シナリオ

とある刺客の苦悩と無貌の嘲笑、天使の受難

#√EDEN #√マスクド・ヒーロー #Anker抹殺計画 #スターチス #断章執筆後、募集を開始します

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「やー、Ankerが人質に取られちゃっただなんて、本当に大変だねっ!
 あなたのAnker、こんな顔だっけ?あ、それともこんな顔?」
「その趣味の悪い変装をやめろ……!」
 明るく快活、しかし内なる邪悪さを全く隠さぬ声音で、手品か何かの様に顔も体格も変えて語りかけて来るソレに。
 『サイコブレイド』は露骨に不快感を露わにし、顔を顰めた。
「あははっ、ごめんごめん、怒らないでよー!どれもあなたが殺してきたモノの顔だったね!
 ま、私の目的は顔の蒐集っ!知ってる顔がたくさんいたら、横取りしちゃうかもだけどっ!」
 かつての戦いを思い出したのであろうか。
 それとも、これから見せてくれるであろうサイコブレイドの苦悶の表情、それを堪能するのが待ち遠しいのであろうか。ソレは舌なめずりをして。
「――たぁくさん、あなたが苦しむ顔を見せて?もっともっと、あなたは苦しむ事が出来る筈だからっ!
 あなたのサイッコーな顔には、まだまだ可能性が秘められてるんだよっ!」
「――貴様に言われるまでもない。せめて、赦されざる悪を全うせねば、死にゆく者達に申し訳が立たぬ……。」
 ――だから、お前は手を出すな。
 額の翡翠の瞳で『ソレ』に睨みを利かせ。外星体『サイコブレイド』は己の得物を握り込み。
「『Anker抹殺計画』を、これより開始する。」


 ――√EDEN、愛知県奥三河地域。
 かつては伊那路や中馬街道を結ぶ要所として、或いは金山という重要な資金源を目的として、武田氏が支配した山間の地域だ。
 それも今や昔の話、今では人口減に苦しんでいるのだが……そこに居を構え。√能力者たちがたまり場にしている旅団がある。
 その詳細は此処では語らないが、欧州における天使化事変において、この旅団に保護された『天使』の少女が居た。
 名をアニエス・ヴィダル。南仏はカシの街に生まれた、快活な少女である。
 羅紗の魔術塔に身柄を狙われていた彼女は、すんでのところを√能力者たちによって命の危機を救われた。
 現在、彼女は機関への若干の不信もあり、とある星詠みのAnkerとして、この√EDENで日々を送っている。
 そんな彼女が買い物のために出掛けようとするその姿を、サングラス越しに見つめる男の姿があった。


「大変にゃ!緊急にゃ!天使のアニエスちゃんが狙われてるのにゃ!今度は『羅紗の魔術塔』じゃなくて、『サイコブレイド』だにゃ!」
 愛用の箒でふわふわと宙に浮かびながら。星詠みである半人半妖の少女、|瀬堀・秋沙《せぼり・あいさ》は、集まった√能力者たちを前ににゃーにゃーと騒いでいた。
 『サイコブレイド』。この名を予兆で知った者もいる事であろう。
 『外星体同盟』なるものに所属する彼は、Ankerを捜し出す特殊能力を持ち、その能力を以て『Anker』もしくは『Ankerに成りうる者』を暗殺しようと企てているという。
 そしてどうも、今回は『天使』の少女がその標的となってしまったようだ。
「本当は、アニエスちゃんにも教えてあげたいんだけどにゃ。予兆から外れないためにも、教えてあげられないのにゃ。
 それに、猫は星を詠んでしまったから、アニエスちゃんを守れないのにゃ……。」
 しおり、尻尾をしおれさせて猫耳を伏せる秋沙だが、すぐにぴこっと耳を立て。
「旅団の団長さんには話を通してあるからにゃ!
 事が起きたら、旅団までアニエスちゃんを送り届けて貰えれば、守ってあげられるのにゃ!」
 彼女が語るには、以下の通りだ。
 昼食時を過ぎた頃、アニエスが奥三河地域で夕食の献立を買いに、道の駅や町なかの小さな八百屋さんなどに寄る。
 それを道の駅や、町なかの古民家カフェ、古民家パン屋などで、さりげなく軽食でも取りながら見守っていて欲しい。
「五平餅とか、ジビエ丼とか、ジビエサンドとか、色々とあるからにゃ!できれば、ゆっくりと堪能して欲しいんだけどにゃ!
 サイコブレイドや他の怪しい気配がないか、目を光らせていて欲しいにゃ!」
 そして、アニエスを暗殺するべく送り込まれた敵を撃退しつつ、彼女を旅団まで送り届けて欲しいのだが……突如、秋沙の猫の尻尾がぼふり、膨らんだ。
「趣味が悪いにゃ。とっても嫌な気配がするにゃ。」
 何やら、サイコブレイドと戦う以外の未来も断片的に見えたようだ。
 油断なく構えていて欲しい。
「……アニエスちゃんは、大好きな故郷を離れて、やっと日本に慣れてきたところなのにゃ。
 僅かな期間でいろんなところに狙われて、大変なのにゃ。どうか、助ける力になって欲しいのにゃ。」
 小猫は箒から音もなく降り立つと、トレードマークである帽子を取り。
 友人である天使の少女のために、深々と√能力者たちに頭を下げるのであった。

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第1章 日常 『春の恵み』


「Maria,Mater gratiae――♪」
 買い物に出かけるアニエスは、随分と上機嫌であった。
 日本に来てから戸惑う事も多かったが。
 特に、地元のおじいさんやおばあさんの日本語は随分な方言で、独学で勉強してきた日本語も中々役に立たなかったが。
 彼女の日本語の上達と共に、やっと、意思疎通を図れる様になってきたのだ。
 こうなって来ると、日々の買い物も世間話も、益々楽しくなってくるというものである。
「今日は何を作ろうかしら。酒粕を買って、粕漬を試してみるとか?そうと決まれば、先ずは道の駅に行くのだわ!On y va!」
 羊の描かれたトートバックを手に、大きな神秘金属で出来た大きな翼を揺らしながら。
 梅雨に差し掛かり、青々とした緑の生い茂る道を歩いてゆけば、やがて見えて来る道の駅。
 五平餅のたれの香ばしくも甘い匂いに、甘酒、珈琲、つけ麺に唐揚げ。なんと、今日はチョウザメの天丼まであるというではないか。
 美味しそうな誘惑から目を背け。彼女は目当てのものを探し始める。
 ――その姿を、害意を持って見られているとも知らずに。
八木橋・藍依

 新聞記者とは、何とも耳が早いものである。
 それが数多の世界に渡ってスクープを探し、追い求めている√能力者の記者であるならば、なおのことだ。

 ――√EDENの人間には有り得ない、特徴的な天使の羽。あの子がアニエスさんですね。

 道の駅の駐車場に停まった、一台のキャンピングカー。『機動要塞ルートエデン号』と名付けられた、その車中から。
 一人の記者が、手元の写真と、何も知らずに軽やかな足取りで歩く少女の姿を照合していた。
 彼女の名は、|八木橋・藍依《やぎはし・あおい》(常在戦場カメラマン・h00541)。
 アニエスを保護している旅団とは予てから付き合いのある友好旅団、『ルート前線新聞社』の長である。
「他でもない秋沙さんの頼みです。協力しましょう。」
 星詠みの話を聞いた彼女は、事件解決への協力を惜しまず、二つ返事で快諾した。
(私は旅団員ではないのだけれど、件の旅団にはいつもお世話になっているし。
 秋沙さん、自分が行けないことを悔しそうにしてましたから。)
 そう、星詠みである藍依は、『自身が詠んだ星には、星詠みは介入できない』という事実をよくよく知っている。
 彼女自身、自身が詠んだ事件に介入することが出来ず、もどかしい思いをした事もあるであろう。
 だからこそ、身近な人物が狙われることになっても手が出せない秋沙の苦悩については、痛い程によくわかった。
 そして何より、日ごろからの交流がある以上、この辺りの道については熟知している。
 この経験があれば、護衛や避難先である旅団への誘導はスムーズに進められるであろう。
 この事件の解決のために、これ程にまで心強い助っ人はいないと言ってもよい。

 さて。目標であるアニエスの姿を確認したならば、車中からではいざという時に出遅れるかもしれない。
 かといって、あまりに近付き過ぎれば、今度は天使の少女に気付かれてしまうだろう。
 彼女と深い面識がある訳ではないが、それでもリスクは最小限に抑えた方が良い。
 新聞社特別製の愛車を降り、遠巻きにその姿を見守る事に決めた藍依は。
「成程、これが鹿肉……ジビエを利用した料理は、一度食べてみたかったんですよね。
 少しお高めですが、肉にサシがほとんど入っていない。低カロリーに高タンパク質、鉄分も豊富。これはヘルシーな食材として注目されているのも頷けます。
 口にしてみれば脂の甘味がなく、少しパサつく感じがある代わりに、歯ごたえはしっかりとしていて、脂や辛みのある味付けとの相性も中々。
 ああ、そぼろも鹿肉なのですね。これ程贅沢に使われているとは……。」
 道の駅に設けられた食堂にて、鹿肉の切り身が豪快に乗せられたまぜそばを堪能していた。
 これは全くの余談ではあるが。友好旅団の団長と知り合う切欠となったのも、『鹿』に纏わる依頼が元である。
 その時の彼女は、『鹿肉は美味しいのか』という疑問を抱いていたが。凡そ4か月越しに鹿肉を味わうことができ、その謎は解けたのであった。
 果たして、その評価については。
 買い物をするアニエスの姿を見守りつつ、チェック柄の表紙の手帳にペンを走らせる藍依の弁、或いは記事を待つことにしたい。

ヴェルタ・ヴルヴァール

「はは、アニエスのおつかい、だな。」
 天使の少女が買い物をしている姿を、遠巻きに見守っている影がある。
 その白い耳はぴんと立ち、彼女が日常を謳歌している姿に尾はゆるりと左右に振られ。
 金の眼差しにはアニエスの保護者とも取れるような、柔らかな光が宿っている。
 狼の獣人であるヴェルタ・ヴルヴァール(月の加護授かりし狼・h03819)は、その特徴を見ればわかる通り、この√EDENの住人ではない。
 彼女は√ドラゴンファンタジーに居を構える『ヴルヴァールの魔法小屋』の長を務めており、件の旅団と友好関係にある。
 そして保護者の様な眼差しも、それも其の筈。アニエスはヴェルタの旅団にも所属しているのだから。
「団員のために力を尽くすのは、当然の事だろう?」
 彼女はこの仕事に赴く前に、そう言って柔らかに笑った。
 ぴるりと動く狼の耳と、獣人の視力。怪しげな影があれば、飛び出す準備もできている。
 それに加えて。呟くように、小さく唱える古代語。
 ――【|追い縋る血濡れ狼《ブラッド・ハウンド》】
 その|詠唱《√能力》に応え、一匹の狼がヴェルタの足元に馳せ参じた。
「君も警戒を頼めるだろうか。君なら身軽に動けるし、良いだろう?何かあったら教えてくれ。」
 主の要請に、狼は小さく耳を動かすと。周辺の警戒に当たるべく駆け出した。

「それにしても、いい匂いだ……。」
 先ほどから様々な食べ物のにおいが、彼女の狼由来の嗅覚を刺激して堪らない。
 勿論、食欲にかまけて本来の務めを忘れる様なヴェルタではないが。腹が減っては戦は出来ぬ、ともいうではないか。
(――いや、でもあまり大仰に動くとアニエスにもバレてしまうかもしれないからな。目立たないように。)
 おかずに何か一品加えようとでも考えているのであろうか。食材を吟味する天使とは絶妙な距離を保ちつつ。
(……アマゴの塩焼き。ふむ。川魚だな。あんまり食べたことは無いが……食べてみるとしよう。)
 彼女も目の前を勢いよく流れる川を眺めながら、その幸を堪能する事にした。
 さて。三河湾から長野方面を結ぶ中馬街道は、古来は山間地域へ塩を運ぶために利用された『塩の道』として知られる。
 その身には豪快に塩が振られ、頭からこんがり焼けたアマゴ。塩が貴重な古の時代ならば、中々の贅沢であっただろう。
 串焼きにされた身の焼き加減は絶妙で、一口齧れば塩に閉じ込められた旨味がじゅわり、ヴェルタの口の中に広がった。
「なんとも、身がふっくらしていて、塩気もちょうど良くて美味しいな……!」
 その美味しさは思わず口に出してしまう程であり、彼女の言葉以上に雄弁な真っ白な尾は千切れんばかりにぶんぶんと振られている。
「骨まで食べていいだろうか。だめか?」
 その様に自問自答し、思案するのも一瞬。かじかじ、ばりばり。その命を丸ごと美味しく頂くのであった。

 相変わらず、天使の少女はお惣菜を買うかどうかで百面相している様だが、それも日常を楽しむ余裕が出来て来たからこそ、であろう。
「ふふ、アニエスも慣れたみたいで良かった。」
 日本での日常に慣れるために、努力してきた彼女の姿を知っている。
 だからこそ、如何なる事情があれ、彼女の平穏を乱す者を許す事は出来ない。
 白狼の団長は、少しばかりしょっぱくなった口元をハンカチで拭い。大切な団員の姿を見守り続ける。

 ――あっは!これも縁ってヤツかなー!
 ――うんうん、いいね、いいね!面白い子、みーつけたっ!
 貌の無い悪魔が嗤った事を、彼女はまだ知らない。

クラウス・イーザリー
シアニ・レンツィ

(天使になって故郷を離れたアニエスが、更に狙われてしまうだなんて……。)
 クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は、件の旅団に所属する団員であると共に。
「もーなにしてくれてんのー!?あの子がどれだけの不安を飲み込んで、故郷を離れる決断をしてくれたと思って……!」
 彼の隣で憤慨するシアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》・h02503)とは、共に南仏の景勝地であるカランクに赴き、|成り損ないの天使《オルガノン・セラフィム》の群れからアニエスを救い出した縁がある。
 かの天使の少女は、自身がこの場にいてはカシの街に住まう家族や住民たちを危険に巻き込むであろう事を考え、故郷を離れるという運命を受け入れた。
 その時の彼女の小さな背中を、2人とも忘れてはいない。
 それ故にシアニの怒りは一入であるし、アニエスが負うやもしれぬ心の傷に、感受性が強く、心優しい彼女は胸を痛めた。
「また怖い思いをさせちゃう……。」
 しょんぼりと肩を落とす竜人の少女と、天使の少女には幸せに生きて欲しいという思いは同じ。
 過酷な運命の中にあっても、願わくば笑顔でいて欲しい。そう願い続けている身だからこそ。
「絶対に守ろう。そのために、俺たちがいる。」
 頷き合う二人の瞳に、決意の火が点る。

 さて。アニエスの命の恩人である二人は、団員であるクラウスは勿論のこと、シアニも度々件の旅団には遊びに行っているものだから、面識は非常に深い。
 しかし今回は、彼女にも気付かれてはならないが故に、二人とも天使の少女とは距離を置き、それぞれ別行動を取る事にした。
 クラウスは古民家カフェから。シアニは道の駅から彼女を見守る、といった具合である。
 連絡役を務めるのは、シアニの√能力【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】によって呼び出された、緑竜のユア。
 この幼竜もまた、アニエスの救出時に奮戦した立役者の|一匹《ひとり》だ。ユアの持つテレパシーがあれば、事態の急変を共有することも出来るであろう。
 馴染のあるクラウスの顔に、幼竜は歓迎するように一声啼いて。空へと舞い上がるのであった。

 火急の事態とはいえ、殺気立ち、ピリピリしていたら周りの人を怖がらせ、悪目立ちもしてしまうであろう。
 伊那街道の旅籠の面影が微かに残るカフェに入ったクラウスは、自らの心を落ち着けるべく緑茶と五平餅を頼み、道の駅の様子を窺う事の出来る席に着く。
 地産の緑茶の温かさ、そして五平餅の胡桃だれの甘じょっぱさは、ともすればすぐにピリつきそうになる心を和らげることにも一役買ってくれた。
 今のクラウスは周囲の監視カメラをハッキングし、心の余裕を保って天使の様子を見守っている。
 敵に勘付かれないようにあからさまな事は出来ないが、これが現状でできる限りの警戒であろう。
 監視カメラの中の彼女は、過酷な運命に翻弄されているとは思えぬ程に朗らかで、道の駅の店員と笑顔で言葉を交わす様子すら見られた。
(彼女が周囲に馴染んでいる様子を見ると、ホッとするな……。)
 彼の纏う空気は、徐々に柔らかなものとなり。口元には小さな笑みを浮かべるのであった。

 一方のシアニも、空色の鱗を張り合わせたマントを被り、目立たない様に心掛けながら。逸る気を紛らわせるために五平餅を頬張っていた。
「わ、ふっくらしてて美味しい……!タレの香りがまた食欲をそそって、いくらでも食べられちゃいそう!」
 彼女が太鼓判を押した、草鞋型に胡桃ダレが万遍無く塗られた五平餅。
 甘く香ばしい香りに、一口齧ってみれば外は甘じょっぱいタレの味と共にカリカリとした素晴らしい焼き加減、中は彼女が語る通りにふっくらふかふかだ。
 県下では名の知れた酒蔵を有する奥三河地域は、米作りは決して盛んと言える規模ではないが、全国有数の棚田を抱える地域でもある。
「こんな時じゃなければ、のんびりお茶を啜りながら堪能するのになぁ……。」
 もしも気が張っていなければ、地元の米で作られた五平餅の味をもっと楽しめただろうにと、シアニは嘆息する。
「五平餅メインな定食も気になり過ぎるし…また食べに来ようっと。」
 件の旅団とは場所が近い事も分かったのだ。無事に今回の事件が解決したら、ゆっくりと食事を堪能しに来ることも出来るであろう。それに。
(こんな状況だけど、アニエス先輩が日々楽しく過ごしてることを感じられて、顔が綻んじゃうな。) 
 シアニが見守っている天使の少女は、激変した環境の中でも日常を謳歌出来ているようだ。
 天使やAnkerを狙う時間が落ち着いたなら、アニエスの気晴らしと、この地域のグルメを堪能するために、一緒に食べ歩きをするのも良いかもしれない。
 そんな考えが竜人の少女に浮かぶほど穏やかな時が流れていた、その時であった。
「……っ!?」
 思わず、がたりと音を立てて。クラウスはカフェの椅子から立ち上がりかける。
(クラウス先輩!?どうしたの……!?)
 クラウスは自他ともに認める程、顔に表情が出ない性質であり。それは交友のあるシアニも知るところである。
 そんな彼が血相を変えるという姿は、彼女の記憶の中でもそう多くは無い筈だ。彼をそうさせる程の、尋常ならざる事態が起きたというのであろうか。
 現状でアニエスに気付かれていないこと、そして彼女が襲われた訳でないことを確認しつつ、ユアの念話を通してクラウスの様子を確認するシアニに。
「……あいつが来てる……!」
(秋沙が言っていた『嫌な気配』は、これか……!)
 胸を抑えながら、そして絞り出す様に。そう答えたのであった。

 クラウスの記憶から思い起こされるのは、港町を舞台にしたとある事件。
 幾十人もの犠牲者を出し、死者の皮を被って成り代わり。ご当地ヒーローの青年の心を完膚無きまでに圧し折ろうと企んだ、貌の無い簒奪者。
 ハッキングしたカメラの中の、その一台に映り込んだソレは。見られている事に気付いたとでもいうのであろうか。
 カメラを見詰め返し、太陽の様な笑みを浮かべると。

 ――久しぶりだな、クラウス。元気にしてたか?
 カメラ越しにでも解る様に、はっきりと。その口を動かしていた。

和紋・蜚廉

 ――道の駅の軒下、照葉の影に紛れた影一つ。
 この世に生を受けて幾星霜。幾度の掃討にも屈せず、耐え忍び磨き続けてきたその業は。
 天然自然とその気配を和合し、其処に在りながらも存在を悟らせぬ程の武の境地へと達している。
 生をこそ尊び誇りとする、この老練なる武人の名を|和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)と云う。
「……昼餉に炙り山女魚と洒落こむか。そう見せかけて、だ。」
 人化けした彼は、串に刺された山女魚の塩焼きを片手に、周囲の気配に溶け込むをより容易くする『擬殻布』を肩に懸け。屋台の近くに佇み、陣取った。
 居ながらにして道行く人々はその気配を察知せず。煙と香ばしさに紛れながら、『翅音板』を指先で弾き、人々の耳をそっと撹乱する。
 何処から来たか、何を楽しみに此処へ来たか。煙草は何処で吸えるのか。
 巷に溢れる旅客の他愛のない話の数々、入れ代わり立ち代わり訪れる車両のエンジン音。
 ――潜響骨を添えた聴覚は、足音や囁きを漏らさぬ。

 視線の先には、神秘金属の翼を背負った銀の髪の少女。
 蜚廉の所属する彼の部に保護されたという彼女は、聞けば突如としてその身に降りかかった災厄を生き延びたという。
 生地を離れるという環境の激変にも耐え忍び。健気にも、今日もまた朗らかな笑顔を振り撒いている。
「それが運や縁の加護に拠ろうとも。生き残る者こそ、真に強き者。」
 彼は一つ頷くと、屋根の上へとひと跳び。蟲の身は、風より静かに舞い忍ぶ。
 屋上より周囲を見渡せば、四方を囲む山並に、それを貫く一筋の川。
 流れに沿って下り来る地元の婆様らの世間話に、彼は耳を傾けながら笑みすら作る。
「……良き風土。ならば、護る値打ちもある。」
 炙り山女魚を串ごと齧り、腹も満ちたところで。彼の野生の勘に感ずるものがあった。
 それは、己が宿業に迷い悩む者が放つ様な物ではなく。
 戯れに人の道を弄び、歪め、嘲笑うを愉しむ悪鬼外道の邪なる気配。
 未だ姿を隠した気でいる奴輩に向け、彼は鳥の声に紛れて『翅音板』で威圧の波を走らせる。
「悪意の呼吸が、この緑を乱すなら――。」
 ――潜響骨は、不穏な靴音を逃さぬ。
 誰にも悟られぬ護衛が、此処に一つ。
 民衆に紛れ、天使に群がろうという怪しげな音の群れを。
 地を這う蜚蠊は既に捉えている。

深見・音夢
凶刃・瑶

「おおっと、これはまた中々にヘビィな案件っすね。」
「せっかく救出されて平和な日常を送れるようになったのに、難儀だよねぇ。」
 |深見・音夢《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)と|凶刃・瑶《きょうが・よう》(|似非常識人《マガイモノ》・h04373)は、他愛のない雑談や此度の事件について言葉を交わしながら。アニエスが先に歩いて行った緑の道を、二人並んで歩いている。
「ほーんと、こんな長閑な所でも暴れようとしてる奴がいるなんて!自然の尊さを分かってないね!」
 明るくギザ歯を見せる瑶と、全くっす、と同じように鮫を思わせる歯を見せて笑う音夢。
 彼女たちは共に件の部に所属している身ではあるが、アニエスとは時々顔を合わせる程度。特別に縁が深い、という訳ではない。しかし。
「ボクも自分のAnker……奏多殿が狙われたらって思ったら他人事じゃないっすから。ここは一肌脱ぐっすよ。」
「秋沙ちゃんも冬瑪くんも歯痒いだろうから、私も力になろうかな。」
 音夢はこの事件を我が事と捉え。瑶はいつものハイテンションな語り口は控え、星詠みであるが故に動けぬ友人二人に代わり。子猫の依頼を快諾したのである。

 さて、アニエスとは深い縁は無いとはいえ、|旅団《生物部》で顔を合わせたこともある二人だ。
 件の護衛対象の天使の少女は道の駅の中ですぐに見つかったが、彼女にバレてしまう訳にはいかない。
 顔見知りから姿を隠さねばならぬというのも不思議な話ではあるが、気付かれてしまえば星詠みの予知から外れてしまう恐れがあるためだ。
(友達の友達は……まぁ友達か?)
 瑶はそんなことを心中で呟きつつ。彼女に気付かれぬ様に気を配りながら、周囲の違和感を探る事にした。
 それにしても、だ。瑶の視界の隅に映る少女は、すっかりこの暮らしに馴染み、買い物を楽しむ普通の少女でしかない。
 当の本人は、なんて呑気なんだ。そう、苦笑して。少し羨むような目線を向ける。
「折角だから、荒事の前に腹ごしらえをしておきたいところっすね。あの席なんて、いいポジションでしょ?」
 その時の瑶の心の動きを知ってか知らずか。音夢の声が彼女の思考を中断させた。
 親指で示した先には、既に音夢が席を確保してくれていたのであろう、彼女の荷物が置いてある。
「あっ、音夢さん席を確保してくれてありがとーね!そうだよね!ついででね?」
 にこりと笑うと、音夢に確保して貰った席に着き。二人でメニューを覗き込んだ。
 その多くが、地元食材を使っている事をこれでもかという程に主張しているが……。
「こういう時は元気の出るお肉系で手早く食べられそうなものが良いっすけど……
あ、シカ肉のジビエ丼!
 これとか良さそうっすね。赤身の引き締まったお肉は大好きっす!」
 ジビエと言えば、この道の駅が特に力を入れているひと品だ。やはり、これを外すわけにはいかないだろうと、音夢は金の瞳を輝かせ。
「あっ、鹿もいいね!私はどうしようかな!五平餅に山菜、この時期は旬のアマゴは食べなきゃね?え、定食あるの?全部盛り?勿論それで!」
 空間に合わせて『擬態』するのは瑶の得意とするところだ。周囲の食堂利用者たちに溶け込む様に、自然な様子ではしゃいで見せる。
「全部盛りっすか!?それはまた思い切ったっすね、瑶殿。」
 旅団で会話をする仲ではあるが、仕事の最中とはいえ、二人でこうしてテーブルを挟むのも新鮮な心地だ。
 注文の品を待つ間に、改めてこの道の駅の事を調べてみれば、どうも日本酒も有名らしい。
 二人とも酒を嗜む身であるのだから、そちらを足掛かりにまた会話が弾む。
 勿論アニエスから意識を逸らすような事はないが、話に花が咲いているうちに、二人の注文の品が届くのであった。

