⑱禍津鬼荒覇吐を討伐せよ
●魔空湯島聖堂にて
「魔空湯島聖堂」―――それは迷宮と化した湯島聖堂であり、瞬きをする間にもその|迷宮《カタチ》は変わりゆく。
その迷宮の中央に座し、大妖|『禍津鬼荒覇吐《まがつおにあらはばき》』は泰然と笑っていた。
「ははは、EDENがなんだというのだ。
『宴』は果てなく続く。そして宴が続く程、俺の神力は満たされてゆく……」
|EDEN《√能力者》たちが、自分を討伐せんと意気込んでやってくる。
その気配を感じつつも、彼が態度を崩すことはなかった。
「なにせ、俺は原初が神。負けることはないのだからな!」
なぜなら、彼は自身が「完全存在」であることに、自信を持っていたから……。
●星詠みが得たゾディアック・サイン
「みんな、集まってくれてありがとう。
早速本題に入るけれど……王劍戦争の「秋葉原荒覇吐戦」が―――|大妖『禍津鬼荒覇吐』《王劍を掌握した簒奪者》の大侵攻から|秋葉原《√EDEN》を守る戦いが続いているよな」
集まった√能力者たちに対し、 五百住・遊悟(沈黙の掟・h03324)は、星詠みの力で予知した内容を語り出した。
「至急|秋葉原《√EDEN》に向かい、湯島聖堂にいる大妖『禍津鬼荒覇吐』を討伐してきて欲しいんだ」
遊悟は秋葉原のマップを広げると、御茶ノ水駅の近くにある湯島聖堂を指した。
「禍津鬼荒覇吐がいるのは、湯島聖堂……迷宮と化した「魔空湯島聖堂」だ」
本来ならば一般客へ開放されているはずの湯島聖堂であるが、迷宮と化し魔空湯島聖堂となったことで、現在は聖堂内に一般人はいないらしい。
「|一般人《巻き込まれた人》がいないのは良いことだが、迷宮になってるのは厄介だよなぁ」
まあ、あんたたちなら迷子になることはないけどさ、と遊悟は言う。
「禍津鬼荒覇吐は完全存在で、戦争前にも幾度か|EDEN《√能力者》と交戦してその力を見切ってる。
ひと言で言うなら……強い」
そこまで話すと、遊悟は指を二本立ててみせた。
「だが、つけいる隙がないわけでもないんだ。
ヤツの「自分は完全存在である」という慢心、そして、迷宮化した湯島聖堂。この2点は利用できるかもしれん」
禍津鬼荒覇吐の「自身が完全存在である」という傲り高ぶり。それは、いま目の前に居る|EDEN《√能力者》を過小評価するという悪癖になりえるかもしれない。
そして、迷宮化した湯島聖堂。刻一刻と変化する迷宮は、禍津鬼荒覇吐とてその形状を把握しきれないだろう。ならば、その変化を上手く活用し、自分たちが戦いやすい|地形《カタチ》にすることができれば、地の利を得ることができるかもしれない。
「敵の慢心と、地の利。そのどちらかを上手く利用できれば、戦いを有利に進めることができるだろう」
ちょっと面倒かもしれんが、あんたたちなら上手くやれるさ、と遊悟は笑った。
「禍津鬼荒覇吐は強いが、全盛期からは弱体化しているのは間違いない」
|EDEN《√能力者》の|実力《ちから》を見せてやろうぜ、と遊悟は言う。
「自分がEDENに倒される事など微塵も想像してない禍津鬼荒覇吐を倒してきて欲しい。
どうか、よろしく頼む」
遊悟は姿勢を正すと、√能力者たちに向かって奇麗に頭を下げたのだった。
第1章 ボス戦 『大妖『禍津鬼荒覇吐』』
新城・真白(虚白回帰・h07394)は迷宮と化した聖堂内を越え、大妖『禍津鬼荒覇吐』の元まで辿り着いた。
「完全な存在……ね」
今、その灰色の瞳は、禍津鬼荒覇吐のみを映している。
だが、荒々しくおどろおどろしい彼の姿を見ても、真白の澄んだ瞳に焦燥や忌避の念が浮かぶことはなかった。
「じゃ、その完全を真っ白に否定しようかな」
凪いだ湖面のように、落ち着いた瞳。それは、かの大妖を見ても、彼女が|動じていない《いつも通り》だということの証左だった。
「ほう、『漂白』の災厄か」
興味深いモノを見た。そんな顔で禍津鬼荒覇吐は真白を見つめる。
「去れ、『漂白』。お前が|消す《漂白す》べきは、この魔空湯島聖堂ではないだろう?」
魔空間と化した湯島聖堂を消しに来た。
真白の到来を、禍津鬼荒覇吐はそのように解釈したようだった。
「勘違いしてない?
