シナリオ

白雪に融けゆくフェアリーテール

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● 雪の歌う森のダンジョン

 はらり、はらりと雪が舞う。
 全ての音を吸い取って、真白い情景が浮かび上がる。
 寒くて、冷たくて、とても静か。
 美しき冬の情景は、生きる者が触れられない死の世界。
 どれほどに憧れようとも。
 どれほどに近付こうとも。
 それはまるで夢のように遠い、雪に飲まれた場所。
 事実、ひどくリアリティが薄い場所だった。
 突如として現れた雪に塗れた森林。
 いいや、その奥底から雪を吹かせる――ダンジョン。
 何者かが√ドラゴンファンタジーより持ち出した、天上界の遺産が純白の美で現実を凍て付かせ、呑み込んでいく。

 はらり、はらりと雪が舞う。
 あらゆる命を蝕み、覆い尽くす白が子守歌を奏でる。
 もう誰も目覚めることのない。
 冷たくて、静かで、美しいフェアリーテイルの子守歌を。



● 星読みの予言


 そう、それは在る筈もない雪原の幻想。
 √EDENの街の外れに、突如として現れた氷雪と森の迷宮。
 誰かが天上界の遺産をこの世界に、この場所にと持ち込んだのだ。
 周囲は雪と不可思議、神秘と死に覆われた迷宮と化している。
「放置すれば、とても大きな被害が出てしまうでしょう」
 柔らかく瞬きを見せたのは、星詠みたる弓槻・結希。
「まだ早い吹雪は勿論の事、√ドラゴンファンタジーの迷宮は恐ろしいものです。ただ、近付くだけてヒトをモンスターへと化してしまう」
 不思議な雪だ。
 どうしてこんなことが。
 そう思って人々が近付くだけで、モンスター化という被害が出てしまう。
 吹雪が街を凍て付かせるより早く、ダンジョンはあらゆる生きる存在をモンスターへという眷属へと変えてしまうのだ。
「だからこそ一刻も早く、ダンジョンを攻略し、無害化しなければなりません」
 穏やかな眸で見つめる弓槻が、信頼を募らせた視線を向ける。
 あなた達ならきっと出来る筈。
 誰も傷つき、喪われることはなく。
 この突然の吹雪は、ただ美しく過ぎ去る夢のようなものへと。
「まるで白雪の|童話《フェアリーテイル》のように、いずれ忘れる物語としましょう」
 ただ美しかったと。
 そんな記憶と感情を忘れず、微笑みと共に語れるように。
「ダンジョンの深部へは、寒さと雪がひどくなっていく方へと歩けば辿り着ける筈です」
 ダンジョンの深部、『核』となった√ドラゴンファンタジーの強大なモンスターさえ倒せばこのダンジョンという脅威は自然に崩壊していく。
 途中では鳥や獣がモンスター化したモノが立ちはだかるだろう。
 或いは、この事件の元凶である天上界の遺産を悪意あって持ち込んだ邪悪な√能力者とて、まだこの氷雪の森にいる筈だ。
「つまりは速やかにダンジョンを無害とするのか、それとも元凶の存在を探して討つのか」
 ふるりと首を振るい、どちらにするかはお任せしますと弓槻は囁く。
「雪は冷たいものです。でも、美しい記憶として残りたいですからね。例え、この√EDENは優しい忘却に守られているとしても」
 全てを解決しても、忘れることで平穏の保たれる世界。
 けれど、確かにあなた達は誰かを助ける。
 助けられた人々が、あなた達のことを忘れてしまっても。

――白雪のように溶けて消える、フェアリーテールをさあ、はじめましょう。



● ダンジョン深部、氷雪に囚われた騎士


 ああ、かの騎士はあの剣の為に。
 この|英雄譚《フェアリーテール》はもう誰も覚えていない。
 彼は安らぎをもたらしたかった。
 優しさを、希望を、つまりは胸の奥の温もりを求めていた。
 自らの胸の裡だけではなく、暖かな光を色んな人々に届けたかった。
 無辜の民の微笑む姿こそ美しく、夢に瞳を煌めかせるのはさながら星々のよう。
 彼の幸せだった。誇りだった。かつての全てだった。
 だが、今はどうだろう。
 ソレは今や冷たき氷雪と死に囚われている。
 かつて世界を救う剣を求める、名高き英雄のひとりだったというのに。
 今や憐れな影に過ぎない。
 ダンジョンの核となってしまった、冒険と物語を遂げられなかった悲しき騎士。
「――誰か」
 冷たき雪と白き氷を伴いながら、彷徨う姿。
「……皆に救いの剣を」
 本当は彼に、終わりという救いをもたらすべきなのだろう。
 だが、誰も彼に触れられない。
 誰も彼に言葉をかけられない。
 雪風が吹き抜けるばかり。
 今は、ただ。
 今は、まだ。

 


 諸悪の元凶たる者の悪意ある嗤いが、白き静寂に響くばかり。

 

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第1章 冒険 『モンスターの呪い』


矢神・霊菜

 さくり、さくりと白雪を踏みしめる。
 その足音は、まるで氷雪の災いより救う噺を語るかのよう。
 冷たく、静かに。
 冬の色彩を渡る矢神・霊菜(氷華・h00124)の姿と共に、ダンジョンの奥へと向かっていく。
「――――」
 ふと、吐息が零れた。
 本来であれば、霊菜もひどい寒さに身を震わせているかもしれない。
 だが、霊菜は二体一対の神霊である氷翼漣璃を伴うからこそ寒さには耐性があり、この程度なら問題はない。
 青いの双眸をゆるりと細めて、周囲を見渡す。
「氷雪ねぇ……」
 眩い程の白銀の世界。
 これがダンジョンという脅威でなければ、素直に美しいと思えたのだろう。
 足を止めて、綺麗な雪へと触れたかもしれない。
 だが、これは災厄なのだ。
 ヒトを化け物へと変えてしまう、天上界からもたらされたダンジョン。
「流石にダンジョンはいただけないわ」
 あらゆるヒトを変貌させてしまう。
 常人には抗う術はない。無慈悲な災害でしかないのだ。
「…………」
 多くを語らない霊菜が思うのは何だろうか。
 救いたいということなのか。
 守りたいという気持ちなのだろうか。
 それとも、諸悪を許さないという正義の心か。
 冒険者として幸せも不幸も多くを見て来たからこそ、心の奥底で揺れる感情。
 その全てを表すことはなくとも……。
「ダンジョンは止める」
 冷たい風が吹けば、長い金色の髪がさらりと流れる。
「できればコレを持ち込んだ奴も見つけたいところだけど……」
 周囲を眺めて、耳を澄ます。
 だが何かを見つけることはまだ出来ない。
 冷たい雪風が霊菜へと吹き付けるだけ。
「そっちはまぁ、余力があればといったところかしら?」 
 頬を撫でる風に混じる雪の欠片に、霊菜は眼を細めた。
 もしも、これがあらゆるヒトの脅威でなければ。
 ダンジョンという災いが広げたものでなければ、優しい雪色の世界として触れ合えたのだろう。
「とりあえず」
 今、この周囲にモンスターはいない。
 なら、せめてこの白銀の風景を娘への土産話として届ける為に。
「少しだけ、この景色を楽しもうかしら」
 眩いほどの白銀の世界を。
 柔らかな雪の音と感触を。
 ただ冷たいものではなく、優しいものとして。
 霊菜は記憶のひとかけらとして留めるのだ。
 あらゆる思い出は、人生という旅路を飾るものだから。
 大切な家族へと話す時、この雪色の御伽噺にも意味は宿る。
 

 さくり、さくりと。
 雪を踏みしめる足音が、霊菜の旅路を詠う。

早乙女・伽羅

 大きな猫の耳が、ぴくりと動く。
 降り積もった白雪を払い落とし、静かな世界の音を拾う。
なんて静かな世界だろう。
 眩いほどの白銀の景色は、静けさと共に広がっている。
 さながら一幅の絵画。
 自然の産んだ芸術の姿。
 いいや、或いは天上界の残した秘宝の欠片。
 ひとの存在感を憶える事の出来ない、神秘と言える雪原だった。
「これは確かに、御伽噺のように美しい」
 雪の美しさを壊すことのないように、ひっそりと囁くのは早乙女・伽羅(「猫又」の画廊店主・h00414)だ。
 御伽噺のように美しい光景が見られると聞いて、このダンジョンに足を踏み入れた伽羅。
 猫又の人妖の貌には確かな表情は浮かばない。
 だが、金色の眸がゆらゆらと動く様をみれば、奥底では興味と好奇心が疼いているのを感じられるかもしれない。
 いいや、猫の表情なんてひとが知れるものではないけれど。
「……しかし、寒い」
 雪風に晒され、伽羅の長くて柔らかな毛並みは雪化粧を施されている。
 しっかりとマフラーを巻いて綿入れで防寒をしているが、寒さに弱い猫又の性質までは覆えない。
 白く色づいた息を吐いて、油断すれば凍り付きそうなヒゲを時折揺らして霜を払った。
 そんな寒さよりも、普段は触れられない白雪の美しさを堪能するように、伽羅はゆったりとした猫の足取りで雪の迷宮の中を見て、歩いて行く。
 伽羅の内心の無邪気な歓びは伺いしれない。
 猫の歩みは、足音も残さないほどに軽やかなのだから。
 芸術のような繊細で綺麗な白が何処までも広がっている。
 伽羅もまた、この美しい世界の一部となったのだと錯覚してしまうほどに。
「この美しい光景が災いになるとは――」
 これもダンジョン。
 ひとを蝕む、悪夢のようなもの。
 美しいからと触れることは出来ず、遠くから眺めたいと放置することも出来ない。
 忍び寄る寒さは、命のぬくもりを奪う。
「……いや、確かに災いだな。寒くて敵わん」
 ヒゲを動かして霜を払い、耳を動かして雪を落とし、伽羅は進み続ける。
 この雪の世界を純粋に美しいと眺められるものは、この強烈な寒さの外から傍観する者の特権なのだろう。
 いいや、生きる存在は雪の世界に触れることが出来ず、眺めるしかできないから――美しいと憧憬を抱くのか。
「少しばかり、考えすぎだろうか」
 寒さの厳しい冬特有の、この澄み渡る空気がそうさせるのか。
 伽羅とてこの冬の感触は嫌いではない。
 寒さは苦手でも、美しさは心に染み渡るから。
 けれど、けれど。
 これは――ひとの世界の姿ではないのだ。
「天上界から舞い降りた雪の華よ。誰かを傷つけて、その美しさを損なうことなかれ」
 じっ、と金色の双眸で空を眺めて伽羅は呟く。
 災いとなって、綺麗な姿を恐ろしいと言われないように。
 祈るように。
 願うように。
 愛おしい自然の芸術に思いを馳せるのだ。
 これから百年先も、人々が冬の美しさに微笑み続けて欲しいのだと。
「……先を急ごう」
 より雪が深く積もるダンジョンの深部へと伽羅は歩を進める。
 ふるりと身を震わせて、やはり寒さばかりはと呟きながら。


 はらり、はらりとその姿を雪が覆う。
 あなたもまた、この美しい世界のひとつなのだと囁くように。
 あなたの心もまた、美しいものなのだと。

御剣・刃

 はらり、はらりと雪が降りしきる。
 さながら空より真白き花が舞い散るように。
 触れれば冷たいものだけれど。
 遠い思い出を呼び覚ますように、音もなく地に生きる者にも届くのだ。
「雪か。懐かしいな」
 暖かな息をついて、瞼を落とすのは御剣・刃(真紅の荒獅子・h00524)。
 胸に眠る過去の記憶を思い返し、御剣はゆっくりと頬を緩めた。
 冬になって雪が降り積もれば、よく駆け回ったものだ。
 子供の元気は、寒さ程度では尽きない。
 何処までも走り回り、一面の雪景色の中で転がり回った。
 ふと気づけば、どうして始めたかも分からない雪合戦に興じて、衣服も髪も雪に塗れながらもたくさん笑った。
 楽しくて、楽しくて。
 終わりなんてないように思えて、寒さなんて忘れてしまって。
「ああ、懐かしいなぁ」
 そうやって遊び疲れた時に初めて寒さに気づいて、慌ててお風呂に入ったりもしたものだった。
 ほんとうにどうしようもない。
 他愛もないけれど、とても大切な幼き心の記憶。
 雪を見て、白いひとひらに触れれば思い出す。
 御剣が瞼を開いて、青い瞳で一面の冷たい銀世界を見ても消えたりはしない、暖かな過去。
 これが例え、死や災いを呼ぶ白銀の雪であっても、御剣の思いと記憶を覆い潰せはしない。
「……まぁ、此処にはそんな穏やかな思い出は望めないんだがな」
 誰も無邪気に遊んだり出来ない。
 思い出という足音を残す事も出来ない、悲しいほどの白。
 常人が触れれば化け物へと変わってしまう、恐ろしい雪の世界。
「……とりあえず、修行の一環だと思って、突き進むか」
 御剣は寒いのは苦手ではない。
 そして、この先に在るのは避けようのない戦い。
 誰かを救う為に雪路を進み、災いを払う為にと剣を振るうのみ。
 御剣が指先で触れるは獅子吠。代々、天武古砕流正統後継者に受け継がれた稀代の名刀は、抜かずともその刃金に宿る矜恃を思い起こさせる。

――この先に、強者がいるのだろう。

 戦うに値する、猛者の気配。
 御剣を前にして、吹雪如きでは隠せない。
「さて、どんな相手だろうか」
 強者との闘争を求め、熱く疼く鼓動を感じて、目を細めた。
 ダンジョンの中の雪の積もり具合や、吹雪の音などを参考にしながら、先へと進む御剣。
 より風の音が大きく響く方へと。
 より雪が深く積もっている方へと。
 まるで弱き存在を阻むような雪原へと御剣は足を踏み入れていく。
 吹雪も強くなる。
 氷雪混じりの風は視界を削り、先に進む意志さえ冷たくしていくかのよう。
 歩むべき路を奪うのだ。
 視野と思考を迷いの白で染めよとするのだ。
 けれど、御剣が止まることはない。
 厳しい寒さが血肉を蝕み、視界を削り取られてもなお、強き者の気配を感じながら注意深く、かつ堂々と進んでいく。
 雪に跡を刻む足が惑うことはない。
 ただ強く、強くと足跡を残し、前へ、前へと果敢に進み続ける。
「やれやれ。家に比べたらまだまだ寒さには余裕があるが、視界の悪さは少し勘弁願いたいね」
 少しばかりの余裕の笑みがこぼれた。
 御剣は求道者。
 戦うことを求め、修羅場を潜り、なお強さを求める。
 彼の独自の生死観と価値観を分かることはないだろう。
 この美しいばかりの雪の中では。
 だが、一度にと剣刃が煌めく中においては――。
 きっと、その心は燃える流星の如き彩を以て、彼の征く路を示す。

矢神・疾風

 風を裂き、雪を越えて走る姿。
 追い求めるものは、この吹雪のダンジョンの先にあるのだ。
 先を進む愛しきひとが為と、黒い双眸で白雪の彼方を突き進む。
「待っていてくれよ、ハニー」
 爽やかさと、愛の熱情を宿した矢神・疾風(風駆ける者・h00095)の姿だ。
 凍て付くような寒さにあっても、褪せることのない想いの熱量。
 吹雪に晒されても衰えることない。
 此処がダンジョン――恐ろしい災いと、モンスターの巣窟であることに、僅かにも怖れを抱かない。
 疾風の眼と心は、ただひとりを向くばかり。
 事件を聞いて突然にと飛び出した妻の元へと辿り着くべく、荒れ狂い始めた氷雪を踏み越えていく。
 疾風が出遅れたのは、冬物のコートを引っ張りだして来た為だ。
 決して寒さに強い訳でも、耐性がある訳でもない。
 それ相応の準備をとすれば、自然と時間がかかる。
 どれほど果敢であり、情熱的でろあとも疾風は冒険者。
 ダンジョンという災害を、甘く見たりなどしない。
 怖れることはないけれど。
 楽しげな微笑みを浮かべて突き進むけれど。
 あの氷華の愛した男なのだ。簡単に躓くような事などある筈がない。
 コートを翻し、白銀の景色を渡り、確実に目標へと迫っていく。
 追いかけている妻は勿論、この迷宮の核たるモノも当然。
 だが、この世界にダンジョンを持ち込んだ悪の√能力者を優先して探したい。
 元凶を叩いておかなければ、何度でもこんな事件を引き起こされるかもしれないのだ。
「その度にハニーが駆けだしてたら、大変だからな――ハニーの危険は、オレが払ってみせるさ」
 疾風の眼光が少しだけ鋭くなる。
 妻は勿論、愛しい娘とも、家族揃って過ごす。
 そんな暖かな思い出こそ、ひとつ、ひとつと残したいのかもしれない。
 ただ、ならやはり娘へと語る土産話も作りたかった。
「さて、ハニーと敵を探しつつ、オレも探索するか」
 妻の気配を感じたのか、ようやく歩調を緩めた疾風。
 周囲を見渡し、静寂と眩い程の白銀が埋め尽くす空間を眺めた。
「しっかし、本当に神秘的な場所だな~!」
 何と語るべきなのか。
 あらゆるヒトの気配。
 ヒトの生きる痕跡と、温もり。
 それらを排した、この雪の世界は確かに神秘的だった。
 現実感という感覚の色を埋め尽くし、まるで夢のように広がる美しさ。
 触れることは出来るだろうか。
 いいや、冷たすぎて、長く触れることもできない。
 それもまた儚い夢に思えて、疾風は小さく笑った。
「これがダンジョンじゃなかったら、恋人たちのデートスポットになったかもしれない、なんてな」
 恋人たちの願う、優しくて暖かくて、ずっと続く幸せな場所。
 そんなものはないのかもしれない。
 でも、求めてしまうのがヒトなのだ。
 もしも叶うのであれば――若い頃の妻と共に、こんな景色をもっと眺めたかった程に。
 だからこそ。
「この景色、娘にも見せたかったな~」
 雪は花と違って持ち帰ることもできない。
ならせめて、ふたりの娘にこの美しい白銀の世界を語ってみせたい。
 ただ世界は理不尽なだけではないよ。
 綺麗で、繊細で、全てを包み込むような優しさだってあるのだから。
――子供に詠う|童話《フェアリーテール》は、そんな柔らかかく心に届くものだから。
「この雪が、誰も傷つけないようにしないと、だな~」
 誰かの人生を、誰かの大切なものを奪わないように。
 疾風は少しだけ、祈るような気持ちを胸の奥に抱いた。


