とある一夜の昏い夢
嗚呼、これは夢なのだ。
悪い悪い。怖い怖い。ただの夢に過ぎない。
きっと寝る前に見たニュースが原因だ。
あんな場所で小火が起こったと、テレビの映像。
あそこでは|やばい《・・・》薬も売ってるんだとか、クラスの男子達の話。
結びついてしまったから、焼け焦げた何かの残骸と悪い薬。そして|パイロフォビア《・・・・・・・》。
こんな言い訳は睡眠導入に過ぎない。
安心して、深く眠れるから。
深く深く、櫻の樹の下のように昏く暗く。
──────チリリ、火遊びの匂いがした。
あ、やべ。ジュウ、と言う音。
日向の鼻口を独特な香りがくすぐる。
煙草だ。
学校生活にあってはいけないものだし、高校生が吸っていいものではない。
あちゃー、とでも言いたげな所謂|不良《・・》生徒。
校舎の隅でうっかりと日向と彼女は不運にも出会ってしまった。
そういえば同じクラスの子だ。さっきの授業の時、彼女の姿は教室の中にはなかった。
「あのさぁ…なんていうか…その、さ…」
バツが悪そうに彼女は視線を彷徨わせている。
煙草の箱、ライター、今しがた消したであろう一本の煙草。
証拠は揃っている。
日向はもちろん、健全で真面目な高校生だ。
そんな彼女がとる行動はもちろん────
「大丈夫。私は何も見てない、だよね?」
彼女と視線を合わせて、親しみやすい微笑みを浮かべてみせる。
火は、炎は怖い。
けれど、今火元を消した彼女の目は明らかに日向に助けを求めているそれだった。
それなら|優しく《・・・》してあげよう。
「このくらい、みんなしてることだから。それと、もし次に授業をサボってしまう時は言ってね。先生に何か良いように言っておくから。後でノートも見せてあげるね。」
その言葉で安心した様子の彼女は日向の手をとる。
「マジで!?超神じゃん!あんがと!えっと…あは、何ちゃんだっけ?」
彼女が地面に置いたままの煙草の箱を手に取り、一本取り出す。
「桜井・日向だよ。さあ、他の人が来ないうちに」
彼女の唇に日向はそっと吸い口を押し付けた。
彼は、所謂|内気《・・・》な生徒だった。
話すようになったきっかけは、なんだっけ。
きっと消しゴムを拾ってあげた、とかそんな理由だ。そういうタイプの隙だった。
内気な彼は、最初こそ挨拶をしてくれるかしてくれないか、そんな程度の関わりしか許してくれなかったけれど、それでもそれを続けていると、彼自身が気づいた時には、ほら、がらあきの懐は優しい日向で満たしたくて必死じゃないか。
「──で!このカスタムが!超強くて!」
「うんうん」
「めっちゃ課金してゲットしたんだよ!」
「へぇ、すごいね。君に|勧められて《求められて》私もこのアプリ初めてみたんだけどまだ全然弱くて」
「全然教えるよ、俺!ちょっと見せ──」
キーンコーンカーンコーン
下校のチャイムだ。
早く校内を出ないと施錠されてしまう。
せっかく熱を持って語っていた彼はなんだか苛立ったような、悔しそうな、そんな表情で空を睨む。
嗚呼、きっと彼はまだ私と一緒にいたいんだ。
私を求めているんだ。
「ねぇ。私、もう少し君と話したいな…どこか良い場所ないかな?」
例えば君の家とか。
私、知ってるよ。
君が私を求めていることも、|その先《・・・》も求めていることも。
小さくて無機質なカメラの瞳がこちらを見つめていた。
白く、清潔で、少し甘い匂いのする女子更衣室の一角。
長らく誰も使っていない、誰も気にすることのないロッカーの隙間からそれは覗いていた。
ロッカーを開けるとそこにあったのはスマートフォン。少し型は古いようだ。
フォルダを開けば、出るわ出るわ、犯罪の証拠。
何時間ぶんの録画の映像。何百枚の盗撮写真。
