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どれほど其処が遠くとも

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 ――果たしてこの場は昔から『こう』だったろうか?
 いつの間にか。言い様も無く。随分と淀んでしまっているような気がした。

 広大な静寂本家の敷地内。定期的に開かれる大きな集い。
 年季の入った講堂の、整えられた壇上で、大仰な身振り手振りと共に熱弁振るうは|静寂・冬路《簒奪者》。
 曰く、この|√《せかい》と『静寂の家の発展』こそが何より優先すべき第一義。それが為、今、我々がやるべき事とは何か。そう。例え『多少の犠牲』を払っても、効率的に遮二無二邁進しなければ、この世界の現状は決して変えられぬ。
 ……などと。即ち、体裁こそ耳触り良く整えられているが、分厚い建前に包まれたその言葉の本質は、平然と踏み躙り奪う者の|思想《それ》に相違なく。しかし叔父が得意気持論を一つ披露する度に、知ってか知らずか、聞き入る|聴衆《しじま》は大きく喝采し……見知った程度の、しかしそれでも覚えのある顔すら少なからずそんな有様で、ひどく心地の悪い光景だった。恭兵は、気怠げ青の|視線《ひとみ》を下へと落とす。
「此れが、現在の『静寂家』なのか……」
 傍らに控えていたアダンも、同様の心境だったのだろう。呆れる様な叔父のマニフェストに、其れを賞賛する拍手の数に、必然|溜息《いき》を零して、そう小さく吐き捨てた。
 これでも昔は皆、もう少し真っ当だったよ、と、再び前を見据えれば、幾多の歓声に見送られながら、主演男優さながらに、悠々と此方へ|降壇《ちかづ》いてくる叔父の姿。
 ――そうだとも。お前がずうっと人形へ現を抜かしている内に、静寂は『こう』なっちまったのさ。
 互いに言葉一つ発さなくとも、徐々に近づく叔父のしたり顔が、ありありとそう語っていた。
 ……講堂内に木霊する叔父への喝采は、そのまま此方へのブーイングと同義だろう。ほんの少し前の自分なら、此処より先に|登壇《すす》もうと思わなかった。
 だが。今は。
 息を整え、意を決し、ふいと隣に目をやると、そこにはよくよく見知った逆十字のタトゥーシールと、不敵な笑みがあった。
 互いに頷き、黒き和の装いにて、空へ大きく羽搏くが如く、ばさりと羽織を翻し、二人が挑むは由緒正しき静寂の家の掟に伝統、決して見えずの、しかし大きな無形の|障壁《かべ》。
 その足取りに迷い無く。堂々、叔父の勝ち誇った笑みとすれ違い、瞬間、
「――何? まさか、お前はあの時の……っ!?」
 アダンの|逆十字《かお》を視界に入れた叔父が酷く動揺する。かつて異なる世界にて刃を交わした|警視庁異能捜査官《カミガリ》と、今、この場所で|邂逅《でく》わす事など完全な想定外だったのだろう。
「フハハッ! 先ずは重畳! 恭兵、征くぞ! 此の歓声を、叔父の顔色を、俺様達の手で塗り替えてやろうではないか!」
「ああ。征こう、アダン!」
 かくて二人は舞台に登り、数多の静寂と対峙する。


