洗脳サイレン!操られた消防隊員
●暴走エマージェンシー
√マスクド・ヒーローの世界にも朝は来る。長閑な町の消防署には真っ赤な消防車がピカピカと輝き、誇らしげに鎮座している。それはきっと、毎日敬意を持って見上げる者が居るからだろう。今日もまた……。
「ママ、しょうぼうしゃ!」
「あら、今日も見るの?」
登園するのだろう親子が片や喜色満面に、片や苦笑交じりに歩道で足を止めて、整列した隊員の朝の点呼を眺める。冬の空気に響き渡るサイレンは心なしか歪んでいたが、目を輝かせて見守る子どもには違いが分からない。
だから……サイレンがふつりと消えた後に消防隊員達がにわかに列を崩し、バラバラに暴れ出したのを呆然と見ている事しかできなかった。
ある隊員は叫びながらT字のスピンドルドライバーを振り回し、ある隊員は通りすがりの老人に消火器を浴びせる。その奥から急発進した消防車が、消防署前の通勤ラッシュの道路を遮って反対側の歩道に突っ込む。
混乱しながらも親子が逃げようとした先の進路を車体で塞がれ、転げるように降りた消防隊員達の二人に迫る。
「ママーっ!」
「お願い、カズマだけは……! 誰か助けて!」
突如として訪れた混乱が、いつも通りの穏やかな朝を悲鳴の渦に変えていく……。
●紅色の特等席
「騒がしいわね。もっと薔薇に合う音はないの?」
怪人がオペラグラスを片手に消防署の三階から喧騒を見下ろしていた。
「まあ、重ねれば少しは聞けるようになるかもしれないわ。もっと派手に赤色を魅せて頂戴?」
●ヒーローのエントリーだ!!
「予知が降りました」
峰・千早(獣妖「巨猴」のマスクド・ヒーロー・h00951)が√能力者達を呼び止めてそう告げる。
「√マスクド・ヒーローで悪の組織の怪人に洗脳された消防隊員が一般人を襲撃します。君達には、一般人の救助ののち、消防隊員を操る黒幕の打倒をお願いいたします」
峰は僅かに眉間に皺を寄せ憂いの色を浮かべた。
「公共サービスの安全性を洗脳による暴動で揺るがせる。悪の怪人はこれにより地域社会に不安を植え付け、悪への恭順なくして身の回りの安全は守られないのだと人々の意識を変える、遠回りな計画の実験を行いたいようですね」
静かなため息を挟み、情報の伝達を続ける。
「残念ながら、消防隊員は既に洗脳が完了しています。我々が今から現地に駆け付けたとて、到着する頃にはサイレンを聞いて暴れはじめるでしょう」
今回、√能力者は事件を未然に防ぐ事はできないが、それでも被害を最小限に防ぐ事ができるはずだ。
「通行人や車両が被害に会う前に消防隊員を止めましょう。直接止めるなり、洗脳を解くなり、指揮する怪人を探り消防隊員を操る余裕を与えないようにするなり……方法はお任せします。そうそう、消防隊員とはいえ、彼らは洗脳されている被害者です。体は丈夫ですが、可能であれば手心を加えて頂ければと。君達の√能力であれば、全て救うのは容易いでしょう。そして……」
峰は君の目を見て頷く。瞳の中に正義の心があると確信して。
「そう、善良な人々が信頼し、子ども達が憧れを寄せる消防隊員の名誉を棄損する卑劣な計画を、それを指揮する怪人を、必ずや倒して下さい。壊れた車両は直せますが、民の命は失われれば戻らず、曇った憧れは二度と同じ色に輝かない。今日という日の記憶を、正義が行われた朝として√に刻み付けましょう」
第1章 冒険 『人々の洗脳を解け』

「ううーん、これはまた困ったことだね」
顎に指を当てて思案するのは写・処(人間災厄「ヴィジョン・マスター」の警視庁異能捜査官・h00196)。
青年は緩く跳ねた前髪の隙間から、消防隊員の暴動を冷静に観察する。音響の発生源、効果範囲はどの程度か。行動から推測するに、洗脳された者は脳のどの部位に働きかけられているか……。
「……じゃ、作ってみようか」
場違いににまりと口角を上げ、いつの間にか手の上に現れたテレビとデバイスを接続して繰る。
幾何学模様や点滅、動物の写真、六法全書、色とりどりのフラクタル……今は意味不明な素材の寄せ集めにしか見えないものが画面上に浮かんでは消える。
まるで倍速にしたかのような速さで『映像作品』を構築するが、実際は倍速どころではない。作業効率、なんと18倍である。
「こんなもの、かな?」
自然体で立ち尽くす写に向かって、消防隊員が工具を振り上げ襲い掛かる!
