辻に咲く
●さきほこれ
『立てば芍薬、座れば牡丹。歩く姿は百合の花』
春から初夏にかけて咲き誇る、美しい花々を女性に例える。
『んじゃ、『こういう姿』は何て表現すれば良いんだろうなァ?』
ゆったり揺れるように。ふらふら、あちら、こちら。
足の踏み場を求めるようにひたりひたりと、素足の音。踏みしめているのは血の海、臓物、ああ、赤い。
『俺的には同じく! 立てば芍薬、座れば牡丹!』
白い着物が、花嫁衣装が、赤に染まっている。まるで金魚のように、裾から――。
『歩く姿は百合の花――!』
陽気な声はいつだって古めかしいラジオ越し。流行りの音楽もこれを通ればノスタルジーの仲間入り。
そして『これら』を聞けばいたずらに、あの花嫁の仲間入り。
『速報です。H市、N区にて殺傷事件が発生。犯人は神社の境内とその付近を歩いていた人や妖怪を無差別に斬りつけた後、逃亡中です。犯人の特徴は花嫁衣装、白無垢を着た二十代の女性。当日、近隣の神社にて結婚式を挙げる予定であったと――』
放送に割り込み、淡々と読み上げられるは悲劇の速報。
『犯行動機は不明。ですが、当日挙式を挙げる予定であった男性と言い争っている姿を目撃したと|私たち《・・・》は語っており』
……ラジオから、ノイズ混じりの声が響く。
『警戒の必要はありません』
『出てきやがれよ表にさァ』
●おとどけもの。
「やあ! 厄介事の『お届け』だよ!」
どう考えても厄介事を持ち込んでくる声ではない。
封書を手にしてぱたぱたと振るはオーガスト・ヘリオドール(環状蒸気機構技師・h07230)。なぜだか煤だらけなのは気にしてはいけない。
星詠みが何時どんな時、どの瞬間にゾディアック・サインを詠むかなど、誰にもわからない、察せはしないのだから。
ようは彼、弄っていた機械を爆発させたあとである。機械よりも当然星詠みが優先だ。
「ざっくりまとめただけだから、そこはゴメンね。√妖怪百鬼夜行で辻斬り事件だ」
開いた封書の中に収まっていたのは一枚の書類とカセットテープ。広げられた書類には地図と、それに細かく書き込まれた雑な字。
「こっちはH市N区で録音された奇妙なラジオ放送。通常の放送に割って入り込んできたらしい。で、その位置がすっごい局所的! ほら……この通りだ」
オーガストが指し示す先、真っ直ぐ通る道が一本……この周辺でのみ、ラジオの異常が起こったと。幸いというべきか、この放送を聞いた妖怪や人間たちへの影響は少なかったらしい。ただ、少し……。
「恋愛的な情緒が変になった、とは聞いたな。恋人に連絡とりたくなったとか、夫婦でいちゃついたとか。チッ……」
舌打ちをするその姿。とんでもなく真顔。だがすぐにふうと深呼吸。
「不審な放送自体は『余波』だろうけど、この影響力だ。これを直接聞いた人間や妖怪がいたとしたら、この内容通りに動いてしまってもおかしくない――というか、俺はそう睨んでる」
真剣な面持ちで前を見るオーガスト。広げられている地図を手のひらでぽんと叩いて、それから胸を張る。
「君たちならいけるだろ。とりあえず現場近辺の調査よろ! いい結果を持って帰ってくるの、待ってるよ!」
第1章 冒険 『辻斬り事件を追え』

暖かな風が吹いている。白無垢からはらり乱れた髪が、風に流される。
ああ、きれい。
花咲く春の道、私はいつだってここが好きだった。四季折々、様々な花が入れ代わり立ち代わり咲いては散るこの道が。
この道を、あのひとと歩いた。あのひとと歩けた。そうして、これから先も歩くはずだった――。
どこで間違えたのだろう。きっかけはあったはずだ。
思い出せない。頭が痛い。どうやったら、思い出せるだろうか?
また|斬って《・・・》みたら、少しはましになるだろうか。
女は歩く。辻を歩く。人斬りが、歩いている――。
恋とは何だろう。気になる人がいるということだろうか。曖昧な定義しか知らぬ四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)にはどうにも難題。
いつだって碌なことしか、変なことしかしない。だが会わないと何故だかその顔がちらちらして仕方がない。今だってそうだ。銀色が見ている気がしてならない。
き、気のせいです。気のせいに決まっている。自分もまた、あのラジオに脳を揺さぶられただけなのだと……そう頭を振って、榴は|半身《レギオン》を召喚する。
これだけの目があれば見つける事は可能だろう。いいや容易い、容易いのだ。
あっさり見つけられた白無垢の女。本当に、広域を探すまでもない。
近寄れば彼女、予想外に落ち着いている。こちらを見て微笑む様――角隠しで影が落ちた顔、口元しか見えない。
どう切り出したものか。いつ切り掛かってくるか。距離を保ったままでいると、彼女のほうから口を開く。
「私をお探しでしたか」
それは、甘ったるい声だった。
「……その……好きな方を……思い出しませんか……?」
提案。目の前の彼女は、こてんと首を傾げた。返り血で汚れた頬がやわらかく立ち上がり笑みを作る。
だから、凶行……止めませんか。
そう伝えようとした。だが、その言葉を女は最後まで聞くことはなかった。刀を低く構え、榴の腹に刃を突き立てようと動いたのだ。
白い影が、角隠しでよく見えぬ顔が重なる。体格はあまりにも異なるが。何人も切ったなまくらに近い刃が肌に食い込んで、あっさりと皮膚を貫き抉り、そして払う。脇腹へと抜けた刃と確かに付いた傷。
――それを『水銀』が縫合するように繋ぎ、インビジブルたちが傷ついた内臓に集って治癒を試みる。抵抗はしなかった。そうしたいのならば、そうすればいいと思っていたから。
「……思い出してください。彼の事を。原因を」
自分が思い出しているのは別の「彼」だが。白無垢の女は首を傾げる。真新しい血液が付着した、はずなのに、銀色が混ざるそれに不思議そうな顔をしている。
「原因は。私が、百合の花だったからです」
それは、愛らしい……花のような笑顔。
――あなた、好き好んで斬られるのは、わたくし位にしたほうがいい。
高笑いが聞こえた気がした。
|確《しか》と、引き受けました。強く頷いた峰・千早(ヒーロー「ウラノアール」/獣妖「巨猴」・h00951)。
示された道は成る程、よく管理されているようで、家々の生け垣や花壇、プランター等に様々な花が植わっている。
まだ熱烈な恋をした事がない。しかし、この沸き起こる感情は何だろうか。誰かのことを思う心地というものは理解できるが、これが恋煩いをしている人々の心持ちなのだろうか?
