シナリオ

6
微睡みの向こう側

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 あなたが心の底から「会いたい」と願うのは、誰ですか。



「満月に願いを告げ、泉に身を沈めれば、泡沫の中で会いたい人に会える」

 それはまるで御伽噺の一節かと聞き間違うような噂だった。

 冒険者たちが集う酒場から広まった噂の舞台は、とあるダンジョンの最奥。
 決して欠ける事のない|満月《つき》が浮かんでいる泉があるそうだ。空に在る月ではない。水底に沈みながらも宙を照らし続ける奇跡の|光《つき》。

 ある者は、永遠の別れを告げた愛しい人の面影を探しに。
 またある者は、消えぬ憎悪を晴らさんと、かつて刃を向けた仇敵の姿を求めて。

 本来ならば二度と叶う事のなかった邂逅が結ばれる場所。

 愛や郷愁といった“幸福”を求め、一時の慰めを望む者にとってはまさに夢のような逢瀬の時間だった。失われた温もりに触れ、忘れられなかった声を聞き、再会の喜びを胸いっぱいに抱きしめる。気付けば泉の畔で目を覚まし、その甘美な夢をもう一度、とまた訪れ、沈み、また月に願う。
 泡沫のような時間に囚われ、現実を疎かにする者が出てきてしまったのは当然だろう。

 だが、問題はそれだけではない。

 憎悪や復讐心、怨嗟といった仄暗い感情を抱いて泉へ身を浸した者の中には、その激情に呑み込まれ二度と帰って来なくなった者がいるという。

 奇跡とは、本来人の手には余るもの。

 いつしか人を蝕む|蜜《どく》と成り果てた、月の光。

 今や決して見逃せぬ|事件《もの》になってしまったのだった。






 恋人であれ、家族であれ、友であれ、仇であれ。
 本人が心の底から望んだのなら、その願いが叶う事自体は悪いことではないのだろう。まして、それが永遠に失われた存在ならば尚更だ。後悔が、未練がない人は決して少なくはない。会いたいと願う事は弱さであり、向き合う強さでもあるのだから。
 然し。
 もしもその先に|還れぬ《・・・》結末が待っていると知っていたのなら、月へ手を伸ばすことを諦めた者も、きっといるはずだ。

「まあとりあえず、月の調査も大事やねんけど、――お酒は好き?」

 そんな重い話をさらりと脇へ置き、星詠みの一・唯一(狂酔・h00345)はにっこりと笑みを浮かべて話を続ける。

 机の上には資料の束。
 それらを埋め尽くすように並べられた無数の箱。

 箱の中身は、様々な酒器。

 なんで?

「どうやら元々人気な観光地らしいんよ。ダンジョンの上層が、なんと! お酒飲み放題!!」

 つまり、そういうことだった。

 目的地となるダンジョンは、今や陽気な酔客たちが集う一大観光地である。
 岩肌からは絶え間なく琥珀色の雫が滴り落ちる様は、まるで大地が長い年月をかけて醸造した黄金の涙。足元を流れる川は透き通ったスピリッツ。葡萄のように実る赤い花はグラスの中で潰せばワインとなる。滝のように流れるそれも水ではなく日本酒。

 迷宮そのものが巨大な酒樽であり、訪れる者を酩酊へ誘うとんでもねえ場所である。

 熟れた果実の香り、芳醇な麦の香ばしさ、樽の眠りから解き放たれた歳月が漂う空間は、歩くだけで頬が熱を帯びそうだ。
 浅い層は既に安全が確保されており、あちこちから陽気な音楽と、杯を交わす人々の笑い声が反響していることだろう。

「しかめっ面で通り過ぎるんは勿体ないから、とりあえず楽しんでおいでな」

 どうかまずは、その手にお好きな杯を。
 芳醇な酒の海を心ゆくまで泳ぎ、日々の張り詰めた心を、とろけるような微睡みの中へ解きほぐしておいで、と星詠みは笑顔で手を振った。
これまでのお話