「さあ、鹿が来たっすよー……って、すごい量っすね!頂きます!」
 ローストした鹿の身をふんだんに、乗せるだけ乗せたと言わんばかりの丼には音夢も目を丸くし。
 そういえば、件の旅団の団長はビオトープを荒らす鹿を目の敵にしていたな、などと思い起こしながらサシの見えない赤身を頬張れば。
 脂に満腹感を刺激される事も無く、幾らでも食べられてしまいそうだ。なるほど、高タンパク質低カロリーの食材として注目されるのも頷ける。
「待ってたよ、全部乗せ!ここの味覚、まとめて味わっちゃおうかな!」
 一方の瑶はと言えば、器から零れ落ちかける程に、これでもかと言わんばかりにアマゴの刺身やら山菜のかき揚げやらが盛られた定食、これを前に手を合わせ。
 その細身の体躯の何処に入ってゆくのであろうか、次から次へと平らげてゆく。
 サーモンピンクの身には川魚のくさみが無く、程よい甘みが実に醤油に合う。聞くところによれば、この刺身に使われているアマゴはマスとの掛け合わせた、地域ブランドのものだそうだ。
 二人とも地域の食材を堪能し、御馳走様と手を合わせて食事もひと段落したころ。
 無料で提供されているお茶を二人で飲み、ほっと一息ついたところで。
「このまま何事もなく平和に……とはいかないんすよね。星詠みっていうのはそういうものっすから。」
「そうだねー、なんだか背筋がぞわぞわするよ。秋沙ちゃんが言ってた、『嫌な気配』ってヤツかな?これ。」
 同意する瑶の言葉に頷き返し、音夢はさり気なく周囲に視線を走らせる。
 新たに入って来た客の中に、敵が紛れ込んでいるのであろうか。先ほどから、店内の空気が変わったように思うのだ。
(インビジブル……ではなさそうっすね。人型の何か、それも複数かな。ここで仕掛けてくるような事は無いと思いたいっすけど。)
 敵の正体までは分からないが、何れにせよ飛び出す必要は出て来るかもしれない。
 怪人と解剖士のコンビは何食わぬ顔で言葉を交わしながら、戦う準備を整えてゆく。

エアリィ・ウィンディア
シル・ウィンディア

「ということで、せっかくだから名物を食べよー♪」
「あら、美味しいそうなものが一杯…。へー、ジビエかぁ……。
 魚もおいしそうだし、何にしようかな?エアは何が食べたい?」
 微笑ましい、母娘の会話。娘は屋台や道の駅の食堂の看板を眺めて、あれがいい、でもこれもいい、と悩みに悩み。母はそんな娘の姿を穏やかな眼差しで見守っている。
 彼女たちもこの初夏の穏やかな陽射しに誘われて、この道の駅にドライブか何かで立ち寄ったのであろうか。
 いいや。分かる者にのみ分かる特徴……尖った耳が、彼女たちがこの√EDENの住人でない事を示している。
 エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)と、その母であるシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)。
 そう。エアリィは、今回の『Anker抹殺計画』阻止のためにこの地を訪れたのだ。
 実の母娘である二人であればこそ、その纏う空気と距離感は自然体そのもの。
「天使さんを人知れずに護るのかぁ……。となると、一般人のフリをするのが大切かな?
 よし、ここはお母さんと一緒にお出かけっ!」
 というエアリィの目論見は大いに成功しており、更に言えば今回の護衛対象であるアニエスとは面識もない。
 これならば、天使の少女に気付かれることは、先ずないであろう。
 一方で、母であるシルはエアリィが関わっている依頼の細かな内容を承知してはいないようではあるが。
(またお仕事がらみかな?)
 と、鋭い勘を働かせながらも、娘のお出かけの誘いに乗ったという経緯である。

 さて、話を食事に悩みに悩んでいる母娘の会話へと戻そう。
「ん-、なやましいよね。せっかくだから、ジビエの丼とか食べたいかも?
 お肉とご飯のコラボレーションってねっ♪」
「わたしは…。アマゴの塩焼きとか鮎もあればうれしいかな。
 あとは、のんびり五平餅とお茶でのんびりするよ。」
 漸くエアリィにも決心が付いたようで。親子連れ立って食堂へと入ってゆく。
(……悪意?今はまだ、仕掛ける気はなさそうだけど。)
 この時、店内に微かに立ち込める害意に違和感を覚えたシルが、素早く周囲に視線を走らせたが、そこは師と弟子の経験の差であろう。
「お母さん、ここ空いてるよー!」
 笑顔で手を振る娘の姿に、微苦笑を浮かべて確保された席に着くのであった。
 やがて、二人の前に注文通りに現れたジビエ丼と、揚げたアユを一匹まるっと乗せたダムカレー。
 更には五平餅と地域ブランドサーモンの刺身までがテーブルの上に並ぶことになった。
 やや淡白だけれども、鉄分もたんぱく質も豊富な鹿のローストに舌鼓を打っているエアリィであるが。
 隣の芝生は青く見えてくるものである。育ち盛りであれば、それはなおの事であろう。シルが口に運んだ刺身を、じっと見つめてから。
「お母さんのお魚もおいしそう……。ね、ちょっとだけちょうだい?」
 そんな娘の甘える声に、仕方ないわね、と。シルは笑いながら、刺身を多めに取り分けてやる。
 とはいえ、何を食べるか悩んでいる娘が欲しがると思い、最初からそのつもりで刺身も注文していたのだから、これも母の目論見通り。
 美味しそうにオレンジ色の身を食べる娘を、母は慈愛に満ちた笑みで見詰めているのであった。

 一通り食べ終えて、お茶で喉を潤してから川沿いの散策路を母娘連れ立って歩く。
 親子水入らずの時間ではあるが、娘の目的としては、これからの戦いで天使を守るための下見。
「んー、どこをどう見ていいかわからないなぁ……。」
 現場を構成する要素としては、道の駅とその駐車場を中心として、隣接する河川に伊那街道を改修した国道。四方を囲う山並に、古く小さな宿場町の名残である古民家の並び。
 エアリィからしてみれば、この町の何をどの様に利用して暗殺を仕掛けてくるのか、選択肢が多すぎる様に思えてくるのだ。
 むむむ、と幼い眉間に皺を寄せる彼女の思考を邪魔しないように、母であるシルは静かにせせらぎの音を堪能している。……と。
「お母さんなら、ここで特定の人を襲う場合、どんな風に仕掛けちゃう?」
 突如、小声で問い掛けられた娘からの言葉。思いも寄らぬ内容に、さしものシルも驚きはするが。柔らかな笑みを捨て、即座に師匠としての顔に切り替わる。
 周囲の地形や建物などの構成要素こそ多いが、敵の目的が『特定の人物を襲う事』であるならば、自ずと取るべき行動は絞られてくる。
「……人が多いなら紛れ込むかな?それか、すごく派手に仕掛けて混乱を起こしてから、目的を果たすために動く。
 そんな感じかな?しかし、いきなり物騒ね、エア……。」
 ふむふむ、と頷くエアリィは、改めて道の駅の施設を眺め始めた。
 店内の気配には気付けてはいなかったものの、彼女もまだまだ成長中の身。ヒントを与えれば、恐らくは最適解を導き出す事であろう。
 シルはそんな娘の成長を師として頼もしく思うと共に。
 店内でも感じた悪意ある者たちとの対決に挑むであろう娘の身を、母として密かに案じるのであった。

小明見・結
弓月・慎哉

「――長閑で、とても良い場所ですね。」
 |弓月・慎哉《ゆづき・しんや》(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)は、川の流れに隣接する道の駅に降り立つと。
 四方を囲む山並を見渡して、その感想を述べた。初夏の空には燕が忙しく舞い、遠くにはアカショウビンの鳴き声が微かに聞こえてくる。
 田舎ならではの穏やかな時の流れからは、とてもではないが、これからAnkerを暗殺しようなどという事件が起ころうとしているとは思えない。
「面識はないけれど……ヴィダルさん、羅紗の魔術塔から逃れるために日本に来て、そこでもまた命を狙われるなんてあんまりだわ。
 突然天使になってしまって、きっと大変でしょうに……。」
 一方で、|小明見・結《こあすみ・ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)は、件の事件で命を狙われることになってしまった少女の身を案じ、その境遇にも深い溜息をついている。
 所謂『天使化事変』に於いて、彼女は突如として複数体の|成り損ないの天使《オルガノン・セラフィム》に襲われ、あわや命を落とすところであった。
 現場に駆け付けた√能力者によって事なきを得たが、彼女は生まれた故郷、更には世界まで離れる事を余儀なくされたのである。
 そうしてやっと落ち着いたであろうところで、今回の事件だ。
「√は違えど、事件で大変な思いをして、今は穏やかに暮らしている少女の平穏を護ることも仕事のひとつです。最善を尽くしましょう。」
 |警視庁異能捜査官《カミガリ》の青年の穏やかな言葉に、結もまた深く頷いて。
「ええ。今までとは違うかもしれないけれど、日本での新しい日常くらい平穏に過ごしてもらいたいわね。」
 穏やかな日常の尊さを知る魔術師は、物静かな眼差しで事件の現場となってしまうであろう、道の駅とその周囲を見渡すのであった。

 さて。アニエスは天使に変異した際に、セレスティアルの様な大きな翼を背負う事になった。
 その特徴的な姿を目印にすれば、見付けるのは|異能捜査官《カミガリ》である慎哉にしてみれば造作の無い事だ。
 件の少女は道の駅での買い物を終えたようで、少し膨らんだ羊のトートバックを振り振り、自動ドアを潜って、丁度外に出たところである。
 今現在は護衛の目が光っている事にも気付いていないのであろう。その足取りは軽く、自身が狙われているとは微塵も思っていない様に見える。
「敵の位置を捕捉しておきたいですね。」
「ええ、彼女や彼女の周りを観察しておきましょう。それに……。」
 それに?と首を傾げ、先を促す慎哉に。
「個人的な興味として、彼女の人柄とかそういう部分も知っておきたいから。」
 折角ならば、護るという縁が出来た少女の事も知っておきたいと、結は微笑むのであった。

 二人がアニエスを見守る拠点に選んだのは、伊那街道に面する古民家を改装したカフェ。
 アニエスと面識がない二人であれば、オープンテラスとなっている此処の近くを通ったとしても、怪しまれる心配は先ず無いと言ってもよいであろう。
 しかし、サイコブレイドや他の怪しい気配に気取られないよう、表立った行動は控えなくてはならない。
 ならば、と慎哉はその√能力を発動する。
 小さな声で『ヨヒラ』、ぼそりと呟くと。彼のポケットから青い布のパッチワークのテディベアが顔を覗かせた。
「あら、可愛いわね。」
 彼に倣う様に、結も小声ではあるが彼らの姿への感想を呟く。
 ポケットから顔を覗かせたヨヒラに続いて、慎哉の【サーヴァント・ベア】によって呼び出された、20cmほどの色も素材も様々で可愛らしいテディベアが次から次へと現れて。その数は30匹ほどにまでなっていた。
 この小さなテディベアたちなら、最初から『居る』と思って見ていなければ、警戒する事は難しいだろう。
「よろしくお願いしますね。」
 その声に、ヨヒラたちは可愛らしく、ぴしっと敬礼して。三々五々に散っていく。

「では、仕掛けも出来ましたし、私たちも何か頼みましょうか。僕は……ジビエサンドにしましょうか。」
「そうね、私は五平餅とお茶を頂きましょうか。からすみ、は初めて聞くわね。魚卵ではなくて、お菓子なの?食べたことないし、そっちもそっちで気になるのよね。」
 アニエスの動向を見守りながら、オープンカフェでそれぞれに頼んだ軽食とお菓子を口に運ぶ。
 店の人に聞くところによれば、『からすみ』は岐阜県の東濃地方、長野県木曽郡と伊那郡、そして奥三河付近で見られる郷土菓子であるという。
 その謂れは不明であるが、形は富士山の様な三角に近い形であるが、菓子のういろうの様に甘くもちもちとした食感に、結は思わず『美味しい』と目を細めた。
 その間にも、アニエスは道行く老婆にぺこりと頭を下げて、朗らかな笑顔で世間話に興じている。
 彼女は地域の人にも可愛がられ、馴染み始めているように見えた。日本語にも慣れておらず、田舎の人間たちに外国人である彼女が受け入れられるまでは、それなりの苦労もあったであろう。
 慎哉はサンドウィッチをもぐりと頬張り、その口元をハンカチで拭った。
「深い味わいでとても美味しいです。……これで、不埒者たちの動きが無ければ、もっと楽しめるのでしょうけれど。」
 そう。不自然にならない様に、お菓子を楽しみながら警戒している結の目にも。
 そして、ヨヒラたちから慎哉に逐次齎される情報からも。
 怪しげな人影が少女の周囲をうろつき、着けているのは、明らかであった。
「あまり、争いたくはないのだけれども、ね……。」
 戦いを好まない結の溜息が、静かな田舎町へと溶けてゆく。

星宮・レオナ
箒星・仄々

 翡翠色の瞳をした黒猫が、伊那街道の名残を残す町並みを歩く少女を見守っている。
 誰かの飼い猫であろうか。いいや、その首に誰かの所有物である事を示す首輪は無く。
 その猫がただの猫でない事は、『美味しいです♪』と古民家カフェで優雅にジビエサンドを口に運び、紅茶を飲んでいる事からも窺える。
「アニエスさん、お元気そうで良かったです。前向いて人生を歩んでおられるようで嬉しいです♪」
 彼の名は|箒星・仄々《ほうきぼし・ほのぼの》(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)。
 黒猫の獣人である彼は、南仏での『天使化事変』に際して、アニエスを救い出した√能力者の一人である。
(予兆で、サイコブレイドさんにも事情があることは把握しています。お可哀想に。
 人質さんを解放する術が判ると良いのですが……。けれど今は、アニエスさんの警護に集中しなければなりませんね。)
 サイコブレイドが引き起こしている、『Anker抹殺計画』。どうやら彼は『外星体同盟』なる団体にAnkerを人質に取られているという。
 これを阻止し続け、彼の目論見を妨害し続ければ、その内に何らかの糸口も見つかる事であろう。

(大食いだから量が多くなっちゃうけど、目立たないよね?)
 そして、もう一人。道の駅で購入したアマゴやチキンカツのサンドウィッチを詰めた袋を小脇に抱え。
 変装のために帽子と伊達眼鏡を被り、五平餅にかぶりつきながら目立たぬように天使の少女を追跡し、見守っている者がいる。
「瀬堀さんや旅団の団長さんとは別の旅団で一緒だし、旅団の方にも遊びに行ったりするから、協力しない理由は無いよね。」
 |星宮《ほしみや》・レオナ(復讐の隼・h01547)は、今回の事件を詠んだ者たちに縁を持つ√能力者だ。
 今回の事件に対処するにあたり、仄々とレオナは既に連携して動いている。
 この地に何度も遊びに来ているレオナは、道の駅やこの周辺の地理には明るい。この辺りの道を知るからこそ、サイコブレイドなどの敵が襲撃しやすいであろうポイントは、大まかにでも絞る事が出来るのだ。
 それに加え、アニエスと仄々は縁が深いため、彼はあまり表立って歩けない。それを踏まえて、レオナは足を使う役を買って出た訳である。
 とはいえ、彼女も旅団には遊びに行った際にアニエスに見られた事もある可能性も否定できないために、念には念を入れてこの様に変装している訳であるが。
 それに、彼女には√能力【|召喚《サモン》・ロックビースト】にて呼び出した、空からの目もある。
 時折彼女が覗き込んでいる腕時計……本来は彼女が変身するためのデバイスであるマグナドライバーには、上空からの映像が映し出されている。
 そう、隼型のロックビーストが空を舞い、怪しい影が無いかと監視しながらアニエスの後を追跡しているのだ。
 凡そ10㎝ほどの大きさのロックビーストであれば、相当に意識して上空を警戒しない限り、発見は難しいであろう。

 空と、レオナ自身の目に加え。仄々もまた、別のアプローチから監視の目を増やしていた。
 事前に交渉しておいたスズメやツバメたちは監視の戦力になるかは非常に怪しいが。
 彼が翡翠色の|手風琴《アコーディオン》を奏でる事で発動する【|もしもし哀歌《アロー・レクイエム》】で事前に呼び出した、この地に漂うインビジブル。
 生前の姿を取り戻したおじいさんは、『それはえらい事だ!』と仄々に協力を約束し、天使の少女を見守っている。
(私たちが一度は救い出した方です。何としてでも守り抜きましょう。)
 それに、仄々の気がかりはそれだけではない。
 星詠みが感じたという嫌な気配。どうにも、仄々の髭にも、先程からちりちりと伝わってくるのだ。
 くるり、くるりと猫の目が辺りを確認するが、どうにもわからない。
 ただ、記憶の片隅に残る凄惨な事件。ご当地ヒーローの青年の心を再起不能寸前にまで追い込んだ、青年の幼馴染の皮を被った悪魔の存在が脳裏を過った。

 一方のレオナは、空から監視の目に引っ掛かる者たちを見付けていた。
 一般の旅客を装ってはいるが、アニエスが道の駅を出て以来、彼女との距離を一定に保っている。
 そう、彼女が近所のおばあさんと世間話をしている時にも、それは変わらなかったのだ。
 同じように足を使った追跡をしている√能力者の話も聞いていないし、怪しい事この上ない。
(うまくいけば、先手を取れるかな?)
 隼は、天使の少女の保護を確実なものとするべく思案を巡らせて行く。

 ――ふふっ!あはははっ!私を憐れんだ猫さんまでいるなんてっ!今日はとってもいい日だねっ!
 ――ああ、あの情けない王権執行者に付いてきてよかったっ!もう、我慢できない。横取りしちゃおーっと!
 ――町に放ったユニットは、演技指導は微妙だけど楽しんでもらえるかなっ!ああ、楽しみっ!

ライラ・カメリア

 この事件に際して、非常に強い思いを抱いて臨んでいる者がいる。
 ライラ・カメリア(白椿・h06574)は、『天使化事変』においてアニエスが天使となり、|成り損ないの天使《オルガノン・セラフィム》たちに襲われているところを救い出した√能力者のひとりである。
 以来、アニエスはライラに憧れ、日本に来てからは件の旅団にも所属しているライラを頼りにし、『お姉さま』とも呼び慕っている。
 そしてライラもまた、アニエスが日本に来てからどれだけ努力をして、涙を堪えてきたかも知っている。
「アニエスさんは、今はわたしにとって妹のように大切なお嬢さまよ。」
 そう言って憚らないほどの絆で結ばれているのだが。その彼女が狙われていると知った彼女の胸中の不安は如何ばかりか。
(……嫌な予感はしていたの。)
 天使は疑似的な√能力が使えるとはいえ、今はAnkerとして、その存在が成り立っている。
 そして、Ankerであればこそ、今回の『Anker抹殺計画』に巻き込まれることも充分に考えられた。その嫌な予感が、現実のものとなってしまった。
「わたしの総てを以て、阻止しなくては。」
 空色の瞳に、強い決意を込めて。セレスティアルの『守護者』が現場へと向かう。

(――アニエスさんは無邪気で可愛らしい方だから、わたしが居たらきっとこちらに来てくれるでしょう。)
 『お姉さま』を見れば、天使の少女は愛くるしい笑みを浮かべ、一目散に駆けて来るであろう事は疑いのない事だ。
 そして普段のライラであれば、それを笑顔で受け入れる事であろう。
 然し、今は状況がそれを許してはくれない。
 予知の事もあり、アニエスが予知と異なる行動を取れば、彼女を狙う者たちの行動もまた読めなくなってしまうためだ。
 ――心が苦しい。すぐにでも傍に行って、護ってあげたい。が。
「見つからないように、隠れていなくてはね。」
 己に言い聞かせる様に、呟いて。彼女は伊那街道沿いの古民家カフェから、アニエスの道行きを見守る事にした。

 ライラの視界の中のアニエスは、行きつけの小さな八百屋さんと朗らかに言葉を交わして、羊のトートバッグをぱんぱんに膨らませて、旅団に戻ろうと踵を返す所であった。
 きっと、旅団に帰ったら、ライラや皆との食事のために、早速腕を奮おうと考えているのであろう。
 あの子の事だ、皆の笑顔のために、精一杯に料理をしてくれる事であろう。
 そんな天使の少女の姿を思い浮かべ、微笑みを浮かべそうになる。しかし。
 ――『暗殺』
 その言葉が齎す結果を思えば、手に取ったカップの水面が、不規則に細波立ってくる。
 ――食べ物が、何も喉を通らない。
 此処まで不安を覚えるのは、何時ぶりであろうか。
 これではいけない、と。ライラは頭を振る。
(わたしにできることは、彼女がこれ以上心に重荷を背負わないようにすること。)
 このような心の状態では、大切な時に判断を違えてしまうかもしれない。

 ライラは四方を囲う山々の美しい緑と、空を思い浮かべて祈る。
 ――わたしが身代わりになったとしても、どうか彼女を奪わないで――と。

第2章 集団戦 『戦闘員』


「お前の配下を出すとは、話が違うではないか!俺は言ったぞ、手を出すな、と!」
「あっははっ!だって、仕方ないじゃん!私に縁のある人たちが来てくれたんだよっ?
 おもてなししてあげたくなるのが、人情ってものじゃない?」
 3つの緑の瞳に怒気を漲らせ、声を荒げるサイコブレイドに。ソレは何食わぬ顔で、へらりと笑って応えた。
 ソレは大して悪びれもせず、悪意も隠さずに朗らかな声で、大仰に両手を広げて見せる。
「まあ、見ててよっ!私の|戦闘員《げきだんいん》が、サイッコーの笑顔を引き出す下準備をしてあげるからさっ!」

 ――伊那街道の古民家の並びと、道の駅を挟む信号。
 買い物を終え、パンパンに膨らんだ羊のトートバッグを抱えて、天使の少女アニエスは信号が青に変わるのを待っていた。
「帰ったら、色々な粕漬を試してみよう。ふふ、美味しく仕上がったら、みんな喜んでくれるかしら。楽しみなのだわ。」
 食卓の皆の顔を思い浮かべれば、自然と笑顔も浮かんでくるというもの。
 ああ、早く信号が変わらないかしら、と。待ち遠しく思っていると。
 同じように信号待ちだろうか。ぞろぞろ、ぞろりと。人が集まってくる。
(此方側には、あまり人が来ないのに。イベントもやっていないのに、今日はやけに人が多いのだわ?)
 そう思い、ふと、信号の向こうを見てみれば。
「|Quoi《どうして》……?」
 思わず、アニエスは重たいトートバッグを取り落としかけた。
「Papa?Maman……?」
 ――道の駅側の歩道に。故郷にいる筈の、両親の姿を見てしまったのだから。

「私は出る気が無かったから、|戦闘員《げきだんいん》たちの演技指導も中途半端だけどねっ!
 時間があればこないだみたいに、もう少し大掛かりにやれたんだけどなーっ!残念っ!ちぇーっ!
 さー、私の√能力で読み取った、知り合いの顔も混ざってると思うしねっ!
 何より、天使ちゃんの目の前で、あの子のパパやママの顔は殺しにくいんじゃないかなー?戦えるかなー?あっは!」
 Ankerを人質に取られ、思う様に動けぬ王権執行者の矜持をも踏み躙り。
 √能力者たちが死して、蘇ったとしても消えぬ|心に傷《トラウマ》を刻み込むべく。貌無しの悪魔が、陰で嗤う。

※Caution!
・分岐の条件を満たしたため、敵が『戦闘員』となりました。アニエスを守りながら、戦闘員を蹴散らしてください。
・皆様ひとりにつき、3人の戦闘員を倒すものとお考え下さい。
・戦闘員は『変装の達人』で固められており、プレイング中にご指定を頂き、問題が無いと判断すれば『その存在の顔』として描写いたします。
 ご指定が無ければ、『見た事がある気がする顔』として描写いたします。
(ただし、戦闘員たちの変装は不完全のため、声や性格まではコピーできていません。)
クラウス・イーザリー
ライラ・カメリア

「アニエスっ!」
「アニエスさん!」
 此処にいる筈の無い両親の姿を目の当たりにし。呆けて、周囲に現れた|戦闘員《げきだんいん》の攻撃を避けようとする事さえ出来なかった天使の少女、アニエスの心を。
 鋭く、しかし聞き覚えのある二つの声が現実へと引き戻す。
「あ……。クラウス、さん……?」
 彼女が我に返った時には、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が黒い外套を靡かせて、アニエスと彼女の両親の姿を模した戦闘員たちの間に割り込み。
 光り輝く|神聖竜《ホーリー・ホワイト・ドラゴン》の体が天使の少女を守るという願いを叶え、消えていくところであった。
 不意の一撃を阻止され、クラウスに銃口を向けて牽制されれば、敵は間合いを計る様にじりじりと後退ってゆく。
「説明している時間が無くてすまない。絶対に守るから、暫く我慢してほしい。」
 まだ、混乱の色は濃く、動揺も治まってはいないようではあるが。命の恩人であるクラウスの言葉に、アニエスが頷かぬはずがない。
 そして、未だ青褪め、小さく震えている天使の両肩に、暖かな白い指先が置かれた。
「アニエスさん!どうしたの?あの方たちはお知り合い?」
 次いで駆け付け、自身の顔を覗き込む姿に。天使の少女の空色の瞳の焦点が、次第に合ってゆく。
「……お姉さま……?……ええ、ええ、あれは、私の……」
 ライラ・カメリア(白椿・h06574)の姿を認めると。
 アニエスは混乱の元である、横断歩道の向こうの人影を見遣る。
 次に息を呑み、はっと目を瞠るのは。
「……|かほちゃん《Anker》……?」
 その視線を追い、1人だけ自分の知っている顔を見つけたライラの番であった。
 |櫻井《さくらい》・かほり。ライラのピアノの先生であり、彼女のAnkerでもある大切な存在。
 どうして、と動く小さな唇。天使の少女に置かれた手に、じんわりと、微かに汗が滲む。心臓はまるで、早鐘を打つかのようだ。
 世界的に活躍するピアニストである彼女が、それも√ドラゴンファンタジーの住人である彼女が、ここにいる筈などないのに。
 しかし、それでも。ここにいる筈のない人だとわかっていても、視覚がライラの心を掻き乱す。

