⑩うまれたところにもどっておいで
●おかえりってわらわせて
うたたねをしていられるのは、もうおしまいらしい。
目覚めた仔産みの女神、ひとつ伸びをして、己が触手のベッドの中に沈み込む。クヴァリフは退屈をしていた。退屈をしていたが、それを「している」理由があった。
どこもかしこも触手まみれ、粘液まみれ、どこか潮臭いその中で、改めて言おう、女神は『退屈』をしていた。
眠気に耐える必要はない……ただゆったり……甘いゆめを見ればよい。
新たなる仔よ、我が仔よ、産まれよ。生誕を祝おう。
そのためには待たねばならぬ。待たねば産むことはかなわぬ。我が肚から|出《いず》るもの。
ここはクヴァリフの肚の中。
ああ、迎え入れよう。
安心せよ。汝の幸福も傷も愛も。
総て妾が迎え入れよう。
ようこそ。
●ごきげんよう。
「『ごきげんよう』、皆様。大変ご機嫌の良くないお知らせを」
一礼するはデッドライト・シリル・クールベ(窓・h08786)。薄らと笑みを浮かべているようで、実のところ無表情。|彼女《彼》は一呼吸置いて、静かに語り始める。
「東京科学大学湯島キャンパスが触手で覆い尽くされました。大学構内は青く蠢く触手まみれ。何のものか、お察しでしょう?」
女神、クヴァリフ。
「肚の中を進み、クヴァリフの撃破を。触手が邪魔をしてきますが、所詮は触手です。たとえば、こうすれば……」
そう言って、|彼女《彼》は斧を振りかぶり。静かに下ろして、己の片腕をさする。
「どこかで民間人が死ぬ度に、『クヴァリフの仔』が産まれます。二十八。ただでさえ数が多いあれらが更に溢れます。ただ自分には、あの仔らを、彼女がどうしようというのかは分からないというところが現状ですが。……此度殖やすのなら、何かに使うつもりなのは……見え透いています」
故に、先手を。
「殺し尽くしてきてください。あの中に入って。胎内回帰――自分たちは、あれらの肚からは産まれてはいませんが、ね」
船霊が導く先は海水の中ではない。羊水の、中だ。
第1章 ボス戦 『仔産みの女神『クヴァリフ』』
「うひょー!触手だらけって、誰がやったかめっちゃわかりやすいよね!」
まったくもってその通りである。通路にみっちり蠢く触手を見てもテンションの下がることない雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)、慣れかそれとも初めからか……。
「クヴァリフは今まで何度か戦ってきてるけど、こんなこともできるんだねぇ。」
女神って言われるだけのことはあるのかなー。……普段、簒奪者として星詠みに『予知』された時点で、彼女の敗北は決まっているようなものだが。本来ならば並大抵の人間では手のつけようがない『女神様』である。|この程度《通路の変化》、造作もないのだろう。
「でもでも、何をしていたって、今回も倒すだけだよ!」
構えた杖と桃色の炎。たこ焼き| 《?》の時間だ! 燃えるようなことはなくとも、嫌がって道を開けた隙に体を捩じ込み、濃くなるクヴァリフの気配の元へと向かっていく――!
青い肢体を見つけることには、そう時間は掛からなかった。ゆったり起き上がってみせるその姿――を、じっくり見ることなく、らぴかは象の氷像が頂点についた杖を床へと振り下ろした!
「桃象謎打ぁ……エレファントブロー!!」
撃ってから言ってる!!
「喧しいっ! 静かにするがいい、ここは妾の褥――!」
起き上がるクヴァリフ、その狂気の視線にてらぴかを捉えようとするも……ピンクのゾウが踊っている。鼻をラッパにして吹き鳴らす! 己の眼球、その視線がいくらか酩酊している……!?
「くぅっ……小癪な!!」
くらくらクヴァリフ、唐突なご挨拶に不機嫌そうだ。杖で思い切り殴りかかられつつ、後退しながら自らの触手で身を守る。酩酊した視界の中では、抱擁も、触手の痛打も当たらない!
