蒸籠の湯気とユキヒョウの檻
●開店! 深夜の中華飯店
街のネオン看板も灯りを落とし始める夜更けに、その店は路地裏の入り口をひっそりと開ける。
扉を潜って中へ入れば、ふわり漂ってくるのは芳ばしい香り。奥のキッチンにはたくさんの蒸籠が積み重なり点心が蒸されているのが見えるけれど――席に着く前に、やってきた店員が来店客の姿を確認する。この中華飯店にはドレスコードがあり、認められなければ席に座ることができないのだ。
チェックを通過し腰を落ち着けたら、テーブルにタブレットが置かれる。画面に並ぶのは数々の飲茶メニュー。ここから好きな飲茶メニューが注文できて、どれも出来立てで提供されるのだ。
隠れた名店として利用している一般客もそれなりにいるが、それ以外を目的にしている者もいる。そういう人は、食べ放題の時間を終えた後、会計のため別室へ連れていかれることになっている。
闇営業の中華飯店。ここは、マフィアの取引の入り口でもあると噂されていた。
●蒸籠の湯気とユキヒョウの檻
「飲茶バイキングに興味はありませんか」
周囲のEDEN達へ笑いかけて、アリス・アイオライト(菫青石の魔法宝石使い・h02511)はそう切り出す。
「√仙術サイバーへは、もう行かれましたか? 今回私がご案内するのは『横浜Ⅶ』。富裕層の住む最上層で、ひっそりと営業されている中華飯店です」
夜遅くにのみ営業するその店は、表向きは飲茶バイキング専門店。様々な飲茶メニューを出来立てで提供してくれるということで、その正体を知らずに利用している富裕層の客もいるようだ。けれど、それは表の顔。裏ではマフィアの闇取引の場として活用されているのだ。
「闇取引ですので、盗品の売買や、人身売買なども行われているようです。現地警察も把握しているとのことですが、√仙術サイバーの基本は『武強主義』。弱者より奪ったものを売ること、それ自体を取り締まるつもりはないようで」
――でも、こんなの黙って見ていられませんよね? |菫青石《アイオライト》の瞳に真剣な光を灯してEDEN達を見つめたエルフの星詠みは、皆の頷きを見て安堵の表情を浮かべた。
「さて、まずはマフィアに警戒されず潜入するため、みなさんには裏取引に来た客を装っていただきます。この中華飯店にはドレスコードがありまして……必ず、中華服で入店してください」
それはチャイナ服でもいいし、漢服でもいい。洋風にアレンジされたものなどでも問題はないので、手持ちの服で行ける人はわざわざ新調する必要はないとアリスは語る。もちろん、作戦のために用意したっていい。店がある『横浜Ⅶ』の一角には、観光客用の中華服屋などもあるらしい。作戦前に立ち寄れば、好みの服が見つかることだろう。
「加えまして、裏取引へ行く客と認識されるには、こちらのブローチが必要になります。店員さんが一目でわかるよう、入店前から襟もとなどにつけておいてください」
言葉を紡ぎながら、星詠みの娘はEDEN達へひとつひとつ、ブローチを配っていく。翡翠のはめ込まれた小さなブローチは潜入のために用意された模造品だが、怪しまれることはないとアリスは断言した。
「飲茶食べ放題は、普通にお客さんとして楽しんでいただいて大丈夫です。時間が終われば、一般客は出入り口付近のレジへ案内されるのですが――闇取引の客と判断された者は、別室へと連れていかれます」
アリスがゾディアック・サインで視たその日は、このブローチをつけた客はいなかった。つまり、この日に店へ赴けば、別室へ通されるのはEDEN達のみとなる。一般客のいないこのタイミング以降に行動した方がいいだろうと、語る星詠みは裏で行われる取引へと説明を進めていく。
この店の闇取引は、その時『入荷』された商品をその場で売り切るスタイルらしい。此度の入荷品は『妖魔シュエバオ・マオマオ』だ。見た目は愛らしいユキヒョウの子ども、常に雪の凍気を纏っている。
「主人の命令に忠実な性質のため、ペット兼用心棒として上層で富裕層に飼われていることもあるそうで。此度の商品は、マフィアが|鬼城《ゴーストタウン》で捕獲してきたようです」
売り物であるため、妖魔達は主人を持たず、野生のままの性質をしている。好奇心旺盛で温厚、こちらが危害を加えなければ戦闘になることはない。うまいことマフィアの目を掻い潜り確保できれば、作戦の後に|鬼城《ゴーストタウン》へ帰してやることもできるだろう。
――そのついでに、ちょこっと遊んであげたりすることもできるかもしれない。
「こちらの狙いに気付けば、マフィア達は襲ってくることでしょう。敵がどのような形に出るかは詠めなかったのですが……十分に警戒して、戦っていただければと」
此度重要なのは、襲い来るマフィアの撃退だ。倒すことができれば、この中華飯店を利用した取引からも手を引くことだろう。
そこまで語り終えると、魔法宝石使いの星詠みはふうとため息を吐き出した。それから微笑みを浮かべて、EDEN達へ告げる。
「美味しい飲茶バイキングをいただいて、かわいい子どもの妖魔と遊んで捕まえて、ちょっと敵と戦えばいいだけですので。……ええ、みなさんなら無事に成し遂げていただけると思っています!」
だから、ぜひ楽しんでください。笑顔で頭を下げたアリスは、『横浜Ⅶ』へと繋がる道を彼らへ指し示すのだった。
第1章 日常 『千客万来! 激ウマ中華飯店!』
●深夜の飲茶を召し上がれ
深夜の√仙術サイバーは、最上層と言えど不穏な空気を纏っている。煌びやかな表通りを抜けて、路地裏の細い道へ。ドレスコード通りの装いができたか確認して、ブローチつけたこともチェックしたら、EDEN達はいざ店内へ。
「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
笑顔で近付く店員は、しかし眼光は鋭く彼らの|裏の客である目印《ブローチ》を見つけることだろう。こちらへどうぞ、と案内されて席につけば、タブレットがテーブルに置かれた。
各項目ごとにタブで整理されたメニューの内容は多種多様だ。肉まん、焼売、エビ焼売、蒸し餃子、翡翠餃子。そんな定番の蒸し物は、蒸籠のまま蒸し立てが届くらしい。なかでもお勧めは小籠包だと、小さなアイコンが示している。
ひとくちサイズの春巻きは、五目、海鮮、さらには餡子入りなんてものまである。焼き餃子は個数も選べるので、お腹の余裕に合わせて好きな数を指定すればいい。
点心だけでは物足りない人には、小さなサイズの炒飯や麺も用意されているし、レバニラ炒めやエビチリなどもある。白米だって注文できるから、ご飯とおかずでいただきたい人も安心だ。
その他にも様々な魅力的なメニューを堪能したら、最後にはぜひデザートを。こちらももちろん食べ放題だ。ゴマ団子や揚げパン、杏仁豆腐、マンゴープリン。定番のデザートに並び用意されているタピオカは、すっかり定番化したタピオカドリンクに使われている黒タピオカではなくて白タピオカを使用したもの。黒糖などで味付けされた黒タピオカと異なり、自然でさっぱりとした味わいで小粒のそれがココナッツミルクの中に入ったデザートは、スプーンで掬っていただくのだ。
飲み物も多種多様に用意されている。ソフトドリンクは炭酸飲料や果汁ジュース、それからノンアルコールのカクテルもあるようだ。中でもオリジナルの『満月』は、青と紫のグラデーションで夜空を表現した中にライチで真ん丸な月を表現した自信作だとか。
中国茶ももちろんある。ロンジン茶、鉄観音茶、プアール茶。ジャスミン茶は透明のポットで提供される工芸茶になっていて、ポットの中で花開く見た目も楽しめる。どれもポットで提供されるので、少しずつカップに注いで温かいまま飲むことができる。
アルコールの用意もあるけれど、これは後の作戦に影響ないようほどほどがいい。中華料理と言えば紹興酒、これももちろん用意されているが意外と注文が多いのはビールやスパークリングワインだと言う。銘柄も様々に用意されているから、好きなものを頼むといい。アルコール類はバイキングに含まれず別料金なのだけど、何せEDEN達はマフィア組織を潰しに来たのだ、会計する機会はこないのだからお値段を気にせず飲む、なんてこともできてしまう。
裏取引への潜入が先に待ってはいるけれど、この飲茶バイキングは客として楽しんでいい。大いに食べ、大いに飲んで。ひと時の美食を、好きなままに。
裏取引が行われる中華飯店への潜入捜査。となれば|井碕・靜眞《いさき・しずま》(蛙鳴・h03451)にとっては|警視庁異能捜査官《カミガリ》の仕事で慣れたものだ。
場所が積層都市の最上層と聞いて、富裕層の役を演じようと判断するのは彼にとって普通のこと。そして、怪しまれないよう同行者を伴うことも、また何らおかしくはない、のだけれど。
「おい、行くぞ」
尊大な態度を装って、『連れ』に声掛ける靜眞は臙脂色のチャイナ服に身を包んでいた。肩に引っ掛けた外套と、長いマフラーが歩く度に揺れる。冷酷な顔で店員に人数告げた彼が振り返れば、|物部・真宵《もののべ・まよい》(憂宵・h02423)は思わずびくりと肩を震わせてしまった。
「は、はい……!」
慌てて返事をして、小走りで彼の半歩後ろへ。丸サングラスの下の瞳に無言で促されればおずおず隣へ並ぶけれど、彼女の心臓は痛いくらいにどきどきしていた。
(「初めてのチャイナ服は胸元が心許ないし、潜入捜査も初めて……」)
慣れない任務だけれど、彼の役に立てるならばと引き受けた潜入捜査。けれどその時の真宵は、まさか愛人役を務めることになるなんて思っていなかったのだ。
そんな彼女が身に着けているのは、白い髪に色味の近いチャイナドレス。艶やかな生地には銀糸の刺繍が上品に施されているが、足と胸元の露出はちょっと多めで。纏うファーで何とか肌を隠せないかと思う真宵だったけれど、きっと愛人はそんなことしないわ、と思ったら手が止まってしまった。
(「やさしくて穏やかな井碕さんは別人みたい」)
いつもとは違うぴりりした空気纏う彼を、真宵はそうっと見つめる。
そんな彼女を連れて、涼しい顔で席へ通される靜眞もまた、内心は全然静かではいられなかった。潜入捜査に彼女を巻き込んだのは自分だし、『あとでひたすら謝ろう』と決心だってしてきた。
けれど彼女のチャイナドレス姿は想定外の破壊力で、ちょっとでも油断したらその瞬間にのぼせ上がってしまいそうなのだ。恥ずかしさと潜入捜査への緊張感で、ルールブルーの瞳を潤ませながら必死についてくる真宵。その姿は靜眞には危うく見えたし――当然、この店にいる男共の視線を集めることにも、彼は気付いてしまった。
(「あんまり意識してしまってはだめよね……」)
そう思い直して落ち着こうとしている真宵の事情なんか構わずに、靜眞の手が伸びる。そしてしっかりと彼女の腰を抱き寄せると、男共の邪な視線を一瞥した。
「他人の女に不躾だな」
「えっ……」
じとり視線を絡ませようとすれば、男共は慌てて目を逸らす。真宵を眺めて消費することしかできぬ小物達だ。それがわかって靜眞はそっとため息をついたけれど、真宵の方は混乱に目が回りそうだった。腰から伝わる彼の体温、それに先程の言葉。そんなことされたら、意識しない方が無理というもの。熱くなる頬を押さえた真宵は、他人の視線よりも彼の言動の方がよっぽど心を落ち着かせてくれないと考えてしまう。
それでも彼女は何とか席について、タブレットを手元に引き寄せた。
「すきなものを選べ。点心でも甘味でも」
「はい。では、点心をいくつかと『満月』を」
靜眞の言葉を受けて、真宵は白い指先でタブレットを操作し、気になる料理を注文していく。そうして目線を彼へ向けると、遠慮がちに問いかけた。
「……あなたは?」
「……ん? 俺は必要ない。あとの楽しみがあるからな」
飲み物だけは同じ『満月』をと、告げた靜眞の含み持たせた台詞に、真宵が瞳を見開く。そんな彼女の反応に笑うと、彼は少しだけ身体を近付け追撃の言葉を放った。
「それとも食べさせてくれるか?」
「えっ。あっ、その……。ここは……人の目がありますので……帰って、からで……」
真っ赤に染まった真宵が、目線を逸らしてしどろもどろに答える。恥ずかしさで顔が上げられないが、自分が今真っ赤になっているだろうことは理解できる。
(「あぁぁ、もうだめ。こんな反応をする愛人なんていないに決まってるのに」)
そうだ、だからもっと平然としていなければいけないはずなのに、それがこんなにも難しい。赤くなった顔を誤魔化すようにタブレット操作する真宵を前に――実は、靜眞もまた内心では悶えていた。
(「あ~すみませんすみませんすみません! 嫌われたくないけど終始恥ずかしそうな物部さん、かわいいと思ってしまった最低ですみません!」)
本当は今すぐ懺悔したいくらいなのだけれど、何せ潜入捜査中である。今バレてしまえば、ここまで恥を忍んで付き合ってくれた真宵の努力も無駄になってしまうのだから、それは避けなければならない。
そこまで思考を巡らせるからこそ、靜眞は店員が持ってきた『満月』のグラスを受け取る。そして、彼女へ向かいそれを傾けながら、必死で作った微笑み顔で告げるのだ。
「気に入ったか? なら、また連れてきてやる」
言われて、真宵の方は一度瞳を瞬いた。この店を今日潰す気で、EDEN達は乗り込んでいる。だから『また』などありえないのだけれど――これもまた、偽装の台詞なのだろうか。
それでもいい。知らない笑い方をする彼になら、小さく頷くこともできるから。
「……はい。約束、ですよ?」
ふわりと花咲くように微笑んで、真宵は彼のグラスに自身の『満月』のグラスを重ねて乾杯した。美味しい点心を食べながら過ごす時間は、きっと見た目や役割に支配されずに楽しめる。
纏ってきたのは、最近仕立てたばかりの中華服。動きやすくぴったりとした身頃のチャイナ襟はしっかりと留めて、その上から機能性と見た目を兼ね備えた藍色のテックウェアを羽織る。白いズボンの上にちらりと見えるのは、ドラゴンの刺繍がびっしりと施された服の裾で。
√仙術サイバーらしい装いの|静寂・恭兵《しじま・きょうへい》(花守り・h00274)は、特に呼び止められることもなくすんなりテーブルへと着いた。周囲に視線を巡らせれば、活気溢れる店内の様子に小さく微笑む。
「√仙術サイバーと言えば中華料理が定番のような気がするな……実際美味い」
店内に漂うは中華料理の芳しい香り、あちこちのテーブルの上で蒸籠から湯気が立ち上っている。これは期待できそうだ、と視線を自身のテーブルへ戻したら――対面に座る相棒のそわそわとした姿に目が留まる。
(「此れは依頼。其れは重々、理解している」)
アダン・ベルゼビュート(魔焔の竜胆・h02258)もまた、中華服を纏っていた。黒地に金糸の刺繍で飾った上着、下は深い緑に鳥と花の刺繍。よく似合っているのだが、彼に装いを気にする余裕はない。だって今日は、彼が欲し続けたものがすぐそこに用意されているのだから。
(「依頼中に酒を飲んでも許される状況! 俺様は其の事実に只、歓喜に震えるしかない……!」)
――そう、酒だ。アダンはシャドウペルソナであり、その行動は|依り代《主人格》の属性により制限される。未成年飲酒はしてはならない。だからこの二年ほどの間、彼は耐え続けてきたのだ。
だが先日、彼の|依り代《からだ》もめでたく成人した。もう彼を縛るものはない。向かいに座るは全幅の信頼を寄せる相棒で、飲茶バイキングは食べ放題、酒も支払いを気にせず飲んでいいと言われてきている。むしろ、飲まない理由を探す方が難しいというものだ。
「恭兵、飲むぞ。いや料理も楽しむが、しっかり酒も楽しむぞ」
アダンが発した言葉には、二年分の熱が篭もっていた。その忍耐の経緯をよく知る恭兵はもちろんその想いを受け止めるけれど、羽目を外しすぎるつもりもないから。
「依頼に支障のないように頼むぞ?」
しっかりとそう釘を刺しながら、恭兵はタブレットを差し出した。メニューはアルコールのページをすでに表示してある、それ見てアダンの灰色の瞳がきらりと輝く。
「……あぁ、アダンが飲めるようになったと言うことは俺が飲むのもかまわんと言うことか」
ふと気付いて声を漏らせば、アダンが何度も頷いている。そうだ、今まで彼に付き合ってこのような場面でも飲むことを控えていたのだけれど、もうその必要もないと言うことなのだ。もちろん一緒に飲むつもりだ、という顔をするアダンに笑って、恭兵は紹興酒を注文することにした。
「やはり定番は、紹興酒か?」
「ああ、中華と言えば紹興酒なイメージはあるな……。キツめだから気をつけて飲むんだぞ」
二人分を注文して、次に料理を選ぶ。もちろん、酒の肴になりそうなものという基準だ。やはり熱々の小籠包は外せない、ぱりっと芳ばしい春巻きも紹興酒の芳醇な風味と合うに違いない。
それから気になる点心のメニューを複数種類、二個ずつカートに追加していって。
「こんなものか。恭兵は、他に気になるメニューはあったか?」
「飲茶はいろいろ少しずつ食べられるのがいいな……あとエビチリが食べたい」
そうして注文を完了したら、程なくして紹興酒と冷製の前菜が運ばれてきた。グラスに注がれた琥珀色の液体を、期待に煌めく瞳で見つけるアダン。二人は早速乾杯すると、念願の酒へ口をつけた。
「紹興酒、美味いな」
飲み下すと、ふわっと鼻に抜けていく香りが心地いい。そしてそこに、ピリ辛の味付けされたクラゲを味わう。なるほど、なかなか相性がいい。|棒棒鶏《バンバンジー》やピータンも摘んでいたらいよいよ蒸籠の料理がテーブルに届けられて、アダンは待ってましたとばかりにその蓋を開けた。
湯気を立てる小籠包を、レンゲに乗せて手元へ。白くぷりっとした生地に箸でちょっと穴を開けて、スープを啜ってから本体をいただく。これがもう、上品でバランスの取れた味をしていて、酒が進むのだ。思わず紹興酒をあっという間に飲み干して、アダンはタブレットに手を伸ばす。迷いなく開くアルコールのページ、そう、この後春巻きを食べるなら次に飲みたいのはもちろんビールだ――!
