シナリオ

|夏浅し《なつあかし》、紫陽花揺れる、和傘市

#√妖怪百鬼夜行

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●紫陽花薫る
 立夏も過ぎて、日差しがやや暑く感じられる頃。√妖怪百鬼夜行で紫陽花横丁と呼ばれる横丁では様々な種類の紫陽花が咲き乱れていた。
 オーソドックスな手毬咲きのものや、額咲き、西洋で見られるようなものもあって、人々の目を楽しませてくれる。
 紫陽花見物の休憩には横丁にあるカフェがおススメ。一番人気は紫陽花をモチーフにした和風のアフタヌーンティーで、洋風と和風が選べるのだとか。
 洋風はセイボリーにタマゴサンドや冷製ポタージュ、枝豆のカナッペ。スイーツには紫陽花のフルーツポンチにベリーやメロンのマカロン。和風はセイボリーに手まり寿司や胡麻豆腐。スイーツには彩り豊かな一口カステラにわらび餅、紫陽花を模した煉切と錦玉羹。
 どちらのアフタヌーンティーにも、あなた好みのセイボリーやスイーツが添えられているはず。それに、どのアフタヌーンセットにもお代わり自由のスコーンとドリンクが付いていて、心ゆくまで初夏のひと時を味わえるはず。
 更には、紫陽花横丁では和傘市が開かれていて、紫陽花モチーフの和傘や正統派の和傘など様々な和傘がそろっていて、きっと気に入るものがあるに違いない。
 ――そんな、人も妖も集まるこの紫陽花横丁にも古妖の封印がひとつあった。そして、その封印を解いてしまった男もまた、紫陽花横丁をふらりふらりと歩いていたのだ。

●星詠みは語る
 いらっしゃい、と穏やかな笑みを浮かべて夜賀波・花嵐 (双厄の片割れ・h00566)能力者たちを迎え入れる。
「君たち、紫陽花は好き? √妖怪百鬼夜行にいい場所があるんだ」
 紫陽花だけではなく、紫陽花にちなんだアフタヌーンティも楽しめる。更にはそのあと、和傘市を覗いたりもできるのだと花嵐は笑う。
「ね、いいところでしょう? それでね、行くついでに古妖も何とかしてきてほしいんだ」
 うまい話には裏がある、というわけではないよ? と花嵐は言うけれど、半ばそうである。
「この紫陽花横丁にも古妖の封印があったんだけど、それを解いてしまった人間がいるんだ」
 その男は画業を営む人間で、作品作りに求める思いが情念と化し、古妖の誘いにのって封印を解いてしまったのだという。
「でもね、彼は封印を解いたあとで我に返ったみたいで、とても反省しているみたいだよ」
 人間って可愛いね、と優しい声で零すと花嵐が話を続ける。
「解き放たれた古妖は黄昏時に動き出すようだから、それまではゆっくり紫陽花を楽しんでくるといいよ」
 気を付けていってきてね、と花嵐は能力者たちを見送るのであった。

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第1章 日常 『四季折々の花祭り』


 青、紫、ピンクに赤、薄緑――華やかな彩を纏った紫陽花が広く緩やかな斜面に咲いている。その間を抜けるように小径があり、そこを歩いていけば紫陽花横丁に辿り着く。横丁の至る所に鉢植えや一輪挿しの紫陽花が飾られていたり、あちらこちらで紫陽花の|花手水《はなちょうず》が見られ、訪れた人々の目を楽しませてくれるだろう。
 横丁を進んでいくと和傘市が開かれていて、石畳にずらりと飾られた数多の和傘がまるで紫陽花のように出迎えてくれる。和傘は指物仕立ての傘立てに飾られていて、気に入ったものがあれば購入することも可能だ。
 オーソドックスな和傘から、紫陽花の花を模した和傘、きっとあなたが求める和傘も見つかるはず。
 和傘市を抜けると、紫陽花のアフタヌーンティを楽しめるカフェがあり、紫陽花のちりめん飾りを店先に下げていて、すぐに見つけられるだろう。
 和モダンな造りをしたカフェの中は広く、一人掛けの席から多人数用の席まで用意されている。好きな席に座り、メニューを開けば目に飛び込んでくるのは紫陽花をモチーフにしたアフタヌーンティーセット。和風と洋風があり、好きな方が選べる仕様だ。
 メニューを捲ればケーキやパフェ、ドリンクも各種あるのでアフタヌーンティーセットを食べる余裕がない人でもカフェを楽しめるはず。
 紫陽花煌めく横丁で、人も、人ではないものも、どうぞ心ゆくまで楽しんで。
ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ

●揺れるのは紫陽花だけではなく
「ご覧、ヨルマ。花だよ」
 そう言って、杖を支えにして歩くウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ(|回生《ophis》・h07035)は自分の肩に乗る眷属たる蛇の視線を紫陽花へと誘導する。主の望むがままにヨルマが紫陽花へと視線を向けると、ウォルムが柔口を開く。
「懸命に生きている様が美しいね」
 一面に咲き乱れる紫陽花は色とりどりで、確かに美しい。けれど穏やかな笑みを浮かべ、満足気に頷くウォルムが見た目の美しさについて語っているのではないことは、長くこの主と共にあるヨルマには言うまでもないこと。ただ大人しく、主が美しいと思う花の生命力を感じ取っていた。
「紫陽花……この花の事だが、花弁ではないらしい」
 花弁ではないならば、この咲き乱れる花はなんというのだろうか。ヨルマが首を傾げるように身をくねらせると、ウォルムがヨルマの喉元を撫でる。
「食べてみるかい?」
 戯れのように言われた言葉に、ヨルマがするりと身を伸ばして葉の上に落ちた花――|萼片《がくへん》を口にした。
「ふふ、口に合わなかったか」
 紫陽花は有毒種だが、ヨルマに影響を与えることはない。ただ、美味しいと思えるものではなかったので、素直に頷いた。
「食べられる花というのもあるらしいけどね……そういえば、かわいいあの子は花が好きだろうか」
 紫陽花の間を抜ける小径をゆっくりと歩きながら、ウォルムはどんな花が似合うだろうかと小さく笑った。
 小径を抜け、紫陽花横丁を進んでいくと和傘がずらりと並んでいるのが見えて、ウォルムは再び蛇に声を掛ける。
「ご覧、ヨルマ 和傘が売っている。蛇の目傘だけでも種類があるね」
 ウォルム自身は杖をついている故に、これ以上手がふさがるのは厳しいところだけれど――土産には好いだろうと唇の端を持ち上げる。
「ヨルマ、あの子には何が似合うだろう?」
 一番似合うものを贈りたいのだと、一つずつゆっくりと見て回る。散々迷ったけれど、ひとつに決めて包んでもらっていると、ヨルマがウォルムを呼んだ。
「なんだい? ああ、画家の子か」
 どこか気鬱さを感じさせる表情に、ウォルムが傘を受け取ると彼に向かって歩き出す。求めるならば、玩具を仕立ててあげてもいい、と思いながら。
「ヒトの心は天秤よりも揺れるものだ」
 そのゆらぎこそが、もっとも美しい画となるだろう。
 まるで予言のような、神託のような言葉を口にして、助けを求めるヒトが縋りたくなるような笑みを浮かべ、ウォルムは画家の言葉に耳を傾けた。

花喰・小鳥
一・唯一

●あなた色に満ちる
 一面に咲く紫陽花、その先に続く小径を抜ければ一・唯一(狂酔・h00345)にとっては懐かしい気配の満ちる横丁がある。その紫陽花横丁で和傘市が開かれていると聞いて、思い浮かんだのは花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)の顔。
 だから、唯一は真っ直ぐに小鳥のもとへ訪れて、こう誘ったのだ。
「小鳥に似合う傘、見繕ってもえぇ?」
「もちろんです」
 デートしよ、という唯一の誘いに、小鳥は笑って答え――ふたりは√妖怪百鬼夜行へとやってきたのである。
「一面の紫陽花……綺麗ですね」
 紫陽花の小径でふと立ち止まり、小鳥が見渡す限りの紫陽花に柔らかく目を細める。その横顔を唯一はまじまじと眺め、まるで光の束を集めたような金やなぁと目を瞬いた。
「私の顔に何かついていますか?」
「せやねぇ、宝石みたいな紅玉がふたぁつ」
「鼻と口もひとつずつありますよ」
 顔を見合わせ、ふふっと笑うと唯一が小鳥の手を取って引く。
「この先真っ直ぐいったら、紫陽花横丁があるんやって」
「楽しみです」
 互いの歩調を合わせ、靴音を楽しげに響かせて、二人は紫陽花横丁の入り口に辿り着いた。
「紫陽花の花手水や」
「綺麗ですね」
 確かに綺麗だけれど、隣にそれよりも綺麗だと思わせる存在がおるんよなぁと唯一が小さく笑った。
「小鳥、和傘市や」
「……思っていたより、見応えのある市です」
「ほんまにな、ボクもここまでとは思ってなかったんよ」
 道の両端を埋め尽くすように飾られた和傘と、その奥に見えるのはトンネルのようになった木枠に飾られた和傘。
「ところでな、小鳥に似合う傘なんやけど」
「はい」
「渡すまで秘密にしたいよって、ちょっと別行動してもええ?」
「秘密ですか?」
 うん、と頷いた唯一が、どんな傘を選んでくれるのか――気にならないといえば噓になるけれど、秘密というならば。
「いいですよ」
「おおきに、後でお茶でもしよな」
 繋いだ手を離すのはちょっぴり惜しかったけれど、そうっと手を離して唯一は傘を見繕うべくひとつひとつ真剣な眼差しで吟味しながら歩き出した。
 その背に一度だけ視線をやって、小鳥も唯一に似合う和傘を探そうと視線を横へと向ける。
「白紫陽花の咲く藍色の和傘……あるでしょうか」
 唯一の瞳と髪の色をイメージした和傘……と彼女のことを考えながら歩いていれば、小鳥の目を惹く和傘が一張り。自然と目が向いてしまった感覚は唯一を目で追いかける時にも似て、この傘がいいと小鳥は和傘を手に取ると店番をしていた雀の妖に声を掛けた。
 一方、唯一は番傘のトンネルまで歩いて来ていて、このまま小鳥に似合う傘が見つからなかったらどうしようかと目を閉じる。
「晴雨兼用で、日傘の役目もしてくれて……」
 傘から薄っすらと透ける光が彼女の白い肌を可憐に色付かせるような、そんな。
「あ」
 ぱちり、と目を開いた先に見つけたのは白に重なる薄い青と薄桃の和傘。まるで華やかな夕焼けを思わせる色合いは、小鳥にぴったりだと唯一が和傘を手に取った。
「絶対これやわ」
 間違いない、と購入して来た道を戻れば和傘を手にした小鳥が見えて、手を振って彼女を呼ぶ。
「小鳥、小鳥、これ差してみて?」
「はい。では、唯一はこれを」
 持っていた和傘を交換し、二人がせーので傘を開く。
「うん、綺麗。光の雨がよお似合うね」
 思った通りだ、透ける光が白い肌の彼女を可憐に色付かせて、なんとも美しい。
「ありがとうございます。唯一も、とてもお似合いです」
 知っているだろうか、白紫陽花の花言葉を。紫陽花は移り気という意味も持っているけれど、白紫陽花の花言葉は『一途な愛情』だ。
「唯一は不思議なひとです」
酸いも甘いも知っているはずなのに、どこかピュアな感じがすると小鳥は思う。
「ええ、そんなことあらへんよ」
 そう笑う唯一こそが綺麗だと、小鳥は目を瞬いた。
「さ、約束通りカフェに行こか」
「はい、アフタヌーンティーが楽しみです」
 紫陽花横丁を並んで歩き、カフェへと入るとお目当てのアフタヌーンティーを頼む。カフェの窓から見える紫陽花を楽しんでいれば、テーブルへと届けられたのは和風のセット。
「あ、味しそうな匂い。抹茶ロール、美味しそう」
 ひょい、と唯一が抹茶ロールを口へと放り込み、美味し、と目を細める。
「唯一」
「ん? ふふ」
 あーんと開いた小鳥の口に、雛みたいやねと笑って唯一が抹茶ロールを口元へと寄せてやる。
「美味しいです」
「美味しいねぇ」
 紫陽花色をしたアフタヌーンセットを最後まで楽しんで、お代わりしたお茶を飲みながら唯一が口を開く。
「折角やし、古妖とも戯れて行こ」
「はい」
 力強く舞う小鳥の美しさも堪能できる、と唯一が嬉しそうに微笑んだ。

千代見・真護

●癒しのひととき
 スケッチブックを片手に、画家の青年――西野倉之助はぼんやりと紫陽花横丁の花手水を眺めていた。
「ほわぁ、すごい図工のお兄さんなのかしら?」
 幼い少年の声に視線を向ければ、丸い目をぱちぱちと瞬いている子どもがいて、迷子だろうかと倉之助は思う。そうして、図工のお兄さんが自分であることに気が付いて、今度は倉之助が目を瞬いた。
「お兄さん、一緒にいていいですか?」
「私と? 迷子なのかい?」
「いえ、迷子ではないです」
 迷子ではないのならどうして? そう倉之助が首を傾げると、幼い少年――千代見・真護(ひなたの少年・h00477)はまるでお日様のような笑みを浮かべて言った。
「お兄さんが、古妖の封印を解いてしまったのでしょう?」
 どうしてそれを、と思う暇もなく倉之助の手を真護が握る。
「あのね、実はぼく、お誘いにとっても弱くって」
 きゅ、と握られた手は温かく、倉之助はどうしても振り払えずに動きを止めて真護の話を聞くことにした。
「美味しいものが食べれるってなったら、ふらあって迷子になっちゃう」
 ね、と見上げてくる瞳は優しい。
「だからね、反省は大事だけど、あんまり気にしないでね」
「反省……そうだね、私は酷く後悔しているんだ」
 子どもに何を喋ってしまっているのかと思う気持ちもあったけれど、倉之助はこの無垢な子どもに取り繕っても仕方ないと腹を決める。
「あのね、お腹が空いてると悪いことばっかり考えちゃうんだって。だから、紫陽花の見えるとこで、美味しいもの食べて元気だしましょう」
「腹……そういえば、何も食べていないな」
「それはだめだよ、美味しいもの食べよ」
 こっち、と倉之助を引っ張ると真護は彼が気にしないでいられるようにと、カフェに入っても幼いながらに心を尽くす。
「これ、このあふたーぁ……和風のが食べてみたい」
「全部食べられるかい?」
「ん-、どうかな、お兄さん半分こしてくれる?」
 もちろん、と頷いた倉之助に笑顔を見せ、真護はテーブルに届いた和風のアフタヌーンティーセットに目を煌めかせる。
「美味しそう……でも、あふたーぁ……は……ぼくのおうちだと、ごはんとおやつが別れてて、よくわからないの」
「食べる順番かい?」
「うん。美味しそう順で、おやつから食べてもいい? だめかな?」
 こてんと首を傾げた真護に、倉之助は優しく頷く。
「マナーは大事だと思うが、美味しく食べることの方が重要だと私は思うよ」
「そっか、そうかも。でも、よかったら順番も教えてくれるとうれしいな」
 それならと、倉之助は下の皿――セイボリーと呼ばれるものから食べるのがいいのだと真護に言う。
「美味しそうなおやつは最後、それはそれでありかも」
 ありがとう、と真護がお礼を言いながら食べるのを見て、倉之助は最初よりも随分軽くなった心と共にサンドイッチを摘まむのだった。

集真藍・命璃
月夜見・洸惺

●喜ぶ顔がみたいから
 紫陽花が見られる――そう星詠みから聞いた瞬間、集真藍・命璃(|生命《いのち》の|理《ことわり》・h04610)は此処に来るのを楽しみにしていたのだと、月夜見・洸惺(|北極星《Navigatoria》・h00065)に向かって笑った。
「紫陽花って聞いてたからねぇ。絶対に行ってみたかったの!」
 屈託のない笑みを浮かべる彼女を見て、洸惺も思わず笑みを浮かべて頷く。紫陽花横丁、ここに到着するまでにも紫陽花が咲いていて綺麗だったけれど、横丁にも紫陽花の鉢植えに一輪挿し、花手水と紫陽花尽くしだ。
「あちこちに紫陽花がたくさんあるね」
「うん! こんなに沢山見られるなんて、思ってもなかったからすごく嬉しい!」
 紫陽花は命璃の一番大好きな花、それに命璃の父も大好きだった花だ。
「お父さんにも見せてあげたいな」
 その言葉に洸惺が口には出さず、本当は命璃のお父さんも一緒に来れたら一番良かったのではないかと思う。けれど、今隣にいるのは自分だし、それなら命璃が楽しめるように精一杯お供しなくちゃと頷いた。
「それにね、それにね、和傘市も楽しみなの!」
 そこで父親へのプレゼントを買うのだと、命璃がはにかむ。
「それって、とっても素敵だね!」
「でしょう? 私用も探したいんだけどね、でも一番大切なのはお父さんへのプレゼント!」
 だから端から端までじっくり見たいのだと命璃が和傘がずらりと並ぶ和傘市へと足を向けると、洸惺も続くように彼女の隣に並んだ。
「ねね、洸惺くん。どの和傘が良いと思う?」
 広い道の両端にずらりと並んだ和傘、それに奥の方には木枠をトンネルのように組んだものに和傘が飾られているのが見える。どれがいいだろうかと迷いに迷い、命璃は洸惺へと問いかける。
「そうだね……あれもこれも、どれも素敵だよね」
「そうなの! 迷っちゃうよね」
 和傘と一口に言っても実は幾つか種類があり、番傘に蛇の目傘、日傘に舞傘と用途によって分かれている。そして、それによって重さや素材が少しずつ違うのだ。
「大切なお父さんへのプレゼントだから、しっかり探さないと……!」
「ふふ、洸惺くんってば私より真剣に探してる! 私も負けないんだからね」
 とはいえ、紫陽花モチーフの和傘という点だけは決まっていて、二人はあれでもないこれでもないと進んでいく。
「命璃お姉ちゃん、これはどうかな?」
 洸惺が選んだのは落ち着いた藍色の和傘で、紫陽花も描かれたもの。
「渋くていいかも!」
「それにね、これは濡れると紫陽花の色が変わるんだって! 不思議だね」
「色が変わるなんて、雨の日が楽しみになっちゃうね」
 和傘に雨が当たる音もきっと素敵だと命璃が笑っていると、ふと彼女の目を惹いた和傘がひとつ。
「見て、これ紫陽花を模した和傘だよ!」
「本当だ、これも素敵だね」
 幾つもの紫陽花が咲いているように見えるだけでなく、傘の形も紫陽花のよう。
「どうしよう、濡れたら紫陽花が浮かんでくる和傘も、紫陽花を模した和傘もぜんぶステキ!」
 なんて贅沢で素敵な悩みだろう、と命璃がうんうんと唸り、パッと顔を上げる。
「うーん、全部買っちゃおっか?」
「え、全部買うの!?」
 洸惺が驚いたように言うと、命璃が意外に悪い案じゃないと思うと頷く。
「父の日も近いからね、お父さんのお墓におっきな紫陽花の花束と一緒に持ってこうと思って! ……迷惑かなあ?」
 むむ、と額に眉根を寄せて命璃が問うように洸惺を見遣る。
「迷惑よりもびっくりさせちゃうんじゃないかな?」
「びっくりするかなあ」
「たぶん……?」
 僕ならきっと吃驚する、と頷いていると命璃はパッと顔を上げて笑みを浮かべる。
「でも、独り寂しいよりはずっと良いよね!」
「え……っと、それは、そうかも?」
「だよね! よーし、買ってくる!」
「本当に全部買いにいくんだ……」
 その後姿を見送って、それなら僕は……と洸惺が再び和傘に視線を落とす。
「どれがいいかな……命璃お姉ちゃんに似合う紫陽花の和傘」
 和傘を開くたびに命璃が元気になれるような、そんな。
「これ、いいかも」
 紫陽花の花を模した形で、更に雨に濡れると模様の紫陽花が色を変える和傘。
 お父さんにプレゼントすると言っていた和傘の両方をいいとこ取りしたような、素敵な傘だ。
「見て、洸惺くん! 紫陽花と傘の花畑だよ!」
 戻ってきた命璃の声に振り向けば、紫陽花の花束と和傘を抱えた彼女が誇らしげに笑っていて、洸惺もすごいねと笑う。
「でしょう? ……自分へのご褒美は買うの忘れちゃってたけど」
「そんな命璃お姉ちゃんには僕からこれ、どうぞ」
 手にした和傘を開いて見せれば、見る間に命璃の表情が輝いて。
「洸惺くんは神さま!? ありがとー!」
「どういたしまして」
 持つべきものは優秀な幼馴染さんだね! と喜ぶ彼女に、自分とお揃いなのは内緒、と洸惺が小さく背の翼を羽ばたかせた。

楪葉・伶央
乙女椿・天馬

●君彩の傘
 すげー! と綺麗に咲いた紫陽花に声を上げた乙女椿・天馬(独楽の付喪神・h02436)の少し後ろで、楪葉・伶央(Fearless・h00412)が微笑ましそうに目を細める。
「伶央、それに和傘がいっぱいだ!」
 紫陽花横丁と名付けられた横丁は、その名に恥じることなく紫陽花に満ち溢れていた。並ぶ建物の外壁には紫陽花の一輪挿し、開けた場所には花手水。そしてその先の通りには天馬が言うように両端を和傘が彩り、奥の方にはトンネルのようになった木枠に和傘が飾られていた。
「ああ、紫陽花も傘も見事だな」
 早く和傘を近くで見たいと天馬が伶央の手を引っ張ると、少し早足で通りへと出る。間近で見ると、同じように見えていた和傘にも種類があるのだと知れる。和紙で作ってあるものや、布が張られたもの、手触りや透け感が違っていて、ついつい見入ってしまう。
「そういやさ~」
「うん?」
「俺、傘もってないんだよな」
「そうなのか?」
 伶央の問いにこくりと頷き、天馬が笑う。
「だからさ、ここでいっちょ、良い感じのを選んでみるのもよさそうだなって!」
 折角の和傘市、ひとつ良いものを買って帰りたいと天馬が伶央を見る。
「伶央、選ぶのにつきあってくれよ!」
「では、一緒に選ぼうか」
 頼られたなら、天馬に一等似合う和傘をと伶央がひそかに張り切って、じっくり吟味するため二人並んでゆっくりと歩き出した。
「ん~どれがいいだろ~?」
 沢山ありすぎて、迷うとか迷わないというレベルの話ではなくなってきた、と天馬が唇を尖らせながら近くにあった和傘に手を伸ばす。
「こういう正統派もいいよな~。真っ黒なのもカッコイイ!」
「黒も粋だが、天馬には洒落たのが似合うと思うぞ」
 そう言われると、確かに黒は格好いいけれど自分に似合うかと言われれば否だ。
「やっぱそうだよな、洒落たのがいい~」
 洒落たもの、とくればやはり柄の入ったものだろうかと天馬が視線をさまよわせる。
「独楽柄はいかにも俺だしな~」
 そう言われ、伶央が天馬の視線の先を追うと、そこには独楽の模様の和傘。
「独楽柄、確かに……ふふ、お前らしいし、俺らしい」
「そう言われると悪くはないんだけど~」
 逆に持ち主がわかりやすいまであるが、それでは面白くないと天馬が気になった傘をひとつずつ開いてみては、持ってみてを繰り返す。
「なかなかしっくりするのがない!」
「焦らなくても、これだけの和傘があればひとつくらいは見つかるさ」
「むー……」
「これは猫柄か。これも良いが……俺たちが持つには可愛すぎるか」
「猫は確かにかわいいな!」
 猫と、猫の足あとが描かれた和傘は確かに可愛らしく、自分たちよりは妹の方が似合うなと伶央は手に取った傘を置いた。
 あの柄は、この柄は、なんて天馬と一緒に傘を選ぶ時間はとても楽しくて、伶央は来て良かったと笑みを浮かべて天馬の為の傘を探す。
「これはどうだ?」
「どれどれ~」
 なんとなく気になった和傘を伶央が指させば、天馬が軽い気持ちで手に取り開く。
「……!!」
 パッと開いた和傘は淡い青と金の流水柄。
「夏らしくて良いな」
「俺これにする!」
「これでいいのか?」
 他にも色々あるぞ、と言おうとしたけれど天馬の嬉しそうな顔を見てやめた。
「これ、伶央の瞳の色みたいだ」
「俺の瞳の色? 確かに言われてみれば」
「だろ~?」
 ご機嫌で傘をくるくると回して気に入ったと喜ぶ姿は微笑ましくて、伶央も笑みを浮かべながら夜の中を金やピンクの金魚が泳ぐ和傘を手に取った。
「では、俺はこれにしよう」
「伶央はそれにするの?」
「ああ、金魚が可愛らしいだろう」
 金魚、と言われて見ればなんだか親近感が湧くような彩りで。
「なんか親近感~」
 天馬が泳ぐ金魚を指先で撫でて笑い、良い買い物した~! と言いながら紫陽花の花手水を覗き込む。
「紫陽花……」
 ふと目に映った紫陽花の傘チャームをなんとなく手に取って、揺らしながら天馬を見遣る。なんだか移ろう紫陽花の彩りが天馬の瞳のようで、二つ買い求めた。
 揃いの傘チャームを懐に隠し、花手水をつつく天馬のもとへ向かう。
「天馬、次は甘味を食べに行こうか」
「甘い物?」
「ああ、紫陽花モチーフのアフタヌーンティーがあるらしい」
「なにそれ、食べたい! 行こうぜ!」
 買い求めたばかりの和傘を咲かせ、ふたり並んで楽し気な足音を響かせた。

キノ・木野山
ルノ・カステヘルミ

●紫陽花色した芋かもしれない
 紫陽花横丁のカフェ、その窓際のいっとういい席でルノ・カステヘルミ(野良セレスティアル・h03080)は自他共に認める天才的なお顔を両手で覆っていた。
「マスター! 隣のシケた面したセレスティアルに、芋ポタージュに焼き芋ぶっ込んだ芋ポンチだか芋パンチを!」
 ぱちぃん! と指を鳴らす音を口で言っているのは、自称温泉街のマスコットであるキノ・木野山(野良キノピヨ・h06988)だ。キノは謎生物なので既存の生物に例えるのも難しいのだが、まぁ指がないので口で言うしかなかったのである。……謎生物のくせにめちゃくちゃ可愛いんだよな、なんだ君。ぴよぴよ動く姿も可愛い、可愛いのだが。
「ポンチはてめーの頭だよ。顔にパンチ決めたろか??? こんなオシャンなカフェにそんなもんあるわけないだろうが!」
「お待たせしました~芋ポタージュに焼き芋ぶっ込んだ芋ポンチです~」
「あるのかよ!?」
 何であるの? 青筋立ててたルノがお出しされた芋パンチに真顔を見せる。
「っていうかさ、訳分かんねー謎生物にいきなり姉認定されるってどういうこと?」
「姉だから姉だっていってるピヨ!」
 迷いのない瞳を向け、キノがルノを見つめる。
「んなわけあるか、まず性別が違うだろうが! まぁ? この美貌ですから? 勘違いするのもわからなくもないですが?」
 だがしかし、しかしである。ルノはそう言いつつも、とんでもない|既視感《デジャヴュ》を覚えていた。
「なんだけどなー……記憶の何処をひっくり返してもこんな球体に覚えは無いんだけど、反面、やべーやつ来ちゃったわって既視感すっごいし……」
「ぴよは弟ピヨ☆」
「うるせぇハナタレクソキノコ!!!!! マジでお前は何なんだ、的確に芋盛ってくるとか、悪意の運動会過ぎる……!」
 しかもこの紫陽花を意識した芋パンチ、紫陽花っていうかもう毒々しいんだこれが。
「シンプルに毒沼じゃねーか」
「美味しいピヨ」
「お前の口に流し込んだろか? っていうかあれ、口どこ……」
「こんなキュートなお口が見えないとか目ん玉つついたろかピヨ」
「語尾にピヨ付ければ可愛くなると思ってるな??」
 ルノの言葉にそっとキノが視線を外す。
「ところで! 今回初仕事のぴよですけど、さっそく画業を営む職人さんにお話を聞いて来ますかね」
「この流れで……!?」
「ぴよは可愛いから、生きてるだけでちやほやされると思うピヨ」
「それなら私だってこの顔だけでちやほやされるんだが」
「ピヨ~~」
 ピヨピヨ言いながら、キノがぴよんぽよんとカフェの隅っこで窓の外の紫陽花を眺める画家、西野倉之助へと突撃していった。
「今世も絶好調だなあいつ……」
 いやほんと、記憶はないんだけど。
 芋ポンチをつついていると、既に頼んであったアフタヌーンティーセットが届き、そっと芋ポンチをキノの席においやるとセイボリーに手を伸ばした。
「アフタヌーンティとはやっぱりこうあるべきですね……静かに紫陽花鑑賞をしつつ、優雅に……」
 サンドイッチを齧り、紫陽花を見つめていたルノの視界の端に謎生物が向かってくるのが見える。
「って、戻ってくるのはっや」
「貴様ーーーーーー!!」
「グヘェエエェ!!」
 ものすごい勢いで戻ってきたキノが、その勢いのまま野良セレスティアルにアタック! エキサイティン!
「ッテェ! 何すんだこのハナタレクソキノコ!」
「貴様がハナタレクソキノコなんて変なあだ名付けやがるから、そっちに引っ張られて自分の名前が出てこなかっただろうが!!」
「うっそだろ」
「ンギィィ! 『ハナタレクソキノコです、宜しくお願いします』って言われたときの職人さんの顔よ!! やべーやつ来たわって感じにポカンとされたわ!! その後で憐れみを滲ませた声で『ハナタレクソキノコさん……よろしくお願いします……?』って言われたんだぞ!!!」
「草」
「グリモガァアアア!!!」
「うわっうるさっ! っていうかお前は時間が余ったからって訳分からんイベントぶち込むな!」
 キノがその言葉にばいんばいん跳ねて遺憾の意を示す。
「こっちは物憂げにアフタヌーンティーを楽しむ、美貌のセレスティアル様のつもりで来てるんだよ!」
「それは無理ピヨ」
「無理にしてんのはてめーだろうがああ! 毎回毎回てめーのせいで台無しだわ!!」
 いやほんと、記憶はないんですけど。ないんですけど、まぁ、そうですね。
 仲良く喧嘩しな!

ターフェアイト・スピネル

●花の移ろい
 一口に紫陽花とはいえ、その品種は様々。同じ名を冠する花だというのに、全く違う花に見えるのも植物の魅力だとーフェアイト・スピネル(ターフェアイトの付喪神の不思議レース編雑貨店主・h05830)は思う。
「本当に、昨今の植物における品種改良は目覚ましいね」
 左手にある紫陽花は手毬のように愛らしく、右手にある紫陽花は密集した小さな花を囲むように花が咲いている。
「一目見ただけでは同じとは思えないね」
 楽し気に小径を歩き、珍しい紫陽花の前で立ち止まっては頷いて。
「技術を極める人たちのおかげで面白いものが見られるのだが……むしろ、あれだね、あれ」
 あれ、と言いつつ、またひとつ変わった紫陽花の前でターフェアイトは思わず呟く。
「所業はへんた……こほん、失礼」
 誰が聞いているわけでもないが、しいて言うなら美しく咲く紫陽花に。
「しかしまあ、見事なものだね。これだけの紫陽花、自然に発生したわけでもないだろうし」
 紫陽花横丁の人々が手入れをしているのだろうと、憶測ではあるが思う。
「紫陽花は花言葉に心変わりや無常、なんてネガティブなものがあるが……私からすれば土の成分を吸い上げて色が変わるところは、あなた色に染まりますと言葉なく伝えているようで健気じゃないか」
植える場所の土の調整もしているのだろう、青から紫、ピンクへと美しくグラデーションを描いて咲いているのを見てターフェアイトは笑みを浮かべた。
「移ろうさまも美しい、と思うよ。生き急ぐ人と同じに」
 名前の通りターフェアイトの付喪神である彼女からすれば、人の命の短さと儚さ、それでいて生き急ぐいのちの煌めきは美しいと感じるもの。花のいのちはそれより短いけれど、似たようなものだとターフェアイトは小径を歩いた。
「紫陽花横丁が見えてきたね」
 紫陽花に彩られた美しい横丁の大通り、その左右に和傘が飾られ奥に見えるトンネル仕立ての木枠にも紫陽花が咲くように飾られている。
「さて、私に合う傘はあるかな」
 淡い空色か、藤色の地のものがいいと思いながら、ターフェアイトが横丁の大通りを歩く。
「あまり派手じゃないものが良いな」
 年齢に合わせてね、と彼女は笑う。
「やあ、そこの店員さん。私に似合いそうな紫陽花の柄物はあるかい?」
 声を掛けられた雀の妖がパッと顔を上げ、ターフェアイトの好みを聞き取りながら似合いそうな和傘を出してきてくれる。
「ああ、これはいいね。こっちも……」
 これは迷ってしまうな、とターフェアイトが笑うと店員の雀も楽しそうに笑った。

千桜・コノハ
千桜・むびと

●桜色の
 斜面いっぱいの紫陽花に、小径を挟んで更に広がる紫陽花の群れ。
「兄さん見て! 桜色の紫陽花もある!」
 わぁ、と歓声をあげて千桜・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)が兄の千桜・むびと(夙夜・h00128)に笑みを向ける。
「うん、綺麗だね」
 対するむびとの表情に動きはなかったけれど、コノハからすれば視線の動きや自分を見つめる優しい眼差しに、むびとが自分とのお出かけを喜んでくれているのが伝わって、更に笑みが零れてしまう。そして、そのコノハの笑みを見てむびとが嬉しくなる――という心が温かくなるようなひと時を楽しみながら、二人は小径を歩いていた。
「桜色――確か、紫陽花の花言葉には家族団欒があったはず」
「へぇ、そんな花言葉があるんだ」
 紫陽花はその色の変化のせいか、花言葉にはあまり良いとは言えないものもある。けれど、そればかりではなく良い意味の花言葉もあるのだ。
「おれは」
 ぽつり、と呟くように落とされたむびとの言葉、その先を促すようにコノハが兄を見つめる。
「一つに集まって、鮮やかに咲き誇るこの紫陽花のように……いずれ、自分たち家族もこうなれたらと、想う」
 その言葉に、コノハが僅かに睫毛を揺らす。
「……うん、いつか家族が皆集まるといいよね」
 父と母は元気だろうか。そう思わぬ日はなかったけれど、兄であるむびとと邂逅できたのはコノハにとって望外の喜びで。そしてそれは、むびとも同じ。ふたり視線を交わし、いつか必ずと手を繋ぐと再び小径を歩き出した。
 様々な種類の紫陽花に視線を向け、時に立ち止まって眺め――そんな風に紫陽花を楽しんでいると、小径が開けて横丁が見えてくる。
「兄さん、横丁だよ」
「ああ、賑わっているようだな」
 一歩足を踏み入れれば、紫陽花に彩られた横丁はふたりを歓迎してくれるようにも思えた。大きな通りでは和傘市が開かれていて、コノハがむびとの手を引く。
「せっかくだから和傘買っていこうよ」
 その言葉に否などあるはずもなく、むびとは手を引かれるままに大通りへと進む。道の両端に飾られるように展示された和傘に、奥の方ではトンネル状になった木枠に飾られた和傘の数々。見るものの目を惹く和傘に、むびともぱちりと目を瞬いた。
「どれがいいかな……これから梅雨の季節になるし、丁度いいよね。それに、兄さんったらよくずぶ濡れで帰って来るしさ」
 僅かに非難の視線を感じ取り、むびとがコノハに視線を返す。
「ん……わざと濡れているつもりは……」
「わかってるよ、でも風邪引いちゃいそうで」
 心配、とコノハに見上げられては、むびともそれ以上は言い訳になるかと大人しく頷く。
「ね、お気に入りの傘があれば持って行くの忘れないでしょ?」
 持って帰って来るのも、とコノハが笑う。
「お気に入り……なるほど。コノハは賢いな」
 さすがおれの弟だ、とむびとがコノハの頭を優しくなでた。
 沢山ある和傘の中から気に入ったものを選ぼうとするのは大変なことだけれど、見ているだけでも楽しいのも事実。ふたりはあれも素敵、これも素敵と大通りを歩く。
 ふと、ふたりの視線が同じ和傘に向いて、むびとがこれはどうだと勧めようとするよりも前にコノハが和傘を手に取る。開いてみれば、宵空に桜がくるりと舞う和傘。
「どうかな?」
「…………」
 その沈黙は否定ではなく、肯定。更に言えば、自分も勧めようとしたものだったから、驚きと嬉しさも滲んだものだ。
「僕はこれにしようかな。似合う?」
 コノハが肩に掛けるように差した姿を見せると、むびとが軽く息をのむ。今度こそ、沈黙ではなく賛辞と拍手で似合うと伝えたかったのに、傘を差したコノハの姿がまるで――名も姿も知らない筈の、母が佇んでいるように見えて。
「兄さん、どうしたの?」
「――いや、なんでもない。とても、よく似合っている。コノハ」
 目の前にいるのは母ではなくコノハで、それを確かめるようにむびとは名を呼んだ。
「じゃあ、お揃いにしよ」
 なんとなく、コノハはむびとが何を想ったのか、何を幻視したのか分かった気がして、笑ってそう言った。
「兄さんも気に入ったみたいだしさ」
「ああ……そうだな、揃いにしよう」
 その提案にむびとが頷くと、コノハが店員に声を掛ける。
「すいませーん、これふたつくださーい」
 買い求めた和傘を差して、ふたりは再び横丁を歩く。揃いの和傘が、くるり、くるりと紫陽花の中で咲いていた。

花七五三・椿斬
ララ・キルシュネーテ

●宝石みたいな
 紫陽花が咲き誇る小径を抜けたところに、紫陽花横丁がある――そう星詠みから聞いて、√妖怪百鬼夜行を故郷とする花七五三・椿斬(椿寿・h06995)はあの横丁だとすぐに思い浮かんだのだという。
「こっちだよララ! 紫陽花横丁へようこそ!」
 銀髪を揺らして椿斬がくるりと振り向けば、紅色の瞳を瞬いたララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)が柔らかく微笑んで辺りを見回す。
「紫陽花が綺麗に咲いているわね」
 その名に恥じぬ横丁だわ、とララが花手水に視線を向けてから椿斬を見遣る。
「花天狗のお前がエスコートしてくれるのでしょう?」
「勿論!」
 ここまでは一本道だったけれど、横丁はそういうわけにはいかない。恭しく手を差し出し、椿斬が礼を取る。
「迦楼羅のお雛女様をエスコートさせてもらうよ」
「許すわ」
 この手に触れること、とララが椿斬の差し出した手に、己の手を重ねた。
「光栄です、お雛女様」
 なんて、少しかしこまってみせるとララが楽しそうに笑った。
「僕、近しい存在に出会えて嬉しいんだ」
「そう、そうね」
 優しい手のひらに任せて歩き、ララがご機嫌に翼をぱたぱたと羽ばたかせると、椿斬も楽し気に金翼を揺らして歩く。
「色んな紫陽花が咲いていて綺麗だね。雨粒が宝石みたいに見える」
 紫陽花の花びらの上に、まぁるく留まった雨粒が光を受けて煌めく姿はなんとも幻想的だ。
「ララは雨の日、好き?」
「ララは雨がすきよ。迦楼羅だもの、雨降りだってできるわ」
 雨を乞われれば、雨を降らすのも迦楼羅の役目だとララが胸を張る。
「まだララは見習いだけど」
「見習いでもすごいよ! ララの降らせる雨は星雫みたいなんだろうなぁ」
 きっと、ララの夢宵桜あそぶ白虹の髪のように、内側から美しく光るかのような。
「ふふっ褒めるのが上手ね」
 褒められたならば、悪い気はしない。いつか見せてあげてもいいわ、とララは思いながら手を引かれるままに大通りへと出た。
「咲き誇るのは紫陽花だけでなく、あわいに染まる和傘もね」
 大通りの両端に、ずらりと並んだ和傘の数々。それに奥の方にトンネルのようになった木枠に飾られる和傘は、まるで紫陽花のようにも見える。
「本当だ、傘と言っても紫陽花みたいに色々あるね。ララは欲しい傘、ある?」
「ララは雨の日がもっと楽しくなる傘が欲しかったの」
 きっとこれだけあれば、ララが気に入る傘もあるはず。
「楽しみだわ」
「楽しみだね!」
 折角だから、椿斬もひとつ買っていこうと和傘を吟味するべく目を凝らす。
「色んな傘があるわね」
 空の透ける透明な傘、濡れると柄が浮かぶ傘、どういう加工なのかわからないけれど、虹色を宿したような傘……妖達が作り出した和傘はどれも魅力的だ。
 ララの手を引きながら、感心したように眺めていた椿斬が一番気になった和傘を手に取って開く。
「あら椿斬、それは紫陽花の花の形をした和傘?」
 開いた和傘は薄紫の紫陽花を模したような形をしていて、ララは目を瞬く。
「ララもこれにする? ん-、ララには桜色が似合うと思うけど、どうかな?」
 同じ作りの桜色を手に取って、椿斬が渡すとララが和傘を開く。
「どう? 似合う?」
「紫陽花のお姫様みたいですごく似合うよ」
「なら、ララは椿斬と色違いの桜色の花傘にするわ」
「お揃いだ!」
 揃いの和傘に椿斬が嬉しそうに笑うと、ララもお揃いねと微笑んだ。
「ララ、お茶にしたいわ」
 お気に入りの傘を手に入れたら、今度はお腹が空いてきたとララが訴える。
「心が満たされたら、次はお腹だね」
 任せて、と椿斬が再びララの手を取ると、勝手知ったる横丁とばかりに歩き出す。
「ここには僕のオススメのお店があってね、紫陽花メニューが美味しくて! ララもきっと気に入ると思うよ」
「椿斬のオススメがあるの? 行きましょう」
 それは見過ごせないわ、とララも乗り気だ。
 きっと、このとりどりの傘のように、とりどりの甘味があるはず。
「ふふ、みんな笑顔だわ」
「僕らだってそうだもの」
 言われてみればそうね、とララがまた笑う。
 四葩の街に無邪気な笑顔が咲いて、椿斬はこういうのもいいものだと心が温かくなる。
「ねぇ、椿斬」
「うん」
「私、花咲くように楽しいわ」
「僕も!」
 紫陽花にまじって、ふたりの笑顔も大きく咲いて――。

