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プレット・トレイン

#√汎神解剖機関 #クヴァリフの仔

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 #√汎神解剖機関
 #クヴァリフの仔

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●√EDEN:東京・上野駅構内
「急ぎの仕事になります。今すぐに移動してもらうことになるので、そのつもりで聞いて下さい」
 夕方、人が行き交う駅構内を歩きながら、星詠みの|捌幡《やつはた》・|乙《おと》が説明を始めた。
「目的地は√汎神解剖機関――の、電車内です」
 開口一番、突拍子もないことを言い出す。
「順を追って説明しますね。まず、あちらの√では「怪異列車計画」というプロジェクトが機関主導のもと行われていました。
 プロジェクトの詳細はあまり重要ではないので、別途まとめてあります。見たい人はそちらを見てください」
 乙のタブレットからのデータ共有、あるいは印刷した書類という形でそれは共有された。

 クヴァリフ器官。
 √汎神解剖機関の人類社会を成立させる重要な|新物質《ニューパワー》。人々に忘却を齎す、仔産みの女神『クヴァリフ』から得られる万能道具だ。
 怪異列車とは、すなわち、このクヴァリフ器官を応用した特殊な列車を指す。車両そのものが外部に対して忘却作用を与えるのである。
 都心部を中心に、ゆくゆくは国内全土での怪異や新物質といったオカルティックな物資輸送、あるいは緊急時における大量の武装要員の迅速な出動……陸運の動脈ともいうべき鉄道を利用する計画――|だった《・・・》。
 データや書類に目を通したのであれば、そうした情報が得られる。

「こちらの方が事件解決に重要な内容なので、よく聞いて下さい」
 一方で乙は、口頭の説明を続ける。
「仔産みの女神『クヴァリフ』は、『クヴァリフの仔』という特殊な怪異の知識を齎しました。
 この怪異の幼生は、怪異や私達√能力者のような存在と融合することで飛躍的に戦闘能力を高める、という特性があるんです」
 実際に女神と交戦経験のある√能力者ならば、よく似た√能力を女神そのものが使用しているケースに出くわしたこともあるかもしれない。
「この『クヴァリフの仔』を手に入れた邪教集団が、都内で秘密裏に試運転中中だった『怪異列車』をジャックし、幼生を使うことで列車を暴走させたんです」

 乙は呆れの息を吐いた。
「名前の通り、半分怪異のような乗り物ですからね。『クヴァリフの仔』が融合すれば、それ自体が危険な暴走列車に変わるわけです。
 つまり皆さんには、その『怪異列車』に乗り込んでもらい、列車の停止、あるいはジャックした邪教徒の排除をお願いします」
 乙は通行人を器用に避け、歩くスピードを早めた。
「どういうつもりで列車なんてジャックしたのかまでは、私にはわかりません。
 もしレールから脱線して人口密集地に突っ込むようなことがあれば、当然大惨事になりますし、そうでなくても邪教集団の手にそんな乗り物が渡るのは明らかに危険です。
 おまけに試運転ですから、汎神解剖機関の関係者が乗客として若干乗り合わせていたようです。できれば、この人達の救助もお願いします」
 しかし、と乙は言葉を区切る。
「列車を停止させるには、当然先頭車両に到達しなければなりません。
 勿論向こうも妨害をしてくるはずですから、乗員救助と並行するのは難しいと思います。
 どちらを優先するのかによって、その後に取るべき行動は変わってくるのではないでしょうか。
 場合によっては列車を放棄して逃げ出したり、逆にその場で強引に儀式を行う可能性すらありますからね」
 どのような|展開《√》になるにせよ、その場その場での状況判断と目的意識が結果を左右することは間違いない。

「ところで、こんなめちゃくちゃな仕事をお願いしておいて何なのですが……」
 乙の眉間に皺が寄った。
「『クヴァリフの仔』はまだ未解明の怪異です。つまりこの幼生から、何か未確認の新物質が採取される可能性がある――らしい、です。なので、つまり……」
 嘆息。気を取り直して続ける。
「可能な限り、『クヴァリフの仔』は生きたまま切除して回収してください。
 ……私からのリクエストではないですからね。そこのところはお願いしますよ」
 強欲な話だが、それがかの√において必要な貪欲さでもある。

 やがて奇妙に人気のない駅構内に到着すると、振り返った乙の背後に一台の電車が停止した。
「幸い目的地へは直接「異世界の道」が通じてます。まあ、最後尾に繋がってるので、そこから先は実力行使で進まないとですけど……」
 プシュー。音を立てて扉が開かれた。この列車の最後尾車両それ自体に、怪異列車の最後尾車両に繋がる「異世界の道」があるのだ。
「向こうが「異世界の道」に気付けば、逆に侵攻ルートにされかねません。一度あちらへ渡ったら、どうあれ確実に仕事を終えてください。お願いします」
 かくして、怪異と狂気渦巻く悪夢の如き車両を舞台にした戦いが始まる。

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第1章 冒険 『大暴走列車』


エアリィ・ウィンディア
ゼロ・ロストブルー
久瀬・八雲

●会敵
「――……運が、悪かったな」
 ゼロ・ロストブルーは両手を頭の後ろに置き、座席の前で跪くような姿勢を取らされていた。
 ルポライターであるゼロは、このところ市井でまことしやかに囁かれるある噂を追っていた――それは、本来なら電車が走っていないはずの時間、路線を、廃車になったはずの奇妙な電車が運行しているという、通称「幽霊列車」の噂だ。

 言うまでもないが、これは限られた区間で試運転を繰り返していた怪異列車のことである。
 クヴァリフ器官を応用した車体は、極めて高い忘却作用を持つがゆえに、直視したとしても滅多なことでは存在自体を認識されない(より正確に言えば、目視した直後に忘却する)。
 だが、クヴァリフ器官の忘却作用に耐性を持つ一般人がいないとも限らない。それゆえに汎神解剖機関は、わざと自ら噂を流すことで、都市伝説に自ら近づく潜在的な危険要員の炙り出しと、怪異列車の強力な忘却作用がどの程度まで働くかをテストしていたのである。
 ゼロは怪異ルポライターという、機関が無視し得ない立場ゆえに、半ば非公認の関係者として名指しで認識されていすらした。

 そして現在、彼はその怪異列車そのものに乗り合わせている。体裁上は取材の過程でそれらしい車両を見つけ、危険を承知で乗り込んだ――|そういうこと《・・・・・・》に、なっている。この√汎神解剖機関では、未だ公での怪異の実在が証明されてはいない。だが事実的には、先述のテストをより広い範囲で確かめるための人材として招聘されているも同然だ。

「動くな。妙な真似をしたら殺す」
 魔術めかした頭巾を被った狂信者が、ゼロの後頭部に硬い感触を押し付ける。これでは双斧を取り出し、応戦も難しい。相手は突然先頭車両の側から、溢れ出すように車両をジャックし、瞬く間に制圧された形だ。
(「これじゃあ写真撮影どころじゃないか。せめてデータを守らないと……」)
 だが、危険に巻き込まれたのは一度や二度ではない。ゼロは生き延びることよりも、己の取材成果をどう守るかを考えていた。

 ――と、その時だ。
「それはこっちの台詞だよ、テロリストっ!」
「な……!?」
 突然の声に狂信者が反応した時、視界を虹色のような多色の輝きが染め上げた。壁側を向かされていたゼロは、光を直視しなかったことで視界を保っていたが、闇めいた黒に染まる窓を照らした光輝からして、直接攻撃を浴びせられた狂信者の視力は一時的に麻痺したのは確かめるまでもなかった。
 背後で激しい戦闘音。それは数秒のうちに終わり、狂信者のうめき声と倒れ伏す音で幕を下ろす。
「ふう、なんとか不意打ち出来てよかった。あなたは大丈夫?」
 ゼロは振り返り、声の主を確かめた。それは緑色の瞳に空のような青い髪を靡かせる少女――名を、エアリィ・ウィンディアと云った。
「悪いけど、あたしはもっと先の車両に行かないといけないんだ。何か情報があったら教えてくれないかな?」
「……助けてくれて感謝する。だが、そうだな」
 ゼロは思案し、表情を変えぬまま告げた。
「この先の車両は、もっとひどい光景になっている」


 ずびゅる、という生々しい音を立て、壁の一部から肉色の触手が飛び出した。得体の知れない液体が飛び散り、飛沫を浴びたスーツ姿の老人が悲鳴を漏らす。
「せいっ!」
 久瀬・八雲は裂帛の気合を放ち、己めがけて飛び込んできた触手を斬り伏せた。熱波がぐるりとその身体を覆い、おそらくは有害な飛沫を蒸発させることで身を守る。
「死ねぇっ!!」
 錆びた斧を振り上げ、頭巾を被った狂信者が襲いかかる。八雲は八雲は後ろへ退き、距離を取って攻撃をやり過ごそうと考えた。だがその足元から、先と似たような触手がぞるりと立ち上がり、くるぶしに絡みついて拘束しようとする!

「それは、させない!」
 後方の車両から飛び込んだエアリィの魔力弾が、短い触手を焼き払った。そして同時に放たれた魔力弾のうちいくつかは、襲いかかる狂信者に浴びせられる。
「助かります――緋焔よ、燃えろ!」
 長巻の刀身があかがねに輝いた。不浄な肉を裂き、八雲の反撃が狂信者を貫いた!
「がは……」
 振り上げた武器が二人を傷つけることはなく、狂信者はがくりと息絶える。八雲は残心し、脈打つ車両の防衛機構がさらなる攻撃を仕掛けてくることに備えたが、狂信者が排除されたことでこの車両の活動は停止したようだった。
「これが……クヴァリフの仔による影響なの?」
 ゼロから断片的な情報を聞かされていたエアリィは、おぞましい光景に顔を顰めた。だがすぐに、先の切り結びを怯えながら見守っていた乗客たちのことを思い出す。
「みんな、後ろの車両へ! メガネの人が先導してくれるから、その指示にしたがってね。すぐにあたし達の仲間が来るよ!」
「た、助かった……!」
 機関のお偉方と思しき老人は、ほうぼうの体で二人を通り過ぎ後ろの車両へと向かう。
「この様子だと、此処から先の車両は更に酷いことになっていそうですね。急ぎましょう!」
「うん。不意打ちにはあたしの|精霊探査球《エレメンタル・サーチ・スフィア》で警戒しておくからね」
 八雲は頷き、エアリィとともに先の車両へ飛び込む。

 同じ頃、ゼロは自らと同じ一般人たちを無能力者なりに腕に覚えがある者としてまとめ上げる役割を任されていた。
「他にも援護が来るようだ。彼らの邪魔をせず、事態の解決を任せよう」
 しかし今や、怪異列車は先頭車両を目指せば目指すほど、空間的にも歪んだ魔境と化している。
 護身用の斧を片手に、どこから不意の襲撃があっても対応できるよう備えたゼロは、√能力者達の運命に思いを馳せた――。

カノロジー・キャンベル
天華宮・六花
八隅・ころも
ヴィルヴェ・レメゲトン

●進軍
 √能力の中には、無機物すらも活性化させる術式が存在する。
 であれば怪異たる女神から取り上げられた器官が、無機物に転用できない理屈はない。怪異列車とは、すでにいくらか実証されていた器官応用装置をさらに大規模に、かつ有機的に応用したものだ。

 そして今、未確認の融合怪異幼生によって、細心の注意を払って保たれていた無機と有機のバランスは崩れていた。
「そうら、イナゴども! 突撃じゃー!」
 ヴィルヴェ・レメゲトンの召喚したイナゴの群れは、次の車両へ続くドアに群がり、むしゃむしゃと肉を食んだ。
 肉。然り、肉である。無秩序に増幅させられた肉は、本来無機物であるはずの扉を覆い――というよりも一体化し、おぞましい皮膚のない剥き出しの脂肪で象られていた。イナゴはそれを食欲の赴くままに貪り、そして次への通路を文字通りの虫食いめいて広げようというのだ。
「来るわよ!」
 カノロジー・キャンベルの勘が告げた直後、扉は向こう側から爆ぜるように吹き飛んだ。イナゴの群れは肉片に齧りついたまま四散し、怒涛の勢いで雪崩を打った邪教徒どもが、斧、剣、あるいは鎌といった西洋武器を構えて突撃する。
「この先には行かせんぞ、機関の犬どもがぁ!」
「女神万歳! 今こそ真の意味で、女神はご降臨めされるのだ!」
 完全に狂った叫び。それ自体が正気を揺るがす、忌むべき魔力を宿してすらいた。おそらくは奴ら自身も幼生との融合、あるいはその増幅によって得られた邪悪な強化魔力の庇護下にあるとみるべきか。

「残念、それ以上先へ進めないのはそっちだよぉ」
 キュン――天華宮・六花の周囲に、星めいたいくつもの光が閃いた。それは、彼女の身体から発せられた霊力が光線となったものだ。発射された光線は、しかし向かってくる狂信者そのものには向けられていない。代わりに先んじて扉の左右に展開されていた氷塊を跳ね、複雑な軌道を描くレーザーとなって荒れ狂った!
「ひ、ひいいっ!」
 乗り合わせていた機関の女性研究員は、ぐじゅぐじゅと湿った床に這いつくばり、頭を抱え込む。霊力光線を回避する術を持たない邪教徒は、呻き、あるいは断末魔の叫びを上げ、次々に倒れた。
「……この程度ぉおおっ!!」
 だが、折り重なって倒れたはずの邪教徒が、ゾンビじみて立ち上がったではないか。霊力の光線で焼け焦げた装束の下、脈打つ外付けの心臓じみた肉片が根を張り、その根は血管と一体化して全身を脈動する!
「死ねぇ、小娘がっ!!」
「しぶとい奴らですわね……!」
 頭上から声。六花に飛びかかろうとした邪教徒は、上を見上げ、そして押しつぶされた。それは天井に張り付いていた八隅・ころもの振り下ろした、凶悪なシルエットの触腕による一撃。

 暗黒じみた次の車両への扉から、ぬっと巨体が湧き出した。
「ぎゃー! 穴をすり抜けさせたヴィルヴェのイナゴがぁー!!」
 巨体は頭巾の代わりに、鋲打ちの仮面を肉に食い込ませた異様な怪人だった。√マスクド・ヒーローの、悪の組織の手先という意味ではない、空間的に拡張した怪異列車の車内において、身体を丸めながらでさえ頭部が天井に擦りつくほどの図体。
 先の邪教徒と同じように、身体のあちこちには肉片がへばりつき、肉の根を張り、不気味な脈動を繰り返していた。やはり邪教徒は、自らも『クヴァリフの仔』と融合し、戦闘力を高めているのだ!
「オオオオオ――ッ!!」
 開けた場所で背筋を伸ばせば、3メートルはゆうに超えるであろう巨人が吠えた。霊力光線がむくつけき筋肉を貫くが、しかし焼き貫いた傷口は即座に肉の網で塞がってしまう!
「なんの、肉壁ならこっちにもおるぞぉ!」
「それ、アタシのことじゃないわよねヴィルヴェちゃん!」
 ざんっ! カノロジーの右手チョップが、逆袈裟の軌道を描いた。巨人は脇腹から胸筋を通り、肩口までを斜めに切り裂かれ、動脈血を噴き出しながらも、無造作に振り上げたハンマーパンチを振り下ろそうとする。
「まだ出てくるのじゃ! 二体おるぞ!」
「私がイカ脚でよかったですわね!」
 後ろからのっそりと姿を表した巨人の首を、ころもの触腕が締め上げた。同時にそのうち一本が、振り上げられた丸太めいた手首に絡みつき、振り下ろしを阻害している!
「ナイスよころもちゃん、前衛は任せなさい❤」
 カノロジーは右手を槍の穂先めいて丸め、踏み込んだ。
「フンッ!!」
 体重を乗せた貫手だ。過たず巨人の左胸を貫いた一撃が、心臓そのものを破壊。へばりついた幼生はズルズルと足元に落下した。

 ぐったりと倒れ込んだ巨体をくぐり抜けた霊力の光線が、じたばたともがく二体目の巨人の全身を貫き、やはり同様に絶命させる。こちらも、身体に融合していた幼体がべちゃりと音を立てて脱落。
「うへぇ、この先みんなこんなグロモンスターみたいになってるの? 埒が明かないんだけど」
「それなら切り開くだけよ❤六花ちゃんは援護射撃さえ考えてくれればダ・イ・ジョ・ブ❤」
 カノロジーは人差し指を振りながら言い、びくびくと痙攣する幼生を無造作に掴み上げた。
「それと回収も忘れちゃダメよぉ? クライアントのご意向を叶えてこそのカンパニーだもの❤」
「護衛のために何体か残しておいて正解だったのじゃ。此処から先も面倒なことになっておるゆえ、注意して進むのじゃぞ」
 ヴィルヴェは新たなイナゴを放ち、仲間たちに警戒を促す。
「……|幼生《これ》、食べてはダメなのですわよね?」
「食べたらケーベツするからね、色んな意味で」
 六花は、ころもをジト目で睨んで釘を差した。

広瀬・御影
ルカ・クロガネ
白神・真綾

●殲滅
 √能力者達は先へ進むにつれ、もはやこの怪異列車を尋常の車両と同じように考えるのは無意味だという結論に達した。
『クヴァリフの仔』が融合させられる前は、怪異列車はその名の通りあくまで列車としての機能――つまり金属と機械で構成された、車両が主であり、クヴァリフ器官をはじめとする怪異由来の有機的構造が副であった。忘却作用があるとはいえ、車両としての外観を損なえば絶対に警戒を招く。最悪クヴァリフ器官の忘却作用が弱まる可能性すらあった。主な用途は輸送であるために、怪異要素を増やして戦闘能力を高める必要はなかったのだ。

 しかし今、邪教徒がそのバランスを崩した。
 外観はそのまま、内部は無秩序に増殖した様々な怪異の器官がおぞましい肉の牢獄を作り上げている。防衛機構とはすなわち、生物的な内部構造そのものが、触手や壁、あるいは奇怪な弾丸を放ち行く手を阻むということ。こんな悪夢じみた光景の中、空間が歪まない道理はなく、内部の広さは外部の質量と釣り合っていなかったのだ。
「な、な、なんだよ、この化け物の腹んなかみたいな状態は!? しょ、消化されちまうのか!?」
 比較的若い乗客――おそらくは機関に出資する企業かどこかのエリートだろう――は、狂気を発さないはずのない光景に混乱し、叫んだ。
「黙れ! これはいわば肉の器、数多の血を吸い我らの女神が降臨めされるのだ!」
 邪教徒は意味不明な言葉を叫び、喚き立てる乗客の首を切ろうとした。

「待ちやがれ!」
 しかしそこで、ルカ・クロガネの怒声が邪教徒を制止した。
「テメェらが相手すべきは、邪魔しにきてやったオレらじゃねえのか? 大事な生贄とやらを、癇癪でぶっ殺しちまうわけにはいかねえもんなぁっ!」
 ルカは日本刀を両手で構え、自ら突撃した!
「その気にならねえなら、存分に邪魔させてもらうぜ!」
「おのれ……!」
 邪教徒は目を血走らせ、ルカを迎え撃とうとした。片腕がグロテスクに肥大化し、ルカの首を刎ねる危険な横薙ぎの殴打を繰り出した!

