シナリオ

⑦過ぎゆく灯夏

#√EDEN #ゾディアック継承戦争 #ゾディアック継承戦争⑦

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⚔️王劍戦争:ゾディアック継承戦争

これは1章構成の戦争シナリオです。シナリオ毎の「プレイングボーナス」を満たすと、判定が有利になります!
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 愚かな夏がまた始まった。

●意義
「私の願いはただ一つ」
 融け消えてしまいそうな暗闇に、掲げられた灯火は青。
 砂時計と共に照らされて、浮かび上がる時計の文字盤が、魔女の背でぐるりと回り出す。
 何度繰り返しても、望む|終焉《けつまつ》は得られない。それさえ知っていることだ。それでも愚かな魔女は繰り返すことを止めない。ただ一つ抱く願いのために。

 暗闇のなか、魔女のものとは異なるいくつかの灯火が掲げられた。
 夏の祭りの喧騒が遠くで繰り返している。魔女が『卵』のために開いた路に|闖入者《EDEN》たちが先に足を踏み入れたのだ。それも繰り返す|録画再生《・・・・》の一片に過ぎない。けれど。

「あなたの願いはなんですか」

 魔女が問いかけた先、|能力者《EDEN》たちのそばに顕れた砂時計がくるりと逆さまになった。同時に掲げた灯火の色が変わる。
 引きずり出される|録画《きおく》から紡がれるそれぞれの願いは、いつも魔女の願いの愚かさを思い知らせる。

●夏のすみか
「|記憶《おもいで》なんてろくなものはないって人も多いでしょう?」
 でもそれでいいんですよ、と言いながら焦香・飴(星喰・h01609)は集まった者たちへ手燭を配っていく。有り合わせのデザインに統一感などはなく、好みで取り替えてくださいと言い添える程度に意味は薄い。今は何色でもない蠟燭に、火が灯ることこそ重要だ。
「自前で何かお持ちかもしれないんですけど、今日はこれを使ってください。『魔女』さんの砂時計の前で掲げると、あなたの記憶の色に変わります。|路《√》はもう『ハンプティ』さんのために開かれているから、貰っちゃってください」
 暗闇しかないけどすぐに着けますよ、と星詠みは何でもないふうで告げる。
 路は博多祇園山笠の祭りで賑わう櫛田神社に開く。十全機関七席『サマータイム・モルガーナ』は、そこから全自動卵調理機『ハンプティ』の群れを引き入れようとしているらしい。ハンプティはあらゆる生命体を|調理《・・》しようとしていると言うから、これを阻止する必要があるのだと目的が開示される。
「路を横取りした時点で阻止はできている、とも言えるんですが、先には魔女さんがいます。彼女の√能力によって、手燭の灯火はあなたの記憶を『録画再生』する――|夏《・》をきっかけにして」
 うだるような暑さ。蝉の声。空の青さ。あるいは、それら全てを知ることさえできなかったいつか。忘れ果てていた光景さえも。そしてその記憶は、なんらかの『願い』に結びつく。
 そこで何が|再生される《みえる》かはそれぞれによるだろう。思い出すことが幸せかどうかさえ。
「苦しみを伴う記憶かもしれない。ろくでもない願いかもしれない。……それでもあなたたちの願いは、魔女の願いを阻むものに成り得ます」
 穏やかに笑う星詠みは、この機会に向き合ってみてもいいのかも、と言ってみせる。
「魔女に願いを示して、その願いを阻んで、無事帰って来てください。……大丈夫ですよ、あなたたちならきっと、ね」
 星詠みが路を示したその手元で灯された手燭の火は何の変哲もない赤をしている。
 暗闇の先でその火がどう変わりゆくかは、あなた次第。

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第1章 ボス戦 『十全機関七席『サマータイム・モルガーナ』』


斯波・紫遠

 赤く灯っていた手燭の火が、くらりと揺らいで紫陽花色に変わる。
 思わず斯波・紫遠(くゆる・h03007)が顔を歪めたのは、その色に|覚え《・・》があったからだ。
 魔女の権能によって紫遠から掘り起こされるのは夏――七月の|録画《きおく》だった。日毎強くなる陽射しから逃れるように視線を巡らせれば、鯨幕と夏には暑苦しいようにしか見えない喪服の黒がずらりと見える。
(|養父《偏屈ジジイ》の葬式の光景か)
 紫遠にとっては恩人でもある養父は、元々煙草と酒であちこち悪くしていた。医者にも止められていたというのに、その忠告も聞きやしなかったし、紫遠が止めても同じだった。そうして|結局《ちゃんと》、それが理由で往生したのだ。
 記憶は見覚えのある光景をなぞっていく。紫遠も周りと同様に焼香に立ち、遺影で笑う養父と目を合わせた。
(一番、満足な死に方だったんじゃないか)
 かつても思ったことを、また思う。生憎この|養父《ジジイ》に生き返ってほしいなんて、そんな安っぽい願いはなかった。
(なあジジイ、先立った奥さんのところ、真っ先に行っただろうな)
 目を伏せて手を合わせる動作で浮かぶそれが、願いと言えば願いかもしれなかった。そうであればいいと思う。できればインビジブルにもならないで、いまごろ二人で過ごしていてくれれば、それで。
 顔を上げてきびすを返す。喪主として立つのは、養父の実の息子だ。その視線がこちらを見つける前に、紫遠はそのまま外へ出てしまった。最後に骨を拾うのは彼であるべきだろう。せめて。
 ――最後の別れの時間は、紫遠が貰ってしまったから。
 それは義理の息子とではなく、実の息子にやれば良かったのにと、手前勝手に思ったこともある。
「……僕なんかに時間割いて、本当にバカなヤツ」
 どうして養父がそうすることを選んだのかはわからない。それが嬉しかったかと言われれば否なのだろう。だからこそこうして、七月の暑さと共に思い出すのは『いい思い出』ではない記憶ばかりだ。

