4
Stray Cat
●湾岸の獅子
……じーさん、ドコ行ったんだよ。
俺、ずっと探してるのに。
ずっと、鳴いてるのに。
深夜の首都高、湾岸線。
レインボーブリッジを有し千葉県から東京都、神奈川県までを通る高速道路。
常に渋滞しているような昼間とは違い、深夜一時を回ったこの時刻、イルミネーション煌めくベイサイドを走る車の数は少ない。
深夜までの仕事に疲れ切ったサラリーマン。
夜を徹して走り続ける、長距離トラックの運転手。
そんな必要に迫られて運転する人々の車の間を、糸を縫うように蛇行しながらすり抜けていく車がいる。
「トロトロ走ってんじゃねぇぞ!?どけどけどけぇ!!」
「うおっ、あぶね!」
「野郎、ローリング族かよ。これだから週末の夜は」
ローリング族。
そう呼ばれる者たちがいる。
首都高環状線。
全長約14.8キロメートル。スムーズに走れば一周20分程度で走ることが出来るこの高速道路を、サーキット代わりに走り、スピードを楽しむ走り屋たちのことだ。
エグゾーストノートが車内に響く。
ボディがきしみ、車体が大きく横滑りすれば、タイヤが悲鳴を上げながらドリフトする。
闇夜を切り裂いて、黒のスポーツカーは減速することなくカーブを抜け、ベイブリッジを駆け抜けていく。
「あー、気持ちE~~!!やっぱストレス解消には首都高ぶっ飛ばすのが最高だわ」
時速200キロを越えると、周囲の車はまるで止まっているように見える。
そんな高速運転をする男の駆る黒いスポーツカーが、ベイブリッジに差し掛かる。
「おっ、前方に車無し、よぉし、かっとぶぜェZちゃんよぉ」
アクセル全開。
光の洪水が海風と共に男の視界を流れていく。
と、その景色の中に、不意に現れるのは――…金色の、トラック。
いや、違う。
「……え?」
トラックとも見まごう、巨大なそれは、四本の足で高速道路を駆けていた。
時速200キロを越える彼のチューンアップされたマシンと、いともたやすく並走して。
黄金の獅子。
無造作に繰り出された巨大な爪が、マシンのボディを容易く切り裂き、男の体を湿った夜風の中へと引きずり出す。
「や、やめて。やめてやめてやめてやめて……たすけ……!!」
ほうり出された男の姿が、はるか後方へ消えていってもなお、獅子はまるでじゃれつくように、惰性で走り続ける黒いスポーツカーと共に走り続けていた。
●ローリングヒーロー・オーガラセン
「俺らが熱くテクを競ったこの湾岸で好き勝手してるライオンがいる……どんな怪人かは知らねえが、このローリングヒーロー・オーガラセンが必ず倒してやるぜ!」
「その意気でやんすよオヤビン!」
真っ赤な車体に黒い鬼のようなペイントが成されたマシンが高速を飛ぶように走る。
そう、彼こそはローリング族出身のノンプロヒーロー、オーガラセン。
その血気盛んな性格に加え、口より先に手が出る短気さもあり、なにかと活躍より問題が多いヒーローであるが、ねっからの正義漢、硬派で一本気なその姿勢にファンもついて来ている。
オリコン調べでは男らしいヒーローランキングにも名前が出るナイスガイである。
「しかし、オヤビン、ハカセの奴一体どうしちまったんでしょうね……」
ステアリングを握るチーム・オーガラセンのマネージャー、ヤスが心配そうに呟く。
「ああ、先々週からだよな、急にチームを辞めたいとか云いだしやがって……何かあったのかって聞いても、なんでもないの一点張りだ」
「やっぱり、一度家に訪ねてみた方がいいかもしれないでやんすね」
「ああ、だが、今はライオン怪人をなんとかしねえと……む!危険運転暴走車発見!追え、ヤス!!」
「がってん!!」
赤のマスクに黒のスーツを輝かせ、螺旋の角が風を裂く!
オーガラセン、ここに参上!!
●湾岸ミッドナイト
「首都高でライオンが走り回るらしいんだよ」
|天國・巽《あまくに・たつみ》はそう云った。
ここは√マスクド・ヒーローは東京ベイエリアの商業施設。
東京湾の夜景を一望できる都内屈指のスポット、その中にあるカフェレストランの一席、時刻は夜だ。
巨大なガラス窓から見下ろす景色は、お台場イルミネーション「YAKEI」を始め、インボーブリッジや東京タワーをバックにした幻想的なイルミネーションが輝いている。
「――いい景色だよな。だが、それも平和な日常あってこそ享受できる安らぎだ、その幸せを壊す輩はなんとかしなきゃいけねェ……どうやら、シデレウスカードが悪さしてるらしいんだ」
シデレウスカード。
ゾーク12神の一柱『ドロッサス・タウラス』によって、世界にばら撒かれたそれは、「十二星座」もしくは「英雄」が描かれたカードと云われている。
どちらかを単体ならば、所持していても何の効果もないただのカード。
だが「十二星座」と「英雄」のカードが揃いし時、超常の力が所有者に降りかかる。
もし所有者が√能力者ならば、膨大な力を制御することが出来るやもしれない。
しかし一般人では、星座と英雄の特徴を併せ持つ怪人『シデレウス』と化してしまい、その力のために本人も望まぬ事件、混乱を生み出すことになりかねない。
「んで、今回のそのライオンなんだが……首都高は湾岸線付近で、週末になると高速を走り回る走り屋――いわゆるローリング族が出ると、ちょっかいをかけて来るようだ」
ちょっかいをかけるといっても、その大きさは中型トラック並み。
時速200キロを超えるスピードで走行中、唐突にそんな怪物に襲われたら、それは運転も誤るというもの。
さらにその爪牙は、やすやすと車体をも切り裂くという。
「幸いまだ死者は出てねェが、何せ場所が√マスクドヒーロー。このまま話が大きくなると警察はおろか、一般のヒーローも出張って来る。だが相手がシデレウスの怪人となると相手が悪い、一方的に被害が広がっていく可能性が高い」
よって、能力者諸氏には、ローリング族に扮して獅子をおびき出し、何とかして貰いたいと巽はいう。
「高速道路じゃああるが、場合が場合だ。車やバイク以外でも獅子と並走出来るくらいのスピードが出るものならなんでもかまいやしねェ、足に自信があるンなら走ってだっていい、なんとか追い付いて、奴さんを止めてくれ」
また、もしもアテがなければマシンの貸し出しもするし、あくまで運転のみになるが、助っ人として一般のヴィークル・ライダーに足となって貰うのも可能だ。
「あとな、これは俺の気のせいかも知れねェんだが――…どうもな、この件を詠んでる間、声がしてたんだよ。誰かが誰かを呼ぶ声が、二つ。だが、それ以上のこたァ判らなくてな、あとはお前さんたちに現場で調べて貰うしかねェんだが」
そこまで云って。
龍眼の男はいつものように、集まってくれた能力者一人一人へ視線を合わせたのち、一つ頷けば、視線を窓の外の夜へと向ける。
「この夜に、誰かが鳴いてる。なんとか出来るのはお前さんたちだけだ――…頼んだぜ」
天の星を凌駕するほどの地上の光の乱舞。
その中に、嘆き悲しむ魂の叫びが木霊する。
「太郎……」
微かに聞こえた気がしたその声は、湾岸の夜風に切り裂かれ幻のように消えた。
これまでのお話
第1章 冒険 『ヒーローズ・チェイス!』

●first night
Profile:Klaus Easly
Post:Freelance
Job:√breaker-rain maker
Heite:165 Weite:?? Aj:19
Birthday:Mar.10 Jender:♂
Eyez:blue Hair:black Skin:white
High speed POINT:274
machine:motorbike
We were on the start line of the race.
――the start.
獅子が族を襲う理由って、何だろう……。
クラッチ。
右足つま先でバイクのギアをシフトアップ。
4速から5速へ、アクセルを開く。
闇を切り裂きながら、クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が駆るバイクが東京の夜を疾走する。
――ローリング族のように騒ぐ気は無いけど、高速で走るのが気持ちいいのは何となく理解できるな。
時刻は深夜一時を回った頃合い。
何回目かの周回に入りながら、クラウスはこたびの事件について思いを馳せる。
今回の舞台となる首都高速道路は、その種類を主に4つに分けられる。
まず首都高速道路都心環状線、通称C1。
東京中心部を環になるように作られたその高架道路が描く環と、東側で繋がっている9号深川線。
深川線がC1と繋がるポイントを頂点として、北から東にカーブを描き。
今度は真東から南へと向かう湾岸線に連結。
そして、その湾岸線が南から西へと向かう11号台場線に繋がり、もとのC1へ繋がることで、C1と一部環を同じくする、東京湾岸部に円を描く、もう一つの環になるのだ、今回、能力者たちはこの湾岸環状線高速を巡り、事件に立ち向かうこととなる。
なお、主に獅子が目撃されるのは湾岸線から11号台場線。
ちなみにレインボーブリッジがあるのは11号台場線である。
ということで、獅子との接触を主眼とする能力者たちは、クラウスはじめC1から11号線に入り、湾岸線へと向かう逆時計回りに回っていた。
さて、クラウスも何度目かの11号へと入る。
暗い夜空に鈴蘭のような背の高い街灯の灯りが道路へ降りそそぎ、ドライバーたちの視界を明るく照らする。
そしてその向こうに見えて来るのはどこまでも美しい、無数の光の乱舞。
この時間となると、レインボーブリッジ自体はすでに消灯されてしまっているが、どの√でも、東京湾に面するこの地域が夜景スポットであることは変わらない。
とはいえ、彼の出身である√WZにおいては、その光はほぼほぼ消えてしまっているが。
カードの英雄側の影響か、それとも何か別の理由があるのか。
また、星詠みが聞いたという呼び声の謎もある。
色々と気になることはあるけれど、まずは獅子と接触してみよう、あらためて考えを纏めると、小さく頷き、レインボーブリッジへとクラウスのバイクは駆けてゆく。
すると、周囲に他の車体が居なくなったと、と思うが早いか。
クラウスのバイクと並走する巨大な影が、唐突に現れる。
来たか。
狙い通りの展開、落ち着いてクラウスは獅子へと話しかける。
「君は、どうしてこんなことをしているの?」
「ほう?この姿を見て話しかけてこようとは。なかなか肝が据わっている」
ぎょろりと眼を巡らせて獅子が吼える。
言葉にならぬ唸り声が意思を以て伝わって来るのは、これもまたシデレウスカードの力なのだろうか?
高速の中、しかしクラウスがちらりと横目を使えば獅子の胸のあたり、二枚のカードが十字に組み合わさり、まるでエンジンのように回転しているのが見える。
そしてその一枚は。
やっぱり、星座はレオ、か。
ゴーグル越し、クラウスの鋭い視線がきらりと光る。
「話が出来るんだね、良かった。繰り返しになるけれどどうか教えて欲しい、君の――」
あくまで落ち着いての会話を望んだクラウスの、しかしその言葉を唐突な一撃が遮った。
バイクの後方より飛来する何物か、咄嗟にハンドルを切りながらの車線変更。
太く長い、獅子の尾が、視界外より牽制の一撃を仕掛けてきたのだ。
「目的など知れたこと!かの戦で英雄と呼ばれたこの俺よ、このような姿となろうとも速さと力において己を越えるものなどない、それを証明せんがためよ!」
云うが早いか、獅子の連撃がクラウスを襲う。
獅子の体躯を以てすれば捕縛どころではない爪による一撃。
エネルギーバリアを展開して防御。しかし、さらにトドメとばかりに巨大な口蓋がぞろりと生えた野太い杭のような牙を持ち、クラウスへのしかかって来るのへ、拳銃による牽制の射撃を以て反撃に出れば、なんとか脅威を防ぎきるも、なにぶん高速走行での戦闘、ハンドリングに不十分。
咄嗟に拳銃を噛み締めて、両手でスピンするバイクを制御、なんとかバランスを保って獅子を振り返れば、その姿がいつの間にやら消えている。
「|ははははは!なかなかやるな人間!今宵はここまでだが、またの機会を楽しみにしているとしよう!《…そん………おれ……………じー……………さが……て…》」
名付けるならば獅子三連撃とでも云おうか。
烈火の如き爪牙の舞、その余韻と高笑いが夜風に消えていく。
己のマシン、その鼓動だけが響く道路の上。
防塵用につけていたゴーグルを外せば、クラウスは情報端末を取り出し、獅子の攻撃方法のメモを取る。
「敵、シデレウスは好戦的な面あり……と」
しかし、カードに宿った英雄と思わしき男の声は聞いた。
けれど。
カードの英雄と思わしき男の台詞に混じって聞こえた、とぎれとぎれの声。
今のクラウスには、悲痛ともとれるその声の方が気になっていた。
「あの声の持ち主がひょっとして……カードを得てしまった誰か、なのかな……」
推測を一言。
ひとまず、この事件に関わる他能力者へ情報を共有しておこう。
クラウスは、再びバイクを走らせる。
海沿いの湿った風が群雲を呼ぶ。
彼を照らしていた更待月の明るい光は、再び翳っていった。
●Fuckin' World
Profile:Ray Ix Doppelneux
Post:Freelance
Job:rain maker-√breaker
Heite:?? Weite:?? Aj:17
Birthday:Dec.12 Jender:♀
Eyez:blue Hair:Indigo Skin:yellow
High speed POINT:235
machine:Mini truck
We were on the start line of the race.
――the start.
