生物部、夏の生物観察合宿
「うーみーにゃー!」
ささめくような潮騒と夏の暑気を吹き飛ばしそうなほどの元気な声。
空は雲一つない晴天、加えて今日は酷暑の気温もエアポケットのように丁度よい具合。
今回の『異世界√生物部』総出の海水浴合宿の立案者でもある瀬堀・秋沙は、ひときわテンションが上がっていた。
懐かしい|故郷《ボニン》の小笠原を思い出しているせいもあるのだろう。
そんな姿に、トパーズ・ラシダスは仏頂面で肩を竦めて呆れてみせる。
「ったく、着いたばっかだってのに秋沙の奴ははしゃぎすぎじゃねーの?」
「俺はどうも落ち着かんな……海なんぞ滅多に来んで、こうもだだっ広いとそわそわするじゃんね」
生まれも育ちも山奥の玖老勢・冬瑪は、言葉通りむず痒そうに気もそぞろ。
無論、自らが率いる部活の仲間と一緒にお出かけするのが楽しくないはずはないので、決して不安を抱いているとかではない。ようは慣れの問題だ。
「案ずるな。今日一日、我がトラブルのないよう|確《しか》と見張っておくゆえに」
ひときわ目立つ風体の和紋・蜚廉だが、部内の立ち位置はどちらかといえば保護者側。
海という非日常的環境でも、どっしりと落ち着いている。もっとも、ある意味本人が一番際立った非日常の塊と言えなくもないが……。
「これが海なのねー! お船は何処かな? お魚は? 早く見てみたいかも!」
対照的に、明らかに浮ついているのはコルネリア・ランメルツだ。
抜きん出て高い背丈はつま先立ちするとさらに目立ち、片手でひさしを作ってキョロキョロと好奇心たっぷりに周りを見渡す。
「もしかして、コルネリアさんは海が初めてなの? じゃあ、楽しい思い出作らないとね!」
実はちょっぴり緊張していた瑠璃・イクスピリエンスは、秋沙やコルネリアの無邪気ぶりに当てられてややリラックスした様子。
「私は海沿いの街で暮らしてましたけど……こうして誰かと揃ってお出かけするっていう意味では、私も初めて……です」
むしろ環境的には慣れているはずの門音・寿々子の方が、いつもより若干内向的に見える。
おそらく、筋金入りのカナヅチなせいで色々苦い記憶を思い出しているのだろう。
「ふふふ、キミたち……今日の目的は海そのものではなく生き物! そして、食べることッ!
海に感動するのもいいけれど、探索するなら岩場もいいぞー! ちょっと歩けばビオトープもコロコロ変わるからね!」
待ちに待った合宿の日がついにやってきた、ということで、凶刃・瑶は逆にいつもよりテンションが高い。
放っておくと、今この場で生物に関するウンチクをマシンガントークしそうな勢いである。
「凶刃さん、もう食べること考えてるんですね。まあ夕方のバーベキューも楽しみですけど!」
日南・カナタは少し苦笑気味にツッコミを入れた。
今日の予定は二班に分かれて、それぞれ別の環境に棲む生物の観察や採集を行う。
その後合流し、夕食としてバーベキューを楽しむ……というのが大まかな流れになっている。
「瑶殿にとっては全ての生物が推しみたいなもんっすよね、気持ちはわかるっす。
それに、海ってことは魚介類食べ放題っすからね! 今からやる気湧きまくりっすよ!」
深見・音夢もその勢いに乗せられ、拳を握りしめて闘志と食欲をメラメラ燃やした。
「コルちゃんは早速船が気になるにゃ? もちろん、|猫《わたし》がチャーターしておいたにゃ!」
「流石だね、あきちゃん。お船、早く来ないかなー」
企画立案者の面目躍如といったところか。秋沙はウキウキ心待ちにするコルネリアの反応に、腰に手を当てドヤッと胸を張る。
「そのまま釣りも出来ちゃうんすよね? まあボク、やったことないんすけど」
「海はないけど、川釣りはやったことがあるから任せてよ! ヌシだって釣果にしたからね!」
