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霧の森の天使を救え
●√汎神解剖機関・ヨーロッパのとある森
その女性、ミス・トフォグは霧の中に囚われていた。
物理的、心理的な意味の両方においてである。
事の始まりは、ボランティアで森の清掃活動に参加したこと。黙々とゴミ拾いに没頭していたら、何の前触れもなく彼女の肉体に異変が起こったのだ。
まるで、神様か誰かが悪戯で拵えた出来の悪い「人間の偽物」……とでも言うしかない、翼の生えた異形の姿へと変わってしまったミス・トフォグは、しかし戸惑っている暇もなくバケモノの群れに襲われる。
変異した彼女自身と似て非なる容姿をしたバケモノに追われて、森の奥へと逃げ込んで、気づいたら濃密な霧に包まれて1フィート先すら視界の利かない状況に陥っていた。
「……他の人たちは無事なのかしら」
霧の向こうから、バケモノのうなり声が聞こえてくる。多少は迷っているのかもしれないが、諦めることもなくミス・トフォグを追いかけてきているようだ。
こんな恐ろしい状況において、彼女は我が身よりもボランティアに参加した仲間たちを案じていた。
「アイツらはあたくしだけを執拗に狙っているみたい。だったら、人のいない方へ逃げれば被害を減らせるかもしれないわね」
他者のため、一身に危険を集中させるべく、足を動かし続ける。たとえ逃げた先に救いがなくとも、時間稼ぎくらいはできるものと信じて。
……しかし、ミス・トフォグは知らなかった。己にせまるバケモノたちの正体こそ、無事を願うボランティアメンバーの成れの果てだということを。
●ブリーフィングルーム
「『天使化』という病はご存知でしょうか」
田抜・くのえ(狸ではない洗い屋・h00255)は、真剣な様子で話し始めた。
最近になって突然流行し始めたそれを、あなた方はすでに見聞きしているかもしれない。天使化とは「善なる無私の心の持ち主のみ」が感染するとされるヨーロッパの風土病だ。
「この度、某所でボランティア活動を行っていた一団が発症したのを確認しました。ほとんどは『オルガノン・セラフィム』という怪物に身を堕として手遅れですが……たった一人だけ、理性と善の心を失わず『天使』として覚醒した女性がいるようです。皆さまには、彼女の救出をお願いいたします」
そう言って、くのえは要救助者の情報をあなた方に伝える。
「今は濃い霧がたちこめる森の奥でさまよっていらっしゃるので、まずは合流することからですが……このお方は責任感が強いらしく、皆さまを危険に巻き込むまいとするでしょう。ただ見つけるだけでなく、何らかの説得も考えておくべきと存じます」
霧の中で天使を探し出す。
一人で抱え込もうとする彼女を説得する。
最初の任務はその二点が重要になるだろう。
「残された時間はあまりありません。オルガノン・セラフィムは天使を捕食しようとしていますし、秘密結社『羅紗の魔術塔』の一員である『アマランス・フューリー』が奴隷として回収しようと動いています。どうか皆さま、天使さまをよろしくお願いいたします」
くのえは深々と頭を下げて、あなた方を見送った。
これまでのお話
第1章 冒険 『霧に閉ざされて』

●
「あなたは天使ですか? それとも、新しく発見されたUMAでしょうか!?」
「て、天使? UMA?」
出会い頭に開口一番、インタビューを始めた八木橋・藍依(常在戦場カメラマン・h00541)に、ミス・トフォグは目を白黒させた。
「あ、貴方、何を言っているのよ」
無礼なほどに飄々と距離を詰めていく藍依に、ミス・トフォグは最初こそ戸惑っていたものの、気を取り直すと眉をつり上げて詰め寄ってきた。
怒ったか?
