シナリオ

舂く澹の陰に蠢くは、

#√汎神解剖機関 #クヴァリフの仔

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 #√汎神解剖機関
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●『——例えば我々が、』

 魔法陣らしき紋様の上で、フードを纏った老若男女が体を震わせながらも恍惚とした表情で経典を読み上げる。イカれた瞳を弓形に、“慈悲深き我らが女神”と咽び泣きながら常人には理解しがたい文字の羅列を読み上げ歓喜する——……そんなただの人間には耐えがたき薄暗い部屋に、男は居た。
 片目を眼帯で隠したその男の名は——|連邦怪異収容局《FBPC》員 リンドー・スミス。眉間に皺を寄せて|従者《怪異》の整えた一人分の椅子へ腰かけると、疲れた顔で足を組んだスミスは目の前の狂信者を呆れた顔で一瞥し“やはり狂信というのは面白くないな”と溜息交じりに皿へと視線を落とす。
 この空間には場違いなほど純白なテーブルクロス上、愛らしく花咲かせるボーンチャイナの食器に乗っていたのは香ばしい馨りのステーキ肉。優雅な所作でナイフを滑らせ、虚空へ薄笑いを向けていた。
『……我々が、君たちよりも先んじて女神の片鱗を察知したとしよう』
 純銀のカトラリーを上品に扱う無骨な指先は至極縫製の丁寧な革手袋に包まれ、必要最低限の音を立てながら真白い皿の上の肉を切り分けてゆく。
『“教育”が行き届かず、妄信の末に歯車の狂った者共も——……まぁ、君たち好みに生かしておくとしよう』
 とても慣れた所作だ。一見して上流階級と察せる所作を崩さず、スミスは虚空へと言葉を向けながら肉にフォークで突きさすと、喋る自身の口——ではなく、寄り添い立つ喪服の|従者《怪異》の持つ写真の口元へその一切れを押し付けた。
 ——瞬間、その写真の人物らしき影が蠢くや化物の如く大口を開くと血の滴る肉をだけを喰み、瞬く間に元の額の裡へと収まり音もなく|従者《怪異》は一歩下がり他の者と入れ替わる。
『しかし、“ただ生かしておく”というのも……社会の教育には良くない。君たちとて、この真実を知ればそう思うはずだ』
 ……薄暗い部屋は、よく見れば壁にも床にも赤黒く経年した“血”だったものが幾重にも重なりこびりついていることが分かる。同時に、壁に掛かった赤黒い拷問器具の類が大量にあることと、耳を欹てればすすり泣く幼い声が部屋の奥から聞こえることも。
『よって、私が彼らを生かしているのは猶予だと思いたまえ。何せ、守るべきは無辜の民……そうだろう? つまり、社会貢献として腹が減ったと喚く|私の部下《怪異》が|胎を満たしてしまう《教育を施してしまう》かもしれない……ということだ』
 スミスはわらう。夏空にもにたスカイブルーの左目を三日月に、“あきた”と手を離した純銀のナイフとフォークを煙草と彫り込みの美しいジッポに持ち替えて。


 机上にしなだれかかる星詠み御埜森・華夜(雲海を歩む影・h02371)が“キモーい”と嫌々口にしながら√能力者に気付くと、のっそりと起き上がって机をぺしぺし叩きだす。
「ほんとにさ?!なんかさ!?神様すきすき殺したこの子の血肉で来てね(はーと)とかトチ狂ってるよね!」
 開口一番半ばプリプリと怒りながら言われた√能力者の誰かが“邪教?”と尋ねれば頷いた華夜が怒りも冷まさず、ぷんすこしながら鼻息荒めに√能力者へ集めた理由を説明しだす。
「——簡単に言うと、邪教。純粋な子供をあの子たちも想像できないような酷い形で殺して“穢した命を捧げます”っていうのを繰り返してた奴ら」
 瞬間、部屋の空気が張り詰めた。
 √能力者たちからは表情が抜け落ち、ふわりと部屋を満たす怒りが滲みだしてゆく。
「まだ続きあるから、聞いてね。で、奴らが何の偶然か“クヴァリフの仔”の召喚に成功する。で、その兆候を俺らより一歩早く“|連邦怪異収容局《FBPC》”が嗅ぎつけた」
 連邦怪異収容局——その名を√能力者ならば数度は聞いたことがあるだろう。その中でも、√能力者と鎬を削る代表と言えば“リンドー・スミス”だ。
「皆の予想通りなんだけど、リンドー・スミスが現場には居る。で、たぶん君たちが到着すると同時に、あいつは“教育”を始めるはず……」
 リンドースミスの教育——それは狂信者への制圧だ。目には目を 歯には歯を……狂信者の重ねてきた蛮行を鑑みれば、受けるべくして受ける制裁に見えるかもしれない。だが、受けるべき“裁き”を受けずに終ってよいものか。
「お願い。“|奥の子たち《無辜の被害者》”を助けて、クヴァリフの仔はリンドー・スミスに奪わせないで。我儘言って、ごめんね」
 ——もう、とっくに華夜の怒りは収まっていた。
 ただ眉を下げた金色の眸が√能力者を見ると、深々と頭を下げ“お願いしますっ”とより小さくなってしまう。
「……気を付けてね。みんな、無事に帰ってきてね」

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第1章 日常 『黄昏の美術館』


雪月・らぴか

 艶やかに踊ったピンク色のポニーテールが朱金の光を受け、赤みが増す。
 軽やかな足取りで軋む木の床を跳ねるように歩く雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は、ふわりとスカートの裾を翻しながら好奇心いっぱいの眸で瞬きを。
「(うひょー! やばい儀式で成果がでちゃうとか、ホラーにありそうでテンション上がっちゃうね!)」
 心のままに声を出せば怪異に見つかってしまうと声は押さえつつも、“やばい被害も出ているし……”とらぴかはあくまで被害を最小限に抑えたいと考えていた。
 邪教を野放し、ないしは取り漏らしをすれば、必ず再結成し再度被害者を増やすことも想定済み。彼らの犯した罪をこの夕焼けに消してしまう訳にはいかない。——同時に、現場発生している事件が表沙汰になることもまた望ましくないのだ。
「というか、クヴァリフの仔もまだまだ召喚されてるんだね!結構集めたと思うけどー……」
 今年に入ってから発生しているこの事件は、既に50件以上解決されている。また、この現場と同じく別の現場も同時並行的に√能力者と星詠みが対応しているため、ともすればそろそろ100の大台に届いてもおかしくはないだろう。
 収集・蓄積したデータも徐々に活用されるようになるだろうか?と考えた矢先に悍ましい邪教とクヴァリフの仔、そして今回においてはリンドー・スミスが待ち受けているというではないか。いっそ溜息でもつきたくなる感覚を押え、らぴかは華麗に指を鳴らして織り成す√は『彷徨雪団ワンダリングスノー』!
「みんな、調査の時間だよー! ……っとと、襲ってくる作品には気を付けて、10体1チームね!」
 どこからともなくやってきた膝丈ほどの小柄で愛らしい雪だるまたちはらぴかの指示通り、10体1チームで素早く散会する。
 それぞれを送り出して、ふと。
 ほんとうにふと“視線が合った”ような美人画をらぴかは凝視してしまう。真っ赤な着物をまとう振り返る美人は、嫋やかな所作とどこか生き生きとして見えるその姿が妙に艶めかしい……|まるで生きている《・・・・・・・・》と錯覚するほど。
「彫刻や絵画が動いちゃうん、だー……よー……?!」
 ほんの頭の片隅で“きれい”とらぴかが思ってしまった瞬間、それは絵から上体を伸ばしらぴかへ襲い掛かる!
『!』
『!!』
 らぴかの隣で待機していた雪だるまが慌てて雪玉を投げつけるも女は止まらず、引き裂いたような赤い唇を歪ませ不揃いの牙並ぶ大口を開いた時、らぴかの肌へ触れる寸のところで女の顎を、空切る拳が打ち据えた。
「あ、あわわわ……わー!」
『ギャッ……ッッ!!』
 踏み込み美しく、捻りを加えたらぴかの|殴り《バレットパンチ》が炸裂!!
 痛恨の一撃を受けた見返り美人は切り込み回転をして壁に叩きつけられ、裂けたレプリカの巻物事溶け消えた。
「び、びっくりしたー……うう、あのあたり……少し散策してみよっか」
 一旦去った脅威と怪異が守っていた場所を雪だるまと共に散策したらぴかは夕日の中を行く。影を伸ばし、次々と襲い来る怪異を退けながら。

●雪解けの夕日は未だ遠く

都留・臻

 美術館なんて“現在の記憶上の自分としては”無縁——……だと、考えながら都留・臻 (|枳殻《きこく》・h04405)は静寂を保つ黄昏たまま時止めた美術館を行く。
 白々しいほどの静寂で満たされたこの場のどこかで誰かが泣きながら殺され、そして誰も気が付かなかったなんて酷い話だ。臻とて、それが“邪教のせい”なんていう気はサラサラない。此処に取り残されたであろう|レプリカ《美術品》の一つ、モナリザが臻を見つけるやニタニタ笑いで咆哮を上げ迫る——!
「あぁ、お前なら見たことがある……ような、気がする」
 冷静にモナリザだったものを見据え鋭い突きで応対した臻はそのまま額縁の上下を掴むと、力一杯|モナリザもどきごと《・・・・・・・・・》真っ二つに圧し折った。
『ッッッ、ガァァアアアッ!!!』
「……酷いな、変性したって——あー、ホンモノじゃないから影響受けたらこうなるのか?」
 劈くような絶叫が黄昏を壊そうと、朱金の陽光は絵画から流れもしない血に似る。
 ガラン、と虚しい音を立て臻の手から解き放たれた豪奢な額縁と破損したモナリザもどきはもう動かない。ほんの一瞬抜けていった真っ黒な空気を払いのけながら、臻は進み——……現在、本来であればデッサン用の胸像に囲まれていた。
「(参った。こういうものは壊し慣れてねぇんだが——……)」
 人体構造上、ギリギリ在りはしない位置から腕を生やした胸像は、じりじりと臻を囲む円を狭くする。動かない臻が自身たちに怯えているのだとどこからか学習したらしい浅知恵でニタニタと上機嫌に笑いながら。
「まぁ、やるしなかいよな」
『……?』
 フウと溜息を一つ。
 後ろ手に隠していた道中|偶然取得した《場違いな展示品の槍》 を踵で蹴り上げ柄を握る——。

「“俺”に仕掛けてきたお前達を恨めよ、なぁ」
 √:|1644-Bizzarria《ビザリア》!!

 憐れ、ニタニタ笑いでにじり寄っていた兵士の胸像の頭蓋を、振り下ろししなる槍がブチ割るッ!!!
 悲鳴さえ上げられない空洞頭でも、窮鼠——いや、一人の犠牲を以って虎の尾を踏んでいたことを理解したのだろう、|死にたくない《壊されたくない》と散り散りに逃げようとする胸像の頭を掴んだ臻は逆方向へ身を翻した胸像めがけて投擲!
 ガシャン、と虚しい音を立て二体が朱金の光に折り重なる。
『ァ、ァ、ァァアアアアアアアアアアアアアア!!!!』
「うるせぇな、今壊してやるから」
 がむしゃらに腕振り突貫してきたその胸像の胸を踏み、振り回した遠心力で勢い付けた槍の穂先で自慢の両腕を斬り落とす!
『ッ、?!?!』
「——で、お前らでこの一帯は最後、のはず。……そういえば、こんなもんどこに置いてあったんだ?」
 腕斬り落とした胸像の頭を踏み砕いて辺りを見回した臻は、ふと気づく。
 ——この無骨な胸像はこの場を三周して現れた|補充品《・・・》。つまりは“どこかから”出てきたのだ。ふと——本当に偶然目を凝らした先、胸像共が臻から逃れるように目指した|壁《・》。
「……色が違くねぇか」
 朱金の光にさらされた色が違う——日焼け?いや、
「なるほどな……ったく、リンドーの奴、本当にめんどくせぇ。ま、此処が胸糞悪いのは同意だが、」
 毎度随分と高い位置からモノをいう男の性質の変化を思いながら、臻は色違いの壁へ槍を振り下ろす。

●伸ばした影を踏み壊す
 

クラウス・イーザリー

 
 銃口から立ち昇る硝煙と、呼吸整えた青年——クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は倒れ伏し血も流さない剥製の牡鹿を一瞥し、天井を仰ぎ瞼を下した。

 |現《うつつ》とは苦界だ。
 富める者、病める者、誰も彼もが不幸を詠い満たされぬ心で喘ぎ、誰かを嫉み恨む――……たとえ世界が違えど、たぶんきっとそれは同じなのだろう。深呼吸一つし瞼を押し上げたクラウスは、天上高なロビーの天窓を改めて仰ぎ見る。
 視界に差し込む美しさは、天窓に嵌った教会の如くステンドグラスのせい。暮れきらぬ朱金の光おかげで、いっそ毒々しいのが唯一の難点だろう。
 無いはずの息遣いが聞こえるような牡鹿の剥製に、入室と同時に襲撃され、ほぼ反射的にその額を撃ち抜き、前足の関節を射抜き行動不能にしてしまった。
「(儀式の影響……? というか、なぜ|彼ら《邪教の信徒》は祈るだけで収まらないのかな。どうして他人を傷つけるという手段に走るんだろう……)」
 星詠みのように怒りも沸く。だが、同時にクラウスの胸に沸き起こる悲しさは言葉にし難いものがある。
「……考えている暇はない、か。いくよ」
 √:レギオンスウォーム!
 部下を率いるようにクラウスがレギオンへ合図をすれば、即座に目玉に似たカメラ搭載型小型ドローンが空を舞う。プロペラの存在しないその機体は羽音さえ立てず、微かな駆動音で空中を素早く移動するももの、床スレスレを這うように駆け人の痕跡を収集・共有するものなど己の役割を全うしてゆく。
 その統括を担うクラウスは八方から供される情報に眉間に皺を寄せ乍ら、最も役に立つであろうソレ――痕跡及び怪異もどき共の反応の多いルートを選び抜く。
「(二階……? いや、三、四、五……? なるほど、空間自体が歪んでいる線が濃厚かな……ひどいね、建造物構造さえ崩されているというより中でエネルギーが、あばれ――)ッ、ッ……!」
 脳裏が焼け、視界が白みそうになる。
 解析される情報の多さは、元来ただの人間であるクラウスには重すぎるのだ。いくら√ウォーゾーンの人間であり、学生時代からレギオンを操っていたとはいえ過負荷に慣れたことは一度もない。
「(ダメだここで処理落ちしては、今も泣いている子供達がもたない。彼らが……泣けなくもなって、しまえば、)」
 ——幼い心が壊れる様など、生まれ|故郷《√》で幾度も見た。ここでもそれを見ろと? ふざけるなとクラウスは歯を食い縛る。狂った欲望のせいで幼い心が踏み躙られることなど、決してあってはならないのだから。
 頬伝う脂汗を拭い、詰めていた息をゆっくりと吐きだす。気を抜けば震えそうになる足を叱責し、背筋を伸ばす。
「(|あせるな《見落とすな》)」
 影から突進してきたマネキンの拳を仰け反り躱し、床についた手で体を支えてその脇腹を蹴り飛ばす!
 爆ぜ、バラバラになったその身で這い寄る頭部をレギオンが撃ち抜き壊せば、第二波と言わんばかりに見た目だけ豪奢な壺から生えた腕が殴りかかってくる。
 ダンッと勢いよく着地したクラウスが低い姿勢のまま地を蹴り、バリア展開したガントレットで殴り壊し、その|回転《ひねり》加えた拳で背面追った二体目のマネキンの顔面を打ち砕く!
「遅いよ」
 悲鳴は、いらない。そうして外套の裾払ったクラウスは怪異出現方向をレギオンに探らせながら、再び“人”の痕跡を追った末に――……一つの扉へと行きつく。暗く、嫌味なほど底の見えぬコンクリート階段へ。

