第八汎神資料室

掌編:至極当たり前の話

斎川・維月 2月9日17時

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 それから、数時間程度の後。






「どうでしたか?」
「どうもこうも簡単な聞き取りをしただけだ。未だ何も分からねえよ」
 廊下で待ち受けていた道化娘に、恰幅の良い博士は不愛想に肩を竦めた。
 怪異か、或いはそれ以外かも不明の『アクマ』に憑かれた少女。汎神解剖機関としての理念や目的からしても、或いは科学を以て神秘の理不尽のを踏破せんとする博士の信条的にも、興味深いと共に捨て置けぬ存在ではあるだろう。
 だが、だからと言って当人の意思も同意も無く不躾な検査や研究が出来る筈もない。
「無理矢理強行する人も普通に居ますけーどーねー。キログラム博士は人が良いです良い人です」
「うるせえ寝言は寝て言え殴るぞ」
 ニマニマと笑う道化娘に博士が拳を振り上げて見せれば、キャーと笑み混じりの悲鳴を上げて見せながら娘は逃げるそぶり。
 けれどそぶりだけだ。一向にそこから去ろうとはしない維月を前に、男は拳を下ろしてフンと鼻を鳴らす。
「で、何の用だ?」
 用事があったからわざわざ待っていたのだろう事位は察せると、自分より少し背の低い少女を覗き込むように顔を少し傾ける。
「検査をして下さい」
 博士は目をパチクリとさせた。
 普通、こう言う流れなら友人の自由を奪うなと釘を刺す方がありがちな流れではないだろうか?
「多少無理強いでも良いですが、別にそんな事しなくてもちゃんと理屈を説明すればくるりんはきっと納得してくれます。呪いやアクマの契約の影響が、何かしら心身に影響を及ぼしている危険があるのは全く事実でしょう?」
「それはまあその通りだな。神秘系のを中心に、ジャンルや文化で分けて数種類のテストを提案して見る心算ではある」
 その言葉に、維月はニコリと笑った。
 博士は咄嗟に少し身構えた。それなりに付き合いも長くなる彼は、その笑顔が前置きである事に気付いたから。
「医療的な検査もして下さい。寧ろ念入りにして下さい」
 ズイ、と一歩前に出る。
「条件を満たさないまま二十歳になったら死ぬと言っても、どうやって死ぬとは言って居ないんです。じゃあ、それが病気の類でないとも限らないでしょう? そしてそうであれば今既に兆候があったっておかしくは無いんです。それを見つけることが出来れば他の解決策だって立ち上がって来ます」
 ズイ、ズイと、更に前に出る。
「お、おう。まあ、その理屈も分かるが……考え過ぎの可能性の方がずっと高いからな?」
 戸惑ったように応える博士と、そこに更にズズイと踏み込む道化娘。
 殆ど鼻が触れそうな位に近付いてきた人間災厄の視線が、間近より真っ直ぐに射貫いて来る。
 数秒、娘の形の災厄は言葉を探す様に思案している様子で。
「博士、ボクは悲観的に考えます」
 それから吐き出された言葉は、不思議な位にシィンと静まった周囲に響き渡った。
「真実の愛を見つけなければ20歳で死ぬと言うのは、真実の愛を見つければ20歳になった次の日2日目に死なないという意味では無いです」
「そんな屁理屈……いや、まあ悪魔の類なら確かに言いかねないが……」
 眉根を寄せてその可能性を吟味し出した博士を見て、維月はスッとその身を翻し数歩離れて背を向ける。
 それから、溜息を一つ。
「そしてそれも、未だ、最悪の場合では無いです」
 ツイと首を巡らせ、顔だけ振り返ったその目がまた博士を見やる。
