癒水のフロアに、たぬき出ます
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光を受けてきらめく水面が、壁にも揺らめく模様を映している。
ぱちゃん、ぴちゃんと響く水音のリズムは、耳に心地よい。
そっと足を浸せば、ほのかに温かい場所もあれば、ひんやりと冷たい場所もある。流れる水の感触を楽しめる場所もあった。
ここは癒水のダンジョン。初心者でも気軽に訪れやすい場所として知られ、特に名の由来にもなった『癒水のフロア』は人気が高い。
足湯のようにくつろげる温水や冷水の床。
ぷかぷかと浮かんで遊べる場所。
寝転んで、寝湯のようにのんびりできる場所。
忙しない日々で疲れた心や体を、ゆっくり癒やすにはぴったりのフロアだ。
「ぽーん」
――そんな穏やかな場所に、今日はちょっとだけ変わったお客さんがいるらしい。
誰もいない水のフロアで、かわいいたぬきが、寂しそうにぽんと鳴いていた。
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「サンドイッチと水のリラクゼーション、興味ないかな。あと、かわいいたぬきも」
猫宮・弥月は、さきほど詠んだ星の巡りについて話し出す。
√ドラゴンファンタジーの|癒水《ゆすい》と呼ばれるダンジョンに、『かわいいたぬき』が現れるらしい。
「大した害はないんだけどね。ちょうどダンジョンが空いてるタイミングみたいでさ。だーれもいない水のフロアで、ぽーんって寂しく鳴いてる」
放っておいても大事にはならなそうだ。
けれど、なんとなく夢見ならぬ星見が悪い。なのでよければ構いに行ってあげてほしい、というお願いだ。
「癒水のフロアでまったりしていると、たぬき出てくるから。ダンジョン前のサンドイッチストリートで、お弁当確保しがてら遊びに行ってほしいな」
ダンジョン前には、様々な具材やパンを揃えたサンドイッチの店がずらりと並んでいる。野菜に肉に魚、果物にスイーツ、いろんなサンドイッチを作ることができるのだ。
自分で作ってもいいし、お店の人のおすすめを聞いてもいい。ガッツリいくもよし、手軽に楽しむもよし、である。
「ピクニック気分で、気軽に行ってみてくれるとうれしいな。ついでにたぬきもかまってあげてよ」
見た目はかわいいいたぬきだが、インビジブルの一種で野生動物ではないので、触れ合うのにも問題はない。
サンドイッチ補充のついでに、たぬき用に何か買っていってもいいだろう。どうやら食べられるものなら、だいたい何でも興味を示すようだ。
「どうか、よろしくね」
弥月は軽く頭を下げるのだった。
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ダンジョンの前には、様々なサンドイッチの店が並んでいる。
白くふわふわのブレッド、硬めのバゲット。薄く軽いピタパン。
パリッとした葉野菜、シャキシャキのきゅうりや玉ねぎ。
ホクホクのじゃがいもに、甘いにんじんやコーン。
ジューシーな肉や魚。
カツやハンバーグ、つくねといった食べ応えのある具材もある。
みずみずしい果物に、甘いクリーム。
カステラやチョコレートのような、デザートめいた組み合わせだって可能だ。
それだけではない。
固形燃料やグリス、陰膳のように捧げた品など、機械や特殊な種族向けの“具材”まで並んでいる。
どんなサンドイッチにしようか。
何を選ぼうか。
店を見て回るだけでも楽しいし、誰かと相談して決めるのもきっと悪くない。
店主におすすめを聞いてもいいし、たぬき向けに選んでもいい。
モンスター素材や不思議植物など、普段選ばないような、ちょっと冒険した具材を探すのもいいだろう。
味見として、つまみ食いしておくのも重要かもしれない。
第1章 日常 『サンドウィッチ・フェスタ!』
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「へー。いい感じのところっぽいね」
雅楽川・菫 (動いて、世界・h12403)は星詠みの話を聞いて、癒水のダンジョンに行ってみることにした。
のんびりできるのもいいし、何より水場だというところがいい。プールや温泉などの水が多くある場所なら、菫の発する魔性の香気が香りにくく、魅入られた人が変に絡んで来ることもないからだ。
うきうきとダンジョン前に来てみれば、ずらりとずらりと並んだ店の数々。
店頭に飾られたショーケースの中では、みずみずしい野菜や美味しく調理された肉や魚、ソースやパンが待っている。
「こんにちはー」
「いらっしゃいませ。 好きに選んで詰めていってください〜」
店の人に声をかけ、菫は早速具材を見繕いながら、菫はふと気になったことを口にした。
「持ってくのがサンドイッチって面白いね。携帯食料とかじゃないんだ」
「最初はそういうお店もあったんですよ。でもダンジョンはのどかですし、この近辺に花畑や散策にちょうどいい林、景色のきれいな丘なんかもありまして〜。野菜や小麦、パンの有名な街も近くて、いつの間にやらサンドイッチの店がずらずらと」
需要と供給の結果だったらしい。
「あ、水分はある?」
「ジュースもお茶もありますよ。癒水のフロアまでいけば、安全に飲める湧き水もあります」
大事な水分のことも聞けば、どれにします、とメニューが出てきた。気になる品を選んで、菫はサンドイッチ作りに戻っていく。
まずは、現れるというたぬき用。普通のサンドイッチをあげても平気かな、と少し悩んだものの、ネギ類を抜いて、焼き鳥っぽい肉の焼き物を挟んだ物を作る。
自分用にはたっぷりのたまごサンド。
しゃきっとしたレタスと塩味と旨味のハムのサンド。
たぬきとおそろいの、焼き鳥にレタスとマヨネーズを合わせたサンドイッチ。
そして、断面もきれいなホイップクリームとイチゴのデザートサンド。
(食べ過ぎかな? たまにはいいよね!)
カロリーからは目をそらし、楽しみに注目する。自分で選んで、好きなように挟んで。ちょっと飛び出てもご愛嬌、上手くできれば、ちょっとした達成感まである。 そうして作っていく時間は、なかなか楽しいものだった。
けれど長くは留まれない、そろそろ移動したほうがいいだろう。
(癒水かぁ、プールかな、温泉かな? どっちにしろ楽しみ!)
サンドイッチを抱え、菫は足取り軽く癒水のフロアへ向かったのだった。
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真白・璃亜(風花の冒険者・h09056)の足取りは、うきうきと弾んでいた。大好きな八海・雨月(とこしえは・h00257)との初めてのお出かけなのだから、それも当然だろう。
そんな璃亜の様子を見ていると、彼女の楽しいという気持ちが伝わってくるようで、雨月の頬にも自然と笑みが浮かんだ。
「それにしても、サンドイッチを携えてたぬきと遊びに行く、なんとも呑気な話ねぇ……」
「そうだねー、ゆっくりできそうな話だね!」
「ええ、そういうのは大歓迎」
「うん!」
危険よりも癒やしが主役のダンジョンへ向かう準備として、二人はサンドイッチストリートを歩いていく。
並ぶ店々のショーケースには、完成品や見本のサンドイッチがずらり。たっぷり具の詰まったもの、断面の綺麗なもの、意外な組み合わせのものまであって、つい目移りしてしまう。
「わーい! 見て見て、雨月さん! 美味しそうなサンドイッチがいっぱいだねぇ!」
「そうね、色々並んでるわねぇ。中々の品揃えだわぁ」
「すごいねー、あれもおいしそうだし、こっちも気になる!」
「ふふ、これは確かに迷っちゃうわねぇ。見てるだけでも楽しいわぁ」
並んだ食材を前に、璃亜はあちこちへ視線を走らせる。あれも気になる、これも美味しそう。そんなふうにころころ表情を変える様子を、雨月は隣で楽しげに眺めて微笑んで、並ぶ品を眺めていた。
「自分で作ったりも出来るみたいだよー。ね、良かったらお互いのサンドイッチを作り合いっこしてみない?」
「お互いのを作るなんて面白い考えねぇ。良いわぁ、作りましょ」
「うん!」
璃亜は、雨月が好きだと言っていた鯖を主役に選ぶ。
サクサクの鯖フライに、みずみずしいレタスとトマト。ケチャップとマスタードを少しだけ混ぜたスパイシーなソースで風味を引き立て、柔らかめのバゲットで挟めば、璃亜特製のお弁当サンドの完成だ。
雨月に美味しいって喜んで欲しい。そんな気持ちが、具を並べる手つきを少しだけ丁寧にしていた。鯖も野菜も、こぼれないようにきゅっと収まりよく整えて、見た目も食べやすさもばっちりだ。
一方の雨月は、璃亜も魚好きだと言っていたのを思い出し、サーモンをメインにしたサンドイッチを仕立てていく。
たっぷりのスモークサーモンに、ツナ入りクリームチーズ。王道のケイパーとディルで味を引き締め、紫玉ねぎとレタスで彩りも添える。しっかりしたバゲットに挟めば、食べ応えのあるカスクートのできあがりだ。
作るのであれば、やはり喜んでほしい。璃亜の喜ぶ様子を楽しみに、雨月も具をたっぷり詰めていく。味だけでなく見た目も華やかになるように整えたのは、きっと璃亜が「わあ」と目を輝かせるだろうと思ったから。
「あら、璃亜のサンドイッチおいしそうねぇ。食べるのが楽しみだわぁ」
「えへへ、雨月さんのもおいしそうだよー!」
互いの出来栄えを見てにこにこしてから、二人はサンドイッチをワックスペーパーで丁寧に包んでいった。
今すぐかぶりつきたくなるくらい美味しそうだけれど、ここは少しだけ我慢。後での楽しみに、包み終えたサンドイッチを見て満足そうに笑いあう。
「そうだ、きっとたぬきちゃんもお腹空いてるよね!」
「ああ、確かにたぬきにお土産も必要かしらぁ」
寂しそうに鳴いているというたぬきを思い浮かべながら、二人はお土産も見繕っていく。
「キャロットラペにレタス、チキンにパンも買っておこうかな?」
「なら、これおいしそうよぉ。オレンジ風味のラペですって」
「ちょっと多めに買って行って、私達も食べよっか!」
そのままでも、あとで挟んでも良さそうな具材を少し多めに包んでもらって。
「これだけあれば十分でしょ。喜んで貰えると良いわねぇ」
「ねー、喜んでくれたらいいな!」
穏やかな水辺での一緒のお弁当タイムと、たぬきの喜ぶ姿を楽しみに。
二人はまた並んで、癒水のダンジョンへと向かうのだった。
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「わ~いリラクゼーション系ダンジョンや!」
水の音も流れも心地よく、ゆっくりするのに向いた場所と聞いて、濱城・茂音 (HATAKEの伝承者・h00056)は喜んでダンジョンに向かうことにする。 たまの骨休めの一時だ、素敵な時間にしたいとうきうき気分になるのも悪くない。
お昼ご飯も準備していこうと、サンドイッチストリートで、茂音は具材を選んでいく。
「これ何肉やろか?」
「鶏肉だよ。こっちのは味付けは塩コショウだけだから、どんなソースにも合うよ」
「ほなこれにしよ! サンドイッチにも合うで!」
レタスはたっぷり、お肉は大きくとびきりジューシーなひと切れをそのままで。
そこにマスタードとソースを合わせて、柔らかいブレッドで挟めば、若者のお腹も喜ぶガッツリ系サンドイッチが出来上がる。
「で、たぬきにもサンドイッチ買うてったろ!」
続いて作るのは、たぬきの分だ。
「たぬき雑食やし、肉も野菜も食べるんとちゃうかな。調味料はちょっと悪影響かもしれへんなぁ」
インビジブルだとしても、刺激物は悪影響があるかもしれない。
なのでソースやマスタードなどは抜きにした、素焼きの鶏肉とレタスのサンドイッチにする。
揃った二つのサンドイッチの出来栄えに、ふふんと胸を張った茂音だが、自分の分が一個では少し物足りない気もしてきた。
畑仕事のためにも、しっかり食べるのは大事なこと。育ち盛りでもある茂音は、普段から結構がっつり食べる方だ。
「調味料余っとるし、うちの分もう一個作ろか~♪」
同じものをもう一つ作って、自分用に二つ、たぬき用に一つ。
大事そうにサンドイッチを抱え、茂音はにこにこと次の目的地へ向かう。
「たぬきさん、待っとってな~。一緒にのんびり、お昼にしよな!」
水音の聞こえる癒やしの場所で食べるお昼は、きっといつもよりずっと美味しい。
そんな期待を胸に、茂音は軽やかな足取りでダンジョンへ、たぬきのもとへと向かったのだった。
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「イスカくん、ピクニックに行きませんか?」
「ピクニック?」
「はい。水辺でサンドイッチを見ながらタヌキを食べます」
「待って、情報量多くない?」
うきうきしたアイン・スフィア(いるかいないか、いないかいるか・h00834)の誘いに、弥鳥・唯朱花(禍鳥封月・h01089)は表情こそ変えないものの、内心では疑問符をいくつも浮かべていた。
「ピクニックと、水辺でサンドイッチまではわかるんだけど。……サンドイッチ見るの? たぬき?? 食べる??」
「……間違えました! たぬきは食べないです!」
「あ、たぬきは食べないんだ?」
唯朱花が首を緩く傾げるのに、パタパタと顔の羽を羽ばたかせてアインは同意する。
「ゆっくりできるダンジョンの水辺で、たぬきの姿のインビジブルが、ぽーん、て鳴いてるそうです」
「ぽんぽこぽーんのぽーん? 可愛いね」
「誰もいないと寂しそうだから、ピクニックがてら遊びに行ってほしいという依頼です。ダンジョン前にはサンドイッチのお店もあるので、お弁当に買っていくのはどうでしょう」
羽をそわそわさせるアインに、唯朱花はこくりと頷いた。
「ふーん、いいよ、行こっか」
「わーい、行きましょう~!」
ぱっと羽を広げて喜ぶアインに、唯朱花の目も優しく緩む。そうして二人は、件のダンジョンへ向かうことにした。
「あ、たぬきの肉は本当に美味しくないそうですよ」
「うん、たぬき食べるほど困ってないからね、俺」
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到着したサンドイッチストリートで品物を眺めながら、アインは唯朱花に問いかける。
「サンドイッチ。イスカくんはどういったものがお好みですか? やはり王道を征く卵サンドでしょうか。エビアボカドとか……」
「俺はちょっと和風の好きだよ」
「和風ですか?」
唯朱花の答えに、アインは不思議そうに首を傾げる。サンドイッチと和風がうまく結びつかなかったらしい。
「そう。パンでしょ、海苔でしょ、カニカマサラダでしょ、錦糸卵たっぷりで海苔でパンっていうやつ」
海苔には少し醤油を垂らすのもいい。マヨネーズの効いたカニカマサラダに、きゅうりやレタスも合う。そこへ金色の錦糸卵がたっぷり入ると、見た目も味も良い。
「なんと、そういったものもあるんですねぇ」
「あとね、カツサンドもすき」
さっくりしたカツに、しゃきしゃきのキャベツ。ソースがじゅわっと染みたやつがいい。チーズ入りのミルフィーユカツなんかもおいしい。
「サンドイッチ、奥が深い……」
「アインは?」
顔の翼を震わせて感心するアインに、唯朱花は逆に問い返した。
「わたくしですか? わたくしは、味覚的な好みというものはあまり無くてですね……」