「酔っ払ってるねー! 何見てるんだろ?」
うん、ピンクのゾウだよ。
「ほっほっほ。これはこれは、大変な状況ですなぁ」
触手は、|√能力者《EDEN》を歓迎するかのように蠢き続けている。まみれているが、隙間も余裕もある。人を通さぬばかりにみちみちになっている通路は少ないようで――。角隈・礼文(『教授』・h00226)、なるほどと顎を揉んだ。
「ええ、作戦指示了解いたしました。しかと、胎を破ってみせましょう」
どうぞおかえりくださいませ! お邪魔いたします!
召喚するは|夜鬼《ナイトゴーント》である。礼文をやや雑に掴み上げた異形、ぬらぬらと、しかし滑らぬ皮膚により彼を取り落とすことはない。ひとまずは空からだ。
……構内には索敵を兼ね飛ぶ彼ら。胎の中はどうやら少し居心地が悪いらしい。触手が襲ってくることはなくとも――内部からギャァ、と声が聞こえた。
「見つけましたね」
――クヴァリフはやはり中だ。急ぎ、触手の少ない道と、夜鬼が切り開いたであろう胎内を進み、礼文はクヴァリフの元へと急ぐ。
「ちっ……羽虫どもの主人はお前か!」
苛立っている。潰れた夜鬼を触手でめった撃ちにしながら、礼文を見るなり吠えるクヴァリフ。かと思えばすぐに目を閉じ瞑想に入ろうとした――そこを、炎のインビジブルが炙る!
「……ッ! 邪魔をするな!」
「邪魔をするのが仕事なもので……」
でないと余計なことをするでしょう? 襲いかかってくる炎に対し触手で自らを包み詠唱を終えるクヴァリフ――それが産まれたのは、クヴァリフ『本体』からだった。ああ、ひとまず、おたんじょうびおめでとう!
粘液と触手にまみれた仔が礼文へと迫る。夜鬼の爪が突進の勢いを殺し、仔へ群れとして襲いかかっていく!
「手荒ですなぁ」
「汝らも同等ぞ!」
――仔を往なす事を夜鬼の群れに任せながら、礼文は隙が生まれればまたクヴァリフを炎で炙り追撃する。ご機嫌斜めな女神様、さて、煤をかぶってお怒りだ。
「ふにゅ……こう、ですか」
こう。『エルデ』がひゅんと空を切る。
こう。『アリル』もびゅんと空を切る。
「んぅ……あんな感じでいいですかね?」
大正解。ぎちりと肉の溢れる構内へ進入した神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)、両手に持つ大鎌が派手に振るわれる!
太い触手が切り裂かれ、青い血液がぼたぼた落ちる。降り掛かっても気にはしない。――その血肉を使い産まれた、か弱くも大量の配下たちが七十の後に続いていく。
触手だらけの胎の中。自分の腹はどうだろう。無限にお腹が空くこの「空間」、いったいどのような姿やら。七十は今更ながら、自らの肉体について考えてみたが、当然結論は出なかった。いいや、出る前に辿り着いたから。
「汝ら、どこまで妾の邪魔を……」
苛立つクヴァリフの視線の先の七十、その世には触手の血肉から生み出された隷属者なる配下たち――。
「では……お腹から食い尽くさせて貰いますよ♪」
けだもののように。
たった10秒、されど、詠唱を終えたクヴァリフが仔を放つ。七十へと向かうそれを隷属者たちが受け止め盾となるが、些か、か弱いか……!
