バレンタインデー買出し作戦~2026~
【バレンタインフェア】
そう綴られたB4サイズのチラシを掲げながら、北條春幸が口を開く。
「折角だから皆で行こう」
ここは津村古書店。
レトロな雰囲気漂う空間にはあまりにも似合わない、いや成人男性が持つにはあまりにもファンシーでピンクや赤、オマケにハートが大量にあしらわれたそれを、怪訝な表情の綴読道は受け取った。
「ばれんたいん……」
バレンタインくらい綴も知っている。
女性が好意を寄せている男性にチョコレートを贈る行事だ。最近では好意を寄せている相手だけではなく、友チョコや義理チョコ等、様々な目的でチョコレートを贈り、また男性であったとしても自分や友人のためにチョコレートを買うこともあるのだとか。
その名前の由来は3世紀頃、ローマに実在したキリスト教の司教である。バレンタインデーが恋人たちの日とされたのは、この司教の命日と、もともと2月14日と15日に行われたローマの恋人たちの祭りとが意図的に合わせられたものだ(諸説あり)。
当時のローマ皇帝は、兵士に妻や子ができると士気が下がると考え、兵士の結婚を禁止した。司祭は結婚することができなくなった恋人達哀れに思い、ひそかに兵士たちを結婚させ……が、結局それがバレてしまい斬首されてしまうのだったか……。
いや、今はそんなことを考えて自分の世界に浸るところだった。危ない危ない。
もちろん綴もチョコレートは貰ったことがある。津村古書店のオーナーであり、綴のことを息子のように思っている津村八重からだ。これは所謂母チョコと言うやつになるのだろうか?八重は実母ではないが……というより綴は付喪神であるので母という概念がまず曖昧なわけだが。この場合綴の親とは綴を作った存在なのだろうが、残念なことに記憶がハッキリしているのは八重に拾われる少し前の約5年間だけなので、綴を作った存在についてはよく分からない。
「北條……まさか、この中に怪異で出来たちょこれぇとがあったりとか……?」
「どれだけ僕に信用ないのさ、ご店主」
しかしチョコレートは美味しい物!
かくして、チーム・津村古書店は有名デパートバレンタインフェア攻略に踏み切ったのであった!
───バレンタインフェア当日。
甘い香りと共に戦いの気配が漂ってきている。
それは、誰かがそう言い出した冗談だったのかもしれない。
けれど、目の前に広がる光景を見れば──誰もが一度は、頷くだろう。
デパートには人、人、人。視界の端から端まで埋め尽くすのは、チョコレートを求める人波。
「……来てしまったね」
花園樹は、わずかに尻尾を揺らしながら呟いた。その瞳は、恐れよりも期待で輝いている。
「バレンタインの──戦場に……!」
発案者の北條と綴の提案で、12人は4つの班に分かれることになった(ちなみに班分けはくじ引きで決定した)。
一度に動けば効率が悪い。人気商品はすぐに消える。ならば──分散してより多くを確保する。合理的で、そしてどこか「狩り」のような作戦だったが、娯楽に全力投球、大惨事はお手の物、そして何より菓子が欲しい彼らは狩人と名乗っても遜色ないのであながち間違いではない。何故間違いではないのだろうか?
集合場所は7階、限定クレープの店前。
それぞれが頷き、円陣を組み、気合を入れてから班ごとに散っていくのだった。
●
人の波は、音を持っていた。
ざわめき、紙袋が擦れる音、店員の呼び込み、笑い声と、足音と、甘い香り。
それらがすべて重なり合い、空気そのものを震わせているように感じる。
「────……すごい、ですね」
神隠祇境華は、小さく息を吐いた。
想像はしていた。けれど、実際にその中へ足を踏み入れるとそんな甘い考えでこの戦場に来てしまったことに後悔してしまいそうになる。
(まるで……流れのある川の中に立っているような)
人の流れが押し寄せてくる。
足元を見て姿勢を正して呼吸を整える。それでも慣れない人混みに神隠祇はたじろいでしまう。
いや、ここまで来たのだから、せめてお世話になっている人達のぶんだけでも!と気合を入れていると、神隠祇の肩を誰かがポンポンと叩く?
