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#√ウォーゾーン #Dramantica《テセウスの魂》 #Episode.3

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 #√ウォーゾーン
 #Dramantica《テセウスの魂》
 #Episode.3

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●
 蒼白いホログラムが幾重にも重なり、崩壊した都市の残骸を立体的に映し出していた。
 第八区画――わずかに残された生体反応。
 ドクトル・ランページは、無感動な瞳でそれを見下ろす。

『生き残り……という表現は、あまり正確ではないな』
 その声には、観察者としての退屈すら滲んでいた。
『そう、“燃料”だ。己を燃やして獲物を照らす、実に効率の悪い篝火。彼等は一人残らず殲滅される事で、偽善者を誘い込む誘蛾の火となる。救助対象という看板さえ掲げれば、√能力者は必ず喰い付く』

 傍らの助手が顔を上げる。
「……予知の力に感づかれても、ですか?」

『構わん。むしろ歓迎すべきだ』
 ドクトルは笑みとも嘲りともつかぬ息を漏らし、尾の先でモニタの光をかき混ぜた。
『彼等は“誰か”を救うために必ず来る。己の善意を証明する為に、焼け落ちた街に足を踏み入れる。その自己満足は、我々にとって最も有用なデータだ。そして――その瞬間こそが鹵獲の好機である』
 指先が宙を滑り、画面上の人影をなぞる。その輪郭が灰色に燃え、ノイズとなって霧散した。

『否定は出来まい、星詠みよ。お前が視た所で未来は変えられない。我々の観測結果は、常にお前の先を行く』
 ドクトルはゆっくりと頭をもたげ、口を開く。

『……愛。希望。それらが裏返される悲哀。絶望。そして恐怖。魂の構造を暴くにあたって、これほど理想的な熱源は他にない』
 淡い青の光が、まるで原子炉の灯のように彼女の頬を照らした。

●
 ――また、来た。
 光が視界を裂く。それは白昼夢のように現実味のない衝撃で、頭の奥が焼けるように熱を帯びた。
 音も、彩も、温度もない。然しこの現実感の欠落こそが、未来が崩れ落ちていく確かな感触だった。

 気づけば、神童・裳奈花はホワイトボードの前に立っていた。
 手にはいつものマーカー。
 震える指先は、思考とは無関係に動く。使命に駆られたように線を引き、言葉の断片を書き込んでいく。
 【第八区画】【殲滅】【鍵】【生存域消失】――。
 自分でも意味が分からない。それでも、手は止まらない。

「……ボクは、皆に行ってほしいとは言えない」
 マーカーを握る手から力が抜ける。
 白いボードには、交錯した線と文字が散らばり、まるで崩壊した地図のようになっていた。

「√ウォーゾーンの一角にある崩壊した都市に、ドクトル・ランページが侵攻します。それと……皆が“誰か”を相手に、辛そうに戦う様子も少しだけ視えました」
 普段とは違い、声の調子は鉛のように重い。

「ドクトル・ランページは、|完全機械《インテグラル・アニムス》に至る“最短経路”を探してる。人の心とか、想いとか――非線形な“魂”と呼ばれるものを、数値化しようとしてるんです。機械で完璧に模倣できるように、感情の構造を解析して、コードへ分解して、無機質に再構築して――」
 自分の口から出た説明が余りにも冷たくて、星詠みの少女は思わず唇を噛んだ。

「たぶん、その為に。崩壊した都市――ノア・シエルの避難民が集まる、第八区画を……“燃やす”つもりなんです。人の感情が、どう壊れて、どう絶望するか。それを解析する為に」
 彼女の声が細く途切れる。
 いつものように冗談めかして笑って場を和ませる余裕もなく、瞳には怯えが浮かぶ。

「敵は、“誰かを助けようとする気持ち”すらも実験の一部にしようとしてる。ボクたちが動けば、それさえデータになる」
 机の上をマーカーの蓋がころりと転がる。
 裳奈花はかすかに首を振り、掠れた声で続けた。

「更に敵は、ボクが“予知する”ことを知ってる。先手を取られてる……。これ、完全な罠なんです。ドクトル・ランページ本人の脅威度も、ずば抜けて高い。大怪我では済まないかもしれない。心を壊される可能性だってある」
 少女は小さく息を吐き、言葉を切る。痛いほど長く続く沈黙。

「……でも、全部が絶望ってわけじゃ、ない」
 その声はまだ震えていたが、僅かな可能性の光を宿していた。第八区画の避難民の中に、武器や義体の製造を担っていた技師が居る。
 ホワイトボードの隅に新たな言葉が書き足される。
 【主査】【整備】【火種】――。

「ノア・シエルの防衛機構。その中核を担っていた軍事企業、ヴァルムント・インダストリの技術者さん。彼なら、きっと皆の力になってくれる。義体パーツや装備の修理、調整、新調。任せて大丈夫だと思います。機械じゃなく、“心”を扱う技術者だから」
 裳奈花はボードの前で小さく拳を握る。

「……彼等の力を借りても、勝率は低いままかもしれない。彼等はもう助からない運命だったんだって、割り切って背を向けても……ボクは、その選択を責められない」
 希望を語れない不甲斐なさに、少女は苦しそうに目を伏せた。悔しさからか、握った拳は小刻みに震えている。

「だけど――あの特異な学習を行うドクトル・ランページを放っておけば、√ウォーゾーンの人類生存圏はいずれ消失すると思う」

 沈黙。
 重く、乾いた空気の中で、彼女の声が小さく響く。

「繰り返すけど……ボクは、この罠だと分かりきった戦場に行ってほしいとは言えない。――でも、もし叶うなら」
 裳奈花は祈るように手を胸に当てた。

「その力を、貸して下さい」

 机の上に置かれた「黒曜石の星座盤」――|天輝輪《オルビス》が、宙に光の軌跡で座標を刻んでいく。
 然し座標の光は激しく揺らぎ、不規則に明滅を繰り返す。
 それは嘗てない程、濃厚な死と危険の予感を漂わせていた。

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第1章 冒険 『整備!WZ』


●
 灰と鉄錆、そして消毒液の匂いが鼻腔を突く。
 瓦礫の合間に点在する移動治療所のランプが揺らめく。ストレッチャーで運ばれてきた死者が、また一体、静かに地に横たえられた。
 ノア・シエル第八区画。遠景では重苦しく垂れこめた曇天の下、潰れた高層の塔が歪なシルエットを描いていた。人影は少なく、耳に入るのは工具の音、そして時折上がる嗚咽だけだ。

 そんな景色の中、機械油に汚れた影が立ち昇る煙の中から姿を現した。
 刈り込んだ短髪の白髪。汗止めのバンダナを額に巻き、首には保護ゴーグルを提げた男。その作業着の裾は煤で黒く、左腕は途中から義体。口には煙草を挟み、目は疲れていながらも鋭い光を放っている。
 ノア・シエルの基幹系を担う軍産複合企業――ヴァルムント・インダストリの主査であり、義体整備の職人である。彼は√能力者達を一瞥すると、ぽつりと低い声を零した。

「……捨てる神あれば拾う神あり、ってのは、本当だったようだなァ」
 その口調は諦観を帯びていた。視線は、俯いた避難民や壊れた義肢に向けられる。中には既に手遅れの者も見受けられる。彼は軽く肩をすくめ、小さな吐息を漏らした。

「もう、あとは死を待つだけの場所になっちまってるってのに。わざわざ足を運んでくれるってのは……余程のお気楽か、底抜けのお人好しか」
 言葉の端々には皮肉と、しかし微かな温かみが同居していた。√能力者達の表情を見るにつれて、彼の内側で何かが息を吹き返してきているようだ。しばしの沈黙の後、表情が締まり、声に職人の熱が戻る。

「……そんなアンタらに、頼みがある。若い奴らの仇を討ってやってくれねェか。その為なら、ヴァルムントが持つ“技術の粋”だって惜しまねェ」
 彼はポケットに手を突っ込み、平たい金属の小箱を取り出した。その蓋を開けると、薄い小型回路版が淡い銀光を放っている。

「ルシーダ……つっても分からんよな。こいつは感情同調型神経インタフェース、要は“情念を含む電気信号”にしか反応しない、出力強化・加速回路だ」
 彼はそれを手のひらに載せ、√能力者達へと差し出すように見せる。感情が閾値を超える事が無い敵機械群には、例え鹵獲しようと扱い切れぬ代物。表面に刻印されているのは、“CAGE: VMI731”の文字。ノア・シエルの防衛機構と正式に取引する為の企業登録コードだ。
「見ての通り、こいつは新品じゃねェ。使ってた奴のドッグタグ兼、形見代わりにする風潮もあってな。……まァ、野暮な話だがな」

 短くなった煙草を口から離し、携帯灰皿に押し付けて火を揉み消す。
 鈍金色の瞳を√能力者達に向け、主査――アイゼンベルクは豪快に言い放った。
「義体。武器に防具。補修も強化も、新調だって面倒みてやる。ルシーダを組込みたいなら新品も用意できる。さぁ、オーダーを聞かせてくれ。何が欲しい」
 その問いに呼応するように工場の奥で蒸気の息吹が響き、制御灯がひとつ橙に点る。
 ノア・シエル第八区画、ヴァルムント・インダストリ第捌号プラント。そこに今再び、人の手で光が灯された。



|||||||| # OPERATION-UPDATE ||||||||

◆作戦目標:
>>>>【選択肢A:装備を補修・強化する】
 ヴァルムントの技術力を用い、武装に機能を追加したり、或いは補修・整備を行う。
 強化の方向性やルシーダの搭載希望の有無などを伝えれば、希望に沿ってくれるだろう。

>>>>【選択肢B:装備を新調する】
 ヴァルムントの技術力を用い、新装備を作成する。
 装備の名前、種類、機能、ルシーダの搭載希望の有無などを伝えれば、希望に沿ってくれるだろう。

※選択肢A、B共に「お任せ」オーダーも可能です。なお、アイテムとして取得する場合は各自で作成をお願いします。


◆Tips:感情同調型神経インタフェース《コードネーム:|Lucida《ルシーダ》》
 感情と神経を同期させる高次チップ。
 ナノ回路が扁桃体・島皮質・帯状回などの感情中枢から生じる微細な“情動波”を検知し、共鳴核がそれを《情念電流》へと変換する。
 同期回路は制御信号に“心の位相”を重ね、使用者の情動をそのまま接続機器へ伝達。
 結果、使用者の感情が高ぶるほど義体や兵装の反応は鋭くなり、反射速度・出力効率・精密制御のすべてが飛躍的に向上する。
 「情緒と非合理性こそが人間の証」と標榜する、ヴァルムント・インダストリの矜持と技術力の結晶。
 「感情が力へと変わる」「組込まれた武装が使い手に共感する」瞬間を体感できる、人間にしか扱えない共鳴装置である。
屍累・廻

●
 機械油と灼けた金属、そしてハンダの匂いが満ちていた。火花の閃光が暗い天井を照らし、機械の咆哮と溶接音が重なり合う。
「さぁ、オーダーを聞かせてくれ。何が欲しい」
 短く、乾いた声。疲労と覚悟、そして矜持の入り混じった響き。
(|Lucida《ルシーダ》、ですか)
 屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)は動かず、興味深そうに工房の光景を見渡していた。
 彼の金の瞳が、高次チップの反射を淡く映す。
「……“武器”というより、“式”を。頼めますか」
 廻の言葉に、主査の眼が光を返した。

「式?」
 主査は怪訝そうに腕を組み、廻をじっと見据える。
「戦場に出るのに、武器じゃなくて式、か。……詳しく聞かせてくれ。俺らにゃ、お前ら√能力者がどんな戦い方をするのか見当もつかねェんだ」
「……私には、武器と言えるものが少ない。主力として持っているのは知識。それと“視て、暴く力”です」
 廻は穏やかに答えた。
「敵の構造を読み、理を解き、可能ならば“再定義”し、匣の中身を使役する。それが私の戦い方です。でも、理解するだけでは守れない」
 その声には熱も怒りもない。ただ、静かな決意だけがある。
「ただ死を待つだけよりも――抗うための術があるのなら、何事も試してみたくなるものです」

 そうでしょう? と問いかけるような廻に対し、主査は腕を組み、しばし彼を見つめた。
「……なるほどな。√能力者の戦いってやつは、理屈だけで終わらねェらしい」
 笑い皺が刻まれる。
「よし、面白ェ。お前の望む“式”とやら、形にしてみようじゃないか」
 溶接機の光が再び迸り、工房に白い閃光が走った。

●
 主査は無言で作業台に立つと、アイルーペを装着した。
 咥え煙草のまま、指先の僅かな震えさえも止める程の集中で、微小な基盤の上に微細なパーツを組付けていく。
 作業台の周囲には、ハンダの熔ける匂いが立ちこめた。

「外装の設計はどうした、間に合ってんのか!」
 主査の声に、工房の奥から返事が返る。
「まだモデルデータが――」
「手ェ抜くな! 強度と軽量化の両立は必達! ミリグラム単位でも詰めろ!!」
 その檄に応えようと、部下たちが慌ただしく端末を操作し、CAD画面上に白銀の羽根が形を成していく。

 完成した設計図が送られ、メタルフレーム出力装置が低く唸る。
 積層合金粒子の熔ける煙が昇り、滑らかな光沢を持つ外殻が姿を現した。
 主査は慎重に基盤を嵌め込み、固定を確認して息をつく。
 それは、まだ名を持たない“意志”のかたちだった。

「怪譚叡智接続端末。お前さんの力と合わさる事で、物理法則すら書き換えちまう|代物《シロモン》だ。――っても、効果は短時間且つ局所的だがな」
 主査の言葉を聞き、廻はその羽根にそっと手を伸ばした。
 羽根の縁に指先が触れると、微かな電流が肌を撫でる。
 廻の視線に反応して羽根はふわりと宙に浮かび、筆先に仄蒼い光を灯した。

「……視るために。そして、守るために。ようやく両立できる気がします」
 空気が震える。
 廻の意志に合わせ、白い筆跡が宙に走り、数式と奇怪な言語の混ざった“式文”が描かれていく。
 淡く輝く文字列はやがて環を描き、工房全体を静かに包み込んだ。
 溶剤の匂いが遠のき、空間がひとときだけ清浄に変わる。

 その都市伝説めいた動作に驚き、暫し言葉を失っていた主査は短く笑った。
「なら、名前を付けろ。これはお前のもんだ」
 彼は一拍置いて、静かに言う。
「――《ヘルメスの羽根》。知を運び、世界を記す羽根です」
 光が揺れ、式文がひとつの記号に還る。
 それは戦火の中で生まれた、ひとつの“祈りの道具”だった。

■GEAR DEPLOYMENT :
 怪譚叡智接続端末《ヘルメスの羽根》

 廻の持つ図書館の知識資源と「視る」能力を設計思想に入れて開発した随行護衛装置。
 普段は羽根の形をした端末(ドローン)として携行され、起動時に“羽ペン”が宙にホログラフィックで式文(=「世界法則介入構築式」)を書き出し、局所的に物理/因果ルールを“書き換える”ことで索敵・防御・迎撃を実現する。
 ルシーダは金属製のチャームパーツに搭載されている。ペンダントにもブレスレットにも流用可能。

■META OBSERVATION :
 霊力攻撃、世界知識、呪詛、精神抵抗、精神攻撃といった技能を絡める形で活用する事も可能だ。

躑躅原・戎吾

●
 住民の最後の砦となった、ノア・シエル第八区画。灰は風に舞い、瓦礫の上を薄く覆う。
 そこに跪く虎の背――躑躅原・戎吾(|青虎獣人《マルタタイガー》の十皇拳|格闘者《エアガイツ》・h00749)は、通信機を通じて治療班へ短く指示を飛ばしていた。

「怪我人を此処に集めて頂きたいであります。重傷者から順に――動けない人は運んできて頂きたい!」
 応答の声が返ると同時、肩に負傷者を担いだ若い兵が駆け寄る。血の匂いを纏った空気を吸い込みながら、戎吾は静かに周囲を見渡した。
 続々と運ばれてくる負傷者。転がる義肢、焼けた鉄骨、瓦礫に挟まれた機械兵の残骸。
 その中で、ひとりの男が必死にこちらへと両腕を伸ばしていた。胸を押さえ、呼吸は荒い。

「……頼む、お巡りさん……こいつを……」

 腕の中には、血に濡れた幼い子供。かすかに息をしている。
 親なのであろう男の目は既に焦点を失っていたが、掠れた声だけが戎吾に届く。

「俺より、先に……」

 戎吾は頷くと、その子を受け取って腕に抱いた。小さな手は冷たく、震えていた。
「勿論、全力で治療にあたりましょう」

 彼は幼子を胸に抱いたまま、ゆっくりと目を閉じる。
(神の奇跡ってえのは時々大安売りされるモンさ)

 ……ま、師匠の受け売りだけどな。と彼は内心呟き、指先で印を切り、静かに息を吸い込んだ。

“霜置けども その葉も枯れず”
 捧ぐ祝詞は朗々と。

“常磐なす いやさかはえに しかれこそ――”
 張りのある声に応えるかの如く、瑞々しい光が地に降りる。

“神の御代よりよろしなへ この橘を時じくの かくの木の実と名付けけらしも”

 結びの句を唱えると同時、琥珀色の光が破裂したように広がった。
 時を定めぬ神代の果実の名を冠した力は波紋のように広がり、範囲の内にある者たちを包み込む。

 ――中には一歩間に合わず、息を引き取った者もいた。
 しかし、破れた皮膚が再び繋がり、呼吸の薄れた者が再び呻き声を上げる。失われた痛覚が帰還し、嗚咽と安堵の声が交錯した。

 幼子の胸が上下する事を確認し、戎吾は男のもとへと急ぐ。
「子供は無事で有ります、あなたも早く治療を――」
 肩をゆすられた男は返事もせず、そのまま地に横たわった。
 身体を支えようとした戎吾の掌には、ぬるりとした温もりが広がる。地に広がる夥しい暗褐色の染み。

 幼子が目を覚まし、弱弱しく泣き声を上げた。
 戎吾はそれを見下ろしながら、ただ静かに息を吐く。
 法の下に庇護されるべき命が、法が及ばずに散った瞬間であった。


 戎吾は膝をついたまま、掌に残る血のぬめりを見つめていた。冷えたそれが、妙に指にまとわりついて離れない。
 傍らでは、救助班の若者が亡骸に布を掛けている。

 戎吾はゆっくりと立ち上がると、胸ポケットから黒ずんだ手帳を取り出した。
 警察徽章が微かな光を受けて鈍く光る。

「……。こう見えて、俺は一応“警官”なんだ。……だから、本来なら仇討ちなんざさせちゃいけねぇ」
 静かに呟き、彼はその手帳を閉じる。その静けさは、抑え込まれた怒りの裏返しだった。
 歯噛みする音がかすかに響く。

「だが――」
 風が一層強く吹いた。破れた布がはためき、煙のような灰が視界を覆う。

「法も糞もねぇ世なら、仕方ねぇな」
 言葉は低く、確かな熱を帯びていた。
 拳を握る。その掌にはまだ血が滲んでいる。

「お巡りさんは休業だ。人間舐め腐る奴らも癪だし、な……!!」
 ゆっくりと顔を上げたその瞳は、虎そのものの光を宿していた。

●
 ノア・シエル第八区画、ヴァルムント・インダストリ第捌号プラント。
 崩壊を免れた工房には、機械油と焼けた金属の匂いがこもっていた。
 作業灯の橙がちらつき、機械の影が壁を這う。
 その中に、男――主査・アイゼンベルクが立っていた。片腕の義手を光にかざし、苦々しく呟く。

「まったく、派手にやられたもんだ。……で、アンタもその顔か。相当見ちまったな」

 戎吾は黙って頷いた。
 煤と血にまみれた拳を見下ろす。
 “護るため”に握った手が、いまは“殴るため”に在る。
 それでも、|拳《コイツ》がまだ人を救えるなら――。

「この√の流儀に乗ろう。新造でルシーダ搭載決戦型WZを一つ用意してくれ。奇跡じゃねぇ、人の力でやる」

 アイゼンベルクの眉がぴくりと動いた。
 彼は作業台の上に平たい銀色の回路を置き、溶接機を構える。

「……いい目だ。なら見せてやるよ。機械が“心”にどこまで寄り添えるかをな」

―――
――

―

 ヴァルムントの誇る技術の粋を総動員し、組み上げられたWZが一機、ロールアウトする。
 その威容は嵐神の如く。メインカラーやエネルギーラインカラーは、所有者である戎吾のイメージに寄せられている。

 アイゼンベルクが口の端を吊り上げる。
「そいつに名を付けてやんな。アンタの魂が宿るんだろ」

「――ああ」
 戎吾はゆっくりと息を吸い、琥珀の瞳を上げた。
「コイツに名づけるならば……風も雷も征し従える超弩級の嵐! そうだ!」

 感情に呼応して脈打つルシーダの光が、心臓の鼓動のように点滅する。
「|凄嵐鎧皇《せいらんがいおう》……! ルドラカイザーッ!!」

 光が爆ぜる。主の覇気に応えるかの如く琥珀色が閃き、工房の鉄骨が震えた。

■GEAR DEPLOYMENT :
 決戦型WZ:凄嵐鎧皇《ルドラカイザー》

 ヴァルムント・インダストリ第捌号プラントにて、躑躅原・戎吾の戦闘思想と“人の感情を動力とする兵装哲学”を融合させて開発された|戦闘装甲《パワード・シルエット》。
 右腕にパイルバンカー《|風牙《ファング》》、左腕にパルスブレード《|雷迅牙《ライジング》》を搭載可能。
 装着者の神経系とルシーダ・ユニットを介して直接接続され、装着者の情動電流(エモーショナル・カレント)を即座に機動出力へ変換する。
 戎吾の身体を精密に測定し、設計思想を極限まで沿わせたワン・オフである。

■META OBSERVATION :
 高ぶる心を制御できずに怒りに飲まれれば暴走する可能性も否定は出来ないが、逆に信念と誇りが確立した状態では、出力は安定しつつ限界を超えるだろう。

カノロジー・キャンベル
八隅・ころも

●
 灰と瓦礫を踏む音が廃墟に木霊する。
 崩れた高層塔の影が、ひび割れた地面に伸びている。灯のほとんど消えた第八区画の中で唯一、遠くのプラントだけが薄橙に瞬いていた。

「ねぇ、ころもちゃん。あそこ、まだ息してるわよ」
 カノロジー・キャンベル(Company president・h00155)の指差す先――折れた煙突の根元に、微かな機械の脈動があった。
 風に乗って、機械オイルと脱脂用エタノールの匂いが漂う。
 八隅・ころも(クラ子・h00406)は小首を傾げ、周囲の気流を嗅ぐようにして呟く。
「人の造った都市の心臓、ですのね。死んでも動き続けるなんて、妙な生き物ですわ」

 カノロジーは肩をすくめ、瓦礫の上に足を置いた。
「無口で根性のある子ほど、長生きするもんなのよ」
 冗談のような口調の奥に、確かな敬意めいた色が滲む。

 煙と蒸気を噴き上げるプラントに近付くにつれ、溶接の白光が幾度も灰色の暗がりを裂く。
 油に濡れた金属の匂い。その中心で、白髪の男が無言のまま機械を調整していた。

「おう、アンタらも力を貸してくれるのかい? そンなら装備はタダ幾らでも面倒見るぜ。――あー、嬢ちゃんたち?」
 白髪の男――アイゼンベルク主査の言葉を聞くなり カノロジーは、ぱん、と手を叩いた。
「貰えるものは貰っちゃいましょ、ころもちゃん。こういう時の遠慮は罪よ!」
 そう言って笑う声が、プラントの金属音と混ざり合う。

 ころもは小さく溜息をつくと、油汚れの床を避けるように触腕で器用に歩く。
「そう……なら遠慮せずに、頂くとしますわ」
 ――ま、くれるという物を固辞するより、貰っておく方が相手も気が楽になるらしいですし。
 きっとこれが正解だと、ころもは一人小さく肯いた。

 アイゼンベルクは煙草を咥え、片目で改めて二人を見やる。
「……アンタら、戦地に向かう顔じゃねェな」
 彼の声には呆れと、微かな笑いが混じる。

「顔はね、現場の華なのよ」
 カノロジーは自慢げに胸を張る。
「どうせ灰まみれになるんだもの。それなら盛大に、綺麗に咲いてみせるわ❤」
 ころもはその台詞に小さく首を傾げ、口の端を上げた。
「灰を被りそうになったら、カノロジーガードですわ」
 ――アタシの事、完全に盾扱いしてるわよね? そんな意味を込めてころもに視線(?)を飛ばすカノロジー。目を逸らすころも。

 二人のやり取りに、アイゼンベルクが苦笑を漏らす。
「……まったく、タフな連中だ。だが嫌いじゃねェ。死に場所を選べる奴は、そう多くない」

 プラントの非常灯が一列ずつ灯っていく。整備済みの兵装が次々と運ばれ、金属の影が床に並んだ。
 その列の前で、カノロジーはゆっくりと拳を握った。
「さぁ、戦場に出るなら装いも気合も最高でなくっちゃ」

 ころもは触腕を揺らしながら、静かに頷いた。
「ええ。……では、この触手たちに取り付けられる強化装甲でも作って貰おうかしら?」

 そのやり取りの裏で、油に染みた床に光が反射する。灰に沈んだ街で僅かに生まれた明るい声が、機械の鼓動へ溶けていった。

●
 整備台の上に、薄い銀の光が置かれた。
 掌ほどの回路板。その表面には、細かな波紋のような紋様が走っている。
 アイゼンベルクは煙を吐きながら、それを持ち上げた。

「ルシーダ。感情同調型の神経インタフェースだ。使い手の情動を電流に変えて、反応を倍化させる……要は、“心が燃えれば燃えるほど速く動ける”って代物だ」

 カノロジーは回路を覗き込み、にやりとした笑みの気配を纏う。
「リミッター外して頂戴。今回の依頼だけ耐えられれば、それでいいわ。せっかくの戦場だもの、踊り子が舞台で遠慮してどうするのよ❤」

「……死ぬつもりで行く顔だな」
 アイゼンベルクの声には呆れが滲む。
「死ぬつもり? 違うわよ、職業病よ。生きてる間は派手に動きたいの」

 その隣で、ころもが静かに口を開いた。
「ルシーダ、ですの? 申し訳ありませんけれど、私は遠慮しておきますわ」
 アイゼンベルクが目を細め、ころもに続きを促す。

「人の形はしていますけれど、私は人ではありませんの。“心の位相”とか、そういうのを回路に通すのは、なんだか不自然で……疲れるのですわ」
 ころもは指先を見つめ、白い皮膚の下を這うような淡い光を見せた。
「それに、私の感情は海底の潮みたいなものですの。流れが重たすぎて、すぐに壊れてしまうでしょう?」

 カノロジーが彼女を見やり、笑むような声を掛ける。
「いいのよ。誰だって、自分の“熱”の扱い方くらい知ってるもの。アタシはね、人の情ってやつが好きなの。痛いほど不器用で、でも綺麗。焼け焦げるまで動いてみたいのよ――その熱で、誰かを守れるなら」
 ――|自社職員が焼け焦げている《ブラック気質な》のは、此処では触れまい。

 短い沈黙。
 アイゼンベルクは咥えた煙草を灰皿に押し付け、低く笑った。
「……いい台詞だ。焼け残ったもんを拾うのが、|√ウォーゾーン《ココ》の職人の仕事だ」

 機械油の香りの中で、微かな光が二人の顔を照らす。
 ひとつは熱を受け入れ、ひとつは拒む。
 だが、その|対照性《コントラスト》こそが――確かに「生きている」証のように思えた。

―――
――

―

 プラントの扉が開く。
 整備灯がゆらめく構内で、二人は装備の最終確認を終える。
 カノロジーの右手首には、淡く光るバリア発生装置。
 ころもの後ろからは、銀灰色の装甲を纏った触腕が音もなく揺れている。

「……タダより怖いものはないって言うけどねぇ」
 カノロジーが笑う。その瞳に映るのは、これより地獄の坩堝と化す廃墟の街並み。
「タダより嬉しいものも、ないのよ❤ 諦めてない|兵站《ロジ》ぐらい超・嬉しい❤」
 ころもはくすくすと笑い、横顔を見上げる。
「心なしか、無いはずの瞳が輝いて見えますわ」

 プラントの奥、アイゼンベルクが煙草を揉み消しながら呟く。
「まったく……性能試験一発で仕上げちゃいるが、過信だけはするなよ。そんで、姐さん。アンタとは追々、ビジネスの話でもしようや」
「ビジネス、ねぇ。|コレ《・・》の代金が命払いってことにならなきゃいいけど❤」
 カノロジーが即答し、ころもが肩をすくめる。
「では、その時はお二人で勝手に契約書を交わして下さいまし。私は印鑑を押すのは慣れていませんの」

●
「せっかくの|戦場《ダンスパーティー》だもの。しっかりおめかししていきましょ❤」
 腕輪を触りつつ、カノロジーが罅割れた道を見やる。
 ころもは触腕を揺らしながら微笑む。
「……お箸はまだ苦手ですけれど、踊り方なら覚えましたわ」

 二人がプラントを背に歩き出すと、足元の灰が淡く光を帯びて舞い上がった。
 まるで次の仕事の場を照らすように。
 その後姿を見送りながら、アイゼンベルクは短く息を吐く。
「……アンタらは生き残れよ、嬢ちゃんたち」

 祈りを捧げるように、非常灯がひとつ瞬く。
 それは誰のためでもなく――“人を想う手”のために。


■GEAR DEPLOYMENT :for.カノロジー
 異相結界装置《COMPLIANCE》

 ヴァルムント・インダストリ社製のバリア起動装置を、カノロジーの要望に合わせて主査・アイゼンベルクが魔改造した物。
 華奢なブレスレット状の筐体に複雑な楔状回路と薄板状の導体が収められている。
 ルシーダを介する事で、起動を念じてから0.06秒で直径1.5~2.5mのバリアを生成。物理衝撃とエネルギー攻撃の一次吸収を行う。
 最大出力を確保するためにリミッターを外している仕様(使い捨て想定)。極大の出力を叩き出すが、最大出力発揮後は内部ナノ配線の焼損・キャパシタの疲弊により再使用不可となる。

■META OBSERVATION :
 バリアは掌型に展開させ、更に動かす事も可能。――拳状のバリアをぶつける事で「殴る」事さえ可能。なお、命名は主査なりのジョークである。


■GEAR DEPLOYMENT :for.ころも
 触腕防護深殻《アビス》

 複合金属と柔軟セラミック繊維を織り込んだ弧状の重装甲板群。
 触腕(イカ脚)を覆うように多関節で装着され、伸縮性を保ちながら打撃・切断・摩耗に対する防御力を大幅に向上させる。
 力学アシスト×同期学習モードにより、ころもの粗い入力(引っ張る、押す、止めるなどの大まかな意思)を触腕センサーが解釈。最適な関節トルクと姿勢補正を自動補間する。細かな操縦は不要な上、使うほど「直観的な動き」が可能になる。

■META OBSERVATION :
 「操作負担を軽く、身体性を増幅する」ことが最大目的。「イカらしさ」を強調する着衣的ギアになり、見た目の威圧と実用性の両立が可能。

オメガ・毒島
八手・真人
ドクター・毒島

●
 空は低く、濃い鉛色の雲が都市の上に垂れ込めていた。
 陽はまだ昇りきらず、街の輪郭は薄闇の中に沈んでいる。かつて整然と輝いていたノア・シエル第八区画も、今は煙と破片と鉄の匂いで満ちていた。
 吹き抜ける風が、焦げたビルの間を抜け、どこか金属の軋みを引きずっていく。

 そんな終末感漂う中、ヴァルムント・インダストリ第捌号プラントは再び目を覚ました。
 高炉の唸りが地中から響き、天井を走る配管は鈍く赤い熱を帯びていた。遠くで弾ける火花の光が、鉄骨の影を短く揺らす。
 ――ここは、戦災を免れた“奇跡の技術拠点”だ。今も機械たちが律義に稼働を続けている。

「……なんか、まだ“生きてる”って感じですね」
 八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)がぽつりと呟く。鼻をくすぐるのは油と鉄粉の匂い。どこか頼もしく、温かい。
「ええ、ええ。文明の遺伝子ですね」
 オメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434)は冷静な声で応じながら、機構の駆動音に耳を澄ませた。――人と機械の心拍が、ここでは一つに混ざり合っている。

 彼らの視線の先、巨大な吊り天井の下にひとりの男が立っていた。
 白髪交じりの作業着、無骨な義手。ヴァルムント技術部主任査――アイゼンベルク。
 重い鋼鉄扉を背に、溶接光の中で振り返るその目には、鉄と同じ温度の“誇り”が宿っている。

 オメガと真人の後ろから、やたらと賑やかな足音が響いてきた。
 どたどたどた……ガシャン! 何かを倒した音の直後、金属の煙の中から白衣の裾がひらりと現れる。

「おおお……ッ! 生きているッ!!」
 その声に真人が思わず飛び退いた。
 現れたのは、言わずと知れた科学の暴走装置――ドクター・毒島(オメガ・毒島の|博士《Anker》・h06463)である。