●螺旋の|奥《先》へ
 

日向・リコ
日向・菊

 星詠みの言葉を思い出すほど、今この美術館だった建造物の中に存在する√能力者以外がバケモノにしか思えない。いっそ人間ではない、人間の皮を被ったバケモノと言われた方がマシだと不快感を隠さない日向・菊(ひなたのきみへ・h04393)は舌打ちを一つし、“うぇ”と吐き出すような所作をした。
「マジでキモい」
「同感だな」
 穢した命など実に馬鹿馬鹿しい、狂っているなど崇高なものではない。ただのネジの外れた馬鹿しかいないのだろうと日向・リコ(くらがりからきみに・h04392)も聞くと同じように舌を出して“うぇ”と吐き捨てるような仕草でため息をついてしまう。
「……つーか、穢した命で呼びてえなら、テメェの命で呼べ――よっ!」
 ガァン! とリコが容赦なく殴り飛ばしたのは突如姿を現したリコや菊よりも大柄な女神像。
 二人を見るや首を伸ばし喰らいつこうとしてきた気持ちの悪いバケモノを破壊してみせる。
「あいつ今、俺らのことガキだとでも思って襲ってきたのか? あー、ぶん殴りてえ、他人頼みで趣味のわりい馬鹿共」
「さぁな、そうかもしれねぇし見つけた奴を誰でも襲ってんのかも。あー……ほんとここら辺の奴らって結構皆イカレてるよな」
 リコの疑問に菊が答えれば、二人は顔を見合わせて合図も無しで同時に。
「「……ほんっっっっっとに、キメぇ」」
 いくら美術館——というには発散しきれないエネルギーで館内ルートの歪んだ|迷い家《マヨヒガ》化の進む場所は、歩いていて飽きないと言えば飽きない。
 波乱に満ち、一体どこにあるのかも分からない隠し扉だかルートだか何やら課にやらを探すなんて荒唐無稽を成し遂げねばならないのだ。
「(……しっかし、静かな館内で好き勝手ってのは面白れーけど、)」
 先の道から増す|大人数《・・・》の気配に頬を引きつらせたリコがあたりを見回していた菊の腕を掴むと急いで物陰へ押し込み、一緒に身を潜めさせる。
「ちょ、リ――」
「シッ」
 “団体様のお通りだ”とリコが囁けば、察した菊がぎゅっと目を閉じ身を小さくする。見つかり多勢に無勢となってしまえば本末転倒。被害者救助どころではあったものではない。
 ガシャガシャと甲冑を鳴らし歩く西洋騎士共はどうやら巡回中なようで、大声で“不審者無し!!”と叫ぶび階段を上がっていった。
「っ、~~~~~ぷっは、はぁ! ったく何なんだ、動いてるのまでいるのかよ!」
「みてーだな……ま、ああいう団体様は避けて行こうぜ」
「おー……」
「さて、行こうぜ菊。どうせ留まって——……菊?」
 隙間から抜け出した菊の悪態に溜息で答えたリコであったが、ふと菊が何も言わないことに気が付き振り返る。
 すれば、菊はじっと通路奥の美しい令嬢の肖像画を見ているではないか。確かに遠目にも美女と分かるが、一体なんだとリコが眉を顰めたその時だ。
「なぁ、リコ……——あの|絵《女》、ちょっと動かなかったか?」
「あ? 動いた? ……あー、なんかとり憑いてんじゃねえの?」
 訝し気に、それでいてリコの袖の端を握りながらも女の絵から目を離さずに問う菊へリコが冗談めかした言葉を口にした瞬間——|ソレ《女》が絵から上半身を出した。
「「え」」
『カワイイッ! かわいいこ、おいしそう!! おいで! おいで!!』
「き、きめー! リコ、りこ! やっぱ動いてる、つか来る! 一旦逃げよ!」
 “ぎゃああ!!”と引き攣った声を上げた菊を即座に背に庇ったリコは即座に思考する。進んで階段を上がれば恐らく兵隊共と遭遇。逆に踵を返したところで進んだ先は予測がつかない。
 ——なら!
「菊! ――一応聞くが、此処のは全部壊していいんだよな!?」
「あ……? あー……」
「いいのか!!」
『かわいいこかわいいいいこ!ふふ!うふ――ァァアアアアアア!!!』
「い……いいって!言ってた! ……………——たぶん」
 菊の声と同時に女の横っ面を殴る勢いで絵画をぶち抜いたリコが短く息を吐き、拳を引き戻していた。
 一撃で始末が付いたことに安堵したのも束の間、ぎゅうっと|自身《リコ》の尻尾を抱いた菊が脅威が去った今も離さず抱き締める様は愛らしい。……だが少し、リコからすればくすぐったいのだ。
「べっ、別にビビってねえけど……此処、すげー静かで気味悪ぃ」
「……んだよ、仕方ねえな。さっきの女みてーに、目が異常に動いてるとかで判断すんのもアリかもしれねえ」
 酷く冷静に周囲を見渡しながら、耳を震わせるリコにぴたりと寄り添いリコの尻尾を抱えた菊もまた、再び警戒心も露わに周囲を見渡しながら進んでゆく。探査方法を思いつくようなヒントも無い、マヨヒガめいた美術館内で。
「そいえば、壊していいんだよな?」
「あ? ちょっと待て、ただ壊しちゃだめだろ」
「は? さっき良いって——」
「ありゃ襲われたら、だ! 襲 わ れ た ら !」
 専守防衛。星詠み曰く、右頬を|殴らせそうになった《・・・・・・・・・》ら左頬骨を圧し折っていい理論だが、つまりは襲われてないのに襲うの禁止ということでもある。
 よって菊が“あとで俺が始末書書く羽目になるじゃねーか”と口を尖らせれば、自分から聞いたくせに、リコが“はいはい”とひらひら手を振った。
「こらっ! 待てだからな、待て!」
「へえへえ。センパイの命令は“絶対”だしな」
 そうしていくつかの彫刻を退け、絵画を三枚ほど割ったのち――……リコがピタリと足を止め、耳を震わせる。
「……リコ?」
「いや、……この辺り、臭え」
 血の臭い。
 古い紙の臭い。
 そして、肉の……——食ってはならぬ肉のやける、におい。

 命宿らぬ腐った土の、饐えた臭い。

「菊」
「……お前が一番嫌だって思うとこ、どこだ?」
「……あそこ」
「なら、そこだ。きっとそこで、泣いてる奴が待ってるはずだ。——もう、泣けなくなっちまった奴も」
 行かねば、と顔を顰めたリコの手を菊は引く。

●『適材適所』ってゆーだろーが
 

詠櫻・イサ

 まさに、逢魔が時。
 擦れ違うものがそれこそ人を喰っていたって分かりやしない。魔の側面など、人ですら持ち合わせているのだから。

 退廃美を詰め込んだような美術館は、詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)の靴音も呼吸も木霊し、肌さえ泡立てそうなほど静まり返っていた。
「(……此処はもう、時空として歪んでいるのか)」
 ダンジョンとは異なる、気息性の無き歪み。
 人の域を疾うに超え、神の域へ中途半端に片足を突っ込んでしまったような歪みを抱えた空間にイサはため息をつくことしか出来なかった。
 この場で為されている儀式の余波は、悍ましい時間を維持させ続けていることに寒気さえしない。
 抱えたのは強烈な不快感と、脳裏を過った“聖女サマ”のこと。
「(こういうくだらない奴らがいるから……聖女サマは、)」
 神の仔を求め、一体何人の人生を犠牲にしたのかなど、それこそ愚問だろう。1人も100人も所詮は同じ命——“同じ”なのだから。
「本当に、碌なことをしない……ともあれ」
 愚痴を言っていても、道は開けまい。イサを見据える王女の肖像画の目が、イサを舐めるようにずうっと見ている。不愉快な女だと思いながら、イサは素早く身を翻した。
「(絵から早急に飛び出してくるものではないのか……いや、他の物はまた別かもしれなな)」
 そうして素早くロビーと思しき場所から移動し、丁度見つけた何もない隙間で、発動するのは√能力。

「……さ、頼んだよ。どんな些細なことでもいい、変化や“本来とは異なる方向への道”を見つけたら、すぐに知らせること」
 √:|遊海ノ凛《アビスアビス》!

 揃った子ペンギンたちがじっとイサを見据えイサの言葉を聴いて暫し、素早く隣の同胞と何ら言葉を話したのち、頷き合うと素早く床を滑り散会した。
 腹と床の間に水の魔法で滑りを早くしているらしく、ありがたいことに彼らの進んだ痕跡はよく分かる。
 しばし待つ――ことも無くイサもまた探査へと出発し、今やエジプトの壁画レプリカより出でた兵隊と喚く王女の胸像と対峙していた。
 あくまでここに残っているものはすべてレプリカ。けれどやはり芸術品を破壊するのは気が引け――……。
「……お前らが何を言おうと、知ったこっちゃないな」
 芸術品の如く美しいと称されていたイサ自身、ほんの一瞬この破壊は同胞破壊のよう――なんてアンニュイになってはいられないのだ。
 紙っぺらの如く薄い壁画出身の兵士の首を薙ぎ払うように斬り捨て、容赦なく埃だらけの壁画レプリカを蛇腹剣 dea.THETIS-ABYSSが美しい軌跡を以って両断する!
 悲鳴など無い、寧ろ兵士を失った女王の胸像が藻掻いて——。
「煩いよ」
 レーザーがその頭部を王冠ごと両断、破砕した。

『!』
「……そうか、道はそっちに。行くよ」
 踵を返し、イサは行く。子ペン曰く、壁裏に潜んでいた怪しげな螺旋階段へ向けて。

●螺旋の奥へ踏み出して
 

千桜・コノハ

 退廃と静寂が絡み合い、差す朱金の光が眩く熱を齎してくる。
「(……この空間は、まるで血潮みたいだ。さて、|心臓《儀式場》はどこにあるやら)」
 静寂の癖に、まるで張り付くような粘つく視線が纏わりつくものだから、つい千桜・コノハ(宵桜・h00358)は形のいい眉を顰めてしまう。
 艶やかな黒髪を払えばリンと耳元の鈴が鳴り、翼が揺れた拍子に甘やかな彩の花が零れ色を失いかけていた美術館に春を呼ぶ。だがそんな風に穏やかでいられるわけもなく、夜の国より舞い降りた迦楼羅の少年は、駆けるように低く素早く飛んで行く。
「ゆっくり堪能——できる時間も、無いし」
 √:解語の蝶——!
 指先を鳴らし呼びだし蜃気楼を纏わせた血桜蝶を先行させていたが、ほんの一瞬蝶が揺らいだのを、コノハは見逃さなかった。
「っ、!」
『キェエエエエエエエイ!!!』
 連綿の気合の叫びと共に横合い寄り付きだされた日本刀を、即座にバク転でコノハは躱す。
「危ないけどっ、見えてた――よ!」
『オォォオオオオオオオ!!!!』
 躱したコノハを睨み据え叫ぶ武者の目は墨で書かれた偽物だ。一体どこから、とコノハが出現場所を特定しようとした時、寄り添った|蝶《インビジブル》が囁く。
『(——奥。B-2区域、鎌倉絵巻物展示室)』
「(絵画ばかりかと思ったら、まさか絵巻物まで……? 展示の節操がないな)」
 暗い部屋の奥、茫洋と輝く戦時絵巻物よりぞろぞろと出でる武者たちが刀を抜いた。
「けど、分かれば早い!」
 空中で、襲い来る武者を足場に一回転。鋭くその顎を蹴り飛ばし、グラついたところへ蝶を嗾け距離を取りながら、コノハは理解する。例え美術品だからと手加減してやっていては、いずれ多勢に無勢の最悪の環境を生んでしまう。この場に憐れみなどいらないのだと!
 視界を奪った武者を墨染の一払いで斬り捨てれば、一見立体的だった武者が紙の如く散り消えた。その様子を横目に迫る武者たちの本質を介したコノハは踊るように武者たちの合間へ踏み込むと既に抜き打った刃を手に、舞った。
「散るといい。君たちの時代は、もう終わったからこそ記録なんだから」

 散り散りに断たれた武者だったものが白き花弁の如く舞う中、両断された絵巻物が力無く床へと落ち、即座に燃え上がると灰へと帰してゆく。
「……全く。狂信するなら自分を差し出しないよ……だからこうやって、要らない被害が増えるんだ」
 己を差し出す覚悟も無いくせに神に縋って蜜を吸うなど烏滸がましい。だが、ただ死なれるだけで終わらせてはならない。
「(探さなきゃ、通じる道を)」

 ●蠢く館を踏破せよ
 

浄見・創夜命

「……ここが、」

 あぁ厄介な場所、と切り捨てられたらどれほど良いものか。

●記:5月██日 担当者:浄見・創夜命(せかいのはんぶん・h01637)
 以下、音声データを担当事務員がレポート化を行った記録である。

「|ここ《この√》は鉄の馨りが元々強いけれど……今回|も《・》酷いな」
 “いっそ|様式美《テンプレート》とでも言ってやった方がマシか”と呟いた創夜命が
押し開いた美術館の扉の向こうは、気持ち悪いほど荒れの無いまるで“ついさっきまで人の出入りと管理があった”ような風体だが、よく見れば埃を纏い異常な静寂だけが場を満たしている。
 ほんの一瞬眉を寄せた創夜命が、不快そうに目の前を払うと溜息を一つ。頭を掻き、すぐに踵を返し入口に鎮座する女神像が視線を向ける右側のルートへ爪先を向けていた。
「——奴らには、流血だけが進歩に非ずと示してゆくしかあるまい」
 夜にも似た豊かな黒髪を払い、創夜命は静寂がいっそ異様な美術館内にヒールの音を響かせる。不思議なほど同胞と遭遇しないことに確信めいた瞳をしながら、外観からは想定できないほど長い階段を下りきった道の最奥——偉そうに立つ騎士の肖像画が真っ直ぐに睨み据えるのだ。
「夜に挑むか……随分と、驕ったものだ!」
『——!!!』
 余人の怠惰からの脱却などではない。この場を満たすものは世界を呪う被害者の心と涙、そして身勝手な欲望で相手を踏み躙り喜ぶ狂人共の感情が綯交ぜになった空間なのだから!
 中世の騎士と思しき全身図の肖像画が、絵から飛び出すや創夜命を肉薄する!
 打ち込みも鋭く、その精緻さに合った強さでも秘めていたというのか、薄っすらと槍の切っ先が創夜命の頬に赤い線を引くと同時、創夜命のヒールが砕いた夜の欠片が夢を成す。

「降り頻るは驟雨の如き我が一端!耳を傾けよ……稲妻の落ちる、その時まで!」
 √:|嵐《テンペスタ》!

