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星花のジャルダン・ディヴェール
●フラワージャムとブリオッシュ・ティータイム
オーブン釜の扉を開けると、ふわりと香ばしく甘い香りが流れ出す。
少女は厚手の手袋をはめ、そっと天板を引き出した。
黄金色にふくらんだブリオッシュは淡い金色に耀き、表面はやわく艶めいている。
「……うん! いい感じ」
卵とバターをたっぷり練り込んだブリオッシュは、指で触れるとすぐ戻るほどふんわりと軽い。
さくりと割ると、ほわりと内側からほのかな湯気が立ちのぼった。
甘い砂糖の香りに温室の花の匂いが重なって、冬の終わりを思わせる優しい空気が広がる。
机の上に用意した小瓶には、星花のフラワージャム。
光を含んだ淡い色合いのジャムをそっと掬うと、ゆったりとスプーンから零れ落ちる。
星の花を煮詰めたジャムは花の香りも楽しめるよう、ほのかな甘さに調整した。
口に含むとまず花の香りが広がり、あとから静かな甘みが追いかけてくるように。
このブリオッシュに合わせるのは、やや渋みのあるお茶だ。
星の花を乾燥させてブレンドしたこのお茶は、ひと口飲むと舌の上がきゅっと引き締まる。
そのあとでジャムをのせたパンをかじると、優しい甘みがいっそう引き立つのだ。
「……、」
温室のティータイムを楽しんでいた少女は、ふと手にしていたカップを机へ戻した。
香りは立ち、色も悪くない。けれど、喉を通ったあとに染みるような渋みが残る。
花のせいではない、湯の温度のせいでもない。
きっと――、今は心が少しだけ沈んでいるのだ。
その理由を考えないようにしながらも、ポケットから端末を取り出し、指を滑らせる。
画面越しに映る星の花が、少女の眸に影を落とした。
●星花の庭と温室カフェ、それとねこ
「夜のような洞窟で輝くひかり……それはきっと、星のように見えるのでしょうね」
星詠みの少女、ブランシュ・エマイユは、桃花色の眸を瞬かせ、集った面々に視線を戻した。
――その洞窟には、星空があるという。
昼でも光の届かない洞窟の奥で、淡く燐光を放つ鉱石に紛れて、星のような花が咲くのだと。
飾れば光を宿し、乾かせば夜の空気を閉じ込める。
そして丁寧に煮詰めれば、やさしい香りと甘さを残す。
「その花を見つけて、密かに育てていた双子の姉妹さんがいらっしゃるのです」
名を、エリアとフィアという。
姉のエリアは温室カフェを営み、その花を使った新しいメニューを考えていた。星花のジャム、星花のお茶。寒い季節、あたたかな温室で心をほどくための味を。
妹のフィアは温室の隣のクラフト工房で、押し花や栞、レジンを使った小さなアクセサリーなど、花を用いた小物をカフェの新メニューに合わせて作ろうとしていた。
ふたりにとってこの星の花は、夢とともに密やかに育ててきた大切な花だ。
――けれど、ある日。
フィアが試作で作った小物の写真が、思いがけずに広まった。
星花の押し花と、その輝きに惹かれた言葉たちが、世界を巡ったのだ。
『きれい』『見たことがない』『わたしもほしい』
画面の向こうで、星の花は“夢の象徴”になっていた。
「……いわゆる、SNSでのプチバズというやつですね」
それ自体が悪いわけではない。
フィアはその反応に素直に喜び、エリアもそれを否定する気はなかった。
けれど、“決めていたはずの形”からほんの少しだけ、ずれてしまった。
そのことが、姉のエリアに小さな引っ掛かりを残す。
ふたりで大切に育ててきたものだからこそ――。
「その小さな気持ちの変化に引き寄せられ、紅涙が姉のエリアさんの前に現れてしまう可能性があります」
紅涙は彼女に、こう囁くだろう。『貴女のその心のわだかまりを、晴らしてさし上げましょう』と。
その誘いに頷いてしまえば、紅涙は彼女を苦しめる元凶となったものを襲いに掛かるだろう。
その先に、妹の姿が重なる可能性も……否定できない。
「けれど、少しの心の変化は、少しのきっかけで変わることもできます」
彼女の気が少しでも晴れれば、それだけで運命の流れは変わるはずだ。
「ちょうどエリアさんは洞窟へ向かうつもりのようですし……皆さんも、気になるようでしたら」
近頃はモンスターの活動も活発だ。そう理由をつければ、洞窟を訪れたことも不自然ではない。
一緒に花摘みを手伝ったり、何か話を聞いてあげても、ただ傍らで見守っているだけでも良い。
「ひとりで暗いところに居ると、どうしても気分が落ち込んできちゃいますからね」
彼女の気が紛れれば、紅涙の気配も薄まるはずだ。
そうしていつも通り温室に戻れば、いつの間にかこの事も忘れているだろう。
手伝ってくれたお礼にと、温室カフェへそのまま招待してくれるかもしれない。