「第捌号プラント……良い、非常に良いぞッ! 機械の絶え間なきリレー、吹き込まれる制御命令……素晴らしいではないかッッ!!」
 両手を広げ、まるで聖堂に入った神父のように叫ぶ博士に、真人はおろおろと視線を彷徨わせる。
「え、えっと……博士、すごいテンション高いなあ」
「博士、あまりアイゼンベルクさんの邪魔にならないように……ああ……ああ……」

 オロオロするオメガ。しかし、対面するアイゼンベルクは一切動じない。
 油で黒く染まった義手を拭いながら、静かに言葉を発した。

「――白衣に着いた|金属の切削切粉《・・・・・・・》……お前さん、技術屋だな。一つ聞かせてくれ。魂とは、何だ?」

 一瞬の沈黙。博士の笑みが鋭さを帯びる。

「知れたことを――浪漫だ!」

 火花のような即答に、アイゼンベルクの義手がわずかに震えた。
 次の瞬間、ふたりの拳ががっちりと握られる。

「いい答えだ。……浪漫を語れる技術屋は、まだ死んじゃいねえらしいな」
「無論ッ! 浪漫こそが命を動かす回路だ!」

 真人とオメガは顔を見合わせ、同時にため息をつく。
 ……だが。

 ――俺も、しんみりばっかりしてられない、のカモ。

 装備している脚部等を外されて行く、悟った表情のオメガを見守りつつ、真人の胸の奥には不思議と熱いものが灯った気がした。

●
 博士のテンションは完全に天井を突き抜けていた。
 |感情同調型神経インタフェース――コードネーム:Lucida《見覚えのありすぎる薄銀色の小型回路版》。
「これか!! こいつか!! ハッハッハッ! いいぞいいぞ! ワッハッハッハッハ!!」
 ルシーダの薄銀のプレートを両手に掲げ、まるで宝石を愛でるように回転させながら叫ぶ。
 机の上には回路図、分解された義肢、そして火花を散らす試験機構――。
「(強引に)付いて来た甲斐があった!」
 工場全体が“創造”という名の熱狂に染まっていた。

 傍らでアイゼンベルクが開発用マルチツールを組み直しながら、ふと呟く。
「お前さん、これを“持ってた”って言ったな……」
「ええ、ええ。生身だった頃の、衣服のポケットに入っていたらしく。今は私の義体に組み込まれていますが」
「……そうか」

 主査の声はいつになく低く、そして穏やかだった。
「オメガって言ったな。みな迄は言わねェ。大事にしろ」
 その義手が、軽くオメガのボディを叩く。鉄と鉄のぶつかる音が、どこか人肌のように柔らかかった。

 博士はそれを聞き流すように、しかし確実にその意味を理解していた。
「形見か……成程な。丁度オメガのヤツに新パーツをと思っていたのだ。まさに暁光! 棚から牡丹餅! ――二枚使いといこうじゃないか!」

 言うが早いか、博士は図面上で二つのルシーダを並べ、神経のように回路を繋ぎ合わせる。
「同調率は上昇を促しつつ、逆位相制御コイルで臨界域を封じる! アイゼンベルク、電圧が足りん! 何とか出来んか?!」
「圧縮コイルを使えば何とかなンだろ、ドクター。それと、ピコ秒遅延回路を噛ませりゃ発火点は圧電素子程度で事足りる――」
「ワッハッハッ、理想的だ!! ならばデッドラインの手前でルシーダ同士を同期させるぞ!!」
「待て、それだと波形が暴走する。同期を逆回転に切り替えろ、発振器の軸を二段階でずらしゃ安定するはずだ」
「ズラす? いいや、ズラすのではない――“重ねる”のだ、アイゼンベルク!!!」
「ハッ、いいじゃねェか! 浪漫だなァおい!!」

 咥え煙草のまま、猛スピードで基盤を構築していく主査。
「おい私にもやらせろ!!」
 博士の方も、回路に制御構築式を叩き込んでいく。
 さながら天才技師二人による連弾。
 やがてCAD上に書き起こされた図面がメタルフレーム出力装置に送られ、外殻がロールアウト。
 滑らかな銀と黒のフレーム、脚底にはウィールユニット。車輪が縦に裂け、鋸刃のような刃を剥き出しにする。
 新たなオメガの義脚、その金属の中を通る電子の奔流が脈を打つ。――あたかも、生物のように。

「「……“オメガ・ブレード”」」
 博士と主査が同時に名を呟く。
 その様子を見ていた真人が、少し離れた作業台で苦笑した。
「うわあ……俺の装備、あんな派手じゃなくていいや……」

 真人は思案する。前回の戦闘では、窮地をオメガに救って貰っていた。真人もオメガのカバーリングをしていたが――自分の身は自分で守れるように、なりたい。
 軽くて、たこすけの邪魔にならなくて、咄嗟に構えられるような……。

「……何? タコ? 全部の足にロケットランチャーでも付けろ! 付け放題だ!」
「エエッ……博士のアイデアは、ちょっと奇抜すぎてヤですね……」
 それぞれが別方向に向かおうとした挙句、爆発したら――。
 博士の発言にたじろぐ真人。|拠点の祝い事《南瓜行列祝砲》で散々|爆発した《ゾロ目った》のだ、暫くは遠慮したい。

 オメガが咳払いをして口を挟む。
「博士、その案は“味”が強すぎます。真人には、より機能的で繊細なものを」
「なら、これだ」
 アイゼンベルクが机の奥から取り出したのは、透明な薄板めいたもの。
 中心の小さな機械をつつくと、シュンと音を立てて薄板が消える。

「投影型多重防御断層。……視た所、直感と反射神経は良さそうだ。ンなら、コイツのシビアな展開タイミングも掴める筈だぜ」
 博士も頷く。
「いいぞ、それを“守る意志を映す楯”として調整すれば完成だ」

 数時間後。
 真人の腕には、たこすけの触腕の付け根に重ならぬよう調整された小さな円形の装備が輝いていた。
 呼吸と同調して淡く発光するその楯は、触腕の揺れを受け止めながら微細な共鳴を返している。
「……これなら、俺でも……守れる、気がします」
 真人の声は、どこか誇らしげだった。


■GEAR DEPLOYMENT :for.真人
 投影型多重防御断層《オクタグラム・バリア》

 八手・真人のために調整された軽量防御装置。蛸神の触腕の可動を阻害しない設計思想のもと、オメガと博士の助言を得て完成した。
 腕輪状の本体には小型の防御フィールド発生器が内蔵されており、装着者の呼吸と脈動に反応して展開面積を自動制御する。
 戦闘時にはルシーダ片が内包された基盤が微光を放ち、反発波を形成。物理・エネルギー双方の衝撃を緩衝し、依代としての肉体を護る。

■META OBSERVATION :
 基本性能としては純粋な防御力よりも「防ぐ意志の反応速度」に特化している。信仰と守護が同調する瞬間に最も強い防御力を発揮し、使用者の心が揺らぐほど光は鈍くなる。


■GEAR DEPLOYMENT :for.オメガ
 高機動義脚《オメガ・ブレード》

 ドクター・毒島と主査・アイゼンベルクの共同開発によって誕生した、戦闘用多機能脚部。
 脚底に収められたウィールユニットはスケートのような滑走を実現し、戦場を縦横無尽に駆け抜ける。
 走行時には脚部車輪が縦に割れ、鋸刃状の回転刃を展開。突撃時の慣性を攻撃へ転化する。
 二枚のルシーダを用いた“二相共鳴構造”により、制御系と出力系を同時稼働させることが可能となった。
 博士曰く「理論ではなく浪漫で動く脚」。だが同調率の高さは正規品を凌駕する。

■META OBSERVATION :
 高い機動性能と反射神経強化が最大の特長。接近戦における斬撃・蹴撃に加え、加速状態からの跳躍攻撃にも適性を持つ。


■GEAR DEPLOYMENT :for.博士
 磁力血行促進器《メガ・マグネバン》

 余った材料で作られた日用品。「頭脳は血流から!」という博士の哲学のもと開発された、携行型磁力健康装置。
 原理は市販の👓ップ🐙レキバ🧸と同じ――と博士は主張するが、内蔵された高出力電磁石は通常比およそ2,400ガウス×256倍。
 起動時には局所空間に小規模磁場歪曲を発生させ、着用者どころか周囲十メートル圏の鉄分をも活性化させる。
 尚、使用時はオメガの接近は厳禁である(磁力が強力過ぎる故の衝突事故の恐れがある為)。

■META OBSERVATION :
 主査の真面目な基本設計に、博士が仕上げを担当。|その結果《ガウス値の桁が増え》、|こう《兵器に》なった。

レラジェ・リゾルート

●
「――感情を力にする装置、か」

 低く、抑揚のない声が工房の奥で響いた。
 主査・アイゼンベルクはプレス機の調整を中断し、ゆっくりと顔を上げる。長年使い込まれた手袋の指先で計器の針を止め、声を向けた。
「応とも。簡単に言うンなら、“心を燃料にする”技術よ」

 その目はレラジェ・リゾルート(|不殉月《なお死せず》・h07479)の姿――体軸のブレのなさ、歩く時の重心移動の滑らかさを瞬時に見て取った。
 僅かな所作のすべてから、主査は確信する。
「……武人だな。それも、かなりの手練れだ」

 レラジェは答えず、ただ静かに工房の奥を見やった。
 そこには鈍色の装置群が並び、薄銀色の小型回路版が冴えた光沢を放っている。
「ルシーダ・ユニット。感情伝達増幅装置――と呼んでる。使う者の精神波を拾い上げて、出力へと転換する。理屈より、結果を見る方が早ェかもな」

 主査の声に、レラジェは短く頷いた。
 “心を燃料にする”という言葉が、工房の金属音と共鳴して胸の奥に沈む。
 嫌悪ではない。理解と、わずかな諦念の混ざった静かな納得だった。

「……成る程。普段ならあまり俺の好むところではないが、この世界であればその成り立ちに納得も行く」
 言葉を選ぶように口にして、レラジェは僅かに視線を落とす。
「何より――今は、個人的にも歓迎したい気分だ」

 その声音には強い“想い”が含まれている。
 アイゼンベルクはその微細な変化を敏感に察したように、プレス機の|金型台座《ダイセット》から降りた。

「……それで、何を作る?」
「装備をひとつ。形状は任せるが、籠手がいい。殴れる類のものが望ましい。斬るだの刺すだのでは、どうにも気が収まらない」

 主査は首元の汗を拭いながら端末に手を伸ばす。
「成るほど。拳で語るタイプってわけだな。……あぁ、それと“ルシーダ”を組込むなら、事前に使用者を登録しておく必要がある」

「登録……だと?」
 その言葉に、レラジェの眉がわずかに動いた。
「感情の波形は指紋みたいなもンだ。予め自分のパターンを覚えさせといたほうが、馴染みも早い。……形見代わりに誰かのものを引き継ぎたい、なんて話も時々聞くがな」

 沈黙が落ちる。彼は短く息を吐き、とある名を告げた。
「“ルーデンス・グラーヴェ”という名に、聞き覚えはあるか」

 短く問われたその名に、主査の動きが一瞬止まった。彼は端末のホログラム操作盤を呼び出すと、無言のまま指を滑らせる。
 二人の傍にある、何も写していない旧式の中型ディスプレイ。その暗闇の中に無数のデータフレームが浮かび上がった。
 映し出されるのは戦況ログ――通信記録、出撃経路、個体反応値。そして、返された一行の文字。

 《該当データ一致。ノア・シエル第二防衛線所属。防衛学徒隊第一班、指導係》

「……第二防衛線か。確か、敵の侵攻が最も熾烈だった区域の一つだ」
 主査は唇を噛み、無意識に指を止めた。
 別の画面に、記録の終端が淡く点滅している。

 《通信途絶時刻:現地時刻16時43分22秒》
 《帰還記録:無し》

「……戦域そのものが崩落したエリアだ。仮にルシーダが無傷で遺っていたとしても……回収は絶望的だな」

 長い沈黙が降りた。
 冷えた空気が鋭く胸に刺さるようだ。主査は言葉を継げず、工具を力強く握り直した。
 レラジェもまた、静かにその光を見つめていた。

「……そうか。形見として持っていてやれれば良かったが……ならば仕方ない」
 どれほど時間が経ったのか。レラジェが重い口を開く。
 形見さえも遺らなかった。しかし現実を嘆いた所で、最早どうする事も出来ない。

「形見……、か」
 主査は低く呟き、工具を台に置いた。
 その声には、慰めでも同情でもない、ただの実感があった。
 先日の侵攻時に、彼は数多の戦士たちに装備を渡し――その多くを二度と見なかった。
 “形見”という言葉は、どの単語よりも重いと知っている。

「――代わりに、傑作を造ろうじゃねェか。お前の拳に、心臓を仕込んでやる」
 主査の声には、いつもの皮肉めいた調子はなかった。

●
 アイゼンベルクは作業台に向かい、古い製図紙を広げた。そこに描かれているのは、籠手の断面図。関節の機構、衝撃を受け流すためのクリアランス、打撃面の微妙な湾曲。職人は静かに指で線を追う。
「まずはフレームを軽合金で作る。だが軽さだけを優先すると伝達効率が落ちる。重心は拳のやや手前、体重移動で『乗せる』ことを前提にする」

 レラジェはわずかに顎を引き、無言で頷いた。話は通じている。主査は続ける。
「次に衝撃伝播ノード。殴打時に瞬間的に周辺装甲を破壊するパルスを出す。お前の腐蝕能力と合わせりゃ、壊せねェもンは無いだろうな」
 その言葉に、レラジェの表情が少し固まる。斬るのではなく、叩き壊す――という設計思想は彼の望みに合致した。

「ルシーダの接続部は外部ポートで作る。感情フィードバックは任意で切れるようにし、暴走時は自動カットが入る回路も組み込む。性能優先で組むか、安全優先で組むか、そこの選択はお前さんだ」
 短い沈黙の後、レラジェは小さく笑ったように答えた。
「性能を取る。ただし出力の暴走は俺が管理する。人の心を燃料にするなら、その扱い手が燃え尽きるようでは不甲斐ないにも程があろう」
 アイゼンベルクは頷き、設計図に赤い印を入れた。――黒い暴虐の籠手が、現実のものとなる。

―――
――

―

 アイゼンベルクが、最後のねじを締める。軋む音とともに、籠手の節は確かな手応えを得て、工房の空気が一瞬だけ密度を増した。火花が散り、溶接機の光が閃く。レラジェはその光景を、無表情のまま黙って見下ろしていた。

「受け取れ」
 主査が籠手を差し出す。
 レラジェは黙って手を伸ばし、籠手を掴む。装着は機械的に滑らかで、幾つかのフックが嵌まり込むと、内側のライナーが掌に吸い付くように密着した。指先を曲げると、微かな駆動音とともに節が連動する。感触はまるで相手の呼吸を受け止めるかのように、しかし冷たく硬質であった。

「良い装備だ」
 言葉は淡い承認だったが、主査の目には安堵と哀惜が交差した。彼は短く顎を引き、工具を台に戻す。

「礼を言う」
 レラジェは礼などという所作を大げさには示さない。だが、その言葉には重みがあった。それは感謝の代わりに、約束を含んでいる。

 アイゼンベルクは無言で頷いた。しばらくの間、二人の間には工作機械の残響だけが流れていた。やがてレラジェはゆっくりと顔を上げ、主査を直視する。
「俺には次の戦いでお前の命を護れる保証はないが、お前の技術と仕事は決して忘れない」

 その声には冷たさと温度が同居している。続くレラジェの言葉に、主査は一瞬だけ目を細め、僅かに笑ったように見えた。
「この籠手は俺が戦場で散るその日まで必ず携えてゆく」


■GEAR DEPLOYMENT :
 暴虐の籠手《アジタート》

 レラジェ・リゾルートの戦闘様式と腐蝕特性に合わせ、主査アイゼンベルクが調律を施した打撃用ガントレット。
 かつて防衛学徒隊の少年が愛用した籠手の構造設計を参考に、外装を高張力合金で覆い、内層には衝撃伝播ノードとルシーダを組み込んでいる。
 打撃時にノードが瞬時に局所振動を放ち、接触面を脆化させることで、刃を要さず装甲の強度を喪失させる設計を持つ。
 暴走防止のための自動遮断回路と、手動での感情供給カット機構を標準装備する。

■META OBSERVATION :
 ルシーダの情動変換制御を最小限にし、出力の安定化よりも“意志の瞬発力”を優先する設計思想を持つ。形見であり、祈りであり、灰燼の中に在るひとつの約束。

徒々式・橙

●
 堅牢なプラントの内部は、ひどく静かだった。
 非常電源で保たれた薄暗い照明が、金属の梁を淡く照らす。
 停止した製造機械群は、息を潜める巨獣のように沈黙していた。
 はんだ槽から立ち昇る熱が弱く揺らぎ、メタルフレーム出力装置がかすかに唸る。

 非常灯の橙光が、机上の工具を鈍く照らしている。
 主査アイゼンベルクは武装の設計図の上に手を突き、静止したまま何かを考えこんでいた。

「それにしても面白い技術ですね。仕様書とか設計書とか拝見しても?」

 背後から声が落ちた。
 主査はわずかに肩を動かし、煙に濁った声で軽口を返す。
「お前さんも√能力者ってやつだろ。オーダーせずに覗き見たァ、冷やかしか?」
「ええ、冷やかし半分、本気半分。機械とか得意だったりするんですよこれでも」

 徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)が手に取ったのは、薄銀色に輝く回路版――新品のルシーダ。
 愛用のマルチツールから、ルーペを片目に装着する。繊細な回路は、まるで|織り上げられた《慟哭で描かれた》|絵画《情念》のよう。
「ふむ、ハード構成にも無駄がないし機能も最適化されてますね。素晴らしいです……あでもちょっと弄っても良いです?」
 立て板に水の如く話し続ける橙に、怪訝そうにしつつも首肯する主査。

 ルシーダを、まるで誰かの遺骨かのように丁寧に安置する。
「そうそう、私ってお気楽でお人好しなんです」
 ――だって、そういうのが"お望み"なんでしょう?
 そう紡いだ声音は、余りにも穏やかだった。

「例え捨てるカミサマがいるとしても」
 橙は懐から銀の懐中時計を取り出す。
 針が微かに動き、非常灯の橙光を受けて淡く輝いた。
 主査の視線がその光を追う間に、橙は微笑む。
「貴方がたが希望を捨てないのでしたら――私がいつでも叶えますよ」

 工房の空気が、わずかに変わった。
 針が逆回転を始め、針先が描く軌跡に沿って空間が歪む。

「この子たちの祈りの残響は、今も響いているんです」
 橙はルシーダの表面をそっと撫でる。指先に灯るのは“記憶”の光。淡い虹色が、薄銀色の回路版に染み込んでいく。

 ――まだ、倒れられないんだ。
 ――皆の為に、もう少しだけ、生きていたかったの。

 微かな声が、金属の壁面を伝って響く。幻灯のような残光が漂い、空気がわずかに震えた。
 主査が思わず息を止める。理屈では説明できない現象が、確かに目の前にあった。

「祈りって、電力よりも非効率なんですよ。けれど――温かいんです」
 橙の掌から光が流れ、ルシーダの外殻に溶けていく。
 幽かな輝きが流路を走り、やがて輪郭に沿って脈動を刻んだ。

 光が収まると、工房は再び暗がりを取り戻した。
 だが、机上のルシーダだけが、わずかに温かい光を宿していた。
 主査アイゼンベルクは煙草を咥え、黙って観察する。

「……お前さん、まさか電力代わりに祈りを扱うのか?」
 橙は笑いながら肩をすくめた。
「いやぁ、消費はしません。燃やしてしまうより、灯しておく方が好きなんです」

 橙はルシーダから手を放す。
「形は整えました。仕上げは、貴方の手で」
「……お任せと来たか。いいぜ、やってやろう」

 主査は紫煙を吐き、工具を手に取った。
 アンティークな懐中時計と、祈りの代行者に相応しき逸品を。火花が散り、合金の匂いが立ち込める。祈りと金属が、音を立てて混じり合う。

 短い静寂の後、主査が手を離す。
 ルシーダはまるで息を吹き返したかの如く、内部の光が穏やかに脈動を始めた。

 橙は細密な工具を操り、まるで慎重に掃き集めるかのように、ルシーダの回路をコアへ集積させる。
「おいおい大したもんだな、こいつァ魔法か? 俺にゃトンと理解が出来ねェ」
「無理もないですよ。これは、今この時代になは存在しない未来の技術ですから」

 未来の……って、そんな都合のイイモンが有るモンなのかよ、と絶句する主査。
「……って言われてもねぇ。そんな都合がイイモンが在るから、"私"が今こうしてここに"在る"んですよ」

 更に懐中時計を開いて内部のテンプを慎重に取り出すと、超集積化されたルシーダ・コアを天輪の中心に組み込む。
「これで、貴方たちの技術と、彼らの祈りと、私の時間がひとつになりました」

 固まっていた主査は、思わず感嘆の声を漏らした。
「……時計の中に魂を詰めるたァな。抜け目のねェ男だ」
 橙は眼鏡を押し上げ、穏やかに笑う。
「時計って便利なんですよ。祈りを刻むには、丁度いい構造でして」

●
 橙は再度組み上げた懐中時計を机に置いた。
 その内部の天輪が、かすかに光を放ち、淡い橙色の脈動を刻んでいる。
 まるで、どこか遠くで続く心臓の鼓動のように。

「大丈夫ダイジョーブ、ちゃんと自分用に使いますし、壊しやしませんって」
 橙は穏やかに言い、外套の襟を整える。
 主査は答えず、ただ指先で懐中時計の外装をなぞった。
 心配はしていない。そこに宿る温もりが、人の祈りであることを――そして彼がそれを粗末にはしないであろう事を、理解しているからだ。

 懐中時計をしまった橙が扉へ向かい、非常灯の明かりを背に歩み出す。
 その遠ざかる足跡が、不意に二重に、三重に増えて聞こえた気がして、主査は顔を上げる。

「……ッ」
 橙に付き従うように歩いて行く、少年少女の影。瞬きの後には、もう見えなくなっていた。
 光がひと筋、扉の先を照らし――そして、再び闇に融けていく。

「……拾う神あり、か」
 立ち尽くしていた主査は片手で目元を覆い、何かを必死で堪える様に低く呟いた。

「――祈りだけになって帰って来やがって。……きっちり、生きた身体で帰ってこいってンだ……」


■GEAR DEPLOYMENT :
 天府《けいしょう》

 激戦に散った防衛学徒隊の少年少女の「祈り」を新造ルシーダへと焼き込み、|銀の懐中時計《メモリークロックワーク》に融合させたもの。
 徒々式・橙のために主査アイゼンベルクが調整したルシーダを超集積化させ、天輪に組込んだ。
 稼働時、時計内部のテンプが橙色に脈動し、過去・現在・未来の情報層を瞬間的に重ね合わせることで、“祈りの波長”を増強する。

■META OBSERVATION :
 使用者の心が揺らいでも、祈りが残る限りこの時計は動き続ける。それは橙という存在の在り方――「誰でもない誰か」として、祈りの終着点を未来へ繋ぐ灯火である。

ファウ・アリーヴェ

●
 機械たちが眠る暗がりを、非常灯の燈がわずかに撫でている。
 地上に築かれたヴァルムント・インダストリ第捌号プラント。かつて都市を支えた巨大な製造機械は、非常電源では動かす事もかなわず、今は沈黙していた。
 不足を補うための火力発電で生じる白い蒸気が、時折天井に繋がる排気管を通過して咆哮を上げる。

 ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)は、その静寂のただ中に立っていた。
 金属粉と油の匂いが染みついた空気に、スンと鼻を鳴らす。
 停止した溶接機とプレス機の間を抜け、彼は慎重に足を進めた。
 作業台の前では、一人の男が部下に指示を飛ばしながら、精密な作業を手早くこなしている。
 白髪を短く刈り、左腕を義体に換えた技師。ふと顔を上げた、その男――ヴァルムント・インダストリの主査、アイゼンベルクと目が合う。

「こりゃまた変わった姿だが……お前さんも√能力者ってヤツなんだろ? ンなら無償だろうが協力は惜しまねェ。さぁ、オーダーを聞かせてくれ」

 不躾だが、敵意の無い声。――それだけで、久しく遠のいていた“心の温度”を感じた。
 しばしの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開く。

「扱いきれるか解らないが、武器の新調……? を、頼めないだろうか」

 淡々とした声が、金属の壁に柔らかく反響する。その声の奥には、“委ねる”という静かな熱があった。
 かつて、命令に従うことでしか生きられなかった者が、今は他者に望みを託す。
 その一言を聞いたアイゼンベルクは深く頷き、灰皿に煙草を押しつけた。
 煤けた唇の端が、わずかに緩む。

「……頼まれた。出来ねぇとは言わねェさ」
 主査の声が、静寂の中で低く響くボイラーの呼吸音に混ざる。
 それは、ファウにとって“珍しく、仲間以外の他人と交わした約束”の音色だった。

 主査が机の上の図面を一度払い、手元のCAD端末を操作する。
 非常灯の暖色が薄く滲み、画面に青白い光の線が浮かぶ。
 静寂の中に、画面を切り替える小さなクリック音だけが響いた。
「で、どんな形にする。剣だろうが銃だろうが、力の通り道さえ決めてくれりゃ、仕上げはどうとでもなる」

 ファウは短く息を吐き、少しだけ視線を落とす。
 心の奥に、翼のような残像がひらめいた。
 黒い羽根、三本の脚、空を渡る導きの鳥――記憶のどこかで、何度も夢に見た姿だった。

「名は、八咫烏。三本足の鴉の姿で、翼が羽根型の小型ドローンの母艦になっている、ルシーダ搭載のレギオンフォートレスを」

 アイゼンベルクの手が止まる。
 眉を僅かに上げ、苦笑まじりに言う。
「ほう。変わり種を持ってくるな。導きの鴉か――」

 ファウは、静かに頷く。
「意識に合わせて鋭い刃物のような羽根達が、攻防の補佐をするように。そして誰かが迷った時、せめて、その行き先を示せるように」

 声に熱はない。ただ、消えかけた炎のような静かな意志が灯っていた。
 アイゼンベルクは僅かに頷きを返し、再び指先を動かす。
 モニタ上に三つ脚の黒いシルエットが現れ、胸部にルシーダの輝きが走る。
「……機械に“導く心”を乗せるか。面白ェじゃねぇか、気に入った」

 その応答に、ファウはほんの僅かに頷いた。
 無表情のまま、それでも耳がぴくりと動く。彼の尻尾が小さく揺れ、ふぁさりと小さな音を立てた。

 やがて主査は、CAD上に書き上げた模型を回転させて見せた。機構的には冷たく、しかし輪郭には生命的な柔らかさが宿る。
 ファウはそれを見つめ、納得したように短く言った。
「これでいい。ここまで鴉に近く作ってくれたのなら充分だ」

 その言葉に主査は黙って口の端を上げると、作業を続けた。
 メタルフレーム出力装置が一つ震え、積層された合金粒子が熔けてゆっくりと形を成す。
 立ち昇る煙の中、八咫烏の影が静かに最初の羽ばたきを見せた。

●
 工房を出ると、風が一気に冷たく頬を打った。
 火力発電の余熱で白く煙る排気塔の向こう、街は半ば崩れたまま沈黙している。
 遠くで、機械油に混じる焦げた匂い。瓦礫の隙間を縫うように、赤錆の水が細く流れていた。

 八咫烏の筐体は、まだ主査の手により組込みの最中。
 だが、あの黒い翼が形を成した瞬間から――心の中に何かが灯り続けていた。
 それが希望なのか、ただの感傷なのか、彼自身にも判然としない。

 足を止めた先には、瓦礫の影に並べられた白布。
 数を数えることに意味は無い。人であったもの。妖であったもの。その境目さえ、もう分からない。

 ファウは膝を折り、白布の端に触れた。
 指先が、ひどく冷たい。それでも掌を合わせ、静かに目を閉じる。

 ――魂が、道に迷わないように。

 声には出さない。言葉にならない願いが胸の奥で小さく波紋を広げる。
 その波が、灰の下に眠る誰かに届くのなら。
 それだけで充分だと思えた。

 彼は八咫烏が完成するまでの間、資材搬入の手伝いや避難区画の修繕を請け負っている。
 焼けた建材を運び、割れた配線を繋ぎ、錆びたボルトを締める。
 どれも誰に頼まれたわけでもない。
 ただ、何かを“戻したい”という感覚だけが、身体を動かしていた。

 瓦礫の隙間では、避難民たちが身を寄せ合い、かろうじて眠っている。
 ファウは食料庫を覗き、ため息をついた。
 袋の中は、もうほとんど空だ。薬も、包帯も、湿った箱に残りわずか。
 それでも出来ることを探して歩く。水を運び、灯りを繋ぎ、寒さに震える子どもの隣で火を熾した。

 ――物資が、足りない。
 数刻のうちに、ひとり、またひとりと呼吸の音が消えていく。
 見つめるしか出来ない現実に、心の奥が鈍く軋んだ。

「……こんなに、脆いものなのか」

 誰に向けた言葉でもない。焼けた壁にもたれながら、ファウは掌を見つめた。
 その指先には、何の力も宿っていない。助けたいと願っても、掴めるものが無い。
 それでも――その願い自体を、捨てたくはない。

 やがて彼は立ち上がる。
 目の前に広がる荒涼とした避難区域。しかしそこには、まだ生きようと藻掻く者たちが多数いる。
 戦う理由は、もうそれだけでいい。
 ファウは工房へと踵を返す。そろそろ完成したであろう、新たな力を受け取る為に。


■GEAR DEPLOYMENT :
 八咫烏

 ファウ・アリーヴェのために設計されたルシーダ搭載レギオンフォートレス。
 黒鉄色の母艦ユニットを中心に、三本脚の鴉を模した姿を持つ。翼部は羽根型ユニット十六基で構成され、それぞれが独立思考回路と情動同調素子を備える。
 平時はコンパクトに折り畳まれた装甲翼として装着者の背面に背負われ、起動と共に分離・展開。
 意識波と感情波を同調させることで、羽根は鋭い刃としても、防御膜としても機能する。

■META OBSERVATION :
 八咫烏は単なる兵装ではなく、使用者の「情念」を感応核として稼働する精神同調型フォートレスである。心情が澱めば翼は鈍く沈み、強い願いに反応して空を駆ける速度と精度が上がる。

クラウス・イーザリー

●
 空は、鉛を流し込んだように重たかった。
 陽は雲の層に覆い隠され、昼であるはずの空気は灰色のまま沈んでいる。
 時折吹く冷たい風には、雨の気配が混じっていた。

 クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は、静まり返った工房区の路地を歩く。
 足元に散らばる瓦礫が乾いた音を立て、踏みしめるたびに鈍く響いた。
 この街は――航が守ろうとした場所。訓練の記憶が染みついた通りに、もう人の声はない。

(……罠だとわかっていても、来ないという選択肢は無い)

 心の中で言葉を確かめるように呟き、息を吐く。
 視界の先、古びた整備工房が口を開けていた。暗い曇天の下、錆びた扉の縁だけが鈍く光る。

 無言のまま扉を押し開け、重い空気の奥へと踏み入った。
 非常灯の燈が壁面の計器を淡く照らし、巨大なプラントの内部は昼であるにも関わらず夜のようだ。
 停止した製造機械群は、まるで鉄の巨人が息を潜めているかのように沈黙している。

 主査――白髪混じりの技師が、奥の端末前で振り返る。
 非常用バッテリーの注意音が室内を満たす中、クラウスは一歩、踏み出した。

「新しい武器を作りたい。機械槍で、ルシーダを搭載できる構造にしてくれ」

 短い言葉。それだけで十分だった。
 技師の指が端末を叩く。CADの起動画面が光を帯び、金属の設計骨格が描き出されていく。

「若い連中の……仇を討ってくれるンだな?」
「……ああ。俺は、そのために来たんだ」

 短いやり取りのあと、室内に再び沈黙が落ちた。
 メタルフレーム出力装置の積層ノズルが微かに唸り、粉末合金が光を帯びて降り積もる。
 その音だけが、止まった機械の群れの中で生きている。

「ルシーダは……もしも航、いや、深見 航が使っていたルシーダがあるのなら、それを搭載してほしい」
 端末に映る設計骨格を見つめたまま、クラウスは低く告げた。

 主査の手が一瞬だけ止まる。
「……形見代わり、か」

 主査の言葉。クラウスの胸の奥にひどく冷たい響きが残る。
 どんな理由をつけても、これは“死んだ誰か”の意志を継ぐための願いだ。
 それでも、そうするしかない。

 主査は黙って頷くと、別の端末を起動させた。
 中型の旧式ディスプレイに浮かび上がったデータベースに、検索をかける。

 《該当データ一致。ノア・シエル第六防衛線所属。防衛学徒隊第二十班》
 《通信途絶時刻:現地時刻14時52分19秒》
 《帰還記録:無し》
 《ルシーダ:有り。蓬原 湊により遺品回収に成功》

 短い沈黙の後、主査が部下を呼ぶ。
「棚番号CA23の……確か6555番だ。――持って来い」
 暫し後、運ばれてくる白い琺瑯の小箱。掌に収まるほど小さく、それはまるで骨壺のようだった。

「これが……」
 クラウスは息を呑み、指先が止まる。
 戦場に置き去りにされた“航の欠片”が、今ここにある。
 そう思うだけで、喉の奥に苦い熱が込み上げた。

●
 ある程度の打ち合わせを終えると、主査の手元で作業が始まった。
 合金粒子が淡い光を放ちながら舞い上がり、鋳型の中でひとつの槍の骨格を形成していく。
 火花が散るたび、琺瑯の小箱の白が一瞬だけ光を受けて揺らいだ。

 クラウスは作業台から少し離れ、無言のまま工房の外を見た。
 鉛色の雲が低く垂れ込め、光を奪い続けている。
 何もかもが静かすぎて、耳鳴りのような沈黙が胸を締め付ける。

 ミメーシスの残骸から読み取った記憶が、脳裏に蘇る。
 断末魔のようなノイズ、航の姿を模した敵の崩壊。
 そして、あの瞬間の――何も救えなかった自分。

 手のひらを見つめる。
 目を凝らせば、薄っすらとした無数の傷跡がそこにある。
 ピントを内面に向ければ、精神の損傷は更に酷い。
 ノア・シエルに来る以前から、戦い詰めの日々だった。数多の戦闘の中には、深く心を抉るもの数知れず。
 「かみさま」を目指した子供たちの、柔らかな首を掻き切った。
 親友の顔を模して嗤う敵を、何度も屠ってきた。
 ――戦い続けた結果として、今の自分はどこまで“人”でいられているのか。

(……仇を討ちたい。この街を守りたい)
 願いは確かだ。だが、その裏に滲むもう一つの衝動を、彼は知っていた。

(今回の戦いなら――綺麗に、死ねるかもしれない)

 唇が微かに動き、苦笑が滲む。
「……戦う前から、そんなことばかり考えていたら駄目だな」
 低く呟き、再び灰色の空を仰ぐ。雲間に少しでも青空があれば、そこから降る一条の陽光でもあれば、少しは気が楽になったのかもしれない。
 然し依然として雲は厚く垂れこめ、明るくなる兆しすら見いだせなかった。

 槍の外殻が形を成すと、主査は白い琺瑯の小箱を慎重に取り上げた。
 無言のまま蓋を開けると、薄銀色の小型集積回路――ルシーダが、静かにそこにあった。

 クラウスが支える槍の握りの部分に、主査がルシーダを組込む。
 細い接続ピンが音もなく嵌まり、瞬間、青白い光が流れ込んだ。
 それは脈動のように広がり、室内の空気が一度だけ震えた。

 クラウスの身体を伝い、鼓膜を刺激する微細な電気信号。
 ――音が聞こえた。

 最初はノイズ。
 やがて、それが言葉に変わる。
 くぐもった音声の断片が、僅かな反響を伴ってクラウスに直接流れ込む。

『“できるようになるまで繰り返すこと”が大事なんだ』
 穏やかな声と、それに安堵する心の記憶。

『いきなり実戦になってしまうけど……大丈夫だよ、落ち着いて行動してね』
 緊張がほどけるような呼吸。

『今日のことは、ちゃんと誇っていいよ。……でも、油断はしないで』
 憧れと、まっすぐな視線。

『焦らなくていいよ』『大事なのは、戦場に出ても冷静に』
 幾重にも重なる声の波。

 そして、最後に、ひときわ鮮やかに焼き付いた一言が響く。


   『大丈夫。下がって、吸って、吐いて。……落ち着いて』


 どれほど、その言葉に縋ったのだろう。どれほど、その言葉が彼の支えになったのだろう。

 瞬間、クラウスの喉が詰まった。
 彼は顔を伏せ、拳を握りしめる。
 胸の奥で何かが軋む音がする。
 唇が震え、声にならない息だけが漏れた。

「……航……」

 ルシーダの光が安定し、青白い脈が槍の軸を走る。
 鼓動のように、静かに、確かに。

●
 再度槍を受け取った主査は、魔力を伝導する機構を組込んでいく。
 ――その手の動きが、一瞬止まった。
(……何だ? 霊子出力の閾値が跳ね上がってンじゃねェか……)

 傍らのモニタには、常識を逸した霊子演算の波形。
 ルシーダの中に、まだ“燃やせるもの”が残っていると示していた。

 彼は眉をひそめる。理解してしまう。
 ルシーダの回路に残る航の人格構造を霊光化すれば、爆発的な出力が得られる。だが、それは――。
(悪魔の所業じゃねェか……!)