『!!』
 連綿の気合で騎士の腹を蹴り飛ばした創夜命が叫べば、巻き起こるは嵐の如き激しき√能力。蹴りだした足で踏みだし、振り被った創夜命の拳が|暗がり《夜》より出でる――!
「畏れよ。出来なくば沈め」
 絶叫など不要。
 道を塞ぐ者もまた不要。
 額縁ごと破壊した先——風の流れる音を聴いた創夜命は行く。先に待つ、幼くか弱い命を救うために。

●『作品と戦うなぞ、アトラクションではないか』
 

星越・イサ
九段坂・いずも
望田・リアム

●『こういう界隈でも、結構派閥が分かれるものですよ』

「あら、そうなの?」
「なるほど、そういうものなんですね」
 事件を聞き現場へ到着して以降唸っていた星越・イサ(狂者の確信・h06387)の言葉に、なるほどといった様子で九段坂・いずも(洒々落々・h04626)と望田・リアム(How beauteous mankind is・h05982)が相槌を打てば、“それは勿論!”と腕を組み唸っていたイサだって拳を握ってしまう。
「確かに……そう、確かに私も|そっち《ドチ狂ってる側》なので恐縮ですが……でも、生贄の儀式など赦すべきではありません。はい。ええ」
「……ですが、環境——いえ、時間にさえ影響を及ぼす儀式とは、かなり複雑で膨大なリソースが必要ですよね」
 イサの隣、ふと考え込んだリアムが現状の状態を言葉にすれば、イサもいずもも星詠みの言葉が脳裏を過り、言葉を失ってしまう。この儀式で、幼い命が傷つけられ踏み躙られ——冒涜の果てが、今なのだから。
「急ぎましょうか。用心棒としてお誘いいただいた分——きちんとお仕事できそうな時間になったもの」
 ——音なんて、無かった。
 しかし佩いた刀の柄に手を添えたいずもの視線を追ったイサとリアムは、反射的に身を引く。
 高いはずの天井から、ぶらりと圧し折れ可笑しな形状で釣られた操り人形が自分たちを睨み据える状況に、無駄な動きを取らなかったのだ。
 もしいずもがいなければ思案し動こうとした頃には、二人ともに彼らの仲間入りをしていたかもしれない。

「下がって。斬り捨てましょう、その絲も意図も断ち切りましょう――ねぇ、あなたがワタシを呼んだから」
 √:|くだんの件ですが《オール・コール・ユー》!

 万全のタイミングではなくとも、次元が乱れ同胞が見当たらない状況ならばこそこの√能力は真価を発揮する!
 飛び上がるように抜剣したいずもが、人形の体を足場に空を泳ぐように視界を切り開く!
 カチャカチャと切られ砕けるくるみ割り人形のような等身大の操り人形は、地に落ちるや素早く蜘蛛のように這い迫る——が、イサとて決して後れを取るほど戦いの経験が浅いわけではない。

「……あぁ、予想の範疇で安心しました。そう、見て、聞いて、わかったら――……あとはやるだけ。ね、リアムさん、いずもさん」
 √:|拡張された現実《オーギュメンテッド・リアリティ》!

「そうですね、僕もそう思います」
「そうね、斬るより今は薪割りくらいの気持ちでいきましょうか」
 イサを通して見えた数秒先の未来通りに、操り人形の糸へ切り込むリアムと、振り回されるパーツに唐竹割りで切り込んだいずもは笑っていた。
 ガラン、と音立て散ったいくつものパーツは、即座に燃え消え、灰さえ消し飛べば一難が去る。そうしてイサの√能力を中心に、目視ながら人の移動痕や異様に埃のない廊下、部屋、物品を精査しつつ“渦”を見るリアムの瞳が悍ましき痕跡を追って——……三人は、初夏近い今にはあまりに場違いな暖炉へと行き当たる。
 未だ煌々と薪絶やさず赤々と燃える、異様な場所。

「……痕跡から見て、ここへ入って……るん、でしょうか?」
 炎へ飛び込むべきか、それともとリアムが悩んだ時、じっと炎を見つめていたイサの呟きが状況を打開する。
「んー……ちょっと。押してみます?なんだか動きそうですし」
「そうね、試してみましょ」
 今日は力仕事なら任せて、と微笑むいずもとイサが力いっぱい暖炉を左へ押すこと数秒——。

 風の音だけが悲鳴のように響く空洞が口を開く。
 

汀羽・白露

 ——例え“心の器の欠片”を持ち合わせようとも、それが器足る形へ形成されねば意味がない。
 |人成らざる者《物品》にとって、|心の器《心の基盤》が急拵えの破れ鍋では、いくら心が生じようとも一過性のものとなってしまうからだ。
「(……まぁ、正しくは注がれる心の質の問題だがな)」
 純粋で善良で純度の高い、人間で言う愛情——それも無償の愛であればあるほど、物品を|神《付喪神》たらしめる。

 まさに汀羽・白露(きみだけの御伽噺・h05354)の存在こそ、その証明——。

 美術館へ一歩踏み入った瞬間、酷く生臭い空気が白露の身へ入り込もうとする空気に白露は吐き気を催した。
 物品——それも、この場にとって酷く魅力的な器足る優秀な白露の裡へ入り込まんとした悪しき儀式の片鱗は、白露が常にジャケットの胸ポケットに入れている|持ち主《幼馴染》が手ずから作った和紙に綴った和歌の放つ月光と梅馨の瞬きに弾かれ浄されてゆく。
 この美術館の|物《者》たちも、きっと愛してくれていた者がいたはずなのに守られる程力を蓄えること叶わぬまま、この毒のような儀式の片鱗に毒され堕ちたのだろう。
「……哀れだが、今では栓無き事。さて、子供達へ通ずる道は——」
 手遅れになっては、顔に出さずとも星詠みのあの子は酷く傷つき一人で泣くのは想像に難くない。
「(そんなもの、俺が許さない)」
 まず、珠玉を泣かせる“こと”の起因から滅する。美術館内をつぶさに観察し、消音性を上げたカメラで撮影し聞き耳を立てながら白露は危機を幾つも切り抜けてゆく。
 その性質からか、囁き合う狂った美術品の声が耳について仕方ないのだ。
「(しかし、この建物の外観構造と内部構造が合わない……それに誰とも全く会わない、というのもおかしいな――っ、まさか)」
 慎重に道を戻り、初めて白露は合点がいった。
 そう——この場は“迷い家”。星詠みにさえ悟らせなかったその滑稽さに舌打ちながら、更に慎重に白露は事を進めてゆく。音で美術品共の気配しか探れぬというのならば、いっそ通った道の全てを記録せんと動きながら次に追うのは“血の臭い”。
 人成らざるからこそ、白露はそういうものに敏感な方だった。

「……——ッ」
『ホホ』
『クスクス』
『フフ、ウフフ』
 聞き耳を立てながら、そっとこの角を曲がろうかと慎重に道を選んでいた白露の鼻を鉄くさい臭いが過る。
 そして聞こえたのは貴婦人たちの囁き合いだ。
『ご存じ? 何やら今宵は宴だと』
『まぁ!ならまた“子羊”が饗されるのかしら』
『あぁなんと――』

 |みりょくてき《おいしそう》。

 ——物品とは、本来愛されるものだ。
 そして、愛してくれる“人”を物品はどうしても好んでしまう。
 滅多なことがない限り害そうなどという発想へ至らない。だが、狂ってしまった此処の|者《物》たちは、人でさえ喰らうバケモノにまで堕ちているらしい。
「(嘆かわしい……酷いな、もう表情さえ醜悪だ。見るに堪えない——が、こんな会話をしている当たり、儀式場の出入り口が近いのか?)」
 不快な会話をした女たちを排除せんと白露が紡ぐのはお菊なる下女に纏わる会談話。十とは言わず、その頸落とすまで無数の皿を見舞おうか。

「君の力を貸してくれ……俺は、掠り傷の一つも負えない身の上なんだ」
 √:怪談「番町皿屋敷」!

 語り部の言葉をクスクス笑ったお菊の甘い顔も此処まで。クルリ振り向く彼女は正に鬼女の表情で血の紅で化粧する貴婦人共へ皿を擲つ――!
「教信者にリンドー・スミス、クヴァリフの仔……俺も神の一柱ではあるが、」
 こうも厄介な組み合わせなど在るものか、と吐き捨て白露は展示室へと踏み込み“違和感”を探してゆく。
 他の部屋にない、この部屋だけの何かが隠し通路へ続く入口だと妙な核心を持って。
 
●|梅馨《はる》と共に
 

狗狸塚・澄夜

 トッ、と軽い足音が地を蹴る。
「(……——“星詠み”という存在を以てしても、多くのこの命が奪われている現状が露見しなかった)」
 明るい風に振舞っていた同業の眸はよく見れば酷く揺れ、あの資料を握る指先は力が入っていた。
 あえてそこに問いはしないが、随分と悲しみを表現するのが下手で隠したがりな星詠みだと狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)は思い出して瞳を細め、横合いから擲たれたらしい豪奢な壺を飛び上がって軽やかに空中で身を捻りながら躱す。
「邪教共が攫ったか買ったか……その命の瞬きと悲鳴は、そんなに“旨い”か」
 美術館へ踏み込み次第、異常に長い廊下を、√:『偽神・大虬』を纏い走り続けていた澄夜が壺を投げた主——思念で体を生やした砂漠王の胸像を睨み据えれば、その表情が不快なほどにんまりと嗤っていた。
「悪いが、私は忙しい。貴殿の相手をしている暇は無いんでな——月白」
 一つ名前を呼び、再び澄夜は走ってゆく。
 悲鳴も、咆哮も、全てを捨て置き、背後で聞こえた陶器の破損する音を最後に再び美術館は静寂を取り戻すから。

 こうして、素早く駆け抜けながら変化し続ける建物の外見からかけ離れた階段構造・廊下の長さからこの美術館が“|迷い家《マヨヒガ》”化していることを察知した澄夜は、星詠みの言っていた“見つけて”と言う言葉を思い出し駆け抜けてきた廊下の変化、いくつもあった展示室を思い出しながら、唯一気になった部屋へと戻ろうとして——現在、あふれ出すように巻物より繰り出される武者共を捌き、呼びだした火車に全てを焼却させていた。
「(——ッ、時間を取った。たしか、)」
 再び澄夜が駆け出そうとしたとき——暗がりから黒い武者鎧の繰り出した鋭い一刀が、艶やかなその髪先を斬り落とす。
『ッカァアアアアアアアアアアア!!!』
「ッ、終夜!」
 既に時計の針は進んでいる。星詠みより聞き及んでいることから察すに、リンドー・スミスが生き残った子供へ手を出すことは無い。が、“もしも錯乱した邪教徒が子供を襲ったら”? “リンドー・スミスの粛清を目にした子供が、心を壊してしまったら”?
「(既に——……あぁ、やめよう)」
 澄夜の指示で黒武者に襲い掛かった終夜の爪牙と武者の刃がぶつかり合い激しく火花を散らす眼前を飛び越え、澄夜はゆく。
 ほんの一瞬気になった場所。
 なぜか展示室の廊下の中にあった 事務室へ。

 ——即到着した事務室は、舞い飛び襲い来る紙を火車の焱で燃やし、切り払いながら怪しい場所を澄夜は探す。ただの勘だった。けれど、何故かこの事務室へ踏み込んだ瞬間から“必ず此処に、通じる道が在る”と訴える何かが体を突き動かすのだ。
「(道、入口、人が通れるくらいの……そうか、人が、通れるっ……!)」
 “人が通れるサイズの道を隠せるもの”——……先程からうんともすんとも言わぬ、書棚!
「月白、その牙で噛み砕け」
 指示に従い式神 月白が鉄の書棚を噛み砕いた背後——そこには、ぽっかりとした暗がりが広がっていた。
 本当に、本の微かに細く風の音の響く“道”が。

●憐れな|打ち捨てられたモノ達《価値亡きレプリカのバケモノ》を抜けて、|先《奥》へ
 

第2章 集団戦 『トモビキ』


●その葬列を突破せよ

 リィ――ン……

 リィ――ン……

 酷く澄んだ音色が、進むほど生臭く血の香る暗き道を見てしてゆく。
 ポクポクと木魚を打つねと、経とも言い難い——しかし、聞くほどに弔いの経と思しき低くも通る読経が染み入ってくる。

 突如、此処へ踏み込んだ√能力者を等しく感情の荒波が襲うだろう。
 ――酷く止めようのない涙が溢れ、苦しいほどの冷たい悲しみが広がるような衝動。
 ――もう会えぬ大切な人を奪った輩へ、言葉にし難き葛藤と、叫べぬ怒りが渦巻く慟哭。
 ――大切な人へ伝えたいはずの言葉が、息が詰まるような感覚と、喉を掻き毟りたくなる苦悶。

 リィ――ン……

 音が鳴る。

 リィ――ン……

 経は止まず、一層激しさを増してゆく。
 聲は怒り、悲しみ、今胸を襲う慟哭にも似るだろう。
 きっとこれは、贄とされた子供と思しき遺影を胸に血の如き涙雨降り始めた長き道の先に立つ怪異のせいだろうか。
 
 
 
☔☔☔---マスターより
 第一章、ありがとうございました。続く第二章も、ご縁ございましたら宜しくお願い致します。
 第二章:悲哀拾いし者『トモビキ』戦
 『トモビキ』が、この場に残留していた贄とされた子供達の思念——悲哀を増幅させ、彼らが最期まで思い出していた家族への想いを綯交ぜとして、まるで“家族からの想い”のようにして√能力者へ伝播させ、足止めするようリンドー・スミスより指示をされています。
 彼らを越えた先に待つ怪異の主であり、クヴァリフの仔奪還という名目で狂信者の粛清へ動こうとする『リンドー・スミス』、狂信者の手により召喚へと至った『クヴァリフの仔』、いくつもの命を奪ってきた密なる邪教——そして、まだ犠牲となっていない“はず”の子供たち。
 戦えるものは狂信者共、リンドー・スミス、そして√能力者。実質三つ巴ともなれる現場へ、あなたは飛び込めるのか。

▷戦場:歪められた迷い家地下道。
▷二章限定プレイングボーナス:『トモビキの引き出した増幅された悲哀と、耳鳴りの如き鈴の音、止まない血の涙雨に抗いながら戦う』

 どうか、良い戦いを。
雪月・らぴか

「おおお……! 廃美術館の次は、お葬式みたいな雰囲気の地下道!?」
 地上——とも言い難い|廃美術館《迷い家》探索において、雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)が探査の末にたどり着いた場所は、実は天井裏であった。
 雪だるま達と悪戦苦闘の末に見つけたその場所からまさかこんなところへ繋がるなど、誰も思うまい。
「(天井裏もだったけど、こういう秘密の通路ってテンション上がる――!)」
 ——そう、唯一通路奥に立つ、|奴《怪異》さえいなければ。

●暗くて不快で、きっときっとそれは|嫌な《怖い》もの

 血かであるにもかかわらず、じっとりと降る血涙にも似た雨がらぴかの纏うセーラー服の白に、赤い水玉模様を刻み始めていた。
 だが、らぴかはそれに構ってなどいられない。何故なら、脳裏で警鐘を鳴らす感覚が過るものの、それを上書きするように脳へ直接響くような鈴の音と読経、そして何故か猛烈に呼び起こされる果ての無い悲しみが本来あるべき思考力を鈍らせようと襲い来る!
「ッ、こ――いう、のは! ササッと切り抜けて、スッキリしたい、ッ……!」

 いたい。
 いたい。
 こわい。
 ころして。

 轟々と迫る悲しみがらぴかの心に爪を立て、その傷口に冷たい指先が捻じ込まれるような可笑しな感覚を覚えながら、叫ぶようにらぴかは死霊を呼び起こす!
 √:霊雪叫襲ホーンテッドスコール――!
「本日の天気はーっ、霊と雪が降ってぇ、風が強いでしょー!!」
 叫べと喉は言う。
 示せと脳の奥がガンガンと。
 猛威揮うトモビキ――否、リンドー・スミスの施したであろう術式へ抗うようにらぴかが叫び発動したルート能力がほんの一時、世界を変える!
『かわいそうに』
『お辛いでしょう』

『——あぁ、お悔やみ申し上げます』
「うるっ、さい!!」
 トモビキの傘突き破る雹の如き固い雪が嵐を起こす。無意識に涙を流しながら、抗うように叫ぶらぴかに従うように。
「ッぶっ飛ばすんだよ!! あなたたちみたいな――暗くてっ、不快なのなんて!!」
 死霊の絶叫で鈴の音掻き消された一瞬、らぴかは全力疾走で間合いを詰め、トモビキの腹を殴り飛ばす!
 吼えて全力全身、その一撃、一撃に魂を込めて!
「(短期決戦——じゃなきゃ、きっと押し負けちゃう!)」

 溢れる悲しみを拳で拭て、なお立とう。
 その先に、未だ救える命が待っているのだから。
 
 

クラウス・イーザリー

 繰り返し耳を打つ鈴の音に気付いた時には、既に|奴《怪異》の間合いであった。
「っ、……は、」
 無意識に詰めていた息を吐き捨てながら、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は子供と思しき遺影を抱えた貌無きトモビキを睨み据え、激情を押えた荒い息を溢す。
「(禄でもない真似を……っ!)」

 腹が立ち、いっそ泣き叫びそうになる。
 苛立ちが己を内側から焼く劫火と化す。
 血涙の雨などでは、到底消えぬその想い。
 ごうごうと。轟々と。

 腹の底から燃えている——!

