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⑧She’s a Bae
●The Virgin Suicides
あるものは混沌。
ガソリンと油。新鮮な血と肉の臭い。
それら全てが蕩けたチョコレートのように溶け合って、辺り一面に死の泥濘が作り上げられていた。
ある妖は己の胸を、腹を自らの触腕で磔にするかのように貫いた。
ある怪人は手にした散弾銃で己の頭を鳳仙花の如く弾け飛ばし、首から下の体を残して固いコンクリートの地面に倒れ伏した。
ある獣は哄笑を上げながら自らの四肢を喰い千切り、ある機械兵は母国への忠義を掲げながら爆炎と共にその機体を四散させて砕け散った。
誰もが皆命を断っていく。
ひとも、簒奪者も、何もかもが自らの意思に反してその場に崩れ落ちていく。
その光景を背に、ひとのかたちをした災厄は一度だけ振り返って憂いに顔を伏せた。
近寄らないでください。
触れないでください。
――これは、私に齎されたのろいに違いないのです。
●Death agony
「皆、大きな怪我はないかい。……そう、それならよかった」
戦いに身を投じる能力者たちを労いながらジュード・サリヴァン(彼誰・h06812)は戦況を反映させたタブレット端末を操作して次なる戦地を示す地図を浮かび上がらせた。
「合衆国管轄の封印指定人間災厄が放たれたと云う情報が入った」
彼女の名は√汎神解剖機関の人間災厄『リンゼイ・ガーランド』。この戦の最前線である秋葉原ダイビングビルに現れた彼女は、今この瞬間にも戦場に混沌と死を振り撒いているのだと云う。
「王劍戦争の全勢力の妨害。それだけなのであれば俺達にも利があるかもしれないが……そうも言って居られないんだ」
彼女の√能力は『無差別自殺』。自死を齎す権能は彼女の意思とは関係なく近付くもの全てに齎される。ただ簒奪者同士が争い合うだけならば放置しておいても問題はないのかもしれないが――能力者や民間人に於いてもその呪いに例外はない。放っておけば知らない内に自らいのちを絶ってしまう危険性を常に孕むことになってしまうのだと、ジュードは言葉を続けながら端末から顔を上げた。
「常とは違う意味で危険な戦場だ。けれど、彼女の能力にはひとつだけ穴がある」
|ヴァージン・スーサイズ《乙女たちの自死》。
それは彼女が好意を抱いた相手には効果を発揮せず、自死の呪いに囚われることなくリンゼイと相対することが叶う唯一の突破点。
「好意と言ってもすべてが恋情である必要はない。友愛、親愛……彼女から何らかの好意を得ることが出来れば、必ず道は拓ける筈だ」
好意を抱かせた相手と戦うと云う意味では別の苦しみがあるかもしれない。それでも今ここで彼女を撃破、或いは撤退に追い込まなければ多くのいのちが失われてしまうことには変わりない。
「辛い戦いに挑ませてしまってすまない。……どうか、無事で」
あおい双眸に揺るがぬ信を乗せ、ジュードは能力者たちに続く道を示した。
第1章 ボス戦 『人間災厄『リンゼイ・ガーランド』』
●Cendrillon
足取りは死出の旅路にそぐわぬほどに軽やかに。
たん、とん。
たん、とん。
一歩、二歩。拍子を刻むように地を蹴ったルーシー・シャトー・ミルズ(おかしなお姫様・h01765)をレンズ越しの視界に捉え、リンゼイ・ガーランドは僅か一歩。ほんの一歩だけ後退る。
それは年若い少女のすがたをしたものにまで自死を齎してしまうことへの迷いであったのか。『近寄らないでください』と震える唇がか細く紡ぐのをルーシーは確かに耳にしたから。彼女に対話の意思があることを知り、それならばと静止の声を振り払うように更に一歩を踏み出した。