「大丈夫?」
隣から、柔らかな声。
斯波紫遠が神隠祇の歩調に合わせるように、わずかに速度を落として話しかけてくれていた。
力が入りすぎていた神隠祇の肩から僅かに力が抜ける。
「はい……少し、驚いてしまって」
「無理しなくていいよ、今日は時間もあるしね。
はぐれたら花園センセを目印にすればいいから」
「え!?」
穏やかな声音とその言葉に、神隠祇は小さく笑いながら頷く。
「まぁ、そのセンセが迷子になりそうなんだけど」
「いや、これは……」
斯波の指摘に、尻尾を見たことがないくらいの勢いで右へ左へと振っていた花園樹のしっぽがピタリと止まる。
いつもであれば職業柄気を引き締め引率に勤しむ花園なのだが。
「すごいな……全部チョコだ……」
本日は完全に意識が前方へ集中している。
先程止まったばかりの尻尾が、また楽しそうに揺れ始めた。
「センセ、はぐれないでくださいよ」
パンフレットを見つめる神隠祇の隣で一緒にパンフレットを見つめていた斯波が軽く花園に声をかける。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと──」
皆から目を離さないようにしているから……と言葉にしようとしたその瞬間、横から流れ込んできた人波に、花園の身体がわずかに押される。
「おっと」
「そんなところで立っとらんで!はよ進みや兄ちゃん!」
パンチパーマの効いたマダムがそのまま売り場へ、早歩きのような速度で突き進んでいく。
「……あ」
1歩、2歩。花園がよろけとうとう斯波の視界から、背の高い目印が消えた。
数秒の空白。
「……センセ?」
斯波が、少しだけ楽しそうに呟く。
「……はぐれたね」
あまりにも早いフラグ回収。斯波でなければ見逃していたね。
我が道行く問題児達しかいなければ、居なくなったことにすら気付かれず、戦利品を確保した後で「あれ?花園は?」なんて展開も待っていたかと思えば空恐ろしい。
すぐに花園がいなくなったことに気が付くことができたのは不幸中の幸いというかなんというか。
「……も、申し訳ありません」
自分がもっとしっかりと周りを見ていれば!と神隠祇は慌てながら神隠祇が小さく頭を下げる。
「いやいや、神隠祇さんのせいじゃないよ。
大丈夫、あの人は放っておいてもだいたい面白い方向に転がるから」
斯波は、どこか余裕のある表情だった。
むしろ楽しんでいる節すらある。花園と引率をよくする斯波ではあるが、それはそれとして面白いことには乗っかりたいタイプの人間である。
「さて、どうするかな」
とはいえ、|花園《迷子》をこのまま放置するわけにもいかない。
人混みの中でひとり。
しかもあの様子だと、スイーツに吸い寄せられてしまう可能性すらある。いつもは真面目で苦労人である面が強く印象に残るが、花園も津村古書店の常連客。冷静さを欠くことも年に1度や2度あるだろう。
「探しましょうか」
神隠祇が言う。その声は、先程より少しだけ落ち着いていた。急に消えてしまった花園に慌てていたが、神隠祇よりも花園との付き合いの長い斯波がこれだけ冷静だと、彼女も自然と「あ、そんなに慌てなくて大丈夫なのかも?」と思い始め、落ち着くことができていた。
「うん。あの背だからね、完全に見失うことはないと思うけど」
斯波は周囲を見渡す。
あの特徴的な花園の耳はここからではよく見えない。
「人気店の方に吸い寄せられているとか?」
「あの、列の長い場所でしょうか」
神隠祇も視線を向ける。いくつかのブースには長い列ができているようで、次々とそこに人が集まってきていた。
その時、斯波と神隠祇の足元に1匹の狗神が現れた。
「もしかして、花園さんの……?」
狗神はそれに一つ吠えてから、人混みをスイスイと進んで行く。
「あの先に花園センセがいるのかも?」
「行ってみましょう!」
斯波と神隠祇は直ぐに狗神を追いかける。
●
時は解散前まで遡る。
「ヤグロはコキューのことよく見てやってくれ」
グッとサムズアップしたヤグロ、それと小弓を見送ったB班の木邑零壱は軽く眉をひそめながら、周囲を見渡す。
「……時季が時季とはいえ、これはなかなかだな」
「ふふ、賑やかでいいじゃない。
こういう場所は見ているだけでも楽しいものよ」
同じくB班イルゼ・ラウィーネ・ローゼンクランツは余裕の笑みを浮かべ、優雅に周囲を見渡す。
彼女の背後で、細く長い尾がわずかに揺れる。
だがその動きは極めて慎重だ。人に触れてなぎ倒さないよう、計算されたかのように制御されている。
「うむ、活気に満ちておるな!これぞ祭りよ!」
B班3人目の治部亞比栖ことアビィは朗らかに笑う。
色んな意味で人の目を引く集団だが、3人はあまり気にしていない様子である。
「では参るぞ、我らが姫よ。どうぞ——」
「あら、エスコートしてくれるのかしら?」
とアビィが手を差し出し、イルゼがその手を取ろうとしたその瞬間、アビィがぐい、と人の流れに巻き込まれる。
「もごっ……!? もごご……っ!?」
「おいアビィ!」
零壱が咄嗟に手を伸ばすが、アビィはあっという間に人波に押し流され、手が離れる。
「さ、さすがにこれはまずい……!」
アビィは咄嗟に指を鳴らす。
見えぬ影——|血奏蝙蝠《ナパーズィア》が空へと散る。
インビジブルは非√能力者には見えないため騒ぎにはならない。ならば問題はないとアビィは天を仰ぐ。
「位置を知らせよ……!」