「ああ。味覚っていうか、お前口とかないもんね……」
そう言いながら、唯朱花はついアインの顔部をじっと見る。
以前見た、食べ物がそこへすっと吸い込まれていく光景を思い出したのだ。
「えへへ、そうなんです。わたくしは食材や調味料の味ではなく、籠っている情念を味わっているので……」
「ああ、そういう?」
なるほど、と唯朱花は小さく頷く。
それなら、ここで買うより——と、自然に次の言葉が出た。
「じゃあ、帰ったら俺が作ったげる」
「本当ですか!」
「うん」
唯朱花の提案に、アインは羽を軽やかにぱたぱたと揺らした。
たくさんの人に向けられた気持ちが籠もる店の品も悪くない。けれど、唯朱花が自分のためだけに作ってくれるものは、アインにとって特別だ。
「わぁ、うれしいです! 楽しみですねぇ」
「何食べたい?」
「何がいいでしょうか……悩ましいです」
「決めらんない?」
「はい……」
そわそわと翼を震わせるアインに、唯朱花は少し楽しげに笑ってみせた。
「作るのはなんでもいいけど、帰るまでに決めときなよね」
「はい、決めておきます」
今は唯朱花の分のサンドイッチを買っていこう。もしアインが気になるものがあれば、それも一緒に。それからダンジョンに向かえばいい。
そんなふうに話しながら、二人はサンドイッチストリートを歩いていくのだった。
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「おれー、たぬきって絵本とかでしか見たことないんすよねー」
「……人里で見ることはほぼ無いしな、たぬき。俺も初めてになるな」
日常でそうそうお目にかかれない相手だ。
だからこそ、花倉・月笠(童話の魔女にはなれないが・h00281)の足取りは、海の中を漂う海月のように、ふわりと軽い。紫雲・明良(|無銘の悪魔《デモノイド》・h01797)は、そんな浮き立つ歩調に自分のにテンポを合わせて歩いていた。
「たぬきちゃんに会うの楽しみだなー」
「……厳密にはインビジブルらしいが」
「どんなたぬきちゃんなんすかねー」
「少なくとも寂しがりではあるようだ」
「あと食いしん坊さんかな?」
寂しそうにぽーんと鳴いていて、食べ物にも釣られやすいらしい。
会ってみれば、想像通りか、それとも全然違うのか——それを確かめるのも、きっと楽しい。
「でもその前にー、サンドイッチっすー!」
「そうだな」
お昼の準備も大事だと、月笠はサンドイッチストリートのショーケースを覗き込むなり、ぱっと顔を輝かせたる。明良も同意し、一緒に覗き込んでいた。
並ぶ品々はどれも魅力的で、見ているだけでも胸が躍る。何を食べようかつい迷いそうになる。
「俺、好き嫌いないしー、どれもこれも美味しそうだけどー。アキラさんはー、何にするっすー?」
「サンドイッチとくれば定番がある」
「定番?」
「たまごサラダにBLT……ベーコン・レタス・トマトだな」
たまごサンドなら、ふわふわのパンと卵のまろやかさにマヨネーズのコクが合わさった美味しさで。
BLTなら、ベーコンの塩気、しゃきしゃきのレタスとトマトの瑞々しさが一度に味わえる。
聞いているだけでも、いかにもサンドイッチらしい王道の顔ぶれだ。
「たぬきの好みは分からないが、無難どころだし、どっちかくらいは当たるだろう。たぶん」
「おおー、まさにサンドイッチってかんじのやつー! おいしそうー……!」
「月笠はどうする?」
「おれはお魚ちゃんが好きなのでー、まずはバゲットにお魚ちゃんのフライを挟んだやつ買おー!」
「魚のフライはちょっと珍しいな」
さっくりフライには魚の旨味がぎゅっと詰まっていて、野菜のみずみずしさがぴったりな組み合わせだ。ソースを少し濃いめにしてもよく馴染む。
なるほど相性は悪くなさそうで、明良は小さく首を傾げる。
「組み合わせて悪そうではないし、食べたら普通に美味そうだが……」
「美味しいっすよー、一口味見します?」
「あとで貰おう」
「いいっすよ。たぬきちゃんの分も買ってこっと。お魚好きだといいなー。あとはー、やっぱり他では食べられなさそうなやつが食べてみたいのでー」
月笠は並んだメニューの一つを元気よく、ぴしっと指差した。
「モンスター素材を使ったサンドイッチ! おすすめのやつ、くーださい!」
「あいよっ、ならレインボーフィッシュサンドなんてどうだい? 齧るごとに七つの味に変わっていく魚に塩を振って焼いたやつを、玉ねぎやトマトと挟んだサンドイッチだ」
「んじゃそれ!」
「……ちょっと待った」
景気良く返事した店の親父に、ぱっと顔を輝かせた月笠に、明良は質問したいと手を上げる。
月笠が楽しそうなので止める気はない。ないのだが、一応確認したいところなのだ。
「なんだモンスター素材のって。それは……本当に食べて大丈夫か?」
「大丈夫だ、この辺りじゃよく食べられてるモンスター魚なんでね。一口目はマグロ、二口目はサーモン、次にはサメ、それからサバ、タラ、イワシ、タコの味に変わっていくんだ。八口目からはまたマグロって感じにな」
「おおー面白そうっす!」
「……胃薬とか売ってたりはしないのか、念の為」
「はっはっは、もちろんそういう人用に売ってるよ!」
念には念を、と明良は胃薬をひとつ買い足す。
一方の月笠は、きらきらした目のまま、レインボーフィッシュサンドを受け取ったのだった。
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たぬきがひとりぼっちで、鳴いているらしい。
秋常・賢葉(若き脳筋魔術師・h07171)の誘いに、ルナリア・ストームクロウ(ぷにぷにもちもちおはだ・h07593)はその光景を思い浮かべて、少し胸がしゅんとした。
「たぬき、ひとりぼっち?」
「うん。だから会いに行かない? お弁当にサンドイッチ持っていこう」
「いくー。1人だと寂しーよねー、分かるよー」
そうして二人で、件のダンジョンへと向かっていく。
賢葉のあとを歩くルナリアは、あまり訪れることのない街の様子に、興味津々であたりを見回していた。
賢葉はそんなルナリアがはぐれないように気を配りつつ、あれやこれやに視線を向ける姿を微笑ましく見守っている。
「ぼーけんー」
「冒険、というよりはピクニックみたいなものだね。のんびりと楽しめればいいけど、その前に買い出し買い出し。バスケットいっぱいにサンドイッチを買っていこう!」
「うんー。いっぱい食べるー」
「ルナリアは何が好き?」
「お肉とか木の実がいーなー……じゅわっとするのも、かりかりなのも好き」
「わかった。お肉がたくさん入ったのや、木の実いっぱいなやつを買っていこう」
普段は生肉や果物、ナッツ類を好んで食べるルナリアにとって、調理された品はまだ馴染みが薄い。
それでも、美味しそうな匂いには素直に惹かれる。
見繕っていた賢葉の隣で、ルナリアはふと肉系の具材の並んだ場所に興味を示した。
「くんくん……美味しそーな匂い………」
「ベーコンかな? ああ、他のお肉もあるね」
ジューシーな生ハム、炙った香りも香ばしいベーコン、グリルチキン。ローストポークやローストビーフ、カツもある。
食欲をそそる香りに、ルナリアは口の中がじゅわっとした。
「賢葉、あれ欲しいー……お金足りるかな……?」
ルナリアがくい、と賢葉の腕を引き、先日稼いだ金貨を取り出して見せれば、賢葉はにっこり笑って頷いた。
「大丈夫、充分足りるよ」
「足りるの? やったー! じゃー、お肉とか沢山欲しー」
「うん、いっぱい入れてもらおうね」
子供のようにはしゃぐルナリアが満足するサンドイッチを作ってもらおうと、賢葉は店員に声をかける。
「すみません、このベーコンと生ハム、あとローストビーフを使ったサンドイッチお願いします。お肉多めで」
「かしこまりました」
「できたら、クルミなどのナッツを砕いて入れてください」
「できますよ、お入れしますね」
賢葉の注文通り、パンの間に生ハム、ローストビーフ、ベーコンがたっぷりと重ねられていく。
間にはクルミやマカダミアナッツを砕いたソースもかかり、食感と香りのアクセントになる。
その様子を、ルナリアはきらきらした目でじっと見つめていた。
「あと、フルーツサンドもお願いします」
「木の実いっぱい……」
崩れないように支えになるクリームの上に、たくさんの鮮やかなフルーツが並んでいく。見た目も楽しいサンドイッチに、ルナリアの瞳も輝くばかり。
「たぬき、これ食べるかなー……?」
「そうだね、フルーツサンドならいいと思う」
「ならたぬきの分も買ってこー?」
「うん」
少しフルーツを多めにしたものを更に買い、賢葉とルナリアは歩き出す。
「ルナリア、次はあっちいってみる? 試食があるよ」
「ししょく?」
「味見できるサンドイッチだね。気に入ったら買っていこう」
「わー……食べていいのー?」
「うん。食べ過ぎは注意、だけどね」
「うんー」
こくこく頷くルナリアの手を引いて、賢葉は次のお店を目指す。
サンドイッチを詰めるバスケットにはまだ余裕があるし、歩いているうちにお腹も空いていく。
ルナリア好みのサンドイッチも、賢葉が気に入ったサンドイッチもまだまだ買うことができるのだから。
それに、ルナリアは時折バスケットを覗き込みながら、たぬきの分を気にするように大事そうにしていた。
もっとたっぷりサンドイッチを詰めたバスケットを持って、たぬきに会いに行くべく、二人の足取りはいっそう楽しげなものになっていた。
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ダンジョンにたぬきが出るらしい。
「たぬき! たぬきだってエノくん」
「たぬきだな、時雨殿!」
トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)と野分・時雨(初嵐・h00536)は、わくわくと盛り上がっていた。
街中ではなかなかお目にかかれない存在、それがたぬきだ。EDENである二人にとっても、そうそう見かけるものではない。
ここのたぬきはインビジブルだが、やはり化けるのだろうか。
「化ける狸というのは妖怪っぽさもあるよなぁ」
「エノくんたぬき好き? ぼくは普通」
「そうだなぁ。あまり見た事がないので今後の参考にしようかと〜」
「今後の参考……? なんの……?」
たぬきに参考にするポイントはあるのだろうか。
毛並みとか可愛さとかだろうか。
偶蹄の友である時雨でも、とんと検討がつかない。
そんな友人の疑問に、トゥルエノは少年の見た目にそぐわない、大人びた笑みを浮かべてみせた。
「その答えは、たぬきに会ったときの楽しみにしておいてもらおうか。その前に腹拵えのサンドイッチ選びだな!」
「だね、まずはお弁当の確保! しっかり食べよう!」
ダンジョンの前、並ぶサンドイッチの店。ショーケースの中の品々に、いつでも食べ盛りの二人はじっと視線を定める。
「具材たくさ~ん。何にする?」
「どれも美味しそうだな。時雨殿の所で沢山ホットサンド見たのも懐かしく」
あの時は、自分の手でキノコバターサンドやピザ風ホットサンドを焼いたものだった。持ち帰った品を見た主のことも思い出し、少し懐かしくトゥルエノは微笑んだ。
そんな自分より小柄な友人に、時雨はいっぱい食べて健やかに育って欲しいと思ったのだ。
「エノくんもりもり食べて身長伸ばしなよ」
「……わたしの身長も伸ばした方が良いだろうか?」
今は少年らしい背丈だが、実年齢はもっと経ているトゥルエノである。大人びた姿をするならば、と少し眉を寄せて悩み。
「本性2mの主を越えない位の……180とか有ったら
良さげだろうか」
「良いじゃん、主さん越えよう」
背丈の話はさて置いて、二人はサンドイッチ選びに戻ることにする。
「野菜とかもたくさん食べなよ。お魚派? お肉派?」
「どちらも良いな。ジューシーな肉や魚の具材も美味しそうだ。フレッシュ野菜も瑞々しいが」
「ぼく、つくねいれます。珍し。あとお野菜もりもり」
「つやっとして綺麗だなぁ」
刻んだ人参や玉ねぎ、ごぼうが入っているふっくらしたつくねは、照りのいいタレが絡んでおいしそう。たっぷりのレタスとキャベツと挟めば、シャキシャキの食感とジューシーなつくねが味わえるに違いない。
「わたしはフルーツサンドと云うのが気になって」
「フルーツも良いね~! 食べたい」
「うむ、花咲くような見目だなぁ」
店先の完成品を見てみれば、まさにパンの間で花が咲いたような品々が並んでいる。
赤いいちごやベリー、オレンジの柑橘、メロンやキウイの緑にパイナップルの黄色。白いクリームや淡いカスタード、チョコクリームの中で、ぱっと鮮やかな顔を見せてくれる。
選んだサンドイッチの断面を見て、トゥルエノはふわりと微笑んだ。
「うむ、春らしくも美味しそうだ」
「ぼく、クリームは控えめがいいな。代わりにフルーツもりもりにするの」
「それもいいなぁ」
時雨は少しクリームを控えめにして、空いた隙間にはいっそうフルーツを敷き詰めてみた。しっかり並んだフルーツがジューシーな顔を見せてきて、かぶりつくときが楽しみだ。
「たぬき用にお野菜サンドも作ろっか。葉っぱとお芋と〜」
「雑食らしいタヌキは何でも喜びそうではないか……?」
「お肉も入れます?」
「フルーツもいいかもしれん」
「じゃあ、ちょっとずつ色々作っていこうか」
トゥルエノと時雨は、楽しくサンドイッチを選ぶ。
自分たちのお腹を満たすため、出会うたぬきに贈るため。
おいしい品をたっぷり選んだなら、あとはダンジョンへ向かうだけだ。
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ウィズ・ザー(闇蜥蜴・h01379)とガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)は、サンドイッチストリートにずらりと並ぶ店々を前に歓声を上げた。
「わあ、サンドイッチの激戦区ですね!」
「ぉお、こりゃァ壮観だな。面白そうじゃねェか」
ショーケースの中にも店先にも、たくさんの具材や完成品が並んでいる。どの店を選んでもおいしそうだ。
選択肢が多すぎて、ガザミは幸せなパニックを起こしそうになっていたし、人型をとったウィズも、人の波に揉まれながら楽しそうにぐるりとあたりを見回していた。
「露店を巡って食材探しと味見を楽しみたいです! 実際に挟む食材は『冒険』したいですね」
そういうガザミの後ろから、素早く駆け抜けていく影がある。
動く人参が二股に分かれた足をしたたたたっと動かして、あっという間に二人を追い越していった。
後ろ姿を見送ってから、二人は顔を見合わせる。
「……今、根菜に追い抜かれたような?」
「……あの人参シャカシャカ走ってンな。逃げて来たか?」
どうやら不思議食材も揃っているらしい。人参がやってきた方向——そういった品が集う一角へ、二人は足を向ける。
「普段見ねェ|食材《ヤツ》も多いなァ」
「ウィズさんも一緒に冒険食材いかがです?」
「付き合うぜェ♪」
初体験の食材には勇気がいるが、好奇心が背中を押してくれる。
「ぱちぱちしますね」
「ほー、花粉なのかコレ」
口の中で弾けるスパークルフラワーの花粉は、少しスパイシーな甘さ。
「お、緑になったなァ」
「僕は紫です」