 夏の青を見上げる。じわじわと蝉が鳴いて、暑さが黒にしみてくる。それが滲むように広がって――記憶はやがて紫陽花色の火に収束していく。魔女に示す願いがこれで良かったのかは、正直よくわからなかった。
 ただ、この記憶を起こした灯が見せた色はきっと――養父の亡き妻の好きな花からだろう。
 灯火越しに目を合わせた魔女は、どこか羨むような顔をしていた。
「……そのひとは、共に往けたのですね」
「さあ、どうだろうね」
 ただひとつ、確実であるのは。
「ジジイは立ち止まらなかったし、後悔も見せなかった。こんな風に時間を止めなかったからこそ、望む|終焉《けつまつ》を得られたんだろうな」
 |魔女《お前》と違って。

アルティア・パンドルフィーニ
ツェツィーリエ・モーリ

 暗闇に灯るふたつの火は、魔女の砂時計が落ち始めると同時に|同じ《・・》紫へと変じた。
 その色を目にして、ツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)とアルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)はどちらからともなく互いを見て――ぱちりと合った視線で自然な笑みを浮かべた。
 だって。
「夏って言われて、思い出すのは一つだもの」
「そうですね、ティア様」
 再生されるお互いの記憶は見えない――けれど、きっと同じものを見るとわかる。だから二人は並んで同じ|映画《スクリーン》でも眺めるように、同じその日を観た。
 広がるのは青い海。アルティアにとっては初めて行った海。そしてツェツィーリエにとっては、|人《・》の形を得て二十年余りを生きてきたなかで、もっとも鮮烈で、大切な思い出が出来た、無二の親友と出会った日。
 あれからまだ、一年も経っていない――それなのに、記憶のなかで呼び合う互いは現在からすれば酷く他人行儀に思える。
「あのときはまさか、こんなに仲良くなれるなんて思わなかったわ。ね、ツィーリ!」
「そうですね、ティア様。ふふ、わたくしったら、山と食事を抱えたはしたない様子をお見せしましたものね」
「あら、そんなところも大好きだわ! だからこそバテてる私にかき氷を分けてくれたのだし……そう! このときはまだ、今から見たら笑っちゃうような気取った言葉で喋ってたのよね、私」
「わたくしも、ずいぶんと堅苦しい話し方です」
 なんて言って笑い合うことができる今、アルティアとツェツィーリエは互いに一番の友達と呼べる仲になった。灯火の紫は、この春にお揃いにしたリボンのようで、互いを半分ずつに分けた色のようでもある。
 その色を、この記憶を見て胸に抱く願いは――。
「ねえツィーリ、きっと願いも同じでしょ?」
 ひょこ、と覗くように見るアルティアの瞳は、問いかけながらも自信に満ちている。それを信じられるのだ、この親友の隣でなら。それはツェツィーリエも同じだった。
「もっとティア様と仲良くなって……これからも、ずっと共にありたい」
 それを諦めなくてもいいのだと教えてくれたのもアルティアだ。
「だから、貴方願いなど通しはしない」
 ツェツィーリエの視線が真っ直ぐ魔女へと向けられた。それを追って、アルティアの強い視線も魔女を射抜く。
「当然ね、私のお願いは一つしかないもの。――来年には、この一年よりも、ツィーリとずっと仲良くなれますように!」
 願いは希望で、この先へ進む力でもある。それがふたりで重ねられるなら、不安なんてどこにもなかった。
「二人で願うんだから、貴女の願いに負けるわけがないわ。だって私たち、何も諦めてないもの!」

 繰り返しの夏に願いより諦念に近いものが滲んでいることに、ふたりは気付いている。誰かこの愚かな思いを断ち切ってくれたらと言わんばかりに。それならば。
「貴方の願い、一刀のもとに斬り捨てさせていただきます」

 砂時計と時計の文字盤が割れて、その動きを止める。暗闇が晴れた先、祭りの賑わいを取り戻す夏は、まだ始まったばかりだ。

ラビィナ・クラウディオス

 暗闇のなか、ゆらゆら揺れる赤い灯火を、|黒猫《・・》が見つめていた。
 アメジストの瞳が瞬くのに合わせたように、火は青く光る星の色へと変わる。
 同時にラビィナ・クラウディオス(Onyx blood・h12925)の眼前には、夏の匂いがする夜の砂浜が広がっていた。寄せては返す波音に誘われるように波打ち際へ足を進めれば、そこには星屑が落ちてきたみたいな、淡い光が瞬いていた。強く光るのは、一等星のようでもあって。
「……うみほたる、だったっけ」
 ふと浮かぶその名前は、再生される記憶の中の景色は見たことがないはずなのに、気づけばラビィナはその星の名前を口にしている。淡く、けれど目に焼きついて離れないような、奇妙な感覚。
(俺の|記憶《レコード》なんて、限られたものしか無い筈なのに)
 記憶のなかでは、楽しそうに微笑む『きみ』がいた。偽物じゃない。本物だとわかるのは、込み上げてくる愛おしさがあるからだ。
 やさしい手のひらがラビィナを撫でていく。

 ――きみが誰かもわからないのに。

 離れがたく感じてやまないぬくもりが、ラビィナから離れていく。それと同時に強く抱いた願いがあった。
(そうだ。|今度こそ守るために《・・・・・・・・・》)
 きみが泣いたぶんだけ、泣かせないために強くなろう。
 次は、ぜったいに。
 強くなって守ってみせるのだ――今度こそ。

 記憶が夜に溶けるように暗闇に消えていく。その先にいる魔女に、ラビィナは己の願いを示した。
「俺の願いは、親愛なる主君のために」
 たとえ何を憶えていなくて、忘れてしまっていたとしても――この|記憶《おもい》すら、忘れ果てた誰かを通して抱き視る、願いだとしても。
 |次《こ》のラビィナは絶対に、『きみ』を泣かせたりはしない。

