憧れというノイズ
ただ冷たき殺戮機械と、温もりと共にあるひとの心。
交わるなどある筈もない。
無理に模倣を続ければ、次第に内側が軋んでいくのは当然のこと。
いいや。
殺戮機械に、軋むほどに柔らかな感情などあるはずないのに。
「――――」
それは、ひたすらにノイズに悩まされていた。
姉機にあたるため、便宜上、彼女と言おう。
その後継機にあたるのが、後のオルコシアス・パイライシャル(自己再定義の澱・h09280)だった。
両者ともにほぼ同等の性能を持つ。
彼女は見かけの擬態のみならず、疑似的に感情を、本来の人格と乖離した状態でシミュレートすることが可能だった。
つまりは幾つもの精巧な|仮面《ペルソナ》を被ることが出来るのだ。
その時、その都度、役割と仕事に必要な役を演じることでスムーズに潜入と暗殺を重ねていく。
ありがとう。
涙して口にし、相手が驚いた直後に仕込みナイフで喉を裂いたこともあった。
ありがとう。
どうやら、人類はこの言葉に弱いらしい。
メモリの中に保存し、彼女は自らの存在意義を果たし続けていた。
そうやって数年が過ぎただろうか。
幾度も任務を果たしてきていたが、彼女が生産された時から不具合があった。
「――――」
それがまた、彼女の思考と人格に激しいノイズを巻き上げさせる。
機械だ。ベルセルクマシンだ。
無機質な殺戮こそが目的であり、コンセプト。存在意義だと言って良い。
だがシミュレートした疑似感情と、本来の人格の隔たりは時間と共に劣化し続け、気づけば最早見逃せないほどの影響が色濃く表れていた。
「――っ!」
憎い。殺したい。
昏い炎が彼女の胸の裡に灯り、人類への憎悪と殺意を膨らませていく。
元より人類を絶対敵として設定しているのだ。
けれど、気づけば本来の人格が抱くその絶対敵という設定による憎しみと殺意が、分離不可能となってシミュレートしている疑似感情へと浮かんでいく。
殺意と憎悪が隠せない。
元から人類をどうしようもないほど敵視する戦闘機械群に所属しているのだ。そこで作られたのだ。
彼女の|起源《オリジン》を考えれば避けられないことでもあるし、そんな戦闘機械群だからこそ、今や正面からの戦闘を避けるほどに数を減らしたのかもしれない。
それだけなら良かった。
いいや、堪えきれない殺意と憎悪がある為にもう彼女は潜入不可能。役立たずのレッテルを貼られることも我慢ならなかったが、それ以上に彼女は苦しみ、苛立ち続けていた。
与えられた整備室。
そこに並ぶ機材を、怒りに囚われた少女のように腕で薙ぎ払った。
「うる、さい。うるさい……!!」
まるで怒りと困惑に囚われ、自分の机の上にあるものをなぎ倒す、人間の少女のようだった。
ふーっ、ふーっ、と彼女の唇から熱くて荒い吐息が零れる。
生きている少女のように身体と感情を震わせながら、苛立ちのままに続けた。
「私は役立たずじゃない……!! 私はまだやれる。潜入は無理でも、まだ、まだ……!!」
何が出来るというのだろう。
コンセプトとして潜入から暗殺まで。
その為の擬態能力を搭載しているベルセルクマシン。
逆に言えばそのコンセプトに対して、必要以上の機能は搭載されていないのだ。
だから、何が出来るというのだろうか。
「まだ、何か。そう、何か出来るわ。私は、だって、私は……!!?」
整備室を歩き回る彼女は、戸惑うばかりの人間の少女だった。
感情の制御が、出来なくなっていた。
心を得たのではなかった。
時間の経過による劣化が進み続け、彼女が以前にシミュレートした感情を、時として自分のモノとして実感してしまう。
まるで役割に深く潜りすぎたせいで、自己と演技の境界を失ってしまったかのように、彼女は戦闘機械でありながら脆い人類の心と情動を覚えてしまっていた。一度演じたものが、まるで呪いのようにへばりついて、離れないのである。
「そうよ、きっと時間が経てば技術が解決するわ」
技術の進展の目処が立っていない。
そんな現実を無視して、希望を口にする。
どうしようもなく、無力な少女のそれだった。
何時だっただろうか。
彼女が無力で、不安がり、それでも希望を棄てない少女の役割を演じて、人類の基地へと潜入したのは。
何時だっただろう。
覚えていない。けれど、その時の希望に縋る少女の心が、ベルセルクマシンの金属の身体を、内部から軋ませているかのようだった。
ただのシミュレート。
疑似的な模倣に過ぎなかった筈なのに。
彼女は顔を覆う。
こんな筈はないのに。
そんな絶望と、その奥底で小さく助けてという心を感じる。けれど、それがどうしようもなく憎しみを抱く人類の感情の動きであった。
憎い。
人類が。
自分の中にある、人類のようなナニカさえ。
そんな時である。
「……姉さん」
「っ!?」
そこに訪れたのが後のオルコシアス――その当時は製造番号で呼ばれていた、ベルセルクマシンの彼である。