「依頼だと言うのを忘れてないか?」
冷や水を浴びせるように声掛けたのはもちろん恭兵で、アダンはうぐっ、と呻いて手を止めた。
「わ、忘れていた訳がなかろう!?」
「そうか、それならいいんだ」
穏やかに微笑む恭兵は、開いたページの隅、ノンアルコールビールの画像をトントンと叩いて示す。悪酔いする前に、こちらに切り替えろと言うのだ。
「ま、まだいける、あと一杯だけ……!」
「本当にあと一杯だな?」
念押し確認をしたら、やっと最後のビールを注文する許可が下りる。アダンは思わず安堵のため息を零すと、届くビールは大切に飲まなければと、固く心に誓うのだった。
場所は積層都市の最上層、『横浜Ⅶ』の中華飯店。裏取引の舞台とは言え、富裕層に愛される飲茶バイキングが『はずれ』のわけがない。だから話を聞いていても立ってもいられなかったのだと、美食を愛し酒を愛するシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)は思う。
「来ましたバイキング!」
弾む声で店の前に立つシンシアは、水色の華ロリ風ワンピースを身に纏っていた。長く伸びるフィッシュテールが、まだ少し冷える春の夜風に揺れている。さらさらの金髪をお団子にするのには苦労したけれど、その甲斐あって可愛く仕上がったはず――誇らしげに胸を張り、襟元にブローチをつけていれば、待ち合わせに現れた|神隠祇・境華《かみおぎ きょうか》(金瞳の御伽守・h10121)が歓声を上げた。
「わぁ、シンシアさん、とっても可愛らしいです、よくお似合いですね。あの……こちらは、大丈夫でしょうか?」
「ありがとうございます。境華さんは大人な色味が素敵なチャイナドレスですか! たいへんお似合いですっ」
にっこり笑顔を浮かべてシンシアが感想述べた通り、境華の服装は大人っぽいチャイナドレスだ。黒地に上品な金刺繍、結びやラインは赤色でアクセントになっている。いつもは下ろしている艶やかな黒髪も、今日はシニヨンアレンジが新鮮だった。
シンシアの言葉を聞いて、境華は少しほっとしたようだった。けれどまだ恥じらう素振りで、少女はぽつりと言葉を零す。
「場所を伝えたら店員さんが着つけて下さいましたが……少し落ち着きません」
「ふふ、大丈夫ですよ! さあ、さっそく行きましょう」
そうして境華も襟元にブローチを飾ったら、いざ店内へ。店員が|裏の客の印《ブローチ》に目を留めているのを確認しながら、二人はテーブルへ促されて進む。座った席の真ん中に注文用のタブレットが置かれたら、二人は同時に互いを見つめ合った。
「タブレット注文、どっちがやります?」
シンシアが尋ねれば、返るのは境華の苦笑。二人の性格上、こういう時は『お先にどうぞ』と謎の譲り合いが発生しがちだ。けれど今日はそれではもったいない気がしたから、揃って提案する。
「えっと、一緒に見て選びましょうか」
「そうですね、ぜひ一緒に見ましょう」
頷き合って、タブレットをテーブルの真ん中へ平らに置く。メニューのページを開けば、そこには多種多様な飲茶メニューが画面いっぱいに並んでいた。
「わぁ、本当にたくさん種類が有りますね」
境華が声を上げ、画面をじっくりと眺める。シンシアは彼女の目線が動くのを見届けて、落ち着いた頃にページを繰った。
「とりあえず小籠包は頼むとして」
「確かに小籠包は外せませんね、あとは海老蒸し餃子と、五目春巻きが食べたいです」
小籠包のページを見つけたら、それをカートに追加して、それから境華が見ていたページに戻って彼女の希望したものも注文する。
飲み物は、シンシアはスパークリングワイン、境華はジャスミン茶を。アルコールは別料金とのことだったが、この先のことを思えば支払う必要はない。そうでなくても払ってでも飲みたいと思うのがシンシアなのだから、迷わず一杯だけ注文した。
料理も飲み物も、すぐに運ばれてくる。テーブルに並べられた蒸籠の蓋を取れば、ふわり立ち昇る湯気の中から熱々の小籠包が現れる。レンゲにとってさっそく一つずつ、スープも身も口をつければその味に二人が顔を綻ばせる。
飲茶の合間には、もちろん飲み物も。スパークリングワインの香りの飲み口にシンシアが満足げに頷けば、境華は透明なポットの中に花開くジャスミン茶を楽しみながら急須に注いでいく。
「工芸茶になっていてとても可愛いです」
見た目もよく、一口飲めばふわり広がる花の香りが口の中に残った小籠包の油分を洗い流してくれる。
口直しが終わったら、次のメニューへ。ぷるぷるの海老蒸し餃子も、パリッと揚がった五目春巻きも絶品だ。これは他のメニューも気になると、ぺろり平らげた二人は再びタブレットに手を伸ばす。
「シンシアさんは他はどうされますか?」
「あとは……そうですね、小さめの酸辣湯麺いきます」
可愛い華ロリ風の服を汚さないように気を付けつつ――そう思いながら注文すれば、こちらも間もなく提供された。実は酸辣湯に麺を入れるのは日本流の食べ方なのだが、ここは√仙術サイバーの横浜、ちゃんとメニューとして用意されている。つるっとした麺に絡む酸味豊かで辛みのあるスープ。食べればお酒を楽しんだ後のお腹もすっかり満たされて、シンシアは次にデザートのページを開いた。
「私のデザートは杏仁豆腐」
「私はゴマ団子を頂きます、揚げたてだととても美味しいですよね」
お互い、目当てのメニューをタップして一つずつをカートに追加する。しかし、シンシアは境華の言葉にぐらり心が揺れていて。
「……そっちもおいしそうですね。一個! 一個だけゴマ団子追加で!」
気になったら注文すべき、だって食べ放題なのだから。せめて数だけはセーブした姿勢を見せて注文するシンシアを、境華は楽しそうに見ている。
美味しい飲茶料理、お酒とお茶、そして楽しい会話。二人の飲茶バイキングは、デザートを平らげた後の余韻まで含めて大満足のうちに終わるのだ。
「この格好で良かったのでしょうか……」
中華飯店へと潜入する前、クラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)は不安げな声で呟く。今日の彼女の服装は、黒基調の華ロリワンピースにいつもの眼帯だ。
(「見立ててもらった以上、おかしいわけではないのでしょうが……」)
頭の中では少し落ち着かない感覚に躊躇いつつ、それでも周囲を観察する。すると、そんな彼女の思惑を知らぬネメシア・ヘリクリサム(剣と共に歩み、息づき、愉しむ人生・h08297)が満面の笑みで声をかける。彼女ももちろん、服装は中華服。ショート丈のチャイナトップスに、ニューチャイナスタイル系ワイドパンツを合わせている。元気に腹筋を見せるのは、彼女のいつものスタイルだった。
「クラーラやっぱそれ似合うよ、よかった! ラネンカナもスラッと映えるね」
傍らにいるラネンカナ・リシトルタ(シースフェンサー・h08491)に話題を向ければ、彼女も笑顔を浮かべる。ラネンカナが身に纏うのは、シンプルなチャイナドレスとボレロだ。モノトーンで統一された装いは、彼女の銀髪にもよく似合っている。そして、それを本人もわかっていた。
「……我ながら良く着れてるんじゃない? 二人もバッチリ似合ってるし、後は浮かれすぎないようにしないとね」
涼し気に微笑みながらも、此度の目的は潜入捜査なのだと暗に伝えるラネンカナ。その言葉にはっとして、クラーラはこくりと頷いた。
「こういう場で浮かないことも大事ですね」
そうだ、だから彼女の華ロリ衣装も場に合わせた適切な装いだったと思おう。迷いがなくなった様子の彼女に笑って、ネメシアは目配せひとつ、店の中へと入っていった。
「さ、飲茶! 食べ放題! それでいて富裕層が満足する味や素材! ……コスパ的に入手ルートがいきなり怪しい……けど、今は楽しんだもん勝ち!」
二人を先導するように歩くネメシアは、弾む気持ちをそのまま言葉にする。元より現地名物が好きで冒険の傍ら食道楽の生活を送る彼女なのだ、此度の飲茶バイキングにも興味津々といった様子で語る。クラーラとラネンカナの二人にも遠慮なく食べてほしいから全力でリードしよう――そんなことを考え積極的なネメシアだが、自分が食べたいだけだったりもして。
ブローチもしっかり身に着けて、席へ通された三人はさっそくタブレットを囲んで何を注文しようか考える。
「小籠包に翡翠餃子に……これなんて読むのかな、写真おいしそう!」
気になる料理を次々とカートに追加していくネメシアが、クラーラにも何がいいか尋ねる。けれど彼女は微笑み、『お任せします』と答えて。
「ただ、折角なのでお勧めとされるメニューは制覇したいですね」
「そうだね、数も重要だけど人気どころは押さえとかないとね」
クラーラの希望を掬ったラネンカナが、タブレットを操作しておすすめメニューを確認する。小籠包がおすすめだとは事前に聞いていた、後はメニューに添えられた小さなアイコンを頼りに、餃子や春巻きも注文する。
そうしてどんどん選んでいったら、画面に『同時注文数の上限です』の表示が出て、思わず三人は顔を見合わせる。ではとりあえずはここまでで、と注文確定したら、待つことしばし。すぐに飲み物と料理が運ばれ始めて、彼女達のテーブルにはあっという間に皿が並べられ、蒸籠が高く積み上げられた。
「たくさん頼みましたね……」
驚き声を漏らすのは、クラーラだけ。ネメシアは大喜びでいろいろな皿から気になる料理を取り皿にとっていくし、ラネンカナも同様に料理を取り、クラーラにも取り分けてくれる。
「ほら、熱々いっぱい二人も食べよ?」
「これでも育ち盛りだし、みんなでどんどん平らげていこう」
誘いながらも夢中で料理を口に運んでいく、ネメシアの勢いには少し圧倒される。けれど勧めてもらえるのはありがたいと、クラーラは自身の取り皿に盛られた翡翠餃子を箸で持ち上げた。蒸籠から取り出したばかりの蒸し餃子は、ふわりと湯気を立ち昇らせ、豊かな香りで食欲を刺激する。僅かに表情を和らげた少女は、そのままぱくり。
「……美味しいですね」
静かな感嘆には、ネメシアもラネンカナも同意するように頷いた。クラーラはその他の料理も、一つずつ丁寧に味わっていく。
ペースを崩さず食べるクラーラの前で、山のようにあった料理は次々と空になっていく。そろそろ次! なんて言いながらネメシアがタブレットを手元に引き寄せたら、ラネンカナも止めないで。
「ひとくち餃子、五十個くらい頼めば皆で足りる? あ、デザートの余力は忘れずに! 私は桃饅たべたーい!」
――ここからさらに餃子を一口サイズと言えど五十個頼んで、デザートの余力がある。クラーラは思わず面食らうが、自分だってデザート分のお腹の容量は確保しておいたつもりだ。
「甘いものも頂きますが、ラネンカナさんに手伝っていただかないと食べきれないかもしれません」
「ああ、食べきれなかったら私が引き受けるから安心していいよ。デザートは別腹だし、こっちもどんどん頼んじゃおうか」
「お二人ともよく食べますね……」
思わず漏れたクラーラの声は、困惑が滲んでいた。この後テーブルには料理の第二陣がたくさん並べられ、それを平らげたら今度はデザートが埋め尽くすことになるのだ。無理せず自分は食べられるものを、と思うクラーラがペースを死守する中、ネメシアとラネンカナの食べっぷりのおかげで大量の飲茶料理は無事完食されるのだった。
「しかし模造品のブローチであっさり潜入できるなんて案外ザルだね? まあ、武強主義よろしく始末すればいいって考えかもだけどさ」
食後のお茶をのんびりと飲みながら、言葉零したのはラネンカナだった。たっぷり食べて、楽しませてもらった。けれど、三人は決して忘れていない――今日はこの後、為すべきことがあるのだ。
「深夜の中華飯店で食べ放題できると聞いて……!」
灰色の瞳を爛々と輝かせ、中華飯店の扉を潜るのは緇・カナト(hellhound・h02325)だ。装いは、緑色がベースの中華テックウェア。前身頃から裾にかけて、彼岸花の模様がシックな色合いで入っており、左腕には黒い狐面と彼岸花を飾っていた。実は袖や、その他の場所にも暗器を仕込んでいるのだけれど、それを店の者に悟らせるつもりはない。
その隣で楽しそうに笑んでいるのは、|雨夜・氷月《あまや・ひづき》(壊月・h00493)だった。こちらは黒と青、差し色に臙脂のチャイナタクティカルを身に纏っている。上着は着丈が短めで、大胆に開いた腰と腹部。へそにつけたピアスが揺れる様は、自然と目を引く。さらさらと揺れる艶やかな銀髪の上では、月下美人の飾りが甘い香りを放っていた。
「深夜に食べ放題は背徳の気配……。けど、今日は気にせず全力で食べよ!」
「うん、背徳な味を沢山楽しんじゃおうねぇ」
氷月の意気込みに、カナトもまた頷いて。自然な素振りで翡翠のブローチを店員に示しながら、二人は席へと案内され進んでいった。
「何から食べよう? 気になるヤツありそう?」
席へと着いたらさっそくタブレットを手に取り、カナトが尋ねる。お勧めは小籠包だと聞いているが、メニューを見ればいろんな味があって迷ってしまう。焼き、蒸し餃子に翡翠餃子も美味しそうで、目移りするばかりだ。
「点心って幾らでも食べられる気がするの何でだろー」
これは困ったぞ、とカナトが嘆けば、それを聞いた氷月がくすくすと笑う。だって彼は思うのだ、シンプルな解決法があるのだと。
「折角なんだし、端から全部食べようよ。俺たちなら余裕で食べられるでしょ?」
にんまり笑顔でカナトを見つめる、月の浮かぶ宵の瞳。まるで悪いことに誘うかのような口ぶりで、氷月はタブレットをトントンと指で叩きながら続ける。
「一通り味見して、気に入ったのがあったら追加注文。ど?」
ゆるりと口の端を上げて提案する内容は、しかし悪くないものだった。なるほど、とカナトは頷いて、さっそくメニューの前菜ページを開いて。
「満足するまで色々頼んじゃおうか、っと」
言いながら、左上から順に、全てのメニューを一つずつカートに入れていく。とは言え、テーブルがいっぱいになるまで頼むより、五月雨式に注文した方が出来立てを食べられていいだろう。適度なところで止めたら、次は飲み物のページを開いた。
「ねぇねぇ氷月君? 此れってオシャレで面白そうじゃないかなぁ」
「ん? ノンアルカクテル? へえ、オシャレーこれも頼も!」
二人が目を留めたのは、オリジナルのノンアルコールカクテル『満月』だった。こんな深夜の飲茶バイキングで楽しむにはちょうどいい。さっそくこちらもカートに入れながらも、アルコールのページも気になってしまう。
「ついでだからワインも飲んで無礼講も良いかも?」
「お酒も程々にならイイんじゃないかな。無礼講無礼講」
悪戯っぽく笑う氷月に後押しされて、カナトはグラスワインを注文する。はじめに頼むなら、さっぱりした前菜に合わせて白ワインだろうか。餃子などを頼む時は、赤に切り替えてもいい。そう、二杯くらいなら、後の作戦に影響することもないだろう。
注文を完了したら、すぐにワインと前菜が運ばれてきた。二人はさっそくグラスを手に、ニッと笑い合ってそれを掲げる。
「カンパイ!」
「かんぱーい!」
そうして前菜を少しずつ取り皿に乗せて、語らいながらもあっという間に食べ進める。その間に次なる飲茶メニューも注文しておけば、ちょうど第一陣を食べ切る直前に蒸籠の山が運ばれてきた。
「お、小籠包イチオシってだけあって美味いね」
レンゲに乗せた小籠包を、熱々のまま軽く一口。じゅわりと溢れるスープを飲み下した後で、氷月はぺろりと唇舐めながら感想零した。
次に運ばれてきたのは春巻き。こちらもいろんな味が用意されていたので片っ端から注文したのだけれど、一口サイズでいろいろと楽に試せるところが彼は気に入って。
ワインのグラスを空にした氷月は、満足げな顔で横に置いておいた『満月』を手に取った。
「今宵の月は綺麗だ、みたいな?」
「月が綺麗ですねって告白なかったっけ?」
新たに届いた焼き餃子に舌鼓を打ちながら、カナトが言葉を紡ぐ。夜空を表現したドリンクのグラスの中、真ん丸ライチが月のように浮かぶ様は確かに美しい。そのグラスを氷月に倣って手に取りながら、カナトの視線が向くのはテーブルに並べられた蒸籠達で。
「此処の丸い月たちは皆んな、美味しく食べれそうだけどねェ」
蒸籠も、お皿も、みんな満月のように真ん丸だ。全部全部、美味しく平らげてしまいたい。入店する前と同じ期待に満ちた瞳で料理達を眺めるカナトを前に、氷月は楽しそうに笑って夜空色のドリンクへ口をつけるのだった。