ともあれ処理すべきはうまれた仔ではなくクヴァリフだ。大鎌の刃を振るい、その触手を切り裂き、クヴァリフ本体へと迫る七十。傷つきながらも触手と己の腕で反撃を加えてくる女神、ああお怒りのご様子だ。
「……んぅ」
隷属者の気配が薄らいだ。仔の相手をしていた彼ら、流石に実力差があったか、すべて『潰されて』しまったようだ。強き仔が七十に向かって突撃し、抱擁するかのように鋭い爪を振るう――! 切り裂かれた腕を庇いながらクヴァリフと仔から距離を取る七十。
「これは、妾の仔ぞ。強くなければならぬ」
その視線は冷たく、鋭い。
忙しい時に更に面倒臭いことを。頭を抱えている暇もない! ああ、だがこの女神は元から面倒臭い事を好んでいたかもしれない。彼女、クヴァリフの仔の事件でも、人々の混乱を誘って動いているのかと思うことすらある。
とりあえずではあるが数を減らし、フォローをすることを優先に動こう。斯波・紫遠(くゆる・h03007)は長期戦に備えて作戦を考える。
無茶しない、囲まれない、怪我あんまりしない。あんまり。
「おっと……まだ多いね!」
先駆者たちが切り捨てたことで道はある程度開けているが、それでも数は相当だ。さすがは胎の中といったところか。
狗神よ、少々手を貸してもらおう――なあに、苦しむ自分を見て嗤うがいい。
――迫る触手を切り捨て傷を焼いてやり、苦しむようにのたうつそれを横目に走り抜ける。追ってくる触手には|ハッキング補助機《ayame》を爆発させてやって怯ませ、道を開けて頂こう! 意識は十分にこちらに向いているらしい。
「……汝ら、妾のことを食材かと思っていないか?」
何度も焼かれる触手に懲り懲りか、辿り着いた先のクヴァリフは眉をひそめている。
「効率的って言ってもらえると助かるね」
――|アリスさん《Iris》、頼んだ。迫る壁からの触手、詠唱をし胎から産む仔とクヴァリフ、すべての視界を遮って彼女らの初手を挫く!
援護射撃とレーザーが当たる音で、産まれた仔が来る方向は分かっている――見切った腕を透かしてやって、即座にカウンターを打ち込んだ!
まだ混乱している触手たちは己ら自身で絡み合ってしまっている。
「これが化物に化物ぶつけるって奴か」
待ちたまえ。
「それは破滅エンドのフラグだぞ?」
女神はわりとサブカルもお好き。だが安心するといい。ここは現実だ。合体して妙なものにはならぬ。
「(うわ……)」
漏れそうになった声を抑えたクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)。
通路も、部屋も、ありとあらゆる場所が触手で埋め尽くされた構内――女神が『準備』をする時間はそう無かったはずだというのに、内部は青ざめた蛸足のような触手で溢れていた。
「肚の中って本当はもっと安心できる場所じゃないのかな……」
この中で安心している女神がいるのだから、その点はもはやどうしようもない。
もし「これらの触手を全部排除しろ」という任務であったら、それこそ、へとへとになっていたことだろう。
――歩くよりはまだ『まとも』に動けそうだ。飛び上がるその背に現れる陽光の翼。目指すは最長距離にいるインビジブル!
その飛行を邪魔しようと蠢いてくる触手を魔力兵装で切り裂き、先に見える触手を先にレーザーで焼き払っておく。クヴァリフの居所はだいたい割れている――肚の中心に居座っているのだろうから。
「随分と速い到着だな」
故に、クヴァリフは笑っていた。生み出した仔をその場で喰らうようにして、そして両腕を広げ。高速で接近してきたクラウス、その槍を真正面から受け止めた。飛ぶ鳥を掴むことは難しい。空を切った腕、それでもまだ余裕そうに笑っている。
……一度目指したインビジブルのもとに辿り着いてしまえば、地に降りるしかない。だが地上戦であろうと戦法は変わらない。
触手を、自らに纏わりつく鎖を振り回すクヴァリフの攻撃を避けながら、隙を狙って攻撃を叩き込む。さながら大鯨を相手取った捕鯨のようだ。嗤う女神、鋭い一撃がクラウスの頬を掠め――その触手を、クラウスの一撃が両断した!
「お前に迎え入れてもらう必要性は感じないな」
青い血しぶきを浴びながら、女神を睨むクラウス。
俺が『もどる』のは、親友の傍だけだ。
成程。仔を産み出す為の場所と捉えれば、此処は差し詰め産道か。凍雲・灰那(Embers・h00159)、顎を揉み胎動する構内を見て呟く。
「胎内回帰とは業の深い」
オレが言えた話じゃァないか。――さて、何の業なのやら……。
のんびり触手と戯れている訳にはいかない。さっさと進みクヴァリフの昼寝を邪魔してやらねばならない。目前へ現れた触手を無銘で切り捨て、廊下であっただろう構内を灰那は走り抜ける。奥へ向かうにつれて密度の増す触手――成程、女神様、こりゃあわかりやすくて何よりだ。
そうしている間に迫る触手が灰那の脚を捉える、が。それは伽藍胴。|パージ《自切》した下半身が異形と化し触手を蹂躙するかのごとく暴れ始めた――夜楽堂の子供達が泣くぞ!!