「近寄らないで、触れないでって?」
ぎくりと全身の筋肉が強張る。まるで血管の全てが引き攣れてしまったようだ。
意思もこころも何ひとつ変わってはいないのに、からだを操る神経だけが『ばか』になってしまったみたいで、それ以上足を動かすことが出来なくて。
「もしかして自分からトマトみたいに弾けちゃうから?」
「そっ……、……そうです。私は戦う意思の無い人々までもを死なせてしまう。だから……それ以上近付いては、」
それでも、進む。
胸の前でてのひらを組んだ少女の姿は祈りを捧ぐ殉教者のようにも見えただろうか。
「なんないよ」
違う。
右の手が自らの心臓を抉り出そうと胸に爪を立てるのを左の手が必死に押さえ込んでいる。とても己には出せぬほどのちからで暴れそうになる右腕に抗えば微かに脂汗が滲むけれど、このまま彼女の言うままになってはならない。決してそうさせてはいけないと、はじめからこの胸に決めている。
「そうならない様に必死こいて抗わせてもらってるから。可愛いもんだよぉ」
「……、……どうして」
己は災厄。遍くいのちに自らの手で終焉を齎すのろいの担い手。
それを知りながら何故なおも進んでくるのかと。瞳を揺らしたリンゼイを見上げ、ルーシーはにこりと微笑んで見せた。
「まず120秒あげる。んで60秒頂戴。それでお話しよ」
自分たちは敵同士。そこに何の義理も絆もありはしないのに。
その瞳があまりにも真っ直ぐだったから、災厄と呼ばれたおんなは頷く代わりにゆっくりと眼を伏せる。積極的に刃を振るいはしないが、彼女の目的はこの戦場に於ける『邪魔者』を潰し合わせること。そこは揺らがせることがないからこそ、リンゼイは沈黙を是としてルーシーに静かに応えた。
――Un deux, un deux!
掲げられた手はどちらのものだったのだろう。
翳したてのひらが目に見えぬ自死の呪いを打ち消すことが出来たと知れたのは、呼吸の仕方を思い出すことが出来たから。たとえ自ら死を掴み取ってしまったとしても、ルーシーの胸にはそれさえも乗り越える確かな覚悟があった。
彼女にはこころがある。だから、きっと想いは届く。
ほんのすこしの奇跡が舞い降りることを。頑なな心に、触れることが叶うと信じて。
手を伸ばす。『120秒後』のリンゼイがゆらりと自殺少女隊を呼ばうと同時、叫び出したいほどの衝動が胸の鼓動までもを止めてしまいそうになるけれど――それでも、届けと、手を伸ばす。
「それでも君は、ちゃんと人間なんだよ。そんなしょげたままの顔、リンドー氏が喜ぶと思うかい?」
「……!」
完全にその身に宿した災厄を消すことまでは不可能かもしれない。けれど、死を運ぶものと呼ばれてきたのであろう彼女が悲しみにとらわれたままではいてほしくない。彼女が慕うあの胡散臭いおとこだって、多分。多分おそらく、彼女が心から慕う相手であるならば、それを憂いてくれる人間なのだろうから。
「その証明なら幾らでもしてやるから――どうか恐れずに、レディ」
想いはとびっきりの『あい』を。
このものがたりを『めでたし』で締め括るための、魔法のことば。
最悪なお菓子の作り方ではあるけれど、最悪じゃなくなる道へと繋がるのならばそっちの方が随分マシだ。だって、ああ、ほら。そのこころを証明するたったひとつの事実がある。ルーシーはもう、『真っ直ぐ立つことが出来ている』。
「全部、全部! お菓子なお姫様にお任せですよ!!」
繋いだてのひらを思い切り引き寄せ、衝撃でぐらりと揺らいだリンゼイの胴を|飴細工《ガラス》の靴が強く強く打ち据える。
とびきり脆い足が悲鳴を上げるけれど、構いはしない。
シンデレラからは程遠く。それでもこころは本物だ。
交わした視線のその先で、リンゼイは微かに、ほんの微かに笑っていた。