第3章 ボス戦 『白月の幻主』



 すっかり酔いの醒めた貴方が辿り着いたのは、静寂の極みたる最奥の地底湖。

 宵を融かした藍色の水底に沈むのは、まるい|黄金《つき》。



―――心の底から「会いたい」と願うのは、誰ですか。



 |思《ねが》え、|願《おも》え。

 その名を呼べば、きっと振り返ってくれる。



 憎い者を想像してはいけない。

 再会の帰り道が、黄泉に繋がってしまうから。
天月・八雲

 静かな湖面の遥か下で月が揺れている。
 天月・八雲(今日も明日ものらりくらりと・h12271)はその光をぼんやり見つめていた。

「会いたい人、ねぇ」
 そんなの最初から決まっている。
 誰に向けたわけでもない言葉が月に吸い込まれてゆく。いつものような調子で呟いたのに、いつものような笑みは浮かべられなかった。
 月を掴む様に、差し伸べた手が水面を乱した、その瞬間。

 名前を、呼ばれた気がした。

 忘れるはずがない声。
 振り返れば、そこにはあの日失った妻の姿。
 昔と変わらない微笑みを浮かべて、見覚えのない幼子――違う、あれは娘だ。生まれることのなかった、自分たちの子を胸に抱いて、八雲を見つめていた。
 笑おうとした。
 けれど喉の奥から零れたのは情けないほど震えるばかりの息。
「……ごめん」
 守れなかった。
 届かなかった。
 あの日の温もり。守れなかった手。最期の瞬間に見た、彼女の顔。

「俺だけ、生き残って、ごめん」

 ずっと胸の奥に燻っていた事だけは伝えたくて、八雲は振り絞る。
 ゆるく首を横に振り、彼女は笑顔を崩さない。
「すっかり老けちゃったよ」
 自虐のような愚痴も、結局は彼女にもう一度笑いかけてほしいという、叶わない願いの裏返しだった。

 優しい時間はあまりにも短くて。触れようと伸ばした手は、届く前に淡い光に溶けていく。

「っ、待ってくれよ……!」

 奇跡は、永遠ではない。

 あっという間に彼女の姿は月明かりに攫われていった。
 八雲は静かに目を閉じる。胸の奥に残った温もりを大切に抱えるように。

 握りしめた拳の中には、何もない。

「またね、なんて言ったら……怒るかい?」

 無理やり作った笑顔で八雲は月を見つめた。

マルザウアーン・ノーンテッレト

 マルザウアーン・ノーンテッレト(銀の星・h08719)は満身創痍であった。ぼこぼこにされ、しょんぼり心も折れかけたが、何とか辿り着いた月の泉。

「……気を引き締めて調査しなくては!」

 黒い水底で輝く月は、あまりにも美しくて。一瞬、此処が危険な場所だという事を忘れそうになる。息を呑むほどの美しさを前に、マルザウアーンは気を引き締め直す。
 誰かが夢に囚われないように。帰る場所を失わないように。
 マルザウアーンはまるで自分に言い聞かせるように呟いた。

 あの月は、人の心の深みを映すのだという。

 会いたいと願うもの。
 心の底から思うもの。

「もし、オレが幻を見るなら……きっと」

 ちゃぷり、と冷たい水に指先を沈ませると水面が崩れた。

 屈折した光が瞳に刺さり、視界が揺らぐ。
 反射的に閉ざした瞼をもう一度開けた時、目の前で揺れたのは黒いスーツの裾。 
「随分とボロボロじゃないか」
 嗚呼、嗚呼。
 マルザウアーンの喉がひゅ、と鳴る。

「……班長」

 記憶の中の姿そのままに、男――九純が「よう」と手を挙げた。
 相変わらずサングラスのせいで表情が読みづらいけれど、口元に浮かんだ笑みは変わらない。
 思わずマルザウアーンは駆け寄ろうとする。なのに縺れた足がばしゃり、と派手な水飛沫を生んだだけだった。無事で良かったと駆け寄りたかったのに。縋り付いて抱き着いてしまいたいのに。されど水を含んだ服が重くて、思うように動けない。

「まさか俺より猪突猛進な奴がいるとは思わなかったぞ」
「えっ」
 混乱するマルザウアーンを余所に、九純は豪快に腹を抱えて笑い出した。
「真っ直ぐで、馬鹿正直で、考えるより先に突っ込む! しかも今は酔っ払った状態でだ!」
 まるで先程までの珍道中を見ていたかのような台詞である。
「班長、それは褒めているのか!?」
「どうだろうな」
「!?」
 苦笑するように、揶揄うように、懐かしい笑い声を遮ったのは鋭い蹴り。
「痛ぇ!」
 デリカシーに欠けた台詞に痺れを切らしたミーのツッコミだった。
「またクズ班長の首吹っ飛ばす気ッスか」
 ひょこりと横からレンジも顔を出して窘めだす。