「ごーきーげーんーようッッ!!」
ご挨拶は大切である。勢いのまま、反応を許さぬまま突撃してきた姿に驚くクヴァリフ。見えるは上半身のみ、下半身は焔――!
「汝、何者だ?」
さすがのクヴァリフも驚きだ。切り付けられた上半身に触手――ぬるりと産んだ仔と融合し、灰那の背を狙う触手を放ちつつ、次の攻撃に備えるも――速い。
燃え、落ちる背中、炎を纏う異形と化したそれに女神と触手の意識が向いた瞬間、その首を狙い放たれた斬撃! なんとか触手で受け止めるも、深く食い込んだ刃が抜けることはない。
だが何ひとつ心配することはない。刃はいくらでもある。引っ提げていた刀を引き抜き、両断――!
「ッ……とんでもない女だな!」
胎の中と化した床に、両断された触手と食い込んだままの刀が突き刺さるように落ちていく。
「お褒め頂き恐悦至極、とでも言ってやろうか? とんでもねぇのはお互い様だろうが」
とはいえ、灰那は女神の一歩上を行っている気がしないでもないが。
「前から思ってたが、随分と男好きのする神サマだな」
冗談混じりだ。とはいえその生殖、どうやら無性生殖であるようだが。ともあれ肢体を釣り餌にしていることには変わりない。禍神・空悟(万象炎壊の非天・h01729)は軽く肩をすくめてみせた。
「それはそれとして身重の女が体をあんまり冷やすべきじゃねぇと思うぜ、俺は」
こんな寒い秋空の中、とんでもねぇところに胎なんか作るものじゃあない。だから――。
「しっかりと温めてやらねぇとな、燃え尽きるように」
触手がびちびち跳ねている。元気で何より、邪魔くさい。空悟の黒炎が道行く先の触手諸共焼却していく――!
「――随分と焦げ臭い。汝ら、そこまで焔が好きなのか?」
けほ。小さく、わざとらしく咳き込んで見せたクヴァリフ――その視線が、無数の目玉と共に空悟をじっとりと見て、どろり産まれた冒涜的な異形を持つ『仔』と融合する――!
「わざわざ|呼んで《引き寄せて》くれるなんてありがたいこった」
ぐ、と引き寄せられる感覚――だが、それに抗うことはしない。勢いよくクヴァリフの懐へと『迎え入れられた』直後、『仔』との同化により変化し本来よりも鋭いものとなった触手が空悟へと突き刺さる! しかしそれを燃える手刀で切り落とし、そのまま勢いよく女神の鳩尾へと拳を打ち込んだ!
