シナリオ

暉の牙

#√ドラゴンファンタジー #武装モンスター軍団 #海境都市アイソラ

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●臥して眠る
 近付く|商隊《キャラバン》が異様の状態にあることはすぐに知れた。この街へ立ち寄ると事前の連絡がなかったことがまずひとつ。整然と行儀よく並び、モンスターへ睨みを利かせるべき騎獣たちが、今は我先にと必死の速度で駆けて来るのがひとつ。――稼業の中心を担う幌馬車が大きく損壊し血で汚れているのが、何よりも大きなひとつ。
 故、門番は即座に衛兵を呼び集めその門扉を開いた。怪我人を引き入れ医師を呼び、広場に旅の騎獣を繋ぎ、半ば積荷を失った車を並べた。あとに追い縋るモンスターの姿は今のところない。あったとしても、その無惨な有様を見捨てられるはずもなかった。太陽と月の加護を受けた肥沃な土地を享受するからこそ、手を差し伸べることに躊躇うつもりはない。この街に住む者としての誇りだ。
「襲われた――襲われて、奪われた。あいつら、食料なんかには目もくれなかった。元から狙ってたのは武器だけだったんだ。普通の剣や盾には見向きもしなかった。魔導王国から仕入れたばかりの|竜漿兵器《ブラッドウェポン》だけ、根こそぎ持って行きやがった」
 長と呼ばれた老爺が毒吐く。肩に走った深い刃傷からだくだくと流れる血を数人がかりで押さえつけられる痛みに呻きながら、譫言のように繰り返す。既に手当をしても無意味と判じられ、敷物の上で寝かされるだけになった若き同胞たちの物言わぬ身体に、悲痛な視線を向けながら。
「次はここだ。この街だ! あいつら、竜の神器をと言っていた。きっと今もこの近くに潜んでる。潜んで、待ってる。ここの噂は俺だって知ってる。|そろそろ《・・・・》だろう、風が巡るのは」
 すぐに支度をしろ。男は叫ぶ。逃げろ、などとは言わなかった。脂の浮いた瞳のおもてがギラギラと讐念を語る。
 このままでは奪われる。であれば、此方が奪うべきだ。

●睛を点つ
「商人たちに同調してやるかは任せる。まア大概殺気立ってるが、どいつも怪我して碌に戦場に出られる調子じゃねえ。放っておいたって暴走のしようがない。技術と物だけ提供して貰って、あとは寝かしておいた方が話は楽だろう」
 前提として必要だから共有したまでのことで、依頼の本題は此処からだ。五槌・惑(大火・h01780)が示した地図情報は、√ドラゴンファンタジーの海辺に位置する地方都市「アイソラ」を指していた。
「商隊を襲ったモンスターどもの群れは、どうやらその|竜漿兵器《ブラッドウェポン》使って攻城戦仕掛けるつもりらしい。空っぽの城を突き崩すことを攻城と呼ぶかどうかの是非は置いておくが――悪しき者が近付かぬようにと掛けられた古い魔術の護りを破壊するために、自分たちにない力が欲しかったようだな」
 敵は堕落騎士『ロード・マグナス』。そして、彼に付き従う狂信の騎士団だ。世界に安寧を齎す聖剣を探索し続ける彼は、今やそうと信じ込んだ対象を甲斐なく奪い続ける怪物と成り果てた。
 目当てのものは|天上《・・》にある。街の守り神たる『太陽の竜』と『月の竜』が遺したとされる神器は、常に雲の上を巡り続け、月に一度きり姿を現わす空飛ぶ城砦に収められていると言う。
「神器と言うと大それて聞こえるが、土着信仰の対象ってだけだ。太陽の竜の牙から作られた剣と月の竜の涙を受け止めた鏡、と伝わってるらしいが真偽は知らねえ。√ドラゴンファンタジーに天上界が存在していた頃の名残の空中城砦こそ、空に一番近い場所だからってンで神殿代わりにされてる」
 その建造物自体に神聖な謂れがあるわけではない。中に敵を引き込んで戦うにあたって街の住民たちからの反発もないだろう。夜には雲が晴れて城砦が遠く見えてくるはずだ。明日の未明、城砦が手の届く高度まで降りて来た時点で、悪しき騎士団は何らかの手段で以てそこへ乗り込む。であれば、此方も同様のことをするほかにない。神器を手にしようと雪崩れ込んだ敵を迎え撃つ、或いは先んじて神器のある場所まで辿り着いて確保する。此処に集まった連中は後者の担当だ、と星詠みが付け加えた。神器がそう呼ばれるに足るものかどうかはさておき、目的を果たした敵がそうそうに去って次の事件を起こすようでは困る。
「神器の確保を担当するのはアンタらと、街に居着いた冒険者のうち精鋭を幾人か。とは言え防衛戦の面々含めて空の上に大勢送り込む必要が出て来る。日中のうちに商人や街の職人と協力して、飛翔機械かそれとも魔術か――何でも良いが、移動手段を整えろ。やり方は任せる」
 元より自由に駆け回る翼持つ者がいるならば心得のない者に指南をしてやるのも良いだろう。英気を養うためにゆったり過ごすべきと言うならそれも自由だ。√能力者たちが訪れた際にもまだ手傷に呻いたままでいる商人たちを癒して回るべきだと言う者だっているかもしれない。各々必要な準備をすればいい。
 決行は翌朝未明。澄んだ冬の空高く、天翔ける竜の|幻影《インビジブル》さえ見下ろす城砦へ。

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第1章 冒険 『迎撃準備!』


 ――空飛ぶ方法ねえ、と魔法士は言う。
「ひとりふたり浮かせてあげましょうってことなら簡単だけど、やっぱり他人に制動されてると空で何かあった時に困るものね。魔法道具を見繕ってあげましょうか。握り込んで魔力を巡らせるオーブとか、背負って翼を見立てるバックパックとか。多少なりと竜漿の扱いに勘が働くなら浮き上がれると思うわ。お好みのものはある? 練習もしておいた方がいいかも」

 ――空飛ぶ方法かい、と技師は言う。
「商隊の連中の荷に色々と残ってたからさ。超特急で幌車に竜漿細工の|動力《エンジン》積んで、空飛ぶ|貨物船《カーゴ》にしてやろうかってね。これなら大人数一気に運べる。あんたたちの手持ちの乗り物や騎馬にも拵えてやろうか。技術がある奴がいるなら工房に来てくれるのも歓迎だ。乗船予約も今のうちにどうぞ」

 ――空飛ぶ方法ですか、と神官は言う。
「私のような|翼持つ者《セレスティアル》が神器の管理を担っております。とは言え風も強い時期ですから、飛べるのであれば簡単に辿り着けますよとは安請け合い出来ません。高度飛行に慣れておかないとなりませんし、ああ、そうだ、未明の闇に隠れて行く作戦としても、敵と万一にも空中で戦う羽目にならないように地形の把握も要ります。既に支度が済んだ方には下見と哨戒をお願いしたく」

 役割のある人々は誰しもが浮足立っている。緊張と怯えが、今は戦いを前にした昂揚に飲み込まれている。病院の、或いは善意の市民に借り受けた寝台に身を伏しながら、憎悪と憤怒に囚われた商隊たちの昏い執念と対照的に。
 見上げる空は、今は抜けるような青。明日の朝にはあそこにひとつの城が現れるのだと、信じようが信じまいが、僅かしかない時は進む。
僥・楡
焦香・飴

 頭上に仰ぐ冬空のむこうに待つ空気はどれほど冷たいことだろう。揺らぐことなく地に足をついた今でさえ頬を切る風を浴びていると、防寒具の幾らかも恋しくなるところであるが――いずれ城砦の中に入ってしまえば風避けは可能であり、布の一枚や二枚でも動きの邪魔になるものは不要である、と言う物言いも分からないではない。やることやってお宿に帰るのが正解ね、とぼやいた僥・楡(Ulmus・h01494)の隣、焦香・飴(星喰・h01609)が明確に残念がるような顔をする。|監督役《遊び相手》つきで自由時間を謳歌する気満々だったらしいその表情はひとまず完全に無視しておくことにした。
「手っ取り早くワープとか出来るなら楽出来たんだけど。飴ちゃん実は羽が生えたりしない?」
「何とこれが実は、生えないんですよね」
「そう? 残念。悪魔の羽とかきっと似合うのに」
「それ知ってますよ。『属性が渋滞してる』。――高い所は好きですけど、そう言えば飛びたいとは思ったことないな。実際翼ってあるとちょっと邪魔とか思っちゃいそうです、俺」
「……アナタ色んなとこにぶつけそうよね」
「怪我して落ちたら拾って世話してください。楡さんは天使の翼とかやたら似合いそうですけど、どうです? 白いし」
「流石のアタシも持ち合わせは無くって」
 ――並び、街並みを歩いて抜ける。おおよその方角は以前この街を訪ったことのある楡の頭の中に入っているから、飴はわざわざ地図を取り出すこともなく暢気について行くだけで良い。そう言う意味でも気楽な仕事だった。常には賑やかな呼び込みが場を活気に満たすのだろう市場に、張り詰めた緊張感と、不安を拭い去ろうとしてみせる空回りした明るさと、アンバランスな空気が渦を巻いて街の外からの来訪者を迎えてくれる。
「(|√汎神解剖機関《うち》と比べちゃうと失礼なぐらいだな)」
 負傷に沈む|商隊《キャラバン》の面々が、戦う術を持たぬ住民たちが、きっと大丈夫だって安堵のなかに眠れるように。互いを信じ支え合おうと手を伸べる、|竜の国《√ドラゴンファンタジー》のなんと眩しいことか。
 努めて普段通りを演じようとする店先を覗いては店員に微笑みかけて行き過ぎる先、やがて飴は荷運びのために大きく扉を開いた一件の工房の中に置かれたものへと目を輝かせた。技師たちが開いた胴に|動力《エンジン》部を組み入れようとする幌馬車は恐らく乗り心地も度外視だろうが、どうせ大した長旅でもないのだ。
「あ、空飛ぶ船ですって。案内で言ってたやつ。乗りたい、楽しそう、楽だし」
「はいはい、元からそのつもりよ。満員になる前に乗船予約を済ませましょ。この季節に自力で飛ぶのは寒そうだし丁度いいわ。慣れないことするより、後の為に力は温存しておきたいもの」
 ――ふたり乗ることは出来るかと手近な若い技師に声を掛ければ、彼は慌てて相談してきますと作業真っ最中の重鎮たちの元へと駆け出してゆく。部外者が下手に声を掛けてミスがあるのも不味かろうと、暫し待つ姿勢の楡はさっさと壁際に背を預けた。
「飴ちゃんも来なさいね」
「えー」
 時間あるならいろいろ見てきます、など言い出しそうな顔をした|同行者《大きな子ども》もついでに隣に引っ張って。
「良い席に収まりたいですね。俺寒いの嫌いで、ちょっとでも温かそうなのがいい」
「そう思うならせいぜい小さく丸まってなさい。か弱そうな顔でも見せてればきっと優しい人が大勢で庇ってくれるわ」
「んふふ、苦手分野かも。いざとなったら楡さんで暖を取ります。俺の生命線になってくださいね」
「嫌よ大の大人にくっつかれるなんて。絵面が終わりすぎでしょ。いざとなったら懐に薪でも放り込んであげる」
 薪ぐらいでヒトを繕ったその肌を焼けるものかと確信しているから、楡の軽やかな声音はあくまで本気だ。怖ぁい、と笑い立てる飴の声ばかりがピリついた工房のなかで場違いに響く。
「人も多くてギスギスしちゃって、なんだかお祭りみたいね」
 ため息ついでに楡がぼやくのはある種の皮肉で、ある種の回顧だ。観光客を多く迎えた春の頃合いと人の数ばかりは近しく見えるのに、どうも空気が違い過ぎる。
 ――他方、飴からすれば察しすら出来ない話だ。時間潰しの雑談の種と、言葉通りに受け取った。
「お祭りっていいですよね、つい行っちゃう」
「飴ちゃん知らない人誑かしちゃだめよ」
「……それって振りです?」
「そう聞こえた?」
「良い席は自分で勝ち取れって話だったので」
 ほんの少しだけ考えてみる。船だって完全な自動操縦と言うことにはならないだろう。もしもの時の修繕のために技師が、その護衛のために兵士が残る。狙うならそこだ。自らの手で武器を持って城砦に踏み入ることの叶わぬ無力感、危険な前線に出ずに済んだ安堵、|安堵してしまった《・・・・・・・・》己への微かな嫌悪。飴が付け入る隙の在り処ならそのあたり。
「頑張ればある程度はいけるかな。弱ってる人も多そうですし」
「だめって言ってるでしょうが。聞き分けの悪い子は空の一番高いところから放り投げてもいいんだから」
「んはは、本気で落としそうだし落とせそう。物理的な誑かしってそうするんだ」
 ――成程納得参考にします、と言わんばかりの飴の表情に、いちいち呆れるつもりも楡にはない。反応が大きければ大きいほど面白がって、事の善悪を問わず同じことを繰り返す。それなりの対応でやり過ごすのが最善手。
「楡さんは弱ったりって、……訊くまでもないか」
 実際、今もこうして話題は次に移ろうとしている。みどりの視線を受け止めて、楡は己の顔を示してみせるように髪を掻き揚げた。
「うじうじするのは時間の無駄じゃない。美しくないもの、沢山寝た方がマシ」
「流石です。強い人は大好きですよ、俺」
「飴ちゃんだって無いでしょ」
 決め付けだあ、と笑う飴から、否定の言葉が返って来ることはついぞない。

オルテール・パンドルフィーニ
久瀬・彰

 オルテール・パンドルフィーニ(Signor-Dragonica・h00214)が街をぐるりと囲む煉瓦造りの外壁のうえ、万が一にも哨戒の歩兵が落っこちないように作り付けられた分厚く高い手摺に登って風に心地よく目を眇めるのを、下方からの視線が心配そうに見守っている。視線の主は哨戒に当たる街の衛兵たちだ。あちこちで冒険者たちによる飛翔移動の予行練習が行われている今、わざわざ咎めこそはしないが、彼らの身の安全も街の行く末も心配なのは仕方ない――そう言う目。
 言葉を届けて安心させてやれるような距離でもない。不意に強く吹き付ける冬風に下界の音は掻き消され、まともに会話が出来るのは傍らに控える久瀬・彰(宵深に浴す禍影・h00869)ぐらい。せめてにこやかに笑んでみせて手を振ったオルテールの態度に、住人らの心が多少なりと安らげば良いのだけれど。
「天上の竜の遺物とは、同じ竜の端くれとして心踊る話だな」
「うん、いかにもな冒険小説の一節みたいで。男子としては興味深い話だ」
 まずは高さに慣れるのがよい、と提案したのはオルテールの方だ。いまの身なりこそヒトのかたちを繕っているけれど、これでも|空の覇者《飛ぶもの》として空中での制動には一家言あるつもりでいる。如何なる敵にも状況にも、臆す心を取り落として来たような彰が自ら虚空へ踏み出すことに躊躇はしない――と言うのは実証済ゆえ提案の肝は恐怖の克服ではなくて、雛鳥が初めて飛ぶときは|大いなるもの《吹く風》の力を借りるのがよい、と言う話だ。
「しかしまずは――文明の営みを破壊せしめる不届き者を排除せねば」
 この視界一面の限りに広がる暮らしを、決して脅かさせはしない。
 オルテールの背に竜の翼が大きく開く。宣言に応じた冬風が、主の訪れを歓迎するかのように空へ向けて吹き上がる。初心者向けの練習場としてはこれ以上なく素晴らしい環境だろう。
「――その点についても同意見。これ以上被害は出させたくないし、彼らの大切なものも守らないと。……そういう信仰の尊さは、理解してるしね」
「君なら分かってくれると信じてたよ、アキラ」
 朗らかに笑い掛けるオルテールは、同じヒトのかたちをしていようとも間違いなく人智を越えた存在なのだと。理解しながら、彰は何でもないことのように肩を竦めた。手厚すぎやしないかい? せっかく教師役と言うものをやるなら最善を尽くしたいじゃないか!

 ――アキラはどうする? あの機械って奴のが馴染みは良いのかな。
 職人街を通り抜ける際にオルテールから提案されたときは少し悩んだ。魔法の発達した√ドラゴンファンタジーで、多くの選択肢を吟味したいならやはり魔法道具の方が市場が広い。とは言え今回求められるのは安全に行って帰る限りの一往復で、そのあとに長く使い熟す必要もなければ、精密な移動を要する場面もないだろう。
 結果、どうせ元から体についているものでないなら機械でも魔法具でも教える手間は変わりない、とオルテールに明言して貰ったことを決め手に、彰が手に入れたのは複数台のポッドが一纏まりになった機械装置だった。掌大にも満たないポッドは、スイッチを入れれば彰の身体のあちこちを|竜漿《不可視》の力でホールドしながら浮き上がり、手元の小さなコントローラーで指示した通りに動いてくれる。
「(この|世界《√》のものって、結局機械も|竜漿兵器《ブラッドウェポン》も全部纏めて魔法に思えるよ)」
 異なる場所で日々を過ごすからこそ、こうして体を宙に浮かせて地上を見下ろしている今この瞬間がどうにも他人事のように遠い。一所に留まっているつもりが流されることもあるから気を付け給え、と語り掛けるオルテールの声が急接近して来て、翼を一打ちすると共に彰の顔を覗き込むよう止まった。友人の赤い眸が、非現実感のために空飛ぶ感動さえ掴み損ねた彰の代わりを果たすよう嬉しげに撓む。
「慣れたなら高度を上げる練習に移ろうかと思うが、いけるだろうか? 体の制御が難しければ俺が指南しよう。無理そうなら俺が爪に引っかけて飛べば良い」
「爪に引っ掛けてもらうのは楽そうだけど、空中で何があるともわからないし。お互い十全に動けるようにご指導お願いします……ってことで」
「ふふ、実に合理的な返答だ。君は器用だからすぐに覚えそうだし、その時は心得のない者に共に教導へ行こうじゃないか。俺はこれでも論理的説明には自信があるぞ!」
「作家先生の文章構成力?」
「喉の強さの賜物だ」
 ――人混みでだって決して埋もれることのない声音で冗句と共に軽く笑って、オルテールが指差す先は街のもう片端、そこからついと持ち上げて今よりさらに倍は高く。彰が頷くのを褒め称えるように指を鳴らす次いで、竜翼が強く羽搏く。髪が、衣服が、オルテールの四肢に追随するすべてのものたちが慣性に取り残されてぐんと重さを増すように感じるが、それも初めの一瞬だけだ。安定した速度へ辿り着いてしまえば既に抵抗は遠ざかり、久方振りの風を切る感覚はただひたすらに快い。
「まさか人間の友人と並んで飛べるとは思わなかったよ」
「俺も生身で空を飛ぶなんて思ってもみなかったけど、この感じは慣れてくると楽しそうだ。……気楽に構えてもられないけどね」
「勿論、分かっているとも。さあアキラ、もう少し飛ばすぞ」
 もしも空中で接敵されたなら、物慣れない彰に託すべきは一刻も早い城砦への到達だ。応戦し、足止めを担うのはオルテール。万が一の可能性を考えながらの講習は、時に突然のブレーキを、時に急下降を交えながら続いてゆく。
 過度に楽観視しているわけでは決してない。油断なく準備だってする。それでも、どうしてか負ける気がしない。
「――皆、硬い顔をしてたし。早く憂い事をなくして、安心してもらわないとだ」
 ゴール地点に辿り着いた彰が体を反転させる。静かな視線で街を見下ろす。オルテールの細かな指示もなしに此処まで出来れば上等だろう。
 彰に倣って視線を下げた。最早打たれた点にしか見えない人々の影。そのひとつひとつに望む未来と意志があることを、オルテールは知っている。パチン、とまた指が鳴る。視界の限りの全てのものに、任せたまえと語り掛けるように。
「仇討ちは喜劇的とはいえないが――生きる者の魂の叫びは、聞いてやらねばな」

アルティア・パンドルフィーニ
ツェツィーリエ・モーリ

 寒さを感じることはない。アルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)の指先までを覆う着衣に求められた役割は、冬の寒さを凌ぐことではない。住宅街はひっそりと沈んでいるくせ、衛兵たちの屯所や職人街に足を踏み入れるほど気忙しく行き交う人間が増えてゆく。横合いから慌てて飛び出して来る者らと不意にぶつかりそうになっては肩を跳ねさせるアルティアの半歩前を、いつしかツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)が庇って歩くようになってやっと、竜の女は強張った唇をほどき息を漏らした。
「竜の神器ですって。素敵な御伽噺ね」
「ええ、とても夢のあるお話でございますね。守り神の残したものとあれば、皆にとって大切なもの――必ず守り抜いてみせましょう」
「なら余計、悪辣な連中にはご退場願わないと」
 ツェツィーリエの背に隠れながらでないと、こんなことさえ言えない己が口惜しい。胸の前でなにかに耐えるよう組み合わせる指先は時にアルティアの触れるすべてを焼いて崩す熱さを帯びる。診療所の横を通り過ぎながら、その窓の向こうに眠るであろう負傷者たちを思う。手当てをして回りたいのは山々――だけれど、不用意に触って事態を悪くしてしまうことの方が怖い。掌を翳すだけで望みが叶うような回復魔術だって得意でないなら、此処で出来ることはないと割り切ってしまう他にない。
 ――アルティアの歩調が僅かずつ遅れていることには気付いていた。ちらと視線だけで振り向いた先、その目が祈るように病棟を見つめていることも、分かる。友人の横顔がそれ以上曇ることのないよう、ツェツィーリエはすぐさま口を開いた。
「商隊の方々も不安でしょう。口惜しくも癒やしの力は持てぬ身ですが、せめて少しでも早く憂いを取り除きますわ」
 モンスターの脅威に怯えるこの街から。他人の傷に心痛める、愛しく優しい友人から。
 淡々として、それでいて芯の通ったツェツィーリエの声音に、アルティアは短い間虚を突かれたように目を瞬き、それから崩れるように笑った。ありがとう、と短く、掠れるような声が続く。

 学校に附属する講堂がひとつ、魔法士たちの拠点となっていた。何せ事は急を要する。協力を申し出てくれた√能力者たちに店を巡らせて品を選ぶ手間を掛けさせるより、元より知識のある魔術の徒がそれなりに|使える《・・・》ものを集めて配布した方が効率的――と言うことだ。
 長机の上に並べられたのは主には装飾品を模した魔法具だ。アルティアが目についた銀のブレスレットを取り上げてみれば、ふと頭の中が澄んで鋭敏になってゆく。自らの五感が延伸し、|見える《・・・》ものが増えてゆく感覚。魔力の方向を束ね、疑似的に出力を上げるものだろう。|動力《エンジン》を積んだ機械類もあるにはあるが、此方はやはり知識の薄いものが選定した都合か数が少ない。
「ツィーリ、飛ぶならどれが良い?」
「そうですね……母から簡単な魔術の手解きは受けております。魔法道具があれば困りませんかと。ティア様はどうなさいますか」
「私は……」
 また、思わず口籠る。それでも今度はゆっくりと頭を振り、意思を以て続きを言えた。
「補助は要らないわ。必要な人のために置いておくつもり」
 竜の特徴は嫌いだけど、背に腹は代えられない――内心の苦さを秘めるアルティアの表情をまたしばらくじっと見つめたのち、ツェツィーリエは並べられた魔法具の中からネックレスをひとつ選び取った。迷いはない。正しい理屈と論理で道筋を決めることこそ普段の常だが、こと魔法魔術と言った分野において、巡り合わせと言うものもまた信ずるべきに足る一つの|要素《ファクター》だからだ。
「きっとあの塔の天辺を越えられる程度には飛ぶ必要があるのよね。一度試しておきましょうか」
「ええ。扱いに馴染んでおいて悪いことはありません――とはいえ、普段は|浮く《・・》くらいが関の山ですので、ティア様と同じ速度と言うのは難しいかもしれませんが」
「あら、それなら」
 窓の外に見える建物の高さを目算していたアルティアが、妙案がある、とばかり瞳を輝かせる。控えめに、けれど期待を籠めて差し出された指先にツェツィーリエが己のそれを重ねた瞬間、きっと人を傷付けぬための戒めと肌を覆った手袋の下では文字通り燃えるような熱が爆ぜたのだろう。はじめは探るように爪先を手繰り、ゆるやかに掌を結ぶ形になったふたつの手を掲げるように、恐縮です、とツェツィーリエは折り目正しく一礼した。
 ふたり、駆けるように講堂の外に出る。アルティアの息が弾むリズムに合わせ、その背から竜の翼が現れ出る。竜漿の力を借りた飛翔に助走は不要のはずだとツェツィーリエも分かっていた。けれど、突き動かされるように速度を上げるアルティアと繋いだ手を離したくなくて、そんな無粋な指摘はしなかった。
 アルティアの翼が翻る。
 ツェツィーリエの身体を、湧き立つ風が宙へと送る。
「安定するまで手を繋いでてあげるわ」
 ――自ら期限を切ったのは、いつもクールなツェツィーリエに、あんまり子どもっぽいって思われては恥ずかしいから。ぐんぐんと高度を上げるごとに重力から遠ざかってゆくよう、天地の境もなくなって、見上げた空の青さだけがアルティアの視界を染め上げる。敵の襲撃に備えるため、と言う体面がなければ、人の目も気にせず此処まで悠々と空を翔けることはなかったろう。ヒトのかたちに収めるにはどうしようもなく強大な竜の本性が、脳の芯で『自由』に歓喜の咆哮を上げている。
「風を切る感覚に高揚しちゃうの、人間らしくなくて本当に嫌だけど。今回ばかりは役に立ってくれそうね」
「あら、ティア様、わたくしだって今とても高揚しておりますわ。だって、大好きなお友達と空を飛べるなんて、まるで御伽噺の中みたいでしょう?」
「……もう! 貴女と一緒なら、自己嫌悪も吹き飛んじゃうわね」
 笑いながら、ダンスのリードを気取るよう、ツェツィーリエの腕を引く。ほんの一瞬バランスを崩すかに見えた彼女は、それでも颯爽とアルティアの意図を読み切って軽やかに空中でターンをしてみせた。

 空からであれば、他人に支えられながら移動する者らが負傷者であろうことも一目瞭然だ。楽しい空中散歩のさなか、先にそれを見咎めたのはアルティアだった。不意に言葉を止めた友人の隣、ツェツィーリエも同じ景色を眺め下ろす。
「美しい街も、今は焦燥と不安に沈んでおりますね。皆様の心に平穏を取り戻せるよう、尽力いたしましょう」
「勿論。苦しいのも悲しいのも救いがないのも空想の世界だけで結構よ。現実を悲劇で終わらせやしないわ!」
 誰しもに、愛しいひとと手を繋ぎ、共に笑い合う時を。返してみせるため、私たちは此処にいる。

クラウス・イーザリー
西織・初

 戦いを前にした空気の色は|√ウォーゾーン《生まれ育った世界》で慣れ切っていたはずだった。一兵卒なりに部隊の一員として動く術は知っている。だからこそ、選任された指揮官の割り振りを受けるでもなく、冒険者個々人が為すべきと定めた任務に散っていくなか、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は迷子のように街を眺め渡しながら当て所なく彷徨うままでいる。
「(何をするべきか迷うな……)」
 同じ流派で訓練された画一な兵士が並んでいるわけではない。ならば無理に他人とやり方を合わせるよりも其々にとって最もよいやり方を探し、足りないところで助け合う。個人主義を良心と善性で以て補強する√ドラゴンファンタジーのやり方も、必ず勝とうと誓い合う悲壮感のない人々の様子も、クラウスの目にはどれもが少し不思議に映った。
 ――そうやって、いつしかすっかり立ち止まったクラウスの背を西織・初(戦場に響く歌声・h00515)が見咎める。幾つかの戦場で行き会ったことのある顔だ。朗らかな挨拶も豊かな雑談も自分には向いていないと知っているから、掛ける声は端的に。
「『祈りの塔』に行くならあちらの大通りに出た方が良い。この先は住宅街で入り組んでる」
 ぱっとクラウスが振り向く。はじめは驚きに目を瞬いていた表情が、やがて初の姿を見て同じように互いの立場に気付いたのだろう、柔らかに緩められた。あとを追って並ぶ形になった初がそのまま先程示した方向へ歩き続ければ、クラウスもついて来る。
「『祈りの塔』って言うのは?」
「見ての通り、あの建造物だ。十分に戦えるようにしっかりと準備をしなければならないなと、高度飛行の練習のためなら自由に出入りして良いと神官から言質を取った。……目的は違ったか」
「違って……ない。飛んで下見に行こうと思っていたんだけど。強風の中での飛行や高空を飛んだ経験もあまり無いから、それも慣れておかないとなって考えていて。俺も同行させて」
 向かう先は、街の中心に聳え立つ塔。神事の際には鐘を打ち鳴らし、そこで儀式をするのだと言う。貨物船の発着場とするには狭すぎる、かつ強度にも不安があるから使うことを許されたのはある程度身一つでの飛翔に長けた者だけ。あと少し時が経って冬が明ければ、そこで春の訪れを祝う儀式が執り行われる。街は花々で彩られ、祭り気分に浮かれ騒ぐ――聞き齧りの情報を共有しながら、初はふと言葉を切る。これじゃまるっきり観光|案内人《ガイド》だ。
「月に一度しか見られない空飛ぶ城塞。こんな状況じゃなければ観光したい気分だ」
「あはは、俺も。街を守り切ったあとに、いろいろ見て回れると良いな」
 そのためにまずは、あの空の上へ。何者にも傷付けられず、この街が春を迎えるために。

 鴉に似た、青みを帯びた黒い翼が一対。陽を糸にして紡いだような輝く翼が一対。ふたつの人影が塔の屋上から空へと飛び立つ。セイレーンの羽が冬空を鋭く叩いて初の身体を急激に加速させるのに追い縋るよう、クラウスもまた背に負う光輝の翼を大きく広げた。上空に揺蕩うインビジブルたちの輪郭は淡く解け、明確な生前の姿を掴むことは出来ないけれど、ともすれば竜の魂の残滓だろうか。彼らへ届くよう、高く。飛ぶごとにさらに明らかになる上層の個体を追って高度を稼ぐ。
 インビジブルと言う目当てがあったとして、地上付近で飛ぶのとはやはり感覚がまるで違った。時々風に煽られてバランスを崩すぐらいならまだ良いが、目を開けていられないほどの強風となってしまうと、次に視界を取り戻した時に自分がどこにいるのかとんと分からなくなる。今は初の姿があるからまだマシだが、本番が未明の頃となれば仲間も見失って孤立してしまう恐れだってあるだろう。
「やはり此処まで来ると難しいな。大きく吹き飛ばされたりしないようにしないと」
「うん。それにめちゃくちゃ寒い……適当に飛ぶ訳にはいかないな」
 ――クラウスの口端から漏れる息がすっかり白いのは地表にいた頃からだったが、その身体は初にも見て取れるほど震え出している。勿論初とてまるっきり平気と言うわけではない。風に巻かれて軌道を逸らされる口惜しさも、空気の薄さと低温に喘ぐ苦しさも、顔に出すことが出来ないと言うだけだ。初が平気そうなら自分も耐えねばと相手に思わせかねない、と言うことも、これまでの人生で学んでいる。
「そろそろ戻ろう。神殿が現れるのも目視出来る程度の高さだと言っていたし、これ以上は無理をしなくて良いだろう」
 初の提案にクラウスが頷く動きもまた、凍り付いた関節を無理矢理剥がすかのようにぎこちない。下降姿勢に移ったクラウスを見守る初の翼の影から、幾匹もの|小鳥《使い魔》たちが生まれ出る。
「(地形と、敵が潜伏していないかの情報が要るな)」
 人馴れしきった仕草で指先に留まる小さな翼へ、言葉による指示は要らない。初の意図を汲んで四方へ飛び立つ小鳥たちのうち一匹はクラウスを追って飛んでゆく。落ちそうであれば手助けを――なんて、わざわざ言いはしないけれど。

 初が未だ空に留まっていることには下降を始めてすぐに気付いた。何かトラブルがあったのかと警戒を抱くより先、クラウスに添うように飛んで来た使い魔が案じるように囀るもので、すぐに自分が心配されたのだと言うことを察する。言葉足らずの優しさに微か笑い零しながら、やっと感覚の戻って来た指先を幾度か握ったクラウスは一定高度で街の上空を飛翔する。高くを初が担ってくれるなら、低空は己が担当しよう。ふたり分の体験した情報を纏めて伝えれば、これから上空に向かう面々にとって何かの役には立つはずだ。防寒は厳重に、とか。
「(今後の作戦が少しでも上手くいきますように)」
 クラウスの生きて来た|世界《√》とはまるで違う場所だ。違う景色が広がり、違う考えの人たちが生きる。だからこそ、戦禍に巻き込まれることない美しい街がこのまま永らえますようにと、願う。

花村・幸平
氷野・眞澄

「お前だけならあれくらいひとっ飛びなんですけどね」
 魔法具を手に、或いは機械装備を操って街の上空を飛んで泳ぐ√能力者たちの軌跡を眺めながら、氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)は小さく零した。語り掛けると言うよりは独り言に近いぼやきに、それでも花村・幸平(フラットライン・h07197)の声は応答する。地獄耳と言うべきか、『どこにでも居る』と言う幽霊の本質が故の特性と捉えるべきか。ともあれ、眞澄に合わせて唸る幸平の調子は相変わらず軽い。
「うーん、直で空を飛んでいけるのは僕だけだね。何とか氷野ちゃんを連れて行くにしろ高度が上がると冷えるでしょ」
「悔しいですが仕方ありません。別の手段を探しましょう」
「悔しい? なんで?」
「『出来ないことがある』のは悔しいものですよ」
 この子は体を冷やすとすぐ寝込むから、とか。一緒に行ってあげるね、とか。
 眞澄がいることで、幸平が自分の望むさまの行いを曲げてしまうこと。きっと彼にとっては当たり前過ぎる行いで、それを何の負担とも思っていないこと。それを、嬉しい、と微かにも思う自分がいること。
 こんな体でさえなければと、連夜呪う日々はもう乗り越えたつもりだ。そうやって蹲って得られるものなどないのだと、進み続けることを決めたはずだ。それでも不意に取り零したものを惜しんでしまうのは、決まって幸平に優しくされた時だ。

 まだ体の自由の効く商隊と技師たちが額を合わせて貨物船に飛翔用の細工を仕込む工房へ、辿り着くのは早かった。同じく乗船を希望する冒険者たちが場に溜まって一群を成しているからだ。敵に襲われる可能性を考慮して多少なりと防壁を厚くした方が良いとか、いやいや速度こそが重要なのだとか、一機落とされたとして保険が効くように小型のものを出来得る限り量産すべきだとか――要望を出す側としても無茶を言っている積もりはなく、あくまで真摯なアドバイスのつもりなのだろう。だからこそ追い返すわけにも行かないようで、工房内の技師たちはどちらかと言えば人の対応に追われている。
「……話をするにも時間が掛かりそうですね」
「ま~急な話だし列整理難しいのは仕方ないでしょ。乗船予約はお願いね~。僕は上のほうまで下見してくるわ。上のほうを見るのに『下見』って面白いね」
 話しながら、幸平は手早く眞澄のスマートフォンに通信を入れる。意図を察した眞澄が通話を繋いだままの端末をポケットに収めるから、わざわざ語らずとも準備完了。実体化用のブレスレットをちょいと取り外してみれば、幸平の身体は冬空の風に煽られてふわりと地から爪先を離した。
「ああ、そうだ。何かあったら困りますから、連れていきなさい」
「おっ、ありがと。今日もお世話になるね、インビジブルくんたち」
 眞澄が指先でついと招くような仕草をすると同時、彼の背後からうすらと透けた異形の魚影が泳ぎ出る。これだけ戦法に組み込ませて貰えばそれなりの仲良しだって自惚れたい気分だ――幸平の周りを数度ぐるぐると旋回したのち、攻性インビジブルたちは上空へ散ってゆく。彼らを足掛かりにすればある程度行きたいところの指向性は持たせられるだろう。これで、今度こそ準備万端。
「ではいってらっしゃい。何かあったら深入りせずにすぐ戻って来なさいね」
 はあい、と答えると同時、幸平は現状最も高度のあるインビジブルへ向かってその紫のひとみを瞬いた。ぱ、と視界が切り替わる。目に映るすべてが凹凸もムラもない均一な青に満たされて、自分が空を見上げる形に浮かんでいることを知る。インビジブルが身を捩った瞬間に|場所を借りた《・・・・・・》からこうなったのか、移動の合間の微か眩んだ一瞬に冬風に煽られて姿勢を崩したのかは分からないが、いずれ、驚きよりも先に美しさへの感嘆が過ぎる光景だった。
「(氷野ちゃんってばまたなんか難しい顔してたな~)」
 圧倒的な蹂躙能力を持つ眞澄が不安がるような脅威は、今のところ幸平には視認し得ない。雲のさらに上に位置すると言う神殿の元まで、幸平であれば辿り着きも出来るかもしれないが、あまり離れすぎて通信が途絶えても徒に眞澄を心配させるだろう。心配、なら良いけれど、お叱りとなると流石に堪ったものじゃないので、さらに遠く飛んでゆくインビジブルを追うより先にスマートフォンへ声を掛ける。
「お願いされてるのは地形の把握と哨戒だっけ? なんか空中に生き物とかいるのかなぁ」
『街の方々も待ち伏せが怖いのでしょう。敵がどのように神殿へ辿り着くつもりなのか不明なようですし』
 ――幸平の声には上空の風が生むノイズが重なるが、代わり|幻聴の主《攻性インビジブル》たちが彼に憑いていった結果眞澄の耳元の常なる囁き声は少なくなって、結論聞き取りに労はない。乗船予約を二人分、どうにか捕まえた技師に名を告げるついでに聞いた話を伝えながら、ひとまずは作業の邪魔をしないために工房を遠ざかる。
「生憎此方も用意は取って付けのものばかりです。敵から発見されずに待機出来そうな場所、飛ぶ距離を少なく出来そうな発着場所……探すならそのあたりでしょうかね。あとはそう、敵が罠を仕掛けていないか、など」
『空に罠もなんもな~って思うけど、魔法とかある|世界《√》だと確かにね。あ、なんか手下モンスターみたいのがいるとしたらさ、神殿の外とか底に巣でも作ってる? そこから視えるならお願い。あんまり危なそ~なら僕ひとりで出来る程度に追っ払っとくからさ』
「分かりました。暫く集中しますから会話が途切れます。お前はあちこち飛び回ってみてください」
『おっけ』
 やがて、眞澄が腰を落ち着けるのは広場の片隅に設置されたベンチだ。僅かな距離を歩くだけで上がった息を整えるには、健康な人間より幾らか長く時間が掛かる。冬の空気から肺を守るように口元を覆って動きを止める眞澄を案じる声がないのは、ひとえに外敵の襲撃を待つ今日この日に外へ出ている者が少ない、と言うだけの理由だ。
 天を仰ぐ。アンダーリムの眼鏡の奥、みどりの光がぱちんと弾ける。遠く遠く、幸平の泳ぐ空すら越えた遥か向こうまで、眞澄の視界が広がってゆく。高度に比例して増す暴風に取り巻かれながら天に浮かぶ、静謐な城塞都市をその|眼《・》に捉える。少なくとも見える限りは危険な生物が居着いている様子はない。であれば、どこを入口とし、どこで敵を押し留めるのがよいか。壁さえも透し見る規格外の霊視が、未だ無人の戦場の地形を暴いてゆく。
「(……本当はついていけたらいいんですがね)」
 何一つ無償ではない。手の届かぬ高さまで見遥かすほどの異能は、当然からだに負担を掛ける。内心を言葉にして端末の向こうに聞かせるような余裕もないまま、眞澄は深く息をした。