『アンタ普通二輪免許持ってないの?16歳以上なのに』
「持ってるわけないじゃない玲子、そういう貴方は」
『無いよ?運転には自信あるんだけどなァ』
「これドライビングシミュレーターじゃないから...とりあえずサービスエリアに行ってみるよ。この時間帯なら走り屋が多く集まっているかも」
そんなわけでここは深夜の辰巳|パーキングエリア《PA》。
情報収集のためにと、徒歩&空中ダッシュ等々でここまでやって来たのは|レイ・イクス・ドッペルノイン 《RX-99》(人生という名のクソゲー・h02896)。
セラミックソウルによるパルクールアクションと、現実世界をゲームの如くに改変するバグとMODを駆使すれば高速道路へ徒歩で侵入する程度のことは、何の苦でもない。
いや、実際に歩いたレイにしてみると、やや疲れたので苦ではあるかもしれないが。
パーキングエリアの片隅。
自動販売機で買い求めたドリンクで喉を潤しながら周囲を眺めれば、確かに彼女の思った通り。
いかにも手をかけてますといわんばかりなクルマの数、数、数。
若者からやや年配の男まで、そしてそんな男たちと談笑する女性たちで、深夜だというのにちょっとしたお祭りの如くパーキングエリアは賑わっている。
ちなみに、今回の事件のエリアで走り屋たちがたまる場所といえば、この辰巳PAか芝浦PAであるが、芝浦PAは、あまりに走り屋たちがたむろするという理由から、深夜帯は警察の手により、閉鎖されるため、深夜帯は辰巳PAの方がより賑わっている。
『情報集めるなら、手ぶらより車で釣った方が走り屋寄ってくるんじゃない?ラベンダー・ブルーとトキソプラズマ出しな、バグ(ハッキング)で車のグラ出すから』
レイに語り掛ける声が再び響く。
現場にこそこ出ないものの、常にコンビ状態で事件に立ち向かう彼女のAnkerからの通信である。
「じゃあ、ツードア・ツーシーター・四輪駆動の車で」
『なかなかツウじゃない、ほらよ』
そうしてレイの傍、駐車スペースに世界の歪みを駆使して創造されたのは――。
「ちょっと!?軽トラじゃないのこれ!しかもエアロ派手!」
『嘘は言ってない、農道最速――』
「やだー!カッコいいのがいい!」
往年の改造車マニアが見れば、目を輝かせて寄って来そうなフロントのチンスポイラー。
サイドのスポイラーにディフューザー、オーバーフェンダーはいっそ足をかけて車体へ乗れるくらいの自己主張。
レイはこういったものの、クルマ好きが見ればおっ、と思う人間は多いだろう。
ほら、その見た目につられて、さっそく男二人組がレイへと話しかけて来た。
「うそ」
『ほらね』
「こんばんはー。辰巳PAに軽トラで!?スゲェ!キミ面白いね!」
「でもあんまり馴れてない感じ?若そうだし」
「あ、こんばんはー。うん、あんまり詳しくなくて。免許もとったばっかりだし、良かったら色々教えて下さい」
そんな一見ナンパとも見まごう、しかし人の良さがにじみ出る純朴さを持つ彼ら――…その名をシゲノとクスノキ云った――を相手に、レイはしばし歓談という名の情報収集に興じる。
「走り屋とかローリング族っていうと、まるで悪いことをしているようだけどさ。大半のヤツは常識範囲内のスピードで流してるギャラリーが多いんだ」
「そうなんですね、でもやっぱり無茶をする人とか、事故とか起きたりはするんじゃ?」
「まあね。やっぱりたまにはあるよ、例えばあんまり無茶な運転する奴相手のヒーローとかもいるし」
「ヒーロー?」
「そう、オーガラセンっていう、もともとはローリング族だった奴なんだけど、聞いたことある?」
「あ、はい。名前だけは」
『今回の事件で始めて聞いただけだけどね』
「しっ!」
「え?」
「あ、いえ、なんでもないんです。あはは」
「そう?俺ら、あいつがヒーロー始める前から知ってるからさ」
「わあ、すごーい」
事件の情報収集のため、頑張って話を盛り上げようと相槌を打つレイの笑顔に、まんざらでもない様子のシゲノとクスノキ
「しかし、オーガラセンも最近おとなしいな?走ってても”凄み”を感じねェ」
「ああ、奴んとこの専属ドライバーが今、いねェって話だよ」
「え?ハカセが?そーなんだ、怪我でもしたんかね。あ、レイちゃん珈琲でも飲む?奢るよ」
「ありがとうございます。ちょっと疲れたから、甘いのがいいなー」
「へーい」
「じゃあ、最近は大きな事故とかないんですね?」
他にも何か情報はないのか、とカマをかけるレイの前、そうだなあ、と首を捻った男たちが、そういえば、と思いつく。
「こないだあったな、高架から落っこちちまった事故」
「あー、あったあった。アレ結構派手だったなー、まあ、走り屋じゃなくて一般車だったけど」
「わあ、高架って、高くなってる道路ですよね?あそこから落ちるなんて、こわーい」
「確かそう……2週間前くらいか。ドライバーは爺さんだったって話だ、11号から湾岸に入ってすぐくらいのカーブで曲がり切れずに……だってさ」
自分の手をクルマに見立て、ひゅー、どかーん、と仕草で落下を示すシゲノ。
「でもその人はローリング族だったわけじゃないんですよね?」
「うん、単独事故ってことになってる」
スマホをいじり、当時のニュース記事を眺めるクスノキ。
レイにも見せてくれるが、確かにその通りだ。
首都高湾岸線で落下事故。
運転していたのは三橋大志さん。(70)
三橋さんは深夜、湾岸線を運転中、スピードの出し過ぎによりカーブを曲がり切れず、高架を乗り越え、落下して即死。
警察は事故の原因を調べている――…。
そんな記事だった。
「……ああ、ただ。その事故、ちょっと噂があってさ」
少し、声を潜めて、シゲノが二人へ顔を寄せる。
「その事故を起こした車と、|俺ら《走り屋》の車が|戦闘《バト》ってたって噂があってな?その事故はそのせいなんじゃないかって噂があるんだよ」
あくまで噂なのだろう。
周囲の人間へ聞こえないようにしながら、彼がそう告げれば、クスノキも表情を硬くする。
「マジかよ、爺さんの運転してる一般車相手に|戦闘《バト》るとかありえねぇだろ」
「いや、俺もそう思うよ?そう思うけど、見たって奴が結構いてさ……さすがに警察にタレこんでる奴はいなさそうだけど」
「……その相手のクルマは、判ってるんですか?」
レイの視線がすうっと細くなる。
先ほどまでの、年若い娘のそれではない、戦う者――能力者としての顔がそっと覗く。
「――うん。でもこれはあくまで噂だよ?」
そう、前置きをして。
ごく微かな、PAに響くエグゾーストノートに消えるような声で、彼は続けた。
「その相手の車が――あの、オーガラセンの車だっていうんだ」
●Untouchable Man
Profile:Wamon Hairen
Post:Freelance
Job:doron baker-Ehrgeiz
Heite:?? Weite:?? Aj:99
Birthday:Aug.12 Jender:♂
Eyez:black Hair:- Skin:dark brown
High speed POINT:278
machine:six legs
We were on the start line of the race.
――the start.
深夜の高速。
スピードは地上を走るそれよりよほど出ているというのに、どこかけだるげな空気が流れるのは、車の数もすでにまばらなせいだろうか。
そんな都会の動脈を、闇に溶けるような影が往く。
己が種族が持ちえた天性の肉体。
それが故に、生き延びた。
それが故に、生き延びるチャンスを得た。
そうして彼は、新たなチカラに目覚めたのだ。
それが、幸運であったのか、それとも不運であったのかは今は問うまい。
ただ、己が体に宿るチカラを磨き上げ、高めてゆくのはたまらぬ悦楽であった。
苦痛の中から絞り出した、ほんの一滴の快楽。
それを求めて鍛錬を続けられるモノ、ひょっとしたら、それを人は求道者とでも呼ぶのかもしれない。
遮音壁を蹴り、街灯の支柱を駆け、青看板の上から滑空。
人の車道を走らぬ“走り屋”――…確かに彼の考える通り、その挙動は”ある者”にそう思わせるには充分だった。
「高速を走る資格、蟲にもあると見せてやろう」
彼の名は和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)。
爪の擦過で路面に火花を撒き、急な分岐が迫れば側壁を滑るように通過する。
合流車線。
彼の姿は人には見えない。
人間は夜目が効かない、ライトを照らすことも無く闇に溶ける彼の姿は、この道を往く人間の、誰の目にも移っていない。
故に、いっそ衝突する性急さでクルマは迫りくる、見えていないのだから当然といえば当然だ。
並列に走る追い越し車線へ移動するか、いや、そちらには別の車体、移動はならぬ。
とすれば蜚廉、慌てず騒がず羽根を広げ、クルマとすれ違うように――…宙を舞う。
「あれ?今、なんかいた?」
「気のせいじゃない?」
そんな車内のやり取りは無論、彼の知るところではない、着地。六肢の加速、車列を抜いてゆく。
現状の彼の体の大きさであれば、かつての姿と同じだけの速さ、力を出すことは到底かなわなかったろう、地球の重力、それは体の大きさに応じて生き物へ枷をかける。
しかし、彼の動きは偉大なる種族の力を持ちながら、しかして矮小であった体躯の時期と大差ない。
√能力に目覚めたが故に得た大きさと、知恵。
それを|基《もとい》とした研鑽の果てに、今の彼のチカラがある――此処では速さと云うべきか。
彼もまた、獅子を求めて夜の高速を走る。
獅子が出るという11号台場線から湾岸線を経て、9号線からC1へと。
己が路面を“読める”存在と知らしめるため、あえて単騎、獣の道をなぞって魅せる。
「獅子よ――我を無視するには、派手すぎる走りだろう?」
路面だけではない、高速道路に存在するすべてを己が道として走る彼の魅せる力は充分だった。
いや、充分すぎたと云うべきだったかもしれない。
9号へと差し掛かる。
獅子が出現するエリアを越え、これは次の周回に期待かと思ったその矢先、ひたすらアスファルトへ孤影を刻んでいた彼と、並走する一台のクルマが在った。
低い車高は、ともすれば六肢を以て疾走する彼よりもさらにか。
直線を描く車体のラインは、現在のデザインとは一線を画しながらも今だ輝きを失っていない。
シルバーの、カウンタック――。
フロントカウルで誇らしげにエンブレムが輝く。
「どこの怪人かね?」
「ふ。獅子お釣るつもりが、雄牛が釣れてしまったか」
薄く開いた運転席の窓から漏れる、低く落ち着いた声。
しかし、200キロを優に超える現在のスピードでまともな会話が出来よう筈もない、なんらかの超常現象を操る輩、その類であることは明白。
彼の目を持ってしても、コックピットの中をすら、何一つ窺い知ることも出来ない。
速さと云う結界の中、深夜の首都高を二匹の獣が、回遊する鮫の如くに泳いでゆく。
「残念ながら、見ての通り嫌われ者よ。いずこにも属してはおらぬ」
「惜しいな。貴君ならば一角の将にも慣れように。……我と共に、来る気はないかね?」
「ハハハハ!これは面白い。……なれど、今はまだ他にやるべきことがある。気持ちだけ、受け取っておこう」
「そうか。惜しい。実に惜しい……また会おう」
ごく僅かな邂逅。
その姿が消えたのち。
かのクルマに宿る者の力を思い、愉快な気持ちが吹き上がるのを感じて。
独り、走りながら蜚廉は笑った。
腹の底から、笑った。
●High speed girl & Machine guy
Profile:Vohr C
Post:Birch Inc.
Job:engineer corps-robot rider
Heite:?? Weite:?? Aj:36
Birthday:Dec.4 Jender:♂
Eyez:red Hair:black Skin:silver
High speed POINT:304
machine:my body
Profile:Kaou Saika
Post:Birch Inc.
Job:vehicle rider-Shopkeeper
Heite:163 Weite:?? Aj:24
Birthday:Jul.11 Jender:♀
Eyez:purple Hair:black Skin:yellow
High speed POINT:275
machine:motorbike with Vohr C
We were on the start line of the race.
――the start.
『彩果、面白そうな依頼です』
会社のガレージで、そんな機械音声が流れた。
流したのは|ボーア・シー《Vore・C》(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)。
理知的な物言いは、やや人間味は薄いがいかにも仕事の出来そうな男という印象。
だが、その声はなんなのか。
人間味が薄いどころの話ではない、肉声ですらない。
だがそれもその筈。
彼に肉体と呼べるものは赤いサイボーグヘッドの中に浮かぶ、その脳しか残っていない。
√ウォーゾーン。
絶望的な戦力差に晒されながらも、人類絶滅を企む機械兵団に対抗するため、戦争が続く世界。
そこで秘密裏に、志願兵による新型サイボーグ計画が行われた。
脳だけを残し、それを搭載した頭部ユニット単独で自立活動し、対機械・対生物問わず、対象のボディを乗っ取り、敵戦力を鹵獲使用、最前線で継続的な戦闘活動を目的とした機械兵士の製造。
ただただ、ひたすらに、戦闘を継続させんがための兵士鍛造計画。
通称――…Project・Vore。
自らの名に計画の名を冠する彼こそは、その計画の被検体であった。
『高速道路を走る獅子怪人の大捕物だそうで、僭越ながら自分が彩果のバイクに手を加えました』
心なしか、機械音声からウキウキした様子が伝わって来るのは気のせいだろうか。
うねうねと触手めいたOctaケーブルを器用に動かし、彼は相棒たる隣の女性へ、改造を終えた彼女の愛車を指し示す。
その様子は真っ赤な|ボディ《頭部》も手伝って、うん、控えめに云ってタコだ。
ケーブルでぴょんと飛び上がれば、バイクの隣の作業台上へジャンプ。
さて、彼自慢のその改造結果を見てみよう!
