⑪LAMENT:離したくない。
金色に輝く太陽が、影になった街の向こうへ沈んでいく。
カナカナナカナ。
聞こえる蝉時雨は、ヒグラシの聲。
その寂し気な音色が、アスファルトが抱え込んだままの熱を遠ざけている。
全ては虚像。
幻で作り出された夏夕景の鏡迷宮。
張り合わされた無数の鏡は、サイズはいろいろだけれど、縦横の比率は全て同じ。
1.48:1――近ごろではすっかり出番の減った葉書のそれ。
だからだろうか、映し出される一瞬一瞬が、美しい絵葉書のように心に残る。
そしてどの瞬間も。
あなたは誰かと手を繋いでいるのだ。まるで「離したくない」と駄々を捏ねるように。
●離したくない。
魔物達の聖母『ユリア・クラウディウス』によって、ららぽーと福岡は今や「モンスター城」へと変貌を遂げている。
鏡の迷宮と化したのもその一角で、巣食っているのは――。
「面影のレヴナント。悪意も善意もない、無垢で素直な幼い幽霊だ」
だから危険はさほどないよ、と。
人好きのする笑顔でエヴァン・劉(h12164)は言う。
「要は面影のレヴナントを連れて鏡の迷宮を抜ければいい。それだけだ」
エヴァンは肩を竦めた。軽妙な仕草からも危険性の低さが伺える。
しかし決して無害ではない。
面影のレヴナントは自由に姿を変えられるから。
「景色の影響かな、あんた達の心の奥底にある郷愁とか、そういう琴線に触れられる覚悟だけはしといて」
いつもは忘れている誰か。
ずっと大好きだった犬や猫。
人間だけではない、懐かしい何か。
今も忘れていない。
ずっと会いたかった。
「未練にひきずられたら、迷宮からは出られない」
唯一の危険性を口にするエヴァンの眉は下がっていた。
だって誰の心にも振り切りがたいものはある。
もう二度と離したくない、と強く思ってしまうものはある。
しかしそれでは、前へ進めない。敗者と化して、ユリア・クラウディウスのモンスター城の一員になってしまう。
「大丈夫。ちょっとした同窓会気分でいればいいさ」
エヴァンは敢えて軽薄に声を響かせた。
●
経験のあり無しは関係ない。
作り物の夏の夕暮れは、本能的な懐旧を暴き出し、あなたの最も『離したくない』一瞬を鮮やかに切り取る。
繋いだ手は、解きたくないだろう。
景色はひたすらに優しい。
きっと無意識に、足は止まりたがる。
だとしてもあなたは歩み続けなくてはならない。
時に唇を噛み、涙を堪え、『|終わり《出口》』を自ら選択するのだ。
マスターより
七凪臣お世話になります、連日暑すぎやしませんかね……。
そんなこんなで、少しだけ涼やかな夕景を持って来てみました。
というわけで、物理的に涼を求めてみました。
●プレイング受付期間
受付開始はOP公開と同時。
締切は物理的にプレイングを送信できなくなるまで。
●シナリオ傾向
心情系一直線。
●プレイングボーナス
モンスター城の危険な仕掛けに対処する。
●採用人数
全員採用はお約束しておりません。
期間内にキャパの範囲内でぼちぼちと。
●同行人数について
ソロ推奨。
●その他
景色は固定。
出逢う『誰か』はご自由に。
必ずその『誰か』と手を繋いで歩いて頂きます。
幼い頃の思い出の投影もOK。
『誰か』が幼い頃の自分だったりするのもいいんじゃないでしょうか。
暑さに溶けた頭で、夏のセンチメンタル、お待ちしております。
宜しくお願い致します。
179
第1章 集団戦 『面影のレヴナント』
POW
トモダチ
【面影のレヴナント】を召喚し、攻撃技「【いっしょにあそぼ】」か回復技「【なかよしのハグ】」、あるいは「敵との融合」を指示できる。融合された敵はダメージの代わりに行動力が低下し、0になると[面影のレヴナント]と共に消滅死亡する。
【面影のレヴナント】を召喚し、攻撃技「【いっしょにあそぼ】」か回復技「【なかよしのハグ】」、あるいは「敵との融合」を指示できる。融合された敵はダメージの代わりに行動力が低下し、0になると[面影のレヴナント]と共に消滅死亡する。
SPD
オモカゲ
10÷レベル秒念じると好きな姿に変身でき、今より小さくなると回避・隠密・機動力、大きくなると命中・威力・驚かせ力が上昇する。ちなみに【着ているローブとおんなじ動物】【あどけない子ども】【誰かの、今は会えない大切な思い出】への変身が得意。
10÷レベル秒念じると好きな姿に変身でき、今より小さくなると回避・隠密・機動力、大きくなると命中・威力・驚かせ力が上昇する。ちなみに【着ているローブとおんなじ動物】【あどけない子ども】【誰かの、今は会えない大切な思い出】への変身が得意。
WIZ
ツナガリ
半径レベルm内の味方全員に【テレパシー】を接続する。接続された味方は、切断されるまで命中率と反応速度が1.5倍になる。
半径レベルm内の味方全員に【テレパシー】を接続する。接続された味方は、切断されるまで命中率と反応速度が1.5倍になる。
クラウス・イーザリー目の前に夏の夕暮れが広がる
|親友《Anker》が俺を庇って死んだ日も、こんな夕焼けだったかな
そんなことを考えているからか、手を繋いでいる相手はその親友の姿になる
訓練の帰り、戦場の帰り、誰かを弔った帰り
そんな時に度々手を繋いでいたことを思い出す
繋いだ親友の手は大きくて、あの頃と同じだと思う
親友の姿をした面影のレヴナントは何も言わない
それでいい
そうじゃないと、泣いてしまったかもしれない
寂しくて、いっそこのままどこかに連れて行ってほしいと思うけど
俺の中の|衝動《EDEN》はそれを許してくれない
やがて迷宮を抜けて手を離す
またいつか会いたい、手を繋ぎたい
叶わない願いを胸に未練を振り切って背を向ける
●|Last Light《沈んだ太陽》
見上げた空は黄金色だ。
しかし鏡に写し取られた色彩は少し赤みが強い。
(あの日も、こんな夕焼けだったかな――)
クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は握る手の感触を確かめる。
固いような、柔らかいような。
覚えのあるそれに、クラウスは歩調を緩めた。