アビィの目論み通り、騒ぎにはならず人々は買い物に没頭している。
もしかするとこの中に√能力者がいるかもしれないが、もしも問題が起きたらそれはその時だ。
「……あそこか」
打ち上げられた|救難信号章《それ》を見た零壱は迷いなく人の流れを読み、方向を定める。
「アビィ!」
人混みの中、アビィと零壱の目が合う。
遠くまでは行っていなかったらしい、これならすぐにアビィを助け出せる。
「零壱よ!」
「動くなよ!」
零壱は人の隙間を縫うように進み、そのまま——ひょい、とアビィを抱える。
「これなら流されねぇだろ」
「おお……!」
視界が一気に開け、アビィの目がきらりと輝いた。
目をキラキラと輝かせたアビィは辺りをキョロキョロと見渡して人混みや店を眺める。
「これは良い!実に良いぞ零壱!」
「子供じゃねぇんだからはしゃぐな」
「よいではないか!」
その様子を見て、イルゼがくすりと笑う。
「あらまぁ……ふふ、本当に親子のようね」
「嘘だろ?」
小さくため息をつきながらも、3人はそのまま歩みを進める。
というか、だ。アビィは零壱よりも年上なのだから親子のようだと言われるのも何か違和感がある。
「で、次はどこだ」
「ふむ——あちらの輝きが気になるな」
アビィは高い視点から会場を見渡し、ひとつのブースを指し示す。
そこには——宝石のように煌めくチョコレート。
「まぁ、素敵」
イルゼの瞳がわずかに細まる。
ガラスケースの中に並ぶそれらは、まるで芸術品だった。
「この輝き……実に見事だ。職人の魂を感じる。
斯様な宝石がごときチョコレートこそ、美しきイルゼに相応しきものであろう」
「あら、宝石であれば、私よりはアビィさんに似合うのではなくて?」
イルゼは傍にやってきた店員にその宝石のようなチョコレートを1つ頼む。店員は手際よく赤く輝くチョコレートを可愛らしくラッピングし、そのチョコレート箱が入る少し小さめの紙袋をイルゼに手渡した。
「即決だったな、イルゼ。そんなに気に入ったのか?」
零壱に言われ、イルゼはその紙袋をそっと撫でる。
「ええ……これは私からアビィさんへのバレンタインのチョコレートよ」
「なんと!ありがとう、イルゼ。
このような、美しい物が貰えるとは……これよりもどうか、その道に邁進していただきたい」
「ありがとうございます……!」
アビィが店員を激励すると、彼女はやや戸惑いながらも嬉しそうにしている。
「もちろん、木邑さんへのエスコートのお礼も見繕うつもりよ?」
イルゼは迷いなく商品を選び始める。
「小弓ちゃんには猫の形のものがいいかしら。あら、この箱は本の形……可愛らしいわ境華ちゃんにピッタリね」
次々と手に取られていくチョコレート。
零壱はそれを横目に、自分の目的も忘れない。
(……差し入れ用も見繕わねぇとな)
落ち着いた色合いの箱、上品な包装。甘すぎないもの、日持ちするもの。
「……これと、これだな」
手際よく選び、カゴへ入れる。
「木邑さん、ずいぶん手慣れているのね」
「まぁな。仕事柄、贈り物は慣れてる」
「ふふ、頼もしいわ」
その時再び歩き出す三人の耳に、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてくるのだった……。
●
「ひえ……」
思わず、声が漏れた。
時はまた少し遡り、こちらはC班。
尾花井統一郎の視界いっぱいに広がる人混みにその隙間を埋め尽くすように並ぶ、無数のチョコレート。
「ここにあるの全部チョコでやすか……?
そしてそれを求めるお客さんばっかりってことでやすか……?」
呆然としながらも、次の瞬間には気を引き締める。
「——こりゃあ、気合い入れねぇと買いそびれやすな!」
その隣では、屍累廻が静かに周囲を見渡していた。
「流石に……想像以上ですね、これほどとは」
穏やかな声だが、その目はしっかりと状況を把握しているようだ。
そしてその二人の間で——…。
「……たのしみ」
小弓佐倉が、ぽつりと呟いた。
人混みの圧に少し肩をすくめながらも、その視線はきらきらと会場を見つめている。
「……あの、よろしく、お願いします。
邪魔にならないように、がんばる……がんばります」
ぺこり、と小さく頭を下げる。
「こちらこそ、むさ苦しくってすいやせん」
尾花井はすぐにしゃがみ込み、目線を合わせてにこりと笑う。
「どうぞよろしくお願いしやすよ」
「えぇ、こちらこそ。無理はなさらずに」
屍累もやわらかく微笑み、そっと手を差し出す。
「よろしければ、手を繋ぎましょうか。
はぐれてしまうと大変ですから」
「……手?
……いいの、かな……」
ちら、と少し離れた場所にいる零壱と屍累を何度も順に見比べてからそっとその手を握る。
こちらを気遣う事がよくわかる手だ。それを感じた小弓は僅かにはにかんでみせる。
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
そして3人は足を進めるわけであるが、しかし会場の中は先程よりも人数が多い。
「念には念を、ということで」
手を繋いではいたがこれだけでは心許ないと、屍累が足元に視線を落とすと、小さな影が2つ現れる。
「幽羅、朧。少し手伝っていただけますか」
『まぁ、良かろう』
白黒の猫のぬいぐるみ——幽羅が、気だるげに応じ、朧はちょこんと跳ね、小弓の頭へ乗る。
「幽羅は朧と共についてきてくれます?