路地裏の中華飯店へと、漆黒の髪の女性が颯爽と歩いてくる。リーリエ・エーデルシュタイン(アンダー・ザ・ローズ・h05074)が纏うのは、最近仕立てたばかりの赤いチャイナドレスだ。金色の刺繍が施された華やかな布地、彼女の魅力的な体のラインをよりよく見せる胸元のデザイン。ふわふわの白いファーを羽織り直しながら、店の前へとやってきたリーリエは微笑み浮かべながら呟いた。
「せっかくのチャイナ服ですし、やはり√仙術サイバーで幅効かせたい……けふけふ、お披露目したいですわよね」
「わぁい、お隣の人、衣装だけでなく発想も完全に悪役令嬢のそれだぁ」
耳ざとく聞きつけて、へらへら笑って言葉を紡いだのは|緋月・拓馬《あかつき・たくま》(脱法厄災・h00184)だった。こちらはワインレッドの上着に黒いパンツのチャイナスタイルに、ファー付きのコートを羽織っている。ドレスコード用に着てきたこの服のテーマは、『チャラいけどなんか偉そうな風体のマフィアっぽいイケメン』である。略してチャラメン。リーリエと同じ店で仕立てたのか、腰の飾り紐は彼女のそれとよく似ていた。
リーリエは翡翠のブローチを取り出すと、首元のリボンのところへ留める。
演技は得意だし、彼と潜入するなら上手くデートを装えば疑われることもないだろうと思う、けれど。
「そういえば呼び方、くーまんさん……」
演技中は何と呼ぼうかと考えて、リーリエは小首を傾げた。いつもの愛称では、場に合わないかもしれない。すると拓馬はサングラスをかけながら、何でもないことのように答えた。
「設定的には、拓馬さん辺りの方が自然じゃね?」
「ですよね、では拓馬さんで」
そうして設定を擦り合わせたら、二人は腕を組んでいざ店の扉を開ける。いらっしゃいませ、と声掛ける店員は、二人を恋人と信じて疑わない。拓馬がちょっと胸張り居丈高に振る舞えば、勝手に|お仲間《マフィア》なのだろうと判断したようだった。
席に着いたら、タブレットをテーブルに置いて店員は去っていく。料理は純粋に楽しみたい、とタブレットをリーリエが操作し始めたら、それを覗き込んだ拓馬はその黒い瞳を嬉しそうに細めた。
「わーい、中華だー。くーまん中華料理しゅきー」
(「中華好きな拓馬さんは推せます」)
にっこり笑う拓馬に内心そう思いながら、リーリエは翡翠餃子をカートに入れる。それからおすすめの小籠包、他にも気になるものを拓馬と相談しながら注文して。
待つことしばし、次々と料理が運ばれてくる。蒸籠の蓋をとればふわりと立ち上る湯気の中に蒸し餃子や中華まんが現れて、二人はそれらを味わうように食べていった。
さすが最上層で営業する料理店、上品な味を少しずつ食べられて、満足感がある。次々と飲茶メニューを楽しむ拓馬を見ていたら――ふと、思いついてリーリエは紫の瞳に悪戯っぽい光を灯して口を開いた。
「あーん、とかしてみます? ……アツアツの小籠包で」
「あーんだと? やってやる、やってやるよ!」
恋人の演技で、そこまでする必要はない。ならばこれは挑戦状だろうと、拓馬は血の気の多い反応を見せる。そんな彼を面白く見ながら、リーリエは新たな蒸籠の蓋を開け、レンゲにほかほかと湯気の上がる小籠包を乗せると拓馬の口元へと持って行った。
「はい、あーん」
「あーん! ……って、あっつ!」
勝敗はすぐに決した。熱々の出来立て小籠包を前に、冷める前に完食することはできなかった。慌てて手元の中国茶で小籠包の熱を流し込んで、それから拓馬は安堵のため息を漏らした。
「危うく戦う前からおさかなさんになるところだったZE」
そんなことを言うから、リーリエも思わず笑ってしまって。自分は慎重に、少し冷めるのを待ちながら小籠包をいただくのだった。
――そうして様々な料理を食べたら、最後はデザートだ。
「デザートは白タピオカって珍しい、美味しそうです」
「白いタピオカだーなんかお高そうな味がする」
二人揃って白タピオカを注文し、ココナッツミルクと共に掬い上げる。口の中で噛むぷちぷちとした食感が楽しいと思っていたリーリエは、拓馬がにやりと笑う瞬間を見逃していたから。
「はい、あーん」
「……?!」
それは唐突なリベンジだと、リーリエは思った。体がフリーズしてしまうが、拓馬はにやにやとリーリエの反応を眺めている。だから、悪役令嬢の娘は観念した顔で口を開いた。
「あ、あーん……もぐ……美味しい」
「美味しい? もっといる? ほらほら!」
「いや|小籠包《そっち》は味が判別できな、熱」
――ほらもっと、もっと! まだいけるって! そんな拓馬のいつもの声が聞こえてきそうで、リーリエは混乱してしまう。けれどそんなやりとりも、外から見れば恋人達の戯れに見えていることだろう。困惑しながらもリーリエは拓馬のリベンジを何とか処理し、落ち着くために最後のお茶を注文するのだった。
三人で店に入ると、店員は特に疑う素振りもなく席まで案内してくれる。
店内は綺麗な装飾が施され一見普通の中華飯店であるが、裏があると知る|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)は不穏なものを感じてしまって。
「闇営業の中華って言うと怪しいよね! そういう所にこそ秘蔵のお酒があるんですけども」
――感じてしまっても、特に怖気づくようなこともなく。むしろ興味津々と言った顔で、彼は早速タブレットを操作する。
時雨が纏うのは、最近仕立ててもらったばかりのサイバーで身軽な装いだ。黒地に黄緑のネオンカラー、ところどころに効かせた中華柄がアクセントになっている。顔まで覆う布は、今日は外しておいた。変に怪しまれたくはないし、口元が隠れていては料理も酒も楽しめないからだ。
手早く気になるメニューを注文したら、|尾崎・光《おざき・こう》(晴天の月・h00115)がタブレットを受け取った。彼もまた、時雨と同じ系統のサイバー服を着ている。こちらは黒地に青のネオンカラーで、中華柄が入っているのも同じ。しかし時雨の動きやすさを重視したデザインとは異なり、大きな外套が落ち着いて見える印象だった。外套の襟元を下げ、刀も外してきた。常に帯刀していなくなって、必要な時に喚べば済むのだ。
後を考えると程々が無難だろうと、光は小さい物が入っているせいろを何品か選んでいく。同行者二人にも、希望を聞いて注文を確定。すると、少しの後にテーブルにはまず飲み物が届いた。
「わぁ、綺麗」
ノンアルコールカクテルの『満月』を見て、そう感想を漏らしたのはルイ・ミサ(半魔・h02050)だ。橙色の瞳を輝かせてグラスの中の夜空を見つめる彼女は、今日はモノトーンのチャイナドレス姿。パンダカラーでのコーディネートは、髪をお団子にして、黒いシニヨンキャップを被せている。頭の上にちょこんとついた二つの黒い真ん丸は、まるでパンダの耳のようだ。その愛らしさと、袖周りや肩口が黒のシースルー素材になったチャイナドレスの大人っぽさが、絶妙なバランスで同居している。
「ねえ二人とも、見て見て。ライチが満月に見える」
飲んで夜色が減る前に、この美しさを二人にも共有したい。そう思ってテーブルの真ん中にグラスを置いてお披露目したら、満足げに手元に戻してもう少しだけ堪能を。
そうしている内にテーブルには次々と料理が運ばれてきて、時雨が蒸籠に手を伸ばした。
「せいろ開ける時ってわくわくするよねぇ。餃子、美味しそうすぎて怪しい」
ふわりと湯気を立ち昇らせる蒸籠の中を覗き込めば、そこにはぷりぷりとした蒸し餃子。箸で摘まみ上げれば灯りを受けてキラキラと艶めくそれを、時雨は身を乗り出してルイへと突き出した。
「はい、ルイミサちゃん。あーんして」
「ん?」
食べ物を差し出されたら、ルイの口が反射的に開く。そこに蒸し立ての餃子を放り込むと、時雨はにっこりと笑いかけた。
「美味しい?」
「ふぁ……ッ」
遅れて口の中が熱いことに気付いて、猫舌のルイは思わず口元を押さえる。手で隠した中でちょっと口を開けて、ふうっと口中の熱を逃がして。涙目になりながら処理しようとするルイだが、その様子を時雨はにこにこと見守り、無言で感想を求めているから。
「……おいひぃ」
必死で口をもごもごさせながら、やっと答えたら彼は可笑しそうに声を漏らした。
「……やだ、ごめんね。ふーふーしたの食べる?」
「小皿に取って冷まそうとする間もなく、ルイミサさんがいたずら小僧の餌食になってるな……」
二人のやり取りを見ていた光は、呆れたような視線を投げかけつつもルイの前へ小皿を置いて、タブレットを操作する。確かスイーツの項目に茘枝のシャーベットがあった。ルイのためにと注文すれば、画面見た彼女も『舌が冷えて気持ちいいかも』と嬉しそうだ。
そんな冷静な光にも、時雨の悪戯心は向いてしまう。
「コウくんには、熱々だよ。あーんして。食べてよ」
「野分、箸を付けたら自分で食べなさい。酒は好きにどうぞ」
僕は自分のペースで食べてるからいいんだよ、とさらり答えて、光はプーアル茶を一口。質の良し悪しがわかりやすいお茶だと思うから注文したのだが、そこはさすが上層階の店である。上等のお茶の自然な風味に、光は思わず青い瞳を細めてしばしの時間堪能した。
一切動じない光に、わかっていながらも口尖らせて見せて、時雨はタブレットで酒のメニューを眺める。なかなかの品揃えだ。そしてお値段はなかなかに強気なので、通常は飲茶食べ放題で釣ってこちらの酒類の追加で稼ぐ方針なのが伺えた。尤も、EDEN達は今日この店を潰しに来たので、払うつもりはないのだが。
「じゃ、ぼくはお花漬けたっていう酒飲も!! 二人とも他に気になるものあった~?」
「あ、見て。桃饅頭~。私それがいい」
「桃饅頭なんてあるんだかわいい~」
時雨とルイが盛り上がる中、光の方は蒸籠から少しずつとった料理を味わっていた。ある程度食べ進むと、日本人としてどうしても米は欲しくなる。だから彼は時雨に断りタブレットのページを切り替えて、麺やご飯の項目を確認する。
「ちまきか糯米包があると良いけど」
「糯米包? 食べてみたいな」
興味を示したルイの分も合わせて、糯米包を注文する。そうしている間に先に注文した花を漬けたお酒――桂花陳酒が来たので、時雨は金の瞳をきらりとさせてさっそく一口飲んでみる。
「良い香りだけど、すごく甘い」
「時雨君のそれ、何の花を漬けたお酒?」
「金木犀だよ。嗅いでみる? ツマミは何にしよう。 ニラレバ炒めと、小籠包かなぁ」
「焼き焼売もおすすめだよ」
「じゃあそれも!」
会話すれば、食べたいものはどんどん増えていく。あれもこれもと注文して、再びテーブルは飲茶メニューでいっぱいに。熱々が好きな時雨は届いた傍から口に運んで、甘い桂花陳酒と共に楽しむが、ルイは小皿に置いてふーふーと冷ます。時雨と光が頼んだ蒸籠はどれも美味しそうな香りを立ち昇らせているから、少しずついろいろ食べてみたい。
三人いれば、頼む飲茶も飲み物も多種多様。新たな味に出会えたり、友人の好みが知れたり。そんな楽しい時間を目一杯に満喫して、彼らは楽しそうに笑い合うのだった。
店内に入れば、すぐに店員がやってきてドレスコードと、それからこっそりブローチを確認する。その視線を感じた|不忍・ちるは《shinobazu chiruha》(ちるあうと・h01839)は、落ち着かない気持ちでいた。山吹色と青色、ふわりと揺れる漢服を翻さないよう気を付けて歩く。普段は着ない服装だからこそ、丁寧な所作を心掛けて。しかし緊張するちるはの手は、ついつい小指に嵌めたピンキーリングを撫でてしまう。
「後の作法は結構だ、店員よ。こちらで姫を迎えるのでな」
席へと通されると、そう告げたのは|和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)だった。すっ、と椅子を引いてちるはを見つめ、穏やかに笑う。
「どうぞ、|ちるは《姫》」
「ありがとうございます、蜚廉さん」
礼告げたちるはは、彼が導いてくれた椅子へと静かに座る。蜚廉は彼女の正面になる席に座ると、改めてちるはを見つめた。
「天女の様な装いに、結い上げた御髪がよく似合っている。うなじ……というのか。正面だけでなく、後ろ姿まで魅力的だ。この姿を眺められるのは、幸せの一言に尽きる」
――見つめるだけではなく、賛辞の数々がすらすらと出てくる。その真っ直ぐな言葉に、ちるはは真っ赤になってしまって。
「んんん、魅力的。蜚廉さんも、……ですよ」
真似っこのお返しに、今度はちるはが蜚廉を褒めようとじっと見つめる。潜入捜査ということもあり人型をとっている今日の彼は、漢服を見事に着こなしていた。
「蜚廉さんは√主義に似合ってて頼もしくかっこいい……、です。落ち着いた色味でおひとりで立っていてもすてきですけど、差し色がオソロイですから離れられないデザインですね」
照れながらも、褒める言葉はやはり真っ直ぐに。それから彼の腰のリボンとお揃いの髪飾りに指先で触れてみせたら、蜚廉が一瞬固まる。
「んむ……上手く褒め返すでは無いか……。これは一本、取られたな……」
コホン、と咳払いで誤魔化そうとしている蜚廉だが、彼のことならばよく見ているちるはは、その耳が赤くなっていることを見逃さない。けれどふわり笑うだけで敢えて指摘しないでいたら、蜚廉が居たたまれないといった様子でタブレットへ視線を移した。
「これ以上語っては、食事どころでもなくなりそうだ。うむ。後は料理を堪能するとしよう」
「はあい、いっぱい頂きましょう」
くすくすと笑いながら、ちるはは蜚廉が持ち上げたタブレットを受け取る。飲茶バイキングのメニューを見れば、様々な料理が並んでいて。画面を覗き込んでいた蜚廉は、ふと思いついて提案を始めた。
「お代は気にしなくて良いのだから、フルコースで頼んでみようか?」
「わあ、フルコースすたいるのオーダーよいですね」
こくこくとちるはが頷いたら、此度の頼み方は決定だ。コースメニューが用意されているわけではないので、前菜から順に注文することにする。彼女が画面の上で指を滑らせ操作すれば、その滑らかな動きに蜚廉が感心する。
「端末を操作する手付き……流石だな。思う存分頼むと良い」
その手の機械は、まだ扱いに不慣れ故助かるよ。蜚廉が言いにくそうに告げれば、ちるはは嬉しそうに笑って前菜のページを開いた。
「前菜は棒々鶏と……くらげの冷製も美味しそうだ。スープは盛大に、フカヒレが良いな。主菜は当然、海鮮と肉を堪能せねば」
「ふむふむ。ではこうです」
蜚廉の計画するフルコースを聞けば、ちるはが該当の料理を迷うことなくカートへ入れて、注文していく。その手際の良さに、見守るだけの蜚廉も追いつけなくなってしまう。
(「前菜・デザート・主菜・デザート・ごはん・デザート……」)
ささっとお目当ての料理をカートに入れて、そのまま注文。何も言わずに一部数量が三。何も言わずにデザートを挟む。マンゴープリンに杏仁豆腐、ゴマ団子も桃まんも。食べることが好きなちるはは自由に気の向くメニューを頼んでいくが、蜚廉もそれを止めたりはしない。同時に、飲み物が空になればおかわりを促すなど、彼女への気遣いも忘れずにいた。
「合間に挟んだ甘味は、さしずめ口直しと言った所かな?」
前菜から主菜後のデザートまでを食べたところで、彼がそう言った。デザート多めの不思議なコース料理も、楽しんでいる。ちるはと食べる料理は、何でも美味しいから。逆らう理由なんてない蜚廉は、注文を楽しむ彼女を見ていたいと思うのだ。
「たんたん、ちゃーはん」
すすっとタブレットを操作する、ちるはの口からそんな声が零れ落ちた。我慢しきれず心の声が漏れた彼女を、蜚廉は微笑ましく見つめている。
「……おや、白米も食べていたというのに。追加の担々麺と炒飯を所望するとは、姫は随分と健啖でいる様子」
「蜚廉さんも食べますよね?」
当たり前みたいに問いかけて、ちるはは担々麺と炒飯を二人分注文する。今日は彼女がタブレットを操作している以上、この飲茶バイキングを掌握しているも同然なのだ。順番は丁寧に、たくさんおいしく選んでもぐもぐする。そんな目的に貪欲なちるはは、やる気に満ちていた。だって、いっしょに食べるごはんはしあわせのかたちなのだから。
飲茶楽しむ時間に夢中なちるはを見れば、蜚廉もまた幸福な気持ちに包まれる。注文も心も鷲掴みにされた以上、とことんまで付き合おう。思えば口元が緩む彼は、甘くてあたたかい桃まんを口に運んだ。
第2章 集団戦 『妖魔シュエバオ・マオマオ』
●ふわふわ妖魔を捕まえろ!