わたしが真っ白に|否定する《する》のは、あなた」
平坦な口調で「あんまりガッカリさせないで」と真白は呟く。
「完全存在」であるというのならば、|こちら《真白》の目的を見誤らないで欲しい、と。
「……ははははは!」
戯れ言をと独りごちながら、禍津鬼荒覇吐は立ち上がった。
「そのような小さき|体躯《うつわ》で、俺相手に一体何が成せるというのだ!」
禍津鬼荒覇吐は燃えさかる火にも似た|オーラ《原初の神力》を纏い、一気に真白との距離を縮める。
その手には荒覇吐倶利伽羅之大太刀。真白の何倍もありそうな大きな刃が、彼女に向けて振り下ろされた。
「完全、ここに破れたり、かな」
しかし、真白は動じることなく自ら相手の懐に飛び込み、その白く|嫋《たお》やかな手を伸ばした。
白い手が褐色の肌に―――禍津鬼荒覇吐の胸部に触れた瞬間、赤々と燃えていた|オーラ《原初の神力》が霧消した。
√能力の【ルートブレイカー】。その力が、禍津鬼荒覇吐の|【アラハバキクリカラノオオダチ】《ちから》を打ち消したのだ。
「俺の力を消した、だと!? この俺は完全存在であるというのに!?」
「そもそも完全って何かな……?」
刃は、真白の頬に|一筋の紅が引いた《わずかに傷をつくった》。だが、それだけだった。
大太刀はその凶悪な見目に反し、真白にほぼダメージを与えることができなかったのだ。
「正確な定義のないようなモノの意義は小さいんだよ」
うっすらと滲んだ血をそっと拭いとりながら、真白は諭すように語りかける。
「くっ……」
「その自信が、自負が、強さを曇らせている。その事実に目を向けたらどうかな?」
正論を前に|たじろいだ《精神的に打撃を受けた》禍津鬼荒覇吐に対して、真白は氷のように冷たい眼差しを向けたのであった。
(「むむむ、完全存在って、欠落のある√能力者とは反対っぽい感じするね?
使う能力はあんま変わんないっぽいけど……」)
迷宮と化した聖堂内を駆け抜けながら、雪月・らぴか(霊術闘士らぴか・h00312)は思考にふける。
敵である大妖『禍津鬼荒覇吐』は「完全存在」であると聞いた。
欠落がある|√能力者《らぴかたち》とは、まるで対極の存在ではないか……。
(「よくわからないけど……やばそうなやつってことと、倒さないとやばいってことはわかるし、やれることやるしかないよね!」)
しかし、行使する|能力《ちから》そのものは、らぴかたちとさほど差異があるようには思えない。
そして、かの大妖を討ち滅ぼさねば、この|秋葉原荒覇吐戦《たたかい》は終わらない。
ならば、やることはひとつ。
戦って、勝つ。それだけだ。
(「禍津鬼荒覇吐は強いって言っても、無敵じゃない。
なら、少しずつその力を削いでいけば、いつかは勝ててる!」)
らぴかが迷宮のその中心地に辿り着くと、禍津鬼荒覇吐はピリピリした様子で片膝立ちをしていた。
「|EDEN《√能力者》どもめ、俺をコケにしおって……」
何かが気に食わないらしく、苛立っているようだった。
(「今はまだ|その時《タイミング》じゃない、かな」)
うかつに近づけば、気取られてしまう。床はうねり、壁が動き回る中、らぴかは柱の陰に隠れ「その時」が訪れるのを待つ。
「まぁ、いい。何人来ようが、俺を傷つけることはできまい」
禍津鬼荒覇吐が不遜な態度でそう笑った時、頭上から鈍い音が鳴りだした。
彼の身の丈の何倍も高い位置にあった天井が、徐々に下がってきている。そして、不規則に動く壁もまた、彼の背へと近づき始めていた。
(「……来た」)
これこそが、らぴかが待っていた|機会《タイミング》。
めまぐるしく変化していく|迷宮《屋内》の、その|地形《形》がらぴかにとって優位に働く、その瞬間を待っていたのだ。
