②たべほうだい
「――そうですか、禍津鬼荒覇吐が動きましたか。」
空中をゆっくりと漂う島の如き白い影は、眼下の人並みを見下ろした。
明確な理性を感じさせる、穏やか語り口。しかし、その瞳には狂気的なまでの『食欲』の色が浮かんでいる。
「殺戮によってインビジブルを呼び寄せる『宴』……よいですね、実によい。まさに食べ放題です。
私は食欲を満たし、彼は王劍『|明呪倶利伽羅《みょうじゅくりから》』で悲願を達成する。ヒトの言葉で言うところの、Win-Winですね。
――では、美味しそうな、たくさんのヒトたち。もう我慢できませんので、いただきます。」
翼を持つ大鯨は、己が封印の理由となった『食欲』を満たすため。
人々を吸い込み喰らわんと、大口を開けた……。
●
「大変にゃ、緊急事態にゃ!√EDENの秋葉原で戦争にゃ!」
愛用の箒でふわふわと宙に浮かびながら。星詠みである半人半妖の少女、|瀬堀・秋沙《せぼり・あいさ》は、集まった√能力者たちを前ににゃーにゃーと騒いでいた。
子猫の故郷でもある√妖怪百鬼夜行の大妖、|禍津鬼荒覇吐《まがつおにあらはばき》が企図した『宴』。
この宴には古妖たちをも大いに惹き付けられ、次々とこの殺戮に加わった。
本来は島嶼部や沿岸地域を好む空を漂う大白鯨、『つばさのいさな』も例外ではない。御馳走の気配に引き寄せられ、陸地に姿を現したという訳だ。
「このくじらさんは、本当に大喰らいでにゃ!たぶん、一人や二人……それどころか、何百人食べても満足しないのにゃ!
このままじゃ、歩行者天国のみんなが食べられちゃうのにゃ!」
『つばさのいさな』は船や飛行機ごとであろうと人を喰らうという、その尽きる事のない『食欲』を危険視され、古妖として封印された経緯を持つ。
恐らく、この戦場でも√能力者ごと人々を吸い込み喰らわんとするであろうし、その巨体が降ってくるだけでも多くの無辜の命があっさりと圧し潰される事だろう。
「だけど、流石に建物は吸い込めないみたいにゃ!しっかりと大地に根を張ってるからにゃ!
だから、逃げ遅れたひとたちは、建物の中に逃がしてあげてほしいのにゃ!」
勿論、手早く斃すことも選択肢の一つではあるが。範囲を巻き込みかねない大鯨を相手にするならば、避難誘導を優先した方が確実であろうかと思われた。
戦闘範囲より人々の避難が済んだなら、後顧の憂いなくこの鯨と戦う事も出来るだろう。
「生きたまま吸い込まれて、お腹の中で消化されるのを待つなんて、とっても怖いのにゃ!
みんな、人間さんたちを守ってあげてほしいのにゃ!」
馳せ参じた√能力者たちは、『任せろ』と言わんばかりに己が得物を手に戦場へと向かい。
子猫は皆が無事に帰ってくることを願って、灯台の様な笑みを浮かべるのであった。
第1章 ボス戦 『つばさのいさな』
大白鯨が、今にも逃げ遅れた人々を吸い込もうとした、その時であった。
「おや。私を見ても、逃げないどころか、立ち向かおうとする方たちが。
なるほど。禍津鬼荒覇吐の宴と、私の食事の邪魔をしに来たのですね。
――よろしい。では、纏めて美味しくいただくとしましょう。」
満たされぬ『食欲』の狂気に呑まれながらも、鯨は敵意を見逃す程愚かでもない。さりとて、やることも変わらない。
宙に浮かぶ呑舟の鯨は、食欲を満たし得る存在を纏めてその大きな腹の中に収めるだけなのだから。
「ところで、√能力者は食べてもその内に蘇るもの。無抵抗で食べられて頂いても良いと思うのですが……そうはいきませんか。荒事になるとは、残念なことです。」
無論、己の身も一般人の命も、この暴食の化身に食わせてやる訳にはいかない。
代わりに敗北を馳走するべく、√能力者たちが『つばさのいさな』……又の名を『大白鯨 モビィ・ディック』に挑む!
