⑩胎蔵界曼荼羅
●ダアトの園へ
知性――学びの庭――人間精神の園へと、贈り物をしてくれたのは|女神《●●》であった。仔産みの女神と称された|存在《それ》は未曾有の――無尽蔵の――触手を巡らせ、ひとつの結界を、巣を……肚を作り出した。
「嗚呼……久方振りだ。妾が、此処まで念入りに『肚』を外に出すのは。勿論、汝らのことだ。たとえ、妾が本気を出したとしても、立ち向かう他に手段を知らないのだろう。なんとも愛い奴らだ。良い、赦す。妾の肚を攻略した暁には……上等な仔として、祝福を与えよう」
仔産みの女神『クヴァリフ』は傲慢だ。傲慢だが、されど、それが赦されるほどの『強さ』を有している。おそらく、女神が『その気』になれば人間精神の類など塵芥として、子種として、その役割とやらを変えざるをえない。
「ほう……簒奪者ども、汝らも、妾の為に働いてくれているのだ。欲しがりな連中にも少しは『肚』を分けてやらんとな。嗚呼、汝ら。汝らも望んでいるのだろう。|新物質《ニューパワー》を……歓喜せよ。妾の力で『死』を反転させてやる」
この場にいる√能力者、君達はひとつ、悟らなければならない。
これは『戦争』だ。
戦争なのだから、人が死ぬのは、当たり前ではないだろうか。
つまり、クヴァリフの仔が、既に、鼠のように産まれていた。
●クヴァリフ器官
「君達ぃ。残念なお報せだ。我々では、被害を0にする事など出来ない」
星詠みの言の葉は、暗明・一五六の台詞は、尤もだ。
戦争なのだ。戦争で、人が死なないなどありえない。
「君達には東京科学大学湯島キャンパスで女神の相手をしてもらう。しかし、今回の女神は文字通り『仔産み』にご執心らしくてねぇ。この場所そのものが女神の『肚』になっているのだよ。君達はその中に突入するってわけさ。覚悟してくれよ?」
「ああ、そうそう。それで、さっきの話なんだけど。民間人がひとり殺されると『仔』が28程度産まれるそうだ。最悪なのが、これが『他の戦場』も含まれるってところだねぇ。だから、君達は『この戦争に巻き込まれて死んだ人間』の数を知る事になる」
「……√能力者でない者は死ぬ事を赦されている。それを覆すかのような所業さ。まあ、せいぜい、目を回さないように、正気を確り維持するんだねぇ。アッハッハ!」
第1章 ボス戦 『仔産みの女神『クヴァリフ』』
本質的にはオマエ、金剛界ではなかろうか。
奇妙、奇天烈、摩訶不思議――数多の言の葉を並べたとして、視よ、この混沌は紐解けない。元々の種が何であれ、元々の脳髄が何であれ、エメラルドのような暗い双眸にとっては、嗚呼、あまねく餌食なのだろう。……きみの“肚”、ちょっと分けて。不思議の国ではない。此処は不思議の肚の中――鏡面を滑るようにして出現した|少女《アリス》は嗤ってみせた。胎蔵界が脈を打つたび、胎蔵界が仔をこぼすたび、未曾有の触手どもが少女へと押し寄せる。この『雨』の最中、少女は――アリス・グラブズは――『ワタシ』は、体表の膜を破り……粘液の|尾《●》を露出させた。これが産まれたての跳躍だ。すりぬけ、少女と偽りの母、すれ違いに何を孕む。ほら、ワタシの仔も、抱いてあげて? 頬が裂けていた。眼球が転がるかのように。そうして、脈動していた、共棲噴出子。咽喉の奥から孵化してみせたのは、果たして、ひどく餓えた魔性であろうか。
おぎゃあ、なんて可愛らしい沙汰ではない。噴出された侵蝕粘液は女神の影へとまどろみ、外れてしまった雫は、ぼこぼこと、胎蔵界の中心で芽を出した。……汝、妾に寄生するつもりか。良かろう。妾は『他の生物』にも寛容なのだ。それに、今日の妾は機嫌が良い。汝が望むのであれば――怪奇の誼で、招いてやろうではないか。妾は、汝に、騙されてやる。
女神様が鳩なのであれば、オマエ、EDENの側こそが呼子鳥であれ。最初に生じた雛が、ぎゅうぎゅうと、女神の子供を押し出していく。ぶよぶよ、ぶよぶよ、蠢きつつも、胎の内側で喰い尽くす。慈愛を籠めた視線とやらで『女神』はそれを眺めていたが……。それは怠慢の一言に尽きる。
再び、滑り台だ。まるで、抉じ開けられた子宮。出口を弄る頭部のように、粘性とやらが触手を除けて――さあ、雛たちに、ご飯をちょうだい……っ。もちろん、それだけじゃ、物足りないわ。外来種の所業を叩き付けよ。おぎゃあ、改めての一撃。