 泣いている場合ではないと|叱責《鼓舞》する心がクラウスに涙を呑ませ、握りすぎてガチガチと震える銃口の照準を反射で合わせて撃鉄を下す!!
 √:紫電の弾丸——!
「(——誰が、泣くものか!)」
 大波の如く迫りくる底無しの悲哀に歯を食い縛り、クラウスは駆ける。迸る稲光を連動させ、トモビキの持つ傘の柄というアルミで伝播させその腕を焼き落とすように!
「ッお前達が踏み躙っていいものじゃ、ないだろうが!!」
 “たすけて”と救いを求める涙声など、クラウスは短い人生の中で幾度も聞いた。
 19となり学徒兵時代を終えた今も、未だに耳の奥で木霊する救い求める声は√ウォーゾーンもこの√汎神解剖機関とて、変わりはしない。だが√能力者となった今、クラウスにとって救いを求める声あればこそ、|此処《戦場》へ立つ意味がある!
 薙ぎ払うように迸らせる紫電が雨を払い、次々と首無し怪異の肉を割く。
 競り上がり喉を突き破りそうになる絶叫を幾重にも纏った防護と抵抗力、そして耐性で弾いては膝を叱責するクラウスの目は爛々とトモビキを捉えて逃がさない。
 ダンッ! と力強く踏み込み嫌味たらしくぼやけた遺影をクラウスの親友——いや、戦友? はたまた犠牲者となった子供か。くるくると誰かの顔へ変えながら見せつけるトモビキの間合いへ猛然と飛び込んだクラウスが鋭くその額縁を蹴り上げ、代わりに異常に白いシャツの胸へ銃口を突きつけ――……。

「お前の顔を納めてろ!」

 引き金を引くその際に、落下してきた額縁の顔は——きっと、友だった。

●「忘れるわけがない、あなたは——」
 

詠櫻・イサ

 フーッと長く重い息を吐き出した詠櫻・イサ(深淵GrandGuignol・h00730)は、掻き上げた前髪をくしゃりと握りながら頬伝う血涙の雨を止めることは無かった。
「(……もしもこれが、この血の雨が、犠牲になった子らの涙なら)」

 ——戦闘人形たるイサに、家族はない。
 無理矢理いるというのならば、親は製作者、兄弟は廃棄品とでも言うべきか。勿論、イサにそんな気はないけれど。
「……ばかみたいだ」
 今イサの胸を襲う冷たく苦しい、硝子玉の眼球の淵から溢れ出る水分の名を何と言うべきだろう。
 拭っても落ちるのは、きっと頬を伝う血涙の雨だ。
 耳障りな葬列の奏でる鈴の音はまるで弔いを促すような空気でイサを押し潰さんとした時、イサの心の裡で息衝いたのは“聖女サマ”の声。

『ねぇイサ』
『どうした、聖女サマ』
 ——ふとした瞬間に、何気なくイサの知る聖女サマは瞳を細めて愛らしくイサの欲しい言葉を口にする。
『——あなたは私の“かぞく”よ』
 甘くも小さなその微笑みはずっとイサの胸で息衝いて、まっすぐなその言葉も想いもいつだってイサの記憶の中では鮮烈だから。
「(俺の、一等星)」
 ――迫る葬列に得物を構えた時、ふと。
 奥に立つトモビキの持つ額縁の中の顔が、変わった気がする。
「——は?」
 襲い来る悲しみが大津波の如くイサの心を削り抉ろうと、鼓膜震わせる鈴の音が神経を苛もうと、イサの視線は|そこ《遺影》から全く外れない。
 寧ろ釘付けになり、握りしめる得物の柄が軋むほど。
「(なんだ、アレは)」
『——“|████████████《どうして助けてくれないの》”』
 もしも。
 もしも、そんな愛しい星が仮にでも墜とされたなら。
 もしも。
 もしも、愛しい星を仮初の葬儀で嘲笑うものがいたのなら。

 イサのやることは、いつだって一つだけ。
「——消えろ。星屑……いや、灰さえ残さずその影ごとっ!」
 √:星海ノ嵐——!
 爛々と燃えた春煮詰めた瞳を吊り上げ、血色増した赤い唇が吼える。
 力一杯握り締めた得物の柄を掴み、吐く息は深く長く臨戦態勢保ったまま。鋭く爪先に力入れ、目一杯蹴り上げた勢いを殺さず間合いへ滑り込み一太刀!
『——ッ、おくやみを』
「誰のだ」
 怪異の肉を断ち、二つに圧し折った体を踏み台に叩き下ろすように振るった二頭目が並ぶフーツを唐竹割りに。
「いったい――ッ誰の葬列を成した!!」
 背骨さえ断つさえた一撃は、決して止まらない!
 例え血のゲリラ豪雨がイサの肌に細い軌跡を残し裂こうとも、そんなものさえ振り切り断ち切りイサは行く。逆鱗に触れたものへ制裁を。我らが聖女へ喝采を!

「その巫山戯た葬列ごっこは、俺が赦さない」
 だって、“どうして助けてくれないの”なんて、あの唇が紡ぐことは永久に無いのだから。
 
●「たとえどこへ行けなくなったとしても、その隣には俺が立つと決めている」
 

浄見・創夜命

「……局の狗め」

 どう吐き捨てようと最奥に待つその男はきっと笑って言うだろう。
 “待っていたよ”と、悠然と。

●記:5月██日 担当者:浄見・創夜命(せかいのはんぶん・h01637)
 以下、音声データを担当事務局員がレポート化を行った記録である。
 また、怪異の影響で戦闘における映像記録の乱れが発生していたため現場担当者への聞き取りを行い、迷い家たる現場の詳細は極力明確な記載を心掛けているが、下記資料での現場再踏破は不可能とする。

 星詠みの話通り、最奥に待つリンドー・スミスの放った怪異の足止めに、創夜命は極小さく舌打ちをしてしまう。
 この先に待つ救助すべき幼い人命を前に、|こんな程度《・・・・・》で足止めを食っている場合ではない——!
 長い嘆息一つにさえリンドー・スミスへの不満と苛立ちが溢れ、“醜悪な”と吐き捨てた創夜命がガリガリと頭を掻き髪を混ぜたのはその怒りを吐き出すことは気品を失うと感じたからだろうか。
 再びフーッと長い息を吐いた創夜命が石畳の地下室に降る血涙の雨を払いながら、淡々と迫る葬列に瞳を細めると革手袋に包まれた細い指先でジャケットの内ポケットより取り出したのは一粒の夜。通称——夜の欠片:抱擁。
 創夜命曰く、吸血鬼に纏わる事象や力を発言する概念結晶たるそれは、夜の国の若者に人気なのだとか……などという話は横に置いて、容赦の無い力が夜の片鱗を砕く!
「饗しならば、趣向が醜悪だ。が、響かせたいならばするが良い……嘆きも血潮も、夜の欠片――
啜れ、抱擁」
 √:嵐——!

 その形の良い唇が弧を描いていたことに、トモビキは気付かない。

 迸る紅き血の霧が生き物の如く蠢き、その傘ごと——否、伸ばされた影の手ごと怪異の肉を斬る!
「——伏せよ、貴様らの醜悪なる趣向に夜は飽いた」
『——ッ、』
 カハりとどこからともなく溢されたトモビキの掠れた息など意にも介さず、創夜命は力を振るう。次々下される“命令”に血の霧は走り、追随する紅き吸血の業と共に形を成しては遺影ごとトモビキを制圧する。
 
「……全てが終われば、夜が迎えをよこそう。案ずるな、未練を抱いて座して待て」

●「——それこそが、夜の国への入国許可証よ」
 

都留・臻

 背を奔った怖気は、“誰”のものだろうか。
「(……しっかりしろ、“俺”)」
 そう思ったはずの自身は、煽るようなその手口に引き裂かれてゆく。
 力一杯振り下ろした鉄棍が、トモビキの中からドクドクと赤過ぎる血を流させ、都留・臻 (|枳殻《きこく》・h04405)の頬から滴り落ちた。

 その15分ほど前、臻は唐突に開いた視界に一瞬目を顰め、凝らす。すれば現れた地下道は石畳美しい重厚な作りであったものの、やはり誰も居ない。
 星詠みの話を聞いた折にいた数名は、確実にここへ訪れているはずなのに。
「……まだ迷い家ってことか。ん?」
 視界の先、いやに明るい光を背負う何かが靴音を立て迫っている。
「ありゃあ——……、っ?!」
 “それ”を頭が認識した瞬間、怒涛の如く襲い来る全てが臻を存在ごと綯い交ぜにせんと荒れ狂う。
 降り出す赤い血涙の雨。
 りんと幾重にも響き渡る鈴の音。
 耳に——いや、脳へ直接響く慟哭と、胸に襲い来る悲哀。

 痛みはない。けれど、しかし——……。
「(……いてぇ、)」
 ズキズキと、継ぎ接いだ頬が痛む。
「(……い、てぇ)」
 震える首が視界を滲ませ、軋む腕が鉄棍を取り落してしまう。
「(っ、いてぇ……!)」
 自身を抱きしめて座り込み、もう立ち上がることさえしたくない。
 “我々”は被害者だ。
 “俺たち”は、——そう、

「五月蝿ぇ!!」

 反響した“臻の声”が、ほんの一瞬鈴の音を圧し退かせた一時に臻は猛然と走り出していた。
 ただ真っ直ぐに、嫌に恭しく|遺影《記憶の片隅で疼くその顔》を胸に掲げたトモビキへ——!
「勝手に決めるな!お前らに!!何が分かるッッ!!」
 ——きっとそれは、魂の叫びだ。反響して幾重にも重なるその言葉は、まるでその身に宿した人数分の言葉のようにトモビキへ降り注ぎ、そして打つ。
 幾度も、幾つも。
 そして——……頬伝う赤を滴らせ、臻は拳振り下ろす!
「教えてやるよ——……“俺たち”はとっくのとうに|友引いて《一緒に在》るんだよ。なぁ!」
 √:2008-SolanalesDatura——!

●軋み震えるその左拳に握るは“絆”

狗狸塚・澄夜

 血涙の雨が、静かに頬を伝う。
 その弔いに、|本当に《・・・》手を合わせたかった者がこの場に無いのを承知で悲しみに暮れていた残留思念を揺り起こしたことこそが——|彼ら《怪異達》の“罪”だ。
 通路最奥。
 おそらく儀式場への入り口を塞ぐように立つ黒スーツどもを見据え、フーッと低く吐いた息を吐いた狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)が、踏み出す。

 √:崩域・弄梅雪月——……!

「……怪異、子ども達の魂を弄んだ罪を償って貰おう」

 一瞬でトモビキの頭上を取った澄夜の上から、前触れなく血涙の雨が掻き消されると同時、トモビキの上へ白梅花が降り注ぐ。
 儚く降る花は即座に黒傘を|腐《くた》しゆく。それにトモビキがいくら動揺しようと、青い瞳を爛々とさせた澄夜は止まらない!
 手前にいたトモビキの肩を足場に傘ごとその頸を踏み潰し、ガラ空きの腹を遺影ごと蹴り飛ばす。写された憐れなる子供に、澄夜はそっと心の裡で手を合わせながら。
 壁に叩きつけられのたうつ黒スーツを横目に息つく間もなく床に手をつき取った受身。澄夜の√を遮るように最奥に立つトモビキが齎す血の針雨を転がるように躱した澄夜は、銃口をトモビキに据え、走りながら梅花雨に紛れて引き金を引く。
「貴殿らは、踏み込んではいけない領域へ踏み込んだ……その冒涜、命で贖え」
 死者への冒涜は、何であれ許されざること。それは怪異であろうと人によって裁かれるべき行いと言えるだろう。
 ——トモビキの揺り起こした残留思念は色濃いゆえにこうも彼らの力を増加させ、澄夜を含め今この場にいる√能力者たちの胸を、心を苛む悲しみと恐怖を生み出すほどの力を授けている。
「(……当然だ。これは、揺り起こされた子供達の残留思念が味わい感じた地獄なのだろ)」
 誰が、生かしておくものか。
 迷い家ゆえに同胞と共に“今”を駆けることが叶わずとも、澄夜には分かる。きっと、この場にいる大半が似たような気持ちでトモビキと相対しているということが。展開した符で梅花撃ち落とす血の針雨を払った一瞬に踏み込んだ——手を伸ばせばトモビキへ触れられる、間合い。
『……ッ!!』
「遅い」
 掴んだ襟首に目一杯力を籠めながら、澄夜は瞳を細めその胸へ銃口を押し当てた。
「貴殿——いや、お前たちの主人に伝えろ。私たちは止まらない、と」

 轟々と降る雨にも似た、朗々と耳を打つ読経。
 寂し気に響き渡る啜り泣きにいも似た鈴の音。
 波の如く幾重にも折り重なっては胸打つ悲哀。
 と——血涙の雨を焼く火炎、怪異の肉を割いた夜の爪、怪異を噛み砕いた月の如き白牙が、心臓の位置に穴を開けた怪異を投げ捨てた。

●餞には|白き梅花《約束を守る》の雨を
 

望田・リアム
九段坂・いずも
星越・イサ

「(……どんなに納得いかずとも、“死”とは訪れるもの)」
 即座に九段坂・いずも(洒々落々・h04626)が三人の背後に立ったトモビキを早業の居合抜きで両断すれば、黒いスーツの怪異は揺らぎ頽れる。そうやって、死とは全てに等しく――そして理不尽に、時に残酷で、優しい顔までして訪れるものだ。
 “犠牲になった子供達には気の毒ですが……”と心の中で前置いて、星越・イサ(狂者の確信・h06387)は通路の向こうに立つ幾人ものトモビキを見た。
 ——遺影の顔は知らの幼いものばかり。自身が冷たいのだろうか? と思う反面、生者と死者には越えてはならぬ|理《ことわり》がある。
「わたくしたちが思うより、この教団の規模は大きかった――と、いうところでしょうか」
「……そうみたいですね。ですがまだ、生きている子供たちがこの先にはいる」
 瞳を伏せるイサの隣、油断なく山丹正宗にこびりついた血を払ったいずもが油断なくトモビキを見据えれば、イサと同じく静かに瞳を細めトモビキを見つめる望田・リアム (How beauteous mankind is・h05982)は、静かに眦を緩めていた。

 ほたほたと肌を濡らし服へ染み入る血涙の雨が降る。
 足元から冷たい手を伸ばす悲哀が痛いほど体を冷やす。
 響き渡る鈴の音は八重に重なり静かな慟哭にも似て。

 折り重なり反響する読経は、そう——まるで呪いだ。

 動き出す|前方《明るい出口前》に立つトモビキへ一早く石畳を蹴ったいずもがトモビキを肉薄する横を、ごうと音を立て赤黒い手が駆け抜ける!
「っ、リアムくん!」
「……あぁ、」
 少し焦ったいずもの声に瞼を押し上げたリアムは、迫りくる赤黒い手を見やりながらただ静かに息を吐いた。
 異常にスローに感じるこれは、世間で言う走馬灯のようなものだろう。ゆら、と動く胸の裡でリアムが覚えたのは、安堵。まるで温もりにも似たそれは、トモビキの揺り起こした子供達の残留思念から間接的に伝わる悲哀。
 リアムが“|破滅の渦にマキコンダ《殺した》あの|両親《二人》”が子たるリアムへ後追いを求めるその情念——!
「ふふ……——あぁ、良かった。僕も幾ばくかは、人間の子供らしく在れているということなんですね」
 葬列の抱えた悲哀も、揺り起こした地獄も、きっと根幹はリアムの“それ”とは別だろう。けれど、どこか似ているから。
「けれど、残念ながら僕はもう覚悟をしているんです」
 リアムの指先がゆっくりとある個所を指す。
 本当は勢いよく伸びているはずの赤黒い手が、リアムを捕らえて——、
「悔いに引き込まれる僕はおらず、過ぎ去った渦の残穢はここにある――ゆえに」

 渦巻く。
 世界が回り、引き摺り、掻き回して捏ねて砕いて壊して|殺して《・・・》。

「|此は汝が嵐《ストームブリンガー》は、この理で渦動している——……でしょう?」
 √:|渦動の理《テンペスト》——!