万が一、はぐれた場合に誘導要因として動いてくれると助かるのですが」
『まぁ、良かろう。
小弓とやらがわしを抱えても違和感ないじゃろうし』
「……ねこちゃん?それに、ふわふわさん……かわいい」
そう言ってから幽羅の懐へぴょんっと飛び込む、小弓は慌てて幽羅を戸惑いながらも抱きとめ、幽羅と朧を抱っこすることができてご満悦な様子だ。
「それじゃ、参りやしょうか」
尾花井が義足である屍累と体格の小さい小弓を先導するように歩き出す。
人の流れは激しいが、彼の後ろには見えない“目”がある。
ごりょんさん、いとさん、そして上空には天井飾りに紛れて上から見守り体制万全のヤグロ。
「大丈夫でやすよ。
あっしら、見守りは万全でやすから!」
一番人混みの中で流されて迷子になりやすそうな2人、それに対して、見守りや護衛に特化した√能力者を持つ尾花井と屍累、小弓がタッグを組めばこの通りなのである。
時折屍累の好奇心の赴くままに寄り道をしながら会場の奥へ進むにつれ、チョコレートの種類はさらに多様になる。宝石のようなもの、動物型、缶入り、焼き菓子——。
「……すごい」
小弓の視線が、あちこちへ揺れる。
だがその中で、一際目を奪われてしまう物を見つける。
ぴたり、と止まった視線の先にあったのは猫のモチーフが描かれた、クッキー缶。
それを小弓はじっと見つめる。
内心の目当てであっあ猫モチーフのチョコクッキー缶だ
ブースが見れるだけでもいい、皆の目的優先……と首を横にブンブンと振ってはみるが、未練は捨てきれない。
それを見ていたごりょさんといとさんは、全くなんで気付かないんだろうね、とでも言いたげに尾花井にその事を知らせる。
「え、ごりょさんにいとさん?」
彼女達は小弓を指差す方には猫缶クッキーに釘付けになっている小弓の姿が。
「——なるほど」
ごりょさんといとさんの意図に気が付いた尾花井はにやり、と小さく笑う。
「小弓さん」
「……?」
「可愛いでやしょ、これ買いやしょう!」
猫缶クッキーを手に取った尾花井はそっとそれを小弓に差し出す。
「……いいの?」
「いいに決まってるでやす、せっかく来たんでございやすからね」
「うん」
小さく、でもはっきりと頷いて、小弓はそれを受け取り張り切って会計をしに向かうのだった。
●
「さて」
人の波を前にして、各務鏡はゆるく目を細めた。
「思っていた以上に多いねぇ。
班分けで僕は……読道さんと、春幸さんと、だね」
ちらりと隣を見る。
こちらはD班。既に目的から、少し遠くに見える書店に興味が目移りしている綴と、そんな綴から目を離さないようにしている北條の姿がある。
「ねぇ読道さん。読道君って呼んでもいいかい?」
「別に呼び方はなんでも構わんが……。
その孫を見るような目をやめろ」
「はは、失礼。なんとなく若く見えてねぇ」
綴は各務と同じ付喪神であるはずだが、まだ幼い雰囲気のある付喪神だ。
本人曰く、記憶があるのは6年前からとの事なので、仕方の無いことなのかもしれない。背伸びをしたい年頃なのだろうと結論付けた各務は思わず綴の頭を撫でそうになったが、直前で綴に睨まれ、残念に思いながらその手を下ろす。
そのやり取りを横目に、北條は軽く肩をすくめる。
「うん、やっぱりちょっと不安だなあ、この組み合わせ」
「なんだ、その顔は」
「いやだって、ご店主が一番迷子になりそうで……」
なるわけないだろ、と口を尖らせる綴だが、自然と目的の会場ではなく書店に足が向いている時点で説得力がない。
|ほけほけしたおじいちゃん《各務》に|難しい年頃の男子《綴》に囲まれた北條の運命や如何に……!
「俺は北條の方が心配だがな」
「じゃあ手を繋ぐ?」
「……繋がない!」
綴はそう言うと、ずんずんと会場へ向かっていくのであった。
それを見て各務はくすりと笑う、と同時にやはり綴は肉体と精神年齢があっていないのではないかと感じとる。
「…一度、彼をどこで見つけたのか聞いた方がいいかもしれないねぇ……」
「どうしたんだい、各務君?」
「いや、何でもないよ。
それより本当にはぐれた時に集合場所に何時に集合するか決めておこうか?」
「あぁ…それなら……」
ともかく今はこのイベントを楽しもう。そう気持ちを入れ替えた各務は、北條と話しながら会場に足を踏み入れる。
その瞬間、人混みに流される綴を発見して北條が慌ててその腕を掴む。
「ご店主!やっぱり手を繋ごう、ね!?」
「嫌に決まっているだろう!子供扱いするな!」
「んー、この頑固!」
言い合いをする北條と綴を見かねた各務はその肩にそっと手を置いた。
「大丈夫大丈夫、流れに乗ればいいだけだからね」
各務はすっと人の流れに身体を合わせ、見本を見せるかのように進んで行く。
ぶつからず、止まらず、するりと隙間を抜けていく。北條と綴もそれを見習って各務の後ろを着いて歩く。
「各務君、慣れてるね」
「ご近所のセールで鍛えられてるからねぇ。
ただ……あれは無理だね」
各務達の視線の先にいる熟練のマダムたちが、完璧な動きで商品を確保していく。
「歴戦すぎるでしょあの人達」
「うん、あれは勝てないねえ」
春幸も素直に頷く。
「実際今も少し負けてるよ、僕」
「無理に張り合うものじゃないさ、こちらはこちらのやり方でいこう」
そうやって2人が作戦をたてている間、綴はそのマダム達を見つめながらポツリと呟いた。
「……人間は人混みに紛れるのが好きだな」
「うん、ちょっと違うかなー?」
買い物もあまりしたことがない綴には、人間が好き好んであの人混みの中に突撃しているようにしか見えなかった。もちろん、そういった人間もいるかもしれないが、大体の人間は人混みは避けたいと思うものだ。つまりはそれだけこのバレンタインフェアの商品が魅力的だということになるが……。
「ほら、人間って困難な道を好んで行くから……」
「なるほど?」
「別に困難な道が好きって訳じゃないんだけどな?