まだ世に出ていないメニューをひと足先にいただいたり、クラフト工房で花を使った小物を作らせてもらっても楽しいだろう。
「……あ、あと、他にも予知が見えたのですけど……。なにかこう、ねこっぽいものが」
ブランシュは小首を傾げつつ、ふるりと首を横に振る。
「詳細は視えませんでしたが……道中、ねこっぽいなにかには、気をつけてくださいね?」
これまでのお話
第1章 日常 『夜天洞窟』
洞窟の入口を一歩くぐった瞬間、外の気配がすっと遠のいた。
昼のはずなのに、光は奥まで届かない。
風の音も、鳥たちの声も、薄く掛かる帳で切り取られたようだった。
代わりに現れるのは、静かな夜。
壁や天井に埋もれた鉱石が淡く燐光を放ち、星空のような世界を洞窟内に描いていた。
足元に視線を落とすと、岩の隙間に別の輝きがある。
鉱石とは違う、やわらかく周囲を照らす、やさしい光。
――星の花だ。
凛とした空気の中、淡い光を宿した花が、ひっそりと咲いていた。
●
夜天洞窟の入口で、シャル・ウェスター・ペタ・スカイは小さく息を吸い込んだ。
昼のはずなのに、そこは夜の気配に満ちている。
(……エリアさんの気持ち、ボクにははっきりと、わからないけど)
もしかしたら彼女自身も言葉にするのは難しい、ちょっとした違和感なのだろうか。
妹と二人だけの大切なものが他人の目に触れてしまって。
その大事な気持ちを奪われたような、寂しい気持ち……そんな感じなのかもしれない。
そうして暫く洞窟を進み、件の少女の背中を見つけると、シャルは明るく声を掛けた。
「キミ、ひとり? ここから先、暗いし危ないよね。よかったら護衛するよ?」
モンスターの偵察に来た冒険者と称して軽く自己紹介しながら。
これでもそれなりの腕はあるんだから! と細腕を腰に添えて自信満々に胸を張ってみせる。
エリアは少し驚いたように眸を瞬かせたが、シャルの明るい笑顔につられながら小さく頷いた。
洞窟の奥に進むにつれ、壁に散る燐光が星空のように広がっていく。
そして岩陰にひっそりと咲く星の花を見つければ、シャルは思わず声を上げた。
「わあ……すごく綺麗! 本当に星みたいだ」
その無邪気な声に、エリアの肩がわずかに揺れる。
嬉しそうでもあり、どこか複雑そうでもある表情だった。
「……どうしたの?」
シャルは彼女の変化を見逃さず、軽く屈んで様子を窺った。
エリアはその問いにはすぐ応えず、星の花に視線を落としたまま言葉を探しているようだった。
妹と大切に育ててきたものが、いつの間にか他人の目に曝されてしまったこと。
その寂しさや、割り切れなさ。
うまく言葉にできない違和感をぽつぽつと零すエリアの話を聴きながら、シャルは何度も頷いた。
「考えちゃうのは、悪いことじゃないよ」
シャルはまっすぐに、そう言った。
「大事にしてきたからこそ、だよね。そう思う心は、ちゃんと守ってあげて」
星花の淡い光が、二人の足元を照らす。
エリアの表情も、ほんの少し和らいでいた。
●
――星の花。暗がりに咲く、美しい花だという。
「清はこういうの、興味あるかい?」
洞窟の奥を窺いながら振り向き、リシャール・ノーウィッドは優しく隣の彼女に微笑みかける。
「ええ、もちろん。とっても気になるわ。誘ってくださってありがとう、リシャールさん」
蕩けるような声でそっと囁やけば、十六夜・清は自然な仕草でリシャールの腕に両腕を絡ませた。
離れていた時間を思えば、この距離はまだ足りないくらいだ。
「君とふたりでこういう所を歩けるのは、なんだか役得みたいで嬉しいね」
「……役得は僕のセリフよ? ふふ、デートだもの、ね」
清は少しだけ甘えるように彼の腕に身を寄せる。
リシャールもその重みを拒まずに、そっと柔く笑んだ。
洞窟の奥、淡い燐光が燦めく星空のもと、岩陰にそっと星の花は咲いていた。
静かに花開いた小さな星は、この夜だからこそ美しく耀いて。
「……綺麗だね」
「ええ、でも。あなたには負けてしまうけれど」
「――まぁ!」
そんなリシャールの言葉に、清は眸を瞬かせて。
「も、もう……! リシャールさんは僕を買い被りすぎよ」
清は少し困ったように眉尻を下げながらも、透き通る白い頬はわずかに熱を帯びていた。
(あなたの目には、僕がこんなふうに映っているのね)
嬉しさと気恥ずかしさが混じり合い、目尻を柔く染めながら。
清は幸せそうにぎゅっと、腕に込める力を強めた。
少し離れた場所に、星の花を見つめる少女の姿があった。きっとあの子がエリアだろう。
「ねえ、あなた」
清はそっと少女に声を掛けた。
「そんな俯いた顔をして……どうしたの?」
その甘い囁き声に、少女は一瞬惚けるような表情を見せながらも、自分を気遣う二人へ今の気持ちを打ち明ける。
「そう、妹さんと大切に育ててきたものが、」
それがもし……僕とリシャールさんだったら?