汝……なかなかに、愛い奴よ。
えへへ……そう言ってくれると、ちょっと嬉しいかもね。
これは『魔術師』の『もの』だ。
流れているものは石なのか、或いは、身を投じた者の意思なのか。何方にしても異質を極めた『もの』であり、成程、女神にとってはひどく厄介なお客様に違いない。立ち去れ、などと宣った結果が、この、まったく不要な『信仰』なのだとしたら『魔術師』も辟易とするのだろうか。切り落とした角のカタチについては、最早、言及する気にもなれない。なに、致し方のないことです。多少の犠牲は許容範囲、むしろ、何もかもを守れてしまったら、それは『ひと』ではないのでしょう……我々にできることは……その悪夢を、その災厄を、どこまで『削減』できるか。角隈・礼文の二足はひどく軽かった。仮に、必要なものが地球の裏側、地球の外に存在していたとしても、門を潜る事に躊躇は無い。……優先順位の選定、それが、我々に残された『価値』の決め方。つまるところ、Ankerの保護と防衛、生活範囲を守り抜くことが肝要です。随分と冷静ではないか。存外と、人間精神をしているのではないか。ユゴスの黴を削り取って、煎じて、嚥下をするかのような、そんな静謐さではないか。……野放しにするつもりはありません。秋葉原だけではなく、東京全域、日本各地、挙句の果てには地球そのもの……そうなると、勤め先の大学だけではなく、フィールドワークまで台無しにされてしまいます。ですので、ここで、封じ込めさせていただきましょう。成程、他人からしてみればオマエの言動、正気の沙汰では無いのかもしれない。しかし、実際は、凄まじいほどにマトモなのだ。……私のことを、正気ではないと、思うのであれば『それ』も結構。まさか、帰り方を考えないなんてこと、私にはできませんので。
暴力的なまでの好奇心、脳髄で波打ち、のたうち、回っている。神秘、未知、そのふたつに双眸が向けられてしまえば、愈々、人命は、想いとやらは抜けていく。まあ、尊重する仕草くらいは、しておきましょう。他の方に反感を抱かれやすくなりますので……。取り繕う暇が『ある』のだろうか。ぎょろりと、此方側を覗き込んでくる無数の|深淵《めだま》。……まるで、蜘蛛の糸ですね。わざわざ、呪われるようなことをするつもりはないのですが。簒奪者よりも簒奪者らしいEDENよ、書斎を飛び出し、窓の外を理解してやると宜しい。ふむ……厄介な……触手も、仔らも、どちらも元気いっぱいで何よりです。いっそ窮極の門を潜ってやる方が、非ユークリッド幾何学とやらを突破する方が、幾らか現実的なフウにも思えた。なので……不運と踊ってもらいましょう! ハッハァ!!! 肚の中、強烈なまでに響いた高笑い。これには女神様も目を回したようで、耳を塞ぐ。
中々に広々としていますなぁ! これなら、我輩の|幽霊《ゴースト》も学びの道を拓けるものです。キャンパスライフを楽しんでいるところ申し訳ないが、目と鼻の先、数体の『仔』が犇めき合っている。ふぅむ? 建物の中に居座ってるなら厄介ですが、屋外で、こうもポンポンと出産に勤しんでいるなら好都合! 我輩、実は踊り食いも嫌いではないのです。それはもう、酢醤油でも、塩コショウでも、いける口でしてなぁ! いや、正直なところ幾つか『肚』を分けてもらって、研究したいところですが、それは『トラブル』の種でしょうし……ええ、今回は派手にやってやりましょう。人間精神は健在だ。健在なのであれば、嗚々、この、超自然に対しての激突は――女神に似ている彼の沈黙に近しい。それにしても、随分と軟体で、湿気ていますが、我輩の魔術師としての『腕』の見せどころ……。高温で焼けば……魔力で焼けば、再生の手間もかかるでしょう。業……! シンプル・イズ・ベスト。されど、この魔道な具合は『やはり』と謂うべきか。放たれた炎の矢が降り注ぎ、未曾有、胎蔵界を阿鼻叫喚へと変えていく。……汝……妾の肚の中で、ひどく、暴れてくれたではないか。女神様との邂逅だ。それは失礼しました、仔産みの女神。我輩、如何にも『火が憑きやすい』もので……。汝、戯れるのは構わないが、そのうち『|悪意《イォマグヌット》』が咲いても、妾は知らないからな。問答無用のつもりだったが、しかし、勿体ないのではなかろうか。
……汝、妾の『肚』が欲しいのだろう?