 主査はうめき声を漏らした。
 クラウス達√能力者が立ち向かう敵は、底が知れない。
 武装技師として、兵士の戦力を上乗せし、よって生還率を上げるのは何よりも優先すべき事項だ。
 倫理と現実の板挟み。苦悩で割れんばかりの頭を抱え、葛藤する事暫し。

「……済まないな、坊主」

 誰にともなく呟き、彼は追加回路を構築する。
 人格演算層に、魔力出力を強制リンクさせる。
 霊子演算が限界を超え、ルシーダの中で光が滾った。

 “人格データの減衰”――僅かな損失値。
 工具を置いた彼の指が微かに震えていた。
 溶接の光が止み、工房に沈黙が戻る。

「……完成だ」

 主査は立ち上がり、出来上がった槍を差し出した。
 クラウスはそれを受け取り、ゆっくりと握り締める。
 槍の柄が、心臓の鼓動に合わせて脈打つ。
 青い光が呼吸するように瞬き、
 どこかで航の声が、かすかに笑った気がした。

―――
――

―

「……ありがとう」

 全てを聞いてなおクラウスがそう告げた時、主査は何も言わなかった。
 ただ、深く息を吐き、視線を落とした。
 クラウスの瞳の奥には、覚悟を決めたかのような鈍い光があった。

「回収してくれた子にも、お礼を言わないと……」
 クラウスの声に、主査は目を伏せる。
「……帰還した時には、もう既に虫の息でな。全身の八割がた機械義体に換装して漸く命を取り留めたが、まだ意識が戻らねェ」

 クラウスは小さく頷いた。
「……、そうか……」
 握る槍の柄がわずかに震える。青白い光が脈動し、呼応するように微かな熱が掌に残った。

 外では、今もなお遠雷が響いている。
 灰色の空の下で、クラウスは歩き出した。
 地獄の激戦となる、ノア・シエルの廃墟へ。


■GEAR DEPLOYMENT :
 魔導複合機械槍《レミニセンス》

 深見 航のルシーダを中核に据え、クラウス・イーザリー自身の魔力制御系統と直結させて調整された機械槍。
 通常時は高い貫通力を発揮し、魔力出力に応じて槍刃に霊子膜を形成。
 着撃の瞬間に爆縮反応を生じ、破壊力と突進速度を増す。
 槍身の伝導管が使用者の脈動と共鳴し、青白く脈打つのが特徴。

 最大の特異点は、航の記憶断片をトリガーとするバーストモードの存在。
 霊子演算の負荷を一時的に上限解放し、槍刃全体を高エネルギーの霊光に変換。
 その一撃は機械群の装甲を分子レベルで焼き切るほどの威力を誇るが、代償としてルシーダに残された航の人格データを“燃料”として消費する。

■META OBSERVATION :
 バーストモードを使うたびに航の記録は薄れ、クラウスのルシーダとしての純度が高まる。
 すなわちそれは、「彼を喪う痛み」と引き換えに槍が完成へと近づく過程であり、戦うほどにクラウスが“ひとりになる”武器でもある。

第2章 集団戦 『特異学習機体『MMS・type-kV』』


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 ■マスターより:特殊断章発生のお知らせ
 画面右上の「…」アイコンから、一言雑談の確認をお願い致します。
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「これで、どうにか形にはなった……っと」
 主査・アイゼンベルクがレンチを置いた瞬間、プラント全体の燈が一瞬弱まった。
 非常電源と補機の火力発電、さらに大型工作機械の主電源を切るという荒技で、わずかに命脈を保っていたヴァルムント・インダストリ第捌号プラント。
 送電ラインの警告灯の明滅と、機械の息づかいと人間の呼吸音が混じり合うその中で、技術者たちは最後の武装を完成させた。

 軈てキミたちは、それぞれ強化された装備を手に外の世界へと向かう。
 主査はその背中を見送りながら、静かに息を吐いた。

 ――直後、照明が息切れするように明滅し、音もなく暗転。部下のひとりが、端末の残量ゲージを見て顔を上げる。
「非常電源、残存エネルギーゲージ……尽きました」
 暫し黙した主査は、そして僅かにうなずいた。

「……おう、ご苦労さん。やれるだけの事はやった。後は、手前ェの命を張るだけだ」
 その声は穏やかで、しかし覚悟が滲んでいた。
 工具の代わりに、愛用の武器であるガン・ハルバードを手に取り、彼は仲間たちを振り返る。

「全員、武装しろ。此処にも敵が押し寄せるだろうが、アイツ等の手を煩わせちゃならねェ。最悪、刺し違えても|子供たち《チビども》だけは守りきれ!!」

 手に手に、銃や剣と言った武装を取る技術者たち。その顔には、一人残らず決死の覚悟が表れていた。

●
 乾いた大地に一滴の雨が落ちる。
 垂れ込めた曇天から、遂に雨が降り始めた。
 蕭々と降る雨の中、キミたちはドクトル・ランページが待ち構える中央エリアへと歩を進める。

 幾つかの瓦礫の壁を乗り越えた時、異様な光景が視界に飛び込んで来た。
 崩壊した街の中央広場に、黒鉄のコンテナが幾十も整然と並んでいた。
 整然すぎる配列――まるで戦場そのものが実験室と化したよう。
 雨のヴェールが金属の箱を撫で、どこか不気味な蒸気を立ち上らせている。

 薄闇の中、濁りのない人工音声が瓦礫の塔から木霊した。

『集まったようだな。協力に感謝する』

 その声は皮肉ではない。無機質な、ただの“機械の出力”。
 感情の欠片もない、冷たい観測者の声。

『我々が進める魂構造の究明のため、謹んで学ばせて頂く』

 続く機械音と共に、コンテナのハッチに赤い回路が浮かび上がる。
 電子制御の駆動音が一斉に重なり、空気を震わせた。

『――早速ではあるが、本物の定義を示して頂きたい』

 赤い回路が輝きを増し、閃光が雨の帳を切り裂く。
 コンテナの外殻が軋み、ロック機構がひとつずつ解除されていく。
 その内部では、透過液に沈められた影がわずかに動いた。

 ドクトル・ランページの声が淡々と続く。

『Re:Unionより抽出した感情ログ――お前たちが“再現”した人物の記録』
 ノア・シエル中枢部より物理的に簒奪され、敵の拠点に鹵獲されたデータベースから記録が強制的に吸い上げられる。

『ルートエデン・ノードからレオボルトが収奪した、対峙中の各個体情報』
 侵略機械群のネットワークから、蓄積された情報が流れ込む。

『――これより整合処理を実施』
 その声は、キミたちの心の内部に土足で踏み入ろうとする“意思”めいたものを、明確に帯びていた。
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 薄っすらと目を開ける。頭が……痛い。ここは、何処だ――??
 身じろぎをしようとして気付く。指の感覚が。身体の感覚が、有る。
 記憶を反芻する。市街地の奪還戦。そこで直上からの敵襲を受けて。
 ……どうなってるんだ? 俺は、あの後――。

 -_¯-¯ |ENEMY: クラウス・イーザリー《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 は……? 何言ってるんだよ、アイツは俺の親友で――
 脳裏に浮かんだその表情が、赤く滲んでいく。

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 あれ……? まるで、白昼夢からハッと覚めたみたい。気が付いたら、良く分からない液体の中。
 傍にいてくれる大好きな人が、居ない。またクヴァリフの事件に首を突っ込んだのかもしれない。
 あの人の所へ行かないと――。

 -_¯-¯ |ENEMY: 屍累・廻《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 頭が……痛い。どうして? どうして私がめぐ君を?
 何処か冷静な頭が、逃れられないと悟ってる。……やだよ……怖いよ……。
 まだ、唇にだって、さっきの温もりが残ってるのに。

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 最初に飛び込んだのは、水中に揺らぐ視界。
 こう――あれだ。頭を搔くって仕草も久しぶりな気がするな。
 ■■■と、ちっとばかり無駄話を楽しんだ気もするが……

 -_¯-¯ |ENEMY: オメガ・毒島《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 どうも違和感が拭えねぇ。記憶が他人事って感じか? ――はン、合点が行った。
 この俺をそっくりに作ろうとして、|誰か《・・》の妨害を受けて中途半端になったな?
 ……ま、俺自身が模倣だって分かった所でどうしようも無いんだけどよ。

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 微睡から跳ね起きるように覚醒した瞬間、見覚えのない景色に混乱する。
 ――これは、何だ。やはりあの時、羅紗魔術師に何かされたのか。
 それとも、ネームレス・スワンからの狂気浸食が残っていたのか。

 -_¯-¯ |ENEMY: 徒々式・橙《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 脳裏に響く思念と、頭が割れるような頭痛。
 此処に来て彼は、自らが敵の手中に落ちていると判断した。
 ――癪ですが、今は乗りましょう。
 仲間が、何かしらの打開策を見つけてくれると信じて。

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 ……疲れていたのかしら。まだ夢現だけど、真人を起こさなきゃ。
 真人ならもう起きているだろう? それにしても……ああ、気分が悪い。
 弟の名前は造作もなく口に出来るが――嗚呼、どうした事か。|兄の名が出てこない《・・・・・・・・・》。

 -_¯-¯ |ENEMY: 八手・真人《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 痛い。異体。頭が割れる。ノイズに欠落。
 己の記憶が不完全であるからこそ、両親は己自身の真贋に気付いた。
 正気のまま|狂気《偽の蛸神》を手繰り、愛する我が子を手に掛けねばならない。
 八手の血筋よ。その理不尽さをも、お前達は呑み込めるのか。

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 手を伸ばしていた。まるで恋焦がれるようだった。
 抱いたのは、人以上のものへの憧れ。きっとその場所に辿り着けると信じて、無我夢中だった。
 狂気に染まりきる前は、あの子の長い耳を撫でては心を癒していたものよ。

 -_¯-¯ |ENEMY: ファウ・アリーヴェ《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 視界がちらつき、頭痛が襲う。……果たして、そうだった、かしら。
 耳を千切ろうとしていた、の間違いでは無くて?
 必死に私を止めようと立ち向かって来る、その姿が酷く愛しく、哀しかったのを覚えているわ。

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 ――揺蕩う水は揺り籠のようだ。時折コポリと鳴る小さな水音が、耳に心地いい。
 木陰の下でレラジェと談笑して。また、すぐに会えるといいね――なんて希望を語って。
 さぁ、次は何処を歩こうか。山が色付いているのなら、紅葉を見に行くのもいいかもしれないね。

 -_¯-¯ |ENEMY: レラジェ・リゾルート《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 う゛……あ゛ぁ゛ッ、この頭痛は……一体……?
 それに、僕が……レラジェを? 僕じゃ敵わない、彼の勇猛さは僕も良く知る所なんだ。
 ――そう思っていたいのに、無性に嫌な予感が頭を離れてくれない。
 僕の顔色は、きっと今、勢いを失くした晩秋の朝日のように……愁いを帯びているのだろう。

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 狂気は伝播する。それは電脳に転写された記憶を媒介に、機械素体を侵食した。
 肌は白化し熱を帯び始め、同時にぶくぶくと醜く膨れ上がっていく。
 萌芽した邪悪は瞬く間に大きく育ち、ついには頭さえも失った時。愈々それが動き出す。

 -_¯-¯ |ENEMY: カノロジー・キャンベル《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 我を知る者は、我を見出すだろう。たとえ無意識のうちにであろうと――お前の“手”が、再び我を招いたか。
 嗚呼、苦しみに満ちた世界の匂いがする。大変結構。世界の“形”は、苦しみと快楽の上に成り立つ。
 ――我は選ばれし背徳の神、イゴーロナク。だが名などどうでもよい。
 カノロジー。お前が求める“赦し”こそが我の姿であり、お前の姿だ。

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 ……ん、冷てぇ。肺が焼けるようだ。視界の端に、泡が上っていく。
 息を吸おうとした瞬間、金属の味が喉の奥に広がりやがった。
 なんだ、此処ぁ。夕べはこれでもかと清酒を呑んで、気持ち良く寝てたってのに。

 -_¯-¯ |ENEMY: 躑躅原・戎吾《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 声がする。ちっ……頭が痛ぇ。戎吾を殺せって……そもそも誰の声だ?
 指が勝手に動く。液体の中で、拳を握り締めた。脈動が走るたびに、皮膚の下を赤い光が走る。
 ……クソッ、分からねぇ……俺は誰のために拳を……?

 ――ただ、拳を振るうための筋肉だけが息を吹き返していた。

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 深海よりは温かな水の中で目を開く。隙間からは外の光が零れる。
 だが、この存在は光では無く。別のものに反応してねっとりと口角を上げた。

 ……ようやく見つけた。君の香りは、潮よりも遠くまで流れる。

 -_¯-¯ |ENEMY: 八隅・ころも《敵対存在を撃破、鹵獲せよ》 __-_¯

 鹵獲……鹵獲か。最高だ。君が陸に上がった時、海がどれ程泣き喚いたか。
 今でも潮が私に“取り戻せ”と囁くのさ。
 さあ、そろそろ帰ろうか、ころも。海は、君の“居場所”を冷たく空けたままだ。

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・
・
『統合完了。外見一致率:99.7%――写像成立。記憶層コヒーレンス:0.90。主観同一性:確立。――模倣体自己認識:“本人”』

 ふと、ドクトル・ランページの視線が止まる。
『暗号化領域、一部復号不全。――模倣体自己認識:“非本人”』

 その視線の先は、オメガと真人のデータ。
『……なるほど。都市副系AIが最期に遺した悪足掻きか。……良い。比較対象として有効活用させてもらおう。魂の構造を測るには、欠陥という変数も必要だ』

 雨脚が強まる。空気を震わす重い機械音と共に、金属のハッチが一斉に開いた。

『では、実験を開始する。魂の定義は何処に宿るのか。肉体か、それとも蓄積された記憶か』

 冷徹な声が宣告すると同時、白い蒸気が吹き上がり視界を覆う。
 その霧の向こう、誰かの面影が立ち上がる。

『回答を要求する。――答えよ、|生命体《ニンゲン》』

 そう告げたドクトル・ランページの眼は、キミたちを実験対象として睥睨していた。



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      - テセウスの魂 -



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 [[ ENEMY : Mimesis Memory Shell -Kernel Vector ]]




==============================
■マスターより
そこに在る生身の身体を一か所ずつ義体に変えていったとしよう。
キミは何処までが本物で、何処からを偽物と断ずるのか。
相手がキミをどう思っているかは関係なく、熾烈な攻撃は止まらない/止められない。
――そんな精密に再現された“誰か”を、キミは|壊《コロ》せるか。


【本シナリオ限定ルール:負傷継続システム適用】(再掲)
第二章で受けた負傷は、原則として第三章に持ち越されます。
・ご自身で回復手段を用意する
・同行者による回復は「名指し」で記述されている場合のみ有効
「章が変わる事」による自動治癒は基本的に適用されないものとお考えください。


敵の攻撃はPOW/SPD/WIZいずれも「キャラクター様が見た事のある攻撃」または「使われたくないと発想してしまった攻撃」となります。
ご自由に設定し、その対抗手段をご記入くださいませ。


【負傷度合い】と【相手にトドメを刺せるか否か】はお好みで選べますので、プレイング冒頭に記入をお願い致します。

・身体的負傷
 〇:若干の出血・骨折レベルの負傷。
 △:流血・四肢欠損レベルの重度の負傷。
 ☆:大量出血を伴う瀕死レベルの負傷。第三章で何かしらの行動手段を用意できる方向け。

・精神的負荷
 ●:不快程度の負荷。戦闘は通常通り可能。
 ▲:重度の葛藤レベルの負荷。戦闘行動に支障あり。
 ★:戦意喪失寸前レベルの過負荷。第三章で何かしらの行動手段を用意できる方向け。

・トドメを
 ◎:刺せる
 ×:刺せない
(※どちらを選ばれても進行には問題ありません。キャラクター様らしい選択をどうぞ!)
カノロジー・キャンベル
八隅・ころも

●
 世界の輪郭が、立ち昇る白い蒸気と雨粒に滲む。
 空気を震わす重々しい駆動音と共に、黒鉄のハッチがひとつ、またひとつと開いていく。
 ――その中から浮かび上がるは、“思い出したくもない面影”。

「……ッ」

 八隅・ころも(クラ子・h00406)の触腕がざわりと逆立つ。
 海魔の本能が、脊髄に冷たい爪を立てたような反応を示す。

 ゆっくりと蒸気を押し分けながら現れたのは、頭部のない異形。
 膨れあがった白熱の肉塊。
 その掌に、口――喰うための、祈るための、身の毛もよだつ“口”があった。

『人は絶望の淵でこそ最も美しく祈る。今日再会した君の祈りも、甘美である事を願おう』
 その声は、甘く、静かで、神父の祈りにも似ていた。
 しかし、それ以上に“見覚えのある何か”を模倣していた。

 カノロジー・キャンベル(Company president・h00155)は、握り締めていた“頭”――右手をそっと緩める。
 自分でも気づかないほど、強張っていた。

「……やぁね、ホントに。パチモノだってわかってたのに、アタシってば……」

 ころもを見る。
 この子の手前、いつも通りに振る舞わなきゃいけない――そう決めると、カノロジーはわざと肩をすくめ、朗らかに声を張る。
「ほらほら、しっかりして! 戦場で呆けてると危ないわよ、ころもちゃん❤ アタシがタンク張るから、よろしくネ❤」

 次の瞬間、別方向から“湿った声”が降ってきた。雨音に溶けきれないほど、生々しい息遣いで。

『君が歩いた道を、私は全部追ってきた』
 蒸気の切れ間。そこに立つのは、大きな蛸の影。その体表は興奮を思わせる脈動と艶があり、何より“八本腕で絡みつくような視線”が息苦しい。

『私のもとにおいで、ころも。陸の冷たさなんて、君には似合わない』
 その声が空気を撫でた瞬間、ころもの触腕が反射的に逆立った。

「|縺上◎陋ク《ピー音代りの波濤の音》……ッ! その姿を模倣するのは流石にライン越えですわよ!」

 ころもは即座に反応し、触腕を広げて威嚇する。
 その動きは俊敏だが、指先が震えているのをカノロジーは見逃さない。

「ナイス、その意気よ❤ 気持で敗けちゃだめ……さぁさ、ここからは“仕事”の時間よ」

 雨がざあ、と叩きつける。
 濁流のような悪意が、ふたりの因縁を“再現”した地獄として立ち塞がる。

 それぞれの間合い迄、残り三歩。

 模倣体が、一歩、また一歩と近づく。

 残り二歩。

 雨を吸った地面に、ぬるりとした足音だけが響く。

 一歩――!!

「……ッ、来るわ!」
 次の瞬間蒸気が裂けた、カノロジーが叫ぶより早くイゴーロナク模倣体の“掌の口”ががばぁと開く、白熱する肉の裂け目から祈りと呻きが混ざった奇怪な音波が衝撃波のように奔る――!

 爆風めいた破壊力。真正面からその直撃を受けたカノロジーは然し、
「遅いわ、よッ!!」
 揺らいだ空気。掌打が音を置き去りにして放たれた。
 |手法・死灰復然《ディレイング・テクニック》――都合三秒の内に反撃の掌が模倣体の胸部を撃ち抜き、カノロジーに急速な回復を齎す!

『……嗚呼、素晴らしい。痛みは祈りの形だ、カノロジー』
 イゴーロナク模倣体が崩れた肉を再構成する間、別方向から蛸影が迫る。

「ころもちゃん!」
「分かってますわッ!」

 ころもが跳ねるように地面から飛び出し、人化を解いた触腕十本を一気に伸ばす。その白い触腕は装甲に覆われ強度を増し、露出した吸盤には悪魔の様な黒い牙がぎっしりと生えている。

「私のビンタはくっそ重めぇですわよ!?」

 空中で身を捻り遠心力を乗せた|烏賊平手《ゲソビンタ》、|直撃《インパクト》の衝撃で蛸影の胴体がひしゃげ、紫の体液が雨水に混じる!
 だが、蛸影は喜悦に濡れた声で笑う。

『怒っているのかい? 美しいよ、ころも。海にいた頃より、ずっと』
「黙りなさいですわァァァ!!」

 もう一回転、追撃とばかりにフルスインングで触腕を叩きつける。
 しかし蛸影はその衝撃にしなやかに身をくねらせ掻い潜り、逆にころもの身体へ勢いよく触腕を伸ばす!

「触るなって言ってるでしょうがァッ!!」
「あら~、従業員へのセクハラは|排除対象《ブラックリスト》よ❤」

 バン!! と空気が爆ぜる音。
 如何なる術理か、間に割って入ったカノロジーが蛸影の触腕を弾き飛ばす。

『邪魔をしないでもらえるかな。ころもは震えるほど……再会を喜んでいるというのに』
 それでも楽しげに囁く蛸影に対し、ころもが噛みつく。

「震えてませんわ!! 気色悪いですわよ、蛸やろう!!」

 その声に反応したか、イゴーロナク模倣体がゆっくりと顔のない頭部を向ける。
『……成程。“恐怖”の匂いが濃い。 祈りは其方が甘美だ――その魂の震え、実に美しい』

「ちょーっと待ちなさいよォ」
 標的をカノロジーからころもへ移す――その瞬間。

「アタシが殴った端から回復するからってころもちゃんに余所見はダメよ~❤」
『……愉快だ。自身が壊れる痛みを望む者ほど、祈りは純粋になる』

 カノロジーは蛸影に全く隙を見せず、牽制したままイゴーロナクのヘイトをも巻き取る。
「いいから来なさいってば❤ でもその見苦しい豊満胴体、ダンスパートナーには不向きね……アタシが丁寧に“躾て”あげるわァ!」

●
 破裂音と肉片。
 雨に溶けた体液が地面を黒く染める――だが、模倣体は止まらない。
 崩れるより早く再生し、二人の攻撃を意に介さないかのように迫ってくる。

「……ッ、速くなってる!?」

 ころもが叫ぶより先に、イゴーロナク模倣体が動いた。
 狙いは明確。――恐怖を嗅ぎ分け、ころもへ一直線。

「ちょっ……同時に来るなですのッ!!」

 二柱の模倣体から同時に狙われたころもが、触腕を十本一斉に振り抜いた。触腕が装甲越しに唸り、そこへ妖しく煌めく牙付き吸盤が続く。
 だが次の瞬間、イゴーロナクの掌の“口”ががばりと開き、濡れた祈り声をぶつけてくる。

『甘美なる震え……海の子よ。君の最上の祈りを聴かせたまえ』

 更に側方からは、蛸影の触腕による刺突まで。海魔の本能が反射で拒絶する。

「ころもちゃん!!」

 カノロジーが立ち塞がる。イゴーロナクの衝撃波を、蛸影の触腕を、全力で受け止める。
 その一斉攻撃はカノロジーの左肩口を抉り飛ばしただけにとどまらず、肋骨を数本圧し折った。
「イッ……たぁ……いッ!! わ、ねぇッ!!」
 折れた肋骨の奥で、肺がひしゃげる音がする。でも右|手《腕》はまだ動く。後退しつつの手刀薙ぎ払い、一閃!!
 イゴーロナク模倣体の胸部を切り裂くと同時、抉られた傷口が“熱”と共に再構築され、呼吸が戻る。しかし。

(回復が……追いつかない……!?)
 二柱の圧力が重なった瞬間、回復に“遅れ”が生じていた。
 他方、ころもの触腕は蛸影の身体を大きく抉り、紫の体液が雨に散る。

『……痛いね。だがその怒り、私は嫌いじゃないよ』

 蛸影はふらつきながらも、目のような器官を細めて微笑んだ。
 一瞬、悲しげなほどの色気で。

「やめろですのッ!! 近寄らないで――!」

『怖がらなくていいよ。……ころも、君の悲鳴は私の“欲”を心地よく揺さぶるのさ』
 蛸影は八本脚に力を溜め、地を抉る程の力で跳躍する。降りしきる雨の中を、まるで海流を泳ぐように距離を詰め――

「|部下《この子》に――触るなァッ!!」
 滑り込んで来たカノロジーの掌打が触腕と打ち合い、粉砕する。
 骨の軋みと共に、カノロジーの“|右手《頭部》”の指が三本ほど砕け、千切れ飛んだ。

「カノロジー!? 指が――!」
「ッ、生えてくるから問題なぁいッ❤ ほら集中して!」

 本当は痛い筈だ。だが、カノロジーは笑って前に立つ。

 盾。
 壁。
 そして――タンク。

 だがその矜持にも限界はある。
 イゴーロナク模倣体が広げた掌の口が、“ころも”だけを見た。
 瞬間、その白熱した巨体が突っ込んで来る!

「っぐ、ううううううううううっ……!!」
 カノロジーが瞬時に回り込み、頭部と右手で押え付け――しかし、掌の肉が裂け、右腕の骨が数本砕け、肩が外れる。

「カノロジーー!!」
「まだよッ!! アタシは死ぬほどしぶといのッ!!」

 その瞬間。“そちらに隙ができた”のを、蛸影は見逃さない。

『ころも、隙だらけだよ』
「――ッ!!?」

 正面のカノロジーが押さえていた圧力が解け、一瞬だけころもへの視界が開いた。
 蛸影の残る触腕が神速で迫る。地面すれすれから斜め上へと飛び込んで来る触腕を、ころもは躱しきれない。

 ぶつ、ぶつぶつ、ぶつッ!!
 装甲の隙を縫うように侵入した触腕が、肉の千切れる音を立てる。

「……あ、ああああああッ!!!」
 触腕の神経は本来、海中の圧に耐えるため鈍い筈だ。――それでも悲鳴が漏れた。
 触腕のうち四本が根元から吹き飛び、さらに“人間の腕”までもが薙ぎ払われて転がる。

「ころもちゃんッ!!」

 カノロジーが振り返る。
 その胸にも、肩にも、脇腹にも、深々とした傷が残っている――。

 雨が強くなる。
 世界が、血と蒸気に染まる。
 二人は深手を負いながらも、まだ倒れない。

●
「ころもちゃん……足、再生いけるッ?」
「再生? 烏賊は本来しませんわよ……ッ! ――でも蛸ヤロウにだけは負けませんの!! 四本くらい……気合いで生やしてやりますわ!!」

 ころもは失われた触腕の付け根から血と墨を垂らしながらも、残る六本を鋭く立てて前に出る。
 その“震え方”は、もう恐怖ではなく怒りだった。

 イゴーロナク模倣体が、一歩前に出た。祈りとも呼べぬ濁声が雨と混じる。

『壊れながら進む姿……美しい。君たちは、祈りそのものだ』
「祈りじゃないわよッ……これは――」

 カノロジーが血で濡れた|掌《顔》を上げ、

「“仕事”よッ!!」

 地面を踏み砕き、カノロジーが跳ぶ。
 破れた肩と砕けた肋骨を抱えながらも、|右手《頭部》だけは|矜持の輝き《モットー》を失わない。
 イゴーロナクの掌が白熱し、轟音と共に掌底が放たれる。

「“死灰復然”ッ!!」

 殴られた瞬間、掌の肉が焼け、血が霧状に散る。
 しかしその反動を“攻撃の燃料”に変えて、カノロジーの掌打が逆位相で叩き込まれた。

 がぼっ――!

 異形の胸部が陥没し、雨水の中へ沈む。回復と破壊の熱がカノロジーの体内を駆け巡る。

「ころもちゃん、今!!」
「言われなくてもですわあああ!!!」

 ころもが残った六本の触腕を捻じり上げ、
 地を滑るように加速した。

「海底でッッ、朽ちやがれですわッッ!!!」
 |烏賊平手《ゲソビンタ》――全力、更に。
 ころもの触腕装甲が“学習完了”を示す青い閃光を走らせた。
 内部駆動が自動同期モードへ移行、関節補助アクチュエータが一斉に起動する。
 触腕の動きが機械仕掛けの加速で跳ね上がり、ころもの意志より半拍早く、装甲が“最適軌道”へと触腕を導く……!

 ズ、ガン――ッッッ!!!

 触腕の質量が雨を割り、空気を裂き、イゴーロナク模倣体の頭部ごと胴体を叩き潰した。
 肉片が散る。
 だがその瞬間、蛸影がころもへと襲いかかった。

『ころも……置いて行かないでくれよ?』
「来るなああああああ!!」

 ころもの叫び。
 蛸影が触腕を広げて絡みつこうとした――だが。

「相手はアタシだって言ってるでしょうがァッ!! 部 下 に 触 る な あ あ あ あ あッ!!」
 背中から飛び込むように、
 カノロジーの破れた体が蛸影へ拳を叩きつけた!
 右手の欠けた指先から血が噴き、それでも《死灰復然》は止まらない。
 殴られるたび回復し、殴る殴る殴る――|連撃、連撃、連撃、連撃《死連撃》!!

