②召しませ屋台浪漫
●Accident
『屋台』
それは福岡県の博多を象徴する文化。
中洲屋台街は歓楽街である中洲エリアにあり、|那珂川《なかがわ》に沿うようにして屋台が連なる名物スポットだ。百軒近い屋台が戦後から続いているのは全国どこを見ても博多だけといっても過言ではない。
屋台街の定番は何といってもラーメンだろう。細く縮れた麺が特徴的な豚骨ラーメンは濃厚なスープが麺によく絡む上に、炙って香ばしいチャーシューは分厚くて食べ応えがある。臭みがなくあっさりとした豚骨スープに細麺ストレートの長浜ラーメンもあれば、じっくり炊いた豚骨スープに煮干しと節類のうまみを凝縮させた魚介とんこつはクリーミーで香り高い。縮れ麺だけでなくストレート麺も楽しめるし、硬さもお好みで注文できる。
肉のうま味をたっぷりと閉じ込めた鉄なべ餃子は、カリカリもちもちジューシーでお酒との相性ばっちり。それに一口サイズのため食べやすく、最初はそのまま何もつけずに、次は酢のみ、それから特製のピリ辛ラー油をアクセントにしたタレで頂くのが通の楽しみかた。
手軽に楽しみたいなら焼き鳥が良いだろう。「豚バラ」は福岡では定番の大人気メニュー。余分な脂を落としても、じゅわっと口いっぱいに広がる脂のうまみは別格だ。お通しで提供される生キャベツは酢ダレがかかっていて、脂っこさをさっぱりさせて胃の負担も軽減してくれるうれしい箸休め。もちろん、もも、皮、ねぎま、つくね、ぼんじり、レバー、なんこつといった定番メニューもある。
それから福岡名物、明太子を一本丸ごと使った出汁巻き玉子は、ふわっとした食感に出汁がよく染みた玉子、ぴりりとしたやさしい辛さの明太子が小腹を満たすのに持ってこい。そこにチーズを加えたものも相性抜群。
季節を問わずくつくつ煮込まれたおでんは染み染みの大根にはんぺん、こんにゃく。牛すじは歯が要らないくらいとろっとろで、もち巾着もふわふわとろり。衣がさくっと軽い天ぷらに中華も洋食もあるので目移りすること間違いなし。
手作りのケーキが頂けるカフェ風の屋台もあって、スイーツを食べるだけでもよし、ドリンクを一杯だけ楽しんでもよし。屋台のマナーは席を占領しないこと。さっと味わって、さっと帰るのは何の問題もないので気兼ねなく立ち寄って大丈夫。
そんな美味しいものがひしめき合う眩しい屋台街に、ひょっこり顔を出したのは鬼城に生息する妖魔の子ども。つぶらな瞳をきらきらさせて雑踏をするり抜けていく。それからえいやっと後ろ足で立ち上がってカウンターに前脚を引っ掛けたならば、こてんと首を傾げ。
「ぴゅい?」
それ、あちあちですね。ふーふーしてあげましょうか。
ひんやりと纏った雪の凍気を見せびらかす妖魔シュエバオ・マオマオは、可愛らしいきゅるきゅるお目目でじぃっと見つめてきて――。
●Caution
「ついに福岡は博多でゾディアック継承戦争が始まってしまいました」
ちょっと焦らされた気がしますね、なんて微苦笑を漏らした物部・真宵(憂宵・h02423)は、こほんと咳払いをひとつ零して今回予知した仔細の説明に入る。
「今回ご案内するのは中洲の屋台街です。こちら、那珂川という川沿いに屋台が連なっているのですが、妖魔公女『冥鈴・ガルガンチュア』率いる『ガルガンチュア商会』がこの地でインビジブルの収奪を企てているのです」
屋台は百軒ほどもあってかなりの賑わいだ。大勢の客や屋台の店主を殺戮してしまえばまさに一網打尽。たった一度で手に入るインビジブルは相当なものになるだろう。
「そうさせないためにも、皆さんには立ち並ぶ屋台で待ち伏せを行ってもらいたいのです」
襲来するのは冥鈴・ガルガンチュア――ではなく、妖魔シュエバオ・マオマオだという。
この妖魔の子ども、商会の者たちに紛れ込んでやってきてしまったようなのだ。屋台の美味しい料理に興味津々。どこもかしこもラーメンや餃子におでんといった熱々メニューがたくさんあるので「ふーふーしてあげましょうか?」と纏っている凍気でひんやーりしてくれようとするのだとか。
「ふーふーさせてあげたらマオマオはごきげんになってくれることでしょう。何か食べさせてあげたらもっと気を良くするかもしれません」
シュエバオ・マオマオは可愛らしい見目に反して、備え持つ能力が凍結を齎し死に至る。そのため被害を最小限に抑えるならば、出来るだけ怖がらせずマオマオをやさしく迎え入れ、満足させてからお帰り頂くのが良さそうだ。
「あまり警戒しすぎても、かえってマオマオに怪しまれるかもしれませんから、皆さんお好きに屋台のお食事を楽しまれてくださいね」
もちろんアルコールは大人になってから。そして飲みすぎないように注意。
「あんまりハメを外し過ぎちゃだめですよ?」
それまで真宵の腕の中で明太フランスをかりかり頬張っていたこぱんだ妖怪が皆の出発に気付いて「いってらっしゃーい」と手をふりふりしたならば、ふんわりと香るバターと明太子の匂いが腹の虫を目覚めさせてしまうのだった。
第1章 集団戦 『妖魔シュエバオ・マオマオ』
とろとろとゆるやかに傾いていた陽が|涯《は》ての街並みに沈み切った頃、中洲の屋台街はすでに出来上がっていた。
往来する人々の火照った横顔を照らす赤提灯は煌々としてまばゆく、焦げた甘辛いタレや濃厚な豚骨の香りが鼻腔をくすぐってその歩みを止めようと誘惑する。
「……こんな賑やか楽しげスポットで虐殺考えるとかひどいがすぎる」
ぽつりと零れたミルグレイス・ゴスペリジオン(魔境を巡る舞軍師・h02552)の言葉は、その傍らに寄り添うように歩いていたモルドレッド・アーサー(防導の騎士・h04734)にしか届かない。
「ああ。インビジブル収奪を目論む商会の暗躍は止めねばなるまい」
露骨に表情に出すことはしなかったミルグレイスを胸の裡で褒めながらも、博多の食を楽しむ人波に揉まれるようにして歩むモルドレッドは決して広いとは言えぬ屋台街の通りを俯瞰して見ていた。
「敵方を確実に相手取るために現場で張るのは合理的だろうが……」
「どんな手段を使ってこようとも、商会の目論見を全力で打破しようぜ、|師匠《パパ》!」
「そうだな。……くれぐれもハメを外すなよ、ミルグレイス」
九体の小さき鬼火蜥蜴と共に「えいえいおー」とやる気満々のミルグレイスを横目で見やったモルドレッドはすかさず釘を刺すのだが、ひょいと暖簾を潜ってさっさと席に着いた彼女があれこれ注文をするのを見て、額を押さえて吐息をひとつ。
さほど待つことなく運ばれたのは小さな鉄なべにぐるりと渦巻くように並べられた鉄なべ餃子。じゅうじゅうと弾ける音と共に白くくゆる湯気すら美味そうだ。それからどんぶりになみなみ注がれた白濁としたスープにストレート麺を合わせた豚骨ラーメンは、分厚いチャーシューとメンマに煮卵がごろっと入って食べ応えばっちり。こちらも器が触れないくらい熱々だった。
「おお……この湯気の感じ、フーフーせず食べたら間違いなくお口の中が火傷するね」
ミルグレイスはまず食が細いモルドレッド用に鉄なべ餃子を取り皿に分けたあと、レンゲでスープをひと掬い。この小さな一杯すらたちまち口内を火傷させる威力を持っていることは明白だ。
――だから。
「フーフーしてもらってもいいかな? 白モフちゃん」
ベンチに前脚を引っ掛けて立ち上がる妖魔シュエバオ・マオマオにレンゲを近付けると、青く透き通った瞳がきらりと光った。それから後ろを振り返って、こっちこっちと言うように「ぴゅういっ」とひと鳴き。すると人波を縫うように駆けて来るもう一匹の姿が。
「む、話にあった妖魔か」
ミルグレイス越しにマオマオを見とめたモルドレッドは、頬張るのに勇気がいる餃子と顔を並べる二匹の妖魔とを交互に見て、
「こちらも冷ましてもらえるか?」
呼びかけたならば、マオマオはご機嫌に「ぴゅいっ」と鳴いた。
マオマオたちはふたりの手元に首を伸ばして顔を近付けたならば、やさしくふーふー。それからきゅるきゅるの瞳で「もうちょっとふーふーしましょうか?」と、こてんと首を傾げて加減を窺っている。
「ありがと~♪ グッボーイ、グッガール」
「……ありがとう」
「ぴゅぅーいっ!」「ぴゅい!」
二匹はお礼を言ってもらえるだけでなく、なでなでももらえてとっても嬉しい様子。たっちを止めてその場でお互いを追いかけるみたいにくるくる駆ける。
「……一口食べる?」
ミルグレイスが呼びかけると二匹はぴたりと止まって振り返る。「いいんですか?」とそろそろ近付いてくる様子が微笑ましくて、どんぶりから半分に割った半熟卵をレンゲによそって口許に運ぶと、マオマオは勢いよくぱくり。
もう一匹が「ぼくの番ですか?」とこちらをじぃっと見つめてくるので、フ、と口端に小さく笑みを刷いたモルドレッドは、冷ましてもらった餃子をあーん。
「俺も、お礼に一つどうぞ、だ」
「ぴゅいーっ」
ぱくん、もぐもぐ。ごっくん。
おいしいのか尻尾が右へ左へぶんぶん揺れていて、何とも分りやすい。
「――こうして見ると無害な生態をしているな」
「やだ~、かわいい。ねぇ師匠、全力でモフっても許されるかな? 撮影だけに留めた方が良い???」
美味しそうに食べる二匹にめろめろのミルグレイスはスマートフォンを取り出してすぐさまカメラアプリを立ち上げる。撮影ボタンに人差し指をかざしながらも、ぎりぎりの理性が待ったをかけるのがじれったい。
「……妖魔に肖像権の概念があるかはわからんが、取るのも触るのもちゃんと本人の許しを得て行えよ……?」
「ぴゅい?」
スマートフォンのレンズがこちらを向いていることに気が付いたマオマオたちが「それは、えがのこせるやつですね」「なにかぽーずとりますか」と、ミルグレイスのお膝の上に乗ってカメラ目線。そこに額にちょこんとお座りしたり、背中に腹ばいになったり、尻尾に絡みついたりして蜥蜴たちも加わるからとっても絵面が賑やかなことに。
「かわいーっ! 撮ってもいい? いいよね? 撮るね!」
小気味良く連続するシャッター音。何だかこなれた様子で様々ポーズを取ってくれるマオマオたちを横目に、モルドレッドはほどよい熱さに落ち着いた鉄なべ餃子を頬張っている。
――たまには、こんな夜があってもいいか。
楽しそうなミルグレイスの横顔を見ていると胸にじんわりとやさしい気持ちが浮かぶようで、口いっぱいに広がる肉汁の旨味がなんだか特別に感じられた。
二匹のマオマオは煮卵と餃子と、それからたくさんのかわいいで満足したらしく、火照る屋台街を颯爽と去って行った。姿が見えなくなるまで見送ったあと、目配せをし合ったふたりは今度こそ博多の味を心ゆくまで堪能する――。
「此処が、屋台……」
噎せ返るほどに往来をひしめき合う気配と人々を照らす赤提灯、それから様相様々に連なる屋台の数々はラビィナ・クラウディオス(Onyx blood・h12925)にとっては異世界だ。
「賑わってるね、きなこも気になるだろ?」
肩に乗ったふわもふチンチラの小さなお鼻は満ちる美食を嗅ぎ分けているのかずっとひくひくしたままだ。
どこを行ってもまず鼻腔をくすぐるのは濃厚な豚骨のいい香り。やはりご当地グルメでいちばんのおすすめであるラーメンを食べてみたい。
「おやっさん、煮干しの旨味たっぷりな魚介とんこつで宜しく」
暖簾を潜ったラビィナが席に着くなり、あらかじめ心に決めていたかと思うほどスムーズに注文をすると、大将が軽快に返事をして背を向ける。かと思えば、一息つく頃にはくるりと振り返ってカウンターに一杯のどんぶりを「おまちどうさま」と笑顔を添えて。
じっくり炊いた豚骨スープに絡み合う魚介のよい香り。白髪ねぎがたっぷりと盛り付けられており、ひらりとスープを泳ぐナルトが可愛らしく見えるほどだ。半分に割れた煮卵は、とろりとした半熟が屋台の光を浴びてきらきら眩しくて実に美味しそう。
熱々の麺を箸で持ち上げて、本当ならこのまま啜るのがいちばん美味いのだろうけれど、生憎とラビィナは猫舌だ。
仕方なくそのままのポーズで冷めるのを待ってみる。
「ぴゅんい?」
聞こえてきた鳴き声にラビィナの意識がラーメンから外れるのと、きなこがてしてしてしと頬っぺたを叩くのはほぼ同時だった。「なんかきた」とばかりに示すきなこの手の先を辿ると、椅子のふちに前脚を引っ掛け、後ろ足で立ち上がってラビィナの手元に向かってふーふーとひんやり冷気を吹きかける妖魔の子どもが一匹。
「あ。見ーっけ!」
「お呼びですね?」と、おめめをきらり輝かせたシュエバオ・マオマオを抱き上げると、そのまま膝の上に。
「猫舌のつらさ、猫科同士解ってくれるか?」
「わかりますわかります。あちあちはたいへんですね」うんうんしきりに頷くマオマオにふーふーしてもらい、ラビィナはようやく一口目を啜ることに成功した。
煮干しの風味に凝縮した出汁、分厚いチャーシューはやわらかくて歯が要らないくらいにほろほろで噛む度に味が広がって、あっという間に一枚をぺろり。
じぃっと頬に突き刺さる熱視線。たまらず吐息するように淡く笑ったラビィナは「お前は何が食べたい?」一杯をだいじに食べながらマオマオに問う。
「借りは作らない主義だから」
きなこと一緒に肩に乗せてやると、マオマオは「いいんですか」「ふとっぱらですね」「おなかはぺったんこのようですが」尻尾をぶんぶん振ってごきげんだ。
「やきとりに明太卵焼き……え? おでんもいく?」
なんだか食欲旺盛な妖魔のこどもを連れて、いざ屋台巡り。
「まだ熱いから、ちょっと待って」
いい塩梅の屋台を見つけたならば「ここはまおまおのせきです」とばかりにパイプ椅子に乗り上げたマオマオのためにあれこれ注文。小さく切り分けた大根と餅巾着はとっても熱いから、ふーふーのお返しをしてあげて。
「ぴゅんいーっ!」
「美味そうに食うね」
この分だと、お腹いっぱいになったら寝ちゃいそう。それならそれでお家に帰ってから眠るように促そう。ラビィナははぐはぐあちあち頬張る妖魔のこどもが満足するまで、そばで見守ったのだった。
今夜の白露・花宵(白煙の帳・h06257)はごきげんだった。
日が暮れてもうずいぶんと経つにも関わらず、日中と変わらぬ暑さの名残りが屋台の熱気と相まって火照った肌をじっとり嘗めてゆくが、そんなこと些事でしかない。
「たまには、遠出で飲むのも悪くねぇな」
さほど広くはない通りにひしめき合う人波から花宵を守るようにして往来を進んでいた天使・夜宵(残煙・h06264)が、ちらと視線を落としてきた。常と変わらぬ温度を宿した眼差しに頷きを返した花宵は唇に乗せた微笑そのままに、立ち並ぶ屋台街を一望する。
「どこも賑やかだねぇ、空いてる席はあるだろうか」
「屋台は回転が早ぇみたいだし大丈夫だろ」
言ったそばから通りかかった屋台から若い男女が出ていくところであった。ひとつの屋台でおおよその名物が揃っている様子らしく、渡りに船とばかりにふたりは一も二もなく空席におさまった。
「ここは俺の奢りだ」
メニューを眺めていると一息を吐きながら夜宵がそんなことを言った。
「おや、奢りとは珍しい」
窺えばちょうど視線が重なりあうも、すぐ剥がされる。頬杖を突いて「さっさと決めろ」とばかりにメニューを顎でしゃくった夜宵は、
「……ツケとは別。ただ、俺の気分」
あまり感情の窺えぬ表情で言い置くと、店主に鉄なべ餃子と豚バラを数本、それから地酒を花冷えで注文する。視線を寄こしもせぬ澄ましたその横顔を盗み見ていた花宵は歪む唇を隠しながらくつくつ笑う。なんだか照れ隠しのように見えてしまったのは、たぶん滅多にない彼からの誘いに心が浮ついてしまっているせいかもしれない。
真実、この男が何を思って夜を共に過ごそうと決めたのかは分からないけれど、不器用なりにも自分を誘おうとしてくれた決心と気持ちはやはり嬉しいものだ。たとえそこに酒が飲めるという理由がくっついていたとしても、その一滴は自分も楽しめるものだから構いやしなかった。
「……ふふ、そうかい、そんなら甘えようかねぇ」
花宵が気になっているのは明太子のだし巻き玉子。丸ごと一本贅沢に使用しているのは福岡でも有名な辛子明太子の老舗ブランドのもの。酒は飲み比べがしたくて夜宵が頼んだのとは別の地酒、辛口が引き立つように雪冷えで。
最初に提供されたのはだし巻き玉子と豚バラ串であった。