ゆっくりと周囲へ目を遣る。鏡に映っているのは自分と、もう一人。幼げな輪郭をした面影のレヴナントではなく、クラウスより背が高い短髪の青年。
夕暮れに、二人。
覚えのある景色だった。
あれは兵士養成学園の訓練の帰りだったか。それとも戦場の帰りだったか。或いは、誰かを弔った帰りだったか。
(……その全て、だったよね)
手を繋いだ相手を、鏡越しに見上げる。
未来を照らすみたいな、赤い瞳と目が合った。
込み上げる熱にクラウスの喉が詰まる。
傍らから降る声はない。なくてよかった、とクラウスは細く吐き出す息に安堵を混ぜた。もしも何か言われたら――意味のあるものでなかったとしても――泣いてしまっていたかもしれないから。
当然、クラウスからも呼びかけはしない。呼びかけられない。
彼、は。今みたいな夕焼けの中、クラウスを庇って死んだ|親友《Anker》。
二人並んで、ゆっくりと歩く。
鏡が切り取るひとつひとつの景色に、またひとつ、またひとつと在りし日が重なる。
何もかもが思い出の中、戻る事のない過去。
噛み締めざるを得ない|現実《今》に、胸が寂しさでいっぱいになる。
いっそこのままどこかに連れて行って欲しいとさえ思ってしまう。
でも、思うだけ。
願いはしない。望みもしない。
何故なら、甘い夢に浸ることを、他の誰でもないクラウスの中の|衝動《EDEN》が許さないのだ。
「――あ」
どれくらいの時間、迷宮を逍遥していただろう。
永遠に続くかのようであった鏡の切れ間に、感嘆とも悲嘆ともつかない音がクラウスの唇を吐く。
意を決し、いつもの歩調へ戻す。そのまま脇目もふらず、出口を抜ける。
するり。握っていた大きな手から、力が抜けた。抗わずに、クラウスは手を離す。
「また――」
言いかけた言葉をクラウスは飲み込む。
またいつか、会いたい。そうしてまた、手を繋ぎたい。
叶わぬ願いは、胸の奥底へ沈め。
未練を振り切り、クラウスは慕わしい気配に背を向け、足を早める。
どこからか吹く風がクラウスの髪を揺らす。
その余韻に誘われて目を閉じると、瞼の奥に熾火のような赤が焼き付いていた。
🔵🔵🔵 大成功
狩々・十坐武郎ずっと忘れたことのないじいちゃんが隣に立ってた。
ビビった。ちゃんと見るの何年ぶりだろう。
じいちゃんと手繋ぐの、20年ぶり(けら)
じいちゃんは、こういうとき後ろ髪を引っ張るようなことはしてくれないんだ。
「もうちょっと一緒にいないか」
「飯でも食っていかないか」
ないない。
「さっさと仕事に戻って困ってる人を助けなさい」
こう、ピシャリと言い放つ。
俺もそっちのほうが気持ちいいんだけどな。さすがやっぱりじいちゃん!って。
そろそろか。名残惜しいけど。手を離して。
ありがとうじいちゃん。やる気もりもり出たわ!
いってきます!
「さっさと行け」なんて色気のない言葉が返ってくるのに苦笑して。
●暑中見舞
「ちょっと、じいちゃん!」
むくれた子供のように|狩々《かりがり》・|十坐武郎《じゅうざぶろう》(春霞の訪れ・h09497)は声を跳ねさせた。
それでも老いた男は、歩む速度を落とさない。
ぐんぐんと男が進む。手を繋いだ十坐武郎も、同じ速さでずんずん歩く。
「じいちゃん、じいちゃんってば」
十坐武郎の喉がくつくつと鳴る。笑い出すのは辛うじて堪えるが、どうしても語尾は上がってしまう。
「何をゆっくりしているんだ」
ああ、やっぱり。
振り向いた顔の眉間には皺が寄っていた。
あまりの|らしさ《・・・》に、十坐武郎はたまらず破顔する。
|祖父《・・》と手を繋ぐのは、かれこれ二十年ぶりのこと。
そもそもが、なんともむず痒い。
「なあ、じいちゃんー」
鏡の迷宮の中、面影のレヴナントを見つけたのは覚えている。
しかし気が付いたら、祖父が隣に立っていた。
正直、ちょっとビビった。
(ちゃんと見るの、何年ぶりだろ)
おじいおばあっ子な十坐武郎だ、怖いとか、気持ち悪いとか、そういうのは微塵もない。
どちらかというと、楽しい。あと、嬉しい。
――もうちょっと一緒にいないか。
――飯でも食っていかないか。
(ないない。じいちゃんがそんなこと言うわけない)
祖父に連れられて進む迷宮は、あっという間に終わりを迎える。
郷愁を誘う夕景に、心を揺らされる暇は指先ほどもない。
祖父と十坐武郎の二人分。姿を映す鏡にも、惑わされることはなかった。胸の中にあるのは、どうにか書き上げた夏休みの絵日記を、提出間際に読み返しているような。そんな感慨。
「さっさと仕事に戻って困ってる人を助けなさい」
出口を跨ぎながら、ピシャリと云い放たれる。
あまりの気持ちの良さに、十坐武郎はついに声に出して笑う。
「さすがじいちゃん。やっぱりじいちゃんはそうでないと!」
名残惜しさはある。
もうちょっと一緒にいたいし、夕飯を二人で食べるくらいは許されてもいいんじゃないかとか、考えてしまう。
けれど、|握られた《引っ張られた》時と同じ唐突さで、手を解かれる。だから十坐武郎も手を離す。
「ありがとう、じいちゃん。やる気、もりもり出たわ!」
「いいから、さっさと行け」
背中をどつかんばかりの応えは、色気皆無。求めるつもりは端からないが、漏れた笑いに少しの苦さが含まれるのはしょうがない。
ああ、やはり。
幻だろうが、思い出だろうが。
|祖父《じいちゃん》は|祖父《じいちゃん》だ。
「んじゃあ、行ってきます!」
振り返らず、十坐武郎は手だけ振る。
置き去りにする夏の夕映えに、|矍鑠《かくしゃく》とした笑い声を聞いた気がした。
🔵🔵🔵 大成功
ノーチェ・ノクトスピカ綺麗な綺麗な夏の夜空が広がっている
どこか懐かしくて、 どこか切なくなるような…そう、『ずっとかえりたかった』空の光景
「星と星をつなぐと星の路ができるんだよ」
僕と手を繋ぐ「君」が笑う
「星の路ができたら、夜汽車がはしるんだ!夜汽車はね、僕の故郷へ連れていってくれる!」
とっても素敵
僕も、君と一緒に故郷に行きたいな
そう答えると、君は嬉しそうに笑うんだ
一緒においでって
「君」の姿は朧げ
けれど僕と同じ姿をしている
違うのは髪の長さ
「君」はだれ?