ルナ・ミリアッド

●紫陽花カフェを楽しんで
 紫陽花横丁のカフェの暖簾をくぐり、ルナ・ミリアッド(無限の月・h01267)は店員に案内されるままに席に着く。静かに首を動かし、辺りを軽く確認する。
 窓際の角席――外の景色がよく見えて、ひとりでもゆっくりと楽しめるような場所だと認識してルナは店員の心遣いに感謝しつつメニューを開いた。
「色々ありますね……おや、あれは」
 視界の端、自分が座る席より三つほど離れた席に座る物憂げな青年を見つけ、ルナは目を細める。
「画家の青年……ですね」
 幾分か心は軽くなっているようだけれど、古妖の封印を解いたという事実に後悔しているのだろうとルナは結論付けながら、注意深く彼を観察する。
 過ちを認め、後悔するというのはよい心がけだとルナは思う。理想は行う前に気付くことだが、AIですら誤るのだから人にそれを求めるのは酷というもの。
「生身の肉体をもつ生き物であれば、時に誘惑に負けるのも当然でしょう」
 小さく、だれにも聞こえぬようにそう呟いて、二度目がなければそれでいい、とルナは再びメニューに視線を落とした。
 本来であれば話を聞くのがいいのだろうけれど、どうにもそれはルナには――ルナたちには向いていない。人に寄り添うことが大変苦手だと自認しているので、素直に他の方々に任せようと思ったのだ。
「下手に話を聞いて、事故っては元も子もありませんからね」
 ですから、とメニューのすべてに目を通したルナはテーブルの呼び鈴をチリンと鳴らし、洋風のアフタヌーンティーセットを頼んだのである。
「√ウォーゾーンに華やかな食事はありませんから、楽しみです」
 和風と洋風の二種類あったが、決め手となったのはサンドイッチ。サンドイッチは最近のマイブームなので、心惹かれたのだ。
 すぐにテーブルにアフタヌーンティーセットが到着し、ルナはその華やかさに目を瞬く。
「思っていたより……なんだか心が弾むような、そんな気がします」
 優美なフォルムのアフタヌーンティースタンドに、紫陽花を模したスイーツが並んでいる。下段のセイボリーの皿には小ぶりながらも具がしっかり挟まれたサンドイッチがあり、ルナがそっとスマホを取り出した。
「映えは大事です」
 何枚か写真を撮ってからポケットにしまうと、紫陽花を眺めながら紫陽花モチーフのアフタヌーンティーを楽しむという、贅沢で優雅なひと時を楽しんだのであった。

井碕・靜眞
物部・真宵

●紫陽花色の安らぎを
 紫陽花が咲き誇る広場から小径を歩き、少しすると紫陽花横丁が見えてくる。横丁の手前までくると、訪れる人を歓迎するかのように紫陽花の花手水が見え、咲き誇る紫陽花とはまた違った美しさを見せてくれた。
 そんな花手水に目を楽しませつつ、物部・真宵(憂宵・h02423)は楽しそうな表情の中に少しの憂いを覗かせて、井碕・靜眞(蛙鳴・h03451)を見上げる。
「純粋に花祭を楽しめないのが残念ですね」
 そう言葉にすると本当に残念だと眉を下げ、賑わう横丁へと視線を向けた。
 紫陽花の華やかさに目を細めていた靜眞も、彼女の言葉に頷きながら視線を追うように横丁を見遣る。
「井碕さん、紫陽花はお好きでした?」
「そうですね……嫌いでは、ないです。梅雨の時期も気分が安らぎますから」
 真宵の問いに、少し考えるようにして靜眞が答える。特別好きかと問われれば悩むところだが、嫌いではない。梅雨の時期は雨が多く、普段よりも蛙の合唱が酷い気がして気が滅入るが紫陽花の花を目に映す間だけは気が紛れるからだ。
「梅雨は気分がどんよりしちゃいますものね。|宵月《うち》で見飽きているのではと思ったんですが……」
 気遣うようなその声に、靜眞が小さく笑う。
「いえ、飽きませんよ。自分みたいなな素人でも、物部さんが丁寧に手入れしているのが伝わってくるので」
 この紫陽花横丁の紫陽花もそうだが、宵月で見る花も丁寧に手入れがされていると思う。紫陽花は土の状態で色が変わる植物だから、少しずつグラデーションにしたり明確に隣り合った紫陽花の色が違ったりと、手入れをする人の意図が伝わるもの。
 ここの花手水は青系で纏められていて、青や水色、紫の切り取った紫陽花が浮かんでいる。初夏のちょっとした暑さを払うような彩りに、飾った誰かの想いを感じて靜眞が僅かに目を細める。
「そう言って貰えると、冥利に尽きますね」
 彼の優しい言葉と視線に、真宵がふわりと微笑んだ。
 紫陽花を楽しみつつ、横丁の風情を楽しんでいると目当てのカフェに到着し、案内されるままにテーブルへと着く。渡されたメニューを開けば、やはり一番に目に入るのはアフタヌーンティーのセット。
「和風と洋風があるのね。井碕さんはどちらになさいます?」
「自分は……」
 どちらでもいい、と言い掛けて言葉を飲み込み、靜眞が言い直す。
「物部さんと同じものを」
 本当にどちらでも構わなかったけれど、どうせなら同じものにしようと思ったから。
「わたしは和風にしようと思っているのだけれど、同じでいいかしら?」
 その言葉に頷くと、テーブルの呼び鈴を鳴らして店員を呼ぶ。和風のセットを二つ頼むと、暫しの間窓から見える紫陽花を楽しんだ。
 穏やかな時間を堪能していると、アフタヌーンティーセットがテーブルへ運ばれてくる。木枠で作られた丸形のスタンドは和を感じさせるには充分で、更には飾り小物のように載せられた紫陽花をモチーフにした甘味が目を惹く。
「まあ、素敵」
「こういう感じなのか……見た目も綺麗ですね」
 おしゃれな食べ物にはとんと縁がない靜眞であったが、細工と技巧を凝らした練切や錦玉羹をまじまじ見つめて感嘆の言葉を零す。
「なんだか食べるのが勿体ない気もしますけど、いただきましょうか」
「はい」
 真宵の言葉に、靜眞は目を惹いた煉切に手を伸ばす。真宵も同じように、紫陽花を模した青いゼリーで彩られたミルクプリンの小鉢を手に取った。
「まあっ、とっても素敵」
 手元に寄せて眺めれば、その美しさに真宵が目を輝かせる。
「バタフライピーを使って色を付けているのかしら」
「バタフライピーっていうと、レモンかなにかで色の変わるあれ、ですよね?」
「ええ、そうなの。青いハーブティで、レモンを入れると赤色に変化するの。量を調節していけば紫にもピンクにも……」
 そこまで答えてから、ハッとして真宵が顔を上げ、恥ずかしそうに俯いた。
「……ごめんなさい、わたしったら」
 宵月で出す軽食やスイーツを手作りしている真宵だからこそ気になるのだろうと、靜眞は微笑ましいと思いながら首を横に振る。
「ふふ、いえ。食事は楽しんで食べられるのが、一番いいですよ。自分が言うのもなんですけどね」
 靜眞にとって慣れない場所では緊張するのが常だけれど、今はリラックスできている気がする。顔馴染みとの同席だからだろうか。不思議だと感じつつ、煉切を口元へと運ぶ。
「そう、そうね。わたし、とても楽しいわ」
 あなたはどうかしら、お食事を楽しんでいるだろうかと真宵が顔を上げて靜眞の様子を窺う。彼の表情は穏やかで、きっと楽しんでくれているのだろうと真宵は安堵したようにミルクプリンを頬張った。
 アフタヌーンティースタンドがすっかり綺麗になったころ、真宵が彼の腕を指先でつつく。
「もしかしてあの方では?」
 その言葉に瞬時に理解して、靜眞はゆっくりと立ち上がる。それに合わせ、真宵も立ち上がると、カフェの外でぼんやりとしている男の元へと向かった。
「もし、具合が悪そうですよ、座られてみませんか?」
 声を掛けられた男――古妖の封印を解いた画家、西野倉之助は少し驚いたように顔を上げる。
「いや、私は」
「ご無理なさらず、冷たいものを口にすると少し落ち着くかもしれません」
「座る場所でしたら、こちらへどうぞ」
 どうぞ、と靜眞が手招き、真宵が店の中へと案内した。
 日が暮れるまで、時間はまだまだある。靜眞と真宵は男の話を聞くべく、再び席へと着いたのだった。

葵・慈雨
尾崎・閃

●縁は紫陽花と共に
 梅雨を間近に控えた本日、天気は幸いにも晴天で、葵・慈雨(掃晴娘・h01028)は紫陽花を眺めながら大きく伸びをした。
「今日はハレの日! 嫌なこともケロッと忘れちゃうようなお祭り日和ね。天気も良くて重畳重畳!」
 紫陽花横丁をご機嫌な足取りで歩きながら、慈雨は和傘市を目指して歩く。
「私はあんまり傘を使わないけど……っと、わわわわ!?」
 とん、と誰かにぶつかった衝撃に、慈雨が慌てて視線を向ける。
「びっくりしちゃった、ぶつかってない!?」
 あちらこちらに視線を向けていたから、前を見ていなかったなんて言い訳にならないと慈雨が慌てたけれど、ぶつかった相手――尾崎・閃(微睡む朝霧・h00483)はその姿が透けていて、慈雨はぱちりと目を瞬いた。
「あれ? あら! もしかしてぶつかったから透けちゃったの!?」
 対する閃は目を瞬くばかりで、言葉を口にすることはない。正確に言えば、閃はインビジブルなのだが生前の記憶と弟との繋がりのお陰か、朧気ながらに自律がある。今日は弟の店に来客があったため、そこを離れふらりと賑やかな声が聞こえたこちらへ辿り着いたのだ。
 その点、インビジブルは便利だと閃は思うけれど、自分にぶつかった相手が必死に話しかけてくれているのに返事ができないのは不便だとも思う。
「ごめんね、ごめんね……!?」
 申し訳ないと謝ってくれる慈雨に対し、閃は彼女ばかりが悪いのではないと伝えようとして首を横に振る。何せ、慈雨もよそ見をしていたかもしれないけれど、閃だって弟の羽織の裏地に似た柄の傘を見つけて、その場に留まってしまっていたのだから。
「やっぱり私がぶつかったから……」
 ぶつかった衝撃で透ける妖怪だろうか、と慈雨が言うのが面白くて、けれど表情筋があまり活躍しない閃の顔では伝わらない。もう一度、違うのだと伝えるために首を横に振ると、漸く意図を組んでくれたようで慈雨が違う? と閃を見た。
「ちがうの? じゃあ、迷子かな?」
 迷子でもないけれど、でも迷子みたいなもの……? と首を傾げると、慈雨がよしっと意気込んで閃に微笑みかける。
「どっちにしろ、若い女の子ひとりなんて心配だわ。ね、良ければご一緒しましょ!」
 私も一人なのよと言った彼女はとても良い人のようで、閃は彼女がそれで安心できるのならばと頷いた。
「うーん、飛んでいかないようにお手々……は引けないわね。悪いけど、ついて来てくれる?」
 その言葉に従うように、閃が慈雨の少し後ろをふわふわと浮かびながら付いていく。それに安堵したように慈雨が笑い、返事がないのにも構わず話しかける。
「よかった、あなたが意思の疎通ができるタイプのひとで」
 こちらの話が伝わっているのならば、何も問題ないと慈雨が頷く。
「こっちに行きましょ、貴女は傘を見に来たの? それともお花の方が気になるかしら?」
 傘か、花かと問われて閃は迷う。だって、どちらも目的ではなかったから。ただ、ふらりと立ち寄っただけで――傘を見ていたのも、自分が欲しいからではなくて。少し悩んで、辺りを見回すと視線の先には花手水が見えた。
 あそこで涼を取るのはいかがでしょう? と閃が指をさす。
「花手水が気になるの?」
 慈雨の言葉に閃が頷けば、良いわねぇ! と慈雨が足取りも軽く花手水へと向かう。
 横丁の中央辺りに位置する花手水はピンクと白の紫陽花をメインに飾られていて、アクセントに緑色の紫陽花が置かれている。日差しを避けるように大きな和傘が開かれていて、涼むにはもってこいの場所であった。
「私ねぇ、紫陽花好きなの。夫がね、紫陽花が似合う人だから大好きなのよ」
 夫、と聞いて既婚者の方なのかと閃が慈雨と紫陽花を見遣る。紫陽花を見つめる瞳は優しく、それでいてどこか寂しそうにも見えて。
「貴女も、紫陽花が似合いそうな綺麗な瞳!」
 薄っすらと透けている閃の青い瞳を見て、慈雨が笑う。
 ああ、本当にこの人は良い人なのだなと閃は思う。
「なんだか、このまま別れちゃうのは惜しい気がしちゃうわ」
 同じことを思ってくれた、稀有なひと。ならば、時間が許す限りそばに居ようと、閃はこれから和傘を見に行くと言う慈雨の後ろを付いていくのだった。

緇・カナト
夜鷹・芥

●初めてアフタヌーンティ
 夏の暑さが本格的になるその前、紫陽花が輝くように咲き誇る。
「見事なもんだ」
 紫陽花横丁と呼ばれる横丁に繋がる小径を歩きながら、夜鷹・芥(stray・h00864)が思わず、といった風に呟く。その横で、同じ歩調で歩いていた緇・カナト(hellhound・h02325)が同意するように頷いた。
「夏は苦手だが、二藍に染まる此の景色は悪くない」
「夏の暑いのはオレもあんまり得意じゃないなぁ。雨降り時期の二藍な景色は良きものだとも思うケドねぇ」
 この景色と夏の暑さ――それを天秤に掛けたなら、ギリギリこの景色だろうか。紫陽花を綺麗だと思う気持ちは勿論あれど、その後に来るであろう暑さには辟易してしまうと言い合うのは何とも二人らしかった。
「そういやカナトと茶に行くの初めてじゃねぇ?」
「お茶した事なかったっけ~?」
 初めてという気がしないけど、確かによく考えれば初めてだねぇとカナトが笑う。
「それじゃあ初ヌン活だなぁ、ぬんぬん」
「そ、初めてのヌン活ってやつ、だ。ぬんぬん……」
 カナトのよくわからない語尾を思わず復唱してしまった芥が、なんとも珍妙な顔をしてもう一度ぬんぬん……と繰り返したのがツボったのか、カナトがぶはっと吹き出す。
「ふ、は、楽しみだなぁ」
「声震えてるぞ」
「だって~」
 面白かったんだよ、というカナトに芥がお前が言ったんだろ、なんてやりとりを楽しみながら言い合っていると、いつの間にか紫陽花横丁へと辿り着いていた。
 紫陽花の花手水や一輪挿しを目で追いつつ、カフェへ到着すると中へと入り案内されるままに席へと着く。メニューを開くと、一番に飛び込んできたのはやはりアフタヌーンティーセット。
「和風と洋風があるんだっけ、どっちにする?」
「俺は……胡麻豆腐とかわらび餅が気になるし和風の方で」
「じゃあ、オレはタマゴサンドや冷製ポタージュが気になるから洋風にしよう」
 狙ったわけではなかったが、二人が座るテーブルに和風と洋風のアフタヌーンティーセットが届く。和風は丸い木枠のティースタンド、洋風は紫陽花の造花が飾られた螺旋状のティースタンドで、カナトが思わず小さな拍手を送った。
「デザート、何方も綺麗だな」
「洋風もだけど、和風のヤツもお洒落だよねぇ」
 造花をつついて、カナトが笑う。
「造花なのか」
「あれじゃない? 紫陽花って有毒種だから」
 その言葉に、ああ、と芥が頷く。
「万が一にも間違って口にしたら不味いだろうしな」
「そういうこと~、早速いただいちゃおう」
 どれから食べようかと、楽しそうにカナトが迷うのを芥が眺める。
「紫陽花のフルーツポンチにしよ、いいよねこれ見てても楽しい~」
「そうだな」
「夜鷹君のは煉切が見てて楽しいし、手まり寿司も綺麗で美味しそー」
 フルーツポンチをスプーンで掬いながら、カナトが目をキラキラとさせている。
「甘いの平気か?」
「勿論~美味しいよ」
「じゃあ、こっちも良かったら食いな」
 そう言って、芥が紫陽花の煉切を差し出す。
「え、いいの~? 有難く頂いちゃうよう」
「俺はいっぱい食ってる奴見てるのが良い。それに、カナトが選ぶもんとか新鮮だし興味ある」
「あはは、夜鷹君らし~」
 遠慮なく貰った煉切を食べ、その優しい甘さにカナトが笑みを浮かべる。
「夜鷹君はスコーンよりご飯お代わり自由とかのが合ってそうな~」
 手まり寿司を食べる芥を見てカナトがそう言うと、それはそうかもと芥が口の中のものを飲み込む。
「……確かに米派かも。ラーメンならもっといける」
「あは、今度はラーメン食べ放題に行こうか? ちなみにオレはどっちも好きー」
 スコーンに手を付け、カナトがお茶と共に楽しみながら笑う。
 互いのティースタンドが空になりそうになると、店員がスコーンのお代わりは如何かとやってきてくれた。
「お代わり自由か……なら、スコーンをもう少し食べようぜ」
「いいねぇ、食べよう食べよう」
 スコーンにディップするクロテッドクリームやバターも付けてもらって、満足いくまで食べてお茶を楽しんで。
「みんな楽しそうでいいな~ここ」
「そうだな、楽しそうだ」
 楽しんでる人々の姿は目に楽しいと、カナトが笑い芥も目を細めて頷いた。
「満腹満腹~! お茶も満喫したし、和傘も見に行ってしまうかい?」
「そうだな、和傘も新調してぇし帰りに少し覗いていきたい」
 カフェを出てまったりと歩いていくと、目に飛び込むのは紫陽花に負けないくらい綺麗に飾られた和傘たち。
「壮観だねぇ」
「これは……迷うな」
「いいと思うよぅ、迷いながら見ていこ」
「……なら、迷いついでにカナトに選んでって我儘はアリ?」
 芥の言葉に、カナトが目をぱちりと開き。
「あは、そんなの我儘のうちにも入らないよ~。よしよし、オレが選んで進ぜよう」
 楽しそうに笑いながらも、カナトが真剣な瞳で和傘を吟味する。
「狐クンにはねェ……くれない紅葉柄とか似合いそうかも」
「へえ、紅葉柄か。良いな、くれないの色好きだよ」
 勧められた和傘を手に取り、芥がパンっと開く。
 夏を飛び越して、秋の気配がするその和傘をくるりと回し、芥はカナトが選んでくれたこいつにするかと目を細めるのだった。

ジャン・ローデンバーグ
七・ザネリ

●広げた傘のように
 紫陽花横丁の和傘市――なんて魅力的な言葉の響きなのだろうと、ジャン・ローデンバーグ(裸の王冠・h02072)はご機嫌に笑う。これは行くべき、行かねばならぬ、王様の矜持にかけて!
「そういうわけだ!」
「そうかよ……」
 ジャン言うところの『そういうわけ』で引き摺られてやってきたのは七・ザネリ(夜探し・h01301)で、不健康そうに見える色濃い隈を浮かべた瞳は諦めにも似た何かを感じさせる――のだが、この男、こう見えて子どもの我儘に付き合う甲斐性は備えていて、ちょっとばかりテンションが低いのは真昼間ゆえであった。
「日差しがちょっと暑いけど、お天気になってよかった」
「目に痛え……」
 カンカン照りとまではいかないが、梅雨前の晴れ間は目に眩しい。
「そう言うな、綺麗な紫陽花じゃないか」
 紫陽花の咲き誇る中、小径を歩くジャンが少年らしい表情で笑う。
「まあ、紫陽花は綺麗だがな」
 この日差しの中でも目に優しい色合いは、確かに美しい。それが群れなすように咲いているのだから、壮観を言っていいだろう。ただ、それでも眩しいものは眩しいのだと目を細くしながらザネリはジャンの後ろを歩いた。
 紫陽花小径を歩いていれば、いつの間にか辿り着いたのは紫陽花横丁。出迎えてくれたのは紫陽花の花手水で、ジャンが物珍し気に覗き込む。
「綺麗だな!」
「これは中々……涼し気だ」
 涼を取るには丁度いい、とザネリも満更ではない様子。少しの間、花手水を楽しむと再び横丁の通りへと向かい歩き出す。大通りへ出ると、通りの両端を和傘がずらりと軒を連ねるように並び、その奥にはトンネル状になった木枠に飾られた和傘が見えた。
「……すごいな!」
「そうだな、これは思ってたより規模がでかい」
 それなりの人出だ、迷子にならないように見張ってないとだなとザネリが思うより先に、ジャンが和傘を求めて歩き出す。
「待て待て」
「早く早く、置いてっちゃうぞ!」
 楽しそうな様子を見ると、つい甘くなってしまうザネリが仕方ないとばかりに歩を早め、追いついたとジャンの後ろに立つと、既に彼は真剣な顔で和傘を選んでいた。
「正統派の傘が気になってたけど……紫陽花モチーフの傘も広げてみると中々いいな」
 これは、あれはと和傘を開いては、ジャンが楽しそうに瞳を輝かせる。
「こんなカラフルな和傘あるんだ。迷うな……うーん、店員さん、何かおススメありますか!」
 ジャンの言葉を受け、店員さんが正統派から最近の流行りものまでを紹介してくれて、ジャンは嬉しい悲鳴をあげていた。
「……お勧めだのを店員に聞ける社交性には花丸をやる」
「郷に入っては郷に従え、という言葉があるのだろう?」
「餅は餅屋とも言うな。だが、俺も口は挟むぞ。カワイイヤツを着飾るのは気分が良いからな」
 存分に選んでやる、とザネリが店員とああでもないこうでもないと、傘を選び出す。
「俺の意見は!?」
「考慮してやる」
 なんだよそれー! なんて、わいわいと和傘を選び、最終的に候補を二張りにまで絞る。
「なあ、どっちがいいと思う?」
 ニコニコとザネリに聞くと、ザネリがそうだなと顎をこすり。
「お前は生意気だが品性もある、よって番傘も似合うが、……お前が花背負ってんのがクソカワイイ。紫陽花のヤツにしろ」
「お前、そろそろカワイイじゃなくてカッコいいって言えよ」
 紫陽花をモチーフにした、花の形をした傘を指さしてザネリが言うのに対し、ジャンはややむくれながら答える。けれど、その声はどこか嬉しそうで、結局選んだのはザネリが勧めた傘だった。
「和装も似合いそうだな、お前」
「和装? そうだな、今度和装を着て差してみようか。未だに帯が結べなくてな」
「帯くらい結んでやる」
「そうか、なら着る時には頼むとしよう」
 めちゃくちゃ可愛い結び方にしてやろうか、とザネリが思いつつも頷く。
「よし、傘は買ったし!」
「帰るか」
「何を言っているんだ? 次、アフタヌーンティーな!」
「……おい、傘買いに来たんじゃなかったか?」
「傘は買っただろう? 和風のが気になるんだ」
「ガキの胃袋……」
 来る前に昼食は取ったはずだが、と感心と呆れ半分でザネリが言葉を零す。
「おーい、ザネリってばー! カフェに行こう!」
 一向に動かないザネリのスーツの裾を引っ張り、ジャンがねだる。
 カフェに入る前に一服したいところではあるが、ジャンが呼ぶなら仕方ねえとザネリが煙草を諦めて、彼に引かれる方へたなびくかと一歩足を踏み出すのであった。

破場・美禰子
ツェイ・ユン・ルシャーガ
李・劉

●彩の連なり
 なだらかな斜面に咲く紫陽花は綺麗なグラデーションを描くように色を変え、訪れた者の目を楽しませる。それは人であろうと、人ならざるものであろうとも変わらない。
「おお、綺麗に咲いておるな」
「やぁ、本当だ。見事に咲いている」
 ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)と李・劉(ヴァニタスの|匣《ゆめ》・h00998)が感嘆の声を上げ、ふたりの後ろからゆっくりと歩いていた破場・美禰子(駄菓子屋BAR店主・h00437)も目を細めてその景色に見入る。
「西洋の品種もあるとは……中々見応えがある」
 劉がほら、と指をさした先には花のボリュームがあり、花色も多様性に満ちた紫陽花が咲いていた。
「色とりどりに良く咲く事」
「足を運んだ甲斐があったというものだの」
 ツェイも満足気に西洋紫陽花を眺め、よく晴れた空を仰ぐ。
「恵みの雨とて続けば気も滅入る……が、紫陽花は今しか見れぬものだからのう」
「そうさな、梅雨ッてな客入りも減るし煎餅も湿気るしで億劫も多いが、紫陽花は数少ない楽しみの一つだわな」
「此の花々あるからこそ、梅雨も心華やいで暮らせるというもの……でも、今日は晴れてよかったよネ」
 絶好のお出かけ日和だと劉が言えば、ツェイと美禰子が違いないと笑いあう。紫陽花を眺めつつ、時に立ち止まって愛で、気が付いたら三人は紫陽花横丁の入り口に立っていた。
「おお、これは見事な花手水だの」
 野に咲く紫陽花とはまた違った趣があると、ツェイが立ち止まって眺める。
「こいつは粋だね」
 まるでキャンパスアートのように彩られた紫陽花の花手水は涼し気で、美禰子も店先に置いてみようかと目を細めた。
「こういう楽しみ方もあるんだネ」
 参考になるなと劉が感心したように言い、指先を軽く紫陽花が浮かぶ手水から零れ落ちる水に触れさせる。
「自分で作るのも面白そうだ」
「いいねぇ、二人ならどんな花手水を作るんだろうね」
 劉の言葉に、ふと美禰子が思いついたように言えば、ツェイと劉が顔を見合わせて目を瞬く。それから、自分なら……と真剣に考え始めたものだから、美禰子が可笑しそうに声を上げて笑った。
 花手水から離れ紫陽花横丁を探索するように歩いていく、と大通りの両端を埋め尽くすように並べられた和傘が見えた。更にその奥にはトンネル仕立ての木枠に飾られたとっておきの和傘も見えて、三人のテンションが俄かに上がる。
「和傘市か、丁度店の貸出用の傘を増やしたい所だったンだ」
 これは丁度いいねと美禰子が言うと、ツェイと劉が貸出用の和傘と目を瞬く。
「貸出の和傘が此処の和傘とあれば、駄菓子屋へは一層足繫く通うことになりそうだ」
「良き考えだ、雨の憂鬱な日々でも客人が喜びそうだねぇ」
 急な雨でも、和傘を差して帰れるとなれば心も弾むのではないかと二人が言う。
「はは、常連二人の声も聞けたし購入決定だね」
 貸出用となれば、三本くらい買うべきか。それに自分の分だって欲しいと美禰子が和傘に目を走らせる。
「二人も買うかい?」
 そう美禰子が声を掛けると、これも縁だと二人が頷く。
「うむ、我も見繕うて参りたいところだの」
「折角だしネ」
「皆、気に入る一品に巡り合えるといいねェ」
「そうだねぇ、何を選ぼうか。彩り豊かに揃っていると悩ましい……」
 迷ってしまうネ、と劉が数多ある和傘を見遣る。
「これだけあると、色柄形、様々在れど悩んだら袋小路待ったなしだよ」
「ふむ、それならば美禰子殿は如何様に選ぶのだ?」
「アタシかい? ここはビッと直感勝負だ」
「成る程、直感勝負であるか」
「お、直感勝負。良いネ♪」
 ならば美禰子の直感勝負を拝見、と二人は彼女が選ぶのをじっと見つめる。そんな中、美禰子がゆるゆると歩を進めつつ足を止めたのは藍染をあしらった和傘が並ぶ一画。
 その中のひとつに手招きされるように、美禰子が手を伸ばしたのは藍染に白抜きの額紫陽花が咲く和傘。
「これにするよ」
「凛とした和傘だのう」
「趣があるネ」
「はは、ありがとうよ」
 そうは言いつつ、美禰子が選んだのは中々の逸品。これは自分も続くしかないと、劉も真剣に和傘を眺める。
「では……私も店主に倣って」
 ピンときた和傘に手を伸ばし、傘を開けば広がるのは淡く白から青紫へ彩りが移ろう紫陽花。更に、縁には花菱柄が彩られていて、劉は自分の直感に間違いはなかったとにんまりと微笑む。
「私は此方をいただこうか」
「我はこれにしよう」
 ツェイも幾分か悩んだあとにふと惹かれた和傘を手に取り、開いてみせる。そこにはとなりあう紫陽花によく似た、あわい白藍の雲竜和紙が広がっていて。
「染め抜きの柄こそ持たぬが、雨雪にも陽にも馴染んでくれよう」
 手にも馴染む、とツェイが微笑むと美禰子が並んだ傘に笑みを浮かべて頷く。
「ツェイは淡く柔い色合いの、劉は色移ろいに吉祥の柄か。二人とも似合いの一品だね」
「ふふ、店主の選んだ一本も私は好きだよ」
「結局年寄りは昔乍らの柄に弱いンだ」
「古き良きを大事にしている証さ」
 伝統ある美だと劉が美禰子の選んだ傘を眺め、和傘とは奥が深いものだネと笑った。
「御二人とも良き出会いをされたのう。伝統息づく藍に、劉殿のまなこの花色と……となれば――ほら、斯うして並び広げてやれば
紫陽花の仲間入りをした様ではないか」
 このように、と並んで広げた和傘を見れば、紫陽花に見えると美禰子も目を瞬いた。
「あゝ……ツェイくんの云う通り、皆で広げれば見え方も違う。共に並んで歩くのも一等楽しくなるだろう」
「佳いね、紫陽花の前でも見せておくれ」
 店の前でもいいねぇと美禰子が言えば、客入りも良くなりそうだと二人が笑った。
「さて、真剣に悩んだら喉が渇いたな。あのカフェで休憩といこうか?」
「ン、賛成だよ。皆で茶会と洒落込もう。私、茶も飲みたいけど蕨餅も食べたいのだよネ」
「うむ、蕨餅も良いのう。心満ちれば次は腹も、というやつだの」
「ははは! よしよし、蕨餅も付けようね」
 紫陽花を眺めながら食べるのはきっと格別に違いないと、カフェへ向かう三人の足取りは弾むように軽かった。

椿之原・希
天國・巽
黒後家蜘蛛・やつで

●紫陽花色の、楽しいお出掛け
 本日晴天、お出かけ日和――紫陽花だって陽の光を受けてまるで煌めいているように見えて、ご機嫌な椿之原・希(慈雨の娘・h00248)の機嫌は更に上を向く。
「ちゃんと前を向いてあるかねェと転ぶぞ、希」
 そう声を掛けたのは、青朽葉の長着に白太縞の角帯を締め、鶸茶の羽織を肩に掛けた天國・巽(同族殺し・h02437)だ。
「だってだって、今日は天國さんとやつでさんと一緒に紫陽花が見れるのですもの!」
 紫陽花横丁の和傘市、なんて心惹かれる話なのだろうと希はずっと楽しみにしていたし、初めて紫陽花を見るのが巽とやつでと一緒だなんて、テンションが上がらないわけがないのだ。
「やつでは、希様のお気持ちわかります!」
「やつで、お前まで……まあ仕方ねェか」
 ふたりを引率する形でやってきた巽だって、今日という日を迎える前からひそかに張り切っていたのだから。まず、希とやつでの本日の着物を選んだのは巽だったし、更に巽自身が身に纏う着物だって二人に合わせたものだ。
 白に薄青地、裾に流水と畔に白と赤紫の紫陽花柄をあしらった希の振袖に、薄墨と白で染め分けた生地に青と薄緑の紫陽花柄のやつでの振袖、これが気合が入っていないわけがないのだ。
 カラコロと下駄の鳴る音を響かせて、三人は紫陽花の小径を歩く。思う存分紫陽花見物をしながら進めば、紫陽花横丁まではすぐだ。
「わ、素敵!」
「紫陽花の花手水だな」
「紫陽花をお水に浮かべているのです?」
 紫陽花横丁に足を踏み入れれば、三人を出迎えてくれたのは色鮮やかな紫陽花の花手水。花手水とは本来であれば神社やお寺の手水鉢に季節の花を浮かべたのが始まりで、今では人々の目を楽しませるために人が集まる場所に置かれていることも多いもの。
「綺麗です……!」
「切り花を水に浮かべておけば、それなりに日持ちもするしな」
 暑気払いにも持って来いだ、と巽が言うと、やつでがまよひがのお屋敷でもしてみますかと提案する。
「悪かねェな」
「私もやりたいです!」
 将来の夢がお花屋さんだという希は、その素敵な提案に迷わず手を挙げた。
「ああ、帰ったらな。まずは傘を見るんだろ?」
「そうでした! 素敵な和傘を買うのですー」
「やつでも買いたいのです!」
 はしゃぐ二人にわかったわかったと巽が頷いて、花手水を離れて和傘市へと向かう。横丁の大通りに出れば、道の左右にずらりと連なる和傘が、その奥にはトンネル状になった木枠に飾られた和傘が見えた。
「わあ……!」
「すごいです!」
「こいつは壮観だ」
 希とやつでは言うに及ばず、巽ですら目を瞠る和傘市。これは選ぶのも気合が入るなと三人は大通りを歩き、目を惹く和傘を手に取ったりして吟味していく。
「あ、これ、見てください! 天國さん、やつでさん!」
「どれどれ」
 希が手にした和傘は青地のもので、開いて見せれば水滴モチーフのすだれ飾りが付いていた。
「いいじゃねェか、希はセンスがいいな」
「ありがとうございます!」
「希様によくお似合いです」
「どれ、やつでのは俺が選んでやろうか」
 巽にそう言われ、やつでは一も二もなく頷く。
「家主様はやつでの好みをよく分かってますからね!」
 選んでくれたこの着物だって、やつでの好みを把握していなければ選ばないだろう。
「褒めても何にも出ねェぞ」
 そう言いつつも、巽が選んだのはこれまたやつで好みの和傘。月と雲の柄が目を惹く、夜を思わせる逸品だ。
「やつで、これが好きです!」
「すごいね、やつでさんの今日の装いにぴったりです!」
 希の言葉にやつでがそっと傘を差せば、まるで空から月や雨が紫陽花に柔らかく降り注ぐような形になって、やつでが巽を見上げる。
「なるほど、さすが家主様は趣味がいいのです」
「気に入ったみてェだな」
「はい!」
 そいつは重畳、と巽は自分の傘も選ぼうと視線を彷徨わせ、手を伸ばす。
「俺はこいつにしよう」
 選ばれたのは紺藍の地に浮雲と椿がちらりと描かれたもので、二人との思い出にぴたりの一品だと巽が柔く微笑んだ。
 希が早速、と買ったばかりの傘を差し、大通りを歩く。
「これ、ものすごく綺麗ですよね」
「そうだな」
「はい、とても」
 矯めつ眇めつ歩いていたやつでも、希の言葉にこくりと頷く。
「だから、私――色んな人に見て欲しいのですー」
 嬉しい、楽しいと表情を輝かせ、希がくるくると回って見せると、すだれ飾りと着物の袖が円を描くようにひらひらと舞って、希の願い通り人目を集める。
「ね、お兄さんもそう思いませんか?」
 不意に声を掛けられた青年――古妖の封印を解いてしまった画家、西野倉之助が驚いたように目を開く。
「あ、ああ……とてもよく、似合っていると思うよ」
 その様子を見ていたやつでが、巽に内緒話をするように耳打ちしようと背を伸ばす。
「見てください、希様が件の画家から情報収集をはじめています!」
「……偶然じゃねェか?」
「そんなことありません、なんて仕事熱心なのでしょう。やつでも参ります!」
「ほどほどにな」
 巽がそう言うと、やつでが希の隣に並び、倉之助に話を聞くべく奮闘する。幼い少女二人と話をするうちに、倉之助もぽつり、ぽつりと言葉を零すようになり、やつでが聞きたかったことを教えてくれた。
「画家様は、お前が見たこともないような絵を見せてやる、と言われたそうです」
「ほう、見たこともないような絵ねえ」
 やつでから報告を受け、巽がふむ……と考え事をしているうちに、何がどうなったのかわからぬが、いつの間にか希とやつでが大人たちに群がられていた。
「あん? スカウト?」
 どうやら二人を看板娘にしたいとかで、横丁の商売人たちが巽へと声を掛けてくるのを巽が手を振って断る。
「あー、間に合ってる間に合ってる。てかお父さんじゃねェし――さあて、どんな関係に見える?」
 煙に巻くような言葉を投げかけ、巽が二人の元へ向かうと先ほど買ったばかりの傘をパン、と開く。それを合図にしたように、二人に群がっていた大人たちは波が引くように消えていった。
「家主様、何をなさったのです?」
「ちょっとした結界みたいなもんさ。ほら、行くぞ」
「うっ、はしゃぎすぎるのはレディらしくなかったのです……ここは淑やかに……!」
 希がそう言うと巽が笑い、燦々と降る陽光を避けるように傘を差し、はしゃぎながら歩く二人に寄り添いながら通りを練り歩いた。
「どれ、そろそろ足も疲れただろ。そこのカフェに寄って行こうぜ」
 カフェと聞いて希もやつでも嬉しそうに頷き、中へと入る。巽が店員に通りに面した露天の座敷がいいと伝えると、すぐに用意してくれて三人が腰を下ろす。買った傘を開いて飾れば、目にも楽しいだろうと巽が笑う。
「さ、好きなものを頼みな」
「私、和風のアフタヌーンティーセットがいいです!」
「おう、希は和風だな。じゃあ俺は洋風にして……やつでは?」
「やつではケーキと麦茶がいいです、お仕事ですから酔わないようにカフェイン抜きで!」
「ん」
 店員を呼んで注文すると、すぐに頼んだものがやってくる。
「ふわあ……これがアフターヌーンティーというものなのですね」
「華やかですね」
 丸い木枠のティースタンドに、綺麗で可愛らしい和菓子が並び、下段のお更には手まり寿司がちょこんと並び、希の乙女心を擽った。
「洋風も中々どうして、見栄えがいいじゃねェか」
 紫陽花の造花が飾り付けられた螺旋状のティースタンドに、洋菓子が幾つも並んでいて見ているだけでも満たされそうだ。
「いただきます!」
「いただきます!」
「はいよ、おあがり」
 確か下のお皿から摘まむはず、と希が手まり寿司に手を伸ばす。
「はむっ……むむっ……! この手毬寿司というものすごく可愛いのに美味しいのです!」
「こちらのケーキもとても美味しいです」
「そら何よりだ、こっちのも食べな」
 これも食べな、あれも食べな、と巽が二人に食べさせては自分も摘まみ、舌鼓を打つ。
「このつるつるしたしかくいものも香ばしいのにつるつるで、お口の中が幸せなのです……!」
 胡麻豆腐をスプーンで掬い、希が幸せそうに笑う。その横で、やつでもまたふくふくと笑っていて、巽は眠っているだけでは振袖も退屈だろう、今日はこの二人に着せてやれてよかったと満足そうに二人を眺め――元の持ち主を想い、二人に笑顔を向けたのであった。

