食えない相手
神薙・ウツロ(護法異聞・h01438)は√能力者である。√EDENを守護してきた歴史ある家に生まれて幼い頃から術に親しみ、長じてからは一人の術者として、そして√能力者として簒奪者への抵抗へと身を投じた。
√妖怪百鬼夜行にて能力者向けの互助会、『YellowDragon』を発起してからは会長として一癖も二癖もある√能力者を取りまとめつつ、自身も一能力者として古妖をしばいたり、また『奇妙建築』周辺の問題を解体したりしている。
これは、そんな彼の過去にあった出会いの話である。
『YellowDragon』発足から数年経ったころ、とある古妖と繋がりのある『奇妙建築』が話題になっていた。
その『奇妙建築』からは古妖の呪いが周囲に散らばって、近隣の者は気づけば深い眠りに落ち目覚めなくなるという。
早速調査に出て見つけた呪いの前で、ウツロは軽く足で地面を掻く。そこを起点に薄いモヤのような結界が生じ、呪いを広がらないよう封じる簡易結界となった。これで暫くは眠りの呪いも広がらない。徐々に周辺の人も目覚めていくはずだ。
「根本的な解呪は、元になる古妖を再封印すればいいかな」
今は被害が広がらないようにする一次対応の段階だ。ウツロは呪いを抑える結界を要所に貼りながら、噂の『奇妙建築』に向かっていく。
そして『奇妙建築』に到着したとき、ウツロはぐるりと建物の周囲を一周して少し眉を顰めた。これが噂の『奇妙建築』なのは間違いがない。けれど攻略には手がかかりそうだと唸ってしまう。
「どうしよっかなぁ。入れないんじゃ攻略もできないよねぇ」
この建物には入り口がない。ドアも窓も無く、あるのは柱と壁ばかり。こんこん、と叩いてみてもとても破れそうにはなく。
サングラスの覆い部分を上げてじっと『視て』みても、霊的にも何一つ隙間がない。入り込む余地もこじ開ける弱さもない。おまけに呪いがぐるぐる渦巻いて、ウツロも気を抜けば眠気を感じてしまいそうだ。
「核があればそこを封じて、とか……歪みがあれば無理矢理とかできそうなんだけどね」
そういった隙はどこにもない、綺麗な拒絶の形の『奇妙建築』だ。
どうするかと悩んだとき、ふと思い出したのがとある噂だった。この近くにある不思議骨董品店の店主が『奇妙建築』の中でも奇妙なものに詳しいと、以前猫又のお姉さんから聞いたのだ。
「そこに行ってみるのもいいかもね」
どうせ取っ掛かりがないのだ、期待はずれでも進捗は変わりはしない。羽織をひらりと翻し、ウツロは軽快に歩いていく。
馴染みの女将に挨拶をし、女郎蜘蛛の姐さんに声をかけ、狗神のお嬢さんを褒めながら、以前聞いた通りの路地裏を覗けば、確かに骨董品店が一つあった。
猫の形の看板には「ねこちぐら」と刻まれており、その下の藁で編まれた半円形のドームには猫が気ままに出入りしている。店の戸口を開けてくぐれば、老年の男性の声がかかった。
「いらっしゃい。ゆっくり見ていくといい」
男性は、カウンターで火の付いていない煙管を弄び、膝の上の黒猫を撫でながらカウンターに座っている。年は七十を超えたくらいか、背筋を緩めて猫に眦下げていた。髪は灰色、目は青く、太い縁のメガネをかけてにっこり笑っていた。
「どーも。ちょっと聞きたいんですけど」
「うん、厠ならそこの奥の扉だ。道は大通りの交番に行くといいよ」
「いやトイレでも道でもなくてね」
「お、なら孫に用かな? なら帰ってくるまで座って待つといい。ほら、どら焼きをあげようね」
「ありがとー。いやお孫さんは知らないけど」
「おお、お客かな。ならそれ食べてから店の中を見るといい。ひのやは餡子もうまいんだ。そのポットの番茶は好きに飲んでいいよ」
「はーい、いただきます」
「おすすめはそこの猫の札だ、鼠よけに効くやつ。効果は抜群だぞう」
ウツロの返事を気にもせず、にっこり笑った店主は猫を撫でながら明るい声で言葉を並べる。カウンター前の席に座ってどら焼きをかじりつつも、ウツロは首を振った。
「客だけど用があるのは骨董じゃなくてさ、お爺さんが猫宮・伊月さんで合ってる?」
