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亡国の|夢物語《シャングリラ》
●むかしばなし
かつて『セレンディア』という、月神を信仰する小さな国がありました。
巫女が月神に祈りを捧げると、月神はその祈りに応え、豊穣の恵みを民に与えたのです。
民の生活は笑顔に溢れていました。
街の水路には花で飾った船が行き交い、奏でられる音楽が街に活気を与えました。
しかし、空の彼方で起きた戦争によって、国は危機に立たされます。
失楽園戦争です。島へと降り注いだ天上界の遺産が、島を汚染したのです。
遺産の力は身分に関係なく、島の人々を次々に異形の姿へと変えました。
地に旱魃をもたらす異形の群。
彼らは水をすべて汚染し、或いは枯らし、人々から奪い去りました。
巫女だけが、異形とならずに生き残りました。穢れた海に浮かぶ儀式場に立ち、彼女は月に願いを捧げます。
『月神様。どうか、私の命と引き換えに、この国を救ってください。再び繁栄をもたらしてください』
月は……既に遺産によって汚染されていた月は、彼女の願いを、|できる範囲《・・・・・》で叶えました――。
●繰り返す終わり
|喪われた国《セレンディア》は二度と蘇らない。
「巫女の願いは歪んだ形で叶えられました。遺産の力によってセレンディアはダンジョン化し、滅亡前夜と滅亡の日を繰り返しています。しかし、それは現実ではありません。|大量のインビジブル《死んだ人々の魂》から創り出された記憶集合体。つまり『夢』のようなものです」
過去の夢は仮初の世界で偽りの繁栄に酔いしれ、最期は滅亡を迎える。それをダンジョン内で何度も繰り返しているというのだ。|泉下・洸《せんか・ひろ》(片道切符・h01617)はEDEN達に今回の依頼について語る。
「皆様にはダンジョンを破壊し、夢の|再生《リピート》を止めていただきたいのです。今はダンジョン内だけの現象で済んでいますが、放置すれば外の世界に影響を及ぼすでしょう」
月神として民に崇められていたのは『白月の幻主』だ。幻想的な月の幻影――討伐目標であり『夢』を創造した張本人。天上界の遺産に汚染された永久機関とも言える。
「幻主は本来願いを叶えたら消える性質を持っています。ですが、遺産の影響でしょうか。消えずに残っているようですね」
汚染以前にも消えずに残っていた理由は、恐らく実際には民の願いを叶えていなかったのだろう。気候や土壌に恵まれていたゆえ、豊穣の祈りに応える必要がなかった。幻主と直接会えるのは巫女だけであり、些細な願いを叶える機会もなかったのだろう。
「……まぁ、これはあくまで私の憶測ですが。真実がどうあれやるべきことは決まっています」
ダンジョンに向かい、白月の幻主を撃破する。
そうすればダンジョンは崩壊し、脅威も取り除けるというわけだ。
ただ、白月の幻主と出会うためには条件があるらしい。
「条件とは、定型化した幻主の夢に『揺らぎ』を与えることです」
ではどうやって揺らぎを与えるのか。洸は説明を続ける。
「皆様は幻主が生み出した夢の世界に入ることができます。まるで現実であるかのように、セレンディアの祝祭に参加できるのです。まずはお祭りを楽しんでください。これが一つ目の揺らぎを与える方法です」
夜を徹して行われる祝祭だ。日付が変わる午前0時頃、演劇の次章に切り替わるかのごとく滅亡の時が訪れる。
「二つ目の揺らぎは、滅亡の時に与えることができます。午前0時を過ぎた後、セレンディアの民衆たちが、次々と異形……旱の眷属に変異します。彼らをすべて倒してください」
異形に変わる時間は個人差がある。中にはまだ異形になっておらず、逃げ惑う人々もいるかもしれない。彼らを守ることも揺らぎに繋がるが、守っている途中で異形化する恐れもある。そうなった場合は、殺さねばならない。
「祝祭と滅亡の時……二つの局面において干渉し、揺らぎを与え続ければ、異常を修正するために幻主が現れるでしょう。そこで幻主を倒せば任務完了です」
白月の幻主には善悪の判断もなく、言葉も発せず、感情もない。遺産と同化し汚染されている現在は、歪んだ願いを叶え続ける自動機構と成り果てている。幻主を倒せば遺産は破壊され、ダンジョンも消失する。
「セレンディアの住民はインビジブル……つまり彼らの魂ですが、幻主によって記憶を抽出された時点で自由意志を喪失しています。幻主が構築したプログラムで動くAIとでも思っていただければ」
洸は暗に、異形と化した人々を殺すことを躊躇うなと言っていた。
彼らを斃すことは、幻主に拘束された魂の解放にも繋がるのだ。
●都市国家『セレンディア』
ダンジョンの入口を抜けるとそこは別の世界だった。
海に囲まれた島だ。時刻はちょうど日が沈んだ頃で、ライトアップされた石造りの建築が色鮮やかに立ち並ぶ。港町を彩るブーゲンビリアやハイビスカスも、人々の目を楽しませた。
街を通る水路は魔法の光で彩られ、星の海のように煌めいていた。花々で飾った小舟に乗れば、水路から街を巡ることができる。
祝祭最終日。人々は最大の盛り上がりを見せる。街の通りを彩るのは祝祭のパレードだ。民族衣装に身を包んだ人々が、竪琴やフルートの音色に誘われて踊り歩いている。
潮が満ちた海辺に打ち寄せる波を表現したダンス。衣装には光沢のある布地が使われ、ビーズ刺繍で飾られた繊細な模様が、月と海の景色を表現していた。
街には出店が並び、暖流と寒流がぶつかる領海で獲れた新鮮な魚料理を味わえる。とくに民衆に人気なのは、小麦粉ベースの生地に様々な海産物を閉じ込んだ丸い焼き物だ。現代の料理で言うならタコ焼きに近い。中身にタコ以外も入れたイメージだ。
土産品もよく売られている。|海月《つきくらげ》を筆頭に、海の生物をモチーフにした雑貨がとくに有名だ。セレンディアは元々他国とも交流があった。通貨については両替できるので心配しなくていい。
しかし、これだけは忘れないでほしい。
この世界の出来事は、すべて『夢』だ。白月の幻主を倒せば幻のように消える。
街は活気に満ち溢れている。巫女の姿はないが、民衆は誰一人気にしていなかった。彼女の存在は幻主によって削除されたのだろう。
当然だ。彼女の命と引き換えに、この夢を創り上げたのだから。
月がよく見える浅瀬に造られた無人の儀式場だけが、彼女の存在の痕跡を残す――。
これまでのお話
第1章 日常 『水上都市』
●残酷な夢
星を散りばめた夜空の下で、七彩の魔法が街中に暖かな明かりを灯す。
ノア・イグニス(|紅蓮の境界線《クリムゾン・エッジ》・h12625)は光煌めく水路沿いを歩く。花冠を被った子供たちが走り過ぎた。届く楽しげな笑い声に、ノアは双眸を重たく細める。
「……偽物の夢を見て回るなんて非効率極まりないね」
悪態をついた。幸せな光景は全てが夢。消去予定の箱庭システムに酔えるほどノアは無垢ではない。
非効率な散策だ。この視察も『揺らぎ』を起こすと言うが、システムの性質を思う度、胸の奥に苦い感情が渦を巻いた。
(彼女の祈りも街の営みも、無かった事にするなんて最悪のシステムだ)
不快な気分を紛らわすように水路を見つめる。
魔法の灯が優しく揺れる。時折通る花飾りの小舟が、華やかに着飾った人々を乗せて光の海を流れゆく。
幾筋も巡る水路は街全体を彩るイルミネーションだ。主要な水路は幅広く、街の奥に入るにつれ狭くなる。まるで木の枝のように伸びる迷路だ。
(とくに最悪なのは、この景色が美しいことかもしれない)
計算式にはない美しさ。それはかつて其処に在ったものだ。箱庭は残酷なまでに過去を再現している。
(もし、この有様を巫女が知ったら……どう思っていたのだろう)
ノアは眉を寄せる。巫女にはもう知る権利すらない。彼女の祈りと存在を引き換えに、天国のような地獄が出来上がったのだから。そしてその事実を誰一人として気にしていない。
「……まったく、最悪を挙げ出すとキリがないね」
気分を変えよう。ノアは出店が並ぶ通りへと向かった。魚の焼ける香ばしい香りが鼻を擽るが、目的は別にある。土産品がズラリと並ぶ商品棚の前で足を止めた。
「いらっしゃい! 手作りの雑貨だよ、ゆっくり見ていって!」
店主の女性が気さくに話しかけてくる。ノアは頷いた後、商品を順に眺めていった。
とある雑貨に目を留める。海月を閉じ込めたようなキーホルダーだ。蒼いガラス玉の中で、白い海月が泳いでいる。
「この商品にするよ」
「お買い上げありがとうございます。あなたに幸福がありますように!」
海月を模した土産品を購入した。手の中で泳ぐ海月をノアはじっと見つめる。
「ボクが対価を払ったんだ。……勝手に消えるだなんて許さないよ」
願を掛けるように呟いた後、静かに懐へとしまい込んだ。購入した品が箱庭のルールで消え去ることは計算済みだ。しかし、購入したという記憶は、確かにノアへと刻まれたのだ。
(だからこれはもうボクのものだ。無機質なシステムが強制消去を実行するその瞬間まで、決して手放したりはしない)
この夢の中にいるかぎり、何があっても持ち歩き続ける。
……夢が終わった後も、遺り続けてくれたらよいのに。冷静かつ現実的な計算の裏で、人としての感情が揺らいだ。
だが、憂いを帯びた心が表側に顔を出すことはない。ノアは街をめぐりながら、祝祭が過ぎ去る時を待つ。
街から笑顔が消える、その瞬間を。
●夢歩き
宝石のように煌びやかな夜だ。祝祭の賑やかな空気、耳に届く陽気な笑い声。
民衆の賑わいに、常磐・兼成(酒侵讃歌・h10142)は双眸を静かに細める。
「喪われた国は二度と蘇らない。確かにそうだろうな」
民在りきの国だったのだろう。国とは土地だけでなく、そこに住む人々が礎となり築き上げるものだ。
「……精々、夢の世界だけでも愉しんでいこうか。滅亡を見届ける側として」