と藍依は身構えるが、相手の様子を見たところ予想とは異なるようで。
「よく聞きなさい。信じられないかもしれないけれど、今この森にはおそろしいバケモノがいるの。アイツらはあたくしが狙いみたいだから、近くにいると貴方まで巻き込まれてしまうわ。急いで離れなさい」
(……へぇ)
藍依は胸の内で感心した。
あえて不快にさせるような態度を取ったのに、ミス・トフォグは本気で藍依のことを心配しているのだ。「救う価値のない人間などいない」と、メガネのレンズを隔てた瞳に書いてある。
(『善なる無私の心の持ち主』、でしたか。なるほど。天使になるだけあって、底なしのお人好しですね)
ここからどうやって同行を認めさせたものか、と藍依は思案を巡らせて……ヒクと耳が動いた。
「そういうことであれば、あなたもどうかご無事で」
慇懃にお辞儀をして、バックステップで霧の中へと姿をくらませる。
そうしてミス・トフォグが遠ざかっていく気配をうかがっていると、程なくして別の気配が近づいてきた。
一つ。
二つ。
三つ、四つ……もっとたくさん!
『あ゙……ぁあ……』
『ぅ゙ぅ……』
ゾンビじみたその大群は、オルガノン・セラフィム。この濃霧でも天使を見失うことなく追い続けているのだ。
「――√能力【証拠を守れ!】」
藍依の特製カメラから放たれた現場保存フラッシュが霧中に閃き、オルガノン・セラフィムを行動不能状態に陥れた。
「全部倒すなんてキリが無いし、こいつらを倒すことが私達の目的では無いからね。少なくとも今のところは」
Ankerに倒されるのでもない限り、√能力者は死んでも復活する。復活する時間と地点は遠いかもしれないが……まあ、リスクと労力を考えればこの程度が適当であろう。
藍依はそう判断して、他の追手も足止めすべく動き出した。
●
「窮地にあって仲間を案じるとは、素晴らしい方だ」
眞継・正信(吸血鬼のゴーストトーカー・h05257)は心から称賛した。
叶うことなら彼女が事の顛末を知らずに済めばよいものだが……ともあれ、まずは救助が優先である。
「――【漆黒の外套】」
√能力によって黒い霧をまとい、森を覆う濃霧に混ぜ合わせる。
さながら大鍋のミルクに一滴だけコーヒーを垂らすがごとく。魔力の漆黒は大いなる白に溶け込んで消えていくが、糸のように細まる黒霧の動きによって、大気に流れがあることや霧の濃淡を見て取ることができた。
「ふむ。……最も霧が濃いのは、二時の方角か」
「対象らしい足跡も、そっちの方に向かってるみたいだ」
呟く正信に応じたのは、斯波・戒焔(極地に至る双腕・h06146)。
正信が従える大型犬の死霊『Orge』と並んで地面を検分していたオッドアイの男は、特異技能で操る火球を松明代わりに足元を照らして見せた。
しめり気を帯びた土には、まだ新しいスニーカーの跡が残っている。土の抉れ具合や歩幅から、足跡の主が急いでナニカから逃げようとしているのが、優秀なカミガリである戒焔には読み取ることができた。
√能力で移動力を増した正信と、炎の明かりで視界を補助する戒焔は、五里霧中に囚われながらも着実に情報を拾い上げ、険しい道のりを進んでいく。
そうして、程なく。
「誰かいるの!?」
霧の向こうから、女性の声がした。
戒焔が掲げる灯火に、向こうが気づいたのだ。二人の√能力者は互いに目配せして、いったん異能を解除すると声のした方へと駆け寄った。
「助かった。あなたは化け物ではないらしい」
と、まずは正信が切り出す。
「我々は奇妙な化け物に追われ、逃げていたところだったのだ」
「まあ。あたくしの他にも狙われていた人がいたなんて、まったく気づきませんでしたわ」
正信の説明を、ミス・トフォグは素直に信じたようだ。
ショックを受けた様子で、頭を抱える。
「あたくしが引きつけていれば、他の人は逃げられると思っていたのに……」
「どうやらあなたも同じ状況のようだな。これも縁、一緒に行ってくれませんか」