懐かしくて哀しい
星の翼をはためいて流れ星が零れる空に一緒に願う
離れたくない
もう離したくない
でも──「君」が笑う
いつもそばに居るよって慰めてくれる
慰めるべきは僕だったのに
●片割れ星
金色は西の彼方に飲み込まれ、気付けば空は深い群青色に変わっていた。
チラチラと数え切れない星たちが瞬いている。囲む鏡もそれらを映し、ノーチェ・ノクトスピカ(|Nachtsängerin《星歌い》・h06452)は星の海を泳いでいるような心地を覚える。
溺れる心配は要らない。だって繋ぐ手があるから。
「星と星をつなぐと星の路ができるんだよ」
空いた手を空へ高く伸ばして、|君《・》が笑う。
指さしているのは、綺麗な綺麗な夏の夜空。
どこか懐かしくて、どこか切なくなるような。
(ああ、そうだ)
僕は思い出す。
瞳を引き付けて止まない、この夜空は。
(ずっと|かえりたかった《・・・・・・・》空だ)
「星の路ができたら、夜汽車がはしるんだ!」
夜空を見上げていた君が、僕を見る。
それだけで僕の心臓がとくんと弾む。
「夜汽車はね、僕の故郷へ連れていってくれる!」
がたごとがたごと。
星の路を走る夜汽車を想像する。行先表示器に記されているのは、君の故郷。
思い描いた光景に、心臓が駆け足進めのリズムを奏で出す。
うん、とっても素敵!
「僕も、君と一緒に故郷に行きたいな」
行ってみたい。
そう思ったから、僕は君に答えた。
そしたら君が笑った。とてもとても嬉しそうに!
「一緒においで」
君が僕を誘う。
握った手に力を篭めて、僕も一緒に行こうという。
でも、どうしてだろう。
君の姿はとても朧げ。そのくせ、僕と同じ姿をしてるって分かるんだ。
違うのは……髪の長さくらい?
――かえりたい。
――行きたい。
想いは漠然。しかしノーチェの胸の奥深くに、しっかりと根付いている。
(『君』はだれ?)
はぐれないよう繋いだ手が、急にほどけてしまいそうに感じて、ノーチェは指先をぎゅうっとする。
そして母譲りの星の翼をはためかす。
刹那、きらり。
泣きたくなるくらい綺麗な夜空を、片割れ星が流れた。
「ねえ、一緒に――」
金色の軌跡をスピカの双眸で追いかけ、ノーチェは願う。
――離れたくない。
――もう離したくない。
『いつもそばに居るよ』
聞こえた声に、ノーチェは瞬く。
相変わらず輪郭のはっきりしない|君《・》は、ノーチェへ笑いかけていた。
一緒に願わず、ただ穏やかに。まるでノーチェを慰めるみたいに。
「慰めるべきは、僕だったのに――、あ」
呟いて、ノーチェは目を見張る。
金色が西の空を覆っている。小さな星たちがさざめいているのは、まだ東の空だけ。何より、繋いでいたはずの手は空っぽだった。
――かえりたい。
――行きたい。
――離れたくない。
――もう離したくない。
息衝く想いは確か。いつもより早い心音が、証明している。
けれどノーチェは夕暮れの迷宮を振り返らず、唇を湿らせたささめごとだけを反芻する。
「慰めるべきは、僕だったのに」
茜色の空に、片割れ星がひとつ横切った。
🔵🔵🔵 大成功
アリス・アイオライト鏡の迷宮に足を踏み入れれば、映るのはまだ私が√能力者ではなかった頃――そして、彼のAnkerだった頃
……ルシウス。全て思い出した今ならわかる、あの日々の中で、私は彼に恋をしていたの
だから、今の私と手を繋ぐ幻影にも顔が赤くなってしまう
違う、わかってます、これは本物のルシウスじゃない
私は|宿敵《今》のルシウスに会わなくちゃいけないから、惑わされずに抜けなくては
でも……彼と手を繋いだ日はずっとドキドキしてた、そんなことをどうしても思い出してしまって
ど、どうしましょう、むしろ恥ずかしくて手を離したくなってきましたが……!?
うまく幻の顔も見れないまま、迷宮を進む
離れる時は名残惜しいけど、そっと手を放して
●Twilight, Morganite
白い頬がモルガナイトの色に染まっている。西日を浴びているのだから当然――ではなくて。
(少し、幼い?)
伏し目がちに視線は外しているけれど、先の尖った耳が隣を歩く人の声に集中している。
ほら、今だって。近付きすぎた肘が腕に触れただけなのに、肩が跳ねた。そのくせ、繋いだ手を解こうとはしていない。
あまりの分かりやすさに、アリス・アイオライト(菫青石の魔法宝石使い・h02511)の顔は熱を持つ。
(これはきっと、私がまだ√能力者ではなく|彼《・》のAnkerだった頃)
鏡に映る二人から情報を読み解く思考は冷静なのに、もたらされた結果が感情を揺らす。
「ルシウス」
呟いただけで、心臓は鷲掴みされたみたいにぎゅうっと痛んだ。
もう、わかる。
全てを思い出した今ならば、わかる。
わかってしまえる、僅かも否定の余地がないほどに。
(あの日々の中で、私は彼に恋をしていたのね)
恋をしていた。
学生の頃からずっと、ずっと。
ルシウス、ただひとりに。
そのことを、ずっと、ずっと忘れていた。
でも。思い出した。
思い出せた。
「だからって……っ」
数歩、進めた歩み。合わせて、目にする鏡も変わる。手を繋ぐルシウスとアリスの姿も、変わっていた。
かつてより大人びた青年は、アクアマリンの瞳を蕩けさせてアリスを見ている。見返そうとするアリスの視線は、右へ左へと落ち着きなく揺れていた。
その反応は、まるっきり自分自身で。だからこそ、勘違いしてしまいそう。
「違う。わかってます。これは本物のルシウスじゃない」
鏡から、傍らへと視線を移す。
見上げる青年の甘い笑顔に、アリスの頭はくらりと回る。頬はさっきからずっと熱くてしょうがない。
違う、わかっている。
このルシウスは幻。
(私は。|宿敵《今》のルシウスに会わなくっちゃいけないの)
誰も傷付かない、傷付けることのない、この優しい|時間《迷宮》に心は揺れる。
けれど惑わされていては、|先《未来》へ進むことも出来ない。
『どうしたの? アリ――』
「きっ、聞きません。聞こえません、何も、何も聞こえないったら聞こえないのっ」
顔を覗きこまれる気配に、アリスは走り出す。
途端、繋いだ手を強く意識する。
(昔もこんな風に……って、駄目よ私っ)
ドキドキ、ドキドキ。
高鳴る心音は、過去のものか、今のものか。区別する余裕は疾うにない。
(ど、どうしましょうっ。こ、こ、この手っ。手!)
