シナリオ

⑧こいし

#√汎神解剖機関 #秋葉原荒覇吐戦 #秋葉原荒覇吐戦⑧ #Anker参加大歓迎 #やりたいことをやってください

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 #√汎神解剖機関
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⚔️王劍戦争:秋葉原荒覇吐戦

これは1章構成の戦争シナリオです。シナリオ毎の「プレイングボーナス」を満たすと、判定が有利になります!
現在の戦況はこちらのページをチェック!
(毎日16時更新)

●ただ、やさしいゆめを
 人の心というのは、水面のようなものだと思います。
 少し指先で触れただけで波紋が生まれ、瞬く間に広がって、不穏なナニカを掻き立てる。けれど波紋が収まってしまえば、何事もなかったかのように。
 風が吹けば、その強さに応じて水面はさざめき、波を立てます。穏やかな風であれば、水面も凪いだままに。誰かが怒りなどの激情を吹き荒らせば、その波は人を呑むほど凶悪になり得ます。
 私たちは……「ヒト」と呼称されるモノは皆、そこに投じられる小石のようなものだと、感じています。私も小石に過ぎません。合衆国の掌に取られて、好き好きに投じられるだけの石ころです。
 ただ、私の起こす波は津波となり得るだけで。

●モノローグを紡いでも
 独白をしたところで、何も変わらない。
 それくらいで変わるのなら、√汎神解剖機関の合衆国で、封印指定人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は災厄などと呼ばれず、封印なぞされないのだ。
 変えたいとも、思っていない。
 つかつかと自分を先導する黒衣の男の背中を見つめる。この人を頼れるのは……他の誰でもない、連邦怪異収容局のエージェント『リンドー・スミス』の背を公然と見つめていられるのは、自分が災厄だからに外ならない。
 リンゼイ・ガーランドの能力【ヴァージン・スーサイズ】が彼には効かないから。
 リンドーはそれを理由のない自身の特異体質と思っているようだが、本当は違う。違うということをリンゼイは秘匿している。
 何と言ったらいい? この心を。告げてもいいものだろうか。告げる資格が自分にあるだろうか。恋心と称してしまうには、面映ゆい。
 そんな「ただの人間」みたいな感情を露にするには、私は、あまりにも。

 ギャア。
 カラスが鳴いた。汚い断末魔であった。
 自分で電信柱に身体を打ち付けて、落っこちた。ちっぽけで無意味な死だ。動物にも『これ』は効くのか。効いてしまうのか。
 囁かないで、|自殺衝動《スーサイド》。
 ……そんなリンゼイの呻き声も、リンドーには聞こえないのだろう。
 たいへん、都合がよろしい。

 たいへん、旗色が悪い。
 リンゼイ・ガーランドという災厄があまりにも恐ろしい能力を持つ故に、心ある√能力者たちは、青い衝動の塊たちは、リンゼイの無力化のために奔走した。
 この戦場はほどなく制圧されるだろう。そうして起こるのはまた乱戦と思われるが、のべつまくなしの自殺衝動の乱舞よりは大分ましと言える。
 本国に戻れば、再度封印される。そんなことは解放された瞬間から把握していることだ。だから、それが嫌なわけではない。
 ただ、封印されたら、今度あなたに会えるのは、いつになるのでしょうね、先輩。
 口にできないその思いが、しんしんと。
 そんな凍えがちらちら、空から顔を覗かせた。触れてしまえば即座に消える儚さで、雪が、降ってきた。

●悴む
 教会で、子どもが微笑んでいた。
 その星詠みはヴェル・パヴォーネと名乗った。
「秋葉原荒覇吐戦の戦況は良好と聞いています。みなさんのおかげです。ありがとうございます」
 ヴェルは丁寧にお辞儀をした。
「今回ボクが案内するのは、リンゼイ・ガーランドさんの戦場です。もう、行かれた人もたくさんいるかと思われますが、説明をしておきますね。
 人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は√汎神解剖機関、連邦怪異収容局で封印されていた人です。かの国の大統領命令により解放され、今回の戦争に便乗して混乱をもたらすべく、投入されました。
 彼女の能力【|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》】は人の中にある自殺衝動を増幅させるものです。その能力はリンゼイさん自身も制御できないもののようですね。制御できないから、彼女はせめて、安らかなる死を与えようとしています」
 EDENや簒奪者含む√能力者をもその強烈な自殺衝動で死に追いやる力。それは当然一般人にも及ぶ。
「これまでは一般人の救出も踏まえた作戦も多々あったかと思います。が、今回はリンゼイさんを倒すことにのみ、集中してください。これまでのみなさんの行動のおかげで、影響範囲に一般人はいません。
 それになぜか、雪が降り始めています」
 冬ですね、と子どもは当たり前のように微笑んだ……が、少し、おかしい。
「肌に触れれば溶けますし、積もることはありません。ですが、雪が降るような寒さの中、わざわざ飛び込んでくる人はいないでしょう。動物さえ、塒に戻ります。
 そんな中に、あの人は一人でいるんです」
 どうして、一人なのでしょうね、とヴェルは呟く。口の端から零れた吐息は、苦笑だろうか。
「たぶん、リンドーさんを待っているんだと思います。はぐれてしまったのか、自分から離れたのかは知りませんが。
 戦おうとすれば戦うし、話し合おうとすれば話してくれるかもしれません。でも、何をするにせよ、リンゼイさんの放つ自殺衝動の能力をどうにかしなくてはいけません」
 リンドー・スミスに、リンゼイの能力は及ばない。それでも、離れてしまったのはなぜなのか、
「理由があるのなら、ボクは知りたいです。ですが、それをみなさんには強制できません。
 ですから、みなさんはいつも通り、やりたいことを、やりたいようにしてください。ボクじゃ得られないものをみなさんは得られると思うので、お願いします。
 死んでしまわないように、ボクはここから祈っています。お気をつけて」

●マッチ売りはいないけれど
 雨より優しく、雪が降る。
 花のように、ふわふわと、忘れ得ぬ少女の上に、雪は灌がれる。
「何の影響を受けてしまったのか、わかりませんが……」
 リンゼイ・ガーランドの能力は少しだけ変容していた。本質は自殺衝動を与えるものに変わりはない。が、あなたに夢を見せる。
 【|希死念慮《タナトス》】は死神。死はいつもあなたのそばにある。あなたが思う「理想の死」を幻影として魅せ、あなたを立ち止まらせるだろう。そうして、自由な時間を稼ぐのだ。
 【怪異「|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》】はマッチを擦る。寒い寒い冬空の下で、あなたの心の灯火の幻影を見せる。あなたが命を、死を託す相手——Ankerがあなたを殺してくれる夢を魅せる。大丈夫、実際に殺すのは私なのであなたはまた生きられます。
 【|自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》】を知ろうとするのなら、彼女はきっと、あなたにおすすめを教えてくれる。あなたの望む死に方を踏まえてもくれるだろう。

「あなたたちは、死に何を望みますか」
 少女を引き連れた死神はそう微笑む。
「私はこんな私を見てほしくなくて、先輩の背中から少しずつ距離を置きました。
 ……寒いですね」
 あたたかそうなコートを着ていても、この寒さはあの人の身に染みそうだ。
 先輩はあくまで、人間なのだから。

マスターより

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第1章 ボス戦 『人間災厄『リンゼイ・ガーランド』』


見下・七三子

●たましい
 悪は滅びねばならない。
 敵は倒されなければならない。殺さなければならない。
 巨悪に仕え、使い捨てられる下っ端戦闘員など、踏み潰されて、にじり殺されて、地面のシミとなる蟻のような矮小さしか持たない。
 生きる意思があろうと、どれほど身の程を弁えようと、人はその死に何も感じない。少し他の生き物より頑丈で、生命力があるために、ただ踏まれるだけでは済まないのだ、蟻は。蟻を踏みつけた子どもは、ぐりぐりとコンクリートにめり込ませるように足を擦り付けて、蟻を潰す。そうして殺す。徹底的に、跡形も残らないやり方だ。だから残酷とされる。
 子どもゆえの残虐性、などと人は宣うけれども、その残虐性は大人になったからといって、失われるのだろうか。
 失われていたのなら、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)という使い捨ての下っ端戦闘員など存在し得なかった。正義が正義であるために、悪を倒し続けなければならない。そう定義された世界で、ただ倒される悪。それが七三子の過去であり、さだめであった。
 価値? 尊厳? そんなものが倒されるべき悪にあるものか。ただ一般人より少し強いだけの改造人間ふぜいが。
 そう嗤うように、七三子の脳内に囁きかける|自殺衝動《スーサイド》。
 少女霊の声は、だれかの懐かしい声色に似て。
「……やっちゃいました。脱走したハヤタさんを探していたら、一番迷い込んではいけないところに入っちゃいましたね。まだ遠いから、大丈夫だと油断していました……」
 ハヤタさん、大丈夫でしょうか、と七三子は呟く。雪やこんこと降る中で、喜んでどこまでも駆け回る黒柴。……心配はない気もするけれど。
 探す黒い塊の姿はなく、けれどリンゼイ・ガーランドが黒い影のようにすうっと七三子の前に現れた。
 どこかでだれかがリンゼイの瞳を「奈落の底のようだ」と評したわけだが、さて、七三子の赤い瞳にはどう映ったか。
「不思議な方。……怖い能力をお持ちなのに、なんだか心が凪ぐような不思議な気持ち。雪のせいでしょうか」
 狼の前に立たされた赤ずきんのようなものなのに、七三子はそんなことを言った。狼は怖くとも、森に咲く花が綺麗であることに変わりはないから。
 マッチ売りがいないのなら、主役は誰でもかまわないだろう。
「即死とはなりませんが、冬に登山をするのも、立派な自殺行為と言えます。装備を整えていなければ死ぬのはもちろん、冬であれば整えていてなお、死ぬケースはあります。雪崩に巻き込まれて、埋まって、生還できたとしたら、それは類稀なる幸運の持ち主でしょう」
 朗々と義務的な百億のうちの一欠片。奈落色が夕焼けの瞳を返す。
 こてり、傾げた。
「あなたは、幸せそうですね」
「そうですね。私ほど幸せな人はそういないと思います」
 即答だった。強制的な希死念慮に苛まれながらも七三子がそう言い切ってしまえるのは、本当にその幸せが大切で、揺るぎないものだから。信じているから。
 少なくとも、一人で死ぬ気などないから。
「私、理想の死なんて、ないんです。生きるも使いつぶされるも、命令通りに生きてきたので。今は、どちらかというと死にたくないんですよ」
 だって、幸せをもっと噛みしめていたいし、私に幸せを与えてくれる人たちにはまだまだ、もっともっと、私が与えられた以上の幸せを受け取ってほしいんです。
 死んでなんていられません。
 ——その脳裏では、幸せな今、死んでしまえば、ずっと幸せなままだと囁く。
 幸せは、好きでしょう、と。
「でも、私、あなたに好かれるのは無理かなーって思うんです」
「なぜ」
「酔いつぶれたリンドーさんのお顔に落書きするのに加担したことあるんで、うん、あなたに好きになってもらえる理由がないんですよねえ」
 リンゼイは目を見開いた。
 先輩の背中を思い出す。背中くらいしか見てこなかった。私は災厄で、先輩はその管理する側。だから、仕事をしている以外の姿を見たことがない。
 しっかりして見えるのに、酔い潰れたりするんだ。顔に落書きされても、気づかなかったりするんだ……あの、先輩が。
「……羨ましい」
「ごめんなさい。でもせめて、一矢……」
 途端、召喚される七三子の分身のような戦闘員の数々。
 どうしてこんなにたくさんいるのかわかりますか。私たちは使い捨てだからです。だれか、えらい人が、もしくは昔の人が言いました。戦いは数だとか、数撃ちゃ当たるとか。雑兵こそたくさんいるのは、そういう理由なんですよ。
 仮面の戦闘員。もうどれが七三子かわからないうちの一体が突貫する。受け流され、一撃で呆気なく仕留められたとしても、七三子含めて四十三人。誰か一人の何かは届く。
「っづ……!!」
 リンゼイの片耳のピアスしか取れなくとも。
 僅かなり消耗させてから死ぬ。死ぬなら戦いの糧に。それが戦闘員の使命であった。
 誰に省みられなくとも。

