掌編及び情報開示:比較の話
https://tw8.t-walker.jp/thread/club_thread?thread_id=26997「比較は無意味だ? 馬鹿か、こちとらそれが仕事の一部だ。比較するわ。滅茶苦茶比べるわ」
接触した√能力者に対し、√汎神解剖機関の研究者の一人であり、人間災厄『斎川・維月』の担当でもあるその男は傲然とそう言い切った。腕組みをして胸を張って……それでも恰幅の良い腹部の方が若干目立つが、まあそれはそれとしてそれもう不機嫌そうに偉そうに言葉を続ける。
「それと、先に言って置くが。斎川維月の個人な事情は√能力者に対しては秘匿されていない。寧ろあのガキとある程度親しくなった相手には積極的に伝達する事を推奨されている。……これはあの解剖機関の勝手な判断ではなく、あのガキと合意の上でだ」
事実、今回の接触は『秋葉原荒覇吐戦に置ける、合衆国管轄の封印指定人間災厄『リンゼイ・ガーランド』に関わる案件での維月の挙動を知り、その事を気にかけていたから』と言う、ただそれだけの理由である
いっそ何かしらの理由を付けて伝達したかった、位の前のめりさを感じる程だ。
「否定はしないな。ぶっちゃけそう言う側面もある。今見せた資料を見れば何となく分かるだろ、あのガキの仕様上『これから親しくなっていく可能性のある相手に事情を伝えて居ないのはリスク』なんだよ」
資料に明記されている事として、そもそもが維月は√能力者以外の人間との一定以上の親睦を避けている。接触の機会と時間が増えれば、何かの拍子に災厄が暴走して死なせる危険性が極僅かとは言え上がるからだ。
ルート能力者であればその心配は無い。死んでも復活する……と言う以前に、維月の災厄の力は√能力者を直接死なせるだけの出力を基本的に持っていないのだから。……とは言え、その能力と言うか、機能と言うか、仕様を知れば。そしてそれに付随する過去や事情を知れば、まあ、忌避感を覚える可能性と言うのはどうした所でゼロにはならない。
「だったらいっそあんまり親しくなる前に白黒つけておいた方が無難だって事だ」
片手で顎髭を弄りながら、もう一方の手で渡した資料を指さす。どうでも良いがこの男、礼儀と言うか社交力と言うかマナーと言う物に欠ける。研究者にありがちな人付き合いの苦手さ……と言うより分かった上で蔑ろにしている感がある。
渡された資料に書かれているのは、斎川維月のダイジェストだ。怪異としての発生から、斎川家の養子になり、兄以外の家族を死なせ、√汎神解剖機関の管理下に入って現在に至るまでの流れと、維月自身の判断と意志。それは……まあ、確かに人によってはドン引きするに足る内容と言えるのかも知れない。
「その上でだ。あのガキが前のめりに興味を向けたリンゼイ・ガーランド。そりゃ興味持つよなって程度にはあのガキと方向性が違い機能と仕様を持つあの姉ちゃんとの比較を行う。そうする事によってあのガキの精神状態と認識を出来る限り掘り下げる訳だな。勿論、推察だらけにもなるから資料としては参考位にしかならないが」
だからこそ、参考に共有して置け。
男はそれはもう偉そうにそう言って、新たな資料……秋葉原荒覇吐戦の報告書の一部を捲る。
「先ず人間災厄としてのスペック。これは圧倒的にリンゼイ・ガーラントの方が上だ。何せ√能力者にも通じる出力で、しかも常時発動だからな。当人の言葉だけでなく、普段分印されている事実からも明らかに、これはオフに出来ず常に垂れ流しっぱなしなんだろうな。……『人類社会を崩壊せしめる可能性を内包している』と言う人間災厄の条件は、こいつの場合『ただ世界中を歩き回る』だけで十分満たされると言って良いだろう」
紛れもなく社会を崩壊させ得る悪性の影響力を持った、疫病よりも性質の悪い死の伝播。
なるほど災厄である。当人の意思や望みとは無関係に。
「対して、あのガキの災厄の出力は貧弱だ。少なくとも自死に向かわせる精神的アプローチの段階では大した強制力を持たない。それでも、力の無い者や力があっても気の弱っている者なら覿面死ぬ訳だが、逆に多少弱い者でも気を張っていれば少しは耐えれる。呪術的アプローチからはそうも行かんが、それはぶっちゃけ他の√能力の魔法攻撃の類と何が違うのかって話になる。災厄としては可也弱い部類だろう」
シンプルに強い弱いで言えば、リンゼイ・ガーランドの方がずっと上だ。