「へー! それは頼りになるっす! 今から腕が鳴るっすね!」
音夢からの尊敬の眼差しに、瑠璃は海に漕ぎ出す前から得意満面である。
「我らは岩礁で生物採集、であったな」
蜚廉の確認に冬瑪がこくりと頷く。
「こちらは瑶さんとカナタさんについてって、勉強させてもらうとしようかに」
「触れたら危ない生き物のことぐらいは調べてきましたが、それ以外は私も全然です」
寿々子が控えめに同意した。
「えっ、凶刃さんはともかく俺も!? そう言われるとプレッシャーかかるなぁ……」
「わははは! なあに、どんど大船に乗ったつもりで任せておくといい。まあ船に乗るのは|秋沙や瑠璃たち《あちら》の方だけどね!」
「まー、バーベキューのメインはそっちに任せる感じになりそうだなァ。岩場って食えるような|生物《ヤツ》いンのかよ?」
生物観察に興味はあれど肝心の知識はひよっこレベルのトパーズだった。
そうこうしていると、桟橋の方角から徐々に大きくなるシルエット。
「にゃ! あれにゃ! 猫がチャーターしたグラスボートが来たにゃー!」
秋沙はピコピコと猫耳を動かし、飛び跳ねて船の到着をアピールする。
「そう跳ね回らなくとも、我にも見えている。では早速別行動といったところか」
保護者組らしく、落ち着いてそれとなくグループ分けを促す蜚廉。
「わたし、お船が停まるところ見てみたい! ロープをひっかけるんでしょ? わたしが出来るのかなー」
「あれはもやい結びといってね、ロープの結び方が独特なんだ。それを知らないと危ないかもしれないよ」
と、コルネリアを瑶が諭す。
「それじゃあ冬瑪殿、生物部部長から一言お願いっす!」
「む? そうだなー」
音夢に水を向けられた冬瑪は、顎に手を当てて少し考える。
そして一同の視線が集まると、ニッと笑ってこう言った。
「漁港の皆さまや他の観光客の方々に迷惑をかけないように、はしゃぎすぎないこと。
それはそれとして、今日一日の楽しい合宿を全力で謳歌して、たくさん生物観察しよう!」
「はーい! 新入りですけど、負けないぐらいがんばるよーっ!」
瑠璃は日射し避けのサングラスがズレる勢いで、一番に勢いよく手を挙げた。
「が、頑張ります……最低限、怪我とかはしないように……」
寿々子も控えめに、おずおずと軽く片手を挙げる。
「じゃ、バーベキューまで一旦別行動だ! そっちの釣果、楽しみにしてるね!」
「「「また後でー!」」」
カナタの言葉に応じるかのように、一同はお互いの班との少しの別れに手を振った。
●SIDE-A:グラスボートで海の生き物観察&海釣り挑戦!
所変わって海辺の桟橋。
グラスボート班になった秋沙・瑠璃・コルネリア・音夢の四人は、ぷかぷかと波間に揺れるボートへ乗り込むことに。
「コルちゃん、落ちないように気を付けてにゃ。船は意外と揺れるからにゃ!」
「万が一の時はボクが支えるから、安心してね!」
先にボートに乗り込んだ秋沙が手を差し出し、後ろに回った瑠璃が万が一に備えてサポート態勢だ。至れり尽くせりである。
(「僕こそ落ちた時が洒落にならないから、気をつけないと……」)
その後ろで、音夢は黙って海面を見つめる。
実は彼女はネムリブカという鮫の一種が土台になった怪人――だが、その真の姿は仲の良い生物部の面々にも、誰にも決して明かしていない。
そして|擬装《いまのすがた》では、反転したかのごとく寿々子のように完全なカナヅチなのだ。海に落ちてしまえば、楽しい生物観察の時間が台無しになってしまう。
「…………」
秋沙が耳を跳ねさせながら、その様子を盗み見ていることには、音夢は気付かなかった。
「それじゃあふたりとも、力を借りるね」
コルネリアはあまり不安のない様子で言い、尻尾が邪魔にならないよう身体に巻き付けてそっち足を踏み出す。