そっと呟いた後、兼成は笑みを浮かべる。祝祭らしく陽気に華やかに行こうじゃないか。光り輝くその場所へと彼は繰り出した。
「祭りだ……!」
夢とはいえ人々の賑わいを眺めるのは心が躍る。花飾りの小舟に乗って街を巡れば、水路沿いに立ち並ぶ多くの店が興味を引いた。
船着場から出店街へと降り、通りを練り歩くパレードの音色にも耳を傾ける。五感を刺激する祝祭だ。出店から食欲を誘う香りが漂ってきた。
「新鮮な魚料理の気配! せっかくだし味わってみよう」
マグロを閉じ込んだ丸い焼き物を購入して、いざ実食だ。
「うん、美味い! ホクホクだ!」
脂がのったジューシーな味わい。口の中でふわりと蕩ける食感に思わず頬が緩んだ。
(夢の世界なのに味も食感もちゃんとあるなんて、不思議な感覚だな)
名物料理で腹を満たした後は、海際の水路沿いを散歩する。
浅瀬に造られた儀式場を瞳に捉えた。祭りの最中にありながら、儀式場は静寂に包まれている。
「……痕跡は確かにあるのに、みんな気にしていないんだな」
巫女の祈りは歪んだ夢に落ちた。
砂浜に波が打ち寄せる。さらさらと砂の流れる音が心地よい。これも全て、偽りの夢なのだ。
(日が沈み夜が訪れ、やがて光も消えたなら、朝は二度と巡らなくなるんだろうけど)
どこか懐かしさもある情景に、何とも言えない心地になる。切ない気持ちを誤魔化して、兼成は祭りを楽しむ役者となった。
「さ、次はどこを見ようかな?」
●儚き楽園
失楽園戦争から始まる悲劇。繰り返される繁栄と終焉。
|藤代・玲慈《ふじしろ・れいじ》(|桜香の守り手《Cage de Cerisier》・h12755)にとっては、この悍ましい現象も数ある事件のひとつに過ぎない。
(……とはいえ、だからといって無関心でいられるほど淡白でもない)
小舟の上から街の景色を眺める。咲き乱れる花々と、地中海沿岸にも似た美しい建築。祝祭を祝う人々の街行く流れ――。こんなふうに綺麗に飾り立てられた終わりを見るのは、あまり気分のいいものではない。
(囚われた魂が居るというのもすわりが悪いですしね)
穏やかに揺られながら、木製の杯に葡萄酒を注いだ。出店に売られていた酒だ。祝祭のために用意された特別なものらしい。
深い味わいを舌の上で転がす。芳醇な美酒はイワシのマリネともよく合った。柔らかな身を噛む度、魚の旨みと共にレモンの酸味とオリーブのまろやかさが広がる。
(とてもリアルで、夢だということを失念してしまいそうです)
酒の肴はマリネだけではない。灯りに彩られた街と楽しげに行き交う人々も、酒を美味しくする。確かに美しいし、こういう夜は嫌いではない。
(……だからこそ、これが夢で、壊れるべきものだという事実が、少しばかり厄介ですね)
酒とマリネが無くなったところで、船着場から水路沿いの通りに降りる。
せっかくだから土産物も買っていこう。出店をまわり、とある店の前で足を止めた。
天然石の雑貨を扱っている店だ。海月の小さなチャームに目が留まる。真鍮で作られた触手が煌めき、傘の部分にはラピスラズリが嵌め込まれていた。
「こちらをひとついただけますか」
「お買い上げありがとうございます!」
買い物を終え、海が見える場所に向かった。
魔法の光が砂浜を金色に飾る。その輝きにチャームを翳せば、手の中の海月は美しい彩を帯びた。
「……綺麗ですね」
最後はどうせ消えてしまうかもしれない。
そうだとしても、手元に置いてみたくなる夜くらいはあるでしょう。
●おさんぽ
ふわり、ふわり。
浮かぶ月に誘われて、|葉《ヨウ》・|月《ユエ》(|熊猫魈《すだま》・h12321)は夢の世界へ訪れた。
輪の形をした大きな武器に腰かけて、彼は光り輝く星空を飛ぶ。魔法の光も楽しい夢も、月にとっては美味しい美味しいご馳走だ。
「鮮やかさが眩しいなあ。いろんな場所を巡って、綺麗な光を味わいたいね」
光に誘われて自由気ままに祝祭の街を見てまわる。ふと漂う美味しそうな香りに、月はふんふんと鼻先を震わせた。
「くんくん、いい匂い……」
店の前に降りれば、魚介を包んだ生地が鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる。
「海産物の丸焼? あ、違う? 丸い焼き物?」
「セレンディア名物だよ。お月様の形に似てるだろう?」
「うん、まんまる。それください」
もふっと丸い手からお金を差し出して、焼き物と交換する。ほくほくの焼き物を、口を大きく開いてぱくんと頬張った。
「あぐあぐ……おいしい! もっと食べたいなあ」
一個じゃ足りないからもう一個。マグロにタイに、イカやタコまで。幾つも制覇すれば、ぽってりお腹がさらにぽってりと膨らんだ。
「ふぅ~、おなかいっぱい。腹ごなしにゆらゆらしようっと」
通りを進むパレードに合わせ、体を左右に動かす。ゆらり、ゆらり。フルートの音に合わせ、月の武器も穏やかに揺れた。一緒に踊りながら水路沿いの路を行くと、とある土産屋が目に入った。色鮮やかな雑貨の数々が、光に照らされ煌めいている。
「わあ、この栞、とってもきれいだね」
月が手に取ったのは、海月の揺れるステンドグラス風栞だ。月光を表現した黄色と白、海を表現した青、そして紫色の海月が栞の中で泳ぐ。
他にも海際に咲く花々を描いたものや、街の景色を描いたものを購入した。手に入れた宝物を魔法の光に透かしてみる。
「きらきら光って、もっときれいになったね。お星さまみたい」
最後に消えてしまうとは思えないほどに、栞は美しく輝いていた。
●境界線
水の音がさらさらと穏やかに響く。小舟は鮮やかな花々に彩られ、水上で乙女のように咲き誇る。魔法の光を灯した星の水路を行きながら、|四十万《しじま》・|白灯《はくと》(影踏・h12220)は紡いだ。
「この景色が現実じゃないって信じ難いな。夢も記憶も断片的で不鮮明なものだ」
彼の隣で、|雨夜《あまや》|・《・》|氷月《ひづき》(壊月・h00493)も街の景色を見つめていた。
「ま、記憶と夢を媒介に生み出した別領域って言った方が近いかもね。記憶なんて基本はそのヒトのモノ。他者に影響を与えてる時点で全くの別物じゃない?」
「そのような見方もあるんですね」
氷月の見解に白灯は成る程と頷いた。別領域と成った今、再構築された記憶はリアルな夢となる。面白い考え方だ。考察しだすと終わりが見えない。深く考えるのは止めて、白灯はにっこりと笑いかける。
「まあでも、折角だし楽しみましょう。今日はきみも一緒だから ねえ? |小猫《シャオマオ》」
「ぬるっとついてきてよく言うよ」
氷月はあしらう様に笑い返してみせた。
二人は共に、小舟から祝祭に華やぐ街を楽しむ。賑わう出店と笑顔の人々が幾度も通り過ぎた。水面に目を落とせば、七彩の魔法光が煌めく。水面に映る光は視界を鮮やかに埋め尽くした。
美しい世界のどこからか、神秘的な音楽が聞こえてくる。
「啊、パレードだ」
白灯は音の出所を探り、氷月にも見せるように指し示した。
「んー?」
氷月は指し示された先を何気なく眺める。民族衣装に身を包んだ人々が歌い踊りながら、祝祭の喜びを分かち合っていた。
煌びやかで賑やかなパレードは、確かに目を惹くモノがあるけれど。
(この世界では寸分違わず繰り返されるんだろうな)
|再生《リピート》され続ける世界。そこに本当の喜びはないのだろう。それは全て過去のモノで、今は存在しない。
氷月の横顔を見つめ、白灯がふと思いついたように口にした。
「ここではたった二日間を延々繰り返しているようだけれど。きみにもある? 何度も繰り返し思い出してしまう記憶」
問われた言葉の裏に秘めるのはちょっとした願望だ。|思い出を掻き混ぜれば《・・・・・・・・・》、きみのことをもっと知れるだろうか。悪気はない。ただの世間話だ。
伸ばされる白灯の手を、氷月は静かに瞳に捉える。
(きっと無意識なんだろうな)
その手に触れはしない――面倒なことになりそうだから。
「繰り返し思い出す記憶? さあね、パッと思い浮かばないから無いんじゃない?」
|忘れてる《・・・・》可能性もあるけれど。沈黙の中に別の答えを抱く。だが、思い出したいとは思わない。
「思い浮かばない、か……」
「アンタは何かあるの? 思い出すような、印象的な記憶とか」
興味深そうに呟く白灯に、氷月は問いを返す。
「僕ですか?」
白灯が伸ばしかけていた手を止めた。頭の内側を一周だけ雑に巡る。結論は、とくになし。自分の記憶よりも、他人の記憶の方がずっと魅力的だ。
「僕は他人の記憶ばかりに興味があってね。自分のことは殆ど覚えてませんよ」
はは、と薄っぺらく笑う白灯。そんな彼に氷月は呆れたように苦笑した。
「それはまた……アンタっぽい悪趣味だね」
ふいに、上空からドンと音がする。見上げてみると、空に花火が上がっていた。大輪の花が夜空に咲く度、人々の歓声が上がる。
「花火、綺麗ですね」
白灯が柔らかに双眸を細めた。確かに見ているはずなのに、空洞のように暗い瞳が花火の光を映すことはない。
伽藍洞の奥を覗こうとはせず、氷月も花火へと視線を向ける。確かに美しいけれど、結局は時間通りに実行されるプログラムに過ぎない。
「それはもう綺麗だったんだろうね」
氷月はかつて美しく咲いていたであろう花火を想った。真実の如き偽りを、決して『悪』とは思わないけれど。
●不完全で美しい
終焉を繰り返しては巻き戻る歪んだ夢。その世界は見惚れるほどに美しく、悍ましいほどに残酷だ。
「大切な人や場所が無くなる直前を何度も繰り返すって、ちょっと虚しいかも」
|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)は思う。どちらにせよ夢の住人に未来は無い。ある意味で救いなのかもしれないが、羨望じみた想いは霧に包まれたように判然としない。
