シナリオ

あじさい列車と昏い思惑

#√EDEN #√マスクド・ヒーロー #Anker抹殺計画

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 小さな|がく《・・》が集まって、ころりとまあるいあじさいを模る。
 微睡みのような淡い青に紫、薄い雲を切り取ったかのような白に、目が醒めるような赤。
 多種多様な色彩のあじさいを楽しめる観光電車が、この√EDENの島国に存在しているのだという。
 あじさいの咲き乱れるルートを、ゆっくり夢心地で走る列車。時間を忘れて人々がほっと一息つくその瞬間を、息を潜めて狙う者がいる――。


「そのあじさい列車ってやつで、AnkerやAnker候補が狙われるって事件が発生しそうなの」
 そう切り出したのは伽々里・杏奈(Decoterrorist・h01605)。ほらほらなかなかすごいんだよー、とスマホで検索したあじさい列車の動画を流しながら説明を続ける。
「サイコブレイドって王権執行者がね、『Ankerに成り得る者』を見極めるっていう特技を持ってて、それでAnker候補やAnkerを殺害して回ってるんだって。サイコブレイド自身も大事なAnkerを人質に取られてやむを得ない状況ってウワサだけど、それでもみすみす殺させるわけにはいかないよねー」

 杏奈いわく、事件は列車が発車して、しばらく経ってから起きると予想されているようだ。もっぱら観光用の列車で途中に停車駅などはないため、√能力者たちも観光客として列車に乗り込む事となるだろう。
「ターゲットにされると思われるAnker候補やAnkerは何人かいるんだ。まずはね、Anker候補。20歳の女の人で、名前をリコっていうよ。おんなじ大学の友達と三人であじさい列車に乗りに来てるみたい。ピンクのおっきなバッグを持ってるから、一目見たらすぐにわかると思うな」
 彼女にさりげなく接触するもよし。近くからそっと見守るもよし。
 それからねえ、と杏奈は続ける。

「√能力者のAnkerも乗ってる可能性があるよ。今ここでウチの説明を聞いてくれてる人の中には、大切なAnkerがあじさい列車に乗ろうとしてるから助けるために来てくれたって人もいるかもしれないね。それにもしかしたら、事件が起きるって知らないであじさい列車に乗ってる√能力者とAnkerもいるかも!」
 そういう人たちがいたのなら、現地でいきなり事件に巻き込まれる事となる。
「大切な人を守りながらの戦いだからちょっと大変だけど、みんなならきっと大丈夫だよね! ……それから、なんだけどさ」
 杏奈は少しばつが悪そうな顔になり、それからぼそぼそと話し出した。

「……ウチのパパも乗ってるんだよね。えーとね、Ankerなの。ウチの」
 パパ、といっても血が繋がっているわけではないらしい。光星玲という名の、さしたる特徴もない成人男性だ。
「実は一緒に観光に行かないかって誘われてたんだけどさ、ぶっちゃけちょっとハズいじゃん、パパと遊びに行くとか……だから友達と遊ぶ予定あるからパス! って嘘ついて断ったらさぁ、こんな星詠みが視えちゃったんだよね」
 頭を抱える杏奈。

「すぐさま乗り込んで助けたいとこだけど、さすがに一人で敵う相手じゃないし、他に狙われそうなAnkerもいるし、ウチが乗り込むよりもみんなの協力を仰いだ方がいいかなって。
 まあパパも元√能力者らしいからさ、リコちゃんとかよりは自分の身を護れると思うんだ。だからほんと、余力があったらで大丈夫なんで!」
 そうはいいつつ心配そうな様子は隠しきれていない。最初から自分がついていればよかった、という後ろめたさもあるのだろう。

「さっきも云ったとおり、事件は列車が運行してしばらく経ってから起こるみたい。だからみんなはひとまず観光を楽しんでおくといいと思うんだー。
 普段は40分くらいで運行する道のりを、あじさいのシーズンは一時間半くらいかけてゆーっくり巡るんだって。全席指定でゆったり観光できて、あじさい色のウェルカムドリンクなんかもついてるし、あじさいスイーツやあじさいアフタヌーンティーなんてのも注文できるんだって!」
 あーあ、意地張らずに行けばよかった、とぽつり呟く杏奈。反抗期真っただ中の思春期ゴコロは複雑であるらしい。

「いっぱい楽しんで、それからサイコブレイドってやつの目論見もきちんと阻止してね。イチバン許せないのはサイコブレイドを動かしてる“誰か”だけどさ、今はそこまで辿りつけないし――やれること、せいいっぱい積み重ねていこ!」

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第1章 日常 『心を攫うその色は』



 しとしとと降り注いでいた雨は、陽が高く上るにつれてゆるやかにあがっていた。
 薄雲の隙間から磨りガラス越しのように半透明な光が差して、まだ雨粒の残るあじさいを優しく照らしている。
 その中を、あじさい列車は軽快に走りだした。
 若い女性グループがきゃあきゃあと歓声をあげ、窓の外の景色をスマホの画面に収めだす。その中にはAnkerの候補者である女性、リコの姿もあった。
 少し離れたところには、こちらは既にAnkerである青年、玲がぼんやりと外を眺めている。そして、この列車に乗車した√能力者たちのAnkerも、あるいは乗車しているかもしれない。
 座席は四人一組のボックス席で、テーブルにはあじさい色のウェルカムドリンクが提供される。透き通る青紫に雨粒のようなソーダが弾けるその正体はレモネード。爽やかな甘さが旅を一層盛り上げてくれることだろう。甘いものやレモンが苦手な場合は、希望すればコーヒーや紅茶、麦茶といった別のドリンクに変えて貰うこともできる。

 そしてこの列車のもう一つの楽しみといえば、希望者に提供されるあじさいアフタヌーンティ。
 甘酸っぱいルバーブのジャムとクロテッドクリームでいただくスコーン、あじさい色のジュレを敷き詰めたミニパフェを筆頭に、あじさい色の様々な|軽食《セイボリー》や|甘味《ペストリー》がいただける。
 夏野菜とグリルチキンのサンドイッチに、爽やかなレモンクリームのミニパスタ。ピスタチオのクリームに、ピンクとブルーのマカロン。それからシュガークラフトで造られたあじさいの花を乗せた可愛らしいタルトレットなどなど、目にも舌にも楽しい品々だ。
 コーヒーや紅茶などのほか、バタフライピーティーも|フリーフロー《おかわり自由》。レモンを注ぐと青から紫に色を変える不思議なハーブティーは、まさにあじさい鑑賞にうってつけだ。

 サイコブレイド、あるいはその配下も、まだ何かを仕掛けてくる様子はない。
 怪しまれないためにも、まずはめいっぱいあじさい列車を楽しんでおくべきだろう。
吉住・藤蔵


(「……若ェ子の心ってのは、深くはわかんないけども」)
 列車に揺られながら、吉住・藤蔵(毒蛇憑き・h01256)はそんなことを考えていた。
(「打ち明けるのに勇気が必要だった事くらい、よくわかるだぁよ」)
 云いにくそうな表情だった星詠みの少女。だからこそ藤蔵は彼女の肩に手を添えて云ったのだ。
「よく話してくれたな。あとは俺含めた能力者に任せるだよ。いつもの笑顔で待ってな」――と。
 ぼんやりと車内を眺めるようにして、藤蔵は彼女の父だという男性の様子を伺っていた。
 通路を挟んで反対側の席に座っている青年は、ウェルカムドリンクを飲みながら外を眺めている。着席したばかりの時はどこかそわそわと落ち着きのない雰囲気だったが、列車が走り出してあじさいを眺めているうちに、顔には薄く笑みが浮かぶようになっていた。娘を誘ったのは、おそらく彼自身もともと花が好きなんだろうと藤蔵は推測する。
 あまり社交的には見えない青年に、話しかける事は控える事にした。それでも歳の近い男性一人客という共通点を持つ藤蔵は、もしかしたら青年に無意識の安堵をもたらしているかもしれない。白衣ではなく普通のコートに袖を通した藤蔵を訝しがる様子もない。
(「それにしても、車窓から見えるあじさいってのもええもんだな」)
 ふと思いついてカメラを向ける。敢えてあじさいを前面に切り取るのではなく、やや身体を退いて車窓全体が収まるようにシャッターを切る。まるで額縁に飾られた絵のようにあじさいが写った。
 満足そうに眺めてから、藤蔵はウェルカムドリンクに口をつける。普段はコーヒー派だが、せっかくならと頼んだものだ。
(「ほぉ。色が洒落てんなあ。今にはぴったりな感じだべよ」)
 控えめな甘さと、口の中で弾ける炭酸が味覚も楽しませてくれる。藤蔵の顔にもいつの間にか、あの青年のように仄かな笑みが浮かんでいた。

和紋・蜚廉


 ――平和だ。
 他者に迷惑をかけないようにきっちりと脚を揃えて座る和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)の心に浮かぶのは、その一言に尽きた。
 列車が揺れるたび、翅の先がわずかに棚を払う。
 けれどそれも、今は落ち着いた風の仕草に過ぎない。
 彼にとって生きる事とは“生き延びる事”であった。世界はこの黒き甲殻に容赦なく敵意を向ける。数え切れぬほどの掃討を、蜚廉は時に地を這い、時に拳を振り翳し、ひたすら生き延びてきた。
 だが今この列車に集った人々は、そんな世界があるなど知りもしない様子だ。友人や家族と楽しそうに語らう人々。一人でぼんやりと外を眺めている人。あるいは彼らにも彼らなりの戦いがあるのだろうが、今はそれとも切り離されている。
 時を忘れたかのような錯覚を覚えていると、蜚廉のもとにワゴンで食事とドリンクが運ばれて来た。
 あじさい色のジュレとやらをまずはそっとひと匙口に含んでみる。
「……見た目ほど甘ったるくは、ないな」
 存外悪くない。ブラックの珈琲を啜る蜚廉の後方から、若者の笑い声が聞こえて来た。
 意識を車内に向けたまま、蜚廉は目線を車窓に向ける。雨粒のフィルターをかけたかのように夢見心地な青や紫が、ゆっくりと迫っては後方に流れていく。
 時が来れば、この列車は戦場となる。
(「誰が仕掛け、誰が巻き込まれるか。いずれ見極めよう」)
 ここには確実に“捕食者”と獲物がいる。脅威にさらされ続けながらも古より生き延びてきた蜚廉の嗅覚が、来るべき時に備えよと告げていた。だが今は――
「……この穏やかなひと時、味わわねば損だろう?」
 ゆっくりと花を眺めるなどいつぶりだろうか。蜚廉の胸にも、人々を満たすものと同じあたたかさが沁みていくようだった。
 がたごとと揺れる列車は、ゆるやかなカーブに差し掛かっていく。蜚廉はまた一口、あじさいのジュレを口に含んだ。

エアリィ・ウィンディア
シル・ウィンディア


 類まれなる魔術の才能を持つ少女、エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)。
 その母親であるシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)も、√能力者でこそないものの魔法を得意としている。
「お母さん。今度は紫陽花の観光列車だって。綺麗な紫陽花を見ながらゆっくりできるんだってー」
 だからこそ、その先にAnker狩りが待ち受けていようとエアリィは気兼ねなく母を誘えるし。
「紫陽花を見られる観光列車があるの? へー、すごいなぁ。せっかくだから行こうか?」
 シルもまた、娘の手ほどきがてらとそれに応じられるわけである。
「うん、いこういこうっ!」
そうと決まれば今すぐにでも、と走りだしていく娘の姿に、シルが笑みを漏らした。
「ほんと、はしゃいで嬉しそうにして……。大人っぽくなってもまだまだ子供だね」
 若くして√能力に目覚めたエアリィは、母であり師匠でもあるシルの教えもありめきめきと成長中。武器も魔法も使えるオールラウンダーとして仲間からの信頼も篤いが、シルの前ではまだまだ年相応の女の子だ。
「お母さん、はやくはやくっ」
「心配しなくても、ちゃんとついてきてるって」
少し走っては立ち止まってこちらを振り返る愛娘を、微笑ましく思うシルだった。