そう考えれば、俯いてしまう気持ちも分かる気がして。
「ありがとう、気持ちを話してくれて。ひとりで抱え込むには、限界があるもの、ね」
清が柔く眸を緩ませれば、エリアも小さく頷くように笑みを返す。
そんな彼女たちの様子を、リシャールは一歩後ろで聴きながら頷き、穏やかに微笑んでいた。
星花の淡い光が、三人を包み込む。
星空の洞窟は、静かで、やさしくて――。
寄り添う心を拒まない、深い夜だった。
●
夜天洞窟に一歩足を踏み入れた瞬間、小弓・佐倉は小さく息を弾ませた。
「……わぁ」
壁も天井も、あっちこっちも、ほんわりした光で満ちている。
星のような鉱石、淡く揺れる燐光、そして小弓の両脇でゆらゆらと揺れる鬼火――護霊『ヤグロ』の灯火も、壁に光を映していた。
「……話には聞いちゃいたが、随分と幻想的な光景なこった」
木邑・零壱は周囲も見回しながら、かけていたサングラスを外してコートの胸ポケットへと仕舞う。
「昼間のはずなのに、夜みてぇな景色だな。……っと、はぐれねぇように気を付けてこうぜ、コキュー」
「……うん、れーちの近くに、なるべくいるね」
小弓は零壱の傍にそっと近寄り、控えめにコクリと頷いて。
「ヤグロは……足元、照らしてね?」
洞窟の奥へと進めば、岩陰に淡く光る花がぽつりぽつりと姿を現した。
小弓は少し小走りで駆け寄り、しゃがみ込んでじっと光る花を見つめる。
「……さわれるお星様、不思議」
指先で触れないように、そっと手を伸ばす。
「食べれるお星様も、不思議。はちみつ、どんな味なんだろう……?」
「はちみつの風味は花の種類で決まるっていうしなぁ、この花はどうなんだろうな」
小弓の様子を見守りながら、零壱が周囲の様子に目を配れば、少し先に灯る明かりに気付く。
「お、アレは……」
「――おい、そこの姉ちゃん。先に誰か入ったって聞いててな」
明かりのもと、花を摘む少女に背に、零壱は声を落として慎重に話し掛けた。
「すまねぇ、ちょっとした迷子になっちまってよ。ここ、入ったらマズい場所だったか?」
少女――エリアはその声に振り返り、一瞬、零壱と小弓の姿を交互に見た後に首を横に振った。
だが、明かりに照らされたその表情はどこか沈んでいる。
「……どうした。気落ちしてる感じがするが、何か悩んでんのか?」
初対面の、名も知れない男にいきなり相談というのも難しいだろうか。
少女は少し俯いたまま、口を噤んでしまった。
「おねえさんが、ここのお花、育ててるの?」
小弓が静かに立ち上がり、そっとエリアに近付く。
その言葉にエリアは瞬きひとつ。なぜ判ったのかと、小弓を不思議そうに見つめた。
「だいじに、さわってるから。そうかなって」
エリアはこくりと小さく頷いた。
その様子を見て、小弓はそっと首を傾げる。
「きれいなのに。どうして、うつむいてるの?」
ここに咲く星は、空にしかない、手の届かないお星さまじゃない。
手のひらの中やスプーンの上できらきらと零れ、目の前で耀くお星さまなのに。
二人の様子を見ながら、零壱は一歩後ろで腕を組み、静かに言った。
「初対面で言いにくいかもしれねぇが、無関係な他人だからこそ、話せることもある」
「――これも何かの縁だ。聞き役くらいにはなれるぜ?」
星花の淡い光が、三人あいだを優しく照らし出す。
夜天洞窟の星空は静かで、あたたかくて。
足元を照らす灯火の中、少しずつ、互いの言葉はほどけていった。
●
夜天洞窟の中に足を踏み入れた瞬間、ラデュレ・ディアは思わず息を呑んだ。
「わあ、ステキ……!」
壁も天井も、淡く瞬く光に満ちている。
星の花が放つ柔らかな耀きが重なり合い、まるで星空の中を歩いているかのようだった。
「とっても綺麗で、幻想的ですね」
「ホント、綺麗だね!」
ラデュレの隣で、ラナ・ラングドシャもくるりと一周して、眸を輝かせる。
「昼なのに夜みたい……! ボクが前世で住んでたところも、夜はすごく星が綺麗だったんだよ!」
「まあ、そうなのです?」
ラナは遠い記憶を辿るように、少しだけ視線を上げた。
「寒いところだったからかな? それとも自然が豊かなとこだったからかな?」
はっきりとした答えは思い出せない、けれどそれも楽しいというように、ラナはにこにこと笑った。
星空の洞窟を探検しながら、ラデュレはふと穏やかに呟いた。
「この景色を堪能し終えたら……エリアさまのお手伝いに伺いませんか?」
「うん! お花摘み、手伝ってあげようよ!」
ラナは自慢のもふもふ尻尾を揺らしながら、ぴょんと跳ねて。
「手伝う数が多い方が絶対楽しいし、たくさん摘めるだろうし!」
「ふふ、そうですね。それと、姉妹のおふたりは、温室カフェを営まれているそうですよ」
「おんしつ、かふぇ……?」
こてりと首を傾げるラナに、ラデュレはくすりと小さく笑みを零し。
「冬でも暖かな庭園です。ブリオッシュが評判のようで……星の花のジャムも、気になるのです」
「……ぶ、ぶりうぉしゅ? ぶ、り……」
ラナはうぅんと暫し頭を捻りつつ、ぱっと閃いたように顔を上げて。
「そっか! ブリ!? おさかな!? 食べたい食べたい! ボク、おさかなだーいすき♪」
「ブリ……!? お魚ではないのですよ、ラナ……!」
ラデュレは一瞬きょとんとしたあと、思わず表情をほころばせた。
「ブリオッシュ、というパンがあるのです。とても美味しいとのことですよ」
「……え? 違う? へぇ、パンのことなんだ!」
ふわぁと答えつつ、ラナはすぐに眸を耀かせる。
「星の花のジャムも気になる! お手伝い頑張って、ぶりおしゅーとジャム貰お!」
「ええ……! 張り切ってまいりましょう」
ラデュレも焼き立てブリオッシュを想像しつつ、楽しげに頷いた。
そうして二人は花摘みをしていたエリアを見つけて声を掛け、星の花の収集を共に手伝う事となった。
「ティータイムが待っております、わたくしもお手伝いを願いましょうか。……うさぎ兵の方々、ではなく……」
ふっとラデュレは微笑み、静かにその名を呼ぶ。
「クロ、カイ、ルイス。わたくしのお友だちです。どうかご一緒してくださいませ」
お世話焼きの帽子うさぎ、おしゃまお茶会うさぎ、むじゃきな白うさぎを、ぽぽんっと喚び寄せて。
「よーし、ボクも! おいで、勇敢で優しいボクの仔猫ちゃんたち!」
ラナも髪飾りにそっと触れたあと、両手を広げて駆け寄ってきた猫たちを迎え入れる。
「ふふ、大勢いれば、きっとあっという間、ですね……!」
「それじゃあ、張り切って――えいえいおー!」
星花の淡い光の中、笑顔と小さな足音が重なっていく。