3、2、1と心の中でカウントをして、0になった瞬間、らぴかは柱の陰から飛び出した。
「……!」
らぴかの気配を察知した禍津鬼荒覇吐が、王劍『明呪倶利伽羅』を手に跳躍しようとする。
しかし、その動きを、低い天井と迫り来る壁が遮った。
「貴様……!」
「気づくの、遅いよっ」
らぴかの意図を察した禍津鬼荒覇吐が息を呑む。しかし、らぴかは介さずに√能力の【雪風強打サイクロンストレート】を発動させる。
「こいこい集まれ吹雪の力っ! ズバッと一発れっつごー!」
吹雪を纏ったらぴかの左拳が、禍津鬼荒覇吐のみぞおちを的確に捉えた。
「―――雪風強打サイクロンストレート!」
「っ」
禍津鬼荒覇吐の顔が痛みに歪む。ぐっと踏みとどまり倒れることこそ回避したものの、ダメージは間違いなくその身体に受けていた。
「こ、の……小娘がぁ!」
明呪倶利伽羅が振るわれる。しかし、その場に舞ったのは血飛沫ではなく、ピンク色の柔らかな髪数本のみ。
|一撃離脱《ヒット&アウェイ》。禍津鬼荒覇吐に一撃を入れた後、らぴかは直ぐにバックステップを踏み、互いの距離を広げていたのだ。
「攻撃したら、すぐに後退する……戦いの基本だよね!」
特に、キミみたいな相手にはね!
そう言って、らぴかは凜々しく笑んで見せたのであった。
「お前も俺の命を狙いに来たのだな?」
藤丸・標(カレーの人・h00546)が大妖『禍津鬼荒覇吐』の元までやってくると、彼は殺気だった視線を向けてきた。
「君からすれば、そう思えるんだろうね。
私としては、ただカレーの導きによって通りすがっただけなんだけど」
禍津鬼荒覇吐から放たれる威圧感もどこ吹く風。標は飄々とした態度を崩すことはなかった。
「カレーだと? とぼけたことを言う女だな!」
禍津鬼荒覇吐の身体から、原初の神力が吹き上がる。
彼が荒覇吐倶利伽羅之大太刀を向けてきた瞬間、標は動いた。
「おやおや、君のその攻撃、なんだかすごく迷惑そう。
正義の味方としては、見過ごせないのよ」
赤いフラットシューズで地を蹴りつけ、サリーの裾を翻しながら標は走り出す。
「わたしのお腹が空いたから、ちょっと寄り道させてもらうね!」
標は√能力の【カレー・ジャスティス】を|実行する《発動させる》。
「―――この体はなんやかんやでカレーで出来ている」
めまぐるしく変化していく聖堂内。その床から、超巨大寸胴がせり上がってきた。
寸胴鍋に満たされているのは、数日前から煮込まれていた特製の無頼庵カレー。かぐわしい香りが、一気に聖堂内に広がっていく。
標は懐から華麗なる|ルウ漿石《いし》を取り出すと、|最後の一押し《仕上げ》と言わんばかりに寸胴鍋の中に砕き入れた。
「その『原初の神力』を使った技は、ここでおしまい!」
食欲をそそる香りに満たされた聖堂内で、標は湯気の立つ無頼庵カレーを頬張った。その身体に|パワー《カレー》が|注ぎ込まれ《注入され》ていく。
「小娘、ふざけるにもほどがあるぞ!」
禍津鬼荒覇吐は怒り心頭といった様子で、標に向かって荒覇吐倶利伽羅之大太刀を振り下ろす。
―――しかし、その切っ先は、標に届くことはなかった。
出現した護霊「ガラムマサラ」が超巨大寸胴を使い、その切っ先を受け止めたのだ。
「カレーは万能。|見て《愛で》てよし、嗅いでよし、食べてよし。そして、防御さえもできる」
「そんなわけがあるかっ!」
口ではそう言いつつも、禍津鬼荒覇吐は一歩引いた。
|食べ物を粗末にするような真似はできない《鍋をひっくり返すコトはしない》。
神であり、完全存在である自分が、食べ物を粗末にしたとなれば、人間にあざ笑われる。
―――神のくせに、|その程度の《人間でさえできる》コトもできないのか、と。
「無頼庵カレー、君もひと口食べるかい?」