「現実的に考えても、この濃霧下で『ひとりで』動こうとする方が危険だ」
ここは勢いで押し通すところだ。
そう判断した戒焔も加勢して、二人は左右から畳みかけた。
「周囲が把握し辛く、視界が利かない状態でただ闇雲に逃げるのは、巻き込む巻き込まない以前に不意の事故の確率が高い。そうなって動けなくなるよりは――まだ、安全を確保するように動いた方が良いぞ」
「こちらには犬がいる。多少は案内が出来るだろう」
「振り切る算段も薄い逃走より、少しでも目のある解決を選ばないか?」
「そ、それは……その通り、かもしれないわね」
理路整然とまくしたてれば、ミス・トフォグは曖昧に首を縦に振る。かくして二人は同行をみとめさせることに成功したのだが……それで一安心とはいかなかった。
クンクン鼻を動かす死霊犬『Orge』を先頭にして、進み始めた矢先のこと。
「必要な時に『走れない』のは避けるべきだからな」
と戒焔が言ったから、という理由でもあるまいに、突如としてミス・トフォグの足が止まったのだ。
「なんで……急に力が……?」
糸が切れたように、その場にへたり込んでしまうミス・トフォグ。怪我など異常は見当たらないが、極度に疲労しているらしい。
どうやら、事件は次の段階へと移行するようだ。
第2章 集団戦 『オルガノン・セラフィム』

●
「なんで……急に力が……?」
あなた方と出会ってから程なく、ミス・トフォグはバッテリーが切れたかのようにへたり込んでしまった。と同時に、周囲にも異変が生じる。
霧が晴れたのだ。
伸ばした腕の先すら見えないほどの濃霧が、あれよあれよと言う間に消えていき、草木の生い茂る森が 現れた。
そして、
『あ゙……ぁあ……』
『ぅ゙ぅ……』
意味のないうめき声を漏らしながら、枝葉をかき分けて『オルガノン・セラフィム』の群れが近づいてくる。
ミス・トフォグのボランティア仲間が変異したものだそうだが、今は理性なき殺戮獣だ。言葉は通じず、元の人間に戻すすべもない。そして、護衛対象の天使は疲れきった様子で身動きが取れないときている。
あなた方にできるのは、かの哀れな怪物たちに仮初めの死を与えてこの場から排除することだけ……と言いたいところだが、実はもう一点。あなた方は気づくことだろう。
オルガノン・セラフィムたちよりもさらに後方に、強大な魔力の気配があることに。
●
『ようやく晴れたな。あの霧はなんだったのか……いや、今は目の前のことに集中するとしよう』
羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』は、前方に視線を戻した。
オルガノン・セラフィムの群れは、何かに引き寄せられるようにして一心不乱に歩き続けている。
『アレは新物質として有用だ。羅紗魔術にて奴隷化し、『羅紗の魔術塔』に連れ帰らせてもらう』
アマランス・フューリーは呟いて、身に纏う『羅紗』に込められた古き呪文を解放した。
●
アマランス・フューリーは、まだあなた方や『天使』の存在には気づいておらず、オルガノン・セラフィムの奴隷化に集中しているようだ。
この状況は幸運といえるだろう。集団敵とボス敵をまとめて相手にするのは困難がすぎる。何なら放置して、このまま捕獲してもらえば多少は戦闘が楽になるかもしれない。
しかし、オルガノン・セラフィムの持ち帰りを許せば、後々に敵が厄介な力を得てしまう可能性があった。
事ここに至っては、「天使を守る」という目標だけに限らない。
邪悪なる『簒奪者』の利得を防ぐためにも、できるだけ多くのオルガノン・セラフィムの数を減らすことが求められる。
なるべく素早く、奴隷化が完了する前に。
●
「……この霧は、彼女が作り出したものだろうか」
眞継・正信(吸血鬼のゴーストトーカー・h05257)は首を傾げた。
ミス・トフォグの疲労と霧の消滅。無関係というにはあまりにもタイミングが合いすぎているが、少なくとも当の本人は何もわかっていない様子だ。