セシリア・ナインボール
アリエル・スチュアート

●緯糸
 記録、記憶、歴史。
 それらは一枚の布のようなものである。経糸は時間、緯糸は人々により紡がれる。規則的なようでいて、糸の一つ一つが唯一無二の反物は個々人の傷をくるんだりはしない。けれどどうしようもなく大切で、愛おしい織物である。
 羅紗のそれは著しい。ゆえにそれは羅紗魔術士にとって、誇れるものであった。
 魔術塔が崩壊して以降、セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)と名乗るようになった彼女にとってもまた同じ。けれど、セシリアは羅紗を纏う己の姿に驚いた。
 それは魔術塔の魔術士をやっていた「セシーリア・レイエス」の姿であったから。
 どうして、と考えていると、気配を感じた。とても馴染み深い、よく知る気配。天使化事変と呼ばれるかの戦いで、敬愛する指導者のために共に駆けた後輩。イングリッドだ。
「イングリッド? そんなに怖い顔をしてどうし、……いえ」
 見つめるというにはあまりにも激情を孕んだ眼差し。睨み付けられている。恨みを持たれている。彼女から向けられる嫌悪、憎悪とさえ言える感情に、セシリアは——セシーリアは、心当たりがあった。
 目を伏せる。
「ディアナとアンリエッタのことですね」
「あのとき、先輩がもっと早く気づいていれば、二人だって助かったはず」
「そうですね」
 悔いても悔いきれない。悔いたところで、あの戦いで失われた命が戻ってくることはない。仇と呼べる存在は討たれているのだし、そこでこの悔恨は終わりにすべきだった。けれど、そんな簡単に割り切れるものじゃない。
 割り切れず、イングリッドは苦しんでいる。√能力者は真の意味で死ぬことはない。その事実に現行で苛まれている一人がイングリッドである。死んでしまった者を想い、彼女は自分の死を願うようになってしまった。
 私のせい。私の落ち度だ。
 セシーリアは目を閉じ、呼吸を一つ置く。溜め息ではない。けれどその呼気の中には「やりきれなさ」が多分に含まれていた。
 私は生きなければならない。仲間を救えなかったからこそ、彼女らの無念を負い、生き続けなければならない。そんな呪詛を自ら負った。
 覚悟であった。「先輩」であるのなら、なおのこと。生き続けることを決意して、喪失の痛みを呑み込んで。
 ……本当は。セシーリア個人としても、大切な人をもう一人失っている。たまたま知っただけだった。けれど、あの人がいなくなったことを知って、形見のように同じ名を身につける程度には、本当に大切と思っていたので。
 ……ごめんなさい。
 そう思いながら生きている。
 だからふと、惹かれたのだ。するりと伸びてきたイングリッドの白すぎる手が、あまりにも魅力的に映った。
「そう……終わらせるのなら、あなたの手で。イングリッド、ごめんなさい……おねがい……さあ」
 首に触れる、冷たすぎるそれ。きっと雪の方があたたかい。
 その冷たさが心地よくて、セシーリアはその綺麗な瞳を、ゆっくり閉ざす。
 命を。

「セシリアさん!! 目を覚まして!!」
 甘い理想の死に囚われたセシリアに手を伸ばしたのは、イングリッドではなく、アリエル・スチュアート(片赤翼の若き女公爵・h00868)であった。
 アリエル自身も息が上がっている。
(っ、リンゼイ・ガーランド、厄介な能力だって聞いてたけど、想像以上に厄介だわ。私が魔力暴走で両親を殺めてしまった過去を衝動にしてくるなんて)
 幻影とはわかっている。何せ過去は返らない。死んでしまった、殺してしまった。それらは取り返しがつかないからこそ、どうしようもない衝動として、胸に募り、積もり続ける。
 どうしようもないとわかっていてなお、手を伸ばしてしまう後悔。それを「利用された」……と言いたかったが、リンゼイ・ガーランドは能力を制御できないため、やりたくてやっているわけではないだろう。そこが更に厄介である。
 ランカスター伯爵許すまじを原動力に据え、狂気耐性でもって「死にたい」という衝動を打ち消そうとしていたが、それはアリエル自身にしかできないこと。セシリアにはセシリアの苦しみがあり、それはセシリア自身の思いで乗り越えなければならない。
 その手助けをしたい。
 静かな眼差しで傍観を決め込むリンゼイに迫る。アリエルは右手に魔力を集中させた。にこりともしないリンゼイに【|打ち消す右手の魔法陣《ライトハンド・ディスペルサークル》】を叩き込む。
 ぱしりと触れたリンゼイの肌はいやに冷たい。
 雪が降るのにそんな格好をしているからよ。……などとズレたことを考えた。
「死にたく、ないのですか」
「死にたいような思いなんてしてるわよ。能力が制御できないとしても、それくらいはあなたもわかってるんじゃないの? でなければ幻なんて見せられないわ」
 幻影を見せることすら、無差別的で制御不能なのかもしれないが、リンゼイの顔が無機質には見えなかったのだ。
「……その声は、アリエル?」
「セシリアさん! そうよ、私はアリエルよ、イングリッドじゃないわ!」
 アリエルの声にセシリアは目を開ける。その緑には悲しみが湛えられたままであったが、死を望むほの暗さはいくらか和らいでいた。
「さっきのイングリッドは……夢、ですか」
「ええ。ねえ、セシリアさん、私はイングリッドじゃないけど、セシリアさんも私にとっては放っておけない大切な人の一人なのよ」
 だから、あなたに何かあったら、駆けつけるわ。そのことを覚えていてね。
 セシリアは共に死線を乗り越えた大切な仲間なのだ。失わないよう、取り零さないよう、アリエルは手を伸ばす。
 呪うのなら、何度だって、|打ち消《ディスペル》してみせるから。
 生きて。

ハリエット・ボーグナイン

●地獄で何が悪いのだろう
 ちらりちら。雪が降っている。
 焚き火の歌では霜焼けおててがどーのというが、ハリエット・ボーグナイン(“|悪食《ダーティー》”ハリー・h00649)の手はもはや霜焼けどころの沙汰ではない。
 霜焼けなんてしなくても赤くはあるし。それは体内に血が通っている赤ではないが。
 寒くて凍えて死にそうな日。実際、死にかけた日のことを肌寒さに思い出す。あれはクリスマスだった。あの日は雪じゃなくて雨だったけど。
 あの寒い日から今に至るまで、何度寒い思いをしたか知れないし、何なら「死にかけ」どころか死んだりもして。死ぬときはずいぶんと気が楽だったように思っていたけれど、生き返ってきてみれば、よく帰ってきたと言わんばかりに「事情」とやらがハリエットを待ち構えていた。
「おちおち死んでも居られねえ事情が出来ちまいやがった。殺してやらにゃならねえ奴がいるからよ、それまでおれァ死ねねんだ」
「死ねない。殺してあげなきゃならない義務感や使命感があなたを束縛しているのですか」
「ちげーよ」
 そんなおキレイな言葉で装飾するような人生ではない。これまでも、これからも。
 凍える夜にマッチを擦って暖まろうとするような殊勝さや哀れっぽさはハリエットにはない。そんな心があったとして、その『あたし』は寒い雨の夜に死んじまった。
「死は必然にして罰で、救いでもある」
「それについては同感です。私が与えられるのは——いえ、自分で制御しているわけではないので、与えるなどという表現は烏滸がましいですが。私が放つ死が、あなたにとって救いでありますように」
「余計なお世話だバーカ。おれは救いだけが欲しいんじゃない。世間一般に聴き心地のいい言葉って言われてっからって、それを当然望むだろうってのは、ちょいと早計なんじゃねぇの? おれが欲しいのは……罰と救い、どっちもだ」
「死ねばどちらも手に入るでしょう。同じことです」
「……今欲しいわけじゃねぇんだよ。ここはおれの終わる場所じゃねえ」
 ハリエットの言葉を愉しそうな声が笑う。少女霊たちが、マッチを擦って炎を出すのに失敗しながら、姦しく笑っていた。
 きゃらきゃら、きゃらきゃら。
 可笑しいことを言うのね、あなた。
 終わりに来たわけじゃなくても、リンゼイのことを終わらせようとしているのに。
 どうせこの子もそのうち終わる。ちょっとの時間差、順番違いじゃない。何が違うの?
「ハッ。これだから、押しつけがましいだけの分らず屋はよ」
 違うだろうが。大違いだ。大間違いだ。
 理想の死を魅せるんなら、タイミングだって大事だろうが。死にたいと強く願っているときに与えるからこそ、|お前等《スーサイド》はよく効くンだろうがよ。
「マッチ擦るより、踊ろうぜ。赤い靴にでも履き替えたらどうだ?」
 喪服姿で、不謹慎に。愉しく笑うお嬢サンらにはきっと似合うだろうよ、真っ赤な真っ赤な呪いの靴。
 赤色のダンス・マカブル。
 リンゼイ・ガーランドは見た。見た目に大した変化はないのに、ハリエットのナニカが確実に変貌したのを。肌がびりびりと痛い。
 ならば、私も某かに変貌してやらねばならない。応えて、「|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》」。
『いいよ』
『いいよ。だってリンゼイだもん』
『わたしたち、リンゼイのこと、大好きだからね』
『だって、リンゼイの死っておいしいし』
『だから力を貸してあげる。代わりにぃ~』
『たくさん死んでね♪リンゼイ』
 無垢なる悪意の、赤いこと。
 少女霊たちが融合されていく。歩く災厄となってしまった乙女と一つになっていく。
 ひとりじゃないから、こわくないね!
 そんな囁きをリンゼイの耳元で鳴らして。
 リンゼイは微笑みも嘆きもしない。感情が平坦だった。
 そこに掴みかかるハリエット。
(速い。けど)
 不意討ちなだけなら、手を振り払えばいい。けれど、その手の力は強い。異常なまでの怪力。振りほどくなどリンゼイの細腕でできるはずもなかった。
(何らかのドーピング? √能力?)
 分析するうち、じわじわと何かの侵食を感じる。包丁がずぷりとリンゼイの腹に刺さった。赤いぬくもり。ぎゅうと抱き寄せられて、体温を分け合っているかのようなのに、失われていくのは、リンゼイの体温のみ。
 眼鏡の奥、奈落の色。迸る自殺衝動は、ハリエットの脳髄を撫でるように。厭みったらしく丁寧に、こんにちは|希死念慮《タナトス》、とごあいさつ。
 包丁を握りしめる手が滑った。その刃がハリエットの腕を削ぐ。痛み。それでも、刃はすぐに持ち直され、ぎゅう、と握り直せば、今一度同じ傷口に牙を剥く。
 傷口をえぐる。塩を塗るより効果的だ。何せ求めているのは痛みではなく死なのだ。過程はどうあれ、結果死ねばよい。それが|自殺衝動《スーサイド》なのなら、もっと血を。足元をぼたぼたと濡らして、どんな靴も赤く染め上げてしまえ。
 死は怖くない。こわくないさ。一度死んでる。一度じゃ効かないか? 死んで、死んで、殺されて、殺して、そんなメチャクチャな命を繋ぎ合わせた果てに、ハリエット・ボーグナインなんてのが生まれた。
 メチャクチャだ。グチャグチャだ。だって的確に同じ傷ばかり抉ってくる。それに、侵食。身体が何かに感染したように書き換えられる不快感。死ぬよりも不快、不愉快。
 リンゼイの顔が歪む。死。それから蘇生。それを繰り返す。繰り返してなお、苛まれる。
 ハリエットは包丁での串刺しをやめないし、【|地獄でなぜ悪い《ホワイ・ドント・ユー・プレイ・イン・ヘル》】で保菌者になっていた。簒奪者をゾンビ化させるウイルス。
 Why don't you pray in hell? なぜ地獄で祈らないの? なぜあなたは祈らないの?
 少女は答える。「地獄って何処?」
 彼女はわらった。「此処だよ、バーカ」
 いつからか、生は地獄だった。
 だから死にたいなんて願ったんじゃないか。寒いから、マッチを擦ろうなんて思ったんだろ。そんなんで暖かくなるわけもないって、知っているのに。
 でもさ、結局、明日もおれはこの地獄に立ってると思うんだ。ここで生きてる、きっと。
 祈ることもばからしくなりながら、気合いと根性なんて、脳まで筋肉みたいな理屈で意地を張って。|地獄《ここ》もまァ、何もかもが悪いってわけじゃねぇよな、とか笑って。
「放して。放してください。頭がおかしくなりそう」
「そうかい? でも、寒いんだろ。雪が降ってる。
 寒い日に、誰もいないところにひとりでいるのがどれだけ孤独か、知ってんだ。だから、放っておくかよ」
「余計なお世話です」
「そいつはお互い様だ」
 フッとハリエットが笑う。
 リンゼイを何度殺して、その過程で何度切り裂いたか知れないハリエット自身の腕も、身体も、傷一つない。簡単には死なない。限定的なパンデミックの感染源のさだめだ。使命とさえ言えるほどに、簡単には死ねない。
 目を見張るほどの自己再生能力。自前の根性で精神性を補強された生命力。抱擁を放さない怪力はずっと、リンゼイの骨を軋ませている。
「寒くねえように、ずっとあたしが抱き締めてやる。お前が死ぬまで、ずっと」
「結構で、ぐ、ぁ」
 ばきり、ぼきり。
 加減を知らない抱擁が骨を砕く。二人の足元に零れ続ける流血、リンゼイの吐く血反吐は果たして何度目のものだろう。ハリエットも、リンゼイも、数えてはいない。
 少女霊たちとの融合による蘇生は無限ではない。つまり、殺し続ければいつかは死ぬ。
 あと何回、死ねばいいですか? もう死にたいです。
 細い声に、ハリエットはそっと笑った。
 わかんないけど、抱きしめといてやるよ。