 列車に乗り込んだ二人は、さっそくボックス席へ。向かい合って座った二人にウェルカムドリンクが配膳される。青から紫の淡いグラデーションにエアリィが目を輝かせた。
「わぁ、すっごくきれいー♪それに甘くておいしいー♪」
「風情があっていいね。とっても癒されるね」
 口に含むと、爽やかな甘さと共に弾けるソーダが心地よい。喉の渇きを潤していると、列車がゆっくりと滑るように走りだした。窓の外を眺め、シルが目を細める。
「えへへ、来てよかった!」
「エア、食べ物も頼むよね?」
「え、食べるものもあるの? ねね、たべよたべよっ!」
 現れては後方に流れていく色とりどりのあじさいを眺めていると、ほどなくして乗務員が二人の元にアフタヌーンティのスタンドを運んでくれた。三段重ねのスタンドにきっちりと並べられた軽食やスイーツを見、エアリィの興奮は最高潮だ。
「すごい、お母さん、これすごいよ!」
「ん、見た目もきれいでおいしそうだね」
「サンドイッチにスコーン……。あ、パフェまである!」
花をあしらった可愛いスタンドに、これまた可愛い軽食やスイーツたち。
「はぁ、目もおいしくなるそんなご飯だね~」
 これはぜひ写真を撮らなきゃと、エアリィが構えるのは√ドラゴンファンタジーらしい魔導補助式スマートフォン――彼女いわく「スマホさん」だ。
「写真も可愛く撮れたし、いただきますっ!」
「いただきます」
 二人ともお行儀よく手をあわせ、おのおの気になったものから口に運んでみる。
「ん-、美味しいー♪」
「見た目が可愛いだけじゃなくて、ちゃんと美味しいね」
 あじさいをイメージしているのか、セイボリー・ペストリー共に紫や青のものが多いようだ。サンドイッチに使われている淡い紫の食パンは噛むと仄かに甘く、不思議に思ったシルがメニュー一覧を改めて眺めてみるとどうやら紫芋を使用しているらしい。
 細部までのこだわりを感じ、景色を眺めながらゆっくり幸せを堪能するシルの傍ら。
「このサンドイッチもスコーンもすごーいっ!」
 美味しい、かわいい! とひたすらはしゃぐエアリィもまた、確かな幸せのかたち。
「あらら、エアったらご飯に夢中だね。ほら、少しは外も見ないともったいないよ?
こんなに綺麗なんだから」
「……え? お花見ているかって? ちゃんと見ているよー♪ご飯もお花も目一杯っ♪」
「ほんとかなあ」
「ほんとほんと! ほら、あの子なんてお母さんみたいですっごく綺麗だよ!」
「どれどれ?」
 エアリィが指差したのは、確かに鮮やかな青。
「エアにも似てるね」
「えへへ、お母さんとお揃いだもんねっ」
 束の間の平和を、二人はたっぷりと満喫するのだった。

ララ・キルシュネーテ
ロジエ・アウランジェ


 花のあるところにいるかもしれないと思ったのだ。
 そんな推測と共に√を渡り、そうして辿り着いたのは、季節の花を見るためだけに走るという列車。
 もしかしたら、と可惜夜の翼はためかせてララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)がぴょこんと飛び込んだ先。
「……ロジエ。こんな所にいたのね」
 ボックス席に腰掛けた、七彩の薔薇を金蜜に宿した“天使”――ロジエ・アウランジェ(七星アウラアオイデー・h07565)は、優雅な仕草でティーカップをソーサーに置いて。
「おや、ララ。御機嫌よう」
 まるでララが迎えに来るのを分かっていたのように、常磐色を窓の外の紫陽花からララに移して微笑むのだった。
 全くもう、探したのよとため息をついて、のんびり優雅にティータイムを楽しんでいるロジエの向かいに腰掛ける。
「勝手に城を抜け出して……危ないでしょう? 困った王子様だこと」
「とても興味深い催しがあったものですから、つい」
 薔薇の花唇が模る柔和な笑みは、人々の心を蕩けさせるには充分すぎるものだけれども。そこに謝罪や悪びれるといったニュアンスは一切感じられないのがいっそ清々しい。
「……いつもララを追いかけてくる護衛たちの気持ちが少しわかった気がするわ」
 今度は少し彼らの心も汲んであげようかしら、なんてこの時ばかりは天の雛女も思うのだった。
 ところで、とロジエがテーブルの上を指し示す。
「スコーン、美味しかったですよ。ララも食べてみてください」
 きっと気に入る筈、と云われれば、花弁の形した眉がぴくりと反応するのも無理はない。
「む、もちろん食べるわ」
 それに、白虹の聖女といえどララは人にすれば齢八歳程の童女。育ち盛りの小さな身体がスコーンだけで満足するはずもなく。
「紫陽花ミニパフェやタルトレット、マカロンもお願いするわ。ここに来た理由はお前を追いかけて来たからだけれども、せっかくなら堪能しないと損だもの。……お前も食べるでしょう?」
「ええ、もちろん」
 そうと決まれば、二人分のスイーツたちと、それから紅茶もおかわりする。
 タルトレットをつまみながら、ふとロジエはあじさいを眺める振りをしつつララを見るのだった。
 小さな手がクリームとジャムをたっぷり乗せたスコーンをお行儀よく持って、これまた小さな口がスコーンを齧りとって。美味しそうに頬張る姿はまるで小さなリスのようだ。
「ふふ」
 愛くるしさに、ロジエの唇から思わず笑い声が漏れた。
「何?」
「いいえ。美味しいを共有できてよかったな、と」
「それに美しいも。とりどりに咲いて綺麗ね」
 窓の外には、ころころとまあるいあじさいがまるで絨毯のように広がっている。
「あわいにうつろう空をうつしたような見事な紫陽花ですね」
「ピンクに青に、白に赤紫……」
「ひたむきなララには白がよく似合います」
 ロジエの言葉に、アネモネの瞳がまたたく。
「ララに白が? ふふ、嬉しいわ」
 彼女が纏う祝衣も、春の雪を仕立てたように夢見心地の白。
だからだろうか、とロジエは笑む。
「「辛抱強い愛」「知的」「神秘的」「無情」「団欒」……」
「それは紫陽花の花言葉ね?」
「ええ。彩やかにうつろう花色と同じく花言葉もどこか儚く美しいですね」
「ララは特に団欒というのがすき」
 常日頃堂々と振る舞うララが、ほんの少しだけもじもじと戸惑うような仕草を見せて。
「いつかまた……団欒できたらいいなって思っているの」
「勿論ですよ。団欒しましょう」
 ロジエの言葉に、ララの顔にぱあっと笑みが咲いた。
 アネモネみたいに鮮やかで、あじさいのように儚い。そんな彼女は――ロジエの『婚約者』。
 聞こえこそいいものの、実態はこのちいさな天の雛女を地に縛り付けるための荊に過ぎないとロジエは知っている。
(「けれど小さな君の幸いを願っているのは、本当なんだ」)
 願わくば、この笑みが散らない花となりますように――。

シリウス・ローゼンハイム
プロキオン・ローゼンハイム


 店で日用品をまとめ買いしたら、籤が引けるといわれた。
 割引券でも当たったら助かるなと軽い気持ちでプロキオン・ローゼンハイム(シリウス・ローゼンハイムのAnkerの弟・h03159)は籤を引いたのだが、箱から取り出した紙には燦々と輝く「一等」の文字。店員がおめでとうございますと声を弾ませ鐘を鳴らし、まだ戸惑っているプロキオンに封筒を手渡してきた。その中身は――
「なんとペア旅行券だったんだよね。あじさい列車の旅だって。よかったら兄さん、一緒に行かない?」
「きっとロキの日頃の行いがいいんだな」
 シリウス・ローゼンハイム(吸血鬼の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03123)はそんな事をいいつつ二つ返事でついてきた。
 シリウスにしてみれば、大事な弟の誘いを断る理由などないというわけだろう。。
(「僕が云うのも変だけど、兄さんって本当、僕に甘いんだから」)
 内心苦笑しつつも、プロキオンとしても実は満更でもない。今となってはたった一人の、大切な家族なのだから。

 やや古めかしい内装の車内。列車に揺られながら、プロキオンは目を細めた。
「落ち着くね」
 雲越しのやわらかな陽射しがあじさいを優しく照らしている。雨上がりの水滴が光を受けてきらきらと瞬いていた。
 窓の外の景色を楽しそうに眺めるプロキオンと対照的に、シリウスはテーブルのメニュー表に釘付けになっている。
「あじさいアフタヌーンティ……」
 魅惑の写真と文字列に、思わず言葉が漏れた。
「本当に甘党だね、兄さんは」
 プロキオンの呆れたような視線が刺さったが最早慣れたものである。
「悪いか?」
「ううん。せっかくだから僕も頼もうかな」
 ウェルカムドリンクを持って来てくれた乗務員に、アフタヌーンティを二人分お願いした。


 外の景色をのんびりと眺め、歓談しているうち、ほどなくして注文したアフタヌーンティが運ばれて来る。
 甘い物に目がないシリウスは勿論、プロキオンも思わず目を瞠った。さわやかなあじさい色の軽食やスイーツがスタンドの上にきっちりと並べられているのはなかなかに圧巻だ。
 シリウスはさっそくスコーンを割り、クリームとジャムをこれでもかと山盛りにして口に運んでいる。
「うむ。これはいいな。クリームをこれだけ盛ってもジャムの風味が負けていない」
 ドリンクで喉を潤しながら、兄の様子にプロキオンは頬を緩ませていた。こんなに喜んでくれるなら誘った甲斐があったというものだ。
 大好きな甘いものにはしゃぐ兄を見ているうち、プロキオンはふと昔の事を思い出していた。
(「……昔、父さんと母さんも一緒に、こんな風にお菓子を楽しんだ日があったな」)
 二人が気に入ったお菓子を、母が自分の分も分けてくれたりして。
 幸せだった。
 懐かしくて、そして少し寂しい思い出だ。
 あの想い出を分かち合える人は、もういない。
 シリウスは、力と引き換えに両親の記憶を失ってしまった。当時の事を覚えているのはプロキオンだけ――。
「む? どうしたんだ、暗い顔をして。楽しくないのか?」
 いつの間にか手が止まってしまっていたらしい。シリウスにそう云われ、はっと我に返る。
 心配そうな眼差しが覗き込んできた。優しくて頼りがいがあって、少し過保護なところもある、僕の兄さん。
(「そう、過去は過去。僕達は今を生きている」)
 √能力者となった兄は、怪我をして帰って来る事が増えた。少しでも兄の力になりたくて、プロキオンは医療従事者の道を志した。
 想い出を分かち合えなくても、二人で支え合っていけばいい。今までも、これからも。
「そんなことないよ。すごく美味しくて、少し驚いちゃっただけ」
「そうか。ならいいんだが」
 ほっとした様子のシリウスに、プロキオンも安堵する。
 今はただ、このひと時を楽しんでいよう――。

刻見・雲雀
朔月・彩陽


 喪いたくないひとがいた。
 破滅の運命に抗うため、何度も繰り返し繰り返し――その果てに待っていたのは、変わらぬ未来と力の喪失という、最悪の結末だった。
「Anker殺し……ね」
 ぽつり呟く刻見・雲雀(最果てに挑む翠瞳・h01237)。
「大事な人を喪うのはとても辛いことだ。杏奈さんのお父様も、そのリコさんという子も、できる限り助けてあげたい」
 俺みたいな想いをしなくて済むように――その言葉に朔月・彩陽(月の一族の統領・h00243)も頷く。
「……大事な人を失うのは悲しい事やから。出来ればそうならない様にしたい」
という事でお手伝いしましょか、と彩陽もついてきてくれたわけだが、雲雀には一つ気がかりな事があった。
「……でも彩陽さん、仕事大丈夫かい?」
「え? 仕事?」
「いや、俺も手伝ってたからある程度は消化できてるのは知ってるけど結構あったからさ」
 ああ、と彩陽は笑みを向ける。
「大丈夫大丈夫。これ位なら問題はないで。それにこれも『仕事』やさかいにな」
「大丈夫ならいいんだ。一緒にきてくれたのは嬉しいし、こうして休める時間も必要だもの」
 まるで生き急ぐように彩陽は統領としての仕事に没頭し続けている。これが少しでも息抜きになればいいのだが。
「心配せんでも、ちゃあんと休んどるよ」
 雲雀の胸の裡は知っているとばかりに彼は云い、グラスの中の液体をストローでかき混ぜた。青と紫が混ざり合い、炭酸の泡がぱちぱちと弾ける。ウェルカムドリンクに口をつける顔色は、確かに悪くはなかった。
 窓から差し込む薄日が白い膚を淡く照らしている。雲雀もドリンクで喉を潤しながら窓の外に目を遣った。
 まどろむような色彩のあじさい。
 淡くたなびく雲の先、星は今でも瞬いている。運命に抗えなかった青年が再び大切なものを見つけた時、皮肉にも身につけた星を詠む力。
 今日の悲劇は、きっと回避できる。そしてきっと、かれに待ち受けているものも――
「星詠みか、不思議な力やな」
 ふと見透かされた気がしてどきりとした。だが彩陽は別の事を考えていたようだ。
「星が未来を知っとるから、願うと叶うっていわれとるんかな。なら、遠く遠くに見える星に願いを、祈りを込めるのであるならば」
 今は見えない星に想いを馳せるように、遠い眼差し。
「目の前におる青年に未来を上げてほしい。自分はそう長くはないから。『なった』時よりそれはもう変わらぬ事で――って、あれー?」
 ふと彩陽が視線を前に戻すと、むっとした雲雀と目があった。
「彩陽さん」
「口に出しとった? ごめんなあ」
「……気持ちは嬉しいけれど。彩陽さんにはもっと自分を大事にして欲しいな」
 もう誰も、自分の前から消えてしまうのは嫌だから。
 残された時間が、とか、そんな言葉は聞きたくない。
「これから先まだ時間はあるさ――俺が作るもの。この『契約』もその為のものだ」
 刻み込んだ月と鳥。互いの生命を、そして友情と忠誠を誓うもの。
 かつて統領としての力を植え付けるため、実験を繰り返された“彩陽”。度重なる実験の後遺症から病に蝕まれていた彼の身体は、契約によって幾分か穏やかさを取り戻した。
 だが――どうしても、その先を見る事が出来るとは思えない。それに過去さえ認識できない自分に、未来など望めるのだろうか。
 それでも雲雀は力強く告げる。
「君が一人の人として……満足な人生を送れたと思うまで、俺はついていくからね?」
「そうやなあ。そうやとええなあ」
 その想いを無碍にしたくなくて、曖昧に笑むことしかできなかった。
 今は、まだ。