もしも予想が正しいならば利として活かすべきだが……何にしてもこの窮地を乗り越えるのが先決だろう。
「Orge、彼女を守れ」
ミス・トフォグに付き添うよう死霊犬に命じて、正信は前傾姿勢を取った。
「さて、行こうか。【漆黒の外套】」
老紳士の体躯を、再び『黒』が包み込む。
夜の気配に満ちた霧をまとい、その青眼で睨むのは敵本体ではなく彼らの頭上だ。
「【聖者本能】。……降り注ぐ祝福を増幅し、『死』を除いたあらゆるダメージを高速で回復させる御業、か。早急に決着をつけるには、最も厄介な√能力だな」
無数にいるオルガノン・セラフィムから、祝福を振り撒こうとしている個体に狙いを定めて、正信は疾走した。
バキ、と落ちていた小枝を踏み折る。
パキ、と獲物を求めて鉤爪が鳴る。
夜霧の狩人と化した吸血鬼は五指を閃めかせ、手近にいた五体をまとめて引き裂いた。
「独善かもしれないが――奴隷化の未来よりも、かりそめの安らぎを与えよう」
ズタズタになって倒れ伏す、元は人だった怪物たちに静かな一瞥をくれて、正信は次なる標的に向かって跳躍する。
一体たりとも回復を行わせないよう、俊敏に。
いざミス・トフォグに危険があれば、即座に舞い戻れる距離を保ちつつ。
万全の立ち回りで、正信は危なげなくオルガノン・セラフィムの群れを突き崩していく。
●
「お腹が空いているみたいならどうぞ」
疲弊するミス・トフォグに、八木橋・藍依(常在戦場カメラマン・h00541)はミネラルウォーターと携帯食を差し出した。
先刻の不愉快な演技は無意味と悟り、素直に心配しているのを表に出した藍依の態度に、ミス・トフォグは戸惑ったような表情を浮かべつつも「ありがとう」と飲水の容器に口を付けた。
「一度に食べると咽せるので少しずつ食べてくださいね」
そう言い残して、オルガノン・セラフィムの群れへと対峙しようとする藍依を、天使の女性は引き留めようとする。
「あっ。危ないわ。バケモノがすぐそこまで……」
「…………」
化物、と。
彼らの正体を知らずにトフォグがそう呼ぶのを見ると、つらいところがある。……しかし、それでいいのかもしれない。この事実は彼女にとってあまりにも残酷過ぎる。
「知ってしまう間もなく、終わらせましょう」
決意とともに拳を固める藍依。
その隣に、サポートとして駆け付けた能力者が並び立つ。
「奴隷化か、それとも死か……か」
御巫・朔夜(バレット・アクセプター・h01246)は、哀れなるオルガノン・セラフィムたちを複雑そうな眼差しで眺めていた。
自らも奴隷だった過去を持つ身としては、彼らが置かれた状況に思うところがあるが、しかし同情で手を鈍らせることはしない。
速やかに、徹底的に、脅威を排除する。
朔夜の体に染み付いた技術は、そのためにあるのだから。
――そして、サポートはもう一人。
「先陣は私に任せろ!」
ズシィン……ッ! と地を響かせて降り立ったのは、体長2mもの重装甲をまとった明星・暁子(鉄十字怪人・h00367)であった。
最前線にて鉄の城壁のごとく仁王立ちした暁子は、雄々しく宣言する。
「ゴルディオン、起動!」
使い手の思念を受信して、半自律浮遊砲台が空へと浮上した。
低い駆動音ともに砲身を巡らせて敵群を照準。各位機能に異常なし。安全装置解除。全弾発射用意……――――
『『『……うがっ!』』』
砲撃に先んじて、オルガノン・セラフィムたちが一斉に跳躍した。
√能力【生存本能】。
蚤のような挙動で一足飛びに間合いを詰めると、そびえ立つ鉄十字怪人を八つ裂きにせんと黄金の生体機械を煌めかせるが、生憎その動きは想定内だ。
「ここにカウンターです! ――【新聞記者の格闘術!】」
「合わせる。――【ブレイキング・ブースト】」
黄金の爪と黒鉄の甲冑が激突する寸前。
√能力を発動した藍依と朔夜が間に割り込んだ。
「ソードブレイザー!」
朔夜は超技術で構築された光の武装剣を出現させる。√能力でブースト加速した剣閃は目にも留まらず、残光が宙に描く軌跡が斬撃の網となって怪物たちを絡め取った。