しかし、一手速く金の瞳が隊員を捉え、パチリと指を鳴らす。
次の瞬間には隊員の視界はどこからともなく現れたテレビの画面に釘付けにされていた。1、2、3秒も見れば、あら不思議。
「う、ううう……ああぁ゛ー……」
消防隊員は力の抜けた手からスピンドルドライバーを落とした。頭を抱えて辺りを見回して、正気に戻ったものの混乱し、何が起きているか測りかねている様子だ。
写はすかさず彼の肩に手を置き、警察手帳を見せた。
「警視庁の者だよ。詳しい話は後にするとして、まず落ち着いて市民の避難を」
√が違っても公僕であることには変わりない。写は堂々としたものだ。
腰を抜かした老人を示し、正気に戻った消防隊員を促して共にこの場から遠ざけさせた。
「さて、これで効果は実証された」
一般人の誰も傷つけず、消防隊員達も傷つけない方法はここにある。
聴覚による洗脳に、視覚による解放を与える為、写は次々に襲い来る隊員へと形のよい指を鳴らす。
車庫から出ていた消防車の上へ、まるで空を渡るように細身の影が難なく駆け上がった。
西織・初(戦場に響く歌声・h00515)は滑らかな赤いステージに無造作に立つ。翼めいたマントが凛々と凍てつく冬の空気に揺れる。すらりと伸びた二本の腕の中には1本のギターがあった。
西織が六弦へ向けてすいと腕を下ろせば、暴力と恐怖とでざわつく一帯に和音が響く。携帯スピーカーは問題なく機能していると確かめ、青年は小さく頷いた。
「ぐるるう゛ぅうぅー……!」
消防車を発進させる前に、運転席の消防隊員は西織への攻撃を優先した。車体のドアを開けて焦点の合わない男たちが細い足へと手を伸ばす。
本来なら町の日常を護る頼もしいヒーローたちが洗脳によって貶められる有り様に西織はゆっくりと瞬いた。欠落したために表情で表せない心は、この音に籠めればいい。
粗雑に歪められたサイレンによって支配された場に、本物のセイレーンの歌を知らしめん。
「――!」
万人へと幸せを願う歌を捧げる。エモーショナルなギターも無垢な小鳥めいた高音も、一体となりただ純然たる美しい響きとして周りの者の耳に届く。吐く息は一瞬白く、たちまち陽の光に融けて流れる。
音は届く。怯えていた一般人は勇気を出して震える足をもたもたと動かし、消防隊員に投げつけられた工具を避けた。
歌は響く。西織の足元の運転席をはじめとした至近で歌を聞いた数名の消防隊員が苦しみ始め、自身に与えられた洗脳命令に抗おうとしてかその場に蹲った。
しかし、消防車の上に居れば効果を確かめやすいが、1対1で洗脳を解くよりも敵の耳目を引き付けしまう。
まだ暴れている消防隊員が再び消防車へと迫ったため、今度こそ青年は軽やかに宙を飛んだ。
「……」
反射するガラス越しに、3階から悠々と見下ろす怪人の微笑が確かに引き攣って見えた。
「ハハハハハ!」
牙の居並ぶ大きく裂けた口が笑う。
「ハハハハハハハハハハ!」
豪快にもう一発笑った。
「いやはや、成程大した作戦だ。うん、気に入らん」
腕組みをした怪人の後ろには彼を慕う戦闘員10人が整列して控える。
「御破算にしてやろう。サプライズ怪人理論だ!」
恐竜の咆哮を響かせて、腰を抜かした親子連れの前に怪人たちが躍り出る。
「俺は大型肉食恐竜・ティラノ怪人だ……! 消防署も消防車も俺達が支配してやる!」
怪人が高らかに悪事の実行を宣言すれば、後ろで子どもが小さく息を飲む音がする。
「ぐっ、ふんっ、こんなものか」
消防隊員は正気を失って単調に殴りかかって来る。それをティラノ怪人自身が鼻先や尾であしらう。束になってかかってくるなら、スクラムを組んだ戦闘員達が『エイエイオー』と声を合わせて押し返す。
「が、がんばれ! しょうぼうしさん、まけるな!」
事態の成り行きを飲み込めていなかった子どもは、ティラノ怪人の促しによって『怪人の襲撃を察知して戦う消防士さん』の物語を受け入れられたようだ。泣き喚きもしない勇敢な声援が怪人の背中の鱗に少々こそばゆい。
震えていた母親もやっと状況を理解して立ち上がった。それだけの時間を怪人一派は稼いだのだ。
「今の内に逃げるよ、カズマ。消防士さんの迷惑になるから、ね。おいで!」
「うん!」
子どもを抱えて去る母親は、確かに一度怪人たちに頭を下げた。押し殺された『すみません』との言葉に、ティラノ怪人は振り返らずなで肩を竦める。
「はあっ、はあ……っ」
「大丈夫か?」
子どもを抱えてその場を離れつつある母の横に、一台のバイクが停まった。学生の原チャリではない。趣味人のカスタムモデルでもない。
対怪人用の無骨なライダーヴィークルには、仮面に全てを隠した玄鉄・正義(Avenge Justice・h03441)が跨っていた。
「この先は安全だ。他にも数名逃げてきている。足元に気を付けて、落ち着いて逃げるんだ」
「あ、あの、この先で……」
「かいじんと、しょうぼうしさんがたたかっているんだ。おにいさんは……しょうぼうしさん……?」
息の切れた母親の代わりにと、赤いマフラーに目を見開いた子どもが懸命に説明する。
「俺はアヴェンジ・ジャスティス。消防士ではないが……ヒーローだ」
力強く頼もしい声と共に、仮面の奥に赤い眼差しが光った気がした。
「消防隊員の皆さんは心配いらない。俺が必ず、この事件の黒幕を止めてみせる。だから今は安全な所まで避難してくれ。お母さんと一緒に」
「うん、がんばれ! あべんじ・じゃすちす!」
アヴェンジ・ジャスティスは親子が逃げて来た方向へ、消防署へとマシンを走らせる。風に真紅のマフラーがなびいた。
「……むっ?」
そろそろ消防隊員を負かしても人目につかないか、とティラノ怪人が筋力によって隊員を押し返し始めた所に、バイクのエンジン音が響く。