見た目は普通のイカだが、一口齧るごとに肌の色が変わっていくカメレオイカの姿焼きは、ぷりぷりな食感もいい。
「コカトリスの石焼き手羽先デカめだな。ん、このタレ良いなァ……解して入れるか」
「美味しい匂い。……んっ、濃厚な脂身が最高!」
タレをつけて焼いたコカトリスの手羽先は、しっかりした身とジューシーな脂身がよいバランス。
「鍋で煮込まれながら歌うマッシュルーム。食べると声がソプラノに♪」
「はっはァ、美声じゃねェか」
「雷雲わたあめは、電気が走って髪が逆立つのが面白いですね」
「ぉお……ガザミ、髪型がウニみてェになってるぜ」
「こっちのスープは良いコクですね」
「ほーん、飛竜のテールスープ。添え物に良いな!」
試食を重ね、ウィズとガザミはこれ、と決めた品を選び出す。
もちろんたぬきの分も忘れてはいない。
「むむ、どれも絶品ですが、タヌキさんには刺激が強そう」
「少し優しめの具材にしとくか。宝石ザリガニの身をホットドッグみたいに挟んで、トロミつけたエスプーマ醤油の実をベースに味付けするぜェ♪」
「僕の方は、完熟柿と栗、キノコを挟んで『里山ミックスサンド』完成!」
ぴかぴかでジューシーな宝石ザリガニの身をほぐし、シャキシャキのフリルレタスと一緒にパンへ挟む。
エスプーマ状の醤油味の果肉に、ふわふわのウールはちみつを合わせたソースもたっぷり。たぬきも目を輝かせるだろうか。
しっかり熟した甘い柿、ホクホクの栗に、香りも味も豊かなきのこを挟んだサンドイッチも、お互いの具材の味をシンプルに感じられてとても美味しそうだ。たぬきも馴染み深い食材に大喜びするだろう。
「いいねェ。ちゃんと自分の分も作ったか?」
「はい。でも中身は食べる時までナイショです」
「お? 秘密かよ。んーじゃ楽しみにしとくかねェ〜♪」
食べるその時まで、お互いの特製サンドイッチを秘密にするのもまた楽しみのひとつ。
そんなわくわくを胸に、ウィズとガザミはダンジョンへと向かうのだった。
●
神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)と小夜雀・小鈴(雀風招き・h07247)は、楽しい気持ちを携えてダンジョンへ向かう道を歩いていた。
「今日はたぬきに会いに行くのです!」
「どんなたぬきでしょうね」
「きっと癒やされるのです。たぬき、和みますよね」
ぽーんと鳴くたぬきらしいが、毛並みはどうだろうか。人懐っこいだろうか。食いしん坊かもしれない。
わくわくと想像を膨らませながら、お弁当を仕入れるために、二人はサンドイッチストリートにも立ち寄った。
「たくさんのサンドイッチがあるのです」
「こうして選ぶ時間から、遠足みたいで楽しいですね」
「はい。わたし、神隠祇さんの分、お作りしますのです」
小鈴はふんわりしたブレッドに、シャキシャキのレタスと、塩気と旨味がちょうどいいハムを挟んでいく。
パンが湿りすぎないよう丁寧にバターを塗り、レタスには少しだけマヨネーズを添えて。
最近頑張っている境華を労いたい。今日一日が楽しくなるように——そんな思いを込めて、味も見た目も綺麗に整えていく。
「では、小夜雀さんの分は私が……」
境華はふわふわのピタパンに、たっぷりのタマゴサラダと、甘いたれが絡んだ照り焼きチキン、レタスを挟んだ。
小鈴はたまごサンドが好きだと聞いていたし、食べ応えもあって、お返しにも丁度よいと思ったのだ。
小鈴も喜んでくれるだろうか。そんな気持ちで、具も少し多めに詰め込んでいく。
「境華さんの、おいしそうなのです!」
「小鈴さんのも。食べるのが、今から楽しみです」
完成品を包みながら、境華はほかの品にも目を惹かれていた。
チョコやクリームのような甘いものや、ジューシーな果物が入ったサンドイッチが、まるで手招きしているように見える。
「小鈴さん、フルーツサンドはいかがですか?」
「デザートにぴったりです、素敵ですね」
せっかくの遠足だ。目一杯楽しまなくては。
小鈴は甘いクリームにいちごを乗せたフルーツサンドを作り、境華はチョコクリームとバナナのサンドイッチを選ぶ。
切った断面も彩りを楽しめるように、お互い工夫を話し合いながら。
「たぬき用にも少し分けておきましょうか」
「きっと喜んでくれますのです」
そうして準備を整えた二人は、期待を胸にダンジョンへと歩みを進めた。
●
道中、少し会話が途切れた時。
小鈴は境華へ改まって向き直る。
たくさんの感謝と、少しの真剣さを混ぜた笑みを浮かべて。そっと頭を下げ、小鈴はお礼を口にした。
「境華さん。先日は助けてくださって、ありがとうございましたのです!」
この遠足には、もうひとつ大切な目的があった。
以前、一緒になった依頼で戦闘になった時に、境華は小鈴を助けてくれた。
その時の感謝の気持ちを、改めて言葉にして伝えたかったのだ。
ぺこりと下げられた頭と、まっすぐなお礼の言葉。
境華は嬉しく思いながらも、少しだけ戸惑う。
助けた、というよりは、共に戦った、という感覚の方が近かったから。
否定しかけた言葉は、喉元でそっとほどけていく
小鈴の真摯な感謝は、十分すぎるほど伝わってきた。謙遜ばかりでは、きっとこの気持ちに失礼だろう。
だから境華は、素直にその想いを受け止めて。柔らかな微笑みと共に、そっと返した。
「こちらこそ、ありがとうございます」
感謝してくれて。
そして、楽しい遠足に誘ってくれて。
そんな気持ちを込めた言葉は、小鈴にもまっすぐ届いた。
いっそう打ち解けた二人は、弾むような楽しさを胸に、ダンジョンへと向かっていくのだった。
●
詠まれた星の話を聞いて、大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)は、野分・風音(暴風少女ストームガール・h00543)に感心したように話す。
「√ドラゴンファンタジーには心癒される風景が多いんですね」
「そうだね、綺麗な場所も多いかも」
今回向かう場所も、穏やかな風景が楽しめるダンジョンらしい。藍生はむん、と拳を握って気合を入れようとした。
「初心者でも訪れやすいダンジョンなのならば、ここで初心に帰らねば」
そう、一度初心に立ち返り、改めて冒険に向かう姿勢を確認しようと思ったのだ。
「ダンジョンにたぬきさん、一人……いや、一匹でさみしくないんですかね? せっかくですので会いにいってきましょう!」
「うん、会いに行こうか。ふふ、お弁当買ってたぬきに会いに行くなんて、まるでピクニックみたいだね!」
「これは確かにまるで……ピクニック!」
けれど風音の爽やかな風のような、けれど勢い良く吹き飛ばしていく一言に、決意は霧散していく。
初心に帰るのなら、まずはこういう楽しい時間を大事にするのも、きっと大切なことだ。
そう思い直し、今日は二人とも心癒やされる風景とたぬきとの触れ合いをのんびりと楽しむことにして、いそいそサンドイッチストリートへと向かうのだった。
「たくさんあるね、何が良いかな? 迷っちゃうかも」
「どれもおいしそうですね」
風音と藍生は目を輝かせて、並ぶ数々の店を覗いていく。
ショーケースの中に入った具材、きちんと包まれて具材を見せてくれる品、どれもこれもおいしそうで目移りしてしまう。
「藍生くんはサンドイッチならどれが好き? アタシは照り焼きチキンサンドとフルーツサンドが好き!」
とろりと甘いタレを絡めた照り焼きを焼く良い香りのする店の、照り焼きサンド。
新鮮な果実を扱う店の、花のような断面を見せるフルーツサンド。
選びぬいた店の中から、風音はその二つを購入する。
「サンドイッチは俺はカツサンドとか好きですね~。あとたまごも好きです、マヨネーズで和えてホクホクなやつ」
「いいね、藍生くんのもおいしそう〜。ちょっと交換しない?」
「いいですね!」
しっかり厚みのあるカツとキャベツがたっぷりのカツサンドに、荒く潰した卵の食感と、まろやかなマヨネーズが美味しいたまごサンドを買って、藍生は明るく笑ってみせた。
「っと、たぬきさんのサンドイッチも考えないとですよね」
「そうだね、折角だしたぬきにも何か買っていきたいね」
「えっとですね……たぬきさんもフルーツ好きなんですって! ならたぬきさんのも買わないと」
スマホで検索すれば、たぬきの食事も出てくる。基本的に雑食で、果物なども好むらしい。
「ありがと藍生くん、じゃあフルーツサンドにしよう」
「フルーツサンドは映えますし、みかんといちごの入ったのを食べてみたいです」
「うんうん。それじゃ藍生くんの好きないちごと柑橘のフルーツサンド、たぬきの分も買っていこうか!」
「はい! 買っていきましょう」
フルーツ店の店員に、風音は指を二本立てて声をかける。
「すみませーん、いちごのとデコポンのフルーツサンドもそれぞれ2個くださいな!」
「はいよ」
赤とオレンジが花のように並べられ、白いクリームのよく映えるサンドイッチを受け取って、風音と藍生は笑いあう。
「お昼に食べるの楽しみだね!」
「はい、楽しみです!」
「ね! ぽーんって鳴いてくれたら、きっともっと楽しいかも!」
おいしいと楽しいをいっぱい詰め込んで、風音と藍生は足取り軽くダンジョンに向かっていく。
サンドイッチを差し出したときの、たぬきの喜ぶ姿も思い浮かべながら。
●
ミューレン・ラダー(ご機嫌日和・h07427)は、数あるサンドイッチの店をきょろきょろと眺めていた。どの店の品もおいしそうで、目移りしてしまう。
(たぬきは雑食だしインビジブルだからダメな食材もないはず)
ならば遠慮なく、自分の食べたいものを選ぶのがいいだろう。パン一つとってもフカフカのブレッドにハードなバゲット、ふわふわピタパンと種類も多い。
「どんなパンがおすすめかなぁ?」
「そうだねぇ、全粒粉のパンが好きとか、硬いのが好きとかでもいいし、具材に合わせるのもいいと思うよ」
「なるほど〜」
ならば挟むものを決めてから、とミューレンはソースや具材に目を向けた。甘いものや魚、お肉に野菜、様々なドレッシングやソースが並ぶ中、とある名前がふと目を引く。
「ん? わさびマヨネーズ?」
「味見してみるかい?」
「うん、ありがとう」
店員がクラッカーに少しだけ乗せてくれたそれを、ミューレンはぱくっと一口で頬張った。
「……!!!」
途端、耳と尻尾がぴしゃーんと伸びた。脳天まで突き抜けるような辛さに、目元に涙まで滲んでくる。マヨネーズのまろやかさがあっても、わさびはわさび。凄まじい刺激である。
「お、お味見させてくれてありがとお!」 「ヨーグルトいるかい?」 「もらうにゃ……」
差し出されたヨーグルトをちびちびと口にしながら、ミューレンは固く決意した。
——辛いものはやめて、甘いものとまろやかな味にしよう。
「マシュマロとチョコをビスケットに挟んでいるのはスモア? 炙ってあっておいしそう。でもサンドイッチに数えていいのかにゃー」
「デザートに人気だよ。小さめのなら気軽に食べれるからね」
「なるほど? あ、サーモン」
ぴかぴかのオレンジ色のサーモンに、マスカルポーネといちじく。はちみつとマスタードを少し合わせてもよさそうだ。辛いのはだめでも、こういうやさしい味ならきっと大丈夫。
「カリッとしたパンがいいな。フォカッチャでサンドしてくーださい」
「少し炙ろうか?」
「お願いします」
おいしいサンドイッチを手に、ミューレンは尻尾も一緒に跳ねさせる。
たぬきにも見せたいし、自分でも早く食べてみたい。そんなご機嫌をいっぱいに抱えて、ミューレンはダンジョンへと向かうのだった。
第2章 冒険 『乗り込め!ヒーリングダンジョン!』
●
ダンジョンの中は、不思議と程よい明るさだった。
眩しくもなく、暗すぎることもない。柔らかな光が、壁や床そのものから滲むように広がっている。
フロアのあちこちには、ゆったりと水が巡っていた。
光を受けてきらめく水面は、壁にも揺らめく模様を映し出している。
数ヶ所には水琴窟のような場所もあり、水滴の音が涼やかに反響していた。
足を浸して座れる場所や、寝そべってその心地よさを堪能できる場所もある。
水に浸からず進める通路もきちんとあり、のんびり散策するにも困らない。
飲み水に向いた、澄んだ湧き水のある一角もあった。
穏やかに、ゆったりと身を委ねて楽しめる。
そんな癒しに満ちた、癒水のフロアだ。
●
「おおっ、きれー!」
菫はそわそわしながら、癒水のフロアに足を踏み入れた。
揺蕩う水は澄んでいて、ほのかに光る床や壁に波紋を映す。緩やかに揺れる水の音と、どこかで滴って反響する雫の音が、涼やかに耳へ届いてくる。
最近は大きなカニめいた化物や、芋みたいな顔をしたチンピラ、変なパンダとばかり会うことが多かった。
そんな忙しくて慌ただしい日々の疲れを癒やすような、ダンジョンが作り出した綺麗な光景に、菫はふわりと微笑む。
「この水の光景だけで癒されるわー。マイナスイオンってやつ?」
かすかに波立てば水同士が触れて弾け、細かな飛沫が立つ。
とん、ぽん、と空洞に響く水音が、心を優しく撫でるようだった。
(早く水に浸かれるところに行こ。温かいところがいいなー)
物陰で水着に着替えて、菫は水の中へと進む。
ひやりとした感触が体を撫でていく。ゆっくりと水の中を進み、少し温かな場所を見つけると、そこでぷかりと浮かんでみた。
ふわりとした浮力が体を支える。
見上げた天井にもゆらゆらと波紋が浮かび、美しい模様を作っていた。その中を水音がゆっくりと響いては、消えていく。
ほう、と平和な時間に、菫はリラックスして息を零す。
(温水に浸ってるうちは平和だし、余計なこと考えなくて済むし。ふやけるからずっとって訳にはいかないけど、しばらくこうしたいなー)
菫は水に浸かったまま、ぱしゃり、と水をかいて移動する。
(なるべくあちこち行こうかな。せっかくだし)
深い場所から少し浅い場所に行けば、流れを感じられた。
温かい場所もあれば、すっと肌を冷やす冷たい場所もある。きれいな湧き水に口を寄せれば、ほのかに甘い水の味がした。
「水の音も響いて癒しだね」
菫は少し目を閉じ、水の感触と音を楽しむ。
かすかな波がさらりと肌を撫でる。揺蕩うリズムも心地よい。
水琴窟のように音が響く場所もある。ころころと転がる音、雫が当たって跳ねる音、水の流れる音。
とん、ころろ。しゃん、とーん。
「ぽーん」
「そう、ぽーん、ぽーんって……ぽーん?」
「ぽん?」
菫がぱちりと瞼を開けると、物陰から覗くたぬきのつぶらな目と視線が合った。
●
「意外と明るいのねぇ」
「床とか壁とか、ほのかに光ってて綺麗。それに壁面に水面が映って水の中にいるみたいだね!」
「そうね、まるで揺蕩ってるような感覚だわぁ」
そこは水に浸からずともその感触を味わえるような不思議な空間だった。
壁面の揺らめく水面に、ほのかに響く水音に、璃亜と雨月は微笑みながら散策していく。歩くたび、足元に淡い光が揺れて、まるで水底をそっと進んでいるようだった。
「あら、波音の代わりに……確かに水琴窟によく似た音だわぁ」
「水琴窟?」
「ふふ、水滴の響きを味わう仕掛けがあるのよ」
雨月が聞こえた音に微笑み、璃亜を伴ってその方向へ進む。滴る水の音がどこかに反響して、静かに辺りに響いていた。
波音とはまた違う、澄んだ琴のような音色。普段聞かない水の響きに、璃亜は、ほう、と小さな吐息をこぼす。