夜天洞窟の星空は、これから始まる賑やかな手伝いと、甘いティータイムの予感を静かに祝福しているようだった。
●
夜天洞窟に足を踏み入れた瞬間、御園・藍は思わず声を上げた。
「うわぁ、きれい……!」
天井や壁に散りばめられた淡い燐光が、呼吸するように揺れている。
「この石、蛍石とは違うのかな? ここでしか光らないとか、あるのかなぁ……」
興味に駆られ、手の届く範囲の岩をそっと指でつついてみる。
瞬く星の光はひんやりとした感触を返してきた。
「……お持ち帰りは、さすがにだめだよね」
ふと視線を落とせば、足元には星の花が静かに咲いている。
「お花も……そのままの方が、きっと綺麗よね」
そうして藍は散策を続けながら、少し先に人影を見つける。
花を静かに摘む少女、あの子がエリアだろうか。
明かりに照らされた横顔は、どこか影を落としていた。
藍はその表情を見て、思わず足が止まる。
声を掛けたいのに、言葉が見つからない。
ずっと一緒だったからこそ、ほんの些細な違いが、どうしようもなく気になってしまうこともあるのだろうか。
(……私も、双子だったけど)
胸の奥が、わずかに軋む。
自分も双子として生まれた。けれど大事な半身は、声を交わすこともなく先へと逝ってしまったのだ。
だからこそ、藍は思う。
失うことは、取り返しがつかない。
いなくなってしまったら、もう二度と会えない。
この洞窟の光みたいに、綺麗なまま心に残るだけで、触れることもできなくなる。
藍は静かに顔を上げ、エリアの方を見つめた。
「……だから、なくすようなことはダメだと思う」
その声は小さく、けれど裡に響かせるように。
「そんなことにならないように、私は止めるよ」
星花の光は、やさしく洞窟を照らし出す。
その静けさの中で、藍の決意は確かな重みを持ってそこにあった。
●
昼だというのに、夜の帳に覆われたような洞窟の奥。
ユナ・フォーティアは一歩足を踏み入れた瞬間、思わず声を弾ませた。
「昼でも陽が届かない、夜みたいな洞窟の星空かぁ〜! これは配信でバズりそうじゃない?」
視界いっぱいに広がるのは、壁や天井に散りばめられた無数の淡い光。
きらめく燐光石が、まるで本物の星空のように瞬いている。
「……わーお!! 本当に自然のプラネタリウムじゃん〜!」
ユナは思わずスマホを構え、連続でシャッターを切った。
「昼でも夜でも星空が見られるなんて、贅沢すぎ★」
ひとしきり撮影を終えると、ユナはその場に腰を下ろし、しばらくこの景色を堪能した。
光は静かに瞬いて、時間の流れが徐々に曖昧になってくる。
「あ、そういえば」
ふとユナは思い出したように立ち上がり、何かを探すようにきょろきょろと周囲に目を配る。
「あった……! これが星の花?」
岩陰にそっと咲く光の花を見つけると、しゃがみ込み近くでじっと眺めてみる。
「ジャムやお茶にしたら甘くて美味しいんだっけ!」
あと、押し花や栞、小さなアクセサリーにも作れると聞いて、ふわりと目を瞑って想像してみる。
明るい場所で見たら、どんな色の花なんだろう? やっぱり暗い場所ではこんな風に光るのかな?
「たしかに、かわいいかも~」
にんまりと笑顔を浮かべながら、ふと気付いたように瞬きをして。
(……でも、あの二人とっては大事に育ててきた花なんだよね)
それはきっと、宝物のような存在なのかもしれない。
そんな存在が自分の知らないあいだに広まってしまったら、フクザツな気持ちにもなるのだろうか。
「……ん? あれは、エリア氏じゃない?」
視線を上げると、少し離れた場所に人影が見える。
やや俯きがちの元気のない横顔が、近付くにつれはっきりと見えてくる。
ユナは一瞬、声を掛けるか迷ったあと、いつもの調子で気軽に話し掛ける。
「どうしたの? なんだか落ち込んだ顔しちゃって」
返事を待ちながら、無理に距離は詰めず、エリアの傍らに置いてある花籠に気付いて。
「お花摘んでるの? よかったらユナにもお手伝いさせて!」
ユナの声は軽やかに、確かに相手を気遣う温度をもって響き渡った。
●
夜天洞窟は、瞬く星明かりに包まれていた。
淡く足元を照らす鉱石の光に導かれるように、ミカエラ・ルミナスはそっと足を踏み入れる。
「わあ……きれい」
その美しさに思わず見惚れながら、ふわりと歩みを進めてゆく。
けれども宙を見上げたままの視線は、不安定な足元に気付くこともなく、
次の瞬間――。
「ひゃっ……」
ミカエラのよろけた身体が、ぐらりと前に傾いた。
「――おっと、危ない。大丈夫かい?」
背後から差し出された手に支えられ、ミカエラは転倒を免れた。
「ご、ごめんなさい。ぼうっとしちゃって……」
顔を上げて振り向くと、そこには穏やかな眼差しの青年がこちらに笑顔を向けていた。
長く艶めく髪、天使の翼を背負った彼の姿に、ミカエラはぱちりと瞬きをして。
「ありがとう、助けてくれて。……親切な君の名前を聞いていいかしら?」
「僕の名前かい? 僕はセチアというよ」
「セチア……素敵な名前ね。僕はミカエラ、どうかミュカと呼んで。君も、ひとりでここへ?」
ミュカさんだね、とセチアは小さく頷き返しながら。
「うん、今日は一人で来たんだ。色々と興味があったからさ」
きっとこの場所に訪れた理由のひとつは、お互い同じなのだろう。
星の瞬く洞窟の景色を眺めに、それならば――。
「……それなら、僕と一緒にどう?」
「一緒に? もちろん、構わないよ」
「それに、ほら、次はセチアが転んじゃうかもしれないから!」
そのときは、僕がすぐ助けられるように! と、ミカエラの冗談めかした言葉に、セチアは小さく笑って。
「確かに……転ぶと危ないからね。ならお言葉に甘えて、一緒に行こう、ミュカさん?」
二人は足元を照らす淡い光を頼りに、洞窟の奥へと進む。
「噂には聞いていたけれど……思わず見惚れてしまう程、綺麗だね」
暫く並んで歩めば、燐光とは別の、淡い光が岩陰の隙間から溢れている場所にたどり着く。
「まあ……見て、セチア。綺麗なお花……!」
星のように淡く耀く花。
その光に惹かれるように駆け寄ったミカエラは、少し躊躇ったあと、そっと花の一輪を摘み取った。
そしてセチアを手招くと、屈んでくれた彼の横髪へ星の花を添える。
「……おや。つけてくれたのかい? ありがとう、ミュカさん。嬉しいよ」
「うん、とーってもきれい」
淡く耀く星の花はセチアの顔を柔く照らし、首を揺らせば幽かな光が宙を舞う。
その光景に、ふふ、とミカエラは花のような笑顔を咲かせた。
――静かで、どこまでも続く星空の洞窟。
現れてくれた天使の君。
ここは穏やかな夢の中?