女性としては長身な身体と硬質な尾の重量で、ボートが僅かに揺れる。
「よいしょ……っと」
「……ふー!」
無事コルネリアが乗り込んだのを見て、緊急事態にならずに済んだ瑠璃は麦わら帽子の下の汗を拭う。
「にゃっ! それじゃあ次は音夢ちゃんにゃ!」
「……はいっす!」
「おおっと、まだ油断は禁物……!」
瑠璃は再び少しだけ腰を落として準備モードに。
「大丈夫っすよー、ほいっと」
音夢は気さくに笑い、秋沙の手を取ってボートへ乗り込んだ。
「よかったぁ! それじゃ、ボクもっと!」
「にゃっ!?」
最後に瑠璃がぴょんと軽く跳んで乗り込むと、ボートがひときわ大きく傾いた。
「「「「……セーフ!」」」」
謎のアイコンタクトをする四人に、出航待機中の操舵手さんは朗らかに笑っている。
「じゃ、出発しますのでお座りください」
ほどなくして、グラスボートはしめやかに桟橋から離れていく。
「うわー! 動き出したー! 出港だー!」
瑠璃は大きく身を乗り出し、少しずつ強まる潮風を浴びてテンションアップした。
「すごい。ほんとに浮いて動いてる! なんだか不思議な気分……」
「それもそうっすけど、一番はこっちっすよ! こっち!」
音夢は親を急かす無邪気な幼子のように目を輝かせ、ボートの中央に設置された長方形の仕切りの中を指差す。
「? これがなんなの?」
コルネリアは首を傾げ、促されるままに仕切りの中を覗き込んだ。
そこにはグラスボートの所以、ガラス張りの船底を通した海の様子が広がっていた。
「わあ……!」
まだ港を離れてすぐなので、観察といえるほどの魚類は見当たらない。
徐々に上がるスピードによってかきわけられた水中は泡立ち、眺めとしてはまだまだ準備段階といったところだ。
「すごいっす、船の上なのに海の中が見えるっすよ!」
だが海が初体験のコルネリアと事情が事情ゆえに泳ぐことも出来ない音夢にとっては、まさに滅多に見れない光景なのだ。
「……!」
その姿をこっそり眺めていた秋沙は、早くも嬉しくてぺかぺかの笑顔満面になっていた。
自腹を切ってチャーターした甲斐があったというものだ。
「秋沙さん、なんだか妙に嬉しそうだね?」
船の外の光景に夢中になっていた瑠璃が、それとなく話しかける。
「にゃっ! 猫は今回、色々陰謀を企んでいたにゃ。それが見事に上手く行ったからにゃ!」
「あはは! 陰謀かぁ……早くも企画者冥利に尽きる、ってわけだ」
「そう言う瑠璃ちゃんは、海釣りしたことないって言ってたよにゃ?」
「日焼けが苦手で、海に遊びに出たことがほとんどなかったんだ」
すっかりはしゃいで馴染みきっているので目立ちにくいが、瑠璃はれっきとした吸血鬼である。なぜかクマ耳が生えてるけども。
「でも、こういう楽しみ方もあるんだね!」
「にゃっ! それなら瑠璃ちゃんもグラスボートの景色を楽しむといいにゃ!」
「うん、喜んで!」
瑠璃はにっこりと笑って頷き、音夢とコルネリアに混ざって船底を覗き込んだ。
しばらくして沖合に出ると、魚群がいそうな海域でボートが速度を落とした。
「このあたりならおさかなもいっぱいにゃ! 見つけられたにゃ?」
操舵手の方と色々と話していた秋沙が、三人のところへやってくる。
「はっ! 水中を覗き込むのに夢中で、魚のことを完璧に忘れてたっす!」
「そうだ、コルネリアさんは船酔いは大丈夫かな?」
「うん、三半規管が強いおかげかな。ちょっと心配だったけど大丈夫だよ」
コルネリアはケロッとした顔で頷いた。
「むむむむ……おさかな、どこにゃ~」
秋沙は仕切りにしがみつき、尻尾をパタパタさせながら目を凝らす。
「あきちゃん、ガラスが張ってあるとはいえあんまり身を乗り出すと落ちちゃうよ?」
「妥協は出来ないにゃ、バーベキューを豪華にするための戦いなのにゃ!」