まずはバイクの内外、ほぼその全てを改良。
高速戦闘にも耐えうる剛性と運動性を確保、トルクも燃調も問題なし。
そして彼の√能力【グッドデイトゥダイ】で合体することで完成し、時速300㎞でも安全安心のツーリングをお約束。
うん、確かに性能は素晴らしい。
ライダーならば、一度は乗ってみたいと思わせるような性能。
これには、バイクの本来の持ち主、合同会社バーチの社員にしてボーアの同僚、華応・彩果(ほんのちょっぴり(当社比で)不運な運び屋・h06390)も思わず云ったね。
「え……何してくれてんの?」
当然、勝手してくれた同僚へ、ため息と共に一発小突いておくのも忘れない。
ああ、手が痛い。
『大丈夫。終わったらちゃんと元に戻します』
そうしてバーチの二人は調査に乗り出した。
ネットで噂を拾い、走り屋たちのコミュニティ、その書き込みを眺める。
『首都高に出るっていうライオンの噂を聞きたいんだけど』
『夢から覚めなさい』
『ここ、リアル。OK?』
『NO、ココ、ネット。OK?』
『俺の股間の獅子が吼えるぜ!』
『あー、知ってる知ってる、獅子ね、俺の隣で寝てるよ』
ほぼ大半はそんなクソレスではあったが、中にはまともな情報も存在した。
だが、現状、自分たちが掴んでいる情報と大差はない。
曰く。
深夜の首都高にトラックみたいな巨大ライオンが走っている。
走り屋にちょっかいかけてくる。
場所は台場線から湾岸線にかけてである。
そんなところだ。
あとは嘘か誠か、あれは黄金に輝くロボットらしい、だとか、走り屋対策に警察が流した噂であるとか、いや、警察が作ったロボット、あれこそロボコップだ、などというところ。
さて、もちろん平行して、彼らは深夜、現場にも出る。
哀れ、いじくられてしまった相棒のカンジを掴んでおかねばならないというのもある。
月が、綺麗だと思った。
ボーアと彩果が湾岸を走る。
でも、確かにカンジいいな……。
300キロにも達しようかというその速度は、まるで夜空を切って飛ぶ翼のようだ。
何度目かのチャレンジののち、今晩は次を走って終わりにしようかという頃合い。
『どうです、彩果。なかなか悪くないでしょう?』
確かにそうだが、ヘッドライトの上部に見慣れないロボの頭部がくっついているのは正直、いただけない。
「……ねえ、どっかに場所移動出来ないの?」
『これは異なことを。散々話し合った結果、この場所が一番邪魔にならないという結論でした』
確かにそうだった、タンクの上では前傾姿勢を取った時に邪魔だし、後部の荷台ではボーアが前方確認出来ない。
「……あれ?でもひょっとして、サイドカーに乗ったら良かったんじゃない?」
『……ハハハ、確かにその手もありましたね。けれど彩果、それではロボとバイクが合体しているという事実が外部に伝わりにくくなります』
「伝わらなくていいんだよ!?」
周囲のクルマとバイクを置き去りにするほどのスピード、止まってみえるようなそれらを躱してなお、安定したライディングは、もちろん彩果の技術もさることながら、バイクを改造したボーアの技術と、二人の使う√能力【グッドデイトゥダイ】と【死なば諸共、一蓮托生】の効果が高かったと云えよう。
これなら大丈夫、もし獅子が現れても、並走、戦闘、どちらも充分こなすことが出来る、そんな確信を得た二人は辰巳PAへと辿り着き、バイクの駐車スペースに、相棒を停める。
車体に寄りかかりながらメットを取り去り、彩果は夜風に髪を揺らす。
そのしどけないスタイルに周囲の男たちからヒューッ!と口笛が飛んだりするが、露骨に近づく者がいないのは、バイクについた謎のフィギュアヘッドと会話するという彼女の、あまり一般的ではない挙動のせいだっただろうか、だが、彼女自身はそれに気づいていないのは、おそらく幸運と云えた。
「何か飲み物でも買って来ますか?彩果」
「そーね、ついでにそこらの走り屋の皆さんから情報収集でも……」
「あ、あの!走り見てました!凄いっすね!」
そんな彼らに話しかけて来た人物が居た。
ひょろりと高い身長に眼鏡、やや気弱そうな印象ながら興奮した様子の、見た目から云えばオタク青年というところ。
ネルシャツにジーンズと、防風対策など見えないごく一般的な服装であるところから、バイク乗りではなくクルマ乗りだろうことが察せられる。
どうやら、彼らの後を走っていて、その走る様子を見ていて話しかけて来たらしい。
あ、これは丁度イイ。
そんな共通認識が、彩果とボーアの間に走る。
こくりと頷きあう二人、いや、一人はバイクだけども。
「いやー、あのライディングしびれました!まるで踊るようっていうか、抜きに掛かる時の車線変更のタイミングもばっちりで……それにあのスピード!どんなチューンを!?」
『いえいえ、それほどでも』
「って、バイクが喋った!?」
「あ、これはですね」
『自分は運転補助AIのボーアと申します、以後、お見知りおきを』
「うわ、すご!?さ、最近はこんなタイプのAIもあるんですねぇ、あ、どうぞ宜しく、ヒロシと云います」
AIを自称したボーアへも、律儀に挨拶して頭を下げるヒロシ。
歳の頃は二十代半ばというところだろうか。
「あはは、わざわざコイツにまで挨拶、ありがとうございます。私は彩果です、どうぞ宜しく」
「こ、こちらこそ!」
握手を交わし、買い求めた飲み物を片手にしばし歓談する三人。
話をするに判ったヒロシのプロフィールは、大学時代から走りに嵌り、その腕は確か。
聞けば、とあるチームでも走っていたという。
「でも、ちょっと今はそっちに顔出しにくくて……でも、腕がなまるのはイヤなんで、久しぶりに走りに来たところで」
「そうなんですね。……ところでヒロシさん。私たち、湾岸に出る獅子について調べてるんですけど……この辺で、何か他に噂とか知りません?」
暫しの歓談の後、彩果はそう、話題を振ってみる。
「ああ、獅子ですよね、最近話題になってる。なんかの調査かなにかで?」
「ええ、ちょっと仕事で調べていて」
「なるほどですね!生憎、自分はまだ会ったことないんすけど、そうですね……」
しばしの沈黙、そうして彼は口を開き、しかし「ああ、でも獅子の噂ですよね、こんなのちょっと違うか」などともそもそ呟いて、口ごもろうとする。
「ああ、いえ。なんでもいいんです、何か話題に上がっているものがあれば、是非」
だが、すでに情報は玉石混交であることは重々判っている彩果が云えば、じゃあ、すごくくだらない話なんですけど、と前置きして。
「実は、獅子と別に、最近湾岸に、猫の幽霊が出るって噂があるんですよ」
そう、ヒロシは云った。
●a spider meets the ghost of him
Profile:Kurogokegumo Yatsude
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We were on the start line of the race.
――the start.
夜の気配に満ちたドラマの途中に突如差し挟まる、昼日中の心温まるハートフルストーリー。
はっじまーるよー!
「いざ追跡と車に乗ってはみましたが、アクセルに足が届かなかったのです。まあ、いざとなれば、また希様のバスに同乗させて貰ってもいいでしょう」
そんな独り言を呟きながら、一人の少女がお台場の街を歩いていた。
彼女の名前は黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)。
黒のロリータ服に身を包み、素敵な日傘をくるくる回しながら歩くその様子は、いかにも裕福な家の子女というところ。
しかしてその実態は、人ならざる異界の蜘蛛である、ほら、それが証拠に彼女の歩いた後には、天女の羽衣宜しく、キラキラと煌めく絹糸、もとい蜘蛛糸が歩道に張り付いていたりする。
さて、本人の云っていた通り、こたびの事件、やはり確信は獅子にあるかと追跡を望んでみたはいいものの、今の体形的に運転は無理があると諦めて、別の方向から彼女はアプローチを始めていた。
つまり、事件現場の道路についての情報収集である。
シデレウスカードの仕業なら、獅子の姿は仮初のものと考えられます。
誰が、の幅は大きく広く考えた方がいいですね
それに、家主様がおっしゃっていた誰かを呼ぶ声、二つというもの。
片方は獅子として――…もう一人は誰でしょう?
お互いを探しているのかも?
そうしてやつでがやって来たのは、現場近くの図書館。
時間は獅子が出現し始めた時期――二週間前より少し先まで。
範囲は――現場となる首都高11号台場線から湾岸線。
このキーポイントから、やつでは当時の新聞、雑誌、はては情報端末を用いてのネット検索にて、一つの情報を割り出していた。
それは、かの道路で起きた一つの、ごくありふれたどこにでも転がっているような事故。
彼女の読みは正しかった。
首都高湾岸線で落下事故。
運転していたのは三橋大志さん。(70)
三橋さんは深夜、湾岸線を運転中、スピードの出し過ぎによりカーブを曲がり切れず、高架を乗り越え、落下して即死。
警察は事故の原因を調べている――…。
野生の勘が告げていた、この得物を追え!と。
彼女はこの事故についての情報をさらにピックアップ。
ネットの噂話から、事故が起きた夜の現場写真を入手。
その風景と、SNSに書き込まれた情報から事故現場を特定する。
「――ふむ。ひとまずこれだけ集めれば、現場に行ってみる価値はありそうです」
カチカチカチカチ、ッターンッ!
情報と云う名の得物。
その尻尾を捕えた捕食者は、赤い瞳を爛々と輝かせながらレンタルしていた情報端末を操作、勢いよくシャットダウンした。
そうして彼女は高速道路の高架の足、そのお膝元へとやって来る。
当然の如くそこは、立ち入り禁止のフェンスの向こう。
海風に晒された野太いコンクリートの巨大な柱の群れの中、動くものは彼女以外になにも居ない。
「ちょっとだけ、ちょっとだけですので。それにこの√では、ヒーロー活動ならこういうのも許されるのですよね?」
そんな可愛らしい言い訳を呟きながら、しーっと人差し指を唇前に立ててやつでは人造の巨木が立ち並ぶ森の中へ、小さな蜘蛛の巣を張り巡らす。
さすれば、周囲を飛び回っていたインビジブルがその巣へとひっかかり――…糸に絡まり、もがけば、その姿はまるで蜘蛛糸の繭のように。
そしてインビジブルは新たな姿となって羽化する――そう、やつでの忠実なるしもべ、手乗りサイズの蜘蛛となって。
「さあ、やつでに教えるのです、この辺りで最近変わったことは何かないのですか?」
「アイっ!ココノトコロ、ニンゲンがよくスガタをアラワシてますた!」
「ふむふむ、きっと事故の捜査の人達ですかね?その人達はどの辺に行くのですか?」
「アイっ!あっちのホウデス!」
やつでの手の上、足を揃えて蜘蛛が指す方向は、やはりやつでが導き出した事故現場と相違ない。
「ご苦労様です」
そうして車が落下した現場へと移動すれば――ゴーストトーカー、彼女の目に映るのは。
一人の、老人の姿。
おかしい、ここは立ち入り禁止の筈だ。
やつでが首を捻る。
何故なら一人呆然と立ち尽くすその姿は、どう見ても通常の人間ではない。
だって彼はまるでどこか、高い高いところから落ちたかのようにその頭が――。
「こんにちは、お爺様、ここにずっと立っているのですか?」
「……ああ、こんにちは、お嬢ちゃん。そうだね、ずっと立っている」
――見ているこっちが痛そうなのです。
やつでが手をかざす。
ふわふわと風に舞う蜘蛛糸が、半透明な彼の頭に巻き付いて、包帯のように傷を覆い隠す。
「誰かを、待っているのですか?」
「待っている……待っている?……ああいや、違うんだよお嬢ちゃん、探しているんだ」
彼がそっと頭を巡らす、頭部が揺れてもげそうになる、けれど幸いなるかな、彼の体はすでになく、これ以上の破損の心配など、ない。
そしてその視線の先には。
おそらく、事故現場の捜査員も、随伴した記者たちも。
誰からも、見向きもされなかったガラクタ。
『太郎』との名札がついたペットキャリー、激しく破損したそれは彼と同じく、まるで高い高いところからおっこちたかのような。
「探してくれないかい、お嬢ちゃん。私の家族を、きっとのこの柱の上に居ると思うんだけれど、私はここから動けないんだ」
やつでは知っていた。
――…何か強い想いに囚われた死者は、時にインビジブルとならずにその場にとどまり続ける。
強く。強く。願えば願うほどに、霊は地場と融合し、二度とそこから動けない。
その名を、地縛霊と云う――。
●Blessing of styx
Profile:Kuze chikage
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We were on the start line of the race.
――the start.
「……今、何か聴こえた気がしたが……。気のせいか?」
深夜の首都高速。
車の後部座席に座っていた久瀬・千影(退魔士・h04810)は、ふと顔を上げると窓の外を眺めて呟いた。
先に聞いた事件のあらましで、星詠みが云っていた。
誰かが誰かを呼ぶ声を聞いたと。
なんとなくそれが今、夜風のうねりに乗り、己の耳にも届いた――そんな気がしたのだ。
都会の夜空はあまり好きじゃない。
愛刀、無銘を胸に抱いて千影はそっと星空へ視線を流す。
都会の夜は、地上の光があまりに強くて、ろくに星空が見えない。
獅子を止めなければ、と思う。
まだ死者は出ていない、不幸中の幸いだ。
死者が出た後では――…獅子を殺さなければいけない可能性が出て来る、命は、命によって贖われなければならない。
今ならば。
今ならばまだ、間に合う。
ゆえに、心が逸る。刀を握ることでそれをぐっと押さえこむ。
千影はシデレウスカードという物に対する理解は浅い、だが、どうやら理性や正気を失う類の物らしいことは判る。
つまり、獅子が何者かは分からないが、彼がしている非道は、彼自身が望んでいない可能性があるのだ。
「ならば、俺はそれを止めてやりたい」
「Hi?止める?チカゲ、toiletでーすか?」
唐突に運転手が放った問いかけに千影は一瞬、きょとんとして云った。
「……いや、悪ぃ、こっちの話だよジョー。このまま走ってくれ」
「OK!ユアウェルカム!ガム、食べまーすか?」
「……眠気覚まし用の奴か。じゃあ、一個貰っとくよ」
どこまでも明るい彼の声に、肩の力がふっと抜けた気がして、千影の頬にも笑みが浮かぶ。
彼の名は、ジョー・カミカゼ。
ドレッドヘアに浅黒い肌、生まれも育ちも日本人だが、見ての通りの混血で、ここ、√マスクド・ヒーロー世界の東京で、KAMIKAZEタクシーという名でどんな場所にも必ず依頼人を届けると豪語する凄腕ドライバー(自称)だ。
……しかし、こんなに個性の強い運転手が来るとは思わなかったぜ。
千影がガムを噛みながらちらりとバックミラーに目をやれば、視線のあったジョーがにっこりとイイ笑顔を浮かべてみせてくる。
本音を云うならば。
気のいい奴であればあるほど、こんな命知らずな事を頼むのも気が引けた。
とはいえ、素人同然の運転技術じゃ、スッ転んで怪我するのがオチ。
此処はその道のベテランの手を借りるべきだと千影の経験が告げていた。
そうして車がジョーの鼻歌と共に湾岸線へと滑り込んで暫く。
ジョーの鼻歌が、止まる。
「……HEY、千影……俺はひょっとして、夢を見てるのか?」
「ああ?……一体なにを……ああ、これはひょっとして、俺ら二人とも夢見てるのか――って、違うな、これが猫の幽霊、か?」
仲間たちからの情報提供で聞いたその単語が、即時千影の脳裏に浮かぶ。
時速200キロを超えるスピードで走るタクシー。
その横にぴたりと浮かぶ何かの影が千影の目に映る。
猫だ。
半透明の猫が、それこそゆったりとした足取りで宙を走っている。
目と目が、合う。
「……イタイ……」
「……なんだ?何が云いたい?……イタイ?痛いか?」
「ア……イタイ……」
「アイタイ……会いたい、会いたいか?おい……!?」
だが、突如の変異が窓の外、彼へと襲い掛かる。
猫の胸のあたり、浮かび上がったのは、首輪。
一見、ごく変哲もない首輪だが、その輪の中心でくるくると回るものがある。
カードだ、二枚のカードが激しく回転し、恐らくは幽体である彼の、依り代となっているのだろう首輪から、黄金色の閃光が走り――。
そして、獅子が顕現する。
「デ、デデデデデデデ……デター!?」
ジョーが叫び、中断された会話に軽く舌打ちした千影は、即座に戦闘準備を決意する。
「ジョー、外に出る!いけるか!?」
「お、OK!モチロンヨ!窓から出な!ヤネの行灯に足をかけられる細工がしてある!モチロン、風圧に負けない脚力と体幹はあるんだろうな?BOY!」
「ヘッ、いうねぇ!当然だぜ、アンタは運転のプロだろうが、こっちはこれでも戦闘のプロだ!」
云うが早いか、窓を全開に開けば枠に指をかけ、逆上がりの要領で千影はクルマの屋根へと躍り上がる。
タクシーランプには確かに、足先を引っかけて立つことが出来るようになっており、首を巡らせれば。
完全に変貌を遂げたそれが、左斜め後方から迫りくる。
肉薄。
するが早いかの速攻、獅子はいきなりの噛みつき!