ダメだ、聞いてない」
そんなやり取りをしながら3人で手際よく商品を確保していくが、そのうち綴はある物に興味を惹かれる。
「あれはなんだと思う?」
そう言って足を止める。
視線の先には——妙に古書めいた装丁のチョコ箱。
「本……いや、チョコかな?」
「八重に渡すのに丁度いいかもしれんな」
各務も覗き込む。
赤い本をモチーフにした箱を綴は八重を思いながら1つ手に取る。
「気に入ってくれるといいねぇ」
表情にはあまり出さないようにしているらしいが、どう見ても浮き足立っている様子の綴を見て、各務はほっこりとしながら笑いかける。
各務と綴が和やかな雰囲気になっていたその頃。
「……あれ?」
北條が振り返る。
「2人共?」
いない。
忽然と各務と綴の付喪神コンビが消えていた。
「……おーい?」
しかしその声はざわめきに飲まれるだけで返事などは一つも返ってこない。
「ちょっと待ってよ、まさか——」
大変なことが起きた。
そんな馬鹿な。綴は一応想定していたが、各務もいなくなるだなんて。
はぐれたら集合場所に決まった時間に向かうことを話し合っていたが、あの2人の場合その集合時間までのんびり買い物を楽しんでいそうだ。
どうして自分がこんな目に。普段はどちらかと言うと振り回す側なのに。このポジションが定着してしまえば花園のようになってしまいそうだ。嫌だ、あの2人のお守りだなんて。
「よし、切り替えよう。
とりあえず……目的の物を買いながら集合場所に行こう」
「ふむ……これはなかなか」
「質感も凝っているねぇ」
チョコレートなのか?と疑問が浮かぶようなアートチョコレートを売る店にやって来ている各務と綴はその迫力に圧倒されていた。
歯車のようなもの、インク瓶のようなもの、なぜか錆びた金属風の加工をされたチョコレート……。
ふと、その時綴が周囲を見る。
「……各務」
「なんだい?」
「北條はどこだ」
「……あれ?」
各務も同じように辺りを見渡すが北條の姿はない。
「まあ、問題ないだろう」
「集合場所は決めてあるしね」
一応3人は(バラバラだが)それぞれの戦果を手にする事に成功はしていた。だが北條がこと2人から離れてしまうという事態は予期していなかった。
ちなみに北條はここに来る前に八重から散々綴を|頼む《・・》と釘を刺されていたが、結果はこの通りである。これが八重の目の前で起きていたら、北條は店の裏に連れて行かれていたであろう。恐怖心を欠落している北條なら耐えられるかもしれないが、八重からのお叱りを受けたくない北條はかなり慎重にはなっていた、はずだった。
「……それにしても…読道君を心配していた北條君が迷子になるだなんてね」
「北條は迷子なのか?」
「だって僕らはちゃんと"自分の行きたい店"に来ている」
「……それはそうだな、なら"目的地に辿り着けていない"北條の方が迷子だ」
「まったく、仕方ないな」
北條がこれを聞いていたら「異議あり」と言ってきそうなものだがこの場に北條はいないため、好き勝手言われていても誰も訂正されることはない。この2人の中では北條は完璧に迷子なのだ。
そんなやり取りをしていると、2人の背後から声がかかる。聞き覚えのある声だ、と2人が振り返るとそこにはイヌガミを引き連れた人混みに流されたはずの花園が立っていた。
「花園?なんでここに?」
花園はやっと知り合に会えたことに少しだけほっとしたような、しかしまだ落ち着かない様子で、周囲を気にしている。
花園はあの後イヌガミの力を借りて斯波と神隠祇、もしくは他の誰かと合流しようとしていたのだ。
「……ああ、良かった。人の流れに押されて、その……」
言いかけて、花園は気が付く。
この2人と同じ班だったはずの北條がいないのだ。
「……?」
「ちょうど良かったよ」
各務が穏やかに微笑む。
「北條君が迷子でねぇ、見てないかい?」
「……え?」
「全く、あいつは」
綴も腕を組んでため息を吐く。
「だから手を繋げと言ったんだ」
「言ったのは北條君だね」
残念なことに、花園はよりにもよって絶賛迷子に気が付いていない迷子界の中でも特に厄介な迷子達と合流してしまうことになったのであった……。
●
「やっぱりいない……!」
その頃一足先に集合場所にたどり着いた北條。
だがやはり各務と綴の姿は見えなかった。時計を見ればあと5分程で全班の集合時間だ。迷子になった時用の集合時間はもうとうに過ぎている。
いないことは予想していたさ。
それでもいることを信じたさ。
「付喪神と人間の感覚ズレを舐めていたのかもしれない……」
付喪神は長い間を物として過ごしてきた種族である。
人間にとっての5分は付喪神にとってほんの瞬きをした程度の時間なのかもしれない。5分?そんなに短い時間で何が出来るの?まぁお茶でも飲みなよ、となっている可能性は高い……それなら同じく長寿の種族もなのでは?検証する必要があるのでは?