「食わんわ!!」
言い返す禍津鬼荒覇吐から、余裕の色は消えていた。|EDEN《√能力者》の攻め方が予想と違っていたようで、|焦りを隠せずにいる《ペースを崩されていた》。
「そうかい、残念だ。こんなに美味しいのに」
標はそう言って、無頼庵カレーを更に頬張ったのであった。
「まずは戦いやすい場所を探しましょうか」
見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は、√能力の【警邏作戦】を発動させた。
彼女の|呼びかけ《召喚》に応じて、どこからともなく戦闘員たちの幻影が出現する。
「手分けして、戦いやすそうな場所を探してもらえませんか? できるだけ、シアニさんの戦闘スタイル向きな……」
|揃いの仮面、揃いの黒スーツの人々《戦闘員たち》に、七三子はテキパキと指示を出していく。
戦闘員たちはコクリと頷くと、三々五々散っていった。
そんな七三子の様子を見ながら、シアニ・レンツィ(|不完全な竜人《フォルスドラゴンプロトコル》の羅紗魔術士見習い・h02503)は、大妖『禍津鬼荒覇吐』に思いを馳せる。
(「自分を完全存在って言いきれるのは、ちょっと羨ましいな」)
竜の力と記憶を失った自分は、不完全で、半端者で、なり損ないで―――そう思うことばかりだから、自身の存在に絶対の自信を持っている禍津鬼荒覇吐が、ある意味羨ましくあった。
(「……だけど」)
ただ、こうも思う。不完全だからこそ気づけたことが、知った思いが、あると。
(「見下さんと一緒で嬉しい気持ちも、この人みたいな優しくて暖かい大人になりたいって憧れも、不完全だから気付けたって思いたい」)
もし自分のことを完全完璧な存在だと思い続けていたのならば、人間を見下し続けていたのならば、きっと七三子と出会うことはなかっただろう。
よしんば出会えたとしても、こうして肩を並べ手を取り合い、共に戦に挑む仲にはなり得なかったであろう。
だから、思う。「不完全なのは、悪いことではない」と。
(「半端者の意地、見せてあげる!」)
「あの……シアニさん、後で甘酒飲みに行きません?」
決意をそっと胸に秘めたシアニに向かって、七三子は「近くに有名なお店があるらしいんですよ」と語りかけてきた。
「身体に染みますよ、きっと」
温かくて甘い甘酒、|身体を動かした《戦った》後にいただけば、きっと美味しいに違いない。
しかも、ひとりではない。友とふたりでならば、その美味しさも倍増することだろう。
―――戦う前の約束を交わすのは、ほんの少しだけ怖い。
もしも叶わなかったら、あるいは、望みもしない形で果たされてしまったら。
そういう思いがないわけではない。ただ……。
(「でも、大丈夫」)
シアニは強い。そして、|自分《七三子》だって、日々成長している。
例え相手が、神を自負する禍津鬼荒覇吐であろうとも、負けることなどない。
(「シアニさんのことは、私が守る。私のことは、シアニさんが守ってくれる」)
約束を交わすのは、信頼の証。無事にふたりで帰還するのだという、決意の印。
「見下さんは、甘酒だけで足りるのかな?」
「私、そんなに食いしん坊に見えます……?」
|軽口をたたき合って《リラックスして》、そして笑みを交わした。
ふたりの間にいやな緊張感はない。いつも通りに戦って、いつも通りに帰還する。ただ、それだけだ。
「あ、いい感じの場所に誘導できたみたいです」
七三子が戦闘員の仮面を被りながらそう言うと、シアニは|緑玉石《エメラルド》のような瞳に好戦的な光を浮かべた。
「じゃあ、打ち合わせ通りに」
「ええ、行きましょう!」
禍津鬼荒覇吐は明確に苛立っていた。