「澄んだ音色でとっても落ち着くなぁ。水の音を聞くのがこんなに心地いいって初めて知ったよー」
「ふふ、いいものでしょ? 情景もいいし、足湯みたいな場所も見えるし、誰がダンジョンを作ってるのか知らないけど、中々センス好いわよねぇ……」
とん、ころろ、しゃん、たーん、と琴のような、鈴のような響きをしばらく楽しんでから、璃亜と雨月はまた他の場所へと向かう。
揺れる光を追うように歩いていくと、湧き水のそばに、水場に腰掛けて足を浸けられる場所を見つけた。足湯のようにくつろげそうなそこに、二人はしばし休憩することにした。
「あら、綺麗な水ね」
「美味しいかな?」
「先にもらうわねぇ」
大丈夫だとは思うが、一応安全を確認するために雨月が先に水をすくう。せっかくの楽しい思い出に瑕一つつけたくはなかったからだ。
舌先に感じるのは澄んだ水の甘さと冷たさだけ。人に害があるような味も、刺激もない。問題ない、と判断した雨月は、璃亜へにっこり笑ってみせた。
「うん、美味しい水よぉ。たっぷり召し上がれ」
「わぁ、楽しみだよ! たぬきちゃんもきっと飲みたいよね! ちょっと多めに汲んでおこ!」
それから二人で腰を下ろし、そっと足を浸す。
ひやりとした心地よさが足先を包み、揺れる水面の向こうで、二人の足がゆらゆらと歪んで見えた。
「…………っはー!」
「すっかりまったりモードみたいねぇ?」
「うん、疲れが癒されていくんだよー」
璃亜が先程汲んだ水を飲めば、すっと爽やかな冷たさが喉を滑り落ちていく。足先からも喉からも潤っていくような感覚に体を緩め、隣の雨月にほわっと笑いかけた。
「雨月さんと並んでのんびり出来るのも嬉しいし、足がゆらゆらして見えるのも楽しいし、何よりとっても気持ち良いんだよー」
「ふふ、全身で堪能しきってるわねぇ」
「えへへー」
璃亜はふやっと緩んだ顔で、隣で微笑ましく見守っている雨月に話しかけた。
「ねぇねぇ、いっぱいお話しよ! 雨月さんの好きな事、いっぱい知りたいなぁって!」
「あら、わたしの好きなことぉ?」
「うん! 何が好き?」
大好きな雨月のことをもっと知りたい、と目を輝かせた璃亜の問いかけに、雨月はそっと微笑む。長く生きる妖が、まだ見ぬ世界に胸を躍らせる幼子を見守るような、やわらかな眼差しだった。
「そうね、色々あるけど……一つはね、あなたみたいに明るく浮かれた子を見て楽しむことなの」
この一瞬をも宝物のように見つめ、大切にする。そんな風に、小さなことでも明るく楽しむ子を見つめることが、雨月は好きなのだ。
●
「思った以上に癒やしと憩いの空間だねぇ」
「沢山お水があってきれー……」
賢葉はゆっくりと周囲を見渡した。たどり着いた癒水のフロアは、ゆったりと水が巡り、水音も揺らぐ光も穏やかな、落ち着いた空間だった。
隣で水辺の縁にしゃがみこんだルナリアが、ちょんと手を水へ入れれば、水面に起きた波紋が揺れながら壁へと映る。
「いっぱいお水ある~。|みずーみ《湖》とは違うー……?」
ルナリアは服が濡れるのも気にせず、水の中へと歩いていった。どうせ水から上がれば、そのうち乾くから。
「うやぁ……? ここ、深い~?」
最初は膝から下くらいだった水面が、少しずつ上へと上がって、肩のあたりまでやってきた。それ以上深いところはないようで、まっすぐ立てば顔は水面に出る。
「そんなに冷たくないからへーきかなー?」
水が温かく、やや深い場所で、ルナリアは潜ってみた。
水が澄んでいて、床がほのかに光っているから、水中もよく見える。くるりと上を向けば、ゆらゆら揺れる水面が光を反射していて綺麗だった。
手を伸ばせば揺らぎが変わり、光の作る模様も変わって面白い。苦しくなる前に顔を出し、力を抜けばぷかりと髪がたゆたった。
「あったかー……」
ふわふわゆらゆら、揺れるままに浮かんで周りを見渡せば、裸足で浅瀬の周りを歩く賢葉の姿が見えた。
彼はのんびりと浅いところを歩き、水の感触を楽しんでいる。
「うん、気持ちいい。これなら水着でも持ってくれば良かったかなぁ……」
地味に抜けきらない日頃の疲れを抜くのにちょうどいいかもしれない、と賢葉はゆっくりと散策していく。
ある地点で、とん、ころろ、しゃん、と、琴のような、鈴のような音が聞こえてきた。
「へえ、水琴窟みたいに音が楽しめるとこもあるんだね」
休憩がてら耳を澄ませば、雫がどこかの空洞に落ちて当たる音が感じられる。規則的な音、時折揺れて不規則に転がる音。
「……うーん、綺麗な音だなぁ。耳からも癒やされそう」
近くの縁に腰掛け、足を浸しながら賢葉はゆったりとした時間を過ごす。ぱちゃぱちゃと近づく水音に目を向ければ、ルナリアが水の中から近づいてきていた。
ぷかりと顔を出したルナリアに、賢葉は微笑みかける。
「ルナリアはどう?」
「んゆ?」
「こういう開放的な場所は好きみたいだけど……うん、とてもいい顔してるね」
「ん。好きー……」
賢葉のいる縁へ近づきながら、くるりとルナリアは周囲を見渡した。浅瀬には寝転がる人もいて、目を閉じてくつろいでいるようだ。
「ゆ? 皆寝てるー……?」
「気持ちいいんだろうね」
「ん〜」
ルナリアはころころと、浅瀬に寝転がる。ぷかりと浮かぶ感覚と温かい水に、体の力が抜けていく。
その姿を賢葉はほのぼのと見守っていた。
「んあ~」
「ルナリア、気持ちいい?」
「ふゃ…………ぅゃ…………」
「わ、そこで本気で寝ちゃう!?」
すやすやと水場の縁に頭をもたせかけたまま本気で寝始めたルナリアに、賢葉は少し驚いた顔をする。
「んー、膝枕でもしておいてあげよう」
水に顔が沈まないよう、賢葉は彼女の頭をそっとすくい上げ、自分の膝の上へ乗せる。それからすうすうと穏やかな寝息を立てるルナリアの顔にかかる髪をそっと払って、寝やすいようにしてあげた。
賢葉の服も少し濡れるが、後で乾かせばいい。
(ふふ、何だか妹ができた気分だ)
ゆったりと眠るルナリアを優しく見守る賢葉の顔も、優しく緩んでいた。
●
「わ~~めっちゃええやんこのフロア。空気だけでマイナスイオン感じて癒されるで!」
到着した癒水のフロアに、茂音は歓声をあげる。
揺らめく水面が壁や天井に映し出され、静かに響く水音も心地よい。弾けては消える水の細かな飛沫が、空気に溶け込んで落ち着きをもたらすようだった。
きょろきょろあたりを見渡し、まずは湧き水を飲んでみよう、と茂音は綺麗な澄んだ水がこんこんと湧き出ているところへ近づいた。
「テッテレー! マイ湯呑~~!」
茂音はどこからか取り出したマイ湯呑みに水を汲み、そのまま口にする。
途端、彼女はかっと目を見開いた。まるで体に電流が走ったようだった。
「こ、この水めっちゃ美味いやん……!?」
茂音は無限に伸ばしそうになる手にぐっと力を入れる。
「五臓六腑に染み渡るわ~……! いくらでも飲んでしまいそうや!」
程よく歩いて喉も乾いていたところに、澄んだ水はとてもよく染みた。ほのかな甘みもあって、いくらでも飲めてしまいそうだ。
ぷるぷる首を横に振って衝動を押さえ込み、もう一杯だけ飲み干したところで湯呑みをしまう。
「せや、いっぺん癒水の上に横になってみよか」
浅瀬になっている水場へと入り、茂音はゆっくりと横になる。
「あ~これはアカン。身体中の疲れが取れていく気がするで……♪」
良い意味でよくない、と言ってしまう程に、水の揺らぎや温かさが心地よい。ゆらゆらと浮かぶ感覚は、まるでゆりかごやハンモックの中でまどろむようだった。
「……Zz……はっ! うち、今一瞬寝てもうた?!」
思わず瞼がゆっくりと下がり、うとうとと意識が薄れていたらしい。茂音はかっと目を開いて眠気を払う。
「こら魔性や。人を虜にするダンジョンやねぇ……♪」
それでも心地よさには抗えない。ふあ、とあくびをした茂音は、ちょうど頭を載せるのに良さそうな縁へと、改めてもたれかかった。
「やっぱ、もう少しだけ寝させてぇや……」
とろとろと微睡みに身を任せ、茂音は瞼を再び閉じる。
それから三十分ほどして自然に目が覚めると、疲れという疲れが取れていて、すっかりスッキリしていたのだった。
●
癒水のフロアに足を踏み入れれば、ゆらゆらと揺蕩う水面の影と光が壁や天井に映る。細かな波や雫が飛沫を作り、涼やかな音を奏でていた。
「涼やかで、良い場所だな」
「わーい、水っすー!」
月笠は目をきらきら輝かせきょろきょろ見渡し、明良はゆっくり周囲を観察する。外より少し涼しくて、空気はしっとりしている。不思議な光る壁や床で視界も確保されており、ゆっくり水の景色を楽しめるようだ。
足を進めるたび、壁に映る揺らめきが形を変え、まるで水の中を歩いているような気分になる。二人はそんなフロアをのんびり散策していく。
「アキラさんはー、水は好きっすー? おれはねー、大好きー!」
「俺は特別、水が好き……というわけではないけどな。……水の音を聞いていると、心が落ち着いてくるようだ」
「いいっすよねー、水の音、水の匂い」
周囲にあふれる水の気配に、月笠はへにゃりと微笑んだ。親しみ深く潤うような心地に腕をぐっと伸ばす。
「ここは海とは違うけどー、やっぱり水のそばってーおちつくっすー」
明良は月笠の言葉に頷きつつ、ふと目についた湧き水に目を留める。
「この辺りの水は、綺麗だし飲んでも大丈夫そうか……?」
「いい感じっすね」
持ち込んだ水筒のカップで水をすくってみると、綺麗に澄んでいる。特に匂いもなく、異物もない。少し飲んでみても、甘い水の味しかしない。
「うん、悪くない。……月笠、どうだ、ここらで少し休憩を挟むというのは」
「もちろん大賛成っす!」
わーいと手を広げ、月笠は明良の申し出を受け入れる。
「せっかくなのでー、お写真も撮るっすー」
スマホを構え、月笠はカメラアプリを立ち上げた。画面に映る壁と水場を良いアングルで数枚撮影すると、幻想的な風景が記録される。水場から水場へと、美しい水の流れる様子も収めれば、|花ちゃん《Anker》へのよい土産話になりそうだ。
そんな楽しそうな月笠の様子を、水場の縁に腰掛けた明良はカップを片手に眺めていた。
程よく冷えた水は美味しく、景色はどこか幻想的で美しい。月笠が楽しげに撮影する様子も見ていて微笑ましい。水音に耳を傾けながら、その様子を見ているだけで、のんびりと気持ちも落ち着いていくようだった。
何枚か写真を撮影した月笠が、にこにこしながら明良の元に戻っていく。
「あ、そうだー。アキラさんのお写真もー、撮っても大丈夫っすー?」
「……俺を撮るのか? 構わないが、特に写真写りは良くもないと思うぞ」
「やったー、絶対かっこいいっすよ!」
明良の許可に、月笠は両手を上げて喜ぶ。そのままスマホを構え直し、揺らめく水のフロアを背景に、明良を写真の真ん中に据えた構図を決める。
明良はその様子に、せめて変な顔にだけならないように気をつけつつ、目線をスマホへと送った。
「アキラさんかっこいいっすよ、はいチーズ!」
「ん」
月笠は掛け声に軽く笑みを浮かべた明良を撮影し、画像を確認する。
水のような世界の中、やわらかく笑みを浮かべた明良が映し出されていて、月笠は思わず、にこーっと笑みを深くした。
「えへへー、うれしいなーぁ!」
「……月笠の事も撮ってやろうか?」
「おれのことも撮ってくれるんすー? やったーぁ!」
自分の写真を嬉しそうに眺める月笠を見て、明良は自然とそう声をかけていた。
喜ぶ月笠へと、明良はスマホを構える。揺らぐ水の世界を後ろに、月笠はにっこにこでピースをする。
かしゃり、と響いた音と一緒に、素敵な笑顔の月笠が撮影されるのだった。
●
「綺麗な場所ですね」
「わぁ、すごいのです。綺麗な水なのですよ」
「少し散策してみましょうか」
「はい」
境華と小鈴が癒水のフロアに足を踏み入れれば、ほのかに光る壁や床に水面の作る影や光が映っており、幻想的な景色を映し出していた。
耳に響くのは雫の音。ぽん、しゃん。ころろ、とん。琴のような、鈴のような音色が水の滴りに合わせて奏でられる。
静かに、ほのぼのと。穏やかに時間が過ぎていくのを楽しめる、そんな場所だった。
二人はそっと歩を進め、水琴窟のように音が響く場所を見つけると、そこで腰を下ろし、水場へと足をそっと入れる。
「あたたかいですね」
「はい、気持ちいいのです」
足を浸けた場所がじんわりと温もりを伝えてくる。歩いて程よく疲れた足や体を、じっくり癒やしてくれるようだ。
ゆったりと流れる空気を味わいながら、境華は小鈴に微笑みかける。
「私は今日のことを、日記に書き留めたいと思っています」
きっと綴るときも、読み返すときも、優しい心地になる日記になるだろう。今このひとときも、すでに大切な一頁になっている気がした。
小鈴もにこっとして、自分も日記に記したいのだとうなずき返す。
「わたしも今日の出来事を絵日記に残そうと思うのですが、何ページにもなりそうなのです」
「絵日記、良いですね。どんな場面を描きたいですか? この場所も良いですが、先ほどの屋台も素敵でしたよね……」
「はい。おいしいサンドイッチや、賑やかな屋台もいいですし、この場所についても書いてみたいのです。たぬきのことも書けたらいいなって」
「本当にたくさんのページになりそうですね」
楽しそうに、うれしそうに指折り数える小鈴に、境華はこくりと頷いて相槌を返す。きっと素敵な絵日記になるだろう、と思い浮かべながら。
すると小鈴が、ぱっと顔を輝かせてあることを思い出した。
「そういえば、神隠祇さんはとても綺麗な文を書くと評判なのです」
「評判……何処で聞かれたのでしょう……悪い気はしませんけれど」
「いつか、見せていただきたいのです」
「機会があれば、はい」
少し頬を染める境華に、小鈴の笑顔がいっそううれしげになる。
「今日、本当に勇気を出してお誘いして良かったのですよ」
水の中で揺らめく足先を見ながら、小鈴はそっと呟いた。
「神隠祇さんが素敵な今日を笑って思い出してくれるような、そんな優しい時間を一緒に過ごしたかったのです。それに、これからも素敵な思い出が増えていくように願ってますのです」
小鈴の言葉に、境華は柔らかな微笑みを返す。
「小夜雀さんは本当に優しいですね、ちゃんと嬉しいですよ」
「よかったのです」
「貴女にも優しい思い出が増えますように」
「ありがとうなのです」
会話が少し途切れる。
それは気まずい沈黙ではなく、穏やかに一緒にいる幸せを味わうような時間だった。
水の音に耳を傾け、揺れる水の感触を味わい、大切な友人と過ごす、優しい時間だった。
そんな静けさの中で、ふと二人は、これからやってくるたぬきのことを思う。
「神隠祇さん、タヌキさんもこんな風景を見ているのでしょうか?」
「ちょうど今、歩いてきているかもしれないですね」
二人で想像してみる。ふわふわころころとしたたぬきが、この幻想的な光景の中をぽんぽこぽんと歩いているさまを。
可愛らしく、童話の挿絵のようなシーンだろう。
「でも、独りだときっと寂しいと思うのです」
「そう言われてみれば……私達で少しでも寂しさをぬぐってあげたいですね」
「はい」
ひとりぼっちで、寂しげにぽーんと鳴くことのないように。
たぬきが来たら暖かく迎えてあげたい、と境華と小鈴は頷きあうのだった。
●
続く目的地の癒水のフロアに足を踏み入れれば、水の気配がやわらかく満ちた空間が二人を出迎えてくれた。
「水妖怪の時雨殿にとっては、居心地の良い場所が沢山ありそうだな……!」
