしてもう一度伸ばした腕に隙間を滑り込ませ、式子と先輩の影から伸びた茨は蠢くそれを引き抜いた。すると、そこに人一人は通れるほどの僅かな隙間が生まれる。
「塞がる前にさっさと入りましょう。」
今なお再生しようと蠢く荊の姿はある。ならば完全に再生をしてしまう前に、ここから内部へと侵入を試みる他ない。迷いなどなかった。元よりそうする為に、こうして荊を引き千切っていたのだから。
そうして内部への侵入を成功させた式子は、荊の張り巡らされた校内を見渡す。濃い隈の残る瞳が、過日を懐かしむかの如く伏せられる。
生徒たちの声、部活動に勤しむ学生、共に学びともに励んだ同級生たち、そしてそこで出会った――。
(……私達の出会いは高校時代でした。先輩と二人で移動する校舎の風景が、酷く懐かしい。)
光の届かない校内は、どこか夜を思わせる。夜といえば、学生のほとんどが眠っている時間でもある。彼女たちが目覚めぬようにと、怪異が光でも遮断をしているのだろうか。それとも別の何かが。
(気持ちは分かりますよ。折角守りを固めた城の中へ侵入されるなんて言語道断ですよね。)
瞼を持ち上げ、あの日を胸の奥にしまい込む。
「でも気になるじゃないですか。」
童話のお姫様は王子様の手により目覚めることが殆どだ。けれどもここには彼女たちの王子さまはいない。王子様が不在でも、眠り姫を目覚めさせる方法はあるのだろうか。少なくとも、式子は知らない。
「確かめさせて頂きますよ。」
未だ荊の蠢く校内に足を踏み入れた式子の靴が、荊の床を踏みしめていた。
第2章 集団戦 『ジェーン・イン・ザ・ドリームボックス』
荊の階段を上り、廊下を突き進むと甘やかな旋律が聞こえはじめる。
ぽろん、ぽん。
扉を開くと、一人の少女がピアノを弾いていた。決して上手とは言えない、出鱈目なワルツ。それもそのはず。少女の瞳は眠っているかのように閉じられているのだから。
窓際の少女は、爪先立ちで優雅に踊る。けれども曲なんか聞いちゃいない。がくりと頭を揺らし、倒れそうになる身をピアノが支えている。
あちらも、こちらも、なんて出鱈目な場所なんだ。皆が皆、瞼を閉じて眠ったまま動いているのだ。
「一番にならなきゃ。」
「一番になるの。」
「いちばんうつくしい、歌声で。いちばんうつくしい姿で。」
「いつか、りっぱな鳥に――。」
譫言のように繰り返される言葉を聞いていたその時、ふわふわと愛らしいボタンの瞳の誰かが、あなたたちに斧を振りかざした。
寝言にも似た少女の呟きが、システィア・エレノイアの耳に届く。一番に、一番が。どの少女も皆々一様に瞼を閉じているというのに、言葉だけが嫌に耳に残る気がした。
(眠ったまま、夢の中でも努力を重ねているのだろうか。)
眉が寄ってしまうのもまた仕方のないことで、音楽室に設置された舞台の上でひらひらと不規則に舞い、口遊む小鳥に目を向ける。覚束ない足取りだ。眠っているのだから仕方がないと言えば仕方がないが、眠りながら歌って踊るというのは危険だろう。
ほら、思った通りだ。蝶のごとく不規則にはばたき、舞台の正面へと向かっている。このままでは舞台から落ちてしまう。少女のはばたきも、囀りも、邪魔せぬようにと。けれども歩む足は素早く。システィアは小さな舞台へと近寄る。大きなホールでは無いのが幸いだろうか。ここから足を踏み外したとしても、人生を変える程の怪我をすることはなさそうだ。
「っと、危ない。大丈夫――。」
舞台上から下へと飛び立つ小鳥を受け止めたその時、システィアの頭上を大ぶりの何かが通過した。重たい音だ。振り向きざまに己の双剣を素早く盾としたところで視界に入ったのは、随分と愛らしいフォルムの少女――に見立てた人形だった。
「玩具?」
呟きも虚しく、背後に立っていた玩具の人形もといジェーン・イン・ザ・ドリームボックスは、にっこりと笑ったままの口で、その身に似合わぬ。否ある意味では似合いの、愛らしい斧をシスティア目掛けて振りかぶる。
「愛らしい見た目で、随分凶暴だな。」
片腕の小鳥は、未だシスティアの腕の中で愛らしく囀る。微睡むように歌うその声は、どこか聞き覚えのある懐かしい旋律を紡いでいた。このままでは腕の中の小鳥を巻き込みかねない。瞼を閉じたままの少女をその場に横たえ、システィアは距離を置く。
「こっちだ。」
人差し指をくい、っと動かし、玩具の人形を眠る少女から引きはがす。笑ったままで一向に表情を崩さない様がいやに不気味だ。この見た目だからこそ、余計に凶暴だと感じてしまう。
瞬きすらしないボタンの瞳でシスティアを見据え、愛らしく首を傾げた玩具の少女は、手元の本を開く。絵本から飛び出たそれは巨大な狼の牙だ。この牙に噛まれたらひとたまりもないだろう。絵本から飛び出たそれは、鋭く尖った歯でシスティアを嚙み切ろうと身を前に乗り出す。
「おっと、そうはさせない。」
しかし容易く噛み切られるシスティアではなかった。盾の代わりに胸の前で剣を構え、自らの身を牙から守ると同時、もう片方の剣で本ごと横に薙ぎ払う。
「本体は出てこないのか。なら、強敵じゃないな。」