「でっか……。」
「は、馬鹿でかい鯨だな。」
2人の√能力者が、島一つ分はあるであろう『つばさのいさな』の巨躯を見上げ。思わず似た様な感想を零す。
一説によれば、ヒゲクジラ類の中でも最大の種として知られるシロナガスクジラは1日に16tもの餌を捕食するという。
この島の如き鯨が捕食行動を取ったならば、成程。星詠みの言っていた通り、何百人食べても満足はしないであろう。
――だが、その様な大鯨を前にして。
「まあ、食い甲斐はあるか。そうだ、今日のツマミは鯨の刺身にしよっと。」
「俺らに食われろだ?その言葉、そっくり返してやるぜ。てめぇこそ、白き虎の餌になって腹に収まりな。」
この2人の√能力者……尻尾の代わりに7本の魔手を生やした魔猫、|七々手・七々口《ななて・ななくち》(堕落魔猫と七本の魔手・h00560)と。
そして武人たる|御剣・刃《みつるぎ・じん》(真紅の荒獅子・h00524)の感想は、奇しくも更なる一致を見たのである。
「ほう、私を食べ物に。それはとても愉快な考えですね。
食うか、食われるかという、緊張感溢れる野趣に満ちた食事は、私も望むところ。
――それでは早速ですが、活きのよく、美味しそうな皆様。いただきます。」
空腹で、捕食を待ちきれぬ白鯨は。いうが早いか、全てを吸い込む呼気を放たんと、鋭い牙が並ぶ口を開けんとする。
【どんしゅうのいさな】と呼ばれるこの√能力は、獲物を吸い寄せる呼吸を放ち、命中した敵に微弱ダメージを与えるという効果に留まるが。
獲物に残された耐久力が3割以下であった場合、獲物はその大口の中に吸い込まれ……脱出不可能な胃袋の中で、生きながらにして消化され、命を落とすことを待つ身となるのだ。
一定の耐久力を持つ√能力者ならいざ知らず。避難を終えていない一般人が、鯨の呼気を受けたならば。その耐久力はあっという間に3割を割り込むであろう。
「――て事で暴食さん、お願いねー。」
「――む、ぐ。……んん……。」
大鯨の眼が、『これは困りましたね』と言わんばかりに細められる。これだけ腹が減り、獲物がうようよ居るというのに。不思議な事に、獲物を喰うための大切な器官……口が開かないのである。
そういえば、口の周りが妙に痛む。どうした事か、と視線を巡らせてみたならば。
巨大なフォークを持つ腕の群れが、己の口をそのフォークで串刺しにしているではないか。
それも1本や2本ではない。しめて40本もの数に縫い留められてしまっているのだ。
「そのデケぇ口も、こうしてやりゃぁ開き辛いだろ?」
――【|暴食のお食事会《オナカスイタ》】
その正体は、七々口の尾……いや魔手の一本が宿す√能力である。本来は指定した場所に巨大な口や、巨大なフォークを持つ腕、おこぼれに与ろうと勝手に出て来た巨大蠅の群れを合計40体まで召喚する効果を持つが、今回はフォークを持つ腕に力の全てを割いたのだ。
口が開閉できねば、ブレスは放てない。困り顔にも見える鯨を他所に、一般人の避難誘導が始まり。
その邪魔はさせじと、足止め役を買って出た刃が愛刀『獅子吼』を手に、大白鯨に躍り掛かるのであった。
さて、この場には戦闘よりも、一般人の避難誘導にこそ力を割いた√能力者もいる。
「――世界を変えなさい、我が歌よ。共有、遮断、濾過、共存、拡散、感染、増幅。
感情の移ろいを司る歌は、超越持たざる命の元に具現化する。」
アレクシア・ディマンシュ(ウタウタイの令嬢・h01070)は、その人間災厄とも成り得る歌声を以て、この場の全ての一般人に呼び掛けた。
――【|聖歌絶唱・怒りの如く洗し共する魂と思の歌《オラシオン・ラース・オブ・コミューニオン》】
この√能力は、感情の共有・遮断・濾過・共存を行う歌を歌う。対象は一先ず、全ての非√能力者に留まるが、今はそれでよい。
彼らの傍らに拡散・感染の性質を持つ感情の増幅現象が出現する事で、一般人たちの行動の成功率は100%……つまり、避難を行えば必ず成功するという効果を与えられるのである。