込み上げる羞恥に、手を振り解きたい衝動に駆られる。なれど頭の隅に残った理性が、それはこの迷宮に屈するのと同義だと警鐘を鳴らす。
「こ、このまま一気に出口まで行くわよ」
知らず、口調は気安く。変わらず顔は、うまく見れないままに。
頬が赤いのは夕焼けのせいにして、銀の髪をなびかせアリスは走る。一分一秒でも早く、いつもの自分に戻る為に。
しかし最後は、きっとそっと手を離すのだ。名残惜しさに、後ろ髪を引かれながら。
🔵🔵🔵 大成功
成程。確かにあの子にそっくりだ
じゃあもう一度、穏やかな日をなぞろうか
学生らしい、ささやかな買い物に付き合った時のようだ
当時は腕輪が無いから直接触れられなくて、きみがおれの服の袖を引いて歩いていた
でも今は直接手を繋げる。偽物と判っていても嬉しいね
実際に触れたのは、最期の時だけだったから
「なんか欲しいものある?」と彼女の姿をした面影が、あの日と同じ言葉を紡ぐ
おれは「無い」と答えて、そう、こんな風に少し不満げな顔をされた
その顔が興味深くて……今は懐かしくて。横目で見ながら帰り道を行く
出口の前でほんの僅かな逡巡の後、もう戻らないものから手を離そう
思い出ではなく、いま大事なものを護る為に戦いに行くんだ
●夕彩
ふ、と。
ゾーイ・コールドムーン(黄金の災厄・h01339)の笑みを模る口角に、喜色が混じる。
成程、確かに。
(あの子にそっくりだ)
鏡に映る、自分と|彼女《・・》を見る。
いかにも学生の姿をしている。ささやかな買い物に付き合った|時《過日》のようだ。
覚えている、今でも。忘れていない。
当時の自分は、力を抑える|腕輪《魔具》がなくて。
だから直接触れ合えない代わり、彼女はゾーイの服の袖を引いていた。
でも、今は。
夕暮れの太陽にも似た金の眼を眇め、ゾーイは鏡を注意深く観察する。腕輪はきちんとあった。
ならば、とゾーイは彼女へ手を伸ばす。
指先が彼女の手に触れた。掬い上げるように、握り込む。
彼女が本物ではないのは理解していた。だとしても、嬉しさはある。
実際に触れられたのは、最期の時だけだったから。
(じゃあ、もう一度)
ゾーイは夕暮れの中を歩き出す。繋いだ手のままに、彼女も歩き始める。ゾーイは歩幅を、彼女に合わせた。
(あの穏やかな日をなぞろうか)
いつもよりゆったりとした足取りで、ゾーイは彼女と共に鏡の迷宮を逍遥する。
「なんか欲しいものある?」
いったい何がそんなに楽しいのだか。
視線を交わす面影も、四方の鏡に映る姿も、どれもがにこやかにゾーイの応えを待っている。
そんな彼女にゾーイはひとこと。
「無い」
あっさりとした応えに、彼女の頬が少し膨らんだ。
(そう、あの時もこんな風に)
ゾーイは横目に彼女の様子を眺める。夕焼けに染められた横顔は、拗ねたような不満に縁取られていた。
推し量りかねる彼女の胸の内。
かつてその横顔を興味深く思ったのを振り返り、今のゾーイは懐かしさに内を満たす。
やはり直接、顔を向けることはない。しかしずっと、横目で彼女を見ながらゾーイは歩く。
歩幅は先ほどまでと同じ。しかしゾーイはことさらゆったり足を運ぶ。
そして――。
逡巡は僅かの間だけ。
辿り着いた出口で、ゾーイは彼女の手をそっと離す。
(これはもう、戻らないもの)
ゾーイが手を伸ばすべきは、思い出ではなく、いま大事なもの。
それらを護る戦いへ赴く為に、ゾーイは美しい夕彩の迷宮に背を向けた。
🔵🔵🔵 大成功
シンシア・ウォーカー夏の夕暮れ。隣を見れば君が笑っていて。
繋いでいる相手は同種族の青年。私より7つだか年上なので、これは二十年くらい前の――記憶の中の彼。
学校には行ってるのかって?嫌ですねえ、もうとっくに卒業してますしお酒飲める年齢です。貴方の家に夕方まで預けられていた頃は、私まだ十歳にもなっていなかったのですね。
大きな本棚のある部屋で、読み聞かせてくれたりしてさ。きっと貴方が私のAnkerですよね。
"淑女たれ"。今でも覚えてますよ。……本当ですよ?
さて郷愁に浸るのも飽きたので出口へ向かいます。私は貴方のこと恨んでもいるので、なんて。
だって私の翼を切ったの貴方でしょう?あ、答えは大丈夫です。いつか本物に聞きます!