「水妖怪って言われるとずっと潜ってそうですけど、居心地の良さは否定しませんとも」
水場の間の通路を辿り、時雨とトゥルエノは楽しめそうな場所を探していく。
「足浸して座れる場所が良いなぁ。水辺でもいい?」
「楽しい光景が見られるならば、わたしは何処でも問題ないな〜。お気に入り場所探しも楽しもうではないか」
しばし歩いて見つけたのは、光の具合も程よく、足を浸せる深さの水場もある場所だった。足を入れれば、程よい温かさの水が出迎えてくれる。
「冷えるかなと思ったけど。いい感じ」
「結構温かいなぁ」
ここなら長いこと足を浸しても大丈夫だろう。
水音に耳を傾けながら、二人は顔を見合わせる。
「さてはて、ご飯タ~イム」
「という訳での〜ご飯タイムだな!」
時雨はトゥルエノから貰った可愛いバスケットから、先程買った野菜サンドとフルーツサンドを取り出した。トゥルエノも自分の分を早速取り出していく。
「完全な布陣。これが映え?」
「うむ。爽やか景色に野菜サンドも、フルーツサンドも映えると言うものだ〜」
水の景色に鮮やかな緑や赤、オレンジ、黄色はよく映える。
トゥルエノはちまちまとフルーツサンドを摘みつつ、シャキシャキの野菜とジューシーなつくねのサンドを小気味よく食べていく時雨を微笑ましく見ていた。ぺろりと一つ食べ終えて、二つ目に手を伸ばした時雨はトゥルエノへと野菜サンドも勧める。
「エノくんフルーツばっかり食べてない? お野菜も食べてね。栄養補給大事だよ」
「ん? 雷の精霊的には栄養補給も、そこまで必要ないのでなぁ」
「……栄養補給必要ないの!? 普段何食べてるの……?」
不思議そうな顔で見つめる時雨に、にっこり笑ったトゥルエノは、野菜サンドを一つ手にした。
「オススメ、ありがたく頂こう」
サンドイッチを一口齧ればしゃきっとしたレタスやきゅうり、まろやかなソース、じゅわっとしたトマトのハーモニーと、ふわふわパンの甘みが心地よい。
「うむ、シャキシャキで美味しいなぁ」
「よかった。いっぱい食べてね〜」
「時雨殿もたくさんお食べ」
「うん」
バスケットの中のサンドイッチを思い思いに手にとって、この味がいい、これはおいしい、と笑い合いながら食べるご飯の時間は楽しくも満たされるというもので。
満足するまでサンドイッチを食べた二人は、足を水場につけたまま、軽やかな水音を楽しんでお腹を落ち着けていた。
「のんびりするだけ~って久しぶり。良いところですねぃ」
「忙しない日々を過ごしているなら、こうした息抜きポイントも大事なのだろうなぁ」
水面が壁や天井に映る様子も美しく、空気は少ししっとりと涼しい。ぱしゃり、ぴちゃん、と水の波が弾ける音、ぽん、ころろ、とーん、と雫の落ちる音もゆったりとしたリズムを刻んでいた。
しみじみと心地よい雰囲気を味わう時雨とトゥルエノだったが、ふと気づく。
「……サンドイッチ、たぬきの分、まだあったっけ」
「そういえば」
二人でそろそろバスケットを覗き込めば、たぬき用に作った芋と葉野菜のサンドイッチがぽつんと一つ、残っていた。
おもむろにぱたんと蓋を閉め、二人でごまかすように頷きあう。
「……まだ野菜が残ってるので無問題だろう! たぶん」
「そうだね、無問題〜。他に何が入っていたかなんてわからないし!」
どこか誤魔化すようなやり取りの横で、水音だけが静かに響いていた。
●
癒水のフロアに足を踏み入れれば、美しい景色がアインと唯朱花を出迎える。
水面の作る模様が壁や天井にゆらゆらと映り込み、空気は少ししっとりとして涼しい。水の弾ける音、雫の落ちる音が、ゆったりと耳に届いていた。
「わ、幻想的。癒しの文字が入るのもむべなるかな、ですね」
「うん、悪くないね」
辺りを見渡した唯朱花は、ちょうど足を浸すのに良さそうな水場を見つけ、縁へと近寄ってみた。
「これって、足湯ならぬ足水? って感じかな」
脱いだ靴を横に置き、靴下を脱いで、ズボンを膝までまくり上げる。裸足をそっと水に入れれば、澄んだ水が心地よい温度で出迎えてくれた。
「んー、冷たすぎず温すぎず、ちょうど良い感じだよ」
少し足を動かせば、水がぱしゃりと揺らめく。
「アインも足浸けてみたら?」
「そうですね! ではイスカくん、お隣失礼します」
アインも誘いに頷いて、靴を脱いだ。
そして、ズボンと靴下はそのままで足を水へと入れていく。
「えっ え????」
水に揺らめく靴下とズボンを、それからアインの顔部を順番に見て、唯朱花は思わず目を瞬かせる。
その様子に、アインは慌ててパタパタと顔の羽を羽ばたかせた。
「あっ、えぇと、ほら。わたくし、人体が無いので……」
「あ、あ~~~お前そうだったね、すっかり忘れてた。なら無理して浸けなくてよかったのに」
「いえいえ、人間の方……というか、イスカくんと同じ体験が出来て楽しいので!」
愛しい唯朱花と同じ体験ができるなら、それがいいのだと。アインは羽を緩やかにはためかせ、どこか嬉しそうな声で言った。
その声に、唯朱花はこくりと頷いて。
「んー? そう? ならいいけど、でもこの後、靴下もズボンもびちゃびちゃでしょ」
「ふふ、大丈夫です! 檻塔衣に、濡れた状態を『忘却』して頂くので!」
「ふ、あはは、それならいいけどね」
続くアインの羽をどやっと広げた言葉に、軽く吹き出した。
「じゃあ、たぬきが出るまでゆっくりしてようか」
「はぁい。こういった時間の使い方、贅沢ですよねぇ」
ぱしゃり、ぴちゃん、と水音が密やかに響く。ゆったりと流れる水の動きが、足を優しく撫でていく。
ほのかな柔らかい光の中、何もしない時間を楽しむひとときは、どこか満ち足りたものだった。
「サンドイッチも食べましょうか」
アインは預かっていたサンドイッチを、搬出孔から取り出す。
「時間止めておいたので、できたてですよ、どうぞ」
「ありがと」
唯朱花が一口頬張ると、作りたての味わいが広がる。羽をゆっくり動かして見守るアインは、人間ならにこにこしているのだろう。
そんな彼の顔部の虚空へ、唯朱花はサンドイッチを差し出した。
「アインにもあげる。ほら、あーん」
「えっ。わっ、あ、ありがとうございます」
一回ぱたっと羽をばたつかせるも、アインの虚空はすぐさまサンドイッチを吸い込んでいく。その様子が楽しくて、唯朱花は思わずもう一つ差し出した。
羽をそわそわさせながら受け止めていたアインだが、自分もサンドイッチを唯朱花へと差し出した。
「わ、わたくしも」
「俺にも? ん」
唯朱花は遠慮なく、一番おいしい具のたっぷり詰まったところに齧り付く。
「ん、おいしい」
「良かったです。もっとどうぞ」
「うん」
そんなゆったりとした時間が、水音と一緒に二人を包んでいた。静かな水の揺らぎが、どこまでも穏やかに続いていくのだった。
●
「空気が美味い。水辺の近くだからか?」
「時間の流れが緩やかになった気がしますね」
足を踏み入れた癒水のフロアには、水場特有の静けさと清涼感が広がっていた。
細やかな水の波の弾ける音、雫の落ちていく音が耳を揺らす。砕けた細かな飛沫が空気に混じり、肌にひんやりとした心地を運んできた。
眩しくない、柔らかな光を放つ壁や床で、周囲を認識するのも楽だった。
「こりゃァ……良い所だなァ」
「僕も住み着いてみたいかも」
なるほどたぬきが好むのも頷ける、とウィズは得心した様子だった。ガザミは本性でも穏やかに過ごせそうな場所に、少しそわそわとしている。
二人は人型のまま、しばし水場の間の通路を歩いていく。
「足元は歩き易いな。ぉお、水中通れる通路もあるのか。こーれ何処に繋がってるのかねェ?」
「地上と、水中……どちらを進みましょうか。う〜ん」
どちらを進むか考えれば考えるほど、ガザミは水に呼ばれている気がしてきた。水がまさに『入れ〜』と手招いているかのように感じられる。
その声に誘われるままに、ガザミは本性——オオカニボウズの姿に戻る。ざぶんと水の中に入れば、ひんやりとした水が身体を包み込み、すぐに心地よさへと変わっていった。
ガザミはぷかりと一度水面に顔を出し、通路で笑って見守っていたウィズに問いかける。
「ウィズさん甲羅の上に乗ります?」
「いんや。俺も泳ぐわ」
ウィズはその誘いにわくわくと蜥蜴型に戻り、するりと水へと入っていった。
水路を進めば、ほのかに光る床や壁の光を受けて、揺らめく波紋が影を落とす。澄んだ水の中は見通しが良く、流れが時折変わって身体をふわりと押してくる感覚も面白い。
二人はしばし、水の中を自由に泳ぎ回った。
やがて、どこからともなく澄んだ音が耳に届く。それに誘われ、ぷかりと顔を出せば、ぽん、とーん、ころろ、と水琴窟の音が出迎える場所のようだった。
「演奏の指揮者はたぬきかな?」
「いや、まだいねぇみたいだなァ」
ばしゃりと水の上に上がり、ウィズはきょろりと周囲を見渡す。
「ガザミ、水分があったほうが人化しやすいんだったなァ」
「よく覚えてますねぇ」
「なら休憩も足を浸せる場所のがいいか」
「ありがとうございます。ですが、ここは水辺で不安はありませんよ」
しっとりした空気の中で、ガザミは楽に人化して笑ってみせた。
水音に耳を傾けながら、二人はゆっくりと腰を落ち着ける。
「ここで一休みしましょうか。水琴の演奏を聴きながらの休憩は贅沢ですね」
「んじゃ、オヤツに、うしぶたどりのStockと……ゲーミング発光液」
「最高のオヤツですね! では……獅子乙女、お願いします」
ガザミの願いに応じ、現れたスフィンクスが近くの湧き水を炭酸に変えていく。それを汲んだグラスにゲーミング液を数滴垂らせば、きらきら虹色の炭酸水が出来上がった。
「ぉお、サイダー! すっげ便利……そんなやり方あンだなァ……透明へのグラデが良い仕事してるぜ……。でもいや本当、何度見てもやーべェ色してるな」
「なかなかすごいですよねぇ。しかも光るという」
ウィズはケラケラ笑いながらグラスを受け取り、ガザミも自分のグラスを用意して。
「静けさに……乾杯!」
「乾杯!」
虹色の液体がほのかに色を煌めかせ、炭酸のしゅわしゅわと弾ける音すら静かな空間に溶けていく。
水辺の穏やかな気配に包まれながら、二人はしばしその時間を味わうのだった。
●
風音と藍生は、ダンジョン前に立つ志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)の姿を見つけ、大きく手を振った。遙斗も楽しそうな二人に笑顔で手を上げ、応じる。
「お二人とも遅くなってすいません。別件の引継ぎに時間がかかってしまって」
「遙斗さん、お疲れ様です」
「お仕事お疲れ様です」
合流した三人が向かったのは、癒水のフロアだ。
壁や天井に水面の作る影や光の模様が揺らめき、波音や雫の落ちる音が耳を揺らす。
少しひんやりとして、静かな雰囲気に満ちたフロアが、三人を出迎えた。
「わぁ、ここが癒水のフロアかぁ。名前の通り綺麗で落ち着ける場所だね」
「きれいな空間ですね、暗すぎず明るすぎずで」
「ゆっくりできそうです」
きょろきょろ辺りを見回す風音と藍生に、ゆったりと周囲を観察する遙斗。
水場をつなぐ通路はさほど濡れておらず、散策するにも歩きやすそうだ。どこからか、琴のような、鈴のような音もかすかに聞こえてくる。
とりあえず良さそうな場所を探してみよう、と三人でのんびりと歩き出す。ぱちゃり、ぴちゃん、と静かに響く水音をBGMに、雑談を交え、少し深い場所、浅瀬のような場所、足を浸せそうな場所、と見て回りながら。
「ね、皆はどこ行ってみたい? アタシは温水の方に行ってみたいなぁ。足湯入りたい!」
「足湯はいい感じに癒しになるので、遥斗さんのお疲れもきっと取れるでしょう、きっと」
「足湯もあるとは、ホント助かりますね。最近働きすぎていたので癒されます」
そこで休憩しても良さそうだ、と風音と藍生、遙斗は足湯の方へと向かう。
「ここ、足湯を楽しむのに丁度良いね」
「深さもちょうど良さそうです」
穏やかに水の流れる音の聞こえる、湯気の立つ水場を見つけ、風音と藍生は、並んで手を水に入れてみた。遙斗はそんな二人を微笑ましく見守っている。
手から伝わる温度は温かく、足を入れたら気持ちよさそうだ。流れる水の感触も楽しい。
「野分さん、大海原さん、どうですか」
「湯加減は……うん、バッチリ!」
「あー、確かにバッチリですよこれは!」
「いいですね、ではここで?」
「うん、ここで足湯を楽しもう!」
「はい!」
三人で水場の縁に腰を下ろし、そっと水に足を入れる。途端、程よい温かさが足を包み込み、水流が優しくマッサージしてくれるように触れていった。
「はぁ……これ、ずっと入ってられるやつだね」
「ですね……力が抜けていきます」
「……これは確かに、癒やされますね」
ほう、とため息を三者三様について、しばし足湯の心地よさを味わう。
遙斗はふと煙草に手をやりかけて、すぐにやめた。この空気を崩すのは少し惜しい、そんな気がしたのだ。
普段の忙しなさを、疲れを癒やしてくれるような水の流れ。静かな空間には、細やかな水音が響き、揺らめくようなリズムが穏やかな気持ちをもたらしてくれる。
「この空間心地良すぎで、しかもお湯もあったかくって、いい意味で眠くなりそうな……」
「なんだかリラックスしすぎて寝ちゃいそう……」
「落ち着きますね……本当に、癒やされます」
ほわんとうたた寝しそうな二人に、ぐっと伸びをして眠気を払った遙斗が声をかける。
「少し眠っておきますか? 俺が見てますよ」
しかし風音はふるふると首を振る。
「いや、まだたぬきに会えてないし、サンドイッチも食べてないんだし、寝ちゃうのは勿体無いよね!」
藍生もぱちっと目を開けて、大きく頷いた。
「はい! たぬきさんに会えてないですし、サンドイッチもまだなんでした、寝ちゃうのは確かに勿体無い」
「だよね、たぬきが好きそうなサンドイッチを選んできたんだし!」
風音は思い出したように、ぱんと手を打つ。
「ジューシーないちごとデコポンのフルーツサンド、絶対おいしいよ!」
「あれ、色々考えて選んだので、たぬきさんにも絶対喜んでもらえると思うんですよ」
「どんなサンドイッチを作ってきたんですか? お二人の分のサンドイッチのことも聞きたいです」
遙斗の問に、二人は自分たちが選んできたサンドイッチのことを話し出す。あれが美味しそうだった、こんな食材もあった、と少し早口になりながらも楽しげに話す様子に、遙斗は小さく笑みを浮かべた。
「いいものを作ったんですね。美味しそうです」
「はい! 食べるのが楽しみです!」
「たぬきの反応も楽しみ!」
「ですね。……話は変わりますが、お二人は最近はどうですか?」
遙斗の新たな問いかけに、風音は少しだけ首を傾げ、けれど迷いのない口調で。
「最近かぁ。今年は高校2年生になるけど、毎日充実してるよ」
藍生は、きりっと誇らしげに。
「最近ですかー。俺は中学に進学したのです! 大人の階段を少しづつ登れたらなって。どんどん成長していきたいんです」
二人の言葉に、遙斗は穏やかに目を細める。
「……そっか。いいですね、その調子で進んでください。応援してます」
どこか保護者のような、けれど押しつけない優しさを滲ませながら。
静かな水音の中、三人の時間はゆっくりと流れていくのだった。
第3章 ボス戦 『かわいいたぬき』
●
『かわいいたぬき』はいそいそと癒水のフロアに向かっていた。