 細めたその目の奥の白い光は、けれど今は心なしか普段より少し薄い気がする。
「最悪の場合と言うのはですね、アクマがくるりんにやらかした所業が、実はくるりんに取ってプラスであった場合です」
 或いは、マイナスを打ち消す物であった場合です。そう続けてから、少し口を噤む。
 博士に考える時間を与えているのだ。そしてその表情を観察して、理解の色が見え始めた所で言葉を再開する。
「今、くるりんが陥らされたている現状は充分酷いと言って良い状況ですけど、それは『本当はもっと酷い事になっていた』可能性を否定しないんです」
 片足を軸に残し、もう一方の足でゆっくりと半回転して此方を向く。
「あのね博士。少なくともボクが聞き取った限りの範囲では、あのアクマはくるりんに『20才になるまでに『真実の愛』を見つけないと死ぬ』としか言って無いんです」
 己の右のこめかみに、右手人差し指の先をトンと当てる。
「死ぬとしか言って無いんです。自分の掛けた呪いで死ぬとは言って無いんです。そもそも自分の仕業で死ぬと言って無いんです」
 トン、トン、トンとリズムを取る様に叩きながら、その表情は滅多に見せぬ程愛想が無い。
「そもそも人間は死ぬものです。呪い何かなくても死にます。アクマなんか居なくても死にます。色んな理由で死ぬものなんですよ」
 とても単純で、至極当たり前の事実。
 だがそこに着目してしまえば、物事の可能性は無暗と広がってしまうのだ。
「だから。ボクが警戒しているのは、くるりの死が『アクマによるものではない』場合です。引いては『寧ろアクマによる処置が緩和や猶予を与えている』場合です。結果、何も考えず確認もせずにアクマの影響を取り除いた時、影響を取り除いたせいでくるりの死が確定する事です」
 そうなれば、物語に登場する悪辣な悪霊であれば、『ああ、なんてこった可哀想に。君たちが余計な事なんかするから』とでも言って笑うだろうか。良かれと思って逆効果。それも取り返しがつかない致命傷。
 それはそれは、とてもとても悪逆な物語。
「杞憂である可能性の方がずっと高いです。と言うかほぼほぼ微塵の様な可能性です。けれど0じゃない以上見過ごせません。だから調べて下さい。但し絶対にくるりには気付かれない様に。順当に考え過ぎでも万が一本当にその可能性が残ってもどちらの場合でも悪影響しかありませんから」
 あらゆる可能性を考えて、対応する。して欲しいと、要請する。
 絶対に、絶対に、喪わない様に。偏執的な慎重さ。徹底的な石橋叩き。6フィートの棒で進行方向を満遍なくコンコンと叩き罠を探す様な、そんな万全への拘り。
「万が一への備え、か」
 博士は、その理屈に納得し、その感情に理解を示して、けれどどこか釈然としない顔をした。
「はい、備えです。だからボクは、その為にも、あの子を弟に出来なかったとしても、いやしますけど、仮にもしも弟にならなかったとしても、それはそれとしてボクはアクマを味方につけたいんです。少なくとも、殺して解決だなんて言う、後々どれだけ困る事実が判明してももう取り返しがつかなくなっている不可逆の決着だけは避けたいんです」
 弟にしたいから味方にするのでは無い。
 弟にするから結果的に味方になるのでも無い。
 弟にしようと思っているのとは別に、味方にしたい。
 弟んならなかったとして、少なくとも死を与えたくはない。
 その必要がある。あるかも知れない。
「まあ、それは分かった。出来るだけ手を回そう」
 了承を得て、道化の娘はニッコリと何時も通りの笑顔を浮かべた。