 しかし二人がすれ違った時、ルカは傷一つ負っていない。
「図体ばっかり膨れ上がって、遅いったらねえな」
「な……!?」
 ずるりと、肥大化した片腕が切断され落下した。ルカは得体の知れない液体にまみれた刀を振り、体液を払う。
「貴様ぁっ!!」
「ヒャッハー! 隙ありデース!!」
 振り返りもう一度殴りかかろうとした邪教徒に、白神・真綾が飛びかかった。

 直後、邪教徒の首は驚愕の表情のまま宙を舞った。
「ひいいい!?」
 エリート風の若者は悲鳴を上げた。それは、真綾が振るった異様な光る殺戮兵器――すなわち、フォトンシザーズでの断頭処刑だったのだ!
「やられる前に殺すデース! これが噂の『クヴァリフの仔』デスネー?」
 真綾はそのまま首なし死体をバチン、バチンと裁断し、肉体にへばりついた幼生を切除し、興味深そうにつまんで眺めた。若者は卒倒しかけたが、そこで広瀬・御影が視界を遮る。
「はいはーい、そこまでだワン。落ち着いて指示にしたがってほしいニャン」
「た……助けに来てくれた、のか?」
 若者は唖然と問いかけた。
「そうだワン! 荒っぽいことは僕らにお任せして、今は何も考えずについてくるニャン!」
 御影は若い乗客をなだめ、今は生き延びることにのみ思考を誘導する。一瞥を受けたルカは頷き、けらけらと笑う真綾をさておいて次の車両へ急いだ。
(「どうせオレに出来るのは、敵をぶっ倒すことだけ。まっすぐに先へ進んでやるぜ」)
「さーさー、もう安心ワン! 僕の背中だけ見ててほしいニャン~」
 役割分担……というにはいささかスタンドアローンの気質が強かったが、それでも|索敵と殲滅《ハック・アンド・スラッシュ》は効率的に進んでいた。

十枯嵐・立花
八手・真人
ハリエット・ボーグナイン

●向かい風
「ギャーッ!! ウワーッ!! ヤダーーーーッ!!!」
 ごうごうと吹き付ける強風の中、八手・真人の甲高い悲鳴が響く――だが風鳴りのせいで、何を喚いているかは幸い(?)列車の中には全く伝わっていなかった。

 ところで、なぜ彼はわざわざ外にいるのだろうか。不思議に思っても無理はないだろう。
「たたたたたすけてぇえええ!!!」
 何故なら、真人にとっても不本意だからだ。彼は急カーブがかかった瞬間、開けっ放しの窓からぬるんと投げ出されてしまったのである!
 かろうじて振り落とされずに済んでいるのは、真人を依代とする蛸神のおかげだ。その証拠に、神の力で増幅された蛸の触腕が、列車の外壁部分にぺったりとへばりついていた。
「たこすけ!? 離さないでね!! ぜぜぜ絶対離さないでッッッ」
 蛸神様はやれやれといった様子である。

 で、その騒ぎを、風に乗って伝わる悲鳴を、後部車両から着実に進む十枯嵐・立花は訝しんでいた。
「……何、アレ? 手助けした方がいいのかな」
 立花自身はパンタグラフに触らないよう、そして風圧に振り落とされないように身を伏せ、匍匐前進めいた低い姿勢で天井の上部を進んでいるところ。
 その気になれば追いついて真人に手を差し伸べることも出来なくはなかったが、いかんせんべったりと外壁にへばりついている蛸腕がものすごく不気味で得体が知れなかったため、なんとなく手を出すのは憚られた。

 しかしその時だ。
「外から近づいてくるとは、神に対する敬意を知らぬ不敬者どもめが……!」
 なんということか……立花の行く手を遮るように、車両上部を四つん這いでこちらへ向かって這いずってくるシルエット。半ば人の形を失いつつある邪教徒ではないか!
「うわ。外にまで敵が出てきてるなんて聞いてないんだけど」
「やややややばいやばい振り落とされるうううう!!」
 立花は大騒ぎする真人に軽く舌打ちした。あれでは振り落としてくださいと言っているようなものではないか!
「ん?」
 立花を睨みつけていた邪教徒は身を乗り出し、ぎゃーぎゃー喚きながら車体にしがみつく真人を見た。
「あ、どうもぉ……」
 真人はおずおずと挨拶した。

「……貴様なんだその名状しがたい触腕は!? さては女神の降臨を邪魔する異端の神のしもべか!!」
 案の定邪教徒は目を血走らせ叫んだ! 立花は攻撃するかを思案する。だが交戦中に障害物にぶつかるような事態は避けたい!
「たたたたこすけ!! なんとかしてぇええ!!」
「ここから振り下ろしてやる! 地面のシミになるがいい!」
 邪教徒は刃を振り上げた。その時、路線に大きなカーブがかかった――。

 すると、立花は真人がへばりつく側とは逆から、振り子運動の要領で何かがぶおんと飛来するのを視界の端に捉えた。
「え?」
「なんだ?」
 邪教徒はそれを見た――それは、質量だった。夕焼け空を長方形に切り取ったような黒い輪郭は、棺――SMAAAASH!
「グワーッ!?」
 邪教徒は大質量の直撃を受け、そのまま真人の頭上を飛び越えるように吹っ飛ばされた。立花は悲鳴を上げて列車から振り落とされた邪教徒を見、そしてドップラー効果を起こした悲鳴が、ぐしゃりという生々しい音で途切れたのを確かめると、再び前を見た。
「何今の」
「あぁ……? なんかぶつかったか?」
 質量の正体は、棺桶だった。そして棺桶の下から、段ボールを被ったどこかの伝説の傭兵めいて顔を覗かせたのは、ハリエット・ボーグナインである。
「外壁から攻めてってたら急にカーブしてよぉ、鎖絡ませてなかったら振り落とされたとこだぜ……っておいおい、なんかピィピィ喚いてるのがいンだけど?」
「ひいいい邪教徒の仲間!?」
「おれはただの|死人《デッドマン》だよォ」
 ハリエットは意外にも手を伸ばし、真人を引っ張り上げてやった。
「……あ、ども」
「ん? おお……ちっす」
 立花はいまさらのように先へ進み、そこで存在を認識したハリエットと、微妙に面識のないご近所さんみたいな挨拶を交わした。
「あー……このまま並んで進んでいくか?」
 猛スピードの風の中、奇妙な連帯感が生まれていた。

魔花伏木・斑猫
録・メイクメモリア
西織・初
夢野・きらら
カンナ・ゲルプロート
雨森・憂太郎

●魔境
 ぶよぶよした触手状の物体。『クヴァリフの仔』はそのように形容するしかない、名状しがたい怪異の幼生だった。
「おおおお……女神よ、あなた様のご加護を感じます……!」
 心臓部から触手を生やした邪教徒は、恍惚としていた。同じ触手は肉色に染まった怪異列車内部のあちこちにも生えている。これはすなわち、怪異列車そのものに融合した『クヴァリフの仔』は、一体や二体では効かないこと、そして乗り合わせた邪教徒もまた己が融合体となることでその力を高め、√能力者に立ちはだかることを示している。

「そして、女神のご降臨を阻む不徳者どもに、死をォッ!!」
 異界化により、外部の形状からはありえない大きさに拡大された車内の空間は、粘液滴る肉色の魔境と化す。そのおぞましい野を、完全に発狂した邪教徒どもがファランクスめいて横列をなし迫った!
「こ、これじゃ脱線どころの話じゃありません……!」
 魔花伏木・斑猫は迫りくる敵を見据えながら叫んだ。
「こんな|もの《・・》が人口密集地帯に脱線でもしようものなら、何が起こるか……! 邪神級の怪異が街の真ん中に召喚されるようなものです……!」
「だから止めないといけない。乗客は私が保護するから、奴らの相手をお願い」
 西織・初の|幸せを願う歌《アオイトリ》が、車内の狂乱した乗客たちの精神を鎮静させ、暴れて戦闘の邪魔になるような最悪の事態を防ぐ。本来であれば窓を開け外に逃がしたいところではあったが、猛スピードで疾走し続けるこの車内から外へ出すのは自殺行為だ。まずは後方へ避難させねばならない!
「ほら、立って! イカれた連中に頭かち割られたくないでしょ。根性見せなさい!」
「ぼくの後ろに来るんだ! もし撃ち漏らしがあっても全力で防ぐ!」
 カンナ・ゲルプロートが檄を飛ばし、使い魔たちとともに自ら前へ出て、乗客を誘導する初もろとも彼らをかばう。さらに夢野・きららが殿となり、魔力の壁を発生させて文字通りの守りとなる形だ。

 そして後ろへ急ぐ乗客らと三人に入れ替わる形で、二つの影が前へ飛び出した。
「今からでも、退いてもらうわけには――いかなさそうですね」
「病は、断つべし。そして命は恙無く救うべし……ここから先へは、通さない!」
 雨森・憂太郎と録・メイクメモリアである。憂太郎は白木の木刀を、録は山刀『雷火』を構え、全力で敵を迎え撃った!
「邪魔をするな、異端者どもがぁあっ!!」
 口から涎を撒き散らし、誰が見ても完全に正気を失った狂信者が迫る。憂太郎は接敵寸前に顔を顰めた。木刀は喉突きから、振り下ろされる手首を狙ったコンパクトな一撃に滑るように移った。
「……そこです!」
「ぐぁっ!!」
 鈍器じみて肥大化した拳を振り下ろそうとした狂信者は、手首の骨を砕く一撃に苦悶し、膝を突いた。喉を突いていれば、相対的な速度も相まって一撃で仕留められたはずだ。憂太郎がそうしなかったのは――否、|出来なかった《・・・・・・》のは、ひとえに彼の実践経験への慣れが乏しいためである。

 だが、そんな甘い性善説を、敵は斟酌しない。
「おぼ……ごぼぼぼぼぉっ!!」
「!?」
 邪教徒の顎が外れ、口の中からおぞましい触手が雪崩を打った。それは体液をしたたらせ、最低限の攻撃で制圧を狙った憂太郎めがけ襲いかかる!

 ――ざんっ!!

「病は、灼く」
 触手を断ち切ったのは、録の『雷火』だった。切断面はぶすぶすと焼け焦げている。憂太郎はぞっとするような横顔に息を呑んだ。録は振り返らず、切断攻撃を受け後退る邪教徒に向かい一歩踏み込む。
 足元で、肉がぐしょりと嫌な音を立てた――だが足跡からは驚くべきスピードで草が芽吹き、蔦が生い茂り、驚異的な勢いで異界を逆侵食していく。
「まるで森じゃないか」
 きららは呻いた。そう、森としか言いようがない。録の√能力による生命の活性化、それが空間さえ歪ませる怪異の狂気を飲み込んでいく!
「お前は、病だ。先生なら、師なら、きっと――!」
 録は己に言い聞かせるように叫び、そして雷火で怪異と化した邪教徒の喉を突いた。炎は怪異化した肉体を飲み込み、その火だるまじみた身体を木々が飲み込む。ポストアポカリプスの都市めいて。

 しかし、牙を剥くのは邪教徒だけではない。緑の侵食を拒絶する肉の壁から、クヴァリフの仔めいた触手がいくつも生え、びゅるびゅるとしなった。それは怪異列車が持ちうる防衛機構が、クヴァリフの仔との予期せぬ融合によって危険なまでに活性化したものだ。触手は前線を張る録と憂太郎の背後、乗客らを守るきらら達へ鞭めいて振り下ろされた!
「これは……少し想定していなかった脅威だな!」
 ばちぃっ! きららの展開したエネルギーバリアは、肉の鞭を弾いた。熱量に自ら触れ焼け焦げた触手は、しかしびちびちと跳ねながら焦げ跡から新たに触腕を生やす。これでは埒が明かない!
「しゃ、車内での危険行為はご遠慮くださいいぃぃ……っ!」
 ウォオルルル! ギュガガガガッ!! 恐れながらも前に出た斑猫は、割鋸『鬼蟷』をめちゃくちゃに振り回した。チェーンソーは凄まじい音を立て、肉を割り、得体の知れない紫や緑の体液の飛沫を散らす。切断面をのたうつ茨が縛り上げ、触手を制圧し、覆い隠していった。
「お、お、終わりだぁ! 世界の終わりなんだ! みんな死ぬんだぁあ!!」
「落ち着いて……大丈夫、もう心配要らないから、後ろを見ないで前へ」
 発狂する乗客を促し、初はひたすら前=後部車両へ避難するよう促す。一人、また一人と乗客が巻き込まれないよう避難を最優先しながら、彼は後ろを振り返った。
「終わってる連中なのは、間違いないけどね! 迎え撃ってたらきりがないから、私が先の情報を調べるわ!」
 カンナは中衛に陣取り、先に使い魔達を駆けさせた。次から次へと奥の車両から現れる邪教徒達の足元を駆け抜けた黒猫は、暗黒めいて見通せない前方車両へ繋がる戸口を抜ける。

「た、助けて……!」
 猫の目を通じ、カンナは見た。ひとつ先の車両で、恐怖する乗客が邪教徒に襲われようとしている光景を!
「……っ! ごめん、援護お願い!」
 カンナはいてもたってもいられず駆け出した。禁忌に挑む汎神解剖機関の関係者など、因果応報を味わおうと所詮は自業自得――そう割り切っていたのは、十分に予測できた事態に吹き飛んだ。見てしまった以上、彼女はたとえ衝動的だろうと手を差し伸べずにはいられない性分なのだ。
「……邪魔を、しないでくださいっ!」
「うぎゃああっ!」
 覚悟を決めた憂太郎が、カンナの行く手を阻む邪教徒を力強く打ち据え、吹き飛ばした。嫌な手応えが、命懸けの闘争に慣れることの出来ない少年の魂を震え上がらせる。だが躊躇していれば、己ばかりか他の誰かの命が奪われるのだ。
「女神よ! この不埒なる者の命をお捧げいたします!」
 前方車両。あらん方へ黒目を向けた狂った男が、鈎爪めいて異形化した腕を振り下ろそうとしていた!
「死ぬなら自分が死になさい、狂人!」
 カンナの影がトゲめいて起き上がり、邪教徒の腕を貫いた。
「ぎゃあああっ!?」
「おのれ、√能力者め! ここまで攻め込んできたか!」
 さらに次の車両に続く扉を開け、新手が出現!
「そこだ――射線は空いてる、後ろから失礼するよ!」
 きららの魔法がレーザーめいて車両をまたぎ、邪教徒の胸を撃ち抜いた! 狂乱の戦場は、未だ終わりを知らない!

アダン・ベルゼビュート
七瀬・禄久・ななせ・ろく
ララ・キルシュネーテ
不破・ふわり

●火の粉
 ぎ――ゃりんっ!!
「ふふ!」
 鈴の鳴るような笑い声が響いた。それはカトラリーを振るい、邪教徒の危険な両手剣を弾いたララ・キルシュネーテの声。幼く儚げで、しかし妖しく恐ろしい笑みが火花に照らされる。
「死ね! 異教徒め!」
 これまでの攻防で頭巾が脱落した邪教徒の顔面には、肉の根とでもいうべき血管じみた模様が這い回る。それはぐねぐねと蠢くローブの下、肉体に同化した『クヴァリフの仔」の|祝福《のろい》の証。強化された膂力は、ララと正面切って打ち合うことが出来るほどのものだ。
「ええ、いいわ。遊んであげる」
 ぎゃぎぃんっ! 再び鈍く甲高い激突音。ララは鎧袖一触し先の車両へ進もうとするが、守護者じみて仁王立ちした頑強な邪教徒がそれを許さない。退けばそのまま、後ろで避難を促される乗客を逃がすまいと襲いかかるのは目に見えていた。

 だが、結果的にララに守られている乗客達にも、危険が迫っていた。
「お、りゃあッ!!」
 ゴッ! |七瀬《ななせ》・|禄久《ろく》の拳が、乗客を絡め取ろうと迫る半金属的な触手を叩きのめした。それは異界化した怪異列車の内部そのものが変質したものだ。同じタイミングで逆側から新たな触手。禄久は烈風の力でギリギリの反撃を間に合わせ、裏拳でそれを弾いた。
「乗り物自体が牙を剥くとは、完全に地の利は奴らにあるな……!」
 アダン・ベルゼビュートはその後ろで、怯える乗客らを庇うように立つ。彼の周囲には、黒き魔焔で灼かれた邪教徒の死体が黒焦げになって転がっていた。

 クヴァリフの仔は、怪異や√能力者に融合し、その戦闘力を高める。
 そしてこの怪異列車は、星詠みから伝えられていた通り、列車車両に怪異を有機的に融合させた、いわば器物と怪異の|合成物《キメラ》だ。
 本来は無機物の割合を多くすることでバランスを保っていたはずが、おそらくは先頭車両にあった生体部分にクヴァリフの仔が融合、均衡が崩れたことで車両そのものが怪異に『引きずられて』いる。事態を放置すれば、時速100km/hのスピードで首都圏沿線を爆走する巨大怪異の完成だ。時間は敵の味方で、地理も敵の味方。ゆえに死に物狂いで通さず、また生贄として価値のある乗客は絶対に逃さない。邪教徒が危険を構わず自らに怪異の幼生を融合するのも、妥当な状況だった。

(「なるべく早く先頭車両にたどり着かねばならんというのに、足止めを食らっていてはそれもままならんか。いや――」)
 いっそ乗客を捨て置き、前に出るべきか。アダンは思考する。それは本末転倒だ。しかしこのまま禄久とララに前を任せるばかりでは……!
「もらったぞ、異端者め!」
 声は背後からした。何人かの乗客が悲鳴を上げた。アダンは肩越しに見た――さっきまで怯え震えていたはずの一人の男が、殺意に醜く表情を歪め、懐に隠していた短刀を腰だめに構えるのを。
(「伏兵か!」)
 振り返り、対処するか? 否、黒き獣爪では、この密集した状態では周りの乗客に被害が……!

「ぐあああっ!?」
 苦悶したのはアダンではなく、邪教徒だった。アダンの背中を狙い突き出そうとしていた短刀が、カランと音を立てて床に転がる。
 その理由は、邪教徒の手首に噛みつく犬――いや、犬の形をした赤い風船のせいだった。しかし牙ははっきりと邪教徒の手首に食い込んでいる。
「お犬さま。お願いします」
 不破・ふわりがぼんやりとした声で言うと、もう一体の赤い犬のバルーンアートが邪教徒に襲いかかり、喉笛に食らいついた。悶える邪教徒を犬のバルーンアートは抑え込み、そして鎮圧する。
「緑のお犬さまは人を守ります。人を連れて行くことも出来ます」
 ふわりはアダンを見た。
「お犬さまは鼻が効きます。私はお犬さまと友達です。私だけでは難しいです。あなた様がいます」
 後ろは任せろ、ということらしい。アダンは頷いた。
「切り込むぞ! 俺様と交代せよ!」
「……わかった!」
 禄久は頷き、ポジションをスイッチした。ガシャン! 窓が割れ猛烈な風が吹き込むと、外から半ば怪異と化した邪教徒が、肉の翼を広げ飛び込んできた!
「ARRRGH!」
「させるかよ!」
 SMASH! 禄久の鋼鉄の拳が闖入者を叩きのめす。
「警視庁奇々地域災害特別捜査課長、七瀬警視だ! てめぇら全員現行犯逮捕ってとこだな!」
 入れ替わったアダンは叫ぶ姿を一瞥。そして邪教徒と激しく切り結ぶララへと辿り着いた。
「ええい、新手か! だがここは通さんぞ!」
「好きに喚いているがいい。俺様は聴く気はない!」
 劫火の獣爪が、刃を退けた。燃える黒焔が狂気を押しのける!
「ぐうっ!」
「さあ、あそびましょ? そして」
 ララは小さく軽い身柄を生かし、鞠めいて丸めた身体で頭上を取っていた。はらはらと花一華が舞い散る。
「たあくさん、ララに味わわせて?」
「な――」
 カトラリーが肉を裂いた。ララは触手状の肉塊を切除し、ぞっとするような蠱惑的な笑みを浮かべ、絶望に目を見開く邪教徒に食らいついた。

「ひ、ひいいっ!」
「お犬さまがいるのです。怖がる必要はないのです」
 恐ろしい戦闘風景をバルーンアートが遮り、ふわりが眠るような声で乗客をなだめ、後部車両と誘導する。
「私達は助けに来たのです。先頭のブレーキで止めるのです。映画で見ました」
「ああ、けどまだそのクライマックスにゃ段取りが必要そうだな……!」
 禄久は鋼鉄の拳を握りしめ、行く手を阻む肉の触手の群れに対し挑みかかった!