何はともあれ、早いところ誰かと合流したい。
合流して、できることなら各務と綴を探しに行きたい。あと綴については本当に予想が的中してしまったので、今後は絶対に手を繋いでおこうと心に決める。
「北條さん達が1番でやしたか?」
頭を抱える北條の後ろから誰かを声をかけてくる。
この特徴的な口調は……と後ろを振り返ると、思った通り尾花井がそこにいた、その後ろからは屍累と小弓がゆっくりと歩いて来ている。
「1番じゃ……無かった……」
「2番でしたね……北條さん?綴さんと各務さんの姿は見えませんが?」
北條は天を仰ぐ。
好奇心の塊とした名高い屍累ですら迷子にならずに合流場所まで帰って来れているというのになにをやっているんだあの2人は。
●
聞き覚えのある声に、アビィがぴくりと反応する。
零壱に抱えられたまま振り返れば、人混みの向こうに見えたのは──見慣れた付喪神2人組と、なぜかそこに混ざっているA班の花園の姿だった。
「おお!先生に各務、それに読道ではないか!」
「……あ」
花園はそこでようやく、別班と合流したことによる安堵を覚える。
やっと2人がそろそろ集合場所に向かおう、と言い出してくれた事よりも余程安心感があった。
「おい、北條はいないのか?」
「北條君は迷子でねぇ」
「仕方のない奴だ。花園も迷子だし、やはり俺達年長組がしっかりしないとな」
零壱に尋ねられた各務と綴はやれやれとクビを横に振る。
「……あの2人が言っていることは本当なのかしら?」
イルゼは花園にヒソヒソと話しかける。
「いや……私もよく分からないんだけど、多分……迷子なのはあの2人なのかなって……」
いや、自分は迷子なのだが。
各務と綴に合流してから解き放ったイヌガミが神隠祇と斯波を連れてきてくれることを願う。
「各務、あれはなんだ」
「あれはボンボンショコラと言ってねぇ……」
「いや、行くな行くな!」
零壱とアビィ、花園がボンボンショコラに釣られて離れようとする各務と綴の肩を掴む。
「これは早いところ集合場所へ向かった方が良さそうだ」
「そうね、このままだとこの2人……特に店主さんがいなくなってそう」
これ以上は本当にまずい、花園は半ば引率教師のような気持ちになりながら、一行を集合場所へ向かわせることになった。
一方その頃。
「……本当に来ないなぁ……」
北條は、クレープ店の前で遠い目をしていた。
隣には尾花井、屍累、小弓。
「落ち着いてくだせぇ」
尾花井が苦笑する。
「各務さんもご店主も、なんだかんだ大丈夫でやしょう」
「そのなんだかんだが怖いんだよ」
屍累も困ったように微笑んだ。
「ですが、各務さんは落ち着いていらっしゃいますし」
「そうなんだよねぇ、それが逆に危機感薄いというか……」
「……あ」
小弓が小さく呟く。
その視線の先を辿れば、人混みの向こうからぞろぞろとこちらへ向かってくる影が見えた。
先頭は花園。その後ろを各務と綴が、更にB班の零壱とアビィ、イルゼも合流しているらしく、随分騒がしい集団になっているではないか。
「北條君、無事だったんだね」
「こっちの台詞かなぁ、それは」
「まったく、迷子になるなんて案外そそっかしいんだな、君は?」
「うーん、ご店主はあとでゆっくりお話しようか」
グッタリはしているが、2人と合流出来たことに胸を撫で下ろした様子の北條を見て、花園は微笑ましそうに笑顔になる。そして心の中でサムズアップ
するのだ「今日からその2人の担当は君だ!」と。
しかしその時、花園の尻尾を誰かがカプリと甘噛みしてくる。
「私の尻尾噛んだの誰!?」
そう叫んで後ろを振り返ると……呆れた様子のイヌガミと、心配そうにこちらを見つめる神隠祇、何かを含んだ微笑みを花園に向け、その肩にポンと手を置く斯波がいた。
「…………なにか、言う事は?」
「い、一級フラグ建築士で……ごめんなさい」
●
「まったく、そういう事じゃないんだよ。
花園センセはこれだから……」
あの後斯波はアシスタントAIのIris(以下アリスさん)にタイムキーパーをしてもらい花園を探しつつ神隠祇と目的のものを買っていた。
しかし一向に花園は見つからず、イヌガミもチョコレートの匂いで若干鼻が利いていなかったりと、散々な目にあっていた。アリスさんからは「そのような男はもう諦めて合流場所に向かいましょう」と辛辣に言われ、神隠祇に至っては「花園さーん、花園さんやーい」とまるで迷子の犬を探すかの如く捜索し始める始末。
そうしてようやく、12人は7階限定スイーツブース前へと集結した。
目当てはもちろん──会場限定スイートチョコクレープである。
焼き立ての生地。
濃厚なチョコアイス。
たっぷりの生クリーム。
ベルギーチョコのソースとナッツ。
漂う香りだけで幸福感が押し寄せてくる。
「色んなことがあったけど、無事(?)に最終目的のクレープに並べて良かった」
斯波がそう言いながら、さっぱりしたビター系を受け取る。
「……すごい」
神隠祇はクレープを見つめ、小さく息を漏らした。
一口、思い切ってクレープにかぶりつくと、パリっとチョコが砕ける。ひんやりした甘さが舌の上で溶け、生地の温かさが包み込む。
思わず目を細め、その味や食感を神隠祇は楽しんだ──甘さが……喧噪を溶かしていくみたい。