リーガル・ハワード
オスヴァルト・ライマン
古出水・潤


 珍しい事もあったもんだ、と思ったのだ。
 あの男が私用のメッセージを、しかも画像付きで送って来るだなんて。
“今から楽しんでくるよ”
 写真にはやや古めかしい観光列車と紫陽花。
「これは」
 見覚えがある。なんでも、Ankerを狙う者が乗車するという――
「……あいつ」
 リーガル・ハワード(イヴリスの|炁物《きぶつ》・h00539)は準備もそこそこに駈けつけた。
 より正確には、大急ぎで単独行動書を書き上げてから、である。災厄に浸食された重要監視下の人間というものは、何かと自由が利かないものなのだ。

 息を切らして車内に乗り込むと、果たしてあの悪辣はすぐに見つかった。
「おや、リーガルじゃないか」
 オスヴァルト・ライマン(|悪辣富豪《ぶきしょうにん》・h02135)は相変わらず飄々とした様子で、それがまた腹立たしい。
「たまには世間の喧騒を離れ優雅なひとり時間を――そう思っていたのだが」
 手には半分ほど減ったウェルカムドリンク。なるほど確かに優雅なひと時を過ごしていたらしい。
 こっちの気も知らないで、と文句のひとつも垂れたくなる。白い貌に浮かぶ微笑は相変わらず感情のニュアンスが感じ取りづらく、リーガルが追いかけてくることを見越してあのメッセージを寄越したのか、それとも本当に意外に思っているのかはよくわからなかった。
「私が送った紫陽花がそんなに気になったのかい?」
「違っ……でも、今日は、僕もついていくからな!」
「ふむ」
 オスヴァルトがドリンクを置き、何か感がれるような仕草をした時――。
「リーガル!」
 乗車口の方から、ばたばたと駆けつけてくる音がした。
 馴染みのある声にリーガルが振り返る。こげ茶の髪に、眼鏡が特徴的な青年だ。
「全く、驚きましたよ! 急に単独行動だなんて何事かと」
「僕だって不本意だ。それに今、単独行動じゃなくなった」
 不要だったな。しれっとのたまうリーガルに何か云いかけた青年が、彼の後ろにいる姿に瞠目した。
「貴方が……」
 噂に聞く存在に、眼鏡の青年——古出水・潤(夜辺・h01309)が思わず背筋を伸ばす。
 興味深そうに青年を眺めていたオスヴァルトが、にこっと人の良さそうな笑みを作った。
「まあ、立ち話もなんだ。座り給えよ」
 向かいの席を手で示す。リーガルも潤も素直に従った。
 ほどなくして二人の分もウェルカムドリンクが運ばれてくる。
「安心していい、私の奢りだから」
「……だから安心できないんだよ」
 金の出所はどこなのやら、わかったものではない。
 ぶつくさ云いながらもレモネードで喉を潤し、ようやく落ち着いたリーガルだった。
 全く、毎回この男には振り回されるのだ。
 支援は確かにありがたいが、それに見合う労力を払わされている気がしてならない。
「申し遅れました、災厄係第5班副班長の古出水潤と申します」
 深々と頭を下げる潤に、オスヴァルトが目を細める。真面目そうな青年だ、少なくとも信用には値する。
「ああ、きみがリーガルの警視庁内でのお目付け役か。私はオスヴァルト。この子の支援者だよ。彼はちゃんとやれているかい?」
「……ちゃんとやってる」
 むすっと不機嫌な様子で二人を見遣るリーガル。
「勿論。私の頼れるバディであり、第5班に欠かせぬ存在ですよ」
「それはよかった!」
「あのなぁ、あんた……」
「よし! 堅苦しい話はここまで。美しい景色を楽しみながらのアフタヌーンティーといこう」
 アフタヌーンティー。その言葉に不平を漏らしかけたリーガルが黙り、潤が笑顔になる。


 運ばれて来たアフタヌーンティーにリーガルが目を輝かせた。
「ふむ、良い香りだ。味も素晴らしいじゃないか」
 カップに口をつけたオスヴァルトがペストリーにも手を伸ばす。流れる景色も楽しみつつ舌鼓。
「これはよいものですね」
 潤もサンドイッチとスコーンをぺろりと平らげ、既に追加の菓子へ意識を飛ばしている。
「いい食べっぷりだ。追加注文しようか」
「有難うございます、それでは遠慮なく」
 生い立ち上、野良の性質が強い潤である。狩りもせずに手に入る食べ物を拒む理由などどこにもない。いくら人間社会という枠組みの中で生きているといっても、食物が常に保証されているとは限らないのだから。
 リーガルもクロテッドクリームをスコーンにたっぷり塗ってご満悦だ。
(「故郷のイギリスを思い出すな」)
 もっとも監視される身となった今では、あの場所に戻れるなんて思ってはいないけれど。
「美味しいですね、今度班でアフタヌーンティーをしても良いかもしれません」
 ちらと注がれる視線。
「その時は、リーガルのアドバイスをいただいても?」
「アドバイスできるほどの事は……でもやるのはいいと思う」
 いまいち素直ではない物言いだが、「いいと思う」に込められた期待は潤にもはっきりと感じ取れた。
「――で、何やら楽しいことが起きるのかな?」
 二人が血相変えて飛んでくるなんて只事ではないからね、とオスヴァルトは相変わらず優雅に笑む。
「あんたな。もう少し危機感を持て」
 リーガルの眉間に刻まれた皺がまた深くなった。
(「……ああ、リーガルの振り回され慣れはこの御仁の影響か」)
 ひとり納得しながら、潤が口を開く。
「ええ、実は――」
 列車は進んでいく。
 浸食や呪いで能力を手にした者達と、驕りから能力を失った者を乗せて。

蔦ノ森・まほろ


 あじさいの連なる路をのろのろと走る列車は、全速力で自転車を漕いだほうがまだ早いのではないかと思わせるほど。
 移動手段にはおよそ適さないこの列車に、一体どうして乗ってしまったのだったかと蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)は考えてみたが、答えは出なかった。
「僕は白い子猫を探してたんだけど……なんか、これじゃ僕のほうが迷子みたいじゃない?」
 ふわふわな毛並みと同じくらい、警戒心もふわふわした猫である。好奇心であっちにふわふわ、こっちにふわふわ。追いかけたり足取りを辿ったりしているうちに、気が付けば列車のドアがしまってしまい――今に至る。
「それもこれもアイツが目を離した隙にウロウロするから……まったくいつも心配させて」
 竜としては幼体といえど、そこいらの人間よりはよほど長生きしているまほろである。迷子じみた今の状況に不満はあれど、しかしお目付け役としての役目は全うしなければならない。
「あの、すみません。白い子猫見ませんでしたか? ふわふわの毛並みに黒いヴェールをリボンみたいにつけた猫です」
 近くにいた女子学生らしいグループに声をかけてみたが、全員ふるふると首を横に振るばかり。
「そうですか……」
「列車の中に迷い込んじゃったの?」
「うーん……外にいる可能性もあるんですが、何ともいえなくて」
「心配だね。警察とかに相談した方がいいかも」
 当たり前だがほんものの猫を想像しているらしい女性が眉を顰める。そこまで大ごとではないと伝えておくべきだろうかとまほろが悩んでいたところ、ワゴンを引いた乗務員がウェルカムドリンクを運んで来てくれた。
「すみません、この子が飼ってる白い子猫が逃げちゃったそうなので、もし列車内で見つかったら教えてくれますか?」
「あ、そこまでしてもらうほどでは……」
「白い子猫ですね。車内や駅の職員とも情報を共有しておきます」
「……ありがとうございます」
 なるようになれだ。礼を述べるまほろの前に、女性がドリンクを置いてくれた。
「今は取り敢えず、旅を楽しんでおこ? あたしね、リコっていうの」
 他の女性たちも口々に名乗る。
「まほろです」
 まほろも名乗り、ドリンクに口をつける。
 綺麗な色のドリンクだ。青と紫のグラデーションをかき混ぜると色の境界が薄れていき、ソーダの泡がぱちぱちと弾ける。つい時間を忘れて眺めてしまいそうだ。
 車窓の景色が移ろうのも、窓が景色を切り取ったみたいで。
(「窓に雫が落ちるのを、アイツなら楽しそうに見てるんだろうな」)
 不意に笑顔が零れた。
(「迷子は困るけど」)
 そう、本当に、困るのだけれども。それでも。
(「いろんな綺麗なものが見られるのは、アイツのお陰ってことにしておいてもいいのかも?」)
 芽生えた想いも乗せて、列車はゆっくりと色彩の海を進んでいく。

青羽・茄奈


「乗車券を拝見いたします」
 入り口に立っていた車掌が、やって来た少女の背を見て不思議そうに眼を瞬かせた。
「仮装だぜ。クオリティ高けえでしょ?」
 きゃははと笑うのは青羽・茄奈(ご近所の天使っぽいなにか・h06630)。正真正銘の天使である。
 そんな茄奈は、天使化するほどに無垢で無私なる心が幸運を呼び寄せるのか、偶然あじさい列車の乗車券を譲り受けたり。
 持ち前の天邪鬼さが災いして誰も誘えないまま乗車時間を迎えてしまったり、していた。
 内心しょんぼりしながら席に向かったが、席に座って外を眺めた途端、曇り空のようだった心に光が差した。
「おおっ、これは……なかなか悪くないね?」
 言葉こそ素直ではないが、ご満悦なのは一目瞭然。ほくほく笑顔でアイスコーヒーを頼む。ガムシロップも入れずに口をつけ――
「っ、に、にがぁ~……くない! 美味しい!」
 悶絶しながらむりやり笑顔を形作る。
「あの、大丈夫かい?」
 そんな茄奈に、近くの席にいた男性が声をかけてきた。
「え? いやいや全然へーき」
「そうは見え……いや、もしよかったら僕の飲み物と交換してくれないか? 間違えて頼んでしまったんだ。まだ口はつけていないから安心して」
 男性があじさい色のレモネードを差し出してきた。
「そ、そこまで云うなら仕方ないなぁ~」
 にっこにこでレモネードを受け取る茄奈だった。爽やかな甘さがとても美味しい。
「よかった」
 男性が淡く微笑むが、茄奈にはどうにもその笑顔は覇気がないように見えた。
「元気ないわね」
「え?」
「どうしたん? 話聞こか?」
 茄奈はあまり気にしていないが、男性は言い当てられた事に心底驚いたようだ。
「君は不思議な子だね」
 話をかいつまむと、思春期真っただ中の娘との関係に悩んでいるという事だった。
「娘さんが……。そりゃあ。女の子はあまのじゃくだしなあ」
「全くだ」
「……今なんであたい見て頷いた?」
「え? いやそんな事は」
「めっちゃ目が泳いでるよ、おじさん」
「……すまない」
 素直に謝られるとなんだか悪い気がしてくる。
「しゃーないな、あたしの羽でもモフって元気だしなって」
 面食らう男に、「ただのコスプレ道具だからさ」と笑う茄奈だった。
「それにしても、あじさいって可愛いじゃん。あたしにも負けてないな。スマフォ持ってねえし、目に焼き付けておくか」
 目を細め、外の景色を眺める。
「はー。一人で来てよかった。強がってねえよ」
「女の子だね」
「は? どういう事だよ」
 さあね、と男は笑う。
 さて、もうひとつ茄奈の心を惹きつけるものといえばこの列車名物のアフタヌーンティーであるが。
(「小学生のお小遣いで買えるわけないじゃんね」)
「もし嫌いでなかったら、アフタヌーンティーでもご馳走させてくれないか?」
「え!?」
 弾かれたように顔を上げる。
「しがない中年の愚痴を聞いて貰ったお礼という事で」
「そ、それは」
 正直とても惹かれる。でもさすがに申し訳ないような。
 悩む茄奈。そんなところが、彼女を天使たらしめている善なる心なのかもしれない。

第2章 冒険 『人々の洗脳を解け』



 のんびりと進む列車が、トンネルへと差し掛かる。
 眼前に広がっていた花々の景色が一時的に途絶え、人々の顔に少し残念そうな表情が浮かぶ頃。
 元々ゆっくりと運行していた列車が更に減速し、ついには止まってしまう。
「あれ、トラブルかな?」
 Anker候補だという女性、リコが不思議そうに呟く。
 辺りの様子を伺うために立ち上がろうとしたリコの手首を、友人らしき女性が掴んだ。
「痛っ」
 顔をしかめるリコ。
「ちょっと、何よ……」
「おまえ、Ankerだな?」
 友人はリコを睨みつけ、手首を握る手にぎりぎりと力を込める。
「痛いってば、離してよ! Ankerって、なに……」
「Ankerには死をもたらさなければならない」
「死、って……」
 リコとは少し離れた席から悲鳴がした。若い男性が女性に掴みかかっている。
 同じような光景は車内のあちこちで繰り広げられていた。いずれも襲っているのは一般人だった筈の人間で、その口からは全く同じ言葉が繰り返されている。
「Ankerには死をもたらさなければならない。Ankerには死をもたらさなければならない。Ankerには――」
 敵意だけが宿った眼差し。彼らが操られているのは明白だ。
 √能力者ならば一般人相手に負ける事はないが、彼らもまた被害者である。そして数が多い。
 なにより、√能力者のAnkerがいる場合、彼らもまた命を狙われる事となる。
 一般人を操っているのであろうサイコブレイドの気配は、車内にはない。
 犠牲者を出さないためには、洗脳を解くにせよ、操られている人々を気絶させるにせよ、それ以外の手段をとるにせよ――迅速に事を運ぶ必要があるだろう。
朔月・彩陽
刻見・雲雀