祭囃子・桜

●しょうじきもの
「見てはいけない」
「覗いてはいけない」
「触れてはいけない」
 どうしてか人は「~してはいけない」ということをしたがる。そういう深淵に触れたがる。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。その深淵、「覗いてはいけないモノ」と目が合ってしまったら最後、どうなるかなんて——。
 好奇心に殺されることを望む猫には、些末な問題なのかもしれない。

「投身自殺というと、高い建物から飛び降りることを言いますが」
 おもむろに、リンゼイ・ガーランドは語った。
「車通りの多い場所で起こる人身事故。故意に人の側が飛び込んだ場合、それもまた投身自殺なわけです」
「それが君が俺に選んでくれた話ってわけかい。でも、俺はそういうのより、のろけ話が聞きたいなぁ。せっかくだしさ」
 祭囃子・桜(百妖を宿し者・h01166)の言葉に、リンゼイは真面目くさった顔のまま、瞬きを一つ。すいっと視線を周辺31mあまりに移す。
 空間が書き換えられていた。桜の【怪談総括『見ヅノ怪』】により、注視してはいけないモノの数々が建ち並んでいる。怪しげな怪異、魑魅魍魎、物怪。けれど、リンゼイが目を惹かれたのは、あちこちに佇むカーブミラー。それを見て思った話を口にしただけだった。
 交通事故が多発する交差点に、念入りに設置されたカーブミラー。多すぎてどれを注視するのが正しいのかわからず、却って事故の原因となった云々とか。怪異など絡まなくとも死を誘因することのあるオブジェクトだ。
「見つめちゃっていいのかい?」
「今更、死に誘因されたところで……本当に、今更なので」
 【|自殺のための百億の方法《ミリオンデススターズ》】の抵抗力低下は残念ながら能力者本人にも効く。つまりはリンゼイ本人もずっと、死にたいという衝動に駆られているのだ。そして彼女がその衝動に勝利することはない。生きている限り、己と戦い続けなくてはならない。普通の人間なら、死は一度のみで、それ以降なんてないが、本来の死を迎えることのない√能力者は、何度でも死ねる。永遠に死んで、還ってを繰り返す。
 敗北もなければ勝利もない。虚しさの連続再生。
「それにあなた、塩を撒いているじゃないですか。嫌がらせですか」
「ははは、塩が効くタイプの災厄なの、君」
 敵に嫌がらせをしないわけもなく。
 か弱いインビジブルに限らず、人間災厄さえ近づくのを拒絶する魔除けの塩を振り撒いているのだ。ミネラルは欲しいがそんな霊力攻撃はごめん被りたい。何せリンゼイも一端の人間災厄なのである。「一端」というには封印指定をされていたりするが。
 塩を撒いてどうにかなるのなら、いくらでも塩を撒くし、他のEDENやその辺に残っているかもしれない一般人にだって塩を配り歩く。残念ながら無限に湧き出るわけではないので不可能だが。
 その上で桜は対極霊気でリンゼイの……というか、少女霊たちの力を打ち消している。更に霊的防護で護りを怠らず、ここまでしてようやく、なんでもない風に立っていることが叶うのだ。
 それでもみしりと心の隙間にナニカが入り込んでこようとする。
 あなたも見てしまえばいいじゃないですか。
 ……ひとりで死にたくないのか、リンゼイのそんな声が聞こえた。【怪談総括『見ヅノ怪』】で広げられた景色は見てはいけないモノだらけ。術者である桜は見ても平気かもしれないが……誘う声に応じたら、果たしてどうなることだろう。
 なんだかんだ、リンゼイもチラ見だけで済ませたし、今は真っ直ぐ互いのことしか見ていない。そんな真っ直ぐに見つめられると、いやぁ、照れるね、なんてジョークでも挟めばよいだろうか。
「たわいのない話をしよう。君はその人のどんなところが好きなんだい?」
「さあ……あなたは物怖じしないというか、遠慮がないですね」
「そりゃあね。面と向かっておはなしができる場面なんてそうないから。滅多にない機会を大切にして、存分に楽しむのは当たり前のことじゃないか? ……あぁ、そもそも君にとっては、こうして『外』にいられるのが『滅多にない機会』かな?」
「そうですね。経緯はどうあれ、先輩に会えたのは久方ぶりの幸運ですよ」
 ぐしぐし、リンゼイは己の服にこれでもかと付着した血を拭う。既に他の√能力者との交戦で、数えきれないほど深傷を負った。即時蘇生能力のおかげで、その傷全てが残っているわけではないが、着実に削られている。目に見えないナニカが。具体的な数値ではないナニカが。
「あなたはどうして、衝動に抗うんですか」
「おれは元の肉体に戻るまでは死んでも死にきれないんでね」
 百の妖怪の力を注がれて、性別すら異なる姿に変貌してしまった。変化の術だので元の姿に戻れても、それは違和感しかなく、満たされない。
「この改造人間の元お兄さんに、君の話も聞かせておくれよ」
「そうですね……私は」
 視線を逸らさない桜に、誠実や安心を覚えたのか、他にできることもないのか。
 リンゼイはきょとりとした奈落色でこてりと首を傾げ、一つ、答えた。
「私の、先輩を好きなところ、は……もしかしたら、死なないところ、なのかもしれません」
 √能力者だから? ヴァージン・スーサイズが効かないから? 因果関係、順序の不明瞭な理屈だ。
 精神性のことであるかもしれない。結局、人間でありながらも王権執行者に名を連ねるほど簒奪行為を繰り返すあの男は、体も心も簡単には死んでくれないから、存在し続けるのだ。
 私は誰も彼もを簡単に死なせてしまうから、先輩のそういう屈強さが好きなのかもしれないです。

 大した片思いであった。

架間・透空
シスピ・エス

●こいしい
 希死念慮も何も、彼は元々無機物であった。
 三億円。一言で説明するのが難しい紆余曲折を経て「天使」として覚醒したシスピ・エス(天使の破片・h08080)。人に近い姿を得、無私の心を得たことにより他のあらゆる心を得、一度、命まで失った。
 そんな自分に「ちょっと様子を見て来い」だのと言った主の意図はさっぱりだ。人同士の関係性における酸いや甘いは生まれて一年にも満たない自分が取り扱う代物ではない、と感じながらも、ここまで来た。
 好きな人がいる。自分の力を制御できず、諦念にまみれ、黄昏れている。なんとも√汎神解剖機関。表情の豊かさが欠落したような真面目くさった顔ばかりしているが、情緒は随分と人間らしい。——これらがシスピのリンゼイに対する第一印象であった。
「こんにちは、リンゼイさん」
 折り目正しくお辞儀をし、丁寧に、物腰柔らかく挨拶。リンゼイは少しきょとんとしてから、同じく丁寧に礼を返す。はじめまして、という声は、少し堅い。
 既に浅くない傷を無数に負っているのだ。体にも、おそらく心にも。そもそも自殺衝動を撒き散らす厄災なんて性質、人間の心であればあるほど耐えられない。連邦怪異収容局に収容され、いいように使われる程度には耐性があるのだろうが、滲んだ諦めは誤魔化しが効かないレベルの濃さをしている。
 こんな私を見てほしくなくて、先輩の背中から少しずつ距離を置きました——これはリンゼイの言。先輩とは、リンドー・スミスのことであり、リンゼイのリンドーに対する好意は明白である。
「少しずつその方と距離を置いたと言いますが……それは『見えていないこと』が前提ですよね。見抜かれていたら、どうするんですか?
 あなたの気持ちに『先輩』が気づいていたら」
 好意だけではない。距離を置いているのも、その理由も、全部ひっくるめてあの『先輩』とやらは勘づいている可能性がある。大いにあり得る。
 勘づいた上で気づいていないふりをしているのは優しさのつもりか何か、『先輩』の意図は現在主題ではない。今、着目すべきはリンゼイの行いである。
 リンゼイの行動意図と実際の行動でもたらされる効果が噛み合っているか。噛み合っていなかったところで、シスピにも、シスピをこの場に送り込んだ主にも、正直関係はない。色恋だのなんだのは当人同士でどうにかすべき問題であり、お節介を焼くほど親しくもない。何せ、リンゼイとは初対面だ。
 だが、まぁ、シスピ・エスという存在は、ここに送り込まれるくらいには適切な『いい性格』をしていた。
「隠す意味も無いので、側に居る機会を自ら捨てているだけですよね? 好きな人の隣にいられるせっかくの機会と、権利を、溝に放るような真似。そんなことをする意図が、僕にはわかりません」
「……」
 なかなかハッキリと。
 ハッキリ言わないと伝わらない。それは世の常である。「沈黙は金」という言葉があり、「言い過ぎないことが美徳」といった風潮はあるが。ハッキリとしていることは殊の外重要であり、恋愛感情が絡むのなら尚のこと、意思表示はハッキリしていた方がよい。
 リンゼイが好意を寄せる『先輩』がリンゼイからの言葉を待つ謂れはなく、好意に気づいて応じる謂れもなく、リンゼイが待っていることを察してやる謂れもない。彼らの母国はどちらかというと、察して文化に疎い方では? などという疑問も湧いた。
 故の歯に衣着せぬ言葉。着せてやる必要もないですし、と人畜無害な顔をしながら、シスピは首を傾げる。
 リンゼイはというと……あからさまな表情変化はないが、硬直していた。人間らしい情緒でわかりやすい反応である。好ましい。
 だが、返す言葉もないため、逃げるように退いてしまった。脱兎。シスピは「あ」とだけ声をこぼした。
 卑怯者と謗ったりはしないが、わかりやすく逃げられて、うーん、と首を捻る。
「……よし」