ナギ・オルファンジア
東雲・夜一

●雨の日に、楽しみを
 紫陽花が咲き乱れる小径を抜ければ、見えてきたのは紫陽花横丁。その名に恥じぬ、紫陽花で彩られた横丁だ。
「夜一君、夜一君、見て」
 ほら、とナギ・オルファンジア(■からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)が指さしたのは、色とりどりの紫陽花が浮かぶ花手水。丸みのある手毬紫陽花がまるでグラデーションを描くように綺麗に浮いている。
「紫陽花の花手水、かわいいねぇ」
「涼し気だな」
 ナギに呼ばれて覗き込んだ東雲・夜一(残り香・h05719)が、そろそろ暑くなってくる頃合いだから丁度いい、と石鉢から零れる清水に指先を触れさせた。
「あっちの方にもあるんですって」
 ナギがあっち、と大通りを示すと、それじゃあそっちも見に行くかと二人が歩き出す。
「あの状態で綺麗であるのは不思、議……、和傘がたくさん!」
 大通りで行われているのは和傘市、通りの両端にずらりと和傘が飾られ、奥の方にはトンネル状になった木枠に和傘が紫陽花のように飾られているのが見えた。
「綺麗だな。こんだけあると、風情があるっつーか」
「目移りしてしまうねぇ、うんうん」
 まるでさっき見た花手水のように彩り豊かな和傘が並んでいて、あれもこれも、どれも素敵で全部手にしたくなるほどだ。
「夜一君はどの和傘にするのか決めたのかい?」
 そう言うナギは全く決まっていないようで、視線をあちらにこちらにと忙しそうに動かしている。
「オレか? 実はもう買う物は決めてあってな」
「おや、来る前から心に決めた物があったんだねぇ」
 夜一が迷わず手に取ったのはシンプルな黒い和傘で、ナギは思わず笑みを浮かべて夜一を見遣った。
「ふむ、君はやはり黒かー」
「意外性がなかったか? こういう紫陽花柄も珍しくて良いんだけどさ」
「いいや、桎梏がとても艶やか、似合い過ぎる位お似合いだよ」
「だからシンプルな黒なのさ、夜に差しても目立たねぇ」
 ナギの言葉に夜一が小さく笑い、開いた和傘をスッと閉じる。買う、と決めたのだ。
「ま、目立たなすぎて困るかもしんねぇけど」
「急に夜道から出てきたらびっくりするかも、んふ」
 想像するだけで可笑しかったのか、ナギがんふふと笑う。
「それじゃ私は……この紫がかった黒に深緋の差し色の物にしようかな」
「男物か?」
「そう、たまには男性物を差すというのも粋ですもの」
 ナギが手にした傘を開いて差せば、凛とした立ち姿によく似合う。
「良いんじゃないか」
「ありがとうございます。それはそれとして、紫陽花柄の傘も見たいですねぇ」
 手に入れる和傘が一張りだけなんて、こんなに沢山あるのにもったいない! とナギが楽し気に大通りを歩く。その横を歩きながら、なるほど二張り目もありか、なんて夜一が笑った。
「ううん、色がたくさん……」
 薄紫に、桃色、水色、藍色、緑色――色の洪水のようにも思えるほどの、彩。
「夜一君、助言、助言をください!」
 選びきれない! と助けを求めると、夜一がそうだなと並んだ和傘を吟味する。
「ナギはこっちの薄紫の紫陽花とか似合う。淡い色合いが瞳の色に合うんだよな」
「ン」
 真剣に耳を傾けるナギに、夜一が話を続ける。
「瞳に合わせるって言うならこっちの桃色もいいけどさ。紫のが落ち着いて見えると思う」
「ふんふん、成る程……」
「かわいいのと綺麗なの、お前さんはどっちがいい?」
 可愛いのも綺麗なのも、どっちも素敵すぎるじゃないか! とナギが嬉しい悲鳴を上げて、うんうん唸りながら選ぶのを夜一は最後まで付き合った・
「ん-、良い買い物をしたねぇ! ちょっとはしゃぎすぎたかも、お茶して休んでから帰ろうね」
「ハハ、折角だ。休憩になんか飲んで行くか」
「この先にカフェがあるらしいからねぇ」
 そう言って、ナギが先ほど夜一に選んでもらい、そこから更に自分で選んだ和傘を開く。
「ほら、綺麗な方を選びました。陽に透けて、とっても綺麗だねぇ」
 うっとりとして傘をくるくると回し、ナギがそのまま肩に掛ける。
「おーおー、綺麗な傘だな。雨の日ももっと楽しくなりそうだ」
「雨の日が楽しみなくらいだよ」
 夜一の助言に感謝して、ナギがお茶くらいご馳走しないとねぇ、と笑った。

夜恭・燕
夜恭・藍

●揃いの紫陽花
 見渡す限り一面の紫陽花、それは地平線まで続いていると錯覚してしまうほどで、夜恭・燕(人間の護霊「かみさま」・h02195)は小さく歓声を上げた。
「うわぁー! 紫陽花キレイだね、兄さん!」
「……そうだな」
 花が美しいとはしゃぎ、くるくると表情を変える弟に夜恭・藍(人間の|鉄拳格闘者《エアガイツ》・h02197)が静かに相槌を打つ。燕とは対照的にその表情は変わらない、けれどもその眼差しはどこまでも優しく燕を見守っていた。
「僕らの里にも紫陽花は咲くけど……こんなにいっぱいの種類、初めて見たよ」
 ガクアジサイと呼ばれる小さな花を囲むように装飾花が咲いているもの、一般的にアジサイと呼ばれる手毬咲きのもの、|山野草《さんやそう》のように見えるもの、アナベルと呼ばれる種類のもの……それらが色とりどりに咲いている様子は一見の価値ありである。
「すごいなぁ」
 あちこちに視線を向けながら、燕が紫陽花の小径を進む。その一歩後ろを見守るように藍が歩き、紫陽花を楽しんでいると横丁が見えた。
「あれが紫陽花横丁かな?」
「そのようだ」
 真っ直ぐに進めば、出迎えてくれたのは紫陽花の花手水。手水鉢に浮かべられた紫陽花は、小径で見かけた紫陽花ばかりで、燕は瞳を輝かせて覗き込む。
「レイにも見せてあげたかったねぇ」
 つん、と浮かぶ紫陽花をつつき、燕が残念そうに顔を上げる。
「そうだな、一緒に来ていればきっとこの花々を愛でただろう」
 けれど、と藍が小さく首を横に振る。
「彼は自分たちにとってかけがえの無い|存在《Anker》だ」
「うん」
 勿論、もしもこの場に連れてきていれば、全力を以てして守るだろうけれど。
「古妖とやらが放たれたならば、危険だ」
 仮にAnkerではなかったとしても、大事な幼馴染を危険な目に合わすことはできないと藍が周囲を警戒するように視線を向けた。
「わかってる、残念だけど……お土産はかっていこうね!」
「うむ」
 きっと喜ぶはずだと頷けば、燕も笑みを浮かべて頷く。
「お土産、何がいいかなぁ」
 折角だから、紫陽花横丁ならではの物もいいし……と言いながら横丁の大通りに出ると、ずらりと並んで使い手を待っている和傘が見えて、燕が紫陽花を見た時と同じように小さく歓声を上げた。
「すごいすごい、和傘がいっぱいだね!」
「……和傘を土産にするのはどうだ?」
「それ、すごくいいかも! レイに似合うの選ばなくっちゃ!」
 張り切る燕の後ろを古妖の気配がないかを探りながら、藍が歩く。燕が良いと思う物を選べばいいと、口出しをする気はなかった――のだが。
「あっ、この紫陽花柄の和傘、どうかな? 三人お揃いで!」
「……お、お揃い……? ……男三人で、お揃い……」
 つい、口をついてそんな言葉が出てしまったのを、誰が責められようか。しかも常に仕事をしない表情筋が何とも言えない微妙な具合に動き、珍妙な表情を作っている。
「……あれ? 兄さん、何か……変な顔……?」
「いや……なんでもない……」
 なんでもなくはないのだが、自分も幼馴染も燕をこよなく愛している。その燕が選んだ土産だ、嬉しくない訳がないと自身に言い聞かせる。
「ん-、じゃあ全部同じは止めて……色違いにしよう! 赤と~藍色と……緑! ね?」
「そうだな……」
 それなら、まぁ、うん、と藍が財布を出して、燕と藍、そして帰りを待つ幼馴染は揃いの和傘を手に入れたのであった。
「さて、折角だし、噂のカフェにも行ってみようよ!」
「甘味か、それは良い」
 男三人揃いの和傘というダメージを癒すのにも丁度いいと、超甘党な藍は静かに頷く。カフェに入りメニューを開くと、見栄えの良いセットが目に入る。
「僕はね、一推しのアフタヌーンティーセット! 洋風のがいいな。兄さんは?」
「俺は、和風のあ、あふたぬ、……ソレで」
 誤魔化すようにこくりと頷くと、察したように店員が注文を受けて、アフタヌーンティーセットをテーブルへと運んでくれた。
「わわ、これも綺麗! このケーキも、本物の紫陽花みたいに綺麗だよ」
 和風と洋風ではアフタヌーンティースタンドも違い、目にも楽しい。
「これは……見ても食っても最高だ」
「ね、最高! あっ兄さん、その抹茶白玉、この桃のタルトと交換しよう!」
「うむ、好きなのを食え」
 交換と言わずとも、食べたいものはなんだってと藍が真面目な顔で頷く。
「たんと食え」
「兄さんもだよ! いっぱい食べて、その古妖? ってやつ、なんとかしないとね」
 腹が減っては戦ができぬ、だよ? と燕が笑って食べるのを、藍はなんとも幸せな気持ちで眺めるのだった。

雨夜・氷月
時月・零

●夜に咲く紫陽花
 腐れ縁、という名の監視役を引っ張って、雨夜・氷月(壊月・h00493)は鼻歌混じりに紫陽花横丁へと向かう。対して、引っ張られてきた時月・零(影牙・h05243)はなんとも複雑そうな顔をして、それでも氷月に付き合う為に足を動かしていた。
「ほらほら、そんな顔してないでさ。見なよ、紫陽花が綺麗だろう?」
「紫陽花が目的じゃないだろう……?」
 特に、何が目的かとも言われずにやってきたが、紫陽花見物が目的だとは思えなくて零が怪訝そうに問い返す。
「ひどいなー、俺だって紫陽花を愛でることもあるかもだよ?」
「ないとは言わないが、そう言っている時点で違うだろ」
 零の返事に答えずに笑い、小径を進む。紫陽花も綺麗だとは思うけれど、氷月の本日のお目当ては――。
「……和傘?」
「そ、何か良いのないかなーって」
 紫陽花横丁へと入り、大通りに向かえばずらりと並んだ和傘が見えて、零がぱちりと瞳を瞬く。
「また無理矢理人を引っ張ってきたかと思えば、目的が和傘とは珍しいな。普段は見向きもしないくせに」
 傘に興味を持ったところなんて見たことがないが、と零が氷月を見遣る。
「此処ならイイモノに会えそうな気がしたんだよね」
 勘ってやつ? と氷月が笑って、近くに見えた紫陽花の花手水へ視線を向ける。
「ほら……紫陽花って、何か俺っぽくない?」
「お前が?」
「ん-、場所によって色が変わったり、花に見えるところは実は花弁じゃないとか」
「まあ、言わんとすることはわからないでもないが」
 氷月という男は己が満足するならば、何でもする――言うなれば愉快犯だ。善も悪も敵も味方もどうでもいいと言う彼は、自分勝手で人の枠に収まるような男ではないけれど、偶にすごく人らしい感情を見せることがある事を零は知っている。
 それが良いことか悪いことかはわからなかったけれど、良い方に作用すればいいと零は思っていた。
「どれが良いかなー」
 なんとなく、勝手に親近感を感じた花。この横丁に来るまでに見た紫陽花も、様々な色と形をしていた。
 なんとなく……気になる存在、そんな花を模った和傘に手が伸びたのは、氷月にとってはごく自然なことだった。
「どう? これ、俺に似合うでしょ」
 淡い青に染まった和傘は開けば紫陽花の花弁を模しており、氷月に馴染んで見えて。
「ふん……良いんじゃないか」
 悪くない、と零が言うと氷月がにんまりと笑って見せる。
「じゃ、これにしようかな。アンタにも色違い買ったげるから、たまにはこういう傘差してみたら?」
「は? 俺も?」
 寝耳に水のような顔をした零に笑って、そ、アンタのこれね、と氷月が色違いの和傘を零に押し付けた。
「……こんな傘を差したら目立つんだが」
 出来るだけ目立たぬように、黒い服を好んで来ている零が眉根を寄せてこめかみを揉むが、氷月がそうすると言った以上、絶対にそうするのだろう。ならば諦めて受け取った方が良いに決まっている。
「まあ……気が向いたら使ってやってもいい。俺にこんな繊細な物は似合わないだろうがな」
「そう? 真っ黒な装備に慎ましやかに咲く傘の組み合わせ、これはこれでアリだと思うんだよね」
 ほら、と零に傘を差させて、少し離れた場所から氷月が眺めて頷く。
「アリだと思うよ」
「そうか。そんなことより、用事が済んだならカフェに行くぞ」
 和傘市を抜けたところに美味しいカフェがあるというのは聞いている、こうなれば食べていかねば損というものだと氷月を引っ張った。
「ホント、アンタってカフェにしか興味ないよね」
「悪いか」
 軽口を叩きながら通りを進めば、お目当てのカフェを発見して中へと入る。メニューを開けば紫陽花をモチーフにしたスイーツが盛りだくさんだ。
「気になるメニューは一通り味見しないとな」
「アンタ、自分は味見だけであんま食べないくせに」
「残った分は全部お前が食うから良いだろう」
 更に言えば、金を払うのも零なのだから。
「はいはい。さーて、今回はどんだけ食わされるのやら」
 氷月の言葉など意にも介さず、零は気になったものを片っ端から頼み、テーブルの上を甘味塗れにしたのであった。

アゥロラ・ルテク・セルガルズ

●それはまるで花咲く虹のように
 アゥロラ・ルテク・セルガルズ(絶対零度の虹衣・h06333)は何処かの世界の精霊であり、受肉した事で現界し人型を得た存在だ。長身痩躯、切れ長で銀青紫色の双眸は何処か神秘的で、その美貌を更に引き立てていた。
 紫陽花という花は、アゥロラがいた世界でも咲いていた花。それが見頃だと言われれば、見に行きたくなるほどには好きな花だ。特に誰に言うでもなく、ふらりと訪れて目の前に広がる紫陽花を楽しむ。
 赤、青、紫、赤紫、その多様な色を湛えた紫陽花は、形もそれぞれ異なる。ひとつひとつをゆっくりと眺めて小径を歩き、時折花弁の途中で色が変わるそれに指先で触れては柔らかな笑みを浮かべた。
 美しい、と感じる心は人と変わらず、人ならざる存在を人に近付ける。それは悪いことには感じられず、アゥロラは己の心が感じ、惹かれるままに小径を進み――いつのまにか紫陽花横丁へと辿り着いていた。
 横丁の中に入れば、紫陽花で彩られた花手水が迎えてくれる。浮かぶ紫陽花はアゥロラ好みの色合いで、白や淡い緑の紫陽花を大きな緑の葉で囲い、まるで花を縁取っているようにも見えて大変美しいとアゥロラは目を細めた。
 横丁を歩けばカフェが目に入り、アゥロラは休憩がてら中へと入る。和風のカフェは穏やかな雰囲気で、おススメのケーキセットを頼み、紫陽花を眺めながらゆっくりと食べる。こんなひと時も悪くないと微笑み、次は何処へ向かおうかと窓の外を見れば、和傘が見えて彼女の興味を惹いた。
 食べ終わると、軽く会釈をして大通りへと出て、まるで紫陽花のように飾られた和傘を眺めていく。幾つか気に入ったものは手に取り、重さや使い勝手を吟味して、気に入った色合いの蛇の目と番傘を買い求める。
 ひとつは自分の、ひとつは、アレの。
 アレがこの傘を使うかは解らなかったけれど、この良き場所を紹介した褒美だとアゥロラは唇の端を優雅に持ち上げた。自分の為の和傘を差して、土産は手にもって。
 さて、次は何処を見ようかと、アゥロラは何処か弾む気持ちのままに紫陽花横丁をそぞろ歩くのだった。

鴛海・ラズリ
夜縹・雨菟

●紫陽花のご縁結び
 紫陽花が咲く小径を真っ直ぐにいけば、いつの間にか紫陽花横丁に出る――√妖怪百鬼夜行ならではの不思議なのかも、と鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)は彼女が白玉と呼ぶまんまるふわふわの可愛らしい白いポメラニアンと共に小径を歩いていた。
「紫陽花、綺麗だね白玉!」
 わぅん! と彼女の言葉に答えるように、白玉が高い声で鳴く。
「いつまでも此処の紫陽花を眺めていたいほど綺麗だけど、目的は紫陽花横丁だものね」
 つい目で追ってしまうけれど、ラズリのお目当ては和傘市。楽しみだなと思いながら足取りも軽く進めば、パッと目の前が開けた感覚がして、いつの間にか横丁の入り口に立っていた。
「本当に紫陽花横丁に出るのね……!」
 白玉もいるかしら、と視線を落とせば白い毛玉は既に横丁の中だ。
「……? 何か見つけた?」
 てててと走っていく白玉に、ラズリがハッとした顔をして追いかける。
「あっ、また勝手に走っていくんだから……!」
 待って、と声を掛けても白玉は待ってくれない。本当に何か見つけたのかしら、もしかしたら素敵な和傘? なんて思っていたら、見覚えのある白い猫耳に猫尻尾。わんわわーん! と白玉が鳴くと、その持ち主が動きを止めた。
「白玉!」
 白玉は迷わず白い尾に飛び込んでしがみつき、わふわふと懐く。
「奇遇ですね、雑貨屋の猫さん!」
「どっかで見たような毛玉が見えたと思ったら……まさか、また会うとは」
 気のせいだろうと通り過ぎようと思ったのだが、尾にずっしりと感じる重みは気のせいじゃなかったな、と白玉に懐かれている猫獣人の青年――夜縹・雨菟(仮初・h04441)はラズリと白玉にデジャヴ……と思いながらも奇遇だな、と返した。
 それから、雑貨屋の猫さんと呼ばれた事に気が付いて、そういえばまだ名乗っていなかったと目を瞬く。
「雨菟……夜縹雨菟だ、好きに呼びな」
「っとと! 私も名乗ってなかったの。鴛海ラズリ、なのよ」
 宜しくね、雨菟とラズリが微笑む。
「雨菟も好きに呼んでくれていいのよ」
「ん、じゃあラズリ。それからこいつは――」
「白玉っていうの、白玉、ほら離れて?」
 ラズリがそう言うけれど、白玉はここが安住の地とばかりに離れない。
「……ええと、雨菟はどうしてここに?」
「あー、和傘市があるって聞いてな」
「本当に奇遇ね! 私も和傘が欲しくてここへきたの、良ければご一緒しませんか?」
 そう言われ、雨菟は少し考えてから頷く。
「そうだな、こいつも離れねえし。御相伴に与りますかね」
 これも何かの縁、紫陽花が結んだご縁かも、なんて話しながら二人は並んで歩き出す。
「どんな和傘を探しているの? 私、雑貨屋さんの見立ても気になるのよ」
「俺の見立てか、そんな大したもんじゃないと思うが」
 そんな他愛のない話をしつつ二人が立ち止まったのは、正統派の和傘に混じり、変わった和傘が飾られた一画。
「ああ、これいいな」
 ひょい、と雨菟が手にしたのは紺地に白抜きの紫陽花がひとつ描かれ、雨に見立てた白線が散らばるもの。
「素敵! 雨菟が選んだ和傘、かっこいい……! さすがね」
「ありがとよ。ラズリはどれを選ぶんだ?」
「私は……これかしら」
 ラズリが手に取ったのは持ち手に紫陽花のハーバリウムをあしらった淡い薄紅色の和傘。
「花は季節に合わせて付け替えられるの? 素敵だわ!」
「へぇ、ハーバリウムもあんのか、小洒落てんのな」
 センスが良いな、仕立て屋と褒められて、ラズリが嬉しそうに雑貨屋さんも流石の見立てよと笑った。
 互いに気に入った和傘を手にし、紫陽花横丁をぶらりと歩けば紫陽花カフェが目に入ってラズリが立ち止まる。
「紫陽花カフェ……気になる……!」
「見りゃ惹かれんのが性ってもんだ」
 くるる、ぐう、とラズリのお腹が鳴って、少しばかり恥ずかしそうな顔をした彼女が雨菟を見上げる。
「良かったら、このままお茶もどうかしら?」
「折角だしな、寄ってくか。ラズリはこのアフタヌーンティーセットの和洋のどちらがお好みで?」
 そう問われ、ラズリが和も洋も捨て難いわと悩みながらカフェのドアを開く。その後ろを付いて歩きながら、雨菟は彼女が選ばなかった方を頼もうと決めて、悩むラズリに笑うのだった。

神楽・更紗
ガザミ・ロクモン

●紫陽花散策と、和傘市
 気に入った和傘が壊れてしまったのだと、神楽・更紗(深淵の獄・h04673)はガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)にそう切り出して、紫陽花横丁の和傘市に行かないかと誘いをかけた。
 気が置けない友人からの誘いということもあり、ガザミは快く誘いを受けて更紗と紫陽花横丁に向かうべく、紫陽花が咲き乱れる小径を歩いていた。
「いや助かった、代わりの和傘をと思っても中々気に入るものがなかったのだ」
「こちらこそ、紫陽花見物もできるなんて願ったりかなったりです」
 綺麗に切りそろえられた黒髪を揺らし、ガザミは早速紫陽花の前で立ち止まり、まじまじと花を観察しだす。
「楽しんでもらえているなら何よりだ」
 急ぐ買い物でもないし、和傘市が逃げてしまうこともない。ガザミが紫陽花に夢中になっている姿を微笑ましく思いながら、更紗はゆっくり付き合うとするかと自分も紫陽花を眺めた。
「額咲き、せーよー咲き? 興味深いですね」
 紫陽花とほぼゼロ距離でガザミが呟き、時折メモに取ってはまた紫陽花をじっと見つめる。
「ここまで観察されては紫陽花も冥利に尽きるというものだな。っと、ガザミ、しないとは思うが紫陽花には毒がある、齧るなよ」
 妖獣といえど、腹を壊すくらいはするかもしれんと口を出し、更紗はしまったと両手で口を覆う。
「妾はどうして、こうも口が悪のだ……」
 注意するにも言い方というものがあるだろう、と軽い自己嫌悪に陥りつつ、しかし葉にも毒があるしなとガザミを見れば、気にした様子も更紗の独り言を聞いていた様子もなく、食べられないんですか……と残念そうな顔をしている。
 注意をしてよかったと思う反面、ガザミがいつも通りに接してくれることに表情を崩さぬまま胸を撫で下ろした。
「ふむふむ、僕がよく見るのは手毬咲きと呼ぶんですね」
 色々な種類がありますね、と紫陽花から顔を上げてガザミが笑う。
「そうだな、土の性質によって色を変えるところは変わらんようだが」
「不思議ですね。更紗さんは、どの紫陽花がお好きですか?」
 話のついでとばかりに、ガザミが更紗に問いかける。
「そうだな、妾は白い紫陽花だ」
「白い? 白色の紫陽花、なんてあるんですか?」
「ああ、写真ならあるぞ。見るか?」
「見ます!」
 食い気味な返事に笑いつつ、更紗がスマホで撮った写真を見せてやる。
「白い紫陽花、綺麗ですね……これ、横丁にも咲いてるのかな?」
 見たい、という気持ちがどうにも強くなって、ガザミはそわそわしながら辺りを見回す。けれど、ガザミ達の周囲にあるのは鮮やかに色付いた紫陽花ばかりだ。
「更紗さん、白い紫陽花、探してみません?」
「はは、好奇心に火が点いたようだな。よいよい、責任とって捜索に付き合おう」
 小径を抜けて、紫陽花横丁へと到着すると、ガザミが楽しそうに花手水や一輪挿しの紫陽花を見ては白い紫陽花を求めて突き進む。更紗からすれば、ガザミが楽しそうにしているのは嬉しいし、散歩の時間が増えて嬉しいしで笑みを浮かべてついていく。
「更紗さん」
「ん? 白い紫陽花を見つけたか?」
「見つけたと言えば見つけたかもしれません。ほら、こっちこっち、和傘が紫陽花みたいに咲きまくってますよ!」
 どれ、と向かえば確かに先ほどまで小径で見ていた紫陽花のようだと更紗が頷く。綺麗だと眺めていると、いつの間にかガザミが和傘を手にして更紗の元へと戻ってくる。
「はい、更紗さん」
 ガザミが和傘を開くと、白い紫陽花が咲き誇る姿が見えて、更紗が小さく感嘆の声を零す。
「白い紫陽花だな」
「いいでしょう?」
 得意気に言いながら、ガザミが更紗へと傘を差しだし、日陰を作る。
「日陰が心地よいな」
「この傘、更紗さんに差し上げます」
「いいのか?」
「ええ、此処へ連れてきてくれたお礼です」
「ん、ありがとう……そういえば、すっかり和傘を買いに来たことを忘れてたな……」
 ぽつりと呟いた更紗にガザミが視線を合わせ、どちらからともなく笑みを零して笑いあった。
「そういえば、さっきの写真、どこで撮られたんです?」
「あれは分福寺の庭だ」
「分福寺の……」
 ガザミが目をぱちりと瞬き、それからくすくすと笑いだす。
「じゃあ、帰りに寄ってもいいですか?」
「うむ、かまわぬ。茶の一杯もご馳走するぞ」
「それは是非、いかなくてはです」
 楽しそうなガザミをちらりと見遣り、更紗は和傘市の逆側の方に咲いているのを見掛けたのは黙っておこうと、何となくそう思ったのであった。

ネム・レム

●想い出に残して
 ふわふわの白い犬のようなハニーを連れて、ネム・レム(うつろぎ・h02004)は紫陽花が咲き誇る小径を歩いていた。
「雨の季節いうたらやっぱ紫陽花やねぇ」
 梅雨入り前の晴天の下、紫陽花に囲まれて気分がいいとネムはご機嫌だ。
「青に紫、桃に白は見たことあるんやけど、他にもあったんやねぇ」
 グラデーションを描くように咲く紫陽花はネムの目を楽しませ、足取りを軽くさせて――いつの間にか紫陽花横丁に到着する。
「これまた見事な横丁やねぇ。なあハニー……ハニー? これこれ、ひとりでどこ行くん。なんや気になるんあったん?」
 わふわふん、とハニーが向かう先にネムも向かえば、そこにあったのは紫陽花の花手水。
「……ほう、あれか」
 わうん~! とハニーがネムの足元に纏わりつく。
「はいはい、だっこやね」
 甘えん坊さんやね~とネムがハニーを抱っこして、花手水を覗き込む。
「これはねぇ、花手水いうんやって。綺麗やなぁ……」
 先ほどまで見ていた紫陽花も綺麗だったけど、花手水はまた違う魅力があるとネムがハニーを撫でる。
「ん、あっちにも花手水あるみたいなね」
 そう聞いて、ハニーが尻尾のようなものを盛んに振るものだから、ネムはついつい笑ってしまって。
「はいはい、ゆっくり見て回ろうか」
 横丁の花手水を全て巡るのも楽しいかもしれないと、ネムが歩き出す。花手水を目指して歩くと、和傘市が開かれているのが見えてネムはハニーの喉元を撫でつつお伺いだ。
「ハニー、ネムちゃん和傘見たいんやけど……ええやろか?」
 和傘選びに付き合うと言うように、わふふん! と返事があって、ネムが笑いながら礼を言う。
「ふふ、ありがとうねぇ。それにしてもな、ぎょうさん咲いて花みたいやなぁ」
 見応えのある和傘市に、ネムの期待も高まって。
「これは折角やし、一張りは買うて……ん? ハニーが選んでくれるん?」
 ネムが問いかけると、ハニーが自信満々にわふん! と返事をする。
「はは、せやったらお任せしよか」
 いったいどんな和傘をハニーが選ぶのか、ネムには見当も付かないけれど。
「どんな彩や形でも、それが今日の想い出になるやろうから」
 これも縁、ちいさなふわふわがご機嫌な顔で選んだ子に決めようとネムがハニーの望むがままに歩き――そして、一張りの和傘を手にしたのである。
「うん、ええ子やね」
 手にしっくりと馴染む和傘に笑みを浮かべ、ご褒美にカフェもいかなあかんやろか? とネムが笑った。

藤春・雪羽

●紫陽花彩に誘われて
 まるで美しい風景画の中にいるようだと、藤春・雪羽(藤紡華雫・h01263)は紫陽花に囲まれた横丁に佇んでそう思う。横丁の建物と紫陽花の親和性は高く、どこにどう飾れば一番美しく紫陽花が映えるのかを計算しつくしたような見事さだ。
「どれも見事な紫陽花ばかり、色彩も美しいね」
 軒先に飾られた一輪挿しに視線を向け、涼を取るように置かれた花手水に視線を向けてと、なんとも幸せな忙しさ。横丁を彩る紫陽花に吸い寄せられるように、雪羽は彼方へ此方へと蝶のようにふらりふらりと歩いていく。
「この品種、何処かで購入できたらいいのに……」
 そうしたら、雪羽が大事にしている薬草園の一角に植えて、その彩りを楽しめるのに。
「紫陽花には毒があるけれど、うまく付き合えば薬にもなるからね」
 毒も転じれば薬となる、とはよく言ったものだ。
 それはさておき、今日の目的は紫陽花ばかりではない。ふらりふらりと歩いてはいるけれど、目指す先は一つなのだ。
「あぁ、良かった。ちゃんと辿り着けた」
 ほっと一息ついて、雪羽が辺りを見回す。そこには数えきれないほどの和傘が飾られていて、傘が華咲く光景に雪羽は頬を緩めた。
「趣の異なる花畑もいいものだね」
 紫陽花横丁の名にふさわしい、素敵な和傘市だと大通りを歩き、素敵な出会いがないものかと雪羽が胸を躍らせる。あちこちを見て回り、一つ気になった一画で足を止め店番をしていた雀の妖に声を掛けた。
「こんにちは。実は今使っているものの他に和傘を探していてね。どれも素晴らしいが、オススメはあるかい?」
 そう問われ、雀の妖はそれならと紫陽花の花を模した和傘を雪羽に見せる。
「へぇ、珍しい形をしているんだね」
 和傘に限らず、傘といえばまぁるい円を描いているもの、だけどこの和傘は開けば紫陽花のひとひらのような形をしていて、雪羽の心を擽るには充分だった。
「ふふ、ではそれをお願いしようかな」
 思っていた以上に素敵な出会いがあったと、上機嫌で雪羽が次に向かったのはカフェ。窓際の席に座りメニューを捲って、どれにしようかと楽しい悩み事。
「どのメニューも美味しそうだけれど、今日は和風のアフタヌーンティーセットをお願いしようかな」
 少し待った後、運ばれてきたのは丸い木枠のアフタヌーンティースタンド、そこには技巧と工夫を凝らした甘味や軽食が載っていて、見ているだけでも楽しくなるほど。
「んー……! 美味しい! 見た目も可愛くて良いねぇ」
 見てよし食べてよし、アフタヌーンティーとは奥が深いと雪羽が唸る。
「次はそうだね、幼馴染み達と一緒に訪れたいな」
 窓の外を眺め、ひとりでは贅沢すぎると楽しそうに笑うのだった。

日宮・芥多
茶治・レモン

●いろいろ、彩
「紫陽花と言っても、品種がたくさんあるんですね」
 なだらかな斜面を埋め尽くすように様々な品種が咲き誇る紫陽花を眺め、茶治・レモン(魔女代行・h00071)が感心したように呟く。
「素晴らしい、見渡す限り紫陽花尽くしで壮観です」
 レモンの横で、日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)も紫陽花を褒め称えるように手を叩く。誰もいなければ口笛のひとつも吹いていたかもしれない、いや、いても吹くけど。
「魔女代行くん、見てください。あそこの紫陽花、一角だけ色が違ってて綺麗ですよ! いやはや、なんて美しい……」
「まさか、あっ君の口から美しいなんて言葉が出るなんて……!」
 芥多の隣で同じく紫陽花を眺めていたが、うっかり紫陽花ではなく芥多で感動し、目頭を押さえた。
「あの部分は品種も違いますし、死体が埋まってるんでしょうね……」
「違った、僕の感動を返して」
 死体を糧に咲いた紫陽花は美しいって話だった、とレモンが嫌そうに顔を顰める。
「古来より、死体を糧に咲く花は美しいというでしょう? 桜然り、桃然り」
「さくらんぼや桃が食べられなくなる話するのやめてくれますか?」
 そんな、ありそうでなさそうな、それでいてありそうな話をしつつ、二人は紫陽花に囲まれた小径を歩く。そうして、いつの間にか紫陽花横丁と呼ばれる横丁の前に立っていた。
「ここが紫陽花横丁……名前の通り紫陽花が至る所にありますねぇ」
「花手水も綺麗です、あっ君の心も洗われるようじゃないですか?」
「俺の心は常に綺麗ですが……」
 そう言いつつも花手水を覗き込めば、手水鉢に浮かべられた紫陽花は飾った人のセンスもいいのだろう、野に咲く紫陽花にも負けない魅力を持っていた。
「生け花みたいなものなんですかね?」
「センスの問題という意味ではそうかもしれないですけど。あっ君もやってみたらいいんじゃないですか」
「そうですね、切るのは得意ですからねぇ」
「……花を浮かべるんですよ?」
「花以外何を浮かべるって言うんですか、やだなぁ」
 アハハ、ハハハ、なんて乾いた笑いを浮かべつつ、二人は紫陽花横丁を探索するように通りへと向かう。
「あれは……和洋のアフタヌーンティ……!」
 和風のカフェ看板に書かれた案内に、レモンがぴくりと反応して足を止めた。
「あっ君、ここで食べていきましょう!」
「ん? この店に入りたいんです?」
「アフタヌーンティが食べられるんです!」
「へえ、アフタヌーンティ! 最近とても流行ってますよね」
 SNSなんかでバズったりもしているし、グルメ系の雑誌にだって載っている。
「しかも紫陽花モチーフだそうで、味も見た目も期待が持てます」
「ほうほう、しかも紫陽花モチーフとは可愛くて美味しそうですねぇ」
 珍しく芥多も乗り気のようだと、レモンはここが押しどころだと言葉を続ける。
「ね! あっ君も一緒に」
「でもね、魔女代行くん……」
 まさかのでもね、だ。レモンは怪訝そうに眉根を寄せて、芥多の言葉の続きを待つ。
「今日の俺は酒を浴びるように飲んで寝たい気分です! てなワケで酒蔵、行ってきます!」
 これだけ大きな横丁だ、酒蔵も絶対ある! 間違いない! と芥多が意気揚々とカフェを離れようとした瞬間、レモンが待ったをかけた。
「おいこら待て! 待ちなさいダメ人間!!」
 ダメ人間の自覚がある芥多は、え~何~? とレモンを振り向く。
「嘘でしょ!? この美しい花祭りを見て、酒飲んで寝たくなりますか!?」
「なるでしょ、俺がそうですから」
「ダメ、絶対にダメです! 家に帰るまで、アルコールは禁止です」
「ええ~魔女代行くんの横暴! 別に俺が飲みに行っても楽しめるでしょうに」
 一人でカフェに入るなんて恥ずかしい、とか思わないでしょあなた。何なら一人焼肉だってできるでしょ、という目で芥多がレモンを見る。
「何人で食べようともプロが提供するものの味は変わりませんよ?」
「何言ってるんですか、一人より二人で食べた方が美味しいでしょう」
 キリっとした顔でレモンが言うのを胡散臭く感じながら、芥多が小首を傾げ――カフェの看板をまじまじと見遣った。
「あー……和風と洋風と二種類あるんですね、此処」
「それが売りだそうです」
「はいはい、すべて把握しました。両方食いたいんですね」
 仕方ないな~~魔女代行くんは~~みたいな顔で芥多がレモンに向かって笑い、カフェの扉を開ける。そのまま店員に案内されるままに二人はテーブルへ着くとメニューを広げた。
「では俺は洋風のを選んであげましょう」
「じゃあ僕は……あっ君が洋風なら、和風にします!」
 芥多の気が変わらないうちに、とレモンが注文を済ましてしれっとした顔で出されたお冷を飲む。
「魔女代行くん、これはひとつ貸しということで」
「貸し……? 僕の方が貸しっぱなしでは……?」
「あっはっは、それはそれ、これはこれですよ魔女代行くん。大人の世界は厳しいのです」
 そんなわけあるか、とレモンが芥多を凝視するけれど、どこ吹く風である。そうこうしているうちに、テーブルに届いたのは和風と洋風のアフタヌーンティーセット。
 和風は丸い木枠で作られたアフタヌーンティースタンドで、仕切られた場所のひとつひとつに和スイーツの小鉢が載せられている。洋風は螺旋状になったアフタヌーンティースタンドで、紫陽花の造花があしらわれていた。
「これはこれは、お洒落ですね」
 アフタヌーンティといえば味も大事だが、見た目の美しさや可愛らしさも重要。
「わ……! この手鞠寿司、紫陽花が乗ってる……!?」
「さすがに紫陽花は乗せないでしょう、有毒ですよ」
 じゃあ、この紫陽花は? とよく見れば、大根を薄く切ったものを色付けしたもの。
「なるほど、色付けした大根なんですね」
 お味の方はさて如何に、と二人がセイボリーに手を伸ばす。
「華やかで好きです、それに美味しい!」
「お、この枝豆のカナッペ美味いです! 酒に合いそうで」
「お酒は禁止ですからね」
「わかってますよやだな~~紅茶で我慢してますって」
 ほら、とティーカップを見せる芥多に、それならばよしとレモンが手毬寿司を勧める。
「あっ君にもあげます、何色の紫陽花が良いですか?」
「おや、分けてくれるんですか? 有り難い、では紫色の紫陽花を下さい」
 ありがたく口の中に放り込めば、程よい酸味の酢飯とネタ、大根の触感が合わさってなんとも幸せな味わいだ。
「これは確かに絶品です! 手毬寿司を食べたのは久しぶりですが美味いですねぇ」
 お土産に持って帰りたいですねぇ、と芥多が満足そうに頷く。
「あっ君」
「なんですか」
「あっ君のも僕に下さい、仲良くシェアしましょう」
 何を言っているのかわからない、みたいな顔で芥多がレモンを見て首を傾げる。
「……? シェア……?」
「シェアを! しましょう? しよ! お願い!」
「すみません、俺って日本人じゃないから日本語わからなくって」
 ほんと、ごめんなさいね。みたいな、しおらしい顔をしているが、お前が喋ってるのは日本語だよ。
「嘘おっしゃい、エセチャイナ!」
「エセだなんてひどいアル」
「語尾だけそれっぽくしてもダメです、ください!」
「しょうがないアルね~~」
 はい、と分けてもらったスイーツに舌鼓をうち、レモンが満足気に頷く。
「洋菓子もとても美味しい……こちらの和菓子もとても涼やかで素敵ですよ」
 煉切に水羊羹、どれも技巧の優れたものばかり。
「紫陽花を閉じ込めたような水羊羹なんて、まるで芸術品……食べるのが勿体ない……!」
「なら俺が」
「食べないとは言ってません!」
 油断も隙もない、と言いつつもシェアと言った手前、レモンは芥多にも分けてあげつつ和風と洋風のアフタヌーンティを堪能するのであった。