下手な冷蔵庫くらいなら一噛みにスクラップに出来そうな牙がタクシーへと襲い掛かる。
だが、千影は|武器《無銘》を抜かない。抜きたくない。
その眼に、気が満ちる。
「ジョー!右だ!」
「イエッサー!」
急ハンドル。
横Gに耐えながら、それでも届きそうな牙を鞘に納めたままの無銘で打ち払う。
獅子はじゃれていた――そう千影は感じていた。
あくまで殺しや、襲っているという気配ではない。
少なくとも、星詠みの説明を聞いて、彼が感じた印象はそうだったのだ。
そう、じゃれついている――または、何かを、誰かを探しているかのような印象。
――だが、今日のこれはちょいと違うな?
千影は胸中に呟き、正面から襲い来る強風と、横から襲い来る黄金の獅子を共に相手取る。
「おい、止せ!これ以上やると犠牲が出るぞ!」
獅子に果たして言葉が通じるものか?
半信半疑で問いかけた千影のその言に、しかし風の中、応えるものがあった。
「ははははは!犠牲?犠牲だと?己が命を賭ける覚悟もなく、|速さ《チカラ》を誇示するとは愚か者のやること!であれば、この俺がいっそ叩き潰してくれる!」
尻尾から爪、牙の三連撃。
先に獅子と接触していた仲間から聞いていた攻撃方法。
丸太のような尻尾を鞘で叩き落とすようにして防御、爪と牙はジョーへ急ブレーキを指示、獅子の後ろへ下がり、回避する。
マズイな……ジョーに怪我をさせるワケにはいかない。
今晩の獅子、その印象はあの日聞いた様子とは全く違う。
時間の経過のせいなのか、はたまた何か別の要因があるのか。
恐らくは英雄の意思が強く出ていて、仲間から聞いた報告にある通り、好戦的だ。
これは追うのを諦めるべきか――思案しながら、より強く右眼に気を集中すれば、覚醒するのは龍眼壱。
「……じーさん。じーさん。どこ?」
聞こえた。
確かに聞こえた、千影は獅子の姿に目を凝らす。
さすれば斜め後ろから見る獅子の胸のあたりーーそこに見えるシルエット。
あれは――先ほどの猫。
半透明の、白黒ぶちの猫だ。
「|ええい、煩いぞ宿主!今は戦いの時、俺がやられればお前として存在しておれんのだぞ!《でも俺は――ただ会――じーさ――》」
英雄の声に混じって何かが聞こえる、確かに聞こえる。
この猫が|霊体《ゴースト》だと云うならば。
なら、|自分《ゴーストトーカー》のやるべきことは決まってる――!
右の瞳から気を迸らせ、夜風に輝かせながら千影は念のためにと用意しておいたもう一つの能力を発動させる。
ゴーストトーク。
「おい!お前、|霊体《インビジブル》だな?俺に教えてくれ、お前の本当の望みを!お前は何がしたいんだ!」
「俺――お――は、じー――会い――」
戸惑いと共に、千影が眉を顰める。
……おかしい。
なんだこのノイズは。
見た目はまだ生前のものである場合があっても、この感じ。|霊体《インビジブル》に間違いない。
ならばこれで、問題なく話が出来るはず。
なぜ、まともに話せない――?
続く獅子の猛攻を捌く千影の頭を、混乱の二文字が踊り狂う。
「ええい、致し方ない。勝負は預けるぞ現代の剣士よ!」
そうして高架を飛び降り姿を消す獅子を、呆然と千影は見送る。
だが、その瞳は最後に捉えていた。
かの英雄、その正体の鍵を。
獅子の踵。
威風堂々。全身鎧の如くくまなくオーラを纏う獅子の、|そこにだけ隙があった《・・・・・・・・・・》のだ。
「――速さに拘りのある、踵に弱点を持つ英雄、か」
あまりに強大なる力が故の龍眼の負荷。
くらくらと揺れる脳に突き刺さる光の乱舞。
歪んだ夜景に酔った千影が、クルマの屋根に膝を付く。
その掌中には、混乱と希望とが、静かに握られていた。
●Last night
Profile:tsubakinohara nozomi
Post:Ziu village
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Birthday:Jul.1 Jender:♀
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High speed POINT:299
machine:autopilot bus "Gekitsuiou"&???
We were on the start line of the race.
――the start.
深夜の高速を走る一台のクルマ。
だがそれは、週末よく見かける、いかにもスピードの出そうなタイプのそれではない。
大きな車体に丸っこいフォルム。
それは赤とクリーム色でツートンカラーに塗り分けられた、レトロなタイプのバスだった。
その大きさと様子は、いかにも乗客を乗せて都内を巡る観光バスという風情だが、運転席に座っているのは、くたびれた中年運転手などではない。
運転席に鎮座ましましているのは、異世界の決戦気象兵器「レイン」その砲台であるしずくと、ファミリアセントリーあられ、そしてもう一人。
ハンドル部分にその二つの水晶球をはめ込み、撫ぜるようにしてその球体へ両手を添える人影、それは戦闘補助AI「まつご」を起動させてこのバス――撃墜王とリンクした、年端も行かぬ少女。
そう、椿之原・希(慈雨の娘・h00248)である。
「こう見えて毎日乗っていますから!ちょっとくらいのスピードを出してもすいすい走るのですー」
それに、と、希はフロントガラスの外の景色を眺めながら思う。
√マスクドヒーローの道路って綺麗なのですね。すごく走りやすいです。
彼女の小さな唇から、思わず感嘆の吐息が漏れる。
今宵も人を襲う獅子を探しながら、しかしそこはまだ幼いとすら云える年齢の希だ。
普段見ることなどない夜景はキラキラと輝き、綺麗で。
何だかワクワクします、と、少女の顔は我知らずほころぶ。
「本当は子供が車の運転なんてしたら、こちらでは怒られるかもしれないですけど……でもそう、私はいま、ヒーロー中なのです!だから大丈夫なのです!」
可愛らしいドヤ顔を決めてえっへん、と胸を張る希。
そんな希に、ふと、しずくが電子音声で語り掛ける。
「レーダーに反応あり。99%の確率で想定敵獅子です。一般車両と並走しています」
「!とうとう会えましたね!急行します!」
「了解しました」
そして一気に加速した撃墜王は走った先、希はその光景を目にする。
獅子、そして襲われているのはいかにも走り屋らしい、ボンネットに黒い鬼のペイントが成されている赤いスポーツカー。
爪でやられたものか、なんとドアを片方、もぎ取られている。
スピードを上げて、落として、左右へスラロームを試みて。
なんとか獅子から離れようとしているが……いや。そうでもないですね?
と、希は大きなお目目を凝らす。
というか、クルマの屋根の上に、人が立ち、なにやら獅子と戦っているようにすら見える。
だが、その様子はいかにも劣勢、拳に付けているドリル状のナックルや、獅子の爪牙を不可視の障壁めいたもので防いでいるようだが、どうにもふらついて危なっかしい。
「はわわ、このままじゃ中の人が落っこちちゃいます!しずく!あられ!運転はお願いします!」
叫ぶ希、そして。
ゴーグル装着。
ヘルメット着用。
グローブをつけてマシンに跨れば、バス後部ハッチがゆっくりと開いていく。
ハッチから吹き込んだ風が車内の空気をかき乱し、彼女の髪を乱す、だが少女のまなざしはきりりと眼前の救助対象を見つめている。
「PONDA・ダリア|Χ《改》。射出準備完了。リリース10秒前。9.8.7.6.5.4.3.2.1」
「希、出ます!」
「リリース」
希が跨る小さな車体がバスから排出される。
PONDA・ダリアΧ――…小学生でも充分操れる小型バイクのエンジンが叫びを上げる。
後方へ投げ出された勢いと、前へ進もうとするマシンの反発がタイヤをバーンナウトさせ、一瞬の間の後、ミニバイクに大型バイク並みのエンジンを搭載するという前代未聞の改造をなされた機体が、矢のように飛び出していく。
そう、希はいざという時のため、借り受けたマシンをバス車内へ格納していた。
生憎、このピーキーなマシンを操れる体格のライダーがいなかったため、運転は自分で行う羽目になったしまったが。
ダリアΧが加速し、クルマに近づけば、勇敢なることにクルマの屋根の上で応戦していた人物と、黒いそのクルマを操る運転手の様子があらわになっていく
「あれ?あの人は、確か……」
「おおっ!?あぶねぇ!!そこどけぇ!!」
「!」
とうとう足を踏み外したノンプロヒーロー、オーガラセンが希に向かって飛んで来る。
辛くも受け止めた希だったが、流石の勢いと、あまりの体格の違い、ましてや高速でバイクを運転中だ。
促進させていたインビジブル化と、発動済みだった先制用√能力「燕」のお陰でバランスを保つことはなんとかなったが、流石に足を使ってバランスをとるのに精いっぱい、オーガラセンのクルマと獅子を見送るしかない。
「アイテテテテ……すまん!大丈夫か嬢ちゃん!?」
「は、はい、このくらい、へいちゃらなのです!ええと、オーガラセンさん、ですよね?」
そう、そもそも希の目的は自分が主となって獅子と戦うというよりも、手助けになれれば、と警戒運転をしていたのだが、どうやら偶然見つけた相手が、星詠みの予知にも名前が出て来た、ノンプロヒーロー、オーガラセンであったようだ。
やっぱり、予知に出て来たということは、この人もなんらか、この事件に関わる運命なのでしょうか。
希がそんなことを思いながら、オーガラセンを立たせれば。
「お?俺のこと知ってんのか!なら話は早い!今の力、お前もヒーローか見習いってとこだろ?悪いが力を貸してくれ!ウチのスタッフがあぶねぇ!」
と、開口一発、まだまだ戦意衰えず叫ぶオーガラセン。
「もちろんです!後ろに掴まって下さい、希、追います!」
「頼む!!」
二人は即時、協力体制決めれば加速!
まさに死地へと向かうオーガラセンのチームスタッフ、ヤスを救うべく闇を切り裂き、走る。
「撃墜王!獅子とクルマの間に割り込んで防いでください!三分で追い付きます!」
ヘルメットのインカムへ叫ぶ希。
「頼もしい台詞だぜ!」
ダリアのエンジンが唸りを上げる。言葉通り三分ジャスト、追い付いた希とオーガラセン。
しかし獅子の爪により撃墜王も、オーガラセンのクルマ、ラセンドリル号ももはや満身創痍。
「よし!この距離ならいける!ノゾミ、ヤスの方、頼んだ!」
拳に装着したオーガフィストのドリルを回転させながら、驚異的な跳躍力で獅子へ躍りかかるオーガラセン。
どうやら彼は、念動力の類の力を持ち、それを使ってドリルを回転させたり、身体能力を強化したり、また、念動力の障壁を作れるようであった。
「判りました、オーガラセンさん!ヤスさーん!どうぞ撃墜王の中へ避難して下さい!」
そう希が云ったのにはワケがある。
すでに満身創痍で、ろくにスピードも出ていない赤いスポーツカー……ラセンドリル号。
しかし、ここまでの調査で、獅子は速さに拘りを見せていたという。
であれば、すでにラセンドリル号は彼の目にかなう相手ではない、弄ぶだけ弄んで、すでに消えたとしてもおかしくはない筈。
しかし、獅子はドライバーを失い、動きを止めたラセンドリル号に執着し、なんとか接近しようとオーガラセンと戦いを繰り広げている。
「|ははははは!良いぞ宿主よ!そうだ、怒りを燃やせ!魂を燃やせ!さすればそれが我が力となる!!《あの車……あの車だ!じーさん!じーさんはどこだ!?出せ!じーさんを!出せ!どこ!?どこなのじーさん!!》」
夜風に乗って押し寄せる、砂塵の如き声。
だが、そのざらついた中に微かに混ざるのは、希の胸を掻きむしるような声。
それを感じ、バイクから降りてオーガラセンと並びながら希はきゅ、と胸の前で拳を握る。
「ぐうっ……ノゾミ!ほらよ!」
獅子の爪を障壁で受け止めつつ、空けた片手でオーガラセンがそんな希へ何かを投げてよこす。
見ればそれは、小さな角のついた鉢巻状の赤いアイマスクであった。
受け取ったはいいけれど、きょとんとして、戸惑う希。
「いいかノゾミ。この世界のヒーローはまず顔を隠さにゃならない。正体を明かすことは家族の不幸に繋がる、判ったら早くそいつをつけな!」
「え!?お兄ちゃんに不幸が!?わ、わかりました!」
慌てふためき、マスクをつける希。
小さな角を額に生やした、マスクドヒーローの完成だ。
「本来はそりゃあウチのスタッフ用なんだが……ま、急拵えだ、ひとまずそれでいい。なんだかライオンさんもやる気満々だしな。よぉし、いくぞノゾミラセン!」
「ノゾミラセン?な、なんだかカッコいいのです!」
キラキラしたおめめで、自分に付けられたらしき、新たな名前にちょっぴり興奮気味の希。
しかし、そうしながらも彼女の頭脳は冷静に計算を続ける。
オーガラセン。
能力者ではないとはいえ、超常の力を持つ彼だ、そう簡単にはやられないだろうが、スタッフのヤスさんもいる、こちらの撃墜王もラセンドリル号を庇ったために、何度もダメージを負い、いつ動けなくなるかも判らない。
さらにここは高速道路の上、時間帯のせいで今でこそやって来る車はないが、何か手を打たなければ、すぐにでも一般車がここへ来てしまうだろう。
そして獅子もまた、今ならば逃げそうもない――…これは決戦のチャンス、助けを呼ぶべきです!
そう、希は判断した。
「こちら希!みなさん、一般の方が襲われています!どうか集合をお願いします!」
インカムを起動、今夜も近隣で捜索、調査中の仲間たちの端末へ、現在地点の座標を飛ばす。
「おい、ノゾミラセン!一般の方じゃねえぜ!?アイアム・ア・ヒーロー!!」
「そうでした!すいません、オーガラセンさん!」
「我が宿主はどうしてもその車を調べたいようだ。あくまで邪魔をするというなら仕方ない、我が牙にてステュクスの向こうへと送り届けてやろう!」
月下咆哮、獅子が牙を剥く。
迫るのは決戦の時か、はたまた救いの瞬間か。
その時は、近い。
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』

●prologue zero
衝撃と痛みだけがあった。
伴うのは混乱。
轟音の後に訪れた静寂は、冴え冴えとした細い月の光を以て、彼の姿をアスファルトに焼きつける。
どれだけ時間が経っただろう、声がした。
「ほう、これは珍しい」
誰?