 胸が締め付けられる光景だった。嗚呼、そうだ、この感じだ。くだらなくて優しい時間。懐かしいやり取りにマルザウアーンは心を奪われる。

 ずっと、ずっと会いたかった“亥-09”の彼等が、今目の前に居る。

 嗚呼、嗚呼。

 |駄目《・・》だ。

 一緒に笑いたい。触れて、抱きしめて、感謝を伝えたい。もう少し頑張れば手が届く。

 けれど。

 マルザウアーンには分かってしまった。
 触れてしまえば、きっと消える。この夢のような|再会《じかん》が。

「……っ」
 目の前に居るのに、と悔しさを押し殺すように拳を握る。
「大丈夫だ」
「九純班長」
「大丈夫」
「ミーさん」
「大丈夫ッスよ」
「レンジさん」
 投げかけられる言葉は、マルザウアーンが言ってもらいたい言葉だったかもしれない。月が見せた残酷な優しさだったのかもしれない。
 それでも、これ以上情けない姿を見せたくなかった。それこそ笑われるし、叱られてしまう。
 レンジなら「気持ちは分かるッスよ」と笑ってくれるかもしれない。

 彼らの姿が薄れてゆく。

「……っ、ありがとう!!」

 消える前に、せめて、幻だったとしても。

「オレを拾ってくれて!」

 後悔がないようにマルザウアーンは叫ぶ。

「オレはちゃんとやっているぞッ!!」

 助けてもらった自分が、今度は誰かを助ける側になれている、と。

 木霊した叫びが再び水面を揺らした。
 もう彼らの姿は何処にも無い。

 あんなに重かった身体が軽く感じる。

 月はまだ眩しく水底に沈んでいたけれど、マルザウアーンはゆっくりと背を向けた。
 失った痛みも、会いたい気持ちも消えないけれど。
「……よし」
 銀狼はゆっくりと立ち上がった。
「オレはもう、ただ助けられるだけじゃないッ!」
 もう怖くない。大丈夫。だって彼等が、そう信じさせてくれた。

 夢ではなく現実を、失ったものではなく、これから守るもののために。
 人を夢へ溺れさせるこの月の力を止めるため、マルザウアーンは歩き出した。

見下・七三子
ノイル・リースロス
天使・夜宵
バリバリ・バリカーン

「……あれ?」
 ふと気づいた時、先程まで聞こえていた声も足音も何もなかった。
 見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)がきょろりと辺りを見渡すが、そこにあるのは静寂だけ。
「ノイルさん……? 夜宵さん……? バリバリさん……?」
 返事はなく気配もない。先に進んでしまったのかとふらつく足を前へ進めれば、辿り着いた藍色の水面。淡く照らす月が七三子をじっと見つめるように輝いていた。
「わあ、きれいな場所です」
 月が、呼んだのだと、何故か理解できる。だからみんなバラバラになったのだと。七三子がそっと泉に近付くと黄金の月を映した水面越し、ほろ酔いで少しだけとろんとした赤い瞳の自分と目が合う――はずだった。

「……え?」

 小さな手。
 青空を閉じ込めたような綺麗な瞳。
 黒と赤しか知らなかった世界に、青空を連れてきたような少女が微笑んでいる。
「……あれ……?」
 名前が出てこない。どうしても思い出せない。
 まだ七三子が√能力者ではなかったあの日、まだただの“735番”だった頃、一緒にたい焼きを食べてくれた――そんな思い出だけは忘れていないのに。
「ごめんなさい、名前、思い出せなくて」
 申し訳なさそうに呟く七三子に向かって、少女が微笑む。責める事も哀しむ様子もなく、ただ仕方ないという風に。
「……でも、ちゃんと、覚えてます。きれいな青空の目だけは」
 路地裏で待機していたあの日、命令を全うしていたあの時、撤退工作の手伝いをしなければならなかったけれど、偶然中止になったから。ふたりだけの小さな冒険をした。互いを恐れず、差し出した手のぬくもりを心地よく感じた記憶は、確かに七三子の中に残っていたのだ。
「あれ、なんか、誰かに、似てるような」
 七三子が首を傾げて手を伸ばせば、水面が揺れ、ばしゃり、と月が歪んだ。