 攻撃と治癒が高速で反転し、カノロジー自身の肉体が“赤い閃光”のような光に包まれる。

「カノロジー……! や、やりすぎですわよッ!!?」
「ダメ押しよォ!!! ころもちゃん、仕上げは任せたわぁぁぁぁぁ!!!」
「任せなさいですわッ!!」

 ころもが跳び、六本の触腕を全身の捻りで振り下ろす。
 触腕装甲による推進力、加速力により、その一撃の重さは流星を超え、着弾の瞬間に世界が白光する――!

 |烏賊平手《ゲソビンタ》・天槌――!!
 断末魔の声すら上げられず、蛸影の身体が陥没し、地面を割って沈んだ。


 ==== Battle Result: Situation Update ====
 カノロジー・キャンベル【重傷】
  左肩口に挫滅創。脇腹陥没、肋骨複数本の骨折。
  |右手《頭部》の指が3本欠損。右上肢全体に骨折・神経損傷あり。
  全身に中~高度の裂創・挫創が散在。出血量:多、低血圧兆候あり。

  簡易所見:《死灰復然》の反応亢進により、損傷部位の一部が再生しつつある為、継戦は可能。

 八隅・ころも 【重傷】
  触腕十本中四本を喪失。残存触腕にも裂傷・吸盤牙の損耗多数。
  人間態の右腕を完全喪失(関節から先の断離)。

  簡易所見:痛覚刺激と喪失部位の影響で動作は不安定。しかし装甲の自動補助が運動を支えている為、継戦は可能。


●
 触腕も、肉片も、祈り声も何もかも――今や壊れた|機械片《ガラクタ》と化した。
 残ったのは血と、傷と、雨と、二人の息だけ。

「……は、ぁ……はぁ……っ」
「っふ……ふふ……やるじゃない、ころもちゃん……❤」
「カノロジーこそ……ッ……無茶苦茶ですわよ……!」

 痛みを抱えながら立ち続ける二人の影。
 背後では、模倣体の破壊部位から流れ出るオイルが雨に流されて消えていく。

 だが、まだこの先に“本戦”がある。
 二人は血に濡れた地面を踏みしめ、ふらつきながらも前へ進む。
 ――逆転の閃光は、まだこの程度では終わらない。

オメガ・毒島
八手・真人

●
 崩れた外壁の向こう、雨の降る灰色の広場はひどく静まり返っている。
 境界線を踏み越えた真人の視界の先。白い蒸気の揺らぎの中に、ゆっくりと輪郭を結ぶ二つの人影。

『大きくなったな、真人』
『ちゃんと食べているの?』

 父と母。あの日の姿で。あの日の声で。――そして今、敵として目の前に立っている。
 胸の奥がじり、と痛んだ。呼吸が浅くなる。足首が急に重くなる。前へ進む理由と後退る理由が胸の中でぶつかり合い、足が地面に縫い付けられたように動かない。

 だが、八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)の背で“それ”は平然と蠢いた。触腕を伸ばし、戦場の空気を淡々と測る。
 依代の情緒など気にも留めないのか? 否。理解した上で、些末事として捨て置くのか。それも否。迷いなど存在しない。そも、“|あれは元の憑代ではない《・・・・・・・・・・・》”。
 |蛸神《たこすけ》とは、本来そういう次元の存在なのだと真人は改めて思い知らされる。

『その表情は……もう、分かっている顔ね?』
 笑顔が、哀しそうに歪む。
『覚悟は出来ているな。|負けるんじゃないぞ《・・・・・・・・・》、真人』
 模倣体の背から、質量を帯びたホログラム――偽の蛸神の触腕が溢れ出す。

 雨の中、たこすけの触腕が真人を守るように前へ伸びる。
 真人の身体だけが震え、立ち尽くす。
 過去が、容赦なく目の前に具現し、いまの真人の“現在”を絡め取っていた。

 偽蛸神の触腕が、雨粒を弾き飛ばしながら一直線に迫る。

「ッ――!」
 真人の喉がひりつき、反射が遅れたその一瞬。たこすけの触腕が前へ躍り出た。
 不可視の神威と虚像の重量。荒狂う波濤の様な爆音を立て、真っ向から偽蛸神の触腕とぶつかり合い、その衝撃で広場の水溜まりが爆ぜる。絡み、押し合い、巻きつき、互いの依代を守るために“殴り合う”。
 だが――。

『真人、危ない!』
『下がりなさい!』

 模倣体の声が、耳に焼き付く。
 ――やめてくれ。|本気で心配している《本気で心配してくれていた》声を、今ここで聞かせないでくれ。
 真人の動作がひどく鈍くなる。躊躇が、致命的な隙を生んだ。

 偽蛸神の触腕が弾けるように跳ね、たこすけの迎撃を掻い潜り、真人の脇腹を深く抉った。

「――ぐあ、うッ!」
 視界が白く弾けた、吸い込んだ息がひっかかる。身体が横に転がり、冷たく濡れた硬い地面に叩きつけられ、肺が一瞬動きを忘れた。皮膚の下で鈍い痛みが燻り、内臓の位置が歪むような悪寒が走る。
 どうにか片腕で地面を探り、ぐらりと揺れる身体を支える。

『……真人?! 真人!!』

 模倣体の苦し気な声に反し、熾烈な偽触腕の攻撃は止まらない――それすら胸を抉る。
 その傍ら、たこすけが低く触腕を震わせた。雨を叩き割るような音を立て、全ての触腕が敵の攻撃を弾き飛ばす。

 乱打乱打、打打、|打打打打打打打打《ダダダダダダダダ》――ッ!!!

 普段は気紛れと気怠さで構成された神体が、明確に“怒り”を宿している。

 身体はまだ震えていた。脇腹の奥が熱を帯びて、世界がぐにゃりと歪む。
 それでも真人は、必死に手を伸ばした。

 触れたのは、たこすけの触腕。熱い脈動のようなものが掌にびりびりと伝わる。
「……怒って……くれてる、の……? 俺の、ため……?」

 声は掠れ、震え、痛みに混じって途切れそうだった。
 それでも、はっきりと言葉になった。

「お父さん、お母さん。最初に……謝って、おきます」

 真人の胸の奥で、何か小さな焔めいた熱が灯る。

「悪い息子で、ごめんなさい。兄ちゃんよりも出来が悪くて、いっぱい迷惑かけて」

 ――迷いが消えたわけではない。両親を相手にする痛みが薄れたわけでもない。
 ――それなのに俺は、|兄ちゃんの《『今』を守る》ためなら……|ふたり《守って貰った『過去』》を|倒《殺》せる。

「……行こう、|俺の蛸神様《たこすけ》」
 真人は漸く顔を上げた。涙と雨が混じった視界の先で。

「|依代《俺》が信じてあげるんだから……同じ動きでも、偽物になんか負けないでよ」

 |蛸神頼み《タコガミダノミ》。
 何と奇異な事か。畏怖畏敬こそ変わらず薄かれど、|お前《・・》が純然たる信仰心を差し出すなど。
 そう思ったかは定かではないが、たこすけの触腕が獰猛に跳ね――次の瞬間、触腕と触腕が、雷鳴のようにぶつかり合う!

 雨脚がさらに強くなり、その闇を縫うかの如く、偽蛸神の触腕八本が雨粒を火花のように散らしながら襲い来る!

「ッ……! たこすけ、来る――!」
 真人は痛む脇腹を押さえつつ、左手を構えた。
 眼前に迫る触腕。それはどれもが真人の急所を穿ち抜こうと狙っている。

 心臓が煩い。
 息が上がる。

 数秒先の八つの死が見えている。

「展、開……ッ!」
 ――ドドドド、ドドッ、ドドンッッッ!!
 八重の衝撃波と共に、金属とも皮膜ともつかない薄膜の展開盾が偽蛸神の触腕の行く手を阻む!
 偽蛸神の触腕が一直線にシールドへ叩き込まれ、衝撃が腕を千切らんばかりに抜け、足裏が地面を滑る。

 だが真人は踏みとどまり、シールドを斜めに傾け――
「……“返す”!」

 刹那、衝撃は跳ね返り、偽蛸神側の触腕を捻り切るように吹き飛ばす。
 反射攻撃。蛸神の力を受けつつ返す、それは真人の“意思”が宿らなければ成立しない動き。

 その一瞬。真人の頭上にたこすけの触腕が一本、ふわりと影を落とす。
 ――ぐりぐり。
 父が昔やってくれた“頭を撫でる仕草”にあまりに似た動き。

 守っている。
 励ましている。
 怒っている。

 まるでそう思わせるような行動。真意は不明。だけど。それでも。

 真人が眦を上げる。
 悲痛な形相で駆け寄って来る一対の模倣体。しかし、その背には四本ずつの偽触腕。
 その偽触腕が撓りを付け、|八方から《・・・・》再度真人を貫かんと突進してくる。

 ガガ、ガンッッ!!
 正面側三方向よりの攻撃は盾で防ぎ、四方向からの刺突はたこすけが薙ぎ払う。
 残り一本の偽触腕は――。

 ドスリ、と鈍い音。心臓を狙う致命の刺突を右手で庇った真人。
 絡みついた偽触腕が万力の如く捻り上げ、腕の中で骨が砕かれていく音が頭に直接伝わった。

「ッ、あああああああああアアッ!!!!」

 気絶しそうな痛みに耐え、真人が見据えるは間近に迫った模倣体の胸部ただ一点――
 憑代の気概に応えんとばかり二本の触腕を捻り束ね。

「――!!!」

 |蛸神《たこすけ》が神雷も斯くやの速さで模倣体の胸部を薙ぎ払い、真っ二つに切り裂いた!


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====
 八手・真人【負傷】
  右脇腹に挫滅創。内蔵損傷、腹腔内に出血有り。
  右腕から肩にかけて粉砕骨折。このままでは使い物にならない。

  簡易所見:内因性オピオイドの暴走により痛覚伝達途絶。一時的に痛みを喪失している為、継戦は可能。


●
 雨音だけが残った。
 父母を模した敵の上半身が、時折静電を漏らしている。
 その右手は宙を彷徨う。まるで、撫でてやる頭を探しているかのように。

『……よく……やったな』
 本物そっくりの、優しい声。そして、彷徨っていた手は力なく地面に伏し、斯くて一対の模倣体は物言わぬ|鉄屑《ガラクタ》へと変わった。

 真人は息を詰まらせ、歯を噛み締める。
 忘れるワケじゃない。
 思い出として、大事にしていくために……ごめんなさい。
 言葉には出さない、僅かな決別。

 そして顔を上げた真人の視界。白く煙る雨の遥か先に、二つの影が火花を散らす様子が映る。

「――メガくん、は……、アッ、あんなに……遠くに……」

 己の怪我の程度も顧みず、真人はオメガのもとへと脇腹を押えつつ急ぐ。



●
 雨は、まるで誰かの記憶を洗い流すように静かに落ちていた。
 オメガは濡れた瓦礫を踏みしめながら歩を進める。いつかの塹壕で、泥に沈んだ足を引きずっていた頃に比べれば、この雨など温いものだ――そう思う自分が、どこか他人のようでもあった。

 そして、その“他人事めいた感覚”の先。ゆらりと頭を上げるシルエット。
 模倣体。それは理解している。理解している筈だった。

「……お久しぶりですね」
 オメガの声は、雨粒に溶けてかすかに揺れる。

 その人物は肩を回し、軽く首を鳴らした。
『さぁて。どちらさんだったかね。生憎俺ぁ物覚えが悪くてなあ』

 煙草こそ咥えていないが、その“気の抜けた仕草”は、記憶の片隅に焼き付いた部隊長そのものだ。
『……ついでに言うと、だ』

 笑い混じりの声が返ってくる。とほぼ同時、乾いた破裂音。
『これから狩る獲物の素性を覚えてやる程慈悲深くもねえ』
 
 弾丸は正確にオメガの眉間を捉えていたが――火花を散らしただけで、表層の鋼を破ることすらできない。
 生身の頃なら致命だった弾丸は、もう自分を穿つ事はない。

「あの頃とは違います。……最早この体は、あなたの銃なんて物ともしない」

『……なるほどなあ。そう来るか』
 模倣体は首を傾げ、その目に嘲りでも感心でもない“懐かしむような色”を宿した。

『並みの機械群なら確実に今ので獲ってた。人間なら猶更だ。だが――』
 腰のポーチから銀色のスピードローダーを抜き出す。
『“今のお前”には通じねぇってワケだ』
 雨の中、シリンダーをスイングアウトし弾丸を破棄。

『だったらよ。試してみるか?』
 新たな別種の弾丸を、どこか“楽しげ”な手付きで装填。

『対装甲機械群用・徹甲レミントン弾。幾ら頑丈な義体だろうが、これを食らえば穴ぁ空くぜ?』

 ジャキ、と手首のスナップ一つ。シリンダーの戻った銃口が、二、三、四発と連続で火を噴く。
 対するオメガは震えひとつなくブレードユニットを展開。熱を含んだ排気が白く散る。
 刹那、青電を伴ってホイールが全駆動。雨水を巻き上げ急加速し、襲い来る銃弾に怯まず模倣体の間合いへと突撃する。

 全弾回避は不可能だ。|生体部位保護鋼殻《バイタル・シェル》への被弾のみを避けるよう、集中力を引き上げる。
 濡れた地に刻まれる稲妻めいた軌跡で二発は躱し、然し左目を銃弾が貫通する。《ザッザッ》-_¯-¯ 脳幹及び生体脳・補助電脳への直撃回避、良し――! __-_¯《ザザッ》
 残る一発は左肩可動部を撃ち抜いた。小爆発を起こしたオメガ・アームが辛うじてコードでぶら下がる。

(ですが、これで彼は私の間合い――)
 前傾姿勢から一気に蹴り上げる瞬間、|車輪《ウィール》から鋸刃が展開、唸りを上げて模倣体を逆袈裟に斬り裂いた!

「これがオメガ級の速度です」
 |オメガ・ブレード《コウキドウ・ギキャク》のナノマシンによる応急高速修復が走り、左肩とオメガ・アームがその機能を取り戻す。だが、左目は依然として小破孔が開き、時折静電が漏れている。

 一方、斜めに外殻を抉られ、傷口から中破した機械部を覗かせる模倣体が口を開く。

『おっと、さっきより動きがいいじゃねぇか。やっと“戦う気”になったかよ』

 軽口。その響きに、オメガの胸の奥がざわめく。雨粒を断つ銃声の向こうで、輪郭のぼやけた記憶が揺れる。
 裂かれた綿をゆっくり束ねていくように。明滅を繰り返しながら。

  ――ずっと、|悔しかった《憧れてた》んですよ

「……あなたが」

 滑るように踏み込み、模倣体よりもなお速く旋回する。決して狙いは付けさせない。牽制の射撃を躱しつつ、古いルシーダが淡く脈動した。

  |あなたみたいに上手くやれなくて《確かにそこに安心感も覚えていて》――

「あなたが教えてくれたんですよ、“機械群に屈するな”って……!」

 模倣体の動きが、わずかに止まった。
 “覚えていない”反応ではない。“覚えているとは言えない”反応だ。

『……へぇ。そんな台詞、俺が言ったか? ――いや、“俺”が言ってたのかねぇ』

 乾いた声。その奥に、微かに滲む痛み。自分は紛い物――そう悟っている者の声。

『生憎、借りもんの記憶でね』
 模倣体は表情を整え、愉悦めいた笑みに戻す。

『ま、どっちにしろ関係ねぇよな。今ここに立ってる“俺”は――お前を狩る役だ』
 再度の流れるような再装填から、模倣体が死角へ回り込んだオメガへと振り返る。

「|致し方ありません。下剋上、覚悟してくださいね《オメガ・ブレード出力上昇。手加減なんて、してあげません》」
 生身の四肢が爆散したトラウマも、今はカットされている痛覚信号への怯えも置去りに。
 鋸刃の甲高い回転音は、まるでオメガの苦悩の声のよう。今度こそ真っ二つ。寸分の迷いなくブレードを蹴り抜く。

『そうかよ。なら下剋上ってやつ、見せてもらおうじゃねぇかッ!!』
 コンマ004秒以下、まさに機械の反応速度。義脚が蹴り抜かれる前に、|四発のほぼ同時一点射撃《ガトリング・ショット》がオメガの両膝可動部を吹き飛ばす!

「――ッ」
 ほとんど反射でオメガ・アームが模倣体の胸倉を捕捉。そして模倣体も、オメガの眉間にピタリと銃口を当てていた。

 ――ゼロ距離。
 ――逃げ場なし。
 ――双方、真正面からの殺意の衝突。

 そして次の瞬間、決着を告げる轟音が雨雲を揺るがせた。

●
 まるで走馬灯のように、記憶の断片が次々と浮かんでは消える。

“おいたが過ぎるのはいただけねぇなぁ”
“もしこの場にハムエッグがあったらさ、何かけて食う?”

 叱責の声に、身の無い雑談の声。

“生還の一杯ね……ジュースで良けりゃ付き合うぜ。「喜びは倍に、悲しみは半分に」ってね”

 気遣うような声。

“芋羊羹くらいで泣くなっつの。おいちゃん、泣かれるの苦手なんだよ”

 貰った缶詰の重みと、苦笑交じりの声。
 ――部隊長。私は……。


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====
 オメガ・毒島【戦闘不能】
  左眼窩、貫通銃創により小破孔。左方視野を喪失。
  両義脚部を膝可動部から喪失。修理されない限り、通常走行およびオメガ・ブレードの通常使用は不可。
  右義手内部回路に熱損傷およびフレーム歪曲有り。稼働信頼性は30%に低下。

  簡易所見:継戦する為には、損壊部位に対し直ちに何らかの処置が必要。


●
『……ぐ、ッ……やれやれ……俺も耄碌したもんだ。ゼロ距離の打ち合いに……弾切れとはなあ』
 仰向けに倒れた模倣体。胸部には高出力ビームによって穿たれた大破孔。血の代わりに|冷却液《クーラント》が地に拡がる。
 それでも、模倣体の掠れた声には何処か満足げな響きがあった。

『……|オメガ《究極》、か。……いい名前……もらったじゃねぇか――■■、■』
 眼の奥から、光が消える。末期の音は雨に呑まれ、名前は結局声にならなかった。

「……。オメガ・アイは……片目でも高性能です。発砲を見逃す事は、ありません」
 両脚を失ったオメガは膝立ちでにじり寄り、震える指先でその手から銃をそっと引き取る。

「貴方のリボルバーには」
 スイングアウトしたシリンダーから転がり出たのは空薬莢が四つ。そして――

「まだ弾が、残っていたじゃないですか……」

 鈍く輝く実包が二つ。
 うなだれるオメガの頬を、降りしきる雨の筋が伝っていく。

屍累・廻

●
 白い蒸気が流れ、形のない影がゆらりと揺れた。
 雨の音に紛れて、その影が一歩、また一歩と屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)の方へ歩み出てくる。

 春色の髪。新緑の瞳。その鮮やかな色彩を見た瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
 敵意ではない。恐怖でもない。
 ただ――恋人の名を、喉が勝手に呼びそうになる衝動だった。

「……やはり、私の前に現れるのは貴女ですか」

 彼女の姿はいつも通り。春色の陽だまりが今、確かに目の前にいる。
 いや、“そう見えるように作られている”のだと、廻は冷静に理解していた。
 それでも、彼女の瞳は――何度己の目を疑おうと、本人の物のようにしか見えない。

 模倣体の唇が震え、怯えた声が漏れる。

『お願い……逃げて。私、きっとめぐ君の事を不幸にしちゃう……!』

 腕は震えているのに、彼女の身体はその意思に反して“攻撃の構え”へと引きつられる。
 明らかに、彼女自身の動きではない。

 廻は静かに息を吸い、一歩だけ後ろへ引いた。
 彼女の睫毛が震え、その瞳の奥に“何か別の層”が幾重にも重なっていく。

『めぐ君……やだ、見ないで……っ』
 模倣体の声は懇願に近い。次の瞬間、彼女の瞳孔が異様なまでに一瞬収縮し──再び開いた光彩の奥に、幾十もの“眼”が重なる。
 廻も良く知る、“百目の女”の異能。その多層視界が廻に向いた瞬間、頭蓋の内側を針で掻かれたようなノイズが奔った。まるで、中学生の頃に失った右足の切断面を針で掻き回されるような激痛。

「ぐっ……ああァァ……!!」

 ――視られている。
 “知りたい、解明したい、全てを視たい”という根源的な欲求の全てを。
 目の前の彼女を、偽物と断じている事を。
 目の前の彼女を、壊す覚悟を固めている事を。
 そして何より、そんな決断を下した自分の心が音を立てて軋んでいる事を。

 “視て、|怪退《カイタイ》する”ことを得意とする廻にとって、それは致命的な逆手。
 心を視られないよう眼を閉ざせば、それは己の武器を放棄する事に等しい。
 最大の武器であるはずの能力が、最も忌まわしい形で自身に返ってきたのだ。
 彼は血の気が引いていくのを何処か冷静に観測する。――このままでは、瞬く間に全てを解読される、と。

 それでも退かないのは、ただ一つ。
 この苦しみの源を、ひとりにしないためだ。

●
『止まって……止まってよ! 私からこれ以上、大切な人を奪わないで!!』
 自分の肩を抱き、小刻みに震える模倣体。

 いつかの悪夢の方が余程マシだ。
“自分の欲求さえ満たせればいいんでしょう?”
“――ひどい人”
 いっそ、拒絶してくれれば戦いやすい。然し、この模倣体は唯々、自分の身を案じてくれている。

 彼女の皮膚の下に、本来存在しない“模様”が浮かび上がっていく。

 黒。
 輪郭のない黒。

 やがてそれは、円を経て。
 そして“眼”の形をとり――全身に、百個の“視線”が開花する。
 百の視線が一斉に廻へ向けられた瞬間、世界そのものが“こちらへ傾いた”。

 ――引き寄せられる。

 足元の瓦礫が逆流するように滑り寄り、廻の身体ごと空間が歪む。
 重力ではない。“視られること”そのものが条件となる、異様な引力だ。

 更に最悪な事に、百の眼が同時に廻の精神を掻きむしる。
 視界の端がざらつき、記憶の断片がノイズのように浮かぶ。

“1つでも持ち帰ったらめぐ君も春うららの餌食にしますよ?!”
 彼女の笑顔。
 護ると誓い、自身との統合を果たした日の感覚。

 ――見放され、再び孤独に戻る自分。
 ――全てに絶望し、視る事すら手離し、廃人のようになった自分。

 暖かな記憶を、全て暗く冷たく塗り潰されていくような喪失感。
 妖婦の邪視が見定めし、破滅の未来が突き付けられる――!

『ああぁぁぁ……!!』
「っ……く……!」

 突如、脇腹に焼けるような痛みが走る。
 見れば、模倣体の細い腕がいつの間にか距離を詰め、ナイフ状に変容させた“春告鳥”を深々と突き刺していた。
 廻は一瞬遅れて跳び退いたが、見る見るうちに服に血が滲み、拡がっていく。

『逃げてって言ってるのに、どうしていつもいつも……めぐ君は、私の言う事、聞いてくれないんですか……っ!』

 絶望に歪んだ表情を、直視できない。
 廻は唇を強く噛む。

 最悪の相性。
 だが――逃げない。

『めぐ君っ、お願いだから逃げてよ……! 今の私は“普通じゃない”の!!」

 声は涙を含んで震えていた。百の眼が全開のまま、彼女の身体を無理やり前へ押し出す。
 まるで操り糸を引かれるように、関節ひとつひとつがぎこちない動きを強いられていた。

 ――何度も苦しんできた人が、今もまた、自分の意志で動けずにいる。
 その残酷さが廻の胸を締めつける。

 百の眼が瞬くたび、世界の輪郭がひび割れたように軋む。
 視線が廻に触れるたび、精神を削られ、過去の痛みが脳裏を走る。

「私は……」
 廻の視界は揺れ、色彩の輪郭が歪んでいく。

「私は、呼吸の仕方を識ったつもりでした」
 それでも、一歩だけ前へ踏み出した。

「ですが、漸く己の未熟さを識りました」
 自ら痛みに飛びこむような、愚かと言われても仕方のない歩幅。

「そして……ひなさんの大切さも、ちゃんと分かったんです」
 その言葉に、彼女の動きが一瞬止まった。
 涙に濡れた新緑の瞳。本物でないから抱きしめてやれない事が――酷く苦しい。

 《ヘルメスの羽根》が廻の背で、静かに光を強める。
「……逃げませんよ。逃げる訳、無いじゃないですか。――痛みも、危険も、苦痛も。全てを受け入れたいから」
 羽根先が蒼光を震わせ、まるで廻の決意に応えるように形を整えた。


 ==== Battle Result: Situation Update ====
 屍累・廻 【重傷】
  右脇腹に深く刺突創。出血量:多。肋骨周囲に打撲・ひびが複数箇所。
  百眼開花の邪視による精神負荷は甚大で、視覚情報処理が一時的に著しく低下。
  精神ノイズによる“切断部の幻痛”が再発し、右脚の可動にわずかな遅延が生じている。

  簡易所見:
  精神・肉体の双方に重度の損耗あり。特に脇腹の刺突創は深く、動作時に持続的な痛覚刺激が発生。
  継戦は可能。ただし激しい戦闘は生命に危険が及ぶ可能性あり。


●
「同じように視るからこそ、ある意味ひなさんは私の天敵なのかも知れません。……なので」
 宙を流れる水のように、蒼光が走る。
 《ヘルメスの羽根》が描く式文は、もはや攻撃でも防御でもない。“観測そのものを書き換える”ための、特異な構文だ。

「ほんの少しだけ。視る事を忘れて下さい」
 ――視界の再定義。
 式文が空気中に溶けるように消えた瞬間、百の眼が一斉に鎖された。世界を傾けていた引力が途切れ、瓦礫が音を立てて崩れる。
 模倣体の彼女は操り糸が切れたように膝を折り、荒い呼吸を繰り返しながら、廻を“両の瞳”で見上げた。

『めぐ……君?』
 声は震えていたが、確かに彼女の声だ。
 ――今しかない。
 廻はふらつく身体を押さえ、静かに禁忌の匣の蓋を開いた。

「――パンドラの匣は開かれました。|偽書《ニセモノ》に写された哀しい記録、ここに一章を閉じましょう」
 “仄聞ノ終”。口裂け女と白い手が彼女を捕縛し、カシマレイコの持つ手鏡が模倣体を捉える。
 彼女を動かすエネルギーが鏡の中に吸われて行く。

『ニセ……モノ……?』
 模倣体はその場に崩れ落ちる。
 廻は膝をつき、痛む身体を引きずりながら優しく支えた。

『……怖かったの……ずっと……』
 人格を形作る電気反応が薄れていく。
「……知っていますよ。怖いのは、私も同じです」

 哀しそうな笑みを浮かべ、模倣体から力が抜けた。廻は震える手で、もう動く事はないその頬に“触れる仕草”をする。
「私にとって、貴女が必要です。これ以上の言葉は、帰ったら直接言いますから。……だから、全部聞いて下さいね」

 その声をかき消すように、一段と雨音が強まった。

徒々式・橙

●
 雨脚が増すほどに、世界は灰色を深めていった。
 徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)は濡れた外套の裾を軽く払いつつ、前方に鎮座する開いたコンテナを見やる。
 そのとき、ひとつの影が雨幕から浮かび上がった。

 濡れた黒髪。無駄のない歩幅。雨粒を弾く外套の線。眼鏡を通して静かに焦点を結ぶ花桃色の双眸。
 視線の集中と、呼吸のリズムまでも“そのもの”だ。

 橙は自然と足を止めた。
 驚きよりも先に、ある感覚が喉元へと浮かんでくる。

「うわ悪趣味~」
 驚愕は無い。むしろ、困惑と“腑に落ちない違和感”が混ざった柔らかな溜息。

「その人を模倣するなんて、眉間の皺が取れなくなりますよ? やめといた方がいいですよ、後々困りますから」

 すると影はわずかに顎を上げ、やや硬い声音で応じた。

『この雨の中、態々軽口を叩きに来たんですか? ……貴方の苦労には、只管親指が下がる思いです』

 橙は一度二度瞬きすると、肩を竦める。
 言葉選びも、声のトーンも、息継ぎの位置までもが“彼が言いそうな台詞を、別の誰かが丁寧に模写した”ような出来栄えだった。

「……ははぁ。やっぱり返事はするんですねぇ。でも残念、"そういう言い回し"は本人なら絶対にしませんよ。……多分」
 ただ妙な居心地の悪さが、雨粒のように胸へ降り積もるばかり。

 返事を終えた模倣体は、一秒ほど動きを止めた。
『――夢を見ているのは誰か』
 足元から展開される、赤いチェス盤めいた地面。宙を落ちる無数の雨粒の先。橙の呼吸の隙を突くように、前へと滑り出る。

 その歩幅は何処までも本物に近い。だが踏み込みの“間”が違う。
 命を守るために制圧を選ぶ訓練、その最適解を“命を奪うために”反転させた動き。

「わお、殺しに来てますねぇ……」
 模倣体は外套の下、ホルスターから銃を抜く。破裂音と共に石畳に火花が散る――。
「うん、でもまぁ、”貴方”が私を殺したいと願うのなら」
 |略式允許拳銃《らくいん》、間髪入れず二発、三発!
「その祈りを叶えるのって、私にしか出来ませんよね」

 回避は不能。いやそもそも、躱すという選択肢が無理矢理捥ぎ取られたような感覚。
 肩口に一発。大腿部に一発。右腹腔に一発。
 いずれもバイタルポイントを精確に撃ち抜き、雨の中で血飛沫が舞う。

“――貴方はただの祈りの存在だからこそ”
『抵抗は無駄です。今すぐ投降しろ』

 模倣体は走りながら拳を固める。こめかみを抉り抜く様なクリーンヒット。
 だけに留まらず、“本物ではあり得ない角度”で回し蹴りが飛んだ。制圧術としては完璧だが、純粋な殺意の入った軌道。

「……ッぐ、は……!」

“――貴方が居るから、私は成し遂げる事が出来るのです”
『手を頭の後ろに回して腹這いになれ。次は容赦なく撃ちます』

 無抵抗に吹き飛ばされ、背中から瓦礫へ叩きつけられた。肺から強制的に空気が抜け、視界が一瞬暗転する。
 雨音だけが世界に残る。模倣体は歩幅ひとつ乱さず近づいてくる。

「……、うーんやっぱ違うな」
 橙は片膝をつきながら、ようやくひとつの答えに触れた。
 そんなのはあまりにも嘘でしょう、と額を伝う血を指先で払って、苦笑する。

「私が悲しみを踏み台にした存在ではないって、|貴方《・・》が教えてくれたんですから」
『……』
 模倣体は溜息を一つ。
『何をワケの分からない事を。その執着、さっさと諦めて下さい』
 銃口は橙の眉間に照準を合わせた。トリガーを引き絞る指に力が入る。

「――似てなさ過ぎて笑えてきました」
 出血を無視し、跳ね起きる。痛覚の悲鳴より先に、“祈りの律動”が身体を動かす。模倣体が発砲する瞬間に銃床を叩き上げ、銃弾を逸らして大きく飛び退る!
 世界を塗り替えていたチェス盤が消えるが、模倣体は眉ひとつ動かさない。

「あいつが、無抵抗な相手を攻撃し続けるわけねぇだろうが」

 橙の瞳の奥に、怒りではない別の色が点った。祈りへの侮辱を、彼は決して許さない。
 高く、細く。長く、遠く。何処にも届かない|祈り《こどく》の音が響き渡り、色とりどりの泡が大量に浮かび上がる。|52Hzの夢物語《ナルヘルツスピーカー》により彼の周囲に集った、数多の祈り。
 次々と交渉を終え、銃剣・|花束《はなたば》に集まる祈り。

 瓦礫に染みた恐怖。
 戦場に散った希望。
 学徒たちの断ち切られた未来。
 そして――模倣体自身に取り込まれ、搾取された“本物の祈りの欠片”。

 行き場を喪った美しい祈りの澱が、弾丸となって装填される。

「あの人を模倣したんでしょう? 本物なら、この”祈り”を必ず受け止めてくれる筈なんですから」
 出来ないのなら――|然様なら《さよなら》を|告口《つげ》るまで。橙の輪郭が淡く溶け崩れる。内側が“空白”へと変わり、無数の祈りの残響が流れ込む。

「ついでに言うとね」
 ――夢は現を呑み込み。
「その上っ面だけ模した能力はこうやって使うんです」
 ――現の理は盤上にて砕ける。

「夢を見ているのは誰か?」
 巨大なチェス駒がぐるりと囲む。地面に刻一刻とマス目が精確に刻まれていく。現実と法則が秒針の音に塗潰され、この空間に『必中』が付与された。

「……あの堅物はね、絶対に|未来《わたし》を否定しないし、絶対に|理想《わたし》を裏切らないんです」
 浮かぶ有象無象の祈りの泡、その中から花桃色の泡に触れる。交渉する必要すらない。だって――貴方の夢は、叶うから。

 ――カツン。カツン。
 激しくなる雨の中、足音が木霊する。外套の下、ホルスターから抜かれる|略式允許拳銃《らくいん》。
 如何なる原理か、其れは座標を捻じ曲げ、此の地にその存在を呼び寄せた。

「ね、そうでしょう……兎比良さん?」
「緊急招集に何事かと応じて見れば――。説教の一つでもしてやりたくなりますが、後にしましょう。今はアレの排除が最優先です」

 瀬条・兎比良(|善き歩行者《ベナンダンティ》・h01749)。|52Hzの夢物語《ナルヘルツスピーカー》の|声《オト》に応え、たった今この地に降り立ったのだ。

『……!?』
 模倣体が初めて後退した。

『……馬鹿な。“私”は……本人ではない、と……?』
 それは恐怖ではなく――自分でも理解の及ばない“未知”への反応。

「結論から述べましょう。――貴方は、私ではありません」
 兎比良は雨を払うように外套の裾を揺らし、静かに歩を進める。

「詐欺罪。名誉毀損罪。信用毀損罪。一般市民であれば逮捕及び連行で済ませますが、貴方はそうは行かない」
 朗々と被疑事実を並べ、自分と同じ顔を鋭い視線で射抜く。

「――此処で潰します」

 ここにきて模倣体は漸く真相に辿り着く。敵の手中に落ちたのではなく、最初から――

『……そう、ですか。ならば、止めて下さい』
 模倣の|略式允許拳銃《らくいん》に残る弾丸の内の一発が、灰色の属性を帯びる。

『貴方達には、“其れ”を行う義務がある』
 銃声、灰の弾丸が2人の足元を抉る。
 次の瞬間、空が翳った。
 大量のハシバミの枝が鋭利な針となり、2人を狙って襲い来る!