 風光明媚な観光列車は、突如Ankerを狩る為の場と化した。
「……わあ。ヤバイ状況になっとる……」
 朔月・彩陽(月の一族の統領・h00243)が柳眉を顰める。
「電車の中で事を進めようとする辺りが中々陰湿だね……逃げ道が狭すぎるもの」
 とにかく助けないと、と刻見・雲雀(最果てに挑む翠瞳・h01237)はリコと友人の間に割り込んだ。
「何あんた? 邪魔しないで」
 友人が正気を失った目で雲雀を睨みつけ、拳を振り翳した。雲雀の手がそれを受け止める。
「きゃっ」
 直後飛散した緋血紅霧——煙上に霧散する雲雀の血が友人の目を眩ませた。リコの手を握る力が緩んだところで彼女を助け出す。
「あなたは誰? 何が起きてるの……?」
「話は後だ、今は自分が助かる事だけ考えて」
 護りやすいようにと彼女を彩陽のそばに誘導した。
「任せとき」
 リコを背に庇う彩陽の頼もしさに頷きつつ、雲雀は内心驚きを隠せないでいた。
 友人に殴られた手が痺れている。武術の心得も特別な力も何もない筈の拳は、驚くほどに重かった。操られている人々は、日頃セーブされているという窮地のための力を無理やりに引き出されているのかもしれない。
 だとしたら、やはりただの人間には勝ち目がない。
「どうにか解決せなあかんよなあ。んー……どうやったもんかね」
 彩陽にしてみても、施されている洗脳がどのような類のものか見当もつかない。とはいえそれをじっくり解析していくほどの時間もない。
「となれば、とりあえずは……隔離しとこか」
|朔月の加護《ツキノナイヨノカゴ》が人々に降り注ぐ。満ち往く月の加護が人々の動きを封じ、その身を蝕む悪しき力を祓っていった。
(「洗脳は、つまり魔のようなもの――なら破魔で抵抗できるはずや」)
 継ぎ足しの実験の末に生まれた、統領たるに相応しい存在。
 その力は確かに未知なる魔にも干渉し、その刃を少しずつ削いでいった。
 操られた人々が意識を失い斃れていく。リコを襲っていた友人も然りだ。きっと次に目を醒ます時は全て元通りだろう。
(「概念には概念を。みたいなもんかね」)
 きっとうまくいく。それは理屈ではなく、確信だった。
 相手がいかに不確かなものでも真っ向から向き合い、魔を祓い、鎮め、時に寄り添ってきた者の矜持だ。
 彩陽の破魔がうまく作用しているのを横目で確認しながら、その力が及ばぬ場所へと雲雀は駆けよっていく。
 それはカップルらしい男女の姿だった。腰を抜かしてしまった男性の上に女性が跨って、髪を結んでいたリボンで首を絞めようとしている。
「待って!」
 割り込んで制止すると、女性が刺すような眼差しを向けて来た。
「――あなたは何故こんなことを?」
「何で邪魔するの? 私たちはAnkerを殺さなければならないの!」
「誰の為? それは君の知っている人?」
 問いただす雲雀から、微かな風と共に心を落ち着かせる香りがした。
 女性が少し目を細め、それから何かを振り払うようにぶんぶんと首を振った。
「知らない。でもそんな事関係ないんじゃない? だってこれは大事な仕事だもの」
「落ち着いて。考えることをやめてはいけない。知らないなら聞く必要ないんじゃない?」
 赫熟のマトカトリア。本来の思考能力を増幅させる力だ。
「知らない人よ――でも大事な仕事なの。大事な……私の、大事なもの」
 女性の表情に迷いが生じ始めた。さらに雲雀は畳みかける。
「答えはもう、あなたの中にあるはずだ」
「――ああ!」
 女性の目に正気が戻る。ぽろぽろと大粒の涙が零れた。
「私、なんて事を……あなたより大切なものなんてあるわけないのに、どうして……!」
 男性はまだ表情に怯えが残ってはいるが、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫。君のせいじゃないというのは、なんとなく判ったから……みんな様子がおかしいし……」
 戸惑うように投げかけられた視線に、雲雀と、そして彩陽も同意を示す。
「ああ。その子は悪うないよ」
「あなた達も、みんなも、必ず助ける。待っていて」
 救出劇は、まだ始まったばかり――。

和紋・蜚廉


 混乱に満ちた車内に、ひとつの黒い影があった。
 それは本来ならばこの場では歓迎されないものの姿をしている。だが今は、彼こそがこの状況を打破できる救世主だ。
 正気を失った人と、逃げ惑う人が混在するこの場でも、“蜚廉”は自在に壁や天井を這い回り、狭い場所に身を隠す事が出来るのだから。
「……翅音板、共鳴を」
 甲殻が震え、仕込んだ装具によって翅が高周波の唸りを放つ。洗脳された人々が一瞬怯んだすきに、和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)は潜響骨で周辺の状況を探った。
(「騒ぎの元凶は――車内にはおらぬか」)
 ならばすべきことはこの騒ぎを鎮める事だ。あらゆる窮地を掻い潜ってきた瞬足で蜚廉は天井を這い、甲殻の隙間から黒銀の糸を放つ。絡み取られた人間に素早く飛び掛かり、毒を仕込んだ爪を振り翳した。
 毒といっても眠気と眩暈を誘う程度のものだ。操られていた青年がそれを喰らってくらくらと倒れ込む頃には、蜚廉は素早く座席の下に身を隠し、人間たちの目につかないところから周辺を探り、奇襲を仕掛け続ける。
 ターゲットに及ぶ危機は、全て迅速に鎮めるべきだ。生き残って来た者は、他者をそうさせる術にも長けている。
 何度目かの爪が洗脳された者へと食い込んだ。しかし、その時は相手が少々悪かった。身体の大きな男性だったことが災いしたのか毒の効きが悪く、少したたらを踏んだだけで意識を失う事なくAnkerらしき人間へと殴りかかろうとした。
「止むを得ん」
 蜚廉は男へと飛び掛かる。正気を失った筈の男が目を剥いた。
「ゴ、ゴキ……ッ!?」
 操られても尚、本能的な忌避というのは働くものか。黒光りする蟲に怯んだ男へと蜚廉は掌底を喰らわせた。どっと男が倒れ込む。
 頭を打っていない事だけを確認し、蜚廉は再び塵影に潜む。一人でも多くを救うために。

シリウス・ローゼンハイム
プロキオン・ローゼンハイム


 ささやかな幸運から始まったはずの旅行だったのに、気が付けばとんだ災難に巻き込まれてしまった。
「例の抹殺計画か……」
「とんだ「貧乏クジ」だなぁ、こんなところで例のAnker抹殺計画に巻き込まれるなんて」
 全くの偶然でこの列車を訪れた兄弟であるが、√能力者であるシリウス・ローゼンハイム
(吸血鬼の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03123)はもちろん、その弟でありシリウスのAnkerであるプロキオン・ローゼンハイム(シリウス・ローゼンハイムのAnkerの弟・h03159)も抹殺計画の事は知っていた。
 理由は簡潔。以前にも抹殺計画に、それを率いるサイコブレイドに遭遇した事があるからだ。
「せっかく兄さんに喜んで貰えると思ったのに、申し訳……」
「折角の旅行が台無しじゃないか。弟との楽しい旅行中にこれは嫌な気分だ」
「うわっすごく怒ってる……」
 自分が悪いわけではないが、なんだか罪悪感を覚えてしまうプロキオンだった。
 苛立ちごとすべて吐き出すようにシリウスは深く嘆息した。眉間に深く刻まれた皺はそのままだが、幾分か冷静さを取り戻したようだ。
「気にするな、ロキのせいじゃない。それにこいつら一般人にも罪は無い」
 紅い双眸が追うのは、まるでゾンビのようににじり寄って来る一般人たちだ。その狙いはAnker、つまり――。
「俺達はその男を仕留めなければいけない」
「そこを退け、能力者」
「……舐められたものだな、俺も、そしてロキも」
 プロキオンを後ろ手に庇いながら、シリウスが|霊震《サイコクエイク》を発動させる。所詮一般人に過ぎない人々が天災にも等しい揺れの中で動けるわけもなく、ある者は転倒し、ある者は頭を抱えてうずくまった。
 その隙にプロキオンが背後で詠唱を開始する。地震のような揺さぶりに苛まれる人々が――というよりもおそらく彼らを操る者が、なのだろう――驚愕に目を剥いた。
「な、あいつ――Ankerだろ? なんで魔法なんて」
 魔法が発動し、黒い影が彼らを束縛した。
「兄さんほどの力はなくとも、日頃から簒奪者に備えて鍛えているからね」
 Ankerというのは何せ狙われやすい、巻き込まれやすい存在であるらしい。自分の身くらいは自分で護りたいし――何より、兄の“家族”をこれ以上奪わせるわけにもいかない。
 捕縛した一般人たちに素早くプロキオンが近づき、麻酔針で眠らせる。もし効かなければ殴ってでも気絶させるとシリウスが拳を構えていたが、その必要はないようだ。代わりに意識を失った人々を抱え、座席に座らせていった。
「取り敢えず一段落といったとこかな」
「離れるなよ、ロキ。サイコブレイドがどこから仕掛けてくるかわからない」
「そうだね」
 奴はどこからかこの様子を見ている筈だ。襲われた人物や、その対応にあたる能力者たちを注視する。だが車内から気配は感じられなかった。
「だとすると、外……?」
 列車が急に停車してしまったことからもその可能性はありそうだ。頃合いを見て乗り込んでくるつもりだろうか。
(「探しに行きたいが、今はこの場を納める事を優先すべきだろうな」)
 あまり他の√能力者と離れるのも、プロキオンを危険にさらしかねない。車内を巡るシリウスの視線がふと、とあるものに釘付けになった。
「どうしたの、兄さん?」
「これを忘れていた。危なかった」
 シリウスが取りあげたものにプロキオンは唖然とした。
 それは――アフタヌーンティのケーキの最後の一切れだった。
「兄さん……こんな状態でも食い意地張ってるよ……」
「腹が減っては何とやら、というやつだろ」
 しっかりと味わい、飲み下して、再びAnkerたちを救うべくシリウスは能力を揮うのだった。

ララ・キルシュネーテ
ロジエ・アウランジェ


 つい先程まで風光明媚な景色を映していた人々の目には、今やぎらぎらとした憎悪しか宿っていない。
「嗚呼、罪なき人々になんてことを!」
 嘆きを漏らすロジエ・アウランジェ(七星アウラアオイデー・h07565)。
「あら、随分と騒がしくなったわね。ティータイムもお終いみたい」
 ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)がさっと立ち上がる。
「いつか、誰かの帰り道……導の星になるであろう存在に……。私だけが犠牲になるならまだいい……」
 ロジエ、とララが短くたしなめた。
「お前の自己犠牲が成ったところで何一つ誰一人救われないわ」
「そう、ですね……私一人の犠牲で済むわけがない……いえ、犠牲者など出してはいけないのです」
 諦めたようにララは笑む。全くもって正しく、この男は天使なのだ。
「……それがお前の美徳でもあったわね」
 操られた人々は何かを探るように辺りを見回して、そしてロジエに狙いを定めた。
「その羽、見せ掛けじゃないね」
「能力者ではない――あれはきっとAnkerだ」
 Ankerを嗅ぎ分けるのだというサイコブレイドの力が洗脳された人々にも宿っているのか、彼らは同じように羽を持つララには目もくれない。
「ララ、お願いできますか?」
 遠慮がちなロジエに、ララは力強く頷いた。
「ロジエ、お前はララの導の星だと自覚して頂戴」
 可惜夜の翼がはためいてララが前に出る。
(「せめて自分の身を守ってもらえると助かるけど――お前もララが守る」)
 誰一人として、死ぬことも殺めることも許さない。
 花弁が舞う。母なる桜龍神の恩寵が。
 それらがひとつ、またひとつ、花咲くようにぽっと燃え上がる。
 破魔の迦楼羅焔……生命ではなくかけられた呪だけ焚く聖焔だ。
 神楽のように焔は車内を巡っていく。操られ、歪な使命感で拳を振り翳していた人々の目に生気が戻っていった。
 直後、緊張の糸が切れたように力が抜けて倒れる人々。
 その中心にたたずむ、夜空の羽持つ少女——奇跡のような光景に、しかしロジエは歯噛みする。
 稀有な生まれであろうと、聖女であろうと、彼女はまだちいさな幼子に過ぎないではないか。
 天の雛女に全てを背負わせ託すことしかできないのかと胸が苦しくなる。救済の歌を紡げても、その身に遍くを救う|秘跡の奇跡《アムリタ》を宿しても、暴力を伴う悪意の前にロジエはあまりに無力だ。
(「なら、せめて」)
 出来る限りの霊的防護を纏い、ロジエはララの庇護下から飛び出した。
「ロジエ? じっとしていなさいと――」
「気絶した人々や怪我人の安全を確保します」
 そのくらいなら非力な私にもできる、とロジエは気を失った人を担ぐ。
「……わかったわ。お前は人々を安全なところに運びなさい」
 まったくこの王子様は、ララの云う事なんて聞きやしない。
 護りやすいように車輛の端に人々を集めるロジエを、耽々と狙う者があった。
 気絶した振りをしていたものががばりと起き上がる。
「――!」
「Anker、覚悟!」
 背後から襲い掛かるその人を、ロジエの音響弾が弾いた。
「正気に戻るのです!」
 怯んだ隙にララが走り寄り、とんと首を叩く。とうとう気絶し倒れ込むところをロジエの腕が支えた。
「全く、油断も隙もあったものじゃないわ。気づかなくてごめんなさい」
「いいえ、狙われるのは覚悟の上ですから」
 にこりと笑んだロジエが直後表情を消した。彼が何を考えているのかララには察しがついたし、それにはララ自身も心から同意する。
「そうよね、こんなおいたをする子には、お仕置しなきゃ」
「……悔い改めて、貰わねば。一つの生命だって奪わせません」
 目的のために、奴はどれほどの命を巻き込むつもりか。
 いかなる事情があろうと、決して許せるものではない。