――『『絶対防衛領域』周辺は、あの怪物は干渉できない。』
アレクシアが一般人たちの感情に働きかける避難先は、『絶対防衛領域』である『第一電波ビル及び熊谷ビル周辺』、『エトランゼ18秋葉原周辺』『Mintron秋葉原ビル周辺』の3か所。
もし、七々口が鯨の口を縫い留めていなかったとしても、【はくげいのうた】による震度7相当の揺れがあったとしても、道中で他の簒奪者に狙われようとも関係ない。
避難行動は、必ず成功する事が約束されているのだから。最効率で避難誘導を行う事が可能だ。
とはいえ、逃げ足の遅い者たちだっている。
「はいはい、今安全な場所に運んでってやるぜー。」
そんな者たちを七々口が残る魔手で引っ掴み。アレクシアが指定した絶対防衛領域まで運んでゆくのであった。
(――ああ、折角の獲物が、逃げて行ってしまいます……。邪魔ですよ、あなた。)
呑舟の鯨は、戦闘全てを請け負った刃によって押し止められ。無念そうに逃げ散ってゆく一般人たちの背を見送り。ぎょろり、怒りを孕んだ視線を向けた。
アレクシアの√能力は、一般人を起点に√能力者、簒奪者にも効果を及ぼす。
人間災厄の権能として、最低数百人以上の民間人の『恐怖』の感情を濾過・濃縮して古妖に一点に集中した結果。
――飢餓への『恐怖』、そして空腹を満たす邪魔をする√能力者たちへの怒りとなって、表出した。
「こんだけデカけりゃ、流石に重てぇ、な!!」
刃は身体能力の限界を超え、更に肉体改造を施す事で、島一つ分と言っても良い、暴れ鯨による体当たりを獅子吼一振りで受け止め、時に受け流す。
第六感で行動の起こりを察知し、見切りで軌道を予測しているからこそ為せる技であろう。
そうして、全ての避難行動が終わるまでの時間を稼ぐべく、一体何合斬り結んだであろうか。
――ぶちり、ぶちり、ぶちぶちぶち。
時間を稼がれ、飢餓感への恐怖から痺れを切らしたいさなの口から。肉が裂ける、無数の音が戦場に響いた。
「ああ、最初からこうしておけばよかったのですね。――これでやっと、食べられます。」
裂ける事も厭わず強引に口を開ける事で、七々口のフォークによる拘束を無理矢理に解いたのだ。
結局のところ、口からだくだくと血を滴らせる『つばさのいさな』の恐怖も欲望も、すべては同根。『食欲』の一点に納まるのである。
漸く開いた口で、刃とアレクシアを捕食せんと大口を開け……猛烈な|呼吸《ブレス》が、彼らを胃袋に引きずり込まんと放たれた。
威力は微弱、されど受け続ければその内に食われる、この√能力。地に固定されていない、秋葉原の街の幟が、駐車していた自動車が、見る見るうちに白鯨の口内に吸い込まれてゆく。
――だが。
「お待たせー。今戻った、そのついでに。それ、利用させてもらうぜー。」
1m程の黒い影もまた、宙を舞っていた。一般人の避難誘導を終えた、七々口である。
彼は魔手たちでアスファルトの路面を全力で叩き、自ら空へ飛びあがったのだ。そして、自動車をも軽々と吸い込む吸気に乗って、更に加速し……
「猫パンチならぬ全力魔手パンチ、ってなー。」
七つの大罪の名を宿した七の拳が、大白鯨の横っ面を揺るがす程に張り。
「――小さいのに、良いパンチです。少し、効きました。」
「そうかよ、でかぶつ。だが、それで終わりと思っちゃいないだろうな?」
飢餓感に血走った目が、黒猫の姿を捉えるよりも早く。√能力により生み出された空気の渦が、大鯨の動きを縛った。
像を残す程の速度で、刃が突っ込むのは大鯨の柔らかな腹の下。鯨が降ってくれば、如何に刃とて潰れるであろう、捨て身の場にて。
「天武古砕流、虎ノ型。」
鞘より解き放たれた獅子吼の白刃が、弧月の如き軌跡を描き、閃いた。
――【奥義・白虎《オウギ・ビャッコ》】
流石の巨躯、両断とはいかないが。その身に深々と刀傷を刻み込み。滝の様な血飛沫を浴びるよりも早く、刃は大鯨の影より逃れ去る。
「言ったろ?てめぇは白き虎の餌だってな。どっちが捕食者か理解したか?」