「そっか、魚を見つけないと釣るどころの話じゃないっすもんね!」
音夢ははたと我に返り、秋沙と肩を並べて目を皿のようにする。
「どこっすか、美味しそうな魚……! 出てくるっす!」
「ふたりとも観察よりバーベキューのことに考えが行っちゃって……あっ!」
くすりと笑い視線を落としたコルネリアは、ガラスの一部を指さした。
そこを、クリアな海水の中を小粒の白星がいくつも集まり流れていった。
「にゃっ! スズメダイにゃ!」
魚介類に詳しい秋沙が一番に声を上げた。
どちらかといえばもう一つの班が向かった岩礁地帯のほうで見受けられやすい浅場の魚だが、どうやら運良くこちらでもお目にかかることが出来たようだ。
「あっちには青い群れもいるっすね!」
「一匹一匹は思ったより小さいかも。食べられるのかな?」
「釣り人には嫌われがちだけど、美味しいって聞いたことがあるにゃ!」
とコルネリアに答える秋沙の口元からは、涎がたらり。
「綺麗な上に美味しいとか、欠点なくないっすか!? なんで嫌われてるんすか?」
「餌を選り好みせず何でも食べちゃうから、堤防釣りだと避けられがちらしいにゃ。パパが言ってたにゃ」
「へえー! 秋沙さんが海に強いのは、お父さん譲りなんだ!」
三人から感心と尊敬の眼差しを受け、秋沙はさらにぺかぺかな笑顔でふんぞり返った。
「あ! あっちはイワシの群れ!」
今度は捌いた経験のある魚がやってきたので、コルネリアにも分かったようだ。
「またまた美味しい魚の登場じゃないっすか……! ここ、宝の山か何かっすか!?」
「音夢さん、涎出てる涎」
「おおっと……ボクとしたことがテンション上がりすぎたっす」
瑠璃に指摘され、音夢は照れながら口元を拭った。
「サンゴも見えるにゃ。もしかしたら隙間に隠れるタイプの魚がいるかもにゃ」
「運がよければイルカも見れるかもしれませんねぇ。今日は幸い濁りも控えめですから」
「「「「イルカ!?」」」」
思ってもない操舵手からの一言に、四人は一気に目を輝かせた。
「サ、サメは! サメはどうっすか!?」
「野生のサメはダイビングしないと難しいんじゃないかなぁ~」
「ぐぬぬぬ、歯がゆいっす……!」
「にゃっ! こうしちゃいられないにゃ、魚が逃げる前に釣りまくるにゃー!」
「あきちゃんのスイッチが入ってる……! わたしも頑張らなきゃ!」
「えっ、いや、見るのと釣るのどっち優先すればいいのかなぁ!?」
上がりきったテンションに任せて、流れるように釣りが始まった。
海釣りの経験者は当然秋沙だけ。コルネリアと音夢に至っては餌をつけるところからの教授となる。
「ふむふむ。ここをこー結んで、こんな感じで針にひっかけて……っと」
だがこれといった忌避感は特にないため、音夢の飲み込みは人一倍早い。
「そうにゃ。で、ビビッときたらキューっと巻き上げるにゃ!」
「ビビっと来たらキューっと、っすね!」
「それ、本当に参考になってる?? というか……」
一足先にキャストしていた瑠璃……だが、釣果なし。
「うーん、おかしい。ボク殺気が出てる? 海釣り、難しいなあ!」
「ねえ、さっきから引っ張られてるような感じがするんだけど、これって食いついてるのかな??」
さらっとコルネリアは当てていた。ビギナーズラックだろうか。
「猫もコルちゃんには負けてらんないにゃ! にゃあああーっ!!」
気合十分、秋沙は勢いよく投擲!
「…………」
ぽちゃん。そして、静かになった。
「まあすぐかかるわけないもんね……」
「ビビっときたらキュー、ビビっときたらキュー……(ぶつぶつ)」
「わわっ、わたしはまたかかっちゃった!」
「にゃーっ!? 猫が釣りで負けるなんて……にゃにゃにゃにゃ!?」
その時、秋沙の釣り竿にもヒット! だが引きが……強い!