彼は問うた。
いつの間にか巨大な影が、彼の眼前に立っていた。
「獣の適合者とは珍しいと云ったのよ。ましてや肉の体を持たぬ状態で、とはな。相当の無念と執着が残っておるらしい」
影は小さな板状のものを二枚取り出した、それらは心臓の鼓動のように鈍い光を放ち、大きな手のひらの上でくるくると踊っていた。
そして千切れ飛んだ首輪にそれを宿す――…彼もまた宿る、その器に。
どくん。
曖昧だった意識と、幻のようだった体に力が戻る。
……そうだ、俺はじーさんと一緒だった。
じーさんが叫んでいた、混乱していた。
そして赤い車が近付いて。
衝撃。
俺は車から放りされた。
じーさんがこっちを見ていた気がする。
……どこだ?
「|ふむ。獅子の体か《じーさん、どこだ!!》」
!!
自分ではない声がした。
自分ではない誰かが二匹、体の中に居る。
気持ち悪い、と思った。
いや、そうでもない、と思う自分も居た。
そもそも自分の体など、もう無いのだから。
「なに、そのうちに完全適合すれば、人化することも容易かろう」
影が、自分の中の誰かに云う。
俺は、俺はどうなるの?
「さてね?まずはそう――暴れたまえ」
影はそう云って、去っていった。
けれど、俺は暴れたくなんて無かった。
探したいだけだった。
ただ会いたかった、それだけだったんだ。
●週末の悪夢をぶっちぎれ
「オーガラセン!?今、オーガラセンって云いました!?」
辰巳PAの一角、そんな声が上がった。
「あわわわわ、オ、オヤビンが、オヤビンがあの獅子と!!い、行かなくちゃ……!ああ、でも……」
ヒロシである。
彩果とボーアに届いた通信を聞き、途端に慌てた様子で立ち上がる。
立ち上がって、自分のクルマへと行きかけて、しかしすぐ足を止めてしゃがみこむと、なにやらぶつくさ呟き始めた。
あまりにも判りやすい逡巡。
時を同じくして、やはりPAの一角、声が上がる。
あげたのはシゲノとクスノキ。
レイと共にいた彼らもまた、獅子とオーガラセンの戦い、その報を聞き、驚きと興奮の中にあった。
「でも今、オーガラセンのマシンがイカレちまって、足を止めてるらしい!このままじゃあ他のクルマが突っ込んじまう!みんな!すぐに仲間へ連絡してくれ!俺らで湾岸を封鎖してやろうぜ!」
「そうだ!こういう時くらいは、俺らが役に立たなきゃよ!」
|祭り《イベント》を愛する走り屋たちのハートに火が点く。
そして火が点いたエンジンは回り始める――どこまでも熱く、火傷しそうなほどに。
「詳しい場所を教えてくれ!レイちゃん!」
「そっちのお姉ちゃんも仲間か?なんなら俺らが送るが――おい、ハカセも!んなとこでうだうだしてる場合じゃねーだろが!」
あだ名だろうか、ハカセと呼ばれたヒロシはギクッとし、あたふたと彩果たちの背後へと隠れる。
果たして彼がオーララセンの下へ参じるのか否か。
それこそ誰かの一押しでもなければ、今のところは判らない――…そんな様子だ。
さて、PAがにわかに騒然とし始める。
「ウチのメンバーが丁度湾岸にいるぜ!止めんのは湾岸線の東方面でいいんだよな?」
「バリケード代わりにすんなら俺のチェロキーが役に立つぜ?」
「ちょうど白バイにヤマダのオヤジが出勤してるわ、警察にも連絡入れといた方がいいよな?」
「ヤマダのオヤジなら大事にはしねーでいてくれるだろうけど、口止め忘れずにな!」
「そーそー、あくまで俺らとヒーローたちのシークレットパーティーってことで!」
「ヒ、ヒーロー!?」
彩果とレイ、そしてボーアが思わず顔を見合わせる。
「え?ヒーローじゃねーの?」
「だってその恰好、顔つきバイクのとかいかにもだし」
「確かに」
軽く頷き、暢気な様子で同意するのは今やバイクと一心同体となっているボーア。
「あー、でもマスクしてねーなそういえば?でも、ねーちゃんたちマスク無しの方が人気でそうだけど」
ピューピュー!
口ぐちにはやし立て、それぞれのクルマに乗って走り去る走り屋たち。
これは走り屋の特徴、とでも云えばいいのだろうか。
いや、違う。
これがきっと、√マスクド・ヒーローの人々、その特性。
悪の組織と怪人に脅かされ、しかしそれでも希望に満ち、活力溢れる人が多く、苦境においても挫折しない――そんな、逆風に煽られれば煽られるほどに燃え上がる――そんな|性質《タチ》。
危ないよ。
私たちに任せて。
そんな言葉をかけることはたやすい。
なんなら、実力で押しとどめることも可能だろう。
けれど、一般人が近付かないよう止めてくれる、それだけのことがどれだけ有難いか、それが彼女たちにはよくわかる。
ならば。
「……ありがとう!ありがとうみんな!でも、絶対に無茶しないで!?」
「戦いは私たちに任せて、絶対手出ししないでね!?すごく、助かります。みんな、ありがとうございます!」
「かわいこちゃんたちのためならどこまでもー、ってね!」
「終わったらデートしてよー?」
「俺、一緒にツーリングでもいいや」
「それ、デートとかわんねーだろ!」
そうして去っていく走り屋たちを見送りながら、能力者たちもまた、現場へと急行する。
戦うのは勿論だ。
もはや、血を流さずして解決は見込めまい。
だが、それでも、と思う心がある。
ここまで仲間たちと得た情報を考えれば、一つの結論が出る。
高速道路によって、天地に引き裂かれたあの二人を合わせることが、もしも出来たら。
彼の――獅子の妄執は解かれ、自然、怪人黄金の獅子は消えるのではないか、という推測だ。
それは、あくまで推測でしかない。
やったからといって、そうなる保証はどこにもない。
しかし、それでも、と思う心が能力者たちの心の片隅にあった。
その道のりは決して楽なものではあるまい。
例えば、地に縛られ立ち続ける彼の真上、あの事故現場へ獅子を誘き寄せるには、獅子に追われつつもそれを振りほどける速さ――HP300を超えるスピードが必要だろう。
そしてその速さを持つ囮が走り、かの事故現場、そのカーブへ獅子を誘導する必要がある。
さらに、そのカーブへ差し掛かった瞬間。
それこそ、命中率は1/3程度になるだろうが、無敵のオーラを纏う獅子の、隙が見えたという踵を撃ち抜けば、転落する可能性は高い。
また、その際、高いPOWの持ち主や、車体でその体をカーブへと押し込めばより確実に、獅子を崖から突き落とすことは可能だろう。
名付けて【獅子落とし】作戦――しかし、もちろん、実行するか否かは能力者たちの腹づもり一つ。
戦いは命のやり取り、情けが挟まるほどに甘くはないものだ。
選択は、各々の胸の中に、情熱の炎に炙られつつも冷静さという名のナイフを磨いておかねばなるまい。
だが、なんとなく。
熱狂の炎に煽られた空気は、渦を巻いて螺旋となり、夜空を焦がしている。
なんとなく、奇跡すら起こりそうなこの夜に、彼らは飛び込んでいく。
そう、俺達はすっかりまいっちまってるのさ。この夜に……。
●a way to fight back
能力者たちは現場に集結しつつあった――。
仲間へ招集を掛けた希は、撃墜王に味方のカバーリングをさせながら、車内から小型拳銃「希望」で牽制。
クラウスもまた、いち早く現場へと駆け付け、ラセンドリル号へ近づこうとする獅子の往く手を遮り、時にバイクごとの体当たりでその侵攻を防いでいる。
やつでは辰巳PAにて仲間と合流するも「もう少し、やっておくことがあります」と、告げ。
千影もまた「悪いな、ちょっと野暮用だ」と、まだこの場には表れていない。
舞台は深夜の湾岸線。
いよいよ祭りの火ぶたは切られ、ロシアンルーレットの弾倉の如く運命の輪は回る。
だがこの舞台、昼の混雑具合とは比べるべくもないが、当然、通行する車両がある――本来ならば。
しかし、獅子と能力者たちが対峙する首都高湾岸線、この一角に、一台とてやって来るクルマの姿は今はない。
それは勿論、能力者たちに協力を申し出た、走り屋たちの働きによるものであった。
アマチュア無線から通信アプリ、もちろん電話やSNSで繋がった彼らの連携は見事なもので、あっという間に湾岸線のこの一角は、彼ら|獅子《ハードラック》と|戦う《ダンスる》者たちの舞踏会場と化した。
しかし、勿論この状態をいつまでも保てるわけがない。
複数の走り屋グループによる、首都高の封鎖、週末のニュースを賑わすには充分なネタだ、警察とてすぐに介入して来る。制限時間はそう――…いいところ30分、もって一時間というところだろう。
そんな中、目下獅子注目の的であるラセンドリル号はと云えば、ヤスの手により応急処置中。
10分と掛からないとのことだが、現状、走れる状態ではない。
それもあっての、能力者たちが囮となっての獅子落とし。
それは、能力者たちが各々集めた情報を集結し、事件の真実を推測、一縷の望みをかけて紡ぎ出した作戦。
二週間前、湾岸で高架からの転落事故を起こした老人――三橋・大志と、おそらく太郎と呼ばれる猫、その霊体と思わしき存在がこの事件の鍵と踏んだ能力者たち。
地縛霊となって事故現場の高架下に立ち続ける|老人の幽霊《インビジブル》。
そしてなんらかの理由により二枚のカードの宿主となった白黒ぶちの猫――おそらくは太郎という名の――霊体(?)。
互いに呼び合う二つの魂。
その悲痛なる叫びが自分たちをこの場へ呼び寄せたのだと。
そして、互いにこの場所に縛られているが故に、まだ実現しうる彼らの邂逅を成し遂げたい。
そう願い、能力者たちはこの夜へと飛び込んだのだ。
「でも、現実は甘くない、ね……」
そう呟いたのは|レイ・イクス・ドッペルノイン《RX-99》(人生という名のクソゲー・h02896)だ。
いや、呟いたと云うのは正確ではない。
今の彼女には、発声するための器官が存在しない。
彼女はそう――…今現在、ポルシェであった。
なお、比喩表現ではない。
それは、この場へとやって来る前のこと。
シゲノやクスノキが乗せていくよ!というのを固辞したレイはPAの外れに移動。
「あの、云われた通り断ったけど――もしかして走って追いかけろって事?」
戸惑いながらレイが告げれば『んなわけないだろ』と、答える声。
いつもの如きやり取り。通信先のAnkerの声は、相変わらず自信満々だ。
「免許持ってないってさっき言ったよね?……って、まさかこの軽トラで」
『それハリボテだから。【メソッド・MONOチェンジ】使いな。デザインはこっちで担当するからさ』
「……どうせ珍車でしょ」
能力を開放しながら、ちょっと拗ねた口調で告げるレイ。しかし話し相手はどこ吹く風で。
『首都高に似合う奴に決まってんじゃん。ほらよ』
「...古い型のポルシェ?」
『操作は私がやる、【ハッキング】であんたの身体制御権借りるよ、【リミッター解除】もしておく』
そして彼女は|鳥《ポルシェ》になった――。
「……なあ、あの黒いポルシェ……え?ブラックバード?」
「マジだ930!リアル湾岸の黒い怪鳥……!でもあんなクルマ見たことねぇぞ?」
「伝説が蘇るのさ……」
時速250キロオーバー。
往年のスポーツカーの帝王、その姿を取ったレイは、Ankerの運転によって次々と走り屋たちのクルマをパスしてゆく。
「あの。これ凄い早いのはいいんだけど……物凄い、疲れるんだけど!?」
なにせ時速250キロを超えようというスピードで動いているのだ。
いかに、今の彼女の体が走りに特化した形状をしていると云っても、その運動量はハンパなものではない。
なお、彼女の言葉は今、車内スピーカーから音声出力されていたりする。
『あー、まー、そうだろうねー。ガワが変わっただけで中身があんたなのは変わらないからねー』
「ていうか、玲子も免許持ってなかったよね?!」
『昨日ドライビングシミュレータゲーのデイリーレースで一位取れたから行ける』
そうして彼女たちは、現場と辿り着いたのだ。
「ふむ、いっそあのバスに車を詰め込んで、事故現場まで運べれば事は簡単なのだが――いかんせん、サイズが許さぬか」
相変わらず、高速の作る暗闇、その影の中へと身を沈めて呟いたのは和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)。
なにぶん己の姿が、大抵の人間には受け入れられるものではないと自覚している彼だ。
仲間にも徹底して姿を現さないのは、彼なりの気遣いなのかもしれない。
「ですね。というか、蜚廉さんどこで喋ってるんですか?」
華応・彩果(ほんのちょっぴり(当社比で)不運な運び屋・h06390)が彼の言葉に答えれば。
「なに、気にしないでくれ。あまり人前に姿をさらすのは好まぬ」
と、流す蜚廉。
「はあ。ならしょうがないか……しっかし、これはちょっとマズい状況ね」
「だな。獅子があそこまで、ラセンドリル号に拘るとは」
そう彼女の言葉を継いだのは、彩果の相棒であるところのバイクのヘッドライドの上で、フィギュアヘッドとなっている|ボーア・シー《Vore・C》(ValiantOnemanREbelCyborg・h06389)。
そんな彼の口調は、いつもの電子音声による平坦なものではなく、現場の熱気に当てられたものか、いつの間にか闊達な人間味のあるそれへと変わっている。
そう、仲間の大半が現場へと揃い、オーガラセンも己のクルマが狙われているため、彼らと共に共同戦線を張り、戦いを続けている。しかし、それでも状況は芳しくなかった。
何故かと云えば、答えは簡単。
獅子が相変わらずラセンドリル号に近づくべくその場にとどまり、囮役たちに反応してくれないのである!