 応えるように、澄んだ風が吹き抜ける。
 柔らかな雪の音を乗せて、疾風を取り囲む。
 この優しい色は、触れることも、持ち帰ることも出来ないけれど。
 どうか、あなたの心と共に、大切なひとに語って欲しいのだと。


 冷たいだけではない、優しい雪華の唄を聞いた気がした。

月夜見・洸惺

 これは確かに、触れれば冷たい雪だけれど。
 夢のように広がる美しさも、全てを真白き色で覆い尽くすことも、けっして変わることのない真実。
 この裡であれば、どんな戯れだって許されるはず。
 人目を気にして出来ないこと。
 童心に帰って、雪と遊び続けること。
 ただ美しさに心奪われて、吐息を重ねていくことも。
 そして、自らの真の姿を顕わに――ただ、心のままに笑うことだって。

「わあっ」

 声はあまりにも純粋な少年のものだった。
 無垢で、無邪気で、まだ幼いとも言える声色。
「見渡す限り銀世界が広がっています……!」
 きらきらと眩いほどの雪の輝きたち。
 さながら雪原は白い夜空。そこに無数の星屑が咲いて広がるような光景に、月夜見・洸惺(北極星・h00065)はただ心のままにはしゃいでみせる。
「えへへ、人目もないみたいですし」
 だから、きっと大丈夫。
 咎める大人なんて、この銀色の童話の中ではありはしない。
 だからと『人化けの術』を解いて、洸惺が見せる姿はひとのそれではなかった。
 スレイプニル――八本の足と、悪魔の翼を持つ漆黒の天馬。
 人前では姿を誤魔化すしかない、獣妖の子供の本当の姿。もしも安易に人前で術を解けば、洸惺は母に怒られてしまう。
 けれど、ちょっとくらいなら。
 雪が優しく覆い隠す、この場所なら。
 まるで嘘をつき続けるようだと、姿を変え続けていた洸惺は感じていたのかもしれない。身も心も軽くなったように雪原を駆け始めていた。
「それに、きっと走り回っていれば暖かくなります!」
 ほんとうの八本の足で駆ける楽しさ。
 舞い降りたばかりの雪は柔らかく、さく、さくっと優しい音を立て、洸惺の沢山の蹄の跡を残していく。
 美しくて、優しい。
 神秘的な白銀の世界と、そこで駆けるスレイプニル。
 ああ、確かに夢のようだと、見る者によっては頬を笑みに緩めるだろう。
 緩やかな時間を、愛おしく過ぎ去る瞬間を。
 全てを包んで許す、この不思議な空間を愛おしく思いながら。
 けれど、これも幻想の領域にあるものなのだ。
 生きるものが触れれば、いずれは温もりと命を奪う冷たき死の情景なのだ。
「こんなにも綺麗な景色なのに……」
 洸惺が語る通り、これは夢のように美しい。
 だが、死を招くものだった。破滅を呼ぶ、綺麗な死神の庭だった。
 自分たちはその鎌刃を向けられていないだけで、抗う力のない人々からすれば、まるで悪夢のような、冷たさと白さ……。
「ずっと走り回っていたいところですが」
 青い眼で周囲を見渡し、洸惺はゆっくりと語る。
「……先を急がないと」
 名残惜しそうに。
 物悲しそうに。
 もしも、この雪たちが無害なものであれば、どれほど素敵だっただろうと。
 この童話めいた災いを、誰かが傷つけられるより早く終わらせるのだ。
 ただ、美しい景色と、優しい記憶だけを持ち帰られるように。
「ご心配なく。駆ける事は何よりも得意なんです」
 だから早く、早く。
 雪風より早くと、洸惺はより寒くなっている方へと駆け抜けていく。
心優しい少年の心を傷つけないように、雪と風はただその姿を包み込むだけ。
 より名残惜しさが募るけれど、さよならと囁くように、洸惺はひとつ嘶きを示してみせる。
 白い夜のような、雪の世界を。
 眩い銀色を輝かせる、星のような景色を。
 忘れることなく、けれど、溶けゆく物語とする為に。
「でも、忘れませんから」
 少しだけ大人びた声を出して、洸惺は雪たちに告げる。

「雪が融けて消えても。この不思議な空間が終わっても。どれほどの冬が来ても。……この日の事は、忘れません」
 だから路を示してと、雪風に詠う。

 ならと、寒さと静けさは増すけれど。
 吹雪は止まる。
 洸惺が走り抜ける道筋を、確かに白銀の輝きたちが彩っていた。
 

 さあ、この物語を駆け抜けよう。
 あなたの思い出のひとつとして、融けない雪をひとひら、胸の奥に飾って。

クレス・ギルバート

 どれほどに美しくとも、白雪は命の温もりを奪うもの。
 凍て付く景色は目を奪われるほどに幻想的だ。
 けれど、それは触れる事が出来ない故に抱く憧憬じみたもの。
 決して交わることのない、夢に向けて手を伸ばすようなことだから。
「……寒いな」
 外套に手袋、防寒対策はしっかりとしているのに、身に染みる寒さ。想像を超えて、この白雪には危ういものらしい。
 ふるりと身を震わせたのはクレス・ギルバート(晧霄・h01091)だ。
皚々たる白雪の髪は、ともすればこの雪原の色彩を溶け込むほど。
 眸は甘やかさと繊細さの混じる菫の色彩。周囲の景色から何かを見つけようと揺れている。
 佇めば雪花の儚さを思わせる、美しい少年だった。
艶やかな唇より零す吐息は凍える程に冷たく、雪と同じ色へと変わり、そして風景の中へと熔けてゆく。
 クレスの白い姿もまた、しばらく佇んでいれば雪の世界へと溶け込むのかもしれない。
 いいや、雪へと攫われてしまうもしれない。
 そんな儚さを感じさせながらも、確かにクレスは確かに歩み始める。
 視線を遣れば降り止まない雪に音はなく。
 全ての息づかいさえも、まるで覆い尽くして、潰してしまうかのよう。 
「……真白の世界でも、探せば花は咲いてんだけど」
 どんな冬であっても、花は咲く。
 そうはいってもまるで永久凍土。
 実際、椿が咲いているのを見たが、厳しい寒さの果てに氷に覆われている。
「此処じゃ到底無理だろうなぁ」
 これから先、蕾が花開くことはない。
 植物であっても、生きる事が赦されないのだ。
 命の巡り。それが完全に閉じてしまった、静寂の気配ばかりが満ちる。
 どれほどに美しくとも、クレスにはこの氷雪の情景を愛おしむことは出来ない。
 ただ静かに、静かに。
 微かな命の恵みさえも拒むように、雪が地に落ちては白を彩ってゆくばかり。
 全ては純白に――他を排して真白に染まれと。
「それを美しいなんて、いえねぇよ」
 数多の色彩が綾を織り成す様を、綺麗と呼ぶのだ。
 自然が、景色が、時間が。
 そして、ひとの心が織り成す尊さ。
 クレスがその美しさを思い返せば、記憶として浮かぶのは故郷の姿。
 確かに、少しだけあの故郷に似ているかもしれない。
 けれど其処は冬の白く白く冱てる世界であっても、ひそやかに息衝く命の鮮烈な美しさがあった。
 どれほどに厳しくとも、生き抜こうとしていた。
 あらゆるものが懸命に、鮮やかに生きていた。
 極寒の風に晒されてもなお、大切な彩を抱きしめるように。
 決して白雪の白さに飲まれて消えないように。
「……やはり違うな」
 つぅ、と視線を冷たさ増す方へと戻すクレス。
 進めば進む程、雪風はその強さを増し、あらゆるを冷たき白へと染めてゆく。
 寒さに身体が、肉と骨が軋むようだった。
 それでも、クレスは振り返らない。足を止めることもなく、ただ先へと進んでいく。
 ただひとつ――この雪の森が詠うことに、異を唱えたいから。
「子守唄ってのはもっと優しいもんだろ」
 それは暖かく、柔らかく。
 安寧たる眠りへと誘い、また、希望の朝焼けへと辿り着かせるもの。
 けっして、何かを奪うようなものではない。
「これは、まるで鎮魂の唄だろ」
 だから認められない。
「唄は、もっと――」
 ぽやぽやとした、あの彼女の柔らかな貌が浮かぶ。
 クレスの耳に残る唄は、あの危うく、繊細で、けれど柔らかな心を持つ少女のものだから。
 だから……。
「――――」
 胸の奥底に湧いた思いを噛みしめて。
 さくり、さくりと決意を固めた足で、クレスは雪を踏みしめて進み続ける。
 決意はただ胸に秘めればいい。
 ただ、今に為すべきことはただひとつ。
「冥き途に添える唄にしない為にも」
 森の奥へ。
 雪の降り積もる、恐ろしき白の深域へ。
 無慈悲な氷雪を終わらせるべく、クレスは息さえ凍て付く寒い風に抗って進む。


 
 零れ落ちる白さよ。
 いずれ来る儚き春花の唄が為に、今は眠れ。
 それを告げるべく、鮮やかなる心を携えてクレスは歩む。
 

黒辻・彗

 あらゆる色と温もりを奪う、白き雪風が吹き荒れる。
 触れる冷たさのあまり、表情さえも凍て付きそうになるほど。
 踏み入れるのは確かに簡単だった。
 入り口の周囲は寒さも雪も、むしろ程よい程度。
 ふわふわと舞う牡丹雪に、危機感が少し薄らいでしまうほど。
 けれど。
「一度、足を踏み入れてみれば極寒の森か……」
 青い双眸を静かに細めたのは黒辻・彗(自在変異の『黒蓮ブラック・ロータス』・h00741)。
 巻いたマフラーを引き寄せて、彗は白い息を吐く。
手袋に外套。防寒具はしっかりとしているから耐えられる。
 長い時間、此処にいれば確かに危ういかもしれない。
 だが無闇に進んでも意味はない。
 むしろそれでは雪の中では迷うことになるだろう。
「焦らず、不安にならず。一度立ち止まって……周囲を見よう」
 彗が目を凝らせば、木々に積もる雪にも多寡と方向性があった。
 深部から流れている吹雪なのだ。
 なら、その流れる向きは一定であり、逆を辿れば深部へとはいずれ辿り着ける。
 同時に耳を澄まし、異変の根源を探ってみる。
――耳に微かに聞こえるのは、少女の嗤い声。
「……?」
 僅かに眉を顰める彗。
 一面の雪原で聞こえる筈のないものだ。
 だが、確かに聞こえたという事は存在しているのだろう。
 決して見逃せない対象として彗はその気配を辿りつつ、雪の流れて積もる向きに逆らうように進み出す。
 雪が音を吸い上げているから。
 そして、冷たさがあらゆる動きを止めているからだろうか。
 しんっ、と静まりかえった空気はなんとも神妙なものだった。
 僅かな音、自分の呼吸や鼓動さえしっかりと聞こえてしまう。
 寒ささえなければ、街の喧騒を忘れて、ただこの静けさに身を委ねるのもいいかもしれない。
 静寂は、時に心と精神の癒やしにもなるのだから。
 例えば暖炉を用意した家の中で、揺らめく炎の温もりと共に、静かにページを捲っていく。
 ちらちらと聞こえる薪火の音。
 そして、窓の外から覗く白き静寂の世界。
 心地よい空間の中で、ただゆっくりと過ごす時間は何事にも代えがたい。
 彗は錬金術の研究や、資料を読むのもいいかもしれない。
 きっと焦ることなく、ゆっくりと、でも着実に叡智を築き上げていくだろう。
 この雪の森に在る存在も、また何かしらの錬金術の素材となるかもしれない。
 何しろ、此処は今やダンジョン。天上界の遺産が示す、奇跡とも言える場所。
「……っと、今は任務の方が最優先だな」
 首を左右に振り、クールな貌にうっすらと感情の色を乗せる彗。
「いけない、こういうときに限って気を抜きそうになる。……|彼女《Anker》に怒られるな、これは」
 そう、此処はダンジョン。
 常人が近付くことの許されない、恐ろしき神秘の場。
 どれほどに美しくても。
 どれほどに夢のような彩が広がっていても。
 これは、災いなのだ。
「……そう、俺はちゃんと帰らないといけない」
 白雪に飲まれることなく、この物語を終わらせて。
 誰ひとりとして傷つくこともなく、そして、喪われることもさせずに。
 そうして、しっかりとあの紫の瞳を見て、ただいまと告げるのだ。
 ふるりと、彗は身を震わせた。
 いいや、寒いのはこのダンジョンだけではない。
 冬が深まれば、普通の世界でも寒さは厳しくなっていく。
 だから、そう。
「帰ったら彼女のために鍋でも作ろうか……うん」
 自分の為だけではなく。
 助けたいと思う存在の為に。
 この頼りないかもしれない力で、先を進むのだ。
 雪の色を静けさを越えて、ただいまと声を響かせる為に。



 雪は帰るべき場所を持つひとを止めはしない。 
 ただ静かに、冷たく、この唄を続けるだけ。
 自ら終わる術を喪った、この冬の唄を。 
 

 その星は、雪の世界で何を詠うのか。
 神秘の雪原で、凍てつく星が瞬く。
 それは美しい青の眸。
 |御伽噺《フェアリーテール》に詠われるような、繊細な光彩。
 瞬きをひとつすれば、星屑の光が零れるようだった。
 全ての色を雪の白さに奪われたこの場だからこそ、その彩はより際立つ。
「雪の歌う森……」
 麗しき声を雪風に乗せるは、ノア・アストラ(凍星・h01268)。
 艶やかな白雪の長髪を風に揺らし、青い凍星の眸で周囲を映して、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「僕にとっては見慣れた光景だ」
 あらゆるものが雪の色に抱きしめられていく。
 冬風が流れれば、木の枝より崩れる雪が柔らかな音色を奏で、静けさの中に響き渡る。
 小さな動物の囁きもまた、唄のひとつ。
 森のすべてが穏やかに、静かに、澄んだ空気の元で囁き合う。
 凍て付く寒さはあるけれど、だからこそ、温もりの大切さを皆が懐く。
 そんな童話のような優しい世界こそ、ノアの知る雪の森。
「けれど穏やかなあの王国とは違うようだ」
 ノアが僅かに眼を細めるのも当然のことなのだろう。
 この雪の森はただ美しいだけで、まったく異なるもの。
 自然という生命が、世界という流れが、在ることさえ許されない。
 凍て付く寒さは、あらゆる命の呼吸を止めていく。
 荒れ狂う吹雪は、歩き続けようとする旅人の視界を奪う。
 まるで来るものを阻むような。
 いいや、あらゆる命を認めないという無慈悲さ。
 美しさで云えば数多の星屑を織った夜空にも迫るだろう。
 だが、どうしようもなく――死神の美しさでしかないのだ。
「触れられないから美しい。冬でも、雪でもない。何処までも冷たい夢……そんな気さえしてくるよ」
 憧れとは、共感から最も遠い感情だと綴ったのはどの詩人だったか。
 決して共に在れない雪の情景は、どうしても物悲しく、故に更に美しい。
 つまる処、ノアの眼前に広がるのは悲劇の綺麗さなのだ。
「雪の地に住む僕だから、寒さにはこれでも慣れてるはずなんだけどね」
 寒さの中で息づく何かを。
 短い春に芽吹く鮮やかな花の気配を。
 或いは、寒いからこそ共に生きる健気な命たち。
 そんな小さな、小さな幸せを見つけることの出来るノアだけれど。
「真に凍てつく空気を感じるのは異常だってことだ」
 瞼を閉じて、これは駄目なのだと断じるほど。
 異常である。奇怪である。
 神秘ではあっても、命の存在しえないソレは、果たして価値があるのだろうか。
 雪のように冷たいノアの思想であっても、此処まで冷徹ではない。
 あくまでふわりと、粉雪が柔らかく舞うように情を織るのがノア。
「そう。雪というよりは、氷なのかもしれないね。この森は」
 いっそ氷晶で覆われていれば、まだ分かりやすかったかもしれない。
どのみち、これは何にもなれない。
 ただ終わらせるしか出来ないと、ノアはゆっくりと雪を踏みしめ、吹き荒ぶ雪風の中を進んでいく。
 ダンジョンの奥へ。
 そこに何が待ち受けていようと、これが悲劇ならば終わらせなければならないだろう。
「やれやれ」
 吹雪はまるで白い闇。
 その裡で、青い星が煌めくようにノアの双眸が光を零す。
 夜の黒か。雪の白か。キャンバスの色は違えど、ノアの美麗なる眸の色彩を映すことには変わりない。
 その凍星の輝きを見れば、雪に溺れるであっても確かな道筋となるだろう。
 かつて海を渡る者達が、夜空の星を標としたように。
――それほどに美しく、そして、心を引き寄せて離さない|神秘《ノア》の|星彩《ひとみ》。
「彼女に土産話でもと思ったが」
 ふるりと首を左右に振った。
 微かに微笑みを浮かべて、仕方ないと雪に告げるのだ。
「この光景を話しても普段と変わり映えしなさそうだ」
 雪が春の訪れをなしに、何を語れよう。
 悲劇が悲劇で終わる。それだけを、どうやって歌と出来るだろう。
 幸せの訪れがあってこそ、暖かなものが胸に寄り添ってこそ、|童話《フェアリーテール》になのだから。
 なら、そう。
 このダンジョンの深部には何が待ち受けているのだろうか。
 ノアの眼が、辿り着くべき先を見据える。
「この目で確かめる必要がありそうだな」
 だって、この吹雪は。
 まるで終わらない悲劇のような光景は。
「まるで物語に囚われているかのようなのだからね」
 自分では終わらせる事の出来なくなってしまった冬の物語。
そんな悲しいものへ、冬が懐く優しさの息吹を届けにいこう。