 夏の夜の夢のようにうみほたると共に消えた青は、ずっと瞼の裏に焼きついている。

ルミオール・フェルセレグ

 夏らしい、熱を孕んだ風がルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)の頬を撫でた。
 暑い。喉が渇いている。たまらず水を飲もうと、ルミオールはそばの湖へ近づいて手を伸ばす――その動作で水面を覗き込んで、気づいた。そこに映っているのは、幼い頃の自分だ。
 ああ、これは。
 ルミオールは、これが魔女の見せている記憶だと気づいた。暑い夏の日に外へ放り出されたままの子どもは、まだ独りだ。
 水面に映った子どもの顔がくしゃりと歪んで、自分の顔をぐちゃぐちゃにするみたいに水面をかき混ぜてしまう。
 当然、そんなことをしたって映るものは変わらなかった。
「……なんで、違うの」
 ルミオールの髪も瞳も、両親とも村の皆とも違う色をしている。――それだけで、要らない子として『生贄』に差し出すには十分な理由だっただろう。
 その記憶のなかのルミオールは、|まだ《・・》それが悲しくて寂しくて、たまらないようだった。たぶん子ども心に、見捨てられたこともその理由も薄らと理解していたのだ。
(まあ、そのおかげで彼女に逢えたわけだけど)
 再生されている記憶を、どこか他人事のように今のルミオールは見ている。正直、昔のことなどほとんど覚えていないから、今見ている記憶が自分のことだという実感はない。
 故郷がどこにあるかも、まだ残っているかも――両親の顔さえわからないのだ。
(自分の本当の名前だって覚えてないし)
 かつてあったはずの名前は、彼女に|ルミオール《・・・・・》という名を貰って消え失せたのだろう。
 それを惜しむ気持ちもなければ、こうして過去を見てなお両親に会いたいとすら思わなかった。
(でも、彼女に……ドラゴンさまに逢わせてくれたことは感謝してるよ)
 記憶のなかでとぼとぼと歩き出した子どもは、果てしなく見える景色の先を見上げている。あの先に『ドラゴンさま』がいる。まだ子どもは、彼女に会っていないのだ。だからあんなに不安そうな顔をしている。
「……大丈夫だよ」
 彼女の姿さえ見えない記憶の先にある出逢いを思えば、やっとルミオールの口元に笑みが滲んだ。もうすぐあの子どもは、|運命《きぼう》に出逢う。それを知っているからこそ。
 そっと伏せた瞳を開けば、ルミオールの視線の先でライラックの色を映した灯火が揺れていた。ああ、ほら。
「……喪った過去はいらない、と?」
 魔女は信じられないとでも言いたげに見えた。ルミオールは躊躇なく頷く。
「俺は彼女に繋がった|現在《いま》と|未来《これから》を願いたい」
 繰り返しの夏に囚われたままでは、その願いが叶わないのは明白だった。いつかあったはずの名も記憶すら惜しまなくても、ルミオールは彼女と過ごす時間の全てを大切に思うからこそ。

「君の願いを叶えてしまったら、俺の願いは叶わないから。……だから、止めさせてもらうね」

 忘れた夏を終わらせるために、暗闇のなかで星が眩しく瞬く。
 無性に、彼女に会いたくてたまらなくなった。

リリアーニャ・リアディオ

「あなたは、記憶を司る魔女なの?」
 慣れた暗闇のなか、リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)はゆっくりと落ち始めた砂時計を横目に手燭を掲げた。揺らいだ赤い火は、ぼうと音を立てて漆黒へと変わる。
「でも、私も同じ魔女だから。人の魔術に誑かされたりなどしないわ」
 あるいは魔女の矜持とも呼べるものかもしれなかった。同時に、目の前の暗闇が塗り替わる。
 そこには太陽も青空も、虫の声もなかった。ただ、暗い。夏だというのに薄ら寒くて――そして何より、ひどくさみしかった。
 無意識に腕をさすって、記憶の中に放り込まれたのだと理解する。
 この頃のリリアーニャには、季節なんてなかった。永遠のように横たわる時間の流れだけが果てしなく続いていて、そこにはおわりもはじまりもない。
(そんなわたしの『願い』は?)
 記憶のなかで、自分自身へと問いかける。やせ細った胸元に触れると、込み上げる衝動のようなものがあった。
 閉じ込められた暗闇から出ることより――それを跳び越えて、|愛される《・・・・》こと。
 自覚と同時に、そうだった、と今のリリアーニャはそれを真っ直ぐ受け止めることができた。怖がって向き合えなかったかつてとは違う。
「……いいのよ」
 誰もいない暗闇に、か細い声が響く。
「|あなた《小さなわたし》の願いは間違いじゃない」
 そう知ることができた――思えるようになった。けれど、それが叶うのは|ここ《・・》でもない。
 愛情に餓えた黒兎はいつかここを出て、『愛される』ことを知るだろう。誰かと共に在ることも、それを望む我儘も、それを怖がる自身の弱ささえ。

「置いていかないって決めたから。――|私《・》は、何にも引き摺られたりしないの」

 記憶のなかの小さな自分と、今のリリアーニャが重なって繋がる。
 黒の炎が揺れて、視界が戻ってきた。今は覚えた夏の匂いがしていて――誰かに会いたいような気がした。

ロズランシェ・リアディオ

 誰かの内側を暴きたがるものの多さには驚いてしまう。特に、他に委ねるような『願い』なんて。
 自分で叶えようともせずに、ずっとそれが降ってくるのを待つなんて愚かでしかない。
「あなたまでそんなつまらないことを聞くの?」
 魔女から齎された聞き覚えのある問いを、ロズランシェ・リアディオ(赫耀・h08219)は心からつまらなそうに投げ捨てた。
 随分なご挨拶だわ、と肩を竦めたその手元で掲げられた手燭の火は、いっそう赤く燃え滾る。
「あたしに願いなんてないって、言っているじゃない」