久瀬・彰
ノーバディ・ノウズ

●影走
 ――バガァンッ!!
「「「なんだ!?」」」
 爆ぜ飛んだ車両扉に浮足立つ邪教徒の群れの叫びは、直後断末魔に変わった。空間的に歪み拡張された肉の異界に飛び込んだのは、黒い巨大質量――そのように形容するしかない、猛スピードで突撃する「何か」だったのだ。
「こりゃちょっと荒っぽすぎない? 広くなっているとはいえ、まるごと叩きのめせるのはいいけどさぁ」
 質量の正体は、影だった。正確には首なし馬めいたシルエットに凝り固まった影闇。そしてその後部にタンデムした久瀬・彰は、さして気にしていないような剽げた声で言った。
 その証拠に、彰に根ざす影もまた、首なし馬の左右から鎌のような鋭利かつ物騒な形を伸ばし、横列を薙ぎ払う助けをしているからだ。
「あ? いいんだよどうせ乗り物自体物騒だろうが! 次行くぞ!」
 首なし馬コシュタを駆るノーバディ・ノウズはぶっきらぼうに叫び、踵で影の馬の腹を蹴った。声なき嘶きを上げ、怪物は次の車両へ続く扉を――破壊!

 先へ進むにつれ、異界じみた名状しがたき風景は悪化する。
 何度も画像変換した写真がどんどん劣化し、色が潰れ、単純な風景がアブストラクトなサイケデリック映像に変じていくかの如く、もはや電車内であることが信じられない不気味な有様。癌細胞めいて無秩序に増殖する肉が、車両内部を有機的に侵食し、そしてその侵食もまた悍ましくグロテスクになっていく。壁は膿のような気味の悪い何かで覆われ、先頭車両で融合させられた『クヴァリフの仔』とよく似た触手状の物体――言うなれば根ざした『仔』から生えた『孫触手』が、左右からおびただしく伸びて二人の行く手を阻むのである。
「ははははは! 女神よ! ご照覧ください! 我らの生み出した孵卵器を!」
 身体の半分以上を大小様々な触手に覆われた邪教徒が叫んだ。
「この車両は、あなた様の玉座にして覇道を拓く先触れ!
 そしてあなた様の御子を孵化させるための、卵を産み落とすための苗床!
 そう! いわば|若雌鶏《プレット》です! どうぞこの肉に取り込まれた、哀れなる生贄どもを蚕食なされませ!」
「だってさ」
「くだらねェな!」
 コシュタは猛スピードで突撃!

 その瞬間、邪教徒の肉体が爆裂した。
「「「ごぼぉおおAARRRGH!!」」」
 もはや融合ではなく、クヴァリフの仔に心身を差し出した邪教徒は、無秩序な触手の増殖で肉の壁じみて質量を増やし、二人を阻もうというのだ。広がった触手は同種の系統に根ざしてしまっている車両そのものと結びつき、肉の牢獄とでもいうべきグロテスクな融合を成し遂げようとする。
「突っ込むぜ!」
「はいはい。|外科手術《こっち》のスキルまで入り用とはね」
 ぞわりと、彰に根ざす影が放射状に広がった。それらの先端はメスじみて薄く鋭利だ。コシュタは肉の網じみた壁に突っ込み……結びついた車両と肉塊の融合面を、渦巻く影の刃が切除した!
「「「しゅふぉシュふるるRURUあBAブ羅ァアAAAARRRGGH!」」」
 祝詞のような、歯擦音のような、おぞましい声を上げ、無数の牙と歯の生えた肉の波濤が影を飲み込もうとする。
「障害の方がランナー妨害したら、ルール違反だろうが!」
 ノーバディは肉の塊を掴み、膂力で引きちぎった。ぶちぶちと異様な体液を撒き散らしながら引きちぎられたそれは、幼生の塊だ。そしてもう片手は、異形化した肉の内部から元の邪教徒の身体を強引に引きずり出す。
「や、やめろ! 神の御子の抱擁を……!」
「そうかよ。マナーの悪い奴にはご降車ねがうぜ!」
 ノーバディは力任せに邪教徒を車外へ投げ飛ばした。窓ガラスが割れ、風が吹き込み、影に切断された異界化の残滓を洗い流していく。

 その手には未だびちびちと痙攣する触手状の物体のみが遺された。
「ちょっと途中下車させてもらうよ」
 彰はコシュタから飛び降り、繭めいた肉の塊を切り裂いた。膿のような体液にまみれ、昏睡した職員が中から引きずり出される。怪異列車に取り込まれかけていたのだ。
「もしもーし、起きてる? 引き継ぎ事項とかあったら……」
「……や、つらだ」
 朦朧とする職員が言った。
「|連邦怪異収容局《やつら》が、邪教徒を先導して……次の召喚儀式を……!」
 彰はうんざりした顔で振り返った。ノーバディは首なし馬の鞍上で、肩を竦めてみせた。

千桜・コノハ
リア・カミリョウ
ギギ・ココ
オーキードーキー・アーティーチョーク

●災禍
「嫌だ! 助けてくれぇ!」
 車両の床に腰あたりまで|沈み込んだ《・・・・・》職員が叫ぶ。
「し、死ぬ!? 死にたくない、せめてまともな形で……!」
 壁に右半身を|飲み込まれた《・・・・・・》研究員が咽び泣いた。
『ははは。|愛《よ》い、|愛《よ》い。泣き叫び、藻掻き、足掻け』
 悲痛と絶望のサバトじみたすり鉢状の空間――既に車内は正常な空間の構造をすら喪失している――の中心、のっぺりとした黒一色の、艶やかで悍ましい女体めいた輪郭が身をくねらせる。それは『仔産みの女神』の、いわば影。|じきに降臨する《・・・・・・・》真体の先触れである。
『妾は汝らに仔を与えようぞ。この妾のために与えられし苗床にて、汝らの求める仔を産み、与えようぞ――そして汝らは、そのための贄となるのじゃ』
 先頭車両では、おそらくクヴァリフそのものを降臨させるための儀式が行われている。その影法師じみた狂宴が、この車両では起きているのだ。
 車両と融合した『クヴァリフの仔』の孫触手が、壁から、床から、天井から芽吹き、育ち、そして祝福と歓喜に震えた。
 狂気。人類が許容してはならぬ、しかし√存続のために解剖せねばならぬ狂気の|はらわた《・・・・》が、ここに在る。

「おお――おおお! 女神よ! 影すらもなんと美しいことか!」
 邪教徒の一人は恍惚として斧槍を銃剣めいて肩に担いだ。
「いざ! そのお美体に捧げるべき贄の首は、光栄ながら我が手にて――」
「それは、だぁめ」
 寸前で割り込む影があった。ざん、と鋭い風が吹き、周囲にわだかまる肉の氷柱めいた触手が同時に切断された。
「な」
「に?」
 切断されたのは邪教徒も同じだった。刎ねた首は宙に舞った瞬間右と左に分かれ、仰向けに倒れた邪教徒は己を斬り伏せた千桜・コノハを認識することすらないまま死んだ。
「あはっ。残念だったね。|子供《ガキ》にこんな簡単に不意を突かれてさ」
「貴様っ!!」
 別の場所に配置されていた邪教徒が怒りに目を剥く。その身体が一割近くパンプアップした。ローブを突き破り、肉体に融合した「仔』の触手がびちびちと痙攣する!

 BLAMN!
「あギッ!?」
 スラグ弾が肉の飛沫を散らした。シャコン、と音を立てて二連式散弾銃をリロードしたギギ・ココは、既に走っていた。
「な、新手だと――」
 斧槍はギギの首を刎ねるため、横向きに滑ったはずだった。しかしそれは傍から見ると、まったく間合いを考慮しない出鱈目な反撃でしかなく、迎撃のために振るわれたはずの斧槍はてんで見当違いなタイミングで、ギギの頭を掠めすらせずに無意味に右から左へ通り抜けた。
「|発動《セット》」
 それはギギの√能力、|災厄の双世《ダブルディザスター》の力だ。
 認識そのものを|二分の一《ぶんかつ》された邪教徒では、ギギのスピードを正しく認識出来ない。ゆえに出鱈目なタイミングで無造作に斧槍を振るったのだ。その速度を、決断的な飛び込みを、正しくフォーカスして備えることが……出来ない! BLAMN! 接射! 邪教徒の頭部がウォーターメロンじみて吹き飛んだ!

 コノハの刃とギギの的確な射撃が、肉の檻めいた触手に絡め取られ、あるいは飲み込まれようとしていた乗客たちを救い出す。
「た、助かったのか……」
「そうなの。もう大丈夫だから、走って!」
 甲高い声――いや、歌が彼らの背中を押した。目の前で、周囲で繰り広げられる狂気風景に対する認識が、己を急かす激情の歌によって|滑り《・・》、彼らは混乱すらも忘れて後部車両へ続く扉へ駆け込む。
「押し合わないでね。順番に! そうすれば逃げられるから!」
 リア・カミリョウは、己の左右に分かれて逃げ込む乗客達に呼びかける。『世界を変える歌』の齎す幻影が輪唱のように鼓舞の歌を強め、√能力者ではない乗客達を激励するのだ。この歌声がなければ、彼らは己らを襲った狂気に脚がすくみ、あるいは助かったはずが痴れ狂い、浮足立って邪教徒に喉笛を切り裂かれていたかもしれぬ。
「それにしても、酷い光景……リアは慣れてるからいいけど、メチャクチャなのだわ」
 リアをして顔を顰めざるを得ないグロテスク光景の中、コノハとギギがさらに出現する邪教徒を、あるいは壁や床からはびこる肉の触手を切り裂き、撃ち抜く。

 その中心、女神の影法師は不快げなパルスを放射した。
『我が仔らの誕生を邪魔するとは。無粋ぞ』
「ンンン~~~~~~ッッッ!!! その不興、不愉快!! 実にッッ!! 痛快ッッッ!!」
「うひゃあっ!?」
 リアは突然前触れもなく響いた大声に、驚いた。しかし√汎神解剖機関で幼い頃から育った彼女ですら、その声の主を|正確に《・・・》認識するのは困難を極めた。

『何者だ?』
 影は見た。それは3mはあろうかという、極めて巨大で細長いシルエットだった。
「……新手の怪異、かな?」
 邪教徒を斬り伏せたコノハは、もう一つの影法師とでもいうべき異形を視界の端に捉え、しかしその本質までは見通せず、訝しんだ。それはオーキードーキー・アーティーチョークと名乗る√能力者――いや、怪異というのは間違ってはイない。だがこの場において、敵の敵は味方だ。
「伝播するネットロアの怪人たる我輩と貴殿の持つ忘却とは~~~相容れずッッッ!!! 故にッッッ!!!」
 窮屈そうに体を丸めた怪異は、突然騒がしい声の鳴りを潜めた。

 直後、肉を夥しい緑が覆った。
「草木だと?」
 ギギは訝しんだ。それは怪異を中心にはびこる森であり、影を飲み込んでいく。異界はさらなる異界によって覆われ、そして女神の影をも飲み込んでいくのだ――。

ルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーション

●命を守る拳
 √能力者の制圧が先へ進めば、後部はまったく安全になるのかといえばそんなことはない。何故なら今の怪異列車は、それ自体が一種の怪異としてバランスを崩し暴走している。壁が、床が、天井が、ありとあらゆる構成物が肉と鋼の歪んだキメラとなり、クヴァリフの仔の写し身めいた悍ましい触手が生えて乗客を絡め取ろうとするのだ。
「さっきから鬱陶しゅうて敵わんな」
 ルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーションは溜息交じりに吐き捨て、乗客の背中に襲いかかる肉の触手を裏拳で殴り払った。逆側から、別の乗客の足元にしゅるしゅるとタコ足めいた触手が迫る!
「もぉ、次から次へと……!」
 ルーシーは苛立ちを脚に籠め、思い切り触手を踏みつけた。千切られた触手はビチビチと体液を撒き散らして跳ね、やがて煙を上げながら萎み消失する。
「これ、例のなんとかいう『仔』とちゃうんか? 枝毛みたいなもんやろか」
 ルーシーはあえて殿となり、保護された乗客の安全確保を優先した。今も先頭車両の手前では、多くの√能力者が奮闘しているはず。邪教徒の大部分は駆逐、ないし食い止められているはずだが……。

「見つけたぞ、贄どもめ! 女神の慈悲から逃れるべからず!」
 このように目ざとい邪教徒が、窓を伝い後部車両へ乗り込もうとしてくるケースもある!
「ひいい!? こ、殺される!」
「はい、そこまで」
 ルーシーは乗客と邪教徒の間に割って入り、ファイティングポーズを構えた。
「そっちもこんなとこに構ってる場合違うやろうに、ご苦労なことやね」
「黙れ! 救世を阻む異端者めがぁ!!」
 車両に乗り込んだ邪教徒の顔面から、ぼこぼこと触手が生えた。それは胴体部に融合した、クヴァリフの仔がもたらす異形化だ。増強された身体能力は、もはや人間の域から逸脱している。
「長々相手してる暇あらへんのや、とっとと……降車しとき!」
 SMASH! 邪教徒の歪んだ鈎爪めいた手が届く寸前、後の先を得たルーシーの鉄拳が顔面を殴り砕いた。
「ぐほぉっ!?」
 邪教徒はきりもみ回転しながら窓の外へ叩き返され、スピードの中に消えていく。あくまで防衛のための戦闘ではあるが、人の理を外れた輩に対する慈悲もなかった。
「さぁて、せめてもう少し後ろが楽んなってくれるとええんやけど」
 ルーシーは次なる脅威に備えた。戦いは列車のそこかしこで続いている……!

黒塚・いろは

●影は闇を進む
「おい、大変だ!」
 両手剣、斧槍、拳銃……各々武装した邪教徒達は、こけつまろびつ駆け込んできた同胞に注目を集めた。
「どうした?」
「もう、すぐそこまで奴らが来ている……! 車両の外からもだ。
 このままでは先頭車両を奪取され、計画は水の泡だぞ……!」
「……それで?」
 邪教徒は不気味に落ち着いた声で問いかけた。
「我々は急いで脱出すべきだ。そのために、乗客を解放して囮にしよう。
 奴らの目的はあくまで救助のようだから、そうすれば……」
 邪教徒は――邪教徒の姿をしたモノは、言葉を途切れさせた。

 彼は既に周囲を囲まれている。
「あれ? もしかして俺、何かミスした感じ?」
「我々がただの犯罪者集団か何かだと思っていたようだが、甘かったな」
 儀礼的な装飾が施された、おそらく他の者より一つ位の高い邪教徒が言った。
「我々は女神をご降臨させればそれでよいのだ。既に準備は整っている。
 そして我らの女神クヴァリフは、智慧とともに仔を授けてくださった。
 ゆえに我らが逃れることなど在り得ぬ。目的を達成する以外にはな……!」
 フードの奥、血走った目が邪教徒を――その姿を模倣した黒塚・いろはを睨んだ。
「なんのつもりか知らないけど、どっかに自分たちもろともこの|怪異列車《デカブツ》を突っ込ませるとか? ほんと、尻拭いさせられる身にも……」
「殺せ!」
 包囲した邪教徒が同時に攻撃を仕掛けた。ローブがはためき、触手状の物体――すなわち『クヴァリフの仔』の融合による異形があらわとなる!

 だが、斧槍が、刀剣が届くより早く、剃刀のように鋭い空気の刃が奴らの肉を切り裂いた。
「「「ぐっ!?」」」
「とはいえ、お仕事だからね! 頼まれたことはこなさないと!」
 鎌鼬に変身したいろはは、敵が怯んだ隙に足元をちょこまかと潜り抜けた。そして床から壁に飛び移った彼は、何体もの分身に分かれたではないか。
「「「散ッ!」」」
 風刃の嵐が吹いた。記憶と能力を共有する12体の分身は、打たれ弱くその反応速度も目減りしてこそいるものの、この閉所においては不利を打ち消して余りあるのだ。
「ええい、我らの邪魔を……!」
 そしていろはの狙いは、邪教徒の殲滅ではなかった。分身のうち何体かがさらに奥へ忍び込み、気絶した職員や研究員を縛り上げる肉の檻めいた触手を切断。素早く安全圏へ避難させる。
「俺はドンパチやらかすつもりはないんだ。放っておいた方がいいんじゃない? もっと血気盛んでやる気な人達がすぐそこまで来てるんだからさ!」
 いろはの言葉通り、√能力者達の進軍はいよいよ先頭車両まで迫りつつあった!

第2章 集団戦 『さまよう眼球』


 孤立、あるいは囚われていた乗客を全員救い出し、先頭車両とその一つ手前の車両を除いて全てを制圧した√能力者達。
 だが、肝心の怪異列車を停止させるためには、その残された二車両の脅威が戦力となって立ちはだかる。
『仔らの願いを叶えるは母の義務。いくらでも恩寵をくれてやろう』
 車両内を進む、あるいは外部を伝って先頭車両を目指すどちらの√能力者も、全員が超自然的な声を聞いた。それは『仔産みの女神』クヴァリフのものだ。おそらくは先頭車両で、かの女神そのものを降臨させる儀式が行われたか、進んでいるのだろう。

 直後、内外に同時に無数の怪異が溢れ出した。『さまよう眼球』である。
 しかしこれまで幾度となく観測された怪異とは、明確に異なる点があった。それは全ての『さまよう眼球』が、触手状のぶよぶよした肉塊……邪教徒達の肉体にも融合していた『クヴァリフの仔』が備わっていることだ。
 ゆえに、その戦闘能力は既存の『さまよう眼球』よりも遥かに増大している。加えて車両内部は異界化により空間が歪み、肉と鋼鉄が融合した異様な壁や床から触手のイミテーションが生えては√能力者を絡め取ろうとする。
 車両外部であれば、加速を続けるスピードそのものが戦闘の妨げとなる。文字通り波濤の如き『さまよう眼球』の群れを退けない限り、先頭車両に到達することは不可能だ!
エアリィ・ウィンディア
西織・初
ゼロ・ロストブルー
十枯嵐・立花
夢野・きらら

●混沌
 世界的に見ても過酷な環境と評される首都圏の満員電車も、今の状況に比べればまだマシなのかもしれない。
 なにせ、その列車車両にみっちりと詰まっているのは、サラリーマンや学生ではなく――怪異なのだ! しかも身体のあちこちからびちびちと跳ねる触手を生やし、巨大な口を開けて獲物を食い殺そうとする凶暴な怪異である!
「かわいく、ないっ!」
 エアリィ・ウィンディアは精霊剣を掲げ、眼球の噛みつき攻撃を防いだ。刃に噛みついた牙が、がちんと金属質な音を立てる。 
 牙が肉に食い込む事態は防げたが、危険は去っていない。さまよう眼球の想像を超えるパワーが、エアリィを引き倒そうと彼女を引っ張り寄せるのだ。
(「他の奴らより、顎の力も強くなってる!?」)
 加えて、異界化した車内は足場も悪く、踏みとどまるのが難しい。エアリィはそのまま、剣ごと引きずり込まれそうになった。

 そこへ降り注いだのは、水だ。雨のような水が、激しいギターサウンドに同調して浴びせられた。一発や二発ではない。まさに弾幕……いや、弾雨だ!
『ギィイイイッ!』
 眼球はハリネズミに抱きついたかの如く、全身が穴だらけになり、怯んだ。たまらず口を離したところで、エアリィは逆の手に持っていた|精霊銃《エレメタル・シューター》を構えていた。
「|精霊たち《みんな》、力を貸して!」
 トリガーを引いた瞬間、銃口から精霊のエネルギーが爆発した。
 巨大な魔力の弾丸となったエネルギーは、まず一体目の眼球を貫き、形を保ったまま貫通――そして、一回り大きく膨らむと、多色の弾幕となって破裂した!
 水の弾丸の雨と、精霊の魔弾。二つの範囲攻撃を受けた眼球の群れは、風船がしぼむように息絶えていく。

「……まだ、このぐらいじゃ減らないか」
 ギターを提げた西織・初が、次の車両に続く扉を睨んだ。ガララ……扉が開いた瞬間、新たな眼球の群れが、再び雪崩込んできたのである。
「こっちもかなりの数だけど、元凶を絶たない限りいたちごっこになりそうだね」
「なら、来た順から乱れ撃つだけだよっ!」
 エアリィは腕をクロスさせ、剣と銃を構えた。
「そして、突き進む! さっきの援護、もう一回頼めるかなっ!?」
「任せてくれ。俺たちは、前に進まなければならないんだからな」
 激しいギターサウンドが水を震わせ、再び魔弾の雨を生む!