薙ぎ払った勢いで、はらりと本が宙を舞い笑う玩具の少女の周囲に斬られた紙がぱらぱらと散らばる。本ごと斬られたと言うのに、やはり目の前の少女は表情を変えない。
「次はその腕だ。」
本のページが宙に散らばる中を潜り抜け、踊るように飛び出たシスティアの剣が、笑う玩具の少女の細腕を確かに斬った。
はらり、ページが捲れて行く。音もなく床に落ちたそこには、魔女を探して旅をする尾の無い狼の絵が描かれていた。
指先を弾ませ、瞼を閉じたままワルツを奏でる少女。音ばかりが楽し気に弾けているのに、眠るその子はちっとも楽しそうじゃない。旋律に合わせて紡がれる歌声は、一番と言う言葉をしきりに繰り返している。
「楽しい夢ならばと思いましたが、そうではなさそうですね。」
ピアノを奏でる少女と小さな舞台の上で踊る少女。その他にも、この音楽室では自分に磨きをかける少女たちが数多といる。真心・観千流は青い瞳で音楽室を見渡し、眠ったままの少女たちの表情を静かに見留める。苦悶の浮かぶ顔、安らかな顔、喜びに満ちあふれた顔。
それはまるで、普段の彼女たちを思わせるようだった。閉ざされた瞼が開いていれば、彼女たちはこのような顔で、こうして互いをたたえ合い時にはライバルとして高め合っていたのだろう。
「巻き込みを防ぐためにもここは……再び力をお借りするとしましょう!」
観千流の言葉に、その場にいた番田・陽葉と斯波・紫遠は頷く。
どの子も眠っているようで、その行動の予測は不能。ひらひらと舞う少女が小さな舞台の上から落ちかけている姿も目に入っている。それに加えて、周囲には愛らしい顔の人形が愛らしい斧を振り回しているのだ。
「まずは寝てるお嬢ちゃんたちを起こして逃がさねぇとまともに戦えねぇべ。」
「僕もそう思うよ。学生さんたちを巻き込まないように誘導をしよう。」
「でしたら、√能力発動!天頂の者達よ、未知に希望を見ているならば、この呼び掛けに応えよ!」
観千流が叫ぶと、どこか懐かしくも感じる旋律を奏でていた少女の前に、翼をはばたかせながら天使が現れる。少女は讃美歌を奏でている訳では無いけれど、僅かに光の差し込む音楽室の中では、退廃した世界の非日常な空気感も相まってか、観千流の召喚した天使が一層神聖なものに見える。
「彼女を結界で守ります。これなら、敵の攻撃も暫くは大丈夫でしょう。」
それならば、と敵の目が逸れているうちに、紫遠は敵の背後へと回り込む。ここに居座るジェーン・イン・ザ・ドリームボックスは複数体。生徒たちへの避難や誘導は彼女たちに任せ、少女たちへと攻撃が向かぬようにと前方へ躍り出る。
「挨拶も無しは流石にお行儀が悪いんじゃない?」
紫遠の一声で、周囲に居た玩具の人形たちが振り向く。構えられた紫遠の指先を真っ直ぐに見据え、紫色のボタンが縫い込まれた顔で首を傾げた。首を傾げる姿ですら外見に似合いの、どこか少女めいたものを感じさせる。
「キミたちがここで何を担当していたのか聞きたいんだけれど、教えてもらえるのかな?」
もう一体、首が不自然に傾く。知らぬ存ぜぬ。そう言いたいのか、それとも紫遠を試しているのだろうか。示されたままの指先へ、ぬっと身体ごと近付いて行く。しかし、そう簡単に自らの身体へは触れさせない。
「 」
かくり、こてり、と様々な方向へと首を傾ける人形は、今し方この場で何が起こっているのか理解が出来ないようだった。それもそのはず。紫遠の口が音無き音を紡いだ時、周囲には人形たちを覆う炎の檻が生み出されていたからだ。
たった一瞬の出来事。人形たちが紫遠の指先に目を奪われていたわずか数分の間に、人形たちの群れは籠の中の鳥へと姿を変える。
「外へは逃がさないよ。」
ごうごうと燃え盛る炎が陽葉と観千流と紫遠を分断した。
「僕が引きつけておく、今のうちに生徒さん達の避難を。」
炎の壁の向こうでは、紫遠と数多の人形たちが戦っているらしい。何かを打ち込む音と、重たい金属が床にめり込む音が聞こえる。炎の壁が勢いを増すごとに、紫遠と人形たちの戦いが激化しているのだと想像に容易い。
「強敵では無いとはいえ、避難誘導にあまり時間を割く訳にはいきませんね……。」
紫遠が敵を引き付けているのであればそのチャンスを無駄にはしない。観千流は量子ハッキング弾頭を少女たちに撃ち込み、彼女たちの肉体と脳のデータを収集する。
「これなら……!詳しくはわかりませんが、この眠りと夢も敵の√能力の影響であれば遮断することで強制覚醒をすることが出来そうです!」
「よーし!ここはわだすに任せるべ!」
大きな腕をずんぐりと動かし、陽葉は服の袖を捲り上げる。胸が膨れ上がるほどに肺一杯に酸素を取り入れ、思いっきり吐き出す。
「ほら!朝だべ!!とっとと起きて顔さ洗って……じゃなくて、早くこっから逃げるんだべ!!」
耳を劈くほどの大声が音楽室の壁に吸い込まれて行く。防音対策のされたこの場だからこそ、これだけの大声を出しても外のように響かない。陽葉の声をそのまま少女たちに伝える事ができるのだ。
その声は目の前にいる観千流だけではなく、炎の壁の内側で戦う紫遠にも聞こえていた。壁の向こうでは少女たちの避難誘導が始まったらしい。少女たちに人形が近付かぬようにと誘導をしていた炎狼も傍らで声の方を見つめている。