 それでも魔女の齎す記憶は、ロズランシェの裡から眩く輝く夏の青空を引き摺り出した。
 ロズランシェはそれを見上げている。その先で、|鳥《・》が笑っていた。自由な視線が鮮やかな碧色を見つけて、心を砕くふうに言葉を向けてくれる。
(一時だってここに留まるつもりもないくせに)
 そんなこと、とうに知っているのだ。それなのに。
『|ローズ《・・・》』
 呼び声に、ぴんと立った兎耳が震える。ああそう、そうね。言葉を間違えたわ。
「あたしは彼を求めていた。だから、願いがないわけじゃない」
 ただ――願い続けるだけが性に合わないだけだ。
(それにね、)
 見つめる先で、|鳥《かれ》が夏空に飛び立った。忌々しいほど眩しい空を、|兎《けもの》は見上げるしかできない。跳ぶことはできても、空を飛ぶことはできないから。
 青い、青い空を見ている。どこまでも続くようなその向こう側には、湖と塔が見えていた。
 それもまた、『夏』の記憶に違いない。ああ、そうね。
 笑みの形を綺麗に作る唇が、くすくすと楽しげな笑い声をこぼす。つまらない問いにも、今なら答えてもいい気分だった。赤い火が夏を焦がしていく。

「あたしの願いは、もう他にあるの」

廻里・りり

 やさしいこえが、廻里・りり(綴・h01760)を呼んでいる。
 それは、家族で毎年行く、夏のキャンプの記憶だとすぐにわかった。りりと、お父さんと、お母さんとさんにんで。
(きれいな葉っぱを選んだり、さわがにさんを探したり……そう、さんにんでカメラをもっておさんぽしたの)
 どれもよく覚えている記憶だ。アルバムにだって残してある。
 夜はバーベキューをして、寝る前にはココアをおともに星を眺める――それが、いつもどおりのりりの夏。

 記憶のなかでも、りりは星空を見上げていた。その日は流れ星が見えたから、お願いごとをしたんだっけ。願ったことは、
「――ますように!」
 三回も言えなかったから、なるべく大きな声で言ったら、そばにいたお父さんが「昔は美味しい物がいっぱい食べられますようにだったのにな」と笑った。その隣でお母さんが「私たちの願い事はりりがたくさん食べて、遊んで、眠って……毎日を楽しく過ごしてくれることよ」と笑ってくれて。
 うれしくて、たのしくて、ちょっぴり恥ずかしくて、えへへとりりも笑った。
 夏の匂いに、潮騒と海の匂いが混じって感じられる。――なにかが、水面を跳ねる音がした。

 ぱしゃん。

 その音で、りりは魔女を前にした今へと戻ってくる。ぱちぱちと瞬いたその手もとに灯る火は、青と紫。
(お父さんとお母さんと見上げた、夜空の色だ)
 そう気づく。だから、結びつく願いは。
「魔女さん! わたしの願いは、『お父さんとお母さんみたいに、すてきなご縁を結ぶおてつだいができますように』です!」
 それはきっと、今に繋がる願いごと。そして今年もまた、夏がやってきた。そういえば、きょねんの夏は家族でキャンプに行けなくて。
(今年はいっしょにいけるといいな)
 それも、願いごとのひとつにそっと付け加えた。

夕星・ツィリ

 夏の記憶はどうしても、星合の日に結びつく。
 夕星・ツィリ(星想・h08667)にとって、天に星の河がかかるあの日は特別なのだ。ツィリにも――両親にとっても。そして。
(私の、決意の日でもあるから)
 ツィリの手もとで灯る手燭が、星の瞬く夏の夜空へと色を変える。
 あの日、ツィリは少し焦っていたのだと思う。嘲笑うように『お前は半端なのだ』と言われた言葉を、忘れられていなくて。
(だって、私は兄弟たちの中で|星神《父》の力が一番弱いから)
 夕星の名を名乗るにふさわしくない。どうしようもなくそう思っていたし、それがどうしようもなく悲しくて。
「どうして私だけがお父様の力が弱いの?」
 嘆いて、喚いた。
 子どもだったのだ。今だって大人とは言えないけれど、今よりももっと。それが、父を、そして母を傷つける言葉だと、すぐに思い至れなかった。ただ、使いこなせない父の権能を早く使いこなしたくて。
「――ごめんなさい、わたくしがもっと……」
 喚いて泣いたツィリを前に、母も涙をこぼした。それを見かねた父が、珍しい怒声を上げた日でもあった。
「――ツィリ!!」
 あんなに怒った父を見たのも、あれが初めてだった。母を泣かせ、父を怒らせ――それで、ツィリは決意したのだ。

 両親の誉れたる娘であれるよう願い、努力を積み重ねる事を決めた。

「……きっとね、あれが私のはじまり」
 力が足りないなら鍛錬を積めばいい、経験を得ればいい。駄々を捏ねるよりそのほうが、よっぽど願う己に近づくことができる。
「それが、私の出した答え。……あなたは?」
 ツィリは魔女にそっと微笑みかけた。きっと、どうしようもない思いに囚われているのは、彼女も同じなのだろう。だからこそ、その先へ進む一歩が必要だと、ツィリは知っている。
 この夏も、星の瞬く未来へ重ねてゆくために。

ベルナデッタ・ドラクロワ

 砂時計が暗闇で弧を描いて落ち始める。
 それを静かに見つめていたベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きもの・h03161)の前に映し出された夏は、蝉の声が賑やかな昼下がりだった。
「……ええ、お店ならワタシが見ていているから。いってらっしゃい」
 そう言って、隣人を見送る。家族でキャンプに行くのが、毎年の夏の恒例なのだ。そしてベルナデッタが留守を預かるのもいつも通りだった。
 大きく手を振るまだ小さな手を見送って、ひとりで留守番をする。
 懐かしく、愛おしい記憶だった。