淡い黄色がほっくりとしたやわらかな玉子に包まれた明太子からは、唐辛子がよく効いた魚卵のぴりりとした香りが立ち昇り、平皿に盛りつけられた豚バラ串は脂のじゅんわりした旨味の上から塩と胡椒が振られていて、シンプルだがそれが一番美味さを引き立てる。
「ん、悪くない、豚バラ串も案外いけるな」
適度に脂を落とした豚バラ肉は、それでも厚みがあって一口でも十分な満足感。あっという間に一本を胃におさめた夜宵は二本目を手に取りながら「ほら、お前も食え」と花宵の方に皿を近付ける。
一方、箸で挟むだけでほぐれてしまいそうなやわらかな一切れを頬張っていた花宵は、口内に広がる玉子のやさしい甘みと明太子の辛味が互いを引き立て合う絶妙な味わいに目口を和らげていた。
「ん、卵も明太子も濃くて美味い」
硝子のお猪口に注がれた冷酒をあおると、キリリとした辛口が胃に真っ直ぐ落ちていくのがわかって、夏の暑さに火照った身体を雪で包んだようにひんやりさせる。
「酒もスッキリしてて良い。ほら、あんたも一口お食べよ」
食べやすいようにと一切れをさらに半分に割り「あーん」と夜宵の口元へと運んだとき。カウンター下に隠れた足元にふわふわしたやわらかいものを感じて視線が落ちる。
出汁の染みた玉子にぴりっとした辛さの明太子は酒が良く進む。大人しく「あーん」を享受した面映ゆさと一緒に明太だし巻きを咀嚼していた夜宵は、やおら体勢を変えた花宵の視線の先を辿ってぱちぱち瞬き。
「……おや、この子が話に聞いていた」
何のためらいもなく花宵が膝上に抱き上げたのは、きゅるきゅるのおめめが愛らしい妖魔シュエバオ・マオマオだ。猫よりは太い尻尾をふりふりと右へ左へ揺らして「おあついですね」と首を傾げてふたりを見上げている。
「ふふ、可愛いねぇ」
額や顎下を大人しく撫でられている妖魔を見ていると、なんだか拍子抜けしてしまって夜宵の表情から険しさが抜け落ちていく。
まだ出来たて熱々の出汁巻き玉子を箸で摘まんだ花宵がその口元に運ぶと「ふーふーですね」「おまかせください」心得たとばかりにマオマオはやさしくふーふー。
「はい、もう一口」
「んぐ!」
流れるように口内へと突っ込まれた出汁巻き玉子は、なるほどすこし冷ましたことで明太子の辛さが引き立ってこれはこれで絶品だ。
「……お前も食うか?」
夜宵はすこし思案して、平皿から焼き鳥を一本摘まんで顔のそば近くに寄せてやると、マオマオはぱぁっと顔を輝かせ、それからしゅんとした。
「串から外してやったほうがいいんじゃないかい?」
「ああ、それもそうか」
新しく用意してもらった小皿に肉を取り分けると、マオマオは飛びつくようにはぐはぐ頬張って。「ごちそうさまです」「あなたいいひとですね」そのまま夜宵の顔を舐めようとした。
「待て待て待て。お前口の周りがタレでべったりしてるんだよ」
おしぼりで口元を拭ってやるその手付きもまた優しくて、妙に懐いた様子のマオマオと、なんだかんだとやさしい夜宵の対応に花宵の笑みはずっと綻んだまま。
「鉄なべ餃子お待たせー。熱いから気を付けてねー」
熱いと聞いたマオマオの瞳が「じぶんのばんですね」ときらめいた。まだ帰る様子はないけれど、襲う様子もないのでこれで正解なのだろう。
「さて、もう少し食ってくか」
「ああ。そうだ、あんたの冷酒、一口おくれよ」
「交換するか」
美味しいだけの夜は、まだ終わりそうになかった。
「氷月、博多ラーメンだ」
名を呼ばわれ、ずらり立ち並ぶ屋台から視線を外した雨夜・氷月(壊月・h00493)は、隣を歩いていたはずの夜鷹・芥(stray・h00864)が五歩先を歩いていることに気が付いて、たまらず声を出して笑ってしまった。
「んは、そんな焦らなくても無くならないよ」
夏の福岡は夜が来るのが遅い。二十時を過ぎてようやく街並みに夜が広がり馴染む頃、屋台はこれからが書き入れ時と分かっていても尚、豚骨の美味そうな匂いが芥を誘惑して自然と足早にさせてしまうのだ。
物事を俯瞰して見ているのが常な芥が、これほど乗り気なのも珍しい。いつになく楽し気な様子は氷月にも伝染して、無意識に口元を和らげさせる。
暖簾に赤提灯がぶら下がる老舗屋台を選んだふたりは、簡素なパイプ椅子にちんまりとおさまりメニューと睨めっこ。
「俺はチャーシュー追加に縮れ麺で、ちょい固めにする。お前はどーする?」
「俺は魚介豚骨、縮れ麺の少し固めで」
あいよーと間延びした店主の声、ぐつぐつ煮える寸胴鍋、ふぅふぅはふはふ啜る客たちの談笑に、すぐ後ろを過ぎゆく往来の雑踏は夏の熱気と相まって噎せ返るほど。
「はい、おまちどうさま」
さほども待たずに提供されたどんぶりに驚いたのも束の間だった。
濃厚でクリーミーなスープから立ち昇る豚骨の香りは、ひと吸いしただけで食欲を刺激するパンチがあって、麺を隠すほどに大きなチャーシューと海苔がそれぞれ二枚、ネギとキクラゲそれからメンマが一緒に添えられている。紅しょうがはお好みで。
魚介豚骨は白髪ねぎとメンマにナルト、それからとろとろの半熟煮卵がふたつ。縮れ麺が少し濃い目のスープにしっかりと絡みついて、箸で持ち上げるだけで魚介の香りが鼻腔に抜けてゆく。
「いただきまーす」
「いただきます」
熱々の白い湯気を押しやりながら箸で麺を持ち上げたとき。
「ぴゅぅい?」
パイプ椅子の座面に前脚を引っ掛けて立ち上がる妖魔のこどもに気が付いた。雪豹――シュエバオ・マオマオは、ふたりが箸で持ち上げた熱々美味そうな麺を見上げて、しきりに右へ左へ首を傾げている。
「とってもあちちですね」「やけどするかもしれません」お願いせずとも芥のラーメンをふーふーしようと背伸びマオマオに、ふ、と小さな笑みが零れる。
「冷ましてくれるのか?」
「おまかせください」と、えへんと胸を反らせて、そのまま後ろに転びそうになったマオマオの背を片手で受け止めた芥はひょいを抱き上げ膝の上に。
「よしよし、良い子だ」
撫でてやると喉がごろごろ鳴る。
「あっ、芥ずるいー」
ラーメンを持ち上げた状態でブーイングすると、てしてしと太ももにやわらかな感触。視線を落とすと、並んだパイプ椅子の間から身を捩じ込んで、ぷは、と顔を出したもう一匹のマオマオが「ふーふーのでばんですか」きらきらおめめで氷月を見上げている。
「ん、俺のもやってやって」
「ぴゅぃっ」
一生懸命背伸びをして、ついでに首も伸ばしてふーふーする姿は実に愛らしい。
「んふふ、かわいー!」
適度に冷ましてもらってようやく一口啜ったならば、濃い豚骨と香りのよい魚介の旨味を凝縮したスープが一瞬で口内に広がってゆく。こってりしているのに後味がしつこくなく、煮干しや節類のやさしい味が豚骨に絡み合って食欲をそそる。
「ラーメンうま」
ありがとねー、とマオマオをやさしく撫でながら氷月は二口、三口と啜ってたいへんご満悦。
「氷月、コイツらにも何か食わせてやろう」
氷月の方へとよじよじ登ろうとするマオマオの尻を支えるように持ち上げながら芥が提案すると「賛成ー!」と氷月がマオマオを抱っこ。
「お礼に美味しいモノをあげよう!」
「さて、何が良い?」
膝の上に乗せられたマオマオは問われても、おめめをまぁるくさせるばかり。
「俺のオススメなら明太出汁巻き玉子かな」
「明太出汁巻いいねー」
ちょうど自分が食べてみたかったこともあり、芥は追加で明太出汁巻き玉子を注文。小皿に取り分けた一切れをさらに半分にして食べやすくすると「これたべていいんですか」と二匹のおめめがいっそうきらきらになる。
「ちょっと待ってな」
これも熱々だから、芥は先ほどマオマオがしてくれたように、火傷しないようにと冷ましてやる。それをマオマオの口元に運ばせてたならば、ぱくり!
「ぴゅぃー!」
「美味しそうだねー良かったねー」
「ほら、氷月も」
膝の上のマオマオをもふもふと撫でながら笑っていた氷月が、膝から視線を持ち上げると、芥が出汁巻き玉子をこちらに差し出していて、ぽかんとする。
「――……? え、俺?」
ぱちり。まばたいた芥は、ハッと我に返った。
「いや、悪い」
「何? 俺のコト子供だと思ってる?」
「子供扱いしてるわけじゃなくてだな、ついやりたくなったというか」
「ついって」
頬を膨らませながらも、氷月は差し出された出汁巻き玉子をぱくり。咀嚼していると、ふと悪戯心が湧いてきて。
「……お返しに食べさせてあげよっか」
半熟卵を持ち上げて、にやりと笑う。
「ん。くれよ」
思った反応ではなく、つまらなさそうにえいっとお口の中へ。「あー」「いままおまおのでばんだったのでは?」こどもたちがわちゃわちゃ騒ぐのを手のひらで宥めながら、芥は薄く笑う。
「好物には遠慮なくねだるけど?」
そっちのラーメンも一口もらおうかな、なんて。悪戯に細めた双眸は、まだまだ博多の夜を楽しむつもりでいる様子。
「中洲、ガイドブックで見てはいましたが、本当に屋台が沢山で迷ってしまいます……」
煌々と光る赤提灯に電光看板。背にした街並みの灯りも相まって中洲屋台街はちかちか眩い。気になっていた屋台があったはずなのに、光の洪水と往来の熱気に揉まれている内に記憶が遥か彼方に飛んで行ってもう手が届かない。しょぼぼんと肩を落とすシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)を見かねたのか、そばを通りかかった屋台におでんの三文字を見つけた神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)は、裾をちょいと摘まんで引っ張った。
「シンシアさん。中洲屋台では、おでんもお勧めだそうです。今回は、そちらにしましょうか」
「おでんですか! 夏場に食べるのもよいものですねっ。境華さん、ぜひぜひいきましょう!」
狭い屋台の暖簾をくぐり、肩が触れ合いそうな近さの椅子に腰を下ろしたシンシアと境華は、ずらり並んだメニューと目の前でくつくつ煮込まれる熱々おでんに目を輝かせる。
「私は卵と大根、それから餅巾着をお願いします」
「では私は白滝にこんにゃくに……わっ、これは一体何でしょうか?」
シンシアがそっと指で示したのは真っ赤な丸ごとトマト。出汁の味を楽しめる食材はもちろんだけれど、せっかくご当地物が目の前にあるならば変わり種も味わっておきたいものだ。今回ふたりが探している|もの《・・》が比較的無害であると分かっているからこそ、楽しめるというものなのだから。
定番も好きだけれど、境華は巾着に包まれたお餅が楽しみだった。お正月に食べる焼いた餅とは違って、とろとろのくたくたにとろけたお餅はじんわり甘くて味の染みた巾着とたいへん良く合うものだ。
「こういうものに出会えるのも旅の醍醐味ですね」
店主から差し出された小さな器にころんと乗せられたまぁるいトマト。皮はすっかり剥けてしまったらしくて中の身だけがなんとか形を保っている。出汁のきいたつゆの香りにほどよい酸味が乗ってさわやかだ。
「シンシアさんのそれは、初めて見ます。おでんにも、色々あるのですね」
染み染みの大根に玉子、それから口を結ばれた餅巾着がなみなみに注がれたつゆにひたされた器を両手で受け取りながら、シンシアの変わり種を物珍しそうに眺める境華。
カウンターに熱々おでんが湯気を立てる器を並べると箸を手に取り、ふたり一緒にいただきます。でもそのまま口に頬張るのは至難の業。唇に近付けただけで湯気で火傷しそうなくらいの熱さなものだから。
「ぴゅい」
――だから、ここはこの子たちの出番。
愛らしい鳴き声に視線を落とすと、すぐ隣にきらきら澄んだ青い目の妖魔シュエバオ・マオマオがじぃっと見つめてくる。その瞳の先には箸につまんだ熱々こんにゃく。
「来ましたねマオマオ、おでんを狙っているのですかっ」
そうはさせませんよ、とシンシアはぷるぷるこんにゃくをすいっと遠ざけるように上半身を捻ったのだが。
「少しだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
振り向いた先で、隣の境華が器を両手で持ち上げてマオマオに差し出すのを見て「あ」ようやく気が付いた。
「まおまおにおまかせあれ」と得意気にふすんと鼻を鳴らしたマオマオは、境華のおでんにやさしくふーふー。
「とても助かりました」
ぱくりと頬張れば、たっぷりと出汁を吸い込んだやわらかな大根が、噛めば噛むほど口いっぱいに広がって実に美味。ほどよい温度になったからこそ繊細な旨味をしっかりと感じられるように思えて、境華の顔がゆるくやわらいでゆく。
「ふーふーしてくれているのですね」
これは失礼しました、とシンシアがそうっとこんにゃくを差し出すと「やはりまおまおのでばんですね」と、後ろ足で立ち上がったマオマオがうれしそうにこんにゃくにふーふー。ひんやりする吐息が指先を撫でてくすぐったい。
境華は冷ましてもらったおでんを今度は小さく取り分けて、いい子にお座りするマオマオの口元に運んで食べさせてやる。やさしいその様子を微笑ましそうに眺めていたシンシアは、噛み応えのあるこんにゃくをごくんと飲み込み、自分の隣に居るマオマオのおでこをいいこいいこ。
「お疲れ様です。ふーふーありがとうねっ」
「ぴゅーいっ!」
どういたしまして、と胸を反らすマオマオたちは「やりました」「ほめてもらえました」「じまんしにいきましょう」ててーっと中洲の夜の闇へと消えてゆく。
「ありゃ、行っちゃいました」
「帰ってくれたみたいですね……はい、シンシアさんも、どうぞ」
一口大に取り分けた玉子を箸でつまんだ境華がやわらかに笑うと、マオマオたちを見送っていたシンシアがパッと顔を輝かせて振り返る。
「あっ、私の分もありがとうございます! それでは改めて……いただきまーすっ!」
食べやすいようにと、そっと差し出された玉子を一口でぱくり。ほくほくで味の濃い黄身と、お出汁のきいたつゆがじんわりと染み込んだ白身はつるりとなめらかで安心するお味。
「くいっと一杯いきたいですねぇ!」
「私は飲めませんが、飲んでも良いのですよ?」
「いえ、境華さんひとり置いてけぼりにはできませんからね! あ、でもこのあとカフェ屋台の方も行ってみましょうか! そこでなら一緒に何か楽しめるかもしれません!」
でもその前に、福岡の味が染み込んだおでんをもう少しだけ楽しんで行こう。それからでも、遅くはないはずだから。
「博多って焼きラーメンも名物らしくて、博多の屋台が発祥? らしいよ」
「焼き……ラーメン? ラーメンって焼くものなんだ……?」
あまりにも耳に馴染みのないふしぎな響きだったのか、目を真ん丸とさせて首を傾げるクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)に小さく笑んでみせたシスティア・エレノイア(幻月・h10223)は、焼ラーメンの文字が書かれた暖簾の下がる屋台を指で示す。
「ちょっとガッツリめだけれど、食べてみない?」
味の想像が全くつかないから余計に興味をそそられる。まるで悪いことを一緒にするみたいなどきどきする気持ちでクラウスは大きく頷いた。はじめてのことも、システィアと一緒だったらこわくない。
赤い提灯がのんびりと揺れる屋台や、天辺に白い電光看板が煌々と光る屋台。ビニールシートの壁が作られた屋台に、ドラマのセットで見るような風情ある屋台など種類は様々あって、選ぶ時間すら楽しいものだ。
ふたりは目立つ赤提灯の屋台を選ぶと、質素なパイプ椅子に並んで腰をかけてメニューを覗き込む。どうやらこの屋台の焼ラーメンには特製ソースと、豚骨スープの二種類があるらしいとのこと。
「クラウスはどちらを頼む? 俺はクラウスと違う方にしようかな」
「俺は特製ソースの方にしようかな」
「じゃあ俺は豚骨スープのほうで」
注文をすると鉄板に油が引かれ、もやしや玉ねぎ、かまぼこといった具材がじゅうじゅうと音を立てながら炒められる。それから寸胴鍋でたっぷりのお湯で茹でるのはラーメン用の麺。
「両方気になって仕方ないから、嫌じゃなければお互い一口ずつ食べない?」
目の前の鉄板でどんどん作られてゆく様子をパフォーマンスのようにわくわくした気持ちで眺めながら、そっとクラウスに囁くと明るい笑顔が返ってくる。