定型化された繁栄と滅び。あまりにも無情なシステムに、|色城・ナツメ《しきじょう・なつめ》(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)も表情を引き締める。
「やるせねぇけど……それを外に溢れ出させるわけにはいかない」
もし外界に溢れ出してしまえば、混乱を引き起こすことは間違いない。
二人は眼前に広がる煌びやかな祝祭を見据える。
「やっぱり止めなきゃだよね」
陽の決意に、ナツメが頷いてみせた。
「ああ。止めるためにも、今は思い切り楽しむぞ。揺らぎとやらを作ってやろうじゃねぇか」
今後を思うと素直に楽しめないが、ここは真剣にお仕事だ。出店が並ぶ通りへと二人は繰り出した。
「いろんな出店があるね。こんなに沢山あると目移りしそう」
陽は通り過ぎる人々を横目に捉える。楽しげな人々も全ては夢の住人なのだ。
「夜になってもめちゃくちゃ賑やかだな、出店の飲み物でも買って巡ろうぜ」
ナツメがドリンクスタンドを見つけ、二人でそこへ向かう。
「ココナッツミルクとバナナのスムージーにするぜ! ハルは何にするんだ?」
「俺はフレッシュベジタブルにしようかな。甘い物は得意じゃないし」
飲み物を手に二人は出店を見てまわる。魔法の光の中でより一層輝く場所を見つけ、ナツメが足を止めた。
「なんだここ?」
「わぁ、硝子細工綺麗だね」
陽も商品棚を眺める。煌びやかな硝子細工が所狭しと並べられていた。
「おー、ガラス細工の土産屋か」
ふらりと立ち寄り、ナツメは順に品物を見ていく。どれも魅力的だが、その中でもイルカの硝子細工に心を惹かれた。
そっと手に取ってみる。青い色が空みたいに綺麗だ。
「ハル、これなんかどうだ? ハルに似合うと思うんだが」
「え? 俺に? 自分のじゃなくて?」
イルカを見せられ、陽がぱちりと瞬きする。驚く陽にナツメが悪戯っぽく笑う。
「なに驚いてんだ? たまにはこういうのも面白いだろ?」
差し出されたイルカを陽は受け取った。青空のような色がとても美しく感じる。
陽は照れ臭くなった。まるで自分が青空だと言われているみたいだ。
「そ、そうだね……じゃあ、俺もナツメくんに何か選ぼうかな」
照れ隠しのようにそそくさと探して……アヒルの硝子細工を発見する。
「あっ! 好きそうなのを見つけたよ。ほら、アヒルさん」
金色に煌めくアヒルだ。つぶらな瞳も可愛らしい。ナツメが表情を輝かせる。
「はっ! よーく分かってるじゃねぇか」
迷わず購入だ。喜ぶナツメに、陽も嬉しそうに笑った。
「ふふ、ナツメくんと言えば、やっぱりアヒルさんだよね」
なぜ海街なのにカモメではなく、アヒルが存在感を主張しているのかは謎だが。
しかし、ナツメが喜んでくれるならばすべてよしだ。
お互いに選んだ硝子細工を買って、休憩にと水路沿いのベンチへと向かう。袋から硝子細工を取り出して、魔法の光が漂う空に向かって翳してみた。イルカもアヒルも光を反射して、宝石のような輝きを放っている。
硝子細工を通して、ナツメは夜空を見上げた。祝祭の賑わいが溶ける星海は息を呑むほどに美しい。
「ハル……明日世界が滅ぶとしても、空は綺麗なんだな」
崩壊を感じさせぬ完璧な空。永久を思わせる色彩を、陽も青い瞳に映し込んだ。
「そうだね。人間の事情なんて関係なく空は綺麗で……届かないものなんだよね」
いくら手を伸ばしても空には届かない。届かないからこそ、空は永遠に綺麗なのかもしれない。
●夢に現
月は願いと共に満ちる。星空は夢を抱き、夢幻の世界を産んだ。
|ララ・キルシュネーテ《꒰ঌ❀..**。.:*:.。.咲樂*桜樂.。.:*:.。.✽.。❀໒꒱》(白虹迦楼羅・h00189)は桜鳥を追いかける。
(さくら、さくら。教えてほしいの、あの懐かしい温もりを)
夢の中は温かいのに、とても冷たい。
夢に飛び立つ桜鳥に、|咲樂・祝光《。❀·̩͙꙳。サクラ シュリ。❀·̩͙꙳。》(|曙光《アルナ》・h07945)も手を伸ばした。
(さくら、さくら、教えておくれ。愛し子の行方を)
月は時に外から訪れた者らにも夢を齎す。真と偽が溶け合う――麗しき夢幻泡影が彼らを包んだ。
ララは夢の大地に降り立つ。
「此処がセレンディア。美しいわね」
命と引替えに世界を救う願いの果ての夢。目覚めれば泡沫と消えてしまう。
海辺がよく見える通りをパレードがゆく。月と海を繋ぐドレスが魔法の光に煌めいた。
夢の世界に飛び込んだ祝光は、祝祭の華やかさに切ない想いを抱く。
「セレンディア……夢の世界……祈と願の残穢」
ララと祝光。二人は別々の場所に降りたけれど、見えない力が二人を引き寄せる。
華やぐ祝祭、パレードを観ながらララは歩いた。
(賑やかできらきらして綺麗。なのにララは1人だから少し胸の奥がつめたい)
独りぼっちは寂しいの。
――孤独は心を蝕む毒である。
「……お祭りか……家族で行った」
祝光は昔を思い出す。小さな妹の手を繋いで、父がすぐ抱えてしまい悔しくて。俺も抱っこしたかったから。
また手を繋いで、その身を抱きしめられたら――。
月が彼らの願いに応える。余香の桜鳥が、ふわりと舞った。
星空から光が降る。七彩煌めくブーゲンビリアの花路で、彼らは出逢った。
ララの姿に祝光は目を見開く。
「……!? 桜樂!」
名を呼んで真偽も確かめず駆け寄った。今では誰も呼ばない本当の名前を呼ばれて、ララは祝光を瞳に映す。
「? ……にぃに?」
温もりがララを包んだ。
「桜樂! 夢だから逢えたのかな。あいたかった……」
夢でもいい……泣きそうだ。祝光はララを強く抱きしめる。瞼がじんと熱くなった。
ララを満たすのは懐かしい温もりと桜の香り。
「にぃに!」
抱きしめられて、苦しいくらい。けれどそれ以上に心地よい。兄の存在を確かめるように、ぎゅっと抱きついた。
これはきっと夢。夢なのだから、自分の気持ちに正直になろう。
「桜樂、一緒にお祭りを見てまわろう」
「うん。ララ、にぃにと遊ぶ!」
二人は共にセレンディアのお祭りへと繰り出した。
祝光はララを抱き上げて、焼き立ての香ばしさが漂う店を指し示す。
「あれ食べようか? 美味しいよ」
「たこ焼き? 良い香りがするわ」
通りを練り歩くパレードを眺めながら丸い焼き物を食べる。
「桜樂、はい。あーん」
ララは小さな口を開く。
ぱくっ。
「おいしい!」
差し出された焼き物を啄むように食べる。彼女の愛らしい姿に祝光も頬を緩ませる。
もぐもぐ、ごくん。胃に収めた後、ララも焼き物を爪楊枝で串刺した。
「にぃににもあげるわ」
「俺にもくれるの? 桜樂は優しいな」
ララがくれた焼き物を祝光もぱくりと頬張る。妹から貰えた焼き物は極上の味がした。
お腹を満たした後は、土産屋で記念品を探そう。
祝光は海月の帽子を見つけてララに買ってあげた。淡いピンク色が可愛らしい、桜の花を散らせたような海月の帽子だ。
桜海月の帽子をララは被ってみせる。
「どう? ララ海月よ」
「海月迦楼羅だね。宇宙一可愛い!」
祝光は瞳を輝かせた。ララが眩し過ぎて、周りの世界が霞んで見えるほど。
土産を買った後は船着場へと向かった。花小舟が二人を待っている。
「次は舟に乗ってみようか」
「うん、きっと楽しいわ」
ララは笑顔で頷いた。
(夢よ、これは夢。だから、昔みたいにたくさん遊んで貰うの)
ララを抱き、祝光は舟に乗り込んだ。
(ああ、なんて幸せな夢なんだろう……)
いつか醒める夢だとわかっていても、今だけは夢よ醒めるなと願ってしまう。
舟は二人を乗せて、虹色に煌めく星海を進み始めた。
●穏やかな夢の中
過去の楽園は夢の中に取り残されて、模倣された栄華と滅亡を繰り返す。
魔法の光に祝祭の街は彩られ、艶やかに花々を咲かせていた。
冷たく優しい星空の下で、|神代・ちよ《かじろ・ちよ》(追憶のキノフロニカ・h05126)は賑わう街を見つめる。
「喪われたものは、二度と蘇らない――此処にあるのは、都合のよい夢。こんなにうつくしい街なのに、悲しいことですね」
如何に美しくとも夢は夢。後に害を及ぼす危険があるとなれば、壊さなければならない。
親子連れが手を繋ぎ、笑顔で通り過ぎた。|神花《かんばな》・|天藍《てんらん》(白魔・h07001)は、夢の住人達……縛られた魂を想う。
「形あるものはいつかは朽ちる。命あるものもまた、いずれは死ぬ。此の世にあるものは、やがては終焉を迎える宿命なのだ。それは虚しく寂しいことであるかも知れぬが終われることもまた救い。だがその救いすら取り上げられてしまうとはなんとも惨いことよ」
寄せる切ない感情に、ちよは唇を引き結んだ。目の前に在る景色は願いのかたち。歪んでしまった祈りの結晶。けれど、たとえ歪なものであっても大切にしたいと思うのだ。
「でもそれだけ、願いを捧げた方たちにとって、うしないがたい場所だったのでしょう……せめて、この夢を楽しんで、そして、覚えていましょう。この地に残ってほしいと願った方たちのために」
「我もそれに殉じよう。よく言われることではあるが人が真に死ぬのは、すべての者に忘れ去られた時なのだという。憶えておくことが弔いになるのやもしれぬな」
ちよが憶えておきたいと願うのであれば共に願おう。
願う者の数は多い方が良い。天藍がそう紡げば、ちよは嬉しそうに微笑んだ。
二人は祝祭に輝く大通りへと歩み出す。
「さて、このお祭りを楽しみましょう。小舟に乗るのも楽しそうですし、パレードも賑やかで素敵なのです!」
魚介の焼き物屋、天然石の宝石店、硝子細工煌めく雑貨店……様々な店が軒を連ねていた。
「様々な催しがあるようで目移りするな」
ゆるりと周囲を見回す天藍にちよが尋ねる。
「おじいさまは気になるものは何かありますか?」