 店の手入れは怠らない。棚を拭いて、硝子を磨いて、少し伸びた庭の草を整える。風鈴を吊るし替え、打ち水をして、入口には冷たいお水を用意する。夏が少しでも過ごしやすくなるように、いつもの景色を少しずつ整えていく。
 忙しなくもない、ただ穏やかな時間。いつもより静かで、少し寂しくって、それでもいやではない時間。
(そう、これは待っている記憶ね)
 隣人の――あの子たちの帰りを、ベルナデッタはいつも通りに待っている。はやく会いたいというよりは、家族水入らずで楽しめていればいいと思っていて。
 聞き慣れた店の扉のベルが鳴って――ベルナデッタは今へと戻ってくる。
 瞬いた視界の先には変わらない暗闇。ふわりと灯る火は、白く、優しい炎の色になっていた。
 黙って、魔女が佇んでいる。彼女の抱く願いと、ベルナデッタが抱くものは違うだろう。
「ワタシの願い事はね、『おかえりなさい』って言うこと」
 願いを示す。それは己の願いを愚かだと言う魔女にとっては、優しすぎて眩しいものであったかもしれない。

「安心して帰れる場所で、送り出す場所でありたいのよ、モノにとっても、あの子にとっても」

 夏に、寂しさだけが残らないように。

セレネ・デルフィ

 手燭を掲げた先で暗闇を晴らすように浮かび上がるのは――憶えていない青空だった。
 けれどもそれが、セレネ・デルフィ(泡沫の空・h03434)がかつて見た景色であることは確かだ。
 その空は、√キルシュネーテにあった。そこではかつて、一つの季節を争いで決したことがあるとセレネも知っている。

 記憶のなかにいるセレネは夏空の下、周りに集う多くの人々から『夏』を求められていた。
 命育む碧へ、力強い光を注がせる突き抜ける青へ――誰もかれもが夏の聖女を求めたのだ。
 やがてセレネは護るために、鳥籠へと仕舞われた。そこで大人しく守られたセレネは、夏空を眩しく見つめながら、時を待つばかりで。
(ちがう)
 再生された記憶のなかで、セレネは護られているように見せかけていただけだった。
 鳥籠から外を視て僅かな力で時を稼いだ。
 視てしまった争いの未来を避ける為、静かに糸を編んで大地に垂らす。人々の意識を僅かに逸らして――|龍《キルシュネーテ》の意識すらもほんの少し触れて、世界に抗っていた。

(……知らない記憶)
 記憶のなかのセレネは、まるで別人のようですらある。けれど目に焼きつく記憶は、過去のセレネが残した記憶と違わぬ景色なのだろう。
 夏を司り、けれど四季を愛したかつての|聖女《わたし》。
 青い眩しさを残して、記憶は暗闇に鎖されていく。知らないことばかりだ。それでも、今も変わらないのは。
「私の願いは、脅威に抗うこと」
 そしてそれは誓いでもある。今と立場は違っていたとしても、その願いを抱いたからこそ、今のセレネへと繋がったのだろう。
 空を映した瞳が、夏を繰り返す魔女を見据える。
「……あなたも、この世界を脅かすなら」
 抗うことを、躊躇いはしないのだ。

アドニス・ガルダ・インファリリ

「夏……か。眩い季節だな」
 幾度も迎え見送った生命が燦き活きる季節が、記憶と共に開いていく。
 それを、アドニス・ガルダ・インファリリ(プシュケの花檻・h12904)は眩しそうに眺めていた。
 澄み渡る青空も海も、鮮烈な青はパライバトルマリンを思わせる。
 懐かしい、と思った。そのときに、アドニスは己の手もとで灯る火の色に気づく。
 手燭に揺らめくのは青い炎。――それに、遥か彼方に置いてきた記憶が重なるようだった。

 宝石の眼を持つものが、そこには揃っていた。
 それは幼い頃――家族と呼ばれていた者たちだ。セフィロトの祝福を宿す青い宝石眼、それがアドニスの一族の証だった。
 そして、アドニスも当然宝石眼を持っている。
 けれど宿るのはセフィロトではなく、クリフォトだった。

 そんなものを持って生まれた存在が受ける待遇など言うまでもない。
 誰もがアドニスを異端だと言った。不吉な存在であると忌み嫌った。それくらいならばまだ可愛いほうで、一族の恥だなんだと、扱いは悪化の一途を辿った。
(……ああ、ゴミのほうがマシな扱いだったな)
 再生される記憶に、アドニスは皮肉な笑みを浮かべる。よくもあれで、およそまともな思考を保てたものだ。果たしてまともかは知れないけれども。
 逃げ出し、彷徨って――アドニスは夏の灼けるような陽射しの下で、己のもって生まれた呪に等しい不死を呪っている最中に、|小さな春《運命》 と出逢ったのだ。
「懐かしい記憶だ」
 春を見つけて目をやわらかな色で緩めてから、アドニスはふつりと終わって見せた記憶の向こうに佇む魔女を見る。願いを問うた彼女に、答えてやるべきだろう。

「私の願いはね、取り戻すことだ。|まほろばの春《私の居場所》 を」

 あるいはこれは、魔女と近しい願いともいえるのかもしれなかった。この願いは、不可侵の過去への干渉のようなものでもある。
「|過去《割れた卵》 は元に戻らない。……本当にそうなのだろうか?」
 だとしても、得られた運命を諦めるつもりはない。そんなのは、つまらないだろう?