「もちろん賛成だよ。どっちも食べてみたいからね」
鼻腔をくすぐる美味しそうな香りがどんどんと完成に近づいてゆくと胸が高鳴った。
ほどなくふたりの前に運ばれてきたのは、楕円の皿に盛りつけられた汁のない焼ラーメン。ほかほかと白い湯気が立ち昇るそれは、とろりとしたソースが麺に絡んでやっぱり味の想像がつかないものだった。
両手を合わせて一緒にいただきますをしたならば、システィアが「お先にどうぞ」と皿を寄せてくれ、先に食べさせてくれる様子。甘えることにしたクラウスは濃厚な豚骨の香りが湯気と共に上って来る焼ラーメンを一口啜る。
「おいしい……」
やわらかに茹でられた麺は濃厚な豚骨スープを吸い込んで、噛むごとに旨味が口に染み渡る。まるで麺と一緒に凝縮されたスープを頬張っているみたいで、焼きそばみたいなものかと想像していた予想を夜の涯てへと吹き飛ばすほどだった。
咀嚼するたびに目がきらきらしていくクラウスを、ふんわりとしたやわらかな微笑を湛えて見守っていたシスティアは、自分も一口啜ってみて、なるほどこれは名物になるのも納得のお味だと感服しきりに頷いた。
「凄く美味しい。暑くなる時期、これは嬉しいね」
スープを飲みたくないからという一言がきっかけで生まれた焼ラーメン。ラーメンを汗だくになって食べるのもまた美味いものだが、鉄板で炒めて作るやわらかな汁なし麺というのも実に美味い。
「ぴゅーい?」
そんなふたりの元へ、ふしぎそうにこてんと首を傾げた妖魔のこどもがてこてこ近付いてくる。「まおまおのでばんありませんか?」「それ、あちちではないですか?」
えいやっと後ろ足で立ち上がったマオマオは、まだほかほかの湯気を立ち上らせる焼ラーメンを見てぴゅいぴゅい鳴いた。
システィアとクラウスは目配せすると、二匹のマオマオをそれぞれの膝の上に乗せると、張り切る背中をやさしく撫でてふーふーをお願いしてみることに。「まかせてください」とふすんと鼻を鳴らしたマオマオは、ふたりのお皿をほどよくふーふー。じつは猫舌のクラウスはとっても大助かり。
「ありがと。はい、お礼」
クラウスが小皿に取り分けた焼ラーメンをマオマオの口元に近付けてやると、くるっと振り返ったマオマオがきゅるきゅるのおめめで「いいんですか」「あなたいいひとですね」うれしそうにぴゅーいとひと鳴き。
それからはぐはぐ頬張る姿を見て、どうやらお裾分けしたら喜んでくれるのだと分かりほっとしたシスティアも、自分のお皿をふーふーしてくれたマオマオのために小皿に取り分け、食べやすいように口元に運んでやる。
「どう? 美味しいかな?」
顔を覗き込むと、口の周りにとろりとしたソースをいっぱいに付けたマオマオがごきげんに鳴いて「ありがとうございます」「おれいにあなたもふーふーしてあげましょう」システィアのほっぺたに向かってひんやりふーふー。
「ふふ、かわいいなあ」
お膝の上で大人しくしてくれるマオマオたち。どうやらふーふーの大役と、ごほうびの焼ラーメンを食べて満足したらしくて「それではこれでかえります」とふたりにぺこり頭を下げててってこ中洲の夜へと消えてゆく。
ふたりはいつまでもその背中を見送って、それから二種類の焼ラーメンをふたり一緒にじっくりと味わうのだった。
夜も更けた中洲の屋台街は領地では見られぬ様相をした盛況ぶりだった。
どこかそわりとした落ち着きのなさを自覚しているのは、ここが歓楽街だからだろうか。ふだんであれば足を運ばぬエリアなのだが、屋台の数が全国随一と聞けば、一見の価値はある。
ラビエル・ロゼブランシュ(白薔薇・h07908)は言い訳めいたことを考えて己を納得させながら、提灯や暖簾、電光看板に書かれた文字を読み解いていった。
その中でも一番多いのがラーメン。
(|√ドラゴンファンタジー《我が故郷》でも名物だけれど、此処ではどのようなメニューを味わえるのかな)
√によって世界はずいぶんと姿を|違《たが》えてしまう。食はどうだろうか。いちど思考に引っ掛かった疑問は、ラビエルを答えに向かわせようと背を叩く。
(立ち寄ってみよう)
比較的ゆったり座れそうな屋台を選んだラビエルは、そろりと暖簾を潜ると背の翼をちいさくしながら椅子におさまった。メニューを右から左へとなぞるように眺めていくも、どうやら豚骨ラーメンが屋台街の定番とのことで、福岡でラーメンと言えばすべて豚骨ラーメンを指すらしい。
「それではそちらを頂けるかい?」
「あいよ。少しお時間いただきますよ」
――なんて言っていたのに、ラビエルの前に一杯のどんぶりが提供されたのはものの数分であった。
白濁とした濃厚なスープに揃えられたストレート麺。大きなチャーシューと海苔は器の中身を隠してしまいそうなほどに大きくて、煮卵がちんまりして見える。立ち上る湯気すら美味そうな香りはラビエルにとって刺激的にすら感じられるものだった。
「ぴゅいっ、ぴゅんい!」
「!? 君、一体何処から……」
割り箸に手を伸ばしたとき、その脇の下からにゅっと顔を出す妖魔のこどもを見とめて、ラビエルは固まった。ラビエルの太腿に前脚を揃えて後ろ足でんしょんしょと立ち上がり、首を伸ばしてラーメンに近付こうとする鼻先をそっと手の平でガードする。
「近付きすぎると火傷をしてしまうよ」
ラビエルですら触れただけでも火傷してしまいそうな熱さなのだ。
「でもそれあちあちです」「まぐまれべるです」「まおまおがふーふーしてさしあげましょう」訴えかけるようにひんやーりした吐息を手のひらに感じて、察しの良いラビエルはその意図を正しく理解する。
「……え? 『ふーふー』してくれるのかい?」
「ぴゅい!」
きらきらな透き通った瞳で「させてくれますよね?」と信じて疑わない愛らしい妖魔シュエバオ・マオマオを、わずかに眉間に皺を寄せ見つめるラビエル。こてんと首を傾げてぴゅいっとひと鳴きされてしまえば、ラビエルのやわらかいところに何かが突き刺さる。
「ま、まあ、構わないよ。けれど、あまり冷やしすぎないでくれたまえ」
んん、と咳払いをして一度箸を下ろしたラビエルは、マオマオがふーふーしやすいようにその小さき身体を抱っこして膝の上に乗せてやる。
「がってんしょうち!」マオマオはうれしそうに鳴くと、熱々の豚骨ラーメンにほどよい温度になれ~とばかりにふーふー。二、三回ほどふーふーしたところでくるりと振り返ったマオマオは「できました!」とばかりに耳を伏せて頭をずいと近付けてくる。なんとなくその頭を撫でてやると満足したのか、妖魔のこどもは中洲の夜へと去って行った。
その背中を見送ってようやく一口啜ったラーメンは、口の中も胃も殴りつけるような刺激的な味わいでラビエルは目を回してしまいそうだったとか、なんとか。
往来をゆく人々は思い思いにあちらこちらの屋台に吸い込まれていったかと思えば、ほどなく満足そうな表情と共に通りに戻ってくる。
(うふふ。賑やかな屋台というのは、遊園地とはまた違う楽しさがありますねぇ)
百軒近いというのだから食のテーマパークのようなものだ。でも福岡の博多ではこれが当たり前の風景。皆、この日、この夜『食べる』ことを目的としてうだるような暑さにも負けずに集まっている。健気なことだ。
(食という営みも、生き物にとっては大切な文化です)
まるで浮世を俯瞰したような茫洋とした眼差しで屋台街を眺めているのは水倉・千冬(滄浪と悠々と・h13417)であった。癖の付いた長い髪をふわふわ躍らせるように歩む千冬は、噎せ返るような熱気に揉まれる人々をやさしく見送ったり、一瞥しては笑んだりとひどくのんびり歩を進めている。
そうして見つけたのは一軒のおでん屋台。
赤い提灯が夜の闇の中を揺らめく姿に心惹かれて暖簾を潜ったならば、どこの屋台よりもすこし落ち着きのある趣きに自然ほうっと吐息が零れ落ちる。
「じっくりお味のしみた大根や牛すじを頂こうかしら」
やっぱりおでんといえば大根だ。すっかり色の変わった琥珀色の大根と、透き通ったアキレスやとろっとろの牛すじも魅力的。たっぷりのつゆと一緒に差し出された器は、触れないくらい熱い。ずっと煮込まれていた具はもっと熱いだろう。
「あつあつも美味しいですけれど……」
割り箸を手に取ってパキンと真っ二つに割ったとき。
「ぴゅんい?」
足元にくすぐったさを覚えて視線を落とすと、何も掴まらずに後ろ足で立ち上がる器用な妖魔のこどもシュエバオ・マオマオが一匹、熱々おでんをじぃっと見つめている。
「あら、マオマオさん」
「ぴゅい!」
元気よく返事をしてくれたマオマオに双眸を和らげた千冬は、ふと思いついてその脇の下に両手を挟み込んで持ち上げると、器の前に持ってきて、
「ちょっと冷ましてくださるかしら」
お願いしてみる。
マオマオはきらきらおめめでこくこく頷き「まおまおやれます」「みていてください」自信たっぷりに熱々おでんにひんやりをふーふー。あんまりふーふーすると凍ってしまうと分かっているのか「どうですか」「これくらいがよきとおもいます」千冬を振り返ってお伺い。
「おりこうですねぇ。お礼に牛すじをほぐしてあげましょうね」
串から外した牛すじを食べやすいように一口サイズにほぐして口許に運んでやれば、マオマオは「いいんですか!」「わぁい」ぱくりと勢いよく頬張った。
「お肉はお好き?」
「ぴゅい!」
「おあげはどうかしら」
「ぴゅんい!」
千冬の言葉に相槌を打つ賢いマオマオに、表情もどんどんとろけたようにやわらいでしまう。
「色々分けっこしましょうねぇ」
「ぴゅいーっ!」
夜はまだまだこれから。
マオマオを膝の上に乗せた千冬は、ひんやりする毛並みをやさしく梳きながら、この小さなお腹が満足して寝床に帰るまでそんな風に一緒に博多のおでんを楽しむのだった。はんぶんこってとってもうれしい。
「中洲の屋台街で事件だな……!」
ならばさっそく手助けに向かうとしようー、なんて間延びした掛け声と共にトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)はすっかり夜も更けた屋台街の通りをずんずん歩く。そのすこし後ろをついていく形でゆるり歩を進めていた緇・カナト(hellhound・h02325)は、ぎらぎらした街明かりに押し上げられたように星の消えた黒いばかりの夜空を仰いで「いやぁ」首を傾ぐ。
「中洲の屋台街のは事件というか……」
言葉は濁って往来の活気に消えてゆく。
とは言え、誰がどんな反応を示して、|あの子たち《・・・・・》のごきげんを損ねるか分からない。被害に繋がるやもしれぬことを未然に防ぐのが今夜の務め。それに今回は星詠みから飲食を薦められているし、楽しめるというのであれば存分に味わいたいところ。
「さて、何から食べようか?」
暖簾や電光看板に書かれた文字を読み解きながらトゥルエノは首だけで振り返りカナトを窺う。もちろん福岡の一番名物と言っても過言ではないラーメンと、餃子と焼き鳥のじゅうじゅう焼ける音と共に立ち上る芳ばしい香りが鼻先をくすぐるので気になってしまう。
「オレはラーメンでも餃子も、焼き鳥もどれでも良いよぅ」
「それでは鉄なべ餃子から〜」
きっとどれを選んだってカナトの胃袋はひとつ所で満足しないであろうから、目についた赤い暖簾をくぐってさっさと腰を下ろしてしまうのが得策か。
小さな餃子が鍋に隙間なくぴっちりと渦を巻くように敷き詰められており、焼目のしっかりついたパリパリの大きな羽は飴細工のように繊細だ。噛むともちっとした弾力のある皮から甘い脂と肉汁とがじゅわりと溢れて、多幸感が全身に染み渡る。咀嚼して飲み込むまでのわずかな間、トゥルエノの両目はずっときらきら輝いていた。
「カリカリもちもちジューシーで、何と美味しい食べ物だ……!」
こんなに小さいのに、たったひとつ食べただけでも満足感がある鉄なべ餃子のお味にトゥルエノは感激中。一口サイズだからこそ箸が進むので、トゥルエノはもう幾つ胃におさめてしまったか分からなくなってしまうほどだった。
「お酒との相性ばっちりでツマミに良く合うねぇ」
ちゃっかり一杯ひっかけているカナトは、凝縮された脂と肉汁の甘みを楽しんだあと、酢を付けてさっぱりと一口。酒を呑んで口の中をリセットしたならば特製のピリ辛ラー油を付けてまた一口。ラー油はたっぷり付けてもスッキリとした辛さのため舌を刺激するのはわずかな間。ぴりっと引き締まる辛さは甘い豚肉の脂をいっそう際立させてうま味を引き立てる。
味変をしていれば、本当にいくらでも食べられそうだ。もう三分の一ほどしか残っていない鉄なべを覗き込んでカナトはもう一度頼むか思案した――その時である。
「むむっ。太ももに何やらやわらかな肉球の感触! それもひんやーりしているぞ!」
わずかな重みを感じたトゥルエノが視線を落としたとき、自身の左太ももに「すみません」「おかりしますね」とばかりに、ちょこんと前脚を置いて、んしょんしょ後ろ足で立ち上がろうとする妖魔の子どもと目が合った。ぶじに立ち上がれると、青く透き通った瞳を輝かせて「あちあちをほそくしました」ぴゅいっと鳴く。
「わたしの餃子は何も付けてないから、ふーふーしてくれると有難い……!」
「おまかせください」ふんすふんすと、やる気の鼻息を鳴らすシュエバオ・マオマオは箸で摘ままれたちいさな餃子を口元に持ってきてもらえると、目を閉じてひんやりふーふー。
「そのまま味見してくれたら更に嬉しいぞ〜」
「いいんですか」「ではえんりょなく」ぱくり、と小さなお口で小さな餃子を頬張ったマオマオは、見ているこちらが笑顔になってしまうほどうれしそうに、美味しそうに笑みをいっぱいに広げてもぐもぐごっくん。
「ぴゅんいーっ」
「そうかそうか。この美味しさが分かるのか!」
わしゃわしゃーっと頭を撫でる雷獣と妖魔の子どもが戯れてるのを眺めつつ、カナトはあっという間に完食。
マオマオを膝の上に乗せて、ふーふーしてもらったり、逆にふーふーしてあげたりして共に美味しいを味わい尽くしたところを見て、カナトは腰を浮かす。もちろん胃袋には余裕があるし、まだまだ福岡の食を楽しみたいところ。
「次の店にでも向かう?」
「うむ。満足したかな?」
「ぴゅんい!」
ひと鳴きしたマオマオはしゅた、とトゥルエノのお膝の上から地面に降り立つと「ごちそうさまでした」律儀に頭を下げて、てってこ夜の涯てへと帰ってゆく。その姿を最後まで見送ったふたりは、さぁあとは気兼ねなく楽しんでも良さそうだと焼き鳥の屋台を目指した。
焼き鳥は好物だ。
ぷりっした弾力のあるぼんじりは歯切れが良く、脂が乗っているため噛めば噛むほどうま味が染み出してくるし、コリコリとした独特の食感が楽しい軟骨は癖が少ないために淡泊な味を最も引き立てる塩と胡椒がいちばん美味い。
たっぷりと甘辛いタレをくぐらせたつくねを頬張るカナトはメニューを右端から順に注文・一本、また一本と吸い込むように胃袋におさめてゆく姿はまるでショーのように良い食べっぷり。他の客も大層驚いている。
そんな隣で屋台の誰もが注文している豚バラを味わうトゥルエノ。餃子の甘みとはまた違った豚の脂は、まるで凝縮したスープかと思うほどに美味くて、ついつい無言で一本食べ終えてしまう。
「明太子の店も気にはなったし、〆にラーメン食べてくのも良いかもねぇ」
「たくさん味わうとしようではないか」
夜はまだ、はじまったばかりだから。
「圧巻だねぇ」
「ああ。博多はこういう街と聞いていたが、いざこうして見ると確かに圧巻だ」
さすがにこうも匂ってくれば香りで腹も減ってくる、と小さく肩を竦める仕草を覗かせた時月・零(影牙・h05243)の言葉に、傍らを歩いていた篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)は微笑を湛えた頷きをもって応えた。
百軒近い屋台が連なる通りは活気と美味そうな湯気とに溢れていて、どこを通りすがっても胃袋を刺激する香りが誘惑を寄こしてくる。それに、星詠みの傍にいたこぱんだが、かりかり頬張っていた明太フランスの匂いが、いい塩梅に腹を空かせてくれているのも大きかった。
「博多といえば明太子も有名だけどラーメンも捨てがたいのよ」