 一方で、このやり口をよくよく知っているクラウスは、外套を翻し、ライラとアニエスから視界を遮る様に立ち塞がる。
(……あいつがいるなら、絶対に彼女や俺達の心を傷付けるようなことをする筈だ。)
 ソレは、先程も己の存在を誇示するように、カメラに向けて笑って見せたのだ。
 それも、√ウォーゾーンで命を落とした|翼《しんゆう》の姿で。
(自分は慣れてるから構わないけど、アニエスとライラの心が傷付くのは嫌だ。)
 慣れていても、ちくりと心は痛む。それでも。
「……あいつらは偽物だ。何が見えても、惑わされないで。」
 その手口を知っている己がこの場で最も冷静であろうと、歴戦の傭兵が背後の二人に声を掛ける。
「……随分と悪趣味ね。」
 かほりの姿を遮り、思考を切り替える時間をくれた友人の言葉に、ライラの動揺も小さなものとなり。更にはその意味と敵の思惑を理解して、苦々しい表情を浮かべた。
 そして、彼女も√能力者。己の動揺を押し殺し、そっと天使にだけ聞こえるよう囁く。
「あちらに見える中に、ご両親の顔があったのね?」
 『姉』の言葉に、アニエスはこくりと小さく頷く。まだ、声も出せないようで。震える腕で、抱えたトートバッグをぎゅぅっと強く抱きしめている。
「ねえ、アニエスさん。あなたのパパとママは、わたしを攻撃するような方たち?」
 ライラが小さく問うた言葉に、アニエスはふるふると首を左右に振った。
「――そうよね、違うわよね。そうしたら、見ていてくれるかしら。」
 妹分が小さく頷くのを確認すると。セレスティアルの少女は、『いい子ね』と微笑んで。柔らかくその両手を天使の肩から離すのであった。

「ライラ!?待て、あいつらは……!」
 クラウスの静止も意に介さず。あろう事か|かほり《Anker》の姿に感動したように、ライラは目元を潤ませて、彼女に駆け寄ってゆく。
 たたた、と駆け寄ってくるセレスティアルの姿に、|かほり《劇団員》はにんまりと口角を上げた。
「こんなところで逢えるだなんて奇遇ね!わたし──」
 |獲物《小鳥》がわざわざ飛び込んで来たのだ、これがどうして嗤わずにいられようか。
 白い椿を手折ろうと舌なめずりし。後ろ手に隠したナイフを閃かせ――

「――侮ったわね?」

 『|殺《と》った』、と。歪んだ笑みを浮かべた戦闘員を、聖剣の白の閃きが逆袈裟に断ち斬った。
 ――【révélation】
 敵の攻撃から3秒以内に反撃すれば、ダメージ等の効果を全回復するという√能力である。
 ライラは実に、役者であった。わざと前に進み出て近付いた彼女に、まんまと攻撃を引き出されたのは戦闘員。
 その証拠に、与えられたのはかすり傷とも言えぬ程の傷。これではライラの純白のドレスを赤で穢す事も出来やしない。
 今や、眦はきっ、と吊り上がり。普段の明るさからは想像もつかぬ程の凍る様な眼差しで、膝を突いた|敵《かほり》を見下ろしている。
「かほちゃんの優雅な仕草は、一朝一夕で身に着くものではないわ。
 大切な人の振りをしようだなんて甘いのよ。」
 そう言い放つと、真一文字に剣を振り抜き。|師《Anker》の姿を汚し、妹分を傷付けた不埒者の首が。ころりと地に墜ちた。

 変装を得手とする敵の姿は、やはり|翼《親友》の顔に見えるし、アニエスとライラのやり取りからも、故郷を離れる際に挨拶も出来ずに離れ離れとなった両親の顔もあるのだろうと、クラウスにも察しがついた。
「……相変わらず、汚いやり口だ。」
 彼は吐き捨てる様に口にすると、前線に斬り込み、丁度一人を斬って捨てたところであるライラを支援するべく愛銃から【紫電の弾丸】を放つ。
 感電による範囲攻撃を可能とするこの√能力は、味方には『帯電』の戦闘力強化を与えるという追加効果を持っている。
 この攻勢に慌てた戦闘員たちは急ぎ仲間を招集するが、その怪人たちの総勢、72名。変装をする時間も無かったのであろうか、スーツに身を包んだだけの者もいるが、古来より、戦いを決するのは数の力である事が殆どだ。
 この倣いに従って、クラウスとライラも数の暴力に磨り潰されてしまうのであろうか。――いいや。
「この数だぞ!?こいつら、なんで怯えないんだ!!」
 思わず、怪人の一人が悲鳴を上げた。怯むどころか、攻撃は激しさを増すばかり。
 ライラがドレスを翻してステップを踏めば一人が斃れ、クラウスが紫弾を放てば範囲に巻き込まれた戦闘員たちが『ぎゃっ』と短く悲鳴を上げて感電し、動かなくなる。
 戦闘員の数の暴力にも弱点はある。反応速度が半減するのだ。これでは状況の変化に対応できないし、咄嗟に二人の攻撃を躱そうにも間に合わない。
 更に、鉄火場を共に乗り越えてきた二人に、言葉は要らない。
 戦乙女の名を冠する聖剣が巻き起こす剣風の中、漲る雷の力に『ありがとう』とライラがアイコンタクトを送れば、クラウスも無言で頷き返し。
 その勢いのまま、がしゃりと愛銃を『火炎弾発射形態』へと変形させる。
 照星の中にはライラに斬り裂かれ、たたらを踏む|翼《にせもの》の姿。銃爪を引く指先に、最早躊躇いは無い。
 彼が本物ならば。仲間たちの太陽であった親友が。この様な陰湿な手を打つ筈がないのだから――!
 √能力【フレイムガンナー】による火炎弾の直撃を受けた戦闘員は、断末魔を遺して火達磨となり、そのまま炭と化して動かなくなった。
 例え別物でも。彼女にとっては無関係の者であったとしても。ましてや両親の顔で苦しみ死にゆく様など、一般人にほど近い感性を持つ少女に見せられようものか。
 破れかぶれに突進してくる戦闘員を光刃剣の居合で斬り捨てれば、この二人の実力を思い知った戦闘員たちは、容易にはアニエスに近付けまい。
「さあ、次にお相手して下さるのはどなた?」
 積み上げられた屍の山で、凛々しく微笑むライラからの|踊り《ダンス》の誘い。
 これに名乗りを上げる者は、一人として居なかった。

小明見・結
ヴェルタ・ヴルヴァール

 異変を敏感に嗅ぎ取ったのは、先に放っておいた|血濡れの猟犬《ブラッドハウンド》。
 どうも、アニエスを尾行している複数の気配を察知したようだ。
「ありがとう。お陰で余裕を持って動ける。」
 状況を知らせた使い魔の頭を優しく撫でてから、美味しかった焼き魚の串をゴミ箱に放り込み。白狼の団長、ヴェルタ・ヴルヴァール(月の加護授かりし狼・h03819)がその腰を上げた。
 アニエスは彼女の姿に気付かずに、伊那街道方面の信号を渡っていったところだ。
「絶対、守るからな。」

 そして、時は今。見知った√能力者たちが先陣を切る中、天使の少女に掛けられたのは。
 聞き覚えのある、優しく落ち着き払った声。
「アニエス、奇遇だな。」
 まるで、散歩の途中に出会ったかの様な気配に、天使の少女は自分が何者かに襲われている事すら忘れかけた。
「ヴェルタさん……?どうしてここに……?」
 冷静になれば、一度星詠みの予知によって命を救われている彼女である。『自分が再び狙われ、予知の対象となっていた』という事にも気付くであろうが、今のアニエスにその心の余裕は無い。
「ああ、旅団に遊びに行って、ついでに道の駅に立ち寄ったら君の姿が見えた、という訳だ。どうやら取り込み中、かな?」
 『何もされていないな』と金の瞳で天使の体に一切の傷がない事を確認してから、辺りを見回してみれば。
 既に十や二十では済まない数の戦闘員の屍が転がっているが。それでもなお、何処に隠れていたのかもわからないほどの戦闘員の群れが湧き出している。
 先の√能力者たちの気迫に気圧されはしたが、ここで戦わねば後で上の者にどの様な目に遭わされるかわかったものではない、といったところであろう。
 様子を窺っていた|戦闘員《げきだんいん》たちが、勇気を振り絞り、襲い掛かろうとしたところで。
 ごう、と。彼らを遮る様に風の障壁……竜巻が吹き荒れた。
 不意に現れた暴風に巻き込まれた戦闘員たちが、哀れにも木っ端の様に巻き上げられ。受け身も取れず、無様な姿で墜ちてゆく。
「大切な人の姿を使うなんて、許せないわね。」
 竜巻を引き起こした精霊たちの主、|小明見《こあすみ》・|結《ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)は。その内心の怒りを滲ませて呟いた。
 彼女が数多の√世界を渡る理由の一つに、行方不明となった幼馴染、|踊瀬《おどりせ》・|美羽《みう》を探すという目的がある。
 僅かに見えた敵の中に、その探し求めている姿を認めたためだ。
 自身の親友を冒涜するような手合いであるからには、この現場に立つ√能力者たちの心をも同じように弄んでいる事であろう。
 そのあまりの趣味の悪さに、話し合いで解決する事を良しとする結ですら嫌悪感を隠さない。
「あの姿は、私のパパと、ママ、なのだわ。でも、みんな違うって……。」
「ああ、匂いが違う。アニエスと、何もつながりのあるにおいがしない。あれは敵だ。」
 ヴェルタはその嗅覚から力強く断言した。
 戦闘員の変装は不完全だ。声も違えば、性格のトレースも出来ていない。まして、『におい』などという要素は一切考慮していなかったであろう。
 そんな白狼の背中に、精霊術について記された魔導書を手にした結が声を掛けた。
「ヴルヴァールさん、だったかしら。少しお願いがあるのだけれども、いいかしら?」
 ヴェルタは、結が持つ魔導書を興味を示しながら、『なんだ?』と首を傾げ。穏やかに続きを促すと。
「敵は、大切な友達と顔が同じだけ、つまりは他人の空似。それは分かっているの。
 だったら戦うのにも迷ったりする必要なんてない。」
 胸の前でぎゅっと手を握る。いざ戦うとなれば、声も、性格も、全くの偽物であったとしても。
 大切に思うその顔が傷付き、斃れ行く姿を見なくてはならない。
「とはいえ、あんまり気持ちのいいものではないから……戦う相手を、入れ替わってくれないかしら。」
 死に様の顔を脳裏に刻み込み、√能力者が死に戻ろうとも残る傷を与える事。敵の狙いはそれも含めてのものなのだから、実に悪趣味な策略だ。
 しかし、入れ替わる事でその傷をお互いに軽減することが出来る。聡明な結らしい提案と言えるだろう。
「大切な幼馴染が攻撃されて何も感じないわけじゃないけれど、自分で戦うよりはまだ、マシだから。」
「そうか……そうだな。よし、任せてくれ。私としても、知った顔を相手にするよりかは気が楽だ。」
 その意図を理解したヴェルタと、敵に悟られぬよう目配せし合うと。
 くるりとその場を入れ替わり。それぞれの敵に向けて、二人は魔術を編み始めた。

「戦いたくなんてないけれど、皆を守るためなら迷ってなんかいられない。」
 いる筈の無い|美羽《しんゆう》の姿を見て、驚きはした。
 もしもあの姿が本物であったならば、どれだけよかったであろうか。
 しかし、その憂う心を。喜ぶ心を全て利用して、踏み壊して悦ぶのがこの敵たちであると知ったからには。迷う訳にも、躊躇う訳にもいかない。
 此処で斃さねば、この|戦闘員《げきだんいん》たちは更に多くの者たちの人生を悪戯に弄び、破滅する姿を見て嗤うのであろうから。
 【特攻モード】と呼ばれる状態に入った事を示す危険な蛍光色に発光し、4倍もの速度を得て突進してくる戦闘員を前に、結は刹那の間、逡巡する。
(偽物とはいえ両親の姿が見えているんじゃ、避難の足も止まってしまう。ヴィダルさんの心も傷付けてしまうかもしれない。)
 ――だったら、竜巻で相手の姿を隠しましょう。
 方針を心に決めたのならば、後は早い。
「みんな、お願い……!」
 若葉色の風の精霊たちが結の声に応えて、再び竜巻を巻き起こす。
 守りを捨てたこの状態では、結の√能力【大鎌鼬】による範囲攻撃を防ぐことはおろか、竜巻に巻き上げられ、切り刻まれるのみ。
 ヴェルタにとっての『大切なひと』の姿をした屍は、共に戦うヴェルタの目に映る事も無く。風に浚われて、消えた。

「援軍か、タチが悪い。」 
 穏やかな口ぶりから一転、敵の群れに向き直れば。ガルルルと唸りを上げて、敵に殺気を飛ばす。
 結の親友である美羽の顔と、彼女の友人だろうか。それを模した戦闘員たちは、新たに36人もの戦闘員を招集した。
 √能力者たちによって斃されども斃されども未だに湧き出してくる戦闘員たちに、思わずヴェルタも嘆息するが。
「結のお陰で、風の精霊が集まっているな。なら、此方にも力を貸しておくれ。」
 瞑想して唱えるは、風の精霊に助力を求める古代語魔法。結の巻き起こした竜巻を中心に集まった精霊たちが、ヴェルタの周囲でも踊り始める。
「『我乞い願うは空.切り裂く疾風の如くに』……さあ、これは痛いぞ。」
 ――【|風霊の嘆き《シルフィード・リィンフォースメント》】
 風の魔法で身体を強化するこの√能力は、己の体に自傷ダメージを加える事で即時の再行動を可能とする効果を持つ。
「私はあいつと戦わなきゃいけないのよ!そこをどきなさい!」
 そう、幾ら美羽の顔をしていようと、ヴェルタにとっては顔も知らぬ赤の他人だ。|戦闘員《げきだんいん》からしてみれば、このままでは心に傷を負わせるという本懐が遂げられないのである。
「なぜ、私がお前の言う事を聞かなければならないんだ?」
 放つは風の精霊の力を借りた風の刃。全力魔法を制御して吹き荒れれば、招集された戦闘員たちが細切れの肉片となって崩れ落ち、討ち漏らしは彼女の操る自立型戦闘用魔動装置の魔力弾が撃ち抜いてゆく。
「ひっ!?」
 風の壁を突き破って肉薄する白狼の姿に、生き残った内の1人が息を呑めば、短剣がその心の臓を正面から貫き。
(風刃で顔に傷がつこうが……気にするものか。)
 目から光を喪った死体に乱暴に蹴りを入れ、刃を引き抜くと。
 ――ごぉう。構えた得物を中心に、猛々しく風が吠える。
 自らをも傷付ける風を意にも介さず、その短剣の刀身は二倍もの刃渡りとなり。
「お前たちに、アニエスも結も傷付けさせるものか。」
 流れる様に、残る一人も斬って捨てた。

「大丈夫か、アニエス、怪我はないか?」
 こくりと頷くアニエスに微笑みを向け、まだまだ雲霞の如く湧いて出る戦闘員たちの姿を認めると、ぴっと血振いをしてから短剣を構え直し。
「美羽……いいえ、敵のこと。ありがとう、ヴルヴァールさん。」
 結が並び立てば、白い狼の尾をぴるり、と振った。
「結も無事か、よかった。……どうやら、随分と良くない者が来ているみたいだな。」
「ええ、こんな指示を出している存在がまだいるのよね。油断はできないみたい。」
 悪趣味と強い悪意を肌に感じながら。
 二人の魔術師は敵への警戒を新たにする。

八木橋・藍依
深見・音夢

 ――さて。大切な存在の姿に変装して攻め寄せるという、あまりに陰湿な手を用いている|戦闘員《げきだんいん》たちであるが。
 未だ姿を見せぬソレが言っていた通り、演技指導も中途半端であり、その人物の素性や背景、詳細な内面を写し取るまでには至っていない。
 中には手違いにより、致命的なミスを犯す者たちも出てくる。
「はて、ボクの見間違いっすかね。なんかこう、推しでAnkerな奏多殿が3人ほど向かってくるんすけど。」
 |星見天・奏多《ほしみそら・かなた》は|深見・音夢《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)が推しに推しているバーチャルアイドルである。
 その存在は音夢にとっての活力の源であり、生き甲斐であると言ってもよい。
 春には推し活の一環として、奏多の衣装を模した服に袖を通した程に、推しへの愛は深いものである。
「普通なら撃つのを躊躇うところなんでしょうけど、一つ重大な見落としがあるっすね。」
 そんな音夢が、はぁ、とこれ見よがしに大きく嘆息する。推しに囲まれて、何を不満に思う事があるのであろうか。
 『見落とし?』と首を傾げる推したちに。音夢は金の瞳をかっと見開いて。
「……画面の向こう側から出てきてくれない相手が、一度に複数押しかけてきたら偽物だってバレバレじゃないっすかぁ!」
 それはそうとしか言いようがない。上司の思い付きに振り回された結果、この様に同じ顔が3人、という何ともお粗末な事態も起こってしまっている。
 相手を戸惑わせる事が出来、その死に様の顔を敵対者の脳裏に刻み込むことを目的としているので、決して無意味ではないのであろうが。この大きな失態のお陰で効果が薄れてしまう事は間違いのない事であろう。
「そもそも、ただでさえAnker抹殺なんて物騒な事件が続いてる中で、こんな風に直接会えたら、苦労も心配もしないんっすよぉ!」
 それはもう、心配に心配が重なって、悲鳴に近い声が上がった。
 音夢の『見えないお友達』である奏多は、実は彼女のすぐ近くにいるのかもしれないが……それは今は、さておく事とする。
 看破されたとなれば、戦闘員たちは次なる手を打たざるを得ない。
 新たに招集された戦闘員は36名。音夢1人を磨り潰すなら、これくらいで十分であろう、という事であろうか。
「そちらさんも、下っ端なりの苦労してるんだろうけど。現場に立ったなら容赦しないし、されないのは覚悟の上だね?」
 先程まで嘆いていた姿は何処へやら。ポーチから抜き取った弾丸を、愛用の長銃に装填し。にじり寄る戦闘員たちを、怪人が睨め付ける。

 一方で、|八木橋・藍依《やぎはし・あおい》(常在戦場カメラマン・h00541)の前に立った彼女の妹、|八木橋・桔梗《やぎはし・ききょう》は戸惑っていた。
「このようなところで会うとは。約束していた発明品は完成しましたか?」
 開口一番、姉にこの様に問われたのだから。
「え、ええ?お姉ちゃんに、そんな事頼まれてたっけー?」
 軽薄な口調で答える彼女は勿論、桔梗に化けた偽物。声音も全く別物である上に、当然、その様なものを用意している筈もない。
 適当にやり過ごし一突きすれば良いだろうと、化ける際に用意したスパナを藍依に渡すが。彼女は渡された品をモノクルの下の翡翠色の瞳で一瞥し、冷たく一言。
「駄目ですね。発明品どころか粗悪品です。
 これ、まともなテストプレイすら行っていないでしょう。」
「スパナのテストプレイってどういう事よ!!」
 桔梗の姿をした|戦闘員《げきだんいん》は叫ばずにはいられなかった。桔梗をコピーする時間も無かった以上、その様な抜き打ちに対処など出来よう筈もない。
 しかし、この間合いならば。咄嗟に突き出した短刀を、藍依は想定内とでも言うようにひょいと避け。
「そもそも今回の事件で桔梗には発明品の依頼すらしていませんし。」
 ――姉妹ならではのカマにかけられた。
 そう理解した|桔梗《にせもの》は、ナイフを繰り出した体勢のまま、口を唖然と開くしかない。
 そもそも、記者として物事の真実をすっぱ抜く彼女に、上辺だけの模倣……それも、最も身近な人物の物真似が通用するはずもない。
(Anker抹殺計画について用心するように話していますから、桔梗がここにいるはずがないのです。)
 そして何より。『お姉ちゃん』と、そう呼んだ時から。目の前の存在が妹ではない事に気付いていたのだから。
「……これが敵のやり方です。アニエスさん、あそこにいるのはあなたの両親ではないのですよ。」
 藍依のすっぱ抜いた『真実』に、アニエスは小さく頷いた。
「最初っから気付いていたのに踊らせておくとか、性格悪いわね!」
 そのやり取りを見ているしかなかった|桔梗《にせもの》は、どの口が言うのか、|自棄《ヤケ》になったかのように捨て台詞を吐くと。
 集まった戦闘員たちと共に、その身に纏った衣服を危険な蛍光色に発光させる。所謂【特攻モード】と呼ばれる状態だ。
 攻撃回数と移動速度を4倍、受けるダメージを2倍にするという、リスキーながら大きなダメージを与える可能性を秘めた√能力であるが。
「それがどうしたというのです。我が妹の姿を模倣した罰は受けて貰いますよ。」
 動き出す前に。或いは、4倍の速度で動こうと、その攻撃範囲から逃さねば良い。
 戦闘員たちを殲滅すべく藍依によって呼び出されたのは、古今東西の銃から砲まで、彼女が『銃』と認めた兵器群。
 その銃口は、漏れなく桔梗という存在を愚弄した者たちに向けられている。
「蜂の巣になって貰います。私の友人たちを傷付けようという他の戦闘員も同罪、逃がしはしません。」
 ――【|少女人形による銃器展覧会!《ガンパレード・マーチ》】
 降り注ぐ硝煙弾雨は300発を数え、土埃は濛々と舞い上がり。只でさえ防御を捨てた状態であった戦闘員たちは、為す術もなく弾丸の雨にその身を貫かれてゆく。
「お姉ちゃん、助け……」
 苦し紛れの命乞いも、藍依の耳に届く事も無く。銃声の中に搔き消えた。

「……で、何か申し開きは? 乙女の純情を弄んだ罪は非常に重いよ?」
 |奏多《にせもの》の姿をした戦闘員の頭が弾け飛び、有象無象の戦闘員たちが纏めて雷に焼かれ、ぴくりとも動かなくなる。
 彼女の√能力【エレメンタルバレット『雷霆万鈞』】は、広範囲の敵を巻き込むと共に、味方の戦闘力を強化するという攻防一体となったものだ。
 ただでさえ追加招集と慣れぬ指揮で反応速度が半減している戦闘員たちなど、『怪人』である彼女にとっては物の数ではない。
「私の顔は、あなたの推しでしょ!?だったら止まりなさいよ!戸惑いなさいよ!」
 一切の容赦のない彼女の姿に怯えた戦闘員が、思わず叫ぶ。
 見知った顔であるならば、幾分かの隙も生まれるであろうし、それがこの|戦闘員《げきだんいん》たちの常套手段であるのだが。
「ああ、良心の呵責や躊躇いを求めるなら相手が悪いな。もちろん人数を増やしても無駄だよ。」
 深い深い、海の底を思わせる冷たい声音と、あまりの眼光の鋭さに、戦闘員たちの足が止まる。今更ながら、この場が|音夢《フカ》の狩場であると気付いたためだ。
 そして、獰猛な狩人を刺激した愚か者の末路など、知れている。
 藍依が巻き起こした硝煙弾雨の中、命が消える様とこの顔は、天使の少女には見せずに済むだろう。
 無様に尻もちを突きながら後退る戦闘員の頭に、銃口を突き付けて。
「何せ『僕』は、悪い怪人だからね。」
 二発の乾いた銃声が、アイドルの何たるかも知らぬ、大根役者の玉の緒を絶った。