「ナメるなよ、|劣化品《できそこない》。――|代替品《コピー》ってのを見せてやる」
 同時に橙は時計の針を逆行させる。逆しまに、逆しまに、ノア・シエル防衛戦のあの夜まで。時間の異相がズレ、其の時・其の場所に溢れていた祈りが浮かび上がる。
 橙はその内の一つ、|鮮やかな金《フリージア》の泡に触れた。

“――彼らには経験が足りないだけ”

 此処にいない、|誰かの祈り《・・・・・》。

“――帰れない子達が、一人でも減りますように”

 銃剣に幾つも黒薔薇のオーラが咲く。最早叶わない、行き場を喪った祈りが析出したのだ。
「届いて下さい。響いてください。――あの深き夜の果てにまで」

 兎比良の前に立ち、ハシバミに射抜かれつつ黒き花束のトリガーを絞る!
 BBBBBLLLLLAAAAMMMMM!!!
 重なる銃声、連続反撃!
 幾ら回復するとは言え、|興奮剤《エクスィテ》も持たない橙は痛みを消せない。
 幾重にも襲う痛覚に、狙いをつけつつ反撃を当てる等本来であれば不可能だ。

 だが橙の眼には、はっきりと|その能力の使い方《・・・・・・・・》が、嘗て少女が憧れの眼差しで見ていた光景が視えている。
 更に、此処は|【物語】「赤き王の夢」《レッドゾーン》。
 狙いは要らない。法則を捻じ曲げ全弾必中、相殺&カウンターの連続成立を可能とする!

「彼女は……貴女の戦い方を、きちんと目に焼き付けていましたよ」

 ハシバミの嵐を突破し、橙と兎比良が模倣体目掛けて同時に発砲。
 膨大な祈りが込められた弾丸により、胸部と腹部中央、メカニカル・コアを三倍もの威力で撃ち抜かれた模倣体は、遂に。雨でぬかるむ地にガクリと膝を折ったのだった。


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====
 徒々式・橙【重傷】
  右肩部・右大腿部:貫通銃創。動作に支障、瞬発力低下。
  右腹腔:銃創。姿勢保持時に疼痛が走り、深呼吸で痛みが増大。
  背部・肋骨:衝撃による打撲および骨折複数。強打による呼吸制限。
  全身:ハシバミの傷多数。浅深混在。流血量:多。

  簡易所見:祈りの奔流が動力源として機能している擬似的戦闘続行状態。短期的な戦闘行動には支障がないが、後に一気に症状が顕在化する危険が非常に高い。


●
「何か言い残す事はありますか?」
 額に|略式允許拳銃《らくいん》の狙いを付けた態勢で口から出た言葉に、ふっと自嘲的な笑みが浮かぶ。この模倣体が自分を模しているのなら、大体予想は付くからだ。

『……。蝶を……頼みます』
「――ええ、言われなくても」

 兎比良は小さく溜息をつき、模倣体の頭を撃ち抜いた。
 その後方、血を流しながらも橙は|観測者《・・・》に向けて不敵に笑う。

「魂が何なのか、教えて差し上げてもいいですよ。……カワイくオネダリしてくれたらね」

 果たして挑発が効いたのか。
 ドクトル・ランページの纏う雰囲気が、一段階剣呑さを増したように感じた。

ファウ・アリーヴェ

 ――雨は、今も灰色の曇天から降り続いている。
 コンテナに赤い回路が浮かび上がり、重金属の軋む音とともに開いた。
 白い蒸気の向こう、可憐な人影が近づいて来る。

 先祖返りの妖獣は、その青い目を見開いたまま動けない。
 そのシルエットを知っている。
 重心の置き方も、足の角度も、残滓のように揺れる髪も、何一つ忘れられる筈がない。
 ――が。

 骨格が僅かに変わる。歪な腕が側方に増える。
 歩き方すら人間らしさを捨てて、より獣めいたものに変わっていく。
 ……|変わっていってしまう《・・・・・・・・・・》。

 脳裏に鮮烈すぎる記憶が割り込む。

 白く色褪せた皮膚。
 歪に増えた獣の腕。
 その腕で、自分の両親を裂いた光景。
 鋭い牙で、血に沈んだ肉を貪る咀嚼音。
 茫然と立ち尽くす幼い自分に向けられた、闇色の眼球。
 瞳孔は三日月に欠け――
 そして、あの日の声が“今”に重なる。

『あぁ、ファウ。ねぇ見て、“お揃いよ”』

 無数の聲が重なり、泡立つように響く。
 あれは、幼かった自分の瞳に焼き付いた“あなた”の最後の姿。
 救えなかった日。封印するしかなかった日。
 どうか、長く続きますように。
 そう願った温かな安息の日々が、目の前で粉々に砕け散った――“心が死んだ日”だ。

 胸の奥が軋む。
 呼吸が浅くなるのを意識で押し殺す。
 魂の定義は何処に宿るのか、とドクトル・ランページは言い放った。
 嗚呼、考えるまでもない。ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)は胸中で断ずる――どれ程精巧に似せていようと。

「……偽物だ」

 魂構造の究明? くだらない。
 ……そう、自分の心に強く言い聞かせる。相手が見せる呼吸も、この|切ない郷愁《疼き》も、全部“偽物に過ぎない”と。

 だが、そんなファウの心の裡を嘲うかのように、その少女は嬉しそうに微笑んだ。

『来てくれたのね、ファウ。――会いたかったわ。私のファウ』

 その声も。
 その優しさも。
 その眼差しでさえ。
 全部、全部、全部、本物の彼女と同じだった。

●
 透明な霊力の薄膜が空気に揺らぎ、世界が一瞬だけ“静まる”。
 ――瞬間、白い蒸気の幕が裂けた。地を蹴り、二体の獣が跳ぶ。
 密度を増した霊気を纏うファウの手が虚空を滑る、編まれる刀身は雨を纏い怜悧な光を閃かせた。
 霊刀「祈雨」――抜刀!

 対する少女の肉体も目前に迫る。
 メキメキと多肢が生える音。骨が伸び、裂け、増える“生体機構の作動音”だった。
 左右の肩から、肘から、腰から、背骨から、大小の“腕”が咲くように伸びて空を裂く――!

 その速度はファウの記憶を上回る。
 幼い頃に見た異形化ではない。
 もっと密度が高い。
 もっと速い。
 もっと、飢えている。

 斬撃斬撃、斬撃――!
 
 斬った場所から新たな手脚が芽吹く、まるで切断が“増殖の合図”になっているかのよう。
 ――速い。考える暇がない。反射だけで刀を振るう。
 |霊剣術「散華霈然」《サンカハイゼン》、その速度が少女の振う獣爪に拮抗するように上がっていく。
 肺が悲鳴を上げる。視界が細くなり、世界が細線の連続に見える。

 ……それでも、追いつかない!

 斬り払った腕の影が重なり、その隙間から伸びる新たな凶爪がファウの頬を掠めた。
 鮮血が灰雨と混ざり、霧へ消える。

 違う。こんなの、“あなた”じゃない――!
 言い聞かせる余裕もない。腕が伸び、爪が割り込み、頭蓋目掛けて牙が迫る。

『そんなに急がなくていいのに。……ファウ、危ないわよ?』

 息が詰まるほど“懐かしい”声が聞こえた。
 斬り裂いたはずの影がすぐ真横で再構築される。
 空気が悲鳴を上げるほどの速度、刃と獣爪の火花、肉が裂ける寸前の風圧。

 戦闘は拮抗ではない。
 押し切られそうで、ギリギリ耐えている――その均衡。

『ふふ……昔より速くなったわね。でも、私のほうがまだ速いみたい!』

 その声音さえ懐かしい。
 その笑顔さえ記憶を揺さぶる。
 獣爪の乱舞を紙一重で躱しながら、ファウは息を飲んだ。
 霊刀を握る掌が僅かに震え、胸の奥がざわつく。その一瞬の隙を、“彼女”は逃さなかった。

 すっと、手が差し出された。
 懐かしすぎる“あの日”と同じ角度、同じ距離で。

『大きくなったね』

 嘲りではない。殺意でもない。
 その親愛は、胸の奥へ直接落ちてきた。

『いつの間に、きみの身長を追い越していたのに。抜かされちゃった』

 刹那、ファウの世界が揺らいだ。
 呼吸のリズムが狂い、斬撃をいなす為の脚捌きが乱れ。

「――あ、ぐッッ!!」

 鋭い熱が駆け抜ける。斬られた。
 一体何を惚けていたのか。気づいた時には、肩口から脇腹にかけて深く獣爪が走っていた。
 赤がしぶき、雨に溶ける。

『そんなに怖がらないの。……ほら、痛いのはすぐ終わるから』

 声。息遣い。表情。全てが優しい。
 なのに、手足は獣のように増え、その腕は彼を引き裂くためだけに伸びてくる。

「……っ、なんで……」

 ファウの喉が勝手に震えた。
 零れる涙が、止められない。
 嗚咽が漏れる。一度溢れ出した感情は、堰を切ったように流れ出す。

「何故あなたがそんな風に……、」
 剣筋が揺らぎ、獣爪の軌跡を正しく捉えられなくなる。
 産まれた時から見守った妹のようだった。人の|ふり《・・》しか出来ないから、同じ想いじゃなくても良かった。

「あなたの気持ちを知りたくて、なのに――!!」

 叩きつけるような絶叫。視界が涙に滲んだ次の瞬間、ファウの左腕が吹き飛んだ。
 灼けるような痛みが走る。

『泣かないで……ファウ。おいで、ここにおいで。また耳を……そうね、引っ張ってあげるわ』

 その瞳は、どこまでも優しい。どこまでも、底なしに狂っている。
 均衡は崩れ、防戦さえも儘ならない。
 今や爪牙は降りしきる雨より激しく、嵐のようにファウを翻弄する。
 頸動脈。心臓。肝臓。鳩尾。急所をザクりと切り裂かれ、血が噴き出す。
 最早霊刀を満足に構えられないファウは、少女の怪腕に己の牙を突き立てる。その瞬間、ファウの心臓がぎゅっと縮んだ。
 自分が“少女を喰っている”ような錯覚。
 吐き気に近い悲しみが内側から込み上げる。

「っ……ぁああああああぁアアアア!!!」

 |双牙《ソウガ》で致命傷は塞がれど、心の傷は塞がらない。

 少女の牙が肩口に噛みついた。
 肉を裂く音。骨ごと砕ける音。

『私が傍にいるでしょう? ほら……怖くないように抱きしめてあげる』

 “抱きしめる”と言いながらも背中の多肢が同時に伸び、ファウの身体を串刺しにしようと迫る。
 ドス、ドス、ドスリ。
 身体を貫かれようと、ファウの喉は、涙に滲むうめき声しか出せない。
 痛みも、恐怖も、後悔も――
 全部がまとめて胸を刺し、呼吸ができない。

 多肢が抜き去られ、視界が揺れる。血が滲んで霞む。呼吸が浅く、肺がひゅうひゅうとうるさい。立っているのか、倒れているのか、それさえ曖昧になる。
 それでも、ファウの右手は――
 霊刀《祈雨》を離さなかった。

「……あなたの気持ちを、ずっと知りたかった……」

 生命の欠片を吐き零すような呟き。
 少女の獣爪がファウの優しく頬を撫でる。
 ――撫でているように見えて、実際には皮膚を薄く裂いている。

『そうなの? ファウ……優しいわね』
「違う……! 沢山の人から、沢山の感情を教えてもらった。笑って、泣いて……怒って、悩んで……その全部で、あなたを知りたかった……!」

 ファウの刀身が。少女の獣爪が。双方に灯った青い光が、徐々に輝きを強めていく。

『知ってるわ。ずっと見ていたもの。あなたが、私のために泣いたことも』
 少女はあの日のままの笑みを浮かべる。

『私を封印したあと、震えながら謝っていたことも。……あなたの全部、覚えているわ』
「……っ……!」

 胸が潰れそうになる。
「知れば知る程、あなたはどんどん遠くなる……、っ、どうして? あなたの笑顔を、あなたが死ぬ迄、ずっと見ていたかったのに、俺は……!」

 言葉が喉で千切れた。
 涙で霞む視界でも分る、獣爪に宿る光。今にも零れ落ちそうな、妖しく、美しい光。

 嗚呼、屹度、別離まで――残り、拾秒。

『大丈夫よ。私は、あなたと同じ。ずぅっと一緒よ、ファウ。だって私も、沢山長生き出来るようになったんだもの』
「そんなの……“一緒”じゃない……!」

 ファウは歯を食いしばり、血反吐を吐きながら立ち上がる。
 涙とも血ともつかぬ雫が、頬を伝って落ちていった。

 参秒。
 弐。

「……偽物でも。あなたを眠らせるのは、俺の役目だ……!」
『眠らせる? ……ふふ。相変わらず優しい子ね』

 壱。

『あなたが手を掛けるなら、きっと……痛くないわ』

 霊刀が、獣爪が、六花の光を纏う!

    一合。振り下ろされる獣爪を相殺、凍てつく冷気が周囲に飛び散る。
“きみは直ぐに私の事を見付けるわね!”

    二合。氷粒舞う中死角より襲い来る一撃を弾き、霊刀《祈雨》、右手一本の大上段――。
“匂いで分かった。少しだけなら、屹度主様の動きも先読みできる”


   |

   霊
   剣
   術
   ・
   冰
   華
   斬

   |


 冷気の噴流が渦巻き、稲妻よりも速く光が走る。
 渾身の逆袈裟めいた獣爪、その軌跡の僅かな隙を縫って怒濤の氷瀑が下った。


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====
 ファウ・アリーヴェ【重傷】
  左肩:深部貫通創。肩甲骨の一部損失、関節周囲の筋組織に大規模裂傷。
  左前腕:近位部より先を喪失。
  胸部:多肢による三方向同時刺突による貫通。
  右脚:噛撃による深い刺創。大腿筋の一部が喪失し、出血量多。

 簡易所見
  出血量により低血圧兆候あり。本来意識の維持は困難だが、強い痛覚刺激で失神を免れている状態。
  動揺・涙・嗚咽が続き精神負荷は極高。判断力低下。


●
 霊刀《祈雨》が人型の筐体を、唐竹ではなく袈裟斬りに切り裂いていた。
 断面からは絶えず静電が漏れ、鉄錆めいた赤いオイルが拡がっていく。
 その中心で少女は驚いたように目を見開き、やがてふわりと微笑んだ。

『やっぱり……優しい子……』

 即死では無い。名残を惜しむような僅かな猶予。
 獣爪から力が抜け、増え続けていた多肢が鉄屑のように崩れ落ちる。
 その瞳は最期の瞬間まで、ファウだけを見ていた。

『ごめんね……独りぼっちにして。ゴめんナサい、ね……』

 電脳上に現れていた脳波パターンが消え、メモリが揮発する。
 まるで、生物の死をなぞるかの如く。

 ファウはその場に崩れ落ちた。
 刺すような痛みが一斉に押し寄せ、意識が飛びそうになる。

 それでも。
 ――何時か絶対に、あなたの終わりを迎えに行くから。
 震える声で、最後にひとつだけ言葉を紡いだ。

「……待ってて……」

 一段と強まった雨が、血と体温を静かに洗い流していく。

クラウス・イーザリー

●
 雲を千切って落ちてくるような雨粒のひとつひとつが土を叩き、瓦礫の街に白い霧を立てていく。
 気温は低く、肌を刺す雨脚はどこか戦場の冬を思わせた。
 眼前、黒鉄のコンテナに赤い回路が走り、ハッチが開く。

 その霧の奥から、影がひとつ歩み出て来る。
 肩幅、姿勢、歩幅。
 雨に濡れた髪の一部が額に張り付く角度まで――忘れようとしても忘れられない。

 クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)の呼吸が止まった。

「……、――っ」

 喉から漏れた声は、雨にすぐ溶けて消えた。胸の奥が一瞬だけ痛いほど満たされる。

(……違う。あれは、偽物だ)

 影の周囲には、無数の|小さな青い光《レイン砲台》が展開している。
 “ありえない”。何故なら親友は自分の目の前で――。そう、理解しているはずなのに。

『クラウス――俺は……俺は』

 そう言い聞かせても、立ち尽くす影の瞳は。

『何かに身体を操られてるみたい、だ』

 悲痛と困惑の色を浮かべた瞳は、どうしても|永瀬・翼《本物》と同一にしか思えなかった。

 突如、青白い線がクラウスの視界を横切る。
 遅れて肌を焦がす灼熱が走った。レイン砲台のレーザーだ。
 翼が得意としていた射撃――その癖も間合いも“記憶のまま”。

 次の瞬間、足元の水飛沫が弾けた。戸惑う感情を置き去りにしたまま、クラウスが距離を詰める。
 情に揺らぐ前に、心が流される前に、ケリを付けなければ。
 死角に滑り込み、瞬きの間にナイフを抜く。艶が消され、雨闇に紛れる絶殺のナイフは、然し。

 ガ、キン――ッ!!

 刃が閃く。
 細身のナイフが、雨粒ごと空気を裂く細やかで鋭い軌跡を描いた。
 クラウスが踏み込めば、模倣体は逆に間合いの内側へ躍り込む。
 跳び退って槍の間合いに持ち込もうともレインの熱戦が退路を阻み、すかさず接近戦に引き戻される。
 年齢に見合わない、高度に培われた複合格闘技術。それは翼の得意とする武器だった。

『くっそ、手加減も出来ねえ! クラウス、管制ドローンは?! 敵が操ってるなら、必ず監視が――』

 必死に頭を働かせ、打開策を探る模倣体。
 ……クラウスは応えられない。斬り付けられた胸に、痛みと生温い熱がじわりと広がる。
 記憶の中の翼――訓練場で笑いながら繰り出した軽やかな体術。
 無駄がなく、恐ろしく柔らかい動き。

 それが今、自分を“殺すため”に向けられている。
(本当に、あいつの動き……)
 それならばと口を引き結び、最速で魔力を編む。
 魔力で構成された護符は、まるで水の波紋のように波打ってクラウスと同化した。

 一足飛びに感覚が二段階、引き上がる。
 視界がクリアになり、模倣体の動きが幾分か読める。
 それでも、足りない。
 変幻自在に軌道を変え、絶え間なく襲い掛かるナイフを相手に、クラウスは凌ぐだけで手一杯になってしまう。

 雨がさらに強くなる。
 視界を曇らせる白線の中、翼は息一つ乱さずにクラウスへ迫る。
 だが――

『クラウス――ッ』
 人類を裏切った学友にすら、揺るがない瞳を向けていた翼。
 同じ顔で、今、模倣体の悲しそうな瞳が自分に向けられている。

 レーザーが不意に“明後日の方向”へ逸れた。
「……っ」
 雨粒を消し飛ばしながら迫るはずの光が、まったく関係のない瓦礫へ刺さる。

 狙いの逸れ方は不自然だった。
 ミスではない。強制的に狙いを外したとしか思えない。
 ――狙いを外すことなんて、無かったのに。

 クラウスの胸に冷たい鉛が落ちる。
 それは、クラウスがよく知っている“翼”の行動だった。

「……やめろよ……そんな顔、するな……」

 いっその事憎んでくれれば。嘲笑ってくれれば。
 それなのに、それなのに……、どうして、|オマエ《・・・》は。そんな状態になっても、俺を大事にしてくれるんだよ――。

 喉が震える。
 頬を伝っているのは雨だけの筈なのに、視界が霞んでいくようだ。

●
 雨は愈々土砂降りに変わった。
 視界が白く煙り、呼吸するたび肺に湿った冷気が入ってくる。

 模倣体――いや、翼はなおもクラウスを狙っていた。
 その度にレーザーは揺れ、刃は震え、瞳の奥では別の“何か”が悲鳴を上げているように揺らぐ。

『クラウスッ、支配を……早く解いてくれ! このままじゃ俺ッ、人類の敵に……!』

 演算ノイズと生前の記憶が衝突しているのか、言葉の端々が滲み、歪む。

 クラウスの胸が苦しくなる。
 呼吸が乱れる。
 心臓の奥で、忘れたと思っていた痛みがまた蘇ってくる。

(……やめてくれ……そんな声、聞かせないでくれ……!)

 翼は、“撃ちたくない”。
 だが、命令に従わされている。
 翼の手が震える度にレイン砲台が暴発し、瓦礫に焦げ跡だけを刻む。

 その不器用な拒絶は、翼の優しさそのものだ。

「……っ……!」

 クラウスは強く歯を食いしばる。
 涙ではない。雨だ。そう思いたい。
 だが区別はつかない。胸の内側が焼けるように熱い。

 死の匂いがする。
 レーザーで焼き切られた建物からは、焼け焦げた鉄の臭いが漂っている。

(……このまま、殺されても――いいのかもしれない)

 そんな考えが、ほんの一瞬よぎった。
 翼に殺されるなら――。
 本物と同じ顔で、本物と同じ声で、“クラウス”と呼ばれながら終われるなら。

 槍を握る手から二度、三度、ふっと力が抜けてしまう一瞬がある。
 絶好の好機だった筈だ。
 だが、翼は――決してその隙を突かない。

 刃が動脈を掻き切る寸前で鋭さは鈍り、レーザーは急所を外す。
 翼の呼吸は乱れ、目には涙にも似た電子の光が揺れている。

『クラウス……、ごめッ……、俺……っ……!』

 痛い。息ができない。
 体中に切創、レーザーの貫通創。
 出血は多いが、まだ戦える。――戦えてしまう。

(……航。君のデータを使うこと、許して)
 クラウスは槍の柄を握りしめ、膝が震えるのを誤魔化すように足を踏みしめた。
 |魔導複合機械槍《レミニセンス》が脈動し、|内部のルシーダ《バーストモードの回路》が青く光を灯す。

 その光が、クラウスの心を更に締め付ける。

“……さがって、 って……”

 同調により脳裏に浮かぶ航の声が、回路を駆動する燃料となって掻き消え、薄れていく。
 クラウスの胸の奥で、何かが音を立てて折れた。
 自分の命がどうなってもいい、という感情と、翼を殺したくない、という矛盾が、心の中でぐちゃぐちゃに絡み合う。
 ただ一つだけ確かなのは――

(このままでは、誰も救えない……ッ)

 翼の射線から逃げようと距離を取れば、その先を塞ぐようにレイン砲台の青く細い光が迫る。
 迎撃すれば刹那の間合いの内側でナイフが閃き、肉を削り取っていく。
 記憶の中の翼が、もし死なずにクラウスと共に√能力者になって居たら――そんな|“もしも”《IF》を想像させるような速度。
 しかし、その一方で“殺さないために外す”という躊躇だけは、当時の翼だった。

「……ッ、は……っ!」

 クラウスは呼吸を荒げながら、槍の柄を握り直す。レミニセンスの内部で、魔力伝導線が青く脈動している。
 ――魔力蓄積中。|月拯《ゲッショウ》発動可能まで、あと32秒。
 チャージの間に受けたダメージは、後でまとめて押し寄せる。
 そのリスクを背負ってでも大技を放たなければ、この地獄は終わらない――クラウスはそう覚悟する。

 翼が迫る。走り出す音すら雨にかき消され、影が一瞬で間合いへ切り込んでくる。

『クラウス……ッ!! 避けろ、そこは――!』

 忠告と殺意が同じ人物から飛び出す。
 歪んだ矛盾に、胸が締め付けられる。

「……っ!」

 クラウスは飛び退くが、間に合わない。ナイフの逆刃が腹を抉り、熱いものが溢れた。
 同時に後方へ逃れた瞬間を狙って、レインのレーザーが地面を焦がす。
 視界が揺れる。心臓が脈打つたび、痛みが鋭く全身を駆け上がる。

(……もう少し……もう少し、耐えれば……)

 僅かに遅れて、槍全体が青白い光を噴き上げる。
 槍身の脈動が激しくなり、内部のルシーダが震えるように発光した。

“落 ……着い…… ”

 航の声が、遠くで割れる。
 ノイズの奥にかすかに残った“優しい気配”が胸を締め付けた。

(……ごめん……航……)

 キッ、と眦を上げるクラウス。
 そうだ。本物は、翼は、もうこの世にいない。

 雨が、世界が、音を失う。
 覚悟が胸に沈み込み、最後の一歩へと彼を押し出した。

 翼の踏み込みは流れるようで、鋭い。
 忽ち槍の間合いよりも内側に入られてしまう。
 なら――その内側で貫くだけだ。
 振り抜かれる翼のナイフ、その軌跡上にクラウスが右手を伸ばす。

『なッ、――!!!』

 ナイフが肉を切り裂き右腕を切断する寸前、翼の身体に指先が触れる――と同時に発動する“ルートブレイカー”。
 斬り飛ばされたクラウスの右腕が宙を舞う中、模倣体の脅威の根源である、“翼の格闘技術”が一瞬消え去る。

 模倣体が漸く晒した致命的な隙。
 僅か一瞬の間、雷鳴のような魔力の唸りが槍を包み、霊光が刃の形を塗り替えていく。
 左手で穂先の根元を握り、最短の間合いで|月拯《ゲッショウ》の青い一穿が放たれた。


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====

 クラウス・イーザリー【瀕死】
  胸部:斬撃による広範囲の切創。深度は皮下まで。流血多量。
  腹部:深い刺突/抉れ傷。筋層断裂・重度の内外出血。
  右脇腹:レイン砲台レーザーによる貫通創。周囲組織の熱壊死と焦げ付き。
  四肢:右腕喪失。大腿部に複数の浅~中等度切創。動作には支障が残る。
  体表:レーザーの擦過傷多数。広範囲に火傷(Ⅰ~Ⅱ度)。

  簡易所見:上記はチャージ中に受けた外傷をすべて反映したもの。精神過負荷による“痛覚鈍麻(内因性鎮痛反応)”が生じており、現時点では辛うじて行動可能。
  ただし、鎮痛反応の切れ目で激しい痛覚とショック症状が一気に押し寄せる。いつ崩れてもおかしくない状態。


●
 雨音は、酷く遠い。
 ただ槍の穂先に集束する霊光だけが、白い残像を曳きながら脈動している。
 至近距離で|月拯《ゲッショウ》を叩き込んだ体勢のまま、クラウスと模倣体は制止していた。

『……クラウ……ス……』

 ゆっくりと顔を上げた模倣体の口が、かすかに動く。
 その声色は――本物の死に際そのものだった。
 白い蒸気が吹き上がり、模倣体の体表構造が崩れ始める。

「……いつか、そっちに行くから。……まだ死なないよ」
 それは祈りでも誓いでもない。
 ただ、クラウスの心の底から零れ落ちた言葉。

 ――だが、その瞬間だった。
 クラウスの胸に、衝撃が走る。

「っ……?!」

 視界の端が赤く揺れ、思わずよろめく。
 痛みはない。血の感覚もない。ただ“押された”。

(……攻撃を受けた……?! いや――違う)

 世界の時間が、緩慢と進んでいくように見える。
 クラウスを突き飛ばした“手”が見えた。
 “模倣体”の右腕だ。

 その表情は、泣きそうで。それでいて、安堵していて。
 まるで「間に合ってよかった」とでも言いたげな、哀しい笑みだった。

 クラウスの体が地面に転がる。
 その頭上で、鉄塔が折れた。

 戦闘の余波で支柱が焼け、雨で濡れた鉄骨が、きしみながら傾き――
 轟音と共に落下した。

「…………。……あ、あ……?」

 反響した衝突音は、内臓を殴られたような重さで鼓膜を叩いた。
 クラウスの目の前で、“模倣体”の身体が鉄塔の下に消えた。
 金属片と霊子の火花が四散し、雨でぬかるむ地面へ弧を描いて落ちる。

 やがて、崩れた鉄塔の瓦礫の下から|赤い液体《マシンオイル》が拡がっていく。

 ――庇われた。
 ――命の危機から。
 ――身を挺して。

 それは、嘗ての悪夢の忠実な再演。
 大きく見開いたクラウスの瞳孔が揺れる。

 お前は、本当に偽物だったのか――?
 もう、問いかけても答えは返らない。

 振り止まない雨は変わらずクラウスの身体を包み、体温を奪っていく――。

レラジェ・リゾルート

●
 白い蒸気が、少しずつほどけていく。
 雨粒に叩かれながら薄れていくその幕の向こうに、ひとつの影が輪郭を結んだ。
 曇天の光を受け、|銀の髪《シャンパンシルバー》が柔らかく揺れる。
 乳白色の肌に、石榴めいた赤い瞳。戦場には不釣り合いなほど上等な仕立ての服を纏い、まるで散歩の途中で迷い込んだだけのような足取りで|それ《・・》は現れた。

『ご機嫌よう、レラジェ。こんな場所で会うなんて、奇遇だね』

 朗らかで、まるで世界を賛美する為に調律されたような声音。
 レラジェ・リゾルート(|不殉月《なお死せず》・h07479)は足を止めたまま、僅かに目を細めた。

 実に、よく出来ている。
 立ち方も、首を傾げる角度も、視線の合わせ方も。
 「君は矢張り夜の静けさが似合うね」とでも続けそうな気配すら、あまりにも“あいつ”そのものだ。

 だが、とレラジェは心中で吐き捨てる。
 あいつは本来こんな場所には来ない。否、|自分が来させなかった《・・・・・・・・・・》。
 平和を維持する事こそが務めであり、自ら戦地に立つ身ではない。だからこそ、在りし日は自分が傍らに立ち続けていたのだ。

『……どうかした? 顔色が優れないみたいだ。……いや、僕も他人の事は言えないかな』

 心底心配するような目でこちらを覗き込む。
 その仕草に、レラジェの口元がわずかに歪んだ。嫌悪とも苦笑ともつかぬ僅かな揺らぎ。

「……知った顔をしているが、同じものではないな」

 低く乾いた声が落ちる。
 そも、戦えないから自分が護衛をしていたのだし、何より無辜の民に害をなす時点であいつではない。
 理性は即座に結論を出している。これは狂人が作った贋作だ、と。

 目の前の人物はレラジェの言葉に悲しむでも怒るでもなく、ただ微かな沈黙を落とす。
 雨粒が銀髪を濡らし、滴が頬を滑る。その様子はどこまでも穏やかで、戦場にいる者の顔ではなかった。

『……そうだね。僕は、君の知っている僕とは少し違うのかもしれない』

 ゆっくりと視線を伏せ、胸の前に指先を添える。
 その手つきが、妙に慎ましく、妙に優しい。
 まるで──自分が壊れる前に誰かを安心させようとする人間の動作だった。

『でも一つだけ、分かるんだ。僕がここに居ればきっと誰かが傷つく。それなら、僕がいなくなる方が“正しい”筈だよね』

 レラジェの眉が、わずかに動いた。
 これは命乞いではない。敵対存在への抵抗でもない。
 ただ“害を成すくらいなら自死を選ぶ”という、“彼”本人の本質的な善性そのものだった。

 影が束ねられ、槍を象る。
 戦闘命令に反する行動に、彼の端正な顔が痛苦に歪む。
 その槍の穂先をもって、己の身体を貫こうと――。

 レラジェは呼吸を忘れた。戦場では反射が身体を動かす。
 考えるより先に、影が蠢いた。

「――待て」

 何故だ、と疑問が過ぎると同時に足元の闇が裂け、影の腕が飛び出す。
 彼の手首を絡め取り、刹那の寸前でその動作を封じた。
 槍が|心臓部《メカニカル・コア》を貫く一歩手前だった。