「合ってる合ってる。じゃあ、最近噂のあれかな、『眠りの呪いを振りまく、入れない奇妙建築』」
「わぉ」
すぅ、と火の付いていない煙管を吸ってから店主こと猫宮・伊月は一人頷く。少しだけ変わった雰囲気に、ウツロは目を僅かに眇めた。
「君も知ってる通り、呪術にはよくある話だ。時間や方角、天気や自然の条件が一致したときに効果が発揮されるパターンがある。それと同じで、あれは『条件が合ったときだけ入り口が現れる』タイプだよ」
煙管を吸っては離し、伊月はつらつらと宙を見ながらウツロの知りたかった謎を語っていく。
「ひとまずの対処は君の得意な結界で覆っておけばいいと思うよ。|呪《まじな》いに近づかなければ眠くならないし、覆っておけば中に入らない限り眠らない。根本的対応としては、あそこをねぐらにする妖を起こして再封印だ。そしたら呪いも治まるよ」
「なるほどね。ねえお爺さん、私のことも知ってたのかな?」
ウツロは自己に繋がる情報を何も言っておらず、会話したのもたいした量ではない。けれどまるで以前からウツロを知っていたように語る伊月に、ならばどこからか事前に情報を得ていたのか、とサングラスの奥で笑みを浮かべてウツロは問いかけた。伊月は煙管を回して頷いてみせる。
「うん。会うのは初めてだけど、噂の能力者向けの互助会『YellowDragon』の元締めだよね? 青いグラサンに赤いネクタイ、白羽織に黒いスーツ。その目は金色で、ひととなりは飄々として掴みづらく、人を煽って笑いながらも情を捨て切らずに拾い上げる。厄除け、封印、そして縛る権能の結界を使いこなす√能力者。異世界のそういう場所にもツテがあるとか」
伊月は青い目をウツロに据えた。いつの間にか背筋はシャンと伸び、目の前の半分に満たない年の√能力者を見透かすように目を細める。
「東洋呪術に造詣が深く、その身を包む色で四神の縁を結び、手ふり足摺りだけで結界を繰り。中央に座すは神すら薙ぎ、他すら見通す黄龍、という感じかな。本気はだぁれも知らないらしね」
「はは、案外詩人? そこまで知られてるとちょっと恥ずかしいな〜」
「うん、言葉を尽くして奥さんを口説いた口だからね。存分に照れるといい、アラサー男の恥じらいもどっかには需要あるよ」
「いいねぇ、その下りは今度聞かせてもらうよ。需要もそのうちね。で、建物に入る方法は?」
「待ってる余裕があるなら、条件が合いさえすれば入り口が開くんだから、そこで突入すればいいさ。中は広くないし、しらみつぶしに探しでもすれば、君なら行けるだろう」
「いつごろ条件は合う?」
ウツロは笑いながら頭の中で現状の自身の手を考えてみる。できるだけ早めに解決したいが、数分後と言われたら目の前の店主にツッコミを入れかねない。数日は待てる範囲だ。
けれど伊月の答えは桁が違った。
「三十年後くらいかな? 十干十二支合わせて考えるとそのくらいだねぇ」
「え〜〜〜〜」
伊月のさらっと言った言葉にウツロは崩れ落ちた。流石に気の長い話である。
「もっと早くならない?」
「俺じゃなく妖に言ってほしいな。割とのんびり屋なんだと思うけど」
「流石に迷惑なんだよねぇ、結界貼り通しでも限度がある。その時間は、妖怪はよくても人には駄目でしょ」
顔をカウンターにくっつけながら見てくるウツロに、伊月は煙管をついと横に振った。
「あとは、そこの路地に直通の道があるよ。件の建物の中に一直線のやつ」
「そっちを早く言ってほしいな〜〜」
「こっちの道は一方通行だから、最初におすすめするのはちょっとねぇ」
「へー。でも出口が別にあるんだよね? じゃあそっちに行くよ。早く終わらせたいしね」
ウツロならどうにでもなるだろう。自身の力を、護霊を過信せず、けれど過小に評価もせず。自然な自信を持ってウツロは軽薄に笑う。伊月は猫を下ろして立ち上がった。
「うん。じゃあ行こうか」
「あれ、一緒に来る感じ?」
「その方が早そうだからね」
入り口の戸口の鍵を閉めたあと、ウツロについておいでと手招きした。
