筺守のグルメ(世デラ4Fの立ち食いそば屋)
時折、真夜中に空腹に苛まれる。人間災厄の「人間」の弱さだろうな、と白い災厄──|筺守《はこがみ》・|希望《のぞみ》は振動が鳴り止まない箱の中で思う。
チャイムが鳴ると操作盤の上には4Fの表示。エレベーターという箱の中から外へと踏み出せば、そこはかつてのレストランフロア。この建物が廃墟となった今では、おそらく保健所の指導を受けていない店舗がポツポツと営業を続けるのみ。ましてやこの時間ともなれば真っ当な店などゼロに等しいだろう。
ただ、それは一般人にとっての話。
異常寄りの存在たる筺守にとっては、営業を続けていて、食べられるものを提供するだけで真っ当な店足りうる。故に、コンビニを目指すような足取りで、薄闇に銀糸を靡かせるように小走りに。お目当ての店が構える通りまで足を伸ばせば、ぼんやりとした灯りが目に入り込んで来る。それと同時に漂ってくる出汁の香り。
「うん、やってるやってる」
そのままお目当ての店まで歩みを進め、慣れたように暖簾を潜る。外観そのままに手狭な店内は有象無象で賑わう様子で、客層のほとんどが実体の無い何者か。うん、異常だ。透き通った彼らの隙間を探すと、いつも通りわかりやすく、一席だけが誰かを待つように空けられていた。故に、筺守はいつも通りに躊躇うこともなくそこに今宵の居を構える。一般成人向けのカウンターは特殊成人の筺守にはやや高く、気持ち背伸びの構え。生気のない蛍光灯に照らされる薄暗い店内。外よりも出汁の香は強まり、更に油の匂いも加わってより空腹を刺激する。
「コロッケそば」
メニューを見ることもなく注文を口にすると、カウンター越しからは嘆息と承諾を相盛りにした低音が返ってきた。
「あいよ」
低音の主──店主の顔は何故か黒く塗りつぶされているように見えるものの、おそらく照明のせいだろう。微笑みの一つも窺い知れないけれど、単純にお腹を満たしたい状況においてはそんな愛想の無さがむしろ心地良い。
筺守は一息つくと、滴のついたピッチャーに手を伸ばし、卓上のコップに水を注いだ。口をつければ冷たさが喉に響く。少々のカルキ臭は情緒の風味。人心地ついて店内を見渡せば客層の偏りがより際立って見える。恐らく、実体を持ってここにいるのは自分と店主と床で酔い潰れた遭難者ぐらいだろう。この店内における多数派──実体のない、しかし確かにそこにある彼らの正体とは、果たしてインビジブル。残留思念という名の過去の記憶の残滓なのか、あるいはなんらかの意思を持ってここに集い、また去っていくのか。
「あいよ」
一字一句どころか発音さえ変わらぬ言葉が筺守の意識を引き戻す。カウンターへと視線を戻すと注文の品が湯気を立てていた。
黒いつゆは関東のそれで、白いネギとのコントラストが際立つ。そしてつゆを吸い続けるわかめの隣で、きつね色にカラっと揚がったコロッケが存在感をこれでもかと主張してくる。陰鬱と言えなくも無い店内に唯一、光が当たっているかのような錯覚さえ抱くこれが、筺守が今夜食べようと決めていたもの。オーダー通りの内容にその青い双眸は輝きを増して、口元は自然と微笑みを形作る。
「──いただきます」
筺守が思うに、コロッケそばに限らず、揚げ物が載ったそばは時間との戦いになる。衣全体がふやけるより前に、今この瞬間に齧り付かねばその価値が失われてしまうと言っても過言ではない。
(これぐらいかな)
ふぅふぅと吹き冷ますのも最小限に齧り付けば、湯気と共に黄色い断面が覗く。この見極めを誤ると熱さが味を覆い隠してしまうし、逆に冷めすぎてベストコンディションを失いかねない。見極めを誤って齧り付き、ハフハフと小刻みに息を送り込んでも口が熱さに耐えられず、お冷で味ごと洗い流してしまった失敗など過去何度経験したことか。そうした辛い経験を経て、今口の中にはアツアツでサクサクとしたテクスチャを残す衣が無事に収まっている。そして一部はつゆに触れてじくじくした衣。サクサクとじくじくと、それぞれ交互に自己主張を行い、やがてジャガイモばかりのタネと混ざり合って調和が生まれる。提供されてからおよそ30秒以内にしか味わえない食感。
(ヨシ、ちゃんと今日は揚げ直してるね)
日によっては冷めたコロッケをそのまま載せられることもあるところ、今日はセーフ。唯一無二の食感を楽しむのもそこそこに、お次は味。目を瞑り味覚に集中すれば、醤油の主張が強いつゆとスパイシーなカレー風味、そして衣の油が味の信号となって脳か何かを鳴らしまくるのを感じる。
(つくづく、ここのコロッケはカレー味なのが良い)
青い瞳がまじまじとその黄色い断面を見つめる。普通のコロッケだとおそらくこのつゆの濃さに負けてしまうところ、カレー特有の強さがきちんと存在を押し返してバランスを保っている。つゆとコロッケとのマリアージュなど端から設計されていないため、このコロッケそばはやや|過剰《ジャンク》な味付けを産み出していることは否定できないものの、たまには恋しくなるようなそんな味。そもそも夜更けに立ち食いそばを訪れる存在が塩分など気にするものか。