 一つの渦が怨嗟を喰らう様を横目に、フッと眦を緩めたイサは未だいずもの押しとどめるトモビキを見据えその遺影の視線と目が合った——ような、気がした。
「すみません……私、|それ《死者の未練》に共感できなくて」
 あくまでイサ目線のそれこそ宇宙的規模の視点での意見であり、決して嫌味ではないはずの事実を述べれば、降った血涙の雨がほんの一瞬ひどく鋭利になる。
「それにその|弔い《鈴の音と読経》、私には|よく聞こえなく《ノイズのせいで届かなく》て……幸運でした。でも――……九段坂さんは、お辛いですよね」
 身を引っ搔くように裂く血の針雨は、霊的な防護を意識すれば多少耐えようがある。けれど思考さえ苛み心さえ蕩かす悲哀は、歯を食い縛りながら抗うと同時にトモビキを押さえ込むいずもには酷だろう。そう断じたイサが柔く緩やかにもう一度“トモビキと|視線を合わせて《・・・・・・・》”呟いた。

「……あぁ、うるさい。ちゃんと、怪異たるあなたも聞いてください――世界の|聲《音》を」
 √:|彼方の呼び声《コズミック・ディスコード》——!

 音という音が、悲哀の波起こしたその身を狂わせる。
 |聞く耳持たぬ《頸無しの》はずのその身さえ揺らがせ、崩して狂わせ遺影さえ取り落とし藻掻き苦しむトモビキは溺れていた。音に。在りもしないはずの脳の過負荷に。
「本当に、彼のリンドーさんは|これ《・・》で私達を足止めできると思ったのでしょうか……不思議です。それとも――」
 “だからこそ、私が導かれた?”
 偶然の偶然はきっと必然。訪れるべくして音ずれ訪れたことこそ、真の幸運そうイサが噛みしめた向こうで、いずもが思い切りトモビキを蹴り飛ばす!
「ッ、ハァ……! ありがとう、イサちゃん……少し楽になりました」
 蹴飛ばされたトモビキがゆらりと立ち上がる。その姿と、その手に抱えられた遺影がぎろりといずもを睨み据えては牙を剥く――!
「わたくし、それなりにしっかりと対策してきたつもりなんですが——、ッ」
 煩わしいほどの悲鳴と涙声に縋られた足は重く、押さえ込もうにもわずかに震える指先が切っ先を狂わせトモビキの身に致命傷を避けさせる。
 その悲鳴も、涙声も、遺影さえ所詮は“つくりもの”だと分かっているのに。ぐるぐるといずもの腹で蜷局を巻いては噛みついて、流し込んだ毒で心さえも蝕むから。
「(——中々、堪えますね……でも、どうしてでしょう)」
 未だに、縋る悲哀にも向けられる怨嗟にも、答えが出ないなんて。
 いっそ謝ってしまえば楽になるだろうか。だが何に謝る? 何に赦しを乞う? ——そして、その果てに|本当にわたくしは赦される《・・・・・・・・・・・・》?
 尽きぬ疑問が思考を占めてしまう、その前に。
「(止まっては駄目)」
 走れという体に従い、軽やかに地を蹴ったいずもはもう助けの要らぬ逞しい|後輩《若い子》に薄く微笑み、指先の震えを振り払う。
「最近の若い子って、なかなか丈夫なんですね。なんだかちょっぴり恥ずかしいような……老いを感じるような。でも、」

 “刀の冴えは、十二分”

 √:|九段坂下り《コール・オブ・ゼム》――!
「ワタシがあなたに逢ったから——ねぇ、」

 断て喰らえと叫ぶ刃の閃きが、赤き雨すら断ち切り祓う。

●その人生が寄り道と回り道ならば、今一度
 

千桜・コノハ

 滴るように降る血の臭いは、鮮烈に“人の心”を壊す。
 輪唱する鈴の音へ心を乗せれば方向感覚が狂わされ、朗々と響く経を解そうとすればたちまちに人格を見失うだろう。
「(足止め……ッ! 何、これ……!)」
 並の人間なら狂乱するこの場で、千桜・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)は冷静に現状を把握し――……突然緩んだ自身の涙腺に、息を呑み目頭を押さえていた。

 かなしい。
 くるしい。
 ころして。
 さみしい。
 ころさないで。
 たすけて。
 ころさないで。
 ねぇ、

 おねがい、

「何なんだ、これは……!」
 不快感より、ずっとも戸惑いのが勝るような不明感。
 突如として襲い来た意味不明な悲哀にコノハが戸惑うのは無理もない。むしろ踏み込んだ瞬間にこの場の7割を把握した能力の高さは、最奥で待つリンドー・スミスも欲する聡明さであろう。
 けれど、どんな生き物も姿も見えず形も無い感情の渦中へ突如落とされれば戸惑うもの。歯を食い縛りながら胸を押え、低く息を吐いたコノハの眦から涙が落ちる。
「っ、あぁもう……! なんで――なんで泣いてるんだ、この僕が……ッ!」
 振り切るように涙拭おうと、潤み歪むコノハの視界が全てを語る。頬滑るくすぐったさなど気にしてはいられず、荒波のように到来してはコノハの心をめちゃくちゃにする悲哀は説明のしようがなかった。
 ——ただ、かなしい。
 増幅された恐怖も、家族に会えない寂しさも、誰かの悲鳴で感じる焦燥感も、まるで嵐だ。

 かなしい。
 くるしい。
 ころして。
 ころさないで。
 たすけて。
 ころさないで。
 ねぇ、

「……ほんっとうに、あのおじさん良い趣味してるよ」

 くしゃりと髪をかき上げながら涙を拭ったコノハの悪態こそ、本心。轟々と暴風雨のように降り注ぐ悲しみも恐怖も全ては此処に囚われ惨たらしく殺された子供たちのもの。決して、コノハのものではない——!
「——僕に涙を流させるとは、本当にいい度胸してるよ……逃がすわけにはいかないな。お前たち、全員!」
 √:|繚乱の桜《サキミダレ》——!

 止めどなく抑えきれぬ涙を隠し、烟る血涙の雨から視界を守るように迦楼羅面をつけたコノハが低い姿勢から高下駄に似たヒールで素早く石畳を蹴ると同時に、遠心力を使い抜いた身の丈ほどの大太刀 墨染で血の針雨を斬り飛ばす!
 きっと、リンドー・スミスが奪う者であるからこそ従属せし怪異もまた、奪う者なのだ。幾度止めようと楽園へ手を伸ばすことをやめられぬ、飢えた者共。
「(ほんとうに、憐れな男……)」
 おそらくは、いくら何かを食もうと埋められぬ欠落があるのだろう。
 止まぬ血の針雨を斬り捨て、コノハはカンカンッと軽快な音を立て縦横無尽に地下道を駆け抜ける。再度飛ばされる血の針雨を首を捻って躱し、転がるように踏み込んだトモビキの間合い――ほんの一瞬、酷く遅く感じたその瞬間にコノハは頸無しの胸へ添えた墨染を揮い袈裟に斬る!
「——しかして、僕らが|それ《欠落》を埋めてやる義理も無し」
 真っ二つにされた怪異の一人が倒れようと、コノハは止まらない。
 頽れるその肉を足場に、叩きつけるように振り下ろした墨染で唐竹割りに処して二体目。

「……お前を逃がす義理もまた、無いよ」

 納刀しきる際、振り抜いて放たれていた剣閃が強かに三体目のトモビキを捕らえた頃には今一時雨が止んでいた。

●「この晴れ間は、“君たち”への餞にしよう」

 “僕には大事な家族がいて、今日も元気なんだ――って、僕は信じてる。今はまだ、逢えないけれど。だから、|同じ気持ちにはなれないよ《……ごめんね》。”

 そんな少年の独り言へ、白く弱々しい小さな影が手を振っていたことは背負われた大太刀だけが知るだろう。
 

汀羽・白露

 碧眼を細めた汀羽・白露(きみだけの御伽噺・h05354)は、地下通路へ踏み込んだ直後、その柳眉を顰めいっそ舌打ちでもしたい気分になっていた。
 非常に頑丈に作られたその道は、おそらく脱出路のようなもの。
 いったいどこへ逃げる? そこまで考えて、ふと美術館で感じた違和感という点たちが一本の線へと繋がってゆく――……もしも。もしも、『|あの美術館が、建設当初から邪教の巣窟であったのならば《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?》?。
 探索の途中から徐々に、しかし一定の位置から唐突に|白露《神》へ向かって救いを求めるような祈る聲が強くなっていることを白露は肌で感じ取ってていた。そうして今、通路奥——儀式場への道を遮るように立つ怪異の姿でその理由を悟る。
 揺り起こされ、勝手に抱えられた彼らの無念と悔恨も恐怖も何もかもが綯交ぜにされ蔑ろにされた朧げな人格が行き場を失ってい白露という存在に救いを求めたのだと。
 ——あまりにも、哀れだった。あまりにも、惨いことだった。
 行き場なき死者の嘆きへ無意識に食い縛った歯が痛むことも、握りしめすぎた拳が痛むことにも気付けないほど白露の内側で静かな怒りが巻き起こってゆく。
「(欲も過ぎれば毒……いや、病気どころか厄災。それに、)」
 無垢なる命への蹂躙に気付けなかっただけに飽き足らず、“粛清”の名を借りたリンドー・スミスさえ無辜の命だった今は亡き幼い者たちを利用するというのか!
 ――死者への冒涜は忌むべき行いであり、それもまた粛清されるべき行為だろう。
 激情を覚える一方、白露は至極冷静に現状を見つめ直す。俯瞰的な目線で見るならば、慈悲無くただ通路奥の儀式場入口を塞ぐように立つ怪異を|排除《・・》すれば目的の最深部へと到達できる。ただ、それだけ。
「(……実に悪趣味だ。本当に、)」
 足元から縋り迫る幼い手がいくつも白露の裾を掴んで甘えるように救いを求め、“来て”、“寂しい”、“たすけて”と幼気な声で誘うように縋ってくる。

 白露はその手を振り払わない。
 此処へ送り出した|幼馴染《Anker》が、泣きそうな目で“救って”と求めたからだ。
 白露はその手を選び救わない。
 此処へ送り出した幼馴染が、きっと生者死者問わず救うことを願っていると分かるから。
「……俺は早く帰って慰めて、事の顛末が“良き方へ終わった”と報告しなきゃいけない奴がいるんでな」

 ただ深く、フーッと長い息を吐き白露は歩む。視線逸らさず、向かって来る忌まわしき喪服纏う怪異を睨み据えて。
 白露の歩みに合わせゆっくりと迫りくるトモビキが血の針雨で牙を剥かんとトモビキが手を振り下ろしたその時、読み上げきるはコレクションが一冊!
 √:怪談 番町皿屋敷——!
 白露の後ろへ立つずぶ濡れの女中、お菊が擲っては割れる皿を嘆きながら皿でトモビキの胸を撃ちすえては絶叫する!
 その絶叫へ足音を隠し一気に間合いを詰めた白露が手を伸ばし触れるは幼き遺影。影形冴え曖昧ながらどうしてかそれが子供だと分かるその|魂《写真》へ、触れる。
 本当は、怪異が捏造した妄想の品であればいいと、白露は思っていた。いや、それが一縷の望みであったといった方が正しい。どうかこの勘が外れて欲しいと、心から思っていた。乃至は、いっそ教団の良心が用意した可能性などと恐らく決してあり得ない可能性にさえ賭けてしまいたいほど。

 でも、真実は残酷だ。

 それはきっと、ほんの一瞬のこと。触れた瞬間に|白露《神》は全てを悟り、指先から伝わる|絶叫《死者の嘆き》に歯を食い縛る。
 体のきしむような痛みと錯覚しそうな恐怖——けれどその奥底に、溶けて消えそうな……誰にも聞かれずに救われず、ただ無情なる蹂躙に晒され死んだ命の聲があった。
「——落ち着いて聞け。もう誰も君たちを殺さない。虐めない。何も……俺が何もさせない。だから、」
『████████████████——!!!』
「そんなこと、俺がもうさせない。だから……聞いてくれ」
『████、██……████、』
「当然だ。……その恨みは、俺が晴らす。だから、っ…………ここで、何があった」
 白露しか聞けぬ恐怖も絶叫も全てを受け止め、頬伝った脂汗に白露は眉一つ動かさず幼い命へ問いかける。
 恐怖の中身を覗くことはトリガーだと知りながら、それでも。
『████████、████!! ██っ!! ███っ!!! ████████、█████!!!!』
「——あぁ、そうか。なら、……その恨みは俺が引き受ける。そうだな、そうしよう。君の——いや、“|君たち《・・・》”の望みを|俺《神》が叶えよう」
 汀羽 白露は付喪神だ。
 本来ならば人成らざる理で生きる“もの”だ。
 それでも、その身が為された理由がたった一人の真摯で純粋な愛で、そのたった一人が掬ってと願った命だから。

 碧眼が頸無しの怪異を見た時、怪異はただ目の前の√能力者が纏う気配に気圧され半歩たじろいだ。
 それはトモビキの気のせいではない。ただ真っ直ぐに向けられた明確な殺意と悲しみと、蕩ける闇から抜いたような刃がいやにギラついて見えたから。
 ——怪異は知らない。それが、人でいう“畏怖”という感情であると。無意識に行動してしまうほど原初の感情の一つ、畏怖。

 おそれよと戦慄く空気を怪異は知らない。
 気付けば雨は震えたまま中空で尻込みし石畳に突き立つことさえ不敬とただ身を竦ませて——……。

「生憎、俺の知人でさえ死んだ人間はいなくてな」
 闇が振り上げられる。
「つまり悔やむことも無ければ弔わねばならない友も伴侶もいない」
 脈打つ闇がトモビキを見下ろして。
「……——要は、俺とお前の相性は|最悪《無縁》ってことだ」

●血さえ啜って斬られた箇所から腐り饐えた怪異の肉は溶けて無へと帰す
 
「あぁ、次はお前か」

第3章 ボス戦 『連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』』


 いくつもの足音が重なって聞こえる。
 まるで見えない薄壁が徐々に剝がれるように砕け落ち、世界が罅割れた——果てに、世界が開く。
 本来此処へ同時に赴いていたはずの同胞と|邂逅《再開》できた僥倖を喜ぶより先に、皆光の方へ――、

 血が舞った。

 まるで遊びのように大黒猫の怪異が悪戯に教団の狂信者と思しき男を嬲り殺して投げ捨て、次は逃げ惑う女狂信者へと飛び掛かってゆく。
 無表情の罅割れた石仮面を被った大男の怪異が、両手のククリナイフを赤く染め|何か《屍》を引き摺りながら鼻歌を歌っている。
 そうしてその他いくつかの惨い光景の中央に|奴《リンドー・スミス》は居た。

 怒号。
 悲鳴。
 命乞い。
 むせかえるほどの血臭に眉が寄りそうになるこの空間のどこかに、|救うべき命《無辜の子供》がいるはず……!