獅子吼の切っ先を向けた刃に、つばさのいさなは歌うように、面白おかしそうに笑い声をあげた。
「ふふ。ふふふ。捕食者が被食者になるなど、当たり前のこと。人間も熊を喰い、熊に喰われるという話を聞きます。
……然し、私自身が被食者として見られるのは、何分久方ぶりでしたので……忘れかけていた、恐怖と気付きを頂きました。
ええ、はい。益々以て、あなたがたを食べたくなりましたよ。きっと、滋味のある事でしょうから。」
深く刻み込まれた傷から、巨体に見合う膨大な血を滴らせながらも。
空に君臨する大白鯨の食欲は、未だ衰えを知らないようだ。
緒戦にて口は縫い留められながらも強引に開けた事でボロボロとなり、更には大きな傷を腹に刻み付けられ、滝の様な血を流す古妖『つばさのいさな』であるが。
その戦意……いや、食欲は未だに衰えてはいない。むしろ、折角の獲物たちが逃げ散ってしまい、飢餓感に目を血走らせてすらいる。
その図体に見合うスタミナを誇る様に、秋葉原の空に君臨していた。
「これはまた早速大きなお客さんが来たことで!
生憎とビュッフェスタイルは取り扱ってないんで、迷惑な観光客にはお帰り願うっす!」
|深見・音夢《ふかみ・ねむ》(星灯りに手が届かなくても・h00525)が切った啖呵に、空色の鱗を持つドラゴンプロトコル、シアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》の羅紗魔術士見習い・h02503)も得物である大きなハンマーを力強く握りしめ、頷いた。
「ぬぼーっとしてて可愛いけど、人は食べ物じゃないんだよ!そうそう、ご飯はおうちに帰ってから食べてね!」
その声に気付いたのだろう、小島の様な巨躯の、これまた大きな空色の瞳が、小さな二人の姿を見下ろした。
「ビュッフェスタイルではない、と。……なら、バイキング形式は……そうですか、駄目ですか。残念です。
ですが、私にとって他者は食べ物。例え駄目であろうと、食べなければ私も生きてはいけません。ですので……あなた方も、美味しく頂かせていただきます。」
そんな音夢とシアニ、そして大鯨とのやり取りを余所に。ディラン・ヴァルフリート(|義善者《エンプティ》・h00631)は、虚ろさを感じさせる瞳で鯨と、そして逃げまどう人々の姿を見詰めていた。
(……人々を守る戦い。これだけの規模だとそれなりの|ハンデ《邪魔》ですが……
いわゆる正義の味方としては、格好の舞台なのでしょう。)
彼は善性を欠落し、悪性を封じた空虚な内面の持ち主であり……そして、|勇者《正義の味方》を羨み恣意的にデザインした転生体である。
戦闘行為に於いて、一般人を巻き込まずに戦わねばならぬのは大きな障害である。しかし、彼が演じたい『正義の味方』という姿にはうってつけと言っても良いであろう。
この場に居合わせた√能力者と、そして逃げまどい、この場に逃げ込んでしまった一般人を護る為に。大白鯨との第2ラウンドが始まった。
「しかし、このサイズの大物となると速攻撃破は流石に難しそうっすね。となるとやっぱり避難が先決!」
「そうだね、あたしもとにかく避難誘導!『外は危険だよー』って大声で伝え回りながらみんなに手を貸していくね。」
「では……僕は『眼』を活かし、そちらで拾いきれぬ方たちを受け持ちましょう……。」
「OK、任せたっす!下手に『どこどこに逃げろ』って言うと一か所に殺到しそうっすから、大まかに「建物の中へ」って呼び掛けることにするっすよ!」
音夢、シアニ、ディランの方針の共有、そして行動の開始は早かった。
「みんな集合ーっ!敵はおっきいけど、人助け!足止めをお願い!」
大白鯨が口を開けるよりも早く、【|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》】でシアニが呼び出したのは、相棒たる緑竜のユアをはじめとする幼竜の幻影たち。
(吸い込まれないように様子を窺って、口を開けたらベロに向けて火球を撃っちゃって!