如何だ。妾の前で『魔術師』を続けると謂うのは。
瞑想だ。瞑想をしなければならない。現実と幻夢を繋げるかの如くに、脳内に道を造るかのように――大いなるものへの祈りとやらを――お招きいたしましょう! 偉大なる炎の神に懇願します。この、目の前の神威を焼き払う火を御貸しください。ほう……カラカル……汝が『出てくる』とは。如何やら、その『魔術師』は……実に、堅実な輩らしい。しかし、その程度の『格』で、妾を倒せるとでも思っているのか……?
妾を滅ぼしたいのであれば、それこそ、容赦なくやるといい!
写本ではあるのだが『エイボン』のそれ、神への供給としては『できている』か。よろしくお願いいたします。相手が『驕っている』のならば、そこに、叩きつけてみせましょう。|幽霊《ゴースト》の咆哮と共に轢殺し続け、あとは女神に炎を放つだけ。いいや、いっそ拳を揮ってやるのは如何か。この精悍さを視よ、炎が肚をぶち貫いた。
妾の肚を貫くとは……良いだろう。
命令だ、持ち帰れ。それが、妾からの祝福だ。
第六感に引っ掛かった。女神はおそらく上機嫌で、途轍もなく傲慢をしていると。今ならば、殺せなくとも、痛恨を与える事は出来そうだ。
跳躍をするならば現、鬼道も『道』だと均せばよい。
蒼炎――未曾有の|触手《あみ》を薙ぎ払うべくして放たれた渾身は、成程、確りと|仔産みの女神《クヴァリフ》の虚を衝いてみせた。不動院・覚悟の双眸が閉じる事などなく、文字通り、覚悟の『意』とやらを心身に染み込ませたのだ。たとえば、仮に、覚悟の脳髄が震えようとも、絶望の淵へと投げ出されようとも、希望の二文字を忘れたりはしないか。これがあなたの……女神の『威』の中ですか。確かに、僕のような、小さな命だけでは打ち砕く事は出来ないのかもしれません。しかし、それでも、僕は諦められるほど賢くはないのです。業、業、灼熱地獄を謳いつつ、再生止まない園を往くと良い。最短距離を穿たんとするサマはまさしく学徒。狂わず歩を進め、まっすぐに見定める男こそ『狂気』が似合うのではなかろうか。……ほう? 妾の触手を、妾の仔らを、其処らの烏合とするとは、なかなかに『良い』候補ではないか。切り拓いても、切り拓いても、未だ母は遠く。ならば……避けるのではなく、受け流すのみ。要塞すらも切断せんとする刃の舞踏、目前に迫っているのは死か、生か――見えました。群れを成しても無駄です。元凶であるあなたを討ち、この悪夢を終わらせます。悪夢? 悪夢だと? 嗚呼、人間精神には『これ』が悪夢に見えるのか。
終焉を鳴らせ――相手が|胎蔵界曼荼羅《せかい》であろうとも、この威力は折り紙付きだ。汝、妾の肚を穿つつもりか? それとも、汝の目的は妾の頭の中身か? 放たれた弾丸が女神の眼球、ひとつひとつを貫いていく。筆舌に尽くし難い臭気と粘性の渦中、オマエは勝機を見出せた。いよいよ、肉薄したのだ。本来であれば人間側……EDEN側が圧倒的に不利な距離。されど、嗚呼、阿頼耶識は――羅刹は――この間合いにこそ、活かされる。ええ、僕は『この瞬間』を待っていたのです。勿論、待っていたのではなく、掴みに来たのですが……。ぐい、と、右掌を伸ばしてやった。そうして触れた女神の柔肌、これで√能力は殺される。素晴らしい。妾は、汝のような人間を好いているのだ。さあ、教えてくれ。汝の『精神』というものを! 神々しくも嗤っている。つられた星が煌々としている。
お望みであれば、幾らでも……それにしても、ひどく悪趣味です。無防備になった女神の肉体、その、尤も急所となりうつ箇所へ修羅を演ぜよ。鎧があろうと、なかろうと、砕いて、無視して、鬼の如くに叩いてやれ。僕は……僕は、あなたみたいな『冒涜者』にこそ、この一撃が相応しいと思います。これが『怒り』です。人間の怒りです……! 僕の目的はあなたの心臓、今なら、わかると筈ですが。
蒼炎、心臓を握る。握って、潰して、只、葬る。
クハハ……ッ……汝、いつか、妾の仔として……迎えに行く。
それまで……せいぜい、息をしているといい……。
これでも『殺せはしない』だろう。
だが、此処までやったのだ。
クヴァリフは消耗を避けられない。