「にゃああああ!?」
「「「わー!?」」」
三人は慌てて、引きずり込まれそうになった秋沙を支えてサポートするのだった。
一方その頃、岩礁地帯へ繰り出した生物採集班の様子はというと……。
●SIDE-B:岩礁地帯で生物採集&観察会
「このあたりは足場が悪い。滑落せぬよう注意せよ」
「滑るワケねーだろ、身軽さには自信があンだ」
蜚廉の言葉に軽く答えるだけあって、トパーズの歩みはスタスタと淀みない。
晴れた日射しに照らされた岩礁地帯はきらきらと輝くように濡れた肌を覗かせていた。
「その、岩だ!」
瑶はビシッと岩の一つを呼び指した。
「たとえば……そのあたりがいいかな。寿々子ちゃん、そ~っと裏返してごらん?」
「は、はい」
転ばないようそっと腰を落とした寿々子は恐る恐るといった様子で岩をひっくり返す。
すると岩の下に隠れていた小さなカニが驚き、カチカチとハサミを鳴らした。
「カニさんがいました……!」
「やっぱりね! どちらかというとカニは夜のほうが活動的で……うん、これはモクズガニかな? まだ小さいし、旬は秋から冬にかけてだから、これから健やかな成長に期待だね」
瑶はペラペラと自らの知識を披露する。そして、振り返り今度は別の場所を指さした。
「そっちの潮溜まりには、取り残された稚魚がいるはずだ!」
「潮溜まりってワクワクするよね~! どんなお魚が取り残されてるかな?」
カナタは興味津々といった様子で覗き込み、すぐに目当ての影を見つけた。
「玖老勢君! こっちこっち~!」
「おー? どうしたんだに?」
漁港を漂う枯れ葉や枯れ枝をタモ網で回収していた冬瑪が、釣果の入ったバケツを片手にやってくる。
「……これは、ゴミ回収をしていたのか?」
蜚廉がバケツを覗き込んで言うと、冬瑪は笑って首を横に振った。
「いいや、これは枯れ葉に擬態したツバメウオの幼魚なんだ」
バケツの中にはそれだけではなく、トビウオやグラスボート側でも目撃されたスズメダイなどの幼魚が泳いでいた。
「長物でこう、流れの緩いところを掬ってな? 海はてんでわからんでも、ドウグの扱いは慣れてるでのん」
「……へえ、大したもんだな」
横から覗き込んだトパーズの口ぶりは無愛想だが、その目は興味津々に稚魚が泳ぐ姿を見つめていた。
「で、カナタさん、何が見つかった?」
「いやー、さすがに幼魚は見分けるのが難しくて……でもほら、これとか見てよ」
カナタが指差す幼魚は尾びれをパタパタと動かしで泳いでおり、灰色の小さな身体には薄い縞が揺れている。
「これ、クロダイの幼魚じゃないかと思うんだ。育てたらまさに高級魚だよ……!」
「将来はなんになるのかわからない、か。はは、ロマンを感じるじゃんね!」
「ほほーう? カナタくん、私にも見せてくれるかな!」
耳ざとく話を聞きつけた瑶がササッと駆けつけ、幼魚を観察する。
「うむ! いい観察眼だ。確かにこれはチンに違いない!」
「……む? クロダイではないのか?」
蜚廉が疑問を口にした。
「魚は成長段階によって名前が変わるものもいるんです。正式な学名じゃないですけどね」
と、カナタが簡単に説明する。
「その通り! 古くから漁師たちが呼び親しんできた名が地方によって様々に残ってるんだ。
ちなみに「チン」は一番小さい幼魚を指す呼び方だったり、西日本だと「チヌ」になったりしているね」
「……ちなみに成長するとどう名前変わるンだ?」
トパーズが何気なく質問した。
「わははは、いい質問だ。それはもちろん大きくなったわけだから語彙が一つ増えてチンチ」
「よ、瑶さん!!??」
モクズガニを岩の裏にそっと戻していた寿々子がびっくりするぐらいデカい声を上げた。
「ん? なんだい寿々子ちゃん。あんまり大声を出すと稚魚たちが驚いてしまうよ」
「あ、はい……ご、ごめんなさい。それはそれとして今、あの」
「ああ! クロダイは出世魚で地方によって呼び名の変化が激しいからねえ。他にはカイズなんて呼び方もあるよ!」
「それは、いいんですけどっ。でも今、あの」
「うん? ああ、チヌの語源は大阪湾の古い呼び名である|茅渟《ちぬ》の海に由来するという説があるね」
「そうなん、ですか……」
「で、これが関東地方に伝来したのか、沼津などでは呼び名が微妙に変わってチンチ」
「瑶さん!!??」
「寿々子さんがあそこまで大きい声を出してるの、俺は初めて聞いたぞん……」
「うわっ、こっちはマハタの幼魚……!?」
「きっかけになった奴がもう別の稚魚に興味惹かれてンぞオイ」
高級魚ということで、カナタは完全に気が逸れていた。