 だが、二人の切り込み隊長の範囲攻撃をもってしても、窓から外へ溢れ出す敵を防ぐことは出来ない。
 車外に飛び出した眼球は、そのまま二人をスルーする形で後部車両へ移った。これで、エアリィと初は袋の鼠だ。
 いずれ物量で圧殺するとして、二人の後ろに続く√能力者を倒すことも、眼球たちに与えられた役目だった。そして√能力者を鏖殺したあとは、今も避難を続けている乗客を喰らい、儀式の生贄にすることとなる!

「本当にグロテスクな連中だね」
 しかし車両外部には、十枯嵐・立花が待ち構えていた。
 たとえ敵が移動速度を上げ、戦闘能力を高めようと、ここは列車だ。車外に飛び出そうと、スピードに呑まれて振り落とされないためには、怪異列車そのものからあまり離れることは出来ない。ようは糸のついた凧と同じである。
 ならば、立花は迎え撃つだけでいい。奇しくも、つい先程までの邪教徒たちと、立場が逆転しているのだ。

 そして、こと飛行する敵を撃ち落とすことにかけて|狼神《やまのかみ》の子は決して他者の追随を許さない。
「そこと、そこだね」
 銃声は激しい風に洗い流され、消えていく。それもまた、スナイプに集中する助けになった。暮れつつある宵の口の闇の中に、ギラリと金色の瞳が輝く。それは獲物を捉えたなら決して逃さぬ、猟犬――いや、狼神の瞳だ!
「っと、そうそう。たしか触手を出来るだけ確保しないといけないんだった」
 BLAMN! 立花は『熊殺し七丁念仏』をレバーアクションでリロードし、また一体の眼球を撃ち殺した。瞳孔の中心を撃ち抜かれた眼球は、しぼんだ風船のようにペラペラになり、その身体も黒い靄となって消えていく。身体に生えていた触手は、風に煽られながら立花の手の中にぽすんと飛び込んできた……目を撃ち抜いたのとほぼ同時に、二発目の銃弾で触手の根本を撃ち抜いていたのである。魔獣殺しの速射は、想像を絶する。
「とはいえ、この風の中じゃ全員撃ち殺すわけにもいかないか」
 車体は立花が見を伏せる助けになるとともに、スナイプに死角を生む。左側に陣取って狙撃しているなら、車体の右側を移動する眼球を撃てる道理はない。ここがトンネルのような閉所であれば、あるいは跳弾で多少の敵を殺すことは出来たかもしれないが、未だスピードを上げる車両の上でそんな芸当が出来るのは、もはや神ではなく悪魔だろう。

 立花はさして心配をしていなかった。√能力者全員が、先を急いでいたわけではないからだ。
「餅は餅屋、よく言ったものだね」
 夢野・きららはうんうんと頷いた。空中に浮かぶ魔導書がひとりでにパラパラとめくれ、紙面から魔力の刃が飛び出す。それは右側の窓から後部車両に乗り込んできた眼球をスライスし、身体から生えた『仔』も同時に切除する。床に落ちた触手は、船に揚げられた魚のようにビチビチと跳ねる。
「うわぁ、こりゃ大変だ。先はどうなっていることやら」
 きららは他人事めいて呟き、しかし油断しなかった。一瞬でも接近を許せば、強化された戦闘能力が文字通り牙を剥くだろう。先を急いだエアリィや初も、思うように進行することが出来ず苦戦を強いられているはずだ。

「……とまあ、こんな感じでかなり危ない状況なんだけど、あなたは他の人たちと一緒に逃げなくていいのかい?」
 きららは並び立つ男、ゼロ・ロストブルーを見た。彼は手帳から目を上げ、こくりと頷いた。
「君たちに比べれば、俺に出来ることはそんなに多くない。俺は√能力者ではないからな」
 然り。ゼロは常人である。腰に差した双斧を、いつでも抜けるように準備してはいるが、彼の本業はあくまでもルポライターである。
 二人の後ろにある最後部車両の「異世界の道」も、ゼロには見えていない。ゆえに、彼一人でこの列車を脱出することは出来ない。√能力者の手助けが必要な状況で、それでもゼロは残ることを選んだのだ。

 それは単なる物見遊山や、遊び半分のおふざけではない。
「俺はこの事態の結末を見届けたい――いや、見届けねばならないと思っている」
 ゼロは首から提げた仕事用フィルムカメラに手を添えた。その中には、囚われていた彼と入れ替わるように先頭車両を目指すエアリィや初、あるいは車外で孤独な狙撃戦を続ける立花、その他の√能力者たちの姿が収められている。
 人界に出せるものではない。彼の記事は大きく脚色されるか、それ自体が闇に葬られるだろう。だが。
「自分の身は、自分で守る。だから俺のことは気にしなくていい」
「そう。じゃあそうだね」
 きららは魔法を準備しながら考えた。
「記事のタイトルは「魔法を使うけど大丈夫?~この魔法は2回攻撃かつ半径レベルm内の敵全てを攻撃する範囲攻撃だから逃げ場はないけれど~」とかどう?」
「え?」
 ゼロはきょとんとした。

アダン・ベルゼビュート
リュドミーラ・ドラグノフ
ララ・キルシュネーテ

●光る目
「あら?」
 リュドミーラ・ドラグノフは思わぬ手応えに声を漏らした。攻撃は命中した、だが殺すつもりで放った影の刃は、目当てとは別のインビジブルに命中していたのである。

 そして|それ《・・》が、『さまよう眼球』と化す。
 ばっくりと切断された裂け目に無数の牙が生え、口となり、どこからか飛来した触手が突き刺さり、気がつけば同化していた。
『愛しき仔よ。母のために働いておくれ』
 インビジブルであった|もの《・・》は、生誕の産声を上げた。そして、リュドミーラめがけ大口を開け飛びかかる!

「そんなに腹が減ってたまらんか?」
 ごう――病んだ空気を焼き焦がし、黒い炎が弾丸のような形になって投げ込まれた。途端に闇の炎が眼球をまるまると包み込み、苦しみ悶えた眼球は壁に当たり、床を跳ね、転げ回る。
「ならば貴様には、|魔焔《これ》が似合いだ。せいぜい愉しむがいい」
「アダン! ありがと! 助かっちゃった」
 アダン・ベルゼビュートはリュドミーラの叫びに視線を送り、驚いた。
「リュド、お前も来ていたのか! なんとも不思議な顔ぶれだな」
「あたし|も《・》、ってことは――」
 言いかけたリュドミーラの赤いメッシュが風に煽られてふわりと膨らんだ。

 二人の隙間をくぐるように前へ出た小さな影が、火だるまと化した眼球を突き刺し、スライスし、生えた触手だけを解体する。
「丸くて、つぶらなお目目。飴玉みたいで美味しそう」
 カトラリーの先端に、引きずり出した眼球を突き刺し、ララ・キルシュネーテ
はうっとりと微笑んだ。
「――……と、いうわけよ。リュド? 一緒に愉しみましょ」
 ぎゅん。ララは背後から薙ぐように左から右へうねった触手を、宙返りで躱した。落ち行く先には、巨大化した眼球の大口が裂け目のように広がっている。乱杭歯じみて不揃いの牙は、それ自体がパキパキと析出して獲物を早贄にしようとするのだ。迦楼羅焔を纏ったカトラリーが、火花を散らして牙を弾く。ララは口の中に落ちることなく、攻撃を弾いた反動で一つ後ろの敵へ踊りかかった。

「さて。この場に美しい華二輪、となれば俺様は宴を盛り上げてやろう」
 アダンを中心に焔の花が咲いた。膨らんだ黒炎は敵を退け、危険なガスを焼き払い、味方には抵抗の加護をもたらすのだ。
「やりたいことは叶えてやる。此の覇王に背中を任せ、励むがいい! リュド!」
「あははっ! じゃあさっさと終わらせて、帰ってシャワーを浴びましょ!」
 リュドミーラは笑い、ぬかるみに似た不快な肉の床を欠けた。大剣めいて担ぐのは、黒い炎に縁取られた鋭角的ギターである。
「せぇー、のっ!!」
 勢いを付けたフルスイング! 黒い軌跡を描いた殴打は、より正確には斬撃だ。肉の蔓のように蔓延る触手が切断され、宙を舞う――そして魔焔にじりじりと焦がされ、くるりと身を丸くして床に落下した。
「アダンの焔に焼かれて、こんがりゲソ焼きね! 食べる?」
「……響きはいいが、俺様は遠慮しておく」
 覇王を名乗る男は、鞠のように軽やかに空中戦を繰り広げるララを見た。

 がつん。小さな身体を噛み砕こうとした大口を、双刀めいたカトラリーで、堰き止める。びちびちと跳ね回る触手が、ララの喉を貫こうとした。
 ララは銀色のフォークでそれを串刺しにし、金色のナイフで舌を切断する。たちまちに眼球はサイコロステーキ状にカットされ、死亡。
「ララも食べないわ? だって持って帰ってこいって言われてるもの」
 ララは串刺しにした触手を壁に放り捨て、首を傾げた。
「……それとも、ララが所構わずなんでも食べちゃういけない子だと思ってるの?」
「そういうわけじゃないけど! ね、アダン」
「何故俺様に振る」
「ララが食べるのは|生命《いのち》だけよ」
 少女の口元を赤い舌が艶めかしくなぞった。
「今はまだ、ね」

カノロジー・キャンベル
天華宮・六花
ヴィルヴェ・レメゲトン
八隅・ころも

●行軍
 得体の知れない体液が滲む肉の床に、巨大な質量が屹立した。
 空間が歪み拡張された車両の中でなお、その全てを使っても背中を丸めねばならぬ巨体。
 戦闘の余波で破壊された車両の金属片で構成された身体は、言うなれば無理やり人型に近い形に整形した列車車両というべきか。目に当たる部分のライトが煌々と光った!
「ゆけぃ、ゴーレムよ! その図体で敵を押し込むのじゃ!」
 ヴィルヴェ・レメゲトンが人差し指を突きつけると、ゴーレムは電車の警笛を思わせる咆哮を上げ、肉の海を割るように突撃した。ガ、ガ、ガ……馬防柵めいて斜めに突き出た牙が鋼の巨体を串刺しにする。しかし金属密度の高いゴーレムは、止まらない!

 ならばと、無敵・巨大化した『さまよう眼球』が飛び出し、ゴーレムを大口で挟み込むように押し留めた。
 身体から生えた触手が肉の床と結びつき、その場に根を張るようにして壁となるのだ。これではいくらゴーレムがパワフルだろうが、そもそも列車を破壊するようなもの。押し通るにはあまりにも時間がかかりすぎる。
「いちいちグロくてけったいすぎだねぇ……でも、こうすればどうかな?」
 天華宮・六花はゴーレムの股下に滑り込み、妖刀を振るった。剣閃は凍てつく風となり、床と巨体を繋ぐ肉の結合を凍結させる。返す刀でもう一閃、ぱきんと呆気ない音を立てて触手は砕けた。
「あら、便利ね! これなら後で回収するのも楽だわぁ❤」
 声は六花の頭上から。ゴーレムの背中にしがみつく形で同乗していたカノロジー・キャンベルは、丸みを帯びた背中から頭部にかけてを力強く駆け上り、右手を手刀の形にした。
「厄介な√能力は……こうしちゃうわよっ!」
 あらゆる√能力を無効化する必殺の右手が、ガスを噴射しようとする巨大眼球の中心に突き刺さった。肉を抉る生々しい手応えにも、カノロジーは顔色一つ――彼の顔は手なので、顔色もなにもないのだが――変えない。肩口まで突き刺した腕を勢いよく引き抜くと、その手には融合していた『クヴァリフの仔』が握りしめられていた。
 ビチビチと痙攣する触手に対し、融合を解除された巨大眼球は、風船が萎むようにあっという間に縮小。ゴーレムは再び進軍を開始する。

 濃密な霧めいて漂う瘴気の向こう、レーザーポインターを思わせる不気味な赤い輝きが無数に灯った。
「雑魚のくせに、横列なんぞ組んで足止めするつもりじゃぞ!」
 次のゴーレムを生成、突撃させながら、ヴィルヴェが叫んだ。この怪異と思えぬ連携も、『クヴァリフの仔』による強化の範疇なのだろうか?
 赤く炯々と輝くのは、巨大化した眼球の群れの瞳孔が放つ光だ。牙だらけの口をあんぐりと開け、待ち構える姿は、まるで古代人が夢想した平面な世界の終わりじみている。まっすぐ突撃すれば飲み込まれ、そして車両粉砕機めいてバキバキと噛み砕かれるのがオチだ!
「食べるのはともかく、食べられるのは好きではありませんわ!」
 八隅・ころもは烏賊脚を巧みに使い、進軍するゴーレムに追いついた。そして、肩にしがみつき、ぶしゅうっ! と勢いよく墨を噴射する。
 接近を待ち構える眼球は、当然回避する術を持たない。神経毒を持つ墨をまともに浴びてしまえば、ゴーレムを粉砕する咬合力を発揮することは不可能。再び馬防柵めいた牙の群れに、ゴーレムは鋼の巨体を突き立てるように己を叩き込んだ。

 ズン! 広大化した車両が、質量の激突で揺れる。ころもはカノロジーとともに前方へ投げ出されていた。
「確か、回収が目的なんでしたわね?」
「そうよぉ❤すり潰すなら触手以外をお願いネ❤」
 ころもは鼻を鳴らし、嵐となった。竜巻のように荒ぶる烏賊脚が、麻痺した眼球の身体だけをすり潰す。
「さあリッカちゃん、さっきの便利な√能力お願いねぇ❤」
 融合状態を放っておくと、すり潰された巨体が『クヴァリフの仔』の再生能力で復活してしまう。そこでカノロジーの右手刀が素早く触手を切断。無効化能力で融合そのものを断ち切るのだ。しかし、放っておけば今後はゴーレムが『仔』の侵食を受けかねない。
「ほいほーい。なんか魚市場みたいだけど……|触手《これ》は食べるつもりになんないなぁ」
 立花の凍てつく風が、切断された触手を凍結、融合を阻害する。
 ただ敵を倒すだけではなく、最大の成果を達成する。その二つを同時に満たすのが優秀なエージェントであり、彼らが『カンパニー』と名乗る所以だった。

録・メイクメモリア

●狩猟
 戦いとは、単なる破壊力だけでは決まらない。こと野生の世界においては特にそうだ。
 強酸のブレスを跳んで躱した録・メイクメモリアは、肉の叢とでもいうべき床から生える触手の抱擁を雷火で焼き切り、退けた。『クヴァリフの仔』は有機物であれば簒奪者でさえ――現に邪教徒たちがそうだったのだ――融合を果たす。ならば、攻めかかる√能力者を取り込もうとしない理由はない。
『妾の仔となれ。そして母の愛を知り、仔として妾に奉仕せよ』
 先頭車両に鎮座しているであろう、クヴァリフの声がエコーを伴って響く。心弱き者ならば、怪異の魔性に呑まれ魅了されているかもしれない。あの邪教徒たちのように。

「願い下げだよ。僕の|森《せかい》に、|母親《おまえ》は必要ない」
 録は強い意志力で誘惑を振り払い、首を傾げて強酸の飛沫を躱した。いかに怪異、怪物であろうと、それは一個の生物。どれほど歪んだ|存在《もの》であれ、物質的に存在するならば生態があり、リズムがあり、パターンがある。
 狩人は獲物のパターンを読み、痕跡を読み、そして殺す。狩人は森では最強の戦士ではないかもしれない。最優の生物とも言い難い。

 しかし、もっとも賢くしたたかな者こそが、狩人を名乗ることを許されるのだ。
「終わりだね」
 エネルギーを失い、動きを止めた眼球の触手が生えた箇所に、雷火が滑り込んだ。鮮やかな解体技術により縫合を断たれた怪異は、萎むように生命エネルギーを失って消滅していく。

広瀬・御影
千桜・コノハ
ギギ・ココ

●退路、なし
 BLAMN! マズルフラッシュが血の華を咲かせた。飛び散った穢れた血が、リロードしながら走るギギ・ココを汚すことはない。彼のスピードは、大口を開けて何も無い場所に食らいついた『さまよう眼球』を遥かに凌駕している。
「|発動《セット》」
 ギギの口元が動いた。
「|二倍、《ダブルダウン》、|二つ《ダブルダウン》」
 BLAMN! BLAMBLAMBLAMN! ありえない現象が起きた。装填数二発のショットガンでのファニングじみた連続射撃。それは自らの固有時間を倍加させる、ギギの√能力によって実現する非現実的な奇跡だ。次弾装填、回避行動、そして進軍。全てにおいて速度の倍加は有利に働く。ゆえにギギは回避し、撃ち、撃った直後にリロードを終え、また撃つことが出来る。シンプルな話だ。

 本来の『さまよう眼球』なら、絶え間ない射撃の雨に肉体を削り取られ、既に全滅している。まだしていないのは、『クヴァリフの仔』による戦闘能力の底上げのおかげだ。
 面制圧射撃を浴び、スイスチーズのように穴だらけになりながらも、眼球は死なない。死なないがために、穴は塞がり、復活する。二倍のさらに倍、都合四倍の連続射撃でさえ殺しきれないのだ。これが『仔』との融合が齎す力なのか!