時月・零
天依・むつき
一文字・透

 きれい、と一文字・透(夕星・h03721)の口から囁くような声が漏れる。街の魔法士たちから譲り受けたのはペンダント型の魔法具。いざ練習のためにと繰り出した広場で光を翳してみれば、チェーンの先の雫石は淡い紫の光を弾いた。作戦決行の時、夜明けの頃に透かして見るならきっともっと華やかに濃い赤を帯びて、勇気を奮わせる色になる。
「良いものを選んだな」
「あ――すみません、見惚れてしまって」
「命を預ける道具だ。懐に入れて信頼出来るものであって悪いことはない。むつきも」
「あ、あはは、ちょっとはしゃいで、大物になってしまいまして……」
 粛々とベルトにまじないを織り込んだ組紐を結わえ付ける時月・零(影牙・h05243)が助言する隣、恥じ入るように笑う天依・むつき(藤色六花・h09509)の背中ではまさしく『お約束』の藁箒が隠し切れずにひょこひょこと存在を主張していた。
「(空を飛ぶ……おとぎ話、空想の中で思い描いていたことがまさか叶うなんて)」
 ――いつも通り落ち着いてと思ったって、どうにも頬が緩んでしまうのは止められない。不意に足を踏み外すかのように√能力者となったむつきにとって、未だ世界は初めて見る景色に溢れている。これから風でぼさぼさになるに決まっている前髪をわけもなく指先で整えてみたり、後ろ手の箒を手繰って持ち替えてみたり。子どもっぽいかなってそわそわするむつきの様子に気付いた透がゆるやかに笑み掛けて来るのにも、一瞬ぎくっとしてしまう。
「常なら出来ないことをするのはわくわくしますね」
「……えへへ、そうなんです。箒に乗って飛ぶって、憧れで」
「分かります。私も子どもの頃は魔女の出て来るお話をたくさん読みましたから」
 初めは探り合うように控えめに、そのうちに好きだった絵本の名前を揃って唱えてわっと歓声を上げて。心躍らせる様子の少女ふたりへ、|引率者《零》は眩しく双眸を細めた。

 とは言え、このあとに控える本題を思えば、見た目ばかり整えて満足しているわけにも行かない。戦闘自体は足場のある場所で行う見込みとは言え、奇襲の可能性も、予定外のトラブルも有り得る。零単独で動くと言うならある程度無茶な手段でも――とは思うが、今回は無事に帰すべき同行者がいるのだから。
「(昔ならば楽で良さそうと思ったものだが)」
 制御を失って墜落すれば、如何な√能力者と言えど即座の戦線復帰は難しい。まずは慎重に、飛行の感覚を確かめるべく浮かぶのは周囲の住宅の屋根あたりまで。腰元で熱を帯びる|組紐《魔法具》がその温度で現在の出力を示してくれるが、普段から竜漿兵器に馴染んでいるわけでもなし、其れが安全圏の強度なのかも分からない。せいぜい己の上背の二倍か三倍か、その程度の高さでしかないと言うのに増して感じる風に煽られては、支えのない足元が簡単にひっくり返りそうになる。意固地に環境に逆らって姿勢を保つよりはいっそ動き続けていた方が良いか――瞬間、一際強い冬風の塊が身体に打ち付ける。ぐらりと傾いだバランスは傍らの住宅に手をつくことで凌ぎ、地上に戻った零はそこに待つ少女らの前で微か眉根を寄せた。
「実際に身一つで飛ぶとなると難しいな。油断すると頭から落ちそうだ。確かに本番前に風除けの多いこのあたりで試しておくのが上策だろう――透とむつきはどうだ? そろそろ行けるか」
「以前一度だけ魔法具で少し飛んだことはあるのですが……同じ要領で飛べるでしょうか」
「えっ、一文字さん、すごい」
「す、凄いと言う感じでもないんです。その時はせいぜいちょっぴりジャンプするのに補助輪つきって感じで。長距離飛んで別の場所に移動、と言うのは」
 ――慌てて手を振って補足してみたけれど、むつきの目は既に期待を籠めてキラキラと輝いている。零も感心したように此方を見るから、透はいよいよ臆しているわけにいかなくなる。
 『使い方は簡単、ほんの少し魔力を籠めてあげるだけ』。魔法士の笑みを思い返しながら胸元のペンダント・トップをぎゅっと握って、祈るように力を籠める。未だ足元は硬い地面を踏んでいる。瞑目し、もっともっと強く。握る力ばかりを強めながら、胸に騒ぐ焦りと不安を宥めて思考する。あの時はどうやればうまく行ったんだっけ。敵を前にして必死だった覚えばかりがある。そう、お土産を持って帰って、大切な|養父《お父さん》の喜ぶ顔が見たいなって。
「(この街の皆にも、そんな相手がいる)」
 私の力が、彼らの日常を守る助けとなるのなら。出来る限りのことをしたい。
 掌中に閉じ込めた雫石が熱を持つ。ふわりと体の軽くなる感触。驚きにぱっと見開いた視点がゆらゆらと持ち上がる。拠り所のなくなった足元の覚束なさ。わあっと一度声を上げれば、それを聞き届けたかのように浮上が止まった。とは言えせいぜい零を旋毛を見下ろす程度の高さに届いたぐらい。地表のふたりに視線を合わせてみようとするけれど、自分の身体がちゃんと縦になれているのか不安で、微調整しようとすると傾いて――前途多難だ。
「流石の経験者だ」
「経験者でこれなんだから、簡単に使い熟してた時月さんって凄いなって思います。浮く感覚は楽しいです。でも……如何に足に頼ってるか分かりました。バランスを取ろうと思うと体幹を試されている気がします」
「感覚から全て違うからな……」
 頷いた零が手を差し出してくれる。話しているうちにもぐらぐら揺らぐ視界に酔ってしまっては、上空への旅路なんて言い出せもしない。借りた指先を漸くのよすがとして、透はほっと息を吐いた。
「(……さて)」
 ――いよいよむつきの番だ。こんな風に支えていれば安定するから、と零が保証してくれる。まずは私のいる場所までって目標にすればやり易いはずです、と少し目線の持ち上がった透が空いた片手を逃してくれる。先のふたりがこう巧く行くと、『自分だけだめだったらどうしよう』と『一緒に飛んだら絶対楽しい』が胸の中で戦い合って際限なく緊張が高まってしまう。
 ひとまずは物品に魔力を与える、と言う初歩から。雑念を払って集中し、魔法具が少し暖かく感じたら成功。先人ふたりのアドバイスを真剣に聞きながら、抱えるように握った箒にぎゅっと力を籠めた。
「こうでしょうか?」
 見様見真似だ。魔力の扱いなるものに自信はないけれど、そう、箒に乗って自在に空飛ぶ魔女の挿絵を鮮明に思い描くことならきっとむつきは誰より得意だ。国を守る善き魔女が天上の城に飛んでゆく。使い魔たちを携えて、朝日の中に一筋黒い線を引く。
 途端――胸元の箒が、ぐんとむつきの身体を引いた。堪らず上げた悲鳴も構わず、箒と共に弾丸のように天へ飛び出そうとしたむつきがその場に留まれたのは、上空から透が押さえ込むよう、地表から零が背を受け止めるよう、即座に支えてくれたお陰だ。
「天依さん、大丈夫ですか……!?」
「大丈夫か、力を込め過ぎないよう気をつけろ」
「うぅ、お二人のアシストに感謝です。なにがやり過ぎだったんでしょう……」
 へにょへにょと脱力するむつきの腕の中、やる気十分の箒は今なお空へ向かおうと暴れ回っている。

「ともあれ全員浮けるなら、後は感覚を掴むまで練習だな」
 すっかり指導教官の立場が板についた零にお行儀よく返事してから、経った時間はそう長くない。箒は大型である分魔力の通りが良い、と通りすがりの魔法士に教えて貰ってからはむつきの上達も早かった。はじめは僅かに爪先が浮く程度、やがては普段の目線よりも高く――と箒を望む高度に留められるようコツを掴んで以降、いざ腰掛けてしまえばむしろ身一つの透より余程大胆な上昇と下降を身に付けたほどだ。人を巻き込んで墜落しないよう、人気のない通りの上を往復する形でアクセルとブレーキを繰り返しながら、三人は少しずつ飛翔速度を上げてゆく。
「……うん。安定してる気がしますね。ふふ、楽しくなってきました。これは癖になるかも」
「やっぱり飛ぶと浮くは違いますね。――ふふ、天依さん楽しそう。つい手が空いてないと不安になってしまうけど、今度は私も箒で飛んでみたいです」
「二人乗り出来るサイズにしておけばよかったですね。それなら今でも誘えたのに。……ぎゅっと詰めたらどうでしょう、難しいかな」
「うっかり落ちるなよ。事故があれば受け止めてやるつもりでいるが、ふたり纏めては難しい」
 箒の上で座る位置を詰め始めたむつきが、零の忠告を受けて暫く悩んだのちに深刻に頷く。零とて楽しい時間に水を差したいわけではない――が、それはそれとして仕事のために為すべきことに手を抜くつもりはない。
「あとは実際に飛んで下見に行くか。実践はまた感覚が変わりそうだしな」
「はい。私はもう少し慣れたなら大丈夫かと思います」
「もうちょっとだけ時間を頂けると……今のままだとふたりに置いて行かれちゃいそう」
 頷くむつきと、真剣な顔でペンダントを撫でる透と。分かった、と零は頷く。幾らでも付き合おう。手を抜くつもりはない。同時に、誰かのために何かをしたいと願う若者たちを取り落とすつもりも、またなかった。

緇・カナト
トゥルエノ・トニトルス

「アイソラの都市って前にも来たことあったっけ」
「あるとも! こうして主と共に訪れるのも久方ぶりだなぁ。事件の知らせでなければ尚良かったのかもしれないが……あの時はケーキなど食べたものだが、流石に今日は営業中止かな」
 いかにも残念そうなトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)の様子からすると、開店していた場合他メニューも試しに行こう~など暢気に言い出していた可能性がある。人外特有のテンポって奴なのか、|√ドラゴンファンタジー《この世界》で生まれ育っているとモンスターの脅威とやらもある程度慣れっこになるのか。緇・カナト(hellhound・h02325)が考えたところで答えの出ない話だ。トゥルエノが度を越して変わり者なのだと言われたら納得するつもりだってある。
 街並みに見覚えはあるような気もするが――そう、先の春にはトゥルエノに誘われて催事のカフェに訪れた。カナトにとってはそれきりの場所だ。素朴ながら街並みは丁寧に整えられて美しく、観光目的に歩き回るならよい土地だろう。今はそう言う時ではない、と言うことだけが問題で。
「冬の頃もまた良いな。ヒトの蓄えが見て取れる」
 今はそう言う時ではない。と、思うのはカナトだけらしく、やっぱりトゥルエノとは感覚がズレている。ゆるりと景色を眺めて相好を崩す少年姿に呆れの息を吐きながら、歩き出すのは職人街だ。主よどこか見に行くのか、希望があれば我が案内するぞ? 一先ず空中戦の当てを見繕うのが第一デショ。

 観光客向けに整備された場所でなくたって、トゥルエノにとってはヒトの営む景色はどこも興味深い。カナトと共に歩む道々に並ぶ建物がどれも一般客を受け付ける用意のない無骨な構えに変わり始めたところで、足取りの機嫌は一向に悪くならなかった。
「さて、竜漿兵器を使って攻城戦らしいとの話だが。天上に向かうのであれば……主向きなら空飛ぶ乗り物でも探しに行くか?」
「地元民らと違って竜漿やら魔力の扱いにそこまで長けてる訳でもないしなぁ。魔法道具で身軽さを取るか、空飛ぶ貨物船にでも乗ってしまえば早いか……」
 考え込むカナトは行き会った住民にたびたび声を掛ける。扱いやすい魔法道具は魔法士たちが取り纏めているが、完全な初心者が扱うには少し練習が要るだろう、と言うこと。案内でも話に出た|貨物船《カーゴ》は幾つかの工房が其々に担当して加工を進めているが、元から予定していた人数を運び込むに足るかはギリギリの作業進捗だ、と言うこと。急拵えの準備である以上仕方ないものの、どの手段も一長一短。どうしたもんかなァ、とぼやくカナトがふと思い付いたようにトゥルエノを見下ろして来るから、首を傾げて見上げ返した。
「そういや雷獣クンは雲使ったり空中浮遊してなかったっけ?」
「勿論、それぐらいはな。我は誇り高き空の眷属ゆえ」
 トゥルエノに悩む様子がない理由はひとえに其れだ。雲間の気流も、よもや急に天候が荒れようとまったく関係がない。街の資材にひとつと頼ることなく天を翔ける身の上を誇って堂々胸を張った少年姿は、すぐにはっと思い到る。
「ふと思ったのだが、そもそも我が浮遊できるのだし、我に騎乗していけば良いのでは? 名案だな……!」
「……いや、お前の背に乗る話はしてないんだが。誇りはどうした?」
「早速乗り心地を試すところから始めるとしよう。安全そうな鞍とか有事の際の魔法道具とかな〜」
「聞けよコラ主サマの言うことを」
 ――咎めてみたところで、勝手気儘な黒麒麟が素直に聞くはずもない。自分の心に正直と言い表すなら『素直』なのだろうけれど、どうも見た目と周囲からの扱いでより一層振る舞いが加速しているのでは、とカナトはしばしば思っている。蹄鉄を看板に掲げた馬具用品店にちょいと顔を出して颯爽と買い物を済ませたトゥルエノに手渡された鞍をズッシリ受け止めながら、文字通り乗り気にはなれなかった。
「馬用の鞍で良いワケ?」
「ふふふ、主はまだ|√ドラゴンファンタジー《この世界》には慣れぬか。騎獣も様々ゆえ、こう言ったものはある程度かたちが近しければ魔法で伸縮するようになっているものよ。我にぴったりのものなど並べて売ってはいないしな」
 トゥルエノの身体が傾く。無防備に倒れるかのような少年の細腕はひとまたたきのうちに黒い毛皮に覆われ、前肢と変じて地を叩いた。捻じれた角持つ四つ脚の神獣は、その荘厳な姿に反してなんとも懐っこくひとみを撓め、カナトの手元へぐいぐいと鼻面を押し付ける。
「ほら!」
「ほら……?」
「主が鞍を取り付けねば始まらぬだろう? 我の手はそこまで器用ではないからな」
「いや乗るって言ってないし」
「えっ」
「えっ」
「地這い獣の背は借りるのに我の乗り心地は試さないなんて……!」
「地這い獣は有事の緊急タクシー扱いだしなァ。あ、そういう意味では今も有事か……?」
「空なら我の方が絶対に得意だ!」
「今日はイヤに押しが強いなァ」
 さあさあさあ、と言葉でも物理的にもゴリ押して来るトゥルエノに流石に踏ん張りが利かなくなってくる。こうなるといよいよカナトも天邪鬼根性で積極的に是非に頼むとは言い難くなるのだが、ともあれじゃれ合い続けているわけにもいかない。
 ――渋々、と言った手付きのカナトがトゥルエノの背に据え付けた鞍は謳い文句の通り独りでに幅を伸ばし、獣の胴体にぴったりと巻き付いた。ベルトを閉じて貰えば準備完了。
 恭しく下げられたトゥルエノの首元に縋って、カナトがその背に騎乗する。成人男性ひとり分の体重を預かっても毛並へ無闇に擦れることなく、短時間の飛行であれば|トゥルエノ《乗られる側》としても不便はなさそうに感じられた。良い品だ。
「気は済んだか?」
「うむ、主も今日はよく着込んでいるな。寒さに耐え兼ねたら教えてくれ。それでは早速――」
「……待て其のまま飛ぼうとするンじゃない」
「えっ」
 ついに観念したものかと、我の何が不満なのだ。不満って言うかそこまでゴリ押されるとなんか裏があるんじゃナイって気分になるって言うか。そんな、我は主のためを思ってだな! 騎獣と騎手の位置関係ではどうにも揃わない視線を合わせようとぶんぶん首を振る黒麒麟と、振り落とされないよう巻き付く青年の横、街の住人たちが怪訝な顔で通り過ぎてゆく。
「(一度くらいは共に空を眺めても良いのになぁ)」
 此の想いが、『裏』と言えばそうなのだろうか。大切な相手と同じ景色を見たいのだと素直に言って、捻くれ者の主はトゥルエノの言葉を真っ直ぐに受け止めてくれるのだろうか。

斯波・紫遠
アンジュ・ペティーユ

「目的の品が必ず有るってわかって計画してたんだろうね」
 街の各地に存在する診療所が怪我人を受け入れている。どこも緊急事態にあって協力したいと申し出てくれた善意の医院には違いないが、急激に増えた患者たちに対して何せ圧倒的に手が足りていない。最低限命を繋ぐだけの処置は完了したのだろうけれど、此処まで街を歩いて来るなか、窓辺に覗く商人たちの表情はどれもうす暗く淀んでいた。
 道中の景色を思い返しながら零した斯波・紫遠(くゆる・h03007)に、半歩先を進んでいたアンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)がきょとんと振り向く。さっきまで看護師に伝えられた部屋はどこかなって相談している最中だったから唐突に聞こえたのだろう。
「敵の話?」
「そう。此処に逃げ延びたのはごく一部――ってことは、|商隊《キャラバン》も結構な規模だったわけでしょう。数人取り逃がしてしまえば、近くの冒険王国が討伐隊を編成するのは|√ドラゴンファンタジー《この世界》では予想の出来ることだし。それぐらいのリスクを取ってでも欲しいものがあったから強硬な手段に出た」
 半ば思考整理を兼ねて、語る声はあくまで小さい。襲撃者の話を無防備に怪我人の耳に入れ、フラッシュバックなど起こっても事だ。アンジュもまた紫遠の意図を察したらしい、内緒話の距離を詰めるよう、歩調が少し遅くなる。
「欲しい竜漿兵器があるのか、数が必要なのか……連中が手段を選ばないなのは間違いないな」
「竜の神器、と言うのがどれほど凄いものなのかは分からないけど、そちらにかまけて目撃者をひとり残さず殺してしまえとはならなったのが不幸中の幸いだね。せめてここにいる人たちぐらいは」
 生きていて欲しいよ。
 またたく朝焼けのひとみを伏せ、アンジュが囁く。これもまた小さな声だった。自分だけが生き延びてしまった、と思う者たちにとっては残酷な願いだろうから。

 空を飛ぶ方法。慣れない魔法具を手に危なっかしくふらふらと、或いは地に足つけて生きるうちには大きく広げる機会もない持前の翼を操って悠々と、飛び交う√能力者らの影を病床の向こうの窓に覗き見て、アンジュは浅く息を吐く。まさしく物語のなかの空飛ぶ城へ――華やかな冒険譚と、今こうしてベッドに伏して呻く怪我人たちと。どちらもが同じだけ|現実《リアル》なのに、騙し絵のように乖離して感じられる。
「(あたしみたいな空想未来人は、少しの空想を得ることが出来れば空なんてひとっとびってさ)」
 でも、普通に空を飛ぶのと、今回の件にあたって空を飛ぶのは違う。アンジュたちの翼は、ここで蹲る商人たちにとっての希望の光の軌跡となる必要がある。
 空の小瓶をひとつ、白衣の影でぎゅっと握った。出来ることならここに、君たち自身の|空想《願い》を集めて。その力が、あたしを空なるドラゴンの元まで運んでくれるのだと、証明してみせたい。そのためには――とにかく、身体を治して貰わなきゃ。
「出来るのは応急処置ぐらいだけど、準備はばっちりして来たよ。ひとまずの目標は、気を休めてよく眠れるようになるところからだね」
「微力ながらお手伝いします。痛いとそれだけで体力と気力が無くなりますから」
 ――アンジュが患者たちへ柔らかに声を掛ける一方、紫遠が軽く会釈をするのは、ずいぶん疲れた様子の見える看護師へ向かって。アンジュが掌に取り出した空想宝石が融け、淡い光となって怪我人の傷痕へ纏わりつくのを眺めて安堵した様子の彼女にこそ休息が必要に思えるほどだ。
「ありがとうございます。治癒魔術は使える者も限られていまして……最新鋭の医療設備もこんな田舎にはありませんし」
「田舎だなんて。実は前にここ来たことあるんですよ、『太陽の竜』の儀式の時に。活気があって、伝承も興味深くて楽しかったです。たしか、あの時も一悶着ありましたよね?」
「まあ」
 ぱち、と看護師が目を瞬くのに笑い掛けながら、なにかに耐えるよう震え丸まっていた青年の背に手を添える。身体の、心の、どちらの痛みもひととき忘れてしまえるよう、紫遠は柔らかに囁き掛ける。君も旅の途中に聞いたかな、春には祭りをやるんだよ。傷を治すうちに冬を越えた鳥が鳴き始めるのを聞けるかもしれないね――語り伝える言葉の通りの情景が君のなかに満ち、心休まりますように。
 ――アンジュがベッドを次々移ってゆけば、紫遠の声はカーテン一枚隔てるごとに遠くなってゆく。癒しの術を紡ぐ声音は、痛みと、仲間を失った苦しみに尽きず泣き濡れるひとびとに簡単には届かない。みんな落ち着いて、なんて言葉、易々とかけることは出来ないけど。
「君たちの代わりに、次はあたしが行くよ。今は英気を養って、次に備えて欲しい。備えることもまた、戦いだと思わない?」
 顔の半分をすっかり包帯で覆われているのは、アンジュと同じ年頃の女性だった。涙で荒れ切った頬を指先でついと撫で、そこでぱちんと空想宝石を弾けさせる。驚きでこちらを向いた視線にニッと笑ってみせたついで、その包帯の下では間違いなく傷跡が塞がり始めている。
「……あなたが、戦うの?」
「そう。あたしが空で、君がベッドで。生き残った者たちがまた次の旅へ向かう|空想《準備》をする。同じ、戦いだ。眠れないのなら子守歌でもうたおうか?」
 はじめの表情は困惑。そこから、くしゃりと歪んだ表情が俯いたのは、きっとアンジュの言葉が届いたから。先程までと同じ涙でも様相が違う。悔しげに握られた拳に、ぼたぼたと涙粒が落ちる。
「あはは、冗談冗談。こうやって戦場を駆けまわって治療をするのが――実は、あたしを生み出した人の望みなんだ」
 君がどんなに泣いても笑ってあげる。君が突き放そうとも傍にいてあげる。アンジュが彼女の肩を優しく撫でれば、空へと向かうための|宝石《力》が小瓶の中へコロンとひとつ生まれ出る軽い音がした。
 ――紫遠が患者に対して語る声を横から聞いて、僅か微睡んだ様子だった看護師がはっとする。私も他の方の様子を見て来ます、と慌てて言う口調には少し張りが戻っていたから甲斐もあったと言うものだ。よろしくお願いしますね、と送り出したついで、紫遠は改めて青年に向き直った。未だ茫洋としたまま、それでも青年の焦点は明確に紫遠を捉えている。
「太陽と月の竜の話は、あちこちで、聞いていて」
「うん。僕も以前はそれで興味を持ったんです」
「天空神殿は……|失楽園戦争以前《天上界があった頃》の遺物だって。モンスターが近付けない結界に加えて、ダンジョンみたいに組み変わるんだって。神器の真贋はともかく、建物だけでもアイソラに行くなら観光ついでに入れないかって、隊長が話してたけど」
 そこで意気投合した仲間たちの何人が、いま、生きていることだろう。途切れた言葉の奥に考えることは簡単に分かる。紫遠は今すぐその問いに答えを与えてやることが出来ないから、代わり、そっと胸元からくたびれた煙草を一箱取り出した。
「お嫌いでなくて、傷に触らないなら一緒に一服しましょう。違う|世界《√》のものですよ、職業柄気になるでしょう。どうです。こういうのあった方が気が紛れることもありますし」
 治ったあとにも君はきっと商人と言う生き方に戻るのだろうと、言外に含ませて。持ち掛けた交渉のあとには、さらに小声が一言続いた。勿論、看護師さんには内緒で。

システィア・エレノイア

 狼に翼はない。システィア・エレノイア(幻月・h10223)の二つ脚の身体に、巡る魔力は自分では使えないようになっている。となると、頼むのは技師だ。
 店頭に客を迎え入れる気のない職人街の無骨さは、いっそシスティアとしては馴染み深い気配ですらあった。工房の腕を誇示するよう門柱に掲げられた精緻な細工の長剣、額に入れてサイズごとに並べられた鏃。錬成し扱う武器の参考にと眺めさせて貰うならきっとえんえんと時間を使えるけれど、今日ばかりは興味本位で声を掛けるわけにもいかなかった。
 次々に資材を運び込む都合、シャッターを完全に開け放した工房を見つけるのは簡単だ。パーツリストと台車を持って駆け回る者、作業台で細かな部品を組み上げる者。そして何より、その中心に坐する船の枠組み。熱気溢れる空間に踏み入ったシスティアへ、そうそうに近付いて来たのは壮年の男性だ。
「兄ちゃん、見ない顔だね。冒険者かい?」
「そんなようなもの。此処で空に向かう船を作っていると聞いて。その貨物船とやら、乗せてもらえないかな?」
「運が良い。ちょうど余所の工房と打ち合わせて、うちは|デカいやつら《人間規格外》も運べるように天井を高くしようって話が纏まったところだ――なあ、時間があるならちょっとそこで座ってみてくれよ、アンタの頭がぶつからないように測るからさ」
 そこ、と指差されたのは、どうやらあり合わせの木箱を並べただけで増築された座席の中央だ。冒険の先行きとしてはなんとも粗末な造りだが、|錬金騎士《創るもの》であるシスティアからすれば興味深い。底部の工事のために土台で持ち上げられた分の高さを踏み越え、提示された席に座ってみて……足がすごく窮屈だ、と言うことを伝えたら、そこは我慢してくれと返された。
 未だ、船に屋根はない。大人しく座るシスティアの頭の上に拳を置いて高さを運ぶ男性の目算を元に図面を完成させると言うことになるのだろう。これぐらいまであったら十分じゃねえか。それだと木材の長さが足りませんよ、継ぎますか? それか今すぐ仕入れるかだ――四方八方から声が上がると、これがなんとも、自分もその熱気の中にいるかのようでうずうずするのだ。
「錬金術に心得があるから、必要な部品の図面を引いて素材を貰えれば作る事が出来る。手伝えるなら、俺にも携わらせてくれ」
「へえ、錬金術。木材の加工は?」
「出来る。きっと」
「じゃあちょうど良い。手間賃は出ないが勘弁しろよ――この兄ちゃんに作業台をひとつ! 屋根材を渡してくれ!」
 うずうずと――わくわくと、する。誰かと協力して何かを作るなんて初めてだった。耳が密かに細かく動いていることにはシスティア自身気付いていない。
 端材で何度か試し、自らの術が通用することを確かめる。その間に修正された図面を、説明を受けつつ真剣に読み解いて、さて此処からが本番だ。
「(強い風でも簡単に壊れないよう、強度を出せるよう慎重に)」
 滑らかな木材のおもてに触れる。今あるものでは屋根にきれいなアーチを作るだけの長さに足りない。より細く、裁断の手間を減らすため幅を均一に、部位に応じた撓みを与えて。システィアの掌の下、木材は撫でられた通りにかたちを変えてゆく。組み上げたときに巧く嵌るよう、繊細に。けれど手早く。
 何度か、興味深そうに職人たちがシスティアの手元を覗きに来た。爛々と己らにない力を行使する錬成士の集中を邪魔しないように、気持ちばかり抑えた感嘆の声を上げ、完成した材を組み合わせ始める。明日の夜明けを待つ|貨物船《カーゴ》が、確実に完成へ近付いてゆく。

千桜・コノハ

 空飛ぶ城、などと。なんとも夢見がちな代物がこの地には実在し、あまつさえ翌朝には千桜・コノハ(宵桜・h00358)自身そこに乗り込み、竜の残した神器なるものを護るべく戦えと言うのだ。
「(おもしろいね)」
 澄んだ冬の空気を貫き、天より射す陽光は微かにも曇ることなくまばゆくコノハの元へと届いた。手庇をついと翳して空を仰ぐ。その先に未だ誰も何もいないから、|虚勢《強がり》を繕うこともなく、幻想の名の元に広がる|世界《√》の壮麗な眩しさに柔らかく口元を曲げた。
「――で、飛び方が知りたいと? 翼を持たない奴らは大変だね~」
 視線を下げた先、教会の鐘楼屋根の片隅に危なげなく腰掛けるコノハへと頼み込む少女のつむじへ掛ける声が随分と捻くれたものだったとしても。少女のジトついた目が見上げて来るなり、その笑みが揶揄の色に変わったとしても。少なくとも先程までの一瞬は、見惚れる者が出てもおかしくないほどの景色だったのだ。本当に。今、コノハと向き合う少女の視線はなんともぶすくれたものだけど。
「……そうよ、大変なの。わたし、神官さまのお力になりたい。|貨物船《カーゴ》はどこも満席になり始めているみたいだし、もう身一つで行くしかないんだから」
「ふうん。まともに戦えるわけ?」
「それしか出来ないの」
 自嘲や自虐と呼ぶにはその声はあまりにあっけらかんとしている。コノハと同じ光りを浴びて明らかになった彼女の顔には既に乾いた大きな傷跡が走っていた。魔物の跋扈するこの土地で彼女がどのように生まれ育ち、今を生きているのか、コノハの知れたことではないけれど――誰かのために使える力があるならと、それが、心からの願いであることは、分かる。
 よく使い込まれた軽装鎧の上から見える身体つきは年の頃からすれば柔らかさに欠ける。得物は腰元の短剣だけだろうか。彼女の腕がどうあれ、そのように望むなら、コノハはそれを叶えよう。
「まあ、足引っ張られても困るしね。イロハくらいは教えてあげるよ」
 春宵の両翼が開く。季節外れの桜片が冬風に舞い踊る。屋根の縁から遊ばせていた細い脚でコツンと建物の外壁を叩くついで、少年の矮躯が前へ傾ぐ。ぐらり、落ちようとするコノハへ、目を剥いた少女が慌てて腕を差し伸べる。
「(僕が飛べるって分かって頼みに来たんだろうに)」
 気の抜けた笑いが零れた。|お人好し《騙され易い》って言われないかって、揶揄うのはあとにしてやろう。
 少女が無謀にもコノハを受け止めようとしたその時、先に伸べられたのは迦楼羅の指先。
 わっと悲鳴が上がる。地を掠めて飛翔するコノハに手を引かれ空に連れられた少女は、自分の足が宙へ浮いたことに気付くなりばたばたと足を暴れさせた。
「う、うわわわ、待って待って待って、わたしまだこれ使い方も」
「のんびり講義なんてしてられないでしょ。こういうのは実践あるのみだよ」
 『これ』。実のところ、少女の指に輝く指輪はコノハの与えた|花弁《ちから》が先んじて活性化していた。きっとこの手を離したって、ゆっくりと空気に受け止められながら浮き上がり続けることになるのだろうが、とは言えそれじゃ特訓にならない。
「感覚だけ先に覚えてしまうと良い。僕を追い越してみせるって躍起になって」
「お、追い越す。あなたを? わたし初心者なんだよ?」
「初心者こそ目標が見えている方が集中出来るでしょ。こう言う道具は一概に、ひとつの目的に向けて心澄ませる者に応えるんだ。負けず嫌いを見せてみなよ」
 ほんの少しずつ高度を上げながら、絡めた指の根で少女の魔法具が熱を帯びてはまた冷めるのを感じる。はじめは恐怖と焦りで冷え切っていた指先が、コノハに連れられて下界を見下ろす高揚に火照り始めていることも。……ただの空中散歩で終わられてしまっては意味がない。
「でも僕は気まぐれだからね、この手を離しちゃうかも。落ちたら骨くらいは拾ってあげるよ――嫌だったらさっさと飛び方を覚えるんだね」
「うえ」
「ほら、がんばれがんばれ~」
 煽り文句を真っ向から浴びた少女が必死の形相で拳を握り込むのを、迦楼羅の雛は、愛おしむように見つめている。

 ねぇ見て、とその子は言った。はじめの頃は意地悪に次々と掛けられていた言葉が、だんだんとまばらになって来た頃だった。
「あれが君たちの街だよ。いい眺めだね」
 促されて、ずっと空ばかり見つめていた視線を不意に下げる。思わず息が漏れた。鳥の視点で見たわたしの街。モンスターの脅威に怯えるこの世界で、傷を負うたびに立ち直ったアイソラの街。とりどりに鮮やかな屋根が並んだ、|海境《うなさか》の街。
「うん……あの、青い屋根。わたしの家だ」
「ふふ、景色を楽しむくらいの余裕は出てきた? じゃあ、あと少しがんばろっか」
 翼持つ君の手が静かに離れる。焦りはない。その桜色が見える限りわたしは飛ぶ道を誤らないと、不思議と確信していたからだ。

ツェイ・ユン・ルシャーガ

「ひとり翔ける分には困らぬが、城攻めとあってはのう」
 肌を冷やしながら過ぎゆく風にツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)が小さく語り落とせば、冬空の透明な青さを抱いた空気の流れはしゃらしゃらと鳴くような音で同意を示した。そうとも、と明るく同意し励ますような、あなたには何てことないでしょう、と揶揄し笑って背を押すような。そこに宿った何ぞかの意志を言語として捉えようがなくとも、ツェイを歓迎するものであることは十分に分かる。
 避けようのない戦時を前にして人々は奮い立ち、街頭のあちこちで空飛ぶ城塞へ向かうための備えに動いている。専門家が屈強な冒険者たちへ繊細なつくりの|魔法具《アクセサリー》を持たせ、そんなに力を入れたら壊してしまいますよと指南に苦労しているさまなんか、ともすれば微笑ましいほど――とは言え、新しいことを学ぶ困難を楽しむ時間は今のこの街にはないだろう。
 ふむ、とツェイは顎に手を当てて視線を上げる。未だ空白でしかない天の高さを目算する。機械の類いは上手く扱えるつもりもなし、そもそも己は身一つで向かうつもりだ。目的地が翌朝には目視の叶う場所に降りて来てくれると言うなら、多少他人の旅路に手出しする程度の余裕はあるか。
「(どうせなら、うんと帰りも楽なほうが良かろ)」
 ひとり頷きながら近付いて来るツェイに、不出来な|冒険者《肉体派》たちに檄を飛ばしていた魔法士が気付く。弱り切っているのかと思いきや、ツェイに向けられたその青年の表情は、いっそもうひとりでもふたりでも増えるなら来いと自棄っぱちに開き直ったようですらあった。
「苦労されているようじゃの」
「慣れないことでしょうし仕方ないです。船の方へ乗せてくれとお願いするにも、この人数が押し掛ける分の座席はもうなさそうで」
「面目ない。普段も仲間の魔法士の動きは見ているつもりなんだが……」
「でしたらこの後には難しい行いを担ってくださる仲間にいっそう感謝なさるとよろしい。もう一度やりますよ!」
 はい、と筋骨隆々の男女たちが縮こまるのがあまりにもおかしくて、ツェイは思わず声を上げて笑った。馬鹿にするつもりなどないのだ。ただ、なんとも可愛らしくて。ジト目で此方を見つめる数々の視線を受け止めながら、ツェイはその掌を身体の前に翳した。
 昼のさなかの明るさに紛れるよう、小さなひかりがぷかりと生まれる。ひとつがふたつに分かたれて、次々数を増してゆく。
 やがてその灯りがツェイの掌中から溢れ出すまではほんの数秒。冒険者たちのどよめきすら飲み込んで膨張した光の群れはぱっと破裂し――螺旋描いて、天を衝く。遠目に見れば天と地を繋ぐ柱にも見えようそれは、ツェイの立つ場所を起点として宙へ流れゆくましろの花筏だ。
「勝手な横槍をすまんのう。得手不得手は互い支え合う方がよいかと思うて」
 柱の中心にて、ツェイは空気に腰掛けるよう地面から足を離した。流れる待雪草が生む気流が、ゆるやかにその身体を押し上げてゆく。必要な浮遊の技は気流に乗るためのはじめの一歩。それだけ。幾ら魔術に疎い者でもこれぐらいなら出来るだろう。
「ただ落ちぬ様に流れに乗ってゆけばよい。帰りはそう、楽しき生身の急流下りじゃよ――のう、本番前に何方か一寸度胸を試してみられぬかの?」
 半妖の手招きに、暫く場がどよめく。はじめに歩み出たのはまだ少年の面影を残す騎士だ。息を整え、踏み入った花嵐のなかで片手のブレスレットを撫でた瞬間、その身体は紙吹雪が煽られるかの如く一気に空へと持ち上がった。
 地からは悲鳴。縦に横にと正体なくぐるぐる回った少年が、そのうち身体を安定させて手を振って来たのちには歓声。次いで駆け入ろうとするのは同じ年頃の若き勇士たちで、衝突するかもしれないんだからひとりずつにしろ、と年長者がそれを諫める。だってリーダーだってやりたそうじゃん。反駁されて年嵩の男が言葉に詰まる様子に、周囲から笑い声が上がる。
 戦いを前に、世代の違うものたちも共に士気が上がれば良い。狙い通りとなったらしい足元の様子をのんびりと眺めたツェイは、病院の窓辺へついと視線を流した。
「(見えるかの)」
 仲間を失った哀しみがそう易々と癒やせるとも思っていない。ただ、今ひととき負傷者たちの目の楽しみとなり、悲痛の時を和らげられるなら僥倖であろう。
 花筏の中はすっかり渋滞気味だ。お手本ももう必要ないだろうと地に足をつけたツェイに、指南役の青年が駆け寄り、丁寧に頭を下げる。
「ありがとうございます。彼ら、アイソラにはよく来てくれていて、自分たちも協力させてくれと言って聞かなくて。街自体に被害が出ないなら、何と言うか、余所者のあの人たちには関係ないと思うんですけどね」
「はは、そう言うでないよ。古き竜の遺した神器とやらが、ひとの夢見た浪漫だとしても――支えであるのなら、守ってやらねばなるまいて」
 ツェイと同じように。流れ者たちも思うのだろう。|己らを迎える景色《愛しいもの》を守りたいと。