「……何だ? 私は一体何がこんなに気に入らないんだ?」
 維月が去って、けれど博士はその場に立ち尽くしたまま。己の感じた違和感……とすら言えない様な僅かな『ズレの様なもの』の感覚について考え込んでいた。
 それは本当に小さな棘だ。だが、だからこそチクチクと気になってしまう。
『くるりのにんげんさんにたいして、てあついからです』
「っ!? 古霊か……!」
 かけられた言葉にガバリと振り返り、そしてその正体に気付いてまたもう一つ驚く。
 維月に纏わりつく古霊達は、基本的に維月から余り離れようとはしない。けれどこの様に、一切離れれないと言う訳でもない。必要とあれば多少は別行動をとる事とてある。
 つまり、今、群れから外れたかのように一体だけ存在しているこの古霊は。何等かの必要があって此処に居るのだ。
『どうしてあんなにあのにんげんさんをしんぱいし、そのあんぜんをかくほしようとやっきになるのでしょうか』
「いや、それは、別にそれだけ仲が良いとか。好意を持っているとか。それだけだろう」
 ズイと。
 古霊がその顔を目前に迄突き付けて来た。それこそ鼻と鼻(いや、古霊の顔のその位置にはノッペリして何も無いが)が触れあいそうな距離に。霊故に実際に触れた所で擦り抜けるだけであるとしても、そうも迫られれば反射的に身が固まる。
『そうです。そうではないです』
「どっちだよ。…………いや、そうか」
 平然と矛盾したその言葉に、反射的にツッコミはしてもそのまま妄言とは切り捨てない。痩せても枯れても(かなり太っているが)博士は怪異や災厄を研究対象とする研究者だ。一見どれだけおかしくても非常識でも、其処に何らかの理解や解明の鎹がある可能性を投げ捨てず。だから直ぐに気付いた。
 仲が良く、好意を持っている相手だから手厚く気遣い万難を廃す。それは『そう』。
 けれど、それが戀ヶ仲・くるりと言う少女のみに対して発揮されるスタンスかと言われると『そうではない』。
 くるり女史に対しての今回の様な、いっそ差し出がましいと言って良い程の前のめりさはそうそう無い。博士は今回初めて見た。
 しかし。
「……だが、そうだな。そもそもあのガキは、誰に対しても手厚くて差し出がましい」
 度合いは低くとも、維月と言う少女は誰に対しても、それこそ初対面の相手に対してでも多少行き過ぎな位に。
 博士は一歩下がって古霊から少しだけ距離を取る。古霊は追い縋っては来なかった。
『あのこはだれにたいしてもこういてきです』
 ただ同じ位置に浮遊しながら、補足する様に言葉を返して来る。
「……気分が沈めば災厄が暴走する危険があるんだ。だから出来るだけ『嫌な気分にならない様に』誰も彼もに好意的に接して、出来るだけ皆ハッピーで居られるようにしてる。ってだけじゃないか?」
 無難な解釈を上げて見せるが、その眉根を寄せ酷い顰め面をした表情がその主張を裏切っていた。
 博士は、ただ一応の駄目元で聞いて見ているだけなのだ。
『はい。いいえ』
 だから、先程と同じ様式の矛盾した返事が返って来たのに対し、今度は戸惑う事無くただ手の平を己の顔にペタンと被せた。
「そうだな。あのガキが『自分が幸福である』状況の維持の為に何もかもを公的に受け取っている事も、誰も彼もに好意的に接している事も、それはその通りだ。だが、私が感じた違和感はそれとはまた別の事って事だな?」
『はい。はい』
 二度のテンプレートはそのままに二度肯定された事で、男は己の顔からゆっくりと外した手の平を見下ろし睨む。
「正確には、違和感はずっと感じていたんだな。だがその度合いが小さすぎて今迄気にする事も出来ていなかった。だが今回、相手への好意の強さと、その相手の置かれている苦境の合わさった、『極端に度合いの強い実例』を見た事でその『ズレ』を実感出来た。訳か」
『はい。いちおうべんごすると……あ、丁度良く維月との距離が範囲外迄離れた見たいですね。コホン……一応、弁護すると。貴方は研究者何ですから。そもそもそんな感情に心に基づいた観測や解釈をする立場では無いんです。だから気付かないのは当然です。けれど、災厄は……いいえ、少なくともあの子は。そう言う感情や心が唯一の世界との接点なんです。だって、其処以外はそもそも存在自体していないんですから』
 だから、維月と言う存在を解析するならばどうしても、そう言ったウェットな面にも目を向けて貰う必要があるんですよと。
 そう続けた古霊は今……道化帽以外は子供が書いた落書きの様な適当な造形の普段通りの姿などでは無い。
 災厄である維月の影響によって混ざり合いあの形に落ち着いているだけなのだ。影響の外に出れば其処に残るのは散り散りの雑霊と、それからどうやら主成分だったのだろう前髪を切り揃えた少女……の様に見える半透明の亡霊。服装のデザインが古い何てレベルではない上に、手に持っているのはどう見ても銅鏡。正真正銘の“古”霊かよと内心でゲンナリと呻きつつ博士は別の事を言う。