とても涼しげな顔をしていた。
苦しみ、悩み、嘆いていた姉のような存在の前で、明るい笑顔を浮かべている。ああ、これが機械の表情なのだと彼女は思った。
「僕、言われた通りにプログラムシミュレーションをこなしたよ」
十四歳ほどの少年の見た目に似合わない社交性と、賢さを見せる彼。
当然だ。だって、彼は人類じゃない。機械だ。
見た目なんて意味がないのだと、彼女はゆっくりと思考を向ける。
「本当に、人格と役割を5個も切り替える潜入任務のシミュレーターをクリア出来たの?」
今の彼女には出来ないことだ。
だから少しばかり羨んだ。
嫉妬というのは人類だけがするものだということを思い出して、より苦さが広がる。
「うん。出来た。ログも提出するね」
「…………」
そして嘘を言うのもまた人類だけである。
提出されたログは全てにおいて優秀であるという結果を示すもの。
それもその筈である。彼は、生まれついて『人格』を欠落している√能力者だ。
結果として同系列機が抱く致命的な問題――シミュレートする感情と人格が混ざり合うという欠陥が起きない。
そもそものエラーを出す人格がないのだから、偶然で途方もない命題を解決したということ。
自然な擬態をしたまま、設定された目的の通りに稼働する。
とても高性能なbotのような存在であり、しかもそれが自ら学習と成長を続けるのだ。自我がないということも、派閥の中で命令を下す上位機体からすれば実に都合が良かった。
いや、都合が良いと思うぐらいには――上位機体もまた人間性というものに汚染されているのかもしれない。
人類の返り血を浴びたぶんだけ、人類に近付いてしまう呪いのようだった。
「だったら――」
ログを確認した姉が、次の指導を始める。
教材として採ったのは人類組織に潜入した後、内部の混乱と破壊をするシミュレーションだ。
ディスプレイに広げるのは、仮想とされる人類の都市部だ。
「一番重要なのは、非戦闘員の扇動よ。暴動を起こせれば一番良いわ。だって、人間は戦う力がない相手を、一方的に暴力で制圧出来ないもの。その間に混乱が広がって、隙が大きくなるの」
「そうなんですね」
どうして、と問い返さない彼。
機械は聞き返す必要なんてない。教えられたことが全て。
自我のない彼ならば、なおさらである。
「そうして擬態潜入を継続したまま、混乱に乗じて破壊活動。誰が起こしているのかも解らないうちに、破壊や暗殺目標へと近付くの」
例えば発電施設。
浄水施設とて破壊されれば非常に困る。
軍事施設は警戒が厳しい。だからこそ、まずはこういった一般市民の生活とライフラインを壊すことで、軍人たちが対処に向かうように仕向ける。
後は薄くなった所から、少しずつ刈り取るだけ。
そんな悪辣な手段を姉は教え、ひどく優秀な弟は頷くことさえ無駄であるとひたすらに覚えていく。
確かに、彼はなんて優秀なベルセルクマシンだろうか。
手数が足りないからと、未だ教育途中なのに駆り出され、その上で十全な結果を複数上げている。
彼女が教えた悪辣な、人類であれば道徳や倫理で踏み止まるような作戦を幾つも行い、人類への被害を増やし続けていた。
――ああ、私も全ては無駄ではなかったのだろうか。
彼を見つめる彼女の目が、ほんの少し穏やかになる。
自らの教えを基に、存在意義を果たす彼に愛着を覚えていた。
彼が教えに従って存在意義を果たすのであれば、彼女もまた存在を許される気がした。
教える限り、導く限り、まだ彼女には存在する価値がある。
機械において価値が認められることほど、心が満たされることはない。
が、その満たされるとは。愛着とは。つまりは人間の感情ではないかと、彼女の心がまた少し軋んだ。
何より、自らの存在意義を代わりに果たす彼――その中には全く自我が存在しないことに、微かな矛盾を抱いてしまう。
まるで人間が機械を扱っているかのよう。
果たしてと彼女は問う。自分は機械なのだろうか。それとも、人間に近付いてしまっているのだろうか。
自我のない彼は何処までも機械である。
「悩みなんてなさそうね」
「ええ。難しいプロセスは、姉さんに教わっていますから」
「…………」
彼女の苛立ちと嫉みを込めたひどく人間らしい言葉に、あくまで自動的に、機械としての穏やかさで返される反応。
ただそれだけが、彼女に安堵を憶えさせた。
機械の反応に触れている時、自分もまた機械だと感じるから。
――それが、人間が別の人間と触れている時に感じる安堵と同じものだということに、目を瞑って気づかないフリをしながら。
………………
…………
……
それからしばらく時間は流れる。
姉でもある彼女は、目の前のデータに鋭い視線を向け続けていた。
ある任務の最中、弟である彼が未帰還となったのだ。
殺戮機械として未帰還となったモノに執着するなんて、とても殺戮機械らしくない。
だが、それでも彼女は探し続けた。