ちなみに此処までで判明している獅子の能力は二つ。
一つ、獅子三連撃。
尻尾による牽制、爪による捕縛、牙による強撃を行う。
二つ、獣王の風。
【物理的破壊力を備えた獅子の咆哮】のブレスを放つ無敵の【黄金の獅子】に変身する。
※ただし、踵だけはオーラを纏っていない。
これは外部からのあらゆる干渉を無効化するようで、事ここに及んで、獅子はいまだにかすり傷一つ負っていない。
すでに現場へ駆けつけた能力者たちの手によって、幾度となく攻撃が加えられているというにも関わらずだ。
無論、同種の√能力の例に漏れず、攻撃を無効化するたびに何らか消費はしているようで、心なしか纏うオーラが微妙に小さくなっている気がしなくもないが……そこは流石にシデレウスの怪人。
まだまだ余力は十分。
このまま持久戦に持ち込んでも、走り屋たちが作ってくれた戦場維持のタイムリミットには間に合いそうもない。
そして自身に攻撃が無効化される力があるということは、当然、彼らの攻撃を無視してラセンドリル号に肉薄しようとすることすらある。
となれば、その場合はマシン――バイクや、バス、同僚が合体したスーパーバイクやポルシェに変じた、ないし、そのものずばり己の肉体による体当たり等の力押しでそれを押しとどめるしかなく、それによるマシンや自身の耐久力の低下は否めない。
作戦は決まっていて、そのための人材も揃っているにも関わらず、レイや彩果&ボーア、蜚廉がいかに挑発しようと、獅子は乗ってこない。
そうして睨み合うこと数分。
状況を打開すべく、動いた人物がいた。
レイである。
『しゃーない、ちょっと見た目変えるよー?アレにしか反応しないってんなら、こうでしょ』
いや、正確にはレイと共に状況を把握する、|例《レイ》の|彼女《Anker》である。
ポルシェが走る。
アクセルベタ踏み、獅子の眼前、ラセンドリル号を背にしたポイントでヒールアンドトゥ!フルブレーキング。
車体はスピン!タイヤが煙をあげ、一瞬、煙幕の如く視界を閉ざす。
そして閉ざされた煙の結界、その中から飛び出した車体がある。
真っ赤なボディ、黒い鬼のような顔のペイント。
ラセンドリル号だ。
「|動いたか《じーさん》!」
即座に獅子が動く、身を翻して後を追う。
「……やってくれたな」
「追うよ、ボーア!」
「任せろ!」
即座に動き出す囮役たち。
いよいよ事態は動き出す――偽りの鬼面を被ったレイの走りによって。
●midnight chase
勿論、突如奇跡の如く車体が直ったラセンドリル号が、突如動き出したわけではなかった。
彼らが走り出したのち、晴れた煙の向こう、真っ赤なその姿は取り残されている――勿論、応急処置が終われば、追い付いては来るだろうが。
そう、そもそもレイの変身能力は何かに限定されたものではない。
『それなら釣れるカタチにするのがとーぜんでしょ。あ、とりあえず死ぬ気で走ってよ?追い付かれてバレたら終わりだよ?』
「責任重大!?そんなにスピード出せないってば!」
『あ、今のアンタは存在感が薄くなっているからね。動きは派手にするよ』
「しかも余計なアクションつき!?」
月下の追走劇が始まった。
真っ赤なスポーツカーと化した体の操作はAnkerに任せ、後方の獅子はもとより、周囲、囮役の仲間たちの位置その把握、獅子の後方で追って来る他の仲間たちへ気を配りつつ、カードと宿主の|接続《リンク》をジャミングしたりは出来ないか、ハッキングはどうなのか。
「ひぃぃ、こないでぇ」
追い付かれそうになれば、ダメージこそ与えられないまでも今や車体の一部となっているペネトレイターやキリング・アワーの重力変異現象による吹き飛ばし効果を駆使し、獅子の爪牙を遠ざけて必死に逃げる、逃げる。
さらにもう息が切れてどうしようもなくなれば、空中ダッシュの出番。
文字通り、死力を尽くし走るレイ。
しかし、それでも苦しい。
残念なことにHP――走り屋ポイント的に、囮役としては足が足りなかったのだ。
そしていよいよ、その時が来る。
「も、もうだめぇ――!」
「|これで終わりか……もう少し楽しませてくれると思ったがな、消えろ《じー……さ……!中を……見……!》!」
獅子の爪が。
断頭台の刃の如く振り下ろされ。
『哀れ、少女の体はバラバラに――』
「他人事みたいに言わないで!」
「そうはさせん」
――車内のそんなやり取りが聞こえたわけではなかったが、その時彼が発した台詞は見事会話に合致した。
見た目はスポーツカー、しかしその実体は一人の少女だ。
身体の構成要素こそ、正体不明の機械細胞だが彼に掛かれば十分持ち運べる。
「あとは任せろ」
飛ぶように走る黒き影――蜚廉が、己が背に|ポルシェ《少女》を担ぎ上げる。
「なんだと!?」
獅子が戸惑いの声を発する。
爪がアスファルトへ炸裂し、蜚廉の背後で爆発のような轟音が響き渡る。
偽ラセンドリル号は突如息を吹き返し、HP400に迫ろうというスピードで疾走を始めていた。
ダッシュ。
空中ダッシュ。
地形の利用。
野生の勘。
走りに特化させた能力を、彼はフルに発揮する。
凄まじいスピード。
今日この時のため、彼は身に着けた己の|ポテンシャル《技能》その大半を、走力へと注ぎこんでいたのだ、その|力《レベル》はHPにして100近くに相当し、その走力を底上げする。
「あ、ありがとう蜚廉さん!助かったー…」
「なんの。こちらもこれならばそちらの影に隠れられ、自在に動けるというもの――そちらは姿を保つのに集中してくれ」
「判りました!」
触覚を震わせる。
音と振動から奴の気配を読む。夜風の裂け目に熱が混じる。来る、ならば――誘う。
「速さに飢えているのだろう? ならば喰らえ、我の脚を」
「ハハハハハ!良いぞ!良い脚だ!これほどの速度、神が生きた我が時代とてそうはいなかったぞ蟲よ!」
「蟲?蜚廉さんって蟲なんですか。いえ、|車の《この》姿だと下が見れなくて」
「……見なくていい。お前は前だけ見ていろ」
六肢が火花を巻き、標識を蹴って滑空。
合流車線の段差を利用して空中旋回、タイヤよりも早く、壁を蹴って次へ跳ぶ。
目指すはカーブ手前の事故現場。
車群と獅子の間を縫い、獅子と仲間を先導し、蜚廉は走る。奔る。疾走る。
「舐めるな!」
「其方こそな」
獅子の足運びを読み、攻撃を誘い、しかして避け。
嫌われ者の六肢の蟲は、獣の王を手玉に取る。
「欲のまま追って来い。だが崖は、目を逸らした者から口を開くぞ」
●The Taming of the Shrew
「んじゃ行くぞ彩果。それとこれ、ベネツィアンマスクデザインのサイバーグラス。俺の私物だ、せっかくだしここのドレスコードに合わせてやろう」
「……私物なのコレ?ま、郷に入っては郷に従えっていうか」
白と紫に彩られた仮面の、金の細工模様が夜闇に閃光となって走る。
「そういうこと。……それにそろそろ俺たちの出番になりそうだぜ」
「オーライ。ボーア」
目的地である事故現場まであと数キロ。
囮組の四人、レイ、蜚廉、ボーア、彩果は獅子を従え、他メンバーをも振り切らんばかりの速度で高速を走る。
後を追うのは、クラウスと希。
「無事に村に帰ったら隅々まで直してご褒美のオイルをあげるのです、だから頑張ってください撃墜王!」
再び撃墜王にバイクを積み込み運転席に座る希が、ハンドルを握る手に力を込め、撃墜王へ励ましの声を上げる。
それもそのはず、彼女が乗る撃墜王はすでに能力者一行から遅れつつあった。
すでに獅子の攻撃を幾度となく受け止めた車体は、スピードを上げれば上げるほど悲鳴を上げ、イヤな音を立てて車体を軋ませている。ともすればすぐにでも止まってしまうかもしれない――…そんな有り様なのだ。
だが、そんなバスのひび割れたフロントガラスの向こう。
不意に、ふわりと光り輝き飛翔する鳥の姿が映る。
陽の鳥――不死鳥の炎。
撃墜王の先を走るクラウスが呼び出した、亡き友の象徴ともいえる幻影。
美しきその幻は、まるで花びらのようにはらはらと、火の粉を翼から舞い散らせてバスのダメージを回復していく。
彼の意図に気付いた希が先をゆくクラウスへ手を振れば、小さく頷くクラウス。
バイクとバスは再びスピードをあげ、囮役たちへと接近する。
クラウスの暗視機能つきゴーグルが光る。
両腿でしかとタンクを挟み込み、スナイパーライフルを構える。
獅子の背中へ麻痺弾を撃ち込み、囮役へ襲い掛かる獅子への牽制として動きを阻害。
その攻撃をしたことにより緩むアクセル、引き離されれば氷の跳躍を使用。
獅子のすぐ近くにいたインビジブルと自分の位置を入れ替え、離された距離をカバーする。
的確にして堅実なその挙動は流石、能力者の中でもトップクラスの実力を持つ経験を積んだ者らしいと云えた。
だが、獅子とて、いいように引き回されているだけではなかった。
獅子の眼力――彼が持つ最後の能力が紐解かれる。
「本来ならば、存分に速さを競いたいところだが、すまぬな。いい加減宿主が焦れている」
獅子の眼が睨みつければ、その存在は動きを止める――!
「ぬぅ……」
突然の行動不能。
蜚廉は不意に止められた脚の制動に全力を注ぎ、自身と背に負うレイのため、バランスを取ることに専念せざるおえない。
さすれば獅子は猛然と蜚廉へ肉薄、背に負った偽ラセンドリル号へその爪を伸ばす――。
「でも、そうはさせないんだなこれが!」
「レイ!もう一度変身を!……あの老人の姿へ!」
横合いからのチャージ。
前輪をロック、跳ね上がった後輪を体の捻りで操作して、彩果の相棒が獅子の横っ面を張り倒す。
同時。
ボーアのカメラアイが光り輝く。
|ギブアンドテイク《マトリックスリローデッド》。
通信網構築――…リンク開始。
獅子及び周辺の車両情報を彩果に、仲間へと共有。
ボーアをサーバーとして通信リンクを接続すれば、能力者たちの命中率と反応速度が向上する。
そして|死なば諸共、一蓮托生《オールイン・フォールアウト》。
「地獄の沙汰もなんとやら。さあ、乗って?可愛いおじいちゃん!」
「は、はい!」
「往生際の悪い……!」
「|じーさん!?《なに!?》」
ひとつ、首を振り再び疾走を始める獅子。
しかし、その目にもはや偽ラセンドリル号は映らない。
代わりに彼の目に映るのはそう、サイドカーへ一人の老人を乗せた一台のバイク、その姿。
「じーさん!じーさんだ!!俺だよじーさん!どこいくんだよ!」
獅子がこれまで以上に速度を上げて走る。
『なんと先の一瞬、よもやこの俺の意識を押しのけて、表に出て来るとは……ふ、たかが畜生と思っていたが、さすがは俺を宿すだけの魂を持つ存在ということか……』
英雄――アキレウスがそんなことを思ったかどうかは判らない。
だが、先の叫び。
明らかに英雄のものではない声は、能力者たちの耳にも届いていた。
「こりゃ、幸先がいいや!迷子の子猫ちゃんに先行して美味そうにケツを振ってやれよ!」
「はいよ!さぁさぁ子猫ちゃん手のなる方に!……もうちょっとだけだから、御免ね」
背後から聞こえる悲しげな声に、思わず眉を顰める彩果は、しかしそれでもアクセルを全開。
囮役としてその力を存分に振るう。
ヴィーグル・ライダー。
そう。速さ。
それこそが彼女たちの武器だ。
「|お前《彩果》の手の回らないところはこっちで補う!いいか彩果!コーナリングは3つのKだ!気合!気合!気合!それでAllRight!!」
「へいへい、気合ね気合」
言葉はぞんざいに行動は濃厚に。
獅子を相手に、彼らはあえて近づき、追い抜き、誘い、煽り、挑発する。
背後からの攻撃をリンクしたボーアのセンサー越しに察知。
スラロームして尻尾を避け、爪をジャンプで躱し、逆ウイリーで牙へカウンターのタイヤアタック。
ただしそう、あくまで美味しそうに。
速さに命を賭ける――嗚呼、その悦楽やいかに。
一歩違えれば刹那に地獄の釜、その蓋が開くだろう。
しかし彼らは付かず離れず、生死のエッジ、そのギリギリを攻めていく。
「ハハハハハハ!良いぞ!良い夜だ!これほどの勝負、かつての戦いそのどれをもっても味わえなかったぞ!」
神代の時代に生きた獅子が月下に嗤い、愛ゆえに強く輝く小さな猫の魂が叫ぶ。
彼らの運命が交わるcrossroad、事故現場はもうすぐ目の前。
速さに全てを掛ける孤高の魂へ、最大限の|”R”《respect》を捧げつつ――。
ところでボーアさん、その台詞は死亡フラグって奴では?
「さて、自分のデータにはありませんね?」
●The old man and the cat
それは青天の霹靂とでもいうべき悲劇だった。
「くそっ……ブレーキが、ブレーキが効かない……!?」
何度キックしてもペダルはすかすかと空を切るばかり。
「もうダメか……!」
目の前に迫るカーブ、このスピードではとても曲がり切れない。
いや、ともすればあの壁をも突き破って――。
思わずぞっとする。
目の前が暗くなり、背筋が寒くなる。
もはやこれまで。
その瞬間に備え頭を抱えそうになって――…三橋・大志は、その声で我に返った。
にゃあ。
長い長い刹那。
助手席へ目をやる。
いつも車に乗ると、太郎はペットキャリーから出たがった。
いつもおとなしく、助手席で丸くなっていたから、その日もなんの躊躇いもなくそうしていた。
ああ、せめて。
せめて太郎だけでも――!
窓を開いて。
ああ、けれど。
記憶は。
そこで。
途切れていて。
暗転直下――舞台は転がる。
そこはまるで、灰色の谷のようだった。
そそり立つ巨大なコンクリートの柱たちは尖った岩山で、山の底に眠る此処は谷間に沈む墓地。
当然、夜中の今現在、墓地には人っ子一人おらず、視界の端で蠢くのは深海魚の如きインビジブルのみ。
そして、墓地には幽霊の一人も居るのがお決まりだった。
「……誰だい?」
「別に驚く必要はないさ。アンタがさっき会ったお嬢ちゃんの同僚、みたいなモンだ」
久瀬・千影(退魔士・h04810)は静かに応えた。
「お嬢ちゃん……」
だが、千影の発言に対する老人の反応は朧げだった。
うつろなその瞳は、彼を見ながらもどこか違うものを見ているよう。
とはいえそれは、千影がこれまでに出会った霊体の常と変わらぬもので、さして彼は驚かなかった。
そも、肉体を持たない状態で意識が存在するとは本来有り得べからざること。
全てのことは段々と、曖昧になっていく。
そうして、強い強い感情だけが剥き出しになっていく。
剥き出しになった感情は剥がれた生皮奥の肉のようで、鋭敏になった痛覚はいつしか彼と、周囲を傷つけていく。
ゆえに、その前に何とかしなければならない。
「ああ、良いんだ良いんだ。細かいことなんて忘れちまうよな……でも太郎のことは、憶えてるだろ?」
「たろう……ああ、そうだ太郎!太郎を探してるんだよ、君は太郎を知っているのかい?」
潮風に散らされた群雲が、ましろい月を切り取るようにまばらに隠す。
陰陽別れて地にあるものは、影と光に塗り分けられ。
月影に黒く染められるのは彼のいびつなシルエット。
彼の言葉に少しの影を潜めた笑みが、月光に白く浮かび上がる|少年《千影》の頬に形作られる。
声も無く少年は愛刀を手にし――…鞘ごと腰から抜き取る。
片膝を立ててしゃがみ込み、自身の眼前にそれを立てれば、すう、と刃を少し引き抜いて――あえて音を立ててそれを収める。
甲高い金属の音が潮騒に混ざる。
|金打《きんちょう》――。
それは古き武士の誓いの儀式。
この約束は必ず守るという意味の――だが、年若い彼がその所作を知っていたのか、それは判らない。
――…キン……!