ヴンと唸って真っ直ぐ突っ込んで来たマシンは、縁石とフェンスを使って跳ねてティラノ怪人の頭の上を飛び越す。着地からターンを挟んで、ティラノ怪人配下の戦闘員と消防隊員を引き離した。即座に抜いた特装圧縮銃が火を噴き、炸薬で路面にバチバチと火花が散る。牽制された消防隊員はたたらを踏んで下がった。
ティラノ配下の戦闘員が手で額の汗を拭ってふうふうと一息ついた。
「……あなたが悪の怪人か?」
ジャスティスがティラノに問う声には、若干呆れも含まれている。
「いい筋書きになっただろうが、よっ……と。俺を倒すのか? ヒーロー」
笑うティラノは頭突きで消防隊員をどついてジャスティスへと押し付ける。
「人々の信頼を崩す悪行を止め、信頼を護った。ならば志は同じだ」
ヴィークルを降りたジャスティスは改造された腕で手近な消防ホースをぶちりと千切り、狂乱する消防隊員をホースで拘束して制圧する。後は映像と音で洗脳を解くのみだ。
「俺はこいつ達の分も悪名を戴こうというだけだ」
「ならば、あの黒幕は?」
ジャスティスが指す先、消防署の3回には確かに悠然と立つ何者かの影がある。
「無論」
とティラノ。
「当然」
とジャスティス。
ここからが本当の闘いだ。
第2章 ボス戦 『『コウモリプラグマ』』

「ヒャ―ッヒャヒャヒャ! オレの超音波から作った洗脳サイレンはいかがだったかな? 洗脳された所で弱い人間など蹴散らしてくれば早いだろうに、頭の回らない奴ばかりだ。あの方の敵ではない……」
悪の組織『プラグマ』の怪人、コウモリプラグマが嘲笑する。
√能力者が侵入した消防署の三階へ続く通路は、片側が防火シャッターで塞がれ、もう片側はコウモリプラグマが立ちふさがっている。侵入経路を読まれていたのだろう。
仮に防火シャッターを突破しようとしてもコウモリプラグマの妨害は避けられない。
ならば、この怪人はこの場で倒し、更に指揮を執る怪人の面を拝むのみ。
コツリと靴音を響かせて歩み出たのは、深紅のドレスを纏ったお人形。ベルナデッタ・ドラクロワ(移ろわぬパルロン・h03161)は申し訳程度のカーテシーの後にコウモリプラグマを毅然と睨んだ。
「あなた、慈悲の無い方なのね。野心の道具にした者を一顧だになさらないの?」
「ヒヒッ、これはこれは、むさ苦しい場所にわざわざようこそ。道具が壊れればまた調達すればいいのでね」
ふと訪れる沈黙。ダンスをするには遠く離れた二人が同時に深く息を吸い、魔法の詠唱を始める!
片や、淑女の唇から紡がれる言の葉が焔の古代語の一文字一文字に変じて寄り集まって火球を成す。
片や、怪人が喉から絞り出す音波により天井の暗がりから化生の蝙蝠が零れ落ちる。
「行け! サーヴァント・バットォ~!」
「焼き潰せ! ウィザード・フレイム!」
蝙蝠と火球が正面からぶつかり合い、通路の中央で爆ぜた。一見、魔術は相殺されたかに見えたが……。
「ぐ……っ、壊れかけのポンコツ風情がァ……!」
威力の勝った火球が飛び散り、コウモリプラグマの被膜を、全身の札を焦がす。
「先にお前を壊してもいいのだぞ?」
白磁の水盤に桜を浮かべたような、透き通る硝子の瞳に怒りの焔が宿った。
消防署通路の窓ガラスを突き破り現れたのは巨大な銀狼が牽く可憐にして優美なハイパーエレガントキャビンである。
どこかからトランペットが吹き鳴らされ、高貴なる主がお目見えする!
躍り出た小さな影は、着地と同時に慇懃なまでの完全なカーテシーでもって怪人に布告する。
「わたくし、カヌレ・ド・ショコラと申しますの。どうぞ、よしなに」
王冠を戴く少女のお辞儀が最も深くなった。それが号令だ。
キャビンに仕込んであった迎撃装置が火を噴き、少女の頭を飛び越して怪人へ鉛玉を浴びせたのだ。
「挨拶をし返す前に卑怯ではないか!?」
脆くなった両翼を振り回し銃撃を払った怪人が抗議した。先の淑女とはまたお淑やか度合いが異なる淑女だと認識を改めたようだ。
「わたくし、悪党相手に手段を選ぶほど甘くはありませんの。大甘で許されるのは、今時、お菓子ぐらいですの」
対して、カヌレは平然としたものだ。己が貴人であるという絶対的な真理に基づいて、眼前の粗末な食事を値踏みする。小さな唇から嘆息が漏れた。
「それにしても……あまり美味しそうではありませんのね。仕方がありません。これもお仕事ですの。世知辛い世の中ですの……」
その手の中に錬成した可憐な拳銃でひたりと怪人の額を狙い、撃つ。
「ヒヒッ、何度も喰らうものか」
怪人は弾丸を異常な挙動の跳躍でかわす。少女も合わせて距離を詰め、拳銃を変形させた刃を振るう。
「ほう、届くか」
追い詰められた怪人は更に飛び、ひたりと天井に貼りついた。
「おい、やれ」
怪人がじろりと見た先には小窓のついた小さな部屋がある。その隅で震える事務員が泣きながらスイッチを押した。事務員は洗脳されていないが、怪人に人質でも取られているのだろう。この√ではよくある事だ。
「毒液スプリンクラーだ!」
怪人より下へと濁った液体が散布される。
しかし、カヌレの備えの方が一枚上手だ。剣がはらりと傘に変化した。毒の雨を凌いだ後、現れた姿は冷徹な目をしたヴァンパイアオーバーロードだった。
「……悔い、怖れ、そして死ぬがいい」
怪人の肩口から血を一口啜り、その返礼にと超高温チョコドリンクを熱線にして唇から放った。
「ヒッ」
怪人は藻掻いて逃れ、首の切断は免れたが片耳を焼き切られてシュウシュウと煙を立ち上らせた。
天井から落ちて床に膝をついたコウモリプラグマ。奴は自身への被害を避けるため、片手を上げてスプリンクラーを止めさせた。
「随分とチンケな奴が出てきたな。これでは『あの方』とやらも器が知れると言うものだ!」
鼻で笑ったのはティラノ怪人。見上げるばかりの巨躯でずいと踏み出す。この閉所では攻撃を避けられまいと覚悟の上で、その顎にコウモリの薄い腹を捕らえようと地響きを立てて進み……かくりと濡れた床に膝をついた!