「僕らを追い出さないと怒られちゃうんじゃない?」
絵本から飛び出した牙を軽々と躱し、本を掴む細腕を引っ張った紫遠。しかし横から伸びる斧を避けるための体勢が整っていない。だのに、紫遠の口元はつり上がる。その瞬間、細腕を掴んでいたその一体を、斧と自身との間に引き込み自らの盾としたのだ。
愛らしい表情が痛みに崩れることは無く、そして斧も血に染まることは無い。やわらかい綿が飛び出たと思った時には、盾にした一体は炎の渦に飲まれて消えた。
「アリスさん、壁の向こうでは学生さんたちの避難が始まったみたい。学生さんたちを守ってもらえるかな?」
『仕方ねぇーです。くたばったら笑ってやりますから。』
中々にAIだとは思えぬ言葉を残したアシスタントAIのアリスさんが、炎の壁の外へと向かうと、そこでは大声を張り上げ生徒たちの起床を促す陽葉と、指先を動かし彼女たちを強制的に覚醒させる観千流が奮闘をしていた。
『紫遠からの指示で助けに来ました。』
「助かります!私は目覚めない少女たちのハッキングと肉体改造を行いますので、補助をお願いします!」
「そっちは任せるべ!って、これは夢じゃねーべ!二度寝禁止!」
今し方起こしたばかりの少女が、陽葉のやわらかな身体をベッドだと勘違いでもしたのだろうか。細い腕で陽葉の大きな身体をぎゅうっと掴み、再び瞼を閉じ始めたのだ。こうして幼い子に好かれるというのも、普段であるならば微笑ましく感じるのだが、今はそうも言ってられない。陽葉は再び眠りにつこうと瞼を閉じたその子に、優しく声をかける。
「大変な事になっているんだべ。ほら、立てるだべかね?」
いやだいやだと首を横に振る姿は、やはりまだ子どもだと改めて認識をしてしまう。
「仕方ないべ、そのまま落ちないように捕まっておくんだべさ。」
「おばちゃん、頑張るべ!」
「こちらもある程度は目覚めさせることに成功しました!さあ、起きて下さい!」
二人の声を聞き、目を覚ました少女たちは、最初こそ目の前の光景を理解することが出来ない様子で、寝ぼけ眼を擦りながら歩いていたものの、観千流の施したハッキングにより強制的に覚醒をせざるを得ない状況に一気に思考が現実へと戻ってきたようだ。
「非常口まで行けるだべか?荊には触らねぇよう気をつけるんだべさ。」
最初こそ慌てふためいている者もいたが、陽葉の優しい声掛けにより落ち着いて行動を出来ているようだ。音楽室の外には荊が張り巡らされている。それに触れてしまえば、再び眠りにつく可能性だってある。おとぎ話の眠り姫だって、糸車の針に触れて眠りについたのだから。
「まだ目覚めていない子もいるようですね。」
観千流は一歩を踏み出し、別の少女の元へと向かう。決して狭くはない音楽室が完全に混乱に包まれてしまう前に、自らが出来ることをやるのだ。
「生徒達が1%でも目を覚ましたいと思えばその行動は必ず成功する、諦めず呼びかけましょう。」
「邪魔する敵は怒りのお玉アタックでぶん殴るべ!ほら、どいたどいた!避難の邪魔はさせねーべ!」
「ここで引き止める。」
音楽室を橙の壁が包み込む。荊は燃え、眠る小鳥たちは順に目を覚ます。
三人の決意が、眠りから目覚めた少女たちを、檻の外へと連れ出して行くのだ。
「……深い眠りの呪いはお城中に拡がって、すべての人間、動物、竈の中の炎さえも、眠りについてしました。」
とある童話の一節だ。呪われた美しい姫が100年の眠りにつき、やがては王子様によって眠りから目覚める物語。
この場にいる少女たちが眠り姫のように紡錘糸の針に触れてしまったのか、それともめでたい祝いの席に呼ばれなかった一人の|魔女《怪異》によって、呪いを受けてしまったのか。
「あるいはイバラの下の秘密を隠蔽するための贄なのかは知りませんが……|先輩《Anker》を傷付けようと言うのなら、容赦はしません。」
黒江・式子はここに来た時から召喚をしているAnkerの先輩と共に、荊の道を突き進み音楽室へと辿り着いた。式子が先輩と呼ぶAnkerの影には茨が絡みついたまま。式子が腕を動かすと、操り人形のように先輩が自由自在に動き回る。
音楽室の中では、既に戦闘と避難誘導が始まっているようで、声を張り上げて避難を促す仲間や、目覚めた生徒たちが音楽室から非常口へと向かう姿が視界に入り込む。この様子であれば、自身が手を出さずとも避難誘導は問題なく出来そうだ。
式子は茨の巻き付いた腕を動かし、非常口へと向かう少女に狙いを定めたジェーン・イン・ザ・ドリームボックスと少女の間で先輩を躍らせる。式子が影の茨を動かすたびに、先輩のスカートがひらひらと翻る様は、先程まで瞼を閉じて踊っていた少女のシルエットに似ていた。
人形のまるい瞳が怪しく光る。片手に掴んだ本の表紙には林檎の絵が描かれているようだ。此度の眠る姫たちの物語ではなく、ある意味で眠らされてしまった別の姫の物語。真っ赤な林檎は瑞々しく、しかし紫に変色をした箇所がこの林檎が毒林檎なのだと悟らせる。
(……毒林檎?)