 そして、気付けば、七三子は泉の畔に座っていた。



 会いたい人、だなんて。
 今更思い付きもしないだろうと思っていたけれど――見えた後ろ姿にノイル・リースロス(|闇に揺蕩い影に詠う《ニュイ・エ・ノワール》・h08142)は苦笑を漏らした。
「嗚呼、まあ現れるなら|御前《・・》だよな」
 七三子嬢の心配そうな声も、夜宵君の呆れた声も、バリバリ君の豪快な寝息も、なにもなくなってしまった、まるで転寝から覚めたような一瞬の空白。最初から一人で此処まで来たかのような感覚を壊したのは、揺れる銀糸。

 名を呼べば、その男は素直に振り返る。
 ノイルを見つめ返すのは紫水晶の瞳。
「……久しぶりだね」
 胸の奥に沈めていたものが溢れ出す。
 一族で良く見た色合いなのに、やはり一番輝いて見えるのは贔屓目だろうか。大往生を見送ったはずなのに、目の前の彼は懐かしさを覚える若い頃の侭。
 嗚呼、嗚呼。
 |揺蕩う黒《俺》を|人間《ヒト》にした友よ。
「有難い事に、未だ……愉しく生きているよ」
 もう砂時計が反転するのを待つこともない。
 はにかんだ微笑み、黒と白の混じる髪、|女《ヒト》の形をした|自分《ノイル》を見て彼は何を思うのか。
「……御前なら、今の俺の姿を見て笑うだろう」
 せめて声が届いたならば。
 そう思えど、夢はいつだって物足りない。
 男がふいにノイルに触れるように手を伸ばした、――然しその手は触れる前に透けてゆく。
「……さようなら。良い月夜だったよ」
 消えてゆく影へノイルは別れを告げる。あとひとつ、ふたつ、伝えたかった言葉を呑み込んで息を吐きだした。
「さて、皆の処へ戻らなきゃね」

 ノイルが泉に背を向ければ、ぱちん、と何かが弾けた気がした。



 くだらない騒ぎを起こしながら、酔っ払いを運び、何度も足を止めつつ白線を渡り切ったのは覚えている。だが、天使・夜宵(|残煙《ざんえん》・h06264)はひとりだった。酒を飲んで楽しくなった気分が薄れてゆくのが分かって、目の前に沈む月から視線を逸らす。
「会いたいやつなんか……」
 自分には奇跡を願って再会を乞う存在なんて、いない。だから他の三人が再会するのを微笑ましく眺めていれば良いと思っていた。

 ふと、水面が揺れた気がして、つい夜宵は視線を向けてしまった。
「……は」
 思わず乾いた笑いが零れる。
 見間違えるはずがない。忘れるはずもない。守る事も、言葉を交わす事もままならぬうちに永遠の別れとなってしまった、両親の姿。
 ゆっくりと振り返り、まるで慈しむように彼らは夜宵を見つめていた。
 夜宵が腹の奥底に沈めていたものが、静かに頭をもたげる。
「……何で今更、出てくんだよ」
 視線に耐えきれず、夜宵はついに視線を逸らした。
 弟ばかり見ていた両親。
 夜宵が求められたのは、優秀である事。どんなに頑張っても褒められた記憶ないけれど。
 あの日、帰った家で見たものが過る。血に染まった両親。守れなかった現実。その惨劇を生み出したのは弟だという事実。

「……何で守らなかったんだ、って言うかと思った」

 ぽつりと呟く。
「俺を恨んでくれても構わねぇ」
 未練などないと夜宵は背を向ける。
 何か、聞こえた気がしたけれど、聞いてやる気はなかった。
 自分の居場所は、もう、違うところにあるのだと振り切った。過去は過去でしかなく、幻に縋る必要もないのだから。