早乙女・伽羅
シルヴァ・ベル
猫宮・弥月

 春には祭りの装いのなかを歩き回ったアイソラの街だ。ある程度地形は把握出来ているつもりだし、迷子の心配は然程しなくて良いだろう。それでは各々手筈通りに。のちの合流を見越して告げる早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)に、猫宮・弥月(骨董品屋「猫ちぐら」店主・h01187)とシルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)が神妙に頷いた。
「席数はご店主さまと弥月様、二人分で大丈夫だと思います。どちらか肩かお膝を貸してくださいな」
「それならシルヴァさん、俺の肩でも膝でも自由にどうぞ。乗り心地、悪くないといいな」
「ふふ、弥月様がわたくしを乱暴に扱うなどと思っておりませんよ」
 ふたりの様子はおおよそいつも通り。画廊で会う時と比べれば戦時を前に微か気負った様子はあるが、過度に気を張り過ぎるようなところはない――ほとんど無意識に伺う己に気付いて伽羅は僅か苦笑する。繰り返し戦場を共にした彼らの腕前を疑うつもりなどないが、己よりずっと若い者たちのことを案じてしまうのは年寄りの常だ。
「伽羅さん、手配ありがとう。空飛ぶ貨物船というのも趣があるよね。遊覧飛行じゃないのが、ちょっと残念だけどさ」
「なに、無事に勝利したあとには観光船になるやも知れぬ。折角創り出したものを用済みだと簡単に廃棄はしないだろうし、そのときに満喫させて貰うのを楽しみに」
 再び、この街を護り切るとしよう。
 職人街へ爪先を向けながら弥月へと笑い返す。どんな戦いが待っていようと、伽羅も『いつも通り』を演じよう。明日より先にも同じ日々が続くのだと、街の人々が思えるように。



 貨物船の手配。気を急いた商人たちの諭しつけ。怪我人への対処。
 やることは山積みだ。方々で√能力者らも動いていることだろうが、明日の朝までと言う時間で十全にやり切ると言うことはきっと難しい。だからこそ、己が最も長ける手段を見極める必要がある。故、弥月が訪れたのは神官が管理する書庫だった。
「蔵書も多いですから、夕方ごろに神殿に関わりそうな書棚のものだけ選定しようかと。申し訳ないのですが、まだ手が回っておらず……厖大な量になりますよ」
 鍵を渡してくれた神官はそんな風に眉を下げていた。|有翼種《セレスティアル》として飛翔指南の一員に加わった彼の手を煩わせるつもりはない。ただひとり静謐な書庫に踏み入った弥月は、外の賑わいから隔絶された空間の中心で立ち止まる。
「(土着信仰の対象と言うなら古くから、そうだったんじゃないかな)」
 紙の匂いが満ちている。微かに瞼を伏せ、図書館のような憩いの場と比べれば数少ない|読書机《テーブル》の椅子の背に指を触れる。この静けさの海に堆積した歴史のページの厚さを思う。連綿と受け継がれて来た伝承。記録。それを見守る、大いなる意志。
 いつしか瞑目し、弥月の視界は闇に閉ざされている。もう一度開くとき、目の前の椅子には透ける|竜の化身《ドラゴンプロトコル》の背中が映し出されていた。
「こんにちは。少し時間を貰えるかな」
 ――私に語れる話などあるかな、
 ――この書庫の外に出ることはほとんどないよ。
「構わない。たくさんの伝承を見守って来た、あなたの話を聞きたいんだ。空に浮かぶ神殿のこと」
 城砦の構造。神器があると思わしき場所。雪崩れ込んだ相手を足止めするのに良いところ。仲間たちが先んじて行けそうなルート。空の城の中で少しでも動きやすくなるよう、知りたいことは山積みだ。矢継ぎ早に問い掛ける弥月に、|残影《インビジブル》は感情の色の薄い視線を向ける。

「わたくしに怪我人の手当てをさせてはいただけないでしょうか」
 病棟の最上階、廊下最も奥の部屋。これ以上手の施しようがないからこそ誰もが静かに時の処断を待つしかない、処置室から遠い部屋。そこへ立ち入ることを許されたのもシルヴァの小さな身丈があってこそのことだろう。医師の手で以ては尽くしたあと、なにかに縋れるとすれば妖精のおまじない。祈りを籠めるかのように案内された病室に飛び行ったシルヴァは、か細い呼吸音を頼りにひとつのベッドを探り当てた。
 老爺だ。はじめに街に駆け入ったと言う商隊長。巨大な刃物が与えられたと見られる深い裂傷は血管を破り、出来得る限りの止血と縫合を済ませた今でもその身体から生命の温度を奪い続けている。
 妖精の指先がついと宙を泳いだ。まず指し示された窓辺のカーテンが開く。障りになるような刺激をすべて遮断せよと、侵入を阻まれていた白い陽光が滑らかに屋内へ忍び入る。次に、指が向かうのは包帯の下の傷口。室内を温めるにはまだ弱い陽射しの端がほどけ、こまかな光の粒となって湧き上がる。シルヴァの指示に従うよう、それは老爺の元へ集い、ごく静かに彼の身体へ染み入ってゆく。
 見た目に劇的な変化があるわけでもない。けれど効果は確かに現れた。老爺の瞼がゆっくりと押し上がる。薄い膜の降りたような虹彩が、己を見守る妖精をうつろに捉える。
「(ふう、折角の港町にこんな用事で伺うなんて。けれどどうにか助けられました、良かったわ)」
 おはようございます、ご気分はいかが? 声を掛けるならまずは、もうなんにも心配は要らないよって明るい風が良いだろうか。考えながらシルヴァが口にしようとした寝覚めの挨拶より先に、吐き出されたのは地を這うような譫言だ。
「俺も行く。行かせてくれ。あいつら、殺してやる。全員。全員だ。俺たちがされたことを、同じ分だけ。し返してやらなきゃ浮かばれねえ」
 応報を。血の滲んだ復讐心がシルヴァに叩き付ける。絶望の底から込み上げる声に、それでも妖精は飲まれることなくきっと眦を吊り上げた。

 ところで鍛冶屋はどこかな、と|貨物船《カーゴ》の予約完了ついでに一言訊いただけの言葉をあちこちの地獄耳が拾い、四方から伽羅を呼び込むもので流石に驚いてしまった。目的は戦いに向けてサーベルを研ぎに出すこと。腕利きの情報はありがたいものの幾つもの店に世話になるのは難しい。結局、『あの時の獣人!』と声を上げた壮年の男性に挨拶ついで贔屓の店を聞いて、そこに預けることにした。
「先日の祭りでも感じたが、ここは勇ましい人が多いな」
「そりゃあな。大きな冒険王国からも遠いから、すぐに助けを呼べないんだ。何でも自分たちでやるしかない……そう言うとこが気に入って居着いてるんだが」
 向き合って語る彼もまた流れの冒険者なのだと言う。春に訪れてからこちら、季節が一巡りするまでと決めて拠点にさせて貰ったアイソラを発つ直前の事件なら、ひとつ恩を返す機会になったと思うつもりでいよう。研ぎ上がりを待つ時間を、血気盛んに奮い立つ彼と語らいながら、伽羅は鼻をひくつかせる。
「(勇敢さは苦難を乗り越える武器にもなるし、……時に自らを滅ぼす毒にもなり得る)」
 職人街であれば尚更、伽羅と同様装備を整えに来た冒険者たちの熱気を伴い、通りは浮足立って騒がしい。別れ際の弥月とシルヴァの様子と比すればいっそう顕著だ。よその土地で野暮を言うほど老い耄れたつもりはないけれども――勝つことばかりを見据えた様子は、多少なりと危うく映る。充満したガスに火花が走るようなことにはならぬよう、言葉と態度を選びながら、勇士の言葉をゆるやかに受け止める。
「あの|商隊《キャラバン》にはこの街の外でもしばしば世話になってる。あいつらがやられたってことなら大人しくしてられねえよ」
「ふむ、頼もしいことだ。君のような若者がいるなら戦線も安泰だろう」
「若者って、あんた」
「|猫又《獣人》の知人は他にいないかな? これでも俺は人生経験豊富と言うやつでね」
 茶化すつもりはない。前のめりな話の主導をそっと伽羅が手繰るための冗句。身内に犠牲が出れば報復感情が高まるのも当然だが、冷静な判断ができぬでは集めた情報も機能しない。やらねばやられるという焦りは判断を誤らせる。さて、彼が己を顧みるための有効な一打はなんだ。髭を指先で何度か撫でるだけの十分な時間を取ったのち、伽羅は口を開いた。



 ――城砦は悪しき者が足を踏み入れる都度複雑に組み変わる。だが、神器が最も天高い場所から逸れることはない。ただ上を目指せ。
 ――城に仇為す者の前に道は閉ざされる。正しく求める者の前に道は拓かれる。
「昔からのことに詳しいひとがいるなら此処だと思って。読みが当たって良かった、あなたと出会えた」
 あやかしの世で生きる青年が朗らかに笑う。その知恵を携えて空へ行こうと賢者に誓う。

 また独りでに病室の中のものが動く。老爺が身動ぎで落としたベッドの布団がくねり、その肩まで押し付けるようにぴったりと閉じた。
「命を落とさなかったのは運が良かっただけなんですのよ。何より病み上がりなのですから、無理をしてはいけません」
 ヒトに寄り添う妖精が間近に迫る。生者には生者の務めがあることを分かっているでしょうと、念押しに言い付ける。

 通りへと視線を向けた。向き合う冒険者も、釣られるように同じ方を見る。手提げの中に夕飯のための食材を詰め込んで道の端を隠れるように辿る、戦う力なき住人を。常と色を変えた空気の色に気圧され、窓辺からこわごわと外を眺める子どもたちの姿を。
「どうか毅然と応じてほしい。この街の皆の心が、揺るがぬ砦となるのだから」
 長くの時を経て姿を得た猫又が諭す。戦うのは護るべきものがあるからだと、君は自ら気付けるはずだ。

エオストレ・イースター
咲樂・祝光

 空が青いなあ。と、√ドラゴンファンタジーの地に足を踏み入れた咲樂・祝光(曙光・h07945)は思う。月並みな感想だけれど、それもまた良いものだ。雄大な景色を前に必ずしも言葉を尽くす必要はないのだ。あるがままを受け容れ、己もまたこの世界の一部だと知る。或いは雑念をすべて打ち捨ててそう感ぜられる瞬間こそが全知の龍へと到るための|生《旅路》においては重要なひとときなのかもしれない。
「びゅーん! ぱたぱたー! 見てみてー祝光! 僕は空飛ぶイースターになったんだぞー!」
 と、現実逃避していたところで、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)の声は容赦なく祝光の名を呼ぶ。いやそんなまさかともう一回思い直して、青空に逸らしていた視線をズラす。|卯桜《エオストレ》が飛んでる。都合五回は見直して、それでもやっぱり間違いない。いつもの兎耳を翼みたいに大きく広げて器用に振って、空の上でくるんとひっくり返ってみせては得意気に胸を張る。
「え待って。飛べるの? え? それ翼だったのか?」
「|新技・会得《SKY♡ESTAR》! 僕も日々成長期だからね! 空でも平気! 陸海空ALLイースターさ!」
「そう……凄いな……」
 君が空飛ぶ為の魔法道具を揃えるなら翼のようなものがいいかとか高いとこ怖いと言い出さないように備えておかないとなとか。そういうの全部吹き飛んで、残るのはがっくりとした脱力感。この幼馴染に驚かされるのはいつものことだけど、自分が面倒を見なければ、と意気込んでいたのが無意味となると色んな感情の置き所に困る。こないだ飛行タイプじゃないって泣いて震えていたのは何なんだ。その時に足りなかった分をあっという間に補う努力と度胸が凄いな。結局、やる気にさえなれば、君は何でも出来てしまうんだよな。いや兎耳ってなに? うつろに己を見上げる祝光にきゃっきゃと手を振るエオストレは、たぶんそんな内心一切お構いなしなのがまた虚しい。
「ふふーん、まだ不安定なとこはあるけどまぁ慣れてきた感じだ。祝光もおいでよ! これで一緒に飛べる!」
「君、飛べたのか……それなら安心だ。最悪、俺が抱き抱えていかなきゃならないのかと」
「え!? 祝光が……僕を抱っこして飛んでくれる……って!?」
「だからそんなことにならなくて良かったって話を」
 したんだろ。と、言いながら諦めて龍翼を開いた祝光に、やっぱりエオストレは構っちゃくれない。なんだその激震の表情は、と言うツッコミも恐らく耳には届いていない。
 ぱたんと行儀よく兎耳を畳んだエオストレが降りて来て、祝光の前に着地する。きゅるんとかわいこぶって見上げて来る姿は、まあ只人におねだりするには十分過ぎるのだろうけれど。
「……卯桜は飛べません」
「は?」
 効くかそんなもの。
 暫くの無言がふたりの間に横たわる。不味いこれは押し切るつもりだ。悟った祝光が問答無用で飛び立とうと羽搏くより、エオストレが勢い込んで巻き付いて来る方が早かった。
「飛べなくなった! 祝光に抱っこしてもらうー!! その方がいい! 安心安全!」
「いーや、飛べるね! 今飛んでるの見た!」
「やだーーー抱っこして!! さっきしてくれるって言った! 僕の耳が絡まって落っこちてひき肉イースターになったら泣くのは祝光だよ!」
「さっきさんざん得意げに飛び回ってたろ!! なんでいい歳した幼馴染同士で抱き合わなきゃならないんだよ!?」
「幼馴染だからこその合体技だろ!!」
 ギャンギャン言い合うふたりの少年を認め、周囲の|冒険者《荒くれ》たちは快闊に笑う。おう喧嘩か、明日に響く怪我しない程度にな! 祝光にとっては残念なことだが、この場にエオストレを諫めてくれる者はいないのだ。

「(これは勝てる。祝光ってば空気に流されると弱いからね!)」
 やだやだと駄々っ子の声で騒ぎ、祝光の首元に額を擦りつけながら、エオストレはほとんど確信していた。だってさっきから反論の声が随分と弱々しい。あとは言質を取るだけ! 晴れやかに顔を上げて――そこでやっと、祝光の視線が己とは異なる方向を見通していることを知る。
「エオストレ、離れて」
「むー、また誤魔化そうとして……ん? 大丈夫、具合悪い?」
「少しだけ。あちらの建物、宿屋だろうが。怪我人を受け入れているな」
「あー、この気配が……色んな感情がごちゃごちゃしてるもんね」
 君の妹なら喜んで食べそうな三毒だけど――なんてぼやくのはさて置こう。口元を押さえてえずきそうになるのを堪える祝光に無理を強いるつもりは流石にない。エオストレもまた兎耳をぴこぴこ動かして色んな方向を確かめてみるけれど、祝光ほど敏感にはなれなかった。見果てぬ空中城砦での戦いに浮かれる冒険者の熱気に覆い隠された、窓辺の|商人たち《復讐心》。見つけたそれに中てられたとなれば、優しい祝光は最早目を逸らせないだろう。
「感情の坩堝はきっかけがあれば爆発する。温度差を放置しない方が良いな。血気盛んなのはいいが足元を掬われたら大変だ。君も飛べることが分かったわけだし、俺たちも負傷者の治療に向かおう。地形の把握もしたいが、このままでは寝覚めが悪い」
「抱っこの約束……うーん、ま、いいか! じゃあ怪我した人達を治してあげよう!」
「ついでに魔物とか城の情報も集める必要がある。我儘言ってる場合じゃないからな。――エオストレも手伝え! ほら、小回りきくように飛ぶ練習しながらついておいで」
「勿論!」
 ぴょこっと跳ねたらそのまま兎耳をはためかせて、エオストレは宿屋の上階へ飛んでゆく祝光のあとを追う。いつもは遠く眺めていたきらきら輝く翼に、自ら近付いて行けることに喜びを抱きながら。
 ――窓硝子を控えめにノックする。空飛ぶ者たちをじっと見つめ続けていた窓辺の女性は、祝光の接近にも元より気付いていたはずだ。光を失ったひとみはひたと龍の少年と視線を交わし合い、やがて、相手が引かぬことを知って諦念したようにゆっくりと鍵を開いた。
「敵を。倒して来てください。何一つ、奴らの手に残って良いものなどないのだから」
 そして、第一声はそんな硬い声。
 吹き付ける|三毒の一端《瞋恚》に眩みそうになる己を律し、祝光は呼吸を整える。巧くなくともどうにか笑った。そうするつもりだよ、と受け流しながら、肩口に結わい留めた魔除け鈴を手にする。
「(竜の牙に涙の鏡……俺も龍だ。どれだけ大事なものかはわかるつもりだよ)」
 悪しき者に手出しはさせない。そのためになら当然力を貸す。けれど――怨みを晴らすためだけの殺戮に、加担してはやれないから。
 りん、と涼やかな音が指先で転がった。これは心身の|生命《ちから》を呼び覚ます加護の音色。焚きつけるような笑顔で女性の視線を惹いて、祝光は殊更にゆっくりと語り聞かせる。
「ほら、落ち着いて。大丈夫だ、ちゃんと守ってやる。はやく怪我を治してくれよ」
 ――祝光が対話する間、ぐるんと宿屋の周りを一周することで、エオストレは他の部屋にも同様の負傷者たちが身を横たえていることを知る。ふむ、成程。宙で腕を組んで暫く考え――閃いた!
「超可愛いラビット達! ここの窓ぜーんぶ開けて来るんだ!」
 放つ桜吹雪と共にぱっと宙に生まれ出た兎たちを宿屋の入り口に送り込みながら、手が空いてる子は地図とか探して持って来てね、と言うのは内心で。盗み見と言われたらそうだし。祝光ってそう言うのちょっと怒りそうだし。
 建物の中が俄かに騒がしくなる。時間差でぱたぱたと開いて行くカーテンと窓の向こうに、暗い顔の怪我人たちが見通せるようになる。そのすべての者に届くよう大きな声で、そのすべての者に見えるよう高く飛んで、エオストレが叫ぶ。
「ねー、イースターになろうよ! イースターしたら皆元気になるし強くなる!」
 ああこら急にそんなこと言ったって、って祝光が下の方で頭を抱えたのは見えなかったし聞こえなかった。
「神器って浪漫だよね! ふふ! 竜の牙、なら僕の神刀・喰桜とも近いものなのかなー? 気になる! 僕もみてみたい! 怒ってないでお話聞かせて! 今度は負けないように備えよう!」
 その軌跡に桜の光を散らしながら、右に左にと飛び行くエオストレは当然衆目を集めた。怪我人以外の者も含めて、と言う意味で。街路に集った冒険者たち、変わらぬ生活を保とうと営む民家の住人、それぞれが興味を惹かれて天なる祝祭を見上げだす。
 ほらほら、みんなよく見ていて。僕の周りはハッピーイースター! エオストレがターンすれば小鳥がぱっと飛んで出て、桜吹雪が冬に咲く。うすらと温かい春風に上がる驚きの声を浴び、誇らしげに一振りの太刀を掲げてみせる。
「大丈夫ー! 盗られたものは取り返す……イースターだからね! 祝光と一緒に、君らの想いも一緒に抱えて空のお城まで飛んでくよ! 任せろ〜! だから君達は早く元気になって、地上をがっちり守ってくれ!」
 ――ねー、祝光! と最後に思い切り話を振られて、祝光はついに頭を抱えた。向き合っていた女性まで大丈夫ですかと声を掛けられるものだから、流石に最初の返答は『すまない』になる。すまない、養生の最中なのに騒がしくしてしまって。謝罪と共に見つめた彼女の表情に、けれどほんの少し燥ぐ子どもを見守る柔らかさが生まれているものだから、エオストレを中心に巻き起こる|祝祭の加護《イースター》も馬鹿に出来ないと言うことだ。
「君たちを襲った魔物と言うのは、どのような姿をしていた? 騎士団、と聞いているが」
「そう……見えました。ただ、攻撃の技は剣だけではなかったように思います。四方八方から馬車が揺らいで、気付けば放り出されて。夜闇の中のことでしたからはっきりとは見えませんでしたが」
 対峙したのは警備の者たちでしたから私はあまり、と落ち込むような彼女を宥めながら、祝光は改めて気を落ち着ける。竜の神器に胸踊らせているのは己も同じだ。その真贋が如何ほどのものであろうとも、祈りを懸けて受け継がれて来ただけの力を持つことに変わりはない。
「(……目の前のことに集中しよう)」
 エオストレの掲げる『|喰桜《竜の牙》』に惹き付けられた視線を意図して逸らす。代わり、迎えるのは女性の部屋に扉側から侵入して来たイースターラビットだったけれど、こちらの方が余程マシだ。
 女性の身体を手掛かりに前足を上げ、その掌に撫でろとばかり額を擦りつける動きはなんだか|あるじ《エオストレ》に似てさえ思える。祝光としては少々複雑だが、ふわふわの毛並に口元を綻ばせた女性の表情を見て切り替えた。異邦人たる己らの行いが、なにかの励ましになるならそれでいい。大切なものを護るために奮う力こそが何よりも強大なのだと、この街に居並ぶ者たちが気付くなら。祝光の心は、後回しでいい。
「なにかを奪われ傷付いたあとだとしても、楽しんでいい。笑っていていいんだ。怨嗟に腐るよりずっといい。明るい笑顔と青空に影る心などとかしてしまえ」

第2章 冒険 『城内迷宮』


 未明の空に黒い影が点を打つ。ほんの一歩先んじて神殿に到着して敵の訪れを迎えた√能力者たちは、その姿を呆然と、或いは驚愕を以て捉えた。
 |商隊《キャラバン》を襲った敵、ロード・マグナスとその傘下の騎士団は、竜に乗って現れたからだ。
 飛竜兵団たちの手元からそれぞれに形を異にした刃が飛び立つ。あの飛竜たちの正体が何者かは知れずとも、それがディヴァインブレイドと呼ばれる|竜漿兵器《ブラッドウェポン》であること、そして、それが崩壊した商隊の積み荷から盗み出されたものであることは明らかだ。
 都市を暴く悪しき者を阻むため巡らされた結界へ、魔法の刃が一斉に突き立つ。不可視の壁がパリンと割れる呆気ない音。√能力者らがつい先ほど使ったばかりでもある船着き場代わりの広場から、容赦なく侵攻して来る騎士団たちを呑気に観察していられる時間はない。彼らを食い止めるべく武器を手に入り口で待ち構える仲間たちにあとを任せ、精鋭たちは城砦の奥へ駆け入った。

 遠目にシルエットを見ればひとつの丘陵とも思えるほどに巨大な城は、敵の侵入を見て取ってその防衛機構を作動させる。神器を護るべくやって来た√能力者らに対してさえ見境はない。一歩、進む都度にその行く先は捻じ曲がり、新たな道と繋がって迷宮と化す。
 神器はこの城砦にあって最も空に近い場所にある。敵たちより先にその場所に辿り着くために、取るべき手段はさまざまな。我武者羅に、ただ上へ向かう道だけを選び取って駆け続ける。城を変容させる魔術を紐解き、或いは強引にその核を破壊して、もとの道を取り戻させる。かつてこの城砦を拠点としていた者たちの立場を考えるなら、敵に対する惑わしの罠とセットで、当然自分たちが安全に使える通路を作っているはずだ――運良く地図や改修の記録を見つけられたなら、それを紐解くのも良いだろう。
 何よりも急ぐ必要がある。竜の神器を、奪わせないために。
焦香・飴
僥・楡

「どうせならゆっくり観光で来たかったわね」
 呆れるのと感心するのと、半々の口振りの僥・楡(Ulmus・h01494)が足を掛けたところの階段は今にも先行きで|途切れ《・・・》、新たに別の階層と繋がろうとしている。ここは駄目ね。首を横に振りながら踵を返すが、焦香・飴(星喰・h01609)の楽しげな視線は未だ迷い道を眺めていた。
「いいですね、いかにも御伽噺のお城っぽい――でも呑気に冒険してる余裕も時間もなさそう。楡さんならどう突破します?」
「厄介な人達も多いみたいだし、早い者勝ちなら走って目指すのが手っ取り早いんじゃないかしら。此処が通れたなら簡単だったんだけど。お客様用以外の通路もあるでしょうしそこを探して――」
 広間から真っ直ぐ駆け入った先の大階段は本来そのまま最上階までを貫いていたようだが、流石にこうして真っ先に途切れてしまった。防犯も手厚いだろうし、深追いして良いことはないだろう。考える楡の隣、あ、と声を上げた飴が手を叩く。
「訊くまでもないですよねすみません。俺も力尽くがいいなって思ってました……言ってない?」
 それはなんとも楽しそうに。冗談交じりに言った末、小首を傾げて笑う飴に、楡もまたにっこりと笑顔を返した。こっちは真剣に考えてるのよ。
「なぁに飴ちゃん。いいのよ、アナタを上ぶん投げて先に頂上を目指してもらっても。安全バーの無いジェットコースターみたいで楽しいかもしれないわね」
「それもう逆バンジーですよ、できちゃいそうだから楡さんって怖い」
 されたくないなら真面目にやってね。そんな、俺はいつでも真面目なのに。

 作戦会議もそこそこに方針を決めたのは、一先ず力尽くで行けるところはいっちゃいましょ、と言う楡の軽い一声だった。ほらやっぱり同意見じゃないですか、と揚げ足取ることはしない。そんなことをすればいよいよ飴の身体は楡の操る組紐に絡め取られ、文字通り手も足も出ないまま宙に放り出される可能性が高い。
「防犯的にはいいんでしょうけれど、ちょっと自由すぎる通路じゃない?」
「のびのび育ってて良いですね。俺もこれぐらい甘やかされたい」
「|警視庁本部《おうちの人》に相談なさい」
 此処で言う『力尽く』の意味の一つ目は、城砦が道を鎖す速力との競争だ。無駄口と互い分かりながらの実のないお喋りと共に駆けゆく先、長い廊下の突き当たりに階段があるのは既に視界に捉えている。
 飴と楡の到着を見て取ったか、城砦が揺れて震える。壁を構成する石材が浮き上がり、組み変わり、シャッターの如く通路を寸断するための新たな壁を構築する――としてもふたりが臆して立ち止まることはない。どころか、足元に黒い凶星を呼び起こした飴は踏み込みのうちにさらに速度を上げ、振り上げた蹴撃により道を塞ぐ壁の中心を勢いよく蹴り砕いた。
「すごい、この道俺より自由かも。暴れ回ってればそのうち壁に出来る素材もなくなりそうじゃないですか?」
「せっかく威厳ある風に作って貰ったのに可哀想。飴ちゃんの力が無機物にも効けば便利だったでしょうに、残念ね」
 ――惜しむ声が軽薄なのはつまり、それならそれで仕方ないだろう、と楡が明確に思っているからだ。『力尽く』の二つ目。あとの始末は街の住民たちに任せるとして、この場限りの守りを√能力者たちが務めるのであれば、今この時に限っては城の防衛機構を破壊し尽くしたとして問題はない。空の上での補修工事は骨が折れるだろうがそこはそれ、最善の現場対応の結果であるのだから受け入れてくれないと。
 とは言え一応は平和的解決策を考えてみるつもりもないわけではない。飴の足元から影が身を捩りながら千切れ、探索のため城内へ駆け出してゆくのも同じ考えだろう。駆け入った階段を飛び跳ねるように昇り切って次の階層へ。ふたりが下層を攻略するうちに作り変わっていたのだろう、迷路のように入り組んだ通路に楡が今度こそ呆れ切った隣、飴は未だ上機嫌だ。
「あ、楡さん術とかいけますか? 俺ちっともなので、わかるなら俺のことも上手く使ってください」
「多少は分かる程度だけれど、そうね。こんな場所なら|誰かいる《・・・・》かしら。生活の痕がありそうな場所を見つけたら教えてちょうだい」
「分かりました。ちょうど良さそうな場所がありまして」
 ――影業が己を呼ぶ方へ、最短距離で向かうなら当然この迷路が邪魔をする。そして同時、それは飴にとって大した障害物ではない。取って付けの石組みを蹴り抜いて風穴を開け、再生しようとする端から瓦礫を足で散らして、辿り着く先は使用人の居室だったらしい簡素なベッドルームだ。鍵の掛かった扉も勿論遠慮なく蹴り開ければ、暴力的なドアマンの案内のあとに悠々と楡が続いた。
「話は出来る?」
 楡が宙へと囁き掛ける。冬青のひとみの見つめる先、透明なガラスに光が屈折するよう、虚空に|隣人《インビジブル》の姿が切り出されてゆく。恐らくは年嵩の男性。遠い昔の残滓である分その姿はあまりに曖昧で、飴の耳には声すら聞こえないけれど、本業にとってはそうでないのだろう。数度のやり取りののち、頷いてみせた楡は飴に通訳する。
「全部壊してもいいって言ってるわ」
「へえ、太っ腹」
「迷っている方が時間の無駄でしょう。緊急事態ってことは双方合意の上なわけだし」
 その内容が目の前の彼が本当に言ったことかどうか。飴には分からない。だから、楡の言葉がそのまま真実だ。実はまったく会話の内容は異なっていて、遺跡を破壊した者を呪ってやる――など言い出すなら是非やってみて欲しい。人間の残した念とやらが隣の|取り換え子《お気に入り》にどれほど影響を及ぼせるものか、興味がある。
「なら確かに、迷わず行く方が早そうだ」
 再度、飴の足元に黒い閃光が走る。手始めに、この部屋の壁の向こうには次の階段があるようなので。

氷野・眞澄
花村・幸平

 聞き込みと現地調査。|最終目標《ターゲット》のいる場所の迅速な捕捉。|保護対象《神器》には傷を付けないよう、最優先の対処を。
「(いつも通りだな)」
 貨物船で飛んで来る際に眺めた透ける冬空にはちょっとだけテンションも上がったけど、いざ城砦内に入ってしまえば地上の建造物と変わらない。幽体と化した花村・幸平(フラットライン・h07197)に対して物理的な罠は碌な反応を返さず、それもまた『いつも通り』を感じさせた。
 時には√ドラゴンファンタジーらしく|非物質《エーテル》向けの障壁もあるが、注意すべきはそれぐらい。壁を抜け、天井を抜け、ただひたすらに上へ向かうのであれば幸平だけがゴールへ辿り着くのに難はない。それでもこうして行儀よく|石造り《生者のため》の通路をなぞるのは、ひとえにあとに続く氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)のためだった。
「(神殿なんだし内部の構造図とかないのかな〜。聞いとけば良かった〜)」
 進む都度、上下左右に遠近を問わず、建物が軋みながら組み変わる地鳴りのような音が響いて来る。各所で√能力者や冒険者たちが攻略を初めているのだろう。彼らの足取りと共に道は変容する――としても、基本的な構造からまったく異なるものにはなり得ない。
 暢気にこんなことを考えるのは、幸平の前に限って城は静かで大人しく、賑わいから己だけが隔絶されたように感じるせいだ。今更慣れたし寂しいとは思わないが、今にも敵が襲って来るぞって現実感はどうしても遠い。これも、どうやら先に辿り着いたのであろう仲間たちを嵌めるため生み出されたらしい落とし穴の上、幸平の身体はふつりと棚引く煙に変わり泳いでゆく。

 一方の眞澄の前、また城は物静かだった。此方は何の仕掛けもない、ただ眞澄が廊下に踏み入って以後一歩も動いていないと言うだけのことだ。立っているだけで足元が崩れ出すことを案じはしたが、幸い空中城砦の設計者たちも、侵入者の都度瓦礫を空から振り撒いて地上との軋轢を生もうとは思わなかったらしい。
「(下手に動いて罠を作動させるのも勿体ないですから、少し手を借りましょう)」
 これはかつての昔、|この世界《√ドラゴンファンタジー》に天上界なるものが存在していた頃の遺産だ。|不可視の怪物《インビジブル》と化した彼らは時を経て溶け、次の生命へと造り変わってゆくのが世の習いと言えど、此処が誰かに利用されていた城砦ならば、染み付いた思念も濃い筈。
 理屈の上だけでなく、既に眞澄の脳には囁き交わすような微かな|声《・》がざわめいていた。地上の人混みで感じるものと比べればあまりに小さくか細い残留思念。神経を研ぎ澄ませる。|視え過ぎる《・・・・・》目を閉じ、聴覚ばかりに集中する。
 ――力無き者は回廊へ、
 ――此処は請け負う、今すぐ逃げろ。
「……ご心配をどうも」
 構えどころか手に取ることすらしていない拳銃はどうやら武器とは見做して貰えていない。彼らこそ戦う力なんてないくせ勇敢に語る声は、瞼を持ち上げた眞澄が周囲を見渡してみればまた遠く霞んで行った。
 回廊。此処に来るまで頭上に見上げた城砦の外観を思い起こし、身に宿る攻性インビジブルたちを四方に放つ。実体を持たない魚の眼が硬い壁を抜け、外殻へ向けて突き進むその視界が、眞澄の見る本来の映像の上に重なって顕れる。微か眉根を寄せながら景色を探る。重ね合わせた半透明のレイヤー一枚ごとに|深度《ピント》を切り替えていく感覚。
 真っ先に建物の端に辿り着いた一体が、地上を見晴らすための窓を据え付けた通路の情報を寄越す。此れが回廊。であれば、次は|成人男性《眞澄》がそこに踏み入るための通用口はどこか。同じデザインの扉、建材のグレード、照明の配置の仕方、罠の在り処。細かな情報を手掛かりにインビジブルたちが視ている場所を繋ぎ合わせ、手帳に書き付けて行けばいずれそこには継ぎ接ぎの地図が出来上がる。
「(途切れた場所もありますが、まあ)」
 眞澄の到らないところを届かせるために|幸平《相棒》がいるのだ。杖をついて歩き出すその行く先には、やがてきらきらと彩りに輝く目当てが光り出した。

 地図など用意しておけば良かった――とは思うけどまあ何せしかし僕は準備がいいのでね、と胸を張ってみたところで返事がないのがやっぱりなんだか切ない。はやく氷野ちゃんと会いたいよって言ったらあの子喜ぶかな。泣き言を仰らないでください、って返って来る方があり得そう。
 百均で買って来た自由帳に、同じく使い捨てのつもりで仕入れたボールペンで書き付けたお手製の構造図は結構なものになって来ていた。安全な道を選び取るには複雑な曲がり角を正しい順路で渡る必要がある、と言うことも分かって来る。床に落としたおはじきは無事に眞澄の|パンくず《道標》となっているだろうか。
「(ま、使わないに越したことはないが)」
 それはつまり慎重に避けて歩かねばならない程度には罠の多い道に眞澄が踏み入ったと言うことだ。いっそ先行して壊していってしまってもいいんだけど、無闇に無効化するとガチの悪い侵入者を撃退できない。この辺の塩梅はなかなか難しい。一応古跡だし大事にしようって気持ちはある。
 腕を組んで悩みながら、また次の壁を抜ける。と、その先は完全な外で、広大な空に落っこちかける浮遊感には流石にビビった。

「(なるべくならば罠は温存しておきたい所ですが)」
 離れていても考えることは同じ。など、眞澄にも幸平にも知れたことではないが、ともあれ事実はそうだ。そして、考える人間が違う以上、あとに残る結果が異なるのも当然の話である。
 眞澄はなおも慎重に、躓かないよう城内を歩いてゆく。片手には手帳のうえのマップを広げ、片手には杖を突いて。その行く手に待っていたはずの閉め切られた扉も、侵入者目掛けて落ちるはずだった仕掛け天井も、眞澄が辿り着いた時には既に崩れ効果を失っているから旅路は平穏だ。放った攻性インビジブルたちの視界を盗視し、そこに己の霊力を乗せる。強大な敵を相手取るには足りずとも、控えて待つだけの設備を破壊するには事足りる。
「……、ふう」
 幾度目かの曲がり角を見渡しながら息を吐いた。眉根を揉む。この後の戦闘に備えてなるべく体力を温存したい所だが、こうも継続して多量の視覚情報を処理しているとどうしても消耗する。
 瞼を数秒閉じ、また開き。繰り返すうち、ひょっこりと眼前に現れた白い姿にも然程驚かない。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい。抜け道でも見つけましたか、それとも行き詰まりましたか」
「氷野ちゃんったら賢いね。後者です。なんかね~途中でぐちゃぐちゃになっちゃったかも。うっかり外まで突き抜けちゃった」
 頬を掻きながら幸平が差し出す自由帳には半端に終わった城内の地図。十分です、と応じながら、眞澄もその横に己の手帳を並べた。これで完成だ。

オルテール・パンドルフィーニ
久瀬・彰

「随分と大掛かりだな」
 先んじて踏み入った城砦の窓より外を眺め下ろしたオルテール・パンドルフィーニ(Signor-Dragonica・h00214)の声に微か滲む侮蔑の色に、久瀬・彰(宵深に浴す禍影・h00869)は内心意外に思う。いかなる時も鷹揚と、陽気に振る舞ってみせるオルテールの様子からすれば珍しい。竜なるものを|根源《ルーツ》とする身の上ではやはり思うところあるのか、話題にするにはしかし聊か状況が悪すぎる。
 オルテールが窓辺から身体を離す。彰に向き直る表情は既に常の色へと戻っていた。
「劣等種にああして竜を従えたような格好をされるのは業腹だが――」
「お互いにできることをやらないと、だものね」
 互い、頷き合う。別動隊が応戦してくれてる貴重な時間を無為にするわけにはいかない。急ごうか、と声が揃った。この広大な城の頂点へ、誰より先に。