それはそれとして、潮溜まりに取り残されているのは単なる出世魚だけではない。
蝶のように泳ぐことからその名がついた黄色の魚はチョウチョウウオ、そして鮮やかな青色のソラスズメダイといったカラフルな顔ぶれがこちらでも見受けられる。
「綺麗ですね……!」
寿々子は小さな命が懸命に生きている様に、ほうと息を漏らした。
「こういうお魚は死滅回遊魚って言って、冬は越せずに死んじゃうんだよね」
「え……そうなんですか……?」
「なら、持ち帰って飼ってみるかや? カナタさん、育成の難易度はどんなもんだろうか?」
と冬瑪が提案する。
「流石に設備を整えないとねー。とりあえず、それ以外の幼魚は海に返しておかないと」
カナタはクロダイやマハタの幼魚を掬い上げ、海に返していく。
「大きくなって帰っておいで~~~~っと」
「大物に育ったら設備どころの話ではないだろうしなあ」
冬瑪も興味はあったが、マナーに則り旅立っていく幼魚たちを見送るにとどめた。
「ん! これはヤドカリだ!」
瑶が持ち上げたそれを、トパーズが興味深げに見つめた。
「気になるかな? それじゃ、はい」
「っと」
反射的に差し出した掌の上に、ヤドカリが乗せられる。
「そのままそぉ~~~っと観察してごらん?」
「…………」
トパーズは気持ち息を潜め、素直に(仏頂面のままだが)ヤドカリを観察する。
すると、殻の中からにゅっと本体が現れ、動き出したではないか。
「ほら、可愛いだろ~? ヤドカリは名前が挙がりがちだけど、近くで観察できるチャンスは意外とないからね……!」
「……おー」
トパーズは小さく呟き、出てきた脚を軽くつついた。
するとヤドカリは外敵に襲われたと勘違いし、驚くほどの素早さで引っ込む。が、しばらく無言で見つめていると、またのっそりと動き出す。
トパーズはまたしても脚をつつき、ひょいっと引っ込んだのを見つめる。表情は変わらないが、無邪気に命を弄ぶのとは違う、純粋な自然に対する敬意と興味の感じられる眼差しに、瑶はうんうんと満足げに頷いた。
……その時である。
「う、うわー!! ひえー!!?」
「ひ……!?」
カナタの悲鳴が響き渡り、寿々子はびくりと身を竦めた。
「何事だ」
蜚廉が静かに言い、滑落したのかと考えてずんずんと近づいていく。
「タコ! タコがいたんだけど、触手が絡んで……おわー!!」
悲鳴を上げるカナタの服に、生きの良いタコが絡みついているではないか。
「おおお、生きとるの初めて見た!」
「カナタくんでかした!!」
浮足立つ冬瑪と目を輝かせる瑶が駆け寄る。
「是非採って帰ろう! 新鮮なタコはとっても美味しいからね!!」
「さっき死滅回遊魚がどうとか言ってたのとテンション全然|違《ちげ》ーなオイ」
生物を捕まえて育てることに関しては慎重なスタンスを取るトパーズだが、今日食べてしまうというなら話は別である。それは立派な責任の取り方だ。
なお、彼が持っているバケツの中には、チョウチョウウオなどの死滅回遊魚がこっそり泳いでいた。どうやらこちらもちゃんと責任を取るつもりらしい。
「やだきんもい~~! でも、負けてたまるかー!!」
「……暴れすぎて頭を打ったりするなよ」
諭す蜚廉の声音は若干呆れ気味のように聞こえなくもなかった。
それから岩場での採集を終えた一行は、瑶の提案で干潟へ。
「ここを見てほしい。泥に空気穴が開いているだろう? ここをスコップで掘ると……ほら!」
中から出てきたアサリをつまみ上げ、ご満悦。
「なるほど、こう使えばいいんですね……」
「運が良ければアナジャコの巣穴を掘り当てるかもね! そうそう、アサリは砂抜きしないとだから、採ったものはこのバケツに入れてほしい」
瑶はどすんとバケツを一同の中央に置いた。
「ちなみに暗くしてバケツの中を観察していると、目のように見える水管が伸びるところが見れるよ。たまにぴゅっと水を出すところも見れるはずだ。
ここでアサリを採り終わったら、今度は河口側へ行くよ。なにせ初心者向きかつ美味なテナガエビが掬い放題だからねえ!」
「凶刃さん、元気だなあ……俺もうへとへと……」
ぐったりしているカナタのシャツには吸盤の跡がくっきり残り、タコとの戦闘の激しさを物語っていた。
「ちゃんとガラス水槽の中で観察するのも忘れないようにせんとね」
そう言って、冬瑪はトパーズを見た。
「部で育てるなら、持ち帰れる子をちゃんと考えて選ばんと」
「……ん」
トパーズは無言で頷いた。部長は、ちゃんとお見通しなのだ。
●CONFLUENCE:いざ、バーベキュー!