さて、待っていれば相応。彼女はふらふらとした足取りで道へと現れた。同じところを周回しているのだろうか、地面についた血液からも察せることだ。
近づいてくる彼女へと、千早が声をかける。
「こんにちは、お嬢さん。誰かに会いたい気分というのは、悪くないですね」
自分も強く影響を受けた一人である、と、そう示すかのような微笑みと態度を取る。彼女もまた「ええ」と頷いて、そして咲く花々へと視線を向けた。
「会いたい。会いたいのですが、斬ってしまいました」
困った様子で自分の頬に手を添える。角隠し、目元の見えぬ表情……それでも憂いを帯びていることは確かか。やや引きずったような口紅に返り血の赤。
「しかし、己を見失うほどに情に溺れるのは恐ろしい事ですよ」
ええ、と小さく呟き、微笑む女。蠱惑的な笑顔だ、だが、惑わされてはならない。古妖の影響下にある人物だ。どのような対応を取ってきてもおかしくはないのだから。
「細い腕に日本刀は少々重たくはないですか? 貴女には花の方が似合います」
そう、それは、百合の花のような。手を差し出す千早。だが、それを。
「ああ、うれしい。私を、花と例えてくれるのですね」
深まった笑み、そして――振り上げられる刀! すうと笑みを消し、まったくの素人であろうその太刀筋を見切り、手に触れるようにしてその刀の鍔を掴み取る。同時に発動するは玉匣。√能力を消し去るそれだが……。
「ああ、お手が、触れてしまいました」
笑む彼女の様子は変わらない。√能力では、ない? いや。彼女が受けた能力は既に引いたのか。
と、なればこの女性――既に、侵食されきった後か!
『――おおっと察してもらっちゃ困るぜ旦那!』
響く爆音、どこからか。あちらこちらから。それは民家のラジオから――!
『かわいこちゃん戻っといで、旦那がアンタを探してるぜ……』
ふう、と、吹きすさぶ風に乗る煙。眼の前で忽然と消えた女性。なるほど一筋縄では、いかないようだ。
「(あんまり手荒に制圧して怪我さすのもアレやし。加減せなならんのメンドくさいなぁ)」
そのような形で確保をしても、良い結果は得られない。彼女のためにも、己のためにもならないのだ。切るべきものがこの先にいるのだから、抜刀は不要である。
「斬らさへんで、これ以上は」
それは花嫁への言葉であり、そして、彼女に「斬る」意思を与えたものへの言葉でもあった。
辻にて相対した花嫁、ふらり。擦り切れた足裏を少し引きずって、角隠しの奥から黒江・竜巳(〝根室法師〟・h04922)を見る。
立ちはだかる竜巳を見て、はて、と首を傾げる花嫁。そしてああ、と何かを察したが如く笑みをこぼす。
「あなたも、わたしに、お声をかけて頂けるのですね」
それはとても、嬉しそうに――笑むものだから。何かがおかしい、否、古妖の息のかかった相手だ。何をしてくるかなど相応。竜巳は納刀したままの五尺刀、棒術のように構えたまま、呼吸を整え――彼女が動くのを待つ。
ひたひた歩いて、そして案の定、振り上げてくる日本刀――!
右足から入り、刀の重さを使って袈裟に斬ろうとしている。完全なる素人だ。刃に対して体をす、と半歩にも満たない動きで避け、五尺刀で往なし、そのまま刀を取り落とすように刀身を引っ掛けた。
だというのにその手、どうにも握る力が、加減が良い。まるで手だけが、握る力だけが達人のそれ――刀を握ったまま、敵わぬ相手かと察したか彼女は下がっていく。
「……お姉ちゃん。人斬るの、慣れてへんやろ」
「何人斬れば、慣れているということに、なりますか?」
首を傾げてみせる彼女。笑むその表情には、恍惚とした色と、口紅の赤、そして……返り血が滲む。
「(これで正気づかへんとは……)」
相当、相当だ――長期戦になろうと、有利であるのはこちらだ。相手は『刀を落とさない』だけの素人なのだ。
だが構える竜巳に対し、彼女は予想以上に落ち着いて――勝手に、彼に語りかけはじめる。
「花の水切りを、ご存知ですか? 摘んできた花を、水の中に浸けて……斬るのです、茎を」
知っていようが知るまいが。首を振ることが最善だ。
彼女は片手の指をはさみのように立てて、自らの首に当て。ちょきん。
「わたしは――ひとを、そうしました。あと『何本』斬れば、わたしは人斬りになれますか?」
そう言って、笑うのだ。
『――おいおい! 兄ちゃん、やるねェ……人斬りの極意、あとちょ~っとで知るとこだったぜ!?』
喧しい笑い声が聞こえる。眉をひそめ、耳を軽く塞いだところで――眼前から。
「なっ……」
花嫁の姿が、忽然と消えた。……古妖の干渉だ。まったく、厄介にもほどがある……。
かくして、辻は閉じられた。
延々と続く十字路を彷徨い歩く彼女、けれどそのループにすら気付いていない。くるくる、ぐるぐる。ふらつきながらゆっくり歩く姿は、まるで幽霊のようだった。
彼女は、夜白・青(語り騙りの社神・h01020)の『御伽語り』で閉ざされた道を行く。