どの屋台も熱気によってゆらゆら泳ぐ暖簾に「ラーメン」の文字が踊っており、もはや提灯を見ているだけで美味そうに思えてくるから不思議だ。
「折角の機会だし嫌いじゃなければどお?」
「確かに博多の豚骨ラーメンは有名だな。明太子も捨て難いが空腹にはラーメンの方が合うだろう、其方にしよう」
「決まり!」
ふたりは落ち着いた老舗風の屋台を選ぶと並んで腰掛ける。
「俺は豚骨ラーメンにチャーシュー多めで、麺はやや硬めで頼む」
どのみち伸びていくならすこし硬めの方が最後までしっかりと味わえるだろうとの言葉に、得心のいった風に頷いた咲或と言えば、濃厚な魚介とんこつを麺は好みである硬めで注文。
温められたどんぶりになみなみ注がれるスープは白濁としており、さっと湯がいた麺が揃えられながら沈んでゆく手際は美しい。上から被せるように大きなチャーシューと海苔にメンマが添えられ、最後にねぎと紅しょうがを乗せたならば豚骨ラーメンの完成だ。
待つ、という気持ちを与えもせぬ提供の速さは舌を巻くほどに。目の前に置かれた熱々ラーメンから香る豚骨の濃厚な香りは一瞬でふたりの食欲を最大限に引き上げてしまう。
「早速いただこう」
「いただきま……零、後ろ後ろ」
「――後ろ?」
箸を割って両手を揃えたとき、ちょいちょいっと人差し指を差されて零はわずかに瞠目。しろい指先を辿ると、自分が腰掛けるパイプ椅子に前脚を置いて、それからえいっえいっと後ろ足を蹴り上げるように持ち上げてなんとか乗り上げようとする妖魔のこどもが一匹。
いや、よく見れば、もう一匹の背中を足場にしているらしく「こまったやつなのです」と丸くなった足場のシュエバオ・マオマオが年上の貫録をかもしだした表情で零へと視線をくべている。
「あちあちをはっけん!」「つまりまおまおのでばん!」薄氷のようにキラキラとした澄んだ瞳で純真に見つめてくる妖魔のこどもに短く息を詰めた零は、困惑してすこしばかり瞬いた。
「……何だ、冷やしたいのか」
「ぴゅんい!」
「まあ熱すぎるのも食べづらい、頼めるか」
「ぴゅいっ!」
さすがに足場にされているもう一匹がかわいそうなので、上の小さな個体を抱き上げ膝上に乗せると、どんぶりを手前に引いて一口分の麺を持ち上げる。するとマオマオは飛びつくような勢いでひんやりをふーふー。
「できました!」「うまくいったとおもうのです!」くるっと零を振り返って、にこにこ見上げてくるマオマオの頭をやさしく撫でてやると、毛は夏に火照った身体をほぐすようにひんやりしていて心地がいい。
ついつい往復する手を止められずにいると――。
「……何だ咲或、その顔は」
サングラスの下から鋭い眼差しで同僚を射抜く。寄せられた皺は十円玉が挟まりそうほどに深くて、零の心の裡を如実に表していた。
「んふふふ。なんでもないでーす。咲或ちゃんのことは気にせず続けてどうぞ」
「なんでもないという顔ではないだろう」
「ほらほら、そんな顔してるとその子ががぴぃってなるよ。ね?」
膝の上にちんまりおさまる小さな来訪者へ声をかけると「なかよしさんですね」ぴゅいぴゅいと妖魔のこどもは楽し気に笑う。
「む……」
「じゃあ俺のはそっちの子にふーふーしてもらおうかな」
口を開きかけた零は、咲或の視線の先に居たものを思い出す。のろのろとした動きで起き上がった足場にされていたマオマオは「おもいだしてくれましたか」「うれしいです」だっこしてと言わんばかりに前脚を持ち上げて咲或の腕の中に倒れ込む。
「それじゃお願いしてもいい?」
「おまかせあれ」マオマオが咲或のラーメンをふーふーすると、濃厚でクリーミーな豚骨の匂いの奥から滲みだすように煮干しと節類のやさしい香りがふわりと漂った。そのまま一息に啜ると、香りの想像そのままの味が口内に染み渡って喉を滑り落ち、胃袋を喜ばせる。パンチのある豚骨スープは、歯切れのよい麺によく絡んで一滴すら無駄に出来ない美味さを纏っている。
マオマオに負けないくらい目をきらきらにさせた咲或は多幸感に溢れた吐息を零すと、ほろほろに煮込まれてやわらかなチャーシューを一口分ほぐしてマオマオの口元に。
「ふーふー代と|興味深い《楽しい》もの見せてくれたお礼に、咲或ちゃんから厚めのチャーシュープレゼントしちゃう」
「なんてすてきなおすそわけ!」「よいのですか」尻尾をふりふりしたマオマオは「どうぞ」と差し出す咲或に遠慮せず、ぱくり!
「そうだな、俺のチャーシューもやろう」
小皿を貰い同じようにほぐした零も、未だ膝上に居るマオマオの前へと差し出してやれば、こちらはすぐさまはぐはぐ頬張るから個性が窺えて面白い。
どうやらふたりの膝の上を気に入ったらしいマオマオたちは、もう少しだけふーふーの大役を担うのだった。チャーシュー欲しさではありませんとも。
「わぁ~!」
すっかりと更けた暗い夜の中に在っても互いの表情がわかるほどに、中洲屋台街にはきらきらぴかぴか光が満ちている。百軒近いそのどれもが福岡の博多を象徴する食べ物を扱っていると言うのだから驚きだ。
「ココくんココくん、美味しそうなものがあっちにもこっちにも!」
「ほんとだ~! あっちからもこっちからも、おいしそなにお~い」
夕星・ツィリ(星想・h08667)とココ・ロロ(よだまり・h09066)は、夜を滑る風がいたずらに運んでくる屋台の香りに誘われてあっちへふらふら、こっちへふらふら歩みが定まらない。
周りは大人たちばかりなのでちょっぴり肩身が狭いけれど、ぐうぜん屋台のカウンター奥で調理していたやさしそうな女性と目が合って、おいでおいでをされたふたりは顔を見合わせて一大決心。
思い切って暖簾をくぐると、ふたりのためにスペースを詰めてくれた大人たちの間にちょこりとおさまるツィリとココ。メニューを覗いてみたならば、この一軒だけでもたくさんの名物料理が頂ける様子。たくさん注文してもふたりでわけっこしたら色んなお味が楽しめるのだから、欲張らないときっと損。
「私は鉄なべ餃子にもち巾着に出汁巻き玉子!」
「ココはおでんの大根に焼き鳥にチーズ入り出汁巻き玉子!」
魔法の呪文を唱えるみたいに注文を終えると、博多の屋台デビューの高揚と、これからやってくる美味しい料理への期待で胸が膨らんで今にも弾けてしまいそう。ツィリとココは迷惑にならないように声を落として、食後にデザートも食べようねって約束を。
「はい、おまちどうさま。熱いから気をつけてねぇ」
カウンター越しに黒くて丸い鉄なべと、スープがなみなみ注がれたおでんの器、それからキャベツたっぷりの焼き鳥の平皿に出汁巻き玉子の小皿がどんどん並べられてゆくのを、ふたりはきらきらの眼差しで見つめている。
割り箸をえいっと割って、どれにしようかなって目移りする心が熱々のもち巾着に集中。ツィリはそうっと箸で摘まんでみるけれど、ほかほか湯気が膨らむ巾着はきっと絶対熱いから、そのままのポーズでしばらく冷ましてみる。
「むむ……ぜんぶあちあち。……さまさなきゃ」
ココもおでんの大根に箸を差し込んでみたけれど、ほっくりと割れた大根から溢れた湯気すらもひどく熱くて、思わずのけ反ってしまう。
「あれ……?」
あちあちと戦っていたココは隣から聞こえてきた声に振り返る。
「ツィリさん……?」
彼女はカウンターに並べられた料理ではなく、自身の足元のほうへと視線を落としている。その視線を辿ると、ひんやりとした空気を纏った妖魔シュエバオ・マオマオが、ふたりを見上げて「あちあちがあらわれましたか!」と鳴いている。
「……ねこさん?」
「迷子かな?」
「ぴゅんい!」
「えと、違う?」
「ぴゅい!」
たまたま屋台を出ていく客が居たので、マオマオはえいやーっとジャンプ。ツィリの隣のスペースに乗り上げると、てしっと太ももに前脚を乗っけて「これはいけません」「やけどしてしまいます」ふーふーできますよ、と言うかのようにひんやりをふたりに吹きかける。
「ふーふーしてくれるの? 丁度冷ましてところだったの。お願いします……!」
「わあ! ココのもおねがいします!」
「おまかせください。ではちょっとしつれいしますね」マオマオはツィリとココの間に無理やりおさまると、後ろ足で立ち上がってカウンターに向かってひんやりをふーふー。
冷まし過ぎない丁度良い温度になったのを見計らい、ツィリとココはいただきますの挨拶を揃えておでんを一口。
出汁のうま味が凝縮されたつゆをたっぷりに吸い込んだ大根は噛めば噛むほど味が溢れてきて、もち巾着は柔らかな甘いお揚げと、とろっとろのお餅が絶妙で飲み込むのがもったいないくらい。
出汁巻き玉子は明太子のピリっとした辛さをマイルドにさせる玉子が程よくてぱくぱく進むし、ココのチーズ入りもまろやかでコクのある酸味がふわっと包んでくれるのでお顔までとろけてしまう。
「ピリ辛のも好き! チーズ入りはもっと好きかも。ココくんはどっちがお好き?」
「ココもチーズのがすき~。でもでもピリからなのも、ココでもたべられるからさでおいしいのです」
「ふふ一緒嬉しいなの」
ねーって顔を見合わせて笑い合うこの瞬間もうれしくって。でも同じ気持ちはもっとうれしいから。
「ツィリさんぎょーざくださいな」
「はい、餃子どうぞ。私も焼き鳥くださいな」
美味しいをわけっこして、どんどんうれしいを増やしてゆく。
ふたりの間でおとなしくしているマオマオも、小皿に取り分けてもらったおすそわけをはぐはぐもぐもぐ。
「ふふふ、ねこさんもおいしいですか?」
「ぴゅんいー!」
「ツィリさん、だいこんもどーぞ」
「ありがとう、いただきます! はい、猫ちゃんももち巾着あげるね」
「ぴゅーい!」
あっちもこっちもおいしいものをおすそわけしてもらえるから、マオマオは上機嫌。左右に振れる尻尾がツィリとココの腕をぽふんぽふん撫でるのがくすぐったい。
もうお腹いっぱいと満足してごちそうさまをしたけれど、食事のあとにはデザートが必要不可欠。
「みんなでケーキの屋台へごー!」
「わ~い! ケーキ屋さん……! ごーごー!」
「ぴゅい?」
「あなたも一緒に、だよ」
マオマオを抱っこしたツィリとココは、カフェ風屋台へと飛び込んだ。
県産のいちごをとろとろに煮詰めた宝石みたいに美しいジャムがかかったベイクドチーズケーキは、舌触りの良いチーズととろりと甘いいちごジャムが春を咲かせたように口いっぱいに広がって、思わず言葉を忘れてしまう美味しさだった。
「あまくてしあわせ……」
「ぴゅんい……」
「ふーふーしてくれたからひんやりして美味しいねぇ」
「えへへ、ごはんもデザートも。ぜんぶおいしいですね」
ふさふさ尻尾を揺らしながらココがはにかむとツィリも大きく頷いて満面の笑み。
そんなふうに笑い合うふたりを腕の中からじぃっと見つめていたマオマオは「いいしごとをしました」と、どこかほこらしげに胸の毛をふくらませていた。
川面にとろける色鮮やかなネオンを掻き分けて、夏の夜を流れてゆく屋形船を横目に鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)は、ふんわりとやさしい出汁の香りがする屋台へ滑り込む。
「セレネ、こっちこっち、なの!」
百軒近い屋台ともなると、その熱気は夏の気配と相まってかなり濃密だ。屋台街に満ちる匂いにそわりと心を浮つかせていたセレネ・デルフィ(泡沫の空・h03434)は、ほんの一瞬目を離した隙に兎の友達が暖簾の奥からこちらを手招いていることに気が付き慌てて追いかける。
「わ、待ってくださいラズリ……っ」
ぱたぱた弾むような駆け足で遅れて到着した屋台には赤い提灯が吊り下げられており、達筆な字で「おでん」の文字が綴られている。
カウンターの目の前に広がるのは琥珀色のつゆにひたひたに浸かったおでんの具。出汁をたっぷりと吸い込んできらめく大根、ぷかりと浮いたたまごは均一に色が変わっており丁寧に煮込まれていることが窺える。しらたきにこんにゃく、ほろほろの牛すじともち巾着。ちくやわ厚揚げ、がんもどきの練り物もふかふかに膨らんでいい塩梅。
「美味しそうなおでんがいっぱい……!」
「おでんは具材がいっぱいあって目移りしちゃうね」
つゆを注いで温めた器にふわとろのはんぺんとたまごと牛すじを入れてもらったラズリは、両手で受け取りながら微笑を浮かべ隣のセレネを振り返る。
「ふふ、セレネはどれにする?」
「私はたまごが食べたいですかね……?」
「たまごだけ?」
「とりあえずは……!」
それならばとラズリの器にもうひとつたまごをころん。屋台のぴかぴか眩しい光を照り返す琥珀色は、ふんわりやさしい香りがしてなんだか気持ちが安らぐようで、うだるような夏の暑さもちょっぴり忘れられる。
「熱いから火傷しないようにね」
「はい、火傷しないように……あら?」
「……あれ?」
ラズリがおでんをふーふーしようとしたときだ。
しんと冷えた冬の朝のようなひんやりした凍気が頬をくすぐって、それはおでんに向かってそよいでいる。視線を滑らせると、思いがけず近くに一生懸命後ろ足で立ち上がって、おでんにふーふーする妖魔のこどもシュエバオ・マオマオがいるではないか。
「いつの間に?」
「ぴゅんい?」
椅子の上に立ち上がってもちいさな雪豹がラズリの言葉に首を傾ぐけれど、すぐほかほかあちあちの湯気を浴びると、ハッと我に返って「あちあちをかんちしました!」再びふーふー。その一生懸命な姿に小さく笑みを零したラズリはマオマオの隣に顔を近付けると、一緒に熱々おでんをふーふー。
もういいかな? なんて顔を見合わせ合うラズリとマオマオの姿にセレネが相好を崩していると、
「はいっ、たまごあーんなのよ。召し上がれー!」
器用に箸で摘ままれたたまごがセレネの口元に運ばれてくる。
「わわ、ありがとうございます……!」
ほとんど反射のすばやさでぱくりと一口頬張ってみたならば、ほどよい温度に冷まされたたまごはぷりっとした歯ごたえの良い白身、出汁が染みてほっくりした黄身は噛む力が要らず舌が触れるだけでほろほろに崩れてゆく。
「……おいしい……!」
セレネの瞳に星の瞬きのような光が灯ったのを見て、ラズリとマオマオはハイタッチ。
「ね、ラズリは何を食べますか? お礼に私も雪豹さんとふーふーします……ね、雪豹さん」
「ぴゅい!」
ラズリの太ももをふみふみしてセレネの太ももの上にやってきたマオマオはカウンターに前脚を置いてえいやっと立ち上がる。「いつでもいけます」ふすんふすんやる気たっぷりのマオマオと、淡い微笑を浮かべるセレネとを交互に見たラズリは、頭上の耳をぴこり揺らしてうれしそう。
「ふぁ……私にも! じゃあはんぺんにするの」
セレネとマオマオは食べやすく一口サイズに切ったはんぺんを箸で持ち上げると、一緒にふーふー。「ころあいです!」とマオマオが合図するのでふーふーを止めたセレネは、
「ほら、ラズリもあーん、です……!」
そうっと口元へと差し出して。
「あーん」
ラズリはぱくり。舌と上顎の間ですぅっと溶けていくようなふわふわとろとろのはんぺんは、なんだかだいすきなお友達のやさしさみたいにラズリの身体に染みてゆく。
「えへ、可愛い子達にふーふーしてもらっちゃった」
ふたりと一匹はふーふーをしあって、最後の一滴まで十分におでんを堪能したならば。
「食後の締めはスイーツ! だよね!」
気になっていたカフェ風屋台へまっしぐら。屋台で取り扱っているスイーツは意外にもたくさんの種類があって、県産の苺を取り扱ったメニューがとくに目立つ。でもセレネが気になったのはぷっくり艶やかな葡萄のタルト。瑞々しい果肉は宝石みたいに屋台街の光を透いてタルトを磨くように輝いている。
一方のラズリはやっぱり県産の苺が気になる様子。まるくておおきな苺がたくさん乗ったタルトは、さくさく生地の上に生クリームが絞られてミントが散っている。その大きな苺をフォークで刺したラズリは、自分の口に頬張るのではなく――。
「はい、おすそわけだよ」
腕の中でおとなしく抱っこされているマオマオの口元へ。
「さっきはありがとうございました。私からも葡萄をどうぞ」
セレネもいちばん大きな葡萄を選んで苺の隣へフォークを並べると、マオマオは「いいんですか」「どっちからたべましょう」苺と葡萄を交互に見やって目を回している。でも最初は酸味がすこし強そうな葡萄からぱくり! それからあまぁい苺もかぷり!