食べて、飲んで、飲茶バイキングを楽しめば、終わりの時間がやってくる。
「お客様、そろそろお時間です。……あちらへ」
そっと近付いた店員が、伝票をテーブルに置いて視線で示すのは、別室への扉。あの先が、闇取引の部屋へと繋がっているのだろう。
身支度を終え、伝票を持ったEDEN達は、導かれるままに扉の先へ進む。しばし細い廊下が続き、先に見えてくる豪華な扉。恐らくこの先が取引の部屋だ――確信したEDEN達は、緊張の面持ちで店員が扉開くのを見守る、のだが。
「あっ! 待ってくれ、今はまずい!」
奥から何者かの声がしたと思ったら、ぴょこんと飛び出す白い影。驚きEDEN達が目で追えば、それは『妖魔シュエバオ・マオマオ』だった。
「ぴい、ぴゅいー!」
ふわふわの体でとことこと部屋を歩き、妖魔の子ども達は上機嫌に鳴き声を上げる。それを見下ろし慌てる男達が複数、彼らの手元には空の檻。
――つまり、闇取引の従業員達は、うっかり檻を開けて、『妖魔シュエバオ・マオマオ』を逃がしてしまったらしい。ここまでEDEN達を連れてきた店員が慌てて扉を閉めたから、外に飛び出したものはいない、ユキヒョウの子どもは無邪気に部屋の中を駆け回っている状態だ。
これは好機だ。無邪気な妖魔達は、尻尾を揺らしてうずうずとしている。透き通るような青い瞳は、遊び相手を探すよう。マフィア達は彼らを捕獲しようと動き始めているが、あの男達にとって妖魔はただの商品。追いかけっこになったとて、ユキヒョウの子ども達を満足させられるとは、到底思えなかった。
ここでEDEN達が妖魔の子を遊びに誘い、満足させてやれば、自然と集まってくるだろう。そこをもふっと捕獲してしまえば、戦わずして全ての『妖魔シュエバオ・マオマオ』を確保することも難しくなさそうだ。
慌てて捕獲用の網を持ち出すマフィアの男達、それを全く気にしない様子でころころ駆け回る妖魔の子。両者の間に割って入って妖魔の子を助け出せるのは、EDEN達しかいない。
「えぇと、これは一体……」
白いふわふわの妖魔達が、ぴょこんと元気に跳ねて、駆けている。その姿に、|神隠祇・境華《かみおぎ きょうか》(金瞳の御伽守・h10121)は金色の瞳を瞬いた。
デザートまで大満足の飲茶バイキングを堪能して、ここからは仕事の時間。そう気持ちを切り替えて、|闇取引の部屋《ここ》までやってきたのだけれど――。
「白くて可愛らしい妖魔達が、脱走してますね……えぇ……?」
同じように困惑の表情を浮かべているのは、シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)だ。お腹も満たせていざ仕事、と思ったはずなのに、目の前にはほのぼのとした光景が広がっている。お尻を持ち上げ尻尾をふりふりする子、『ぴぃー♪』とご機嫌に鳴く子、部屋の中をぐるぐると走り回る子――『妖魔シュエバオ・マオマオ』は、その身を売られそうになっていたなんて全く気にせずのびのびとしていた。
「馬鹿野郎! 何逃がしてんだ! こんなのリーダーにバレたらやばいぞ!」
二人を連れてきた店員が怒声を上げて、呆けていた従業員達に捕獲するよう命じる。その声を聞いて、境華とシンシアはそっと目配せをし合った。
「まずはあの子達を傷つけずに捕まえればよいのですよね」
「そのようですね。しかし方法はどうしましょう?」
小声でひそひそと相談して、二人はユキヒョウの妖魔とおいかけっこをすることにする。遊びつつ、疲れたところを捕獲する算段だ。
「頑張りましょう、境華さん!」
「はい!」
二人は言葉を交わすと、即座に別の方向へ駆け出した。まずは境華が、一匹の『妖魔シュエバオ・マオマオ』目掛けて走り寄る。
「ぴ!」
妖魔は尻尾をぴん、と立てたかと思うと、逃げるように走り出す。とてとて、ぽてん。小さな体で転がるように駆けるマオマオは思った以上にすばしっこくて、境華が懸命に追いかけてもなかなか手が届かない。
「あっ、ちょっ! 想像よりマオマオ達の元気が溢れていてっ」
シンシアも子どもの妖魔を捕まえようとしたけれど、触れたはずのふわふわの毛はそのままするりと逃げ出していった。慌てて追おうとするシンシアだが、そこで境華から声がかかる。
「シンシアさん、そちらへ行きました」
「――こっち来る、了解です!」
答えると、華ロリ風のワンピースを翻して、駆けてくるユキヒョウを待ち構える。挟み撃ちだ。後ろの境華ばかりを気にしていたふわふわの子は警戒もなくシンシアの手の届く場所まで飛び込んできたから、セレスティアルの娘は手を伸ばして抱き上げようとした。
「っぴい!」
瞬間、『妖魔シュエバオ・マオマオ』が身を屈めた。そのまま滑り込むみたいにシンシアの足の間を潜り抜け、ぴょーんとジャンプして逃げていく。
「マズい、想定以上にすばしっこくて逃げられ……いや淑女なのでここは意地で頑張りますよ! 境華さん、その子お願いします!」
「は、はい!」
もう一度、同じように挟み撃ちにする。先程はすり抜けられたが、疲弊が重なれば捕まえられるチャンスもあるはずだ。
追う境華、待ち受けるシンシア。いつしか二人は、追いかけっこが楽しくなってきていた。否、二人だけではない、妖魔の方も青い瞳をきらきらと輝かせて、二人が追ってくるのを待っているようだ。
――そして、しばしの奮闘を経て。二人はついに、スタミナの切れた『妖魔シュエバオ・マオマオ』の捕獲に成功した。
「な、なんとか捕まえました!」
喜びも安堵も声に乗せて、シンシアがマオマオをぎゅうっと抱き締める。見た目通りのふわふわもふもふ、腕の中で頭を擦り寄せてくる姿は愛らしい。なのに凍気纏う体はひんやりとしていて、走り回った後の彼女にはその温度が心地好かった。
「……ふわふわです。とても」
抱き締めたユキヒョウの妖魔を逃げ出さないよう抱えて、境華もそっともふもふを堪能する。滑らかな毛並みはひんやり心地好くて、思わず頬も緩んでしまう。その上で『ぴぃ♪』と鳴いてくれるのが愛らしくて、境華はマオマオの頭を優しく撫でた。
(「依頼中のはずなのに、不思議と賑やかで温かな時間です」)
そんなことを思って境華がシンシアを見れば、彼女の楽しそうに笑っていた。尤も、楽しんでいるのは二人をはじめとしたEDENばかりで、敵は妖魔達を捕獲しようと右往左往しているのだった。
ぴょこんぴょこんと、白いふわふわした生き物が無邪気に飛び跳ねている。その光景を目にして、|雨夜・氷月《あまや・ひづき》(壊月・h00493)はまず表情を輝かせた。
「もっふもふのユキヒョウだ!」
「ユキヒョウみたいな妖魔ちゃん……!」
思わず上がった歓声は、緇・カナト(hellhound・h02325)の声と重なる。そのまま顔を見合わせた二人は、可笑しそうに笑い合って。
「コレは悪いヤツらを追い払って俺たちでもふもふを堪能――じゃなくて、確保するしかないね、カナト!」
「ああ、食べ放題は満喫した事だし、腹ごなしの仕事もするとしようか」
そう言葉を交わした二人は、目配せだけでタイミングを合わせて別の方向へと走り出す。自由に過ごす『妖魔シュエバオ・マオマオ』へ接近したのは、カナトだった。
「先ずはネコ科的な興味を惹くのに……」
呟きながらひらりと手招けば、応えて空中泳ぐのは怪魚のようなインビジブル。
「サカナというよりサメなんだけどねぇ、磯撫で~」
笑いながら磯撫でに似た姿のインビジブルを引き寄せる。妖魔が受肉したインビジブルであるのだから、これも見えるはずだと予測しての行動だったが――果たして、妖魔の子ども達は興味津々に怪魚を見上げた。尻尾がぴるぴるっと震えて、今にも飛び掛かろうとしている。インビジブルが地面近くまでやってきたら、すかさず尾びれへ飛びついた。
「ぴぃ~!」
小さな前脚でたしっと尾びれを叩くマオマオは、そこでびっくりして飛び退る。磯撫での尾びれにはおろし金のような細かい針があり、それで得物を釣るのだ。
「子ネコちゃん達は釣れないかな……まぁイイか」
妖魔を集めることができれば十分と、カナトが笑う。その間にも氷月は部屋を駆け――慌てて捕獲用の網を持ち出した従業員達へと、肉薄した。
「んじゃ、俺は軽くコッチを妨害」
背後を取って言葉紡ぎ、敵が振り返るより先に月光燐光を放つ。紫陽花のがく片によく似たそれは、従業員達を包み込んだ瞬間に消え去り、花硝子の欠片を飛び散らせる。
「うわっ!?」
飛散した欠片に驚き、敵が網持つ手を引っ込める。その隙に氷月はするりと彼らが狙い定めていた『妖魔シュエバオ・マオマオ』へと近付いて、服についた青い紐をひらひらとさせて見せた。
「もふもふはコレとかどう?」
「ぴぃ!」
妖魔の青い瞳が、爛々と輝く。ぴょーんと飛び跳ね|紐《獲物》を捕まえんとするその小さな体は、そのまま氷月の腕へと飛び込むから。氷月はそのままマオマオを抱き留めると、その毛並みに手を触れて表情を緩めた。
「え、ヒンヤリしててきもちいー! カナトもほらほら!」
感動を素直に表情に浮かべて、カナトを見れば彼もまた妖魔の子達と戯れている。玩具は暗器くらいしかないけれど、袖の中に隠したそれだって、二つを擦り合わせてチャリチャリ音立ててみせれば、『妖魔シュエバオ・マオマオ』の気を引くものになる。身を低くしてから一気に跳びあがり向かってくるものには暗器を奪われてしまうけれど、可愛くたって妖魔だ、暗器をいじったところでさしたダメージはないだろう。
「ちょちょっと遊ばせるくらいなら……」
カナトはそう考えながら、暗器をがじがじ齧って楽しむユキヒョウへそっと手を伸ばす。
「何度か見たことあるケド、撫でたりの触れ合いはなかったかも。雪見だいふくみたいな手触りでもするのかなぁ」
「あ、俺も確かに触れ合ったことなかったかも」
氷月の声を耳に聞きながら、カナトは手をマオマオの体へと触れさせた。ふかり、とする毛並みはさらさらだ。けれどひんやりと感じられるそれは、生き物の体温を期待していると驚きそうで。
「ちょっと……モフモフというか、冷んやり不思議な手触りしているねぇ」
そんな感想を漏らしながら、手は止むことなく妖魔の子を撫でる。『妖魔シュエバオ・マオマオ』も気持ちよさそうに瞳を細めているから、カナトはしばらくその毛並みを堪能することにした。
そんなカナトを楽しそうに眺めていた氷月は、ふと気付いた。先程飛ばした月光燐光を、捕まえようとちょいちょい腕を伸ばしている子がいる。
「ん? ユキヒョウチャン、コッチの光の方も気になる?」
遊びたいなら、遊ばせてあげよう。届きそうで届かないところに浮かぶ光で興味を引いて、戯れる様子を眺める。――しかしそこで、氷月はカナトをじっと見つめた。
「……カナトってなんか犬? に変身できたっけ?」
首を捻りながら思い出すのは、ヘルハウンドと呼ばれるカナトの変身した姿だ。ユキヒョウとどっちの方がもふもふなのか試してみたくなる、なんて冗談で言ってみれば、カナトは苦笑浮かべて肩を竦めた。
「オレの大型イヌ変身比べ~はまたの機会が良いのかも」
「うん、じゃあ機会があったらよろしくね?」
へらりと笑いながら、氷月は捕獲したマオマオを抱き締める。今はこちらのもふもふを存分に確かめて、そして覚えておこうと思いながら。
「は、はいれんさん、ぴゅいって鳴いてますよ……!」
ぴょこんと跳ねてころころ転がる、愛らしい『妖魔シュエバオ・マオマオ』達。その無邪気で元気いっぱいな様子に早くもめろめろになって、|不忍・ちるは《shinobazu chiruha》(ちるあうと・h01839)は隣に立つ彼の漢服をぎゅうっと引っ張る。
服を掴まれた|和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)はちるはに体を近付けるが、同時にふわり、甘い香りが鼻孔をくすぐる。ちるはの√能力、『|不忍術 製菓之型《シノバズノパティシエ》』だ。彼女の体から溢れるあまくてかわいいお菓子のような香りは、友好的であまえんぼさんな気持ちを付与する。その香りにあてられた妖魔の子ども達が青い瞳を真ん丸にして擦り寄ってくるのだから、蜚廉は思わず息を詰まらせた。
「……くっ、漂う菓子の匂いより甘いものがあったとは……。この破壊力、闇取引に用いられるのも頷けてしまう」
可愛らしいマオマオ達を愛でたい気持ちを、一度抑えて蜚廉は√能力を使用する。召喚するのはとある大会を制した|ロボット掃除機「チリヲイ」《覇者》だ。
「いくぞ、チリヲイ。 その吸引力で、数多の戦場を制するのだ」
彼の言葉に応えるように、戦場を動き始めるチリオイ――と、それを何者かと見つめる複数のユキヒョウ達の目。うずうず体を揺らした『妖魔シュエバオ・マオマオ』は、一斉に掃除機を追いかけ始めた。
「ぴぃ!」
「ぴっ、ぴぃー!」
楽しそうに鳴き声上げて、飛びついたかと思ったらぴゃっと距離を取る。そうしてチリオイとマオマオが戯れていると、急に掃除機が動きを止めた。この部屋は妖魔の子ども達のテリトリー、その不思議な力でチリオイの掃除を失敗させたのだろう。――しかし、蜚廉としてはその失敗はむしろ望むところだった。
「ぴー?」
こてんと首を傾げ、ロボット掃除機の周囲をうろうろするユキヒョウの子の一匹に、蜚廉は近付いていく。翳す掌にぐっと力を篭めて、その小さな体を掴み上げようとしたの、だけれど――その体は、ふわふわでもふもふで、蜚廉が思った以上に魅惑的だった。
思わず優しく抱き上げて、流れるように顔を埋める。顔面に当たるひんやりした毛並みが気持ちいい。それなのに、すーはーと猫吸いの要領で鼻から息を吸い込めば日向の香りがするのだからこれはもう堪らない。
「…………」
止められない猫吸い、蜚廉の瞳がとろんとしてくる。そうしてそのまま浸っていれば、いつしか眠気に囚われうとうとと。しかし、そこは歴戦の格闘家たる蜚廉である。完全に寝落ちる前には意識を取り戻し、慌ててマオマオを離す。
「危うく終わってしまう所であった……」
手から零れていきそうな妖魔の子どもは、しかし逃がさず確保したまま。呟く彼は気付いているだろうか、冬のはじまりの頃の王劍戦争、もふもふのウサギと戯れたあの時より、自身がずっと開放的になっていることを。
一方のちるはも、チリオイと戯れるユキヒョウ達を見守りつつ、のんびりころころ、構われ待ちのマオマオをロックオン。両手を伸ばして抱き上げたら、その毛並みを思うままに堪能する。
「いいこいいこ、おなかすりすりなでなで」
ふわふわなのにしっとりひんやり、その不思議で心地好い感触を掌で感じていたら、人懐こい妖魔の子はちるはの腕の中でうとうとし始める。
「ぴ……ぷぅ……」
その寝息のような鳴き声の、何と可愛いことか。癒しの姿に感慨篭もったため息を零しながら、ちるはは猫吸いする蜚廉と一緒に存分にユキヒョウの可愛いを吸うことにした。
すでに十分に充たされた心地であるのだけれど、子猫みたいに無邪気なユキヒョウと、|ロボット掃除機《チリオイ》が同じ場にあるのだから試してみたいことがある。両者を交互に見てうず、とちるはが身じろげば、蜚廉もそれをすぐに察して。
「さて、ちるはも気付いたな? この組み合わせ、”アレ”をやるしかあるまい」
「……そうですね、“アレ”。はしゃぐ姿に釘付けでしたが確かに見たいです」
こくり、ちるはが頷くと、蜚廉はチリオイを『妖魔シュエバオ・マオマオ』達の近くへと誘導する。友好的な香りを纏った掃除機が吸引の音立てながら近付けば、再び興味津々のマオマオ達。二人が固唾を呑んで見守る中、やがて一匹の妖魔がぴょいっと跳んで――その小さな体が、チリオイの上に、乗る。
「そう、マオマオ|ライドオン《とても良い発音》掃除機だ」
完成した憧れの光景に、興奮気味に告げる蜚廉、その隣で小さくガッツポーズするちるは。
「ぴぃー♪」
ロボット掃除機に乗ったマオマオがご機嫌に鳴いてくれるのだから、二人は大いに盛り上がる。