和紋・蜚廉

 時に心を惑わされ、時に敵の策を看破しながら。
 √能力者たちの戦いぶりに、|戦闘員《劇団員》たちは次々と撃破されてゆく。
 しかし、それでいて尚、数に任せた力を甘く見る事は出来ない。範囲に放たれた攻撃を逃れ、すり抜け、ターゲットであるアニエスに肉薄する者も時に出てくる。
「Mon Dieu……!」
 その小さな命を奪わんと振るわれた拳。
 しかし、その拳が天使の少女に届くことは無かった。
 ――させぬ。
 するりと少女の影から滑り出た姿が一つ。強固な外骨格に覆われた肉体が、その拳を受け止めていたためだ。
「娘よ、大事ないか。」
「え、ええ。ええ。あなたのお陰で、大丈夫なのだわ。」
 そうか、と|和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)は言葉をひとつ。武人は多くを語らぬ。
 『潜響骨』で感知する統制された動きは、【悪の組織製の通信装置】を接続された事に由来するものであろうか。
 今頃、彼らの頭の中には蜚蠊を如何に倒すか……否。如何に斃され、蜚蠊の心を愚弄し、傷を負わせるかの指示が飛んでいる事であろう。
「成程、連携が肝の策という訳か。」
 するり、と。地を滑る様に外骨格に覆われた肉体が奔る。
 邪悪なる者の指示により1.5倍もの反応速度と命中率を得た戦闘員は、素早い蜚蠊の姿を捉えている。
 踏み込みの癖、繰り出した拳の軌道は、誰かに似ているが。
 然し、場数が足りぬ。それでは彼に届いたとしても、有効打足り得ない。
「……だが、その顔には見覚えは無い」
 拳をいなし乍らすかさず副脚で片膝を狙えば、軸を崩された戦闘員の体は隙を晒し。肘節の一打が知っていた軌道へ差し込まれ、ふと脳裏を過ったような顔の一人目が血を吐き崩れ落ちてゆく。
 『ちぃっ』と。誰かの舌を打ちを潜響骨が拾うが、構っている暇などない。
 残心から、掻き消えるかの如く。次なる獲物に向けて、蜚蠊は身を躍らせる。
「――我が連肢、止まらぬが、理。」
 その動きすら捉え、死角に回らんと立ち回る動きには、覚えがある。
(仲間に似た……?)
 否。その様な筈もない。心に微かに広がった波紋は、再び止水の如く静まりゆく。これも彼の武人としての経験の為せる業であろう。
 感傷を断ち切ると、不意にばら撒いたのは土とフェロモンを焚いた蟲煙袋。己の気配を周囲の環境へと溶け込ませ、常に死角へ、死角へと回らんとする手練れの視界を曇らせた。
「――視えた。」
 その気配を探る視線の揺らぎ。この寸分にも満たぬ僅かな隙を読み切ると。
 蜚蠊が跳爪鉤を繰り出したのは、その視線の逆方向から。防御を意識せぬ腹を、重さと瞬発力を込め突き出した脚が深々と貫いた。
 ――此奴も、強い。
 多少の覚えがあろうとも、この戦闘員たちの本領は変装にある。磨き上げられた業とは大いに差があって当然だ。
 それを埋める手立ては、その本領にこそある。
「ふざけた真似を……!」
 遂には、蜚蠊の表情が歪んだ。彼の心の中にある、見知った誰か。その笑顔に似せようとしたのか。
 怒りで武人の心を掻き乱し、後の戦いにまで響く疵とする。それが戦闘員たちの企みであるならば。それは目論見通り。
 ――いや。
 その歪な笑顔の両肩に副脚を回し、振り解かれる前に肘の甲を突き立てた。その動きに情による狂いなど、有りはしない。
 引き抜き様に、戦闘員は笑顔のまま口からこぽりと黒い血を吐き出し。彼らを指揮する悪魔の差し金であろうか、今際の際に彼の名を呼んでみせた。
 ――見覚えはあるが、関係ない。歴戦の武人は揺るがない。
「何者であろうと、この場に現れた時点で、我の敵だ。」
 己の肉体と磨き上げた業を以て放つ、文字通りの必殺と化した【|連肢襲掌《レンシシュウショウ》】の前に。
 戦闘員たちは、力遠く及ばず斃れてゆく。

エアリィ・ウィンディア
シル・ウィンディア

「あらら、また多いね。」
 道の駅の客に。はたまた通行している者たちの中から際限なく湧き出す|戦闘員《げきだんいん》の群れに。
 この状況をある程度予想していたシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)は、呆れ混じりの溜息をひとつ。
「ほんとに人に紛れ込んでた。すごいな、お母さん。やっぱり経験の差かなぁ……。」
 エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)にしてみれば、母の師匠としての実力を垣間見ることが出来たのだから、これも一つの勉強であろう。
 この優れた母にして師がいれば、その内にエアリィもまた更なる高みへと成長していくのやもしれぬが、それはさておき。
アニエスが狙われているという事実に、エアリィはすぐにでも行きたい、と愛用の武器を握りしめている。
 そんな愛娘の様子を見た母は、娘に見えぬよう微笑んでから、師として表情を引き締めて。
「エア、あなたはあの子を守りに行くんでしょ?しっかりやってきなさい。」
 ぽん、と背中を押した。
「うん、いってきます!」
 エアリィは空中へと躍り出すと、敵の群れを飛び越えて一気にアニエスの下へと向かってゆく。
 母はその背中を見送ってから、自らもふわりと宙に浮かび、辺りを見回した。
「ええ、いってらっしゃい。さて、私も私の仕事をしようかな。
 しかし、悪趣味ね。知っている人の顔を使う変装とか。」
 見知った立ち居振る舞いの姿を見付けるも、シルは動じた様子もない。
 母ではなく師として、エアリィがどの様にこの場を切り抜けるのかと様子を見守るのであった。

「大丈夫?あたしもあなたを守りに来たよ。」
 すたっと天使の少女、アニエスの傍に降り立ったエアリィは。
 笑顔と挨拶もそこそこに、直ちに上空から観察した敵たちの様子を整理する。
 敵の陣形はてんでばらばら、√能力者たちに食い荒らされて散り散りになっている所すら見えた。
 変装に力を割いている以上、戦闘の実力は然程高くないのだろうか。
 ーーしかし。
「お父さんとお母さんの顔か…。
 幸い、あたしはお母さんがここにいるから騙されることはないっ!」
 己に言い聞かせる様に小型の精霊銃を構えるが。何故か、腕が震えている。照準が、ブレる。
 ーーこれでは、狙いが定まらない。撃てない。
「……あれ?お父さん??あれ?
 えー、何かやりにくいぃーっ!しかも多いしーっ!!」
 思わずエアリィは悲鳴を上げた。母が偽者である以上、父も偽者である事はわかっている。
 わかっているのだが……その顔に向けて、何故か銃爪を引く事が出来ない。
 しかもその数は追加招集されて計39人もの大所帯だ。
 数に戸惑い、顔に戸惑い。この時点で、彼女は敵の術中に嵌ってしまったと言えるだろう。
 その一方で。娘の戦いぶりを見守るつもりであったシルの纏う空気は見る見る内に凍り付いてゆく。
「ふーん、|旦那《あの人》の顔するんだ。へー、そーなんだー。」
 宙に浮きながら、美しい翼の装飾を施された長銃……その名も蒼翼砲が、その姿を捉え。
 ーーどぉん!!
 娘に手を挙げようとした偽物を、魔力の砲弾が容赦無く、跡形も無く吹き飛ばした。
 あんぐりと口を開けるエアリィとアニエスの元に、とんと軽い足取りで降り立った母に。
 娘は驚きと共に、やっとの思いで言の葉を紡ぐ。
「え、お母さんっ!?思いっ切りためらいなく攻撃してないっ!!」
 そんな娘の様子に、母はしれり、と。
「遠慮?そんなのしないよ。だって、あの人ならこんな攻撃くらい避けるしね。」
 少なくとも一度は、お父さんにこの火力の砲撃を撃ち込んだ前例があるのであろうか、そんな疑問符も浮かびかけるが。
 夫婦として過ごしてきた年月が示す信頼関係に、先程までの驚きは何処へやら。ほわぁ、とエアリィは憧れの色を浮かべている。
「エア、あなたは前の相手をしっかりやって。この子はわたしが見るから。」
 思う存分にやって来なさい。勇気付けるその言葉に、娘の腕の震えも吹き飛んで、勇気百倍といった様子。
 そしてシルは、愛娘とそう歳の変わらぬ天使の少女に向き直ると。
「大丈夫。みんなが守ってくれるよ。」
 彼女が少しでも安心出来るよう、そう言って微笑むのであった。

 さて。敵の思惑は、身近な者の顔を傷つけさせることで、心の傷を与える事。
 或いは、短期的にでも集中力を乱すこと。
 母という安心感が得られたからであろうか、エアリィにも落ち着いて敵の姿を観察する余裕が生まれた。
 この時点で、敵の思惑は崩れ始めている。
(顔は同じ。でも、あたしを大切に思ってくれるお母さんはアニエスさんの傍にいる。
 お父さんの顔は、お母さんが吹き飛ばしてくれたから、もう大丈夫。)
「何をしているの、エアリィ!偽物を護衛対象の傍に置くなんて!」
 『エアリィ』。苦し紛れに呼んだその名前、その声こそが|戦闘員《げきだんいん》の最大の失態であった。
「あ、声が全然違う。それならっ!!」
 彼女の母は、愛娘を『エア』と、そう呼ぶのだから。
 躊躇いを完全に吹っ切ったエアリィは、持ち前の高速詠唱でそれぞれに相反し合う六属性の魔力を制御する。
 構えた銃の照星の先には、有象無象の戦闘員の群れ。しかし落ち着いて見てみれば、その誰も彼もが慣れぬ指揮のやりとりで動きも鈍い。
「世界を司る六界の精霊達よ、銃口に集いてすべてを撃ち抜く力となれっ!!」
 その尋常ならざる魔力に恐れをなしたか、後退り始めるが、もう遅い。
 火・水・風・土・光・闇の複合六属性、本来交わらぬ筈の魔力が渦を巻き、一点に収束しーー
「――【|六芒星精霊速射砲《ヘキサドライブ・ソニック・ブラスト》】!!ふっとべ!!」
 号砲一発、号令と共に解き放たれる収束砲。
 ごぉう、と戦場を奔る魔力の嵐に消し飛ばされ、余波に巻き上げられ。
 戦場に一時の静寂が訪れた時。
 彼女の前に立つ戦闘員は、ひとりとして存在し得なかった。

弓月・慎哉
瑠璃・イクスピリエンス

 道の駅の駐車場に、テディベアを思わせる丸い耳のついた赤いキッチンカーが駐車している。
 持ち主の私用で訪れたのであろうか、残念ながら本日は営業していないようであるが……。
「初めて来たけど、落ち着くいい所だね!」
 赤い愛車の傍らで、|瑠璃《るり》・イクスピリエンス(ハニードリーム・h02128)は胸いっぱいに澄み切った空気を吸い込んだ。
 四方を山々に囲まれたこの地域は空気が澄み、更には下界からの光も届き難いため、県下でも有数の星空の観測スポットでもある。
 車中から道沿いの風景を眺めてきた瑠璃は、緩やかな時間が流れる景色を目の当たりにしてきた事であろう。
 そんな穏やかな空気をAnkerの暗殺……或いは、更なる悪意で汚そうという輩がいるという。
「きっと天使さんもここで穏やかに心身を癒していたんだろうに……許せないな。」
 可愛らしい丸い付け耳とは対照的に、その瑠璃色の瞳を鋭く細めて。彼女は来るべき戦いの時に備えていた。

 ――そして、今。
「アニエス・ヴィダルさん、ですね?危険ですのでお下がりください。」
 |弓月・慎哉《ゆづき・しんや》(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)とともに、瑠璃は天使の少女の身柄を守るべく|戦闘員《げきだんいん》たちを相手取り、立ち回っている。
 奇しくも、慎哉と瑠璃の方針は『アニエスの心を出来る限り傷つけない』ことで一致していた。
(――敵対象は、命を奪わず捕縛するよう努めたいところですね。)
 最終的には何らかの処分を行わねばならないであろうが、少なくともアニエスの前で手を下すことは避けたいというのが、若き捜査官と、そして熊耳の吸血鬼の想いである。
「きっと、大切なお友達が助けに来てくれてるから……心配無用だと思うけど!」
 そう言って瑠璃は朗らかに笑ったが。その心遣いは、間違いなく天使の少女に届いている。

「良い子の幸せを守るのが、クマさんのお仕事!
 さあお願い、ボクの仲間たち!お客さまを歓迎しておくれ!」
「そして、市民の平和を守るのが警察のお仕事です。悪党は逃がしません。」
 瑠璃と慎哉の声が、朗々と戦場に響く。
 いつの間にやら赤毛のテディベアまで紛れ込み、|戦闘員《げきだんいん》たちを相手に大立ち回り。
「正義のだぶるくまぱーんち!」
 あちらで【|赤毛のクマさん《ブラッディベア》】と連携し、背景に星が飛びそうなパンチで戦闘員が宙を舞えば。
「どこかで見た事がある顔ですが、僕の顔見知りにこんなに好戦的な方はいません。」
 こちらでは蒼く美しい焔に囲まれて、悪意のある上司から指示を受けて動きのキレを増した戦闘員が右往左往。
 それを慎哉がそれはそれは美しい弧を描く一本背負いで投げ飛ばし、組み伏せて捕縛する。
 二人のどこかコミカルで演劇じみた立ち回りは、瑠璃が提案し、天使の少女の心を護る良案であると慎哉が頷き実現したものだ。
 その中でも二人はアニエスの周囲に気を張り、特に慎哉はその身を挺してでも護る、という意識が強い。
「|Chouette《クールなのだわ》!」
 アニエスが好む日本の時代劇やアニメの殺陣のような動きに、彼女も思わず歓声を上げる。
 そも、敵の目的の一つは慎哉たち√能力者たちの『大切な存在』に化け、その顔が傷つき、苦悶し、そして斃れる様を見せ付け、心に傷を刻むことだ。
 しかし、顔に躊躇う事もなく捕縛に徹する彼の戦いぶりは|戦闘員《げきだんいん》たちの天敵と言ってもよいであろう。
「少しは……躊躇えよ!竦めよ!」
 呼吸を合わせ、挟み撃ちにせんと連携して襲い掛かった二人の戦闘員。
 この一人を鞭のようにしなる蹴りで軸足を崩し。よろめいたところを当身の拳を叩き付けて悶絶させ。
 倒れたその上に、突っ込んだ勢いのまま入り身投げを決められた戦闘員の体が降ってくるのだから、下敷きになった戦闘員はたまらない。
 蛙の潰れた様な声が出たその上で、関節を極めた慎哉が手錠を架けて。
「ええ、格闘の修練も積んでいるので。複数を相手取っても問題ありません。」
 黒の皮手袋を優雅にぱん、と払って。捕縛を完了させるのであった。

 コミカルに、可愛らしく。危険な蛍光色に輝く戦闘員を手玉に取る姿はまるで喜劇のパフォーマンスの様であるが。
(――君は……。)
 瑠璃の笑顔が曇る。拳が怯んだ様に止まりかける。
 彼女の前に立つ顔は、キッチンカーの隅に飾られたあの古びた|絵本《Anker》……遠い昔に心の一冊をくれた『彼』の姿にも見えた。
 その『彼』が、彼女の動揺を引き出せたと、記憶の中の顔と似ても似つかぬ表情でにまりと嗤う。
(病弱だった君と、こうしてじゃれあえるなんて嬉しいことだしね。) 
 その演技の甘さが決め手であった。体力の足りない身ではあるが、ぐっと拳を握りなおし、力を籠める。
 赤毛のテディベアだって、この戦いをどう落着させるか、当初の目的を忘れてはいない。
 すぐに、いつものにこにこ笑顔を浮かべて意識を切り替えると。
「これでとどめだ!正義の……だぶるくまあっぱー!」
 二人のくまのパンチによって、派手な蛍光色の光が放物線を描いて飛んでゆく。
 どしゃっと墜ちた戦闘員は、防御力を削っていたからには立ち上がってくることはないであろう。
(――悪趣味な悲劇は、ぜーんぶキュートな喜劇に変えてあげるから。
 ――天使さんには、笑ってて欲しいな。)
 シナリオを書き換えるべく奮闘し、ぶい!っと優しい笑顔でVサインを送る可愛らしいくまの役者に。
 天使の少女も釣られたのであろうか。
 窮地に居る事を忘れたかのような、朗らかな笑みを浮かべ。
 ぱちぱちと小さな拍手で応じるのであった。

凶刃・瑶

 既に戦場には、100や200は下らない戦闘員の亡骸が転がるという、凄惨な状況となっているが。
「あらまー、ぞろぞろと……たった一人相手に多すぎない?」
 |凶刃・瑶《きょうが・よう》(|似非常識人《マガイモノ》・h04373)の前に現れた、凡そ40人にもなろうかという|戦闘員《げきだんいん》の群れに。彼女は呆れ半分、といった溜息を吐いた。
 何故、『半分』か。それは――
「――ま、人数は多い方が|戦い《実験》甲斐があるんだけどね!」
 これから始まる、『実験結果』に期待しているからに、他ならない。その|主題《テーマ》を誰とはなしに、明るく告げる。
「誰かの顔、じゃない。"キミ達の顔"が見たいんだ。」
 この段階で、どれだけの|戦闘員《げきだんいん》が、彼女の言わんとする事を理解していたであろうか。

 さて。瑶の前に立ち並ぶのは、確かに彼女が見たことのある気がする顔だ。
「――どんな顔で出てこようと、私には関係ない。」
 そこに、いつもの。いや、先ほどまで浮かんでいた明るい笑顔はない。
 かといって、それが動揺や絶望の色を浮かべているかといえば、それも違う。
 黒い瞳に覗くのは、その見知っている筈の顔への無関心と。これから始まる『実験』への、飽くなき好奇心。
「さ、本心を出して?あなた達の|繋がり《キズナ》、どうなっちゃうのか、見せてみて?」
 静かに口を開く瑶が抱えているのは、彼女の『いつもの』笑顔を映したかのような。
 大輪に花開く、漆黒の紅に輝く美しい華……|天竺牡丹《ダリア》の花束。
「ああ、何が起こるか、ドキドキしちゃうな。」
 これをふわり宙に放つと、21輪のダリアがそれぞれに紅い花弁を散らして戦場に爆ぜる。
「なんだったんだ、今のは?」
 拍子抜けした戦闘員たちがいるのも当然だ。|傷《ダメージ》なり、状態異常なり、目に見える変化は起きていないのだから。
 ――然し、彼女の『実験』は既に始まっている。
 目に見えぬところ。そう、彼女が言っていた通り、紅い紅いダリアに侵された『本心』に。変化は起こり始めているのだから。

「見たところ、どうやら詰めが甘いようだね。演技が全然なってない。」
 この一連の戦いを振り返ってみれば、戦闘員たちは姿こそ完璧に写しても、素性や内面、仕草や声。その多くに粗があった。
 その隙を看破され、或いは克服されているのが現状である。
「努力が足りてないんじゃないの?そんな取り乱しちゃあ、折角の変装もすぐにバレちゃうだろうね!」」
 彼女の目の前で繰り広げられている状況を『正直に』評する瑶には、ある過去がある。
 とはいえ記録として残っているのは、彼女の好奇心と努力の果て、実験の末に。一つの街が壊滅したという事実のみ。
 さて、彼女が経過観察している状況とは如何なるものか。
 ――それは、数の力と連携で瑶を磨り潰す筈であった戦闘員たちの凄惨な殺し合い、同士討ちである。
 正直に過ぎる言葉を述べた者が、別の本心に正直になった者に顔の形が無くなるまで殴りつけられ。積り積もった怒りや憎しみに正直になった者が、別の戦闘員を刺し殺す、地獄絵図。
 この『正直病』を蔓延させるダリアを撒き散らし、集団の|繋がり《キズナ》を自壊させる√能力の名を、【狂気の沙汰】という。
 これは推測に過ぎないが。他人の心が分からぬという過去の彼女は、それを理解するための努力として、他人の正直な心を引き出そうとしたのではあるまいか。
 そして今、戦場で起きているソレは。規模を縮小した上で行われた、かつての再現だとでもいうのであろうか。

 この『正直病』の混乱を、他人を踏み付けにする事で生き延びた者たちに。今度は目に見える変化が現れだした。それも、致命的な形で。
 生き残りたちが肉体の痛みを訴え、蹲り始めたのだ。変色した肉体が齎すあまりの痛苦に『殺してくれ』と泣き叫ぶ声が上がる中。
 戦闘員たちの四肢や顔が浮腫み、膿み、爛れ。肉が腐り落ちて、遂には白い骨を覗かせた。
 その体には須らく、瑶の構えたダリアの様に赤い|機関砲《ガトリング》状の武器……|Goodbye Sanity《シリンジシューター》から放たれた注射器が突き立てられている。
「あ、ごめーん、|中身《それ》壊疽のやつだ。」
 悪びれることなく笑う瑶の言葉に反応する余裕など、最早誰にも有りはしない。
 筆舌に尽くし難い苦しみから逃れるために自害しようにも、武器を手に持つ指が無く、舌を噛み切る顎が無い。
 そんな戦闘員たちに、彼女が慈悲の一撃を与える筈もない。
「痛いだろうけど、ふふ!自業自得でしょ?
 ――だから、そんな『顔』をしても無駄だよ。」
 かつて彼らがこれ程までに死の瞬間を、偽らざる本心から待ち焦がれることがあったであろうか。
 人の心を嘲笑い、傷を残そうとした者たちの末路は。
 生きながらにして腐って死ぬという、あまりに無惨なものとなった。

シアニ・レンツィ
星宮・レオナ

「……成る程、確かに趣味が悪い。」
 建物の陰に目立たぬよう隠れながら、敵の様子を窺った|星宮《ほしみや》・レオナ(復讐の隼・h01547)は一言。そう吐き捨てた。
「大丈夫、こっちはボクに任せて。しっかり片付けておくから。」
 そう言って天使の少女アニエスの守りを託す彼女の姿が、小さな緑竜を放ったシアニ・レンツィ(不完全な竜人フォルスドラゴンプロトコル・h02503)には心配でならなかった。
 というのも、レオナの顔には明らかな険相が浮かび、青い瞳には憎しみの色が濃く表れているのが見て取れたからだ。
 下手をすればその憎しみを敵に突かれ、足元を掬われるのではなかろうか。
「でも……」
 ほっとけないよ、そう言おうとしたシアニをグローブに包まれた右手が制した。
「ありがとう。でも、本当に大丈夫なんだ。……アニエスさんのこと、任せたよ。」
 ――その、静かで。そして底無しにも感じる敵への深い怒りを孕んだ声に、シアニは頷く事しか出来ず。
 『気を付けてね』とだけ言い残すと、√能力によってその場から掻き消えた。
 青鱗の少女の姿が消えた事を確認すると、レオナは堪え切れぬ怒りを一つ、大きな息に乗せて吐き出して。
 左手に装着したマグナドライバーを本来の姿……銃型変身デバイスに変形させる。
 その身が戦闘形態に変身させる光に包まれる前に。ミスティカ・キーを捻りながら、彼女は一言、ぽつりと呟いて。
「――よりにもよって、目の前で殺されたボクの両親の姿に変装するなんてさ。」
 ――復讐の隼が、悪意渦巻く山間の戦場より飛び立った。

「シアニさん、なの……!?」
 √能力【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】の効果の一つ、呼び出した|幼竜《ユア》との座標入替で戦場に瞬間移動したシアニは。
 アニエスの驚きの声で迎えられると同時に、レオナの業火の如き怒りの訳を知った。
 よく見知った、護るべき天使の少女の面影がある顔が二つ。そして。
(先生は、おうちにいるはず……ああ、そうか。そういうことだったんだ。)
 彼女が『先生』と呼ぶ初老の男性の顔を見て、敵のやり口に思い至ったシアニは。
「……ふっっ、ざけないでよっ!!」
 気付けば、血を流さんばかりにその手を握りこみ、叫んでいた。
 その勢いに思わず、アニエスが逆にシアニに寄り添うほどに。緑の瞳に強い怒りを湛えて。
「アニエス先輩は、両親にちゃんと挨拶もできなかったんだよ!?なのに、なんでこんなひどいやり方……っ!」
 天使の少女は、故郷を離れる時に涙を見せなかった。
 ただ、故郷の海を見つめていた彼女の小さな背中が、シアニの瞼に焼き付いている。
 ――そんな、強がる姿が心配だった。
 ――怖い思いも、辛い思いも、もうしてほしくなかった。
 ――これから先、幸せなことしか起きないでほしかった。
 それを。それを、この敵は。面白がって、甚振る材料に使って。みんなを、傷つけて。
「だからこそだよ、シアニ。現に、君の心をこんなにも乱せているのだから。実に有効な作戦だろう?」
 そんな彼女の心の内を読んだのであろうか。『先生』の顔が、見た事もない表情、似ても似つかぬ声で。我が意を得たりと笑う。
 ――ああ、こんなもの。見たくない。見せてはいけない。
 レオナの怒りを心底から理解した彼女の唇は震え、緑の瞳から涙が溢れそうになるのをこらえながら。愛用のハンマーを担ぎ上げ、漸く声を絞り出した。
「できれば、目をつぶっててほしい……。」
「――ええ、ええ。シアニさん。貴女がそう言うのなら、いつまでだって閉じているのだわ。……ごめんね、お願い。」
 既に√能力者たちによって事情を把握しつつあるアニエスは、あの時の様にシアニを信じ。言葉の通り、確りと目を閉じるのであった。

「こいつ、何処から……!?」
 40人近くは居ようかという戦闘員の群れの中央に、不意を突いて舞い降りたマグナファルコン。レオナの面影を感じさせる|戦闘員《げきだんいん》が誰何の声を上げるよりも先に。
 その腹に、ごりり、マグナシューターの銃口が突き付けられ。間髪入れずに放たれた、風を纏った弾丸がその身に風穴を開け。
 着弾地点を中心に巻き起こる旋風が周囲の戦闘員をも巻き込み、切り刻み。纏めて吹き飛ばす。

 ――【エレメンタルバレット『|旋風破砕《エアロバスター》』】
 マグナファルコンの翼に追い風を与えるこの能力は、旋風による範囲攻撃のほか、風の障壁を付与することで自身や味方の強化にも利用できる攻防一体の√能力である。さらに。
「――【ACCEL】。」
 追い風を得た隼は『加速』の力が宿った鍵をミスティドライバーにセットし、高速戦闘形態を取った。
「止まりなさい!止まるのよ、レオナ!止まれ!」
 その疾さは、戦場にマグナファルコンの残像を生み出し、目に留めることも適わない。黒髪黒眼の女のヒステリックな声すらも置き去りにして、彼女は駆ける。
 残像に包囲された戦闘員たちは、3人の戦闘員を中心に通信装置で悪意に溢れる指示を受けている事であろうが。
 又聞きでの指揮により、実質の反応速度は4分の3倍にまで落ちているのだ。その様な雑な策とスピードで、隼を捉えられようものか。
「――顔が両親って程度で躊躇する程、ボクの覚悟は甘くない。」
 ――【アクセル・スパイク】。
 |猛禽の拳《ミスティ・ナックル》と脚から放たれる神速の300連撃。
 復讐者たる彼女の想いと怒りを甘く見た有象無象の|戦闘員《げきだんいん》たちを、文字通り蹴散らした。