「む? 何処に行きたいか我に聞くのか? そうだな、我は甘い物を楽しめればなんでもよい」
「まあ、甘いものがお好きだったのですね」
「例えばこの前に出掛けた遊園地でくれぇぷなるものを食べたのだ。ほいっぷくりーむ山盛りで非常に美味であった。ちよはくれぇぷなるものは食べたことはあるか?」
ちよは聞き慣れない単語に首を傾げる。
「くれぇぷ……ですか。知識としてはありますが、そういえば食べたことはありませんね」
「あれは一度食べるべきだ。尤も、この街にあるかどうかは知れぬが」
これだけ店があればありそうなものだ。ちよはクレープ屋探しを提案する。
「よければ、一緒にお店をさがしに行きましょう。この時期は、いちごのくれぇぷなどが季節でしょうか」
祭りの空気を楽しみながら二人はクレープ屋を探すことにした。
「ちよこそ、何かしたいことはないのか? 遠慮無く申せ」
自分の希望ばかり聞いてもらうのも忍びない。話を振る天藍に、ちよは少しだけ考え込む。
「そうですね……ちよは……このあとパレードを見に行ってみたいのです! きっときらきらしていて、素敵だと思うのですよ」
「ぱれぇどか。仮装行列のようなものだろうか?」
「くれぇぷ屋さんが見つかったら、パレードの方にも寄ってみましょう!」
民族衣装を身に纏った華やかなパレードらしい。祝祭を楽しむにはもってこいだ。
ちよの言葉に天藍は頷きつつ、彼女の様子を密かに気に掛ける。
(無理はしておらぬだろうか。ちよの様子は気に留めておこう)
二人はさらに通りを進んだ。魔法が虹色に輝いて、祝祭の路を照らしだす。
「どこも魔法の光に溢れていて、とても綺麗なのです」
「そうだな。出店も様々な品物が揃っておる」
ふと甘い香りが鼻を掠めた。気付いたちよが、香りの漂う方向に目をやる。
「甘い香りがします……あちらでしょうか」
視線の先では、店主が丸い鉄板で生地を焼いていた。その光景に天藍が瞳を輝かせる。
「ちよ、あったぞ。あれがくれぇぷ屋だ」
メニュー表に描かれたクレープの絵を、ちよは興味津々に眺めていく。
「葡萄に、バナナに……苺以外にも色々あるのですね」
悩んだ末、ちよはいちごチョコホイップを頼んだ。
「我は葡萄あんどちょこほいっぷくりーむのくれぇぷにしよう」
この世界で食べるくれぇぷとは如何な味か。天藍はちょっぴりわくわくしていた。
クレープを購入し、店の脇のベンチに座って食べる。
もっちりした生地にフルーツとチョコホイップクリームが合わさり、口の中で甘やかに蕩けた。
「これがくれぇぷ……とても美味しいですね」
「そうであろう。くれぇぷとは大変素晴らしい甘味よ」
甘味を味わっていると、竪琴とフルートの音色が耳に届く。
ちよが顔を上げ、音が聞こえる方向を見やった。
「! おじいさま、見てください!」
祝祭のパレードか近付いてくる。天藍も歌い踊る人々を視界に捉えた。
「ぱれぇどからこちらに来てくれたな」
ビーズ刺繍は星々の輝き。煌びやかな衣装が優雅に靡く様は、穏やかに打ち寄せる波のよう。彼らは笑顔で、表情は喜びに溢れている。
「皆さん、とても楽しそうで……幸せそうなのです」
ちよは眩しさに瞳を細めた。
天藍はちよの横顔を見つめる。以前彼女が倒れた時より幾分か回復しているように思えた。
「……ちよは、この祭りを楽しめておるか?」
そっと尋ねる。ちよは柔らかな笑みを滲ませた。
「はい。この楽しいひとときを、ちよは絶対に忘れません」
「そうか。それならばよかった」
天藍は心の内で安堵する。
「おじいさまはどうですか? 楽しめていますか?」
今度はちよが問う番だ。天藍は迷わず頷いて、手元のクレープに目線を落とした。
「うむ。行列も壮観であるし、何よりくれぇぷが美味であるからな」
食べかけのクレープに閉じ込められた葡萄は、夢とは思えぬほどに瑞々しい。
●記憶に刻む
暖かな風が穏やかに吹き寄せる。頬を撫でる風が運ぶのは花の香りと人々の笑い声。
街は活気に満ち溢れていた。海へと繋がる水路には魔法の光が煌めく。七彩の星海を見つめ、ノヴァ・フォルモント(月光・h09287)は黄昏の双眸をそっと細めた。
「嘗て存在した水と花と月の都……その光景はさぞ美しかったのだろうな」
人々の想いが創り出したこの夢の世界がそれを物語っている。
巫女の祈りを種火に、死した民衆の記憶が燃え上がり、亡国の幻を生み出した。
(……このまま幸せな夢を見続けさせてやれたら、どんなによかったか)
願いは叶わない。それは同時に、尤も不幸な夢を見せ続けていることでもあるからだ。幸福な夢を見るために、不幸な夢を繰り返す。まるで光と影が永遠に離れられないように、繁栄と終焉は表裏一体なのだ。
「……皮肉だな。俺達に出来ることは、終わらない輪廻を断ち切る事だけだ」
ノヴァは気持ちを切り替えて、相棒の仔竜「ノクス」を肩に乗せた。
「さて、ノクス。祝祭を楽しもうか」
ノクスが上機嫌に鳴く。共にセレンディアの祝祭へとくりだした。
瑠璃色の小舟に乗って街の水路を巡る。黄色に白、桃色。鮮やかな花々で飾られた小舟から街の賑わいを眺める。
(音も、風も、香りも、光も……まるで現実のようだ)
夜の波の音、星の海、祭りの燦めき。光に彩られた通りを人々が行き交い、出店から漂う料理の香りが鼻腔を擽る。
どれも華やかで、それでいて儚くもあった。
小舟は星空の水路を進み海に出る。ノヴァは視線の先に、主の居なくなった月の祭壇を捉えた。祝祭から置き去りにされた祭壇を静かに見つめ、ひとつ息を吐く。ノクスがノヴァの頬に鼻先を寄せた。
「……大丈夫だ、心の準備はできている」
ノクスを優しく撫でながら、ノヴァは街の光景を眸に焼き付ける。夢の中に輝く世界を、決して忘れぬように。
●旅の途中
偽りの星空は美しく瞬いて、魔法の光を祝祭に華やぐ街へと降り注がせる。
枝のように幾筋も伸びる水路。魔法の光に包まれた街路。人々が行き交い、花々が咲き乱れる楽園。
「ほう、これが……しかして哀れなほど美しい」
……だから神というものは好けない。|黛・巳理《まゆずみ・みこと》(深潭・h02486)によって付け加えられた言の葉は、夢の光に溶ける。神に人の心は解らず、それゆえに完璧に計算された結果を導き出す。だからだろう、こんなモノを悪気もなく生み出せるのは。
一方で、|泉・海瑠《いずみ かいる》(妖精丘の狂犬・h02485)は瞳を輝かせ、きょろきょろと周囲を見回していた。
「わー……! 凄いね、巳理さん! 夢の中だなんて思えないくらいリアル……!」
道沿いに咲くハイビスカスの花弁に触れてみる。柔らかな感触が指をふわりと擽った。まるで現実のような夢だ。はしゃぐ海瑠の姿を見ていると、巳理のささくれ立った心も凪いでゆく。
(それでも海瑠くんが喜ぶのならばそれはそれか)
巳理から見つめられていることに気付き、海瑠が気恥ずかしそうに笑んだ。
「って、あはは……ちょっとお上りさんっぽかったね」
はにかむ姿が愛らしい。巳理も釣られて表情が和らぐ。
(可愛いな……)
海瑠の頭に手を伸ばした。彼が大人と知りながら、つい撫でてしまう。
綺麗な宝石に触れたくなるように、楽しそうな彼を見ていると触りたくなってしまうのだ。
「え、えと、み、巳理さん……!?!?」
海瑠はトマトのように顔を真っ赤に染める。混乱の極みに跳ね上がる彼に、巳理はパッと手を離した。
「我々は観光しにきたんだから、辺りを見回したとて問題ない」
あまり驚かせても悪い――耳元でそっと囁いて終わり。美しい景色を見て気分が高まるのは当然のことだ。
「そ、そうだよね……素敵な場所だし!」
海瑠はばくばくと脈打つ心臓を必死に落ち着かせる。すぐに離れた手が淋しいけれど、ずっと触られていたら心臓が爆発してしまうかもしれない。
巳理のフォローも純粋に嬉しくて、へにゃりと顔が緩んだ。気持ちを切り替えて、水路沿いの船着場を指さす。
「折角だし小舟に乗ってみない? こういうの、なかなか乗る機会ないし」
「たしかに。せっかくの風光明媚、ボートで楽しませてもらうのも一興だ」
巳理は頷く。夢の世界は後に崩壊を迎えるのだ。この美しさは今しか味わえない。
二人が船着場に到着すると、ちょうど一隻の小舟が到着したところだ。
ターコイズブルーで染められた小舟が、色とりどりの花で飾り付けされている。
「わあ! すごく綺麗!」
海瑠が歓声を上げた。巳理も小舟を観察しながら、ある事実に気付く。
「お客さんは私たちだけかな」
船頭以外、舟には乗っていない。
「二人きり……?」
海瑠がぽつりと呟く。船頭は居るけれど、それにしたって貸し切り状態だ。二人のためだけに進む舟と言っても過言ではない。
小さく紡がれた言葉は小舟に寄せる波の音で消えた。
「? 海瑠くん、何か言ったかい?」
巳理が首を傾げる。海瑠はふるふると首を横に振った。
「ううん、何でもない! さっ、乗ろう!」
小舟は大きい船よりもずっと不安定だ。海瑠は先に乗り、巳理が危なくないように手を差し出した。
「ああ、ありがとう」
巳理は海瑠の手を取り、足元に気を付けながら舟に乗り込んだ。
二人を乗せて小舟はゆったりと動き出す。数々の出店が並ぶ通り、道行く人々の明るい話し声。
祝祭のパレードが、煌びやかな踊りと朗らかな歌声と共に通り過ぎる。
「街の中に水路があるのって不思議だねー」
海瑠は街の様子を眺めながら楽しげだ。巳理もじっくりと水路を観察した。魔法が水面を照らし、鮮やかな灯が幾重にも揺らぐ。
「水路は、現代になり少なくなったから逆に珍しいかもしれないな」
言葉を交わす間にも小舟は進む。
穏やかなひととき……と思いきや、海瑠の心の中は嵐のようであった。
(これって完全にデートでは!? 船が大きく揺れたりしたら体勢崩れて巳理さんに抱き留めてもらっちゃったり……!)