 ――ならば、|触手《ね》を断ってしまえばよい。
「うわっ、きもっ! 撃たれながらさっさと死んどきなよ」
 ざん、と剣閃が舞った。その時千桜・コノハは眼球の背後。直後、肉体から生えた触手は根本からするりと|ずれ《・・》て、そして粘液を噴き出すグロテスクな肉の床に落下した。
 BLAMN! 触手を切除された眼球に、再び散弾が浴びせられた。回復することはない。切断面は生命力収奪の能力で萎び、呪われているがゆえに再度の融合が叶わない。眼球は風船のようにしぼんで消滅する。

 敵はコノハのスピードと切断能力を優先すべきだと判断した。おそらくは『仔』となったことで、自己のアイデンティティを守ろうという本能もあるのだろう。三体の眼球が彼を囲む――コノハは空中にいた。そして空中の空気を蹴って、追撃を躱していた。疾い。
「ははっ、おっそ~! 目玉のくせに、どこ見てんのさ!」
 言葉と裏腹に、余裕綽々というわけではない。BLAMN! ギギの散弾が、ある種の目眩ましの役割を果たす。弾幕が敵を怯ませることで、コノハを|やりやすく《・・・・・》させる。言葉やアイコンタクトがなくとも連携は可能なのだ。一流の戦士と戦士ならば。

 一方、斯様に切り込む二人の後ろ、草刈りのように着実な歩みで進む者がいる。広瀬・御影だ。
「|前線《そっち》は任せたワン~」
 ずぐっ。後部車両へ迫ろうとする眼球に、ハチェットが叩きつけられた。御影の手首に触手が絡みつく。直後、眼球の後頭部が爆ぜた。ギギは一瞥を向けた。彼の射撃ではない。そして彼にも見えなかった。
(「不可視の銃弾、か」)
 然り。御影はこの場にいながらにして、同時に異なる√を観測できる。そして敵の死角を突いた、見えない銃弾を浴びせることが出来る。御影に死角というものはおよそ存在しない――彼女が認識できるスピードと数が相手なら。
 裏を返せば、コノハやギギのスピードで、しかも敵と味方が激しく入り乱れる最前線で戦うことは、彼女のスタイルにはそぐわない。故に後ろから進軍を支える。敵は文字通り背後に戻れず、そして前に進むことも出来ないのだと思い知らせるのだ。
「|根気勝負《こういうの》、向いてニャいんだけどワン」
 御影は嘆息交じりに呟いた。彼女は本来気まぐれな性分だ。言葉遣いからしてふにゃふにゃであり明らかである。

 だがこの場において、殲滅の手際は間違いなく優れていた。二人が気兼ねなく前に進める程度には。
「さっさとこいつら片付けて、原因取り除いて仕事終わらせようよ。こんなところ居たら変なニオイついちゃいそうだ」
「同感だ。奴らは追い詰められている。この状況がそれを証明している」
 √能力者に退路はない。彼らは前に進み、敵を殺すためにここにいるのだから。
 敵に退路はない。恐るべき戦士がこうして集っている以上、あるのは何も出来ずに死ぬか、足掻いて死ぬかのどちらかだけだ――。

オーキードーキー・アーティーチョーク

●|この世ならざるもの《グリッチ》
 車両外部。異形化しつつある車体が歪んだ。それはカラーバー映像のような原色化と像のボケ――直後、そこにはサイズ感を錯誤させる、不気味に引き伸ばされた巨体がしがみついていた。

 それはオーキードーキー・アーティーチョークである。
「アハハハハッッッ!!」
 四足歩行の獣じみて、長い手足を山折りしてしがみつき、怪人は笑った。
「剣呑、剣呑ッ! されど恩寵に甘んじる怪異など畏るるに足らずッッッ!!!」
 のっぺりとした頭部を持ち上げ、笑う。パンタグラフ激突!
「あ痛ッッ!!」
 まるで前世紀のカートゥーン・アニメのように大袈裟にのけぞり、顔面が帽子を被ったまま陥没する。
 車両上部に仰向けになった身体は、障害物にぶつからないよう無脊椎動物のようにぬるりと身をもたげた。その時にはもう頭部の陥没は何事もなかったように戻っている。
「ン~~~~ッッッ!! 一長一短!! されど狭き中よりは快適ですなァッッッ!!」
 猛烈な向かい風も、怪物にとってはそよ風のようだった。

 しかしその風に乗って一瞬で近づいてきた『さまよう眼球』は、そうもいかない。
「ンンンッッッ!?」
 一体。二体。三体。オナモミのようにひょろ長い身体に食い込む牙、牙、牙。傷口から噴き出すのは血ではなくドットピクセルだ。眼球の群れの瞳に浮かぶのは嘲りである。
「相容れぬこと。喰らうしか能がないとは」
 怪物は両手でのんびりとファインダーを作った。
「しかし喰らいたいならば、どうぞこの身の具材とソースをご賞味あれッッッ!!!」
 がちん。咢が閉じる音。

 それは眼球が肉を食いちぎる音ではない。|眼球が食いちぎられた音《・・・・・・・・・・》だ。
「ハハハハハッッッ!!!」
 笑う口元には、鏡合わせめいて乱杭歯のような牙が生えていた。大きく開けた口の中、4つの眼球が出現しギョロギョロと獲物を見定める。
「我輩、"眼"なるものを持ち合わせておらずしてッッッ!!! いかがですかなッッッ!!??」
 嘲笑は消えた。怪異なりの恐怖、困惑、そういったオーラが眼球の動きで伝わる。
「オヤ。これは違う。そうですか」
 4つの眼球はポン、と呆気なく外れ、舌を転がり、牙をジャンプ台代わりに風の中に舞った。

 空中で眼球は膨らみ、『さまよう眼球』と化した。ちょうど今しがた、怪物に食らいついたのと同じ数、同じ位置、同じ表情。
「お手本をばご賞味させていただきましょうッッッ!!!」
 似姿がオリジナルを喰らい、咀嚼する。オリジナルもコピーもどうでもいい話だ。重要なのは、それらが鮮烈な恐怖を味わい、そして死んだということ。似姿が咀嚼した恐怖もまた、怪物に伝わる。
「これが|怪異《クリーピーパスタ》の驚かせかたですぞォ? 勉強になりましたかなァッッッッ!!?」
 答える声はない。そしてその姿も、不自然につなぎ合わされたトリック映像のようにふと消えた。

ルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーション
久瀬・八雲
不破・ふわり

●強行突破
「気持ち悪い|怪異《やつら》やな、無視して通りたいとこやけど――」
 ルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーションは呟き、腰に提げたアッシュトレイにガムを吐き捨てた。代わりに取り出したのは一本の電子タバコだ。
「あの触手、あれも『クヴァリフの仔』やろ? ちゃんと処理せぇへんとあかんみたいやね」
「後ろではまだ、乗客の人たちが避難中です! せっかく救助した人たちを殺させるわけにもいきません!」
 巨大な長巻を構えた久瀬・八雲が言い、ルーシーを二度見した。
「……って、今一服してる場合ですか!?」
「ああ、これ一応アクセプターの強化アイテムなんよ」
「ええー!?」
 パン! パパン! 二人の会話を風船の破裂音が遮る。

 それは、不破・ふわりが浮かべたいくつもの赤い風船が破裂した音だ。
「敵はたくさんです。私は協力します。みなさまもお願いします」
「ウッス」
「もしかして今わたし、私語するなって怒られました??」
「そうではないです」
 ふわりの無表情がぴくりと動いた。

 直後、次の車両に続く扉がガラガラと開かれ、さらなる敵集団が出現した!
「敵がたくさんなのです。すごくたくさんです」
「ほんなら、私も働こか!」
『Smo-KING! Vaping……JACK!!! smoking can kill you……』
 ルーシーはガスマスク型のアクセプターに電子タバコをセットした。姿形は変わらないが、直後、ルーシーは目にも止まらぬスピードで駆け出した!
 ぶしゅう! と、強酸のブレスが誰もいない場所に振りかけられる。ふわりは一番後ろで赤い風船の横列を作り、敵の後部車両到達を防ぐ役目だ。
「強化されてるだけはあるやん、けどな――!」
 SMASH! ルーシーはどこからともなく取り出したパイプをバットのように振るい、『さまよう眼球』を吹き飛ばした。
「そこです! 逃しませんよ!」
 背後から長巻を構え飛びかかった八雲が、燃える刃をひねり眼球を貫いた。すると彼女を中心に高熱の渦が現出し、周りの敵を一気に吹き飛ばす!
「触手は回収、忘れないでくださいね!」
「それは任せとくわ、私の今の装備やとそっちより叩き斬るの難しそうやし!」
 ルーシーはミートハンマーめいてパイプを振り回し、噛みつき攻撃をギリギリで防いでは最前線を張る。
 怯んだ敵の身体から生えた『クヴァリフの仔』を断ち切るのは、八雲の仕事だ。高熱で一時的に融合機能をシャットアウトされた肉片は、ビチビチと緩慢に床の上で跳ねていた。
「後ろには通さないのです。動きも止めます」
 ふわりは、自分を守る風船のいくつかを前に向けた。
 パン、パパン――赤い風船が破裂すると、巻き込まれた『さまよう眼球』は映像を停止したようにギクリと動きを止めてしまう。
「ナイスアシストです! この調子で畳み掛けましょう!」
 長巻を手足の如く振り回し、八雲が叫んだ。遥かに強化された怪異の群れを相手に、三人は的確なコンビネーションで消耗を押さえ前へ前へと進んでいく!

八手・真人
白神・真綾

●暴風
「ひいいいいッ!!」
 八手・真人は猛烈な風の中、両手で頭を抱えて叫んだ。彼が恐れるのは、凄まじいスピードで走る列車から振り落とされること――と、もう一つ。
「ヒャッハー! ヒャッヒャッヒャハハハァー!」
 ケタケタと甲高く笑い、突然車外に飛び出すや否や、とてつもない範囲攻撃を回避した白神・真綾である。
 明らかに目がイッてる上に、レイン砲台によるレーザー殲滅砲撃は火力も弾数も圧倒的。
 嵐じみた向かい風に、豪雨のように上下左右を埋め尽くすレーザー砲撃。真人が命の危険を覚えるのも無理はない。

 だが実のところ、真綾は真人を巻き込まないよう的確に弾道を計算していた。現にレーザー砲は一発も真人を、蛸足をも掠めていないのがその証拠だ。
「獲物が超大量デース! 外も穴場スポットデースネー! ヒャハハハァー!」
 真綾は髪を靡かせ、狂ったように笑う。真人も徐々に、ありきたりな狂気を裏打ちする高い知性と冷静な合理性に気付きつつあった。

(「こ、この人、怖ッ!!」)
 そんでもってさらにビビった。
 考えてみてほしい。完全に頭がイカれたサイコパスと、実はものすごく計算高くて行動の一つ一つに妥当な理由と目的があるサイコパスの、どちらが恐ろしいだろうか。明らかに後者である。
 勿論、真綾は味方を攻撃するほど狂ってはいない。というか、凶悪に見える悪魔のような笑顔が鳴りを潜めさえすれば、まあそれなりに危なっかしいが協力することが絶対に出来ないというほどではないのだ。
「大量殺戮パーリィーデース! ヒャッハー!!」
 なのに、これである。真人は完全に竦み上がっていた。

「た、たこすけ――はダメだ、動いて巻き込まれたりしたら、俺が落ちちゃうぅ……」
 真人は未だに"たこすけ"の蛸足で壁にへばりついている状態だ。彼は決断した。
「た、蛸神様っ、来て……俺の代わりに、出来るだけあの人邪魔しないようにやっつけて……!!!」
 真っ白な『原初の蛸神』が現れ、触腕をうねうねさせながら車体を這いずった。レーザー砲撃は、その巨体を掠めるようにギリギリを飛び交う。
「が、がんばれ~っ……!」
 変なことをしたら落ちるし、せっかく巻き込まないよう計算してるのにそれを狂わせてしまいそうなので、真人は完璧に動かなかった。
「ヒャッハー……?」
 真綾は凶暴な笑顔のまま、首をこてんとかしげた。
「触手が増えたデース! 真綾ちゃん、触手はNGデース!!」
「ひいいい違うんです味方味方アイムフレンドリィーッ!!」
 背景でレーザーに吹っ飛ばされ、触腕に吹っ飛ばされている眼球よりも、真人的には真綾のほうがよほど恐ろしかったようである。

ノーバディ・ノウズ
久瀬・彰

●風は死を呼び、影来たる
 ゴウウウ……ジェットエンジンじみた風鳴りが、割れた窓から吹き込む。車両を一足跨ぎで駆け抜ける影の戦馬は、先遣の√能力者たちが切り開いた活路を踏み鳴らすように突き進んでいた。
『妾の仔らよ。嘆く必要はない。その犠牲は次の仔の養分となり、永遠の豊穣を約束するのだ』
 車内放送めいて、クヴァリフの声が響く。
『ゆえに恐れることなく、挑め。そして死ぬがよい。仔らの屍を山と積み上げ、妾はその頂にて新たな仔を産み落とそうぞ――』
 ギチギチギチ……溢れ出す、という表現がこの上なく正しく、新たな『さまよう眼球』の群れが飛び出した。その数、およそ10。いずれも『クヴァリフの仔』を移植されており、眼球や身体の何処かから飛び出した触手が、ビチビチと不気味に跳ねていた。
「あれがグァバみてーな名前のなんちゃらか?」
「クヴァリフの仔ね、果物じゃなくて」
 ノーバディ・ノウズは、久瀬・彰のツッコミに喉を鳴らして笑った。
「そうそう、それだ。台無しにしねーように気をつけないとな!」
 ズンッ!! 戦馬は敵の中心に突っ込み、異界化した車両空間を揺らした。さまよう眼球は散開して直撃を避け、一斉に強酸のブレスを吐き出す。
 闇が、影が、溶け崩れてクレーターのような強酸のたまり場と化す。二人はその原初の生命じみたスープの中に溶解してしまったのか?

 ――否!
「こっちだ、怪物!」
 SMASH! ノーバディの鉄拳が、さまよう眼球にアッパーカットを狂わせた。水の詰まった風船のように天井に叩きつけられた眼球は、しかし大したダメージが見られない。肉の壁じみた天井でバウンドし、大口を開けてノーバディに飛びかかる!
「来い、"酔いどれ"!」
 ノーバディは頭部をスイッチした。直後、鋭い牙が突き立つ――が、瞬時にスライム化した頭部では、牙は緩やかに沈み込み何のダメージも与えられない。
「爆ぜて、ぶち撒けろッ!」
 KBAM! スライム頭は破裂した。当然食らいついた眼球も同じように爆散する。問題は四散した破片がへばりついた箇所が、液体窒素をぶちまけたかのように瞬時に凍結してしまったことだ。
 様々な属性のエレメンタルを体現する"酔いどれ"の力で、"氷"のエレメントを体現。触れれば即座に凍てつく死の粘液を宿しているのだ!

 そして、見よ。グツグツと煮え立つ強酸のスープの中から、真っ黒な影がばしゃりと跳ねた。
「「「!?」」」
 さまよう眼球の群れは、鋭い刃のようになった影の不意打ちをさらに広がって回避。影は渦を巻き、隠れ潜んでいた彰の元へ集まる。
「どうも|連邦怪異収容局《FBPC》絡みみたいだしねぇ、さっさと終わらせようか」
 影が再び床に広がった。実体のない闇の刃は、噛みつこうと酸で溶かそうと破壊することは出来ない。敵の群れはさらに後退――しかし拡大されたとはいえ、ここはあくまで閉所である。限界まで下がれば一箇所に集まらざるを得ないのは道理!
「そこだ! まとめて凍っちまえ!」
 ノーバディの頭部から一塊の粘液が分裂し、飛んだ。SPLAASH! まんまと一箇所に集められた敵の群れは、凍結弾の直撃によって凍りついてしまう!
 だが、それはあくまで一瞬のものだ。その証拠に、凍りついた表面にピシピシと亀裂が走り、まず不気味に蠕動する触手が飛び出した。
「あとは任すぜ|お医者様《ドクター》!」
「うーん、これを外科手術って言われるとちょーっと心外なんだけどねぇ」
 言いつつも、彰は影刃を巧みに操り、触手を切断。切断、切断! これこそが狙いだった。彼らの目的は敵を倒すことだけではないのだ!
「はい切除完了。と――きちんと"処理"もしないとね!」
 高波のように鎌首をもたげた影の刃は、凍りついたままの眼球の群れを槍衾にし、息の根を止める。パキンと音を立てて氷結した表面が砕けると、残った肉はしぼんだ風船のように溶け崩れた。

「ウエエ。これ持って帰んのか? 何に使うんだよ……」
 超低温で冷やされてなお、身動ぎする触手を拾い上げ、ノーバディは呻いた。
「それ、頭部に着けたりしないでよ? まだ解析出来てないんだから」
「するわけねェだろ! ……まあ効果はあるかもしれないけどな」
 クヴァリフの仔は、怪異はおろか√能力者にすら融合し、その能力を高める。確かにノーバディなら、その能力的にも相性はいいだろう。
 しかし今は、こんなグロテスクな肉塊を生み出す根源を、一刻も早く滅ぼさねばならない……!

七瀬・禄久・ななせ・ろく
カンナ・ゲルプロート

●終端
「ああもう、じれったい!」
 カンナ・ゲルプロートは叫び、ギロチンじみた影の薄刃を横に払った。およそ4体のさまよう眼球が真っ二つになり……だが、切断面から大小様々な触手が生え、お互いに結びついて接合してしまう。
「はぁ!?」
 カンナの影技は、鋭い。鋭いがゆえに切断面が綺麗すぎるのだ。何事もなかったかのように――あるいはむしろ真っ二つになったことで口の大きくなった――眼球の群れが喰らいつこうとする! 攻撃に特化した今のカンナでは回避不可能だ!

 だが、彼女を庇うように割って入った大きなシルエットが、牙を阻んだ。
「食いしん坊どもが……!」
 |七瀬・禄久《ななせ・ろく》である。彼は自らの腕を突き出し、あえて牙を受けたのだ。ギチギチと鋼が軋む。
「そんなに腹が減ってんなら……こいつを喰らっとけ!」
 KBAM! 腕が爆裂した。より正確には、機構拳を通じて注がれた気功が炸裂した。浄化の炎が口腔内で爆ぜたことで、食らいついた眼球は風船のように破裂して散る。

 その頃には既に新手が出現し、最後の車両の扉を物理的に封鎖していた。
「チッ。この調子じゃ埒が明かねえな」
「だから刈り取る勢いで攻め込もうと思ってたんだけど、ね」
 カンナは顔を顰めた。認めざるを得ない。自分一人では、殲滅力が足りないのだ。カンナが殺し、切断し、薙ぎ払うよりも、女神が仔を産み落とす方がはるかに……!

「いいアイデアがある」
 禄久は背中を向けたまま言った。
「アイデア?」
「二人して捨て身になるこたねぇ。俺のこの腕をオーバーヒート寸前まで回して、露払いをする」
 カンナは訝しんだ。
「こっちの|敵視《ヘイト》向けさすわけだ。で、その横から軒並み刈り取ってくれ!」
「……ふうん、そう。いいわよ」
 禄久の覚悟を、カンナはあえて確かめようとはしなかった。
 サングラス越しでもわかるぐらいに、彼の瞳は義憤に燃えていたからだ。
 それは長命なるカンナには、どうにも眩しく若々しい輝きだった。
「露払いは任せるわ。撃ち漏らしはしないから」
「助かるぜ……さあ、行くぞ目ん玉ども」
 ガシュン――禄久の義手からパーツがせり出し、燃えるような緋色に輝いた。
「零式、|緋炎絶速《ブレイジング・デッドゾーン》――さあ、振り切るぜッ!!」
 直後! その姿は燃える緋色の風となった!

 同時にカンナは駆け出し、低空飛翔した。しかし影の翼をはためかせて全速力で翔んでなお、先んじた禄久のスピードには追いつけない。
 通常時の4倍の破壊力とスピードを実現するデッドゾーンは、その代わりに二倍の被弾を意味する。そして緋色の弾丸が、強酸ガスの霧を貫いた!
「うおおおおおッ!!」
 拡大された車両空間に、稲妻が生じた。立体的なジグザグ軌道を描いた禄久は、天井を、床を、壁を跳ね敵を殺す、殺す、殺す! 空気さえ焼き焦がすスピードの中、緋色の輝きは強まる。カンナは爆発寸前の火薬を想像した。敵は危険を覚えそちらに殺到!
「よそみなんて呑気なもんね、そんな危なっかしいのが相手じゃ無理もないでしょうけど!」
 カンナも死地に踏み込んだ。お互いにフレンドリーファイアさえも厭わぬ荒々しい暴れぶりだ。多少の反撃は織り込み済みで飛び込み、影の刃で切り裂き、槍状にしたそれで眼球を貫き、抉り、消し飛ばす!
 だが肝心の『クヴァリフの仔』だけは無事だった。精妙な影のコントロールのおかげだろう。
「行くぜ、このまま突破だ!」
「言われなくても!」
 緋色と黒の旋風は、渦巻くように最後の扉を破り、殺到した!