あっという間に日が暮れ――夕方。
分かれていた二班は再び合流し、互いの釣果を披露しがてらバーベキューの調理に入っていた。
「|生物部《うち》は刃物の扱いが慣れとる人が多いから、こういう時は楽出来るよなぁ」
冬瑪はしみじみと呟いた。なお、その分健啖家も多いのである。
「お腹すいたにゃ! 猫のお腹がくっついてしまうにゃー!」
「くっつかねーからもう少し待っとけ。まだ内臓処理が終わってねェ」
「火起こし、おまかせするね。こっちのタコは何を合わせよっか?」
「タコ!? 海岸にいるんだ!? すごいね……! と、それはさておきマリネはどうだろう?」
「うんうん、いーね! 奈良残りは半分に分けて、ぶつ切りのお刺身とコルネリアさんの用意してくれたアヒージョに投入するのはどうかな?」
「いいっすねぇ、いいっすねぇ! 聞いてるだけでお腹空いてきたっす!」
「猫がぺしゃんこになっちゃうにゃー!!」
「ならねェっつーの。ほい、こっち終わったぜ」
「凄い……トパーズさんの刃物捌き、私も見習わなきゃ……」
調理班は和気藹々と、食べる組は虎視眈々と、それぞれの役割(?)を果たしている。
そんな風景を眺めていた冬瑪はというと、蜚廉とともに焼台で火の担当だ。
「……」
「蜚廉さん、物凄い気合入っとるね」
「……火と素材の呼吸。それを読むのが肝要だ」
「下手な戦闘より真面目になっとる気がするけど……まあ、頼りになるのはいいことだに」
夕暮れのなか、部員たちは思い思いにこの時間を謳歌していた。それが、部長としてこの上なく嬉しいのだ。
そしてほどなくして、釣果と買い込んできた肉類の準備が終わり、いよいよ焼き上げに。
「にゃっ! これは猫がみんなにお手伝いしてもらって釣り上げたスズキにゃ!」
「あきちゃん、海に落ちかけて大変だったね……」
てきぱきとお皿に取り分けていきながら、コルネリアが苦笑した。
「こっちはボクが釣ったイサキだよ。海釣りも歯ごたえがあって楽しかった!」
「ビビっときて、キューってして……アジ! 釣れたっす!」
と、瑠璃や音夢が釣果を披露がてら手を付けていく。何故か爆釣したコルネリアは、その他にも目撃したイワシなどを幅広く用意していた。
「では、みんな!」
冬瑪は一同を見渡し、パンと掌を合わせた。
「「「いただきます!」」」
それが宴の幕開けとなった。
魚が、肉が、焼き上がった端から忽然と消えていく!