「ユア!みんな!お願い!」
 シアニの指示に従い、緑竜たちが一斉に魔力の鎖を放つ。
「ぐっ、動けな……っ!くそっ、離せ、何をする気だ!?」
 ぎしり、と鎖がアニエスの両親の顔に化けた戦闘員たちに身動ぎも許さぬほどきつく縛り上げれば、幼竜たちがその体の中に溶けてゆく。
 【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】の数ある能力のひとつ、『敵との融合』だ。
 ダメージの代わりに行動力低下を与えるこの能力は、行動力が0になった瞬間に消滅死亡するという効果を持っている。
 既に死屍累々のこの状況ではあるが、少なくともアニエスが自身の両親と同じ顔をした者の死に顔を目にする事はないであろう。
「シアニ。いい子だから。そんな物騒なものは仕舞いなさい。」
 捕縛した者たちの消滅を確認する間もなく。
 嘯く|先生《にせもの》に向けて、シアニの大鎚に取り付けられたブースターが文字通りに火を噴き、一直線に突っ込んでゆく。
(――先生の顔した敵は、別人なの分かってるから、平気。できる。)
 指先が冷たくなっている気がするが、それもきっとハンマーを強く握りすぎた所為だろう。
(――息が上手くできないけど、大丈夫。)
 ここまで加速して、矢の様に飛び出したのだから、息を吸えないのだって当然だ。
 あとは、いつもの通りに、『びったーん!』と振り下ろすだけでいいのだ。
 ――大切な、あの顔に。
(――アニエス先輩を守るんだ。痛くない、苦しくない……!)
 自分に言い聞かせながら、ハンマーを勢い任せに振り抜く。
 その、殴り潰される寸前の先生の顔は。シアニの貌を見て、確かに|嘲笑《わら》っていた。

 ――ごきん。
 戦う度に聞いてきた、何かが砕け潰れた、鈍い音。
 思わず目を瞑ってしまったから、最期の貌は見ずに済んだけれど。
 その手の中の感触だけは、消えてはくれなかった。

 散乱した戦闘員たちの亡骸の中に、血濡れの隼が一羽。
 昏く底冷えのする様な眼光と共に脚が振り下ろされ、その度に骨が砕ける音がする。
「なんだ、ヒーロー。がぁっ!?いい顔、するじゃないか。まるでこっち側だぜ、お前……ぐぅ!!」
「ヒーローらしくない?生憎、ボクはヒーローなんかじゃない、復讐者なんだ。
 言えよ。なんでボクの両親の姿を使ったのかな。」
 ――吐かないなら容赦なく、吐くまで骨を砕く。
 言わずとも伝わる圧と共に、レオナの藍の瞳が殺気で揺らめいている。
「は、はは……ぎっ!?なんで。なんで、だって?そんなの決まってるじゃないか、レオナ。」
 全身の骨を砕かれながらも、心の底から満足したかのように。
 黒髪黒眼、彼女の父と全く同じ顔をした|戦闘員《げきだんいん》が、亡き父とはまるで違う声音で彼女の名を呼んだ。
「――お前のその顔が見たかったからだよ。」
 ばぎり、音を立て。
 愉悦に浸り切った頭蓋が、隼の脚に蹴り砕かれた。

箒星・仄々

「なんと!いけない、アニエスさんっ!」
 古民家カフェから天使の少女、アニエスの様子を見守っていた|箒星・仄々《ほうきぼし・ほのぼの》(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)は、彼女の動揺を逸早く捉え、押っ取り刀で愛用の手風琴『アコルディオン・シャトン』を抱えて飛び出していた。
 何処に伏せていたというのか、次から次へと湧いて出てくる戦闘員の群れに、アニエスは包囲されつつあるという状況である。
 おそらく多くの√能力者が彼女を守るべく、各々の策を以て動いている筈であるが、一刻の猶予もない事は明らかだ。
 そのような事態であるにも関わらず、不意に、仄々の猫足が止まった。
「こちらは急いでいますので、どいては……いただけないようですね。」
 苦い表情を浮かべる黒猫の前に、それを妨害せんと立ち塞がる者たちがいたためである。
 それは、何れも彼の訪れた街で見た……いつかの依頼で、彼と友諠を結んだ者たちの姿を取っている。
 一人は、√妖怪百鬼夜行でチョコを欲しいが故に古妖の封印を解いてしまった、仄々曰く『リビドー全開』の思春期少年。
 一人は、√ドラゴンファンタジーの初心者向けのダンジョンにて、ドラゴンストーカーに追われていたリック少年。
 そして、もう一人。√マスクド・ヒーローで江川・坦庵と天秤座のシデレウスカードを手にしてしまった学芸員の青年。
(縁あって、助けることができた方々。それに襲われ、倒さないといけないとは……秋沙さんが言っていた通り、本当に趣味が悪いです。)
 この√EDENに存在すらしない貌、それも仄々の知り合いの顔をピンポイントに写す事の出来る手合いといえば。彼の記憶の中に該当する者も、そう多くはない。
 港町で起きた、かの陰惨な事件……あの悪意に満ちた、貌の無い悪魔に思い至るのも、当然の事であった。
 既に、√能力者たちが動き始めていることを、猫の髭は捉えている。ならば、目の前の|戦闘員《げきだんいん》たちを確実に倒すことが肝要であろう。
 仄々は翡翠色の手風琴の蛇腹を開き、この山間の長閑な空気を体いっぱいに吸わせてやると。
 アニエスの耳にも届くように、彼女に所縁のあるタンブラン風の音色を奏で始めた。
(偽物です!騙されずお気をつけて!)
「!!……猫さん?」
 そのメロディは、確かに天使の少女の耳に届いている。

 気付けば、黒猫の前に立ちはだかる敵は40人近くにまで膨れ上がっていた。
 そもそもが対格差のある敵たちである。仄々の小さな体は戦闘員たちに呑まれてしまうかに思われたが。
 そんなものは無用の心配であるとばかりに、俄かに音が爆ぜ。戦闘員たちが吹き飛んだ。
 ――【愉快なカーニバル】
 タンブランのメロディと共に輝く音符の弾が飛び、それが着弾する度に黒猫の通る道が彼を強化する音色に包まれ、拓けてゆく。
 このままでは、この小さな猫すら止められない――。
 事態に慌て、指示を出す3人の声も、その拍子も。姿かたち以外、仄々が知る彼らのものとは全く別物であることが知れた。
 仄々はそのお粗末さに、思わず『うーん』と唸り、首を捻る。
「声だけじゃなくて、性格も違いますよ。
 少年さんはもっとポエミーですし。リックさんなら、もうとっく逃げているはずです。
 故郷愛溢れる学芸員さんが、そもそもここに来るはずがないです。」
 恐らく、それぞれの√で三者三葉にくしゃみをしている事であろうが。
 ぴしゃり。戦闘員たちの演技に、ダメ出しの指導を飛ばす。
 そう。仄々と交友してきた彼らとは、咄嗟に取るであろう行動も全く違うのだ。
 駆け出し冒険者の彼なら、仄々が音弾で敵を吹き飛ばし始めた頃にはその場にいないであろう。√能力者たちにより屍の山が築き上げられている此処に居よう筈もない。
 学芸員の青年も、今頃故郷の偉人の調査に忙しいはずだ。それに、正義感が高じて悪の力をも利用しようとした彼が、このような陰湿な手を用いる筈がない。
 チョコ欲しさに街一つ滅ぼしかけた少年は……いくらなんでも、女子一人を取り囲むようなことはしないであろう。
 そんな強引な手段を取らない善良さゆえに、夕日の橋の上で抑え切れぬ激情を叫んでいたのであろうし。多分。きっと。
「一緒に食べたチョコパンの味で、色々と落ち着いてくれているといいのですが。色々と。」
 思わず苦笑を浮かべながら、彼らは元気にしているだろうか――。そんな懐かしさも、鍵盤に乗せて。
 遂にたどり着いた、天使の前。
「猫さん!聞こえていたけれど……来てくれたのね!Merci beaucoup!」
「はい、参りましたよ、アニエスさん。
 私たちを信じて下さり、そして強くあってくださって嬉しいです♪」
 メロディに勇気付けられたからであろうか。
 羊のトートバッグを抱えているアニエスの表情からは動揺が薄れ、仄々にも笑みを向ける心の余裕が生まれたようだ。
(ええ。ご両親から愛情深く育てられたことが良く判りますよ。)
 その逞しさは、あの暗い雰囲気に満たされた√汎神解剖機関の中でも、明るく、大切に育てられてきた故なのであろう。
 そんな彼女を背に庇ったならば。残る3人の大根役者をこの場面から退場させるだけ。
「さあ、|終幕《フィナーレ》です。元気よくいきますよ!!」
 色とりどりの音符が光の雨の様に降り注ぎ、田舎の町に弾ける音、音、音。
 どこかで見知った懐かしい顔たちは、その最期の苦悶の貌すら光に隠されて。
 光が晴れる頃には、全ての戦闘員がこの町より排除されたのであった。
(正に、アニエスさんとご両親……そして我々を侮辱する輩でしたね。
 ――あの無貌さんが、このままで済ますとは思えませんが……。)
 一先ず訪れた|休符《レスト》に、仄々は構えていた手風琴を降ろすのであった。


「|Mon Dieu《なんてこと》……また、皆さんには助けて貰ってしまったのだわ。
 危険に飛び込んで下さり、ありがとうございます。……苦しい、戦いだったでしょうに……。」
 深々と、自身の命を救ってくれた√能力者たちに頭を下げるアニエス。
 戦いの中の端々で、彼女も√能力者が敵の『貌』に苦しめられた事を察していたのであろう。
 務めて明るく振舞ってはいるが。皆への申し訳なさからであろうか、声にはいつもの覇気がない。
「さて、また貴女が狙われています。お喋りは後ほど。旅団まで急ぎましょう。」
 彼女が置かれた状況を仄々たちが説明すれば、信頼する者たちの弁である。
 旅団に戻り、身の安全を確保するという方針に、アニエスは頷いた。
 √能力者たちに守られ、羊のトートバッグをしっかと抱えて。
 彼女は小さな震えを堪えながらも、気丈に自らの足で歩きだす。


「微笑ましいねっ、涙ぐましいねっ、泣かせるねっ!」
 底抜けに朗らかに嘲笑いながらぱちぱちと手を叩く、微塵も悪意を隠さぬ気配がひとつ。
 どこで観察していたのだろうか。その傍らにサイコブレイドは居らず。
 これまたどういうわけであろうか、その手には彼の得物が握られていた。
「でも、このまま終わるんじゃ面白くないよね?みんな、もっと面白く出来るよねっ!
 ああいう子がついに折れて絶望……そんな時の|表情《カオ》っ!うーん、想像しただけでぞくぞくしちゃうっ!
 というわけで、ここで|刺激《スパイス》をちょちょいと追加しましょー。|奪っ《借り》てきた玩具の力、試してみよっか!」
 ――貌の無い悪魔が嗜虐の心と共に、一行に迫っている。

第3章 ボス戦 『【無貌】スターチス・リモニウム』


「300人を越える配下を出して殺せんとは、何たるザマだ。」
 額の翡翠色の瞳に怒気を漲らせた三つ目の暗殺者、サイコブレイドは。嫌がらせに終始して、|目標《Anker》の命を奪えずに終わったソレを睨め付けた。
 これでは、殺せる手筈であったAnkerを殺すことも出来やしない。|人質《Anker》の命が懸かっている以上、彼の怒りも尤もな事であろう。
 しかし、その怒りの矛先を向けられた相手はといえば。
「言ったでしょー?下準備だって。サイッコーな料理のために、焦りは禁物だよっ!
 ほら、あのAnkerも、√能力者たちも、目に見えぬ所にダメージは負ってる筈だよっ?」
 実に気楽なものだ。わかってないな、と呆れ調子で肩を竦めてすらいる。
「……あの様な策を用いずとも、俺なら勝てる。正面から目標を始末してみせる。退け。」
 殺気すら見せて威圧する王権執行者。然し、ソレは怯まず、退くそぶりすら見せず。
 面白いことを思い付いたとばかりに、にんまりと笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。アレ貸して!剣!どうせ今の君じゃ、本気で使えないでしょ?そんな君に使われるより私に使われたほうが、剣も幸せだと思うのです!」
「貴様……!断る!」
「……ふーん?お願いを聞いてくれないなら……君の大切な存在に不幸な事故が起きるよう、祈っちゃおっかな。」
 人質さえなければ、かの悪魔など一刀両断していたであろう|愛剣《サイコブレイド》を。三つ目の暗殺者は唇を嚙みながら託す事しか出来なかった。
「あっはっは!ありがとうねっ!ちゃんと仕事はするし、この|剣《オモチャ》も帰ったら返すからさっ!だから、先帰っててー!」
 言う事を聞かねば、ソレは納得するまい。遊び気分で人質すら殺すであろう。
 サイコブレイドには、その指示に従うより他の道はない。
「……しくじるなよ。」
 そう、一言。念を押して去る事が限界であった。
 その様な言葉など、悪魔が聞いている訳もなく。受け取った剣を構えて見せれば。
 ――ぞわり。ぞわり。その手の中のサイコブレイドより、漆黒の触手が溢れ出す。
「いやー、情けないとはいえ、さっすが王権執行者の得物だねっ!すっごい力!
 ――これならあの子たちに、√を越えたインチキだって出来そうだ。」


「あと少しで旅団、なのだわ。」
 羊のトートバッグを抱えて。天使の少女、アニエスは呟いた。
 既に旅団の拠点である古民家は見えており、√能力者たちは敵の襲撃を許していない。
 一度彼女を旅団に避難させてやれば、サイコブレイドであろうが、一部の√能力者たちが強く警戒している存在であろうが、万全の状態で正面から迎え撃つ事が出来る筈だ。
 誰一人として油断はしておらず、警戒も緩めていない。――が。
「安心してるトコごめんねっ!Anker一本釣りだー!」
「……むぐっ!?」
 緊迫した空気に似合わぬ、場違いに明るく朗らかな声と共に。
 どさりと、トートバッグが地に落ちる音がした。
 ――アニエスの姿が、掻き消えている。
 手練れの√能力者ですら、『彼女が何者かに攫われた』と理解するのに一瞬の時間を要したであろう。
 ――ぎちり。ぎちり。何かを縛り上げる異音に、振り返った√能力者たちが見たものとは。
 漆黒の触手に囚われた天使の少女の姿と、もう一つ。
「やっ!お久しぶりだねっ!元気してたー?初めましてのひともよろしくねっ!」
 白虎の獣人の姿を取り、気安く挨拶をしてくる女の姿であった。

 ――剣であるサイコブレイドには手にした者を強化する他、一つの特殊能力が存在する。
 その潜在能力を開放する事で、漆黒の触手を飛ばし、√を越えて獲物を捕らえる事が出来るのだ。
 そう。今まさに、あの女が天使を捕らえて見せたように。
「あっは!狙っていたAnker以外にもAnkerが来てくれちゃって!大漁だよね!
 あ、これ?これね?ちょっと|奪っ《借り》てきたんだ!いいでしょ、あげないよっ!」
 天使を捕らえた悪魔は、玩具を自慢するように剣を振るい。ぴっと、その切っ先を天使の喉元に突き付けた。
 悲鳴を上げようにも、アニエスは触手に口を塞がれ、四肢は完全に拘束されているために身動きする事も出来ない。
「うんうん、いいね、いい顔だよみんな!とっても素敵!一息に首を落としても、君たちの素晴らしい顔が蒐集できるんだろうけど!
 ――うーん。まだまだ、サイッコーには程遠い。この子の心もまだ、折れてないしなー。やっぱり、痛めつけてからのほうがいいよねっ!そうしよー!」
 √能力者たちの顔を順繰りに見回しながら。一言喋る度に。瞬きの間に。体格が。声が。口調が。√能力者たちにとっての大切な存在へと変わってゆく。
 √能力を用いたその変身の巧みさは|戦闘員《げきだんいん》を遥かに凌ぎ、相手の攻撃を躊躇わせるのに十分な効力を発揮することであろう。
「戦ったことのあるみんななら知ってるよね!私はちょっと強い程度?なのですがっ!しかーし!
 ――このサイコブレイドのお陰で、今日はとっても強いよ。」
 戦闘用の姿なのであろう。今日着る服を選ぶかのように、獣人の姿に変身すると。
 初夏の空気をも凍りつかせる吹雪の如き剣気を放ち、無貌の悪魔はサイコブレイドを構えた。
「みんな、そんなもんじゃないでしょ?もっといい|表情《カオ》出せるでしょ?
 死んでいく姿、悲鳴を上げる姿、命乞いをする姿を見れば、この子は絶望するかな。
 瀕死になるまで痛めつけて、助け出せなかったこの子が目の前で死んでいく姿を見れば、あなたたちは絶望するかな。あー、この子。確か、どこかのリーダーのAnkerだったっけ?
 そうでなくても、蘇っても遺る|傷《トラウマ》を贈ってあげる。
 ――私に素敵な、サイッコーの|絶望《カオ》を見せて?」

※Caution
・この戦いではアニエスが【無貌】が放った漆黒の触手に囚われています。
・この触手は、一人につき一本しか切る事が出来ず、単独で解放する事はできません。
・【無貌】は皆さんの心身を甚振る事に愉しみを見出しているため、プレイングで指定して頂かない限り、人質作戦は取りません。
・【無貌】は『大切なひと』に化ける√能力を複数持ちます。
 皆さまの『大切なひと』をプレイングに記載して頂ければ、拾える範囲、公序良俗に反しない範囲で、設定や心情を採用させて頂く予定です。
(Ankerの方であっても、相手の方から感情を得ていない場合は採用できない事があります。)
ライラ・カメリア

「あっは!まずはあなたから?あなたの大切な人の姿、気に入ってくれたかなっ?」
「……。」
 人質を取っているという優位からか、それとも得物の齎す力に高揚しているのだろうか。【無貌】の口数はいつになく多い。
 先の事件を知っているものであれば、この悪魔が『下準備に時間をかける』という事を、苦さと共に記憶しているであろう。
 それだけ慎重に事を運び、自身の『ちょっと強い』程度の実力を把握し、相手を観察して『|大切な存在《絆》』という弱点を突く事を良しとする存在が。
 目の前のライラ・カメリア(白椿・h06574)の瞑目と、無言の意味に、気付かない。
「かほちゃんの優雅な仕草、|戦闘員《げきだんいん》がうまく真似できなくてごめんね?
 それにしても、大切な人の顔を躊躇いなく斬れるなんて、愛が足りないんじゃないかなっ!」
「言いたいことは、それだけ?」
 眉一つ動かぬ、感情の消えたアイスブルーの眼差しと。静かな、静かな問い掛けに。
 『守護者』としての育ちに恥じぬ殺気の刃に突き刺され。けらけらと嘲笑う無貌の声が、凍った。
「結構よ。御託は良いから始めましょう。わたしは貴女に絶望する時間も赦さない。」
 すらりと抜くは彼女の愛剣、Valkyrie。外道が|奪っ《借り》た得物を構える時間など、与えはしない。
 アニエスが憧れた、あの日の姿のままに。|剣の天使《ウリエル》が痴れ者を滅ぼすために天に舞う。

(十代の小娘が出していい殺気じゃないよね、これ?)
 ライラの背景、背負ってきたものは、読み取った情報の中で識っている。然し。
「読むと見るとじゃ大違いだねっ!だから人生は面白いっ!……おおっと!?」
 サイコブレイドで戦乙女の一太刀を弾く無貌だが、それも辛うじて、といった様子。
 というのも、今、ライラの姿は目視できていない。純白のドレスも、セレスティアルである事を示す翼も。あらゆるものが、豊かな緑に溶けている。
 さらに言えば、ライラの速度は【|Ma épée《マ エペ》】により3倍にも上昇しているのだ。
 殺気を頼りに得物を振るうが、剣風に羽根がふわりと舞い上がるように見切られ、刃が届かない。
 無貌が舌打ちし、防御を意識したその隙に。
「──先ずは、一本。」
「お姉さま!」
 天使の少女の口を押えていた漆黒の触手が一本、力を喪い地に墜ちた。

「色んな人生を見て来たけど、ここまで思い切りのいい子は久しぶりだねっ!
 まあまあ、そういきり立たずに私の話を聞いてお行きよ。
 ――あなたの知ってる誰かさんの話も聞けるかもよ?私を護るどころか護られて死んだ、男の子の話とか?」
 無貌自身を主人公とする、数多の人生を食い潰し、√能力にまで昇華させた物語。
 自然の緑に溶け込んだライラを、幾千、幾万もの失意の果てに滅びた、怨嗟の声が包み込む。
 護る為に、『奇麗』なままでいるお前が恨めしい、と。
 護るべきを護れず、此方に堕ちて来い、と。
 守護者であったであろう者たちの声が、彼女を誘う。
 このライラが折れていない様を呪う声の影響下では、無貌の攻撃は迷彩を纏っていようが関係ない。白椿を確実に捉えるであろう。
「んじゃ、こいつで捕まえて、そこの天使ちゃんの前で斬り刻んであげよっか!口を押える触手はあなたが斬ってくれたしねっ!」
 ぐばり。天使を捕らえたものと同質の漆黒の触手の群れが、剣より再び湧き出して。ライラに向けて放たれる。
 動きを封じて、アニエスの悲鳴をスパイスに、少しずつセレスティアルの命を齧り取ってゆく心積もりなのであろう。
 確実に命中するこの空間では、彼女がこれを躱すことも能わない。
 ――が。
「――ぬるいのよ。」
 飛ばされた触手たちが、彼女の『剣の舞』に『受け』流され、断ち切られ。ぼとぼとと無惨に落下してゆく。
 勢いはそのままに、神速の踏み込みで無貌に迫り。
 唖然とする悪魔の首筋に、ぴっと剣先を当ててみせた。
「ありゃ……?」
「――ねえ、貴女。」
 無貌を知る者なら、凍り付いた笑顔の頬に、つと汗が滴る様を。
 或いは、普段のライラを知る者なら。
 その鬼気迫る様を、驚きを以て見詰めていたことであろう。
「悪趣味を極めるならもっと残忍になることよ。剣は玩具じゃないの。」
「――そりゃ、至言。次会えた時は、ちゃぁんと舞台を仕込んでおくねっ!楽しみにしt」
「──さっさと去ね。」
 剣の力に酔って己の戦い方を忘れ、守護者の虎の尾を踏んだ道化の二の句を赦さず。
 聖剣の剣撃が、他人の貌、人生を冒涜する白虎の身を血飛沫で濡らしてゆく――

和紋・蜚廉

「一を屠れば、三が走る。──蠢け、我が殻影。」
 |和紋・蜚廉《わもん・はいれん》(現世の遺骸・h07277)の詠唱と共に、影が蠢き這い出した。その数は、ゆうに100を超えている。
「ゴキブリに悲鳴を上げるほど乙女じゃないけどさぁ!?
 数は力って、私みたいにかよわい女の子相手に、限度ってもんがあるんじゃないかなっ!?しかも増えてるしぃ!」
 先の戦いで血に濡れた体を気にする様子もなく。
 己の行為を棚に上げて無貌が叫ぶが、その合間にも剣や足に潰された分体は分裂して更に数を増やしてゆく。
 この、己の半分程度の|力量《レベル》を持つ分体で敵を圧殺する――
 それこそが√能力【|蠢影《シュンエイ》】の真価たる効果である。
 蜚廉の思惑通り、影たちが地を這い、木々を駆け、空気を裂いた。
「さあ、どれが我か……見定める暇などあるまい。」
 有効な貌を探し、無貌が瞬きの内に姿を変じるといえども。その度に夥しい数の視線が無貌に突き刺さる。
「こうも沢山の意識を向けられると、やりづらいねっ!得意じゃないけど、そこは玩具の力で担保っ!」
 ――『潰さなければ、増えることはない』。
 その穴を察知した無貌は、サイコブレイドにより上乗せされた力で、決して得意とは言えぬ変身を高精度で行い、火を噴く竜に変じ。口より吐き出す火炎で分体たちを焼き払う。
 しかし、それでどうにかなる程の数ではない。背後に回り込んだ者たちは変わらず竜に襲い掛かり、減った数を補おうと、自らその足元に滑り込む者たちすらいる。
 それ故に、擬殻布と蟲煙袋で姿を曖昧にした蜚廉の気配に意識を向ける余裕など有りはしない。空間ごと欺きながら――
「……獲った。」
 天使を捕らえていた漆黒の触手、その一本を。 蜚廉の跳爪鉤が断ち切った。

「あー、もう!|戦闘員《げきだんいん》の方がうまくやれてた気がするとか、気に食わないなー!」
 目の前の存在は精神性こそ武人そのものであるが、本質的には人ならざる存在である。
 幾度も生き直し、様々な人生を成り代わり送ってきた無貌といえども。流石に『人間ではない』存在の生を送ってきた経験は無い。
 故に、蟲に真に有効な『貌』など思い浮かばぬという、無貌の限界が露呈している。
「その貌が誰であろうと、我は揺るがぬ。」
 戦場を埋め尽くす黒い川。足元から這い上がってくる分体たちが背後を抉ろうと爪を立てたとしても、ダメージは然程でもないが。
 それが100を超える数ともなれば、積み重なる|傷《ダメージ》も馬鹿にならない。何よりも。
「そりゃ、こいつらには化けたところで効きようがないよねぇ!」
 竜の尾で周囲を薙ぎ払うが、幾ら加減に気を付けようと文体は潰れ、更に数を増やすという悪循環。
 その隙に、本体はただ、静かに“芯”へと忍び寄る。
(変わりゆく貌、誰かの声。それすらも我には無駄な一手、隙に他ならぬ。)
 蜚廉にとっては変身する刹那、無貌の言葉の多くが文字通りの『無駄口』であった。
 その無駄口だらけの痴れ者に一撃を与えんと、殻肘を振りかぶる“本物”──
「――汝とは、年季が違う。」
 ――一閃。
 地を這う虫に痛撃を加えられた竜の咆哮が、戦場に木霊した。