「んがっ」
 ぱちん、とバリバリ・バリカーン(モンゴリアンデスワーム・h02832)の鼻提灯が割れた。
 泉の畔で目を覚ましたバリバリは、ぼんやりとする視界で辺りを見回す。文句を言うくせに面倒見の良い夜宵のツッコミ、楽し気に揺れるノイルの笑い声、のんびり子守唄のように響く七三子の声はどこにもない。
「ヒャッハー水だー」
 バリバリは水の匂いに引かれて泉の畔まで近付いた。綺麗な、澄んだ泉だった。冷たい泉の水を顔にかければ少しずつ酔いが醒めてゆく感覚の中、ふと気付けば水底に沈んだ黄金を見つける。
 手を伸ばせば届きそうなのに、バリバリの長い腕でさえ触れられない。
 不思議な泉の水音だけが響く。寝落ちするまで賑やかな場所にいたせいか、何故か少しだけ寒い気がする。
「会いたい人間か~」
 ふむ、と首を捻る。
 食の魅力を覚え、人のように過ごし、グルメを楽しんで格闘術を学んできたバリバリの脳裏をひゅんっと過ったのは、あの熱狂。

「やっぱり、ジェイソンさんだな」

 瞬間、水面が揺れた。
 まるで震動するように、波紋が広がる。

 静寂しかなかった泉を揺らすのは、あの日雷鳴のようにバリバリを劈いた|衝撃《おんがく》。バリバリの世界を塗り替えた轟音。何度も繰り返し聞いた|咆哮《メロディ》。心臓を叩く重低音に稲妻のようなギターリフ。
「!」
 熱狂的な人気を博すバンドグループ――クリスタル・レイク・シティ。そのメインボーカルである男の後ろ姿が逆光の中、バリバリの目の前に現れた。
 月のクレーターも彼がサンドバック代わりにしたから出来た、なんて逸話がファンの間では常識となっているが、実のところ才能に恵まれた穏やかな人物らしいが、真実はどこへやら。
「ジェイソンさんのおかげで、俺は変われたんだぜ」
 静かに、然し力強く。
 デスメタルの凄さを前にバリバリは嬉しそうに目を細めた。



「……ぐおっ、」

 自分のイビキで目が覚めたバリバリが目を開けた。

「お、やっと起きたか」
 呆れた顔の夜宵がバリバリを見下ろしていた。
「心配したよ」
 その隣では苦笑を浮かべつつ穏やかに笑うノイル。
「バリバリさん、寝ながら泣いてましたよ?」
 七三子が少しだけ心配そうに覗き込む。
 四人が揃った。
 ちゃんと、ここにいる。
「……夢だったか」
 呟いてバリバリは上半身を起こした。

「バリバリさんも、会いたい人には会えましたか?」
「おう、ちゃんと会えたぜ」
「ノイルさんと夜宵さんも?」
「ふふ、そうだね」
「俺の方は、……何と会ったか|覚えてねぇ《・・・・・》」
 ノイルが微笑みながら頷くが、対して夜宵はそう答える。
 今は今、それで十分なのだと多くを語らぬ返事に七三子は「そうですか」とだけ応えた。
「そういう七三子はどうなんだ」
「私も、会えましたよ!」
 少しだけ胸に引っかかる疑問は、きっとどんどん薄れてしまうのだろうけど。

「腹減ったな」

 ぐううううう、とバリバリの腹が鳴る。妙に立派な腹の虫だった。

「……お前な」
 夜宵が呆れたように額へ手を当てる。
「さっきまであんだけ呑んで腹も膨れてたろうに」
「酒は別腹だろ?」
「なんだその理屈!」
「ふふっ……いや、実に君らしいね」
 顔を逸らしつつノイルは言うが肩が震えて笑っているのは丸わかりだ。
「腹は減る時ゃ減るんだ!」
「開き直るところじゃねぇ」
 夜宵の即座の突っ込みに、とうとう七三子も堪え切れなくなった。
「あ、あははっ……!」
 肩を揺らし、ノイルと一緒に目尻に涙をにじませるほど笑う。
「今度は飯を食いに行くのも悪くないね」
 ひとりの時間も、決して悪いものではない。
 願いが現れた瞬間、それが幸せだったかと問われれば四人の返答は違うけれど、騒がしくて、面倒で、だけど不思議と落ち着く場所が、今この場所にいる友人たちとの時間がなにより心地よいものであることに違いはないだろう。

 だが笑ってばかりもいられない。
 あの月をどうにかしなければならない。その本来の目的が、まだ四人を待っているのだから。

十全・フルル
ルーシー・ショウ

 白線を渡り切ったと思った、――その瞬間だった。隣に在ったはずの温もりがふっと消える。
「……気付いたら一人になってたっすね」
 十全・フルル(見習い喇叭吹き・h10216)は冷静に状況を理解して何事も無かったかのように水の音がする方へ足を向けてゆく。
 だって、ルーシーは大丈夫。多分。
「今は一人で月に向き合うっす」
 そう呟いて覗き込んだ月は、思っていたより明るくて大きくて丸かった。

