シナリオ

泣いて笑って、戦のあと

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル

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 戸をくぐれば、香ばしい炭の匂いと、甘辛いタレの湯気と、笑い声のうねりが一気に胸を満たした。天井には妖怪の意匠を刻んだ梁。壁には、誰かの落書きのような護符や、よく分からない伝統の飾りが並ぶ。店主は小鬼のような背丈で、忙しなく動くたびに腰の鈴がちりんと鳴った。

 そんな店のテーブル席を、まるで城取りのように確保している者がいる。

 「旦那! こっちこっち!」

 サン・アスペラ(ぶらり殴り旅・h07235)。
 その笑顔は太陽のように眩しく、声は、店の喧騒を押しのけて通るくらいによく通る。

 旦那、と呼ばれて向かいに座るのは、和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)。
 この度の大戦にて、他の追随を許さない圧倒的な功績を上げていた。その働きは王劍の目にも留まったと、密かに噂されている。

 「戦争お疲れ様&完全勝利おめでとー!かんぱーい!」
 「うむ。勝利は祝うべきだ。……乾杯」

 サンの音頭に応じ、蜚廉はジョッキを高く持ち上げた。
 泡が白く盛り上がる生。触れ合う硝子の音が、戦の残り火の上に小さく弾けた。

 二人は同時に、ほとんど同じ勢いでジョッキを傾けた。

 「くぅ~! 労働の後の一杯が沁みる~! 生おかわりっ!」

 蜚廉は小さく息を吐いて、店員に空になったジョッキを掲げて視線を向ける。合図はそれだけで足りた。小鬼店主が「へいよっ!」と甲高く返事をし、追加のジョッキが運ばれてくる。つまみも、串焼きも、揚げ物も、妙に妖怪じみた謎の珍味も、次々とテーブルを埋めていった。

 周囲の客も同じだった。酒の匂いと油の匂い、煙の匂い。妖怪も、人も、能力者も、なにかの精霊も、皆が一様に「今日生きている」ことを祝っている。戦争が終わったのだ、と街の奥底で鳴っていた警鐘が、今夜だけは太鼓に変わっている。

 サンは串を一本、勢いよく引き抜き、頬張りながら言った。

 「まあ、今回は私も頑張ったし? ちょっとくらい羽目を外してもいいよね?」
 「どんなに羽目を外そうとも、汝は無軌道に暴れる類ではないだろう。」
 「まーね!暴れたりしないし、他のお客さんに迷惑かけたりしないから。ダイジョブダイジョブ。ほら、旦那も飲んで飲んで!」

 その通り。他の客に迷惑を掛けなければ問題ない。

 蜚廉は頷きながらも、内心のどこかで小さく腹を括っていた。
 サンの「ダイジョブ」をどこまで信用したものか。……だが今夜の彼女は、戦の熱に当てられたままの、底抜けに明るい炎だ。止めるより、上手く燃やさせたほうがいい。

 「うむ、自由にすると良い。我も好きに呑ませて貰おう」
 
 サンは二杯目を受け取るなり、また一気に喉へ流し込んだ。

 「ねえねえ旦那! 武勇伝聞いて! ほら、私のさ、あれ! ジェヴォーダンのやつ!」

 蜚廉が頷く前に、サンは身振り手振りを始めた。
 拳を突き上げ、身体を捻り、椅子の上で半分立ちかける。

 「そこで私がこう……アッパーでジェヴォーダンをぶっ飛ばして、建物の壁にめり込ませてやったんだよねー」

 言いながら実演するから、周囲の皿が微かに震える。
 隣の卓の狸男が「ひゃっ」と声を上げ、箸を落とした。サンは気づかず、笑いながらさらに拳を振る。

 「ふ…よくやったな。その一撃を通せるのは、汝の強さあってこそだ」
 「でしょ!?」
 「よく頑張った。だが」

 蜚廉は静かに手を伸ばし、サンの腕を軽く押さえた。力ではない。制するというより、冷ます。

 「転んでしまうぞ。大丈夫だ、確りと聞こえている」
 「はーい」

 上機嫌に返事をしながら、

 「私も頑張った方だけどさぁ、旦那は私の十倍くらい働いてたじゃーん。」

 ねーねー、旦那の武勇伝も聞かせてよー。と話題は蜚廉の方へ180度旋回する。

 蜚廉は一瞬だけ、視線を落とした。杯の泡を見ているふうで、その実、何を言葉にするかを選んでいる。彼にとって武勇伝は、誇りというより、確認だった。生き残ったという事実。選ばれた強さ。