式子が先輩を召喚したのなら、人形はというと毒林檎の描かれた本を掲げ、お菓子の家を召喚する。片手に毒林檎、片手に本。そして正面にお菓子の家。式子の首が傾く。
攻撃らしい攻撃はまだ行われていない。腕に巻き付けた茨を、すぐに動かせるようにと身構え、行く末を見守る。
お菓子の家から出て来たのは一人の老婆だ。恐らく老婆は魔女だろう。黒いローブの下から、品定めをするかのように先輩をじっくりと眺める。途端、何を判断したのか、片手に持った毒林檎を先輩目掛けて投げつけ始めたのだ。毒と林檎の硬さ。二つが合わされば、一種の凶器になり得てしまう。
「先輩……!」
咄嗟に腕を引き、先輩の身体ごと後方へと飛び退かせたが、この林檎に当たってしまえば厄介なことになるというのは式子も理解出来た。死んだ魚のような目で玩具の人形たちを睨みつけ、式子は先輩の身体に茨を巻き付けて行く。これがあれば、人形たちからの攻撃も和らげることが出来るはずだ。
「……まだですよ。」
後方へと飛び退いた身が、素早い動きで人形たちとの距離を詰める。狙いは大きなダメージを与える事ではない。着実に攻撃を当てる事だ。先輩の周囲に落ちる影に、敵の影が重なり合った時、先輩の足元を起点にした影の茨が、重なり合った影を掴む。
人形の細腕が次の本を掴む前に、式子の元へと伸びた茨で敵の片腕を掴み、その手から本を落させる。あとはしなる鞭と同じ要領だ。予測の出来ない動きで敵を翻弄し、一気に叩きつける。
エネルギーを奪われた人形たちは、反撃をしない。動くための力を全て奪われてしまったからだ。動かないのであれば好都合だ。式子は片手に茨を、もう片方の手で先輩を動かし、少女たちを狙う愛らしい人形を音楽室から退けて行った。
(夢を描いて、それに邁進するヒトの子の姿は、美しくて愛おしい。)
音楽室の中で踊る少女たちを見渡した坂堂・一は、彼女たちの表情を見渡しながら静かに瞼を閉じる。胸の前で重ねた掌に力が込められてしまうのは、彼女たちをこうさせた元凶への強い想いか。
(それを、こんな風に『夢』に閉じ込めるなんて……許せない。)
瞼を開くとそこには、互いに手を取り合い同じ速度で踊る少女がいた。姉妹だろうか、似た顔の二人が瞼を閉じながらも支え合うようにして手を掴んでいた。
『一番にならなきゃ。』
『あなたが一番になるの。』
『上手くやらなきゃ。』
『あなたなら上手くやれるわ。』
彼女たちは夢を見ていると言うのに、互いに声をかけ合い、倒れぬようにと相手に合わせて重心を傾けて、何とかその場に立っている。踊りと言うには不自然で、けれども支え合うと言う意味でなら満点を取れるのだろう。
あなたなら、あなたであれば、あなたなら上手に。
「……。」
一の瞳が揺らぎ、呼吸が止まった。
(上手くやらなきゃ。)
どくどくと心臓が脈打つ。
(優しいあの子にさせたくない。)
脈打っていると言うのに、身体中から体温が奪われる。
『上手くやらなきゃ。』
(ぼくがやらなきゃ。)
『あなたなら上手くやれるわ。』
ぼくが、お父さんを、この手で――――。
『ぷーい!』
「わっ……!」
突如吹き荒れた風に吹き飛ばされるまま、一はぎゅうっと目を瞑り受け身を取る間もなくその場で尻もちをついてしまう。一体何が起きたのかと思考を巡らせる前に、抱きしめたままの相棒ことぷいぷいが、目をつりあげて一を見つめていた。心なしか頬がいつも以上に膨らんでいる気もする。
「……ごめん、ぷいぷい。」
『ぷい!』
身を起こし、砂埃を払いながら一は立ち上がる。先程まで一が立っていた場所には、ジェーン・イン・ザ・ドリームボックスの持っていた愛らしい斧が床に突き刺さっていた。ぷいぷいが咄嗟に突風で一を転がさなければ、まともに斧を受け止めていただろう。ともすれば、この身がどうなっていたか。
一はごくりと喉を鳴らし、変装の為に着込んでいた女ものの服を綺麗に正す。これでもう大丈夫。玩具の人形たちにはバレていない。彼女たちの視線は、ずっとこちらを向いている。
「ちょっと、あてられちゃった、みたい。でも、もう、大丈夫。ありがとう。」
頭を振り、思考と少女たちの声を振り払う。胸の前でぎゅうっと杖を握りしめ、深呼吸を繰り返す。曇っていた頭は次第に晴れて行き、目をつりあげていたぷいぷいは、一の肩へと飛び乗る。重みは一つ。傍らにいる相棒、それだけだ。互いに視線を重ね合わせ、一は口を開く。
「ぷいぷい、やるよ!」
『ぷきゃ!』
構えた杖が光を帯び、一の魔力が流れ込む。上空に灰色の雲が現れ、音楽室を包み込んだ。
「本日は晴天なり……所によりざざ降り雨、だよ。」
灰色の雲は表情を暗くさせたまま、天は泣き喚き、小さな雫は槍となりて降り注ぐ。傘をも貫通する鋭い刃の雨粒は、一の父の得意な魔法だ。それを操る一もまた、得意な魔法でもある。
「ここから先は通さない。」
『ぷーい!』
「少女たちは、僕らが、守る……!」
『ぷいきゃ!』
狙われる一人と、それを守る一匹。こうして互いに手を取り合い、襲い来る人形の集団の数を着実に減らして行くのだ。
第3章 ボス戦 『眠る乙女』
音楽室に蔓延る人形たちを追い払い、少女たちの避難は済ませた。しかし、未だ荊は校内のいたるところに絡みついたままで、更に蔓を伸ばそうと蠢いている。
キーンと耳を劈く機械音が校内に響く。
『いかないで。』
幼い少女の声だ。
少女の声に呼応するように荊は蔓を伸ばし、真っ青な薔薇を咲かせて行く。
『おそとはこわいよ、みんなここにいよう。』
両耳を塞いだあなたたちの背後、音楽室の入り口にあったのは、青い薔薇の騎士に護られた荊を纏った少女だった。
『ようこそ、私の世界へ。』
夢を見よう。荊の檻の中で永遠に夢を見よう。外になんか出なくてもいいの。恐ろしい世界に飛び出さなくても、私たちはこの檻の中で美しく羽ばたくことが出来る。