小明見・結
瑠璃・イクスピリエンス

「大切な人の顔を使うなんて許せない。
 誰かとの別れがあって……再会が叶わないかもしれないのに。」
 |小明見・結《こあすみ ゆい》(もう一度その手を掴むまで・h00177)は、目の前の無貌の姿を見て、ぐっと拳を握り締める。
 その姿は、結が探し続けてきた踊瀬・美羽の姿を取っていた。
 先の|戦闘員《げきだんいん》の変装とは異なる、声まで写し取った正真正銘の変身。
 さらに、√能力者たちとの戦いで傷付いた姿をそのままに、血濡れになった姿は直視し難いものであるだろう。
「ふふ。この趣向は気に入って貰えたかしら、結。別れがあっても、こうしてまた会えたじゃない。」
 心に癒えぬ傷を刻むことを好む、無貌の振る舞いに。結は、対話の成り立たぬ相手である事を理解した。
「皆、苦しい中で折り合いをつけて、別れに向き合って。
 そんな人たちの思いを嘲笑うようなことが、どうしてできるの。」
 それはこの約1年、神隠しで行方不明となった親友、奔放で溌溂とした美羽を想い、探し続けて来たからこその問いであろう。
 突然に失い、二度と会えぬかもしれないという恐怖。√能力者として戦う中で、望まぬ別離を悲しむ者たち。
 それらに向き合ってきた結の、空色の瞳に宿るのは。この悪意と悪趣味を隠さぬ敵を倒さねばならない、という強い決意。
 ――さらに。無貌の意識を引き付けている間に。
「トラさん初めまして!ボクはクマさん、よろしくね!」
 可愛らしく、丸々としたくま耳の彼女が。明るい声と共に、天使を捕らえている漆黒の触手を切り裂いていた。
「ふーん?くまさんのために、自分が囮になる。結ってば、そんな事出来るようになったんだ。
 私が手を引いてあげていた頃とは、すごい違い!もしかして、私がいなくなったおかげかな?」
 親友の貌で、行方不明になった美羽を愚弄するような言葉を吐く悪魔に、結の顔が強張りかける。
 そんな結の肩に、ぷにぷにとした肉球付きのくまの手袋…… |瑠璃《るり》・イクスピリエンス(ハニードリーム・h02128)の手が、優しく置かれた。
 柔らかな感触と『大丈夫だよ』、そう言って微笑む瑠璃に。結の肩の力も、自然と抜けてゆく。
 その様子に頷いたくまは、無貌に負けぬ溌溂とした笑顔で無貌に向き直った。
「キミはみんなの絶望した顔が好きなんだって?残念、ボクとは正反対の趣味みたい!」
「あなたや、万人に理解される趣味ではないものね。本当に残念だわ。
 ――でも、理解してくれているのなら話が早いわね。早く、あなたと結の素敵な貌を、私に見せてもらえるかしら?」
「うーん、それはお断り!良い子の幸せを守るのがクマさんのお仕事だからね!」
 にこにこ笑顔が、悍ましい提案をばっさりと切って捨てた。

 結と、瑠璃の立ち回りは、捕らえられたアニエスを可能な限り護るという目的で一致していた。
「――お願い、皆を守って。」
 天使の少女を背に庇うように位置取りした瑠璃。そして結は瞑目し、自らと共に戦う風の精霊たちに希う。
 ――【|守り風《マモリカゼ》】
 攻撃から一度だけ守ってくれる風の精霊を呼び出すこの√能力。
 先の√能力者が用いたものが、手数による攻撃を目的としたものならば。
 こちらは守りに手数を割いたもの。ただし、その数は100を超える数へと至っている。
「また数は力ってこと?単純だけど、とても厄介なのよね。」
 美羽が精霊たちの効果を確かめるように刃を振るい、触手を飛ばしても。その軌道に『盾』として割り込み、打ち消して消えてゆく。
 アニエスが触手に囚われているという状況を覆すことは出来ないが、流れ弾や無貌の言う『不幸な事故』も、これならば起こりようがないであろう。
 ある程度の安全を確保したところで、改めて結と瑠璃は相手の姿を観察する。
「あの人がサイコブレイドって人?違うわよね、聞いていた特徴と一致しないし。
 それじゃあ、あの人は何者なの。一体何が目的でこんなひどいことを。」
 親友の姿に変身したかと思えば、竜の姿や剣虎の姿に変身したり、白虎の獣人のような姿を取ったり。
 『人の団結力』を狙うという、プラグマの大首領が全ての怪人達に授けたという戦略に非常に忠実であるが、それも予兆で見られた苦悩する姿とは大いに異なるものだ。
 特徴として一致しているものは、その手に持つ『|剣《サイコブレイド》』のみである。
「わからないね。けど、ボクたちの仲間の中にも、トラさんを知っている人たちはいるみたいだ。」
 瑠璃たちと共に戦う√能力者たちの内にも、無貌との交戦経験がある者が数名居る。その何れもが、強い警戒心と怒りを露わにしているのが見て取る事が出来た。
「好ましい相手ではないことは、確かみたいだよ。目的は、わかりたくもない。」
 先の戦いでわざわざ知り合いの姿を選んで変装させ、今もまた、共に戦う結の親友の姿に変身するという悪辣な手を用いてくる様な手合いだ。優しいくまは、言葉を選びながらそう結論付けた。

「こんなに『盾』の数が多いと、戦いにならないわね。じゃあ、少しばかり僕の話を聞いてもらおうか。」
 この溢れんばかりの盾を突破せねば、√能力者たちに傷を与えることは出来ない。この事態を打開せんと再び戦場に満ちるのは、無貌に人生を狂わされ、破滅していった者たちの怨嗟の声。
 語る物語は何れも、才能を折られ、奸計に陥れられ、正義の心を踏み躙られ、絶望して破滅してゆく|者《ヒーロー》たち。
 その何れの中心にも、天邪鬼の様に大切なものを殺してその席を奪い、何食わぬ顔で隣で嘲笑う無貌の姿があった。
 語るうちに、その姿は瑠璃のよく知る『彼』のものへと変わっている。
 ――うん、分かってた。
 その怨嗟の声の中で、彼女はそっと目を閉じる。怨嗟の声に負けぬように、愉快で幸せな物語の世界を思い描く。
 |戦闘員《げきだんいん》たちがその姿を取ったように。無貌がその姿を取るのは予想済みだ。何故なら。
(『わたし』の大切な人は、君だけだから。)
 病弱だった彼。そんな彼が描いた物語は、今もあの赤いキッチンカーの片隅に遺されている。
「――そして、キミはみんなの幸せを願った。ボクはそれを、全力で叶えるんだ!」
 『彼』の描いた物語のテディベアたちが、皆に幸せを届けるために、幸せの四つ葉を風船に乗せて飛ばしたように。
 風船を膨らませるように、ふぅ、と大きく一つ息を吐いて。笑顔で語り始めれば、黒々とした世界は豊かな緑に。怨嗟の声は獣や鳥の鳴き声に塗り替えられてゆく。
 見られる植生は大きな大きなヤシの木に、これまた大きなシダの葉たち。そう、ここは南のジャングルだ。
「これは……あのお話ね?」
 4頭の虎の姿を認めれば、結にもその物語が何であるか合点がいったようで。懐かしさに思わず目を細めている。
「そう!得物を追い詰めようとぐるぐる回り、バターになっちゃうトラの物語さ!」
 √能力、【|童話「三匹のクマさん」《クマノオシオキ》】。効果は無貌の語る絶望の物語と変わらぬ、話者に必中を齎す効果だ。
 そして、お互いに攻撃が必中となる、この状況ならば。
「傷つけさせたりなんかしないわ。体も、心も。」
 結が放った風の精霊たちという、無数の盾を得た瑠璃が圧倒的に有利なのは自明の理であろう。
「数の力は本当に厄介だな。風船を飛ばし続けて一人には届いたのだから、さもありなん、か。」
 無貌が拳を振るっても。掻い潜るように瑠璃に迫り、剣を振るっても。
 次から次へと現れる精霊たちが盾となり、その攻撃は一向に瑠璃に届かない。
 消えゆく風の精霊たちに『ありがとう』、と伝えると。皆に向けて、無貌に傷付けられた心を癒すような、明るい笑みを浮かべてみせた。
「終わったら、パンケーキパーティーだよっ!」
 その手をくまの手袋から、本物の熊の手に気合で変身させて。精霊が盾となって消える中、『彼』の懐に飛び込んだ。
 ――刹那。『彼』と目が合った。瑠璃の名を呼ぶように、口元が動いた気がするが。
「『君』は絶望なんか振り撒かないって、知っているから。」
 野生の熊にも勝るであろう疾く、力強い全霊のラッシュが。
 『彼』の姿を取った悪魔へと吸い込まれていった。

深見・音夢
星見天・奏多

「うわー……お近づきになりたくない類のが出てきたっすね。」
 |深見・音夢《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)は心の底から辟易とした、と言わんばかりのため息を吐いた。
 ――人質を取る。兎にも角にも相手の嫌がる事を徹底する。
 この様な悪趣味なやり口は、『絆を攻撃する』者が多い√マスクド・ヒーローにはありがちだ。
 怪人である音夢にも、幾らかは心当たりがあるかもしれないが。今の彼女は怪人でありながら、悪と戦う正義の心に目覚めた存在である。
「そんな悪趣味な輩にアニエス殿は渡せないっす。きっちり返してもらうっすよ。」
 √能力者たちと、無貌との戦端は既に開かれている。
 音夢も愛用の長銃を片手に、無貌との戦いへと飛び出した。

 ――が。
「あーもう!無駄に奏多殿推しの再現率高いのどうにかならないっすか!」
 踊るような所作で放たれた蹴りを防ぎながら、思わず悲鳴を上げたのは音夢の方であった。
 先の戦いでは致命的なミスを犯した|戦闘員《げきだんいん》たちとは異なり。
 この無貌の変身した奏多は、声から、ちょっとした所作から全てが『奏多』そのものと言ってもよい。
 反撃しようにも、己のAnkerでもあり、推しに推している彼女に銃口を向ける事まではできても。
 どうにも躊躇いが生じて、偽物とわかっていても、致命的な部位を撃てなくなってしまっているのだ。
 結果として、躊躇いなく攻撃が出来る側である無貌に、戦いの主導権を奪われつつある。
「音夢、こうしてリアルでも会えて嬉しいわ。もっと一緒に踊りましょう?あなたが斃れるまで、付き合ってあげるから!」
 このまま、じわじわと甚振られ、偽物の前に屈してしまうのか。
 その様を見させられているアニエスが、悲鳴交じりに音夢の名を呼ぼうとした、その時。
 ――音夢の持つ端末から、何故か。|推し《奏多》の歌声が聞こえ始めたのであった。

 さて。|星見天・奏多《ほしみそら・かなた》(深みを照らす小さな星・h02274)は、音楽系動画界隈で細々と活動しているバーチャルアイドルである。
 音夢の地道な布教活動の甲斐もあってか、最近では少しずつ再生数を伸ばしているのだが。それはさておき。
 そんな彼女は音夢のAnkerであり、所謂見えないお友達と呼ばれる存在である。
 そして、奏多は何処からであろうか、この戦いの流れも確かに見守っていた。
(本当なら戦えない私が出る場所じゃないんだろうけれど、いつまでも見守るだけじゃいけないわよね。)
 深みからずっと推してくれている|最古参《シングルナンバー》のファンが、自分の姿をした偽物に苦戦し、傷付けられているのである。
 そんな様を、本物のアイドルが黙っていられようものか。
(それに勝手に顔と声を使われてるんだもの、苦情の一つくらい言う権利はあると思うわ。
 ――と、いうわけで。ちょっとイカサマっぽいけれど。)
 そうと決めれば、彼女は愛用の電子ツールで音夢の端末をこっそりハッキングして、ジャックする。
 ファンの窮地を救うためなら。彼女が戦う力を得られるなら。これくらいのズルくらい、幾らでも許されるであろう。
(――いざ、ゲリラライブ!)

「って、この忙しいときになんで動画再生が起動して……奏多殿のライブ配信!?」
 まさか、自身の端末が推し直々にジャックされているなどとは露知らず。音夢が驚きの声を上げるが。
「なんでこんなピンポイントに、なんて言ってる場合じゃないっす。……ね!?」
 唐竹割にせんと振り下ろされたサイコブレイドを、すんでのところで回避する。
 無貌が舞いながら音夢を嬲りに掛かっている今、不思議がる時間も無いほどの鉄火場だ。
 ――今はまだ直接顔を合わせるわけにもいかないけれど。
 ――それでも私は確かにここにいて、音夢の味方なんだって歌声で伝えてみせる。
 飛び退き、ちらりと覗き込んだ端末の中。
 奏多はいつもの配信サイトで、いつもの人魚を思わせる装いで。
 今この時も、数少ない|ファンたち《音夢》の為に懸命に歌っていた。
 ――これで、心の底から確信できたっす。この奏多殿は、本物っす!
 端末の音量は最大に。画面を覗き込んでいる時間がないのは惜しいけれど。
 推しに推している彼女だからこそ、映像を見ずとも『いつもの』タイミングは外さない。
 ――きっとこれで伝わるはず……!
 ――このコール、応えてみせるっす!
「I'm Your Star!」
「Yes, You are My Star!」
 たとえ画面に隔てられていたとしても、二人を繋ぐ合言葉。
 入魂の、叫ぶようなコールと共に。迷いを吹っ切った音夢の目に星の光が灯る。
 コールを通して心が重なった音夢と奏多の二人の前では、ファンを足蹴にするような偽物など物の数ではない。
「動きが変わった?……『アイドル』と『ドルオタ』、いいえ。あなたたちの絆。ちょっと甘く見てたみたいね。」
 奏多の歌声をBGMに、メロディに合わせた軽快なステップで鞭の様にしなる蹴りを掻い潜り。
 一気に間合いを詰めると、偽物の奏多の右腕に巻き付けられる音夢のマフラー。
「捕まえた!イチかバチか、正真正銘のとっておきっすよ!」
 彼女がサメの様な歯を見せて笑うと同時に、マフラーが必殺の連鎖爆雷へと変形する。
 咄嗟に、無貌は左手に持ち替えた剣でマフラーを切断しようとするが、もう遅い。
 ――【|火遁・連鎖爆雷変化の術《ヒートエンド・シェイプシフター》】
 静かな田舎の緑の中に、豪快な火柱が立ち昇った。

「|Mon Dieu《なんてこと》……!?音夢さん、音夢さん!!」
 触手に縛り上げられ、身動きが取れずとも。天使としての性質か、真っ先にアニエスが心配するのは爆炎に呑まれた音夢のこと。
「大丈夫、心配いらないっすよー!」
 濛々と立ち昇る黒煙の中。いつもの明るい声と共に、ちかりと光るマズルフラッシュ。
 安堵の表情を浮かべる天使を縛る触手の一本が狙撃され、ぼとりと力なく地に落ちた。
 爆発の余波で黒いインナー一枚となってしまった音夢は、ポーチから端末を引っ張り出して、メロディの余韻の残る画面を覗き込む。
「へへ。やってやったっすよ、奏多殿。」
 残念ながら、歌は丁度終わってしまったところであったが。
 画面の向こうの奏多は、独り言つ|音夢《ファン》を労う様に、柔らかく微笑んでいるのであった。

八木橋・藍依
八木橋・桔梗

「予想通りの展開ですね。……少し、やり辛くはありますが。」
 目の前に現れた|桔梗《いもうと》の姿に、藍依は苦々しい表情を浮かべるも。
 |戦闘員《げきだんいん》たちの『大切な者への変装』という手の内を知っていれば、黒幕である無貌も同じ系統の策を用いてくるであろうという事は容易に想像が付いた。
「今回はブラフも通用しないよ。不意のアドリブだってこなしてみせるわ。
 だって、私はあなたの『妹』だもの。ね、藍依姉さん。」
 とはいえ、声も仕草も妹そのもの。姉への呼び掛け方を間違える下手など、打ちよう筈もない。
 その上、自身のAnkerともなれば、本能的なやり難さを感じるものだ。
(今回の事件、桔梗の手は借りないつもりでしたが……。)
 逡巡は僅かの間。この状況を打開するためには、彼女の力が必要になるやもしれない。
「気が変わりました。あなたには、痛い目を見てもらいます。」
 己の半身たるアサルトライフル、HK416のグリップを強く握りしめ。妹を騙る偽物に銃口を向けて見せた、藍依に。
 |桔梗《かおなし》はやれやれと肩を竦めてみせてから、その手に彼女の姿に似つかわしくない、大ぶりの剣を構えた。
「そう。なら、やってみせてよ。どんな貌を見せてくれるのか、楽しみだわ。」
 どこまでも冷静な口ぶりで。姉に向け、|妹《にせもの》が駆け出した。

「くっ……!」
 牽制の速射を意にも介さず突進してきた無貌が、藍依の胴を薙がんと真一文字にサイコブレイドを振り抜いた。
 これを飛び退き躱すも、妹の姿で血を流される様は気持ちの良いものではない。
「ふふ、遠慮なく撃ってくるなんてひどいな。……なんてね。
 こうして、じわじわと心に傷を刻んでいくのが私の戦い方。楽しんでもらえているかしら?」
 まるで妹の様にダウナーに、淡々と語る無貌を前にして。藍依の頬に、一筋の汗が伝う。
 ――不利な状況ではありますが。
 事実、彼女も兵器を基に創られた|少女人形《レプリノイド》とはいえ、心は『ひと』と変わらない。
 血の繋がりはないとはいえ、本能的にその顔を|妹《ほんもの》と認識してしまえば。急所を狙うのは容易いことではない。
 その一方で、付け入る隙もあると藍依は判断していた。何故なら。
(アニエスさんを殺してしまえば、私達の絶望とやらが見られないから。)
 そう。無貌の目的は、念入りに√能力者たちが心身ともに傷付いていくのを味わった上で、サイコブレイドが本来果たすべきであったAnker殺しを代行すること。
 剣の力に酔い、余計な遊びに興じている今は人質を殺す可能性は低いであろう。
(それに、私を甚振る事に興じている間は、一撃で仕留めに掛かるような真似はしないはず。――そこに、隙はある。)
 モノクルの下の淡い緑の瞳が剣先を見切り、辛抱強く銃撃で反撃を行って距離を保つ。――が。
「何を企んでいるかはわからないけれど、守ってばかりじゃジリ貧だよ?
 ……切り札を切る前に、虫の息にしちゃおっか。」
 桔梗が、にぃ、と口角を吊り上げ。藍依が粘り強く保ち続けてきた間合いを一気に詰め。大上段に剣を振り上げた。
 今にも振り下ろさんと踏み込んだ、その時である。
「この敵、変身能力を持っているんですね。」
 ――冷ややかな声と共に、機関銃の咆哮が轟いた。
「ぐぅっ!?」
 それと全く同じ声で、腹から血を噴き出した桔梗が呻き、たたらを踏む。
 銃口から覗く硝煙、しかしその出所は、藍依のHK416ではない。
「私や藍依姉さんの姿を真似るようなことがあるのなら……あまつさえ、傷付けるなら。
 ――とりあえず死刑、かな。」
 その持ち主……真の桔梗は、愛銃G11を肩に担ぎ。
 姉を傷付けた己の偽物に、今すぐにでも射殺さんと言わんばかりの殺意の眼差しを向けるのであった。

「ありがとう、桔梗。助かりました。」
 姉に微笑みを向けられた|八木橋・桔梗《やぎはし・ききょう》(稀代の天才発明家・h00926)は、どうという事はないという様にひとつ、頷いた。
「前線でAnkerを使うなんて。私としては、オマケで仕事が出来て嬉しいけれど。
 それにしたって、私相手にどうかしてるよ。……ね。」
 Ankerを呼び出す効果の√能力は多種多様にあるが、その内の一つであろう。
 無貌はむしろ、探す手間が省けたとばかりに嬉々として桔梗に向けて刃を振るうが、応報の銃撃に再び射抜かれる事となった。
「√能力者化してる……?」
 藍依が発動した√能力、【|八木橋・桔梗の援軍!《シスターズ・フロントライン》】は、妹である桔梗を呼び出した上で、小型バッテリーを渡すことで一時的に√能力者にするという√能力だ。
「この敵は、私達の姿を真似るのが得意みたいですよ。」
「でも、真似るだけなら怖くない。藍依姉さんは、隣にいるんだから。」
 本来戦闘力を持たぬ筈のAnkerとの|十字砲火《クロスファイア》に晒され、偽の桔梗の足が止まる。
「これでは近付けないね。なら、これはどうかしら。」
 剣より湧き出すのは、天使を捕らえた漆黒の触手。巻き付かれてしまえば、脱出は困難であろう。
 どちらを捕らえようと、今度は正真正銘の本物で、Ankerだ。これは実に有効な人質となり得よう。
 ――さあ、どんな顔を見せてくれるかな?
 無貌扮する桔梗が、舌なめずりをしながらサイコブレイドを振るって触手を飛ばし。
「――は?」
 そのにやけた笑みが、固まった。
 ――飛ばした筈の触手が、消えて失くなっている。
「ああ、私は行動を別にしていたので。」
 柄にもなく困惑の表情を浮かべる無貌とは対照的に。
 してやったり、と。初めて桔梗が薄い笑みを浮かべた。その手に持つのは、一枚の新聞記事。
「ここに来る前にあなたの情報を得て、号外新聞を出版することができました。
 ――これでよかった?」
「ええ、素晴らしいタイミングでした!流石は我が妹、桔梗です!」
 ――【|号外新聞出版!《エクストラ・ニュース》】
 事前に号外を用意しておくことで、対象の行動を必ず失敗させるという効果を持つこの√能力は。本来、藍依が用いる筈のものである。
 その能力を、何故桔梗が使えるのか。――その絡繰りは、【|八木橋・桔梗の援軍!《シスターズ・フロントライン》】のもう一つの効果にあった。
 ――【八木橋・藍依が所持している任意の√能力】が使用できるのである。
 剣を振るった姿勢のまま、信じられないものを目の当たりにして硬直している無貌に向けて。HK416とG11、2挺のアサルトライフルが唸りを上げる。
 銃弾に射抜かれる度に踊る無貌の体を横目に、姉妹が揃ってアニエスに銃口を向ければ。
 狙撃の巧者である藍依と、彼女と同等の力を得た桔梗の弾丸が、漆黒の触手を撃ち落とす。
「ここに来ている人達はみんな、あなたを助けるために来ています。」
「ええ、私たちにどーんとお任せください!はっはっはっはっは!」
 ――きっと、怖い思いをしているはずだから。
 アニエスを気遣う様に声を掛けた桔梗と。
 そんな妹の姿を誇らしげに、高笑いを上げる藍依。
 二人の姉妹の絆を踏み躙る事は、無貌には叶わなかった。

エアリィ・ウィンディア
シル・ウィンディア

「ふぅ、ん。なかなかいい趣味しているね。
 人の心を弄ぶってことは、覚悟はできているんだよね。
 あー、また|旦那《あの人》の顔をしちゃって……。」
 落ち着き払った呆れの色の裏に、確かな怒りと敵意を籠めて。
 油断なく無貌の姿を睨めつけるシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)とは対照的に。
「お父さん……。また顔が……。」
 エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)の動きは、鈍い。
 先の戦いでは、母のアドバイスもあって、相手をよくよく観察し。『違い』を見極め看破した上で、敵を吹き飛ばしてみせた彼女ではあるが。
「でも、今度は声も似ているし、いないのはわかっていてもやりにくいぃー!」
 そう。今度ばかりは声も全く同じ。仕草も、笑顔も。全てがそっくりそのまま再現されている。
「――エア。」
 そう、いつもの柔らかな声音で、愛称で呼び掛けられてしまっては。
 わかっていても。愛銃の引き金を引く事なんて、できない。