一文字・透

 一度すべてをなくしたと思ったのは、多分、春と夏のあいだだった。
 いつだって思い出すのは、そのときのことばかりだ。
 だから、 一文字・透(夕星・h03721)はこの|依頼《はなし》を聞いたとき、きっとまたそのことを思い出すのだろうと思っていた。
 それなのに。
 ――『誕生日おめでとう』。
 再生される記憶は、父親が透の誕生日を祝うところから始まった。まだ大好きな人たちが生きていた頃の、すべてなくす一年前の、透の誕生日。
(この日だけはどんなに忙しくても、お父さんたちは必ず里に帰って来てくれてた。お母さんがその日だけの特別なごちそうを作ってくれて……)
 記憶のなかで、両親が優しくプレゼントを抱える透を見守ってくれている。
 プレゼントは大概、隠れ里の外で買った髪飾りやお菓子だった。その頃は里しか知らなかった透は、それがとても嬉しかったし、何よりいつも忙しなくしている家族が揃うのが嬉しかった。来年には透も大きくなっているだろうから、なんて気の早い次のプレゼントの話をしているところで、記憶に黒いノイズが走って、透は暗闇のなかにひとり戻ってくる。
(ずっと一緒にいてくれると思ってた)
 幼い透はただ無邪気にそう信じていた。きっと透のみならず、誰も|あんなこと《・・・・・》になるなんて思いもしなかったのだ。
 大好きな人たちは、あの日、突然いなくなってしまった。
 見えた記憶は幸せなはずだったのに――だからこそ、現実を突きつけてくる。無意識に握り込んだ手のひらに、自分の爪が食い込む痛みが微かにあった。
「仇を討ちたい。みんなを返して欲しい」
「……本当に?」
 魔女が静かに問い直す。
 それが透の『願い』だと言えたほうが、いっそ正しかったのかもしれない。けれど、暗闇のなか、たったひとりで見た記憶は、心の奥底に沈めた願いを引き摺り出してくる。
 ほんとうは。

「――いっそ、あのとき、一緒に……」

 それは、大好きな人たちの思いを無碍にする持ってはいけない願いだ。だから、これは。
「……ここで、あなたにあげる」
 頬を伝った願いは、夏に溶けていく。

キール・フレイザー

 赤く暗闇を照らしてくれていた手燭の火が、数多の星屑のような煌めきを抱いた黒炎に変わった。
 それを、キール・フレイザー(唯一無二・h00613)は満足に見る。
「やあ、非常に親近感が湧くね! ところで、君が僕の記憶を見せてくれるの?」
 それならはやくはやく! キールは佇む魔女へ小首を傾げて見せると、素直な好奇心のままに再生される記憶を覗き込んだ。何故って、キールには|記憶《思い出》がないからだ。ドラゴンプロトコルとして目覚めたときからそうだった。
 それを悲観したことはない。そういうものだとよく知っている。僕は、僕がどんなドラゴンだったのか知りたい
「でも、そうだね。願いならあるよ。――僕は、僕がどんなドラゴンだったのか知りたい」
 ドラゴンとしての姿は、既に知っていた。|√能力《ドラゴンプロトコル・イグニッション》によって変じることができるからだ。キールはどうやら、赤い鬣を持つ黒星夜の竜だったらしい。
 それは理解しても、どこでどう暮らしていたのか、その手がかりは探しようがなかったからこそ。

「……おや、ドラゴンだった時の僕は森に?」
 記憶は、森からはじまった。深い森のなかの立派な石造りの住まい――そこがどうやら竜の巣らしい。それにしたって随分と大きい。まるでヒトの手で作られたような。
「あっわかったぞ! 砦だね!? さては|拝借《・・》して……いいセンスだ流石僕が知らない僕!」
 きっと、美しい巨体に見合う住処を探したか、あるいは何らかの理由でヒトの砦をかっぱらってしまったのだろう。見える景色は今のキールからしても気に入るものばかりだから、単に「ここ好き!!」だったのかもしれない。好かれた砦もおめでとう!
「何か色々溜め込んでる所がとてもドラゴンっぽい……ふははっ、でもちょっと集めすぎてないかい?」
 自分のことだというのに、面白くなって笑ってしまう。広い砦が手狭に感じるくらいには集めて、黒星夜の竜が首を捻っている。
「……新しい住まいの検討かな?」
 それもいいかも。なんて言っているうちに、記憶は黒炎の中に仕舞われていく。それを見送って、キールは魔女に清々しい笑みを向けた。
「お礼を言わなきゃね」
「お礼?」
「そうさ。新しい願いも出来た。――僕は、僕の住処を見つけたい」
 かつての竜が自分に似合いの住処を見つけたように。
「だから、君の企みを全力で阻むのさ」
 繰り返してたって、悲観をしたところで、新しいものは見つからないから。

「君も夏の向こうをごらんよ。世界は今日も明日も美しいからね!」

黒野・真人

 己には不似合いに思う手燭には、どこか儚い装飾が施されていた。
 持ち帰れたなら従妹の土産にしたいとさえ思うが、暗闇の満ちた路へ入ってしまえば、ゆらゆらと灯火は揺れて、黒野・真人(暗殺者・h02066)の見つめる前で深紅へと変わる。|依頼《ハナシ》を聞いた瞬間から、それはわかっていた。
 聞こえてくるのは狂い鳴きの蝉と遠い不如帰の声。――それを皮切りに、|視界《きおく》は赤と深紅しかなくなった。
 血だ。
 溢れる赤に咽返る激烈な臭いが、真人を覆い尽くしたようだった。よく知るものだ。魔女に唆されずとも。
(オレは常にソレを纏ってる)
 全て殺し尽くした返り血の、乾いてこびり付く昏色。ひび割れて顔からはがれる感触。
 それらがどうしようもなく真人を赤の中に縫い留める――けれど。
 眼前でその全てを『なかったことにする』かのように、時が巻き戻りはじめた。
「――いや! 逃げる気なんざねえ!」
 それはもう真人が背負ったものだ。赤の景色を斬り裂けば、目の前には暗闇に佇む魔女がいる。掲げられた砂時計ごと粉砕するように、真人の刃が振り上げられる。

「オレは過去には戻らねえ……! この因果の先に未来があんだからな!」

篭宮・咲或

 ふとゆらめいた手燭の火は、|いつか《・・・》見た蛍の色に変わった。
 同時に記憶の再生は始まり――篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)の頭には童話が過ぎる。
 今よりずっと昔、まだ|子供《ガキ》といって差し支えなかった年頃の記憶だ。
 記憶の中には幼馴染たちがいた。何気ない日常を他愛なく過ごした日々は、このままいつか大人になって、多少環境が変わっても続くものだと思っていた。
(信じていた)
 子どもなんてそんなものだ。そして当たり前に続いていた日常は、ある日を境にあっという間に崩れて消えてしまった。