それでもくじらが吸い込んできたら、逃げ遅れてる人とあたしの足元から魔力の鎖で地面に固定してほしい。お願いね、ユア。)
いさなに方針が聞こえぬよう、テレパシーが可能であるユアたちに作戦を伝え、シアニは避難誘導のために駆け出した。
一瞬、|こ《シアニ》の姿にまた驚いた目を向けられるのでは、などという暗い考えが頭を過ったが。今はその考えを深掘りしている時間はない。
「舌を火傷するとさ、ほら……テンション下がるよね……。」
そんな冗談で自らを和ませつつ。彼女はこの戦場に迷い込んでしまった人々を手近な屋内へと誘導してゆく。
「ほら、立てるっすか?……ん、怪我はなさそうっすね。安全なところまでボクが連れていくから、付いてきてほしいっす!」
「……あ、ありがとう、ございます……!」
一方の音夢も、空に浮かぶ巨大な鯨の姿にへたり込んでしまった一般人の手を取り、誘導を開始していた。
組織を抜けてからこの方、随分と人助けをする事も増えてきたが。怪人組織に身を置いていた者としては、お礼を言われるというのも中々こそばゆいものだ。
鯨に吸い込まれないであろう、安全な屋内に避難させると。何度も何度も礼を言うその声に、背中を向けて。マフラーで隠した口元は、ほんの少し。緩んでいるのであった。
(――路地に……影が見えますね……。
この様な状況では、震えて悪夢である事を祈るのも……当然の反応、ということでしょうか。)
秋葉原の歩行者天国には、当然ではあるが幾つもの路地がある。竜眼を以て戦場周辺を俯瞰していたディランの目には、小道に入り込み、震えて蹲る一般人の姿が映っていた。
あちらこちらで響く剣戟の音、そして確かに血腥いにおいを感じれば。幾ら2次元の戦いを観る事に慣れた秋葉原を愛する者たちでも、本能が警鐘を鳴らし、足が竦み。動けなくなっても仕方のないことであろう。
そんな青年の前に、白き衣を纏ったドラゴンプロトコルが現れたならば。
「あ……ああ……助けて、たすけて、ください……!」
震える声で縋りたくなるのも、当然の事。
「ええ……少し、目を閉じていてください。……目を開けた時には、そこは安全ですから……決して、そこから動かぬように。」
ディランの言う通りに目を閉じた青年は。白竜の念動力により、『絶対防衛領域』へと運ばれてゆくのであった。
(……安堵や達成感の一つでも感じられれば、苦労は無いのですが。)
確かに一つの命を救ったディランであるが。
――それでも彼の空虚は、満たされない。
小さな竜たちの影が、つばさのいさなを翻弄するように飛び回る。
シアニたちが避難誘導を行っている間、鯨がブレスを放とうとする度に、その口内に火球を叩き込み。注意を惹き続けてきたのだ。
「口を開ければ、舌を狙い撃ちにされ……熱いことこの上ないですね。ひりひりしてきました。
ですが……よくよく見れば、幻影とはいえ美味しそうですね。空腹は満たされるのか、試してみましょうか。」
がぱり。大口を開けて、ユアたちを吸い込もうと……
「ユアも、みんなも……食べ物じゃ、ないんだからーっ!!」
――ごぉん!!