「ぽーん」
お弁当に木の実と、とっておきのさつまいもを持って、ぽてぽてと。
「ぽん♪」
誰かいるかもしれない、と水音の聞こえる方へところころと足を進ませて。
そうしてたどり着いたフロアの入り口で、こそっと覗き込めば。
「ぽこ?」
想像以上に人がいて、ちょっぴりワクワクしながらも、きょとん、と首を傾げたのだった。
========
・遊んでよし、撫でて良し、餌付けしてよしのかわいいたぬきです。かわいいです。
・インビジブルなので何でも食べれます。いっぱい食べられます。
・戦おうとすると「たぬき、もうだめです」みたいな顔をします。
●
「たぬきちゃんと遊べるのすっごく楽しみだねぇ、雨月さん! あっ、あの子かな?」
「ぽん?」
うきうきした璃亜の声に、たぬきは、たぬきのこと呼びました? とでも言うように、ぽてぽて歩いてくる。
「お利口さんの毛玉みたいねぇ。手間も無くて助かるわぁ、一緒に遊んで貰いましょうか」
「うん!」
お弁当を抱えてやってきたたぬきに、雨月はにこりと笑い、璃亜は嬉しそうにバスケットを持ち上げた。
「あなたも素敵なお弁当を持ってるみたいだけど、わたし達からの追加も受け取って貰えるかしらぁ?」
「今から作るね!」
え、いいんですか? とでも言いたげに、たぬきの目がぱっと輝く。
「ぽーん!」
「ふふふ! 食べられるよーってお顔してるみたいだよ!」
「美味しいわよぉ」
わーい、たぬきいっぱい食べれます、というような元気のいい返事だ。
「キャロットラペとレタス、チキンをパンに挟んで甘辛いソースで味付けしてー」
「ぽこー♪」
「早く食べたいって顔してるわねぇ」
「キャロットラペとレタス、チキンをパンに挟んで甘辛いソースで味付けしてー」
「ぽこー♪」
「早く食べたいって顔してるわねぇ」
目の前で作られるサンドイッチに、たぬきは、まだですか? とでも言うように体を揺らしている。
「はいっ! たぬきちゃんの分だよー」
「ぽーん♪」
「ふふ、大喜びねぇ」
たぬきはすぐさまかぶりつき。
「ぽーん……♪」
ほのかな甘みのキャロットラペ、じゅわっと肉汁あふれるチキンソテー、シャキシャキのレタスに甘辛ソースがよく合う。たぬきは、とってもおいしいです! と幸せそうに鳴いていた。
「私達も美味しいサンドイッチとお水、たぬきちゃんと一緒に味わっちゃお!」
「さっき汲んでおいた水もあるし気兼ねなく味わえると思うわぁ」
「うん! いただきまーす」
「頂きます」
ざくっとしたバゲットのカスクートには璃亜の大好きな味がいっぱいに詰まっていて、一口齧った瞬間から笑顔になった。
鯖サンドには鯖らしさを残しつつ、それを活かす食べ甲斐のあるトッピングで、これは技ありねぇ、と雨月は璃亜に指で丸を作り、ウィンクしてみせた。
さっぱりしたキャロットラペを合間につまめばさっぱりしてサンドイッチがまた進む。
「ごちそうさまでした!」
「ご馳走様ぁ」
「ぽーん」
食べ終わった二人に、たぬきも、おいしかったです、というように頭を下げていた。
「さて、ちょっと遊んで貰いましょうかぁ」
「ぽこ?」
「うん! たぬきちゃん、ちょっと失礼ー」
「ぽーん♪」
璃亜の手はたぬきの顔に、雨月の手はもこもこお腹にゆっくりと伸びていく。
たぬきは、あ、たぬきのこと撫でるんですね! どうぞ! とされるがままだ。
撫でれば、もふもつやつやな表面の毛と、ふかふかもこもこの柔らかい奥の毛の二種類が伝わってくる。ちょっともにゅっとしたお肉の感触が温かい。
「ぽこー……♪」
食後でも苦しくないよう配慮された撫でられ心地に、たぬきはとろんとなされるがままだった。
楽しげに撫でる雨月に、璃亜はにこにこしている。
「雨月さんもたぬきちゃんが大好きなんだねぇ……」
「ええ、たぬきは良いわよぉ、ほんとかわいい」
愛嬌のある顔も、ちょっとどんくさいところも、食いしん坊なところも可愛いものだ。
「昔は近所のたぬきが良く遊びに来たの。あの頃も良かったけどぉ……ま、今には勝てないわねぇ」
「そっかー。今も楽しくてよかったよ!」
「特に今日は、また楽しい時間だったわぁ」
「えへへ! 今日は一緒に過ごせて本当に幸せなんだよ! また来ようね!」
「ええ、また遊びに来ましょ?」
もふもふなたぬきを撫でながら次の約束をして、璃亜と雨月は楽しげに笑いあうのだった。
●
時雨とトゥルエノがまったりと待ち構えていると、そこに現れたのは茶色い毛玉だった。
トゥルエノのよく知るイヌ科のような造形ディテール。しかし毛並みがなんともふわふわモコモコしていて、毛皮の柄も相まって、のん気で愛嬌のある相貌。
「おお、此れがタヌキという生き物か」
もふもふぽんぽこなたぬきがぽてぽて歩いてくるのを、おっとりとトゥルエノは眺めている。
「パッと見は無害そうな存在だなぁ」
「エノくん冷静だね。ぼくはもうだめです」
「うん?」
トゥルエノがふと見ると、なんだか幸せそうなオーラの時雨がいた。
(おや、時雨殿の目の色が変わっ……とても輝いているなぁ)
視線の先は、もこもこのたぬき。
「ぽこ?」
「可愛い! 可愛い!」
近づいても逃げないたぬきは、たぬきにご用ですか? とでも言うようにきょとんとしている。
つぶらな瞳でこちらを見上げて首をかしげる仕草がまた、時雨にはどうしようもなく愛らしい。
「タヌキってバイ菌持ってるんだっけ? 触っても平気かな~平気だよね~。というわけで回収!」
「ぽーん!?」
「おお、宣言から実行までが速いなぁ」
絶対逃さない、と静かな気迫を込めてしゅっと伸びた手に、たぬきは驚いたものの逃げる暇もなく捕まえられる。
トゥルエノはその素早さに軽やかな拍手を送る。
「はい捕獲~。大丈夫大丈夫、優しくするからね~」
びっくりたぬきは、もふもふと撫でられれば、あ、これは気持ちいいです、もっと撫でていいですよ、とでも言うようにとろけていく。尻尾もゆるゆると揺れていて、すっかり警戒心は消えているようだった。
「ぽーん♪」
「おや、すっかり懐いたな」
「いいねぇいいねぇ。おてても見せてね~」
「ぽこ?」
時雨がもふっとした手を取れば、そこにはしっかり弾力のある手触り。
「……肉球! 肉球ある! 見て、エノくん。可愛いお爪もあるよ」
「ぽこー」
「うむ、見事な肉球だなぁ」
ばんざーい、と言わんばかりに掲げられた前足を眺め、トゥルエノは微笑ましく頷く。たぬきも褒められているのが分かるのか、どこか誇らしげに胸を張っていた。
時雨は、そんなたぬきの肉球をもちもちぷにぷにと遠慮なく堪能していた。
ほのぼのと和む光景を眺めつつ、トゥルエノはそういえば、とバスケットに視線をやる。
「ふむ。たぬきはサンドイッチ食べるだろうか?」
「あ、サンドイッチ忘れてた~。さつまいもじゃなくてごめんね」
「ぽこ! ぽーん♪」
トゥルエノの言葉に、時雨はバスケットからサンドイッチを取り出した。
たぬきは、大丈夫、たぬき、サンドイッチも大好きです! と言わんばかりの喜んだ鳴き声を上げながら、差し出されたサンドイッチに食いつく。
「ぽこ〜♪」
わーいおいしいです、とでも言うように夢中で食べる姿に、時雨は思わず身をよじる。
「わぁ、食べてるの愛おし──。なにこの生き物やだぁ」
可愛すぎて困る、と言いながら撫でる手は止まらない。食べながら撫でられているたぬきも、これは幸せです、とでも言うようにすっかりとろとろだ。
(なんと平和な光景だろうなぁ)
トゥルエノはその様子を、どこか満ち足りた気持ちで眺めていた。こうして隣で誰かが無邪気に喜んでいる光景もまた、心を和ませるものなのだと感じながら。
争いも緊張もなく、ただ穏やかな時間が流れている。
「困るよこんなの最高のお仕事ですよう」
「うむ。サンドイッチを楽しみタヌキと戯れ、今日も一日よき仕事を終えたな……!」
「ぽーん」
満足そうに鳴くたぬきとともに、二人はのんびりとした充足感を分かち合うのだった。
●
唯朱花が癒水のフロアでのんびりとした心地を味わっていると、隣でアインが興奮したように羽をパタつかせた。
「あっ。イスカくん、イスカくん! たぬき、たぬきですよ!」
「ぽん?」
「あっ、ぽんって言った! イスカくん!」
「そんなに何度も呼ばなくっても聞こえてるよ。……たぬき?」
「はい、たぬきです!」
聞こえたからと言って、必ず返事をするわけでもないのだが。唯朱花がアインの向いている方向を見れば、かわいいたぬきと目があった。
水の揺らめきを背にしたその姿は、どこかのんびりと現実感が薄く、まるで絵本から抜け出してきたようにも見える。
「えへへ、初めて見るので……イスカくんにも早く見て欲しくて」
「あ、ほんとだたぬき……ぽんぽこ鳴いてるたぬき、かわいいね」
「ぽこー」
「はい、かわいい? ですね! インビジブルにこういう評価をして良いのかわかりませんけれど……」
「インビジブル、ね……あのたぬき、あれで簒奪者なの?? マジで??」
「ぽん?」
きょとんと首を傾げる様子は大変ゆるい。危機感や野生の本能をどこかに置き忘れたのではないだろうか。
「多分戦う前に自滅するタイプのたぬきだよ、あれ」
「そうかもしれませんね!」
アインと唯朱花の視線に、何やら注目されてますね、とでも言うようにたぬきは、ぽこ? と鳴く。
そして、あ、たぬきとおいも食べたいですか? よかったらわけますよ? と思ったのか、サツマイモに視線を向け、きゅっと集中を始めた。
「あっサツマイモ焼いてる。あっあっかわいい……あ、イスカくん、ちょっとたぬきのお隣に並んで頂いてよろしいですか?」
「ん、いいよ。サツマイモが自分で焼けるたぬきかぁ……サツマイモ焼きたくて簒奪者になったんじゃないよね、お前。焼き尽くさないようね」
「ぽーん?」
アインのお願いに応じ、唯朱花はたぬきの隣に並びつつ問いかけたが、たぬきは、たぬきわかりません、とでも言うような顔で首を傾げていた。
同じように唯朱花が首を傾げれば、アインはまたばさばさ音を立てて羽根を撒き散らす。
「ああ~~かわいい~~……かわいいの相乗効果がすごい……」
「アイン、一生分のかわいいを言うつもり?」
「いえ、イスカくんのかわいさは尽きないので一生分言ってもなくなりません!」
もはや止まらない様子に、唯朱花は小さく肩をすくめる。
ひとしきり可愛さに身悶えしたあと、アインは新たなサンドイッチを取り出した。
「どうぞ、サンドイッチ食べますか……?」
たぬきは、はい、食べます! たぬき何でも好きです! という顔をして差し出されたサンドイッチに食いつこうとした。
しかし、微妙に高さが足りないのに気づき、ちょっとウロウロ視線をさまよわせて。
失礼しますね、と言わんばかりに唯朱花の膝の上によいしょ、と乗ってから、サンドイッチに齧りついた。
「あっイスカくんのお膝で食べてる……かわいい……」
「意外と図々しいタイプのたぬき……まぁいいか、かわいいからね」
おいしいです、と夢中ではぐはぐ食べるたぬきのもこもこした毛皮を撫でると、しっとりした表面とふわふわした奥の毛が指に絡む。
温もりまで伝わってきて、思わず唯朱花の口元も緩んだ。
「ああ……なでてるイスカくんもニコニコで大変かわいい……」
「安心しなよ、アインもかわいいよ。羽根を撒き散らすところとか」
「はい! いっぱい撒きますね!」
「ほどほどにね」
「ぽーん」
ぱらぱらと舞う羽根と、水音と、たぬきの鳴き声。
それらが混ざり合って、穏やかで少し不思議な時間を形作っていた。
気づけば、誰も急ぐことなく。
ただ、かわいいと穏やかさに包まれたまま、その場に留まっていたのだった。
●
「なんだ、ずいぶん大荷物だね。お弁当つけてどこいくの?」
「ぽん?」
木の実とサツマイモを背にのせて、きょとんとした顔のたぬきに、菫はなるほど、と思う。
なんとなく気の抜ける、のんきで愛嬌たっぷりの顔、もこもこふわふわの毛並み、ちょっとどんくさそうな仕草。「かわいい」と言われるだけのことはある。
菫は水から上がり、髪を軽く絞る。水気を拭って、上着を羽織ってからたぬきの方へ近づいてみた。
もふもふころころな茶色の毛玉のそばにしゃがみ込んで、よく見てみる。
「……お前、一応野生なんだよね? とぼけた顔してるけどさ」
「ぽこ?」
やせいでしょうか、たぬき、たぬきなので、と言わんばかりのきょとんとした顔で首を傾げているたぬきに、菫は思わず笑ってしまった。
「ま、ご飯にしよっか。ほら、おいで。いいものあげるよ」
「ぽん!」
いいものですか、とたぬきは喜んで、ぽてぽてと菫の方へと歩いていく。
菫は水場の縁に座り、たぬき用焼き鳥サンドを水に濡れない位置へと置いた。野生動物は人と同じ目線で食べさせない方がいい、と言われているから。
あまり気にしないだろうし、お腹も壊さないだろうけれど、包み紙を敷いて汚れないように心を配りながら。
「ぽーん♪」
ありがとうございます、たぬきうれしいです! と言わんばかりに喜び、たぬきはサンドイッチに齧り付いた。
「ぽん……♪」
おいしいです、と喜びに震えながら、たぬきはもぐもぐとサンドイッチを食べていく。
それを見ながら、菫はふとどんな毛並みか気になった。本物の野生なら、人基準で言えば汚れがひどいけれど、このたぬきはインビジブルだからか、手入れされているような綺麗さがある。
「……触っても平気って言ってたよね? ちょっと撫でるよ」
菫は、サンドイッチを食べ終えたたぬきへと手を伸ばした。
「ぽこー♪」
「いい毛並みじゃん」
やはり野生とは違うのか、自然の草っぽい香りはかすかにするけれど、泥や汚れの匂いはしない。手触りもふわふわもこもこな柔らかいものだった。
撫でられるたぬきは気持ちよさげにとろんとして力を抜いている。ただのたぬきなら、野生で生きていけなそうなのんびり具合であった。
しばらく撫でてから、菫はたぬきを軽くとんとんと叩く。
「さ、次に行きな。私がお前を倒さなきゃいけなくなる前にね」
「ぽーん」
ごちそうさまでした、と言わんばかりに鳴いて去っていくたぬきを、菫は優しい目で見送っていたのだった。
●
ルナリアと賢葉は、きょとんと首を傾げているたぬきに気づく。
「ん? あの子が星詠みで言われてたたぬきかな?」
「んぅ? 動いてるの初めて見た~。きょろきょろしてる〜?」
「はは、もしかして『いつもより人が多い』からちょっと戸惑ってるのかな?」
「うゃ。たぬきさん~。おいでおいで~♪」
普段、ルナリアが獲物と定めたたぬきには、電撃で仕留めてから近づく。そのため、こうして動く様子を見るのは初めてだ。
いつもよりおっとりした様子に興味を引かれ、ルナリアは近づいていく。その後ろを賢葉はのんびりとついていった。
それから、たぬきの前に二人でしゃがみこむ。
「うん、僕たちとお弁当食べながら遊ぼうか。君のお弁当は木の実とさつまいもかな」
「ぽん」
そうです、おいしいですよ、サツマイモわけますか? と言うような顔をするたぬきに、賢葉は大丈夫、と笑ってみせた。
ルナリアは紫の物体の名前に、こてんと首を傾げる。
「さつまいも……? このキレイな石も、おなじ〜?」
「サツマイモは食べ物だね。ルナリアのキレイな石とは違うものだよ」
「うやぁ、食べ物……」
「ぽんっ」
ルナリアも、地中で見かける紫の物体——サツマイモのことは知っていた。たまに拾うキレイな石と似たものだと思っていたのだ。