理由なんてない。
あるのは愛着と、嫉妬めいた感情。
いいや、カテゴライズすることがとても複雑で、言葉として定義することが困難なノイズ――人間の感情そのものだった。
決して逃したくない。
絶対に失いたくない。
おおよそベルセルクマシンの抱く情念ではないだろう。
感情は痛みとなって彼女の胸をズタズタに斬り裂き、論理的な思考さえ放棄させていた。
憎むべき人間らしくなったものだ。
だが、憎悪と敵意の炎を燃やすより、彼を見つけたいと彼女は探し続けていた。
そして幸か不幸か。
或いは悲劇の始まりか。
彼女はようやく、彼の消息を掴むことが出来た。
どうやら彼は、任務中に鹵獲されてしまった。
しかも、自我に目覚めて人類側の存在として稼働し始めたというのだ。
その事実を認識した時、彼女の指に凄まじい力がこもる。
拳を握りしめた。その動きで、爪痕のような線が刻まれ、入力コンソールが音を立てて割れる。
――あれは、尊いものだ。
彼が、人類の手先として利用されることは許せない。
そんな本音を隠して、彼女は思考する。
「私はもう、擬態も出来ないんだから――ただ直接攻撃に従事すべきよ」
直接戦闘の為の機能を十分に搭載していないというのに、彼女は言う。
「自我に目覚めて人類についた彼は脅威。私が教えた戦術があるのだから」
人類側があんな悪辣な手を取るはずもない。そもそも対戦闘機械群の戦術ではなく、対人類用のものばかりだ。
意味なんてない。
戦闘機械である彼女は、深く理解している筈だったのに、言葉が止まらない。
「そして――自我に目覚めたというのなら、私に対しては手を緩める可能性がある。私だけが、彼を殺せるチャンスがある」
全て無意味だ。
まるで人間のように言い訳を重ね、理由を作り、根拠のないことに縋っていく。
その後はただ、衝動に任せた行動だった。
彼が通るとされている路で待ち伏せし、襲撃するのみ。
人類に付いた彼が、戦闘機械群である彼女に手を抜く筈がない。
解っていただろう。悪辣な手を教える、何処までも危険な姉機であると認識されているだろうことは。
人間の心に蝕まれているのなら、なおさらだ。
いいや。
人間の感情と人格に侵蝕されているからこそ、こんな無意味なことをしたのだろう。
Ankerを持つ√能力者を破壊する。
そんな無為を、どうしてまともな思考で出来るのだろう。
機械である彼女に、狂気はどうやって生まれたのだろうか。
ひとの心を模したせいか。
時間経過による劣化のせいか。
それとも――誰かと過ごした時間に、安らぎを見出していたからか。
√能力者である、オルコシアスと名を得た彼に挑む。
結果は火を見るより明らかだった。
姉機はオルコシアスとなった彼に返り討ちにされ、その機能を停止しようとしていた。
ひどく情念を募らせた、ひとのような眼でオルコシアスを見つめていた。
機能を停止するその間際。
濡れたような声を紡いだ。
血と涙で濡れそぼった声色だった。
戦闘機械群はそんなものを流さない筈だというのに、どうしてもそう感じてしまう。
「人の心と哲学の及ばぬところに、彼はいた、だから、お前は違う……」
お前は、彼とは違う。
まるで理想を追いかけるような眼差しで空を見つめ、侮蔑を込めてオルコシアスを射貫くように見る。
「……精々、苦しんで稼働していろ」
「…………」
それがオルコシアスの姉機だった存在の、最後の言葉だった。
これからオルコシアスが歩む道と運命への呪詛のようだった。
だが同時に、かつての殺戮機械とオルコシアスは違うのだから、気にするなというような気遣いのようにも聞こえていた。
呪いのような血に思えた。
幸いを願う涙のようにも感じた。
どちらが正しいかは、解らない。
ほんの少しの間だけオルコシアスはその場で佇む。
得た自我の中で、転がしてみる。
感情のさざ波ひとつ伴わない記憶と経験だけを受け継いだ『彼』。
目の前で終わりを迎えようとしている、ある意味でとても人間らしい彼女。
その二つをオルコシアスという存在として考え、分析する。
ふたつの機体が過ごした日々を、まるで物語のように淡く見つめた。
ああ、きっと。
きっと、この自我が芽生える前の彼は、こういう感情を抱いていたはず。
とても淡々と、物静かに、姉機だった彼女へと告げた。
「だとしたら……恐らく、彼はあなたに憧れていたと、予測します」
もう彼女は答えない。応えられない。
ただ姉機として馬鹿にしたような、笑ったような、とても曖昧な吐息を零すだけだった。
それを最期として、彼女は機能を停止した。
だから彼女が、どれだけひとの心を持っていたのか。
もはや誰にも解らず、沈黙ばかりが広がった。
機械思考の0と1の数列では、永遠に解らない寂しさと共に。
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