 上階へ。目当てが分かっているならともかく階段を探せば良い。ひとまずは単純な解決策が通用しないか試すため城内を駆け回り始めてから暫く、パーティホールのような吹き抜けに差し掛かって都合三度を数えたあたりで彰が足を止める。城砦の名から想像するには多少不釣り合いな場所だ。隣のオルテールもまた一拍遅れに従って頭上を見渡した。
「これほど天井が高いなら飛んで探ってみるのも良いな。せっかく練習をしたわけだし、逢引用のバルコニーぐらいには辿り着けるかもしれない」
「俺とお兄さんで? 絵になる服装をして来ていたら乗っても良かったけど」
 軽口半分に考える。走って来た方角を思い返すに、同じ場所をぐるぐる回されている――と言うわけでもなさそうだ。どうやら知らぬうちに何事かの魔術のなかに囚われている。これだけ広い空間であるならば本当にまったく同じつくりの広間が幾つも連なっている線も捨てきれはしないが。
「(無理矢理押し通ることもできなくはないけど、俺達だけが辿り着けばいいわけじゃないしね)」
 仮に此処が現実とは切り離された迷いの結界の中だとして。|彰自身《呪禍の宿主》を取り込んだ腹を、内側から破ってやる手ならすぐにも幾つか思い付く。足元の影業を限界まで膨らませて|容量オーバー《・・・・・・》を起こさせてやるってあたりが一番手軽な手段だが、そのあと現実の城砦にどれほどのダメージが響くかが懸念事項だ。あとには他の仲間も同じ道を通ることを考えれば、正しい手順で解くにこしたことはない。
「さて、アキラ」
 恐らくはオルテールも同じことを考えた。手袋に覆われた掌をパンと鳴り合わせる音が思考に沈む彰の気を引く。
「手あたり次第強引に進むのも策だが――折角なら俺たちの得意なパズルでも、どうだ?」
「パズル?」
「そう。君と君のカミサマに願って魔術の痕跡を辿って欲しい」
 ――軍師の顔を装ってみせるには|現場主義《前線向き》なところを見せすぎていることを自覚しながら、オルテールは荒廃したホール全体を示すように腕を広げた。今は無人の大広間。在りし日に夜毎開かれた社交の場で華やかに交わされた話題の中心は何だったのか。どのような経緯でこの城が天を巡り続けることになったのかも知れぬ今、ペンの上に想像することしか出来ないけれど。
「俺は今やそういう感受性を欠落してしまったが、元を糺せば術師。微弱なものを感知したり使えたりしないだけで読み解くことは出来る」
 かつては煌びやかなホールを見下ろしていたのだろうシャンデリアの残骸。楽隊のために備えられたステージ。招待客が気兼ねしないよう、壁材と色を揃えて密やかに設置された|使用人通路《バックヤード》への扉。目に映る限りのいずれかに隠れ潜んだ魔術の種を、この目の前に明らかにしてくれ、と。
 ――さすれば必ず、あとの道は拓いてみせる。自信を伴ったオルテールの宣言に、彰は確りと頷いた。命と、此の昏い力を預けるに足る相手だと信じていなければ、こうして空の上まで共に来たりはしていない。
「いいよ、それじゃあ――カミサマ、お願いします」
 囁き落とすと共に、彰の影が|ぶくぶく《・・・・》と沸いた。霊力によって捏ね上げられた小さな人型は次々に数を増やし、その足取りに黒い残滓の尾を引きながら周囲へと散開してゆく。実体なき人影は建物の隙間に身を沁み込ませ、鍵穴へ捩じ入って奥まった通路を見通し、その先の景色を彰へと伝えた。
「なにせ魔法なんてものとは縁がないから、見つけたものの解析はきみ頼りだけど」
「まあ……俺も干渉はアキラ任せになってしまうだろうから。お互い様と言うやつだ。それか『連携プレイ』だな」
「『持ちつ持たれつ』でも良いね。――その代わり、やるべきことはきちんとやるよ」
 ――話しながら待つ時間はそう長く掛からなかった。此方へ、と彰が誘導する先へ進めば、何の変哲もない広間の壁の一角。粘つくように貼り付いた影によって強引に|割り開かれた《・・・・・・》向こうの小部屋に浮遊する白い|光《オーブ》の近くへ気負いなく踏み入ったオルテールは、その明かりへと掌を翳した。織り上げられた時がどれほど古くとも、連綿と受け継がれた魔術の基盤は変わらない。
「『霧』……は違うな。もう少し抽象的だ。そうでないと容易すぎる。『阻むもの』と『|組紐《ループ》』。『蛇』は強引に破壊しようとした時の反撃だろう――」
 幾つかの|象徴《モチーフ》。それぞれの持つ属性を繋ぎ、ひとつの形として留め置くための|律《ルール》。記された魔術の式を構成する要素を丁寧に解読しては、彰に伝えるため言語として落とし込む。
 すべてを読み解き切る必要はない。この防衛機構を完全に壊してしまう必要はないのだ。ただ、彰とふたり脱出するための狭い道を作り出せればそれで良いだけ。侵入者を捕らえるための術式と思われる部分を解いた末、オルテールはついと足元を指差した。逆算すれば、この空間の|急所《・・》は此処。何てことない難易度だ。
 経過を聞きながら彰も用意を済ませていたのだろう。合図のあとには説明を求める間もなく、影の矛がオルテールの指差した一点を貫いた。濁った水が零れ広がるよう、床がさあっと黒く染まってゆくのを眺めたあと――まばたきの終わりには、ふたりの身体はこれまでいた広間とは似ても似つかない細い階段の上に位置を変えていた。
「急がば回れ、だ。ん、ふふ。俺たちはやっぱり良いコンビなんじゃないか?」
「うん、良い役割分担だったよね。やっぱり、きみとは相性がいい気がするよ」
 讃え合いながら階段を昇ってゆく。いつかの昔、この城を護るために身を尽くしたのであろう、魔法士たちの裏道を。

ツェツィーリエ・モーリ
アルティア・パンドルフィーニ

「ドラゴンを何だと思ってるのよ! 腹立つ劣等種ね!」
「まったくもって度し難い狼藉者もいたものですね」
 足でも踏み鳴らさんばかりの憤りを見せるアルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)に対して、ツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)の応答は平坦だ。とは言え、それを形だけの同意とは思わない。ツェツィーリエは竜種たるアルティアの怒りに寄り添ってくれる善き友人だととっくに知っている。
 だからこそ――激昂のままに荒れるだけでなく、為すべきことを判断しなくては。視界の端に赤く弾けた火花が己の肌から生まれたものだと分かって、アルティアは一度深く呼吸する。幸い城砦はおおよそ石造りだから燃え広がる心配はないが、ツェツィーリエに熱い思いをさせたいわけじゃない。
「あいつらの好きにさせるわけにはいかないわ。早く進みましょう!」
「ええ。思惑通りに行かせるわけにはまいりませんわ、急ぎましょう」
 並び立つ者がいる、と言うことを。抱き締めながら今はゆこう。アルティアの誇りを、共に尊んでくれる誰かが傍にいるのだと言う事実を。

 ……など、複雑に入り組んだ通路を駆け、階段を見つける端から昇り始めた最初の頃こそは神妙に考えていたのだが。
「私たちまで迷わせることないじゃない! 味方なのに!」
 一度は堪えた地団駄踏んで、いよいよアルティアはその炎の眸のなかに潤むような熱を宿した。やる気が空回りするとなんだか無性に情けなくて泣きたくなってしまう。さっきから、真っ直ぐ進んでいると思っていた廊下が徐々に角度を変えて下向きのスロープになっていたり、すぐに引き返そうと踵を返せば迫る壁に追われたり、やっと見つけた階段をぜえぜえ言いながら昇った末で行き止まりに閉じ込められたり、さんざんだ。
「ツィーリ、こういうときってどうするのが一番早いと思う?」
「さすがに城砦とあれば守りも堅固ですね。――然し、問題ありません」
 ――完全に弱り切ったアルティアに縋る目で見つめられてなお、ツェツィーリエは冷静だ。今まさに行く手を阻む階段途中の袋小路に視線を向け、刀の柄に手を掛ける。これまで駆けて来る中で観察し、城砦が変化するスピードとその限界は把握した。あくまで物理的に建材が組み変わっているだけで、この障壁ひとつずつに堅牢な護りの術が施されているわけではない。
「勿論――真っ直ぐ最短距離で上を目指すのみですわ。大概の困難も、わたくしたちならば撃ち果たせましょう」
 腰元の鞘から居合の一刀が閃く。納刀までもまた一瞬だ。何が起こったか、目を瞬くアルティアに示してみせるよう、ツェツィーリエは細い指先で袋小路の壁を押す。それでやっと|何をされたか分かった《・・・・・・・・・・》らしい壁が轟音と共にばらばらと崩れ落ちた。魔術によって強引に構造を変えるのであれば、その|繋がり《・・・》を断ち切る術を持つツェツィーリエの前ではこの通り、道を阻まれたところでほとんど無力に等しい。
「……気が合うわね。私もそう思ってたところよ」
 ――デモンストレーションを目前にし、アルティアも再度闘志を取り戻す。そう、意地の悪い細かな罠にいちいち構っていてはキリがない。上だけを見て駆けてゆく。ツェツィーリエの示してくれた通り、それで良い。
 瓦礫の山を踏み越えて新たな階層へ飛び行ってからはもう立ち止まるつもりがない。足を絡め取ろうと引かれた絨毯の上をアルティアがダンスのステップで躱す横では、独りでに鎖されようとする門の隙にツェツィーリエが爪先を捻じ込んで蹴り開けた。無人のはずの城砦が恐れ戦き身震いするような不思議な気配に、アルティアは場違いながらもふと笑う。確かに此処にかつて住んでいた者がいたのだと、分かるようで。
「中心に近づくほどに術式は堅固になるでしょうが、重要な設備も最奥に近い場所にあるはずです」
「罠がたくさんある方に行けば良いってこと?」
「纏めるとそうなりますね」
「素晴らしい、何より分かりやすいわ!」
 ――上へ、上へ。時には途切れた階段を飛んで越えた先、ツェツィーリエはふと壁に描かれた紋様に気付く。これまで辿って来た道には見て取れなかった意匠――それが、まさしくツェツィーリエの視線に気付いて身を竦ませるかのように薄れ行こうとするものだから。
「ティア様、あちらを」
 アルティアを促した時には既に|その紋様《魔術の痕跡》は消えてしまっていたが、ツェツィーリエが示すまでもなく彼女の視線だって同じ方向を見ていたから支障はない。合意を言葉にするまでもなく取る行動は同じだった。ツェツィーリエが駆け出す背を、アルティアの詠唱が追う。居所を隠したところでもう遅い。その紋様の中心にこそ核なるものがあるのだ。
 無機質な城内に、アルティアの喚んだ青々とした蔦が伸びる。壁の一点に向かって殺到し、石材を剥がし、その奥に潜んだ大きな水晶を露わにする。こうまではっきりと見えれば躊躇いもない。ツェツィーリエの構える刀は駆ける勢いそのままに振り下ろされて、水晶を一刀両断に叩き斬った。
 呆気ないほどに軽い音。ふたつに別たれた透明な石へ、次いで竜の炎球が襲い掛かる。急激な加熱によって生まれた軋みはやがて深い罅となり、球体を細かな破片へと変えてゆく。
「やっぱり結局これが一番早いと思わない? 煩わしいものは全部薙ぎ倒してやれば良いのよ。ツィーリの刀と魔術に敵うものはないもの」
「確かに――わたくしたちにはやはりこれが一番性に合っているかもしれませんね」
 ふたりを敵と目してあれほどにざわめいていた通路が、今はしんと静かだ。ここら一帯は|制圧《・・》したと見て良いだろう。壊して構わないと言われているのだから、悪びれるつもりなんてまったくない。あとに補修作業をする人員のために場所ぐらいは伝えてあげようか。
「後は道を辿るだけでゴールだわ。急ぎましょう、ツィーリ!」
「ええ、後は駆け抜けるだけ。何としても先んじて辿り着くといたしましょう」

天依・むつき
一文字・透
時月・零

「お城というものは得てして秘密の通路や部屋があるもの、ですよね。急がば回れとも言いますし」
 地に足をつけた捜査から――なんて語る天依・むつき(藤色六花・h09509)の口振りが幾ら落ち着いた風を装っていようとも、時月・零(影牙・h05243)にその内心が分からないはずがない。箒に腰掛け、いよいよ空飛ぶ城に近付くごとにその非対称な双眸は幼いほどの色にきらめいていたのだから。同様に目を輝かせていた一文字・透(夕星・h03721)がまだしも比較的深刻な顔を作るのに成功しているのは、むつきよりは多少なりと現場に出た経験が多い分の自負か、|年上《お姉さん》としての矜持か。
「我武者羅に上を目指すのは非効率だ。魔術に不慣れとなれば――存在するであろう安全な通路を探すのが近道だろうか」
「そうですね。このような城砦は隠し通路があると本でも読みました。王族を逃がすための地下トンネルや、仕掛けを作動させないと開かない戸口……」
「地下! ロマンですね。ここは空の上なわけですし、緊急用のヘリポートみたいに翼を広げて飛び立つための発着場があったりとか」
「それは、探してみたい、かも」
 成功はしている。が、むつきの想像の翼に擽られて簡単にボロが出る程度の装いだ。
 絨毯を剥いだらその下に階段が隠されているとか。城の主が前に立つことで現れる入り口があるとか。少女らがこぞって楽しく語り出した『お城の秘密』を断ち切るのは少々気が引けるところではあるが、必要なことである以上仕方がない。ふたりの視線を惹くため、零がコツンと叩いてやった扉には『利用前に司書へ声掛けを』のプレートが残っていた。
「ともあれ情報収集だな。幸い、資料を探すのに苦労しなさそうな面子でもある」
「はい――魔術を紐解くのは難しいですし、頑張って道を探しましょう」
「わ、私もお手伝いしますので!」
 慌てて姿勢を正した透と、はっとなった果てに慌てたままのむつきと。多少なり己が愛想よくする術を知っていればこうも緊張させずに済むのだろうか、と詮無いことを思いつつ、零は重たい扉を押し開ける。

 採光窓がずいぶん高い位置にあるのは本の日焼けを避けるためだろう。地上よりずっと太陽に近く遮るものがない分、そして何より建物自体がふらふらと動き回る分、建築には細心の注意を払ったはずだ。その甲斐あってか、それとも透の知らない保護保全の魔術でも巡らされているのか、棚から抜き出してみた書籍は存外しっかりと形を保っていた。棚板の支えを失った瞬間にページが抜け落ちることも覚悟して慎重に添えていた片手をほっと手放して、そうっと表紙を捲ってみる。
「ここなら大切な本や資料も多いはずですよね。いざという時資料を持ち出すため、この部屋自体にも隠し通路があったりしないでしょうか?」
 仕掛けが作動して本棚が動いて、その先に隠し通路が……なんて、廊下でむつきと盛り上がった話の続きを蒸し返すようで少し声が小さくなったが、零は真剣な話を茶化すような人ではない。頷きと共に、サングラスの下の視線は書架の立ち並ぶ部屋の中を巡った。
「通路に防衛機構を備えているなら部屋から隠し通路に繋がっている可能性も高い、か」
「木を隠すには森の中とも言いますし、貴重な資料があるなら更に小部屋とか隙間を作って隠してるかも」
 ――むつきとしても面目躍如の良い機会だ。書籍も当然気になるが、透が簡単になぞってくれるなら一旦はそちらに任せよう。聞いた話だとどんなものがあるだろうか、と問い掛ける零を先導するように壁際に向かう。例えば絵の裏に金庫。往時の城下を描いたらしい街の絵画を飾った額縁をそっと外してみる。例えば動かせる棚がないか。|書庫の愛用者《文官たち》のためのものなら然程力は要らない設計にするはずだと、キャスターのような造りのあるものを探してみる。
「積み上げた資料の下に隠し扉が有ってその中にとか、後は……」
「仕掛けと言えば……灯りなんかも仕掛けやすい場所ではあるな」
「あ、それ良いですねっ。燭台が取っ手になっていて、実は引き出すと扉が、とか――ふふ。こんな時ではありますが探検っぽくて楽しいですね」
 求めるものが見つからなければみんな困ってしまうって、分かってる。分かったうえで、ずいぶん大きくなったのにまだ夢見がちなことを言ってって、窘められていた話に至極真面目に取り合ってくれるひとたちがいることが抑えきれないほどに嬉しい。
 ――むつきの指示を受けながら、自然、零の探索担当箇所は少女らの届かない棚の上方へと定まっていった。中身を精読するつもりはない。紙束を簡単に捲っては、文字が潰れておらず、もしくは図面と思わしき書き付けが見受けられたものを、座り込んでページを捲る透の傍へ次々と積み上げてゆく。
「地図があれば楽だが」
 果たしてどうか。個人的には有力と見られる一式を渡すついで、コメントをつけたのは此れを優先してくれと言う言外の意図を籠めて。
「えぇ、地図があるといいですよね。あとはこの城砦の建築資料とか歴史書とか……」
「歴史的な資料も多かったように思う。ついさっき渡したものの中だ」
「私の方にもありました! 一文字さん、これもお願いします。それともそろそろ一緒に読み解き始めた方がいいでしょうか」
「……そうですね、あの、ちょっと、私は時間を使い過ぎてしまいそうなので」
 すみません、と持ち上げた本で顔を隠すように恥じ入る透をわざわざ咎める者もいない。ここにいるのは、彼女の性分を知っている零と、めいっぱいの共感を籠めて頷くむつきだ。古びた椅子は形を保っていたとしても耐久性に不安がある。三人円陣に冷たい床に座り込みながら資料の塔の山を崩し始めながら、零はふとその手を止めた。
「(背表紙が逆さま、なのか)」
 開いた時の違和感。気付いたそれが、秘された情報に辿り着くための仕掛けか否か。綴じられた継ぎ目を指でなぞりながら、物言わぬ古物を掲げ見る。
 ――だってここにある本は全部読んだことのないものだ。透に分かる文字、分からない文字、さまざまに混じり合っていることからも、公共の図書館とはまるで違う集められ方をしているのが分かる。土地も時代も越えて集められた魔法の図書館。内容自体に意味があるのか、本のかたちを取ったこの物品自体が力持つ魔法具であるのか、想像するだけでどれだけ時間が費やせるものかも分からない。
「あ、この歴史書面白そう……」
 思わず声を零した。零したあとに、どうして自分がそんなに惹かれたのか、不思議に思った。内容にさほど妙なところはない。前半は地域誌と呼べばいいのか、この城砦都市の位置した|空域《・・》近隣で起こった出来事の年表がつらつらと並んでいるだけなのに、|目が離せない《・・・・・・》。私を視て、と甘く手招きされるように。
 興味を惹かれて覗き込んだむつきの感想もどうやら同じだ。しばらく食い入るように紙面を見つめたあと、はっと我を取り戻した少女の頬は興奮にうす赤く染まっている。
「一文字さんのそれ……気になりますねっ。何と言うか、目が離せない感じ、と言うか」
「ね、気になりますよね」
「もしかしたら神器を運んだ当時の記録とか……通路や仕掛けの解除方法が暗号で隠されていたりするかも」
「確かに隠し通路は重要な情報だから暗号になってる可能性も……!」
 ――熱を帯びだすふたりの声音が零に聞こえないはずもない。透、むつき、と順に名前を呼べば、少女らは呼ばれた並びの通りにはっと肩を揺らした。
「気になるだろうが……読み込み過ぎないよう気をつけろ。『気になる』のが防衛者への導きなら良いが、罠の可能性も十分ある」
「き、気を引き締めます。……この部屋、誘惑だらけで」
「暗号と言うなら恐らくこれもだ」
 目を逸らす透が恐縮し切るより先に話題を変えれば、零の差し出した書籍を思わず受け取ったのはむつきの方だった。背表紙を意図して逆向けに|貼り替えられた《・・・・・・・》一冊。ジェスチャーで目の前に掲げ上げる仕草をしてみれば、素直に従ったむつきの横から今度は透が手元を覗き、同時に快哉に似た声を上げた。表紙のおもてを装飾する薄紙一枚の下、透かし見えるのはどうやら何かの文章だ。
「強引に剥がすまではしていない。その形に意味があるものだとしたら取り返しがつかないし、読書好きの前でやるには残酷だろうしな」
「これ、文字が半分途切れてます! きっとここにある情報で解けそうですし、一文字さんの見つけた本に組み合わせられる部分があったりとか……ちょっとだけ覗く訳には……だめ、ですかね?」
「……透。暗号を読み解いた経験は?」
「う、暗号はあまり……稀に仕事で目にするくらいです」
「時間さえ気にしなくて良ければいくらでも、と言えるんだがな……」
 自信はない。けれど、こうして歴史の上に残された秘密を紐解ける機会なんてそうそうない。でも。だけど――声を小さくしていく透の顔を、くだんの一冊を胸に抱えたむつきが覗き込む。
「難しかったら切り替えましょう。材料は揃ってるわけですし、試すだけならしてみても良いと思うんです。一緒に、頑張りませんか」
 それはどうしようもなく魅力的な誘い文句だ。うん、とほとんど無意識に応えた。そのあとに、はい、と言い直して確かに頷いた。|時間《リミット》は決めておくからな。零が宣言すると同時、それぞれにページを手繰り始める。
「(しっかり読み出すと脱線しちゃうから)」
 この名前はあっちの本にも出て来たなって疼く興味を抑えて。行間に描かれた城砦都市の人々の食生活を気にして、図鑑に手を伸ばしかけては引っ込めて。己を律しながら続けた暗号解読の末、ついには部屋の片隅に秘密の入り口が鍵を開く。

緇・カナト
トゥルエノ・トニトルス

「紆余曲折もあったが、何とか空中城砦まで辿り着いたな……!」
 と、トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)はやり切った風の清々しい顔なわけだが、傍らの緇・カナト(hellhound・h02325)としてははあそうですか、と言う感じだ。紆余曲折っていうかあの茶番は果たして必要だったのか。文句を言っておきたい気持ちもあるが、それよりも脱力感の方が強い。目的地に着いた事だしまぁいいや、と疑問も抗議も纏めてぽいと投げ捨てた、それを世には諦めと言う。
「あとは最上階を目指せば良いならば、わたしは麒麟姿のまま駆けていってしまおうか。主はどうする?」
「トール単独で行くのが手っ取り早いんだろうけど」
「作戦が要るか? うむ、そうだな、普段とは異なる環境のことでは困ってしまうよな。是非頼ると良い」
 訊いてない。訊いてないし困ってない。が、此度のトゥルエノの妙に拘る態度としたり顔に反抗する気力も最早ない。提案と共に意気揚々と指折り数える姿と来たら、公園で今日の遊びを話し合う子どもに紛れてもきっと怪しまれない。
 ひとつ、好奇心の赴くまま迷宮探検もする。
 ひとつ、最短ルートのため何かしらの脚を借りる。
 ひとつ、惑わしの罠を虚仮にするよう壊して回る。
「……そう! 我の背に乗れば全てが万事解決……!」
「……まあ、そうなるよなァ」
 予想はしていた流れだ。麒麟って存在が神獣扱いされていることを、トゥルエノと出会ってからこちらカナトはすっかり疑問視している。カナトとしては目的さえ果たせれば手段はどっちでも良いわけだし、頑なに断る理由はないと言えばない――が、一度要らないと言ったのを翻す理由も同時にない、と言うか。出会ったばかりの頃ならいざ知らず、こうして日々を過ごす少年姿の方に馴染んでしまうと、|これ《・・》に負ぶって貰って走り回るってことだろ、と想像してみる自分の姿がイマイチ倫理的にアレかなとか。
「とりあえず赴く好奇心でも優先して進むか」
「ええ~……まぁどちらでも良いのだが~……」
「お前が提案したのに文句もないだろ」
 己の持ち出した話を引用されてしまえばトゥルエノにも反論の余地がない。まだ後ろ髪引かれる顔の少年を引き連れて、カナトはだらだらと城内へ踏み入ってゆく。

 恨みがましい顔こそは一瞬作ってみたものの、『どちらでも良いのだが』は本当だ。|主《カナト》がこの幼気な姿と感情を反映し過ぎる貌をどう捉えたかに関わらず、トゥルエノはじきにケロッとした様子で古城内をついていく。
「精霊銃ごしにダンジョンを眺めることもあるが、偶にはこういった冒険譚も良きものだよなぁ」
「冒険譚って呼ぶほど大層なこと起こってるか?」
「かつて誰かが暮らした場所であろう。どこを見ても物語は潜んでいるものだし」
 カナトの『気の赴くまま』はつまり、野性の勘と危機察知能力で以て出来得る限りなにもない場所を進む、と言うことだ。それだってトゥルエノは楽しい。カナトの感性と判断を追体験する行いだからだ。昇ろうと足を掛けた階段から、やめた、と踵を返すのは『嫌な|気配《ニオイ》がしたから』。謎掛けのように色分けされて並んだ扉から水色を選ぶのは『いちばん静かだったから』。
 次はカナトがどの道を選ぶのか。何を望んで、何を切り捨てるのか。それが間近で見られるだけで、トゥルエノには十分過ぎる冒険だ。
 ――ご機嫌な雷獣の隣、カナトの思考は段々と緩慢さを増してゆく。単調な景色がずっと続くせいだ。己らの安全確保が十分であるなら、後続のために城の魔術を紐解くとか、強引に核を破壊して回るとか――聴こえの良い行いは幾つか思い付くが、特に何かを優先したかった訳でもなし、どうにも積極的に行動に移せないまま昇って来てしまった。
 踏み入った階層の廊下が靴底で微かに身を震わせた。常人であれば気付くかどうかも分からないか細い兆しを読み取って、カナトは時を待たず精霊銃を引き抜いた。
 銃身が雷を纏う。空に近い分か、|トゥルエノ《雷霆の化身》が傍にいるからか、その出力は甚大だ。空気を裂いた銃弾が、そのまま石造りを壁に突き立つ。着弾と共に圧倒的なエネルギーを爆ぜさせ、石の覆いを剥ぎ取ってゆく。次いですかさずもう一発。狙いはもう眩しいほどに主張している。壁の内側に隠されていた赤い宝石、防御魔術の|核《コア》。ぱきん、と呆気なく割れて、それで終わり。
「面倒くさくなって来たしそろそろ行こうか。まあこれで友軍のための仕事はしてやったってことで良いだろ」
 帯電し、活力に爆ぜる空気が残るうちに此処まで辿り着けたなら、ボス戦前の回復ポイントとしては役に立つだろう。辿り着けるかは知らない。そこまでカナトが面倒を見てやる義理はない。
「ふむ、それでは我も手を貸すか」
 ――|連携行動《コンビプレイ》も悪くない。それが、知らぬ誰かの未来を救っているとあらばさらに。鼻歌混じりのトゥルエノが空間を満たす雷の残滓に手を翳せば、放電はいっそう速度を増してゆく。やり過ぎたら罠だと思われるんじゃないかなァ。いやいや主何を言う、正しき者は正しき道を選び取れるものだ。
 ただまあ、カナトの言うことも一理ある。骨まで打たれて焼け焦げるのではと臆されては敵わない。ヒトが脅威を覚えない程度……考え考え調整をするトゥルエノが一息吐くまで黙っていたカナトが、不意に続けた。
「見たい景色があるとか言ってなかったか?」
 青く大きな目を瞬く。それはつまり。つまり?
「おお、また背を借りて駆ける気になったか? ならば乗るがよい……!」
 感動の声が消え切らないうちに――トゥルエノの身体は|本来の《四つ脚の麒麟》姿を取り戻す。ほらほらほら、とカナトの身体に額を擦りつけてみれば、すっかり呆れ切った顔の主は宥めるつもりか咎めるつもりか、その頭を軽く叩いた。これは『撫でた』と判断しておこう。うれしい。
「今日のひと仕事はこういうものだと思って、満喫してしまえば良いのではなかろうか」
「お前がそう思うなら其れでいいよ」
 背に負うカナトの体重を感じながら、|雷獣《トゥルエノ》は飛ぶ。途切れた道も針山の罠も、主の前にはすべて無きものとしてやろうとも。

クラウス・イーザリー
システィア・エレノイア

 熱し過ぎたガラスが割れる音によく似ている。結界が上げた悲鳴に眉を寄せながらも、システィア・エレノイア(幻月・h10223)の足取りが止まることはない。飛竜兵団を待ち構える仲間達に背を預けることを思えば、より一層その速度が増すほどだ。任せた分を任される。独り生きる身には馴染まない状況だからこそ、必ずその役割を果たさねば。
 共に駆けるクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)がいるから不安はない。蟀谷に掌を当てる素振りは城内に放ったレギオンからの通信を受けているためだろう。クラウスが道を示す指先を視線で辿ると、建物が小刻みに震動していることに気付く。
「ひとつ先の道を左に曲がって。壁が出来始めてるけど……ティアの速度ならきっと間に合う」
「クラウスはどうする?」
「迂回路を使うよ。突き当たりの階段前で合流するはず。俺の方が遅れると思うから、先に進んで貰って良い」
 お互い、無事で。続く言葉に頷いた。『待っているよ』とは言わない。互いが互いの最善を。違う道をゆくことは信頼ゆえであると、分かっているからだ。

「(急がないと……)」
 システィアの姿が見えなくなるといよいよ急き立つ気持ちが強くなる。レギオンたちの手はすべて地形の探索に割いているから、防衛側の様子を知る術はない。後ろを守ってくれる仲間たちに託して自分の役割を全うするしかない。自らに言い聞かせながら、クラウスは無数に出現し続ける脇道に目もくれず駆けてゆく。
 迷っている暇は無い。けれど、闇雲に進んだところで、見慣れた|場所《√》ですら道を見失う自身の方向感覚ではとんでもない場所へ辿り着くのが知れている。最大数のレギオンを操る負荷が頭痛を齎すが、絶対に必要なことだ。
「(バレてないと良いな)」
 システィアは勘が良いから、どうだろう。だとしても信じて別の道を行かせてくれた。ならばクラウスも応えよう。
 掲げられた燭台が拉げているのが正しい曲がり角の目印だ。飛び入った先、クラウスは即座にレイン砲台を展開した。レギオンからの探索情報を同期することで|照準《ターゲッティング》は事前に済んでいる。通路に装飾具として刻まれたかに思える紋様はすべてが矢狭間のカモフラージュ――射出の端からレーザーを叩き付け、弾幕の途切れた場所を駆けてゆく。すべての破壊が叶わなくとも良い。優先すべきは先に進むことだ。即座に装填されて背を追う次撃を|魔力障壁《マジックシールド》で阻み、クラウスはひたむきに進んでゆく。
 ――クラウスの足音はもう聞こえない。全力疾走の姿勢に移ったシスティアを明確に侵入者と目した通路が組み変わってゆく轟音に、すべての音は飲まれてしまった。天井が|落ちて《・・・》来る。崩落によって完全に通路を破綻させてしまうつもりなのだろう。
 それでも間に合わせる。頭上に降る瓦礫を避けるために身を屈めると同時、床を滑り抜けた。動きを見越したかのように突如迫り上がった壁を目前に、システィアはスライディングの速度が落ち切るより先、膂力に任せて跳ね起きた――起きるどころに留まらず、そのまま高く跳躍する。体内に渦巻く竜漿の魔力によって瞬時両手へと形作られた双剣を障害そのものに突き立て、無理矢理乗り越えて続く道へ。
「(ここからは案内がないな)」
 クラウスの言った『突き当たりの階段』は着地したシスティアを迎えてくれなかった。元の道を崩すと同時、敵を惑わすためだけの入り口が露わになったのだろう。選択を待つ通路のいずれにも立ち止まることなく、直感した道を選び取る。間違ったなら引き返せばそれで良い。今は多少の時間を掛けることすら惜しかった。
 ――クラウスたちと時同じくして踏み入った仲間たちの行動に応じ、或いは抗する力を受けて、城内の様相は刻一刻と変化してゆく。レギオンの寄越す情報が脳内処理の限界を迎える前にと手繰り寄せた端末画面にマッピングを進めるうち、不意に壁際の表示板が目に留まった。どうやら階層表示の役割を果たしていたらしいプレートが斜めに垂れ下がっているのは、きっとこの通路が階段を構築していた材の|移動《・・》によって作り上げられたものだからだ。
「(目的の階段が動いてる? ティアの方は辿り着けたかな)」
 クラウスの伝えた情報があとから|違って《・・・》しまったなら――微かに過ぎった不安は、けれど大きな足元の揺れで頭から跳ね飛ばされた。咄嗟に身を低く警戒の姿勢を取る。万一にも床が抜けて空へ放り出されないよう地盤の確かな場所への最短経路を割り出すが、駆け出すよりもレギオンに道案内の指示を出すより先、道の遥か向こうに見えたその姿に安堵の声が漏れた。
 届かずとも、ティア、と名を呼ぶ。通路のただ中、祈るように佇む孤狼の名を。
 ――それに行き当たったのは、幾本目かの通路を曲がった末だった。居並ぶ美術品の中に紛れて座り込む少女の|像《オブジェ》。風化を免れた調度のひとつとして通り過ぎても良かったそれが気に掛かったのは、ひとえにシスティアのなかに渦巻く魔狼の力のためだ。
 その彫像へ。躊躇なく、双剣を閃かせる。
 少女の姿を象ったおもてが崩れると同時、激しく建物が揺れ動く。また、道が作り変わる。像の内側から露出した宝石こそが、この階層にいる者を惑わす核なのだろう。
「あとには、俺たちが護ろう」
 遠き日の者達へ。片手を口元で握り、瞼を閉じ、短く祈り誓ったシスティアが切っ先を突き入れれば、古の魔法具は容易く砕けて塵と化した。
 次にひとみを開いた時には静けさが戻っていた。近付いて来るクラウスの足音も、名を呼ぶ声も確かに聞こえるほど。
「結局また会うことになったね」
「ああ。頼もしいよ――行こう」
 言葉もそこそこに進み出す。ひどく作り変わって悪路と変わった道を軽やかに踏み越える。心を迷わせる事なく、ただ上を目指すのが肝要だ。難しい事を考える必要はない。いまシスティアたちの目の前に立ち塞がるものが悪しき者を阻むための力であるならば、同時に、護る者を招く導きもあるはずだ。強く、胸の裡に想う。掌に大切な鍵を握りしめるように。
 急ぎ行こう。辿り着ける。道は全て神器へ続く。

西織・初
アンジュ・ペティーユ

「(上。神器があるのは空にうんと近い所……)」
 アンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)が見上げる端から、尖塔を貫く螺旋階段の周囲では壁が迫り出し、その視界を塞いでゆく。塞がれたところで、夢見るように浮き立つ鼓動は収まらない。
 何より空に近く。地上に生きる者たちの|祈り《空想》を託されて佇む神器。
 纏わる伝承の真偽も、神器そのものが真に竜なる身体から出来ているのかも。どちらだって良いのだ。そうして信じられ、時を経たことに意味がある。ほんとうだってそうじゃなくたって、いまを生きる人々の支えになれるなら、それだけで神器の名に相応しい。
 巡らす想いを自制するため、|空想未来人《アンジュ》は首を横に振る。とにもかくにも、急がないと。
 ――アンジュの足が進み始めたのを高い位置から見下ろしたのち、西織・初(戦場に響く歌声・h00515)もまた動き出す。障害を掻い潜り、螺旋階段を擁した吹き抜けを一気に飛び上がって行けないか当初こそは羽搏くタイミングを見計らったが、どうやら無理をしなくて正解だ。ぐるりを見渡せば壁に書き付けられた複雑な紋様は獲物を待つかのように鈍い光を湛えており、このまま初が上を目指そうとすればその翼を撃ち落とさんと魔術の罠が降り注いだのだろうから。
「(貴重なものもある場所なら罠があるのも道理か)」
 正義漢の顔をした悪人も、人好きをする欲のない善人もいる。無法な侵入者のすべてを追い出そうとする防衛機構に文句を言う気はない。今後の日々を思えば、徒に破壊して回るつもりもまた同様に。
 ずいぶんと低くなった天井スレスレの高みからマスク型マイクのスイッチを入れ、微かなハミングで誘う歌を口遊む。この歌の聞こえる者よ、どうか応えを。願いを籠めたメロディに従って、初の眼下には徐々に人影が濃く色を成し始める。|揺らぐ魚影《インビジブル》の片鱗を残しながら駆け回る兵士たちは、誰もが武器を手に張り詰めた顔をしていた。
「敵を迎え撃つのか」
 ――そうだ。そうだとも。此処まで大掛かりな侵攻は初めてだ、
 ――城砦の罠があちこちで発動している。魔法士たちを探さないと、すべてを把握しているのは彼らだけだ。
 『罠を発動させている』のは、初がそっと抜け出て来た入口広間での防衛戦線が保たれている以上、神器を目指す|√能力者ら《味方たち》なのだろうけれど――教えたところで兵士たちの影にそれを止める術はないだろう。話に乗ってしまった方が得策だ。
「俺が伝令を請け負う。翼で駆ける分は速いはずだ。魔法士の元に向かうための、安全な通路を教えてくれないか」
 ――走って走って、ひたすらに上を目指す。時折ガクンと崩れる足元に肝を冷やしながら、踏み切って足りない分には空想宝石の後押しで飛距離を足して、立ち止まることなく進み続ける。空気が薄い分だろうか、普段ならなんてことない動きなのに、早くも息切れし始める己に気付きながら、アンジュはそれでも口元に笑みを刷く。
「(上を目指すだなんてさ、何だか努力? をしているみたい。ほら、上ばかりを見て、下は一向に見ないでしょ?)」
 すべての叶う空想の未来からやって来たアンジュにとって、これはまるで真似事遊びだ。自分を形作るために願った誰かも、きっとこんな風に必死に|駆けた《生きた》。高く遠く、星ほど遥か離れた未来にいつか届くと信じて、そうやって手を伸ばして――。
「あはは! なんてね!」
 詰まり掛けた喉を無理矢理開くため、意図して明るく声を上げた。真似事のお遊び。アンジュにとってはただそれだけ。そうやって考えないと、上ばかりを見つめすぎると躓いちゃうから。
 ――中央の棟を目指すには外れ過ぎた小部屋の中、魔法士たちの詰め所から紙束を取り上げ、初はすぐさま取って返す。屋内での飛び方のコツもその間におおよそ掴んだ。翼をはためかせるには狭い道であるなら突入前に勢いをつけ、槍のように突き通れば速度を落とさずに済む。
 真っ直ぐに最上階まで昇り詰めていたアンジュへ、寄り道をしたとて追い付くまではあっという間だ。苦しげに荒い息をする彼女の横に並ぶと同時、初はその手に紙束のうちの一枚を譲り渡した。
「おっと、これは……地図……?」
「時間があれば使い魔たちに探させたんだが、無理そうで。一か八かだったが、ここにいる|かつての住人《インビジブル》たちに協力して貰った。これだけ作り変わっていると役立つかどうかは分からないが」
「だとしても、あるだけで大違い! ここ、ぐにゃぐにゃしていたから、すっごく助かるよ……!」
 ――この地図が本物なら、あとは空を目指すだけだ。書き付けなんかまでは読み取れなかったからあくまで参考に、と初が念押しするが、アンジュは既にその古めかしい図面に夢中になっている。
「(流石に解読はむつかしいけど)」
 駆けて来た距離を思い返せば、現在地ぐらいはなんとなく分かる。そこから辿って、指先でなぞるのは地図に描き入れられた未知の|図案《イラスト》。城を護る魔法の位置取りとその設計図だ。立ち止まってじっくりと読み込む時間はないが、どうにか簡単にでもルールが分かれば、罠のある場所に踏み込まないための目当てにはなってくれるはずだ。
「さ! 空まであと少し!」
 |妖鳥《初》が手掛かりを見つけて来てくれたなら、いにしえの魔法を読み解くのは|魔女《アンジュ》の仕事。己を奮い立たせるように溌剌と声を上げるアンジュの隣、頷く初が速度を上げる。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
斯波・紫遠