●夕凪に青嵐
ヒグラシの声が遠くに聞こえた。
それだけで、日中の余韻を含んだ生温い風の中に、涼を見つけられる。
尖った耳の先を撫でる心地よさに、シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)は目を細めた。
そのまま薄目で隣を見ると、『君』が笑っている。
「――ふふ」
酔っぱらってもいないのに、笑いが自然と唇から零れた。不思議そうに顔を覗き込んでくるのは、同種族の青年。
これは、たぶん。
二十年くらい前の記憶。
シンシアより七つだか年上のはずの|彼《君》もまた、あの時のまま。
「学校には行っているのですかって?」
並んで歩く。歩幅は大きく変わらない。けれど青年はシンシアのことを幼子のように扱う。
「嫌ですねえ、もうとっくに卒業してますし」
反芻した青年の台詞へさらなる追撃をかけたシンシアは、得意げに胸を反らす。
「ちなみに、お酒も飲める年齢ですよ」
青年が目を見張った。分かりやすい驚愕に、シンシアの鼻がご機嫌に鳴る。
でも。
こんな経験は無い。
張り巡らされる鏡へ目を遣れば、一枚、二枚、と幼げな少女の姿を見つけられるのではないだろうか。
けれどシンシアは鏡を見ない。
(貴方の家に夕方まで預けられていた頃は、私はまだ十歳にもなっていなかったですしね)
歩きながらずっと、シンシアは隣の笑顔だけを眺める。
そうだ、この笑顔だ。
青年の輪郭を視線でなぞり、記憶を辿る。
(大きな本棚のある部屋で、読み聞かせてくれたりしてさ)
「"淑女たれ"――今でも覚えてますよ」
シンシアが告げると、青年の瞳が大きく夕焼け空を映し取った。何か言いたげな態度に、シンシアは少しだけ唇を尖らせる。
「……本当ですよ?」
――分かる。
――きっと彼が私のAnkerだ。
――彼こそが、|Anker《護るべきもの》だ。
「そうですよね」
予告なく、突き付ける。
鏡を見ないシンシアは、自分がどんな表情をしているか知らない。想像もしない。
ただ、もう。郷愁に浸る時間は終わりと、足を早める。
「私は貴方のことを恨んでもいるので」
なんて、と。語尾を少し濁しはするが、もう歩みを並べない。青年の手を引いて、シンシアは先をゆく。
長く続く階段の一段を踏み飛ばすような、そんな軽やかさで、シンシアは迷宮の出口を抜ける。
「だって私の翼を切ったの貴方でしょう?」
躊躇いなく、ぱっと手を離す。
空っぽになった手のひらを、涼しさを増した風が掠めた。
「あ、答えは大丈夫です」
いつか本物に聞きます!
はっきりと言いきったシンシアは、セレスティアルにしては小振りな翼を羽ばたかせる。
🔵🔵🔵 大成功
ララ・キルシュネーテ空に広がるのは、逢魔が時の彩
昼と夜の狭間
此岸と彼岸
あちらとこちらの境が曖昧になる時
迦楼羅天であるパパの領域よ
パパは昔、龍達に閉じ込められて逢魔が時にしか外に出られなかったのよ
ララと同じ金色の爪
大きな手と繋いで歩く
いつも抱っこだったけど手を繋ぐのも素敵
ララはこわいを識った
こわいは、冷たくて震えてしまう
どうしていいのかわからない
誰にも明かせない
神が怖がってはいけないでしょう?
パパはきっと「しって」る
キルシュネーテとママのこと
けれどララはここに居て迎えの掌はない
…ララが、やらねばならないのでしょう
うん、パパ
いってきます
手を離す
ララはきっと
パパにただいまは言えない
でも
ララはこわいにも打勝つわ
みていてね
●|逢魔が時《Under One’s Wing》
大きな手だ。
自分の手なら、すっぽりと包み込んでしまえるだろう。
でも爪の色は同じ、|逢魔が時の彩《金色》。
口元は自然と緩む。無理やり引き締める必要はない。だって――。
「パパ」
昼と夜の狭間。
此岸と彼岸。
|あちら《・・・》と|こちら《・・・》の境が曖昧に溶け合う刻。
|ララ・キルシュネーテ 《꒰ঌ❀..**。.:*:.。.咲樂*桜樂.。.:*:.。.✽.。❀໒꒱》(白虹迦楼羅・h00189)は空に広がるのと同じ色の指先を、父のそれへきゅっと絡めた。
「ララは“こわい”を識ったの」
ララは、いつも抱き上げられていた胸を見上げる。
ゆらゆら揺られていたそこは、|安寧の地《ララの特等席》。けれど手を繋ぐのだって、とても素敵。
「こわい、は。冷たくて、震えてしまうわ」
父の向こうには、父とララの爪と同じ色の空が広がっている。
昔、龍達に閉じ込められた父は、逢魔が時にしか外へ出られなかった。返して言えば、強固な龍の封を以てしても、父の自由を奪えなかった時分。
つまり逢魔が時は、迦楼羅天である父の領域。
「どうしていいのかわからない――でも、誰にも明かせないの」
ぎゅう、と。指先に、無意識のうちに力が籠った。やわらかく握り返された手のひら越しに、心地よい温もりがララへと染み入る。
「だって。神は怖がってはいけないでしょう?」
ララは迦楼羅天の|雛女《ひめ》。
冬の聖女として|樂園《√キルシュネーテ》に招かれ、吸収し過ぎた人の三毒によって悪徳に堕ちてしまった|キルシュネーテ《龍王》を討ちし、救世の神鳥。
(パパはきっと『しって』る)
ララの歩幅は父の半分にも満たない。だのに小走りにもならずにいるのは、父が歩調を合わせてくれているせい。
分かっていて、ララはもう少し、あと少し、とゆっくり足を運ぶ。
鏡は父とララのそのままを映している。だからこそ幻なのだ。
(キルシュネーテとママのこと)
刹那、一枚の鏡に美しいハーバリウムの尾を視た気がした。
込み上げた何かを、ララは身の裡へとぐっと沈める。
(けれどララはここに居て、迎えの掌はない)
尋ねるでなく、自らの決意を語るように。紡ぐ小さな唇を父がどんな顔で見ていたのか。鏡に気を取られたララは知らない。
それでも。
「……ララが、やらねばならないのでしょう」
どこまでもララに合わせてくれる父の|想い《優しさ》が、ララの背中を押す。
「うん、パパ」
覚えたばかりの“こわさ”が消えてなくなったわけではない。
何より、父へ「ただいま」と言えないだろうことを、どれだけ幼くともララは理解している。
だとしても。
(みていてね、パパ。ララはこわいにも打勝つわ)
還ることの出来ない父の胸を今一度、見上げ。それからララはぱっと父の手を離す。
「いってきます」
踏み越える迷宮の出口は、逢魔が時の終わり。
空の金色が、夜の深藍に飲まれて消える。されど鮮やかな色彩は、ララの爪にずっと、ずっと――。
🔵🔵🔵 大成功
アクマ(h06570)と
√能力で大したことは出来ないと知っている
でも、危険な場所から一般人を避難させることは出来るかも…
そう思っていたのに どうしてここにいるの?