「ぴゅ、ぴゅんい~~!」
美味しいフルーツに感激しているのか、きらきらおめめをもっときらきらに輝かせたマオマオは、太いしっぽをぶんぶん振って後ろ足をぱたつかせる。
「ふふ……雪豹さん嬉しそうですね、ラズリ」
「うん。喜んでくれてうれしいな」
食べ終えたのを見計らい、ラズリとセレネはもふもふひんやりする毛並みをいいこいいいこ。なでなでしてもらえてうれしそうな姿に敵意はないから、もうすこしだけ束の間のお友達と夜を楽しもう。もちろん、スイーツはしっかりじっくり味わって。
じゅうじゅう。ぐつぐつ。ぱちぱち。
瞼の裏を刺すほどに燦然とした輝きは夏祭りの気配に似ているのに、あちらこちらから夜風に乗って運ばれてくる音色は、そのどれもが美味しそうな匂いをなびかせている。
「わぁ〜! おいしそうなものがいっぱい!」
廻里・りり (綴・h01760)は中洲屋台街を一望して、その大きな瞳に期待のきらめきを宿していたけれど、腕の中でもぞりと動いた気配に意識が手繰られ、はっと息を呑む。
「いいですか、ぱふぇちゃん。これはお仕事ですからね!」
眉をきりりとさせて先輩風を吹かせたならば、自分の名を呼ばれたことに気が付いたふわもふが、小さな三角お耳をぴこんと揺らしてりりを仰ぐ。
「わふ!」
美味しそうなごはんの香りを全身で浴びているためにか、お顔より大きなふさふさ尻尾がぶんぶん高速に振られて今にも腕の中から飛び立ってしまいそう。
ふわふわころんとした犬の姿をした廻里・ぱふぇ(かわいいばんけん・h13419)は、これがさくせんなのは、わかっていますよとばかりに、ふふんと小さなお鼻を鳴らして得意気顔。
「わふ! わふん!」
短いあんよがりりの腕をてしてし叩く。ぴんっと伸びた前脚を辿ると、その先には赤い暖簾の掛けられたラーメン屋台。夜気に乗ってふんわりと香る濃厚な香りに、りりとぱふぇは「おいしそう……」同じ顔でじぃっと見つめている。ラーメン、あれはたいへんいいかおりです。
「ラーメンが気になりますか?」
「わふ!」
それならばと踏み出しかけた足が止まる。
「……使い魔さんだから、いぬさん用じゃなくっても、だいじょうぶってベルちゃん言ってましたよね……?」
むむ、と思案顔になっているりりを安心させるように、ぱふぇは元気よくわふん! ぱふぇは「つかいま」だから、ちょっとくらいよいのです。
まだほんの少しの懸念は引っかかっているけれど、りりはラーメン屋台の暖簾を恐々潜って角の席にちょこんとおさまる。大きな耳が談笑を、器具の音を拾ってついつい追いかけてしまうけれど、なんだか特別な感じがする時間は思い出に残したいから目に焼き付けて。
「わけっこ用に、たまごとチャーシューを追加しましょう。ラーメンは……この長浜というもので!」
「わふ!」
食べ過ぎは絶対にバレてあとで怒られてしまうけれど、わけっこならいいよってもうひとりの「大好き」が言ってくれるので、これならぱふぇも約束を守れて安心だ。
「わふ!」
「だいじょうぶですよ、すぐきますのでいいこで待ちましょうね」
ほんとうはチャーシューがもう一枚欲しかったぱふぇの訴えあんよてしてしは、りりの両手にやんわり封じ込められてしまう。ぼくのことばがわからないなんて、りりもまだまだですね。ぼくはわかりますけどね。ふすん……と鼻息をひとつ零したぱふぇは、にぎにぎするりりの指先をやわく握り返した。
そんな戯れるかわいい子たちの前へと置かれた一杯のどんぶりは、乳白色のなめらかなスープに大きなチャーシューが三枚と半分に切られた煮卵がふたつ、顔くらいありそうな焼き海苔の下にはストレート麺が美しく揃えられている。
「おいしそう!」
受け取った小皿に小さなミニミニラーメンを作ったりりは、ぱふぇと一緒に両手を合わせていただきます。透き通るような麺を口に運んで、
「……ぴ! あつい!」
「わっふん!」
唇に触れた湯気が熱くて、ふたり同時にのけ反った。
「わふ……」
「ぱふぇちゃんもあついのにがてですか?」
うんうん、と頷くぱふぇのお耳はぺたんと伏せていて、ちょっと残念そう。でも、あちあちの気配を鋭く察知したふーふー冷まし隊の一員は、そんなしょんぼりの味方です。
「ぴゅんいー!」
てててーっと夜の闇から颯爽と現れた妖魔のこどもシュエバオ・マオマオは、途中何でもないところで躓きながらもふたりの元へと駆け付け、参上。
「……あ! いいところに! ふーふーしてください! お願いしますっ」
「ぴゅい!」
『ふーふーしてくださる? かんしゃです。なんとやさしいかた』
『これくらい、おやすいごようなのです』
マオマオはりりに抱っこされてどんぶりの前に持ち上げられると、ラーメンが美味しく頂けるほどよい熱さになりますようにとやさしくふーふー。「さぁ、どうぞ」と隣の椅子へと移動したマオマオに促されて、ふたりはラーメンを一口。
啜った瞬間、一気に突き抜けていく豚骨の風味は濃厚なのに臭みは一切なく、スープもごくごく飲めるほどにあっさりとまろやかだ。ちゅるちゅると滑らかな舌触りと歯切れのよいストレート麺は小麦の味がしっかりしており、じっくり火を通したチャーシューは肉のうま味が口いっぱいに広がって噛む度にうっとりしてしまう。
「ちょうどいい温度になりました! お礼にラーメンをどうぞっ。たまごとチャーシューもいりますか?」
「ぴゅんいー!」
『さあさあ、とんこつスープをいっしょにのみましょう!』
『よいのですか。うれしいです』
『こんなこともあろうかと、いちまいおおめにねだりました! かしこいので! ほんとです! ほら、さんまいあるでしょう!』
やれやれと賢い使い魔ぶっていたことも忘れて、ぱふぇはぱちんとウインク。マオマオは「さすがです」「かっこいいのです」ぴゅいぴゅい鳴いてぱふぇを褒めたたえて、ふたりの厚意に甘えてチャーシューをうれしそうにもぐもぐごっくん。
「みんなで食べるとおいしいですねっ」
「わふ!」
「ぴゅい!」
「――はっ……作戦成功です! ぱふぇちゃん!」
きっとこのマオマオは、お腹も心も満たされたから悪さなんてしないだろう。つまり、ふたりの作戦勝ち。
りりがピースすると、チャーシューを丸っと一枚はむはむしていたぱふぇが一息で口の中におさめたあと、ぱふぇのおかげですと言わんばかりにわふんと鳴いた。りりのチャーシューもください。じゅる。
「ビール」
川面に連なる街明かりを何とはなしに眺めていた鷲宮・カイン(人間爆弾のレインメーカー・h08951)は、熱気を掻き分けるようにして行き交う往来のなかで鷲宮・アベル(人間爆弾の職業暗殺者・h08966)が浮かされたように零すのを聞いた。
「ビール飲む、ビール」
「言うと思った。ふふ、アベくんらしいね」
じっとしているだけでも汗が滲んでくるような蒸し暑い夜は、凍りそうなくらい冷えたビールをあおりたい。幸い酒を呑むには打ってつけの屋台街だ、ふたりは赤提灯がぼんやりと灯された老舗風の雰囲気が良い屋台を選び暖簾をくぐる。
「カイン、つまみは任せる」
「博多の焼き鳥なら、まず最初は豚バラかな」
注文をしてすぐ提供されたのは、キンキンに冷えたビールと色鮮やかなたっぷりのキャベツだった。食べやすいようにカットされただけのキャベツには酢だれがかかっており、アベルは差し出されたものを反射で受け取ったはいいものの「ビールと……酢キャベツ?」ふしぎそうに首を傾いでいる。だがカインはにこにこと笑っていて、まるでこれがふつうのことだというかのよう。
ひとまず乾いた身体を潤すためにビールを一気にあおったアベルは、物は試しだとキャベツを一枚食む。
「……うま」
腹が減っているからだろうか。ビールを一口飲んで、それからもう一枚ぱりり。
「え、うま……ビールともあう」
アベルの手はビールとキャベツを交互に口に運んで止まらない。
「酢キャベツ美味しいよね、口直しにも酒にも合うし。ぐるぐる巻かれた鶏皮も、ビールにぴったりだよ」
それから明太入りの卵焼きと、福岡ならではのごまさばも注文。
炭火でじゅうじゅうと脂が燃える音と共に弾けては散る炎が談笑に花を添える賑やかしに見えてくる。アベルが二杯目のビールを頼むと、美味そうな匂いが共にやってきた。
「あ、焼き鳥もきた」
「最初は豚バラからね」
「じゃあ豚バラから……」
厚く切られた豚バラ肉は、こんがりと焼けた表面に歯を立てると、じゅわりと甘い脂とうま味が凝縮された肉汁とが舌の上に広がって脳が痺れるくらい美味い。一切れをたっぷりと噛んで嚥下したアベルは急くようにビールを流し込み、それからもう一口豚バラを食べてはビールをぐびぐび。
「鶏皮も食う」
次に手が伸びたのはとり皮の表面が外側になるように串に巻き付けて刺したぐるぐる鶏皮。ゆっくりと焼いて脂を落とした鶏皮は表面はカリカリだが、中はもっちりした食感で漬け込んだ甘辛いタレが焦げて香ばしい。
無言で焼き鳥とビールを交互に頂くアベルの様子を微笑ましそうに見守るカインは、明太入りのほっくりした卵焼きをぱくり。ピリ辛の明太子はやさしい玉子と相性ばっちりだし、新鮮な鯖の刺身に醤油と味醂、炒りごまを和えたごまさばは非常にシンプルな一品だが、この地方でしか食べられない貴重な料理ゆえに特別感があって余計に美味く感じるものだ。
「ビールもいいけど、博多は日本酒も美味しいんだって。せっかくだし、お猪口ふたつお願いして、少しずつ飲み比べようよ」
「あ、日本酒もいい感じなのか? 飲む、色んなの飲みてぇかも。――にしても、お前良く知ってるな」
「情報収集には余念がない性分だからかな」
――なんてね。
カインが零したウインクを目のあたりにして、きょとりと瞬くアベルは花冷えの地酒を口に含んで、春先の夜風のような冷たさが胃に落ちて行く感覚を覚えながら妙に納得していた。
「確かに、カインに任せておけば安心だからな」
視線を感じてハッと瞬いたアベルは、パッと頬に朱を散らして鋭く振り返る。
「……褒めてるわけじゃ、ないからな!?」
「ふぅん?」
常と変わらぬにこにこ顔に向かって、何ぞ言葉を吐こうとしたアベルの視界に、てってこ夜を駆けるちいこい生き物が映り込む。
「あ、なんかきた」
それは、使命感を携えて真っ直ぐにカインとアベルの元へとやってきた。
妖魔シュエバオ・マオマオは、えいやっと立ち上がりパイプ椅子のふちに威嚇のように持ち上げた前脚を引っ掛けると「ここはあちあちがいっぱいです」「ふーふーは、いりませんか?」こてんと首を傾げて冬の日の朝を閉じ込めたような瞳をきらきらさせてふたりを見上げてくる。
マオマオがぴゅいぴゅい鳴くたびに、ひんやりとした空気が皮膚を撫でる。
「……これは、ぬるくなったビールを頼んでもいいか?」
「それはよそうがいです」「でもできます」マオマオは、日本酒に浮気したがために飲みかけで放置されていたビールに向かって得意気にふーふー。
「! 冷たくなってる……! 助かる」
ぐいっと残りを一気飲みしたアベルは、豪快に息を吐き出して濡れた唇を拭う。
「カイン、礼してやって。ビールはだめだからな……やっぱ豚バラか?」
「そうだね、ビールはあげられないから鉄鍋餃子だと熱々でふーふーし甲斐もありそうだし」
それにひき肉入りでマオマオも好きかもしれない。
「アベくんのビールと豚バラと一緒に追加しようか」
「だな。お前にもやるから、ほらこっち来いよ」
「ごほうびがあるのですか」マオマオはまんまるおめめをきらきらさせると、ぴょんと飛び上がってカインのお膝の上に着地。それからカウンターに前脚を置いて、滴る脂によって燃え上がる炎を見つけて「あれ、ふーふーしていいですか!」ふたりを振り返るけれど。
「あれはふーふーしちゃだめ」
そうっとカインの両腕にホールドされたマオマオは、けれど何だか楽しそうに太い尻尾を右へ左へ揺らめかせながら大人しくお膝の上におさまっていた。あちあちと美味しいがやってくるまで、あとすこし。
ずらり並んだ屋台を一望するネメシア・ヘリクリサム(剣と共に歩み、息づき、愉しむ人生・h08297)の期待はいやが上にも高まってゆく。
「名物好きにはたまんない!」
食都、博多を象徴する食べ物がこの一帯に凝縮されているというのだから様々な名物を味わってみたいものだ。
――けれど。
「クラーラ、こういう人混み大丈夫?」
ネメシアは傍らに寄り添うクラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)へと、そっと問うた。
「人混みはさほど影響はありません」
案内してもらった中洲の屋台街はじゅうじゅうと脂が焼けて弾ける音、往来をゆく雑踏、それから酒精の入った談笑などの音に溢れていて賑やかだった。平時は視界を封じているクラーラには中洲に漂う気配は、夏よりも熱く感じられる。
「ま、こういうときこそ食べ歩きが趣味の私にお任せあれ!」
胸を張って自信満々のネメシアは、なんだかとっても嬉しそう。クラーラは口元に微笑を浮かべると、
「食べ歩きが得意な方に任せられるのは心強いですね」
案内、お願いしますと小さく低頭。
うんうん、と頷きながらも、ちらりと向けられる視線の先に居るのは、屋台の周りでソワソワしてる妖魔のこども。すでにちらほら見えているのでさっそく構ってあげなくては。
「さっ、行こっか!」
ふたりは妖魔シュエバオ・マオマオがいる屋台の暖簾をくぐって、並んで腰かける。
「私は串物食べようかな! 博多はやきとり屋でも豚バラが一番人気なんだって」
「豚バラ串ですか、確かに香ばしい匂いがします」
「クラーラは何食べるの?」
「私は鉄なべ餃子にしてみます」
「そかそか、いい選択!」
カウンターのすぐ奥では炭火に滴り落ちる脂が炎を呼び、顔を炙るような勢いでぱちぱちじゅうじゅう弾けている気配が窺える。漂う匂いは脂だけでなく、少し焦げた甘辛いものや、ぴりりとした刺激的なものまで様々だ。
店よりもうんと近いこの距離感は屋台ならではの雰囲気というものなのだろう。なんだか非日常を感じられて、すこしどきどきする。まるで知らない場所を冒険しているみたい。
「随分穏やかですが、こういう日も悪くありません」
どうやらマオマオもいたずらするわけではなさそうだし。
ちいさい気配がうろうろ近付いてくる様子に気が付いたクラーラは、ふすんふすんと鼻息を立て、隣の椅子に乗り上がろうとしているマオマオを怖がらせないように知らんふり。
もちろんネメシアも気が付いていて、クラーラ越しに見える一生懸命な姿に笑みを浮かべて見守っている。
「おまちどうさま」
そんな時だ。焼きたてのいい香りと共に焼き鳥と鉄なべ餃子が運ばれてきたのは。ネメシアはクラーラの代わりに受け取った鉄なべ餃子をカウンターに置いて、それから自分の焼き鳥を受け取ると、さっそく豚バラを一本指でつまむ。
「串からそのままグーッと食べたら美味しいわけだけど……火傷したら危ないからね、マオマオ頼んだー!」
「ぴゅいっ?」
ようやく椅子に登頂したばかりなのに早速の出番とあってマオマオはちょっと驚いたらしい。けれどうれしそうにひと鳴きすると、こんがり焼けてほわほわと熱い湯気をのぼらせる豚バラ串にひんやりふーふー。
「よければ、こちらも少しふーふーしていただけますか。冷ましすぎない程度でお願いします」
「ぴゅんい!」
それから次はクラーラのぱりっとした羽根つき餃子もやさしくふーふー。
その様子を横目に見ながらネメシアが豚バラを一口頬張ってみたならば、歯を立てた瞬間に口いっぱいに広がる脂と肉汁は、すぐに多幸感となって全身に染み渡る。ほどよく冷ましたからこそ、その繊細な甘みを感じられるようでマオマオの絶妙さを窺い知る。
「いい具合だよありがと、一欠片あげるね」
「ぴゅいー!」
マオマオは「いいんですか!」「うれしいです」分けてもらった豚バラをはぐはぐ美味しそうに噛んで満面の笑み。ふわふわ尻尾がぶんぶん左右に振れているのがごきげんの証拠。いいこいいこしてあげたらもっと喜んでくれるのが愛らしい。
「ありがとうございます。食べやすくなりました」
クラーラが頬張った鉄なべ餃子は、うま味の凝縮ともいえる肉汁がもちもちの皮から溢れてきて、小さいからあっという間に終わってしまうのが惜しく感じるほどに美味くて、すぐ二つ目に手が伸びそうになる。
でもその二つ目は、マオマオの口元へ。お礼の気持ちを込めたわけっこを、マオマオは素直に受け取ってふーふーぱくり! 嬉しそうにふわふわ笑うから、ついふたりもにこにこ笑顔になってしまう。