音の刃が、影を断つ。
黄泉還り。
雲が散ってゆく。
晴れあがった夜空の下、月光に浮かび上がった老人の姿は、見る間に生前に変わらぬ姿へ。
かつての自分へと戻ってゆく。
それは、意識すら共に。
「これは……君は一体……!?」
「あんな不格好な様子じゃ、太郎に心配かけちまうぜ、じーさん」
それだけ云って、千影は踵を返す。
立ち入り禁止のフェンスの向こう、路肩に止まるカミカゼタクシーの行灯がハザードランプの赤に光る。
「ああ、君、頼む!太郎を探してくれないか、私の、私の大切な家族なんだ、もう一度だけ、もう一度だけでも会いたいんだ……!」
「ああ。任しときな」
少しだけ不器用な|少年《戦士》は、笑顔の代わりに背中で語る。
「――約束するぜ。直にアンタの家族に会わせるって」
●After the race, the mystery is solved
時間は、少しだけ巻き戻る。
「ふむ、賢いやつでは判りました!ヒロシ様の正体こそ、オーガラセン様の専属ドライバー、ハカセ様ですね!?」
「な、なぜそれををっ!!??」
黒後家蜘蛛・やつで(|畏き蜘蛛の仔《スペリアー・スパイダー》・h02043)の言葉に、ハカセことヒロシがあまりの驚きに飛びあがり、二回転半ひねりをキメて華麗に着地した。
互いの間に走る緊張感。
なかなか……やりますね!
そちらも……!
オペレーション獅子落とし開始前の辰巳PA。
合流を果たしたやつでとヒロシの初対面である。
「……お取込み中すまん、ちょっといいか?」
そんな二人の横へ、出発前のボーア(バイク)と彩果がやって来る。
「出発前に一つだけ云っておく。ヒロシ、何悩んでるか知らねぇが……残るも進むも自由だが、決着はつけろ、ごま塩程度に覚えておけ」
「|このポンコツ《ボーア》と似た事言うけどサ。ヒトって言える時、やれる時に何も出来なかったら後悔するよ?」
言葉は何気なく呟くように。
しかし、その瞳には刺すような強さを秘めて、彩果が告げる。
一瞬脳裏をよぎるのは、死に別れた家族の事。
ぽんぽん、と彼女の手がヒロシの肩を叩く。
「さぁて……がんばりますかあ。――…じゃ、お先」
うーん、と一つ伸びをして軽く頭を振れば。
――後は任せたよ。
やつでへ唇だけの伝言を残し、二人は|戦場《首都高》へ身を躍らせた。
スマホの電源をオン。
すでに事件の関係者とアドレスの交換はしてある。
同時音声通話をスピーカホン。
車内へと急を告げる情報が随時、飛び交い始めた。
「事態は一刻を争います」
場所はヒロシ――ハカセの運転するスポーツカーの後部座席。
行き先はもちろん、オーガラセンの下へ。
やつでは今回の事件、そのあらましを、推測を交えつつ、彼に伝え始める。
二週間前、首都高から落下した三橋大志の死亡事故。
彼といっしょにいたペットキャリーの中の誰か。
「やつでたちは、それが首都高を騒がす獅子の正体ではないかと考えています」
しかし、いまだ情報は足りていない。
「ハカセ様。二週間前、ラセンドリル号と、おそらくは三橋大志様のものと思われる一般車との|競争《バトル》が目撃されていたとの情報をお聞きしました。……欠けたピースをあなたが持っているのではないかと、やつでは考えています。……お話して、下さいますか?」
「このままじゃオーガラセンさんが危ないのです、助けてください!お願いです!お願いなのです!」
やつでに続き、スマホのスピーカーからヒロシの耳に届くのは希という少女の声。
縁あってノゾミラセンとなった彼女はすでに、オーガラセンのオヤビンの下、事件解決のため必死に戦っているという。
「……情けない。自分は、自分は情けないです。いくらあなた達がヒーローとはいえ、まだ会って間もない人たちがこんなに必死になってくれているというのに、スタッフである自分は逃げてばかりで……!」
血がにじむほどに噛み締めた唇をやっと開放し、絞り出すようにハカセは云った。
良かった、と思う。
万が一逃げたり拒否する様子があれば、クモ糸で捕まえて現場に運ぶつもりであったのだ。
「やつでたちの、ひいてはオーガラセン様の力になっていただけますね?」
潤んだ瞳を眼鏡の奥に隠して、彼は一つだけ、しかし大きく頷く。
「あの晩、自分は夜のパトロールのあと、クルマを預かって転がしていました……」
そして話し出した、二週間前のあの夜の出来事を。
最初は、普通に飛ばしているクルマだなと思ったのだという。
しかし、下りのカーブに差し掛かるポイントを前に、あのスピードは走り屋である自分でも危ないと感じた。
だから横目に運転席を伺えば、あれこれと車内を見回す、慌てた様子の老人の姿。
これはなんらかのアクシデントだ、と確信したのだという。
けれど。
「でも、でも自分はとてもヒーローのスタッフなんて云えないです……」
彼のステアリングを握る彼の手が、膝が濡れて行く。
大粒の涙が、それらを濡らし大きな染みを作っていく。
しかし今は運転中。
そこは仕事としてすらステアリングを握る彼、眼鏡をずらし歯を食いしばり視界を確保しながら続ける。
滲む視界に街のネオンが溶けていく。
何も出来なかった。
そう、ヒロシは云った。
並走しながらも、何も自分は出来なかったのだと。
車体を当てても良かった。
路肩に押し付けて、止めることも出来たと思う。
でも、もしも。
もしも自分が手出しをしたことで。
よりまずい状況になったらどうしよう――!
そう思うと、何も手出しは出来なくて。
ゆっくりとそっとペダルを踏む足から力は抜けて。
「自分は、自分は見殺しにしたんです。あのお爺さんを……!」
そうして、凄まじい轟音が響く湾岸を、そのまま彼は走り去ってしまったのだと。
「……そうだったのですね。そしてその並走しているところを見た方がきっと誤解をしたと」
そう、オーガラセンのクルマが、一般車と|戦闘《バトル》していたと、そんな噂を流れてしまったのだろう。
しかし、何せスピードが出ている高速道路の上のこと。
並走する車の異変に気付いたところで、猶予などあるものではない。
であれば、一般人が何も出来なくとも、それは責められるものではないだろう。
もちろん、彼の場合はヒーローのスタッフという肩書がある、その重みが余計に彼を苛んでいるのだろうが――…それを苦に、彼はオーガラセンのスタッフを辞めようとすらしていたと聞いている。
「確かに、後味が悪いかとやつでも思います。けれど、ハカセ様は走り屋で運転技術は高いとは思いますが、緊急事態に動けるかどうかはまた別のことかと。それは、スタッフを辞めなければならないほどのことなのですか?」
「……やつでさん、ヒーローポイントってご存知ですか?」
「いえ、ヒーローのことについてはまだ勉強不足で。それは?」
「ええ、ノンプロヒーローはヒーロー協会認定のヒーローポイントを10ポイント貯めれば、見事、プロヒーローになれるんです!ウチのオヤビン……オーガラセンは現在9ポイント、あと1ポイントでプロになれるところまで来ているんです」
「そうなのですか。それはすごいです、もうすぐ、本当のヒーローになれるのですね?」
「ええ……でも実は、なにか問題を起こすごとに課せられるアンチヒーローポイントというのもありまして……オヤビンはそっちも、現在9ポイントなんですよ……」
「え。……あ、あの、もしそのアンチヒーローポイントが10ポイント溜まると……?」
「ヒーロー教会を除名処分、今度一切ヒーロー活動は禁止されます」
「そ、それは……」
そういうことか、とやつでも察しはついた。
彼は、ヒーロースタッフとしての自分の勇気の無さはもとより、あの事件がオヤビンことオーガラセンに関係すると世間が騒ぐのを防ぎたかったのだろう。
自分がスタッフでなければ、オーガラセンは「彼はウチのスタッフではない」と云える、そうして無関係だと突っぱねることが出来る、そうすればヒーローを辞めずとも良いと。
「そういうことだったのですね……」
「はい。……でも、皆さんのお陰で踏ん切りがつきました、オヤビンに何もかも話して、今後のことを相談しようと思います……」
事故現場まではもう少し。
やつでは頷いて、夜景に視線を巡らせながら、得た情報をまとめようと、思考の海に一人泳ぎ始める。
と。
「てことで、自分はせいぜい、猫を助けることしかできなかった凡人なんですよ……」
「――…ん?」
その一言で。
思考の海に揺蕩っていたやつでの意識が、現実世界に引き戻される。
「ちょっと待って下さい?猫を助けた?それは何の話なのです?」
「え?ああ、ハイ。恐ろしくて、自分はそのまま走り去ってしまって……でも、どうにも気になったから、暫く経ったあとでぐるっと回って現場に戻ってみたんです。その時にはもう警察がバリケード張ってて、事故現場には近寄れませんでしたけど、それでも様子を見たくて、近くの非常駐車帯にクルマを止めたら――…そこに居たんです。ぐったりした猫が。首輪も無いから、野良猫だと思うんですが」
「それは、ひょっとして、白黒ブチの?」
「あ、よくご存じで。そうです白黒ブチの」
「え。あの……助けた、と云いますと?」
「はい。大した傷は無かったんですが、念のためにと、近くの動物病院に連れて行きました」
「……まだ、息はあると?」
「もちろんですよ。ただ、ずっと眠ってるみたいで。お医者さんの話によるとなにか強い衝撃でも受けたのか、意識が戻らないそうでして」
それは。
それは、つまり。
「……というかヒロシ様。さきほど、猫の幽霊についてお話してませんでした?」
「ああ、そうですね?彩果さんたちに話しましたよ」
そうして彼は、少し慌てた様子のやつでに少しきょとんとしながら。
「……でも、あの猫はまだ生きてますし、関係ないですよね?」
そうして最後の謎、その正体が彼らの前に姿を現す。
インビジブルなら交わせるはずの言葉。
けれど、|死者《インビジブル》でないなら、話せないのも道理。
生きながらに魂が肉体から抜け出ている状態。
幽体離脱。
――…この国では古くより、それを、生霊と呼んだ。
●鬼島・ラセン
物心ついた時には、もう親父は飲んだくれだった。
母親なんて、もう顔も憶えちゃいなかった、爺ちゃんの話によれば、俺を生んですぐ、親父に愛想つかして出て行ったらしい。
そんな親父も、ほどなくして姿を消す。そうして俺は爺ちゃんに育てられた。
爺ちゃんは古い工場をやっていて、そこの作業場が子供だった俺の遊び場だった。
ドリルが甲高い音を立てて、分厚い鉄板に穴を開ける。
爺ちゃんがそうするのを見るのが好きだった。
そうして俺は、いつしか自分に宿った不思議な力に気付いた。
念動力、どうやらその力はそう云う名を付けられたものだった。
ヒーローみたい!