勝手な妄想が頭の中で駆け巡る。あまりの照れ臭さに頭から湯気が噴き出しそうだ。
「我々の時代にはあくまで“歴史上”の記録の産物であることの方が多いし――……海瑠くん?」
巳理は海瑠の様子がおかしいことに気付いた。喋りながらよく見れば、一人で考えて微笑んだり、頭を抱えたりと忙しい。巳理の視線に今度は海瑠が気付く。
ハッとした海瑠と、きょとんとする巳理。二人の目がぴたりと合った。
交わる視線の中、数秒の沈黙が過ぎる。
なんでもない――いつもの海瑠ならそう誤魔化していたに違いない。けれど今は、幻想的な空気が、いつもと違う反応を引き出す。夢の中なら、ちょっとくらい本音を漏らしても良いかもしれない。
「……な、なんかちょっとデートっぽいなー……なーんて……」
正直に紡がれたそれを、巳理は真っ直ぐに受け止める。
「……デートか……」
再びの沈黙。海瑠は静けさに耐え切れない。
「や、やっぱりなし! 聞かなかったことにして!! 夢だし! 忘れよう! ね!?」
恥ずかしさにまたしても顔が真っ赤になった。照れたようなその言葉に巳理はついつい笑ってしまう。
「忘れてほしいのかい? 私は覚えていたいのだけれど」
あまりにも可愛いことを言うものだから、またしても海瑠の頭を撫でてしまった。
夢の世界の海瑠は魅力的だ。いや、巳理にとっては夢の世界でなくても、海瑠は可愛いし魅力的なのだけれど。
「そ、それは……うぅ……」
再び撫でられて、海瑠は胸のあたりがきゅうっと熱くなった。
恥ずかしさと撫でられる嬉しさが、海瑠の心を両脇からがっちりホールドする。感情の波に呑まれて言葉が出ない。視線を泳がせた先で、星海の水面がキラキラと揺れた。
――けれど、沸騰する思考の裏では、現実的でない妄想をしていることに気付いている。
(知ってるんだオレ。本当に船が揺れても、悲しいかなオレって体幹も反射神経も良いんだよね……寧ろ巳理さんを支える側だよなぁ……)
勿論、それでも幸せだ。
(何があっても巳理さんを守り抜くのはオレだから)
ふいに舟が大きく揺れる。船体に波が寄せたのだ。
「おっと……?」
巳理はバランスをとったつもりだったが、大きくよろけてしまう。
振り落とされそうになった巳理を、海瑠が咄嗟に抱き留めた。海瑠の胸に飛び込んで、巳理は反射的に目を閉じる。
「だだだだ大丈夫? 巳理さん」
うぅやっぱり……。ポロリと落ちた言葉を耳で拾いながら巳理は目を開いた。
「ああ、大丈夫だ」
(何だろう? 今の言葉は……?)
しかし、考えても答えは出ない。現在の状況が、答えを正確に導き出す時間を与えてくれない。
密着したことで海瑠の混乱は限界に近付いていた。
(わああああハグしちゃったよやばい……! これ心臓の音聞こえちゃう……!)
セレンディアに訪れてから海瑠はドキドキしっぱなしだ。
だが……これは幸運なのだろうか? 巳理は海瑠の爆走する情緒に気付かない。
(彼はしっかりしているから、私が鈍いのを予測していたのかも……)
とても温かい。海瑠のぬくもりを近くに感じ、恥ずかしさが込み上げてきた。
よろけてしまった不甲斐なさも相まって頬が熱くなる。見られたくなくて、海瑠の胸元に額を当てて顔を隠した。
「すまない、海瑠くん……いつも助けてもらってばかりで」
海瑠はずっと混乱していて、いつ自分が変なことを言い出すか気が気でない。
(ふ、ふねの上で抱きあってる~!!!!)
どさくさに紛れてぎゅっと抱き締めることも忘れないが。大好きな巳理が腕の中にいるのだ。
「気にしないで。これからもオレのこと、頼って欲しいな……なんて」
すぐ近くで彼の香りを感じていたい。巳理も海瑠を感じながら柔らかに返す。
「ああ、頼りにしているよ」
海瑠を信頼している。だが同時に、自分からも海瑠を守りたい。頼りにされたい。
(もっと体を鍛えた方が良いだろうか……)
舟が揺れたくらいで落ちそうにならない程度には――。
第2章 集団戦 『旱の眷属たち』
●
定められた時間を迎え、物語は次の章に移行する。
祝祭が盛り上がりを見せる中、夜空を切り裂くように一筋の光が落ちた。
時折赤が滲む強烈な白光。それは災厄を齎す天上界の遺産だ。
「なんだ?」
「海に何か落ちたわ!」
そうと知らぬ民衆が海辺に集まる。もっとも、危機を察したところで逃げ場はない。
遺産の力はとうにセレンディア全体を包み込んでいた。
灼けつくような耀きが広がる。それは日照りを齎す破滅の太陽だ。
人々の体が次々に変異する。肌が膨張し、破れ、枯木と岩を繋ぎ合わせた化け物と化した。
竜漿を持つ地上の生物を、地に旱魃をもたらす異形へと変えたのだ。
元は人間だった存在……『旱の眷属たち』の出現によって、セレンディアは悪夢に落ちた。
「ギシャア……!」
不気味な声を発しながら眷属たちが街を蹂躙し始める。
「お父さん! お母さん! うわぁああっ!!」
「ギシャアアアッ!」
「ひいっバケモノ……! 月神様、お助けくださ――」
街が血に染まる。死体から新たな異形が生まれる。
海を汚染し、水路を枯らしながら。異形はまだ化け物になっていない人々を熱光線で焼き、杖で突き殺す。
星空は消えた。灼熱の太陽が支配する世界で、滅亡の時が始まる。
異形と化した人々をすべて葬り去ること。それが第二の揺らぎを与える条件だ。
●救済の炎
物語は楽園から地獄の章に突き進む。
殺戮を繰り返す旱の眷属たちを、ノア・イグニス(|紅蓮の境界線《クリムゾン・エッジ》・h12625)は鋭く睨み据えた。
「……悲しい夢だ。歪んだ箱庭に縛られるべきじゃない」
哀れな民衆が逃げ出す中、彼はすいと前に歩み出る。ノアに迷いは無い。当然だ――このために地獄のような輪廻へと足を踏み入れたのだから。
ノアに気付いた旱の眷属が悍ましく蠢いた。
「ギシャアァ……!」
水分を吸い寄せて奪う波動を放つ。迫る水呼びの呪杯にも、ノアの表情は涼しげだ。
(身を焼くような地獄には慣れている)
防御なんていらない――|迎撃術式・激痛断裁《ロギズ・エッジ》を展開し、防具を脱ぎ捨てた。激痛の剣<レーヴァテイン>を振るう。大剣の腹を波動にぶつけ、強引に弾き飛ばした。
「真正面から叩き斬る」
すべては『揺らぎ』を加速させるため、異形の魂を排除する。防具を脱いだのは防御を捨て、確実な一撃で解放する覚悟の表れだ。
(この戦闘は夢を終わらせる処刑)
迷いは剣を鈍らせる。ゆえに、決して躊躇わない。それは処刑であり、救済でもある。もっともノア自身は、救済などと美しい言葉を語るつもりはない。
波動を放ったばかりの異形に隙が生まれる。
(|路《ルート》は開いた)
正面へと踏み込み、大剣を全力で振り抜いた。振るう剣に抱くのは無情なシステムへの静かな怒り。そして異形となった魂への同情である。表情ひとつ変えず冷徹に振る舞う剣閃は、激烈な炎の如く。
「――痛みはほんの一瞬だ」
焼き灼く一撃が旱の眷属を断ち切った。異形が悲鳴を上げながら倒れる。倒木のように伏した異形は激しく燃え上がり、瞬く間に灰と化す。
完全に崩れ去った異形……元は人間だった者へとノアは静かに祈りを捧げた。
「……さあ、次だよ」
残る異形の軍勢を銀の瞳に映す。海月のキーホルダーが、懐の内側でカシャリと切なげな音を立てた。
●揺るぎない
「まぶまぶ、目がぴかぴかする」
太陽が燦々と照り続ける。|葉《ヨウ》・|月《ユエ》(|熊猫魈《すだま》・h12321)は瞳をぎゅっと閉じたい衝動に駆られた。耐えながら薄く目を開き、旱の眷属たちの群れを確認する。
「うぅうぅ……あれ、変な枯れ木の化け物が沢山。あれ人間だったの」
水を枯らし、逃げ惑う人々を殺している。人間だった面影はもうどこにもなかった。
「うーん、でも今は悪いことしてる化け物だね。そんな子は退治してしまうよ」
こうなってしまっては退治してしまう以外に道はない。月は|黑星撃鉄《ヘイシントリガー》を発動し、鳥たちの群れを召喚する。
「鳥さん鳥さん行ってらっしゃい」
鳥の群れは羽搏き、敵の群れを取り囲んだ。鳥たちを邪魔に感じたのか、旱の眷属たちが唸り声を上げる。
「ギシャアアッ……!」
彼らは太陽光を集め始めた。熱光線を放つつもりだ。
「わあ、それって熱くて、もっとぴかぴかするやつだよね? いやだなあ」
月の光は大好きだけれど、太陽の光は眩し過ぎる。
本当はあんまり激しい動きはしたくないけれど、攻撃されたからには仕方ない。熱光線が放射される直前、月は愛用の鏢を敵に投擲した。先制攻撃でお返しだ。鏢が中心に突き刺さり敵が倒れ伏す。熱光線は暴発し、あらぬ方向へと飛んで行った。
「よかった、熱いぴかぴかもこっちに来なくて」
高みの見物というわけではないが、月は大きな武器に座り込んだままだ。それが彼の戦い方でもある。残存する旱の眷属たちが怒り狂い、月へと迫る。
「わ、いっぱい来た。それなら、こうするしかないよね」
ジャキッと鋭い爪を出し、近付く敵を切り裂いた。普段はのんびりころころしていても、振るうとなれば容赦しない。爪でも怯まぬ敵にはガブリと噛み付いて、牙を深々と突き刺す。
強靭な顎で樹皮を引き剥がされた異形の悲鳴が、灼熱の空へと響き渡った。
●第二幕を駆ける
美しい月夜は終わりを迎え、灼熱の白昼が始まりを告げた。
「祝祭のフィナーレが、夜明けであれば良かったんだが」
常磐・兼成(酒侵讃歌・h10142)は遺産を眺めながら思う。世界を焼く太陽は、まさに破滅を象徴する存在であると。定型化された夢はあまりにも無情だ。
「……さて、優しいだけの夢物語は終わりか」
旱の眷属たちが溢れていく。街が血濡れ花々も枯れゆく。人々が流した血も、いずれは旱が奪い去ってゆくのだろう。
まさに悪夢のような一幕だ。巫女が祈った気持ちを想うと遣る瀬ない。残酷な輪廻を終わらせるためにも異形をすべて葬り去ろう。そのためにも、第二の揺らぎを。
兼成は霊剣『白緑』を抜刀する。
「共に行こうか――『白緑』」
白蛇・水神の宿り。浄化の霊気を宿す霊剣だ。白緑を手に古龍降臨を発動する。兼成は身に神霊を纏わせ、霊剣を凛然と構えた。両の瞳に旱の眷属たちを確と見つめる。
「ギュシャアア……!」
旱の眷属たちが太陽光を集め始めた。急速に渇く空気に、兼成は薄く笑みを滲ませる。
「白緑が水属性寄りなのは偶々なんだけど、何ともお誂え向きの舞台だなぁ」
敵から熱光線が放たれた。太古の神霊「古龍」が兼成に駿足の力を与える。地を這う枯茨の牽制を風のように躱した。