白水・縁珠
賀茂・和奏

●四葩の雨音
 一面に咲いた紫陽花の中、一本の小径が線を引いたように通っている。
 その小径を真っ直ぐに歩いていくと、いつの間にか紫陽花横丁と呼ばれる横丁の入り口に着いている――そうやって、この紫陽花横丁を訪れた人々は思い思いに横丁を楽しんでいた。
「抜ける小径に咲く紫陽花の彩も鮮やかだったけど、横丁も綺麗だね」
「うん、紫陽花横丁って言われるだけある」
 賀茂・和奏(火種喰い・h04310)の言葉に頷き、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)がすぐそばにある紫陽花の花手水を指す。水切りされた紫陽花が彩りも豊かに浮かべられ、人々の目を楽しませると共に涼やかさを感じ、縁珠は緑色の瞳を柔らかく細めた。
「あっちには一輪挿しの紫陽花もあるね」
「あっちにもこっちにもかわいこちゃんだ」
 横丁のあちらこちらに見える紫陽花に楽し気に視線をむけて、縁珠は見つけたものに目を瞬き、和奏を見遣る。
「奏さん、あれ」
「ん? ああ、今日の目的のカフェだね」
 紫陽花をモチーフとしたアフタヌーンティが目玉だというカフェ、それを楽しみにやってきた二人は早速入ろうと頷いて足を踏み出した。
 和風の建物は紫陽花に彩られ、立て看板には案内が書かれていて紫陽花モチーフのアフタヌーンティセットがあると宣伝されているのが見える。
「紫陽花モチーフのアフタヌーンティーセットだそうだよ、和風と洋風があるって。楽しみだね」
 和奏の言葉に縁珠がこくこくと頷き、軽やかな足取りで店内へと入った。
 テーブルへ案内され、メニューを開き二人で覗き込む。華やかなスイーツやドリンクが並ぶ中、アフタヌーンティーの案内がひと際目を惹き、どちらからともなく視線が合う。
「やっぱりこれだよね」
「うん。洋風にする」
「俺は和風にしようかなぁ。二人で囲むんだ、並ぶと内容の違いも面白そうだし」
「……うん、楽しみー。揃ったら、一回スマホで撮影させて?」
「もちろん」
 注文を終えると、届くまでの間は暫し他愛のない会話を二人で楽しむ。出会ったのはとある依頼が縁で、その時にはこんな風に同じテーブルを囲むことになるとは思わなかったと、縁珠が不思議そうに言う。
「そうだね、そう考えると縁って本当に不思議なものだね」
「私……誰かと食事するのも久しぶり。あと、外食も」
 だから、なおさら不思議で嬉しいと縁珠がテーブルの下で楽し気に足を揺らす。
「そっか、じゃあ今日は沢山食べて遊ばないとだね」
 笑いながら和奏が答えると、テーブルにアフタヌーンティセットが届いて二人の小さな歓声が上がった。
「洋風と和風で、器が違うのもいいね」
 和風は丸形の木枠のアフタヌーンティースタンドで、綺麗な小皿に置かれた和菓子が並んでいる。洋風は螺旋状になったティースタンドで、紫陽花の造花が飾り付けられていて洋風スイーツがグラデーションを描くように置かれていた。
 どちらも紫陽花をモチーフにしていて、和風の良さと洋風の良さが全面に押し出された素敵なアフタヌーンティセットを前に、縁珠はスマホを構えて写真を撮る。
「こっちからも撮ろうか?」
「……お願いー」
 縁珠のスマホを受け取り、和奏がぱしゃりと一枚。スマホを返し、縁珠がテーブルの端へ置くといただきますと手を合わせ、それぞれ気になるものに手を伸ばす。
「……冷製スープ美味しい」
 舌触りが滑らかで、素材の味がしっかりと感じられるのに程よい塩気があり、お代わりしたいくらいの美味しさ。しみじみと味わいながら食べる彼女の姿をアフタヌーンティースタンド越しに眺め、和奏はずいぶん気に入ったんだなと笑みを零した。
「こっちの手毬寿司も美味しいよ」
「小さくて、可愛い」
 ころんとした、小さな手毬のようなお寿司。見た目もカラフルで、まるでおままごとのお寿司のようにも見える。和奏が食べる姿を見て、縁珠はちゃんとお寿司なんだ……目を瞬いた。
「すごい、どれも美味しいし、綺麗。お料理、一人だと手間で作らないからなぁ。奏さんは?」
「ん? 結構量食べるから食費問題で自炊はするけど、俺も自分用に凝ったのは作らないなぁ」
 和奏の返事に、縁珠がすごいと視線を向ける。
「……おぉ、意外……紫陽花に負けないくらい、働き盛りって感じだから外食メインって想像してたー」
「あはは、男料理だと思うけど一応ね」
 私もなるべく自炊するべきかも、なんて思いつつも縁珠はサンドイッチを齧る。ふんわりとしたパンとたっぷりのたまごサラダが美味しくて、普段動かない表情筋が僅かに動いてしまうほどだ。
「だから、こういうセイボリーやどちらの皿にも咲く紫陽花も可愛いなぁって見惚れちゃうよね」
 うんうん、と頷きながら縁珠がサンドイッチを飲み込んで、紅茶をひとくち。
「スマホで撮りながら進んできた小径も、お祭りみたいに満載に咲いてて綺麗だったけれど」
 色とりどりの紫陽花は、何枚もスマホのフォルダに収められている。
「テーブルに咲く紫陽花もすごくかわかわ」
「うん、かわかわだ」
 可愛いと褒めつつ、紫陽花をモチーフにした煉切を手に取った。
「あ、齧る前に取らせてー」
「おっと、そうだね……崩しちゃう前にどうぞ」
「奏さんも映っちゃうよ」
 いいよ、と笑った和奏に、それじゃあ遠慮なくと縁珠がぱしゃりと一枚。良い写真が撮れたと頷いてスマホを置くと、和奏が縁珠に小さなお皿を差し出した。
「ひとついかが?」
 差し出されたのは綺麗な錦玉羹で、縁珠はありがとうと言うと遠慮なく受け取り手元に置いてまたぱしゃり。
「縁のも、お好きなのどうぞ」
「いいの? じゃあマカロンを貰おうかな。ありがと」
 シェアってやつだね、と笑いながら和奏がひとつ摘まみ、和風のお菓子とはまた違う美味しさに舌鼓を打った。
「奏さんは雨は好き?」
 紅茶のお代わりを貰いながら、縁珠がふと問いかける。
「雨? 好きだよ」
「……どんなところが?」
「そうだな、霧雨なら気持ちいいし、傘もささないかなぁ」
 和奏も日本茶を飲みながら答え、紫陽花に軽く視線を向けた。
「……私は匂いが好き」
「ああ、降る前に感じるよね、ふわっと」
 水気を帯びた空気と、大地を感じさせる香り。四季によって感じる香りもどこか違うと、縁珠も和奏の視線を追って紫陽花を見遣る。
「そう、それに……あ、ふってきたーって時のわくわく感?」
「わくわく」
「そう、わくわく」
 ふ、と優し気な笑みを浮かべた和奏に頷き、縁珠が言葉を続ける。
「丁度良い気温に、雨の恵みがあれば、この時期は植物達が瞬く間に育つから」
「恵みに濡れる植物達も、嬉しそうだよね」
 植物が身近な彼女らしいと思いながら、和奏は縁珠と雨のもたらす恵みについて暫し語り合った。
 カフェを出れば遠くに和傘が飾られているのが見えて、縁珠が和奏を見上げる。
「和傘も見てく? ……それとも、そろそろ調査熱が湧いてくる頃かしら」
「解かれた古妖さんが動き出すのは黄昏時だというから、今はまだ少し」
「そうね……今はまだ少し」
 もう少し、紫陽花横丁を楽しむのも悪くない。
「じゃあ、紫陽花を楽しみながら和傘を見ていこうよ。降る予感に弾む心の、連れになる子もいるかもしれないよ」
「それは……ぜひ、見つけたいわね」
 決まり、と二人は大通りに向かって歩き出す。
 もう少し、そう――黄昏時になるまでの暫しの時間を楽しむのであった。

泉・海瑠
黛・巳理

●それはまるで紫陽花のように
 紫陽花横丁――紫陽花と名の付いた横丁なのもあり、紫陽花が売りの一つだけれども、それだけが売りではない。では、紫陽花以外に何が? と問われたら、この横丁の人々はこう答えるだろう。月に一度開かれる、和傘市だよ、と。
「わ、すごい……! 和傘がいっぱいだ」
 ここに来るまでに咲いていた紫陽花も素晴らしかったけれど、横丁の大通りの両端にずらりと並んだ和傘を前にして泉・海瑠(妖精丘の狂犬・h02485)は目をぱちりと瞬く。
「奥の方にもあるみたいだな」
「奥……あ、あれも和傘……!?」
 黛・巳理(深潭・h02486)が指さした方を見遣れば、トンネル状になった木枠にまるで紫陽花のように和傘が飾られているのは見えた。
「オレ、あんまり傘に拘りってなかったけど、こんなに色々あるとお気に入りの一本が欲しくなるね」
 それこそ、コンビニのビニール傘が使い勝手がいいと思っていたくらいだけれど、和傘という選択肢に海瑠がそわそわと視線を彷徨わせる。出来ることなら、お揃いとか、対の傘が買えたら嬉しいけれど、さりげなく仕向けるなんて海瑠には難しくてどうしたものかと小さく唸る。
「買ったらいいんじゃないか? こういう機会でなければ見る機会も少ないだろう」
 海瑠の気持ちを知ってか知らずか、巳理は海瑠と歩調を合わせて歩きながら言葉を続ける。
「購買意欲をそそられたなら乗ってみるのも一興だろう」
「そうですよね」
 お揃いじゃなくても、和傘という時点でお揃いなのではないか、と海瑠が思い始めたところで巳理が足を止めた。
「折角だ、院の置き傘に揃いでもいいとは思わないか泉くん」
「えっ!? お揃い……」
 聞き間違えただろうかと、海瑠がパッと巳理を見上げると巳理が柔らかく微笑んでいて、海瑠の頬が僅かに赤く染まる。
「い……いいの……?」
「勿論」
「じゃ、じゃあ……うん……買いたい……」
 お揃い、とそわそわしてしまい落ち着きがない感じになってしまったけれど、巳理は気にした様子もなく再びゆったりとした足取りで歩き出す。海瑠は和傘市がさっきよりももっと特別なものに見えてきて、巳理の横を弾む気持ちで歩いた。
「それにしても、随分と色々な傘があるな」
 色とりどりの傘を眺め、巳理が店員にどういった傘があるのかと問いかけると、雀の妖が楽し気に教えてくれた。
「なるほど、手染めの和紙を使ったものや総手作りのものもあるのか」
「ふふ、どれにしようか迷っちゃうなぁ……あ」
 沢山ありすぎて、選びきれないと海瑠が笑いながらも、ふと目を惹いた傘を手に取る。
「良いのがあったか? ほう、綺麗だな、その傘」
「この青紫の綺麗……巳理さんに似合うんじゃない?」
「……うん? 私に?」
 てっきり海瑠用の傘かと思っていたら、はい! と手渡されて巳理がその勧めのままに受け取り傘を開く。
「ん、やっぱりすっごく格好良い!」
「そうか、ありがとう」
 我がことのように喜び笑顔を浮かべる海瑠の姿に、何故か自分も嬉しくなって巳理が笑みを浮かべてこれにしようと頷いた。
「なら、これを一つと……」
 巳理が自分の選んだ和傘を買おうとしてくれるのが嬉しくて、海瑠はにこにこと眺めつつ、邪魔にならないようにと横に移動して違う和傘に目を落とす。水色に紫陽花の花が鏤められた、ややポップで可愛い和傘に、こういうのもあるのかと興味深げに視線を移していく。
「あぁ、水色のそれを一つ」
「み、巳理さん……!?」
「うん?」
 これがいい、なんて一言もいっていなかったのに、どうしてこれを選んでくれたのだろうかと海瑠が目を瞬く。
「好きじゃなかったか?」
「いえ、す、好き、です……っ」
 その返事に巳理が頷き、更に視線をちらりと小物へ向けて。
「そうだ、アンブレラマーカーも二つ。泉くん、どの色が良い?」
「ア、アンブレラマーカーも……?」
「ああ、泉くんの好きな色で傘に付けよう」
 紫陽花を模したアンブレラマーカーに、海瑠は迷いつつも口を開く。
「えと……じゃ、じゃあ……青が、いいです……」
「なら、私のは緑にしようか」
 その言葉に、緑と青とか、お互いの持つ色で、それを相手の色でなんて、そんな、恋人っぽいこと……! と海瑠がふにゃふにゃと緩む。自分の頬を押さえ、駄目駄目しっかりしろ……! と気合を入れ、ぎこちなさはあったがなんとかいつも通りの表情を作って、傘とアンブレラマーカーを受け取った。
 さて、和傘市で欲しいものは買ったし、この後はどうしようかと巳理が海瑠へと問いかける。
「それなら……折角だしカフェも行かない?」
「カフェ、休憩するには丁度いいな」
 行こう、と和傘を手にして少し歩けば和風のカフェが二人の前に見えてきて、中へと入った。
 テーブルに案内され、メニューを手渡されて開けばアフタヌーンティーセットの文字が見え、巳理がほう、と目を細める。
「アフタヌーンティーか」
「和風と洋風かぁ……巳理さん、どっちにする?」
 どっち、と問われて巳理が和風と洋風を見比べて、僅かに小首を傾げて口を開く。
「――ん、洋で」
「じゃあ、オレも同じもので」
 すいません、と店員を呼べばすぐに来てくれて、洋風のアフタヌーンティーセットを二つ頼む。そして、海瑠がメニューの違うページを眺めている隙に、巳理がアフタヌーンティーセットには含まれていない紫陽花を模したミニドームケーキを二種指さし、注文を終えた。
「楽しみだなぁ」
「紅茶も好きなものを選べるそうだ」
 どの紅茶がいいか、とまた二人でメニューを眺めていると、紫陽花の造花が飾り付けられた螺旋状のアフタヌーンティースタンドがテーブルの上へと置かれる。
「わ、写真より実物の方が美味しそうだし綺麗……」
「見てよし、食べてよし、だな」
 食べるのは今からだけれど、と笑いながら海瑠が何処から食べるんだっけかと目を凝らす。
「えーっと……確か下段から食べるんだよね」
「ん? あぁ……基本的にはセイボリーからだが、今日は格式ばった席でもない。特段気にせず、泉くんの好きなように食べ進めて問題ないと思う」
「そ、そう? じゃあ……」
 巳理の言葉に背中を押され、海瑠は気になったものへと手を伸ばす。
「ん~どれも美味しい……幸せ……」
 甘いものを口にして、幸せだと言う海瑠に巳理が届いたケーキの皿を見せた。
「それと、この紫陽花ケーキは期間限定で、更にティータイム限定だそうだ。好きな方を食べると良い」
「え? 期間限定?」
 自分の方へ寄せられたケーキは紫陽花を模したもので、赤紫はベリー系、青紫はブルーベリーを使用したもの。
「頼んでくれたの?」
「好きだろう?」
 その言葉に、うぅ……優しい……巳理さんが好き……と、思わず口にしそうになって紅茶に手を伸ばし、ごくりと飲み込んだ。
「ありがとう、巳理さん……! なら、青紫のほう、貰っていい?」
「勿論だ」
 そっとケーキのお皿を海瑠へ寄せてやり、巳理もスイーツと紅茶を楽しむべくフォークを手に取った。
 食べている間も海瑠は巳理のことが気になって、ちらりと横目で見たりして、なんだかデートっぽいと紅茶を飲みながら頬を緩ませる。そんな海瑠の可愛さに、ふと巳理が手を伸ばして頭を撫でた。
「ひゃ!? えあ!? はえ!? み、巳理さん!?!?」
「すまない、あまりに君が可愛らしいもので……」
 動揺を見せる海瑠に、つい……と微笑む巳理に対し、海瑠は頬を赤くして俯くしかない。
「や、べ、別に……構わない、けど……」
 あんまりにも笑顔が甘くて、海瑠はケーキが甘いのか巳理の笑顔が甘くて口の中が甘いのか――どちらかわからなくなりながら、アフタヌーンティーを完食したのであった。

御埜森・華夜
汀羽・白露

●甘やかな彩
 紫陽花に彩られた小径を抜けると、ひとつの横丁に辿り着く。紫陽花横丁と名付けられた横丁の入り口には花手水があり、訪れるものを歓迎するように浮かべられた紫陽花が揺れていた。
 花手水から離れ、一輪挿しの紫陽花を追って歩けば和風なカフェが見えてくる。御埜森・華夜(雲海を歩む影・h02371)と汀羽・白露(きみだけの御伽噺・h05354)はそのカフェのテーブル席に座り、二人でメニューを覗き込む。
 紫陽花も楽しみにして来たけれど、一番の目的はこのカフェの紫陽花をモチーフにしたというアフタヌーンティーセットで、和風と洋風のどちらがいいかと二人して頭を悩ませていた。
「ねぇねぇ白ちゃん、こゆの『映え』ってやつでしょ? おっしゃれ!」
 華夜が白露に向かってクスクスと笑いながら、どちらがいいだろうかと和風と洋風の写真に指を滑らせる。
「そうとも言うな」
 和風は丸形の木枠のアフタヌーンティースタンドで、そこに和菓子の小鉢が幾つもセットされている。対する洋風は造花であろう紫陽花をあしらった、螺旋状のアフタヌーンティースタンドで、洋菓子がたっぷりとセットされていた。
 メニューの写真だけでもわかる、どちらも甲乙つけがたい逸品だ。
「えー……悩む……」
 むむ、と眉間にしわを寄せた華夜に、好きなだけ悩んでいいと白露が笑った。
「ん-、じゃあ和風のアフタヌーンティーにする!」
「わかった」
 白露がすっと手を上げると、すぐに店員がやってきて注文を聞いてくれる。
「俺は和風のアフタヌーンティーセットで」
「俺もかやと同じものを」
 それと、と小声で華夜の為のどら焼きと自分用に紫陽花の上生菓子を注文すると、かしこまりましたと店員が戻っていった。
「楽しみだねー」
「そうだな」
 そう言いながら、白露は華夜に向かって愛用の一眼レフカメラを軽く構え、シャッターを切る。
「え、なんで撮ったの」
「記録用だ」
「アフタヌーンティーが来てから撮ればいいのに」
 変なの、と笑いはするが華夜は白露に撮られることを受け入れているのだろう、嫌がるような素振りは見せない。笑う華夜を何枚か撮っていると、二人のテーブルにアフタヌーンティーセットが届く。
「すご……どれも綺麗……あ! 見て白ちゃん、どら焼きある……! 紫陽花の焼印とかお洒落すぎ…!」
「よかったな、かや」
 わぁ、と小さく歓声を上げ、写真を撮ってとねだる華夜の為にアフタヌーンティーセットをメインに何枚か、それから華夜も被写体に入れて何枚かとカメラに収めた。
「ありがと! どれも美味しそうだなー。でも何で……」
 アフタヌーンティーセットの写真には載ってなかったどら焼きがあるんだろう? と華夜が軽く首を傾げたけれど、白露は瞳を輝かせて喜ぶ華夜が可愛いと眺めつつ、控え目な笑みを浮かべ素知らぬ顔で日本茶を口に含むばかりである。
「ん-、まいっか! 白ちゃん半分こにしよ!」
 お手拭きで手を綺麗にした華夜がどら焼きを半分に割り、片方を白露の口元へと寄せる。
「はい、あーん……俺の大好きな粒餡だから、絶対美味しいよっ」
 差し出されたどら焼きを涼しい顔で、あーんと白露が食べて味わうように飲み込んだ。
「……ん、美味い」
「でしょー?」
 嬉しそうに言いながら、華夜もどら焼きに齧りつく。
「ん、美味し!」
「かや、俺のも半分やろう」
 黒文字を手にし、白露が紫陽花の上生菓子を綺麗に切り分けて華夜へと差し出す。
「ほら、あーん」
「ん!」
 小さな雛のようにあーんと口を開け、華夜がぱくりと食べればその美味しさに目が細くなる。
「んふふ、おーいしー……!」
 甘味を食べて緑茶を飲めば、ほろ苦さと甘さのマリアージュ! なんて楽しそうに華夜が笑い、次は手毬寿司だと意気込んだ。
「こんなに小さくて可愛いのにお寿司なんて、信じられないよねぇ」
「ぱっと見た感じ、紫陽花の和菓子に見えなくもないな」
 可愛らしい一口サイズの手毬寿司を食べ、本当にお寿司だ、美味しい~と華夜がはしゃぐので白露も勧められるままに口へと運ぶ。
「……美味い」
 甘酢の効いた酢飯を野沢菜で巻き、紫陽花の色を模した大根の漬物を飾った手毬寿司はさっぱりと美味しく、二人のお腹を満たしていく。
「次はまた甘味~」
 緑茶も色々な種類を頼み、心ゆくまで楽しむと二人は満足気にカフェを出た。
「美味しかったね~、白ちゃん!」
「そうだな」
「次はねー、和傘市だよ!」
 華夜が白露の手を取って、こっちこっちと引っ張るのに内心驚きはしたけれど、華夜がご機嫌なのは良いことだと微笑ましく思いながら白露が手を握り返して付いていく。
「すごい、どれも綺麗……!」
 大通りの両端にずらりと並ぶ和傘は壮観の一言に尽き、華夜が目を丸くして白露の手を揺らす。
「ね、ね、白ちゃんどれが良いと思う?」
「家に……」
 何本もあるが、と言い掛けて、水を差すのもアレかと白露が口を噤む。
「折角だから新しい傘買おーよ!」
「まぁ、良いんじゃないか?」
 家にあるのは洋傘だしな、と白露が頷いた。
「ん-……白いのもいーしー……なんなら青系っていうのもお洒落だよねぇ」
「かやなら、どんな傘でも似合うと思う」
「え? 俺のじゃなくって……あ、白ちゃん赤系も良いね……むむ、いや紫かな……」
「……ん? 俺のを選んでくれているのか」
 そーだよー、なんて返事をしつつ、華夜は真剣な表情だ。何せ、白露は華夜から見てもイケメンだし、何を勧めても似合うものだから、こういう時にすごく、すごーく困るのだ。
 対する白露は、自分の為に真剣に考えてくれる様子が有難くも嬉しくて、表情には出さなかったけれど喜びに震えながら華夜の為の傘を探すことにした。
 お互いの為に最高に似合う和傘を! と悩みに悩んで華夜が決めたのは、白に青や紫、赤紫の紫陽花が咲く深紫の柄が美しい和傘。傘の縁に雨みたいな雫飾りが涼し気な音をちりんと鳴らし、揺れる様子は綺麗で素敵だと華夜は笑みを浮かべる。
「はい!」
「俺に?」
「うん! 絶対これ、白ちゃんに似合うもん!」
 ドヤ顔をした華夜に渡された傘を開けば、華やかな紫陽花が咲いて。
「……俺はこういうのが似合うのか……自分のことは良く分からないからな」
「大丈夫、すっごく似合うよ!」
「ありがとう。俺は自分のことはわからないが、君のことなら誰よりも分かる」
 ほら、と白露が選んだ和傘を差し出す。彼が選んだのは上品な緋に桜色の紫陽花が鏤められた和傘。偶然にも華夜が選んだのと同じシリーズのようで、傘の縁に花びらの飾りが付いていた。
「わー!」
 好きな色、と華夜が傘を差してくるりと回る。
「似合う?」
「ああ。かやにはどんな色も似合うが…一等は俺のこの色だろう?」
 涼やかな目元がどこか得意気に細められ、華夜が動きを止める。
「……それに、俺との揃いが好きだ。違うか?」
「……すごーい! 白ちゃん、俺博士じゃん! ぜーんぶせーかい!」
 正解、と言われて白露が笑みを深める。その笑みがなんだか嬉しくて、華夜は傘を差したまま白露の手を引いた。
「もっと、あっちも見よ!」
 ご機嫌な華夜に頷き、シャッターを切る代わりに自分の心に焼き付けて――白露は彼が満足するまで市を巡ろうと、確りと繋いだ手を握り返したのであった。

第2章 冒険 『おもひで無限鳥居』


●それは誰の後ろ姿か
 紫陽花横丁にも、ゆっくりと黄昏時が訪れる。
 古妖の封印を解いてしまった画家、西野倉之助は√能力者達が寄り添ってくれたからか、すっかり心を入れ替えて自分の知る限りの古妖の話を教えてくれた。
 その古妖は、描いた絵が実物になるという能力を持ち、倉之助が望む絵を描いてやろうと話を持ち掛けたのだという。
「封印を解いた古妖は、描いてほしくば黄昏時に横丁の鳥居をくぐれと言っていました」
 鳥居をくぐれば、そこから先は古妖の領域。入った者を惑わせるも狂わせるも、自由自在だろう。
 だから、倉之助は紫陽花横丁でどうすればいいのか、行くべきか行かぬべきか、決めあぐねていたのだ。
「皆さんのおかげで決心がつきました、自分の見たいものは自分で描くべきだったんです。尻拭いをさせてしまいますが、どうか古妖を再度封印してください」
 お願いします、と倉之助は深々と頭を下げた。
 空がゆっくりと橙色に染まり、紫陽花の色にも影を落とす。そんな紫陽花横丁に、いつの間にか大鳥居がひとつ建っていた。
 √能力者たちが一歩足を踏み入れれば、先ほどまではなかったはずの鳥居が無限に続いているのが見えるだろう。そして、後ろを振り返れば同じように鳥居が続いているのも。
 もし、共に来た仲間と鳥居に入ったならば、その仲間の姿は見えなくなっていることだろう。慌てて前を向けば、そこに見えるのは誰かの後ろ姿。それは思い出の誰かであったり、あなたがよく知る誰かであったり、人によって形を変える。後ろ姿を追いながら、あなたは鳥居を抜けなければならないのだ。
 紫陽花が色を変えるように、あなたがどんな思いをするかはわからないけれど――どうか、迷うことのなきように。
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【マスターより補足】
 第二章はおもひで無限鳥居での冒険となります、シリアスでもコメディでもなんでもござれです。
 引き続きのご参加も、ここからのご参加も歓迎しております、よろしくお願いいたします。
 
 無限鳥居では誰かの後ろ姿が見えます。その背中は決して振り向かず、ただあなたの前を歩いていきます。
 追いつこうとするもよし、語り掛けながら後ろを歩くもよし、お好きなようにプレイングを掛けてくださって構いません。できれば、その方との関係性など教えていただける範囲でプレイングに記載していただけますと幸いです。
 また、複数参加の場合はいつの間にか一人になっており、鳥居を抜けた先で合流するといった描写になるかと存じます。
 以上の点、どうぞご了承くださいませ。
 募集期間はタグ、またはマスターページにてご確認ください。
花喰・小鳥
一・唯一

●ゆめゆめ惑うことなかれ
 真っ赤な鳥居の前に立ち、一・唯一(狂酔・h00345)はその向こう側に見える横丁に目を細める。
「|現世《うつしよ》と|常世《とこよ》を繋ぐんが鳥居とはピッタリやな」
「この先に足を一歩踏み入れれば、向こう側とは違う場所に繋がっているのでしょうか?」
「そうらしいねぇ」
 ほんまやろか、と花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)の手を繋ぎ、唯一は最初のいーっぽ、と笑いながら小鳥と共に足を踏み入れた。
「ほんまやったね」
 向こう側には横丁しかなかったはずなのに、唯一の視線の先に見えるのはどこまでも続く鳥居。それは千本どころではなく、まさに無限と言うに相応しい。物珍しそうに鳥居に触れてみたり、眺めて楽しんだりとしていたけれど、ふと気が付いて唯一が瞳を揺らす。
「……小鳥……?」
 隣にいたはずなのに、はぐれぬように確りと手を繋いでいたはずなのに――まるで神隠しにでもあってしまったかのように、彼女の姿は見当たらなかった。
「小鳥?」
 振り返り、後ろにも鳥居が続いていることに気が付く。
「おらんの? はぐれてしもた?」
 おかしい、こういう場合はどうしたものかと考えながら前を向けば、探していた相手の後ろ姿が見えた。
「なんや、おるやないの」
 ほっと安心したように息を吐き、小鳥に追いつこうとして早足で前へ進む。けれどその背中は少しも近付くことがなく、同じように前へと進んでいる。
「小鳥、聞こえてるんやろ?」
 意地悪せんといて、と笑って唯一が走り出す。走って、走って、それでも近くならない背中に唯一が叫ぶ。
「小鳥!」
 なんで、どうして、待ってくれないの、振り返ってくれないの。
「は……、いや、小鳥はこんなんしやんよ」
 優しくて甘くて、大好きなお友達。甘やかしてくれる、甘やかしたい、愛しい大事な存在――そんな小鳥が、唯一の呼ぶ声に耳を傾けないはずがないのだ。
「わかった、きっと聞こえてないんやね」
 そうに違いない、だったら追いつけばいいのだと唯一は走り出す。転びそうになりながら、必死に走っても追いつけないその背中はまるで自分を拒絶しているようにも思えて、唯一の顔が歪んでいく。
 追いつけない背中に思い出すのは子どもの頃、両親が自分を捨てて行ったあの日。置いていかれる、それは唯一にとって最大のトラウマで、どんどん息が上がって呼吸が苦しくなる。
「――嫌や、いや、いやや! 置いていかんといて!」
 泣き出しそうな子どもみたいな声が、どうかどうかあなたに届いて。そう願って、唯一は手を伸ばす。

 気が付けば小鳥はひとりで、ぱちりと目を瞬く。さっきまで手を繋いでいたはずなのに、と己の手に触れれば、唯一の温もりが残っていて小鳥は辺りを見回した。
「どうやらはぐれたようです」
 これが無限鳥居の摩訶不思議……どうしたものかと前を向けば、見慣れた背中。
「唯一。いるじゃないですか」
 心配したんですよ、と少し先にいる彼女に追いつこうと足を踏み出す。不思議なことに、歩いた分だけ目の前にいる彼女も歩いて、ちっとも距離が縮まらない。
「唯一?」
 そう名を呼んで歩みを止めれば、彼女も足を止める。これはどういったことだろうかと小鳥は再び歩き出しながら考える、追いつけない彼女の背中を眺めながら。
 唯一とはただの友人、幼馴染だとか、何年も付き合いがあるとかではない。春先に知り合ったばかりの、お互いのこともあまり知らない間柄。
「……でも、どうしてでしょうか」
 小鳥は唯一のことがすぐに大好きになって、仲良くなりたいと思ったのだ。
 唯一の何よりもピュアな心は小鳥を惹きつけて離さず、危うい部分も含めてもっと知りたい、近付きたい――そして、それは一方通行な想いでは決してないはず。
 だから、追いつけない、振り向かない彼女の背中を見て、小鳥は彼女であって彼女じゃないのかと、すとんと腑に落ちた。
「私を置いていくつもりですか?」
 彼女であって彼女ではない背中に、ふと語り掛ける。いつか、そんな時が来るのだろうという漠然とした予感と共に。
「でも、まだその時じゃない」
 この鳥居を抜け出て、唯一の手を取らなくては。その思いだけを胸に、小鳥は真っ直ぐに揺らがぬまま歩き続けた。

 そうして、ふっと視界が開けた先に、自分に伸ばされたであろう手に向かって手を伸ばす。
「唯一」
 花咲くような笑みを浮かべ、泣きだす寸前の子どもみたいな顔をした唯一を見つめる。
「小鳥っ」
 迷子の子どもが抱き着くかのように、唯一は小鳥に抱き着いて。
「やっと会えたぁ……」
 安堵の声を零す唯一を、小鳥はただ抱き締め返すのだった。

ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ

●その答え
 無限にも思えるほど続く赤い鳥居の中、こつり、こつりと杖を突く音を響かせて、ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ(|回生《ophis》・h07035)がゆっくりとした足取りで進む。
「随分長く歩くものだ。この体には厳しいものがある」
 足があまり強くなく、転ばぬように杖を使うウォルムからすれば、嫌がらせにも等しいものがある。散歩というには終わりの見えぬ道を、それでもいつかは終わるであろうと足を進ませていた。
「ふむ、禅問答でもしようか、ヨルマ」
 名を呼ばれた眷属の蛇は軽く頭をもたげると、主へと視線を向けて言葉を待つ。
「例えば。生まれたときから真の空を知らぬ者がいたとする」
 低く、聞く者の心を捉えて離さぬような声が柔く響く。
「その者は、閉ざされた世界で生きてきた」
 ヨルマは相槌を打つように尻尾を揺らし、最後まで言葉を聞くべく頭を垂れた。
「その者の知る空とは、美しく彩られたドームの内側だ」
 それは本当にあった世界か、想像の世界のものか。
「もっとも美しく見えるよう、望郷を感じさせるように色を変える高解像度の液晶だ」
 恐らくは、本当にあった世界なのだろう。それほどに、ウォルムが語る例え話は真実味を帯びていた。
「そんな人物が、ドームの外で真の空を見た時――美しい、と。そう、感じられるだろうか?」
 お前はどう思う? と視線で問いかけられたヨルマは、僅かに思考に耽る。
 心を打つような美しさを持つ空だけれど、偽物である。けれど、ドームの中で生活をしているような世界なのであれば、真の空は美しいとは呼べないような空であるかもしれない。考えれば考えるほど、どうなのかわからなくなりヨルマは首を傾げるように主を見上げた。
「ふ、ふ。そう、答えのない質問だね」
 楽しそうに笑いながら、ウォルムはヨルマから視線を外し前を向く。
「でもね。あの子はすぐに答えた」
 あの子、と言われてヨルマも視線を前に向ける。
「そう、いま前に見える背中によく似た背中のあの子だ」
 此処にいるわけがない人物だ、とヨルマも思う。
「あの子がなんて答えたか気になるかい?」
 ふふ、と笑うウォルムが優しい顔をしていたので、ヨルマは静かに首を横に振った。教えてもらえるとも思わなかった、というのもあるけれど。
「そうかい? では無限鳥居の写真でも撮ろうか、ヨルマ」
 あの子に土産話を持ち帰らなくてはね、と己の目の前を行く背中など相手にもせず、ウォルムは穏やかな笑みを浮かべた。

千代見・真護

●あのね
 話を聞いた画家さんが困っているから、お願いされたから、この鳥居の先に行かなくてはいけないから――だから、千代見・真護(ひなたの少年・h00477)は何も気負うことなく鳥居の先を目指して足を踏み込ませた。
「わ、すごーい」
 さっきまでは向こう側に横丁が見えていたのに、真護の視線の先に広がるのは無限に連なる赤い鳥居。思わず後ろを振り向いて、更に真護は目をまんまるくして驚いた。
「後ろも鳥居だ!」
 すごい、と再び前を向いた先には真護と同じくらいの年頃の男の子が背を向けて立っていて――。
「おにぃ?」
 そう呼びかけるけれど、男の子は此方を振り向くことはない。
「おにぃ!」
 間違えるわけがない、だって双子だもの。靴だっておにぃの色だと真護が駆け寄るように走り出すと、男の子も同じように走りだす。
「あれぇ……?」
 どうして逃げるんだろう? と真護が立ち止まれば、男の子も立ち止まる。こてん、と小首を傾げて考えて、真護はそうか! と手を打った。
「ふふ、わかった。鳥居はおにぃのジョギングコースだったんだ。そして今日のおにぃは風よけと……黙って背中で走るイケメンごっこ……かな?」
 ぼくってば名探偵! と真護が胸を張り、それならと目の前の背中にスピードを合わせて走り出す。
「おにぃ。ぼく、きょう、アフタヌーンティを西野せんせと食べたの。ねりきり美味しかった」
 たったった、と足音を響かせて、真護は背中に向かって話しかける。返事がなくったって問題ない、だって背中で語るのははーどぼいるどっていうんだもの。
「西野せんせは絵のすごい先生なんだよ。今日知り合ったの。いい人」
 スケッチブックの中身を少しだけ見せてもらったけれど、風景画も人間も、妖怪の絵だってとっても素敵だった。
「だからね、ぼく……力になってあげたいなって思ったの」
 たったった、走る足音の速度は変わらない。その足音がひとつだけしか響いていないのを、真護は話すのに夢中で気付かぬまま走り続ける。
「あとね……おにぃは、ここを抜けたらお家にすぐ帰って。ぼくはちょっと守らなきゃいけない約束があるんだ」
 だからね、ここでお別れと鳥居が途切れた先を見つけて真護が笑う。
「またあとで、続きは家でいっぱい話すよ」
 真護がそう言って鳥居を抜けると、背中はもう見えなくなっていた。
「ちゃんとおうちに帰れたかなぁ」
 心配だけれど、古妖をちゃんと封印することが先決だ。
「そしたら、きっと一番ほっとしてもらえると思うから」
 ぼくもちゃーんとおうちに帰るからね! と笑みを浮かべ、真護は鳥居を抜けた先へと足を向けた。

ルナ・ミリアッド

●紫陽花色の手紙
 深く反省し、鳥居の奥へ向かおうとする√能力者達を見送るように、西野倉之助が深々と頭を下げている。その姿に、ルナ・ミリアッド(無限の月・h01267)は軽く視線を向けて声を掛けた。
「反省しているなら構いません、あとは任せてください」
「はい、よろしくお願いします……!」
 彼の返事を背中で受けて、ルナは何ひとつ気負うことなく鳥居の向こうへと進む。すぐに向こう側の景色が変わり、見えるのは無数の鳥居と――。
「やはりステラですね」
 見間違えるわけもない、その背中はルナの、ルナたちの大切な妹であった。
 ルナは|少女人形《レプリノイド》である。それも、二人一組の双子としてルナが狙撃手、ステラが観測者として戦場を搔き乱す一対の、唯一無二の月と星であれと製造されるはずであった。
 けれど、製造過程のバグによりステラは目覚めることがなく、ルナと共に廃棄される道を辿るところがルナの記憶のバックアップ専用機体として廃棄を免れたのだ。
 条件は一つ、ルナが死に続けることだけ。戦闘の記憶と経験値、それらは全てルナが死ねば後継機へと引き継がれる。二体とも廃棄するより、有効利用をと考えた者がいたのだろう。何せ箱となるルナの後継機を作るだけで済むのだから、コスパがいいのだ。
 今、この場にいるルナは今までに死んでいったルナたちの記憶を受け継いではいるが、同じ人格ではない。人格と記憶は別物であり、だからこそ彼女は……彼女たちは自分の事をルナたちと呼ぶのだ。
「ステラ……私の記憶はきちんと覗けていますか」
 彼女の背中に、ルナが語り掛けながら歩く。
「貴女が少しでも楽しい夢を見れるよう私はいろんなものを記憶しています」
 眠ったままのステラが夢を見ているのかはわからないけれど、きっと全ての記憶を夢としてバックアップしていると信じて。
「今日のアフタヌーンティーもしっかり記憶しました。アフタヌーンティーって、他にも沢山あるらしいです」
 四季折々のものや、テーマを決めたもの、それこそ色々なアフタヌーンティーがあるのだと。
「いつか目覚めたら、一緒に楽しみましょう」
 その時は、|ルナ《私》ではないかもしれないけれど。
「貴女が戦争のない世界で笑えるよう、ルナたちは頑張ります」
 その時の為に、まずはこの先にいる古妖を再封印しなければとルナは終わりの見えた鳥居の先を目指し、いつの間にかいなくなっていた背中を追い越すように駆け出した。

破場・美禰子

●文句のひとつやふたつ
この鳥居の向こうにお仕置きしないといけない奴がいるならと、破場・美禰子(駄菓子屋BAR店主・h00437)はひょい、と暖簾をくぐるかのような気軽さで鳥居へと足を踏み入れた。
「あれま」
 さっきまで一緒にいたはずの彼らがいない事に気が付いて、美禰子は僅かに目を細める。
「まァ、彼らなら大丈夫だろ」
 √能力者であるならば多少のことではへこたれやしないだろうと、美禰子は軽く頷いて心配するのをやめた。
「しかしまァ、立派な鳥居だこと」
 小さな鳥居ではなく、立派な神社にあるような大きな鳥居が幾重にも連なって道を作っている。
「どんだけあるンだか」
 ハァ、と溜息を一つ零して、腰を伸ばすと先の見えぬ道を見遣った。
「マ、悩んでも仕方ないしねェ」
 兎にも角にも、前に進めば何とかなるだろうよの精神で、無限にも思えるこの鳥居を突破するかと足を踏み出した。
「ん?」
 少しの間歩いていると、前に人影があるのを見つけ、さて同行者の彼らだろうかと美禰子が目を凝らす。
「後ろ姿に見覚えが……あ!」
 誰だか理解した瞬間、美禰子が片眉を跳ね上げる。
「あンのヒョーロク玉、もとい蒸発した旦那! ははー……まさかコイツが出てくるとはねェ」
 くたびれたジャケットにハンチング帽、それでもどこか飄々とした背中。
「まったくまァ、記憶にある通りだわな」
 それにしたって今も覚えているって事実に腹が立つなと美禰子は思わず舌打ちをして、更にヒールの音を響かせた。
「マ、歩いてるだけッてのも暇だし、暫く世間話に付き合ってもら……」
 ちょっとばかり追いついて、隣で話でもしてやろうかと思った背中は美禰子が近寄った分だけ遠ざかる。
「オイ、何カツカツ先に行ってんだい。どうせ幻なんだろ!? もうちょい付き合うフリしな!」
 愛想ってもんくらい持ちな! と背中に文句を投げつけつつ、それでも一向に近寄らない距離から美禰子は思う存分言いたいことを言うことに決めた。
「アンタが残してッた店の今とか、言いたいことは幾らでも有るんだよ」
 覚悟しなよ、と遠慮することなくぶちまけた。前を行く背中は何ひとつ返事をしてくれなかったけれど、美禰子にはそれで丁度良かったのだ。
「もう少し、いいたいことがあったンだけどねェ……全く、幻でも勝手な奴だよ」
 いつしか見えた無限鳥居の終わりに、おぼろげに消えていく背中。
「さァて、そろそろお別れだ」
 くたびれた背中が消えるか消えないか、その瞬間に美禰子が彼を追い越して。
「お客サンが待ってるんでね」
 じゃあね、と振り返ることなく伸びた背筋が最後の鳥居を潜り抜けた。