 咲或の眼前には、あの日の記憶が再生されている。
 全てが変わったあの日――『大事なもの』を喪った日。
 幼馴染の、二人の最後の顔も言葉も、いまだ消えず咲或のなかに残っている。
「あのときに戻れたら……」
 ぽつりと、子供みたいに頼りない声が零れた。
 あのときにこうしていたら。あのときに――。
 願わくばと浮かぶ|たられば《・・・・》が頭の片隅で巡り続ける。
 それでも再生されるだけの記憶はそれを叶えない。確定した過去は、巻き戻ることはないのだ。
 咲或はただそれを見て、思い知らされるような感覚を、今一度呑み込むしかなかった。叶うことのない願いは、夏に置き去りのまま。

 ふと、暗闇に引き戻される。その先には魔女が変わらず佇んでいた。変わることのない過去と願い。それは魔女も抱くものなのかもしれない。そう過ぎって気づく。

 咲或の手もとで揺れる灯火の色は、『あの日』の前日の夜に見た蛍の色をしているのだ。

「……バタフライエフェクト、ね」
 何気ないことのひとつひとつの全てがあの日の惨劇を招いた。些事だと捨て置いた全てが、幼馴染たちを喪わせた。
「それでも生きるよ」
 ――それが、|お前《幼馴染》たちとの約束だから。

セージ・エルヴ・ラ・サルトゥリス

「記憶なんて碌なものはない、か」
 魔女の砂時計がくるりと回るのを暗闇のなかで見ながら、セージ・エルヴ・ラ・サルトゥリス(花骸・h13171)はふと考え込むように口元に手を当てた。
「僕は……どうかなあ」
 指先まで絡む|植物の紋様《ヘナタトゥー》が迷う指先ごと揺れる間に――セージの目の奥に蘇ったのは、鮮やかな花々が咲き誇る光景だった。咲いているのはどれも夏の花だ。夏といえばでセージが思い浮かべる花ばかり。とはいえ、これはセージの記憶ならば当然かもしれなかった。今年ももうそろそろ、夏の花々が咲き揃う頃だ。
「夏に咲く花は豪華で人目を惹くものも多いから、僕は好きかな」
 けれど、機嫌よく笑っていられるのもそこまでだった。
 記憶のなかでさえ、容赦ない夏の暑さを感じている。それは明確に、いくら対策してもそれを上回る『夏の暑さ』の記憶でもあった。
「南国原産の植物ですら容赦なく枯らしてしまう灼熱地獄……抜いても抜いても終わらない夏草……」
 セージは薬草師にして魔法薬の作り手である。当然欠かせないのが薬草たちの世話だ。特に近年の夏はあまりに容赦がないし、夏草の顔をして無駄に元気に生えてくるのは薬草のための養分をかすめ取っていく無駄に元気な雑草ばかり。草むしり攻防は、夏を通して終わることがない。記憶のなかのセージも、すっかり夏に蒸しあげられていた。暑かったな、去年は特に。薬草だけ全部暑さに負けて、雑草だけ残ったときの虚しさたるや。
「……うん。夏の記憶なんて碌なものじゃないね……」
 しみじみと遠い目をしてしまう――けれど、今年もまた夏が来るのだ。
「今のうちに頑張って畑やお庭の手入れをしておかないと」
 先延ばしにしていると、たいがい痛い目を見るのだ。帰ったらやろう、なんて心に一応決めておく。でも今日も暑いよね。
「……今年こそは蒸されない夏になりますように、なんていうのは、無理な願いかなあ」
 鮮やかな花と緑と暑い夏の記憶が暗闇に仕舞われていく。それを見送って、セージは暗闇の向こうに立つ魔女へそっと微笑みかけた。
「キミの夏も、碌なものじゃなかったかい?」
 それなら僕はこう願おうか。夏に囚われ、灼き焦がれてしまいそうな彼女へ。

「今だけは――大地を潤す雨の降る季節となりますように、と」

白露・花宵

 目の前で赤い火が海の色へと灯り変わった。
 あ、と思わず声が出そうになったのは、それが白露・花宵(白煙の帳・h06257)の見ることの叶わなかった色だからだ。
 ゆっくりとゆらぐ海色が、記憶をまぜ返す。

 ――うんと幼い頃、花宵は一度だけ我儘を言った。
『家族で海に行ってみたい』
 ずっと花宵は聞き分けの良い子供だった。けれど、同じ病院に入院していた子が一時退院をして家族と行くのだと言っていたから、それがどうしても羨ましかったのだ。
 一度口に出せば引っ込みもつかなかったし、かつて入院していた病院には孫のように可愛がってくれる|老医師《Anker》がいたから、無理を言ってしまった。
 けれど老医師は珍しい我儘に困りはしたようだったけれど、結局は許可をくれて。あとは、滅多に顔を見ることのない父の了承を得るだけだった。
 おとうさん、あのね。
 記憶のなかで幼い花宵が父におずおずと我儘を口にする。どんなに関わりが希薄でも、あの頃はまだ家族であることを特別に、大切に思っていた。子供なんてみんなそうだろう。血のつながりのない老医師だって、それをわかってくれていたのだ。

「役立たずは大人しくしていろ」

 けれど、実の父からの言葉は実に冷たかった。病院の窓の外に迫る夏の暑さを感じさせないほど、明らかで冷たい拒絶がそこにあった。遠くで喚く蝉の声諸共、記憶の再生が終わっていく。
「……ただ、行ってみたかっただけなんだよ。それは確かに、あたしの願いだけれど」
 佇む魔女に、花宵は海色の灯火を揺らして見せる。きっと、魔女にはどの記憶も見えているのだろう。
「だけどもう、必要のない願いだ」
「願いを捨てると?」
「あたしは一人だって、好きな所へ行ける」
 あんたは、と問い返す花宵へ、魔女からの答えはなかった。あるいはとうに思い知っているのかもしれない。
 それぞれが抱く願いは、誰に許しを得る必要も、囚われる必要だってない。
「それに、|形《家族》に拘る必要はないと知ったからね」