そんな風にも思えてきてしまって――。
「……ねえ。綺麗すぎて、ちょっと怖くなっちゃった」
「怖い?」
ミカエラはセチアの服の裾を、ちょんとつまむ。
確かに目の前の彼はここに居る。それを確かめるように。
「うん。儚くて……まるで僕が作り出した夢幻みたいで。セチアはちゃんと、ここにいるのにね」
少し俯く彼女の様子を窺うように屈んで、セチアはそっと言葉を零す。
「……大丈夫」
セチアは首を静かに横に振る。
「たとえ夢幻に視えたって、僕が消えることはないよ。誓ってもいい」
その確かな声が、真っ直ぐにミカエラの胸の裡に響く。
彼の温かで、優しい声色に。思わず小さく息を衝き。
「うん、そうよね……!」
顔を上げたミカエラは笑顔を取り戻し、セチアの袖をつまむと、こっちこっちと誘う。
「じゃあセチアもお花摘み、一緒にしましょ?」
「いいね。それなら幾つか貰っていこうかな」
セチアは星の花を見つめながら、ふと隣の彼女を見て微笑む。
「……そうだ。折角だし、君に合うお花も選ばせて。さっきのお礼も兼ねて、ね?」
星花が照らす淡い光の中、ふたりの距離はそっと近づいていく。
夜天洞窟は静かに、小さな縁を包みこんでいた。
●
その洞窟は、外の世界から切り離されたように静かだった。
星の花が淡く光り、岩肌に夜空の景色を映し出している。
ブランシュネージュ・クリスタリエは奥へと進み、誰かを探すように周囲に目を配る。
双子の姉妹だと聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
自分にも、双子の兄がいる。
似ているところも似ていないところも含めて、双子というのは簡単には切り離せない存在だ。
だからだろうか。エリアのことを、放っておけなかった。
少し先に、明かりに照らされた人影を見つける。
不思議と寂しそうな背中、そんな風に視えてしまった気がした。
「……きれいだな。ここ、落ち着くっていうか」
そう彼女に声を掛けて、返事を待った。
エリアの足元には星の花が、淡く光を放っている。
おそらく花を摘んでいる最中だったのだろう。
「――摘むの、手伝うよ」
エリアは暫し考える素振りを見せたあと、ブランシュネージュの顔を見てこくりと小さく頷いた。
星の花は、触れれば消えそうなほど幽かな光を纏っている。
ブランシュネージュはエリアの動きを見ながら、同じように動いた。
花に触れる指先、力の入れ方、呼吸のリズム。
同じ所作で根本に手を添え、静かに切り取る。
エリアのその姿を見れば分かる、とても大切な花なのだろう。
だから必要以上には摘まない。跡も軽く整えて、花がここに在った記憶を乱さないように。
その間もエリアの様子から、目を離さなかった。
足場が崩れやすい場所、遠くで響いた小さな音。
洞窟は美しいけれど、優しいだけとは限らない。
「無理しないで。危なそうだったら、オレが行くから」
そう伝えて、また花摘みに戻る。
彼女のすぐ隣で、同じ光を見て、同じ静けさを分け合いながら。
星の花を共に摘むこの時間が、彼女にとって少しでも穏やかな記憶となれば、それでいい。
双子という言葉が紡いだ縁をそっと両手で守るように。
ブランシュネージュは洞窟の奥で淡い光を集め続けた。
●
夜天洞窟は、まるで裏返された宇宙のようだった。
壁も天井も淡く瞬く鉱石に満ち、どこまでも星空が続いているようだった。
「おお……四方八方を星に囲まれているようだ!」
皮崎・帝凪は足を止め、両腕をいっぱいに広げて笑った。
そのまま次の瞬間には、楽しげな足取りで奥へと進み出す。
「うむ! 先へ進もうか」
「はいはい、魔王サマ。相変わらずテンション高いねえ」
雨夜・氷月は肩を竦めつつも、興味深げに周囲を見回した。
遊び友達――もといバクトモと来たにしては、思いのほか静かで、綺麗な場所だ。
「でも、ホント星空みたい。セッカクだし、奥まで行こっか」
二人並んで進むうち、ふと氷月は淡く光る壁の鉱石に手を掛け、動きを止めた。
「……そういえば。魔王サマって何かこう、発明? 開発? とかしてたよね」
「うむ、巨大ラボで研究をしているぞ」
「ふぅん、そーゆーのって。どんなのから着想を得てるの?」
彼のことは正直、あまりよく知らない。
偶に会う顔見知りくらいの仲で、なんとなく話題を振ってみたみたのも、ただの興味本位だった。
「――俺の着想元か? ふむ、他者の願望だ」
帝凪の答えは即答だった。
だがその直後、帝凪は言葉を切り、壁に瞬く光を見つめる。
研究者として素材を見れば、その用途はすぐに思い付く。
だがそれは今まで蓄えた知識として、理解しているだけなのだ。
それだけでは、新しいものは生み出せない。
創造する動機には、なり得ない。
「他者の願望か……」
氷月は一拍置いてから、軽く首を傾げた。
「つまり、最終形が欲しいってこと? ゴールが先に見えてて、そこにどう辿り着くか考える感じ?」
「その通りだ。過程の形状はどうにでもなる。天才だからな」
そう自信満々に言い切ってから、帝凪はふっと口元を緩める。
「……ま、天才でも。美しいものを美しいと思う気持ちは変わらん」