 優しい歌と織り成して、響かせるのだ。
 春はまだ遠いけれど。
 冬と雪の世界でも、美しさと命は流れて弾む。
 音となり、歌となり、物語として誰かへと届く。
 これは、その為の雪森が囁く|眠り歌《フェアリーテール》。
ノア・アストラ

 その星は、雪の世界で何を詠うのか。
 神秘の雪原で、凍てつく星が瞬く。
 それは美しい青の眸。
 御伽噺フェアリーテールに詠われるような、繊細な光彩。
 瞬きをひとつすれば、星屑の光が零れるようだった。
 全ての色を雪の白さに奪われたこの場だからこそ、その彩はより際立つ。
「雪の歌う森……」
 麗しき声を雪風に乗せるは、ノア・アストラ(凍星・h01268)。
 艶やかな白雪の長髪を風に揺らし、青い凍星の眸で周囲を映して、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「僕にとっては見慣れた光景だ」
 あらゆるものが雪の色に抱きしめられていく。
 冬風が流れれば、木の枝より崩れる雪が柔らかな音色を奏で、静けさの中に響き渡る。
 小さな動物の囁きもまた、唄のひとつ。
 森のすべてが穏やかに、静かに、澄んだ空気の元で囁き合う。
 凍て付く寒さはあるけれど、だからこそ、温もりの大切さを皆が懐く。
 そんな童話のような優しい世界こそ、ノアの知る雪の森。
「けれど穏やかなあの王国とは違うようだ」
 ノアが僅かに眼を細めるのも当然のことなのだろう。
 この雪の森はただ美しいだけで、まったく異なるもの。
 自然という生命が、世界という流れが、在ることさえ許されない。
 凍て付く寒さは、あらゆる命の呼吸を止めていく。
 荒れ狂う吹雪は、歩き続けようとする旅人の視界を奪う。
 まるで来るものを阻むような。
 いいや、あらゆる命を認めないという無慈悲さ。
 美しさで云えば数多の星屑を織った夜空にも迫るだろう。
 だが、どうしようもなく――死神の美しさでしかないのだ。
「触れられないから美しい。冬でも、雪でもない。何処までも冷たい夢……そんな気さえしてくるよ」
 憧れとは、共感から最も遠い感情だと綴ったのはどの詩人だったか。
 決して共に在れない雪の情景は、どうしても物悲しく、故に更に美しい。
 つまる処、ノアの眼前に広がるのは悲劇の綺麗さなのだ。
「雪の地に住む僕だから、寒さにはこれでも慣れてるはずなんだけどね」
 寒さの中で息づく何かを。
 短い春に芽吹く鮮やかな花の気配を。
 或いは、寒いからこそ共に生きる健気な命たち。
 そんな小さな、小さな幸せを見つけることの出来るノアだけれど。
「真に凍てつく空気を感じるのは異常だってことだ」
 瞼を閉じて、これは駄目なのだと断じるほど。
 異常である。奇怪である。
 神秘ではあっても、命の存在しえないソレは、果たして価値があるのだろうか。
 雪のように冷たいノアの思想であっても、此処まで冷徹ではない。
 あくまでふわりと、粉雪が柔らかく舞うように情を織るのがノア。
「そう。雪というよりは、氷なのかもしれないね。この森は」
 いっそ氷晶で覆われていれば、まだ分かりやすかったかもしれない。
どのみち、これは何にもなれない。
 ただ終わらせるしか出来ないと、ノアはゆっくりと雪を踏みしめ、吹き荒ぶ雪風の中を進んでいく。
 ダンジョンの奥へ。
 そこに何が待ち受けていようと、これが悲劇ならば終わらせなければならないだろう。
「やれやれ」
 吹雪はまるで白い闇。
 その裡で、青い星が煌めくようにノアの双眸が光を零す。
 夜の黒か。雪の白か。キャンバスの色は違えど、ノアの美麗なる眸の色彩を映すことには変わりない。
 その凍星の輝きを見れば、雪に溺れるであっても確かな道筋となるだろう。
 かつて海を渡る者達が、夜空の星を標としたように。
――それほどに美しく、そして、心を引き寄せて離さない神秘ノアの星彩ひとみ。
「彼女に土産話でもと思ったが」
 ふるりと首を左右に振った。
 微かに微笑みを浮かべて、仕方ないと雪に告げるのだ。
「この光景を話しても普段と変わり映えしなさそうだ」
 雪が春の訪れをなしに、何を語れよう。
 悲劇が悲劇で終わる。それだけを、どうやって歌と出来るだろう。
 幸せの訪れがあってこそ、暖かなものが胸に寄り添ってこそ、童話フェアリーテールになのだから。
 なら、そう。
 このダンジョンの深部には何が待ち受けているのだろうか。
 ノアの眼が、辿り着くべき先を見据える。
「この目で確かめる必要がありそうだな」
 だって、この吹雪は。
 まるで終わらない悲劇のような光景は。
「まるで物語に囚われているかのようなのだからね」
 自分では終わらせる事の出来なくなってしまった冬の物語。
 そんな悲しいものへ、冬が懐く優しい息吹を届けにいこう。


 優しい歌と織り成して、響かせるのだ。
 春はまだ遠いけれど。
 冬と雪の世界でも、美しさと命は流れて弾む。
 音となり、歌となり、物語として誰かへと届く。
 これは、その為の雪森が囁く|眠り歌《フェアリーテール》。

第2章 ボス戦 『指名手配吸血鬼『マローネ・コール』』


● 断章 ~肌は雪のように、唇は血のように~



 真白き雪原に落ちた、一滴の血の深紅。
 彼女の姿を例えるなら、きっとそう。
 氷雪に包まれ、澄み渡る空気の流れる中で、くすくすと嗤う。
「あれ、あなた達は来ちゃったんだ。……出会っちゃったね、私達?」
 これほどに清らかな場所だというのに。
 この少女からは、隠しきれない血の匂いがしている。
 愉悦混じりの悪意と敵意。
 災いそのものの気配を漂わせ、少女は優雅に一礼をしてみせた。
「私は』。吸血鬼よ。知っているかしら?」
 血のように紅い唇より紡ぐ言葉は、まさに災いそのもの。

――指名手配吸血鬼『マローネ・コール』

 かつて日本政府直属の吸血鬼チームを壊滅させて、指名手配されている凶悪犯。
 可憐な貌も、美しい金の髪も、雪のように白い肌も。
 全ては吸血鬼というとびきりの悪夢の属性を帯びている。
「私という吸血鬼に出会ったのだから、みんなはこの雪に抱かれて眠ってね。大丈夫、血は一滴残らず私が貰ってあげるから」
 純白の色へと落ちなさいと、マローネは微笑む。
「ん? この先に何があるかって? 簡単よ。終わりを喪った悲劇だわ。自分で終わらせることのできなくなった、永い永い英雄の旅路」
 それをもっと美しく飾りたかった。
 みんなに見せて、知って欲しかった。
「頑張って、頑張って。その先に、救いなんてないんだって」
 紅い眸が、ゆらりと泳ぎ、くすくすと息を零す。
「そして、雪を纏う悲劇の中、凍った血でシャーベットを作りたかったの」
 マローネが云うのは何処まで本当なのだろうか。
 だが、この吸血鬼を放っておけば、また同じような災厄が起きるのだろう。
 止めなければいけない。
 倒さなければいけない。
 なぜなら、マローネが双眸の奥に臆す凶念の凄まじさを感じ取るから。
「ね、だから――吸血鬼と出会ってしまったら、どちらかが斃れるまで躍り続けるしかないでしょう? その中で流すあなた達の血は、どれほど甘いかしら」
 鮮やかなマニュアを塗った指先で、そっと雪風を撫でるマローネ。
 全てを凍て付かせる白い雪風の中。
 これ以上、凍て付く物語がないように。
 災いを持ち込んだ紅い吸血鬼と、あなたは対峙する。
黒辻・彗

 白き雪風に混じる、紅き血の匂い。
 じわり、じわりと澄み渡る白銀の世界を蝕んでいく。
 凶念が滲み、敵意が揺れる。
 簒奪者たる吸血鬼マローネが艶やかに微笑めば、くすくすという声色が静寂さえも崩れていく。
 出会った以上、どちらが斃れるまで踊ってください。
――鮮血を散らして、この白い世界を赤黒く染めながら。
「まあ、そうだね」
 吐息を零し、応えるのは黒辻・彗(自在変異の『|黒蓮《ブラック・ロータス》』・h00741)だ。
 マローネの狂気を受けながら、彗は涼やかな貌を崩さない。
 青い双眸はただ静かにマローネを捉え、如何な難敵であっても怖れを懐く様子はなかった。
「こちらも簒奪者の横暴を見逃す理由なんてないし」
 むしろ、彗の静かな様子を見てマローネが眉を顰めるほど。
 彗はあくまで自然体。
 何かを取り繕うことも、嘘を重ねる気配もない。
 ただ彗の手によって、静かに黒い刃がマローネへと向けられる。
 黒い刀身を持つ詠唱錬成剣たる、自在剣『ブラック・ロータス』。
 血に流れる竜漿を捧げれば、自在な属性を帯び、その姿形さえも移ろう錬金術の黒剣だ。
「踊ってくださる、という事でよいのかしら?」
 血色の爪を伸ばし、くるりと雪の上で廻って見せたマローネに彗は呟く。
「吸血鬼、か」
 敵を見るのではない。
 その裡にある本質を見抜いてこそ、錬金術師。
 まるで鍍金を剥がすようにと、静かな青い眸でマローネを見つめて続ける。
「……それなら、俺が『錬金術』で造り出した錬金生物と踊ってもらおうかな」
 この白銀の景色を汚してしまうのは気が引ける。
 だが、放置しても冬の美しさを、優しさを、この吸血鬼は弄び続けるだろう。
 だからこそ、彗がこの場で凶行を止めて見せる。
『暁を翔べ、深紅の鴉』
 ブラック・ロータスの黒き剣が、彗の言霊を受けて震える。
 魔力が共鳴して澄んだ音を周囲に響き渡らせ、黒き刃より溢れ出すのは深紅の鴉、『ブラッディ・レイヴン』。
「……なにかしら?」
 深紅の羽根を散らして飛ぶ彗の錬金生物に、驚きを見せるマローネ。
 その僅かな感情の揺れという隙こそが、命取りだった。
「吸血鬼なんだし、血は好物だろう?」
 マローネを包むのは血の鴉羽。
 こんな好物を、吸血鬼にとっての贄を何故と躊躇いつつも、それを啜ることを止められない。
 抗えない吸血鬼の性質だ。
 特に邪悪に落ちたものならば、なおのこと。
「でも、この血の鴉は俺が生み出した劇毒の鴉だ」
 五感を狂わせ、惑わせる毒血の鴉こそが『ブラッディ・レイヴン』。
 好ましい贄と思っていた筈の鮮血が、身の内側から己を灼いていく苦痛にローねの身体が揺らぐ。
「どれほどの劇毒なのか、その身を持って味わえるんじゃないか?」
「くっ。おの、れ……っ」
 毒血に塗れた吸血鬼が焦点の合わない眼が睨み付けるが、彗はゆっくりと言葉を続けていくだけ。
「血の鴉羽は、幻惑の毒。お前の五感を狂わせる」
 これからマローネが古き血脈の魔力を覚醒させ、どのような能力を増大させてももはや無駄だ。
 まさに天敵。それを作り出すことこそ、彗の操る錬金術の一端。
 紡ぎ上げ、募らせた叡智が示す輝きである。
 身を蝕まれたマローネがふらつく。毒の染み渡った身体を古き血の魔力を覚醒させてどのように強化しても、彗に抗う術はないのだ。
 故に彗はゆっくりと詠唱を紡いでいく。
 焦ることも、慌てることもなく。
 ただ静かに、穏やかな青い双眸と表情で、自在剣の黒い刀身に全力の魔法を宿す。
「雪より早く融けて、消えるがいい。血の影よ」
「っ」


――冷たき黒刃一閃、響き渡るは氷の音色。


 魔氷の力を宿した自在剣がマローネの身体を斬り裂き、その身を凍て付かせた。
 故に、この美しい雪原を汚す更なる血は零れず。
「まだ俺と踊るかな?」
「っ。え、ええ。だって、まだあなたの傷口から溢れる血を見ていないもの」
 もはや雪の上で踊ることなど出来ない吸血鬼。
 それでも消えることのない戦意と敵意で紅い眸を燃やし、彗を睨むからこそ。
 雪の上を静かに渡り、魔を帯びた黒刃が吸血鬼を深く切り裂いた。
「俺の血を見る。いいや、もう誰かを気づける。それはもう、その身では叶わないことだ」
 この美しく、静かな雪が語る子守歌の中で。
 本当は優しい冬の情景の懐で。
 彗の携える黒き刃金は、誰かを救う刃となるのだから。
 そう告げるように、冷たい自在剣の刃金が雪風の裡で舞う。

御剣・刃

 それは決して侮蔑ではなく、矜恃故に。
 彼の価値観はとても特殊で、相対した者とてすべてが分かる訳ではない。
 生きること、死ぬこと。
 戦い抜くという、深紅の輝き。
 それを深く、深く、御剣・刃(真紅の荒獅子・h00524)は自らの魂と共に懐くからこそ。
「女か」
 少し残念そうに。
 或いは、興味と戦意が褪せたように、緩やかに構えた。
 敵である。強者である。
 そうであっても。
「女がなんで戦さ場に居るのかわからんが、俺は女子首を取る気はねぇ」
 御剣の言葉に、マローネの紅の眸がゆらりと怒りで揺れる。
 それでも御剣は一向に気にする様子はなく、ただ自らにとっての事実を告げていくのだ。
「女子首は手柄なんかじゃねぇ。恥だ」
 まるで戦国の世を駆け抜けた、武将の如き言葉。
 女、子供を軽んじている訳ではない。
 だが、戦場に立つ以上、最低限の誇りと節度が求められる。
 一線を越えて死山血河に溺れれば、修羅どころか戦の鬼となって果てるのみなのだから。
「誰がなんと言おうが、それが俺の法度だ」
「つまり、あなたの、あなたの為のルールということかしら?」
 マローネが血色の爪を、さながら刃のように長く伸ばしても、御剣の姿も表情も変わることはない。
 攻める気はない。
 だが、路を譲る気もないから緩やかな守りを示して。
「誇りのない強さに、俺は価値を感じないんでね」
「プライドで何が出るのかしら? プライドって踏み躙られる為の、奴隷の証拠でしょう?」
「そんな風にしか言えないのは、誇りと義で路を歩み続けられなかった、弱者の証拠だろうよ。――失せな、俺はお前と戦う気はない」
 その言葉に、マローネは笑う。
 悪意、戦意、憎悪に殺意。
「その澄ました顔を、血と痛みで染めてあげるわ」
 一瞬で踏み込む吸血鬼の姿は、さながら紅き迅雷。
 雪を舞い散らし、一息で御剣の間合へと踏み込みながら、放つはレディ・クローの深紅の爪撃だ。
 肉を斬り裂き、骨を断つ。
 鋼であっても必ずや両断するという鬼の血爪。
「だが、やはり誇りという芯のない奴そのものだ」
 半身を逸らして吸血鬼の一撃を躱すは、熟練の武を示す体捌き。
 不意つ吸血鬼の挙動を第六勘で予測し、殺気と共に迫る爪撃の軌跡を読んで躱す。
 幾ら先制攻撃といえど、殺意を伴ってしまえば御剣の前では攻める技の起こりを見切られてしまう。
「っ」
 吸血鬼の魔力で幾ら身体能力を強化しても届かない。
 追撃に血爪を奔らせど、御剣は自らの鍛え上げられた珠玉の拳で弾き返して距離を取る。
 反撃をしようとするならば容易だろう。
 だが一切の攻めを見せず、受け流すに徹して立ち回る御剣。
「くっ。き、きさま……っ」
 紅き閃光が幾度となく走り抜けるが、ただ白き雪風を虚しく切るばかり。
 血が溢れることも、肉が傷つくことも、肌が裂けることさえありはしない。
 御剣は表情を変えることなく、雪の上でその身を廻す。
「どうした? 血で染めるんじゃなかったのか?」
 同時に御剣が発動させているのは、ひとが本来持つ『忘れようとする力』。
 つまり――この鉄壁の守りを見せる御剣を倒さない限り、マローネに勝機はない。
「云っただろう。誇りを貫けない、弱者の証だと」
「黙りなさい?」
 マローネは血霧のようなオーラを纏って隠密状態となり、認識の外から強襲を仕掛けるが、濃密な殺気は隠しきれず、御剣に捌かれてしまう。
 それどころか、手首を弾かれてよろめく。
 吸血鬼が晒した隙に、けれど御剣は追撃を放つこともなく。
「まぁ、娯楽で人を殺してる奴に、誇りなんてあるわけがないわな」
 透徹とした、事実のみを告げる武人たる御剣の声。
「そんな奴にくれてやる命は持ってないし、そんな奴を殴る拳も斬る刀もない」
 だから納めた刀の柄を握ることもなく。
 磨き上げた拳を、振り上げることさえしない。
 だからと、血色の爪が乱舞する。
 紅き稲妻と化して狂乱し、届かぬ男をそれでもと追い求める。
「ああ。そうか。お前は吸血鬼」
 躱し、捌き、弾いて崩し。
 それでも一撃もいれることなく、ただ矜恃と強さを以て御剣が告げる。
「飢えて、乾いているのか。満たされないのか。……誇りを投げ捨てた胸が、ずっと」
 憐れなものを見るように。
 輝きを喪ったものを見るように。
 御剣の凪いだ青の双眸は、ただ独りで踊る吸血鬼を見つめていた。