彼等、彼女等が本来、向かうべき先は彼方に|否《あらず》、彼岸、歓迎されるべきであった。されど女神は冒涜を『善し』としており、その胎とやらで彼等彼女等に「いきよ」と囁いた。これが如何様な煉獄を意味するのか。これが如何様な園を意味するのか。そんな狂気とやらを思考している暇はない。……マジかよ……。日南・カナタは軽度のめまいを覚えたが、それでも、喰らいつくようにして立位を保った。もう、仔が産まれてるってことは……くそっ……! 何も、自分を責める必要はない。誰かの所為にするなんて以ての外だ。間に合わなかったのか……! これが『戦争』だからって……それで、納得なんかできるかよ! 悪夢だと宣うのであれば、幻想だと謳うのであれば、それなら、俺が狂っているだけで、良い。しかし、こうまでして現実を叩き付けられたら咀嚼をせざるを得ない。でも……そうだ。ここで、落ち込んで、嘆いて、頭を抱えていても意味がない……動け……動け、俺! 震えている足を、やかましい脳髄を、きちんと、まっすぐにしてやる。これ以上の犠牲を出さないためにも……皆を、信じて戦うためにも……! 触手の森だろうが、バケモンの肚の中だろうが駆け抜けろ!!! 見えた。今度こそ、ふらついている己はない。
見ている。見つめている。無数の眼球が、触手の隙間から、此方を覗き込んでくる。目と目が合った刹那、強烈なおそれに苛まれたが――まさか、この程度で怯んでなどいられない。こんな肚の中、慣れちまえばただのアトラクションだ! ジェットコースターとお化け屋敷がいっぺんにやってきたところで、もう、怖くなんかないんだよ! 上下左右、最早、何処が地面で何処が天蓋なのかも解せぬ有り様。されど、嗚呼、失調など、とうの昔に克服している。飛んで、跳ねて、オマエの存在そのものを『女神』に見せつけてやると良い。いい加減、その、高慢な態度はやめたらどうだ、仔産みの女神「クヴァリフ」……!
振り回したハンマー、その彼方、改めてのご挨拶だ。
汝……其処まで、患っておるとは……さては、妾の肚がひどく気に入っているらしい。折角だ。妾も少し、汝に褒美をやろう。ほれ、今が攻撃する好機だ……。
あんた……俺のことも、莫迦にしているのか? 何度も、何度も、顔を合わせたが……そろそろ、見納めといきたいところなんだ。俺のお願い聞いてくれよな……!
女神の脳天を砕いてやれ。まさしく、この槌撃こそ、進攻だ。
汝、何かを待っているようにも見えるのだが、妾の勘違いか?
……脳天を叩いたんだ、あんたのそれは、朦朧だよ。
『X-∞発動』
人体――その神秘に比べれば、この程度の迷路など単純明快をカタチにしている。成程、神威、その|名《●》の通りに振る舞えば――たとえ、相手が本物であれ、構わないのだろう。生体洞窟ならお手の物だよ! √能力の元ネタ的にね! 残念ながら、女神様は『それ』については理解が出来ていないご様子だ。ハテナと首を傾げつつも新たに『仔』を孕もうとしている。そうはさせないよ! まあ、その前に、この趣味の悪い投網を抜け出さないといけないんだけどね。小さくなろうと、大きくなろうと、機体の速度は変わらない。ふふん、このくらい。私の機動力を活かせば朝飯前だよ。どかん、どかん、雷撃による牽制だ。いいや、牽制と謂うよりも、最早、殲滅である。え……何で回るかって? 素晴らしいほどに、美しいほどにバレルロールが決まっていく。もしも、仮に、パイロットが存在していたならば、今頃は大惨事になっている事だろう。私のコレ、自分から見て下方向にしか撃てないからね。こうやって、回転すればどの方向でも飛ばせるって事さ。触手の壁をぶち破って本体とのご対面。仔産みの女神の表情は、クヴァリフのお顔は、さて、最初から蒼白かった。
焼き尽くした最果てで『神』を知る。尤も、この場合は両者に当て嵌まるのだが。……汝、妾を蜻蛉か何かと違えてはいないか? そんなにも、右往左往としてくれては、その……あれだ。眼球が追いつかない……。ん? あ、ごめんよ。そんなつもりはなかったんだよね。でも、ほら、これでひっくり返ってくれたら、わたしもちょっとは楽できるし。
明らかに『マシン』の動きではない。脳味噌が動かしているとは到底、思えない。これが最適化されたパイロットの妙技なのであれば、確かに、√ウォーゾーンの彼等、彼女等はおそれを知らないと謂えよう。汝……汝は、もしや、其処までしてでも……倒したい相手がいるのか? 或いは……! 捕まえてごらんよ、女神ちゃん! 真横に曲がって、そのままジグザグ、挙句の果てには180度の急回頭だ。……わ、妾の触手でも捕縛できないだと……これが……これが、人類の所業だと宣うか……!