そして、もう一方の藍依は徒手空拳。
「殴殴殴殴殴殴殴殴殴!!!」
拳打の乱れ撃ちだ。
さながら二丁のガトリング砲よろしく双肩を回転させ、藍依は敵の先制攻撃を迎え撃つ。「他の者を攻撃する暇なんて与えない」という強い意志を込めて、己の肉体が壊れるのもいとわずに吐き出し続ける拳の弾幕は、怪物の群れをみるみる押し返していった。
「よしっ。後詰めもまた、私に任せろ!」
藍依と朔夜の猛攻によってオルガノン・セラフィムは大幅に数を減らしたところで、暁子が最後の仕上げに取りかかる。
ゴルディオンが上空から、標的を再照準。暁子自身も愛用の馬鹿デカいブラスターライフルを構えて、準備万端だ。
「攻撃開始ィィ!!」
仲間が左右に避けると同時、ありったけをぶちまけた。
空間を“面”で制圧する一斉射撃は、相手が隠密状態になろうが関係ない。雨あられの銃砲は残る敵をことごとく蜂の巣にして、爆煙に散らしたのだった。
●
「無意識に、尚且つ意図せず能力を行使続ければこうもなるだろう」
疲労困憊のミス・トフォグを肩越しに見遣って呟いた後、斯波・戒焔(極地に至る双腕・h06146)はオルガノン・セラフィムに向き直った。
問題はアレを連中に捕らえられる前に殲滅してやらねばならぬ事だが――
「素早く『距離を取れるように』構えるのが、肝要になるな」
置かれた状況と提示された目的から取るべき戦法を選択し、戒焔は己の称号と同じ名の√能力を発動する。
「――極地へ、至れ。【極地に至る双腕】!」
直後、破壊の嵐が吹き荒れた。
属性正転。灼熱の焔は半径にして18mにも広がり、怪物の群れを瞬く間に飲み込んでいく。
呪詛を込めた業火は捕らえた獲物を麻痺させ、絶え間ない激震を与え続ける。天使のなり損ないたちは四肢をもつれさせて転倒し、ハラワタを痙攣させて、一歩も進むことなく灰と化した。
「……おおよそ、倒し尽くしたか?」
先の仲間たちが善戦したおかげだろう。いまのオルガノン・セラフィムが最後だったようだ。
つまり、そろそろ次の段階に移る算段を立てる頃合いである。
戒焔は思案しながら、戦場のさらに向こう側へと意識を向けた。
「簒奪者『アマランス・フューリー』。こちらが気づかれていない間に相手のを状況を調べられれば御の字だが、さすがに難しいか」
得られる情報は限定的。
現在の状況と最終的な目標をかんがみて、ここから取るべきは……逃げの一手と見た。
「あの手練れを相手取るには少々骨が折れる」
と独り言ちながら、戒焔は逃げる準備を整えるべくミス・トフォグの傍へと駆け戻るのだった。
第3章 集団戦 『暴走護霊『樹海を目指す群生植物』』

●
この場面では、逃げるのがベスト。
オルガノン・セラフィムの群れを排除したあなた方はそう判断して、いくらか体力の回復したミス・トフォグとともに逃走を開始することになる。
それを羅紗の魔術士『アマランス・フューリー』は、生い茂った草木の向こうから察知していた。
『……チッ。こっちに来ればいいものを、狩りの邪魔だけしてすぐ逃げるとはな。やすやすと帰してやるのは業腹だが、しかしわざわざ追いかける価値があるかと言えば……む?』
つまらなそうな表情だったアマランスは、ふと何かに気づいて、両の眼を見開いた。
『まさか、そんな……あれは本物の「天使」か! そうなれば話は違う。是が非でも、我が手に収めなくては』
俄然やる気が満ち満ちて、アマランスは身にまとう羅紗を輝かせると、白魚のごとき手の平で地面に触れる。
『目覚めよ、我が奴隷怪異。ーー暴走護霊「樹海を目指す群生植物」!』
ゾワワッ!!
魔術師を中心として森がざわめき、土を持ち上げて出現したのは白く光る不思議な植物だった。
邪気を帯びた白光植物はどこからともなく『無貌の鹿』を召喚すると、主人たるアマランスの命令に従ってあなた方を追撃させる。
さあ、追いかけっこの始まりだ!