 第三者としての私見だが、今の静寂の本質は、恐らく『停滞』なのだろう。己が|出番《とき》を待つ間、アダンは眼前に居並ぶ静寂達を見渡した。
 数十年続くこの世界の黄昏は、古くからある名家すらをも知らずの内に蝕んで……故にこそ、碌でも無い邪道を肯定する冬路の扇動にも容易く飛びついてしまう。
 |恭兵《あいぼう》が舞台の上に姿を現せば、つい先ほどまであれほどあった熱気も歓声も、即座冷え冷えあからさま、歓迎されざる空気に変わる。
 しかし、そんな会場の有り様とは対照的に、大半の観衆が、敵意や悪意……それらに類する攻撃的な感情は然して抱いていないと、アダンの内より静寂を覗く結斗が云った。代わりに大きく渦を巻いているのは、羨望と、嫉妬と、焦燥と――そして。
 恭兵が何かしら言葉を一つ紡ぐ度、講堂のあちらこちらから、ひそりひそりと|批判《こえ》ならぬ|非難《こえ》がアダンの耳朶を打つ。『稀代の』『癖に』、『稀代で』『あるにも関わらず』……概ねは、そのような。
 だが。賞賛しながら同時にけなす、吐き出されたその|揶揄《こえ》達の致命的な歪さに、どれだけの|静寂《ひと》が気付いているだろうか。
 そも。身代わり人形……真白の椿を愛する事が静寂として不適格だと云うのなら、諸共に放逐なりをすれば良い。歴史ある家の品格とやらを保つにはそれが一番だろう。さりとてそうはしないのは――。
 ――家の今を変えてくれる……静寂さんにも、そんな期待をしているから。
 『期待』。渦を巻く感情達の最奥、最後の一つがそれだろう。
(「フッ。|大渦《そこ》に|期待《それ》が在るのなら、此方の勝ちの目も確かに有るという事だ」)
 場違いの、異物を見るような静寂の眼差し。無意味な脅しだ。アダンの恐怖心など|最初《ハナ》から|欠落《か》けているのだから。
 無言に想いを問う。その寂寞たる懊悩の時を経て、|覇王《アダン・ベルゼビュート》は此処に居る。
 唯一無二の相棒が、愛するひとの為に抱いた強き意志。静かに燃ゆる、しかし決して消せぬそれ。
 そんな覚悟を見せられて、全身全霊で援けぬ理由が何処に在ろう。


 『人形狂い』、『放蕩稀代』。口さがない嘲笑に曝されながら、それでも恭兵は叔父の邪道を否定し、例え今に一筋の光明すら見出す事が出来ずとも、決して違えず√能力者としての正道を歩む事の尊さを強く説く。
 あの時。破壊され尽くす庭園の只中で、叔父が投げ掛けてきた言葉の悉くは、恐ろしい程に図星だった。
 しかし今でも恭兵の本質は変わらない。恭兵が生きる理由こそ、白椿なのだ。故に静寂の内の政、例えばこの家を誰が継き、どのようにその権勢を振るおうとも、何も変わらず、知った事では無かろうと、これまでずっとそう思っていた。
 けれど白椿が囚われた今となっては話が別だ。諾々と静寂の歯車をこなす日々は、同時、そこから抜け出すために足掻き、藻掻き、煩悶する、思考錯誤の日々でもあった。
 彼女の手を取り隙を突き、何処かの√へ逃げてしまおうと、そう夢想した事など幾度有ったろう。或いは、強引にでもそうしようと動いていたのなら、成し得ていたのかも知れぬ。
 だがそれは結局、自分だけが満たされる、情け無い|我欲《エゴ》だろうと己を律した。真に彼女を想うなら、為すべき事は静寂からの逃避じゃない。
 静寂という名の鳥籠が、彼女を囚え封じるが、皮肉にもその縛めこそが彼女の身を護ってもいる。怪異・簒奪者……脅威の類とて、易々と√能力者が集う此処に殴り込みを掛けて来はすまい。そして万一――自分の目が黒い内はそんな危険にさらすつもりなど毛頭無いが――白椿が何かの弾みで|損傷《けが》をしても、静寂が|健在《あ》るならば、宛ら人がそうする様に正確な治療が受けられるだろう。
 ……もしも静寂が無くなれば。先の空想同様に、それが脳裏を過った時もある。叔父の主導とは言え、白椿を屋敷の奥に仕舞い込んだのは、当時の静寂の総意であった筈。
 しかし。自分が静寂として生を受けなければ、白椿やアダンとも決して巡り合う事は無かった。
 静寂にとって、自分は稀代。自惚れでは無く、宝刀・曼荼羅を未だ託されている事実こそがその証左。
 ――ならば、自分にとって静寂とは?
 ……唯一確たる事を述べるなら、血肉や臓腑の如く、静寂・恭兵と言う一人の人間を語る上での不可欠の要素に相違なく、
 故に|血肉や臓腑《静寂》が|簒奪者《叔父》の手によって腐り果てようとしている現状には、単純に嫌悪の情を覚えた。
 為すべき事はその前に、静寂の|政《それ》に立ち向かうこと。
「……良くある訓話や説教で、善性を無条件に褒めそやすつもりは無い。だが人から奪い、踏み躙って、恨みを買う事を肯定するやり方には、いずれ必ず――逃れようの無い因果が巡って来るだろう」
 壇上から、射抜く様に、宣告する様に、叔父を睨んだ。叔父もまた恭兵へ鋭い視線を返す。壁に寄りかかり気楽を装うその所作に、昼行燈の面影など微塵もない。
 叔父を討てば日常は得られる、が、それだけではまだ|仮初《はんぶん》。
 もう半分を得る為には、静寂の掟と伝統に居座り、白椿を囚える『鳥籠』の概念を破壊しなければならない。
 それを成し遂げるには此方の|賛同者《みかた》が不可欠で……今回はその第一歩。この場に集まった皆が皆、叔父に流される者達ばかりではないと信じつつ。自らの立ち位置を強固に、頑迷な静寂の家を動かす程度の|発言力《ちから》を蓄えなければ話にならぬ。
 ならばこそ。
「そして。この度は私に応じてくれた、掛け替えのない|相棒《とも》を皆に紹介したい」
 此処は遠慮なく、一番初めに自分を信じてくれた、アダンの力を借りよう。
 静寂の人間であるのならば、きっと理解するだろう。叔父に圧される事無く渡り合う技量を持つ、アダンと言う存在の力強さを。