第3章 ボス戦 『仔産みの女神『クヴァリフ』』


 |魔宴《サバト》のような、忌まわしい景色が広がっていた。
 ここは本当に、列車の先頭車両なのか?
 空間が歪み、天井も床も壁も何もかもが怪異に飲まれ、無数の触手が生えた冒涜空間では、自分たちが今いる場所を見失いそうになるのも無理はない。

 血染めの儀式空間には、いくつもの錐のような鋭い触手が生えていた。
 それらに串刺しにされ項垂れているのは、装いからしてテロリスト化した邪教徒の幹部および指導者クラス――それだけではない。スーツ姿の外国人エージェントも何名か。
 もしもこの√でエージェントとして活動しているなら、その顔ぶれの中に名を知られた者がいることもわかるだろう。
 つまり、連邦怪異収容局のエージェント|だった《・・・》ものである。

『此処は心地よい場所ぞ』
 滂沱のような血溜まりの中、鮮血に浴す全裸の女神が言った。
 蛸のような触腕が足元から起き上がり、無惨に息絶えた死体達を撫でる――愛でているのだ。
『妾を喚び、仔らを願った者たちは、みな死んだ。妾のために。
 ならば母として最大最悪の仔を産み、この世界を地獄へ叩き落としてくれよう』
 収容エージェントさえも魅惑した微笑みはおぞましく、血の海から原初の生命じみて這いずる触手はなお忌まわしい。
 それらは自ら生贄となった哀れな犠牲者たちの死体に滑り込む。すると串刺しになった死体はびくびくと不規則に痙攣し、目・口・鼻・耳から触手を漏れ出す蠢く肉となって、槍のような触手から己の身を引き抜いた。
『仔らよ、母と交わるがよい。禁断の交合の果て、この鉄馬を新たな世界の揺籃としようぞ!』
 車両外部を進む√能力者がいるなら、その瞬間、先頭車両の天井部そのものが砕け、花開くような巨大な触手が展開したのを目撃するだろう。
 それは己が産み落とした仔と交わり、あってはならぬ融合をはたした女神の一部だ。
 今や怪異列車は邪神列車と化した。猛スピードでひた走る質量兵器は、どこかの都市部に突っ込むだけでも致命的な怪異災害を引き起こす。
 だがそうでなくとも、このまま放置していれば無数の『仔』を首都圏全域に振りまき暴走を続けてしまうはずだ。
 狂った暴走を停止させ事態を鎮圧するには、血の海に遊ぶ邪悪なる女神を滅ぼすほかにない!
西織・初
ハリエット・ボーグナイン
不破・ふわり
白神・真綾
八手・真人
ルカ・クロガネ

●病んだ風
 怪異列車……いや、邪神列車の走行速度は上がり続けている。
 車輪は悲鳴を上げ火花を散らし、いつ砕けてもおかしくなかった。あるいはその前にレールは弾け飛ぶか、スピードのあまりに脱線してしまうだろう。
 外装が砕けた先頭車両を中心に、この世ならざる空間が物理法則を無視して広がる。もしも不運にも走行中の車両を遠巻きに目撃してしまった一般人がいたのだとすれば、その者は芽吹く寸前の花の蕾のように丸まり、天へ向かって逆立つ触手の束を目の当たりにしただろう。
 時刻は既に、夜。機関が万が一に備えて展開したクヴァリフ器官の結界と、エアポケットのようなこの時間帯の静けさが、誰にも知られることのないカタストロフ寸前の狂乱をかろうじて押し留めている。

 そして、肉と狂気の坩堝と化した戦場では!
「喰らいやがれッ!」
 ルカ・クロガネが叫び、真正面から斬り込む。女神はうっとりと夢を見るような微笑を浮かべ、玉座のように集まった触手の上で半跏姿勢を解かない。
 代わりにルカの屠龍大剣を受け止めたのは、巨木と見紛うばかりに太く肥えた触手――いや、触腕か。それはぐるりと大剣に絡みつこうとうねった。
「チッ、うざってぇ!」
 ルカは吐き捨て、力任せに大剣を振り回し触腕をねじ切った。しかしその時には、女神の左右から「芽吹いた」新たないくつもの触手が、彼女を取り込もうと襲いかかる!
「たこすけ、お願い……!」
 戦慄の光景に心砕かれかけた八手・真人が、祈りを捧げた。
 己を、仲間を、そして何も知らぬ無辜の人々をどうか守ってくれるように――兄の待つ家に、無事に帰れるように。
 仕事と割り切れば、シンプルな話だ。既に犠牲は払われ、いくつもの命が失われた。真人は、本来敵対視すべきエージェントの死さえも、悼んでしまう。それはおよそ、狂気に立ち向かうには脆弱で、センシティブとすら言える。

 しかし、そんな彼の願いだからこそ、蛸神は応える。
 祈りとは無力な弱者に、唯一許される最期の抵抗。仮にも神の銘を与えられしそれは、真人のひたむきな願いを請け負い、触腕を伸ばした。
『ほう。そちらにも|神《どうるい》がいるのか。面白い』
 クヴァリフの女神はたおやかに呟いた。二つの触腕がぶつかり、絡まり、弾かれる。さながら肉のリングじみていくつもの触腕はお互いを絡め取り、力比べとばかりにお互いを引きちぎろうとテンションを張った。

 その間、当然ながら女神の防御は空く。ルカの猛烈な斬撃に、もっとも太く強靭な触手が釘付けになっているからこそ!
「ヒャッハー! 相手にとって不足なしの超大物デース!」
 白神・真綾は叫び、レインボードロップとブレインアッパーを即座に|キメ《・・》た。
 ただでさえ正気の欠片もない目玉がぎょろりと明らかに常軌を逸する。薬物中毒者などという形容詞では生ぬるい!
「真綾ちゃん、全力で行くDe-su! ヒャッヒャッヒャヒャー!!」
 BRATATATA! ZANKZANKZANK!
 無数のレイン砲台とマルチプルビットが、破滅の|交響曲《シンフォニー》を奏でる。火力という名の純粋な破壊が、嵐めいて触手を、触腕を、のたうつような不気味な動きで迫る敵死体を吹き飛ばした!
「悪い夢のようです。敵も味方も狂っています」
 不破・ふわりは端的に呟いた。確かにこの光景は、傍から見るとどちらが善玉かわからない。かろうじて、ルカが人類に味方する戦士なのはわかるだろうが、怒りに任せて何度も斬り込む狂戦士じみた姿は、それはそれで恐ろしい。
「まさしく地獄絵図、だなァ。レーティングに引っかかりそうなあたりが、おれとキャラ被りしててムカつくぜィ」
「レーティング……? 何の話をしてるんだ??」
 ハリエット・ボーグナインのわけのわからない呟きに、西織・初は思わずツッコミを入れた。
 もしや、渦巻く狂気に充てられて、彼女も狂ってしまったのだろうか?
「気にすんなィ、|屍人《デッドマン》の言う事なんて戯言しかねェんだからよ」
 ハリエットはツギハギの顔に不気味な笑みを浮かべ、うっそりと言った。

 その時!
『子らよ。母を守っておくれ。正しき生誕のため、弟と妹を守るのだ』
 怪異が爆ぜた。そのようにしか形容できないほどの勢いで、クヴァリフを中心に無数の眼球が「生まれ」た。
 さまよう眼球のようであり、それとは全く違う。集合体恐怖症ならば、悲鳴を上げて泡を噴き卒倒しかねぬ、グロテスクな目玉の連なり!
「ギャーッ!!」
 ただ無事に帰ることだけを願っていた真人は、あまりにも生理的嫌悪を齎す異形に悲鳴を上げた。蛸神がその視線を遮る。
「ヒャヒャヒャヒャー! 来るはしからブッ潰してやるデース!」
 真綾はケタケタと笑い破壊を振りまくが、それでもなお数は足りぬ!
「目が来るなら目潰ししてやろ、ッてなァ!」
 なお、ハリエットもなにげに脳内麻薬でドーピングをキメていた。屍人ゆえの痛みを感じぬ身体で、ぶつかり合う触腕の中に飛び込み、吹き出す血で眼球の呪いの目線を遮る。そして、遠心力を乗せた棺桶が、ルカを阻む巨大な触腕を払い除けた!
「お花の風船を咲かせます。たくさんたくさんです」
 ふわりを中心に対抗するようにふわふわと現れたのは、言葉通りの風船だ。それが、さらなる『仔』の誕生と繁茂を阻む。グロテスクな肉のジゴクに咲き誇るファンシーなバルーンアートの花は、無数。それはどこか残酷な花畑を思わせた。
「夢はいつか終わります。悪い夢も同じです。そろそろ夢から覚める時間なのです」
「ならば、目覚めのアラーム代わりにこの歌を響かせるとするか!」
 初は息を吸い込み、マイクを通じて清廉なる魔力を解き放った。
 音の波が呪われた瘴気を払い、突き進むハリエットとルカの背中を押す!
「ゾンビィの不死身さ、見せてやるせィ」
「オレの最大火力っ、付き合ってもらうぜ!!」
 文字通り、捨て身。二人の決死の攻撃が女神を捉えた!
『我が仔らが――!?』
 女神は初めて驚愕し、そして苦悶に叫んだ!

七瀬・禄久・ななせ・ろく
ゼロ・ロストブルー
エアリィ・ウィンディア
ルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーション

●間際
「――なんだ、今の衝撃は?」
 ゼロ・ロストブルーは訝しみ、同時に危機感を抱いた。
 列車そのものがスピードを上げ続けていることぐらいは、激しくなり続ける揺れから分かる。彼は今も後方にいた。√能力者ならざるその身で最前線へ進むのは危険すぎるからだ。
 そんな自分でさえ、はっきりと感じられる衝撃……何か、まずい事態が起きているのではないか。ゼロはルポライターとしての直感に任せ、駆け出した。

 √能力者の手で危険が取り除かれた今、ゼロが単独で先頭車両を目指すのも不可能ではない。
 異界化が半分解け、割れた窓からごうごうと切り裂くような風が吹き込む車両は、鋼鉄と肉が入り混じったグロテスクなパッチワークと化す。時折それらを写真に収めては、ゼロは破滅的な戦闘の残り香を感じて戦慄した。
 しかし、そんなものは序の口でしかなかった――この異変が起きてから最大で最悪規模の戦闘は、今この瞬間、先頭車両|だった《・・・》場所で興っていたのだから。

 そして、かの最前線においては!
『さあ仔らよ、妾の前へ忌むべき敵を連れてきておくれ』
 母なる女神の囁きに、一つ、また一つと死体が裂けた。クヴァリフの仔との融合は√能力者や怪異を問わず、融合した存在の戦闘能力を高める――だが引き上げられた能力に、宿主が耐えられる保証はない。融合というより苗床として利用されている死体ならばなおさらだ。生命活動を停止した肉の塊では、女神の寵愛を受け止めることが出来ないのだ。
 血と臓物を撒き散らして爆ぜた死体から濁流のように溢れたのは、眼である。ピンク色、動脈血の色、臓物色の眼が一様に瞼がなく、魚卵のように連結していた。
「魔眼……ううん、凶眼の類? 目線を合わせたら、金縛りを喰らうよっ!」
 エアリィ・ウィンディアは叫びながら、精霊銃を撃ちまくった。
 魔力弾が眼球を破壊する。しかしとても彼女一人で追いつける数ではない。しかも同時に無数の触腕が殺到するとなれば! 右手の精霊剣で切り払ったとしても、必殺の一撃を繰り出すための時間を稼ぐなど到底不可能!

「させるかッ!」
 ――ゴッ!
 猛スピードまで加速した|七瀬《ななせ》・|禄久《ろく》の鉄拳が、触腕を弾く。義手の関節部から噴き出す煙が黒ずみ、限界が近いことを知らせる。
「むしろ調子がいいぜ、この手の|異界《かんきょう》には慣れっこなんでな!」
 禄久の攻撃は終わらない。エアリィの多重連続詠唱の時間を稼ぐため、邪視で√能力者を縛ろうとする眼球を叩き潰す、叩き潰す、まだ叩き潰す! 触腕を掴み、力任せに引きちぎる。常に前へ!
「来いよ、女神とやら! 俺の|領域《デッドゾーン》に追いついてみろ!」
『いじましいもの。ならば母自らが抱きしめてしんぜよう』
 クヴァリフの細くしなやかな両腕が、喉笛を噛みちぎらんばかりに猛接近する禄久を受け入れようと伸び来たった。
 禄久はカウンターで相討ちを目論む。仮に倒せなくとも、女神の守りは薄くなるはず。エアリィでも、他の誰かでもいい。自分以外の誰かが次の一撃を入れればいい。それは確実に有効打となる――仕留められればよし、届かずとも次の次には繋がる。
 誰かが踏み台になれば、繋がる。そういう時、禄久は躊躇なく命を投げ捨てることのできる男だった。
 エアリィは、あえて眼球の対処に専念した。彼の判断を是としたわけではない。精霊魔力を収束した強大な砲撃には、絶対に詠唱のタイムラグが生じる。事態を解決するには、|最善《ベスト》ではないが|最適《ベター》ではある。彼女はそう考えた。他の√能力者でも同じはずだ。

 だが、"ヒーロー"であったなら?
「あかんやろ、|自己犠牲《そういう》んは! 今どき流行らんしなぁ!」
「ええっ!?」
 エアリィは思わず叫んだ。彼女を飛び越えたルーシー・チルタイムダブルエクスクラメーションは、|一人ではなかった《・・・・・・・・》。
 二人、三人四人五人――同じ姿、同じ紫煙をガスマスクから吐き出す女が、次々と飛び込む!
『Suu...Yeahh!!! SUPER GARAM FLAVOR! Nicotine is addictive!!!』
 シガー・アクセプターが電子音声を発する。また一人、ルーシーが増えた。極度負荷による自己催眠と現実改変が可能にした、ドッペルゲンガーではない完全な分身体の生成と同時行動!
「あとは|悪党《ボス》ぶっ飛ばして問題解決やろ、アホほど面子おるしな!
 そこに私らで数の暴力や、一人でカッコつける余裕なんかあらへんで……!」
 数は力だ。銃と剣の攻勢にルーシー|たち《・・》が加わり、眼球が誕生するスピードを一瞬で上回る。
 肉の牢獄じみて包囲しようとする触手を引きちぎり、引き裂き、砕き、エアリィの負担を相対的に軽減する。一体のルーシーが、少女に慣れないウィンクをした。
「……うん、そうだねっ! ここまで来たら、|味方《こっち》の死傷者なしで終わらせなきゃっ!」
 エアリィは浮いたリソースを全て魔力収束に注ぎ込んだ。足元に何重もの魔法陣が展開し、拡大する。多層なる六色の輝きが、虹のように重なる!

 女神の抱擁に絡め取られた禄久は、規格外の√能力二つに呆気に取られ、吹き出した。
「……やっぱり敵わねえな、本物のヒーローって奴には……!」
『生まれ変わるがよい。妾の仔として』
 クヴァリフの頭部に生えた複数の眼球が微睡みから目覚め、禄久を睨んだ。触腕が肉体を螺旋状に包み込み、忌むべき再誕の贄、あるいは核に変えようとする。
「お断りだ。俺ぁイカれちゃいるが、人の腹から生まれた警察官なんでなァ!!」
 緋色に輝く拳が、女神の顔面を撃ち抜く!
 咄嗟に触腕は母を守るため、抱きしめていた禄久を拒絶した。砲弾じみて撃ち出された彼を、陣形を組んだルーシー|たち《・・》が受け止める。
「災害救援は」「ヒーローの」「お仕事やからな!」
「頼りになるが同時に違う内容喋らねぇでくれるか!? それと――」
 禄久はニヤリと笑った。
「せっかくだから、このままもっぺん投げ込んでくれ!」
 ルーシーたちは頷き、全力を籠めて禄久を再投擲した!
「犯人逮捕は警察官の仕事だぜ!」
「あいにくわたしは、ヒーローでもおまわりさんでもないけど!」
 魔法陣から噴き出す魔力が、エアリィの髪を膨らませる。虹めいた光が、異界に満ちた。

 それを、ゼロは見ていた。
 人界を守るため奮闘する誇り高き公務員と、ヒーロー、そして精霊に愛された少女の戦いを。
(「これは――」)
 恐怖と絶望。黄昏に沈みゆく世界、緩やかに滅ぶ人類とは真逆の力に満ちた、正のエネルギーの結実がそこにある。
「わたしの全力全開、遠慮せずに! もってけーーーーっ!!!」
 |殲滅精霊拡散砲《ジェノサイド・エレメンタル・ブラスト》! 女神の仔の生成スピードを遥かに上回る高密度飽和攻撃が、無限じみたハレーションとなって渦巻く!
「「「なんぼでもけったいなもん生み出してええで! 全部ぶっ倒すからなぁ!」」」
 ルーシーたちの、自分自身との連携攻撃! 拳が、バットが、蹴りが、敵を打倒し進む! そして――緋色に燃える拳が、再び女神に叩き込まれた!
「…………これは、記事には出来ないな」
 ゼロは完敗とばかりに呟き、呆れたように僅かに笑った。
 |禁忌《タブー》ではない。終わりかけたこの世界において、彼らの戦いは眩しすぎる。人々は揶揄し、低俗で下劣なエンターテイメントに凋落させ、真に見るべきものから目を逸らすのだろう。
 ゆえに、ゼロはしかと見留めることを決めた。自らも双斧を構え、世界に溢れようとする触腕を斬って捨てる。√能力者ならざる己に許された、できる範囲の行いとして。

夢野・きらら

●本性
 生命の誕生とは、進歩の極北。環境、天敵、種族的陥穽――生命を未来へ届けるための障害を克服し乗り越える作業だ。
『妾を煩わせるものどもを退け、母の健やかなる閨を守る仔よ。愛しき仔よ――』
 母たる女神クヴァリフは、異界の音色のような奇妙な節を付けて歌った。
 あってはならぬ仔と母の禁断の交合から、また新たな生命が芽吹こうとしている。

「あーあ。本当に、使いたくなかったんだけどなぁ」
 夢野・きららは慌てず、騒がず、ただ嘆いた。
「でも、仕方ない。今のぼくの|魔法とWZ《てふだ》じゃ、お前の産み落とす仔には対抗しきれないからね」
 心底癒そうな声で。
「だからこれは、自業自得というやつだよ?」
 少女の肉体もまた、芽吹いた。

『――ほう』
 クヴァリフの柳眉は、|いとおしげに《・・・・・・》歪んだ。
『なんと美しく、可愛らしい姿よ』
 母は頭を撫でようと手を伸ばす。だが|どの頭《・・・》を?
 |どの手《・・・》を取って、いい子だと褒めてやればいい?
 |どの脚《・・・》を膝に乗せ、抱きしめてやればいい?
『終わりだよ。終わり。お前はぼくの|本性《すがた》を見た』
 おぞましい獣……いや、獣ですらない化け物が、きららの声で言った。
『だからもう、お前は死ぬんだ。殺すしかないんだからね』
 うっそりと開いた口の中から、醜悪な吐息が漏れ出した。

 獣妖「大和紙魚」。
 魔法少女? 馬鹿馬鹿しい。
 人類の守護者? 笑わせる。
 本質は喰らい奪う蟲、いやそれ以下のバケモノだ。
 ただ喰って美味かった好物を永らえさせたいというだけの、本能でしか物事を考えられないまがい物。仔の生誕を司る母たる女神のほうが、生命活動に準ずる意味ではよほど人間に近い。
 人間と、文明と和合など不可能。虎と鼠の対等な共生など不可能であるように。
 同じところに住み着くだけならできる。虎が鼠を喰うのを我慢すればいい。それは相互理解などではない。共生などではない。ただ同じ場所にあるだけだ。

 そんなことは、きらら自身が一番わかっているというのに。
『|怪異《おまえ》を、喰らい尽くしてやる』
 仔という概念を、情報を喰らい、生み出すことの出来ぬバケモノが囁いた。
 母たる女神はよりいとおしさをこみ上げさせた。いじましき怪物を我が仔にせんと、同じ人でなしの怪物が群がり、喰らわれ、そして奪い合った。

アダン・ベルゼビュート
ララ・キルシュネーテ
リュドミーラ・ドラグノフ

●美麗
「……交合って、何かしら?」

 その場の空気が、別の意味で緊迫した。

「「…………」」
 アダン・ベルゼビュートとリュドミーラ・ドラグノフは、きょとんとするララ・キルシュネーテの頭上で視線を交わす。二人はそれだけで万を越える言葉を交わしたかの如く意思疎通し、こくりと頷きあった。

「ねえ、なんだか気になるわ。アダンとリュドは知っ」
「美しくないわね!!!」
 リュドミーラはやや食い気味に叫んだ。
「|吸血鬼《あたし》としては、美意識が欠けているところがダメよ!
 ねえ、アダンはどう? 覇王の目から見てどうかしら!? 聞きたいわね!」
「当然だが、評価するに値しない。所詮は死体で人形遊びをする愚劣な神|もどき《・・・》よ」
 アダンは不遜で不敵な笑みを浮かべ、一蹴した。
「早々に闘争を――いや、愚昧なる怪異が散らかした砂場の如きこの有り様を片付け、シャワーでも浴びようではないか!」
「もうシャワーがマッハね! ララはどう!? お腹空いてない!?」
「…………そうね。麗しい三毒の香り、酔ってしまいそう」
 かなり強引に水を向けられたララは、死と毒々しい血の匂いに嘆息した。
「どうせならシャワーの前に、ご馳走よ。ララはお腹が空いているの。
 よくわからないけど生まれた大きいのは、平らげてしまいましょうね」
「そう! それが大事よ! さあ早く終わらせてご馳走をいただ」
「ところで交合ってなんなのかしら? ララ気にな」
「ご馳走が待ってるわ! アダンよろしく!!!」
「フハハハッ! 任せておけッ!」
 二人はかなり強引に火蓋を切った!