みんなの賑やかな声が、柔らかく胸へ落ちてくるようだ。今日は色んなことが起きた。混雑した場所は苦手だったが……来てよかったと言えるだろう。
「……美味しい、です」
その呟きに、小弓がこくこく頷いた。
「……五感に、楽しいクレープ。
……焼きたてもっちり生地、現地ならでは……」
もくもくと食べ進めながら、小弓は今日一日世話になっていた幽羅と朧にもクレープを差し出す。
「……幽羅さん、朧さん?たべれる?」
『わしは食えんが、朧ならいけるぞ』
幽羅の返事を聞くと、小弓は朧の為にクレープを分ける。朧は嬉しそうに頬張り、その美味さを幽羅に伝えているようで、幽羅の周りを騒がしく動き回っている。
「なるほど……」
そんな様子を見ながら屍累がゆっくり頷く。
「皆さんがこうして足を運ぶのも納得できますね。
限定スイーツをその場で楽しむのも醍醐味なんですね」
「こりゃあお祭りって感じで楽しゅうございやす!」
尾花井もその屍累の言葉を肯定し、何度も頷きながら満足そうに笑う。そこで綴がクレープに挑む姿を見た尾花井は戦慄した。
「ご、ご店主、その…悲惨な姿は!?」
「ほむぅ?」
そこにいたのはイルゼと各務に世話を焼かれながら口と手をドロドロにした綴が……このままでは八重にキリキリと怒られる。それを感じ取った尾花井は急いで綴を手を引いて手洗い場まで連れて行くのであった。
「……読道君ほどでは無いとはいえ、このクレープというのは、爺さんにはいささか食べにくいねぇ」
尾花井と綴を見送った各務は少し困った顔でクレープを見つめていた。
「お箸とお皿が欲しいかも」
「ふふ」
綴が汚したテーブルを拭きながらイルゼが笑う。
「確かに、独特なお菓子ですものねぇ」
発祥はフランスのガレットが元だと言うが、このクレープのように持って食べる、というスタイルは日本の魔改造によるものだ。とある店がクレープを専用の巻紙に包んで提供し、手に持って食べるスタイルを定着させた事から始まり、その後に果物や生クリーム、アイスクリーム等バリエーション豊かな日本独自のクレープになっていったのだという。
「そのガレットみたいにご飯感覚で……でも中がアイスだから匙の方が良さそうだねぇ」
「そうね、確か無料提供していたはずだから貰ってくるわ。ついでに店主さんの分も……」
「流石に悪いよ。僕が行ってこよう」
あら、そう……とイルゼがあげかけた腰をもう一度椅子に戻す。各務がクレープ屋に向かう間、ちょっと北條からの視線が凄かった気がする。おそらくは気のせいだ。
と、その隣で花園はクレープを一口食べる。
「もうね、このクレープだけでも、ここまで来た甲斐があるよ……!」
その花園の顔本気で感動している顔だった。
苦労したかいがあったなぁ……いや、今回に限っては、自分が苦労したというか心配をかけてしまったというか……。
花園が斯波と神隠祇の元へたどり着けなかった理由は実はあったりする。|孫《綴》とその|孫《綴》を見守る|おじいちゃん《各務》のやり取りを見ていたら、2人を探すどころではなかったのだ。本人は無意識に引率に徹してしまっていたのである。
そんな爺孫コンビ(仮)に振り回されたもう1人である北條はしみじみと頷く。
「流石会場限定、チョコの風味に高級感があるねえ」
もちろん各務からは目を離さない。おそらく各務1人だけならどこかに勝手に行くなんてことはないと思うがそれはそれとして、だ。
「うむ!こんなに美味しいものを食べられて、兄さんには感謝しかないな!」
アビィも上機嫌で、そのままクレープを食べ尽くしてぴょんっと立ち上がる。
「さて、そろそろ戦利品を見せ合おうではないか!
此方は上々だ、みなはいかがかな?」
そう言いながら、小袋に分けたチョコを皆へ配っていく。
みんなは一瞬ポカンっと首を傾げたが、すぐにああ、そうだった、と各々の買い物袋を机の下から取り出していく。確かにクレープもそうだが、|こちら《・・・》もメインイベントと言えるだろう。
「ハッピーバレンタイン、と言うのでしょう?
楽しいことに誘ってくれたお礼よ」
イルゼもアビィにならい、先ほど買ったチョコをみんなに配り始めた。
「あ、私もお返しを……!」
「あら?ありがとう。とっても嬉しいわ」
神隠祇は少し慌てながら、小さな包みを差し出していた。
「そ、その……よろしければ」
「ああ、境華ちゃんらしい」
イルゼは優しく笑い、神隠祇に礼を言う。
クレープを食べ終えた頃には、会場の喧騒も少しだけ遠く感じられるようになっていた。
紙袋を抱えたまま、皆それぞれ戦利品を見せ合っている。
その輪からほんの少しだけ離れたところで、小弓は自分の紙袋をそっと覗き込む。
中には、猫の形をしたチョコレート。
缶入りのクッキー。
イルゼから貰った可愛らしい包み。
その中から、小弓はひとつ、小さな包みを取り出す。
赤い和花模様、その中央に白猫のシルエット。最初に見つけた時、なんとなく思った。
(……境華ちゃん、っぽい)
小弓は包みを胸元に抱えたまま、ちら、と神隠祇を見る。
神隠祇は今、イルゼとバレンタインの贈り物を交換しあったらしく、イルゼからもらった贈り物を抱えながら、神隠祇が小さく何度も頭を下げている。
その様子を見て、小弓は少しだけ迷う。
(話しかけるの、へいきかな……?いま、忙しいかな?)