 刻は来た。
 アダンは己に注がれる奇異の視線やどよめきの、その一切を弾き前へと一足歩み出て、決して揺るがぬ威風に満ちた黒き和装の立ち姿。
 何時もと異なる装い、何時もと異なる戦場。此方側の勢力を増やす為の静かなる戦い――しかし此れもまた、幾多存在する闘争の一形態なのだ。
 ならばその場に相応しき|戦術《やりかた》を吟味するのもまた戦の醍醐味。
「――私の名はアダン・ベルゼビュート」
 さあて静寂のお歴々、我が一挙一動を篤と御覧じろ。只、吼え猛るばかりが覇王に非ず。
「先程、紹介に預かった通り……恭兵の相棒として、此の素晴らしき場に立たせて頂いた次第」
 凛と通った|発音《ことば》の隅々に威厳を乗せて、淀みなく、
「恭兵が望む『静寂家の発展』を叶える為、そして、相棒として並び立つ為に日々、研鑽を積んでいる者である」
 灰の瞳に自信をみなぎらせ、
「故に、私は静寂・恭兵に賛同する。同じ志を持つ者であれば、私の力を尽くして、悪意から護ってみせる」
 刹那、二人が陣取る壇上に、気高く咲き誇るのは魔焔の竜胆。優しく煌くそれは、講堂内の淀んだ空気を掃くように、一陣風を巻き起こす。
「この身、生まれの異なる外様だとしても――静寂の名に恥じぬ活躍を約束しよう!」
 そして合図をしあった訳でなく、互いに『相棒ならばこの場面でそうする筈』と必然に、同時、それぞれが携える黒百合の舞扇を大きく開く。
 これもまた戦術の一つ。全く同様の物を持っていれば、恭兵が告げる『相棒』という言葉に信憑性が高まるであろう――と、アダンはそう思索を巡らせながら、舞扇で口元を隠しつつ、恭兵へ微笑み掛けた。
 それを認めた恭兵はその時、登壇してより今初めて呼吸をしたかのように、大きく息を吐き出すと、アダンへ朗らか笑みを返し――。