「にゃっ! 美味しいにゃ! 釣りのあとに肉とかたまんないにゃ!」
「けど塩分もう少し多くてよくねーか?」
「駄目だ。塩は控えめ、焦げ目は多少。それが基本中の基本だ」
「えー? 今日一日動き回ったし塩分必要じゃね?」
「……塩辛さで口をすすぐ羽目になっても知らぬぞ」
蜚廉の忠告は、トパーズにとって手痛い教訓となって後ほど回収されたとか。
「はいはい、飲み物はこちらだよー! 火の番してる人たちは特に水分補給忘れないでね!」
と、瑠璃が紙コップを配って回り、とくとくと飲み物を注ぐ。
「ん~! 思った通り、とれたてのタコは身が引き締まっててぷりっぷり! 繊細な甘みもしっかり感じられて、絶品だね!」
ぶつ切りの刺身を堪能しながら、瑶はスキレットを片手に慣れた手つきでアサリの酒蒸しを準備していく。なお、テナガエビのほうは素揚げに少しだけ塩を振ってサクサク頂く感じだ。
「酒蒸しのコツとかってあるかな?」
コルネリアからの質問にはにやりと不敵な笑み。
「ふふ、身体の構造をしっかり理解することかな!」
「魚介類の話っすよねそれ?? 若干語弊なくないっすか??」
余ったお酒は音夢が頂く。もちろん嗜む程度だ。
「わー! こっちのお肉もう焼けてるよー! ほらほらお野菜も食べて~!」
カナタも手際よく配膳の手伝いをしていく。
「お肉も美味しい……命に感謝しないと、ですね」
「まだまだ焼くから、いっぱい食べてね。ちなみにデザートにスモアとフルーツポンチも用意してあるんだ」
コルネリアは寿々子からクーラーボックスへとちらりと視線を移す。
「え、デザートまであるんですか? 至れり尽くせり……!」
「アヒージョも美味い! はっはっは!」
バゲットを食べた冬瑪は、もう笑うしかないといった様子。
――笑顔。
賑やかな食卓には、10人の――トパーズと蜚廉は見た目はそうでもないが少なくとも心は――明るく屈託のない笑顔が溢れていた。
「みんなが笑顔で嬉しいにゃ!」
眩しいぐらいの笑顔の秋沙が一つ提案をした。
「記念写真撮るにゃ! 思い出の一枚にゃ!」
「ほい、蜚廉さん! 写真を撮るんだと! 一緒に写らんかね」
「……構わん。焼きながらでも、写りはするだろう」
冬瑪は莞爾と微笑み頷いた。火ばさみ片手で火の番をしながらの片手間だが、きちんと枠内に収まるように配慮してくれている。それが、喜ばしかった。
「焦げないように離れられないけど……わたしはここで大丈夫!」
同じく火の番をするコルネリアは、長身を活かして高めにピースサイン。
「それじゃあ私はここにしようかな?」
「私は、このあたりで……」
瑶は空いた場所で、少し端っこに移動した寿々子は控えめにピース。
「新入部員なんだから、イクスピリエンスさんはこっちこっち!」
「あはは……ちょっと照れちゃうね。じゃあお言葉に甘えて……」
カナタに急かされ、瑠璃は少し赤面しつつもピースサインを見せた。
「いえーい! さあ撮ってくださいっす!」
上機嫌の音夢は大きく口を開け、甲殻類もバリバリ噛み砕いてしまうギザ歯をギラリと鈍く輝かせる。
「にゃっ!!」
そして秋沙がその中に飛び込み――パシャリと、小気味いいシャッター音が響いた。
それから一同は、美味しいバーベキューに舌鼓を打ち……。
「まだにゃ! せっかくだから、今試しちゃうにゃ!」
なんと秋沙は元気よく箒に乗り、肉の刺さった串を片手に空へ舞い上がる。
勢いそのまま暮れゆく夕陽を追うように海辺を駆けると、徐々に青く染まりつつある空になお深い光を宿した夜光虫たちが驚いて光を放ち……現在進行形で移りゆく橙と黒の狭間、海の天の川とでもいうべき幻想的な景色が生まれる。
「みんなへのプレゼントにゃ!」
無邪気に笑う少女を、きらきらと輝き始めた星星が祝福するように照らす。夕暮れの終わり、宵の始まり、そこで彼女は自由だった。
「おぉ……! すごいね、ありがとうあきちゃん!」
「へェ……洒落たプレゼントじゃねーか。どうやってンだか」
「……賑やかというのも、悪くないな」
「うん。みんなのおかげで、忘れられない経験が増えたよ」
「夢みたいに綺麗な景色……絶対に忘れないです」
「腹が満たされさらに眼福……うんうん、海の恵みだねぇ」
「やっぱりさ、みんな一緒っていうのがいいよね~! 俺も一日楽しかったよ!」
「……海、こうして楽しめるならまた来たいっすね!」
各々がその贈り物に浸り、口々に感謝と喜びを伝えた。
そして最後に、部長がパンと手を叩いた。
「秋沙さん、みんな、ありがっさま! また合宿をしたいな――いや、しよう!」
その言葉に、否が出るはずもないのだ。
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