何も知らないままでいれたら良かったのに、外の世界のことを知ってしまったから、だから眠りたかった。だからバ青い薔薇に願って眠ってしまった。
百年の呪いなんてあっという間でしょ。
さあ、みんなも眠りましょう。
『おそとはこわいよ。』
少女を守る茨の檻、あるいは羽化を待つ繭。音楽室の入り口には、眠る少女のゆりかごが佇んでいた。青い薔薇の騎士が少女を守るかの如く咲きほこり、美しい花弁を茨に纏わせて行く。
繭の奥から聞こえる呟きは、この学び舎にて学ぶ少女たちに向けた物。システィア・エレノイアは、そっと瞼を閉じる。ゆりかごの中で眠る少女を、外は怖いと告げる少女を、そしてその言葉を聞き届ける為に。
(外は怖い……確かにそうだ。)
――――けれど。
「彼女達は、広い空を羽ばたけるはずだ。」
はっきりと、繭というゆりかごの中で眠る少女にも聞こえる声で、システィアは言葉を告げた。その実、ここで眠りながらも自らの技術を磨く少女たちは、とてもじゃないが夢を捨てているようには見えなかった。
『1番に。』
そう呟きながら、うつくしい囀りで歌を歌い、軽やかなターンを披露していたのだ。システィアの目には、誰もが現実に抱いていたであろう夢を追っているように見えたのである。おろした両腕の手元が光り、その手に武器が握られる。竜漿の魔力。システィアの扱う力だ。
(俺もこの世は恐ろしい。永遠に夢を見ていられるなら、眠っていたい。)
足元に落ちていた尾の無い狼の絵を拾い上げ、システィアはぐしゃりとそれを握りしめる。
(優しくて、幸せで、あたたかくて。)
脳裏に声が浮かぶ。
『――――。』
懐かしい声だ。夜のしじまに澄み渡る声だ。自らの耳を、誰かが摘まみ上げた鼓動を、身体の奥底から揺さぶる声だ。込み上げる感情の正体をシスティアは知っている。歪んでしまいそうになる表情を振り払い、握りしめたままの紙をポケットにしまい込む。
――ただ唯一、あの人がいる夢の中へ……肉体が朽ちるまで眠っていたい。
そこに行けば、きっと。
パリィン、と窓ガラスの割れる音でシスティアの意識は浮上した。青薔薇の放つ棘の呪いに、意識が沈みかけていたのかもしれない。割れた窓から、身を突き刺すような冷気が頬を掠めて行く。
「……。」
懐かしさに胸が疼くのも、あるはずもない枯草の音を耳が拾い上げてしまうのも、きっと青薔薇の騎士が齎す呪いのせいだ。握りしめた双剣を振りかぶり、システィアは音楽室に根を張ろうと茎を伸ばす青薔薇を斬って行く。
(肉体が朽ちるまで眠っていたい。けれど、そんなことをしたら……。)
「あの人の心は手に入らない。」
凍てつく風に攫われた声は、しかし確かに強さを孕む。それは己自身が良く知っている事なのだ。だからこそ、システィアは今ここにいる。ここで旅をしている。目を覚ました少女たちもそうだ。
(皆、苦しくても欲しいものが外の世界にあるのだろう。あなたは失くしてしまったのだろうか。)
繭の内側からささめきが降り続ける。この世界の特有の憂い、大人たちへの絶望、幼いながらに感じ取ってしまう恐怖。ゆりかごの中はあたたかい。ゆりかごの中で眠っていれば、なにも怖い事はない。
「確かにそうかもしれない。けれども、外には皆がいる。怖いことばかりではない。」
少女を閉じ込める青薔薇の蔓に剣の先を突き刺し、力任せに引き抜くと茨の檻が僅かに崩れる。今ならば少女に声が届くかもしれない。再び強固な檻になる前に、システィアは断面を引き千切り優しく声をかける。
「目覚めの時間だよ。もう一度、外の世界で夢を追いかけよう。」
太陽の光すら届かなかった少女の元へ、冬の風を届けよう。その風が少女の瞼を開かせるきっかけになればと、システィアは胸の内側で呟いた。
『おそとはこわいよ。』
少女を守る茨の檻、あるいは羽化を待つ繭。音楽室の入り口には、眠る少女のゆりかごが佇んでいた。青い薔薇の騎士が少女を守るかの如く咲きほこり、美しい花弁を茨に纏わせて行く。
繭の奥から聞こえる呟きは、この学び舎にて学ぶ少女たちに向けた物。システィア・エレノイアは、そっと瞼を閉じる。ゆりかごの中で眠る少女を、外は怖いと告げる少女を、そしてその言葉を聞き届ける為に。
(外は怖い……確かにそうだ。)
――――けれど。
「彼女達は、広い空を羽ばたけるはずだ。」
はっきりと、繭というゆりかごの中で眠る少女にも聞こえる声で、システィアは言葉を告げた。その実、ここで眠りながらも自らの技術を磨く少女たちは、とてもじゃないが夢を捨てているようには見えなかった。
『1番に。』
そう呟きながら、うつくしい囀りで歌を歌い、軽やかなターンを披露していたのだ。システィアの目には、誰もが現実に抱いていたであろう夢を追っているように見えたのである。おろした両腕の手元が光り、その手に武器が握られる。竜漿の魔力。システィアの扱う力だ。
(俺もこの世は恐ろしい。永遠に夢を見ていられるなら、眠っていたい。)
足元に落ちていた尾の無い狼の絵を拾い上げ、システィアはぐしゃりとそれを握りしめる。
(優しくて、幸せで、あたたかくて。)
脳裏に声が浮かぶ。
『生きたいの?』
懐かしい声だ。夜のしじまに澄み渡る声だ。自らの耳を、誰かが摘まみ上げた鼓動を、身体の奥底から揺さぶる声だ。込み上げる感情の正体をシスティアは知っている。歪んでしまいそうになる表情を振り払い、握りしめたままの紙をポケットにしまい込む。
――ただ唯一、あの人がいる夢の中へ……肉体が朽ちるまで眠っていたい。
そこに行けば、きっと。
パリィン、と窓ガラスの割れる音でシスティアの意識は浮上した。青薔薇の放つ棘の呪いに、意識が沈みかけていたのかもしれない。割れた窓ガラスから、身を突き刺すような冷気が頬を掠めて行く。
「……。」