シル・ウィンディア
エアリィ・ウィンディア


 薄曇りの中を、あじさいを眺めながらゆったりと走る列車。
「いい景色だよねー。あ、トンネルに差し掛かるみたい」
 腹ごしらえも充分、窓の外を楽しそうに眺めていたエアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)だけれども。
「あら?」
 母であるシル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)が不思議そうに声を上げてからほどなくして、列車は更に速度を落とし、とうとう止まってしまう。
「どうしたんだろう?」
 列車の中はシルやエアリィと同じように戸惑いが満ちていた。シルが立ち上がり、辺りを伺おうとする。
 直後何かが飛んで来て咄嗟に顔を引っ込める。地面に落ちたそれはカッターナイフだった。
「何でこんなものが……」
 飛んできた方を見遣ると、学生風の青年が怒号を飛ばしていた。
「Ankerだ! Ankerがこの車内にいるはずだ!」
「探せ! そして倒すんだ!」
 周りの人間たちもそれに同調している。
「え? ま、周りの人たちの様子がなんだかおかしい?」
 戸惑うエアリィを落ち着けるようにシルが肩に手を添えた。
「こういう時こそ落ち着いて。まずは何をすべきか考えるの、エア」
「う、うん」
 深呼吸し、エアリィは周辺の精霊たちに呼びかける。
「何があったか教えて」
 精霊たちが教えてくれたのは、Anker狩りことサイコブレイドが一般人たちを操っている事、そしてこの列車に、シル以外にも何人かのAnkerが乗っている事。しかし、サイコブレイドがどこにいるかまでは判らないようだ。
「十分だよ、ありがとう」
 礼を云って、エアリィはシルにも判明した状況を説明する。
「ふぅん……。そういう風に回りくどいやり方してくるんだ。ん-、ちょっと厄介かも?」
 短い悲鳴が聞こえた。弾かれたように二人がそちらに目を遣ると、Ankerらしき女性が人々に取り囲まれている。
 助けなければ。考える間もなくシルが飛び出した。
「待って。Ankerならここにもいるよ」
 人々がぴたりと動きを止め、シルを睨みつける。
「ほら、捕まえたいなら、こっちまでおいで」
 腕を広げてアピールする。人々は頷き合って、一斉にシルに飛び掛かって来た。
「させないよ」
 シルを庇うように身を躍らせたエアリィが、鞘に納めたままの精霊剣を鈍器にして振り翳す。
 横薙ぎの一閃にみぞおちを打たれた青年が意識を失いくずおれた。精霊の加護が人々の洗脳にも作用しているのをエアリィは感じ取る。精神を蝕む力を取り除いてしまえば、彼の回復も早いはずだ。
 シルもまた果敢に前に出る。銀製の籠手で素早く手刀を叩きつけ、人々を気絶させていった。
「ん-、浄化とか呪詛とかの知識があればよかったんだけどね。まぁ、無いものは仕方ない」
 いかに魔法に長けたシルといえど、何でもできるというわけではない。
 そしてシルに手ほどきを受けたエアリィも、明るい分野はどうしても似たような傾向になってしまうわけで。
「ん-、こういう操り系は苦手だぁ~」
 思わず弱音が零れる。エアリィの場合、得物が剣である以上どうしても首を狙うのに抵抗を感じてしまうという心理的ハンデもあり、なおさら苦戦しているようだ。
「それでもちゃんと頑張ってるんだから、エアはえらいよ」
 娘であり弟子でもあるエアリィの成長に、緊急時といえどつい顔がほころぶシルだった。
「もう少しだけ頑張ろう」
「早くみんなを助けてあげなきゃ、だもんね!」
 ダンジョンでの実地訓練は、彼女の力を伸ばすだけでなく、力を適切に用いる応用力も高めてくれているのだろう。小さく頼もしい背を、シルは師として、母として見守るのだった。

蔦ノ森・まほろ


 平和なあじさい列車は、今では誰かの殺意で渦巻いている。
「リコさん大丈夫?」
 最初に操られ襲い掛かって来たリコの友人は、√能力者が気絶させ、元に戻してくれた。だがこの状況ではいつ誰が襲ってきてもおかしくはない。
「何とか……あの、一体何が起こってるんですか?」
 リコの問いに、蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)は首を横に振る。この場に迷い込んだだけのまほろにも状況は判らない。それでも彼女を安心させるために云った。
「あんまり手荒なことはしたくないけど、傷つけさせたりはしないよ? リコさんは目の届くとこにいて欲しいな」
 戸惑いながらも頷くリコに笑顔で頷き返し、まほろは彼女を庇うように前に出る。
「あいつだ」
「あいつを斃せ」
 人々が襲い掛かって来た。真正面から来た拳を、体を半身にして受け流す。竜たるチカラは発揮できずとも、戦闘執事としてこの程度の事は基礎中の基礎だ。体勢を崩した相手にマヒ攻撃を浴びせる。一人を往なしても次々と彼らは襲い掛かってきた。
(「リコさんを庇ってるつもりだったけど、もしかして僕自身が敵の狙いを吸ってる?」)
 なるほど、首謀者にはAnkerを見極める力があるらしい。
「……なら、的になろうか?」
 痛みを我慢するのは得意なほうだ。戦える人なら他にいる。
 積極的に狙われにいけば√能力者も対応しやすいだろうし、何より他のAnkerが襲われる確率が減る。
(「僕、欲張りだから。誰も怪我させたくない」)
 口には、決して出さないけれど。
 操られた人が何やら光るものを振り翳してきた。避けてから目で追うとそれはカッターナイフだった。随分物騒だが、おそらく元々は筆記用具として持ち歩いてたものに過ぎないのだろう。刃物を持った相手にも怯まず、まほろは果敢に盾となり続ける。
(「それにしても――Ankerね」)
 ……誰でも、人でなくともAnkerに成り得るというが、相手は人類絶滅でもさせる気なのだろうか。
 結論の出ない事を考えても仕方ない。疑問は脳裡に押しやり、まほろはムチで相手を縛り上げた。

古出水・潤
リーガル・ハワード
オスヴァルト・ライマン


「……おや。止まってしまったね」
 オスヴァルト・ライマン(|悪辣富豪《ぶきしょうにん》・h02135)が不思議そうな表情を貼り付けて呟いた。
「本当ですね。どうせならば風景の見える位置で止まってくだされば良いものを」
 古出水・潤(夜辺・h01309)が緊張感に欠けたトーンで応じつつも席を立ってオスヴァルトに歩み寄る。そんな潤にオスヴァルトが全くだと頷いた。
「おい。なんだその言い方、その顔」
 渋い顔でリーガル・ハワード(イヴリスの|炁物《きぶつ》・h00539)がオスヴァルトを睨みつけると、白い貌に張り付いた表情が剥がれ、みっしりと詰まった期待と好奇が溢れ出してきた。
「ハハハ、やはり分かるかい? √能力者の力を失ってからどうにも日々に刺激が少なくて」
「当たり前だろわっざとらしい」
「ああ、退屈は人を殺すっていいますからね」
 同調するような物言いをする潤だが、梟生が長いこの男に共感性というものがあるかは疑わしい。
「それを云うなら好奇心は猫を殺すだろ。潤、騙されるなよ、こいつ刺激が少ないわけないんだよ悪いことばっかしてんだから」
「おやおや手厳しい」
 悲しそうに眉を下げるオスヴァルトだが、果たして声音は全然悲しそうではなかった。リーガルが更に嫌味を飛ばそうとするが、
「来ますよ、リーガル」
 潤の声に断念した。しぶしぶといった様子で、しかし迅速にオスヴァルトを庇うように立つ。
 列車という限られた空間、しかもこちらは窓を背にした状態。相手が手を出せる空間は限られるだろう。
「操られているようですが、相手は一般人です」
「わかってる。そんなに手荒なことはしないよ。たぶん」
「いえ、少々の怪我は治せますので、貴方が怪我をなさらぬよう」
「……了解」
 一般人と自分を遮るように立つ二人の背後で、オスヴァルトは悠然とティーカップを置いた。
 他者からの敵意や害意は慣れている。元√能力者だからというよりも――職業柄といった意味で。


 強烈な使命感と憤怒に支配された人々のうちのひとりがこちらを向いた。
 直後、他の者たちも追随する。拳を握り、あるいは筆記具やベルトといった取り敢えずの凶器となるものを手に、一斉に襲い掛かって来る。
「……オスヴァルト様、手品はお好きですか?」
「ん? 嫌いではないよ」
 淡く笑んだ潤が懐から何枚もの折紙を取り出す。紙は潤の手を離れ一斉に“羽ばたいた”。
Code//|白頭翁《スターリング》。折紙の椋鳥たちに怯んだその間隙に紛れ、潤は操られた人々のそばに歩み寄る。
「ごきげんよう、良いお天気ですね。こんな日に、あなたは何故この方を殺そうと?」
 何人かが潤の言葉に反応した。その顔を順に見遣り、にこりと笑みを向ける。
「――『人が死ぬのは恐ろしい』のに」
 人々の顔に、はっきりと困惑が生まれた。困惑はじわじわと広がり、やがて恐怖へと変わっていく。
「おそ、ろしい――そうだよね、どうして、こんな……」
 憎悪に満ちていた眼差しが正気を取り戻していく。簡単な催眠術だが効果はあったようだ。
「――頭の中で声がして、それが絶対正しい気がして、気が付いたら……」
「今はどうですか?」
「ありえません、考えるのも怖いです。私、誰かを傷つけたりしてないですよね?」
「ええ、勿論。大丈夫ですよ」
 だが暗示の効かない者もいる。折り紙の小鳥を蹴散らす者の前にリーガルが立ちはだかった。刃物のように鋭く、透徹な視線が相手を射抜く。
『ここに死は必要ない。害意を捨てろ』
 催眠が効かないのならば、その抵抗力を奪ってしまうまで。
 びくりと身体を強張らせた人々が降伏するようにへたり込んだ。
 油断なく周囲を警戒しつつ、リーガルは背後にちらと視線を向ける。命を狙われている当の本人は余裕たっぷりだ。
 さすが場慣れしているというかなんというか、感心すべきか悩んでいるとオスヴァルトがおもむろに口を開いた。
「Ankerとは私のことで、今まさに命を脅かされているというのなら――私の命は高いぞ。きみたちの命の価値とは比べ物にならないくらい」
「それは問題発言――」
 云いかけて口を噤む。
 潤の催眠もリーガルの暗示も潜り抜けた者が襲い掛かって来た。
 嫌な予感がしてリーガルは咄嗟に動く。みぞおちに一撃喰らわせて気絶させるためでもあるが、どちらかというと真の目的は別にあった。
「やめろ武器をしまえ!」
 今まさに懐に手を伸ばしていたオスヴァルトを止める事であった。この√EDENの、この日本では、絶対に出してはいけないものをこの武器商人は出そうとしていたに違いないのだから。
「……おっと」
「残念そうな顔をするな!」
「フフ、仕方ないだろう。それでも襲い掛かってくるというのなら私も自分の身は護らねばならない」
「そうならないように僕らがいるんだろ」
「守られてばかりというのも性に合わなくてね」
「頼むから大人しく護られててくれ」
「ともあれ最初の窮地は脱したのかな。ありがとう。潤くん、リーガル」
「……どういたしまして」
 ため息をつくリーガルの隣で、潤が愉快そうに喉を鳴らす。
「ふふ。恐れ入ります。今日は素敵な|参観日《・・・》になりそうですね」
 もはや云い返す気力もないリーガルだった。

