影繋ぎ
――――しゃん。
顔のない猫が振り返る。立花・晴(猫飼い・h00431)は猫に微笑みを返し、ゆったりとした足取りで着いて行く。
此処はどこだろうか。縁日にいたと言うことは理解しているが、きちんと着いて来ているのかと息をこぼす猫の尾を見ているのだから、触れ合う肩の主など目にも留まらない。留まった所でそれがひとなのか、怪異なのか、はたまた妖怪なのかの見分けはつかない。
ああ、ほら。今し方触れ合った女の首は、たぶん長かった。常夜のものは夏の夜には増えやすい。少し前で鳴く子が言うのだから、きっとそう。楽し気な祭囃子を近くに聞き、けれども振り返る事はしない。
人間は猫と違って足が遅い。しかしながら、晴は猫よりも大きく、否。人間の中でも大きな方なのだから、猫のように軽やかに歩を進めることは出来ないのだ。溜息にも似た声でにゃんと猫が鳴く。まあ、仕方ない。
とん、と。誰かが肩を叩く。思わず振り返りそうになるのを、先を行く影に低い声で止められた。
『にゃあ。』
「……はいはい、仰せの通りに。」
猫曰く、目が合うと縁も紐づいてしまうから、余所見をせずにしっかりと着いて来るように。とのことらしい。今し方、己の肩を叩いた誰かが、偶然通りがかった知り合いだったにしても、周囲にひしめく数多の気配が隙を狙っていることには変わりない。
縁とは不思議な物で、表面上はぷつりと切れてしまっても、視えない糸はちょっとやそっとのことでは切ることが出来ない。強固に結びついたそれは、晴が脆い生を終えたその先でも、いのちよりも永く続いて行くのだから厄介だ。縁を無理に切ろうものなら最悪己や周囲に厄が降り注ぐ。
次第に周囲の気配も消え、月明かりが足元を照らす。賑やかだった林道を逸れ、藪の中へと足を踏み入れると、己の呼吸よりも草木を踏みしめる音の方がやけに響く。視界は悪い。時折、引き留めるように枝が己の衣を掴むのを、丁重にお断りをしては先に進む。器用に進む猫に続き、漸く辿り着いたそこには廃れて壊れてしまった祠があった。
嘗ては誰もがこの場を訪れたのだろうか。しかし、嘗ての面影は残っておらず、常ならばあるはずの仏像は深い緑の苔にまみれ、足元に転がり落ちている。最早この祠には誰も手を合わせない。そしてここには、何もいない。
忘れ去られた存在を前に、細くさしこむ月の光りを浴びて、晴は膝をついた。
――――しゃん。
澄んだ音色が響く。大切に抱えた鈴を祠に奉納し、晴は瞼を閉じては両手を合わせる。このような姿になっても未だ、林道を護るこの祠への感謝を胸の裡で述べる。
猫曰く、この地には強大な力を持つ山の神が居たらしい。足場の悪い林道を護り、時に旅人の羽を休める場として、神は人間たちと共にあった。しかし、信仰心が薄れてしまえば、強大な力も弱まる。今となっては、この林道を通る者も少ない。縁日を開いているとはいえ、神の力がなくなってしまったこの地は、近いうちに枯れて死んでしまうのだろう。
「それでこの鈴……。」
『にゃあ。』
その通りだと、満足そうに笑う猫がいた。
気休め程度ではあるものの、枯れかけたこの地に恵みを齎すことができるかもしれない。出来るならこの祠を元にもどしてやりたいが、それは難しそうだ。しかしながら、いつかまた縁を繋ぎ、いのちの巡るその日が来ればいい。
いつかを想い、空を見上げたその時に夜空に大輪の花が咲く。遠くに人の気配を感じながら、晴は影の猫と共に花のうつろいを見上げる。
細い線の灯火が、夜の空で花開く。瞳に花を映す晴の傍らでは、芽吹いたばかりの新緑が、夜風を浴びて揺れている。
にゃあ、と影が笑った。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功