 「大それた話ではないが……語るならば、神との戦いだろう」

 蜚廉はゆっくりと話した。全ては表裏一体なのだ、と神は何度も言っていた。そして好敵手なり得るとも。
 戦場では一挙手一投足が致命に繋がり、判断を誤れば終わる。命の危機がすぐ傍にあるとき、身体は奇妙に冴える。

 「白熱したな。久々に、心が動いた」

 |√能力《穢語帳》を使わずとも、彼は熱を語るのが上手い。冷静な語りの中に、鋼が擦れるような昂ぶりが隠れている。

 サンは聞きながら、時おり、うんうんと大きく頷く。
 「やっぱギリギリの戦いは燃えるよね〜」

 周囲の客もいつしか耳を傾け始めている。妖怪たちが「神と戦ったってよ」と囁き合い、酒の肴にして笑う。

 蜚廉は話を締めた。

 「互いに得難い経験を得て、帰ることが出来た。勝利よりも……今日こうして笑っている事が、最大の褒美だろう」
 「だね! こうやって笑ってられることが一番の褒美だ。流石旦那、イイこというなあ!」

 サンは勢いのまま、またジョッキを持ち上げた。

 「それじゃあもう一回乾杯しとこ! かんぱ~い!」

 二度目の硝子の音は、少しだけ優しかった。

⚫︎

 酒が進み、つまみが減り、笑い声が増えるほど、サンのテンションは高くなっていく。だが、その底には、見えにくい沈みがあった。

 サンがふと、声の音量を一段落としたのは、三杯目が半分ほど減った頃だった。

 「ほんとはさぁ、今回の戦争だけど、最初はここまで頑張るつもりはなかったんだよね」

 蜚廉は杯を置き、視線だけで促した。

 サンは串の先で皿をつつく。笑いを作ろうとして、うまくいかない。

 「でもなんか……戦場になった秋葉原を見たら、こう……護らなきゃって気持ちが湧き上がってきて」

 その言葉は、サンの拳に新しい輪郭を与えていた。これまで「ムカつくヤツをぶん殴れればいい」と思っていた衝動が、別の名前を持ちはじめた瞬間だ。サンは自分の胸を軽く叩き、戸惑いを押し込めるように笑う。