ララ・キルシュネーテ

 ちらちらと暗闇で揺れる桜焔は、花びらが散っているようだ。
 どこかぼんやりと、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)はそれを見つめる。その瞳の奥に、|夏《・》が巡り出した。
 もう八回の夏を見送った。そのうち、家族と一緒だったのはたったの三回。
 けれど記憶の再生に選ばれたのは、数少ない家族との夏の一幕だった。

 かつて家族と住んでいた屋敷には、大きな御池がある。
「にぃに、ねぇね。ララの船の勝ちよ」
 両側にいるふたりに自慢げに胸を張って、頭を撫でて貰って。そのあとはご褒美にって、冷たい水で冷やしていたスイカを皆で食べた。
(スイカは、パパが育てたのよ)
 ぷにぷにしていたりするスイカはとても不思議で、でも美味しくて、また皆と遊んで。疲れたら、おいでと手招いてくれる華奢な膝の上に身体を預けた。
(ママのお膝の上は不思議なくらい、すぐに眠っちゃうの)
 家族のそばにいるときが、ララの一番安心できる時間だった。――記憶は巡って、夏祭りの夜。
 ララは今度は大きな膝の上にいる。目の前には、大輪の花火が上がっていた。
(パパの抱っこで、花火を見たのよ。花火を見つめるママは綺麗で、にぃにとねぇねも嬉しそうで)
 ララは、とってもぽかぽかな気持ちになったのだ。幸せな、家族との思い出の夏。それを決して忘れることもないけれど。

「――もう、ララは|家に帰れない《その夏には戻れない》 でしょう」

 静かに紡いだ声は、暗闇に吸い込まれていく。夏の記憶も景色も遠ざかる。手燭を掲げた小さな手は、記憶に届くことはない。
「……でも、迎える九回目の夏だって、素敵なものになる」
 これからやってくる、九回目の夏。まだ過ぎてもいないそれを倖せに過ごすことを、ララは決めているのだ。
 真っ直ぐに向けられた聖女の瞳は、夏を繰り返すだけの魔女を捕える。桜焔が眩しくゆらめいた。願いが知りたいの。なら、教えてあげる。綺麗な微笑みに乗る稚さは、いっそ畏ろしいほど美しく咲く。

「ララの願いはね。――ララの愛する全ての迎える倖の邪魔をするな、ってことよ」

 この九回目の夏を、倖せと共に見送ることも、ララが定めているから。

日宮・芥多

 白の灯火が、懐かしい夏空を照らし出した。

 抜けるような青空と白い雲。ありふれた夏の、それでも眩しい光景。記憶のなかで、日宮・芥多 (塵芥に帰す・h00070)は高校の制服を着ていた。慌てる必要もないのに弾んだ足取りで走っている。そうして辿り着いたのは、自分が通うのとは違う高校の門前。
「――!」
 息を切らして名を呼ぶと、ぱっとこちらへ駆けてきて、流れる汗を拭ってくれる女生徒。このために毎回走ってきているなんてことは半分くらいしかないはずで。
 どうやらこれは、高校生になって初めての夏休みの前日の記憶だ。
 芥多の隣で歩き出すのは、当時彼女だった妻である。芥多と彼女は違う高校だったものの、走ればすぐ程度の距離しか離れていなかったから、毎日のように迎えに行っては一緒に帰っていた。
 けれどその日は二人とも終業式で、早々と学校が終わったから、そのまま帰るのが惜しかった。

 知らない電車で、知らないところまで行ってみませんか。
 そう提案したのはどちらだったか。どちらであれ、二つ返事であったことに間違いはなかったはずだ。
 知らない路線を走る知らない電車に揺られて、知らない郊外で降りる。
 夏とあって、空も雲も、近くに見える大きな山々の緑も、真新しい絵の具で塗り潰したような鮮やかさだった――これは、あるいは脚色だろうか。√汎神解剖機関での記憶がゆえに、どこか薄暗さがあってもおかしくはないのに。それでも、彼女といる記憶のどれもが、極彩色のように鮮やかに記憶に焼きついている。
 知らない場所なものだから、芥多たちは半ば迷子だった。けれどそれも楽しくて、あちこち探索するまま見つけた個人経営の喫茶店を見つけて入り込んだ。
 こういうお店ってはじめて、と言う彼女と同じく、芥多だって初めてだった。高校生には身に余りそうな落ち着いた雰囲気に二人で緊張してしまったけれど、それ以上にワクワクしていたのを思い出す。
 少し背伸びして頼んだメニューには、年相応ならこれと言わんばかりに、小さく盛ったバニラアイスがサービスされていて、それで緊張が解れて、ふたりして笑い合ったのだ。
 また行きたいね、と話しながら帰って――その町に行ったのは、その日が最初で最後になった。

 鮮やかな夏の記憶が、白く光って暗闇に呑まれていく。それを満面の笑みで見送って、芥多は白く灯る手燭を揺らした。
「だから、俺にとって夏の記憶の色は白です。おわかりいただけますか?」
 青空や緑の山に映える雲の白、夏に着ていた制服の白、一緒に食べたバニラアイスの白。
 どれもこれも幸せだった。鮮やかだった。だって隣に彼女がいたから。
「もしもこの頃に戻れたら、この時からやり直せたら。きっと俺はもう間違えない」
 それが芥多の願いだ。忘れもしない夏の鮮やかな白――その色は、

「ゆりちゃんを死なせたりしない」

 笑ったまま、すとんと芥多の声から感情が抜け落ちたように平坦になる。
「はは、だからこそ、この願いを叶えさせたりはしません」
 当然でしょう。ねえ。
 貼りついたような笑みが簒奪者の前で消えていく。何が愚かな私の願いだ。

「ゆりちゃんの命も、未来も、何もかも奪われたのに、ゆりちゃんの死までお前らに奪わせる訳ないだろうが」

 暗闇がぶつりと千切れて、白く明けていく。
 やがて戻ってくる夏の鮮やかな色と祭りの喧騒の中に、|白《かのじょ》はいない。

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