君の物語に幸を刻む時計
そこは不思議な時計屋。
大正浪漫を思わせるレトロな出で立ちのお店。
名前はない。
落ち着いた雰囲気の中で奏でられるのは、数多の時計の針たち。
時計であれば古いものから最新のものまで出てくるけれど、飾られているのはアンティークや時代を経たものが多い。
つまり、物語と共にあった時計たち。
ちく、たく、ちく、たく。
一定のリズムで、沢山の時計の針が動いている。
決して、店内の物静かさを崩すことはなく。
何処か不思議な静けさと、柔らかさで包みながら。
「…………」
ふと店内の奥を見れば、ひとりの男性が佇んでいた。
店主である刻・懐古(懐中時計の付喪神・h00369)だ。
儚げな美人ではあるが、少しだけ近寄りがたいミステリアスさを匂わせている。
身長は高く、細身。
纏うのは書生服に羽織。
黒い手袋と相まって何処か物語の存在のような不思議さを感じてしまう。
ただ、それも表面だけ。
切れ目だが、優しげな眸は柔らかな夕焼けの空を映したような紺と橙。
赤茶の髪は肩より少し永く伸ばされ、緩い三つ編みに結っている。
ミステリアスではあるけれど。
懐古の貌はゆったりとした安らぎを感じさせた。
ふと、ドアのベルが鳴って来客を告げる。
「……おや?」
懐古がゆるりと視線を巡らせれば、来店したのはまだ学生らしき少女だ。
少し緊張しながら、一歩、一歩と店の奥へと足を踏み入れていく。
「いらっしゃいませ」
表情ははっきりと変えず、それでも微笑んでいると分かる、懐古の柔らかな声色。
少女も安心と共に頬を緩めた。
「こんにちは」
近寄りがたいと思った懐古だが、顔を合わせて声を聞けば、何処か人懐こさを感じる。
ようは安心させる存在。
ちく、たく。規則正しくリズムを刻む、時計の針の音色のように。
「あの。私、これから部活で日常の生活が変わってしまって」
だからこそ、少女は言葉を続ける。
「朝早くとかに出ないといけないんですけれど、私はのんびりさんですから。遅刻とかしないようにって」
「うんうん」
優しく頷く懐古。
「でもデジタルの時計はちょっと苦手で。煩いのとか、激しい光とか、あんまり好きではないんです。優しい、素敵な時計はないかなって」
アンティーク時計が、ゆったりと時を示してくれるように。
「学生のお小遣いでは、そんなの買えないかもしれませんけれど……」
申し訳なさそうに口にする少女に、懐古も穏やかに応じる。
「確かに、安くは無いね。だって、時計は君の時間と共にあるのだから。君の時間を、安い時計の針で飾るのはよくないかもしれない」
君に相応しいものをと、カウンターから出た懐古が示す。
壁にかけられた、小さな木の壁時計。
深いブラウンの色合いに、丸みを帯びたデザイン。
「此方は如何かな? 君の声と、針の声。とても似ている気がするからね」
そんな台詞も懐古が云えば、現実味を帯びるのだ。
「わぁ」
素敵な時計に出逢えたのだと、笑みを綻ばせる少女。
大きすぎ、優しげな丸みで、これからの時間を一緒にいてくれる。せかされることなく教えてくれる。
――君は焦るのが苦手そうだものね。
ふわりと唇を緩ませた懐古。
値段を聞き、意を決したようにこれをくださいという少女。
「君と共に過ごせることを、この子も楽しみにしているよ」
懐古は時計をこの子と呼び、新しい旅立ちを祝福するように飾り立てる。
そうして、これから少女が刻む時間の美しさを。
変わりゆく儚い、ひとの美しさを想像して、すっと眼を細めて。
「君の物語に幸在らんことを」
幸せの鼓動と共に、時計の針が巡りますように。
何時ものように、懐古は旅立つ時計とお客さんに願うのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功