「よーし今日は私の奢り!」
「いいんですか?」
「ぴゅんい?」
「美味しく食べてくれたら、それが一番!」
それは確かに、そうかもしれない。
だってクラーラも今日はできるだけ楽しみたいと、この夜を大切にしたいと思ったから。
「ネメシアさんも食べますか?」
だから、クラーラは鉄なべ餃子をそっと勧めてみたのだけれど。
「それじゃ私の串も一本どーぞ!」
ネメシアも自分の皿から焼き鳥を手に取って、クラーラの鉄なべにお返しのようにそっと置く。
「ふたりはなかよしですね」マオマオは楽しそうなふたりの表情を交互に見て、ぴゅいぴゅい鳴いた。
屋台の眩しい煌びやかなこの灯りと一緒に博多の味を楽しんでいこう。このままちいさなおともだちと一緒に。
「ララはラーメンが食べたいのよ」
屋台大好き聖女ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は中洲の屋台街をふわふわり揺蕩いながら謳うように言った。
「博多といえば、豚骨ラーメンなの」
当然よね、と言わんばかりの得意気顔に詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は星の見えぬ夜空へと視線を上向け、ちいさく肩を竦めている。
「次の獲物はラーメンか……なるほどね」
たしかに往来を流るる濃厚で刺激的な香りを浴びていたら、口にしてみたくなるのかもしれない。
「……竜骨ラーメンが無いのが少し残念だけど、いいわ。替え玉をしまくるわ」
「ほんっとうによく食うよなぁ」
「なによイサ」
「別に、なんでもないですよー」
「たくさん食べるのはいいことなの」
ちいさい身体のどこに収まっているのだろう。イサはそれが気になった。
ちょうどそんなやりとりをしながら満席の屋台を通りかかったとき、たまたまふたりの客が入れ違いで出てくるところであった。他にも屋台はたくさんあるし別のところでもよいのだが、席が埋まるほどの盛況ぶりと、席が空いた偶然に居合わせたのも何かの縁とふたりは暖簾をくぐる。
「まずは細麺ストレートの長浜ラーメンにするの。麺硬めね」
「じゃ、俺は普通の硬さの麺にするかな」
「はいよー」
威勢の良い店主の掛け声は、賑やかな中洲の通りを駆け抜け空までも昇ってゆきそうなほど。肩が触れ合いそうな近さにある互いをすこし意識しながら、ララは背の翼をちんまり折り畳んでちいさくさせようとしたそのとき。
「はい、おまちどうさま」
「全然待ってないわ」
まずララのラーメンが運ばれてきた。
どんぶりになみなみと注がれた乳白色のやさしい色をしたスープには、チャーシューと煮卵、たっぷりの青ネギと大きな海苔が添えられている。それから何といっても、スープからちらりと覗くストレート麺はかなりの極細。
「本当に麺が細い」
ララのどんぶりを覗き込みながらイサが感心したふうに零していると、イサにも同じラーメンがカウンターに登場。鼻腔をくすぐる濃厚な香りは食欲をそそる刺激があって、割り箸を割る瞬間さえじれったい。
「いっきにかきこめるわね」
「熱々だし気をつけろよ」
箸で一口分を持ち上げたイサは、むふふとラーメンを啜ろうとするララへと釘を刺すも「あ」「そうか」あることを思い出す。
「ふーふー要員がいたんだっけ」
「ええ、ここにいるわ」
「ぴゅい!」
いつの間に潜り込んでいたのか、足元から顔を出したのはひんやりとした空気を纏った妖魔シュエバオ・マオマオだ。「およびですか!」と愛らしく鳴いた妖魔のこどもは、ララにやさしく抱き上げられお膝のうえに。
「可愛いのにふーふーしてもらいましょう。出来るのでしょう?」
「ぴゅんい!」
もちろんですともと言うかのように、むふんと胸を反らしたマオマオは両脇の下を支えられた格好のままララのラーメンをやさしくふーふー。小脇に抱えなおしたララが躊躇いもせずラーメンを勢いよく啜ると、口の中に広がるのは濃厚でいてまろやかな豚骨のコク。歯切れのよい麺は噛む度に小麦の味が舌の上に伝わってきて、大きなチャーシューはじゅんわりと肉のうま味が染み出してきて、たった一口でも満足感がある。
「お前、上手ね。ララがやけどしないですむわ」
ララが頭をいいこいいこしてあげると、マオマオは耳をぺたんと伏せて気持ちよさそう。
「ありがとう。お礼にチャーシューを分けてあげるわ」
「ぴゅいーっ!」
「美味しい?」
「ぴゅんい!」
その様子を、じぃっと無言で見つめる者がひとり。
目の前の出来たて熱々ラーメンを今にも啜りそうな姿勢のまま横目でじとりと窺っているイサは、胸から腹の底のあたりまで不愉快な靄が広がってゆくのを覚えている。
(……なんか面白くない)
「……イサ、なに不機嫌な顔しているのよ」
聡いララはすぐにイサの様子に気が付いた。吐息交じりに振り返ったならば、ぶつかり合う視線は少しいじけていて。どこか恨めしげ。
「猫を褒めすぎだろ! 俺だってそのくらいできるし……! べ、別になんか仲良さげなのが気に食わなかったとかそういうんじゃないから!」
ぱちぱち瞬いたララは、ふ、と漏れるような吐息をひとつ携えて微笑を浮かべる。
「もしかしてイサもふーふーして欲しかったの? 可愛い子ね」
う。イサは何故だか胸に細い矢が一本ぐさりと突き刺さったような幻視を見た。
「ララとマオマオが一緒にやってあげるわ」
「ぴゅい!」
出番ならがんばりますとマオマオは――気持ちだけ――きりりとした表情を浮かべて「こんなかんじですよ」イサへとふーふー。
「……ララがそうしたいってんなら、いいよ」
ララが言うなら、仕方がない。
自分のどんぶりを少し彼女たちのほうへと近付けると、ララとマオマオは目配せをしたあと、一緒にふーふー。
「もっと美味しくなったのよ!」
自信たっぷりに言うものだから、啜ったその一口に時間をたっぷりかけて煮込まれた豚骨のうま味が凝縮された濃厚さと繊細な後味を感じられるような気がしてイサは観念する。
でも。
「猫のはオマケだな」
「あら、そんなこと言うほど悔しかったのね」
「……ちゃんと聞こえてたんじゃないか」
――それにしても。
「おー、美味しいなこれ! 気に入った」
飲んだことのない豚骨スープは、香りだけで口の中にしつこく残りそうで胸を悪くするのではないかと思われたが、レンゲで掬って直に味わってもあっさりとしてごくごくいける。
「もうひと玉くらいなら、いけるかも」
零れた言葉ににやりと笑ったララも、じっくりがっつりラーメンを味わって。でもスープは残して。
「さて次はバリカタの麺にするわ。イサもどんどん食べるのよ」
替え玉一つ!
ララのコールが中洲の夜に元気よく響いた。まるで賑やかしのようにマオマオの鳴き声も添えられて。
凪いだ夏の夜は蒸し暑い。
屋台の軒先にぶら下がる赤提灯、煌々と光り輝く電光看板、通りを照らす街灯にビルから零れる照明、その全てが川面に真珠のように連なっているのを横目に中洲屋台街を歩いていたイヴォシル・フロイデ(鷹追い・h06554)は目を眇める。
「そんな難しい顔しないでさ。依頼にかこつけて遠出するのも良いじゃない」
何とはなしに眺めていただけなのに、ふいに傍らから不躾に投げつけられた言葉に、はっきりと眉間に皺が寄る。ちらと落とした視線の先で、白々しい笑みを浮かべるノイル・リースロス(闇に揺蕩い影に詠う・h08142)の夜色の瞳が悪戯に細められるところであった。
「自顔だよ、失敬な」
つんと顎を持ち上げて歩を進めたならば、ぴたりと追いかけるようにノイルの歩みが隣に並ぶ。まるでそうすることが常であるかのような仕草に、自然吐息が零れてしまう。
「遠出はいいのだけどね、あまりに君が唐突すぎて。大概君が私を連れ出すときには、|ネコ科の何か《もふもふ》が絡むときだろう」
「えぇ?」
――やっぱり、白々しい。
人を食ったような態度と笑みは、やはりあながち勘は外れてはいないのだと窺い知る。
「ほら沢山屋台が並んでる、人の営みは賑やかだねぇ」
たしかに屋台街は噂通りの――いや、それ以上の賑やかさ。すれ違うのもやっとなくらいの往来は、常にどこかの屋台に人が吸い込まれては吐き出されている盛況ぶり。
「何処にする? やっぱりラーメンかな」
「任せるよ」
自分よりは詳しいみたいだし。
イヴォシルはほとんど反射で口に出したこの言葉を、すぐ後悔した。いや、恐らくはどこの屋台を選んだとしても、最終的に行きつく結果は同じであったのかもしれない。
真新しそうな暖簾をくぐりベンチ風の椅子に腰掛けたふたりが、豚骨ラーメンをふたつ注文したときだ。元々麺を湯がく時間は大してなかったようで、一息つく頃にはもうどんぶりがカウンターに差し出されて舌を巻く。
白濁としたスープから香る豚骨の濃厚な香りは鼻腔を抜けて胃に落ちると、すぐさま食欲を刺激して腹の虫を騒がせる。イヴォシルが割り箸に手を伸ばした、そのとき。
「ぴゅんい」
ふたりの間にあるわずかな隙間から、身を捩じ込むようにひょっこりと顔を出した妖魔のこどもはシュエバオ・マオマオだ。ほぼ真上を見上げるようにイヴォシルとノイルへきらきら透き通る視線を向けて「あちあちなのです」なんだか嬉しそうにぴゅいぴゅい鳴いている。
「ほらみろ。やっぱりこういうことだね」
じろり、とノイルを横目で軽く睨んだイヴォシルだったが、しかし当のノイルは「何のことだかわかりません」と小さく肩を竦めて笑顔を浮かべたまま。
「君猫舌でしょ、ふーふーして貰いなよ」
「そうは言っても、さすがにラーメンを冷まされるのは脂が固まって食べれたものではなさそうだからなあ」
「ぴゅい?」
イヴォシルとノイルを交互に見るマオマオは「でもこのままだとやけどします」「まおまおきっとおやくにたってみせます!」使命感に駆られたようにふすんふすん鼻息を零して、太い尻尾でふわふわ太ももを撫でてくる。
「まあ、いいよ。好きにしなさい」
「ぴゅい!」
「私にこれは熱すぎるのは正解だからね」
「ぴゅんいー!」
「とはいえ、先ほども言ったが、食べにくいから多少は温めなおさせてもらうよ」
「だいじょうぶです」「まおまおきっとうまくやれます」ふすんっと胸を反らせたマオマオは、イヴォシルのどんぶりの前にじりじり横移動すると、吸い込んだだけでも火傷しそうな熱い湯気を押しやるみたいにひんやりふーふー。
小さきものにむやみやたらと手は出せないから、されるがままの様子を微笑を湛えたまま眺めているノイルはなんだか満足そう。
(猫姿だったら尚良かったなぁ、お店選び間違ったなぁ)
なんて思いはしたけれど、これはこれで面白いものが見れたのでよしとしよう。なんて思った矢先、どうやらふーふーし終えたらしいマオマオが「いかがですか」「よきころあいだとおもうのですが!」イヴォシルにラーメンを食べてみるように、しっぽでてしてし促している。
「さて、君。立ち上がってたら危ないからね」
ノイルはカウンターに前脚をちょこんと揃えるマオマオの両脇に手を差し込むと、ふわふわをゆっくりと持ち上げる。
(やられっぱなしというのも癪だね)
その仕草を見たイヴォシルは、妖魔のこどもが膝の上に下ろされるより先にマオマオへと呼びかけた。
「君、膝に乗る前に、あっちの器も冷ましてきてくれると助かるよ」
「ぴゅいー!」
「ふふ、責任重大だぞ、よろしく頼んだよ」
「ぴゅんい!」
「あっ」
ノイルが膝の上に下ろす直前、今が好機! とばかりに丁度良い高さに持ってこられたマオマオがノイルの熱々ラーメンにやさしくふーふー。ふわり押しやられた湯気が屋台の天井にのぼって、それは熱気に攪拌されてふたりの鼻先に戻ってくる。
「私のも冷ましてくれたのかい? そっかぁ」
どうやら悪意はないようだから怒るに怒れない。元よりそんなつもりはないけれど、冬の朝のような色を宿してきらきらとした眼差しで見つめられてしまえば、ラーメンを食べて感想のひとつくらい言った方がいいだろうと窺えて、ノイルは早速啜ってみた。
凝縮されたうま味がふわり香る豚骨に、味の染みたチャーシューは噛むほどに味が溢れてくる。さっと炙った海苔の味はたいへん濃くて、スープがよく絡んだ歯切れのよい麺と一緒に食べるとたいへん美味。たっぷりのネギとメンマ、キクラゲに紅ショウガを少しずつ交互に食べていく内に箸が止まらなくなって、イヴォシルとノイルはしばらく無言でラーメンを啜っていた。
「うん。美味しいよ」
思ったより冷え過ぎなかったね。
お膝の上でおとなしくしてくれる可愛いお客さんの頭をひと撫ですると、マオマオはうれしそうにぴゅーいと鳴いた。
満足そうなその姿、どうやら炎で追い払う必要はなさそうだと、イヴォシルはラーメンを大人しく啜ることにした。たまにはこんな夜があってもいいのかもしれない、なんて思いながら。
「この暑い時期におでーん」
往来の熱気と夏の気配がうねり合う中洲屋台街を軽快な足取りで進んでゆく霧島・恵(狐影蕭然・h08837)は、るんるんだった。
「あえてこの熱々のやーつを食べようとする背徳感っ!!」
冬を代表する食べ物を、気温上昇のとどまるところを知らぬ夏に食べようとする天邪鬼っぷり。これがいいのだ。
「そして何より暑い時期には冷たい食べ物っつー常識に対する冒涜感がたまんねーです」
だからこそ、いっそう美味さが掻き立てられるというもの。
ラーメンや焼き鳥の屋台を横目に見やりながら、分かってないなぁと恵は老舗風の赤提灯がぶら下がる屋台の暖簾をくぐり椅子に腰掛ける。それから手慣れた様子で大根と牛すじ、もち巾着にはんぺんを注文。
すぐさま恵の前に提供されたのは、琥珀色のつゆをたっぷりと移した器から白い湯気をほこほこと立てるおでんたち。出汁のやさしい香りが鼻腔を抜けて、ほうっと安堵のような吐息が零れてしまう。
さっそく割り箸を手に取り綺麗に真っ二つに割る恵は澄まし顔――だったのだが。
「そう思ってた時期がウチにもありました……めっっっっっちゃ熱々なんだあよ!? 知ってたんだけんどね?」
器は触れないくらい熱くて、つゆを飲むことすら出来やしない。大根を半分に切って、それをさらに半分に切った一口サイズもマグマの一欠けらといった具合であちあちだ。
「ぴゅい?」
だから、あちあちにつられてやってきたこの妖魔のこどもを存分に有効活用させてもらおうではないか。なにせ、ふーふーしてもらうの前提で恵はこのチョイスをしたのだから。
「マオマオくんといったかな。このあちあちをふーふーしてくれるかい?」
「ぴゅんいー!」
恵の椅子によじよじと登ろうとするのを手伝って膝の上に乗せてやると、マオマオは「まかせてください」「あちあちはいけません」いちど恵の方を振り返って使命感たっぷりに深く頷くと、己が纏う凍気をやさしくふーふー。
「おでんと冷製おでんを同時に食べられる欲張りセット。隙を生じさせない二段構えっつーやつだあよ」
もくもくと目の前が見えないくらい湯気が立っていたおでんは、じんわりゆっくり冷まされてゆく。意外にもマオマオは二、三度ふーふーしただけで終えてしまい、恵を振り返り「さぁ」「ころあいです!」前脚でカウンターをてしてし。
「もういいの?」
「ぴゅんい!」
では早速。
一口頬張った大根は、噛むと凝縮された出汁のうま味がじゅわりと溢れてきてたいへん美味。もち巾着は甘いお揚げに包まれたとろっとろの餅が舌の上でとろけて、思わずうっとりしてしまう。
「お礼は牛すじでいいかしらん? なんか食べたいものあったら注文するずぇ?」
「ぴゅいー!」
「いいのですか」「うれしいです」「おことばにあまえちゃいます」ほぐしてやった牛すじを口元に運ぶと、何のためらいもなくぱくり! 恵が与えれば与えるほど素直にぱくぱく食べるその姿があんまり可愛らしくて、身悶えてしまう。
「なんだろ、父性に目覚めそなんだけど」
無防備すぎる妖魔のこどもをぎゅうっと抱きしめた恵は、肌に伝わってくるひんやりにすりすり頬擦りされてしばらく離すことができなかった――。
「持って帰って良い?」
だめです。
話には聞いていた。
自分も星を詠むことができるから、零れ落ちてくる|同業者《星詠み》たちの会話を繋いで結んで、それからガイドブックでしっかりチェックもして。
でも中洲の屋台街は一文字・透(夕星・h03721)の予想を遥かに超える盛況ぶり。あんまり人が多いから、屋台に入るのは至難の業に思えてくる。
(それに、子どもだけでも平気……?)