 神すらも見下し嘲笑う覇王の哄笑に応え、魔なる焔の軍勢が溢れ出す。
「世界を地獄に叩き落とす、とか言っていたな。
 ならばやってみるがいい――ただし、俺様の軍勢を前に生き延びてからだ!」
 ごう、ごう――燃え盛る焔に最前線を任せ、アダン自身も矢の如く飛び出す。
 生まれて死にゆく無数の『眼』がぎょろりと見開かれ、その身体を戒めようとした。魔焔を物理的に薙ぎ払いかき消そうとするのは、大量の触腕だ。
「させんッ!!」
 物量を飲み込み消し去る、超物量! 焔はむしろ、怪異の仔らを薪にさらに強く燃える!
 時折守りを貫通する触手が槍のようにその身体を貫いても、アダンは止まらない!
「アダンを止めようだなんて、無理よ――だってララが後ろにいるんだもの」
 突き刺さったままの触手を、カトラリーが輪切りにした。
 花の嵐がぶわりと膨らみ、舞い踊り、うっとりと恍惚に微笑むララを彩る。
 見たことのない生物。筆舌に尽くしがたい――まさに名状しがたき忌まわしい|もの《・・》どもを前に、恐怖と狂気に染まることなど、ありえない。

 ララはむしろ、|恐怖と狂気《それら》を与え、振りまく側なのだから。

「串焼きかしら? それとも、グリル? どれが一番美味しくなるのか、気になるの!」
 切り裂き、焼き焦がし、そして喰らう。滋養が満ちる。傲慢なる神を、なお傲慢に奪い、喰らう。それはとてつもなく甘美で、愉しい。だからララは、母なる女神を愛でていた。

 あくまでも捕食する側として。
「リュド!」
「ええ! もう一息だもの、徹底的にやってやるわ!」
 ざくり、とクヴァリフを貫くものがあった。女神は口から血を吐き出し、それを見下ろし、目を見開いた。
『仔が、妾を?』
 交合にあらぬ串刺し。それはララが切り払い、ごろごろと床を転がっていた触腕が、後ろから腹部を貫いた結果。紅姫の眼が、鮮血の如き魔力を放つ。
「このあと、だいぶ貧血で辛くなるけど……!」
 死体を貫いていた触手が、抱きしめるように身体を丸め母を襲う!
「フハハハハ! どうした、貴様が生み出すと言っていた地獄はこんなものではないのだろう!?」
 そこへ到達したアダンが、母を襲った仔もろとも女神を焼き、苛んだ!

天華宮・六花
カノロジー・キャンベル
八隅・ころも
ヴィルヴェ・レメゲトン

●日常
 名状しがたき触手がのたうち、生まれ、体液にまみれたまま怒涛のように迸った。一つ一つが少女の全身よりも太く長大、先端部は槍のように硬質化した危険かつ柔軟な武器!
「ひとつふたつみっつよっつ、いつつむっつななつ! やっつぅ!!」
 八隅・ころもはその全てを、何故かキレながら数え、吹き飛ばした。白と黒が反転した人ならざる眼に、尋常ではない怒気が満ちる。
「やっぱり触腕はなし――てめぇ! 蛸ですわねッ!!?!?」
 ものすごい決めつけだった。
「蛸は嫌いですの!! |断罪《ジャッジメント》! ですわ!!!」
「ころもちゃーん❤(コンプラが)アブないからほどほどにするのよ~❤」
 カノロジー・キャンベルはリスクマネジメントのできる理想的CEOである。ワンマンだが。
「アタシはチャージに入るから、その間二人もお願いね❤どうせころもちゃんは止められないし❤」
「うーい。にしてもころもちゃんなんであんなキレてんの? キャラ被……うひぃっ!?」
 ギロリ。ものすごい形相で振り返ったころものガンつけに、天華宮・六花は慄いた。
「六花おねえさん? あれと私が同じ穴の狢、いえ同じ海域の烏賊と言いますの!?!?」
「なにその用法初めて聞いたんだけど!?」
「ええい、ふざけておらんで対処せんか! まだまだ来てるのじゃあ!」
 ヴィルヴェ・レメゲトンは咎め、召喚した世界樹の精霊が操る蔦で這い寄る怪異の仔らの攻撃を防いだ。
 蔦は肉と血で覆われた床を繁茂し、蠢く死体の脚を絡め取って動きを封じる。
「ほれ、動きは止めてやるのじゃ! さっさと片付けい!」
「言われなくても! ですわ!!!」
 ころもは触腕と触手を鋸刃じみた凶悪なシルエットに変え、突き進む!
 動きを戒められた怪異の仔らは、血飛沫を上げてぶった切られていく! ゴアだ!

「うわすごい暴れっぷり……これ、私要る~?」
 六花はチャージ中のカノロジーを振り返った。
「ねえ社長、特別ボーナスとかないの?」
「え゛」
「だって今回儲けたんでしょ? 戦利品もたっぷりでさぁ」
 バス。バス。カノロジーが小脇に抱えた袋の中で、切断し回収したクヴァリフの仔がカエルのように蠢いた。
「……そ、そうねぇ。じゃあ◯エネッタならいいわよ❤終売みたいだし❤」
「あれ期待して食べると結構がっかりせんかのう」
「ハーゲ◯ダッ◯は?」
「高すぎるからダーメ❤」
 六花は考え込んだ。

「……まあ、ヨシ! 交渉成立!」
 アイスならなんでもよかったらしい。
「続くよころもちゃん、働くんでお説教は勘弁してね! ――八雲垂氷丸!」
 ごう! 噴き出した妖力が髪をなびかせる。怒り狂ったころもを死角から襲う触手を、一閃! 切断面は極低温で凍りつき、新たな仔の接合を許さない。
「このまま本体まで行けば、特別ボーナス追加もあるでしょ!」
「だそうじゃけど~?」
「まずいわね❤さっさと|悪神《ねもと》を灼いちゃいましょうか❤」
 ヴィルヴェは精霊に力を注ぎ、拘束を強めた。カノロジーは掌に異能の灯火を燃やし、跳んだ!
『仔らよ、妾を守れ!』
 それは女神をして全力の防御を即判断させるほどの熱量を秘めていた。
「縛って斬られて凍らされて、そして美味しいたこ焼きの! 出来上がりよぉ!」
 KRASH! 肉の海に叩きつけられた火が――燎原の如く、血と死と肉を飲み込み、燃え広がっていく!

『ぐ、が――ぎゃあああっ!!』
「ふん! 蛸風情がいい気味ですわ!」
 甲高い悲鳴に多少は溜飲が下がったのか、ころもは憤然と言った。
 焔の中新たに生じる触腕は、妖刀がスパスパとあっけなく切り裂いていく。
「うひー、あっついねぇ。雪女にゃ堪えるよお。これ、私らまで巻き込まれないよね?」
「大丈夫よぉ、火力調整はちゃんとしてるんだから❤」
「……ヴィルヴェたちは巻き込まれとらんが、なんかその袋焦げておらんか?」
「え゛」
 カノロジーは袋を見下ろした。バスバス元気に動いていた仔らは、しーんと静まり返っていた。
「ちょっと、社長? 社長!?」
「…………あっちの二人に期待ね❤」
「社長! 特別ボーナスあんだよね! ねぇ!?」
「まだまだずたずたに引き裂いてやりますわー!!」
 ヴィルヴェは呆れ返り、精霊の後ろで肩をすくめた。

久瀬・八雲
十枯嵐・立花
オーキードーキー・アーティーチョーク

●叫喚
「アハッッ!! アハアハアハハハッッッ!!!」
 斬りつけるような風の中、狂っているという表現さえ違和感を催すような、異様な笑い声が響いた。
「なんだ……?」
 十枯嵐・立花は笑い声|だけ《・・》を耳にし、訝しんだ。単なる狂ったサイコパスの、けたたましい金切り声とは違う――そこには何か、|狼神の子《人妖》たる彼女にさえわからぬ、独特の|法則《ロウ》がある。声の主は間違いなく正気なのだ。単におかしいから、心の底から笑っているのだ――それ|だけ《・・》は、判る。

 ただ、笑い声から感じる異質な|法則《ロウ》それ自体が、世の理を外れている。人類の側に立つ者では、本質を理解できないほどに|外れ《・・》ている。
「実にッッ!! 美しい景色ッッッ!!!」
 破滅へ向け加速を続ける速度の中、それは純粋な感嘆を上げた。
 それは、オーキードーキー・アーティーチョークと呼ばれていた。

 立花が笑い声の正体を認識しきるよりも早く、異変が起きた。
「……駅? このルートにそんなものがあるなんて聞いてないんだけど?」
 然り。駅である。しかしその佇まいも、やはり何かが|おかしい《・・・・》。
 身を乗り出し足元を見下ろせば、ギャリギャリと火花を散らす車輪が切りつけているのは、いやに古びた木製のレールだ。
 ここは都心部であるはず。こんな田舎の片隅じみた、ノスタルジックな線路だったはずがない。これまで車両外部で雌伏してきた立花だから、わかる。

 何かが、異常だ。
 KBAM! KBAM! さらに爆発! 汎神解剖機関の援護か? 否、ありえない。
 √能力者に一任されたこの事態の解決に、機関が外部から援護を行うなどという話は星詠みから出ていない。可能性があるなら確実に通達されているはずだ。
(「誰だ? 誰かが攻撃してる。|この車両自体を《・・・・・・・》」)
 空間変質による、邪神列車そのものの内包。恐ろしく大規模、かつこのスピードで術式を維持しうるポテンシャル。当然ながらその中には、車両にしがみつく立花すら入っているのだ。

 そして無論、車両内で奮戦する√能力者さえ!
「この揺れは……わかりませんが、助かりますッ!」
 触手を相手に、煤を纏う剣を振るい果敢に戦っていた久瀬・八雲は、爆破による衝撃を利用して敵の懐へ潜り込んだ。
 わだかまる触手の海の中、ぐるりと一回転。満月のような円弧が走り、浄化の焔が触手を灼断する。焼き焦がされた切断面には、仮に仔が融合しようとしても不可能だろう。
『これは――異な』
 新たな仔を産み落としながら、クヴァリフが呻いた。しかし八雲は、その噛みしめるような声音に、眼前に迫る己とは別の何かに対する苛立ち、あるいは怪訝のニュアンスを感じる。
「……正確には把握できませんが、瞑想などさせませんよ! あなたはこのまま滅び、現世から消えなさい!」
『チィ……!』
 燃える刺突を、蛸の足めいた太い触手が遮る。KBAM――爆発! 車体が揺れる
。バランスを崩した触腕を、八雲は斜めがかった一閃で断つ!

 同じ頃、車外では!
「御母堂ッッッ!! 如何ですかなッッッ!? 孕み落とすあなたが、仔ごと孕まれるご気分はッッッ!!!」
 この世ならざる笑い声が、クヴァリフの意識にのみ注がれる。|電脳怪異《ネットロア》の化身たる存在は、立花がおぼろげに認識したレール、駅、そして爆発、あるいは時折暗闇をもたらすトンネルそのもの――つまりこの列車を包み込む空間そのものと化していた。

「……きさらぎ駅だ」
 立花は記憶の中から探り当てた|都市伝説《ロア》に、目を剥いた。ゴウ――何度目かわからない通過、一瞬だけ見えた駅名はまさにその伝説の通りのもの。
 異界を包み込む異界。単なる味方とも言いづらく、そして安心して身を任せるのも危険だと、狼神の子の本能が告げていた。
 だが、利用はできる。およそ肉の身を持つ人妖では、輪郭をなぞることさえ出来ぬ怪異の理屈によって、クヴァリフの力は制限されている!
「今はとにかく、アレを叩きまくって援護しないと」
 立花は素早く切り替えた。狩人たるもの、状況に常に適応し、冷静沈着でいなければならない。今この場においては、泰然自若といえる立花の性分が役に立った。いかな恐怖とて、鈍麻には弱いものだ。
 小銃に竜漿火薬を装填。KBAM――爆発が車体を揺らす。八雲の一閃が、魚卵のようなおぞましい眼の集合体を断ち切った。困惑の表情を浮かべるクヴァリフの顔面に、照準が定まる!
「励起完了……これで……!」
 クヴァリフの視線が、立花を捉えた。

 うぞうぞと、悶えるように『仔』が出現した。
 名状しがたき落とし仔。触手を備え、偽足を生やしては腐り落ち、傷のある忌まわしい眼で八雲を睨む怪異。ぶるぶると蠕動するその攻撃は緩慢でさえある。
 そして母。立花を認識していながら、反撃が出来ない。八雲の攻勢が抑制となっている。それはある。だがもっと別の要因があった。

「アハッッッ!! アハアハアハアハアハッッッ!!!」
 けたたましい笑い声。無数の囁きめいて、か細い「声」がいくつも女神の周囲に出現し、とりとめもない話を語り、そして消えていく。
 連綿と語られ、増幅されし怪談。面白がる人間どもの反応。歪められていく亜種。人類が無意識に生み出したアーバンレジェンドが、正体不明の恐怖が、濁流の如き情報となって女神の意識をかき乱しているのだ。
「最大最悪はッッ! 我ら電子の怪異が生まれし情報の海にありッッッ!!!
 地獄は既に我らが描いたッッッ!! 烏滸がましき邪神よッッッ!!!」
『何を……仔らにさえ劣る新参者が、生意気な!』
 敵を前にして怒りと困惑に絡め取られた母は、一切の防御を捨てた――出来なかった、というべきであろうか。
 その姿を、攻撃の意味を、声を、八雲も立花も認識しえない。恐怖とは常に、愚かでやかましい立った一人に向けられるものだ。それが怪談という物語であるがゆえに。
「我らが地獄の一端、楽しんでおられるようですなッッッ!!」

 女神の耳元で怪異が囁いた。
「しかし彼女らも滾っているようです」
 女神の主観時間が現実に追いつく。BLAM――放たれる弾丸!
「蘇生するなら、尽きるまでやってみる。弾薬ならたっぷりあるからね」
「届きましたよ。ガラ空きです! 我が一刀、受けなさい!」
 刀と銃。人間が作り上げた殺意の顕現が、恐怖を切り裂いて同時に神を穿った。
 暴力とは原初の恐怖だ。最古と最新を同時に味わわせられた女神は、人界を乱す邪なる存在とは思えぬ、甲高く弱々しい悲鳴を上げて身悶えした!

鷹野・夕貴
ギギ・ココ
千桜・コノハ

●死線
 フランケンシュタインの怪物は、本来美しく聡明な「人間を超える存在」としてデザインされた生命である。
 現代において膾炙した、頭にネジの刺さった大男というイメージは、原典のそれとは似ても似つかない。
 クヴァリフの肚から生まれ落ちた「最も強き仔」は、言うなればその真実と虚像の間の子とでもいうべきか……女神のように端正で美しく設計された生命を、グロテスクかつ醜悪に歪めたような、ちぐはぐで不気味な巨怪だった。

「ホラホラ~、こっちっすよ!」
 対するのは鷹野・夕貴。殴り棺桶に遠心力を乗せ叩きつけると、質量と質量のぶつかり合いで異界が揺らいだ。
 夕貴の身体は、女性としては豊かでしっかりした体格ではある。しかしそれを差し引いても、手足の長さは異様だ。対峙する怪物同様、どこか不自然な印象を与える。
「にしてもさすがデカブツ、パワーでゴリゴリ来るっすね~。大抵の怪異なら今のでKOと言わなくても、グロッキーにはなるんすけど」
 事実、夕貴の四肢は本来の彼女のものではない。女性の胴体に男の四肢――|屍人《デッドマン》ゆえの反自然的な縫合。あるべき形を逸脱しているという意味では、こちらも同じ怪物ではあるか。
「ま、譲る気はないっすけどね」
 巨躯が身を沈め、突っ込んだ。大型トレーラーがフルアクセルで飛び込んでくるような突進を、夕貴は真正面から受ける。
 ガガガガ! 踏みしめたつま先が肉の床を削り、火花を散らす。夕貴は……止めた! なんという規格外の膂力!
「それともこれ、もしかして……自分の真似してる感じ、っすかねぇ!」
 一瞬の拮抗。夕貴は這うほどに身を低くし、顔面を削ぎ落とす鈎爪を回避。片腕を軸に水面蹴りで足を刈る。呆気ないほど簡単に巨体が宙を浮いた。鎖の投擲――肉体に生じた瘤が体液を飛び散らしながら花開き、融合したクヴァリフの仔、つまり触手が飛び出して鎖と絡まり合う。怪異殺しの歪なコピーだ。
「自分の技、そんな簡単に真似られると! ちょっとイラッとくるんすよねぇ!」
 夕貴は舌打ちし、アッパーカットに切り替えた。怪物の下顎をしなる拳打が叩き、鎖に絡みついた触手を強引に引きちぎる!