この場所のようにな、と帝凪は周囲の景色に目を向ける。
その横顔を見ながら氷月は小さく笑った。
「貴様こそ、どうなのだ? 爆弾魔というのは、美学持ちのアーティスト気質だと認識していたが」
「俺?」
急に話題を返されて、氷月は少し目を丸くした。
「そうだ。こういう場で素直に『わぁキレイ』って思うのか?」
性格も素性も、深くは知らない相手へ向けた言葉。
それは純粋な興味本位の表れだ。
「俺だって、綺麗なモノは、キレイってちゃんと思うよ?」
氷月は岩陰に淡く咲く星の花を摘み、口許に添えると柔く目を細めた。
「ベツに芸術家ってワケじゃないケド。俺は俺が愉しめるように、そういう感覚は大事にしてるかな」
「なるほど、愉しさの為か」
帝凪は一度考えるように視線を巡らせ、低く笑った。
「ふふ……たしかに、大事なことだな。同意だ」
お互いに――。思想も、創り方も、立ち位置も違う。
けれど今は同じ星空を見上げ、同じ静けさを共有している。
ただそれだけなのに、不思議と感情が重なった気がした。
星の花からこぼれ落ちた淡い光が、二人の足元をやさしく照らしていた。
●
夜のような洞窟で輝くひかり――。
想像するだけでも、胸の奥がゆるやかに温む。
「さぞ、美しい光景なのだろうなぁ」
トゥルエノ・トニトルスはそう独りごちて、夜天洞窟へと足を踏み入れた。
外界から隔てられたその場所は、壁や天井に燐光鉱石が散りばめられ、淡い光が星空のように瞬いている。
自らの住まう世界とは言え、まだ見ぬ景色は確かに存在する。
知らなかった美しさも、触れたことのない出来事も。
「未知との遭遇は、やはり良いものだ」
くすりと小さく微笑みながら、トゥルエノは静かに歩みを進めた。
ゆるやかに視線を巡らせ、鉱石の淡い光が描く陰影をゆったりと眺めながら。
(――たしか、星の花は岩の隙間に咲くのだったか)
思い出すように足を止め、岩肌の影に目を凝らす。
するとそこには、夜に溶けるような淡い耀きを放つ花が、ひっそりと息づいていた。
やさしい光。
それは見る者の心を和ませ、時に進むべき道を示す。
けれど――。
「暗がりに灯るひかりは、眩しすぎることも、あるのかもしれないなぁ」
ひかりは希望にもなる。
同時に、暗い影を落とすこともある。
そのものが悪ではない、受け取った者の心次第なのだ。
ふむ、と小さく息を衝いて。
トゥルエノは周囲を見渡し、花籠を手にする人影を見つける。
「……此処はひとつ、花摘みを手伝っていこうか」
そっとその人物に近付き、トゥルエノは手伝いを申し出た。
星の花のひかりが、誰かの行く道を照らすとしても。
それが、かなしみを生むことのないように。
そんな静かな願いを胸に。
淡く灯る星の花に、そっと手を伸ばしたのだった。
●
夜天洞窟へと一歩踏み入れた瞬間、時結・ラチアの眸は静かに耀いた。
壁も天井も、淡く揺らめく燐光に満ちている。
星空を閉じ込めたような景色――未知の光景に、胸の奥が静かに高鳴るのを感じた。
(……これは、ゆっくり堪能したくもあるな)
逸る気持ちを抑え、足取りはゆっくり、けれど確実に。
足場を確かめながら、周囲の気配を読み取り進んでいく。
そうして視界の先に探していた少女の姿を見つけたとき、
ラチアの口許は、ふっと小さく綻んだ。
星の花を摘む少女――エリア。
その背中は、どこか物悲しさを背負っているようだった。
「――君、そんな顔してどうしたの?」
淡く優しい声色で、ラチアは少女に声を掛けた。
視線を合わせるようにそっと腰を下ろし、同じように花へと手を伸ばす。
「オレでよければ、話を聞くよ?」
ラチアの双眸が細められれば、エリアはぱちりと瞬きを返して。
そうして少女はそっと、迷いと揺れる想いを言葉に紡いでいった。
ラチアはその言葉に耳を傾けながら、静かに心へと落とし込んでいく。
否定はしない、遮りもしない。
ただ受け取って、少女の心を理解するように。
「……そうだったんだね」
共感の言葉を零し、ラチアは穏やかな笑みを向けた。
すべてを包み込むように、少女の心にそっと寄り添って。
「エリアちゃんの気持ちは、分かったよ」
一度、星の花から手を離し、改めて少女に向き直る。
その声色は静かで、けれど確かだった。
「じゃあ――君は、どうしたい?」
まるで、どんな答えでも受け止めるように。
すべてを叶えてあげると、やさしく両手を広げるような空気を纏って。
けれど、本当は知っている。
願いを叶える鍵を握っているのは、自分ではない。
――選ぶのは、彼女だ。
エリア自身の意思が、未来を決める。
夜天洞窟に満ちる星のひかりは、ただ静かに瞬いて。
ゆっくりと、急かすことなく。
行く先を照らすように淡く耀いていた。
●
洞窟の天井も壁も、星屑を散りばめたように静かに瞬いていた。
「……わあ、上見ても下見ても、キラキラしてる!」
きらめく光景を目の前に、花牟礼・まほろ の声は弾みながら、星の海に溶けてゆく。
「ええ、本当に……」
その言葉にセレネ・デルフィも星の燦めきを一つひとつ確かめるように、遠くを見つめた。