「グッ!? 数日前に幼稚園バスジャック事件を解決した時の傷が……!」
震える二本の指趾で脇腹を抑える。塞がったはずの傷口から滴る濁った液体の色は、今しがたスプリンクラーで散布されたものと似ていた。
「バスジャック……おお! そういえばこの毒薬の実験を兼ねていたな。今更効いたのか、図体のデカいノロマめ!」
激痛に呻くティラノを前に、コウモリは喜色満面に詠唱を始め、先ほどのように1体のサーヴァント・バットを呼んだ。
「お前の音波から作られたサイレン。不快極まる音だったぞ」
水盆に落つ一滴が波紋を広げるように、澄んだ声が戦況を変える。
西織がギターを爪弾けば、コウモリを中心とした半径18mの円の中に清浄な水滴がきらきらと艶めきながら浮かんだ。西織の発する1音ごとにそれは弾丸となってコウモリを貫く。
「サーヴァント・バット、奴の喉笛を先に噛み切れ!」
属性音:涙雨は防げない。閉所で範囲から出るのは至難で、出た所でサーヴァントを失う。そう悟った途端、コウモリは標的を西織に決めた。
サーヴァントが纏わりつけば、西織は歌翼衣をゆるりと揺らして空中に逃れる。飛行しながらの攻防を続けながらも演奏は止めない。
音も水も、他者を穢す為にしか使えない者に本物のセイレーンの力を魅せるまでもない。
そして……。
「ティラノ怪人、君もここで止まりはしないだろう」
響くギターには確かに激励のメロディが乗っている。
ティラノの巨体が軋むように起き上がる。痛みに歯を食いしばりながら、雨に撃たれるコウモリプラグマへと突進した。
「俺達の全力フルパワー、貴様に受けられるかーッ!?」
「これは……ッ」
苦々しく顔を顰め、コウモリはティラノの横へとすり抜けようとした。この移動の代償で西織を狙うサーヴァントは掻き消える。
そして、コウモリ浅知恵による回避はがぱりと開いた顎の端に捕まった。
「ヒィィィ!!」
牙をゴリゴリと食い込ませて、蝙蝠の体がぐうっと上に掲げられた。
ふわりと衣の裾をなびかせて床に両足をついた西織は、一瞬の音抜きを挟みぐっと重心を下げて更に激しくギターを鳴らす。
「俺の音からは逃れられない……降り注げ!」
「GYAOOOOOO!!!!」
咆哮と共にティラノは突進し、バリケードと隔壁で塞がれた通路の奥にコウモリを叩きつける。どこで暴れようが西織の攻撃範囲内でもある。ティラノ噛まれていない部分が涙雨の集中射撃に晒された。
「ゴフ……ッ」
血反吐を吐いたコウモリの後ろでバリケードと隔壁がひしゃげて壊れ、清涼な空気が立ち上る毒の臭気を洗い流していく。
直接この場の情勢には関係しないが、崩れた隔壁の下敷きになってコウモリ配下の戦闘員が全滅していた。その手から通信機が転げ落ちる。
『こちら人質班、こちら人質班、ヒーロー共に拠点51が察知された。定刻までに指令なくば、人質と拠点を放棄し所定の拠点に退避する。こちら人質班……』
「ふぁ……。あら、まだお元気でしたの?」
√能力によって消費した糖分を補給し、小春日和の温もりで軽く午睡を嗜んだカヌレがファンファーレと共に戻ってきた。
「無駄にご丈夫ですの。よろしゅうございます。わたくしも、悪鬼ではございませんの。ここを通していただけるのであれば、見逃してあげますの」
「ヒヒ、逃げ帰っていればと後悔するぞ?」
「残念、ならば!」
コウモリプラグマを見据え、少女は手の中で剣を何度も変化させる。傘、銃、次はどれが下賤な怪人に似合うだろうか。
「剣で語るしかありませんの。間もなく、お茶の時間ですので、早々に退場していただきますの」
輝く切先を向ける。
「さて、正面突破と行こう!」
写が組んだ両の掌を上に向け、ぐーっと肩を伸ばす。何てこと無いとでも言いたげに不敵に口角を上げ、指を鳴らして大型のテレビを遮蔽代わりに己の前に浮かべた。
続けてすらりと抜いた刀を古風な型に構えれば、攻防一体の備えは完了している。既に見たコウモリプラグマの技を無策に通す気は無い。サーヴァント召喚や人質作戦による妨害の影響を減ずるには、カヌレの仕掛けに合わせての剣の連撃が有効か……。
思考を巡らし、コウモリにどんな衝撃映像を食らわせるか台本を組み立てる。
「ああ、突き進むのみだ」
アヴェンジ・ジャスティス、推参――。
抑えた名乗りが決意の重さを秘めて響く。
「お前、さっき、人々を犠牲にしないのは頭の回らない……と言ったな。それは違う」