そしてコレを仕掛けた所謂|犯罪者《・・・》の顔。
コレを見つけた時、日向は歓喜した。
彼は求めているのだ。犯罪に手を染めるような事をしてまでも。
だから、彼女は待っていた。下校時間が過ぎて全ての生徒が、そして大半の先生が帰宅するような時間まで。
明かりもつけず、暗い部屋で、独り。
足音が聞こえた。規則正しい足音だ。
そして当たり前のルーティンのように女子更衣室のドアノブに手をかけて、ガチャリ。
金属製の扉が開く音と、一歩、室内に踏み込む足。一瞬の間を置いて、吃驚の声。
逆光で暗く沈む犯人のシルエット──あぁ、この先生だったか。
「なっ!なんだ君は!下校時間はとっくに過ぎているぞ!」
日向は無言で|例の《・・》スマートフォンを顔の横で振った。
息を飲む音。
そして、今自分が開けてはいけない扉を開けてしまっているという状況を思い出したのか、彼は急いで室内へ入り勢いよく扉を閉めた。
沈黙。
先生は口を開けたり閉めたりして、言葉を発しようとしているが肝心なその|言葉《・・》が出てこないようだ。
その一声で、次の一挙一動で──いや、それすら必要ないのかもしれない。
彼の十数年と続いたキャリアはここで終わりなのだから。
最後の足掻き。彼は日向にズンズンと近づくと彼女の手首を掴んだ。
強い力だ。思わず声が漏れる。
「返しなさい。いつ気づいた?中は見たか?誰かに言ったか?なぁ…答えろ!」
吠えるような声だった。焦りが透けて見える。
そんな恫喝にも日向は応じる様子はなかった。
むしろうっそりと目を細めて笑って見せたのだ。
「先生…そんな事されたら痛いですよ」
日向の余裕そうな表情に比例して、彼の余裕は無くなっていく。
鼓動が早鐘のように打つ。
「…か、金ならいくらでも──」
「私、先生を通報するつもりなんてありませんよ。この事を誰かに言うつもりもありません」
手首を掴んでいた先生の手はいつの間にか力を失っていた。
その手の輪郭を指先で、つぅっとなぞる。
「このスマホもお返しします。ですが、先生は求めているのでしょう?」
ずい、と顔を近づけて耳元で言った。
もっと、もっと。
日向は先生の手を取り、自らの身体のラインに触れさせる。
はくはく、と息を吐き、彼は日向のされるがままだった。
「先生が求めてくれるなら、私はそれに尽くしますよ」
どこまでも。
眼鏡の奥で彼女の目が宝石のように昏く光っているように見えた。
そろそろ夢の時間もお終いです。
最後は夢らしく、端的に、ダイジェスト的にその後の事について語りましょう。
あの|不良《・・》生徒は学校を辞めました。
“みんなやってる”なんて言って、煙草が行きすぎて大麻に。
大麻から覚醒剤。MDMA、LSD。
まだ捕まっていないそうですが、ほとんど廃人のようだそうです。
「俺はあの子の彼氏だぞ!」「はぁ!?俺が彼氏なんだけど!」「俺はキスだってした!」「一緒に寝た!」
あらあら、|内気《・・》な生徒は一人ではなかったようです。
殴り合いの喧嘩まで発展して、五人病院送り、三人退学になってしまいました。
ああ、あの|犯罪者《・・・》ですか。もちろん捕まりましたよ。
気を大きくして犯行がどんどん大胆過激になって、捕まった時には全国ニュースで日本を騒然とさせてました。
この三件だけではありません。彼女が関与しているのは。
見つかってないだけです。
さぁ、|櫻井・日向《ファム・ファタール》。
そろそろ起きる時間ですよ。
これは夢なのだ。
悪い悪い。怖い怖い。ただの夢に過ぎない。
けれど、彼女は最後まで手を伸ばし、誰かに求められることを望ん
でいた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功