取るに足らないと思っていた|EDEN《√能力者》たちが、想像よりも|善戦している《猛者だった》から。
「……|新手《あらて》の登場か」
新たに現れた戦闘員たちを一瞥し、禍津鬼荒覇吐は「だが、取るに足らん」と鼻で笑う。
戦闘員たちは、四方八方から攻め込んできては、一撃を加えて離れていく。
手数こそ多いが、その一撃一撃は軽く、彼の鎧や籠手に弾かれて、これといったダメージを与えられずにいた。
「うっとうしいことこの上ないな」
追い払ってやると、禍津鬼荒覇吐は戦闘員たちの後を追う。
―――不意にガツンと背中で鈍い音が上がった。
強い衝撃を感じて反射的に振り返れば、髪をひとつに結わえあげた戦闘員がひとり。
「貴様……」
痛みらしい痛みではない。だが、虫けらのように思っていた相手から不意打ちを食らえば、嫌がおうにも気を引かれる。
「せめて顔を見せろ。神を前に、不敬だぞ」
「……」
不敬だとか、そんなの知ったことではない。
むしろ、自分にとってはコレが正装ですよと、七三子は内心舌を出す。
(「鬼さんこちら、なんちゃって」)
七三子は踵を返し、聖堂の外に向かって走り出す。まるで、この場から逃げだそうとしているかのように。
勿論それは、ただの罠なのだが……。
「今更怖じ気づいても遅いぞ、小娘!」
しかし、ペースを崩され、苛立っている禍津鬼荒覇吐は気づかない。否、よしんば気づいたとしても、「罠ごと|相手《七三子》を潰せば良い」と思うだけだろう。
禍津鬼荒覇吐が追いかけてくるのを背中で感じ取り、七三子は声を上げる。
「……シアニさん! 今です!」
「了解!」
禍津鬼荒覇吐が大太刀で、他の戦闘員たちごと七三子をなぎ払おうとする、まさにその瞬間。
「お願い、弾いて!」
シアニの√能力、【羅紗魔術・反響障壁】が展開された。
シアニがまとう羅紗マフラーが広がり、|禍津鬼荒覇吐が振るわんとした力《アラハバキクリカラノオオダチ》を瞬時に解析。正反対の力を、生成―――否、生成した上で増幅し、真っ向からぶつける。
「ぐ……」
羅紗魔術と大太刀のせめぎ合い。激しい力の余波を受け、禍津鬼荒覇吐はよろめいた。
その隙を逃すシアニではない。
彼が体勢を直すよりも早く、その頭に|戦鎚型竜漿兵器《シアニハンマー》を振り下ろした。
「ガアアア! こ、この、出来損ないどもめがぁ!!」
脳天を激しく揺さぶられる。禍津鬼荒覇吐は痛みのあまり鋭く吠えた。
「えへへ、油断大敵! 勉強になりました?」
「半端者だからって、甘く見るからだよ!」
してやったりと、七三子とシアニはハイタッチを交わしたのであった。
迷宮と化した湯島聖堂―――魔空湯島聖堂はめまぐるしくその|構造《カタチ》を変えていく。
天井は動き、床はくねり、壁は留まらない。一瞬前に立っていた場所に柱がせり上がってくることもあれば、逆に、天井と床がくっつき|何人《なんぴと》たりとも通れぬ壁と化すこともある。
しかし、和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)からすれば、|狭い《そんな》場所など慣れっこであり、警戒するに至らぬものだった。
(「狭かろうと、暗かろうと、そんなものは何の障害にもならんな」)
微細な気配を拾う体内の振動器官が―――潜響骨が、壁のうねりを拾い上げ、その固い殻の内側で|方角と方向をすりあわせる《進む道を解する》。
(「湯島聖堂は変化し続ける。
――ならば、その変化こそ利用するだけだ」)
蜚廉は、√能力の【穢殻変態・塵執相】を展開する。
「我が奔駆は、死すら置き去る」
彼の|蠢層領域《すがた》が変わる。黒褐色に光る多重殻奔駆躰に変化すると同時に、その再生速度や脚力も飛躍的に向上していく。