人差し指を突き付けてから、ジャスティスは暴く。
「貴様らが最も恐れるのが人の団結だろう? その目論見が容易に崩れたのだから、貴様らの方が浅慮だったと言う事だ」
√能力者達が各々の力を繋いで、命も誇りも救った。プラグマの小細工とその本質を突きつけられ、コウモリプラグマは目を血走らせる。
「プラグマも舐めれらたものだ。させるものか……させるものかァ!」
「はは、凄んでいるつもりかな?」
写のから笑いを最後に、一気に場が動く。
コウモリ口がかっと開き、血を迸らせながら不快な超音波を発した。大気がピリピリと震え建物の窓ガラスに罅が入る。
ジャスティスは両腕を人中を守るように翳し、両足を踏みしめて耐える。カヌレは変形させた傘を広げて、その陰で指で耳を塞いだ。写が盾としたテレビにも大きく罅が入るが、まだ映像は映る。
「一度きりか……?」
ジャスティスが新たな技を測る。
「いや、また来る」
写が見定めた。
「ちょっと、小細工は飽きましてよ?」
カヌレは唇を尖らせる。ベールヌイが傘から銃に変じてコウモリへ軽く牽制の弾丸を見舞う。
「むっ!?」
鬱陶しそうにコウモリが翼で払った刹那、写は一筋の影にしか見えない素早さでコウモリを間合いに捉え、超スピードを乗せたまま刀を振り抜いた。
斬。
切断されたコウモリの片翼が滑るように落ちる。穏やかな表情はそのまま、写の目は笑っていない。
「この――」
再度超音波が発せられる前に――。
「はああああっ!」
カヌレの刺突がコウモリに深く息を吸う間を与えなかった。
怪人は中途半端な超音波を、丁度よく逃げようとした先に居たジャスティスに食らわせようとしたが、赤いマフラーが微かに揺れて男の姿が掻き消える。
「残像だ……」
「そっちか!」
更に首を捻って攻撃しようとすれば、そこにあるのは大画面の写のテレビだ。砂嵐の中にヒーローを映し出している。
「はい、フェイクでした。本物はね」
「こっちだ。……ブレイキング・ブースト!!」
くすくす笑う写に続き、既にコウモリの背後を取っていたジャスティスが、振り返るコウモリに強烈な拳の一撃を見舞う。
「がああっ」
殴り抜いたコウモリの左目が潰れ血が滴る。ジャスティスの追撃は続き、至近距離から銃弾を腹に打ち込んだ。
「この場に立った時点で、お前には前にも後ろにも逃げ場はない。お前に残された選択肢はこの場で果てる事だけだ」
仮面越しには改造人間の胸の内は伝わらないのか、コウモリは片翼をばたつかせて、足掻く。
「いい気になるな……全ては計画の内。あの方が成果を持ち帰ればいい……プラグマ……万歳」
恐怖、損得、優越、支配……そうしたものでしか繋がれない悪の組織の奴隷に、いつ誰がなってもおかしくない。ジャスティスの銃にエネルギーが再装填される。
「……その言動が洗脳の賜物だったとしても、今の俺ではお前の洗脳を解けない。倒す事でしか解決出来ない俺を恨んでくれていい」
淡々とした声に瞬き、その銃口をそっと押し下げたのはカヌレだ。
「ごめん遊ばせ。そうそう、一人で背負い込むものではありませんの」
王冠がきらりと瞬き、コウモリを光で包む。
「ブランチのお茶の時間ですわ」
アフタヌンティリウム光線だ。その力というと……。
「こ、ここは……」
暖かな春の庭園。目の前にはテーブルセット。供されるのは香ばしく焼けたカヌレと、きっちり3分蒸らした上等なダージリン。
「さあ、冷める前にどうぞ召しませ……」
微笑む淑女の顔に見覚えがある。あれは敵だ。敵……敵とは? プラグマの敵だ……。ぷらぐまはなんだったか。よけいなことはすべててれびのなかだ。すなあらしになる。ここはあたたかなはるのにわ……。
絶命し、消えゆくコウモリプラグマを背に√能力者は進む。
階上に待ち構える事件の元凶には、いかな末路が相応しいか……。
第3章 ボス戦 『『マンティコラ・ルベル』』

消防署3階、署長室の扉は自ら開き、むせかえるような薔薇の臭気が辺りに広がる。
「凡人共の聞き分けがよくなるよう、折角手入れしてあげたのに、無粋なのね?」
自らの体から生える赤薔薇を、蠍の尾で慰撫する女怪人がデスクの上で足を組む。
「私はマンティコア・ルベル。プラグマの偉大なる計画の遂行者。この言葉の意味が分からないなら、体に教え込んでやりましょう」
女の姿をしていてもその本質は根っからの悪。容赦はいらないだろう。
マンティコア・ルベルが待ち構える署長室の様子が扉から……見えない!