それは、そもそも彼女一人に数多の√EDENに与する√能力者達が数の利を以て挑みかかり、斎川維月もその中の一人に過ぎなことからも明白だ。
「だがその結果、二人の立場は真逆と言って良い」
封印指定人間災厄『リンゼイ・ガーランド』。
つまり、その言葉通りに封印されているのだ彼女は。とある星詠みの言によれば自由を愛するらしい彼女は。職場の先輩にどうやら恋心の類を抱いている彼女は。普段そのせいでアメリカ合衆国政府によって封印されている。それが具体的にどの様な形での『封印』にせよ、どれだけ軽く見積もっても、仕事の先輩である想い人と顔を合わせた時の第一声が『お久しぶりです』になる程度には不自由な訳だ。
一方の人間災厄『斎川・維月』。
「こいつの日常は自由だ。寧ろ日々の楽しみと明るさに満ちて居て幸福だ。そうなる様に気遣われ根回しされ補助されているからな」
理由の一つは、前述の平常時に置ける災厄の出力の低さ。仮に暴走してすら、その『死』は須らくを皆殺しにする嵐の様なモノではない。
もう一つは、平常とは逆の、絶対死時に起こる現象の為だ。
「超広範囲への増幅拡散。死ぬ時に呪いを撒き散らす厄介な性質を持って居るわけだ。流石に精神的アプローチに限られるが、その増幅度合いや拡散度合いは『死ぬまでの間に積み重ねたネガティブな感情の総計』から算出される。当然これはポジティブな感情によって相殺されるが……なあ、『祖母と父と母を、ひとりぼっちの寒さに震えていた自分を受け入れ愛してくれた家族を殺してしまった』事実は、どれだけの幸福で相殺し切れると思う?」
そう言って男はフンと鼻を鳴らす。不機嫌さを隠そうともしないその態度は、実の所この男の通常運行なのだが、まあそれはそれとして。
事実として汎神解剖機関は『斎川・維月の絶対死時に起こる拡散は世界全てに広がり得る』と想定している。
「ま、悪い方に考えて置いた方が良いってのもあるがな。だからあのガキ、斎川・維月は『人類社会を崩壊せしめる可能性を内包している』存在である人間災厄に認定されている訳だ」
弱い者や心が弱っている者しか死なないからどうしたと言うのか。範囲が世界全体である時点でそんな事は何の救いにもならない。例えば呪いの増幅率が想定よりも低く、仮に死に至る弱い人間が全体の3分の1であったとしても。その数がある日突然一斉に死んだら、インフラを始めとした社会の何もかもが破綻する。
己が死ぬ時にだけ、何もかもを壊してしまう『かもしれない』。確定では無くとも、その可能性があるだけで、それは災厄として十分すぎる。
「だが、それを確実に防ぐ方策が現状無い以上。どれだけ焼け石に水かも知れなくても『相殺を怠る訳にはいかない』。だから、あのガキは『幸せなのが義務』なんだ。『は』じゃない、『が』だ。明確にそれだけを要求されている」
故に、機関は斎川・維月の日常を補助する。その幸せな日々をバックアップする。
やり過ぎれば気まずさや罪悪感を喚起して逆効果になる危険がある故に、バランスを測り、維月自身からの全面的な協力と意見を募った上で、最も最適な分量の『幸福』を与える。
「それはまあ、恵まれた環境だろう。あのガキ自身、自分の事をラッキガールだと言って憚らない。……まあ、嘘ではない。嘘ではないが。クソだな」
男は。自分も、かつてはそれを信じていたと吐き捨てる。
それは間違いだと言う訳ではない。斎川・維月は幸せなのだ。幸せでいなければいけない故に、事実幸せなのだ。
「だから、悲しいと思ったり罪悪感を感じたり不幸を嘆いたり苦しんだりは一切しちゃいけないってだけでな」
家族を殺したのに。
家族を喪ったのに。
「この辺りの、リンゼイ・ガーランドの身の上と比較のしようがねえのは、まあ、そうだな。認めるよ。確かにややこし過ぎる」
それでも最初に言った通り比較はするのだが、まあ、チームでディスカッションを挟みたいなと男は肩を竦める。
それから少し目を細めて。思案する様に暫し黙って。長く細く息を吐いた。
「……実の所、そこ迄徹底しなくて良いんだ本当は」
機関はそう判断している。
何故と言うに。どうした所で水は漏れるのだから、徹底した管理を行えばそれはそれで圧迫感などから苦痛が生まれ『相殺できなくなる』以上、日々の『幸福による相殺』はある程度ファジーにならざる得ないと。