 願えば会える。思えば現れる。
 フルルの脳裏を過るのは、年老いたあの後ろ姿。
 得体のしれぬ傷だらけの少女を招き入れ、介抱してくれたおばあさん。もう百年くらい前だ。初めて日本に来た時、お世話になった人。温かい食事と寝床をフルルは忘れられない。

「あ、」

 顔を上げれば懐かしい面影。
 皺だらけの優しい口元に浮かぶ優しい微笑み。
「お礼を、言いに行こうと思ってたんす」
 まだ世界は滅ぶ|時《・》じゃないのに、勝手に滅ぼされては困る――背負う役割を果たせぬまま終わるのは嫌だから、ボロボロになりながらもフルルは世界中の怪異や簒奪者をシバいて回っていた。
 訃報を受け、二度と伝えられないと思っていた言葉を、フルルは漸く叫べる。
「あの時はありがとうございました……今は元気でやってるっすよ!」
 満面の笑みを向ければ、おばあさんが嬉しそうに微笑む。

 月明りに溶けるように、その姿はあっという間に薄れてゆく。
 仮初の再会を引き留める事は許されない。

「ありがとうございました」

 もう一度感謝を伝えながらフルルは深く頭を下げた。



「あら」
 ようやく月の元に辿り着いたルーシー・ショウ(微睡む蛇・h12791)が振り返った先、そこには誰もいなかった。
「僕一人ですか」
 すぐそばを歩いていたはずのフルルの姿は何処にも無い。気配もなく、あるのは静かな湖面の底で妖しげに揺らめく月だけ。
「脱出すればフルルとは合流できるでしょう」
 慌てる理由はないな、とルーシーは肩を竦めた。
「それなら月を見て帰った方がお得ですよね!」
 折角此処まで来たのだから。なんならアレをどうにかしなければならないのが本来の目的だったはずである。

 ひらり、と花が舞う。

 黄金の砂海の匂い。

 遥かな南方を思わせる民族衣装を纏った女性が、月の上に立つようにしてルーシーを見つめていた。
「シャウク」
 人間災厄『終末論のペン』――その名を持つ彼女は、ルーシーやフルルにとって上司にあたるような存在だが、実際にはもっと近しい存在、ほとんど友達みたいな関係だった。
 十年ほど前に消息を絶ったとルーシーは聞いているが、彼女が死んだのか、それとも簒奪者にでもなったのかは定かではない。その答えを、きっと目の前に現れた彼女は答えてくれないのだろう。
「これは幻なのでしょうか?」
 ルーシーが問いかけても返事はない。
「それとも本物?」
 彼女は昔と変わらずニコニコとしているが、本物もあんな感じだったので確証は持てず判別する術もない。
「どっちにせよ、懐かしい顔が見られたことは嬉しく思いますよ」
 答えが得られなくても構わない。
 あの懐かしい笑顔をもう一度見られたのだから。
 ルーシーにとっては、十分といえる時間となった。

 穏やかな沈黙の中、月明かりが強まるにつれ、シャウクの輪郭は静かに霞んでいった。

「願わくば」
 触れられもせぬ幻に手を伸ばし、ルーシーは静かに微笑んだ。
「いつか本当に再会する時にも、笑顔で会いたいものですね」
 光は泡沫のように砕け散る。



 ふと瞬きをすると、湖畔には再び誰かの足音が響いた。

「あ、いた」
 聞き慣れた声にフルルが振り返れば、向こうからルーシーが歩いてくる。
「無事だったんすね」
「そっちこそ」
「月はどうでした?」
「まあ、それなりっす」
「そうですか」
 互いの顔を見て思う所も察するところもあるのだろう。それ以上の会話はなかった。

「……さて」
「さて?」
 首を傾げたフルルを見てルーシーも同じように首を傾げて見せる。
「そろそろ仕事に戻りましょう。この月をどうにかしないといけません」
「あ」
 ぽかり、とフルルの口が開いた。
「思い出しました?」
「完全に忘れてたっす」
「フルルらしいですね」
「あんただって浸ってたじゃないっすか」
「否定はしません」
 人を惑わすこの月を、どうにかしなければならない。そう思い出した二人は、静かな湖畔を歩き出した。