 このエアリィの仕事に付き添う中で、シルも『Anker抹殺計画』について情報を得ている。
 恐らくは、エアのAnkerである自身も暗殺の対象となりうるであろうが……そんな事はお構いなしに。
 母は、娘が呼吸を整える時間を稼ぐべく、その視界から父の姿を隠すように立ちはだかった。
(お母さんは割り切れているけど、あたしは……。)
 本来は守るべき|母《Anker》が、自分を護る為に前に立つという逆転した状況に、エアリィは心中で己を責める。
「無貌さんだっけ?旦那さんの顔をして、声もあってるけどダメ。
 一番ダメージが行くのは……血だらけになるとかしないとね。」
「え?血だらけ?え?ちょ、さすがにそれは撃てないっ!ど、どうしたら……。」
 さらには、蒼翼砲で無貌を近付けまいと牽制射撃を加えるシルの、無貌に対するダメ出しにすら敏感に反応して、動転した声を上げてしまう始末。
(操られているとしたら?撃てなくても止める方法は……。)
 頭に次々と溢れてくる、『もしも』の可能性。その合間にも、無貌の剣撃がシルを襲う。
 母はどうにかいなしているが……果たして、サイコブレイドの力もあり、能力の底上げを果たしているという相手にどこまで耐えられるのか。
 そして、『引き金を引く事が出来ない』という根本的な問題への打開策が見出せずにいる。
 エアリィが迷う間に、猛攻に晒されるシルの集中力も削られてゆく。徐々に、彼女を掠めるような攻撃も増えてきた。
 それこそ、大首領プラグマが授けたとされる『絆を攻撃する』……この策を忠実に実行する無貌の思う壺であろう。
 ――しかし、だ。
 今後、エアリィも√マスクド・ヒーローで同じような事件に……或いは、更に卑劣な策を用いる者たちと、相対せねばならぬ時が来るかもしれない。
 故に、母であり師匠であるシルは、娘であり弟子である彼女に悩む時間を与え。そして、迷い、焦りを募らせてゆくエアリィに一言。
「エア、正気を失っている大切な人が、他の大切な人を傷つけるときは……。
 ……躊躇うと、もっとひどくなっちゃうから。一発殴って止めちゃえ。」
 正気に戻った時。もしその人が、大切な人を傷付けた事を知ったならば。どの様な反応を見せるであろうか。
 父ならば、娘が躊躇う事で被害が拡大していくことを、良しとするであろうか。
「――あの人なら、大丈夫だから。」
 齎す結果も。もし、万に一つ、彼が命を落としたとしても。シルが選んだ、その時の最善の策を受け入れてくれる。
 母の絶対的な父への信頼。そして、『大丈夫』の言葉の深さに、自然とエアリィの手から震えが消えてゆく。
 母を信じ、父を信じ。エアリィの深緑の瞳から動揺が消えた事を認めると。
 シルは己を甚振る事に興味を移しつつあった無貌の隙を突き、蒼翼砲の銃身で剣を弾く。
「ちょっと、私たちに時間を与えすぎたみたいだね。」
 娘の成長を見届けた母が、アニエスの触手を撃ち抜いた。

「集中力が戻ってしまったか。うーん、シルにしっかり足止めをされてしまったのが、痛かったね。」
 母娘にとって大切な人の顔で苦笑する無貌であるが。集中したエアリィが放つ砲撃の威力は、先の戦闘でよくよく見知っている。だからこそ。
「六界の使者よ、我が手に集いてすべてを撃ち抜きし力を……!!」
「――これは、近付かれたら危ういかな。」
 銃と剣を地面に落として、ふわりと宙へと浮き上がり。詠唱を始めたエアリィの姿を認めると、間合いを開けようと試みる。
 多重詠唱に加え、彼女に満ちてゆく魔力を考えれば。受ける事は論外として、成功するかもわからぬ詠唱の妨害よりも、躱す事に意識を向けるのは当然の選択肢であろう。
「そうつれない事を言わないで?
 |旦那《あの人》なら、娘の成長に付き合う甲斐性はあるよ。ね、あなた?」
 しかし、シルが長銃を軽々と取り回し、連射された誘導弾が無貌の足を止め。
 エアリィの魔力を伴った残像が無貌を取り囲み、その逃げ道を完全に塞ぐ。
(お母さんに、たくさん助けて貰っちゃったけど……今度はあたしの全力を見せるんだっ!)
 父の姿は、溢れる残像に攪乱されて動けない。そして、ほんの刹那。本物のエアリィから意識が逸れた、その隙に。
 どん、と。まるで体当たりをするかの様に、父の姿の背中に抱き着いた。
「止めるなら……。これなら、どうだっ!」
 虚を突かれた無貌がエアリィを振り解こうとするが、背後からでは剣も何も届かない。
 臨界に達した魔力が一点に収束し。ゼロ距離で発動する、六芒星の魔法陣。エアリィの奥の手である、強力無比の一撃。
「――【|六芒星精霊収束砲・零式《ヘキサドライブ・エレメンタル・ブラスト・ゼロ
》】、撃つよっ!!」
 影すらも吹き飛ばす、白い白い零距離砲撃の閃光が。
 √能力者たちの視界を埋め尽くした。

 ちりちりと紫電を奔らせ、吹き荒れる魔力の余波の中。
 エアリィは落とした愛銃と精霊剣を拾って、アニエスを縛る触手を切り落とす。
「もうあと少しだけ、我慢しててねっ!」
「|Biensur《もちろんなのだわ》!……ありがとう。エアリィさんも、お母様も。」
 視界の向こう、粉塵の中で、なんとか身を起そうとしている無貌の姿が見える。
 中盤で甚大なダメージを与えられたことは、今後の戦いの趨勢に非常に大きな影響を与えるであろう。
 アニエスを巻き込まぬように、彼女と距離を置くと。
 背後から、ふわりと柔らかな感触がエアリィを覆った。
「お母さん?」
 見上げてみれば、微笑むシルの青い瞳が覗いている。
「よく頑張ったね。」
 そのたった一言に。エアリィの深緑の瞳が潤んでゆく。
 まだまだ、緊張を緩めるわけにはいかないが。
 これだけの戦果を挙げたのだ、少しくらいは許されるであろう。
 くるりと振り向くと、彼女はぎゅうっと母に抱き着いた。
「うん……うん、あたし、頑張ったよ、お母さん……っ!」
 ひと時でも、年相応の娘に戻ったエアリィは。
 暖かな母の腕に包まれて、ぽろぽろと涙を流し。
 そんな娘の背中を、シルは優しく優しく撫でてやるのであった。

クラウス・イーザリー
凶刃・瑶

 無貌との戦いは中盤を過ぎた頃であろうか。
 √能力者たちが精神への揺さぶりに耐え、或いは乗り越えてダメージを与え続けてきたものの。
 無貌はまだまだ立ち上がる余裕を見せている。これも、暗殺者より奪ってきたサイコブレイドによる能力の底上げによるものであろうか。
「キミが黒幕かぁ!初めまして。」
 そんな無貌に、まるで雑談でもするかのような。軽く、朗らかな声が掛けられた。
「ああ、君は……随分と私の|戦闘員《げきだんいん》を可愛がってくれたみたいだね。
 蘇っても遺る様な|心に傷《トラウマ》を与える筈が、逆に傷を負わされるなんて。今後、使い物にならなくなったらどうするんだい。」
 忌々し気に無貌が睨む先に佇んでいるのは、|凶刃・瑶《きょうが・よう》(|似非常識人《マガイモノ》・h04373)。
 先の戦いで『実験』を繰り広げ、戦闘員たちが腐り落ちて死に逝く地獄絵図を作り出した張本人だ。
「キミの部下、全然歯応えなくて笑っちゃったよー!
 演技も連携もまるで駄目!さぞ有能な上司なんだろうなって、会いたかったんだー!」
 そんな視線はおろか、その切っ先の間合いに入っている事を微塵に気にした様子もなく。彼女は明るく批評を加える。
 彼女に指摘されるまでもなく。サイコブレイドに怒りを向けられるまでもなく。本来挙げられると考えていた戦果、それを得る事が出来なかったという事実。
 そして、今。さて、追い込まれているのはどちらであろうか。焦らされているのは、どちらであろうか。
「――なるほど。私は君の事が嫌いみたいだ。少し、黙ろうか。」
 ぶん、と無造作に剣が振り抜かれる。
 いいや。振り抜かれようとした、その前に。
「あはは、それはお互い様じゃないかな!キミに恨みを持ってるヒトは沢山いそうだし、鉄槌を下すのは皆に譲ろうかな。ふふ、逃げ足には自信があるんだよね!」
 けらけらと明るい笑い声を残して、白髪の女の姿は掻き消え。代わりに己の身に突き立ち、得体の知れぬ肉塊を注入しているのは幾本もの|注射針《シリンジ》。
(――馬鹿か、私は。心を操る筈が、安い挑発に乗るなんて。)
 己の不首尾に舌打ちを一つ。注射針を引き抜き、苛立ち交じりに投げ捨てるが。無貌の視界がぐらりと揺れ、見えるべきでないものが見え始めている。

 ――【騙し討ちに依る興行】
 瑶のこの√能力は、相手が攻撃を発動した瞬間にそれをキャンセルし、先制攻撃を加えるという絶対先制攻撃の効果を持つ。
 更には撃ち込まれた肉塊には幻覚作用、彼女が纏った実験体の血液は隠密効果まで付与するのだ。
 この視野では。透明化に加え、素早い判断で逃げることを選択した瑶を捕らえることは難しいであろう。
「まあいい。私を斃さなければ、奴も目的を果たせないのだから……。」
 ――その時であった。よくよく見知った、お気に入りの青年が。
 己の首目掛け、居合の要領で光の刃を振るわんと飛び込んできたのは。

 すんでのところで首狙いの一撃を得物である剣で受け止めて、己の前に立った知己の顔を認めると。
 途端にその貌を変化させて、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「よ、クラウス。港ぶり……いや、さっきぶりか?その分だと元気そうだな!」
「……黙れ。」
 今は亡き親友、|永瀬・翼《ナガセ・ツバサ》の貌を我が物のように扱う無貌に、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)は青い瞳に殺意を漲らせ。
 その表情を一切変えぬまま、【氷の跳躍】で無貌の周りに漂うインビジブルとその位置を入れ替え、頭上から光の刃で強襲する。
「こっちもイラつく事があったからな、お前に会えて本当に嬉しいんだぜぇ?クラウス!」
 これをにやにやと笑いながらサイコブレイドで弾き返し。返す刃で彼を切断しようと試みれば、哀れなインビジブルが両断され、翼の顔に霜が降りた。
 ――√能力【氷の跳躍】には、視界内のインビジブルとクラウスの位置を入れ替え、入れ替わり先のインビジブルに10秒間冷気を放ってダメージを与える能力を付与するという効果を持つ。
 この位置入れ替え能力を活かしてアニエスの傍に跳躍したクラウスは、手早く触手の一本を切断した。
(一人では完全に切るのは無理か……)
 すぐにそれを悟ると、再び跳躍して無貌との間合いを詰めてゆく。
 その時に。アニエスが彼に、何か声を掛けたような気もするが。
 クラウスの身を慮る言葉が、彼の耳に届く事はなかった。

「いいなぁ、クラウス!それくらいの貌じゃなきゃ、張り合いがない!」
 獅子の様に躍り掛かるクラウスの光刃を、翼がその手に持つサイコブレイドで斬り払う。
 至近距離で一合、二合と打ち合い。幾重にも斬り結び、火花を散らして鍔迫り合い。
 サイコブレイドで増した|出力《ちから》任せに押し切るべく放たれた殺気、これを【ルートブレイカー】の鉄拳で顔面を殴り付けて打ち消し、翼を怯ませる。
「あいつの顔と声で、誰かを傷付けるな。」
 氷の様な眼差しに、溢れる殺意を隠そうともしないクラウスの姿に。
 無貌は血を吐き捨てて、獰猛な笑みを返して寄越した。
「つれない事を言うなよ、クラウス。もっと楽しもうぜ!
 俺が死んで、お前の表情は死んじまった。そんなお前が今、どんな貌をしているか見せてやろうか?」
「お前……っ!!」
 翼が決して言う筈の無い、クラウスを煽る台詞。
「おおっと!!」
 この忌々しい笑顔を浮かべる顔を黙らせるべく、不意を突いて抜き撃った拳銃を、無貌は刀身を盾にして防いでみせる。
 先ほどから、アニエスを敵の視界から隠すように立ち回っているが、それは翼の姿を見せたくないからか。
 それとも……無貌が嘲笑う、激情に駆られた己の顔を見せたくないからだろうか。
 ふとした疑念すらも、クラウスは頭の片隅に追いやって。
 偽りの親友との斬り合いは、激しさを増してゆく。

「はい、アニエスちゃん!災難だったねー!」
「その声は瑶さん?瑶さんね!ありがとう!」
 瑶を完全に見失い、クラウスとの斬り合いに興じている今、天使の少女を縛る漆黒の触手はノーガードだ。これをさくりと切断して。
「あの剣から伸びる触手、どういう仕組か気になるなぁ!ラボに持ち帰っても良いかな?|新物質《ニューパワー》が得られたりしないかな?」
 などとマイペースに、しかしいそいそと触手を回収する彼女だが。ちらりと青年の戦いぶりを見遣った。
(うーん。彼らしくないなぁ。)
 同じ旅団の友人として瑶とクラウスは多少の接点もあり、彼が傭兵として多くの戦場へ赴いている事は彼女も知っている。
 しかし、そんな彼でも、ここまで我が身を顧みない戦い方をするとは考えられなかった。
「ちょっとだけ行ってこようかな!あと少しの我慢だよ!」
 瑶は隠密状態のまま、勇気付けるようにアニエスに声を掛け。
 『だまし討ち』を果たすため、密かに行動を開始する。

 聞きたくもない物語を聞かされ、絶望し、破滅していった者たちの怨嗟の声が渦巻く中。サイコブレイドの切っ先がクラウスの頬を掠め、血を滴らせてゆく。
 無貌の√能力である、攻撃を決して避けられぬこの世界。クラウスは間合いを見切り、武器で受けることで最低限の損害に止めながら刃を振るい、翼を斬り返す。
 既に幾太刀も己の体を掠め、黒衣に赤黒い染みが広がっていない処はない。
(普段なら。自分が怪我をしたら、アニエスの心が傷付くことくらいわかる筈なのにな。)
 僅かな理性が、冷静になれと囁くが。それがどうしたと、己の激情がその声を掻き消してゆく。
 冷静さを欠いていることを自覚していないわけではない。それを怒りが遥かに上回っている『だけ』だ。
「そうだ、もっと怒れよクラウス!もっと俺にその貌を見せてくれ!まだ……まだまだ最高じゃないだろう!?」
 ――いちばん|大切なもの《翼の記憶》を穢されて。
 脇腹を刃が掠める。そんな|痛み《もの》、翼の死に比べれば、どうってことない。
 ――|大切なもの《アニエスや仲間達》を傷付けられて。
 斬り上げた応報の刃が、無貌の顔を掠める。みんなの痛みの報いには、まだ足りない。
 ――それはお前の顔じゃない、翼のものだ。そんな事をされて冷静でいられる程、俺は強くない。
「だけどな、クラウス。お前の持ち味を活かせなくなったら、お終いだぜ?」
 無貌が血塗れの貌で、嘲笑った。恐らくは仕留めに掛かってくるのだろう。ならば。
 ――斬られても、死ぬだけだ。差し違えてでも、お前を殺す。
 その一撃の為に、黒衣の傭兵は防御を捨てて腰を落とす。

 ……しかし。待っている斬撃は、いつまでも来なかった。

 いや、代わりにというべきか。何故か。ただの大ぶりな拳が飛んできた。
 これは、致命打にはなり得ない。歯を食いしばり、持ち堪えて。逆撃にと繰り出した渾身の居合が、その守りすらも貫いて。翼の胴を深々と薙いだ。
「あ……がぁっ!?」
 遅れて、がらりと|鉄塊《サイコブレイド》が落ちた音がする。
「持ち味を活かせなくなったらお終いって、自分で言ってたじゃない?
 あとほら、ピンチの時は助け合うのが"友達"ってやつでしょ?」
 剣を保持できぬよう、腕の腱を切断したのであろう。血濡れのメスを持った瑶が笑っていた。
 『ありがとう』、そう口にする余裕はないが。体勢を崩した翼に、クラウスは更に一歩、大地を強く踏み込んで。
 光を放つ二の太刀が、正に弧月の如く垂直に振り下ろされた。

(――……浅い、か。)
 二の太刀を受ける前に、咄嗟に飛び退いたのだろう。手応えはあったが、それもやや浅い。
 が、初太刀を決めただけでも十分な戦果であろう。よろめく無貌の足元に血溜まりが広がるのを認めれば、深手を負わせた事は疑いない。
 しかし自覚はあったとはいえ、冷静さを欠いた戦いで血を流し過ぎてしまった。
 ……そのお陰で頭に上った血も抜けた気もするが、今まで当たり前のように激しい動きが出来ていたのが噓のようだ。
 その身に無数に刻まれた刀傷から齎される激痛を、今更ながらに知覚してしまえば、足元も覚束ない。
「俺はこのあたりで休んで、あとはみんなに任せるよ。」
 そう、苦笑を浮かべるクラウスに。
 『それがいいね』と、瑶はいつものように笑うのであった。

シアニ・レンツィ

「……これは参ったな、ボロボロだ。」
 心の傷を抉り、弄ばんとする無貌との戦いは、終盤に差し掛かろうとしている。
 青年の姿を取った無貌、その足元に広がる血溜まりを見れば。蓄積したダメージが軽くないことは一目にして判るであろう。
「先生に化けられても心の準備はできてるもん、一気に仕留めるよ!」
 そんな中、愛用のハンマーを担ぎ、無貌に挑み掛からんとしていたのはシアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》・h02503)だ。
 先の戦いでは|戦闘員《げきだんいん》扮する初老の男性、シアニの『先生』に変装されて、少なからず心の痛みを覚えたが。
 それを乗り越えて、今、彼女はこの局面に立っている。
 気合を入れ戦鎚を構えたシアニの姿を認めると、無貌はその身に刻まれた痛みも忘れたのだろうか。心底から嬉しそうに、にんまりと口角を上げた。
「ああ、お前は。……そうか、そうか。なら、こんな趣向はどうかしら?」
 身構えていた彼女の前に現れたのは、道の駅に居た五平餅屋の店員だ。
 さて、これが一般人であるならば、護るべき人間であることは間違いない。しかし、今日会ったばかりで然程縁の深くない彼女が、『大切なひと』な筈がない。
 『――なんで?』
 斃すことを躊躇うような姿ではない。訝しみながらもハンマーの柄を強く握りしめる、シアニに対して。
「――何、あの身体?」
 無貌は、奇異の目を向けた。

 ――シアニのコンプレックス。
 それは、竜にも人にも成れぬ自分自身の姿である。
 身体の一部しか|真竜《トゥルードラゴン》に変身できず、肌の色も大多数のドラゴンプロトコルとは異なり、√EDENの人間とはかけ離れているのだ。
 ―― 変。 ――気持ち悪い。
 ――怖い。 ――近寄らないで。 ――半端なくせに。
 ――地を這う虫けらと、蔑んできたくせに。
 ――同じような立場になって、|人間《虫けら》の味方気取り?

「……やめ、て……。
 ようやく、仕方ないって……そういうものだって、思えるようになったのに……。」
 様々な姿に変身しながら浴びせられる、その己でもどうにもならぬ、身体的な特徴への心無い言葉の数々に。
 コンプレックスを刺激されたシアニの息が止まり、かたかたと全身が震えだす。
 一方で、命の恩人であり、歳の近い友人をここまで愚弄されれば、アニエスも黙ってはいられない。
「|Ferme ta gueule《その汚い口を閉じろ、下衆》!!」
 怒りを抑えきれず、その身を縛る触手を引き千切らんばかりに暴れ。一発殴る事も出来ないならばとスラングを叫ぶが、無貌はといえばどこ吹く風。二人の様子を眺めては、けらけらと笑って観察している。
「あっは!そうだよねー。『違う』ものに対して、ひとがどういう態度を取るかなんて……長い、永ーい歴史が証明してるものっ!
 仕方ない、なんてそうそう納得出来るもんじゃないよ。あなたみたいな感受性の強い子は特に、ねっ?」

 悪魔が嗤い、天使が怒り狂う中。竜人の少女は、まだ動けない。

 ――あたし√EDENが好き。そこに住む人も大好き。ここでずっと、暮らしたい。

 かつては竜として、自らの空色の鱗と同じ青空を愛した彼女。
 地を這う人間を虫けらと思っていた記憶は朧気に残るが。人間と同じように、地を這うドラゴンプロトコルとなり、彼らと共に暮らすようになり。今ではすっかりこの生活を謳歌している。

 ――でもみんな、あたしを見ると驚くの。少しだけだよ。すぐ忘れて受け入れてもらえる。
 ――けどね、あの好奇や嫌悪の目を見るたびに。あたしは人にはなれないんだなぁって。

 『ドラゴンプロトコル』と雖も、『人間』ではない。さらに、そのコンプレックスの元となる彼女の姿だ。
 『忘れようとする力』が働いたとしても、『忘れる』までの『目』が、幾度彼女の繊細な心を傷付けてきた事であろう。

 ――もしいつか忘れようとする力が働かなくなったら、そういう言葉を向けられるんだろうなぁって。

「……でもね。」
 脚が、真竜のものへと変わってゆく。膝上までが限界ではあるが、空色に輝くその脚は、前に踏み出す力をくれる。
「……きっとね、あたしだけなら折れてた。」
 いつかを恐れていても、何も変わらない。地を這うしか出来ないのなら、出来ないなりに、この脚で何とかするしかない。
 真竜に成り切る事のできない脚でも、発揮できる速度は通常の4倍。
(ぶつけられる言葉は怖い。――でも。)
 己よりも怖い思いをしているであろう、アニエスを救い出すために。
 己の心の痛みに、蓋をして。その脚で駆け出すべく、ぐぐ、と大地を掴む。
「異物でなり損ないだから、せめて誰かの幸せの為に戦って、居させてもらうの。」
 どん、と空気が爆ぜた。
 目にも止まらぬとはこの事であろう、神速で間合いを詰めると。どこかで見た事がある気がする顔を、遠慮なしに戦鎚でぶん殴る。
 めき、めき。骨が潰れるような手応えが柄から伝わってくるが、まだ止まるわけにはいかない。敵はまだ、生きている。
「あっは!そこの天使もびっくりの自己犠牲の精神だと思ってたけれど、なるほどそういうわけか!うんうん、健気、健気だねっ!かわいいねっ!もっと遊びたくなっちゃう!」
 無貌は砕けた腕をだらりと垂らしながら、愉し気に吹雪の様な殺気を放つ。シアニの足が竦み、止まりそうになるが。
 【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】で呼び出した緑竜のユアが、無貌の追撃を許さない。
(知るもんか、心の痛みなんか。あたしが我慢すれば、それでおしまい!)
「――本当に?」
 まるで、彼女の心を読んだかの様に。貌の無い悪魔が笑みを捨て、シアニの姿で静かに問う。
 竜にもなれず、人にもなれず。ドラゴンプロトコルの括りであっても、どこか歪な自分の姿。
「|私《シアニ》の献身を、『違う』というだけで、ひとはきっと理解を拒むよ。
 いつか、溜め込んできた心の傷を我慢できなくなる時が来るよ。
 『おしまい』で終わらない時が、必ず来るよ。」
 シアニの√能力には、受けるダメージが2倍になるという副作用はあるが。心が受ける|傷《ダメージ》は、どうなのであろうか。
 |主人《シアニ》を惑わせる口を黙らせんと、ユアが火球を叩きこむが。無貌の口は止まらない。
「その時、あなたは|他人《おともだち》の言葉を信じられるかな?
 傷付く度に蓋をしてきた、継ぎ接ぎだらけの心は保つのかなっ!」
 |シアニ《かおなし》は火球で身体を焦がしながら。大仰に、次に来るであろう衝撃を受け入れるように両手を広げて見せる。
「ああ、かわいそうな、簒奪者にもなれない|あたし《あなた》!継ぎ接ぎだらけで、いつか壊れるしかない|あたし《あなた》!
 『その時』に、私は立ち会えるかなっ!きっと、サイッコーの貌を見せてくれるんだろうな!これからもよろしくね、|あたし《シアニ》!」
 そんな、『いじわる』を言って|嘲笑《わら》う自分自身を。
 |なり損ないの竜人の少女《フォルスドラゴンプロトコル》は、無骨な鉄塊で殴り付け。無理矢理に黙らせた。

弓月・慎哉

「先程の方々とは違って、流石ですね。僅かな違いも|変身し《かわり》分けている。」
 |弓月・慎哉《ゆづき・しんや》(|蒼き業火《ブルーインフェルノ》・h01686)は仲間である√能力者によって殴り飛ばされ、土埃を巻き上げて地に転がった無貌の姿をそう評した。
 大切な存在の姿を写し取ったかと思えば、道行く人々の姿まで早変わりで正確に再現してみせる。
 本来、諜報や攪乱などに活用される能力であろうが、厄介なことに無貌はこれを『傷付けさせる』事を目的として用いている。
 よく見知った顔が傷付き、苦しみ、斃れゆく姿が『|心の傷《つめあと》』を残しかねない事は、共に戦う√能力者たちの様子を見ても明らかだ。
「ありがとう。精密な変身こそが、僕の本領ですから。
 ――そして、あなたは僕をどのように乗り越える心算でしょうか。弓月君?」
 無貌は立ち上がると、三つ揃えのスーツに付いた埃を払い。これまでもそうしてきたように、スクエアの眼鏡を掛けた青年へと姿を変えて、慎哉に問うた。

「――蒼い焔の|魔術師《ウィザード》?」
 その姿はまるで双子のように、慎哉と瓜二つであった。
 それもそのはず、蒼焔を纏う青年の名は、シン・クレスケンス。
 慎哉の異世界同位体であり、彼に力の操り方を教えた師でもある。
 その手に拳銃も、古き魔導書も無く。代わりに握るのは本来の持ち主より|奪っ《借り》てきた、|一振りの剣《サイコブレイド》。
 しかし、魔術戦であろうが、現代戦であろうが適応してみせる師の事だ。剣くらいは振るうであろう。動揺はない。
「――では、始めましょうか。弓月君!」
 焔。いや。慎哉を苛むのは、吹雪の如く身も心も凍り付かせるような殺気だ。
 剣を見せぬ脇構えから、ゆらり、シンの纏う蒼焔が揺らめいて。縮地の如く間合いへと飛び込んだ。
(――剣があれば、打ち合えるのですが。無い以上は……)
 その脚を止めるべく、正面から吹雪を掻き消すように振り撒かれる蒼焔にも怯まず、肌を焦がしながら打ち上げるように振るう無貌の切っ先を紙一重で躱し。
 斬り落としの二段目が慎哉を襲う前に、慎哉は【異能逮捕術】を以てその襟首と腕を掴み投げを打ち、大地に叩き付け。仰向けに倒れた体に追撃の銃弾を抜き撃ち放てば、これを無貌は転がって躱してみせる。
 隙も無く立ち上がったシンは、この埒の空かない攻防をも愉しんでいるのであろう。
 元となる彼が決して浮かべない様な、肉食獣の様な笑みを浮かべて慎哉を見つめている。
「流石、|僕《シン》が仕込んだだけの事はある。これでは血を逃している分、僕が不利だ。
 ならば、少しズルをしてみましょう。……己の身に宿る力を制御できず、絶望し、破滅していった者たちの物語を。」
 ――当たらないならば、必ず当たる世界を作ればよい。
 師の穏やかな語り口と共に広がりゆく、無数の怨嗟の声に満ちる世界。
 無貌が関わり、唆し、絶望から破滅していった者たちの慟哭の渦。
(――これは、|師匠《せんせい》が斃してきた者達の怨嗟?いや、違いますか。)
 無貌の√能力が生み出したこの空間の中に於いては、彼が如何なる回避の手立てを打とうとも、如何に出鱈目な軌道であろうとも、あらゆる無貌の『攻撃』が必ず命中するようになる。
「さあ、いつ迄保たせてくれますか、弓月君!」
 |嘲笑《わら》う無貌が振り回すサイコブレイドの刀身を拳銃のグリップで受け、弾き、受け流していくが。
 拳銃で反撃する暇もない剣風に巻き込まれては、何れ慎哉の身が斬り刻まれる事は避けられないであろう。