「ッ、が……っ!」
咳き込むクヴァリフの腹を蹴り、一時距離を取る空悟。肩へと刺さった触手を引き抜きそれを齧る彼を見て、女神は目を見開いている。
「何度だって蘇ってくれて良いぜ。その度に討ち殺し、焼き尽くし、喰らい尽くしてやる」
睨みつけてくるクヴァリフ、まだ言葉を発せるほどの呼吸は戻っていないか――だが、その唇が引き攣るように笑みを浮かべた
「お互い退屈する暇なんざねぇくらい激しくやろうぜ」
「……ああ……良いだろう。何度でも、何度でも、殺し尽くしてやろう――!!」
寝惚けた神サマの母親気分を終わらせて、親離れといこう。
六十秒。それは長いか、短いか。此度においては「短い」と言うべきだろう。先駆者が切り開いた道を走れば、一分、余裕である。
覚悟とは、己の限界をどこまでも引き上げる手段の一つだ。ふうと深く息を吐いた不動院・覚悟(ただそこにある星・h01540)、触手の山を見ても、その意識が揺らぐことはない。胎の中とはいえ、それを構成しているのはクヴァリフの触手だ。
「行きましょう」
あれに、好き勝手にさせてはならない。今回ばかりは尚更。あの女神が何を考えているのか、ろくでもないことは予想できているが――。『一般人の犠牲が出る事』を前提とした、|√能力者《EDEN》の実力を舐めたような作戦、態度、すべて粉々にしてやるべきだ。
進入は速やかに。一般人は既に逃げたか――それとも、呑まれたあとか。考えている暇もない。備品諸共、抱擁された胎の中、迫る触手を回避する。
道中切り捨てられた触手や焼かれたものも目に入る。それでも残る、あるいは生えてきた『それら』が覚悟の脚を挫こうと迫る中、丁寧かつ的確な回避でそれを避け――直感する。触手の密度が増えてきた。
胎の中心は……女神クヴァリフはこの先に座している――チャージし始めた生存本能と怒り。ジャストで発動できるように調整されたそれを、『女神』は察することなどできないだろう。
「坊や。せっかちだな」
身を起こしたばかりのクヴァリフへと迫る拳――! ぱしりと受け止めてみたクヴァリフ。流石は女神というべきか。しかしその直後――さらに重い蹴りが女神の頭部へと撃ち込まれた! 慌てた様子もなく仔を産み落とそうとして、そうして『トリック』に気がついたか。
「……く、はは! 小僧、よくもまあ、考えたものよな?」
仔を産む事、空間の捻じ曲げ、蘇生――諸共、拳ひとつで|台無し《・・・》にされたことに勘づいた。『絶対的な強者である』、その自覚がある女神の一手が往なされた。だがそれでも余裕の表情を崩さぬクヴァリフ。策がある、というよりは覚悟の手番は「これで終わり」だとでも思っているかのようなツラだ。
――無数の眼球が覚悟を見る。
「余裕そうですが、あなたが好き勝手に出来る時間はもう終わっています」
眼鏡の奥から覗く覚悟の眼差しにほぅ、と目を細める女神。『阿頼耶識』は知っている。このようなものに、何を叩き込んでやれば良いかを。迫る触手の群れを避け、足場にし、再度迫った覚悟。真っ直ぐに振り下ろされる大剣諸共、彼を抱擁しようとしたクヴァリフだったが――。
「――ぐ、う!?」
その威力を、見誤った。
……修羅の一撃。強化された腕力と大剣の自重により、切り開かれた肌から腑が露出する――! 続け様に繰り出される攻撃から身を守ろうとした触手、容易く切り落とされる。半ば自切にも似た動作で距離を取ろうとするが、覚悟はそれを許さない。傷を焼く炎による追撃――後退は、間に合わない!
二度目の直撃だ。のたうつ触手が悪あがきのように覚悟へと迫るが、彼はそれすらも切り捨ててみせる。飛び散るのは青い粘液と血液。頬についたそれを軽く拭い、覚悟はさらに女神に迫る!
「貴様、何重に策を……!」
己の攻撃がひとつも届かないことに愕然としている女神クヴァリフ。封殺、ああ封殺だ。多重かつ、密に仕込まれた作戦、事前に察知していなければどうにもならぬほどの――。
さて、この問いに答える必要など、ひとつもありはしない。が。ひとつ言えることがあるとするのなら。
「言ったでしょう。勝手にはさせない、と」
物覚えの悪い女神様に、更なる斬撃だ。見るも無惨に引き裂かれた胎内と触手、そしてクヴァリフ。息も絶え絶えに、女神は恨めしげな視線を向ける。
本来、死する者より生まれる者の方が多くあるべきだ。
神々の問答でも聞く話。私は日に何人殺す。ならば私は日にそれ以上を産もう。神は人の生死と繁栄をそのように見た。そうでなければ滅んでしまう。
だが生まれるのが怪異とあっては、看過できない。
――『生かすために殺す』。澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)は考える。
「(その理念は当人も同じだが、根本がここまで食い違うとはな)」
仔産みの女神、どこまでも冒涜的だ。クヴァリフの仔を産むために、胎を用意し、ひとびとが死ぬのを今か今かと待っている……。
「どんな命も突き詰めれば他の命を糧に生まれる。それを否定はせんが」
かの女神にとって、その命こそ、塵芥のように感じていようが。
「糧になる者たちにも抗う権利はある。ゆえに抗わせてもらうぞ、母なる者よ」
母を名乗るのならば、その責任、確と背負うがいい。これから糧とするもの、糧としたもの、すべての命を背負う覚悟がないというのなら、仔産みの称号など棄ててしまえ。
――胎内はどうも小ざっぱりとしてきた様子だ。邪魔な触手は軽く避けながら、遼馬は胎の中枢へと向かう――そうして邂逅する女神。
うたたねはもうやめたらしい。片脚を立てて頬杖を付き、侵入者たる遼馬に不愉快そうな視線を向ける。
「汝ら、何匹やってくるのだ」
貴様も何匹産もうというのだ。口には出さずとも。数多産まれては回収されてきたクヴァリフの仔、そして――此度の。
始まる瞑想に合わせ発動されるは、弾丸の雨――!