無意識に、両腕に抱えていたふわふわに力がこもる。
――ううん、私ももう大人なの。
気になるものを、気になっていたもので終わらせたくない。
「行ってみよう、|白露《シロ》」
ちいさな頃からいつでも一緒の犬の死霊である白露が「だいじょうぶ」と言うように透の腕をてしてし撫でる。そのやさしさに眦をほんのりとやわらげるようにして笑んだ透は、白露を見えない状態にして屋台に連なる待機列の最後尾にそっと並ぶ。
(焼いたラーメンってどんなだろう)
意外にもすぐ暖簾をくぐることができた。食べたことがないからわくわくする気持ちを抑えて、透は膝の上でおとなしくしているようにと白露にお願いしたあと、焼きラーメンと鉄なべ餃子を注文。ほどなくやってきたそれらは、運ぶ店主の顔が見えないくらいの真っ白いふわふわ湯気を立ち上らせていた。
「いただきます」
楕円の皿に盛りつけられているのは、もやしやかまぼこ、玉ねぎなどの具材と一緒に炒められたラーメンだ。少しやわめに湯がかれた麺はとろりとしたソースがよく絡んでいて、ほぐしても中から熱い湯気がもくりと昇ってくる。
(具はちゃんぽんみたい……?)
でも豚骨スープを使っているから、ちゃんぽんとは全然違った。
数時間じっくりと炊かれた豚骨の濃厚な香りに、シャキシャキの野菜。スープを吸い込んだ麺は噛む度に美味さが溢れるようで食べる手が止まらない。
視覚がもたらす記憶と、味覚が知らない経験がごちゃまぜになっているから、ふしぎで美味しいお味に感じられる。ゆっくり食べても伸びることはなさそうなのが、ちょっとうれしい。透は猫舌で食べるのがひとよりゆっくりだから。
遅れてやってきた鉄なべ餃子の羽根はまるで飴細工のように繊細で、箸を立てるとぱりぱり鳴って小気味良い。まず何もつけずに一口頬張ると、もっちりとした皮から甘い肉汁がじゅんわり広がり脂の甘みが溢れてくる。それから酢だけでシンプルに、最後に特製のピリ辛ラー油をつけたならば、まるで別物の餃子を食べているみたいにどれも新鮮に楽しめるから、おすすめに従って良かったと大満足。
(シロにも食べさせてあげられたらいいのにな……)
膝の上でおとなしくしている白露に視線を落としたとき。
「ぴゅんいーっ!」
遠くから鳴き声をなびかせて近付いてくる小さな気配。驚いて目を丸くした透が振り返ったならば、ぴょいんと飛びついてきたひんやりに肩が跳ねる。
「でおくれてしまいました」「もうまおまおのでばんはありませんか」妖魔シュエバオ・マオマオは白露の横に着地すると、うるうるのおめめで透を見つめてくる。
(そういえば、ふーふーしてくれるんだっけ)
思い出した透は、一口サイズの小さな餃子を摘まむと口元に運んでみた。するとマオマオは嬉しそうに顔を輝かせて、一生懸命ひんやりふーふー。
「熱いのが苦手ならちゃんと冷まして食べるんだよ」
「これたべていいんですか」驚いたように目を丸くしたマオマオだったけれど、でもぱくりと頬張ってもぐもぐごっくん。
「ぴゅんい!」
嬉しそうにひと鳴きしたマオマオは透の膝の上が気に入ったみたい。しばらくちいさなお友達と一緒に美味しい夜を過ごすのだった。
すこし賑やかすぎるくらいがちょうどいい。
凪いだ川面にとろけて連なる街灯り、赤く煌々とした光がじんわり灯る提灯に、ぎらぎら主張の強い電光看板。そんな光を気にも止めず、宿り木を求めてふらりふらりと游ぐように行き交う姿は見慣れている。
(慣れ親しんだ夜市とどこか似た空気だ)
きっとどの屋台も美味いのであろうことが窺えて霄・晞辰(花の在処・h12279)は元より柔和な目口をいっそうやわらげた。
百軒近い屋台が狭い通路にひしめくように建ち並んでいるものだから、晞辰はしばらく屋台街を彷徨い歩く。焼き鳥、おでん、辛子明太子。どれもこの福岡の地を代表する名物だ。
けれど晞辰が選んだのはラーメンだった。
(中華圏出身として見逃せない)
――なんて、それはもちろん言い訳だけれど。
気になるものはやっぱり食べておかないと。目の前にぶら下げられたものを選べずにあとで悔いるのはばかばかしい。
威勢の良い店主に豚骨ラーメンを注文した晞辰は、一息をつくためにとキンキンに冷えたビールをぐいっとあおる。胃に真っ直ぐ落ちていく冷たさに次ぐのはほっくりした玉子がやさしいお味の出汁巻きだった。噛むほどに香りのよい出汁がふんわりと口に広がるのを楽しんでいると、太ももになにやらひんやりの感触。
晞辰が長い睫毛を瞬かせて縦長の瞳孔が覗く眼差しを落としたならば、そこにぶつかるのは凍んだ真冬の朝のような透き通った青。
「……おや、例の」
「ぴゅんい」
どうやら晞辰が食べていた物があちあちだと感知して、颯爽と駆けつけてくれたらしい。まだ出来たてだからほかほかの一切れを箸に摘まんだ晞辰は、そのちいさなお口のそばにそっと運んで、
「これ、ふーふーしてくれるかい?」
やわく首をかしげると、妖魔のこどもシュエバオ・マオマオは頼ってもらえてうれしいのか、ぴゅいぴゅい愛らしく鳴いてみせた。
ひんやりとしたふーふーは晞辰の指先もくすぐって、それは思いがけずにやさしかった。きっと手加減してくれているのだろう。折角だからと半分こにした一口分をマオマオに与えてみれば、きゅるきゅるのおめめが一層輝く。
順番待ちをしていた豚骨ラーメンがようやくお出ましになると、晞辰の膝の上にたっちしたマオマオが「これはもっとあちあちです!」「まおまおのふーふーいりますか?」「いりますよね?」期待の眼差しで振り返ってくる。
お願いすればマオマオは張り切ってふーふー。
「うんうん、上手だ」
「ぴゅんいー!」
一口含んだスープはまろやかでコクがある。豚骨の刺激的な匂いに反して味はあっさりとして澄んでおり、しつこくない。じっくり焼いたチャーシューは味が染みて噛めば噛むほど肉のうま味が溢れてくるから、ぺろりと食べてしまいそう。
レンゲに作ってやったミニミニラーメンをマオマオに食べさせながら、晞辰はこのこどもよりずっと大きな、自分の|虎《こ》のことを思い出していた。
(もう留守番をぐずる年じゃないけれど、どこかでお土産を買って帰ろうか)
あまくて、まぁるい春の味がする県産の苺なんてどうだろう。それともやっぱり焼き鳥がいいだろうか。ひんやりする毛並みを撫でながら、おだやかに思うこのひとときの夜を、すこしいとしく感じる晞辰であった。美味しいってすばらしい。
食都、博多。
中洲屋台街は夏の気配を夜空に押し上げるような熱気に満ちていた。
揺れる赤提灯はとろりとして酒精の入った人々の横顔をぽっぽと照らし、ちかちか真白に発光する電光看板はその主張の強さに負けぬほど腹に響く豚骨の香りを漂わせて、往来を通りすがる人々を一絡げに屋台へ取り込んでいく。
(あちこち巡ってもぐもぐ! 最高ですね!)
躑躅森・花寿姫(照らし進む万花の姫・h00076)は、百軒近いという屋台街を前にして、膨れ上がる期待がぱちんと弾けそうな自分のお腹をそっと抑えた。いい子に待っていた甲斐あって胃袋は準備万端。
片っ端から味比べをしてもいいけれど、いくら大食いとはいえそれでは慎みがない。まずは滴る脂が炭火に焼かれてじゅうじゅうと弾ける焼き鳥から行ってみよう。定番の豚バラが気になるのだ。
お通しとして出されたキャベツには酢だれがかかっていて、さっぱり美味しい。歯ごたえの良いざくざくが楽しくて一枚、二枚どんどん口に運んで今か今かと|獲物《食べ物》を待つ胃袋の準備運動を終えたなら、鼻腔をくすぐる焼きの香りが花寿姫の前に現れる。
「いただきます!」
両手を合わせた花寿姫は、さっそく摘まんだ豚バラをぱくり。一切れを串から抜くために立てた歯がこんがり焼けた表面を割って、閉じ込められていた肉汁を舌が受け止める。じゅわりと広がる甘い脂は凝縮されたスープかと思うほどに濃厚で、噛む度に美味さが二度、三度と喉を唸らせる。
あっという間に一本を綺麗に食べ終えた花寿姫はキャベツで口の中をリセットすると、今度は皮の表面を外側にしてぐるぐると串に巻き付けた鶏皮をはむり。ぱりっとした表面がほどなくもちもちの弾力に変わり、たっぷりと染み込んだ甘辛いタレが刺激となって脳を駆け巡る。
「お肉も旨味たっぷりです! 鶏皮ぐるぐるのも美味しいです、何本でもいけちゃう予感!」
「美味しそうに食べるねぇ、お嬢さん。はい、ラーメンおまちどうさま」
「ありがとうございます!」
暖簾をくぐる前から分かってはいたけれど、いざその一杯を前にすると胃袋が騒ぎ出す。
食欲を誘惑する豚骨の香りは独特の濃厚さがあって、ぎっとりと重たく感じられるけれど、レンゲでひと掬いしたスープはその乳白色からは想像もつかぬほどあっさりだ。しかし、じっくりと炊いた豚骨のうま味は決して逃さない。口に含んで、喉をすべり落ちてゆくまでに広がるのは力強い風味と、その奥からふわりと香る豊かな旨味。スープを飲み干すのは長時間大切に調理してくれた店主への礼儀だとばかりに、一滴すら残さず完食。
胃袋がほどよく温まって来た頃、花寿姫は次なる宿り木を求めて河岸を変える。選んだのはくつくつと煮えるもつ鍋屋台。
「もつ鍋も屋台で食べられるのですね!」
新鮮で上質な牛もつとニラとキャベツがたっぷりの鍋には、数種類の味噌をブレンドして、さらにはにんにくの効いたスープがぐつぐつ煮立つ。ぷるっぷるのもつがまるで宝石のように光り輝くのは花寿姫に「美味しいよ」と語りかけてくるかのよう。
「野菜とお肉の旨味が溶け込んだスープが絶品です!」
豚骨ラーメンのそれとは違い、すっきりとした後味はコクがあって甘みがあとから追いかけてくる。一緒に頼んだ老舗ブランドの辛子明太子を一本丸ごと使った出汁巻き玉子は、ほくりとした玉子のやさしい味を引き締める明太子のピリ辛が大変良く合ったし、さらにはもつ鍋のスープと相性ばっちり。気付くや否や食べる手が止まらなくなってしまう。
「おでんも食べちゃいます」
またまた河岸を変えた花寿姫は、今度は味のある赤提灯が揺れるおでん屋台へ。こちらも暖簾をくぐる前から、むわりとした熱気に満ち満ちているけれど、美味しい匂いに歓迎されているようで気分がいい。
「ぴゅんい?」
腰を下ろして、さぁ何を食べようかと眼前のつゆに沈んだ具材たちを一望していた花寿姫の耳に、実に愛らしい鳴き声がひとつ。辿るように視線を落とした先、隣の空いた席に前脚を揃えて乗せて、その上にさらに顎を乗せた妖魔のこどもシュエバオ・マオマオが、ひんやりとした色の瞳でこちらをきゅるきゅる見つめている。
「あらあら、可愛らしいもふもふさんですね」
「ぴゅいっ」
うれしそうにひと鳴きしたマオマオは、やさしそうな気配を察知したのか後ろ足をえいっえいっと椅子に持ち上げて、なんとか登頂。あたりをきょろりと見渡して「ここはあちあちがいっぱいです!」「とくにあれ!」おでんの具材を前脚で示して、もう片方の前脚で花寿姫の腕をてしてしする。
「では小さなお手伝いさん、こちらをふうふうしてくださいますか?」
「おやすいごようなのです!」マオマオはうれしそうにひと鳴きすると、カウンターに前脚を置いて立ち上がり、花寿姫が思うがままに選んだ具材でいっぱいの器に向かってひんやりふーふー。
「ふふ、おりこうさんですね」
「これくらい、なんてことないのです」ふすん、と誇らしげに鼻息を零したマオマオの額をやさしく撫でたあと、食べやすいように小さく切ったおでんを小皿に取り分け、マオマオの前へそっと差し出して。
「ではお手伝いしてくださったお礼に、こちらのおでんは差し上げます」
「ぴゅいっ?」
「味の染みたたまご、美味しいですよ」
やさしく微笑むとマオマオは感激したようにおめめをきらきら。花寿姫の腕に頭を擦り付ける。「ありがとうございます」「あなたはいいひとなのです」ぴゅいぴゅい歌うように鳴いたマオマオはほっくりした黄身をはふはふ頬張って、しばらく花寿姫のよい話し相手になってくれるのだった。
「すごーい! これが屋台……!」
夏の夜空を押し上げる煌々とした光が眩しくて、何度もぱちぱち瞬きするラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)は隣で同じように感心する香柄・鳰(玉緒御前・h00313)の袖を「すごいねぇ」って引っ張った。
「色んなお店いっぱいで目が回っちゃいそう!」
「これ全てが屋台ですか」
百軒近く軒を連ねた屋台はどこも盛況しているらしくて往来は賑やかで、声も匂いも混然としており本当に目が回ってしまいそう。溢れる音と満ちる匂いは視覚以外を頼りにしている鳰には少し厳しいものがあるけれど、敵意も悪意も孕まぬ食都の賑やかさは、博多にとって普通であるという。なんて、すてきな「普通」なのだろう。鳰の眦はやわらかくなる。
「鳰、人が多いからはぐれないように気をつけてね! 心配だったらボクの尻尾、掴んでてもいいよ!」
「……えっ、そんな! 素晴らしくふわふわなラナさんの尻尾にそんな事出来ませんよ!?」
ふわふわしっぽをリードのように使うなんてとんでもない。
固辞する鳰を笑っていたラナは、鼻先をくすぐって胃袋を誘惑する香りに吸い寄せられるように、ふらふら近付いていく。
「はにゃあ……いい匂いいっぱい……! なんだからぁめん屋さんが人気みたい?」
「確かに、この屋台からは特に良い匂いがします。ラーメン屋なのですね。博多はラーメンが有名だと聞いた事があります」
「折角だし、食べていく?」
「大賛成です! 此方に入りましょう」
ちょうど二人分の席が空いたところだ。出会えた僥倖に感謝をしながら暖簾をくぐると、腰を下ろす直前になってラナはあることを思い出す。
「――あ。らぁめん屋さんと言えば、不思議な呪文を言うらしいんだけど……」
「呪文、ですか?」
ぱちり。瞬きした鳰が首を傾ぐと、ラナは自分のスマートフォンをぽちぽち操作して、とある画面を見せてくれた。
「何かの魔法的装置がある様には思えないのですが……」
ちんまりした屋台を一瞥で見渡しながら、サポートツールを起動して画面を覗き込む。そこに並ぶのは「ゼンマシマシチョモランマ」の文字。
「ぜん……? ましちょも? 欄間? ――はて、何の事やら」
鳰が首を傾ぐと、ラナも同じ方へ首を傾ける。
「色々あったんだけど、この呪文が一番言いやすそうだったんだよね!」
「この他にも呪文があるとは、ラーメン屋台とは奥が深いですね……」
――そうでもないよ。
ラナと鳰の純真たる会話を耳にしていた他の客たちと店主の心の声がぴたり重なった。初めての屋台に飛び込んできた少女たちが悲しい思いをしないように、慌ててもやしを湯がき始める店員たち。
「……と、言うわけで。すみませーん! ゼンマシマシチョモランマ~~!!!」
ラナが元気よく手を挙げて注文すると、威勢の良い返事が飛んでくる。
「あ、ええと。すみません、私もラナさんと同じゼンマシマシチョモランマ? をお願いします!」
それに続いて慌てて注文を行えば、客たちからほうっと安堵の吐息が重なった気がして、鳰の首はふしぎそうに反対へとまた傾ぐ。
ぐつぐつと沸騰する寸胴鍋は大きくて、立ち上る湯気もバケモノが吐き出す息のように大きくて濃い。カウンターの奥で調理するひとたちが掻き消えてしまうほどだった。てきぱきとした手際の良さはパフォーマンスと大差なく、長年この地で続いてきた伝統と文化を思わせる。
「はい、おまちどうさま!」
――ドスン!