 言葉が出なくなって、代わりに足が逃避に動いた。
 可能性は呆れるほどに考えたし、示唆してきたEDENだって、シスピ以外にもいる。けれど、あそこまで直球に指摘されたのは初めてで、動揺してしまった。
 動揺すると逃げるタイプなんだ、私。
 あまり重要でないことを再確認するリンゼイ。
『あはは、リンゼイ』
 少女霊が囁く。
『どうしたの?』
『どうして逃げるの?』
『リンドーせんぱいを好きなの、とっても素敵だと思うよ?』
『好きな人のそばにいたらいいよ』
『だって死なないから好きなんでしょ?』
『わたしたちは、死なないから嫌いだけど!』
『いつか死んじゃったら、きっともっとリンゼイがおいしくなるよねぇ!!』
『だからそのときを待ってあげる』
「やめ、やめてください」
 声が震えた。胸元を押さえる。
 リンゼイと少女霊は別個の存在だ。別個のはずだ。リンゼイはリンドーに生きていてほしいと願っている。だから自分の好意がリンドーを救っている事実が得難くてうれしいのだ。死なんて望まない。
 けれど、永遠なんて存在しない。この性質が変容しない保証などない。ヴァージン・スーサイズに充てられない条件が変容する可能性は存在する。つまり、リンゼイの存在がリンドーを殺すようになる可能性も、また。
 それが怖いのだ。少女霊はきゃらきゃらと笑う。
 怖がるリンゼイを見て、楽しがっているのだ。
『リンゼイは素敵な女の子だよ!』
『わたしたちが保証するよ』
『だからもっと素敵になろう?』
『恋する女の子は素敵だよ?』
『ほら、ちょうどいい感じの子が、そこに』
 へ、とリンゼイが振り向くと、そこには少女がひとり。
 雪が降るほどの寒さに鼻の頭が赤くなっている。ごくごく普通の女子中学生。銀色の瞳をぱちりぱちりと二回瞬かせて、架間・透空(|天駆翔姫《ハイぺリヨン》・h07138)がこちらを見ていた。
 歌姫の子。リンゼイはそう記憶している。
 目が合って、しまった、と感じた。透明な空のような色を綺麗だなんて思っている場合ではない。彼女は既に苛まれているだろうに、目なんて合ったら、目をつけてしまったら。
 ——【|希死念慮《タナトス》】——

「……ぁ、晃星?」
 透空の前に現れるAnker。幼馴染みで、ちょっと口が悪くて。素っ気ないときもあるけれど、自分のそばに無条件でずっといてくれる、大切なひと。
 ひねくれてしまったけど、晃星が透空のためにくれるやさしさはいつだって透明で、きらきらしていて、宝物みたいに綺麗だ。
 大切だ。
 星詠みの案内を思い出す。今目の前にいる晃星は、幻影だ。けれど、炎のような曖昧な揺らめきもない。
『透空』
 耳馴染みのある声が耳朶を打つ。いとおしいような、声。
 するりと晃星が手を伸ばしてくる。その手は透空の肩を掴まえ、近くの壁へ押しつけると首を絞めた。
 ぐぎゅ、と。あまり快くない音と吐息が零れる。√能力者ではないが、男の子とあって、晃星の力は強い。幻影だから、本人のものでない力なのだろうけれど。
 息ができない。苦しい。でも「やめて」なんて思わなかった。
 ——どうして?
 自問が心の水面に波紋をもたらす。
(晃星なら、いいや……)
 そんな独白。
 ふしぎな気持ちだ。波紋は鎮まり、心は凪いで穏やかだ。雪が降り外気温は氷点下に到達していることだろうが、「大切なひとに殺される」ことは心を暖かくした。
 人はいつか死ぬ。透空はハイペリヨンという|怪人《アイドル》にされ、普通の人間ではなくなったし、真の意味での死が訪れないとされる√能力者であるが、いつかは死ぬ。√能力者とて、長い時をかければ次第に欠落が埋まり、やがて天寿を全うする形で死を迎え入れることができるようになるという。
(できるなら私は、そっちがいいな)
 息苦しさでぼんやりとしてきた頭の中。だからこそ生まれ出でた本音。
 暗い色の目をして、自分の首を絞めてくる晃星を真っ直ぐ見た。
「こう、せいも、おじいちゃん、になって、私、も……しわくちゃの、おばあちゃんに……なって。けほっ……子供たち……息子、だったり、孫だっ……たり。っぐ……色々な、人に、囲まれて」
 「幸せだったね」ってお互いに笑いながら、安らかに眠れたら、いいよね。
 息苦しさの中で、歌うように言葉を紡ぐ。彼女は歌姫で、理想家だった。夢想家だ。歌も芸術のうちであり、芸術を築くためには、現実よりかは夢を見る割合が高い方がいい。それが彼女の|怪人《アイドル》の素質だったのかもしれない。
 ティーンエイジャーになって、半分大人になって、世の中を知ってひねくれる晃星は等身大の男の子だ。対して透空は夢を心に持ち続けてここまで来た。夢想家だ。子どものままだ。そう揶揄されるかもしれない。
 けれど、夢を忘れなかったからこそ、彼女は目覚めた。だから彼女は|天駆翔姫《ハイペリヨン》なのだ。
 語る夢は、あまりにも素敵だった。
 晃星の手が、離れていく。幻影は本人ではなく、リンゼイ、もしくはその少女霊の悪意の塊のはずだ。そこに添希・晃星の魂はないはずである。
 それでも、何かが震えたのだろうか。
 ともかく、解放された透空は盛大に咳き込みながら、ぺしゃりと地面に崩れる。
 頭に酸素が戻っていくのを感じる。まだ晃星以外の輪郭がぼんやりして見えるけれど、思考が澄んでいくような心地がした。
 澄んでいくと、自分がものすごいことを言った自覚が湧いてくる。頬がかっと熱くなったのは、酸素が戻ったからだけではないだろう。
「わ、私っ……当たり前に晃星と結婚してる前提の話した!? ま、まさか、もしかして、えっ? わたし……晃星のこと、好き、なの?」
 反芻する少女の姿に、霊隊たちはクスクス。リンゼイは呆気にとられていた。
(無自覚だったんだ)
「いや、まさか……ははは……うっそだー。そんなわけ、ないもんね。だってあいつ、馬鹿で意地っ張りで……優しくて。いつも助けてくれるような奴、だよ? そんなのを好きなんて……」
 あり得ない。今までだって、アウトオブ眼中だったし。……などと続けようとして。
 透明な曇り空の色から、ほろっと涙が零れる。大粒の雨だった。
「あ、あれっ? は、はは、なんで……胸の奥がチリチリする……なんで……?」
 拭いながら、透空はリンゼイに気づいた。晃星の幻はいつの間にか消えていて、だからリンゼイの姿が見えた。
 まるで、もう夢は終わりというように。
「ねえ、リンゼイさん。リンゼイさんも同じなんですか? 好きな人を思うと、胸が苦しくなるんですか?」
「…………」
 奈落色は答えない。けれどその表情は微かにほろ苦さを宿す。
 そっか、と納得して、透空は自分の胸に手を当てる。
「私、これ、イヤじゃないです……このきもち」
 イヤじゃないかも。
 恋する乙女の、言の葉。
 リンゼイが目を見開く。同時に胸をきゅっと締め付けられたような心地がした。
『きゃー、素敵!』
『ね、ちょうどいい子でしょ?』
「ええ、本当に」
 少女霊の姦しさにしれっと混ざったのは、シスピだ。視認距離までやってきたところで、遠慮なく【|星脈精霊術【虹霓】《ポゼス・アトラス》】による空間引き寄せを行う。
 きゃー、と遊園地のアトラクションを楽しむような感覚で、少女霊が笑う。当然、リンゼイも引き寄せられた。
 戸惑いの多分に含まれた目を真っ直ぐに見ながら、シスピはにこりとした表情で宣う。
「迎えに来て欲しい、弱さを見て認めた上で『必要として欲しい』と……好きな相手の手間を増やして、楽しいです?」
「……手間」
「手間でしょう。あちら側に好意があるかはわからないんですから」
 リンゼイの言葉に気づいていたとして、それはリンドーが好意を抱いている証左にはなり得ない。あくまで、気づいているだけ。リンゼイは収容される側で、リンドーは収容する側だ。リンドーのスタンスを思えば、ビジネスライクくらいの感情が順当だろう。
 恋をするのは結構。命となって一年にも満たないシスピが、知ったようにああだこうだ言える内容は限られている。
 限られているからこそ、強い言葉だった。
「時間の無駄ですよ。彼とデートの一つでもしては如何です? 幸いEDENには貴女の能力を無効化出来る方が居ますから」
 右掌がそっと、リンゼイの頬に触れる。
 触れられることに思わず目を閉じたリンゼイが、思いの外やさしくてあたたかい感触に、少し呆けたような目をした。
 √能力者の右掌。その意味はリンゼイも当然知っている。
 少女霊の声が聞こえなくなった。|自殺衝動《スーサイド》がざわめかない。リンゼイを災厄たらしめる「|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》」とは、√能力である。
 |√能力無効化の右掌《ルートブレイカー》。
 √能力者の間でも象徴的と言える最強の能力は、正しく、リンゼイの救いたり得る。
 リンドー自身はこの力を持ってはいないが。EDENの者らには【ルートブレイカー】を持つ者が無数にいる。シスピのように。
 もし、リンゼイが災厄としての力を望まず、ただ一人の人間として、恋心を緩やかに育むことを望むのなら……無益な死や争いを避けたいというのなら、リンドー・スミスとのデートのフォローアップくらいするかもしれない。
 一種物好き。でも、ここにいるシスピと透空は少なくとも、その物好きのうちの二人だ。

澪崎・遼馬
霧島・光希

●しあわせ
 その死神は、夜風と共にそこにいた。
 しんしんと降り注ぐだけの雪。地面に触れただけで消えてしまうような儚いそれを風が浚う。その穏やかな風と、それと共に歩んできた存在に、リンゼイはすっと目を向けた。
 夜の気配と心地よい風を纏って、澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)が佇んでいた。そこにいるのが当たり前のような自然さだった。私を倒しに来たのだろう。この男が死神を名乗っていたことを思い出す。
 それならば、自分のそばに、あまりにも当然な顔をして居るのは頷ける。何せリンゼイは自死を強いる人間災厄。タナトスというのは、死神の名の一つだ。
「難儀だな」
 遼馬が言う。何が難儀なのかは既に語られた。秋葉原荒覇吐戦で既に交戦した。その最中で彼はリンゼイの己の力を制御できぬ有り様を、それでも心のかたちが人間のものである姿を、難儀なものだと評した。
 人の心を持つからこそ、人の死に苦しむ。死を与えることしかできないから、尚更苦しむ。どんなに心が凍てつこうと、止めることのできない力は、力でありながら、「制御できない無力」を己のうちに刻みつけることだろう。
 それならば、理想を見せようと。リンゼイ本人が願ったからか、きゃらきゃらと姦しい無垢なる悪意の少女霊たちの気紛れからかは知らないが、能力が少し変幻したという。
 そうして今、遼馬の前に、かつての友が立っている。何もしないリンゼイの横で、遼馬は夜のような静けさを青い瞳に湛えていた。
 黒い鴉の怪異。遼馬のAnkerであり、遼馬をAnkerにしていた。今は亡き……けれど、ずっと共にいる友。
 双銃を構える。それは友の両手だった。その掌の感触を、忘れてはいない。無機質な死を与えるだけの道具と為ったとしても、喪われぬものである。
 言葉を交わすこともなく、必要もなかった。
 本物であれ幻であれ、まみえたのならば、当人がすべきことは一つ——
 零距離で、撃つ。
 死を与えることしかできないのなら、死を。
 殺してやることが慈しさであることもある。
 だから、死神を続けるのだ。
「良い風だ。そう思わないか、我が友」
 |夜風《カウィル》。
 夜風が通りすぎた。