 ……然し。この様な状況に於いてなお、慎哉は至って冷静であった。
 彼が想うのは、これより先の事。目の前の、|師匠《大切な存在》の姿を取るこの敵を斃して後の、己が取るべき心構え。
 ――|警視庁異能捜査官《カミガリ》。
 人間災厄たる己が、『捜査官』という道を選んだ以上。
 職務を遂行するに当たっては、無辜の人々や大切な人をこの手で護る力を得ると同時に、斃さざるを得なかった者たちからの怨嗟も付いて回る事となる。
 異なる√よりやってきた|異世界同位体《Anker》である|師匠《せんせい》も、ずっと怨みや妬みを背負いながら戦ってきたのであろう。
「僕も、茨の道を歩む覚悟は出来ています。
 ――それに。どんなに姿や声は似せられても、蒼き焔は一朝一夕には真似られません。飼い慣らすのは骨が折れますよ?」
 そう。如何にシンの姿を以て立ち回ろうと。剣筋こそは彼のものであろうとも。
 振るうべき蒼焔、そして、共に居るべき精霊たち。彼を優秀な|魔術師《ウィザード》たらしめる重要な要素が欠けている。
 その事は、無貌もこの変身能力の欠点を嫌というほど認識しているのであろう。
「どうやらその様です。僕が再現できる事にも限界はある。借り物の貌の儘ならない処ですね。」
 己と瓜二つの顔をした青年が苦笑を浮かべる姿を見る間もなく、人間災厄『|獄炎《インフェルノ》』の力を解放する。
「 ――恨んでくださって構いません。100分の1とは言え、それが300発。軽くはありませんよ?」
 まるで流星の様に、青い蒼い尾を引いて。天より降り注ぐ【|蒼焔の驟雨《フレイムレイン》】。
 無貌が騙り、暗く冷え切った世界に満ちる怨嗟の声。
 これを幻想的な蒼い焔が灼き祓い、暖めてゆく中。
「ここまで似せられると偽物と分かっていても、苦しむ姿を見るのは気分の良いものではないですね。」
 火達磨になり、その蒼い焔を消さんと地面を転がり、のたうつ師匠の似姿。
 これがアニエスには見えぬよう、彼女の視界から遮るように慎哉は立ち。
 如何なる変化で惑わそうと銃爪を引く覚悟は出来ていると、愛銃を構え直すのであった。

ヴェルタ・ヴルヴァール

「アニエス……!っ、すたー、ちす……」
 無貌は己から名乗る事は殆どない。
 そう。この戦いにおいても、この時に至るまで、己の名を名乗る事はなかった。
「おやおやおやおやー?私のお気に入りの名前を呼ぶのはだーぁれ?」
 にも拘わらず、その名の一つを呼ぶのは誰か。
 白虎の姿を取った無貌の姿に驚愕し、目を見開くヴェルタ・ヴルヴァール(月の加護授かりし狼・h03819)の姿を認めると。
 甚振り甲斐のある獲物を見つけたと言わんばかりに、スターチスはにんまりと口角を上げる。
「|写真の女の子《スターチス》は、死んだ、はず……」
 そう、ヴェルタはスターチスが死んだ筈の存在であることを知っている。
 何故ならば、彼女の薬指に輝く指輪の贈り主が、家に彼女の写真を飾っている事を、よくよく見知っているからだ。
「いや、はは、そうか……そういうこと、か。」
 今、何故彼女が此処に居るか。自身にとっては『大切な存在』とまでは言えないこの姿で、どうして現れたのか。ヴェルタは既に、一つの可能性に行き当たる。
 ――能力者ならば、|そんな《生きている》こともあろうが。
 ヴェルタは知っている。生きていることを知らぬまま。
 遺された者が、どれ程苦しみ続けているのかを。だからこそ、乾いた笑いも出ようし。
「アニエスを、離してもらおうか。」
 驚愕が、怒りに変わるのも早かった。ガルル……と唸り声をあげ、金の瞳に敵意を漲らせ、スターチスを睨め付ける。
 いや、それだけでは終わらない。300近い瞳が、明らかな敵に向けて殺気を放っている。
 ――【|怒りの狼の群れ《コレール・ルー》】
 凡そ150頭近い白狼の群れが、ヴェルタの合図と共に駆け出した。
「あっは!問答無用ってわけかなっ!でも、ちょ、数で来るのは苦手なんだけどなー!?」
 流石にこれ程の数に囲まれてしまっては、幾らサイコブレイドを振るったところで、捌き切れる筈もない。
 その上に、ヴェルタの全力魔法の氷の礫が容赦なく、機関銃のように降り注ぐ。
「もー、お喋りしたい事もたくさんあるのになー。この顔についてとかねぃ?でも……この顔の方が、あなたにはいいのかしら。」
 一瞬見えた、白虎の青年の顔から。次に覗いた、その顔に。思わず、ヴェルタは杖を取り落とした。
 その姿は、ヴェルタによく似た大きく白い狼の耳と、尻尾。その面影は、彼女にもよく似た――
「ど、して……おかあ、さん……」
 カタカタと震えて、崩れ落ちるように座り込んだ主の姿に困惑して、動きを止める白狼の群れ。
 母は、あの日確かに幼いヴェルタを逃がして……そのあとは、わからない。
 しかし、最後に見た姿を彼女は忘れない。忘れられるはずがない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。わたしなんかかばったから、おかあさん。」
 スターチスの語る、絶望と怨嗟の声が満ちる世界に落とされてしまえば、あの日の、村が燃える世界に重ねてしまう。
「そう。あなたがもっと上手に逃げていれば、私はあんな目に遭わなくて済んだのに。」
 違う場所だというのに、あの時の悪夢のような光景にしか見えない。幼い頃の記憶を刺激された彼女には、怨嗟は怒声や悲鳴にしか聞こえない。
 ――ああ、火が、見える。
「いやだ、いや、やめて、もう。ごめんなさい。わたしの、せい。」
 凛とした魔術師としての彼女の姿は、何処にもない。
 火に脅え、後悔で身動きの取れなくなった彼女は、ただの少女でしかない。
 母がゆっくりと、かりかりとサイコブレイドの切っ先を引き摺りながら、迫ってくる。
「村が燃えたのも、全部、全部、全部!あなたのせい。あなたさえいなければ。あなたさえ死んでいれば。」
 その切っ先が、蹲り、震えるヴェルタの顎を、くい、と持ち上げる。
 母は、嘲笑うでもなく。怒りを見せるでもなく。その金の瞳には、ただただ虚無が広がっていた。
「私も、皆も……死なずに済んだのに。」
 切っ先が降ろされれば、呆然としたヴェルタの前で、母の貌はそのまま大きく刃を振り上げて。
 せめてその命で贖えと、その首めがけて断頭台の如く刃を振り下ろした。

「――……あ……。」
 結論から言おう。ヴェルタの頸は、繋がっていた。
 代わりに、震える手に握られている短剣からは、ぽたり、ぽたりと柄にまで赤い液体が滴り落ちて、地面に赤黒い染みを作っている。
 その切っ先は、深々と。母の貌をしたスターチスに吸い込まれていた。
 ――迫る命の危機、そしてアニエスを守れという、なけなしの理性の叫びに。彼女の身体は自然と動いていた。
 √能力、【|例え自分の身が滅びようとも《エストゥ・スペス》】。
 短剣で必中のサイコブレイドを最小限のダメージで受け流し、反撃の刃で突き刺し、己の傷を全回復させたのだ。
 しかし、深手を与えた筈のヴェルタの顔は、益々青褪めてゆく。
(――私があの時母親を殺して、今も、また。)
 スターチスを、母と認識してしまっている。その一方で、斃せと心の声は叫び続けている。
「あなたが、逃げろって、言ったじゃないか……!」
 彼女は錯乱し、心は引き裂かれん程にぐちゃぐちゃだ。
 だからこそ、『|自分自身《ヴェルタ》』が戦えないならば。戦える者に戦わせればいい。狼たちよりも、もっと、もっと強力な。――そんな結論に至った。
 普段の心優しい彼女ならば、すぐに思い浮かぶであろう配慮に、全く思い至らぬまま。

 周囲を漂っていたインビジブルたちが一斉にヴェルタを向いたのが、疑似√能力者という特性を持つ天使の少女の目にも映った。
「は……これで、|和虎とスターチス《お前達》と、一緒だな……」
 その呟きの意味を、アニエスは理解する事が出来ない。しかし、何か。恐ろしい事をしようとしているという事だけはわかる。
「まって……だめ、それは駄目よ、ヴェルタさん!!」
 果たして、天使の直感は正しかった。
 最早、ヴェルタ自身、己の命を使って√能力を発動することに抵抗はない。
 ――あとはもう、みんなにまかせよう。
 全てから目を背けるように、逃げるように、瞼を閉じる。
 身を抉り、喰らうインビジブルが齎す痛みよりも。
 ひとときでも、この壊れそうな胸の痛みから逃れられると思えば、気が楽になった。
「待って!!ヴェルタさん、待って!いや、おねがい、まって……!」
 ――アニエスの触手は、切れるだろうか。
 涙を流し、必死に手を伸ばす天使の悲痛な声も。
「あっはっは!弱い、弱いなぁ、ヴェルタは!死んだところで、蘇れば思い出すのに!
 悪夢はどこまでもどこまでもあなたを追いかけちゃうのにっ!
 ただのその場凌ぎで、思い出の詰まった体もぜぇんぶ捨てちゃうなんて!なぁんて愚かな子!私は好きだけど!かずはなんて言うかな!なんてお笑い種!
 もう、笑いすぎて内臓が零れちゃいそうだよ!あっは!!あいたたた……あっはっはっはっはっは!!」
 哄笑する悪魔の笑い声も、聞こえない。なにも。なにも。

「あ……ああ……ヴェルタ、さん……」
 アニエスが手を伸ばしたその先に、もう、ヴェルタはいない。
 代わりに聳える様にそこに立つのは、『|悪評高き狼《フローズヴィトニル》』の名を持つ巨狼。
 ヴェルタの命を使って呼び出す√能力【|氷の皇はかく語りき《イムペラトル・スィク・ロクウィトゥル》】で呼び出され、『無敵獣』の名を持つこの魔狼に、一介の道化如きが敵う筈もない。
 大口から放たれる【|氷霜の息吹《ヴェスティア・グラキエス》】に身を凍らせながら。
 スターチスは新しく、何より壊し甲斐のある玩具を見つけた事に、傷の痛みも忘れて笑い転げ続けるのであった。

星宮・レオナ

「あー……笑った、笑った!やっぱり、生きている感情を見るのは楽しいなっ!」
 己の命を代償とした√能力を受け、身体は至る所が変色して凍り付き、致命的な損傷を受けていようとも。無貌はなおも変わらず、明るく朗らかに嗤い続けていた。
 元より、己が死亡する事まで織り込み、『|心の傷《途絶えぬ記憶》』を刻むことを目的として動くのが無貌という存在だ。
「あの情けなーい|王権執行者《レガリアグレイド》にはしこたま怒られるだろうけど!やー、ほんと|この玩具《サイコブレイド》を借りてよかったなっ!」
 故に。例え敗色が濃厚となろうとも、遊び尽くし疲れ果てて|死ぬ《眠る》まで、この白虎は戦い続けるであろう。
「ところであなたも素敵な過去を持ってたよねっ!あなたの戦いっぷり、素敵だったよ!
 もう、あれだけ怒りを剥き出しにされたら|戦闘員《げきだんいん》たちも本望だよねっ!帰ったら|花丸《ボーナス》をあげなきゃっ!」
 けらけらと哄笑を続けながら、無貌は黒髪の、幼さを残す少女の姿に変じてゆく。
 その姿は、|星宮《ほしみや》・レオナ(復讐の隼・h01547)の目の前で両親と共に殺された、彼女の実の妹のものであった。
「ボクの妹の姿を、勝手に……!」
 普通の高校生であった彼女が、謎の組織の企みを目撃してしまった結果。両親は目の前で首を落とされ、さらには、妹まで。レオナは全てを喪い、天涯孤独の身となった。
 ――胸を貫かれて、身体が冷たくなっていくあの子を、あの日の絶望を、ボクは忘れる事は無い。
 もしも、あの日、あの現場を見ていなければ。その自責の念が、今もなお、彼女の心を苛み続けている。
「ボクは、ヒーローじゃない。……けど。」
 ちらりと、レオナが漆黒の触手に囚われた天使の少女を見遣った。
 目の前で√能力者たちが傷付けられ、或いは己の√能力で命を落とした姿を見せられ。
 己の無力さからであろうか。それともレオナと同じ、自責の念からであろうか。涙が頬を伝っている姿が見える。

 ――アニエスさんに、これ以上|そんな思い《絶望》はさせちゃいけない。

 自身と同じような思いをする者を増やさぬべく戦い続けるのが今のレオナであり、マグナファルコンなのだから。

 ――そして、家族の、妹の姿を悪用させる訳にはいかない。

 偽物と頭では分かっていても、躊躇は生まれる。しかし、亡き家族たちに誓った覚悟と勇気を胸に。
 レオナは銃型変身デバイス・マグナドライバーに、ミスティカ・キーを差し込んだ。

「ずるいよ、お姉ちゃん。わたしたちは殺されたのに、自分だけそんな力を手に入れて。」
 そう嘯き、レオナの自責の念を煽ろうとする妹の姿に、戦場に降り立った隼……マグナファルコンは答えない。
 見据えるのはただ、傷だらけの身体で、その格好に不釣り合いなサイコブレイドを引き摺って迫る、無貌の姿。
 その接近を阻むように、牽制の銃弾がその足元の地面を穿ち、足を止めさせるが。続け様に連射した弾丸は、何れも無貌の身を捉える事が出来ない。
「ふふ。わたしのこと、撃てない?お姉ちゃんは優しいね。もう、復讐なんてやめちゃいなよ。似合わないよ。どうせ、わたしたちは帰ってこないんだから。」
「いいや、これでいいんだよ。……それに、ボクを甘く見過ぎだね。」
 次の瞬間、妹がその意図を把握するよりも早く、小さな肩に風穴が空き。さらに、アニエスを縛る漆黒の触手がまた一本、ぼとりと落ちた。
 そう、放たれたのはマグナファルコンの意思によって軌道を変える誘導弾。レオナの心に揺さぶりを掛ける事にかまけ、油断している無貌の不意を突いてみせたのだ。
「わざと外したってわけ?ふふ、優しいというのは撤回。意地悪だね、お姉ちゃんは。」
 妹と同じ声、癖もそのままに嗤う姿に、レオナは内心で舌を打つ。一刻も早く斃したいこの相手に対し、肩では致命的なダメージには成り得ない。
 ――でもダメだ。やっぱり、致命的な部位を狙えない。
 脳裏にフラッシュバックするのは、胸を貫かれ、瞳から光を喪ってゆく妹の姿。
 ――なら、|狂化《バーサク》する事でその躊躇を無くす。
 更なる決意と共に引き抜いたのは、漆黒のミスティカ・キー。これをミスティドライバーに差し込み、叫んだ。
「これがボクの……憎悪の形!!【BURST!!】」
 憎悪の炎に理性を|焼《く》べ、隼の身体が燃え上がる。
 ――【マグナファルコン・|B《バースト》モード】
 マグナファルコンが装甲を展開し、リミッターを解除した姿……いわゆる暴走形態だ。
 赤黒い焔の尾を引きながら戦場を舞うその速さは、元の隼を遥かに上回る、4倍。
 しかし、敵味方を判別できる程度の意識を残しているとはいえ、我が身を顧みない戦いぶりの代償として受けるダメージも2倍。
 一歩間違えれば、反撃により死に至りかねない捨て身の状態である。
「ちょっと、狂っちゃったら絶望する顔も見られないし、愛も感じられないよ、お姉ちゃん!
 ね。せめて、わたしと同じように、胸に風穴を開けてみない?」
 悍ましい提案、そして吹雪の様な殺気と共に、マグナファルコンの胸を貫かんと突き出されたサイコブレイドを紙一重で躱し。
 妹の両足が地面から浮き上がる程の勢いで腹に叩き込む、捨て身の拳。
 吐き出す血をアーマーに浴びながらも、理性と情を捨てた復讐の隼は止まらない。
 神速の連撃が少女の似姿を空中に打ち上げ、蹴り上げ。
 止めと放たれた猛禽の踵が、無貌の身体を大地に叩き付けた。

箒星・仄々

「あっは!あっはっはっはっはっはっは!たーのしーぃ!!
 もうすぐこの楽しい時間が終わっちゃうのが、残念でならないよっ!」
 √能力者たちの度重なる攻撃を受け、無貌の命は風前の灯となっている。にも拘らず、無貌は無邪気に、晴れやかに嘲笑っていた。
 それは、爪痕を残せた者たちが確かに存在しているからであろうか。或いは、普段見せぬ顔を無理矢理引きずり出す事の出来た満足感からであろうか。
 最早、天使を縛る漆黒の触手は一本を残すのみとなっている。無貌は三つ目の暗殺者との約定も忘れたのか、項垂れるアニエスの命を奪おうとするでもなく、感想を求める様に声を掛けた。
「ねぇ、ねぇ、天使ちゃん!あなたは楽しんでくれたっ?あなたも知っているひとたちの、あなたの知らなかった色んな表情を見られたんじゃないかなっ!
 あっは!怒りも、嘆きも、みぃんな輝いてる!これだから人間観察はやめられないよねっ!」
 表情を失った天使の少女は、何を思うのか。なにも、答えない。

「私の今回の最期のお客様は君か、仄々くんっ!久しぶり、元気そうだねっ!」
 サイコブレイドを杖にして、立っているのがやっとという姿でありながら。無貌は目の前に立つ|箒星・仄々《ほうきぼし・ほのぼの》(アコーディオン弾きの黒猫ケットシー・h02251)に、世間話でもするかのように語りかけた。
「ええ、おかげさまで。あなたは相変わらず、随分な悪意を持って行動されていらっしゃるようですね。」
 かつて、一度無貌と相対した経験を持つこの黒猫の獣人は、そのやり口をよくよく知っているからこそ、サイコブレイドの√を越えて漆黒の触手を飛ばし、相手を捉えるという能力により強い警戒感を示していた。
 仄々にはサイコブレイドの剣こそがその本体ではないかという予想もあるが、今の無貌にとってはただの便利な玩具でしかない。その真実を語るつもりもないであろう。
 しかし、かといってここまで味方が繋いできたバトンを、此処で途切れさせるわけにはいかない。
 アニエスを絶対に救い出すという決意をエメラルドの瞳に漲らせ、翡翠色の手風琴の蛇腹を開いた。

「本当に哀れな方ですね、無貌さん。」
「仄々くんたら、またまたー。自分勝手に哀れむのは無粋だよっ?」
 無貌はけらけらと笑いながら、飛来する音符の弾を斬り捨て、迎撃してゆく。
「他者の絶望を見ることでしか、生きている実感を得られないのでしょうね。
 だからこのような刹那な、命を蔑ろにすることを続けるのでしょう。」
 その推論が正しいか否か、無貌はただ嘲笑うのみ。答えの代わりに振り抜いた刃が、仄々の|帽子《シャコー》を飛ばす。
(――欠落故なのでしょうが。何とも救われない話です。)
 何が欠落かは判り様もない。或いは、本人にだってわからないし、興味もないのかもしれない。
 数多の人生を見て来たと言うからには、己の姿にも無頓着な無貌の事だ。永い生を送る内に、どうでもよいと忘れたのかもしれない。

「うーん。よく化けておいでですが、さすがに若作りしすぎではないでしょうか。ご年齢は存じませんけれども。」
「あら。この|淑女《レディ》の姿に対して、年齢を|論《あげつら》うその言い様。お里が知れましてよ、仄々さん。」
 残りの|時間《いのち》を遊び尽くさんと、無貌が化けた少女がサイコブレイドを振り抜けば。手風琴を庇った黒猫の頬を刃が掠めてゆく。
 仄々のAnker、サヴィーネ・ヴァイゼンボルン。音の精霊である彼女は人の姿を取る事もある。
「あなたは上辺をなぞっているだけ。声や動きのリズムの違いが私には丸わかりですよ。
 思いが、心の有り様が音色となって現れ、その方を形造ります。だから決定的に異なるのです。」
 嘗て同じ手を受けている仄々だ。目の前の存在が偽物であり、根本から異なる存在であることはわかっている。が。
 √能力として昇華された変身は、黒猫の攻撃を否が応でも躊躇わせる。その上に、無貌が己で生み出してきた絶望を語る、この世界だ。
 いつもの様ににゃんぱらりっと躱す事も出来ず、振るわれた剣はどのような軌道であろうと必ず仄々に命中する。
「ふふ。わかっているだけじゃ意味がないのよ、仄々。」
 手風琴の蛇腹を裂かんと振るわれた切っ先を庇えば、再び刃が彼を掠め、白い衣装に赤い染みが広がってゆく。
 手風琴という楽器の特性上、両手で奏でる必要がある為に傷口を抑える事は叶わない。しかし、黒猫は痛みに顔を顰めながら、アコーディオンを奏で続ける。
「あなたに酷いことをされるほど、大切なものの姿がありありと明確になるのですよ。それを教えて差し上げましょう。」

 ――【|愉快な二重奏《デュオ・アグレアーブル》】
 Ankerであるサヴィ―ネを召喚する、この√能力。音の精霊である彼女が取ったのは、砂浜を歩く千鳥。
 嘴に愛らしい花を咥えて花喇叭、その名も『喇叭チドリ』の姿だ。
「――さあ、サヴィさん。私たちの音色を響かせましょう!」
 アコーディオンとトランペットの協奏で勇気と希望のメロディを奏でれば、放たれた音符や五線譜が、自ら剣に当たりに行って相殺し。
 四方に広がる音色の弾丸は、アニエスを縛る漆黒の触手、その最後の一本も撃ち抜いた。
「お怪我はありませんか。」
 強いショックを受けている様子のアニエスからは返事が聞こえないが。
 天使を庇う様に立ってしまえば、突然気が変わって人質の命を奪われる心配もない。
 何より死に体の無貌に、強引にアニエスの命を奪えるだけの余力はないであろう。
「――あなたの負けです、無貌さん。」
 仄々の宣言と共に、勝負はここに決した。
 確実に止めを刺すために、仄々とサヴィが更なる音撃を放とうと音色を重ねる中。
「あっはっはっはっは!そうだねっ、計画は失敗だし戦いは私の負け!
 でもいいんだ、抹殺計画なんてどうでもいいし、私の目的は果たせたからねっ!素敵な貌が、こーんなにたっくさん集められるとは思わなかったよ!」
 負け惜しみなどではなく、本心からの悦びの色が見て取れる哄笑。
 華やかな音色の雨に、黒々とした不協和音が混ざるが。それも長くは続かない。
「――あー、今回も愉しかった!また遊ぼうねっ!
 今度はみんなが素敵な貌になってくれるように、ちゃぁんと舞台を整えておくからさっ!」
 禍々しい笑いと共に、不吉な言葉を言い遺し。
 この|戦場《いのち》を遊び尽くした無貌は、亡骸も残さず、消えた。

●エピローグ
 ――道に落ちたトートバッグの羊が、悲し気に顔を歪めている。

 緑の道は、いつもの田舎らしい静けさを取り戻していた。
 しかし、漆黒の触手から解放された天使の少女は、気丈な姿を取り繕うことも出来ず。呆然と、無貌との戦いの爪痕を眺めている。
「よく頑張りましたね、お疲れ様でした。」
 自らも傷を負った仄々も肉球で大地を踏み踏み、語りかけるが。
「……Non,猫さん。頑張ってくれたのは、猫さんと、皆さんなのだわ。私は捕まっていただけ。
 ……私が捕まりさえしなければ……皆さんがあんなひどい言葉、やり方で傷付くことも、なかったのに……」
 天使の習性の一つである、『無私の心』。
 彼女が自身より他者を優先する傾向がある事を、南仏からの縁である仄々もよくよく知っている。
 己を責め、肩を落とすアニエスに。仄々は、続く言葉を掛けることが出来なかった。

 サイコブレイドによるAnker暗殺計画は、今後も続いてゆく事であろう。
 そして、神出鬼没に、そして今回は思い付きの様に現れた無貌も、次は周到に準備を重ねた上で行動を起こすはずだ。こちらも目を離すことは出来ない。
 体に、或いは心に傷を負った仄々たち√能力者たち。
 星詠の少女が待つ件の旅団に、彼らは傷心の天使の少女と共に事の顛末を伝えに行くのであった。

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