青羽・茄奈


 どうしよう。青羽・茄奈(ご近所の天使っぽいなにか・h06630)は悩んでいた。
 気になっていたアフタヌーンティーを奢って貰えるまたとない機会。しかし奢って貰うにはなかなか気が引ける金額だ。
 悩み抜いた結果、茄奈はやっぱり素直ではない物言いをしてしまう。
「ま、まあ。一人じゃ食べきれないなら? 食べるの手伝うけど?」
「そうして貰えると助かるよ」
 マジで? 本当にいいの?
 緩む口元を必死に抑えつつあじさいを堪能していると、運ばれてくるアフタヌーンティー。
 繊細な細工のティースタンドに収められた宝石細工のようなお菓子たちに茄奈が目をきらめかせた。
「すご……」
「ほら、好きなのを取ってくれ。僕は甘い物は何でも好きだから」
「そ、そう? そういう事なら遠慮なく」
 ミニパフェに、ジャムとクリームたっぷりのスコーンにとご満悦だ。
「う~ん、美味しいっ」
 そうしてお腹も心も満たされた頃。
「お、おじさん」
「ん?」
「……あ、ありがと」
 そっぽ向きながらも羽が揺れていた。それはもう嬉しそうに、わっさわっさと。
 そんな幸せを堪能していた二人だが、なんだか車内が騒がしい。
「何だ?」
 訝しがる玲の横で、茄奈の顔がみるみる蒼ざめていく。
「やべえ。この空気、ヨーロッパに拉致された時のやつだ」
「拉致だって?」
 玲が目を剥く。
 そういえばこの子の羽。そういうファッションなのかと思っていたが、さきほど動いていたような。そして玲は娘から聞いたことがある。善なる心を持つ人々が変化し、時にその存在を狙われるという種族。
「君は、まさか」
「また変なのに巻き込まれんのかよお……。お、おじさん……」
 怯えて体を寄せる茄奈。あの時は運よく逃げ延びれたが、今回もそうとは限らない。
 助けてくれる友達もここにはいない。車内の狂騒はいよいよ激しさを増している。
 正気を失った人々がそうでない人々を襲っている。明らかに異常な光景だ。
「あたしはあじさい、あたしはさぼてん、あたしは座席」
 必死に存在を消そうとする茄奈の身体が震えている。庇うように抱き寄せながらも玲もどうしたらいいかわからないようだ。戦う力を持たぬ自分に歯噛みする。
「Ankerを探すんだ!」
「Ankerを殺せ!」
 ――Ankerだって? 玲が眉根を寄せた。
「いたぞ! 二人もだ!」
 その声に正気を失った人々が色を成して襲い掛かって来る。
「逃げ……」
「ぎゃー! こっちくんなー!」
 死に物狂いでカバンにあったガムテープをぶん投げる茄奈。こんな事をしても何にもならない事は本人が一番よくわかっていた――はずが。
 ガムテープが勝手にしゅるしゅると伸びて、操られていた青年に巻きつき縛り上げた。
「うわっ、何だこれ、動けねえ! お前|Anker《戦えねえん》じゃねえのかよ!」
 わめく青年。唖然とする玲。
 その隣で同じように唖然とする茄奈。
「なにあれ、こわ……」
「え、君も知らないのか?」
「何がなにやら」
 しかし襲い掛かって来る人間は一人ではない。他にも次々と襲い掛かって来る上、ここはボックス席。さながら袋小路だ。
「まずい」
「なにこの紙切れ!? ええーい!」
 またしても茄奈は鞄から三枚のお札をぽいぽいぽいと投げつける。
 それは三人組にぽんぽんぽんとリズミカルに命中し、彼らを眠らせていった。
「いや、なんなの……」
 やっぱり本人も何も知らなかった。
 そしてやっぱり襲い掛かって来る第三陣。
「何となくパターンが読めて来たぞ」
 今度も頼んだとばかり茄奈を見る玲だが。
「もうなんもないよー。おじさーん!」
「何だって!?」
 奇跡は三度は起こらないらしい。
「ああもう、どうしよう!」
 窓を開けようと試みる茄奈だが、何故かびくともしない。
「今度こそ逃げるぞ」
 茄奈の手を引き、斃れた青年を踏みつけながら玲は通路へと身を躍らせる。
「逃げるったってどこに~!?」
 茄奈の鞄の底でお守り鈴が揺れていた事に、二人はまだ気づいていない――。

第3章 ボス戦 『外星体『サイコブレイド』』



 Anker達は無事救助された。
 操られていた一般人達は気絶させられ、或いは正気を取り戻した。
 しんと静まり返った車内。窓のひとつがこじ開けられ、ひとりの男が身を滑らせる。
 目深にフードを被り、サングラスをかけた男だ。一見すると人間のような姿かたちをしているが、外套の中から黒い触手を覗かせているその姿はあきらかにこの星の生命体ではない。触手を変化させたような腕で剣を担いだ男は、額に宿る第三の目で油断なく辺りを伺った。
「ふむ。Anker抹殺は成らぬか……」
 男の表情は落胆と安堵がない交ぜになっていた。間違いなくこの男こそ星詠みが映し出した首謀者であり、一般人を操ってAnkerを殺させようとした張本人であるはずなのに。
 外星体『サイコブレイド』。その目が一般人でもAnkerでもない者達を――つまり√能力者たちを捉えた。
「だが俺も退けぬ理由がある。立ちはだかる者があるならば、外星体同盟の殺し屋として斬り伏せるのみだ」
 √能力者は男に言葉を返すべく口を開いただろうか。だがそれよりも先に声を発した者がいた。
「っ、なんだかよくわかんないけど……!」
 √能力者に助けられたAnker、リコだ。
「あなたがみんなをおかしくしたの!? その……Anker? って人たちを殺させるために? そんなの卑怯すぎる! 最初から自分でかかってこないようなヤツ、絶対この人たちに勝てないんだから!」
 無謀極まりない挑発ともいえる言動に、諫めようとした√能力者もいたかもしれない。だがリコの言葉は予想外の効果を見せた。サイコブレイドが胸元を抑え、苦しそうに息を荒げたのである。
 星詠みは、サイコブレイド自身もAnkerを人質にとられているらしいと語っていた。男の中には“望まぬ邪悪”への葛藤があるのだろう。
「っ、黙れ、小娘が……!」
 それゆえに、Ankerの言葉は男を惑わせ、隙を生み出させる。それはリコや玲に限らず、この場に居合わせたAnker全てが成せる事だ。
 男は極めて高度な殺戮技能を持つ強敵。だが√能力者と、彼らを応援するAnker達が力を合わせれば、きっと討ち取れるはずだ。

 プレイング募集:07/04(金)朝8:31~
和紋・蜚廉


 誰かが云っていた。長生きは死に損ないだと。
 ならば永劫に近い時を彷徨い、|欠落を埋める存在《Anker》を探し続けたあの男はどうだろう。今ではそれを逆手に取られ、望まぬ殺戮を重ねているあの男は、ただ徒に生き延びただけなのだろうか。
 和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)はそうは考えない。生き続けるという事には、それ自体に意味がある。
「その姿、覚えているぞ」
 男が告げ、対峙する蜚廉も頷く。もう何度目の邂逅になるだろうか。蜚廉にしてみれば、奴の間合い、軌道、切断部位の選び方に至るまで、全て見切っていると云いきっても過言ではない。
(「だがそれは、奴とて同じ事」)
 互いを知る者同士の戦い。風変わりな剣の切っ先が向けられた瞬間、蜚廉の脚が閃いた。跳躍と共に放たれた蹴りは男の腕を掠めるに留まったが、反撃の刃が迫り来る頃にはもう、蜚廉は影に身を滑り込ませている。代わりに解き放った分体を刀身が次々と切り伏せていった。
 油断なく辺りを伺うサイコブレイドの耳が、かさりとほんの小さな音を聞き分けた。頭上だ。だが察知された事は蜚廉も翳嗅盤によって嗅ぎ分けている。必中の刃を甲殻籠手が受け止めた。同時に気配や感情の残滓を嗅ぎ分ける蜚廉の嗅覚器官は男の真の狙いも察知していた。奴の狙いは蜚廉本人ではない。蜚廉を斃した先にいるAnker達だ。だがその最終目的こそが男の刃を鈍らせている。
「汝の刃、我には届かぬ。……だが、“届かせたくない”相手が居るのだろう?」
 ぐっと男が呻いた。再び蜚廉は攻撃を繰り出す。目的は殺害ではなく撃退だ。
 その手を、抜けぬ場所へ押し返す。奴が何度この地に降り立とうとも、蜚廉は何度でも、地より這い立つ。
 分体たちの一部はAnkerを護るように立ちはだかっている。蜚廉の徒手空拳は男を死角へと押し込み、蜚廉の言葉は男の迷いに揺さぶりをかけ続ける。
 命の長さは価値ではなく証だ。無数の死と隣り合わせの生がそう気づかせた。
 だから蜚廉は生き延びる。今日も、明日も、その先も。

シリウス・ローゼンハイム
プロキオン・ローゼンハイム


 サイコブレイド。
 幾星霜の果てに見つけた無二のAnkerを人質に捕られ、その能力をAnker狩りに使われているのだという殺戮者。
(「――奴と同じ立場になった場合、俺はどう行動するだろうか」)
 シリウス・ローゼンハイム(吸血鬼の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03123)の脳裡に浮かぶのは、大切な弟を人質に捕られる自分の姿だ。彼を助け出すためには無辜の民を殺し続けなければならない。弟こそがシリウスの戦う理由、ひいては生きる理由であるのに――。
 最悪の想像を、シリウスはかぶりを振って頭から追いやった。今は事件に向き合うべきだ。
「あとは任せろ、ロキ」
 シリウスの言葉に、プロキオン・ローゼンハイム(シリウス・ローゼンハイムのAnkerの弟・h03159)が微笑みを返す。
「今度は兄さんの番だね。頼りにしているよ」
 その言葉だけで百人力だと思わず口走りそうになった。緩む口元を咳払いで誤魔化して、シリウスは己の魔力を解放する。片手剣の形に練り上げた魔力を手に、弟やAnkerたちを庇うように踊り出た。


 リコの言葉がサイコブレイドに揺さぶりをかけた事にはプロキオンも気づいていた。
(「Ankerか。あの人にとっても、この事件は不本意なものなんだろうな」)
 気になりはしたが、それを問いただすほどのんびり構えてはいられない。何より相手は熟練の殺人技能を持つ男である。いくらプロキオンでも敵う相手ではない。
 今の自分がすべきことは戦闘ではなく、能力者たちを、そして他ならぬ兄を信じて見守る事だ。
 幸いにも今すぐに治療が必要な怪我人はいないようだ。気絶している人々が頭を打っていないかは少々気がかりだが、いずれにせよ目の前の問題が去ってから事に当たろうとプロキオンは分析した。
 サイコブレイドがシリウスに身体を向けたまま、目線だけをプロキオンに移す。プロキオンも臆さず見つめ返した。
「兄弟か?」
「ああ。そうだ」
「成程。美しい関係だな」
 サイコブレイドの言葉に揶揄するようなニュアンスはなかった。|Anker《帰るべき場所》に兄弟という絆を選んだ事への手放しの賞賛だった。
 プロキオンが言葉を返そうとしたが、それよりも早くサイコブレイドが剣を振り抜いていた。狙いはプロキオンではなくシリウスだ。
 執念のような刃を、シリウスは間一髪で躱した。返す刃を魔力の剣が弾く。衝撃で輪郭を保てなくなった魔力をすぐに練り直し、逆の手に顕現した刃を閃かせた。
 ぐっと男が呻く。シリウスの刃が男の胴体に横一線を刻んでいた。第三の目を血走らせ、男は猛然と地を蹴り上げた。
 重い一撃を魔力が受け止める。拡散した魔力の再構築がまだ不完全なうちに刃が迫る。なんとか剣の形に押しとどめ往なし続けるシリウスだが、じわじわと追い込まれていった。
「兄さん!」
 プロキオンの叫びに、サイコブレイドが目を瞠る。猛襲が止まった。時間にしてほんの微かな、しかしあまりに致命的な一瞬だった。
 シリウスが踏み込む。深く体勢を落とし、先程刻み込んだ傷をなぞるように刃を滑らせた。
「がは……っ」
 傷口から赤黒い血が迸り、シリウスの白い貌に降りかかる。哀れな殺戮者に、シリウスが微かに眉根を寄せた。だがそれだけだ。
 いずれ、奴の背後にいる連中に辿り着く。プロキオンに降りかかる脅威を断つために。だが今はまだ、こうして男と対峙し続けるしかないのだから。