『仔らよ、|きょうだい《・・・・・》を手助けしてやるのだ』
 女神の声が新たな仔を喚ばう。どろどろと廃液のように零れ落ちた肉色のタールは、その実不定形の仔の「群れ」だ。ぷつぷつと嫌な音を立て、無数の種が孵卵する。人間|めいた《・・・》もの、人間とは異なる獣|じみた《・・・》もの、既知のいかなる生命にさえ該当しない、だが忌まわしい落とし仔が、芽吹く。それらは植物のタイムラプス映像のように、おぞましい速度で膨らみ成長するのだ。
「|発動、二倍を二つ《セット、ダブルダウン&ダブルダウン》」
 BLAMBLAMBLAMBLAMN!
 ギギ・ココはファニングじみた速度でスラッグ弾を叩き込む。既に人間の子供サイズまで成長していた、無頭かつ四つ腕のヒトガタが爆ぜ砕ける。ギギの加速増幅能力を、いびつに再現した個体だったのだろうか。似たような形状――たとえば逆に頭が六つ存在する奇形児や、首が二つ、足が9本の馬のような何か、両目のあるべき眼窩から、屈強な腕が生えた細長い巨人――の異形が生まれ、育ち、そして撃ち殺されていく。ギギのトリガーはフェザータッチだ。嫌悪も躊躇もなく、殺す。淡々と。

 生命の産み落とされる速度は、ダブルタップをさえ超えかねなかった。
 夕貴がもっとも巨大な個体を足止めし、かつ√能力で生命そのものが脆弱化させられていなければ、殲滅速度が競り負けていたかもしれないほど。
 産み落とした仔そのものと融合する邪悪な近親交配の力は、それだけ強力なのだ。
「うわぁ。キモいキモい! 怪異の中でも特段気味が悪いよ、お前」
 ごう――足元を燎原の火のように燃え広がる浄化の炎。千桜・コノハは嫌悪をたっぷりに吐き捨て、炎の勢いを強めた。
 炎はギギが射殺した生命の残滓を飲み込み、薪に変えてより強く燃える。炎は側面に回り込もうとする、死体の成れの果てにも牙を剥いた。
「お前を望んだ人たちは、もうみんな死んだ。僕はお前を望んでない。
 だから喚ばれたばかりで悪いけど、このまま仔と一緒に消えてもらうよ」
 トーチのように燃え上がった死体を、一閃。炎の中から飛び出した『クヴァリフの仔』をキャッチし、コノハは流れ作業のように次へ進む。
 これが全ての原因であり、目的のブツだ。仔を回収すればするだけ、敵の強化比率は下がっていく。ようは本体に到達してしまえさえすれば、片がつくのだ。
「というわけだから、邪魔する奴らは全員消えてくれるかな!」
 燃える。いびつなる生命が燃える。炎による殲滅の助けを得たギギは、ついに忌まわしき落とし仔の誕生速度を凌駕。一度拮抗が崩れれば、そこからは速い!
「その通りだ。此処にお前の居場所はない。消えるか、死ぬか、己の血の海に沈んでくたばれ」
 BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM! 弾幕、いや弾雨!
 横殴りのスコールじみた散弾が、肉を血を血管を触手を散らす。炎と弾丸は夕貴にまで伸びた!

「っとぉ!」
 長い四肢を折り畳み、瞬発力でカエルのように跳ねた直後、殲滅の波濤が巨大な仔を真っ向から飲み込んだ。
 面を制圧する攻撃は、巨体にとってもっとも効果的だ。足が燃え、腕が爆ぜ、否応なくバランスが崩れる。その時夕貴は、頭上!
「結局|火力《これ》が一番っすねぇ。てわけで――」
 じゃらりと鎖が音を立てた。引力=重力は、地球上でもっとも強力かつ平等な法則だ。殴り棺桶が頂点に達し、鎖に引かれて加速する。
「肉は叩いて柔らかくしちゃうっすよぉ!!」
 KRAAASH!! 重力に落下速度、そしてデッドマンの膂力を乗せた、鉄槌の如き一撃! 浄化の炎で構造がスポンジめいて脆弱化した巨大な怪物は、無慈悲な殴り棺桶の質量でミンチと化した!
『妾の仔を、よくも!』
 棺桶は突き立つ墓標のように、溢れ出した触腕を防ぐ盾ともなる。夕貴が棺桶を飛び越えるように姿を表すと、咄嗟の攻撃はそちらへ――一方、質量の左右から飛び出したのは、ギギとコノハである。
「自分、陽動なんすよねぇ。ま、これ見て無視できるわけもないっすけど」
『な……』
 BLAMBLAMBLAM! 右からは容赦なき弾幕! 触腕が母を守ろうと健気に立ちはだかるが、血と膿と肉の残骸と化して飛び散る。四散した残骸はコノハの炎を強める薪となる。
「痛い? 辛い? でもさ、これってお前がやったことだよ?」
 ざん――清廉な一閃が、なおも阻もうとする肉の壁を切り分ける。炎はコノハ自身から生じる。ならばその身も、刃も、炎で鎧われているのと同然だ。
「というわけでさ、お子さんと同じ気持ちになってみようか!」
 破魔の剣閃が桜色の一文字を描いた。はらわたまで届く一撃を浴びた女神は、仔を蹂躙され己さえ滅びに叩き込まれる恐怖と絶望に咽び泣く。
『妾の仔が、苗床たる異界が! ああ、燃えていく、滅びていく……!』
「言ったはずだ。消えるか、死ぬか。その二択だとな」
 リロードを終えたギギは冷たく言い、再びの殲滅を開始した。

雨森・憂太郎
カンナ・ゲルプロート
録・メイクメモリア

●病痾
 あってはならぬもの。
 されど、避けては通れぬもの。

 √汎神解剖機関の人類は、黄昏に暮れつつある。滅びつつある。
 ゆえに、怪異の存在は不可欠だ。より正確には怪異から得られる|新物質《ニューパワー》が。
 絶対に相容れることなく、ともすれば手を出すことで逆に完全な――そしてより凄惨な――滅びを招きかねないが、手を出さずにはいられないもの。
 |それ《・・》が、此処に在る。神と、神に穢されし神域という形で。

 その在り方は、病に似る。
 生命は生きればいずれ死ぬ。死ぬ前には必ず病に罹る。それが突然の外的な死でない限り、時間とともに摩耗し脆弱になった肉体は、どこかが病むものだ。
 一方で病が人の役に立つこともある。癌細胞を死滅させるウィルスなどはその好例だろう。
 完全になかったことに出来ないならば、出来ないなりに、人の知恵と歴史が病を活用する術を見出してきた。
 女神もまた、同様である。クヴァリフ器官があるから、世界は未だ常識の姿を保っている――そして、仔。√能力者達が手に入れるべきもの。

 だが、病は取り除かなければならない。女神そのものは、なんとしてでもこの場で滅ぼさねばならない。さもなくば、望まぬ破壊と破滅を齎す。
「……師の教え。言葉だけではわからなかったことが、今ようやくわかった」
 録・メイクメモリアは山刀の柄をミシミシと鳴るほど強く握りしめた。
 森という命の揺籠を満たす、病葉。在るだけで生命を脅かす「病」――狩人が、狩り、滅ぼさねばならぬもの。
「お前こそが、命を涜するもの、お前は「病」そのものだ」

 けらけらと、女神は嗤った。
『これは異なことを。病んでいるのは母たる妾に非ず。この√の人の仔らであろうに』
「……そうね。|連邦怪異収容局《FBPC》の連中が変な入れ知恵をしなきゃ、こんなテロは起きなかったわけだし。お前も降臨はしなかった」
 カンナ・ゲルプロートは頷き、だが嫌悪を滲ませた。
「だから、あの信徒どもにせよ、お前が弄んでるエージェントにせよ、特に思い入れはないわ。ただ、心から同情はする」
『同情? ほう、何を憐れむという』
「お前みたいに、仔とやらを使い捨ててやりたい放題するような|神様《クズ》に弄ばれてるところがね」
 カンナは吐き捨てた。
「その躊躇のなさ、流石は腐っても神様――とでも褒めてやりましょうか?
 ゴミの処分と再利用を自分でやるのは、いい心がけではある。ついでに|一番のゴミ《じぶん》も、さっさと処分しなさい」
 少女めいた吸血鬼の頭は冷えていた。怒りも殺意もなく、ただその在り方に対する侮蔑と、嫌悪がある。ゆえに躊躇も容赦も一切ない。
 バサバサと、カンナの周囲にコウモリが羽ばたく。応じるかのごとく、女神の周囲に新たな『仔』らが這いずり、母を守ろうとした。

 一触即発。
 狩人と吸血鬼が挑もうとした瞬間、唐突に巨躯が三者を阻んだ。
「鎧武者……?」
 録は訝しんだ。ずしん、と肉の床に重々しい音を響かせ降り立ったのは、なるほど屈強な武者鎧のシルエットである。
「……|損丸《そこねまる》。お願い」
 それは、雨森・憂太郎が木刀に念じ出現させた、幽世の具足。どこかおぞましさを感じさせる蟲めいたシルエットは、邪悪なる太母の前にあっては相対的に和らぐ。面頰の隙間から漏れ出した息吹は、確かに瘴気を払う清めの神力を宿していた。
「これ以上、人々に消えない爪痕は遺させない――ここで、止める」
 憂太郎の意を汲んだ鎧武者は、切り込み役は己の仕事とばかりに果敢に踏み込んだ。ぶおん――大太刀が病んだ空気を、そして触腕を切り裂いた!

 質量は力だ。加えて頑丈な武者鎧で守られた損丸は、人型の戦車じみて突き進む。女神クヴァリフはむしろ微笑み、両手を広げて迎え入れた。
『母の抱擁を求めるか、ならば我が|腕《かいな》に抱きしめてあげよう』
 ガラ空きだ。しかし代わりに、無数の『眼』と触腕が、後方に追従するカンナと録を阻む。二人は仔ではない。仔を害する敵であるがゆえに。
「お前なんかに抱きしめられるのは、こっちから願い下げよ!」
 カンナは影の翼をはためかせ、邪悪な触腕を回避。録は山刀で床を削るように走らせ、火の粉を散らす斬撃で己に迫るものを一閃する。
「|演算証明・開始《アルゴライズ・イグニッション》――!」
 ゴウ――稲妻を孕む炎がその身を包み、散ると、どこか豹めいた雰囲気のある戦闘鎧装アルゴノート・ローグが立っていた。
 無数の『眼』が集まり、膨らみ、爆ぜる。内側から出現したのは、獅子の首を刎ね、首のあるべき場所に人間の腰から上を接続したような異様なバケモノ。
「それがもっとも強き仔か? なら、融合はさせない!」
『構わぬ。妾には抱きしめるべき仔がいるゆえに』
 武者鎧が抱擁を受け入れ、溶け合うように女神と融合する。憂太郎は木刀を振るい、触腕を叩き落とす。女神の余裕は不気味だ。だが融合はもともと狙い通りではある!
「損丸、その身を縛れ……!」
『ンンン……ははは、母を戒めよう、と? 元気な仔だこと……』
 融合による行動力低下を、女神は受け入れた。受け入れたうえで、鎧武者の霊的な侵食を自らの霊格で逆に飲み込み、強化の糧にしようとする。そうなれば損丸はクヴァリフの養分になってしまうのだ。目には見えない闘争が、歪な融合を果たしたクヴァリフの胎内で繰り広げられていた。

 ぐつぐつと、生命のスープが煮え立つ。流れ出した血が、忌まわしき羊水があぶくを吹き、一体、また一体と強大な仔が生まれる。
「どうするの、むしろ強化されてるんじゃないの!?」
 いびつな胎児を影で切り裂き、潰しながら、カンナが叫んだ。
「……クヴァリフの仔の力……それほどまでなのか?」
 憂太郎は呟いた。ならば回収などと生ぬるいことを言わず、女神もろとも叩き潰すべきではないか……木刀を握る手に力がこもる。
「損丸……!」
 女神と幽世具足の運命をともにさせるつもりはなかった。消滅すれば復活は不可能。足枷となりその身を縛ることを期待するしかない。そこへ、人身獣体の仔が迫る!
「させるか――|贋・雷光砲《イミテーション・サンダーボルト》、|演算証明《アルゴライズ》!!」
 ゴッ!! 破壊の雷光が、録から迸った。10秒のチャージを必要とする必殺の一撃は、女神があえて損丸との融合を受け入れ、自らの霊格で飲み干すことを戯れめいて選んだがゆえに稼げた。憂太郎の判断は無駄ではなかったのだ。
『ああああ……ッ!?』
 一転してクヴァリフは悲鳴を上げた。獅子じみた仔もろとも、雷光はのたうつ忌まわしき生命を飲み干し、蒸発させた。女めいた神の身体の右半分、約4割強が焼けて消し飛ぶ。再生しつつある身体から、一度は融合した損丸が分離した。

 が、具足の両足に、女神と融合したクヴァリフの仔の触手が絡みつく。今度は邪神側から融合――いや捕食を行い、完全に糧とするつもりだ!
「……!」
 憂太郎は木刀を振るい、仔と女神の接続を断った。だらりと肉の床に零れ落ちた触手はびちびちと跳ねる。本当にこれを回収することが人類のためになるのか? ……沈思黙考しながらも、彼はそれを掴み取った。
「ぐ……!!」
 破壊雷光のバックファイアに、録は膝を突いた。ならばこちらの肉を飲み込み母へ捧げようと、触腕が迫る――カンナの剃刀めいた影が、切断、切断、切断!
「母を名乗るのは自由よ。けど、それなら子どもの躾はちゃんとしなさい!」
『ギ――ッ!?』
 右掌、√能力を否定する一撃が女神の腹部を叩いた。拒絶のエネルギーを再生途上に打ち込まれた女神の傷口から汚れた血が噴き出し、存在滅亡へと追い込む……!

ノーバディ・ノウズ
久瀬・彰

●終着点
ギィイイイイ――ッ!!
「うオッ!」
 ノーバディ・ノウズは耳のあたりを押さえた。
「なんだ今の、頭にガツンと来る音は? |女神様《マダム》の悲鳴かよ?」
「――いや、|こいつ《・・・》だね」
 久瀬・彰は、ぐちゅりと嫌な感触を返す床を踏んだ。
「ア? どういうこった?」
「だから、|これ《・・》だよ」
 彰はもう一度床を――邪神列車を示した。
「|列車《これ》そのものの声だ。完全に怪異化しつつあるみたいだねぇ」
「……ワッザファック」
 ノーバディは頭を振った。
「つまり何か? |連邦怪異収容局《FBPC》の連中と、|汎神解剖機関《この国》の奇跡のコラボレーションで、時速ウン百kmで爆走するデカブツ怪異の出来上がりってわけか?」
「ま、そうなるね。このまま放っておけば、だけど」
 二人は女神クヴァリフを見た。右半身をほぼ失い、再生もままならぬ女神は邪悪な笑みを浮かべ、肉と鋼鉄でまだらに構成された床に崩れ落ちた。

『然り。そしてこれこそ、妾が産みし最強の仔』
 女神は嘯いた。臍から下は床そのもの……いや、邪神車両そのものと融合し、車体から上半身が生えているというべき有り様。
 失われた右半身を、蠢く触手が補い、縫合を強める。もはや人型の輪郭すらも失いつつあった。
『その裡にありし汝らもまた、忘我のうちに我が仔としてくれよう』
「ありがたい話だね、ハグどころか人生リスタートのサービス付きだ」
「うーん、俺は勘弁かなぁ。っていうか、この後の仕事が絶対大量にあるから、さっさと片付けたいんだよね」
 猛烈な風が、彰のコートをはためかせる。壁と天井が失われ、走行が生む風が吹き付けているのだ。車輪が火花を散らす。
 車体が強引な融合に耐えきれず自壊するか、女神が完全に車両を掌握し全く別の怪異と化すか、このまま半々の状態でレールを外れて何処かへ突っ込むか……可及的速やかに片付けなければ、どれかの形で決着する。どれであれ、甚大な被害が生じる。
「ホロウヘッドくん、手筈通りに行くよ」
「任せときなァ、だから背中は預けるぜクゼ!」
 ノーバディは頭部に一振りの剣を突き立てた。
「さあ、マーマよ! 『真正面から飛び込んでやる』ぜ! せいぜい受け止めてくれよッ!!」
 ノーバディがクラウチングスタートめいて駆け出した。その後ろから影が足元を、頭部の左右スレスレを掠めるようにメスが飛び、呑み込むような触腕を斬り伏せる!

『自ら忘我の境地に至ることを望むか。何が狙いか知らぬが、無駄なこと』
 クヴァリフの広げた両腕――いや、触手で構成された巨大な腕が、左右に伸びた。蠕動し絡み合い細かく形を変える|それ《・・》の隙間に、無数の眼球が生え、ぎょろりとあらゆる角度からノーバディと彰を睨む。
「凶眼だ。潰してる暇はないよ!」
「わかってらァ!」
 必要最小限の援護が、眼球を切開し使用不能にする。避けきれない怪視は、ノーバディ自身の耐久力で耐えざるを得ない。そこにさらに、床から生えた触腕だ。彰はサークルのように影を展開し自身を防御、ノーバディの足を止めようとするものも、限界まで「薄く」した影でスライスしていく。
『妾の仔となる運命を、受け入れよ!』
 クヴァリフの胎が裂けた。羊水と血に塗れた触腕が、ノーバディの心臓を貫こうとする!

「オイオイ、母ちゃんよ。俺が欲しいのはハグであって、こんな|触手《ブッといの》じゃねえぜ?」
 心臓に到達する寸前で、鋭い触手は握り止められていた。腕めいた触手の集合体が、ノーバディを包み込み、呑み込む。
 クヴァリフの仔が、ノーバディの身体を這い回り、融合しようとする。まっすぐと上に突き立てた剣も次第に肉の渦に飲み込まれ――。

「今だ、クゼ!!」

『何?』
 直後――KA-DOOOM!! 夜の空を劈き、呪禍を宿した霊力の雷がノーバディに飛来!
 触手に取り込まれかけていたということは、ノーバディだけではなくクヴァリフも雷撃の対象になるということだ。無数の触手が丸焦げになり、電撃は女神本体にまで到達した!
『が、は……! 何を、我が仔に取り込まれる前に介錯でもしようというのか……!?』
「違うね」
 だが、見よ。煙を吹き上げ悶絶する女神に対し、ノーバディは健在だ。呪雷を浴びたのは彼も同じはず。何故!?

 その答えは、砕けた剣の代わりに、頭部にバチバチと帯電する稲妻にあった。
 ノーバディは撃ち落とされた雷そのものを、新たな頭部として接合したのである!
 これにより、雷撃のダメージはある程度まで減衰された。だが彼自身の肉体に叩き込まれたエネルギーは、発散されず未だ全身を駆け巡る!
『やめ――』
「脳みそ灼けちまうぐらいビリっとするの、喰らいなァ!!」
 クヴァリフは触手の縫合を解除し、雷を逃そうとした。本体の喉笛をノーバディは掴み、グラップルで逃亡を阻止する。そして!
「ってところで苦し紛れにホロウヘッドくんを取り込まれたりしたら困るんだよね」
『……か、は』
 女神は見た。心臓を貫く刃を。それは背後、影に紛れて回り込んだ彰の刀だった。
『い、つのま、に……』
「万が一耐えられても困るんだ。|カンパニー《ウチ》のモットーに則って、確実に仕留めさせてもらうよ」
 閃光――増幅されたエネルギーを、ノーバディが解き放った!

 夜を吹き飛ばすほどの爆裂。先頭車両はまるごと爆散し、怪異車両は頭部を失った蛇めいてガタガタと揺れ、やがて慣性に従ってある程度走りながら停止した。
「いたたた……ホロウヘッドくん、生きてるー?」
「……まァ、な……クゼ、テメェ手加減なしに雷落としやがったろ?」
 ぷすぷすと黒焦げになり、煙を吹きながら、ノーバディは健在だった。周りにはピクピクと痙攣する仔の触腕が転がっている。
「だって俺、彼女苦手だもの。それにさっきも言ったじゃない」
 彰は一つ一つ触手の状態を確かめて回収しながら言った。
「ウチのモットーは実行・解決。その先のことは各自の裁量で判断、つまり業務外ってね」
「たく、言ってくれるぜ」
 ノーバディは空を見た。月は変わらず、呑気なまでに煌々と輝いていた。

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