つばさのいさなの大口が、強引に閉じられた。白い脳天にめり込んでいるのは、シアニの身の丈程もあろうかという、黒鋼の巨大な鉄槌。
彼女の羅紗のマフラーに刻まれた魔術と、ハンマーに据えられたブースターで飛び上がり、渾身の一撃を叩き込んだのだ。
「……う、ん……?」
さしもの大白鯨も、あまりの衝撃に、視界にちかりと星が散った。目を白黒させながら、島の如き巨体がふらふらと宙をよろめき。
「今だよ、みんな!お願い!」
その隙を逃さず、シアニが次いで指示するのは『つばさのいさな』と幼竜の融合である。巨躯に沁み込む様に消えていく竜たちであるが、目に見えた効果はない。
しかし、やがては行動力をすり減らされ。その巨体が地に墜ちるよりも早く消滅する未来が、ここで決定付けられたのである。
そして、全てを吸い込むべく開けられた口が、シアニによって強引に閉じられたという、大きな隙。
「んじゃ、今のうちにもう一丁!搦手とおまけをくれてやるっす!」
音夢が構える対物狙撃銃に装填されるのは、白赤青の3発の弾丸。狙いを定めるまでもなく、スコープ内を白い肌が埋め尽くすが。
その様なところに当てたところで、ダメージは限られる。だから、狙う先は大きい上に、間違いなく弱点である、海の様に蒼い、眼。
――ぱぁん!!
秋葉原の空に、白い閃光が奔る。
「先ほどの衝撃の様に、眼がちかちかします、ね?……纏めて吸い込んでしまえば、変わりの無いことですが……おや、目が、開きません。」
呻きながら、思わず瞼を閉じた、その左目の上に。べたり、と。粘着弾が張り付いていたのである。
強力な粘着力に、瞼を開ける事が出来ぬ大白鯨。しかし、音夢の本命はもう一発残っている。
「……閃光に、とりもち。それで、私の動きが封じられると思ったら大間違いですよ。」
妨害に次ぐ妨害に、白鯨の血走った右目が向けられた。……わざわざ、音夢の照準の向こうに、である。
スコープ越しに、鯨の青い目と音夢の金の瞳がかち合い。
――ずどん。
大きな大きな鯨の目から、鮮血が迸った。
――おぉぉぉぉぉ……ん!!
多少のダメージを物ともしなかった巨躯の白鯨が、秋葉原中に響き渡る様な声で、遂に吼えた。
急所を射抜かれた鯨は暴れ、その巨体で近接戦を仕掛けんとするディランを圧し潰そうとするが。その細身に似合わぬ怪力と障壁を前に、突破するには至らない。
そして攻撃が効いているのならば、このまま畳み掛けるだけだ。彼が操る、自在に飛翔する無尽の剣群が戦場を舞う。
大鯨の白い肌を削り、腹に刻まれた刀傷を抉り。竜眼が、宙を漂う鯨をその場に縛り付けた。
「|可能性《IF》の果てより……降ろせ。其は、至るべき力の極み。」
金の翼を羽搏かせ、大剣『至斬傑牙』を携えて。白竜は飛竜に変じて、翔んだ。
狙うは一点、シアニがハンマーを叩き付け、正方形の痕を残した大鯨の頭蓋。
――【覇刻:鏖撃無双《ロア・オーバードライブ》】
超重力を乗せた白竜の大剣が、大鯨の頭に叩き付けられた。
刃越しに、頭蓋にヒビが入る手応えが伝わってくる。しかし、島の様な巨躯はシアニの幼竜により行動力を奪われながらも、まだ墜ちない。
(――ですが……次の攻防で、仕留めきれそうですね……。)