およそ器を置いたとは思えぬ鈍い音。ラナと鳰の前に立ち塞がるのは、どんぶりから聳え立つもやしとキャベツの山。麓を支えるのは分厚く切られたチャーシューで一目見ただけでも四、五枚は添えられている。
「……えっ? え!?」
絶句するラナの隣で鳰は困惑真っ最中。
無理もない、器から倍ははみ出た具材はおよそ常軌を逸しており、恐々と器を持ち上げようとしたけれど、食べ物とは思えぬ重量にすぐ諦めた。
「あの、これはひとり分で……?」
「そうだよ」
「まあ、そう……先程のはこのメニューを呼ぶ呪文だったのですね、ラナさ……」
そっと耳打ちするようにラナのほうへと顔を近付けた鳰は、ちゅるるっと麺を啜る音を拾ってハッとする。
「もう召し上がっている……!」
もやしの山を掻き分けて、それを倒さないように埋もれていた麺を引っ張り出すのは至難の業。けれど掻き分ける度にふわりと香る濃厚な脂の香りと、刺激的なにんにくがラナの手を急かすのだ。この香りにつられたと言っても良い。なんとか到達した麺を口に含むと、脳へと駆け抜けるパンチが衝撃となって目に輝きを灯す。
「! 美味しい!!! 鳰! これすごく美味しいよ!? ボクこれなら全部食べられる気がする……!」
鳰の言葉を待たずにラナはえいやっと掴んだ麺を次々口に運んで、上手に啜る。はふはふ吐息を零しながら咀嚼する姿は、なんだか見ているこちらの食欲を促すかのよう。
自分のどんぶりと向き合った鳰は神聖な儀式を行うかのように割り箸を割って、両手を合わせて頂きます。野菜を倒さないようになんとか見つけ出した麺を小さくふーふーしてそっと含む。その瞬間、長時間炊かれた豚のゲンコツと背骨、それからたっぷりの背脂が一気に鼻腔を駆け抜け、脳を痺れさせる美味さとなって殴りつけてくる。
「……まあ本当、美味しい!」
コシの強い麺は小麦の香りが強く、また弾力もあって歯ごたえが良い。チャーシューは分厚くてずしりと重いのに、口に入れるとほろほろととろけていくように柔らかくて、噛めば噛むほどじゅわりと口内に肉の甘みが広がって舌を喜ばせる。
どうやらおまけで付けてもらったらしい煮卵は、とろりとした半熟の黄身がよいアクセントになって、いっそう箸が進む。シャキシャキとした野菜も箸休めにぴったりで、ラナと鳰は麺、チャーシュー、野菜、また麺とバランスよくラーメンの山を攻略する――そんな時だった。
ふわり、と足元を撫でていったひんやりした冷気に、ふたりの手が止まる。もぐもぐ咀嚼し終えて飲み込んで、それからふたり揃ってカウンター下におさめていた自分たちの足元を覗き込む。
「ぴゅんいー」
うるるっと涼やかな色を宿したまんまるおめめが、ふたりをそうっと覗いている。
「――あれ、キミは……」
いつの間にやらラナと鳰の間の足元におさまっていた妖魔のこどもシュエバオ・マオマオは、こてんと首をかしげると、太いふわふわしっぽを右へ左へ揺らめかせる。
「あなたが妖魔さん?」
「ぴゅんい!」
鳰の問いに元気よく返事をしたマオマオは、前脚を椅子のふちに乗せて、よじよじ登ってこようとする。鳰がとっさにお尻を支えてあげて膝上に乗せてやると「ありがとうございます」「たすかりました」マオマオはぴゅいっとひと鳴き。
それからカウンターにどどんと立ち並ぶどんぶりをふたつ、交互に見やって「あちあちのやまです!」「でももうたべていらっしゃる」「まおまおのでばん、ないですか?」きゅるる、と瞳を潤ませてしっぽが太ももの上でいじけている。
意図を正しく汲み取ったラナと鳰は、目配せをして小さく笑い合った。
「ええ、大変あちあちなの。手伝って下さる?」
「ぴゅいっ?」
鳰がやさしく問うと、しょんぼり顔がたちまちきらきら顔へ。
「ふーふーしてくれるの? ありがとう! ボク猫舌だから助かるよ!」
ラナがお願いねって頭をいいこいいこすると、マオマオは嬉しそうに「ぴゅんいー!」と後ろ脚で立ち上がる。びっくりして、倒れないように両手で支えようとした鳰だけれど、マオマオは器用に方向転換すると、張り切った様子であちあちチョモランマに向かってひんやりふーふー。
ちいさな肉球の感触を太ももに感じて悶えていた鳰は、けれど「良く出来ましたね」と背中をやさしくなでなで。
「良かったらキミも一緒に食べようよ!」
「ぴゅいっ?」
いいのですか? ときらきらの瞳で見つめてくるマオマオと一緒に、鳰を見る。
「鳰、いいよね?」
「勿論! 一緒に頂きましょうね」
「ぴゅんいーっ!」
うれしそうな鳴き声が屋台に弾ける。
なんだかかわいいお客さんたちのもとに、これまたかわいいお客さんがやってきた様子。店主が用意してくれた平皿にミニミニチョモランマを作ってやると、マオマオはそれはそれは嬉しそうにしっぽを振りながら、皆が見守るなかはぐはぐもぐもぐとラーメンを美味しくいただくのだった。ぽんぽこに膨れたお腹はしあわせの証。
ラナと鳰はマオマオにふーふーしてもらってほどよい温度に下がったゼンマシマシチョモランマを見事完食して、楽しくて美味しい思い出と一緒に中洲の夜を散歩する。
しばらくその腕の中に、お腹が膨れて眠くなった妖魔のこどもを抱きかかえていたのは、ふたりだけの秘密だ。
|日中《ひなか》に吸収した夏のうねりを吐き出しているかのように、中洲屋台街は熱気に富んでいる。何をしていなくとも汗が浮かぶようだ。
「二人で飲むのは初めてだね。レイジくんはお酒いける口?」
顎を滴り落ちる汗を手の甲で拭った白百合・蓮華(徒花の実・h12988)は、瞼の裏に残るほど強い屋台街の灯りに目を眇めながら傍らへ問うた。
「そうだなぁ、割と飲める方だぞ!」
「やった、僕もだよ」
嬉しそうな蓮華の言に、にぱりと笑ったイワタ・レイジ(気ままなバイク乗り・h13218)は「行ってみるか」手近な屋台を指で示した。
赤い提灯がじんわりとしたあたたかな光を投げかける老舗風の屋台には、パイプ椅子にこぢんまりとおさまる客が肩を寄せ合い、思い思いに食と酒を楽しんでいる。
「とりあえず生で!」
席に着くなりハキハキとした一声を飛ばすレイジに密やかな笑みを零した蓮華もまた「まずはビールが作法だよね」とばかりに生ビールを注文。
「なに頼もうか。僕酢モツ食べたーい」
「まずは腹に溜まる物がほしいし、名物は制覇したいな」
お品書きを一緒に眺めていると、カウンター奥から聞こえてくるじゅうじゅうと鉄板の上で踊るように炒められる野菜と麺が視界に入る。もくもくと立ち昇る白い煙はもうそれだけで火傷しそうなくらいに熱そうだ。
「じゃあ気になるの全部頼んじゃおう。二人ならぺろりだよ」
「それもそうだな」
名物らしい一品を片っ端から注文していれば、お待ちかねの一杯がやってくる。
「かんぱーい!」
触れた指先が凍り付きそうなほどキンキンに冷えたビールを一気にあおると、喉から胃へと一気に駆け抜ける冷たさが夏の熱気を吹き飛ばして、それは心身が生き返るほど美味かった。
レイジはお通しの枝豆を鞘ごと口に入れながら、ふと星詠みから聞いた情報を思い出している。
「妖魔の子供が紛れてるんだったか」
「熱々の料理を冷ましてくれるらしいね。レイジくん猫舌だもんね」
「怪人化後に猫舌になった身としてはありがたい依頼だ」
そのままぐいっとビールを半分ほど飲み干したレイジは、暖簾越しに往来を行き交う人々の楽し気な姿を茫洋と眺めている。眩しそうに目を細めるその横顔を盗み見ていた蓮華は、ふとそれまで摘まんでいた枝豆を鞘から一粒出して鮮やかな緑色をじっと見る。
「……元の体は猫舌じゃなかったんだっけ」
「元が早食いだったから熱さとか気にしたことなかったな」
面白い変化だ、と呑気に笑うレイジに、少し強張らせていた肩をほぐした蓮華は枝豆をぱくりと頬張る。
――でも。
「研究所に運ばれてきた時はひどい状態だったからね」
静かに語りだす蓮華の言葉は、どこか昏い。手元に落とした視線は、己の手ではなく遠い昔日を見つめているようにぼんやりしていて、ひどく危うげに揺らめいていた。
レイジもまたかつて己に起きた出来事を思い出していた。
「またバイクに乗れたことも含めて蓮華くんに助けて貰えたのは本当にラッキーだった。ここまで元の感覚になることが、ありがたい」
レイジの表情と言葉は蓮華とは違ってからりとしたものだったけれど、果たしてその明るさが生来であるのか、変質した性格なのか蓮華には分からない。
「あの時は……同意もなしに種を植えてしまって」
――生きてさえいれば、どうとでもなると思ったから。
「でもそれは本当に――君の望みだったのか、って」
「ん?」
枝豆の鞘を口の中で動かしながら「鞘ごと消化できそうだな」なんて明後日のことを考えていたレイジは、ぱちぱち瞬き。
きっと蓮華はあの日からずっと、その思いを胸にひとり抱えてきたのだろう。レイジは目口をやわらかに下げながら枝豆を口に放る。
「んー、オレはあの時死ぬよりバイクに乗れんくなる方が、嫌だったからな」
――だから、望みはかなっているのだ。
真っ直ぐな言葉は蓮華の心に落ちた影をやさしく払う。ずっと、ずぅっと考えていたことだったのに。あまりにもあっけらかんとした朗らかな一言は、蓮華の心をふわりと包んで軽くする。
「……蓮華くんは、たまにナーバスというか繊細だよな!」
「少しね。……ふふ、叶ってる、か。そっか」
大きな手のひらが、ぱしんと蓮華の背を軽く叩いた。決して痛くはないけれど、その衝撃によって本当に闇が払われた思いがして急に息がしやすくなる。
「久しぶりのお酒だから、ちょっと酔ったかな」
顔色をひとつも変えずに零れた台詞に、レイジは眦をやわく眇めただけ。
そんなときだ、ふたりの前にお待ちかねの熱々料理が運ばれてきたのは。
「あ、餃子!」
「お! ……この外気で凄まじい湯気を立ててるな」
ぐつぐつ、ぐらぐら。マグマが噴火したのかと思うくらいの熱を孕んだ鉄なべ餃子がカウンターに並べられ、焼き鳥やおでん、酢モツ、出汁巻き玉子も続々登場。
「あつあつだ……おっと」
ふわふわとひんやりした感覚が足首や太ももを撫でていき、蓮華とレイジはほぼ同時に視線を落とす。蓮華の足元からひょこりと顔を出し、レイジの太ももに前脚を乗っけて立ち上がっているのは妖魔のこどもシュエバオ・マオマオたち。
「君が例の妖魔だね」
「ぴゅんい!」
「ちょうどよかったコレを冷ましてもらえるか?」
「こっちも軽くふーふーしてくれるかな?」
「ぴゅいっ!」
可愛らしく鳴いたマオマオたちは、うれしそうによじよじ登ってくると、カウンターに前脚を揃えて置いて、お互いを見合ったあとこくりと頷く。「いきますか!」「いきましょう!」なにやら、きりりと真剣な面持ちになって頷き合ったかと思うと、マオマオたちは熱々の鉄なべ餃子にやさしくふーふー。
繊細な羽根はぱりりと小気味良い音を立て、もっちりとした皮に歯を立てるとたちまち溢れてくる甘い肉汁。舌の上に広がる脂のうま味は、胃と脳を同時に刺激して本能が美味いと叫んでいる。箸とビールが止まらないふたりを膝の上からじぃっと見上げているマオマオは「やりました!」「だいせいこう!」肉球はいたっち!
「ふふ、お礼に餃子を分けてあげよう。ありがとうね」
「ありがとな」
しかも蓮華とレイジに餃子を分けてもらうというごほうび付き。
マオマオたちは満足したらしく、ぴょーんと地面に降りるとふわふわの太いしっぽをふりふりして「さようなら、やさしいひとたち!」「またあいましょうー」ぴゅいぴゅい甘く鳴き声をあげて中洲の夜へと消えてゆくのを、ふたりはいつまでも手を振って見送り続けた。
「おいしかった、ごちそうさま!」
「ご馳走様」
屋台を出た蓮華とレイジは、しかしまだまだ美味しい物が待ち構えている中洲の通りを一望する。
「レイジくん、もう一軒付き合ってよ」
「いいぞ! 焼きラーメンというのがうまいらしい」
「焼きラーメン? 初めて聞いた。いいね、それにしよう!」
さぁ、次はどんな刺激的な美味しさが待っているのだろうと歩む足取りはとても軽い。
「あぁ、いい夜だねぇ」
街の灯がとろけた川面は凪いでいる。
水面をなぞるように吹きすぎる風が悪戯に通りを撫でていき、火照った身体を慰める。
「風が気持ちいい。――楽しいな」
独語のようなレイジの言葉が、なぜだか無性にうれしくて。
蓮華は額に浮かぶ汗をそっと拭うと、星灯りを隠すように夜空を押し上げる屋台街のきらめきをゆっくりと見渡して淡く笑む。
「今日みたいな日のことを、ずっと覚えていることになるんだろうな」
友人もそうであればいいな、なんて。
ちいさな願いを胸に新しく灯しながら、賑やかな夜を一緒に歩いていく。