 ぼんやりとした面差しだった。
 特に大きな何かを背負っているわけでもない。彼には相棒たる護霊がいて、√能力者であるものの特別すぎることはなく、ただ冒険を楽しんでいる。
 霧島・光希(ひとりと一騎の冒険少年・h01623)は等身大に子どもで、少年だった。
「自ら命を絶たせる能力、か。……本人がきちんと制御したくても出来ないっていうのがまた、とんでもない能力だよね」
 リンゼイ・ガーランドと戦う準備を整えてはいる。影に潜む護霊「|影の騎士《シャドウナイト》」もいつでも光希に力を貸せるよう、待機している。
 けれど、もし向こうに戦う気がないのなら、戦わずに済ませたいという気持ちがあった。だから剣などは取らず、右手を空けておく。
 そうしていると、ゆらり、何かが見えた。
 親友の姿があった。
 親友に寄り添うようにして佇む女性は彼の奥さんで、あぁ、子どもも、孫まで揃って。あはは、随分しわくちゃになったね。
 反対側には、僕の奥さんがいて、子どもがいて。僕にも、孫ができていて、まんまるい目で僕をじっと見つめている。
「おじいちゃん、げんき、ないない?」
 純真無垢な心配の声が降り注ぐ。全然、冷たくない。さみしくない。あったかい。たぶん、梅雨の冷たい雨の下でも、深く雪の積もる寒い冬でも、この死はあったかい。
 家族に、友達に、大切な人に囲まれて。たくさん、たくさんの惜しむ声や眼差しに囲まれて死ぬのが理想だ。種族や年齢や姿形がバラバラであろうと、みんなと、親しい人たちと幸せになって、その幸せの先で、あたたかく見送られたい。普遍的かもしれないけれど、それが光希の思い描く理想の死。
 普遍だからこそ、どうしようもなくいとおしく、得難い。
 彼らに見守られながら、安らかに眠りに就く。……なんて満ち足りた終わりだろうか。

 そんな「ありふれた幸福」をぶつけられて、リンゼイ・ガーランドは目を見開いていた。幸福を見せられたのに、なぜだがとても絶望しているような、真っ暗な目をしている。
「これがあなたの理想の死……? あなたが、あなたが死に望むものとは、一体何なのですか……?」
 声は、語尾に向かって震えていた。
 その問いに、光希はどこかぽやんとした表情のまま。幸せなゆめを見せられて、まだ夢うつつなのだろうか。
 けれど、答えを紡ぐ声は明瞭だった。
「『満足』かな。悔いを残さないこと。趣味と実益を兼ねて冒険者なんてやってるけど、冒険の中で命を落とすなんてのは論外だ」
 当然、自分で死ぬのももってのほか。
 ——与えられ続けている自死の衝動に、この少年はしっかり抗っていた。
 精神の基礎的な抵抗力に加え、冒険にも携えて行く勇気と。痛みへの強い耐性は心にもあり、物理的なエネルギーと精神面を支える活力で心を守るバリアを張って。
 冒険で死にたくないのなら、守りの備えも大事なんだよ。
 冒険者は死ぬために冒険なんてしない。
 その答えに、リンゼイは呆気にとられた。
 当たり前すぎる話。当たり前すぎて、見落としてしまっていた話。
「貴様が問うべきは、『死について』より『生について』だった」
 茫然とする死神に、別の死神の声が降る。
 遼馬は友と再び別れ、その銃と融け合い、右腕を巨大な魔銃へと変化させていた。そこからの制圧射撃。物量と呪いのような『苦痛を愛するための祈り』が降り注ぐ。
 その射撃に幾度か命を落とし、その都度リンゼイの負傷はリセットされて戻る。少女霊のお気に入りだから、彼女は死んでも死んでも死に続けるのだ。√能力者は欠落以外の全ての欠陥が死ねばリセットされるはずなのに、『苦痛を愛するための祈り』がじわじわと胸の痛みを絶え間なくさせている。
 忌まわしい。忌まわしいのに、この心は。
「死について問うことと、生について問うこと、何が違うというのですか」
 努めて平坦な声を出す。そのリンゼイの問いに応える遼馬の声は夜風のようだった。
「死というのは生の果てに存在するもの。隣り合うだとか、表裏一体などと語られる場合もあるが、死よりもまず生きなければならない。生きていなければ、死など訪れはしないのだから」
 生きた先にしか、死は存在しない。
 自死は幸福の諦めでしかない。だが、その「諦め」すら、生きなければ存在し得なかった。潔く諦めるのも、みっともなくしがみつくのも、生を経なければ、選べない。
 死を想えという言葉がある。けれど想うには、生まれていなければならず、生きていなければならない。
 生きていなければ、死に辿り着くことすらできない。
 死神は知っていなくてはならないのだ。死を運ぶからこそ、その過程にある「生」を。ただ徒に死を齎すのは犯罪者でしかない。曲がりなりにも「神」の名を冠する役に準じるならば、その有り様は、裁定者であれ。
「幸福な生き方を知らぬ者に幸福な死が齎せるわけもない……己の力で死に逝く者たちが安らかであるよう祈るのならば、
 貴様が知るべきはやはり、生についてだ」
 わからなかったか、と静かな声。腹の奥底の方の琴線を振動させる声音。
 わからなかったか。普遍の幸福を示されて、貴様は今、動揺しただろう。普通に生きて、普通に死ぬ。そのことの尊さを今の今まで知らず、知ろうともせずに生きてきたから、その動揺はあるのだ。
 安らかな死を祈りながら、その実「安らかなるとは何か」も知らなかったのだ、貴様は。
「……そう、ですね……」
 リンゼイ・ガーランドは、静かに目を伏せた。
 死なせてしまうのなら、せめて、と何度も瞑目した。祈りに形は必要ない。必要ないけれど、ただ目を閉じるだけで良いのなら、神など、仏など、存在しなくてもよいのだ。
 死神という想念も必要とされないのだ。
 存在意義すら、知覚していなかったのだ。無知は罪というが、こうも己の存在を根底から台無しにするような無知もない。
「ですが、あなたにも聞いていいですか?」
「ああ」
 静かな夜風に問いかける。
 あなたは死に何を求めますか。
「己の死へ何かを求めることはせん。そこに何かを求めるのは残された生者の特権であり悪癖だ」
「悪癖」
「何もかもに意味があるだろうと決めてかかる。意味がなければ存在してはならないかのように」
 死は忌避される。だから「死んでしまう意味」「死んでしまう根拠」が存在しなければ、死んですらいけないとでも言うように。
 そんなことはない。
 今降る雪が、地面についたら溶けてしまうようなことだ。雪は遅かれ早かれ溶ける。消える。永遠ではない。命も同じこと。死とは生の果てにある。死とは「命の結果」に過ぎない。当たり前に決まりきっている、誰もに平等ですらある結果だ。
 それに意味を求めようとするのは「理由がないなら認めない」と駄々を捏ねるようなもの。子どもなら多少の駄々もかわいげと言えるが、生憎と遼馬は大人であり、駄々っ子をしてかわいこぶる趣味もなかった。
 見目が実際に生きた年数と等号で結べるかはさておき、人間災厄であるリンゼイとて、見目相応程度に、大人としての振る舞いを心得ているのではないか。少なくとも、リンドー・スミスを「先輩」と呼ぶくらいの理性はある様子。
 そうなのなら。
「当人にしてやれるのは、貴様が望まぬ犠牲を出す前に殺してやることくらいだ」
 慈悲とも温情とも思わなくてよい。
 少しばかりその立場に思うところあるゆえに。
 そんな言葉を放つ黒い羊飼い。
 こんな言葉を交わすことはおそらく二度はないだろう。
 ないからこそ言葉を尽くしたつもりだ。
 逝くといい。

パドル・ブロブ
斎川・維月

●満つ
 秋葉原ダイビル前。
 雪がちらちらと降り、地上に残ることなく、空で消えていくその様はまるで、天を駆け彼方から彼方へと消えてゆく流れ星のようであった。
 随分、ゆったりとした流れ星であるが。
 それをぼんやり、パドル・ブロブ(ただちっぽけな星・h00983)が見上げていた。ここはとても静かだ。誰もいない。今は、誰も。秋葉原というと、普段はとても喧騒に包まれている印象だ。けれど今、その喧騒は鳴りを潜めている。
 パドルは人気もなく、悲鳴も怒号もないため、雪を眺めていた。
 そんなところに、靴音。パドルが星宿る瞳を向け、少し居ずまいを正した。
「おじさん? どうしたの? こんなところで」
「話をしに来たんだ。呼んだからここに来たのだろう」
「あぁ、そうだったそうだった!」
 エイデン・ユルドゥズ。パドルのAnkerである。彼はそのしかめ面の皺を深くして、一つ吐息。溜め息だろう。
 果たしてそれはパドルの呑気な声色への呆れだけが理由だったのだろうか。パドルはエイデンの表情を見た。おかしいということはない。いつも通り、厳格で、真面目で立派な「外星体調査局員」の佇まいである。
「改めて、話って一体」
「地球から侵略的外星体が全て排除された」
 食いぎみに、早口で放たれた言葉。その羅列の意味を解し、パドルは——エイデンの愛娘に宿った「外星体」は星の瞳を見開いた。
 声が零れる。
「そっか」
 さみしそうな色をして、雪がそよいでいる。
「おじさん、今まで本当にお疲れさま。やっと、やっと為ったんだね」
 星は笑った。とても、とてもうれしそうに。
 それはきっと心の底からの笑顔だった。目を閉じて、にっこりと。だってあまりにもうれしかった。
「ずーっとずーっと頑張ってたよね。僕、よく知ってるよ。一緒に頑張ってきたし。たまに電話口でこう、色々言われるのは大変だったけど。おじさんが誰よりも侵略的外星体の排除に一所懸命だったことは知っているし、それを叶える手助けなら、いくらでもしたかったから。
 ねえ、おじさん、これからは長いお休みでも取ってさ、体を労わってほしいな。成し遂げたんだ。休んでも誰も怒ったりしない。あとは平穏に過ごして、健康に、長生きしてほしいよ。……僕にこんなこと言われても困っちゃうと思うけど」
 パドルの笑みにほろ苦いものが混じる。本当にこれを願うべき人は「僕」ではない。この言葉をおじさんにかけてあげるべき人は「僕」ではない。
 それでも、僕は見てきた。侵略的外星体を討つために奔走するダンさんの姿を。見てきたのは僕で、その役目が果たされて、おめでとうと思うのも、労りたいのも、僕の心からの願い。おねがい。
 これからはお仕事はほどほどに、栄養のあるご飯を食べて、ずっと元気でいてね、と。そう願う心を今、持っているのは、僕自身だよ。
 ぜんぶ、本当のことなんだ。
「あなたのために働けて、僕は幸せでした。|融合者さん《このひと》のこと、お願いします」
「……グロブスタ」
「そう。そうだよ、ダンさん。僕はグロブスタ。……侵略的外星体はまだ一体、残ってる。だから、本当の本当に最後の仕事を終わらせよう」
 とても穏やかに笑い、外星体「グロブスタ」は起動キーの所在を問う。自らの体内に埋め込まれた外星体制圧装置の起動キー。起動すれば、エイデン・ユルドゥズの奔走した「侵略的外星体の地球上からの排除」は、本当に為される。最後の一体、グロブスタの処分が完了する。
 ほんとうに、うれしい。満ち足りた気分だ。
 パドルは笑う。
 おじさんは本当に頑張っていたもの。その夢が叶うのはうれしいよ。手伝えて、ほんとうによかった。
 起動キーを持っているのがおじさんで、本当によかった。
 やっと、返してあげられるね。
 目を閉じた。