ララ・キルシュネーテ
花七五三・椿斬

●その背中は近くて遠くて
 逢魔が時の空の下、紫陽花もその彩を少し落とす。そして、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)と花七五三・椿斬(椿寿・h06995)のふたりが差したお揃いの紫陽花傘も地面に長い影を落としていた。
 揃いの紫陽花傘が嬉しくて、椿斬がくるくる、くるりと和傘を回す。ララも色濃くなる空と紫陽花傘の彩りを楽しむように、くるりと回して椿斬の隣を歩いた。
 そうして、次の場所に行こうと紫陽花横丁の通りを――見慣れぬ大鳥居がある通りを抜けようとして。
「椿斬、次は――」
「ララ、次は僕のお気に入りの」
 ララの声に答えようとした椿斬は、鳥居を抜けた瞬間にララの姿がないことに気が付いた。
「あれ?」
 慌てて辺りを見回すけれど、ララの姿はなく。まるでその代わりだと言わんばかりに鳥居が前にも後ろにも無限に思えるほど連なって見えた。
「困ったな……」
 これじゃララを案内できないと、椿斬がしょんぼりと眉を下げて前を向いた時だった。
「……え?」
 自分がいる位置より、数メートル前を歩くその背中は懐かしさを覚えるもの。黄昏に靡く黒髪に、赤い椿のような大きな翼――見間違えるわけがない、けれどこんなところにいるはずもない背中。
「――兄様?」
 そう呟いて、椿斬はまさかと首を横に振る。大天狗である自分の兄は、椿斬の唯一の家族は――。
「今は大椿に封じられているはず、だ」
 そのはずだ、違うはずだ、そう頭ではわかっているのに椿斬は思わずその背中を追うように走り出す。
「兄様!」
 出来損ないの自分をいつも守ってくれた大好きな兄の背中に手を伸ばすけれど、その指先はどんなに走っても届かない。
「待って! 置いていかないで……っ」
 胸が詰まるような、今にも泣きだしそうな声で呼んでも振り向いてくれない背中に、叫ぶ。
「僕を、」
 椿斬の声が掻き消えるような風の音のあと、いつしか無限鳥居は消え失せて――それと共に、椿斬の兄の姿も掻き消えていた。
「ッ! あ、れ?」
 ひとり放り出されたような、迷子のような頼りない瞳を彷徨わせ、椿斬は静かに目を閉じた。

 くるり、と傘を回して返事がないことに首を傾げたララが隣を見遣る。
「あら、何処にいったの?」
 ララの目の前に広がるのはまるで地平線の先まで埋め尽くすように連なる鳥居ばかりで、椿斬の姿はどこにも見当たらない。
「ふふ、かくれんぼなのかしら?」
 嫌いじゃないけれど、と笑いながら鳥居を抜けようと歩き出したララの前に燐光が煌めいて散る。
「……っ」
 見忘れることなんてない、その光にララがぱちりと目を瞬かせるその間にも、その背中が形作られていく。
 逢魔が時の彩を宿す光銀の翼。
 黄金に煌めく迦楼羅焔、黄昏に靡く銀光の髪――ララの大好きな|迦楼羅天 《パパ》だ。
「パパ!」
 ララの顔がパァッと明るくなって、まるで雛鳥が駆け寄るが如く軽やかに大好きな背中に向かって足を踏み出した。
「パパ、ララは素敵な花傘を買ったの」
 その背中に、くるくる、くるりと回して見せる。
「パパ、ララは素敵なお友達ができたの」
 返事はないけれど、ララにはそれで充分。ただただ、自分の話を、聞いてほしい言葉を送る。
「パパ、ララは少しだけ飛べたの」
 きっとこれから、もっと飛べるようになるわ、とララの楽しげな声が響く。
「それからね」
 まるで花が咲き誇るかのように笑って、ララは飽きることなく――いつの間にか無限に見えた鳥居に終わりが来るまで話しかけ続けた。
 ちょん、とララの肩に止まる光の鳥が頬をつつく。
「あら、なぁに?」
 ふっと視線を肩の鳥に向けて、再び前を向けばララのパパの姿はなくて。代わりに、目を閉じた花天狗の彼を見つけたものだから、ララは花傘を揺らしながら近寄った。
「お前、大丈夫?」
「……ララ」
「凍えるような顔をしてるわ」
 傷付いた顔をしていると、ララが椿斬の手を握る。その温かさはまるで独りではないと言われているようで、椿斬は強く目を閉じて開くと、無理やりに笑顔を浮かべた。
「ん、大丈夫」
「……そう、椿斬が言うなら、そうなのね」
 それは椿斬の強がりで、そうでもしなければ温もりに泣いてしまいそうだったからだけれど。ララはきっとそれをわかっていたけれど、繋いだ手にきゅっと力を入れて、くるりと花傘を翻した。
「ララはね、パパを見たわ。でも平気、またあえるもの」
「……そう、そうだね」
 また会える、その言葉に椿斬はようやっとララの手を握り返したのだった。

茶治・レモン
日宮・芥多

●愛しき迷子の
 鳥居の向こうに封じるべき古妖がいる、そう聞いた二人は特に何を気負うでもなく鳥居をくぐる。早く再封印をして、暗くなる前に帰れたらいいな、くらいの気持ちで。
 だから、まさか鳥居の先に無限にも思える鳥居が連なっている等とは思ってもみなかったし、隣にいた相手がいなくなるなんて思いもしなかったのである。
 これを歩いていくのか、と日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)がやっぱり帰ろうかなと来た道を戻ろうとして、戻るべき道の先にも鳥居が連なっている事に気が付き、すっかりやる気をなくした顔をした。
「これ面倒じゃないです? なんとかショートカットとかできないですかね」
 一緒に鳥居をくぐった相手、茶治・レモン(魔女代行・h00071)に話しかけてみたものの、返事がない。
「魔女代行くん?」
 いつもなら、どんなに手厳しい返事であろうとも何かしらのリアクションがあるというのに。
「やれやれ迷子ですか」
 仕方ないですね、と芥多が周囲を見回し、レモンがいない事を確認すると取り敢えず前に進めば合流もできるだろうと足を踏み出す。何せ、一本道なのだから。
「ん?」
 嫌々ながらも前へ進みだした芥多が誰かの後ろ姿を視認する、そしてそれが女性の背中であることを認識した瞬間――ノータイムで芥多が斧をぶん投げた。
「おや、外れるとは」
 殺意に満ちた声でそう呟いて、芥多が斧を拾うべく前へと進む。すると、女性の背中も同じだけ離れていった。
「あー……これはもしや殺せないやつですか」
 なるほどね、へぇ、そういうことか、と頷きながら言い、斧を回収すると目を閉じる。
「俺は今から目を閉じて歩きます!」
 誰に伝えるでもなくそう宣言し、芥多がすたすたと、まるで前が見えているかのように歩き出す。芥多にとって、歩くだけなら目を閉じていても至って余裕だ。
 仮に目を閉じて歩くことによって転んだとしても、あの背中を見るよりは断然マシだった。
「この鳥居を抜けたら絶対に古妖をぶちのめす」
 一瞬見ただけでわかった、あの背中は自分の奥さんだと。そして、それと同時に偽物だということも。
「俺の奥さんはね、一緒に別√へ迷い込んで、一緒に死んで、なのに俺だけ能力者に覚醒してて、俺だけ蘇生して」
 だから、今ここにいるわけがないのだと芥多が笑う。
「ほんとにねぇ、こっちは遺骨や遺灰の一粒すら失ってるのに」
 掴んだ斧の柄が、僅かにみしりと音を立てた。
「ゆりちゃんの死まで俺から奪うつもりかよ」
 腹が立つ、腹が立つ、偽物の背中にも、ひとりだけ生き返った自分にも。
「もう一回くらい投げとくべきですかね」
 斧、と言いながら芥多は何ひとつ迷わぬ足取りで、ただ真っ直ぐに歩いた。

 芥多と同じように鳥居をくぐり、レモンが見た背中は誰よりも見覚えのある相手。白地にペールブルーのストライプが入った涼しげなワンピースに、白いフリルの日傘を差した、儚げなその後姿。
「……母さん」
 レモンのその声に、その人は応えない。そして、レモンもまた返事を期待してはいなかった。彼女はレモンを庇って、既に亡くなっているのだから。
 母親本人だとは思ってはいない、けれどどうしたってその後姿は懐かしくて、愛おしくて、振り向いてこちらを見て欲しいと願ってしまう。それを未熟だとか、幼さゆえだと言うのならば甘んじて受けようとレモンは母の背中を追う為に駆け出した。
 どんなに早く走っても、普通に歩いているはずの母の背中には追い付けず、レモンは走るのをやめてゆっくりと後を追う。折角なのだから、何かを伝えられたらとも思うけれど、何を言えばいいのか分からない。
「僕は元気です、とか」
 口にしたら、なんだか一気に陳腐になってしまった気がしてレモンは口を噤む。こんな時、なんて言ったらいいのだろうか。
「あっ君ならわかりますか」
 なんとなく、今までこれっぽちも気にしていなかった芥多に問いかけて、返事がない事に気が付く。
「……そう言えば静かだな」
 いやだって絶対こんな鳥居が連なってるの見たら、行きたくないとかもう帰るとか駄々をこねるでしょう、あの男。
「静かすぎる、なんで」
 黙ってついて来てる? そんな訳ないか、とレモンが一応後ろを振り向いて、左右も確認し――。
「……あっ君? あれ!? 本当に居ない! いつから……!?」
 母の背中に夢中になるあまり、すっかり芥多の事を忘れていたなんて。
「母さん、あっ君、母さん……あっ君……!」
 母の背中と、今ここにいない芥多。天秤に掛けて、レモンが僅かに葛藤する。
「いや、あっ君だって大人ですし、大人……あっあ~~ダメだ! あっ君を一人にするのは不安すぎる!」
 秒で天秤は芥多に傾いた、当然と言えば当然である。
「探しに行こう!」
 そう決めたら、なんだか心もすっかり軽くなったような気がして、レモンが目の前の背中に声を掛けた。
「ごめんね母さん……会えて嬉しかった。今度はお墓に、僕の方から会いに行くよ」
 紫陽花を持って、必ずとレモンが頷くと大きく息を吸い込んで。
「迷子のお呼びだしをいたしまーす!」
 腹の底から出た、今日いちのでかい声で。
「エセチャイナの日宮芥多はいらっしゃいますかー!」
 芥多の名を呼んだ。
 途端に世界はくるりと様子を変えて、連なる鳥居には終わりが見えた。そして、その先にいたのは母ではなく――。
「あっ君、見っけた!」
「おーっと、魔女代行くん。ダメですよ、迷子になったら!」
「それは僕のセリフです!」
 そうして、二人はいつもの様に言い合いながら――おもひで無限鳥居を抜けたのだ。

緇・カナト

●さよならを
 紫陽花横丁が橙色に染まりだし、紫陽花の彩にも影を落とす。
「黄昏時に鳥居をくぐれ、か。神隠しにでも逢えそうだけれど」
 どこかの禁忌とされている話にありそうだな、と緇・カナト(hellhound・h02325)は思う。大抵、そういう話は日が暮れるまでに帰れとか、暗くなると危ないとか、そういう教訓に基づいた話が多数だけれど、稀に本物もあるらしい。
 これはその本物のひとつかもな、なんて思いながらカナトは鳥居の向こうに見える横丁を眺めた。
「ま、見てても仕方ないか。この先の古妖退治には必要だろうからねェ」
 この先に行かなくては古妖を見つけられない、鬼が出るか蛇が出るか――さてはて、とカナトは鳥居の向こうへと歩みを進めた。
「……なるほど」
 見えていたはずの横丁は無限に連なる鳥居に変わり、カナトの視線の先には自分より少し背の高い男性の姿があった。彼の黒髪が揺れて、カナトは詰めていた息をゆっくりと吐きだして彼の背中を見つめる。
 じっくり見つめても、その背中が青年なのか大人なのかも解らなかったけれど、それで構わないとカナトは一度目を閉じて、ゆっくりと開くと背中に向かって歩き出した。
 カナトが歩いた分だけ、その背中も遠ざかる。一向に縮まない距離は嘗てのようだと、無言で数歩後ろを歩いて。
「……はは」
 そんな筈はなかった、並んで語り合えている筈だった。
「だから、これはやっぱり夢まぼろしなんだ」
 どんなに、今にも振り返りそうな背中であっても。
 どんなに、今にも自分の名を呼んでくれそうであっても。
 解っている、これは鳥居を抜けるまでの唯の幻覚で、黄昏時に見えた影なのだと。解っているのに、カナトは鳥居の終わりが見えてくるまで、その背中から目を離すことができなかった。
 最後の鳥居を前にして、カナトは揺らいだ背中に向けて言葉を零す。
「さようなら、」
 それは、溜息と共に。
「……兄さん」
 一瞬、振り向いたように見えた彼の顔は笑っていただろうか。それとも、怒っていただろうか。
 どちらであったとしても、本人ではないのだからとカナトは黄昏時の夢まぼろしを振り切るように鳥居を抜けた。

東雲・夜一
ナギ・オルファンジア

●無限鳥居でお散歩を
 黄昏時、その薄暗さから目前にいる人物ですら誰であるかわからない――故に、|誰そ彼《たそかれ》。夜へと更ける手前の短い時刻に、先ほどまではなかったはずの大鳥居が現れる。
「ははぁ、こりゃまた見事な鳥居だ」
 空の移ろいを瞳に映しながら、東雲・夜一(残り香・h05719)が鳥居を見上げた。
「ああ、夕暮れに朱が映えること。夜が更けたら、もっと映えるだろうねぇ」
 夜一をちらりと見遣り、ナギ・オルファンジア(■からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)がまるで笑うかのように目を細める。
「そうだなぁ」
 夜の|帳《とばり》が降りたなら、オレの時間だがと夜一が唇の端を持ち上げた。
「それにしたって、この先はまさかの別働とはね。一緒にお散歩出来ないだなんてねぇ」
 残念だこと、とナギが嘆くように言って、鳥居の向こうに視線を向けた。
「本当に別々になるのかねぇ」
「ふふ、試してみようか」
 せーの、で鳥居をくぐろうと、二人は同時に足を踏み出した。

「おやまぁ」
 本当だったねと言う相手がいなくなってしまった事に、ナギが残念そうに言葉を零す。
「さて、私には誰の背中が見えるんだろうね」
 無限に連なる鳥居に驚いた様子も見せず、ナギはゆっくりと歩きだす。すると、さっきまでは誰もいなかったのに、ふと前に何者かの背中が見えた。
 見えたのは、干乾びた鰐頭をした人の影。その気配には砂が滲んでいて、ナギがすっと目を細める。
「ふぅん、……成る程」
 つまらなさそうに言って、付かず離れずの距離に位置する背中を眺めながら前へと進む。
「これは又、か細い縁を辿ったものだな。苦肉の策でしょう、ナギには何もありませんもの」
 本当に、なにもないのだと乳白色の睫毛を揺らし、ナギは歩く。
 あんまりにもつまらなすぎて、ナギは煙草の一つも吸ってやろうかと思ったけれど、あの背中をないものとして無限鳥居を楽しむべきかと思考を散らす。
「うん、そうしよう。君には悪いが、さっさと通り抜けてしまおうね」
 何より、あの背中の後ろを歩くのはどうにも砂っぽくてかなわない。
「それに、無限鳥居を抜けた先に夜一君がいるようだし、何があったか聞くのも一興だろうしねぇ」
 それはそれとして、こんな楽しくない時間を作ってくれた古妖にはたんまりと礼をしなくてはと、ナギは気持ち歩く速度を上げた。

「はぁ、こりゃたまげたねぇ」
 何ひとつたまげていない声で、夜一が地平線の向こうまであるのではないかと思うくらいに続く鳥居に頭を搔く。本当に、一緒にいたはずのナギが消えていたし、鳥居は増えていたし、何より見知らぬ誰かの背中が見えるのだ。
「お前さん、いったい誰なんだい」
 試しに声を掛けてみたけれど、返事があるわけもない。ただ、離れて行こうとする背中はまるで自分について来いと言わんばかりで、どのみち真っ直ぐに進むしかない夜一はそれに甘んじることにした。
「ま、ついて行かねぇと、ここから出ることも出来ねぇか」
 下駄の音だけが響く中、夜一は見知らぬ背中を追いかける。それが男であるのか女であるのかすらわからないけれど、黙って歩くのもつまらないかと口を開く。
「なあ、ここはどこだい?」
 どうしてこんなに鳥居が連なっているのか、行く先は何処か、つらつらと気になったことを投げかけてはカラコロと歩く。前を歩く背中は、返事もしないし振り向きもしないが、夜一がちょいと立ち止まると進むことを誘うように背が揺れるのだ。
「煙草休憩もなしかい? 世知辛いねぇ」
 こうなったら、とっとと鳥居を抜けて一服するかと夜一が背中を追い越す気持ちで歩き出す。どれだけの時間が経ったのか、十分か一時間か、体感としては短くもあり長くもあり――やっと見えた鳥居の終わりに、夜一はやれやれと入り込んだ時の様に潜り抜け――僅かに瞠目したナギと合流したのである。
「っと、ナギか」
「やぁ夜一君、お疲れさま」
 いきなり現れたように見えたのは夜一も同じで、ちょっとばかり驚いたけれどナギがなんとなく拗ねているようにも見えて、おつかれさん、と手を上げた。
「無限鳥居のお散歩は楽しめたかい?」
「いやぁ、それがなぁ」
 全く知らない背中で、と夜一が零すとナギが目を瞬く。
「えっ、知らない背中かぁ……それはお疲れさまだね。私はてっきり、君だけ楽しんだのかとむくれていましたのに」
「何にも、ただ歩いただけだったなぁ。ナギの方はどうだったんだい?」
「まぁ私も似たようなものでした」
 そう答えるナギの顔も声も不満そうで、なるほど、お互いにどうも貧乏くじを引いたようだと顔を見合わせる。
「ハハ! 土産でもあれば良かったんだけどなぁ」
「ふふ、此処でお土産は想像がつかないなぁ」
 でも、うん、そうだな。
 抜けた先に互いがいたなら、まぁいいかもしれないと、少しだけ思って。
「さて、次で終幕でしょうかね」
「そうであってくれないと困るなぁ」
 二人は古妖がいるであろう先へと、視線を投げるのであった。

尾崎・光
野分・時雨

●お迎え同士
 紫陽花横丁に行くと言っていた、己の|Anker《慈雨》のお迎えにとやってきた野分・時雨(初嵐・h00536)は、同じように|Anker《姉さん》限定で働くカンだけを頼りに迎えに来た尾崎・光(晴天の月・h00115)を見つけ、それはそれは嬉しそうに手を振った。
 対して、手を振ってきた時雨に気が付いた光は気が付かなかったことにしよう、と自然に視線を外し距離を取るように違う道へと入ろうとした。
「コウくん! コウくん、ぼくだよ、ぼく~!」
 間に合ってます、という顔をしつつ、光は溜息を隠さずに駆け寄ってきた時雨を見遣る。
「……何故きみに遭うのかな」
「ご近所さんだからかな~、運命でもいいよ」
「悪いけど、きみとの運命はご免被るよ」
 またまた~と笑う時雨の顔は夕焼けに照らされていたってわかる、明らかな拒絶だというのに笑顔だ。
「あ、コウくんもあれ? ぼくとお祭り回りたかったの?」
「どうしてそんな話になるのかな。一人じゃ詰まらないって正直に言っていいんだよ」
「あ、じゃあそれで」
「うん、まあ僕は姉さんを探しているから構う暇はないけど」
 光がそう言うと、時雨の瞳がくるんと丸くなる。
「え!? お姉さん!?」
 しまったな、とは思ったけれど口から出た言葉は今更撤回もできない。
「あー、興味を持たれるか。似てはいるよ、双子だからね」
「似てる? 双子!? 会わせてよ」
 ねえねえ、と聞いてくる時雨に光は気を取られていたし、時雨は光の双子の姉という存在に気を取られていた。だから、二人そろって横丁に突然現れたような鳥居をくぐったことに、気が付かなかったのだ。
「悪餓鬼はお仕置きされるだけだからやめときなよ」
 そう言って、光が時雨に向かって釘を刺そうと振り向けば――横丁にいたはずなのに鳥居が連なる道に、まるで放り出されたかのように一人であった。
「これは……」
 来た道はない、そして前を向けば同じように連なる鳥居と、セミロングに茶色のセーラー服姿の女の子の後ろ姿。
「きみ……」
 知っている、と光は思う。あれは確か、姉さんの後輩で――姉さんより先に見つかった子。
「そう、死体で」
 だから、いるはずがない背中なのだと光は考えながら、取り敢えず背中を追うことにした。
「名前は何だっけ。道場の子は覚えているけど、高校の新入生は抜けがあるんだよな」
 化けて出たのか、そうだとしても何故自分の前に、とも思う。それに、追い付いてもおかしくない速度で歩いているというのに、女の子の背中はちっとも近付かない。
「目撃者なし、死因不明で迷宮入り確実と言われる件の一端でも見えればいいんだけれど……この調子じゃ難しいかな」
 狐にでも化かされているのか、何のリアクションもないのではどうしようもない。けれど、それが一縷であったとしても希望があるならと、光は鳥居が途切れるまで彼女の背を追った。

 あれ? という感覚はあったけれど、時雨の意識は光に向かっていたので構わず話しかけて。
「ねぇ~いいじゃん~~紹介し……あれ。コウくんいなくね」
 どこに行ったんだろう、ときょろりと見回せば横丁ではなく鳥居が連なる道の中で、時雨は唇を尖らせた。
「あ~~そういう?」
 仕方ないな、と時雨は前を向いて歩きだす。こういうのはゴールに辿り着けば抜け出せると相場が決まっている、ゴールが何処にあるかはわからないけれど。
「おや、女の子発見」
 怪しいのは百も承知だけれど、追う以外の選択肢もない。ならば、あの背中に賭けてみるのも一興かと時雨は少女の背中を追うように駆け出した。
「追い付けないとはね~」
 全然追い付けない、それに緩やかなカーブを描いた道を抜けるたび、少女の姿が成長していくのだ。それと同時に、何故か強まっていく日照りに、時雨はどういう原理だろうねと思いつつもただひたすらに追いかける。
 紫陽花を抱えた背中は楽しそうで、時折躓いて、それから時雨には見えない、隣にいる誰かに話しかけるようにして。
「――あれ。時雨さんと、」
 何故かそう思った瞬間に、強い陽光の眩しさに目が眩んで思わず目を閉じて――目を開けた先には。
「……コウくんじゃ~ん!」
 光の姿を見つけ、時雨がパァッと表情を明るくして駆け寄る。
「どこいってたの? 何か見た?」
「……ねえ、殴っていい?」
「うふふ。急に不機嫌」
 全く急にではなかった気がするが、時雨は構わずに笑う。多分、光も自分の様に不可思議な体験をしてきたのだろう。
「良いとこで帰ってきちゃった?」
「良いも悪いもないよ」
 迎えに来ただけなのに、どうしてこんな事になったのかと光が額に手を当てて溜息をつく。
「おかしなことに巻き込まれた気がするよ」
「ぼくもそうおもーう」
 その一点だけは意見があったと、光がもうひとつ溜息を零す横で時雨が笑った。

乙女椿・天馬
楪葉・伶央

●その背中に見えるもの
 黄昏時の紫陽花横丁も悪くない――なんて話ながら歩いていれば、先ほどまではなかったはずの大鳥居が現れる。
「あ、鳥居だ」
「ん?」
 あんな鳥居、紫陽花横丁にあっただろうか? と楪葉・伶央(Fearless・h00412)が僅かに小首を傾げていると、わくわくした様子の乙女椿・天馬(独楽の付喪神・h02436)が伶央の手を引く。
「すげー、伶央、行こうぜ!」
「あ、ちょっと待……っ」
 待ってほしい、と言うよりも早く天馬は伶央の手を掴んだまま鳥居の向こう側へと足を踏み入れた。
「やば~すげ~」
 何ここ、さっきまで横丁の中だったのに、と天馬が伶央に言おうとして、ふと気づく。手を繋いでいたはずの、伶央がいないことに。
「……あれっ? 伶央いねーし……」
 おかしいな、と振り向いてみても、やはり横丁の姿はなく鳥居が前後に無限に続いている。
「どっちを向いても鳥居か~」
 うーん、と天馬が腕を組んで、悩むように目を閉じてパッと開く。
「ま、よくあるやつ~……って、伶央いるじゃん!」
 神隠しみたいなものだろう、と結論付けてどうしようかなと思った矢先に伶央の後ろ姿が前方に見え、天馬が笑う。
「なんで先に進んでるんだよ~」
 も~、と追いかけてみたけれど、どうにも追いつけない。
「伶央、待ってくれって~」
 念の為に声を掛けてみたけれど、前を行く背中は言葉を返してくれるどころか振り向きもしなかった。
「……待ってくれねーし。これ伶央じゃねーな」
 本物の伶央が自分を置いていくわけがないと、天馬が僅かに目を細める。
「まぁいいか、そのうち会えるだろ」
 恐らくだが、あの背中を追えばこの鳥居からも抜けられる気がすると、天馬は気楽な気持ちで伶央っぽい背中についていくことにした。
「それにしてもよく似て……あれ?」
 さっきまで大人の伶央の背中だったのに、いつの間にか昔の伶央――少年だった頃の、ただの独楽だった天馬を相棒にしていた頃の後ろ姿になっていた。
「懐かし~」
 小さな姿の、俺の主と思わず笑みが零れてしまう。
「いっぱい俺で練習して、俺で戦って」
 共に更なる高みを目指し、やがて独楽バトルの頂点へと到達すると思っていた、あの頃の背中。
「ずっと続くと、思ってたんだよな~」
 懐かしくも楽しい俺の思い出。いつしか小さな少年は大人になって、天馬は何処かに大切に仕舞われて、|この世界《√妖怪百鬼夜行》に流れ着いて受肉して――。
「縁ってやつなんだろうな」
 そう呟くと、また目の前の背中が変化していく。まるで早送りで再生をしているように、伶央の背中はゆっくりと成長していく。
「こんな風に成長してたのかな~、でもな~」
 それは天馬の知らない伶央の背中で、なんだかむず痒い。
「ん-、今度この頃の伶央の話聞いてみよ」
 そんな風に、少し楽しくなりながらも歩いていると、伶央の姿が今の姿の背中になって。離れ離れになってしまったけれど、また伶央のそばに戻ってこれたんだよなと天馬が笑みを浮かべる。
 いつしか無限に続いていた鳥居は消えて、最後の鳥居を潜り抜けながら天馬は消えゆく背中に声を届ける。
「伶央、ずっと一緒にいるからな」

 手を引かれた先、普通の横丁だったはずなのに目の前に広がるのは千本どころではないように見える鳥居。伶央は目を瞬かせながら前後左右を確認し、天馬がいない事に気が付く。
「天馬……?」
 名を呼んでみるけれど、返事はない。
「どうやら逸れたようだが……先に進めばきっと会えるだろう」
 根拠はなかったけれど、そんな自信がある。自分の相棒に、必ず会えるという自信だ。
「行くか」
 立ち止まっていても仕方がないと、伶央は前へ向かって歩き出す。少しすると、前方に誰かの後ろ姿が見えて、伶央はもしや天馬かと歩く速度を上げる。
「いや……違うな」
 見えてきた姿は陰陽師や平安時代の貴族という印象の狩衣を纏った人物。いったいどちらの御仁かと、伶央が警戒を怠ることなく進むけれど、どうやら追いつくことはできないようだった。
「まるで狐に化かされているみたいな……陰陽師、そうか」
 ハッと気が付いたような顔をして、伶央は前を行く後ろ姿をまじまじと見つめて歩を進めていく。
「俺はあの人を『識って』いる」
 伶央の家系は紐解けば平安にまで遡る、その当時のご先祖が『伝説の陰陽師』と謳われていたのは間違いのない事実。家の書架には当時の文献が多く残っており、伶央は当時の文字を学び、必死で彼の陰陽師が残したそれを幼い頃から読み耽ってきたのである。
「符の書き方や呪術や体術、陰陽のこと……俺の戦いの礎となる指南や知識に溢れていたな。教養にも溢れ、読むのが楽しかった」
 それに、何よりご先祖と彼の愛し君との日々の記録もあり、偉大なる陰陽師でありながらも人としての温もりも感じられる――いつか、自分もこんな風に愛しく思える誰かに出会えたならと思ったものだ。
 幻かもしれないが前を往く歩みには寸分の無駄もなく、伶央を導かんとするような後姿だけでも偉大な陰陽師であったとわかる。知らずのうちに伶央は憧憬の吐息を零す。姿勢を正し、届かぬかもしれぬとわかっていたけれど、伶央は目の前の背中に語り掛ける。
「貴方から継いだ力で、俺は俺の正義を貫きます」
 誓いの言葉、その言葉を受け取ったのかどうか、いつしか連なる鳥居は終わりを告げていた。
 そして見えた姿と、届いた声に笑みを零して言葉を返す。
「ふふ、勿論俺達はいつだって一緒だ、天馬」
「うわ!? き、きいてた!?」
「ああ、聞こえていた」
「い、いるなら言えよ!」
 鳥居を抜けたとこだったのだと笑えば、天馬が唇を尖らせて、もう迷子になんなよなー! と照れ隠しをするように伶央の手を握った。

賀茂・和奏
白水・縁珠

●記憶にはなくても
 色とりどりの和傘を楽しんで、やがて陽が暮れようとして。
「お出かけ楽しかったね、解散ー……で、終われたけど」
 そう言って、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)は隣に立つ賀茂・和奏(火種喰い・h04310)を見遣る。
「かわいこちゃん達の危機は見て見ぬ振りできんよなー」
 その言葉に、和奏はふっと唇に笑みを浮かべて頷く。
「ん、可愛い子らに楽しませてもらった分、お返ししないとね」
 雨の日に連れて歩く可愛い子も見つけたことだし、と和奏が縁珠に視線を返した。
「それに、きちんと反省して打ち明けてくれた画家さんの心が痛まないようにも」
「だね」
 短く答えたけれど、縁珠も同じ気持ち。ただひとつ、心配なのは――。
「……とは言え、奏さんは気を付けて。無遠慮な鳥居みたいだから」
「妖の領域の中へ……だからね、いい予感はしないな」
 でも、と和奏が鳥居の先を見つめつつ、答える。
「俺は、じゃなく縁さんも、気をつけようね」
「私も?」
「勿論」
 当たり前でしょう、と念を押すように言えば、わかったと縁珠が頷いた。
「それじゃ」
「行こうか」
 どちらからともなく鳥居に向かって足を踏み入れ、その先の景色が変わるのを二人は同時に感じながら――互いの姿が掻き消えたのも、感じ取っていた。
「景色としては壮観というべきなのかもだけどね」
 前後にずらりと連なった鳥居は無限にも見え、和奏が目を細める。立ち止まったままでは事態は好転しないのだから、まずは歩き出すべきかと前を向く。
「……早めに合流したいな」
 ぽつりと呟き、地面を蹴ると前へと進む。すると、歩き出したと同時に少し離れた前方に男女の背が見えて、和奏が軽く目を瞬いた。
「……誰かな」
 少し前、この√世界で声を掛けてきた人達に似ている気もするけれど、何となく違うようにも思える。前を行く背中は、和奏に何かしてくるでもなく、ただただ追いつくこともなく和奏が進めば同じだけ離れていく。
「こういうのって惑わす為に誘う手合いが多い気がするのにな……」
 ちょっかいを掛けてくるわけでもないのは、何故だろうかと小首を傾げつつ、本当に知らない人達なのだろうかと考える。
「いや、でも知らないな……」
 どんなに考えても、前を行く二人の背中が誰なのかわからない――それもそのはず、和奏の欠落のせいなのだから。けれどそれを本人は自覚できず、何故か二人がそのまま行ってしまうのは危ない気だけがしているのだ。
「ううん、どう声を掛けたら……そも、掛けていいのか」
 古妖の罠だったら、と思うと迂闊なこともできないけれど。
「す――」
 すみません、と口を開こうとした瞬間、和奏は背を引かれる感覚に目を瞬いた。

「本当にいない……」
 同時に入った和奏の姿がいなくなっている事を確認し、縁珠は周囲を見回す。紫陽花横丁は何処かへ消えて――いや、自分たちが紫陽花横丁から消えたのかもしれないけれど。
「鳥居がいっぱい」
 幾重にも連なって、視界の先までも埋め尽くされているけれど、前を向いた先に人影を見つけて縁珠は追うことに決めた。
「全然追い付けない……」
 歩けばその背中も進み、止まれば止まる。まるで陽炎のようだと思いつつ、縁珠は歩き続ける。
「……誰か、って誰よ」
 誰かの背中が見える、とは聞いていたけれど。じゃあ、自分の前を歩く誰かは、誰なのか。
「縁が知りたい事は、いつもそう」
 ほんの少し拗ねたような声で、縁珠は自分の記憶が途切れた部分を追いかけるように、その背を追う。追いながら、背中が誰であるのかを予想するように考える。
「……『両親』? ううん、実は『両親』って呼ばれる存在は私には無いのかも」
 だって、記憶のどこにもありはしないのだから。
「……でも」
 前方を行く背中の様に朧気なそれを掴めたなら、何かがわかるかもしれない。そんな風に考えて、縁珠は衝動的に駆け出した。
「……ぁ、なんか……」
 知っているかも、しれないなんて。そう思った瞬間に、追っていた背中が揺らぐ。
「――まって……!」
 消えてしまう、そう思った瞬間に手を伸ばして――。
「あ、れ?」
 掴んだ、と思ったそれは影のような背中ではなく、今日という日をずっと一緒に過ごしてくれた、見慣れた黒いスーツで。
「縁さん」
「えっと……皺になったらごめん、わっきー」
「そんなのいいよ」
 そんなことよりも、背中を引いてくれたのが彼女でよかったと和奏は小さく安堵して、縁珠が無事か確認する。
「無事かい?」
「……外傷はないよ」
 なんだかとっても気まずかったけれど、縁珠はそう答えて掴んでいたスーツの端を離した。
 ほんの少し、ほんの少しだけ、離し難かったのは、どうしてだろうか。ぐーぱーしながら自分の手を見て、和奏へと視線を向ける。
「奏さんは、無事?」
「無事だよ」
 二人、どこか傷付いたような目をしていたけれど――それには触れず、無事でよかったと頷きあった。

椿之原・希
天國・巽
黒後家蜘蛛・やつで

●いってらっしゃいも、おかえりも
 黄昏時ともなれば、もう帰る時間ではあるけれど。
「聞いちまったら、帰れねェよな」
「画家さんを助けませんと!」
 天國・巽(同族殺し・h02437)の言葉に、勢いよく椿之原・希(慈雨の娘・h00248)が頷く。
「家主様と希様が行くのでしたら、やつでも参ります」
 当たり前です、と黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)が言うのに巽が笑い、そンならまァと二人と手を繋ぐ。
「はぐれねェようにな。ンじゃま、行くとするかィ」
 はい! と元気のいい希の声と、静かに頷いたやつでに頷いて巽は目の前の鳥居の先へと一歩踏み出す。それに合わせるように、二人の少女も――。

 一歩進んだその先は、紫陽花横丁ではなく無限に鳥居が連なる摩訶不思議な場所で、希は思わず後ろを振り向く。
「すごい数の鳥居です……後ろにも!」
 ぱちりとまぁるく目を瞬いて、希はここは私が頑張らなくては! とキリっとした顔をして巽とやつでに話しかける。
「天國さん、やつでさん、私が先に……え?」
 巽が繋いでくれたはずの手はなく、やつでの姿も見当たらない。
「……お二人はどこですか? 天國さん、やつでさん!」
 焦ったように二人の名を呼べど返事はなく、希は不安を募らせる。次第に気を張っていた表情も不安に曇り、どうすれば……と鳥居が連なる道の先を見遣った。
「天國さ……」
 男性の後ろ姿だと、巽の名を呼んだけれどあれは違うと希が言葉を止める。
「え……あの後ろ姿は…お兄ちゃんなのです」
 自分と同じ髪色の、大切な|兄《Anker》を見間違えるはずもない。
「まさか、√を越えてしまったのですか?」
 いけない、と希は目の前の背中を追うようにして、振袖を揺らして駆け出す。
「お兄ちゃん、ここは古妖がいるから危ないのです、私の後ろに下がってください!」
 そう声を掛けるけれど、その背中はこちらを振り向きもせず、ただただ前へと進んでいく。
「お兄ちゃん? どうしてこっちを向いてくれないのですか? お兄ちゃん!」
 もしかして、私のことが嫌いになってしまったのだろうかと希が不安に胸を曇らせ、じわりと涙が浮かんでくる。
「……いいえ、お兄ちゃんは理由もなく私のことを嫌ったりなんてしません」
 ぐい、と浮かんだ涙を拭って、希は前を向く。縮まらない距離だけれど、希が立ち止まればその背中も立ち止まってくれているではないか。
「ちょっと待ってくださいね!」
 覚悟を決めて、希はそっと草履と真っ白な足袋を脱いだ。
「せっかくの振袖だけど、少し歩き辛いのです。だから、少しだけごめんなさい」
 裸足で歩くことを許してくださいね、と振袖に謝ると、着物の裾が汚れぬように軽くたくし上げて帯へと挟む。そうして草履と足袋を手に持つと、待ってくれている背中に小さく笑顔を向ける。
「もしかして……二人に会わせてくれようとしていますか?」
 返事はなかったけれど、希にはそう思えて。
「……絶対守りますからね」
 兄も、巽も、やつでも、と希は目の前の背中を追いかける為、素足が汚れるのも構わずに再び足を踏み出した。

 鳥居に足を踏み入れた瞬間、やつでは奇妙な感覚を覚えてくるりと目を回す。辺りを警戒するように見回せば、前も後ろも鳥居が並び、希と巽の姿はどこにもなかった。
「古妖の仕業でしょう」
 そう確信するのには理由がある、普段はやつでの髪の中や足元の影の中に隠れている蜘蛛たちの声が聞こえないのだ。
「糸も途切れていますね」
 ああ、とやつでは思う。
「これがひとりぼっち、というやつですか」
 黄昏時、連なる鳥居の道を眺め、やつでは手にした傘をパンッと開く。そしてくるくると回しながら月と雲の柄を見上げた。
「でも、この傘があるということは現実ということ……家主様と希様を探さなくては」
 傘の柄から視線を下ろし、ふと鳥居の先を見れば歩く人影がふたつ見えて、やつでは巽と希かもしれないと、その背中を追いかける様に歩き出す。
「……違いました」
 その背中はやつでが思う二人ではなかったけれど、知らぬ背中ではなくて。
「どうしてここに……いえ、古妖の見せる幻なのでしょう」
 ひとつは、大好きな少年との時間のために、燃え尽きそうな命を最後まで燃やした少女の背中。
 ひとつは、自分を信じた子供達のために組織に背き、最後には命を落としたという修道院の院長の背中。
「不思議です」
 ほんの僅か、いっときの間だけ道が交わっただけの、親しいとも知り合いだとも言えないような人間の背中。そして、その二人は生者ですらないというのに。
「……死の匂いがします」
 寒気を感じ無意識に傘の柄を握り締めながら、それでもやつではそれしか道がないのだからと死者の背中を追いかけた。
「その価値はありましたか?」
 ふと、そんな言葉がやつでの唇から零れる。答えが欲しいのか、答えの確認がしたかったのか――言葉を発したやつでにも、それはわからなかった。
「返事はありませんか」
 死者なればそれも当然かと思いつつ、やつでは鳥居の先を目指す。