普通に避けられたし、もう、十分だよ。
展開をしてみせた装甲の一部分、視よ、この神威の正体を。
穿て、雷刀――女神の臓腑、今は、要らない。
何処かの誰かが祠を破壊したのか、或いは、何処かの誰かが手記を紐解いたのか。何方にしても現状は最悪の二文字で表現でき、視よ、この胎内は楽園のようだ。なんとまあ、嫌な話だこと。すごい数の触手、その上、結構な数の……お子さんってやつか。つまり、単純明快なまでに『戦争』だということだ。これなら……そうだな。何処かの駅で迷子になっている人々よりも、厄介なのかもしれない。28分の1とはいえ、こんなに犠牲が出てんだな……。俺みたいな怪談は、俺みたいな存在は、平和な世でこそ語られるもんだ。それは、そっちも同じだと、俺は思うけど……兎も角、好き勝手をさせるわけにはいかないな。目には目を、歯には歯を、神秘には神秘を――いや、神意には正体不明を。
数には数で対抗すべきだ。力には力でぶつかり合うべきだ。……こいつらに道を拓かせるか。ばさりと、ぐらりと、召喚された『黒』に対して女神は如何様な反応をするのか。ほう、汝、妾を相手に『空の生き物』を嗾けるのか。いいや、これは……所謂、ネヴァーモアというやつか? なかなか、趣味が良いではないか。やれやれ……女神様も、随分と、俗世に染まっているらしいな。無気味さで勝負するなら、俺たちの方が上だろう。握り締めた仕込み刀の行方。ばさりとされた触手のヴェール。嗚々、公園でばったりと出会うかのような。
きりがねえ……まだ、かくれんぼを続けるつもりか。いよいよ、見切れるほどにはなった。ついでに流し込んでやった呪詛の流れ、これには、触手の先を蜥蜴のようにする他ない。ようやく、届いたな。クヴァリフ、お前の臓腑を見せてくれ。
一斉に集ってみせた鴉ども、クヴァリフの仔は最早、鮮度のよろしい餌にすぎない。汝、妾は構わないが、彼等、彼女等は、この戦の犠牲者だ。まさか、もう一度殺すなんて、痛ましい事を良しとするのか? お前、俺が『その手』に引っ掛かるとでも? 他の√能力者ならまだしも、俺は『怪談』だからな……? クハハ、煽ってみただけよ。
無数の眼球、哀れな哀れな、光り物のように。
女神様本体はすっかり駿河の問答だ。いいや、問答無用だ。
蒼く嗤った番傘モドキ、さくりと割腹手伝ってやれ。
捕食される肢体、ある種の祈りにも似ていた。
タコ型のアトラクションにでも乗せられたのか。ぶおん、ぶおん、振り回されているかのような不快感。四之宮・榴、仮に、オマエがつよつよだったとしても、この戯れにはついて行けない。或いは、ついていく事こそが『モドキ』ですらなくなる術なのかもしれない。……被害者が、出るのは……それは、否定できません、が……。ぼこり、ぼこり、膨れ上がった肚、どろりと落ちてきた、たくさんの仔。目を逸らしてはいけないと、言い聞かせつつ。……これ以上の、被害は出したくない……僕の代わりに、天から、泣いて……? 子供達が泣いている。たっぷりと、母のミルクが飲みたいと泣いている。いいや、違う。これは『鳴いている』のだ。ただの、超自然が顕現した音にすぎない。
クヴァリフの仔、もしくは、女神様からの触手、文字通りの神意とやらを真っ向から否定しなければならない。感覚を研ぎ澄ませて身を逸らし、そのまま、タロットの投擲の構えか。運命の輪からは誰も逃れられない――汝、何をそんなに焦っている。妾と、度し難い遊びの続きがしたかったのか? ……おとなしく、ご自分の世界に、帰ってください……その後でなら、人間らしい遊びを……ちゃんと、教えますので……ですが……。汝、何を狗みたいに、尻尾を追っているのだ。もしかして、妾に見てもらいたいのか? ……莫迦に、しているのでしょうか……無辜の人々を、被害者を、死に至らしめるのは……そんなに、楽しいと……? 汝、何を勘違いしている。妾は『妾の仔として』再誕を赦しているにすぎない。
な……なんて、ことを……するのです……それこそ、死者への冒涜……いえ、Mr.よりも、話が通じないことくらいは……僕も……。
雨のように、滝のように、滅多打ちをしてくれた。怪物どもの滂沱とやらが女神の血肉を削いでいく。加えて遅延性の眩暈――この腐食こそ――切り札に等しい。それで? 汝よ。妾を歓迎してくれるのは当たり前として、愉快に踊ってはくれないのか。そのような、ウネウネとした動きでは、クラクラして敵わん。