懐かしさに胸が疼くのも、あるはずもない枯草の音を耳が拾い上げてしまうのも、きっと青薔薇の騎士が齎す呪いのせいだ。握りしめた双剣を振りかぶり、システィアは音楽室に根を張ろうと茎を伸ばす青薔薇を斬って行く。
(肉体が朽ちるまで眠っていたい。けれど、そんなことをしたら……。)
「あの人の心は手に入らない。」
凍てつく風に攫われた声は、しかし確かに強さを孕む。それは己自身が良く知っている事なのだ。だからこそ、システィアは今ここにいる。ここで旅をしている。目を覚ました少女たちもそうだ。
(皆、苦しくても欲しいものが外の世界にあるのだろう。あなたは失くしてしまったのだろうか。)
繭の内側からささめきが降り続ける。この世界の特有の憂い、大人たちへの絶望、幼いながらに感じ取ってしまう恐怖。ゆりかごの中はあたたかい。ゆりかごの中で眠っていれば、なにも怖い事はない。
「確かにそうかもしれない。けれども、外には皆がいる。怖いことばかりではない。」
少女を閉じ込める青薔薇の蔓に剣の先を突き刺し、力任せに引き抜くと茨の檻が僅かに崩れる。今ならば少女に声が届くかもしれない。再び強固な檻になる前に、システィアは断面を引き千切り優しく声をかける。
「目覚めの時間だよ。もう一度、外の世界で夢を追いかけよう。」
太陽の光すら届かなかった少女の元へ、冬の風を届けよう。その風が少女の瞼を開かせるきっかけになればと、システィアは胸の内側で呟いた。
ふわあぁ、と大きな口を開き、欠伸を漏らした番田・陽葉は、周囲に立ち込める甘い香りに円らな瞳をとろけさせていた。青薔薇の香りは夢を誘う香り。いい夢も、悪い夢も、あなたが望めばどんな夢だって見せてくれる。ここが薄暗い世界であったとしても、今の陽葉にとっては木漏れ日のさしこむ、あたたかい動物園のように思えてしまうのだ。
「パンダは1日約3分の2は寝てるとはいえ今は寝るときじゃねぇべ。でもふわふわして気持ちい……。」
まどろみの最中でぼんやりと浮かぶ仲間たち。皆々、笑顔で過ごし、気ままに遊んでひなたぼっこに勤しむ。時には木の上で楽しくおしゃべりをしたり、こちらを見つめる子どもたちに手を振ってみたりと中々に楽しい場所だった。おいしいごはんだって、お腹いっぱい食べることも出来た。今よりも小さな体の自分を優しい手が撫でてくれた。その手はあたたかくて、なんだか嬉しくなったり――――。
「はっ、ってダメだべぇ!!」
沈みかけていた意識が、一瞬にして浮上する。既に繭の中の少女を助けようと動く仲間がいる。茨の檻を壊そうと奮闘する仲間もいる。青薔薇の騎士に意識を持って行かれそうになっている仲間だっている。今日は眠りに来た訳ではないのだ。自らの頬を片手で引っ叩くと、白い頬に僅かに赤みがさした。
「気合い十分!今は眠っている場合じゃないんだべ!」
すっかりと座り込んでいた身を起こし、陽葉は音楽室に根を張ろうとする荊たちを引き抜きながら檻へと足を向ける。再び青薔薇の香りにやられてしまう前に、花を咲かす前に茨を千切っては投げ、千切っては投げを繰り返していると、漸く少女の元へと辿り着くことが出来た。
『おそとはこわいよ。』
「お嬢ちゃんはずっと眠っていたくなるくれぇ外が怖いんだべな。」
『あぶないもの、たくさん。』
眠ったままの少女が、譫言のように呟く。呂律の回っていない様子から、未だに夢を見ていることが分かる。まだ目を開けた訳じゃない。
「……悪い夢を見ているなら、連れ出してやらねえと。」
茨の檻と化した少女のゆりかごは、一筋縄ではいかない。けれど、この場には頼もしい仲間がたくさんいるのだ。強固な檻となる前に、陽葉は伸び続ける荊を片っ端から引き千切って行く。こうすれば、後に続く仲間も戦いやすいはずだ。
「お嬢ちゃん、外はそんなにおっかねぇところじゃねぇべ。」
「怖いのと同じくらい……いやそれ以上に楽しいこともいっぱいあるんだべ。」
あたたかい木漏れ日のさす動物園も、仲間たちの楽し気な笑い声も、おいしいごはんもどれも楽しかった。青薔薇の見せた夢は、悪い夢ではなかった。一際太い蔓を引き、陽葉はなおも少女に声をかけ続ける。
「よいしょっ、と。こりゃあ大物だべ。」
「お嬢ちゃん、そんなに外が怖いんなら。」
パンダの皮は厚い。厚いからこそ、強固な棘も致命傷にはならない。陽葉の両腕と両足に力が籠る。これを引き抜けば、多少は少女にも光を届けることが出来るだろうか。
「わだす達も一緒に外さ行くべ!」
ずるりと蔓が抜け落ち、繭に更なるほころびが生じる。先に茨の檻を攻撃していた仲間のお陰で、太い蔓も幾分か抜きやすくなっていたのだ。それでも強固なものだということは変わらず、陽葉は額を拭い、崩れた檻の隙間から見える少女の顔を見つめて笑う。
「んで怖いときは後ろに隠れてもいい。」
そうだ。怖い物がない人間なんていない。恐怖と言う感情は、常に隣にいるのだ。ましてやこんなにも小さな少女だ。この世界で大丈夫だ!と胸を張って前を見る方が難しいのかもしれない。けれども自分たちは違う。
「だから起きるべ?」
あたたかい声の中、割れた窓ガラスから冷たい風が入り込む。
その時、少女の閉じられた瞼が僅かに動いた。
(眠り姫の目覚めに必要なのは、眠り姫自身が目覚めを望む事、なのでしょうか。)
青薔薇の騎士に阻まれた檻。幾重にも重なる茨が少しずつ崩れ落ち、その向こうに幼い顔が覗く。
物語の中の姫は、王子の存在があったからこそ目覚めた。百年の呪いは王子の口づけにより解け、ハッピーエンドで終わるのだ。それが世に知れ渡っている眠り姫の物語である。少女への口づけは彼女への言葉か、それとも強固な根を張る青薔薇の騎士との対決か。
(……現状、私が成すべきは変わりません。私自身が城砦となり|先輩《眠り姫》を守る。)
黒江・式子は、傍らに佇む|先輩《Anker》へと片腕を伸ばし、その身を抱き寄せる。未だ百年には満たないけれど、己が彼女の城砦となり安らかなる眠りをそして|先輩《眠り姫》を守るのだ。