 繋いでいた手の感触がまるで幻であったかのように消え失せて、巽は僅かに眉根を寄せる。
「希、やつで」
 念の為、と名を呼んでみたが返事はなく、巽は地平線まで続いているようにも思える鳥居を眺め――二人の背を見つけて安堵したように息を吐いた。
「いつの間にか、随分と遠くを歩いているじゃねェか」
 しっかり手を繋いでいたはずなんだがなァと零しつつ、巽はふたつの背に向けて声を掛けた。
「おぅい、二人とも」
 聞こえないような距離ではない筈なのに、二人からの返答はない。さても摩訶不思議な、と思いながら巽は並んで歩くふたつの背を追いかける様に前へと進む。しかし追いつこうと早足で進めど、一向に距離が縮まらない。それどころか、前を行く背中は少しずつ成長しているようで。
「どういう絡繰りだ、こりゃ」
 あっという間に希は長い髪をした、まるで戦場の指揮官のような凛々しい姿へ。やつでは小蜘蛛を従えた、美しくも畏怖すべき女王の如き姿へとその背を変えた。
「おかしいな」
 さすがにこれは化かされているだろう、と巽がいよいよ訝しんだその時であった。
 わぁん……っと空気が震えるような感覚がして、希の声が響く。
『大丈夫です、私は必ず帰って来ます』
 何が、と思う暇もなく目の前の背中がひとつ消え。
『家主様、希様はもう戻られません。やつでもこの世界で学ぶべきものはありません、お別れです』
 残った背中も消えて、巽はふと気付く。
「ああ、独りか」
 思ったよりも自分の声が鳥居の中で響いて、巽が小さく笑う。
「大丈夫、独りなんざ慣れたものだ」
 それに、この手にはこの傘があると、暮れゆく空に向かって掲げる。
「この傘を買っておいて良かった、これを見ればいつでも思い出せるだろう?」
 だから、何も寂しいことはない。雛鳥はいつか旅立つものだと、巽は知っているのだから。
 傘を差し、鼻歌を歌いながら歩けばいつしかふたつの背中が消えたように、無限に連なっていた鳥居は消え、幻ではない幼い二人が立っているのが見えた。
「天國さん!」
「家主様」
「よう二人とも、十年ぶりぐれェか?」
「え? さっきぶり、ですよ?」
 きょとんとした希が首を傾げ、やつでも巽の不思議な問いに首を傾げる。
「おうおう、そうだなァ」
 どこまでも優しい笑みを浮かべ、巽が二人の方へと歩く。その様子に、なんだか笑っているのに悲しい顔をしていると感じた希が駆け出した。
「おっと」
 巽の胸めがけて抱き着きにきた希を受けとめ、巽がその頭を撫でる。
「メチャカワです」
 なんですか、このメチャカワ生物、とやつでが呟き、そのしぐさは生存競争に役立ちそうだと、同じように巽の胸へと飛び込んでいく。それを難なく抱きとめて、巽は目線を合わせる為にしゃがみ込む。
「おかえり」
 そう言って、二人をぎゅうっと抱き締めた。
「……お二人も何かを目にしましたか」
「……私は、お兄ちゃんを」
「俺ァ大したもんは見てねェよ」
 いや、大したもんだったかなと巽が一人で笑い、ふっと視線を下げる。
「希、裸足じゃねェか」
「あ、これはお兄ちゃんを追いかけようと思って……」
「拭きましょう、今すぐ拭きましょう」
 やつでが懐から手拭いを出すと、巽が希を膝に乗せて足を出させる。
「あ、あの、大丈夫ですから……!」
 希の慌てる声は足を綺麗にしてもらい足袋と草履を履かせてもらうまで、二人に聞き入れられることはなかった。

井碕・靜眞
物部・真宵

●心、揺れて
 ほんのりと薄暗い、けれど橙色の光を湛える空は眩しくて、井碕・靜眞(蛙鳴・h03451)はひさしを作るようにして紫陽花横丁に現れた大鳥居を見上げた。
「随分と大きい鳥居ですね」
「そうですね……こういう大鳥居は大抵が古妖絡みなんです。井碕さん、くれぐれもご用心を……」
 物部・真宵(憂宵・h02423)の言葉に、靜眞はなるほどと頷く。確かに、この先に古妖がいることを想えば、この大鳥居もその古妖の仕業だろう。気を引き締めていかなくてはと、足を踏み入れて――。
「物部さんも気を付け……」
 そう言いかけて、靜眞は隣に彼女の姿がない事に気が付き、唇を噤む。そして油断なく周囲を観察してみれば、大鳥居の向こうにあったはずの景色は消え失せ、ただただ鳥居が連なる道があるばかり。
「物部さんの言った通りだな」
 古妖の仕業、という言葉を口の中で転がして、それでも前へ進むしかないだろうと靜眞は歩き出し――その先に見つけた姿に、唇を嚙んだ。
 靜眞の目に映る背中は、小さな背丈をした赤いランドセルを背負った女の子。ランドセルに付けられた、きらきらと揺れるキーホルダーは靜眞の持つ赤黒い物と同じであった。
 少女の背中を見つめ、果たしてこの背中についていけばいいのか、それとも。僅かな逡巡の中で、少女のことを思う。まるで、忘れるなと言わんばかりだと靜眞は小さく息を吐く。
「忘れられるものか」
 この先何があっても、死ぬまで、死んだとて忘れることはないだろう。靜眞が|警視庁異能捜査官《カミガリ》として初めて対処した案件で、遺体すら見つけてやれなかったあの子のことを。
 握りこんだ拳の爪が皮膚に食い込むのにも構わず、靜眞は食い入るように少女の背中を見つめ――迷った挙句に、その背を追うことに決めたのだ。
「……物部さんが此処に居なくてよかった」
 彼女が聞いたら怒るだろうか? それでも、今の自分の顔は普段彼女が目にするよりも随分と酷い顔をしているという自覚があるからこその言葉。きっと、今彼女が出てきたら心配させてしまうと、靜眞は自分を落ち着かせるように息を整えながら、少女の背中をつかず離れず、けれど忘れず――ただ静かに追った。
 声を掛けようかとも思いはしたが、何を言えばいいのかと自嘲する。その間にも蛙の鳴き声はうるささを増していき、靜眞は強く強く拳を握り締めてひたすらに歩いた。

 くれぐれも気を付けて――そう言った次の瞬間に、真宵はひとりであった。
「……これも古妖の仕業ね」
 零れ落ちそうになった溜息を飲み込んで、真宵は黄昏に沈む鳥居の中で前を向いて歩きだす。
「井碕さんもご無事だといいのだけれど……」
 心配だわ、と目を閉じて開けば、はぐれたはずの背中がひとつ。黄昏の中をひとり歩く背中に向けて、真宵は躊躇いなく声を掛けた。
「……そう、そういうことね」
 一向に返事は得られず、振り向くこともないその背中に真宵は今度こそ小さく吐息を零す。
「おいで、『帝月』」
 名を呼ばれ、天鵞絨の夜の様に昏い狐が姿を現す。
「行きますよ」
 主たる真宵の言葉に小さく頷き、帝月が彼女の後ろを守るように歩き出した。
「あなた、化けるもの大変だったでしょう?」
 真宵が前を行く背中へと話しかける、少しばかり挑発を含んでいるのは怒りもあったが化けの皮を剝がしてやろうという気持ちもあるのだろう。
「わたしには逢いたいと想うひとも希うかたもいないですから。だから刑事さんのお姿を取られているんですか?」
 どんなに真宵が呼びかけようとも、一向に応じる気配がない背中に向けて帝月が威嚇するように鳴声を漏らす。それを手で制しつつ、真宵が唇を開く。
「あなた、心を弄ぶのは感心しませんよ。このあと本物の刑事さんにとっちめられても、助けてあげられませんからね」
 暖簾に腕押し、糠に釘をはこのことかしら、と思いつつも真宵は靜眞の無事を祈りながら、毅然とした態度で古妖が作り出したであろう背中へと声を投げ続けた。
 ふと、追い続けていた背中が揺らぐ。それと共に長く続いていた鳥居も終わりが見えて、真宵は濃くなっていく茜色のその先に靜眞の姿を見つけ、安堵したように声を掛けた。
「……井碕さん?」
 もしかしたら、これも古妖の罠かしらと僅かに警戒した瞬間、靜眞がこちらを向いたから、本物だと真宵が笑みを浮かべる。
「ああ、よかった……」
「物部さんも、ご無事で何よりです」
 どうにか取り繕った声と表情で靜眞がそう言うと、真宵は僅かな沈黙のあとに小さく頷いたのであった。

ルノ・カステヘルミ

●これは私得、そんなふうに考えていた時期が私にもありました
 黄昏に染まる紫陽花横丁の中、大鳥居を前にしてルノ・カステヘルミ(野良セレスティアル・h03080)はその美貌を茜色に染めながら、勝ちを確信していた。
「過去探し中の美貌の種族たるセレスティアル様のためにある様なギミックですね! 勝ったな、ガハハ!!」
 ガハハ笑いをしてもその美貌にはなんら遜色がなく、本当にセレスティアルに生まれて良かったなぁ~なんて思いながらルノはるんるん気分で鳥居をくぐる。五分後には、くぐったことを後悔するなんて露ほども思わずに――。
「なるほど、これは聞いた通りの景色ですね」
 前も後ろも鳥居が連なり、どっちが前だかわからんくなってきたな……とルノが思い始めたころに、なんか見たことあるような後ろ姿が見えて、ルノはこっちが前だろうと深く考えずにその背を追った。
 ルノの前を行く少女は、兎にも角にもやる事なす事全てがルノの逆鱗に何故かヒットしていて、ルノはデジャヴュを覚える叫びを浴びせながら少女を追いかける。
「窓からテスト捨てんな穴掘って埋めるな!!!! 燃やして芋を焼くんじゃない、夏休みの宿題やったんかワレェ!!!」
 最初は歩いていたルノも、いつの間にか全力疾走である。なのに少女の背中との距離は一向に縮まらず、ルノのストレスだけが溜まっていく。
「く、何処の誰かも、何なら自分の子ですらない気もするちびっこですけど、放っておいたら絶対やべぇという確信に近い|予感《悪寒》しかしねぇ……!!!」
 その後姿が、幻であったとしても、だ。
「ははーん、なるほど|楽園顕現《セイクリッドウイング》ってこういう時に使うんですね!」
 絶対に違うと思うのだけれど、絶対に違うとは言い切れない、何故ならあのちびっこの背中を捕まえるには確かに有用な能力だから……!!
「ちっ、効果がないとは……」
 さすがに推定幻には効かないか、それにしたって具体的すぎる幻だなとルノはほんのり我に返ったのだけれど、目の前の背中はそれを許してはくれなかった。
「おいいいいいい! 教材まるごとダンクシュートするな!! 学校を燃やそうとするな!! 少しは躊躇え! 立ち止まれ! ちょっとは振り向け!!」
 いや~これ幻じゃなくても振り返らんわ、という確証が何故かある。何故かはわからなかったけど。
「というか、そっちは崖だ! えっなんでこんなところに崖があるんですか、あああ言ってる間にいい笑顔でダイヴしやがったあああああ!!」
 私じゃなければトラウマを刺激されて再起不能ですよ! とか、なんか途中穴にはまってみっちみちに詰まり散らかしたハナタレを踏んづけたかもしれないとか、そんなことを思いつつ。
「でも、嫌じゃなかったんですよ」
 振り回されるのも、とルノはいつの間にか鳥居の終わりを前にして、そう呟いていた。
「結局なーんにも参考になりませんでしたね……ってかあの子、進級できたんですかね……」
 そればかりは、神のみぞ知るというやつである――。

千桜・むびと
千桜・コノハ

●知らない背中、知っている背中
 黄昏に染まる紫陽花横丁を並んで歩き、さっきまでは無かった筈の鳥居の前で千桜・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)と千桜・むびと(夙夜・h00128)は立ち止まる。
「あれ? こんな鳥居あった……?」
 コノハの問いかけに、むびとがふるりと首を横に振り、見た覚えがないと大鳥居を見上げた。
「これもこの横丁の催し物か何かなのかな」
 そんな風に笑って、コノハが鳥居をくぐるのに合わせてむびとも歩を進め――。

「……コノハ?」
 鳥居をくぐった瞬間に、隣にいたはずのコノハの姿形も、気配すらも感じることができずむびとは焦ったように後ろを振り向いた。
 そこにコノハの姿はなく、鳥居が無数に連なっているのが見える。紫陽花横丁の影も形もないありさまに、再び前を向いてこの場からの脱出を図ろうとした瞬間。
「……ッ」
 見えた背に、考えていたことが全て攫われてしまう。コノハの安否も、すぐに探しに行かなければという思いも、掻き消えて吸い込まれるように背中を見つめる。
 鮮やかで、美しい桜の着物を着た女性の背中、そして着物に負けないぐらい艶やかに流れる髪。そして肩に差したその傘は、コノハのもとの同じで――。
 むびとが思わず近寄ろうと、しゃんとした背中に向かって足を踏み出せば、歩いた距離だけその背中も遠ざかる。歩く後ろ姿だけでも、凛とした美しさを感じて目が離せない。
 思考が纏まらないままに、むびとは知らずのうちに腕を伸ばして追いかける。走れば走っただけ遠ざかる背中に振り向いてほしくて、そばに居て欲しくて、微笑んでほしくて――。
「手を、つないで、」
 願いを口にするけれど、背はむびとを見てくれない。
「は、う……っ」
 息が切れそうなくらいに駆けても縮まらない距離は、叶わぬ願いを見透かされているかのよう。
 柔らかな声音で、その優しい掌で、頭を撫ぜてほしい――頑是ない子どものように、姿も名も知らぬはずのその背中に、むびとは愛を求めてしまう。矮小で稚拙な、子どもみたいな我儘だと解っていたけれど、それでもその背に縋らずにはいられない焦燥に、ただ駆けた。
「あなたは……っ」
 母、なのだろうか。その確信にも似た疑問を口にした瞬間、無限にも思えた鳥居の先が見えて――。

 鳥居の先に見えた景色が掻き消えて、無限に続く鳥居へと姿を変えた。
「どこかに迷い込んだ?」
 √妖怪百鬼夜行であれば、そんなことだって不思議ではないだろう。けれど、隣にいたはずの兄の姿まで消えるのはどういう事だろうかとコノハが僅かに眉を寄せる。
「困ったな……でも、兄さんも僕を探しているかもしれないし」
 取り敢えず、立ち止まっていても事態は好転しないだろうとコノハは前に進むことにした。
「あ、兄さん!」
 目の前を往く背中に安堵しつつ、見つけたと駆け寄って。
「探したんだ、よ……?」
 何か違う、とコノハが立ち止まる。
 知っている背中だ、兄と同色の藍色に桜色の混じる、長い髪。背負うは灼き尽くすような光、すべてを救うまで歩みを止めない、傲慢な聖者。
「――父さん?」
 今までに何度も夢に見たその姿は、兄ではなく父のものだと、コノハが目を瞠る。それから、目を離せぬままに、その背を追った。
 父の背は降りかかるすべてから護られるようで、どうしてか追い抜く気にもなれずコノハはただ背中を見つめながら歩く。
「……そうか、これって僕が兄さんの背中に感じてることなんだ」
 だから最初に間違えてしまったのだろう、兄さんは無事だろうか。そこまで考えて、コノハはハッと目を瞬いた。
「兄さんはいつも僕のことを助けてくれるけど……」
 じゃあ、兄さんは誰が護るの?
「僕は護られるだけじゃなく、兄さんと並び立ちたい」
 だから、この背中の後ろにいるだけじゃ駄目なんだと、コノハは駆け出す。
「兄さんと並び立ちたい、傷つくなら二人がいい!」
 今はまだ追い抜けない背中でも、いつか――そう願って、全速力で走ればいつの間にか鳥居が途切れて、見えた兄の背中に叫んだ。
「兄さん!」
 コノハの声に、むびとが振り向く。
「……コノハ」
 その表情も声も、まるで迷子になった子どものようでコノハは背の翼を羽ばたかせて視線を合わせ、頼りなげなむびとの頭を優しく包み込むように抱き締める。
「コノハ」
「うん、今は僕がいるよ」
 だから大丈夫だと言うように、コノハがむびとの頭を撫でるから――むびとは、あの背に撫でられているような気持ちになってコノハの背に腕を回して抱き締め返した。

ツェイ・ユン・ルシャーガ

●藍の紫陽花にも似た記憶
 大鳥居の先に、この度の騒動を引き起こした古妖がいる――となれば、行かぬわけにはいかぬよなあとツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は何ら気負うこともなく鳥居を潜り抜けた。
「ふふ、中々に面白い趣向だの」
 横丁がまるで一枚のテクスチャだったかのように消え失せて、見えるのは連なる鳥居、先の見えぬ階段、そして。
「……あれは」
 誰とも知らぬ人影なれど、見覚えのあるその羽織。遠い日に、母が大切に仕舞っていた藍色が鮮明にツェイの視線の先で翻る。
「そういえば、あの羽織は何処へいったのやら」
 どこぞの行李に仕舞いこんであるような気もするが、はてさてとツェイは階段を登る。ツェイが進めば背中も進む、決して追い付けぬその背中はどこか朧だ。
「記憶が朧なせいかの」
 端々が霞んでいる背を、戯れに追うように数歩駆けては笑う。
「ふふ、幼い頃なれば必死に駆けたやもなあ。何せ、今の我はあなたの年齢も越えてしまったゆえ」
 追うにはちと、|薹《とう》が立ちすぎているのだよと、ツェイが口元を袖口で隠す。
「何方とも知れぬひとよ――……貴方の背は、我には遠すぎる」
 幼き日は既に遠く、ツェイは目を細めて霞む背中に別れを告げる。
「どうか良き旅を」
 何れは土産話を携えて御許へ参じましょうと、ツェイはその背中から視線を外した。
 そして、横目で見送りながらツェイは別の分かれ道へと向かう為、その背を翻す。そのまま、一度たりとも振り返ることはなく、ツェイは真っ直ぐに己が信じる道を進んだ。
 どうか、貴方の旅路に安寧がありますように。
 彼が、父がそうして世を去ったように。
 ただそれだけを願い、大鳥居をくぐり抜けた時と変わらぬ足取りでツェイは進む。
「門たる鳥居、道も、ひとの答えも一つに非ず」
 幾通りもある選択肢、選ぶも進むも己の足でと、一歩一歩を踏みしめて。
「さて、我が共に歩むべき仲間の所へ戻るかの」
 夢の終わりが訪れるかのように、無限に続いていた鳥居にも終わりが見えた。
 そして、そこで待つ仲間の姿に、ツェイは心からの笑みを浮かべたのであった。

夜恭・燕
夜恭・藍

●黄昏鳥居のその向こう
 たっぷりとアフタヌーンティを堪能し、あとは|件《くだん》の古妖を倒すのみ――と、夜恭・燕(人間の護霊「かみさま」・h02195)と夜恭・藍(人間の|鉄拳格闘者《エアガイツ》・h02197)は大鳥居を探して横丁を歩いていた。
「スイーツ美味しかったねえ」
「そうだな」
 また食べに来たいと笑う燕に頷いて、藍が視界に入った朱色に視線を向ける。そこには先程まではなかったはずの、大鳥居があった。
「夕暮れの鳥居か……如何にもな雰囲気だ」
「……あ、この鳥居の先に古妖が居るのかな?」
 藍が気付いたように燕も鳥居の存在に気付き、隣にいる兄を見遣る。
「ああ、この先は古妖の領域だという……気を引き締めねば」
 どんな罠が待ち受けているかわからないのだから、と藍が燕を諭すように言葉を返した。
「うん、どんなヤツだろうねー」
 どんな敵がいたとしても、藍がいれば大丈夫だと信じ切った顔で燕が笑う。その笑顔に、仕方ないなという気持ちと自分が必ず護らなくてはという気持ちで、藍が静かに頷く。
「じゃ、行こうか」
「ああ」
 いつものように燕が一歩前を、藍がその背を護るような形で二人は鳥居を潜り抜けた。

 一歩進んだその先は、紫陽花横丁ではなく鳥居が連なる一本道。終わりの見えぬ鳥居を眺め、燕がハッとした顔で兄の姿を探す。
「いない……? はぐれたのかな」
 すぐ後ろにいたはずなのに、と燕が後ろを向いて、もう一度前を見て――。
「……あれ、兄さん?」
 兄の姿を前方に見つけ、燕が小首を傾げる。
「いつも後ろを護ってくれる兄さんが、前にいる……?」
 しかも、自分よりも随分と離れた場所にいる上に、声を掛けてもこちらを見ようともしないのだ。
「……ううん、あれはきっと……『本物の』兄さんじゃない」
 自分が産まれた時から、今に至るまでずっとずっと護ってくれている兄だからこそ、燕には分かるのだ。
「兄さんの姿を真似てるの? それとも幻なのかな」
 その背に向かって声を投げかけるけれど、何の反応も示さない。試しに、と近寄ってみたけれど近寄ったのと同じ分だけ離れていって、結局最初と変わらぬ距離を保ち続けていた。
「……むう」
 何をしたって反応しないその背中に、偽物といえど燕はなんだか寂しい気持ちになる。燕からすれば、兄は不愛想でも必ず応えてくれるし、此方を見ていてくれるのだ。
「偽物でも、ちょっとやだな」
 そう呟いて、つかず離れずな距離を保つ背中を追いかけて、燕は歩く。
「僕って、一人じゃ何も出来ないんだな」
 里を、国を、世界を護れと祝福されていても。兄の顔が見えなければ、まるで世界でひとりになってしまったみたいだ。
「……この大きな背中も、当たり前じゃないんだ」
 分かってる、戦場はシビアな世界だ。こんな風に藍と分断されることだってあるだろう。
「うん、そうだよね」
 でも、と知らずのうちに下を向いてしまった顔を上げて、前を行く『彼』が絶対に振り向かないのを確信した上で。
「兄さん、いつもありがとう……大好きだよ!」
 そう、普段言えない言葉を大きな背中に向かって贈って――。

 藍はいつの間にか、目の前の背中がひとつ増えていた事に気が付き、目を細める。
「……? いつの間にか、レイが居る……?」
 何故だ、と思いつつも藍はその背中に声を掛けた。
「おいレイ、里で待っている筈だろう? 燕が呼んだのか?」
 危ないから戻れ、といつも通りの彼らの背中に声をあげるけれど、幾ら話しかけても二人が振り向くことも返事をすることもない。さすがにこれはおかしいと、藍は訝しみながらも二人に向かって手を伸ばし、その違和感に眉根を寄せる。
「……これは一体なんだ?」
 触れようとした背中はするりと蜃気楼の如く離れ、まるで触れることのできない霞のようだ。
「――!!」
 その不可思議な現象に、藍は『あの日』の戦いで、光の向こうへと消えかけた弟の姿が目に浮かんで。
「ダメだ……これは……二度と許さぬと誓った!」
 失ってなるものかと、血が巡る。焦燥の中、心臓が早鐘を打って、何かを考えるよりも先に体が動いた。
「燕!! レイ!!」
 あの二人の背中は偽物、ならば本物はどこかにいるはず。
 自分の感覚を信じるがままに、藍は燕の姿を求めて駆け出し、必死にその名を呼ぶ。レイが本当にここにいる可能性は低いが、万が一にも来ているのならば彼も探さねばならない。
 その形相は誰にも見せられないものだったかもしれない、けれどその必死さが弟を必ず護ると誓った証でもあった。
 何度目かわからないほどに名を呼んだ直後、燕の声が聞こえた気がして藍が動きを止める。
『――兄さん』
 涼やかなその声に藍はハッと我に返り、聞こえた方へと駆け出した。
 ああ、この声は……愛してやまぬ弟の声だと、自分も彼の名を呼んで。
「兄さん――」
 自分を呼ぶ燕の声に、他にも何か聞こえたような気がするけれど、今はそれどころではない。
「燕!」
「兄さん!」
 やっと会えた、と燕が駆け寄ってくるのを受け止めて、藍はいつの間にか鳥居が途切れている事に気が付く。
「燕、敵が近い」
「――僕の背中は、兄さんが護ってくれる?」
「当たり前だ」
 即答された言葉に、燕はもう少し、もう少しだけ護っていてね、と願いを隠して藍に向かって微笑んだ。

李・劉

●誓い
 ああ、と見えた背中に向けて吐息を零す。古妖が望む絵を描くと|謂《い》うのならば、私はその姿を望んでいたのだろうか、と――。

 紫陽花横丁にゆっくりと陽が落ちて、辺りはすぐにでも薄暗くなるだろう頃合いに李・劉(ヴァニタスの|匣《ゆめ》・h00998)は大鳥居を見つけ、僅かに目を細める。
「さっきまでは無かったと思うんだけどね」
 これが件の鳥居かな、と劉は対して身構えることもなく足を踏み込ませた。
 鳥居の向こうに見えていた紫陽花横丁の景色が消え失せ、眼前に広がるは無限にも思える鳥居の連なり。ふと後ろを振り向けば、共に来ていた連れの姿は見えず、前方と同じように鳥居が連なるばかり。
「……なるほど」
 孤立させるのが狙いなのか、消耗させるのが狙いなのか……さてどちらだろうか。どちらであったとしても、己には然したる問題はないなと前を向けばよく知る背中が見えて、劉は吐息を零したのである。
 忘れたことなどないその背中は、嘗て自分が或る機関で暗殺者をしていた頃に出会った人物。まるで走馬灯のように思い浮かぶ記憶に、劉は軽く目を閉じた。
 思い浮かぶのは見えた背の人物との想い出と呼ぶには感傷的で、記憶と呼ぶには他人行儀な光景。
 その背の持ち主は劉にとっては人間災厄である彼を管理していた研究者であり、同時に友と呼べる人物だった。
「面白い奴だったよ」
 目を開けて、劉が背に向けて笑う。
 滑稽な程に昏きこの世で、雲間から差す光の様にまばゆい夢を語る愚者――劉からの評価はそれに尽きる。娘に未来を見せたいと勤しみ、そして。
「今でも覚えている、一言一句違わず。『叶うなら、劉にも命を奪うばかりでなく希望の匣でいてほしい』――だったな」
 それを聞いた自分は、難題をいうものだ、そんなに希望に執着をして、と答えたけれど。
「俺はそれを嫌だとは思わなかった」
 長き生を識り、全ては退屈凌ぎでしかなかったけれど、彼女には暇潰し以上の関心があったと思う。
 劉が目の前の背中――白衣を纏った、美しい黒髪の女へと足を踏み出す。近付こうとすれば離れる背中は記憶の中にあるまま、希望に満ち凛としていたが、どこか儚さを秘めているようにも思える。劉はわかってはいたが幻のようなものだろう、と結論付ける。
「アレはもう亡き者故」
 残された娘は何の因果か己の唯一の縁であり、今は劉と共にある。
 それが幻か、死者の魂か、わからなかったけれど劉はその背に語り掛けた。
「――斃れても尚、語り掛けるしつこさは相変わらずだな」
 振り返らずとも、返事がなくとも、その背はたったひとつの心配事を劉へ語り掛けていると彼は思う。
「……案じるな、娘は此の掌で確と護ろう。お前の置き土産で俺の|唯一無二《Anker》なのだから」
 この身に楔は穿たれたのだと、その背に向ける笑みは何処までも優しく。
「そら、もうすぐ終わりだ」
 無限に思えた鳥居の先が見えたと、劉がぼやけていく背中に最後の言葉を投げかける。
「此処を歩み終えたら静かに眠れ、ミオソティス」
 さらばだと呟いて、消えゆく背を追い越して。振り返ることなく前を向いて。
「……さて、連れを探すとしよう」
 はぐれた二人の背を探す為、劉は心に残る灯を抱いたまま鳥居を抜けたのである。

神楽・更紗
ガザミ・ロクモン

●ことほぎ
 全てが茜色に染まっていく紫陽花横丁の通りの前で、神楽・更紗(深淵の獄・h04673)とガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)が並んで大きな鳥居を見上げる。
「これ、ですかね?」
「これ、だろうな」
 ガザミの問いかけに、更紗が頷く。記憶が確かならば、こんな大鳥居はこの通りにはなかったはずだ。
「じゃあ、せーのでいきましょうか」
「いいぞ、せーのでいこう」
「はい、せーのですよ、せーの」
 せーの、というガザミの言葉に更紗が小さく笑い、すぐに表情を引き締める。敵地に踏み入れることになるだろうに、この緩さはガザミの美徳だなと思いながら、更紗は彼の掛け声と共に大鳥居の向こうへと足を踏み入れた。

「ふむ……」
 共に足を踏み入れたのは間違いない、自分の足が一歩前に出ると同時にガザミの足も同じように踏み出していた。なのに更紗の周囲にガザミはおらず、名を呼んでも返事はない。それどころか――。
「千本鳥居ならぬ無限鳥居、といったところか」
 前にも後ろにも、ずらりと連なった鳥居に更紗が目を瞬きつつ、両方の頬をむにっと摘まんでみる。
「夢ではないようだな」
 なるほど、これは現実かと更紗が確認を済ませると、どうしたものかと腕を組んだ。
「動いた方がいいのか、動かぬ方がいいのか……」
 迷子である、と仮定するならば動かずにガザミに探し当ててもらうのが良策だけれど、ガザミも迷子だとすればこちらから探すのが得策か。無限に連なる鳥居の合間に咲いている紫陽花を眺め、暫しのあいだ思案して。
「おや」
 ふと視線の先に白い紫陽花を見つけ、更紗の頬が和むように緩む。
「ここにも咲いていたか」
 ガザミがいる場所にも咲いているだろうか、なんて考えたその瞬間。
「――ッ」
 ふわり、と漂ってきた紫煙の香りに、更紗の肩がびくりと震えた。
「は、ふ……ぁ、……ッ」
 思わず零れ落ちた声を必死に飲み込み、更紗は自分の鼓動が早鐘を打つのを感じて強く手を握りこむ。は、は、と浅い呼吸をなんとか整えるようにしつつ、この匂いが何処から来ているのかを探る。後ろか、前か、わからない、わからないけれど確認の為に顔を上げることも、後ろを振り向くことも出来ずに更紗の頬に冷や汗が流れる。
 見たくない、見てはいけない――その思いだけで更紗は縋るように傘を開いた。
「う、ぐ……」
 胃の腑からこみ上げてくる何かを必死に堪え、更紗はその身を傘の中へと隠す。視界を遮るものがある、それだけで少しだけ落ち着いて、更紗はゆっくりと息を吐いた。
「気付かれる前に、逃げよう」
 なんとか導き出した答えを声にはせず、唇を震わせる。そうでもしなければ、恐怖で動けなくなりそうだったから。重い足を引き摺るようにして、更紗は音をたてぬようにそろりと歩き出す。なるべく前を向かぬよう、地面だけを見るように……そう思っていたのに、鳥居の先に煙管を持った人影を見つけてしまって更紗はひゅっと息を吞む。
 駄目だ、と即座に判断して他の道を探すように視線を巡らせば、先ほどまでは一本道に見えていたはずなのに、鳥居が連なる道が幾つにも枝分かれしている。これ幸い、とばかりに更紗は別の道へと向かうが、しかし。
 選んだ道の先、鳥居の下に派手な和服の男の背中が見えて、更紗は後ずさって別の道を選ぶ。見つからないように、気付かれないように、という気持ちは何処かへ消え去って、ただ恐怖のままに走った先は白い紫陽花が咲き並ぶ鳥居の道。
「あ、あ――」
 その先にも、幽鬼にも見える、銀毛をした九尾の男の背中が見えて、更紗は反射的に紫陽花の草陰に逃げ込んだ。
 小さく縮こまるようにして、傘の中に己を隠して、肩を震わせる。気が付かないで、こっちにこないで、何処かへ行ってしまって。そんな風に思うのに、傘の先に見える男の背から目が離せない。
 立ち止まる男の両手から滴る赤い水が、白い紫陽花を赤黒く染めていく。まるで、人がただの肉塊に変わっていくように。呼び起された記憶は、あの日の男の笑い声を鮮明に蘇らせる。
「「 お母さんたちも、更紗と永遠に一つになれて喜んでいるよ 」」
 記憶の中の男と、更紗に背を見せる男の両方から発せられたような声に、更紗が目を瞠り口元を抑えた。
 審議の定かではない、けれどまぎれもない呪詛の言葉に胃がひっくり返りそうで、いっそ何もかも吐き出してしまえたら楽になれるのに。
「ふ、ぅ……っ」
 嘘だ、全てがまやかしだ、と思う。その言葉も、今見えている男の背も、何もかも! そう言い聞かせても、恐怖に支配されこわばった身体は動いてくれなかった。
 万事休すとはこのことか、と更紗が諦めにも似た気持ちを感じた時、何処からともなく強い風が吹いた。その風は、力なく握っていた更紗の和傘を吹き飛ばす。
「……!」
 その瞬間だった、男がそちらを見た気がして、更紗は今だと思う間もなく草陰から這い出し前を確認することなく別の道へと走り出した。
 続く鳥居を幾つも駆け抜ける、それは過去を、|悍《おぞ》ましい記憶を、恐怖を振り切らんとするかのよう。息が続く限り、息が切れようとも、無我夢中で更紗は走り続け――ようやく、鳥居の終わりを見つけたのである。
「は、はは……」
 全力で走って、気持ちは幾らか落ち着いたけれど、自分が泣いていることすらわからないまま、更紗はぼんやりと思う。
「ああ、傘をなくしてしまったな」
 とても気に入っていたのに――そう思いながら鳥居の終わりに向かって、とぼとぼと歩いた。

 せーので一緒に足を踏み込んだはずなのに、とガザミは辺りを見回す。
「更紗さーん?」
 名前を呼べど、まるで神隠しにでもあったかのように更紗の姿は見当たらない。前を向いても後ろを向いても、無限に続いているかのような大鳥居があるばかり。
「うーん……心配ですけど、歩いていればなんとかなるでしょう」
 なんだか会える気がするのだと、ガザミは気楽な気持ちで前に向かって歩き出し、暫し歩いたのちガザミはふと気が付く。
「うん? あれー? 人化けの術が解けてしまってますね。なんで?」
 さっきまでは人の姿だったはずなのに、とガザミが蟹爪をチョキチョキカチカチと鳴らす。
「乾燥してたんでしょうか……?」
 確かに乾燥すると人化けが不安定になるけれど、空気は程よく湿度があったし、ペットボトルの水だって持っていたのに。
「まあ……いいか!」
 この姿だってガザミは好きだ、青色に白い斑点のノコギリガザミに似た姿。だって、この姿は――なんて、なんだか楽しい気持ちで歩いていると、ずしーん。ずしーん。と地面が震えて、ガザミの身体が軽く浮き上がる。
「地震でしょうか?」
 それにしてはおかしな揺れ方だと、ガザミが連なる鳥居の向こうを見遣れば、遠くで動いている巨大な蟹の背が見えた。
「あれは……!」
 なんとも立派な、動く島とも言われた巨躯。珊瑚や海藻が甲羅に生い茂り、要塞や竜宮城をのせているようにも見える、懐かしさを覚える背は。
「乙姫が話してくれた巨大古妖のロクモン様に違いない!」
 これは追い掛けなくてはと、ガザミがトコトコ追い掛ける。
「ロクモン様、ロクモン様」
 できればお話もしたいな、でも追い付けないなと思いつつも頑張って声を張る。
「ロクモン様が十五万匹の蟹になった日、鳶に攫われて山に運ばれた一匹が僕です!」
 十九年前の六月の日、突然十五万匹の蟹に分裂して海に散らばったロクモン様のひとかけら。
「大変だったんです、鳶の巣に運ばれて、でも硬くて食べられなかったから雛と一緒に育てられて。気が付いたら人間が見つけてくれて助けてもらって……」
 あれ、こう言うと僕ってすっごく運が良いな? 運が良くてよかった~と、トコトコ、トコトコ。
「あ、でもそれよりも伝えたい事があるんです」
 本物ではないことは、ガザミにだってわかっている。あの日分かたれたその一匹が自分なのだから。
「でもそういうの関係なく伝えたいんです!」
 きっと距離に関係なく声は届くと信じて、ガザミは大きな蟹の背中に両手をぶんぶん振って呼びかける。
「ロクモン様っ、僕を創ってくれて、ありがとうございましたっ!」
 今、とっても楽しいんですとガザミが笑う。
「世界を、冒険を、友人達と精一杯楽しんでみせます!」
 この命が続く限り、ロクモン様が見た景色を追い掛けるように。
「いつか、僕の冒険の話を三途の海で聞いてくださいね~! それから、ロクモン様がしてきた冒険のお話も、聞かせてくださいね!」
 √世界の海を渡る冒険家で、√能力者であったロクモン様。好奇心と冒険心が旺盛で、親しみやすくて誰にだって優しかった『初代オオカニボウズ・ロクモン』、あなたの話をいつか。
 ガザミの声が届いたのか、否か。それはわからなかったけれど、まるで寿ぎのように巨大な蟹爪が空を差すのが見えて、ガザミは嬉しくなって蟹爪を同じように空にかざして飛び上がった。
 そうして、気が付いたらロクモン様の姿は消えて、空から見覚えのある傘が落ちてきて――。
「わ、とっと」
 キャッチ! と受け止めた傘は更紗のもので、なんとなく胸騒ぎがしてガザミが前を向くと更紗の後ろ姿を見つけ、人の姿に化け直すと後を追ったのである。
 後ろ姿でもわかるほど、更紗の姿は疲労困憊としているようで、ガザミはどう声を掛けるべきかと思案し――そっと、驚かせないように傘を差し掛けた。
「傘……」
 ぼんやりとしていた視界の端にひょっこりはんと現れた傘に、か細い声で更紗が呟く。その頼りない声にガザミの胸がざわついたけれど、努めていつもの声で名を呼んだ。
「更紗さん」
「ガザミ」
 ほっとしたような声で更紗が振り向く、その表情は声に反してボロボロでガザミは軽く目を瞠る。けれど、それを見せないようにして笑みを浮かべた。
「やっと見つけました。雨、酷かったんですか?」
「そうだな……今年一番の大嵐だった」
「大変でしたね」
 汗と涙でぐちゃぐちゃの顔をそっとハンカチで拭いてやりながら、ガザミが何気ない風に言葉を続ける。
「今日は帰りましょうか?」
 それは更紗が今一番欲しい言葉だったかもしれない、けれど。
「もう平気だ。やられっぱなしは性に合わないしな」
 これ以上心配はかけられないと、更紗が首を横に振って笑う。その言葉に頷いて、ガザミが道の先に視線を向けた。
 ああ、でも。強がらなくてもいいのになぁ、このまま帰ったって誰も怒らないのにとガザミは思う。ちくりとした胸に、どうしてだろうと手を当てて、なんだか自分の大事なものが踏みにじられたような気がして、視線を向けた先へと目を細めた。
「ガザミ」
「はい?」
「傘を拾ってくれてありがとう。なくしてしまったかと思っていたんだ」
 その言葉はどこかあどけなく、それでいていつもの調子へと戻っていて。
「……どういたしまして」
 ガザミは僅かに心を軽くして、笑みを返したのだった。

第3章 ボス戦 『妖怪絵師『鳥山石燕』』


●望むもの、望まぬもの
 無限鳥居を抜けた先、暫し歩いていくと紫陽花が咲く広場の中にぽつりと祠が見えるだろう。そして、その祠の前に黒髪の少女が笑いながら立っているのも。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 きゃらきゃらと笑う少女の手には墨筆が握られていて、√能力者達は彼女が画家を惑わした古妖だろうと身構える。
『望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
 値踏みをするような赤い瞳がにんまりと細くなり、どうじゃ? と笑う少女こそ――。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ、望まぬなら……そうじゃの、妖怪画でも見せてやろうかの』
 描いたものを具現化する能力を持つ、強大な力を持つ古妖の絵師。それが、√能力者である君達が倒すべき相手であった。
------
【マスターより補足】
 第三章はボス戦となります。相手は妖怪絵師『鳥山石燕』、√能力者達が無限鳥居で見た背中の相手を描き、実物化してやろうと誘ってきます。無論、それは本物ではなく墨で描いた為モノクロの人物になるでしょう。
 シリアス、コメディ、どちらでもお好きなようにプレイングを掛けてくださって構いません。
 鳥山石燕自身は人を喰らうよりも絵を描くことの方が重要で、あなたが拒めばさした興味も持たずに描いた妖怪画で攻撃してきます。
 募集期間はタグ、またはマスターページにてご確認ください。
ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ

●戯れ
 妖怪絵師『鳥山石燕』――その名を聞いて、ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ(|回生《ophis》・h07035)は僅かに目を細める。
「鳥山石燕? 貴方が?」
『如何にも、儂が鳥山石燕よ。お前の顔に見覚えはないが、どこぞで遇ったかの?』
「この場合で言うならば初対面だな。しかし、なるほど。この世界の彼は貴方なのか。それはそれは」
 世界が異なればその名を名乗る者も変わるのだろうね、とウォルムは珍しいものでも眺めるかのように頷く。
「不思議だ。面白い。興味深いな、ヨルマ。世界の差だ。眺める分には面白い」
 珍しく主が興味を持った、とばかりにヨルマが蛇の身をしゅるりとくねらせて石燕を見遣る。しかし、続く主の言葉を聞いてヨルマは開いた眼をぱちりと閉じた。
「だが貴方自身には興味がない。貴方の絵にも価値を見いだせない。どうやら心が籠もっていない。我が巫を描けるとも思えない」
『これは異なことを言うものじゃ、確かに儂は人には然して興味はないが――こと妖怪画においてはちょっとしたものぞ?』
 価値は人それぞれだろうが、と言う石燕が筆を遊ばせるように巻物の上へと滑らせる。
「お好きにおし。妖怪画でも、何でも」
 すっかり興味を失ってウォルムがそう言うと、石燕が後悔するなよとばかりに妖怪を描いた巻物を翻す。現れ出でたるは妖怪画より具現化した妖怪、その数は優に三百を超えるであろう群れだ。
「誤解してもらっては困るのだが――」
 杖をついたまま、微動だにしないウォルムが昏き光を放つ。
「私は、貴方たちに、私の膚に触れることを許していない」
 妖怪達が如何にウォルムを害そうとしても、世界の歪みはそれを許さない。
「哀れな奴隷の絵画たち。貴方たちは彼女に落書きとして生み出され、ゴミのように使い潰される。腹立たしい。バカにしている。そう思わないのか?」
『詭弁だの、儂は妖怪画を愛しているというに』
 しかし石燕の声は生み出した妖怪画の半分ほどにしか届かない。ウォルムの放つ昏き光は妖怪達を飲み込んで、石燕へと向かうように|嗾《けしか》ける。
「ああ、そうだろう。反旗を翻せ。貴方たちの尊厳のために。被造物の反乱だ」
『お前、面白いことをするのう!』
 はは、と石燕が笑う。彼女が生み出す妖怪と、ウォルムが洗脳した妖怪達がぶつかり合い墨へと戻っていく。それはまるで、強い力を持つ者の戯れのようでもあった。