早乙女・伽羅

 雪風が吹き抜ける場で対峙するふたり。
 穏やかな金の眸は、けれどその奥底に強い意志を秘めている。
 眼前の紅い災い――吸血鬼を必ずや倒すのだと。
 いいや、この先へと更に進むのだと。
「口ぶりから察するに、この先にいるのだな」
 ゆっくりと特高サーベルの柄に手を伸ばすのは早乙女・伽羅(「猫又」の画廊店主・h00414)。
 猫の柔らかさはそのままに。
ひとの心の強さも、その貌に。
 人間という生き者に深い敬意と憧憬を懐くからこそ、その美しさを胸の裡に懐く人妖の姿だった。
 優しくも気高き、伽羅の双眸と声。
「君に囚われてしまった誰かが」
 そうしてこのダンジョンという災いの核とされた、誰かが。
 望まぬまま、凍て付く白雪を吹雪かせる悲劇を続けているのだ。
「そうだしたら、あなたは救いの英雄かしら。猫又さん?」
「さあ、どうだろうな」
 抜刀の瞬間を伺うように、雪の上を静かに歩む伽羅。
 吸血鬼たるマローネへと間合いを詰め、刹那の抜刀で決するというように。
「この出会いが必然なのであれば」
 或いは、それまでの過去も含めて。
 伽羅が人間に憧れと尊敬を懐いたことも。
 貸与装備であった筈の特高サーベルを、今も自らのものとして扱う今も。
「俺が君を斬り伏せるのも運命なのだろう」
 そう――刃を以て、災禍を断つのだ。
 この吸血鬼との出会いも。
 或いは、この先に出会う闇も。
 猫の眸は、何もかもを見通すのだから。
「ふうん」
 微かに笑うマローネ。
 合わせて吸血鬼の身に綻ぶ、僅かな隙。
 ぴくりと伽羅の猫ヒゲが動いたかと思えば、次の瞬間には峻烈なる踏み込みでマローネへと迫る。
「…………!」
 早い。吸血鬼の眼をして伽羅の動きを残像でしか捉えない程。
 まさに疾風の如き武の挙動。
 雪を跳ね上げ、真白き色彩を散らし。
 なお冷たく、鋭き白銀の刃が抜刀一線と放たれる。
 捉えた――確かにそう思った次の瞬間、伽羅の刃が虚しく空を切る。
「……っ」
「ふふふ」
 切っ先の先より、忽然とマローネの消えたのだ。
 何からの超常と異能だろか。居合を躱される所か、猫又の眼から擦り抜けた吸血鬼。
 嘲笑ばかりが白き静寂の隙間に残る。
 が、そこで慌てる伽羅ではない。
 サーベルを手繰り即座に納刀。再び、待ち受ける構えを取って周囲を伺う。
 何も見えず、聞こえず、捉えられない。
 辺り一面にあるのは雪ばかり。
 それでも、伽羅には猫の耳とヒゲが、視界の外で周囲に動くものを捉えている。
 二叉の尾が揺らめき、僅かな気配でさえ逃さない。
「そこか」
 故に唐突に現れたマローネの強襲にも動揺することはなく、僅かに半歩だけ身を引くだけだ。
「あら。サプライズに驚いてれませんの?」
 隠密状態からの吸血鬼の強襲。
 血色の爪が伽羅の胸板を斬り裂き、柔らかな毛と鮮血を辺りに散らす。
「なあに、この程度の傷で膝をつく俺ではないさ。それに」
 だが、浅い。この程度の痛みで伽羅が動じる筈もなく、攻撃されたという接触を手がかりに、マローネの腕を柔らかく掴む。
「――踊ってくれと、そう君は云っていたね」
 再び隠密状態へと戻るマローネだが、逃がしなどしない。
 そのまま腕を絡め取り、胴を確かに捉えて、地面の雪ごと足を払う。
「少しだへけ踊ろうか。誘った上で隠れてしまうのは、淑女の恥じらいかな」
 いわゆる柔術。柔らの技を持って捕まえ、伽羅はマローネの身体を地面へと引き倒すように投げ落とす。
 舞い上がる雪と共に苦鳴が零れる。
 確かに伽羅の左腕はマローネを捉えているが、このままではまた姿を消して逃れてしまうだろう。
 ならば、ただ触れるのみ。
「なら、少しばかりの強引な誘いをさせて貰おう」
 伽羅の右の肉球でマローネに触れた瞬間、その身を覆う隠密の力が掻き消える。
 全ては虚飾。
 触れれば消える影法師に過ぎないというように。
「え、なにが……」
 驚き、動揺し、雪から身を起こすのが遅れるマローネ。
 隠れている筈の身体の全てがいきなり顕わとなったのだ。
 自分の力を掻き消されたという事に驚愕するのは当然。
 だが伽羅の前で、そんな隙を晒すのは致命的だった。
 彼は、例え敵の姿が消えても一瞬の隙も見せなかった。それほどに澄み渡る眼を持つのだから。
「――――」
 身に降り積もった雪を身震いで払い、伽羅が零すのは静かで冷たい息。
 押し込め、押し殺し、必殺の意志を一瞬に込める。
 奔り抜ける居合の刃は、静謐そのもの。
 鞘より放たれてマローネの胴を斬り、翻って重ねて斬る。
 二度の瞬刃に斬られたことに、マローネが気づくのさえ遅れる、神速にして精妙なる太刀筋だった。
「何か、言い残す事はあるかね?」
 トドメと放たれるは、雪風よりなお冷たき刺突一閃。
 その氷雪を纏う刀身は吸血鬼を払う銀の煌めきとなって、血と災いを穿つ。
 

 残心と共に柔らかな息を付く伽羅。
 雪原の先に見つめるのは、マローネという吸血鬼が捕らえたモノか。
 それとも、新たなる運命だろうか。

時雨・久遠

 遙かなる時を見た双眸が雪原を映す。
 永き時間を刻むは時計の振り子と、その裡で脈打つ鼓動。
 ああ、数多のものを見た。
 幾星霜を経て、尊ぶべきものを知った。
 そのひとつとして、この神秘的な雪景色を憶えてもいいかもしれない、と。
 静かなる金と銀の眸に、またひとつ物語を秘めて。
「そのように、私は思うのです」
 美しい唇より白い吐息を零すは、時雨・久遠(摩訶不思議な骨董店兼美術館の時を刻む付喪神店主・h02275)。
 左右で異なる彩を灯す、その双眸。
 まるで心を吸い込まれるような。
 或いは、心と現実感を攫われてしまうような、その優婉なる美しさ。
 モダンな着物ドレスは気品を詠い、袖に僅かに施された古の模様は四季の移ろいを詠むような風雅さを匂わせる。
 何時より生きているのかと分からなくなるような、神秘的な美貌。
 優雅さと、遠き過去と未来の先を知るような。
 冬雪の白銀と、秋月の黄金をひとつに並べたような。
 そんな幻想の物語そのものめいた姿の久遠が立つのは、これもまた不思議な雪原。
「だから……血で汚されて欲しくないとも」
 ゆらりと指先を振るえば、久遠のもう片方の手に灯るは淡い炎。
 まるで儚いランプの灯火だ。
 アンティークランプ特有の優しい光と、暖かな匂いを感じる、|魔法の火
《ウィザード・フレイム》。
「特に、あなたのような吸血鬼に、私の持つ骨董品はどれも相応しくありませんから」
 この儚い炎ひとつで相対しましょうと。
 夢のような声色で紡ぐ久遠。
 対する吸血鬼マローネは、古き血を覚醒させ、疾風の如く駆け抜ける。
 雪を舞い散らせる、純白の影。
 さながら白い猟犬めいた動きと、ひとならではの嘲笑。
 ただ、それも久遠からすれば……。
「まあ、悲しいほどに――浅い」
 少しばかりのアンニュイな声色でくすりと微笑めば、掌の炎が揺らめき踊る。
 如何なる原理か、或いは不思議な魔法か。
 久遠に迫った血色の爪が、吸血鬼の鬼腕が。
「っ」
 反射され、逆にマローネを斬り裂いたのだ。
「ふふふ。駄目でしょう、ひとを傷つけるなんて。ましてや、こんな美しい景色の中では」
 詠うように語り。
 優しく微笑む。
 そんな久遠のひとこと、ひとことが、詠唱と気づくものは早々います。
 ただ、何時の時代かの。
 今ではない遠い世界での洗練された美しさと気品をもって、この雪原を語りて詠う。
 その度に掌に灯った魔法の火は増えるのだ。
 マローネがどれほどに吸血鬼の力を振るおうとも、越えられない魔法を。
 とてもとても不思議な灯火の力を、越えられず。
「さあ、時間ですよ」
 久遠がミステリアスに微笑んだ瞬間。
 口ずさむ度に増えて、今や数多と灯った魔法の火が、マローネへと殺到する。
「吸血鬼は火に弱い。ああ、そんな魔払うのランプなんて、あるかしら。探したいものですね。誰かの優しい眠りの為に」
 そう囁き唇に指をあてて、しっ、と小首を傾げる。
 静かに眠りなさい。
 この夢の中で、優しく、柔らかく。


――金と銀の双眸は、この冬の世界を見つめる。

矢神・霊菜
矢神・疾風

 雪原を書ける姿が、ついに求める背へと追いついた。
 冷たさなど知らないと、胸の熱情にただ真っ直ぐに。
 走り抜け、駆け抜け、一途に追い求めた過去のように、あの美しくて、愛しい彼女の元へ。
「あっ、あの髪の長い美人の後ろ姿は霊菜だな!」
 必ず出会うと信じていた。
 ここがダンジョン。雪森の迷宮であっても、関係などないと。
 明るく笑って、声をかけるのは矢神・疾風(風駆ける者・h00095)。
 何時だって、疾風は彼女の傍へといる。
 辿り着いて、その心に触れてみせる。
「おーい、オレを置いて行くなよぉ、心配になるじゃないか~」
 手を振りながら更に近付く疾風に、まるで驚いたように僅かにびくりと震えるのは矢神・霊菜(氷華・h00124)。
 背後から安心する気配が近付いているとは思った。
 だが、霊菜が振り返ればやはりビックリするのだ。
「まさか来るとは思わないじゃない……」
 一方の疾風はぶつぶつと何かを呟いてる。
 聞こえているとは思わないのだろう。
 この雪原は、あまりに静かだからひとの声が確かに届いてしまう。
 小さな囁きでも、心にまで響く。
「まあ、ハニーは超武闘派だから心配も野暮だけど……」
――そんな風に信頼してくれるのは嬉しくて。
「いやでもダンジョンは危険が伴うし」
――そうやって、心配してくれるのはもっと嬉しいから。
 霊菜は冷たい頬に僅かな朱を浮かべ、照れたように少し上擦った声を出した。
「心配してくれたのは……嬉しいけど……」
 けれど、もしも出来ることなら。
 これは我が儘だろうかと、霊菜の唇が躊躇って声にはならない。
 でも、もしもこれが危険なダンジョンでなければいいのに。
 一面の美しい白銀の世界。
 静かで澄んだ空気は、それこい愛を囁き合うのにぴったり。
 触れあう手の温もりは、きっと互いへの愛しさを募らせる。
 或いは年始年末となれば、数多のイルミネーションが鮮やかな色彩を瞬かせて、雪を飾るだろう。
 そんな光景を、もしもこの後、家族で見られたら。

 暖かな幸せで、この寒ささえ忘れる気がするのだ。


「そ、それはともかく!」
 緩んだ頬をすぐに整える霊菜。
 雪の白さの混じる、美しい金の長髪をゆるりと手で払い、青い双眸で鋭く前を見つめる。
「今はダンジョンのことよ」
 集中して、注意してと疾風に語りかけるのは、熟練の冒険者として。
「この先に嫌な気配を感じるのよねぇ……」
 勘とでも云うべきだろうか。
 寒さの裡に潜む悲しさ、そして血錆のような災いの匂い。
「それはともかくだな、この先、確かに感じるよな?」
 疾風も同じく何かがいると目を細め、息を潜めて周囲を伺う。
「何かいる……」
 疾風の言葉に応じるように、雪の上に響き渡る声。
 くすくす、くすくす。
 悪意に塗れた嘲笑。
 雪風が吹き抜けた直後、その姿を顕すは吸血鬼マローネ。
 雪のように冷たく、血のように紅く。
 優雅な一礼をしてみせるものの、気品な仕草の裡から溢れる凶念の気配が強すぎる。
「――やあ、吸血鬼の君、初めましてだな」
「はじめまして、吸血鬼のお嬢さん」
 同時に身構え、応じる疾風と霊菜。
 舞い落ちる白雪を払うは、風を纏う群青のトンファー。
 疾風の纏う風の力を強め、その拳に握られている。
「その悪趣味な野望、砕かせてもらおっかな?」
 笑みをみせながら、吸血鬼であるマローネを怖れることなく、疾風は雪の上に一歩と踏み出していく。
 霊菜もはらりと鞘から抜き出すは霊剣だ。
 鋭い刃は触れた雪を切断し、清らかな霊気は吸血鬼の禍々しさを退ける。
 麗しき切っ先とよく似た眸を向けて霊菜も続けた。
「とんだ趣味の持ち主ね。血のシャーベットのためにダンジョンを持ち込むなんて」
 雪を斬りて、氷を砕く。
 風を以て走り抜け、刃によりて災禍を斬る。
 並び立つ矢神夫妻の放つ威はまさしく尋常ならざるもの。
 だが、マローネは楽しげに笑うばかり。
「あら、血のシャーベットを持ち込んでくれたのはあなた達だわ」
 くるりと雪上で踊ってみせて、鮮やかな血爪で風を撫でる。
「それに夫婦の血なんて、とても素敵。ね、知っているかしら? 愛するもの同士の血は、混ぜると、とてもとても甘くなるの」
 くすくす、くすくす。
 雪の静かな声を掻き消す、吸血鬼の笑み。
 明らかな敵。これが事件の元凶。
 疾風の僅かな戦意がマローネに向けられた瞬間、深紅の迅雷となって白銀の世界を渡る吸血鬼。
「っ」
「これ、は」
 迅い。全く追いつけない先制の一閃。
 目も意識も、いいや、もしかすれば意識や戦意を擦り抜ける影の術なのか。
 疾風と霊菜の肩口と脇腹が爪撃で抉られ、鮮血が滴り墜ちる。
「素敵ね。やっぱり、とっても甘い……」
 続く声は聞こえるが、マローネの姿はふたりの目には見えない。
 隠密状態と看破して即座に疾風と霊菜が隣り合わせとなり、視覚からの強襲に備える。
 そのふたりの動きもまた流れるかのよう。
 言葉なくとも完璧に噛み合う呼吸と意志。
 ただ背中合わせとなっているだけではない。互いの弱点を庇い、互いの長所を活かすようにと足先の位置に1センチの狂いもないベストポジション。
「隠密能力は厄介ね。死角からの攻撃は気を付けて」
 氷雪の神霊たる『氷翼漣璃』を纏う霊菜が、痛みに臆することなく澄んだ声をあげる。
「氷翼漣璃である程度カバーは出来るかもだけど絶対じゃないもの」
 移動速度も跳ね上がった状態。ただ、それで全ての不意打ちを防げる訳ではないと、霊菜もまた分かっている。
「そうだな霊菜、敵の隠密能力には慎重に対処しないと」
 完全に意識の外から、不意打ちで首を切り裂かれれば、流石のふたりでもどうしようもない。
 隠密状態から即座に連撃へと移らず、笑みばかりを示して、今か今かと焦らすのもマローネの戦術なのだろう。
 狡猾で堅実な戦術といえるだろう。
 正面から向き合っては勝てない実力で相手であっても、殺す方法に長けている。
 だが、いま対峙するのは疾風と霊菜。
 矢神の夫妻の絆は、賢しいだけの吸血鬼では越えられない。
「先制には抗えないが、これでどうだ!」
「……っ」
 疾風が仕掛けると見れば、霊剣と共に舞う霊菜。
 補佐するようにと周囲一帯に高速で凍て付く霊気を纏う刃を巡らせ、目で見えずともマローネを近付かせない。
 結果として擦れ違い様に血爪の一撃が霊菜に放たれるが、放たれる殺気を感知して刀身で防ぐ。
 その姿はまさに霊刃の神楽。
 白雪と銀氷を伴い、霊刃の瞬きを示す。
「流石だぜ、ハニー!」
 一度はまた隠れ、そして霊菜へと不意打ちをしかけようとするマローネだが、今度こそ疾風が阻止してみせるのだ。
 疾風の心身に憑く、風龍神。
 その龍の息吹の如き強烈な風が周囲へと放たれ、霊菜の腕を斬り裂こうとしたマローネへの牽制となったのだ。
「――そこね」
 僅かでも勢いが衰えば、霊菜の澄んだ刃は敵を見逃さない。
「なっ。見えない筈のに、それでもこうも防ぐなんて」
 血爪を弾いて隙を作れば、今度は疾風が繰り出す竜巻がマローネの身体を捕縛する。
「俺とハニーを舐めるんじゃないぜ」
 身動きを封じられたマローネへと、果断の踏み込みを示すは疾風。
 全身を廻し、群青のトンファーによる強撃を叩き込む。
 それはまさに破山の如し。
 音速を超えた轟音を響かせ、音と風を叩き潰し、吸血鬼の心臓の真上へと、岩をも砕く群青の一撃が突き刺さる。
「か、っ、はぁっ」
 マローネが吐き出す、血と空気。
 心臓からの血が逆流し、意識と身体が混濁して動けない。
 息も出来ず、足がよろめき、晒すは致命的な隙。
「有り難う、疾風」
 故に、それを氷華の刃は見逃さない。
 地に積もった雪を散らせる勢いで接近し、凍て付く刃を放つのだ。
 幾度と音を越える速度、あらゆる守りを擦り抜ける鋭刃。
 その一閃は、まさに凍て付く流星の煌めきそもの。
――氷刃裂葬。
 その名に違わず、刃にて裂いたものを葬る、冷たく美しい氷の刃だった。
 はらはらと。
 きらきらと。
 雪と氷の破片が舞い散り、凍て付いたマローネの血が深紅の宝石のように散らばっていく。
「私達は先へ行くわ。そうでしょう、疾風」
「ああ、ハニー。俺は霊菜が行く処なら、何処にでもいくさ。追いつくし、辿り着く」
 不敵で優しい疾風の微笑みに、霊菜もくすりと笑ってみせる。
 そして血糊を払う刃と、しゅんと風切る音を立てて仕舞われるトンファー。