……増えないように……僕は、僕の、できることを……。
良い、好きにせよ。所謂、聖餅というやつだ。
視線の先、丹田、内側からの崩壊を狙った。
波打っているのか、シェイクしたのか、何方にしても致命に近しい。
べちゃ、と、肩のあたりに、名状し難いぬくもりが落ちてきた。プレジデント・クロノスはソレを拭おうかと考えたが、ふと、しない方が良いと本能的に勘づいた。……こほん……私は、エンターテインメント系大企業、PR会社『オリュンポス』のCEO。本日はこの学び舎へ医学と娯楽について関係者と談義を行った。一見、これは対極のように思われるが、まさに、この場所のようにひとつの宇宙、三千世界が交わり……両界曼荼羅の如く……いや、待て。此処は何処だ? 何処であろうと、彼方であろうと、逸般人、その仮面が女神様の興味を惹いている事に間違いはなし。何……? 妾の肚の中で理性を保っている、人間だと。√能力を持たない者が、まさか……魔術師の類か……? もしくは、汎神解剖機関の人員……新物質が目当てか? 新物質……比喩表現か? ようやく女神は理解した。おそらく、目の前の仮面をつけた男は『ただの人間』の状態で、此処まで到達した怪物であると。
つまり、ここは医学と娯楽性を兼ね備えた場所か……君は、差し当たり如来役かね? ならば、そういう事にしておく方が女神としても楽だろうか。ふむ……妾は確かに如来の真似事をしている。しかし、妾は真逆の存在。唯一を謳う彼等であっても、そう、答えるであろう。……だが、いくら医学、娯楽的見地からと言っても、そのようなR指定物の格好とセットはどうかと思われるぞ。む……汝、妾を拒むと謂うのか? 良い、面白そうだ。続けてみよ。CEOは極めて冷静だ。冷静であるが故に、帯を締める。
申し訳ないが、このセットは却下だ。もちろん、その格好も、同じく。掻い潜った触手の先で、ぶん投げた仔らの先で、女神様、その体躯へと一撃を叩き込む。な、汝……これは……妾も……想定していない……! 顔面、ザクロが搾られたのかと。
七孔噴血――鎧も、神威も、台無しか。
曼荼羅の中心で黙すること、示さなければ化身もできない。
輪廻転生――畜生道――そう、描写をしてしまえば、これも一種の慈愛なのかもしれない。修羅や地獄に堕としていないのだから、天に昇らせていないのだから、まさしく、傲慢とも考えられるだろうが。兎にも角にも、目の前の触手と子供たち。隅から隅まで新物質なのであれば……視点を変えれば、好機とも思える。回収した仔は新物質として汎神解剖機関に届けるのが適当でしょうか。ええ、まったく、痛ましい事です。ディラン・ヴァルフリートの双眸は、果たして、感情とやらを湛えているのか。もしくは、大罪の幾つかを育成しているのか。まあ……これも、戦争です。彼等のように、英雄らしく、振る舞ってみるのも悪くはないでしょう。たとえば、子供たち、新物質に必要不可欠なのは無力化の一手だ。成程、質を前提に攻撃するのであれば――急速冷凍が適切なのかもしれない。
触れた。只、触れた、それと同時にクヴァリフの仔が一斉に|改竄《●●》させられた。ひとつ、ひとつ、個性的だったカタチは、不定形は凍結させられ、業と叫ぶ嵐に攫われる。汝……妾の仔を掻っ攫うと謂うのか? それにしては随分と優しい抱き方ではないか。母性にでも目覚めたのかもしれんな。仔産みの女神の軽口がお届けされた。しかし、味方を巻き込まないように、文字通りの冷たさを湛えていたドラゴンプロトコル。欠片として動揺などしない。侵掠行為に対して神は寛容さを見失った。
良かろう。汝が欲するのであれば、妾から仕掛けてやろうではないか。無数の眼球と共に触手が放たれ、視よ、弾丸の雨が如くに降り注いだ。……今の僕に、それは、あまり効果がありません、が……。嘲笑うかのような白き闇の帳。受け流し、無意味にし、此方からの抱擁を可能とした。……大漁ですね。件の機関の方々には棚から牡丹餅の類かもしれません。ねむれ、ねむれ、疲弊しきった母親よ。
最果ての静寂――刹那、肚の中へと這入り込んだ氷の刃。