本物の星空を閉じ込めたような景色に、胸の奥が小さく跳ねる。
「ねぇねぇ、セレネちゃん、奥まで見にいこうよっ」
まほろが差し出した手には、隠しきれないワクワクが乗っている。
「はい、もちろん……!」
セレネも小さく頷きながら、その手を花笑みと共にそっと握り返した。
二人はふわりと、軽い足取りで星空の洞窟を奥へと進む。
「すごーい、まるで星空の中をお散歩してるみたい…!」
思わず溢れた声が、洞窟内に小さく響いた。
そんな自分の声にはっと気付き、まほろは軽く口許に手を当てて、声量を抑える。
「星の花も、どこかでひっそり咲いてるのかな?」
「……そうかも、しれませんね」
セレネはそんなまほろの様子にそっと微笑んで、周囲に目を配る。
すると岩陰の隙間から、ほわりと淡い光が零れているのに気付いた。
――星の花だ。
「とても可憐で……可愛らしい、ですね」
ひっそりと咲くその花は控えめで、それでいて確かな輝きを放っていた。
見つけてほしい想いと、誰にも知られたくない気持ちが、同時にそこにあるようで。
淡い光を見つめていると、そんな矛盾した気持ちも少しだけ分かる気がした。
「この花を秘密にしたい気持ち……なんとなく、わかります」
「うん、きっと二人の素敵な秘密だからこそ、静かなこの場所で守りたかったのかな」
少し間を置いて、まほろはこてりと首を傾げる。
「ねえ、セレネちゃんは……そういう秘密、ある?」
「私の秘密……ですか?」
セレネは瞬きひとつ。少し考えてから、ゆっくりと首を横に振った。
「大切に隠しておきたい秘密……私には、無い……かもしれません」
隠すほどのものが無い、とも言えるだろうか。
己たらしめる証を持たない自分にとっては、今をありのままに生きている事に違いはないのだから。
セレネのそんな表情を見て、まほろは静かに頷きつつ。
「そっか~。じゃあさ、これから作ろうよ。一緒に!」
「……一緒に、ですか?」
驚いたように問い返すと、まほろはにっこりと笑って。
「うん。だって秘密って、だれかを驚かせて喜んでもらうためのものだから」
そう言いながら、まほろは星の花を数本、そっと摘み取った。
セレネはその様子を見て、不思議そうに小首を傾げる。
「ふふー、これも"まだ"、秘密!」
まほろは摘んだ星の花を後手に隠し。しー、と人さし指立てて笑顔でごまかした。
「隠されると、なんだか気になっちゃいます、ね」
セレネはくすりと小さく笑みを零し、ふわりと心が温かくなるのを感じた。
隠すものがなかった自分にも、誰かと分け合う秘密が生まれる。
夜天洞窟の星灯りの中で、二人の小さな秘密は、静かに芽吹いていた。
●
夜天洞窟は、静かな星空をそのまま地上へ落としたような場所だった。
壁も天井も淡い光を湛え、足を踏み入れるたび、星屑が淡くやさしく瞬く。
「……辰巳、様……いえ……その……辰巳……と、」
言い直すたびに、四之宮・榴の声は少しだけ小さくなる。
「……一緒に……こうして、出かけるのは……は、初めて……です、ね」
そんな彼女の様子に、和田・辰巳は穏やかに頷き、微笑みを浮かべた。
「そうだね。付き合い始めてからは初めてだね」
落ち着いた声とは裏腹に、胸の内は小さな喜びが跳ねていた。
榴が『辰巳』と呼んでくれた。ただそれだけで、どうしようもなく嬉しくて。
そんな溢れる気持ちを抑えつつ、辰巳はきらめく景色に視線を移す。
「それにしても、綺麗な洞窟だね」
「……はい。綺麗、です」
榴も自然と視線を上へ向ける。
「……星空が……近い、です」
手を伸ばせば、掴めそうなほどに。
「星空か……花の星空なら、榴といつまでも見ていたいな」
その言葉に、榴は一瞬だけ眸を瞬かせ、そして小さく俯いた。
照れるように静かに揺れる睫毛を横目で捉えて、辰巳の頬はつい緩んでしまう。
「……僕らは……こういう感じの空間……好き、です……よね?」
「うん。もちろん」
辰巳は即答して、榴の方へ向き直って静かに見つめる。
「榴と一緒に、落ち着いた時間を過ごせる場所は好きだよ」
その視線に気づき、榴はわずかに肩をすくめる。
「……た、食べるのは……その……あの……苦手なので……」
星の花へちらりと目を向けて、言葉を続ける。
「……ジャム、とかは……少し……吃驚、します」
「確かに。こんなに綺麗な花、食べちゃうのは何だかもったいないね」
「あ……はい……」
榴は小さく頷きながら、思い出したように付け足した。
「……此れを専用の……茶葉に入れることで……一段と……変わった風味を……頂ける、とか……?」
「あぁ……そうだったね」
辰巳は興味深そうに目を細めた。
「紅茶とも合うみたいだし……お茶の方も、どんな味か気になるな」
榴は少し迷うように指先を握り、やがて意を決したように顔を上げる。
「……是非……今後の……べ、勉強の為にも……一杯……いただけますか?」
そして、控えめに付け足す。
「……よ、良ければ……辰巳の分も……」
「お願いしてもいい?」
辰巳は柔らかく微笑んだ。
「榴と同じものを味わえるなら、嬉しい」
その言葉に、榴の表情がふわりと緩む。