立て続けに伸ばされるはイバラの蔓。迫るイバラに彼は狙いを定める。
「イバラも杖も、全て斬る」
イバラを斬り裂いた先、杖を構える旱の眷属を捉えた。杖から繰り出された強撃ごと、霊剣術・古龍閃で叩き伏せる。剣閃は異形の硬い体を穿ち、その核を容赦なく貫いた。絶命した旱の眷属が崩れ落ちる。まずは一匹。
倒木のような遺骸から剣を即座に引き抜き、兼成は新たな目標を刀身に映し込む。
「……すべてを葬り去るには、未だまだ終幕は遠そう、だな」
未だ多く残る異形たちを前に、兼成は飄々と紡ぐのであった。
●影と月
水路が急激に枯れ始める。干上がりできた岩場へと船が乗り上げる前に、彼らは水路沿いの道へと降り立った。
|雨夜《あまや》|・《・》|氷月《ひづき》(壊月・h00493)は燦々と照り付ける太陽に瞳を細める。
「あ、滅亡の時間が来たみたい。太陽ってホント理不尽」
強烈過ぎる光は正直好ましくない。|四十万《しじま》・|白灯《はくと》(影踏・h12220)も同意を示す。
「僕も太陽は好かないな。炙り出されるみたいで」
「んは、ソコは気が合うみたい」
世間話をするように笑って、氷月は月輪を抜いた。それは太陽の光に呑まれることなく淡い輝きを放つ。銃を構えながら、氷月はふと首を傾げた。
「……そういえばアンタってどう戦うの?」
白灯へと視線をやる。氷月は白灯の戦い方をよく知らない。出会ったばかりなのだから当然だ。
一握りの興味を向けられて、白灯は袖口から手品の如く暗器を覗かせた。
「実は器用なんで色々と使います」
飛小刀、煙幕、鋼糸……他にも様々な暗器がギラリと光る。足許では影が静かに揺れていた。
――悪意なき殺意の集合。思い浮かんだ言葉を氷月は口に出さない。
「へえ……なんか、うん、イメージに合うね。あ、他意は無いよ?」
「きみの戦い方も気になるなあ」
白灯の瞳が氷月を見つめた。漆黒の視線を軽く受け流して、氷月は口元に三日月を作る。
「俺のはきっとすぐ分かるよ。折角ならアンタの戦い、じっくり見せて」
強請るように笑ってみせて、ひらりひらりと手を振った。
「それじゃ、いってらっしゃーい」
お先にどうぞ。にこやかに手を振る氷月に対し、白灯は穏やかな微笑みを浮かべたまま。
「おっと、強引に送り出された。仕方ない」
ここいらで良いところを見せておかないと。氷月を見納めて、暗い眼は楽園の残骸を映した。
大量の硝子片が散っている。大方、硝子細工の土産物でも売っていたのだろう。
|記憶的干渉《思い出を掻き混ぜる》――その場に残る記憶の残骸を指で辿った。
(……痛みと絶望の記憶だね。ま、当然か)
美しいものが壊れる瞬間は、強烈な痛みと絶望を伴うものだ。白灯は記憶を編み上げて巨鎚を創造する。
「いいよ、悪夢は全部喰らってやる」
痛みも絶望もすべて粉砕する。巨鎚を軽々と振り回し、旱の眷属たちを殴打した。
めきり、ぐしゃり。硬い筋が潰れる音と共に、異形たちが次々と崩れてゆく。
暴力的な戦法を眺めながら、氷月も近付く敵を銀片であしらった。
「はいはい、あっちに行ってねー」
夢を破壊するような白灯の戦い方は興味深い。戦いながら観察していたが、敵の不穏な動きに気付く。
(あ、うしろ)
白灯の背後から迫る敵群に狙いを定め、月光の弾丸を発射した。月輪から放たれた|月光雨《ツキアカリ》は敵の背に着弾し、光刃雨を降らせる。鋭い雨に貫かれ、旱の眷属たちが倒れ伏した。
照らす月明りに白灯は振り返る。天満月の加護が心地よい。
「もしかして心配してくれましたあ?」
余裕綽々で白灯が笑いかければ、氷月はくるりと銃口の向きを変える。
「んふふ、ソコの眷属よりはアンタの方が好ましいからね」
側面の異形を撃ち殺した。正確な弾道と氷月の動きを白灯は観察する。
(……不思議な弾丸だったな。光にしては柔らかい。威力は見た通りえげつないが)
アレを喰らえばひとたまりもないだろう。などと思考を巡らせていると、氷月と目が合った。
「ほら、次が来るよ。もっとアンタの良さでもアピールしてみたら? 俺ばっか見てないでさ」
迫る熱光線を白灯は間一髪で回避する。
「っと、はいはい仰せのままに」
巨鎚を構え直しながら、白灯はふと思いついた言葉を口にした。
「もし面白いと思ってくれたなら、ご褒美をくれますか?」
冗談なのか本気なのか判別が付かないそれに、氷月は素っ気なく返す。
「気が向いたらね」
つれない返答に白灯は嬉しそうに瞳を細めた。
「ふふ、ご褒美楽しみだなあ」
穢れた異形の体を巨鎚の衝撃が砕き、月光の弾丸が撃ち貫いてゆく。
●絶夜
夜空はおろか青空すら見えない。白い空に赤い太陽が轟々と燃え上がり、月と水に愛された大地を灼き尽くす。
街全体が、太陽と血の赤色に染まっていた。眼前の景色から|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)は目が離せない。
「ッ……」
荒くなる呼吸は空気が熱されているせいではない。赤が心に焼き付いて、彼を苦痛で縛り付ける。
「始まったか……」
|色城・ナツメ《しきじょう・なつめ》(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)はガラス細工を胸ポケットにしまい、退魔刀『早暁』を抜いた。強烈な光は夜空を漂白する。真昼とも異なる耀きにナツメは顔を顰めた。
ナツメの声に、陽が我に返る。
(動けなくなってる場合じゃないのに……しっかりしないと)
理解していたはずだ。避けられない滅亡が訪れた時、自分は武器を取らねばならないと。払暁を握る手に嫌な汗が伝う。そんな中、ナツメの苦々しげな言葉が耳に届いた。
「明日世界が滅ぶとしても、今、眼の前の命を守れ……だったか。はっ、俺の師匠の教えだよ。守る命が幻影で、最初から全部消えることがわかってるときはどーすりゃいいんだろうな」
「ナツメくん……」
陽は思う。辛い想いをしているのは自分だけではないのだ。早暁の清められた切先に、ナツメは旱の眷属たちを捉える。
「……さて、ハル、仕事の時間だ」
迷いはない。だが、悲痛が滲んでいた。陽は上手く回らない口をどうにか開く。
「そ、そうだよね……もう助けられないんだからこの人達を解放してあげないといけないよね」
この人達は幻影だ、救えない。わかっていても悔しい。刀を持つ陽の手が震える。
それでもナツメの存在を頼りに地獄へと立つ。刀に炎を宿らせて、無理やり前を向いた。
「苦しみを長引かせたくない。ソッコーで終わらせるぞ」
星空をその目に宿し、ナツメは旱魃の大地を駆ける。当然、狙うのは――。
(……あぁくそ、首だ……)
それが最善の方法なのだ。なるべく苦しまずに、一撃で。熱光線を潜り抜け接近する。旱の眷属の硬い首を斬り落とした。これが夢の一部だとしても、自己満足だとしても、苦痛は少ない方がいいに決まっている。
せめて苦しまずにいけるようにと、陽も祈りをこめて剣を振るった。一振りが重く感じる。実際はいつも通りにも関わらずだ。
「まさに災害なんだなというのを実感してしまうよね。恨む相手が居ないからこそ苦しいのかな」
明確に恨む相手がいたとしても、苦しみがなくなるわけではない。たとえそうであっても考えてしまうのだ。人は、苦痛から逃れようとする生き物だから。
胸を引き裂く激情に、ナツメは軋む音が鳴るほどに刀を握り締めた。
「……あーくそ、明確な悪がいない、誰が悪いのかが分からねぇ分ほんと、やるせねぇよ。それでも、刀を振るしかねぇんだけどな。俺たちは」
そうだ。戦うしかない。このふざけた舞台を滅茶苦茶に壊すしかないのだ。
陽は感情を噛み殺した。腹に抱える無念を吐き出したくなるけれど、今は留め耐える時だ。
「……うん、立ち止まるわけにはいかないから」
旱の眷属たちが太陽光を反射し始める。反撃の予兆にナツメが敵を鋭く睨み据えた。
「熱光線を集めてる……構えろ、ハル!」
降り注ぐ灼光が迫る。受け流し切れなかった光線が熱と痛みを与えてくるが、その程度でナツメの動きが鈍ることはない。
今この瞬間、ナツメは命を燃やし続ける。世界に明日が来なくとも、眼の前の命を守ると決めたのだ。悪夢の輪廻に囚われた魂を解放するまで走り続ける。
陽は黄金の光焔を刀に滾らせた。じきに60秒が経とうとしている。
祈ることしかできないのが悔しい。それでもこの悔しさを糧に、この地獄に|終焉《救済》を。
「だから、せめて終わらぬ悪夢に目覚めの夜明けがありますように」
太陽が身を灼く災厄ではなく、優しい夜明けの光であるように。
|暁降《ソール・オリエンス》――夜の帳を切り裂く一閃が、旱の眷属の軍勢を焼き尽くした。
●燃ゆる光、舞う桜
星空が崩壊する。罅割れた空から灼熱が溢れ、世界を焼き始めた。
「いい夢だわ……とも言ってられないようね」
|ララ・キルシュネーテ《꒰ঌ❀..**。.:*:.。.咲樂*桜樂.。.:*:.。.✽.。❀໒꒱》(白虹迦楼羅・h00189)は甘い夢の終わりを感じ取る。
残酷な光が全てを滅しようとしていた。
「桜樂……!」
|咲樂・祝光《。❀·̩͙꙳。サクラ シュリ。❀·̩͙꙳。》(|曙光《アルナ》・h07945)が妹を庇うように抱き締めた。
今度こそ桜樂を守る。二度と、奪われることがないように。
眼前に広がるのは目を覆いたくなるほどの地獄絵図だ。
(とてもじゃないが、桜樂には……例え夢とわかっていても可愛い妹に……元人間の異形を殺させたくはない……)
こんな悍ましい光景を妹の瞳に映すなんて。あまつさえ、妹の手を血で穢すなどあってはならない。
「殺すことが救いなんて残酷な事を……桜樂には……」
ララは久方ぶりのぬくもりに頬を寄せる。彼女の心はこの局面にありながらも穏やかだ。それもすべて、想ってくれる兄が傍にいるから。
「大丈夫よ、にぃに」
ぴょんと腕から飛び出すララに、祝光が驚く。
「桜樂……?」
「何をしているの? 姿が変われどひとはひと。……苦しんでいる人達がいる。救わねば」
ララは銀災と窕を構えた。天翔ける絆を示すカトラリーが手の中で輝きを放つ。
「ララは彼等を救いたいの。殺すのではないわ。すくうの。同じであっておなじではない」
祝光は衝撃を受けた。幼い妹の口から凛とした迷いなき言葉が紡がれたのだ。
何処までも清廉で、何処までも神威に溢れて、躊躇いがない。
(なのに俺は――躊躇ってる暇なんてないだろ!)