だから斎川・維月が堪え切れずに嘆いたり、泣いたり、苦しんだり、泣き言を言ったり、己が身の上を呪ったり、そう言う事をしてしまって、その災厄を暴走させる事すらある程度想定に入れている。その場合に被害を抑えるプロトコルも、無力化するプロトコルも、早急にカウンセリングするプロトコルも、準備されている。
多少水が漏れても良いのだ。と言うか、多少水が漏れる方が推し量り易い面すらある。
「だがあのガキは徹底する。分かるか? あのガキが自主的に徹底してやがるんだよ」
男が、『偶には泣くくらいしろ』と泣く口実を無理やりに押し付けてすら、その返答は『有難う御座います。でも、駄目です』だ。
相殺する。少しでも多く。一ミリでも長く。相殺する。相殺しなきゃ。相殺し続けなきゃ。いけないと。
そう偏執的に決めている。
「理由は簡単だ。兄貴の為だよ。ブラコンのあのガキらしい理由だな。自分の兄貴を殺す可能性をほんの少しでも減らしたいんだよあのガキは」
それこそが、リンゼイ・ガーラントと斎川・維月の両者の間で最も明確に対照的な部分。
リンゼイ・ガーランドの災厄『ヴァージン・スーサイド』は、無制御に無差別に遍く全てを殺すが、『リンゼイ・ガーランドが好きな相手』だけは殺さない。
リンゼイ・ガーランドはつまり、今後の進退がどうなろうと人生がどうなろうと自由の有無がどうなろうと最期がどうなろうとほぼ間違いなく『好きな人だけは殺さずに済む』。その公算が非常に高い。
「対してあのガキは、既に家族を殺して居て。それから多分、兄貴も殺す事になる」
その公算が非常に高い。
どうしてか?
「あのガキの兄貴は、斎川・大貴は、あのガキの、斎川・維月のAnkerだからだ」
それはつまり、√能力者である斎川・維月に絶対死を与えれる存在だから。
「あのガキを『処分する事』が決まった時、それを執行する役目を担って居るからだ」
例えば、絶対死時の呪いの拡散を大幅に狭める事が出来る様になった場合。斎川・大貴は斎川・維月を殺さなければいけない。
それが仕事だからだ。
それが役目だからだ。
それが最愛の妹の望みだからだ。
「斎川・維月が機関と交わした契約にハッキリとそう明記してある。と言うかそもそも提案者は斎川・維月だ」
人類社会を崩壊させるわけにはいかない。
これ以上、人々を死なせるわけにもいかない。
そうはしたくない。
絶対にそうしたくない。
心の底からそう思う。愛する家族を殺した力で、これ以上の罪を重ねる事を望まない。
けれど、その為にはAnkerの手に掛からなければ行けなくて。
そうすると、自分が死んだ際。仮に何らかの技術で効果や範囲を抑えれたとしても、その場目の前には兄が居る事となって。
斎川・維月の災厄は。クビレオニの精神的なアプローチは。つまり自死を促す物で。
それは意思が強ければ抵抗できるものだけど。
何らかの理由で弱って居ればそれは抵抗できない場合もあって。
「溺愛している妹を、結局どうもしてやれないままその手に掛けて殺して。それが当人の望みだったからって、それで心が弱らない程あの老け顔は人間離れしてねえ。それもこれも全部承知の上で、あの男は妹の首を刎ねる為の鍛錬を毎日続けているんだがな。あのガキが、妹が、それを、望むから」
他にしてやれる事が無いから。
それで。
つまり。
だから。
斎川・維月は。
人間災厄『クビレオニ』は。
今後の進退が全て上手くいって、人生全てが狙い通りに進んで、全てが成功したとしても、最期に『好きな人を殺す』。その公算が非常に高い。
「だからあのガキは妥協しない。徹底してストイックに幸せを積み重ねるし、絶対に泣かない。どんなに泣きたくてもだ。心の中ででも、だ」
それでも多分、恐らく、それは、上手くいかない可能性がとても高い。
分かって居る。分かって居るから必死に。必死に。必死に。けれどどれだけ必死にやったって……
比較は無意味だ。
比較は無意味だ。
比較は無意味だ。
そう、維月は何度も呟いていた。
「何の事はねえ。要するにそれだけ何度も言い聞かせなきゃいけないって事だ」
男は吐き捨てる様に。
いや、吐き捨てた。苦くてえぐくて不快なそれを何とかして己の中から捨ててしまいたいと言う風に。
どうやった所で捨てれやしないと分かった上で。
「それでも比較はするぞ。仕事なんでな」
ああ、くそったれ。心底胸糞が悪い。
男は吐き捨てた。