「ッ……喧しい……」
|霊震《・・》を応用したそれ、クヴァリフのみならず、触手や胎そのものをもずたずたに引き裂くように撃ち抜いていく! 加えて、本体に向けられる遼馬の二丁拳銃、その銃口。弾丸を弾くために己が触手を動かすクヴァリフ。余裕の欠片もないまま産み落とされた仔にも、産湯代わりに弾丸が降る!
「生まれてくるのなら何度でも、だ」
雨が止んだ――ここぞとばかりに飛びかかってこようとした子に降り注ぐ弾丸――!
「小癪な! 貴様、妾の胎を何だと思っているのだ!」
本来ならば、暖かいゆりかごだったのかもしれないが、相手が悪ければ場所も悪い。このような所に陣取り、自らの領域と、胎の中だと主張し、空間を作り上げようと――遼馬にとって、我々『人間』にとって、それは存在を許すべき場所ではなかった。
「当人が命を運ぼう」
胎内に生じた時点で、いつかは終わりが訪れるという運命は決まっている。
ゆりかごから墓場まで。
うまれたところにもどる暇すら与えない。うまれたここで、死に絶えよ。
翔け抜ける。文字通りそうしよう。
「我が翅は、その為に在るのだから」
この世には外見のみを視、飛べぬと決めつける輩も居るが。和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)、それは|姓《・》が示す通り。
彼が背負う翅は飾りではない。広げた翅覇域による飛翔は、見定めたインビジブルへ――|光へ向かう《走光性》が如く。
積み重なったクヴァリフへの攻撃により、目星のついている女神の懐。その最短であり、最長距離。飛翔の軌跡は領域を生む。触手の群れを腐食の毒を持つ殻の刃が切り裂いた。苦しみもがくも再生は叶わない。
察する胎動、蠢動――女神が近い。
「何ぞ、蟲一匹が入り込んでおったか。ここは汝の籠ではないぞ?」
嗤う女神、自身が『翅覇域』の中に入っているとは思ってもいない様子だ。籠の中におさめられているのは、クヴァリフの方である。仔を産むために始まる瞑想――身体に響く、胎の蠢き、胎動。どこを狙うか。腹ではない。クヴァリフの体は、もはや機能を果たせるかといったほどに、深傷を負っているのだから。
仔産みの女神、その真価を阻害するために繰り出されるは、胸部への一撃であった。――肋骨の合間を貫き。女神の心臓に深く突き刺さる、殻突刃。蹴り抜かれた体が無様に転がる。
「か……はっ! ハッ、ぁ」
まだ息があるか。己の触手で崩折れそうになった体を支えるも、もう永くはないだろう。
最後の悪あがきか、クヴァリフ本体と胎内の触手が暴れ回る。容赦なくそれらを切り裂きながら、蜚廉は女神へ告げる。
「我が飛翔は、空を蝕む脈動」
蟲の一撃と軽んじた事、後悔して逝くがいい。
「その軌跡で、歪んだ命すら食んでみせよう」
貴様が喰もうとしたすべて、ここで阻んでやろう。
ぼたり、天井から触手が剥げ落ちた。息絶えたクヴァリフを背に、蜚廉は胎内を後にする。
――ああここは、生命が誕生するのには、相応しくない場所だ。