初めてのデート。初めて並んで歩く星の洞窟。
初々しいのかどうかは、分からない。けれど――。
(……辰巳と……一緒に居られるだけで……嬉しい)
夜天洞窟の星灯りは、二人の間に流れる静かな時間を、やさしく照らしていた。
●
大地の内に生まれし星々、か――。
夜天洞窟へと足を踏み入れたレイパスト・サンカバーは、淡く瞬く燐光を湛えた壁と天井を仰ぎ、静かに息をついた。
この大地もまた星なれば、それが此処に宿るのも道理というわけなのだろう。
鉱石に灯る光は、夜空を閉じ込めたかのようで、確かに心を惹きつける。
だが同時に、レイパストは感じ取っていた。
この光を育む者の心が、どこか曇ろうとしている気配を。
それを捨て置くわけには、いかない。
だが実際にこうしてこの目で見てみると、想像以上に美しい場所だった。
惹かれるままに洞窟内を見て回り、星々のような光に目を奪われているうちに、いつの間にか本来の目的を後回しにしてしまった。
『……あのぅ、どうかされましたか?』
不意に背後からかけられた声に、レイパストははっと我に返る。
(……っと、そうであったな)
振り返った先には、花籠を持った少女がひとり、心配そうに自分を見つめていた。
この少女が例のエリアという、ニンゲンだろう。
とはいえ、ここに来た目的を真意に語るのはあまり得策ではない。
どうやら自分のこの姿を見て、相手は迷子の幼子と見ているようだった。
ならば、それに合わせてゆくのが自然だろうか。
「え、えと……この辺に、カフェがあるって聞いて……」
レイパストは精一杯、無垢な少女のふりをする。
『あら、そうなの? ……たぶんそのカフェは、私が経営している場所のことかしら』
「えと……お姉さんのカフェ、われ……じゃなくて……私も、行ってみたいな」
少しだけ拙い言い回しで、屈託のない笑顔を浮かべてみせる。
そして周囲に咲く星の花を見つめながら、楽しげに会話を続けた。
「そこでお姉さんや妹さん、一緒にいたお客さんとも、素敵な時間をご一緒できたら嬉しいし……!」
『妹のことも知ってるの? ふふ、今からちょうど帰るところなのよ。じゃあ、一緒に行きましょうか?』
エリアの纏う雰囲気はまだ少しだけ陰を落としつつも、表情は既に笑顔が戻っていた。
ここまで彼女に触れてきた他の者たちの影響かもしれない。
人と触れ合い、言葉を交わし、笑顔を分け合うこと。
それが心を豊かにし、曇を晴らすのだと――。
幼子のふりをしつつ、レイパストも少女の隣に並んで一緒に歩き出す。
その裏で、彼女を唆そうとする影があれば、気づかれぬようそっと払いのけるために。
夜天洞窟の星灯りは、ただ静かに瞬いていた。
まるで、大地そのものが、この小さな導きを見守っているかのように。
第2章 集団戦 『道を塞ぐ猫』
●
冬空から差し込む光が、夜天洞窟の入口を明るく照らす。
吐く息が白く滲む中、ひとりの少女が足を止めていた。
外套のフードを外し、そっと洞窟の奥を覗き込む。
「……お姉ちゃん、ここに来てるのかな」
少女フィアは、双子の姉のエリアを探しに来ていた。
出かける前の浮かない顔がどうしても気になって、後を追いかけてきたのだった。
そうしてフィアが洞窟に足を一歩踏み入れた、その時だった。
――ひたり、と。
どこかで、柔らかい音がした。
水音でも、風の音でもない。
強いて言うなら、柔らかい何かが、石を踏んだような……そんな気配。
「……今、なにか……?」
フィアが問いかけるより早く、通路の奥に“影”が現れた。
胴体はぬるりと伸び、蒼い毛並みが燐光を反射している。
……猫だ。
どう見ても猫なのに、サイズ感は壁のように大きく、明らかにおかしい。
こちらを見つめるつぶらな瞳。
きらりと光る爪。
にょろん、と体を伸ばして通路を塞ぐようにフィアと向き合う。
「……え?」
フィアの足が、思わず止まる。
距離は、近い。
逃げ場は、狭い。
猫妖怪が少女に迫る前に、踏み込む必要がある。
ただ間に割って入るだけでも、猫の注意はこちらへと向くだろう。
危険な気配は、確かにある。
けれどもそれ以上にこの猫――。
どうにも、“構ってほしそう”だった。
* * *
●マスターより
姉のエリアを探しに来たフィアに、紅涙が呼び寄せた猫妖怪が迫っています。
皆さまはそこに駆け付けるかたちとなります。
導入文はややシリアス気味ですが、猫と戯れるだけでもOKなゆるい戦闘パートです。
真面目に戦闘していただいても、猫と遊んでいただいても、どちらでも大丈夫です。
●猫妖怪について
紅涙のターゲットだったエリアを苦しめる元凶に襲い掛かる想定でしたが、
1章でエリアの感情も安定してきて紅涙の気配もほぼ消えてしまいました。
なので呼ばれたけど、暇になってしまった猫ちゃんです。
襲い掛かるフリをしていますが、実のところは遊んで欲しいだけかもしれません。
●他
こちらの章は、複数の方をまとめて描写する場合があります。
単独での描写を希望される方は、プレイング最初に「✕」印を記載してください。
補足と説明は以上となります。
それでは、よろしくお願いいたします。