花喰・小鳥
一・唯一

●選ぶまでもない話
 無限鳥居を抜けた先、開けたそこは紫陽花に囲まれた広場であった。
「あれは……」
 広場の更に奥、ぽつりと建てられた祠の前に妖怪絵師『鳥山石燕』の姿を視認し、花喰・小鳥(夢渡りのフリージア・h01076)は彼女が名乗るよりも先に、その名を口にする。
「鳥山石燕」
「小鳥、知ってるん? あんな、随分と――趣味の悪い絵を描く能力を使う奴」
「彼女とは以前、共に戦ったことがあります」
 一・唯一(狂酔・h00345)の問いかけにこくりと頷き、マガツヘビ相手に共同戦線を張ったのだと唯一に伝えた。
「もちろん、この『石燕』は別の個体です、私が知っているのは絵を描くのが大好きな、好感を持てるひとでしたから」
『儂ではない儂か、そういうこともあるじゃろうなあ』
 二人の話を聞いていた石燕がくつりと笑い、手にした筆をくるんと回す。
『さて、お前たちが見た背中はなんじゃった? 望むなら儂が描いてやるぞ?』
 暇潰しにでも、というような気軽さで石燕が言う言葉に唯一が不機嫌そうに眉を顰める。
「いらんいらん、そんな偽物まがいもの、本物の小鳥と欠片も似てへん」
『まがいものの方がいいと言う人間もおったがのう』
「望んだ人間はどうなったん?」
『さてな、そこまでは知らんよ。儂はただ描くだけじゃからな』
 石燕がきゃらきゃらと笑うと、唯一の眉間の皺が濃くなって斬妖剣『童子切・写し』の柄へと手を添えた。
「聞かんでもわかるわ、自滅か破滅やろ」
 いっときは良くても、次第に本物との差異におかしくなるか、偽物を本物だと思い込んでおかしくなるかだと唯一は吐き捨てるように言いながら、迷いなく石燕の腕を狙って『童子切・写し』を振り抜いた。
「それくらいやったら、二度と絵が描けんようにしたろ」
『おお、怖い怖い!』
 紙一重で唯一の剣閃を避け、石燕が巻物へと筆を走らせる。現れたるは無数の妖怪、それらが唯一に向かって襲い掛かった。
「させません」
 自動拳銃『|死棘《スティンガー》』を抜き、小鳥が妖怪達にむけ|クイックドロウ《先制攻撃》を放ちながら唯一の前へと出る。
「小鳥!」
「私は問題ありません、唯一は思うままに」
 妖怪達の攻撃をいなしながら小鳥が引き金を引けば、それはただの墨へと戻っていく。
「石燕、あなたの絵はよい出来でしたよ。さすがですね」
 今、自分達を襲う妖怪も、モノクロでなければ元が絵だとは思うまい。それに、あの無限鳥居で見た背中だって、実際に『そう』と気が付けなかったのは事実。
『そうじゃろう? 今からでも遅くはないぞ?』
「しかし絵は絵です。唯一の持つ生命の輝きには及ばない」
「本物は此処にいるんよ」
 小鳥の後ろから飛び出した唯一が『|静寂《クチフウジ》』を発動させながら、絵姿で満足できるはずないやろ? と斬りかかる。迷いなく、怯まずに手にした刀を揮う唯一の姿は生命の輝きに満ち溢れていて、小鳥は柔らかく目を細めながら|胸元《深淵》から日本刀『|天獄《アンフェール・レプリカ》』を引き抜き『|告死鳥《ナハティガル》』を発動させた。
「あなたがただ、絵を描いているだけならよかったのに」
「どんな絵を描くんも自由やけど――」
 誰かを惑わし傷付けるものはきっと認めてはいけないのだと、二人は石燕に切っ先を向け。
「堪忍な、鳥山石燕」
 踊るように刃を揮い、彼女の力を削いでいく。
「お前の描く世界は美しかった……残酷なほどにな」
 刃の煌めきを石燕はどう思ったのだろうか、美しい命の煌めきを感じたのだろうか。
「さようなら」
 そう呟きながら、小鳥は全てが済んだなら彼女が気に入ってくれた煙草を祠に供えようと心に決め、最後の一手を放つため唯一と共に深く踏み込んだ。

千代見・真護

●現代っ子の言うことにゃ
 望むならば無限鳥居で見た背中の者を具現化してやろう――妖怪絵師『鳥山石燕』の言葉に、千代見・真護(ひなたの少年・h00477)はつぶらな瞳をパチパチと瞬かせる。
「えっと……作品も生むって言うよね?」
『そうじゃな』
「じゃ、おにぃを描いておにぃが爆誕したら、お姉さんはおにぃを産んだお母さんになるの?」
 幼い子どもならではの純粋な質問に、石燕の動きがぴたりと止まった。
『……作品の生みの親とは言うが、それとこれとはちょっと違うんじゃないかの……?』
「え、違わなくない? お姉さんは描いた子のこと、ちゃんと愛せるお母さんになれそう?」
『わ、儂が母親……とな……?? いや、儂とて絵師の端くれ、生み出した妖怪画は我が子同然ではあるが』
 人の子はどうであろうな~~? と、つい考え込んでしまった石燕に、真護が考えながらも言葉を向ける。
「もし描くだけが楽しくて、誰かの望みや思いを絵具だと思ってるなら……」
 それは、悪いことだと確かな意思を乗せて。
「ぼくの√能力で、ぺしぺし消しちゃうんだから」
『ふ、面白いではないか! やれるものならやってみるがよいぞ!』
 手にした筆が巻物の上で踊る、それと同時に描かれた妖怪が実体化し、真護へと押し寄せた。
「ぺしぺし、ぺしぺし!」
 えいえい、と真護が迫りくる妖怪を右掌で触れ、ただの墨へと戻していく。
『ふん、やるではないか』
「お姉さんがね、こうやって描いた子をけしかけてくるなら、ぼくは何も望まない」
『何も?』
「うん、だけどお話はするよ!」
 ぺしぺしと妖怪を戻していきながら、真護は石燕に向かって物怖じすることもなく話しかける。
「あのね、最近の妖怪は、もふもふなぬいぐるみにもなれる可愛いのが多いの」
『ほう??』
 妖怪が??? とは思ったけれど、現代に適応した妖怪ならばあるいは、と石燕が攻撃の手を緩めて真護の話の続きを促した。
「妖怪の元ネタはお姉さんのほうが詳しいと思うけれど、今どきの妖怪を描いてみたくない?」
『今どき……』
「うん、子ども受けがいいって言うんだって。ぼくも、実体化ナシの無害ならお姉さんのオリジナル妖怪も見たいよ?」
『おりじなる……創作ということかの』
「かなぁ? お絵描き、ぼくは普通のお絵描きがいいの」
 そうして、できれば満足してくれたなら、自分から祠に戻ってほしいなぁと真護は願いを口にする。
『それは些か欲張りがすぎるのう』
「子どもはそれくらいがいいって、大人の人が言ってたよ!」
 無邪気な物言いに、石燕はそれもそうだの、と絆されるように笑うのだった。

ルナ・ミリアッド

●この世界で一番の
 封印から解き放たれし古妖、妖怪絵師『鳥山石燕』を前にしてルナ・ミリアッド(無限の月・h01267)は真顔のまま言い放つ。
「ステラは世界一の美少女なので貴女に描き切れるとは思いません」
『なんじゃ、儂の腕を疑うのか? 自分でいうのもなんじゃが、中々のもんじゃぞ?』
 一瞬ではあるが、毒気を抜かれたように目を瞬いた石燕が筆をルナに突きつけるようにして言い返す。
「ああ、いえ。そうではありません」
『んん? どういうことじゃ』
 儂の腕前を信じていないのではないのか? と、石燕が小首を傾げるとルナは首をゆるりと横に振った。
「貴女の画力が劣っているとかそうではなく、ステラが美しすぎるだけです」
『……なんじゃて?』
 聞き間違えかと石燕がもう一度問いかけるけれど、ルナから返ってきた言葉は一言一句違わぬままで。
「ええ、ですから貴女には描き切れるとは思えませんので、辞退いたします」
『そこまで言われると、是が非でも描いてやろうという気になるのう。美人画も描けるぞ、儂』
 どうじゃ、と石燕に迫られてルナが瞬きの間ほど思案して、ぽんと手を打った。
「では、語りましょうか、ステラへの愛を」
『どうしてそうなったんじゃ??』
 そんな話はしておらんかったのだがと石燕が言うと、ルナがいいえ、と否定する。
「ステラの内面から滲み出るような美しさを現すならば、必要不可欠かと思います。今までのルナたちがどれだけ彼女を大切に思っているのかを」
『うーむ、儂ちょっと嫌な予感がしてきたんじゃが』
 これはあれだ、いわゆるガチ勢というやつだ。封印される前にもこういう感じの奴がおったわと石燕は思い出す。
「今までのルナたちなのでひとり一分としても、製造No分のお時間を頂きますが……」
『絶対長くなるやつじゃろ、あと重い!』
「長い? かつ、重い? あ、はい、すいません」
『まぁの、気持ちはわからんでもないが……儂も妖怪画を愛しておるし』
 ルナほどではないが、妖怪画を語れば石燕だって話が長くなるもの。
「なるほど……ルナたちのステラへの想い並みと……ならばその妖怪を是非、見せてください」
『なんじゃ、お前妖怪にも興味があるのか?』
「興味と言いますか、ルナたちはしっかりと記憶してステラにも見せてあげたくて」
 ぶれない|女子《おなご》じゃの……と言いつつも、石燕が巻物へと筆を走らせて『塵塚怪王』と『文車妖妃』を召喚する。
『どうじゃ! 塵塚怪王と文車妖妃じゃ!』
「なるほど、これは素晴らしいです。ステラに見せたら喜んでくれるでしょう。ああ、ついでにミサイルで攻撃しますから、妖怪VS化学のド派手バトル・ショーをしましょう」
『なんじゃそれは、面白そうじゃな』
 そうして、二人は互いが満足するまで妖怪大戦争を繰り広げたのであった。

茶治・レモン
日宮・芥多

●無味な立体物ならば
 儂が描けば実物になる――そう言ったのは祠に封印されていた古妖、妖怪絵師『鳥山石燕』。そして、そんな言葉に互いの顔を見合わせたのは茶治・レモン(魔女代行・h00071)と日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)であった。
「……描けば実物になる?」
「さすがに眉唾では」
『なんじゃ、儂の力を疑うのか? いいじゃろう、儂の妖怪画の神髄をとくと見るがよい!』
 懐疑的な瞳を二人から向けられて、石燕は巻物の上にさらさらと筆を滑らせる。すぐに描かれた妖怪画が命を吹き込まれたように実体化し、『塵塚怪王』と『文車妖妃』がその姿を現す。
「や、どう見ても絵じゃないですか」
「え? 実物どころか、モノクロの絵!?」
「いやまあ、百歩譲って3Dではありますが……」
 墨で描かれた絵ゆえに実体化した妖怪はモノクロで、二人は思ってたんと違う……という顔で石燕を見る。
『実体化じゃろうが!』
「ただ3Dなだけで蛋白質ですらないとは……」
『蛋白質』
 蛋白質??? みたいな顔をしている石燕に、レモンが更に追い打ちをかけた。
「あのですね、ご存じないかもしれませんが言ったものと違う物を提供する、そう言うの詐欺って言うんですよ!」
『詐欺ではなかろうが! 芸術的じゃろう!?』
「どれだけ芸術的でもこれはちょっとね」
 ちょっとね、と言いながら芥多が鼻で笑う。
「描いてもらいたい人もいないし、俺は遠慮しときます。魔女代行くんはどうします?」
「うーん……」
 芥多から水を向けられ、レモンが僅かに逡巡する。
「詐欺って分かった以上、描いてもらいたい人はいませんね。例え蛋白質3Dだったとしても、母さんは二人もいりませんし」
 僕もお断りします、と言いかけたところに芥多が言葉を被せてくる。
「魔女代行くん」
「なんですか」
「本当はあの古妖に描いてもらいたい人が君にはいるんでしょう?」
「いや、だから母さんは二人もいりませんってば」
「またまた、照れなくても」
 照れる要素がどこにあるのかと、レモンが眉根を寄せて芥多に詰め寄る。
「僕の深層心理に、他に誰かいるんです?」
「おやおや、魔女代行くんともあろう者が。ふふん、俺には分かりますよ」
「えぇ……本当に分からないんですけど! 誰です?」
 仮に母さん以外にいたとしても、それを芥多が知っているとは思えず、ついついレモンは芥多に問いかける。
「俺、ですよね」
 立てた親指を自身の胸に向けてピッと指し、ドヤァ……ッみたいな表情で芥多が決めポーズよろしく笑みを浮かべた。
「……はぁーーーー……っ」
 心底疲れた……というような深いため息を零し、レモンは可哀そうなものを見るような目つきで芥多を見遣る。
「あっ君の冗談は、高度すぎて笑えませんね」
「おや、笑えない? 魔女代行くんには高度すぎましたか」
 ハッハッハ、と笑いながら芥多はポーズを崩すことなく言い放つ。
「いつか到着できたらいいですねぇ、俺の領域に!」
 上って来いよ、この高みへ――! みたいな顔に、レモンは思わず舌打ちしそうになったが、お前の冗談面白くねぇぞをオブラートに包んだ自分が悪かったのだと思うことにして、ぐっと飲み込み――。
「その顔とポーズをやめて下さい、無性にイラッとします。その域に達する自己肯定感の高さは尊敬しますが」
 率直に罵倒することにした、いまいち効いてなさそうであったけれども。
『ええい! 何をごちゃごちゃと言っておるのじゃ! というかだな、お前ら儂を馬鹿にしておるな!?』
「はぁ、やっとわかったんです?」
 割と最初から馬鹿にしてたんですけど、と芥多が笑いながら『塵芥』を握り締める。
『許さんぞ、お前ら!』
「こっちのセリフなんですが……まあいいです、それはそれとして――それじゃあ、今から暴れます」
「気分が悪くなったので、僕も一緒に暴れますね」
「おや、気分が優れないなら見ているだけでもいいんですよ?」
 こちらへと襲い掛かってきた『塵塚怪王』を血液を纏わせた塵芥をぶん回し、ただの墨へと戻しながら芥多が言う。
「いえ、あっ君が二人もいるだなんて、想像するだけで世も末すぎて」
 暴れないと気が晴れません、とレモンが更に増えた妖怪に向かって『玉手』の白刃を煌めかせた。
「あっはっは、またまた」
「冗談ではないです」
「えっ」
「ないです」
 大事なことなので二回言うと、レモンは魔法による遠距離攻撃を交えつつ無数にも思える妖怪を薙ぎ倒す。
「俺の分を奪わないでくださいね!」
 何せさっきの鳥居で見せられた背中に、割と本気で腹が立ってますのでね――と、言葉にはせずに芥多が塵芥を振り回し、命なき立体物をレモンと共にぶちのめしたのであった。

ナギ・オルファンジア
東雲・夜一

●お絵描き大決戦!
 無限鳥居を抜けた先、ナギ・オルファンジア(■からの|堕慧仔《オトシゴ》・h05496)と東雲・夜一(残り香・h05719)を待ち受けていたのは紫陽花が咲き誇る広場、そして祠の前に佇む少女であった。
「おや可愛らしい方、御機嫌よう」
 ナギが声を掛けると、少女はにんまりと笑みを浮かべて口を開く。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 そう問われ、二人はこの少女が再封印すべき古妖――妖怪絵師『鳥山石燕』なのだと理解する。
「そうか、お前さんが鳥山石燕か」
『如何にも! 儂が妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ! さあどうする? 望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
 甘い誘惑にも似た言葉であったが、ナギと夜一は互いに顔を見合わせる。
「鳥居で見かけた人物の絵、ねぇ。ナギ、興味あるかい?」
「興味どころかあの背中は知り合いでもありませんでしたし……」
 ひとかけらの興味もないし、実物化されたところでどうしようもないのだナギが頬に手を当てる。
「そうか……いやな。オレも知らねぇ誰かだったんで、興味ねぇんだよなあ」
「夜一君もかー」
「まさかお前さんもとはなあ」
 さて、それならばどうしようかと夜一が思案していると、ナギが石燕に向かって声を掛けた。
「でもあれは絵だったのだね、素晴らしい!」
 まったく興味が持てなかったけれど、あの背中が目の前にいる石燕が描いたものだったのであれば話は別だ。
『妖怪画が一番得意じゃが、何でも描けるからな、儂は!』
「何でも描けるのかい?」
『うむ、儂に描けぬものはないからのう』
 石燕が得意気に答えるのを聞いて、夜一はなるほど、とナギに視線を向ける。
「絵を描いてくれるんなら、折角ならナギんところの奴らでも描いてもらいてぇ。よりどりみどりだろう」
「まあ! なんて名案でしょう」
『ん? そういう話を儂はしておったか?』
「そういう話だろう?」
「ええ、そういう話でしたね。あのそれで、動物は描けるのかしら?」
 そう聞かれては、描かぬわけにもいくまいと石燕が筆をくるりと回す。
「では、失礼して」
 いそいそとナギが出したのは影業の蜥蜴に地這い獣、煙草とシガーからは小魚と琉金を、煙管からは蝶を出す。
「まだおりますのよ」
 ほら、とドローンからは|蠑螈《イモリ》を出して、ナギが以上ですと動きを止めた。
『これはまた、色々とおるんじゃな』
「ナギの周囲はご覧の通り」
「かわいいだろ? オレが特に気に入ってんのはこっちの海の生き物たち。ぷかぷか煙を喰らう珍しいやつだ」
「ふふ、夜一君のように喜んで下さる方もいますけれど、ふわふわの動物は描いて頂けて?」
『それは勿論、描けるが』
 絵師の性か、石燕が食い入るようにナギの出した彼らを見つめながら返事をする。
「オレたちはまあ、知らねぇ背中よりそっちのがみてぇんだけど、どうだい?」
『ま、よかろ。儂の絵を御覧じろじゃ!』
「嬉しい、犬や猫、他にもたっくさん描いて下さいな」
 ナギの言葉に、石燕がすらすらと筆を滑らせ、ナギの出した彼らとふわふわの動物を描けば、モノクロながらまるで生きているかのような動物たちが現れる。
「まあ! すごいすごい、素晴らしいですね!」
「ああ、これはすごいな」
『そうであろう、そうであろう!』
 賛辞の言葉に石燕が胸を張り、大きく頷く。
「皆で戯れて遊びましょうね、ふふ!」
 ナギの出した彼らも、石燕が描き実物化した動物たちと遊びだす。その様子が可愛らしくて、ナギはまるできゃっきゃとはしゃぐ幼女の様に喜んだ。
「それにしても、本当に上手いよなあ……。オレなんてせいぜいへのへのもへじが精一杯だ」
「まあ、夜一君のへのへのもへじも、きっとかわいらしいですよ?」
「そうか?」
「ええ、きっと!」
 石燕が描く白黒の動物たちに風情を感じつつ、カラフルなのも見てみたかったねぇとナギが言う。
『カラフル……なるほどの』
 墨絵が一番しっくりくるが、いつかそういったものを描くのもありかと、思いつく限りのふわふわを描いていた石燕が小さく呻るのであった。

物部・真宵
井碕・靜眞

●真なるもの、芯なるもの
 無限に連なる鳥居を抜けた先、紫陽花に囲まれた広場の中に祠と少女を見つけて井碕・靜眞(蛙鳴・h03451)は僅かに目を細める。保護する対象であるかどうか、と考えるよりも先に少女が口を開いた。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は。望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
「……なるほど、あれはあなたの仕業でしたか。こどもの悪戯にしては、少々やりすぎですかね」
 ちらりと敵を見据えて、靜眞は無限鳥居で見たランドセルを背負った少女の背中を思い出し、胃の腑より込み上げてくるような怒りを僅かでも逃がすように息を吐いた。
「やりすぎどころではありません!」
 靜眞の隣で黙って古妖の話を聞いていた物部・真宵(憂宵・h02423)が我慢できぬという顔で憤りを口にする。
「こちらに本人がいらっしゃいますから偽物は結構です!」
 そう言って、隣にいる靜眞を両手で示す。そんな彼女の行動に、靜眞は全身に巡っていた怒りが程よく抜けていくような気がして、思わず口を挟んでいた。
「いや、偽物って……物部さん何見たんですか……?」
「わたしの所には偽物の井碕さんが現れたんです。本人を前に墨絵の偽物を寄こそうだなんて失礼しちゃいますよね」
「偽物の自分……それは、多少見てみたくもありますね」
「ま、井碕さんたら」
『なんじゃ、男の絵を望むのか? よかろう、この妖怪絵師『鳥山石燕』に描けぬものはないからのう!』
「わたしの話を聞いていましたか? 結構です、と申し上げましたよ!」
 ぷん、と怒る真宵の姿に気が緩み、靜眞は多少なりともいつもの調子が戻ってきたように感じてゆっくりと前へ出た。
「自分もあなたに描いてもらいたいような、望む絵はありません」
『なんじゃ、つまらぬの』
 つまらぬと言いつつも、石燕は然して興味もなさげな素振りで手にした筆をくるりと回す。
「なにせ、所詮は贋作でしょう?」
『儂の絵を贋作とな? よう言うた! 本物の妖怪に勝るとも劣らぬ業、見せてやろうぞ!』
「よくぞ言ってくださいました、井碕さん」
「いや、煽るようなつもりは」
 なかったんですが、と靜眞が言うよりも早く真宵が動いた。
「さぁみんな、いらっしゃい」
『儂の妖怪画、とくと味わうがいいぞ!』
 真宵が召喚した白い管狐と、石燕が描いた妖怪画から出現した無数の妖怪がぶつかり合う。
「随分と数が多い」
 ざっと見た感じでも、次々と妖怪画から現れるモノクロの妖怪は五百を下らないだろう。その半分ほどは真宵の管狐が墨へと変えているけれど、それでもまだ数は多い。
「なら、手っ取り早く地面を揺らそう。物部さん、お手伝い頂けますか」
 自分の後ろで管狐を操る真宵に声を掛けると、朗らかな声が返ってくる。
「ええ、お任せを」
「ふふ、頼もしいです」
 背中を預ける心強さを感じながら、靜眞は腰の警棒を一気に伸ばす。そしてそれと共に、石燕と彼女が描いた妖怪達を対象にして霊能震動波を放った。
「井碕さんはそのまま真っ直ぐ進んでください! 大丈夫、道はわたし達が作ります」
 真宵が影より天鵞絨の夜のように昏い狐、|帝月《みかづき》を呼び、靜眞の盾となるようにと願えば先導するように帝月が駆け出す。それに後れを取らぬよう、靜眞は己の気配を極力抑えながら真宵と狐達が拓いてくれた道をただ真っ直ぐに駆け抜けた。
『猪口才な!』
 攻撃の手を緩めぬとばかりに石燕が筆を揮うと、真宵が蒼い燐火が灯る硝子の鬼灯杖を手にし、管狐達と共に靜眞の助けとなるように霊力を込めた攻撃を放つ。
「本物を越えられるのならば、その時はあなたの腕を認めましょう。筆を持つことができれば、ですけれど」
『抜かせ、小娘!』
 少女の身なりなれど、こう見えても古妖だと石燕が攻撃の手を増していく。石燕の意識は真宵へと集中していて、目の前に迫る靜眞に気が付くのが一瞬遅れ――。
『なんじゃと!?』
「おれのことはどうだっていい、けど」
 靜眞が手にした特殊警棒を振りかぶり、石燕の利き手へと狙い定める。
「あの子の痛みは、踏み躙るな」
 きっと、この一撃よりも痛かったはずだから。
 そして放たれた一撃は、過たず石燕の腕を打ったのであった。

夜鷹・芥
緇・カナト

●まやかし
 兄の背に別れを告げ、無限鳥居を抜けた先。そこは迷いようのない一本道で、緇・カナト(hellhound・h02325)は後ろを振り向くことなく前を見る。
「さて、鳥居を抜けた事だし連れを探して合流しようかぁ」
 一本道ならば、歩いていけば出会うだろう。連れである夜鷹・芥(stray・h00864)にも、古妖にも、とカナトが歩き出すと、見慣れた背中を見つけてカナトが走り出す。
「おーい、夜鷹君~」
 その声に振り向いた芥の姿に、幻ではないなとカナトが確信して笑うと、芥もまた僅かに目を細めて手を上げた。
「無事だったか」
「まぁね。夜鷹君は何か良いものでも見つけられたかい?」
「俺は……そうだな」
 少し考えるように芥が黙って、すぐに言葉を続ける。
「今迄も此れからも追いつけない秋の花を見た、だろうか」
「秋の花かぁ」
 金色、銀色、小さな。鼻先にその強い芳香を感じた気がして、芥は一度だけ強く目を閉じ、迷いない顔で道の先を見遣った。
「オレも似たようなところかな」
「そうか」
 おそらく、カナトも『何か』と遭遇したのだろう、けれどそれを詮索する気はない。話したければ話すだろうし、話したくなければ話さないだけのことだ。
「なぁんて戯言は置いといて、どうやら行き止まりみたいだねぇ」
 視線の先には紫陽花に囲まれた広場、そしてその奥には祠と佇んでいる少女。
「アレが元凶の古妖だってねェ」
「こんなところに迷子がいるも思えないから、そうだろうな」
 警戒しつつも近付けば、少女はきゃらきゃらと笑いながら二人に問いかける。無限鳥居で見た背中はどうであったかと、望むならば描いて実物としてやろうと。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
 手にした墨筆をカナトと芥に突きつけるようにして、石燕が返答や如何にと迫る。
「妖怪絵師とはまた面妖。しかしあれか、例えば俺やカナトが妖怪ならば描いて貰え……いや、戯言だ」
「……名前を聞くだけ面白そうだけど、あいにく他者になんて描ききれるモノではないと思ってるからなぁ……本当に大切なモノってのは」
「違いない、筆一本で他者の凡てを描こうと? ……そんなもの、到底無理だと理解っていたんだがな」
 自嘲するように呟いて、芥が軽く被りを振った。
『なんじゃ、つまらん』
「つまるもつまらんもないの、それに画家を騙るなら、自分の描きたいもので勝負してくれば良いのにねぇ? やれやれ」
「そうだな。絵描きだと言うならば、己が描きたい感情を絵でぶつけてみせろよ」
『言うたな、小童ども! 儂の神髄、とくと見るがよいわ!』
 石燕が筆を巻物へと滑らせれば、そこに描かれた妖怪画が実物となって現れる。ただし、それは墨で描かれたもの故に白黒であった。とはいえ、その数は多く侮っていい力ではない。
「それじゃあ、お片付けの時間と行こうかァ」
 妖怪の群れを前にして、恐れるでもなく言うとカナトが遠吠えをひとつ。途端、統率が取れていた妖怪達は、まるで恐慌状態にでもなったようにあちこちにばらけていく。
「心地がいい遠吠えだな」
「そりゃどうもォ!」
 遠吠えにも怯まずこちらへ向かってきた妖怪を鎖で捕縛し、カナトが獣爪化した腕でぶっ飛ばす。すると、妖怪は形をなくし墨へと戻っていった。
「絡繰りが解れば所詮まやかしと本気で殴れるな」
「墨だらけになりそうだなァ」
 その言葉に、ふっと笑うかのように芥が機嫌の良い口笛を鳴らす。そして、カナトが暴れている間に溜め込んだ暗冥の黒焔により、無数の夜鷹の幻影を羽ばたかせた。
「……行け、蒼鷹」
 芥の命令と共に、黒焔の鷹が妖怪達を喰らいつくす弾丸のように飛んでいく。
「蒼鷹クンも援護射撃も頼もしく~」
 カナトが機嫌よく鎖で絡めとった妖怪を殴って、やんやと手を叩いた。
「幻影には幻影を、ってな」
「……幻影には幻影を、か」
 なるほどねぇ、とカナトが納得するように頷いて、このまま妖怪絵師もまやかしも全てぶっ飛ばすかと拳を振り上げた。

千桜・むびと
千桜・コノハ

●まがいもの
 無限鳥居を抜けた千桜・むびと(夙夜・h00128)と千桜・コノハ(|宵桜《よざくら》・h00358)は真っ直ぐに此度の事件を引き起こそうとした古妖の元へと急ぐ。
「コノハ」
 気を付けろ、と前を歩いていたむびとがコノハに促す。一本道は紫陽花が咲き誇る広場へと繋がっていて、その先には祠の前に佇む少女が見えたからだ。
「あれが……?」
 画家の男を|唆《そそのか》し、封印を解かせた古妖? とコノハが小首を傾げる。見た目だけであれば、そんな風には……なんて思っていると、少女がきゃらきゃらと笑いながら二人へ声を掛けた。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 望むなら描いてやろう、それは実物になると誘惑の声を響かせる。その言葉に、コノハが確かにこの少女が古妖なのだと気を引き締めた。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ、お前たちの返答や如何に!』
「いらない。描いたとしても、おまえが完全に再現できるとは思えない」
 はっきりと答えたむびとに、コノハが嬉しそうに笑って頷く。
「僕も、君があの人達の姿を描けるとは思わないけどね」
「ああ、どれだけの自信があろうと、お前には無理だ」
 まるで追撃するかのように、二人から否定された石燕が眉を跳ね上げる。
『よう言うたのお! そこまで言うならば見せてやろう!』
 ひれ伏せ、とばかりに石燕が筆を巻物へと走らせれば、それは確かに実体をもって二人の前に姿を現した。
「ふーん?」
 後ろ姿の二人、片方は確かにコノハが見た父親の姿。もう一人は女性で、コノハはそれが母親の姿であると認識する。兄は母の姿を見たのかと納得し、振り向いた二人の姿に目を細めた。
「色はなくとも確かに夢で見たのと同じ姿ではあるよ」
『ハハ! そうであろう!』
「けどさ、全然だめ。こんなの父さんでも母さんでもない、所詮は上辺を似せただけだもの」
 そう言って、コノハが黙ったままのむびとを見遣った。
「兄さん」
 隣に立つ兄の手に触れ、名を呼ぶ。
「ああ、確かにあの時見たものだ」
 追いかけて、追いかけて。追いつけなくて、それでも追いかけた後ろ姿。振り向いた顔に覚えはなくても、やはりあれが母の姿なのだろうと思う――けれど。
「おれは、あの背を追いかけていた時にあれほど込み上げる想いがあったはずなのに、今は何も湧いてこない」
 己の手に触れるコノハの手を握り、視線を向ける。
「いいや、それとは違う、湧き上がる熱がある。胃の腑が燃えそうな……こんな気持ちは、初めてだ。コノハ、これはなんだろう?」
「兄さん、それはね……怒りって言うんだよ」
 むびとの手を握り返し、コノハが答える。
「怒り」
「うん、僕らはこいつを腹立たしく思っているんだ。父さんと母さんを侮辱されたからね。本当、妖怪絵師が聞いて呆れるよ」
 そう言ったコノハの声には確かに怒りが滲んでいて、むびとはこれが、と目を閉じて、開く。
「そうか……わかった。ごめん、コノハ。少し、おれの勝手で動いていいかな」
 むびとの瞳には凛とした怒りが宿っていて、コノハが目を瞬く。
「わかった、兄さんに合わせる」
 それに、兄に怒りの感情があったことにコノハが安心したように笑い、一度だけむびとの手を強く握ると優しく離し、目の前の敵を倒す為に臨戦態勢を取った。
「……ありがとう」
 離された手はまだ温かく、むびとは石燕の前へと出る。
『これが気に入らぬとは、人とは強欲なことよな』
「黙れ。おれの両親を。おれの家族を。願いを」
 むびとの身に廻る鬼神の血が覚醒し、彼の能力を底上げしていく。
「穢すな、紛い物――!」
 むびとが動くのと同時にコノハも聖者の血を覚醒させ、墨染の刃を抜くと合わせるように動き――むびととコノハは父と母の紛い物をただの墨へと戻し、石燕を倒すべくその力を揮うのだった。

賀茂・和奏
白水・縁珠

●望むもの
 無限鳥居を抜けたなら、あとはその先にある道を真っ直ぐに歩くだけ。そうすれば、古妖のもとへ辿り着く――賀茂・和奏(火種喰い・h04310)と白水・縁珠(デイドリーム・h00992)もそうやって、古妖である黒髪の少女の前へと立っていた。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
 そう名乗った古妖、石燕は二人へ言葉を投げかける。無限鳥居で見た背中の人物、それを描いてやろう、実物にしてやろう、と。
「絵師なんだって。奏さん、確か見るの好きって言ってたよね」
「ん、絵を見るのは好きだし、いのち宿るように見える程生き生きしたっていうのなら興味はあるね」
 描かれた絵が動く、実物になる、というのは中々見られるものでもないしと和奏が笑う。
「ぉー……それはお眼鏡に適うか、お手並み拝見なやつだ」
 ぱちり、と目を瞬いた縁珠がそう言うと、和奏もそうだねと頷く。
『おお、ならば描いてやろう! 鳥居で見た背中でいいのじゃろう?』
「……て言っても、縁はさっき見たの、人影っぽいのだしな」
 誰ともわからない背中だった、と縁珠が言う。
「奏さんは?」
「そうだね……鳥居の先で見た背は……俺もぴんとは来なかったし、別にいらないかな」
「ねー、そんなん描いてもらったって……縁は墨ひっくり返した? って感想しか返せないかも」
 なんだかそれは勿体ないような気がする、と縁珠が表情を変えぬまま、僅かに唇を尖らせた。
「それなら、もっと可愛いのとか面白いの、の方が」
「縁もそう思う。ん-、それなら」
 いいこと思いついた、と縁珠が石燕へと視線を向ける。
「リクエストしても良いー?」
「ああ、いいね。ってことで俺もリクエストに賛成!」
『り、りくえすと、とな?』
「そう、描いてほしい絵を縁たちが言うんだよ」
『ほう、注文ということか』
「良いー?」
『ま、よかろう!』
 トントン拍子に話が進み、縁珠と和奏は何をリクエストしようかと頭を突き合わす。
「あ、縁は見たいのあるぞ」
「なに?」
「奏さんとの話でちょこちょこある、マッチョ悪魔」
「ああ」
『なんじゃと??』
 マッチョ悪魔??? と、石燕が首を傾げる。
「あ、その悪魔さんは魅力的で楽しいことで誘う強力ぱわー悪魔イメージで。決まった像ないので、言葉の響きの想像で一つ」
『お前、難しいことを言うの……』
「縁さんは? 他に何かある?」
「縁は……うん、まちょまちょしてくれてたら喜ぶぞ」
『まちょまちょ』
「まちょまちょ……擬音に気が抜けるな」
 ふ、と和奏が笑うと、そうか? まちょまちょだぞ、と縁珠が力こぶを作って見せるものだから、また笑ってしまう。
「そういう奏さんのも想像豊かな注文だなー」
 そういえば、基は魅力的な誘いのたとえだったのを思い出し、縁珠がまちょまちょ……とまた呟いた。そうこうしているうちに、イメージが何とか固まったのか、石燕が巻物へと筆を走らせる。
「いきなりの注文は流石に戸惑う?」
『儂を誰だと思っておる、これくらい朝飯前じゃ!』
 筆を動かす手が止まらないのを確認しつつ、縁珠は今のうちとばかりにこっそり宿り木を石燕を中心にして展開させ、さりげなく和奏に目配せをする。その視線にゆっくりとした瞬きで応え、和奏もいつでも戦闘開始できるように準備を怠らない。
『できた! どうじゃ、まちょまちょじゃぞ!』
 石燕が顔を上げれば、描いたマッチョ悪魔が姿を現す。それは中々のムキムキっぷりの、立派なマッチョであった。
「おお……まちょまちょだ。奏さん……如何、グッと来た?」
「ぐっと? ふ……インパクトはすごい、ふ、ふふ」
 堪えきれない笑いを零しつつ、石燕に描いてくれたことに感謝を告げて。
「ありがとう、でも――」
 ふっと顔から笑みを消し、和奏が雷の力を降ろした刃を石燕へと振り下ろす。
「誰かの勝手な写しはいらないんだ。隣にいる縁さんと楽しんだ今日と、彩ってくれた此処を守らせてもらう」
『カカッ! ひととは強欲なものじゃのう!』
 マッチョ悪魔を盾にして、石燕が飛び退くと即座に描いた妖怪達を具現化し、襲わせる。
「縁も、朧げな影なんか興味ない」
 前衛を請け負ってくれている和奏をサポートするように動き、縁珠も彼の言葉に頷く。それに、ちゃんと最後は望んだものを掴めていたから、縁珠はそれでいいのだと胸の中で呟いて、宿り木の力を揮うのだった。

尾崎・光
野分・時雨

●おうちに帰る、その為に
 無限鳥居を抜ければ、その先は一本道。真っ直ぐに進んでいけば、古妖が待つ紫陽花が咲き誇る広場が見えてくる。尾崎・光(晴天の月・h00115)は何か言っている野分・時雨(初嵐・h00536)を全無視して、スタスタと躊躇いなく前へと進み、祠の前に佇む少女を見つけ、ようやっと時雨に向けて口を開いた。
「一方通行みたいだね」
 祠の先を見てそう言うと、光が時雨をちらりと見遣る。
「今回はお姉さんじゃなくて子どもだけど大丈夫そう?」
 ダメだと言われても、帰る為に付き合ってもらうけど、と思いながら光が問うた。
「可愛子ちゃんだけど大丈夫」
「それは若干駄目じゃないかい?」
 いざとなったら盾にでもしようと決めて、光は少女の方へと歩く。
「コウくんこそ大丈夫? ちっちゃい子は斬りにくいな~なタイプじゃないの?」
「僕は別に。それに敵は全力で倒さないと姉さんに叱られるし」
「あ~ね」
 手心を加えて負けるような無様はしないと、暗に言われて時雨が笑いつつ光を追いかけた。
『よう来たのお、儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ』
 きゃら、と笑いながら黒髪の少女――古妖、妖怪絵師『鳥山石燕』は言う。無限鳥居で見た背の者を描いてやろうと。実物にしてやろう、と。
 石燕の言葉に、光が首を横に振る。
「悪いけど、僕は彼女の持っていた情報は欲しいけど、他は要らないんだ」
 名も知らない、見たことがあるだけの少女。ただそれだけだ。
「コウくんったらストイック~」
「話聞いてたかい? 牛角くんはどうするの」
「あ、俺も描かなくて大丈夫~! ウチ帰れば後ろ姿どころか正面左右上下寝顔まで眺め放題ですから」
 本物に勝るものがどこにあるのか、と時雨が光に向かって視線を投げる。
「それには同意だけど……きみのその言い方、さすがにちょっと気持ち悪いよ?」
「えっなんで!? 事実なのに!」
「自覚ないんだね、それはそれとして早く帰りたいんだけど」
「自覚ってなに! あ、早く帰るのには賛成! 同意です」
 早く帰りたい、という二人を見て、石燕は呆れたような顔をしつつも墨筆を手にする。
『望まぬのなら、儂の妖怪画をたんと見せてやろうかの!』
「断っても何かは描くのか」
「まあまあ、せっかくですので。素敵な妖怪絵見せてもらいましょう」
 ね、と言いながら、時雨は抜かりなく|曲刀《カルタリ》を手にし、石燕が描いた妖怪画から現れた妖怪達を薙ぎ払う。
「なるほどなるほど、中々多種多様な妖怪達ですね」
 どんな妖怪が見られるのかと、秘かに楽しみにしていた時雨は光の分の攻撃も受けては流し、次々と出てくる妖怪の名を当てては楽しんでいる様子。そんな時雨を横目で見つつ、数えるのも面倒なくらいの妖怪に数ならこちらも負けてはいないと、護霊符に捕縛を仕込み、幻影で自身が増えたように見せかける。
「これである程度攻撃が分散するだろう……ん?」
 ちらりと見えたのは、楽しそうにしていたはずの時雨の不愉快そうな顔であった。
「まさか、赤子を抱いた鳥怪もいるとは」
 産女、姑獲鳥とも呼ばれる、お前。途中までは大変楽しかったのに、と時雨が眉根を寄せる。
「その妖、苦手なんです。不快」
 はっきり不快だと口にして、時雨が自身に切り傷を付ける。浅くはないその傷から、血が流れ――黒煙が溢れ出すのが見えた。
「なんだか高くつきそうだね?」
 捕縛した敵を盾代わりにしつつ、これはチャージが終わったらさっさと腕を貰いに行くかと光が時雨を追うように石燕へと迫る。
「肺まで満たし、御身の隅から隅まで須らく。煙で満たし毒を孕んでくださいませ」
 喰らえ、とばかりに時雨が石燕へ黒煙を放つ。それと同時に、光もまた威力を上げた衝撃波を放った。
「その腕、貰おうか」
「代わりに、黒煙を召しませ」
 |僕《ぼく》が家に帰る為に――。