天啓など、嗚呼、最早ない。
インキュバスも裸足で逃げ出す有り様だ。仮に、この世界が無様だと思うのであれば、最早、女神に勝ち目はない。いいや、そもそも、仔産みの女神は最初から『勝敗』になど拘っていないのだ。何せ、女神は『神』なのだから、只、懇願された儘に振る舞うのみ。んー……犠牲者出ちゃいましたかー……まぁ、しょうがないですねー……。ぐるりと、少年少女の妄想が触手迷宮の真ん中でボンヤリしている。ボンヤリしているようでいて、もしかしたら、お腹を空かせているのかもしれない。……戦争ですもんねー……誰も傷つかない戦争とかー……あれば、中々に、ノーベル賞ものの気もしますけれどー……難しいですよねー……。不可能とやらを可能に昇華する、そのような、神への祈りも存在するのかもしれない。しかし、一切合切は『かもしれない』だ。似たような言の葉を反芻して、酸っぱくなる。人間がどうのとか、怪異がどうのとか、人が好いのかとか、人外が良いのかとか。そういった話は、お戯れは、今は置いておきましょう。僕は……。触手迷宮の真ん中で『イマジナリー・フレンド』の真似事か。或いは、ピーカブー、顔を隠して、驚かせようと。
俺は……俺こそが、ブギーマン。悪い子を喰らい、悪い子を攫う者。悪い子を減らす事が俺の存在意義であり、悪を減らす為に、悪であり続けるのは、俺以外にありえない。最早、少年のような、少女のような、オマエはない。紫なのか玉石なのか、解せない儘に暗い双眸。この魔性とやらは、たとえ、神意であろうと拭えはしない。今の状況はどうだ。悪い子を意図的に増やそうとしている、産んでいる。そんな奴がいる。これはブギーマン的に、俺の存在からして、赦されるか? 結論――赦されない。赦されないし、神はいない。
ほう……汝、その姿、ブギーマンと宣うには、些か、妾に近いのではないか? 女神様からの同族認定だ。ならば、同族嫌悪の証として、隆々とした体躯を見せつけてやると宜しい。あんた、どうかしてるのか? 俺の姿を見て、俺の正体を見て、気でも違ったんじゃないのか。妾の正気を心配するとは、汝、汝こそ、違っているのかもしれん。構わない。違っているのであれば、狂っているのであれば、それは、脳味噌がふたつ有る故だ。
ふたつの頭部に右腕、左腕、それぞれ死に神の真似っこだ。
バロン・サムディの陽気さは皆無でも、さて、すきっ腹は永続である。
誰かの記憶を覚醒の種として、怪力乱神、強襲する。数本の触手を引き千切り、そのまま、適当な『仔』を殴り潰す。切り裂いた先で見つけた本体の肚、綿を狙っての突撃だ。口がふたつ。ならば、この顎の威力だって二倍と謂えよう。忘れたってんなら思い出してから眠りな。悪い子には、ブギーマンが来るぞ。
ブギーマンだと? 汝は、ウェイトリーではないか。
同胞の断末魔が――凄惨なまでのフェロモンが――刹那、思考とやらに流れ込んできた。郷愁めいた感覚と、未曾有に達した誇り高さが、もうもうと、和紋・蜚廉の心身に宿った。既に救えぬ命があるのなら、残る命を救う事に専念する。たとえ、その命が、我が身を嫌悪しようとも。触手の海は……神の試練は、我の群れを以て乗り越えよう。赫々とした蹴撃、鋭い一撃が切り裂いたのは『虚』そのものであった。おお、視よ。まさしく蝗害の亜種。古代よりおそれられてきた蟲の爆発力だ。四十一もの蛇蝎がキャンパスライフを蹂躙する。
成熟した『仔』であれ、産まれたての『仔』であれ、潜響骨、蠢動であれば聞き分けられる。歪んだ胎より生じた、怪異の気配。これも、翳嗅盤が嗅ぎ付けてくれる。つまり、数多の分身も含めて、オマエは『察知している』のだ。それ以上、不快な臭いを……傲慢さを、外来的な侵略を、されては適わんな……。結局のところ、戦争は数なのだ。圧倒的なまでの数で跳梁し、蹂躙し、捕食する。全ての因果を、元凶へ返すために――何もかもを仕留めて、一切を、輪廻へと返すために。そうして、見えてきたのは触手の渦。我の触覚を、触手程度で、止められるとでも……? この武装を、この刃を、揮うといい。べたりと、塗りたくられた腐食。女神は最早、再生できない。これ以上の犠牲は出させない。我は、生存する為に、それを宣告しにきたのだ。……たどり着いた。汝が、女神か。