伊月を見下ろしながら、ウツロは裏口から出て路地を歩き、近くの家屋の庭に通じた戸口を潜っていく。
出た先はもちろん庭ではなく、どこかの室内。気配や空気を『視た』ら、先程ウツロが悩んでいた奇妙建築の中とすぐわかった。
そして、目の前には眠れる古い妖の姿。すぴょすぴょ気持ちよさそうに寝息を立てて、へそ天で寝ている古い妖、30cmほどの大きさの眠り獅子だった。
「とにかく寝てたい、という気持ちでここに住み着いているんだよね。時々封印が緩んで、周囲に眠りを振りまいている」
伊月は腕まくりして、手首を振ってほぐし。
「これから起こすから適当に弱らせて封印し直してくれ。じゃ、そういうこちで」
ウツロが何か言う前に、伊月は拳を突き出した。弧を描いた線は真っ直ぐに眠り猫に突き刺さり、ウツロの方へと飛ばしてくる。
「ちょ、いきなりは大変なんだけどなぁ」
ぼやきながらもウツロは拳に薄く結界を張って、ぎゃふん、と鳴きながら飛んできた獅子を上へと投げあげる。ぐるりと渦巻く呪いの源に触れないように結界で防ぎながら、拳の一振りで跳ね除けて、流れる動作ですっと足で床を擦った。動きにあわせて不可視の靄が落ちてくる獅子を包み、ぎゅうっと押しつぶしていく。
「ぎゃうん、ぎゅしゃー」
「はいはい、おとなしくしようね」
抵抗されて押し返される感覚はあれど、寝起きを急襲されたからか弱いものだ。ぽんぽんと埃を払う動作で事足りる。
「んじゃ、おやすみ。もう起きてこないようにね」
ウツロはすっと手をひと振りし、結界を完全に閉じた。こことそこを隔てた結界は世界を隔て、眠り獅子は閉じた結界に包まれて、再度封印されることとなった。
「お疲れさん」
「お疲れさん。いきなりは驚くんだけど」
「できるでしょ、これくらい」
ひらひらと手を振る伊月に薄く笑ってウツロも手を振り返し、その動作で補強に更に結界を貼っておいた。これで封印は暫くは安泰だろう。
獅子がいなくなったあと、部屋のドアをいくつか潜ればそこはもう、件の『奇妙建築』の前だった。眠りの呪いはどこにもなく、建物には入り口がついている。空はそろそろ日も傾いて、夕方になろうという頃合いだ。
ウツロは軽く背伸びして、何気ない感じで伊月に声をかけた。
「ねえ伊月さん。うちの情報屋にならない? 『YellowDragon』のさ」
奇妙建築や呪いにも詳しく腕も立つならば、縁を持っているのも悪くない。けれどウツロの誘いに伊月は首を振った。
「俺は情報屋業をやってないんだ。噂を集めてあれこれ推理するのが好きなただの骨董品屋の爺さんだよ」
「ただの骨董品屋の爺さんは呪いや奇妙建築の噂集めないし正解に近い推理しないし、妖怪に殴りかかったりもしないよね??」
「通ってる道場の師範も門下生も妖怪で、乱取りはいろんな姿の妖怪とするからね、慣れだよ。面白そうだけど、今は君のところのネットワークは遠慮しておくよ、隠居して暇になったら考えるさ。いつでも来ていいけどね」
にこにことしながらウツロの後ろの方へと伊月は歩きだした。ウツロの背中をすれ違いざまにぽんと叩いて歩いていく。
「じゃあね、ウツロさん。俺は帰るよ。そうだ、前当主と神奈木の長にもよろしく。あとあんまりナンパしていると本気にした子に刺され……ないか。うまく見極めているみたいだし。まあ、楽しい日々をね」
「はいはーい……はい? あとなんで??」
√EDENの自分の家と、√汎神解剖機関のとある組織にも繋がりがあるかのような言葉に、自身の普段の行動を知っているかのような声にウツロが振り返ったときには、伊月の姿が炎に包まれ消えていった。
「は〜〜〜〜やっぱあのジーサン只者じゃねえ~~~~~~」
怪異への情報収集力や推理力があり、古妖に殴りかかる戦闘力があり、更には千年を超える対簒奪者の家や他√の機関にも繋がりがあり、それなりに気配の敏い自分の行動や情報を収集できる人物が、ただの骨董品店の店主な訳がないだろう、とウツロは空を仰いだのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功