その様子を見て、ヤグロが小弓にサムズアップし、零壱が陰で見守る。
小弓の胸の奥で、渡したい気持ちがふわふわと揺れていた。よし、と頷いてから小弓は一歩を踏み出す。
「……境華ちゃん」
小さな声。
神隠祇がはっとして振り向くと、小弓が少し俯いて立っていた。
「……小弓ちゃん?」
「……これ」
小弓はそっと包みを差し出した。
両手で壊れ物を渡すみたいに、大事そうに。
「……え?」
神隠祇は目を瞬かせる。
小弓が一生懸命手を伸ばしているのを見て、神隠祇は慌ててそれを受け取った。
「……わたし、これ……境華ちゃんに、って」
「私に……ですか?」
小弓は小さく頷く。
「白猫……なんとなく、境華ちゃんっぽかったから」
言いながら、少しだけ視線が泳ぐ。
暫くの沈黙を小弓は感じ取り慌てて顔をあげる。もし神隠祇が気に入ってくれなかったら?そう考えると、自然と口から謝罪が漏れる。
「……あ。
へ、変だったら、ごめんなさい……」
だが神隠祇は嬉しそうに小弓の手を優しく自分の両手で包み込む。
「そんなこと、ありません」
神隠祇は首を横にゆっくりと振った。
和紙越しに伝わる、小さな重み。丁寧に選ばれたことが分かる温度。
神隠祇は静かに包みを見つめた。
白猫のシルエットに赤い花模様が可愛らしいのに、どこか上品でほんの少しだけ、自分の好きなものに似ている。
「……嬉しい、です」
自然に、そんな言葉が零れた。
その声はとても柔らかかった。
「ありがとうございます、小弓ちゃん。
……その、実は私も……」
小弓はぱち、と目を瞬かせる。
神隠祇は自分が持っていた紙袋から、あの時買っていた可愛らしい黒猫のチョコを取り出す。
「あり、がとう……嬉しい」
短い返事、しかしその声は、少しだけ弾んでいる。
小弓は神隠祇がしたのと同じように包みを胸元へ抱える。
まるで小さな灯りを受け取ったみたいに。
その様子を少し離れた場所から見ていた零壱が、ふっと笑う。
「……何やってんだ、お前達は」
「いや、眩しくって……」
そしてその零壱の後ろでは眩しいものを見たと言わんばかりに目を手で覆っていたり、サングラスをかけている様子を見て、零壱はあまり気にしないことにした。
そんな事よりも、戦利品の確認だ。自分の買った箱のひとつを軽く持ち上げながら、呟く。
「……これ、実家の従業員への差し入れにちょうどいいか」
「ふむ、実家で“従業員”とな?」
零壱の呟きを聞いたのはアビィだった。
「ああ、実家が旅館なんだ」
「ほう!」
アビィの目が楽しそうに輝く。
「『八栬館』っつー、√百鬼の北関東辺りに構えてる」
それを隣でたまたま聞いた北條も反応を示す。
「木邑君のご実家、旅館なんだ」
「言うてくれれば泊まりに行くものを、温泉に美味い食事、良き景観!実に魅力的ではないか!」
「いや、そんな大層なもんでもねぇよ」
「そうかなぁ?」
北條は興味深そうに続ける。
「でも旅館っていいよねえ。いつか皆で泊まりに行ってみたいなあ」
「……人数多くて騒がしくなりそうだな」
「しかし」
アビィがふと、少し声色を変えた。
「旅館の跡取りというわけではないのか?」
「あー……まぁ。
俺自身は養子で、お屋敷勤めしてたし。家も家で、特別“跡取りがどうこう”って考えるようなトコでもねぇしな」
さらりとした口調。けれどアビィは、その言葉の奥に少しだけ複雑な事情の気配を感じ取る。
(……養子、と)
それ以上は踏み込まなかった。
(何やら事情があるようよな……これ以上は不躾か)
なので代わりに、ぱっと明るく笑う。
「とにかく、旅館に泊まれるかもしれないのは楽しみだ!」
そんな未来の想像に、自然と笑い声が重なる。
零壱はその様子を見ながら、小さく肩を竦めた。
「……まぁ、来るなら歓迎はされると思うぜ」
「おお!」
●
「試食で美味しかったからさ……」
「あ、これ気になってた!」
「またみんなで出かけたいね」
「おお、この店の買えたんだ!」
「ありがとうね、毎年すぐ売り切れちゃって」
「僕らも頑張ったよ」
「ほら、このザッハトルテ中々手に入らないんだ」
やっと手洗い場から帰ってくることができた尾花井と綴が帰ってきた。
ビシャビシャになった綴はタオルハンカチを使って顔の水気をとってから顔をあげる。
その時、彼は目に映る光景を見て足を止めた。
「ご店主?
どうかしやしたか、そんなに皆さんのことをじっと見つめて?」
「いや………うん。
俺の周りも随分騒がしくなったなと思ってな」
本当に、賑やかだ。
毎日を津村古書店の中で過ごし、殆ど八重以外の人間と話すことも無く。穏やかで静かなあの日々も良いものである。だが、それ以上にこの時間が愛おしいのは何故だろうか?
自分はいつの間にか前任の店主…つまり八重の夫が古書店に持ち込んでいたらしい。八重には自分がどんな本であるかは一切明かすことはなく、それから程なくして彼はこの世を去った。彼が最後に仕入れた自分を八重はいつも肌身離さず持ち歩くくらい、それはそれは大切に………。
早く八重にこのチョコレートを持って帰ろう。
騒がしくて。
甘くて。
温かい時間だった。
「お目当てのチョコがガッツリ手に入ったのも嬉しいけど、こうやって皆で買い出しに行くの、楽しかったねえ。
ちょっとした狩りみたいじゃない?」
「うむ、良き狩りであった!」
「できれば次は迷子にならないように気をつけないと……」
「北條、次は手を繋いだ方がいいかもしれんな」
「なんで僕が迷子側扱いなの!?」
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