「キミとは高いところでばかり出会うね」
 斯波・紫遠(くゆる・h03007)に声を掛けられて振り向いたツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)が、不意の驚きを笑みの形につくり変えるより早く――結界の割れる音に続き、防衛戦のために武器を取った仲間たちが入り口へ向けて走り出す。暢気に話している時間はなさそうだった。口を鎖し、人の波に逆らって向かう先は同じ城内だ。
 並んで駆けながら、紫遠がふと背後を見送るからツェイも釣られる。雪崩れ込んで来る飛竜部隊の騎兵たちと来たら、遠目に見ればその黒い鎧の群れは最早ひとつの壁とさえ思えた。
「おっと、あちらさん凄いやる気。戦力的にも被害を最小限にするためにもスピード勝負だな」
「まこと無粋よの。再会の喜びさえ交わす時間を与えぬとは」
「もっと景色が良いところの方がオススメだよってことかも」
「――はは、成程。であれば、のちほど」
 軽く笑い零しながら、ツェイはその指先で先行きを示した。紫遠が首肯で応える。目的地は同じだ。のちほど、また会おう。それぞれの手段で以て正しき道を辿った先、何より天に近い場所で。

 先ずは上へ、上へ。駆けるツェイを追って歪み、蠢き、作り変わる壁床を蹴って身を翻し、階段が途切れれば喚び寄せた風に乗って虚空を渡る。屋内と言う制限がある以上、自由自在に駆けてみせようとまでは自信を持って言えないが、変容がこの程度の|速度《スピード》で留まってくれるなら大した障害ではない。
「(魔術仕掛けの絡繰とて、機械よりは身に馴染む。つまる所は化かし合いゆえの)」
 惑わしの道。虚言の扉。在るものを無いとし、無いものを在るとする。常には為す側のツェイからすれば、仕掛ける側がどんな風に騙したいかは手に取るように分かる。完全な袋小路に見える通路に躊躇なく飛び行って、その|幻覚《壁》の先に着地する――ところで、足をついた床が即座ぐらりと傾ぐから、おっと、と声を上げて蹈鞴を踏んだ。慌てて姿勢を取り戻したところは幸い誰にも見られていない。
「(ううむ、矢張りこういうのは不得手じゃの)」
 術を読み解くだけで良いならゆうゆうと安楽椅子を気取れるが、自ら駆けて向かうとなればどうしても|不注意《おおらかさ》が仇となる。神器の真偽は別として、大切な物であるのは確かだろう。一人でも多く護り手として力を貸す者がいることで、街の人々の心の支えとなればと先遣隊の一員に立候補したわけだが、いざの戦地に辿り着いた時に擦り傷塗れではちょっと格好がつかなさすぎる。
「まあ、ここまで来たなら頃合いかの」
 幾らか進む内に設置された罠は次第に間隔を短くしていた。これより深部に向かえばさらに足止めも激しくなろう。愚直に突き進んでみせるのも此処まで。
 ひたと歩みを止める。一枝の霊槍の穂先を、ツェイの片手が掲げて上げる。
 ――城内へ駆けたツェイを見送った一方で、紫遠は未だ低階層を見渡しながら歩き続けていた。端から見れば悠長な姿にも思えるだろうか。としても、焦っても仕方がない。急いだ上で、気持ちは落ち着けて。これに尽きる。
 ゆっくりと進んでみれば、我武者羅に先を急ぐのでは分からなかった部分も見えて来る。最上階を目指すつもりを見せるでもなく、強引に道を切り開く武器を手にするわけでもない紫遠の前に、罠は然程の数を起動させなかった。ぐるりと通路を折り返して歩いて来たあとに扉の位置取りが変わっていたのが気に掛かったが、それぐらい。攻撃し、排除してみせようとする術は発動しない。|人を見ている《・・・・・・》のだ。へえ、と興味深く声を上げた紫遠の相手をしてくれるのは、懐の端末から聞こえるアシスタントAI『Iris』の合成音声だ。
「病室で出会った彼の言った通り、本当に組み替わるんだ。アリスさん、これって本当に|そうなってる《・・・・・・》の? 幻覚とかじゃなくて?」
『少なくとも今あなたの目に映る限りは確かですから、進んで貰って構いません。あと暫くは大人しくお待ちになって下さい。これほど広大な建築物の解析にどれほど掛かるか、想像も及びませんか?』
「はぁい……」
 相変わらず手厳しい。煙と棚引くレイン砲台は先程から『Iris』の制御下で周辺の階層に揺らぎ広がり、観測情報を蓄積して行っている。紫遠が動き出すのはそれからで良い。
「(年代物の遺跡でもあるからあんまり壊したくはないんだよねぇ……)」
 壁に指を触れた。時と共に削れた石材の質感は、それでも此処でかつて過ごした者たちのことを考えれば、冷たいばかりとは思えなかった。
 ――欺きには騙りを以て応えよう。ツェイを取り巻くように湧き立った白群の風が霊槍に吹き付ける。かつては槐の一枝でしかなかった其れは、今はツェイの手の中にあって貫き通す槍であり、望めば従って棍となる。では、此処でまた違う物語りを受け取ったとして、かたちを変えぬ道理がない。
「(……聞かん子でなければよいがの、ふふ)」
 微かに笑んだのち、間も置かずツェイの表情は切り替わる。強いて厳しく吊り上げた眦。辺りを睥睨する双眸に宿る、苛烈の炎に似た光。威厳を装って発する声も同様に、無人の城砦へ低く響いた。
 ――此れなるは王の帰還。嘘は真に、罠は迎に。疾く供せよ緋絨毯。
「どうした、ぬしらの歓待すべき主が戻ったぞ」
 その手に携える|剣《・》こそが王の証しであるのだと。ツェイが騙るなら、ただ今この時に限り、それが真実だ。
 悠然と踏み出す。知らぬ王の歩みをなぞるように、堂々と。裏付けが要るならば幾らでも演じよう。遺された魔術の痕跡たちが観客だ。我こそが今、望まれる通りの為政者となろう。
「さあ、道を開けておくれ」
 ツェイの声にこうべを垂れるように、場を満たしていた魔術の気配が引いてゆく。城はただ静かに王の足取りを迎えている。
 ――造り変わっていますね、と、どこまでも冷静に『Iris』が告げる。紫遠が確認していた端末画面のマップもそれと同時に描き換わり、顕れたのは随分とシンプルな一本道だった。
「それは、誰かが罠に掛かって?」
『いいえ。先のお方の行く手に|道を拓くように《・・・・・・・》』
 そう言われてみれば、なるほど何かしたんだな、と納得する。術師のすることと言うのは大抵いつも紫遠の想像を越える。
 結果としては紫遠にも得だ。ツェイが作ってくれたと見える最上階行きの空間へ繋がるための道を探せばあとはそれを辿るだけ。そう、今まさに足元に見下ろす魔法陣に踏み込むかどうか、だ。
「(この感じからすれば、僕を嵌めようとはしないだろうし)」
 何かの理屈があるわけでもない、直感だ。あとは己の幸運を信じるだけ。決意ののち、繊細に描かれた魔法陣に靴底をつければ視界がぐにゃりと歪んだ――酔いを恐れて咄嗟に閉じた瞼を開けば、待つのは知らない景色。改めて端末を見れば、『Iris』が周辺情報と照合して現在地を示してくれる。目指した道のまさしく上とは言わないがごく近くではありそうだ。
「お、もしかして当たり? ふふ、結構こういうの得意だったりするんだよ」
『上々の結果です。ただし、今後も都合よく進み続けるとは思われませんよう。――行く手のトラップは破壊します。進み出してくれて構いません』
 辛辣な『Iris』の物言いもあまり堪えない。もしも続く者を導くために使えるならと紫遠自ら詳細を書き込んでゆく地図は、端末の上に十分な精度で仕上がって来ていた。

早乙女・伽羅
シルヴァ・ベル
猫宮・弥月

 暮らす者の絶えた城砦に光が灯る。それは窓からの採光や、時を経て今もなお足元を仄かに照らす魔法の明かり石が齎すものではない。ないはずの風に揺らぎ、壁や床を揶揄うように撫でては離れる。シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)が転じた、蛍に似た温度のない光は、侵入者の足取りを探る城砦の目を掻い潜って軽やかに通路を進んだ。シルヴァを先遣としてあとについて来る手筈の猫宮・弥月(骨董品屋「猫ちぐら」店主・h01187)と、その護衛を兼ねて彼の傍に残った早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)から大きく離れすぎないよう、時には後ろを振り向いて、また時には導きの灯火としてチカチカとまたたきを強くして。
「(弥月様が聞き込みをしてくださっている間に、必ずや何事か見つけてみせますわ)」
 シルヴァの胸の意気込みと共にまた灯りは一層強く――何かあったのかい、と反響しながら投げ掛けられる声は伽羅のものだ。慌てて身を縮め、右へ左へ首を横に振るつもりで移動してみたのがうまく伝わったかどうか。違いますの、と大声で否定してみるのも敵が迫るこの状況ではあまりに暢気過ぎるかしら。結局、急いで傍らの扉の隙間に跳び込むことで、『少しこの場を離れます』の合図だったと言うことにした。
「(罠の王道といえば床と矢の仕掛けかしら?)」
 飛んで入った部屋はいかにも有事の際の詰め所と言った風情の簡素な部屋だった。せいぜい仮眠に使えるかどうかの|寝台《ベッド》、見張りの記録でも残したかと見えるごく小さな書類棚は鍵付きだが、シルヴァが光の指でついと触ってやるのであれば|骨董品《アンティーク》は粛々とその戸口を開く。
 シルヴァからすれば何倍にも大きな体を持つふたりが通り抜けるため、安全確保が最優先だ。敵も味方も巻き込んで発動し続ける魔法、なんて扱い難いものを防衛の要とするはずがない。たとえばスイッチや魔力で動く仕掛けなど、味方にしか分からないような目立たない場所に制御の術があるはずだ。それを探す。
 ――交渉人は弥月だ。背に負う責任を逃がすように息を吐けば、隣で静かに見守る視線をくれていた伽羅が確かに頷いてくれた。君なら出来ると無言のうちに託される信頼を前に、臆した顔など見せられるものか。
 各棟への中継地点にあたる広間と見えた。果たして弥月が見渡す限りの通路や扉の先行きがこの有事にあたってどれほど元の形を保っているものかは分からないが、内向きの客人が出迎えられるとあらば此処だろう。『城に仇為す者の前に道は閉ざされる。正しく求める者の前に道は拓かれる』。書庫の賢者の言葉を胸の裡に繰り返し、頭を垂れると共にその掌をゆっくりと壁面に押し当てる。
「おはよう、竜の神器を守り空をゆく偉大な城、それを支える人々の記憶たち。悪しき者から神器を守るため、俺たちが速やかに進むのを許してほしい――必ず、神器を守り抜くと誓おう」
 この声が聞こえるか。遥かいにしえの頃に生きた者。あなたたちの遺した想いが今も地には息衝いて、俺たちと言う助けを求めたのだと、届くだろうか。
 吶々と語り落とす言葉が無人の空間へ沁みてゆく。いつしか願うように瞼を伏せた弥月の掌へ、|ゆらり《・・・》と仄かにぬるい熱が触れた。始まればあっという間だ。熱は手首へ、腕へ、肩へと広がり、弥月の身体を足掛かりとするよう白い炎となって溢れ出る。伽羅が咄嗟に呼び掛けのかたちに口を開いたのを見て取って、弥月はしいっと口元に指を立てるジェスチャーをした。
 猛る炎が広間を満たす。やがてそれらは幾つかの曖昧な人影を成し、ふたりの前に声を発する。
 ――勇士よ、我らに託せる力があれば、
 ――竜の加護を祈るほか、叶う力は最早ない。
「力はある。あなたたちの知恵が力だ。今の俺たちにとって、何よりも求めるべきものだ。どうか」
 礼儀正しく、誠実に。目の前に居るのが真に過去の時代を生きた先人であるとくれば、なにも演じる必要はない。いかなる敵より早く最上階へ辿り着くための道、避けようのない罠の在り処、秘密の隠し通路。問い掛ける弥月へ、かつての影たちが語り出す。
 ――どうやらうまく行ったようだ、と安堵に胸を撫で下ろし、伽羅はそっと弥月の傍を離れた。彼の実力を見くびるつもりは無論ないが、未知の魔術に有望な若人が害を及ぼされるようなことがあってはならないと思うとどうも過敏になってしまう。
「(具体的な交渉は任せ切ってしまうとして、俺も俺で得意を活かさねばな)」
 看板こそは『画廊』としているが、伽羅の興味関心は数々の美術品に至っている。絵画や彫刻がそうであるように、建築物もまた美術作品である故、造り手の意志は意匠や導線に必ず滲む。何よりここは王侯貴族の居城ではなく城砦だ。地上のそれと比べて設計の作法は異なるだろうが、通底する思想は同じはず――つまり、戦時の|設備《城塔》と|居館《キープ》が明確に別たれているだろう、と言うこと。真っ先に攻撃を受けることになる防衛用の城塔は、かつて此処で幾たびか戦闘があったとすれば、あとから改修を行った可能性が高い。
「(画廊に|この世界《√ドラゴンファンタジー》の資料はあっただろうか)」
 考え込む伽羅が尻尾を揺らし顎を撫でるうち、その目の前にはポンと一冊分厚い書籍が現れ出た。古城にあってはなんとまあ不似合いな高画質なカラー印刷。最近まとめて仕入れた資料本のうちの一冊だ。ぱらぱらと捲れば建築史入門に近い内容だが、今回に限っては事足りる。
 まさしく貨物船を出迎えた門扉の装飾を思い起こす。確か、比較的骨太なロートアイアン。城の|象徴《顔》たる紋章を刻んだ場所ばかりはデザインを大きく変えはしないだろう。つくりの流行った年代と地域をページの上に照会すれば、自ずと当時主流のおおまかな構造ぐらいはついて来る。
「――ただいま戻りました。お二人とも、首尾は好調と見えますが」
 幾つかの小部屋に忍び行って様子を見ていたシルヴァも、通路に出るごとに広間の様子は気にしていた。頃合いかと判断したのは、弥月の周りから記憶の影たちが消えていたからだ。変身を解除して取り戻した妖精姿でついと目の前を飛んで泳げば、それでやっとずいぶん熱中していたらしい伽羅が気付いてくれる。
「この辺りについてのみの話になりますが、道を動かす魔術は止めてきましたわ。一時的に兵士が移動するための安全装置がありましたの。罠も……制御盤のようなものがあったのですが、こちらは操るに専門知識が要りそうで」
 魔法魔術のたぐいであればシルヴァの領分だ。けれど、物理的な機構を伴う罠については、ひとつひとつ解除する技術も時間もない。しおれるように眉を下げるシルヴァの前、十分過ぎるよ、と弥月が笑う。
「罠の場所は分かったから、大丈夫。迷い道のことだけが心配だったんだ」
「うむ。『正しく求める者の道』――上層へ最短で進むための道ならあちらだ。この様式であれば、棟の継ぎ目には中庭に類するものがあって然るべきだろうし」
 道を鎖す魔術が眠ったならば、そこにさえ辿り着ければ中央塔の位置が分かる。またシルヴァに先遣に出て貰うことになるけれど、そのあと俺たちに管理者用の安全路なんかを指示して貰って――続けようとする伽羅の鼻先で、シルヴァはぽんと掌を打ち鳴らした。
「それならばわたくしに名案が!」
 是非お任せくださいね、とターンするシルヴァを前に、ふたりはぱちぱちと目を瞬く。

 ――そしていま、此処には竜がいる。弥月がほんの少し手を伸ばせば触れることさえ出来る位置に、きっとそうしようとすれば恭しく従ってくれるのだろう利口な顔で。
 伽羅の見立ての通りに辿り着いた吹き抜けの中央、ひらりと飛び行ったシルヴァの可憐な姿がほどけ、分厚い鱗持つ飛竜と変わった時には流石に目を剥いた。どうですこれでお二人とも載せることが出来ます、と語る声がシルヴァのままだったから追加で驚いた。
「ご店主さまも弥月様も、副腕か羽の付け根にしっかり掴まってくださいまし。頭もなるべく低くなさってね――それからどうか、他の皆さまには内密に。淑女らしくありませんもの」
 指示されるままに従って、弥月は腕に取り付き、身体の大きな伽羅は抵抗を強く受けることを見越して羽を抱き込むようしがみ付くことを決める。飛竜もすてきな姿だと思うけど――と、頑強な鱗の感触に胸躍る感覚は、シルヴァの心を尊重すれば秘めておく方がよいのだろう。
「もちろん内緒にしておくよ。淑女に秘密はつきものだよね」
「シルヴァがそう望むのであれば、そのように。今も昔も商売柄口は堅いつもりだよ。知っているだろう?」
「ふふ。ええ、わたくし、お二人ですからこの姿を見せるのですよ」
 ――そんな風にシルヴァが冗談めかしてみせるのも、また可愛い乙女心のうちだろう。籠手の仕掛けを確かめ、サーベルを引き抜いて、伽羅は高くを眺め見た。道は既に拓けている。あとは、降り注ぐ罠から二人を傷ひとつ付けず守り切るだけ。
「守りは任せろ。君達は頂上踏破を最優先にするのだ」
「うん、露払いはお任せするね。ありがとう」
「それでは――行きます」
 飛竜の翼が大きく羽搏き宙へ舞う。大がかりな術式を担ってくれた弥月にはあとの戦いに向けた温存と、罠の位置とタイミングの合図を頼んでいる。射かけられる火矢や鎖を白刃が払い落とし、竜翼が起こす風が巻き取ってゆく。ただ真っ直ぐに上へ。守護者たり得る者が此処へ在るのだと証明するように。

千桜・コノハ

「(こんなにドンパチやってても飛び続けてるなんてね)」
 意識してみれば足裏に感じる震動は、下の階層で始まった防衛戦の齎すものだろう。とは言え千桜・コノハ(宵桜・h00358)の歩みを脅かすほどの強震ではない。華奢な翼から振るい落とされる花弁の数がほんの少し賑やかだって、それぐらい。これから一層酷くなってまともに進めなくなるようならば、羽搏けるだけのスペースを確保出来る空間を選んで飛んでゆけば良い。
 とりあえずは天辺へ。向かう目的地があるとしてもコノハに然程の危機感はなかった。ゆうゆうと通路を進むうちにも、攻略に打って出る冒険者たちの声が方々から聞こえて来るからだ。やる気十分なのは結構だけど、まったく煩い連中。不快でないのは距離があるから――そして、地上で一端に触れた彼らの心根が、少なくともコノハにとって好ましいものであったから。
「これだけ人数いるんだからさ。ちょっとくらい寄り道してもいいよね?」
 どういう原理で飛んでる城なのか気になるし。面白そうなお宝があるかもしれないし。
 誰に聞かせるでもない声掛けと共に、ねえそう思うでしょ、と視線を上げる。長らく閉め切られているくせ、妙な清浄さが保たれた空気がコノハの前で微かに|揺らぐ《・・・》。場に満ちる|魔法《竜漿》の力はコノハの身に宿された霊力と根を異にするものであるが、どちらも信仰によって神と目された存在に従うものであることに変わりない。客人が何者か、よく分かっているみたいじゃないか。くすくすと笑いながら、|礼儀《マナー》のなった建物の壁を撫でてやる。
「(……まあ、過去の資料とかあれば後々は街の人たちの役に立つかもしれないしね)」
 直接言ってやるほどのことでもない。有用なものであれば引っ張り出して、目につくところに置いてやって、それで終わりのつもりだ。あとのことは彼ら次第。ヒトの世を動かす発見は、ヒトの手によって為されるべきだろうから。

 さてそれじゃ探索してみよっかな――と城内へ繰り出してなお、コノハの機嫌はそれなりに良い。堅牢な|檻《城》と言うものに好ましいイメージはないが、派手な破壊行動に移って強引に突き進もうとするでもないコノハの前、組み変わる道はどうやら足を取るでもなく|脱出路《入り口まで》を案内しようとしている。か弱い少年がひとり歩いているなら逃がさねばと意気込むようで、物言わぬ建造物に魔術を遺した者らの性質が透けて見える。
 同時に、それは歩む者の属性を見て発動する魔術を選び取っている、と言うことだ。中々複雑な|魔術《罠》が施されているのだろう。
「(でもこういうのって案外法則性があるものだよ。じゃないと拠点にする人たちが安全に使えないもんね――自分たちだけがわかるようにしてるってわけ)」
 頑なにコノハを争いから遠い方向へ導きたがる渡り廊下の中央で屈みこみ、その床に掌を触れる。接地したところから溢れる桜色の霊力が、冷たい石造りの床に沁みた魔力を呼び覚ます。次から次へと湧き立って辺りを取り巻く光の帯は、この地を護る術式にコノハがかたちを与えたものだ。
 身体を起こした。己へ纏いつく光を宥めるように細い指先を差し入れ、薄く伏せたひとみで其れを見つめる。縺れた|糸《魔術》を一本の糸へと戻すように解きほぐし、読み進めながら、コノハはふと吐息に集中を切らした。
「とは言え悠長にもしてられないし、チート技使っちゃおうかな~……なんてね」
『――ねえまったく、|僕《・》ってばやり過ぎじゃない? あとの奴らが楽を覚えるよ』
「だってとんでもない失敗をされて城ごと落っこちるのも嫌でしょう。別に飛ぶのは良いけど、絶対瓦礫で怪我するし」
『確かに最悪かも』
「ね。だからさ、そっちを任せるよ。|君《僕》にとっても面白い話がありそうだ。僕が二人もいたらある意味チート。あっと言う間だ」
『違いないね』
 くすくすと――笑い合う。鏡映しにそっくりと、ふたりの少年が古き叡智の光のなかで並び立つ。織られた魔術式は彼らの白い指先に解き明かされ、純粋な力へと変じてゆく。コノハのイメージに従って細やかな糸となり、宙へ泳いだ光りが、少年らの身に纏う花灯りに触れて桜色に染まる。

「ねえ、ちょっと! そこ危ない! 罠があるの!」
 わっと騒々しく叫んだ女声が宙をゆくコノハの耳を叩く。言うことを聞いてやるはずがない。いちいち声が大きいんだよ君は、と零した文句も彼女には届いていないだろう。
 途方もなく続く塔だった。壁に沿って巡らされた階段には手摺もなく、教会で出会ったあの少女を含む冒険者集団は蛮勇任せに昇り続けているが、当然こんな場所が実際に存在しているはずがない――見上げる先には果てがなく、見下ろしたならば床は遠く奈落の底だ。逸れる脇道も、塔の真ん中を貫く空洞を活かした設備もないなら、つまりこの場所そのものが永遠の迷い路なのだ。
 彼女らだってとっくに気付いているはずだ。その上で、どこかには術の終わりがあるはずだって愚かにも信じて駆けている。
「(まったく、僕が来てやらなかったら本当に死んでたんじゃないか)」
 べつに、わざわざ逸れた一団を探して此処へ来たわけではなかった。罠の制御に使われたのであろう魔術の網目を読み解いた末、最上階への道のほかに厳重に守られている場所があることが気になって、お宝探しでも楽しんでみようかなって。それで偶然コノハと行き会えるんだから、ある意味じゃとんでもない業運なのだろう。
 ぐんと高度を上げる。魔力弾の嵐が一斉に吹き寄せた中心を飛んで抜け、|目当て《・・・》を見定めて壁へと血桜蝶を放つ。果てのない塔などは神話の中ですらあり得ないのだ。これは単なる惑わしの術。ある一定区間の始点と終点を、切って繋いで|巡らせ《ループし》ているだけ。石材の積み方がズレた部分を入念に探してやれば――ほら。
「やっぱり大事なものを守るにはさ、より複雑な罠を多く仕掛けているものじゃない?」
 血桜蝶が翅をはためかせるのに導かれ、コノハは壁際に位置を変えた。そこへ、|手を入れる《・・・・・》。肘までを壁にずぶりと飲み込まれた様子にざわめく外野も知ったことか。再度引き抜かれたコノハの手には、繊細な象嵌で彩られた鍵が握られていた。
 鍵を抜かれたのを悟り、塔がぐにゃりと溶け始める。幻影が終わるのだ。慌てて身を屈める冒険者たちの頭上を我関せずと飛んだコノハは、飛び方を知らなかった少女の手元へとその鍵を放った。
「君に預けるよ。上手く役立ててね」
 迷いの術を生むための魔法具だ。それは同時に、君をあらゆる惑わしから守るだろう。

咲樂・祝光
エオストレ・イースター

 天を衝くその城砦の姿をこそ、まさしく荘厳と称すのだろう。勇猛果敢な冒険者を乗せた|貨物船《カーゴ》に寄り付く敵が現れやしないか傍らに添い、慣れぬ飛翔の魔術に翻弄される若者に時に手を差し伸べて。アイソラの街を遠く眼下に一望する、冬の朝の晴れやかさと来たら。入り口広場を一歩一歩と進むごと響く足音の澄んだ旋律は、こんな状況にあってなお聞き惚れてしまいそうなほどに幽玄だ。
「祝光に抱っこして欲しかったのに」
 その隅っこでエオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)が膝を抱えている。兎耳をぴったり折り畳んで、完全に拗ねてますからねって表情で恨みがましく咲樂・祝光(曙光・h07945)を見つめて来る。疲れ果て、ここからもう一歩も動かないからってぐずる子どものポーズだ。まともに取り合うつもりはない。下手に優しいことを言うとつけあがる。
「頑張ったから抱っこしてほしー」
「行くぞ卯桜! 何で抱っこに拘るんだ君は」
「え! 竜漿兵器を取り戻し竜の神器を守ったらしてくれるって?!」
「(言ってない)」
 幻聴だ。哀しいかなエオストレの相手をしているといつもの事なので、無視をするにも心が痛まない。
「早く立て。置いていかれたくないだろう?」
 あくまで彼が完全に機嫌を損ねない程度に、祝光としては精一杯厳しい声音で言ったつもりだ。つもりなのだけど、エオストレの中でどう変換されたやら、その顔はぱっと満面の笑みに彩られた。
「よーし! 頑張るぞ! 街の人達にも任せろってしたし!」
「何なんだよ……まあ、前向きなのはいい事だ」
「ふふーん、たくさん褒めて。褒められて伸びるからね、僕も兎耳も」
「やめてくれ。あれ、本当に驚いたんだから」
「楽しい|驚き《イースター》だったでしょう?」
 ぴょんと跳び上がって祝光の横に並んだエオストレが、あまりにも無邪気に顔を覗き込んで来る。君は俺が必死で進んだ距離をいつだってそんな風に簡単に追い付いてしまうんだって、胸中に渦巻く弱気が疼いて、思わず視線を逸らした。その機微を悟られないよう、誤魔化しに続けた早口は、けれど確かな本心だ。
「ちゃんと取り戻すんだ。兵器も、笑顔も」
「うん。皆の気持ちも連れてきたんだ。負けるはずないよね」
 床に伏した商隊らの傷ついた暗い顔。不安に満ちた街の空気。思い返せば、どうしたって祝光に付き纏う劣等感は思考の端へ消えてゆく。武器を強く握った。行くぞ、と再度、強く口にする。うん! 今度はエオストレもはっきりと同意を口にするから、駆け出してゆくことに咎めはない。
 |同胞《竜》の遺した神器の元へ。食い止めてくれている者達の為にも、早急に。

「神器があるのは空に最も近い場所……最上階なのか別の場所なのか……」
「えー、いちばん上の天辺じゃないの?」
「言葉遊びの可能性もあるだろ? それに、――ほら」
 突如、通路を並んで駆けていた祝光が背に負う翼を広げるから、びっくりしたエオストレは反射的に兎耳をばたつかせた。一緒に飛べってことかなってほんの少し|浮足立った《・・・・・》エオストレの目前、ぐんと速度を上げた祝光は先行きに待つ大階段の上を疾風のように滑って駆け――瞬間、轟音を伴って周囲から迫り出した壁が、その行く手に蓋をした。ともすれば身体ごと潰しかねない勢いの罠を軽やかな宙返りで避けた祝光が髪にパラついた瓦礫の破片を払うのを、エオストレはぽかんと見守るばかりだ。
「やっぱりそう上手くはいかないか。こんな風に造り変わるわけだから、普段は最上階に祀られているものが安全な場所に移動している可能性もある」
「秘密の隠し場所ってこと? お宝探し? えー、いいな、ねぇ祝光! お城の宝物とかも探していこう」
「あのな、遊びに来てるわけじゃ……」
「違うもーん、ちゃんと考えてるもーん」
 チチチと舌を鳴らしながら指なんか立ててみる。知的イースターだ。傍らに降り立った祝光の呆れた半眼も何のその、エオストレはまったく意に介さない。ひとまずは行き詰まるまで天を目指して駆けて飛んでって、祝光のやり方も悪くはないかもしれないが。僕だってピンと来た。
「さっきから道がぐねぐねして変わっていくし、まるで竜の卵の中みたい。此処を攻撃するべしって固定で用意されてる罠も勿論あるんだろうけど、少なくともこの階段みたいな重要な場所は違う。|侵入者《僕たち》の動きに合わせて、いちばん効果的なかたちに『生まれ変わろう』としてるんだよ」
 其れを為しているのはこの|世界《√》に満ちる|竜漿《魔力》だ。生まれた土地は違えども、エオストレの身にもまた流れる龍の血が、その脈動を肌に感じさせる。
「だから、敵を出し抜くなら城そのものを味方につける。それに神器って言うくらいだから、自分の使い手や見つける存在を選ぶんじゃない? お城の秘密を探り当てて、僕たちこそが大切な場所に迎え入れられるべき勇者だって証明する!」
「『勇者』は流石に大きく出過ぎだな」
 ――言葉尻を嗜めながら、けれど祝光の声音は柔らかい。感心の色でもあるし、祝光自身が興味を惹かれていた機構のことをエオストレが同じく真剣に考えてくれていた、と言う同調の喜びでもある。
 大階段の先は完全に塞がれてしまって、もうこれ以上どうしようもない。ともあれまだ確認の済んでいない道へと踏み出す足取りが駆けるものから歩くものへと変わっているのが、エオストレの案は採用する価値がある、と応える代わりだ。
「確かに、この防衛機構は興味深いなと思っていた。無理に突破するよりは調べてみるのもいいかもしれない。決まったパターンがあるのかランダムか」
 エオストレの|直感《見立て》を借りて評するなら、城には状況判断を行う意志があると言うことになるのだろう。であれば確かに、祝光たちが敬意を以てこの地を踏み、古き叡智へ真摯に向き合う姿を示すのは良い手かもしれない。
「(それに、資料や魔道具もあるのかも)」
 少し、興味がある。考え込む振りで口元に掌を当てて表情を隠した。神器が使い手を選ぶとすれば――真面目に取り合って貰えていかにもご機嫌なエオストレが提げた刀に、密かに視線を走らせる。以前は祝光の母があるじとして抜いた刃。それが、咲樂の血を離れエオストレにこうべを垂れた理由の一端を、紐解く手掛かりとなるのなら。
 ――祝光はさっきから黙って考え込んでるけど、せっかくそこら中に|手掛かり《ヒント》があるんだから探しに行かなきゃ! 祝光の考えが纏まるまでちょっとだけ静かに待ってみようかな、とほんの数秒だけ口をキュッと結んでみたりもしたけれど、やっぱりエオストレの性に合わない。
「天井のあたり、屋根裏とか入れないかな!? 見に行ってみる!」
「あっ、こら、罠があるかも」
「あったら先に進んで欲しくない証だよ! 掛かっちゃったら助けてね!」
 いかにも魔法の塔って風な場所に踏み入るなり、エオストレは兎耳を大きく広げた。祝光の制止の声も、慌てて裾を引こうとする指先もするりと躱し、何階層分を貫いているかも分からない吹き抜けを高く高く飛んでゆく。
「(今のところ敵もいないわけだし。祝光と一緒なら探索も楽しいもんね)」
 子どもの頃の探検ごっこに似ている。なんの目当ても保証もなくたって、|勘《幸運》 を頼ってどんどん進もう。宝の地図が嘘だって、ふたりで道を切り開くことそのものが楽しかった頃を思い出して。
 ――飛翔するエオストレの零した桜吹雪に触れ、漂うインビジブルたちはころんと丸いイースターラビットに姿を変える。当然飛ぶための羽もなく、ころころ転がって祝光の周りへ溜まってゆく兎たちは可愛らしく鼻をひくつかせた。
「……君たち、喋れる?」
 ちょっと躊躇った。のちに、エオストレはよくこの子たちから情報収集をしていたはずだし、と一羽抱え上げてみた。堅牢な護りを擁する城砦であれば、過去にも敵を撃退した経験があるはず。その時の記憶を知れるのであれば。
 抱いて、見つめ合う。ふわふわしてる。ええと。
「――教えてくれ。君の|秘密《記憶》を」
 そっと、抱え上げた兎と額を合わせた。言葉の通じぬ動物だと思うから理解出来ない。此れは|本《・》だ。天なる城の軌跡を描いた歴史書だ。読み解く者に対して姿を変える魔法の書物。
 君は|禍津神の仔《エオストレ》によってその身体を与えられた。ならば、|龍王の子《祝光》と語り合うに相応しい姿は何だ。
 桜色の光が波打ち広がってゆく。うすく眇めた瞼に滲んだ眼界のなか、やがて兎は光にほどけ花神とかたちを変え、その艶やかな唇を開いた。
 ――いずれ翼は落ちるでしょう、
 ――地に楔なきこの城で、何ゆえ落下を恐れるのでしょう。
「それは、つまり」
 どう言う意味か。謎掛けに対しては無粋な問い掛けと知りながらそれでも急くように口にしてしまったのは、間違いなく祝光自身にわくわくと燥ぐ部分があるからだ。いにしえの城に宿る魂の詩に導かれ、宝の在り処を探すなんて。
 暫し沈黙の時を置いたあと、花神はゆったりと微笑んだ。嫋やかな指が上を示す。釣られて見上げて――
「わああああ、祝光、受け止めて!」
「卯桜!?」
 鎖で雁字搦めにされたエオストレが猛スピードで落っこちて来るものだから、それはもう大慌てで腕を伸ばした。
 ――天井まで飛んで。壁を叩いて隠し部屋を探すって言うの、やってみようと思って。やってたらカチッて言って。これはなにか起こるぞ! って思ったらぐるぐる巻きにされてて。
 龍の鱗を顕現させ、目一杯頑丈にした身体で下敷きになってくれた祝光の上、べそべそ泣きながらエオストレが丸まっていたのも束の間だ。よし、スッキリ! ああうん良かった怪我もなくて。祝光の返事がちょっとおざなりなのは何でだろう。
「じゃん! これ見てよ、さっき兎が見つけた地図! 塔の上の方の部屋にあったんだって。魔法使いの文字っぽくて読むのは難しいけど、今、うさ秘書が資料を探してくれてるから……おっと」
 ちょうど届いたみたい。ひらりと渦巻いた極小の桜吹雪のなかにエオストレが手を差し入れると、そこに分厚い書籍の古びた質感が触れた。エオストレの|楽園《住処》に置きっぱなしにしている魔術書。√ドラゴンファンタジーの術式にそのまま照らし合わせられるわけではないが、参考程度にはなるはずだ。
 はいどうぞ、と祝光にまとめて渡したら、あとのエオストレは特等席で待つだけだ。ちょっぴり興奮した感じの祝光が地図と並べてページを捲る。エオストレを置いてどんどん大人っぽく、時に憂い顔で沈思する祝光の、幼い仕草の見られる位置。
「(祝光、案外こう言うの好きだもんね)」
 ――夢中になって読み解いた時間はそう長くなかったと思う。没頭する己にはっとして顔を上げた先、こちらを眺めるエオストレがにこにこと、『なんで構ってくれないの』の表情をしていなかったから、きっと。
「なにか分かった?」
「分かった。……此処だ」
 此処、と爪先で地面を叩く。まさしく落っこちて来たエオストレを祝光が受け止めた|座標《ポイント》。きょとんと首を傾げるエオストレには、口で説明するより見せてやった方が早いだろう。
 何の目当てのあるわけでもない床を指で辿る。要領は先ほどの兎たちと同じだ。出来るともう分かっているのだから気負いもなくて良い。宿る記憶へ、祝光たちの前に道を拓いてくれと希う。
 桜色が舞った。光に照らされ、ほんの一瞬限り周囲へ浮かび上がったのは、この塔に護りの術を描き込んだ魔法士たちの残影だろうか。己らの力を皆の営みのためにと揮う誇らしさに晴れ晴れと浮かんだ笑顔が消えたあと――床材はガクンと下へ落ち窪み、そこに青い宝玉を露わにした。いまも芯が淡く輝いているのが、稼働を続けている証だ。狭い空間の一面へと緻密に描かれた魔法陣が術師の詠唱部分を担っているのだろう。
「成程ね……こうなってたのか。台座から離すだけでも効果を失うかな」
「へえええ。すごい、それ持って帰ったらほんとにお宝だよ。エッグハントみたいで楽しいなぁ」
「持って帰るかは、……どうしようかな」
 とりあえずは今のところ、迷い道の罠を止めるため宝玉は祝光の手元へ。その後のことは――うず、と騒ぐ心を振り払って、いったん考えないことにした。これはあくまで借りるだけ。今のところ。