 戦いの終わりを告げるように、雪の静けさが辺りに満ちていく。
 大切なひとの声が聞こえる静寂。
 大切なひとと、傍にいたいと思えるその真白さ。
 そればかりが満ちていく。

ノア・アストラ

 舞い散る白雪に触れようと、美しい指先が伸びた。
 まるで弦を爪弾くような、しなやかで繊細な動き。
 風花に触れることも、撫でることも出来ないけれど。
 ノア・アストラ(凍星・h01268)の胸の中へと響き渡るのは、美しい弦楽器が零す儚き音色。
 それは冬の吐息だった。
 澄んだ北の夜空に浮かぶ、儚き星の光彩だった。
 指先に冷たさが掠める度、泡のように柔らかく、浮かび上がり続ける。
 そんな記憶に身と心を任せるからこそ、ノアは吸血鬼の語りを黙って聞いていられるのだった。
 白銀の世界に似つかわしくない、愚かさに。
「随分とまあ、お喋りだな」
 愚かさは、醜さ。
 美しい世界を汚そうとする事を、他に何と呼ぼう。
 無垢なる雪は、その無垢さ故に尊いのだ。
 幼き日の夢が、優しさが、何時だって大切なものであるように。
 小さく息を漏らすノア。
 微かに宿った思いは、諦めか、嘆きき、それとも悲しみか。
 静かに瞼が開き、凍星の眸が吸血鬼マローネへと注がれる。
「濁った紅、どす黒い悪意と敵意」
 淡い光を裡に秘めるサフィアのようなノアの眸。
 物静かに、そして神秘の彩を以てその美貌を飾る白銀の髪。
 どちらも、冬の雪原。雪の王国の美しさを語る美、そのもの。
 だからこそ、眼前らマローネの存在がノアには許せないのかもしれない。
「美しく静かな雪景色の中には、どうにも不釣り合いな存在だ」
 ノアの大事なひとが紡いだ、あの王国に似る色彩のこの場所に。
 美しく、静かな雪景色の中には濁った赤なんていらない。
 無垢なる雪を汚すだけなのだから。
 熔けることもなく、その赤は黒ずんでいくばかりだから。
 なら、マローネが足跡を残すことなどないように。
「意気揚々なところ悪いが」
 雪風に触れて幻の音色を奏でていてノアの指先が、すぅと懐に滑る。
 眼光ばかりは冷たく、鋭い。
 美しいが、まるで宝剣の輝きだった。
「あんたと踊ってやる義理はないんでね」
 そうして、長い指が掴んだのは一枚の御霊符。
 ゆらりと、冷たい空気が揺れた。
 何かの存在が、世界の領域を越えて此処に来る。
 ノアに呼ばれて、冷たく美しい氷雪の精が此処に来るのだ。
「お前の相手は、こいつだよ」
 ノアの眼前に佇むのは、護霊たる『フレイヤシャ・ネージュ』。
 これもまた美しい。ノアと並び立てば、御伽噺のワンシーンであるかのよう。
 だが、どれほどに幻想的な美を誇れど、これは吸血鬼マローネにとって恐ろしい存在だった。
 背筋を震わせ、後ろへと飛び退こうとするマローネ。
「どうした、踊るんじゃないのか?」
 ノアの声に応じるように。
 ふわり、ゆらりと、氷霊の舞を示してマローネの元へと流れるフレイシォ・ネージュ。
 氷のように凛と澄み渡り、雪のように柔らかくて白いその両腕を伸ばし、さっと優しく包み込むように吸血鬼を抱きしめる。
 慈悲に溢れた抱擁だった。
 真白き慈愛をもって、静かに静かにマローネの心を熔かしてゆく。
「痛みも何も、無いだろう」
 ノアの言葉の通り、マローネの顔からは恐れも驚きも消えてゆく。
 ただ微睡むよう、瞼が落ちていく。
「ただほんの少し、寒くて冷たくて、眠くなるだけさ」
 優しい、優しい――甘やかな死神の抱擁の裡で、眠るだけ。
 苦痛などない。
 冷たさも、さながら深い眠りへと誘う蜜のよう。
 抗うことなど出来はしないのだ。
 これもまた、冬の美しき情景が織る幻想。
 純白に抱かれ、終わりゆくだけ。
 死神の甘い慈悲と、柔らかな抱擁の先に、雪より早く命を融かすだけだから。
「ああ、そのまま黙って眠ってしまえばいい」
 瞼を閉じたマローネに、穏やかに語りかけるノア。
 そのまま、さくり、さくりと雪の上を踏みしめていく。
 ダンジョンの先へと、永き安寧の眠りへと至るマローネを残して過ぎ去っていく。
 雪花の中で永久に眠るというのなら邪魔はしない。
 安らぎの果てに、何を見るのかはマローネ次第。
 ただふと、冷たい蒼の双眸で一瞥をくれるだけ。
 美しい貌に微かな感情のいろも乗せず囁くだけ。
「あんたと違って」
 静寂の白さを。
「この白い大地を」
 周囲に広がる、雪のいろを。
 或いは、そこに描かれる筈の幸せな記憶を。
「紅く染め上げる趣味は僕にはないんだ」
 いずれは消えてしまう、儚いものだとしても。
 美しいことは本当だから。
 そう感じる心は、何処までいっても変わず、消えもしないから。
「さあ、そこを通して貰おうか」
 氷雪の護霊に抱かれて深く眠るマローネを置いて、過ぎ去るノア。
 その吐息が終わることは確認せず。
 積もりゆく白銀の雪飲まれてゆく吸血鬼を置いて去りゆく。


 すぅ、と息を吐いた。
 白く染まり、ぬくもりの儘にとけてゆく。
 音もなく、重ねた息は世界とひとつへと。
 いいや、そうして続けた吐息が世界を紡ぐのかもしれない。
 ノアは緩やかに瞼を伏せた。
 続いて広がる何かへと思いを馳せるように。

月夜見・洸惺

 夜空に星の光が彩織るのは、安寧なる眠りの為。
 いずれ訪れる、永き眠りに寄り添おうと。
 避けられない悲劇かもしれない。
 でも、終わりでも怖くないよ。
 この星空が、あなたの魂を、命を、今までを抱きしめてあげるから。
 死は、きっと無慈悲なんかじゃない。
 一族代々、葬儀や墓地に纏わる仕事を担う月夜見・洸惺(北極星・h00065)は、死の向こうにある穏やかさを知っている。
 悲しいものではあるけれど。
「死はいつか、平等にみんなに訪れる|救済《おわり》なんだと思う」
 洸惺が悲観的なのではない。
 ただ、その先に優しさで包むものがあると知っているから。
 夜明けを知って星は隠れるけれど、朝焼けの美しさもまたあるのだから。
 終わりを奪うなんて。
「それを奪うのは赦せないことで……赦しちゃいけないことで」
 簒奪者とはこういうものなのか。
 どうして、こんなに悲しいことをするのだろう。
青い眸に物悲しげな光を湛え、吐息を零して続ける洸惺。
「だから……自分で終わらせることができなくなったのなら」
 奪って嗤うなんて出来ない。
 出来れば一緒に泣いて、涙を零してあげたい。 
 ああ、でもきっと。

――この寒い白雪の裡では、涙さえ凍て付いてしまうのだ。

「僕たちが終わらせてあげないと、ね」
 泣くことも許されないのだと気づいた洸惺が、ただ真っ直ぐに前を見つめる。
 この思いの為にすべきことを。
 こんな悲しみを感じる自分だから、遂げられることを。
「その為にも、吸血鬼さんにはそこを退いてもらわないと」
 そうして、あざ笑う災いの吸血鬼へと立ち向かう。
「路を渡してください。そういっても、駄目ですよね」
 丁寧な口調で尋ねても、マローネはゆるりと首を振るうだけ。
「血のシャーベットに、涙をも添えてくれる。それはとても素敵なことだもの」
「そう、ですか」
 そういう存在なのだと、洸惺はより深く悲しくなるから。
 しっかりと息をして「人化けの術」を解く。
 漆黒のスレイプニル。夜天を翔る馬は、その微かな光より流れ星のように見えるだろう。
 ましてや此処は真白き雪原。
 黒に近い色彩の上に、螢星と星躔という霊の淡い光を帯びれば、まさに流星そのもの。
 だが、そんな美しさばかりでは押し通れない。
「いきますよ……!!」
 自らの頭部をひとつ、足を六対十二本増加させた暴動体へと変化する洸惺。
「あら、美しい夜這い星かしら。それとも、禍津星の流れ?」
 くすくすと嗤うばかりのマローネに、星の天馬たる洸惺は果然と突撃していく。
 全力疾走。一切の躊躇いもなし。
 故に自らを攻撃しようとする者へと先制する血爪の一撃を受けても、僅かにも怯むことはない。
 吸血鬼の爪が肉を裂いた痛みはあっても、洸惺はただ思いの儘に奔り抜けるのみ。
「っ」
 無垢にして果断。
 純然たる勇気を伴う疾走ほど、惑いの魔性を祓うものはないだろう。
 先制攻撃を仕掛けた筈のマローネ。そのまま身を隠すが、洸惺の疾走の速度からは逃れられず、勢いよく跳ね飛ばされてしまう。
 姿は見えなくなっても、そこにあるのだ。
 弾き飛ばした力と感触を元に、そのまま突き進む洸惺。
「大丈夫。何を言われても、変わらないから」
 隠密状態となって距離を取られるより早く、突進を続けて吹き飛ばすだけ。
 雪の上を転がっている最中なら回避も逃げも出来ず、突き進む勢いで巻き込み、倒すのだ。
 だた前へ、前へ。
 追い求める物語の結末へ。
 救いたいと願うのだ。
 終わりという救済を届けたいと祈るのだ。
 故に数多の蹄は美しい音を立てる。
 決して暴風の如き轟きではなく、水晶同士がぶつかるような――或いは、彗星たちが触れあうような、澄んだ響き。
「悲劇はここで終わりにします……!」
 雪の白き世界を越えて。
 血の災いたる吸血鬼を撥ね除け。
 誰かの悲劇を踏破し。
 そうして、優しい結末を取り戻す為に。
 黒の天馬は、その身に淡い星彩を帯びて、ただ真っ直ぐに突き進む。



 その優しさは。
 確かな情動は。
 誰かを助け、誰を救い、そして次の誰に届くのか。
 もう少しだけ、その優しき心の旅路は続く。
 この物悲しい雪が溶けて消えるまで。

クレス・ギルバート

 眩い程に美しい白銀も、延々と続けば心が冷える。
 思いと情念は移ろうもの。
 或いは、流れる最中の息吹を感じて、また弾むがひとの心なのだから。
 だからこそ、続く雪原の中で現れた紅の災いに。
 吸血鬼マローネの姿に、クレス・ギルバート(晧霄・h01091)は不敵に笑ってみせる。
「退屈な光景に飽いていたけど」
 彼の姿は、あまりにも儚い。
 麗しき髪なれど、その色彩は時と温もりに熔ける白雪のそれ。
 菫の双眸も透明感に溢れ、甘やかな夢を囁くかのよう。
 けれど、決意を秘めた美貌はさながら白刃の如く美しい。
 これを無視など出来はしないと、対峙する者なら誰もが思うほどに。
 さながら雪刃か。
 白い輝きは美しく、尊く、そして気高い。
 鯉口を切る音を静寂に響かせれば、赫焉の焔を纏いて燃える星彩を纏う。
「綺麗なお姉さんなら大歓迎だぜ」
 そう言いながら、鞘から凜然と抜き放つは一振りの刀。
 銘を晧。目と心を奪うは花のような艶やかな刀身。
 されど、放つ威はさながら燃える星の煌めきそのもの。
 昏きを燬き、冥邈の涯を裂き咲くは、無垢なる皎刃の閃を紡ぎし刃。
 ひとつ振るえば、迫る災禍を朱の彩と共に散らすであろう。
 事実、晧の切っ先を向けられ、紅の災いたるマローネがびくりと身を震わせていた。
「当然、俺と遊んでくれるんだろ?」
 小さく微笑むクレスの貌は、空に浮かぶ深紅の三日月のよう。
 危うい鋭さなのか。
 儚き美しさなのか。
 判別つかず、だが、完全な敵とみたマローネが古き血を覚醒させて、自らの速度を跳ね上げる。
「ええ、勿論よ」
 故に、先んじるように動く紅い影。
 されど、それを許さぬと星炎の刃が吠える。
 命を蝕む冷たき雪の帳を薙ぎ払い、迫る鬼の影を迎え討って交差する爪と刃。
 澄んだ音色は響けど、互角ではない。
 血爪が斬り飛ばされ、マローネの掌から鮮やかな朱の葩が散る。
 息を呑むような一瞬の攻防。けれど、これで終わりである筈がない。
 クレスは雪のように柔らかく笑って告げる。
「赤い紅い彩りをご所望なら」
 ゆらりと半身を翻し。
 一歩前へと出ながら、晧の柄を握りを変える。
「俺が充たしてあげたいところだけど……」
 それが淑女の望みであるのならば。 
 ああ、なれど目の前は災厄の吸血鬼に過ぎない。
「厄なる花は灼き祓わねぇとな」
 熾烈なる刃こそ、ひとの情と知れと淡き菫の双眸が、奥底から威を放つ。
「云っているといいわ。まだ分からないもの。星は読めても、未来を定めるのはその場にいるひと、私達。そうでしょう?」
「違いない」
 瞬間、雪原をキャンパスに、赫焉の焔と紅影が舞う。
 白に散る赤き花よ。
 散らされる刃の先、流れる火焰よ。
 雪を溶かす音で儚さを奏で、水の跳ねる澄んだ旋律を伴って加速する。
 狂飈の如く奔るは晧の白刃。
 無尽にと斬り裂いては、艶やかな葩を散らす。
 自在に流れる気と吐息。触れれば必ずや斬りて灼く刃の、煌めく美しさ。
 踊りて舞う。
 淑女を導くが男だと、迅きマローネの動きを追い詰めながら。
「まあ、素敵」
 自の身体を斬られ、灼かれ、それでも歓びの笑みを浮かべるマローネ。
「そんなあなたの血は、どんなに熱いのかしら。儚い身体を灼く炎の熱情は、とっても素敵」
 囁き、そして強襲する鬼の血爪。
 躱し切れぬと刀身で受け流すが、鍔競る一瞬。
「愛もそういうものだもの」
「吸血鬼の囁く愛は、嘘だって定番だぜ」
「違うわ。嘘になってしまうだけよ。悲しいけれど」
 柔らかく微笑むクレスと、艶やかに笑うマローネ。
 互いを弾き合い、返す刃で浴びせる斬撃。マローネが躱しきれず、深く胸を斬り裂かれた。
 苦しげな息が響く。
 血と焰の赤い花が、まるで花吹雪のように雪原を彩る。
「なあ、お姉さんに今必要なのは」
 真白き世界を、夜天を灼き祓う星焰のいろで染め上げながら。
 終わりへと、ひとつ、ひとつと近付くクレス。
 永遠などありはしない。
 融けない雪と、消えない冬がないように。
 或いは、終わらない物語などないように。
 この鮮烈なるダンスもすぐに終わりを迎えてしまうだろう。
 戦いや奪い合いでは、すぐに擦れ違って終わってしまう関係性。
 だからこそ、このマローネが本当に必要なのは。
「速さや一撃の重さじゃなく、子守唄じゃねぇの?」
 終わりを如何に美しく飾るか。
 氷雪の冷たき棺より、花に囲まれた終わりがよいのでは。
 簒奪に生きるなんて、物悲しくないのではないかとクレスは柔らかく微笑んだ。
「奥に居る奴なんかよりも、ずっとな」
 微かな優しさと慈悲を。
 救いの路を示してみせるクレスに、マローネはやはり血の鬼として笑う。
 くすくす、くすくす。
 私は吸血鬼よ、と。
「子守歌ぐらいで終われるなら、現実は全て|御伽噺《フェアリーテール》。あなたの眸が、夢のように甘く儚くても、こんなに熾烈な想いと刃を見せるように」
 そうか、と。
 ならば、と。
「ま、俺は唄えねぇから代わりに」
 雪上に足跡を刻み。
 半身より刀身を泳がせ、刺突の構えを見せる。
 クレスの心身に偽りなく、これをピリオドとするのだと。
 でも。
「あんたが踊り飽きるまで」
その瞬間まで。
「最期までつきあってやるよ」
 そう、最後の最期まで共に触れてやるのだと、クレスの双眸が淡い光を零す。
 纏う赫焉の焔の熾烈さと、反するほどに甘やかに美しい菫の眸。
 が、今に見れば晧の切っ先もまた美麗だった。
 クレスの想いのままに、激しくも澄んだいろを称えていた。
「素敵」
だからマローネも、此処にと決着。
 不退転とただ真っ直ぐに、疾風の矢と化してクレスへと迫る。
「嘘じゃないわ。そうだって、私の胸を斬り裂いて、心臓を見せて告げたいぐらい」
 だからこそ、雪帳を裂く晧の刃。
 烈火の如く、墜ちた星が燎原を示すが如く。
「そうかよ」
 交差と共に、マローネの心臓を穿ち、斬り裂き、命を斬り散らす。
 白雪と共に舞うは、鮮やかなる朱の葩。
 マローネの色彩を雪に落とし、躍りは終わる。