西へ東へと方々へ動いていく壁を|跳爪鉤《副脚的な跳躍爪》で蹴りつけて跳躍し、爪先から|斥殻紐《黒銀の糸》を伸ばす。梁へと巻き付いた斥殻紐は、振り子のように蜚廉の身体を揺らした。
「……こちらか」
蜚廉は壁や床の動きを瞬時に察知し、迷宮がその形を変化し道を閉ざすよりも早く|戦うのに適した《敵を待ち受けやすい》場所へと|跳躍して《飛んで》いく。
(「禍津鬼荒覇吐が“完全存在”を名乗るなら、その慢心は必ず隙になる」)
大妖『禍津鬼荒覇吐』の巨体では、きっと迷宮の変化についていくのは厳しいのだろう。
故に、中央にて|我々《√能力者》を待ち受けている。
そうならば……。
「|EDEN《√能力者》め……この俺を散々コケにしやがって」
禍津鬼荒覇吐が苛立ったように息をつくと、ゆったりと歩き出した。
その身体は、あちこち傷ついている。
どうやら狭い場所で戦うのは分が悪いと思い始めたらしく、一度|広い場所《そと》に出て態勢を立て直そうとしているようだった。
(「そうはさせない」)
物陰に潜み、蜚廉は機をうかがう。
再び|聖堂《迷宮》の壁が動きはじめた。壁の角度が変わり、他の部屋に繋がる通路が狭まっていく。
禍津鬼荒覇吐がその通路へ足を踏み入れるよりも早く、行く手を遮るように蜚廉はその身体を滑り込ませた。
「ネズミが……いや、|蟲《ゴキブリ》が入り込んだか」
蜚廉の姿を見た禍津鬼荒覇吐は、怒気を隠そうともしなかった。
その身体から炎にも似た揺らめきをもつ|禍々しい神力《オーラ》が立ち上り、荒覇吐倶利伽羅之大太刀の柄を強く握りしめる。
「去れ。さもなくば、痛い目を見るぞ?」
「ははは! それはできぬ相談だな」
お前の首級をあげるまでは帰れないさ。
蜚廉の呟きに、禍津鬼荒覇吐の怒りが更に膨れ上がった。
張り詰めた空気が、静から動へと転じる。その瞬間の変化を、蜚廉は翳嗅盤で嗅ぎ取る。
(「―――来る!」)
|大太刀の振りかぶるために敵が腕に力を込めた《アラハバキクリカラノオオダチを発動させる》まさにその時、蜚廉は【触厭】を展開する。
「穢れに染まりし掌にて、触れし力よ、我を嫌え」
蜚廉は禍津鬼荒覇吐の懐に飛び込み、籠手に守られた腕に己が右手を叩きつけた。
蜚廉の無骨な黒い右掌が赤く光ると同時に、禍津鬼荒覇吐のまとう|オーラが急速にかき消えていく《神力がしぼんでいく》。
「その汚らしい手で俺に触るな!」
原初が神に触れるなど、おこがましいぞ、この蟲めが!
禍津鬼荒覇吐は眉を跳ね上げ、蜚廉に触れられた腕を軽く振る。まるで、付着した汚れを振り落とそうとしているかのように。
「今は戦の|最中《さなか》。そんなことを気にしている暇などあるのか?」
バックステップを踏んでその距離を広げた後、蜚廉は【穢刻還声】を発動させる。
「―――因果を此処に。穢れを刻みて、聲を返す」
己が手で触れ、眼で見、触覚で嗅ぎ、聞き取り、全身で感じ取った、「禍津鬼荒覇吐の|完全性《型》」を|真似る《コピーする》。
蜚廉の身体が軋む。|脚《手足》や翅はより硬質になっていき、腹の肉がより密になる。複眼と単眼は赤く光り、その視野をより広くし伝達速度もアップさせていく。
蜚廉の|身体《性能》が、禍津鬼荒覇吐の「|完全《それ》」に近づいていく。
しかし、その実、完全―――欠けも不足もない、完璧なものなど、この世界には存在しない。
「なるほど、俺を真似るか」
策としては悪くない、と禍津鬼荒覇吐は感心したように呟く。
「しかし、俺ほどの高みへは到底到達できまい?」
言葉と共に振り下ろされる大太刀。その切っ先を受け止めた蜚廉の腕が、鈍い音を立ててひしゃげた。
パリパリと乾いた音を立て、一度は硬質化した表皮が脱落していく。
「そうだな。だが、それでいい」