「道の変貌は無事に止まったみたいだな。あとは中央棟に戻って神器を探そう」
 視界から逸れそうになっては戻って、つかず離れずうろちょろする|猫又《ミコト》はどうやら行く道に罠がないかを調べてくれている。地面を担当するのがミコトなら、空中の哨戒を果たすのは|神鴉《春告》だ。先遣を果たした二匹を祝光が優しげに撫でるので、エオストレもまた胸を張る。
「祝光! 僕も役に立つからね!」
「張り合うなよ」
「撫でていいよ!」
「何で」
「撫でたいでしょ!?」
 なんて押し問答はそこそこに、エオストレは指先でついと前髪を払った。そう、祝光は僕のことを撫でたいはず。なのに照れて出来ないなら、理由を作ってあげようとも。僕を褒める理由を。これ、可愛くないから嫌なんだけど。特別ね。
「随分端まで移動してきたし――一度外に出て、入口から戻った方が早いよ」
 その額に、露わになるのは神なる三ツ目。見えざる力によってすべてを歪める魔眼。核を失い、塔が防衛機構を弱めた今ならば良いだろう。
 ぐるりと見渡す。空気が歪む。鍵に鎖された扉も。固く錆びた窓も。その視線に晒された封印は、悉くエオストレの前に道を開く。
「多分ここ!」
 駆け込む扉を、選んだ理由はやっぱり勘だ。通路に飛び入るなり火球が襲い掛かって来るが大した威力ではない。引き抜いた刀一振りの風圧で散らして、次撃が来る前にその出所へイースターエッグ爆弾を投げつけた。祝光を庇うように障壁を斬り、蹴倒し、エオストレは邁進する。けど。
「壊しすぎても今後の為によくないのかな?」
「……うん、道を切り開いていけるのはいいが城を壊すのは気が引けるかも」
「祝光は優しいね」
 なら、ちょっとぐらいは大人しく。やる気十分で抜刀した刃はそこそこに納め、イースターエッグをコロンと仕掛けたら、あとはひたすら駆けるだけだ。
 ――いざ、城砦の末端へ。辿り着くと共に魔眼が開いた窓からふたり空へ身を翻し、わああと歓声を上げたのはエオストレの方だ。祝光も珍しく似た気分だった。蒼穹に落ちながら、ふっと己を手放すような。すべての重荷を置いて飛んで良いのだと、許されるような。
「眺め最高!」
「そうだね。穹を飛ぶのは心地いい。守りたいもの全て見渡すことができる」
「父上もこんな景色を眺めて飛んでたのかな」
「……多分、ちゃんと龍の翼でね」
 桜龍神の仔、誘七・卯桜。今はひた隠しされた名前。祝光の物言いたげな表情にはちっとも気付かず、エオストレは赤い頬で空中城砦の全貌を見上げている。
「僕にとってはこのお城自体が竜の神器に感じられるよ。だって僕と祝光に、ずっと正しい道を教えてくれたんだもの。僕たちの進む先に、求めるものがある!」
 それは、単に|エオストレの運がいいから《不都合を全て塗り替える権能のため》だ。幸運も運命も、エオストレの心次第。けれど、今はその自信を活かしてやることにしよう。急ぎ入り口に戻り、宝玉の護りによって一直線に最上階へ。きっと今なら出来るはずだ。
「エオストレが意外と頼もしいのは認めるよ。この城も神器も人々の希望も――渡しはしない」

第3章 ボス戦 『堕落騎士『ロード・マグナス』』


 空に一番高い場所。城砦の最上階。
 外から眺めるのであればそれは石造りのドームだった。空中の暴風に耐え得る堅牢な構造と皆が納得し、屋内の探索を余儀なくされた其処へ足を踏み入れるなり――圧倒的な深さで広がる頭上の蒼穹に息を呑む。
 これもまた魔術による仕掛けなのだろう。一方通行の不可視化。ただ青いだけの空間に己の身体だけが存在しているような浮遊感と共に進めば、ついに祭壇へと辿り着く。
 恭しく飾られたのは古びた剣と鏡の揃い。竜の生命の欠片と信ぜられる神器。

 その時を待つ。祭壇の周辺を庇って並ぶのはアイソラの冒険者たちだ。敵が近付くとあらば一歩も通しはしないと列を成した彼らに防衛を任せ、√能力者らはホール状の敷地に散開して布陣する。どこから敵が来たとて迎え撃つために。
 やがて、|天が揺れた《・・・・・》。錯覚かと、誰もが思った。けれど違う。城砦の結界は商隊から奪った|ディヴァインブレイド《ブラッドウェポン》によって破られた。長く冒険者の旅の供となるため設計された竜漿兵器は決して使い捨てではないのだ。
 透明な空が割れる。風が一気に吹き下ろす。割れた端から天井は石材へ立ち戻り、ホールへ瓦礫となって突き立ってゆく。飛竜の背より身を翻し、√能力者らの前へ降り立った堕落騎士『ロード・マグナス』の周囲に、魔法の刃が閃いている。
「聖剣を、我が手に」
 それは我が手にあるべきものだと。
僥・楡
焦香・飴

「アタシ達は苦労して登って来たのにショートカットは狡くないかしら?」
 まったく仕方のない子、とばかりに続きそうな僥・楡(Ulmus・h01494)の物言いは、禍々しく炎を帯びた剣を携えた騎士を目にしてなおも平時の調子を崩さない。鎧の分の重量を感じさせる歩みを進めてゆくロード・マグナスがただ祭壇だけを目当てとし、ちらとも此方を見ないのは、あまりにもそこに宿る敵愾心が薄いと言うのも理由のひとつだろう。
「ラスボスの風格と景色ですけど、言われてみると確かにズルかも」
 それは焦香・飴(星喰・h01609)の応答もまた同様に。破られた縁からパラパラと崩れ落ちる破片が、ガラスのような透明から空中で|魔術《装い》を脱いで瓦礫と変わってゆく景色を暫く堪能したのち、やがて『楽しそう』はそれを為した本人に向く。
「それに残念ながら、もう聖剣が似合う風貌とは言えませんね」
「折角の見晴らしの良い仕掛けも台無しで残念。悪い子は報いを受けて貰わなくちゃね」
「楡さん手ずから? それってきっと羨む人がたくさん出ますよ」
「嫌よ、痛そうじゃない。アタシ自傷癖はないの」
 遊び相手へ駆け出さんとばかり笑う、飴が指先に撫でる軍刀のような得物もない。戦時の楡の武器と言えば専らこの拳か、足か、今も微かに燻らす煙管に結わえた呪紐。それぐらい。どれもこれもが|西洋甲冑《プレートアーマー》に抗するには馬力不足だ。
 どれもこれもが己で足りないなら、|誰《なに》かに為して貰えば良い。
 常には手指に遊ばせるばかりのそれの、吸い口を唇へ寄せてふいと呼吸する。煙管の先から棚引く煙がゆらゆらと広がり、撓み、自らの意志を以て身震いするかのような揺らぎを増して。
「雪豹ちゃん、遊んでもらってらっしゃいな」
 楡の指先が煙管を手放す。けむりの中へ転がった其れが|心臓《芯》を与える。瞬間、広がっていた白煙は立ち処に収斂し――ロード・マグナスへ向かって猛然と駆け出したのは、しなやかな雪豹だ。
 不意の体当てに、まさしく祭壇を守る冒険者たちへ剣を振り下ろさんとした騎士がよろめく。流石は空の上までやって来るほどの探求心だけあって、転倒を踏み止まった足を執念深く神器へ向けようとするけれど、次々に爪で連撃を加える雪豹を前にしてそう巧くは行かせない。
「……邪魔立てを」
 くぐもった声から苛立ちは感じられない。排除すべき敵の手の内を見て、どちらを優先して相手取るか判ずる冷静さ。部隊を率いる将ともなると簡単に激昂して隙を作ってくれはしない。重ねる雪豹の爪に滲む毒が効けば御の字ではあったが、堅牢な鎧を貫き通すのは難しい。
「(ま、駄目でも気が逸らせればいいわ)」
 本命は隣にいる。雪豹とロード・マグナスの攻防を見て、目を輝かせている災厄が。
「意外と動物好きだったんですね。可愛いって手放しに褒めるには随分頼もしくていい」
「動物は可愛らしくて格好いいでしょう? 人間よりみんな強くて賢い子達だもの。飴ちゃんも毛皮が生えていれば良い子に見えたかしら」
「俺はこんなに良い子なのに、もっとですか。楡さんってば欲張り」
「どっちも否定しないであげる」
 ――つまりは『もっと良い子になりなさい』と『欲張りで何が悪いの』だ。こんなに|世界《にんげん》のために尽くしてるって言うのに、楡はまだまだ飴のことを褒めるには足りないと言う。
「ちょっと頑張りましょうか」
 囁くような耳打ちを合図に駆け出した。雪豹の攻撃を|堕落騎士《あるじ》が弾く都度、空中に浮かぶディヴァインブレイドはその光の刃を鈍い黒に染めてゆく。受けた攻撃を解析し、理解し、宙に毒の剣として再構築する。なかなか面白い手だ。楡の攻撃がそのまま飴に向けられるに等しい、と言うのは――いつかはあるかもしれないことの予行演習なのかも。
 としても、扱い手が楡でないなら甘んじて受けてやる気はない。飴の接近と共に墜落して来る刃をステップで躱し、雪豹の跳躍に紛れて瓦礫の影に身を潜め、時に軍刀を振り抜いて叩き壊しながら。
 ひとつ、大きなジャンプの果てに、間合いのうちへ辿り着く。|獣《雪豹》はわざと構えの切っ先を下げた飴の意図を賢しく察して、前線を譲るかのように後ろへ跳躍した。四つ脚よりも剣士を相手取る方が余程やり易いとばかり、力任せの剛剣が飴の頭上へ振り下ろされる。
 僅かに体を後ろに逸らす。それだけ。己の胸の中心を裂いた切っ先を、噴き出る|血飛沫《人真似》を眺め、飴は愉快そうに笑う。
「残念ながら、あなたの手に聖剣は余りそうです。たとえ偽りでも」
 身体を真っ二つにされなければそれでいい。踏み留まって、刀を振るえるのであれば。再度高い位置から迫る剣へ、飴はそれ以上の速度で以て斬り上げる。激しい金属音と衝撃。としても、互い剣を操る者として、|命綱《得物》を取り落とすまでは至らない。
「それじゃ、とどめは任せると言うことで」
 血に汚れた身体を無いものかのように安らかに微笑み、飴は軍刀の切っ先を翻した。正々堂々の力比べを嘲るように、その不意の一突きは雪豹の爪痕を二重に抉る。多層に重ねた鎧の一角が剥がれると同時――『無いものかのよう』は事実へと変わる。抉れた傷痕がひとりでに|縫い合わさって《・・・・・・・》塞がり、治ったあとに残るのは血糊だけだ。
「楡さん、あなたの相棒のいい所、見せて貰っていいですか」
「あら、じゃあご期待に応えなくっちゃね」
 ――血塗れのままで振り向く飴と来たら、今日はいつにも増して人間の振りが下手なようだ。こんな風に地上から離れると人の目も少なくて気が緩むのだろう。なおも至近の距離で打ち合いながら、余所見をする暇があると言うのだから。
 呆れる楡の上にもディヴァインブレイドが迫る。飴の接近を見て楡の隣まで護衛に戻って来ていた雪豹の背を叩いた。楡は後ろへ跳び、雪豹は前へ駆け、狙いを散らしてやれば模倣の剣も避けるには難くない。
「その鎧、可愛くないわ。場に相応しい装いで出直してらっしゃい」
 飴の強打の直後、瓦礫の群れを大きく迂回した雪豹が跳躍する。捕食者のあぎとが大きく開き、ロード・マグナスの肩を鎧ごと噛み砕いた。

ツェツィーリエ・モーリ
アルティア・パンドルフィーニ

 その剣をあるべき場所へと、勇者の成れ果ては言う。
 安寧なる世界の為、相応しき者を選べと祭壇へ手を伸ばす。
 求める指先に応えるのは、竜の牙ではなくツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)がついと鞘から抜き放った大太刀の刃の煌きだ。
「いいえ、これは永く伝承と信仰を守り抜いてきた人々のもの。貴方の手に渡せるものではありません」
 祭壇の前に立ちはだかった銀の女を認め、ロード・マグナスが歩みを止める。真っ向から挑むのであればお前もまた聖剣の試しを受けるに値するのだろうと、矜持を讃えるかのように自らの大剣を握る指先の力を強くする。
 その態度が――アルティア・パンドルフィーニ(Signora-Dragonea・h00291)にとっては何よりも業腹だ。巡る太陽と月の竜の加護ぞあれと敬虔に祈り信ずる人々が作った美しい街を、かの騎士もアルティアと同じく空より見下ろしただろうに。それでなお、空虚な妄想を振り解けもしないとは。
「随分と高慢ね、劣等種。これは遍く文明のためにあるもの。簒奪者如きが手にして良いものではなくてよ」
 |ツェツィーリエ《剣士》に寄り添うアルティアの声など耳にすら入れる気がないのだろう。ちらとも返事をする気のない態度がますます愚かしい。|ふつふつ《・・・・》とアルティアの周囲に爆ぜる火花など、一顧だにする価値がないのだと言うように。
 ――荒れる紅炎の熱に押されるよう、ツェツィーリエが駆ける。いまは空によって遠く隔たれた|地の底《冥府》の権能をただ一時黒くその身に纏い、尋常を凌いだ速度でロード・マグナスへ肉薄する。勢いそのまま、ぐんと高く切っ先で弧を描いた大太刀の振り下ろしもまた本来はか細い女の身が為せるような威力ではない。
 騎士の剣と大太刀が競り合う。五分だ。どちらともなく刃を跳ね合い、再度ツェツィーリエは旋回を乗せて横薙ぎの一撃を繰り出す。これもまた即座、身の近くに構えられた大剣の腹が受け止めた。どちらとも退かぬ攻防。それで良い。ツェツィーリエの役目は、アルティアが事をし終えるまで敵を通さぬことだ。
「お前もまた善き剣士なのだろう。竜の|聖剣《力》を求めるか」
「あら、わたくしは身の程を弁えているつもりですわ。貴方のような愚かな大望は抱きません」
 幾度かの打ち合いの末、ロード・マグナスは大太刀と共に強くツェツィーリエの身体を跳ね飛ばす。正気を失ってなお、同じ剣の道にある相手を邪道によって屠ることを惜しむかのような声の響きを微かに見せた彼は、開いた分の距離に託して魔導の詩を唱え出す。
 だとしても臆すものか。ツェツィーリエの役目は、アルティアが事をし終えるまで敵を通さぬこと。ツェツィーリエを取り巻いていた冥府の死気が大太刀へと凝ってゆく。愚直なまでに正面から襲い来る斬撃が、手放しで受けてよいものではないと言うことぐらい――彼が未だ剣士たるのであれば、分かるはずだ。
 咄嗟に後ろへ跳んだロード・マグナスの動きは果たして彼の意思であったのか、ツェツィーリエに強制されたものだったのか。騎士の前に収斂し始めていた呪いの炎が、種のままに立ち消える。
 ――であれば、未だこの場で何より猛るのはアルティアの炎だ。はじめは怒りの昂ぶりと共に、次第にツェツィーリエの剣技へ心躍って。爆ぜる火へと芯を入れるよう、紡ぎ続けた詠唱は邪魔されることなく既に数分を数えていた。
「流石だわ、ツィーリ。十分過ぎるぐらい」
 炎の群れのなか、竜の女が立っている。うすらと笑い、指先に絡まる植物の蔦をあやしている。同じ力でも前提条件が違えば有利不利がつくもの。此処には、アルティアを信じ身を挺してくれたツェツィーリエがいるのだから。
 至近に迫るツェツィーリエの猛攻を凌ぎに掛かった今が好機だ。吹き込む空の風に煽られていっそう強さを増し続けるそれは、アルティアの指揮に従ってついに敵へと襲い掛かった。
 炎球が騎士へと打ち付ける。打ち付ける、と言うには生ぬるい。本来燃え種を持たぬはずの鎧甲冑を取り巻いて渦を巻く竜の炎はアルティアの魔力を呑んで質量を持った壁となり、ロード・マグナスが仕掛けようとした剣をそのまま彼の方へと跳ね返した。小細工ひとつでは終わらせない程度の仕込みは済んでいる――蔦は関節に入り込み、生まれ来る炎の光が騎士の眼前を晦ませる。
「その立派な鎧に余程の自信があって? |裏切られない《見放されない》と良いわね」
 アルティアの声をやっと聞く気になったろうか。蔦の戒めによって動きを鈍重にした敵の頭は、ゆっくりと術師の所在を眺め見た。
 ――騎士団を率い続けるだけのことはある。湧き立つ炎の影に隠れるようにツェツィーリエが仕掛ける斬り付けは、それでもなお致命傷には至らない。最低限の動きで攻撃を捌く剣の腕ばかりは、流石覚えもあるのだろう。
 攻め切れない理由は他にもある。一騎打ちにロード・マグナスが見切りをつけたその時から、宙に浮かんだディヴァインブレイドが不意にツェツィーリエを襲い始めたことだ。今もそう、頭上に感じる魔力は、魔法の刃がまさしくツェツィーリエの身体を貫こうと創造されているのだろう。としても、攻め手は緩めない。心配などしていない。
「(ティア様がわたくしの後ろにいてくださる)」
 一人で対処できぬ状況も二人なら乗り越えられる。そう、強く思える相手がいてくれるなら、どこまでだって前へ進んでいける。
「奪った力を揮うだけの貴方に負ける道理などありませんわ」
 ――ツェツィーリエが渾身の一撃を振るい落とすと同時、アルティアの炎球が上空高く織り上げられた光の刃を千々に散らした。ツェツィーリエが前線を担ってくれる分、アルティアは随分と護られた位置にいる。だから同じ分を返そう。他方より己を狙い澄まして降り注ぐディヴァインブレイドの雨を身に浴び、白い肌に血を滲ませながらなお、アルティアは一切怯む貌を見せなかった。
「ご存知? 竜は鎧なしでも頑丈なのよ、貴方みたいな劣等種と違ってね」
 嫋やかな手が騎士を指差す。えんえんと紡ぎ続けた炎は空へと溢れてしまいそうなほど。此れを喰らって、何ともないなんて言わせない。
「どうやら随分お強くなったつもりみたいですけれど――誰かから奪わなきゃ戦えもしない卑怯者が勝てる道理はなくてよ。ここで朽ち果てることね!」
 高らかな声と共に、竜の怒りは堕ちた騎士を焼いてゆく。

久瀬・彰
オルテール・パンドルフィーニ

 神器を奉ずる祭壇を前に、竜が顕現する。
 四肢には緑の鱗を、背にはしなやかな飛膜で形作られた翼を。長く地を這う剛直な尾に、仕上げの角は捩じくれて長い。どうにかオルテール・パンドルフィーニ(Signor-Dragonica・h00214)が青年のかたちを保つ程度に留まったその変容を目の当たりにして、動揺を見せたのは敵よりもむしろ同行の冒険者たちだった。彼らの信ずる双つの竜のどちらとも似つかぬ姿に、久瀬・彰(宵深に浴す禍影・h00869)だけが笑っている。
「そっちも準備万端だな、アキラ」
「お兄さんほど派手ではないけどね」
 これで十分のつもり、と続けた彰の声に応じるよう、足元に纏わりつく影腕が揺れる。|王権執行者《レガリアグレイド》相手に数による目晦ましなど不要だろう。制御できる最小限に留めた彼らには、その分ひとつずつに強靭な力を与えてやった。織り込める限りに高密な霊力と呪詛。|オルテール《花形》の後ろに隠れて暗躍するには最適だ。
「さて、やろうかお兄さん。後は倒すだけ――シンプルな解決策でいこう。物量と威力にあかせた真っ向からの殴り合いだ」
「完璧な作戦だ。単純な方法が最も効率的だよな」
 ぱん、とオルテールが掌を打ち鳴らす。探索の折にも見た仕草だ。今度は意識を引くためでなく、その鱗の内側に疼く力を宥め賺すために。
 ――そんな小細工で治まるようなものであれば、オルテールとて常にひとの姿を装っている必要はない。吐息のごとに炎が爆ぜる。飢えて乾いた呼吸と共に竜の血が騒ぐ。箍を外した膂力が肌の下で|うずうず《・・・・》している。
 暫くの睨み合いは沈黙のなかで行われた。相対するロード・マグナスがついに動く。先の攻防で欠け始めた鎧が、肉を捏ね合わせるかのように蠢き出す――違う、『かのように』ではなく、実際にそうなのだ。鎧と肉体そのものを合一してゆく騎士はひとつ大きく咆哮した。その声を合図に、ぐん、と感じた引力は決して気のせいではないだろう。
「(引き寄せてみるか? 結構)」
 風に身を任せるよう、傾いだオルテールの身体が浮かぶ。足を踏み出す必要もない。縄を掛けられて強引に引き摺られるような勢いでロード・マグナスの元へ|落ちて《・・・》ゆくにあたって、感じることはと言えば移動の手間が省けて楽で良いって、それぐらい。
 断頭台へ引き摺り出した罪人を罰するかの如く、行き付く先には騎士の大剣が振り翳されている。オルテールの到着へちょうど合わせて振り下ろされたその剛剣は、けれど激しい金属音と共に中空を彷徨った。
「何分頑丈なんだ。気持ち良く薪割りをさせてやれなくて悪いね」
 タイミングを合わせてオルテールがカチ上げた腕には、竜の鱗が整然と並んでいる。
 ――騎士の剣に抗するのは竜の爪。これはまったくおとぎ話だ。それも、此方が退治される側。愉快な気持ちで前線を眺めながら、彰は淀む影の腕たちへ軽い手の振りで合図を送った。
 数に怯んでくれる相手じゃない。としても、多勢の利がまったくの無駄になる戦場はない。オルテールが強引に振り払った剣が即座突きの姿勢に変わった瞬間、瓦礫の隙から這い出た影腕はロード・マグナスの足を引いた。流石に倒れてはくれないが、眼前を貫く動きを払い除けるそれに変えさせることぐらいは出来る。振り払う剣をいなす硬化した腕がある一方、他のものは空いた胴へ纏わりついて、その鎧甲冑へ呪詛の毒を流し込んだ。
 与えられる痛みの渦中にありながら、彰が前線の攻防を見渡す位置から移動せずとも戦う手段のある者だと確信したのだろう。隙が出来れば即座オルテールを刺し貫こうとあるじの近くへ控えていたディヴァインブレイドが切っ先の向きを変えて襲い来る。どこにも避けられぬよう、その場へ彰の足を縫い留める不可視の力は先ほどオルテールを引き寄せた術の応用と見えた。
「(まあ、わかってればそんなに困ることじゃないな)」
 戦況と互いの位置関係は頭に入っている。オルテールの次撃がある状態で、彰に割く力はそれほどないはずだ。そして幸い、此処には敵が乱入の際に作り出してくれた|障害物《良いもの》が山ほどある。影腕が宙へ引き上げた瓦礫はそのまま障壁となって光の刃を受け止める。
 ――目の端で捉えたディヴァインブレイドの方角。時にオルテールの前に敵を差し出し、時に盾の役割を果たす影の布陣。背後に構える彰の位置を推定するのに振り向く必要はない。ペン先で繊細な文字を書き付けるにはとても向かないこの爪のパワーについては折り紙付きだが、力任せの振り抜きは周囲を派手に巻き込んでしまわないとも限らない。彰を敵の攻撃に晒さず、ましてや己の爪にも引っ掛けてしまわないよう、攻勢の激しさの一方努めて冷静に思考しながらオルテールはロード・マグナスを追い詰めていく。
 影腕の操り手を狙って吶喊せんとする騎士の前へ体を捻じ込み、オルテールは鎧甲冑相手へ強引に組み合った。竜の膂力を前にして、その金属の板がどれほど通用するか楽しみだ。二ィと獰猛に吊り上がった口端から炎が漏れる。
「あまり生ある者は食わないようにしてるんだがね」
 ――私は元より捕食者、幾度も蘇るならお誂え向きの馳走だよ。
 |まとも《・・・》な判断をするため最低限には抑えたが、オルテールの本性は敵の血を前にして疼いて仕方がない。互い一歩も引かず押し合うなか、ロード・マグナスの|西洋甲冑《プレートメイル》が軋む。バキン、と音を立て、オルテールが強く握った部位から亀裂が走る。
「さあ、よくよく思い出すと良い。お前たちが軽んずる竜の暴威が如何なるものであったかを」
 ――そう、本来ならばもうとっくに死んでいる。彰はそれぐらいの呪詛を注いでいる。それでもなお敵がオルテールに抗い続けるのは、死に至るラインから間断なく蘇生を続けているからだ。
「あんまり良いことじゃないと思うんだよね。それって、何度でも死の苦しみを味わうってことだ。そこに至るまでの痛みもね」
 不気味なほどに穏やかに、男は言う。なんてことない休憩時間のアドバイスって風に軽やかに、そのくせ操る影腕に下す指示へ容赦はない。オルテールが生んだ亀裂へ剣のように突き入った澎影は、騎士の身体そのものとなった鎧を剥ぎ取り砕いてゆく。
 きみはそれに耐えられる人かな――試してみる?

クラウス・イーザリー
システィア・エレノイア

「これはお前のものじゃない」
 ひたとロード・マグナスを見通し、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)が唱える。奪われ続けることが当然の|世界《√ウォーゾーン》で育ち生きるからこそ強く、本物の空を遥か仰ぐことの叶う幻想国の美を守りたいと願う。
 携えた|杖《ロッド》が熱を帯びてクラウスを急き立てる。豊かに満ちる魔力が、竜に仇為すものを打ち倒せと騒ぎ立てる。理屈が通じる相手なら、城攻めなんて考える筈も無いけれど――それでも声を掛けてしまうのは彼の|甘さ《優しさ》が故だろうか。
「他人が大切にしているものを奪うのは、駄目だよ」
「そう。この剣はあなたと共に在ることを謳っちゃいないよ」
 傍らのシスティア・エレノイア(幻月・h10223)もまた自らの|血液《竜漿》に呼び掛ける。手元に興った光はまたたきの間に広がり、やがて重量を伴う戦斧を形作った。出来栄えを確かめるように振り抜いた刃が風を切り、その威力を思い知らせる。
 敵にも、クラウスにもバレないように微か漏らした吐息は安堵によるものだ。此処へ来るまで、迷宮踏破のため消費し続けたけれど、傍にクラウスが居るなら和らいで辛くない。斧を操る身体に引き攣れや違和感はない。戦える。
 武器の威力を誇示したところで、敵に怯む様子はない。どころか強者を前に奮い立つかのよう、騎士は自らの大剣を高く掲げる。神託を受ける勇者を装う振る舞いに応えるのは、天よりの威光ではなく禍々しいオーラを帯びた呪いの鎧だ。肉体と、剣と、|甲冑《プレートメイル》と。この身に足りぬのは聖剣だけだと念ずる妄執が、ロード・マグナスの装備と血肉を融かし合わせてひとつの怪物と変えてゆく。
 完全な変容を待ってやるつもりはない。正々堂々の果し合いなんて言っていられる相手じゃない。それはあちらだってそうだろう。戦斧を両手で構え駆けるシスティアの元へ容赦なく飛来する|魔法の刃《ディヴァインブレイド》は、呪いの炎を身に浴びていっそう速度を増している。そのどれもが、システィアに届く前に軌道を逸らし地に落ちてゆくのは、空の高みが故の暴風の影響などではない。ましてや幸運の産物などでも。
 |不可視の斬撃《アンプティール》はシスティアの魔術に因るものだ。けれど簡単に手の内を明かしてはやらない。クラウスが展開したレイン砲台から重ねるように撃ち注ぐレーザー、彼の詠唱と共に打ち出される|氷と水の魔術《火に抗する魔弾》に紛れさせれば、遠近をふたり専ら分担しているのだと見せ掛けられる。
「(巧い演出だ)」
 共闘の歓びに綻ぶ口元は、システィアの接近を待つロード・マグナスからすれば挑発の表情にも見えたろうか。待ち構えた大剣に勢いそのまま戦斧を打ち合わせるかのように突撃したシスティアは、敵の目前に辿り着くなりぐっと歩幅を狭めて力任せに踏み切った。
 視界が反転する。斧の重さを軸に体を捻り、着地するのは騎士の背後。留まるところなく床へ擦った刃に火花を散らしながら、遠心力を乗せた振り向きざまの一撃が、重たい音と共にその装甲を砕く。
 ――システィアをひとり先へ駆けさせることに、もどかしい気持ちは間違いなくある。それでも堪えて牽制役に徹しながら、クラウスは好機を伺い続ける。|飛び道具《ディヴァインブレイド》の阻害にどうにか届く程度に出力を絞ったレーザー射撃でシスティアへの奇襲を防ぎながら、狙うのは己の存在の透明化。『その時』のため、一番の脅威はシスティアであるべきだ。
「(危ない役目を任せてしまうけど、……隙を作ってくれると信じてるよ)」
 知らず呼吸さえ抑えながら、クラウスは心の内に語り掛ける。魔術によって形を成したシスティアの戦斧はロード・マグナスの堅牢な|融合体《鎧姿》に僅かな罅を入れている。刃に籠めた崩壊の魔術によって、塞ぎ繋ぎ合わせてなおも断裂し続ける不治の傷痕となったそれ。ロード・マグナスが絶叫する。未だ抱き続けるの騎士の矜持を汚された怒りにか、好敵手に巡り合えた歓喜にか、理解のしようもない。直接相対すれば分かることもあったのかもしれないけれど――クラウスはただ、静かに攻防を注視し続ける。
 一歩も退かず、どころか自ら至近の距離に踏み込んだ敵の大剣がシスティアに斬り掛からんとする。システィアの応答もほとんど反射だ。渾身の一撃を下す厚い刃を、振り上げた斧刃と柄の継ぎ目に引っ掛けて、互いの体躯に相応しい怪力同士が競り合い続ける。
 一息とて気を抜けば拮抗を失う押し合いのなか、システィアが視線だけでクラウスを振り向く。
 言葉はなかった。その表情さえ見えなかった。けれどどうしてか、それが合図だと確信する。
 即座、クラウスは駆け出す。システィアの|獣の《善い》耳はこの足音に怯懦の色がないことをきっと分かってくれる。だから、どちらかの武器が圧し折れるまでを求め合うかのような力比べは、クラウスの目の前、システィアが不意に戦斧に掛ける力を抜いて敵をいなしたことにより破綻する。
 ロード・マグナスの剣先が決闘の続きをシスティアに持ち掛けるより早く。クラウスがふたりの間に跳び入った。金属の無機質な冷たさを帯びるくせ、確かに拍動する騎士鎧の胸元に右掌を押し当て念じる。これより先、お前に二度と蘇ることは許さないと。
 ――同じ騎士の名を冠するからこそ、システィアにはそれが自壊してゆく様子がよく分かる。ひとつに癒合していた肉とプレートが剥離し、誰にも奪われぬよう籠手と一体化していた大剣の装飾的な|鍔《ガード》が苦しむように呻いて身悶える。
「これで殺せるね」
「あぁ」
 ままならない身体で、とにかく追撃を避けるためにディヴァインブレイドを己の近くへ集中させ始めたロード・マグナスの前からバックステップに退いたクラウスが、ちょうどシスティアと肩を並べる形になる。小柄なクラウスと己を比べた姿を、端から見たら『並べる』とは呼ばないのかもしれないけれど、そう捉えることにする。
 愛しいあなたの手に生み出される月の|魔法《剣》を美しいと思う。
 あなたの求めるものが護り戦う力であるのなら、共にそうありたいと願う。
 修復し得ぬ身体では剣を攻め手に出来ないと決断したのだろう、敵は早々に魔導の業へ切り替える。くぐもった詠唱と共に生み出される呪いの炎に欠片とて怯むことなく、クラウスが先陣を切った。
 月の剣が弧を描く。ロード・マグナスの甲冑を貫き通すことは叶わずとも、軌跡に残った光はその場にまたたきの間留まり続け、打ち付ける炎とディヴァインブレイドを防ぐ盾となる。それがシスティアの活路だ。黎明の月の齎す闇に潜む狩猟者が如く身を低め、――いいや、『如く』などではない。|ぞろり《・・・》と青年の四肢を覆ってゆく毛皮と鋭い爪はまさしく月の狼のそれだ。
 ほとんど体当ての勢いで敵にカチ合う。炎の魔術を保つため、ロード・マグナスが出来るのは動くことを許されぬまま不如意な剣で攻撃を受け止めることだけだ。
「……畳み掛ける」
 黒い眼球に浮かんだ金の虹彩がギラギラと獲物を睨む。普段の穏やかな口振りとは色を異にした、獰猛な響きが声に乗る。防御の盾として働き続ける腕を斬り上げ、斧で胴を弾き蹴り飛ばす。猛攻に堪え切れずに退いたロード・マグナスが一斉に撃ち掛ける炎弾が、システィアとクラウスを諸共に焼いて尽くそうと猛る。
 ――何も不安じゃない。システィアが振るう獣の爪が炎を散らす。ただでさえ背の高い彼が多くをそうやって請け負ってくれるだけでなく、クラウスの胸元にはシスティアの託してくれた心臓があるのだ。あなたの痛みを共に負おうと、誓い預けられた生命の竜漿石。
 足元をなぶる炎が熱い。けれどそれだけだ。クラウスの肌を焼くものではない。もしもそれが単なる思い込みだったとして、構わない。この身体が動くのならば戦える。隣に頼れるティアがいるのだから、きっと大丈夫。
 システィアが炎の包囲を振り切って跳躍し、ロード・マグナスを追う。再度、戦斧は妄執の勇者の鎧を叩く。一打ちのごとに拡がる脆い場所を見定め、あとに続くクラウスは鋭く刃を突き入れた。

花村・幸平
氷野・眞澄

「うし、到着。や~眺め良いね」
「……、さむ」
 観光客さながら頭上を見渡す花村・幸平(フラットライン・h07197)と、寒風に身を縮める氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)の反応は完全に対称的と言って良い。ロード・マグナスとの戦闘が激化してやっと屋上へ踏み入ったのは、何も出遅れたってわけじゃない。正面突破の真っ向勝負が得意でないって自覚があるから、まずは様子見をしたかったと言うのがひとつ。
「これは帰った後が怖いですね。寝込む羽目になったらごめんなさいね」
 吐いた息の白さえ吹き込む暴風にあっと言う間に散らされるこの環境に、手指の先まで冷え切った眞澄の身体が長く持つとも思えない、と言うのがひとつ。
 とりあえずは瓦礫の傍に身を寄せ、|杖《クラッチ》に強く縋ることで何とかなっている。今の敵味方の布陣であればここが最も見通しの良い障壁だろう。陣取った此処から動くには眞澄ひとりの力では中々難しいところがあるから、いよいよ固定砲台の運用と同じだ。
「体使うとあったかくなって内側から予防出来るかもよ」
「残念ながら|霊視《これ》で温かくなった試しがないです」
「じゃあちょっぱやで戻ってあったかいもん食べよ。ほらほら、向こうもやる気満々だし決戦兵器様のいいとこ見せたれ〜」
 僕も頑張るからさ、と嘯く幸平の手は眞澄の背中を叩かない。声を最後に、幸平の姿は沈丁花の香りだけを残してふつりと煙に絶えてゆくからだ。さて、そんな風に言われたならば、いつまでも震えてばかりいられないと言うものだ。
 空に浮かぶ|光の刃《ディヴァインブレイド》をちらと眺めた。どうやら先程からの戦いを観察して見るに、敵はあの刃を攻撃に応じたかたちに作り替え、自動的な|反撃《カウンター》機構として利用している。
「(複製されても面倒ですし、私から出来る攻撃は最低限ですね)」
 圧倒的威力を誇る断裁の霊視だが、そのまま丸ごと性質を取り込まれるとあれば使い処が肝要だ。ただ息を潜めて|目《・》を凝らす。暴風の隙を縫って泳ぐ白い煙を眺め見る。
 ――精一杯気を張ってないと全身バラバラに千切れそうで、煙姿で進み出した時にはそれはもう後悔した。焦りながら慌てて幸平が元の身体を取り戻せば、これがラッキーなことにロード・マグナスとばっちり正面から目が合った。瞬間、襲い来るディヴァインブレイドの眼前で再度その身は棚引く線香の煙へと解けてゆく。
 せめて風除けの瓦礫の影をルート取りのしるべとして、幸平は少しずつ敵へと近付いてゆく。風が強まっては|人間のかたち《幽体》を取り戻し、天より突き立つ魔法の刃がいよいよ間近に迫った時には瓦礫をすり抜けた先で煙と散って、敵が見失ったと見たあとから再度存在を示す。
「(向こうもほら、ファンタジーのひとじゃん? 後衛職の危険性は分かってる気がするよね)」
 魔法魔術なる力が当然のように扱われているからこそ、静かに控える眞澄のことを非戦闘員だとは思わないだろう。長い|溜め《チャージ》の要る技はだいたい強力、ってのは現代っ子の偏見かな。だとしても、今、ちょこまかと動く幸平が回避に長けていることを悟ったからこそ、浮かぶ刃の切っ先が一斉に眞澄へと向いたのは事実だ。
 だから、最後の距離は生身で駆けた。
「僕の相手してよ。せっかく|見えてる《・・・・》んだからさ」
 幽霊なりのジョークだ。にっこり笑って、銃口を甲冑の胸に宛がう。『|動くな《ホールドアップ》』の勧告もなく撃ち放たれた弾丸が、騎士の身体を強く揺らす。
 ――零距離射撃に、相手が一切怯むつもりがない、と言うこと。鉛玉ひとつこの鎧の前には無意味だとばかり、幸平に向かって剛剣がぐんと振り上げられたこと。見て取った瞬間、眞澄のひとみが明々とした緑に閃く。その規格外の念動力によって軽々と浮き上がった瓦礫は、横合いから飛んで入って剣の腹を叩き付けた。
「暇はありませんよ」
 敵への宣言でもあるし、脆弱な身体への鼓舞でもある。幸平を逸れ、宙を泳いだ剣先が正体を取り戻す前に。ぎらぎらと輝く眸は汲み出した霊力を示すバロメータだ。いや増し、満ちて、尾を引くほどに眩しいみどりが一度弾けるように光ったとき――ありったけの霊力を乗せた霊視が、四方から騎士の身体を切り刻む。
 甲冑が軋む。剥ぎ取られたプレートが落ち、剣を握る五指が奇妙な方向へ捩じくれる。それでも剣を手放さないのは最早執念の意気だろう。としても、眞澄にとって|近接武器《騎士の大剣》はさしたる脅威ではない。この技をディヴァインブレイドが写し取ろうとしていると言うなら、なお一層緩める手はない。敵が何を創ろうが、何を纏おうが関係ない。諸共断ち切ってしまえばいい。
 それでも――一筋縄で終わるつもりはないらしい。間断なく吹き荒れる不可視の断裁に防御姿勢を取りながら、騎士は何事か眞澄にとっては未知の言語で語り出す。詠唱と共にぽつぽつと生まれ出る炎の礫は明確に此方へ敵意を向けている。
「(まあ、問題ありません)」
 あの人が何とかしてくれるだろう。あまりに手放しな信頼にすべてを預けて、眞澄は眩暈のなかそれでも敵を見据え続ける。
 ――鎧甲冑に対してこんなの玩具の豆鉄砲って言われたらその通り。致命傷が与えられるとは思っていない。だけどさ。
「そんなに氷野ちゃんが気になる~?」
 呪いの炎を生成し続けるロード・マグナスは、眞澄の攻撃に合わせて身を引いた幸平をすっかり無視し切るつもりのようで、何の反応も返って来ない。元から楽しくお喋りしてくれそうなひとじゃなかったと言えばそうだけど、完全な素通りってのも旨くない。
「(それなら僕も好きなだけ『訓練』させて貰っちゃうよ)」
 銃弾が兜を叩く。次に肩を、肘を、腰元を。人型のものが動くには装甲を薄くせざるを得ない部分へ、絶えることなく銃弾が撃ち注ぐ。ノーコン気味の銃の腕で、相性の悪いフルプレート相手。眞澄の砕いた破損の隙を運良く射抜ければ万々歳。ヤケクソに見える? ガチで撃ち切るつもりだよ。
 霊視と銃撃の波のなか、詠唱を邪魔されたロード・マグナスが腕を持ち上げる。|ディヴァインブレイド《この場限りの武器》に頼らずともこの権能は我が手にあるのだと示すよう、その姿にまるで不釣り合いな現代式の拳銃が現れる。
 おっと。驚きの声を上げたとて、幸平が退くことはない。だって僕は|幽霊だ《此処にはいない》から。撃ち放たれた銃弾は幸平の身体を通り抜け――眞澄に届くより先、宙空で空虚にも|ぱかん《・・・》と割れ、風に巻かれて飛んで行った。