帰りたい
お父さん、お母さん、お兄ちゃんたち
ごめんね、連絡もらってるのに、ごめんね
私、読み上げてもらわないと読めないの
声も聞こえないの
…会っても見えないだろうから、家に連れて行ってもらうの、こわくて出来ない
かえりたい かえりたい かえりたい
「うるさい黙って」
アクマを黙らせて手を差し伸べる
家族の面影の、家族じゃない誰か
「さびしい?…いっしょにいかない?」
きみがいいものか分からないけど、いっしょに出てはいける
私は…代わりはいらない 帰るから
くらがりの・こえ|きみ《くるり》(h01025)と
きみはこういう場所に好かれるなぁ
オレが誘導しただけじゃないよ
“見せたら心を寄せる”って思われるから、呼ばれるんだよ!
きみをピン留め出来れば座標になるからね
影のなかで“見”ながら笑う
そういう場所だとオレも“出”やすい
『帰りたい?』
なにがしたい?なにを求める?現在を捨ててしまう?それは──×××だなぁ
『手を取ったら、帰れる?』
うんうん、黙ってあげるよ
『あはは!』
影の向こうに人影が見える
オレにも?
へぇ
そう認識されるようになったんだ
そうだね、“見”るなら“あの日のきみ”だろう
過去の虚像、幻想はいらない
無為だからね
オレはちゃぁんと、実像をつかみとるよ!
ねぇ “くるり”!
●たそがれの影
世間が騒がしい。しかも『|よろしくないこと《悪い事》』でだ。
自分の使える√能力では、大したことは出来ない。
卑下ではなく、明確な事実だ。だからといって、早々に傍観者を決め込めるほど、|戀ヶ仲《こいがなか》・|くるり《ーーー》(Rolling days・h01025)は図太くも、ひねくれてもいない。
普通の女子高生に毛が生えた程度でも、きっと危険な場所から一般人を避難させることくらいは出来る。
なのに、今。
くるりは歪な夕暮れの中に立ち尽くす。
「私、どうして……どうして、ここにいるの?」
| 《声を大にして嗤いたい。》
| 《嗤いたくてしょうがない。》
| 《どうして? だなんて!》
| 《本当にきみはこういう場所に好かれるなぁ。》
| 《言っておくけど、オレが誘導したわけじゃないよ?》
| 《ああごめん。言っておくけど、とか言いながら、言ってないや。》
| 《まあ、そんなの些末事だよね。》
| 《でもせっかくだから、教えてあげる。》
| 《“見せたら心を寄せる”って思われるから、呼ばれるんだよ!》
| 《あ、教えてあげようって言いながら、教えてあげてないや。》
| 《あはは!》
| 《ふはは!》
| 《きみをピン留め出来れば座標になるからね。だから、きみは呼ばれる。》
| 《オレは笑う。》
| 《影のなかで“見”ながら笑う。》
| 《こういう場所だと、オレも“出”やすいからさ。》
| 《きみに聲を届けよう。》
| 《ほら、ちゃあんと聞くんだよ。》
『帰りたい?』
「帰りたい」
踏み込んだ鏡の迷宮。夏の残照と無数の反射と、同じだけの影に囲まれ、くるりは絞り出すように呟く。
帰りたい。
一度、堰を切ってしまえば、思春期の少女らしい弱音が次から次へと口を吐く。
「お父さん」
いない。
「お母さん」
いない。
「お兄ちゃんたち」
いない。
「ごめんね、連絡もらってるのに。ごめんね、ごめんね」
しゃくり上げる間際の震える声で、くるりは繰り返す。
その度に、ひとつ、ふたつ。みっつ、よっつ、……――嘆きに引き寄せられたのか、くるりの周囲に気配が集う。
| 《ほらね、ほらね。来ただろう、そりゃあ来るさ。》
| 《あはは!》
| 《きみはなにがしたい?》
「私、読み上げてもらわないと読めないの」
証明しようとくるりは鞄の中からスマートフォンを取り出そうとして、手を止めた。
くるりの一挙手一投足を映す鏡に、見知った面影が像を結んでいる。
| 《きみはなにを求める?》
「声も、聞こえないの」
まるで棒切れにでもなったみたいだ。強張る足は、踏み出したくても動かない。
情けなさに抗って、くるりは拳を握り締める。けれど力はほとんど入らなかった。
「……会っても、見えないだろうから。家に連れて行ってもらうの、こわくて出来ない」
全身が小刻みに戦慄いている。
かえりたい。
かえりたい。
かえりたい。
求めるのはただ一つ。魂はこんなにも、叫んでいる。ずっとずっと、叫んでいる。
呼応したのか、慕わしい姿となった|何か《面影》がくるりへ手を差し伸べた。
まるで慰めるみたいに。
| 《くるしそうだねえ、たいへんだねえ。》
| 《現在を捨ててしまう?》
| 《それは──×××だなぁ。》
『手を取ったら、帰れる?』
「うるさい、黙って!」
不意にくるりは、腹から声を張り上げる。
ぜえはあと、荒い息に肩が揺れた。
聞こえている、|アクマのこえ《くらがりのこえ》。
他は聞こえないのに、ずっとずっと。
| 《うんうん、黙ってあげるよ。》
| 《あはは、あはは!》
『あははは!』
くるりは息を止める。
耳の奥に出来た空気の膜が、五月蠅いわらい声を少しだけ遠ざけた。
聞かない。
聞こえない。
心の中で唱えながら、くるりは寄り付いてきた面影へ手を差し伸べる。
「さびしい?」
姿は家族のもの。でも、分かる。これは家族じゃない誰か。
「……いっしょにいかない?」
いいものか、わるいものかも、分からない。
それでも握り返された右手と左手。その両方の感触に、ささくれ立っていたくるりの心が、わずかに和む。
「いこう」
くるりの足は動いた。そして広いとはいえない通路を、横並びで歩く。くるりの脳裡に、夕焼けの帰路を詠う童歌が響いた。
(ちがう)
踏みしめる一歩一歩に、くるりは冷静な思考を積み重ねる。
違う、これは家族じゃない。ただ一緒に出口を目指す、一時の|同胞《道連れ》。その為に、くるりはこの迷宮にやってきたのだ。