(ましてや災厄が)
自嘲と共にそばを手繰り、コロッケの余韻を残した口で迎え入れる。やわらかく、香りも薄く、そばかどうかと言われると疑問が浮かぶ麺。きっと消化に良いだろうそれ自体に特に味は感じられず、いわばこの濃いつゆを食べるための麺とも思える。
(かと言って決してまずくはないんだよね……)
この時間にお腹を満たす分には文句のつけようも無い。むしろ正解。啜ったそばを咀嚼し、嚥下。ついでに器を持ち上げるとつゆを一口。
「……あちち」
湯気を残すつゆは、食道の形を実感するぐらいにはまだ熱い。少々の苦しさを誤魔化すようにへへ、と笑ってお冷を呷ると、熱さと冷たさ、そして濃さと清涼さのコントラストが一気に喉を通りすぎて行った。こうやって飲む水に当初のカルキ臭は感じられず、むしろどこかの天然水のように澄み渡っているように思える。手軽においしい水を飲みたいならばラーメン、カレー又は立ち食いそばを啜った後に水を飲めばいいという価値の再発見。
つゆを食べるためにずずずとそばを啜り、水を飲むためにつゆに口をつけ、時々アクセントとしてコロッケを齧る。そのサイクルを続けるうちに、視界は自ずと器の中に固定され、やがて器の中身にすらピントが合わなくなっていく。例えつゆが服に飛んだとて何するものか。聞こえる音も自分の音だけになり、ゾーンに入り込む感覚。
(コロッケそばはちょうどいい)
食すことに注力するあまり、脳が視界からの情報を受け付けようとしない状態。
(かけそばだと侘しさが出るからね)
ただ、食べるのに支障が出るために目を閉じることはなく。
(天ぷらそばは却って仰々しすぎる……)
ぼやけた視界の中、ぼやけた思考が浮かんでは消えていく。ただ感ずるは味、味、味。
知的生命体としての有り様を疑われかねない状況に肉体のセーフ機能がかかり、一瞬意識が遠ざかる。瞬時に再起動すると、眼前には残り少なくなってきたそばとつゆ。それと半分程度残したコロッケ。危ない危ないと我に返れば卓上の胡椒を手に取り、残った中身へと振りかける。そして、箸置きの隣、コップに無造作に突っ込まれたカレースプーンを一本取ると──
(ここからがお楽しみだ)
汁を吸い衣がぐずぐずになったコロッケを、潰す。お行儀が悪いと言われるかもしれないけれど、ここは深夜の立ち食いそば屋。マナー講師が声を荒立てようものなら割り箸を叩きつけてやる気概が筺守にはある。やがて、コロッケは形を失い、その衣とタネがつゆへと溶け出す。カレー風味のタネによって、和風のつゆはまるでカレー風味のつゆへと大変身。
そう、これこそが……ジェネリックカレー南蛮!
(教えてくれた彼は元気かねぇ)
名前さえ知らぬ何者かに思いを馳せながら味見とばかりにつゆを一口。今までのつゆの味そのままかと思えば、残り香がカレー。異国の風を感じる仕上がりに満足すると、筺守は残りを一気に平らげにかかる。コロッケを齧る手順がなくなった分、サイクルは簡略化され自ずとスピードも上がり。そばを啜り、つゆを一口、そばを啜り、つゆを一口。顔色ひとつ変えずに食べ進めるものの、その首筋には汗が浮かぶ。
体内で生み出される熱がまた新たにサイクルを回すループ構造によって、あっという間残りのそばは消失。つゆも盃のように飲み干せば、今宵も完食完飲。誰にでもなく、「見たか」と言いたい気持ち。そして、不思議と込み上げる元気。今から何かを成し遂げられそうな、そんな意味不明な万能感が筺守の体を包み込んでいく。
興奮冷めやらぬまま、火照った身体を冷ますようにコップの水を一気に飲み干すと、そのままおかわりを注ぎ。これもまたごくごくと一気に飲み干すと、筺守はようやく言葉を吐いた。
「ごちそうさま」
食器をカウンターの上に片付けると、隣には釣りが出ないようにがま口から500円玉と50円玉を一枚ずつ。台を拭いて立ち上がるとさっさと退店。前提として、立ち食いそば屋は長居するところではない。客に実体があろうがなかろうが、混雑する店で意味もなく居座るほど筺守も非常識ではなかった。
「あいよ」
違わぬ言葉で店主はその背を見送る。最後までその表情を窺わせぬまま。そして、いつも一席だけ開けている理由を明かさぬまま。
しかし、筺守にとってそれはさして重要な問題ではない。いつ行っても食べられる。それこそが重要なことなのだから。
かくして帰途。元来た通路を戻り、エレベーターの方へと曲がる前に店の方を振り返ると、依然としてぽんやりと輝く店の光。それはまるで──
(誘蛾灯みたいだな)
目を細めればそれ以上振り返ることはなく、筺守の姿は角の向こうへと消えていった。
─終─