「――全く。下手な芝居だよ」
 再び空気がじわり濁りだす。無遠慮に風を裂き、飄々と嘲るそれは冬路の声音。
「甥っ子が何処で拾って来たのか知らないが……そこの、逆十字の男は静寂に牙剝く存在だろうさ」
 そう腐し。騙されるなと周囲へ説く冬路。それを聴いたアダンはほう? と目を細める。
「此れは随分と不躾な。私と貴方は『今日この場で初めて顔を合わせたに過ぎぬのに』、何を根拠にそう仰るのか?」
 あからさまな大嘘だ。しかし冬路はそんなアダンの問い掛けに、即座答えを返せず……成程、下手につついて、自らの『所業』が露見するのは不味いのだろう。それは即ち、賛同者こそ多いが、無理矢理此方を叩き潰すだけの|発言力《ちから》は未だ持ち得ていない確たる証拠。
「……瞳だ。幾つかの鉄火場で似たような眼つきの奴を見た事がある。お前さんのそこに宿る輝きは、己が信念のみに殉じる者が放つ特有のそれだ。静寂の掟や家風とは、相容れない」
 逡巡の末、苦々しげに言葉を吐き出す冬路。
「何を云い出すかと思えば。その信念こそが、静寂に――静寂の稀代に与する事を良しとした。それは我が心の裡の厳然たる真実。謗られる道理など、微塵も有りはしない!」
「――はっ! 恭兵よう、こんな跳ねっ返りを引き連れて、邪道だ正道だ尤もらしいハナシをあれこれ捏ねちゃいるが……お前の目的は結局、あの傀儡人形だろうが」
 叔父が叫ぶ。かつてのように恭兵の図星を突いて、大勢の静寂の前で断じようと言う魂胆なのだろう。
 それに対し恭兵は――。

「そうだとも」

 はっきりと。ただ、ありのまま、凪の海の如き穏やかな心境でそう肯定した。
「――――っ」
 目論見が盛大に外れたからか、叔父は言葉も失い、剣呑さからも昼行燈からもかけ離れた、今まで見た事も無かった|驚愕《かお》を晒す。
「俺が何より得たいのは、白椿の自由。愛する彼女と共に生きる為なら何であろうが厭いはしない。彼女の自由が静寂の存続在って初めて成り立つモノならば、俺は全力でそれを守護する……『人形好きの愚かな男』だからこそ、俺は、俺の正道で静寂の未来を切り拓く」
 警視庁異能捜査官として。星詠みに導かれ、絶えず簒奪者を退ける√能力者の一人として。そして何より――静寂の稀代として。それを誓う。そう断言した。
 ……恭兵の覚悟に当てられて、静まり返る講堂内。
 間近でそれを傾聴していたアダンは会心の笑みを浮かべ、大満足で頷いた。
 静寂・恭兵はもう、静寂家の歯車などでは無い。この場に集いし数多の静寂達も、それをありありと思い識っただろう。

「……ふん。人形越しとは言え、初めて|静寂《こっち》を見た事だけは褒めてやる。だがそれ以上を語るなら、恭兵。先ずはお前自身の『|宿縁《ようじ》』を片付けな」
 出来るものなら、な。そう言い捨てて叔父は独り講堂を後にする。
 
 正道と邪道。誰の目にもその勝敗は明らかだった。


「有難うな、アダン。今日の事は本当に……恩に着る」
「……フハッ、それはお互い様だろう――と。前にも何処ぞで似た様なやり取りをしたような気がするな?」
 暮れなずむ静寂の庭園にて、集会から解放された二人は暫し寛ぎ語り合う。
 第一歩目としては上々だったろう、そう振り返っている内に、ただ、少しだけ気になる事があると神妙な顔でアダンは云った。
 ――沈黙こそが最適解にも関わらず、あの男はもしや、舌戦に応じる事で途中から此方側を援護していたのでは無いか、と。
「まさか――」
 そんな筈は無いだろう、恭兵がそう言いかけた瞬間、二人のモバイルがけたたましく鳴り響く。
「カミガリに暇は無し、か。アダン。|怪異殺戮装備《きがえ》の用意は――」
「無論。万全だ。丁度良い。鈍った体を解すとしよう!」

 そうして二人が何時もの業務に戻る――その前に、恭兵は暫し立ち止まり、とある方角にじっと目を遣った。
「……其の視線のずっと先に、真白の椿が囚われているのだな?」
「ああ。だが今は――」
 敢えて背を向け、武器を手に取る。

 どれほど其処が遠くとも。
 無二の相棒と辿る正反対のこの|方角《みち》こそが――白椿の自由に繋がると信じて。
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