だから幻の郷愁に惑わされたりはしない。
(私は……|代わり《・・》はいらない――だって)
「帰るから、ぜったいに」
●くらがりのこえ
|それ《・・》は一頻り嗤いに笑い、わらい疲れたところで、ふと声を潜める。
「へぇ?」
|影《くらがり》の向こうに、人影が見えた。
「オレにも?」
くつくつ。
せっかく止まったわらいが、深淵の底から込み上げ、目には見えない波となって何かを揺らす。
「へぇ、へぇ、へぇ、そうなんだ! そう認識されるようになったんだ」
ヒトならば、腹を抱えていただろう。或いは、のたうち回って手足をばたつかせていたかもしれない。
「そうだね、そうだ。オレが“見”るなら“あの日のきみ”だろう」
――過去の虚像、幻想はいらない。
「そんなの、無為だからね」
|くらがりのこえ(I'm Devil・h06570)《アクマ》はほくそ笑む。
「オレはちゃぁんと、実像をつかみとるよ!」
『ねぇ、“くるり”!』
🔵🔵🔵🔵🔵🔵 大成功
花途・過日目の前には、あの子
おれがくまだった頃、おれをともだちと呼んでくれた子
おれのせいで、いのちを落としたあの女の子
あの頃とおんなじ顔で笑うから、心臓がぎゅっとなる
差し出された手を躊躇いながら握って、歩き出す
…そうか。今のおれはあの頃と違って
きみと同じかたちの手で触れて、きみと同じことばで喋れる
なのに、息が震えて声が出ない
おくびょうものだから
「逃げて」と言ったきみを置いて走った暗い森
後悔ばかりがからだを重くする
…あ。ごめん、強く握りすぎていた
痛かったよな。ごめん…
声が震えた
だって、おれはきみに謝りたかったんだ、ずっと
もう叶わないねがいだって実感してしまって
ぽろりとこぼれたなみだを慌てて拭う
…ひとのすがたは、こういう時に不便だ
出口が近づくにつれて足が止まりそうになる
うそだとしても、となりを歩くきみの手を離せなくて
その時、頭の上の|ともだち《小鳥》が
白い貝殻のイヤリングをつついた
あの子が落としていったもの
あの子が託してくれたもの
…そうだな、立ち止まってはいられない
きみの手を引いて、迷宮の出口へ
●One Day, in the Forest
生い茂る枝葉の隙間から、オレンジ色の光が斜めに差し込んで来る。
鏡の反射が眩しくて、視線を落とす。足元には黄色いスミレが咲いていた。
馴染み深い、夏の森の景色だ。
でも、ふとまた上げた視線の先。つるりとした肌の頬に、|花途《はなみち》・|過日《かじつ》(かいがらの|ゆめ《Regret》・h09026)はことりと首を傾げた。
無造作に跳ねる髪の合間から覗く耳のフォルムは、獣特有の丸っこさを残している。その左側の縁から垂れさがる白い貝殻のイヤリングが、過日の仕草にそっと揺れた。
(……そうか)
琥珀色に染まった自分の頬を眺めた過日は、今の自分がただの|獣《こぐま》でないのを改めて実感する。
いや、頬よりも。繋いだ手の感覚の方が、心を強く震えさせる。
(きみと同じかたち)
あの頃とは大きく違う。だのに|きみ《・・》は、あの頃とおんなじ笑顔で笑いかけてくれた。
ぎゅう。
過日の心臓は、何かに締め付けられたみたいに痛む。
あの子は、過日を『ともだち』と呼んでくれた。
あの子はニンゲンで、過日はくまだったのに。
そして、あの子は。過日のせいで命を落としてしまった。
『逃げて』
そういったあの子を置いて、|こぐま《過日》は暗い森を走った。
あの時も森にはスミレが咲いていたかもしれない――そうではなくて。
体が重い。二本足で歩いているせいではない。膨れ上がった後悔で、全身が大岩になってしまったよう。
せっかく、きみと同じことばでお喋りができるのに。
絞り出そうとする声は喉で震え、ひゅーひゅーと掠れた音にしかならない。
(おれはおくびょうものだから)
だから、きみを置いて。おれだけが。おれ、ひとりだけが。
――まって?
「……あ」
聞こえた少女の訴えに、過日は足を止める。
「ご、ごめん」
無意識に繋いだ手に力を込めてしまっていた。
「痛かったよな、ごめ――」
慌てて離そうとした手を、まろやかな少女の手が引き止める。
――だいじょうぶ。
――だいじょうぶ?
過日の様子を窺う少女の眉は下がっていた。『かなしい』とは違う、『しんぱい』の顔なのを、人のかたちになった過日は|知っている《わかる》。
「……ごめん」
一度は遮られた謝罪を、過日は今度こそ伝えきる。
声の震えは止まらない。けれど構わなかった。構うはずがない。だって、だって。
「おれはきみに謝りたかったんだ、ずっと」
ずっと、ずっと。
ずっと、ずっと、ずっと。
なのに。
(きみじゃない)
目の前にいて、手を繋いでいてくれる少女は、『あの女の子』ではない。
夏の夕焼け、無数の鏡。
映し出されるものも、そうでないものも、全ては幻。そういうものだと、最初から識らされている。
(きみじゃ、ないんだ……)
|こぐま《過日》を「ともだち」と呼んでくれたあの子は、もういない。
過日を苛む現実は、夏の終わりに押し寄せる風雨のよう。強くて、激しくて、身を隠した窖の中まで容赦なく蹂躙する。
現実は、どうしようもなく現実で。|今《・》は覆らない。
「……あ」
頬を何かが伝った感触に、少女に引き止められた時と同じ呟きを、過日は繰り返す。
ぽろり。
胸に滴が落ちた。
続けてぽろぽろと零れそうな|それ《涙》を、過日は慌てて手の甲で拭う。
「……ひとのすがたは、こういう時に不便だ」
謝りたかった。
けれどそれは永遠に叶うことのない“ねがい”。
「いこう?」
わだかまる痛みを胸に、過日は再び歩き出す。
夕闇はいつも静かに近付いて来る。
同じように目前に迫った迷路の終わりに、過日の歩みは鈍さを増す。
――だいじょうぶ?