怪異植物の勢力がおよぶ範囲外まで逃げきれたら、あなた方の勝利。その前にミス・トフォグが敵方に奪われてしまったら敗北。
どちらにしても、結末にたどり着くまであと少しである。
●
「トフォグさん、走れそうですか?」
「え、ええ。なんとか」
寄り添う八木橋・藍依(常在戦場カメラマン・h00541)の問いかけに、ミス・トフォグは頷いて返した。
厳しそうなら怪力と運搬技能を活かして背負うことも考えていたが、自力で走ってくれるのならばそれに越したことはない。
「追っ手を迎え撃つのに集中できますからね。……【虚偽情報告発!】」
藍依はたちどころに告発記事を1本したためると、27部も具現化させて後方へとバラ撒いた。
投げられた紙の束は風に乗って拡散し、次々と爆発。天使を捕らえにきた無貌の鹿を吹っ飛ばしていく。
『******!!』
爆風を受けた無貌の鹿は、狂ったように地面を蹴り荒らし始めた。
藍依謹製の告発記事の効果は絶大で、人ならざる獣ですらも疑心暗鬼に陥らせる。これにより鹿たちは、追跡の役目を放り捨てて怪異の本体である白光植物を踏みにじっているのだ。
「これで、いくらかは時間が稼げるはずです!」
「残りは、私“達”で堰き止めるとしよう」
そう言って、眞継・正信(吸血鬼のゴーストトーカー・h05257)が単身で進み出た。
使役の「Orge」には藍依とともにミス・トフォグを護衛するよう言いつけて、自らは新たに現れた無貌の鹿たちの前に立ち塞がる。
「使いたい手ではないが……【血の誓約】」
正信の√能力が、グニャと空間を歪めた。
はるか遠くてとても近しい、幾層もの平行世界の重なりに干渉し、ココではないドコカから己のAnkerを呼び寄せる。
「今度は森に呼ばれたのか」
召喚されたマニュエル・ロティエ(眞継・正信のAnkerの異世界同位体・h05660)は気だるそうな表情のまま周囲を見渡した後、正信に視線を向けた。
「まあ何でも良いのだが……年老いた『私』を長々見ていても気が滅入る。手早く済ませよう」
「言うまでもない」
老吸血鬼は仏頂面で返すと、マニュエルの首筋に牙を突き立てた。
異なる√の自分自身から吸血するという禁忌じみた行為によって、非能力者だった異世界同位体は20歳相当の瑞々しい肉体を従属吸血鬼へと変質させる。
「普段とは違うこういう遊びも、悪くはない」
一時的な√能力を得たマニュエルが無聊を慰める有閑貴族のように力を振るい、衝撃波を放った。
衝撃波はライフル弾のごとくに鋭く、空中で2回まで弾道を曲げることのできる効果でもって、面白いように獲物を撃ち抜いていく。それでも敵の増殖速度はすさまじく、倒しきれなかった鹿が角を振りかざして突っ込んでくるが、マニュエルは慌てることもなく、
「危険は御免だ」
と、正信を盾にして身を守った。
「……おい」
身代わりとして鹿角を食らう羽目になった正信は不快そうに睨みつけるが、マニュエルはどこ吹く風。「呼んだのはそっちの勝手」とばかりに楽しく踊るだけだ。
「群れるなら咲くな。絡まる蔦も、まとめて焼けばただの灰だ」
優雅に気ままに、衝撃波を振り撒いていく。
その立ち回りは傍若無人なようで、その実ちゃんと戦況を見極め優先順位を設定して確実に敵戦力を減らしているため、一概に非難するいわれもない。
正信は「まったく……」と苦虫を噛み潰したように嘆息だけして、眼前の敵へと向き直った。
――「Sang Arcane」
魔導書を紐解き、詠唱するは古代の叡智。同位体であるマニュエルには宿らなかった、魔術の素養をここに解き放つ。
「こうした怪異には初めて対するが……奴隷としてひとに操られて、という状況でなければな」
どこか残念そうな物言いとともに、迸る魔力が鹿の群れを蹂躙した。
その勢いたるやマニュエルに勝るとも劣らず、射程範囲に収まる怪異のほとんどを消失させる。遠くから回り込んで直接ミス・トフォグを襲おうとする鹿もいたが、ごく2、3体にすぎなくて。
「させませんよ!」
『ワン!』
少数の別動隊など、そばに付き添っていた藍依と死霊犬「Orge」の敵ではなく、鉄拳と犬歯でもって撃退してのけた。
「この調子で、開けたところを目指しましょう。キャンピングカーがあるので、それなりの道を発見することが出来れば、後は一気に逃げ切れるはずです」
藍依の声は皆を鼓舞して、逃走する足にさらなる力を与えるのだった。