「愛も恋も……強いのはいいことだけど、歪められたら大変だねい」
微笑ましい余波、恋しさを覚えるだけならばよかったのだが。今回の彼女はどうやら、それだけではない。
道の異常性に彼女が気付くのは、かなり遅れてのことだった。見慣れた景色を楽しんで歩いていたはずだというのに、それがずうっと続くから。ようやく立ち止まった彼女に、青は姿を隠して、建物の影から話しかける。
「なんで知らない人や妖怪たちに斬りつけたのかねい」
ここが、まぼろしの世界であるとわかっているのだろう。女性はふふ、と、甘い笑い声をこぼし……青へと返答する。
「それで「わかる」と思ったの。わたしを好いて下さるのなら、逃げはしないって……」
歪んだ愛情。その末だ。そこまですれば当然逃げもする。男性がどうなったかは、彼女の口からは語られなかった。
「結婚相手の方とはどういった言い争いをしたのかねい。本当に言い争っていたのかねい?」
「ええ、話し合いです。一緒に、ラジオを聞いて、楽しんでいただけですよ……綺麗な私、百合のような私。それを手折って自分のものにするのだから、覚悟を決めていると、彼は……」
甘い声はすらすら語る。あまりに穏やかで、狂気に浸っているとは到底思えないような声色であった。
それは恋する乙女のような。花咲く笑顔で語る彼女は、狂ってなどいないふうに、装って――。
「花を、手折る……ねい」
青は扇子で口元を隠し、眉間に皺を寄せる。
「ラジオを聞いたから、そう思ってしまったんじゃないかい?」
思い出してみるがいい。自分の耳に残っている、それを。流れていた内容を覚えているか。
不思議そうに唇を開けて、閉じて。何かを考えるように繰り返し。自分の手指を眺める彼女。
その内容、もしや。
『Heyちょっと待ちな旦那! 長話はもう結構! コマーシャルのお時間だ!』
辻に響く男声。――古妖の声だ。周囲の気配を探るが、どうやら各家のラジオから……。
『残念ながらお約束! 桜の季節にゃクソ遅いが、攫って行かせてもらうぜ! ――ったく、斬れる相手を探すのは面倒だってのに!』
煙に巻くとはこのことか。風に乗り現れた煙が女性と青の間を遮り、晴れたときには既に居ない。
徹底的に、最後まで、彼女を利用するつもりなのか。古妖の声が消えた方向を、青は強く睨みつける。
ぱんぱかぱーん!
自身の口によるファンファーレ!
「パンドラが来ましたよ!」
道を歩く女性へとアピールするように手を上げてアピールするはパンドラ・パンデモニウム(希望という名の災厄、災厄という名の希望・h00179)。それを見た白無垢の女性、どうしてか嬉しそうに駆け寄ってくる。
「あわわ! ちょっと、待って、早いですね! 振り回さないでください! 危ないですよ、ほらそれしまっちゃいましょう?」
予想通りではあるが予想以上に速かった。突如切りかかってくる彼女。√能力者と比べれば不慣れと断言できる太刀筋は見切るのも容易い。|モルペウスの衣《世界の歪み》にて作り出した幻影を切り、空振る刃。
獲物を逃した。くるり視線を回す彼女を、パンドラは少々困ったように見つめる。
「あなたが|悲しみ《・・・》に沈んでいるのも、元はといえば、世界に災厄を振りまいた私のせいかも……」
パンドラ。その箱の中、底に残った希望。災厄としてその名を冠する彼女。彼女にとって――この世の悲劇、それは自分こそが切っ掛けだったのだ。世に蔓延る不幸と悲しみ、そのすべてが己のもとにあったのだと。
眉根を寄せるパンドラへと、女性もまた困った様子で動きを止めた。
「責任を取って、あなたを元に戻します」
――封印災厄解放。「|天に舞い散れ魂の欠片《ウイング・オブ・ストレイ・プシュケー》」。本来ならば深く説得するべきだろう、だがそれでは、埒が明かないような『魂』の崩れ方をしているから。
自由意志を奪ってしまえば。それでも、思考することだけは与えておけば、彼女の話はきちんと聞ける。
「悲しい? ……悲しいのでしょうか、わたしは」
刀を手にしたまま立ち尽くす花嫁。そのままふらり、崩れそうになったところをパンドラがその体で受け止めた。
ぽすりと彼女の胸へと頭を預けて。呆けたように目を細める花嫁。
「ええ、きっと、悲しいのです。ほら……林檎はいかが?」
きんいろ。きれい。食べてもいいのかしら。ひとかじり……。
「……おいしい」
小さく呟く彼女。さらわれぬようにと抱きしめ、刀を握るその手を優しく、優しく撫でてやる。まだ、刀を取り落とすことはないが――元凶は間違いなく、この刀――。
「なんだか早く帰って、お姉さまに甘えたくなっちゃいました」
これも「余波」でしょうか……。己のAnkerたる「お姉さま」へと思いを馳せ。とはいえ監視役のお姉さま、当然ここにはいないわけで……。さながら祈るように天を見上げる彼女。
……どうだろうか。『レディオデーモン』?