素晴らしい生物だ、汝、妾の触手を此処まで台無しにしてくれるとは! 褒美は何が良い? 永遠か? まさか。汝の場合は、それの真逆を、取り戻す事であろう? 命を見過ごしてしまったという不運と、間に合わなかったという悔恨。その、連鎖の狭間でオマエは憤懣を覚えた。これを抱いたのは、汝の所為だな。汝は、我の、我らの生命を冒涜した。言葉は不要――既に膨れ上がったその醜い胎が、十分に意を示している。良い、赦す。妾は、汝の無礼のすべてを赦してやろう。……我は、赦される気も、赦す気もないのだが。
この不運、我が宿業に乗せて返させてもらおう。
女神の体躯は常時のサイズを逸脱していた。未知なる生命体として、未曾有の存在として、大渦を孕むかの如くにオマエを引き寄せた。ならば結構……その予兆も、既に勘づいている。未知? 未曾有? それが如何した。汝は自ら、我に『生命』だと教えているのではないか。其処に合わせて叩き込め――我が幸運は、汝を殴る為の遺骸として。
どれだけの命を食んだのか。どれだけの魂を冒したのか。
それを感じ取る事も、我が不幸……歪な連鎖とはいえ、最大限活用させてもらおうか。汝は……そう。我らと同じ生命体として、理解すべきだった。
妾を同じものと扱うか。面白い……次は、卵生も試してみよう。
因果は此処に実り、只、拉げる。
胎蔵界曼荼羅――その中心――ひとつの地獄が咲いてみせた。心霊テロリストをメインのジョブとするならば、成程、このような、建築物に立てこもるのも悪くはないのかもしれない。しかし、嗚呼、爆弾など、時計など、チクタクと遊ばせている暇はなく。いよいよ、この場には鵺のようなバケツしか置かれていなかった。何を――――――何を当たり前のことを。鏖殺を戴いているのだ、皆殺しで構えているのだ、態々、教えてもらう所以などない。――――――戦争でなくとも人は死ぬ。寿命で、事故で、病気で、災害で、人は死ぬ。人が人を殺すこともある。人の命は、生命は、いつだって当然のように吹き消えていく。橋本・凌充郎の双眸は……真っ暗な双眸は、触手の群れと女神の子供の大はしゃぎを観察していた。観察し、凝視し、それでも尚、言の葉を紡いでいく。――――――√汎神解剖機関。どこまでも澱みと腐りに満ちたあの世界では、その『死』がもっと近い。友と謂うべき有り様だ。安らかなる死なら御の字。怪異、災厄。人はそれら奈落の陥穽によって、深淵へと、狂気へと引き摺り込まれていく。じっと、見上げていた。狼が、地獄より見上げていた。ぐい、と、握り締められた殺意は、今か今かと解放の時を待ち望んでいる。――――――故に。戦争ならば、さらにヒトが死ぬのは、当然のことなのだ。構えよ、それ以外に術はない。剥き出しにせよ、それ以外に術を知らない。――――――祈りはすまい。謝りもすまい。その為の腕ではなく、護る為の腕ではない。ならば、どのような腕か。決まっている。初めから、決められている。――――――だが、怪異は、災厄は。俺が、殺してやろう。
女神が見ている。獣の数字の所業とやらを見届けようとしている。
汝、妾を何度も、何度も、殺し尽くそうとしてくる、汝。
妾は、汝のような人間を、憑かれている者を、数多と見てきた。
汝は――何処まで、妾を殺せると謂うのだ。
――――――貴様が、完全に、絶えるまで。
迫りくる無数の眼球――最早、慣れ親しんだ観察――に根絶する為の鉛玉をくれてやれ。くれてやると同時におぞましい抱擁、女神本体への策も練りに練ってきた。膨大なまでの殺気と獣性を極めた怪力、その、重さを得物として『獲物』を弾いて飛ばす。やはり、汝の重量は……切れ味も含めて、良質なものよ。如何だ、汝、此度こそは、褒美を受け取っては……。――――――くたばれ、死に損なう事は許さん。たとえ、貴様が何で在ろうとも。言の葉の代わりに煉獄、その炎を右腕、爪とやらに融合せよ。置き去りにしてきた限界に追いつかれないように――鏖殺の化身は肚を貫いた。
汝……如何やら、此度の遊びは終わりのようだ。
――――――付き合え。何、地獄は此処だ。
肉が焼けている。ひどい悪臭だ。
ずるり、引きずり出された女神の胎、最後は、脳髄までも。
胎蔵界曼荼羅は閉幕した。
子供たちは、さて、泣き止んだのか。