その小さい体に大きな宿命を背負う彼女は、太陽の輝きよりも眩しい。
ララは祝祭の時と変わらぬ笑みを浮かべ地獄を駆ける。
「お前達はララを見なさい――」
|四季巡り《トキワタリ》が光の鳥を呼び寄せた。金翅鳥は|四季《時》の音を囀りながら、異形の群れを取り囲んだ。祝福を齎す破魔と浄化の光焔――七曜迦楼羅焔を降らせれば、異形が瞬く間に燃え上がる。
「ギ……ギギィ!」
異形が浄焔から逃れようとする。その背をララは窕で切り裂いた。
「逃がさないわ。必ず救うと決めたのだもの」
銀災で心核を突き刺せば、異形は絶叫を上げながら落命する。
残存する旱の眷属たちが、水路から奪った水で太陽光を反射し始めた。灼光を降らせるつもりだ――祝光は即座に気付く。
絶対に傷つけさせない。祝光は駆ける妹を追い、庇うように結界を展開した。春告が翔び、桜の花弁が舞い踊る。
「さくら、さくら、咲き誇れ! 花の雲よ、降り注ぐ灼光を包み隠せ!」
神鴉は桜花を纏い灼熱の空をゆく。春は曙、零桜――羽搏きと共に神桜が雨のように降り注ぎ、ララの身を護る盾となった。
立て続けに祝光は|破:天霞咲櫻《ハナガスミ》を発動する。せめて苦しまぬようにと、破魔の護符を放ち穿った。桜護龍符は魂に根付いた邪悪を祓い、枯木に美しい桜花を咲かせる。
躊躇ってはいられない。せめて桜に包まれ安らかな眠りを……小さく呟けば、旱の眷属は花弁となり散り消えた。その様は実を結ばぬ徒花のようで、胸が締め付けられる。
夢の中だからだろうか……ララは祝光の心の痛みを感じていた。
「にぃにはとっても優しい。だから今も躊躇って、心を痛めてる。……大丈夫、にぃにはララが守る」
いつの間にこんなに頼もしくなったのだろう。ララの言葉に、祝光は柔らかな笑みを滲ませた。
「それは兄の台詞だ。桜樂を守る……」
そう、必ず守り抜く――花盛りの結界がララを守護し続ける。
春陽のぬくもりをその身に宿しながら、ララは悲劇に蝕まれるセレンディアを見つめた。
「哀しい悪夢はね、醒ますもの。そうしてもう一度、おやすみなさいと寝かせるの」
悪い夢を見てしまった子供を、そっと寝かしつけるように。
「そうだね、こんな事の繰り返しはもう終いだ」
祝光は力強く頷いてみせた。
悪夢はもう終わり。すべてを聖天の光焔で包み、桜花として散らせよう。
●最期の星空
美しく華やかな水の楽園は、まるで嘘のように終わりを迎えた。
鮮やかな建物は血に濡れ、魔法光で満たされていた水路は旱魃で罅割れる。
街を荒らす旱の眷属たちの角には布が引っ掛かっていた。祝祭の踊り子が着ていた衣装だ。
「……なんて無力なのだろう」
ノヴァ・フォルモント(月光・h09287)の呟きは乾いた大地へと落ちる。
変えられない悪夢が繰り広げられていた。遺産の力による変貌から人々を護る手立てもない。無力感に胸が締め付けられた。しかし、ひとつだけ、できることがある。
「けれど、繰り返す夢も今回きりだ。悪夢を見続ける住民たちを眠らせてやろう」
元よりそのために来た。悪夢のシステムに揺らぎを起こし、苦痛のループを終わらせるのだ。
仔竜のノクスと共に無慈悲な太陽の下を駆ける。悲鳴を聞き付ければ、旱の眷属たちが今まさに人々を襲おうとしていた。
「させない」
朧月夜から奏でられる|星隠《ホシガクレ》の音色が旱の眷属を切り裂く。異形は脚部を裂かれ、地面に転がった。ノヴァは住民にすぐさま声を掛ける。
「怪我はないか?」
「だ、大丈夫です、ありがとう……」
「一体どうなってるの!?」
混乱する彼らに何と説明すれば良いのか。もうすぐこの国が終わるなど言えるわけがない。
「……わからない。とにかくここは危険だ。安全な場所に連れていこう」
助けたところで、その事実は夢の中に消えてしまう。十分に理解している。それでもせめてもの救いとして、彼らを少しでも安心させてやりたい。
星空は消えてしまったけれど、また生み出すことは出来る。纏う星夜の闇をカーテンのように広げ、住民をその裏に隠した。
助けたこの住民も、じきにモンスターへと変貌するだろう。
(だが、それまでは。恐怖や苦痛から少しでも逃れられるように)
頑丈な建物に彼らを送り届けた。去り際、僅かな憐れみと共に住民を瞳に映す。
彼らを記憶に刻み、ノヴァは戦場へと戻るのであった。
●花海に鎮める
その遺産は本来、何のために産み落とされたのか。環境ごと変えてしまうソレは、現状災厄以外の何物でもない。ひたすらに絶望を撒き散らす破壊兵器だ。
「……天上界の遺産。天使の落胤、か」
世界を灼く太陽の輝きから、|黛・巳理《まゆずみ・みこと》(深潭・h02486)は目を逸らす。
「これが、ひとつの国の終焉……」
|泉・海瑠《いずみ かいる》(妖精丘の狂犬・h02485)が太陽を睨んだ。
これは現実じゃない。けど、過去に実際あったことだ。最悪な悲劇の上映会……海瑠も巳理も観客に過ぎない。そこに未来は無いのだから何も変えられない。
目の前で起こる惨劇に心を砕けば壊れるのは自身だ。そうと知りながらも、巳理の心は締め付けられる。
「……燃えるように熱いな」
分っていても救えない。疼く痛みに耐えながら巳理は雨を招く。
|雲招《アメガフル》――白い空から、しとしとと糸雨が降り始めた。雨は旱の眷属たちに触れた瞬間、全てを溶かす王水へと転じる。
「ギシャアアァッ!?」
異形が音を上げた。完全に人外の鳴声であるはずなのに、巳理には人の悲鳴のように聞こえてしまう。
胸が引き裂かれるように痛い。
(あの炎が過去のものだから――……いや? もし今消せたならば、救えたならば……世界が、変わる?)