 逸る気持ちを押しとどめながら√能力者たちが視線をやった先に、この現場には不釣り合いなほど真白いテーブルクロスを敷いた丸テーブルの席に着き、金細工美しいコーヒーカップを片手に優雅な所作の男がその隻眼で追うのは書類の文字列の内容は知れないが、恐らくクヴァリフの仔降臨までの記録だろうか。
 √能力者へ視線も向けぬままに“なるほど”と笑ったリンドー・スミスが指を鳴らした瞬間、背後に控えるトモビキ数名。刃を納めた|大男《殺人鬼》の怪異。影の如き大黒猫の怪異が言葉なく√能力者を睨み付けていた。

●『……——まったく、私はまだ食事中だったんだがね』

 日常の延長のように笑ったリンドー・スミスがトモビキの一名に持たせていた特殊なアタッシュケースを開封し、わらう。
 培養槽へ納められたクヴァリフの仔は、まるで眠るように揺れたまま。
『そうだな、欲しければ奪いに来ると良い。だが、それだけが目的ならば私は粛清も並行して行わせてもらうよ。——止められるか、君たちに』


███████████████---マスターより
一章、二章、ご参加ありがとうございました。引き続き第三章、よろしくお願いいたします。

第三章:|連邦怪異収容局員 《FBPC》『リンドー・スミス』
▷クヴァリフの仔:リンドー・スミスが回収済み。
 スミスに最も近い配置のトモビキが所持しているもよう。

▷リンドー・スミス:近接格闘・遠隔怪異戦闘双方に長け、話術も得意です。
          無理に倒すよりも退けることに重きを置き、為すべきことを思案し動く方が吉と思われます。
          阻止されない限り、粛清は止めません。

 では、ご縁ございましたら宜しくお願い致します。
雪月・らぴか

 肌を撫でる湿気だ空気の孕む圧と鼻につく生臭さに思わず雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は口元を押さえ眉を寄せしまう。
 どんな言葉でも語り尽くさぬ酷い有様に唸ったらぴかは、気付けば地を蹴ってた。
「……むむむっ!」
 この空間へ侵入する直前に複数の足音が耳を打ったことを踏まえ、きっとそれはこの地へ踏み込んだ同胞はそれぞれ動くだろうと確信を持って。
「(何でこんな場所でご飯食べたり、クヴァリフの仔を見せびらかしたりしてるのかな? というか、)」
 余裕の見せつけか? それとも、ただの嫌がらせか——……何にせよ、止まる道理はない。
「(——っ、くる!)」
 らぴかは無軌道に走り逃げ惑う狂信者を慈悲無く霊雪心気らぴかれいきで吹き飛ばし、迫るリンドー・スミスの刃腕を手中のロッドで弾き飛ばす!
『ほう、これを躱すか』
「このくらいっ、平気だよ!」
『……——ふむ』
 つ、と赤い一線刻まれながら凍結した頬の傷を撫でたリンドー・スミスが嗜虐的に笑ったのをらぴかが認めた瞬間、——間合いが詰められる。
「(……早いっ!)」
『こういうのはどうだね、お嬢さん』
 対応しようとした時には、眼前に振り抜かれたリンドー・スミス液状変異脚。
「ぐっ……!」
 蹴り飛ばされ床を転がりながら寸前で受け身を取ったらぴかは、競り上がった血を吐き捨て思考する。
「(私のしようとしてたこと、気付いたのかな……距離、開けられてる)」
 たしかに接近しながら、らぴかはリンドー・スミスとクヴァリフの仔を手にしたトモビキの距離を確認した。ほんの一瞬。
 それで気づいたのか? それとも、楽園の√能力者たちの重ねてきた実績がリンドー・スミスに警戒心を育ませたよか?
「どっちにしても、私は諦めないから……!」
 雪月魔杖スノームーンを握ったらぴかは再び地を蹴る。
 身構えるでも無く自然に立つリンドー・スミスの吐いた煙草の煙を振り払い、掲げる魔杖は既に爆鎚形態へ!
「ガンガン叩いてぶっ飛ばしちゃうよ!」
『おや……そんなことをしては、』
 “|死人が出る《狂信者を巻き込む》よ?”なんて煽るリンドー・スミスの言葉を、らぴかは冷めきった目で一蹴。
「別に? ——さぁ、いっくよー!」
『……ほう』

 √:霊雪爆鎚コールドボンバー!

 叩きつけられると同時に紋章刻まれた床ごと爆砕し破壊するらぴかの一撃が地下室を震撼させる!
 爆ぜた石片舞う中、らぴかとリンドー・スミスの苛烈な打ち合いが空気を揺らしては切り裂き、雪の如きらぴかの柔肌へ穴を開けんと振るわれるリンドー・スミスの刃腕。時折引き裂かれながらも急所は紙一重で躱し返すようにらぴかは爆砕槌で打ち落とす!
「っ……まだまだ!」
『はははっ! 素晴らしい……!』
 リンドー・スミスの液状変異脚に蹴り飛ばされたらぴかと、爆砕槌の一撃がクリーンヒットし吹き飛ばされたリンドー・スミスが立ち上がったのはほぼ同時。

●『一枚岩では無い君たちは、実に面白いよ』

 

クラウス・イーザリー

 すぐ横でリンドー・スミスと同胞が激突し、火花散る。
 全力でぶつかりあう凄まじさにクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が目を細めたのも一瞬、瞬きの間に展開されたレギオンの群が数多の間を抜け空を翔ける!
「探さないと……っ!」

 √:レギオンスウォーム!

 元々、この現場へ赴いたのも無辜の犠牲を救うため。
 命あればこそ出来ることも選ぶこともできることを、クラウスは痛いほど知っている。
「(……クヴァリフの仔は二の次——)」
『おやおや? ……気になるものでも、あるのかね?』
 そう思いクラウスが駆け出した直後、|それ《リンドー・スミス》は来た。怪異纏う姿は既に人を半ば捨て、視覚的にはバケモノ——……しかし、その突き抜けた夏空の如き隻眼には理性。
「……厄介だよ、あなたみたいな人は」
『お褒めに預かり恐悦至極——では、もう少々解放しようか』
 √:怪異制御術式解放!
 しなやかに振り抜かれた液状変異脚を寸で躱したクラウスが身を捻りレギオンを嗾け舞い散る粉塵に紛れ抜けようとする足を蟲翅の速度でリンドー・スミスが追い縋る。
『待ちたまえ、良いのかね“君たち”とて為すべきがあるのだろう?』
「……あるさ! だが、それでも——っ!」
 リンドー・スミスの刃腕をレギオンの射撃が弾き飛ばして逸らし、クラウスが鋭い蹴りを見舞えばリンドー・スミスもまたコートを翻して躱わす。
 レギオンのミサイルは時に液状変異脚に喰われ、刃腕に斬り落とされようとクラウスの一撃の合間を縫い、間断なく攻め立てる紙一重で維持される一進一退の攻防……それは徐々に苛烈さを増してゆく。
 他の√能力者にも、狂信者にも構ってなどいられないほど互いに火花散らす中、クラウスの頬に赤い一線がまた刻まれ、リンドー・スミスの液状変異脚がまた潰えても……それでもなお、クラウスは子供達の捜索をレギオンに任せるしかない歯痒さに歯を食いしばっていたその時——……ある一機から上がった発見と被害者救難信号。
「、——今行く!」
『おっ、と……!』
 即座に動くクラウス。そうして気を逸らしたクラウスの首を取らんとしたリンドー・スミス。
 双方、決定的な隙ができた瞬間ではあったが、クラウスにはレギオンという手数があった。そのお陰で不意をつくようにその視界を連射されたミサイルがリンドー・スミスの奪い——。

『……残念だよ、有望な君よ』
『たす、たすけてくれぇぇえ!!』
『ああ、救うさ……私が地獄の切符をあげよう』
『ひっ!』
 囚われた子供達の元へ見事参じたクラウスが、幸運にも視界も音からも遮断され何も知らずに泣いていた子供達を保護できたのは、まさに強運。
 その背を見送り、“若いなぁ”などと笑って踵を返したリンドー・スミスの靴跡には、新たなる赤がベッタリと滴っていたけれど。

●『……その選択に、私は敬意を払うとも。無辜の命に、罪はないからね』
 

星越・イサ
望田・リアム
九段坂・いずも

 ——元来、この事件自体は√EDEN側の√能力者が√汎神解剖機関側の√能力者——リンドー・スミスから奪還乃至は防衛に成功すれば成功する案件である。

「(……よって、私達の目的はクヴァリフの仔の確保——いえ、奪取でしょうか)」
 先んじてリンドー・スミスと火花散らす同胞が吹き飛ばされたのと離脱し恐らくこの儀式場のどこかに隠匿された無辜の子供達を救いに行くのを感じながら、星越・イサ(狂者の確信・h06387)は傾けた首の骨をこきりと鳴らし、解す。
「……人道的には、生存者の保護が優先されるでしょう」
 淡々と静かな声を溢し、瞬き一つせぬままにゆるりとリンドー・スミスへ向け伸ばしたその指先から滴る黒、一滴。
『おや、お嬢さんは見かけによらず冷静なようだ……判断の速さ、僕はそういうのとてもいいと思うよ』
「はて。 ……私はあなたに“お仕置き”がしたいのですが」
『へぇ? それは驚いた……お嬢さんは僕にそんなことができる気でいるのかな』
 笑っているようでその実、じとりと睨みあう夏空の三白眼と曇り空の三白眼。右往左往と駆けまわる狂信者共の奇声のような悲鳴さえ遠退くほどの緊張奔る中、ゆっくりとしたイサの瞬きが瞳に睫毛が影を作った時、その横を駆け抜けたのは望田・リアム(How beauteous mankind is・h05982)だった。
 風切るように通いのない足取りで踏み出したその足は止まらない。
「——僕は救出を。他は、お任せしますっ」
「えぇ、そのように」
「勿論。気を付けて、リアムくん……っ!」
 視線交わさず頷くイサと、リアムを捕らえんと目玉模様蠢く蛾型怪異の群れごと動こうとしたリンドー・スミスへ愛刀 山丹正宗で居合抜きながら踏み込んだ九段坂・いずも(洒々落々・h04626)によって稼がれた間合いが、リンドー・スミスとリアムの間合いを開かせる。
 こうして見送られた青年の背にやれやれと首を振ったリンドー・スミスはクッと喉を鳴らし挑発的に笑うとイサといずもに向き直り——。

『彼もここにいた方が、面白いと思ったんだが——』
「——私はあなたの対極にいる」

 リンドー・スミスの言葉に被せるように、先程より大きく明確なイサの声が響く。

「私は狂えるこの衝動を踏み躙ることはしない」
『……ほう』
「私はあなたを此処に留めます」
『僕が彼を潰しに行く、と言っても?』
「私はあなたを|留めます《歪めます》」
『……?』
 イサの言葉が歪んだ瞬間を捉えきれず、眉を跳ね上げたのち顰めたリンドー・スミスが。——ほんの一瞬、|震えた《ダブった》。
『……っ!?』
「私はあ なたを |留め██す《歪めます》」
『、君は一体——!』
「わた し はあな た を ████ま█す」

「そう。私|が《・》あなたを歪めます」

 √:|運命の群れ《ツイステッド・フェイト》——!

 ギチギチギチと捩じくれた歯車が|不気味に噛みあい擦れ合う音の如く煩い音が反響し、それは痛みとなり神経を引き摺り噛み潰して挽き潰してあぁ無惨な緋色ばかりが絞られる!《ギ、ギギギギギ――キシキシキシキシキシキシキシキシキシキシ、ギ……ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!》
「計画なんて、ほんの少しの予測不能な|ノイズ《言葉》ですっかりだめになってしま――っ゛、?!」
『僕も こ、ういう音は聞いたことはあるんで、ねぇッ――!』
 吐き捨てた血反吐で床を汚そうと口の端から滴る赤を拭いもせず歪んだ世界から捨て身で突貫したリンドー・スミスがイサの細首捕らえ、そのままコンクリート壁へ叩きつけていた。
 響き渡る打音。
 震える空気。
「——カヒュッ、」
「イサちゃん!!」
『君はあるかね生きたまま怪異に喰われたことが君はあるかね生きたまま目玉を抉られたことが君はないのかね常に怪異に嬲られ続けたことは!!!』
 蛾の怪異をいくら斬り捨てようと止まぬ蟲の群れに阻まれイサへ辿り着けぬいずもが悲鳴染みた声を上げようと、リンドー・スミスは目もくれず掴み上げたイサを睨み据え、その一方では自身より大柄な男に細首捕まれ持ち上げられながら叩きつけられたイサは果敢にリンドー・スミスを睨むような視線で射抜き続ける。
「——と、を、な゛――ん、だ……どっ」
 呻くような“人を、なんだと”という言葉が潰れかけようと、決してイサは引かない。
 だが未だ|狂ったような《螺子の外れた》問答をするリンドー・スミスを見下ろせるのは、今最前線に立ち続ける能力者であるがゆえ。そして全身に力を入れ振りほどこうとしたその時、|護霊『此は汝が嵐』《リアムの放った逆巻く力》の余波がイサを開放しその傷口を縫合する!
「——ケホッ……ゲホッ、わ゛……たし、は——あなたの自分には選択権がある、と……ゲホッ、かんちがい……している、傲慢さがっ、嫌いなんです……よ、」

●「だからこそ、立ち塞がります」

――**

●あらしのうた  side:リアム
 一方、リアムはイサといずもに見送られて作戦通りに行動していた。
 リンドー・スミスの横を駆け抜けながら、数多の予測を立てながらも無為に走りまわる狂信者の群れをギリギリで交わしながら、広く予想通りに複雑で曲がり角の多い構造に建造された地下内を走りながら、既にこと切れた狂信者だったものを飛び越え走り続けていた。
「(思っていた通り、此処は複雑だ……きっと、方向感覚を見失わせるためにこういう構造なのかもしれない)」
 運び込んだ|生贄《犠牲者》に逃げられては計画が外に漏れてしまうし、おそらく信者も一枚岩ではないのだろう……通り抜けた廊下で|異様に血生臭く怨恨の人成らざる声響く部屋《“懲罰房”》という部屋があった気がするのは気のせいだろうか。
 ゾクリと背筋奔った感覚を振り払うように駆けていたリアムは、唐突に足を止め考える。
「(……このまま闇雲に走っていては時間ばかり掛かってしまう。それに、救出対象は本来生贄被害者たち。とはいえ、)」
 恐怖に錯乱し無為に駆けまわる者たちがいては邪魔だ。
 さらに言えば、|彼ら《狂信者》が全て死んではこの事件の発端の生き証人がいなくなってしまう。すれば――どうするのが最善か。
「……彼らは確かに邪だ。けれどいつかきっと、|輝ける《己の罪を悔いる》精神を持つ可能性を僕は否定しない」

 ならば。

「——この場の|全て《・・》の人が、僕の救出対象」

 逆巻けとうたう指先が世界を摘まみ、そしてゆらりと揺らがせる。
 波打つように、蜃気楼のように、ゆらりゆれては起こす波紋が空気を伝い世界を伝播する。
「(世界は揺れる。震えて波打ち世界は——)」

 “——そう、世界とは常に揺れ動き変幻自在な“|水《・》”なれば!”