天依・むつき
一文字・透
時月・零

 簒奪者の首魁たるロード・マグナスを迎えた暴風の渦は今もなお止むどころか激しさを増し、天依・むつき(藤色六花・h09509)の長髪を弄る。先駆けた√能力者たちの攻撃を受けて割れ砕けた|西洋甲冑《プレートメイル》の痛々しさを指摘してみせて、もうやめましょうって声を掛けようなんて思うことすら出来なかった。
 傷付いた騎士の身体から血の代わりに漏れ出る黒い靄が、その腕と分厚い大剣を強引に繋ぎとめる。果てるまで戦い続けることを己に課すよう、蠢く鎧が肉体と|縫い合わさって《・・・・・・・》合一する。
 祭壇の前の冒険者たちが警戒の色を一段と引き上げる。いま、彼らの前に立つのはむつきたち。餓える欲望によってのみ身体を再生しながら此方へ一歩ずつ向かって来るロード・マグナスに相対すべきは自分。慣れぬむつきを気遣って前に立ってくれた時月・零(影牙・h05243)と一文字・透(夕星・h03721)の背中越しの光景でさえ、見ているだけで背筋が震えるような。
「これが実戦、なんですね」
 囁き零した声もまた、自分でも驚くほどにか細く張り詰めていた。二対の双眸がちらと振り向く。それでなお敵と向き合う零と透の構えに揺らいだところはなく、空飛ぶ魔法と遺産の魅力に浮足立つばかりだった己との差を痛感する。命を賭してなにかを奪い、なにかを護る。その重みを、知るかどうか。
「私は平気ですよ。おふたりが一緒ですし、他にもたくさん味方がいます」
 ふたりが何かを言うより先に笑顔で応えた。知らず冷えて感覚を失う指先をぎゅっと握った。決起の拳に見えますようにと信じて胸元へと押し当てた。怖いのだと泣き言すれば、きっとふたりはむつきに退がれと言ってくれる。祭壇から離れ、城の中に立ち戻り、秘密の小部屋で安全にと。
 だからこそ、平気な振りを装おう。私はあなたたちと共にゆくのだと、示して此処に立っていよう。
 何かを言いあぐねるように、気遣わしげな目をした透が唇を薄く開いてまた閉じる。零がその仕草に気付かない振りで話を続けたのはきっとわざとだ。
「目的と手段が入れ替わり堕ちた騎士、か」
「……最初は善のためにと思っていたんでしょうか」
「さてな。相手の都合を斟酌してやれるような場でもない。想像を巡らせてやる時間もまた」
 どこもかしこも黒く拵えた零の刀が引き抜かれる。透の指が、手の中に隠した苦無の温度を確かめる。サングラスを透かしてなお鋭く輝く零の視線を受け、むつきもまた愛用の栞を取り出した。藤の花を繊細にあしらった大切な一片。
「用意はいいか?」
「はい、いつでも。囮は任せてください」
「頼らせて貰おう。……むつきはあまり無理はするなよ」
「……大丈夫、戦えます」
 透に続けて頷く。深く呼吸した。瞼を伏せて祈り出すむつきの周りに、上空の大気の流れが齎すものとは違う風が興る。ふたつの風が打ち合って、それは少女の周囲にだけ一時の凪を生み出し始める。
「(白鴉さん、力を貸してくださいね)」
 戦う意味。世界の命運。まだ分からない。考えてる余裕なんてない。ただ、いま、二人を護る力をください。
 ――|むつき《術師》が動き出せば睨み合いの時間は終わりだ。互いの出方を図る間、ロード・マグナスの詠唱によって喚び集められていた呪いの炎が一斉に撃ち掛ける。迫る火の壁とも呼んで差し支えないその炎弾の前へ、抜き身の『朔斬』を携えた零は自ら速度を上げて駆け入った。
「(通しはしない)」
 並の剣士が行うならば愚かな行為だったろう。それでも、零が為すならば違う。横薙ぎの一閃に追随し、溢れた黒影が炎の中心を寂夜の黒に染め変える。騙し絵の如く|両断された《・・・・・》隙に飛び入り、旋回するように炎を散らして――視界が晴れた先に待つ敵の胴へ、勢いそのまま振るわれた刃が突き立った。
 完全な切断には至らない。想定内だ。まったく通らないわけではない、と言うことが分かればそれで十分。どこまでも冷静に思考しながら一歩を退こうとする零に、上空より|ディヴァインブレイド《光の刃》が襲い来る。加え、ロード・マグナスが振り上げた大剣がその退路を断たれた零へ落下せんとする――であれば。
「むつき、頼んだ」
 戦場のなか、張り上げるわけでもない声が届くかどうかは重要ではない。信じて戦う者がいるのだと、この背が伝えるならそれで良い。
 跳び退るために籠めた力をその場を踏みしめるためのものに変え、零は頭上に構えた刀で大剣を受ける。とんでもない衝撃によって揺らされた身体を|黒影の補助《外付けの力》で支え、刃を滑らせて大剣を地に落とした切っ先は、そのままロード・マグナスの喉元を襲う。
 ――むつきの祈りが白く頭上を霞ませる。ディヴァインブレイドが凍ったように動きを止めたその直下で何ひとつ臆すことなく戦い続ける零の姿を、透は瓦礫の影から見つめている。打って出るのは、零が一度距離を取ったあと。息を潜めてタイミングを測りながら、それでも緊張が常の戦場より落ち着いているのは、広域を掌握する術が味方の手にあるからだ。
「(いつもよりずっと動きやすくて助かります)」
 直接むつきに伝えたいけれど、遊撃を務めるつもりの現在、大声を上げて居所を露わにするわけにもいかない。せめてはらりと舞った|白い鴉羽《護霊の断片》に向けて念じてみたが、届けてくれるだろうか。
 甲冑との融合をいっそう強めてゆく敵の前から――零が退く。なおも構えた刀が切っ先を下げない以上、あれは仕切り直しの撤退ではなくて突撃に助走を乗せるための距離だ。透にだってもうそれぐらいは分かる。即座、障壁の影から投擲した|栞《ナイフ》が繋がりを強固にしてゆく鎧の関節に噛み入ったのを確かめて、透は次の盾の元へ転がり込んだ。繰り返しの栞の投擲で敵の再生を阻害し、拾い上げた小さな瓦礫を跳ね回らせては自分の位置を誤魔化して。
 次第近付いて行くごと実感する、敵の体躯と威容にだって立ち止まったりはしない。仕上げには自ら敵の前に身を晒しさえして、少女は微かに笑った。
「ほら、こっちです。私が邪魔なんでしょう?」
 ――透のたどたどしい挑発に応じて吶喊しようとしたロード・マグナスがガクンと体勢を崩す。崩れ抉れた地面に足を取られたのだ。刹那、隙を逃さず零の鋭い突きが見舞われる。透の姿は再度物陰に隠れ、零が前線へ立ち戻る。あまりにも目まぐるしい展開に忘れそうになる呼吸を意識して進めながら、むつきはそれでも叶う限り戦いの一挙手一投足を逃さぬよう戦場を見据え続ける。
「(戦闘勘なんて言うものは易々と培えるものではないですから)」
 ディヴァインブレイドを空に留めることには成功した。むつきが目で探すのではとても見つけようのない透の位置だって、渦中を飛んで回る|護霊《白鴉》のお陰で察することが出来ると知る。こうやって、ひとつずつ。
 むつきのすべきは戦場の環境を優位に保ち続けることだ。あわよくば白鴉にはふたりと連携して攻撃に転じて貰いたいけれど――未だ、明確にその指示を出せていないのは、恐怖とは異なる違和感にずっと|ぞわぞわ《・・・・》としているからだ。初めての戦いに落ち着かないだけ? ううん、それとは違う、もっとなにか嫌な感じの――
 はっと、息を呑む。盤面すべてを見渡す位置にいるからこその直感。気付いた自分だけで何が出来るかって、考えるより先に叫んでいた。
「時月さん、一文字さん! 気を付けて、|潜んでます《・・・・・》!」
 ――地面が|捲られる《・・・・》。零の足元から、針山のように噴き出したディヴァインブレイドがその身体を貫き通す。むつきの声に応じて咄嗟に急所を庇えたのが僥倖だ。間も置かず、零の元まで舞い降りた白鴉がその翼で傷痕を撫でて塞いでくれる。
「十分だ。透の元へ」
 短く声を掛けたとて白鴉は零の傍を離れない。怪訝に眉を顰めて背後のむつきを見れば、いかにも心配で駆け出しそうな顔をした彼女は控えめな指先で零へ一点を示した。ロード・マグナスの視界には映らないよう瓦礫の影に身を潜めた透が、私は平気だと言わんばかりに無言のままの視線で語り、零へ攻撃を促しているのだから――まったく、無茶をし過ぎだ。
「(迅速に済ませるに限るな)」
 動ける程度に傷は癒えた。もう二度と彼女らに攻撃は通させない。再度敵と斬り結びながら、零は踵を細かに地へと打ち鳴らす。ノックに目覚めて欠伸するかのように、足元で|歪んだ《・・・》影は狼の形を成して大口を開けた。
 敵にとっては残念ながらそれは長閑な欠伸などではない。鎧さえ突き通す、獣の|噛みつき《捕食》だ。
 不意打ちの牙が騎士の足を縫い留める。狙う踏み込みを果たせず大剣が宙を泳ぐ。開いた懐へ低く踏み入った零が『朔斬』を逆手に持ち替える。
「生憎、お前に渡せる物は此処には無い。――其の剣も折らせてもらう」
 大剣と癒合する籠手へ、銀の刃が突き通る。
 ――大丈夫。怪我はほんのちょっと。一番ひどかったのは時月さん。私は掠ったようなもの。
 魔法の刃の齎した痛みを追い出すため、透は己に言い聞かせる。落ち着くまで座って待っているような時間はなかった。零が何より危険な場所で戦ってくれているのに、足手纏いになんてなりたくない。
 やることは先ほどまでと同じだ。零が戦い易い状況を作ること。足を傷付けられてしまったから、さっきみたいに駆け回って惑わすことは難しい。けど、問題ない。この身ひとつうまく動かなくたって、透には取れる手も、頼もしい相棒もいるのだから。
 ふらりと傾ぐように、瓦礫の影から立ち上がる。なんの小細工もなく場に顕れた透へ、零と向き合うロード・マグナスが意識を散らす。
「シロ。行って」
 呼び掛けと共に、足元から飛び出したのは白犬の死霊だ。嗾けられた|白露《シロ》が体当てで敵の姿勢を崩すのに乗せて、重なる白い影はむつきの|白鴉《護霊》。零の前から敵を逃がさぬよう、息の合った布陣で立ち回り続ける。
 一度白鴉が回復を優先したことで、空に縫い留められていたディヴァインブレイドは自由を取り戻していた。だからこそ、透が此処に立つ必要がある。投擲の牽制をひたすらに続ける厄介者を放置したくはないだろう。
 光の刃が襲い来るなり、透の姿はそこから立ち消える。インビジブルに譲って貰った場所は、煽り立てるように見晴らしの良い瓦礫の上だ。
「(おふたりみたいに護るのは難しいけど……囮ならいくらでも)」
 ついておいで。
 ――心配だ。当然だ。今わかった。自分が怪我をするのより、目の前で誰かが怪我をする方がよっぽど怖い。なにものも傷付けないまま護り通す強大な力はむつきにはない。だけど、それでも、だから此処で踏ん張らなきゃ。
 指先で真っ直ぐに騎士を示す。今も零を援護する形で戦い続ける白鴉の位置なら簡単だろう。実体を融かした白鴉が大きく翼を広げるなり、ロード・マグナスの身体へ重なり――鎧のあちこちが錆び付いたかの如く、その動きが軋み出す。
「諦めませんよ。生きて三人で帰るのが、私の求める理想なもので」

トゥルエノ・トニトルス
緇・カナト

 城砦の最上階へ。近付くごとにトゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)の足取りは空の高みへ届けと速度を増し、背に乗る緇・カナト(hellhound・h02325)へまでその浮き立つ内心を伝えて来た。
 嵐と形容して問題ないほど吹き荒れる暴風に肌を叩かれながら、不思議と寒さに辟易する気持ちが強く湧かないのはそのせいだろうか。単純にやっと気兼ねなく暴れられるって安堵しているだけかもしれない。自身の感情さえ掴みかねるまま、カナトは携えた手斧を軽く宙に振り下ろした。
「祭壇の防衛は任せられるし、敵方を待ち構えるカタチに出来るなんて。戦場としては上々だよねェ」
「上等の中でもさらに上よな。この晴れやかさと来たら、まさしく神域と呼ぶに相応しいではないか」
「ホントかどうか分からない話だろ?」
「伝承の真偽と、ヒトがなにをどう信じ讃えるかはまったくの別であろうよ。我がものとしたがる者が現れるのも道理の良き景色ではあるが――狼藉を許す訳にもいかない」
 今は子どものなりに戻って何でもない風にカナトの傍に立つトゥルエノもまた、ヒトによって神に連なるものと名を受けた生き物だ。雷獣、角端。かつてこの|世界《√》の空を統べた|竜《支配者》に思うところあるのかどうか、残念ながら、カナトが見下ろす幼い顔立ちには前向きな笑みばかりが浮かんでいて測り切れなかった。
「防衛は冒険者たちに任せられるようであるし」
 勇猛果敢をはき違えず、神器の前から一歩も動くまいと布陣する冒険者たちを眇めた目で見送って、トゥルエノが宙に掌を翳す。そこに微か泳いだ電光がやる気の証明だ。わざとらしく言葉を区切って此方を見上げて来るトゥルエノに対し、口端を吊り上げたカナトが続きを引き継いでやったのは、やっぱりなんだか気分が良かったからだ。
「思う存分に倒そうか、あの堕落騎士とやら」
 共に。迎え討つ。

「聖剣なんて渡さないよぅ」
 其の焔はすべてを焼き尽くす。
 口遊むカナトを取り巻いて蒼焔が燃え盛る。手斧の図体を何倍もに大きく見せかけるようなその業を、ロード・マグナスの曇った目はほんの一時でも求める神器の一端かと疑ったようだった。
 鎧越しの冷えた声が詠唱を紡ぎ出す。対峙する者に倣うが如く、その呪いの火は大剣より立ち昇った。カナトの蒼と、淀んだ黒い焔。戦舞台を埋め尽くさんばかりに拡がり続ける熱が彼我の中間でぶつかり合った瞬間、カナトは地を蹴った。
 蹴った身体を風が押す。自力での跳躍では到底届かない距離を、到底届かない速度で跳び入る勢いそのまま、渾身の力で振り下ろした手斧はロード・マグナスの甲冑を正面から激しく叩いた。
 流石に――硬い。簡単に砕き割れるわけではない。そしてまた、此処までの接敵を許しておいて、敵には一切怯むところがない。幾度の戦場を越えて来た鎧が破れるはずがないと信じているのだろう。そればっかりは|騎士道《正々堂々》って感じだ。ビリビリと痺れる掌を感じて獰猛な笑みを深めながら、カナトはさらに攻め手に体重を乗せ、その刃を軋ませた。
「呪いの炎と対決させたら、どっちが強いか気になるじゃない?」
 挑発に乗ってくれるとは思っていない。これは背後に控えるトゥルエノへの問い掛けだ。気になるじゃないか、じゃあ仕方ないってお前も思うよな。だから、良いよな。こう言うやり方で。詠唱させないに越した事はないわけだし。
 まともな頭蓋なら叩き潰されて然るべき勢いで、再度手斧が振り下ろされる。ガツン、と金属同士が打ち合う音と共にうねり噴き上がった蒼焔が、ロード・マグナスの喚んだ炎さえ飲み込み暴れ狂う。
 ――カナトの身体など軽く両断出来そうな剣を携えた敵を相手にしてなお、主は至近での打ち合いから退く気はないようで困ったものだ。トゥルエノにとって今の『困りもの』が向き合う堕落騎士の方であるから、比してマシに見える、と言うだけで。
「空を割って現れるとは仰々しいなぁ。まるでイカズチのようだ」
 当然、褒めてはいない。見上げる先の青空は確かに見事だが、これは屋根を破壊されずとも堪能叶ったはずのものだ。神器に託けて悠久の時を愛で、空飛ぶ術を持たぬあるじにトゥルエノの棲む景色を見せる、僅かな時ぐらい与えてくれても良かったろうに。
「聖剣を欲するのであれば――我ら能力者たちを乗り越えて見せ給えよ」
 闇夜を引き裂く万雷の閃光よ、と、少年の薄い唇が囁いた。
 掌の上で爆ぜ続けていた稲妻がバチンとひときわ大きな音を立てる。一度始まればあとは止まらない。バチ、バチ、繰り返しの閃電はふたつの炎の眩さに負けぬほど数を増やし、ロード・マグナスへと撃ち注ぐ。
 騎士の身体が傾ぐ。鎧甲冑の内側へ蒼炎が入り込み、外からは感電が襲うのだ。並の生物であれば耐えようもない災害のなか、けれど|ヒト以外《怪物》と化したかつての勇者は立っている。未だ術を破ることなく呪いの火を生み続け、トゥルエノへと嗾ける。
「(その意気や良し、ではあるが)」
 所詮本来の生業は剣士であろうに、世を構成する|精霊《ものごと》の扱いでトゥルエノに敵うものか。トゥルエノの力そのもの、在り方そのものの証である|雷の精《ミョルニル》が、その悉くを引き裂いてゆく。
 ――蒼い焔原を突き通り、カナトを時に打ち据えていた呪いの火もイカヅチによって多くが散り消える。なお執念深く飛来する炎には影業を盾とし、大剣の攻撃がトゥルエノの|針の眼《レイン砲台》によって腹を叩かれてよろめいた隙に身を躱し、カナトは確実に敵の体力を削いでゆく。
「此の空からは万雷も降り注ぐからなぁ。自然をあまり怒らせない方が良いと思うヨ」
「なんだ、主もついに自然愛護の精神に目覚めたか? ――神の鉄槌とはよく言ったもの、此の憤りはアイソラの民達のモノでもあるよ」
 切り上げの手斧が、ロード・マグナスの頭部を痛打する。眩む脳をさらに揺らすが如く、破裂する雷の閃光が戦場をましろに染める。

アンジュ・ペティーユ
ツェイ・ユン・ルシャーガ

「さあ、いよいよ敵とのご対面だ」
「美しくも奇妙な眺めを楽しむ間もなし、風情を解さぬ奴よのう」
 隣に立つアンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)とやり取りしながら、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は彼女の声の底に疼く急き立つ響きに気付いている。天より堕ちた騎士を前に一切の怯えなく、どころか口元に明るい笑みすら浮かべてみせるアンジュひとりだけ、この場において神器を奪い合う緊張感からまったく解き放たれているかのように見えた。
 √能力者らの攻勢によって、ロード・マグナスの頑強な身体には確実にダメージが蓄積している。今もそう、繰り返し修繕されて来た鎧は明確に回復の速度を落としていた。それでも宙に展開したディヴァインブレイドと火の魔術の|詠唱《構え》で全方位に隙なく睨みを効かせ、一切退く意思を見せぬのだから、なんとも――|ああ《・・》なってなお、騎士と言うのは難儀な生き物だ。
「魔法仕掛けの鎧と刃に剣と器用なものだ。動きだけ止めても埒があかぬか、さて」
「何もさせなければ良いだけでしょ? 今がチャンス。大丈夫、あたしの魔法でどーんっと倒しちゃうよ!」
「はは、それは何と頼もしい。では我も――この機を活かし、お主に肖るとするか」
 掌を宙に翳した。その指の隙からロード・マグナスを透徹と見通し、うねる焔へ白群の霞を注ぐ。呪いの火が一段と広がる速度を増す。
 敵が天上の舞台を炎で満たしたがると言うのなら、ツェイはそこに薪をくべよう。世の理なる木生火。呪いの炎が燃えて盛り、すべてを灰と均す原始の恐れに届くまで。敵も味方も見境なく、操り手たる騎士までをも燃やし尽くす、永劫の火と育つまで。
 そのように|騙る《・・》。己の制御を離れたかに見える炎術に騎士が躊躇い詠唱を途絶えさせた瞬間、ツェイは螺旋の炎で戦場を染め上げる。敵の魔術へ与したかに見せた白群は再びツェイの指揮下に舞い戻り、攻防兼ねた炎渦の結界となってロード・マグナスと祭壇の間を硬く阻んだ。
 如何な剛腕であろうとも、形なき壁をそう容易く破りは出来ぬだろう。|ディヴァインブレイド《魔術の刃》が殺到する。騎士本人が大剣を手に駆け出して切り開く一撃を加えようとするその前に立ち塞がり、ツェイは柔らかく笑んでみせた。
「おいで、暫しの戯れじゃ」
 広げる両腕に武器はない。邪魔だてばかり巧みな術士がこうも隙ばかりに下手な挑発をしてくるとあらば、神器に向かうべく猛進する敵にとっては絶好の的だ。幅広の剣が、まさしくツェイの首を一刀に刎ねてみせようと凶悪な力で振るわれる。あくまで冷静に、ついと身を屈めて最小限の動きで逃げに転じ、空を掻いた剣先が結界に触れた瞬間――白群の炎は、大剣を伝って騎士の身を焼き貫いた。
 ――ここに来るまで、色んな出会いがあった。戦場を包んだ炎渦の熱さを感じながら、アンジュはゆっくりと瞼を閉じる。今もそう、ツェイが成した結界は、嵐のように荒れ狂いながらも決してアンジュの肌を焼こうとはしない。竜の幻想国を護るため、共に戦うひとがまた一人。
 |商隊《キャラバン》の怪我人たち。彼らを鼓舞し、生きてくれと祈るアイソラの住人。共に城を駆け、そうして今は祭壇の前に立ちはだかり、武器を握り続ける冒険者。ひとりずつ、思い出せる限りの顔と声を思い浮かべたなら、そこに宿すイメージはやはり炎だ。伏せた瞼の裏の暗闇にすら忍び入って輝く白群は涼やかで美しく、青空に熔けてゆくみたいでとってもきれいだけど――あたしが空想するのは、どこまでも真っ赤な太陽の火だ。
 目を開いた。アンジュの掌中には、既に空想の|欠片《宝石》がきらきらと煌いていた。宙に放ったそれがぱきんと爆ぜて粉々になった末、アンジュの前に炎弾となって凝ってゆく。
「キミには渡さないよ。なんたって、あれはとっても大切なモノなんだから」
 ロード・マグナスの身体を取り巻くように纏わりついていた呪いの火が、アンジュの声を聞いて噴き上がる。ツェイの一手によって多くの力を削がれてなお、それは獣を思わせるほどの禍々しい形を取った。
「(大きな炎だけど、あたしの炎も負けていないよ……!)」
 ふたつの魔術が激突する。はじめには拮抗した二色が、次第赤く染め変わってゆく。
 ――成程我の|誤魔化し《・・・・》に比べてなんと美しいことか、と。瞳を細く弓引いたツェイは、|魔女《アンジュ》の齎した景色を見上げながら袖裾をついと手の甲まで引き下げた。
「(……折角転びはせなんだというに。つくづく、楽な帰り道を作っておいて良かったのう)」
 飲み込まれながらも怒りと共に爆ぜる呪いの火を、未だ結界を貫き叩こうとするディヴァインブレイドの切っ先を、抑え込む都度に反動の咒詛がツェイを苛んでいること。指先が爛れ腐るように色を変え、感覚を失い始めていること。運任せの我慢比べと悟られてよいことなどひとつもないのだから。
「その手にある得物では足りぬと申すか、貪欲じゃの。短気と欲張りは身を滅ぼすぞ、騎士よ」
 だから、未だ飄々とそんな口を叩いてみせる。完全に力を失って足元に転がったディヴァインブレイドを喚んだ風で浮き上がらせて、敵を煽り立てるよう、その刃を自らのものとしてみせる。
 ――ツェイがひた隠しにする己の身体のことに、アンジュが明確に気付いたわけではない。ただ、いつか√EDENの空で戦地を駆けた時に遠く眺めた白群の風のなか、彼の手には槍があったはずだから。それを使えない理由があるのだろう、と。それなら。
 翻弄する炎でツェイが決め手を打つ時を稼ごうと、思っていた頭を切り替える。敵に肉薄するまで駆け入ったアンジュは、その手に握ったメスを関節へと刺し入れた。金属とて切り裂く空想を帯びた小さな刃。当然、大剣を得物とするロード・マグナスを相手にするにはあまりにも頼りないけれど。
「お主、術士であろうに」
「ふふ、ほら、空に一番近い場所でこうして戦えるなんて、とってもロマンチックだね! やる気も出るってもんだよ」
 驚きに零したツェイへ、アンジュは絶えぬ笑みを送る。代わりにキミへ、あたしの|空想《炎》を預けさせてね。

西織・初
斯波・紫遠
ラネンカナ・リシトルタ

「まあ、盗ったものは返してもらうし、聖剣……それを渡せる筈も無い、ってね」
 ラネンカナ・リシトルタ(シースフェンサー・h08491)の声など聞くつもりもないだろう。幾度も√能力者らの防衛によって接近を阻まれながら、ロード・マグナスは一時撤退の策など欠片も思い浮かばぬのだろう頑迷さで祭壇ばかりを見つめているのだから、簡単に分かる。
 ならばラネンカナとて多くを語るつもりはない。少女の白い細身にはとても似付かわしいとは思えない数々の武装へ順繰りに触れて所在を確かめながら、ちらと隣に立つ斯波・紫遠(くゆる・h03007)へ視線を向けてみたのは、何かあなたに言いたいことがあるならどうぞ今のうちにって、そう言う意図。気遣いも生憎、紫遠から返って来たのは軽く肩を竦めてみせる仕草だったけれど。
「噂の闇落ち騎士様のご到着か。聖剣、キミの物って証拠ないでしょ? 我こそが正当なりって――悪い人はみんなそう言うんだよ」
「竜漿武器を奪い、城砦を破壊したお前にこの神器は相応しくない。絶対に渡すものか」
 紫遠の断定に、セイレーンの翼にて滞空を続ける西織・初(戦場に響く歌声・h00515)もまた続ける。三人それぞれ、此処まで辿って来た道は違えど思うことは同じだ。目の前の相手は既に会話の出来る者ではない。かつて勇者と呼ばれた彼がこうまで堕ちた理由を紐解くのは今でなくて良い。
 此処に構えた三人全員合意の上。|始める《・・・》にあたって気兼ねはない。知人に挨拶するかのような気軽さで片手を挙げたラネンカナの所作を合図に、ホルダーから鋭利な四つの輝きが宙へ踊る。あちらが飛び道具を持ち出すならば、こっちだって同じだけの装備がないと公平じゃない。遥か天より吹き荒れる暴風の隙を器用に縫って、|精神感応式飛翔剣《ファミリアセントリー》たちはその切っ先をひたと騎士へと据えた。
「そう言うわけでね。仕掛けたそちらのお望み通り、交渉の余地も無しってことで」
「――奪いたいなら俺たちを倒してからにするんだな」
 どこまでも淡々と、語る初のギターが叫ぶ。どんな言葉より明瞭に激突の開始を告げる。

 嵐の中に銀が閃く。地に降り注ごうとする|ディヴァインブレイド《光の剣》を弾く都度、ラネンカナの思念を汲んで踊る刃はうつくしいほどに輝いた。こうして相殺出来るなら敵までの道に障害はない。刀は未だ鞘に納めたまま、正対するロード・マグナスへといっさんに駆けるラネンカナの足が|くらり《・・・》と浮き上がる。
「(儲け物だ)」
 自ら地を蹴る軽やかさでその引力に身を任せ、ラネンカナは敵の元へと一直線に|飛んで《・・・》ゆく。上段に掲げられた大剣はこの頭蓋を叩き割ろうと待ち構えているのだろうが、残念、そこまで大人しくしてやるつもりもないもので。
 重量に任せて落とされた剣へ、翳すのは納刀したままの得物だ。ラネンカナがこの身に纏うすべてが武器。鞘そのものだって例外じゃない。竜漿を帯びた其れは欠けることなく大剣を弾き飛ばし、すぐさま攻手の|手番《カード》をラネンカナへ与えた。上振れて開いた懐へ、即座居合に抜いた刃が閃く。純然たる金属を両断しろと言われれば容易ではないが――融け合い始めた鎧と肉体の境を、狙い澄まして切断するなら十分適う。
「下手な小細工するからだよ」
 そうでもしなければ保たないほど、味方の攻勢が続いて来ている。分かった上で、微か口元を曲げながら囁くのは明確に挑発だ。
 ――前線をラネンカナが担ってくれるなら、紫遠は戦場を広く見通せる。聖剣を背後に庇うように位置取りながら、アシスタントAI『Iris』の制御する|微かな煙《レイン砲台》を盤面に広げた。不安はない。共に戦う√能力者らの実力も、アイソラの冒険者たちの頼もしさも知っている。
「ただで通すなんて思ってはないでしょ?」
 だから、まるで遊びに混ざるかのような気安さで、一足に騎士との距離を詰めた。
 揶揄うような接近と共に、紫遠の周囲へ羅紗が立ち上る。騎士の眼前を覆ったその下をラネンカナが身軽に潜り抜ける姿に小さく賛辞を送り、刀と鎧の打ち合う衝撃音に弾かれるよう後ろへ跳ぶ。打ち払われたら再度横合いを抜け、次は細く絞った其れで首に縄を掛けるが如く動きを縛る。繰り返しのヒット・アンド・アウェイ。邪魔立てをするなとばかり乱暴に羅紗を打ち払うロード・マグナスは、接触の都度紫遠が鎧の隙に取り付けてゆく|ハッキング補助機《小型爆弾》たちに気付いていない。
「(鎧と一体化ってことは鎧に入ったダメージは通るってことじゃないのかな?)」
 狙うところはラネンカナと同じだ。だから、息を合わせるにも多く語る必要がない。致命を目論む首筋への設置となれば目晦ましの体当てを喰らわせ、投げナイフで意識を逸らしてくれる彼女は、賢く善きパートナーだった。
 ――高く戦場を見下ろすのであれば、初にもまたその連携の様子は手に取れる。ラネンカナと紫遠、それぞれが位置取りをスイッチするリズムも次第に掴めて来る。歴戦の勇者とあれば、いずれロード・マグナスにも察しの付く可能性がある無意識の癖だ。
「(万全を期すとしよう)」
 ギターの音が一際大きく音色を変える。此れまでにはディヴァインブレイドを留めるために一役買っていた音圧がロード・マグナスへ叩き付ける。ビリビリと震えるような衝撃波は|西洋甲冑《プレートメイル》に包まれた肉体そのものを揺らしつけ――地に立っているうちには手出し出来ない空中からの攻撃は、何より神経を逆撫でするものだろう。
 騎士が短く唱えた詠唱が呪いの炎を呼び覚ます。初に向かって撃ち掛けるそれへ、抗するのは虚空から泡のように滲み出た水の弾丸。炎球ひとつへその何倍もの数で殺到し、貫いた先で騎士の身体へ叩き付ける。鎧そのものを貫けずとも、体勢を崩させることさえ出来ればふたりが攻め込むには大いに役立つはずだ。
 ――何ともやりやすいこと。ラネンカナの浮かべる微笑みは、最早挑発だけのためのものではない。天のディヴァインブレイドを初の|涙雨《エレメント・レイン》が完全に処理してくれることに気付いてからは、操る飛翔剣もロード・マグナスへの攻撃へ回し始めていた。剥き身の刀、自在に空飛ぶ刃、ほとんど二刀目と呼んで遜色ない威力を果たす|鞘型武装《竜漿兵器》の連携は、見る間に敵へ攻め込んでゆく。ダメージを構わず振り抜かれる大剣は刀で受け、或いはエネルギーバリアで強引に間合いを詰めることで直撃を避ければ良い。
 戦闘狂ってつもりはないけれど、空の上で騎士との果し合いとなれば多少なりとアガるところはある。一手間違えればすぐさま致命の一撃を喰らいかねない位置で踊り続けるラネンカナに、ふと声を掛けたのは女性の合成音声だ。
『そちらの方、退がってください』
「ああ――うん、よろしく」
 仕込みが終わったってことだろう。レイン砲台にて戦場を観測していた|四人目《『Iris』》の声。ふ、と切っ先を下げて飛び退るラネンカナに代わって、騎士の眼前へ飛び入ったのは紫遠だ。
 ――牽制程度の用途でしかなかった羅紗が大きく広がる。ロード・マグナスを頭から包み込むよう鉄壁に絞り切れば、チカチカと輝き出す|小型爆弾《Ayame》のことは見えずとも彼とて不吉な予感を感じたろう。ラネンカナを引き寄せたのと同じ力が、退こうとする紫遠の足を縫い留める。
「(死なば諸共って? まぁそうなるか)」
 でも残念。短く呟いて、紫遠は騎士の鎧へ右掌でトンと触れた。突き飛ばす、と言うには弱すぎる力は、けれど敵の持つ|神秘《魔術》の業を否定する。
「キミ一人で存分に堪能して欲しい」
 一歩、二歩、退がる紫遠の笑顔などロード・マグナスには見えなかっただろう。多層に重なる爆発が、鎧のあちこちへ罅を入れる。
 ――爆炎を身に浴び、鎧が瓦解し始めてなお、その脚は重たく祭壇へ向かおうとするのだから。何がそこまでの執念を彼に齎すのか、初とて気にならないわけではなかったけれど。
「それに触れたいなら、俺たちを倒してからにしろと言っただろう」
 初の声音と共に、戦場に散った瓦礫が浮き上がる。鋭利に研いだ刃先がなくとも重さはそのまま脅威となる。特に、幾ら頑強に作られたと言えど、既に綻び掛けた身体には。
 ロード・マグナスの身体に破片が打ち付ける。目的は鎧を打ち砕くことではない。|自ら《護り手》の健在を示すようにオーラを纏った初は、ゆっくりと翼をはためかせて彼の前へと降り立った。
「簡単にはやられるつもりはないから覚悟しておけ」
 ギターの音は鳴り止まない。水の弾丸が浮き上がる。真正面から、散弾の如くロード・マグナスへ襲い掛かる。

千桜・コノハ

「(空の上を飛ぶんじゃなくて歩くことができるなんてね。此処は本当に新鮮で面白い場所だ)」
 かつて|この世界《√ドラゴンファンタジー》の天上に栄えた文明を異邦に暮らす千桜・コノハ(宵桜・h00358)が詳らかに知るわけではないが――|太陽と月《神竜》に何より近くと、此処を神殿に選んだアイソラの住人たちの姿は幾らか見て来たつもりだ。多少なり無礼なところに目を瞑れば、コノハが助けてやるに足る、と判じてやったって良いぐらいには。
 だからこそ、度重なる攻撃によって砕け落ち始めた鎧をなおも往生際悪く再生してこの青い|舞台《ホール》へ立ち続ける、黒騎士ばかりが景色の瑕だ。
「邪魔者には早く消えてもらいたいんだよね~。まだまだ面白い場所ありそうだったのにさ。君のせいでゆっくり探索できる時間なかったし。ていうか壊すしか脳がないのかな? 無闇矢鱈に力を誇示してさ」
 口端を持ち上げるように嘲笑うコノハの声は響きばかり蕩けるような色をして、そのくせ明確に相手を煽り立てる。それもやがて、一度肩を竦めると共に途絶えた。幾ら何を言ったところで、ロード・マグナスはコノハが背にした祭壇へ辿り着く隙を測ってチラとも揺らぐ様子がないのだから、いっそつまらないぐらい。
「自分の本分ももう思い出せないんだろうね。かわいそ~」
 護るための剣のはずだ。続く者を鼓舞し、戦場に我ぞ在りと示すための鎧のはずだ。
 引き連れて来た部下を助けることもなく、後先も考えず最も防衛堅固な場へ単身飛び入って。手に入れた|神器《聖剣》で祓うべき敵も分からず、永劫彷徨い続ける彼の後にも先にも救いの光はない。
 評価出来るところと言えば、コノハを無力な子どもと侮る態度を見せないところぐらい。見せつけるように抜いた大太刀『墨染』に応じて構えられた大剣と、一斉にコノハを狙う|ディヴァインブレイド《白光の刃》の切っ先へ笑みを深め、少年は飛ぶように地を蹴った。これ以上騎士様が醜態を晒さないように、――さっさと引導を渡してあげるべきだよね。
 ロード・マグナスの大剣はその膂力を以てコノハの身体を打ち砕こうと高くから振り翳され、『墨染』は小柄なコノハが翔ける勢いと速度をそのまま受け止めるかのよう地を掻いて振り上げられた。つくりの違う巨大な刃がふたつ重なる。火花散るほど刃鳴るを認めた瞬間、不利な押し合いに持ち込まれるより早く引いたコノハの頭上、ディヴァインブレイドはそのかたちを変えてゆく。
「おーい、それは僕の刀なんだけど? 君、目の付け所は悪くないけど、あまりに見境がなさ過ぎるよ」
 呆れの声を掛けたって聞き入れられるわけもない。半ばは感心の気持ちすらあった。魔術の刃は端から薄墨を吸ったかのように色を変え、和刀の反りを帯びてゆく。いまコノハの手の内にある大太刀を模した無尽の|竜漿兵器《ブラッドウェポン》が、次々に地へと降り注ぐ。
 軽やかに身を躱し、時に|『墨染』《ホンモノ》で撃ち落としながら、コノハは刃の雨の中を静かに歩み寄って来るロード・マグナスのことだってちゃんと気付いている。捌き切るのに必死だって風に見えるよう手数を抑えながら、相手に皮肉を投げ掛けるなら強がりだって聞こえるはずだ。
「『墨染』は聖剣とは程遠いし――ていうか聖剣を欲するにしてもさ、よくもそんな呪われた身の上で手に入れようと思ったよね。本当の意味で身の程知らずだよ」
 魂喰らう妖刀の模倣が、|元のあるじ《コノハ》の肌へ細く傷を入れる。一撃と共に崩れ落ちては割れて消えるディヴァインブレイドの吸った血は、黒い渦と変わってロード・マグナスの剣へ凝った。
「この身堕ち果てようとも、遍く世界の安寧のために」
 応える声と共に、コノハの身体へ騎士鎧の巨大な影が差し掛かる。間合いに辿り着いた敵の振り抜いた大剣を受けた『墨染』が軋む。互いを喰らい合おうと棚引く墨色の余波を受けて指先が急速に冷えてゆくのを感じながら、少年は懸命に競り合い続ける。
「(いい太刀筋してるじゃん)」
 このままであれば押し切られる。矮躯が地に沈もうとするのを踏ん張って絶えながらなお笑う。真に彼が勇者と呼ばれた頃であれば、或いは本当に神授された武器を操る資格もあったのかもしれないと、過ぎた日を惜しむ。
 正々堂々、剣士同士の果し合いであるならば結果がどうなったのかは分からない。けれど、既に相手は|禁じ手《飛び道具》を使って来ている。なら、コノハだって得物を刀だけに拘ってやるつもりはない。
 覚悟を決めるが如く、コノハが深く呼吸する。これが最後と渾身の力を籠める用意にでも見えたことだろう――ロード・マグナスの剣が応じて重さを増した瞬間、ぱっと視線を上げたコノハはその口から|迦楼羅炎《浄化の火》を吐いた。鎧に包まれた真の肉体までもがその熱さに晒される前にと、騎士が咄嗟に退いたとてその桜色は付き纏う。
「ははっ、案外冷静だね。益々哀れだ」
 大剣の重圧から解放されて軽くなった身体を払いながら、コノハはふいと自らの指先にも炎を吹きかける。悪しき者にとっては熱く苦しい清めの篝火とて、コノハからすれば愛おしく温かな光でしかない。血の気を取り戻した相手を前に、ロード・マグナスは魔術の詠唱へと素早く行動を切り替えた。
「(へぇ、この|僕《迦楼羅》に炎で挑んでこようとはね)」
 牽制を熟しながら回復の時間を確保したいのだろうが、そうはさせない。攻め時を逃す手はない。遊びに誘うような気配さえ纏って、コノハは敵へ追い縋る。堕落騎士の生んだ呪いの火を見切って躱すのはいっそ呆気ないほどに簡単だ。手本を見せるかのように炎を身に纏ったコノハは、まさしく神速に届く一刀を振るった。
 ロード・マグナスの大剣がコノハの剣を受ける。としても、半ば詠唱に気を取られた半端な太刀筋がコノハに通用するものか。ほとんど我武者羅に繰り返し叩き付けられた斬撃を弾き、捌いた末、――『墨染』の切っ先はついにその鎧を貫いた。
「魂ごと浄化すればその身も聖剣に見合うようになるんじゃない? 試してみようよ」
 刀身が桜色の炎に燃える。騎士の汚れた魂を灰と成し、自らの糧とするべく墨色に咲く。