『はぁ~俺さまたちがご存知かって? 誰がどう影響されるかなんざ、知ったこっちゃねぇ~よッ!』
ひとつのラジオから、ぼやくような声……。
第2章 冒険 『彼、彼女は何故封印を解いてしまったのか』

「――フリークエンシー様の、|退廃的消費時代《マスプロ&デカダンス》――!!」
――唐突に。ラジオ番組のタイトルコールのごとき『音』が割り込んだ。
『どうも皆様愉快な新番組の始まりだ! Hey! √能力者! 俺さまの周波数にカブッてくるなんざ随分と出過ぎた真似をしやがるじゃねぇかよエェ?!』
家屋のあちらこちら、おそらく各家にあるラジオから。大声量で文句を垂れ流す男の声――。
『ったく、せっかく娑婆に出られたかと思えばこの有り様だぜ、世の中正義の味方どもは変わっちゃいねえ……』
グチグチ文句を垂れる古妖の男、こいつはひとまず置いておこう。
この辻に、足りないものは何か。百合の花だ。百合たる彼女、ここに居なければならない。そうさだめたのは古妖である。
彼女に必要だったのは何であるか。ひとや妖怪を斬った現実を認めさせることだ。
そしてその上で、あの刀を手放すように仕向けること――。
ひとまず彼女は確保できた。残るは、刀の処分。
彼女はなぜ、封印を解いた。なぜ、封印は解けた? この刀はどこから来たのだ。
百合の花は、何で手折られ、何で水切りをされたのか。
『会いたいのですが、斬ってしまいました』
『わたしは――ひとを、そうしました。あと『何本』斬れば、わたしは人斬りになれますか?』
『手折って自分のものにするのだから、覚悟を決めていると、彼は……』
彼女は自らの意思で斬ったのだ。懐刀ではなく真剣を、日本刀を手に。
最初に人を斬ったのは。
彼女ではなく、彼女の配偶者となるはずの男であった。
不慣れな彼女が、そう何人も斬れるわけがない……彼女は男の罪を背負うために男を斬り、そして、手折られた花として|そこ《辻》に供えられていたのだ。
『それでは次のニュースです』
声色が変わる、別人か。ノイズ混じりの男声――続く言葉は、別の声に上塗りされる。
『おいおい邪魔すんなよアンプリチュード、楽しい余興が潰されてんだぞ! 読み上げてる場合かッ!』
『読み上げている場合では?』
漫才じみたやりとりであるが、古妖のやりとり。その心根には違いなく、悪意という血液が流れている。
『H市、N区にて発生した殺傷事件の続報です。犯人の女は、辻から神社へと向かう模様』
『腹立つからよォ、来いよテメェら』
行かねばならない、あの神社に。
この刀をおさめなければ。近付くほどに強くなる、破滅的な誘惑――。
どれほど『情念』を、狂わされようとも。愛情愛憎、抱いても。
行かねばならない。
恋と愛は厄介である。恋愛ともなれば更に。そして、愛憎が加わればそれはもはや、手のつけようのない沙汰となる。そうなってしまえば、仕方がない。このような沙汰になっても、仕方がない――のか。
「(幻聴も聞こえましたし!)」
アッハッハ。四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)よ――それは気の所為である。聞き慣れた親しい誰かの声を思い出した、それだけのこと。それだけだというのに、思考が乱れる。それこそが『彼ら』の狙いなのだから。
神社とは本来、神聖な場所である。神を祀る場。そこであの古妖は、何を行おうとしているのか、あるいは行わせたのか。――嫌な予感とは、そこそこ『あたって』しまうものである。
榴は神社へと向かいながら――ざわざわと、どこからか聞こえるノイズを気にしないように、思考を。
神前式での結婚。……誰と?
その場に、すぐに手に取れるほど近い場所にあった刀。なぜ?
無垢や純潔を指す百合、それを手折る――『手折って自分のものにする』。
何を捧げようとしていた? 誓いか。
儀式を、結婚に見立てるのは。
人を|本《・》と数え、水切り。
理解した、理解してしまった。ノイズだらけだった思考とラジオから漏れ出るもの、声、騒ぎ立てるインビジブル。榴の冴えわたって|しまった《・・・・》第六感。軒下から音がする、ノイズが鮮明な声となる――!
『思い出しちゃった?』
榴の耳に響く、誰の声だかわからないそれ。叩き潰さなければならない。五月蠅いから、うるさいから、煩いから!!
真っ二つにかち割ったラジオは沈黙する、だがあちらこちら音は止まない、まだ。まだ……。
『おいおい、どうしたお嬢ちゃん? そんなに俺さまの声が気に食わな――』
ぐしゃり。潰されるラジオ。潰して、潰して、潰して歩く。この道を行くものが『これ』を聞かぬように。
咲くにはまだ早いはずの百合の花を踏み、榴はラジオを砕く。最短距離を駆けていく。
『派手じゃん? 英断だけどよぉ、些か礼儀ってのがなって……』
ばきり丁寧に黙らせる。だがそのラジオの向こう……放送席で古妖はきっと、嗤っている。
神社とはいかなる場所か。一言で多神教、だが神話の成り立ちからして己の知るそれとは異なる。パンドラ・パンデモニウム(希望という名の災厄、災厄という名の希望・h00179)、そう名乗る以上、彼女にとってはよく知らぬ世界ではあるが、尊い場所であるというのならそれを尊重するべきだ。
ゆえに、それを穢す声に彼女は眉をひそめている。
生存しているものの気配はない。誰も彼もが一刀両断され、血に塗れ地に臥せて倒れている。穢れてしまった尊き世界に、目を塞ぎたくなってしまう。
『おっと嬢ちゃんお届けサンキュー、わざわざ連れ戻してくれたワケ?』
「いいえ。守るために」
どこからか聞こえてくるラジオ越しの声に、強い語気で返すパンドラ。けして古妖のために、送り届けにきたわけではない。ここに連れて来なければならないと思ったから。お届けすべきは別のもの。
このパンドラの名において――災厄を。でも。
「……古妖さん、あなたがそんなに歪んで、ねじれて、頭悪い根性汚いダッサいゴミ屑みたいな悪党になったのも、きっと世界に災厄を振りまいた私のせいです」
だから、ごめんなさい。
『……はぁ~~!?』
頭を下げるパンドラへ何言ってんだコイツとばかりに声を上げた古妖。それに応じて、神社に満ちる邪気が増す。
求めるは真実と彼女の生存。けれどパンドラにとっては己の生存など、もとからどうでも良いのだ。生きていたくなんかない。罪人は裁かれるべき、そして大罪人たる己こそ、生きていてはならないのだ。
そんな本心を隠して――。
「気合ぃ!」
ぱちぃん!!