「…私は……〝私達〟は……。」
ぽつり、と式子のささやきが音楽室に落ちる。数多の旋律をなぞらえた音ではない。落ちた音は二人の足元でひずむ影を伸ばし、軈て茨となって爪先から這い上がる。
黒い茨は足から螺旋を描きながら二人を取り込み、全身を覆い隠す。二人で一つ。茨により融合をした二人の身体は、眠る少女の檻の前では強大な怪異となる。
怪異。少女の最も恐れるもの。すなわち外の世界。
赤子のごとく、ゆりかごの中で眠ってばかりではいられないことは、誰でも理解をしている。けれども式子の隣に居る先輩はそうではなかった。最も|先輩《眠り姫》も、少女のように望んで眠りについたわけではない。だからこそ、目の前の少女は叩き起こさなければならない。
式子たちのもたらす|怪異《外の世界》は、的確に瞼を閉じたままの少女に揺さぶりをかける。
『……ぅ、うっ。』
ゆりかごの中で、安らかな眠りを辿っていた少女から、小さなうめき声があがりはじめたのだ。それと同時、外の世界を拒む少女に呼応するように、青薔薇の騎士が動く。大きな蔓が床から頭を上げ、腕を振るい棘を放ったのだ。
「……眠り姫を守る騎士。」
しかし、既に制御する力を失っているのか、それとも式子たちが形作るこの世界を拒んでいるのか、闇雲に足掻く腕から齎される呪いの棘が式子たちに当たることはなかった。
「薄暗い|絶望《悪夢》が静かに這い寄る、|私達の世界《√汎神解剖機関》に生まれついた不運に関してはご愁傷様。」
式子の冷たい声が、眠る少女の耳にも届く。のたうち回る荊の蔓が悪夢を振り払おうと必死に振り上げられるのを、二人で避けては少女の目覚めを促す。
「いずれ夢の世界さえも、この様に侵されていく事でしょう。」
少女が眠ったままでいるのなら、目覚めることを望まないと言うのなら、どこへ行こうともこの世界は少女の夢の中に現れるだろう。こうして今見せている世界も、否、どの世界であろうとも式子たちは少女に|絶望《悪夢》を齎すだけだ。
「抗う気も無いと言うなら、どうぞ、お一人で眠っていてください。」
式子の声が凛と響く。
のたうち回る青薔薇の向こうで、少女の指先が静かに動いた。
『ここに、いよう。』
既に声をかけた仲間たちの力により、閉じた瞼の向こう側で夢を見る少女の声が呻き混じりに吐き出される。
『そとは、こわ、い……。』
青薔薇の騎士は蔓という腕で藻掻き、床を叩く。大きな音で叩きつけられた床が軋み、音楽室が僅かに揺れた。
「魅力的なお誘いだ、確かに外の世界は恐ろしいね。」
「貴方のような人達を知っています、勝手に選ばれてそのせいで傷ついて、同じ立場の人だけで寄り集まって生きている人達の世界を。」
入り口に佇む茨の檻からは、少女の顔が覗く。まだ瞼は閉じているものの、自らの首に片手を添えて苦悶に満ちた表情で呻いていた。きっと、悪夢をみているのだろう。しかし未だ青薔薇の騎士は、少女を守護するべく抗っているのだ。
そんな様子をまっすぐに見据える斯波・紫遠と真心・観千流もまた、少女に真っ直ぐに言葉を届ける。
「幸福ではあるのでしょう、でもそれはその先がない最後の幸福だと思うんです。」
「可能性は知らない物の中にしかありません、だから人は飛び立つべきなんです、籠の中ではなく恐ろしくも広い空の中を。」
「身に迫る危険だけじゃなくて、|君みたいなのもいる《善意から来る無垢な悪意もある》怖いものから守るために、僕は此処にいる。」
紫遠は握り締めた刀を構え、観千流は片手を少女に向ける。床を叩く蔓に芽吹く青い薔薇の蕾がゆっくりと花開き、二人の前に立ちはだかった。
「危ないからね、避けるなよ。」
頭を垂れていた蔓が顔を上げ、少女を守る青薔薇の騎士が蠢く。数多と伸ばされた腕が蛇のごとく不規則に床を這い、紫遠の足元に狙いを定めた。
「申し訳ありません、ご協力お願いします!」
薄暗い音楽室に光が差し込む。観千流の呼びかけにより現れた自我を持つ量子天使が、紫遠の足元へと向かう蔓へと爪を伸ばし弾ける光の如く素早い動きで深緑の胴へと突き刺す。
蔓は貫かれた先から動きを止め、またそれを補うように別の蔓が観千流へと腕を伸ばした時、今度は紫遠が握り締めた刀を横一文字に引く。綺麗に斬れた断面を見下ろし、紫遠は引いた刃を更に突き刺す。
「眠り姫を護る騎士も、一筋縄ではいかないね。」
「だからこそですよ。ここで騎士に抗えば、可能性を見せる事が出来ます。」
強い眼差しで紫遠を見つめると、観千流の天輪が淡く光り始めた。
「天使たちよ、青薔薇を伐採しましょう!そして青薔薇のゆりかごの中で眠る少女に、希望を……!」
淡く光る天輪が徐々に輝きを増す。光の届かない世界にさしこむ一筋の光となるべく周囲を照らし翼をはばたかせた天使が、振り上げた爪で青い薔薇を首から落とす。
「――散れ。」
無銘【香煙】。苦楽を共にした相棒が、片腕で戦慄く。纏う炎は蒼の怨讐。青薔薇にも負けぬ程の深さで斬った端から蔓を包み、床に落ちた花ごと灰になるまで燃やしつくす。
「ゴメンね、ちょっと荊が多いんだよ。手伝って?」
『毎度毎度、指示をしねーでもらえますか。』
「あはは、そこを何とか……。」
こうしてお願いをするのも、もう何度目だろうか。やはり辛辣な声をあげるAIのアリスさんに、この場に似合わぬ苦い笑みを晒した紫遠は、観千流に小さく頭を下げる。
「ここに来てから何度も手伝っていただきましたから、きっと大丈夫です!」
この場に辿り着いてから、何度もアリスさんの手は借りている。生徒たちの避難だってスムーズに行うこともできたのだ。
『私に出来ないことはありません。』