 「護りたいって……なんか変な感じ」

 蜚廉は静かに言った。

 「……サン。それは、新たな強さを得た証だ」

 サンは目を瞬かせた。

 「新たな、強さ?」

 「拳を振るうだけだった衝動が、護りたいという衝動へと形を変えた。汝の力が、別の在り方へ育ったのだろう。これまでの出会いが、その変化を齎した」

 蜚廉の言葉は、慰めではなく、肯定だった。サンの中の熱を、正しい器に注ぎ替えてくれるような響き。

 「良い事だ。我らはそうして、尽きぬ衝動に身を委ねてこそ、更に強くなれる」

 サンはしばらく黙り、やがて大きく頷いた。

 「……うん。私、まだまだもっと強くなれる気がする」

 その笑顔は、さっきまでの騒がしさとは違う。少しだけ大人びた、まっすぐな笑いだった。

 サンは急に、思いついたように蜚廉を指差した。

 「旦那はどう? っていうか、旦那って何のために戦ってるの?」
 「…我の、戦う理由か。改めて考えても、戦いが好きだという思いは、ある」

 ーーーだが。
 
 「…だが、今は共に生きたいと思う者ができた」

 その者を守りたい。そして、何があっても帰ろうと決めた。
 
 「戻るべき場所のために戦う。それが、今の我だ」

 蜚廉の触覚が、ほんの僅か揺れた。

 サンはその揺れを見逃さない。長寿のくせに単純、のはずなのに、こういう時だけ妙に勘が鋭い。彼女は「あっ」と口を開け、次の瞬間にはにやにやとした。

 「旦那が守りたい人ねー……それってやっぱ、私もよく知るあの人?」

 蜚廉はわずかに動きを止める。

 「……なんだ、その顔は」
 「だって、気になるじゃん? どうなん? もうちょい詳しく聞かせてよー。恋バナしようよー」
 「恋バナ……?」

 蜚廉は杯を取った。盃を空ける速さが、ほんの少しだけ上がった。気のせいだと思いたいが、サンの目はますます愉快そうに細くなる。

 「……想像に、任せる」
 「えー! ずるい! 旦那ずるい!」

 お互いの間合いを理解する二人だ。サンは追求したい気持ちをグッと抑える。
 ーーー本当はめっちゃ聞き出したいけど、この辺りかな。馬に蹴られて死にたくないし。

 またいつか。
 そして、しれっとジョッキを持ち上げる。

 「じゃ、恋バナの続きは次! 今は飲も! かんぱーい!」
 「……乾杯」

 杯が重なる音に、周囲の客もつられて「乾杯!」と声を上げた。どこかの河童が踊り、狐娘がしっぽを揺らし、天井の梁が笑いで震えていた。

 その賑やかさの中で、サンの顔が急に崩れたのは、四杯目の終わり際だった。

 「……さっきは戦争頑張ったって自画自賛してたけど……でも私ほんとは全然頑張れてなかった!」

 サンは机に突っ伏し、肩を震わせて泣き始めた。オイオイと、声がでかい。周囲の客が「うおっ」と驚き、しかしすぐに「泣き上戸か」「まあまあ」と笑い混じりに見守る空気に変わる。

 蜚廉は触覚を下げ、しかし動揺はしない。

 「……次は泣き上戸か。忙しいな」
 「私なんてダメダメなんだよ! だってぇ……怖くて避けてた戦場があってぇ」

 サンは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃなのに、目だけは妙に真剣だ。酒のせいで舌が回らず、声だけが大きい。

 「どの戦場って……√汎神解剖機関の怪異達が出張ってきてた戦場……」
 「確かに、あの戦場では汝の姿を見なかったな。」

 それはただの昔の話だ。数百年以上も昔の。

 …怖かったのか。そうか。
 あの場は、己の内や過去と向き合わされる戦場だった。

 蜚廉は店員へ合図した。小鬼店主が心得た顔で烏龍茶を運んでくる。蜚廉はそれをサンの前に置いた。

 「汝にも何か捉われるものがあったのだな。……少し水でも飲め。先ほどから飲みすぎている」
 「別に酔ってない!」
 「……そうか。酔ってないと言うのか。では、これは|ウーロンハイ《・・・・・・》だ」
 「う、うう……旦那……」

 サンは烏龍茶を掴み、ぐびぐび飲んだ。
 涙の勢いが少しだけ落ち着く。

 「ならば話してみるといい。酔いの席だ。重い話も、宵越しには忘れられるだろう」

 サンは、普段は語りたがらない過去を、酒の席の勢いに任せて引きずり出すように話し始めた。

 彼女の生まれた√世界は、人類が滅びかけていた。今の√ウォーゾーンみたいに。
 明日死んでいてもおかしくない世界。
 ある日、何の奇縁かサンは√能力者に覚醒し、世界を渡る力を手に入れた。