エアリィ・ウィンディア
シル・ウィンディア


 Anker狩り、サイコブレイド。
 エルフの精霊剣士エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)とその母シル・ウィンディア(エアリィ・ウィンディアのAnkerの師匠・h01157)は、彼と何度も相まみえてきた。しかし。
「……お母さん、なんであのおじさんはいつも苦しそうなの?」
 何度出逢っても彼の表情は浮かないままだ。どころかより一層追い詰められていくようにも見える。
「迷いがあるからよ」
「迷い?」
 エアリィの問いにシルは答えず、サイコブレイドの方を見て云った。
「そうでしょう?」
「さあな」
 男ははぐらかす。しかしその刃をすぐさまシルに向けてこない事が何よりの証拠だ。
「無理に心を押さえつけてもいいことはないよ? 事情はあるとは思うけど、あなた、こういうのに慣れてないでしょ」
 ぐっと男はまた言葉に詰まる。“迷い”とエアリィは母の言葉を反芻した。
「強さはある、でも、心が乱れているうちは、為すべきこと、為さないといけない事。どちらもうまくいかないからね」
 最後の方は男に云っているようでも、エアリィに云っているようでもあった。
「それでも、俺はやらねばならない」
 男は低く唸るように呟き、担いだ剣をぶんと振り抜いた。エアリィも精霊剣『エレメンティア』を構え、切っ先を真っ直ぐに男へと向ける。
 しばしのにらみ合い。最初に動いたのはエアリィだった。
 小さな身体を活かし、男の懐に飛び込むようにして斬撃を繰り出す。後ろに跳んで深手を避けた男が触手を伸ばしてきた。身を捩って躱したその場所へ、男の刃が振り下ろされる。
 ガキン、と鋭い金属音が響く。間一髪、エアリィが剣で攻撃を受け止めたが、重い一撃に手が痺れる。男がそのまま力任せに剣を横に薙いだ。体勢を崩したエアリィ目掛けて繰り出された追撃はオーラの防御に阻まれる。剣戟を繰り出しながら、エアリィは詠唱を紡いでいた。剣だけならば体格と技術に優れた男に分があるが、エアリィには母からの教えがある。
 激しい鍔迫り合い。だが男は当初の目的であるはずの|シル《Anker》に剣を振るう事はなかった。やはり迷っているのだろう。
「とはいえ、詳しい事情を知っているわけじゃないから、言うのは簡単だよね」
 でも、とシルは続ける。
「一番やりたいこと、それはなに? 偽りの心じゃなくて、一回それを考えてみるのはいいんじゃないかな?」
 男の昏い眼差しが細められる。
「簡単に云ってくれる」
「そうだね、今は無理なんだろうね。でも覚えておいて」
 Ankerが|人質に捕られている《生きている》限り、男は不死身だ。いつかの時のためにシルは言葉をかける。
「さ、わたしの出番はここまで。あとは、エア、がんばってあの人を止めてきなさい」
 男の剣がエアリィに届く。オーラ防御が負傷を和らげるが、その鋭い刺突だけで少女の身体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。だがシルは優しく、そして力強く言い添えた。
「エアならできるよ」
 彼女の身に宿る魔力と√能力が眩いまでの輝きを放つ。男が思わず目を眇めた。
「六界の使者よ、我が手に集いてすべてを撃ち抜きし力を……!! あたしの全力を、もってけーーっ!!」
 精霊六属性の力を束ねた極大の魔力砲撃が極光の如く迸り、男へと降り注いだ。

吉住・藤蔵


 昏く燃える緑の眼差し。
 その理由を吉住・藤蔵(毒蛇憑き・h01256)は知っている。
「……おめえさん、アンカーが人質に取られてるんだろ」
 距離を保ったまま言葉を投げかける。サイコブレイドはその通称でもある剣の切っ先を藤蔵に向けたまま微かに目を瞠った。
「なぜ、」
「見えたべよ。能力者全員知ってる」
 そうか、と男は小さく頷く。
「星詠みか。ならば話が早い。俺達の為に死んでくれ」
 男が駆け出す。振り下ろされる刃には十分すぎるほどの殺意が漲っている。身を捩って躱す藤蔵に、男は尚も鋭い斬撃を繰り出した。だがやはり藤蔵は引っ掛かりを覚える。
 男の言葉はあまりにも“お決まり”すぎる。まるで邪悪であろうとする者がフィクションに出てくる悪役の言葉をなぞっているかのようだ。刃の応酬を往なしながら、藤蔵はなぁと言葉を投げかける。
「卑怯者って言われて泥被るくらいならよ、俺たち能力者の手を取ってそいつを救出するんじゃダメなんか?」
「それで解決するならとっくにそうしている」
 横薙ぎの一閃を大きく後ろに跳んで避ける。男には明らかに迷いがあるが、といって説得に耳を貸す様子もない。
「そうか。なら仕方ねえべよ」
 こちらにも護らねばならないものがある。藤蔵の身体がぼこぼこと膨れ上がり、巨大な蛇の姿となった。自らに取り憑いた蛇神の姿で威嚇音を発する藤蔵へと男は容赦なく刀を振り上げた。鱗と金属がぶつかる高く澄んだ男が響く――剣が弾かれる。
 目を瞠る男の刀を持つ手に藤蔵は噛みついた。蛇の毒が男を浸食していく。身体が強張り、硬直していく。
「頼む。止まってくれねえか」
 人の声で藤蔵は語り掛ける。
「俺は、余地があるならその手を取りたいだよ」
 毒に侵された男が小刻みに痙攣している。だが体の自由が利かない中、男は剣を取り落とす事はなかった。
 ――そうだべか。苦々しく呟いて、藤蔵も男と対峙し続ける。

古出水・潤
オスヴァルト・ライマン
リーガル・ハワード


 ついに姿を現わした黒幕、サイコブレイド。
 人々を操り手駒とする卑劣さを持ちながらも、その表情にはどこか迷いが見て取れる。
「ふむ。彼には彼なりの事情があるようだ」
 オスヴァルト・ライマン(|悪辣富豪《ぶきしょうにん》・h02135)の言葉に、リーガル・ハワード(イヴリスの|炁物《きぶつ》・h00539)は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「あいつは大事なAnkerを人質に取られてるみたいで。だからやむを得ずこうしている、って」
「成程、|大事な《・・・》存在を盾にされているんだね」
 何を考えているかわからない笑顔を更に深めるオスヴァルトに、リーガルが返す言葉を失う。
「しかし、無辜の一般人を操ってAnkerを害そうという行為は看過できません」
 代わりに口を開いたのは古出水・潤(夜辺・h01309)だ。
「彼が彼のAnkerに恥じぬ人間である為にも、私達が止めなくては」
 懐から取り出された折紙が何かの姿をなぞっていく。小さく精巧なものに姿を変えたそれが潤の袖元に滑り込んだ。その様子を興味深そうに眺めていたオスヴァルトに潤が微笑みを向ける。
「オスヴァルト様、こちらへ。参観日の特等席をご用意致しました」
 座席の合間を手で示す。リーガルも敵からオスヴァルトを護るためというべきか、或いは彼を遮るためというべきか、腕で後方に押しやりながら前に立った。
「グレンデル」
 名を呼ぶとリーガルの襟元から狸のような姿の存在がぴょんと飛び出て、オスヴァルトを護るように寄り添った。ふくふくと愛らしい姿だが、宿主の言葉に従う頼もしい攻性インビジブルだ。
「心強い護衛もいることですし、どうぞ安心してご覧になっていてくださいませ」
「潤、行くぞ」
「ええ、リーガル」
 また物騒なものを持ち出されるのはごめんだとぼやくリーガル。
「うんうん。能力者としての力を失ってしまった私だ、この状況では確実に足手まといだろう」
 しかし頼もしいねと大人しく身を隠すオスヴァルトだが、懐の護身銃と|ペインキラー《最終手段》だけはすぐ手が届くようにしている。悪い金持ち武器商人としての矜持だ、とばかりに。気付かないリーガルではないだろうが、ひとまず彼も何も云ってはこなかった。
 臨戦態勢をとる二人を、サイコブレイドの昏い眼差しがじっと見据えてきた。
 殺人鬼の刃が、言葉もなく振り下ろされる。


 踏み出したのはリーガルだ。
 男の名の由来でもある風変わりな剣を、冷気を帯びた黒槍が受け止める。ひりつくような殺意が重さとして手に伝わった。或いはその迷いすらも。
 リーガルが槍で薙ぎ払うが、男は身を屈めてそれを躱す。そのままリーガルの懐に飛び込もうとしたが、咄嗟に何かを察知して身を引いた。
「残念。急所を狙ったのですが、流石ですね」
 男の肩が裂け、地面に血の線を描いている。傷を刻み込んだのは潤が持つ玉鋼製のペーパーナイフだ。|捕食者《フクロウ》は隙を狙う事に長けているもの。空からの奇襲が不可能なフィールドであろうと、今の潤がヒトの姿をしていようとそれは変わらない。
 鋭い爪の如き奇襲を躱した男が再び剣を振り翳し、リーガルの槍がそれを阻む。金属音が響き渡った。
「おお怖い」
 大袈裟に身を竦ませながら、オスヴァルトはサイコブレイドへと目線を向ける。
「私を殺せばこの少年リーガルは拠所を失うのだろうね……だが、彼が泣き崩れて終わるとでも?」
 男は答えない。構わずオスヴァルトは続ける。
「君が更に深刻な状況に陥るだけだと私は思うんだ。――君と君のAnkerを狙う脅威がひとつ増えるというね。いや、ふたつかな?」
「命が……惜しくないようだな」
 鍔迫り合いのさなか、男がぽつりと呟いた。男の中に存在する迷いが波紋のように広がっていくのを潤は見て取った。
「まさか。恐ろしくてたまらないよ。私は力を失ってすら生き延びた男だからね」
 冗談とも本気ともつかぬ言葉を吐いて喉をくつくつと鳴らす。
 男が一歩踏み出して、唸るように剣を振るった。|Anker《獲物》を狙う刃を受け止めたのは、同じ狩人である潤の腕だ。
「……大丈夫ですよ。安心を、と言ったでしょう」
 刃は真正面から腕に振り下ろされていた。なのに潤の腕はびくともしない。
 いや、違う。
 潤の腕に乗る蠍を模した折紙が刃を阻んでいた。
 ――復讐するは汝に在り。蠍が男に取りつき鋏を振り上げる瞬間、潤はリーガルへと目配せする。
 リーガルが頷き、右掌を男へと伸ばす。
「ぐうっ……!」
 蠍毒に侵されて男が呻いた瞬間、能力を奪う凍縛たる禍手が男を捉えた。
 男の刃がその輝きを失うなか、リーガルが槍を向ける。
「そろそろ降車願いたい。オズの奢りなんだ、もっと食べておかないとな!」
「良いですね、動いて腹も減ったことですし」
 ひと仕事をやり遂げた小さな捕食者を再び腕の上に迎え入れながら潤が微笑んだ。
「気掛かりのなくなった後での食事は、尚の事美味しいでしょうからね」
 班でアフタヌーンティーを開催する時のためにも、目と舌で味を覚えておかなくては。二人の言葉にオスヴァルトも「そうだろうとも」と同意を示すのだった。

刻見・雲雀
朔月・彩陽


 サイコブレイド。
 望まぬ悪事に手を染め続ける男。
 今、彼を迎え撃つのは二人の√能力者だ。
「……事情があるのだろうけど、情けも容赦もするつもりはないよ。殺すなら殺される覚悟も持たなければならない――世界がどこであろうとそれが殺し屋の常識だ」
 静かな車内に響く声音には、極力感情が乗らないよう努めた痕跡が感じられる。
「貴方がAnkerを殺すよりも早く俺が貴方を殺すよ。俺の護りたいものの為に、貴方の生命を踏み台にさせてもらう」
 刻見・雲雀(最果てに挑む翠瞳・h01237)の言葉こそ露悪的であろうとする姿勢が見て取れた。幾度も失敗を重ね、とうとう引き返す手段まで失ってしまった雲雀は優しさと呼ばれる甘さが命取りになる事をいやというほど知っている。
「うん、雲雀の云う通りやな」
 そして、そんな雲雀に頷く朔月・彩陽(月の一族の統領・h00243)は、雲雀がそれでも優しさを棄てきれない暗殺者である事を知っている。その上で彼の言葉を肯定した。
「事情は色々あるやろうけども。それはお互い様なんよ。俺らもはいそうですかって退くわけにはいかんっちゅう事や……まあ落ち着いたら「こっち」来たらええよ。少しはかもうてくれる人も、庇ってくれる人もおるやろうからね」
 彩陽の言葉を受けて、サイコブレイドの口元に笑みのようなものが浮かんだ。
「成程。随分とお人好しばかりが集まった集団らしいな。お前も、」
 彩陽を目線で示し、その視線を雲雀に移す。
「お前もだ」
「俺は――」
「だがお前達の口車に乗るわけにはいかない」
「……そうやろうね」
 肩を竦めてみせた。
「じゃあ、それはそれとして。ほな、いこうか」
 夜空色の長髪の下、柔和な笑みを浮かべていた目元が鋭さを帯びる。
「前は俺がやるから後ろはお願いするね、彩陽さん」
 緋血が模るクナイのような暗器を手に前へ出る雲雀へと頷き、彩陽が詠唱を開始する。
『――汝ら力を貸し与えよ。その力を以て我は敵を穿つ一撃を放たん。敵を地の底へ、闇の底へ導かん』
 男が剣を振り翳した。身を捩って躱しながら、雲雀は己の血液を霧状に散布する。腕をぶんと振って霧を薙ぎ払った男の視界から雲雀は忽然と姿を消していた。死角に紛れた雲雀が緋血傷器を投擲する。
『咲き乱れしは陽の華火の華。世界に彩り添える華達よ。全てを照らして燃やし尽くしたまえ』
 透徹なる詠唱が響く中、√能力によって鋭さを増した緋血傷器が男の皮膚を裂いた。床に流れ落ちる血を構わず踏みしめ、男が走る。狙いは雲雀ではなく彩陽だ。
 剣を握る男の姿を、彩陽は見ていなかった。代わりにそっと笑む。
 ――雲雀、来れるわな?
 主様の命ずるがままに。
 友としてだけではなく、契約を結んだ者として。二人を繋ぐ証が輝き、雲雀は彩陽の前に転移する。
「無駄だよ。彼は貴方には殺せない」
 刃が雲雀を引き裂く。肩が避け、血が迸る。腕の力が抜け、手にしていた緋血傷器が地面に落ちて乾いた音を立てる。
(「俺の主様は貴方程度の奴にやられる程軟弱じゃないから――それにね」)
 もう一方の手が傷口に伸ばされる。溢れ出る血から新たに錬成された短剣が、男の頸を斬りつけていた。
「――貴方の刃が届くよりも、俺が貴方の喉笛掻っ捌く方が早いんだよ」
 咄嗟に身を引いた男は致命傷こそ免れていたが、決して浅くはない。踏み込んで更に刃を繰り出す雲雀を、男が伸ばした触手が阻んだ。
 打擲を避けるために横に跳んで距離を置く。追撃はなく、代わりに男の携えた剣が星の煌きを凝縮したかのような輝きを帯び始める。
 だが男の奥の手が放たれるよりも、彩陽の詠唱が成される方が早かった。列車の中だというのに男の脚元に忽然と|穴《地の底、闇の底》が出現したのだ。
「おやあ、おにいさん。足止めたらあかんえ? 足止めたら――なあ。雲雀?」
 微笑む白い貌を陽の華が照らす。奈落に足を取られる男へと次々と降り注いでいった。
「……二つ同時に術を使うだなんて、俺の主様は相変わらず無茶苦茶だなあ」
 ひとつひとつですら高度な術だ。いくら優れた術者であろうとその身に降りかかる負担は軽いものではないだろうに、それをやり遂げた彩陽は涼しい顔だ。
「これ位はまー……朝飯前よって奴やね」
 その平然とした佇まいに、却って“朔月”の過酷さを感じずにはいられなかった。