夜恭・燕
夜恭・藍

●弱さも脆さも糧にして
 無限鳥居を抜けて再開したのも束の間、夜恭・燕(人間の護霊「かみさま」・h02195)と夜恭・藍(人間の|鉄拳格闘者《エアガイツ》・h02197)は古妖を探すべく前へと進んでいく。少しすると、紫陽花が咲く広場の中にぽつりと建てられた祠が見え、更には祠の前に黒髪の少女が佇んでいるのも。
「兄さん」
「ああ、気を付けろ、燕」
 こんな場所に普通の少女がいるわけもなく、十中八九あの少女が古妖だろうと藍が警戒心を露わにして少女へと向き合った。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 望むのならば描いてやろう、自分が描けば実物になるのだと少女が誘惑の言葉を口にする。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
 さあ、お前たちはどうする? と投げかけられた問いに、藍は睨むように眉根を寄せ、そんな兄の代わりとばかりに燕が口を開いた。
「ふーん、君がさっきの仕掛け人?」
『そうじゃ!』
「中々良く出来てたけど……詰めが甘いかなぁ」
 燕の言葉に、今度は石燕が気分を害したかのように眉根を寄せる。
『どういうことじゃ』
「あのね、本当に『欲しい』人はね、『本物』じゃなきゃ、満足いかないんだよ。ニセモノは、要らないよ」
『それを本物と思えば、そやつにとっては本物じゃろうに』
 人は難しいことを言いよる、と石燕がきゃらきゃらと笑った。
「古妖とは老獪者かと思えば……姿は童か」
 弟の言葉を笑う石燕に、藍が視線を鋭くしながら口を開く。
『古妖たる儂を見た目通りと侮ってもらっては困るのお』
「……が、他者の心の脆い所を暴き、弄び、笑っている『悪妖』とはお前のような者の事だ」
『カカッ、カッ! 悪妖か、違うものが見れば善妖かもしれんがの。何せ、望みを叶えてやろうというのだからなあ!』
「自分で言うの? それ。絶対違うってことだよ」
 燕が呆れ混じりの声でそう言うと、藍もその通りだと頷いた。
『今までにも何人もおったぞ? 喜んで礼を言って帰っていった者たちがの』
「それが本当に善行なら、君は祠に封印されたりしてないよ」
『なんじゃ、つまらぬの』
「俺達はお前が思うほど弱くない。脆さも、己を見直し支えに変える糧と出来る――なめるなよ」
 怒気を孕んだ藍の声を合図としたかのように、石燕がカカ、と笑いながら筆を巻物へと走らせる。描かれた妖怪画は無数の実体となり、二人へと襲い掛かった。
「なるほど、描いた絵が実体化するのか。それにしても……数が多い」
「燕」
 すぐに藍が燕の前に出て、実体化した妖怪達の攻撃から燕を護る盾となるかのように立ち塞がる。
「この数で攻撃喰らったらキツイね、まとめて消えて貰お」
 兄の背の後ろで燕が風の弾丸を生み出すと、先手必勝とばかりに白黒の妖怪達へ攻撃を仕掛けた。不可視の弾丸は妖怪達を墨へと戻すが少し減ったくらいにしか見えず、燕があんまり減らなかったねと呟く。
「充分だ」
 ぐっと拳を握り、藍が襲い掛かってきた妖怪達に拳と蹴りを浴びせて薙ぎ払う。
「サンドバッグには丁度いい」
 次々と襲い掛かってくる妖怪達をねじ伏せ、数を着実に減らしていく。燕も風の弾丸を幾度か放ち、藍を手助けするとともに不可視の風の恩恵を授けた。
「兄さん! 行って!」
 しっかりと風の加護が兄に付与されたのを確認した燕が叫ぶ、元凶を断って、と。僅かに燕のそばを離れる事に中書したけれど、大切な弟が言うならばと藍が応える。
「任された」
 風を纏い、石燕がいる場所まで駆け抜けると、藍が拳を振り抜いた。
「……何となーく、兄さんの方がアイツの事殴りたそうなんだよねって思ったんだけど、当たってたみたいだね」
 ちらりとこちらを気にした藍に笑みを向け、自分の身は自分で守れると風の弾丸を四方八方へと展開していく。
「大丈夫、ちゃんと守れる。……少しの間なら、だけど」
 兄の背を視線で追いながら燕が苦みを帯びた笑みを浮かべ、けれどいつか肩を並べて戦う日の為にと顔を上げた。
『随分と乱暴じゃのう!』
「童とて容赦はせん」
 それに何より、自分は先程の焦燥を招いた相手――つまりは石燕に、少し腹を立てているのだ。何より、このまま放っておいたら燕を害するかもしれない。となれば、自分がやるべきことはただ一つ。
「そろそろ退場の時間だろう?」
 再封印されるがいいと、藍が畳み掛ける。
「力を、善き方に使えればよかったのにな」
 そうすれば、祠を囲む紫陽花を横丁の皆と愛でれただろうに。
 藍の言葉に、燕は風の弾丸で身を守りつつ、もしかしたらと祠の周囲に咲く紫陽花にふと視線を向ける。もしかしたら、あの子が紫陽花を描く未来だってあったのかもしれないと。
「違う道だってあっただろうに」
 いつか改心することがあったなら、その時は。
 そんなことを思いながら、二人は石燕を封印する為に力を揮い続けるのであった。

黒後家蜘蛛・やつで
天國・巽
椿之原・希

●かわいさはそれだけで武器ゆえに
 すっかり足を綺麗にしてもらい、椿之原・希(慈雨の娘・h00248)は恐縮しながらも天國・巽(同族殺し・h02437)と黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)に深々と頭を下げる。
「ありがとうございました、やつでさんの手拭いは私が洗いますから」
「だめですこれはご褒美なのでやつでが、おっとなんでもありませんよ」
「ご褒美って言っちまってンだよな」
 巽の言葉をスルーしつつ、やつでが手拭いを懐に仕舞い直すと三人は無限鳥居を抜けた先にある一本道を歩き出す。すぐに紫陽花に囲まれた広場に着いて、此度の元凶である古妖と顔を合わせた。
「誰かと思えば石燕かィ」
『なんじゃ、儂はお前のことは知らぬぞ』
「そうだろうな。昔、分体たァやりあったことがあるってだけだ」
『ふむ、まあそういうこともあろうな。そっちのちびっこどもは――』
「こんにちは石燕さん。この間のマガツヘビ討伐はお疲れ様でした!」
『なんじゃ、お前もかの。そりゃ儂であって儂ではないよ』
 丁寧に、ぺこりと頭を下げた希にそう言うと、こほんと咳ばらいをひとつ。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
「知ってンよ」
「えっと、私も知っています!」
「これはご丁寧にどうも」
 唯一知らないやつでのみがそう言って、それで? と石燕の話を促す。
『なんだか調子狂うのお……まぁよい、お前たちが無限鳥居で見た背中はどうじゃった? 望むならば儂が描いて実物にしてやるぞ?』
 その誘惑にも似た問い掛けに、三人が顔を見合わせる。一番に口を開いたのはやつでで、なんとも興味がなさそうに答えた。
「あの背中は喪われたからこそ目にした幻、つまりは答えの割れたウソ。誰の心を動かすこともありません」
「俺もお前ェに描いて貰いたいモンなんざ……」
「何か描いてもらえるのですか?」
「おい、希」
 純粋なまなざしで、きょとんとした希が巽を見遣る。
「だって、絵を描いてくださるんですよね?」
「そうは言ってもなァ」
「なるほど、わかりました」
 頭を搔いた巽の横で、やつでが石燕に詰め寄って。
「それより妖怪画というのはリクエスト可ですか?」
『り、りくえすと? 注文ということかの?』
「そうです、たとえば『伝説の妖怪メチャカワ希風味にゃんこ』でも! 描いていただけるんですか!?」
『ええ……?』
 何だろうか、この思ってたんと違う注文、と石燕がたじろぐが、やつでの言葉に巽が目をかっぴらく。
「なに!? 伝説の妖怪メチャカワ希風味にゃんこだと……?」
 そんなの、可愛さ天元突破じゃないかと巽が何やら思案するように真顔になる。
「はい、かわいさは兵器! やつでは希様……あ、こちらの大変おかわいらしい子です……に、その片鱗を見ました。そしてかわいいといえば猫様! 妖怪にも通じる、猫のおそろしさ、かわいらしさ。その融合はいかなる生存競争をも制する最強、やつでが夢見る完全なる生存競争の頂点なのではなのでは!?」
 なのでは!? と興奮気味に捲し立てるのを、石燕は近い近い近い、とやつでを両手で押し返す。
「こほん、失礼いたしました。まあそういうわけで、伝説の妖怪メチャカワ希風味にゃんこという妖怪を描いていただきたいのですけれども」
「あ、あの!」
 はい! と手を上げて、希が石燕に向かってわくわくとした顔でリクエストを投げかける。
「えっと、それじゃあ私は伝説の妖怪メチャカワやつでさん風味にゃんこに、伝説の妖怪メチャカワ天國さん風味にゃんこを……!」
 ぜひ、是非に! と希がやつでに続いて頼み込んだ。
「えっ、まさか、やつでと家主様まで!?」
「まてまて、そいつはマズいぞ。ただでさえメチャカワ希風味にゃんこだけで手いっぱいだってのに、そこにメチャカワやつで風味にゃんこまで加わっちまったら、誰がそいつを倒せるってんだ……世界の終わりだ!」
 真顔で巽が何を考えてたかというと、そういうことだった。
「俺のはどうでもいいが、この二人のはちょっと……いや、凄く見たい……しかし倒せるのか……?」
 巽が真顔でぶつぶつと言うのを聞きながら、やつでがそうでした! と表情を変える。
「そういえば描いたものと戦うのでした! あわわ、勝つ自信がないのです!?」
「そんな……それでは伝説の妖怪メチャカワやつでさん風味にゃんこに、伝説の妖怪メチャカワ天國さん風味にゃんこは見られないのですか」
 しょんぼりした顔の希を見て、倒せる、大丈夫だ! と言いたくなったけれど、巽はどう考えたって倒せる未来が思い浮かべず、すまん無理だと希に謝る。
「あ、いえそんな! 天國さんのせいではないです!」
「そうです! 見られないのは心底残念ですが、希様を危険な目に合わせるわけにはいきませんからね」
 涙を呑んであきらめましょうと、やつでが頷いた。
『いやあの、お前らなあ』
「待たせたな、そういうことで絵は無しだ。普通に倒させてもらうわ」
『失礼すぎんか?? 儂はお前たちが鳥居で見た背の人物をだな?』
「え、あの鳥居のお兄ちゃんは石燕さんが描いたのですか?」
『いや、描いたというか幻なんじゃが』
「駄目ですよ!人の大事な人を勝手に描くなんてえっちなのですー。肖像権の侵害なのですー」
 ほっぺを膨らませた希が、ぷんぷんと石燕に向かって怒る。
「一般の人があれでずっと迷い込んで悲しい思いをしたらどうするのですか」
『それはそれで面白いじゃろうが』
「もっといけないのです。だからメッ! なのです」
「希様のメッ、可愛すぎますね……」
「そうだな」
 栄養価が高い、とかなんとか言っている後ろの二人を石燕がキッと睨みつける。
『ああ、もうよいわ! こうなれば妖怪絵師たる儂の力を見せてやろうぞ!』
 墨筆を構え、今にも巻物に走らせようとした石燕を巽が止める。
「あ、ちょいとタンマ」
『なんじゃ!!』
「見ろよこの可愛いふたりを」
『ああ!?』
「振袖が汚れちまったら可哀そうだろうが」
「あ! そうです振袖! あ、あのあの、ちょっと待ってくださいね石燕さん。せっかくの振袖を汚すわけにはいかないのです」
 戦う前に思い出せてよかったと、希がもたもたと袖と裾をたくし上げようとして苦戦する。
「希、こっち来い。やつでも」
「は、はい!」
「あ、はい、貸して頂いた衣装を汚してはいけませんでした」
 そう言って、巽が袂からぽんと|襷《たすき》を出すと、まずは希の袖を襷掛けにしてやり、裾も綺麗に絡げてやる。続けて、ヤツデにも同じようにしてやると、出来たぞと背を叩いてやった。
「あぅ、天國さんありがとうございます、何から何まで……!」
「ありがとうございます、そういえばこの着物もとても可愛らしいものでした」
 なんだか自信がわいてくるとやつでが言うと、巽が頷く。
「おうよ、俺の自慢のかわいこちゃん達だからな」
 着物だけではなく、勿論着ている二人もだと巽が笑い、石燕へと向き合う。
「待たせたなァ、それはいっちょやるとするかィ」
『待ちくたびれたわ!』
 今度こそ、と石燕が墨筆を巻物に滑らせて、妖怪画から妖怪達を具現化させる。
「参ります!」
 長引けばそれだけ着物が汚れてしまうかもしれないと、希は短期決戦を狙って|行動援護用√能力「梟」《オウル》を発動させ、巽とやつでに補助ドローンを飛ばし、『レイン』の力をおびただしい数の妖怪達へと浴びせていく。
「振袖を汚さないように……気を付けて……こ、これもきっと試練の一つなのです。うう、でも石燕さんや天國さん、やつでさんは器用に着物を捌いていらっしゃいます……!」
 どうやって動いているのだろうかと、希は妖怪達を倒しつつも、彼らが戦う姿を食い入るように見遣った。
「あの鳥居、もう会えない誰かと会える、お前さんなりの親切だってか」
『くふふ、そうじゃのう! 望めばそやつを描いて実物にしてやるのじゃよ』
「そら親切なこったが、知ってっか?」
 巽の言葉に、石燕が僅かに首を傾げる。
「そういうのはな小さな親切大きなお世話――……ってンだぜ?」
「家主様の言う通りですね」
 やつでが不可視の蜘蛛の糸を操り、巽に襲い掛かろうとする妖怪を縛り上げては攻撃して頷く。
『ふん、望む者がおるのじゃ、需要と供給というもんじゃろうよ!』
「だからそれが大きなお世話ってンだよ」
 今からそいつを解らせてやろうと、巽が霊剣『鍔鳴』を難なく抜き去り、石燕を再封印する為に斬り落とす。
「早いとこ一件落着といきてェのよ」
「はい! 全部終わったら、傘をさして帰りましょう!」
 くるくる回せば、三人で買った傘はキラキラと輝くはずだと、希がドローンを操りながら笑顔を見せる。
「ええ、傘を差してあの道を歩きましょう。せっかくのお洒落と思い出ですから」
「おうおう、そンなら尚のことだなァ」
 その後姿を眺めて、俳句の一つも詠んでやろうと巽が鍔鳴を構え直す。
「梅雨晴や 回る塗傘 鈴の声」
 ってなァ、と巽が笑い、抗う石燕へ決め手となる一撃を決めるのであった。

ガザミ・ロクモン
神楽・更紗

●背中合わせ
 妖怪絵師『鳥山石燕』――今回の事件を起こした古妖。祠の前に佇む彼女を前にして、ガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)は大きなおにぎりを手にしたときのように、赤い瞳をキラキラと輝かせていた。
「あの鳥居で見た背中を描いてくれるんですか!?」
『お、おお。そうじゃ、望むなら描いてやろう』
 その勢いに若干気圧されつつも、石燕は応用に頷く。
「おい、ガザミ」
「はい、なんでしょう更紗さん」
 それは敵の罠か何かではと、神楽・更紗(深淵の獄・h04673)が遠回しにガザミを止めようと試みるが、ガザミの勢いは止まらない。
「僕、偽ロクモン様の巨大な姿、更紗さんに、是非、見て欲しいんです!」
「そ、そんなにか?」
「はい! だって、この機会を逃せば、絶対に見せられませんもん」
 そう言われては、更紗も黙るしかない。それに、巨躯を誇るオオカニボウズだと聞いていたその姿を見てみたいのも確かで。
「……わかった」
「やったー! ではお願いします!」
『よかろう、妖怪画は儂がもっとも得意とするものじゃからな!』
 とくと見よ! とばかりに石燕が巻物に墨筆を滑らせると、そこに描かれたオオカニボウズ――偽ロクモンが実体化していく。惜しむらくは墨で描くために白黒だというところだが、それを差し引いてもその出来栄えは見事の一言だ。
「どうですか、更紗さん! 初代ロクモン様。一年前の僕です、イケカニでしょ?」
 どやぁ……っとガザミが胸を張ると、更紗は首が痛くなるほどに巨大な偽ガザミを見上げる。
「こんなにも巨大になる妖だとは……一年前か、そうか。ガザミもここまで育つのか?」
 純粋な興味から零れた更紗の言葉に、ガザミが少し考えてから答える。
「どうでしょう、でも巨体には憧れるけど、更紗さんとお話しやすい今の大きさが、僕には丁度いいです」
 目を見て話せるこの大きさが、とガザミが笑った。
「そうか、そうだな。ああ、それにしたって他にも聞きたいことが大渋滞だ」
「なんですか? 僕にわかることなら、なんだってお答えしますよ」
「なら、全てを終わらせたら寺で詳しく聞かせてくれ」
「はい!」
 更紗に向かって大きく頷くと、ガザミは石燕へと向き直る。
「素晴らしい絵をありがとうございました! お礼と言っては何ですが、僕と更紗さんの息ピッタリな連携攻撃で絵のネタを提供しますね!」
 ロクモン様を倒すのは恐れ多いことかもしれないけれど、偽物なら遠慮はいらない。それに、ロクモン様の強さを写し取っているわけでもないだろうとガザミは思う。
「おいで、鎌鼬三姉妹!」
 ガザミが白毛金目な鎌鼬の姿をした攻性インビジブルを呼ぶと、三姉妹と共に石燕と偽ロクモンを相手取る。その隙に、更紗が手にした扇子を巨大化させて、行く手を阻もうとする石燕が描いた妖怪達を吹き飛ばした。
「そら、道は出来たぞ」
 駆けるように飛び上がり、天狗らしい身軽さでガザミと鎌鼬三姉妹の頭上を追い越していく。
 その姿を見送って、ガザミが今度は蜘蛛型牛鬼のニライとカナイの蜘蛛糸を使って偽ロクモンの蟹足の動きを封じる。
「さあ、まだまだこれからですよ!」
『は、猪口才な!』
 石燕が描いた妖怪を|嗾《けしか》けようとするのを止めるため、|呪鱗之輪舞《ミダレウチ》を放った。
「更紗さん!」
「ああ」
 ガザミの声に応え、更紗が異国の神霊を纏い、石燕へと肉薄する。
「お前に、一粒の恨みもないが」
 寧ろ、真実から目を逸らし、紫陽花の葉陰に蹲ったままだった自分に気付かせてくれた、それは感謝に値すると更紗は思う。
「今は再封印させてもらおう」
 最高の絵を見せてくれた、最高の絵師に、最高の舞で返そうと、更紗は踊る。それは絶え間ない攻撃を石燕に浴びせる、炎舞であった。
「次に目覚めた時は、きっとお前に絵を頼もう」
 自分と友人の絵を、と更紗は石燕の体力を削りながら言う。
「その日まで、二人で共に在れるように――お前も願っていてくれ」
『カカッ、面白いことをいうおなごよのお!』
 だがそれも悪くはないかと、石英もまた笑って。
 ガザミはそんな二人の激しくも美しい舞いを眺め、胸の奥をぐっと掴まれるくらいにうつくしいと思うのであった。

乙女椿・天馬
楪葉・伶央

●過去よりも、未来を共に
 無限にも思えた鳥居を抜けだし、真っ直ぐに前を向いて歩いていけば紫陽花が咲く広場へと出る。更にその奥に小さな祠とその前に佇む黒髪の少女を見つけ、楪葉・伶央(Fearless・h00412)は警戒するように歩みを止めた。
「天馬」
「わかってるって~」
 伶央の制止を受け、乙女椿・天馬(独楽の付喪神・h02436)も足を止め相手の出方を探る。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は。望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
 楽し気に笑う少女こそが、此度の騒動を巻き起こした張本人。
『儂は妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
 石燕の名乗りを受け、天馬があれが倒す相手かと、まじまじと見遣って。
「って、絵師?」
「そのようだ、しかし鳥居で見た人物を描くとは……」
 しかも、それが実物になるとは伶央には到底信じられるものではない。古妖の絵師が描いたとて、それがあの只者ではないご先祖様になるとは思えなかったからだ。
「絵とはいえ、あの只者ではない御人と戦えることを密かに楽しみに思っていたのだが……古妖に描けるとは思えんな」
 何せ、幻だとわかっていてもあの背は強かった、伶央にとっては伝説のような存在なのだから。
「ん-、俺も鳥居でみた……となると……」
 わずかに言い淀み、天馬がちらっと伶央を窺う。
「俺は描いてもらう必要ないかなー!」
 だって実物が隣にいるし、とは口には出さずに笑って見せたのに。
「天馬は、俺の姿を視たのか」
「わ、何でちょっと見ただけでわかるんだよ!」
「ふふ、様子を見れば分かるぞ」
 なんだか嬉しそうに笑う伶央を見て、天馬は恥ずかしくなって顔を隠す。
「もー、照れくさいから黙ってようと思ってたのに……」
「そうか。だが本物の俺はいつだってお前の隣にいる。もう離れはしない、ずっと一緒だ」
 離れ離れになっていた時間を埋めるように、伶央は相棒である天馬に笑みを向ける。だから偽物は必要ない、と。
「ふは、そーだよ。伶央が今、隣にいるから必要ない! 俺も、伶央の傍をはなれねーよ!」
『なんじゃ、つまらぬのう! ならば、とっておきの妖怪でも見せてやろうぞ!』
 くるりと墨筆を手にし、石燕が巻物へと筆を滑らせる。現れたのは『塵塚怪王』と『文車妖妃』で、なるほどそれは確かに見事な絵であり実物であった。惜しむらくは、白黒であることのみか。
「伶央! 一緒に戦おうぜ!」
 天馬が叫び、己の身を預けんとばかりに独楽の姿に変じ、伶央の手の中に収まる。それは一番しっくりくる、天馬の居場所。得も言われぬ高揚感を感じながら、伶央に身を任す。
「ああ、二人で一緒に、だ」
 相棒たる独楽を構え、伶央が古妖を祓うべく動いた。
 塵塚怪王の剛力による攻撃の軌道を読み、紙一重で避けると構えた天馬――神楽独楽ヴァルキリーペガサスを放つ。放たれた独楽は高揚のままに塵塚怪王をぶち抜き、そのまま石燕が手にした墨筆を弾き飛ばした。
『儂の筆を!』
「もう諦めろ、大人しく再封印を受けるんだ」
『カカッ、断る!』
「そうか」
 ならば、動けなくするまでだと再び伶央が神楽独楽を手にする。
「伶央、かっけー!」
「ふふ、絵の俺よりも、本物の方が強くて良い男だろう?」
「ちっちゃい伶央も懐かしくてちょっと心惹かれたけど~今の伶央が一番かっこいい!」
 手の中から聞こえる言葉に、子ども時代の俺を視たのかと伶央が小さく笑う。
「俺の相棒のチャンピオンは、今横にいる伶央だけだ!」
「そうだ、お前の相棒のチャンピオンはひとりだけだ」
「伶央、もう一回いこうぜ! 俺と一緒の伶央が一番強いんだって、わからせてやろう!」
 天馬の言葉に笑って頷き、伶央は今度こそ一撃で決めるとヴァルキリーペガサスを構えるのであった。

ララ・キルシュネーテ
花七五三・椿斬

●優しい温度
 いつの間にか抜けていた無限鳥居の先で、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)と花七五三・椿斬(椿寿・h06995)は紫陽花に囲まれた祠の前で佇む少女の姿を見つけて立ち止まる。
「椿斬、あれがそうかしら?」
「……そうだね、僕らをこの場所に誘い込んだ張本人だと思う」
 まだ無限鳥居で見た兄の後ろ姿が脳裏に焼き付いて離れないままだった椿斬は、なんとかそう答えた。
 本物じゃないとわかっているけれど、どうしたってあの背中に置いて行かれたくなくて、見捨てられたくなくて。傷付いた心がぎゅっと痛むけれど、ララの前で弱い姿は見せられないと、椿斬はキッと前を向き、ララを守るように立つ。
 そんな二人の様子を眺め、黒髪の少女がきゃらきゃらと笑う。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 唇の両端をにんまりと持ち上げて言う少女に、ララがやっぱりと呟いて。
「お前の仕業だったのね?」
 確認するようにララが言えば、少女が如何にも! と見栄を切る。
『儂こそが、妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
「君が……見せてくれたのか」
 絞り出すように零れた声は掠れていなかっただろうか。椿斬が続けて言葉を発するよりも前に、ララが頬にかかった髪の毛を払いながら口を開いた。
「中々面白かったわ。パパは、後姿であっても壮麗として美しかったもの」
「そうだね……見事だったよ」
 記憶の中にある、兄の背中そのままだったと椿斬は思う。
『望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
 値踏みをするような赤い瞳がにんまりと細くなり、どうじゃ? と笑う。椿斬は、石燕のその言葉に今度こそ息を詰まらせた。
 兄様に、会える? ――でも、凍てついた蝶のような心は未だそのままで、兄にあいたい気持ちと、まだあいたくないという相反する想いがぐるぐると椿斬の心をかき乱していた。
「そう、実物に? ……でも」
 ララが思い出すのは|迦楼羅王《パパ》の美しい背中、そして何よりも凍てるように冷たく哀しい顔をした椿斬だった。
「……人の心をかき混ぜるのは趣味が悪いわ」
 その言葉に、椿斬がハッと顔を上げる。
「椿斬はどう? 描いて貰いたい?」
 優しい声で問われ、椿斬はただ首を横に振ることしかできなかったけれど、それでも充分に彼女には伝わっていた。
「そう、それでいいの」
 肯定の言葉に、椿斬は知らぬうちに安堵を覚え、ゆっくりと顔を上げる。
『なんじゃ、描いていらんのか?』
「椿斬はそうね」
『お前は描いてほしいか?』
 石燕の言葉に、ララが綺麗な笑みを形作る。
「ふふ、ララはね……お前にパパの麗しい姿が、描けるとは思えないのよね」
『ほう? この石燕を前にして、よう言うたものよ!』
「あら、だって嘘は付けないわ。でも、そうね……そこまで言うなら――ほら、描いてご覧なさい」
 挑発するようにララが言うと、目にもの見せてくれるわと石燕が墨筆を躍らせた。
「ほら、椿斬にもララのパパをみせてあげるわ」
「う、うん」
 にこにこと微笑むララに椿斬が頷くと、石燕が描き上げた絵が実体となっていく。
『どうじゃ!』
「その絵が、ララのパパなの?」
「ええ、でもこれじゃ駄目よ」
 すっと目を細めたララが右掌で軽くグーを作るとえいっとパンチを決めた。
「えっ」
『なぜじゃ!』
「ララの|迦楼羅王《パパ》はそんなに歪じゃないわ」
 容赦ないララの批評と物理的な没に、石燕がぐぬぬと歯噛みする。
『では、これならどうじゃ!』
「何? パパはもっとオーラがあって美しいわ?」
 没、とララの迦楼羅焔があっけなく焼き尽くして、墨へと戻っていく。
「ラ、ララ?」
「なぁに?」
「僕には立派で威厳のある迦楼羅に見えるんだけど……」
『そうじゃそうじゃ! もっと言ってやれ、小僧!』
 控え目ながらも椿斬がそう言うと、石燕がこれ幸いとばかりに野次を言う。
「椿斬、確かにララのパパには似ているわ? でもララのパパのかっこよさはこんなものじゃないの」
 わかった? とララに諭され、椿斬がこくこくと頷く。喧嘩を売られている、と絵師としてのプライドを刺激された石燕はララを唸らせてやろうと、墨筆を走らせた。
「は? ララのパパはもっとかっこよくて美しくてキラキラしてて強くて立派で壮麗で唯我独尊で絢爛で最高なのよ!」
 没! と、その後もララは石燕が描き出す姿絵から実物となった|迦楼羅王《パパ》の姿にダメ出しをしていく。
「ララ、すごい……」
 次々と否定して打ち破っていく小さな雛の姿に、椿斬は励まされるような気持になって、ララだって辛いはずなのに自分がこのままではいけないと奮い立つ。
『これで、どうじゃ!!』
「侮辱するのもいい加減になさい! そもそもパパの美しさを墨の色ひとつで描こうだなんて冒涜なのだわ!」
『ぐぬぬぬ』
 唸らせるつもりが呻らせられて、石燕はもう涙目だ。
「侮辱されたぶん、しっかりと返させてもらうわ」
 ララが爪先でとん、と駆けると破魔光の桜一華を纏い、石燕の懐へと潜り込むと、それに合わせて椿斬がふう、と息を吹き掛け咲かせた破魔の花弁を石燕へと飛ばす。
「|パパ《神》を侮辱は許さない」
 破魔の迦楼羅焔が燃え盛り、石燕の身を燃やさんと放たれた。
『ぐう……っ! まだまだじゃ!』
 それでも古妖の意地か、石燕は再び墨筆を走らせると『塵塚怪王』と『文車妖妃』を召喚する。
「往生際の悪いこと」
 塵塚怪王がその剛力でララを狙うが、椿斬が氷雪のお供達を召喚してけしかけた。
「椿斬!」
「うん!」
 再び互いの力を合わせるように、ララの迦楼羅焔と花天狗の氷雪の暴風が塵塚怪王とその後ろにいる石燕を狙って襲い掛かる。
「やってやるよ! 迦楼羅と天狗のとりとりアタックを喰らえー!」
「ふふ、強くて可愛いなんて、最強だわ」
 ララの笑顔が眩しいほどに輝いて、吹き飛ばされた石燕を見送った。
「ね、椿斬」
 名を呼ばれ、椿斬がララへと視線を向ける。
「大丈夫よ」
 大丈夫、とララが優しく微笑む。
「今は見つめることが叶わなくても、いつかその時がきたら――お前のところに、在るべき形でかえるから」
「ララ……」
 それは予言めいた言葉で、椿斬の胸にすとんと落ちていく。こんなに小さいのに、心が大きくて強くて、優しくて。椿斬の心がじんわりと温かくなっていく。
「それに、椿斬は独りじゃないわ。ララがいるでしょう?」
「……うん、ララがいるね。僕は――独りじゃない」
 自然と言葉が溢れて、椿斬はララに向かって頷いた。
「その意気よ。お前の笑顔は、とっても心地いい」
「ララの笑顔も、とっても温かいよ」
 まるで雪解けを促す春のようなララの笑みに、椿斬は笑みを浮かべるのだった。

破場・美禰子
李・劉
ツェイ・ユン・ルシャーガ

●幕引き
 それぞれが、それぞれの想いを抱いて無限鳥居を抜けたなら、目の前には迷いようのない一本道が続いていて、いつの間にか合流していた三人は互いに顔を見合わせた。
「無事揃うたのう」
 ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)がそう言って笑みを浮かべると、破場・美禰子(駄菓子屋BAR店主・h00437)と李・劉(ヴァニタスの|匣《ゆめ》・h00998)が同時に口を開く。
「や、二人とも無事そうで何よりだよ」
「ン、二人とも元気そうで何より♪」
 同じような事を同時に発した二人が軽く見つめあって、ふっと笑いだす。
「ハッピーアイスクリームってやつだねぇ」
「ハッピーアイスクリーム?」
 美禰子の言葉に、ツェイが首を傾げる。
「話の途中でね、二人が同時に同じ言葉を口にしたとき、先に『ハッピーアイスクリーム』って言った方がアイスを奢ってもらえるっていう言葉遊びみたいなもんさ」
「なるほどのう?」
「じゃ、私が美禰子ちゃんに奢ればいいのかな」
「奢んなくてもいいから、帰ったらうちでアイス買ってきな」
 そんな軽口を叩きあう二人を眺め、ツェイはやはり案ずる迄もなかろうと信じていた通りだったなと笑った。
「それじゃ、行くとするかい」
「ここまで来たことだしねぇ」
「行き掛けの駄賃のようなものだの」
 この事態を引き起こした古妖を放っておけば、いずれ一般人が巻き込まれるだろう。そうならない為にも行くしかないと、三人は鳥居から続く一本道を進んでいく。少し行くと、紫陽花に囲まれた広場の中に、ぽつんと祠が一つあるのが見えた。そして、その祠の前に黒髪の少女が笑いながら立っているのも。
『どうじゃった? お前たちが無限鳥居で見た背中は』
 きゃらきゃらと笑う少女を前にして、三人はこの少女が件の古妖だと確信する。
『望むなら描いてやろう、儂が描けばそれは実物になるぞ?』
「アンタかい、鳥居で背中を見せたのは」
『如何にも! 儂こそが妖怪絵師『鳥山石燕』じゃ!』
「で? 鳥居で見たアイツを描いてくれるッて?」
『そうじゃ!』
 ふふん、と得意気な顔をして胸を張る石燕に向かって、美禰子がひらりと手を振って。
「アタシは遠慮しておくわ、あのロクデナシの面なんて見たら今度こそ手ェ出しちまいそうだもの」
 美禰子の物言いにツェイが口元を袖口で隠し、ふふ、と笑う。
「なんだい?」
「はは、何も。しかし絵姿か……我は美禰子殿と同意見だの」
「はは、ツェイもかい?」
「いや何、たとえ顔を描かれど誰とも知れぬでなあ。斯様に間抜けな再会もあるまいよ」
 なるほど、と美禰子が笑うと、痺れを切らしたかのように石燕が口を挟んだ。
『お前らは必要ないと申すのじゃの?』
「そうさな、どうせなら我が不確かな記憶なぞ辿るより、お主の思うが侭を魅せておくれ」
「あたしもどっちかッて言うと妖怪画の方が興味がある」
 妖怪絵師と名乗るくらいだ、さぞかし自信があるのだろうと美禰子は思う。少しばかり急かしてやろうかと思ったところで、今まで黙っていた劉が口を開いた。
「へぇ……此の記憶に根付く者を描くと?」
『そうじゃ、お前はそれを望むかえ?』
 石燕の問いに、劉が少し考えるように目を伏せ、すぐに憂いを湛えた視線を向ける。
「今一度、邂逅できるなら……一つ所望させておくれ、絵師殿」
 胸に手を当て希う劉の姿は、石燕には儚げで哀れに見えただろうか。そして、普段の彼を知る美禰子とツェイはといえば、随分としおらしい態度を取るものだと顔を見合わせていた。
 どう思う? と美禰子が視線だけで問いかけると、ツェイはふわりと微笑んで、好きにさせてやろうと美禰子に向かってウィンクを一つ飛ばす。不思議には思うものの、何かしら思うところがあるのかもしれないと二人は静観することにしたのだ。
『いいじゃろう! 儂の力をとくと見るがいい!』
 手にした墨筆を踊るように巻物へと滑らせると、瞬く間に劉が無限鳥居で見た背中の人物が描かれて、すぐに実体化していく。それは確かに眩い夢を瞳に映す面影を持っていて、石燕の絵の腕前が口だけのものではないことを示していた。
「へえ、女性たァね。画でも解る器量良しじゃァないか」
「儚げな娘御だな」
 黙って見守ると決めた手前ではあったが、直接問うような野暮はしないからどんな縁か好奇心が擡げるのは許してほしいもの、と美禰子とツェイは何処か楽し気にその様子を眺めている。
 再開は、して探求は、かれに如何なる思いを生むものか――なんて、ツェイが考えていると筆が乗ったのか石燕が妖怪画も描き、実体化していくのを見て、出揃うた墨絵は美しくとも我らは見惚れておる暇などなさそうだのう、と小さく息を零した。
『どうじゃ、儂の力は!』
「墨絵でも実に麗しいな」
 甘い微笑を零し、劉が言うや否や――甘い微笑は掻き消えて、唇に弧を描き妖しくも美しく嗤う禍の貌となって絵から実物へとなった女を引き寄せる。
「実によくできている」
 褒めてやろう、と劉が石燕に視線を向けた。
「で? 此は次に何をする?」
『な、何を言っておるのじゃ! 望んだものを手に入れさせてやったのだ、泣いて喜ぶべきじゃろうが!』
「答えないか。なら、希う者を手折るか憑くか……その辺りか?」
 ぐ、と石燕が言葉を詰まらせたのを見て、劉が唇の端を持ち上げる。
「気になっていたんだ、心を覗き描く斯様な術で絵師殿が何を満足するのだろうと」
『は! そのようなこと、聞いてどうするのじゃ!』
「何故聞くか? 災厄故の好奇心さ」
 それ以外に何があるのかと、劉が可笑しそうに笑う。
「あゝ欺いた甲斐があった」
「おやまァ、様子の変わった……イヤ、戻ったと言うべきかね」
 泣いて感動の再開を、なんて露程も思っちゃァいなかったが、それにしてもその豹変っぷりに美禰子が笑う。
「知的好奇心……といったところかの?」
「そんなところかな」
「アンタの好奇心は満たされたかい」
「それなりにね。美禰子ちゃん、ツェイくん。謝謝♪」
「どーいたしまして、劉」
「気にするな」
 茶番に付き合わせてしまったことに礼を言いつつ、劉が石燕に視線を向けた。
「小娘の落書にしては愉快だった。礼をしなくてはね」
『誰が小娘じゃ!! この儂に向かって生意気な! 容赦はせんぞ!』
 怒りを隠すことなく石燕が墨筆を振るえば、『塵塚怪王』と『文車妖妃』が無数の妖怪達の中に現れる。
「――じゃァ、お仕事といこうか」
 吠える石燕に向かって、美禰子が灯した煙管を軽くひと振りすると、妖怪の群れに向けて大きな飴玉が降り注いだ。
「質より量ってねェ」
「物量には物量ということだの、なら我は」
 ツェイが顕現させた淡い光を灯す待雪草に、希う。
「――白き加護の鳥と成れ」
 撒いた符が小さな式神となり、妖怪達へと突撃していく。それはいい目眩ましにもなって、劉がその隙にと|六幻匣語《ユメモノガタリ》を語りだす。
『黒蛇は常に飢餓だった。幾万喰らうても渇きが襲い、生者の全て喰らう暴食ノ罪と化したと謂う』
 劉が語るがままに、黒蛇はツェイの支援を受けて勢いを増して妖怪を悉く嚙み砕いていく。それに合わせ、ツェイの式神が美禰子の煙にのり、妖怪達の視界を奪うように舞い踊る。更には、白群の炎が三人の背を押すように辺りを染め上げた。
「雨には風がつきもの……否、飴であったかな」
 槐の槍を手にツェイが妖怪画の攻撃を受け流し、躱す姿はまるで戯れているようにも見える。
「こいつは中々の加護だ、こンなサポートを貰っちゃババアも働くしかないねェ」
「ふふ、これこれ、そう急くな。仕込みがまだ終わっておらぬでな」
 そうら、仕上げを御覧じろ――ツェイが囁くようにそう言うと、白群色した炎の加護が爆ぜた。白群色した炎は石燕と石燕が召喚した妖怪を巻き込み燃え盛り、美禰子と劉には加護の追い風となる。
「景気がいいこった! そンなら飴のお代わりといこうか、おつりは要らないよ」
「追い風か……有難い」
 再びジャンボ飴玉が降り注ぐと、劉も今だと斬妖剣『縁斬禍』の柄に手を掛けた。
『ぐぬぅ……っ許さぬ、許さぬぞお前たち!』
 妖怪画の神髄を食らえとばかりに、石燕が『塵塚怪王』を嗾ける。
「背は任せるが良い、思う儘に揮われよ」
「そうさ、アタシらは露払いに過ぎない。そら劉、存分にやんな!」
 二人の声を背に受けて、劉が腰を低く、意識を集中させて石燕の隙を狙い――遍く縁を絶つ呪の斬を放つべく居合の一手を放った。
「死の淵で我が悪夢を味わい給え、是が絵画への対価なのだから」
 お釣りが出るくらいだろう? と、劉は消えゆく石燕へと嗤ったのであった。

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挿絵イラスト