 雪のように白い髪が風に靡き。
 血よりも赤い炎が、静けさに揺れる。
 さあ、先を征くのだと白夜を征くようにクレスが歩を進めた。
 物語の終わりへ。
 ダンジョンの最奥へ。
 そうして、紅き災いの語りは尽きる。

第3章 ボス戦 『堕落騎士『ロード・マグナス』』


●断章 ~癒えぬ傷口より、痛みある雪を零す~



 黒き鎧姿に、もはや路はない。
「――――」
 彼は確かに英雄だった。
 彼の世界において、数多のダンジョンを攻略し、人々を救う気高きものだった。
 自らの名声を求めず、栄誉を探さず。
 高潔とはこういう事だと、現代をして語られる黒き鎧の勇者。
 彼が求めるのはただひとつ。
――あの無垢なる血で浄められた聖剣は何処に。
 無辜なる民に平穏と安寧をもたらすと言われた聖剣。
 それを求めて数多のダンジョンに赴き、その強さのみで幾つもを制覇していった。
 でも、彼は持たざるものだったのだ。
 鎧姿で傷口は隠されていたが、耐えず苦痛と血を流していた。
――私はどうでもいい。この世界から、人々から……。
 無垢な血で浄められた聖なる剣。
 それは、あらゆるひとの傷と痛みを癒やすという。
 故に探した。争いさえなくすという奇跡を求めて。
 彼の流しすぎた血のせいで肌は冷たくなる。呼吸は苦しく、肺は凍り付いていく。
 だって――かれは『ただのひと』だった。
 強い。強すぎた。
 でも、√能力者などではない。
 ダンジョンに耐性などもたないから、潜る度に怪物へと近付いていく。
 それでも自分が果たせばこの世は救われるのだと、ただ信じて。
 愚かな英雄として、進み続けた――その末路。
「お前達が、無垢なる血を授けるのか」
 氷雪を呪いの如く身に纏う彼の姿。
 悲しいほどに冷たく、恐ろしいほどに強い。
「数多の人々の為、その血でこの剣を浸し、どうか、どうか――救ってくれ。代わりに、私は此処で果てよう」
 迷妄は既に彼の真実。
 目の前の√能力者を無垢なる奇跡と思い、その血を以て自らの剣を聖なるものへと変えようとしている。
 彼は終われない。
 だって、√能力者が来なければ、ずっとこの雪森のダンジョンの囚われて、出られないのだから。
 彼は救われない。
 だって、彼を終わらせに来た√能力者の血で剣を浄めても、それはただ鉄が錆び付くだけだから。

――本当にそうだろうか?

「どうか、私に最後の試練を。私の血が最期の一滴まで流れても、終わらぬものを」

 傷口から凍て付く氷雪を撒き散らす怪物となっても。
 彼は誰かの救いの為にある。
 みんなを救う聖剣なんて、そんな|優しすぎる童話《フェアリーテール》に縋った愚かな者であっても。

「どうか、私に。世界の人々に」


 救いを祈り、巡礼を続ける。
 彼は高潔で、優しく、そしてもう終わるべき英雄の物語に過ぎないのだから。
 思いは届くだろうか。
 情念の温もりは鎧の下から雪風を吹雪かせる傷口を防げるだろうか。

 
黒辻・彗

 終わらない雪のように、冷たい物語が続いている。
 彼は終わらない。終われない。
 誰かを救いたいという願いが果てない限り。
 それこそが新しい悲劇を紡ぐ呪いだというのに。
 彼は何も知らず、冷たい苦痛の中で雪原の裡を探し続ける。
「……あなたの物語は終わってないんだね」
  ぽつりと、白銀の世界に物悲しげな声を零したのは、● 黒辻・彗(自在変異の『|黒蓮《ブラック・ロータス》』・h00741)。
 ずっとひとりで、冷たい雪の上を歩き続ける。
 救いも、終わりも、そして願いが叶うこともなく。
 その悲痛さを感じて、僅かに唇を噛むけれど――。
「けれど……けれど、そうじゃないんだ」
 すっ、と青い双眸を正して、彷徨える騎士たるマグナスを見つめる。
 確かな自尊心に欠落を抱く彗だけれど。
 それでも、他の誰かを尊ぶ心はあるのだから。
 あなたはきっと、素敵で大切なヒトだったのだと、マグナスの在り日の影を思って声を綴る。
「きっと、あなたが助けようとした無辜の民が望んでいたのは、漠然とした平和と安寧じゃない」
 届くのだろうか。
 冷たい鎧と剣ばかりに触れた、マグナスに。
 いいや、この思いを届けるのだと、強く一歩を踏みしめる。
 寒い雪を越えて、紅い災いを抜けて、この場に辿り着いたように。
「きっと、あなたという大きな手のひらと、終わりなき探求へ身を投じるあなたの無事だったはずなんだよ」
 勇気と優しさのあるマグナス。
 そんな彼が生きて、誰かの為に生き抜くことを、みんなは喜んだ。
 ああ、憧れたのだ、きっと。
 強い優しさに。
 壊れることのない希望を宿した瞳に。
 きっと苦しいなんて云わず、幼い誰かががああなりたいと、その背を追った。
 そうした憧憬こそが、世界というひとかけらを作ったのだから。
「本当に何の才能もない、どうしようもない俺だからこそ分かる」
 彗もまた、ただのひとでありながら冒険を突き進み続けたマグナスの強さに、輝きに、胸に憧れと痛みを感じるのだから。
 何も出来ない自分とは違う。
 沢山の血を流して、怖さと向き合って、それでも進んだマグナス。
 だからこそ、敬意を以て彗は向き合う。
「あなたが平和の標となっていたからこそ、無辜の民は笑顔でいられたんだ」
 救いたいという民の笑顔は。
 あなたが頑張って生きるだけで、確かに守られていた。
「あなたが、生きていてくれたから」
 切なく紡いだ声は雪風に遮られることなく、マグナスの耳に届いた。
 鎧兜の奥底で、悲しげに瞳が揺れる。
「――ああ」
 続く声は、それこそ氷の冷たさだった。
「だから終われない。私を継ぐものがなければ。無辜の民の為に、戦うものがいなければ」
 マグナスは優しい矜恃を、呪いとするから。
 ふと、彗の息が止まる。
 眸に張り詰めた決意を浮かばせ、ゆっくりと自在剣『ブラック・ロータス』を鞘より引き抜き、諸手に構える。
 黒き刃が、白き雪を断つ。
「……終わらせよう。あなたの名誉と生きた証を、ここに刻むために」
「終われない。私を越えて、継ぐものがいない限り」
 マグナスもまた、騎士剣を片手に、もう片方の掌に呪いの炎を灯す。
 それが災いであると気づけない儘に。
「そして、終われるかもしれないのだ。お前の血で、この剣を浄めることが出来たのなら」
 そんな事がある筈はない。
 彼ほどに無垢な誇りあるものはいないのだから。
 彼の血で浄められないというのなら、他の誰なら良いというのだろう。
 ならば、あとは僅かも残さず、物語に終わりを刻むだけ。
 マグナスの唇が何かを囁き始めるが、それより早く奏でられる彗の詠唱。
 三秒は与えない。
 一秒とて、この悲しい呪いを続ける必要はないのだから。
『自在の刃よ、斬り刻め』
 踏み込むと同時、放たれるは漆黒の花刃。
 ひとつ、ふたつではなく、さながら黒蓮の花弁が繚乱と化すが如く。
 白銀の世界を染め抜く黒。
 終わらない真白き呪いを斬る無数の黒蓮の刃。
 黒き怒濤と化して乱舞する刃は、一息に三百という黒い閃光を放ち、マグナスの身を葬る。
 いいや、解き放つのだ。
「……ああ」
 どさりと、雪の上に膝をつくマグナス。
「これこそが、ひとを救う剣か。心を助ける強さか……」
「……っ」
 困った誰かを助けたいとは思うから。
 そういう存在になれたらと、彗は願うから。
「……そうなれるように、誓うよ」
 決して、あなたは愚かではないのだから。
 あなたの語るその言葉を、彗は確かに継いで、遂げてみせよう。
 それは決して、呪いではない。
 マグナスの送る、最後の祝福。
 ただひとりだけでも救えるようにと、黒蓮の花びらを纏い、白雪の呪いの終わりを見つめる。
 物語の終わりは――誰が為の救いであるように。


 
 あらゆる冷たさを払うは、ひとの暖かい心。 
 助けたいと願う、彗のその想いは。
 路のひとつで冷たく凍えた呪いを熔かし、そして終わらせる。
 まだ誇ることなんて、ひとつも出来ないけれど。
 次の物語を始める為に、一歩を踏み出す。
 きみの、ためにも。
 

御剣・刃

 真白き雪の冷たさに、消されることなき矜恃。
 強く、美しく、そして悲しい。
 誰かを救うという、果て無き祈り。
 終わりなき旅路という呪い。
 だが、それこそを誇るものと感じるからこそ、御剣・刃(真紅の荒獅子・h00524)は鷹揚に頷いてみせた。
「お前は高い志を持っていたのだろう」
 空を飛び行き、地の果てまで巡るような。
 いいや、世の果て。自らの人生の終わりを見て、なお絶望せずに突き進む。
 それこそが呪いであり、悲劇であり、終わりを喪う契機であったかもしれずとも。
 力なき民を、救う為。
 その誇りは、今もなお鼓動の代わりに墜ちたる騎士マグナスの身を動かすのだ。
「異形に堕ちてもその志を果たそうとしているのだろう」
 自ら定めた路を進むは武人も騎士も同じこと。
 ただ、故にこそ強さが求められるのだ。
「が、志も過ぎれば妄執に変わる」
 迷妄の闇に包まれ、進む先は悪鬼の路。
 事実、白雪に包まれたこの場は、死と破滅の色彩だ。
 マグナスの求めたものとは真逆の、白き悪夢の世界。もしも、それに気づけばマグナスの魂は残酷な事実で斬り裂かれ、本当の怪物へと墜ちるだろう。
 そうなる前に。
「ここで終わらせてやる」
 するりと鞘より抜き放つは美しき名刀たる獅子吠。
 代々に受け継がれた誇りを告げるよう、清き威風を纏う鋭刃が舞い散る雪さえも断つ。
「ここで終わらせてやる」
 御剣が刀を構えるは八双。
 右手側に真っ直ぐと立てるは、果断に攻めるという意の顕れ。
 一切の怯懦なし。疾風のように迅速に、迅雷の如き熾烈さを瞬かせるのみ。
 マグナスという騎士の誇りをこれ以上、少しでも汚すことのないように。
「それがせめてもの、俺がかけてやれる情け」
 御剣は武人としての務めを刃に宿す。
 誰かが鬼とならば、誰かが鬼を斬らねばならぬ。
 終わらぬ戦路とはそういうもの。
 露と散りて消えし武は、されど、誇りを花と咲かせて後世に路を残す。
 故に、無常な程の冴えを獅子吠の白刃に宿して、御剣は告げる。
「いざ、尋常に勝負」
「その無垢なる誇りの血、貰う受けよう」
 片手に騎士剣、もう片方の掌に呪いの炎。
 囁く邪なる詠唱が紡ぐ現象は真っ直ぐな御剣の武芸だけでは防げない。
 目眩しをされれば無に帰すか。
 或いは、放った一閃を反射されれば如何にも出来ないか。
 が、逡巡こそが敗北へと足引く鬼の腕。
 心得る御剣は鋭く息を吐く。
 忍び寄る怖れに囚われる事なく瞼を閉じて、視界を封じる。
 五感の中でももっとも情報量の多い視覚を削ぎ落とし、自らの神経の反射速度を極限に高めるのだ。
 現実の眼を瞑るからこそ第六勘も冴え渡り、呪炎が揺らす空気の流れを見切る御剣。
「はっ!」
 眼を瞑った儘、横手へと跳んで呪炎の一撃を躱してみせる御剣。
 が、このままでは埒があかない。
 ならば、次の詠唱までの三秒。その時間を与えぬのみ。
 雪へと着地した瞬間、研ぎ澄ました精神で肉体の限界を超えてみせる御剣。同時に体内を巡る気を溢れさせ、更に強靱な身体能力へと跳ね上げる。
 更にその身に降りるは古龍の霊気。
うっすらと眼を開いた瞬間、迅雷の如き速さで一直線へとマグナスへと攻め懸かる。
 地面より跳ね上がる雪は、さながら吹雪。
 それほどに凄絶なる剣気が、御剣の一閃の裡に煌めいていた。
「――――」
 高く掲げた切っ先を瞬かせ、マグナスが反応するよりも早くその懐へ。
 一刀にて決すると、全身全霊を込めての剣閃が、眩い稲妻となって走り抜ける。
 白き残像を纏う御剣。いいや、その影さえ掴めぬ速度で踏み込む姿は、かの高名なる示現流の蜻蛉を浮かばせる。
 それほどの猛威の剣。瀑布の如き剣気と烈風が、雪原の景色さえも刻む。
 だがマグナスも熟達の冒険者。
 身に染み込んだ反射で騎士剣を掲げて受けるが、それこそ示現流の蜻蛉を正面から受けると同じ愚だった。
 かつて、壬生の狼と言われた剣客集団がいる。
 彼らの長を以て印されたが、示現の初太刀は死んでも避けろ。
 幕末という畢竟の剣が噛み合う世で響いた無常なる刃金の音色が、此処でも再現されていた。
「……なっ」
 受けた筈の騎士剣を押し切り、御剣の獅子吠の刀身はマグナスの身の深くへと埋まっていた。
 最大の速度で踏み込み、全霊で振るう捨て身の一閃。
 これが盾で受けようと無為と押し斬る、迅と剛を合わせる武芸者の一太刀である。
 マグナスの剣には亀裂が走り、鎧はまるで紙の如く裂かれている。
 遅れて鮮血が舞い散り、翻る獅子方が紅い花びらのように血糊を散らす。
「誇り高き騎士よ。あんたの志は俺たちが引き継ぐ」
 これほどの強さと剣ならば、託してよいだろう。
 引き継ぐに値するだろうと、立ち会う武人として示す御剣。
 不安はあるだろう。が、マグナスでも叶わぬ強さならば、かの騎士が届かぬ先へと辿り着けよう。
 それに異を唱えることは、真っ向より立ち向かった互いであるが故に出来る筈もない。
「だから、安らかに眠れ」
 騎士の鎧の奥底。
 確かに、御剣の速さにさえ騎士剣で受けて抗うまでは出来た、強者の魂が。
「――ああ、よき強さだ」
 安らかな声を立て、小さく息を止める。
 はらはらと落ちる雪が流れる血の色を覆っても、誇りを隠すことはできずにいた。