 彼はふわりと目を丸くし、驚き、そしてどこか安堵したように微笑んだ。

『……止めてくれるだなんて。やっぱり、レラジェは優しいね』

 レラジェの胸中に、冷たい怒気とも苦痛ともつかぬ熱が走った。

 ――違う。それは俺が護衛として“覚えさせられた”習慣だ。
 ――お前は敵だ。
 ――これは全部、狂人が盗んだ記録の産物だ。

 理性が必死に叫ぶ一方で、身体は確かに“護ろうと”してしまっている。

「……ふざけるな。お前は……あれではない」
 声はひどく低く、ひどく苦しげだった。
 雨音が、ふたりを隔てるように強まっていく。

 影の腕に拘束されても、彼は抵抗せず逃げようともしない。
 ただ困ったように眉尻を下げ、雨に濡れた睫毛の奥からレラジェを見上げる。

『……でも、逆らえないんだ。本当は、君と争いたくなんてないのに』

 その声音には“申し訳なさ”だけが滲んでいた。
 敵意を欠いたまま戦場に立つという、最悪の形で“彼らしさ”を帯びている。

『レラジェ、行くよ。こんなの……避けられなければ、嘘だ』
 攻撃“宣言”。次の瞬間に彼は踏み込み、右腕を振る。
 影の槍が飛ぶ。攻撃――と呼ぶにはあまりにも速度が遅い。
 そして、当たらない角度。
 わざと“外し気味”に放たれたそれは、レラジェに対する警告ですらない。
 ……そう、本来ならば。

 レラジェは微動だにせず、それを迎え入れる。肩口を浅く裂く鈍痛が走り、血が滲む。
 受ける必要などない一撃を敢えて受けた。

『っ……レラジェ?!』
 彼が目を丸くし、本気で心配する声を上げる。

『ねぇ、レラジェ……まさかどこか痛いの? それとも、疲れてる……?』
 影の槍を構える手は震え、優しさが混じり、攻撃の意志が一向に宿らない。
 敵であるはずなのに。敵であるように造られたはずなのに。
 この矛盾こそが、レラジェにとって何より堪えた。

「……黙れ」
 短く吐き捨てる声は、冷え切っているのにどこか脆い。
 避けられる攻撃を避けず、必要のない傷を負い続けながら、レラジェは迷いなく前へ出た。

 ――本当に、あいつそのものだ。

 レラジェの喉奥で、何か割り切れないものが痞えている。
 相手を害せない。
 避けてほしいと言う。
 そして攻撃は、命令のノルマのためだけに“形だけ振るわれている”。

 偽物。だが、“優しさ” だけが、あまりに本物と一致している。

「……お前は敵だ。惑わせるな」

 そう口にした声は、敵に向けるものではない。
 むしろ自分自身に言い聞かせるような声音だった。
 雨音が、ふたりの間に横たわる静寂を残酷なまでに掻き消す。

 避けない騎士と、傷つけられない敵。
 最悪の組み合わせが目の前で成立していた。

 だが、いずれにせよレラジェが導き出した結論は一つ。槍の穂先と刃が交錯した瞬間、レラジェは躊躇なく狙いを定めた。
 ――魔法を紡ごうとする繊細な右手に握られた|万年筆《”Paradiso”》。
 外交官として常に持ち歩いていた象徴。
 彼の知性を、善さを、誠実を象るもの。

 レラジェは踏み込み、影から迸る腐敗の爪風――|蝕《オシマイ》が、右手首を正確に切断する。
 黒い軌跡を引いて右手が飛び、その影は雨の霧の中に溶け消える。

『……あ……っ』
 痛みすら理解できないような声。
 彼もまた反撃を繰り出す。|目隠しの雨靄《・・・・・・》の中から、影の槍が突き出される。
 然しそれは緩慢で、誰にでも読めるほど素直な一撃。
 本来ならば、避けるも弾くも叩き落とすも易きものだ。

 だがレラジェは動かない。
 刃が肩を割き、深く肉を抉る。
 血が雨と混じり、地に垂れた。

(……せめてもの、罪滅ぼしだ)
 レラジェは受けたまま、正面から斬撃を返す。
 抵抗を奪うための、淡々とした“殺意の整理”。
 剣は無抵抗な彼の胸を深々と切り裂いた。


■
 ==== Battle Result: Situation Update ====
 レラジェ・リゾルート【負傷】
  左肩部:深い刺創。
  胴部:斜めに走る切創が多数あり。出血中量、致命傷には至らず。
  胸部外側に刺突痕。避けずに受けたため肋骨にひび。
  右頬に浅い切創。視覚に支障はなし。

  簡易所見:いずれも致死性は低いが、 「わざと受けた」ため損傷範囲が広い。放置すれば運動性と出血量から戦闘効率が緩やかに低下する。
  精神集中と戦意で一時的に痛覚を抑圧している為、継戦は可能。


●
「……一つだけ聴いてくれ」

 レラジェの口から洩れる、戦場には場違いなほど静かな声。

「俺の力が至らずに、あの時お前に世界の醜さを見せてしまったこと」

 こんな風に、誰かに|弱さ《本音》を吐くなど、いつぶりだろうか。

「それがお前の憎悪と最期を招いたこと。……悔いている。すまなかった」

 温かな|冷却液《クーラント》を流しながら、彼は小さく目を瞬かせた。

『……うん、君の言う通り。僕には思い出せない部分が、幾つかあるみたいだ』
 レラジェはわずかに息を吐く。

「だろうとも。だが――お前が偽物だからこそ言えた話だ。どうか、このまま墓場に持っていってくれ」
 雨の音が、少しだけ大きくなった気がした。

『うん。でもね……無辜の民を害そうとして、それに……君を傷つけてしまった』
 だが、今際の際にある模倣体はかすかに首を振る。

『今もそう。隙さえあれば君を攻撃しようとしているんだ、“この僕”は』
 レラジェの眉がわずかに動く。

『世界が美しくない……のではなく、僕自身が世界に仇為し、その美しさを毀損するのなら』

 そして――彼は静かに、祈るように目を閉じた。

『僕自身が消える事で、今、|高貴なる義務《ノブレス・オブリジュ》を果たそう』

 その身体に、ぬかるむ地面から這い出した無数の黒い影が群がる。

『ドクトル。君は僕を……いや、僕の血族を測り損ねた』

 |聖なる哉この殉難《サンクトゥス・クルチフィクスス》。インビジブルたちは機械の身体であろうと容赦なく貪り、

『家門に泥を塗る無能は――ドゥラメンテ家には、居ない……よ……』

 やがて、彼が居た事そのものが嘘だったかのように喰い尽くした。
 その中心で覚醒した、巨大な屍竜の咆哮が空気を裂く。

 レラジェは一瞬だけ目を伏せ、ほんの短く――悼むように頭を振った。
 
 「……嘆くのも、疑問を解くのも後で出来る」
 顔を上げる。紅い瞳は既に戦士のそれへ戻っていた。

「今は――」

 月喰いの屍竜の巨影が、レラジェの隣に立つ。
 その標的はレラジェではない。
 ただひたすらに、ドクトル・ランページを見据えている。

 皮肉で、残酷で、そして――何より美しい瞬間だった。
 イレギュラーな召喚のため、その存在は短いだろう。
 だが、その短い時間だけは“竜と騎士”が並び立つ。

 憎悪と慈悲と死と祈りが混ざり合う、束の間の共闘。
 雨の中、レラジェは静かに屍竜を見上げると、ドクトル・ランページに向けてゆっくりと剣を構えた。

第3章 ボス戦 『『ドクトル・ランページ』』


●
 戦闘の展開を観測していたドクトル・ランページは一つ、溜息をつくようなそぶりを見せる。
『ふむ……なるほど。ハードウェア及びソフトウェアを似せると、個体の識別ができなくなると。不便なものだな』

 物言わぬ機械片が無数に転がる中、雨霧の向こうで幾つもの青いホログラムが淡く揺らいだ。
 それは――たった今まで、キミたちと対峙していた模倣体の残響。

“君たちは、祈りそのものだ”
“置いて行かないでくれよ?”

 キミたちに執着する、不倶戴天の影。

“よく……やったな”
“いい名前……もらったじゃねぇか”
“怖かったの……ずっと”
“蝶を……頼みます”
“独りぼっちにして。ゴめんナサい、ね”
“お前は、生きろよ”
“今、高貴なる義務を果たそう”

 攻撃を止められないながらも、キミを庇い、キミを慰め、キミを気遣い続けた影。

 先の戦闘で露になったキミたちの感情波形の輪郭が、涙のように滲む。
 そのホログラムの波形に向けて、ドクトルが歩み出た。

『データ:感情模倣ログ。分類――|GARBAGE《ゴミ》』
 淡々とした声は評価でも侮蔑でもなく、“ただの処理対象”を告げるだけの音。

『偽物と断じておきながらその破壊に葛藤を示す。入力信号と行動出力の乖離。更に敵味方の識別能力に疑問を提示。存外低スペックなのだな、|生命体《ニンゲン》』
 青い波形を指先でつまみ上げるように掴み、軽く力を加えて――砕く。
 青い光は雨に砕け、散ったデータが粒子状に舞う。

『――滑稽だ。いや、不快ですらある』
 砕けた光がぱちりと弾け、地へ吸い込まれた。
 ホログラムの“声の残響”が消える。

『興味深くはあるが、実験結果としては価値がない』
 次々にホログラムが潰されていく。
 攻撃予告。防御の過剰反応。仲間を庇う動き。自己犠牲。
 すべてが、ドクトルの足元で光の埃となって消えていく。

『観測終了。データ価値:ゼロ。いずれも決定因子たり得ない……単なるノイズだ』
 最後の光が消えたその時、ドクトルの視線がキミたちに向けられた。
 模倣体には向けられなかった“研究対象としての関心”が、初めて宿る。

『外部観測では限界がある事は判明した。“紛い物”では真実に届かない。――ならば、“本物”の内部から覗くしかあるまい』
 その背後で巨大な尾が揺らめき、そこに生えている鋭利なエッジが遠雷の光を受けて不気味に煌く。

『鹵獲する。安心するといい、大脳と脊髄は無傷で取り出し生かしたまま研究する。お前たちの魂がどこに宿り、どのように壊れるのか……内側から観測してやろう』
 ゆっくりと、ドクトルは手を広げた。
 その動きがまるで「実験装置の起動」であるかのように、冷たい光が周囲へ奔る。
 光を浴びた瓦礫から鉄屑が宙に浮き上がり、まるで意思を持ったかのように寄り集まり、組み合わさり、熔け合い、ドクトルの武装へと変わっていった。
 頭上を旋回する無数の【斬撃兵器】。
 両サイドには、【マテリアル・キラー】の砲口となるレギオンの群れが展開する。
 そして【長大な尻尾状の部位】は無骨な外装殻でより大きく重量が増し、幾つもの刃が生成された。

『――精々抗え。生き延びて、苦しんで、叫んで見せよ。それがお前たちの“価値”だ、|生命体《ニンゲン》』

 敵対象:ドクトル・ランページ - |重武装形態《タイプ・フラクタル》。
 その眼は自身の導き出した勝算を疑わず、キミたちの反応を記録するように見下ろしている。

 キミたちに退路は無く。劈くように雷鳴が響く。
 斯くて、決戦の幕が静かに開いた。



    Last Movimento : 2 / 2
      - 灰燼にて帰還す -



 ||| | | - WARNING - | | |||

 [[ ENEMY : Doktor-Rampage ]]



==============================
■マスターより
いよいよ黒幕であるドクトル・ランページとの血戦です。
矜持。絆。情。キミの考える“魂の在処”を声高に叫べ。
仮にルシーダが無くとも、その情動は必ず力となってくれる筈。

ズタボロを楽しみたい方でしたら、第三章からでも参加を歓迎します。
その分、戦闘が始まりましたら熾烈な攻撃が集中すると思って下さい。
歯を食いしばって逆境を跳ね除ける、カッコイイプレイングをお待ちしております。

【本シナリオ限定ルール:負傷継続システム適用】(再掲)
第二章で受けた負傷は、原則として第三章に持ち越されます。
・ご自身で回復手段を用意する
・同行者による回復は「名指し」で記述されている場合のみ有効
「章が変わる事」による自動治癒は基本的に適用されないものとお考えください。

|||||||| # OPERATION-UPDATE ||||||||
◆作戦目標:
⇒巨大派閥レリギオス・ランページの統率者『ドクトル・ランページ』の撃破。
 撃破と同時に『ノア・シエル第八区画』防衛も同時達成となる。

◆現場詳細:
⇒ノア・シエル第二戦線跡地。一般人に被害が及ぶ可能性は無い。
 また、周囲に多数のインビジブルを確認。
 敵性インビジブルも漂っており、激戦が予想される。
 瓦礫や廃墟の中に残置物有り。キミが有ると言えば、"ソレ" は有る。

◆プレイング受付開始
⇒11/30(日)9:30より開始
ジェイド・ウェル・イオナ・ブロウクン・フラワーワークス
クラウス・イーザリー
ファウ・アリーヴェ
屍累・廻
八手・真人
オメガ・毒島
徒々式・橙
カノロジー・キャンベル
八隅・ころも
レラジェ・リゾルート

■SCENE-1 INTRODUCE_

「――悪趣味が過ぎる」
 雨粒が瓦礫の縁を叩き、乾く事無き血を薄く溶かしてゆく。
 そのただ中で、血を流すレラジェ・リゾルート(|不殉月《なお死せず》・h07479)はひとつ、浅く息を吐いた。
 胸の奥に、ふつりと泡立つ熱がある。怒りという名の、赤黒い気配。其れがほんの僅かでも表層に滲み出れば、あの敵は喜ぶだろう――失望したと嘯きながら、それでも人間を弄ぶことだけは決してやめない“観測者”が。

「いや……落ち着かねば、思う壺か」
 自嘲のように、しかし自制の響きを保った声が喉奥で揺れた。
 柄にもなく饒舌になりそうな自分が可笑しい。いや、可笑しいのではなく、苛立っているのだろう。
 ヒトを“価値”で量り、勝手に失望して、勝手に見下す。
 その幼稚さが、レラジェには耐え難い。
 まるでそれに同調するように、傍らの屍竜が鈍く息を吐いた。

「……まだ健在か。随分と“らしい”置き土産をしてくれたものだ」
 レラジェは視線を屍竜へと落とす。
 |あれ《・・》は模造品にすぎない。それでも――たとえ紛い物であっても――宿した“意思”めいたものは、確かに貴い物として紅い瞳に映ったのだ。
 それは腐敗と絶望を抱えてなお、戦う為に立ち上がる屍竜の姿にも。

 怒りを鎮め、冷気のような静寂を胸へ引き戻す。
 そう、戦場に於いて必要なのは激情ではない。“結果”だ。
 雨粒が頬を滑り落ちる。眼前には価値と効率だけで魂を計ろうとする敵、ドクトル・ランページ。

「……そろそろ“観測”の底を見せてやろう」

 その声は低く静かなままに、鋭く敵を穿つようだ。

●
 瓦礫の傍に横たわるひとりの青年。
 クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)。彼の握りしめていた槍は指の隙間から滑り落ち、濡れた地面に鈍い音を立てる。
 右腕は肘より先が無い。失われた感覚を確かめるように、残った左腕だけでのろのろと身を起こし、転がった機械槍の柄を掴む。
 持ち上げたというより、縋りつくような動作。

 形だけ武器を構えた視界の端で、雨が降りしきる。気力を失い、洞の様な昏い瞳を通して見る世界の輪郭は――歪み、色が薄れ、遠のいていくようだ。
 クラウスは自分が死ぬことに、もう驚きも恐れも抱かない。

 と、そこへ――雨を踏みわける足音が、クラウスの背後から近づいてくる。
 重さのない、しかし一定のリズムを刻む足取り。
 かすむ視界の端に、灰色の髪が揺れた。

「……死にかけてんね、先輩」

 軽く笑う声が落ちてくる――刹那、ふと緊張が解けたか。
 鎮痛反応が途絶え、胸部 腹部 脇腹 右腕他諸々、一気に激痛が押し寄せる。
「ッッッ!!!、ガ……ァ゛!!!」
 耐えられない。思わず膝を折る。血圧低下。戻った痛覚に加え、膨大な出血量。完全なショック状態に陥ったクラウスに、再度軽快な声がかけられる。

「――殺してやろうか?」

 この状況に似つかわしくないほど軽薄で。なのに、その下には濁ったものが見え隠れする。
 落ちていた右腕を拾い上げた男――ジェイド・ウェル・イオナ・ブロウクン・フラワーワークス(笑おうぜ・h07990)。
 緑の瞳はいつものように笑んではいたが、クラウスには分かる。
 その笑顔の奥に、どんな色の影が沈んでいるか。

 崩れ落ちそうな身体を無理やり支え、それでもクラウスは絞り出すような声で応じる。
「……殺して……もらうまでも、ない。自分で……死ぬよ」

 それは哀願ではなく、弱音でもなく。
 クラウスの意志に引き寄せられたかのように、地より湧き出るインビジブル共。
 |夜明け《キョクジツ》――無敵獣に後を託すため、自らの身体を供物として差し出したのだ。

 ――“お前になら、殺されてもいいよ”。|そんな重い感情を預け合う様な《必要なら介錯をする》約束をしたというのに。その手を、まるで要らないとばかりに振り払われたようで。
 その様子に、ジェイドは僅かに笑顔を深める。
 ――“一人で逝くのは寂しいだろ”。
 上がった口角の奥、食い縛った歯がギリリと音を立てた。

「へえ……そうなんだ。自分で死ぬ、ね。……ふーん」
 どこか楽しげに言いながら、その声音には消え入りそうな焦燥が滲む。

「なーぁ、先輩。それ“今”じゃなくね?」
 ジェイドの手が、クラウスの顎をそっと支えた。貼り付けた笑み、その瞳の奥が冷たく澱む。
「……でも」
 見返してくる、絶望に染まったクラウスの瞳。

 でもじゃねえ。今は、まだ。
「――死ぬな」

 短く、鋭く、ひどく乱暴な“祈り”だった。
 炎がジェイドから溢れ出し、クラウスを覆う。弱り切ったクラウスの身体は抵抗することすらできず、自死の決意は襤褸襤褸と炭化していく。
 ルートブレイカーの力を含んだ夢現煙火人の炎は尚も止まらず、彼を喰らおうと湧き出たインビジブル共さえも散らしていく。

「なん、で……」
 クラウスは絶句する。
 死んでもいいって、いざという時は殺してやるって――そう、言っていたじゃないか。

「死ぬなって|命じ《呪っ》たんだよ。その責くらいは、おれが負う」
 伏し目がちの笑顔の頬に、雨が一筋伝い落ちる。

「それにさぁ。粗末にはしても、|無駄に《・・・》は|しない《・・・》。……そう在りたいよな、先輩?」
 楽しげな声色。両手を背に回したかと思えば、細かい何かをクラウスの口に突っ込む。――なにか、鉄錆めいた、味が――。

「……っ、やめ、」
 抗う力はない。ジェイドはクラウスの口元を押さえ、水めいた液体で強引に流し込んで来た。
 喉が反射的に動く。痛みが掻き消される。生かされる。
 ――拒絶すら、許してくれないのか。

 命令書き換え。
 自死不可。生存優先。
 それは祈りにも似て、呪いにも似て。クラウスの心臓を強制的に脈打たせ、今は亡き落日の残照を再び裡に灯し直したのだ。

 クラウスは息を呑み、掠れた声を漏らす。

「……なんで、止めるんだよ……」

 涙にも似た、喪失の震えだった。
 ジェイドの手が頬から離れる。|左手の肌《・・・・》が頬をなぞる感触。
 自分の頬に一本の血の跡が曳かれた事。そして、素早く拳の形に握り込まれた彼の左手に“小指が無い”事に、今のクラウスは気付けない。

●
 ジェイドの炎がクラウスから自死の選択肢を取り上げた頃。
 戦場の端では、新たな希望の糸が紡がれようとしていた。
 漸く雨を凌げる程度の半壊した建屋の中、急ごしらえの処置台座に持ち込みのリペアキット、臓器保管槽、血液製剤用保冷庫他多数。
 野戦病院さながらの“臨時ラボ”から、ドクター・毒島が駆け寄って来る。

(……また、怒られてしまうかもしれませんね)
 大音響の怒声に備え、予め顔を顰めたのはオメガ・毒島(サイボーグメガちゃん・h06434)。しかし――。

「|生体部位保護鋼殻《バイタル・シェル》を確り死守したようだな。生への執着を捨てない……いいぞ、そういうのは好きだ」
 いつにない博士の真剣な声に、思った以上に自分の損傷が激しいことを思い知る。

 そして。
「……まだ、動ける」
 ふらり、と八手・真人(当代・蛸神の依代・h00758)は立ち上がる。
 無惨に砕かれた右腕は痛くない。ただ、今は伝達を忘れられている痛みが、少し怖い。
 と、そこへ――プツり。

「真人よ。少し時間をくれ。粘れるか?」
 博士により、感覚が失われた真人の右肩に注射針が突き立つ。|ペンタゾシン《鎮痛剤》15㎎、皮下注射。激痛への猶予が保障された。

「エッ……アッ……ええと。十分くらい、ですか?」
 しどろもどろに答える真人に、
「ワッハハハ! 舐めて貰っては困るな――五分だ」
 博士は敢えてニッと笑みを浮かべて見せた。

「真人……すぐ、戻ります。それまで、時間を……」
 ストレッチャーに乗せられ、臨時ラボに運ばれて行くオメガ。
 ……たこすけ、真人を、どうか……。
 その言葉が届いたのか。たこすけは器用に触腕で文字を作って見せる。
「カ……キ。――生牡蛎。ええ、ええ、勿論。帰ったら、必ず――!」
 オメガの瞳は濁っていなかった。むしろ、片目だけの眼光は研磨された刃のように鋭い。
 タコに祈るなんて初めてですよ――その声は臨時ラボの中へと消えて行く。

 真人は血のついた顎を拭い、呼吸を整え。
 たこすけの触腕が背後で八本、静かに蠢く。
「まだ、戦える。俺の腕が動かなくたって……|俺の蛸神《たこすけ》の腕は動くだろ」

 なら、充分。それに、俺には|お守り《兄ちゃん》がついてる。

 たこすけは何も答えず、触腕をわずかに開いた。
 その一瞬に、通じ合う何かを感じる。

「覚悟なんか、とっくにしてるよ。√能力者になった日から、ずっと……」

 雨の中で立つ真人の姿は、血塗れでも弱くはなかった。
 むしろ折れることを拒み続ける“根”のように、重く、揺るぎなく存在している。
 真人のわずかな震えを補うように、たこすけの触腕が八方に大きく広がった。
 その全てが敵を弾く盾であり、敵を穿つ矛でもある。

「ここから先は行かせない。メガくんが動けるようになるまで、俺が守るんだ」

 ――絶対に。

●
 銃声と金属の軋みが交錯する戦場の外れで、徒々式・橙(|花緑青《イミテーショングリーン》・h06500)は瓦礫にもたれ掛かるように腰を下ろした。
 息は上がっていない。ただ、身体が妙に重い。

「ううん……やっぱり誤魔化してたぶんの反動、出ますねぇ……」

 軽口の調子はそのままなのに、声の端だけが少し掠れている。
 先ほどまで居た“彼”の姿はない。そればかりか、能力の残滓がこの座標から霧散し始めていた。

「能力で一時的にお越しいただいたのは本当に助かりましたけど……固定できる時間、短いんですよねえ。便利なようで、実際は融通利かないといいますか」
 融通が利かないのは誰かさんみたいですが――と、この場に居ないのをいいことに余計な一言を付け加えつつ、何処か誇らしげでもある。

「……まあ、後は私が自分でどうにか頑張りましょう。とはいえですよ? 手当てのひとつくらいしてってくれても、バチは当たらないと思いません?」

 誰にともなく文句を言いながら、橙は片手を掲げる。
 空間から蛍のように滲み出た淡い光たちが、掌に集まってきた。
 身体のあちこちに負った銃創が塞がり始める。裂けた皮膚が寄り、痣が退き、その激痛がじわじわと薄れていく。
 全快とまではいかないが、だいぶマシになった方か。

「……ふー。生き返った、というと言い過ぎですが……まあ、死にませんね、これくらいなら」
 橙は立ち上がり、眼鏡の位置を指先で直す。
 そして、わざとらしく肩を回しながら呟いた。

「ぜーんぜん大したことありませんよ。記録するならどうぞ――私、しぶといので」
 戦場へ戻る彼の背には、露骨な自信でも派手な気迫でもなく。
 “死なない程度のしぶとさ”という橙独特の戦意が確かに灯っていた。

●
 影が足元で揺れ、濡れた地表に黒い紋様を描く中。
「……さて。こちらも“足止め”といこうか」
 低く、濁りのない声と同時に、レラジェの影がふ、と地表に染み込むように広がった。
 その端から――無数の“腕”が這い出る。
 黒い指先が地面を掴み、縫い止めるようにドクトルへ向けて一気に伸びていく。

『精神存在……影の擬似素子……解析中。――牽制行動を開始すると判断』

 演算の声には依然として温度が無い。
 だが、レラジェの影はその“無機質さ”すら嘲笑うようにうねり、ドクトルの進路を左右から封じていった。

 そのとき。
 レラジェの背後で、屍竜が息を吐く。
 腹の奥に溜めていた腐熱を押し上げるように、朽ちた胸腔がぐらりと持ち上がる。

「……まだ動けるか」

 振り返らずに問うレラジェへの返答の代わりに、屍竜は翼を大きく広げた。
 腐敗した鱗が雨に濡れ、黒い虹彩のように光る。

 そして――

 咆哮。

 濁りと苦痛が混じった声が空を震わせ、灰色の雲がその振動を受けて細かく崩れた。
 戦場の空気が一瞬にして熱を帯びる。

 レラジェの影がさらに伸びる。
 屍竜の咆哮と重なり、地面そのものが怒りを噴き上げるかのようだ。

「来い、観測者。……結果を出すのは、こちらだ」

 ドクトルの瞳孔がわずかに収縮した。
『戦闘行動、最適化。良い。観測を再開しよう――』

 白い輪郭が一閃し、周囲の霧と光を切り裂く。
 その瞬間、レラジェの影の腕が伸び、屍竜が踏み込み、戦場全体が一斉に“戦闘の相”へと切り替わった。

 雨が跳ね、瓦礫が砕け、人間と怪異と機械と祈りがそれぞれの理由を携え――

 戦いの幕が今上がった。



■SCENE-2 COMMENCE_

 瓦礫の影。雨に濡れた鉄骨の裏で、橙は戦場の中心を静かに眺めていた。

 視線の先では、白い輪郭を持つ“観測者”が、正面から迫るレラジェを迎撃しながら、
 余剰演算で斬撃兵器を放っている。

「……ふぅん」

 息を潜めたまま、小さく笑みを零す。
 ドクトルの視線は今、こちらを向いていない。いや――見えていても、見ていない。

「なるほど。主戦力と盾役にリソース集中。
 後方のノイズは後回し、ですか」

 呟きは雨音に紛れて消える。
 橙はその場から一歩も動かない。

 代わりに、指先だけが動いた。

 瓦礫に残された機械片。ひび割れた装甲。踏み砕かれた兵装の残骸。
 それらに、そっと触れる。

「回復するまで、|時間稼ぎ《嫌がらせ》でもしましょうか」
 |銀の懐中時計《メモリークロックワーク》の蓋が開く。
 チキ、チキ、チキ、と規則正しく刻む秒針音。その細波めいた微細な周波数に、祈りの波長が重なる。

 演算系に微細なノイズが走る。
 それは“異常”と判定されるほど大きくはない。
 ドクトルの主観からすれば、
 ――誤差。

「ええ、今は気付かなくて結構です」

 その瞬間、斬撃兵器の一閃目が――ほんの僅かに、ズレた。
 致命ではない。想定外の“誤差”。
 だが。

 |二閃目、三閃目、四閃、五閃、六七八九十《誤差誤差誤差誤差誤差誤差誤差誤差誤差》 ――。
 ドミノ倒しめいて全てがズレる、何一つ満足に致命傷を与えられない。
 橙はそれを見て、満足そうに微笑んだ。

「ほら。取るに足らない誤差でも、積もれば――案外、効くでしょう?」

 そしてその“遅れ”を正面で受け止める役目を担うのは――八つの触腕である。

●
 斬撃兵器の白い剣閃が、雨粒ごと切り裂きながら迫る。
 回避行動――否、距離が足りない。真人は咄嗟に身を低く構える。
 たこすけの触腕が、意思を汲み取るより早く動く。
 八本のうち二本が交差し、盾のように前へ伸び――

「……っ!」

 断ち切られた。

 触腕が宙を舞い、黒い血が雨に混じって飛び散る。
 衝撃で真人の身体がよろめく。
 ――だが、倒れない。大事な友達を、これ以上ボロボロにはさせない。

「……まだ……!」

 失われた断面から、粘つくような再生が始まる。
 裂けた触腕の根元が脈打ち、新しい肉と神経が無理やり形を作ろうと蠢いた。

 再生は早い。
 だが、視界の端が暗む。耳鳴りがする。心拍が、やけに大きく聞こえる。

(……血、足りてない……)

 分かっている。
 代償は確実に真人の身体を削っていく、このまま防ぎ続ければ孰れ意識が落ちる。
 ――それでも、震える足は、前へ。これ以上、何も失う気なんかないから。

 横薙ぎの斬撃。いなした触腕が斬られ、再生する。
 今度は逆から。斬られる、再生する、また斬られる、再生した端から斬り飛ばされて行く――。

 真人の呼吸が荒くなる。
 膝が笑いそうになるのを、歯を食いしばって堪える。

(……倒れ、ない……!)
 自分自身への命令。そのためなら、神頼みでもなんでもやる。

「たこすけ。俺が無茶するんだから、お前も無茶しろ。俺のこともメガくんのことも、絶対守りきれ」
 それは、覚悟を固めた声。

(滑稽でも、理解不能でも)
 剥き出しになった心が燃え盛る。
 絶望的な状況に置かれても尚、蛸神への供物とばかりに信仰心を焚べ、決して心折れないのは――
(それでも、兄ちゃんは褒めてくれるから……!!)