また、少女が尋ねる。
(これも、うそ)
全部、全部、全部、|嘘《紛い物》。
分かっていても、過日の足は止まりそうになる。
(きみの手を、)
離せない、離したくない。
振り払えないやるせなさに、過日は歯を噛み締めた――その時。
「あ」
小さな衝撃に、過日は目を見張る。
はっきりと輪郭を結ぶ鏡の中、頭の上で羽ばたく|ともだち《小鳥》が、白い貝殻のイヤリングをつついていた。
(そうだ)
過日は目を閉じる。
目蓋の裏に浮かぶ|光景《記憶》をなぞる。
おもいでが、白く煌めく。
(これ、は。あの子が落としていったもの。あの子が、託してくれたもの)
「……そうだな、立ち止まってはいられない」
過日は瞼を押し上げ、力強く踏み出す。
手は離さない。
嘘であっても、なくても。
|きみ《・・》をここに残してはゆけない。この面影は、外に出ることを望んでいるから。
「いっしょに、いこう」
置いてはいかない。
二本の足で地面を踏み締め、過日は“あの子”と同じ形になった手で、自分より小さな手を柔らかく握り、迷いなく引く。
緑も花もないコンクリートの地面に、ブーツの踵が高く鳴った。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵 大成功
鬼臨坂・弦正……妙な感慨だ
これは俺の記憶ではない
この手に握るを許されたのは|霊剣《妖刀》の柄ばかりで
世俗に触れるを禁じられたこの身に
夏景色を眺め歩く機会など有りはしなかった
だと言うのに
胸に去来するのは懐古の念
この儘歩み行けば帰郷を果たせるのではと
淡く望みを抱かせる郷愁
嘗ての俺に友は無い
親は在ったが、傍には無かった
なれば
斯様に俺の手を引く者は誰だろうか
一様に同じ装束に身を包んだ
|巫《おんな》や|覡《おとこ》の一人か
何から何まで世話をしてもらったものだ
流れ行く夕景は鮮やかに目に映るのに
傍らの人物の輪郭だけは
どうにも暈けて、能く見えぬ
……、
誰とは問わぬ
本当は居ないのだから
……居なかったのだから
暫し連れ立って歩いた後
足を止めて手を離す
夢を見続ける事は
矢張り、俺には向いていない
もう結構
これより先は己で探す
如何に遠く永い道であろうとも
真に帰路を見付け出す迄、独りでも往く
●夜去方、独り
高く聳える|巨塔《ビル》も鉛丹色に染まっている。
何処とも知れぬ世界より訪れ、幾許の時が流れたか。未だ馴染まぬ風景を射干玉の眼に映しながら、|鬼臨坂《きりんざか》・|弦正《げんじょう》(金輪際・h07880)は手を引かれて歩く。
一歩、また一歩。
足を進める度に、一枚、また一枚と世界を映す鏡も変わる。
天を目指して咲く金色の大輪の群れ、色とりどりの電飾に賑わう隘路、南風にそよぐ水稲の海原、影が長く伸びた何の変哲もない道、他。夫々、様々。
翳を落とす前髪の下、弦正は眩しさに目を細めた。
(……妙な感慨だ)
何れの景色にも覚えはない。
弦正が手にすることを許されたのは、霊剣や妖剣の柄ばかり。そも、世俗に触れるのを禁じられていた。
故に、夏景色を眺めながらの逍遥など、弦正の|道《生》に有ろうわけがない。
だというのに。
白い半衿の内側を覗きでもするように、弦正は視線を落とす。
膚の下に息衝くものの動静は知れぬ。が、疼きに似た何かを裡に感じる。
おそらくこれは、懐古の念。
このまま歩み行けば、帰郷を果たせるのではなかろうか。
(まさか)
砂浜を洗う波が如く寄せる思念に、弦正はとりとめのない息を吐く。
(郷愁――?)
くすぶる淡い望みには首を傾げるより他はなく。しかも望郷に端を発しているとは、我が事ながら釈然としない。
(嘗ての俺に友はない)
手を引かれ、弦正は尚も歩く。
(親は在ったが、傍には無かった)
柄を持つのが然るべき右手を引かれ、歩いている。
(なれば)
「たそがれ刻、か」
褪めた己が膚さえも茜に彩る時分をなぞって弦正は呟く。
黄昏。
たそがれ。
たそかれ。
誰そ彼。
斯様に手を引く者は誰そ。
一様に同じ装束に身を包んだ、|巫《おんな》や|覡《おとこ》の一人であろうか。
確かによくよく、何から何まで世話してもらいはした。
さりとて、こうまで懐旧を誘う由縁や如何に。
つ、と。弦正は目を向ける先を上げる。
そして、ゆっくりと首を横へと巡らせた。
(……能く、見えぬ)
流れ行く夕景は、変わらず鮮やかな像を結び続けている。
にも関わらず、その手前に在る面影だけが、輪郭をどうにも暈けて、姿形を弦正に捉えさせない。
「……、」
はく、と。
中途半端に吐き出した息が、唇の際で掠れた音を立てた。
(かわたれそ)
彼は誰そ。
そうは問えぬ。そうは問わぬ。
覚えている、分かっている。
手を引いてくれる者なぞいないのだ。
(……居なかったのだから)
弦正は歩く。
草履が奏でる調子は、早くもなく、遅くもなく。ひたすらに一定を保ち、刻んで。
引かれるに任せた身は、時に右へ左へ。
やがて空は深藍が優勢となり、東の方から星がぽつぽつと瞬き始める。
鏡の中の畦道。数羽のハクセキレイがチチン、チチンと鳴きながら低く飛ぶ。家路を急ぐ、家族のようだ。
「……矢張り、俺には向いていない」
ひたりと足を止め、弦正はぱっと手を離す。
此れは夢。見続ける事は、自分には不似合い。
「もう結構、これより先は己で探す」
追い縋る手はなかった。
虚ろになった掌を、弦正はやんわりと握り込む。
「ここからならば、お前も往けるだろう」
研ぎ澄ます五感に障る害意は皆無。非力な面影であっても、振り返りさえしなければ、迷宮を脱し果せるはずだ。
ともすれば――否、おそらく。親和性の高さを鑑みれば、面影の方が容易く出口へ辿り着けるだろう。それだけの時間を、共に|歩いた《過ごした》。
弦正は目を閉じる。
小さな足音が遠ざかってゆく。
瞼を押し上げると、夏の残滓の夕暮れに、弦正はひとり。
引く手はなく、夜の帳はもうすぐそこ。
間もなく足元さえ見えぬ闇が来る。
弦正は背筋を伸ばし、歩き出す。
標なき道の永さは知れぬ。しかし弦正は立ち止まらず、美しい景色を映し続ける鏡にも惑わされない。
(独りでも往く――真に帰路を見付け出す迄)
やがて深い夜が戦場に訪れる。
その頃、魔物達の聖母の思惑より外れし鏡の迷宮は、争乱無き静寂へと帰す。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵 大成功