なぜならば、扉をくぐるために屈んだティラノ怪人の巨体が、すっかり√能力者達の視界を塞いでしまったからだ。
「狭い!」
真っ当な感想をティラノ自身が吐いた。
「我が図体のことながら、何処もかしこも狭すぎる! 故にサソリ怪人よ! 俺の我儘に付き合ってもらうぞ!」
「あら……乱暴なのね!」
突進してきたティラノへと、ルベルは幾度もサソリ型の爆発を見舞う。火炎、爆風、そして飛び散るティラノ自身の血を越えて一息に体当たりすれば、署長室の窓枠も壁面も道連れになる。
ルベルの体を確かに捕らえて3階から地面へと急降下するティラノ。彼の小さい耳に微かな笑い声が届く。
「ふっ……」
蠍の尾が恐竜の体に巡らされ、蟲のようにずるりと女体が這う。空中で体勢を入れ替えられた。ティラノを下敷きにしてルベルは着地を成功させる。
「フフ、アハハハ! 計算で私に勝つつもりだったの?」
不利な環境下で毒まで受けたティラノの口から血が溢れる。
「……よ」
登りつつある陽射しの中に、√能力者だけに見える何かがゆらゆらと集う。
「インビジブルよ、我が身を喰らえ……っ!!」
「何!?」
魚の群れじみたインビジブルが一斉にティラノに食らいついた。半透明のそれらが陽射しを歪め、反射し、ルベルが閃光に目を閉じた。
「オオオオオオオオオオ!!」
これぞ由緒正しき伝統芸能! 本物のティラノサウルスもかくや、巨大化したティラノ怪人が尾を振り回し口から火を吐き、ルベルを追い立てる。
「これしきのこと! くっ、おのれ!」
ルベルは先ほどまでの余裕はどこへやら、消防署前で動き回り続けなければならない。紅で飾ったルベルの上に、小さな影が差した。
「お邪魔いたしますわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
カヌレが“降”りる。3階までゴリ押しで乗り付け、壁の穴からはみでたキャビンの突端によじ登ってから“降”りる。
目指すは地上のルベル。彼女へのご挨拶に空中でカーテシーを決めながら月面宙返りに加えて錐もみ回転も加えた、淑女にしか許されない礼法殺法である。
その足先が発する雷撃は、高所からの回転を加えることによって3倍の威力を持ち、受け止めたルベルとその周辺へと電流を放射した。
「ぐわああああああ」
苦し気に呻いたのはルベル、そして他に……。
「ぎゃあっ!」
「ルベル様、撤退指示を!」
いくばくか残っていた伏兵も炙りだせたようだ。
「きゃ……! こちらの方が悪の怪人、でいいのでしょうか」
「ええ、話を聞けば消防隊員を洗脳したそうですねぇ!」
恐竜と電撃の飛び交う消防署前で手を取り合ったのは、どこかお嬢様然とした望月・惺奈 もちづき・せな(存在証明の令嬢錬金術士・h04064)と大人びた雰囲気を纏った十六夜・月魅 いざよい・つきみ(たぶんゆるふわ系・h02867)の二人だ。
「貴女がこの洗脳事件の元凶と言うのでしたら、私が……いえ、私達の手でそのような計画は止めてみせましょう!」
望月がきゅっと繋ぐ手に力を籠めれば、十六夜は笑みを深める。
「なんてひどいことを。せなちゃん、私たちで正義の戦いと言うものを見せて上げないとですねぇ……!」
重なる手の温度も名残惜しく、十六夜が繋いだ手をほどき上へ掲げると、12人の少女人形が歩み出た。
「皆さん、乱戦ですので陣形を組んで攻撃してくださいねぇ。わたしは援護に回りますよぉ」
声色、視線、何よりその肉体から発する微かで甘やかな精神干渉フェロモンが傭兵少女分隊と……望月を虜にする。
「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」
「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」「了解!」
「了解……はっ、私まで変な気分になっていません?」
望月が高揚して両頬を抑えるのを見届けて、十六夜は愛らしく小首を傾げた。
「てへ?」
ルベルが鼻で笑い少女達の隊列に爆発する蠍を仕向ける。
「他のアプローチからの洗脳……こんなつまらない使い方を?」
数名の少女人形が自身に備えられた盾を並べて構え、前に進み出る。
「防壁設置! ……くぅっ!!」
少女達は歯を食いしばって耐えたが、盾の列に僅かな乱れが生まれた。
ぶわり、とフェロモンを上書きするように薔薇の香りが強まる。
「私の矢、多少強化されただけの雑兵には止められないわ」
ルベルが疾風のように十六夜の隊列に迫り、紅の矢を守りの隙間から十六夜の心臓を貫かんと狙う。
しかし、獲物へ狙いを定めた瞬間こそが最も狙われやすいものだ。
十六夜の魅了によって緊張を鎮めた望月。するりと隊列を飛び越えた彼女のライフルの銃口がルベルをレティクルに収めた。
「何故この武器は銃なのに砲なんて大層な名前がつけられているのか分かりますか? 答えは……こういう事です!」
瞬間的な錬金術により、ライフルは浄化の光を放つ必殺兵装、星火燎原砲へと装いを変える。
「未来の、可能性を……!」
更なる錬金術で砲は10年先の未来の型式に生まれ変わる。光が、放たれる。
「未来とは、我らプラグマの為にあるのだ!!」
ルベルが向け直した矢と爆撃で光を減衰させんと試みる。白銀の輝きに幾度も紅が打ち込まれ、エネルギーが圧しあい……銀が勝つ。
「ぐああああああああっ!」
ついに吹っ飛んだルベルに望月が小さく息をついた瞬間。
「逃げろ!」
頭上からティラノの叫びが届く。
ルベルの蠍の髪尾が、鞭のようにしなって望月の足首を打ち付けた。
「きゃあああっ」