 「それでどうしたと思う?……逃げたんだよ」
 「……。」
 「私は。家族も友達も置き去りにして。一人だけ別の世界へ逃げ出した」

 言った瞬間、サンは笑おうとした。しかし笑えない。喉が詰まる。だから代わりに酒を呷る。ぐびぐび、やけくその一気飲み。

 「私は生き残った。でも、みんなは……」

 その先は言葉にならず、涙だけが落ちた。

 蜚廉は黙っていた。黙ることが、彼の優しさだった。下手な慰めは、サンの罪悪感を軽くするどころか、もっと重くしてしまう。

 サンは続けた。
 今は風来坊を気取ってぶらぶらしているけれど、本当は逃げているだけ。自分の罪から目を逸らし続けて、今の自分がある。

 だから過去を暴いてくる怪異が苦手で、ずっと逃げてきた。

 「イヤなことは飲んで忘れる! 旦那ももっと飲め!」

 サンは泣きながら笑い、また|ウーロンハイ《烏龍茶》を求める。感情がぐちゃぐちゃで、酒でそれをかき混ぜていく。

 蜚廉は、ゆっくりと口を開いた。

 「誰も、生きたいと願う事を責める事など出来ん。それは、罪ではない」

 サンが瞬きをする。

 「生きるという事は、何かを救い、同時に何かを取りこぼす事でもある。汝が与えた影響も、受けた影響も、全てが……生き延びた証だ」

 蜚廉の声は低く、揺れない。戦場で剣閃が走る中でも崩れない柱のように、そこにある。

 「今はまだ、その選択を抱えきれずともいい。いつかその生き方を、受け止めてくれる者が現れるだろう」

 サンは唇を噛んだ。泣き声が一瞬止まり、喉の奥で嗚咽がこぼれる。彼女は蜚廉の言葉に救われたいのに、怖いようでもあった。罪が消えるわけではない。消えない罪と共に生きることを、認めなければならない。

 蜚廉は続ける。

 「……気にするな。共感くらいは、出来る」

 ーーー我もまた、生き残ったがゆえに、置いてきたものを抱えてい……
 
 蜚廉は、口を閉じた。次の言葉が、喉の奥で棘になって刺さる。自分の過去を語れば、サンの傷に寄り添えるかもしれない。だが同時に、サンの夜を、今夜の祝勝を、重く沈ませてしまうかもしれない。彼は迷い、そして飲み込んだ。

 サンは、その優しさを見逃さなかった。
 涙で濡れた目をごしごしと拭った。そして笑う。いつもの、|私の笑顔《前を向く勇気》に。

 「真面目な話終わり!!ていうかこれほんとに酒入ってる!?」

⚫︎

 酒は続いた。泣いて、笑って、食べて、飲んで、叫んで。真面目な話は、いつしか酒の泡に溶け、けれど芯だけは胸の底に沈んで残る。サンの酔いは天元突破し、蜚廉の酔いもまた、本人が思う以上に回っていた。

 「わはははははは! 飲み過ぎだよ旦那~! 旦那がいっぱい分身しちゃってる~! こんなところで√能力発動しちゃダメだよ~!」

 天元突破はいよいよ幻覚を見せ始めたようだ。

 「よーしみんな! 旦那を胴上げだ!」
 「待てサン。流石にこの場で胴上げは――」

 言い終える前に、勢いの波が蜚廉を攫った。妖怪たちが「功労者だ!」「神と戦ったんだろ!」と勝手に盛り上がり、腕を組んだままの蜚廉の身体が宙へ放り上げられる。視界がぐるりと回転し、提灯の灯が流星のように線を引いた。

 サンは腹を抱えて大爆笑。涙を袖で拭い、ひーひーと息を切らして笑った。

 口端に浮かんだ笑みが消せず、隠していた酔いの回りが、すっかり見透かされた気がした。


⚫︎
 
 宴が終わる頃、店の床には、あちこちに転がる酔い潰れた者たちがいた。河童が桶を抱いたまま寝息を立て、狐娘がしっぽを枕に丸まり、狸男は壁にもたれて鼾をかく。

 サンもまた、テーブルに突っ伏したまま、ぐーすかと豪快に眠っている。さっきまでの大声が嘘のように、寝息は意外と可愛げがある――と蜚廉は思い、すぐにその考えを追い払うように目を伏せた。

 「……随分と、すっきりした顔をしているな」

 蜚廉は立ち上がり、店主に頭を下げた。

 巻き込んで騒がせてしまった、と謝る蜚廉に小鬼店主は愛想よく笑って帰りの人力車を手配してくれた。蜚廉はサンの肩に手を差し入れ、酔い潰れた身体を背に担いだ。思った以上に軽い。鍛えた拳の重さの割に、彼女は儚い。

 サンは背中で、寝言のように呟いた。

 「……旦那ぁ……今度……」

 蜚廉は歩きながら、わずかに口元を上げた。
 …賭けでもしておこう。
 汝はきっと、我に謝るつもりでいるのだろうな。

 「……ふ。その時は奢って貰おうか」
 
 百鬼夜行の居酒屋の提灯は、ひとつずつ消えていった。
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