そうして、ぐるぐる部屋を巡るチリオイが二人の元に辿り着くまで。その愛らしい鑑賞会は、しばしの間続くのだった。
富裕層の男と、その愛人のふりを続けながら二人は別室へ歩いていく。
だから、開けた扉の向こうからぴょいっとユキヒョウの子ども達が飛び込んできたら、|物部・真宵《もののべ・まよい》(憂宵・h02423)は驚きに瞳を瞬いてしまった。
「わっ」
慌てて胸で抱き留めて、妖魔の姿を確認する。もふもふでふわふわ、ひんやりした体。無邪気な青い瞳でくりりっと真宵を見つめてくれる。なんてかわいらしい、と思った真宵は、そのまま『妖魔シュエバオ・マオマオ』の額を優しく撫でた。
「急に飛び出すと危ないから、もうしてはだめよ?」
「ぴぃー!」
わかっているのかいないのか、元気な声で鳴く妖魔の子。そんな『売り物』を追って、闇取引の従業員達が網を構えて近付いてくる。その光景に状況を理解して、|井碕・靜眞《いさき・しずま》(蛙鳴・h03451)は軽く目を瞑った。
「こうなると、もう演技は必要なさそうですね。きっと物部さんのほうが得意な相手だ」
静かにサングラスを外すと、いつもの顔で小さく微笑む。そんな靜眞にほっとして、真宵は抱き締めたユキヒョウの顎下をくすぐった。きゅううっと瞳を閉じて気持ちよさそうなマオマオを見たら、ふわりと微笑みが浮かんで。ファーを猫じゃらし代わりに揺らしてみれば、『ぴっ』と短く鳴いた妖魔の子が無邪気に腕を伸ばしてくるからそのまま遊んであげる。
靜眞も遊んでやった方がいいのだろうと、こちらへ興味の視線を向ける一匹へ近付いていく。
「猫と同じ遊びかたでいいんだろうか」
迷いながらも、まずは目線を合わせようとその場にしゃがみ込む。すると、待ってましたとばかりに『妖魔シュエバオ・マオマオ』が飛び掛かってきた。狙いは、彼の手元で煙をくゆらせる煙管だ。
「ってうわ、煙管は猫じゃらしじゃなくて……! あっ危ないから……!」
火がついているし熱いし、妖魔と言えど子どもに触らせていいものではない。慌ててマオマオから煙管を遠ざけようとする靜眞だが、ふわふわの子はしぶとく追いかけぴょんぴょんと飛び跳ねてくる。ついには背中にどしんっと乗られてしまって、彼は情けなく眉を下げて助けを求めることにした。
「……すみません、手伝ってくれますか」
「まぁ! たいへん。少しじっとしていてくださいね」
おろおろとする靜眞に気付いて、真宵はそっと近付き彼の背中に乗るユキヒョウを捕獲する。抱き締められて振り向いた妖魔の子は青い瞳を真ん丸にして、真宵を見上げてきていた。
「いけない子ね。わるい子はこうですよ」
悪戯っぽく言いながらファーをくるりマオマオの顔周りに覆わせて、ひんやりした毛並みごとまとめてもふもふする。すると、それを見た他の『妖魔シュエバオ・マオマオ』が、僕も私もと言うように真宵の足元へじゃれついてきた。
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい。順番に遊んであげるから……爪を立てないで、ね?」
チャイナドレスの裾に飛びつき、爪でぐいいと引っ張る一匹に、真宵は焦った声を上げる。思い出したのだ、今日の衣装の心許なさを。裾も、胸元も、引っ張られるとだいぶ危ない。
(「あ、わ」)
ちらり見えそうになった肌に、靜眞は慌てて目を逸らす。自分が見ていいものではない、という想いが、一番に動作になって現れたのだ。動揺を悟られないよう、ジャケットの下のマフラーの端を揺らす。マオマオ達の注意をこちらに向けられるように。自分の中の意識も、彼女から逸らせるように。
「ほ、ほら、こっちにも遊び相手がいますから」
「ぴゅいー!」
幼い妖魔達は、その誘いにあっさり飛びついてきた。マフラーを上下に揺らして見せれば、ぴょん、ぴょんと飛び跳ねてその端を追う。愛らしい姿に微笑んだ靜眞は、未だ彼女に向けられない顔で、真宵がこの隙に服を整えてくれていることを願った。
「待てない……? じゃあこの子たちと一緒に遊びましょうか」
彼が背を向けた方から、真宵の声が聞こえてくる。次の瞬間、周囲にぽんっと現れる白い管狐達。彼女が√能力で呼び寄せた管狐達は、妖魔の子と共に鬼ごっこを開始する。
それならばと、靜眞は駆ける妖魔と管狐に霊能震動波で微弱な地震を与える。アトラクション気分で喜ぶ生き物達を見ていれば、彼の傍に服を整え終えた真宵が近付いてきた。
「やんちゃなんですねぇ雪豹の子って」
小さく微笑いながら、真宵は白い指を伸ばして靜眞のジャケットの襟を正してあげる。その近さに、彼の心臓が思わず跳ねる。満足してくれたかな、なんて『妖魔シュエバオ・マオマオ』達へ思っていたのも、吹き飛んでしまうくらいに。
時が止まったように固まる靜眞だが――その耳には、マオマオの捕獲に失敗し続ける従業員達の声が聞こえてくる。
「馬鹿、何やってんだよ! このまま一匹も取り返せなかったら、俺らリーダーにヤク漬けにされるぞ!」
(「|薬《ヤク》漬け……?」)
ちらり、記憶に引っ掛かる物を感じる靜眞。けれど目の前の真宵と愛らしい妖魔の子達がいれば、それらを守ることこそが今は大事だと、過ぎった想いを振り払った。
部屋の中を、白い体のユキヒョウの子ども達が、ぴょこぴょこころころ、駆け回っている。その光景を眺めて、アダン・ベルゼビュート(魔焔の竜胆・h02258)は感心したように言葉を紡いだ。
「ふむ、此れも妖魔なのか。中々に愛くるしい見目をしているが……」
鳴き声も愛らしいとは、少しばかり驚いたぞ。そう続ける彼の隣では、|静寂・恭兵《しじま・きょうへい》(花守り・h00274)が身構えている。
「ユキヒョウの子供か。子供と言えど妖魔だからな気をつけて接しないとな」
倒さなくてもいいと言うなら捕獲したいところだが、油断はできない。真剣な顔で『妖魔シュエバオ・マオマオ』を見つめる恭兵だが、相棒の男は得意げに笑って。
「遊戯にて、満足させるか。其れならば、俺様に考えがある」
言葉紡げば、室内に落ちたアダンの影がゆらりと動く。それは漆黒の巨大な狼の頭部を形作り、床から飛び出してくるが――通常なら敵を喰い千切る『狼影』も、今日は大人しく、ただ顎と地面を接着させた。
「どうだ。簡易的にはなるが、滑り台付きのジャングルジムにも見えるのではないか?」
得意げにアダンが語る通り、確かにそれは公園などにある、動物の頭を模した遊具に見えた。妖魔の子ども達は始めこそ警戒に身を低くしていたが、やがて危害を加える存在ではないとわかると、ぴょんと飛びつきよじ登り始めた。
「ぴぃー! ぴゅいっ!」
どうやら気に入ってくれたようで、夢中で遊んでいる。『狼影』が動けばマオマオ達を驚かせてしまうので、アダンは制御を続けている。だから、彼は掌を翳しながら尊大にも見える態度で相棒へ声掛ける。
「という訳だ、恭兵。俺様は制御で忙しい、妖魔の確保は任せたぞ!」
「え……俺も相手にしなくてはダメか?」
恭兵から上がったのは、戸惑いの声だった。恐る恐る見つめれば、ふわふわで柔らかな小さな生き物が無邪気に転がっている。妖魔と言えど無垢な存在に、自身の手では壊してしまいそうで不安になって。
「アダン、俺はこういう小さい生き物には慣れていなっ……」
「小さい生き物に慣れていない? ──今、慣れろ!!!」
珍しく気弱なことを言う恭兵だが、アダンはきっぱりと言い切った。その無茶ぶりに、思わず青い瞳を見開いてしまう。
「いや、頑張るが……!」
もう後には退けない、意を決した恭兵は『妖魔シュエバオ・マオマオ』へ手を伸ばす。すると、遊んでいた一匹が彼に気付き、無邪気に胸に飛び込んでくるのだから動揺してしまう。
「ぴぃー♪」
ご機嫌に目を細めるマオマオは可愛らしい。可愛らしいと思うが、だからこそ――。
「可愛らしいと思う気持ちがあるからこそ……自分で触れるのは何というか怖い」
ぷるぷると震える手で、抱き上げたり、ぎこちなく撫でたりする。そうしながらも弱音を吐き出せば、その手をユキヒョウの子が甘噛みしてきた。
「ぴゅ……」
かぷり。牙を立てないその噛み方は、痛いものではないが見た目に反して力強い。だからそれ見た恭兵は、思わず表情を崩して。
「だが……小さい生き物も意外と強かだな」
そんな声を零しながら、妖魔の思うようにさせておく。その姿を見ながらも、アダンは遠くに駆け出しそうなマオマオを見つけては『狼影』の鼻先で軽くつついて、意識を向けさせ続けていて。
「恭兵。此の光景、真白の椿に見せたら喜ぶのではないか?」
「白椿に写真? そうだな可愛らしいし見せてやりたいな」
アダンの提案に頷いて、恭兵はスマートフォンを取り出してカメラアプリを起動する。そうして腕の中のユキヒョウの子を何枚か撮影するが――そのスマートフォンを、アダンの手が奪い取った。
「違う、こう撮るのだ」
そう言いながらレンズを向ける先、マオマオを抱いた恭兵の姿を画面に収めて。ほらもっと笑え、なんて言う相棒の声を聞けば、恭兵の表情は和らぐのだった。
「か、かわいい~ッ!!」
ぴょこぴょこ、ぽてんと。無邪気に戯れる『妖魔シュエバオ・マオマオ』を目の当たりにしたならば、ルイ・ミサ(半魔・h02050)の橙色の瞳が輝き声も上がってしまう。こっちに来てくれるかな、と優しく声掛けするルイだが、その後ろには怯えたように身を隠す青年がいる。
「ヒーー……」
人間災厄の少女の後ろ、小さくなって震える|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)。さっきまでのいたずら小僧はどこへやら、金の瞳に妖魔の子ども達を映して様子を伺う。
「猫は嫌ですけど、雪豹はヒョウですもんね。猫ではないから、まあ、まあ」
ぶつぶつと零す呟きは、自身に言い聞かせるようだった。だって目の前のユキヒョウ達は、捕獲しなければならないのだ。そのためには、覚悟を決めなければならない――だから時雨は意を決して立ち上がると、絹索を取り出した。金剛杭の部分を外せば、五色の紐が揺れるそれを安全に振り回せるようになる。
「ほら、ほら! 行け! コウくんのところへ!」
ぶんぶんと振れば、その動きに合わせてユキヒョウたちの青い瞳が右へ左へ。
「野分、それはきみが遊んでくれると思われるよ?」
「遊んでないよ! こっちくるな!」
|尾崎・光《おざき・こう》(晴天の月・h00115)が冷静に突っ込む通り、白い妖魔達は紐を見つめてうずうずと体を揺らしている。そして、タイミングを見計らって――時雨の手元へと一斉にダイブした。
「ヒィ!!???」
情けない悲鳴を上げて、時雨は高速移動でルイの背後へ。再び彼女を盾にしながら、青年は押し付けるように言った。
「ルイミサちゃん、抱っこしてほしそうだよ。抱っこしてあげなよ」
「言われなくても抱っこする~!」
前へ前へと押し出されながらも、ルイは満面の笑みでマオマオ達へ両手を広げる。ぴょんと飛び込んでくれる愛らしい子とは、惹かれ合う者同士くっついて。その後ろで、そろそろと距離を取る時雨との対称的な反応を眺めて、光は苦笑した。ただ傍観しているわけではない、右手の|偽刺青《メヘンディ》へ霊力を流しているのだ。
力を篭めた指先が、一本の線を描き出す。するとそれは床に落ちて|発条《ばね》のように跳ね、妖魔の子達の興味を惹きにいく。
「ぴいー!」
てん、てん、と跳ねるそれに、興奮したマオマオが飛び掛かる。そのままふかふかの両手で掴んで、|発条《ばね》をてしてし叩いたり、咥えたりして戯れる。そうして、夢中にさせたところで光が霊力操れば――|発条《ばね》はするりと伸びて、ユキヒョウの子の体を捕縛した。
「まず一匹。ルイミサさんがキープしてくれる?」
「はーい、任せて! 光君と時雨君はもっと捕まえて?」
「え、ぼくも?」
慌てる時雨に頷きながらも、時雨はさらに偽刺青を操っていく。ストックはまだある、この調子で捕まえていけば一匹残さず救い出すことができるだろう。
次々と捕縛し、それすらも遊びと思っている様子の『妖魔シュエバオ・マオマオ』を託せば、ルイの両手はたちまちふわふわもふもふでいっぱいになってしまった。ひんやりとした触感が心地好くて、少女は表情を蕩けさせて頬擦りする。そう、可愛いし、触れればこんなにも気持ちいい。堪能すればするほどもっと愛しくなってしまって、離れがたくなってしまうから。
「………飼いたい」
ルイの口から零れたのは、心からの願望で。思わず瞳を瞬く男子組二人へ、ルイは懸命に訴える。
「ねえ、時雨君か光君の家で飼えない?」
「ぼくは飼わないいらない」
時雨は即答だった。予想はできていた。だからルイは特に落胆する様子もなく、その真剣な瞳を光一人へ向ける。
「ルイミサさんの所はペット禁止なんだ?」
「禁止じゃないけど、|組織《うち》に連れ帰ったら実験されちゃいそう」
「というか、これ成獣になったら大きくならない? 妖魔だし」
「妖魔は飼えないもの??」
ルイの表情が、見る間に気落ちししょんぼりしていく。どうしたものかと考える光だが――その時、彼の影から猫の威嚇するような声がした。
「……なるほど、花影に任せるのもありか」
「……コウくん、足元から変な鳴き声してるよ」
時雨の指摘の通り、|花影《ほんにん》は抗議するような声を上げているのだが、それとは逆の思いつきに思わず微笑む光。
「連れ帰れるか試してみようか?」
そう言葉紡ぎながら一匹を抱き上げたら、そのマオマオは人懐っこく『ぴっ』と鳴いて光の体へ頭を擦り寄せた。
その様子を見て、時雨はじりじりと光へ近付いていく。
「コウくん、そのまま動かないよう抱っこしてて。耳だけ撫でたい。ふわふわ」
こちらも必死な顔で、恐る恐る耳をちょんちょん。興味はあるその姿を見たら、今度はルイがユキヒョウ達を抱えたままに時雨へ近付こうとして。
「時雨君、この子達も触って。あ、こら。待って。そっち行きたいの!?」
構ってくれる人が増えそうな気配を察知したのか、ルイの腕から飛び出す妖魔の子達。それは雪のような体だけに、雪崩のように時雨へ襲い掛かって――。
悲鳴を上げる時雨、きょとんとするルイ。そんな二人を見て、光は腕の中のマオマオを撫でながら再び苦笑を浮かべるのだった。
ぴょこんぴょこんと飛び出す妖魔の子を、慌てて追いかける闇取引の従業員達。その光景を見て、ネメシア・ヘリクリサム(剣と共に歩み、息づき、愉しむ人生・h08297)は思わず声を漏らした。
「あれが話に聞いてた妖魔かぁ、確かにこれは……売り物になるかわいさ」
従業員達は必死だけれど、当の『妖魔シュエバオ・マオマオ』達は遊んでもらっている感覚のよう。飛び掛かる男達を軽やかに跳ねて躱す姿には、クラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)もため息をついた。
「物々しい雰囲気だったと思ったのですが、実態はずいぶん拍子抜けですね」
「うん……なるほど、この腕白さ、手を焼く訳だね」
続けて言葉を紡いだのは、ラネンカナ・リシトルタ(シースフェンサー・h08491)で。彼女は二人と視線を交わすと、小さく笑ってからユキヒョウの子へ視線を映した。
「何だか気が抜けたけど、ちゃっちゃと捕まえちゃおうか」
ラネンカナが言えば、頷きが返って。一番に前へ進み出たのは、ネメシアだった。
「よし、お腹いっぱいでご機嫌な私から君たちへおやつをお裾分け!」
妖魔の子達へ宣言すると、彼女は袋入りの何かを取り出す。この√らしいサイバーなネオンのイラストが描かれた袋は、土産物と一目でわかる。その袋の窓から見えるのは――。
「現地名物としてお土産で売ってたお肉チップス! ペット用じゃないけど…妖魔だし大丈夫だよね?」
ふふ、と笑いながら、ネメシアがさっそくお肉チップスの袋を開ける。すると、耳をぴくんと立てて物音に気付いたマオマオ達が、彼女の元へ集まり始めた。
「ガサガサ聞こえるねぇ、なんの音かなー? いい匂いだねー?」