「あのガキの影響から外れる程離れたら、そのままだと消滅しちまうんじゃないのか」
『はい。是です。なので手短に。どの道、後はもう答え合わせだけでしょう?』
 大柄な男を、妙に違和感を感じるその瞳で見上げながら古霊は確認する様に言葉を重ねる。
 正直勘弁して欲しかった。何でそんな不愉快な事を一々きっちり見据えなければならないのか。
「だがまあ……|クソ《Damn》ッ、仕事だからな」
『当世ではツンデレと言うそうですねそれ』
 心の底からうるせえよと思った。
「そう言えば前にも御前達は『ひかくのまじっくでしかないのです』とか抜かしてたな」
『はい。然りです。あの子の他者への寛容さと好意的さは、あの子自身の意識的な自己制御以上に『比較による』落差の影響が大きいんです』
 比較の落差。
 それは、つまり、一つの極端な対比との距離が大きすぎる余り、他の距離感が小さな誤差にしか見えなくなると言う錯覚。
「要は、一人だけいる『嫌いな奴』の事が滅茶苦茶大嫌い過ぎて、それ以外の奴は全員『そいつに比べりゃ全然マシだから』許せちまうし好きになれるって事だな」
『はい。最高に最悪な理屈ですね』
 優しくない。でもアイツに比べたら全然無害ですし。
 冷たい。でもソイツに比べたら全然可愛いですね。
 そもそも敵だ。別に良いんじゃないですかコイツに比べたら全然マシですよ。
「駄目だろ」
『駄目ですね。それは『幸せにならなければいけない』維月に取っては正直相性最悪の認識です』
 それを嫌ってしまっている限り、本当の意味で幸せに何かなれやしないだろう。
 ああ、でも、そうだ。そんな事は維月自身だって百も承知なのだ。
「分かっていても、無理だってか」
『まあ、無理でしょうね。感情はどうしようも無いんです。いえ、あの子も、どうにかしようとは足掻いているのです。『そんな風に思うのは、貴女の事を好きな人達に対しても失礼だ』何て正論はもう100回くらい言われてますし自分でも言って居ます』
 けれど、どうにもならない。
 感情や心を見る職分ではない博士が違和感に気付くほどに。戀ヶ仲・くるりと言う名の少女に対する好意と気遣いと手厚さと比較すれば余りに明確に。
 斎川・維月と言う名の娘は『己自身だけ』を邪険に扱っている。
 研究に協力する為にどんな検査にも、何なら解剖にも積極的に応じる。そうして己自身の災厄としても仕組みが解明できたなら、或いは解明できずとも確実な無力化が出来るなら、殺処分にしろと、笑顔で宣う。約する。既に契約書すら交わしてある。
 他者を厚遇しながら、自分だけを冷遇している。
 それはどうして?
 聞かなきゃ分からないか?
 博士の心の中で、猛烈な勢いで思い切り吐き捨てたい気持ちが沸き上がって来る。
「|クソがっ《Dammit》! |ふざけんな《Bullshit》!! 何だそのカス見たいなゴミとゲロのカクテルは!!!」
 なのでそのまま全部吐き出した。
『いや吐き出すんですか』
 亡霊が半眼になって居たけど心底どうでも良かった。
 それより何より腹が立って仕方がない。胸糞悪くてやってられない。憂さを晴らそうにもアルコールが苦手だから甘い物をドカ食いする事になるしそれでまた太る。ああ腹が立つムカつく許せないけったくそ悪い何よりこんなどうしようもない状況に対して何一つ解決策を思いつけない自分の無能さが最悪過ぎる。
 そう言う性根だと分かっているからこそ、古霊は話しかけて来たのだろう。消滅の危険を推してでも『その事実』を明確に伝えようと宿主である維月から離れたのだろう。
 それで伝えてだけで直ぐに解決するだなんて思ってもいないだろう。先ずは見据えて貰えれば充分だと思っているのだろう。それも腹が立つ。
 腹が立つが、けれど、その通りだ。どうしようもない。どうしろってんだこんなの。
 そんな嫌悪は捨てさせなければいけない。クビレオニと言う人間災厄の機能からすれば有害極まる感情だ。
 寧ろそれは好意に反転させねばならない。クビレオニと言う人間災厄の制御を試みるならそれこそ急務だ。
 そしてそれは当人も分かっている。分かっていて解決するべく努力中ですらあると言う。だから周囲も本人も一丸となって協力し合ってそうなる様に邁進できると言う事だ。効率や効果を考えるなら理想形の筈だ。
 それでもそれが出来る気がしない。
 だって。
 なあ、おい。
 どうしろって言うんだ本当に。
 そいつを嫌うなって言えるのか。
 そいつを好きになれって言えるのか。
 言うけどさ。
 言うけど言った所でそんな分かりましたそうしますで出来る訳がない。
 出来ると思えない。
 なあ。なあ! あいつはきっとこう言うぞ。言わないさ。言わないけどその目がそう言うんだ。
 そう言われた時、そう言って来たその涙目に一体何て返せば良いんだ。
 とても単純で、至極当たり前の理屈。

「だって、家族を殺した|奴《わたし》の事なんか、どうやって好きになれって言うんですか」

 知るかよ畜生が。