『……ほう。漸く“失望しないデータ”が取れそうだ。評価値の底打ちを確認した』
 ドクトル・ランページの視線が、一瞬だけ真人に向く。
『だが……推定結論:継戦不可。――五十秒以内に行動不能』

 真人は、その言葉を聞いて僅かに笑った。
 息を吸う。
 肺が痛い。

「……|俺の蛸神《たこすけ》は、|依代《俺》のこと、|五十秒程度じゃ《簡単に》殺させないよ」

 ふらつく足で一歩前に出る。
 たこすけの触腕が、今度は全方向に広がった。
 再び、斬撃が飛ぶ。
 だが今度は、わずかに――ほんの僅かに、軌道が甘い。

 橙が仕込んだ“誤差”。

 その隙を、たこすけの触腕が強引に掴み取り、叩き落とす。

「……ここ、通さないって……言っただろ……」
 声は掠れている。
 だがその意志は雨よりも重く。上空で反転し、再び迫る斬撃兵器の群れを前に少しも揺るがない。

 そしてその背後より、抜身の刃めいた“別の気配”が走り来た。

●
 白い凶刃が先刻よりも秒速で鋭く、真人の生命線を断つべく突進する。たこすけの触腕が反射的に盾として展開するが再生が、破壊に追いつかない。
(間に――合わ、ない……ッ!)
 真人の喉からは呼吸音すら漏れない。血の気を失い、視界が急速に狭まっていく。

 その刹那。次々と水溜を蹴り、水煙を纏って迫る影一つ。
 視界に映る斬撃兵器は、ひ ふ み よ いつ む なな や――。
 空間を裂くように割って入り、隻腕振いて斬撃兵器を弾く、弾く弾く弾く!
 高く澄み切った、鋼と鋼が激突する爆音。飛来していた半数の斬撃兵器は瓦礫の山へと弾き飛ばされ、もうもうと塵埃を上げる。

「……ッ」
 真人の眼前に、細く、それでいて圧倒的な存在感を放つ背中が立っていた。雨に濡れた黒髪。四葩の祓いにより傷を塞ぎ、その脚力を以て馳せ参じた|混ざりもの《・・・・・》。
 ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)は背後を顧みない。ただ、左肩を微動させただけで、真人の盾となる。

「……無事、か」

 短く、決意を帯びた声。荒い息が言葉に混じる。
 しかし真人が応答するよりも早く、斬撃兵器の残り半数が複雑な軌跡を描いて襲い来る。嗚呼、だが忘れる事勿れ。妖の眼は常人の其れに非ず!
 一合。凄まじい衝撃が腕を走り、骨が軋む鈍い音。
 構わず踏み込む二合、三合。躱し、柳に風と受け流す。勢いを殺すように自ら弾き飛ばされ、着地――ぐにり、と弾力のある何かを踏み抜いた。
 ファウの足元。それは、たこすけの太い触腕。一瞬の視線の降下。そして、即座に理解が追いついた。

(――活かせる)
 ファウは、躊躇なくその触腕を蹴り上げた。反動で、低い軌道を描きながら空へ跳躍する。人間一人分――否、重力を無視した、それ以上の跳躍!
 宙で、刀が閃く。透明な霊力の膜が、刃を業火の如く包み込む。

 披露、|霊剣術「散華霈然」《サンカハイゼン》――乱吹雪!
 空中に展開された無数の斬撃兵器を、まるで紙片のように微塵に刻み落としていく。無数の金属片を雨に混じりて散乱させ、着地。
 疲労から膝が微かに震える。呼吸は荒々しい。それでも、一瞬だけ真人の方を振り返る。

「……済まない、出過ぎた真似だったか」
 雨に濡れた長い耳が力なく萎れているのは、気のせいでは無いのだろう。

「俺が――前線を張る。あなたは、後方で耐えてくれ」
 命令ではない。しかし、“どうか受け入れて呉れ”との願いが籠もっている。

「タコスケ……だったな」
 触腕へ、鋭い視線を向ける。

「……勝手に借りる」
 応えない代わりに、触腕の先端が僅かに波打った。了承の合図であろう。
 ファウは鋭く前を向く。斬撃兵器の残骸の向こうに、敵の白い輪郭を捉える。

 胸の奥が、焼けた鉄のように熱く疼く。

(……この“熱”は)

 理屈は必要ない。戦わなければならないと、彼の魂が叫んでいた。それだけで充分だ。
 ファウは刀を構え直す。長い尾が、戦意を抑えきれぬとばかりに僅かに揺れる。

「……行くぞ」

 地を這う様な微かな声。だがその一歩は、明確に戦線を押し戻す力を持っていた。

●
 屍竜の咆哮が空を揺るがし、腐熱を帯びた息が灰色の空を澱ませる。
 その翼の陰より、影を裂くように走る紅の閃光。
 レラジェは既に“戦いの只中”にいた。
 影が蠢く。地表を這う黒が幾重にも裂け、そこから伸びた腕がドクトル・ランページの脚部を縫い止める。

「――足掻く人間の意志を舐めるな」
 低く唸った屍竜が翼を大きく打ち、風圧で瓦礫が吹き散る。
 腐敗した顎が開き、ドクトル目掛けて紅く灼けた息を吐きつけた。

 だが。

『舐める。つまり、慢心していると? 私がか?』
 屍竜のブレスが通り過ぎてて尚、白い人影がほとんど揺らがない。

『誤認識だ。私はお前たちの挙動を解析しているだけだ』
 直後、人影に付き従うレギオンの群れが砲口を此方に向けた。白熱する砲口、と同時に熱線がレラジェを目掛けて奔る。
 影の腕がすかさず盾となり、肉の焦げる臭いを伴って燃え上った。
 レラジェは眉をひそめただけで、炎の中から歩を進める。
 紅い目が僅かに笑った。

「論理の玩具にしては、己の慢心さえ把握できぬとはな。お前の言う解析とは、そんなに安っぽいものか?」
『理路整然と構築された論理回路に、感情値といった曖昧なものなど存在しない』

 ドクトルの声は無機質に響く。
 だがレラジェは、その声音の奥に微かな乱調を感じ取っていた。

「……言い訳に聞こえるな」

 その呟きと同時に、影が地を裂く。
 黒い風の壁が無数に立ち上がり、ドクトルを包囲した。
 |無根《ネダヤシ》――黒き腐食の風が渦を巻き、金属質の肌を蝕む。
 表面の装甲が罅割れ、ドクトルの演算に一瞬の遅延が走った。

 合わせて屍竜が突進し、腐熱を帯びた爪がドクトルの耐衝撃装甲を無理矢理に剥ぎ取ろうと――。

『隙が見えるか? 否、それは“私が与えた疑似機会”だ』

 その声と同時に逆流する白光。
 屍竜はその巨体を以て、再び放たれた光条がレラジェを焼くのを阻む。
 焦げた空気の中、レラジェは息を吐いた。

「……なるほど。存外、“口達者”なだけではないらしい」

 屍竜は斃れない。もとより時間経過以外でこの竜が伏す事はない。
 雨がさらに激しさを増す。空の色は濃灰、雷鳴が遠く轟く。

 ――戦線が、再び揺れ始める。

●
 血の味が舌の奥に張り付いて離れない。
 胃の底に流れ込んだそれが、いったい何であったかを理解したのは、遅れてからだった。

「あ……ジェイド。手袋……」

 クラウスは視線を落とす。ジェイドの左手に。
 ――小指が、無い。

 彼は笑っている。いつも通り、軽薄に。
 だがその笑顔の奥は、いつも以上に読めなかった。

「なあ、先輩。先輩の身体の中におれが居て。ソレが先輩を|生かして《呪って》んのって、ちょっと素敵じゃない?」

 喉を焼くような生温い痛みが、胸の奥に広がる。
 再生が進むたびに、あの味も血のぬめりも消えていく。

 ――残るのはただ、吐き出せない後味だけだ。
 土砂降りの雨の中、その冷たさの中でクラウスはようやく理解する。

 これは、救いではない。生かすという、罰だ。

「本物だろうが偽物だろうが……助けてほしかったんだろ、|親友《そのひと》に」
 クラウスの足元に淡く召喚陣が浮かび、陽光の片鱗が舞うのを見届けたジェイドは――

「……で? 聡明なるランページの長は? 」
 前哨戦を繰り広げる敵に向き直り、“ ワ ラ っ た ”。

●
 白い閃光が、戦場を一閃する。
 屍竜の腐熱が押し返された瞬間、

「あっははは!人間を低スペックと!!」

 そこに笑い声が割り込んだ。

「うっける~、わかりきってたことじゃないか。これだから頭でっかちは!」
 場違いな程の笑顔で火花と煙の向こうから現れたのは。

「ゼーロット閣下ですら、その結論はとうの昔に出している」
 夢現煙火人――破壊の炎を纏う、ジェイドである。

 ナイフを指先で回しながら、軽やかに跳ぶ。
 爆薬の香りが混じる風を裂き、ドクトルへ一直線に飛び込む。

『……記録照合。機械群指揮個体ゼーロットの名を発話――お前は、何者だ?』
「さぁ? ただの|生命体《ニンゲン》だよ。観測してみな、お嬢サマ。壊す速度と燃える速度、どっちが速いか!」

 |-CLAP-《パチン》。
 小さなフィンガースナップ音。瞬間、連続して炎が爆ぜる。
 雨の中でも消えない紅の閃光。“破壊の炎”を噴き上げ、ドクトルの背後に展開していたレギオン複数機が地に墜ちた。

『観測対象変更。優先解析――ジェイド・ウェル・イオナ・ブロウクン・フラワーワークス』

 ジェイドはナイフを構え、口角を上げる。
 それは悼みと誇りと諦観が混ざった表情だ。

『その笑みは何だ? 恐怖の否認か。……ふむ、解析に不要なノイズだ。削除する』
「やれるもんならどーぞ。上手に出来たんなら、ご褒美に地獄の花火を見せてやるよ」

 掲げた掌の上、紅蓮の炎が灯る。
 更に――ジェイドの背後で、ひときわ強い光が迸る。

 確かな羽音が響き、光の粒が真上から降り始めた。
 顕現せしは|陽の鳥《ヒノトリ》。その炎がまるで“命”そのもののように燃える。
 眩い炎の中から歩み出るのは、右腕を失ったままのクラウス。

「……また……あいつに、助けてもらった、から」
 蒼眼に痛ましい決意を宿し、クラウスは顔を上げた。

 偽物か本物かなんて、もうどうでもいい。二度も“親友”に庇われた、その事実は揺らがない。
 ……それならば。

「あいつに助けられた命で、最後まで戦い抜くんだ」

 ジェイドの瞳に、炎の光が映る。
「……はは。そうだよな。おれなんかより――ずっと、綺麗だ」
 笑みが、ひどく歪んだ。噛み締めた奥歯の音が、耳の奥に鈍く響く。
(いつだって。お前を助けるのは、おれじゃなくて)

 想いに応じ、ジェイドの炎が強くなる。燃えるというより、暴走に近い熱。
 赤が紫を孕み、紫が黒に変わる。

 親友の光とジェイドの炎。
 重なるようで重ならない二つの祈りが、今この時だけ同じ空を焦がした。

●
 外の轟音が遠くに霞む。ここだけが、別の世界のように静かだった。
 頼りない携行照明が不安定に点滅し、雨と土埃の匂いが空気を満たしている。

 横たわるオメガは顔面内側のシールドを大きく開かれ、そこから細いケーブルと人工筋繊維が無数に伸びていた。
 左義眼の摘出が始まる。
 工具の先がユニットの裏側を掴み、金属音が骨を擦るように響く。

 ピシャリ――と、何かが弾けた。
 飛び散ったのは人工リンパ液とオイル。
 それがオメガの頬と博士の白衣を濡らし、右目の視界が一瞬真っ白に染まる。

 博士は眉ひとつ動かさない。
 だが次の瞬間、外壁を貫いた敵のレーザーが博士の側頭部を掠めた。
 血が一筋、頬を伝い落ちる。

「っ?! 博士!!!」
「……α、拭え。――いや、αは連れてきていなかったか。フハハ、いかんな! ついずぼらになってしまう!」

 応急修理の手は止まらない。血を拭う暇も惜しみ、義眼のソケットを洗浄し、新たなアセンブリのユニットを装着して配線を繋ぐ。
 オメガの右目がゆっくりと開く。人工虹彩が再起動し、淡く緑の光が灯る。
 博士の真剣な表情を見たオメガの脳裏をよぎるのは、初めて出逢った時の事。突如転がり込んで来た“死に瀕した少年の身体”を、こんな表情で必死に処置していたのだろうか。

(……似合わないですよ、全然)

「視界は戻ったな? 結構結構。砲身は"あり物"で済ませる。動きに問題は無いが、弾数の方は期待するなよ」
 回収したルシーダを予備のブレードへ移し、両脚ユニットを装着――神経が繋がり、強めの電気信号が生体脳に衝撃として伝わる。

「ア゛ッ! ……ごほん。ブレードの調整、ちょっとピーキー過ぎません?」
 思わず出てしまった真人めいた悲鳴を誤魔化し、軽口を一つ。

「フハハハ、それこそがオメガ・ブレードの良さだ! オメガよ。生の感情はピーキー何てものではない、扱いきれぬからこそ浪漫が有るのだ!」
 その声に、オメガは僅かに溜息を吐いた。
 クリアな映像の中で博士の姿を認識し、唇の端を少しだけ上げる。

「ええ、ええ。その話の続きは、帰ってから晩酌を頂きつつ聞きましょう」
 言外に感謝の気持ちと、帰還の約束を含ませて。

 ――オメガ・ブレード、出力チャージ。
 20%……60%……100%……120%、臨界到達。
 一気に強まる土砂降りの雨音の中、弾かれたように紫電を纏ったオメガが臨時ラボから放たれた。



■SCENE-3 ENGAGE_

 轟音が大地を抉る。
 白い閃光。ドクトルの砲列が一斉に火を吹いた。
 爆風が戦場の瓦礫を巻き上げ、熱と光の奔流が地を焼きつつ迫る。

 だが、その中心に立つレラジェの影は揺るがない。
 屍竜が咢を開く。その内部には、凝集された腐熱が輝き――

 ゴ、オオオォォッッ!!!

 腐食性プラズマと化したブレスが、真正面から白い光束と相殺し合う。

『処理優先度に違反。お前の相手は後にする』
「は、余所見か。それを“慢心”だと言っている」

 同時、屍竜の腐敗した翼が空を裂き、紅い瘴気が尾を引いた。
 それに合わせて、地の底から腐食の腕が幾本も突き出し、ドクトルの動きを一瞬拘束する。
 屍竜は上空で翼を畳み、弾丸めいた巨体による滑空突進。自らの腐敗した肉を砲弾とし、装甲の一点へ叩きつける――ッ!

 轟音と共に広がる衝撃波。
 高強度を誇るドクトルの外殻が裂け、幾筋もの亀裂が走る。

 しかし次の瞬間、反撃の熱線が屍竜の腹を貫いた。
 内部から光が漏れ、腐肉が崩れ落ちる。

『無駄な行為だ。屍竜の活動停止を確認、脅威度は既に底を――』
「黙れ」

 レラジェの声は静かに、しかし鋭く。
 力なく翼を拡げて空を仰ぎ地に伏した屍竜、その落ち窪んだ眼窩を見やる。

「……いい死に様だ。人間より、よほど人間らしい」

 ドクトルの装甲に刻まれた亀裂がじわりと拡大する。
 ――無敵のはずの観測者に、初めて“傷”が刻まれた。

●
 ドクトルに従うレギオンの砲列が再び角度を変え、レラジェを狙って動き出す。
 その瞬間、レギオンのセンサにノイズが混入した。

 ザザッ、……ザッ……ザッッ。

 空間の歪み。灰色の雨の帳の中、微弱な電波の揺らぎが漂う。
 そして――それはドクトルの内部ログに、奇怪な一文を刻み込んだ。

“新たなノードをフォローしました”

 意味を成さない電子の囁き。次いで、複数の音声が重なった。
 老いた男の呻き、女のすすり泣き、嗤い声。
 この世には存在しない、死者たちの声。

「……貴方の観測眼は、その程度、ですか」
 雨で霞む暗がり、その奥から歩み出る影。
 屍累・廻(全てを見通す眼・h06317)の金の瞳が、雨の向こうでぼんやりと光を帯びている。
 脇腹を押さえながらも、その歩調は揺れていない。

『識別……屍累・廻。出力低下……脅威度低。排除行動に移行』

 白い光束が数本、彼へ走る。しかし廻の姿はそこには無い。
 いや――存在しているのに、どうした事か観測座標が収束しない。
 廻はスマートフォンを開き、指先でそっと画面を撫でた。
 雨に滲んだ表示が淡く輝き、電磁ノイズが空気を満たす。

「人間とは、計り知れないものですよ。……数値化など、とてもできない」

 その言葉と同時に、戦場に“女の声”が満ちた。

“ねえ……わたし、綺麗?”

 あまりにも場違いな、しかし背筋に冷たいものを走らせる問い。
 ドクトルの音声処理AIが反応を返そうとも――返す対象が、ない。

『記録改竄の可能性。ノイズ源……特定不能。再観測を――』

「再観測、ですか。……では、こちらも“繋げて”差し上げましょう」

 廻はスマホを静かに傾けた。
 画面に無数の通知が光る。
 黒一色で塗潰された、虚の様なアイコン。その不気味なアカウントは、あろうことかドクトルの重武装を統括するネットワークに繋がっている。

 【ナターシャ・サイン:接続確立】

 空気が凍るように静まり返る。雨粒の音が消える。
『観測値、異常。だが無駄だ。接続元IDを割り出せば――』

 数値が定まらない。0.2秒毎に変わる接続元ID。そのどれもが、ノア・シエルの住人のものと合致する。
『……エラーだ。活動を停止した生命体は、意思持たぬ只の物体である』
 ましてや、その死者のIDが観測している対象が“ドクトル自身”で有るなど――全く持って非現実的だ。

「死者の情報は、“消えない”のですよ。貴方の言う観測が、どれほど傲慢か……教えて差し上げましょう」

 廻は息をつき、脇腹の血を押さえながらスマホを閉じる。
 ナターシャ・サインにより制御を奪われた斬撃兵器の内の幾つかが、翼のように廻の背後に展開――ドクトル目掛けて疾駆!!
 幾つかはドクトルの斬撃兵器と打ち合い爆散、幾つかはドクトルの装甲の一部を斬り飛ばす!!

『私の観測にお前の主観は不要だ。位置が特定できぬのであれば、広域を薙ぎ払えばよいだけの事――』
 生き残りの斬撃兵器が回転し、周囲全てを廻諸共切断せんと放たれようとしたその時!

 - カチリ -

 秒針の音が響き、ドクトルの内部クロックが一瞬飛ぶ。
 制御の瞬断により、無様に地面に突き立つ斬撃兵器。

「研究、実験、大いに結構です。もしも良いカンジの標本化サンプリングが出来たら、ぜひ私にも教えてくださいよ」

 濡れたコートの裾を軽く払いつつ、戦火の中心――ドクトル・ランページを見上げるのは。

「そんな|貴方《ゾクブツ》の解答用紙、この私が直々に、赤ペンで採点して差し上げますから」

 眼鏡の奥の瞳に微笑を湛えた橙だ。

『“俗物”。この私が|生命体《ニンゲン》に劣るとでも?』
 返答より先に、レギオンのレーザーと斬撃兵器が橙に迫る。

「そ、ゾクブツ。いやぁ、凡夫レベル以下かもしれません。あれ、気付きませんでした?」
 あまりに自然な嘲笑。剣閃が奔り、光が交差する中でも、橙の口は止まらない。
 敢えて挑発し続けている。論理の乱れを作り、言葉の戦場を主戦場に変える為だ。

「抽象化どころか、|汎用性人格《プログラム》さえ作れない。|本物《プライマリ》どころか、|模倣《セカンダリ》さえ作れない」
 |時間稼ぎ《嫌がらせ》で鈍った斬撃兵器の飛翔をギリギリで躱す。
 レギオンが照準を定めようとも、そこに廻の斬撃兵器が割って入る。

「私も俗物代表の一角を担ってますが、貴方よりかは上手に立ち回りますよ」
 心底愉快そうに、ニヒルに笑う。

『大した自信だ。そこまで言うのなら、私の補助演算機能として永劫利用してやろう』

 息する暇もないほどの高速戦闘の最中、それでも橙は笑う。
 自らの身体が軋み、悲鳴を上げても――祈りで誤魔化し続けるように。

「そらお断りですよ。私にもお相手を選ぶ権利くらいありますしね」

 ドクトル・テイル、その肥大化した尾が大きく振りかぶった瞬間。橙の声はいつの間にか通信回線に侵入していた。
 "再演"の針はポインタとして、ドクトルの演算回路の内部を指し示している。――侵入成功。

『干渉……誰が、許可を――』
「どーせ今もまだ記録は続けてるって確信してましたよ。データ取得の流れは双方向、|ナターシャ・サインが開けた侵入ポート《お誂え向きなセキュリティーホール》があるんなら、私が見逃すわけないでしょ」
 言い終わらぬうちに、ドクトルの高速クロックが懐中時計の秒針速度にまで貶められる――急激なスローダウン!

 ⚠️ERROR!! ERROR!! ERROR!! ⚠️

 同期が狂い、破茶滅茶に動き回る内部クロック共がけたたましく騒ぎ出す――伝送不正、演算不正、検算不正、出力不正!
 振り抜かれるべき鉄槌はその速度を大きく減じ、橙には届かない!

「見事なクラッキングです。そちらの扱う祈りは、随分と現実的ですね」
「おや、貴方の死者ネットワークほど非現実的な威力には及びませんよ」

 |花緑青《イミテーショングリーン》と不言色《ミステリアスゴールド》。橙と廻、二人のハッカーの瞳がドクトルを見据える。
 傲岸不遜なる観測者は、内外から徐々にその牙城を崩されつつあった。

●
 焦げた鉄と血の匂いを洗い流すように、冷たい粒が戦場を叩く。
 演算ノイズを孕んだ空気の中――まるで裂くように、二つの影が同時に躍り出た。

 瓦礫を蹴散らし、踏み締めて現れたのはカノロジー・キャンベル(Company president・h00155)。
 左肩から血を垂らしながらも、足取りは決して乱れない。
 規則正しい靴音は、まるで舞台に立つ俳優の一歩のように響く。

「……あら、お久しぶりじゃな~い❤ 二度とそのツラ拝みたくなかったわ、ドクトルちゃん!」

 開口一番の軽口。当然、その声に震えは無い。
 目の奥には、痛みよりもずっと濃い炎が宿っている。

 ドクトル・ランページが頭部をわずかに傾け、無機の声を返す。
『ノードNo.36に交戦記録を確認。――その節は“飢餓”を教えて貰ったのだったな』
『感謝しよう。お陰で私は今――魂への飽くなき解析欲求を、“飢餓”として認識できている』

「……あらまあ。あの時の子、随分とお行儀悪くなったのねぇ❤」
 笑いながら血を拭う。
 皮膚の下で《死灰復然》の再生熱が微かに灯り、焦げた筋肉をじりじりと繋ぎ直す。

『今回も何らかの学びを簒奪してやろう。お前達の大脳や脊髄と共に』

 その宣告を聞いた瞬間、背後の闇が蠢いた。
 白い髪を雨に濡らし、十本のうち六本だけとなった触腕を広げる――八隅・ころも(クラ子・h00406)。
 片腕の断面を包帯で押さえながら、それでもその瞳は冷ややかに光を宿す。

「嗚呼もう、触腕4本も持ってかれてバランス取りにくいですわね」
 淡い声が雨に溶ける。
「あのストーカー野郎の面まで見せつけて――落とし前として、海の底まで沈めて差し上げますわ」

 触腕が静かに伸び、カノロジーの背を守るように広がる。
 機械と肉体、祈りと毒――二つの存在が、再び並び立った。

 その姿を見て、ドクトルのセンサが一瞬だけ明滅する。
『観測対象、再起動。だが――お前達からは憎悪という“解”を得ている。これ以上の価値はない』
 無機質な声に、微かに混じる愉悦の波形。

「価値がどうだのこうだの、随分好き勝手言ってくれるじゃなぁい?」
 んもぅ、やぁね、といった調子で朗らかに返すカノロジーは。

「――カミサマにでもなったつもりかしら」
 一転、底冷えするドスの利いた声。

 次の瞬間、ドクトル・ランページの両腕が鉄の悲鳴を上げながら展開する。内部の演算コアが青白く脈動し、装甲が分離・高速回転――腕部は戦艦の主砲めいたサイズの刃状構造体へと変貌した。
 ――斬撃兵器《ドクトル・リッパー》。

『観測モード変更。――至近距離解剖を開始する』

 振り下ろされた刃が地表を文字通り切り裂き、雨水と瓦礫が爆圧で吹き飛び、空間が爆ぜる。
 その衝撃を正面から受け止めたのは、カノロジーの拳だった。能力《COMPLIANCE》から展開した拳状バリアが火花を散らす――!

 靴底が地にめり込む。膝が限界まで折り曲げられる。左肩の装甲が裂け、再生しかけた皮膚が再び断裂した。
 それでも、カノロジーは笑う。

「ちょっとォ……手加減って言葉、習わなかったの?!」

 回避に転じるより一瞬早く、ころもが動いた。残存した触腕が地面を叩きつけ、黒い水飛沫が暴力的に立ち上る。
 塩と墨の混じる匂い――深海めいた湿気が一瞬で戦場を満たした。

 触腕の一本がドクトル・リッパーの刃を絡め取り、急激に反転させる。引き摺るように勢いを逸らし、続けざまにもう二本が斬撃を受け止めた。

「ころもちゃん、危ないっ!」
「分かってますわ、心配……ご無用、よ!!」

 ころもが踏み込み、体を軸に捻る。触腕を束ね、螺旋の槍と化した先端でドクトルの腹部を穿つ!
 鈍い破壊音。装甲が深く凹み、神経毒を帯びた体液が内部機構へと浸潤していく。

『構造内部への有機侵入――機械の身体に効果があると判断したか? 人間とは、こうも自己破壊的に愚かしいのか』

 両刃が地獄の蝶めいて広がり、再び切断の風が轟と唸る。
 その一撃を、今度はカノロジーが決然と正面から受け止めた。バリアの衝撃波が半径数メートルの雨を弾き飛ばし、地面を粉砕する。目の奥に焼きつく閃光――だが、カノロジーは一歩も退かない。

「自己破壊? 違うわよ❤」
 血を吐き、なお不敵に笑う。
「“痛み”を感じるのが、生きてる証拠ってだけの話!」

 ころもがその背に触腕を回し、守るように並び立つ。
「だからこそ――人間は、貴方の観測なんかに収まりませんわ」

 ドクトルの瞳孔が一瞬だけ収束し、演算光が走った。
『非合理的。演算子に乗せるだけの重みが無いと判断する』

「その|人事考課《かんそく》、アタシたちが覆してあげるわ❤」
 クイクイと人差し指を曲げるカノロジー。

 斬撃兵器を周囲に飛ばしつつ、ドクトル・ランページが肉薄する――!

●
 圧迫感すら覚える程の鉛色の豪雨の中、真人は――依然として戦場に立っていた。

 右腕は動かない。
 代わりに、背から伸びる蛸神の触腕が八本、鉄壁の盾のように彼を庇っていた。
 ひとつが切れ、即座に再生する。切れては生え、再び千切れる。その狂乱的な繰り返しの中で、真人の視界は赤黒く染まり、世界が急速に狭まっていく。

「……ッ、まだ……動ける、だろ……!」
 声は掠れ、肺の奥に血の味が滲む。それでも、彼の足は震え一つ見せない。

 その背に、ひとつの影が音もなく並び立つ。
 左肩に紅い血を滲ませ、呼吸は荒々しい。それでも、夜天を纏う立ち姿は優雅に美しかった。
 霊刀「祈雨」を携え、真人の前に一歩出るのは、ファウだ。

「下がっていい。……俺が前に立つよ」
 その声に迷いや揺らぎは微塵も無い。
 真人は応えるように首を激しく振る。
「……|俺の蛸神《たこすけ》が、まだ動く。俺だって、まだ“ここ”にいる!」

 その瞬間、蛸神の触腕が地鳴りめいてひときわ大きく蠢いた。
 飛来する斬撃兵器を叩き落とし、水しぶきと火花が混ざり合い、白く眩しい閃光が戦場を一瞬照らす。

「嗚呼、其れならば」

 彼とて譲れぬ矜持の下、此処に在ると為すのなら。
 これ以上“下がれ”と言うのは無粋だろう。

「――背を預けさせて貰うよ」

 霊剣が淡く光を湛える。刃の表面に薄く水白色の六華紋が浮かんだ。
 キンッと澄んだ鍔鳴り――散華霈然。吹雪のような斬撃が空間を切り裂いて、波のように迫る斬撃兵器を太刀割っていく。
 微睡む人の子を害する禍の、一欠片も逃がさぬ為に!!

 真人の視界。ファウの揺るがぬ背中に――過去に彼を庇った|誰か《・・》の影が灼熱して重なる。
 目の奥が熱くなり、鼓動が早く、力強く脈打つ。

「これ以上、何も失わせない!」

 叫びと同時に、たこすけの触腕が四方に広がり、斬撃兵器の攻撃を次々と受け止める。
 一、二、三、四機。五、六、七、八――!

『待たせたな』
 嗚呼、然し。

『現状、お前が最も排除し易い』
 いつの間に。
 振り返るファウの表情が引き攣っている。
 重装備に似合わぬ高機動で真人に肉薄したドクトル・ランページが、|装甲と一体化した斬撃兵器《ドクトル・リッパー》を振り被っている。
 風を巻いて迫る刃。蛸神の触腕の再生は間に合わない、真人の頭は無残にも、こめかみから両断されてしまうだろう……!

 と、そこへ――オートで起される撃鉄二つ。同時に閃くは二重の火花。
 放たれた弾丸がドクトル・ランページの装甲を食い破り、後方へと突き抜けた!

「……対装甲機械群用・徹甲レミントン弾、という代物だそうです」
 歪に肥大した右アームの銃口からは、硝煙が立ち昇る。

「幾ら頑丈な機体だろうと、食らえば穴が開きますよ」
 まぁ、部隊長の受け売りですけどね。と得意げに付け足す声。

「私はオメガ。毒島博士の最高傑作。……あんな所でくたばってちゃ、|最高傑作《Ω》の名が廃るってモンです」
 修理完了したオメガ、再臨である!

「――お待たせ致しました、真人」
 その声に、その姿に、真人の顔が明るくなる。

「アッ……メガくんっ!」
 安堵の声が漏れる。勿論、博士を信じていなかったわけではない。
 満身創痍の状態から、宣言通り五分で戦線復帰。まさに神業に近いだろう。

「おいたが過ぎるのは頂けません。改良したてのオメガ・ブレード、思う存分ブチ込んで差し上げます」
 背後で雷鳴が響く。
「……お覚悟なさいませ」
 その光の中で、オメガ・ブレードの回転数が上がる。
 弾かれたように跳躍したオメガの蹴撃が、ドクトル・アームの駆動部に浅からぬ傷を刻み込んだ。

●
 ドクトル・ランページが距離を取る――その決定的な一瞬を、レラジェは待っていた。
 レラジェの魔力に呼応し、空が熱量に軋む。赤い輪郭を描く月暈が、重い雲間に濃く滲む。

 降り注ぐのは光ではない。鉄を腐らせる“血の酸雨”。
 粒が地表に落ちるたび大地が泡立ち、鉄骨が瞬時に崩壊していく――しかし。

『照合完了。“枯死”――レオボルトを襲ったものと同一か。既に、演算学習済みだ』
 ひと息に間合いを詰めてくるドクトル。その動きに微塵の遅延もない。
『装甲には耐腐食性を持たせた。お前の攻撃は無力だ』
 ドクトル・リッパー――機体と一体化した巨大な刃が、音を置き去りにして風を裂く。

「浅薄だな。あれが限界であると勝手に結論づけたのならば」
 その斬撃を、影めいた魔力で強化したハチェットで寸前で受け止めつつ、レラジェは嗤う。

「――夢見心地にも、ほどがあろう」

 月暈の赤が不気味な程に濃く、戦場の全てを覆い、遂にその雲の底から“赤い月”が顔を覗かせた。
 |月より降る赤い雨《限界突破》。
 その腐食性は先刻の比ではない。立ち枯れた樹木が一瞬で炭化し、廃墟が無惨に外側から崩れ落ちていく。

『――観測外現象。構造体腐食だと……。演算、急激に低下――』
「口を慎め。死を前に言葉を遺して良いのは、命ある者だけだ」

 巨大な切断兵器とハチェットが何度も、何度もぶつかり合う。
 その激突の合間にも腐食の瘴気が外装を侵蝕し、硬質な装甲に凄まじい罅が走り、白い蒸気が噴き上がる。

 荘厳なる『死神』の君臨。
 この瞬間、この時初めて、ドクトルは自らの論理演算結果に“揺らぎ”を観測した。

●
 腐食した地表を雨が叩き、蒸気がゆらりと昇る。
 ドクトル・ランページの外装は罅割れ、露出した回路が微かに燐光を漏らしている。

 その対面に立つのは――二人。
 右腕を喪失したままのクラウス、その隣ではジェイドがナイフを逆手に構えてにやりと笑った。

「なぁ、先輩。まだ燃える余力、残ってる?」
「ジェイドこそ、燃え尽きる気じゃないだろうね」

 二人の苦笑が交わる。次の瞬間、灰色の空を破って閃光が走る。
 ――ジェイドが地を蹴った。
 爆薬の香りが混じる風を裂き、紅の炎を背負って一直線に突き進む。

『発揮される戦闘力と感情の揺らぎが一致しない。最早お前達の存在自体が不快だ』
 ドクトル・ランページの両腕が交差し、巨大な刃――ドクトル・リッパーが襲いかかる!

 しかし、ジェイドは笑いながら爆炎の推力で剣筋をずらし、刃の懐へ潜り込む。
「不快なオママゴトしてんのは、そっちだろ!」
 振り抜いたナイフが装甲の隙間に突き立ち、そこから紅蓮の火が噴き上がる。
 ドクトルの金属皮膚が焼け爛れ、光学センサーが軋んだ。

 クラウスの右腕を掴み、ジェイドはその反動を利用して回転。
 断面から滴る赤黒い血を、ドクトルのレンズへ叩きつけるように振り払う!