●理想
「リンゼイさんの力が変容?」
 斎川・維月(幸せなのが義務なんです・h00529)は首を傾げた。
 その【|希死念慮《タナトス》】は理想の死を見せてくれるという。
 どうせ死ぬのなら、死に様くらい理想的であればいいじゃないですか。救いようがないのなら、終わり方くらい……それはおそらく、リンゼイなりのやさしさなのだ。
 人間災厄の「人間」の部分。
「でも、理想の死なんて、そんなの」
 簡単に叶うなら、「ボク」は災厄じゃない。
 そんな言葉は声になる前に喉の奥に引っ込んだ。
 だって背後に|兄《ボクをころせるひと》が立っていた。刀を持っている。
 安堵。思わず心の奥底から沸いたこれは安堵だ。安堵が維月の口元に灯る。灯らなくても笑ってはいたけれど、それは「笑っていなければならないから」笑うのではなくて、「笑いたいから」出た笑みだ。
 人間災厄「クビレオニ」。死を振り撒く怪異が人間の形になったもの。その性質は制御ができるだけで、リンゼイ・ガーランドのそれとほとんど変わらない。
 他者を死へと誘う条件が維月には明確にある。「ネガティブな感情を抱くこと」。つまりは笑っていなければならない。幸福でいなければならない。心の底から、幸せでい続けなくてはならない。偽りであってはならない。それはマイナスでマイナスとはネガティブだ。少しでも|逆方向《死》へ向かうネガティブが存在していてはいけない。幸福なのは義務なんです。けれどボクの笑顔はニセモノなんかじゃないよ? ボクはいっつも楽しくて幸せ! ニッコリダブルピース! ほら、あなたも笑おうよ。笑わないの? じゃあ、ボクがぁ、ヘンなことしちゃう! ……なんて、お道化を演じる。
 幸せでなければいけなかった。心から幸せでいないと、不幸せになった途端、自分は自分がなった不幸せ以上に他人を不幸せにしてしまう。死なせてしまう。故に、「クビレオニ」斎川・維月はその災厄を広めぬため、「幸せでいること」で力の相殺に努め、無闇に死なないよう、生きてきた。
 維月の力は絶対死をしたとき——もう二度と蘇らない死を迎えたとき、常より超広範囲に増幅拡散される。そのため、Ankerが不用意に処分するわけにもいけない。
 維月の死は己の災厄の力の暴走を伝播を完全に防いだ上でなければならない。誰も死なせず、人間社会を破綻させない事が条件。それはとても整えるの難しい条件。だからこそ現実的でなく、誰も実現しようとしない。
 兄でありAnkerである大貴も、維月を殺そうとはしない。殺そうだなんて、思っていないだろう。維月を怪異と知りながら、家族として迎え入れた。維月の災厄が維月と自分以外の家族を殺してしまっても、大貴が維月を恨むことはなかった。憎んでもいない。大切な家族を、妹を殺そうだなんて、思うはずもない。
 兄がそう思っていることを知っている。兄は殺してなんてくれない。だから、条件を整えて、災厄を暴走させない安全性が保証された中で兄の手にかかって死ぬ、というのは維月の我儘だ。かないっこない。だから夢。手が届かないものこそを人は理想と呼ぶ。
 理想に手が届くときって、こんなに幸せなんだな……兄から放たれた一閃を避けることもなく、首を落とされながら、維月はその幸せを噛みしめていた。
 こんなに幸福なのならきっと、大丈夫。
 それに、これでもう悲しむ事も苦しむ事も嘆く事も謝る事も我慢しなくて良い。幸せで無くても良い。これでやっと泣ける……幸せが義務じゃなくなった、泣いても、泣いてもいいんだ……。

 ぽてり。
 落ちた少女の首は、安らかな顔を——していられたなら、よかったのに。
 残された体が、それで本当に死んだらよかったのに。
「ちょっと、ちょっとちょっとちょっとぉ~!!」
 だだだだだ!!
 普通なら死体であるはずの首無しの体がリンゼイに向かって猛進した。リンゼイはぎょっとする。だって、首がなくなった人間が生きて動いているなんて、普通じゃない。
『きゃはは! おもしろーい!』
『そっかぁ。そっかぁ。そういえばあなたの名前はイツキだったね!』
『クビレオニ、イツキ。【|縊鬼《イツキ》】かぁ!!』
 少女霊たちが可笑しそうに笑っている。愉しそうで結構結構。
 彼女らの言うとおり、維月は縊鬼という怪異が転じ、「縊れ鬼」となったわけだが。縊れ鬼にはそもそも首がない。
 首を落とされて死ぬなんて、そもそもあり得ないのだ。だって、落とされるべき首がないのだから!
「あんまりですよ! あんまりですよ! リンゼイさん!! ねえ、リンゼイさんってば!!」
「わ、え、ちょ」
「駄ー目ーでーすーよー!! 死んでないじゃないですかぁ……死んで! ないじゃ! ないですかー!!!!!」
 きょとん顔のリンゼイににじり寄る維月。顔をなくして、その首があるべき場所からは暗い暗い「世界の穴」が噴出する。十字傷のような赤いひび割れがぎらぎらと異様に輝いていた。言うなればそのひび割れは、顔の存在し得ない「クビレオニ」の目だったのかもしれない。
 顔のない怪物は手を伸ばす。手を伸ばす。伸ばした手でがしりと、リンゼイのほっそりとした肩を掴んだ。つかまえた。
 追いかけっこをしていたわけではない。が、維月は「鬼」であった。「クビレオニ」である。
 鬼に捕まったら最後、逃げられない。捕まったら、自分も鬼になってしまう。……まあ、そんなことをしなくとも、リンゼイは維月と性質が似通った全てのプレイヤーに疎まれる「鬼」ではあった。何も、何一つ、変わっていないかもしれない。
 けれど、リンゼイを捕まえた鬼は怒っていた。激怒まではいかないが、肩を掴んで、無遠慮にゆさゆさと揺する程度には、おこ! であった。
「期待だけさせてそりゃ無いでーすーよー! 死んだって思ったのに。諦めていた夢が叶ったと思ったのに。望んでいたことが叶う、その得難さでボクは世界で一番、今までで一番幸せになっていたのに!! パァですよ、パァ!!」
「……に、ニッコリ笑顔でダブルピースならチョキの方が勝つかと」
「天才か!?」
 いや、誰がうまいこと言えと。
 そうじゃないのだ。じゃんけんで勝ったところで、勝利は嬉しいけれど、どうしようもないのだ。満たされたと思ったら、桶の底が抜けたみたいな虚しさがあるのだ。水泡に帰した感情、儚すぎる理想。今降っている雪の方がもうちょっとしっかりしてないかな!? みたいな。
「ねーえ、リンゼイさーん! この気持ち、リンゼイさんなら分かるでしょー!」
「わか、わか……? いえ、あの」
「わーかーるーでーしょー?」
 ひび割れの赤が奈落色を見つめる。奈落色は深淵であったが、世界の穴である維月のひび割れもまた深淵。
 深淵同士が見つめ合っている。
「期待させて、現実はそうじゃないって、そういうのがいちばん駄目なんですよ! リンドーさんにもそゆことされたらイヤでしょ!!」
「本当にそう!! リンゼイさん、僕も怒ったから!!」
 乱入。星のきらめきもまた、深淵を覗く。
 パドル・ブロブの目から放たれた青い閃光を受け、リンゼイの視界はぐらりと傾ぐ。それを見て維月がリンゼイから少し離れ、入れ替わるようにパドルが光の鎖でリンゼイを捕縛。「星の光」を籠手にして纏い、リンゼイを殴り付ける。
 殺意というよりは、ぽかぽかと。
「もおーー!! ぬか喜びじゃないか!! 理想、確かに理想だけどさ、叶ってなきゃ意味がないんだよ!!」
 先にパドルと話していたエイデンの幻影は、起動キーをなかなか使わなかった。彼にとってパドルとは、娘の体を乗っ取って現れた、他のどんなものよりも忌まわしい侵略的外星体のはずなのだ。それを滅ぼすのを躊躇ったりするはずが、ない。
 だからおかしいと気づいた。おかしさに気づいて、幻影だと知って。パドルは怒った。
 だって、この|理想《ゆめ》はずっと、心の底から叶ってほしいと願ってきたことなのだ。叶ってほしいから、僕はずっとおじさんを手伝っていたんだよ。死にたいからじゃない。おじさんの夢を、叶えたかった。
 だから、まだ叶っていないと突きつけられて、怒りと強い衝動がパドルの胸を焦がしたのだ。
「ダンさんのお仕事がホントのホントに終わる時まで、僕には無駄に死んでる暇なんて無いんだっ!!」
 |自殺衝動《スーサイド》ではない衝動。リンゼイ・ガーランドや|自殺少女霊隊《ヴァージン・スーサイズ》に挫けることのない、願い、誓い。
 パドル・ブロブという星を輝かせる「Endless Desire for Essential Nexus」。
 眩しくて、青くて。
 どうしようもなく——苦しさで満たされる。
 どうして。
 どうして、死か、虚しさしか与えられないのだろう。
 その二択しかないのだろう。
 そうしたいわけではないのに。
 そうしたいわけでは、なかったはずなのに。
 目を伏せるリンゼイに、パドルが【ネフェリウム光線】を放つ。リンゼイはここまで、度重なる√能力者たちからの攻撃を受け、耐久力はもうたかが知れている。
 それでも、爆発して、光の粒子になるには、

 綺麗に瞬くには、まだ、少しだけ、足りない。

「……ごめんなさい」

クラウス・イーザリー
和紋・蜚廉

●風花の
 雪月花時最憶君。
 雪があり、月があり、人の想いが花開き、散る戦場はあまりにも儚く、あまりにも鮮やかで、あまりにも——美しかった。
 美しいもの、美しい景色を見ていると、隣にあなたがいたら、とつい思う。そんな歌。
 もしくは、あなたとこの景色を楽しめたなら、と。あなたが隣で同じものを見たら、どんな顔をするか、どんなことをするか……自分の感想より、あなたの感想を、あなたと共にいることを、考えてしまう。
 それがきっと、唯一無二で「特別」と称すべきこころであった。