 √:|逆廻る結末《アンチサイクロン》——!

 誰かの身動ぎ一つが世界を揺らし、そしてその身動ぎは降りかかるべき|破滅の宿命《死》から命を遠ざける――!
 そうして偶然にも涙を流し独房の如き部屋の片隅でうずくまり息を殺していた幼い子を抱きしめ救うことに成功したリアムは未だ世界を止めずに揺らし続ける。遠ざかった宿命が背を送ってくれたイサやいずもを助けていることを見届けてはいないものの、肌で感じながら。
「さて、僕も戻りましょう……そして君も、こんな場所ではなく在るべき場所へ帰らなければ」
 泣き疲れ気絶するように眠る幼い子を抱き上げたリアムは踵を返す。怪異の牙から間一髪逃れつつも、追い縋る|本来受けるべき結末《・・・・・・・・・》に心を嬲られながら。

――**
●「あなたが私と出会ったから、」

 いずもの視界を奪うようにリンドー・スミスの放った目玉模様蠢く蛾の怪異をいくら切り払おうと、津波の如く襲い来るその群れが引くことは無い。
「……こんなの!」
 幾度も揮われた山丹正宗は切れ味鈍るどころか悍ましいほどに研ぎ澄まされ、寧ろ冴え渡る玉鋼の輝きは異様ささえ醸していた。
 短く息を吐く。
 ただ切っ先に意識を向け、怪異を解剖する者としての目線で“最も効率の良い”切断すべき部位を見極め斬り掃う!
「(わたくしが斬るべきはこの片翅……墜落したものは、踏み潰してしまえば対応が利く)」
 凄まじい早業の剣閃は花の如く。追い縋り喰らいつく蛾の翅に薄く頬裂かれようと、少し斬り落とされた毛先も何のその。
 ……——いずもとて、十二分に分かっていた。
 リンドー・スミスという男の厄介さも、見た目や振る舞い以上のその強さも。
 報告書が上がるたびに千変万化するその性質——……いっそ彼の身に潜む怪異が百面相を指せているのではとさえ思えるその変化の一片を垣間見たような衝撃に、蛾の怪異を幾匹も斬り落としながらやっと開けた視界でイサを庇うように油断なく構えた愛刀の切っ先を件の男へ向けながら、短く息を吐く。
「(イサちゃんは、この事件の目的もリアムくんが守りたいものも何もかも分かっている。そして、それと彼女自身の希望も意識しての立ち回り)」
『ゴホッ、ゴホ……あー……酷いなぁ、お嬢さん。僕は今日この日の為に多少めかしこんできたんだが』
「ケホッ……そうですか」
 自身を挟みながら先程まで掴みあっていた癖に平然と会話する|二人《リンドー・スミスとイサ》に、ついいずもはため息をつきそうになってしまう。
「……全く。最近の若い子って、見た目にそぐわずどうしてこうも腕白なんでしょう。もう、イサちゃんったら……今日はちゃんと――目的があるでしょう?」
 いずももまた日常の延長のように美しい唇の口角を上げて苦笑していた、が。

 カツ、と妙に響いたいずものヒールが奏でた爪先のタップ音。

 誰もがその動きを追おうとして——決して追いきれぬ、目の前で為される不意打ち。
 瞬きで迫ったいずもの圧に、頸無しのトモビキが慄き上半身を引こうとしたが、既に遅い。
「可哀そうに……ワタシがあなたに逢ったから、」

 √:|九段坂下り《コール・オブ・ゼム》——!

 美しい|軌跡残し《残像》、山丹正宗がアタッシュケース抱えたトモビキの片腕を斬り落とす!
『君——!』
「あら。だって、仕方がありません。無辜がすくわれ、いのちはもう逆巻く運命に守られあなたは一度阻まれた」
 “——なら、|件の仕事《クヴァリフの仔奪還》はわたくしの御役目でしょう?”
 艶めく黒髪を払い場違いなほど上品に笑むいずもの姿に血を吐き捨てたリンドー・スミスが苛立たし気に夏空の隻眼で睨み据え、溜息を一つ。
『たしかに、その通り。……いいなぁ、君のようなきちんと仕事のできる人材はうちも求めているのでね』
「お生憎。わたしく、こんな鞍替えは致しません」
 “それでも、欲しくなるよ”と笑わぬ目を弓形に細めるリンドー・スミスが手袋をはめ直した時、立ち上がったイサが笑った。
「本当に?私……いいえ、私たちは、あなたにとって“教育”の対象——ないしは、“粛清”すべきもの、では?」
 “選択権が自分にあると思っている、あなた”と突きつけるようなイサの言葉に、ピタリとリンドー・スミスの動きが止まる。
「……でも、教育だか粛清だか、僕たちには関係ない」
 体を震わせながら酷く小さく小さく丸まろうとする幼い子供を抱え暗がりより出でたリアムが、新緑色の眸でリンドー・スミスを捉えたまま告げた。
「いずれも、誰にも辿り着かせはしませんから」

●「けれど、わたくしたちはあなたに逢ってしまったから」
 いずもの佩く鞘に納刀されているはずの山丹正宗の放つ剣気が、決してリンドー・スミスの不意打ちを赦さない。
『クク……アッハッハ! いいね! なんと素晴らしい! ……——あー、これだから君たちは面白いんだ』
 

都留・臻

 リンドー・スミスと激しく火花散らしてぶつかり合う同胞が躍動し、それぞれの役目を果たしてはリンドー・スミスの苛烈な攻撃に弾き飛ばされ、それでもなお立ち上がらんとするのを横目に担いだ棍を手に、足元で昏倒する幾人もの狂信者を転がした都留・臻 (|枳殻《きこく》・h04405)は、深く息を吐く。
「(きっと、子供はもう大丈夫……きっと、)」
 暗がりで泣いていた|子供達《真の無辜の命》は救われた。たぶんきっと、全て。
 その安心感を胸に覚えながらも、輪唱する悲鳴と怒号の中で……例えば自身のような者に逢えば、幼い感性では壊れてしまうのではないだろうか――なんてどうしたって、この狂える者共に弄ばれた子供たちを想ってしまう。
「(……俺がすべきは、何だ。|俺たち《・・・》がやるべきこと)」
 狂乱の信者は恐らく平気だろう。
 それぞれの能力者は掃う力を持っている。唯一——そう、唯一の脅威はこの空間で最も強き者、リンドー・スミスを少しでも抑えること。
「困るんだよ、このまま粛清されちまうのは……そう、困 る ん だ よ」
 臻の横を擦り抜けようとした妙に装飾された、おそらく位の高いらしい狂信者の脇腹を蹴り飛ばし、逃走を妨害。痛みにのたうつ獲物へ喰らいつかんとした殺人鬼めいた怪異を、固く握りしめられた臻の拳が殴り飛ばす!
 回数制限のある√能力ではなく、あえて全力の拳で。
『████、████ォォオォォオオ!!!』
「何言ってんのか分かんねぇよ……うるせぇな」
 理性があるようで無い。その癖腕っぷしばかりが強いらしい怪異 殺人鬼が徐に叫ぶと、巨漢の体躯のその背に――腕を生やした。
「は?」
『おやおや、いいね……ふふ、君は粛清すべき彼らを生かすのかい? きっと生きていたってどうしようもないだろうに』
 ク、と喉を鳴らし笑うリンドー・スミスが口の端から垂れた血を拭いながらクスクス笑おうと臻は関係なかった。
「だからなんだよ。こいつらが全滅したら、此処で犠牲になった命はどうなる」
『……さぁ?』
「あんたなぁ……!」
『僕は生きている無辜の命は、粛清しない。だがそれ以外——つまりは、君の後ろに転がっているそれらは別、ということさ』
 “信条があるのでね”などと陽気な素振りをするリンドー・スミスが、ぽんと怪異の背を叩く。
『——百人分の殺意、君は受け止められるかな? 彼らは酷く独善的でね……司法の裁きなんて曖昧さでは、我慢が利かな|躰《タチ》なんだよ』
 目玉模様蠢かせる小さな蛾の怪異に乗ったリンドー・スミスがフッと笑うと、身を引いた。どうやら臻がその言葉を守れるかを見たい、とでも言うかのように。
「……やっぱり趣味が悪いんじゃねぇか」
『悪趣味っていうの、ちょっと丁寧に言うのやめてくれないかい?』
 リンドー・スミスの言葉を無視して臻は素早く巨漢の殺人鬼怪異と距離を詰め、勢い殺さぬまま鉄棍に遠心力を乗せ振り抜く!
『ア゛』
「!」
 パン、と軽い音を立てながらもゴキリと殺人鬼の腕砕いた鉄棍の振り抜きはダメージを与えている。しかし——!
『ィイイイイィイ!!!!』
「クッソ……! 離せ!」
 増やされた腕で握り締められた鉄棍をなんとか奪い返し、臻は冷静に思考する。
 同胞が、おそらく囚われていた子供たちを保護した方向を背にしたまま、臻は昏倒させた狂信者たちを殺されてたまるかと、果敢に巨漢の殺人鬼を肉薄するように立ち回りながら、決定的な隙を探っていた。
「(こいつ、右利きか。左振りはやや大振り……それと、目線がチラチラ――)」
 何か。何か、怪異が見ている。
 しきりに臻から視線を外し、何かが気になると身を揺らして。
『ウ。ア、ぁぉ、オオオオ、!』
「何——……っ、」
 それは、幼い子供だった。ボロボロの服とも布ともつかぬものを纏い、泣きながら通路から出てきた、足を引きずる幼い子。
 こんな血舞う苛烈な戦場を目にしては、きっと。
「みるな」
 絞り出したような臻の声は、きっと届いていない。でも、それでも……!
「っ、お前は——あぁ、もう! これでっ、仕舞だ!!」

 √:|2008-SolanalesDatura《ダチュラ》——!

『オ゛ッ』
 ぼたぼたと血を溢しのたう怪異を殴り飛ばして吹き飛ばし、臻は痛みさえないぶら下がったままの左腕を引き摺り走る。ただ、その子が顔を上げてしまうその前に――!
『ひゃ、』
「……落ち着け。落ち着いて、目瞑れ……大丈夫だ。耳に手、ぎゅって当てられるか?」
『う……ん、でき、る』
「そうか、いい子だ……怖かったな」
 ぎゅっと抱き込み、決して自身の顔さえ見せぬよう子供を抱きしめた臻は小さな背をそっと撫でていた。とん、とん、と一定の速度であやすように。
 ほんの一瞬、逆巻くような何か不思議な空気に守られたような気がするけれど——……きっとそれは、誰かの|力《√能力》。
 
●聲を、ひとつひろう

『……残念。百人分では足りなかったのか』
 幼い子供という無辜の命を手中で守る臻を決してリンドー・スミスは追わなかった。
 唯一、昏倒から回復してしまったらしい酷く|不運《幸運》な狂信者一人の命と引き換えに、リンドー・スミスの陰へと戻った怪異が一つ、今一時殺戮の腕を緩めてゆく。
 

狗狸塚・澄夜

 悲鳴。
 怒号。
 耳を劈くような音に狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)がそっと眉を顰めていた。

 いっそ阿鼻叫喚とでも言った方が正しい光景ではあるが、それも徐々に楽園の√能力者の手によって拮抗状態へと傾けられている。
 リンドー・スミスもまた、口の端から滴る血を拭い、口腔に溜まった血を吐き出しながら、未だ確と歩む爪先を自身を見据える澄夜へと向き直らせる。
「——良い物を食べているじゃないか、連邦怪異収容局」
『……はて。君は彼らのように、僕に飛び掛かってはこないのかい?』
「いいや? ……今日楽しんだのが|子羊肉《無垢の象徴》なら、余りに皮肉のスパイスが効き過ぎだと思ってな」
 美しくも笑わぬ目を弓形に細めた澄夜に、反射的にリンドー・スミスが身構えたのは歴戦の勘。
「遅い」
 しかし、澄夜は更にその上をゆく。

 √:崩域・弄梅雪月——!

「な、……! 領域か……っ!」
「ご名答」
 降る白梅花を纏っていたコートで払ったリンドー・スミスは、即座にその違和感に気がついた。瞬間、苦虫を噛み潰したような顔をしようと、澄夜の降らせる花の雨は止まらない。容赦無くリンドー・スミスのコートを腐し、穴を開けては澄夜の神域化した床へと舞い散り消えてゆくばかり。
「っ、これは随分と——」
「いけ、逃すな……!」
 踵を返そうとしたリンドー・スミスへ、澄夜は用事なく三体の式神で畳み掛ける!
 咆哮を上げた従霊猫「火車」がりんドー・スミスの影に繋がれていた大黒猫とぶつかり合い、意味不明に喚く巨漢殺人鬼の喉を従霊狐「月白」の爪牙が食い込み潰す!
 そして、真っ直ぐに——……逃げようとリンドー・スミスに従い踵を返していた隻腕でアタッシュケース抱えたトモビキの背を、従機妖「終夜」の爪が捕える!
 絶叫に次ぐ絶叫が周囲を圧しようと、澄夜たちは止まらない!
「……追いはしない。だが、」
「手数は多いようだが、僕も引く気は無いのでね……!」
 互いの獣をぶつけ合い火花散る最中、澄夜はリンドー・スミスのその手腕をしかと見た。
 ——手の内とは、窮した時に最も発揮されるものであると澄夜は知っているからだ。

 術式速度、使用頻度、そしてリンドー・スミス自身の動きの癖。
 どれもこれもが向かい合った実践でなければ見ようのない事柄ばかり。月白の爪牙から逃れ、向かってきた殺人鬼の刃を符で織り成したオーラ防御でいなし、追跡を幻術で躱しながら——……自身を睨み据える夏空色の瞳へ笑ってやった。

●「……忘れるな、覗かれる時は覗いている。それは私とて承知の上だ」

『まったく、とんでもないな君たちは』

 とうとう火をつけたタバコを咥えたリンドー・スミス自身が、アタッシュケースを掴み笑う。
 “おぉこわいこわい”と嘯くように笑いながら。
 

浄見・創夜命

 例えば。
 積み重ねた河原の石を崩すように、その足取りは確かに踏み躙る音をしていた——と、記載するべきだろう。
 例えば、
 その足取りには珍しく……などと記すべきかは分からぬが、確かな|想い《子供たちへの慈悲》があったことは確かであると、記載するべきだろう。

●記:6月██日 担当者:浄見・創夜命(せかいのはんぶん・h01637)
 以下、音声データを担当事務員がレポート化を行った記録である。

「——日は落ちた」
 創夜命の一言が空気を震撼させ、塗り替える。まるで、空が暮れるかのように。
 黒い瞳はたしかに連邦怪異収容局員——リンドー・スミスの指先が、手袋越しであるにもかかわらず引き攣ったのがよく分かる。
「問おう。連邦怪異捜査局員 リンドー・スミス……貴様は、夜の帳に触れたことはあるか」
「……は?」
 リンドー・スミスが身構えたのと同時、なんてことのないような顔で問いかけた創夜命の眸は、決して笑ってはいなかった。問い方の不遜さなど吹き飛ばすほど一見ファンタジーな問いかけにリンドー・スミスが瞬いたのも束の間、“迸れ嵐よ”と空気は歌う。
 どうと、震えて。
「赦す——夜は唯唯諾々とするのも飽いていたところよ。貴様の気骨、夜と相対するものか……見よう。怪異を意の儘とする貴様へ、夜が昏きを齎す」
 其は喝采せよ、とでもわらうような創夜命の言葉。
 細い指先の跳ね上げた夜の欠片は瞬く間に解け消え、代わりに顕現するは等しく全てを覆う――嵐!