早乙女・伽羅

 雪の静寂に続く鎧の足音。
 終わる事を認められず、求める英雄。
 愚かなる勇気で、血を流し続ける冷たき物語。
 本当は美しい想いばかりで紡がれている筈なのに。
 歪み、捻れて、こうして墜ちている。
 そんな悲しい音色を拾うのは大きな猫の耳。
「君は死ぬことができないのだね、――未だ」
 悲劇とはこういうものを云うのだろうか。
早乙女・伽羅(「猫又」の画廊店主・h00414)は金の双眸を微かに揺らし、目の前に佇む騎士マグヌスの姿を見つめている。
 雪ばかりが静かに降り積もる。
 来た道も、進むべき道をも覆い隠しながら。
 ならせめてと伽羅は思う。
 『その悪夢を終わらせてあげよう』……などと驕るつもりはない。
 伽羅は決してそんな素晴らしい存在ではないから。
 まだ見ない誰かの為に、尽くし続けるという騎士の身にはなれない。
 優しくて、強くて、慈愛と希望に溢れる物語の登場人物などには。
 だが、儚いヒトの身に重すぎる荷を背負って歩み続けた英雄たるマグヌスの眼を見て、心に触れるようにと囁く。
「その尊厳くらいは守りたいものだ」
 誰かの為に血を流す。
 安寧の為にと、果敢に進んだ人生。
 どちらも伽羅が敬意と憧憬を懐いた、あの人間という生き物の姿そのものではないだろうか。
 儚い存在なのに、より脆いものの為にと涙を流せる。
「俺は君の心と姿は未だに美しい儘だと、そう思うよ」
 そんな騎士の矜恃と輝きを、これ以上は冷たく蝕まれないようにと。
 白い息を吐いて、ヒゲを震わせ。
 雪を渡りて、霜を払い、サーベルを鞘より引き抜く。
「その美しさが、ひとを傷つけることのないように」
 優しい|御伽噺《フェアリーテール》の中で終わるように。
 鋭い切っ先を凝らした伽羅が、するりと跳ねる。
 柔らかくて速い挙動は重力の縛りを受けないかのよう。
 雪に足を取られることもなく、ふわり、するりと白銀の世界を擦り抜け、騎士の元へと迫るはまさに柔軟なる猫の動き。
 伽羅は足音一つ立てず。
 されど、澄んだ冬の空気を断つ刃金の音を鳴らしてサーベルを振るう。
響き渡ったのは金属の悲鳴だ。
 絶叫を響かせ、一度や二度、命の奪い合いをしただけでは終われないと騎士の剣が嘆く。
 黒い騎士剣が鉄壁の守りを見せ、軽やかにマグヌスの影と死角へと渡る伽羅へと強烈な斬撃を放つ。
 重く、強く、決して譲らないという想いを込めて。
 伽羅もまたサーベルで弾き返し、猫の歩法で幻惑するように間合いを変えて立ち回るが、少しずつ勢いに押されてゆく。
――純粋な剣術勝負では向こうが上手か。
 伽羅の頬が厳しさに触れたように引き締まる。
 何しろ相手は能力も持たずにダンジョンを渡り歩いた猛者なのだ。
 対峙する伽羅も、それが常識外れてであることを分かっている。
 ましてやマグヌスは全身鎧。そんな相手では鋭刃もさして役には立たないだろう。
 隙間を狙うか、鎧甲冑ごと断つか。どちらにしても、その隙を作らなければならない。
 ならば騙し、欺き、惑わすだけだ。
 猫又の人妖であれば、それはまさに得意技でもあるのだから。
 サーベルと猫の体捌きでマグヌスの攻勢をいなしつつ、伽羅の攻撃手段がそのふたつであると示していく。
 剣戟と立ち回りに集中するマグヌス。
 より必勝を勝ち取ろうと深く意識を凝らせば凝らすほど、伽羅の仕掛けたには気づけなくなる。
「視野が狭い、などとは云わんよ」
 しゅるりと、剣戟の最中に奔るのは糸の音色。
 伽羅の装着する籠手に隠された釣り糸がマグヌスの意識の外から放たれ、その腕を絡め取ったのだ。
「が、君を案じるヒトの言葉を聞いていれば……こうも苦しむこともなかっただろう」
 ただ果敢に立ち向かうばかりではない。
 ふと、立ち止まって安らいでもよかったのだ。
 誰かに託して、旅路を終わらせても――。
「それが悲しい結末を避ける方法だったかもしれないな」
 動きを捕縛されたマグヌス。
 その一瞬の隙を突いて、伽羅の胴廻し蹴りが放たれて騎士を雪原の上へと蹴り飛ばす。
「きみが、きみひとりだったこと。やはり、そればかりは悲しいな」
 そうでなければよかったのにと、金色の眸を物悲しげに揺らす伽羅。
 そのまま右の肉球で立ち上がろうとしたマグヌスの身体に触れる。
 あらゆる√能力を無効化する、伽羅のひと触れ。
 猫の瞳はどんな闇の奥底も見通すように、悲劇の終わりを確かに映すのだ。
「もう、立ち上がらなくてもいいんだ」
 立ち上がる力を失ったマグヌスの身体が崩れ落ちる。
 ならば後はただ静かに、刃でピリオドを穿つだけ。
 甲冑の隙間を縫ったサーベルの刀身はマグヌスの急所を確かに貫く。
 幾らでも蘇ってしまう呪いを消し去った、ただのマグヌスという英雄の悲劇を。
「平和を願い旅立った英雄の物語は、これにて終幕だ」
 さあ、その魂よ。
 英雄であった高潔な魂よ。
 故郷に、家族に、寄り添うべきモノの傍へと帰るがいい。
 寒い雪ではなく、暖かな想いに包まれ、笑うといい。
「それがヒトの美しさなのだからな」
 ふるりと身体を震わせて雪を払い、伽羅は英雄の魂が昇る空を見つめた。

矢神・疾風
矢神・霊菜

 その身は既に冷たき絶望。
 過去に在りし姿は、まさに高潔なる英雄だったとしても。
 今や憐れな傀儡なのかもしれない。
 終わることも出来ず、災いを振りまく彷徨う影。
 自ら冒険と物語の終わりを求めても、望むものはもはや何も手に入らない。
 無辜なる民の、笑みさえも。
「只人の身で、人々の為にダンジョンに潜る……ねぇ」
 矢神・霊菜(氷華・h00124)が感嘆をもって呟く通り、それは尋常ならざることだ。
 語るは易く、だが為すは難しき。
 適性の問題だけではなく、単純な強さが求められる。
 苦難に挫けそうになっても折れない心。
 たとえ傷ついても、逃げ出さない勇気。
 そして怪物の爪牙を前に、身を投げ出す覚悟。
 英雄とは斯くたる姿と称えられて然るべき。
「その名に恥じない高潔な人物だったのでしょう」
 そう、もしも。
 墜ちたる騎士、マグナスが√能力者であったのならば。
 しかし現実は違うのだ。
 薄い青の眸で彷徨えるマグナスの姿を見つめた霊菜は、小さく息を零す。
 悲しげに、物憂うように。
「そして……とても愚かだった」
希望と愚かさは紙一重。
 だとしても、このあまりに悲しい結末を回避する方法はあった筈なのだ。
「守るものを脅かす存在になってどうするというのかしら」
 氷雪よりなお冷たき霊気を纏う剣をマグナスに向け、ゆっくりと霊菜は言葉を紡ぐ。
 色素の薄い霊菜の姿は、ともすればとても危うく見える。
 だが、確かな強さを秘めて、双眸は氷の刃のように輝く。
「悪いけど、私達は貴方が求める無垢な者ではないわ」
 そんなものはきっと在りはしない。
 在りはしない奇跡と、希望と、夢物語を追い続けるのがひとなのだから。
 憧憬の輝きを、決して否定などはしないけれど。
 霊菜もまた、此処まであらゆる路を進んで来たのだ。
「清濁併せ呑んできた、お伽噺を終わらせる者よ」
 救った存在もあった。
 暖かな絆を、今も育み続けている。
 霊菜の掌から零れ落ちた儚さも、またあったかもしれない。
 だが今は後悔しないのだと、明るい金の長髪を靡かせて前へと進む。
 そんな霊菜を守るように、歩調を合わせるのは矢神・疾風(風駆ける者・h00095)だ。
「ふふん、君がこのダンジョンの主かな?」
 そして核として据えられ、呪われ、縛られた者。
 だが微かな憐憫も見せず、明るく笑ってみせる疾風。
 だって、自分がこうなった時、哀れみなんて向けて欲しくないから。
 どんな時でも光を浴びたい。
 最後の最期の瞬間まで、光の先へと歩きたいから。
「話は聞いた──君は√能力者じゃないんだな」
 憐れにして、愚かなる騎士マグヌスもまた、光ある方へと進んだ筈なのだから。
 その覚悟、その意志。
 尊重してあげたいと思うのだ。
「……『みんなを救う聖剣』のためだけにそこまで耐えたなんて、君は立派すぎるよ」
 マグヌスのいう『みんな』とは、誰のことだろう。
 多すぎて、漠然としすぎていて、想像できない。
 だが、もしも想像が出来てしまったら、その数の重さで押し潰されてしまうかもしれない。
 背負って進む姿は、本当に立派だったのだろうけれど。
「……でも、何事を成すにも『身体が資本』って言うだろ?」
 マグナスの身を案じた者がいなかった訳ではないだろう。
 心配する家族や恋人の手を振り切って、それでも進み続けていたのなら、疾風は悲しくて、許せなくて、何より求められない。
「君はもうちょっと自分を大切にするべきだったな」
 だから疾風は霊菜と共に、この英雄へと手向けを送ろう。
 優しくて、素敵な騎士の結末に悲しい翳りなんて不要だから。
「オレたちの力で、お伽噺の勇者に安寧を」
 疾風と霊菜、ふたりの手で。
「ええ、私たちで――悲劇ではない結末を」
 これから先も紡いでいこうと、霊菜が疾風の眸を見つめる。
 信頼の温もりが、瞬間、雪風の冷たさを忘れさせた。
 柔らかく、だが確かな絆を鼓動に宿して、霊菜は黒騎士たるマグナスと対峙し、その力量を推し量る。
「なるほど、一人でダンジョンに挑むだけの強さがありそうね」
 片手に騎士剣、もう片方の手で魔法を操る姿に隙はない。
 たったひとりで、苦難の道を切り払い、突き進み、そして血を流し続けた騎士の成れ果て。
「だからこその、無謀だったのかしら」
 だが霊菜はひとりではないのだ。
 傍の疾風の息づかいから、先手を任せたという気持ちを感じるからこそ。
「私達、ふたりが進む路を斬り開かせて貰うわ。――当然、結末はハッピーエンド」
 開戦と同時、霊菜は氷雪の神霊『氷翼漣璃』を身に纏う。
 霊剣を構えるは下段。
 守りは疎かになれど、早く、迅く、防ぎ難い一撃を放つ為の構え。
「だから任せてね、疾風」
「ああ、先制は任せた」
 言葉を残し、高速の疾走を見せる霊菜。
 一気に肉薄し、マグヌスへと詠唱の間を与えず先制へ。
 放つは冷たき霊刃。
 氷雪よりなお白き斬刃が、雪原にて眩く輝いた。
 マグナヌが騎士剣で弾こうとするが、下段は本来攻めるも守るも難しい。
 そこを突き詰めるが刀術の冴え渡る様。活かす為に殺すを突き詰めたが故に、活殺自在の霊刃へと至っているのだ。
 ましてや霊菜の速さ。
 流麗なる太刀筋は美しき軌跡を虚空に描いて走り抜ける。
 澄んだ刃金の聲は、さながら弦楽器を爪弾くような美しい音色。
 舞い散る雪をも別つ鋭き剣閃は鋼鉄の鎧とて斬り払う。
「ぬっ」
 鎧ごと脛を深く斬られ、鮮血を流してよろめくマグヌス。
「疾風、今よ!」
「ああ、任せろ!」
 足を切られても踏み留まったマグヌスだが、疾風に憑いた風龍神の放つ強風の牽制を受けて完全に体勢を崩してしまう。
 二歩、三歩とよろめいて後ろに下がる。それだけでマグヌスの掌に集っていた呪炎が霧散し、無力化されていく。
 動かないこと。それがマグヌスのカースドフレアの条件なのだから。
 非常に強力な力である反面、それは熟練の冒険者である霊菜と疾風の前では致命的な脆さを見せる。
「そのままいくわよ」
 擦れ違い様にもう一閃を放つ霊菜。逆袈裟にと跳ね上げた切っ先は、雪と血を空へと舞いあげる。
「ああ、終わりへとだ」
 続く竜巻はマグヌスの身体を拘束し、疾風と霊菜による連携を防ぐ事を許さない。
 麗しき氷霊の刃と、風を操る龍神の拳。
 その二つを前にして、もはやマグヌスに抗う事は出来ない。
「さよなら、お伽噺の勇者よ」
 猛烈な勢いで踏み込み、群青のトンファーでの強撃を放つ疾風。
「探しも求めていた『聖剣』は無かったけれど、君が新たな被害を生むことはもうなくなった」
 巨大な岩をも砕く一撃を受けてマグヌスの鎧が砕かれ、雪の上へと両膝をつく。
 そこに迫るは冷ややかな慈悲を宿す霊名の白刃。
「さあ、もうお伽噺の時間は終わりよ」
 あらゆる装甲を貫通する氷の神霊が刃がマグヌスの魂を。
 その存在の芯を、確かに断ち斬っていた。
 何を探し求めていたとしても。
 何を叶えよとしていたとしても。
 全ては後の者に託し、任せ、マグヌスはただ雪のように儚く散るのみ。
 夢は夢。
 誰かが、きっとそれを追い求め続けてくれるから。
 だから、マグヌスという英雄は、彼の|御伽噺《フェアリーテール》は、穢れることなく語り継がれる。
 ただ、今だけは。
「ゆっくりおやすみ」
 柔らかな風を纏う疾風が氷雪を払い。
 霊菜の振るう綺麗な刃が、光を示して。
「――ああ、そこに」
 マグヌスへと、墜ちてしまった騎士へと、物語の終わりを示すのだ。


 誰も傷つけることはなく。
 誰の夢も失わせることもなく。
 物語は雪のように柔らかな終わりを見せる。
 愚かさは、希望は、誰かが為の勇気と誇りは、決して罪ではないのだから。
 そうだ。罪となる前に、疾風と霊菜の手によって騎士の昏き影は過ぎ去る。
 風邪駆ければ氷華咲き誇りて、幸いへと路を為すのだ。
 そうして夫妻が歩いて、走って、戦って斬り拓いた路を、きっと今度は大切な娘が進んでいく。
 人生と世界とはそんな連続。これはそんな一ページ。
 真白き冬の色に覆われたとしても、ひとの生きる路と心が閉ざされることなんて、決して無い。
 雪の森が静かに詠っている。
 しなやかな風と氷華の美しさを、その物語を。