得意げに音をあげたアリスさんは、二人の見守る中で声をあげた。瞬間、降り注ぐレーザーが煙るように周囲に揺らめく。細い雨の粒がさあさあと青薔薇に恵みを齎すこともなく、降り注いだ端から蔓を槍の如く貫いて行く。床に転がる数多の残骸。燃えた花が悲鳴をあげる前に消え失せ、花の代わりに灰燼が舞った。
『いやだ、いや、こわい。』
なおも少女は呻く。この声は、この場に居る誰もに届く。紫遠は瞼を閉じ、観千流は頭上の天輪に触れる。天使の爪が蔓を掻き、咲いた花がぽとりと落ちる度に、紫遠の相棒が青薔薇を散らす度に、周囲の蔓が徐々に勢いを失いゆりかごの中の少女に変化が現れる。
『そとはこわいよ、ここにいよう?』
ゆっくりと瞼を開いた紫遠が、蔓の残骸を避けては少女の元へと近付く。
(怖いものはこの世に数え切れないほどある。)
(それを乗り越えるために彼女らは学びを得て経験を積むものだし、周りはそれを見守り導くんだ。)
天輪に手を添えていた観千流が、燐光を散らす天使を少女の元へと動かす。
(希望の隣には絶望があります。この世界がくらい場所だとしても、隣には必ず希望があるんです。)
「キミのご飯にされちゃたまんないよ。」
「これが私の掴んだ可能性!」
二つの刃が、同時にゆりかごへと向けられる。眠る少女を護る青い薔薇が、最後の力を振り絞り二人の前に少女を覆い隠す程の巨大な花を咲かせた。
しかし既に力を使い果たした花は、この場に集う仲間の前では脅威になり得ない。天使の爪が花の中心へと添えられた時、蒼い炎を纏わせた刀の先が花の根元に埋まった時、二人は同じタイミングで切っ先を横に引き巨大な花の首を一気に刎ねた。
騎士の血潮は、はらはらと。周囲に飛び散る蒼は、軈ては二人の足元で跡形もなく消えてゆく。途端。少女を護っていたゆりかごが音もなく崩れ始める。眠りを齎す青い薔薇の騎士が、ここで膝をついたのだ。あとは眠り姫を目覚めさせるだけ。
「少女達にも同じように希望の未来がありますように。」
床に横たわる少女の胸に、一枚の青い薔薇の花弁がひらひらと舞い落ちた。
やさしい世界があった。
しあわせなあの日があった。
そして――――。
縁側で幸福そうに笑う男性の声が聞こえる。まどろみの中で聞く声は、坂堂・一にとってのいつかの記憶。
古い家屋。まあるい泡がふよふよと浮かび、しあわせそうに笑う声を一は後頭部で聞いていた。ふよふよと浮かぶそれが、縁側に座る女性の持つストローから齎されているのを一は知っている。女性が優しく息を吹き込む度に、数多のシャボン玉が周囲を漂う。
シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んだ。そんな歌を口遊む女性と女性の膝に頭を置いて眦を緩める父。木漏れ日の差し込む日々の、自身を愛用してくれていたあの日の。そして、ただただ純粋にいとおしいと感じた記憶が、一の胸に懐かしさと共にぎゅうっ、と締め付けるような痛みを齎す。
(このままここに居られたら、どんなに幸せだろう。)
過日はもう帰って来ない。この景色が夢幻で、嘗ての記憶だと言う事を一は理解をしている。頭がそう理解をしていても、胸が軋んでしまうのは仕方が無いのだ。だってこれは、己にとっても大切で愛おしい記憶なのだから。
(でも、ぼくは進んだ先でぷいぷいと会えたから。)
この記憶は大切だ。大切だけれど、この足で踏み出したからこその出会いもあった。肩に身を落ち着け、元気よく声をあげる相棒。自分がピンチの時に、助け舟を出してくれる相棒。楽しい時も、辛い時も、嬉しい時も。いつどんな時だって、傍にいてくれたチンチラの姿をした相棒。
ぼんやりと虚空を見つめていた一の瞳がゆっくりと瞬きを繰り返す。一の様子に気付いたぷいぷいが、そっと一の頬に身を寄せ、自らのあたたかさを分け合う。
「……ぷいぷい、ありがとう。」
ねぇ、と問う一の声が、床に横たわったままで未だに眠り続ける少女へと向けられる。一歩、二歩、しっかりとした足取りで、一は少女に歩み寄る。
「この檻の中で、眠りの世界で羽ばたいて、……それでどうなる、の?」
少女の瞼は閉じられたままだ。檻から解き放たれた今、あとは瞼を開くのを待つだけなのに。少女の胸に落ちた薔薇の花弁が、一の声に反応をして僅かに動きを見せる。
「確かに現実は無情で、見たくないものもいっぱい、だ。」
この世は美しいものであふれている訳では無い。過日の記憶のように、愛おしい世界だけで出来ている訳では無い。
「それでも、羽ばたく翼は何の為?」
「美しくあろうとするのは誰の為?」
一は眠ったまま踊る少女たちを脳裏に浮かべる。皆一様に1番にと告げていた。レッスンを繰り返していた。それは何のために?しゃがみ込んで眠る少女の顔を覗き込むと少女の瞼が動く。
「それがこの子たちの、本当の願いなんじゃない、かな。」
少女の胸に落ちた花弁が、一へと飛びかかろうとその場で宙に浮く。けれどもそれを瞬時に感じ取ったぷいぷいが、花弁が刃を向ける前に声をあげる。
『ぷいっ!』
号令。そを合図に現れた半透明の体を持つ子鼠たちが、花弁に飛びかかっては小さな前歯で齧った。仲間たちはとても頼もしい。けれども一が歩んでいなければこの子たちにも出会うことは無かった。一は彼らの顔を見つめ、強く頷く。
「ぼくが、大切な相棒に出会えたように。」
そうして再び少女を見下ろした時、僅かに動いていた瞼がそっと持ち上げられる。憂いを帯びた青い瞳が一を捉え、唇が震える。重なり合う瞳。未だまどろむ少女に手を差し伸べ、一はもう一度確かな言葉を届ける。
「きみにも未来や可能性、あるはず、だよ。」
――ありがとう。
今はまだ恐怖を完全に拭うことは出来ないかもしれない。張り巡らされた茨の檻が再び少女たちを閉じ込めるかもしれない。それでもこれから先、少女たちの歩む道にゆりかごのような、そんな安寧を齎す存在があれば良いと。
目を覚ました少女は、この場に集った彼らを見つめながら、深く深く頭を下げた。