 √:|嵐《テンペスタ》——!

「夜が|おそれ《畏れ》を教えよう……なに、貴様は随分と明るい道を歩きすぎているようだ。多少目が慣れずとも、——逃げるなよ」
『グ……ッ! 君は、随分とっ!?』
「——夜は言ったぞ、“畏れよ”と」
 即座に距離を詰めた創夜命が嵐にまかれ困惑する巨漢の殺人鬼を蹴り飛ばし、都のまま叩き下ろすような足取りでしつけのなっていない大黒猫を踏みつけ霧散させるや、一直線にトモビキの腹へ風穴を!
 今度こそリンドー・スミスについて回っていた唯一のトモビキが霧散すれど、アタッシュケースは半歩早くリンドー・スミスが抱え込み、その指先が怪異を召喚すべく創夜命へ――……向く、直前。
 リンドー・スミスの指先が、ミシリと曲げられた。
『……は、っ!? ぅ゛……っ、っっ!』
「こわいか」
 軋むその指先をなお軋ませ、一息に詰めた距離を崩さず目も逸らさず創夜命は問う。
 先程からずっと――ずっとずっと、この部屋の魔法陣中央で|絡み合った子供たちの亡霊《亡き子ら》が震えて泣いて、救われぬまま苦しんでいる。
 その象徴こそ、リンドー・スミスの手中に在りしクヴァリフの仔!
「貴様の重ねた夜には、此処で終えた子らの日々がある……——我々も、そして貴様も遅すぎたゆえの軌跡。ゆえの、染みついた血の記憶」
 掴まれた指先が軋もうと、創夜命は決して離さない。
 触れた瞬間から発動し続けている√:|喰天・計都掌《エクリプス・ライト》の力ある限り!
『っ、だから僕は彼らの手に余る仔を——!』
「……囀るな。それは|貴様ら《連邦怪異収容局》の欲。決して救いではないと知るがいい!」
 創夜命の放つ力に圧され能力の発動儘ならぬリンドー・スミスが藻掻こうと、創夜命の燃えるような熱宿した黒き意思が止まらない。迷わず解くは夜の片鱗——抱擁。
「畏れよ、夜を——」

 拮抗する。
 力が。
 重ねた経験が。
 イレギュラーな全てがぶつかり合い、互いの可能性を潰しあい時に生みながら。

 リンドー・スミスの身に突き立つ赫き棘がが深々と腹を貫いた。

汀羽・白露

 悲鳴と怒号。
 混乱極める中で、止まぬ数多の足音。
 そして消されては生み出されるバケモノどもの咆哮に、楽園の√能力者たちが解放する√能力者の奏でる音。
 それらに隠されながら、密やかに密やかに歌のように物語は紡がれる。

「(子供達……それと、クヴァリフの仔も)」
 戦況を冷静に見極め、皆と変わらぬタイミングで動きながら狂乱する|狂信者《証拠》を蹴飛ばしては取り押さえて隅へ転がし、被害を抑えるよう尽力していた汀羽・白露(きみだけの御伽噺・h05354)は、至極凪いだ目で呼吸を整える。
 圧し折られた指をネクタイで縛り応急処置し、風穴が飽いたらしい腹を抱えながら歩くリンドー・スミスが口腔に溜まった血を吐き捨てながら、いつのまにやら新たなるトモビキに体を支えられている姿を見た瞬間——白露の為すべきは決まった。

「やぁ、リンドー・スミス……随分なご様相で」
『おやぁ……生憎だが、今僕は虫の居所が悪いんだ。道を開けてくれないかな?』
「……嫌だ、と言ったら?」
『……ハッ、参ったねぇ』
 胸元にしまった花栞に触れながら白露が挑発的な笑みを浮かべれば、何かを察した顔をしたリンドー・スミスがにやりと笑う様子が窺え、思わず白露は内心で微笑んだ。
「(……——かかった)」
 粘着質な視線から恐らくポケットに何かある、という確信を得たリンドー・スミスの顔。それでいて察しきれていないと考えているらしく、探るような視線が理解できた。
 ——目は口程に物を言う、とはまさにこのこと。夏空色の隻眼を素早く蠢かせ白露の情報を収集し対応しようとしているリンドー・スミスは、実に優秀な連邦捜査局員なのだろう。
 だが、汀羽 白露という付喪神はただの慈悲や憐れみでこの現場へ訪れたわけではない。
 勿論人並みの感情は持ち合わせているので、此処で犠牲になった子供達には憐れみは抱くし、餞をやりたいからこそ、この事件自体が世間という明るみに晒されるべきだとも考える。
 ……だが、それまでだ。
 此処を救おうと決めた理由は唯一つ——星詠み |御埜森 華夜《幼馴染》からの願いだから。
 犠牲者を悼み、問題が大きくなるまで星の声を聞けなかった己を悔い、ぐっと枕を涙で濡らした白い桜のようなその人の為……。
「悪いが、俺はお前たちに対して気長に待ってやれるほど心が広くないんだ。始めよう……どうせそろそろ、後はないんだろう?」
『言ってくれるじゃあないか、実に不愉快だよ“付喪神”』
 本質を言い当てられた白露がピクリと眉をあげたのも束の間、リンドー・スミスが即座に白露との距離詰める!

 √:怪異制御術式解放——!
 √:|詞弾夢幻《ヴァーバル・ミラージュ》——!

 舞い踊る物語の片鱗が雨の如く落ちては弾け、触れた全てを物語の如く解いてゆく。
 白露の間合いへ踏み込み、液状変異脚を振るったリンドー・スミスもまた、例外ではない!
『っ、厄介だなぁ……!』
「お褒めいただけ光栄だが、興味はないよ“人間”」
 人ならざるが故に、並ならぬ反射速度をもって紙一重の皮一枚薄く裂かれた程度でおさめた白露が頬拭いながら告げた直後から先頭は苛烈さを増していく。
 鋭い蹴りを腕で受け流して弾きあげ、翅で加速した拳をのけ反り寸で躱わす。
 踊るように襲いくる刃腕の斬れ味は、リンドー・スミスが直前まで隠したもの。穴だらけのコートを液状怪異で覆い再編しながら白露の雨を降り払い、迷いなくリンドー・スミスが突貫——……するのを、白露は待っていた。

淡々と。
「その奢りが、お前の敗北の一手。俺が一体いつから、お前だけを狙っていると思ったんだ?」
『は、……——君、まさか……!!』
 “ご名答”などとくれてやるヒントも無く、リンドー・スミスの視界の端で頽れたトモビキの腕から、蠢く荊棘の簒奪した|アタッシュケース《クヴァリフの仔》を主人たる白露へと捧げごうと、甘い砂糖菓子めいた|白薔薇《見慣れた色》で包み待っていた。
「——ようこそ、俺の|庭《物語の中》へ」

 √:|夢棘の宮廷《レーヴ・ソリシエール》——!

●この一時さえも、“きみだけ御伽話”であるように
 

千桜・コノハ

 ——クヴァリフの仔は、“二度”奪還されている。

 しかしてリンドー・スミスは諦めなかった。
 死に物狂いでアタッシュケースを奪い返すや、幾度退けられようと己の身を苛む怪異を群れで顕現させた怪異に埋め込んだ命令は、唯一つ。
 “敵対せし√能力者を鏖殺せよ”
 じくじくと痛む体を抱え、即座に対応する√能力者たちを横目に踵を返す。自身を苛む痛みは外的な傷のみならず、内側へ齎された傷もまたギリギリのラインで保ち続けているのだ、これ以上|楽園《√EDEN》と刃を交えたところで得られる実りも無しと判断してのことだった。
『(……実に面倒だ。あぁ本当に)』
 恐らく、|楽園《√EDEN》の勢力はしつこく自身を追うだろうと知りながら、リンドー・スミスは苦虫を噛み潰す。腹いせ――というより、通りすがりに踏みつけた狂信者の肉体を|粛清し《壊し》ながら吐き出した溜息にさえ血を帯びていると錯覚するような感触に、いっそ笑ってしまいたくなるほど。
 だが、リンドー・スミス――……否、|連邦怪異収容局《FBPB》一職員として、リンドー・スミスもまたクヴァリフの仔を置いて退く気はない。……これは世界のための戦い。粛清こそ無辜を導き狂乱を平定する教育なのだから——!

***

 そうリンドー・スミスが己へ言い聞かせるように一歩、また一歩と脱出口へと迫る直前——ひらと、季節外れの桜が舞う。
「相変わらずの熱烈な歓迎とお迎えをありがと、“||お《・》・|じ《・》・|さ《・》・|ん《・》”」
『……礼儀がなっていないな。初対面でないのならば僕にももっと気を遣ってくれないと困るなぁ……坊や』
 そう会話した瞬間には、笑顔のまま千桜・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)とリンドー・スミスは激突していた。
 怪我を負った身だからなんだ。
 度合いが違えど相手も手負いと互いに殺意を持って。
「あっれー? |毎回《・・》|僕たち《√EDENの√能力者》に阻止されてるのに、おじさんって頑張り屋さんなんだなーって思った素直な感想を言っただけなのに?」
『ハハ、それは手厳しい言い方だ……だが、目上にはもっとオブラートに包んだような言い方をしなさいと、親に習ってないのかね』
 既に|楽園《√EDEN》の能力者によって純粋な被害者たる子供たちが救われたと同胞のレギオンによってコノハへ情報は共有されている。混乱の中、綻び落ちかけた子供達も見つけた各人が保護にあたっているのは承知の上。
「(つまり、子供たちは全員無事……けど、このおじさんにクヴァリフを持っていかれたら――!)」
 ガァン! とコノハの大太刀とスミスの拳がぶつかりあい、互いに距離を取ってのも一瞬。即座に蟲翅で間合いを詰めたスミスの刃腕が大上段から——!
「っ!」
『おっと……!』
 見上げるほどの高所から振り下ろされるリンドー・スミスの一撃をコノハギリギリで往なし床へ流せば、ドォン! と響き渡り地下室揺るがす一撃がコンクリート床に放射状の罅を刻む。
 “残念”なんて軽口とは反比例にスミスの一撃は、コノハの口角が引き攣る程度には重い。
 ただの一撃。されど重厚。手負いとは思えぬ精度でコノハの首を取らんとするスミスの隻眼は決して逸らされず、今か今かと隙を待っている。
「ほんっと……そんな程度で、僕は怯まないから——ねっ!」
『知っているさ。だから——取るよ、』
「っ、——!」
 コノハの目の前に身を挺した蝶が切り裂かれ、その半歩が首に薄っすら赤い線を刻んだだけでコノハの|命《頸》を繋ぐ。
 歯を食い縛ったコノハが飛び上がり様に体を捻って蹴りを入れ、無理やり距離を取り偶然にも着地したのは、言葉にし難い不快感を抱かせるほど真白いクロスの敷かれた丸テーブル――の、皿上。
 未だ逃げ惑う狂信者の視線も、救われた守られた子供達の視線も、いっそ同胞たる√能力者の視線さえほんの一瞬惹きつけて。

 ——不遜なれよと|それ《チカラ》は言う。
 ——高らかに示せと|それ《チカラ》は言う。
 上を向け。前を見ろ。恐れるな、畏るるべきは|貴様《敵だ》と詠え。

「今は新芽は青々伸び行く時なれば、……可能性の塊たる|君《子供》たちを|咲かせよう《救おう》。迷った|君《狂信者》たちにも、求めるなら正道選ぶ|機会《救い》をあげよう——」
 クヴァリフの仔が連邦怪異局に持ち込まれたところで、いっそ危険が無いよう封印などが叶うのならば問題はない。だが、研究・解剖・解析の果てに悪用される危険が——一つも、否定できない。
 そしてこの場で狂信者全員の命を奪ったところで、残された片鱗が……灰の一片でも嗅ぎつけた者がいれば、興味本位で再興してしまうかもしれない。ならば白日の下に晒し、狂えるその心へ“|悔い《杭》”を打ち込もう。

 彼らにとっての正義が汎神機関に住む人々、ひいては楽園の住民や他√の人々にとっての安心や安全に繋がらない確率がある限り――……コノハはここで手負いのリンドー・スミスを見逃すわけにはいかず、狂信者もまた殺しきる訳にも逃す訳にもいかず。
「衆生の遍くすべては僕が救う――いいや、僕に救われろ。僕の前でその生命を散らすなんて許さない……!」

 世界よ詠へ、廻りひらくがいい。
 √:|秘跡の桜《サクラメント》——!

 瞬く間にコノハの足元から展開された花吹雪が等しく全ての視界を覆い、瞬く間に世界を塗り替える!
「はじめよう――僕がおじさんの|したいこと《目論見》、今からぜーんぶ……|めちゃくちゃにするね《阻止するね》?」
 まるで世界へ主人公が降り立ったように色付く空気を止める術など、リンドー・スミスは持ち合わせない。
 にっこりと憎たらしいほど愛らしい笑み浮かべたコノハはもう止まらないのだから!
 羽搏きで刹那にリンドー・スミスの間合いへ踏み込んだコノハの眸に、桜色の焱。
 空蹴り遠心力を使って再度抜いた大太刀の叩きつけるような一撃は、まるで先程リンドー・スミスの放った一撃にも似ていた。
 まるで鏡写し。
 腕軋むほど重い一撃を受けただけ——のはずが、鋭利な刃腕は奇しくも斬り落とされ床を打ったはずのコノハの刃は音も無く沈み込む。
 ——斬れたのだ。コンクリートを、豆腐の如く。
『……チッ! 実に小賢しいな君たちは——!』
「まさか。力がある――って言って欲しいっ、な!」
 ギィン! と甲高い音を立て擦れ合った刃だが、再編されたリンドー・スミスの刃は脆くも欠けていた。
 舌打ちしたリンドー・スミスが、不意に通りがかった狂信者の頭蓋を腹いせか潰そうとしたその時、素早くコノハは迦楼羅面を擲ち稼ぐは一瞬。

 √:|神使の鳥《ショウライ》——!

「出番だよ!」
『——!』
 微かな羽音で変幻した面はまるで小型の烏天狗の如きコノハの眷属へと変じ、リンドー・スミスの指先を打ち弾く!
『ほんっとうに……!』
「言ったでしょ……僕がおじさんの|したいこと《目論見》ぜぇんぶ滅茶苦茶にするって……!」
 睨みあいなど一瞬だ。
 ごうと揺らめくその桜色の焔は花弁の軌跡を残して残酷なほど美しく、それでいて過ぎ去ったはずの|春《過去》を心へ呼び覚ます。
 それは幻覚か。
 それとも走馬灯か。
 見た者にしか分からぬ甘やかな馨りは、もはや死だったのかもしれぬ。

「残念——今回も、僕たちの勝ち!」
『っはは……いいだろう、また。あぁまた次こそ取るさ!』

 √:|祓魔の桜《キヨメノホムラ》——!

 深々とリンドー・スミスの胸を袈裟に斬ったコノハの一撃が凛然と燃え上がる。
 悪しきを焼き祓いてごうごうと。悲鳴上げる殺人鬼も身を捩り悶える大黒猫も、焼け落ち動かぬ蛾の群れも。

●華に紛れて詠えや躍れ

「……ふぅ」
 よろめいたリンドー・スミスを脱出口へ蹴り飛ばし、分厚い扉を閉め納刀したコノハの手には、傷一つなく輝くアタッシュケースが鈍く煌めいた。

 皆々等しく、桜の下に埋まるがいいさ。
 

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