脱皮するかのように、蜚廉の腕からズルリと表皮が剥がれ落ちた。
形こそいびつであるものの、|そ《腕》の表面はやはり黒く硬質な殻で覆われている。
「“偽りの完全”でも、汝と戦うには十分だ」
傷つき剥がれ落ちても、残された細胞が活性化し、新たな殻を生み出す。
まったくダメージを受けていないとはいえない。だが、戦闘が継続できないほどでもなかった。
これならば問題ないと、蜚廉は好戦的に笑ってみせた。
「……|脱皮《変化》には慣れてる、ということか」
どこまでも蟲なのだな、と禍津鬼荒覇吐は舌打ちをする。思ったほどのダメージを与えられなかったことが癪に障ったらしい。
「そうか、そうだな。確かに|お前《ゴキブリ》らは、遙か昔からおめおめと生き延びてきたのであったな」
|蟲《ゴキブリ》とは、億を数えるほどの年月を重ねなお絶滅することもなく、ずっと続いてきた種。どんな環境下でも生き延びられる強さを、|強《したた》かさを忘れていたな……と禍津鬼荒覇吐は呟く。
「神に成ることはなくとも、永い歳月を在り続けた貴様が、弱いはずもないか」
「……死に損ないと言う者もいる。
だが、我は、こう思うのだ。
生き延びた者、選ばれし強者だったのだよ、と」
卑屈になることはない。生きていることを誇れ。それは強さであり、覚悟の証でもある……。
臨戦態勢を崩さぬまま、蜚廉はそう語った。
「そうか、その意気やよし! ならば、見せてみろ、貴様の生き様を!」
その拳で俺を楽しませてみろと、禍津鬼荒覇吐は吼える。
「元よりそのつもりだ。―――廻れ、本能の歯車よ」
蜚廉は【原闘機構】を発動させる。その|身体《からだ》の中に眠る原生の適応反射が覚醒し、その複眼が禍津鬼荒覇吐の太刀筋を捉える。
身体のみならず脳の処理速度も飛躍的に上昇し、禍津鬼荒覇吐の動きさえスローモーションのように感じた。
「っ!」
禍津鬼荒覇吐が防御態勢を取ろうとした時、聖堂の床が鈍い音を立てて蠢き、傾いた。
思わず禍津鬼荒覇吐が|蹈鞴を踏んだ《隙を作った》、その瞬間こそ、蜚廉が待ち受けた“地の利”。
溜めていた推力を一気に解放する。成長した殻が軋み、ボロボロと崩壊と再生を繰り返す中、ただ禍津鬼荒覇吐ひとりに特化した型で、蜚廉は相手の懐に再び踏み込んでいく。
シュッと短く息を吐きながら、蜚廉はその拳を|完全を名乗る妖《禍津鬼荒覇吐》の身体の央に叩き込んだ。
「ぐ、は……!」
蜚廉の拳をまともに食らった禍津鬼荒覇吐は吹き飛ばされ、背中からドウッと床に倒れ込んだ。
「なぜ、完全な……神である、俺が……」
「完全存在だろうと関係ない。
迷宮も慢心も、生き残る側にこそ味方する」
禍津鬼荒覇吐を見|下《お》ろしながら、蜚廉は語りかける。
「我はただ、帰る場所のために殴るだけだ」
その脳裏を過るのは、好ましい|仲間《もの》の笑顔。自分の帰りを首を長くして待っているであろう仲間たちの姿だ。
再び語らいたい、笑顔を交わしたい。その思いが、蜚廉をさらなる|高み《強さ》へと連れていくのだ。
「……はは、そう、か」
俺は強いと、ひとりで十分だと、慢心しきった。それが敗因だったか。
「だが、悔いはない。お前との|ひととき《戦い》は、楽しかった。
ただ、万全の態勢で挑まなかったことは、惜しく思うがな」
もし俺が十全であれば、お前がどのように戦ったのか、見てみたくはあったな……。
そう呟くと、禍津鬼荒覇吐は光と化し、空気に溶けて消えていったのであった。
こうして、√能力者たちの活躍により、大妖『禍津鬼荒覇吐』は撃破されたのであった。
王劍を掌握した簒奪者が討伐されたことにより、秋葉原荒覇吐戦は終結へと向かうだろう。
戦いを終えた√能力者たちたちは、それぞれの日常へと帰投していくのであった。