救いたい。元人間だろうと異形だろうと関係ない。巳理は堪らず手を伸ばした。
伸ばされた手を、海瑠は見逃さない。
(雨はとても優しいけれど――)
どんなに優秀な医者であっても、既に終わった世界を治すことはできない。
海瑠は思う。心療内科の看護師としても……巳理には秘密にしているが暗殺者としても、できることは何もないのだ。
(どうしようもなく歯がゆいのは巳理さんも同じなんだろうな)
伸ばされた巳理の手に、海瑠はそっと手を重ねた。触れたぬくもりに、巳理はハッと我に返る。
「海瑠くん……」
海瑠は巳理を見つめ、ゆっくりと首を振った。緑の瞳が語る。現実に生きる者として、変えられぬ過去を受け入れなければならないと。
(いつだって違えちゃいけない。オレの最優先事項は“巳理さん”)
海瑠は心に決めている。どんなに哀れな過去があったとしても、巳理に害成す者なら徹底的に闘う。巳理が望むなら、その望みを叶えるまでだ。
「……巳理さん」
どうしたい? とは口にせず、視線だけ投げかける。
それだけで十分だ。それだけで言いたいことは伝わる確信がある。
日頃から多忙な職場でやっていることだ。そしてそれ以上に――海瑠に自覚はないが、彼らが想っている以上に、彼らは深い絆で結ばれている。
呼びかけられて巳理はうまく言葉を返せなかった。思わず口籠もれば、柔らかい笑みを向けるばかり。
だが、それでも。「待っててね」などと言わせる気はなかった。
「……一緒に」
小さく、だが明確に紡ぐ。いつもいつも海瑠ばかりに背負わせているとさえ感じる。それでも海瑠は問いかけてくるのだ。そうするのが当然で、正しいことであるかのように。
(私は――……いや、僕は笑えているのだろうか)
巳理は笑みを滲ませる。上手く笑えているかわからないが、どうか海瑠へと伝わるように。
波に反射する光のように、海瑠は瞳を輝かせた。
「うん、わかった」
一緒にこの地獄を終わらせよう。海瑠は裡に潜む妖精犬「クー・シー」の膨大な魔力を纏った。
旱の眷属たちが唸り声を上げながら光を溜め始める。
「熱光線が厄介ってんなら、放つ前に先手を打てば良いだけの話!」
霊的防護を展開し、|Blood Trigger《キョウケンノチ》を発動。手の内に|薄く笑む刃《Cutting Smile》を煌めかせ、敵の間合いに飛び込んだ。熱光線もイバラの蔓も打たせはしない。
一気に距離を詰められ、旱の眷属が咄嗟に杖を振る。反射で振るったそれは単純な動きだ。
「視えてるよ」
海瑠はひらりと躱す。杖を振ったことで生まれるのは大きな隙だ。
異形とはいえ動作は人とよく似ていた。医術の知識を駆使し、Crimson Ripperを閃かせる。脚部、胸部、頸部。急所となり得る箇所に、血色の花が咲いた。
「ギシャアアア……!」
異形の怒号が響く。群れを成して海瑠を襲おうとするが、その意識を波が浚った。巳理の護霊「海溝の深水」が、旱の眷属たちを深い海の中へと誘う。
「此処は熱いだろう? おいで、冷たい海の底へ」
海瑠の意思が察せるからこそ、巳理も自身の護霊を躊躇なく呼び出せた。
そして、敵が海瑠を傷付けようとするのなら、己がやることは決まっている。
(海瑠くんを傷付けさせはしない……)
提灯鮟鱇の燈す深海への誘導灯が敵を招き寄せた。水に飢えた異形たちは|海神への誘い《ウミニナル》に抗えない。海と交わり、溶け合い、安らかに同化する。
波から逃れた異形が巳理に波動を放とうとしていた。水分を吸い寄せて奪おうとする――その異形は『不幸』と言えよう。不幸にも波に浚われることなく生き延びてしまった。
等しく“うみ”となれないなら、深紅の殺戮者に等しく切り裂かれるしかない。
次の瞬間に、巳理を狙った異形はバラバラに解体されていた。
「熱光線だろうと蔓や杖だろうと、絶対に巳理さんにはかすり傷ひとつつけさせやしないよ」
互いに守り合いながら、旱の眷属たちを倒してゆく。太陽から降り注ぐ熱ごと奪い、かつてそこに在った命を葬り去る。
「沈めてしまおう、全て。燃え盛るものは何も無く、その息すら僕が奪おう」
巳理は歌うように紡いだ。誘い沈めて何もかも、この水の都に相応しき終わりを捧ぐために。
疼く痛みは海瑠が和らげてくれる。
「これは殺しじゃない。魂を還すための、弔いだ」
海瑠の言葉は正しい。それは真実で、夢に縛られた魂にとって何よりも救いとなる。
赤い花を散らせる海瑠を、巳理は常に視界に捉える。海瑠の存在が、巳理の心を落ち着かせてくれる。
「インビジブル泳ぐ幻の海の、その底へ——還そう、その命を」
熱に侵された焼け付く想いごと、沈めてしまおう……全て。異形は枯木に血の花を咲かせ、深い海の底へと落ちてゆく。
●弔い
街を彩る魔法の光も、瑞々しく咲き誇る花々も、笑顔で街行く人々も。
すべて壊れる、すべて消える、すべて息絶える。世界を埋め尽くすのは、旱の眷属たちの行軍だ。
「……おしまいの時が来てしまったのですね」
|神代・ちよ《かじろ・ちよ》(追憶のキノフロニカ・h05126)は訪れた終焉を見つめる。旱による強烈な渇きと絶望に満ちた悪夢を、|神花《かんばな》・|天藍《てんらん》(白魔・h07001)も瞳に確と映した。
「終焉のない終焉を繰り返す等まことに惨たらしいことよ」
無惨な光景はあまりにも血生臭く、気を強く持たねば目を逸らしてしまうに違いない。
「なんて、痛ましい光景なのでしょう……」
ちよは胸の奥に刺すような痛みを覚えた。それは心の痛みだ。美しい世界が壊れてしまう瞬間を、彼女の心が嘆いている。
目の前の惨劇に対し、天藍は冷静な心境だ。何も感じないわけではない。ただ、終末を前にして憤る資格など、己にはないと感じている。己にできることは、過去を受け入れ、未来を害する危険のある悲しき夢を壊すことだけだ。
「……今我らが見ているのは、現には存在しえぬ幻影だ」
すべては過去。変えられない事実だ。
ちよは無力感をぐっと耐える。深く息を吐き出して、心を落ち着かせた。
「そう、なのですよね。あれは、もうどこにもない場所。残念ではありますが……あなたたちがここにいたことも、おまつりが確かに楽しかったことも――皆の笑顔も、ちよは忘れません。だからどうか、できるだけ――楽しい思い出を胸に、安らかな眠りを」
凛と立つちよの隣に、天藍も並び立つ。
「かつては此処にお前達の生きた証が確かにあったことを、我は忘れずにこの胸に留めよう」
身に纏う冷気が寄り集まり、白銀の毛並みをした狼を形づくる。銀嶺は氷刃のような眼差しで旱の眷属たちを睨んだ。
旱の眷属たちが彼らに気付いた。耳障りな音を発しながら近付く彼らに、天藍はすっと手を差し向ける。
「お前達にまことの|終焉《ふゆ》をもたらそう」
銀嶺の遠吠えと共に雪花が舞い降りた。天藍の招きによって、|千重の雪《トザスフユ》が終焉世界を白銀に染め上げる。
「此処は我の|世界《ふゆ》だ。千重の雪よ、凍てつく六花よ、囚われた魂に永久の眠りを」
六花は真の終わりを告げるように降り急いだ。
凍てついた冬の中で、異形たちは狂乱するかの如く枯木の手足を振り上げた。
「ギギ……!」
灼熱の光線が氷雪を解かす。解かした矢先、再び雪が降り積もった。
「これしきで旱の灼熱が誤魔化せるとも思えぬが、無いよりはよかろう」
この雪がまだ届くのならば、せめてこの雪が死した魂の慰めになることを望む。
悪夢に六花が舞い続ける中、ちよは照り付ける灼熱の先に住民の姿を捉えた。
まだ異形化していない人々だ。配下の桜蝶を呼び出し、彼らに向けて解き放つ。弔いの鐘の音と共に桜蝶は羽搏き、人々をイバラの蔓から守った。
「あぁ、神よ! 助けが来てくれた!」
人々が歓声を上げる。……彼らも最終的には異形に成り果てるのだ。
その事実に胸の奥を軋ませながらも、ちよは柔らかな笑みを彼らに向けた。
「どうか安心してください、ちよたちが守ります」
即座に前方へと視線を戻す。桜蝶の群れが杖に纏わり付き、旱の眷属たちの攻撃を妨害した。ちよは気付いている。助けた人々の頭部には、旱の眷属と同じ枝のような角が生えていることに。
「星のひかりを、皆さんに。恐ろしい悪夢ではなく、優しい夢を見られますように」
せめて苦しまないよう、全てが終わるまで、幸せな|幻影《ゆめ》を。
甘い夢に微睡み始めた人々を見届けて、ちよは悲しげに瞳を伏せた。
「……今は人の姿であっても、いずれはああなってしまうのですよね」
旱の眷属たちを雪深くに埋めながら、天藍が淡々と返す。
「ああ、いずれはな、彼らも怪物と成り果ててしまうだろう。それが災厄というものだ。理不尽で惨い、救いようのないもの」
災厄の前では人命など塵芥に等しい。いくら命の尊さを謳おうと、『ただそこに在るから』という理由だけで踏み躙る。
そう、いとも容易く。そこに心は無い。尊厳など無い。
微睡んでいた人々の皮膚が張り裂けた。その血を吸い上げ、伸びた木が人々の体を喰い潰す。助けた人々が異形へと転じた。血を奪い誕生した新たな旱の眷属たちを、ちよは真っ直ぐに見つめる。
「救いようのないもの……ですか。救われたいという願いがこんなふうに歪んでしまったのなら悲しいこと、です」
彼らもかつては普通の人だった。しっかりと記憶に刻むためにも、目を逸らしてはいけない。新たに芽生えた絶望へと、天藍は|消えせぬ雪《トコシエノフユ》を呼び寄せる。
「真白の冬よ、すべての苦痛を覆い尽くせ」
散らせよ命、花は咲きえず春は来ぬ。
この世界に再び咲いてしまえば、彼らは再び地獄を味わうことになる。哀れな魂が地獄の季節に呑み込まれぬよう、此処で終わらせるのだ。
吹き寄せる力は、すべてを凍てつかせるように冷たい氷雪の嵐。純白がすべての熱を奪ってゆく。
――今は奪うことが救い。ちよは祈りを捧げるように両手を組んだ。
「どうか、魂だけでも、救いが訪れますように」
桜蝶の羽音に願いをのせ、鐘の音を終焉の彼方まで響かせる。桜蝶の群れが旱の眷属たちを春の彩で覆い尽くした。硬い皮を裂き、囚われた魂を異形の裡から救い上げる。
空に昇り消えゆく魂に、天藍は双眸をゆるりと細めた。
「災厄とは無慈悲そのもの……だからこそ、お前の優しさは彼らへの救いであり、手向けとなったであろうな」
冬の力とは異なる、それはまるで春の力のようだと天藍は思う。
最期は苦痛でなく、美しい夢で終われるように。ちよの優しさは陽だまりのように暖かい。
「……そのようにあって欲しいと、ちよも願っています」
流れゆく魂たちを、ちよも穏やかに見送った。心に塗られた悲しい色が、少しだけ薄らいだような気がする。
異形の数は着実に減っていた。残る魂も解放すべく、二人は蝶と雪を舞わせる。
第3章 ボス戦 『白月の幻主』
●
祝祭の時が過ぎ、滅亡の時が過ぎた。人々の幸せは去り、災厄は破壊された。
外部からの来訪者――EDENという揺らぎが、永久機関システムに異常を発生させる。
定型化されていない|過程《プロセス》。許可していない|結果《リザルト》。
正さなければ、異常を修正しなければ――。
灼熱の天空が罅割れて、その傷口から闇が急速に広がった。
世界を覆う漆黒の闇に白光が輝いた。身を灼くような太陽の光ではない。
闇を照らす、冷たい月光――『白月の幻主』が纏う、神秘の煌めきである。
幻主は暗天から静かにEDEN達を見下ろしていた。善悪の判断もなく、言葉も発せず、感情もない。感情がないのであれば、敵意も見えない。
天上界の遺産に汚染された自動機構――此れを破壊すれば、歪んだ夢は完全なる終焉を迎える。