ディランは再び宙に躍り出て、その眼で敵の状態を見定めると。
油断なく大剣を構えるのであった。
白い肌の下の頭蓋にはヒビが入り、右眼は潰され、左眼には未だ剥がれぬトリモチ。
全てを吸い込む大口も傷だらけで、腹には大きな刀傷。
秋葉原で暴食を楽しもうとしていたつばさのいさなの巨躯は、√能力者たちの奮戦により、既に満身創痍であった。
「……こんなはずでは、なかったのですが……人間を鱈腹食べるつもりが、ここまでの傷を負うとは。
これ程の戦力が集まってくるとは、私にも想定外でした。このままでは、|禍津鬼荒覇吐《かれ》の悲願もどうなるやら。」
古妖の肉片とはいえ、久方ぶりの大きな痛みを感じながら。大白鯨はこの『宴』の主催者の身を案ずるのであった。
●
「あら、大きな鯨ねぇ。」
どこかのほほんとした声と共に、|矢神・霊菜《やかみ・れいな》(氷華・h00124)は傷だらけの白鯨の姿を見上げた。
小島ほどの大きさを持つ『つばさのいさな』ではあるが。豪胆な彼女に、臆した様子は全く見られない。
「こんなのが暴れて人を食べる……民間人には恐怖でしかないわね。
それと、これだけ大きいと民間人を避難させる作業も大変そうだわ。」
彼女の言う通り、一般人ともなれば話は別であろう。粗方の避難は終わっているとはいえ、この戦場に迷い込み、足が竦んで動けなくなった者も先ほど見られたのだ。
あれだけの巨躯に魅入られてしまえば、思わずへたり込んでしまうのも仕方のないことだろう。
「|警視庁異能捜査官《カミガリ》として、民間人の安全は守らないとな。」
この場に、大切な弟はいないが。シリウス・ローゼンハイム(吸血鬼の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03123)は警官の職務を全うしようとしていた。
あの巨体では、その体が降ってくるだけでも広範囲を巻き込みかねない。故に、迅速な民間人の避難誘導が必要不可欠だ。
幸いなことに、√EDENの支部に勤める彼ならば、この現場の警備員や警官たちにも顔が利く。
「避難誘導は、ローゼンハイムさんに任せても大丈夫かしら?
私が必ず、あの鯨をこの場に留めておくから。」
「ああ、そうして貰えると助かる。……どうも、もうあと一押しの様だが……直ぐに戻ろう。」
「了解。それじゃぁ、民間人を避難させる間の盾にでもなりましょうか。」
シリウスが駆け出すと共に、霊菜が唱えるのは氷精を呼び出す力ある言葉。彼女を中心に少し季節の早い雪風が舞う。
「|雪風《かぜ》が満ち、白氷覆う。敵絶える|凍界《せかい》には何もなく。孤高に舞うは|護盾《たて》の翼。
来たれ、|氷天《そら》の王――いくわよ、カエルム。」
――【|天に舞え氷翼の守護者《グラキエス・アーラ・カエルム》】
秋葉原上空に現れた、白鯨に負けぬ大きさの氷鷹は、敵と見るや一直線に飛翔した。
霊菜の氷翼漣璃が纏う凍結のエネルギーを巨大な氷の鷹に変じさせるというこの√能力。視界内の対象1体にのみ大きなダメージと、更に凍結の状態異常。そして41秒間継続ダメージを与え続けるという効果を持つ。
「爪を喰い込ませて、決して離さないで!