 燃え滾る炎の中に煮え滾る怒りを抱く蟲は、雪の冷たさに何を想うのか。リンゼイ・ガーランドの目には蟲のこころなどわからなかった。ただ、和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)の姿形が蟲である故に、想い人の操る怪異を想起するだけ。
 蠢き、薄羽を伸ばし。液状変異脚は標的を切り裂く刃となる。先輩の内に飼われている怪異の気配に変わりはなかった。だからきっと今も、私の知っているとおりの戦い方をするのだろう。
 追いかけられなかったことをその蟲の姿に思い出す。マッチを擦ったとて、リンゼイはマッチ売りではなく、都合のいい幻影も、聴き心地のよい幻聴も生み出せやしなかった。ここまでのEDENたちはみな、それらを乗り越えてしまった。うまくかわしてしまった。
 私はその始発点から、秋葉原ダイビルから動けないままだ。ぽつり「さむい」と言葉が零れた。
 そんなリンゼイの奈落色の眼差しを注がれ、蜚廉の中に浮かぶのは己がAnkerの顔であった。
 どちらかといえば、リンゼイの姿に重なるのは蜚廉自身の心の有り様であった。
 大切な相手がいる。年も種族も、我とはあまりにも違う存在だが、それでも隣にいてほしいと願う。
 遠く離れれば、声は届かぬ。
 手を伸ばしても、温もりは掴めぬ。
 その隙間に死の幻が入り込むのを、我はよく知っている。
 何よりも生を渇望し、他者が何を言おうと己の生への渇望と生き抜いてきた時と肉体を誇りとしていた。故に、和紋・蜚廉が自ら死を望むということは、己の誇りを失うことであり、誰よりも己そのものが赦してはならない所業であった。
 だが、生きるなればこそ、死は隣人であり、死への想いに苛まれたことが全くないわけではなかった。隙間風を、その寒さを塞いで差し上げますよ、と言わんばかりに、希死念慮が身を苛む。そういうことが「遭ってしまう」ことを知っている。
 炎の苛烈さではなく、人のぬくもりを、Ankerへのいとおしさを知った今、冬の風をいやに冷たく感じる。
「汝の気持ち、我にもわかる。その心を凍えさせているのは寒さではなく、離れてしまった者への想いなのだろう」
 今、寒いのは、その者が傍らに居ないからだ。我もこの雪がちらつく空を寒く感じる。可笑しな話だ。寒さに弱いわけではない。我の原形たる蟲は類稀なる生命力が特徴であり、驚異的な変異を遂げた我とてそれは同じ。寧ろその変異があったからこそ、より生き延びる力は増強されている。寒さなど、ただ生きるだけなら、どうともないことなのだ。
 然し、寒い。冷たい。口を衝いて出るほどまでに確りと、そう感じる。身体的変容はない。なればこれは精神……こころ、というやつだ。
「こころ……」
 滔々と蜚廉は語る。その言葉を遮ることなく聞いていたリンゼイは、ふと一つの語句を反芻した。
 こころ。精神。思考。人間、或いは人型の生き物しか持ち得ないとされるもの。猫や犬などを主な対象とした「翻訳機」などを発明してしまうほどに、人というのは心に執着し、何者にも心を求める。
 おそらくそんな人間の有り様に惹かれるように、どのような生き物も人のかたちに近づけば近づくほど、「心の支配」を受けるのだ。
 蜚廉も例外ではなかった。
 あの日、黒い石を呑んだ。この野良蜚蠊が今の姿に至ったきっかけはそれだ。心を得た。人に近いかたちを得たのは後からだが。……あの石を呑んだことを、蜚廉は後悔していない。
 後悔なぞ、するものか。
 心を得たことを後悔などしない。心を得たからあらゆる苦しみが顕著になったのだとしても、苦しみと同等かそれ以上に得たものがある。
 己の生への誇りもそう。今寒いと思う理由がAnkerを想う心故に、その心が「なければよかった」など、死んでも言うつもりはない。
 理想も。
 理想の死を囁く少女霊はそこにいる。たかがマッチの炎ごときで、あなたは焼かれたりしないでしょう? と嗤う。笑っている。
「理想の死だの、安らぎの最期を囁かれても、我は進まん。なぜなら、この身には。生きていたいと思わせる者がいるからだ。我の死を理想だと囁かれても、そのどれもが、理想の未来と釣り合わん」
「理想の、未来?」
 そうだ、と蜚廉は頷く。
「我の理想は、死ではなく、生きて隣を歩くこと。誇り以上に、この胸中を大きく占める『生きていたい』という欲だ。衝動だ。『大切な者の隣にいて、共に歩んで生きたい』という願い」
 叶えるのは、難しいやもしれぬ。我の大切な者と、我はあまりにも違いすぎる——弱音のように聞こえたのは、リンゼイから放たれ、苛み続ける相反する衝動の影響だったのだろうか。
 種族も、見目も。生きてきた年数も、辿ってきた途も、あまりに違う。元々忌まれる存在ゆえに、手を伸ばしてよいものか、と己の掌を見て、一考してしまうことがある。
 立ち止まってしまう。
 追いかけられなかった気持ちが、わかるのだ。

●背中
 背後から、気配がした。クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)が振り向くと、そこにはよく知る赤い眼差し。
 それから、銃口。
「……翼」
 何を言うわけでもない、ただ名前を呼んだ。すると少し、その赤は見開かれた。でも、銃が下ろされることはなかった。
 代わりのように言の葉。
「死にたいか?」
「うん」
 静かな問いかけ。静かな答え。
「そっか」
 タン……
 撃たれて、体が崩れる。クラウスは死ぬ。やっと、ようやく、終われる。終われるよ、何の疑いようもなく。だって、銃を撃ったのはあいつだ。俺の親友だ。俺を殺せるたった一人。俺を赦せるたった一人。
 でも、撃ってくれたってことは、俺を赦さないでいてくれたのかな。それならそれでいいや。赦されなくてもいいんだ。俺は恨まれていたっていい。あいつに赦してほしいから殺されたかったわけじゃない。赦す赦さないを俺は、全部、あいつに託した。命ごと。
 何を選んだって、あいつの選択なら、俺は赦されることも、赦されないことも、受け入れられる。ただそれだけの話なんだ。
 言葉少なで最期の会話は終わってしまったけれど、赦してもらえたならうれしいし、赦されなかったならそれもよかった。
 俺は、俺の命を終わらせてくれるのが、やっぱりお前でよかったって思うよ。
 最期に見るのが、血じゃなくて、お前の赤い瞳なの、しあわせだな……。身に余るくらいに。

 マッチを擦る音がした。

 やり直し。
 手を伸ばしても、届かなかったことは幾知れず。この手の無力を何度嘆いたことだろう。
 √能力を持って、ルートブレイカーの力を手に入れて、「クラウス・イーザリー」は特別な右掌を持つようになった。けれどそれが救いだっただろうか。
 伸ばして、届かなかった。力を手にしてなお。
 必要だったのは、特別な力じゃなかった。

 懐かしい香り。硝煙。誰かが血を流した痕跡。機械や人の残骸。
 記憶世界としてクラウスが内包する戦場。
 命が間違ってしまった、場所。
 懐かしい赤がある。本当の記憶の中で、彼がクラウスの名を呼んだように、クラウスも叫んだ。
「翼っ!!」
 突き飛ばして。
 次の瞬間、肉片一つ残さず、自分は吹き飛ぶだろう。知覚はできない。けれど、手は届いた。間に合った。
 最後に見えたあいつの赤い目は、呆然と見開かれていたけれど、ちゃんと、命の危機の外側へ、押し出すことができた。
 救えてよかった。夢だとしても。

 手の中の冷たい感触に、クラウスはゆっくり、瞼を開けた。目を覚ますのを惜しむように震えながら、それでも彼の青い瞳は、今命を睹すべき戦場へと帰る。
 手の中にあるのは寄せ集めの遺留品と異郷のコイン。死者とのゆかりと生者とのえにし。この二つが、クラウスをこちらに繋いでいる。
「おかえりなさい」
 幻想からの帰還に声がかかった。祝福にはあまりにも淡白だ。
 クラウスが見ると、リンゼイ・ガーランドが和紋・蜚廉と対峙していた。蜚廉のことは知っている。数多の戦場ですれ違った戦友だ。
「良い夢は、見られましたか」
「おかげさまで」
 ちょっと皮肉っぽく響いた。
「でも、夢を見続けはしなかったんですね。あなたの求める理想ではなかったのですか。だとしたら、あなたは死に何を求めるのですか?」
「俺が死に望むのは、安らぎと終わりだよ」
 √能力者だから、真の意味での死は迎えられない。何度死んだところで、体は再構築されて、終われない。だから、終わりによる永劫の安らぎは来ない。
 クラウスの言葉にリンゼイは首を傾げる。
「ですが、Ankerなら。あなたが幻影の中に見たのは、きっとあなたのAnkerですよね? だからあんなに安らいだ顔をして、理想の死を受け入れたのでは? あなたの中にずっと、希死念慮が巣食い続けてつらいのであれば、Ankerに殺してもらえればすぐでしょう」
 そのとおり。だが。
「あいつはもういないんだ。死んでしまった」
 クラウスは死を求める。死を追う。それは隣にいてほしいひとが、もうこちらの世界にいないから。
 一緒に逝きたかった。隣にいてほしかった。
 そんな願い。
 けれど、無闇に死を選ばないのは、生きていてほしいと願ってくれる人がいるからだ。何人も、クラウスの生を願ってくれる人がいて、そのぬくみが、クラウスをこちら側に繋いでいる。
 クラウスだって、リンゼイや蜚廉と変わらない。大切なひとの隣で共に生きることが夢だった。それがもう叶わなくて、希望も失ってしまっただけ。
「君は、先輩……リンドーのことが、好き?」
「……」
 図星だ。言い当てられて、リンゼイは目を見開き、肩を跳ねさせ、それからそっと目を伏せるようにして首肯した。
 クラウスはその姿に、言葉をかける。
「……封印されたら、また離れ離れになってしまうのかな」
「……そう、だと思います」
 目が伏せられた理由。彼女がリンドーを追いかけない理由のうちのほんの少し。それが、役目を終えれば、また封印されるからだ。リンゼイの力はおいそれと外に出していいものじゃない。
 封印されるのが正しくて、先輩に会えなくなるのはさみしい。それはわがままだった。
 わがままは呑み込まなければならない。リンゼイは大人の枠組みにいるのだから。
 そんな様子に、クラウスはそっと告げる。
「一緒に居られる時間を、大切にしてね」
 亡くしたからこそ生まれる祈りであった。その痛みが伝わってくる。
 生きているのだ。大切なひとが、だから、リンゼイも蜚廉と同様に希死念慮に呑まれきらず、ここに立っていられる。
「汝はあの男を想っているのだろう」
 蜚廉の言葉はリンゼイの背を押すようであった。
 訥々と。
「その背に触れたいと思いながら、災厄であるが故に距離を置いてしまった。名も告げられぬ感情を抱えたまま、雪の中に独り立っている。壊してしまうことを恐れるほど、汝が大切にしているものがあるという証だ」
 その気持ちを蜚廉は否定しない。自分にも覚えがあるから。
「だが、その心を凍えさせたまま、終わろうとするな。汝が呼ぶその者の温もりを思い出せ。雪が積もらぬように、汝の心もまだ凍りきってはいないはずだ」
 喪われても、喪ってもいないはずなのだ。
 追いかけなさい。立ち止まるな。自分の気持ちから逃げるな——そう責め立てられているのだろうか。
 蜚廉の共感に基づく力強さに、リンゼイはそんなことを思った。
 否、と蜚廉は首を横に振る。
「大切な者を傷つけまいと身を引くのは弱さではなく強さだ」
 見極めが難しいものだ。前に出過ぎたり、踏み込みすぎれば、死んでしまうこともある。思いやりを正しく相手に伝えるのは難しい。きっと、クラウスをかばった彼の親友だってそうだった。
 もっと誰も苦しまない方法が、悲しまない方法があったかもしれない。後悔はいつも過ぎてからしか来ない。
 後悔をしたくないから、と何もしないのは、確かに悔いるような失敗もしないかもしれないが……何も進まない。戻りもしない。停滞。それは死と同義だ。
「手を伸ばせ。掴むかどうかはあちら次第だが、まず伸ばさねば掴むという選択すら、与えられない」
 選択がなければ、未来はない。
 クラウスが希望を欠落してなお、誰かのために手を伸ばすのもそう。動機はどうあれ、生きる道を選んだのなら、選択を続けなければない。未来に手を伸ばし、何らかを選び取っていかねばならない。選んだものが結果間違いでも、正しくとも。
 蜚廉、クラウス、リンゼイ。この場の三人はそれぞれ違う者を想い、各々の経過を経て、生き続けるに至っている。雪や月など美しいものを目にしたとき、想うひとが、いる。
 胸に灯火があるのだ。マッチの炎より儚い小さなものだとしても、それは確かに彼らを生き永らえさせている。
 その灯火を抱えて生き続ける。
 此岸に錨を下ろしている。