地に引き倒された望月の足首は、打ち付けられた髪尾によって痛々しく血を流している。しばらくは立てまい。
「切り取れなかったか、まあいいわ……」
吹き飛ばされ、植木に叩きつけられたルベルが身を起こし、不敵に笑う。……と、傍らで声がした。
「うん、うん、ボスは美形と相場は決まっていますの。倒れてもなお美しくてよ」
満足げなのは先ほど挨拶とキックを同時にキメたカヌレだ。
「昨今は、血液に成分が似通った吸血鬼用の食糧などもありますの。しかし、なんとも味気ない。やはり、血はしぼりたてが一番。幸い、簒奪者の方なら、いくら吸ってもお上から叱られませんし。美と力を併せ持つ者であれば、その味わいは極上……」
「いつの間に……!」
ルベルの手刀をエペでいなし、カヌレの小さな唇が白い首筋に吸い付いた。
「はぁ……っ、離れなさい餓鬼が!」
「やはり生き血に限ります。ごちそうさまですわ」
姿勢を崩したルベルは、追撃の構えを取ったが、何者かが瞬時に展開した大盾によって阻まれた。
「レプリノイドがあんなに……。ハコも皆さんのサポートをさせていただきます」
ハコ・オーステナイト(箱モノリス匣・h00336)が落ち着いた佇まいで、手元にモノリスを戻す。壁のように展開されていた黒い未知の素材は、ぱたぱたと折りたたまれるようにして正方形に収まった。
赤い瞳が一度消防車を見遣り、改めてルベルに相対した。
「ハコです。よろしくお願いします」
自身は普通の人間でも、きっとこのモノリスは役に立つから。ひとりひとりは普通の人間でも、自身にできることで世界を守っていくのだ。
そして、ハコは1人ではない。
ルベルの戦意は衰えない。
「生意気なヒーロー気取りの餓鬼が! 凡人が何人集ろうと無駄よ!」
「その傲慢を打ち砕く……」
3階から、掲揚ポールのワイヤーを片手で掴んでひらりと改造人間がモノリスの横に降り立つ。
「アヴェンジ・ジャスティス、推参。やっと同じ土俵に立てたというわけだ」
ジャスティスの声は鋼より冷たく響く。
ジャスティスとルベルは相対しながらじりじりと間合いを測りあう。
「傲慢はどちらかしら、プラグマに反するできそこないの凡百改造人間が!」
「上位者を気取るお前達にはそう見えるのだろうな。だが……!」
煽りに乗ったか、ジャスティスは真っ直ぐルベルとの距離を詰める。ルベルは細い髪尾で絡めんとするが、それはジャスティスの超高速の残像。獣のように身を低めて髪尾の檻の下をかいくぐってルベルの鳩尾に右拳を入れる。
「か、は、は、ふふ」
それさえもルベルの読みの内か、1本の髪尾がジャスティスの頑健な左腕を絡め、ミシミシと音を立てて締め上げる。内部構造がショートし、火花と煙が上がった。小さな破裂音と共に手首から先が千切り取られる。
「……っ」
「腕丸ごととはいかなかったけど、プラグマの糧となる事、光栄に思いなさい」
美女の口元がにたりと笑い、無骨なジャスティスの左手をガツガツと喰らい始める。吸血された傷も塞がり、荒げていた呼吸が整う。
「回復と思しき機構を確認しました。妨害します」
咄嗟にハコはモノリスを展開し、細い細い黒い糸を作り出してルベルの手元に差し向けた。喰らいきっていない左手を包み、引っ張っての回収を試みる。
「ふ、ふふふ」
逆にルベルがモノリスの糸をくんっと引き、軽い童女の体をふわりと浮かせて己の間合いに引き込んだ。ハコの白い額に毒針のごときルベルアローが突き立てられんとした。
「『ブレイキング・ブースト』は」
がしゃんと何かが落ちた。
「破壊により更に加速する。次の破壊のために」
ジャスティスの機能不全に陥った左腕が、肩から抜け落ちた。
「どちらの破壊でも構わないんだ。自身の一部であっても」
左腕の完全な破壊を代償にヒーローは再加速する。弓持つルベルの右腕を、その手の甲を、特装圧縮銃の一撃が穿つ。
「ひいぃっ!」
流石に呻いて矢とハコを手放したルベル。
「ハコはどうなっても耐えました。けど、そう、今が好機ですね」
目の前でハコのモノリスが変化を始めるのを眺めているしかなかった。
「機構解放……。ハコのナイフは良く切れますよ。」
吸い込まれるように黒刃がルベルの脇腹に迷いなく二度突き立てられた。
「が、は……」
ルベルも流石に咄嗟の悪態が出ず、口から血反吐を零すばかり。
「ふざけるな! 貴様ら、貴様ら……爆ぜてしまえ!」
激怒したルベルの応酬として、夥しい数の蠍が放たれた。そこかしこを這いまわり、√能力者全員を爆発に巻き込もうとする。
ハコがモノリスを手に辺りを見回す。
「盾にしてもこれだけの数は防げない。撤退の経路は……」
「いーえ、当たりませんよぉ、こんなの。皆さん攻めの姿勢ですよぉ、行きましょう! 行きましょう!」
場違いに前向きで鷹揚とさえ言える十六夜の応援歌が不思議と全員の耳に届いた。
「そう、私達は負けません。あなたなんて、怖く……ない!」
望月が立ち上がる。十六夜の少女人形の衛生兵の助けを借り、一歩進む。その足元の蠍は望月を爆殺せんとしているはずが一向に当たらない。
他の者もそうだ。十六夜の洗脳術の応用によって、か細い回避の可能性を絶対回避へとアップデートされている。全てを助け、全てを生かす。それが十六夜の洗脳である。
スクラムを組んだ少女人形たちの手の上に、頷いて望月が乗る。足が効かない望月を、傭兵少女分隊が高く跳ね上げてルベルへと送り届ける。
「馬鹿な!?」
「これが私の全てを懸けた最後の一撃です!」
飛来しながらふりかざす、握りこまれた少女の拳。対するは、風穴の開いた血塗れの右手でつがえたルベルアロー。