『――何してんの嬢ちゃん』
ラジオから聞こえる古妖の声。花嫁の視線。自分の頬を強く叩いたパンドラ、真っ赤な頬で宣言する。
「彼女に何をさせたのかっ! 何をどうすれば、あなたを封じることができるのか! わたしには、分かってるんですからね! ……ちょっとくらい!!」
『チッ……本気で煩ェなあッ、感謝しちまって損したぜ!』
何がなんでも護り通す。呪詛に満ちていく空間、輝く林檎、自分も、ひとかじり。
……いまだ花嫁の手に握られたままの日本刀が、震えはじめる。いや。彼女自身の手が、震えている。
今なら。
そっと花嫁の手を取る。ゆっくりと指を外してやれば――その柄はようやく、彼女の手から離れて。ざくり、その刃が地へと突き刺さった。
「これでひとつ。そうでしょう?」
――ラジオの向こう、古妖が黙る。
これ以上――誰にも邪魔させない。
「(彼女はもう人間ではない……?)」
あるいはそのような妖であったのかといえば、どうだろうか。ともあれ花嫁の安全が確保された今、峰・千早(ヒーロー「ウラノアール」/獣妖「巨猴」・h00951)は神社へと急ぎ向かっていた。最短ではなく、ある通りを進むように。星詠みから貰った地図を頼りに足を進める。
辿り着いたのは花屋だ。√の特性か、季節外れに早い花、もう散ったはずの花、それらの切り花が咲き乱れている季節感のない様相。――なるべく不審に思われないように注意しつつ、花屋へと千早が話しかける。
「白百合を中心にして、花束をお願いします。若い女性に差し上げたいのですが」
「あら、百合の花。ちょっと季節にゃ早いねえ、ちょうど水揚げしたばかりよ」
老婆のように見える妖が百合を手に取り、そして丁寧にラッピングを施していく。うつくしく仕上げられていく花束を見ながら、千早は老婆に声をかける。
「白無垢を見かけたのですが、そこの神社で祝言を挙げる方がいるんですかね?」
「祝言? ラジオのやつかね? あの神社はそういう事をする場所じゃないからねえ。また何かしら、古妖が悪さをしているんだろうよ……あたしらには関わりのない……関われない事さ」
手慣れた様子でリボンを結ぶ皺の多い手。やや目を細め、眉をひそめる彼女へと千早は声をかける。
「――昔、不幸な事件でも?」
そう言われた老婆、ため息とともにこくりと頷く。
彼女曰く――あの神社は、『縁切り』の神社である。そこで挙式をあげるなど、このあたりでは考えられないのだと。
その昔、古妖か、神を騙るものか――それらに唆され荒ぶる『巫女』の首を落とし、鎮めたという話があるようだ。……この婆さま、当時から生きているようなので、間違いのない情報だろう。
「利用しようとしてるんだろうねぇ。その話を。どれ……婆さんの話は役に立ったかね?」
縁切り。水切り。首を落とす。ゆっくり繋がる糸と意図。
幸いにもここはあの辻からはやや遠い――だが、電源の抜かれたラジオがノイズを立てた。びく、と指が跳ねる老婆と構える千早。
『こぉら婆さん……嬢ちゃんって呼んだほうがイイか? 三度目は無ぇ。覚えておきな――』
神社から、辻から離れているからか、遠く微かに聞こえる声。肩を竦める老婆が、千早へと仕立てた花束を手渡す。
「代金はいらないよ。あたしらのために戦うんだろう、あんたは」
……正体を、察されているようだ。年の功と言うべきか。困ったように微笑んで、深く礼をして花屋から立ち去る千早。
さて――元面変化。|面《おもて》を作るは小柄な乙女だ。花束を抱えて走る少女。
余裕はある。あの古妖、こちらをまだ侮っている。――まだ、間に合う!
神社に辿り着いた黒江・竜巳(〝根室法師〟・h04922)、眼前に広がる惨状、落ちた日本刀に、ちょうど良く花束。
推理は既に『成って』いる。
水切りの役目は誰が担う。適任がいるだろう。斬るにふさわしい|得物《武器》を持ちながらも、それを決して抜かない男が。
「好き放題やってくれとるわ」
本当に、好き放題。|古妖の専制《デモンクラティア》、人が狂うさまを見て何を感じていたのだろう。竜巳には分からない、理解したくもないが、この光景が|彼ら《・・》の『たのしさ』を物語っている。
『おいおいヒデェしかめっ面してんな、享楽主義はお嫌いかァ? ガキは大好きだろオアソビの時間がよ』
『懐古主義に浸るなら、お子様はこのあたりでお帰りになられた方が』
『だぁ~まれッお前ッガキ叩き起こして深夜ラジオの無法地帯聞かせンのが仕事だろうが!』
変わらず古妖、愉快な奴らである。本来まったく愉快とはいえないが。夕暮れの赤に血の赤が馴染む、生臭い風が竜巳の肌を痺れさせる。
「ようさん殺したな」
睨む神社の本殿。その先は暗く、中は見えない。この気配。古妖は違いなく、あの奥に居座っている。
『殺してねェよ! 花嫁さんとそこの旦那だっての!』
視線を向ければ、確かにひとり。紋付袴を着た男が、仰向けに倒れ……息絶えていた。その手腕は血に染まり、黒地の羽織が濡れていることすら分かるほど。
……直接手を下さず、ひとに殺めさせ、道を踏み外すように仕向けた。邪悪なるものだ、必ず殺すが、今すぐにではない――手順が、必要だ。
ならばどうする。答えは決まっている。花束を手に掴み――突き刺さったままの日本刀、その刃へと、百合の花を振るう!