友達のその言葉に、俺は心が浮き立つのを感じた。
そうしてその力を磨いて行ったんだ。
やつでの目の前。
オーガラセンが、ハカセを抱きしめている。
「ありがとよ。ありがとよハカセ」
「オヤビン」
その後ろで、ヤスもまた鼻をすする。
「ありがとよ、ハカセ。そしてごめんな?俺がヘマばっかやってるせいで、お前に余計な苦労背負わせちまった」
ハカセの両肩へ、手を置いて。
「警察へ行こう」
仮面のヒーローはそう云った。
「大丈夫。お前は通報義務を怠っただけだ。そうおとがめがあるもんじゃねぇよ」
「でも!」
「そうですよオヤビン!そうしたらプロヒーローへの道が!」
「そこのお嬢ちゃん!行くんだろ?送ってくぜ」
「……警察は宜しいのですか?」
「あんたたちの戦いを見届けてからでも遅くねぇだろ?ハカセ――…運転頼むぜ?」
「は、はい!オヤビン!」
自分のクルマを路肩に止めると、ハカセはラセンドリル号をイグニッション。
鬼のクルマに魂が戻る。
「それにこの首都高の封鎖は、俺と獅子の戦いのためってことになってんだ。それも併せて、話ししねぇといけねぇ。なら、結末はきっちり見とかないとな」
「……ヒーローって、大変そうですね」
あえて厄介事を抱え込もうという彼の意思が見えて、思わずやつでの言葉に呆れるような色が覗く。
すれば、オーガラセンは小さく吹き出して。
「多分、アンタらほどじゃねーよ」
そう云った。
●Dropping the lion into the valley
事故現場へと到達した獅子と、囮役たち。
作戦は順調、しかし此処に来て事件は新たな展開を見せていた。
「……どうした、逃げるのはもうおしまいか?ならば我が真の力、そろそろ見せてやろう!」
そう叫ぶや、獅子は姿を変える。
トラックほどもあった巨大な体躯がみるみる小さくなり、しかしてその力は凝縮され、体を覆っていた黄金のオーラは一層、その輝きを増す。
獅子の頭飾りを胸に持つ、黄金の全身鎧を纏った長身の男。
神々しいまでの超越者としてのオーラ。
「シデレウス……!」
バイクを止め、しかし油断なくライフルを照準づけるクラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)が呟く。
「いかにも」
鋭い視線の英雄は、いよいよその本性を剥き出しにする。
「お前達を戦士と認め、我も名を名乗るとしよう。我が名はアキレウス。シデレウス怪人、アキレウス・レオである!」
叫ぶが早いか、アキレウス・レオはその拳にオーラを纏い、稲妻の如き速さで囮役へと襲い掛かる。
此処に来ての敵の様子の変化――…そしてそのためか、すっかりと彼の宿主である猫の声も聞こえなくなっている。
果たしてこの先どうなるものか。上手くいくかはわからない。
きっと、普通に倒してしまう方がきっと楽ではあるんだろう。
それでも、あの悲痛な声を聞いてしまったからにはやれるだけのことをやりたい。
そんな思いが、彼の中にある。
そして、果たして自分には、奇跡を信じるような『希望』は欠落している、それはもうどうしようないほどに自覚している。
けれど……仲間がこれだけ同じ目的に向けて動いているのだ。
「協力しないなんて選択肢、俺には無いな」
飛び込んで来るアキレウス・レオ。
ほぼ見えないその動き。
直感でクラウスは|氷の跳躍《フリーズリープ》使用。
移動することで攻撃を避け、アキレウス・レオの背後からすかさず麻痺弾を発射する。
アキレウス・レオとの戦いは続く。
英雄は黄金色の残光を引いて事故現場、そのカーブ付近を縦横無尽。
時に接近、その拳を叩き込み、また離れていると息を付けば、すかさず獅子の咆哮を衝撃波として撃ち込んで来る。
「より一層速さが……!?」
「ああ、増してるな」
「流石、カードに封じられた存在とはいえ、英雄というわけか」
かろうじて|武器《バイク》で攻撃を受け止める彩果。
その攻撃を右頬で受け止めるボーア。
人型を取り、いよいよ戦闘に備えた影の戦士、蜚廉。
そして本来の姿に戻ったレイ。
囮役の四人、さらにクラウスの手練れ五人を相手にして、しかしアキレウスは遜色なし。
攻撃は時に受け止め、時に避け、時には無視してカウンター。
ここまでの超高速走行、綱渡りのような精神の集中を経て、さすがに疲れも見える能力者たちへ的確にダメージを重ねていく。
しかし、能力者たちはなんとかアキレウス・レオをその場にとどめ、事故現場のカーブという結界から獅子を逃がさない。
そんな彼らの背後に、一台のバスが止まる。
「みなさん!もう少しだけ!もう少しだけ頑張って下さい!」
バスを止めた椿之原・希(慈雨の娘・h00248)は慌ただしく運転席の窓を開き、視界を確保。
運転席から「しずく」と「あられ」を取り外すと狙撃の準備に入る。
そう、彼女の役割はかの獅子――アキレウス・レオの纏う無敵のオーラ、その唯一の弱点である踵を狙い撃つこと。
「まつご|《戦闘補助AI》、まつご|《戦闘補助AI》、獅子の動きをシュミレートして踵の位置を割り出してください。踵を狙い撃ちます」
「警告、動体の指定部位狙撃の為規定範囲以上の計算領域を使用します。続行すると使用者の脳に負荷がかかります」
まつごから警告アナウンスが流れる。
希はぐっと唇を噛み締めて。
「いいのです、続行してください」
そう云って、獅子の姿ですらなくなってしまったアキレウス――その胸に眠るだろう太郎を、透かすように見つめた。
|視界共有強制同期《レーザー射撃》。
|演算能力オーバークロック《捨て身の一撃》。
|処理速度オーバークロック《弾道計算》。
「ーっ!」
つうっと、大きな瞳から血の涙がにじみ、柔かな頬を落ちてゆく。
そうして口に広がる血の味に眉をしかめながら。
一射目――…!
――外れ。
速い……!
極彩色の視界の中、希が臍を噛む。
血を呑む覚悟の少女の気迫、しかして確率の悪魔はダイスの裏でほくそ笑む。
「もっとです!もっと演算速度を上げて下さい、動きに追い付けてません!」
叫ぶ希。
まつごが、より強い強制同期のため、脳へと一層深く、生体端末を侵入させ始める――。
「ほう?我が弱点を見抜いたか、だが、それならば!」
アキレウス・レオが跳躍。四人の頭上を越え、凄まじい速度でバスへと走りくる。
追いすがる四人。
立ちはだかるクラウス――いや、そうしようとしたクラウスへ呼びかける声がある。
「……ライト……くれ!」
その声は、上から。
首都高速。
その車線は時に大きく曲がり、前後に左右に入り交ざるジャンクションを形成する。
彼らがいる湾岸線、その反対車線。
上に位置しているその車線に見えるのは。
KAMIKAZEタクシーの行灯。
その屋根に乗り、充分な助走を得た千影が高速道路から飛び降りる。
少年は、夜風を切って飛来する。
「ヘッドライトで大きく獅子を照らしてくれ!」
その声は夜風に乗って、また互いの端末を通して仲間の耳に届いた。
彩果が、ボーアが、クラウスが。
「オーガラセン様!ハカセ様!あの男を照らして下さい!」
「お、おお!?わ、判った!ハカセ!」
「あい、オヤビン!」
そして千影とほぼ同時。
この場へ辿り着いたやつでと、オーガラセンたちがライトをハイビームにする。
バスの前、希の盾となるべく蜚廉とレイが立ち塞がる。
「影切!!」
そうして長く伸びたアキレウス・レオの影を。
千影の無銘が音も無く切り裂いていく。
居合、影切。
獅子の影を切断すれば縫い止められ、その動きは止まる――。
「へへ、どうやら間に合ったようだな」
「小僧……!」
撃墜王の運転席へと辿り着いたやつでが、希の傍へと駆け寄り。
「希様!」
「希!」
「希ちゃん!」
「頼む」
「お願い!」
「出来るよ」
「信じるぜ」
――そして彼女は”手をつなぐ”。
自身と信頼する武器たちとの繋がり、それとはまた違う何かが。
重なったてのひらから伝わる。
まばたきを、一つ。
今、赤い視界はクリアになる――…!
「命中を確認しました」
脳内への端末侵入をキャンセルしたまつご、がそう発声した。
「ぐああああああああああああ!!」
英雄の右足、その踵を見事にレインのレーザービームが撃ち抜く。
先ほどまでの余裕の表情はもはや彼にはない。
苦痛に歪んだアキレウス・レオへ、さらなる攻撃が連なる。
オーラはいまだ健在。
しかし、その体躯は獅子の時より、よほど移動させやすいというもの。
「全員必死なんだ、俺が先に音を上げてへばるワケに行くかよ……!」
千影の蹴りが、怪人の胸を突く。
毎回のことながら、幽霊の頼み事ってのには頭を抱えちまう。
もともと器用な方じゃねぇ、一介の√能力者の手に余るような話もある。
けど、あんな悲しい声で猫の名を呼ぶなら――…手を貸してやりたい、なんて思っちまうんだ。
ノックバック、補修中のカーブ、その前に作られたバリケードへ怪人が突っこむ。
「さあ、こっちに気合って言うんだから、|ボーア《ポンコツ》も覚悟しなよ!」
「……臨むところよ!」
彩果のバイクがアキレウス・レオにチャージ。
アクセル全開!
ウイリーの要領で前輪が高々と差し上げられれば、怪人の体もまた、大きく吹き飛ぶ。
へしゃげたのは前輪の雨よけ、ボーアの顔パーツは無事だろうか。
「大丈夫。終わったらちゃんと元に戻します、ってね?」
続けてカーブの防音壁を走り登り、空中の敵へとバイクがぶつかってゆく。
クラウスだ。
「ダメ押しだ……!」
さすればもろとも、高架から落ちてゆく。
「クラウス!」
叫ぶ仲間たち。
しかしクラウスは落ち着いた様子で軽く手をあげ「大丈夫」と声を上げる。
「ほう、自分もろとも、決死の覚悟というわけか?」
「そんなんじゃないさ」
……正直、俺は怪人が消えるかどうかはそこまで重要視していない。
ただ。
「俺は、離れてしまった彼らが再会してほしいと思うだけなんだ」
「……そうか」
そんな言葉を交わしながら、怪人とクラウスは重力の鎖に囚われ、落ちてゆく。
ジェットパックを起動。
凱歌のように夜空に響いたのは高らかなエンジン音。
そして緩やかに落下するクラウスの眼下。
笑みを浮かべた怪人は、再びその姿を変えようとしていた。
●raining cats and dogs
親方、空から猫が!
そんな冗談は、このシーンには似つかわしくはない。
高架から落ちゆく英雄は、みるみるその姿を変えていく。
人影が、再びの獅子となり。
そうして獅子の姿もまた、夜風に解けて。
光の粒子となって解けてゆく。
「ふふ、こたびの現界はこれまでか……おい、そこの、なかなか楽しかったぞ」
「……それはどうも」
「久々に限界まで走った。お相手、感謝する」
クラウスが淡泊に応えれば、高架の柱を六肢で降りゆく蜚廉もまた英雄へ答える。
その言葉を聞くと、英雄はふっと笑って。
「――こたびの戦い、お前達とかの宿主の、勝ちだ」
英雄と星を冠する獅子は、静かに呟いて星空へと帰ってゆく。
そう、黄金の獅子はここに退治された。
その脅威は永遠に去ったのだ。
落ちてゆくのはもはや獅子でも英雄でもない。
ただ一つの、千切れた首輪。
海風に煽られながら、ひらり、ひらりと落ちてゆく。
ふと見れば、他の能力者たちもまた、やつでの蜘蛛の糸で。
また相棒に跨ったままに義経の逆落としよろしく、獅子のあとを追って高速道路から降りてきている。
当然だろう。誰もが、彼らの結末をその目で見たいのだ。
そのために、全員が死力を振り絞ったのだ。
そうして灰色の谷の底へ――…猫は降り立つ。
ぼんやりと光る半透明のその体。
胸のあたりに、二枚のカードがくるくると回る千切れた首輪を抱いて、彼は走る。
巨大な墓標の山を抜けて、谷を越えて。
愛しい愛しい、家族の腕の中へ。
「じーさん……じーさん!じーさん!!」
「太郎……おお、おお。……太郎!太郎!!」
そうしてやっと。
高速道路の高架上と下に分かたれていた飼い主と猫は、やっと再会する。
――その指先が、柔かな毛並みに。
触れる――瞬間。
――…ガォン!!
V型12気筒エンジンが静寂をかき乱し、魂を切り裂く颶風となって吹き荒れる。
「――…どうやらこれまでのようだ」
「じーさ……んッ……!!」
「太郎!?……太郎!?」
シルバーのカウンタック――雄牛が、その咆哮と共に陳腐な人情劇を握りつぶす。
小さな猫の魂を、そうするように。
「最早手段を選んでいる場合ではないのでな、早々にカードは回収させて貰うぞ」
ガキョン、ガキョンと音を立てて、カウンタックが姿を変えていく。
ゾーク12神、ドロッサス・タウラス、ここに顕現――。
第3章 ボス戦 『『ドロッサス・タウラス』』

●The End of a Dream
夢を、見ていた。
じーさんと逸れて。
一人ぼっちになって。
ずっとずっと、走り続ける、夢。
自分の体が思い通りにならなくて。
いつしか足は重くなって、息は切れて。
走っても、走っても。
どれだけ走っても。
じーさんと、会えなくて。
やっと会えたと思ったのに、あの手に、触れなくて。
「|にゃあー…《じーさん…》」
「あら、また……ねえ、先生。この子、鳴くんです。眠りながら、泣いているんです」
「能力者諸君、お疲れ様であった。こたびの事件、見事キミたちにしてやられたな」
そう云って、鷹揚にドロッサス・タウラスは両手を開く。
銀と金に彩られた巨大な体。
二本足で立つその体長は、推定3メートルにもなろうか。
灰色の谷に降り立つその姿は、まさに深夜の墓所に降り立った死神のよう。
「諸君らにお手を煩わせてしまったのは申し訳なかった。これまでの戦いで、諸君らの実力はすでに我も知り及んでいる」
ズシン、ズシン。
口元へ人差し指を立て、大きな足音を立てて歩き回る。
「太郎!ああ、お願いです、お願いします、どうか!どうか太郎を返してくれ!」
ちなみに、そんな彼からそう遠くないところから、生前の意識を取り戻した三橋・大志老人の魂が必死に太郎を返してくれ、と叫び続けているが――おそらく、タウラスも能力者の力こそ認めたものの、他の人間ごときは木端の如きものなのだろう、どこ吹く風で完全に無視している。
いかにも紳士的な口調、もとはゾディアック――星の力を人間ごときに分け与える星界の神に疑問を呈し、反発を覚えていた彼だが、能力者の有能性を知ったのち、人間を見下し、舐め切った態度は鳴りを潜めたという。
「しかしながら、こたびの戦いはこれにて終了、幕引きと行こう。我はカードを回収したのち、さらなる完璧な作戦を実行しよう。また正々堂々、互いの勇を競い合おうではないか」
そういうと、彼は再び変形を開始。
シルバーのランボルギーニカウンタックは、そのコックピットに千切れた首輪と、それに宿るカード。
「じーさん!じーさん!……じーさん!」
そして、彼にとってはもはやどうでもいい、ただほんの少しばかり騒がしい名もなき猫の魂を閉じ込めて、エンジン音も高らかに、立ち去ろうとする。
「待て!ドロッサス・タウラス!」
だが、無論、能力者たちもむざむざと逃がすつもりはない。
即座にその周囲へと展開し、また、この場から出られそうなポイントへと散開、それを押さえる。
確かに獅子は倒した、これによって、湾岸の事件は解決されたと云えるかもしれない。
そして、ここでタウラスを倒したところで、彼もまた12神をすら名乗る能力者。
幾多ある世界のどこかで、再び復活するだけのことだろう。
だがそうして解決されるのは、事件の表立っての部分だけのこと。
そもそもこの場に。
その表立っての部分だけを重んじて集った者など、恐らくただの誰一人として居はしない――!
「……ふむ?」
心底不思議そうな気配に満ちて、タウラスが再び人形形態を取る。
首輪に宿る猫の魂は、生霊の形を取ったまま、巨大な左手に握られている。
「――ああ、そうか」
ぞっとするほどに、無機質な声が夜風に響いた。
「この猫の魂に拘っているな?キミたちは。いかんな?戦士たるもの、戦場に情など持ち込んでは判断を狂わせることになる」
ならば。
ぐしゃり。
――勿論、能力者たちの反応は早かった。
しかし、それでも彼の指の僅かな動きにすら追い付けるほどには及ばなくて。
千切れた首輪は。
彼と、現世を繋いでいたたった一つの絆は。
散り散りの微塵と化してコンクリートへ降りそそぐ。
そうして雄牛の神は煌めくカードを己が胸のパーツ内へ収めて。
哀れ、ちっぽけな猫の魂は、微かな瞬きを残して消えていく――その行き先は、果たして?
「じー…さ………!」
「あ。ああ……た……太郎……太郎っ!?」
「この魂は、これより我との闘いを望むという君たちの枷となってしまう。それはキミたちにとっても猫にとっても哀れなることだ――こうするのが正解であろうよ」
判りあえない。
ともすれば、この世界のすべての不幸の元凶は、その一言に尽きるのかもしれない。
「さて、それではやりあおうか。なに――礼にはおよばん」
そうして機械の魂持つ獣神は、夜の谷間に歯を剥く。
「ゾーグ12神、ドロッサス・タウラス――参る!!」