よりたくさんを集めるために、袋を振って時間を稼ぐ。爛々と輝く青い瞳が、ネメシアを待っている。そうして食べ物に夢中な子達の前にお肉チップスを数枚差し出すと、彼女は笑顔で振り返った。
「次はクラーラにバトンタッチ! いっぱい遊んであげて!」
「はい、引き受けました」
パン、と互いの掌合わせてバトンタッチ。入れ替わりにマオマオ達の輪の中へ入っていくクラーラは、懐から紐を取り出して。
「さあ、私の腹ごなしに付き合ってもらいますよ」
そう、静かに語ると――ひらひらと、紐を振り始めた。
「ぴぃ! ぴゅいー!」
妖魔の子達が、鳴き声を上げる。興奮に思わず上がってしまったような声だ。尻尾をふりふり、お尻を高く上げて――そこから紐へと飛びつく動きは子どもとは思えぬ俊敏さを備えているようだが、クラーラはきっちりとその動きに合わせて紐を逃がし、捕らえさせなかった。
――しかし、最初の一、二匹はうまく翻弄できたものの、それ以上が集まってきてしまうと難しい。あちらもこちらも同時に遊ばせようとすれば中々に慌ただしくて――クラーラはついに、紐二刀流で挑むことにした。
「はは、クラーラも仲間みたいだ!」
「見ていないで捕えて下さい。ラネンカナさんは?」
お肉チップスを配りながらすっかり傍観者ポジションのネメシアへ、クラーラが訴える。はいはいと応じた藍色の髪の彼女が、疲れた妖魔の子を捕獲する。と、そのままラネンカナがいつの間にかいなくなっていることに気付いて。
「あれ、ラネンカナは……わっ、びっくりした!」
きょろきょろと周囲を見回していたネメシアは、足元にいたラネンカナに気付いて慌てて飛び退る。どうしてそんなところに? と問えば、ラネンカナは銀髪の下で涼やかに微笑んで答える。
「こういうのは下手に追っかけるより、待ってた方が却って良かったりするじゃんね」
だから、遊び相手は二人に任せて、待ちの姿勢でいってみる。しゃがむことで目線を下げて、威圧的にならないように――。
すると、クラーラの紐遊びから脱落した様子の数匹が、ちょこちょことラネンカナに近付いてきて。じゃれつくようにぐいぐい頭を押し付けてくるから、彼女は笑ってその小さな妖魔の首根っこを優しく掴んだ。
「猫っぽいしここ掴んでおけば大人しくなるでしょ」
運ぶ間に、撫でて毛並みを確かめつつ。ラネンカナは少しずつ『妖魔シュエバオ・マオマオ』を捕獲していっている。
順調だ、これなら無事にマオマオ達を助けることもできるだろう。思えば嬉しくなってきて、ネメシアは一匹のユキヒョウの子を両手で捕まえると、そのまま上へと持ち上げた。
「たかいたかーい!」
「ぴゅっ! ぴいい!」
頭上へ持ち上げ、地面すれすれまで下ろして。それを繰り返していれば、遊んでほしいと他の子が集まってくる。だからネメシアは抱き上げる子を交代して、多くのユキヒョウ達を満足させて行った。
「みんな後で一緒にお外に行こうね~!」
「ぴぃ♪」
かける声には、伝わっているのかいないのかご機嫌な鳴き声が返ってくる。そのやり取りに微笑みながら、クラーラも自身が集めたマオマオ達を確保し始めた。もちろん、その際撫でたりもふもふしたりも忘れずに。手触りの良さに癒されていたら、なんだかぼうっとしてきてしまう。
(「何の依頼だったか……まあ良いですか」)
しばらく堪能して、満足したらまたきっと思い出せる。そうやって未来の自分に一旦投げておいて、クラーラは真剣に捕獲を続けるラネンカナへ声掛けた。
「ラネンカナさんももう少し手触りを楽しんでは? 中々ですよ」
「ああ、撫でるのはいつでも出来るからね。しっかり捕まえた後に、と思ったんだけど」
もうすでに、多くの『妖魔シュエバオ・マオマオ』を捕獲し従業員達から遠ざけている。今ならば誘いに応じても大丈夫だろうと、ラネンカナはそのふわふわでひんやりとしたユキヒョウの体に、そっと手を置くのだった。
「はー、堪能しました」
にこにこと笑顔を浮かべて、通された扉を潜ったリーリエ・エーデルシュタイン(アンダー・ザ・ローズ・h05074)は満足げな声を零した。美味しい中華とデザートを、めいっぱい楽しめて上機嫌だ。
「それに拓馬さんのあーんも……すみません、ちょっと待って自爆……」
――そのまま引っ張り出したら、真っ赤になってしまう思い出もできたわけだけれど。一度大きくため息吐き出したら気持ちを切り替えて、前を向いたリーリエは扇子を持つ手に力を篭める。
目の前で店員が開く扉に、平静を装いつつ警戒して。ほとんど無意識に伸ばしたもう一方の手は、|緋月・拓馬《あかつき・たくま》(脱法厄災・h00184)の腕を掴んでいた。
これより先は、マフィアの領域だ。捕らわれた哀れな妖魔の子を助けるためにも、うまくやらなければと笑みが浮かぶ。そんな彼女は、ぴょこんと飛び出す小さな影を見逃していたのだけれど――。
「やったー、マオマオたんだー!」
「やっとチャイナ服の威力を試す……あ、まだ?」
拓馬の嬉々とした声を耳にして、そこでやっと我に返った。それと同時に、背後の扉が大きな音を立てて閉まる。周囲を見回せば、そこにはぴょこんぴょこんと跳ね回る『妖魔シュエバオ・マオマオ』達――脱走している。捕らわれているところを逃がす必要は、なさそうだった。
「ええと……√仙術サイバーのアイドル、マオマオちゃんですわね」
「ぴぃ!」
白い毛並みの子達を目で追いながら呟いたら、愛らしい鳴き声が返事するみたいに響いた。あら可愛い、なんてリーリエが微笑む横で、うずうずとしているのはもちろん拓馬だ。
「ここは定番の猫じゃらしぃ!」
懐から勢いよく取り出したのは、ふかふかでよく動く猫じゃらし。手にした瞬間ぴょんと跳ねれば、数匹の青い瞳が釘付けになる。手応えは十分だ。
「あ、リーたんの分も用意してあるよ。我を讃えよ」
「さすが拓馬さん、準備万端。最高、素敵。え、讃えよって言うから」
軽快な会話を続けながらも、二人は揃って猫じゃらしを装備する。全身を使って素早く振り、妖魔の子を挑発する拓馬。ゆっくりと振ってマオマオの目を引き付けるリーリエ。動かし方は違うけれど、そのどちらもが『妖魔シュエバオ・マオマオ』を誘い出すことに成功していた。
「ふふ、とってもかわいい」
ふわりと笑みを浮かべながら、近付き夢中で猫じゃらしをたしたしする一匹をそうっと捕獲。そんなリーリエの傍では、拓馬も猫じゃらしで一匹を引き付けて――そのまま猫じゃらしを、宙へと放った。
「ぴゅいー!」
興奮気味の声を上げて、飛び掛かる妖魔の子。その猫じゃらしの落下地点より前へと割り込んで、拓馬はユキヒョウの子の体を捕まえた。
「マオマオたん、キャッチ!」
「あら、拓馬さんキャッチ上手」
彼の腕の中の妖魔の子は、まだ何が起きたか理解できない顔で瞳をぱちくり瞬いている。その上に得意げな拓馬の顔があるのがなんだか可笑しくて、リーリエは紫色の瞳を悪戯っぽく細めて言葉を紡いだ。
「いつもそんな感じで誰かを捕まえたり?」
「普段は捕まえるのではなく向こうから寄ってくるのだよ。モテモテだからね! 嘘じゃないからね!」
「……嘘ではないですわよね、確かに」
そんなやり取りをしながらも、拓馬の手は腕の中のマオマオをひたすらに撫でている。ひんやりさらさらの手触りは極上で、これはもう堪らない。最上層で重用されるのも頷けるというものだ。
「マオマオたん~愛くるしい~」
サングラスの奥の瞳で幸福そうに笑って、拓馬はさらに撫で続ける。するとそのうち妖魔の子が手をぱたぱたとさせ始めたので、名残惜しくも解放してやる。――と、次の瞬間、その真っ白の子はぴょこんと拓馬の頭の上へと飛び乗って、そのまま居心地よさそうに鎮座したのだ。
「あら、微笑ましい。くーまんさんキャットタワーが」
くすくすと笑いながら、リーリエはマオマオを頭上に乗せた拓馬へスマートフォンのカメラを向け、ぱしゃり。さらには、自分の腕の中で拓馬を興味深く見つめている一匹へも、優しく声をかけた。
「あなたもいきます? じゃあねこじゃらしで先導してあげましょう」
「ぴぃー♪」
「ぬおぉ、マオマオたんが増量中! やめなされ、我の頭の頂上を奪い合うのはやめなされ」
とっとこ駆けてぴょいっと飛び乗れば、拓馬の頭上は定員オーバーだ。さすがに堪らないと、頭を左右に振って追い払えばその姿さえもリーリエに楽しそうに笑われて。その表情に思い出したかのように、彼はスマートフォンを手に取った。
「それは置いといて、リーたん記念撮影しようか」
「はい? 記念撮影? マオマオと?」
小首を傾げてしまったのは、予想外の言葉だったから。腕の中には先程戻ってきたユキヒョウの子がすっぽり収まっていて、すでにもふもふしている。そう、その姿が撮りたいのだと、拓馬はカメラアプリを起動して撮影を開始する。
「かわいいよー。もうちょっと頬近づけてみよっか」
「あ、はい、こ、こうですか?」
「そうそう良いね。そのまま頬ですりすり」
「頬? すりすり?」
まるでモデルを撮影するカメラマンのごとく、とにかく褒めちぎりながらシャッターを切る。そんな拓馬の勢いに、リーリエはすっかりされるがままだ。
「はあー最高かよ! じゃあ次は頬っぺにちゅっと」
「ちゅっ?」
「……はい、今日一の撮れ高いただきましたー!」
興奮の声は部屋に響き、数匹のマオマオがびくっとしている。そんな光景を視界の端で確かめながらも、リーリエはいまだ戸惑った様子で。
「まぁ拓馬さんが楽しんでいるならいいのですが」
そう自身を納得させると、撮影を続ける拓馬のスマートフォンのカメラレンズへ目線をやって。どうせなら自分でも動いてみようと、リーリエは妖魔の子抱えたのとは反対の手を口元へと添えた。
「では拓馬さんにもはい、どうぞ」
ちゅっ。掌で小さく音を出して、彼へ送るのは投げキッス。写真撮影の勢いがあるから、恥ずかしくも何ともない。――けれど、不意打ちでそれを喰らった拓馬の方は、もちろん無事では済まなかった。
「ゴフッ!」
何かを噴き出すような音を立てて、衝撃に倒れる拓馬。その顔は真っ赤に染まっており、ダメージの大きさを物語っている。それでも、捕獲した『妖魔シュエバオ・マオマオ』を手放さない辺りは立派である。
「ふふ、私の攻撃(?)も捨てたものじゃありませんね?」
微笑み浮かべたリーリエは、黒い髪を掻き上げる。その仕草だって投げキッスの後では追撃になって、拓馬は小さく呻き声を零すとしばし撃沈したままになるのだった。
第3章 ボス戦 『害薬密売人『濫午』』
●非道なる密売人
脱走した『妖魔シュエバオ・マオマオ』を追いかけ、遊んで、抱き締めて――その全てをEDEN達が確保してしまうと、為す術もなかった闇取引の従業員達は狼狽えた。
「お、おい……まずいぞ、どうするんだよこれ」
目を見合わせる彼らの、顔に浮かぶのは怯えだ。それはEDEN達を見ての感情ではないことは明らかで。
「い、嫌だ! 俺はずらかるぞ!」
従業員の一人が、切羽詰まった声を上げて走り出した。その先にはガラスの嵌められた窓、割って飛び出し逃げようとしている様子だ。取り押さえなければ、とEDEN達は動こうとするが――それより先、涼やかな声が周囲に響いた。
「ざーんねん、もうおまえらはお終いだよ」
瞬間、部屋にふわりと甘い香りが漂って、EDEN達は咄嗟に口と鼻を塞ぐ。√能力者である彼らには、それだけで十分に防げる罠。けれど、従業員達にとってはそれでは済まなかった。
「ぐっ、かはっ……!」
苦しげなうめき声を上げて、彼らはばたばたとその場に倒れ込む。口から泡を吹いているが、まだ息はある――それが、いつまで続くかはわからないけれど。
EDEN達は、周囲を見回し仕掛けた者を探す。すると、クツクツと笑い声が響き、『ここだよ』と声がした後に足音が続いて。
「あーあー、ぜーんぶ逃がしちまうとか役立たずにも程があンだろぉ? ちょっとそのまま寝といてくれよ?」
倒れた従業員達に歩み寄るのは、チャイナ服を身に纏った片眼鏡の男――『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』だった。
口を笑みの形に釣り上げて、口元のほくろを指先でなぞる。狡猾な金の瞳でEDEN達を見つめる男は、楽しそうに言葉を紡いだ。
「はぁ、上手く|商売《・・》してたってのに、お節介なやつらもいたモンだ。やっぱ、万全を期してそいつらも|お薬しといた方が《・・・・・・・・》よかったなぁ」
すうっと瞳を細めて|濫午《ランウー》が見れば、EDEN達の腕の中で『妖魔シュエバオ・マオマオ』が震える。それだけでわかる、この男は可愛らしい妖魔の子を商品としか思っていない。一歩間違えればこの子達も薬漬けにされていただろうし――店を残せば、次の犠牲者はきっとそうする。
EDEN達は周囲を確認する。広めの部屋、出入り口は中華飯店に繋がる扉がひとつ。『妖魔シュエバオ・マオマオ』達は従業員達が使っていた檻を回収して入れ、扉側へ置いておけばとりあえず安全だろう。
そして、|濫午《ランウー》の足元に転がる従業員達。ヒュウヒュウと細い呼吸を繰り返す彼らは、リーダーである|濫午《ランウー》に何らかの吸入式の薬を仕掛けられたようだ。もちろん彼らは犯罪者であり、助ける義理はないけれど――確保し、軍警察へ突き出すことができれば、一命をとりとめた後に法で裁くことができるだろう。
「ハハッ、怖ぇー顔! あんたら、マジでオレのこと殺そうとしてるわけ?」
不敵に笑った|濫午《ランウー》が手にした金属の飾りを弄べば、その装飾の端から細い鋼糸がすうっと伸びる。挑発する彼はEDEN達と戦うつもりのようだし――何より、この非道な男を逃がす道理などない。
EDEN達の最終目標は、『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』の撃破。しかしそれ以外にも選び取れるものはある。それぞれの思惑を胸に、EDEN達は動き出す。
「薬漬け! 恐ろしいことを! つまりシャブでジャブジャブされてしまうところだったんですね。恐ろしい!」
不敵に笑う|濫午《ランウー》を前にしても、調子は変わらずで。|野分・時雨《のわけ・しぐれ》(初嵐・h00536)は自身に群がっていたユキヒョウの子達を友人達の方へ追い払うと、密売人の男を指差し非難した。
「野分がシャブシャブ言うと鍋の話かなって思えてくるね……」
思わず笑いを零した|尾崎・光《おざき・こう》(晴天の月・h00115)は時雨の元から駆け寄ってきた『妖魔シュエバオ・マオマオ』達を抱き上げる。『万全をサボってくれて良かったね』と声掛けふわふわの頭をひと撫でしたら、隣に佇む少女に声をかける。
「ルイミサさん、まずはこの子たちの安全を確保しようか」
「うん、わかった!」
ルイ・ミサ(半魔・h02050)は、じっと濫午を睨んでいた。腕の中で可愛いユキヒョウの子が震えているから。そしてだからこそこの子達の安全を一番に考えた光の提案にいい返事を返すと、彼女は従業員達が使っていた檻を回収する。
その動きを敵に阻止させまいと、時雨は床を蹴って密売人へと近付いていく。手には『天網』を絡ませている、敵が使うのが鋼糸なら自分も真似るようにこれを選ぶ、触れた業を縁ごと断ち切るために。
「被害者と融合って趣味良いねぇ」
「ハッ……その顔、マジでやる気かよ!」
軽やかに跳躍し、敵を引き付け撹乱する時雨に任せて、光は足元に転がる従業員達の|片付け《・・・》に当たることにする。先にルイがマオマオ達を回収した檻を扉側へ置いたら、その前に従業員達を掴んでは放って積み上げていく。床に転がったままでは普通に邪魔だし――妖魔の子達の肉盾として役立てる方がいいだろう。
「こんなものかな」
粗方の従業員を移動したら、檻がすっぽり隠れる程度の高さになった。ルイはその上へとよじ登り、檻の中で不安げに『ぴぃ』と鳴いている『妖魔シュエバオ・マオマオ』達へ声をかける。
「大丈夫、守ってあげるから」