「いっけー。ハイパー惺奈ちゃんパンチ!」
十六夜の声と共に、望月の右拳がルベル弓を霧のようにかき消し、そのまま顎にクリーンヒットさせた。
「ちょっ、ちょっと月魅さん!? その技名で呼ばないで下さいって私何度も言いましたよね!?」
攻撃が叶いぺたんと座り込んだ望月が顔を真っ赤にして叫んだ。
「数にあかせて卑劣な仕打ちを……!」
「いや、人を音で操って数で襲うなんて、君が始めたんだからね? 本当無法にも程があるよ」
日頃の公僕の調子のまま、前髪の下で目を細めた写がぼやいた。蠍を避ける為に宙に浮かべた無数のテレビをコツコツと渡って血塗れのルベルに迫る。
彼に片手を引かれて共にテレビの上を渡るのは濃桃色の似合うミュジー・ライラ(D.E.P.A.S.デパスのゴーストトーカー・h00558)。写に寄り添って頷いた。
「あなたが悪い子ね、反省しなさい!」
「うん、僕に考えがある――合わせてくれるかい」
「もちろんよ」
二人は同時にふわりとテレビから降り、地上に着くまでのわずかな間に√能力を発動する。
「僕の影もおいで!」
「一緒に遊びましょう」
地に立つのは4人。写の傍らに黒々とした影。ミュジーの隣には耳を揺らしたモーニンラビット。
「近寄るなゲス共!」
吠えるルベルが四方八方に矢を放つ。柔和なミュジーを狙った一撃は写の呼び出したテレビに突き立てられた。だが高い攻撃力を誇る矢は貫通し、ミュジーの手元に一閃の傷をつける。
「ミュジーさん……っ。イド=シャドウ、元通りに」
写の指示を受けてそっくりな形の影がミュジーの傷に手を翳し、カットバックで傷を受ける前の状態へ復元した。
「ありがとう……。モーニンラビット、写くんを助けて!」
続く二の矢を上手く鍔で受けて払いのけた写がルベルを霊剣・一文字で袈裟斬りにする。ルベルが左腕の爪で抵抗すれば、モーニンラビットがラビットファイアーで炙る。薔薇の香気が焦げ付く匂いがした。
「私も、一緒に……!」
身に着けたマイクとスピーカーを通して、ミュジーのどこか甘い響きを秘めた童謡が魔法の力を帯びてルベルを責める。
「なんだこれは、聞きたくない、ひ、ひぃぃ……!!」
怪人は頭を抱えてもんどりうち、とうとう這うようにして逃げ出す。周囲へ掴まれるものを探して這わされた髪尾を、写が一息で断った。
がくがくと肢体を振るわせて、這いつくばったルベルがどうにか立ち上がろうとする。
「私の計画が……、これでは何の実績も……」
ルベルの目元を覆うバイザー越しに見えたのは、赤。消火器を重たげに下げたベルナデッタが人形の微笑みで立っている。
「貴方がいちばん悪い子ね? 赤色がお望み? ごあいにく様、みんな無力化してしまったの」
「何を……」
ベルナデッタが消防署内で出会った“友達”全て、有事の際は力強こうと、でもそんな日が来ないことを願っていた優しい子だった。
消火器、警報装置、そして消防車。ベルナデッタが語り掛けたそれぞれが、ルベルを倒してと願っていた。
「連れて来たの。優しい子達ばかりだったわ。薔薇に似合う音、貴方からなら出るんじゃないかしら。ちょっと鳴らしてみない? ねえ、みんな?」
うっそりと微笑むベルナデッタを、空からの声が肯定する。
「私もご一緒して構わないかしら?」
それは、西織であり西織でない。セイレーンを身に宿し、揺れる髪に羽毛を混じらせ、霊気を纏って宙を泳ぐレゾナンスディーヴァ。
「ええ、この子達も喜ぶもの」
ベルナデッタの応えを聞いて、セイレーンの中性的な小さな唇が開く。
発せられるのは遠くまで響き渡る甲高い歓喜の声。張り上げているのに透き通り、どこまでも伸びやかに、東洋音階のように柔らかく流れ、西洋音階のように調和したメロディラインが滔々と転調し変化しながら場を包む。
しかし、この歌は、懐かしささえあるこれは……。
「あら」
ミュジーが目を見開いた。セイレーンとぱちりと目が合い、意味を解するとはにかみながらよく知った童謡に加わる。
「あらあらぁ、よい子の皆も歌いましょうねぇ?」
「月魅さんが言うとちょっと怪しいけど、普通に歌おうね!?」
望月と十六夜も同じリズムで揺れる。
「ぎゃああああああ!」
皆にとっては心地よく胸を突き動かす響きが、ルベルにとっては地獄の蓋が開く地鳴りに聞こえる。
共振がルベルの外骨格を揺るがし立つ事すらままならない。やっと形成したルベルアローを天に向けるも、そもそも純然たる音の波動を受け続けて焦点すら定まらない。
ベルナデッタには、消防署に取り残されたモノ達がささやかな声でセイレーンの歌に加わるのが聞こえた。
「そう……そうね。この悪意の火から消してやろう。Mémoire d'Étreinte……」
悲しみの記憶を手繰り、束ね、ベルナデッタが創り出すのは黒の矢だ。
天の歌に風を切る音を重ねて矢を放つ。
「うお゛ぉぉぉぉぉっっ! 黙れ、黙れこの音を止めろぉぉぉぉぉぉ!!」
恥も外聞もなく身じろいで逃れようとしたルベルの胸に矢が吸い込まれる! ギリギリと意思の力が拮抗したのち、怪人は深紅を辺りに散らし、ぼろぼろと崩れるように消失した。
「無粋な響きね」
セイレーンはくすりと笑って、魔性のアリアを歌い続けた。風に乗って、避難した人々の元にも勝利の歌が届く事だろう。
「――そうして、また公僕は務めを果たす日々に戻りました、っと」
写はコートのポケットに両手を突っ込んで、署長室をぶちぬかれた消防署を見上げた。
ミュジーは静かに傍らに寄り添う。
「じゃ、行こうか。ラーメン屋」
「……ええ!」
安全な道、温かな食事、他愛無い会話、小さな約束。何の変哲もない一日が、今日も始まる。