賢葉の言葉に、ルナリアは一つ知識を増やす。
「さて、俺達はサンドイッチ持ってきたけど……フルーツサンドとお肉系、どっちがいい? どっちも食べちゃう?」
「ぽーん……!」
迷います、どっちもおいしそうです、たぬきこまります……と言わんばかりな鳴き声だ。うろうろ迷うように視線をさまよわせ、頭を揺らすたぬきに、ルナリアはフルーツサンドを差し出した。
「たぬきさん、これ食べれるかな~?」
「ぽーん!」
はい、たぬき、食べられます! と喜びの声を上げ、たぬきは差し出されたサンドイッチに食いついていく。
「あ、食べた~♪」
「食べたねぇ。幸せそうだ」
「私もサンドイッチ食べる~」
おいしいです、幸せです、と喜びに打ち震えるたぬきにほっこりしながら、ルナリアも自分のサンドイッチに齧り付く。
「うやぁ……お肉、おいし~💕」
「ぽーん♪」
「ふふ、君もルナリアも美味しそうに食べるねー。はい、飲み物も忘れずにね」
「ありがと〜」
色々なお肉がおいしく詰まったサンドイッチにルナリアの顔も幸せにほころぶ。たぬきも同じ様な幸せ顔で、賢葉はつい微笑ましくなってしまった。
満足するまでお弁当を食べたなら、今度は遊ぶ時間だ。
「さて、ちょっと撫でてもいいかな?」
「たぬきさん、もふもふ〜……?」
「ぽこ〜」
幸せそうなたぬきに、ルナリアと賢葉はゆっくり手を伸ばす。たぬきは、どうぞ撫でていいですよ、とその手にされるがままだった。
「うーん、君はたぬき君? それともたぬきちゃん? それとも、どっちでも正解なのかな?」
「ふかふか〜」
「ぽーん♪」
たぬきはたぬきなので……どちらでしょう、でも撫でられて幸せです、と、どちらでも良さげな声を零すばかり。
そんな様子に賢葉はつい笑いってしまった。
ルナリアはもふもふと撫でて揉んでみる。つやつやした毛並みと、ふわふわの手応えが心地よい。
「んやぁ……きもちい〜」
「ぽこ〜」
「幸せそうだねぇ」
楽しげで幸せそうなルナリアとたぬきを見守りつつ、賢葉はにっこり微笑んでいた。
水のせせらぎも心地よく、美しい景色も楽しめる。おまけにかわいいたぬきも出るときた。
「うん、ここは良いところだね。また、遊びに来てもいいかな?」
「お水いっぱい、また泳ぎたい〜」
「ぽーん!」
そんな二人の申し出に、どうぞ、遊びに来てください! たぬき、大歓迎です、とたぬきは高らかに鳴いてみせた。
●
「わあ、たぬきちゃんだー! はじめましてー、おれはくらげー。友達と一緒に君に会いに来たんすー」
「……くらげ……って自己紹介すごいな」
「ぽこ、ぽーん」
「こっちは本当に見た目たぬきだな……」
これはご丁寧に、たぬきはたぬきです、という感じでたぬきも頭を下げる。インビジブルなのにどう見てもたぬきで、明良は思わず呟いた。
挨拶を交わした月笠はにっこり笑って買ってきたサンドイッチを取り出す。
「もうお弁当持ってるみたいだけどー、まだお腹空いてるかなー? 空いてるならー、サンドイッチをあげるよー」
「ぽん!」
たぬきは、大丈夫です、たぬきいっぱい食べられます! と言うように鳴く。
月笠はにこにこしながらサンドイッチを紹介した。
「これはねー、おいしいお魚ちゃんのサンドイッチっすー。そしてこっちはー、味が変わるびっくりお魚ちゃんサンドイッチ!」
「ぽーん!」
月笠とたぬきを微笑ましく思いながら、味が変わる魚のサンドイッチを見て、明良は胃薬に意識を向ける。ちゃんと持ち歩いているが、出番がないのが一番だ。
(月笠ではなくたぬきが食べるなら、大丈夫だろうたぶん……。というか人間の胃薬が効くとは思えん)
悩ましいです、と二つのサンドイッチの間できょろきょろするたぬきに、明良も作ってきたサンドイッチを差し出した。
「こちらはたまごサラダにBLTサンド……どっちが食べたい?」
「ぽーん……!」
たぬきは、全部おいしそうです、選べません、と言わんばかりに見比べていた。その様子に、月笠と明良はつい笑ってしまう。
「迷っているな」
「んじゃ半分こするっす!」
「ぽーん!」
月笠の申し出にたぬきの顔が輝いた。早速、月笠は半分にしたサンドイッチを差し出す。
「たぬきちゃんはお魚ちゃん好きー? おれは大好きー!」
「ぽん!」
たぬきは同意しながら、ぱくりと齧りついた。
明良は幸せそうに食べるたぬきと、差し出す月笠を見守りつつ、自分用に分けたサンドイッチを齧る。
「……動物の食事風景って、なんか見てて和むよな」
「わかるっすー。遠慮せずお食べー」
一生懸命全身でおいしい、うれしい、と食べる小動物は見ていてほっこりする。月笠もそれに同意し、うんうん頷いた。
「ぽん♪」
たぬきは、差し出された分をぺろりと食べて、満足気にごちそうさまでした、と鳴いて頭を下げた。
その様子を見ていた月笠はふと思う。
(やっぱり撫でてみたくなるなー)
柔らかそうな毛並みにふかふかの全身だ、どんな触り心地だろうか。
「ねえねえたぬきちゃんー、きみを撫でてみてもいいっすー?」
「ぽーん♪」
どうぞ、たぬき撫でられたいです! と言わんばかりに擦り寄るたぬきに、月笠はそっと手を伸ばす。
つやつやな表面とふっかりした奥の毛が撫でるたび指を通り抜けて心地よい。
「おおーいい毛並みっす! つやふか〜」
「ぽーん」
気持ちいいです、とうっとりするたぬきの様子に、心地よさそうな月笠の様子に、明良も興味が湧いてきた。
(俺が触れても大丈夫だろうか……)
逃げないだろうか、と明良が恐る恐る手を伸ばす。
「ぽん」
たぬきは、大丈夫です、撫でてください! と頭を差し出した。
明良がそっと手を乗せ、ゆっくり撫でてみれば、心地よい温もりと毛並みが手に伝わってくる。撫でられているたぬきも嬉しそうだ。
「……気持ちいいな」
「いいっすよねー、それにかわいいっす!」
「ぽーん……♪」
うんうん頷いて、月笠は明良の撫でる姿をにこにこつつ、サンドイッチを齧った。
「うん、本当に味変わるっす! おもしろおいしー!」
「な、月笠、あれを食べたのか!? 腹痛かったり気持ち悪かったりは?」
「全然! うまいっすよこれー」
「ぽーん!」
おいしかったです! と、同意するたぬきの鳴き声をBGMに、明良は慌てて胃薬と水を差し出し、月笠は朗らかに笑っていたのだった。
●
「たぬきなのです! かわいいのです!」
「か……かわいいですね」
「ぽこ?」
ぽんぽこと鳴いて首を傾げたたぬきに、小鈴は歓声を上げた。ころんとした体が揺れるたび、ふわふわの毛が揺れて愛らしい。境華はきゅっと手を握り、想像以上のたぬきの可愛さに、素直な言葉を零すばかり。
「たぬきさん、一緒にごはんを食べませんか? ぽーんと鳴いていると聞いて、お友達をつれて会いに来ましたのです!」
「あっ、そうでした、一緒にご飯を食べるのでした。どうでしょう?」
「ぽん!」
小鈴は早速サンドイッチの包みを取り出してたぬきを誘う。その言葉に境華も我に返り、一緒にたぬきを誘ってみた。
二人の誘いに、たぬきは、はい、ご一緒します! と言うように鳴いた。いそいそと近寄り、小さな前脚で器用にお弁当を広げ始める仕草がまた愛らしい。ちょこんと座る様子も、どこか嬉しげに見える。
その様子を見守りながら、二人も作ってきたサンドイッチを交換する。
「神隠祇さん、どうぞなのですよ」
「ありがとうございます。小鈴さんはこちらを」
「ありがとうございますです」
小鈴からは手作りのハムとレタスのサンドイッチと、いちごサンドを。境華からはテリヤキチキンサンドとチョコバナナサンドを差し出した。
互いを思って作ったサンドイッチは文句なしにおいしく、噛むたびに具材の味が広がる。食べながら、たぬきが幸せそうに木の実をかじる姿を見ると、心もほっこりと温まった。水のせせらぎの音も、優しく穏やかに響いている。
「たぬきさん、可愛いですね。幸せそうです」
「ええ、本当にかわいいです」
「今日はいっぱい絵日記を書きますよ。サンドイッチに、水のフロア、たぬきさんとのことも!」
「そうですね……きっとにぎやかで楽しい一枚になりますね。美味しい食事にかわいいたぬき、この場面は絵日記に必ず入れたいところですね」
ほのぼのと会話を楽しみ、二人で仲良くサンドイッチを食べ終えてから、境華は作ってきたサンドイッチをたぬきへと差し出した。
「食べますか?」
「ぽーん!」
はい、たぬき食べます! と喜んでたぬきはサンドイッチに齧り付く。幸せそうに体を揺らし、はむはむと夢中で食べる姿に境華は嬉しげに微笑み、そっと毛並みを撫でてみた。
シルクのようなつややかな毛と、ふわふわの感触、じんわりとした温もりが伝わってきて心地よい。指を滑らせるたび、柔らかな毛がするりと流れていく。
「かわいいですね……本当に」
「幸せそうなのです」
幸せそうなたぬきと境華に、小鈴もずっとにこにこした笑みが止まらない。胸の奥がぽかぽかして、自分まで幸せな気分になってくる。
(神隠祇さんをお誘いして良かったのです)
こんなに幸せで、一緒にいて楽しい気分を味わえるのだから。
「小夜雀さんも一緒にたぬきを可愛がりましょう?」
「はい。たぬきさん、いいですか?」
「ぽーん♪」
どうぞ、たぬき愛でられるの大歓迎です! と言わんばかりに鳴いたたぬきを抱きかかえ、小鈴はにっこり満面の笑みを浮かべた。
「いいこなのです」
「本当に、かわいいですね……」
ぬくぬくの温かさに柔らかな毛並み、おっとりとした動きがまたかわいい。撫でられるたびにとろんと力を抜き、ふにゃりと身を預けてくるたぬきは、心から安心しているようだった。
そんなたぬきを愛で、会話を交わす時間は、小鈴と境華にとってもかけがえのないひとときとなっていくのだった。
●
その話を聞いて、ヤルキーヌ・オレワヤルゼ(万里鵬翼!・h06429)は淑やかに、けれど朗らかに宣言した。
「愛らしいタヌキと触れ合えますの?! それはぜひ足を運ばなければ!」
自分用の紅茶とフルーツサンド、たぬき用の野菜ジュースに、ハムと野菜をたっぷり挟んだサンドイッチをバスケットに詰め込んで。それを持った御霊タイリョークとともに、ダンジョンの奥へと向かっていく。
「いらしたわ! ごきげんようタヌちゃん!」
「ぽこー」
丸っこい茶色の頭が、こんにちは、と下げられる。たぬきの仕草にニッコリ微笑んだヤルキーヌは、タイリョークの持つバスケットから、小さな器を取り出した。そこに野菜ジュースを注ぎ、一緒にたぬき用のサンドイッチを手に持つ。
「まだお腹は空いていらして? サンドイッチとジュースがありましてよ」
「ぽん!」
たぬきは、はい、たぬき、いっぱい食べられます! といいお返事で、サンドイッチとジュースに引き寄せられていく。
はぐはぐ食べるその姿は、全身で幸せです、と言っているかのようだった。
食べ終え、満足げにしているたぬきの横で、ヤルキーヌは紅茶とフルーツサンドを上品に味わいながら、声を掛ける。
「そのふわふわな被毛を撫でてもよろしくて? 良ければお膝に乗ってもよろしくてよ」
「ぽーん♪」
はい、撫でてください、失礼しますね、とたぬきはヤルキーヌに膝の上に、よいしょよいしょ、と登ってくる。そして、どうぞ、と頭やお腹を差し出してくるのだ。
(見てると心がキューっとなるくらい愛らしいですわね!!)
満面の笑みを浮かべたヤルキーヌは、たぬきを撫でる。つややかな毛並みとふわふわの触感が指の間を滑る感触も心地よい。膝から伝わる温かな体温と程よい重みも、幸せな心地だった。
「あなたワタクシのお家にいらっしゃる?」
「ぽこー……」
「まあ、そうですの。きっとすてきなお家なのですわね!」
お誘いありがとうございます、でもたぬき、今のおうち気に入っているので……と、ちょっとしんなりしたたぬきに、ヤルキーヌは気にしないでくださいまし、と微笑んでみせた。
「あなたが素敵に暮らせるなら、そこが一番ですわ!」
「ぽん!」
はい、とってもいいおうちなんです! というように鳴いてみせたたぬきの頭を、ヤルキーヌは優しく撫でてあげる。
「そうですわ、お家のことをもっと教えてくださいませ!」
「ぽーん!」
はい、たぬきのおうちはですね、と楽しげに鳴きながら語るたぬきの話に耳を傾けながら、ヤルキーヌはゆったりとしたひとときを過ごすのだった。
●
首を傾げたたぬきに、茂音はわなわなと震えている。
「ぽこ?」
「ぽ、ぽこぉ……!」
もこもことした丸いフォルム、つぶらな瞳、愛嬌のあるのんきな顔。ふかふかの毛並みも気持ちよさそうで、ぽふっとした尻尾まで詰まったかわいらしさ。
茂音の胸は、きゅんと高鳴った。
「その首傾げる動き可愛らしい! 可愛らし過ぎるでぇぇ!!」
「ぽんー?」
可愛さについ興奮し、茂音は大きな声で思いの丈をぶつけてしまう。はっと我に返り、驚かせていないか様子を伺えば、たぬきはおっとりとした様子でまだそこにいた。
それならば、といそいそサンドイッチを取り出す。
「ほれ、サンドイッチ食べるー?」
「ぽーん♪」
雑食ならば食べるだろうと、茂音はそっと床にサンドイッチを置いた。たぬきはありがとうございます! と言うように喜びの声を上げる。
しかしなにやらまごまごし、きょろきょろとサンドイッチと茂音を見比べている。
「どこから食べたらええんか分からへんのやろか?」
ならば見本を見せようか、と茂音は自分のサンドイッチを持った。
「ほら、こうやって食べるんやで! いただきまーす!」
「ぽん!」
茂音がお肉のサンドイッチをぱくりと食べれば、たぬきは、なるほど! と鳴いてかぶりつく。
じゅわっとあふれる肉の旨味、シャキシャキした野菜の歯ごたえが、茂音の口の中を満たした。
「うまいなぁ♪」
「ぽーん……♪」
おいしいです、とたぬきも喜びに震えながら、サンドイッチをはぐはぐ食べている。
茂音もしっかり食べ応えのあるサンドイッチをぺろりと平らげて、手を合わせた。
「ごちそうさまでした!」
「ぽこー」
同じくらいに食べ終えて満足げなたぬきに、茂音は手招きする。
「ほれ、うちの腹の上においでー! お昼寝しよや!」
「ぽんー♪」
いいんですか、たぬき、うれしいです! とたぬきは茂音の腹にぴたりとくっついた。
「おお、自然のお布団みたいな暖かさ……うちが求めてたのはこれやで……♪」
ぽかぽかと温かい小動物の体温。ふかふかさらさらな毛並み。お腹いっぱいで、周囲の水音も心地よく、ひだまりのような温もりに包まれる時間は幸せなものだ。
「さ、一緒に寝よかー」
「ぽーん……♪」
たぬきが茂音の腹の上で、気持ちいいですね、と言うように鳴いた。
そのままたぬきがまたぽてぽて歩きたくなるまでの間、茂音とたぬきはぬくもりを分け合い、ぐっすりと眠るのだった。
●
ゆったりした時間を過ごしたあと、程よく空腹を感じた頃合いで風音は言う。
「さて、折角サンドイッチ買ってきたんだし、ランチにしよっか」
「はい! 楽しみですね!」
「うんうん、いっぱい買ってきたから皆で分けて食べよー! 遙斗さんもどうぞ!」
「ありがとうございます。代わりに来る途中で飲み物を買ってきたのでお好きなのをどうぞ?」
「遙斗さん、ありがとう! どれにしようかな?」
「わ、遙斗さんは飲み物を買ってきてくださったのですか、さすが気が利くのです」
遙斗の気遣いに、藍生は大人への憧れの眼差しを向けた。さっそくコーヒーのカップを選び、好みの味に調整する。
(うーんコーヒーとは我ながら大人の気分!)
たっぷりのミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲み、藍生は大人になった気分を味わっていた。
「俺はコレにしようかな?」
ブラックコーヒーを選んで一口飲む遙斗は、そんな藍生を微笑ましく見守った。
風音も飲み物を受け取ると、サンドイッチの包みを取り出して並べていく。
「こっちが照り焼きチキンサンドで、こっちがフルーツサンド!」
「これがカツサンドで、それはたまごサンド。実によりどりみどりです」
「たくさん買ってきましたね、美味しそうですね。では、せっかくですから照り焼きチキンを1つもらいますね」
「はいどうぞ! 私もいただきまーす!」
遙斗に照り焼きチキンサンドを一つ渡したあと、風音も口に運ぶ。藍生もカツサンドに大きな口でかぶりついた。遙斗もコーヒーと一緒に、チキンサンドを楽しんでいく。
「うーん、チキンがジューシーで美味しい♪」
「カツサンドもソースとカツがじゅわっとして、おいしいです!」
「うん、おいしいです。二人とも、とっても美味しいものを選べてすごいですね」
合間の会話も、いっそうサンドイッチの美味しさを引き立てている。
「フルーツサンドは色んな種類あるよ。ぶどうにキウイに、いちごとデコポンはたぬきの分も多めに買って……」
「たぬきさんのために、一緒に選んだんです」
「うんうん。おいしそうだよね」
「喜んでくれるといいですね……おや? あそこに」
ふと周囲を見渡した遙斗の目に、茶色いもこもこしたものが見える。軽くそちらを向く動作に、風音と藍生が釣られて視線をやれば。
「ぽこ?」
きょとんと首を傾げたたぬきと目があった。
「あ、たぬきがいた!」
「たぬきさんですね!」
「あぁ、あれが噂のタヌキですか」
のんきで愛嬌のある顔立ちに、丸っこいふわふわのシルエット。ふかふかの尻尾を揺らしながら、こてんと首を傾げている、かわいいたぬきである。
「たぬきさん、見るからに無害そうな雰囲気のこの……」
「サンドイッチに釣られてきたのかな?」
「それなら、サンドイッチをあげたら近づいてきてくれますかね?」
藍生は、はわわとたぬきの可愛さに悶えそうになり、風音はさっそくたぬき用のサンドイッチの包みを広げていく。遙斗はコーヒーのカップを置いて、たぬきの様子を軽く眺めていた。
「おいでおいでー。フルーツサンドあげるよ。ゆっくり食べていきなよ」
「ぽーん!」
風音がフルーツサンドを差し出せば、いただきます! とたぬきがぽてぽてやってくる。
そして差し出されたサンドイッチにぱくりとかじりつけば、おいしいです、と喜びに体を震わせていた。
「ふふ、美味しそうに食べてる。藍生くんと一緒にたぬきが好きそうなの選んできたんだよ」
「気に入ってもらえたみたいで、何よりです!」
「ぽーん♪」
「おいしいって言ってるみたい!」
「幸せそうですね」
おいしいです、ありがとうございます、とたぬきは鳴く。なんとも幸せそうに食べる姿に、三人もほっこりしていた。
たぬきの幸せな様子を見ながら、三人もサンドイッチを満足するまで食べ終わる。デザートのフルーツサンドも、さっぱりした果物とクリームの甘さがよく調和した一品だった。
ちょうどたぬきも食べ終わったようで、ごちそうさまでした、と頭を下げている。
「少々撫でても?」
「ぽこー♪」
遙斗の問いかけに、はいどうぞ、たぬき撫でられるの好きですので、と頭やお腹を委ねる姿勢だ。
遙斗が軽く撫でれば、つやつやの毛並みと、ふかふかの感触が指の間を流れていく。撫でられるたぬきは、なんとも気持ちよさそうだ。
「遙斗さんに撫でられて、すっごく嬉しそうだね」
「結構かわいいですね。お二人もなでてみますか? ずいぶん人懐っこいですよ?」
「そうみたいですね。俺もなでさせてもらいましょう」
「アタシもー」
「ぽーん……♪」
遙斗はとろけたたぬきを撫でやすいように、そっと二人に場所を譲る。
風音と藍生がたぬきの頭や背中、お腹を撫で撫でと可愛がれば、たぬきは幸せそうに尻尾を震わせていた。
「かわいいねー」
「かわいいですねー」
ほんわかする二人を見て、遙斗は一つ提案をする。
「せっかくだし写真撮りませんか? お店の人にも見せてあげたいですしね」
「写真? 良いね、撮ろう!」
「ですね、写真撮りましょう」
「ぽこ?」
「うんうん、もちろん! たぬきちゃん真ん中にしよっか!」
「そうですね、じゃあこっち後ろにして……」
「俺、撮りますよ」
「ううん、皆で入ろ!」
「すみませーん、写真撮ってもらってもいいですか?」
「ぽこー」
入っていいんですか? と首を傾げたたぬきを中心に、三人で並ぶ。近くにいたEDENに頼んで、ぱしゃり、と撮影された画像にはどれもすてきな笑顔が並んでいる。
「うん、すてきな写真! ポエムの皆も喜んでくれるよね」
「はい、今日という日もまた素敵な思い出になったのです。風音さん、誘ってくださってありがとうでしたよ」
「俺もご一緒できて楽しかったです」
「アタシも、皆と一緒で楽しかった!」
「ぽん♪」
「はい、たぬきさんも」
「うん、たぬきもね」
「はい」
良かったです、と嬉しげに鳴いたたぬきを見て、風音と藍生、遙斗は改めてすてきな笑顔を浮かべるのだった。
●
究極のもふもふとした毛皮。太く短く、けれど愛らしく左右にぷりぷりと楽しげに揺れる尻尾。やわらかな癒水のフロアの光の中で、その姿はひときわ輝いて見えた。
(ただ、ひたすらに愛らしいマイナスイオンの群れ)
現れたたぬきのあまりの可愛さに、ガザミはうっとりしていた。なるほど、ここの空気も、水も美味しくなるのはこの可愛いたぬきがいるからだ、と思うほどに。
「あ、そうだ。こちらいかがですが」
「ぽん?」
用意してきた里山サンドでたぬきの気を引こうとすれば、これくれるんですか? とたぬきが首を傾げる。
(ちょ、今、首傾げるの? かわいい)
唐突なその仕草にも胸を撃ち抜かれ、スマホの代わりに心のメモリーに保存していた。
ぽてぽて近寄ってきたたぬきに里山サンドを改めて差し出せば、嬉しげにぱくりと齧りつく。小さな口で一生懸命もぐもぐする様子が、また愛らしい。
「わ、食べる姿も可愛い……!」
尻尾や体を揺らし、美味しいです、と全身で表している姿もかわいい。スマホはまた構えられなかったが、心にはしっかりと焼きついている。
さてたぬきといっしょに食べようと、ガザミは用意してきた自分用のサンドイッチにかじりつく。
歌うキノコとコカトリス肉のピリ辛サンドは、隠し味に雷電綿飴で甘みをつけたゲーミングデスソースが決め手。肉汁がじゅわっと溢れ、刺激的な甘辛さがぴりりと舌を刺すけれど、歌うキノコが喉や胃をやさしく守ってくれる。噛むほどに旨味が広がっていく。
「うん、おいしいです」
「ぽこー♪」
ふと視線を戻すと、たぬきの毛並みがほんのりと光を帯びている。
「わ、たぬきの毛並みが真珠色に!」
光を受けて柔らかく反射するその毛並みは、まるで宝石のようだった。里山サンドの真珠色生クリームの影響かな、と驚いてしまう。
「きれいですね。本当に真珠とか、宝物みたい。……元に戻るよね?」
「ぽこ?」
どうでしょう、と首を傾げたたぬきに手を伸ばせば、逃げることなく撫でられている。つやつやふわふわの毛皮が指の間をすり抜け、ほんのり温かさが伝わってきた。撫でるたびに、かすかに光が揺れるのも不思議で心地よい。
たぬきのつやつや真珠色に光る毛並みが、もとの落ち着いた茶色に戻るまで、ガザミはもふもふと撫でて過ごすのだった。
●
雪願・リューリア(願い届けし者・h01522)と飼い猫のアーシア、四希・アーデュラ(エルフの古代語魔術師ブラックウィザード・h08215)は二人でのんびりと、たぬきの出るというフロアへと向かっていた。
「ふむ、今回はかわいいたぬきを構ってあげればいいのだな」
「ええ。寂しがりやさんで、のんびりとしたたぬきさんのようです」
「うん、紛れもない強敵だが戦わなくていいのは本当に安心したぞ。アーデュラ、よろしくだな」
「はい。リューリアさん、よろしくお願いしますね」
「にゃあ」
「うん、アーシアもだな」
聞いた様子でもかわいいのだ、実際に見たらそのかわいさに戦うことすら辛くなりそうだ。けれど今回はその心配はなく、ただ遊んであげればいい。そのことに心を軽く浮き立たせ、二人と一匹は進んでいく。
「あれだな」
「ええ。可愛いたぬきさんですね」
「楽しそうだなぁ」
「サツマイモを大事そうに持って、ぽてぽて嬉しそうに歩いてますねぇ」
たどり着いた癒水のフロアに行けば、そこにはぴょっこり顔を出したかわいいたぬきがいた。
ひんやりと水の気配が心地よく、穏やかに過ごせる場所に、のんきなたぬきが歩く姿に抗うのは難しい。
寂しがりやのようだが、いきなりたくさんの人がいて怖がらせていないだろうか、とたぬきの様子を見れば、人がいっぱいです、にぎやか楽しいです、とうきうきぽてぽてあちらこちらに歩き回って、EDEN達に構われて幸せそうだった。ぽんぽこ鳴く姿もなんとも可愛らしい。
あの様子なら、リューリアとアーデュラ、アーシアが一緒に行っても喜びそうだ。
一応近づく前に、リューリアはアーシアに少し言い聞かせておく。
「よいか、アーシア。我に飛びかかったように、いきなりたぬきに飛びついて、びっくりさせないようにな」
「なー」
「ふふ、アーシアちゃんも一緒に遊べるといいですね」
「うん。おそらく無害だとは思うが」
「ダンジョン内のインビジブルですし、いい子である事を確認する意味でも大事な役割です」
だから、リューリアとアーデュラもたぬきと触れ合わなくてはならないのである。大義名分を胸に、リューリアは近くへやってきたたぬきと目線を合わせるようにしゃがみこむ。そして心を許してくれるように、そっと優しく手招いてみた。
つぶらな目がリューリアに気づけば、何か御用ですか? とたぬきはぽん、と鳴いて近づいてきた。
「こんにちは。まずは撫でてみてもいいだろうか?」
「ぽーん」
どうぞ、たぬき撫でられるの大好きです、とたぬきは頭やお腹を差し出してくる。リューリアとアーデュラが手を伸ばして撫でれば、つやつやの毛並みとふかふかの感触が伝わってきた。
「ふかふかの毛並みだなぁ。たぬきさんは何かに化けたりするのか?」
「ぽこ?」
たぬきは、たぬきのままですよ、とぽんぽこのんきに鳴いているようだ。
ふわふわ毛並みを堪能したアーデュラは、ナノマシン製の白い小鳥を呼び出した。ゆっくりとたぬきの上を飛ばせれば、興味を持って、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「喜んでいるみたいですね、良かったです」
「にゃっ」
「ぽーん!」
アーシアもさっと小鳥へ飛びかかる。素早く優雅な身のこなしに、たぬきは、すごいです、と賞賛の声を上げていた。
しばしふかふか達が跳ねまわるのを鑑賞してから、リューリアとアーデュラは昼食の準備をする。ダンジョン前で並ぶ店の中から選んで買ってきたものだ。
「はい、さつまいもと卵のサンドイッチ、それから甘いジュースです。リューリアさんも遠慮なくどうぞですね」
「うん、いただこう」
優しい甘さのサンドイッチを味わいながら、かわいい猫とたぬきが、小鳥と遊ぶように追いかけ跳ねまわるのをみる時間は幸せなものだった。
「たぬきさんも食べないか? さつまいもが好きだと聞いて買ってきたんだ」
「ぽん!」
「ふふ、とっても嬉しそうですね」
ありがとうございます、と喜ぶたぬきの前に差し出すのは、さつまいもペーストが挟んであるサンドイッチだ。何でも食べられるという言葉のとおり、夢中でおいしい、という顔ではぐはぐ食べていく。
二人でほのぼのとその様子を眺めていたら、低いにゃあ、という鳴き声がした。
振り向けば、アーシアがじっとリューリアを見つめている。
「うん? アーシアの尻尾がもふっと膨らんでいるな。たぬきさんに対抗しているのか?」
「確か猫が尻尾をたぬきのように膨らませているのは、機嫌の悪い時だったのではなかったのでしょうか」
「むむ」
「もしかしたら嫉妬しているかもしれませんね」
「なるほど。アーシア、お前は特別だ。たぬきさんはかわいいが、もちろんお前が一番かわいい。嫉妬する必要はないぞ」
「にゃっ」
当然でしょう、と言うように胸を張り、アーシアは鳴く。暴君なお猫様に、リューリアはさつまいもペーストを差し出した。
「ほら、さつまいもペーストをあげるぞ。ゆっくりお食べ」
「にゃーん!」
「アーシアちゃんには、程々にですね」
「うん、そうだな」
「アーシアちゃん、食べ終えたら一緒に遊びましょうね」
「にゃうー」
甘いペーストに食いつくアーシアは、大変可愛くて、暴君ぶりも愛おしいと思ってしまう。もっともっと、と強請られると渡してしまいたくなるし、いっぱい食べたいとおねだり攻撃をいなすのも大変なのだ。
可愛がられ、美味しいものも献上されて。遊んでもらって機嫌を直したアーシアは、仕方ないけど新参者をかわいがってあげよう、とばかりにたぬきへと近づいていく。
「にゃー。にゃう、にゃ、なう!」
「ぽこー」
にゃうにゃうぽんぽこ、会話している様な姿は、リューリアとアーデュラの気持ちをほっこりさせてくれる。
「かわいいなぁ」
「ええ、もふもふが並んでいる光景もいいですね」
そんな穏やかな光景に、二人が目を細めていると。
「にゃう!」
ぴょん、とアーシアがたぬきの前に飛び出し、どんと胸を張った。
「にゃ、にゃう、にゃ!」
――かわいいのはこっちだ、と言わんばかりである。
「ぽこ?」
「ふふ……どうやら、まだ張り合う気のようですね」
「うん、やはりアーシアは負けず嫌いだな」
そんなアーシアの頭を撫でれば、満足そうに喉を鳴らす。
たぬきに危険性はなく、ただ思うままに戯れて。暴君なお猫様に甘えられて。
もふもふに囲まれたまま、二人は小さく笑い合うのだった。
●
「ふぅ」
ミューレンはお茶の葉を入れた水筒に、綺麗な湧き水を汲んで、探検がてらダンジョンを一周して戻ってきた。
(お散歩で程よく運動になったし、そろそろ場所を決めよ)
水出しのお茶も程よく出ている頃だろう。フロアの中でもぽかぽかな場所を探し出し、ちょこんと座る。
うかがう気配にちょっぴり笑いながら、サンドイッチの紙袋をこれみよがしに思いっきり開けた。そこから堂々と登場したミューレン特製サンドイッチに惹かれて、近づいてくる気配を感じる。
「いただきまーす!」
齧りつけば、フォカッチャのカリッとした外側とふかっとした内側の食感がまず楽しい。続くマスカルポーネのまろやかさとサーモンの旨味、いちじくの甘みがまた美味しい。いちじくの種のつぶつぶも、いいアクセントになっている。
「おいしー♪」
食べ進める手が止まらず、さっそく一個を食べ終えて、お茶で流し込んだら大満足だ。にこーっとした笑顔を浮かべながら、ミューレンは紙袋に再び手を伸ばす。
「さて、次はー」
「ぽーん」
言いながら伸ばした手にもふっとした感触が伝わってきた。
(きた!)
そちらを見ればたぬきがすぐそばにいて、おいしそうです、と言うような顔でミューレンを見上げている。
「こんにちは、お腹空いてる?」
「ぽん!」
「ならサンドイッチいっこあげるから、食べ終わったらもふもふしていい?」
「ぽーん♪」
「はいどーぞ♪」
ありがとうございます、たぬきもふもふされるのも好きです、と喜ぶたぬきにミューレンはサンドイッチを差し出した。はぐっと齧りついたたぬきは、おいしいです、と夢中になって食べていく。
ごちそうさまでした、と食べ終えたたぬきは、ミューレンに頭やお腹を差し出した。
「おお、もふもふー」
「ぽーん……♪」
撫でるたび、つやつやした毛並みと、ふかふかの感触が手の中を流れていく。
(ミューも|猫《にゃんこ》の時にもふられるの好きじゃないこともあるんだけど、やっぱり|狸《ひと》はもふりたくなっちゃう)
もふもふとは、かくも魔性なのである。好きな人をひきつけてやまない存在なのだ。抱えた膝に伝わる重みも、感じ取れる温もりも尚良い。
「あったかいにゃー」
しばしたぬきを堪能したミューレンは、スモアを取り出した。
「もふもふのお礼にスモアも上げるね。あっお茶いる?」
「ぽん!」
ありがとうございます、どちらもいただきます、と言うようにたぬきは嬉しそうに鳴く。
ミューレンはにこにこと笑いながら、そんな様子を眺めつつ一緒にスモアとお茶を楽しむのだった。