ルーシー・シャトー・ミルズ

●|おかし《・・・》なおはなし
 たくさんの小石。√能力者たちによって、リンゼイ・ガーランドの水面に投じられたもの。
 水に落ちた石は火打石にはなり得ないけれど、それが起こした波紋はリンゼイを変えようとしている。
 リンゼイと|自殺少女霊隊《ヴァージンスーサイズ》を彼らは倒さなければならない。けれど、彼らが石を投じたのは、リンゼイをいたずらに傷つけるためではなかった。
「……へぇ〜。そういう変わり方もあるんだ」
 ルーシー・シャトー・ミルズ(|おかし《・・・》なお姫様・h01765)がそんなコメントをこぼす。
 √能力、および災厄としての気質の変容。多少なり、リンゼイの心情変化も関わっているかもしれないが、そもそも制御の効かない|自殺衝動《スーサイド》。死神の名を冠してしまうほどに強制される|希死念慮《タナトス》。封印指定されるほどに恐ろしい能力が変容するなど、普通のことではない。
 それでも、確実に何かが変わっている。
「くの√能力者が、それ程何か変える為に奔走してる。少しでも何か変わるように……面白いね」
「面白いですか、これ」
「君は面白いと思わないの? 変わっているのは君自身だよ」
「いえ、べ……」
 別に、と素っ気なく答えようとして、リンゼイは口を閉ざす。
 変わっている。変容し始めている。力もそうだが、リンゼイの心が。心が変容して、力に影響するのだろうか。それなら、今まで死んで逝く人たちを見て、痛んだり、悼んだりした心は無駄だったのだろうか。無意味だったのだろうか。
 ルーシーがそんなことを言いたいわけではないのはなんとなくわかってはいるが。心が変容したところで、何になるという思いがリンゼイの中に巣食っている。そういう頑な。
 ——死んでほしくないと願ったところで、|少女霊《あのこ》たちが囁けば、みんな死んでしまった。私が願うことは大した意味を持たない。これからも。
 そういう諦め。
 ルーシーはその諦念を覗き込む。
「もしかして、自分が変わったところで~とか思ってる? ふふ、果たしてそうかな? 心と君の力の因果関係は『今までは』なかった。確かにそうかもしれない」
「それなら、これからだって変わらない可能性も大いにあります」
「変わる可能性もあるよ。今までなかっただけの因果が明らかになる。変わらない可能性を思って、心を閉ざすなんてもったいない! だって君、今とても」
 変わりたいって目をしてる。
 リンゼイは戸惑う。「変わりたい」なんて。
 ……先輩に、この力は効かないけれど、
 堂々と隣に立ちたいなんて、
「あはは、いいよ。迷う時間も大事だし。付き合ってあげる。おはなしをしよう?」
『きゃは! おはなしだって、リンゼイ!』
『いいねいいね、コイバナ?』
『甘い香りがするかわいい女の子だもんね! またいいおはなしが聞けるんじゃないかな?』
 そのうち死んじゃうけどね! と姦しい少女霊たち。女の子が三人揃えば姦しいとはよく言ったもので、きゃらきゃら、きゃらきゃら、彼女らはずっと楽しそうだ。
 それを見やり、自分の首に伸びそうだった右手をくっと明後日の方向に向かせてから、ルーシーはぽん、と少女霊たちの頭を右手でぽんと撫でた。
 右掌のUn Deux trois。チョコレートのようにただ甘いだけのおはなしがいい?
「コイバナもいいけど、まずはリンゼイちゃんの質問に答えようかな?」
 ——死に何を求めますか?
 √能力者は。衝動の徒らは思いの外律儀だ。どうしてこうもきちんと、敵の言葉を聞くのか。応えようとするのか。自殺衝動はリンゼイの本意でないとしても、それを利用して、あなたたちを殺そうとしているのに。
 迷い。葛藤。EDENたちの真摯さに揺らぎ続けている「好意」の指針。
 リンゼイのそれに気づいているのかいないのか、ルーシーは朗々と告げる。
「あたしは死にしあわせが欲しい。甘い幸せとかそんなものじゃなく、スパイス」
「スパイス?」
「そう。色んなものを無くして、それでも此処に辿り着いた。此処で出会った色んな人がいる。守りたいと思うものがたくさんあるの。その『守りたい』って気持ち為に重い腰上げて何年も何年も奔走していくと思う」
 守りたいという気持ち。それは「Endless Desire for Essential Nexus」と呼ばれる衝動だ。ルーシーにはその衝動を抱けるたくさんのAnkerがいる。
 両手から溢れるくらいに。溢れてしまうのなら、守りきれない? 手が及ばない? 及ばなくて、苦汁を飲むことがあるかもしれない……そうかもね。
「それでも、途方がなくたって走り続けて。そうして走り切った先で、こんな生き方も悪くなかったなって感じたいんだぁ。思えるような、そんなゆるめで刺激の強い“しあわせ”が良い」
「ゆるいのか刺激的なのか、よくわからないんですが」
「そうかな? 君もわかると思うけど。だってそんな恋する乙女みたいな目をしてさ」
「こ、恋だなんて」
 その奈落色の目を覗き込むように、ずい、とルーシーがリンゼイに迫る。そっとその胸に右掌を添えて。
 綺麗な緑色は穏やかな森のものではない。まるでお菓子の家でもあるような怪しくて魅惑的な気配のする魔女の森の色をしている。
「人を好きになる気持ちを知っているなら、君はもう|刺激《スパイス》の味と香りを知ってる。そうじゃない? だって、『先輩』を好きだと思う気持ちは、君にとって甘いだけ?
 甘いだけでもいいや! 君がどう思っているか聞かせてよ。あたしは好きだよ。どんな味でも香りでも……色合いでも。好きって気持ちはお菓子みたいだから」
 そう、彼女は女の子。お菓子の国に住んでいたお姫様。女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かでできている。それを文字通りに体現しているのが、ルーシー・シャトー・ミルズである。
 ただ、通常それは比喩であるはずだから、本当にお砂糖じゃなくても、女の子なら、甘さと共にスパイスを孕んでいるはずだ。そして、甘さ以上に「素敵な何か」をたくさん。
 君の「素敵」も聞くよ。あたしの「素敵」も分けてあげる!
 右掌で、リンゼイから溢れようとする|自殺衝動《スーサイド》を溶かしながら、手を取って、恭しくお辞儀。踊りましょ、踊りましょ。
 決まりきったステップなんて踏まなくたっていい。この右手が触れていることがとてもだいじ。少女霊ちゃんもかわいいけれど、今は君のおはなしを聞かせて。
「例え誰があれそれを望むことが許されない“ふしあわせ”でも、少しでもしあわせになれるなら、あたしはそれが良い。その先で実感できるしあわせが良い!」
 ね、君は? Un Deux trois、Un Deux trois……穏やかにでたらめなステップ。
 器用についていきながら、リンゼイは眉をひそめる。
「私は合衆国の者なのですが……」
「フランス人じゃなければフランス語を喋っちゃいけないってことはないよ。まあ、One two threeの方が馴染み深いのはそうだろうけど」
 与太ののち、リンゼイはくすりと苦笑をこぼす。
「私……そうですね、聞くだけ聞いて、私は言わないというのも、不公平でしょうか。私は……」
 先輩の隣にいたかったです。
 それは甘い想いのはずなのに、ひどく苦味を伴っていた。
 過去形にしている。「もういたくなくなった」わけではなさそうなのに、そのしあわせは叶わないかのように、リンゼイは言う。
「どうして過去形にするの? 叶わないから? 叶えたくないのかな」
「叶えようとしたらきっと、先輩がふしあわせになるからですよ。そんなことはしたくありません。ふしあわせになんてなってほしくありません」
 ビターチョコ。もしくはコーヒー味のクッキーだろうか。まあ、黒いコートの『先輩』は甘ったるいお菓子よりはそちらを好みそうである。
「ふしあわせを享受させたくありません」
「しあわせは純度100%でなくちゃならない、と。それが君の考えなんだ」
 なんて安易で安直。でも笑わないよ。だって味わいがシンプルで素朴なお菓子も美味しいもんね。
 あたしはちょっとの|矛盾《ふしあわせ》もいいスパイスになると思うだけ。香辛料は好みを分ける。
 Un Deux troisのステップが止む。
 与太を交えて三分間。お姫様は準備を整えていた。惜しみながらもダンスの終わりのご挨拶。手を離したら、やんちゃに首を掻ききろうとしてしまったけれど。
 大丈夫。何がなんでも生き抜く覚悟がルーシーにはある。
「ねえ、おすすめを聞いたげる! 何がある?」
 スパイスを求めない君のおすすめはさぞや甘ったるいんだろうけど!
 にっと笑うルーシーに、リンゼイはこてり、首を傾げる。
「バナナ320本ドカ食いなんていかがです?」
「っふふ! 甘そう!!」
 笑いながら【あむあむクッキー】。緑色のクッキーは、残念バナナの味ではない。……たぶん。
 衝動がずしりとのしかかってくる。心を押し潰して、殺してしまおう、死んでしまいたいと思ってちょうだい、|自殺衝動《わたしたち》に食べられてちょうだい、と囁く。
「だーめ!」
 今のあたしは魔法使い! お菓子の家の魔女はどっちかというと食べる側だからね!
 漲る魔力の攻撃に、少女霊たちは弾かれて、リンゼイも攻撃を捌くのに一苦労している。
 それでも、幻影はまとわりついて。
 たくさん、たくさんの|自分の幸せを形作る人《Anker》たちが、殺そうとしてくる。手を伸ばして、魔女め、魔女め、と。
「うん、うん。じゃあ、魔女なら変身しちゃおうか!」
 ぱちりと指を鳴らし、「マカロン」を起動!

 SELECT!

 今日のルーシー・シャトー・ミルズは、アキバチョコレートmixなホイップクリーム! ふわふわあまあまのホイップクリームにはちょっとビターなチョコレート。甘いだけのクリームもいいけど、少し違う刺激を混ぜたらメリハリが効いて違った魅力を感じられるよね☆
 パリパリのチョコチップも入れたら、もっと素敵になるんじゃないかな。デコレーションまで楽しまなくっちゃ!
 そんなスイート&ビターな姿に変身したルーシーに少女霊たちはきゃいきゃいと喜ぶ。
 その声に煽られたようにルーシーのAnkerたちの幻影はルーシーに突撃する。首を絞めよう、髪を引っ張ろう、腕や脚を掴んで、引き倒して、泥まみれにして、お姫様なんてもう気取れないように。ふしあわせにして。
 そうして、ふしあわせに身を委ねて、故郷とおんなじように、あたし自身も失われればいいって、思ってた時期もありました。あったよ。
 でもね、あたしが失われた後、たくさんいるAnkerたちが失われたら、と考えたらね、踏ん張ろうと思えたんですよ。生きる力が湧いて、自然と体が動いて、守りたいって衝動で走り続けることができた。できている。
「人はね、大切な居場所の為に自然と身体が動くもんなんです。そのために生きてる。自分の命より大切って、そういうことなんですよ」
「……それは、もしかして、あなたの『好き』の話ですか?」
「そのとおりっ!!」
 「好き」というとびっきりの想いがチャージされて、お菓子と魔法の力も合わさり、ルーシーは唱える。
「まじょまじょまじょりんみらくるりん!」
 【|00:00《ベル》】が鳴る。
 シンデレラ、ガラスの靴は?
 今ちょっと透明じゃないかも! ——なーんて、お茶目をしながら、とても良い感じのキックが決まる。
 リンゼイの体は吹き飛び、眼鏡もその顔から向こうへ飛んでいく。
 シンデレラの靴はガラスじゃなくてもよかった。ガラスの靴で蹴ったら痛いだろうけれど、そもそも靴が壊れてしまう。足が傷だらけになってしまう。それは自傷趣味ですらない。
 赤い靴にして、お葬式で踊り狂う趣味もない。
 例えば、緑色の石。中身にたくさん傷があって、硬いのにとても脆いエメラルドとか。翡翠はそういうことはないけれど、色に濁りがあるとか。そんな一見|悪いもの《ふしあわせ》が結集しているように見えても、それを綺麗だと人は言う。
 ふしあわせごと愛す、みたいな。
「そんなしあわせがいい。ねえ、人の心に波風を立ててしまう力を持つのが君なんだけどさ、小石だろうが、結局君も――宝石なんだよ」
 愛していいし、きっと、愛されていい。
 そんなルーシーの言葉に、素顔の奈落色は……やっぱりほろ苦い笑みで、目を閉じるのだった。
 ——少女霊たちは私の死を美味しいと言いますが、あなたにとっては、どんな味でしたか?

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挿絵イラスト