月夜見・洸惺

 誰があなたの傷つく姿を願っただろう。
 そんな冷たい思いがある筈はない。
 誰があなたの苦しみを求めただろう。
 いいえ、きっとみんなはあなたに笑って欲しかった。
 あなたこそが輝きなのだと、悪魔の翼を持つ、八本足の漆黒の天馬の姿で月夜見・洸惺(北極星・h00065)は向き合う。
 もしも、墜ちた騎士マグヌスに語りかけるなら、これが最後。
 届くかどうか分からない。
 その心を響かせるかどうかもわからなない。
 無垢な血とは、みんなを護る為にあなたが流した血なのでは。
 無辜の民が求めた光とは、みんなの為に頑張れるあなたの事だったのでは。
 そんな沢山の思いを懐きながらも。
 一歩、一歩と蹄を響かせて、雪原を渡る。
 黒き騎士の傍へと、近付いていく
「生は死に、それで次の世代がまた生まれて」
 雪の美しさが儚み、雪熔けの水が澄んだ音を立てる。
 桜の花が散れば、緑の溢れる夏の風が通り過ぎて、気づけば鮮やかな紅葉が周囲を取り囲む。
 そうして、また訪れた冬の雪におかえりなさいと微笑むのだ。
「冬は春になって、季節が巡って」
 悲しみも、喜びの種となる。
「それが世界の理だよ」
 星空の巡りも、また同様に移ろい続けるもの。
 あの夜空に輝く星屑たちも、常に動き続けている。変わっている。終わらないようにみえて、懸命に輝き続けている。
 終わりゆく旅路より物語は紡がれる。
 永遠のお話しなんて、ありはしない。
「だから、おわりを」
「ああ。なら……継いでくれるか」
 ひたりと冷たく、騎士が動く。
 騎士剣を構えて、向き合う洸惺へと願う。
「この冬を越えて、お前は、私の代わりに無辜なる民に安らぎを届けてくれるか。例え全てが終わったとしても、このヒトの思いは潰えてはならぬのだ」
 胸の奥底に在るその灯火の名を、希望というから。
 洸惺は頷き、ただ真っ直ぐに走って立ち向かう。
 夜天の彩を宿す身体に纏うは、銀河の輝きに満ちた霊気たち。
 眩い銀の光と淡い星彩を纏って、漆黒の天馬は終わりへと駆ける。
 跳ね上がった速度は、もはや常人の目には映らない。
 まさに流星そのものと化して突き進み、迎え撃つマグヌスの呪炎を翼で薙ぎ払って防ぐ。
 肌と身が焼けた。
 悍ましい呪いの炎が洸惺を蝕む。
 だが、どんな痛みを受け手も洸惺は怯まない。
 僅かたりとも速度を落とすことなく、ただ真心をもってマグナスの元へと走り抜ける。
 衝突の寸前、洸惺がマグヌスに告げる。
「僕ね、ちょっと思ったんだ」
 凄まじい衝撃音が轟き、遠くへと突進で弾き飛ばされるマグヌスの鎧姿。
 まさに流れ星が直撃したような衝撃と、威力だろう。
 霊気という神秘までもが乗っているのだ。見た目でははなれい、肉体の傷では分からない、心魂の深くまで傷は届く。
 だからこそ、マグヌスは立ち上がれない。
 あれほど果敢で、傷も痛みも怖れずに進み続けてしまった、英雄の影が。
 その身を追うように、或いは、包むように洸惺の聲が続く。
「みんなを救う聖剣って、あなた自身のことだったんじゃないかって」
「――――」
「みんなの為に無垢な血を流して、誰かを救う剣を振るう」
 うん、みんな――すべてというのは無理だったのかもしれないけれど。
 優しく首を振るい、洸惺は語り続ける。
 さながら、子守歌を捧げるように。
「大丈夫。あなたがしてきたことは無駄じゃなかった」
 たくさんのひとが救われたよ。
 有り難うという声に背を支えられたというのかもしれないけれど。
「その有り難うは、嘘じゃない。あなたの進んだ道と、物語だから――あなたは果たしたのだから」
「私は……果たした……?」
 果たせたのだろうか。
 果たせたというのなら、もう眠っていいのだろうか。
「救われた人も多いはずだよ」
 マグヌスは救われたいとは思わない。
 だが、ひとかけらの慈悲と赦しが与えられるなら、この優しい声の元で眠りたい。
「意志は僕らが受け継ぐから」
 嘘偽りのない、天馬の純粋な青い瞳を見て、マグナスは力を抜いた。
 眠るように斃れ、剣を手放す。
 旅路と、戦いは終わったのだと。
「だから、おやすみ」
 洸惺のその声は、雪よりなお優しかった。
 全てを包む淡くて眩い星の光のようだった。
 少なくとも瞼を閉じたマグヌスにはそう感じられた。
「――終わりを見届けてくれてすまない、有り難う」
 これに送られて征くなら悪くない。
 鎧の下、塞がることのない傷口から血の代わりに流れ続ける雪風の勢いを衰えさせながら。
 英雄の冷たく凍えた物語は、さながら雪が融けるように終わっていく。
 悲劇であっても誰かが継いでいけば、いずれ幸せな結末を迎えることだって出来るのだから。



 星はずっと見てくれている。
 夜空に広がる、麗しき星々たち。
 名もなきその光たちが、慈悲と赦しを零し続けていた。
 洸惺の心のぬくもりに触れて、寒さもいずれ過ぎ去る。
 まだ冬は長く続いても、いずれは優しい春となるのだろう。

クレス・ギルバート

 如何に寒い雪が世界を覆っても。
 冷たい悲劇の暗影が広がとしても。
 いずれ終わりと救いは来るのだ。
 雪が過ぎれば春が来るように。
 巡り廻る朝が、その先で幸せを語りして示すように。
 クレス・ギルバート(晧霄・h01091)は菫の双眸に鋭い決意を示す。
 儚い風貌であっても、裡に秘めるは鮮やかなる輝きなのだから。
「そんな姿に成り果ててまで、誰かの救い願うなんてな」
 クレスの視線の先では、雪とは相容れぬ黒き鎧姿のマグヌスが居る。
 いまだ終わる事も出来ず、立ち止まる事も出来ずに彷徨う呪われた英雄。
 資格を持たず、ただ突き進んだ愚かなる男。
 今もまた、雪を踏み越えてある筈のない聖剣と救いを探している。
「けれど、その轍こそが彼の生きた証」
 彼の残した足跡の傍には、きっと微笑みがあった。
 助けを求めたひとに寄り添い、誰とて隔てなく希望を与える。
 傷ついて血を流し、痛みを受けても決して止まることのなったその歩み。
 無意味だとは言わせない。
 愚かだとしても、それがひとの美しさだとクレスは頷く。
「英雄譚だか何だか知らねぇが」
 鞘より晧の無垢なる白刃を抜き放ち、雪風を裂いて対峙するクレス。
 銀色の氷雪。これもまたひとの心を閉ざす昏の貌れば、燬いて進むのみ。
 クレスがその手に携える彩は、遙か遠き暗闇をも越えるのだから。
「俺はあんたの生き方、嫌いじゃないぜ」
 不敵に笑い、白い息を零す。
 諸手に構えた晧はひたりと切っ先を凝らばかり。
 如何なる冷たさと悲劇を見ても、揺れない。泳がない。震えない。
 騎士マグヌスが墜ちた闇と呪詛こそを斬り払うのだと、純白のいろを赫かせるばかり。
「彩溢れる世界から堕ちて」
 ひとの感情という色彩の溢れる、あの幸せだった過去。
 果敢に突き進み、無辜なる民の安寧という彩と幸を求めたあり日。
 そこから墜ちたマグヌスは、けれど今、クレスの掲げる刃の裡に朝焼けの光を見たように息を零した。
「冱てる冥闇の中、歩む途すら喪ったのなら」
 はらり、はらりと舞い落ちる雪。
 さながら舞台を飾る花のよう。
 優しく、柔らかく、穏やかに。
 クレスが世に灯す色彩を、より映えさせるかのように。
「俺が往く途を燈してやる」
 自らの身に赫焉の焔を燦然と咲かせ、クレスが疾走する。
 その姿は雪に詠う森を染める朝焼けの炎。
 燃える星が流れるように鮮やかな燦めきを舞い散らし、救済の刀光を届けるのだ。
 踏み込む勢いをそのままに、奔らせて穿つは晧の刃。
 空を滑り、風を斬り、あらゆる障害を灼き斬る熾烈なる一閃。
 マグヌスの操る呪火が放たれるが、それさえ祓ってなお進むのみ。
 狙うはひとつ。心の臓。
 呪われた鼓動を刻む芯を穿つのだと切っ先が吠え、迎え撃つ騎士剣が鋼の絶叫を轟かす。
 幾たびと斬り合えば降り積もった雪が跳ねて舞い上がり、またゆっくりと落ちていく。
 混ざるは咲きては散る朱葩のいろ。
 あかと、しろ。
 綾を織り成すふたつの色は、真白い闇を晴らすふたつの耀き。
「終幕を飾る唄を用意できなくて悪いな」
 白雪の髪を風に靡かせ、クレスが踊るように晧を振るう。
 速度の乗ったその刃、もはや常人に見る事は叶わない。
 だというのにクレスと剣戟を奏でるマグヌスは、やはり英雄に相応しい騎士なのだろう。
 ならば幕引きには唄は必須。
 ああ、でもこの場の誰も唇から甘やかな葩の聲など紡げないから。
「けど、奏でるのは互いの剣戟で充分だろ?」
 仄かな微笑みを称えてクレスが剣刃の触れあう狭間で囁けば、マグヌスもゆっくりと頷いてみせた。
 儚き唄はよい。想い宿す刀剣で示そう。
「私の思いを、継いでみせよ。無垢なる炎の男よ」
 ならクレスは果敢に示して見せよう。
 黒き騎士剣の刺突を躱し、放たれた呪炎も白い外套の皎にて払う。
 マグヌスの全力の攻勢。故の一瞬の隙を逃さず、無垢なる皎刃はついにその身を捕らえる。
鋼鉄の悲鳴はなかった。
 はらはらと、雪と葩が散る音ばかりが静かに響き渡る。
 雪色を祓いて進む、純白――暁のいろ。
 鎧を貫通した刃がマグヌスの背まで走り抜けた。
 呪われた心臓を貫き、血の代わりに吹き荒れる氷雪を止める。
 はらり、はらりと舞い落ちるはふたつの花。
 白は涙のような雪だ。
 赤は、希望の花だ。
 月はなくとも、斯くも美しきクレスの貌がマグヌスを見つめる。
「俺は知らない奴の為に、命を懸けるなんてできねぇけど」
 ぐっと柄を握り、刀身を翻し。
 心臓と胸郭を斬り裂いて、刃を跳ねさせる。
「……俺をこの世界に留める楔を守る。そのついてで構わないなら」
 ひゅん、と風を斬りて響く玲瓏たる刃の音色。
 雪の呪いを断ちて払い、囚われた騎士を救う御伽の語り。
「其の願い、背負ってやるよ」
 クレスが告げれば、迷いなどないと。
 いいや、その刃に晴らされたとマグヌスが告げる。
「……頼んだ」
 長い、長い、冷たい旅路を進んだ男の終わりの声だった。
 だが、命とは巡るもの。
 この悲劇と呪いの夜を越えたマグヌスに、きっと相応しい次の朝は来るだろうから。
「廻る命があるのなら……」
 輪廻のその先で、求める事が出来るなら。
「次は俺みたいに気楽に生きるのも、きっと悪くないぜ」
 クレスは柔らかく微笑み、鋭い白刃を鞘へと納める。
 進んだ路には意味がある。
 だからこそ、自由に羽ばたく空とて、きっと素敵なのだ。
 誰かの為ではなく、次は、自分の幸せの為に。
 氷雪の冥邈を越え、白鳥の如く羽ばたけ、朝を迎える魂よ。
 祈る心が、此処にあるのだから。

ノア・アストラ

 静かに凍て付く銀の景色。
 眩い白さは全て氷雪。
 一切のぬくもりもありはしない。
 しんっ、と澄み渡る静寂が染み渡るけれど。
 呪われた鼓動もその音を止めている。
 だというのに、真白い景色の中を歩き続けてしまう騎士マグヌスの姿。
 彷徨い、惑い、喪われた路をなお。
「あなたがこのダンジョンの主……」
 だというには、なんと憐れなことだろうか。
 呟くすノア・アストラ(凍星・h01268)の声も、物悲しさ故にか少しの翳りを見せていた。
「…嘗て冒険者だった者、なのかな」
 冷たくも繊細な青き星の眸を、傷ましげに揺らす。
 あらゆる命の息吹とぬくもりを喪った、この真白き死の世界で、それでもまだ進むしかないのだろうか。
 だとすれば悲劇。
 マグヌスはきっと、誰かの幸せとぬくもりの為に旅路を続けたのだから。
 もう出逢えない。
 もう、巡り逢えない。
 そんな理想と希望を求め、怪物となったマグヌスへと少しばかりの道場を寄せるノア。
 だが、それで冷たき悲劇が終わる訳ではないのだ。
 青と白雪の色彩をもって、空より墜ちた竜の青年は、澄み渡るような貌と声色を響かせる。
「終わらせたいと願うのなら、叶えてやろう」
 まるで弦を爪弾くような美しい声だった。
 冷たさを忘れて、心の緊張を解かせるのだ。
 まるで、確かなる想いを込めて、ひとつの|御伽噺《フェアリーテール》
を紡ぐように。
「この世界に真の安寧が訪れるのは未だ先かもしれないが、それでも」
 それでもと、凍て付く星光の眸に希望を灯す。
 理想を求めて、殉じた旅人。
 幸せな物語を求めて、残酷な世界を渡り歩いた英雄。
 凍て付いた鎧と剣を捨て去る事は出来ず、黒い影のように彷徨う姿に、ノアは長い指先を伸ばした。
 雪を掴むことはできず、マグヌスを救うことも出来はしないけれど。
「あなたの心がこれ以上、悲しい冷たさに閉ざされないように。あなたを包むこの白さは、冬の優しさを持たないのだから」
 ノアに誰かを暖める術はない。
 マグヌスの其の冷えた身体を溶かす術法なんて、ありはしない。
 更に凍て付かせるしか才はなく、ノアは何処までも真冬の存在。
 だが、美しい輝きは確かに彼の裡にあった。
 ノアの声色の中に、小さな小さな、冬のぬくもりがあった。
「せめて、来るものを拒むこの吹雪の呪いを、払って見せよう」
 あなたが誰かとまた触れ合えるように。
 微笑みあい、暖炉の火を前に語り合えるように。
 そして、遠い夜空の星の美しさを囁き合えるよう。
 ノアが起動させるのはレイン端末。
 周囲の環境を変化させ、瞬時にあらゆるを冷却していく。
 更に寒さが増し、木々がざわめき、空が鳴く。
 だが、冷たさに悲鳴をあげるのではない。
 雪の森がノアに応じて綺麗な唄を奏で始めたのだ。
 せめて終わりを美しく飾ろう。
 ノアの思いに触れ、マグヌスの憐れさを知り、白銀の世界が魂を葬る詠う。
「さあ」
 舞い散る白雪さえも凍てついた。
 見上げれば舞い振る雪さ凍りつき、鋭い氷晶の雨となっている。
 いいや、それはさながら冬の夜に広がる星屑たち。
 たくさんの流星群が燦めき、空から地へと渡るその姿。
 優美なる白の風貌のノアが操る、その青き双眸の如き神秘の星彩たちよ。
「美しい」
 ほんの刹那しか無い間に、マグヌスが感嘆の声を零す。
 これが我が身を滅ぼし、存在を掻き消す光だと分かりながら。
 神秘的な流れ星の光彩を、瞬間に掻き消える幻想の景色を、胸に抱く。
「これに葬られるなら、悪くない終わりだ」
「…………」
 ようやく旅路の終わりを見つけたと。
 頭上に輝く水晶の燦めきを前に柔らかな声を零したマグヌス。 
 そして終わりを告げる為、タクトを振り下ろすようにノアがしなやかに腕を振るう。
 そうして、水晶の雨が――ノアの双眸と同じ冷たき星芒が、数多と瞬いて過ぎゆく。
 玲瓏たる音色が静寂に響く。
 柔らかな雪の景色も、黒き鎧も、その奥に宿る呪いさえ鋭く斬り裂いた。
 冬の無慈悲さ。無常に星が過ぎ去る様。その光に晒されれば、あらゆるものは鋭利に裂かれて、果ててしまう。
 残るのは、ただひとりの男の骸だ。
 もはや怪物でもなく何でもない、希望と誇りと、優しさと物語を携えていた存在。
 マグヌスは息さえ凍て付いて、もう出来ないけれど。
「最期に、何か言い残す言葉はあるだろうか」
 さくりと、雪と氷晶を踏み越えてノアが近付く。
 だが、もう時間はないというように、深雪の募るダンジョンが崩壊していく。
 雪が融けて、水となり。
 あらゆるを艶やかに濡らし、光と色を反射する。
「守りたかった者たちに、伝えたい言葉はあるだろうか」
 まるで冬の裡に、ふと流れた暖かな日差し。
 そんな優しい景色の裡で、ノアは柔らかく微笑んだ。
「なんなら聞くよ、僕で良ければね」
 雪が散る。
 白が消え、影も果てる。
 マグヌスという男を形作っていた輪郭が消えゆき、その想いと記憶も遠い場所へと流れていく。
 魂もまた、あの星空へと還るのだ。
 見送る為にとノアが瞼を細めれば、仄かに零れる凍星のひかり。
「……もしも、出来るなら。たったひとりでいい。傍に誰かがいる事こそが、幸せなのだと」
 そして。
「私は、美しい終わりに飾られた。……それだけを、マグヌスという騎士の物語の終わりに添えてくれ」
 きっと、化け物に成り果てた最後なんて語られたくないから。
 それを聞いて、誰かが悲しい思いをして欲しくないから。
 マグヌスの優しい気高さを受けて、ノアがその美貌にうっすらと優しげないろを浮かべる。
「その言葉を真に届けられるかどうかは」
 雪が融けて散りゆく森の中。
 ノアは白雪と共に融けてゆく|御伽噺《フェアリーテール》の裡で、終わりを締めくくる。
「……優しい嘘が交じるかもしれないけれど」
小さな雪の王国の王女が聞いて、微笑むことが出来るぐらいの。
 淡くて柔らかな優しい嘘。
 それに飾られるなら、マグヌスも憂うことなき終われるだろう。
 彼が笑った気がする。
 もう凍て付いた骸だった筈の、マグヌスが。
 ノアがふわりと軽やかに吐息を零す。
 終わった雪を、ゆっくりとこの先へと廻すように。
 ふとノアが視線を巡らせれば、それは奇跡か偶然か。
 木の枝にかかった氷晶の欠片が、氷雪の薔薇を形作っていた。
 白く、冷たく、けれど微かな光にも美しく輝く、ノアの美貌のようなその姿があった。
 色はノアの眸の如き青。
 ならその花言葉は云うまでもない。
――夢は叶う。

 

 ハッピーエンドの足跡をここに刻もう。
 誰も傷つくことなく、呪われた騎士が眠るこの森に。
 ただ冷たい景色と、物語に。
 それでもひとの心は救いと優しさ、ぬくもりと希望を見いだせる。
 凍て付かせるしか術のないノアであっても。
 柔らかなぬくもりを、唇から紡いで届けられるのだから。 
 冬と誰かの旅路と、物語はまだまだ続く。
 でも、ひとときの終わりを此処に。
 真白き雪の情景も、今度は優しい物語を語るために広がっていくのだから。

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