咲樂・祝光
エオストレ・イースター

「お空のてっぺん!」
 到着の一歩を跳び入って、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)はそのままくるんと一度ターンした。背後の警戒を務めていた咲樂・祝光(曙光・h07945)へ、祭壇に掲げられたものを示すように腕を広げて目を輝かせる。
「あれが竜の神器? 太陽と月みたい! すごい! ね、祝光――この子達が皆を見守ってたんだ」
「ああ、美しいな。物がありのままに長く時を経るには……多くの人の努力が要る」
 祭壇を囲む冒険者達を眺めた祝光の瞳にまたたく星と同じ、|太陽《朝》と|月《夜》とを示す対の神器。太陽の竜の牙を削った宝剣と、月の竜の涙で磨かれた聖鏡。勇者を前に光り輝くでも、神託の声を発するでもない、ただ静かに佇むだけの古びた遺産を守る意志と力が、眩いほどに輝いて祝光の心へ|尊《つよ》く射す。
「彼等が居るからこそ『神器』はそうあれるのだろう。頼もしいな」
「ねー。やっぱり格好良い! 神器の先輩? 後輩かもしれないけど、喰桜も挨拶しよう。僕たちも頑張るねって」
「……そうだね。俺の代わりに、君たちの加護に恥じない戦いをすると伝えてくれ」
 まったく何の気負うところもなく朱砂の太刀を祭壇の前へと掲げたエオストレに、今回ばかりは祝光も強いて横槍を入れたりはしなかった。彼の手の中にある|神刀『喰桜』《竜の牙》がこの地を守護する神器に共鳴すると言うのであれば、それは己には立ち入れない領分だから。
 エオストレへ道を空けるよう、ほんの少しだけ身体を退いた。まるで不思議そうに首を傾げるエオストレへ真剣にやれと律する無言の視線を送り、祝光は黙して幼馴染の傍に控える。彼と、その掌中の刀の傍に。
「祝光、何で一緒にお祈りしなかったの?」
「君ひとりで十分だからだ。――それに、俺たちが前線に任せるに足る者だと彼らにも思って貰う必要がある。別に戦闘指南とか偉そうなこと言う訳じゃないけど、無様は晒せないだろう」
 こうして事前に土地の利を取れることになったのだから、仕込みは十全に為すべきだ。祝光の指先を離れた桜護龍符が青空を映す空間へひらひらと舞い飛んでゆく。風もないなか揺らぎ踊って、冒険者たちを鼓舞するように桜色の影を落とす。
 祭壇を守る彼らに希望をみせよう。誓うように瞼を伏せる。この手に神の証たる武器がなくとも、龍の血を継ぐ自分こそが。
「(――なんかさっきからずーっと祝光が変!)」
 まあ祝光が急になにか思い悩んでぐるぐるし始めるのはいつものことなんだけど。敵っていつ来るのかなーやっぱりでっかい剣とか持ってるんだろうなー騎士の鎧ってあれすっごく重そうだよね、と待ち惚けたエオストレが幾ら雑談を持ち掛けても深刻そうに返事をするだけで会話は続かないし、兎耳でつつけるぐらい近くまでずいと寄って不機嫌な顔を作ってみてもぜんぜん構ってくれないし。
 鬱陶しいって顔されるならいっそ良い。無反応がいちばん嫌だ。ねえ祝光、と呼び掛けた。なんだ、と返事があったけどそれきりで、用事がないなら黙ってろって雰囲気。いざそんな応答ばかり続いてしまうと、いつだって祝光に話したいことばかりのエオストレだって流石に語るべき言葉を見失ってしまって。
「……来たな」
 だから、不意に透明な天蓋が揺れたのはエオストレにとっては安堵を齎すものですらあった。警戒に満ちて身構える祝光の声に応じてエオストレも『喰桜』の柄に手を触れる。
「これだけの番人が待ち構えてる場所に飛び込んで来る度胸だけは褒めてあげるべきだね! さあ、天空イースター開ま」
 轟音。
「ヒェッ」
「……卯桜」
 ――崩れ落ちて来た瓦礫は祝光の敷いた桜護龍符によってふたりの頭上から弾かれる。だから、ピュッとエオストレが祝光の背中に潜り込んだところで大した意味はない。と言うか、祝光の背中にいたとしても、あのサイズの瓦礫があの高さから直撃すれば纏めて潰れて終わりだ。
「今の啖呵は何だったんだ。君、さっきからずっと様子がおかしいぞ。まあ君がおかしいのはいつものことだけど……」
「それ祝光が言う!? 僕は君がなんか悩んでるっぽいからぁ」
 心配して、とか。そう続けるつもりだったんだろうか。続けられたとして祝光には何もピンと来ない。戦いの前だと言うのにぴょこぴょこと兎の真似するみたいに落ち着きなく跳ね回って、何だったんだ?
 生憎、怪訝な目付きの祝光の前、エオストレの泣き言は別のものに差し変わる。飛竜より飛び降りたロード・マグナスと向き合うなり、すっかり胸の前で抱き締められた『喰桜』はカタカタ震えるだけになっていた。
「え……強そ……空、綺麗……」
「空じゃなくて敵を見ろ」
「だってあんなにダークネスイースターなんだよ?! 僕みたいな可愛いうさちゃんが敵う相手じゃなくない!?」
「ダークネスイースターってなんだ。そもそも君は本当の兎じゃないだろう、現実逃避は後にしろ――ほら、構えて。まさか怯えて刀も抜けないか?」
「ここれは武者震い!」
「ふーん。武者震いならよかった。龍の神刀に選ばれたお手並み拝見させてもらおうかな」
「わかってるよぉ!」
 おおよそ半泣きで言われると――ほんの一瞬だけ過ぎった意地悪な喜びが、急速に萎んでゆく。今のは少し意地が悪かったろうか。いつもの応酬のつもりがエオストレの心を真に傷付けてやしないかと、敵を迎えた場だと分かっていながら祝光の視線は幼馴染の表情を伺った。
 ――僕だって、と鼻を啜る。恐怖に浮かんだ涙を払う。他の√能力者らが早々に戦い始めた盤面を見遣りながら、エオストレはぎゅうっと『喰桜』を握り締めた。どうか僕を護ってと縋り祈るのじゃなく、自らの手で振るうために。
「(祝光は何時だって強くてどんな相手にも凛と立ち向かえる。そんな祝光に憧れて――君の背を追いかけて)」
 とり残されるのが怖くて足を引っ張ったりして。ずっと僕と同じ場所で、|昔と同じに《先に進まず》遊んでいて欲しいって。それじゃダメだってわかってる。
 祝光は無意識なんだろう。僕が縋り付くより先、空が軋んだ瞬間から、君は一歩進んで僕を庇おうとしてくれた。僕が倒れたら、君は振り向いて手を差し伸べてくれる。僕が立ち上がるのを待って、他の人から一緒に遅れて、おんなじように進んでくれる。どうしたってそれが嬉しい。ふたり一緒が嬉しいから繰り返して、けど――でも。
 それじゃ、祝光には|いいことなし《・・・・・・》だ。
「僕は神刀の主だ。ここで頼れるところ見せる!」
 鞘から『喰桜』が引き抜かれる。刃と共に朱桜を溢れさせ、穹い世界に春を生む。
 ――傍らに立つからこそ、春桜は祝光の眼前を柔らかに舞った。前を向いた姿に安堵する。同時、俺が君を傷付けたんじゃなくて良かった、なんて身勝手を安堵と呼んだ己に嫌気が差す。
「勿論、頼りにしている。……君は強いんだよ」
 護りの陣に使っていた桜護龍符を手に戻し、祝光はエオストレから目を逸らすように戦況を眺め見た。飛び入るべき時を見定めるのは今はまだ己の役目であるはずだ。天性の勘で以て機を見極めるエオストレのやり方では、踏み外した時にきっと大きな怪我をする。修行の旅にて実戦を積んだ祝光が導いてやらなくては。
「(そうであって欲しいってだけかもしれないけど)」
 胸に過ぎった弱気から目を逸らすため、だから俺は強くなくてはならないと、思う。僕には無理だって蹲るくせ、いざ取り組み出したらエオストレは簡単に祝光を越えてゆく。走り続けなければあっという間に追い抜かれて、きっと祝光の方がついていけなくなる。
 どれだけの無茶が必要だろうと、挫けたくなろうと、祝光は足掻き続けなければならない。
 そうじゃなきゃ、同じ日に生まれた幼馴染としても、隣に並んでいられない。
「俺に神器はなくても、同じだけのことを果たしてみせる」
「何言ってるの? 祝光の護符だって神器でしょ!」
「え?」
「……あっ、もしかして元気なかったのって此処の神器に挨拶しなかったから!? 今からしてくる!? 心広そうだしちょっぱやでも許してくれる気がするけどどう!?」
 焦り出したエオストレの、続く台詞はあまり耳には入って来なかった。ぽかんと呆気に取られた祝光の前、ひらひらと桜ばかりが舞っている。『喰桜』と桜護龍符が其々に齎す春光は最早見分けのつくものではない。
「……そうだね。言祝に怒られる」
 姿見えずとも、同じ時におらずとも。傍らへ寄り添う桜の女神の息吹を感じて、祝光はぎこちなくも微笑んだ。

 神託と言うものは時に残酷だ。|エオストレ《齎すもの》にとってはまったく心当たりのない感覚だけど、一般的にはそう言われているらしい、と知っている。
「残念だけどその竜の剣は君の剣にはならない。奪う奪わないじゃなくて選ばれていないから」
 ただ――相手が一般的じゃない場合に通用するかはまた別だ。神刀を手に前に進み出たエオストレを剣士と認め、ロード・マグナスはその大剣を構えた。重量ある鎧に身を包んでなお淀むところのない動きと、ひたと定まった剣先にその膂力も剣技も知れようものだ。臆してしまいそうな己を奮い立たせ、エオストレは騎士を真っ直ぐに指差した。
「つまり神器の器じゃないってこと! 君に足りないのは、イースター!」
 怖いものなら怖くなくせばいい。強いものなら強くなくせばいい。この天蓋のうちに桜舞い飛ぶ今だけ、ここは|咲樂と誘七の《さくらいざなう》花舞台。すべてがエオストレのために身を差し出す神域だ。
 桜吹雪に背を押されて駆け抜ければ、飛来するディヴァインブレイドはぐんと加速するエオストレの軌跡を縫い留めようと空を掻くのみだ。狙い通りと気をよくして足を止めるつもりはない。強大な相手と分かっているのだから、攻め時を逃さず畳み掛けるべき。
 破魔の桜が『喰桜』の刀身に纏いつく。勇者の名を捨て堕ちた騎士とあらば効果は覿面だろう。振り翳す太刀はエオストレの身丈には余るほど長大だったが、そんなこと関係ない。薙ぎ払いの一撃が振り撒いた桜弁は、その一枚ごとが鋭い刃の代わりとなって敵の周囲に浮かぶ呪いの炎を切断した。
 ――斬り結ぶエオストレとロード・マグナスの間に祝光が割って入ることは出来ない。それを口惜しいと、思わないわけでは決してない。けれど同時に、この手に宿る力は祝光にしか出来ないことがあるのだと教えてくれるから。
「共にいこうか」
 囁き零した声がひときわ澄んで響く。祝光に流れる血か、|この世界《√ドラゴンファンタジー》に元より漂い集う|伝承《竜漿》か、応えた古の竜の力はどちらのものだろう。或いはどちらもが祝光のなかで束ねられ、その龍翼に暴風の中でなお鋭く飛び立つ力を与える。
 空中を駆けて接近する祝光にこそ魔術の炎は降り注ぐ。エオストレに空かされたディヴァインブレイドは、次は地より噴き出る針と変わって祝光を襲う。そのすべて、この|桜護龍符《神器》が迎え撃とう。
 連なる護符が壁を成す。破魔の結界が|ディヴァインブレイド《悪しき刃》を飲み込んで霧散させるなり、即座祝光はその花弁をロード・マグナス当人の頭上へ嗾けた。敵を取り巻く呪いの炎と触れ合ってはバチンと爆ぜる春の陽射しが、騎士鎧を叩いて揺らす。
「完璧! 僕が前にでるよー!」
「油断するなよ卯桜!」
 ――祝光の声は相変わらず厳しいけど、さっきみたいに黙りこくっちゃうよりよっぽど良い。よく出来たなって褒めてくれるかは僕の出来次第! きっと巧く行くはずだってわけもない確信に、エオストレの口元は緩みっぱなしだ。斬り合いの隙を付いて転がしていたイースターエッグが爆ぜた瞬間、その爆風が紫苑の長髪を巻き上げた。
「(だって僕は運が良いから!)」
 『喰桜』で大剣を受けるにはどうしても両手で支える必要があるから、もうひとつ補助が要った。それが|此れ《・・》だ。祝光の攻撃でロード・マグナスが眩むのとまったくタイミングを揃えて、露わになったエオストレの額の魔眼が彼を見据える。
 その四肢に纏いつく|不吉《禍津神》の縛りに、敵だけは気付いたはずだ。斬り結んでは距離を取るエオストレの太刀筋に変わるところはないと言うのに、明確に己が押され始めていることに。跳ね上げた大剣の切っ先が宙を彷徨うのを見計らい、エオストレはぴょんと身軽にその懐へと潜り込んだ。
「他の剣を求めるんじゃなくてさ! ロードマグナス、君は君の持ってる剣を輝かせてみせるべきだった!」
 桜吹雪がエオストレを覆い隠す。その声ばかりが溌剌と戦場に響く。それでも必ずやこの間合いにいるはずだと、ほとんど瞑目すると同じ状態で振り下ろされた勇者の聖剣を――『喰桜』の刃が断ち斬った。
 ――だからって勝利を確信出来るわけではない。ディヴァインブレイドは空に控え、一度折れたとてその大剣は鎧と合一するように再生を続けるのだ。粉々にでも砕いてやらない限り、殺傷力ある武器としての役割は未だ果たすことが出来る。
「(君の剣術の粗は知ってる。俺が死角を補ってやる)」
 体力のなさと、体格の不利。大振りに薙いだ分の勢いに構えを持って行かれたエオストレが向き合い直すまで、間を保たせるのは祝光の役目だ。破邪の桜護龍符はいよいよ間断なく敵を打ち据え、傷の回復を妨げた。
 突拍子もない太刀筋が魅力でもあるが――今のところ、祝光はエオストレの癖を把握し切っているつもりでいる。鋭く突き入れる形で繰り出された『喰桜』に合わせ、春曙の光が眩しく輝く。その術の名を緋爆桜禍。桜護龍符によって齎されたまったき桜炎が、ロード・マグナスの鎧を砕いてゆく。
「いくよ、祝光! 卯桜祝光は、二人揃えば無敵なんでーす」
「それを言うなら祝光卯桜は、だろ?」
 エオストレの子どもみたいな物言いに笑った。咄嗟に返した言葉も似たようなもので、またおかしくなった。
「君は強いと認めよう。けれど、堕落した時点で君は勝てない」
 空へ身を翻すまま、祝光は眼下のロード・マグナスへ語り掛ける。まさしく神託の如く、凛と背を伸ばした少年の声が響き渡る。
 神でも竜でもなく。神器を巡る人の心とをもって、君を断ち切ろう。
 ぐらぐらと揺れる騎士の身体へ、異邦の竜の牙が振るわれる。祝光はただそれを見送る。|エオストレ《神器の持ち主》の齎す裁定が正しいものであることを信じて。

猫宮・弥月
早乙女・伽羅
シルヴァ・ベル

 割れて砕けた虚空の天蓋へ、激しく風切る音がこだまする。
 祭壇の前の冒険者のうち、獣人たちがまずは気付いた。警戒しろと鋭く刺す声に叩かれて、神器の前にて手に手に武器を携えた彼らの顔付きは厳しく、やがては蒼白なそれへと一様に変わってゆく。飛竜を駆りこの地へ現れた黒騎士と、異邦の協力者らの戦いは佳境へと辿り着いているかに思われていた。打ち砕かれた鎧を惨めに崩れる身体へ繋ぎ合わせるロード・マグナスを前に、経験の浅い者らの幾人かは優勢を確信し、安堵の吐息すら漏らした頃だった。
 この鳴動は何だ。広場の防衛線が、騎士団の群れは留め切ってくれたはずだ。であるのに、どうして己らが駆けて来た足元から追って来る音がする。それも――先程聞いた以上勘違いのしようもない、猛る|竜の翼音《・・・・》が。
 構えろ、と誰かが言った。星見になかった増援が現れたと言うのであれば、これこそ我らが此処に在る意味であると。前線にて堕落騎士を削り続ける|√能力者《助っ人》たちに、任せるばかりで終われるものか。
 火種はたったひとつで良い。忍び寄る絶望の色を打ち払うよう、奮起の声が上がり始める。剣に槍にと挙って掲げられた穂先が群れ成して天を衝く。敵なる竜よ、此処へ来い。アイソラの誇りと歴史を守るため、我ら、この命賭しても竜の首を落としてみせよう。
「――、え?」
 最上階へ到る吹き抜けの造りはそのまま管楽器を模したのと同じだ。一挙に近付いた羽搏きが、質量を持つほどの轟音を伴って|舞台《ホール》に響き渡る。あれほどの威勢を発していた冒険者たちが、|ぽかん《・・・》と飛びこんで来たものを見上げるのは、いっそこんな状況でなければ笑える画だったことだろう。
 そこに、赤い飛竜がいる。かつて春の祭りの日、共に戦った仲間たちを背に乗せて。

「わたくし、とっても、とーっても怒っております」
 分厚い飛竜の喉から発されるシルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)の声は、常の可憐なものとは装いを異にする。少なくとも、猫宮・弥月(骨董品屋「猫ちぐら」店主・h01187)は彼女がこれまでの苛烈さを表にすることを見たことがない。
「うんうん、品を求める気持ちはわからなくはないよ。それが得難いからこそ、手を尽くそうというのもね。でもね、他者を力で害して奪うというのは、俺の主義とは合わないんだよね」
 一直線に上を目指すのでなければ、こうして戦況を見渡しながらの滞空中だって弥月も懐を探ることぐらい出来る。猫のかたちを象った呪符を軽く指先で弄びながら|飛竜《シルヴァ》の首元を叩いてやるのは、俺も同じ気持ちだよって、確かに彼女へ伝えるためだ。
「蒐集の楽しみも、その義務感も理解はできます。けれど乱暴に奪い取ってはいけません。剣であれ宝石であれ、かれらにどうなりたいか訊ねもしないで自分のものにするなんて」
「そう、シルヴァさんの言うとおり。物言わぬ器物であっても、誰の元へ行きたいかはあるものさ。年を経れば経るほど、それは顕著になる。小さな声をすくい上げ、良い縁をつなげるようにする――というのも、俺たちの役目なんだよね」
 そんな主張が既に堕ちた騎士に届くかは置いて、言うだけは言っておかなければ気が済まないと言うものだ。元の身体が小さいからこそ怒り抑えきれずにいるシルヴァと、表す形は違えども――弥月とて、到底この行いを許す気はないと。
 √妖怪百鬼夜行の狭間の路地裏、猫の足跡を花押と飾った看板に、刻んだ文字は「ねこちぐら」。古くを生きる妖怪の世に巡る骨董が、あるべき場所へ届くよう。|短命《にんげん》の身の上で、決して同じだけの時を重ねられはしない|隣人《あやかし》たちと友の契りを証明するため、祖父より継いだひとつの居場所。
「(|場所《√》が違うからって見過ごせないからさ)」
 人と、あやかしと。境界を跨ぐ弥月だからこそ、信条に懸けて、神器の強奪など叶えさせるわけにはいかない。
 ――シルヴァの怒りにも、弥月の拒絶にも、ロード・マグナスより応えはない。いつ爆ぜるかとも知れない敵意のせめぎ合いの中、弥月と同じく飛竜の背にて身を起こした早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)がひとつ頷く。努めて平静な態度を示しながら、君にも事情はあるのだろうが、と騎士へ語り掛ける。
「俺たちは三人とも『誰かにとっての大事な一品』を扱う商売だからね。同時に『その品にとっての終の棲家』を探してやることも我々の仕事なのだ」
 だからこそ、真摯に問う。もしかすれば伽羅よりずっと長く、魂擦り切れるまで彷徨い続けたかつての勇者へ。いつか正義たることを求められた君の心の底に、まだ眠り続けるものがあるのなら目覚めさせてくれよと。
「――あの剣が真実何処に在るべきか。同意なき略奪に大儀はあるか」
 沈黙の果てに、騎士が語る。血に汚れた鎧の中、ひどく淀んだ冷たい声で。
「安寧なる世界を。其れを為すための剣が要る。我が手の中でこそ、竜の神器は聖剣と名を変える」
 ――それはまったく、因果と言うものが逆転している。古くを過ごしたかれらへの|尊重《リスペクト》ってものが欠片もない。己が振るうからこそ聖剣である、だなんて、なんたる傲慢! 怒りで霞み出した目の前をどうにか落ち着けるため、シルヴァは牙の並んだ口端から灼熱のブレスを微かに零した。けれど足りない。この礼儀知らずの簒奪者が祭壇の前に立つ以上、シルヴァの心は宥めようがない。
「……嗚呼、もうどれだけ大きくなってもだあれも困りませんわね? ご店主さま、よろしくて?」
「うむ。征こう、シルヴァ」
 頑強に覆われた飛竜の鱗は、伽羅が身体の保定のため鎖分銅をぐるりと巻き付けてきつく締め上げたとて何ら痛みを通さない。存分に暴れていいと許されるようにすら感じながら、シルヴァはその翼を限界まで開き強く風を打った。渦と興した風を浴びるごと、四肢が脈打ち、爪が戦慄く。またたく間に、咆哮する赤き飛竜の身体は、一度は砕かれた果ての天蓋を自らで覆わんばかり|ぐんぐん《・・・・》大きく変わって行った。
「(天井がないなら好都合ですわ)」
 何せ極限まで大きくなっても、敵を逃しようなく見下ろせる位置まで飛び上がっても、頭がつっかえることがない。ぐっと喉元に熱を溜める。壇上すべて竜の炎で埋め尽してやれば、如何な強敵と言えどまともな動きが出来ようものか。
 怒気に任せてブレスを喰らわせてやっても良かった。存分にそのつもりだった。それでもひとつ、これだけはと一呼吸して冷静になれたのは、ひとえに祭壇の防備を固める冒険者たちの姿があったからだ。
「皆さまに星の加護がありますよう」
 天の高さが齎すものか、シルヴァの翼が喚ぶものか。最早どちらともつかない暴風のなか、囁く声が地上へ届くはずもない。だからせめて何より明るい輝きがその胸へ笑い掛けますようにと、飛竜はついと鼻先を空へ向けた。晴れやかな冬空のむこう、既に遠く去った夜空より、流星の光が零れ落ちるように降り注ぐ。
 これで支度は十分。長くの戦いを切り抜けた騎士を必ずや倒してみせると誓うなら、己が|途絶えた《・・・・》あとの手は打っておかなくては。
 反り返った喉が大きく開く。灼熱の竜の火が、今まさに戦場を赤く染めようと吹き下ろされんとする。
 ――瓦礫の傍に居所を移した弥月の元にも、星の輝きはコツンと落ちる。柔らかな光が胸の内にぱっと弾け、あとには呆気ないほど軽やかに消えてゆく。シルヴァがあれだけ派手に目立ってくれるのであればと機を読み、翼の生み出した影に紛れて|転げ落ちて《・・・・・》みたのだけれど――どれだけ俺が息を殺して隠れたところで、上からじゃ丸見えってわけだ。
 頼もしさに笑みながら、弥月は猫の符を渦巻く風に流した。紙切れが弄ばれるだけに見えるなら何よりいい。ロード・マグナスがブレスに耐えようと大剣を盾に身構えた瞬間、|霊力《呪い》を乗せた符は弥月の意志に従いその眼前に巻き上がる。並の人間ならば触れるだけで気絶か、麻痺か。其れだけの代物だと察しの付く実力があるからこそ、放ってはおけないはずだ。
 シルヴァが|溜める《チャージする》のと同じだけの時間を使って生み出された呪いの火が、呪符を相殺するため撃ち掛かる。咄嗟の攻撃に対処するために最大限効率的な判断だ。当然、弥月だって敵を侮ったりしていない。君ならそう動いてくれるだろうって信じていたよ。
 ふたつの呪いが打ち消し合っては黒く霞むその影から。するりと猫の尾がロード・マグナスの足元を撫でる。鎧に覆われた肌のおもてまで、まさかその淡い感覚が伝わることはないだろう。パチンと猫の符が焼き切れ、それでも諦め悪く次陣が押し寄せるその攻防の烈しさに紛れ、ひそやかに息を殺した猫式神は騎士の身体へ鈍重な呪詛の錘を擦りつけてゆく。
「(多少は伽羅さんやシルヴァさんの助けになるだろうしね)」
 そのためなら、少しぐらいの無茶は構わないつもりでいる。頭上には抜ける青。|貨物船《カーゴ》で三人ぎゅっと詰まり合って飛んだ未明の空にはまだ淡い気配でしかなかった太陽は、既に眩い白光を放って赤い飛竜を照らしている。
「シルヴァさん。やってしまって」
 俺には君がくれた星の光があるから、大丈夫。
 声が届くかは分からないから、軽く片手を持ち上げた。そのままトンと胸を叩いた。シルヴァが高く吠える。喉元にどこまでも昂っていた炎は、ついに弥月ごと飲み込んで、戦場を業火の海へと変える。
 ――ブレスを直下のロード・マグナスへ吐き尽くすと共に急降下を始めた飛竜の背の上、伽羅は出来る限り身を低めて歯を食いしばる。仮にも剣士の端くれとして、大剣相手に前線の決め手となるのは伽羅のサーベルであろうと自負もあるが、極高度に吹き荒れる風がこれほどとは。最上階まで吹き抜けを飛んで昇ってくるにあたって、シルヴァがどれほど|安全運転《・・・・》を心がけてくれたかが身に沁みて分かろうものだ。
 まずは体勢を保つことから練習を、など悠長なことを言ってはいられない。墜落の恐れなど一切構わず城砦の床まで最高速で舞い降りたシルヴァは、そのままロード・マグナスへと一直線に飛んでゆく。強引に身体を起こし、すれ違いざまに構えた抜き身のサーベルは――鎧に弾かれた反動で手元から取り落とさなかっただけで上等だ。
「(流石に、重騎士相手には分が悪いな)」
 やはり狙うべきは刺突による急所への一撃だ。幸いシルヴァが速度を乗せてくれるうえ、伽羅の古い相棒はまったくの西洋式より多少なりと反りが浅い。これまでの戦闘で綻びた部分を見極め、正鵠に射抜いてみせる。
 今のシルヴァにとって、最早このフィールドはあまりに狭い。宙返りで機敏に方向転換をしたのちに再度の打ち合い。通らない。後を追い縋る呪いの火を尻尾を一振りで掻き消したのち、その風が勢い付いて騎士の身体を揺らした今こそ好機と伽羅が身を乗り出した瞬間、ぐら、とシルヴァの上から滑り落ちそうになって慌てて鎖分銅を締め上げることになった。
「ご店主さま!」
「すまない、シルヴァ。痛くなかったかい」
「この姿ですもの、何ともありませんわ。お気になさらないで。――恐らく、あちらが何か働きかけているものかと」
「ああ。この程度で済んだのは弥月のおかげだろう」
 空間を歪め、敵を引き入れる魔の大剣。ロード・マグナスが手にする得物はそう言ったたぐいのものだ。先の引力があと少し強ければ、伽羅は騎士の間合いへと引き摺り下ろされていたことだろう。足元を灼く炎のなかに未だ舞い飛ぶ猫の呪符が、身を隠した弥月の無事を伝えると同時、敵の力に歯止めを掛けてくれている。
 なんとか喰らいついている。評価はよく言ってその程度。努めて冷静に伽羅は思考する。正道の剣士に正面から向かうには力量が及ばず、このまま削り合いとなれば泥試合だ。仕方ない、と笑い零すように息を吐くまでの時間はそう長くなかったはずだ。
「剛健の騎士を打ち倒したいならば、やはり真っ向勝負でないと華がないと言うものだよな」
 ――はじめは弥月が。次には伽羅が。シルヴァの背の上から仲間の重みが消えてゆく。飛竜の巨体にとってはあってなきが如き重量だとしても、分厚い鱗を通してまで感じられる体温などさしてなかったとしても、それでも確かに傍にあった頼もしさが離れてゆく。
 自らが成した赤い世界を見下ろして、シルヴァはひとりだ。
 ひとり、此処で、古き冒険譚から逸れた騎士と向き合っている。
「さあ、淑女の時間はおしまいです。これからご覧に入れるのは、しかし妖精の悪戯でもありません」
 燃え種なくとも灯り続ける竜の火が生んだ気流は、ほとんど羽搏かずともシルヴァの身体を浮かし続ける。それでもなおロード・マグナスへ挑みかかるよう大きく翼を広げるのは、この姿にこそ託された矜持があるのだと知らしめるために。
「この世界で竜に変ずることの意味を──その行いの正しくあるべきを、わたくしはようく心得ておりますわ」
 愛情と尊敬を以て結ばれた、ヒトとモノとの確かな縁。シルヴァが世界に夢見るうつくしい形。ひとつとて、あなたが欠けさせるのを許してやれる理由がない。
 ぐん、と機首を下げる。小細工なしに騎士鎧の胴を目掛けて突撃する。巨体の短所は小回りの利かないところだが、高所を取った分の視界の広さと比せば釣りが来る。十分な密度の式神と呪符を展開し切った弥月が瓦礫の影で次の手を打つタイミングを測っていること。炎の壁を縫って低く駆ける伽羅が、斬り込む隙を探してロード・マグナスの周囲を巡るよう道を選んでいること。
 すべてを分かったシルヴァがこの役目を担うべきだ。愚直な衝突にタイミングを合わせ、振り落とされた大剣の刃は鱗の下までは通らない。この痛みは打撃の衝撃だけ。だから平気。眩みそうになる意識を繋ぎながら、飛竜はほとんど縺れ合うようにロード・マグナスを炎の渦の中へと吹き飛ばした。
 ――そこに、伽羅がいる。大人しく倒れて首を差し出してくれるなら最上だったが、重量ある鎧をも我が身と合一して戦う敵は、即座に大剣を翳してサーベルの一撃を受け止めた。流石にこれが通らないと来れば焦りも来る。仕方ない、とまた一度、次は言い聞かせるように。最も接近できるのはこの瞬間だろうから致し方ない。
「(軽傷に留めたいが目的を果たす方が優先だ)」
 自棄になった無謀な吶喊だと、敵は思ったことだろう。ある意味では合っている。体勢を立て直した騎士相手に正面から斬り込めば、返る刃もあろうと容易に想像が付くものだ。せめて間合いを限界まで詰め、スピードが乗らないよう。
 息を詰め、その時を迎える。肩へと喰いこんだ剣こそが|狙い《・・》だ。鋭い痛みに鼻面を歪めながらも、伽羅はぐっと筋肉を固めてその刃を留めた。右掌で触れた大剣は、シルヴァの炎に炙られてまさしく焼けるように熱い。
 だとしても、離すものか。幼い妖精が届かせてくれた糸を、次に繋がずして何が|年寄《先達》か。
 ――戦場を幾つも共にした。伽羅の示す道筋を、弥月とてもう言葉なくとも理解出来る。術士に努める弥月にとってなんとも厄介な技であった空間操作が、今はすっかり黙っていること。
 最早姿を隠す必要はない。本気でだれかを呪うなら、『視ること』は肝要だ。|やり返される《・・・・・・》覚悟があってこそ呪詛は真の力を発揮する。瓦礫の影から身を起こした弥月は煤を払いながら、伽羅の前に競り合うロード・マグナスへ微笑みを送った。
「これ以上自由に動けると思わないことだよ」
 指先が敵を示す。あるじから許しを得て、影の猫たちが一斉にナアナアと鳴き立てる。地に突き立つ瓦礫片。|商隊《キャラバン》より奪われたディヴァインブレイド。かつては勇者の名の下に、今は有り方を歪められた呪いの炎。危険なものなら、この戦場には幾らでも。そのどれもが、君への報復を願ってる。
 此処に在る、すべてのものが共鳴する。弥月の麾下へ自ら入り、その切っ先を堕落騎士へと差し向ける。其々てんで勝手な動きで打ちつけようとする飛来物のすべてを躱し切れるものか。鎧を貫き通せなくたって構わない。瓦礫が兜を叩くたび、光の刃が籠手を傷付けるたび、傷口から染み入るように忍び寄る絡み猫の呪詛が、ロード・マグナスの身体を芯から冷やして震えさせる。
「ほら、猫がそこにいる。君は絡まり、動けなくなる」
「――猫ならばここにもいるぞ」
 冗句の調子で言っておきながら、その実伽羅の声音は獰猛だ。弥月の妨害によって気を散じたと見るや、騎士の大剣を跳ね上げ打ち払い、猫又はすぐさまサーベルでの攻勢に打って出た。肉を切らせて骨を断つつもりの作戦だ。こうして血を流した以上、此処で決めてしまう他はない。
 今度こそ、狙いは鎧の間隙への突き入れ。敵とて当然最も警戒する攻撃であろうが、動こうとするたびに弥月の呪詛がぎくり《・・・》と身体を強張らせるのだから先程よりは余程挑戦に易い。ロード・マグナスが足を庇うならサーベルで弾き、腕を庇うならだまし討ちに柄で叩き、君の弱みはもうお見通しだ、と示してみせるのは、流れと勢いが此方にあるのだと誇示するために。
 突き上げた伽羅の刃の切っ先が、緩んだ肩関節に挿し入れられる。先程の意趣返しだ。ぐっと捻りつけるようにサーベルの柄を押し――ありったけの膂力と体力を籠め、その繋ぎ目を完全に弾き飛ばした。
「さあ。首魁の首、我々がもらい受けるぞ」
 腕ごと地に落ちた大剣を踏む。掲げたサーベルは宣言の通り、その首筋を狙っている。
 ――伽羅の怪力がまさしくロード・マグナスの命を刎ね飛ばそうとする光景を、実のところシルヴァの目はほとんど映してはいなかった。妖精の小さな身体を飛竜のそれへ変じるにあたって、消費し続けた霊気は常の戦闘の比ではない。大剣に打ち据えられた場所が、いつもの姿に戻ったときにどんな傷になっているかだけが気になっていた。おふたりを徒に心配させるわけにもいきませんもの。いっそ地上に戻るまで、この姿を保っていられた方がよいのかも。ああ、でも、どうしようもなく眠たくて。
 カクン、と天に坐する体がバランスを崩した瞬間、|それ《・・》に気付いた。伽羅と弥月の頭上、太陽の陽射しの中に紛れ隠れながら、きらきらと白光で編み上げられた一振りの剣は――シルヴァの|星の魔術《アストラル・マジック》を写し取って作り上げた、ロード・マグナスの最後の切り札だ。
 騎士の生命潰えると同時に、偽りの聖剣が堕ちる。自らの亡骸諸共に敵を滅してみせようと、一筋の流星と化して落下する。
 考えるより、動く方が早かった。元が己の力であるなら魔術によって制御を取り戻そうなんて、悠長な考えは浮かびさえしなかった。地上に星の剣が突き立つより先、軌道に潜り込んだ|飛竜《シルヴァ》の背がもろにその力を受ける。隕石と同じだけの衝撃を喰らって、ついにシルヴァの変化ははらはらと解けた。
 名前を呼ばれているようだった。他になにを言っているかはもう全部曖昧でも、それだけは分かった。どんな風に生まれて、どんな風に生きて来たのか。なにもかも取り落として来た自分が、今、己の意志で生きている証。シルヴァ・ベルと言う名前。
「……わたくし、目端が利きますの。お役に立てまして?」
 やわらかく頬に感じる毛並と背中を支えてくれる肉球で、受け止めてくれた掌が伽羅のものだと分かる。だから、反対側から覗き込んで来るのは弥月のはずだ。
「頑張ったね、ゆっくりおやすみ」
 心地良い労いの声へ微笑みで応じた。弥月がそう言ってくれるならきっと良い夢を見るだろう。確信しながら、シルヴァは瞼を伏せる。あとには爽やかに吹くだけの風から、猫の手のぬくもりに護られて。

 真なる空を戴いて、ふたつの神器は眠り続ける。
 覚める日などを望みもせず、ただ微睡みの中に聞こえた祈る声を愛おしむ。

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