蔦ノ森・まほろ


 ただの人が、ただ誰かの勇気を讃え、強さを信じる言葉が、殺人鬼を苦しめている。
「あはは、リコさん強い」
 蔦ノ森・まほろ(Olivier odorant・h02875)は称賛し、そして殺人鬼に侮蔑の目を向ける。
「……苦しんで見せるなんてズルいね」
 ぶかっとしたデザインのストリートジャケットから取り出すのは銃。幼体であるまほろは単独で竜の力を揮う事は出来ないが、だからといってこの男のように言い訳を並べ立てるような事はしたくない。それを見逃す程、優しくもなれない。
「理由があるから、後悔してるから、人を殺すのを許してくださいってこと? 黙って殺されろってこと?」
 サイコブレイドが息を整え、刃の切っ先をまほろに向ける。翠の炎のようにぎらぎらとこちらをねめつける三つの眸を、まほろも両目と銃口で見つめ返した。
「全力でお相手するよ。ほら僕を殺したいんだろ? やってみなよ……できるものなら」
 安っぽい挑発だと我ながら思った。だが相手に選択の余地はない。殺さなければならない相手が目の前にいるのだから。
 真正面から男が迫る。まほろが立て続けに二発銃を引いた。一発が剣に弾かれ、もう一発が男の太腿に命中する。痛みなど感じないとばかりに男はそのまま距離を詰め、剣を横に薙いだ。屈んで躱すまほろの髪が何房か斬られる。黒の下に宿る金の双眸が真っ直ぐに男を見つめる。微かに男がうろたえる気配がした。
(「これで殺人鬼気取りだなんて、笑っちゃうな」)
 そんな思考が過ぎった事に自分でも少し驚きながらも、その感情に振り回される事はしない。男の隙を逃さず、まほろは鋭い蹴りを繰り出した。銃が穿った傷から血が噴き出し、男が呻いて動けなくなる。
 無様にうずくまる男を見下ろすうちに、まほろはなぜこんなにも苛立っているのかがわかった気がした。
(「僕も、アンタに似てるからだ」)
 大切なモノを守るためなら。きっとまほろも別の誰かを手に掛ける。この男のように。けれどきっとまほろは、男と違って迷う事はないだろう。

ララ・キルシュネーテ
ロジエ・アウランジェ


「大切な存在を人質に?」
 お前も苦労しているのね、と呟くのはララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)。
「あなたにも戦う理由があるのでしょう。大切な存在を人質にとられ、悪を強要されているならば……」
 ぎらぎらと燃える殺意を宿した刃の哀しさに、ロジエ・アウランジェ(七星アウラアオイデー・h07565)が眉を顰める。
「同情はしないわ。お前はお前の意思で、選択して、大切な存在を守るために悪となっているのだから。……同情などしたら失礼よ」
「わかっていますよ、ララ……私達にも退けない理由がある」
いかなる理由があろうと、誰かの大切な存在を傷つけさせなどさせてはならない。
 頷きながら、ララは「それにしても」と嘆息する。
「お前も苦労しているのね」
「同情はしないのではなかったか?」
 刃を向けながらせせら笑うサイコブレイドにララはかぶりを振った。
「同情などではないわ。ただ思ったの。お前一人で何とかならないならララ達のような仲間を増やせばいいのに。そう上手くはいかないのね」
 そうだな、と男が頷く。
「Ankerすら気が遠くなるほどの年月を彷徨ってやっと見つけたものでね、俺は人望というものがないらしい」
 その剣の切っ先はぴたりとララに向けられている。不器用なひとだ、とロジエは思う。
 無辜の人を操り、殺戮に加担させようとする卑劣さを発揮したと思えば、いざ自分が戦場に立つ時は、|格好の獲物《Anker》からではなくそれを守護する能力者から仕留めようとする。
 悪になりきれない殺人鬼。
「ロジエ、下がっていなさい。怪我をしたらただじゃおかないわよ」
 ロジエを守るように、ララは一歩前へ出る。
「……ララ」
 心配そうな眼差しを、わかってるわね、と一瞥し、小さな足が床を蹴る。ほぼ同時に男もまたララへと距離を詰めていた。
 追い詰められた男の執念が刃となって振り翳される。小さな雛鳥など容易く両断しそうなそれをララはかろやかに躱す。金のカトラリーが迦楼羅の焔を帯びた。
「――!」
「おはじきよ」
 神の焔が男を刻んだ直後、串刺すように水晶鳥転じた銀のカトラリーをふるい焼却する。
 身の丈に迫るほどに大きなナイフとフォークを操るララは、迦楼羅の幼鳥である以前にお伽話の妖精のようだ。
 愛らしくて、けれど儚くて。
 あんな少女に、またしても守られることしかできないのかとロジエは歯噛みする。小さな幼子の背中に命を賭けさせるなど。いくら彼女が強くとも、いくら自分に戦う力なくとも、そんなものは性にあわない。
「ララこそ、」
 おおきな耳がぴくりと動く。
「ララこそ怪我をしてはなりません」
 迸るは薔薇の花吹雪が成すバリア。
 紡がれるは幸運を祈る鼓舞の歌。
 加護をもたらされたララだけでなく、ロジエの身も霊的防護に包まれている事に彼女なら気づいてくれるだろう。
 私の事は構わなくていい、存分に遊んでおいで、言外に告げる。
 ふ、と花眸が細められた。
「お前の歌は何時だって昂るわね」
 存分にララの舞台を彩って頂戴——と。
 たとえこの身が空駆ける雛鳥を地に縛り付ける荊だとしても薔薇は願う。あなたのさいわいを、あなたの帰る場所であることを。
(「何時だって私はララを、おかえりと迎えるのですから」)
「……守る者があるから戦えるの」
 同じね、とララ。
 その想いがララを、ロジエを強くして、あの男を弱くした。
「救いたいと願う。諸刃の刃のような心——でも、悪くないわね」
 金と銀が煌めいて、男を穿った。

十六夜・月魅
青羽・茄奈


 操られた一般人たちは解放されたが、代わりに首謀者たるサイコブレイドが姿を現わした。
 そして、彼の剣によって青羽・茄奈(ご近所の天使っぽいなにか・h06630)と玲は車両の最後方に追い詰められていた。
「ど、どうしよう……!」
 男は剣の切っ先をぴたりとこちらに向け、ゆっくりと距離を詰めてくる。怯えて縋りつく茄奈に、玲は覚悟を決めたように呟いた。
「僕が彼を引きつける。その間に逃げろ」
「は? おじさん何云ってんの? そんなの絶対ダメだって!」
「だがこのままじゃ二人とも殺される」
 玲が茄奈に視線を向けた瞬間、男が一気に距離を詰めて来た。
「しまっ――」
 思わず二人が目をつぶった瞬間、茄奈のお守り鈴がカバンから浮かび上がった。
「何?」
 鈴の音が響き渡ると同時、光の柱が立ち昇る。眩しさにサイコブレイドが目を眇めた。
「こ、これは……」
 光は徐々に人の形を模っていく。
「まさか……来るのか……助け……!」
 期待に茄奈の羽がざわざわ動いた。
 光は輪郭をより緻密なものとしていき、やがて艶やかな黒髪を揺らす女性の姿になった。
「もう大丈夫ですよお」
 女性――十六夜・月魅(たぶんゆるふわ系・h02867)が艶然と微笑む。
「君は……?」
 呆気にとられた玲が呟き、
「いやいやいやいや、お前かよ!」
 茄奈が思わず顔をしかめる。
「能力者を召喚するとは。とんだ奥の手を持っていたな、Ankerの少女よ」
「いや知らんし」
「困った時の便利道具と困った時のお助けお姉さん、十六夜月魅、参上です。かなちゃん、私の道具はお役に立ちましたか?」
 月魅の笑みが深まるほど、茄奈の眉間の皺も深まるのだった。
「もっと他にいるだろ! 戦える人が!」
「何てことを云うんだ君は」
 助けに来てくれたんじゃないのか? 能力者なんだろう? たしなめる玲に茄奈は反論する。
「だってあいつ戦闘力底辺、雑魚も雑魚なんだって!」
 月魅に向けられる玲の視線に憐憫の気配が漂ったが、彼女はどこ吹く風だ。
「というかあの変な道具はお前の仕業か! それよりあいつ何とかしてよ!」
「ああいう方の完全魅了は無理ですねえ。私の魅了は真実の愛には勝てません」
 まさにそんな光景を目の当たりにした経験に、月魅の笑みが微かに寂しさを帯びる。
「魅了が効かないならお前に何ができるんだよぉ!!」
「ですのでえ」
 何の前触れもなく茄奈を抱き上げ、ぎゅーっと抱きしめる。
「は? いっとくけどあたしにお前の魅了は通じな……え?」
 茄奈の全身が光を帯びはじめた。光が膨張し、茄奈を包み――それがぱんっと弾け飛んだ時には、茄奈の姿は魔法少女に変化しているではないか。
「さあ、魔法天使カナカーナ参上です!」
 唐突な展開に唖然とする玲とサイコブレイド。
「きみも能力者だったのか?」
「なに魔法天使って。知らない。その蝉の鳴き声みたいなのも知らん……」
「……何だかよく分からない事になっているが」
 サイコブレイドが剣を構え直す。その剣が銀河の閃光を帯び始めた。
「つまりお前と戦って殺せばいいということだな?」
「なんでそうなる? あたしが戦えるわけないじゃん、ただの小学生だぞ!?」
「さあカナカーナ、羽マシンガンです!!」
「羽マシンガンってなんだあ!」
 思わず突っ込む茄奈だが、他ならぬ彼女自身の翼から羽根が弾丸の如く射出されサイコブレイドを撃ち抜いた。
「なに今の!」
「お次は精神浄化ビーム!」
 茄奈のおでこから光り輝くビームが放たれた。
「ビーム!? 出たの!? なんで!?」
「ぐっ、お前は無能力者ではなかったのか……!?」
 精神攻撃にサイコブレイドは苦しんでいる!
「効いてるし!! あたしの体でなにしてんの!? おじさん助けてー!」
「が、頑張ってくれ。あの男をどうにかするまでの辛抱だ」
「いや~!!」
 このままじゃあの男とあたしの尊厳が死ぬ! 決心した茄奈は男のそばへと駆け寄った。
「敵のおじさん、もう逃げちまえよ。苦しそうだよ」
「そんな事が出来るわけがないだろう」
 睨みつけてくる三つの目を、茄奈も真正面から見つめ返した。
「あたしの羽、片方やるから。一人殺したことにして帰れよ」
 後方でぱちんとウインクする月魅。彼女の魅了と少女の優しさが男の精神をほぐしていく。
「……そんなものは一時しのぎにしかならない」
「だろうな」
「……後悔するぞ。俺はまたAnkerの命を奪いに来る。それはお前かもしれん」
「うーん、その時はその時で考える!」
 ふ、と男が笑んだ。
「い、痛くはしないでよ?」
「云った筈だ、後悔するぞ、と」
 男の剣に宿る力が変化した。訪れるはずの痛みに茄奈が身を竦ませる。
 だが振り下ろされた剣は、少女に痛みを齎すことはなく。
 羽根の何本かだけを奪い去って、男は忽然と姿を消していた。


 全てが終わったあと、月魅は改めて玲に目を向けた。
「かなちゃん、素敵な旦那様とご一緒だったんですねえ。うちの子を守って下さりありがとうございました」
「とんでもない。私が護られてばかりでした」
 頭を下げた玲がそういえば、と茄奈に目線を向ける。
「君、かなちゃんというんだね」
「ん。青羽茄奈ってんだ」
「そうか。僕は光星。光星・玲だ。ありがとう、茄奈ちゃん」
「ふふ、案外詩的な名前なんだね、おじさん」
 八重歯を見せ、いつもの生意気そうな笑顔で茄奈は云うのだった。

 能力者たちが荒れた車内を整えた頃、人々が目を醒ます。列車が再び走りだした。
 終着駅に辿り着く頃には、人々の“忘れようとする力”が彼らの脳裡から今日の出来事を消し去ってしまうのだろう。
 彼らの中には今日のきれいな景色だけが想い出として残っていく。
 だが、雨が上がったあとも微かに残る雨粒のように、人々の心のどこかに、能力者たちの雄姿が存在するのかもしれない。

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挿絵イラスト