……落とされた百合の首。とさりと落ちていく白い花と同時、背後で女性の声がした。おそらくは、花嫁だろう。
さて儀式は成った。
ふぅ、と息をかけるように、背から風が吹く。散って朽ちていく百合の首、まるでつむじ風のように本殿へ吸い込まれ――溢れ出したは、煙であった。
竜巳は静かに構える。いつ、『それ』が現れても良いように。――悪辣を斬るために。
『ハジメマシテで宜しいか? それともようやく会えたな、のほうがイイんだか――』
煙の向こうから声がする。けらけら不愉快な笑い声が。
『それでは、参りましょう。フリークエンシー?』
『お前の出番がなけりゃイイなァ、アンプリチュード』
第3章 ボス戦 『レディオデーモン・フリークエンシー』

さてはて儀式は成った。成ったが、本来『彼ら』が目的としていた形ではなくなってしまった。
相手取るは人間や妖怪ではなく√能力者。
あのラジオ放送で呼び出したのは自分たちだというのに、古妖は――『レディオデーモン・フリークエンシー』は苛立った様子で煙草をふかし、ふうと紫煙を吹く。
『あーあー。数は良かった、良かったんだわ。あと数人、|数本《・・》だぜ? それを『そんなモン』で代替するなんぞ……』
伸ばす指先、否煙草の先。花を、『首』のなくなった百合の茎を指す彼。
『男の方はイイ感じだった! 恋は盲目、楽しいじゃん――だがなァ俺らが頂きてぇのはそっちの首じゃねェ~ンだよッ!!』
半ば叩きつけるように煙草を落とし、新しい煙草へとマッチで火をつける。あがる紫煙、インビジブル。サングラスの先に√能力者たちを睨み――レディオデーモンの片割れはケッ、と悪態をついた。
百合の花、首を落とす。そのための刀、水切り。
婚姻など嘘っぱち。唆された男は既に、永遠に黙っている。
言い争っていたのはなぜか?
ああ、自分が生贄となると、愛している相手が己を殺そうとしていると、知ったからだとも!
気絶した花嫁がそれを覚えているかは、定かではないが……。
さて、この結果……どうだろうか。『レディオデーモン』?
『不愉快!!』
『だそうです』
……ラジオから、声。
最悪だ。やっぱり、最悪だったじゃないか。どうしようもない、起きてしまった悲劇がそこにあり、そして過去は覆らない。覆水盆に返らず。鉢に満たされていた水と|百合《首》、そのすべてがひっくり返ってしまった。
四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)は小さく唇を噛む。当たってほしくなかった、けれどその第六感は、ほぼ全て、正しく――|いや《・・》に正しく、|嫌《・》な予感を的中させた。
『厄介、厄介だよ嬢ちゃんはよ。何だァ? 一番影響受けてるだろ? なんでそんな|正気《・・》で居られる?』
紫煙が満ちる――。煙の奥で変化する肉体、悍ましく、人のかたち『だけ』を保ち。
うつくしきかな生命、そう、生きているだけで美しいだなんて、誰が初めに言ったのだ。美醜綯い交ぜ。龍の鱗に百合の花、季節を外れて紫陽花、青。鬼か神かと言われれば確実に前者であるわけだが。
「正気? 正気に、見えますか」
……恋愛なんて報われないもの。誰が、溢れた水を戻せるのか。榴の心中はもやもやと、白く薄い霧が掛かったようで。
それでも動かなければ。恋も愛も劣情も、ついでに斬った紫陽花、百合も。ひとまず盆に満たさねば、ひっくり返すこともできはしない!
八つ当たり、上等。構えた|ファイヤースターター《とは名ばかりの鉄棒》、紫煙を突っ切りけだものへと迫る。
『随分と向こう見ずじゃねェかよお嬢ちゃんよォ!!』
叫ぶ口から漏れる紫煙の如きブレス、吐き出される熱を持つそれ。ひとを狂わせるそれ。
「破滅的な誘惑――」
そうですか。それで、|壊れさせてくれる《・・・・・・・・》のでしょう?
「大歓迎です……!」
榴はその為に|此れ《・・》を用意した。目を狙い放たれるタロットカード、恋人。瞼を閉じれば弾かれる、だが潜んでいた深海魚の如き影がその足元に、後退できぬように喰らいついた。意識がそちらへ行けば、ファイアスターターが炎を纏い顎を強かに打ち付ける!
――いいじゃないですか。堕落、したって。このような争いだって、それのひとつの形です。脚が震える、手が震える、けれどそれは恐怖などではない。歓迎すると言ってのけた。ではそれは、何か――言うまでもない。
破滅を望むものに与えるのなら、それは歓喜にしかならない。
振るわれる腕をファイアスターターで受け止め、影が払うように流す。そうして再度打ち込まれる痛撃。喰らいついてくる影を鬱陶しそうに払ったフリークエンシー。本殿を破壊しながら後退り、榴を睨む。
『チッ……最初から、ぶっ壊れてやがんのかよ!』
喚く古妖、変身を解きなんとか距離を取り、インビジブルを引き寄せ、回復を試みる。消費は相応――。間合いを保ったまま、榴もまた古妖の様子を見る。
その身に馴染むインビジブル達、水母と銀が腹の中、揺れる。
気絶した|彼女《花嫁》の側へ置かれる百合の花束。いくつか頭の切り落とされたそれ、だがまだ花束としての体裁は保っていた。
終わった愛への区切りを、彼女がこれからを生きるための手向けの花束を。
紫煙を吐き出す古妖を前にして、峰・千早(ヒーロー「ウラノアール」/獣妖「巨猴」・h00951)は強く古妖を睨む。
「――変身!」
巨猴の英雄ここにあり。毛皮を纏い、巨体の英雄へと変身した千早。否。
「ウラノアール、見参!」
相手が変身する前に、仕留める。その気概で飛び出していく『ウラノアール』。古妖、レディオデーモンは見た目こそ細身の男性だ。人型である以上、弱点というものは人間と同等かそれに近いもの。
そう見たウラノアールは彼の関節を狙い攻撃を繰り出す。打撃を往なすものの次に繰り出される蹴撃には対応できなかったか、ぐらりバランスを崩すフリークエンシー。
「軽口を叩く余裕もありませんか!」
『あるっつぅ~の! 黙ってる方がアタマ回るだろうが!』
どこか余裕を保ったままで嗤う古妖、眉をひそめるウラノアールが睨み合う。
そんな緊迫した様相の中。
「ぱんぱかぱーん!」
自身の声で二回目です!