ふわりと微笑めば、マオマオ達もいくらか落ち着いたようだった。従業員の山から飛び降りたら、ルイは妖魔の子を守るようにその場で敵を睨む。
ユキヒョウ達をルイに任せて、光は時雨の元へと駆ける。指先を眼前へと伸ばせば、そこへひらり現れるは蒼い蝶――『蒼白めた蝶』は瞬く間にその姿を青白く冴えた刀へと戻し、彼の手に収まった。
とん、と進むその先に『花影』向かわせ、生み出すのは光、時雨、ルイの幻影達。タイミングを合わせるように時雨が後退すれば、『害薬密売人『濫午』』は次なる標的に迷う様子を見せた。
「コウくん幻影な~いす。ぼくは狙わないでね」
時雨が笑いながら軽口叩く、その後ろではルイが橙色の瞳を細めて幻影を見つめる。
「幻なら私も見せられるけど? 幻影使い、精神汚染、毒使いどれがいいかな」
悪戯っぽく笑ってみせて、太腿から取り出した『惑針』を弄ぶ。それを挑発と受け取ったのか、濫午は袖の中か薬瓶を取り出すと、ルイ目掛けて投げ放った。
「さぁて、うれしーお薬の時間だぜ!」
周囲に飛び散る幻覚薬は、まともに喰らえば異常行動に陥らせるもの。光が咄嗟に炎を放って焼却すれば、彼と時雨はその影響を免れたけれど――直接狙われたルイだけは、焦点を失った瞳で濫午を見つめた。
「ハハッ! かかったな! ようし、そのままお仲間同士で相討ちと――」
「連れて帰らなきゃ」
上機嫌の簒奪者の声は、静かな、けれどはっきりとしたルイの声に遮られた。そして半魔の娘は自我を喪失したまま、『惑針』を敵へと投げつけた。きらりと妖しく光る針は、吸い込まれるように濫午の元へ飛んでいくと、その手に深々と突き刺さる。ぐぁ、と苦悶の声を上げる男に、そのままルイは近付いていく。
「あの子たち連れて帰らなくちゃ……!」
敵の薬を喰らっても、その想いだけは侵されない。駆ける彼女に合わせるように、続けて動いたのは時雨だ。
「さて、シャブ好きならお返しすべきでは?」
――手中に在りて、未だ獣馴らず。
静かに唇で紡ぎ出した声が、彼自身の血液を海霧にして放つ。それが神経毒を含むことにすぐ気付いた濫午は己が上着で口と鼻を押さえるけれど、それで防げるものではない。
「薬漬けにするくらいなら、ジャブジャブされる覚悟がありますよねぇ!」
「チッ……! ンな覚悟ねーよ、怠ぃな!」
体の重怠さに舌打ちする男は、吐き捨てるように告げると後退する。ルイの攻撃を躱すためだ。けれどその着地点には、回り込んだ光が待ち構えている。
鞘に納めた刀を引き抜き、居合の一閃。蝶が舞うかのような蒼白き斬撃に、身を斬られた濫午は顔を歪めた。それでも、諦めの悪い男は床を踏みしめ体勢立て直すと、懐から酩酊薬を取り出す。
「そンじゃあそっちのお嬢ちゃんにお薬追加を――!」
「そうはさせない。ぷらちなのてをあはせ ぷらちなのてをはなれつ」
その薬をルイが注ぎ込まれていれば、彼女は今度こそ敵の支配下に置かれ二人の友人を狙っていたことだろう。しかし、そうはならない。光の右手に篭められた力が、敵の√能力を無効化するから。
濫午の手の中の酩酊薬を光が奪えば、それは瞬く間に消失した。驚く相手に蹴りを繰り出し、転がすことで距離を開ける。その隙に、自我喪失状態のルイへと近付くのは時雨だ。
「お薬を受けた子は回収して、防御範囲内に放りますよもう!」
口ではそう言いつつも半魔の少女を捕まえて、ユキヒョウの檻の傍へと引っ張っていく。ほら連れて帰るんでしょ、声掛ければいくらか落ち着いた様子の彼女に安堵して――時雨は、再び簒奪者へ向かっていく。
光の刃が閃いて、濫午の体がよろめく。その隙を突いて懐に飛び込むと、叩き込むのは怪力篭めた拳の一撃。
「薬ダメ、絶対! ね!」
声と共に繰り出した一撃は、敵の男の頬を強く叩いた。かは、と苦し気に呻く濫午を、自我を取り戻したルイはマオマオ達の傍で未だぼんやりと見つめている。
(「二人に迷惑かけちゃった……でも、謝れば許してくれるはず」)
時雨君も光君も優しいから。思えばふにゃりと笑みを浮かべて、少女は戦う二人を見守っていた。
『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』が現れた時、|神隠祇・境華《かみおぎ きょうか》(金瞳の御伽守・h10121)は真っ先に妖魔の子と従業員の安全確保を考えた。EDENの仲間が敵へ向かっていくその隙に、扉側へ移動させる。
シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)も、もちろん同じように考えて。先程までの穏やかな時間から気持ちを切り替え、素早く守るべき者達を濫午から引き離す。
「さて! 一旦退避させたものの……皆さんを真に助けるためにもここは濫午と戦わなければなりませんね」
振り返るシンシアの銀色の瞳が、簒奪者の男を見つめる。にやりと笑う密売人、彼を倒すことこそが此度の目的だから。
「行きましょう、境華さん。私が前に出て敵を抑え込みますから……あとはお願いします」
「わかりましたシンシアさん、任せてください」
境華が頷き後退すると同時、シンシアは手袋嵌めた手を握り締めて濫午へと駆け出した。華ロリ風ワンピースを翻して待ち受ける敵へと接近しながら、スライサーアタッチメントで強化したワイヤーを引き出す。
「私だってロープワークの心得はあるんですよ? 濫午、ここはひとつ勝負しましょう」
「ハッ、勝負ねぇ。負けたらお薬の刑でいいな?」
軽薄な笑みを浮かべながら、応じた密売人も手に鋼糸を握る。けれど戦場を支配するのは、シンシアの方が早かった。張り巡らせた強化ワイヤーは鋼糸を張る時の妨害になるし、濫午からの接近も防げる。そうして動きを抑え込めば、敵の男は顔を歪めて舌打ちをした。
「勝負だったんじゃねェの? 俺の邪魔ばっかしてねぇで、とどめ刺さなきゃダメだろ」
「いえ、私はこれでいいんです」
迷いなくシンシアが答えれば、そこでやっと濫午ははっとした。そして慌てて、|もう一人のEDEN《境華》の姿を探す。
「気付くのが遅かったですね、もう準備はできました」
静かに境華の声が響いたかと思うと、シンシアさん、と名を呼び合図を送る。その手には、交渉で得た『湖の乙女の光刃』が握られていた。
――この場所は、今までも闇取引に使われてきた。ということは、そこかしこに置かれた物品に、彼に使われ、商品として扱われた者達の記憶が残っている。境華はそれらと交渉し、戦う力を受け取ったのだ。
「くぅっ!」
慌てて後退しようとする濫午だが、シンシアのワイヤーがそれを許さない。足を止める密売人へシンシアは踏み込み、腕力強化する√能力で力を溜めて――敵の懐目掛けて、真っ直ぐに拳を突き出した。
「淑女とて時に腕力を求められることはあります!」
「ガッ……!?」
まともに喰らった濫午の体勢が、大きく崩れる。狙い通りだ、これならば境華の攻撃が最大限に届くはず――。
「あとはお願いします!」
シンシアの声に頷いて、境華は『湖の乙女の光刃』を抜き放つ。光り輝く刃を振り上げると同時に、敵の懐へと潜り込んで。
「貴方の商売は、ここでお終いです」
凛と声を響かせて、チャイナドレス姿でも一切変わらぬ剣捌きで、少女は敵へ斬りかかった。この場に積もる意志を武器に、敵を討つ。鮮やかな一撃に身を斬られた男は、血を滴らせながらよろめく。
「人も妖魔も、貴方の商品ではありません。その因縁ごと、ここで断ちます」
金の瞳で見据えて、境華が告げる。深手を負った濫午は、悔しそうに舌打ちをするのだった。
「すごい! 悪そうな親玉みたいのが出てきた~」
「ココまでワルイヤツです! って自己紹介してくんのも珍しいかも?」
『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』の登場に、二人の青年が口々に感想を述べ合う。さすがは√仙術サイバーのマフィア、とでも言うべきか。一切の同情の余地のない敵に、|雨夜・氷月《あまや・ひづき》(壊月・h00493)は可笑しそうに声立てて笑った。
「んっふふ。俺のもふもふ、アンタにはあーげない」
ぺろりと舌出し悪戯っぽく言えば、舌の上のピアスがちらり。そのまま氷月は腕の中のユキヒョウの子を抱き締めたまま、扉側へと後退していく。
入れ替わるように前進するのは、緇・カナト(hellhound・h02325)だ。その灰色の瞳は、先程までの楽しげな表情とは対照的に、冷えた光を湛えていて。
「生き物を商品扱いする輩とは趣味合わないから。お望み通りにマジ殺そうとしてあげるよ」
ひやりとする声で告げて駆けるけれど、ふと脳裏に浮かぶは先程の氷月との会話。そうだ、ひんやりもふもふな『妖魔シュエバオ・マオマオ』も大変魅力的だったけれど、カナトもまたそういう姿へ変身できるのだ。
思い至ればにやりと笑って、カナトは√能力を発動する。
「悪評高きは天の大狼──」
言葉を紡げば、体内の血液が循環し、体が大きく膨らんでいく。ふわふわの毛に身を包まれたカナトは、フェンリル狼へと姿を変えていた。
「暫し無敵のもふもふと戯れ合う時間は如何かい?」
遊びに誘うような口調でフェンリル狼姿のカナトが問えば、敵の密売人は僅かに後退した。警戒されている。やはり少しばかりデカいのは難点だ。しかしそれでも構わず、カナトは濫午へと飛び掛かっていく。
一方の氷月は、震えるマオマオを|確保《もふもふ》して、拾い上げた檻の中へ入れてやっていた。
「イイコにしててね?」
優しく声をかけながら扉側へと檻を置き、戦線へとそっと近付く。するとそこにいたのは大きなもふもふのフェンリル狼へと変身したカナトだったのだから、氷月は月の浮かぶ瞳を見開いた。
「――俺より先にもふもふのカナトと戯れるなんてずるーい」
わざとらしく唇を尖らせながら、とん、と地を蹴りカナトの巨体の影に入り込む。手には『銀片』が月融の幻光湛えて光っている。その光が敵の目に入るよう位置を計算しつつ、氷月はカナトの背から飛び出し一気に濫午へと迫った。
「なっ……ぐ、眩し」
「戯れるのは楽しかった? 俺も混ぜてよ」
不意打ちによる攻撃、さらに目眩まし。堪らず手を止める敵目掛けて、『銀片』の刃が閃く。ぐ、と簒奪者の体に差し込み横へ滑らせれば、その体が切り裂かれていく。堪らず悲鳴を上げる濫午を見て氷月が飛び退る、その直後にカナトのブレスが吹き荒れた。
密売人の男は慌てて酩酊薬を床に転がる従業員に注ぎ込んで盾にしようとしたけれど、間に合わない。攻撃喰らって息を詰める男を見て、カナトは小さくため息を零した。
「操る人形を増やすばかりで、何とも小物感もするけれど」
だからこそ、意地が悪い。この男の好きにさせてはならない。そう思うから、カナトはフェンリル狼の体で周囲をぐるりと見回して。
「次なんて無いように店ごと潰すしかないかなぁ、ねぇ氷月君?」
「んは、こんな店は要らないと俺も思うなあ」
敵にも聞こえるような声音で問いかけたら、氷月も笑いながら頷いた。しかし、その瞳の中の月の興味はすでにカナトへ向けられている。
「でもそれ以上にアンタがその姿のうちにもふもふしたいな」
ダメ? なんて笑って手を伸ばし、小首を傾げる。そうだ、この姿になったらもふもふ比べをしようと話したのだった。体内の血液もまだ少しは余裕がある、ここで応じても問題はない。そこまで考えると、カナトは氷月の前へと体を寄せる。
「雪豹とのもふもふ比べは、後ほど感想聞かせて貰おう」
約束を切り出しながら、絶対零度のブレスを吹き付け、店にもダメージを与えていく。そんなカナトに作業は任せて、氷月は残りの時間いっぱいを使ってカナトのもふもふを堪能するのだった。
『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』が現れると、|和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)の体が自然と動く。大切な人を庇うように前に出た彼の背中を見つめながら、|不忍・ちるは《shinobazu chiruha》(ちるあうと・h01839)は小さく首を傾げた。
「あまいかおりは“おいしい”に結びついてほしいですけどね」
呟きながら、漢服の裾、山吹色から青色へと美しいグラデーションを見せる布をたくし上げようとする。せっかく仕立てた服ではあるけれど、戦いであれば仕方ない――瞬時に冷静な表情浮かべて動き出すちるはだが、それより早く、蜚廉の声が部屋に響いた。
「薬の時間で来るならば、こちらは掃除の時間だ」
腕の中で震えたままの『妖魔シュエバオ・マオマオ』は、しっかりと抱き締めてやりながら。蜚廉は再びお掃除ロボット『チリヲイ』を放ち、簒奪者に対抗しようとする。
「ゆけ、チリヲイ。先の失敗、挽回するのだろう?」
激励するように声掛ければ、ブンと応える排気音。心なしか頼り甲斐のある気がするその音に、蜚廉は満足げに頷く。チリヲイはロボット掃除機であるが、人工知能を搭載していると言う。だから何かしら芽生えたものがあるのだろう、と見送る彼の前で、真っ直ぐ密売人目指し床を進むチリヲイ。
颯爽と攻めるその姿を見れば、ちるはも今は仕掛けるのをやめる。たくし上げるべく裾を掴んでいた手は、そのままカーテシーのようにして。すっと体勢を直して蜚廉の隣へ、二人で見守ることにするちるはだったが、そこで濫午が可笑しそうに笑う。
「ハハハッ、お掃除ロボットかよ! お薬で動けなくしてやるぜ!」
言葉と共に掌を広げたら、周囲に漂う奇妙な香り。恐らく幻覚薬の香りだろう――警戒する蜚廉とちるはが見守る中で、チリヲイは自慢の吸引力でゴウッと幻覚薬を吸い取って、それからあらぬ方向へと走り出した。
「あれ? 迷走してます?」
右へ左へふらふらするチリヲイを見て、ちるはは黒い瞳を瞬かせる。敵の幻覚薬は、自我喪失を誘うものであると知っているが――ロボットであるチリヲイの自我、とは? という疑問が自然と浮かび上がってしまう。
しかし実際に目の前には、幻覚薬を喰らって彷徨うチリヲイの姿がある。ファミレスの配膳ロボットでよく見る光景だな、なんて思えば、可愛らしく見えて心がほわほわっとしてしまう。
(「液晶のお顔あれば(𖦹ࡇ𖦹)でしょうか?」)
想像すれば口元が緩むちるはだけれど、隣の蜚廉は真剣に困った顔をしている。
「しまった…充電の無駄遣いになってしまう」
ロボット掃除機の弱点は、充電切れだ。敵の攻撃をうまく阻害するためにも、電池消耗は最低限に抑えておきたい。だからこそ頭を悩ませる彼の姿に、ちるはは今自分がすべきことを理解する。すなわち、チリヲイに自我(?)を取り戻してもらい、今度こそ濫午の元へ攻めさせるのだ。
「お菓子は化学」
小さく呟けば、ちるはから溢れ出す甘い香り。それに真っ先に気付いたのは、隣にいた蜚廉だった。
「……! この、先程も香った甘い匂いは|ちるは《製菓之型》の……!」
先程はマオマオと仲良くするために使った√能力が、今度はチリヲイを応援するものとして使われる。やる気の感情受け取れば、チリヲイは今度こそ気合十分の排気音を響かせて。そんな彼女の手腕を目の当たりにして、蜚廉は嬉しそうに頷いた。
「成程、幻には甘い香りで対抗すると。流石ちるは、目の付け所が素晴らしい」
「ふふ、蜚廉さん、指示をどうぞ」
くすくすと笑いながらちるはが促せば、くるり一回転したチリヲイも指示待ち中の様子。どうやら主を思い出したようだ――否、この際ちるはが主でもいいのだけれど。賢いチリヲイの姿見れば蜚廉も真剣な表情を浮かべて、此度委ねる作戦を言葉にする。
「よし、今こそ一気呵成に畳みかけよ。非道なる売人へ、自慢の吸引力を思い知らせるのだ」
再びブン、と排気の音で答えて、簒奪者を目指すチリヲイ。それは一切の迷いなく部屋を駆けて――濫午の位置を捉えると、自慢の吸引力で裾を吸い込み始めた。
「お、おお? これが攻撃かぁ? 大した威力じゃねーけどいいのかよ!」