……まるで怪獣大決戦……んん、取っ組み合いに持ち込むわよ!」
何かを言いかけた霊菜ではあるが、それはさておき。
白い肌に鉤爪を喰い込ませれば。爪が刺さったその先から、白い霜が大白鯨の身を覆ってゆく。
漸く、左目のトリモチが剝がれ、敵の姿を視認したいさなであるが。
「氷とはいえ、神霊というやつですか。人間が言うところの、氷菓子にもなりそうです。
美味しそうですが……お腹が空いてたまらない上に、形勢が不利でしょうか。
――であれば、仕方ありません。最後の手段です。足場が悪いので……このままでいきましょう。」
食欲よりも、ひと時の命を優先し、逆転を目指さねば何も食えぬという、この状況に。
鯨は海の神を思わせる、神々しい輝きを纏い。歌の様な超音波が、戦場に向けて放たれた。
「……此処からは決して出ない事。この場は俺たちが収めるから、待機していてくれ。
避難した人たちのこと、頼んだぞ。」
「は、はいっ!刑事さんもお気を付けて!」
警備員の敬礼に背中を押され、シリウスが屋外に出た時。彼はその眼を疑った。
「なんか、大きいのが増えてないか……?」
光り輝く鯨と、巨大な氷の鷹が取っ組み合いをしていたのである。何かの冗談と思いたいが、少なくとも、鯨と敵対しているという事は、味方の√能力であろう。
それに、自身の体内まで震わせるような、超音波のダメージを感じた。
環境への態勢はあるとはいえ、この状況が続けば、やがて致命的なダメージを受けかねない。
「あの人にだけ任せてはおけないな。……急ごう。」
錬成した大剣の血漆錬成剣を携えて。一刻も早く戦場に戻るべく、吸血鬼の捜査官は走る。
「カエルム、負けないで……!」
超音波の発信地に、より近い霊菜とカエルムは大きなダメージを受けていた。
その一方で、ノンブレスで歌い続け、起死回生を狙うつばさのいさなも、最早歌を止める訳にはいかなかった。
酸素を大量消費する事で、全ての干渉を無効化する絶対的な無敵の力を発揮するこの√能力であるが。
現状、カエルムの継続ダメージに加え、鉤爪のダメージまで受けているのだ。呼吸して酸素を補給しようにも、氷の鷹の冷気によって肺を凍らされる恐れもある。
故に、この場でカエルムだけでも斃し切りたかったのである。
――しかし。
飛んできた鮮血の如き赤き斬撃をその身に受けた事で。その判断が間違いであったことを、大鯨は悟った。
「待たせたな、無事でよかった。」
「だいぶ、しんどいけれども、ね……!」
苦笑交じりの霊菜ではあるが、√能力【血漆錬成・赫《ブラッディアルケミアレッド》】で手数重視の斬撃を飛ばし続けるシリウスが戦線に復帰したのなら、このまま押し切る事の出来る目途も立つというものだ。
超音波に耐え続けながら、氷鷹とシリウスの怒涛の攻撃、そして霊菜の援護射撃が加えられ。
『つばさのいさな』の無敵を維持するための酸素が、遂に尽きた。
「……せめて、何かを食べて帰りたかったのですが……私のお腹に入ったのは、車と布と、街路樹の葉っぱばかり。
……食べ放題だと思っていたのですが、本当に残念です……。」
何も食べる事が出来なかった無念さを語りながら、大鯨の輝きが見る見るうちに消えてゆく。
酸欠で、既に意識も朦朧としているのだ。無敵のデメリットは、気絶。意識を失ってしまえば、満身創痍であった鯨の肉片が、この戦場で目覚める事は二度とないであろう。
「少し、手こずったけど……これでお終いね!カエルム!」
カエルムの鋭爪が、既にヒビの入っていた大鯨の頭蓋をめきり、めきり、遂には砕き。
大電流を通した霊菜のレールガン式魔銃、その名も『雷霆』から放たれた氷弾が螺旋を描きながら、下顎から脳天を貫き。
「とんだ迷惑な食欲だな……お帰りいただこうか。」
シリウスの葬送の言葉と共に放たれた、渾身の赫の斬撃が鯨の頭を通り抜けると。
――ずるり。ずるり。
頭がずれて、地に墜ちるより前に。
幼竜に融合された古妖『つばさのいさな』は、秋葉原の空より消滅した。
歩行者天国には、今も多くの民間人が助けを求めていると共に、その命を狙う簒奪者たちが徘徊している。
巨躯の鯨を斃した事で、全体の勝利に貢献する貴重な一勝を得たが。
その余韻に浸る間もなく、√能力者たちは次なる戦場を目指すのであった。