「パンドラが来ましたよ!」
両腕を広げてアピール、アピール。聞き覚えがあるのか否か、レディオデーモンはあからさま、不愉快そうに唇を歪めた。パンドラ・パンデモニウム(希望という名の災厄、災厄という名の希望・h00179)の声を切っ掛けとして、ウラノアールが意識の逸れた古妖の襟を掴み、本殿の奥へとそのまま投げ飛ばした。
本人の声と同等の喧しい音を立てながら暗がりへと放り込まれる古妖、そして。
『だぁアッ邪魔くせぇ!! おとなしくッ! 潰れとけやクソがァッ!!』
もはやタイトルコールすら宣う事もしない。|退廃的消費時代《マスプロ&デカダンス》――奥から飛び出しウラノアールへと喰らいつこうと迫る。その開いた顎を両手で掴み阻止するも、唸り声とともに吐かれたブレスがその手を緩めようと誘う。
「――くっ、意思が、奪われる……!?」
『あァ、イイなあそのツラ。正義の味方って顔してやがる! どうだよ、その|英雄《ヒーロー》の自己犠牲とやらでこの地獄絵図、救えるのかよ! えぇ!?』
……破滅的な誘惑。耐久するには、些か無茶をすることとなる。精神的な干渉にはやや不利な面があった――だが。
「煙草は体に良くないそうですけど。カッコいいから吸ってるんですか? 俺イケてるだろって感じ?」
その誘惑や煽りをまともに受け取らない、たくましい女性がここにいるのである。
『……インビジブルだっつの』
「そっかーそういうお年頃は誰にでもありますよねー」
『話聞いてんのか!? お花畑か!? こちとら何年生きてると思ってンだお前!!』
生暖かい目で憐れむような視線を向けるパンドラに古妖が吐く言葉、なかなか|諧謔《コメディ》で良いではないか。その隙にウラノアールが迫る古妖の顎を押し切り、そして払い除けて距離を取る――!
ともあれ。
「花嫁さんのためにも、きついお仕置きが必要ですよね!」
とん、っとその場で一歩、階段を飛び上がるかのようにジャンプするパンドラ。空中に受け止められたつま先、ぶわりと風と――幻影と共に、宙へと舞い上がるパンドラ。
『お花畑が増えやがったッ』
ケッ、と悪態をついたフリークエンシー。ブレスで凪ぐように幻影をかき消すも、既にパンドラはその背後へと回り込んでいる。振り返ろうとした瞬間。
――青天の霹靂!
落雷、狙いは古妖の巨体ではない、その周囲の地面である。彼を囲うように落ちていく雷で舞い上がった砂粒がフリークエンシーへと降り注ぐ!
その一粒、一粒。それら全てが『干渉』となり、体内のインビジブルを瞬く間に消費させていく!
『づぁっ、てめっ……煙いんだよォ!!』
「煙たいのはそちらもです!」
ブレスを吐こうとしたその顎をウラノアールが蹴り上げる。忌々しげに彼へと腕を振るうフリークエンシーだが、唐突な消耗からかその動きは鈍く、簡単に避けられてしまう。
だがまだ、変身は解けはしない。|個《一人》相手であれば、√能力者を圧倒できるのが簒奪者だ。かつ、惨殺された者が溢れているこの場――蓄えた紫煙のインビジブルは、相当なもの。
ここで倒れてたまるかという気合も含んでいるだろうが!
『誰がよ――』
砂埃の中から声がする。めきりと生えた翼が砂を払いのける。
「わっ!? 何か増えましたけど!」
『増やしたんだよッ! 誰が、飛べねェって、思ってやがんだァ!?』
姿勢を低く、飛び上がる獣。龍爪のような腕がパンドラへ迫り、空中から彼女を本殿へ叩き落とす――!
「危ないッ!」
落下してくるパンドラを受け止め、衝撃を軽減するウラノアール。すぐに体勢を立て直し、パンドラはむすっと頬を膨らませながら、上空に居座り息を切らしているフリークエンシーを見上げる。
「いったた……ちょっと! どれだけ壊すつもりですかっ! 神聖な場所ですよ!」
ダメージ自体は己の|腹具合《おなかのへり》でカバー。予想外の攻撃ではあるが、痛手にはならない。届かないと思っていた攻撃が届くということは誤算ではあったが、まあそれも大した問題ではない……いや問題かもしれない。だって、お姉さまのご飯!! 悲しきかな消耗した事は事実である。
「お守りください……っ」
√能力での強化を切るパンドラ、そこへすかさずウラノアールの|地母神縁起《ディティ・コンプレクス》による癒やしが加わる。
「……デルポイ……アポロン神~……」
……彼女にとっての霊峰といえば、やはりパルナッソス山といったところか。何やら思いを馳せるパンドラ。おなかのへりは戻らずともメンタルはやや回復!
徒花を散らしはさせない。あと一押し――ぐらり頭が揺れている古妖、変身を解き、半ば自由落下するかのように地へと降りる。
さてどうだろう、レディオデーモン。撤退するつもりは?
『っとに、邪魔くせェ……!』
……どうやら、頭に血が登っているご様子だ。
「そちらが流したラジオが言っていたことが、まったくの嘘だったとはねい」
『嘘ォ? 嘘も真も語り手聞き手で変わるモンだろ?』
大胆にも脚を組み、すっかり壊れた本殿の瓦礫へと座り、けらけら笑い声を上げるレディオデーモン・フリークエンシー。
かたられた犯人。かたられた意図。くるくる回り、目論見という駒は場外へ。後は幕引き。勝者がどちらかを告げてやるべきだ。凄惨極まる神社の境内にて、夜白・青(語り騙りの社神・h01020)は古妖を見る。
相応、疲弊してきている様子だ。復活するにも不完全、ひとかけらとして顕現したのだ。であれば残りも削り取ってやればよろしい。
さあて、飛び入りゲストとの対談はどうかねい。
『ま、多少話が通じるようで何よりだ――もっとも? アンタよりもっと話の通じるヤツとお喋りしたほうが、俺的には楽しいけどなァ』
不敵に笑い――一匹、また一匹と増えていく妖を見て、成る程と古妖は目を閉じた。
|御伽語り・妖妖《フェアリーテイル》はいくらでも。
ここは√妖怪百鬼夜行。語れど語れど、尽きることなし――!