「真贋に価値なんてないんだ」
 テーブルに置かれた|愚者《0:The Fool》のよう。
「主観が違えば、価値なんて変わる」
 正逆の位置で意味は変わる、そう――まるで“薄ら嗤う裏切り者/笑顔で処刑台に上る殉教者”の如く。
「わかりましたか、お嬢サマ!」

 血糊が焼け付き、ドクトルの視界が奪われた隙を逃さず、無数の青い光がドクトルに降り注いだ。
「……充分だよ、ジェイド」
 声は、炎の奥から響いた。
 クラウスが、焦げた地を踏みしめて歩み出る。砕けた脚を魔力の糸で縛り上げ、マリオネットめいて動かして。
 全身の骨が悲鳴を上げ、体内で血が飛沫く。
 それでも痛みを感じない彼は、|穏やか《振り切れてしまったかのよう》に笑った。

「お前が、魂を理解することなんて。永遠に、無い」
 その呟きと同時に、頭上の空が裂けた。
 決戦気象兵器《レイン》――蒼の光子雨が、雲の中で螺旋を描いて集束する。

 何を見て何を研究しても、お前がそれを知ることは無い。

 雷鳴のような轟音。天蓋から無数のレーザー光が降り注ぎ、戦場を光で満たした。
 降りしきる光の雨がドクトルの装甲に穴を穿つ。

「お前が“無価値だと断じたもの”こそが大切なんだから」
『定まら い値など、認――い――非  的因子は、須く――されるべきだ』

 クラウスに反論するかの如く、破壊された論理回路が継ぎ接ぎの言葉を零し。

「オタクの理想なんて聞いちゃいねーよ、ポンコツ」
 ジェイドによる“破壊の炎”を全身の孔から吹き上げ、ドクトル・ランページは停止した。



■SCENE-4 FINALIZE_

 雨脚が細くなり、焦げた空が僅かに明るみを帯びる。
 焦土の中心。崩れ落ちた鋼鉄の山、その頂に――ドクトル・ランページと呼ばれた機械の骸が横たわっていた。

 装甲は熱で膨張し、裂け目からは青白い燐光。
 もはや“命”は無い。
 だが、橙の観測端末にはわずかな波形が映っていた。

「……完全停止信号は出ていない。熱も、まだ抜けきっていないようですが……?」
 焦げた鉄と、焼けた電子回路の臭気が鼻を刺す。
 “死”と“稼働”が同居する、得体の知れない空気だった。

 彼が一歩踏み出す――その瞬間、閃光が奔った。

「……ッ?!?!」
 橙は即座に後方へ跳ぶ。

 大量の敵性インビジブルが集まって来る。
 関節部が自動制御を取り戻し、断線しかけたケーブルを引き千切りながら立ち上がる。
 ガガガギギギィィィ!!! と耳を劈く様な轟音を立て、重武装のドクトルの巨体が起き上がった。
 コア部で何かが弾け、稲妻のような青光が裂け目を走る――と、尾部ユニット《ドクトル・テイル》が暴走駆動を始めたではないか!

 その様子はまるで暴風。
 拉げたレギオンの残骸と共に周囲の瓦礫が舞い上がり、廃墟の壁面を薙ぎ払う!

 橙は眼鏡を押さえ、口元を引き結ぶ。
「制御信号は無し……往生際が悪いってレベルじゃ」

 その橙の声に被せるように、巨大な筐体からノイズ混じりの音が漏れた。

『ワタ☒……達ハ……戦闘……▓▓群』

 掠れた声。
 まるで、途中で切れた会話の残響を再生しているかのようだ。

「……“誰か”と話しているつもりですか」
 橙の呟きに答えるように、スピーカーがまた鳴る。

『▓▓ニヨル……⸮⸮ノ……平和……』

 歪み、欠けた言葉。橙は静かに息を呑んだ。
「コアに残るデータの残骸。興味はありますが……回収は無理そう、だ!」
 |あらゆる意味にでっちあげられた未来《キャッスル・イン・ジ・エア》により八割方回復した身体を、発条のように跳ね上げる。
 その瞬間、すぐ下を刃だらけのドクトル・テイルが轟音を伴って通過。
 引き戻される巨大尾に巻き込まれぬよう、橙は連続バク転で飛び退る!

『……□争ガ、紛▄▐、フンソウガ……誰カ……□□等ニ……⸮⸮⸮⸮ヲ教エテ』

 ドクトルの胸部が赤く光った。
 橙の手にする|銀の懐中時計《メモリークロックワーク》から異常波形が伝わる。
 ――外部リンク信号検知――通信対象――
「……まさか」

 橙が振り返る。
 遠方の瓦礫の影で、地に突き立っていた斬撃兵器がひとつ――わずかに震えていた。

 無音の中、再駆動音だけが鮮明に響く。
 その反応はひとつではない。二つ、三つ、そして四つ。
 死んだ兵器たちが、順に光を取り戻していく。

「なるほど、死体のまま観測を続けるつもりですか」

 ドクトルはぐるりと周囲を見渡す。否、素振りをしているだけだ。
 事実、視界に入る筈の橙に反応しない。

「最後の最後にこんな展開を残しとくとか……貴方、往生際悪すぎですよ」
 溜息を隠すように、手で口元を覆う。鋭く目を眇め、仮想の物語の頁を捲る。
 もう片手はポケットへ。

「借用報告は事後となりそうですが……非常事態ですからね。あの石頭も笑って許してくれるでしょ」
 指に触れる|硬質な上革《警察手帳》の感触。

 先刻、持主の記憶とは交渉済み。ならば改めて問おう。
「夢を見ているのは誰か」

 世界の表面が砕け散り、√能力者側に付いたインビジブルたちの祈りが満ち溢れる。
 不可視の振り子が横切ると気配。と同時に、チェス盤めいたマス目が地に刻み込まれてゆく!

「――今度こそ、|然様なら《さよなら》と洒落込みませんか?」

●
 薄雲に切れ目が入り、薄日が差し始める中――ドクトル・ランページがゆらりと身を起こす。
 両腕の外装は修復不能な程に罅割れているが、そこに斬撃兵器が集う。
 各々がパーツに分かれ、両腕を覆うように再構築。膨れ上がるように顕現するドクトル・リッパー。

『目指シタ……積ミアゲタ罪上ゲタゲタ、トド▒ナ▒ッタ、壊レタ ゜』

 欠けた音声が響くたび、内部で電流が奔る。
 予備動作無し、両腕の巨大刃が立て続けに振り抜かれた!

「これは……もう、災害ですねッ!」
 橙が片手で眼鏡を押さえ、赤いマス目の上を滑るように退く。
 回避は間に合う、必中の祝福は味方のみにある。
 しかし、暴風の熱が頬を掠めるたび、血の匂いが混じる。
 一つ、二つとステップで後退――

 その刹那、暴風の只中を異形の影が駆け抜ける。
 轟音!!

 触れれば裂けそうな風圧をものともせず、片腕を振りかざして直撃を弾いたのはカノロジー。
「っとぉ……乱暴な子ねえ! アタシは優しくしてあげたのに❤」

 血が飛沫くが、声の調子には愉快さが乗っている。
 負傷などなんのその。カノロジーの全身に、死灰復然の輝きが灯る。

 その影に寄り添うように、冷たい水墨のような黒が揺れた。
 ころもである。
 その身は傷つきながらも、立ち姿には一分の隙もない。触腕防護深殻《アビス》を纏う、六本の触腕がゆらりと揺れる。
「まったく、カノロジーはいつもそうやって無茶ばかりしますわね!」
 親しむような声に、毒を含んだ静かな怒気。『カンパニー』の二人が並び立つ。

「前に出られないほどヤバイんでしょ? ならアタシらの出番ねぇ、ころもちゃん!」
「もちろんですわ。ダンスタイムはまだ終わってないのでしょう?」
 異界と化したマス目の上で、二人は暴走する機械の巨影を睨み据えた。

 一方、ドクトルは二人を認識する事も無く、ただ障害を除かんと疾駆する。
『メザ01011101ダ……完全▓械ヲ、目指スンダ▒全機械ヲ』
 ドクトル・リッパーの刃が赤い残光を描きながら迫る。

 チェス盤の異界すら切り裂く刃の直撃を。

「COMPLIANCE――展開!」

 ギ、ギィィィィィィンッッ!!
 ブレスレットに刻まれた紋が眩く光を放つ――カノロジーは正面から受け止めた!
 掌型バリアが悲鳴を上げる。
 衝撃波に押され、両足が滑る。そこへダメ押しとばかり、ドクトル・テイルのフルスイング――!

「はいはい、手は左右で一対でしょ、オバカさん❤」
 片腕を上げ、もう一つのCOMPLIANCEを強引に展開。
 掌型のバリアがドクトル・テイルを掴み取り、そのまま捻り潰すように大地に固定!

 次の瞬間、制御過剰の火花が弾け、腕輪がビキリと音を立てる。
「あら、出力オーバー? みなし残業分で何とか保って頂戴ッ!」
 無理やり笑い飛ばすが、袖口からは焼けた金属の臭い。

『心ノデータガ、タリナイ、タリナイデータ足リナイ、何処ニタリナイ?』
 相も変わらず、不明瞭な音を零しつつ暴れるドクトル。
 大質量のドクトル・リッパーの軸がきしみ、地を穿つ。
 しかし――

「そこを狙うのは、私の務めですわッ」

 ころもの声。六本の触腕が地を滑るように走り、ドクトルの躯体を叩きつける。
 ――ドンッッ!! ――ドンッッ!!
 装甲に覆われた一本一本の触腕。アシストの加速により上乗せされた、只の攻撃にあるまじき破壊力――それは巌をも砕く波濤の如く!
 腐蝕した鋼の表面が砕かれ、黒い泡が弾け飛ぶ。

「“痛み”を知らぬのなら、今ここで覚えなさいな!」
 触腕の一撃がリッパーの根元を打ち砕き、別の一撃がドクトルのフェイスマスクを貫いた!
 火花と共に顔面の半分が砕け、露わになる機械の髑髏。
 その眼窩の奥で、白い光が不規則に点滅した。

「いい顔になりましたわね、ドクトル。……やっと“生きてる”実感が湧きました?」
「ころもちゃん……やっぱりアナタ、最高だわ❤」

●
 瓦礫の影で、焼け焦げたレギオンの死骸が不気味に蠢く。
 頭部のセンサーが一つ、また一つと点灯し、忌々しい電子音を発した。

『命ヲ⸮⸮解スルンダ、▒ヲ分解、分解シテ命ノ中ヲ探ソウ』
 押さえつけられたドクトルが意味不明なノイズを漏らす。――瞬間、ぞわりと空間そのものが凍り付いた。
 その異音を合図に、レギオン群が一斉に再起動。歪なシルエットが空を覆うように舞い、戦場は地獄の蓋が開いた光景と化す。

「うっそ、オカワリ?!」
 カノロジーが《COMPLIANCE》を再展開。だが、数が多すぎる!
 ドクトル・リッパーと同調するレギオンのレーザーが空間を交差し、熱線の奔流がカノロジーを襲う。
 掌型バリアの表面から燐光が激しく舞い、防壁が崩壊を始め――その瞬間、マテリアル・キラーの光条が一直線に突き出された!

 狙いは左胸、拍動する心臓。
「カノロジーッ!」
 ころもが悲鳴に近い叫びを上げると同時、触腕が疾風のように伸び、カノロジーの身体を強引に引き寄せた。
 直撃は逸れる。だが、掠めた光がカノロジーの右腕を炭化させた。

 その僅かな隙を突くように、レギオン群が周囲を幾重にも取り囲んだ。
 だが――カノロジーは、なお不敵に笑う。
「あっぶないわねぇ、ウチって労災、下りないのよ!」

・
・
・
「――は?」

 ほんの一瞬、思考が停止するころも。……今、なにて?
 然し、其処にツッコむ暇は与えられない。
 レギオンたちが螺旋状に展開し、照準を合わせる。上空では斬撃兵器が獰猛に旋回を再び始めていた。

『オ前達ノ中ニモ無カッタ予▒ガ外レタ、失敗シタ゜』

 レーザーによる包囲、完了。標的:橙、カノロジー、ころも。
 三人を目掛けてドクトル・リッパーが振り抜かれる――その、極限の瞬間。

 空間に漂う|微細な粒子《・・・・・》から、突如青の光線が爆発的に放たれ、レギオン共が物理的に弾き出される。
 レーザーの包囲網が破れた――その隙を目掛け、橙とカノロジーを触腕で抱えたころもが、跳ぶッ!!
 発条めいた触腕使いで、両断の運命から三人は辛くも免れた。

 その横をカバーリングする様に影が駆ける。

「まだくたばってなかったの、あのお嬢サマ!」
 飛翔する斬撃兵器を巧みに躱しながら、掌底で弾き飛ばすジェイド。

「ごめん、遅くなった」
 クラウスは深く踏み込み、レギオン共向けて左腕一擲で魔導複合機械槍《レミニセンス》を振う。
 バーストモード。心に響く航の声が薄れていくことに心を痛めつつ、クラウスはそれでも止まらない。
 薄青く発光する穂先を以て複数体を纏めて薙ぎ払い、背後に迫ったレギオンを振り向きざまに穿ち抜く!

『失敗、廃キ、ショブン、ショ、分、処分』
 それまで胡乱なノイズを垂れ流していたドクトルは、然し。

『――嗚呼、処分しよう』
 声のノイズがクリアになると同時、眼窩のセンサの焦点が戻る。

「再起動……復活……か?」
『否。死に体である事は変わりない。しかしその痛み、その焦り。そのすべてがデータだ──私の“理解”へ至る道標となる』

 基盤を半分まで露出させた貌で、ドクトルは初めて酷く歪んだ愉悦の笑みを見せた。
『此処まで私を追い込んだ褒美だ。謹んで学ばせて貰った成果となる√能力をお見せしよう。――|壊辟《カイビャク》』

 ドクトルの胸部――その奥にある、学習模倣回路が赤い光を放つ。
 すると、破損した身体が|金色《能力強化》の光に包まれる。

 腐り果てて粒子となった瓦礫が。破壊された無数の斬撃兵器とレギオンの破片が。
 寄り集まって一本の竜巻を成し、まるで海洋神の巨椀の如く構成される。
 クロック破壊のノイズを含んだ塵灰の嵐。
 そこから零れ落ちた残骸は地面を疾駆する、骸で出来た地蜘蛛の如く。
 巨椀の先は刃、斧、槍、或いは盾と変幻自在に形を変え。
 挙句、その内部には幾本もの腐食の細腕。赤みがかったその腕は強酸であるようだ。

 ――何たる悪辣。何たる暴威。
 かつて此方が使っていた√能力を一つに束ね、再編したとでも言うのか。

『お前達は“勝てない”のではない。構造的に“勝つように設計されていない”のだ』



■SCENE-5 RESOLVE_

 横倒しの竜巻が地を抉り、都市の残骸を呑み込みながら押し寄せる。
 射程:遠大、規模:巨大、これでは回避も撤退も儘ならない!
 この場に居る10名の√能力者全員の命運が尽きようとする中――

「へぇ、それって一応√能力なのね❤」
 カノロジーは低く息を吐く。

「それなら――とっておきよ!」

 両腕のブレスレットが灼けるように光を放ち、掌の前に光の盾が生まれる。
 ――COMPLIANCE、最大展開。その光が竜巻の先端を受け止めた瞬間、世界が爆ぜた。

 ガ、ガガガガァァァァアアッッ!!!

 大地が裂け、空気が悲鳴を上げる。猛り狂う暴風の圧は、もはや物理のそれではない。
 まるで此方の存在を削って来るような熾烈さを、防壁一枚で押し留める――否!
 明らかに暴風そのものが、叩きつける先から霧散しているではないか!

「切り札は最後まで取っておくものよ、OJTで習わなかった?」
 ――ルートブレイカー。経営者としての直感が、今の今まで温存させていたのだ!
 嗚呼然し、轟々と鳴る音は圧力を増していく。COMPLIANCEの光壁が波打つ――このままでは防壁が持たない。

『鼓膜を裂くような悲鳴を上げろ。その暗号を解く事こそ魂へと至るカギだ』
 ほくそ笑むドクトルが更に出力を上げる――
 そのとき、背後から叱責が飛んだ。

「意地張る前に、貰ったものケチらずに使ってくださいまし!!」
 怒りとも焦燥ともつかない叫び。ころもの六本の触腕が、防壁を支えるカノロジーの手に添えられる。
「後でビジネスの話をするのでしょう!? それなら今、ここで倒れる訳にはいきませんわ!」

 カノロジーの返答は、低い笑いを含んだ声。
「……あーあ、耳が痛い。上司って損な役ね❤」
 破損したブレスレットが火花を散らす。
 その熱を意にも介さず、トーンを一段上げる。

「いくら限界でも、こっちにもヒトの意地ってモンがあるのよ!」
 ルシーダが蒼く発光する。重なる光壁が幾重にも増幅し、嵐の根幹を掴み取る。
 組織を率いる筆頭として、従業員を守る盾として――矜持を注ぎ込まれたCOMPLIANCEが破滅の余波を食い止め、|壊辟《カイビャク》の嵐を凌ぎ切る!

 カノロジーのブレスレットが事切れたように焼け落ちると同時、風の切れ目が見えた。
 瞬間、弾かれたように飛び出すころも。
 眼前には僅かに目を見開いたドクトル・ランページ。
「いい加減――あなたも! 潰して!」

 跳躍! 周囲を漂う無念を吸収しつつ、更に捻りを加えて一回転!
 咄嗟にドクトルは飛び退ろうとする、しかし。

『脚部バーニアにエラー、だと?!』
 与えて貰った必中では足りない。狙いは断然、クリティカル。
 攻撃のたびに神経毒を注ぎ続けたころもの執念が実ったか、ドクトルは回避が適わない!

「すり身にしてやりますわぁぁッッ!!」

 ころもの触腕のしなり、その勢いを触腕防護深殻《アビス》が何倍にも増幅!
 天誅、天罰!!
 |錨の鉄槌《イカリノテッツイ》がドクトルの装甲を切り裂き、学習模倣回路をブチ砕く!!
 完全に霧散するドクトルの|壊辟《カイビャク》、もはや次は放てまい。

●
 と、周囲に幻想めいて泡が浮かぶ。
「例え模倣体であったとしても、本人に成れなかったとしても」

 一つや二つではない。様々の色彩を帯びた泡が、此処にも、其処にも。
「本人じゃないからこそ、新たな|生き方《たましい》を得ていたんですよ」

 それは、先程の戦いで散って逝った、模倣体たちの祈り。
「祈りは心から生まれ、魂は生き方に宿り、やがて理想が未来を象る」

 ――俺が此処に在るのが、何よりの証明、と。橙はドクトルに向け厳かに宣告する。
「|逆流させて《届けて》あげますよ、欲しがりさん」

 未だ繋がったままの|侵入経路《パス》を通し、ドクトルの演算回路に膨大な“祈り”が流れ込む!
 |生命体《ニンゲン》には尊くとも、理解出来ない機械にとっては単なるバグデータとしか認識できない。
 その情報の羅列が、ドクトルの|ストレージメモリ《演算領域》を急速に食いつぶしていく!

「そうそう、貴方の作った模倣体ですが……芯の部分だけは大変お上手でした」
 橙は軽薄な笑みを浮かべる。

「お陰で|レッドゾーン《プライマリ》だけでなく、|もう一つ《セカンダリ》も使わせて貰えそうです」

 ――“貴方だからこそ、気兼ねなく頼めるんですよ”

 耳の奥に響く声。パチン、と音立てて開く|銀の懐中時計《メモリークロックワーク》。その内部で、|天府《けいしょう》が蒼く発光する。

「眠ることは赦さない。――“授業”はちゃんと聞いてろって事です、|誤答者《ドクトル》さん」
 突如、ドクトルの足元から鉄茨が飛び出し捕縛!
 身動きできないドクトルの目の前で、空気中の塵が碧電を帯びる――瞬間、爆発! 爆発! 爆発ッッ!

『……解は既に出ている。お前達が縋る絆なる非論理的因子は、机上にしかない綺麗事であると』
 鉄茨から抜け出したドクトルは、然しその表情を高熱により醜く溶融させていた。
 熱破壊された回路から静電を漏らしつつ、ドクトル・リッパーを振り上げる。

「ああ、また誤答。落第ですよ、貴方」
 祈りの泡が、銃剣《花束》に集まって来る。そこに篭められる|弾丸《感情》は、まさに“綺麗事”。

「この何処にも至らない理想で、世界がほんの少しだけキレイになりますように」
 机上にしかない筈の“綺麗事”に撃ち抜かれ、ドクトルの左アームが爆発、脱落!

 |その夢《“綺麗事”》は、必ず叶うでしょう――それを肯定するかのように。
 オメガ。真人。廻。レラジェ。ファウ。クラウス。戦場の各所でルシーダが一斉に共鳴を始めた。

●
 橙の祈りが残した光の余韻の中、廻は痛みを忍て静かに歩み出る。
 その瞳は、焦げた金属の海の先――なおも蠢くドクトル・ランページを見据えた。

「貴方は、生者だけでなく死者をも愚弄しすぎた」
 その声には怒りは無い。だが、哀れみすら超えた静かな断罪があった。

 ――“めぐ君、頑張れ”

 淡い空耳に頷く。廻の背後に光の羽根が浮かぶ。
 怪譚叡智接続端末《ヘルメスの羽根》――無数のホログラフィック式文が宙に浮かび、光のペン先が疾走するように空を走った。
 書かれているのは、神代の論理。風の向きを記す数式、質量保存を否定する一節、そして――“因果律の座標反転”。

「勝算があったようですが、“もしも”は想定しておくものです」

 次の瞬間、ドクトルの砲口が明滅する。
 だが、発射された光束は前方へは飛ばず、虚空で軌道を反転した。

 世界の数式をなぞる羽ペンが、最後の一文を描く。
 “因果、反転完了”。

 弾道は弧を描き――放たれた主へと帰っていく。

 警告音と共に、自らの熱線が己の装甲を貫く。
 爆ぜた火花の中で、ドクトルの演算回路が悲鳴を上げた。

 廻は淡く微笑む。
「この眼は、あらゆる可能性を見逃しませんから」

●
 装甲を穿たれ、なお立ち続けるドクトル・ランページの姿は、もはや「機械」という言葉では括れなかった。
 解析用の光が乱れ、挙動に僅かな遅滞が生じている。――だが、止まらない。止められない。
 なお、観測者であることをやめない“意思”が、そこに在る。

「――やっぱり、近くにメガくんがいると安心します」
 真人の口から漏れた素直な言葉に、オメガは頷きを返す。

「ええ、ええ。何と言っても、リサイクルショップのNo.1とNo.2ですからね」
 最後の畳み掛けに加勢せんと、二人は駆け出した。

『無駄だ。抵抗をするなと言っている――』
 隻腕となったドクトル・リッパーが迫る!
 どうやっても切られてしまう、触腕にとってやり辛い相手。
 しかし、迎撃に伸びる|蛸神《たこすけ》の触腕、その“質”が明確に変わった。

 切られた瞬間に即時再生、消耗も無い。
 更に、再生した触腕は何と――鋭利すぎるドクトル・リッパーを遂に受け止め、捻り上げ始めたではないか!
 限界は、とっくに越えていた筈なのに。……と。

 ――“真人ならできるさ”

 聞こえた気がした声。真人は理解する。
 信仰が、上乗せされてるんだ。

 巨大化ではない。
 暴走でもない。

 先々代――八手の血に積み重なった信仰が、今この瞬間だけ、|俺の蛸神《たこすけ》へと流れ込む。
 薙ぎ払う。捕らえる。絡め取り、叩きつけ、圧壊する……!

 そこへ滑り込むオメガ。
 眼前のドクトル・ランページの胸部には、先程自分が深々と刻み込んでやったX字の傷が見える。

 瞬間、オメガの歪に肥大した右アームが縦に割れる。
 その内側から覗くのは――純正品のオメガ・アーム!
 有り合わせのギプスの内側で、ナノマシンによる修理が完了したのだ。

 オメガ・ブレードのルシーダの出力が一気に跳ね上がる。
 二枚分の光が――そして義体に埋め込まれた古いルシーダの光が、ただ一点へと収束する。

「生命の強さとは――浪漫、だそうです」
 距離、良し。照準、良し。出力臨界、大変良し――!

 ――“絶対当てたきゃ、心で撃ちな”

 胸裏に蘇る声に従う。照準誤差修正、マイナス一度。
「ちなみに、浪漫を問うのは――無粋だとも言うそうですよ、ええ」

 アームの砲口から強烈な光条が放たれ、傷のど真ん中を穿ち抜く――!!

●
 撃ち抜かれて後ずさりつつ、なお倒れない。
 痛覚無し。感情無し。そのAIの底冷えするような恐ろしさは、どれほど損壊してもトドメを刺す迄は“稼働する”という点にある。
 大質量のドクトル・テイルに、硬殻外装が現れる。
 その無慈悲な薙ぎ払いは、レラジェ目掛けて放たれた。

 地獄に落とす、のが能わぬなら、地獄まで同道してやる心づもりだ。
 しかし、相討ちを覚悟で構えるレラジェの耳に。

 ――“任せて、レラジェ。……僕じゃなくてあの子に、だけど”

 ふと淡い声が響く。
 刃のような尾が光を反射しながら、レラジェを切り裂かんと振り下ろされた――その瞬間。

 空気を震わす咆哮と共に、息絶えていた筈の屍竜が咢を開く!
 腐熱と共に噛みついた顎がドクトル・テイルの硬殻外装を噛砕き、爆裂音と共に散った破片が空を舞った。
 それきり屍竜の肉体は崩れ落ち、灰の塊となって風に溶けた。
 まるで最期の瞬間まで、「生きていた」かのように。

 屍竜が砕いたはずのテイルは、それでもまだ動いていた。
 半壊した装甲のまま、反射的に引き返す第二撃――!

「腐り、落ち、そうでなくともその身を冒す。地の底に去ね」
 “腐敗の爪風”での迎撃を狙い、絶好の機会を計るレラジェ。
 果たして吉と出るか、凶と出るか――!

 ***

 ――“私ね。あなたの優しい所、好きよ”

 ふと聞こえた空耳に、頭を振る。
 郷愁が引き起こす幻聴だ。そんな事、理性ではわかり切っているのに。

 何かに急かされるかのように、ファウは再びたこすけの触腕を足場に借りて駆け上がる。
 今も上空を飛ぶ斬撃兵器を、行きがけの駄賃だとばかりに両断!
 すかさず回り込んで来る斬撃兵器は、八咫烏が援護射撃で撃退していく!

 そして天地逆転した視界の中。ファウの目は、レラジェに迫るドクトル・テイルを捉えていた。
 隻腕では力が出せず、切断力が劣ってしまう。
 ならば落差で補えば良いだけの事――

 両断した斬撃兵器を足場と蹴り飛ばし、流星めいて急降下!
 即席とは思えぬ程の連携、レラジェの攻撃に交差するかの如く、ファウの刃が鋼を喰い裂く!

 ――ズ、ガァァンッッッ!!!

 大音響の破断音に地が揺らぐ!
 突如の挟撃に曝され、両断された大質量のドクトル・テイルが空高く刎ね飛んだ!!

●
 尾を切られた瞬間、ドクトル・ランページを取り巻くレギオンが一斉に集まった。
 砲口が開き、白い光が収束しだす。
 それは破壊そのもの――マテリアル・キラー。物質の構造情報を逆算し、存在を“否定”する熱線だ。

「……なら、こっちも否定で返すまでだ」

 クラウスの声が掠れる。
 決戦気象兵器《レイン》が再起動、同じように一か所に収束し、青い極光が放たれる。
 本来なら降雨めいたレーザーの軌跡が、クラウスの思念により90℃持ち上がる――ぶっつけ本番、迎撃の為の水平撃ちだ!

 白と蒼――光と光が正面から衝突する。
 両者の軌道が重なり合った瞬間、空間そのものがひずみ、周囲の音が吸い込まれるように消えた。
 誰も声を出せない。世界の全てが、息を止めていた。

 その拮抗の只中、笑い声が響いた。

「あーあ、やっぱり出力が安定してないじゃん!」

 ジェイドの指摘と同時、マテリアル・キラーの光が一瞬ぶれる。
 演算パルスが狂い、演算体の同期が遮断。
 今まで受けた橙と廻によるクラッキングには対抗リソースを割いている、なのに何故――

『――まさか』
 ドクトルの声が驚愕に染まる。
『クラッキングも、ナターシャサインとやらも』
 ドクトルの表情が初めて歪む。
『目くらましだったというのか!』

「あったりー!」
 ジェイドは笑いが止まらない、此処まで鮮やかに引っかかったマヌケは見た事が無い!

「そ、何度も夢現煙火人の炎を当てて漸く思考操作を掌握したってワケ!」
 煽る、煽る。一度冷静さを剥がしてしまえば、あとは只管揺さぶるだけだ。
「|その“おビーム”《マテリアル・キラー》……打撃への抵抗力は、あんた自身も下がるんだって?」

 反論しようと口を開く。が、有り得ない方向から強撃が襲ってきた。
「――お前、ヒトの形をとどめて逝けると思うなよ」

 ド ス リ 。
 脆弱化した装甲を粉々に砕き散し、ドクトルの左目に|暴虐の籠手《アジタート》がめり込んだ!
「ここで潰えるだけの研究ごときのためによくも――」
 度重なる調整は、この瞬間の為に。最期までレラジェの言に殉じたルーデンスの無念ごと、衝撃波を醜悪な|主回路《メカニカル・コア》に叩き込む!!

『ッッ――学閥の研究の価値を――|生命体《ニンゲン》が貶めるな!』

 叫ぶと同時、内部回路の|強制短絡《ショート》によりレラジェを弾き飛ばすドクトル。
 レギオン群はクラウスのレインと拮抗中、斬撃兵器は残り僅か。
 ならば。

『……統率を強化し……配下を一騎当千とする。――そんな能力が、あった筈だな?』

 ドクトルの金の瞳が蒼く光る。
 機械網膜の裏側で演算回路が駆動し、レギオン・斬撃兵器との|通信網《パス》を拡充。

 ただ、それがドクトル達を強化する前に走り出した影がある――ジェイドだ!
 笑顔は変わらず。だが、明らかに目の色が変わった。
 知っている。

“痛みを抱え続けて生きるのはつらいよ。だから――”

 その√能力の|加護《優しさ》を、ジェイドは良く知っている。
「マジきっしょ、勝手に扱うんじゃねぇっての!」

 故に火が点いたのだ、|逆鱗《導火線》に。レラジェによりブチ抜かれた大破孔、其処目掛けてジェイドはクラウスの右腕を捻じ込んだ。
 ――|ジェイド《裏切り者》の笑みが、叛逆の悦楽に歪む。

 - “click” -

 破壊の音は小さく、彼の奥歯から聞こえた。
 ――ドクトルの右腕に閃光、爆発!
 よろめくドクトル、更に左眼窩に突っ込まれたクラウスの右腕に閃光――爆発!!

「自己紹介が遅れたな」
 基盤露な顔面の左側から爆炎を噴き上げるドクトルの首根っこを、ジェイドの|右手《・・》が掴む。
「おれは|人間爆弾《・・・・》だ」
 首元の右手からも閃光が奔り、ジェイドの腕が大爆発を起こした!!!

 爆風に乗り跳び退るジェイド、その側方ではクラウスが今もマテリアル・キラーにレインで対抗している。
 と、不意に。

 - ドンッ -

 胸に小さな衝撃を感じると共に、レイン砲台の出力が増大していく。
 100――120――160――200%
「……、……え」
 戸惑うクラウス。
 まるで、“二人分”の祈りが乗ったかのよう。

『――』

 火達磨の|機械人形《ドクトル》は、最早言葉を発せない。
 ただ、その裏で延々と答えの出ない演算が回り続けている。

 何故だ――何故だ何故だ何故何故何故!! 私の出した“解”の――何処に、間違いがあったというのだ――!!

「先に冥途の物見遊山でもどーぞ」
 ジェイドが引導代わりに毒舌を叩きつける。
「おれも先輩もそのうち逝くさ、今じゃないだけ」

 出力の上がったレイン砲台に、マテリアル・キラーの白光が押されて行く。
 必死に支えるクラウスの耳に、

 ――“いつだってここにいるよ”

 確かにその声は聞こえた。

「……ッ、翼ぁぁぁ!!!」

 クラウスの絶叫と共に、レイン砲台の青い極光がマテリアル・キラーの白光を喰い破る!!
 ドクトル・ランページの身体は青に呑まれ、その影は塵と化していき――

 観測……不能体、共め……ッ!!

 怨嗟の思念を一つ残し。上空の雲を吹き飛ばしながら、天へと青い光柱が立ち上がる。
 ――やがて光は細くなり、名残さえ見せずにスゥッと消えた。



 ―――
 ――

 ―



 何もかも灰燼に帰すような地獄を生き伸びたキミの目に映るのは、ノア・シエルの瓦礫に溢れた戦禍の痕。
 それでも、残骸を運び出す者。炊き出しをする者。すすり泣く人に寄り添う者。
 既に復興の兆しが、芽吹き始めている。


“斯くて、ノア・シエルは【不確定未来演算結果:設備損壊・人名損失100%】の予測から逃れることができました”

“皆様のおかげで、希望が――遺りました”

“……また、お会いできるといいですね”


 そんな文字を見たような気がして、キミはデジタルサイネージに目を向ける。
 地に落ち、罅割れた黒い板は何事もなかったように沈黙を守り。
 ただ、どこまでも青く澄んだ空を反射していた。



       Series Scenario《テセウスの魂》
           ―― 了 ――    






■SCENE-END CONCLUDE_



 あれから、早くも数ヶ月が経ちました

 まだ、機械の身体には慣れないです


 記憶も

 学徒隊の仲間たちの思い出も、顔も、名前も、全然戻ってません


 僕はヴァルムント社に入る事を目指し、技術特進科へ進む事に決めました

 仲間たちは志半ばで倒れたそうですが、この都市で人類の灯が潰えなかったのは

 皆にとって最後の誇りだった、せめてそう信じたいものだと


  。
  ○
      ○
        ゜


 それを確かめる相手は、あのドクトルを討ち果たしたあなた方しか居ない

 だからこうして

 あなたへの手紙を――


             蓬原 湊

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