一瞬焦りを見せた密売人だが、その攻撃が弱いことを把握したらまた挑発するような台詞を投げつけてきた。蜚廉はその煽りには乗らず、静かに彼に答える。
「問題ない。……こちらは二人いる」
その信頼篭めた声が敵の耳に届く前に、ちるはの袖から鋼糸がすっと伸びた。それは弧を描くように簒奪者の元へ飛んでいき、その身を縛り付ける。
「きゅっとお縄について頂きましょう」
「ぐっ……!?」
拘束されてやっと隙を突かれたことを理解した男が、慌てて自身の鋼糸を走らせちるはの糸を引き剥がす。そうして後ろへ後退する敵を二人が睨んでいれば――突然、蜚廉の腕に抱かれたままだったマオマオがもぞもぞと動き出した。
「ぴっ! ぴぃー!」
「む、どうした、マオマオ」
危ないから飛び出さないようにと、もふっとその体をしっかり抱き留める蜚廉。しかし妖魔の子の爛々とした瞳は、濫午へ向かい続けるチリヲイを見つめている。
「この子もやる気に満ち溢れちゃいましたね」
くすくすと笑うちるはは、それが自身の√能力のせいだとすぐに理解する。きっと先程のライドオンがよっぽど気に入ったのだろう。チリヲイに再び飛び乗りたくて体をもぞもぞしているが、戦いの最中である今は好きにさせてやることができない。
だから二人は、戦いが終わったらもう一度チリヲイに乗せてあげることをマオマオに約束する。喜びの声で鳴くユキヒョウの子を見れば二人は微笑みを浮かべる――けれど、その間も蜚廉とちるはは決して敵への警戒を怠らないのだった。
「殺さなきゃ……イケメンは殺さなきゃ……。我? 我だけはいいの、心の清い正しいイケメンだから」
『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』の姿を見た途端、|緋月・拓馬《あかつき・たくま》(脱法厄災・h00184)は静かに殺意を迸らせて呟いた。
すると、それを隣で聞いていたリーリエ・エーデルシュタイン(アンダー・ザ・ローズ・h05074)が頷く。
「くーまんさんは心の清い正しいイケメン、リーたん覚えましたし」
止める気はない。むしろリーリエだってやる気に満ちている。だって、彼女は『薔薇の悪役令嬢』なのだから。
「はともかく、私は大胆チャイナの覇権を広め……」
「エロいリーたんを広めようとは良い精神だね!」
「エロ? 好き? 次はもっと大胆でいきます?」
「これ以上は発禁では?」
いつも通りのやり取りをしながらも、リーリエは戦闘体勢を整える。黒いレースの扇子をしまって、ファーを拓馬へ預ける。身を低くすればチャイナドレスのスリットからすらりとした白い足が覗くけれど――紫の瞳で不敵に笑む彼女は、それを少しも気にしない。
「思った以上に『殴り甲斐』のある顔が出てきたので。アレ、潰して構いませんか?」
「いいですわよ。やっておしまいなさいリーたん!」
「拓馬さんならそう言ってくれると思っていました」
優雅に微笑み、リーリエは地を蹴る。此れよりは薔薇の悪役令嬢の時間。『悪』を『悪』で以て制するために、彼女は駆ける。
「ハッ、あんたら、マジでオレのこと殺せんの?」
迫るリーリエにも臆せず、濫午は展開した鋼糸の力で己が手に掛けた被害者達と融合する。混濁連続殺人鬼の姿を取り、迎え撃とうとする男へ、薔薇の悪役令嬢は華麗に近付いて。
「さぁ、薔薇の|芳香《かおり》がお前を追い詰めるわ。あと、私のダーリン……あれ?」
きっと自分と同時に敵へ向かうだろうと、そう思っていたのに。拓馬の姿が近くにないから、リーリエは思わず足を止める。
「ダーリン? え、我?」
そんな声は、頭上から降りかかった。見上げれば敵を飛び越え背後から襲い掛かろうとする彼が、いつもと変わらぬ顔で笑っている。
「我はほら、しゅーきょー上の理由的なあれで、ほら、右の頬を打たれたら左も打たれて倍の慰謝料請求しなさいの人だから」
「クッ……!? 上か!」
不意を打たれた密売人が、リーリエより先に拓馬に対応しようと振り返る。しかし、もう遅い。その時には拓馬のハリセンっぽいものが、濫午の右腕に命中していた。スパコーン! と、小気味のいい音が戦場に響く。
「貴方、能力コピーなさるんでしょう?」
基本我らはケルナグールするので。そう言う彼の狙いは、敵の体を使用不能にすることにある。能力をコピーしたところで使う体がなければ威力を発揮できないだろうという考えだ。
「クソッ!」
狙い通り、濫午は狼狽えた。使用しようとしていた√能力が、シンプルな近接攻撃系だったのだろう。力の入らぬ右腕では、それは失敗に終わるけれど――攻撃しようと動いたのなら、『薔薇の暴君』が仕掛ける理由になる。
「至近距離での勝負……受けていただくわ!」
凛と声を響かせて、リーリエが足技を繰り出す。それは男の頬を抉るように蹴り飛ばし、堪らず密売人の男は後ろに倒れた。
「顔以外に良い所が無いのにそんな姿になって……バカなの?」
冷たい瞳で見下ろして、悪役令嬢は告げてさらに男の胸倉を掴む。
「殺せるか? 伊達に悪役令嬢じゃないの」
何があってその顔の形が変わるまで殴り倒す。決意を殺意にして拳を振り上げるリーリエを、拓馬は後方で応援している。
「さすがリーたん! ボコれボコれ!」
くるりと華麗に踊って煽れば、悪役令嬢の拳も蹴りも、鋭さを増していく。容赦のない二人の態度には、さすがの害薬密売人も顔を引き攣らせていた。
現れた『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』の姿と挑発に、ラネンカナ・リシトルタ(シースフェンサー・h08491)は眉を跳ね上げる。
「吠えてろ、優男。何でも思い通りになると思うなよ?」
鋭い言葉を返しながら、撫でていた『妖魔シュエバオ・マオマオ』を背に庇う。そんな彼女の隣で、ネメシア・ヘリクリサム(剣と共に歩み、息づき、愉しむ人生・h08297)もマオマオ達へ振る舞っていたお肉チップスの最後の一枚を一口で食べて。
「ほい来た黒幕!」
事態も飲み込めば即行動。彼女は|火喰鳥《インビジブル・ガルダ》を部屋の中へと召喚する。現れた青い体の霊鳥は、契約者の命に従いころころ転がるユキヒョウの子達を回収し、入り口付近にEDENが移動させた檻の中へと避難させていく。
「ぴぃー」
鳴き声上げるマオマオも、首根っこ掴まれ運ばれれば大人しいもの。順調に回収されていく姿を見送りながら、クラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)は掌の上で錬金術を展開し始めた。
「ふむ、ようやくまともな仕事ですか。このままマオマオの面倒を見るだけかと思いましたが、多少は楽しめそうです」
言葉を紡ぎ、錬成するのは一対の飛燕剣と一本の長剣。『錬成剣「藍月」』を構え、『飛燕剣「宵燕」』と『飛燕剣「影燕」』を仙力で操り、彼女は仲間達へ声掛ける。
「ネメシアさん、ラネンカナさん、こういう手合いはとっとと片付けるのが一番です」
「ああ、悪党どもはさっさと済ませて後で助けりゃいいか」
まずはアレをぶちのめす。切れ長の青い瞳で敵の足元に転がる従業員達を一瞥してラネンカナが言えば、ネメシアもまた頷いて。
「やり合う気なら話は早いね、二人の言う通り、まずはアイツやっちゃおっか!」
軽やかに言いながら、ネメシアは闘気を練り上げる。竜漿由来の炎と、凶閃の霊気を合わせて放つそれは、部屋の中へと広がって。
「ここからはもっとヒリヒリした戦いしようよ!」
紡ぐ言葉は挑発。マオマオを回収する霊鳥へ、敵の意識を向けないためでもある。それを喰らった濫午は、にやりと笑うと足元に未だ転がっている従業員の一人を引っ張り上げた。
「戦いがお望みなら、いいヤツ|作って《・・・》やるよ」
囁けば、男は薬瓶を取り出して従業員の口へ突っ込む。人格破壊を及ぼしかねない、強力な酩酊薬。それを全て注がれれば、彼は濫午のために戦う傀儡となってしまう――。
「いけない!」
何とかそれは阻止しようと、クラーラが走る。手には長剣握り締めて、先に飛燕剣を飛ばし――三つの刃で斬りつける。驚き濫午の手が止まれば、その手を狙って短剣が投げられる。ラネンカナの『投擲用短剣 S-KN012』だ。
そのままラネンカナは右目に竜漿を集中し、密売人の隙を見る。素早く背後へ回り込んで『鞘型武装コンテナ S-UC019』でその背を打てば、敵は堪らず上体を折り曲げる。
そこへ、二刀の剣を構えたネメシアが接近する。慌てて濫午が伸ばす鋼糸を竜漿兵器『ロングソード・フランメ』で斬り落とし、凶閃霊剣『誘夜』で敵の肩へと斬りつける。炎の属性乗せた一撃は傷口をそのまま焼き、男は苦悶の表情を浮かべた。
「お薬とか小手先遊びやめようよ? 武強主義なのに、薬で誤魔化された力で大きい顔してるの随分格好悪いね」
「クッ……なん、だと……?」
痛む肩を押さえながら後退して、濫午が金の瞳でネメシアを睨み付ける。しかし彼女はその鋭い視線に怯むことなく、さらに言葉を続けた。
「君自身は……相手を薬で弱らせなきゃ強くないわけ? 君自身の|死闘《武侠》を見せてよ!」
「ハッ、言うじゃねぇか!」
挑発に乗ったか、男は笑うと先程と同じ酩酊薬を取り出し、自身の口にそれを含む。しかしその時、彼のすぐ傍に飛来したクラーラの飛燕剣が、音を立てて爆破された。
「っ!?」
驚き口が離れたその隙に、錬金陣から放たれた鎖が彼の腕を絡めとる。酩酊薬による強化を阻害し、捕縛し――クラーラは次なる手を準備しながら、仲間へ声をかける。
「今が好機です、ラネンカナさん」
「ああ、任せろ!」
短く応じたラネンカナが、右目を燃やしたまま駆ける。揮うは『高周波振動剣 P-SW005』、縛られてもなお敵が飛ばす鋼糸を切り捨てて、迫る彼女は濫午の鳩尾を強打した。
「グ、アッ……!」
「勝てば官軍、狡い手も武強の内だろうけど……誰を、どうするって? もう一編言ってみなよ」
静かに彼女が問うけれど、息を詰まらせた男からの返答はない。そのままクラーラが錬成したハンマーを振り下ろせば、害薬密売人は苦し気な声を上げて床に転がるのだった。
『害薬密売人『|濫午《ランウー》』』が現れた途端、周囲がピリピリとした空気に包まれる。
腕の中には、『ぴゅい』と小さく鳴いて丸まる『妖魔シュエバオ・マオマオ』。そのふわふわの背中をそっと撫でながら、|静寂・恭兵《しじま・きょうへい》(花守り・h00274)は青色の瞳で敵を見据えた。
「『商品』ならもっと丁寧に扱え。その前に妖魔もまた『命』だ。幼い命を弄ぶのも大概にしろ」
「アァ? 余所者はわかってねぇなあ! |√仙術サイバー《ここ》じゃ強さが全てなの! 妖魔のチビったって、弱いやつは淘汰されて当然だろぉ?」
――だからこそ、お薬で強くしておけばよかった。悪びれる様子もなく笑う密売人の姿に、恭兵の眉間の皺が濃くなっていく。それでもユキヒョウの子達を安全な檻の中へと逃がすと――そこに、アダン・ベルゼビュート(魔焔の竜胆・h02258)の静かな声がかかる。
「……恭兵、頼みがある。あの悪辣非道な輩の足止めをしてくれ」
言葉を紡ぐ間にも、アダンの手の中には魔焔が生まれている。灰色の瞳には、確かな決意の光。アルコールが入っても、アダンは変わらず覇王としてここに立っている。
「俺様は──まあ、此処迄言えば察しはつくだろう?」
皆まで言わない彼の気持ちを受け取って、恭兵は頷く。
「わかった、濫午の方は任せておけ」
そう告げると、彼は簒奪者へ向かい駆け出した。
見送るアダンの手では、魔焔が竜胆の花を形作る。気高く咲き誇る花、それは以前相棒がアダンらしいと言ってくれた花。そこに、彼は信念をもって願いをかける。
「此れは覇王の願望である。従業員達を蝕み、害するものを焼失せよ」
凛と告げた声に応え、竜胆の花から紫色の焔が広がる。それは濫午の薬に喘ぐ従業員達を包み込むと、体内に巡る毒だけを焼失させて。
「……これで大丈夫だろう」
呼吸が楽になった様子の従業員達を見て、アダンは軽く息を吐く。
彼は選んだのだ、彼らを生かした上で軍警察へ突き出し、法の裁きを受けさせると。それが|警視庁異能捜査官《カミガリ》として、正しい選択だろうと彼は確信しているから。
未だ倒れたままの従業員達だが、逃げられては困る。アダンは彼らをマオマオ達と同じく扉付近へ退避させてから軽く拘束すると、相棒の元へ戻ることにした。
――そうしてアダンが従業員達の救助活動を行っている間、恭兵はひとりで濫午の相手をする。従業員達へもアダンへも手を出させないよう、展開するのは白乙女の花弁。
(「……悪事には加担した事には変わりないが……無碍に命を散らせる趣味はない。一応俺達も|警視庁異能捜査官《カミガリ》ではあるからな……」)
きちんとした裁きを受けさせられるなら、その方がいい。その点において恭兵もアダンと同じ考えであったから、己の役割を確実にこなす。視界を埋め尽くすほどの白で敵を包めば、密売人はその金色の瞳で恭兵を睨んだ。
「あんた、マジでオレのこと殺せんの?」
挑発ともとれる言葉と共に、濫午が鋼糸を取り出し融合の術を行使しようとする。しかし、恭兵はそれより先に銃弾を一発、敵の手へと放った。掌を穿たれれば、密売人が苦悶の声を上げる。
「グァ……!」
「殺す殺さないは別として……殺意は込めているな」
静かに恭兵が告げるうち、従業員達の救助を終えたアダンが戦線に合流する。為すべきことを終えた彼は、その力強い瞳で濫午を見据えた。
「さも当然の如くユキヒョウの子供を『商品』扱いした上、従業員達の生命を脅かす。……生命を軽視する姿勢は、心底気に食わぬ」
声に滲む、静かな怒り。そうしてアダンは両の手に魔焔を生み出すと、それを掌ほどの大きさの一対のチャクラムへと変じさせた。
握り締め、踏み込む敵の懐へ。滑るように駆けるアダンは敵に躱す隙も一切与えず、その戦輪で敵の両腕に斬りつけ、傷口を焼き焦がす。
「アッ、グオ!」
焼ける痛みに、濫午が悲鳴を上げる。これで両手は使い物になるまい、手にした鋼糸も力なく垂れさがっている。
「鋼糸に刻まれているというのならば、それを使用出来ない状態にしてしまえば良い」
にやりと笑って見下ろすアダンを、密売人は悔し気に睨み付ける。――彼はまだ気付かない、その感情を向ける一瞬の隙が、命取りとなることに。
「乱れ咲く、花々の様に……」
戦場に静かに響く、恭兵の声。止水と|曼荼羅《まんだら》を手に駆ける青年は、敵の隙を見逃さない。花が舞う如くに刃を揮い連続の斬撃を叩き込めば、堪らず濫午はその場に崩れ落ちた。
「ハッ! 相手が悪かったと思うが良い」
相棒の攻撃が決まったことを自身のことのように喜んで、アダンが言葉を投げかける。その横で、恭兵は敵へと刃を向けたまま、淡々と告げた。
「まぁ、仮初の死か大人しく縄につくか位は選ばせてやる」
「……ハッ、お優しいことで。あの雑魚どもに罵詈雑言投げられる檻ン中よりゃ、死んだ方がましってもんじゃねーの」
「……そうか」
自嘲気味に笑って返答する、それが濫午の最後の姿だった。恭兵は先に宣言した通り、彼の望む通りに刃を揮い――ここに、闇取引の首謀者は打ち倒されたのだった。
『害薬密売人『濫午』』は撃破し、一命をとりとめた従業員達は全員捕えて軍警察へと引き渡して。捕獲した『妖魔シュエバオ・マオマオ』は、EDEN達が|鬼城《ゴーストタウン》へ連れていくことになる。
檻の中、それでも嬉しそうに『ぴぃー!』と鳴く妖魔の子を微笑み見つめたアダンは、ふと思い出して顔を上げる。
「……ああ、そうだ。恭兵、今日のお前も|警視庁異能捜査官《カミガリ》らしいと思ったぞ」
それは、共に戦った信頼できる彼への言葉。すると、振り返った恭兵は表情一つ変えずに答えるのだ。
「ん? 当たり前だろ? 俺はお前の相棒なんだから」
そうして、二人は共に並んで下層の|鬼城《ゴーストタウン》を目指す。深夜でもネオン輝く『横浜Ⅶ』は、作戦前より少しだけ美しく見えた。