『……出番が無ければ良いと申していた覚えがありますが』
ぶわり紫煙、黒煙、現れるは赤肌、スーツ姿の鬼の古妖――名は。
『煩ェ手貸せ! さァてゲストのご紹介だ! 『レディオデーモン・アンプリチュード』!』
紹介は手短に。上機嫌なフリークエンシーに対し不機嫌なアンプリチュード、あるいは青も|そのような《不機嫌な》顔をしていたかもしれないが。
ともあれ三者、揃ってしまえばフリークエンシー主導の|乱痴気騒ぎ《デモクラシィ》――!
ふうっと青へと吹きかけられるインビジブルの煙。それを紫鏡が弾き、フリークエンシーの頬へ鏡の破片として反射する。だがこの古妖とて自らの|武器《インビジブル》を使い捨てる事、厭わない。
ここまで来ればヤケクソ気味だが精度は確かなもの。己を狙う妖を払い除けながら彼は|相棒《・・》へと声をかける。
『アンプリチュード! 分かってんだろうなァ!』
『喧しいことこの上ない――』
己が存在が僅かな間しか存在できない事を理解しているのか。アンプリチュードが前へ出る。生み出され続ける妖の群れを爪で切り裂き間合いを詰めるも、その一撃を嘴太鴉のような口を持つ犬の妖が弾いて消えていく。きりがない、きりがない……!
――だが|諧謔の懐古主義《ノスタルジィ》は不滅なり。フリークエンシーの欠けた肉片を懐古主義という概念が埋め支援する。当然その回復にも限界はある……アンプリチュードの姿が黒煙の中へ消えていく。
焼け石に水――迫る鬼の棍棒を受け止め、横へと流す中、ぎり、と古妖は歯噛みする。
『クソッタレ……』
青を睨む目、まったく、ご機嫌が悪そうだ。
「なーにが不愉快やねん、ええ加減にしとけよ」
『う~るせェなア、努力ってのを無駄にされまくった俺の気持ちにもなれっての!』
血液、砂埃、派手に壊された境内、紫煙を通して睨み合う。
黒江・竜巳(〝根室法師〟・h04922)の言葉に派手に溜息をつき、両肩をすくめてみせたフリークエンシー。使える手は殆ど使った、それらの大概を往なされた。拗ねたように瓦礫を蹴り上げるレディオデーモンへと、竜巳は問う。
「|お不動さん《不動明王尊》の仏像、見たことあるか? なんで仏さんが剣なんか持ってはると思う?」
『ケッ。知らねェわけがあるか!』
「ご存知なら何よりや――」
お|前《まん》|達《ら》みたいな魔障ども、シバき倒して|調伏《・・》するためや。
斬るべきものが目の前にいる。紫煙をくゆらすばかりで一見無防備にも見える『鬼』がいる。悪行を成すものを斬る剣は、既に『ここ』にある。
楽しげな|わざわい《・・・・》。言葉を聞いてもまだ嗤っているそれは油断からか、それとも多少の諦観からか。短くなった煙草を捨て、靴底で踏みにじり。深く、息を吐いた。
『あァ分かった、分かった、相手してやるよ――好きにやりゃアいい――』
……たった一分。されど一分。殺戮への欲求や衝動を封じようと、欲望と耽溺は果てしなく。思い馳せるだけなら自由。その間に動けぬわけもなし――いいや。お喋りな口を閉じるのだ。煙草を咥えることすらやめた。予備動作は寧ろわかりやすいまであるか。
ならば好きにさせれば良い。向こうが耽るなら、竜巳も斬る事だけを考えれば良い。|あれ《・・》の深くなる笑みなど気にしてどうするというのか。
今から切り捨てるものに対して、それは不要な思考である。
――静かな抜刀であった。肩に担いだ長大な刀、鍔を押す親指。刀身の|峰《背》を手に添え、左手は鞘を抜き去るように。
逆手から順手へ回る刀身、身体の回転と共に――狙うはその首。
参る。
「|すべての諸金剛に礼拝する。怒れる忿怒尊よ、両断せよ《ノウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ》――!」
曲抜きと居合、回転、すべてを乗せた一刀両断だ。目前のレディオデーモン、『まだ』傷付くことはない。この一刀の威力を|識る《・・》ことは『まだ』無いのだ。ゆえに。
『神頼みなんかしてる暇あったら――さっさと逃げるべきだったなァ――!』
フリークエンシーの楽しげな絶叫。それと共に、溜め込んだ力を開放した。その一瞬。
そう、瞬く間とはこのことだ。
殺戮激情は確かに放たれた。だが現れた欲望の分身、それが掻き消えた。何事だと思考する時間は辛うじて、あったものの。
『……おい。ウソだろ、ありえ』
紡ごうとした|言葉《放送》はぶつりと途切れた。
遅れた、竜巳による一閃。それがレディオデーモンの首を確かに、絶ち切ったのだ。
「落とすんなら花の首よりお|前《まん》の首や」
くだらないお喋りはお終いだ。つまらない番組は打ち切りだ。古妖もまた、落とされた首の、仲間入り。
――ようやく静かになった境内に、風が吹く。ぱちり、目を開けた花嫁。
横たわる彼女の目に飛び込んできたのは血の海などではない。
幾つか頭を落とされた白い花。どうしてか痺れる手を伸ばし、その花びらにそうっと触れた。
嗚呼もうすぐ、百合の季節が来る。